『資治通鑑鑑賞』 第81巻 280年～288年
■資治通鑑第81巻
【解題】『資治通鑑』の第81巻は太康元年［280年］から太康八年［288年］までの9年間を扱っている。
【訳文】
資治通鑑巻八十一 晋紀三 世祖武皇帝中
【補足】『資治通鑑』の第81巻は「晋紀三」に当たり、「世祖武皇帝中」、つまり晋の皇帝が世祖武皇帝であった時代の記録の中の部分に当たる。世祖武皇帝は晋の初代皇帝司馬炎。
【訳文】
［280-01］春、正月、呉は大赦を下した。
［280-02の一］杜預は江陵に向かい、王渾は橫江に出て、それぞれに呉の鎮戍［防衛拠点］を攻めた。向かうところ全てで勝利した。
二月戊午、王濬、唐彬は（長江を下って呉の）丹楊監の盛紀を撃って破った。呉は長江の岩場の要所に鉄の鎖を張って川を遮断していた。また、長さが一丈余りの鉄の錐を、舟艦を迎え撃つようにして川の中に隠し置いてもいた。王濬は四方が百歩余りの大きな筏を数十隻作り、草を束ねて人の形にして甲を着せ武器を持たせてその上に置き、よく泳げる者を載せて筏を先行させた。筏が鉄の錐に遇うと、錐は突き刺さり、そのまま取り去ることができた。また、数十本の枝を束ねて長さ十丈余りの大きな炬を作り、それに麻の油を注いで船の前に置いた。鉄の鎖に遇うと、炬に火を付けて鎖を焼いた。しばらくすると鉄が融けて断ち切ることができた。こうして船は遮られることなく進んで行った。
庚申、王濬は西陵で勝利し、呉の都督の留憲らを殺した。壬戌、荊門、夷道の二城でも勝利し、夷道監の陸晏を殺した。
杜預は、牙門の周旨らに奇兵八百を率いて舟を浮かべて夜に長江を渡って楽郷を襲撃させた。周旨らは多数の旗をあちこちに立て、巴山で火を起こした。呉の都督の孫歆は懼れ、江陵督の伍延に与えた書状に、「北からの軍団は長江を飛び越えて渡って来た」と記した。周旨らは楽郷城の外に伏兵を置いた。孫歆は兵を出して王濬を拒もうとし、大敗して城に引き上げようとした。周旨らは伏兵を動かして孫歆の兵士の後ろに付いて城の中に入った。孫歆はそれを覚らず、周旨らは直ちに帳下［指令本部］に至り、孫歆を虜にして還った。
乙丑、王濬は呉の水軍都督の陸景を撃って殺した。
杜預は進んで江陵を攻め、甲戌、勝利し、伍延を斬った。ここにおいて沅水、湘水以南の交州、広州に至るまでの州郡はどこも風に靡くようにして印綬［地方官のしるし］を杜預に送ってきた。杜預は皇帝の指揮官の権限において詔と称してそれを受け入れた。呉の都督や監軍で斬ったり獲たりした者は十四人、牙門や郡守は百二十人余りであった。
胡奮は江安で勝利した。
【補足】晋軍は呉の征服に乗り出し、長江の上流側から攻めた王濬や杜預は連戦連勝で、呉の西から南の地はたちまち晋のものとなった。呉はもはや求心力を完全に失っていた。
【訳文】
［280-02の二］乙亥、皇帝は詔を下した。「王濬、唐彬は巴丘を平定したならば、胡奮、王戎とともに夏口、武昌を平定して、流れに従って長躯して直ちに秣陵［呉の都の建業］に至るようにせよ。杜預は零陵、桂陽を鎮撫し、衡陽を混乱なく従わせるようにせよ。大軍が通過した後には、荊州より南の地は号令を伝えれば必ず自ずと定まるであろうから、杜預らは兵士を分けて王濬、唐彬の軍を増強するようにせよ。太尉の賈充は項に移って駐屯せよ」
王戎は、参軍の羅尚、劉喬を派遣し、兵を率いて王濬と合流して武昌を攻撃させた。呉の江夏太守の劉朗や督武昌諸軍の虞昺は降参した。虞昺は虞翻の子である。
杜預は軍を集めて議論した。ある者が、「百年の寇［呉のこと］にはまだ完全には勝っていません。いまは春の水位が上がるときで、長く駐屯することはできません。次の冬がくるのを待って、改めて大挙して攻めるべきでしょう」と言った。杜預は、「昔、（戦国時代に）楽毅は済西の一戦に勝利すると強国の斉を一気に併呑してしまおうとした。いま我らの兵威は振るい、譬えれば竹を破るようなもの、幾つかの節を割った後は、どの節も刃を迎えて割れて行くのであって、もう手を下すまでもないのだ」と言って、指揮官たちに方略を授け、ただちに建業へと進もうとした。
呉主は（晋の）王渾が南下して来ていると聞いて、丞相の張悌に命じて、丹楊太守の沈瑩、護軍の孫震、副軍師の諸葛靚を連れて三万の兵士を指揮して長江を渡って敵を迎え撃つよう指示した。張悌らが牛渚に至ると、沈瑩は次のように言った。「晋は蜀で長らく水軍の訓練をしてきました。我が上流の諸軍はもとから十分な備えがなく、かつての名将たちは皆死に去ってしまい、いまは年少の者が任に当たっているので、きっと防ぐことはできないでしょう。晋の水軍は必ずやここに至るでしょうから、我らは（北から来る王渾とは戦わないで）兵力を蓄えてここで（西から）敵が来るのを待ってそれと一戦すべきです。幸いにも勝つことができたなら、江西［呉の西側の地］は自ずと静まります。いま長江を渡って（北から来る）晋の大軍と戦って不幸にして敗れたならば、大局はもう我らの手の内からは去ってしまいます」。張悌は言った。「呉がまさに亡びようとしているのは誰もが知るところで、昨日今日のことではない。私が恐れているのは、蜀からの兵［つまり西から来る晋軍］がここに至ったならば、人々は震駭してもはや収拾がつかなくなってしまうことだ。いまなら長江を渡ってなお敵と決戦を交えることができる。もし敗れても、国のために死ぬのなら恨むところはない。もし北の敵が逃げ去れば、我が兵の勢いは万倍にもなって、その勝利に乗じて長江を遡って途中で敵を迎え撃てば、きっと負けはしないだろう。もし君の計に従うなら、士衆は散り散りになって、坐して敵の至るを待って君臣ともに降伏する以外に手がなくなり、誰一人として国難に死ぬことさえもできない。それは屈辱ではないか」
三月、張悌らは長江を渡り、楊荷において（晋側の）王渾の部将である都尉の張喬を包囲した。張喬の部隊はわずかに七千で、（抵抗することなく）柵を閉ざして降伏を願い出た。諸葛靚はそれを殲滅させてしまおうとした。張悌は、「強敵が目の前にあるのだから、小さな事に関わっているのはよろしくない。それに降伏しようとする者を殺すのは不祥だ」と言った。諸葛靚は、「あの連中は救援の兵がまだ来ないので、いまは力が弱くて敵わないために、偽り降って我らの士気を緩めようとしているだけです。真に降伏するものではありません。もしこれを放置して進んだなら、必ず後の患いとなります」と言った。張悌はそれに従わないで、張喬の降伏を受け入れて進んだ。
張悌は（晋側の）揚州刺史の周浚と互いに陣を敷いて向かい合った。沈瑩は丹楊の鋭卒や刀楯［武装歩兵］の五千を率いて、晋軍を三度攻撃した。晋軍は動かなかったので、沈瑩は退却した。呉軍は混乱し、それに乗じて（晋の）将軍の薛勝、蒋班が進んだ。呉の兵は次から次へと奔り、軍団は崩壊し、将帥はそれを制止できなかった。（楊荷の柵の内に籠っていた）張喬は後方から呉軍を攻撃し、呉の兵は版橋で大敗した。
諸葛靚は数百人を率いて逃げ、人を遣わして張悌を迎え入れようとした。張悌は動こうとしなかった。諸葛靚は自ら出向いて張悌を牽こうとし、「存亡には自ずと大数［大きな定め］があります。卿一人の支えられるところではありません。ここで自ら死を選んでもどうにもならない」と言った。張悌は涙を流し、「諸葛君よ、今日は私が死ぬ日であるのだ。私は子供のときに、卿の家の丞相［諸葛瑾］殿にお認めいただいたことがあった。私はいつも、我が死に場所を得ないままに、名賢に知られたことに背いてしまうのを恐れていた。いま身をもって国に殉じる、それ以外にもはや言うべきことはない」。諸葛靚は再三にわたって牽いて行こうとしたが張悌は動かなかった。諸葛靚は涙を流しながら去り、百歩余り進んで振り返ると、すでに晋兵のために殺されるところであった。合わせて孫震、沈瑩ら七千八百人が斬られ、呉の人々は大いに震駭した。
晋の皇帝の初めの詔書では、（蜀側から長江を下った）王濬は建平を下した後は杜預の指揮下に入り、建業に至ったならば王渾の指揮下に入ることになっていた。杜預は江陵に至ると、諸将に言った。「もし王濬が建平を得たならば、そのまま流れに従って長駆するのがよく、そうすれば王濬の威名は著しく上がってゆくであろうから、もはや私の指図を受けるのはよろしくない。もしも王濬が勝てないようなら、私が指揮したからといってどうにかなるものでもない」。王濬が西陵に至ると、杜預は次のような手紙を与えた。「そなたはすでに呉の西の守りを砕いたので、ただちに進んで建業を取るべきである。累世の寇を討ち、呉の人々を塗炭の苦しみから解き放ち、遠征軍を率いて都に帰還すればよろしい。これぞ歴史に稀なことではなかろうか」。王濬は大いに悦び、杜預にそのようにするとの返書を送った。
（一方で東方では呉の）張悌が敗死すると、（晋の）揚州別駕の何惲は周浚にこのように言った。「張悌は呉の精兵を全て率いて全滅しました。いまや呉の朝野は皆が震え上がっています。一方で王濬殿はすでに武昌を破り、勝ちに乗じて東へと進み、向かうところすべてで勝利しています。呉はすでに崩壊の様相を呈しています。我らは速やかに兵を率いて長江を渡り、直ちに建業を目指すべきです。大軍がにわかに至れば、敵は肝を潰し、戦わずして禽にできましょう」。周浚はその謀を善いと考え、何惲から王渾に申し出させた。王惲は、「私は事機に暗いので、己を慎んで咎を受けるのを免れようと思っておるのだ。その謀に私を従わせようとはしないでくれ」。周浚はさらに強く言わせた。王渾は果してこのように応えた。「私が受けた詔には、江北に駐屯して呉軍に抗し、軽々しく進まないようにとある。周浚殿は勇武であるけれど、単独で江東［呉の中心部］を平定できるものではあるまい。いま陛下の命令に違えれば、勝ってもよいとはされないし、勝たなかったならばその罪は重くなる。詔では王濬殿は我が指揮を受けることになっている。貴君は船を具えて、王濬殿と一緒に長江を渡るのがよいだろう」。何惲は言った。「王濬殿は万里にわたって寇に勝利しています。すでに功業を成し遂げていながら人の指揮下に入るなど聞いたことがありません。あなたさまは上将であります。よろしいところを見て進むべきであって、いちいち詔が届くのを待っているべきではありません。いまこの勢いに乗って長江を渡るなら、十全の勝ちを得るのに、何を疑い何を慮ってぐずぐずと進まずにいるのですか。地位の下の者の意見に従うのは悔しいと思っておられるからなのでありましょうか」。王渾は耳を貸さなかった。
【補足】（1）呉の丞相である張悌が呉の主力を率いて長江を渡って戦ったのは、天下分け目の一大決戦であった。呉側はすでに敗色濃厚であったけれど、もしもそこで勝利していたならば戦争は長期化していたかもしれない。しかしながら、呉軍はあっさり崩壊してしまった。張悌自身は悲壮の覚悟で戦いに臨んだのだが、兵士の志気はすでに著しく低下していたのだろう。
（2）晋軍は勝利を重ねつつも、西で指揮する杜預と東で指揮する王渾の姿勢は極めて対照的であった。杜預に励まされて王濬は思う通りに進軍し、何惲はせっかくの策を王渾によって潰されてしまった。ビジネスの世界においても、上からの指示を待つばかりで現場の提案を聞き入れない上司のためにチャンスを逃してしまうということは少なくないであろう。
【訳文】
［280-02の三］王濬は武昌から流れに従って直ちに（呉の都）建業へと向かった。呉主は游撃将軍の張象を派遣して一万人の舟師を率いてそれを防がせた。張象の兵は敵の旗を見るとすぐに降参した。王濬の軍団は長江に満ち、旗は天に輝き、その威勢は甚だ盛んで、呉の人々は大いに懼れた。
呉主の嬖臣［お気に入りの臣下］の岑昏は、傾険諛佞［媚びへつらって人を陥れるのを得意とする］によって九列［国のナンバーナイン］の位に昇り、好んで功役［建設土木事業］を興し、民衆を苦しめていた。晋軍がまさに至ろうとしたときに、殿中の親近の数百人が叩頭して呉主に願った。「北の軍団が日々に近づいています。しかし、我らの兵士は刃を挙げようとしていません。陛下はどうなさるのでしょうか」。呉主は言った。「それはどうしてなのだ」。「岑昏がいるからです」。呉主はつぶやいた。「そうならば、奴をもって人々に詫びねばならないのか」。人々は、「かしこまりました」と言って、皆が立って岑昏を捕らえた。呉主はあわあわと止めようとしたが、すでに岑昏は殺されていた。
陶濬は（広州で反乱を起こしていた）郭馬を討つために進んでいたが、武昌に至ったところで晋軍が大々的に入ってきたと聞き、兵を引いて東に還った。建業に至ると、呉主は陶濬を引見して水軍の状況を尋ねた。陶濬は、「蜀の船はいずれも小さく、いま二万の兵をもって大船に乗って戦うなら必ず破ることができましょう」と言った。ここにおいて兵士を集め、陶濬に節鉞［指揮官のしるし］を授けた。明日に発つというときになって兵士は逃げ去ってしまった。
このとき王渾、王濬および琅邪王の司馬伷はいずれも呉の都の近傍にいた。呉の司徒の何植、建威将軍の孫晏は印節［指揮官のしるし］を送って王渾のもとに詣でて投降した。
【補足】陶濬が広州に派遣された経緯は通鑑279-05で見ている。陶濬の報告はでたらめであり、兵士に戦う気は全くなかった。この件に象徴されるように、呉の体制は完全に崩壊していた。
【訳文】
［280-02の四］呉主は光禄勲の薛瑩や中書令の胡沖らの提案に従い、使者を派遣して王渾、王濬司馬伷に手紙を送って降伏することを願い出ることにした。群臣に対して文書を発し、呉主は深く自らを咎め、このように言った。「今や大晋が天下を平治し、英俊はそのもとで節義を立てるときである。新たな王朝に仕え、新たな暦を用い、それぞれに志を損なうことがないように」
使者はまず璽綬を司馬伷に送った。壬寅、王濬の船団が三山［建業近郊の山］を過った。王渾は王濬に使者を派遣して、「すぐにこちらに来て話をしようではないか」と呼んだ。王濬は帆を挙げてただちに建業へと進み、王渾には、「追い風にあおられて停泊できません」と返事した。
この日、王濬の遠征軍は八万、舟は百里に連なり、太鼓を打ち鳴らしつつ石頭［建業を臨む山］から上陸した。呉主の孫皓は面縛し櫬を輿い［皇帝が降伏するときのスタイル］、軍門に詣でて降参した。王濬は縛りを解き、櫬を焚いて、招いて会った。王濬は呉の地図と戸籍簿を得た。獲得したのは州が四、郡が四十三、戸数が五十二万三千、兵が二十三万であった。
【補足】抵抗する力を失った孫皓には降伏する以外の手段は残されていなかった。王濬は王渾の制止を無視して呉の都に入城し、孫皓は王濬の前にひれ伏した。通鑑263-08で見た蜀の皇帝の降伏と同じシーンが再現されたのだった。
【訳文】
［280-02の五］朝廷に呉が平定された報せが届くと、群臣は皆が宮中に詣でて祝賀した。皇帝は爵を執って涙を流しながら、「これは羊祜の功績である」であると言った。
驃騎将軍の孫秀は祝賀には加わらず、南に向かって涙を流し、「昔、孫策様はわずか弱冠のときに校尉の地位から国を創る事業を始められた。それを今や後主［孫皓のこと］は江南を挙げて棄ててしまった。宗廟山陵［皇室の廟と墓］はこれで廃墟となってしまう。『悠悠たる蒼天、此れ何人か』」と。言った。
呉がまだ降る前に、大臣は皆が軽々しく進むべきではないと言い続け、張華だけが、「必ず勝てる」と堅く主張していた。賈充は（征伐が進行中にも）このような文章を皇帝に提出していた。「呉の地はまだことごとく定めることはできません。夏になりますと、長江、淮河のあたりは低く湿っているので必ず疫病が発生します。諸軍を召還して、また後に図るべきです。張華を斬っても天下に謝るには足りません」。それに対して皇帝は、「この遠征は我が意である。張華はただ朕と同じであるだけだ」と言った。荀勗も奏上して、賈充の言う通りにすべきだと言った。皇帝は従わなかった。杜預は賈充が遠征を罷めるよう願っていると聞くと、固く争う急使を派遣した。その使者が轘轅［洛陽の近く］に至ったときに呉は降伏した。賈充は慚じかつ懼れ、宮門に詣でて謝罪した。帝は慰撫して不問に付した。
【補足】（1）呉平定の最大の功労者は羊祜であると司馬炎は回顧した［→通鑑278-12］。
（2）南を見て泣いた孫秀は孫皓の従弟である。孫皓のライバルと目されていて、身の危険を感じて10年前に晋に逃亡していた［→通鑑270-08］。孫秀が唱えたのは『詩経』に収められている「黍離」という詩の一節。国が滅んだ後に、青空は変わらないのに、都をこのようなありさまにしてしまったのは誰なのかと嘆いたものである。孫秀は「あの大馬鹿野郎が」とはらわたが煮えくりかえるような思いであったろう。
（3）驚くべきことに、呉の討伐作戦のさなかにも賈充は反対し続けていた。無定見の賈充を皇帝はなおも厚く用い続けたのだから、それまた驚くべきことである。
【訳文】
［280-02の六］夏、四月甲申、詔をもって孫皓に帰命侯の爵位を与えた。
乙酉、大赦を下し、（太康に）改元した。大酺［大祝賀会］すること五日。
使者を荊州や揚州に派遣して撫慰した。呉が任命した牧や守以下の官員をそのままの地位に留め、苛政を除き、簡便な統治をするよう命じた。呉の人々は大いに悦んだ。
（広州で反乱を起こしていた）郭馬の討伐を命じられていた滕脩はまだ勝利できないうちに晋が呉を攻撃したと聞き、兵士を率いて国難に赴こうとした。巴丘に至ったところで呉が亡んだと聞き、喪服を着て涙を流した。また広州の方に戻って、広州刺史の閭豊、蒼梧太守の王毅とともに印綬を送って晋に降ろうとした。孫皓は（交州牧の）陶璜に対して、その子の陶融に手紙を持たせて派遣し、晋に降るよう陶璜に諭した。陶璜は数日泣き続けた後に、晋に印綬を送って降った。晋の皇帝は皆を元の職のままに留めた。
王濬が東に下ったとき、呉の町はいずれも風に靡くように降伏したのだが、建平太守の吾彦だけは城を守って下らなかった。呉が亡んだと聞くに及んで吾彦も降伏した。皇帝は吾彦を金城太守にした。
初め、朝廷は（呉の皇族の）孫秀、孫楷を特に優遇して呉の人々を招こうとした。呉が亡ぶと、孫秀は伏波将軍に孫楷は渡遼将軍にそれぞれ降格となった。
琅邪王の司馬伷は孫皓とその一族を洛陽に送り届けた。五月丁亥朔、孫皓は洛陽に至ると、皇太子の孫瑾らとともに泥頭面縛［首に泥を塗り後ろ手に縛る］して東陽門に詣でた。詔をもって使者にその縛りを解かせ、孫皓に衣服、車、農地三十頃を与えるとともに、年ごとに銭や穀物、綿や絹を手厚く与えることにした。孫瑾を中郎に、諸子で王であった者を郎中にした。
呉で人望のあった者はその才能によって選抜して官職を与えるとした。また、呉の将吏で長江を渡って帰順した者は十年、呉の庶民で長江を渡って帰順した者は二十年、それぞれ賦役や租税を免除するとした。
庚寅、皇帝は宮殿の軒に臨んで大勢の者を謁見した。文武の官位のある者、四方からの使者、国子の学生が参加した。人々の前で、帰命侯の孫皓および呉の降人を引見した。孫皓は登殿して稽顙［地に触れて拝す］した。皇帝は孫皓に、「朕はこの座［皇帝の隣の席］を設けて卿が来るのをずっと待っていたのだ」と言った。孫皓は、「臣は南方において、やはりこの座［皇帝の席］を設けて陛下のお越しを待っておりました」と言った。賈充は孫皓に、「聞けば貴君は南方おいて人の眼を鑿ったり人の顔の皮を剥いだりしたというが、それはどのような刑罰であるのなか」と言った。孫皓は言った。「人臣としてその主君を弑したり、奸にしてその主君に不忠である者には、この刑を加えるのであります」。賈充は黙って甚だ愧じた様子を見せ、孫皓の顔色には怍じらいはなかった。
皇帝はあるとき穏やかに散騎常侍の薛瑩に孫皓が亡んだ理由を尋ねた。薛瑩は答えた。「孫皓は小人を近づけ、刑罰を濫用したために、大臣や諸将は自身を保つことができませんでした。それで亡んだのであります」。後日、同じことを吾彦に尋ねると、「呉主は英俊で、補佐する大臣は賢明でありました」と答えたので、皇帝は笑いながら、「もしそうであったならばどうして亡んだのだ」「天より与えられた禄がとうとう尽き、運命の定める時が至ったために、陛下の禽になったまでであります」。皇帝はその答えを善しとした。
【補足】（1）晋の皇帝の前にひっぱり出された孫皓は、かつての劉禅［→通鑑264-07の二］と比べると元の皇帝らしく堂々と振る舞ったようである。とくに賈充をやり込めたのは小気味よい。賈充が魏の皇帝を刺し殺すよう部下に指示したのは［→通鑑260-03］、まさしく「人臣としてその主君を弑し、奸にしてその主君に不忠」と批判されてしかるべき行為であった。
（2）薛瑩は呉主に降伏を勧めた人物［→通鑑280-02］。その後、晋に帰順していた。薛瑩は呉の亡んだ要因はもっぱら呉主にあるとしたのに対して、吾彦は呉主のせいにはしないで運命の定めるところだとした。吾彦が最後まで降伏しなかったことを合わせてみるなら、皇帝の立場からして吾彦の方が信頼できる人物といえるだろう。
【訳文】
［280-02の七］王濬が（呉の都の）建業に入ったときのこと、王渾はその翌日になって長江を渡った。王渾が至るのを待たずに王濬は先に孫皓の降伏を受けたので、王渾は甚だ愧じかつ怒った。王渾は王濬を攻撃しようとした。何攀は王濬に勧めて、孫皓を王渾のもとに送らせた。これによって事態は大事には至らなかった。
（王渾側の）何惲は王渾と王濬が功を争うのを見て、（上司である）周浚に次のような手紙を送った。「『書経』は譲ることを貴び、『易経』は謙譲の光は大きいとしています。先に（王渾が）張悌を破ったことで呉の人々は戦意を失いました。それによって王濬殿は呉国を陥れることができました。この前後のことを論じれば、我らは（張悌を破ったことに満足して）軍の勢いを緩めてしまったために機会を失い、事を成し遂げられなかったのです。ここで我らが功を争い続け、王濬殿が声を呑み込まなかったならば、大いなる和合を欠いて、自己を誇り合う卑しい争いを引き起こしてしまいましょう。これは愚かな私の心では取ることのできないものであります」。周浚はこの手紙を得ると、王渾を諌めて争いを止めようとした。王渾はそれを聞き入れなかった。
王渾は朝廷に文書を提出し、「王濬は詔に違反して私の指揮を受けませんでした」として、その罪状を並べた。王渾の子の王済は、（皇帝の娘である）常山公主の夫であったので、その一族は勢いが盛んであった。有司［関係部署］は（王渾の意向にそって）、「檻車［容疑者を護送する車］に収めて王濬を召し出しましょう」と奏上した。皇帝はそれを許さなかった。皇帝は詔書をもって、王濬が王渾の命令に従わないで、制止するのを無視して己の利を貪ったことを責めた。王濬は上書して自身の理を明らかにした。「先に詔書を頂戴しましたところ、臣は直ちに秣陵［建業］に至るようにとあり、また太尉の賈充の指揮を受けるようにともありました。臣は十五日に三山に至り、王渾の軍が長江の北岸にあるのを見ました。王渾から手紙が届いて、臣を迎えたいとありました。ところが、臣の水軍は風に吹かれて勢いに乗り、たちまち賊の城に至ったために、船を回らせて王渾のもとへと回ることはもはやできなくなってしまったのでした。臣は日中のうちに秣陵に至り、夕暮れになってから王渾の下す指揮を受けるようにとの符［指示書］を受け取りました。そこには臣に、明日十六日に全軍を率いて引き返して石頭城を囲むように、また（王濬の指揮下にある）蜀兵および鎮南諸軍の名簿を提出するようにとありました。臣が考えますに、孫皓はすでに降伏しているのに石頭城を囲むのは意味がなく、兵士の名簿はすぐに作れるものではないので、いずれもいまの急務ではなく、たとえそれを承引しなくても敢えて正しい指令を棄てたわけではないと判断しました。このとき孫皓は人々に叛かれ、親しい者は離れ去ってしまって、ただ独り坐し、雀や鼠のように生を貪って、とにかく活かしてほしいと乞うだけのありさまでありました。長江の北にいる諸軍はそうした実情を知らずに、孫皓を早くに縛取しようとはしないで、自ら誤りを犯したのでした。臣が先に至ってすぐに孫皓を得たことで、さらに怨まれ怒りを買ってしまったのであります。さらに、『我らは賊と対峙すること百日、ところが手柄を他人に取られてしまった』と口々に言っております。臣は愚かながらにも思いますに、主君に仕える道とは、もしも国家に利となるのなら、死をもってしても行うということでありましょう。嫌疑を被らないようにと顧みたり、責任を追及されるのを避けようとしたりするのは、人臣として不忠のためにはなりはしても、明主や国家の福となることではないのであります」
王渾は周浚の報告書を朝廷に差し出した。そこには、「王濬の軍は呉の宝物を得た」とか、「王濬の牙門将の李高は火を放って孫皓の宮殿を焼いた」とか書いてあった。
王濬はそれに対して朝廷に文書を出した。「臣は独り立つ人間でありまして、強い勢いを誇る一族に恨まれております。君主に対して犯した罪であれば、まだしも救われることもあるでしょうけれど、顕貴の臣の意を損ねた場合の禍は測り知れないものがあります。呉の郎将の孔攄はこのように言っております。『去る二月、（呉は）武昌を守ることができず、（晋の）水軍が（都に）至ろうとしたので、孫皓は石頭城を巡視した。皇帝に従う者は皆が刀を勇ましく振り回して大きな声で、「陛下のために死にもの狂いで戦って勝ってみせます」と叫んだ。孫皓は大いに喜び、きっとそうなるだろうと思って、金宝を出してそれらの者に与えた。小人は無状というが、人々は金宝を得るとすぐに走り去ってしまった。孫皓は懼れをなし、降伏することを決めた。降伏の使いが出て行くと、宮中にいた人々は財物を掠め取り、女性を略奪し、宮殿に放火した。孫皓は命からがら逃げ、もう死ぬしかないと恐れた』。臣はそのようなことの後で宮殿に至り、参軍の主だった者を使ってその火を消し止めたのでした。実はそれよりも先に周浚は孫皓の宮殿に入っていて、やはりそれよりも前に孫皓は王渾の船に乗ったのでした。つまり、臣が宮殿に入ってその様子を見たのは、そのどちらよりも後なのであります。孫皓の宮殿には王座さえもないようなありさまで、もしも遺された宝物があったとしたら、周浚と王渾が先に得ていたはずです。さらに周浚らはこのようにも言っています。『臣が蜀の人々を集め、すぐに孫皓を送らなかったのは叛く意図があったからだ』とか、『呉の人々に向かって、臣が全員を誅殺してその妻を奪うと脅しをかけ、呉の人々が乱を為すのに乗じて自身の欲望を図ろうとした』とか。謀反の大逆さえ図ったかのように話を大きく作ってしまうのですから、それ以外の誹謗はいくらでもするのでありましょう。今年は呉を平定して、誠に祝うべきでありますのに、臣の身だけは咎を受けなければならないのであります」
王濬が都に至ると、有司は奏上した。「王濬は詔に違反し、大いに不敬を為しました。廷尉［罪科を取り調べる部署］に付して罪を糾弾すべきです」。皇帝はそれを許さなかった。またこのようにも奏上した。「王濬は敵を赦した後にも賊船を百三十五艘も焼きました。ただちに廷尉に付して追及すべきです」。皇帝はそれも許さなかった。
王渾と王濬は功を争い続けた。皇帝は守廷尉の劉頌にその事について判定させた。劉頌は、王渾を上功、王濬を中功とした。皇帝は劉頌の判定は理を失っているとして、京兆太守に左遷した。
【補足】王渾と王濬の言い争いが延々と続いた。王渾は呉の主力と戦って勝利し、王濬は7年越しの準備の末に遠くから敵の脇腹を衝いて敵の防衛体制を崩壊させた。どちらにもそれぞれに言い分があるのだろうけれど、『資治通鑑』の記事を読む限りでは、王渾は難癖をつけているだけでひどくみみっちいとしか言いようがない。
【訳文】
［280-02の八］庚辰、賈充に八千戸を増し与え、王濬を輔国大将軍にして襄陽県侯に封じた。杜預を当陽県侯に、王戎を安豊県侯に、琅邪王の司馬伷の二人の子を亭侯に封じた。京陵侯の王渾に八千戸を増し与え、爵を進めて公にした。尚書関内侯の張華を広武県侯に封じて一万戸を増し与えた。荀勗は詔を起草した功績で、その子を亭侯に封じた。そのほかの諸将および公卿以下にもそれぞれ賞が与えられた。皇帝は呉を平定したことを羊祜の廟に報告して、その夫人の夏侯氏を万歳郷君に封じて、五千戸を与えた。
王濬は自身の功績が大きいにもかかわらず、王渾父子とその一党によって抑圧されてしまったので、皇帝のお目通りを得るたびに、その攻伐の労と真実が曲げられたことについて述べ、憤懣に堪えないありさまで辞去の挨拶を行う前に退出した。皇帝はいつもそれを容認していた。益州護軍の范通は王濬にこのように言った。「卿の功績はすばらしいく美しいものです。しかしその美はいま最善であるとはいえません。卿が凱旋した日に、御自身の屋敷で静かにくつろいで、自分の口からは呉を平定したことについては言わずいて、もしも人から問われたならば、『聖人の徳、群帥の力によるもので、私には何の力もありませんでした』と応じていたならば、かの藺相如が廉頗を屈服させたのと同じようにして、王渾も愧じずにはいられなかったでありましょう」と言った。王濬は、「私は鄧艾の事に懲りて、禍が我が身に及ぶのを懼れるあまり、無言でいることができなかったのです。胸中にあるものを出さずにはいられないのは、私の心の狭さによるものです」と言った。
人々は王濬の功は重いのに報いられることが軽いのを憤慨した。博士の秦秀らは皆が王濬が屈せられていると朝廷に訴えた。皇帝は王濬を鎮軍大将軍に遷した。王渾は王濬の屋敷を訪ねたが、王濬は厳重な防御の備えをしてから会った。
杜預は襄陽に還ると、「天下は安らかになりはしたけれど、戦を忘れると必ず危うくなる」と考え、武芸に励むことを勧め、戍の守りを厳重に続けた。また滍水、淯水から水を引いて一万頃余りの農地を灌漑し、揚口を掘削して遠く零州、桂州からの船も上ってこられるようにし、公私ともにこうした事業の恩恵を受けた。杜預自身は馬に跨ることもなく、的に射当てることもできなかったけれど、将兵を動かして勝ちを制することでは他の将軍たちの及ぶところではなかった。杜預は襄州にいる間にしばしば洛陽の重臣たちに贈り物をした。ある人がそのことについて問うと、「私は害を与えられるのを恐れているだけで、益を求めているのではありません」と、答えた。
王渾は征東大将軍になり寿陽を統治した。
諸葛靚は（呉が滅亡した後は）逃げ隠れて姿をくらましていた。皇帝は諸葛靚とは昔馴染みで、諸葛靚の姉は琅邪王（司馬伷）の妻であった。皇帝は諸葛靚が姉のところにいると知って、琅邪王の屋敷に行って会おうとした。諸葛靚は廁に逃げ込み、皇帝はそれを追って無理やり顔を合わせ、「今日また君を見るとは思わなかった」と言った。諸葛靚は涙を流し、「臣は（昔の予譲のように）体や顔に漆を塗って（変身して主君の仇を討とうと）することもなく、再び聖顔［皇帝の顔］にまみえてしまい、誠に恥ずかしい限りであります」と言った。詔をもって諸葛靚を侍中にしたが、固く辞退して郷里に帰り、死ぬまで朝廷の方角に向かって座ることはなかった。
【補足】（1）王濬は鄧艾のようになってしまうのを恐れていた。蜀を平定した鄧艾が冤罪によって誅殺されたことについては通鑑273-06などで見ている。そのとき鄧艾は70歳を超えていた。王濬はこのとき75歳、長年の苦労が稔ってついに得た功名を讒言によって失ってしまうのを非常に危惧したことはよく理解できる。王濬の強硬な姿勢を范通はたしなめたのだが、そこまでしなければ王濬は身の安泰を保てなかったのかもしれない。
（2）諸葛靚は厳しい人生を歩んだ人であった。これより23年前のこと、父の諸葛誕が司馬氏に反旗を翻したときに、呉からの救援を引き出すために人質となって呉の都に行った［→通鑑257-03］。諸葛誕は敗死し、諸葛靚はそのまま呉に残り、その後は呉の武将として活躍した。晋と最後の決戦の際に、戦場で死のうとする張悌を何とか連れて帰ろうとしたことは通鑑280-02の二で見ている。諸葛靚は司馬伷のもとに投降し、それで姉の庇護下にあったのである。諸葛靚は父と主君の仇である司馬氏の天下のもとでなお生きている己を恥じ、諸葛靚に無理やり会った司馬炎は、諸葛靚の言葉に逆に無理強いをした自身の振る舞いを恥じたと伝えられる。
【訳文】
［280-03］六月、丹水侯の司馬睦を高陽王に戻した。
［280-04］秋、八月己未、皇弟の司馬延祚を楽平王にしたが、すぐに亡くなった。
［280-05］九月庚寅、賈充らは天下を統一したことをもってしばしば封禅を願った。皇帝は許さなかった。
［280-06］冬、十月、前将軍青州刺史の胡威が死んだ。胡威はかつて朝廷の尚書であったときに、当時の政治が弛緩していると皇帝を諌めたことがあった。皇帝が、「朕は尚書郎以下の者に対して仮借なく厳しく見ておるぞ」と言うと、胡威は、「臣が申し上げているのは、丞、郎、令史といった（比較的低い地位の）者のことでありません。まさに臣のような（高位にある）者について言っているのです。そこを引き締めて法を明らかにすべきであります」と応えた。
【補足】（1）司馬睦が王から侯に地位を落とされたことは通鑑277-05で見ている。その処分を赦したのである。
（2）封禅とは皇帝が泰山に登って天の神、地の神を祀る儀式。最高の統治者だけができる最高の儀式とされ、過去には秦の始皇帝、前漢の武帝、後漢の光武帝などが行っていた。後漢が亡ぶ大きな要因となった黄巾の乱が勃発したのは西暦184年で、それから約100年を経て天下統一の大事業が成し遂げられたので、賈充らは封禅を行うよう皇帝に勧めた。封禅は大行列を組んで泰山まで往復する一大事業で、民衆にとっては大迷惑で、天下統一を終えたばかりの晋の実態としてはそれを挙行するだけの体力はなかったであろう。賈充らもそれは承知で、皇帝に媚びて勧めただけなのだろう。
（3）胡威の言葉をここに引いているのは『資治通鑑』の編者の巧みな演出である。胡威は目立たない存在で、普通ならその死去の記事を『資治通鑑』が収録することはない。賈充らが封禅を勧めた記事の後に、ぜひとも胡威の言葉を並べておきたかったのだろう。先の杜預が賄賂を贈らなければならなかったことと合わせて見るなら、賈充を中心とする晋の朝廷がいかにだらしない状態になっていたかがわかってくる。「聖人でなければ、外側が安泰になると内側に憂いがある」と言った山濤の言葉［→通鑑［279-06の二］を思い起こせば、天下統一を成し遂げながらも晋には早くも陰りが見えていると、『資治通鑑』の読者は察知するのである。
【訳文】
［280-07］この年、司隸の統治するところの郡に司州を置いた。全部で十九州あり、郡国は百七十三、戸数は二百四十五万九千八百四十であった。
［280-08］詔を下した。「昔、漢の末に天下が分裂してからは、刺史［州知事］は内側では民政を自身で見て、外に対しては軍団の指揮もした。いま天下が一つになり、武器を収めることとなった。ここに刺史の職分を漢代の通りに戻す［州以下のレベルの行政官の監督をするだけで軍事に関わることはない］。また、州郡の兵を全てなくし、大郡には武吏を百人、小郡には武吏を五十人置く」
交州牧の陶璜はこれに対してこのように申し上げた。「交州と広州を合わせると東西数千里にもわたりますが、国の号令に従わない者が六万戸余りあり、官の賦役に服する者はわずかに五千戸余りでしかありません。二つの州は脣と歯の関係にあり、これまではもっぱら兵力によって鎮めてきたのであります。また寧州には諸夷［各種少数民族］が上流側の各地に接し合っていて、水路でも陸路でも交州や広州と通じています。いまは州兵を減らし、軍備が虚ろになっているのを諸夷に対して見せるべきときではありません」と言った。僕射の山濤もまた、「州郡の武備を去るのはよろしくありません」と言った。しかし、皇帝は聴かなかった。
永寧［これより十年後の元号］以後、盗賊が群れ立って起こり、州郡には備えがなく、盗賊を制御したり捕えたりすることができなくて、ついには天下大乱となった。山濤が懸念した通りになってしまったのである。そして、刺史はまた民事と軍事を兼ねるようになり、州鎮はますます重みを持つようになった。
【補足】（1）司馬炎は呉を滅ぼした後に幾つかの国政改革を行った。ここにある軍備の大幅削減もその一つ。本来、民政と軍政は分離していたのだが、後漢の終わりに天下は騒乱状態となって、地域の実力者が民政も軍政も掌握して群雄が割拠した。司馬炎は国の態勢を平時に戻そうとしたのである。しかし、事を急ぎ過ぎたようである。
（2）陶璜はもとは呉の官僚で［→通鑑280-02の六］、土地の事情に通じていた。交州や広州は中国大陸の南端部に位置し、国の号令の及ばない多数の先住民がいて、呉はその統治に苦労した。その経験から、全国一律に州の軍備を大幅に削減するのは危険であると陶璜は上言した。すぐ次に見るように北方でも同様であったのだろう。そうした現場の事情を無視して、司馬炎は国家太平の策を押し付けた。それは皇帝の指導力を発揮したという一面もあったといえるのだろうが、いささか危険でもあった。
（3）最後の段落は編年体の史書としてはルール違反の「予言」であろう。結果として州兵を大幅に削減したのは失敗だったことになるのだろうが、そのことについて王夫子は『読通鑑論』でいささかわかりにくい議論を展開している。それを強引に要約すると次のようになるだろうか。「陶璜や山濤が軍備削減に反対したのは、後から見るとその指摘は当たっているようではあるが、天下の兵乱がようやくおさまったときに、民衆をなおも戦時体制下に置き続けることできない。長い目で見ると、三国時代からの騒乱は、晋の天下統一で鎮まることなく、ずっと後の隋の終わりにまで及び、ようやく唐の初めに至って終わった。そのようになったのは、社会の下の方に乱を喜ぶ気風が長くあり続けたからである。晋のときに一時的に平和になりはしたものの、上の者は欲に走って富貴を喜ぶだけで、自身および民衆を教化しようとしなかった。まずは帝王からして改めなければ長く続く平和を構築するのは不可能なのである」。聖人による政治を理想とする儒学の伝統に則ると、上からの教化が肝要であるということになるのだろう。司馬氏は魏から皇位を奪う段階で、朝廷の重鎮に親孝行の権化のような道徳的に優れていると見られる人々を並べ、新しい政治のあり方を示して人心を掌握しようとしたので、王夫子の議論に添うようなところもあった。しかし、皇帝および朝廷の上層部の実態は全く違っていたことは、この後でたっぷり見てゆくことになる。
【訳文】
［280-09］漢や魏の時代から、羌、胡、鮮卑の諸族で中国に降った者の多くが国境より内側の諸郡に居住した。その後その者たちは忿恨［怒りと恨み］からしばしば長吏［地方の長官］を殺害するなどして、次第に民の患いとなっていった。侍御史の郭欽は次のような文書を朝廷に提出した。「戎狄［北方諸民族］は強獷［強く荒々しい］で、昔から国の患いとなっていました。魏の初めには中国の民が減少したために、西北の諸郡はどこも戎の居住地となり、さらに内側の京兆、魏郡、弘農のあたりにまでも往々にして戎が入り込みました。いまは服従してはいても、もしも百年の後［実はもっと近未来］に風塵の警［戦争の勃発をいう］があったならば、胡騎［諸民族の騎兵］は平陽や上党から三日も経たないうちに孟津［洛陽に近い渡し場］に至り、北地、西河、太原、馮翊、安定、上郡はことごとく狄の庭となってしまうでありましょう。呉を平定した武威と、謀臣や猛将の知略をもって、国内にいる雑胡［諸民族］を国境外に移し、四夷［四方の外国］の侵入を厳重に防ぎ、古の先王が諸外国を制した策を明らかにするよう願うものであります。これは万世にわたって長く国を保つ策となりましょう」。皇帝はこれを聴かなかった。
【補足】かつて朝廷の重鎮は、北方諸民族に対する備えの方が急務であるとして呉を討伐することに反対し、それに対して羊祜は、「呉を平定できれば、胡は自ずと定まる」と主張していた［→通鑑276-06］。郭欽はいまこそ北方諸民族への対策に力を注ぐべきだと主張したのだが、軍備削減に走る司馬炎はこの提議も無視した。なお、郭欽の文章も『資治通鑑』の記述も北方諸民族への偏見に満ちていることは否定できない。「忿恨」は魏や晋の政策が生み出したもので、中国内に入った北方諸民族は厳しく抑圧され、次第に奴隷のような状態に落とされていった。ひとたび火が付けば、郭欽が警告する通りに、社会をひっくり返すばかりのところにまで「忿恨」は強まっていた。その「忿恨」を束ねる人であると衆望を集めるようになる一人が劉淵［→通鑑279-02］である。
（2）後に見るように、郭欽が「百年の後に」と警告したことはまさに的中するので、その卓見に普通は感心するのだが、王夫子は『読通鑑論』おいて不思議な論法で郭欽を批判している。「孔子は『其の位に在らざれば、其の政を謀らず』［その地位に就いていない者はその職務についてあれこれ議論すべきではない］と言った。郭欽がもしも皇帝の近臣であるならば、大臣たちと内密に議論すればよいだけのことで、自分の見識をひけらかすかのように大っぴらに議論を提示したので、それはあたかも猿に木登りを教えるようなことになってしまった。北方諸民族は郭欽の『平陽や上党から三日も経たないうちに孟津に至る』との言葉に従って中国に侵入し、ついには晋は滅びるに至ったのだ」。つまり、郭欽は国家の弱点をわざわざ敵に明かすようなことをしたと批判しているのである。しかし、郭欽に教えてもらわなくても、攻め込もうとするくらいの者なら誰にでもわかるだろうと思うのだが。
【訳文】
［281-01］太康二年、春、三月、詔をもって孫皓の宮人から五千人を選んで晋の後宮に入れた。皇帝は呉の平定を終えると、もっぱら游宴に耽り、政事を怠った。後宮の人はほとんど一万人になろうとした。皇帝はいつも羊の引く車に乗り、羊の気ままに任せて進み、至ったところで宴を開いて眠りについた。宮人は競って戸に竹の葉をはさみ、地に塩の汁を注いで、皇帝の車を引く羊を誘おうとした。
皇后の父の楊駿や弟の楊珧や楊済が政治に介入して様々な請託を受けたので、その勢いは内外を傾けた。時の人はそれを「三楊」と呼んだ。三楊によってもとの重鎮の多くは疎外された。山濤はしばしば綱紀を引き締めるよう言った。皇帝はそれを知りはしても、改めることができなかった。
【補足】（1）司馬炎は呉を平定すると、一年もしないうちに国家を害するだけの存在に成り下がった。孫皓の後宮から五千人の女性を入れたのは、行き場のない女性に対する麗しい就労対策であったりしたのだろうか。
（2）司馬炎は皇后の一族、つまり外戚を重用した。後漢が衰亡した大きな原因の一つは外戚が政治を乱したことにあった。「三楊」の政治は容易に想像できるように、賄賂の多寡によって請託を受けるものであった。楊珧は一門から二人の皇后を出したことがかえって将来を危うくすると心配していたはずなのに［→通鑑276-07］、率先してろくでもないことをしていたのだから救いようがない。
【訳文】
［281-02］かつて鮮卑族の莫護跋が始めて国境の外側から入ってきて遼西の棘城の北の地に住むようになり、その部族は慕容部と号した。莫護跋は木延を生み、木延は渉帰を生み、遼東の北に移って、代々中国に従うようになった。しばしば従軍して功績があり、渉帰は大禅于［王に相当する］を拝した。
冬、十月、渉帰は初めて昌黎を攻撃した。
【補足】これまで北方諸民族については主として北西方面の情勢が記されてきていたが、これは北東方面の事情である。ここでは鮮卑族の中の慕容部が台頭してきていた。後漢の末から各地に群雄が割拠して武力抗争が激化したときに、北方諸民族の騎馬軍団を重要な軍事力として取り込もうとする者もいた。上の記事で、「従軍して功績があり」とあるのはそのような意味である。群雄に仕えるうちに次第に力を蓄え、ついには中国に反旗を翻すまでに成長したのである。
【訳文】
［281-03］十一月壬寅、高平武公の陳騫が死んだ。
［281-04］この年、揚州刺史の周浚は秣陵［建業］に移った。呉の民でまだ晋に服さない者がしばしば反乱を起こしていたので、周浚はすべて討って平定した。周浚は土地の長老には礼をもって接し、優秀な人材を捜し求めた。周浚は武威と恵みを同時に行ったので、呉の人々は悦んで服した。
【補足】周浚はもとは呉の揚州知事であった人［→通鑑280-02の二］。呉の地を安定的に統治するにはやはり土地の事情に通じる者の力が必要であった。南北の文化、風土の違いは簡単には解消されず、むしろ拡大するようになる。
【訳文】
［282-01の一］太康三年、春、正月丁丑朔、皇帝は南郊で祭祀を行った。儀礼が終わると、ほっと息をつきつつ、司隸校尉の劉毅に、「朕は漢代の帝王でいうと誰に当たるだろうか」と尋ねた。「桓帝、霊帝あたりでありましょうか」と劉毅が言ったので、皇帝は、「どうしてそこにまで至るのか［落ちるのか］」。「桓帝、霊帝は官職を売ってその銭を官の庫に入れました。陛下は官職を売ってその銭を私門［三楊など］に入れておられます。このことからしたら、桓帝、霊帝にさえ及ばないでしょう」。皇帝は大きく笑って、「桓帝、霊帝の世にはいまのような言葉は聞かれなかった。朕には直言してくれる臣がいる。つまりは桓帝、霊帝よりはっきりと勝っているのだ」
劉毅は司隸として豪貴の者たちも憚ることなく糾弾した。皇太子が鼓吹しながら［音楽を演奏しつつ］東掖門から入ったのを、劉毅は（皇帝に対して不敬であるとして）弾劾した。
中護軍散騎常侍の羊琇は皇帝とは旧い馴染みで、禁兵［宮中の兵士］を指揮し、国家の機密に関与すること十年以上に及び、寵遇されていることをから驕って奢侈に走り、しばしば法を犯していた。劉毅は羊琇の罪は死に当たると弾劾した。皇帝は斉王の司馬攸［皇帝の弟］を使って羊琇を許すよう劉毅に私的に頼ませた。劉毅はそれで許した。一方で、都官従事の程衛はすぐに馳せて護軍営に入って羊琇に属する役人を捕らえ、拷問を加えて隠された悪事を調べ、羊琇の犯した狼籍について朝廷に報告し、その後でそのことを劉毅に報告した。（劉毅が許すよりも先に羊琇の悪事が明るみに出てしまったので）皇帝はやむを得ず羊琇を免官にした。しかしその後すぐに、官位はないままながらもとの仕事に戻した。
【補足】晋の支配層の腐敗が進行しつつあるありさまが記されている。劉毅の返答に対して皇帝が笑ったのは、かろうじて帝王としての面目を保とうとしたまでで、本当は天下統一を果たした自分は漢の武帝に相当するとでも言ってもらいたかったのだろう。劉毅はかつて何曽の奢侈を弾劾していた［→通鑑278-13］。奢侈はもはや何曽一人に留まらずにその悪弊に多くの者が染まってしまっていた。羊琇は母の訓戒をよく守ったことで蜀への遠征から無事に帰還した人物［→通鑑264-17］。いまの羊琇の体たらくを見たら母は何と言うだろうか。
【訳文】
［282-01の二］羊琇は景献皇后［皇帝の伯父の司馬師の妻］のおいに当たる。また、後将軍の王愷は文明皇后［皇帝の父の司馬昭の妻］の弟であり、散騎常侍侍中の石崇は石苞［かつての名臣］の子である。以上の三人は財産に富み、奢侈を競って自慢し合った。王愷は（当時は貴重品である）飴を大釜で沸かし、石崇は薪の代わりに（貴重品である）蝋を使った。王愷が紫の糸で長さ四十里の幕を作ると、石崇は錦で長さ五十里の幕を作った。石崇が壁を山椒で塗ると、王愷は赤石脂［珍しい鉱物］で塗った。皇帝はいつも王愷の方を贔屓し、珊瑚樹を与えたことがあった。高さが二尺ほどもあるその珊瑚樹を王愷が石崇に見せると、石崇はすぐに鉄の如意棒で砕いてしまった。王愷は怒り、我が宝を憎むのだなと思った。石崇は、「残念がるまでもないことです。いますぐにお返ししましょう」と言って、使用人に命じて家にある珊瑚樹を全て持ってこさせた。そこには高さが三尺も四尺もあるのが六、七株もあり、王愷の持っていたのと同様のものなら多数あった。王愷はそれを見て呆然として我を失ってしまった。
車騎司馬の傅咸は皇帝に次のような文書を提出した。「古の先王が天下を治めたときには、肉を食べたり絹を着たりするのにも規制がありました。竊に考えますの、奢侈の費えは天災よりも甚だしいものがあります。古は人が多く土地が狭かったにもかかわらず蓄えが十分にありました。それは節約によるものでした。いまは土地が広く人が少ないにもかかわらず蓄えが不足しています。これは奢侈によるものであります。人々に節倹を貴ばせるために昨今の奢侈を咎められますように願います。奢侈を咎めなければ、それはますます昂じて際限がなくなってしまうでしょう」
【補足】王愷と石崇の贅沢競争は史上有名である。傅咸の名は通鑑279-08でも見ていて、その警告は聞くべきものがあるが、奢侈の費えは天災よりも甚だしいかどうかはわからない。支配層が贅沢をするために民衆を酷使すれば反乱を引き起こすことにもなりかねないが、贅沢品を作ることによって経済が潤うということもあるはずで、たぶん当時の都は活況を呈していたのではないだろうか。問題は費えにあるというよりは、奢侈に象徴される精神の弛緩にあるのだろう。
【訳文】
［282-02］尚書の張華は、学問に優れ、才識をもって当時その名は非常に重んじられ、多くの人が、「張華はきっと三公［国のトップスリー］になるだろう」と言っていた。中書監の荀勗、侍中の馮紞は呉を討伐する謀に張華が深く関わっていたことから張華をひどく嫌っていた。
あるとき皇帝は張華に、「後事を託すべきは誰であろうか」と問うと、張華は、「明徳至親［徳があって皇帝に最も近親である］において斉王［司馬攸］様に勝るお方はおられません」と答えた。これによって張華は皇帝の機嫌を損ねた。荀勗はこのことに乗じて張華を譖った。
甲午、張華を都督幽州諸軍事にした。張華は幽州［北京のあたり］に赴任すると、夷［異民族］も夏［漢民族］もともに撫循［民に寄り添って統治する］したので、張華を称える声がますます盛んになった。
皇帝は張華をまた召そうと思ったのだが、馮紞は皇帝に近くにいたときに、何気なく語りつつ、話は鐘会のことに及んだ。馮紞は、「鐘会が叛いたのはほとんど太祖［司馬昭］様に原因があったのでしょう」と言ったので、皇帝は顔色を変え、「卿は何を言い出すのだ」と言った。馮紞は冠を脱いで謝り、「臣は、人を上手に御す者は必ず六轡［四頭の馬につけた手綱］の緩急を巧みに操ると聞いています。孔子は（弟子の個性を見極めて）、積極性のある子路を抑え、消極的な冉求の背中を押しました。漢の高祖は（天下統一に貢献した）五人を王の位に就けて尊重しながらついには滅ぼしました。光武帝は諸将を上手に制御してそれぞれ無事に一生を終えさせました。下の者が活きるか死ぬかは、下の者が愚かであるか賢いかの違いによってではなく、上の者が仁であるが暴虐であるかの違いよって決まります。つまり、上の者が下の者を使う抑揚与奪［操縦術］が重要なのであります。鐘会の才智は実はそれほどのものではなかったのに、太祖様はそれが極りないものであるかのように誇大に褒め、重要な地位を授け、大軍を委ねました。鐘会は、『自分の策は完璧であったのに、その功が正しく賞されていない』と思い込んで、ついには国家に対する反逆を構えてしまいました。最初から太祖様が鐘会の才がちっぽけなものであることをわきまえて、礼法によって節制させ、権威をもって抑制し、規則に従って行動させていたならば、その乱心は生じるはずもなかったのであります」。「確かにそうだな」。馮紞はひれ伏して、「陛下がもしも臣の申すことをそうだと思われますのなら、石橋を叩いて渡るということをどうか思われて、鐘会のような者がまた国の転覆を図ろうなどとはしないようにされますように」と言った。「まさかいま鐘会のような者がいるというのか」。馮紞は近くの者を退けてから、「陛下とともに謀を計画した大臣で、天下に大功が著しく、方鎭［地方の拠点］にいて軍団を指揮している者は、すべて陛下が考慮なさるべきであります」と言った。皇帝は黙り込み、これによって張華を中央に呼ぶことは取りやめになった。
【補足】張華が呉の討伐に賛成した数少ないは朝廷の大臣であったことは通鑑280-02の五などで見ている。反対していたのは賈充とその取り巻きの荀勗や馮紞であった。荀勗や馮紞は皇帝にあれこれ吹き込んで張華を排斥することに成功した。鐘会が蜀の平定に成功した後に反乱を起こしたことは通鑑264-01の二以下に詳しく記されていた。
【訳文】
［282-02］三月、安北将軍の厳詢が昌黎で慕容渉帰を破り、一万人を斬ったり獲たりした。
［282-02］魯公の賈充が老いて病み、皇帝は皇太子を見舞いに行かせた。
賈充は諡によって後世に悪く伝えられるようになるのではないかと心配していた。甥の賈模は、「長い目で見ると、物事の是非は必ず現れます。掩い隠すことはできないのです」と言った。
夏、四月庚午、賈充は死んだ。長男の賈黎民は早くに死んで世継ぎがいなかった。賈充の妻の郭槐は賈充の外孫である韓謐を孫として後を継がせようとした。郎中令の韓咸や中尉の曹軫は諌めて、「異姓の者を跡継ぎにするという礼の定めはありません。いまこれを行うと、先公［賈充］が後世から譏りを受け、地下において恥ずかしく思わねばならなくなりましょう」と言ったのだが、郭槐は聴かなかった。韓咸らは皇帝に、改めて別の者を跡継ぎとして立てるように願う文書を提出したが、皇帝からの返事はなかった。郭槐は皇帝に陳述書を出し、賈充の遺志であると述べたので、皇帝はそれを許し、「国に大きな功績があって公として封じられながら後継者がいないとあっては、皆にとってのよい前例とはならない」との詔を下した。
太常において賈充の諡について議論が行われ、博士の秦秀は、「賈充は礼に悖り情に溺れ、大倫を乱した。『春秋』には『莒の人は鄫を滅ぼした』と記されているが、これは鄫が外孫を跡継ぎとしたので、異姓の者に家の祭祀を継がせるのはよくないとして、その家を断絶させたものであった。賈充は父祖の血筋を絶やし、朝廷の礼を乱すもとを作った。よって諡の法に『紀度を昏乱させた者は荒とする』とあるので、賈充の諡は『荒公』とすべきである」と言った。皇帝はそれには従わないで、改めて諡を「武」とした。
【補足】（1）鮮卑族の慕容部の渉帰が昌黎を攻撃したことは通鑑281-02で見ている。
（2）賈充にはろくでもないことをしてきたとの自覚があったのだろう、諡について心配していた。死後には後継者を巡ってさらなる悪評が加わった。韓謐は賈充の娘の子で、それを跡継ぎとすることがどうしていけないのか我々には理解不能なのだが、家の後継者の重要な任務として先祖の霊を祀ることがあり、異姓の者が行ったのでは先祖は喜ばないと考えられていたのである。賈充が生きている間に韓謐を改姓させておけばよかっただけのことなのだろう。必ずしも評判のよくはなかった妻の郭槐が夫の死後に動いたので摩擦を引き起こしてしまったのだろうか。なお、韓謐は賈謐と改姓し、後に国政に大きく関わるようになる。
【訳文】
［282-05］閏四月丙子、広陸成侯の李胤が死んだ。
［282-06］斉王の司馬攸の徳望は日に日に高まり、一方で、荀勗、馮紞、楊珧らは司馬攸を嫌った。馮紞は皇帝にこのように言った。「陛下は詔を下して諸侯に対してそれぞれの任国に行くよう命じられましたが、それは近親の者から始めてしかるべきでありました。近親といえば斉王様が一番でありますのに、いまも都に留まっておられるのはどうなのでしょうか」。また荀勗はこのように言った。「官僚たちは朝廷の内でも外でも皆が心を斉王様に寄せています。陛下が万歳の後に［つまり死んだ後で］、皇太子様は果たして即位できましょうか。陛下が試しに斉王様に任国に行くよう命じられましたならば、朝廷を挙げてそれはよろしくないと言うでありましょう。つまりは臣の申すことが正しいとおわかりになるでありましょう」。皇帝は同意した。
冬、十二月甲申、詔を下した。「古においては天の定めを受けて諸侯の長となった者は、あるいは都で朝政を助け、あるいは外に出て地方を治め、それは等しく一つのことであった。侍中司空の斉王攸は、政治を補佐して功績があり、王室としての務めを果たしてきたので、大司馬都督青州諸軍事として外に出すことにする。侍中の位はもとのままで、待遇はいままでよりも増す。これまでの制度を勘案して各部署はこれを施行するように」。合わせて、汝南王の司馬亮を太尉にして尚書の事を行わせ、太子太傅も兼ねさせ、光禄大夫の山濤を司徒に、尚書令の衛瓘を司空にした。
征東大将軍の王渾は皇帝にこのような文書を提出した。「斉王様は至親盛徳であられ、（孔子が聖人と崇めた周代の）周公に等しく、政事に関わって皇朝をお賛けすべきお方であります。いま軍団を実際に指揮することのない都督という虚しい称号を与えて任国に出されるのは、恩愛の篤さを欠き、先帝と文明太后［皇帝の父母］が斉王様に寄せられた思いに添うものではないのではないでしょうか。もしも同姓の者を寵遇するのが厚すぎるのがよろしくないとするのであれば、（異姓の者である）漢代に呂氏、霍氏、王氏［いずれも政治を乱した外戚］は果たして何をしたのでありましょうか。古今の歴史を観るなら、そのような者たちは事の軽重はあるもののいずれも害を為したのであって、重臣としては正しい道を歩む忠良の者を求めるべきなのであります。優れた者をもしも警戒し始めたならば、近親の者であっても疑念を抱くようになり、まして特に近縁でない者は我が身を保てるか危惧するでありましょう。愚かな臣が思いますに、太子太保の座が空いていますので、斉王様をそこにお付けして都にお留めになり、汝南王の司馬亮様および楊珧とともに朝政に携わるようにされますように。この三人が位を等しくするならば、互いに正しくあろうと努め、勢いの偏重するところがなく、また親愛の恩にもとることもなく、最善を尽くすこととなりましょう」。ここにおいて、扶風王の司馬駿、光禄大夫の李憙、中護軍の羊琇、侍中の王済、甄徳が切に諌めた。皇帝に全て聞かなかった。
王済は妻の常山公主と、甄徳の妻の長広公主の二人に皇帝のもとに行かせ、泣きつつ伏して斉王攸を都に留めることを願った。帝は怒り、侍中の王戎に言った。「兄弟というものは最も近しい間柄であって、いま斉王を都の外に出すのは朕の家の中の事である。ところが、甄徳と王済は連なってその妻を遣わしてぎゃあぎゃあ泣かせおった」。それで二人を降格処分として、王済を国子祭酒に、甄徳を大鴻臚にした。
羊琇は北軍中候の成粲とともに楊珧を見かけたなら刃を手にして殺そうと謀った。楊珧はそれを察知し、病と称して家に閉じこもり、関係方面に働きかけて、羊琇を太僕に左遷させた。羊琇は怨み憤り、病気となって死んでしまった。
李憙は老齢をもって位を去って家で死んだ。李憙は朝廷にあっても親類縁者とは暮らしを分け、官職に私的に関与することがなかったので人々はそれを称えた。
【補足】皇帝の弟の司馬攸を巡る動きが記述されている。皇帝は、賢人として評判の高い司馬攸と愚かな自分の息子とを比べて、先行きを心配した。賈充の取り巻きだった荀勗や馮紞は親玉を失って外戚の楊氏に接近した。賈充の娘は皇太子の妻になっていたから、楊氏としてはここで皇太子との繋がりを持っておけば代替わりの後にも現在の繁栄を保てると考えたのだろう。こうして徒党を組むようなった連中が政治を牛耳るようになっては国のためにならないと考える人々は司馬攸を盛り立てようとした。皇帝は荀勗らの目論見通りに王渾らの動きは皇太子を危うくするものと見て怒り、態度を硬化させた。羊琇の振る舞いは興味深い。贅沢で鳴らした羊琇［→通鑑282-01の二］が時に大胆なことをしようとした。
【訳文】
［282-07］この年、散騎常侍の薛瑩が死んだ。ある人が呉郡の陸喜に言った。「薛瑩は呉国の士として第一番の人物であったといえるのではないでしょうか」。陸喜は、「薛瑩はせいぜい四番か五番といったところで、第一番であるものですか。（当時の呉の皇帝の）孫皓は無道であったので、呉国の士としては、沈黙して世間から隠れて用いられなかった者が第一でありましょう。高い位を避けて低い位に下り、耕作をする代わりに禄を得た者が第二でありましょう。国家のために剛直に正義を貫いて懼れなかった者が第三でありましょう。現状を勘案してわずかばかりの益になる策を献じた者が第四でありましょう。穏やかに恭しく身を慎んで諂いをしなかった者が第五でありましょう。これ以下の者は数えるまでもありません。つまり上等の士の多くは隠れて咎められることから遠ざかり、中等の士は声望を得て禍に近づきました。薛瑩の身の処し方の顛末を見るに、どうして第一と言えるでありましょうか」
【補足】陸喜の言っていることはよくわからないが、とんでもない指導者のもとでどのように生きるのがよいのか深く考察したものなのだろう。
【訳文】
［283-01］太康四年、春、正月甲申、尚書右僕射の魏舒が左僕射に、下邳王の司馬晃が右僕射になった。司馬晃は司馬孚の子である。
［283-02］戊午、新沓康伯の山濤が死んだ。
［283-03］皇帝は太常に命じて斉王の司馬攸に与える礼物について議論させた。博士の庾旉、太叔広、劉暾、繆蔚、郭頤、秦秀、傅珍は以下のような文書を差し出した。「昔、周朝においては徳が明らかな者を立てて王室を補佐させ、（そのような者であった）周公、康叔、聃季は朝廷に入って三公となりました。これは、朝廷での要職の任は重く、地方を守る任はそれよりも軽いことを示したものでありました。漢では王侯の位は丞相や三公の上にあって、王侯で朝廷に入って政事を賛ける者は（中央の）官を兼務し、出て任国に行く場合に実態のない称号を与えて寵遇していると示すようなことはありませんでした。いま斉王様が賢者であるならば、尊い弟君を青州での平凡な地位に就けるべきではなく、斉王様が賢者でないならば都の東方の地の守りを任せるべきではありません。古からの礼として、三公には決まった職務がなく、皇帝の近くに坐して道を論じるとされていて、外の任に就かせて肝心なところを欠いてしまうということは聴きません。ただ例外としては、周の宣王が国の危急の事態を救った後で、召穆公に命じて淮夷を征伐させたことがありました。それでも、『詩経』には、『平定が終わったならばすみやかに帰還せよ』という句があって、これは宰相が長く都の外にあるべきではないことを示したものであります。いまはすでに天下は平定され、天下は一つの家となり、陛下は三公をしばしば召して太平の基礎を築くべきときでありますから、三公を王城の二千里の外に出すのは、旧くからの定めに違うものといえましょう」。庾旉は庾純の子で、劉暾は劉毅の子である。庾旉はこの草稿を作り、庾純に見せ、庾純は（皇帝に提出することを）禁じなかった。
この文書が太常の鄭黙と博士祭酒の曹志のもとに回されると、曹志は愴然として、「かくも才があり、かくも近親のお方［司馬攸のこと］が、国の根本を支え、その成長をお助けすることができずに、遠く海のほとりにお出になられるとは。晋室の隆盛ももはや危ういのだろうか」と、嘆いた。そして、皇帝に奏上する文書を次のように作った。「古の周の王室を輔けた者として、（周の王と）同姓の者としては周公がいて、異姓の者としては太公望がいました。二人ともその身を朝廷に置き、その子孫は（都から離れた任国にいても）五世にわたって本国に帰って葬られました。周が衰えると五霸［五人の覇者］が代わる代わる興りましたが、そのときには周公や召公［やはり王室と同姓の輔臣］が朝廷を助けたころとはまるで違った政治になってしまっていました。（太古の）羲皇のころから、この天下は一つの姓の独りの者だけで治めてきたわけではありません。至公の心をもって天下と利害を一つにすることで、国家の長久を享受することができたのです。秦や魏は皇帝が独りで権力を擅にしようとしたことからわずかに自身が死ぬまでの間を保っただけでありましたが、周や漢は親疎ともに国家の用に当たらせたことで長く利を分け合うことができました。このように過去の事例はまことに明らかであります。博士らの議論のままに奏上すべきと私曹志は考えます」。皇帝はそれを覧て大いに怒り、「曹志でさえも吾が心を理解しておらぬ。まして天下の人々はどうであるのか」と言い、さらに、「博士は問うたことには答えないで、問うていないことに答え、よこしまな異論を造った」と言って、有司［管轄部署］に命じて鄭黙を罷免にした。こここにおいて尚書の朱整、褚●が、「曹志らは職掌を離れて官の管轄区分を侵し、朝廷を迷わせ、悪言を飾り立て、憚ることなくこじつけの議論をしました。曹志らを収監して廷尉［検察官］に付して罪を審理すべきであります」と奏上した。詔をもって曹志を免官とし、爵位を公に落として家に帰らせた。その他の者は廷尉に付して罪を調べた。
［●は挈の下側の手の部分が石］
庾純は自ら廷尉のもとに詣で、「（息子の）庾旉から議論の草稿を見せられ、愚かな浅い思慮でそれを聴しました」と言った。詔をもって庾純は免罪とした。廷尉の劉頌は庾旉らは大不敬であるので、棄市［処刑して死骸を町にさらす］すべきです」と奏上した。尚書は、「廷尉のいう通りに刑を行うことを聴す」と奏上した。尚書の夏侯駿は、「朝廷の高位に八人が並ぶのはこのようなときのためである」として、独りこの議論に反駁した。左僕射の下邳王の司馬晃も夏侯駿の議論に従った。奏上は皇帝のもとに七日間留められ、次のような詔が下された。「庾旉は議論を主唱した者で、戮首［死罪］すべきである。ただし庾旉の家の者が自首したことをもって、太叔広ら七人の死は赦し、皆を除名とする」
二月、詔をもって済南郡を斉国に付与した。己丑、斉王の司馬攸の子の長楽亭侯の司馬寔を北海王とし、司馬攸に与える礼物を整え、軒轅の楽および六佾の舞い［どちらも天子のために行われるもの］を設けることを許し、黄鉞、朝車、乗輿などを与えた。
［283-04］三月辛丑朔、日食があった。
【補足】司馬攸を地方の任地に行かせるということが死罪の者を出すほどの大騒動となった。確かに博士らは問われてもいなことを論じて奏上しているので、皇帝が怒るのも無理はないのかもしれない。日食は天がこの件をどのように見ているかを示すものとして当時の人々は受け止めたであろう。
【訳文】
［283-05］斉献王の司馬攸は憤怨して病を発し、先后の陵［亡き母の墓］を守りたいと願った。皇帝はそれを許さず、御典医を派遣して診察させた。医者たちは皇帝の意に副うように皆が疾はないと言った。河南尹の向雄が諌めて言った。「陛下には子弟が多くいらっしゃいますが、徳望のある者は多くはありません。斉王様が都におられたことで国に益するところ実に深いものがありました。そのことを思わずにはいられません」。皇帝はその意見を納れなかったので、向雄は憤恚して死んだ。
司馬攸の疾は次第に篤くなったのだが、皇帝はなおも出発するよう催した。司馬攸は自ら強いて宮中に行って辞去する挨拶をし、いつも通りの容儀で、疾のために苦しくとも、懸命に我が身を整え、常と変わらずに振る舞った。皇帝はそれでますます疾ではないと疑った。辞去して数日で司馬攸は血を吐いて死んだ。
皇帝が弔問に行くと、司馬攸の子の司馬冏が身を震わせて泣きながら、「父は病気でありましたのに、医者たちに嘘を言われてしまったのです」と訴えた。詔をもって医者を誅殺し、司馬冏を跡継ぎとした。
もともと皇帝は弟の司馬攸を非常に大切にしていた。ところが荀勗や馮紞らに、身後の慮りのため［皇帝の死後に問題が起きないようにということ］だと言いくるめられて、都から出すことにしたのだった。弟が死ぬと皇帝は哀慟して止まなかった。馮紞は皇帝の近くにいたときにこのように言った。「斉王様はその実像を超えた名声を得て、天下の人心を集めていました。いま亡くなられたのは、むしろ国家にとっては福でありましょう。陛下は哀しまれることの度が過ぎておられます」と言ったので、皇帝は涙を収めて哀しむのを止めた。詔をもって司馬攸の葬礼は安平献王の故事に従わせた。
司馬攸は礼に従って振る舞い、過ちは稀であった。皇帝といえども敬い憚り、司馬攸を呼んで一緒にいるときには、必ず言葉をよく選んでから発した。
【補足】（1）司馬攸が憤怨で病気になり、向雄が憤恚して死んだというのは歴史家の解釈である。司馬攸はこのとき38歳であったから、都の外に出なければならないことで強い精神的なショックを受けたとしても、それが死に至ったとは考えにくい。
（2）王夫子は『読通鑑論』で司馬攸のこの一件によって晋朝の命運は早くも窮まったと論じている。「西晋は司馬攸が疑われて死んだことで亡んだといってよい。司馬攸が生きていたら、（外戚の）楊氏は国をほしいままにすることができなかっただろうし、（皇太子の妻の）賈氏は姦計を立てることができなかっただろうし、八王の乱も起こらなかっただろう。荀勗と馮紞は賈充の手下で、晋の皇位を異姓［賈充］に売ることを企む者であった。二人は張華を退け、曹志を排斥して、晋室を保とうする者は必ず除こうとした。国にとって重要なのは（司馬攸のような）君子を用いることで、そうすれば（荀勗や馮紞のような）小人は出る幕がないのであって、晋はそのような物事の前後を誤ったのである」
（3）『資治通鑑』のこの3年間の記事を振り返ると、司馬攸を巡る動きがその大半を占めている。天下統一を終えて国家の基盤を整えるために集中すべき重要なこの時期に、司馬炎は有効な施策を打ち出していない。司馬攸にしても、国家的な政策課題を提議して実行するだけの能力を具えていたようには見えないので、司馬攸が朝廷に残っていたとしても晋が隆盛に向かっていけたかどうかはかなりあやしいであろう。
【訳文】
［283-06］夏、五月己亥、琅邪武王の司馬伷が死んだ。
［283-07］冬、十一月、尚書左僕射の魏舒を司徒にした。
［283-08］河南および荊、揚などの六州で洪水があった。
［283-09］帰命侯の孫皓が死んだ。
［283-10］この年、鮮卑族の慕容渉帰が死んだ。弟の慕容刪が部族長の位を奪い、慕容渉帰の子の慕容廆を殺そうとした。慕容廆は逃れ、遼東の徐郁の家に匿われた。
【補足】（1）もとの呉の皇帝の孫皓が死んだ。晋に降伏してから4年後、42歳であった。『資治通鑑』は一貫して孫皓は暴虐であったと記しているが、それがどこまで真の姿であったかはわからない。
（2）慕容渉帰［→通鑑282-02］の子の慕容廆は次代の英雄である。王夫子はすぐ上で見たように晋が亡んだ原因を司馬攸の一件に求めていたが、全く別のところで大きなうねりが生じつつあった。
【訳文】
［284-01］太康五年、春、正月己亥、二匹の青い竜が武庫の井戸の中に現れた。皇帝はそれを観て喜びの色を浮かべた。百官は（それを吉祥であるとして）祝賀しようとしたのだが、尚書左僕射の劉毅は皇帝に文書で、「昔、夏のときに竜が宮中の庭に降り、その後すぐに夏は周によって滅ぼされました。『易経』には『水に潜む竜はよろしくない。陽であるところのものが下にあるからだ』とあります。古典を調べますと、井戸の中の竜を祝う礼というものはありません」と言った。皇帝はそれに従った。
［284-02］かつて（魏の時代に）陳羣は、朝廷の吏部では（官員として採用にするのにふさわしい）天下の士を十分に審査できないことから、郡国には中正（の役を担う官員）を、州には大中正（の役を担う官員）を置いて、その者にその地域の士から朝廷の官に就けるべき者を選ばせるようにした。中正や大中正は、徳があり才能が豊かな者を選んで一品から九品の等級に分け、言行が甚だ良い者は昇級させ、道義に欠けるところがある者は降級させ、吏部はその等級に従って官職を授けた。このことが実施されると、その任にふさわしくない者が中正に就くなどして、制度の不備が次第に露わになっていった。そこで劉毅が次のような意見を提出した。「いま中正を置いて九品の等級を定めていますが、等級を上げるも下げるも、士に栄を与えるも恥辱を与えるも中正の手の内にあって、中正はあたかも皇帝の権限を操り、朝廷の権威を奪い取ったかのように振る舞っています。中正による等級分けの判定がたとえ適正でなくても上から咎められることもなければ、下から訴えられることもなく、中正は心のままに何でも行い、（判定を餌にして）求めることは何でも得ることができるのであります。こうして謙譲の美風は消え去り、争い合う風潮が醸成されてしまったのです。臣は竊にこれは聖朝の恥であると考えております。中正を設けたことは、以下の八点において政治の道を損なっております。第一に、いまでは品級の高下はその者の（属する一族のもつ）力の強弱に従い、人物の是非はその者の（属する一族の）興衰に従い、一人の身でありながら、強弱興衰が変化すれば、十日もしないうちに品級が異なってしまいます。よって、「上品に寒門なく、下品に勢族なし」［上の等級のあるのは力のある一族の者だけということ］といわれるまでになっています。第二に、もともと中正を置いたのは、その地域の清議［ここでは世論に近い意味］として皆が納得するところ取って、異論を鎮めて議論を一つにまとめることを目指すものでありました。いまや中正の権限は重いものがありながらその任に就くのは軽薄な者となっているために、その地域の清議とは異なるところの（本来の評価の低い）者が朝廷に採用され、大臣と地域の間に大きな溝を生んでしまっています。第三に、もともと等級を分けて九品にしたのは、才徳には優劣があって、その順に従って官位の序列を与えようとするものでありました。優劣の評価はいまやその地の中正次第でありますので、官の序列はでたらめになってしまっています。第四に、陛下が善を賞し悪を罰するときには法によって裁定するのでありますが、中正は一国を委ねられた重い任務でありながら、陛下による賞罰の対象外であり、しかも人から訴えられることもないので、憚ることなく意のままに縦横に振る舞っています。そのために不当な扱いを受けた者は、怨みを抱くことが積み重なっているのですが、そのようなことは陛下の耳に達することはないのであります。第五に、一つ地域の士は多いところでは千人を超え、その中には暮らしを立てるために他の地域に流れ移っている者もいます。中正はそのような者の顔も知らなければ、ましてその者の才がいかなるものであるか知る由もありません。中正は知ろうが知るまいが関係なしに等級を付け、ある者には朝廷の官に就く栄誉を与え、他の者からは非難の声を浴びるようなことになっています。知りもしない者を任に就ける弊害があり、しかもひどい依怙贔屓を許しているのです。第六に、そもそも才能のある者を求めるのは民を治めるためであります。いま官職に就いて功績がある者の多くは官位が低く、官職にあって何ら功績がなくても高い官位にある者がたくさんいます。こうして功績の実を抑え、空しい名を高くし、浮華の風潮を長じさせて仕事に励むことを廃してしまっているのです。第七に、同じ官職であっても人によって為されることは異なり、能力によって成果は異なります。いまその人の才能の実状によらずに、ただ等級分けに従って採用しているために、その者の才能の長じてはいない分野の仕事を与えられているのであります。才能の実状によって採ろうとしても、等級分けが妨げとなってそのようなことができなくなっています。第八に、九品のいまの等級分けでは罪ある者であっても下方にならず、善いところのある者でも上方になりません。それは中正の愛憎に任されていて、中正の私的な恩を植えつけるものとなっています。これによって天下の人々は徳行を修めることを怠り、人事を得ることに熱心になるばかりとなっているのであります。以上に論じたことからすれば、職名は中正であっても実態は姦府［不正の温床］であります。事柄は九品の名があっても実態としては八損があるのです。近年の国家の損害はこれより大きいものはないのであります。愚かな臣が考えますに、中正を廃止し、九品の等級分けをやめ、魏氏の害ある制度を取り除いて、晋代の美しい制度を作るべきであります」。
太尉の汝南王の司馬亮と司空の衛瓘も次のように申し上げた。「魏氏は騒乱の後を受け、人士は天下に流移して、詳しく人を選考することができなくなったために、一時的な官員の採用法として九品の制度を立てました。いま天下は一つになり、大いなる教化が進行しつつあります。臣どもはこの未熟な制度を除いて、土断［地域の実情に合致した選定法］を用いるべきであると考えます。公卿以下の者はいまの居住地に従って正しい居所を定め、遠隔の地に仮に寄寓しているという状況をなくして、かつ中正九品の制度を除いて、その地の郷論［世論］によって賢才を挙げて進めるようにするならば、無意味な競い合いはなくなり、誰もが自身を高めることを求めるようになるでありましょう」。
始平王文学の李重もまた次のように申し上げた。「九品を除くには、まず移住を自由にし、移住先の地の人になることを許すべきで、そうすれば土断は実行できるでありましょう」。
皇帝はこれらの意見を善いと考えたのだが、ついに改めることはできなかった。
【補足】（1）皇帝はまやかしの吉祥を喜ぶものであるらしい。例外としては、魏の無力だった皇帝は、「井戸のなかで竜がわだかまっているのはよいきざしといえない」と退けていた［→通鑑259-01］。
（2）魏の時代に陳羣が始めた「九品中正」という官員の採用方法についての議論が記されている。訳者には十分に理解できないところがあるので、上の訳文ははなはだもって自信がない。「九品中正」は、地域ごとに中正ないし大中正と呼ばれる役目の者を置いて、その地域で官員の候補になりうる者を選考させ、九段階の等級を付けさせた。その等級は実際の官職の上下とリンクし、例えば最低の九品とされた者が官員として採用される場合にはやはり最低ランクの官職を与えられた。たちどころにわかるように、中正に高く評価されてもらおうと不正が横行するのは必然で、結果として、力のある一族の子弟が高く評価され、優秀な者でも一族の力が弱ければ低く評価されるようなことになった。また、実際の居住地と本籍地が異なる場合には、中正による判定は本籍地の方で行われたので、それによっても実態と評価は乖離した。弊害だらけの制度でありながら、司馬炎は改めることができなかった。司馬炎の皇帝としての資質が問われるであろう。
（3）ここに「上品に寒門なく、下品に勢族なし」とあるように、「九品中正」の制度は階層化された社会においては特権階級にとって極めて都合がよかった。後漢末からの動乱期に社会は流動化したのだが、「九品中正」と相まって階層化が進み、いわゆる貴族制社会となってゆき、貴族の家柄の序列がそのまま官位の高下と連動するようになる。隋の時代になって、試験によって官員を採用する科挙が実験的に始まり、唐の時代に貴族との軋轢のなかで科挙の制度が徐々に発展し、宋代に入ってそれが完成する。
【訳文】
［284-03］冬、十二月庚午、大赦を下した。
［284-04］閏十二月、当陽成侯の杜預が死んだ。
［284-05］この年、国境の外にいる匈奴の胡である太阿厚がその部落二万九千三百人を率いて来降した。皇帝はそれを国境内の西河に置いた。
［284-06］寧州を廃止して益州に入れ、南夷校尉を置いてその地を守らせた。
【訳文】
［285-01］太康六年、春、正月、尚書左僕射の劉毅が退官し、すぐに死んだ。
［285-02］戊辰、王渾を尚書左僕射にし、王渾の子の王済を侍中にした。王渾の部下が不当なことをしたので、王済は法に基づいて糾問した。王済のいとこの王佑は以前から王済と仲が悪く、このことから王済は父親に対して容赦がないと謗った。皇帝はそれからは王済を疎んじるようになり、後に免官となった。王済の性格は豪侈［大胆で派手好き］であった。皇帝が侍中の和嶠に、「王済をまず一発怒鳴りつけやって、それからまた官職に戻すというのはどうだろうか」と言うと、和嶠は、「王済は俊爽［俊敏で鋭利］でありますから、なかなかどうして頭を下げはしないでしょう」と言った。皇帝は王済を呼びつけ、厳しく叱った。その後で、「どうだ、恥ずかしいと思ったか」と問うと、王済は、「『一尺の布でも一斗の粟でも、分け合えばよいものを』［兄弟は仲良くしたいものだという意味］の歌を聞くたびに、私はいつも陛下のために恥ずかしく思います。ある人［皇帝を指す］は親しい人［皇帝の弟の司馬攸を指す］を疎んじたのですから、臣だって親しい者［親を指す］と親しくできなかったりするのです。それで陛下に恥じらいを覚えるのであります」。皇帝は黙ってしまった。和嶠は和治の孫である。
【補足】王済は皇帝の娘である常山公主の夫で、皇帝に対して露骨なあてこすりを平然と吐けたのだろう。王済は先に、司馬攸を都に留めるべきだと強く主張していたから［→通鑑282-06］、ここでの皮肉はなおさら効いている。王済は匈奴出身の劉淵を用いるべきだと提案していたので［→通鑑282-06］、見るべきところはちゃんと見ているようだ。
【訳文】
［285-03］青、梁、幽、冀州で日照りの害があった。
［285-04］秋、八月丙戌朔、日食があった。
［285-05］冬、十二月庚子、襄陽武侯の王濬が死んだ。
［285-06］この年、（鮮卑族の）慕容刪が部下によって殺された。部落の人々は慕容渉帰の子の慕容廆をまた迎えて部族長として立てた。慕容渉帰は（同じ鮮卑族の）宇文部とは不仲であったので、慕容廆は宇文部を討とうした。朝廷はそれを許さなかったので、慕容廆は怒り、遼西に入寇し、多くの者を殺し略奪した。皇帝は幽州の軍団を出して慕容廆を討たせた。肥如で戦い、慕容廆は大敗した。しかし、これからは慕容廆は毎年のように国境を侵し、東に向かって扶余［満州のあたりにいた民族］を攻撃した。扶余王の依慮は自殺し、その子弟は走って沃沮を保った。慕容廆は扶余の中心地を破壊し、一万人余りを連れ去った。
【補足】鮮卑族の慕容部の動きが記されている［→通鑑283-10］。慕容廆のもとで慕容部は強大化してゆく。
【訳文】
［286-01］太康七年、春、正月甲寅朔、日食があった。
魏舒は疾であることをもって官位から退きたいと強く願い出て、劇陽子の爵位をもって辞めた。魏舒は何かを為すときには、必ず先に行ってから後で口に出した。辞任したときも誰も知らずにいた。衛瓘は魏舒に手紙で、「そなたとはこのこと［退任］についていつも論じていた。私はいつまで経っても果たせずにいる。まさに『論語』にあるように、『前にいると思っていたら、たちまち後ろになっていた』とある通りだ」と言った。
［286-02］夏、慕容廆は遼東を攻撃した。もとの扶余王の依慮の子の依羅は、生き延びた人々を率いて国を元通りにしたいと考え、東夷校尉の何龕に救援を要請した。何龕は督護の賈沈に命じて、将兵を率いて依羅を元の地に送らせようとした。慕容廆は孫丁を派遣し、道の途中で騎兵で迎え撃った。賈沈は力戦し、孫丁を斬り、扶余を復興させた。
［286-03］秋、匈奴の都大博と萎莎胡がそれぞれ十万人余りを率いて雍州に来て降った。
【補足】中国の北東部では慕容廆が活発に侵略し、北西部では匈奴が帰順してきている。その背後には、遊牧民全体に移動を余儀なくさせるような何らかの圧力があって、諸族が相互に複雑に絡み合いながら中国の国境を侵したり、中国に帰順したりするようになったのだろう。
【訳文】
［286-04］九月戊寅、扶風武王の司馬駿が死んだ。
［286-05］冬、十一月壬子、隴西王の司馬泰を都督関中諸軍事にした。司馬泰は宣帝［司馬師］の弟の司馬馗の子である。
［286-06］この年、鮮卑族の拓跋悉鹿が死に、弟の拓跋綽が後を継いだ。
【訳文】
［287-01］太康八年、春、正月戊申朔、日食があった。
［287-02］太廟殿が倒壊し、秋、九月、六万人を動員して太廟を改築した。
［287-03］この年、匈奴の都督の大豆得一育鞠らが一万一千五百人を連れて来降した。
【訳文】
［288-01］太九年、春、正月壬申朔、日食があった。
［288-02］夏、六月庚子朔、日食があった。
［288-03］三十三の郡国でひどい日照りの害があった。
［288-04］秋、八月壬子、星が雨のように隕ちた。
［288-05］地震があった。
【補足】太康七年以降、『資治通鑑』に収録されている記事量が著しく減少している。国にとって重大なことが起こらずに平穏無事であったともいえるだろうし、晋朝が新規の施策を何も打ち出さなかったからだともいえるであろう。日照りや日食や隕石や、地震などが続き、『資治通鑑』の編者はこれらはその後に続く大動乱の予兆であると捉えているのだろう。皇帝は後宮で多くの女性と接することに日々勤しんでせっせと寿命を短縮させ、高官たちの多くは奢侈を競うか清談に耽って現実から目をそらせることを習慣化することに務め、その一方で、北方諸民族が活発に動いていたのだから、晋の命運は危ういとしかいいようがないだろう。