『資治通鑑鑑賞』 第79巻 265年～272年
■資治通鑑第79巻
【解題】『資治通鑑』の第79巻は泰始元年［266年］から泰始8年［272年］までの8年間を扱っている。
【訳文】
資治通鑑巻七十九 晋紀一 世祖武皇帝上之上
【補足】『資治通鑑』の第79巻は「晋紀一」に当たり、「世祖武皇帝上之上」つまり、晋の皇帝が世祖武皇帝であった時代の記録の上の部分の上巻に当たる。第78巻までは「魏紀」であったが、この巻からは「晋紀」となって晋が中国の主役であった時代を扱うことになる。魏から晋への交代はこの巻の最初のあたりに記されている。世祖武皇帝とは晋の初代皇帝司馬炎のこと。
【訳文】
［265-01］泰始元年、春、三月、呉主［呉の皇帝、孫皓］は、光禄大夫の紀陟、五官中郎将の洪璆を答礼の使者として、（魏から来た使者の）徐紹や孫彧（が帰るの）に同行させて魏に派遣した。徐紹が進んで濡須に至ったところで、徐紹はもっぱら中国［魏］を褒めてばかりいると告げ口をする者がいたので、呉主は怒り、徐紹を呼び返して殺した。
［265-02］夏、四月、呉は甘露に改元した。
【補足】（1）『資治通鑑』を「晋紀」から読み始めようとする人のために、泰始元年当初の状況をごく簡単に記しておく。魏、呉、蜀の三国が睨み合っていたそれまでの時代は、2年前に蜀が魏によって征服されたことで新たな局面に移り、北の強国の魏と、南のやや小ぶりの呉の二国が対峙する時代になった。魏の実質的な指導者は皇帝の曹奐ではなく、晋王の司馬昭であった。司馬昭は曹操以来の苛烈な政治を改め、儒学に基づく文治国家を目指すことを標榜して人心を掌握し、皇帝の位を手中に納めるところまであと一歩に迫っていた。一方で、呉では皇帝の孫皓が権力を掌握していたが、それは単純な暴力支配でしかなく、人心は離れつつあった。
（2）ここに掲げられている『資治通鑑』の記事は、孫皓がしてはならないことを何の配慮もなしにしてしまう人間であることを示す一つの事例である。魏は前の年の10月に、徐紹と孫彧を使者として呉に派遣していた［→通鑑264-21］。二人はもとは呉に仕えていたが故あって魏に帰順した人物。呉はその二人が晋に帰るのに同行させて答礼の使者を派遣したのだが、孫皓は徐紹が魏を褒めてばかりいるのが気に食わないと、呼び戻して殺した。徐紹はかつては呉の臣下ではあったけれど、いまは魏の正式の官員であるので、それを勝手に殺すのは魏に対して喧嘩を売るような行為である。後先考えずに自分の思いに任せて暴力を振るのが孫皓の唯一の統治方法であった。
【訳文】
［265-03］五月、魏帝［曹奐］は文王［司馬昭］に特別な礼式を加えるとともに、文王の妃を「后」と呼び、世子を「太子」と呼ぶようにした。
［265-04］癸未、大赦を下した。
【補足】「魏紀」から「晋紀」に変わったことに伴い、『資治通鑑』の記述のルールが一部変更されている。「晋紀」は晋に関する出来事を叙述する書物であるので、晋以外の魏や呉に関する出来事を示すときには、冒頭に「魏」ないし「呉」と記すことになる。現状では魏朝のもとに晋国が属しているので、このルールはかなり不自然なのだが、その不自然さは間もなく解消される。魏と呉では魏の方が扱いが上で、魏の皇帝は「魏帝」、呉の皇帝は「呉主」と記されている。われわれにはどうでもよいことだが、皇帝は天から負託されて天下を治める者なので、この世に一人しか存在しないという建前を旧い中国のほとんどの歴史家はとるので、『資治通鑑』においても魏帝と呉帝を併記することは原理的に許されない。上の記事で「文王」とあるのは、晋王の司馬昭のこと。「晋紀」は晋を中心とした記述であるから、「王」とあれば「晋王」のことを指し、「文王」は晋王の死後の諡である。このときはまだ晋王は生きていて「文王」の称号は存在しないので、ここで唐突に「文王」と書かれても、これは誰のことかとまどうのだが、『資治通鑑』の編者は読者にはそのくらいのことはわかるとみなしている。司馬昭に加えられた特別な礼式とは、旗とか車とかを皇帝と同等のものを使ってよいとしたもの。「后」とか「太子」の呼び方も皇帝と同等の扱いである。司馬昭は蜀を征服した功績によって、実力においてすでに皇帝を遥かに凌駕していたのに加えて、目に見える形においても皇帝と何ら変わらないことになったのである。
【訳文】
［265-05］秋、七月、呉主は景皇后に逼ってこれを殺し、景帝の四人の子を呉の町に移し、ついで年長の二人を殺害した。
【補足】呉の皇帝の孫皓の暴虐ぶりがまた記されている。景皇后とは前の皇帝の皇后［→通鑑264-20］。「逼って殺した」とあるのは、何を迫ったのかは記されていないが、孫皓は先に「酒色を好んだ」と記されていて［→通鑑［264-24］、「色」の方面ではかなりのものであったことが後の記事からわかるので、そちら方面の欲望から、「子供たちを生かしたておきたかったら俺の言うことを聞け」と迫ったのだろうと解釈できる。「景帝の四人の子」とは前の皇帝の子で、殺害された年長の二人には、前の皇帝の太子も含まれていたのだろう。前の皇帝は病気で口がきけなくなり、太子を丞相に託すと手を使って懸命に伝えていた［→通鑑264-15］。その丞相が裏切って太子ではなく孫皓を皇帝にしたのだった。まことに哀れなもので、皇帝の子として生まれる以上に不幸なことはこの世にないと思わせる事例である。なお、その丞相は孫皓によって殺されている［→通鑑264-24］。
【訳文】
［265-06］八月、辛卯、文王［司馬昭］が亡くなった。太子［司馬炎］が嗣いで相国、晋王になった。
［265-07］九月、乙未、大赦を下した。
［265-08］戊子、魏朝の司徒の何曽を晋国の丞相にし、癸亥、驃騎将軍の司馬望を司徒した。
［265-09］乙亥、文王を崇陽陵に葬った。
【補足】（1）皇帝になる寸前まで迫っていた司馬昭は55歳でこの世を去った。
（2）魏朝の高官の何曽が晋国の丞相に異動したのは、魏朝から晋朝への政権移譲の布石であろう。司馬昭は晋王に昇格した時点で、独自の政府を構成することが許され、いわばシャドーキャビネットを作って魏の統治機構を晋が吸収してしまうための準備を進めていた。もっとも魏朝の人事も全て司馬昭の意思によって決められていたから、魏の朝廷と晋のシャドーキャビネットに何か違いがあったのかはわからない。何曽は一貫して司馬氏に忠誠を尽くしてきた人物で、新たに晋王になった司馬炎を世継ぎにするよう司馬昭に勧めてもいた［→通鑑264-22］。司馬望は司馬炎にとってはおじに当たり、魏朝のトップに据えておくのに十分な重みのある人物。
【訳文】
［265-10］冬、呉の西陵督の歩闡は呉主に都を武昌に移すよう奏上した。呉主はそれに従い、（都であった）建業は御史大夫の丁固と右将の諸葛靚に守らせることにした。歩闡は歩騭の子である。
【補足】呉がこの時期に遷都した理由は後に記される［→通鑑266-12］。『資治通鑑』がここで明らかにしていないのは、読者に疑問を抱かせ、後でわかったときの驚きを強めるための演出であるのだろう。
【訳文】
［265-11］十二月、壬戌、魏帝［曹奐］は皇位を晋に禅った。
甲子、魏帝は宮中から出て（洛陽の西北の隅にある）金墉城を居所とした。太傅の司馬孚はお見送りをして、魏帝の手を執り、むせび泣いて涙を止めることができなかった。「臣は死ぬ日にも、もとより大魏の純臣であります」と、司馬孚は言った。
丙寅、晋王［司馬炎］は皇帝の位に就き、大赦が下され、（泰始に）改元した。
丁卯、魏帝を陳留王にし、鄴に王宮を置くようにした。前の皇帝を尊ぶ礼法は漢から魏に皇位が禅られたときのものに倣った。魏の諸王は降って侯になった。
（司馬炎の祖父である）宣王［司馬懿］を宣皇帝に、（伯父である）景王［司馬師］を景皇帝に、（父である）文王［司馬昭］を文皇帝にして追尊した［以上の三人はすでに故人］。（司馬昭の妻の）王太后を尊んで皇太后と呼ぶようにした［王太后は現存］。
皇帝の祖父の世代に当たる司馬孚を安平王にし、父の世代に当たる司馬干を平原王に、司馬亮を扶風王に、司馬伷を東莞王に、司馬駿を汝陰王に、司馬肜を梁王に、司馬倫を琅邪王にそれぞれした。弟の司馬攸を斉王に、司馬鑒を楽安王に、司馬機を燕王にした。また司徒の司馬望ら十七人の皇族を王にした［皇族に王号を与えた］。
石苞を大司馬に、鄭沖を太傅に、王祥を太保に、何曽を太尉に、賈充を車騎将軍に、王沈を驃騎将軍にした。その他の文武の官はそれぞれに昇進した。
乙亥、司馬孚を太宰にして中外の諸軍事全般を監督させることにした。その後すぐに、車騎将軍の陳騫を大将軍にして、司徒の司馬望、司空の荀顗とともに、（太宰、太傅、太保、太尉、大司馬と合わせて）八公を国家の指導部とした。
皇帝は魏の皇室が孤立して力を失ったことに懲りて、皇帝の一族を各地に大々的に（王として）封じ、重要な職務を授けた。また、諸王に対して詔を下して、自国においては自分で長吏［地方の上級官僚］を選んでよいとした。ただ衛将軍の斉王の司馬攸だけがそのようにはしないで、皇帝に長吏を選んでくれるよう願った。
【補足】（1）ついに魏の曹氏から晋の司馬氏に皇位が渡された。このように平和裏に皇位が他姓に移されることを禅譲という。禅譲は、古の聖王である舜が禹に帝位を譲ったのがその始まりとされ、血のつながりはなくても徳のある者に皇位を渡すのは一つの理想型であるとされた。魏の曹氏は数十年前に漢の劉氏から皇位を奪っていて、それをあたかも美しい禅譲であるかのように見せるためにいろいろな工夫をした。司馬氏はそれに倣って段取りを進め、皇位を我が手におさめた。これ以来、中国では皇位の簒奪を禅譲として飾ることが何度も繰り返された。それらの中では、このときの魏から晋への禅譲は特別に穏やかに行われたものであった。
（2）この『資治通鑑鑑賞』では、明末清初の大学者である王夫子の『読通鑑論』をしばしば引用しているのだが、王夫子がこのときの禅譲をどのような評価しているかを見ておこう。要約すると、「天下は一つの姓が私物化してよいものではない。王朝が興亡する時間の長さには何やら定まったものがあるようだ。たとえ皇帝の姓を変えても、そのときに野に地を流すようなことが起こらなければ民衆は困らない。魏が晋に皇位を与えるに至ったのは、上に対する反逆行為ではあるのだけれど、下の者たちはまことに安らかにしていられた。ならばこれは悪いことであったとはいえないだろう。魏はわずか三代で滅び、晋は王朝を百年にわたって保った。天下に君主として君臨する道において、魏と晋でははっきりと優劣があったといえるだろう」。王夫子は、禅譲という名の皇位の簒奪を必ずしも否定しないで、魏が晋に天下を譲らねばならなかった理由があると見ている。その内容はすでに通鑑263-09に記されている。
（3）もとの皇帝の手を取って泣いた司馬孚は、新皇帝にとって祖父の世代の人。ずっと魏朝に忠実に仕えてきた人物であるので、複雑な心境であったのだろう。他の者はもとの魏の皇帝に哀惜の念を抱いたとしても、新皇帝の目を恐れてそれを表に出すことは憚れたであろうから、司馬孚はそのような人々を代表して泣いたと見ることもできるだろう。なお、司馬孚が禅譲劇をより美しく見せるためにわざと泣いてみせたと勘ぐるのは、司馬孚のことを少し調べるならはなはだ見当違いであるとすぐに知れるであろう。
（4）新たに始まった晋朝の人事がずらずらと並べられている。皇族の名が列挙されているのは非常にわずらわしく思えるが、これはこれで後に重要な意味をもってくる。終わりのところに記されているように、魏の失敗に懲りて［失敗させた張本人は司馬氏である］、皇室が孤立しないように各地に皇族を王として置いたのは、いってみれば、晋は中央集権体制と封建体制のハイブリッド国家としてスタートを切ったということになるのだろう。しかし、親族を各地に置くのは、容易に推測できるように、皇室としての一体感などはまるで当てにならないものであるから、必然的に諸王同士、あるいは諸王と皇帝とがすぐに対立し合うようになる。晋国のこの欠陥はすぐに露呈する。
（4）新皇帝の弟の司馬攸の振る舞いは注目に値する。司馬攸は新皇帝司馬炎の実弟であるが、伯父の司馬師の養子になっていた。司馬師は当時の魏朝の実質的なリーダーで、病死する際に弟の司馬昭［つまり司馬炎兄弟の父］に後を託した。司馬昭は兄から預かった天下であるから、自分の死後は兄の家系にそれを返すべきだと考えていた。つまり次のリーダーは司馬攸になるところだったのだが、周囲のいろいろな働きかけによって長男の司馬炎が後継者として定められた［→通鑑264-22］。そうした経緯からすると、司馬炎にとって弟の司馬攸は最も危険なライバルなのである。司馬攸はあくまでも兄に恭順であることを示すために長吏を選ぶのも皇帝の指示に従うと言ったのである。なお、兄弟や一族が最も危険なライバルになるというのは世襲制の大きな欠陥で、それを回避することが原理的に不可能な世襲制は、孝悌を重んじる儒学の道徳律に完全に反するものであるとしか思えないのだが、なぜか儒学者たちは世襲制を何千年もわたって支持し続けた。世襲制がいかに不道徳であるかを端的に示す身の毛もよだつような事例をこれより250年後に見ることになる。
【訳文】
［265-12］詔を下して、魏の皇族の拘束を解き、将軍および長吏が都に人質を置くことやめさせた。
［265-13］皇帝は魏朝の刻薄奢侈［自分たちの贅沢のために民衆から搾取した］の後を受けて、仁と倹でそれを矯正しようとした。
皇帝は太廟で儀式を行おうとした。そのころに朝廷では、太常丞の許奇の父の許允がかつて誅殺されたことをもって、許奇は皇帝の近くで仕えるのにふさわしい人物ではないから、都の外での職務に置くべきだと議論していた。皇帝は許允のかつての姿を述べ、許奇には才能あるとして、（太廟の儀式に関係する）祠部郎に抜擢した。
また、皇帝が飼っている牛の青い綱が切れてしまったことを係の者が報告すると、それを青い麻に代えさせた。
【補足】（1）ここに挙げられているのは、魏の政治システムを部分的に修正した事例。先に記した通り、皇帝の最大のライバルは兄弟や皇族であるので、魏はその者たちを厳重に監視していた。「拘束」と訳した原文は「禁錮」である。まさか牢獄に閉じ込めていたとは思えないので、少しやわらげて訳したのだが、実態はどうだったのだろうか。また、戦場で戦う将軍や地方を治める長吏には都に人質を置かせていた。いつ裏切るかわからないからである。つまり、魏においては基本的に人間は信用されていなかったのである。
（2）「刻薄奢侈」は魏の政治システムの欠陥を端的に表している。魏の皇帝は、民衆には非常に重い負担を強制しつつ、豪奢な宮殿を作ることを好んだ。とはいえ、「刻薄奢侈」の四文字がぴったり当てはまると感じてしまうのは、歴史家が仕掛けた罠である恐れが十分にある。旧い中国において、歴史記録のほとんどは勝者の側が書き残したものである。魏から皇位を奪った晋が、魏を悪く書くのは致し方ないところで、われわれは常に眉に唾をつけて読むくらいのつもりでいないとならない。魏の「刻薄奢侈」を矯正した具体例がここに二つ挙げられているのだが、何だかあまりぱっとしない。こんなしょぼい事例しか見つけられないと、『資治通鑑』の編者が底意地悪く示したのだったら、なかなかのものである。なお、「刻薄奢侈」とレッテルを貼られた魏朝は、実は儒学の振興に務めていたということは付記しておこう。その上で次の項を読むと、魏をやや不当なまでに悪く言っていると知れるであろう。
【訳文】
［265-14］晋朝は初めて諌官を置き、散騎常侍の傅玄と皇甫陶をこの任務に就けた。傅玄は傅干の子である。
諌官になった傅玄は、魏の終わりに士の風儀が衰えてしまったことについて、次のような文書を朝廷に提出した。「臣は、先王［古の聖天子］が天下を治めると、上では教化が盛んに行われ、下では清議［筋道だった正しい議論］が行われるようになったと聞いています。ところが、近年においては、魏の武帝［曹操］は法術［規則で人を縛ること］を好み、天下の人々は刑名［刑罰の定め方］を貴びました［そのために儒学が衰えたことをいう］。魏の文帝［曹丕］は通達［超越的な世界に通じること］を慕ったために、節義を守ることが軽んじられるようになり、それからは国家の規律が整わなくなって、放誕［無内容の大きな話］が朝廷内にまで満ちるようになり、ついには天下から清議がなくなってしまいました。陛下は竜が空に飛ぶ勢いで皇位を受けられて、これからは（古の聖天子の）堯や舜のように天下を教化されて行こうとされています。臣が思いますに、清遠有礼の臣［清潔で理念と礼を具えた人物］を挙げることで人々の風節をしっかりと立て直そうということをまだなさっておられませんし、下卑た連中の慎みのなさを懲らしめることもまだ行っておられません。臣は敢えて以上のことを申し上げる次第です」。皇帝はその意見を褒めて受け入れ、傅玄に詔の草案を作らせた。しかし、そのころの風潮を改めることはできなかった。
【補足】（1）皇帝を諌めることを専門の任務とする諌官を晋は初めて設置した。その手始めに、傅玄は士の風儀を立て直すことを提言した。士とは学問を身に付け、国家に奉仕し、民衆を指導するような人。傅玄は、魏朝の過ちによって士はすっかり堕落し、竹林の七賢人に代表されるように愚もつかない清談に耽るようになってしまったので［→通鑑262-04の一］、その風潮を改めなければならないと主張している。清談と清議の大きな違いは、清談は老子や荘子の思想に基づく実用性のない議論であるのに対して、清議は儒学に基づく主に政治向きの議論であることで、傅玄は政治に無益な議論にうつつを抜かす連中を一掃すべきだと考えている。しかし、清談が流行した背景を考えると、魏朝に問題があったのではなく、司馬氏の皇位簒奪に向けての動きが心ある士を虚無へと駆り立てたものであったのだから、傅玄のこの主張はかなり見当外れである。
（2）諌官を設けたことについて、王夫子の『読通鑑論』は、皇帝を諌めることがいかに難事であるかを、周代から明代までの歴史を俯瞰して議論を展開している。王夫子のその議論は、訳者のように言論の自由は民主主義にとって欠くべからざるものであると強く考える者にはほとんど受け入れることができない。したがって、王夫子の考えを歪めることなく要約することすら困難であるので、ここでは割愛する。
【訳文】
［265-15］かつての漢朝の征西将軍であった司馬鈞は、予章太守の司馬量を生み、司馬量は穎川太守の司馬俊を生み、司馬俊は京兆尹の司馬防を生み、司馬防は宣帝［司馬懿］を生んだ［以上は司馬氏の系譜のおさらい］。
［266-01］泰始二年、春、正月丁亥、魏の廟を用いて、征西府君［司馬鈞］以下の（司馬昭までの）先祖をそこに祀った。景帝［司馬師］も合わせて七室を祀ったのである。
【補足】昔の中国では、一族の先祖を祀った廟［宗廟］を設けて、定期的に祭祀を行うことを非常に重要視した。特に皇帝は、国家を守ることと宗廟を守ることとを併記する［→通鑑264-15］ほどにそれは大事な責務であると認識されていた。司馬炎は、漢の時代に遡って司馬鈞以下の直系の六代に合わせて、伯父の司馬師を宗廟に祀った。
【訳文】
［266-02］辛丑、景帝夫人［司馬師の妻］の羊氏を尊んで景皇后と呼び、弘訓宮を住まいとした。
［266-03］丙午、楊氏を皇后に立てた。皇后は魏朝の通事郎の楊文宗の娘である。
［266-04］群臣は、「五帝とは天帝の五つの現れ方であります。天帝の王気が時によって異なることをもって五つの名号が生じます。これからは明堂および南郊での祭祀に際には、（天帝とは別に設けられていた）五帝の座を除くべきです」。皇帝はこれに従った。皇帝は王肅の外孫であることから、郊祀の礼について、係の役人は王肅の意見におおむね従った。
【訳文】「五帝とは……」以下の記述が何を意味しているのか訳者にはさっぱりわからなかったのだが、王夫子の『読通鑑論』を見ると、我々にはさほど興味の湧かないことではあるけれども、なかなかに重要な事柄であるようだ。宗廟に誰を祀るのか、祭祀はどのように行うのか、朝廷にとっては重大な事柄である。そうした礼法に関して、後漢の終わりの鄭玄の説が後世に強い影響を与えたのだが、王夫子によると、鄭玄の説に反対した王肅の方が醇正で深遠であるという。王肅は魏朝の学問振興策のもとで出てきた学者で、多くの研究成果を発表した。王肅の娘は司馬昭に嫁ぎ、司馬炎はその息子であるので［→通鑑264-22］、晋朝では王肅の説に基づいて祭祀が行われるようになった。王夫子は、せっかく王肅が礼法に正したのにもかかわらず、世の中は次第に俗に流れ、鄭玄の説ばかりが尊重されるようになって、王肅の説は伝わらなくなり、ついには宋代の朱熹の形而上学的な迂遠な説が興るに至ったと言っている。
【訳文】
［266-05］二月、漢朝の皇族の拘束を解除した。
【補足】魏朝が出していた漢朝の皇族に対する禁令を解除した。これで漢の皇族の子孫にも晋朝に仕える道が開けた。
【訳文】
［266-06］三月戊戌、呉から、大鴻臚の張儼と五官中郎将の丁忠が（司馬昭に対する）弔問の使者としてやって来た。
［266-07］呉の散騎常侍の王蕃は態度が大きく、呉主の前で、「仰せのままに」と顔を伏せて承知することができなかった。呉主はそれを不快に感じていた。散騎常侍の万彧と中書丞の陳声は呉主に迎合して王蕃の悪口を言った。
丁忠が魏から還ってくると、呉主は群臣を集めて大宴会を開いた。王蕃はすっかり酔っ払って倒れ伏した。呉主はそれは偽りであろうと疑い、王蕃を担がせて外に出した。しばらくして王蕃を呼び戻すと、王蕃はすっかり威儀を正し、振る舞いは普段通りであった。呉主は大いに怒り、近くの者に命じて階下で王蕃を斬らせた。呉主は宮殿を出て来山に登り、親近の者に命じて、王蕃の首を投げ棄てさせ、虎や狼が噛み砕くのに任せた。王蕃の首は滅茶滅茶になってしまった。
丁忠は呉主に、「北方［晋］には防衛の備えがありません。弋陽を襲撃すれば取ることができます」と、説いた。呉主はそのことについて群臣に尋ねた。鎮西大将軍の陸凱は、「北方は巴や蜀を併合したところでありながら、我が方に使者を派遣して和を求めてきているのは、我が方の助力を必要しているからではなく、力を蓄えて時がくるのを待つためなのでありましょう。敵の勢いはいままさに強く、徼幸の勝ちを求めても、利が得られるとは思えません」と言った。呉主は軍を出さなかったけれども、ついに晋とは断絶した。陸凱は陸遜の一族の子である。
【補足】（1）呉の皇帝の孫皓の暴虐ぶりと、大局的な判断の過ちが記されている。陸凱は呉のまともな人物の代表としてこの後何度か登場する。
（2）余談ながら、首を棄ててめちゃめちゃにしてしまうのは、旧い中国においては我々が思う以上にひどい仕打ちであることを付記しておこう。伝統的な死生観では、人は死んだ後にも元の肉体をリユースすると考えていた。だから、遺体をできる限り元通りの形で埋葬しようとした。首がなければ死後の世界で首無しゾンビになってしまうし、遺体を焼かれてしまったら死後の世界で透明ゾンビになってしまうのである。ときに親の仇の遺骸を掘り出して損壊するといったことが行われたりするが、そうすると相手は死後の世界で大打撃をこうむるのである。
【訳文】
［266-08］夏、五月壬子、博陵元公の王沈が死んだ。
［266-09］六月丙午晦、日食があった。
［266-10］（先に亡くなった）文帝［司馬昭］の喪のあり方について、臣民は当時の制度に従って三日で服喪期間を終えた。埋葬がすむと、皇帝も喪に服することを終えたのだが、なお白い冠を付け、粗末な食事をとり、悲しみを表すことでは喪に居るのと同様であった。
秋、八月、皇帝は崇陽陵［司馬昭の墓所］に行こうとした。人々は、「秋の暑さがまだおさまならないなかで、陛下があまりに悲嘆されますのは、お体を損なうのではと恐れます」と、言った。皇帝は、「朕は山陵［父の墓所］を見ることができるならば、体も気分も佳くなると思っておるのだ」。そして詔を発して、「漢の文帝が（自分の死後において）天下の人々が喪に服すべき期間を短縮するよう言い残したのは、帝王として民をいたわろうとする謙虚な志によるものであった。山陵［墓所］に行くにあたっては、朕としてはどのように考えても喪服でなければならないと思う。朕は喪服を付けて行くが、群臣は旧制に従うのでよろしい」とした。それに対して尚書令の裴秀が奏上した。「陛下はいったんは喪にあることを解かれて、また喪服をお召しになるというのは筋が通りません。また、君主が喪服でありながら、群臣がそうではないというのでは、群臣の心は安らかではありません」。さらに詔が下され、「朕は墓所において十分に情を尽くすことができないのを恐れるだけで、衣服が問題なのではない。諸君が深く考えていることはよくわかったので、それに違うようなことはない」と、言って、喪服を付けることは沙汰止みとなった。
中軍将軍の羊祜は傅玄に言った。「（親に対する）三年の喪の定めとは、貴人もその期間は喪服で通すのが礼法であるとする決まりでした。陛下は孝の至りでありますから、いまは確かに喪服を脱がれてはおられますが、実際には喪にあるのと同じ礼を行っておられます。もしこの機会に古の先王の礼法を復活させることができるのなら、それは善いことでありましょう」。傅玄は、「服喪の期間が短縮されてすでに数百年になります。それを一日で古に戻すのは行い難いことです」。羊祜は言った。「天下の礼法を変えるのはできないとしても、せめて陛下が喪を遂げられるようにするのはよろしいのではないでしょうか」。傅玄は、「陛下が喪服を脱がずにいて、天下の人々が喪服を脱ぐというのでは、父子の間の礼だけがあって、君臣の間の礼がなくなってしまいましょう」と言ったので、ついに羊祜の考えは採用されなかった。
戊辰、群臣は皇帝の衣服を元通りに替えて、膳も元通りに戻すことを奏上した。詔を下し、「常に亡き父上のことを思って、喪にある礼を終えることができない。こうして沈痛の思いでいながら、米を食し、錦を着ることができようか。それは我が心を激しく損なうことになるであろうから、喪を終えることはできないのだ。朕は長く礼法を伝えてきた学者の家に生まれた。ある日急に父上を思う情を変えてしまうようなことができようか。すでに諸君らに従ったことは多い。孔子が（三年の喪を尽くさなかった）宰我を批難した言葉を思うがよい。もはやあれこれ言うでない」。これによって皇帝はついに粗衣粗食で三年を通したのだった。
［司馬光の評語］臣司馬光はこのように考えるものであります。「三年の喪の定めは、天子から庶民に至るまで通じるものであります。これは先王［古の聖天子］の礼法で百世にわたって変わらないものであります。漢の文帝は自分の心を師として、礼学を学ばずに古からの法を変えて礼を破壊し、父子間の恩愛を絶ち、君臣間の義を壊しました。これより後世の帝王は哀戚の情を篤くすることがなくなり、群臣はそのような帝王に諂い、敢えてそれを正そうとする者がいませんでした。晋の武帝はただ独り、天性のままに正して礼法を実践したのでした。不世出の賢君といえましょう。裴秀や傅玄のような連中は固陋庸臣［前例に従うだけの凡庸な臣下］であって、習慣のままに流されて、残念ながら、主君の美しさに付き従って行くことができなかったのです」。
【補足】（1）旧い中国では「三年の喪」という決まりがあった。父母の死後は悲しみにひたって三年間の喪に服すのが子として当然のこととされ、それを形として表す礼法の定めがあった。三年間は丸三年ではなく、足掛け三年間、つまり二十五カ月であるという。皇帝は人民の父母であるから、皇帝が死ぬと人々は「三年の喪」に準じた振る舞いをしなければならないので、そうした人々の負担を軽減するために、漢の文帝は自分の死後の服喪期間を短縮せよと遺言した。それが習慣として定着し、司馬昭の死後、群臣は三日間で喪服を脱いだ［三年を三日にしたのである］。司馬炎も一応は喪服を脱ぎつつも、実質的は喪にあるのと同じ状態を続けた。司馬炎はどうして長く喪に服すことにここまでこだわったのだろうか。心がそれを欲していたからという素直な理解でよいのだろうか。
（2）終わりのところで、「臣司馬光はこのように考える」とあるのは、『資治通鑑』の編集を主導した司馬光が突如顔を出して、自身の考えを述べたものである。『資治通鑑』は時の皇帝に読んでもらうための史書という体裁をとっているので、司馬光が自身の考えを皇帝に伝えようとしていると見てよいだろう。ここでは、あるべき皇帝像の一つの側面として、司馬炎の至孝を見習ってほしいと言っているのである。なお、司馬光が生きた宋代はなかなか礼法にやかましい時代で、君子と自任する者はいかなる重要な任務に就いていても、それから離れて必ず「三年の喪」に服した。昇進の機会を逃すまいとして服喪期間中であるのを隠して高い地位に就いたりすると、後で非難の嵐にさらされて、大変なことになった。ここで思い起こすのは、司馬昭は孝をもって天下を治めていると言った何曽の言葉である［→通鑑262-04の一］。皇帝になったものの、まだ実績のない司馬炎がすぐにも父に追いつけるものがあるとしたら「孝」があると本人が思ったのか、まわりが入れ知恵したのだろうか。足掛け三年の苦労は稔って、司馬光によって「不世出の賢君」と称えられるまでになったのである。さらに、司馬光の遠い先祖は、このときの朝廷の長老格の司馬孚［→通鑑265-11］であったといわれていることを思い起こすと、司馬光の絶賛も何やらあやしくなってくる。そこまで底意地悪く言うのなら、「もう『資治通鑑』は読まないでくれて結構」と、司馬光に叱られてしまうであろう。
【訳文】
［266-11］呉は宝鼎に改元した。
［266-12］呉主は陸凱を左丞相に、万彧を右丞相した。
呉主は他人が自分を視るのを嫌い、群臣は呉主の前に出ると、決して目を挙げないようにしていた。陸凱は、「君臣の間で相手の顔を知らずにいるという道はございますまい。もしも陛下の身に思いがけないことがあったときに、どこに赴けばよいのかわからないではありませんか」と言った。それで呉主は陸凱には視ることを許したが、ほかの者はもとのままであった。
呉主は武昌に（都を遷してそこに）居たので、（長江下流の物資の集積地である）揚州の民は川を遡って物資を供給しなければならなくなり、そこのことに非常に苦しんだ。また呉主の奢侈は際限がなかったために公私ともに窮乏した。
陸凱は次のような文書を提出した。「いまはどこも安泰でありますので、民を養い、国の財を豊かにすべく努めるときです。ところが、奢を窮め欲を極め、災いがないにもかかわらず民衆の命は尽き、何事もないはずであるのに国庫は空となっております。臣は竊にことのことを痛むものであります。かつて漢朝が衰えて三国が鼎立するようになり、今では曹氏［魏朝］も劉氏［蜀朝］も道を失ったために晋朝のものとなっています。これは目の前にはっきりと見えている事実です。愚かな臣は陛下のために国家の現状を残念に思うものであります。武昌の地には危うさが潜み、土地は痩せていて、王者が都とすべきところではありません。いま子供たちは、『武昌の魚を食うよりは、建業［もとの都］で水だけ飲んでいたほうがましだ。武昌で生き続けるよりは、建業に帰って死んだほうがいい』と歌っております。これを観ますと、民心も天意も示すところは明らかであります。いま国庫には一年の蓄えさえなく、民には建業から引き離された怨みがあります。国家は徐々に根がむき出しになりつつあるようなありさまでありながら、官吏はひたすら厳しく搾り取るばかりで、民を憐れむことをしていません。大帝［初代皇帝の孫権］のときには、後宮に並ぶ女性やその身の回りの仕事をする者は百人もいなかったのですが、（三代皇帝の）景帝以来、千をもって数えるまでになり、これは財を消耗させている甚だしい一例です。また陛下のお近くに仕える者はその任にふさわしくない者ばかりで、寄り集まって忠臣を損ない賢臣を隠しています。これは全て政を虫食いだらけにして民を病ませるものです。臣が陛下に願いますのは、民を苛烈に使役することをしばしおやめになり、宮女を解放し、清潔な官僚を選ばれますように。そのようにすれば天は悦び民はなついて国家は永ぐ安らかでありでしょう」。呉主は不快に思ったが、陸凱が人望あることをもって特に受け入れた。
【補足】ここを読むと、呉にとって最も不必要な人間は孫皓であることがよくわかる。孫皓が特別に愚かだったわけではなく、『資治通鑑』を読むなら、旧い中国の皇帝制度は国家を損なうリーダーを生み出す装置としての性能に優れていたことが知れ、孫皓はその性能評価テストの平凡なエビデンスでしかない。
【訳文】
［266-13］九月、詔を下した。「これからは詔を発して為すべきとしたことであっても、あるいは奏上されたことに対して可としたことであっても、実際によろしくないところがあったならば、どれも隠さずに申し出るように」
［266-14］戊戌、有司［担当の官僚］が、「大晋は魏から禅りを受けましたので、（古の聖天子の）舜が（前代の）堯の制度を遵守した故事に倣って、前代からの暦や服色を用いるのがよろしいでしょう」と奏上したので、それに従った。
［266-15］冬、十月丙午朔、日食があった。
【訳文】
［266-16］（呉の）永安の山賊の施但が、民衆が疲れて（呉主を）怨むのに乗じて数千人を集め、呉主の弟の永安侯の孫謙を脅かして（首領にまつりあげ）反乱を起こした。（北に進んで）建業に近づいたころには一万人以上に膨れ上がった。あと三十里のところに留まり、吉日を選んで入城することにし、孫謙の命令だとして丁固と諸葛靚を呼んだ。丁固と諸葛靚はその使者を斬り、兵を出して牛屯で戦った。施但の兵士は甲冑もなく、すぐに敗れて散り散りになった。独りで車中に坐していた孫謙は生け捕りになった。
丁固は孫謙を殺さずに、（武昌にいる）呉主に文書で報告した。呉主は孫謙もその母も弟の孫俊も全員を殺すように命じた。かつて気を望む者が、「荊州に王気があります。きっと揚州を破るでありましょう」と言ったことがあった。それで呉主は都を武昌に移したのだった。施但が反乱を起こしたのを見て、呉主は自分の計略が当たったと思った。そして、数百人の者たちに太鼓を叩きながら賑やかに建業に入らせて、施但の妻子を殺し、「天子は荊州の兵を使って揚州の賊を破った」と言わせた。
【解題】（1）呉の民衆は国の圧政に耐えきれず反乱を起こした。しかし、正規軍によってたちまち平定されてしまった。呉主の弟の孫謙とその家族は気の毒な被害者である。皇帝はライバルとなり得る兄弟に対しては、機会がありさえすれば容赦ない仕打ちをする。
（2）孫皓が遷都［→通鑑265-10］した理由がここで明かされている。「望気」［気を望む］とは、空に何やら不思議な気配が空に生じるのを見て、国の重要な事象を予言する行為である。新たな王が出現する町の上空には「王気」が立ち昇るとされた。ここでの予言は、西方に王気が立ち、東方［都］を圧倒するというものであった。孫皓の振る舞いは我々には理解不能ではあっても、本人は図に当たったと喜んだのである。
【訳文】
［266-17］十一月、（冬至に行う）圜丘の祭祀と、（夏至に行う）方丘の祭祀を、南郊および北郊で行う祭祀に合わせることにした。
［266-18］漢のもとの皇帝を監視していた山陽公国督軍を廃止し、漢帝の子孫に対する禁制を解いた。
【訳文】
［266-19］十二月、呉主は建業に還って（再び）都とした。皇后の父の衛将軍録尚書事の滕牧を武昌に留めてそこを治めさせた。朝廷の人々は滕牧が皇帝の目上の姻戚であることをもって、滕牧を推して皇帝を諌めることをしていた。（それを皇帝は煩わしく思ったので）滕皇后への寵愛は次第に衰え、さらには滕牧を（遠い南方の）蒼梧の地に移した。爵位を奪ったわけではなかったが、事実上の左遷で、滕牧は道の途中で憂いて死んだ。（皇帝の母の）何太后は滕皇后をいつもかばい、また太史の官にある者が皇后を替えるのはよろしくないと言い、呉主はまじない師の言うことを信じてもいたので、皇后を廃することはしなかった。滕皇后はいつも昇平宮に行って何太后に奉仕した。皇帝は皇后の顔を見ることはなく、後宮の女性たちには皇后のしるしを付ける者が非常にたくさんいた。滕皇后は朝臣の挨拶を受けるだけであった。
呉主は黄門［宦官］を各地に派遣して、将吏の家の娘を取り上げた。位の高い大臣の娘については毎年その名を報告させて、十五、六歳になると一度呉主が見て、気に入らないと他家に嫁入りすることが許された。後宮には千人以上の女性がいたのだが、際限なく新たに女性を採っていた。
【訳文】
［267-01］泰始三年、春、正月丁卯、皇帝は息子の司馬衷を皇太子にした。その際に詔を下して、「近世においては太子を立てると必ず赦令が出された。いまは世の中が平穏になろうとしているときであるので、好し悪しを正しく示し、たまたまの幸運がころがり込んでくるのを民衆が望むようなことは絶つべきである。曲げて小人に恵みを垂れるようなことは朕はしない」と言った。それでついに赦令は下されなかった。
［267-02］司隸校尉の李憙が次のように弾劾した。「もとの立進令の劉友、前尚書の山濤、中山王の司馬睦、尚書僕射の武陔はそれぞれ官有の稲田を私的に占拠しています。山濤と司馬睦らを免官に処すべきであります。武陔はすでに死んでいますので、その諡を剥奪すべきです」。それに対して詔が下された。「劉友は民衆を侵して剥奪し、役人を惑わしたので、その罪を考究して邪佞に対する懲めとすべきである。山濤らは過ちを二度としないであろうから、不問に付してよろしい。李憙は志が高く、公のことを考え官人としての勤めを行っている。国家の司直というべきである。漢の光武帝は、『高貴の者さえも手をつかねて二人の鮑氏を避けておる』［厳格な鮑氏を憚ったということ］と言ったが、李憙はそのような者である。群臣には李憙のことを言い伝えて、それぞれの司るところを慎んで行うようにさせよ。今回のように処罰を緩めるような恩はしばしばあるものではない」。司馬睦は宣帝［司馬懿］の弟の子である。
［司馬光の評語］臣司馬光はこのように考えるものであります。「政の大きな基本は刑賞の正しい運用にあります。刑賞の運用の仕方が明確でないと、政は成り立ちません。晋の武帝［司馬炎］は山濤を赦し、かつ李憙を褒めました。刑も賞もふたつとも原則を失っております。李憙が言うことを是とするなら、山濤は赦すべきではありませんし、李憙が言うことを非とするなら、李憙は褒めるに足りません。李憙を褒めて物を言わせ、しかし言ったことは用いないのでは、下の者を残念がらせ、上の者は恣意的に権威を玩んでいることになってしまいます。これでは刑賞の正しい運用はできません。しかも、李憙が告発した四人は同罪でありながら、劉友だけが罰せられて、山濤らは不問に付せられました。貴人は刑を回避でき、地位の低い者は刑を施されるというのは、正しい政のあり方なのでしょうか。晋朝は創業の初めから、政の根本が成り立っていません。これでは皇統を後の世に長く伝えるのは難しいというべきでありましょう」
【補足】司馬光の評論は、原理原則を大事にして何事においても必ず筋を通そうとする宋の時代の言説の特徴をよく示している。とりわけ司馬光はごりごりで、原理原則論争に熱心になる余り、国政の空白期を招いたこともあった。
【訳文】
［267-03］皇帝は李憙を太子太傅にし、李密を呼んで太子洗馬にしようとした。李密は祖母が老いていることをもって固辞したので、許された。李密は人と交わるときに、いつも人の長短をおおっぴらに議論し、人に対して厳しく責めることがあった。そして、いつも、「私は世の中に独り立り、己を顧みて一緒に立つ者はいない。それでも恐れずにいるのは、人によって態度を変えることがないからだ」と言っていた。
【補足】司馬炎は厳格な李憙と李密を息子の皇太子に付けて、次代の帝王としての教育をしようとしたのだろう。
【訳文】
［267-04］呉は大赦を下し、右丞相の万彧に巴丘を治めさせた。
［267-05］夏、六月、呉主は昭明宮を作った。高官たちは皆自ら山に入って木を伐るのを監督した。大々的に庭園を開き、土の山や楼観を築き、いずれも技巧の限りを尽くした。建設の費用は万とも億とも膨大であった。陸凱は諌めたのだが呉主は聞かなかった。
中書丞の華覈が次のような文書を提出した。「漢の文帝の世に天下は安らかでありましたが、賈誼だけは、そのときの国の状況を、『積み上げた薪の下に火を置いて、薪の上に寝ているようなものだ』と見ていました。今は大敵が中国の中心部にいて、天下の人の大半があちら側にいて、わが国を呑み込もうとの計画を立てています。漢の時代には淮南や済北で不穏な動きがあっただけでありましたから、現在の事態の切迫度は賈誼の時代と比べて全く異なっています。いま国庫は空っぽで、民衆は本業を失っています。北方ではたくさんの穀物を積み上げて民を養い、我が方に向かってこようと専心しています。また、交趾の反乱によって嶺南の地は動搖しておりますので、前にも後ろにも困難を抱えて、まさに前途多難であります。つまり我が国にはいま厄が集まりきているのであります。この急務を捨てて、宮殿の建設に力を尽くしていましては、もしも思わぬ事態が生じたときに、国境であがる狼煙に応じるために、宮殿の建設に従事させられて不満を抱く民衆を駆り出して、工事の場から白刃のきらめく戦場へと行かせなくてはなりません。これは大敵を利するようなものであります」。
このころ呉の風俗は奢侈に染まっていたので、華覈はまた次のような文書を提出した。「いま国家の事業がいくつもあって民衆は頻繁に使役され、民は貧に瀕しています。そうでありながら、風俗は奢侈に流れ、職人は無用の華美な器物を作り、婦人はあでやかに着飾り、皆がそれに倣って、豪華な器物や派手な衣類がないのを恥じるありさまで、兵士を出す家でさえも、そのような風潮を追いかけて、家の甕には貯えがなくても美しい服を着て外出しようとしています。身分の違いもなしに誰もが贅沢を極め、財費を消耗し、労力を費やしています。このようなことで、国を富ませることはいったいどのようにしたらできるのでしょうか」。呉主はこれもまた耳に入れなかった。
【補足】孫皓の愚かさは驚くべきであるが、これでも旧い中国の皇帝を採点すれば、偏差値で40点くらいにはなるのだろう。
【訳文】
［267-06］秋、七月、王祥は睢陵公をもって官職から退いた。
［267-07］九月甲申、役人の俸給を増額した。
［267-08］何曽を太保に、義陽王の司馬望を太尉に、荀顗を司徒にした。
［267-09］星を見たり気を見たりして占いをする讖緯の学を禁じた。
【補足】星は現実に見える存在であるから、星を見て占おうとするのはまだしも理解できなくもないが、気を見て占うという「望気」は全く意味がわからない。晋朝はそれを禁止し、孫皓はそれを信じた［→通鑑266-16］。あやしげな予言に頼ろうとする権力者は少なからずいて、その点でも孫皓は特別に下劣だったわけではない。
【訳文】
［267-10］呉主は孟仁を丞相として職務に当たらせ、呉主自身は都から東に出て、（烏程県にある父の墓所の）明陵で、父の文帝の霊を迎えた。中使［宦官］が陵との間を往復し、皇帝は父の霊に日頃の様子を尋ねた。巫覡［まじない師］は文帝は生きているときと同じような服を身に付け、顔色も同じであると言った。呉主は悲しんだり喜んだりしながら、東門の外で父を迎えた。呉主は廟に入り、七日間に及んで三度祭祀を行い、大勢の倡伎を並べて、昼夜わかたず（父とともに）遊んだ。
【補足】孫皓の父の孫和は、もともと孫権の皇太子として二代皇帝になるはずであったのだが、政争に巻き込まれ、廃嫡の上、自殺を強いられた。孫皓としてはそのような父に特別な思いがあるのは理解できるのだが、都を離れて父の墓参りをするのは、民衆にそれ相当の負担を強いるものであり、しかも父の霊と交感するというまことにいかさまなことが行われている。司馬炎が三年の喪を貫いたのを絶賛するのなら［→通鑑266-10］、孫皓のこの行為だって至孝というべきなのかもしれない。
【訳文】
［267-11］この年、鮮卑族の拓跋沙漠汗をその国に帰らせた。
【補足】これは北方諸民族に関する記事。鮮卑族の拓跋氏はもとは中国から北に遠く離れたところにいたのだが、次第に力を付けつつ南下し、これより26年前についに魏と接触するに至り、沙漠汗を魏の都の洛陽に人質として入れていた［→通鑑261-04］。その帰国を許したのである。
【訳文】
［268-01］泰始四年、春、正月丙戌、賈充らは律令を修訂して皇帝に提出した。皇帝は自らその講義に臨み、尚書郎の裴楷に読ませた。裴楷は裴秀の従弟である。
侍中の盧珽、中書侍郎の張華はこの新しい律のうち死罪に関する条目を書いて亭伝［宿場］に掲げて民に示すことを皇帝に請い、そのようにした。
また、詔を下して、河南尹の杜預に黜陟［官員の昇降］の課を作らせることにした。杜預はこのように奏上した。「古においては黜陟は心の内で検討され、それを法規でしばることはしませんでした。末の世になると遠く隅々まで見るのが難しくなり、専ら微細なところを追究するようになりました。心で判断するよりも耳目で得る情報を信じ、さらには耳目よりも書面に記されていることを信じるようになりました。書面が頻繁に作られるようになって、官員を評価する方策は偽りが多くなっていったのであります。魏朝のときの官員の考査は、漢の時代に京房が作った評定法にならったもので、それによる書類は精密なものでありましたが、細かすぎて本質から離れてしまいました。つまり長い時代にわたって通用するやり方ではないので、古の堯のころの旧い制度を見習って、大を取って小を捨て、煩瑣なところを去って簡便なものにする方が、きっと使い勝手がよいはずです。ものの理を尽くして直観的に本質を見抜くのは人でなければできないことで、人によるのではなくて法規に任せるというのでは、書面のために本当に大切なところを損なってしまうことになります。つまり、達官［高い地位にあって見識を具えた人］にその人が統率する官員の考査を任せる方がきっとよいのです。年ごとに官員の働きを審査してその優劣を評価し、六年経ったならば、主者［取りまとめ役］がそれまでのすべてをまとめ、六回とも優れているとされた者は特に抜擢し、六回とも劣るとされた者は免官にし、優るところが劣るところより少ない者はその地位に留め、優るところが少なく劣るところが多い者は左遷し、評価が一定しない者は主者がよく勘案して少しばかり降格処分を下します。細かな法規を設けるまでもないのです。また優劣の評価が情実も基づいてなされ、公の議論に適わない場合には、監督官庁に委ねてそれを弾劾すべきです。もし官員の昇降において公の議論とかけ離れてしまったならば、清議が大きく崩れてしまうことになります。それでは考査の法規があったところで無益なことになってしまうのであります」。結局のところ何も行われなかった。
【訳文】（1）このときに定められた律令は「泰始律令」と呼ばれ、その後の中国の法体系を規定する大きな意義を具えるものであったとされる。すなわち、律は刑罰を、令は行政に関わる規則で、その両者が一体となって実際の統治が行われるというのが国の基本形となったのである。
（2）杜預が官員の人事考査について述べているところは意味がよくわからなかったので、現代的な理解でかなりの意訳をした。訳の出来はともかくとして、上役が直観的に優劣を判断するのがよいか、細かい（客観的な）評価基準に基づいて書類審査をするのがよいのか、人間の働き方を評価するのはいつの時代でも難しい課題であることは変わらない。
（3）「清議が大きく崩れてしまう」と記しているところは我々にはわかりにくい。清議は通鑑265-14でも見ているが、一定の教養と声望を具えた士が共有する一種の世論、あるいは評価値のようなものである。ローカルな清議によって支持された者は官員として採用される可能性があるし、もっと広いレベルの清議の支持を得られた者は朝廷の大官に昇進する可能性がある。清議によってあまり支持されていない者を国が重用したならば、国の信頼性が揺らぐのであって、それを逆に「清議が崩れる」と言っているのである。なお、清議は具体的に目に見えるものではないので上から力で強引に押し切ろうとすればできてしまうので、魏の時代の政治はそちらを志向し、晋は清議を尊重することを建前として魏から権力を奪取した。後に、人事考査に関連する「清議」は具体的にわかりやすい家柄とか門地に置き換えられ、貴族が出現するようになる。
■■
【訳文】
［268-02］丁亥、皇帝は洛水の北で田を耕した。
［268-03］戊子、大赦を下した。
［268-04］二月、呉主は左御史大夫の丁固を司徒に、右御史大夫の孟仁を司空にした。
［268-05］三月戊子、皇太后［つまり皇帝の母］の王氏が亡くなった。皇帝は古の礼法に従って喪に服した。
［268-06］夏、四月戊戌、睢陵の王祥が死んだ。その門には訪れる高官の弔問客がなかった。一族の王戎は感嘆して言った、「太保［王祥］は（清潔な人であって）、正始のころ［魏から晋へ移行期］に、弁舌において特に優れているわけではなかったけれど、大事なときに遠くを見越した筋の通った発言をした。それは徳によって導かれた言辞であったといってよいだろう」。王祥は元公と諡された。
［268-07］已亥、文明皇后［王太后］を葬った。有司［関係する役人］は、「すでに埋葬の日を過ぎましたので、喪服を解くべきでありましょう」と、皇帝に申し上げた。皇帝は詔を下し、「一生にわたって母より愛を受け、それに報いるのにわずか数年の喪に服すことさえもできないというのでは、情として忍べない」。有司は固く請い願い、詔がまた下された。「孝を篤くすることができないのが残念であるのだ。（悲しみ過ぎて皇帝の身が）毀傷されるのを憂う必要なない。前代の礼法は一つに定まっていたわけではなく、最近の制度に必ず従わなければならないものでもない。思い通りに喪を十分に尽くしたいだけなのだ」。群臣は要請してやまなかったので、皇帝についにそれに従った。しかし、なお白い冠を付け、粗食を三年にわたって続け、文帝［司馬昭］に対する喪のときと同じようにした。
【補足】（1）皇太后の王氏とは、司馬炎の母、つまり王肅の娘である［→通鑑264-22］。司馬炎は母のときも三年の喪に服すことにこだわった。
（2）王祥は伝説的な親孝行者である［→通鑑256-11］。『資治通鑑』の最も信頼される注釈書を作った胡三省は、王祥が何をしたかというと、親孝行であったことと、司馬昭を拝しなかったこと［→通鑑264-05］だけで、政策提言において世に益するものは何もなかったと、厳しい評価を下している。なお、胡三省は宋がモンゴルによって滅ぼされた後、昼夜を問わず十年間にわたって『資治通鑑』の研究に没頭したという。明朝の滅亡を目撃した王夫子と似て、天下が覆った後に深く読みたくなる書物の一つが『資治通鑑』であったのだろう。なお、王夫子は、王祥が司馬昭を拝しなかったことについて酷評していたので、胡三省よりも手厳しい。かように何もしなかった者がどうして重用されたのかというと、清議に合致することを堂々と述べることに長けていたからであろう。現代でも、非の打ちどころのない空虚な言辞をもって世間の支持を得る者は少なくないであろう。
【訳文】
［268-08］秋、七月、たくさんの星が西に向かって雨のように流れ、そして地上に落下した。
［268-09］己卯、皇帝は崇陽陵［司馬昭の墓所］を訪れた。
［268-10］九月、青州、徐州、兗州、予州で洪水があった。
［268-11］大司馬の石苞は長らく淮南［淮河南方の地］にいて、その威信は著しいものがあった。淮北監軍の王琛は石苞のことをひどく嫌っていて、石苞は呉国と通じていると密かに朝廷に告げていた。たまたま呉の人々が入寇しようとしたので、石苞は土塁を築いて水を溜め、防御を固めた。皇帝はその行為を（反逆の準備ではないかと）疑った。羊祜は皇帝に向かって、石苞には何も心配するようなところはないと、言葉を尽くして説いた。しかし、皇帝はそれを信じないで、次のような詔を下した。「石苞は賊［呉］の状況を正しく判断することなく、土壘を築き水を溜め、民衆をいたずらに働かせている。よって罷免に処す。義陽王の司馬望は大軍を率いて、石苞を捕らえるように」。
このとき石苞は、孫鑠を自分の属官にするために呼び寄せようとしていた。孫鑠はかねてから汝陰王の司馬駿とよい関係にあった。司馬駿はこのとき許昌にいて、孫鑠は（都から）石苞のところに行く途中で許昌を通過し、司馬駿に会った。司馬駿はすでに皇帝が石苞を捕らえるために軍を派遣したことを知っていたので、孫鑠にそっと、「禍に関わらないようにしなさい」と告げた。孫鑠は許昌を出ると、寿春［石苞のいるところ］に馳せて行き、石苞に向かって、「軍を解散し、歩いて宿駅に出て、罰せられるのを待たれますように」と、勧めた。石苞はその通りにした。皇帝はそのことを聞いて疑いを解いた。石苞は都に詣でると、楽陵公として私邸に還ることができた。
【補足】（1）洪水があったのは黄河下流の地域。
（2）石苞は司馬炎の伯父の司馬師のころから司馬氏に忠実に仕えてきた人。司馬炎より40歳ほど年長で、このような上の世代の功臣をどのように遇するのかというのはなかなかに難しい問題であった。石苞が任されていた寿春の地は呉国に近く、司馬氏に歯向かう者が呉の力を借りて何度も反乱を起こしてきた場所であった［→通鑑257-03］。ここには記されていないが、呉国側も、司馬炎に石苞を疑わせるような工作をしていたようである。孫鑠の機転によって石苞は処罰を免れ、この5年後に79歳で亡くなるまで皇帝の近くで仕えた。
【訳文】
［268-12］呉主は東関に出て、冬、十月、将軍の施績には江夏に入るように、万彧には襄陽を襲うように命じた。晋は詔を下して、義陽王の司馬望に、中軍の歩騎二万を率いて竜陂に駐屯させ、呉が二方向から来るのに対する防御を後方から支援させた。荊州刺史の胡烈が施績を防いで破ったので、司馬望は兵を引いて帰還した。
［268-13］呉の交州刺史の劉俊、大都督の脩則、将軍の顧容は三回にわたって交趾を攻めた。交趾太守の楊稷はそれを防いで破った。鬱林の地も九真の地も楊稷の側に付いた。楊稷は将軍の毛炅と董元を派遣して合浦を攻め、古城で戦って呉軍を大いに破り、劉俊と脩則を殺した。敗軍は散り散りになって合浦に帰った。楊稷は毛炅を鬱林太守に、董元を九真太守にすることを晋朝に告げた。
［268-14］十一月、呉の丁奉と諸葛靚は芍陂に出て、合肥を攻めた。安東将軍の汝陰王の司馬駿はそれを防いで撃退した。
［268-15］義陽王の司馬望を大司馬に、荀顗を太尉に、石苞を司徒にした。
【補足】（1）石苞は正しく呉の動きを探知していたのだろう。実際に、呉は晋に対して軍を動かしたのだが、あえなく失敗した。
（2）交趾［ベトナム北部］の情勢については、通鑑264-19の後はここまで記事がないので、楊稷が交趾の太守になった経緯は『資治通鑑』からはわからない。楊稷のもとで戦っている毛炅と董元は魏［後の晋］の霍弋が派遣した人物で［→通鑑264-19］、別の史料には楊稷も一緒に派遣されたとある。ここに記されている交趾の攻防戦は遥か南方での呉と晋の戦いで、このときの勝利をもって霍弋は列侯に封じられている。
【訳文】
［269-01］泰始五年、春、正月、呉主は息子の孫瑾を皇太子にした。
［269-02］二月、（北西の国境地帯にある）雍州、涼州、梁州を分けて秦州を置き、胡烈を刺史とした。これより先に、鄧艾は鮮卑族から降伏してきた数万人の人々を雍州と涼州の間に置き、中国の人々と雑居させた。朝廷はいつしか鮮卑族が悪さをするのではないかと恐れ、かねてから西方に名が知られている胡烈に鎮撫させることにした。
［269-03］青州、徐州、兗州の三州で洪水があった。
【補足】（1）異民族を国内に置いて厳しい監視下に置くのは、外からの脅威を弱めることになる一方で、内に地雷を抱えるような危険性もあった。歴戦の雄である胡烈を西方に派遣した。
（2）昨年に続いて黄河下流部で洪水が起こった［→通鑑268-10］。長く続いた戦乱によって治水がおろそかになっていたのだろうか。
【訳文】
［269-04］皇帝には呉を滅ぼそうとの志があった。壬寅、尚書左僕射の羊祜に荊州の諸軍事の総指揮を任せて襄陽に置き、征東大将軍の衛瑾に青州の諸軍事の総指揮を任せて臨菑に置き、鎮東大将軍の東莞王の司馬伷に徐州の諸軍事の総指揮を任せで下邳に置いた。
羊祜は襄陽に赴任すると、さまざまな手を使って遠近の人々を手懐け、長江、漢水あたりの人心を得た。呉の人々に対しても信をもって接し、降伏した者が国に戻りたがるとすべて許した。国境警備の兵数を減らして、八百頃余りの農地を開墾した。羊祜が荊州に来たばかりのときは、兵団には百日分の食糧もなかったのだが、一年余りで十年分の蓄えができた。羊祜が軍中にあるときはいつも軽裘緩帯［皮のコートをふわりとまとって帯を緩くしめただけのくだけた服装］で、甲はかぶっていなかった。鈴閤［指揮官のいるところ］を護衛する兵士は十数人しかいなかった。
【補足】晋は呉の征服に向けて動き始めた。要の場所である荊州［襄陽］［→通鑑259-03の補足］に派遣された羊祜について特に記されている。
【訳文】
［269-05］済陰太守の文立が次のように奏上した。「もとの蜀漢の名臣の子孫で我が方に流れ移ってきた者を、その才能に応じて適宜用いることで、巴、蜀の人々の心を慰めるとともに、呉の人々の（晋に帰順したいとの）望みを強めるのがよろしいでしょう」。皇帝はそれに従い、己未、詔を下した。「諸葛亮は蜀漢でその心力を尽くし、その息子の諸葛瞻は戦難に臨んで義のために死んだ。その孫の諸葛京をその才能に応じて官吏として用いるように」。また詔を下した。「蜀漢の将軍の傅僉父子はその主君のために死んだ。天下の善とするところは一つであって、この国とあの国とで異なりはしない。傅僉の子の傅息と傅著は、没落して奚官［犯罪人の家族を労働者として使役する］に入れられているが、それを免じて庶人とせよ」
［269-06］皇帝は文立を散騎常侍にした。漢朝に仕えていたもとの尚書の程瓊はもとから徳のある行いで知られ、文立と深い親交があった。皇帝はその名を聞き、文立に尋ねた。文立は答えた。「臣はその人をよく知っております。ただし八十歳になろうとしていて、稟性謙退［本性からして謙虚］で、いまの時において望むところを持っておりません。ですから、臣からその人のことを陛下に申し上げることはなかったのです」。程瓊はそのことを聞き、「文立君は党派を作るような者ではない。それだから私はその人を善いと思っているのだ」と言った。
【補足】文立が皇帝に近づけた機会を生かして自分と親しい者を引き上げようとはしなかったので、程瓊は褒めた。『資治通鑑』がこの記事を採録したのはこのような行為が珍しかったからなのだろう。
【訳文】
［269-07］秋、九月、紫宮［天子の場所に比定される星座］に（見知らぬ）星が見えた。
［269-08］冬、十月、呉は大赦を下し、建衡と改元した。
［269-09］皇帝は皇子の司馬景度を城陽王に封じた。
［269-10］汝南の何定はかつては呉の大帝［孫権］の給使［召使］であった。呉主［孫皓］が即位すると、何定は自ら先帝によしみのある者であることを申し出て、宮中に呼び戻して内侍としてくれるよう求めた。呉主は何定を楼下都尉にして酒の買い入れを担当させた。何定は後に（昇進して）威福を専らにした。呉主は何定を信任し、様々なことを委ねた。左丞相の陸凱は面と向かって何定を批難した。「卿が前後の主に仕えているのはそもそも不忠であるのだ。国政を乱して傾けた者は決して天寿を満たすことはできないのだぞ。邪なことばかりして天聴を汚しているはどういうつもりなのか。自分から改心するならともかく、そうでなければ卿は不測の禍を見ることになるだろう」。何定はこのことを大いに恨んだ。
陸凱は公のために心を尽くし、内側からなる忠義を発して、朝廷に意見書を出すごとに飾らずに事実をそのまま指摘していた。陸凱は病気になり、呉主は中書令の董朝を使者として、陸凱に言いたいこと尋ねた。陸凱は言った。「何定は信用できません。都の外の仕事を授けるべきです。奚熙は小吏［下級官僚］の身で浦里塘を造ることを提案していますが、これを聞いてはなりません。姚信、楼玄、賀邵、張悌、郭逴、薛瑩、滕修とその一族の滕喜、滕抗は、ある者は清潔で忠勤、ある者は優れた才能があって、いずれも国をよく支える者であります。陛下におかれてはどうかお心に留めて、そのときの急務についてそれらの者に問われて、それぞれの忠を尽くさせるようにして、せっかくの人材を漏らしませんように」。賀邵は賀斉の孫、薛瑩は薛綜の子、楼玄は沛の人、滕修は南陽の人である。
陸凱は死んだ。呉主はもとよりその率直すぎる言辞を煙たく思っていたし、日々に何定が陸凱のことを悪く言うのを聞いてもいたので、陸凱の家を（都から）建安に移した。
【補足】陸凱は、これまでに見てきたように、孫皓の政治を改めさせようと様々な意見を述べてきたのだが、残念ながらそれが効力を発揮することはなかった。陸凱が率直な意見を述べても、譴責されずにすんでいたのは、陸氏がかねてから江南の地に根を張る豪族で、自前の軍団を持っていたからだろう。
【訳文】
［269-11］呉主は、監軍の虞汜、威南将軍の薛珝、蒼梧太守の陶璜を荊州道から、監軍の李勗、督軍の徐存を建安海道から進ませ、合浦で合流して交趾を撃つよう命じた。
【補足】晋に奪われた交趾［→通鑑268-13］を取り戻すべく呉は動き出した。陸路と海路の二方面から軍団を派遣したのである。
【訳文】
［269-12］十二月、有司［その筋の役人］は、「東宮［皇太子］が二人の傅［教育係］に対して敬う礼儀の在り方が同じではありません」と奏上した。皇帝は言った。「師傅を尊いとして敬うのは、道を尊び、教えを重んじるからである。どうして差があってよいものか。皇太子にはきちんと拝礼をさせるように」
【補足】晋は皇太子の教育係として大傅と小傅を置いていた。大傅は高位を極めた人に与える名誉職的なところがあるので、皇太子は大傅には恭しく接し、小傅にはそれほどではなかったのだろうか。皇帝は等しく敬うように指示している。
【訳文】
［270-01］泰始六年、春、正月、呉の丁奉が渦口に侵入してきたので、揚州刺史の牽弘が撃って走らせた。
［270-02］呉の万彧が巴丘から建業に還った。
［270-03］夏、四月、呉の左大司馬の施績が死んだ。鎮軍大将軍の陸抗を信陵、西陵、夷道、楽鄕、公安の諸軍事の総指揮として楽郷を治めさせた。陸抗は呉主の政事には欠けたところが多々あるとして、次のような文章を提出した。「臣は次のように聞いています。徳の等しい者同士が争ったときには（人や領地の）多い方が少ない方に勝ち、力が等しい者同士が争ったときには安定している方が不安定な者を制するのだと。このことから、（戦国時代の終わりに）六国は秦によって併呑され、（秦が滅んだ後に）楚は漢に屈したのであります。いま敵［晋］の拠っているところは、（かつて秦が強勢になり始めたころの領地である）関右の地や、（かつて漢が楚と争ったときの領地である）鴻溝以西の地だけにとどまるものではありません。しかも我が国の外には（戦国時代の六国のように）連合して助けてくれるような相手はなく、国の内側にはかの楚のような強い力もありません。もろもろの政治が衰え、民衆はいまだに落ち着いていません。人々が頼みとしているのは、長江や高い山が我が方の境を囲んでいることだけで、これは国を守ることにおいては実は小さな末事でありまして、智者はそのようなことを先に考えたりはしません。臣はこのようなことを思うたびに、夜中に枕を抱えて起き上がり、食事に臨んでも箸を取ることを忘れてしまいます。君主に仕えるのに大事な義とは、たとえ君主の意向を損ねたとしても君主を欺かないことです。謹んでいま考えるべき十七条を記しますので、どうか御覧になってください」。呉主はそれを受け取らなかった。
（交趾を撃つよう命じられていた）李勗は建安道から行ってもうまくいかないと考え、導将の馮斐を殺して、軍を引いて還ってしまった。かつて何定は李勗と姻戚になろうと息子の縁組を求めたのだが、李勗は承知しなかった。何定は、「李勗は理不尽にも馮斐を殺し、勝手に軍を撤収して帰ってきてしまいました」と皇帝に告げた。それで李勗と徐存、およびその家族は誅殺され、李勗の屍は焚かれた。
何定は諸将からそれぞれ御犬［宮中で飼う犬］を献上させていた。一頭の犬の値が絹数十匹に相当し、犬を繋ぐ紐の値が銭一万であった。御犬は兔を捕らえ、それが宮中の廚に供された。呉の人々は皆が何定の罪を憎んだのだが、呉主は何定は忠勤だとして、列侯の爵位を与えた。
陸抗は、「小人は道理に暗く、物事を浅くしか見ません。たとえ心から忠節を尽くしたとしても、事を任せるに足る人間ではないのです。まして、もとより奸心が篤く［悪知恵ばかりある］、憎愛が移り易い人間なのですから」と、何定を批判した。呉主はその意見を聞かなかった。
【補足】皇帝にものを言う人物として陸抗が登場している。陸凱［→通鑑269-10］と同じ陸氏の一員である。かつて陸凱も批判していた何定がいろいろとよろしくないことをしている。
【訳文】
［270-04］六月、戊午、胡烈は鮮卑族の禿髮樹機能を万斛堆で討った。しかし、胡烈は敗れ、殺されてしまった。都督雍涼州諸軍事の扶風王の司馬亮は将軍の劉旂を派遣して胡烈を救援しようとしていたのだが、劉旂は様子見をして前進しなかった。司馬亮はこのことで処分されて平西将軍に落とされ、劉旂は斬罪となった。司馬亮は、「指揮の咎は私から出たものです。劉旂の死はどうぞ免じてください」と言った。詔が下された。「罪が劉旂にないというのならば、罪はあるべきところにあるのだ」。司馬亮は免官となった。
尚書の石鑒を安西将軍にして秦州の諸軍事の総指揮を執らせ、禿髮樹機能を討たせることにした。樹機能の軍団は勢いづいていたために、石鑒は秦州刺史の杜預を出撃させようとした。杜預は、「敵はいま勝ちに乗じ、また馬が肥えている季節でもあります。一方で、この地の官軍は兵力がいまは欠乏しておりますので、諸郡の力を合わせ、食糧を大量に運び集めて、来春を待って進討すべきです」と言った。石鑒は、「杜預は軍の勢いを挫こうとしています」と朝廷に報告し、杜預を檻車に入れて廷尉［朝廷の取り調べ官］のところに送って、罪を論じることにした。石鑒は樹機能を討ったが、勝つことができなかった。
【補足】北方遊牧民の動きが記されている。先に通鑑269-02で、晋国内に移住していた鮮卑族の動きを警戒して、胡烈を西方に派遣したことを見ているが、晋国の外には鮮卑族のいくつかの集団があり、その一つ、禿髪部の樹機能の動きが活発化してきていた。武勇に優れた胡烈も負けてしまうくらいに遊牧民は武力に優れていた。
【訳文】
［270-05］秋、七月乙巳、城陽王の司馬景度が死んだ。
［270-06］丁未、汝陰王の司馬駿を鎮西大将軍にして雍涼などの諸州の諸軍事の総指揮に当たらせ、関中を統治させた。
［270-07］冬、十一月、皇子の司馬東を汝南王にした。
［270-08］呉主の従弟の前将軍の孫秀は夏口督であったが、呉主は孫秀を嫌っていた。民間では「孫秀はきっと図られるだろう」と言っていた。たまたま呉主は何定に五千の兵を率いさせて夏口で狩猟を行った。孫秀は驚き、夜のうちに妻子や親兵ら数百人を連れて晋に逃亡した。
十二月、（晋朝は）孫秀を驃騎将軍開府儀同三司にして会稽公に封じた。
［270-09］この歳、呉は大赦を下した。
【補足】孫皓と何定の遊びが皇族の孫秀の逃亡を誘発した。夏口は呉の都に近い長江を臨む地で、川を渡れば晋に逃げ込むのは難しくなかった。民間に流れていたデマからも、呉の人々の心が孫皓から離れていたことがよくわかる。
【訳文】
［270-10］かつて魏の時代に、南匈奴の五部を并州の諸郡に住まわせて、中国の民と雑居させた。南匈奴は、自分たちの先祖が漢の皇帝の外孫であると考えていて、劉を姓としていた。
［271-01］泰始七年、春、正月、匈奴の右賢王の劉猛が晋に叛いて国境の塞から出て行った。
【補足】ここには北方諸民族のうち匈奴の動きが記されている。南匈奴が中国内部の并州に住むようになった経緯は、第77巻の訳の終わりに付け加えた通鑑251-11にも記されていた。并州に移った南匈奴は五部に分割されて力を削がれ、各部には漢人の監視役が付いて、南匈奴の人々は制約の多い厳しい暮らしを強いられた。五部のリーダーの一人の劉猛は新天地を求めて長城の外に出て行った。『資治通鑑』には当然のことながら匈奴側に立った視点は一切なく、秩序を乱す厄介者として見ている。上で見た禿髪樹機能とともに、後の北方の大動乱へとつながる動きが出始めていた。
【訳文】
［271-02］予州刺史の石鑒は、呉軍を撃ってそのときに取った首級の数を偽って報告をしたことで処罰された。その詔に、「石鑒は大臣の位にあって、朕が信頼するところであった。ところが取るに足らぬ下役と同じような偽りをなした。君臣の義としてこのようなことがあってよいのか。いま故郷に帰らせ、これより終身用いることはない」と、あった。
【補足】石鑒は先に禿髮樹機能と戦って敗れた後［→通鑑270-04］、『資治通鑑』では触れられていないが、敗戦に関する朝廷への報告には偽りがあると、杜預が指摘した。杜預は石鑒によって監車で都に送られた人物で［→通鑑270-04］、石鑒と杜預は都で言い争いをした。その結果、二人とも罷免となった。石鑒は間もなく予州刺史に任じられ、汚名を早く雪ごうと焦ったのか、呉との戦いで得た首級の数を水増し、それでまた罷免になった。このようなことから、石鑒は全く信用できない人間のように見えるのだが、若いころには叩き上げの官僚として不正を糾弾することに熱心すぎて、まわりが辟易して地方に出されたこともあったと『晋書』には記されている。「終身用いることはない」と叱られながらも、またすぐに朝廷に呼ばれるので、皇帝には気に入られていたのだろう。
【訳文】
［271-03］呉の人の刁玄は（かつて蜀の地で手に入れていた）讖文［予言書］に詐って次のように書き加えた。「黄旗に紫蓋［いずれも天子のしるし］が東南に見える。ついに天下を有するのは荊揚の君［呉の皇帝］である」。呉主はこれを信じた。この月の晦、大挙して軍団を華里［都の西の地］に出した。太后、皇后および後宮の女性数千人を車に載せ、牛渚から西に進んだ。東観令の華覈らは固く諌めたのだが、呉主は聞かなかった。途中で大雪に遭い、道が塞がってしまった。兵士は武装したまま百人で一台の車を引いた。寒さで凍え、ほとんど死ぬばかりになった。兵士は、「もし敵に遇ったならば、すぐさま戈を逆向きにしよう」と皆で言い合った。呉主はそれを聞いて帰還した。
（晋の）皇帝は義陽王の司馬望に中軍［皇帝直轄の軍団］二万、および騎兵三千を率いて寿春に駐屯して呉の動きに備えるよう指示したが、呉軍が退却したので、取りやめとなった。
【補足】いんちきな予言を信じた孫皓のこのばかばかしい行為は、いかにも孫皓のイメージにぴったりすぎるので、かえって注意する必要があるのではないかと疑わせるところがある。呉の歴史を叙述した書物で最も信頼できるとされているのは陳寿がまとめた『三国志』のなかの「呉書」である。「呉書」にはこの雪中行軍の記録はなく、後に裴松之が様々な書物を渉猟して『三国志』を補ったもののなかにある。裴松之はそれぞれの典拠を明らかにしていて、信頼性は高いとされているが、面白過ぎる記事も散見される。『資治通鑑』の編者は裴松之を信じてこの記事を採用したのだろうが、一月末から二月初めに長江のあたりで大雪が降ったというのは不自然な気がする。
【訳文】
［271-04］三月、丙戌、巨鹿元公の裴秀が死んだ。
［271-05］夏、四月、呉の交州刺史の陶璜は九真太守の董元を襲撃して殺害した。（晋の交趾太守の）楊稷は部下の王素を董元の後任とした。
【補足】交趾［北ベトナム］での攻防戦の続きが記されている。陸路、交趾に向かっていた陶璜［→通鑑269-11］は九真を襲撃した。
【訳文】
［271-06］北地の胡が金城を襲撃した。涼州刺史の牽弘がこれを討った。さまざまな胡たちが晋に叛き、禿髪樹機能とともに牽弘を青山に囲んだ。牽弘は敗れて死んだ。
かつて大司馬の陳騫は皇帝にこのように言っていた。「胡烈も牽弘も勇気はあっても計略がありません。自分のやり方に強くこだわるところがあり、国境地帯を安定させるのにふさわしい人材ではありません。国の恥になることをしてしまうでしょう」。このとき牽弘は揚州刺史で、陳騫の命令に従順でないことが多くあった。皇帝は陳騫が牽弘とうまく合わないのでそれで誹っているのだろうと考えて、牽弘を懲らしめるとして都に呼び返し、ついで涼州刺史にしたのだった。陳騫は竊かに牽弘はきっと敗れるだろうと嘆息した。
はたして二人とも羌戎の和［諸民族との融和］を失い、戦いに敗れて身は戦場に没してしまったのである。これより何年も征討を繰り返してわずかな安定を得たので、皇帝は二人を用いたことを後悔したのだった。
【補足】北方事情の続き。北方の状況が安定を失った原因を、適任でない胡烈［→通鑑270-04］と牽弘を用いたことに求めようとしている。『資治通鑑』に限らず、旧い中国の史書は人の行為の集積によって歴史が進行して行くと見ているので、個々人の振る舞いにまず着目する。しかしながら、このころの北方の状況は、あたかもスーパーハリケーンの卵がぽこぽこと生まれ出てきているようなありさまで、誰かがそれをうちわであおいで消せるようなものではなかった。そのような巨視的な見方は後世の人間だから可能なのであって、陳騫の慧眼は尊重すべきであろう。
【訳文】
［271-07］五月、皇子の司馬憲を城陽王にした。
［271-08］辛丑、義陽成王の司馬望が死んだ。
［271-09］侍中尚書令車騎将軍の賈充は文帝［司馬昭］のときから寵遇されて朝廷の大事な仕事を任されていた。皇帝［司馬炎］が太子となったのには賈充の力が大きかったので、皇帝によってさらに寵遇されるようになった。賈充の人となりは口が達者で諂い上手で、太尉行太子太傅の荀顗、侍中中書監の荀勗、越騎校尉の馮紞と徒党を組んでいた。人々はそれを嫌った。
皇帝が侍中の裴楷に昨今の課題を尋ねると、「陛下が即位され、天下は陛下の徳に承服するようになりましたが、（古の聖天子の）堯や舜のころにはなお及ばないのは、賈充らの徒が朝廷にいるためです。天下の賢人を引き上げて、正しい政道を天下に広く及ぼし、私意をもって政治を行っていないことを明らかに示すのがよろしいでしょう」と、答えた。
侍中の任愷も河南尹の庾純も賈充とは協わなかった。賈充はその二人を皇帝の近くから離そうとして［侍中の職からはずそうとした］、「任愷は忠貞でありますから東宮［皇太子］にお付けになるのがよろしいでしょう」と言った。それで皇帝は任愷を太子少傅にしたのだが、侍中の身分はそのままにしておいた。
このころ禿髪樹機能が秦州、雍州のあたりを乱していたので、皇帝はそれを憂いていた。任愷は、「威望のある重臣で智略ともに具えた者を鎮撫に充てるのがよろしいでしょう」と言った。「誰かそのような者がいるのか」。任愷は賈充を薦め、庾純もそれがよいと言った。
秋、七月癸酉、賈充を都督秦涼二州諸軍事に充て、侍中車騎将軍の地位はそのままとした。賈充はこの人事に頭を抱えた。
【補足】（1）司馬望は皇族の一人として通鑑256-04以来、様々な場面で登場してきていた。魏から晋への移行期に活躍した人たちの一人で、そうした時代は徐々に過去のものになろうとしていた。
（2）賈充もまた移行期からの人で、『資治通鑑』は口のうまさで高い地位を得てきたと評している。その実例は通鑑257-03の記事で見ている。まともな人たちは賈充を朝廷から遠ざけようと、国境地帯に行かせることを皇帝に提案した。このことが「風が吹けば桶屋がもうかる」式の波及効果を生じさせる結果となる。
【訳文】
［271-10］呉の大都督の薛珝と陶璜らは十万の軍団で交趾を攻めた。城中の食糧は尽き、外からの救援は絶たれていたので、呉によって陥落させられ、楊稷、毛炅らは虜になった。陶璜は毛炅の勇健を惜しみ、生かしておこうと思った。ところが、毛炅は陶璜を殺そうと謀ったので、陶璜は毛炅を殺した。（先に毛炅によって殺された）脩則の子の脩允は、毛炅の腹を生きたまま剖き、その肝を割って、「これでもまだ悪さができるのかな」と言った。毛炅はなおも罵り続け、「残念なのはおまえたちの孫皓を殺せなかったことだ。おまえの親父など、犬を殺したくらいにしか思っていない」と言った。（晋の）王素は逃れて南中に帰ろうとしたが呉の人々によって捕らえられた。こうして九真、日南もすべて呉に降った。
呉は大赦を下し、陶璜を交州牧にした。陶璜は（少数民族の）夷獠を討って降した。こうして（呉の南方の）国境地域は全て平定された。
【補足】遠い交趾を巡る晋と呉の争いは呉側の勝利で決着した。毛炅が脩則を殺したことは通鑑268-13にあった。
【訳文】
［271-11］八月丙申、城陽王の司馬憲が死んだ。
［271-12］益州の南中の四郡を分けて寧州を置いた。
［271-13］九月、呉の司空の孟仁が死んだ。
［271-14］冬、十月丁丑朔、日食があった。
［271-15］十一月、（南匈奴の）劉猛が并州を襲った。并州刺史の劉欽らが撃って破った。
［271-16］賈充が（国境の町へと）赴任することになり、公卿が夕陽亭で送別会を開いた。賈充はそっと荀勗に、「何かうまい手がないだろうか」と尋ねた。荀勗は言った。「公は宰相でありながら一人の男［任愷］にやられてしまい、つまらないことであります。しかしながら、今回の赴任を辞するのは非常に難しく、ただあるとしたら、太子との婚姻を結ぶことだけで、そうすれば辞退しなくても自ずと都に留まれるでありましょう」。賈充は、「ならばその考えを誰に託したらよいだろうか」。「それは私が請け合いましょう」。それで荀勗は馮紞に、「賈公が遠くに出られたなら、吾等は勢いを失ってしまいます。太子の結婚相手はまだ定まっていませんから、陛下に賈公の娘を納れるようお勧めすべきです」と、言った。馮紞はもっともなことだと思った。
皇帝は初めは衛瓘の娘を太子妃にしようと考えていた。賈充の妻の郭槐は楊皇后の近くの人々に賄賂を贈り、楊皇后から皇帝に賈充の娘を納れることを説得させようとした。皇帝は、「衛瓘の娘にはよい点が五つあり、賈充の娘には悪い点が五つある。衛氏のよい点は、一家には賢人が多くいること、一族には子が多くいること、美しいこと、背が高いこと、色が白いことである。賈氏の悪い点は、一家には妬みを抱く者が多くいること、一族には子が少ないこと、醜いこと、背が低いこと、色が黒いことだ」。皇后は賈充の娘のよさを固く請け負い、荀顗、荀勗、馮紞らも賈充の娘は極めて優れていて、才徳があると称えた。皇帝はついにこれに従った。こうして賈充は都に留まって、もとに任のままとなった。
【補足】（1）劉猛は通鑑271-01で見たように、もとは并州内にいて外に出て行った人物。
（2）賈充は北方の諸民族との関係で苦労することになる国境地帯に赴任することに気が進まなかった［→通鑑271-09］。賈充が都からいなくなると困る荀勗たちが画策して、賈充の娘と皇太子司馬衷［→通鑑267-01］の結婚が定められた。それが、後に晋朝の命運に大きく影響する。それにしても、皇帝が挙げた五つの欠点はかなり強烈で、たぶん後のことを知る史家が筆を盛ったのだろう。
【訳文】
［271-17］十二月、光禄大夫の鄭袤を司空にしようとしたが、鄭袤は固く辞退して受けなかった。
［271-18］この歳、（もとの蜀漢の皇帝の）安楽思公の劉禅が死んだ。
［271-19］呉は武昌都督の范慎を太尉にした。右将軍司馬の丁奉が死んだ。
［271-20］呉は翌年の初めから鳳凰と改元すると定めた。
【補足】劉禅は、後世の評価としては愚かしい皇帝として不動の地位を保っているのだが、晋朝の庇護のもとで穏やかに生涯を終えられたのは本人にとってまことに幸せであったのだろう［→通鑑264-07の二］。そうした最期を獲得できたのだからなかなか大したものであったと言ってもよいのではないだろうか。
【訳文】
［272-01］泰始八年、春、正月、監軍の何楨が（南匈奴の）劉猛を撃ち、しばしば破った。何楨は密かに（南匈奴の）左部帥の李恪を利をもって誘い、李恪は劉猛を殺して降伏した。
【補足】劉猛［→通鑑271-15］はとうとう殺されてしまった。大国に逆らう少数民族はこのように汚い手段も使われて叩かれてしまうのだが、力関係が逆転する時代が迫ってきていた。
【訳文】
［272-02］二月、辛卯、皇太子［司馬衷］は賈充の娘を妻にした。このとき賈妃は十五歳で、皇太子より二歳年長であった。賈妃は妬忌［気が強くて嫉妬深い］であり権詐［強引な偽りごと］が多かった。太子は賈妃を気に入ったものの畏れた。
【補足】賈充の娘と皇太子司馬衷との婚儀が行われた。皇太子は数えでまだ十三歳であった。『資治通鑑』はいきなり賈妃にひどいレッテルを貼り付ける。昔の史書では必ずといっていいほどに「妬」の字でもって女性をけなす。「権詐」は権謀と詐術で、後の賈妃の振る舞いを見ると確かに当たっているようであるが、「詐」であるとするのを疑うと、むしろ政治力があると見るのがよいのかもしれない。皇太子の方は、才覚のある姉さん女房の尻に敷かれたような感じで、この関係は後の唐の時代の武則天と高宗皇帝の関係を連想させるものがある。ただし、残念ながら賈妃の能力は武則天にはかなり及ばなかったようである。武則天は中国史上唯一の女帝であって、それと比較するのは酷であろう。なお、レッテル貼りの名人の王夫子は皇太子に対しては、「愚なること古今に匹敵する者がいない」と、愚帝の大横綱だとしている。そこまで突出した者であるかどうかをこれから見ていこう。
【訳文】
［272-03］壬辰、安平献王の司馬孚が死んだ。九十三歳であった。
司馬孚は本性からして慎み深く忠義であった。宣帝［司馬懿、司馬孚の兄］が政治の実権を握ると、司馬孚はいつも自分を抑えて後ろに下り、魏から晋へと皇位が移行する際には、その謀議に預かることがなかった。景帝［司馬師］と文帝［司馬昭］は司馬孚が叔父であることから、敢えて自分たちに同調するよう迫りはしなかった。司馬炎が即位してから特に重く礼遇し、元日の儀式おいて司馬孚には輿に乗って上殿することを許し、皇帝は東側の階段で出迎えて拝礼した。そして座が定まると、皇帝が自ら觴を司馬孚に捧げて長寿を祝った。それはあたかも家の中で年長者に対する礼のようであった。皇帝が拝しようとするたびに、司馬孚は膝をついてそれを押しとどめた。
司馬孚はこのように尊寵されたのだが、それを誇るようなところはなく、いつも憂い顔であった。臨終の際に、次のように言い遺した。「魏朝の貞士であった河内の司馬孚、字は叔達は、（皇帝を補佐した古の）伊尹のようにも周公のようにもなれず、（王朝の交代時に世から逃れた）伯夷のようにも柳下恵のようにもなれなかったが、身を立てて道を行くことは、終始変わることなく一つを貫いた。死ぬときに着ている季節の服のままに粗末な棺に納めよ」。
皇帝は詔を下して、司馬孚には東園温明［特別に豪奢な棺］の器物を与え、漢朝の東平献王を葬ったときと同じようにせよと命じた。しかし、司馬孚の家の者は遺言に反するとして、皇帝から給された器物を一切用いなかった。
【補足】皇帝の司馬炎にとって祖父の世代の司馬孚が亡くなった。司馬氏が権力を握り始める前から一部始終を見てきた司馬孚は、皇帝から特別待遇を受けながらも憂い顔であったとここに記されている。司馬氏が魏朝に対してしたことを、必ず誰かが晋朝に対してするようになるだろうと危惧していたのではなかろうか。
【訳文】
［272-04］皇帝は右将軍の皇甫陶と事を論じ合っていて、二人は言い争いになった。散騎常侍の鄭徽は皇甫陶を罰するよう奏上した。皇帝は、「忠義からの正しい言辞は聞くのが煩わしいだけである。鄭徽が職分を越えて妄りに奏上したのは朕の意に反する」と言って、鄭徽を免官にした。
［272-05］夏、汶山［四川のチベットに近い地域］の白馬胡［少数民族の一つ］が周囲の部族を侵略したために、益州刺史の皇甫晏はそれを討伐しようとした。典学従事の何旅らはそれを諌めて、「胡夷たちが残ない合うのは常のことで、国にとって大きな患いとなるものではありません。この盛夏の時期に軍を出せば、大雨に遭ってきっと疫病にやられてしまいます。秋になるのを待って、冬に実行するのがよいでしょう」と言った。しかし、皇甫晏は耳を貸さなかった。胡人の康木子焼香も軍を出せば必ず敗れると言ったのだが、皇甫晏は人々が邪魔をしていると感じ、それを斬った。
皇甫晏は軍を率いて成都を発ち、観阪に至ったところで、牙門の張弘らは汶山の道が険阻なのを嫌い、しかも胡を畏れてもいたので、夜に反乱を起こして皇甫晏を殺した。軍中は大騒ぎになり、兵曹従事の楊倉は兵士を指揮して懸命に戦ったが殺されてしまった。張弘は、「皇甫晏は私たちを率いて反乱を起こそうとしたので殺しました」と嘘の報告をして、皇甫晏の首を都に送った。
皇甫晏の主簿であった何攀はこのとき母の喪に服していたのだが、このことを聞くと、都の洛陽に詣でて、皇甫晏は謀反を起こしていないし、張弘が兵士に略奪を許したことを明らかにした。
一方で、広漢主簿の李毅は広漢太守の王濬に、「皇甫殿は書生から身を起こした人で、謀反を起こしたりしても得るものがありません。ここ広漢郡と成都は近距離にありながら、広漢郡が梁州に属し、成都が益州に属しているのは、朝廷の考えとして、広漢郡をもって成都の襟首を抑えようとするものでありましょう。つまり、今日のような異変を防ぐためなのです。益州が乱れれば広漢にも影響が及びます。張弘はつまらない人間で、与する者は少数です。即座に征討すべきで、時を失ってはなりません」と言った。王濬はまず皇帝に願い出ようとした。李毅は、「主人を殺した賊は、悪人のなかでも最も大きな悪人です。普段の手順に拘ずらわっているときではありません。朝廷に願い出るまでもないことです」と言った。王濬は兵を発して張弘を討った。詔が下って王濬は益州刺史となった。王濬は張弘を撃って、それを斬り、三族を夷らげた。王濬は関内侯に封じられた。
王濬はもとは羊祜の参軍で、羊祜は王濬のことをよく知っていた。羊祜の兄の子の羊暨は羊祜にこのように言っていた。「王濬は奢侈が大好きな人間です。自由な裁量に任せてはなりません。制御する必要があります」。羊祜は、「王濬には大きな才能がある。王濬がしたいようにさせるならば、きっと天下のためになることをするだろう」と言った。その後、王濬は車騎従事中郎になった。
王濬は益州刺史になると、外に対して国の威信を明らかに示し、多くの蛮夷が王濬に付き従った。その後にわかに（朝廷の高官である）大司農に遷ることになった。
そのとき、皇帝は羊祜とともに呉を伐ることについて密かに相談していた。羊祜は長江の上流から勢いに乗って呉を伐るのがよいと考えていたので、密かに、「王濬を益州刺史として留めておいて、水軍を整えさせるようにしましょう」と、上奏した。それで、王濬には竜驤将軍の号を加え、益州と梁州の諸軍事の総指揮を執らせることにった。
王濬に詔が下り、「屯田をやめて、それにあたっていた兵士たちに船艦を造らせよ」と命じた。別駕の何攀は王濬に、「屯田兵は五六百人しかいません。それに船を造らせてもとても間に合うものではなく、最初に造った船は、後から造る船が出来上がるころには腐ってしまいましょう。諸郡の兵士を合わせて一万人余りを動員して造らせるなら今年の内に完成するでしょう」と言った。王濬はまず皇帝に報告しようとすると、何攀は、「朝廷は急に一万もの兵士を動員すると聞いたなら、きっと許しはしないでしょう。先に召集して、実際に船の建造に取り掛かってしまえば、その勢いを止めることはできません」と言った。王濬はそれに従い、何攀に造船および武器の準備を監督させた。こうして大艦が作られ、その長さは百二十歩、二千人余りを乗せることができ、木で城を作り、楼櫓を建て、四方に門が開かれ、船の上で馬を走らせることができた。
船の造る際に木屑が長江を蔽って流れ下った。呉の建平太守の吾彦は流れてきた木屑を取って、呉主に報告した。「晋には呉を攻める計画がきっとあります。建平の兵を増員して、長江の要所を塞ぐべきです」。呉主はそれには従わなかった。それで吾彦は長江を横断する鉄の鎖を張った。
王濬は自身の命令で兵士を集めたのだが、朝廷の指示であること証明するしるしはなかった。広漢太守の張斆は王濬が派遣した従事を捕らえて、朝廷に報告した。皇帝は張斅を都に呼び寄せ、「どうして密かに報告せずに、あからさまに従事を捕らえたのか」と責めた。張斆は、「蜀は中央から遠く離れていて、劉備はそれを用いて自立しました。従事を捕らえるくらいのことでは、臣としてはまだ軽すぎると思っています」と言った。皇帝はその答えを善いとした。
【補足】西方の少数民族の動きから、話は芋づる式に呉の討伐へと展開していく。呉を上流側から攻める計画のキーパーソンは襄陽にいる羊祜で［→通鑑269-04］、羊祜は王濬が成都に赴任したのを絶好の機会と捉えた。おもしろいのは王濬が部下の提言を聞いて朝廷への報告を後回しにして先に実行していることで、しかも同じことを二回もしている。
【訳文】
［272-06］壬辰、大赦を下した。
［272-07］秋、七月、賈充を司空侍中尚書令にし、軍の指揮権はもとのままとした。賈充と侍中の任愷の二人は皇帝によって寵任されていた。賈充は勢いを独り占めしたいと思っていたので、任愷を嫌っていた。朝士は二人のどちらかに付き従い、党派争いが入り乱れた。皇帝はそのありさまを知ると、賈充と任愷を召し寄せて式乾殿で宴を開き、二人に、「朝廷は一つでなければならない。大臣は和合するように」と言った。二人は拝謝した。しかし、二人とも、皇帝は知っていながら譴責しなかったのをよしとして、いよいよ憚ることなく争い、外では相手を尊重するように見せ、内ではますます深く怨むようになった。
賈充は任愷を吏部尚書に推薦した。それからは任愷が皇帝に直接会うことが稀になり、賈充は荀勗や馮紞とともに折を見ては皇帝に任愷のことを誹った。それによって任愷は罪を得て、家に籠って一生を終えることになった。
【補足】羊祜や王濬が地方で懸命に働いている間に、賈充は国の高官としてごく下らないことをしている。羊祜はそのような高官連中とは交わりを持とうとはしなかった。
【訳文】
［272-08］八月、呉主は征昭武将軍西陵督の歩闡を都に呼び寄せた。歩闡は父や兄の代から西陵にいたので、急に呼ばれていまの職を失ってしまうのではと心配した。また讒言のあることを恐れた。
九月、歩闡は西陵にいるまま晋に降ることにし、兄の子の歩璣、歩璿を洛陽に行かせて人質とした。（晋は）詔を下して、歩闡を都督西陵諸軍事衛将軍開府儀同三司侍中として、交州牧を領して、宜都公に封じた。
【補足】歩闡は先に武昌への遷都を孫皓に提議した人物［→通鑑262-04］。そのときは孫皓に忠実であったのだが、孫皓がやたらと臣下を殺してしまうのを見て、我が身の行く末について思い悩み、晋への投降を決意したのだろう。西陵は呉の西端の町、長江を使って蜀側から呉を攻めるときの入口に当たる。晋としては、西陵が手に入れば、呉の討伐作戦の初戦にすでに勝利したも同然となる。
【訳文】
［272-09］冬、十月、辛未朔、日食があった。
［272-10］敦煌太守の尹璩が死んだ。涼州刺史の楊欣は敦煌令の梁澄を太守にするよう朝廷に提議した。（敦煌にいる）功曹の宋質は梁澄ではなく議郎の令狐豊を敦煌太守にするよう朝廷に提議した。楊欣は兵士を派遣して従わせようとしたのが、宋質のために敗れてしまった。
【補足】敦煌は、都からは涼州を経由して西に最も遠い町。ここに記されていることの意味はよくわからないが、中央の号令に現場が従わないようになっていたということであろうか。敦煌は周囲を諸民族に囲まれているので統治が難しい場所である。
【訳文】
［272-11］呉の陸抗は歩闡が叛いたと聞くと、それを討つために、すぐに将軍の左弈と吾彦らを派遣した。
（晋の）皇帝は荊州刺史の楊肇には西陵へ進んで歩闡を迎え入れるよう命じ、また車騎将軍の羊祜には歩兵を率いて江陵に出て、巴東監軍の徐胤には水軍を率いて建平を撃って、歩闡を救援するよう命じた。
陸抗は西陵周辺の諸軍に命じて、赤谿から故市に至るまでの厳重な囲みを作らせ、その内側に歩闡を閉じ込め、また外側に対しては晋兵を防げるようにしようとした。陸抗はその工事を昼夜を問わず督促し、あたかも敵軍がすでにきているかのような厳しさであったので、衆人は非常に苦しんだ。諸将は陸抗を諌め、「いま我が軍団の鋭さをもって三方から急に歩闡を攻めれば、晋が救援にくるまでにきっと城を拔けるに違いありません。囲いを作るために士民の力をいたずらに費やす必要性がどこにあるのでしょうか」と言った。陸抗は、「この城はもとより堅固な勢いをもっていて、食糧も十分にある。しかも防御の備えはかつて私自身が整えたものだ。いまこれを攻めてもすぐに抜くことはできない。そこに晋兵がきてしまって、敵に対する備えがないようでは、表裏からの難をどうやって防げばよいのか」と言った。それでも諸将は歩闡を攻めたがったので、陸抗は衆心を納得させるために一度だけ攻めるのを許した。果たして戦果はなかった。
西陵の包囲が完成したころになって、（晋の）羊祜の五万の兵団が江陵に至った。それで（呉の）諸将は、我々は（下流の江陵を優先して）西陵の方へと軍を上らせることはないだろうと思った。陸抗は言った。「江陵は堅固で兵士は十分にいるので、憂うべきことはない。たとえ敵が江陵を得たところで、それを守ることはできない。江陵を失っても損害は大きくはないのだ。一方で、もしも晋軍が西陵に拠ったならば、南山の群夷［もろもろの少数民族］が全て動揺し、その患いは計り知れない」。それで軍を率いて西陵に向かった。
陸抗は江陵の北側の地は平坦であることから、江陵督の張咸には、大きな堰をつくって水を止めて平地を水に漬けて敵が来るのを遮断するよう命じていた。羊祜は止められた水を使って船で食糧を運ぼうと考え、「堰を破壊して歩兵を通す」と（敵の裏をかくために）あからさまに宣言した。陸抗はそれを聞くと、（そらにその裏をかいて）張咸にすぐに堰を破らせた。諸将はとまどい、しばしば諌めたのだが陸抗は聞かなかった。羊祜は当陽に到ると、堰が破壊されたと聞き、船ではなくて改めて車で食糧を運ばなくてはならなくなって、大くの労力を費やした。
十一月、（晋の）楊肇は西陵の手前に至った。陸抗は公安督の孫遵には長江の南岸に沿って軍を敷いて羊祜が北上してくるのを防がせ、水軍督の留慮には徐胤の水軍を防がせ、陸抗自身は大軍を指揮して囲みに拠って楊肇に対峙した。（呉の）将軍の朱喬と営都督の兪賛が楊肇のもとに逃亡した。陸抗は、「兪賛は軍中の古株で、我が方の事情をよく知っている。私はいつも夷兵［少数民族からなる兵団］は鍛錬が足りていないのを心配していた。敵がもしも囲いを攻めるとしたら、まず夷兵の守っているところを選ぶに違いない」と言って、その夜のうちに夷兵と精鋭部隊を交代させた。その翌日、果たして楊肇はもとは夷兵のいたところを攻撃してきた。陸抗は反撃を命じ、矢石が雨のように下り、楊肇の兵の多くが傷つき、大勢の死者が出た。
十二月、楊肇は作戦に窮し、（西陵城に入るのを断念して）夜のうちに退却した。陸抗は追撃しようと思ったが、力を蓄えていた歩闡が隙を衝いてきたなら兵士を分けて戦う余裕がないことから、太鼓を鳴らして兵士に号令を出して、あたかも追撃に出るかのように見せかけた。それで、楊肇の兵士は懼れて混乱し、甲を脱いで身を軽くして走って逃走した。陸抗は軽装の兵士にそれを追わせ、楊肇軍は大敗した。羊祜らも軍を引いて還った。
陸抗はついに西陵を抜き、歩闡やともに謀った将吏数十人を誅殺し、その三族を夷らげた。その他の数万人は朝廷に願って赦した。陸抗は東に楽郷に帰還し、誇る様子はなく、いつも通りに謙虚に振る舞った。呉主は陸抗に都護の号を加えた。
羊祜は平南将軍に降格となり、楊肇は免官となって庶人にされた。
呉主は西陵で勝利したことで、これは天の助けによるものだと考え、志をますます大きく膨れ上がらせた。術士の尚広に天下を取れるかを占わせた。尚広は、「吉であります。庚子の歳に、青蓋［皇帝の車］がきっと洛陽に入りましょう」と答えた。呉主は喜び、徳をもって政治をしようとは全く考えずに、もっぱら晋を併呑することばかりを思った。
【補足】呉は陸抗の活躍で大きな危機を乗り越えた。呉の皇帝の孫皓はそれで有頂天になり、いかさまな占いを信じた。庚子の歳とはこれより8年後で、術士は近すぎず遠すぎない絶妙な頃合いの年を選んだのだろう。この予言は孫皓が望んだのとは正反対の形で的中することになる。ということは、尚広が正真正銘の予言者であったのか、史家のでっちあげかのどちらかであろう。
【訳文】
［272-12］賈充が朝廷に並ぶ人々と宴飲したときに、河南尹の庾純が酔って賈充と言い争いになった。賈充が、「父老［老親］のために帰郷して孝養もしない、卿には天地を敬う気もないのかな」と言い、庾純は、「高貴卿公はいまどこにおられるのかな」と言い返した。賈充は恥じかつ怒り、重職を解いてくれるよう皇帝に文書で願い、庾純もまた自らを弾劾する文書を提出した。詔が下って、庾純を免官とし、五府［賈充を除く五人の大官］で善悪を判断するよう命じた。石苞は、「庾純は栄官に就いていながら親のことを忘れている。除名すべきである」と言ったが、斉王の司馬攸らは、「庾純には礼律に違反するところはない」と言った。詔が下って、司馬攸の議に従い、庾純は（免官にはならずに）国子祭酒になった。
【補足】賈充とそれに与しない人々による党派争いはなおも続いていて、その代表者による酒席での口喧嘩が勃発した。賈充が、「親の面倒もまとも見ていない」と、庾純をけなすと、庾純はかつて賈充が当時の魏朝の皇帝の曹髦［高貴郷公］の刺殺を指示したこと［→通鑑260-03］を持ち出して恥じ入らせた。中立の立場にある司馬攸［皇帝の弟］の裁定によってこの件はひとまず決着した。このようなことで揉めているのでは、晋の朝廷は早くも腐敗への道を進み出していたと言わざるを得ないだろう。
【訳文】
［272-13］先に呉主が（洛陽に行くと言って）華里に出たときに、右丞相の万彧、右大司馬の丁奉、左将軍の留平は密かに、「もし華里に行ったまま帰ってこなかったならば国家にとって重大事となる。だから帰らないわけにはいかないだろう」と話し合っていた。呉主はそのことを聞いたけれど、万彧らが旧臣であることから隠忍自重した。
この年、呉主はある会合で毒酒を万彧に飲ませようとした。酒を運ぶ人がそっと量を減らした。留平にも飲ませようとし、留平はそれを覚り、ほかの薬を飲んで毒を消したので死なずにすんだ。これによって万彧は自殺し、留平は憂いのあまり一カ月ほどで死んだ。万彧の子弟は（都を出されて）廬陵に移された。
かねて万彧は、忠義心があって清潔な者を皇帝の近くで用いるよう申し上げていた。それで呉主は大司農の楼玄を宮下鎮として殿中の事を司らせた。楼玄は身を正して人々を率い、法を奉じて事を行い、呉主に対する応対もきちんとしていた。呉主は次第にそれを嫌うようになった。
中書令領太子太傅の賀邵は呉主を諌める文書を提出した。「近年は朝廷の秩序が乱れ、真と偽が入れ替わり、忠義の臣が排除され、害に遭っております。正しい人々は気を挫かれ、凡庸な者は媚びて先回りをして時流に乗ろうとし、理に反することや、道に違えることを言い募り、清流を濁流に変え、ついには忠臣の口を閉ざしております。陛下は九天の上、百里の彼方のお部屋におられて、言葉を出せば人々が風に靡くように従い、命令を下せばただちに実行され、寵愛を受けて媚びる臣ばかりを近くにおいて、我が意に従う言葉ばかりを日々聞いて、この者たちはまことに賢人で、天下は安らかに治まっていると思っておられます。臣が聞いておりますのは、国を興す君主は我が過ちを聞くことを喜び、国を乱す君主は我を褒めるのを聞くのを楽しむとか。過ちを聞く君主は日々にそれを消そうとするので福が訪れ、褒めるのを聞く君主はそれが日々に増えると思っているうちに逆に禍がきてしまうのであります。陛下は刑法を厳しくして直言することを禁じ、善い人士を斥けて諌める口を塞いでおられます。日々の飲酒においても生命を保とうすることをお考えにならず、仕える者は退けられることを幸いとし、朝廷に居る者は外に出されるのを福としております。これは誠に国家の繁栄を保って、道に従って隆盛に向かうところのものではありません。何定はもとは召使の小人で、何ら能力がないにもかかわらず、陛下はその媚びを愛して威福をお与えになっておられます。小人は出世を求め、必ず偽りによって利を得ようとします。何定はいま妄りに（不要な）事業を興し、例えば長江を守る兵士を使って鹿狩りをし、老人や子供はそれによって飢え凍え、人々は怨み嘆いております。経典に、『国の興るときには民を見ること赤子のよう、国の亡ぶときには民を見ること草や芥のよう』とあります。いま禁令はますます苛烈になり、賦役はますます多くなり、宦官や近臣は勝手なことばかりをして、地方の長吏は罪を畏れてばかりいます。民衆はいまの苦しみを訴えるところを求め、人の力はもはや堪えられないまでになり、一家は離散し、嘆きの声が天の気を損なうに至っているのであります。いま国には一年の蓄えもなく、家には一月の蓄えもありません。しかし、後宮では一万人余りが贅沢な暮らしをしています。一方で、北の敵はこちらに目を注いで、国の盛衰を伺っています。長江の境も長く恃むことはできません。我らが守らずにいたならば、一本の葦でも長江を渡ることができます。陛下におかれては国の基礎を豊かにし、根本を強くして、情を抑えて道に従いますように。そうすれば周朝を再興した成王や康王と同じように、聖祖［孫権］の事業を受け継いで隆盛を迎えることができるでありましょう」。呉主はこれを読んで賀邵を深く恨んだ。
呉主の近くの者たちは、「楼玄と賀邵は道で出会うと、車を止め、ともに耳に口を寄せてささやき合い、政事を誹って大笑いをしております」と告げ口をした。呉主は二人を詰問して叱責した。楼玄は広州に送られることになり、賀邵は赦されてもとの職に戻された。そして、楼玄の行き先は交趾に変更になり、ついには殺されてしまった。それからしばらくして何定は悪事が露見し、誅殺された。
【補足】孫皓が華里に行ったのは、まやかしの予言を信じて洛陽を目指したときのことである［→通鑑271-03］。何定のことは通鑑269-10から何度も見てきたが、ここでついに罰せられた。
【訳文】
［272-14］羊祜は（作戦に失敗して）江陵から帰ってくると、徳を修めて民衆の信頼を得るよう務め、それによって呉の人々の心までも捉えるようになった。戦闘を交えるときにも、日時を定めてから戦い、不意討ちに出ることはなかった。将軍たちに奇計を進言しようとする者がいると、上等の酒をたっぷり飲ませて、言う間を与えなかった。羊祜が呉との境に軍を出して、その地で穀物を刈って食糧としたときには、呉から奪った分を計って、それに相当する絹を送って償った。長江の方面に人々を出して狩猟を行うときには、必ず晋の領地の内側に留まるようにし、もしも禽獣が先に呉の人による傷を負っていたならば、晋の兵士が得たものであっても呉に送って還した。こうして呉の国境地帯の人々は羊祜のことを喜び心服した。
羊祜と陸抗は境を挟んで対峙しつつ常に使者が行き来した。陸抗が酒を羊祜に送ると、羊祜は疑うことなしに飲み、陸抗が病気になって薬を羊祜に求め、羊祜が薬を調合して送ると、陸抗は即座に服した。人々は陸抗を諌めたけれども、陸抗は、「羊祜君は人に毒を盛るような男ではない」と言った。陸抗は国境を守る者たちに次のように告げた。「向こうがもっぱら徳をもってこちらに対し、我らがもっぱら暴力をもって対したならば、これは戦わずしてもう負けたことになる。それぞれに境を保てばよろしいのだ。小さな利を求めてはならない」
呉主は羊祜と陸抗が和して境を保っていると聞くと、陸抗を詰った。陸抗は、「一つの村落、一つの町であっても信義がなければ治まりません。まして大国同士であります。臣がもしもいまのようにしていなかったらならば、それは羊祜の徳を顕彰するだけのことで、羊祜は少しも傷つきはしないのです」
呉主は将軍たちの謀を採用して晋との国境をしばしば侵した。陸抗は朝廷に次のように申し述べた。「昔、夏朝が多くの罪を為したために殷の湯王は初めて軍団を動かしました。また、殷の紂王が淫虐であったために周の武王は初めて軍を指揮しました。武力を動かすべきときでないのなら、聖人であっても我が威力は自身を保つために養うだけで、軽々しく動くことはしなかったのであります。いま我が国は農作に力を入れて国を富ませることに務めるときであり、職分を審らかにして能力のある者を就け、その黜陟［昇格と降格］を明快にし、刑賞を慎み、徳をもって官員を指導し、仁をもって民衆を撫育すべきでありますのに、将軍たちが功名心に走るのをゆるし、兵士を酷使して武を汚し、ややもすれば莫大な費用を使って結果として士卒を疲れさせているだけで、結局は敵を衰えさせるどころか、我らが大病を患ってしまっています。いま天下の帝王となることを争って巨大な利を貪ることを言うのは、狡賢い人臣のすることであって、国家の良策とはとてもいえません。昔、斉国と魯国は三回戦って、魯は二度勝ったものの、ついにはたちまち亡んでしまいました。それはどうしてかというと、斉が大きくて魯が小さく、そして勢いも異なったからであります。いま我が軍が勝って得たものは、失ったものを補うこともないのであります」。呉主はこの意見に従わなかった。
羊祜は中央にいる朝廷の貴人たちとは結びつきを持とうとしなかった。荀勗や馮紞の仲間は皆が羊祜を嫌った。甥にあたる王衍はかつて羊祜のもとを訪れて自身の見解を述べたことがあった。王衍は極めて弁舌が達者であったが、羊祜はそれには賛同しなかったので、王衍は衣を払って去った。羊祜は賓客たちの方を振り返り、「王衍君は名声を得て大位に就くようになるであろうな。しかし、敗俗傷化［善い教化を損ない社会のモラルを破壊すること］するのはきっとこの者である」と言った。羊祜は江陵を攻めたときに軍法をもって王戎を斬りそうになったことがあった。王衍は王戎の従弟である。それで王戎と王衍は羊祜を恨み、何かというと羊祜を批難した。このことから時の人々は、「二人の王氏が国政に当たり、羊祜には徳がない」と言った。
【補足】（1）ここに記されているように羊祜と陸抗が前線において徳をもって競い合ったのは、多少は美化されているとしても、史上稀に見る麗しいライバル関係であった。このような二人でも、呉の皇帝や晋の朝廷人からは嫌われた。
（2）羊祜が斬ろうとした王戎は竹林の七賢の一人［→通鑑262-04の一］。実用性がない清談は、羊祜の眼からしたら全く無意味だったのだろう。羊祜の王衍に対する評は、『資治通鑑』好みの予言で、例によって的中する。最後の人々の言葉は、本当とは逆のことを言ったものであろう。
（2）晋朝の重鎮が揃ってろくでもない人間であったことについて、王夫子は『読通鑑論』で次のように論評している。「人の起用が正しく行われ、同時に政治の運用が正しく行われて、その両者が相互に助け合う関係になっているときには国はきちんと治められる。魏が起用した崔炎、毛玠、辛毗、陳群、陳矯、高堂隆らは最上の君子とまではいえないにしてもいずれも鯁直清厳［正義感にあふれ清潔で厳格］であったのだが、政治の運用が苛烈であったために早くに人心が離れ、魏朝は速やかに滅んでしまった。晋が起用した賈充、任愷、馮勗、荀紞、何曽、石苞、王愷、石崇、潘岳らは貪冒驕奢［奢り高ぶって貪欲］な恥知らずばかりであったのだが、政治の運用が緩やかで民に恵み垂れることに留意したものであったので、人心を集めて政権交代を実現することができた。しかし、しかるべき人がいなかったことが原因で国はすぐに乱れてしまった。国家を誤らせたのは王衍だけが悪かったのではない」。