『資治通鑑鑑賞』　第83巻　299年〜300年

■資治通鑑第83巻

【解題】『資(し)治(じ)通(つ)鑑(がん)』の第83巻は景(けい)元(げん)三年［299年］から咸(かん)熙(き)元年［300年］までの2年間を扱っている。

【訳文】

資(し)治(じ)通(つ)鑑(がん)巻八十三　晋(しん)紀(き)五　孝(こう)恵(けい)皇(こう)帝(てい)上(じょう)之(の)下(げ)

【補足】『資(し)治(じ)通(つ)鑑(がん)』の第83巻は「晋(しん)紀(き)五」に当たり、「孝(こう)恵(けい)皇(こう)帝(てい)上(じょう)之(の)下(げ)」、つまり晋(しん)の皇帝が孝(こう)恵(けい)皇(こう)帝(てい)であった時代の記録の上(じょう)の部分の下巻に当たる。孝恵皇帝は晋の二代皇帝の司(し)馬(ば)衷(ちゅう)。

【訳文】

［299-01］元(げん)康(こう)九年、春、正月、孟(もう)観(かん)は氐(てい)の人々を中(ちゅう)亭(てい)において大いに破り、斉(せい)万(まん)年(ねん)を獲た。

【補足】通鑑298-04の記事の続きで、斉(せい)万(まん)年(ねん)の平定にようやく成功した。北方諸民族の動きは、実際にはこのような勝利を積み重ねたところで、もはや晋(しん)朝(ちょう)の手に負えるような状況ではなくなりつつあった。次の項では根本的な解決策が提議されてはいるが、それは実現し得るものではなかった。

【訳文】

［299-02］太(たい)子(し)洗(せん)馬(ば)の江(こう)統(とう)は、戎(じゅう)や狄(てき)［北方諸民族］が華(か)［中国］を乱しているのを、根本から絶つべきであるとして、『徙(し)戎(じゅう)論(ろん)』を作って朝廷に警告を発した。「そもそも夷(い)、蛮(ばん)、戎、狄は荒れた地にいて、（古(いにしえ)の聖天子である）禹(う)が九(きゅう)土(ど)［中国］を統治したときには、西(せい)戎(じゅう)［遊牧諸民族］を適宜しかるべきところに置いたのでした。夷(えびす)の本性は貪欲で乱暴で狂暴で不仁であります。四方の夷(えびす)のなかでも戎や狄はそれが特に甚だしく、その勢力が弱いときには中国を畏れて服すことがあっても、強いときには中国に叛(そむ)いて侵略してきます。強かったときには、漢(かん)の高(こう)祖(そ)でさえも白(はく)登(とう)山(さん)において（匈(きょう)奴(ど)のために）苦しめられ、漢の文(ぶん)帝(てい)でさえも（匈奴に対抗するために）霸(は)上(じょう)に軍を出さなければなりませんでした。弱かったときには、漢の国力が微弱であった元(げん)帝(てい)や成(せい)帝(てい)のころでも、（匈(きょう)奴(ど)の王である）単(ぜん)于(う)は（漢の威令に服して）入朝しました。それぞれの状況によって相違があるとしても、有(ゆう)道(どう)の君(きみ)［統率力のある皇帝］による夷(い)狄(てき)の制御は、夷狄が服従するならそれを受け入れる備えをしておきつつ、常に侵略を防ぐというものでありました。たとえ夷狄が地に伏して人質を送ってきても、国境の城を固く守って弛(たゆ)むことはなく、また、夷狄が強暴で侵略してきても、こちらから軍団を遠征に出すことはなく、あくまでも国境が安らかであることを目指して、国外に戦線を拡大することはありませんでした。

遠く顧みれば、周(しゅう)が衰えて諸侯が争い合ってばかりいるようになると、封(ほう)疆(きょう)［国境、この場合は中国と外敵との境界］は固く守られることがなく、また諸侯の間で利害関係が異なったために、戎狄(えびす)はその隙を狙って中国に入り込みやすくなり、ときには戎狄(えびす)を招いて己のために使おうとする者もいたことから、それからは四方の夷(えびす)がこもごも侵入して来て、中国各地に居つくようになりました。秦(しん)の始(し)皇(こう)帝(てい)が天下を統一すると、秦の兵威が四方に達し、胡(こ)［北方諸民族］を追い払い越(えつ)［南方諸民族］を走らせたので、中国には四方の夷(えびす)の脅威はなくなったのでした。

ところが、漢(かん)の建(けん)武(ぶ)年間［光(こう)武(ぶ)帝(てい)の治世時］に馬(ば)援(えん)が隴(りょう)西(せい)太(たい)守(しゅ)になって、反乱を起こした羌(きょう)を討って、その他の諸族を関(かん)中(ちゅう)に移して馮(ひょう)翊(よく)、河(か)東(とう)の空いた土地に置いたところ、数年の後に諸族の人口が増加して力を付けるようになりました。諸族はそれを恃(たの)みとして、また漢人に侵されたこともあって、永(えい)初(しょ)年間の初めに群(ぐん)羌(きょう)が反乱を起こし、その地の守備兵が殺され、町が破壊され、さらには�ｹ(とう)騭(しつ)が敗北するような事態となり、群羌は河(か)内(だい)にまで侵攻してきたのでした。戦いは十年にもわたり、双方ともに疲れ、任(じん)尚(しょう)や馬(ば)賢(けん)がかろうじて勝利を得たのであります。これ以降は、戦いの余燼がくすぶり続け、夷(えびす)は機会を捉えては叛(そむ)き侵略してきました。こうして夷(えびす)の害は大きくなっていったのであります。魏(ぎ)朝(ちょう)が興ると、蜀(しょく)と国を分けたことから、国境地帯の戎(えびす)は一方は魏に付き、一方は蜀に付くということになり、魏の武(ぶ)帝(てい)は武(ぶ)都(と)の氐(てい)を秦(しん)州(しゅう)に移して魏の国力を強めて蜀に対抗しようとしました。これは便宜的な策であって、万世にわたって中国にとって利になるものではなかったために、いまやまさにその弊害を我らは受けているのであります。

そもそも関(かん)中(ちゅう)は土が肥沃で物が豊かで、帝王が居るところであって、戎狄(えびす)がその地に居るということはかつて聞いたことがありません。戎狄(えびす)は我らとは族類が異なり、その心も必ずや異なります。戎狄(えびす)の衰えを利用して我が国内に移し、中国の習慣を習わせて、その勢いが弱いからといって油断していると、その実、中国を怨む毒が戎狄(えびす)の骨髄にまで達しているために、徐々に人口が増えて盛んになるにつれて、貪(どん)悍(かん)［貪欲で荒々しい］の本性と怒りの情とが一つになって、隙を伺い機会に乗じて反逆を為そうとの心が生じてきます。戎狄(えびす)は国境内にいて塞(とりで)によって隔てられていないために、無防備の人を襲い、野に積まれた物資を収奪し、その禍(わざわい)は拡大して、暴害は測り知れないほどに拡大してしまいました。これは必然の勢いであって、すでに我々はそのようなことを経験しているのであります。

いままさにすべきは、我らの兵威がなお盛んで、事態が手の施しようがなくなる前に、（国内の）馮翊、北(ほく)地(ち)、新(しん)平(ぺい)、安(あん)定(てい)のあたりにいる諸(しょ)羌(きょう)を、（遠く西方の）先(せん)零(りん)、罕(かん)幵(けん)、析(せき)支(し)に移し、また撫(ぶ)風(ふう)、始(し)平(へい)、京(けい)兆(ちょう)のあたりにいる氐(てい)を外に出して隴(りょう)右(ゆう)に還して、陰(いん)平(ぺい)、武(ぶ)都(と)のあたりに置くことであります。その移動に必要な食糧は与え、それぞれをもとの部族のもと、もとの土地に還らせて、中国の属国として撫(ぶ)して安住させるのです。戎(えびす)と晋(しん)を雑居させることなくそれぞれの居場所を得させるならば、たとえ戎(えびす)に夏(か)［中国］を乱そうとする心が生まれ、戦乱の兆しが生じたとしても、そこは中国からは絶遠の地で、山河を隔てていますから、侵略の害を為したところでそれが広がる恐れはないのであります。

これに対して論難を構える者は、『（斉(せい)万(まん)年(ねん)が叛いて）氐(てい)が新平を侵略してから、関中の民は飢えと疫病に苦しみ、誰もがそれが終息することを望んでいる。そのような疲れ切った人々を使って、疑いの心を抱いている氐を移動させようとしても、人々の力が途中で尽き果ててその事業を完遂することはできないだろう。つまりは、先の害がまだやまないうちに後の異変が生じてしまうに違いない』と言いますが、それに対しては、『君はいまの群氐は、余力がなおあって、これまでの悪を悔いて善に返り、我が徳の恵みを慕って中国内に入ってきたと思うのかい。あるいは、勢いが窮まり、手段が尽き、智力も使い果たして、我が軍団に撃たれるのを恐れて中国に入ってきたと思うのかい』と問いかけましょう。『余力がなく勢いが窮まり手段が尽きたからだ』。『ならば、我らとしては、群氐の命運の定められているところをよく見極めて、群氐の進退をそれに任せるのがよい。正業を楽しんでいる者は業を変えることはないし、居住地で安らかにしている者は移る意思を持たない。自らの状況の危さを心配して懼れを抱いている者は、俄かに浮足立つものであって、兵威をもってそれを制御するのなら、左右を間違うことなく動かすことができる。いま群氐はばらばらで、死亡し流散する者が多くいて、しかも関中の民とそれこそ一戸ごとに仇敵となるような状況にある。これを遠くに移して、これ以上に関中の地に馴染ませないようにすべきである。聖賢が事を謀るときには、何事も起こっていないうちに始め、まだ乱れが生じていないうちに治めてしまうといわれている。そのようにするなら、道筋が現われる前にすでに全体が平らになり、徳が現われ出る前に事は達成されてしまうのだ。それに次ぐのは、禍を転じて福を為す、あるいは敗北からの勝利、難所に突き当たってついに渡る、否(ひ)に遇って通じるといったことであろう。いまは、災厄の終わりに遭って、これをもって状況を改める始めとする、つまり次善の策を採るべきであるのに、君はそれをしようとしないで、轍(わだち)を変えるのは面倒だから、すでに車がひっくりかえったことのある軌道をまたしても辿ろうとしている。どうしてそのようなことをするのか。いま関中の百万余りの人口の多少を計るに、戎狄(えびす)がほぼ半分もいる。それを関中に居させるにしても移動させるにして必ず食糧が必要だ。（戎狄(えびす)が叛かないようにするために）窮乏して食糧が得られなくなった者に対して、関中の穀物を傾けてでも生活が成り立つようにしてやらないとならないだろう。野垂れ死にするような者がいなくなって初めて侵(しん)掠(りゃく)の害はなくなるのである。戎狄(えびす)を移動させて、道の途中で食糧を与え、もともとの種族のいるところにまで至らせて、そこで互いに助け合うようにさせるならば、いまここで関中の食糧の半分を出すことによって、その後は、関中は広々とし、盗賊のもとは断たれて日々の損害はなくなり、永続的に利益が得られるにようになる。小さな労を惜しみ、長く楽になる策を採らずにいるのは、あるいは、煩わしいわずかな日々を嫌って累世の仇となるものを残すのは、国の新たな事業を興して子孫に偉大な伝統を残すということにはなりはしないのだ』

（関中より北に目を転じると）いま并(へい)州(しゅう)にいる胡(えびす)は、もとは匈(きょう)奴(ど)の中でも特に悪い侵略者だった連中であります。遡れば建(けん)安(あん)年間に、（匈奴の）右(ゆう)賢(けん)王(おう)の去(きょ)卑(ひ)を誘い、呼(こ)廚(ちゅう)泉(せん)を人質として、その部落を并州の六郡に散居させました。咸(かん)熙(き)のころに、その一部がひどく強くなったために分割して三(さん)率(すい)としました。泰(たい)始(し)の初めには増えて四率となり、そのときに（匈奴の）劉(りゅう)猛(もう)が国内において叛き、外の虜(えびす)と手を結びました。最近では郝(かく)散(さん)による変事が穀(こく)遠(えん)において起こりました。いまでは匈奴の五部の戸数は数万に達し、その多くが盛んであることは西の戎(えびす)を超えるものがあります。匈奴の天性は驍(ぎょう)勇(ゆう)で、弓馬を得意とすることでは西の氐や羌に二倍するといえましょう。もし不慮の事が起こったならば、并州の町はまことに危ういというよりありません。

（さらに東方を見ると）正(せい)始(し)年間に毌(かん)丘(きゅう)倹(けん)は句(く)驪(り)を討ち、その生き残りを滎(けい)陽(よう)に移動させました。移ったばかりのときにはその戸数は百ばかりでしたが、子孫が増えていまでは千をもって数えるほどになり、数世の後には必ず恐ろしく増えてしまうでありましょう。中国の民であっても正業を失うと逃亡して反乱を起こします。犬や馬であっても肥えて太れば人に噛みつくようにもなります。まして夷狄(えびす)が異変を起こさないということは決してないのであります。いまはたまたま微弱で勢力が十分でないだけなのです。

国のために事を為す者は、憂うことが少ない者ではなく、不安を内に抱えた者であるといいます。天下が広く、士民が豊かであるからといって、夷虜(えびす)を国内に置いて、夷虜(えびす)が十分に満たされるのを待つようなことをしてはなりません。夷虜(えびす)に対しては、教え諭して移動させ、本来の土地に還すべきであります。そのようにすることによって、定住するところがなくて故郷を慕う夷虜(えびす)の心を慰めて、我ら華(か)夏(か)［中国］のいささかの憂いを消すべきであります。これこそが『詩(し)経(きょう)』に歌われている『中国に恵みをもたらし、四方を安んじる』ということでありましょう。まさに徳を永世に施し、長じた計といえるでありましょう」。

朝廷はこの提議を用いることができなかった。

【補足】江(こう)統(とう)の『徙(し)戎(じゅう)論(ろん)』が長々と引用されているのは、この後の歴史を知る『資(し)治(じ)通(つ)鑑(がん)』の編者から見て、北方諸民族が大暴れするのを防ぐことができたかもしれない最後のチャンスの唯一の方策がこれであったろうと考えるからなのだろう。江統は、遠く禹(う)の時代からの北方諸民族との関係を顧みて、中国国内に移ってきた北方諸民族はもといた場所に戻すべきだと主張している。一見すると筋が通っているようではあるが、時間を巻き戻して元に戻そうとする全ての主張と同様に実現性がほぼない机上の空論であった。ここに、夷(い)、戎(じゅ)、狄(てき)、羌(きょう)、氐(てい)など北方諸民族の種族を指す語が使用されているが、北方諸民族は長い時間をかけて混交したり、新たな種族が流入してきたりしているので、例えば「狄」が常に同じ種族を指しているわけではない。また、「狄」にけもの偏が用いられていることからもわかるように、北方諸民族に対する差別意識が顕著であるのは中国の伝統で、江統一人の意識の問題ではない。

【訳文】

［299-03］散(さん)騎(き)常(じょう)侍(じ)の賈(か)謐(ひつ)は東(とう)宮(ぐう)において学問を講義し、皇太子に対して態度が大きかった。成(せい)都(と)王(おう)の司(し)馬(ば)穎(えい)はそれを見て賈謐を叱った。賈謐は怒り、賈(か)皇(こう)后(ごう)に言いつけて、司馬穎を平(へい)北(ほく)将(しょう)軍(ぐん)にして鄴(ぎょう)に行かせた。

梁(りょう)王(おう)の司(し)馬(ば)肜(ゆう)を呼んで大(だい)将(しょう)軍(ぐん)録(ろく)尚(しょう)書(しょ)事(じ)にし、河(か)間(かん)王(おう)の司(し)馬(ば)顒(ぎょう)を鎮(ちん)西(ぜい)将(しょう)軍(ぐん)として関(かん)中(ちゅう)を治めさせた。武(ぶ)帝(てい)［司(し)馬(ば)炎(えん)］は最も近親の者でなければ関中を統治することはできないとする「石(せき)函(かん)の制(せい)」を作っていたのだが、司馬顒は（皇帝との血縁関係はやや遠く離れてはいたけれども）私財を軽んじて士を愛し、朝廷の人々が賢人であると称えたので用いたのである。

［299-04］夏、六月戊(ぼ)戌(じゅつ)、高(こう)密(みつ)文(ぶん)献(けん)王(おう)の司(し)馬(ば)泰(たい)が死んだ。

【補足】司(し)馬(ば)顒(ぎょう)は司(し)馬(ば)懿(い)の弟の司(し)馬(ば)孚(ふ)の孫。いまの皇帝の司(し)馬(ば)衷(ちゅう)は司馬懿のひ孫。司馬顒と皇帝の共通の先祖は曽祖父の父であるから、一族の中でもかなり遠い関係である。権力を巡っては、兄弟、親子であってもしばしば血みどろの争いをするので、これだけ離れるともはや一族としての結束などは何ら恃(たの)みにはならない［→通鑑265-11］。司馬顒は関(かん)中(ちゅう)に置かれたことから政局に大きな関りを持つようになる。

【訳文】

［299-05の一］賈(か)皇(こう)后(ごう)の淫(いん)虐(ぎゃく)は日々に甚だしくなり、太(たい)医(い)令(れい)の程(てい)拠(きょ)らと私的な関係を結び、また、町で見つけた年少の男子を簏(ろく)箱(しょう)［竹で作った箱］に載せて宮中に引き入れ、（もてあそんだ後で）そのことが外に漏れ聞こえるのを恐れてしばしばその者を殺した。

（賈皇后の一族である）賈(か)模(ぼ)は己に禍(わざわい)が及ぶのを恐れ、非常に心配した。裴(はい)頠(き)と賈模と張(ちょう)華(か)は皇后を廃して、謝(しゃ)淑(しゅく)妃(ひ)［皇太子の生母］を皇后に立てることについて議論した。賈模も張華も、「陛下には廃后の御意思はないのに、我らばかりがこれを進めて、陛下のお心がそれはよくないとされたなら、どうすることもできない。いま諸王の力が強く、それぞれ党派を異にしている。ひとたび禍(わざわい)が起こったなら、我らは死に、国は危うくなり、天下にとって何ら益がないではない」と言った。裴頠は、「あなた方のおっしゃるのはまことにその通りだ。しかし、皇后がその昏(こん)虐(ぎゃく)を逞(たくま)しくするなら、間違いなく乱が生じてしまう」と言った。一方で、張華は、「あなた方二人は皇后とは親戚であるのだから、皇后もあなた方の言うことなら信じるであろう。禍福について述べて、しばしば戒めたらよいであろう。うまくしたらひどいことにはならず、天下は乱れずにすむであろう。我らとしては寿命を終えるまで優(ゆう)游(ゆう)として過ごせれば十分であろう」。

裴頠はおばである広(こう)城(じょう)君(くん)［賈皇后の母］のもとに行って、賈皇后に対して皇太子をもっと大切にするよう戒めてほしいとしばしば説いた。賈模もまたしばしば賈皇后に事のよしあしを説いた。しかし、賈皇后はそれらを受け入れず、かえって己を損なう者であるとして賈模を遠ざけた。賈模は思うようにならなかったことから、憂いの余り死んでしまった。

秋、八月、裴頠を尚(しょう)書(しょ)僕(ぼく)射(や)にした。裴頠は賈皇后の親類ではあったが、賢才であるとの評判は前から高く、天下の人々は高い地位に就いていないのを残念がっていた。次いで裴頠に門(もん)下(か)省(しょう)のことを任せるとの詔(みことのり)が下った。裴頠は次のような文書を皇帝に出して固く辞退した。「賈模がたまたま亡くなり、臣(わたくし)をもってそれに代えるのは、外戚の望むところをさらに高め、私的な関係に偏った人事であります。これは聖朝にとってよろしくないことでありましょう」。皇帝は聴かなかった。ある者が、裴頠に言った。「君は言いたいことがあるのなら、皇后に向かって言葉を尽くさなければいけない。言っても従ってもらえなければ、遠く退いて去るべきだ。この二つに一つであって、皇帝に十回文書を出したところで、難から免れられるものではない」。裴頠は嘆息してしばし頷いたが、その意見に従うことはできなかった。

【補足】（1）賈(か)皇(こう)后(ごう)が町の若い男子を宮中に連れ込み、その事が漏れるのを恐れて殺害したことをもって、淫(みだ)らで残虐であったとしている。『晋(しん)書(しょ)』には、より具体的に、ある町の若いイケメンがあるとき急にひどく立派な衣類などを身に付けているのを見て、盗んだのだろうと疑って人々が問いただすと、男は、「道で竹の箱に入れられ、美しい楼閣に連れて行かれ、香りのよい湯に入ってすてきな衣服に着替えると、年ごろ三十五、六の小さくて色黒の女性が出てきて、その人とともに数夜を過ごし、それでもらった物だ」と弁明した、それで人々は賈皇后のしたことだとわかって、笑って事が済んだという、本当か嘘かわからない話が載っている。さすがに『資(し)治(じ)通(つ)鑑(がん)』はその記事は採用していないが、賈皇后を「淫」であるとして批難するのは、先帝の司(し)馬(ば)炎(えん)は「淫」であることにおいて天下無双であったのだから［→通鑑281-01］、女性の権力者に対してとにかく悪印象を与えたいという意図によるのだろう。さらに言うと、裴(はい)頠(き)らが問題にしているのは、賈皇后の「淫」ではなく、皇太子との関係であって、ここで「淫」を持ち出すのは、読者の誤解を導くよう構成されていると考えざるをえないだろう。

（2）「寿命を終えるまで優(ゆう)游(ゆう)として過ごせれば十分」という張(ちょう)華(か)の発言を、かつて朝廷の主流派を畏れさせていたころの張華［→通鑑282-02］に聞かせたら何と言うだろか。賈(か)模(ぼ)は憂いの余りここで死んでしまったが、みっともない姿をさらし続けて悲惨な死に方をする張華に比べたら遥かにましであったのだろう。

【訳文】

［299-05の二］皇帝は戇(こう)騃(しつ)［愚かな上にも愚か］で、かつて華(か)林(りん)園(えん)で蝦(が)蟆(ま)の声を聞いて、左右(そばづかえ)の者に、「この鳴く者は、官の務めをしておるのか、それとも自分のことをしておるのか」と言った。また、飢饉が起こって民衆に餓死者が出たときに、皇帝は、「肉(にく)糜(がゆ)を食べればよいだろうに」と言った。

このようなことから権力は下のもろもろの者に移り、政(まつりごと)に多くの者が介入し、勢力のある一族同士は賄賂を贈り合い、それはあたかも市場での取り引きのようであった。賈(か)氏(し)［賈皇后の父方の一族］と郭(かく)氏(し)［賈皇后の母方の一族］が特に恣(ほしいまま)に振る舞い、賄賂が大っぴらに飛び交った。南(なん)陽(よう)の魯(ろ)褒(ほう)はこのような情勢を譏(そし)って『銭(せん)神(しん)論(ろん)』［銭は神だ！］を作った。「銭の形は天地の姿を現している。人は銭を兄のように親しみ、字(あざな)で孔(こう)方(ほう)［四角い穴］と呼ぶ。銭に徳はないのに尊ばれ、冷たいのに人を熱くさせ、皇城の門も宮中の門も開けてくれ、危うさを安らかにしてくれ、死をも活かしてくれて、あるときは貴い者を賤しくし、生きている者を殺すことだってできる。争い事は銭がなければ勝てないし、暗い泥沼からは銭がなければ抜け出せないし、仇敵とは銭がなければ和解できないし、よい評判は銭がなければ立つこともない。都にいる諸王だって、枢要の地位にある者だって、我が家の兄である銭に対しては、いつでもどこでもとにかく手を執って引き寄せようとし、終始抱いていようとさえする。いまの人々にとってただただ銭がなければならないのである」。

また、朝臣は苛(か)察(さつ)［細かいところを詮議する］に務めるのを競い合った。何か問題が生じると、人々はそれぞれに自身の見解を主張して刑罰はなかなか一つに定まらなかったために、訴訟ごとが入り乱れた。裴(はい)頠(き)は次のような文書を皇帝に差し出した。「古(いにしえ)の聖王の時代には刑と賞が釣り合い、どちらが軽くどちらか重いということはありませんでした。それによって下の者の意見がよく聴かれて、役人は安心して仕事に励むことができました。去る元(げん)康(こう)四年の大風で、廟の建物の瓦が数枚傾いて落ち、それによって太(たい)常(じょう)官(かん)の荀(じゅん)寓(ぐう)は罷免となりました。事柄は軽いにもかかわらずその責めは重く、これは通常の法の運用とは異なるものでありました。元康五年二月の大風のときには、蘭(らん)台(だい)の管理者はそのような前例に懲りて、屋根を点検したところ、瓦が少しずれているのを十五カ所ほど見つけました。これによって太常官の職務を停止して、どのような刑罰を与えるべきかが論じられることになりました。今年八月には、御陵に生えている木の太さ七寸二分の枝が切られていましたので、太常官はあわてて走って見に行き、小さな事柄ではあってもどのように扱われるのか計り知れないことから、どうにかして罰から免れようと大騒ぎとなり、いまも太常官の処分は決まっておりません。そもそも刑罰の定めは限りある文言でありますので、その範囲外のことについては随時議論することになっていて、常に従うべき基準があるわけではありません。このようなときに過剰なまでに重く法を適用すると、悪い役人がそれに乗じて己にとっていいようにしてしまうでありましょう」。

刑罰に関してのねじ曲がった議論は止むことがなく、三(さん)公(こう)尚(しょう)書(しょ)の劉(りゅう)頌(しょう)が次のような文書を提出した。「近世以来、法が様々に分かれ、令は一つに定まっていないために、役人は何を守ったらよいのかがわからず、人々はどのようにして刑罰を避けられるのかがわからず、偽りを得意とする者は情実によって事を左右し、上に居る者は下の者を正すことができずに、同じ事柄であっても異なる結果となり、刑罰の公平性は失われてしまっております。そもそも君臣の職分にはそれぞれに司るところがあり、法は必ず順守されるべきものであります。まず役人は法を守らなければなりません。法の解釈において議論が生じたときには、大臣がそれを解きほぐさなければなりません。法が予期していない新しい事態が生じたときには君主が決断します。漢(かん)の時代に張(ちょう)釈(しゃく)之(し)が皇帝の行列の前に飛び出した者を許したのは、役人が法を守った例であり、公(こう)孫(そん)弘(こう)が郭(かく)解(かい)を処刑すると決めたのは大臣が解きほぐした例であり、漢の高(こう)祖(そ)が丁(てい)固(こ)を処刑したのは君主が決断した例であります。天下の万事はこの三通りの他には妄(みだ)りに己の意見を出して議論を乱してならないのです。すべて事は律令に従うべきで、そうすれば下の者は法を信頼し、人々は惑わずにすみ、官吏が悪さをすることができず、正しい政といえるようになるでありましょう」。これによって詔を下し、「（法の運用に携わる）郎(ろう)や令(れい)史(し)は、法に反駁するような議論をする者がいたら随時報告するように」と命じた。しかし、現状を変えることはできなかった。

劉(りゅう)頌(しょう)は吏(り)部(ぶ)尚(しょう)書(しょ)に遷り、（官員の任用に関して）九(きゅう)班(はん)の制(せい)を建て、官員を一つの職務に専念させて移動を少なくし、能力のありなしをきちんと評価して、賞罰を明確にしようとした。しかし、賈氏や郭氏が権力を握っていたために、それに仕える者は速やかに昇進することを願い、結局、この制度は実行されなかった。

裴頠は平(へい)陽(よう)の韋(い)忠(ちゅう)を張(ちょう)華(か)に推薦し、張華は韋忠を招いた。しかし、韋忠は病気を理由にそれに応じなかった。人がその理由を尋ねると、韋忠は、「張華君は見かけは立派でも中身が伴っていない。裴頠君は欲があって満足することがない。経典や礼法の定めを棄てて、賊(ぞく)后(ごう)［賈皇后］にくっついている。それは大(だい)丈(じょう)夫(ぶ)［堂々の人間］のすべきことであろうか。裴頠君はいつも私のことを心にかけてくれるのだが、私は裴頠君が深い淵に溺れ、その余波が私に及ぶのをいつも恐れているのだ。だから、裾を掲げていそいそと裴頠君のもとに行くようなことはしない」

関(かん)内(だい)侯(こう)の索(さく)靖(せい)は天下がいまにも乱れると察知して、洛陽の宮門に立つ銅(どう)駝(だ)［駱駝の銅像］を指さし、「そなたをきっと荊棘(いばら)の中に見ることになるのだろうな」と嘆息した。

【補足】（1）皇帝が「肉(にく)糜(がゆ)を食べればよい」と言ったのは、マリー・アントワネットがフランス革命の前に貧困に苦しむ民衆に対して、「パンがなければケーキを食べればいい」と発言したとされるのに非常によく似ている。つまりは、皇帝のおバカぶりを強調するための作り話であるのかもしれない。

（2）ここには晋(しん)朝(ちょう)の幾つかの病態と処方箋が記されているが、病状は悪化の一途であった。索(さく)靖(せい)の嘆きの言葉は非常に有名で、繁栄を誇る都も明日は荒れた草原になると予言したのである。

【訳文】

［299-06］冬、十一月甲(こう)子(し)朔(さく)、日食があった。

［299-07の一］広(こう)城(じょう)君(くん)の郭(かく)槐(かい)［賈(か)皇(こう)后(ごう)の母］は賈皇后には子がないことから、慈愛をもって皇太子に接するよういつも賈皇后に勧めていた。（郭槐の娘の賈(か)午(ご)の子の）賈(か)謐(ひつ)は驕(きょう)縱(じゅう)［驕って放縦］で、しばしば皇太子に対して無礼であったので、広城君はいつもきつく叱っていた。広城君は韓(かん)寿(じゅ)［賈午の夫］の娘を太子妃にしたいと考え、皇太子もまた韓氏と姻戚関係を持つことで自分の支えとしたいと思った。しかし、韓寿の妻の賈午と賈皇后はそれには賛同しないで、皇太子のために王(おう)衍(えん)の下の娘を迎えようとした。皇太子は王衍の長女が美しいと聞いていたのだが、賈皇后はその娘は賈謐のために迎えてしまった。それで皇太子は非常に不満で、それをしばしば口にした。

広城君は病気になり、臨終の際に、賈皇后の手を執って、心を尽くして皇太子を大切にするよう強く言い、「趙(ちょう)粲(さん)と賈午は必ずそなたの家の事を乱すでしょう。私が死んだ後で、決してもう二人の言うことは聴いてはなりません。深く深く私の言葉を覚えていなさい」と言った。賈皇后はそれには従わずに、趙粲、賈午ととともに皇太子を害することを謀った。

【補足】賈(か)皇(こう)后(ごう)の母の郭(かく)槐(かい)は、ここでは見識のある人物であるかのように描かれている。もともとは必ずしも評判は芳しくなく、夫の賈(か)充(じゅう)の死んだ後に強引に韓(かん)謐(ひつ)［後の賈(か)謐(ひつ)］を跡継ぎにして物議をかもしたこともあった［→通鑑282-02］。郭槐は死を前にし、先行きを考えて、娘の賈(か)皇(こう)后(ごう)に最も重要なメッセージを伝えたのだろうが、賈皇后はそれには従わなかった。郭槐が家の事を乱すと言った二人のうち、賈(か)午(ご)は賈皇后の妹で賈謐の母、趙(ちょう)粲(さん)はもとは先帝の司(し)馬(ば)炎(えん)の後宮にいた女性で、かつて賈皇后がまだ皇太子妃であったときに、嫉妬から妊娠した女性を殺して司馬炎が激怒したときに、弁護して賈妃を救った一人である［→通鑑291-02の一］。なお余計なことを記すと、「嫉妬から」とするのは一つの解釈で、個人の感情のせいだと問題を矮小化しようとするものである。多妻制のもとでは子のいない妻の立場は非常に危ういものがあり、ときには一族の存亡をかけて子を持つ別の妻を排除せずにはいられなくなる。つまり、世襲制を維持するために多妻制がとられていることに根本的な原因があるのだ。

【訳文】

［299-07の二］皇太子［司(し)馬(ば)遹(いつ)］は幼少のころには評判が高かったのだが、成長するにつれて、学問を嫌い、左右(そばづかえ)の者と遊び戯れてばかりいるようになった。賈(か)皇(こう)后(ごう)は黄(こう)門(もん)［宦(かん)官(がん)］たちを使って、皇太子を奢(しゃ)靡(び)威(い)虐(ぎゃく)［威張り散らして贅沢三昧に耽る］へと誘った。それによってその名誉は次第に落ちて行き、驕(きょう)慢(まん)［驕ってわがまま］ぶりがますます露わになった。ときとして皇太子としての朝の務めをすることなく遊び惚けることもあり、また、宮中を市場のようにして、人に肉を売らせ、皇太子は自分の手で肉の重さ測って誤ることがなかった。その母はもとは肉屋の娘であったので、皇太子は商売を好んだのである。皇太子がいる東(とう)宮(ぐう)には月々銭五十万が与えられていたが、皇太子はいつも二カ月分を得ていて、それでも足りなかった。西(せい)園(えん)において野菜、魚、鶏、小麦などの物を売らせ、収益を得てもいた。また、陰陽の占いを好み、禁忌にひどくこだわった。

洗(せん)馬(ば)の江(こう)統(とう)は皇太子に文書を提出して、次のような五つの事柄を指摘した。「第一に、少しばかり調子が悪くても皇太子としての朝の務めをするように。第二に、保(ほ)傅(ふ)［皇太子の指導係］の言うことを聞いて、少しでも善くなろうとするように。第三に、居所の装飾は減らし、庭園を飾り立てる工事はやめるように。第四に、西園で野菜や魚などを売るのは国の体裁を傷つけ、殿下の評判を落としているのでやめるように。第五に、小さな禁忌に拘泥して塀や瓦を修理するのをやめるように」。皇太子はどれも従わなかった。

中(ちゅう)舎(しゃ)人(じん)の杜(と)錫(しゃく)は皇太子がその地位を安らかに保てないのを恐れ、いつも忠心を尽くして諌め、徳業を修め、よい名を保つよう皇太子に勧めていた。その言辞は行き届いたものであったが、皇太子はそれを嫌い、杜錫がいつも座る氈(しきもの)の中に針を仕込ませ、杜錫は針に刺されて血まみれになった。杜錫は杜(と)預(よ)の子である。

皇太子は剛直な性格で、賈(か)謐(ひつ)が賈皇后を恃んで驕り高ぶっているのが我慢ならなかった。賈謐が侍(じ)中(ちゅう)として東(とう)宮(ぐう)に行くと、皇太子は知らん顔をして後庭で遊び続けた。�･(せん)事(じ)の裴(はい)権(けん)は皇太子を諌めた。「賈謐様は賈皇后様と非常に近しいお方です。ひとたび事を構えるようなことにでもなりましたなら、危険でありましょう」。皇太子は聴かなかった。

賈謐は賈皇后に向かって皇太子のことを譖(そし)った。「皇太子は私財を多く蓄え、それによって小(しょう)人(じん)たちと結びつきを強めています。それは我ら賈氏に対抗するためです。もしも宮(きゅう)車(しゃ)晏(あん)駕(が)［皇帝に死をいう］の後に皇太子が皇位に就かれたならば、（司(し)馬(ば)炎(えん)の皇后であった）楊(よう)氏の故事に倣って、私たちを誅殺し、皇后を廃して金(きん)墉(よう)城(じょう)に押し込めようとするでありましょう。それは手のひらを反すようにたちまち行われるでありましょうから、早くに事を図って、従順な者を選んで皇太子にして、安心できるようにすべきです」。賈皇后はその意見を受け入れて、皇太子の短所を世の中に大々的に広めた。

また、賈皇后は妊娠したと偽り、出産に必要な物を用意させ、妹の夫の韓(かん)寿(じゅ)の子の韓(かん)慰(い)祖(そ)を養って皇太子に代えようとした。

【補足】（1）皇太子の司(し)馬(ば)遹(いつ)はかつては賢いと思われていて［→通鑑289-05の一］、司(し)馬(ば)炎(えん)は息子の司(し)馬(ば)衷(ちゅう)が大馬鹿者であることは知りながらも、孫の司馬遹に期待して司馬衷を皇太子の地位から降ろすことをしなかった。その司馬遹が成長するに連れて、とんでもない青年になってしまったとここには記されている。このとき司馬遹は数えで14歳であるから、いまでいえば反抗期に当たり、周囲に反発してわざと不道徳な振る舞いをするのはむしろごく自然な行為であろう。賈(か)皇(こう)后(ごう)たちが司馬遹の短所を言いふらしたとあるので、誇張されたその内容が史書に影響しているかもしれない。背徳の帝王が商売の真似ごとをして遊んだという記述は史書にしばしば見られ、儒学の伝統からすると、賢い人は官職に就き、普通の人は農民として暮らし、商売人ははみ出し人であるとされていたので、我々が思う以上に、とんでもなく馬鹿げた行為をしていたということになる。若い皇太子が、皇帝のようなおよそ下らない仕事をやらされるのは耐え難いと、自由に天下を往来する商人に憧れを抱くのは、我々としては非常に理解できることであろう。

（2）賈皇后が自分の子ではない司馬遹が将来皇帝になったときにどうなるのかと心配をするのは、楊(よう)皇(こう)太(たい)后(ごう)を死に追いやった張本人［→通鑑291-02の三］としては極めて当然である。昔風にいうと因果は巡るというわけである。

【訳文】

［299-07の二］このころには、賈(か)皇(こう)后(ごう)は皇太子を害(そこな)う気でいることが朝野の人々に知れわたるようになった。

中(ちゅう)護(ご)軍(ぐん)の趙(ちょう)俊(しゅん)は、皇太子に皇后を廃するよう迫ったが、皇太子は聴かなかった。

左(さ)衛(えい)率(しゅつ)の劉(りゅう)卞(べん)は、賈皇后の謀(はかりごと)について張(ちょう)華(か)に尋ねた。張華は、「そのようなことは聞いていない」と言った。劉卞は、「私は須(しゅ)昌(しょう)県(けん)の小役人であったのを、公(こう)［張華］が抜擢してくださったお蔭で今日に至りました。士は己を知ってくれることに感じて事を為すのであって、それで私は言葉を尽くして申し上げようとしているのです。そうであるのに公は私をお疑いになるのですか」「ももしそのような謀があるとしたら、君はどうするのか」「東(とう)宮(ぐう)には俊才が林のように並び、四(し)率(しゅつ)［東宮の護衛兵］には精兵が一万人いて、公は阿(あ)衡(こう)の任［大臣のトップ］にあります。公の御命令をいただければ、皇太子様を朝廷にお入れして尚(しょう)書(しょ)省(しょう)の事を行うようにできましょう［つまり執政権を掌握する］。そうすれば、賈皇后を廃して金(きん)墉(よう)城(じょう)に押し込めるのは、二人の黄(こう)門(もん)［宦(かん)官(がん)］の力だけでできます」。しかし、張華は、「いま天子様がまさしく位に就かれていて、皇太子様は人の子である。私は阿衡の任は授かっていない。軽率にそうようなことをしたなら、君臣の関係も父子の関係も破壊して、（皇太子の）不孝を天下に示すことになってしまう。たとえ成功するとしても罪は免れない。まして、朝廷には賈皇后の親族が多数いて、力の出どころは一つではないのだから、成功する見込みなどはない」と言った。

賈皇后は自分の手下を使って密かに宮中の外のことまで情報を常に集めていたので、劉卞の言葉も詳しく掴んだ。劉卞は雍(よう)州(しゅう)刺(し)史(し)に遷され、自分の言葉が（張華から）洩れたと知り、薬を飲んで死んだ。

十二月、皇太子の長男の司(し)馬(ば)虨(ひん)が病気になった。皇太子は息子に（せめて生前に）王爵を与えてくれるよう求めたが許されなかった。司馬虨の病気は重くなり、皇太子は息子のためにお祓いをして回復を祈った。賈皇后はそのことを聞くと、皇帝が病気になったと偽って皇太子を宮中に呼んだ。皇太子が来ると、賈皇后は皇帝に会わせることなく皇太子を別室に置いた。召使の陳(ちん)舞(ぶ)を出して、皇帝からの賜り物だとして皇太子に三升の酒を与え、全てを飲み尽くすように言った。皇太子は、「三升もの酒は飲めません」と辞退した。陳舞は、「なんと不孝者ではなかろうか。天が汝に酒を与えてそれを飲まないのは、酒の中に悪い物でもあると思っているのか」と迫った。皇太子はやむをえず、強いて全てを飲み干し、ひどく酔ってしまった。皇后は小(しょう)婢(ひ)の承(しょう)福(ふく)に命じて、黄(こう)門(もん)侍(じ)郎(ろう)の潘(はん)岳(がく)に作らせておいた下書きと、紙と筆を皇太子のもとに持って行かせた。そして、酔っ払った皇太子に向かって、「陛下の御命令です」と言って、下書きを写させた。その文は、「陛下は自ら決着をつけよ［自殺せよ］。自分でできなければ、私が入って決着をつける［殺害する］。中(ちゅう)宮(ぐう)［皇后］も速やかに自ら決着をつけよ。自分でできなければ、私がこの手で決着をつける。私は謝(しゃ)妃(ひ)［皇太子の母］とともに、時機を見て二つとも行う。ぐずぐずしたのでは後の患いとなる。太陽と月と星のもとで毛を食らい血をすすって誓う。天は患害を除き掃うことを許すであろう。虨を立てて王とし、蒋(しょう)氏(し)［皇太子妃］を皇后にする。願いよ成れ。三(さん)牲(せい)［三種の生贄］で北(ほく)君(くん)［北極星］を祀る」というものであった。皇太子は酔っていたので、その文章の意味を理解しないままに写した。それは半分ほど書いただけで完成しなかったので、賈皇后が補ってから皇帝に見せた［皇太子が祈っていたのは、息子の病気平癒ではなく、このような呪いをかけて皇帝と皇后を殺すためであったと偽りの告げ口をしたのである］。

壬(じん)戌(じゅつ)、皇帝は式(しき)乾(けん)殿(でん)に出て公(こう)卿(けい)を召し入れ、黄(こう)門(もん)令(れい)の董(とう)猛(もう)を使って、皇太子が書いた物と青い紙に記した詔を人々に見せた。「皇太子はこのようなことを書いた。いま死を与える」と皇帝は言った。遍く諸公王にも示し、誰も何も言わなかった。張華が発言した。「これは国家の大きな禍(わざわい)であります。古(いにしえ)から、正(せい)嫡(ちゃく)［正当な後継者である嫡男］を廃したときには必ず騒乱が起こりました。陛下が天下を治められていまだ日が浅いときであります。陛下におかれましてはどうか詳しくお考えになりますように」。裴(はい)頠(き)は、「まずはその書を伝えた者をよくお調べになりますように。そして、皇太子様の手跡と比較されますように。偽物を見誤ってしまう恐れがあります」と言った。賈皇后は皇太子が書いた十枚余りの紙を出して示した。人々は見比べ、異なっていると敢えて言う者はいなかった。

賈皇后は董猛を使って、（皇帝の姉の）長(ちょう)広(こう)公(こう)主(しゅ)の言葉だと偽って、帝に次のように伝えた。それは、「事を速やかに決定しますように。群臣に異論があって、陛下の詔に従わない者がいたならば、軍法によって事を行いますように」というものであった［つまり群臣を脅迫した］。日が西に傾いても結論が出なかった。賈皇后は張華らの意志が堅いのを見て、事変が生じるのを懼(おそ)れ、「皇太子を庶(しょ)人(じん)とし、死を免じる」という文書を作って提議し、皇帝はそれを許して詔を下した。

ここにおいて尚(しょう)書(しょ)の和(わ)郁(いく)らが詔をもって東宮に詣で、皇太子を廃して庶人とした。皇太子は衣服を改めて宮中から出て、再拝して詔を受け、歩いて承(しょう)華(か)門(もん)を出て、粗末な牛車に乗った。車(しゃ)武(ぶ)公(こう)の司(し)馬(ば)澹(たん)が兵士を使って、皇太子と太子妃の王(おう)氏(し)、三人の息子の司馬虨、司(し)馬(ば)臧(ぞう)、司(し)馬(ば)尚(しょう)を金(きん)墉(よう)城(じょう)に連れて幽閉した。王(おう)衍(えん)は娘［皇太子妃］の離縁を皇帝に願い出て、許可された。妃は慟哭して実家に帰った。また、皇太子の母の謝(しゃ)淑(しゅく)媛(えん)と、司馬虨の母の蒋(しょう)俊(しゅん)は殺害された。

【補足】賈(か)皇(こう)后(ごう)が皇太子の司(し)馬(ば)遹(いつ)をその地位から追っ払った経緯が記されている。このようなことをもって、「権(けん)詐(さ)が多かった」［→通鑑272-02］という賈皇后の評が出てきたのである。皇帝に呪いをかけたとして皇太子を廃位に追い込むのは古くからある手垢にまみれた手法で、張(ちょう)華(か)が指摘したようにそれによって内乱状態になったこともあった。もしも皇太子が祖父の司(し)馬(ば)炎(えん)の期待通りに十分に賢ければ、趙(ちょう)俊(しゅん)の忠告を入れて果敢に行動したであろう。先の楊(よう)駿(しゅん)にしても賈皇后にしても皇太子にしても、このころの晋(しん)の権力抗争はかなりレベルが低く、今後さらに低下して行く。後に、中国史上で唯一の女性の皇帝になった武(ぶ)則(そく)天(てん)は、張(ちょう)華(か)のような優秀な官員をどしどし起用して政治を安定させ、その一方で強力な手段で政敵を徹底的に排除して、自身の支配を盤石なものとした。せこい手段で皇太子を排除して喜んでいるようでは賈皇后には先がないのは明らかである。

【訳文】

［300-01］永(えい)康(こう)元年、春、正月癸(き)亥(がい)朔(さく)、天下に赦令を下して、（永康に）改元した。

［300-02］西(せい)戎(じゅう)校(こう)尉(い)司(し)馬(ば)の閻(えん)纘(さん)が棺を荷って［つまり死刑を覚悟して］、宮殿に詣で、次のような文章を朝廷に提出した。「漢(かん)の武(ぶ)帝(てい)の皇太子であった戻(れい)太(たい)子(し)［劉(りゅう)拠(きょ)］は（謀反を疑われたために）皇帝の命令を拒絶して挙兵しましたが、それでもその当時、『罪は笞打ちに当たる』との意見もありました。いま司(し)馬(ば)遹(いつ)は罪を受けた日に、敢えて道を失うことなく従順に命令に従いましたので、戻太子よりもなお軽いといえましょう。どうかよい指導役を選んで、まずは厳しく戒めるべきであります。それでも改まらないであれば、それから棄て去っても遅くはないのでしょう」。その文書は皇帝に奏上されたが省みられることはなかった。閻纘は閻(えん)圃(ほ)の孫である。

賈(か)皇(こう)后(ごう)は、ある黄(こう)門(もん)に、「皇太子と反逆を図りました」と自首させた。詔を下し、黄門が自白した言葉を公(こう)卿(けい)に示し、東(とう)武(ぶ)公(こう)の司(し)馬(ば)澹(たん)に命じて、千人の兵士で元の皇太子を守らせて、（都から南に離れた）許(きょ)昌(しょう)にある宮殿に幽閉することにした。持(じ)書(しょ)御(ぎょ)史(し)の劉(りゅう)振(しん)に命じてそれを監視させ、朝臣たちには元の皇太子を見送ることを禁じた。洗(せん)馬(ば)の江(こう)統(とう)、潘(はん)滔(とう)、舎(しゃ)人(じん)の王(おう)敦(とん)、杜(と)蕤(ずい)、魯(ろ)瑤(よう)らはその禁令を冒して伊(い)水(すい)に行き、泣いて拝辞した。司(し)隸(れい)校(こう)尉(い)の満(まん)奮(ふん)は江統らを縛って獄に送った。河(か)南(なん)県(けん)の獄に繋がれた者は、楽(がく)広(こう)がことごとく縛りを解いて解放したのだが、洛(らく)陽(よう)県(けん)の獄に繋がれた者は釈放されなかった。都(と)官(かん)従(じゅう)事(じ)の孫(そん)琰(えん)は賈(か)謐(ひつ)に、「皇太子を廃して移動させたのは、皇太子が悪事を為したからであります。いま宮臣たちが罪を冒して拝辞したのを重く罰しますと、その噂が四方に流れて、かえって皇太子の徳を彰(あら)わすようなことになってしまいます。釈放した方がよいでしょう」と言った。賈謐は洛(らく)陽(よう)令(れい)の曹(そう)攄(ちょ)に語って釈放させた。楽広も罪を問われなかった。王敦は王(おう)覧(らん)の孫で、曹攄は曹(そう)肇(ちょう)の孫である。元の皇太子は許昌に至ると、元の妃に宛てて手紙を書き、冤罪であると弁明した。妃の父の王(おう)衍(えん)は手紙に記してあることを皇帝の耳には入れなかった。

［300-03］丙(へい)子(し)、皇(こう)孫(そん)の司(し)馬(ば)虨(ひん)が死んだ。

［300-04］三月、尉(うつ)氏(し)県(けん)で血のような雨が降り、南方に妖しい星が現われ、太(たい)白(はく)［金星］が昼間に見え、中(ちゅう)台(だい)［諸侯に相当するとされる星座］の星がばらばらになった。

張(ちょう)華(か)の末の子の張(ちょう)韙(い)は（天変が悪い兆しであると見て）父に位を退くように勧めた。張華は、「天の示すことは幽(かす)かで遠い。静かに待つべきである」と言って従わなかった。

【補足】賈(か)皇(こう)后(ごう)が強引に皇太子を廃したことはむろん世論の支持を得られなかった。禁令を冒して元の皇太子を見送った王(おう)敦(とん)は後に大きな活躍をする。張(ちょう)華(か)はまたしても現状に安住することを選択している。

【訳文】

［300-05］皇太子が廃されてから、人々は憤りと怒りの情を強く抱くようになった。かつて東(とう)宮(ぐう)に仕えていた右(ゆう)衛(えい)督(とく)の司(し)馬(ば)雅(が)、常(じょう)従(じゅう)督(とく)の許(きょ)超(ちょう)らは、殿(でん)中(ちゅう)郎(ろう)の士(し)猗(き)らとともに賈(か)皇(こう)后(ごう)を廃して、皇太子を復位させることを謀った。相談するに、「張(ちょう)華(か)や裴(はい)頠(き)は地位を安らかに保とうとしているだけであるから、ともに事を実行するのは難しいだろう。右(ゆう)軍(ぐん)将(しょう)軍(ぐん)の趙(ちょう)王(おう)の司(し)馬(ば)倫(りん)は兵権を掌握していて、貪欲なところがあるので、力を借りて事を為すのがよいだろう」として、（司馬倫のお気に入りの部下である）孫(そん)秀(しゅう)に次のように説いた。「皇后は凶(きょう)妬(と)無(む)道(どう)［嫉妬深くて非道］で、賈(か)謐(ひつ)らとともに皇太子を陥れて廃位に追い込みました。いま国には跡継ぎがなく、国家は危機に瀕しています。大臣たちがいまにも大事を起こそうとしているのですが、司馬倫様は立場として皇后に仕えておられ、賈(か)氏(し)や郭(かく)氏(し)と親しくされています。『皇太子が廃されることも、あらかじめ御存知であったのだろう』と皆が言っています。ここで何か事が起こったならば、禍(わざわい)が必ず司馬倫様に及ぶでありましょう。先に謀るべきです」。孫秀は承知して、司馬倫にそのことを告げた。司馬倫はその提案を受け入れ、通(つう)事(じ)令(れい)史(し)の張(ちょう)林(りん)や省(しょう)事(じ)の張(ちょう)衡(こう)らに告げて、内側から応じさせるようにした。

まさに実行しようとして、孫秀は司馬倫に言った。「皇太子は聡明で剛直で猛々しいお方です。もしも（皇太子に復位して）東宮にお還りになったら、きっと人の指図を受けはしないでしょう。明(めい)公(こう)［司馬倫］はもともと賈皇后の一党であったのは人々が皆知っています。いまたとえ皇太子に対して大功を建てても、皇太子は、『公はただ人々の望むところに迫られて、身を翻しただけだ』とお考えになって、しばし怒りを抑えて忍ぶとしても、きっと明公の徳に感謝することなく、何かわずかでも過ちがあったならば明公は誅殺されてしまうのは免れられないでしょう。ですから、ここは少しばかり延期して、賈皇后が皇太子を害するのを待って、その後に賈皇后を廃して、皇太子のために仇を討ったということにするなら、禍を免れるだけでなく、より思い通りに事を進められるようになるでしょう」。司馬倫はそれに納得した。

孫秀は人を使って、朝廷の人々は皇后を廃して皇太子を迎えたいと考えているという噂を町に流した。賈皇后は宮中の使用人を変装させて民間の様子をしばしば探らせていたので、そのことを聞いて非常に懼(おそ)れた。司馬倫や孫秀は賈(か)謐(ひつ)らに、皇太子を早く除いて人々の望みを絶つべきだと勧めた。

癸(き)未(び)、賈皇后は太(た)医(い)令(れい)の程(てい)拠(きょ)に毒薬を調合させ、詔(みことのり)を矯(でっちあげ)て黄(こう)門(もん)の孫(そん)慮(りょ)を許(きょ)昌(しょう)に派遣して皇太子に毒を飲ませようとした。皇太子は東宮を追い出されてからは毒を盛られるのを恐れ、いつも食事の前に自分で煮てから食べていた。孫慮は劉(りゅう)振(しん)に告げ、劉振は皇太子を小さな部屋に移し、食べ物を与えるのを断った。それでも宮(きゅう)人(じん)［皇太子に仕える女性］が密かに塀の上から食べ物を与えていた。孫慮は薬を持って皇太子に迫った。皇太子は飲もうとしなかったので、孫慮は薬をつく杵で撃ち殺した。

有(ゆう)司(し)［係の役人］は庶人の礼をもって皇太子を葬るよう提議したが、賈皇后は広(こう)陵(りょう)王(おう)に対する礼法に準じて葬るようにとの文書を皇帝に差し出した。

［300-06］夏、四月辛(しん)卯(ぼう)朔(さく)、日食があった。

【補足】元の皇太子の司(し)馬(ば)遹(いつ)は賈(か)皇(こう)后(ごう)によって殺された。その経緯で、孫(そん)秀(しゅう)が暗躍している。孫秀が司(し)馬(ば)倫(りん)の知恵袋であることは通鑑296-03ですでに見ている。司馬倫は司(し)馬(ば)懿(い)の末の子で、皇帝のおじの世代に当たる。詳しい生年はわからないが、このころ60歳くらいであったようだ。

【訳文】

［300-07の一］司(し)馬(ば)倫(りん)と孫(そん)秀(しゅう)はいよいよ賈(か)皇(こう)后(ごう)を討とうとして、右(ゆう)衛(えい)佽(じ)飛(ひ)督(とく)の閭(りょ)和(わ)に告げた。閭和はそれに従い、癸(き)巳(し)の日の丙(へい)夜(や)一(いっ)籌(ちゅう)［夜十時ごろ］に太鼓の音を合図に実行すると決めた。

癸巳、孫秀が司(し)馬(ば)雅(が)を使って張(ちょう)華(か)に告知した。「司馬倫様は公(こう)［張華］とともに国家を正し、天下に害を為す者を除こうとされています。そのことを私からお告げするように言われました」。張華は同調するのを拒んだ。司馬雅は怒り、「刃がその首に加えられるときになっても、なおもそのように言うのかな」と、言って、振り返ることなく退出した。司馬倫は詔(みことのり)をこしらえて、三(さん)部(ぶ)の司(し)馬(ば)［近衛兵の三部隊の指揮官］に勅令だとして、「皇后と賈(か)謐(ひつ)らは朕(ちん)の皇太子を殺した。いま車(しゃ)騎(き)将(しょう)軍(ぐん)［司馬倫］を宮中に入れて皇后を廃す。汝らは我が命令に従うように。事が終わったならば関(かん)中(ちゅう)侯(こう)の爵(しゃく)を与えよう。従わない者は三族を誅殺する」と告げた。人々は皆が従った。さらに詔をこしらえて、門を開いて夜の間に宮中に入り、御(ぎょ)道(どう)の南に兵士を並べた。翊(よく)軍(ぐん)校(こう)尉(い)の斉(せい)王(おう)の司(し)馬(ば)冏(けい)に百人を率いて扉を開けて宮殿の内に入らせた。

一方で、華(か)林(りん)令(れい)の駱(らく)休(きゅう)が内側で応じて、皇帝を東堂に移し、詔をもって賈(か)謐(ひつ)を殿前に呼び、誅殺しようとした。賈謐は走って西(せい)鐘(しょう)の下に逃げ、「皇后よ、私を助けてくれ」と叫んだが、斬られた。

賈皇后は司馬冏が入ってきたのを見て驚き、「卿(そなた)はどうして来たのだ」と言った。司馬冏は、「詔によって皇后を捕らえるためだ」「詔なら私から出るはず。そのような詔はない」。皇后は二階に上って遥かに皇帝を呼び、「陛下の妻が人によって廃されようとしています。廃するのなら御自身でなさいませ」と言った。皇后は司馬冏に尋ねた。「誰が事を起こしたのか」。「梁(りょう)王(おう)と趙王です」。梁王の司(し)馬(ば)肜(ゆう)もまた謀に関わっていた。「ああ、狗(いぬ)を繋ぐなら頸を繋がなければならなかった。かえって尾を繋いでしまった。それでこうなってしまったのだ」と皇后は言った。

賈皇后は廃されて庶(しょ)人(じん)となり、建(けん)始(し)殿(でん)に幽閉された。趙(ちょう)粲(さん)、賈(か)午(ご)らは捕らえられ暴(ばく)室(しつ)［病人を置く小部屋］で厳しく取り調べられた。詔をもって尚(しょう)書(しょ)省(しょう)に命じて賈氏の一党を捕らえさせ、中(ちゅう)書(しょ)監(かん)、侍(じ)中(ちゅう)、黄(こう)門(もん)侍(じ)郎(ろう)、八(はち)座(ざ)の全ての者に夜のうちに宮殿に入るよう命じた。尚書省は始めは詔は偽りではないかと疑い、師(し)景(けい)は皇帝の自筆の詔を見せるよう言った。司馬倫はそれを斬り、見せしめとした。

司馬倫は孫秀とともに皇位を奪うことを密かに相談していて、まずは朝廷にいる人望のある者を除き、これまでの怨みも晴らそうとした。それで、張(ちょう)華(か)、裴(はい)頠(き)、解(かい)系(けい)、解(かい)結(けつ)らを殿前で捕らえた。張華は張(ちょう)林(りん)に、「卿(そなた)は忠臣を害するのか」と言うと、張林は皇帝の言葉だと称して詰(なじ)った。「卿(そなた)は宰相であったのに、皇太子が廃されたときに節義のために死ななかった。それはどうしてだ」。張華は言った。「式(しき)乾(けん)殿(でん)で議論したときに、臣(わたくし)が諫めたことは具さに記録されている。調べていただければわかるはずだ」。張林は、「諫めてそれが容れられなかったならば、どうして位を去らなかったのだ」。張華はもはや応えなかった。ついに全員を斬り、三族を夷(たいら)げた。

解結の娘は裴(はい)氏に嫁ぐことになっていて、いよいよ明日というときにこの禍が起った。裴氏はその娘は我が家の者であると認めて活かそうとした。娘は、「家がすでにこのようになって、私だけが生きていることはできません」と言って、連座して死んだ。朝廷はこの後で制度を改めることを議論し、女は父母の家に従って連座しないとした。

甲(こう)午(ご)、司馬倫は端(たん)門(もん)に坐して、尚書の和(わ)郁(いく)に節(しるし)を持たせて賈(か)庶(しょ)人(じん)を金(きん)墉(よう)城(じょう)に送り出した。そして、劉(りゅう)振(しん)、董(とう)猛(もう)、孫(そん)慮(りょ)、程(てい)拠(きょ)らを誅殺した。司(し)徒(と)の王(おう)戎(じゅう)や内外の官員で張華や裴頠の一党だとして罷免された者が多数に上った。

閻(えん)纘(さん)は張華の屍(しかばね)を撫(ぶ)して慟哭して、「早くに位を退くよう語ったのに、貴君は同意しなかった。果たして免れなかった。これも運命であろうか」と言った。

【補足】（1）またまた宮廷内の武力抗争が起こり、賈(か)皇(こう)后(ごう)が敗北した。賈皇后の政権は数年間の安定期を得ていたのに、その時期を安閑と無駄に過ごして、皇太子を殺害するという暴挙に及んだために命運が尽きたのであろう。賈皇后の「狗(いぬ)を繋ぐなら頸を……」の捨て台詞は、賈皇后の視野が宮廷内の力関係しか見ないごく狭いものであった証であろう。

（2）張(ちょう)華(か)や裴(はい)頠(き)とともに捕らえられた解(かい)系(けい)と解(かい)結(けつ)の兄弟は兼ねてからの孫(そん)秀(しゅう)の政敵であった［→通鑑296-03］。よほど緻密な頭脳の持ち主でないと『資(し)治(じ)通(つ)鑑(がん)』を読みこなすのは難しく、訳者が指摘できるのはその妙味のごくわずかだけである。

（3）張華は式(しき)乾(けん)殿(でん)での議論［→通鑑299-07の二］を持ち出して免れようとしたが、虚しい悪あがきであろう。張華に対して、王(おう)夫(ふう)子(し)は『読(どく)通(つ)鑑(がん)論(ろん)』で、「張華が死んだのを君子は憐れまない」と手厳しく評している。「国家の一大事を行う者として、適切な時機を知り、情勢分析が確かであるだけは十分ではない。自分の身の安全を優先するようでは駄目である。劉(りゅう)卞(べん)が皇太子を擁立する策を提起したときに［→通鑑299-07の二］、天下が希望を託せる人物としては張華しかいなかった。ところが、張華は『阿(あ)衡(こう)の任にない』と言って逃げてしまった。張華はかつて楊(よう)皇(こう)太(たい)后(ごう)が殺害されたころからすでに気が萎えて、義から離れたところで智を巡らせて、賈皇后にすり寄って身を保つことを謀るだけとなっていたのだ」

【訳文】

［300-07の二］ここにおいて趙(ちょう)王(おう)の司(し)馬(ば)倫(りん)は詔(みことのり)と称して天下に赦令を下し、自ら使(し)持(じ)節(せつ)都(と)督(とく)中(ちゅう)外(がい)諸(しょ)軍(ぐん)事(じ)相(しょう)国(こく)侍(じ)中(ちゅう)となり、宣(せん)帝(てい)［司(し)馬(ば)懿(い)］、文(ぶん)帝(てい)［司(し)馬(ば)昭(しょう)］が魏(ぎ)朝(ちょう)を輔佐したときの故事に全て倣った。自身のもとに府兵一万人を置き、世(せい)子(し)の散(さん)騎(き)常(じょう)侍(じ)の司(し)馬(ば)荂(か)に冗(じょう)従(じゅう)僕(ぼく)射(や)を監督させ、息子の司(し)馬(ば)馥(ふく)を前(ぜん)将(しょう)軍(ぐん)にして済(せい)陽(よう)王(おう)に封(ほう)じ、司(し)馬(ば)虔(けん)を黄(こう)門(もん)郎(ろう)にして汝(じょ)陰(いん)王(おう)に封じ、司(し)馬(ば)詡(く)を散(さん)騎(き)侍(じ)郎(ろう)にして霸(は)城(じょう)侯(こう)に封じた。孫(そん)秀(しゅう)らは大郡を封じられ、兵権を与えられた。侯に封じられた文武官は数千人にのぼり、百官は全て己の職掌について司馬倫の指示に従った。司馬倫はもとより庸(よう)愚(ぐ)［平凡な愚か者］で、孫秀の制(コントロール)を受けていた。孫秀は中(ちゅう)書(しょ)令(れい)になり、その威権は朝廷を支配し、天下の人々は孫秀に仕え、司馬倫の指図を求める者はいなかった。

詔をもってもとの皇太子の司(し)馬(ば)遹(いつ)の位を皇太子に戻し、尚書の和(わ)郁(いく)が東(とう)宮(ぐう)に属する官員を率いて皇太子の葬列を許(きょ)昌(しょう)に迎えに行った。司馬遹の子の亡き司(し)馬(ば)虨(ひん)を南(なん)陽(よう)王(おう)に封じ、司馬虨の弟の司(し)馬(ば)臧(ぞう)を臨(りん)淮(わい)王(おう)に、司(し)馬(ば)尚(しょう)を襄(じょう)陽(よう)王(おう)にした。

有(ゆう)司(し)が、「尚書令の王衍(おうえん)は大臣の位にありながら、皇太子が無実の罪を被せられたときに、自分だけは免れるようとしました。終身の禁錮とすべきです」と奏上した。皇帝はこれに従った。

相(しょう)国(こく)の司馬倫は人望を集めようと思って、徳をもって知られる天下の人々を選んで起用し、前(ぜん)平(へい)陽(よう)太(たい)守(しゅ)の李(り)重(じゅう)、滎(けい)陽(よう)太(たい)守(しゅ)の荀(じゅん)組(そ)をそれぞれ左(さ)長(ちょう)史(し)と右(ゆう)長(ちょう)史(し)にし、東(とう)平(へい)の王(おう)堪(たん)と沛(はい)国(こく)の劉(りゅう)謨(ぼ)をそれぞれ左(さ)司(し)馬(ば)と右(ゆう)司(し)馬(ば)にし、尚(しょう)書(しょ)郎(ろう)の束(そく)皙(せき)を記(き)室(しつ)にし、淮(わい)南(なん)王(おう)文(ぶん)学(がく)の荀(じゅん)�ｯ(しゅう)と殿(でん)中(ちゅう)郎(ろう)の陸(りく)機(き)を参(さん)軍(ぐん)にした。荀組は荀(じゅん)勗(きょく)の子、荀�ｯは荀(じゅん)�ｹ(いく)の玄孫である。李重は司馬倫には異なる志があると知っていたので、病であるとして辞退した。しかし、司馬倫が迫り続けてやまなかったので、李重は憂いと憤りから病気になり、人に支えられながら辞令を拝受し、その数日後に死んだ。

【補足】（1）宮廷内抗争の結果として政権を掌握した者は、身内贔屓の人事で要所を固めるとともに、人心を集めるために一応の体裁を取り繕うという、すでに何度も見てきた通りのことを司(し)馬(ば)倫(りん)も実施した。司馬倫の長い肩書は要するにいろいろな権限を一身に集めたということで、以下では「相(しょう)国(こく)」と略されている。こうしてデジャブのように同じことが繰り返されると、司馬倫の政権も長続きしないと予想されるが、果たしてどうなるであろうか。

（2）王(おう)衍(えん)は身の安全だけを考えていたとの告発はその通りである。王衍の娘は元の皇太子の妻であったが、皇太子が失脚すると、すぐに娘を離縁させて自分のところに引き取った。その娘のところに、皇太子から冤罪であることを訴える手紙が届くと、王衍はそれを手元に隠してしまった［→通鑑300-02］。いかにも終身禁固に相当する見苦しい行為であったのだが、王衍は後に政界に復帰し、さらに圧倒的に見苦しい行為をして歴史に赫々たる名を残すことになる。山(さん)濤(とう)や羊(よう)祜(こ)による王衍の評価［→通鑑272-14、297-03］が的中したと我々はそのときに納得するであろう。

【訳文】

［300-08］丁(てい)酉(ゆう)、梁(りょう)王(おう)の司(し)馬(ば)肜(ゆう)を太(たい)宰(さい)に、左(さ)光(こう)禄(ろく)大(たい)夫(ふ)の何(か)劭(しょう)を司(し)徒(と)に、右(ゆう)光(こう)禄(ろく)大(たい)夫(ふ)の劉(りゅう)寔(しょく)を司(し)空(くう)にした。

［300-09］皇太子の司(し)馬(ば)遹(いつ)が廃されたときに、淮(わい)南(なん)王(おう)の司(し)馬(ば)允(いん)を皇(こう)太(たい)弟(てい)に立てようとしたものの、議論がまとまらなかった。趙(ちょう)王(おう)の司(し)馬(ば)倫(りん)は賈(か)皇(こう)后(ごう)を廃すると、司馬允を驃(ひょう)騎(き)将(しょう)軍(ぐん)開(かい)府(ふ)儀(ぎ)同(どう)三(さん)司(し)にして中(ちゅう)護(ご)軍(ぐん)を指揮させた。

［300-10］己(き)亥(がい)、相(しょう)国(こく)の司馬倫は詔(みことのり)を矯(でっちあげ)て、尚(しょう)書(しょ)の劉(りゅう)弘(こう)に金(きん)屑(さく)酒(しゅ)を持って行かせて、金(きん)墉(よう)城(じょう)で賈(か)皇(こう)后(ごう)に死を与えた。

［300-11］五月己(き)巳(し)、詔をもって、臨(りん)淮(わい)王(おう)の司(し)馬(ば)臧(ぞう)を皇(こう)太(たい)孫(そん)に立て、皇太子の妻であった王(おう)氏(し)を皇太孫の母に戻した。皇太子に属していた官員は皇太孫に属するようにし、相国の司馬倫が皇(こう)太(たい)孫(そん)太(たい)傅(ふ)も兼ねた。

［300-12］己(き)卯(ぼう)、もとの皇太子の謚(おくりな)を愍(びん)懐(かい)とし、六月壬(じん)寅(いん)に顕(けん)平(ぺい)陵(りょう)に葬った。

［300-13］清(せい)河(が)康(こう)王(おう)の司(し)馬(ば)遐(か)が死んだ。

【補足】（1）司(し)馬(ば)允(いん)は皇帝の司(し)馬(ば)衷(ちゅう)の異母弟。兄と違ってまともな人間であったので、司(し)馬(ば)倫(りん)は司馬允を皇(こう)太(たい)弟(てい)［事実上の皇位継承者］にするのを望まなかったのだろう。司馬允についてはすぐ次の項目で記される。

（2）賈(か)皇(こう)后(ごう)は毒の入った酒を飲まされて死んだ。元の皇太子が殺されて1年後のことであった。皇帝を常に盛り立ててきていた賈皇后が死に至るまでの一連の動きに、皇帝の意志は何ら反映されていない。

【訳文】

［300-14の一］中(ちゅう)護(ご)軍(ぐん)の淮(わい)南(なん)王(おう)の司(し)馬(ば)允(いん)は沈着で剛毅であったので、宿衛の将士は畏服した。司馬允は相(しょう)国(こく)の司(し)馬(ば)倫(りん)と孫(そん)秀(しゅう)には異(い)志(し)［司馬倫が皇位を奪おうとしていること］があると知っていたので、密かに命をかけて自分に仕えてくれる者を養って、司馬倫を討とうとした。司馬倫と孫秀はそれを強く警戒した。

秋、八月、司馬允を太(たい)尉(い)にした。特に優遇して敬うような形をとりつつ、実際には兵権を奪おうとしたのである。司馬允は病気だと称してそれを受けなかった。孫秀は御(ぎょ)史(し)の劉(りゅう)機(き)を使って司馬允に迫り、司馬允に属する官員たちを捕らえ、司馬允は詔(みことのり)を拒んで大(たい)逆(ぎゃく)不(ふ)敬(けい)であるとして弾劾した。司馬允は劉機が持ってきた詔を視ると、孫秀の筆跡であったので、甚だ怒り、劉機を捕らえて斬ろうとした。劉機は走って逃れたので、その部下の二人を斬った。司馬允は怒りを露わにし、周囲の者に、「趙(ちょう)王(おう)［司馬倫］は我が家［つまりは国家］を破壊しようとしている」と言って、すぐに国兵と手勢の七百人を率いて動き、大きな声で、「趙王は叛(そむ)いた。私はいまそれを討つ。私に従う者は集まれ」と叫んだ。

ここにおいて、司馬允のもとに非常に多くの者が付いた。司馬允は皇宮に赴いた。尚(しょう)書(しょ)左(さ)丞(じょう)の王(おう)輿(よ)は掖(えき)門(もん)を閉じた。そのために司馬允は中に入れなかったので、相(しょう)府(ふ)［司馬倫がいるところ］を囲んだ。司馬允の将兵はいずれも精鋭であったので、司馬倫の側は戦闘で何度も敗れ、死者が千人を超えた。太(たい)子(し)左(さ)率(しゅつ)の陳(ちん)徽(き)が東(とう)宮(ぐう)の兵士を率い、太鼓を打ち鳴らして、内側から司馬允に応じた。司馬允は承(しょう)華(か)門(もん)の前に兵士を並べ、一斉に矢を放って司馬倫を射た。雨のように矢が下った。主(しゅ)書(しょ)司(し)馬(ば)の眭(すい)秘(ひ)が自身の体で司馬倫を蔽い、その背に矢が当たって死んだ。司馬倫の部下は木の陰に隠れて立ち、どの木にも数百本の矢が当たった。こうして辰(たつ)の時から未(ひつじ)の時に至った。

中(ちゅう)書(しょ)令(れい)の陳(ちん)淮(わい)は陳徽の兄で、やはり司馬允に応じようとして皇帝に、「白(はく)虎(こ)幡(はん)を遣わして闘争を解きますように」と言った。それで、司(し)馬(ば)督(とく)護(ご)の伏(ふく)胤(いん)が四百騎を連れ、白虎幡を持って宮中から出た。侍(じ)中(ちゅう)の汝(じょ)陰(いん)王(おう)の司(し)馬(ば)虔(けん)は門(もん)下(か)省(しょう)にいて、そっと伏胤と、「富貴を卿(そなた)と共にしようではないか」と誓い合った。伏胤は懐(ふところ)に空(くう)版(はん)［何も書いていない詔の用紙］を入れて出て行き、「淮南王［司馬允］を助けよとの詔である」と偽りを言った。司馬允は陣を開いて伏胤を内側に入れ、下車して詔を受けようとした。伏胤はその瞬間に司馬允を殺した。

その後で、司馬允の子の秦(しん)王(おう)の司(し)馬(ば)郁(いく)、漢(かん)王(おう)の司(し)馬(ば)迪(てき)も殺され、連座して誅殺された者は数千人に及んだ。

洛(らく)陽(よう)に赦令を下した。

【補足】司(し)馬(ば)允(いん)が暴発し、優勢でありながらもわずかな判断ミスで殺されてしまった。

【訳文】

［300-14の二］かつて孫(そん)秀(しゅう)は小役人で、黄(こう)門(もん)郎(ろう)の潘(はん)岳(がく)に仕えていた。潘岳はしばしば孫秀を鞭で打っていた。また衛(えい)尉(い)の石(せき)崇(すう)の甥の欧(おう)陽(よう)建(けん)は相(しょう)国(こく)の司(し)馬(ば)倫(りん)と仲が悪かった。石崇には緑(りょく)珠(しゅ)という名の愛妾がいた。孫秀は使者を出して緑珠を求めたが、石崇は与えなかった。淮(わい)南(なん)王(おう)の司(し)馬(ば)允(いん)が敗れると、孫秀は、石崇、潘岳、欧陽建は司馬允とともに乱を為したと称して、三人を捕縛した。石崇は、「あやつはわしの財産を取ろうとしているだけだ」と嘆いた。捕らえにきた者は、「財産が禍(わざわい)になると知っていたなら、どうして早くにそれを散らしておかなかったのだ」と言ったので、石崇はもう答えることができなかった。かつて潘岳の母はいつも、「そなたは足ることを知りなさい。どうしていつまでも濡れ手で粟を求めてやまないのですか」と厳しく叱っていた。潘岳は破綻すると母に、「母さんに背いてしまいました」と謝った。潘岳も石崇、欧陽建とともに一族が誅殺され、石崇の家の財産は没収された。

相国の司馬倫は淮南王［司馬允］の母の弟の呉(ご)王(おう)の司(し)馬(ば)晏(あん)を捕らえ、殺そうとした。光(こう)禄(ろく)大(たい)夫(ふ)の傅(ふ)祗(し)が朝廷で争い、他の人々も司馬倫を諌めて止めた。司馬倫は司馬晏を賓(ひん)徒(と)県(けん)王(おう)に落とした。

斉(せい)王(おう)の司(し)馬(ば)冏(けい)は戦功によって游(ゆう)撃(げき)将(しょう)軍(ぐん)に遷ったが、司馬冏はそれでは不満で、恨みを外に見せていた。孫秀はそれを知って、都に置くのを警戒して、平(へい)東(とう)将(しょう)軍(ぐん)にして許(きょ)昌(しょう)に赴任させた。

【補足】奢侈で鳴らした石(せき)崇(すう)［→通鑑282-01の二］、色男で女性をとりこにした潘(はん)岳(がく)［→通鑑291-02の五］といった時代の寵児がごくつまらない死に方をした。潘岳が上の者に媚び諂うことはすでに見ているが、ここには下の者に厳しく当たったことが記されていて、どうやら最低の人間であったようだ。こうして『資(し)治(じ)通(つ)鑑(がん)』を読んでしまうと、潘岳の詩を鑑賞する気にはなれないだろう。石崇に愛された緑(りょく)珠(しゅ)は、後に『緑(りょく)珠(しゅ)伝(でん)』という小説に悲劇のヒロインとして描かれる。それを読んで緑珠を気の毒に思いはしても、『資治通鑑』の読者としては石崇に同情を寄せるのは極めて困難である。

【訳文】

［300-15］光(こう)禄(ろく)大(たい)夫(ふ)の陳(ちん)準(じゅん)を太(たい)尉(い)にして尚(しょう)書(しょ)省(しょう)の事を視させたが、その後すぐに死んだ。

［300-16］孫(そん)秀(しゅう)は相(しょう)国(こく)の司(し)馬(ば)倫(りん)に九(きゅう)錫(せき)を加えることを提議した。敢えて異議を唱える者がいなかったのだが、吏(り)部(ぶ)尚(しょう)書(しょ)の劉(りゅう)頌(しょう)が、「昔、漢(かん)の時代に魏(ぎ)に九錫を与え、魏の時代に晋(しん)に九錫を与えました。これはそのときだけのことであって、常に通用させるべきことではありません。（漢の名臣であった）周(しゅう)勃(ぼつ)も霍(かく)光(こう)もその時代において大きな功績がありましたが、九錫を与えたということは聞きません」と言った。

張(ちょう)林(りん)はそれを聞くと怒りが止まらず、劉頌は張(ちょう)華(か)の一派であったとして殺してしまおうとした。孫秀は、「我らは張(ちょう)華(か)と裴(はい)頠(き)を殺したことで評判を落とした。さらに劉頌を殺すなどできない」と言ったので、張林は殺すのをやめ、劉頌は光(こう)禄(ろく)大(たい)夫(ふ)となった［格下げとなった］。

ついに詔(みことのり)が下されて司馬倫に九錫が加えられた。また司馬倫の子の司(し)馬(ば)荂(か)を撫(ぶ)軍(ぐん)将(しょう)軍(ぐん)に、司(し)馬(ば)虔(けん)を中(ちゅう)軍(ぐん)将(しょう)軍(ぐん)に、司(し)馬(ば)詡(く)を侍(じ)中(ちゅう)にした。さらに孫秀を侍(じ)中(ちゅう)輔(ほ)国(こく)将(しょう)軍(ぐん)にし、相(しょう)国(こく)司(し)馬(ば)右(ゆう)率(しゅつ)であるのはもとのままであった。張林らは高位に並んだ。（司馬倫の指揮下にある）相(しょう)府(ふ)の兵士を二万人に増やした。それは宿衛［皇帝の守備兵］と同じであった。さらに密かに養っている兵士の数は三万を超えていた。

九月、司(し)徒(と)を改めて丞(じょう)相(しょう)として、梁(りょう)王(おう)の司(し)馬(ば)肜(ゆう)を丞相にしようとしたが、司馬肜は固く辞退して受けなかった。

司馬倫もその子供たちも粗野で見識がなく、孫秀は狡(こう)黠(かつ)貪(たん)淫(いん)［ずるくて欲が深い］で、それとともに事を謀る者はいずれも邪(じゃ)佞(ねい)の士で、ただ栄利を競うだけで、深(しん)謀(ぼう)遠(えん)略(りゃく)はなく、それぞれに志すところが異なり、相互に憎み妬みあった。孫秀の子の孫(そん)会(かい)は射(せき)声(せい)校(こう)尉(い)となった。孫会は見かけが貧相で、奴僕の下っ端のようであった。孫秀は息子を皇帝の娘の河(か)東(とう)公(こう)主(しゅ)の婿にした。

【補足】九(きゅう)錫(せき)は皇帝が臣下に与える最高の恩賞。それを魏(ぎ)が晋(しん)に与えた経緯は通鑑258-04以下に記されていて、それは魏朝から皇位を奪い取って司(し)馬(ば)氏(し)の天下にするための一つのステップであった。だから、ここで九錫に与えるとは、司(し)馬(ば)倫(りん)が次の皇帝になるということとほぼ同義なので劉(りゅう)頌(しょう)は反対したのだ。歴史家は四文字で人物を描写するのを好み、「孫(そん)秀(しゅう)は狡(こう)黠(かつ)貪(たん)淫(いん)である」と書かれると、漢字の魔力によってそうであったに違いないと思い込まされてしまう。

【訳文】

［300-17］冬、十一月甲(こう)子(し)、羊(よう)氏(し)を皇后に立て、天下に赦令を下した。羊皇后は尚(しょう)書(しょ)郎(ろう)の羊(よう)玄(げん)之(し)の娘である。羊皇后の母方の祖父である平(へい)南(なん)将(しょう)軍(ぐん)の孫(そん)旂(き)は孫(そん)秀(しゅう)とよい関係にあったので、孫秀が皇后に立てたのである。羊玄之を光(こう)禄(ろく)大(たい)夫(ふ)特(とく)進(しん)散(さん)騎(き)常(じょう)侍(じ)にして興(きょう)晋(しん)侯(こう)に封(ほう)じた。

［300-18］詔(みことのり)を下して益(えき)州(しゅう)刺(し)史(し)の趙(ちょう)廞(きん)を呼んで大(だい)長(ちょう)秋(しゅう)にし、成(せい)都(と)内(ない)史(し)の耿(こう)滕(とう)を益(えき)州(しゅう)刺(し)史(し)にした。趙廞は賈(か)皇(こう)后(ごう)と姻戚関係があったので、都に呼ばれたことを非常に懼(おそ)れた。また晋(しん)の皇室が衰えて乱れてもいるので、密かに蜀(しょく)の地を拠点にして自立しようとの志を抱き、倉に貯えているものを放出して流民を賑わして衆心を得ようとしていた。李(り)特(とく)兄弟は武に優れ、その仲間が巴(は)西(せい)の人ばかりで、趙廞も同郡の出身であったので、趙廞は李特兄弟を厚遇して、爪(そう)牙(が)［頼りになる部下］としていた。李特らは趙廞の威勢を恃(たの)みとして、人々を集めて財産などを奪い取るような行為をしていたので、蜀の人々はそれに苦しめられていた。

耿滕は密かに朝廷に文書を送って、「流民は剛(ごう)剽(ひょう)［悪いことに強い］で、蜀の人は軟弱でありますので、主人であるべき蜀の人は客人であるはずの流民を制御することができません。必ずや秩序を乱してしまうでありましょうから、流民はもといた場所に還すべきであります。このまま流民を危うい状況のまま留めておきますと、関(かん)中(ちゅう)で斉(せい)万(まん)年(ねん)が引き起こしたような禍(わざわい)が蜀で生じるようになるでありましょう」と告げた。趙廞はそのことを聞いて耿滕を憎んだ。

益州は皇帝の詔書を受け取ると、文武の官員の千人余りを出して耿滕を新しい刺史として迎えようとした。このとき、成都の官署は少(しょう)城(じょう)に、益州の官署は太(たい)城(じょう)にあった。趙廞は太城からまだ去らずにいた。耿滕が益州の官署に入ろうとすると、功(こう)曹(そう)の陳(ちん)恂(じゅん)が諌めて、「益州と成都の関係は以前から悪く、いま太城に入ろうとするときっと大きな禍となりましょう。少城に留まって太城に変化が起こるのを見守るべきです。そして、諸県に号令を発して秦(しん)氐(てい)［李特兄弟らのこと］に対する備えをさせましょう。西(せい)夷(い)校(こう)尉(い)の陳(ちん)総(そう)様が間もなくこちらに来ることになっていますから、その到着を待ちましょう。さもなくば、ここから退いて犍(けん)為(い)県(けん)を保ちつつ西に江(こう)源(げん)県(けん)に渡って、非常事態に備えるのがよろしいでしょう」。耿滕はそれに従わずに、この日、人々を率いて益州の官署に入ろうとした。趙廞は兵士を出して迎え撃ち、西(せい)門(もん)で戦闘になった。耿滕は敗死し、役人たちはみな走って逃げ、ただ陳恂だけが面(めん)縛(ばく)して［服従の姿勢を示して］趙廞のもとに詣でて、耿滕を葬ることを願った。趙廞はその義を認めて許可した。

趙廞は兵士を遣わして、西夷校尉の陳総を迎え撃とうとした。陳総は江(こう)陽(よう)に至り、趙廞に反逆の志があると聞いた。主(しゅ)簿(ぼ)の趙(ちょう)模(ぼ)が陳総に言った。「いま州や郡は協力関係にありません。必ずや大きな異変が生じましょう。このようなときこそ速やかに行くべきです。（陳総が赴任しようとしている）西(せい)夷(い)府(ふ)は蜀の軍団の要です。順(じゅん)［秩序を構成する側］を助けて逆(ぎゃく)［反逆を志向する側］を討つなら、動揺する者はいないでありましょう」。しかし、陳総は道でぐずぐずし、南(なん)安(あん)県(けん)の魚(ぎょ)涪(ふ)津(しん)に至ったところとで趙廞の軍に遭遇した。趙模は陳総に言った。「私財を撒いて兵士を募集して戦いましょう。もし益州の軍に勝てたなら益州を得られましょう。勝てなかったら、川の流れに乗って退却しましょう。そうすれば生き延びられます」。陳総は、「趙廞殿は耿滕に対して怒っていたから殺害したのだ。私は嫌忌されてはいない。どうしてこのようになってしまったのか」と言った。「趙廞様は事を起こしたのです。必ずや貴君を殺して威勢を張ろうとするでありましょう。戦うまいとしても無益であります」。趙模は涙を流して説いたのだが、陳総は聞き入れなかった。陳総側は自潰し、陳総は草の中に逃げた。趙模は陳総の衣服を着て敵と取っ組み合って戦った。趙廞の兵士は趙模を殺し、陳総ではないと知ると、さらに陳総を捜し求めて殺した。

趙廞は大(だい)都(と)督(とく)大(だい)将(しょう)軍(ぐん)益(えき)州(しゅう)牧(ぼく)を自称し、幕僚を自分で任命し、州から発する指令を勝手に改めた。晋(しん)朝(ちょう)から官職から授かっていた者は皆が趙廞のもとに行った。（李特の弟の）李(り)庠(しょう)は妹の婿の李(り)含(がん)、天(てん)水(すい)の任(じん)回(かい)、上(じょう)官(かん)晶(しょう)、奨(しょう)昌(しょう)、扶(ふ)風(ふう)の李(り)攀(はん)、始(し)平(へい)の費(ひ)他(た)、氐(てい)の苻(ふ)成(せい)、隗(かい)伯(はく)ら四千騎を率いて趙廞に付き従った。趙廞は李庠を威(い)寇(こう)将(しょう)軍(ぐん)にして陽(よう)泉(せん)亭(てい)侯(こう)に封じて右腕とし、（秦州の）六郡（からきた流民のうちの）の勇壮な男たちを呼び集めさせた。それは一万人余りに達し、それで（関中から蜀に通じる）北(ほく)道(どう)を遮断しようとした［つまり蜀の自立を図った］。

【補足】（1）都では不毛な宮廷内抗争が繰り返され、その一方で、地方では大乱への導火線の上を炎が音を立てて走っていた。蜀(しょく)の地で最初の不気味な小爆発が生じたことがここに記されている。この段階での主役は趙(ちょう)廞(きん)で、趙廞が益(えき)州(しゅう)刺(し)史(し)として蜀に赴任したのは4年前であった［→通鑑296-06］。混迷する都から離れてこそ見えてくる景色があったのだろう。流民として蜀にきていた李(り)特(とく)兄弟［→通鑑298-03］を配下に引き入れ、自立を図った。晋朝の秩序を守ろうとした耿(こう)滕(とう)も陳(ちん)総(そう)も部下の助言を聞かなかったために殺害された。

（2）ここからは主役が次々に入れ替わる混迷の時代に入り、『資(し)治(じ)通(つ)鑑(がん)』の記事を読み進めるのはかなりの労力を要する面倒な作業になる。他所の国の1700年も昔のごたごたを辛抱強く読まなければならない義理は我々には一切ないのだが、現代社会のごたごたに何やら共通するところが見えてきたりして興味深く感じるところもあるだろうし、逆に全く不可解な事象が起こったりしてそれもまた興味深く感じたりもするであろう。複数の事件が複雑に絡み合って起こる時代の記録をどのように整理して読ませたらよいのか、『資治通鑑』の編者たちの手腕もまた見どころの一つといえるかもしれない。