『資治通鑑鑑賞』　第85巻　262年〜264年

■資治通鑑第85巻

【解題】『資(し)治(じ)通(つ)鑑(がん)』の第85巻は太(たい)安(あん)二年［303年］から永(えい)興(こう)元年［304年］までの2年間を扱っている。

【訳文】

資(し)治(じ)通(つ)鑑(がん)巻八十五　晋(しん)紀(き)七　孝(こう)恵(けい)皇(こう)帝(てい)中(ちゅう)之(の)下(げ)

【補足】『資(し)治(じ)通(つ)鑑(がん)』の第85巻は「晋(しん)紀(き)七」に当たり、「孝(こう)恵(けい)皇(こう)帝(てい)中(ちゅう)之(の)下(げ)」、つまり晋(しん)の皇帝が孝(こう)恵(けい)皇(こう)帝(てい)であった時代の記録の中(ちゅう)の部分の下巻に当たる。孝恵皇帝は晋の二代皇帝の司(し)馬(ば)衷(ちゅう)。

【概略】晋(しん)朝(ちょう)の皇族同士の争いは、都の洛(らく)陽(よう)には司(し)馬(ば)乂(かい)がいて皇帝を盛り立て、西の長(ちょう)安(あん)には司(し)馬(ば)顒(ぎょう)が、東の鄴(ぎょう)には司(し)馬(ば)穎(えい)がそれぞれいて、三者が牽制し合うという形でひとまずおさまったのだが、これまで見てきたように、力のバランスはすぐに崩れてしまう。その一方で、蜀(しょく)では流民集団のリーダーの李(り)特(とく)が力を付け、北方諸民族の動きもますます活発化し、さらには中国内部においてもこれまで抑えつけられていた民衆が不穏な動きを見せるなど、火種のないところはどこにもないような状況になりつつあった。

【訳文】

［303-01の一］太(たい)安(あん)二年、春、正月、李(り)特(とく)は密かに長(ちょう)江(こう)を渡って（成(せい)都(と)にいる）羅(ら)尚(しょう)を攻撃した。水辺にいた兵士は散り散りになって走り、蜀(しょく)郡(ぐん)太(たい)守(しゅ)の徐(じょ)倹(けん)は成都の少(しょう)城(じょう)を開いて降伏した。李特は少城に入ると、馬だけは取って軍団で使うようにしたが、ほかの物は奪わなかった。赦令を下し、建(けん)初(しょ)と改元した。

羅尚は太(たい)城(じょう)を保って、使者を派遣して李特に和を求めた。

蜀(しょく)の民は塢(とりで)をあちこちに作って集まっていた。そこにいた者たちは皆が款(かん)［よしみを求める文書］を李特に送った。李特はそれらを受け入れる使者を出した。軍中の食糧が不足していので、六郡の流民を分けてそれぞれに塢(とりで)に行かせて食べ物を得させた。

李(り)流(りゅう)は（兄の）李特に言った。「塢(とりで)の者たちは新たに我らに付いたばかりで、人心はまだ固まっていません。塢(とりで)にいる大(たい)姓(せい)［豪族］の子弟を人質に取り、我らの兵士を集めてここの守備を固め、不慮の事態に備えるべきです」。また李流は、李特の司(し)馬(ば)の上(じょう)官(かん)惇(じゅん)に手紙を与えて、「降伏した者を受け入れるときにはあくまでも敵であると思って備えるべきで、油断してはならない」と言った。前(ぜん)将(しょう)軍(ぐん)の李(り)雄(ゆう)［李特の子］も同じように言った。李特は怒って、「大事がすでに定まったならば、民を安んじるべきだ。いつまでも疑って警戒し、かえって離反させるようなことをしてはならない」と言った。

朝廷は荊(けい)州(しゅう)刺(し)史(し)の宗(そう)岱(たい)と建(けん)平(ぺい)太(たい)守(しゅ)の孫(そん)阜(ふ)に水軍三万を率いて羅尚の救援に向かわせた。宗岱は孫阜を前鋒として、進んで徳(とく)陽(よう)に迫った。李特は、李(り)蕩(とう)［李雄の弟］と蜀(しょく)郡(ぐん)太(たい)守(しゅ)の李(り)璜(こう)を派遣して徳(とく)陽(よう)太(たい)守(しゅ)の任(じん)臧(ぞう)とともに宗岱を防がせた。宗岱と孫阜の軍の勢いは盛んで、各地の塢(とりで)はどこもふた心を抱いた。

益(えき)州(しゅう)兵(へい)曹(そう)従(じゅう)事(じ)の任(じん)睿(えい)は羅尚に言った。「李特は食べ物を与えるために人々を分散させています。李特は驕(きょう)怠(たい)［驕って油断している］し、備えがありません。天が奴を亡ぼそうとしているのです。各地の塢(とりで)と密かに約束して、日時を決めて同時に挙兵し、内外から攻撃したなら、必ず破ることができます」。それで羅尚は任睿を使者とし太城の外に出すことにした。任睿は夜の間に縄につかまって城壁から出て、各地の塢(とりで)に羅尚の意向を伝え、二月十日に同時に李特を攻撃することにした。任睿は李特のところに行き、偽って投降した。李特は城中の状況を任睿に尋ねた。「食糧の蓄えがもうすぐ尽きようとしていて、後は貨幣や絹があるだけです」と答えた。任睿は一度家に帰ることを求め、李特はそれを許した。それで任睿は還って羅尚に報告した。

二月、羅尚は兵を出して李特の軍営を襲い、各地の塢(とりで)がそれに応じた。李特は大敗し、李特、李(り)輔(ほ)［李特の兄］、李(り)遠(えん)は斬られ、その死骸は焚(や)かれ、首が洛(らく)陽(よう)に送られた。

流民は大いに懼(おそ)れ、李流、李蕩、李雄は残った人々を集め、還って赤(せき)祖(そ)を保った。李流は大(だい)将(しょう)軍(ぐん)大(だい)都(と)督(とく)益(えき)州(しゅう)牧(ぼく)を自称して東営を拠点とし、李蕩は北営を拠点とした。

孫阜は徳陽を破り、寋(けん)碩(せき)［李特側の将軍］を獲た。任臧は退いて涪(ふ)陵(りょう)に留まった。

【補足】流民を率いる李(り)特(とく)らのその後が記されている。李特は王者にふさわしく鷹揚に振る舞おうとしたのだが、相手側にはそれは驕(きょう)怠(たい)と見え、あっさり覆されてしまった。李特には兄弟が多くいて、先に李特の弟の李(り)庠(しょう)が殺され［→通鑑301-04］、ここで李特とその兄の李(り)輔(ほ)が殺されたが、弟の李(り)流(りゅう)と李特の息子の李(り)蕩(とう)、李(り)雄(ゆう)がその事業を引き継いでゆく。

【訳文】

［303-01の二］三月、羅(ら)尚(しょう)は督(とく)護(ご)の何(か)沖(ちゅう)、常(じょう)深(しん)らを派遣して李(り)流(りゅう)を攻撃した。涪(ふ)陵(りょう)の民の薬(やく)紳(しん)らも起兵して李流を攻めた。李流と李(り)驤(じょう)は常深らと戦い、李(り)蕩(とう)と李(り)雄(ゆう)は薬紳らと戦った。何沖は虚に乗じて北営を攻めた。北営の中にいた氐(てい)苻(ふ)成(せい)と隗(かい)伯(はく)が寝返ってそれに応じた。李蕩の母の羅(ら)氏(し)は甲(かぶと)を身に付けて戦い、隗伯が刃で羅氏の目を傷付けた。羅氏はかえってますます意気盛んになって戦った。北営がいまにも破れそうになったときに、李流らが常深や薬紳らを破り、北営に帰ってきて何沖らと戦って大いにそれを破った。氐苻成と隗伯の一党は抜け出て、羅尚のもとに行った。李流らは勝ちに乗じて進み、成都に当たった。羅尚はまた城を閉ざして守った。李蕩は馬を走らせて逃げて行く者を追い、矛に当たって死んだ。

朝廷は侍(じ)中(ちゅう)の劉(りゅう)沈(ちん)に節(せつ)［指揮官のしるし］を与え、羅尚や許(きょ)雄(ゆう)らの軍団を指揮して、李流を討たせることにした。劉沈が長(ちょう)安(あん)に至ると、河(か)間(かん)王(おう)の司(し)馬(ば)顒(ぎょう)は劉沈を留めて自分の軍師とし、代わりに席(せき)薳(い)を行かせた。

李流は李特と李蕩が相次いで死に、宗(そう)岱(たい)や孫(そん)阜(ふ)が接近しつつあったので非常に懼(おそ)れた。李(り)含(がん)［李特の妹の夫］は李流に投降することを勧め、李流はそれに従おうとした。李驤と李雄はこもごも諌めたが、李流は聞き入れなかった。

夏、五月、李流は息子の李(り)世(せい)と李含の子の李(り)胡(こ)を人質として孫阜の軍に送った。李胡の兄の李(り)離(り)はこのとき梓(し)潼(どう)太(たい)守(しゅ)であったが、これを聞いて、梓潼郡から馳せて還って諌めようとした。しかし、間に合わなかった。李離は退いて李雄とともに孫阜の軍を襲撃しようとした。李雄は言った。「いま何をすべきかといったら、きっとその通りだ。しかし、二(に)翁(おう)［李流と李含］は同意しない。どうしたらよいだろうか」。李離は、「脅かしてやればよいだけだ」と言ったので、李雄は大いに喜び、二人で流民に説いた。「我らは先にすでに蜀(しょく)の民に乱暴をした。いまひとたび手を上げて降参したなら、たちまち切り刻まれてしまうだろう。心を一つにして孫阜を襲って、富貴を取るしかないのだ」と説いた。人々は皆がそれに従った。李雄は李離とともに孫阜の軍を襲って大いに破った。たまたま宗岱が墊(ちょう)江(こう)で死んだことから、荊(けい)州(しゅう)の軍は退却した。李流は甚だ慚(は)じ、これよりは李雄が格段に力量があるとして、軍事の全てを李雄に任せた。

【補足】流民のリーダーは、弱気な李(り)流(りゅう)から、李(り)特(とく)の子の李(り)雄(ゆう)に交替するようになった。

【訳文】

［303-02］（長(ちょう)江(こう)中流域を統治する）新(しん)野(や)荘(そう)王(おう)の司(し)馬(ば)歆(いん)の政治は厳格で容赦のないものだった。そのために、蛮(ばん)夷(い)［先住民族］の心を完全に失い、義(ぎ)陽(よう)蛮(ばん)［長江中流部の部族］の張(ちょう)昌(しょう)は数千人の仲間を集めて反乱を起こそうとした。

このとき荊(けい)州(しゅう)では壬(じん)午(ご)の詔書［魏(ぎ)の時代の壬午の年［西暦262年］に蜀(しょく)を討伐するための兵士を募ったもの］に基づいて武勇の者を徴発して、益(えき)州(しゅう)に行かせて李(り)流(りゅう)を討とうとした。それによって集めた兵士を「壬午の兵」と呼んだ。民衆は遠く戦場に連れて行かれるのを嫌がり、徴集されるのを望まなかった。しかし、司馬歆は詔書を振りかざして速やかに進むよう壬午の兵を厳しく督促し、通過するところの郡や県で境を越えるまでに五日以上要した場合にはそこの知事を免官にするとした。そのために郡県の知事は自ら出て逐(お)い払うようにして兵士を進ませた。壬午の兵はあちこちで逐(お)われながら進み、さほど遠くまで行かないうちに、（先に進むのをやめて）寄り集まって盗賊集団となった。一方で、このとき江(こう)夏(か)郡(ぐん)［長江中流の町］は豊作であったので、そこで食にありつこうとする流民［蜀(しょく)の混乱によって流れてきた者］が数千人ほどいた。

張昌はこのような情勢を見て、民衆を誑(きょう)惑(わく)［欺き惑わす］し、姓名を李(り)辰(しん)と改めて、安(あん)陸(りく)県(けん)石(せき)巌(がん)山(ざん)に人々を集めた。流民や兵士として徴発されるのを避けようとする多くの者がそれに従った。江(こう)夏(か)郡(ぐん)太(たい)守(しゅ)の弓(きゅう)欽(きん)は兵を出してそれを討とうとしたが勝てなかった。張昌は江夏郡を攻撃し、弓欽の軍は敗れ、弓欽は部将の朱(しゅ)伺(し)とともに武(ぶ)昌(しょう)に奔(はし)った。司馬歆は騎(き)督(とく)の靳(きん)満(まん)を出してこれを討たせたが、靳満も敗走した。

張昌は江夏郡を拠点とし、妖(よう)言(げん)［あやしい言葉］を流した。「いまにも聖人が現われ出て民衆の主(あるじ)になる」。張昌は山(さん)都(と)県(けん)の役人の丘(きゅう)沈(ちん)を得て、その姓名を劉(りゅう)尼(じ)と改め、漢(かん)の皇帝の末裔だと偽り、劉尼を奉じて天子とし、「これこそが聖人である」と言った。張昌は相(しょう)国(こく)となり、鳳皇が舞い降りたとか、玉(ぎょく)璽(じ)が現われたとかの瑞祥を偽って作り、元号を神(しん)鳳(ぽう)とし、漢朝の故事通りに天を祀り、官員の服色を定めるなどした。張昌は民衆を募り、それに応じない者を一族もろとも誅殺したので、士民は従わないわけにはいかなかった。また、「長江、淮(わい)河(が)より南はすべて晋(しん)朝(ちょう)に叛(そむ)き、官軍が大挙して起り、全ての民衆を誅殺しようとしている」との噂を流した。こうしてさまざまに民衆を煽ったことから、世情はひどく動揺した。

長江と沔(べん)河(が)の間では挙兵して張昌に応じる者が次々に出て、ひと月足らずのうちに三万人になった。皆が絳(あか)い帽子をかぶり、馬の尾で髯を作った。朝廷は詔を下し、監(かん)軍(ぐん)の華(か)宏(こう)を派遣してこれを討たせた。華宏は障(しょう)山(ざん)で敗れた。

司馬歆は朝廷に、「妖(よう)賊(ぞく)の犬(けん)羊(よう)［民衆を貶めてこのようにいった］は万をもって数えるほどで、絳(あか)い頭に毛だらけの面(つら)で、刀で挑み戟(ほこ)を走らせ、その切っ先は当たるべからざる勢いがあります。敕令を諸軍に下して、三道より救援してくださるよう願います」と言った。朝廷は屯(とん)騎(き)校(こう)尉(い)の劉(りゅう)喬(きょう)を予(よ)州(しゅう)刺(し)史(し)に、寧(ねい)塑(そ)将(しょう)軍(ぐん)の劉(りゅう)弘(こう)を荊(けい)州(しゅう)刺(し)史(し)として張昌を討つよう指示し、また河(か)間(かん)王(おう)の司(し)馬(ば)顒(ぎょう)に詔を下して雍(よう)州(しゅう)刺(し)史(し)の劉(りゅう)沈(ちん)に州の兵士一万と西(せい)府(ふ)の兵の五千人を率いて藍(らん)田(でん)関(かん)から出て張昌を討つよう命じた。ところが司馬顒は詔に従おうとしなかったので、劉沈は自身の判断で州兵を率いて藍田に至った。司馬顒は無理やりその兵士を奪った。

ここにおいて劉喬は汝(じょ)南(なん)に駐屯し、劉弘および前(ぜん)将(しょう)軍(ぐん)の趙(ちょう)驤(じょう)、平(へい)南(なん)将(しょう)軍(ぐん)の羊(よう)伊(いん)が宛(えん)に駐屯した。張昌はその将の黄(こう)林(りん)に二万人を率いて予州に向かわせたので、劉喬がそれを迎え撃った。

もともと司馬歆と斉(せい)王(おう)の司(し)馬(ば)冏(けい)は善い関係にあったので、司馬冏の政権が崩壊してからは司馬歆は懼(おそ)れて、大(だい)将(しょう)軍(ぐん)の司(し)馬(ば)穎(えい)との結びつきを強めていた。張昌が乱をなしたことから、司馬歆はそれを自身で討つことを願ったのだが、（朝廷で権力を握っていた）長(ちょう)沙(さ)王(おう)の司(し)馬(ば)乂(かい)はすでに司馬穎との関係が悪化していたので、司馬歆と司馬穎が共謀しているのではないかと疑い、司馬歆が出兵するのを許さなかった。

張昌の勢いは日々に盛んになり、従(じゅう)事(じ)中(ちゅう)郎(ろう)の孫(そん)洵(じゅん)は司馬歆に言った。「公(こう)［司馬歆］は岳(がく)牧(ぼく)［大国の主人］として閫(こん)外(がい)［都の外の地］を託されています。朝廷に申し出て、ただちに進んでも何ら問題はないはずです。そのようにしないで凶悪な者どもをますます蔓延(はびこ)らせたのでは、禍(わざわい)は測り知れないほどに大きくなってしまいましょう。それでは王室を守り支えて四方を鎮める義は果たしてどうなってしまうのでしょうか」。それで司馬歆は出兵しようとした。すると王(おう)綏(すい)が言った。「張昌らは小さな賊であります。位の低い将軍たちに平定させるので十分でありましょう。詔に反してまで自ら戦場に赴く必要はありません」。ところが、張昌はすでに樊(はん)城(じょう)にまで至ったので、司馬歆は自ら出てそれを拒んだ。司馬歆の軍は潰れ、司馬歆は張昌によって殺された。

朝廷は詔を下して、司馬歆に代わって劉弘を鎮(ちん)南(なん)将(しょう)軍(ぐん)都(と)督(とく)荊(けい)州(しゅう)諸(しょ)軍(ぐん)事(じ)とした。

六月、劉弘は南(なん)蛮(ばん)長(ちょう)史(し)の陶(とう)侃(かん)を大(だい)都(と)護(ご)に、参(さん)軍(ぐん)の蒯(かい)恒(こう)を義(ぎ)軍(ぐん)督(とく)護(ご)に、牙(が)門(もん)将(しょう)の皮(ひ)初(しょ)を都(と)戦(せん)帥(すい)にして、進んで襄(じょう)陽(よう)に拠った。張昌は軍を合わせて宛を囲み、趙驤の軍を破り、羊伊を殺した。劉弘は退いて梁(りょう)に駐屯した。張昌は進んで襄陽を攻めて勝利した。

【補足】（1）長(ちょう)江(こう)流域以南には古くからその地に住んでいた先住民族がいて、三国時代に蜀(しょく)や呉(ご)は魏(ぎ)と戦う前に支配基盤を固めるために先住民族を服属させる軍事行動を急いだことはすでに通鑑263-08の二で見ている。その後、先住民族は晋(しん)朝(ちょう)の皇帝を頂点とする統治体制の最底辺に置かれ、中央の支配力が弱まれば、当然のことながら圧政から逃れ出ようとする力が働く。そこに蜀(しょく)からの流民が加わったことで社会情勢がますます不安定化した。張(ちょう)昌(しょう)が立ち上がると、あたかもドミノ倒しのようにして各地で民衆が蜂起した。

（2）張昌が民衆を「誑(きょう)惑(わく)した」とここに記されているのは、むろん歴史家の偏見に基づく表現である。司(し)馬(ば)歆(いん)が「妖(よう)賊(ぞく)の犬(けん)羊(よう)」と言ったのも同様の偏見による。立ち上がりで大成功をおさめた張昌に、秩序を破壊するだけではなく新たな秩序を構築する能力があったならば、歴史家も英雄として扱ったのかもしれないが、張昌は盗賊集団から脱皮することができなかった。

（3）民衆反乱に直面してもなお皇族たちは内輪もめを優先し、司(し)馬(ば)顒(ぎょう)や司(し)馬(ば)乂(かい)に見捨てられるかたちで司(し)馬(ば)歆(いん)は殺された。

（4）最後に名を挙げられている陶(とう)侃(かん)は注目すべき人物で、先住民の五(ご)渓(けい)蛮(ばん)の出身だとの説もある。幼いときに父を喪い、貧困のなかでも母のもとで懸命に勉強して県の役人となり、都に行く機会を得て張(ちょう)華(か)によって認められ、県知事までになったものの上官と折が合わずに帰郷した。そのようなときに、劉(りゅう)弘(こう)によって招聘されたのである。なお、我々にとっては、陶侃は陶(とう)淵(えん)明(めい)の曽祖父であるといった方が頭に入りやすいだろう。

【訳文】

［303-03］李(り)雄(ゆう)は汶(びん)山(ざん)太(たい)守(しゅ)の陳(ちん)図(と)を攻めて殺し、郫(ひ)城(じょう)を取った。

秋、七月、李(り)流(りゅう)は郫城に移った。

蜀(しょく)の民は（李雄らを恐れて）要害の地に塢(とりで)を作ってそこに籠るか、あるいは南の寧(ねい)州(しゅう)に入るか、あるいは東の荊(けい)州(しゅう)に下るかしたので、町や村はどこも空っぽになり、野には煙も上がらなくなった。流(りゅう)虜(りょ)［李雄らの率いる異民族］は略奪に出ても得る物がなく、その人々は飢えに苦しんだ。ただ涪(ふ)陵(りょう)の千戸余りだけは、青(せい)城(じょう)山(ざん)の処(しょ)士(し)［官職に就かない者］の范(はん)長(ちょう)生(せい)に依って食糧が得られていた。平(へい)西(せい)参(さん)軍(ぐん)の徐(じょ)輿(よ)は（成(せい)都(と)にいる）羅(ら)尚(しょう)に、己が汶山太守となって、范長生を迎えて共同して李流を討ちたいと説いた。羅尚は許さなかったので、徐輿は怒り、李流のもとに行って投降した。李流は徐輿を安(あん)西(せい)将(しょう)軍(ぐん)した。徐輿は范長生に、李流の兵士に食糧を与えることを説き、范長生はそれに従った。これによって李流の軍団はまた勢いを盛り返した。

【補足】（1）蜀(しょく)の状況が通鑑303-01に続いて記されている。戦乱に追われて東に逃れた蜀の民衆の一部が、通鑑303-02で見た張(ちょう)昌(しょう)のもとに加わったのだろう。本来民衆は平穏な暮らしが保たれていれば国の叛(そむ)いたりはしない。生活の場を失ってやむをえず武器を手にして正規軍と戦うのである。張昌が流した「聖人が現われる」というデマは、そのような民衆の心を掴むものであったのだろう。

（2）徐(じょ)輿(よ)や范(はん)長(ちょう)生(せい)が李(り)流(りゅう)の側にまわったのは象徴的な動きである。晋(しん)朝(ちょう)にはもはや期待できないと見切ったのだろう。

【訳文】

［303-04］（長(ちょう)安(あん)にいる）李(り)含(がん)は、かねてから長(ちょう)沙(さ)王(おう)の司(し)馬(ば)乂(かい)は力が微弱であるからきっと斉(せい)王(おう)の司(し)馬(ば)冏(けい)によって殺されてしまうだろうと思っていたので、そのようになった後で、その罪を挙げて司馬冏を討ち、さらには皇帝を廃して、大(だい)将(しょう)軍(ぐん)の司(し)馬(ば)穎(えい)を新しい皇帝に立て、河(か)間(かん)王(おう)の司(し)馬(ば)顒(ぎょう)を宰相にして、己が国政を牛耳ってやろうと計画していた。ところが逆に司馬冏が司馬乂によって殺され、司馬穎と司馬顒はなお任国を守ったので、目論見がすっかりはずれてしまった。

（鄴(ぎょう)にいて朝廷を遠隔操作する）司馬穎は己の功績を恃(たの)んで驕り高ぶり、政治全般は司馬冏のときよりもさらにだらしなくなってしまった。司馬穎は司馬乂が朝廷内にいて自分の思い通りにならないのを嫌い、司馬乂を取り去りたいと思っていた。

このようなときに、皇(こう)甫(ほ)商(しょう)がまた司馬乂の参(さん)軍(ぐん)となり、兄の皇(こう)甫(ほ)重(ちょう)が秦(しん)州(しゅう)刺(し)史(し)となった。李含は司馬顒に、「皇甫商は司馬乂様によって任命され、皇甫重も我々のためにはならないでありましょう。この二人をすみやかに除くべきであります。皇甫重を都に移して都の職務を与えるよう朝廷に提議し、皇甫重が（秦州から都に向かう途中に）長(ちょう)安(あん)を過る機会に執えてしまうとよいでしょう」と説いた。皇甫重はそのことを察知し、尚(しょう)書(しょ)に檄(げき)を飛ばし、（秦州の指揮下にある）隴(りょう)上(じょう)の兵を動かして李含を討とうとした。司馬乂は（一連の権力抗争が終わったところで）戦はしばらく息(や)むべきだと考えていたので、使者に詔(みことのり)を持たせて、皇甫重には軍を動かすことを罷(や)めるよう命じ、李含を呼んで河(か)南(なん)尹(いん)にすることにした。李含はそれに応じて都に行ったが、皇甫重は詔に従わなかった。司馬顒は金(きん)城(じょう)太(たい)守(しゅ)の游(ゆう)楷(かい)、隴(りょう)西(せい)太(たい)守(しゅ)の韓(かん)稚(ち)らを派遣して、四郡の軍団を合わせて皇甫重を攻めた。司馬顒は密かに李含とともに侍(じ)中(ちゅう)の馮(ふう)蓀(そん)、中(ちゅう)書(しょ)令(れい)の卞(べん)粋(すい)とで司馬乂を殺すことを謀った。皇甫商はそのことを司馬乂に告げたので、司馬乂は李含、馮蓀、卞粋を捕らえてそれらを殺した。驃(ひょう)騎(き)従(じゅう)事(じ)の諸(しょ)葛(かつ)玫(ばい)、前(ぜん)司(し)徒(と)長(ちょう)史(し)の牽(けん)秀(しゅう)らは都から出て（司馬穎のいる）鄴(ぎょう)に走った。

【補足】支配層は相変わらずつまらない争いを続けていて、ここには李(り)含(がん)の企みが破綻したことが記されている。この李含は流民のリーダーグループの李含［→通鑑303-01の二］とは別人である。この李含は司(し)馬(ば)顒(ぎょう)のブレーンで［→通鑑301-05の一］、司(し)馬(ば)穎(えい)を皇帝にして司馬顒を宰相にすれば、二人ともぼんくらなので政治は己の思うままにできると考えていた。李含はかねてから皇(こう)甫(ほ)商(しょう)と仲が悪かったことは通鑑302-07の二で見ている。李含は結局は策に溺れて殺されてしまった。この後のことは通鑑303-06に記される。

【訳文】

［303-05］（張(ちょう)昌(しょう)の一派の）石(せき)氷(ひょう)は揚(よう)州(しゅう)を襲撃して揚(よう)州(しゅう)刺(し)史(し)の陳(ちん)徽(き)を破り、周辺の諸郡は反乱軍の手に落ちた。石氷はさらに江(こう)州(しゅう)を攻めて破り、別将の陳(ちん)貞(てい)らは武(ぶ)陵(りょう)、零(れい)陵(りょう)、予(よ)章(しょう)、武(ぶ)昌(しょう)、長(ちょう)沙(さ)を攻め、その全てが陥落した。臨(りん)淮(わい)の人の封(ほう)雲(うん)も挙兵して徐(じょ)州(しゅう)を襲撃して、石氷に応じた。ここにおいて荊、江、揚、予、徐の五州のあたりの多くが張昌の拠るところとなった。張昌はそれぞれの州に牧(ぼく)守(しゅ)を置いたが、いずれも盗賊のごろつき連中で、専ら略奪を務めとするだけであった。

（晋(しん)朝(ちょう)側の）劉(りゅう)弘(こう)は陶(とう)侃(かん)らを派遣して張昌を竟(きょう)陵(りょう)に攻め、劉(りゅう)喬(きょう)はその将の李(り)楊(よう)らを江(こう)夏(か)に向かわせた。陶侃らは何度も張昌と戦って大いにそれを破り、数万の首を斬った。張昌は下(か)儁(せん)山(ざん)に逃れ、その配下の者は降参した。

陶侃は少年のころに父を喪って貧しい暮らしをし、郡の督(とく)郵(ゆう)となった。長(ちょう)沙(さ)太(たい)守(しゅ)の万(ばん)嗣(し)が廬(ろ)江(こう)を過ったときに陶侃に会って、優れ者だと見てとり、息子に命じて友として結ばせてからその地を去った。後に陶侃は孝(こう)廉(れん)として推薦されて洛(らく)陽(よう)に行き、予(よ)章(しょう)国(こく)郎(ろう)中(ちゅう)令(れい)の楊(よう)卓(たく)が陶侃を顧(こ)栄(えい)に薦めた。陶侃はこれより名を知られるようになった。陶侃が張昌に勝つと、劉弘は陶侃に、「私は昔、羊(よう)公(こう)［羊(よう)祜(こ)］の参(さん)軍(ぐん)であったときに、羊公は『いま私のいるところに後にきっと君がいるだろう』と言われた。いま卿(そなた)を見るに、必ず君が老夫(わし)を継ぐであろうと思う」と言った。

先に劉弘が退いて梁(りょう)に駐屯したときに、征(せい)南(なん)将(しょう)軍(ぐん)の范(はん)陽(よう)王(おう)の司(し)馬(ば)虓(こう)は（自身の勢力を拡大しようとして）前(ぜん)長(ちょう)水(すい)校(こう)尉(い)の張(ちょう)奕(えき)を派遣して荊(けい)州(しゅう)に入らせた。劉弘が（張昌に勝利して）荊州に至ると、張奕は交代するのを了承しないで、兵を挙げて劉弘を拒んだ。劉弘は張奕を討って斬った。このとき荊州に属する郡県の多くが知事や副知事を欠き、劉弘は人を選んでそれらを補うことを朝廷に願った。詔(みことのり)をもってそれを許したので、劉弘は功績に序列を付け、徳を計り、才能に応じて任務を授けた。人々はそれが公平で当たっていることに服した。劉弘は皮(ひ)初(しょ)を襄(じょう)陽(よう)太(たい)守(しゅ)にしたいと朝廷に願った。しかし、朝廷は皮初は功績はあってもまだ人望を得ていないと判断して、改めて劉弘の婿である前(ぜん)東(とう)平(へい)太(たい)守(しゅ)の夏(か)侯(こう)陟(ちょく)を襄陽太守にしようとした。劉弘は部下に向かって次のような文書を発した。「そもそも一国［この場合は荊州全域］を治める者は一国のことを全て心に内に入れておかなければならない。もしも姻戚の者を起用するのだとしたら、荊州の十郡を治めるためには、まず十人の娘を得て、次にその婿を得てからでないと政治ができないということになる」。そして朝廷に、「夏侯陟は姻戚であって、旧くからの制度では姻戚関係があると上司と部下の関係になることは許されません。皮初の勲功は報われるべきものであります」との文書を提出し、それは聴(ゆる)された。劉弘はこれより農業、養蚕を勧め、刑罰を緩くし、賦役を軽くしたので、公私ともに不足がなくなり、民衆は喜んだ。

【補足】張(ちょう)昌(しょう)は一気に勢力を拡大したけれど、没落もまた早かった。その原因は民衆の期待に応えられなかったことに尽きる。民政を安定させることに務めた劉(りゅう)弘(こう)とは対照的である。また、司(し)馬(ば)虓(こう)［→通鑑302-07］には皇族同士の権力抗争にしか関心がないかのようである。

【訳文】

［303-06］河(か)間(かん)王(おう)の司(し)馬(ば)顒(ぎょう)は李(り)含(がん)らが死んだと聞くと、ただちに兵を挙げて長(ちょう)沙(さ)王(おう)の司(し)馬(ば)乂(かい)を討とうとした。一方で、大(だい)将(しょう)軍(ぐん)の司(し)馬(ば)穎(えい)は皇帝に張(ちょう)昌(しょう)を討つことを願う文書を出して許可を得ていた。張昌が平定されたと聞くと、（張昌討伐のために用意していたことを振り向けて）司馬顒とともに司馬乂を攻めようと考えた。盧(ろ)志(し)が諌めた。「公(こう)［司馬穎］は先に（司(し)馬(ば)倫(りん)を討ったときに）大功がありながらも、権力の座に就くことを捨て、皇帝の寵遇を辞退されたので、人々はその行為を美しいとしました。いまは軍を都から離れたところに置いたまま文官の服を着て入朝するのがよく、それこそが霸者としての振る舞いであります」と言った。また、参(さん)軍(ぐん)の邵(しょう)続(ぞく)が言った。「人に兄弟があるのは左右の手のようなものであります。明(めい)公(こう)［司馬穎］は天下の敵となる者に当たろうとするときに、最初に一つの手［司馬乂を指す］を取り去ってよいものなのでしょうか」、司馬穎はどちらにも従わなかった。

八月、司馬顒と司馬穎は一緒に朝廷に文章を提出した。「司馬乂の論功は公平ではなく、右(ゆう)僕(ぼく)射(や)の羊(よう)玄(げん)之(し)や左(さ)将(しょう)軍(ぐん)の皇(こう)甫(ほ)商(しょう)とともに朝政を勝手に動かし、忠良の者を殺害しています。どうか羊玄之、皇甫商を斬り、司馬乂を任国に還らせますように」。これに対して詔が下された。「司馬顒が敢えて大軍を起こして都に向かってくるのなら、吾は自ら六軍を指揮して奸(かん)逆(ぎゃく)の者を誅殺するであろう。司馬乂を太(たい)尉(い)都(と)督(とく)中(ちゅう)外(がい)諸(しょ)軍(ぐん)事(じ)にして都を防がせる」

司馬顒は張(ちょう)方(ほう)を都(と)督(とく)にして、精兵七万を率いて（長(ちょう)安(あん)を発って）函(かん)谷(こく)から東に洛(らく)陽(よう)へと向かわせた。司馬穎は兵団を率いて（鄴(ぎょう)を発って）朝(ちょう)歌(か)に駐屯した。平(へい)原(げん)内(ない)史(し)の陸(りく)機(き)を前(ぜん)将(しょう)軍(ぐん)前(ぜん)鋒(ぽう)都(と)督(とく)にして、北(ほく)中(ちゅう)郎(ろう)将(しょう)の王(おう)粋(すい)、冠(かん)軍(ぐん)将(しょう)軍(ぐん)の牽(けん)秀(しゅう)、中(ちゅう)護(ご)軍(ぐん)の石(せき)超(ちょう)ら二十万余りを指揮して南に洛(らく)陽(よう)へと向かわせた。陸機は軍事をもって司馬穎に仕えてからは、たちまち諸将の右に出るようになったのだが、王粋らは心の内ではそれに服していなかった。白(はく)沙(さ)督(とく)の孫(そん)恵(けい)は陸機と親交が厚く、陸機に都督の地位を王粋に譲るよう勧めた。陸機は、「そのようにしたら、王粋は私が首(しゅ)鼠(そ)両(りょう)端(たん)［どっちつかずの態度を取る］していると言うだろう。それはすぐに禍(わざわい)を招くことになる」と言って、司馬穎の命令に従った。司馬穎の軍団は朝歌から河(か)橋(きょう)へと連なり、太鼓の音が数百里にわたって聞こえた。

乙(いつ)丑(ちゅう)、皇帝は（西方からの攻撃に備えて洛陽の西の）十(じゅう)三(さん)里(り)橋(きょう)に出た。太尉の司馬乂は皇甫商に一万人余りを率いて宜(ぎ)陽(よう)において張方を防がせた。

己(き)已(し)、皇帝は都に帰って宣(せん)武(ぶ)場(じょう)に軍を置いた。

庚(こう)午(ご)、皇帝は石(せき)楼(ろう)を宿舎とした。

九月丁(てい)丑(ちゅう)、皇帝は河(か)橋(きょう)に駐屯した。

壬(じん)子(し)、張方は皇甫商を襲撃してそれを破った。

甲(こう)申(しん)、皇帝は芒(ぼう)山(ざん)に軍を置いた。

丁(てい)亥(がい)、皇帝は偃(えん)師(し)に行った。

辛(しん)卯(ぼう)、皇帝は豆(とう)田(でん)を宿舎とした。大将軍の司馬穎は進んで黄河の南に駐屯し、清(せい)水(すい)のほとりに土壘を作った。

癸(き)巳(し)、羊玄之は憂懼のうちに死んだ。皇帝は軍団を旋(めぐ)らせて洛陽城の東に移った。

丙(へい)申(しん)、皇帝は緱(こう)氏(し)の町に行き、牽秀を攻めて、それを走らせた。大赦を下した。一方、張方は洛陽城に入り、大々的に略奪をし、死者は万をもって数えた。

【補足】またしても皇族同士の戦争となった。東側から司(し)馬(ば)穎(えい)が、西側から司(し)馬(ば)顒(ぎょう)の派遣した張(ちょう)方(ほう)が攻めてくるので、挟み撃ちにとなって動きがとれなくなるのを恐れて、司(し)馬(ば)乂(かい)は皇帝を都の外に引っ張り出して頻繁に居場所を変えたのだろう。張方は洛(らく)陽(よう)に突入したが、都を掌握できたのではなく、一時的なものであったようだ。

【訳文】

［303-07］李(り)流(りゅう)は病が重くなり、諸将に向かって、「（弟の）驍(ぎょう)騎(き)将(しょう)軍(ぐん)［李(り)驤(じょう)］は仁にして明察、もとより大事業を成すに十分な者である。（甥の）前(ぜん)将(しょう)軍(ぐん)［李(り)雄(ゆう)］は英武であって、天の助けを得ているといってよく、これまでの事業を受け継いで、軍の先頭に立つべき者である」と言った。李流が死ぬと、人々は李雄を推して大(だい)都(と)督(とく)大(だい)将(しょう)軍(ぐん)益(えき)州(しゅう)牧(ぼく)にして、郫(ひ)城(じょう)を治めさせた。

李雄は武(ぶ)都(と)の朴(ぼく)泰(たい)を使って羅(ら)尚(しょう)を紿(あざむ)いた。羅尚が郫城を襲撃するなら、朴泰が内側から応じると、報せたのである。羅尚は隗(かい)伯(はく)に兵士を率いて郫城を攻めさせた。朴泰は、「火を挙げて、内側で応じる」と約束した。李驤は道に伏兵を置き、朴泰は長い梯子を外に出した。隗伯の兵士は火が起こるのを見て、争うようにして梯子を伝って上った。李驤は兵士を放ち、襲撃して敵を大いに破った。逃げるのを追って夜に成(せい)都(と)城(じょう)の下に至り、偽って万歳を唱え、「すでに郫城を得た」と叫び、少(しょう)城(じょう)に入った。羅尚は偽りだと覚って、退いて太(たい)城(じょう)を保った。隗伯は傷がひどく、李雄がそれを生け捕り、殺さずに赦した。李驤は犍(けん)為(い)を攻めて羅尚への輸送路を断った。犍為太守の龔(きょう)恢(かい)を得て殺した。

【補足】李(り)流(りゅう)が流民集団のリーダーとなり、勢いを盛り返して、再び成(せい)都(と)の一部を占領することに成功した。

【訳文】

［303-08の一］（司(し)馬(ば)穎(えい)側の）石(せき)超(ちょう)は進んで緱(こう)氏(し)の町に迫った。

冬、十月壬(じん)寅(いん)、皇帝は皇宮に還った。

丁(てい)未(び)、（皇帝側は）牽(けん)秀(しゅう)を（都の）東(とう)陽(よう)門(もん)の外で破った。大(だい)将(しょう)軍(ぐん)の司馬穎は将軍の馬(ば)咸(かん)を派遣して陸(りく)機(き)を支援させた。

戊(ぼう)申(しん)、太(たい)尉(い)の司(し)馬(ば)乂(かい)は皇帝を奉じて陸機と（都の）建(けん)春(しゅん)門(もん)で戦った。司馬乂の司(し)馬(ば)の王(おう)瑚(こ)は戟(ほこ)を繋いだ馬に乗った数千騎を馬咸の陣に突入させた。馬咸の軍は乱れ、馬咸を執えて斬った。陸機の軍は大敗して七(しち)里(り)澗(かん)に赴き、死者が積み重なってそのために川の水が流れなくなった。王瑚は大将の賈(か)崇(すう)ら十六人を斬った。石超は遁(に)げ去った。

かねてから宦(かん)官(がん)の孟(もう)玖(く)は大将軍の司馬穎に可愛がられていて、自分の父を邯(かん)鄲(たん)の県(けん)令(れい)にしたいと思っていた。左(さ)長(ちょう)史(し)の盧(ろ)志(し)らは敢えて反対しなかったが、右(ゆう)司(し)馬(ば)の陸(りく)雲(うん)［陸機の弟］だけが固く許さずにいて、「邯鄲の県令になるとは公(こう)府(ふ)［司馬穎の側近］に入る道筋であって、黄(こう)門(もん)［宦官］の父などがなるべきではない」と言った。孟玖はそれを深く怨んだ。孟玖の弟の孟(もう)超(ちょう)は、（今回の戦闘で）小(しょう)督(とく)として一万人を指揮し、まだ戦いが始まらないうちに、兵士に好き勝手に略奪させていた。陸機はその首謀者を捕らえた。すると孟超は武装した騎兵百人余りを指揮して直ちに陸機の陣営に入り込み、捕らわれていた者を奪い取り、陸機を顧みて、「貉(むじな)野郎のくせして、兵を指揮するなど十年早いわい」と言い放った。陸機の司馬の孫(そん)拯(じょう)は孟超を殺してしまえと陸機に言ったが、陸機はできなかった。孟超は人々に向かって声高に言った。「陸機は叛(そむ)こうとしている」。また手紙を孟玖に出し、「陸機はふたまたをかけている。だから、速やかに決戦に出ないのだ」と書いた。

このような状況のなかで（建春門での）戦いが始まり、孟超は陸機の指揮を受けないで、軽々しく独りで勝手に進み、結局は敗没してしまった。孟玖は陸機が孟超を殺したのだと疑い、司馬穎に陸機のことを、「陸機は長(ちょう)沙(さ)王(おう)［司馬乂］にふた心を抱いている」と譖(そし)った。牽秀はもとから孟玖に諂(へつら)い仕えていたし、また将軍の王(おう)闡(せん)、郝(かく)昌(しょう)、それに帳(ちょう)下(か)督(とく)の公(こう)師(し)籓(はん)はいずれも孟玖によって用いられた者たちであったので、皆が孟玖の言う通りだと言った。司馬穎はひどく怒り、牽秀に将兵を使って陸機を捕らえてくるように命じた。参(さん)軍(ぐん)事(じ)の王(おう)彰(しょう)が諌めた。「今回の戦いは、強弱互いに勢いを異にし、誰もが必ず我が方が結局は勝てると知っております。まして明達な陸機殿でありますから、勝てないはずがありません。ただし、陸機殿が呉(ご)の人でありながら、殿下が余りにも重用され過ぎておられるので、北土の旧将たちに憎まれているだけなのです」。司馬穎はそれを聞き入れなかった。陸機は牽秀が来ると聞いて、戎(じゅう)服(ふく)［軍服］を脱ぎ、（低い位の者がかぶる）白い帽子をかぶって、牽秀とともに司馬穎のもとに行った。陸機は司馬穎の前から辞去する際に手紙を書き残した。そして、「故郷の華(か)亭(てい)の鶴の鳴き声はもう聞けないのか」と嘆いた。牽秀は陸機を殺した。

司馬穎は陸機の弟の清(せい)河(が)内(ない)史(し)の陸雲、平(へい)東(とう)祭(さい)酒(しゅ)の陸(りく)耽(たん)、そして孫拯を捕らえて皆を獄に下した。

記(き)室(しつ)の江(こう)統(とう)、および陳(ちん)留(りゅう)の蔡(さい)克(こく)、穎(えい)川(せん)の棗(そう)嵩(すう)らが司馬穎に、「陸機は浅い謀(はかりごと)によって敗北し、それは殺してしかるべきでありましょう。しかし、反逆したというのは、誰もがそうではないと知っています。まずは陸機の反逆が確かであったかをよく調べて、それが明らかになったならば、それから陸雲らを誅殺しても遅くはありません」と訴えた。江統らが繰り返し懇請したので、司馬穎は判断を三日遅らせた。蔡克は司馬穎の元に出て、叩頭して額から血を流しながら、「陸雲が孟玖に怨まれていたことは、近くの者も遠くの者も皆が聞いています。いま陸雲らを殺してしまうのは、明(めい)公(こう)［司馬穎］のために竊(ひそ)かに残念に思うものであります」と言った。蔡克に従って数十人の同僚が涙を流しながら懇願した。司馬穎は惻然(しんみり)として、陸雲らを許しそうな気配を見せた。孟玖は司馬穎を抱えるようにして奥に入り、陸雲、陸耽を殺して陸機の三族を夷(たいら)げるよう促した。獄吏は孫拯に数百回にわたって拷問を加え、左右の踝(くるぶし)の骨が現われ出るまでになったが、陸機は冤罪であると言い続けた。獄吏は孫拯の義烈に感じ、孫拯に、「陸兄弟が無実の罪をかぶせられているのは誰もが知っています。あなたは自身の体を大事になさい」と言った。孫拯は天を仰いで、「陸君兄弟は天下の奇士だ。私は兄弟に知られて大事にしていただいた。その死を救うことができないばかりか、大勢に従って事実を曲げることなどできようか」と嘆いた。孟玖らは孫拯を屈服させることはできない知り、獄吏に孫拯の偽りの言葉を作らせた。司馬穎は陸機を殺して心の内ではそれは悔やんでいた。それで、孫拯の言葉を見ると大いに喜び、孟玖らに、「卿(そなた)の忠義がなかったならば、この奸(かん)者(じゃ)どもを懲らしめることはできなかった」と言った。ついに孫拯の三族を夷げた。孫拯の門人の費(ひ)慈(じ)と宰(さい)意(い)の二人は獄に行って、孫拯が冤罪であることを明らかにすると告げた。孫拯は、「私は義として陸兄弟に背いていない。死は自分の持ち分である。卿(そなた)たちは何もしなくてよい」と諭し、やめさせようとした。二人は、「先生は陸兄弟に背きませんでした。我らもまた先生に背くことはできません」と言った。それで二人は固く孫拯の冤罪を訴えたので、孟玖は二人とも殺した。

【補足】（1）陸(りく)機(き)は友人たちから郷里の呉(ご)に帰るように勧められたにもかかわらず、命を救ってくれた司(し)馬(ば)穎(えい)の恩に応えつつ、功績を建てようと思って都に留まったことは通鑑301-12の二で見ている。しかしながら、司馬穎は陸機が仕えるに値するだけの度量を具えた人物ではなかった。陸機は呉の名族の出身で、非常に文才があり、自負心が強く、北方の武将たちとは折り合いが悪かったのだろう。そのような状況で大軍の指揮を任されたことが、陸機が非業の最期をとげなければならない大きな要因となったのは間違いない。司馬穎は敢えて陸機を総指揮官に選びながら、孟(もう)玖(く)らの讒言を信じて陸機を処刑し、孫(そん)拯(じょう)の嘘の自白を見て大喜びをした。あっぱれな愚物ぶりである。上に立つ者が大馬鹿であると、愚劣な者がはびこり、義心を抱く者が死ななければならないという、まことに理不尽なことになる。陸機が人を選び損なったといえばそれまでであるが、孫(そん)拯(じょう)、費(ひ)慈(じ)、宰(さい)意(い)の三人はまことに気の毒である。

（2）孟玖が司馬穎のお気に入りであったことは通鑑301-12の二ですでに見ている。宦(かん)官(がん)は身体の一部を切除され、陸雲の言葉に露わなようにしばしば蔑視の対象とされてもいたので、自身や身内を守ることに強く執着する傾向があった。ここに記されている事柄をもって多くの人は孟玖の卑劣さを憎むのだが、孟玖も実は非人道的な皇帝制度の犠牲者なのである。

（3）陸機が故郷の鶴の声をもう聞けないのかと嘆いたことは、取り返しのつかない状況に置かれてかつての日々を思う「華(か)亭(てい)鶴(かく)唳(れい)」の四字熟語となった。王(おう)夫(ふう)子(し)は『読(どく)通(つ)鑑(がん)論(ろん)』で陸機について、「詩や文章に優れ、それによって己が世間に知られるのを楽しみ、ついにはそれが自身の一生の累(わずら)いとなり、それによって命を失ってしまうことがある。陸機がその典型である」と書いている。「司(し)馬(ば)倫(りん)のために皇位を禅(ゆず)る詔(みことのり)を書いた時点ですでに陸機の死は赦されないものであった。それを司馬穎によって救われたのだから、それを幸いとして司馬穎のもとから去って郷里に帰ってしまうのは人としての道理に背くものであるから、陸機は司馬穎のもとから離れることができなかった。つまり、陸機は司馬穎によって殺されたのではなく、司馬倫のために詔を書いたときに陸機が自ら死を選んでいたと言ってよいのである。陸機は司馬倫のもとで、詩文の美をもって当世に名を輝かすことをもって楽しみ、司馬倫のために詔を書けば賊となって死を免れないし、詔を書かなければ司馬倫によって殺されるという状況に自身を置いてしまったのである。司馬倫は陸機の詩文の美を借りて己を飾ろうとしただけで、その美を貸したからには、貸した相手に自分の生死を委ねることになってしまうのである。詩や文章の美はこれほどまでに累(わずら)いをなすのだ。君子にとって詩や文章は、道(みち)［正しい道義］を言い、己の志を述べるためのものであって、それによって己の名が世間に知られるのを楽しむなどいうことはしない。天の正しい道に違(たが)えることがなく、己を厳しく守り、人を喜ばそうなどしないで、天下に侮られようとも意に介さないならば、詩文の美に累(わずら)わされたりはしないのだ」。これは王夫子自身の気構えを示してもいるのだろう。

【訳文】

［303-08の二］太(たい)尉(い)の司(し)馬(ば)乂(かい)は皇帝を奉じて張(ちょう)方(ほう)を攻めた。張方の兵士は皇帝の乗り物を見ると、皆が退却を始めた。張方は大敗し、五千人余りが死んだ。張方は退いて十(じゅう)三(さん)里(り)橋(きょう)に駐屯した。張方配下の者は懼(おそ)れ、夜の間に逃げようとした。張方は言った。「勝負は兵家の常である。善く兵を用いる者は、敗れてもなお事を成し遂げる。いま我らはさらに進んで土塁を作り、敵の不意に出るべきである。これぞ奇策である」。夜間に密かに進み、洛(らく)陽(よう)城(じょう)に迫ることを七里、幾重にも土塁を築き、外から十分な食料を運び込んだ。

司馬乂は（二方面で）戦いに勝利し、もはや心配はいらないと思っていたが、土塁が完成すると聞き、十一月、兵を率いてそれを攻めた。しかし、うまくいかなかった。

朝廷は議論の末に、「司馬乂と司(し)馬(ば)穎(えい)は兄弟であるのだから、話し合いで戦いをやめるのがよろしい」となって、中(ちゅう)書(しょ)令(れい)の王(おう)衍(えん)らを司馬穎のもとに派遣して、司馬乂と司馬穎とで国を支え合うように説いた。しかし、司馬穎は同意しなかった。司馬乂は司馬穎に手紙を書き、利害を説いて和解しようとした。司馬穎はその返事で、「（司馬乂の側近の）皇(こう)甫(ほ)商(しょう)らの首を斬るなら兵を率いて鄴(ぎょう)に還る」と言った。司馬乂はそれはできないと言った。司馬穎は兵を進めて洛陽に迫った。

一方で、張方は千(せん)金(きん)堨(あつ)［川を堰き止める堤防］を決壊させた。その結果、水の力で舂(つ)く臼が動かなくなった。洛陽城を守る兵士に食糧を供給するために、王公たちの奴(ぬ)婢(ひ)を動員して手で穀物を舂かせた。また一品以下の者で戦場に出ていない者や十三歳以上の男子は全て労役につき、奴婢が兵士を助けた。こうして、洛陽城内では公私ともに困苦し、米は一石が一万銭にもなった。皇帝の詔が及ぶのは洛陽城内だけであった。

驃(ひょう)騎(き)主(しゅ)簿(ぼ)の祖(そ)逖(てき)が司馬乂に言った。「（雍(よう)州(しゅう)刺(し)史(し)の）劉(りゅう)沈(ちん)は忠義であり勇敢であります。雍州の兵力は河(か)間(かん)王(おう)［司(し)馬(ば)顒(ぎょう)］を制するのに十分でありますから、皇帝に申し上げて劉沈に命じて、兵を発して（西から）司馬顒を襲わせるようにするのがよいでしょう。司馬顒は急に迫られて、きっと張方に助けを求めて呼び戻すでしょう。これぞ良策であります」。司馬乂はそれに従った。劉沈は詔を奉じて四方に檄(げき)を飛ばした。多くの郡がそれに応じて兵を出した。劉沈は七郡の人々およそ一万人余りを率いて（司馬顒のいる）長(ちょう)安(あん)に向かった。

司馬乂は皇甫商に皇帝の手書きの詔を持たせて密かに派遣し、（司馬顒側の）游(ゆう)楷(かい)には戦いをやめるように命じ、（皇甫商の弟の）皇(こう)甫(ほ)重(ちょう)には軍を進めて司馬顒を討つよう命じようとした。皇甫商は抜け道を通って新(しん)平(ぺい)に至ると、その甥に会った。甥はもとから皇甫商を憎んでいたので、司馬顒に告げて皇甫商を捕らえて殺した。

【補足】いわゆる「八(はち)王(おう)の乱」で不毛な争いを続けた八人の王は、司(し)馬(ば)穎(えい)がその典型であるようにいずれも名代の愚物揃いであったが、唯一の例外とされるのが司(し)馬(ば)乂(かい)である。『晋(しん)書(じょ)』によると、「司馬乂は身の丈が七尺五寸、開放的な性格で決断力があった。常人を超える才力があり、虚心で人に接し、甚だ名望があった」と記されている。都にいて全権を掌握しても、常に皇帝を上に立て、横暴な振る舞いはなかったという。二方向から洛陽を攻撃され、極めて切迫した状況に置かれながらも、兵士は司馬乂のもとで一つにまとまっていた。司馬乂と司馬穎はともに皇帝の異母弟で、朝廷は和解することを期待したのだが、司馬穎が皇(こう)甫(ほ)商(しょう)の首を求めたことから和解は成立しなかった。その皇甫商は秘密の使者として走る途中で、憎しみを買っていた親族によって殺された。そのような皇甫商をブレーンとしていたのだから、八王のなかではましとされる司馬乂も、どれほどの才力があったのかはよくわからない。

【訳文】

［303-09］十二月、議(ぎ)郎(ろう)の周(しゅう)玘(き)、前(ぜん)南(なん)平(ぺい)内(ない)史(し)の王(おう)矩(く)は江(こう)東(とう)で挙兵して、（張(ちょう)昌(しょう)の仲間の）石(せき)氷(ひょう)を討った。そして、前(ぜん)呉(ご)興(こう)太(たい)守(しゅ)の顧(こ)秘(ひ)を推して都(と)督(とく)揚(よう)州(しゅう)九(きゅう)郡(ぐん)諸(しょ)軍(ぐん)事(じ)にして、檄(げき)を州郡に伝えて、石氷の任じた将吏を殺させた。ここにおいて前(ぜん)侍(じ)御(ぎょう)史(し)の賀(が)循(じゅん)が会(かい)稽(けい)で挙兵し、廬(ろ)江(こう)内(ない)史(し)の華(か)譚(たん)および丹(たん)揚(よう)の葛(かつ)洪(こう)、甘(かん)卓(たく)も挙兵して顧秘に応じた。周玘は周(しゅう)処(しょ)の子、賀循は賀(か)邵(しょう)の子、甘卓は甘(かん)寧(ねい)の曽孫である。

石氷はその将の羌(きょう)毒(どく)を出して、数万の兵士を率いて周玘を拒ませた。周玘はそれを撃ち羌毒を殺した。石氷は臨(りん)淮(わい)から退いて寿(じゅ)春(しゅん)に移動しようとした。征(せい)東(とう)将(しょう)軍(ぐん)の劉(りゅう)準(じゅん)は石氷が来ると聞くと、恐れて慌てふためき為すすべを知らなかった。このとき広(こう)陵(りょう)度(たく)支(し)の陳(ちん)敏(びん)が（物資の運搬に携わる）人々を率いて寿春に滞在していた。陳敏は劉準に言った。「石氷に従っているのは、もともと遠くの戦に連れて行かれるのを嫌った者たちです。窮迫して賊となっただけの烏合の衆でありますから、その勢力を離反させるのはたやすいことです。私の手の内の運(うん)兵(へい)を使って公(こう)［劉準］のために賊を破ってみませしょう」と言った。劉準は陳敏の兵士を増やして、攻撃させた。

【補足】（1）張(ちょう)昌(しょう)の乱の続きが記されている。石(せき)氷(ひょう)と戦うために挙兵した人々の祖先として挙げられている周(しゅう)処(しょ)、賀(が)邵(しょう)、甘(かん)寧(ねい)は呉(ご)の時代の著名人である。もとの呉国の名族たちが立ち上がって自分たちの土地の秩序を取り戻そうとしたのであった。都では皇族たちが果てしない争いを続け、朝廷の力は全く頼りにならなかった。

（2）『資(し)治(じ)通(つ)鑑(がん)』のこの巻に登場している多数の人物の中で、後の時代の人間から見て最大の有名人は葛(かつ)洪(こう)である。葛洪はここに記されているように二十歳のときに義兵を起こし、官職に就くとともに、三十代後半からは道教や不老長生薬を深く研究するようになった。古来、人々は不老長生の妙薬を捜し求めていたが、葛洪は辰(しん)砂(しゃ)［硫化水銀］を原材料として作ることができるとし、実験を繰り返す一方で、『抱(ほう)朴(ぼく)子(し)』や『神(しん)仙(せん)伝(でん)』などを著し、後世に大きな影響を与えた。そのために、数多くの皇帝が不老長生を願って猛毒の硫化水銀を飲んでせっせと寿命を縮める結果となった。皇帝制度の阿呆らしさを誰の目にも見えるように明らかにした点において葛洪は極めて大きな貢献を果たした。

【訳文】

［303-10］閏十二月、李(り)雄(ゆう)は羅(ら)尚(しょう)を急襲した。羅尚の軍には食糧がなく、牙(が)門(もん)の張(ちょう)羅(ら)を留めて城を守らせ、自身は夜の間に牛(ぎゅう)鞞(ひ)水(すい)を使って東に逃げた。張羅は門を開いて降参した。李雄は成都に入った。軍士は非常に飢え、人々を率いて郪(せい)で穀物を得ようとし、野の芋を掘って食べた。

（梁(りょう)州(しゅう)刺(し)史(し)の）許(きょ)雄(ゆう)は進んで賊を討たなかったことの罪に問われ、都に呼ばれて罰せられた。

【補足】通鑑303-07の続き。李(り)雄(ゆう)はついに成(せい)都(と)を占領したが、食糧不足は極めて深刻であった。

【訳文】

［303-11］安(あん)北(ほく)将(しょう)軍(ぐん)都(と)督(とく)幽(ゆう)州(しゅう)諸(しょ)軍(ぐん)事(じ)の王(おう)浚(しゅん)は天下が乱れたのを見て、夷(い)狄(てき)と結びついてその支援を得ようとし、娘の一人を鮮(せん)卑(ぴ)族(ぞく)の段(だん)務(む)勿(ふつ)塵(じん)に、もう一人を宇(う)文(ぶん)素(そ)怒(ど)延(えん)に嫁がせ、さらに、段務勿塵を遼(りょう)西(せい)公(こう)に封(ほう)じて遼(りょう)西(せい)郡(ぐん)をその統治下に置くようにすることを朝廷に申し出た。王浚は王(おう)沈(ちん)の子である。

【補足】これは成(せい)都(と)から遥か東に離れたいまの北京あたりの状況。王(おう)浚(しゅん)は晋(しん)の国力では遊牧民を抑えるのは不可能であると判断し、逆に遊牧民の力を借りようとして、鮮(せん)卑(ぴ)族(ぞく)の段(だん)氏(し)や宇(う)文(ぶん)部(ぶ)と姻戚関係を結んだ。

【訳文】

［303-12］毛(もう)詵(せん)が死んで、李(り)叡(えい)は五(ご)苓(れい)夷(い)の指導者である於(う)陵(りょう)丞(じょう)のもとに走った。於陵丞は（毛詵を討った）李(り)毅(き)のもとに詣でて、李叡のために命乞いをした。李毅がそれを許したので、李叡が李毅のもとに行くと、李毅は李叡を殺した。於陵丞は怒り、もろもろの夷(えびす)を率いて反逆して李毅を攻めた。

【補足】これは通鑑302-06の続きで、成(せい)都(と)から南に数百キロ離れた内陸部での情勢。毛(もう)詵(せん)と李(り)叡(えい)は土地の豪族で、五(ご)苓(れい)夷(い)は先住民の部族。晋(しん)の統治はここでも及ばなくなりつつあった。

【訳文】

［303-13］尚(しょう)書(しょ)令(れい)の楽(がく)広(こう)の娘は成(せい)都(と)王(おう)［司(し)馬(ば)穎(えい)］の妃であった。ある人が太(たい)尉(い)の司(し)馬(ば)乂(かい)に（楽広は内通していると）謗(そし)った。司馬乂は楽広に問いただした。楽広は顔色一つ変えることなく、「私は（都にいる）五人の息子を（司馬穎の妻である）一人の娘と代えるようなことはしません」と言った。それでも司馬乂はなおも疑った。

【補足】これは都の事情。

【訳文】

［304-01］永(えい)興(こう)元年、春、正月丙(へい)午(ご)、楽(がく)広(こう)は憂いのあまり死んだ。

【補足】上の記事の続き。敵に包囲されて困苦する状況のもと、権力を握る司(し)馬(ば)乂(かい)に疑われた楽(がく)広(こう)は心労の余り寿命を縮めた。楽広についてはこのような記録が残されているのだが、一般の庶民については、八王の乱が始まって以来どれほどの命が失われたのか不明である。次の記事には、事も無げに6〜7万という数字が挙げられている。通鑑280-07には戸数は245万9840という数字が記載されていた。そのとき戸籍に登録されていた人口は1616万3863人であるので、現在の東京都の人口1400万人とほぼ同規模である。それだけの総人口で、洛(らく)陽(よう)の攻防戦で6〜7万人が本当に斬られたのなら、社会に与えたダメージはとてつもなく大きかったはずである。

【訳文】

［304-02の一］長(ちょう)沙(さ)��(れい)王(おう)の司(し)馬(ば)乂(かい)は大(だい)将(しょう)軍(ぐん)の司(し)馬(ば)穎(えい)と戦ってしばしばそれを破り、前後合わせて六、七万人を斬った。それでも司馬乂は皇帝を上に奉じる礼において欠けるところがなかった。洛(らく)陽(よう)城(じょう)中(ちゅう)の食糧は日々に不足したが、兵士たちの心は司馬乂から離れることはなかった。（司(し)馬(ば)顒(ぎょう)の指揮下にある）張(ちょう)方(ほう)は洛陽に対してなかなか勝てないので長(ちょう)安(あん)に帰ろうとしていた。

東(とう)海(かい)王(おう)の司(し)馬(ば)越(えつ)は（皇帝側にとって）事がうまくいかないのではと慮(おもんばか)り、癸(き)亥(がい)、密かに殿(でん)中(ちゅう)の諸将とともに夜に司馬乂を捕らえて別(べつ)省(しょう)に送った。

甲(こう)子(し)、司馬越は皇帝のもとに出て、皇帝は（司馬越の指示に従って）詔(みことのり)を下し、司馬乂を免官にして金(きん)墉(よう)城(じょう)に置かせた。大赦を下し、（永(えい)安(あん)に）改元した。洛陽城の門が開かれると、外にいた軍団は思ったほどに勢いがなかった。それを見て、殿中の将士は後悔し、司馬乂を掠め取って司馬穎と再び戦おうと考えた。司馬越は懼(おそ)れ、司馬乂を殺して人々の望みを絶とうとした。黄(こう)門(もん)侍(じ)郎(ろう)の潘(はん)滔(とう)は、「それはよろしくありません。自ずと静かにしてくれる者がおりましょう」と言った。そして、密かに人を出して張方に（司馬乂の幽閉場所を）告げた。

丙(へい)寅(いん)、張方は金墉城で司馬乂を捕らえ、軍営に連れて行って炙(あぶ)り殺した。張方の軍士も涙を流した。

【補足】司(し)馬(ば)乂(かい)はこれまでに権力を掌握した諸王と異なり、あくまでも皇帝を上に立てて、二方面からの敵に対してよく抗戦し、洛(らく)陽(よう)を守り続けてきたのだが、司(し)馬(ば)越(えつ)の裏切りで殺されてしまった。司馬乂は将士に慕われていて、敵兵もその非業の死に涙を流した。司馬越はこの後、様々な動きを見せ、史書における評価は司馬乂と比べて著しく低い。

【訳文】

［304-02の二］朝廷の公(こう)卿(けい)は皆が司(し)馬(ば)穎(えい)のもとに詣でて謝罪した。大(だい)将(しょう)軍(ぐん)の司馬穎は都に一度は入ったもののまた鄴(ぎょう)に帰還した。詔(みことのり)をもって司馬穎を丞(じょう)相(しょう)にし、東(とう)海(かい)王(おう)の司(し)馬(ば)越(えつ)に守(しゅ)尚(しょう)書(しょ)令(れい)を加えた。司馬穎は奮(ふん)武(ぶ)将(しょう)軍(ぐん)の石(せき)超(ちょう)らに、五万の兵士で洛(らく)陽(よう)の十二の城門を守らせた。司馬穎は殿中にいる者で気がかりのある人物を全て殺し、宿衛兵をことごとく交代させた。盧(ろ)志(し)を中(ちゅう)書(しょ)監(かん)にして、鄴に留めて丞(じょう)相(しょう)府(ふ)の事を司らせた。

河(か)間(か)王(おう)の司(し)馬(ば)顒(ぎょう)は鄭(てい)に軍を置いて、東方で戦っている軍団を支援していた。（雍(よう)州(しゅう)刺(し)史(し)の）劉(りゅう)沈(ちん)が挙兵したと聞いて、西に引き返して渭(い)城(じょう)に軍を置き、督(とく)護(ご)の虞(ぐ)夔(き)を派遣して、好(こう)畤(じ)で劉沈を迎え撃った。虞夔は敗れたので司馬顒は懼(おそ)れ、退いて長(ちょう)安(あん)に入り、急いで張(ちょう)方(ほう)を召し寄せた。張方は洛(らく)陽(よう)の官私の奴(ぬ)婢(ひ)の一万人余りも掠め取って西に向かった。張方の軍中は食糧が乏しく、人を殺して牛馬の肉に混ぜて食わせた。

劉沈は軍を進めて渭(い)水(すい)を渡り、司馬顒と戦ってしばしば勝利した。劉沈は安(あん)定(てい)太(たい)守(しゅ)の衙(が)博(はく)、功(こう)曹(そう)の皇(こう)甫(ほ)澹(たん)に五千の精鋭を率いて長安を襲撃させた。衙博らは城門から入って力戦して司馬顒の居場所に迫った。ところが続いてくるはずの劉沈の兵が遅れた。（長安を守る）馮(ひょう)翊(よく)太(たい)守(しゅ)の張(ちょう)輔(ほ)は後続がこないのを見て、兵士を率いて��から攻撃し、衙博と皇甫澹を殺した。劉沈の兵は敗れ、残った兵士を集めて退却した。張方はその将の敦(とん)偉(い)を派遣して、夜に劉沈を襲撃した。劉沈軍は驚いて潰走し、劉沈とその部下は南に逃げ、張方はそれを追って獲えた。

劉沈は司馬顒のもとに連れて行かれると次のように言った。「ものごとの軽重を量るに、知己の恵み［劉沈がかつて司馬顒に用いられたこと］は軽く、君臣の義は重い。いま誰が強く誰が弱いかを見て、天子の詔に違背してまでも我が身を全うさせようなどとは私は思わない。貴君と袂を分かった日から、すでに死を覚悟していた。殺されて塩漬けにされたならば、薺(なずな)のようにうまいであろう」と言った。司馬顒は怒り、鞭で打ってから腰(よう)斬(ざん)の刑に処した。

新(しん)平(ぺい)太(たい)守(しゅ)の張(ちょう)光(こう)は劉沈のためにしばしば事を計っていたので、司馬顒は張光を捕らえて詰問した。張光は、「劉君が私の計を用いなかったために、王［司馬顒］は今日こうしていられるのです」と言った。司馬顒はその言葉を壮として、酒を酌み交わし、朝廷に申し出て右(ゆう)衛(えい)司(し)馬(ば)にした。

【補足】朝廷を巡っては司(し)馬(ば)穎(えい)と司(し)馬(ば)顒(ぎょう)の側がひとまず勝利を納めた。これまでにさんざん見てきたように、これで晋(しん)朝(ちょう)が安定に向かうといったことにはまるでならない。それにしても食糧不足はどこでも深刻な状態になっていた。このようななかで戦うことを強いられる兵士はまことに悲惨である。だから、張(ちょう)方(ほう)配下の兵士は暴虐をほしいままにしたのだった。

【訳文】

［304-03］（李(り)雄(ゆう)に逐(お)われた）羅(ら)尚(しょう)は逃れて江(こう)陽(よう)に至った。羅尚は朝廷に使者を派遣して報告し、皇帝は詔(みことのり)を下して、羅尚に巴(は)東(とう)、巴(は)郡(ぐん)、涪(ふ)陵(りょう)を仮に統治させ、軍に物資を供給するよう命じた。羅尚は別(べつ)駕(が)の李(り)興(こう)を鎮(ちん)南(なん)将(しょう)軍(ぐん)の劉(りゅう)弘(こう)のもとに行かせて食糧を求めた。劉弘の下で綱(こう)紀(き)の任にある者は、輸送のための道が遠く隔たり、しかも荊(けい)州(しゅう)自体が欠乏しているので、（南に離れた）零(れい)陵(りょう)にある五千斛(こく)の米を羅尚に与えようとした。劉弘は、「天下は一家で、あちらもこちらも一つである。我らがいまあちらに供給するなら、西方については心配する必要がなくなる」と言って、三万斛を与えた。羅尚はこれに頼って生き延びることができた。

李興は劉弘のもとで参(さん)軍(ぐん)として留まることを願った。劉弘はそれを許さずに帰した。また、治(ち)中(ちゅう)の何(か)松(しょう)に兵士を率いて巴東に行かせ、羅尚の後詰めとした。

このときに荊州には十万戸余りの流民がいて、流民は移動の途中で困窮し、盗賊になった者も多くいた。劉弘は流民に耕地と食糧を与え、賢才を抜擢して能力に応じて用いたので、流民は安定した。

【補足】この前後の『資(し)治(じ)通(つ)鑑(がん)』の記事のなかで、まともな政治を行っているのは劉(りゅう)弘(こう)［→通鑑303-05］だけである。

【訳文】

［304-04］二月乙(いつ)酉(ゆう)、丞(じょう)相(しょう)の司(し)馬(ば)穎(えい)は皇帝に、皇后の羊(よう)氏(し)を廃して金(きん)墉(よう)城(じょう)に幽閉し、皇太子の司(し)馬(ば)覃(たん)を廃して清(せい)河(が)王(おう)にするよう申し入れた。

【補足】羊(よう)氏(し)も司(し)馬(ば)覃(たん)も皇族同士の争いの気の毒な犠牲者である。羊氏は司(し)馬(ば)倫(りん)と孫(そん)秀(しゅう)によって皇后として立てられ［→通鑑303-05］、ここに至って放逐された。司馬覃は司(し)馬(ば)冏(けい)によって8歳で皇太子に立てられ［→通鑑302-05］、10歳でその地位を追われた。

【訳文】

［304-05］陳(ちん)敏(びん)は石(せき)氷(ひょう)と合戦すること数十回、石氷の兵力は陳敏の十倍であったが、陳敏は攻撃するたびにすべて勝利し、ついに周(しゅう)玘(き)と合流して石氷を建(けん)康(こう)に攻めた。

三月、石氷は北に走って、封(ふう)雲(うん)のもとに逃げ込んだ。封雲の司(し)馬(ば)の張(ちょう)統(とう)は石氷と封雲を斬って投降し、揚(よう)、徐(じょ)の二州は平定された。周玘と賀(が)循(じゅん)は率いてきた人々を解散して家に還し、功賞については朝廷に何も申し出なかった。朝廷は陳敏を広(こう)陵(りょう)相(そう)にした。

【補足】張(ちょう)昌(しょう)の余党の石(せき)氷(ひょう)［→通鑑303-09］のその後が記されている。もとの呉(ご)国(こく)の名士たちが率いる義勇軍によって反乱軍は平定された。戦いが終わると静かに帰郷した名士たちの行動は、不毛な権力争いを続ける皇族たちとは対照的で興味深い。呉国はその地理的な条件から、地域ごとに豪族が根を張ってほぼ自立し、それらの連合体として国が成り立っていた。名士の関心は天下の事よりも自身の土地や民衆の安定を保つことの方に向いていたのだろう。その点で、中央で活躍することを強く志向した陸(りく)機(き)［→通鑑303-08の一］は例外的な存在だったのかもしれない。なお、ここで特筆すべき活躍をした陳(ちん)敏(びん)は、このことからかえって一生を誤ってしまう。

【訳文】

［304-06］河(か)間(かん)王(おう)の司(し)馬(ば)顒(ぎょう)は丞(じょう)相(しょう)の司(し)馬(ば)穎(えい)を皇(こう)太(たい)弟(てい)にすることを皇帝に申し出た。戊(ぼう)申(しん)、詔(みことのり)を下して、司馬穎を皇太弟にし、都(と)督(とく)中(ちゅう)外(がい)諸(しょ)軍(ぐん)事(じ)丞(じょう)相(しょう)であることはもとのままとした。大赦を下した。司馬穎に与える乗(じょう)輿(よ)や服(ふく)御(ぎょ)の制度は魏(ぎ)の武(ぶ)帝(てい)［曹(そう)操(そう)］の故事に従い、その全てを鄴(ぎょう)に遷した。司(し)馬(ば)顒(ぎょう)を大(たい)宰(さい)大(だい)都(と)督(とく)雍(よう)州(しゅう)牧(ぼく)にし、前(ぜん)太(たい)傅(ふ)の劉(りゅう)実(じつ)を太(たい)尉(い)にした。劉実は老齢をもって固く辞退した。

［304-07の一］皇太弟の司馬穎は驕って日々に奢侈となり、お気に入りの者たちに政事を行わせたので、人々はひどく失望した。司(し)空(くう)の東(とう)海(かい)王(おう)の司(し)馬(ば)越(えつ)、右(ゆう)衛(えい)将(しょう)軍(ぐん)の陳(ちん)眕(しん)、長(ちょう)沙(さ)王(おう)［司(し)馬(ば)乂(かい)］のもとの将軍であった上(じょう)官(かん)已(い)らが共謀して司馬穎を討とうとした。

秋、七月丙(へい)申(しん)朔(さく)、陳眕は兵を率いて雲(うん)竜(りゅう)門(もん)から入って、三公や百官、それに殿中の将軍たちを呼び集め、戒厳令を発して、司馬穎を討つと宣言した。（司馬穎の部下の）石(せき)超(ちょう)は鄴に奔った。

戊(ぼう)戌(じゅつ)、大赦を下し、皇后の羊(よう)氏(し)と皇太子の司(し)馬(ば)覃(たん)を復位させた。

己(き)亥(がい)、皇帝を奉じて北征に出た。司馬越を大都督にした。前(ぜん)侍(じ)中(ちゅう)の嵇(けい)紹(しょう)を行(あん)在(ざい)［皇帝のいるところ］に呼び寄せた。侍中の秦(しん)準(じゅん)は嵇紹に、「いま行くのは安危が測り難いものがある。卿(そなた)には佳(よ)い馬［いざというときに走り去る］があるのか」と言った。嵇紹は顔色を変え、「臣子(わたし)は乗(じょう)輿(よ)［皇帝の乗り物］に扈(こ)従(じゅう)してお衛(まも)りし、陛下と死生を一つにするのであるから、佳い馬など何のためにもならない」と言った。

【補足】（1）東の鄴(ぎょう)に司(し)馬(ば)穎(えい)が、西の長(ちょう)安(あん)に司(し)馬(ば)顒(ぎょう)が、中央の洛(らく)陽(よう)に皇帝を奉じる司(し)馬(ば)越(えつ)がいて、これで政局が安定するはずがない。毎度おなじみの皇族同士の殴り合いの再開で、史書を読む我々はうんざりであるが、当時の人々は心底、「勘弁してほしい」と思ったことだろう。

（2）皇帝に呼ばれた嵇(けい)紹(しょう)については、我々は通鑑274-10の記事を思い出しておく必要がある。

【訳文】

［304-07の二］司(し)馬(ば)越(えつ)は檄(げき)は発して四方の兵を呼び集めた。赴く者は雲のように集まり、安(あん)陽(よう)［鄴(ぎょう)の南四十里］に至るころには十万人余りに膨れ上がった。鄴の人々は震え恐れた。司(し)馬(ば)穎(えい)はこれからの策について人々に尋ねた。東(とう)安(あん)王(おう)の司(し)馬(ば)繇(よう)は、「天子の親征に対しては、甲(かぶと)を脱ぎ白い服を着てお出迎えし、罪を請うべきである」と言った。司馬穎はそれには従わないで、石(せき)超(ちょう)に五万を率いて抗戦するよう命じた。折(せっ)衝(しょう)将(しょう)軍(ぐん)の喬(きょう)智(ち)明(めい)はなおも司馬穎に乗(じょう)輿(よ)［皇帝の乗り物］を出迎えるよう勧めた。司馬穎は怒り、「卿(そなた)は物事をよく暁(さと)る者としてその名を知られ、己の身を投じて孤(わたし)に仕えてくれた。いまその主君がつまらない連中によって逼(せま)られているときに、卿(そなた)は孤(わたし)に手を上げて刑に就かせようとするのか」と言った。

陳(ちん)眕(しん)の二人の弟の陳(ちん)匡(きょう)と陳(ちん)規(き)は鄴(ぎょう)から行(あん)在(ざい)に行き、「鄴の人々はすでに離散しています」と言ったので、司馬越側は十分な備えをしなかった。己(き)未(び)、石超の軍がにわかに押し寄せてきた。乗輿を守る軍団は蕩(とう)陰(いん)県(けん)において敗れ、皇帝に三本の矢が当たり、頬が傷ついた。百官や付き従う者は皆散り散りになった。嵇(けい)紹(しょう)は朝廷の官員としての服を着て付き従っていて、馬から下って輦(れん)［皇帝の乗り物］に登り、自身の体で皇帝を守った。兵士は嵇紹を轅(ながえ)に引きずり出し、斫(き)ろうとした。皇帝は、「忠臣である。殺してはならない」と言ったが、兵士は、「我々は皇(こう)太(たい)弟(てい)様の御命令を奉じており、ただ陛下お一人だけは犯してはならないといわれております」と言って、ついに嵇紹を殺した。嵇紹の血が皇帝の衣に注がれた。皇帝は草の中に落ち、六(ろく)璽(じ)［皇帝の印］を失った。

石超は皇帝を奉じて自身の陣営に連れて行った。皇帝はひどく飢え、石超は水を勧め、召使が秋の桃を差し上げた。司馬穎は盧(ろ)志(し)を派遣して皇帝を迎えた。

庚(こう)申(しん)、皇帝は鄴に入った。大赦を下し、建(けん)武(ぶ)に改元した。

召使たちは皇帝の衣を洗おうとしたが、皇帝は、「嵇紹の血である。洗ってはならない」と言った。

陳(ちん)眕(しん)と上(じょう)官(かん)巳(い)らは皇太子の司(し)馬(ば)覃(たん)を奉じて洛陽を守っていた。

司(し)空(くう)の司(し)馬(ば)越(えつ)は下(か)邳(ひ)に奔(はし)ったが、徐(じょ)州(しゅう)都(と)督(とく)の東(とう)平(へい)王(おう)の司(し)馬(ば)楙(ぼう)はそれを受け入れなかったので、司馬越は直ちに自領の東(とう)海(かい)に還った。皇太弟の司馬穎は司馬越の兄弟を使って司馬越を招こうとした。司馬越はそれには応じなかった。

前(ぜん)奮(ふん)威(い)将(しょう)軍(ぐん)の孫(そん)恵(けい)は皇帝に、司馬越には諸方の一族とともに王室を獎(たす)けるようにさせることを勧める文章を提出した。司馬越は孫恵を記(き)室(しつ)参(さん)軍(ぐん)にして、謀議に参加させるようにした。

北(ほく)軍(ぐん)中(ちゅう)候(こう)の苟(こう)晞(き)は范(はん)陽(よう)王(おう)の司(し)馬(ば)虓(こう)のもとに奔り、司馬虓は朝廷の許しを受けて苟晞を兗(えん)州(しゅう)刺(し)史(し)にした。

【補足】（1）情勢は目まぐるしく変わり、司(し)馬(ば)越(えつ)側はたちまち敗れた。不思議なことに、その司馬越を司(し)馬(ば)穎(えい)はまた国政に関わらせようとしている。

（2）恵(けい)帝(てい)［司(し)馬(ば)衷(ちゅう)］は終始一貫して飾り物でしかない。そのような皇帝のために命を落とすのは、嵇(けい)紹(しょう)には気の毒ではあるが、虚しい行為であるとしか思えない。「嵇紹の血を洗ってはならない」との言葉について、史家は皇帝の愚昧ぶりを示すものだと冷たい評価を下している。

（3）蕩(とう)陰(いん)県で死んだ嵇紹に対して、王(おう)夫(ふう)子(し)は『読(どく)通(つ)鑑(がん)論(ろん)』ですでに、「『蕩陰の忠節』で親の仇のために己の身を犠牲にしたのだから、嵇紹は不仁かつ愚かの極みなのである」であると極めて厳しいことを書いていた［→通鑑274-10］。それでもまだ足りないと思ったのか、嵇紹の死についてもう一度論じていて、「死ぬべき所ではないのに死んだ者を刑(けい)戮(りく)の民［処刑された人間］という。これは嵇紹を指す言葉である」とさらに酷評している。「嵇紹が死ぬべきところではないのに死んだ愚かさは、父の志節に逆らって仇の子孫のために殉死したというだけにとどまるものではない。恵帝が嵇紹を召し寄せたのは、暗愚な皇帝でありながらも嵇紹の人物を知っていたからではなく、司馬越が嵇紹を利用しようとしたまでである。当時の皇族は司馬越に限らずいずれも不仁の至りであって、ときとして正義にかこつけて人形同然である皇帝をかついで自身の野望を遂げようとした連中であった。嵇紹が『皇帝と死生を一つにする』［→通鑑304-07の一］と言ったのは単なる妄言であって、その実は司馬越に用いられるのを喜んだだけであったのだ。父の志節を理解しない者が君臣の忠について知るはずがなく、勢いのあるところに要領よく従っただけなのだ。『佳(よ)い馬があるのか』との秦(しん)準(じゅん)の忠告を聞き入れなかった嵇紹は妄人中の妄人で、自ら斃(たお)れることを求めたのである」。この評に対して、『読通鑑論』の全文を読み下し文に訳した公田連太郎は、「此論は酷評に過ぐるに似たり」と付記している。一見すると、嵇紹は忠義のために死んで、処刑された父の汚名を雪いだかのようにも思える。王夫子には、そのような見方を強く否定しなければならない何らかの動機があったのだろう。

【訳文】

［304-08］かつて三王［司(し)馬(ば)冏(けい)、司(し)馬(ば)穎(えい)、司(し)馬(ば)乂(かい)］が挙兵して趙(ちょう)王(おう)の司(し)馬(ば)倫(りん)を討とうしたときに、（幽(ゆう)州(しゅう)にいた）王(おう)浚(しゅん)はどっち付かずの様子見をして、配下の士民には三王の召募に応じることを禁じた。そのことから、皇(こう)太(たい)弟(てい)の司(し)馬(ば)穎(えい)は王浚を討ちたいと思いつつ、まだ実行しないでいた。また、王浚の方にも司馬穎を討とうとする心があった。

司馬穎は右(ゆう)司(し)馬(ば)の和(わ)演(えん)を幽(ゆう)州(しゅう)刺(し)史(し)にして王浚を密かに殺害しようと考えた。和演は烏(う)桓(がん)族(ぞく)の単(ぜん)于(う)［首領］である審(しん)登(とう)と共謀して、王浚を薊(けい)城(じょう)の南の泉に誘い出し、そこで事を図ろうとした。たまたまにわかに大雨が降って武器が濡れてしまったために果たせずに還った。審登は、それは天が王浚を助けたのだと受け止め、和演の謀(はかりごと)を王浚に告げた。王浚は審登とともに密かに兵士を集め、并(へい)州(しゅう)刺(し)史(し)の東(とう)贏(えい)公(こう)の司(し)馬(ば)騰(とう)とともに和演を陥れて殺した。こうして王浚は幽州の兵士を手に入れた。司馬騰は司(し)馬(ば)越(えつ)の弟である。

司馬穎は詔(みことのり)であると称して王浚を呼び寄せようとした。王浚は鮮(せん)卑(ぴ)族(ぞく)の段(だん)務(む)勿(ふつ)塵(じん)、烏桓族の羯(けつ)朱(しゅ)、それに東嬴公の司馬騰とともに挙兵して司馬穎を討つことにした。司馬穎は北(ほく)中(ちゅう)郎(ろう)将(しょう)の王(おう)斌(ひん)と石(せき)超(ちょう)を派遣してそれを撃った。

【補足】王(おう)浚(しゅん)が鮮(せん)卑(ぴ)族(ぞく)の段(だん)氏(し)や宇(う)文(ぶん)部(ぶ)と姻戚関係を結んだことは通鑑303-11で見ている。「風が吹けば桶屋が儲かる」式に、事件の連鎖が北方諸民族をも巻き込んで拡大していった。

【訳文】

［304-09］皇(こう)太(たい)弟(てい)の司(し)馬(ば)穎(えい)は東(とう)安(あん)王(おう)の司(し)馬(ば)繇(よう)の先の議論［皇帝の親征の前には罪を請うべきだと言ったこと］を怨んでいたので、八月戊(ぼう)辰(しん)、司馬繇を捕らえて殺害した。

かつて司馬繇の兄の琅(ろう)邪(や)恭(きょう)王(おう)の司(し)馬(ば)覲(きん)が死んだときに、息子の司(し)馬(ば)睿(えい)がその後を継いだ。司馬睿は沈着冷静でかつ鋭敏で度量が大きく、左(さ)将(しょう)軍(ぐん)になった。司馬睿は東(とう)海(かい)参(さん)軍(ぐん)の王(おう)導(どう)と善い関係にあった。王導は王(おう)敦(とん)の従弟である。王導は識(しき)量(りょう)清(せい)遠(えん)［遠く見通す優れた見識がある］で、朝廷が多故(ごたごた)しているので、いつも司馬睿に任国［琅邪］に行くよう勧めていた。

司馬繇が殺されたときに、司馬睿は皇帝に従って鄴(ぎょう)にいたので、禍(わざわい)が己に及ぶのを恐れて逃げ帰ろうとした。司馬穎は先に関所や渡し場に対して、貴人を出してはいけないと命じていた。司馬睿が河(か)陽(よう)に至ると、渡し場の役人によって足止めされた。後から来た従者の宋(そう)興(こう)が、司馬睿に向かって鞭を上げ、笑いながら、「お役人様、お上は貴人が出るのを禁じられておられます。なんだってこやつが足止めを食らっておるのでございますか」と言いつつ追い立てた。それで役人は通るのを許した。司馬睿は洛(らく)陽(よう)に至ると、太(たい)妃(ひ)の夏(か)侯(こう)氏(し)を迎えてともに国に帰った。

【補足】司(し)馬(ば)睿(えい)が鄴(ぎょう)から山(さん)東(とう)半(はん)島(とう)の琅(ろう)邪(や)に逃げ帰ったのは、後の経過から見ると重大な出来事であった。鞭で司馬睿を追い立てた宋(そう)興(こう)の機転は、弁(べん)慶(けい)が義(よし)経(つね)を折檻する『勧(かん)進(じん)帳(ちょう)』の場面に活用されている。

【訳文】

［304-10］丞(じょう)相(しょう)従(じゅう)事(じ)中(ちゅう)郎(ろう)の王(おう)澄(ちょう)は孟(もう)玖(く)が不正に利を得ていることを暴き、皇(こう)太(たい)弟(てい)の司(し)馬(ば)穎(えい)に誅殺すべきだと勧めた。司馬穎はそれに従った。

［304-11］洛(らく)陽(よう)を守る上(じょう)官(かん)巳(い)は勝って気ままに暴力を振るって残虐だった。守(しゅ)河(か)南(なん)尹(いん)の周(しゅう)馥(ふく)は周(しゅう)浚(しゅん)の従弟で、司(し)隸(れい)の満(まん)奮(ふん)らと上官巳を誅殺しようとした。事が洩れ、満奮らは死に、周馥は逃げて免れた。

司(し)空(くう)の司(し)馬(ば)越(えつ)が皇太弟の司馬穎を討ったときに、太(たい)宰(さい)の司(し)馬(ば)顒(ぎょう)は右(ゆう)将(しょう)軍(ぐん)馮(ひょう)翊(よく)太(たい)守(しゅ)の張(ちょう)方(ほう)に将兵二万を率いて司馬穎を救わせようとした。司馬顒は（司馬越が敗れて）皇帝は鄴(ぎょう)に入ったと聞いて、張方に洛陽に入るよう命じた。上官巳は別(べつ)将(しょう)の苗(びょう)願(がん)とともに（洛陽の外に出て）張方が来るのを拒もうとした。しかし、上官巳は大敗し洛陽に還った。皇太子の司(し)馬(ば)覃(たん)は夜に上官巳と苗願を襲撃し、二人は洛陽から出て逃げ去った。司馬覃は広(こう)陽(よう)門(もん)で張方を出迎えて拝した。張方は車から降りて、そのようにするのを止めた。司馬覃と羊(よう)皇(こう)后(ごう)をまた廃した。

【補足】（1）陸(りく)機(き)を死に追いやった孟(もう)玖(く)［→通鑑303-08の一］が誅殺された。司(し)馬(ば)穎(えい)が最初から孟玖のような人物を重用していなければ陸機は生き延びられたかというと、武将たちの信任を得られていなかったのでやはり難しかったのかもしれない。

（2）皇太子の司(し)馬(ば)覃(たん)は復位したり廃されたり、何とも気の毒である。今回は、上(じょう)官(かん)巳(い)を追い払う功績を挙げながらも、皇太子の地位を守ることはできなかった。

【訳文】

［304-12の一］かつて皇(こう)太(たい)弟(てい)の司(し)馬(ば)穎(えい)は匈(きょう)奴(ど)左(さ)賢(けん)王(おう)の劉(りゅう)淵(えん)を冠(かん)軍(ぐん)将(しょう)軍(ぐん)にして、匈(きょう)奴(ど)の五部の軍事を監督させることを朝廷に申し出て、劉淵には兵を率いて鄴(ぎょう)に来させていた。劉淵の子の劉(りゅう)聡(そう)は人を超えて強く勇敢で、経典や史書を広く読み、文章をよく書き、三百斤の強さの弓を引くことができた。弱冠にして都に遊び、数多くの名士と交友した。司馬穎は劉聡を積(せき)弩(ど)将(しょう)軍(ぐん)にした。

劉淵の従祖(いとこのおじ)の右(ゆう)賢(けん)王(おう)の劉(りゅう)宣(せん)はその一族の者たちに、「漢(かん)が亡んで以降、我らの単(ぜん)于(う)［皇帝に相当する］はただ虚しい称号としてあるだけで、実際には我らには一尺四方の領土さえもない。単于以外の王侯も編(へん)戸(こ)［平民］と何ら変わりのない立場に落ちてしまった。それでも我らは衰えたとはいえなお二万人を下らない。使役されて手も上げられずにいること百年以上になろうとしているいま、このままでよいはずがない。左賢王［劉淵］の英武は世に超え、天が匈奴を興(おこ)そうとしているのでなければ、このような人を虚しく生じさせたりはしないはずだ。いま司(し)馬(ば)氏(し)は骨肉同士で損ないあい、天下は大騒動になっている。いまこそ（前漢時代の）呼(こ)韓(かん)邪(や)単(ぜん)于(う)の事業を復興すべきときである」と言って、皆で謀って、劉淵を大単于に推戴し、一党の呼(こ)延(えん)攸(ゆう)を鄴に派遣してそのことを劉淵に告げた。

劉淵は葬儀に参列するために帰郷したいと司馬穎に願い出た。しかし、司馬穎は許さなかったので、劉淵は先に呼延攸を帰し、劉宣らに、五部およびさまざまな胡(えびす)を集めさせ、「司馬穎を助けるのだ」と声高に言わせるようにした。実際には叛(そむ)こうとしたのである。

王(おう)浚(しゅん)と東(とう)嬴(えい)公(こう)の司(し)馬(ば)騰(とう)が挙兵すると、劉淵は司馬穎に説いた。「いま二(に)鎮(ちん)［幽(ゆう)州(しゅう)と并(へい)州(しゅう)、つまり王浚と司馬騰］が跋扈し、その衆は十万を超えています。鄴にいる兵士に加えて近郡の士衆を集めても防ぐのは難しいでしょう。私は一度帰還して、匈奴の五部に対して殿下のために国難に赴くよう説得したいと思います」。司馬穎は、「五部の人々は果たして動いてくれるだろうか。たとえ動いてくれても、鮮(せん)卑(ぴ)や烏(う)桓(がん)には対抗するのは簡単ではないだろう。私は乗(じょう)輿(よ)［皇帝］を奉じて洛(らく)陽(よう)に還って敵の鋒先を避け、徐(おもむろ)に天下に檄(げき)を発して、逆順の理(ことわり)を説いて敵を制しようと思っているのだ。君はどのように考えるか」。劉淵は、「殿下は武(ぶ)皇(こう)帝(てい)［司(し)馬(ば)炎(えん)］のお子であり、王室に大勲があり、威(い)恩(おん)［権威と恩恵］は遠くにまで轟き渡り、天下の内で殿下のために死力を尽くそうと思わない者はいません。五部を動かすのに難しいことはありません。王浚などは豎子(こども)であり、東嬴王などは皇族でもごく遠縁の者でありますから、殿下と対等に争えはしません。しかしながら、殿下がもしも鄴の宮殿から発たれたならば、人に弱みを見せてしまって、洛陽に至ることさえできないでありましょう。たとえ洛陽には至ったとしても、威権はもはや殿下のもとにはなくなってしまいます。どうか殿下におかれては、士卒を励まして、この地を鎮められますように願います。私は殿下のために、匈奴の五部のうちの二部でもって東嬴王を打ち砕き、三部でもって王浚を捕らえて、二(に)豎(じゅ)の首を白日のもとに晒してみせましょう」と言った。司馬穎は悦び、劉淵を北(ほく)単(ぜん)于(う)参(さん)丞(じょう)相(しょう)軍(ぐん)事(じ)にした。

劉淵は（鄴(ぎょう)を出て西に向かい）左(さ)国(こく)城(じょう)に至った。劉宣らは大単于の号を劉淵に献上した。二十日間ほどで五万人が集まり、離(り)石(せき)を都にして、劉聡を鹿(ろく)蠡(れい)王(おう)とした。左(さ)於(お)陸(りく)王(おう)の劉(りゅう)宏(こう)に五千の騎兵の精鋭を率いさせ、司馬穎の将軍の王(おう)粋(すい)と合流して司馬騰と戦わせようとした。ところが。王粋はすでに敗れてしまって劉宏は間に合わなかったので帰還した。

【補足】いよいよ新たな主役たちの活躍が始まる。晋(しん)の皇族同士の争いに、様々な北方諸民族が参戦して、皇族たちは次第に舞台から退場し、諸民族同士の乱戦となってゆく。西方では流民のリーダーの李(り)雄(ゆう)が蜀(しょく)を手にするまでに強大化していて、それに続いて自立を果たそうとしたのがここに登場した劉(りゅう)淵(えん)である。劉淵の名はすでに通鑑279-02、289-06、290-09で見ている。劉宣の演説には、民族に刻まれた屈辱の歴史を跳ね返したいとの強い思いが籠っていて、ここに至って匈(きょう)奴(ど)は漢(かん)と堂々と対峙したかつての全盛期を取り戻そうと本格的に動き出したのである。

【訳文】

［304-12の二］王(おう)浚(しゅん)と東(とう)嬴(えい)公(こう)の司(し)馬(ば)騰(とう)は軍団を合わせて、（司(し)馬(ば)穎(えい)が派遣した）王(おう)斌(ひん)を大いに破った。王浚は主(しゅ)簿(ぼ)の祁(き)弘(こう)を前(ぜん)鋒(ぽう)として、（やはり司馬穎が派遣した）石(せき)超(ちょう)を平(へい)棘(きょく)で破り、勝ちに乗じて軍を進めた。候(こう)騎(き)［斥候の騎兵］が（司馬穎がいる）鄴(ぎょう)にそのことを報せると、鄴中は震え上がり、百官は奔(はし)り去り、土卒は散り散りになった。盧(ろ)志(し)は皇帝を奉じて洛(らく)陽(よう)に還ることを司馬穎に勧めた。ときになお一万五千の武装兵がいた。盧志は夜の間に兵士の配置を定め、暁に出発しようとした。ところが、程(てい)太(たい)妃(ひ)［司馬穎の母］が鄴を愛おしんで去ろうとしなかったので、司馬穎はぐずぐずと決断できずにいた。すると、にわかに人々が乱れ、一気にいなくなってしまった。司馬穎は直属の部下数十騎と盧志とともに、皇帝を奉じて犢(とく)車(しゃ)［諸侯の乗る車］に乗せて、南に洛陽へと奔(はし)った。あまりのあわただしさのために誰も路用を用意していなかったので、中(ちゅう)黄(こう)門(もん)［宦官］の囊(ふくろ)の中に個人用の銭が三千ほどあったのを詔(みことのり)をもって借り受け、それで道中の食糧を買った。夜には中黄門の衣を皇帝にかぶせ、食事は瓦に盛って差し上げた。温(おん)県(けん)に至って皇帝は先祖の墓に詣でようとした。皇帝の履(くつ)がなくなっていたので、従者の履をはいて車から下り、涙を流して墓を拝した。黄(こう)河(が)を渡るに及んで、洛陽から張(ちょう)方(ほう)がその子の張(ちょう)羆(ひ)に三千の騎兵を率いて迎えに行かせたのと出会った。張羆は自分の車に皇帝を迎え入れた。皇帝が芒(ぼう)山(ざん)の下に至ると、張方が自分で一万騎余りを連れて迎えた。張方が拝謁しようとすると、皇帝は車から下りてそれを止めた。皇帝は宮殿に還り、逃げ散っていた者たちも徐々に帰還し、百官がほぼ備わるようになった。辛(しん)巳(し)、大赦を下した。

王浚は鄴に入り、兵士たちは乱暴で略奪を働き、死者がはなはだ多かった。烏(う)桓(がん)族(ぞく)の羯(かつ)朱(しゅ)に司馬穎を追わせたが、朝(ちょう)歌(か)に至っても追いつけなかった。王浚は薊(けい)に帰還した。鮮(せん)卑(ぴ)族(ぞく)の者の多くは人の婦女を掠め取ってきていた。王浚は、「女を連れて隠している者は斬る」と命令を出した。そのために八千人の女性が易(えき)水(すい)に沈められた。

【補足】司(し)馬(ば)穎(えい)はあわただしく鄴(ぎょう)から逃げ、鄴は無法状態に置かれ、連れ去れた女性は川に沈められた。八千という数字は誰が数えたのかはわからないが、鄴においてどのような惨劇があったのか、想像を絶するものであったのは間違いない。

【訳文】

［304-13］東(とう)嬴(えい)公(こう)の司(し)馬(ば)騰(とう)は拓(たく)跋(ばつ)猗(い)㐌(た)に劉(りゅう)淵(えん)を撃ってくれるよう頼んだ。拓跋猗㐌は弟の拓(たく)跋(ばつ)猗(い)盧(ろ)と兵を合わせて劉淵を西(せい)河(が)で攻撃し、それを破った。拓跋猗㐌は司馬騰と汾(ふん)東(とう)で盟約を結んで還った。

劉(りゅう)淵(えん)は皇(こう)太(たい)弟(てい)の司(し)馬(ば)穎(えい)が鄴(ぎょう)を去ったと聞くと、「私の言葉を用いないで、かえって自分から潰れて逃げたとは、まことに奴(ど)才(さい)［愚か者］である。とはいえ、私は助けると言ったのだから、救いに行かないわけにはいかない」と言って、軍団を出して鮮(せん)卑(ぴ)族(ぞく)や烏(う)桓(がん)族(ぞく)を撃とうとした。劉(りゅう)宣(せん)はそれを諌め、「晋(しん)の連中は我らを奴隷として使ってきた。いま連中が骨肉同士で損ない合っているのは、天が連中を棄てて、我らに呼(こ)韓(かん)邪(や)の事業を再び興させようとしているのだ。鮮卑や烏桓は我らと同類であるのだから、むしろ助け合うべきで、攻撃すべきではない」と言った。劉淵は、「そうか、その通りだ。大(だい)丈(じょう)夫(ふ)［堂々の男子］たる者、漢(かん)の高(こう)祖(そ)あるいは魏(ぎ)の武(ぶ)帝(てい)になるべきであって、呼韓邪に倣うのでは足りない」と言った。劉宣らは深く頭を下げ、「我らの及ぶところではありません」と言った。

【補足】（1）司(し)馬(ば)穎(えい)に勝利した王(おう)浚(しゅん)も司(し)馬(ば)騰(とう)も北方諸民族の武力を頼りとした。 鮮(せん)卑(ぴ)族(ぞく)の拓(たく)跋(ばつ)猗(い)㐌(た)のことは通鑑295-04で見ている。

（2）劉(りゅう)淵(えん)は、かつての呼(こ)韓(かん)邪(や)のよう北方の雄国として中国と対峙するのでは志として小さく、漢(かん)の高(こう)祖(そ)［劉(りゅう)邦(ほう)］や魏(ぎ)の武(ぶ)帝(てい)［曹(そう)操(そう)］のように中国の覇者になることを目指すと宣言した。この壮図を実現したのは、隋(ずい)朝(ちょう)、唐(とう)朝(ちょう)、元(げん)朝(ちょう)、清(しん)朝(ちょう)であったといえるのだろう。

【訳文】

［304-14］荊(けい)州(しゅう)の兵が張(ちょう)昌(しょう)を捕らえて斬り、一党の者はすべて三族を夷(たいら)げられた。

［304-15］李(り)雄(ゆう)は、范(はん)長(ちょう)生(せい)が徳をもって名を知られ、蜀(しょく)の人々から重んじられていることから、迎え入れて君主として立ててその臣になろうと考えたが、范長生は同意しなかった。諸将は李雄に尊い位に即(つ)くように固く願った。

冬、十月、李雄は成(せい)都(と)王(おう)の位に即き、大赦を下し、建(けん)興(こう)に改元した。晋(しん)の法を除き、簡約化して七章の法とした。叔父の李(り)驤(じょう)を太(たい)傅(ふ)に、兄の李(り)始(し)を太(たい)保(ほう)に、李(り)離(り)を太(たい)尉(い)に、李(り)雲(うん)を司(し)徒(と)に、李(り)璜(こう)を司(し)空(くう)に、李(り)国(こく)を太(たい)宰(さい)に、閻(えん)式(しき)を尚(しょう)書(しょ)令(れい)に、楊(よう)褒(ほう)を僕(ぼく)射(や)にした。母の羅(ら)氏(し)を尊んで王(おう)太(たい)后(ごう)とし、亡き父の李(り)特(とく)を成(せい)都(と)景(けい)王(おう)に追尊した。李雄は李国と李離に智謀があることから、全ての事を二人に必ず相談してから実行した。李国と李離はますます謹んで李雄に仕えた。

【補足】（1）長(ちょう)江(こう)中流域における叛徒のリーダーとして名を馳せた張(ちょう)昌(しょう)が斬られた。

（2）李(り)雄(ゆう)は土着の名士である范(はん)長(ちょう)生(せい)を上に立てようとしたが、結局は自身が成(せい)都(と)王(おう)となった。晋(しん)朝(ちょう)の司(し)馬(ば)氏(し)と異なり、親族が一丸となって新しい国の運営に当たった。

（3）こうして三国時代のもとの蜀(しょく)の地で起こった反乱は叛徒が国を興すことになり、一方で、もとの呉(ご)の地で起こった反乱は平定された。このことについて、王(おう)夫(ふう)子(し)は『読(どく)通(つ)鑑(がん)論(ろん)』で、「晋(しん)の統治が当を得ていなかったのはどちらでも同じであって、両者の差異はそれ以前の歴史に根差している」として、以下のように論じている。「呉の孫(そん)氏(し)の政治は筋だったものではなく、緩かったので、土地の士人は自らの志を養うことができた。蜀では諸(しょ)葛(かつ)亮(りょう)が秩序だった優れた政治を行ったが、人々は法規によって厳重に縛られ、自ら道理について考察するようなことができなかった。諸葛亮は道(みち)［真の道理］と信じるものに基づいて政治を行い、土地の士人たちの間ではかえって道は失われてしまった。長い目で見ると、諸葛亮のぴんと張った政治は、孫氏のだらりと緩んだ政治には結局は及ばなかったのである。それで、呉では次々に名士が立ち上がって義勇兵を指揮して叛徒を平定したのに対して、蜀では范長生以外には立ち上がる人がなかったのだ」。この論は非常に示唆に富んでいる。

【訳文】

［304-16］劉(りゅう)淵(えん)は（離(り)石(せき)から）左(さ)国(こく)城(じょう)に都を遷した。胡(えびす)の民も晋(しん)の民も劉淵のもとに付く者がますます多くなった。劉淵は人々に言った。「昔、漢(かん)が長く天下を保ったのは、民に恩を結んだからである。我ら匈(きょう)奴(ど)は漢朝の甥であり、漢とは兄弟として盟約を結んだ。兄が亡んで弟が継ぐのはよいことである」。そして国を建てて漢と号した。

劉(りゅう)宣(せん)らは皇帝の号を称することを願った。劉淵は、「いまはまだ四方が定まっていない。漢の高(こう)祖(そ)［劉(りゅう)邦(ほう)］もそうであったようにしばし漢王を称する」と言って、漢王の位に即いた。大赦を下し、元(げん)熙(き)に改元した。亡き安(あん)楽(らく)公(こう)の劉(りゅう)禅(ぜん)［もとの蜀(しょく)漢(かん)の皇帝］を孝(こう)懐(かい)皇(こう)帝(てい)と追尊し、漢の（劉邦以下の）三(さん)祖(そ)および五(ご)宗(そう)の神(しん)主(しゅ)［位牌のようなもの］を作って祀った。妻の呼(こ)延(えん)氏(し)を王后に立て、右(ゆう)賢(けん)王(おう)の劉(りゅう)宣(せん)を丞(じょう)相(しょう)に、崔(さい)游(ゆう)を御(ぎょ)史(し)大(たい)夫(ふ)に、左(さ)於(お)陸(りく)王(おう)の劉(りゅう)宏(こう)を太(たい)尉(い)に、范(はん)隆(りゅう)を大(だい)鴻(こう)臚(ろ)に、朱(しゅ)紀(き)を太(たい)常(じょう)に、崔(さい)懿(い)之(し)や匈奴の後(こう)部(ぶ)の人の陳(ちん)元(げん)達(たつ)らを黄(こう)門(もん)郎(ろう)に、一族の劉(りゅう)曜(よう)を建(けん)武(ぶ)将(しょう)軍(ぐん)にした。崔游は固く辞退して任に就かなかった。

陳元達は若いときから志がしっかりしていて、劉淵はかつて陳元達を招いたことがあったが、陳元達は応じなかった。劉淵が漢王になったことから、ある人が陳元達に、「君は懼(おそ)れないのかい」と尋ねると、陳元達は笑って、「私はずっと前から漢王の人となりを知っている。漢王もまた私の心をよく知っている。二、三日もしないうちに駅伝で手紙が必ず届くだろう」と言った。その日の夜に劉淵から陳元達を招く手紙がきた。陳元達は劉淵に仕え、しばしば忠言を進め、劉淵の前から退くとその草案を削り去ったので、子弟もそのことについて知らなかった。

劉曜は生まれながらに眉が白く、目には赤い光があり、幼いときから聡明で、胆量があった。早くに父を喪い、劉淵の養子となった。成長するにつれて堂々とした体つきになり、人間として拓(たく)落(らく)高(こう)亮(りょう)［大らかで気高い］で、衆人と群れることがなかった。読書を好み、文章を善く書き、一寸の厚さの鉄を射て貫くことができた。常に自分を（戦国時代の）楽(がく)毅(き)や（漢の時代の）蕭(しょう)何(か)、曹(そう)参(さん)と比べていたが、当時の人々は誰も相手にしなかった。ただ劉聡だけは劉曜を重んじて、「劉曜君は漢の世(せい)祖(そ)［光(こう)武(ぶ)帝(てい)］や魏(ぎ)の武(ぶ)帝(てい)のような人物で、楽毅たちなど言うに足りない」と言っていた。

【補足】匈(きょう)奴(ど)のリーダーの劉(りゅう)淵(えん)は、李(り)雄(ゆう)が成(せい)都(と)王(おう)になったのに続いて、漢(かん)王(おう)になった。匈奴が漢の皇帝の甥の関係にあるということは通鑑270-10ですでに見ている。劉(りゅう)曜(よう)は後に大きな活躍をする。

【訳文】

［304-17の一］皇帝が洛(らく)陽(よう)に帰還してからは、張(ちょう)方(ほう)が軍団を擁して朝政を制圧し、皇(こう)太(たい)弟(てい)の司(し)馬(ば)穎(えい)は政治に預かることができなかった。予(よ)州(しゅう)都(と)督(とく)の范(はん)陽(よう)王(おう)の司(し)馬(ば)虓(こう)、徐(じょ)州(しゅう)都(と)督(とく)の東(とう)平(へい)王(おう)の司(し)馬(ば)楙(ぼう)らは皇帝に次のように申し出た。「司馬穎は任の重さに耐えられませんので、降格させて一つの町に封(ほう)じて、生命だけは全うさせるのがよろしいでしょう。太(たい)宰(さい)の司(し)馬(ば)顒(ぎょう)には関(かん)右(ゆう)［長(ちょう)安(あん)方面］の任を委ね、州郡以下の人選は司馬顒に一任するのがよろしいでしょう。朝政の大事や国の興廃に関わるようなことについては、司馬顒に尋ねるようにするのがよろしいでしょう。張方は国のために功績がありはしても、政治の変化には通じておらず、まだ西に還ろうとしていません。張方は本来の任地に帰還させ、加える官位は全てもとのままするのがよろしいでしょう。司(し)徒(と)の王(おう)戎(じゅう)や司(し)空(くう)の司(し)馬(ば)越(えつ)は用心深くて国に対して忠でありますので、国家の機事に関わらせて朝政を委ねるのがよろしいでしょう。王(おう)浚(しゅん)は国を定めた功績がありますので、特に重んじて幽(ゆう)朔(さく)の方面を鎮撫させ、長く北の守りとすべきでありましょう。そのようにして臣下の者たちが力を尽くして都を守り、皇家の籓(はん)屏(ぺい)［守りの囲い］となるならば、陛下は袖に手を入れたままで天下は自ずと定まりましょう」

【補足】司(し)馬(ば)虓(こう)らの提言は争い合っていた者たち全てが丸く収まることを願ったもので、すぐ次に見るように、朝廷の実態とはかけ離れていた。

【訳文】

［304-17の二］張(ちょう)方(ほう)は洛(らく)陽(よう)に滞在するのが長くなり、兵士が掠め取る物もほぼ竭(つ)き、衆情は喧(けん)喧(けん)として騒がしくなったので、これ以上長く洛陽に留まる気はなく、皇帝を奉じて都を長(ちょう)安(あん)に遷すことを提議しようとした。皇帝や公(こう)卿(けい)が従わないのを恐れ、皇帝が宮殿の外に出る機会を捉えて脅し取って洛陽から出て行こうとした。そこで皇帝に廟に詣でるよう願った。皇帝は同意しなかった。

十一月乙(いつ)未(び)、張方は兵士を率いて宮殿に入り、車を用意して皇帝を迎えようとした。皇帝は馳せて庭の竹林の中に避けた。軍人は皇帝を引っ張り出し、皇帝に迫って車に乗せた。皇帝は泣く泣く従った。張方は馬上で皇帝に頭を下げ、「いまや賊どもがうようよし、宮中を守る兵士はわずかしかいません。陛下には臣(わたくし)の壘(とりで)にお出ましになるよう願います。臣(わたくし)は死力を尽くして不慮の事態にも備えるようにいたします」と言った。群臣は皆逃げ隠れ、ただ中(ちゅう)書(しょ)監(かん)の盧(ろ)志(し)だけが皇帝のそばにいた。盧志は、「陛下は今日の事態においては、どうか右(ゆう)将(しょう)軍(ぐん)［張方］に従われますように」と言った。皇帝はついに張方の壘に向うことにした。それで張方に車を用意させて宮中の女性や宝物を載せるよう命じた。軍人はこのときとばかりに後宮の女性を奪い、国庫にある物を争って取り、宮中の帳(とばり)を割いて馬の掛物にするなどした。こうして、魏(ぎ)、晋(しん)以来宮中に蓄積されてきたものは地を掃うようにして全てなくなった。張方は、宗廟や宮室を焼いて人々に洛陽を顧みる心を持たせないようにしようとした。それに対して盧志は、「昔［後(ご)漢(かん)の終わり］、董(とう)卓(たく)は無道で、洛陽を焼き払いました。董卓の悪を怨む声は百年経ってもなお残っています。それをそっくりなぞろうとするのでしょうか」と言って止めた。

皇帝は張方の壘に留まることを三日、張方は皇帝と皇(こう)太(たい)弟(てい)の司(し)馬(ば)穎(えい)、予(よ)章(しょう)王(おう)の司(し)馬(ば)熾(し)らを連れて長安に向かった。王(おう)戎(じゅう)は都を出て郟(きょう)県(けん)に奔(はし)った。

太(たい)宰(さい)の司(し)馬(ば)顒(ぎょう)は官員や歩兵、騎兵三万を率いて霸(は)上(じょう)で皇帝を出迎えた。司馬顒は皇帝の前へ進んで拝謁した。皇帝は車から下りてそれを止めた。

皇帝は長安に入り、征(せい)西(せい)府(ふ)を皇宮とした。洛陽には尚(しょう)書(しょ)僕(ぼく)射(や)の荀(じゅん)籓(はん)、司(し)隸(れい)の劉(りゅう)暾(とん)、河(か)南(なん)尹(いん)の周(しゅう)馥(ふく)らだけが残って留(りゅう)台(だい)として、皇帝の指示を受けて事を行った。こうして、洛陽を東(とう)台(だい)、長安を西(せい)台(だい)と号した。荀籓は荀(じゅん)勗(きょく)の子である。

丙(へい)午(ご)、留台は大赦を下し、改元してまた永(えい)安(あん)とした。

辛(しん)丑(ちゅう)、羊(よう)氏(し)をまた皇后に立てた。

【補足】武人の張(ちょう)方(ほう)の前に誰もが無力で、張方は強引に皇帝らを連れて長(ちょう)安(あん)に移った。この1年の間に目まぐるしく情勢が変化し、洛(らく)陽(よう)は中国の都としての機能をすっかり失ってしまった。統治の象徴である元号がころころ変わり、羊(よう)氏(し)も皇后の地位を何度も追われた。

【訳文】

［304-18］（李(り)雄(ゆう)に追われた）羅(ら)尚(しょう)は巴(は)郡(ぐん)に居場所を移し、兵士を出して蜀(しょく)中(ちゅう)を荒し、李(り)驤(じょう)の妻の昝(さん)氏(し)と息子の李(り)寿(じゅ)を獲た。

［304-19］十二月丁(てい)亥(がい)、詔(みことのり)を下して皇(こう)太(たい)弟(てい)の司(し)馬(ば)穎(えい)を成(せい)都(と)王(おう)の地位に戻し、改めて予(よ)章(しょう)王(おう)の司(し)馬(ば)熾(し)を皇太弟とした。皇帝の兄弟は二十五人いたが、この時に生きていたのは司馬穎、司馬熾と呉(ご)王(おう)の司(し)馬(ば)晏(あん)だけであった。司馬晏は凡庸以下の人間で、司馬熾は素朴で学問を好んだので、太宰の司馬顒が立てたのである。さらに詔を下して司(し)空(くう)の司(し)馬(ば)越(えつ)を太(たい)傅(ふ)にして司馬顒とともに帝室を輔(たす)けるとした。王(おう)戎(じゅう)に朝政に参与させ、光(こう)禄(ろく)大(たい)夫(ふ)の王(おう)衍(えん)を尚(しょう)書(しょ)左(さ)僕(ぼく)射(や)に、高(こう)密(みつ)王(おう)の司(し)馬(ば)略(りゃく)を鎮(ちん)南(なん)将(しょう)軍(ぐん)領(りょう)司(し)隸(れい)校(こう)尉(い)にして洛(らく)陽(よう)を統治させ、東(とう)中(ちゅう)郎(ろう)将(しょう)の司(し)馬(ば)模(ぼ)を寧(ねい)北(ほく)将(しょう)軍(ぐん)都(と)督(とく)冀(き)州(しゅう)諸(しょ)軍(ぐん)事(じ)にして鄴(ぎょう)を統治させ、百官はそれぞれもとの職務に還らせた。州郡には、苛政を除き、民を愛して本業に務めさせるよう命じた。そして、天下の道が清らかに通じるようになったなら、東(とう)京(けい)［洛陽］に還ると宣言した。大赦を下し、（永(えい)興(こう)に）改元した。司馬略と司馬模は司馬越の弟である。

王(おう)浚(しゅん)はすでに鄴から去っていたので、司馬越は司馬模を鄴に入らせた。

司馬顒は、四方が乖離して禍難の止むことがないので、このように和解すべき詔を下すことで、少しでも安らかになるのを期待した。司馬越は太傅を辞退して受けなかった。また詔を下して太宰の司馬顒を都(と)督(とく)中(ちゅう)外(がい)諸(しょ)軍(ぐん)事(じ)に、張(ちょう)方(ほう)を中(ちゅう)領(りょう)軍(ぐん)録(ろく)尚(しょう)書(しょ)事(じ)領(りょう)京(けい)兆(ちょう)太(たい)守(しゅ)にした。

【補足】（1）司(し)馬(ば)顒(ぎょう)は皇帝の詔(みことのり)を下して国家の体裁を少しでも保とうとしたが、これもどれほどの実効性があったのか疑わしい。ただ司(し)馬(ば)穎(えい)に敗れた司(し)馬(ば)越(えつ)が復権したことはその後の政局に大きな影響を与えた。

（2）ここで永(えい)興(こう)に改元してこの年を終えるので、『資(し)治(じ)通(つ)鑑(がん)』ではこの年は永興元年として扱っている。

【訳文】

［304-20］東(とう)嬴(えい)公(こう)の司(し)馬(ば)騰(とう)は将軍の聶(しょう)玄(げん)を派遣して漢(かん)王(おう)の劉(りゅう)淵(えん)を攻撃させた。大(たい)陵(りょう)で戦い、聶玄の軍は大敗した。

劉淵は劉(りゅう)曜(よう)を派遣して太(たい)原(げん)を襲撃し、泫(げん)氏(し)、屯(とん)留(りゅう)、長(ちょう)子(し)、中(ちゅう)都(と)の町を占拠した。また、冠(かん)軍(ぐん)将(しょう)軍(ぐん)の喬(きょう)晞(き)を派遣して西(せい)河(が)を襲撃させ、介(かい)休(きゅう)県(けん)を取った。介休令の賈(か)渾(こん)は降参しなかったので喬晞はそれを殺し、その妻の宗(そう)氏(し)を我がものにしようとした。宗氏は喬晞を罵り哭したので、喬晞はそれも殺した。劉淵はそのことを聞くとひどく怒り、「天道がこのことを知ったならば。喬晞にはきっと子孫は残らないだろう」と言って、召還して四等級落とし、賈渾の遺骸を収めて葬った。

【補足】『資(し)治(じ)通(つ)鑑(がん)』のこのあたりの記事の配列は、晋朝には未来はなく、天下の行く末を左右するキーパーソンは劉(りゅう)淵(えん)であろうとの印象を与えるよう構成されているのだろう。一見すると単純な年表のように見えながら、記事の選択や並べ方、伏線の張り方など、『資治通鑑』の編集は実に用意周到である。