第13章 最後の游――雷州から常州まで
［第13章その一］
元符3（1100）年、蘇軾65歳。
■伏波将軍廟碑
［解題］6月20日の夜に海南島から海を渡って対岸の徐聞に到達した蘇軾は、3年ぶりに大陸の土を踏んだ。船着場の近くにある伏波将軍廟に詣で、往復ともに海の旅を無事に終えたことを感謝してこの碑文を記した。
［訳文］
漢の時代に二人の伏波将軍がいた。二人とも嶺南の民に対して功績があった。前の伏波将軍は邳離侯の路博徳で、後の伏波将軍は新息侯の馬援である。
南越（嶺南）は（古代の）三代以降も中国の内には入らずに、秦がしばらく役人を置いたものの、すぐにまた夷の地となった。（漢代の時代）路博徳は始めて夷の国を滅ぼして九郡を開いた。しかし、後漢に至って、二人の女性が反乱を起こし、六十余城を震駭させた。このとき光武帝は天下を平定したばかりで、民は疲れて戦いを嫌い、西方では玉関を閉じて西方諸国との関係を断っていたので、まして南方は官軍がわざわざ出向くまでもないところだとされた。もしも馬援がいなかったならば、嶺南はそのまま夷の国となっていたであろう。このことから二人の伏波将軍の廟が嶺南にあることは等しく理由があることで、昔から伝えられていることからは、どちらの将軍の廟であるのか一つには定められない。
私は先に海を渡って朱崖（瓊州の南）の地に行こうとしたときに、（大陸から）南の島の山の連なりを望み見ようとしたのだが、それはあるかないかのようで、遥か彼方に一本の髮の毛のようなものがあるばかりであった。船を用意し、いまにも渡ろうということになって、恐れる気持ちが湧き、魂を失うばかりとなった。
そのときに、海のほとりに、伏波将軍の祠があると聞いた。元豊年間に伏波将軍を忠顕王に封じてから、海を渡る者は必ずここで運を占うようになった。
「いついつの日は渡るによい日でありましょうか」
と、尋ね、吉とされたなら渡るのである。人々は、量りの分銅のようにそれは正確で、欺かれることはないと信じている。嗚呼、伏波将軍の徳が盛んでなければ、このようなことが果たしてあるだろうか。
漢代以降、朱崖や儋耳には州が置かれたこともあれば置かれなかったこともあった。揚雄はこのように書いている。
「朱崖の地を棄てたところで皇帝の威光を損なうことはないとするのは、人の衣を着た我が民を、鱗をまとう魚のところに棄てるようなものである」
漢代にこのようにいわれたお蔭で、漢の末から五代十国時代に至るまで、中国が乱れたときにはそれを避ける者の多くが海南島にくるようになり、いまもかつての衣冠や礼楽がきちんと残っているのである。棄ててもよいとはもはや誰も言わない。
海を南北に渡る者は伏波将軍に指南を仰ぎ、神に仕えていたって恭しくする。
私軾は罪をもって儋耳に謫されること三年、いままた海の北に帰ることができた。行き帰りがすべて順風であったのは、神が祈りに応えてくれたものであろう。この碑文を作り、銘を記す。その銘に曰く。
至険莫測海与風、（ひどく危険なこと――海と風は予測がつかない）
至幽不仁此魚竜。（ひどく暗いこと――魚や竜には思いやりがない）
至信可恃漢両公、（とにかく信じること――二人の伏波将軍に頼るのだ）
寄命一葉万仞中。（そして、万仞の大波の中で一枚の葉に命を託すのだ）
自此而南洗汝胸、（ここより南に行くとき、将軍は胸の内を洗い清め）
撫循民夷必清通。（辺地の民をきっと正しい道へと導く）
自此而北端汝躬、（これより北に行くとき、将軍は身を正しく努める）
屈信窮達常正忠。（力を尽くして正しく忠を貫く）
生為人英没愈雄、（将軍は生きて優れた人で、亡くなってますます英雄となった）
神雖無言意我同。（神は無言であるけれど、私の申し上げることに同意するであろう）
［補足］（蘇軾は、伏波将軍が嶺南の地を中国の版図の内に収めたのは偉大な功績であったと記している。嶺南は元来、漢民族の住むところではなかったのだから、漢民族の王朝の支配を受けることは土地の人にとって必ずしも幸せであったとはいえないはずだ。だからこそ2人の女性が反乱を起こしたのだろう。海南島で3年を過ごした後でも、未開の人々を文明国の民にすることが善であると蘇軾は考えていたわけだが、現代に至っても同じような誤謬に陥る者が少なからずいるのだから、蘇軾に批判的な眼差しを向けるのは意味のあることではないだろう）
■自雷適廉宿於興廉村浄行院
［解題］蘇軾は徐聞から雷州に行き、弟子の秦観（第12章332ページ）に会った。秦観も処罰を軽減されて嶺北の衡州に移ることが赦されていたのだが、蘇軾が到着するのを待ってまだ雷州に留まっていた。
6月25日に秦観と別れ、廉州（合浦）へと向かった。この詩は途中の興廉村の浄行院に宿ったときに詠んだもの。
［訳文］
海の南北はどこも荒涼としている。
仏寺さえもまるで鶏小屋のようだ。
榕樹の林の中を行くと、
空に跨って飛ぶ箱型の筏のようなものが見えてくる。
それがすなわち浄行院であった。
門の前に、冷たく碧い水が湧く井戸があり、
我が両足の泥を洗い流す。
高い堂には新しい瓦が葺かれていて、
部屋を区切る戸は四角形だったり台形だったりする。
牀に倒れ伏すとたちまち深い眠りに落ち、
鼻息は荒く、虹を吐くばかり。
僮僕は我がそばを離れずにいてくれて、
ここに半日ばかり留まる。
朝に一艘の小舟に乗り、
酔い心地のままに十里の溪を通り過ぎる。
醒めてみると、
果たしてここはどこなのか。
老いてさらに帰路に迷うのである。
■雨夜宿浄行院
［解題］「雨の夜に浄行院に宿る」という題の詩もある。
［訳文］
我が草鞋はもはや利や名を争う場に踏み入れることはない。
一枚の葉のような舟に身を寄せて渺茫とした世界に漂うだけである。
林の下で牀を並べて夜の雨を聴く。
この淒涼とした静けさを照らす燈火もない。
［補足］（3句目の原文は、「林下対牀聴夜雨」（林下の対牀 夜雨を聴く）で、「夜雨対牀」といえば、兄弟で過ごす最も望ましい時間であるとして蘇軾がかねてから掲げていたことである。このときに牀を並べたのは、前の詩に見えた童僕なのだろう。燈火もない中で、弟のいない「夜雨対牀」をしみじみと味わっているのだ）
■書合浦舟行
［解題］任地の廉州（合浦）に着いたのは7月4日。浄行院からの移動に苦労したことがこの短文に記されている。
［訳文］
私は海康（雷州）から合浦（廉州）に行こうとし、連日の大雨に遭い、橋梁はことごとく壊され、岸辺が見えないほどにまで水が広がった。
興廉村の浄行院からは小舟に乗って官寨に至った。そこから西はどこも水が漲り、橋も舟もないと聞かされた。ある人が、蜑舟（水上生活をする蜑民の舟）に乗って海を渡って白石に行くよう勧めてくれた。
その日は六月の晦で、月がなかった。大海の中に碇を下して宿った。天と水とが触れ合い、空いっぱいに星が散りばめられていた。私は舟上に坐して四方を顧みて、大きく嘆息して言った。
「私は何の数（運命）によってこの危うい舟に乗っているのか。すでに舟で徐聞に渡り、そしてまたこの災厄に遇うとは」
息子の過はかたわらで鼾をかいて眠っていて、呼んでも応えなかった。私は『易経』『書経』『論語』についての著作を携えていた。世の中にはそれを写した別の本はない。それらを撫して、嘆いてこのように言った。
「天未喪斯文、吾輩必済」（天の未だ斯の文を喪さざれば、吾輩は必ず済らん）（天がこれらの書物を失くそうとするのでなかったら、我らはきっと無事に渡れるであろう）
果たしてその通りになった。
七月四日、合浦で記す。時に元符三年である。
［補足］（（1）大陸の民である蘇軾は船で海を渡るのを必要以上に怖がったようである。（2）『易経』『書経』『論語』の研究書を海南島でまとめたことは第12章100ページで見ている。唯一無二のその原稿が失われてしまうことを蘇軾は恐れたのである。それだけ労力を注ぎ、出来栄えに自信があったのだろう。この三つの書物への蘇軾の愛着ぶりはこの後でも見ることになるが、残念ながら『論語』の研究書は現代には伝わらず、他の二書も読もうとする者は極めて希である。（3）蘇軾の言葉、「天未喪斯文，吾輩必済」は、孔子が匡の国で災厄に遇ったときに言った言葉として『論語』が伝える「天之未喪斯文也、匡人其如予」（天の未だ斯の文を喪ぼさざるや、匡人其れ予を如何せん」（天にこの学問を滅ぼす意志がないのなら、匡の国の人が何かをしようとしても、私はびくともしないはずだ）に基づくもの。正しい学問を後世に伝えようとする孔子の強い意志を示した言葉である。「斯文」は文字通り「斯の文」であるが、『論語』のこの言葉から、孔子の学問、あるいは儒学、あるいは学問全般を指すようになった）
■跋張広州書
［解題］廉州に到着した蘇軾は、知事の張仲修の助力を得て官舎を仮の住まいとした。蘇軾が来たことが知れると、ひっきりなしに人が訪れるようになり、自慢の一品を蘇軾に見せようとする者も多くいて、蘇軾が少しでも褒めようものならすぐに一筆求められた。蘇軾は気安く応じたようで、7月7日には希白（宝月禅師）の書に、7月11日には張田の書にそれぞれ記した跋文が残っていて、ここでは後者を見ておこう。張田は蘇軾の先輩に当たる官員で、その才能を欧陽脩に認められ、地方官を歴任し、特に広州知事であったときに市域を拡充する土木工事を行うなどの治績があった。それでここの表題では「張広州」と記されている。
［補足］（張田には、軍職に就く王凱に嫁いだ妹（仁寿夫人）がいた。妹は、兄が広州知事になったので、その権威を借りて、南方の特産である真珠を売って利益を得ようと考えた。広州は南方との交易の中心地であったから、一族の中に広州知事になる者が出ると、ひと財産が築けると喜ぶ者がきっといて、知事もまた己を欲を縦にしてその者の自由にさせるのが常であった。そのような世間の風潮に流されようとする妹を張田がたしなめたというのが以下の話である）
［訳文］
張田が妹の仁寿夫人に宛てた手紙にこのようにある。
「広州には真珠や香薬が極めてたくさんあり、町には銭がたっぷりある。忝くも私は市舶使の役目を授かり、ただし、前人に效って自身を汚そうとは思っていない（代々の知事のようにやましい稼ぎに手を染める気はない、という意味）。唐朝の三百年間で、広州を治めて宋璟、盧奐、李朝隠だけが廉潔であったと称えられている。我が宋朝においては廉潔であったという者はいまだに聞かない。私は欽賢堂を作り、古の清潔な知事の画を描き、朝に夕にこれを仰ぎ見ている。我が妹は賢く、理を知る者であるから、きっとこのことを聞いて喜んでくれるであろう」
（直接に妹を諫めるのではなく、兄が清潔であるとの評判を得れば妹は喜ぶであろうと、書いたのである。このようにやんわりと諭されたら、我が身を恥じて改めるのである）
廉潔は哲人（徳を修めた人）にとっては細事でしかない。しかし、古今の歴史を見るに、国の境での患いはいつも貪ることから生じている。国の境を守る者に廉潔な役人を得たときには、外国も中国も安らかでいられる。だから、廉潔は細事ではないのだ。……（中略）……もしも張公が長く広州を治めていたならば、四海の文物は皆ここに招き寄せられたことであろう。嗚呼。
元符三年七月十一日。
■書聖兪贈欧陽閥詩後
［解題］廉州には、欧陽脩と同族であろうと推測されている欧陽闢（字は晦夫）がいた。欧陽闢は梅堯臣（欧陽脩の少し先輩）の門弟であった。欧陽闢は蘇軾を訪ね、41年前に梅堯臣から贈られた詩を見せた。蘇軾は筆を執ってその詩を書き、この短文を添えた。
［補足］（最初に掲げてあるのが「門人の欧陽秀才が江西に遊ぶのを送る」という題の梅堯臣の詩。梅堯臣はこのとき都にいて、科挙に落第した欧陽闢がしばし故郷に帰るのを見送ってこの詩を詠んだ。終わりのところにある「桂の枝が栄える」との言葉の通りに欧陽闢が試験に合格したのは、それから実に32年後であったという。蘇軾に会ってこの詩を見せたのはその9年後である）
［訳文］
客心如萌芽、（旅心が芽生え始めると）
忽与春風動。（春の風ともにたちまち動いてとまらない（科挙の合否が決まるのは春である））
又随落花飛、（落ちて飛ぶ花ととともに）
去作江南夢。（江南に夢を見ようとするのだろうか（科挙に落ちて南方に帰ることを暗示する））
我家無梧桐、（我が家には梧桐がないから）
安可久留鳳。（その木にしか止まらない鳳凰（欧陽闢のことをいう）を引き留めることはできない）
鳳棲在桂林、（鳳凰が棲むのにふさわしいのは桂の林（朝廷のことをいう））
鳥哺不得共。（ほかのつまらない鳥とは一緒にならないのだ）
無忘桂枝栄、（桂の枝が栄えること（科挙に合格すること）を忘れないように）
挙酒一以送。（酒を挙げてここに君を送る）
これは宛陵先生梅堯臣の詩である。
我が父（蘇洵）と梅堯臣が交遊したときには、私と弟はまだまだ若く、世間には全く知られていなかったのだが、梅堯臣が非常に誉めてくれた。我が家には老人泉という泉があり、梅堯臣がそれを詩に詠んだ。
泉上有老人、（泉のほとりに老人がいた）
隠見不可常。（泉はいつもあるのではなく隠れたり現れたりする）
蘇子居其間、（蘇先生（蘇洵）はそこにいて）
飲水楽未央。（泉の水を飲んで楽しみは尽きることがなかった）
泉中若有魚、（泉のなかに魚がいると）
与子同徜徉。（先生とともに気ままに泳ぎ）
泉中苟無魚、（泉の中に魚がいないと）
子特玩滄浪。（先生は波とともに遊んだ）
歳月不知老、（歳月が流れても先生は老いることがなく）
家有雛鳳凰。（先生の家には鳳凰の雛（蘇軾兄弟）がいた）
百鳥戢羽翼、（他の百の鳥は先生の前では翼をおさめて）
不敢呈文章。（あえてものを言うことがなかった）
去為仲尼嘆、（先生は（泉のもとへと）去ったときには世に用いられないことを嘆いていたけれど）
出為盛時翔。（いまこそ勢いよく飛翔しようと（泉のもとから）出てきたのだ）
方今天子聖、（いまはまさに聖天子の時代）
無滞彼泉傍。（泉の傍らでぐずぐずしてなどいられないのだから）
（この詩は、44年前に科挙を受ける息子二人を連れて蘇洵が上京したときに、梅堯臣が詠んで与えたものであろう。蘇洵は長く故郷に逼塞していたけれども、ついに息子とともに天下に名を馳すときがきたのだと、大いに励ましたのである）
梅堯臣が亡くなって今では四十年になる。
私は南に遷って合浦（廉州）を過って、その門人の欧陽闢に会った。欧陽闢は梅堯臣の送別の詩を見せてくれた。
欧陽闢は六十六歳、私は一歳だけ下で、ともに髪も髯も真っ白で、困窮するのもほぼ似ている。そこで手を取り合って大いに笑い、
「梅堯臣が鳳凰だと誉めた者も、いずれもこのありさまであるわい」
と、言い合った。
天下の人々は、梅堯臣は詩のために困窮したというが、我等二人は梅堯臣の詩のために困窮させられたのである。大いに笑うべきことである。
［補足］（梅堯臣の詩風はまことに地味であったけれど、欧陽脩を始めとして宋代の士大夫が梅堯臣こそが宋詩の始祖であると深く慕ったのは、この二つの詩に見られるような温かみが詩の底に流れているからであろう）
■梅聖兪之客欧陽晦夫使工画茅庵己居其中一琴橫牀而已曹子方作詩四韻僕和之云
［解題］以下、欧陽闢（字は晦夫）に関わる詩をいくつか見る。詩題は、「梅堯臣の客人であった欧陽闢は茅の庵に住み、画師に描かせた画を掲げ、一張の琴が牀の橫にあるだけである。曹輔（字は子方）が四韻の詩を作って欧陽闢に贈ったので、私はそれに和した」。
［訳文］
晋の時代の王徽之は、雪に誘われて友の戴逵に会いに行った、
ところが、途中で興が尽きたとして、
一人ひっそりと船をかえしてしまった。
そうとは知らずにいた友は、
長い雪の夜を誰と過ごしたのだろうか。
雪の画を掛けた部屋の中にいる貴君は、
王徽之であるのか、戴逵であるのか。
粗末な衣をはおり、戸を半ば閉ざして、
弦の切れたままの琴を奏でつつ、
鬚をひねってこの詩に和すのである。
［補足］（（1）画は雪を描いたものであったのだろう。蘇軾は雪にまつわる幾つかの故事を引いて、曹輔の詩に和そうとしている欧陽闢のことを詠んでいる。（2）曹輔の名は第9章189ページで見ているが、このときに曹輔が廉州にいたわけではないようだ）
■欧陽晦夫恵琴枕
［解題］欧陽闢（字は晦夫）から琴枕を贈られたので、この詩を作った。琴枕とは何であるのか、この詩から推測するしかない。
［訳文］
後漢の時代のこと、南方に難を逃れていた蔡邕は、
眠れぬ夜に天井を見上げていて、
その椽から竹の良材を見出して笛をこしらえたという。
何時の誰であったのだろうか、
見出したのは周囲が一尺もあろうかという竹、
太すぎるし、ごつごつとしてとても笛にはならない、
二つに割いて袖に入れられる琴にしたらよいだろうと、
琴柱を具えて弦を張ったのだった。
その琴はいろいろなところへと流れ伝えられて、
とうとう陶淵明（すなわち蘇軾のこと）のところに到ったのである。
陶淵明その人は、
己の頭巾で酒を漉して、それをそのまま枕にしたというが、
私はこの琴を枕にして眠るのである。
陶淵明が詩に詠んだ琴の名曲『孤鸞』『別鵠』は聞こえてこないにしても、
琴枕に眠る私の鼻息が齁齁と鳴り響いて、
自然と曲を奏でることであろう。
［補足］（『孤鸞』『別鵠』の曲名を詠み込んだ陶淵明の詩は第11章124ページおよび第12章60ページで見ている）
■欧陽晦夫遺接䍦琴枕戯作此詩謝之
［解題］これも欧陽闢（字は晦夫）から贈られた琴枕についての詩。琴枕に合わせて接䍦（頭巾）も贈られたことがこの詩題からわかる。
［訳文］
息子を連れて五嶺（嶺北と嶺南を分ける山地）を越えて今は七年、
老いての旅に、黎人の衣冠を身につけるまでになった。
林を通り抜けるときには、白髪頭に藤蔓で編んだ帽子を載せ、
裸足で水を渡るときには、頭上の花飾りを濡らさないよう気遣ったのだった。
古くからの知り合いがそのような姿を見たなら、
きっと驚いて大笑いしただろうが、
ちっとも構いはしなかった。
土地の風俗に馴染むのは、そこの人々を安心させるためであるのだ。
合浦でこうして貴君と会えたのは夢の中のよう、
鬚を引いて現実であると確かめ、
手を握り合ってともに涙にくれる。
接䍦を縫ってくれたのは貴君の妻、
その絹地は霧のように細やかである。
琴枕を贈ってくれたのは貴君の息子、
その弦は氷のような染み入る音を立てる。
頭巾を逆さまに載せれば、かの山簡（竹林の七賢人の一人）のように見えようか、
音を出さずに琴を抱いて、かの陶淵明に思いを寄せようか。
それよりも、私は汝陰の六一老（欧陽脩）を憶うのである。
その秀発した眉宇は春の巒のようで、
羽衣鶴氅（隠者の衣服）をまとった姿は古の仙人のようで、
二本の柱が高く支える白い絹の頭巾をかぶっていたのだった。
今に至るも六一老の画といえば必ずその姿、
凜として韓愈に似て、顔はより赤く塗られている。
あれから先輩方は皆この世を去り、
私は痩せ衰えて、衣はぶかぶか、冠はゆるゆるで傾いてしまう。
貴君の詩は六一老の語に似て、
ときに梅公（梅堯臣）の渋さも帯びている。
［補足］（（1）藤蔓の頭巾をかぶり、頭に花飾を載せるのは海南島の先住民の風俗であるという。（2）後半は欧陽脩の思い出。欧陽脩は汝陰（潁州）に隠棲し、蘇軾がそこを訪ねたのは29年前、36歳のときであった（第3章116ページ）。（3）一説には、この詩は終わりの部分が欠けているという。確かに締めの言葉がないようである。（4）琴枕を詠んだ詩がさらにもう1首あるが、故事を羅列した詩で訳すのが難しい。大陸に戻って以前のように人々と頻繁に詩の応酬をするようになると、故事てんこ盛りの詩が多くなるのは致し方ないようである）
■廉州竜眼質味殊絶可敵荔支
［解題］廉州で竜眼を食べたところ、その質も味も絶品で、荔支に匹敵するものだったので、この詩を詠んだ。竜眼は荔支に似た果実で、両者を比較した文章を第11章178ページで見ている。
［訳文］
竜眼と荔支は異なるものではあっても、
その父祖は同じである。
柑に甘と橘があるようなもので、
どちらがよいとかたやすくいえるものではない。
西海のほとり（廉州のこと）は不思議なところで、
仙界の園に琪樹（霊木）が並んで玉を成らせていると見えたのは、
竜眼が桃李の花のように累累と実をつけているのだった。
空から星が隕ちてきたのではないかと疑われ、
実の一つ一つから艶のある乳が流れ落ちてくる。
あるいはこれは真珠で、
故郷の海へと還ってしまうのではないかと心配になる。
竜眼の記述が『図経』という古い地理書にないのは、
遠隔の地にあったためにこの美味が知られなかったからだろう。
それで、皮が皺しわの荔支だけが、
立派な皿の上で輝く色を見せていたのである。
汝が世界の涯にあるのは恥辱ではない、
なぜなら、
楊貴妃に好まれたばっかりに国を滅ぼす一因になったとの汚名を免れたからだ。
［補足］（（1）竜眼からいろいろな空想を膨らませている。廉州（合浦）は昔から有名な真珠の名産地であったから、竜眼から真珠を連想したのである。（2）荔支にまつわるあまり芳しくない歴史は第11章176ページの詩で見ている）
■合浦愈上人以詩名嶺外将訪道南嶽留詩壁上云閑伴孤雲自在飛東坡居士過其精舎戯和其韻
［解題］詩題は、「合浦（廉州）の愈上人は詩が巧みで嶺北にもその名が知られている。愈上人は南嶽を訪れようと、壁に詩を留めて旅立った。その詩に『閑伴孤雲自在飛』（閑に孤雲に伴って自在に飛ぶ）とある。東坡居士は上人の精舎を過り、戯れにその韻に和した」。南嶽は中国五山の一つの衡山で、五嶺の北にある。
［訳文］
孤独の雲は岫を出て、
伴を求めることはない。
上人の錫杖は空を凌ぎ、
気の向くままに飛んで行ったのだ。
かの玄奘法師は、天竺へと旅立ったときに、
庭の松に向かって、
「私が帰るときには枝を東に向けるがよい」
と、言った。
いま上人の精舎の松に尋ねると、
枝は西を向いている。
まだまだいつ帰るとも知れないのである。
■題廉州清楽軒
［解題］蘇軾は廉州の清楽軒に三泊し、この短い訪問記録を壁に記した。
［訳文］
釈迦は（愛恋の情が生じるのを避けるために）同じ桑の木の下で三泊するようなことはなかったという。ところが、東坡居士はここに三泊もしてしまった。
ここを去っての後にも、私がこの清楽軒のことを思うようにと、張仲修知事が考えたからに違いない。
庚辰八月二十四日に題す。
■跋秦少游書
［解題］雷州で別れた弟子の秦観（本章4ページ）のことを思って、秦観の書にこの跋文を添えた。
［訳文］
秦観の近頃の草書は東晋の時代（書聖といわれた王義之が活躍したころ）の風味がある。詩を作ってはますます奇麗（美的完成度が高い）である。この人を閑にしておいてはいけない。ついには百技を兼ね備えるようになるはずだ。技芸が進んでも道（道徳的完成度）が進まないのならばそれはよろしくない。秦観は技も道もふたつながらに進む者である。
［補足］（書、画、詩などの芸術は全人格的な表現であって、人間として優れた者であってこそ優れた芸術を生み出せるのだと、蘇軾は考えていた。秦観はそうした理想の人物に近いと、この跋文で絶賛しているのである。しかし、蘇軾に厳しい後世の学者の中には、秦観のような軽薄な人物と喜んで交わったことが、蘇軾が第一級の人物になれなかったことをよく示していると断じた者もいた）
■記合浦老人語
［解題］合浦（廉州）の老人との会話を記録した文章。たぶん蘇軾が創作した寓話であるのだろう。
［訳文］
元符三年八月、私は合浦（廉州）にあって蘇仏児という老人の訪問を受けた。年は八十二で、酒を飲まず、肉を食べず、両目が爛然と輝いて、まるで童子のようである。老人はこのように言った。
「わしは十二歳で戒律を守って暮らすようにし、修行を始めた。妻はなく、三人兄弟で、皆が戒律を守って道を心に念じている。一番上は九十二歳、次は九十歳だ」
老人は生死の事を論じ、すこぶる知見に富んでいる。町の東南六七里に住んでいる。
ある日、町の東で老人が野菜を売っているのを見た。老人は、
「心に御仏を思え。肉を断つ戒律を守るだけが大事なのではない」
と、言っていた。それで、私は、
「その考えはあまりよろしくなかろう。普通の人たちは得心するのが難しく、安易な方に流れやすいものだ」
と、言った。老人は大いに喜んで、
「確かに、その通りだ」
と、言った。
■与鄭靖老
［解題］皇帝が代替わりをしてから、保守派の復権が着々と進められ、蘇軾の処分はさらに軽減され、舒州団練副使（名目だけの官職）として、嶺北の地である永州に移動することになった。ただし「安置」の処分はまだ解除されなかった。蘇軾は廉州にいること2カ月足らずでまた旅に出ることになり、慌ただしくその仕度をする中で、鄭嘉会（字は靖老）に宛ててこの手紙を書いた。鄭嘉会は蘇軾が海南島にいる間に大陸から書物などを送ってくれた人物である（第12章112ページなど）。
［訳文］
雷州に至って張君兪に会い、貴公の長いお手紙を受け取り、はなはだ欣び、はなはだ慰められましたことは言葉にならないくらいです。廉州に到りますと、ここの知事が言うには、貴公はすでに邕州を去ったとのことで、驚いて所在をあれこれ尋ねましたが、よくわからないでいましたところに、またお手紙を頂戴して釈然としました。新しい詩を拝見し、いずれも秀傑の語、まことに結構です。
お別れしてから百の病に罹り、いちいち言えばきりがありませんし、いずれにしても言うに足りないことばかりです。『志林』（随筆集）はまだ完成していません。『書伝』（『書経』の注釈書）十三卷は草稿ができあがりました。それには貴公よりお借りした書物が頼りとなりました。貴公がどこに行かれたのかわからなかったので、その書物はこちらには敢えて携帯せずに、一つの篭に封じて、息子の蘇邁のところに送って、貴公の場所を訪ねてお返ししようと考えていました。その便がまだないので、広州の何徳順道士のところに寄せ、深く囑んでおります。紛失するようなことは決してありません。
私はここには中秋のころはまだ留まって、たぶん八月末に出発することになるでしょう。北に向かって江にまで至りましたなら、竹の筏を作って江を下り、容州を経て、藤州、梧州に至るでしょう。邁とは家族を連れてきてもらう約束をして、梧州に至ったときに会うことになるでしょう。次男の迨は恵州に至ることになっています。梧州からは舟を雇って賀江を溯ってから上陸し、水と陸を幾たびか経て永州に至るでありましょう。老いてのこの旅、果たしてどのようになるでしょうか。いつしか会えましょうか。時節柄自重されますように。
［補足］（（1）手紙を届けてくれた張君兪がどのような人物であるかはよくわからないという。（2）手紙の中ほどで、海南島で取り組んだ著作について触れ、鄭嘉会が島に送ってくれた書物は役だったと礼を述べている。それらの書物は何徳順に託したとあるが、何徳順は広州の道士である（第11章72ページなど）。（3）手紙の終わりの部分には、新たな任地である永州への旅の予定が記されている。嶺南の地は地形が複雑で、直線的には移動できない。廉州からまずは水路や陸路を使って北へと進み、潯江に当たったなら東に向かって流れを下って梧州に至る（手紙に竹の筏とあるのは文学的修辞である）。一方で、長男と次男はすでに恵州を発って廉州に向かって移動中で、すでに広州にまで来ていると見られ、長男はそこから家族を連れて潯江を遡って梧州で合流し、一方で次男は恵州の住まいを引き払うためにいったん引き返すことになると、蘇軾は考えていたようだ。そして一家全員が梧州に集結したところで、賀江を北へと遡り、嶺南と嶺北を分ける山岳地帯を越えて永州に向かうのである）
■瓶笙詩
［解題］蘇軾が廉州を発つに際して催された送別の宴で、劉幾仲が「瓶笙」を吹き、蘇軾がこの詩を詠んだ。劉幾仲は廉州の役人で、「瓶笙」は察するに陶器で作ったオカリナのような楽器なのだろう。序文がある。
［訳文］
庚辰の歳の八月二十八日、劉幾仲とともに別れの酒を飲みかわした。觴を重ねる中で、笙簫の声がした。杳杳として遠く、空と雲の間にあるかのようで、抑揚、往返はほぼ音節に中っていた。おもむろに観察すると、対になった瓶から音が出ていて、水と火の作用を得て、自ずと吟嘯するようになったもののようである。しばらくすると音は止んだ。一座の者は驚き、過去に聞いたことがないと感嘆し、『瓶笙詩』を作ってそれを記すよう私に請うたのだった。
瓶笙の声、
それは孤独の松が風に吟じる声、
細く冷冷と響き、
長く長く、仙界の繭が月に達する糸を吐き出すかのように続く。
さながら女仙の女媧の笙である。
かの韓愈は笙を詩に詠んで、
蚯蚓が鳴くとか、蒼蠅が嘯くとか、おかしな比喩を使った、
まことに笑ってしまう。
この瓶の発する音は、宮や商の音階に自然に適い、
作為的なところがなく、かの名人の昭文の琴にも劣らない。
ところが、東坡先生はすでに酔い潰れてしまっていて、
「どうやら耳鳴りがするようだ」
とかぶつぶつ言って、一向に目覚めないのである。
［補足］（後半は明るくジョークを飛ばしている。唐代の偉大な先人である韓愈をからかうような言辞を吐くのはいつものことで、それだけ尊敬の念が厚いのである）
■留別廉守
［解題］廉州（合浦）を発つにあたって知事の張仲修に別れの詩を贈った。上と同じ宴席でのことであるのかもしれない。
［訳文］
細い葦を編んで豚肉を包み、粘土を塗って焼き上げる。
出来上がった餅はさながら月を嚼むよう、
中に酥と飴が入れ込んである。
この餅を褒めた東坡の詩を、
合浦の人々がいつまでも歌い続けていると、
私が遥か遠くに行ってしまった後にも、
私は聞くことになるだろう。
「さあ、真一酒よ、元気でいるがよい、
これからも宴席で人々を酔わせるのだぞ」
［補足］（送別の宴で、蘇軾のために用意された肉饅頭を褒め、代わりに自作の真一酒（第11章172ページなど）を贈ったのである）
■書秦少游挽詞後
［解題］蘇軾は8月29日に廉州を発ち、間もなく悲しい報せを受け取った。弟子の秦観（字は少游）が亡くなったのだった。
［訳文］
庚辰の歳の六月二十五日、私は海康（雷州）で秦観と別れた。振る舞いも話すこともごく自然で、普段と少しも異なるところはなかった。ただ自分で作った挽詞一篇を見せてくれたので、人々はそれを怪しく思った。私は、秦観はもとから死も生も等しく、己と外物に区別がないと捉えていて、戯れに挽詞を作っただけで、何ら怪しむに足ることではないと思った。
秦観はその後で（朝廷の指令に従って）北に帰る旅に出て、藤州に至って、八月十二日に光化亭で亡くなった。嗚呼、そのようになると自分ですでにわかっていて挽詞を詠んだのだろうか。
［補足］（先に秦観の草書に添えた短文を見たが、それを蘇軾が記したときには秦観はすでに亡くなっていたようである）
■次韻王鬱林
［解題］蘇軾は先に鄭嘉会宛ての手紙に記していた道順に沿って進み、9月6日に鬱林県に至り、そこの王知事の詩に次韻した。
［訳文］
老年に至ってからの我が流落は言葉にできるようなものではない。
海のほとりで、自らの手で春の泥をひっくり返す作業もした。
むかし漢の時代に、砂漠の地で戦って捕虜となり、
旗がぼろぼろになっても、白髪頭となるまで生き抜いた者（蘇武のこと）がいた。
むかし秦の時代に、高い地位にあったのだが、
激変する世の中を、自ら瓜を栽培して売ることで生き抜いた者（召平のこと）がいた。
私のこれまでの多難がどうであれ、
それは天の意によるものではない。
苦難から離れて残りの年月を送れるとしたら、
それはすべて皇帝の恩によるものである。
自身の誤りによってできた創をぬぐってくださるとの都からの使者を迎えたけれど、
老いた鶴が再び表舞台で鳴くようなことはないだろう。
［補足］（（1）幾つもの故事を引いて、知事の詩に次韻した儀礼的な作品ではあるが、蘇軾の本心を覗き見ることもできるだろう。（2）蘇武も召平も蘇軾が好んで引く故事である。とくに、蘇武は同姓であり、同じように長い労苦の末に帰還したことから、この先も何度も引いている。（3）第5句目の「平生多難非天意」（平生の多難は天意に非ず）は、これまでの困難は天の定めではなく自分の過ちが招いたものであるという意味であるのだろうが、蘇軾が間違っていると天が断じて罰したのではないと読むこともできるだろう。（4）最後の句は、もはや中央政界で活躍するようなことはないと謙遜して言っているように見えて、政争に巻き込まれるような目にはもう遭いたくないと言っているのかもしれない）
■藤州江下夜起対月贈邵道士
［解題］9月10日に容州に至ったところで、道士の邵彦粛に会い、邵彦粛はそのまま蘇軾に同行し、一緒に船に乗って藤州にまで下った。邵彦粛とはこのときが初対面ではなく、海南島に向かう途中で一度会っていたようである。
［訳文］
江のほとりにあって、
月が我が心を照らし、
水が我が肝を洗う。
直径一寸の珠、
あるいは、白玉の盤となって、
月は江の中へと堕ちる。
もとよりそれが我が心であったのだ。
江に月の光が満ちて、
江の水はもはや流れて行こうとしない。
ここに起って舞う者は誰なのか。
李白のように、月と我と影と三人だけと看るのではない。
嶺南は熱毒の地ではあっても、
ここに江の月の寒さがある。
私は知る、
天地の間において、
誰もが清安でいられるのだ。
枕辺に白い濁り酒があり、
白い露がきらきらと満ちている。
独り酔って、また独り醒め、
夜の気が清く漫漫と広がってゆく。
そうだ、邵道士を呼んで、
琴を取って月の下で弾いてもらおう。
そのままともに一葉の舟に乗り、
夜に蒼梧の早瀬を下って行こうではないか。
［補足］（（1）海南島から海を渡ったときに「月があかあかと照り輝き、その光を雲がかげらすことはもうない」と詩に詠んでいたが（第12章349ページ）、ここではよりはっきりと月が我が心であるとしている。（2）「立って舞う者は誰なのか」の答えは、天地の間に生きる全ての人である。（3）「蒼梧の早瀬」は藤州から50キロほど下流にある。（4）この詩は大陸に帰還して以降の最もよく知られた作品であり、字句が比較的平易であるので、原文と読み下し文を添えておこう）
江月照我心、（江月は我が心を照らし）
江水洗我肝。（江水は我が肝を洗う）
端如径寸珠、（端に径寸の珠の如く）
墮此白玉盤。（此に白玉の盤を墮とす）
我心本如此、（我が心は本より此くの如く）
月満江不湍。（月は満ちて江は湍ら不）
起舞者誰歟、（起って舞う者は誰れ歟）
莫作三人看。（三人の看を作す莫かれ）
嶠南瘴癘地、（嶠南は瘴癘の地なれど）
有此江月寒。（此の江月の寒さ有り）
乃知天壤間、（乃ち知る天壤の間に）
何人不清安。（何人か清安なら不らむ）
牀頭有白酒、（牀頭に白酒有り）
盎若白露溥。（盎として白露の溥くあるが若し）
独酔還独醒、（独り酔い還た独り醒め）
夜気清漫漫。（夜気は清く漫漫たり）
仍呼邵道士、（仍って邵道士を呼び）
取琴月下弾。（琴を取って月下に弾ぜしむ）
相将乗一葉、（相い将いて一葉に乗り）
夜下蒼梧灘。（夜に蒼梧の灘を下る）
［補足］（この詩と、先に海南島から大陸に向けて海を渡ったときの詩（第12章348ページ）を合わせて読むなら、上の詩で見た「平生の多難は天意に非ず」の真意がよりはっきりと見えてくるであろう。蘇軾の心は、とりわけ苦難を経てから後は、月のように澄んでいるのであるから、もとより天が罰するようなことはない。「平生の多難」は人の世に生きる者としては避けられないもので、「平生の多難」を受けてこそ心はますます澄むのである）
■徐元用使君与其子端常邀僕与小児過同遊東山浮金堂戯作此詩
［解題］藤州には、10年前に蘇軾が杭州知事であったときに交流のあった徐疇（字は元用）が知事として赴任していた。詩題は「徐疇知事とその子の徐端常が私と息子の過を迎えて東山の浮金堂に遊んだ。戯れにこの詩を作った」。
［訳文］
昔、徐知事とはともに、
かの天竺寺で杭州の春を愛でた。
この浮金堂の愛すべき風光はまさに小天竺、
やはり立派な高僧が来て開いたのであろう。
ここの松は遠く旅する私のように老い、
この酒は知事に似て醇（心が清く温かい）である。
舟を藤州の町の下に繋いで、
鐔江のほとりで月を愛でる。
江の月は夜ごとに好く、
山の雲は朝ごとに新たになる。
知事にはまことに麒麟というべき立派な子がいて、
私には節くれだって役に立たない材木のような子がいる。
二人の老人は白い頭巾、
二人の若者は黒い頭巾、
老人は酔って松の下の石に伏し、
若者に助けられて江の渡し場へと帰る。
浮き橋が半ば水に沈んでしまったから、
裾をくり上げて、波立つ碧い水を渡ろうではないか。
■送邵道士彦肅還都嶠
［解題］道士の邵彦肅は蘇軾と同行すること10日間ほどで、容州の都嶠山に帰って行った。その送別の詩。
［訳文］
紛紛の世の中で擾擾と生きるこの身、
もしも乞いて自由を得られるのなら、
茅の廬を都嶠山に結んで、
仙人（邵道士）と隣り合うであろう。
貴君は若いときから欲が寡く、顔色は常に好い、
老いても名を求めず、語る言葉はいよいよ真である。
晋の時代に、許邁には妻があったけれども、
道を学んでついに山に遊んだのだった、
――それは貴君のこと。
晋の時代に、陶淵明は酒を買う銭がなかったので、
人に仕えたのだった。
――それは私のこと。
貴君は私と同行すること十日、
また山へと帰り去って行く。
この世界が消え去るまでの万劫の時の流れの中で、
貴君と遊ぶこの縁を結んだのであった。
■書贈邵道士
［解題］邵彦肅と別れるに際して、『楞厳経』にある言葉を書いて贈った。邵彦肅は道士でありつつ、仏道にも通じていたのだろう。
［訳文］
耳は芭蕉の茎のよう、心は蓮の花のよう、百の節があっても穴が通じていて、万の竅が玲瓏と響き合う。来るときは我が一つの身であっても、去るときには八万四千の門がある。
この義は『楞厳経』にあって、世にはまだ知られていない。
元符三年九月二十日、都嶠の邵道士に贈る。
［補足］（蘇軾が記した『楞厳経』の言葉の意味は全くわからないのだが、邵道士とのここでの出会いが美しい詩を生んだのであるから、訳者としては自分の非力を理由にこの短文を割愛するのは忍び難く、とにかくここに掲げることにした）
■将至広州用過韻寄邁迨二子
［解題］蘇軾は当初の計画通りに梧州に到達したものの、息子たちの到着が遅れたためにそのまま川を下って広州に向かった。広州にまであと少しというところで、息子の蘇過が2人の兄（邁と迨）に詩を送り、蘇軾がそれに次韻した。
［訳文］
皇なる天が、
私を我が家（白鶴峰の住まい）から追い出し（て海南島に行かせ）たのは、
老いに臨んで道を学ばせるためであったのだろう。
いま息子たちのために、
戒律を破って（島を出たこという）、北に帰ってきてしまったのだから、
道を学んだかいもないのであって、
ただただ笑ってしまう。
雲が開かれ、青い空に天の眼が見えてきた、
頭を巡らせても、もう海の水は見えてこない。
南蛮人が唱え、黎人が歌う声の余韻は、
なおも耳に遠く響いている。
長男は大勢の幼子を導いて、
四年の間、白鶴峰の家を守ってきた。
次男は病んで医学を学び、
肘を三度折るような苦労の末にそれをほぼ理解するようになった。
三男は自ら耕して私を養ってくれて、
暇を得ると読書に勤しんだ。
私はまたぞろ詩と酒に苦しめられ、
道から去ることいよいよ遥か彼方ということになってしまった。
この紛紛とした生き方はいつになったら定まるのやら。
行くところがあるのなら、そこで老いればよい。
諸君等もこれからは、
柳宗元に習って辺境の地の民に詩書を教えるようなことはしなくてよいし、
別段おもしくもないだろうから、山歩きにふけるようなこともしなくてよい。
私と呑気に遊んで暮らし、
せいぜいさっぱりと掃除でもしてくれたらそれでよいのだ。
［補足］（（1）息子に向かって自身の思いをあれこれつぶやいている。（2）広州に至る途中で、船の事故があって、大切にしてきた墨を入れた箱が失われてしまったということを陸游の随筆『老学庵筆記』が伝えている）
陸游：『老学庵筆記』
東坡は儋耳から帰り、広州に至るところで、舟が敗れ、墨を入れた四つの篋を失った。平生から宝としてきたものを皆なくしてしまい、息子たちから得た李墨の一丸と潘穀墨が二丸だけとなった。それから毗陵（常州）の捐館舎に至るまで、その三丸の墨だけを用いたのである。
［補足］（ここにある「李墨」は南唐の李廷珪が作った墨で、「潘穀墨」は潘衡の墨（第12章224ページ）であるのだろう）
■和孫叔静兄弟李端叔唱和
［解題］蘇軾は広州でようやく長男ら家族と合流でき、大勢の人々の歓迎を受けた。広州には、杭州出身でかつて交流のあった孫鼛（字は叔静）がいて、孫鼛がその兄弟や李之儀（字は端叔）と手紙で唱和し合った詩を見せてくれたので、蘇軾がそれに和した。李之儀は、蘇軾がかつて定州知事であったときにわざわざ都から自分のもとに呼び寄せた人物である（第10章371ページ）。
［訳文］
病んだ骨は痩せて折れそうである、
白い髯は抜けてさらにまばらだ。
喜ぶのは、国政が新たになったと聞いたこと、
その上、懐かしい人々が書いたものを見る。
燭を灯しての宴はまことに夢のよう、
杯を傾けて酒を残すようなことはしない。
天の涯にいるように遠く隔たった老いた兄弟（孫兄弟および蘇兄弟）が、
胸の内を語り合うのはいつのことであろうか。
■広倅蕭大夫借前韻見贈復和答之
［解題］広州副知事の蕭世範（字は器之）が上の詩に和したので、それにまた和した。2首のうち1首を訳す。
［訳文］
其の一
流謫の地から生きて還れたのは、
三国時代の虞翻より少しはましだったのだろう。
しかし、早くに官職から退かなかったのは、
漢の時代の疏広と疏受には遠く及ばなかったのである。
これまでは書物を誤って読んでいたのであって、
間もなく死ぬころになってようやく正しい道を聞いたのである。
流謫の日々には、
風や波の音で夜中も起き、
病気と災難が繰り返された。
いま蕭先生が詩を贈ってくださったことで、
我が憂いを少しばかり述べることができた。
［補足］（（1）この年の1月7日に、蘇軾は「三国時代の虞翻と同じように遠く流されたまま赦されずにいる」と詩に詠んでいたが（第12章301ページ）、思いがけず赦免されたのだった。（2）漢の時代の疏広とその甥の疏受の「二疏」が高位に就くとすぐに2人揃って退隠したのは官員の出処進退のあり方の理想であるとして、蘇軾はしばしば言及している（第11章264ページなど））
■書贈孫叔静、書孫叔靜諸葛筆、書孫叔静常和墨
［解題］上で名を挙げた孫鼛（字は叔静）は、筆や墨の逸品を幾つも持っていた。蘇軾はそれらについて短い文章を記している。
［訳文］
今日は孫鼛の家で官法の酒を飲み、団茶を烹て、衙香を焼き、諸葛の筆を用いた。どれも北に帰るによって得られた喜びである。
（官製の酒や上等の茶を飲み、貴重な香を焚き、高級な筆を使うといった海南島ではできなかったことがここではできると素直に喜んでいる。諸葛の筆は名品として知られ（第6章80ページなど）、次の文章にも記されている）
久しく海の外にあって、旧くから持っていた筆はどれも駄目になってしまい、ついには鶏の毛の筆も用いるようになった。それは操ろうとしても我が手を拒んで思うようにならなかった。いわば、酷吏（法を過酷に運用する役人）がいくら拷問を加えても魏元忠（唐代の名臣）が屈しなかったのに似ていようか。今日は孫鼛が使っているところの諸葛の筆を用いたところ、かくも思い通りに書けるので驚嘆した。
［補足］（魏元忠は、則天武后のときに権威にへつらわずに直言した人。その存在を煙たがった酷吏によって無実の罪を着せられ、激しい拷問を加えられたが、耐え続けた。むしろ魏元忠に近い立場にあった蘇軾が、魏元忠によって手こずらされた酷吏のように鶏の毛の筆に手を焼いたというところがちょっとしたブラックユーモアになっている）
孫鼛はいつも剣脊墨を用いていて、極めて精妙である。その刻文に「太室常和」とある。常和とはきっと少室山の間道人であろう。間道人は墨を売って得た銭で嵩山に三清殿（道教の寺院）を建てたのだった。その墨は甚はだ堅く、黒い。近年の善い墨では朱覲のものだけがこれに及ぶ。朱覲は九華山の人である。
［補足］（「剣脊墨」は背中が剣のように尖った形状をした墨であろうか。太室山と少室山は嵩山の中にある峰）
■王晋叔所蔵画跋尾五首
［解題］広州には王晋叔という画の所蔵家がいて、官員として遠く広州に赴任してきていても数々の画を携えていた。蘇軾は王晋叔に何枚もの画を見せてもらい、そのなかから徐熙と趙昌が描いた5枚の画に詩を添えた。2人とも宋代の画家である。5首のうち2首を訳す。
［訳文］
徐熙の杏花
江南の風流人といえば、晋代の王氏と謝氏、
貴君はきっとその末裔であるのだろう、
天の涯ともういうべき広州に赴任するに当たっても、
所蔵するところの書画を携えてきている。
いまの梅雨の時季には彩色は暗くくすんでしまいがちであるが、
徐熙が墨で描いた杏の花は、
かえって洗い出されたかのように照り輝いている。
趙昌の四季の画から躑躅
長江を遡ると、
翠の絶壁に楓の林が連なり、
躑躅が千層にも折り重なって、
そのあでやかさは見るに忍びないほどである。
この画を開くと、
我が帰路がいよいよ近いと知れてくる。
剣南樵叟（趙昌のこと）が丹い色を施したためである。
［補足］（蘇軾は赤く彩色された躑躅に特に郷愁を誘われたのだろう。趙昌は「剣南樵叟」（剣南の樵の叟）と自称し、蘇軾の同じく蜀の人であったから、なおさらであった）
■書王公峽中詩刻後
［解題］王晋叔の父の王周はかつて蜀に赴任したときに三峡で詩を詠み、それを石に刻んで夔州に置いた。蘇軾はその拓本を見せられ、ますます郷愁の念に駆られてこの短文を記した。
［訳文］
私は蜀の人であるから、夔州のあたりを何度も行き来した。あの山、あの川、あの草、あの木、黙って数え挙げることができる。老病流落して帰る日がないままに、暗い靄の中で、時に夢のように想うだけである。庚辰の歳に、忝くも永州に移ることを許され、南の海を渡って、王進叔公にお会いし、お父上が三峡の石に刻まれた幾篇もの詩を見せていただいた。反復して玩味するに、赤甲、白鹽、灩澦、黄牛のありさまが、くっきりと我が眼の内に在るかのようである。
十月十六日軾書く。
［補足］（蘇軾は思い出すままに三峡の地名を挙げている。例えば「黄牛」は第1章28ページの詩に詠まれている）
■韋偃牧馬図
［解題］同じ頃に、王晋叔の所蔵品であるかどうかは確かではないが、韓幹と韋偃が描いた馬の画を見て詩を詠んでいる。韓幹も韋偃も唐の玄宗皇帝の時代の人。ここでは後者の詩を見ておく。
［訳文］
神の工のような妙技によって描かれた画は、
いずれも天帝のもとに収蔵されてしまう。
王緒、曹覇、韓幹といった名工の画は、
天に行ってしまっていまはどれも地上に留まっていない。
人間世界に残された名画は、
ただ韋偃のこの馬の画だけである。
誰にために名馬「驊騮」を描いたのか。
今に至るまで、馬は楸を蹄でぐいと踏みつけ、
馬飼いは疲れ切って沙丘のほとりに倒れ伏している。
ここはかの沙苑（皇帝の牧場）、
秋の草がどこまでも広がり、
馬は騣鬣を風になびかせ、颼颼と音を立てて走り回っている。
竜の子のようなこの名馬も、
沙苑ではつまらない駄馬と一緒にされて、
藁や豆を食わされているのを恥じているかのようだ。
王侯の車を引いて手綱で操られるのは馬の望むところではない。
昔から、仁者にも盗賊にもそれぞれに生きたい場所があるのだ。
■衆妙堂
［解題］広州にはかねてからの知り合いである道士の何徳順（本章22ページなど）がいた。海南島にいる間に、何徳順の依頼で『衆妙堂の記』（第12章144ページ）を書いているが、その衆妙堂を実際に訪ねてこの詩を詠んだ。
［訳文］
心を静かにしても古の真人（道に達した人、仙人）を観ることはできない。
私はここに衆妙堂の門を観る。
そもそも物は種々雑多であるが、
それぞれ根源に帰るならば、
衆のなかに一があって、
道がそこに存在しているのである。
何道人は晨に起きると東の軒を開き、
趺坐して朝日に一酔する。
その余光が玻璃の盆を照らし、
反射して窓や机を清めかつ温める。
何道人は月の光を身に収め、日の気を食らおうとしている。
しかしながら、我が身中には、もとより日も月もあるのだ。
いったい誰がそれをまた呑まそうとするのか。
［補足］（訳者のような俗人にはさっぱりわからない詩である）
■往年宿瓜步夢中得小詩録示民師
［解題］広州の役人である謝挙廉（字は民師）は、蘇軾が来たのを千載一遇のチャンスと捉え、自身の著作を携えて蘇軾を訪問した。蘇軾はそれを見ると、昔、揚州の瓜步に船を泊めて宿ったときに夢のなかで得た句だとして、この詩を書いて渡した。蘇軾は揚州のあたりを何度も通過しているので、夢を見たのがいつのことであったか定めるのは難しい。
［訳文］
呉国の塞も蒹葭に埋もれ、
空しく碧い水の広がりとなった。
隋朝の宮殿の楊柳の並木も、
いまは川べりの堤が残っているだけだ。
春の風は、情の無い水を恨むのか。
風は東に流れる水を吹き続け、
日は西に傾くのである。
［補足］（蘇軾がこの詩を書いて渡したのは、時は速やかに流れてしまうものであるから、ますます励むようにとのメッセージであるのだろう）
■与朱行中
［解題］蘇軾はサービス精神が旺盛で、広州の東莞県にある資福禅寺を訪ねると、そこの長老の祖堂に頼まれて、完成したばかり五百羅漢閣の由来を記す文章を書いた。その「羅漢閣記」は特に興味を引くものではないので、そのことについて触れた手紙の一文だけを見ておこう。これ自体はとりたてて面白味のない文章ではあるが、ここで特に取り上げておきたい若干の理由がある。これは朱服（字は行中）に送った手紙の一部である。朱服は改革政治を批判する意見をたびたび述べたために都から遠く離れた地方を長く転々とし、いま新たに広州知事に任命され、任地に向かって南下する旅の途中にあった。このころから蘇軾と朱服との間で何度か手紙が行き来し、後に実際に会うことになる。また、朱服は、第13章350ページで引用した『萍州可談』の著者の朱彧の父である。
［訳文］
小さなことなのでお知らせするまでもありませんが、東莞県の資福禅寺の長老祖堂が五百羅漢閣を建て、極めて立派なもので、十年かかっていま完成したばかりです。近頃私はその「記」を書きましたので、貴公も行かれたならきっとそれを御覧になるでしょう。……
■答李端叔
［解題］蘇軾は家族とともに11月初めに広州を発って永州に向かった。永州に移動するよう命じられてから2カ月余りが経っていた。白鶴峰の家を処分するなど、旅の準備がそれだけ大変だったのだろう。これはすでに出発した後で、船の中で李之儀（字は端叔）に宛てて書いた手紙。李之儀の名はすでに本章35ページで見ている。
［訳文］
数多くのお手紙をいただいております。どれも皆届いていますのに、何もお応えしていませんでした。病み衰えて手紙を書くのがひどく億劫になってしまっただけでなく、寒暖を問うだけの交わりは無益なことのように思われもしたためで、貴君までもそこに巻き込んでしまったのは、恥ずかしくて言葉もありません。近く潁昌（許州）の赴かれるとのこと、そして御家族ともども御健勝でありますことを伺いました。
私はこれより永州に移ります。五羊（広州）から大庾嶺を越えて、吉州に出てから陸路をとり、長沙を経て永州に至ります。孫鼛君が人の手配をしてくれ、数十里にわたって船で一緒に送ってくれています。大きな波の中でこの手紙を書いています。ただこの身を保つ以外に何も望みはありません。「酌酒与婦飲、尚勝俗侶対」（酒を酌んで婦と飲む、尚お勝る 俗侶と対するよりも）（酒を酌んで妻と飲むのは、俗な客人と向かい合うよりずっとよい）とは、梅堯臣が船の中で詠んだ詩で、ずっとこれを唱えています。
［補足］（（1）李之儀は蘇軾と関係が深かったことから職を失っていたのだが、新たな任を授けられて潁昌に向かっていた。（2）大庾嶺は嶺南と嶺北を分ける境目で、蘇軾が大庾嶺を越えて嶺南にきたのは6年前である。（3）孫鼛は先に見た墨や筆の収集家である。蘇軾はいろいろな人に助けられて移動の旅を続けているのである。（4）梅堯臣（本章9ページ）は家庭を大切にした実直な人で、ここに引かれた句にもその人柄がよく表れている。対して、蘇軾は先に妻を、そして南遷中に王朝雲も喪っていた）
■与程懐立
［解題］広州を発ったころに蘇軾は程懐立に宛ててこの手紙を書いた。程懐立は広州の官員。手紙の宛て先は孫鼛であるとするテキストもある。どちらにしても広州周辺の地域を巡察する仕事に就いている人物に、蘇軾はある頼みごとをしたのである。その部分を訳出する。
［訳文］
……眉山の人で巣谷という者がいます。字は元修です。かつて科挙や武挙の試験を受けましたがどれも合格しませんでした。篤実で義理に厚い人物で、七十余歳のときに私が海南島に謫されたと聞いて、万里を歩いてでも私を慰めるために訪れようとし、新州に至ったところで病気で亡くなってしまいました。役人が蓆にくるんで葬り、その遺物は官の倉庫に入れられました。巣谷には郷里に息子の巣蒙がいて、私は人を遣わし、巣谷を故郷に葬るよう巣蒙を呼びました。路費を援助したのですが、いま私は南から永州へと行こうとしているところで、さらに援助をしております。巣蒙がまだ到着しない間は、仮の埋葬場所を守る者がいませんので、ややもすると崩れたりして野にさらされてしまうかもしれません。貴公におかれては、巣谷の不幸を哀れんで、巡検の折に新州に行かれたならば、そこの知事に特に一言添えられて、埋葬場所を少しでも修治するようその地を守る者に注意を促す指示を出してもらって、その子が至るのを待つようにするという具合にしていただけるなら、その恩は実に大きなものがあります。……
［補足］（（1）巣谷が蘇軾を訪問しようと郷里を発ち、途中で蘇轍に会った後に新州で病没したことは第12章215ページで詳しく見ている。蘇軾はその後のことを、こうして手厚くはからっていたのである。（2）このころに都では蘇軾の処分をさらに緩め、「安置」を解除することが検討されていた。その決定が嶺南に届くのはまだ少し先である）
■伝神記
［解題］「伝神」とは「神（真髄、本質的精神）を伝える」で、それから人物の本質に迫って描く肖像画を指すようにもなった。これは肖像画の極意を論じた文章。ここに名が記されている程懐立が上の手紙の相手と同一人物であるとの保証はないが、別人とする根拠もないので、ここに並べて読んでおこう。
［訳文］
伝神（肖像画）の難しさは目にある。
（晋の時代の画師）顧愷之は、（あるとき、人物像を描いて、長い間、瞳を描き入れずにいたので、ある人がそのわけを尋ねると）このように言った。
「形を伝え、影を写すときに、最も肝要なことはすべてこの中（瞳を描くこと）にあるのだ」
目の次には頬骨と頬である。私はかつて燈火の下で自分の頬の影を顧みて、人を使って壁にそれを模写させた。眉や目は作らなかったけれど、それを見る者は思わず笑い出し、それが私であるとわかったのである。
目と頬骨と頬が似るなら、あとは似ないことはない。眉とか鼻や口は、適当に描いても似てくるのである。
人相を見てその人の運勢を見たりする術と伝神とは同じ一つの道である。その人の「天」（本性）を知ろうとするなら、衆人の中でその人が振る舞いをそっと見るのが最もよい。その人に正装させ、じっと何かを見つめさせたならば、その人は気を引き締め、姿をきちんと整えようとするだろう。それでは「天」を見てとることはできない。
およそ人の意思（気持ちの中心）はそれぞれに存在する場所がある。ある人は眉や目に、ある人は鼻や口にある。
顧愷之は（あるとき肖像画を描いて）このように言った。
「頬の上に三本の毛を加えたなら、精彩がことのほか勝るように思う」
つまり、そのときに描いた人の意思が頬のあたりにあったのである。
（役者の）優孟が、（かつての宰相でいまは亡き孫叔敖のことを王に思い出してもらろうとして）孫叔敖が手を叩いて談笑するありさまを演じてみせたところ、人々は死者がまた生き返ったかのように感じた。優孟は体型から何もかも似せたのではなかった。孫叔敖の意思があるところを捉えただけのことであった。
このような理を悟って画くなら、誰もが顧愷之や陸探微のように優れた肖像画が描けるようになるのである。
私はかつて僧の惟真が描いた曾公亮（蘇軾の先輩の大臣）の肖像画を見たことがあるが、始めのうちはあまり似ていなかった。ある日、惟真は曾公亮に会って帰って来ると、非常に喜んだ様子で、
「よし、これでわかった」
と、言って、眉の脇に三本の皺がわずかに見えるくらいに描き加え、首を臥せ加減にし、視線を上にあげて、顔をややしかめているところを描いたところ、ついに大いに似たのであった。
南都出身の程懐立はその才能を多くの人に称えられている。私の肖像画を描いてくれたところ、大いにその全体の雰囲気を捉えていた。程懐立の振る舞いは学生のようであるけれど、蕭然として筆先の巧みさの外に心を巡らせている者である。それで私はこれまでに聞いてきたことを書いて、その筆の発展を助けるものである。
■和黄秀才鑑空閣
［解題］蘇軾は広州からは大庾嶺を目指したが、川を遡る旅は容易にははかどらなかった。広州の町から西に五十里のところにある崇福寺に立ち寄り、川に臨む鑑空閣で黄洞（字は明達）という人物に会い、その詩に和した。
［訳文］
明るい月はもともと自ずから明るく、
無心とはこの境地にほかならない。
月は空に掛る水の鑑、
山や河の姿をそこに写しているのである。
私は大瀛海（大洋）を見たけれども、
巨きく浸して天とともに永く広大であった。
九州（大陸）は天と海の間にあって、
鏡の中央にわだかまる蛇と何ら異なるところがない。
空と水はふたつながらに無質（堅い実体がないもの）、
互いにただ耿と耿を照らし合っているのである。
月には桂が生え、兎や蝦蟇が棲むとかいうのは、
妄りな俗説であって斥けるべきである。
私はここ鑑空閣に遊び、
欠けた月がまさにひんやりとしている。
その寒さにも、黄君は衣をはおろうともしないで、
月に対して句を発して、いよいよ警抜である。
君が流す涙を借りて、私も筆の先を湿らせてみよう。
誰もまだ言っていないようだが、
この崇福寺の林こそは、
清絶なこと五嶺で第一であろう。
［補足］（嶺南と嶺北をわける山地（五嶺）で崇福寺が一番であるとは、迎えられた客人としてのリップサービスである）
■題霊峰寺壁
［解題］広州の町から西に六十五里のところにある霊峰山に立ち寄ってこの詩を詠んだ。
［訳文］
霊峰山の上の宝陀寺、
白髮の東坡はまたここに到り来た。
先の世にこの寺にいた徳雲和尚は、いまの私である。
この妙高台をはっきりと記憶しているのだから。
［補足］（前の世では僧であったと時折蘇軾は詩に詠む。妙高台からの風景をかつて見たような気がしたので、昔この寺にいたと聞いたばかりの徳雲の名を挙げたのであろう）
■游広慶寺題名
［解題］蘇軾は、景勝の地、清遠峡に遊んだ。6年前にも訪れているが（第11章66ページ）、せっかくの機会を逃さなかったのである。広慶寺に立ち寄ってこの訪問記録を残した。
［訳文］
東坡居士は海を渡って北に還り、呉復古、何徳順の二人の道士、曇穎、祖堂、通老の三人の長老と、黄明達、李公弼、林子中が広州から送ってくれて、一緒に広慶寺に遊んだ。
元符三年十一月十五日。
［補足］（ここに挙げている人物のうち、呉復古（第12章332ページなど）と何徳順（本章41ページなど）の2人の道士は何度もその名を見ている。呉復古は蘇軾が大陸に到着した後はしばらく離れていたようだが、広州からまた同行するようになった。曇穎、祖堂、通老の3人は恵州の僧で、曇穎の名は第11章110ページなどですでに見ている。黄明達は崇福寺で会った人物でそのまま付いてきたのだろう。李公弼と林子中は蘇軾がこれまでに交流した人々の中に同じ名の人物がいるが、ここに同行していたとは考えにくいので、別人であろうとされる）
■与謝民師推官書
［解題］清遠峡にある峡山寺で、広州の謝挙廉（字は民師）（本章42ページ）に宛ててこの手紙を書いた。
［訳文］
先ごろお別れし、またすぐにお手紙を頂戴し、日々うるわしく過ごされていることを審らかにし、深く心が慰められました。
私は生まれながらにぶしつけな剛直者で、学問に疎く才能もなく、罪を得て何年も流されましたので、士大夫の方々と敢えてまた交際しないようにしておりました。海の北側に還ってきまして、以前に親しくしていた方々を見ますと、ぼんやりと世を隔ててしまったかのような気がし、ましてこれまで一日のお付き合いもなかった貴君と交わりを求めようなどとは思いもしないことでありました。それが何度もお越しくださって、まるで旧知の間柄であったかようにしてくださいましたのは、望むべくもない幸せで、言葉もありませんでした。
お示しくださったお手紙、詩賦、種々の文章をじっくりと拝見いたしました。全体として、行く雲、流れる水のように、初めから定まった質はなく、行くべきところへと必ず行き、止まらなければいけないところにはきっと止まって、文（文章の綾・飾り）も理も自然のままで、描かれた姿は橫生としています。
孔子は
「言の文にあらざるは、之を行うこと遠からず」（言葉に綾がないものは、後々まで伝わりにくい）
と、言い、また、
「辞は達するのみ」（言葉は意味が通じればよい）
とも言いました。
後者だけをみると、言葉は意味が通じればよいのであって、文（綾）がなくてもよいと疑われてしまいますが、それは大きな間違いです。言葉で物をぴたりと捉える妙技は、いわば風を繋ぎ止め、光を捕まえるようなもので、それができて、しかもそれを心にはっきりとわからせるようにできる者は、たぶん千人、万人に一人もいないのです。ましてその言葉を口に唱え、手で書いて、いよいよはっきりとわかるようにできる者はめったにいません。これが「辞は達するのみ」の本当の意味なのです。このようにして言葉の意味が通じるに至るならば、文（綾）はいくらでも用いられるようになるのなのです。
（漢の時代の）揚雄は難しくて意味が深げな詞を好んでつくって、浅くてたわいもない説をそれで文りました。そのまま正しく言えば誰でもわかることをそのようにしたのです。揚雄はまさしくいわゆる「雕虫篆刻」（ちまちま飾り立てた文章を刻むこと）をする者であったのです。揚雄の書いた『太玄経』や『法言』はまさにその類であります。揚雄は賦についてだけは後悔しましたが、それはなぜかというと、一生涯「雕虫」に工夫をこらしながらも、その音節を変化させただけだったからです。揚雄の作品は「経」（模範となる古典）と呼んでよいようなものなのでしょうか。
（揚雄より三百年前の）屈原は『離騷経』を作りました。これは（孔子の編んだ『詩経』の）国風や大雅、小雅を再び変化させたもので、太陽や月の光と競い合うといってもよいほどに立派なものでありました。その作品は賦に似ていましても、「雕虫」の仲間とするわけにはいきません。（揚雄より百五十年前の）賈誼は、もしも孔子に会ったなら、座敷に上がって語り合うことをきっと許されたでありましょう。ところが、揚雄は、賈誼が賦を作ったことをもって低く貶め、司馬相如と同じ科だとしたのでした。揚雄の見識の狭さはいつもこのようなものです。
よく理解していただける人にはこのようなことを申し上げられますが、俗人と話すのは難しいです。文章について論じて、たまたまここにまで及んでしまいました。
欧陽文忠公（欧陽脩）はこのように言われました。
「文章は純度の高い金であり、美しい玉である。金や玉が市場においてその値段がきちんと定まるように、特定の人が口先でとやかく文章の貴さ賤しさを決めることはできないのである」
ごたごたと書きました。貴君におかれては益のないことでありましょう。はなはだ恥じ入ります。
貴君から所望されました僧の恵力の法雨堂に掲げる字でありますが、私はもとより大きな字を善く作ることができなくて、無理に作ってもきっと佳くはありません。また、舟の中は狭くて、字を写すのが難しく、御依頼のようにはできておりません。
それでも、私はこれから江に臨むところを過って、法雨堂にも行くようになるでしょう。もしも僧に記念に何か書いてほしいと言われましたなら、数句を院中に留めて、貴君が僧を思う意を慰めることといたしましょう。
今日はすでに峽山寺に至りました。ここには少し留まるだけですぐ去りますので、貴君とはますます遠くなります。ただただ御自愛されますように。
［補足］（蘇軾は、謝挙廉には才能があると認め、文章の在り方についての考察をこの手紙に記している。揚雄を厳しく批判していることや、文章の価値は大勢の眼（ここでは市場といっている）で定まるとしていることなども興味深い）
■書羅漢頌後
［解題］清遠峡にある宝林寺で記した短文。日付がわかるので訳しておく。
［訳文］
仏弟子の蘇軾は海南島から還り、道に清遠峡の宝林寺を過り、敬って禅月が画いた十八大阿羅漢の像に頌歌を添えた。
元符三年十一月十四日。
［補足］（蘇軾が十八人の阿羅漢を描いた画に頌歌を添えたことは第12章229ページでも見ている。頌歌には蘇軾の仏教に対する理解の深さを見ることができるのだが、そうあるだけに訳者の手に負えるものではないので、訳は割愛せざるをえない）
■何公橋銘
［解題］蘇軾は英州に入った。着いたのは、英州の町の中央を貫く大きな川に石の橋がちょうど架けられたばかりのときで、知事の何及之（字は智甫）は早速、記念の文章を書いてほしいと蘇軾に頼んだ。川には、これまで木の橋があったのだが、流れが強くて数年で流されてしまうので、何及之は苦労の末に石の橋を造ったのである。蘇軾は知事に案内されてその橋を見に行き、その立派さに感心し、4字1句からなる韻文の銘を作った。なお、英州はかつて知事として赴任するよう一度は命じられたところである（第11章1ページ）。
［訳文］
天地の間、どこにでも水がある。
人は水の上をも往来し、水鳥はそこで暮らす。
水に従って行くなら、雲のように馳せ、鳥のように速い。
水が利をなすときは、千里の距離も一尺のようになる。
乱れる流れを渡るとき、水が膝にまできたらもう止まらなくてはならない。
水が害をなすと、一尺からたちまち千里にも及んでしまう。
川の始まりを見ると、蛙が飛び越え、小魚が渡れるくらいのものである。
しかし、山より溢れ出したなら、禹（治水を成し遂げた聖天子）も恐れたようなことになる。
一本の木では大地を支えられないように、
水は渦を巻き、氷を砕き、雷を走らせ、なすすべもなく、
一つの邦がたちまち二つの島に分けてられてしまい、
互いに犬の声が聞こえいても、もはや行き来できなくなってしまう。
ここに何公が剛毅にも、仁において勇敢で、
石の梁を作り始め、艱難に遭っても勤め続け、
進んでは止まり、さらに百難があっても、
公の心は石のように堅く、鉄よりも堅かった。
公が人の先に立って働けば、民も喜んで使われ、
老いも若きも、まるで我が子を負うかのようにして、石を運んだ。
これは輝く虹であろうか、それとも金の堤であろうか、
欄干が真直ぐに連なり、
百貨がそこを通るようになった。
私が何公とともに橋にくると、
歓びの声が道にあがり、人々は何公の馬の足に抱きついた。
私は感嘆して言った。
「見よ、この滔滔と流れる水を、
何公のように剛の者でなければ、誰がこの橋を造れようか。
願わくは、何公に、橋とともに千年の寿命を与えよ。
再びまたこの英州の知事として戻ってきて、老人たちの心を慰めよ。
漢の時代の朱仲卿のように、永く土地の人々によって祀られるであろう。
私はこの銘を作るから、英州の子孫は決して忘れないように」
■次韻鄭介夫二首
［解題］英州には、かつて新法に強硬に反対した鄭侠（字は介夫）が流されていた。蘇軾は鄭侠に逢って、その詩に次韻した。
［補足］（鄭侠は蘇軾より4歳若い。かつて王安石は改革を始めるに当たって、かねてから知っていた鄭侠を都に呼んで、意見を聞いた。王安石は鄭侠を自分の片腕として用いる心積りであったのだが、鄭侠は新法の欠陥を幾つか挙げ、王安石に再検討することを迫った。王安石はそれに応えることなく、鄭侠にはつまらない仕事を与えた。改革が始まると、たまたま黄河下流域は干害に見舞われ、飢えた民衆が都に向かって押し寄せた。鄭侠はその悲惨なありさまを図にして神宗皇帝に提出し、改革政治を間接的に批判した。皇帝は強く動揺し、一時期は改革を停止しようとしたために、王安石は責任を取って宰相の職を辞した。しかし、呂恵卿等の改革派が猛然と巻き返しをはかり、改革は続行となり、鄭侠は朝政を謗った罪で遠くに流された。神宗皇帝没後に保守派が復活したきに、蘇轍が鄭侠を赦免するよう強く主張したことで、官職に復帰したのだが、蘇軾が嶺南に流されたのと同じころに英州に流されて、そのままになっていた）
［訳文］
其の一
ひとたび泥の道に落ちると、
その跡はますます深くなってしまう。
一尺の薪を得るのも桂の香木を得るような苦労をし、
まして米を得るとなると金と変わりがないほどだ。
金星は月の近くに光っているが、
暁のなかにむなしく消えて行く。
木星は今年は心の星座にあり、
それは豊年の兆しであるという。
私も貴君も、
かの蘇武が辺境の地で毛氈を齧りながら漢朝の旗を守ったのにも似る日々、
しかし、それでも、
かの鄭尚書がその足音だけで天子に知られたのと同じようになるのには、
何ら妨げがないはずだ。
ぽつんと浮く雲、
飛ぶのに倦んだ鳥、
それは自ずから飛ぶだけ。
涙を落とすようなことはせずに、静かに飛ぶのだ。
［補足］（朝政を誹謗したと疑われないよう、慎重に言葉を選んでいるのだろう、何を言っているのかあまり明快ではない。2人とは同姓の蘇武と鄭尚書の故事を引いて、苦難の末にも再び天子に用いられるであろうと言いつつ、静かに飛ぶ雲のイメージはそれとはやや異なるように感じられる）
其の二
一生の憂患は老境に集まったものか、
貴君の心は驚かされた蚕のように安心して眠ることができない。
たまたま海のほとりに来て、歳月がいつ終わるともなく流れてゆく。
あるいは、葦の間に迷い込み、どうにか岸辺だけは見えていようか。
良い医者になるまでには、肱を三度折るくらいの労苦を経なければならず、
戦に習熟した将軍になるまでには、左右の陣を落とされるような危難がある。
子孫のために、桑、楡、梨、棗を取って植えようではないか。
貴君の寿命が川の水のようにますます増えることを祝うのである。
■提挙玉局観謝表
［解題］蘇軾は英州にいる間に、朝奉郎（名目上の官位）に復して、提挙成都府玉局観（成都にある道教の寺院を監督するという便宜上の役職で、いくばくかの俸禄が与えられる。第一線を退いた官員にいわば年金を支給するような意味合いのもの）にするとの朝廷の命令を受けた。ついに「安置」の禁が解かれ、どこに居住してもよいとされた。蘇軾はすぐにこの謝表を書いて朝廷に提出した。
［訳文］
臣は先に、昌化軍の貶所より勅令を奉じて廉州安置に移りましたところ、また廉州より勅令を奉じて舒州団練副使永州居住に移ることになり、今英州に至りましたところで、臣に朝奉郎提挙成都府玉局観を授け、どの地においてでもその任に就いてよいとの勅令を頂戴しました。
臣が七年の間遠くに謫され、万里の向こうから生きて還れましたのは、天の幸いによるもので、罪人の中からたちまち貴紳の仲間へと入れていただくことになったのであります。
伏して念いますに、臣は才能は人に及ばないのに、本性として衝突することが多く、強情にも自分勝手に小さな忠義を思い込んで、狂ったように妄りに行動して、大難を引き起こしたのでありまして、全てが臣がしたことで、敢えて怨むようなことはないのであります。俄かに真人（新皇帝）による御世が勃興し、万物が改まり始まるときに、臣だけが遠く暗いところにありましたのも、臣の頑迷によるものであったのですが、廃されていたものを起こし、これまでに倍する生成の力を受けて、ついには臣もまた棄てられたままではなくなったのでありました。……（以下、新皇帝を賛美する言葉が並ぶ）……臣は老年に及んで何も求めるものはなく、粗末な暮らしも厭うものではありませんが、いまだ棺が蓋で覆われないうちは、なおわずかながらでも忠義を果たすことを懐うものであります。
■祭呉子野文
［解題］英州にいる間に、朝廷からの朗報があった一方で、悲しい出来事もあった。呉復古（字は子野）が亡くなったのである。蘇軾は呉復古のためにこの祭文を作った。
［訳文］
朝奉郎提挙成都府玉局観の蘇軾は謹んで清らかな酒とささやかな食べ物を供え、麻田の呉復古、遠遊先生の霊に申し上げる。
ああ、呉君は世俗とは異なる道を行き、寂かに黙って自ら求め、門を閉ざし、幃を垂らし、座って何もかも忘れ、天台山に隠れたかの白雲先生に似て、あるいは壺の内に隠れたかの壺先生に似て、自在に気を閉ざし、あるいは機を発して、高位の人々とも交わりつつ、何も求めることはなく、渇きも飢えも覚えることなく、道路を家として、ただ義の赴くところへと帰ったのであった。老いてもなお行き、ついにやめることはなかった。私が北に還るのを送って、その道の中ばで病を得て、薬を飲まず、良い食べ物も斥け、後のことを尋ねても、ただ笑うだけであった。飄然と脱け去り、雲が散り露が晞くように亡くなったのだった。私は何をするのか、ただ感嘆し、すすり泣くのである。酒を注いで、訣れを告げる。舟よ逝け、東に飛べ。
［補足］（蘇軾と呉復古の付き合いは長く（第10章324ページ）、特に恵州に謫されて以降は呉復古は頻繁に訪れてくるようになり、とりわけ海南島での生活を支える大きな力となり、島から帰る旅にはほぼ付き添って段取りを整えるのに尽力した。こうしてみると、呉復古は嶺南での蘇軾の日々を助けるために仙界から遣わされて、その役目を終えたので仙界へと帰って行ったかのように思えてくるのである）
■呉子野勧食白粥
［解題］呉復古（字は子野）について、海南島を離れてからここまでの間に書いたと思われる短文を見ておこう。
［訳文］
夜、座っていて、どうしようもなく腹が減った。呉復古が白粥を食べるよう勧めてくれた。呉復古が言うには、「白粥は新陳代謝をよくし、膈（胸と腹の間）に利いて、胃を養います。僧家では五更（明け方）に粥を食べるのをまことによいとしています」と。呉復古の粥は実にうまく、食べた後にはすっきりとして、それは言葉では言えないほどである。
■答蘇伯固
［解題］自由の身となった蘇軾は英州を発ち、五嶺の大山地へと向かった。6年前に山地を下ったときには流れに任せればよかったのだが、急流を遡るのは容易ではなく、その苦労の一端がこの手紙に記されている。これは蘇堅（字は伯固）への返書。蘇軾は杭州知事時代に蘇堅と親しくし、嶺南に流されて行く途中に九江で会っていた（第11章31ページ）。細かい事情は不明だが、蘇堅も朝廷から冷遇されていまは嶺南の地にいて、もう少しで会えるところまで来ているのだった。
［訳文］
お手紙を頂戴し、厚くお心にかけてくださり、感慨に堪えません。お健やかであることを審らかにしました。
今日は（英州郊外の）金山寺の下に至りました。極めて難儀ではありますが、それでも一寸ばかりずつ進んでおります。大きな船に乗ることができ、幼い者たちは助かっています。大きな船が進めなくなったら、小さな船で我慢しないとなりません。
私の人生の終わるところはまだどこだかわかりません。一切は成り行きに任せ、流れに乗って行き、止まるところで止まるだけで、行くも止まるも私が決めるのではありません。
英州を離れるときに玉局観の敕令を受けました。望外の恩遇に感じ入っております。……（秦観、范祖禹が亡くなったことを悼む文章が続く）……弟はたぶんもう巴陵（岳州）に着いていることでしょう。宮観指揮（蘇軾と同じく、道教の寺院を監督する名目上の職）を得ましたので、流れに沿って潁昌（許州）に還ることを計画しています。私がそれを追って行くのは難しいでしょう。先日、途中で風の便りに貴君が下痢したと聞きました、もう安らかに回復されているでありましょうか。
［補足］（弟の蘇轍も兄と同じように、処分が順次軽くされ、そのたびに朝廷が新たに指定した場所へと移動する旅を重ねていた。洞庭湖を臨む岳州に至ったときに居住の自由を得て、かねてから退隠する場所として定めておいた潁昌を目指すことになった）
■与朱行中
［解題］上の手紙に「大きな船に乗れました」とあったが、それは新たに広州知事として赴任するために南下しつつあった朱服（字は行中）（本章43ページ）の厚意によるものであった。蘇軾は英州で朱服と逢い、この手紙にあるように、大きな力を貸してもらったのだった。この手紙はすでに大庾嶺を越えて虔州に着いたときに書いたものであるが、先にここで見ておきたい。
［訳文］
行李を運ぶ従者も貸してくださり、感謝の言葉もありません。ただ、節級（武官の位の一つ）の朱立は無法者で、漁の禁を犯してばかりいて、とうとう逃げ去ってしまいました。林聡は平民を殴って、ほとんど死ぬばかりにまで至り、法に触れることも多くありましたので、もはや連れて行くことはできまいと、虔州の役所に預けました。貴君のお手紙を受けまして、その者もお返しするようにとのことでありますが、貴君にとって難儀なことになるのを恐れます。貴君は人を雇って自在に使っておられますので、元通りお返ししてよいとのことなのでありましょうか。ほかの二十余人はみな力を尽くして働いてくれて、過ちはありませんでした。どうか罪を与えたりしませんように。困難な旅の間はだいたいこのようなことばかりで、恥ずかしくて、人に言えるものではありません。二艘の船できて、失われた荷物はありませんでした。まことに幸いなことでした。数首の詩を添えますので、お笑いください。
［補足］（（1）朱服は蘇軾が乗る船を手配し、荷物を運ぶ労働者として20人以上も貸してくれたのだった。しかし、中には扱いに困る乱暴者もいたのである。（2）朱服に同行していた息子の朱彧は英州で蘇軾の話を直接聞く機会を得て、そのことを自身の随筆『萍州可談』に記した。海南島からの渡海の様子を記録した文章を12章350ページで見ているが、その後に続けて朱彧は次のように記している。
朱彧：『萍州可談』
私は嶺南にいたときに、東坡が北に帰るのに逢った。気貌は衰えておらず、笑って滑稽なことを窮まりなく語った。しかし顔を視ると、土気色をしたところが多く、頬も耳もかさかさであった。別れてから数カ月後に、ようやく陽羨に及んだところで亡くなった。東坡にはもとより憂い患うところがあったし、暑さからくる毒には耐え切れなかっただろう。
（ここに蘇軾の終焉の場所が記されている。詳しくは本章の終わりで見ることになるが、そこは常州の陽羨で、15年前にそこに土地を得ていた（第7章82ページ））
■書舟中作字
［解題］英州から川を遡って韶州の曲江に至る舟の中で書いた短文。
［訳文］
間もなく曲江に至ろうとして、船は早瀬に入った。船は斜めになったり、横になったりする。船を操る者の百の指が動きまわり、流れに当たる竿の音、岩の音が犖然と高まった。四方を顧みて、どこもが早い流れで波立っている。人々は顔の色を失った。私は字を書いていて少しもたゆむことがない。どうしてなのか。私があまたの変転を経てきたからであろう。それに、筆を置いて起ったところで、ここでは何一つとしてできることがない。しばらくは字を書いている方がましなのである。
■記所書潜珍閣銘
［解題］恵州の李思純が川を臨む景勝地に潜珍閣を建て、李思純はその銘を作ってほしいと蘇軾に依頼した。これは、旅の間に作り終えた銘を李思純の息子の李光道に渡したときに書き添えた短文。
［訳文］
私は海を渡り、広州からここ曲江に至るまでの間、北海の進士である李光道が同道して送ってくれた。それはこの文を求めるためであった。それで私はこれを作ったのである。
元符三年八月、東坡蘇軾。
［補足］（（1）最後に「元符三年八月」とあるのが正しいのなら、蘇軾が海南島から帰還して廉州にいたころとなる。そうなると、韶州の「曲江」とは地理的に合わない。ある人は、これは「紹聖四年四月」の誤りで、蘇軾が恵州から海南島に行く間のことで、どこかそのあたりに「曲江」というところがあったとしている。「曲江」という地名は他の地にあってもおかしくはないだろう。一方で、やはり「曲江」といえば普通は韶州のものを指すので、これは「元符三年十一月」の誤りだという説もある。先に、本章51ページで蘇軾の同行者の中に李光弼の名を見ているが、実は李光道であったとするとつじつまが合う。以下は訳者の想像。李光道の父は、蘇軾が海南島を出たと聞いて、白鶴峰の家にきっと一度は帰ってくるだろうから、そのときに潜珍閣の銘を作ってもらうと待ち構えていた。しかし、広州までしかこないとわかり、曇潁ら3人の僧が行くのに息子を同行させて、蘇軾に銘の執筆を依頼しようとした。蘇軾がなかなか引き受けなかったのか、あるいは李光道としてはこの際できるだけ長く蘇軾と一緒にいたいと思ったからなのか、いつしか韶州の曲江にまで一緒にきてしまったのだろう。（2）『潜珍閣の銘』を訳しておきたいところではあるのだが、この銘は6字1句の韻文で、まことに含蓄に富み、訳者の能力では残念ながらどうすることもできない）
■次韻韶守狄大夫見贈
［解題］蘇軾が英州から韶州に至るまでの間に、到着を待ち構える何人もの人々が使いの者を派遣し、次々に蘇軾のもとにやって来た。待っていた一人は馮祖仁で、かつて河源県の知事をしていて、道士の陸惟忠を葬った人で（第12章141ページ）、このときは官職を離れて曲江にいた。もう一人は曹渓の南華寺の長老である明老で、南華寺は6年前に恵州に向かう旅の途中で立ち寄っていて（第11章63ページ）、この後再訪することになる。こうしていろいろな人の導きを得て韶州に到着すると、土地の人々の大歓迎を受け、知事の狄咸（字は伯通）から詩を贈られて、それに次韻した。狄知事を始めとする韶州の人々への挨拶の詩で、故事をいろいろ使って意味が掴みにくいので、2首のうちの第1首の前半だけを訳す。
［訳文］
其の一
唐の褚遂良は南方に流されると聞いて一晩で髪が白くなったという。
私も髪がこの通り真っ白で、
浮き草のようなこの身を大海の中央に置いていたのである。
銭がないので、菜を植えるのを家業とし、
病になれば、心を安らかにするのを薬方としていた。
能のなさは、大きなことを言うだけで何も成し遂げなった漢代の孔融と同じ、
愚かさは、画だけが得意で他には何もできなかった晋代の顧愷之に似ている。
万里の彼方から帰ってきて、私は空しく血の涙を流す。
先の皇帝には、七年の間、宮中の西廊においてお仕えしていたのである。
……
■昔在九江与蘇伯固唱和其略曰我夢扁舟浮震沢雪浪橫江千頃白覚来満眼是廬山倚天無数開青壁蓋実夢也昨日又夢伯固手持乳香児示予覚而思之蓋南華賜物也豈復與伯固相見於此耶今得来書已在南華相待数日矣感歎不已故先寄此詩
［解題］旧友の蘇堅（字は伯固）（本章62ページ）から、南華寺で待っているとの手紙がきて、この詩を詠んで送った。長い詩題は以下の通り。「私は以前に九江において蘇堅と唱和した。そのときの詩に『我夢扁舟浮震沢、雪浪橫江千頃白。覚来満眼是廬山、倚天無数開青壁』（我は夢にみる扁舟の震沢に浮くを、雪浪は江に橫たわって千頃白し。覚め来たれば満眼は是れ廬山、天に倚って無数の青壁を開く）という句があった。これは夢がまさしく現実になったことを詠んだのだった。昨日また蘇堅を夢に見た。蘇堅は手に乳の香りのする子を抱いて、私に見せてくれた。目覚めてから考えたのは、蘇堅はきっと南華寺からの賜り物として、また会えると示してくれたのであろう。いま、蘇堅からの手紙が届いて、すでに南華寺にいて、数日間も待っているという。感嘆してやむことがなく、それでまずこの詩を寄せたのである」。得意の夢の話である。九江で唱和した詩は第11章31ページで見ている。
［訳文］
小舟を震沢に浮かべたのはいつであったのか、
目にいっぱいに廬山を見たのはいつであったのか、
覚めればすべて夢で現実ではなかった……。
晋の謝霊雲は弟を夢に見て秀句を得た、
――貴君と私はそのような間柄であろう。
漢の皇帝は宮中に飛んできた雁の足に結ばれた手紙を得て、
砂漠の地に蘇武が生きているのを知った、
――貴君も私もそのようにして赦されるのだ。
水の香しさから、南華寺に至る曹溪の入り口を知ることができるだろう。
眼を浄くしていれば、達磨が召していたという古い仏衣を見ることができるだろう。
南華寺において香火を捧げるのでなかったなら、
この生が真に帰依するところはどこにもないであろう。
［補足］（（1）蘇武の故事をここでまた用いているのは、蘇軾も蘇堅も同じ姓であるから。（2）達磨の名が挙げられているのは、南華寺は禅宗の寺で、中国禅宗の開祖は達磨であるとされているからだ）
■南華寺六祖塔功徳疏
［解題］蘇軾は韶州から曹渓に入り、南華寺を訪れると、罪を赦されて6年ぶりにまたここに戻ってこられたことを感謝する法要を行った。そのときに六祖塔に捧げた文章。六祖塔は唐代の禅僧慧能の墓である。
［訳文］
朝奉郎提挙成都府玉局観の蘇軾は、先に紹聖の初めに、恵州に謫され、南華寺を過り、六祖普覚大鑒禅師（慧能）に上謁して、その後で南に行きました。さらに海南島に謫され、赦免に遇って放還され、いま恩を蒙って前件の官を受けて、再び祖師塔の下に来ることができました。家を挙げてここに詣でて感謝を申し上げ、僧侶にお食事と沐浴を提供し、御恩に感じる意を表し、また災いを禳って福を集める因ともいたすものであります。……（以上が前置きで、以下に疏文が続く）……
■南華寺老師示四韻事忙姑以一偈答之
［解題］蘇軾を迎えた南華寺のこのときの住持は明老といい、詩を得意としていたようだ。詩題は「南華寺の老師（明老）が四韻の詩を示された。何かと忙しく、とりあえず一偈（仏説に基づく言葉）でもって答えた」。
［訳文］
宿業に纏いつかれること五十年、
常に棒で打たれつつ禅に勤めなくてはならない。
いま道教の寺院を治めることとなったから、
仏徒より一つ足りない五通仙人であるのだろうか。
■談妙斎銘
［解題］南華寺で蘇軾を待っていた蘇堅は、長老の明老に榻（長椅子）を贈り、それを置いて2人は語り合い、その部屋を（たぶん蘇軾が）談妙斎と名付け、『談妙斎の銘』を作った。
［補足］（この銘は何が言いたいのか皆目わからないままに訳してある）
［訳文］
南華寺の老翁（明老）は、端静にして簡潔、浮き雲がことごとく払われた後に、ぽつんと天に掛る月。吾が一族（同姓であることをいう）の蘇堅は、通亮にして英発、立派な玉は磨くまでもなく、天を自由に駆け巡る馬。部屋はがらんとしていて、一つの榻だけが置かれ、そこで二人が語り合うのを聞こうと、人々が町をからっぽにして押し寄せる。二人は必ず仏の教えの妙を説き、たちまち千偈を言うのだが、実は何も説かず、言葉はすべて幻、起こることもなく、滅ぶこともない。私に何を問うのか。氷を彫り、雪を磨けとは何のことか。人々は言葉を作って、あれやこれやと説くが、東坡がどうするのかというと、問いもしなければ答えもしないのである。
■追和沈遼贈南華詩
［解題］南華寺には、かつて沈遼が当時の長老に贈った詩が残っていた。沈遼は王安石と意見が合わなくて政界を去り、元豊年間の終わりに54歳で亡くなっているので、蘇軾より数年の先輩である。沈遼がいつ南華寺を訪れたのか不明だが、蘇軾はそれに次韻して、現在の長老である明老に贈る詩とした。
［訳文］
まことによろしいことである、
南華寺の上人は明るい鏡のように全てを知り抜いていて、
私のようなものも厭わずに迎え入れてくださる。
私は陶淵明のように、
「酒があるなら行くのだが」
とかの我儘は言わない。
上人は笑って言う。
「雲は無心であるのに、どうして峰から出てゆくのだろうか」
南華寺は静まり返り、
扉は青い苔に覆われて閉ざされたままである。
■次韻韶倅李通直二首
［解題］南華寺の訪問を終えて蘇軾は韶州に戻り、副知事の李公寅（字は亮工）の詩に和した。李公寅は、かつて都で交流があった李公麟（字は伯時）の弟である（李公麟が宋代を代表する画師であることは第8章103ページ以下に何度も見ている）。
［訳文］
其の一
唐の韓愈は潮州に流されたときに、
残りの旅路はまだどれくらいあるのかとここ韶州で尋ね、
その言葉に恨み事が混じってしまったのを自ら恥じたという。
私はもはや隠者に向かって帰隠の道を問うこともしない。
老いては新たに亡くなる人を悲しむことばかりあるのだが、
ここに帰ってきて、古の人のような貴君にあえたのを嬉しく思う。
かつて兄上のお近くに従ったときに、兄上の髭は白く立派であった。
いま貴君を見るに、ようやく髪が白くなり始めたばかりである。
首をめぐらせば、ここは天の涯のようなところ、
梅嶺（大庾嶺）に登って楓宸（都の宮殿）を望みみたなら、
いかなる気持ちが起こるのであろうか。
［補足］（これから登って行く大庾嶺から都が見えるはずはないのだが、峠の向こう側は都もその中に入る北嶺の地なのである）
其の二
青い竜眠山は古くゆかしい町（李公寅の郷里の舒州を指す）の向かいにある。
貴君はそこに住んだらどうかと、
万里の旅から帰ってきた私に勧めてくれる。
かつて私は、兄上（李公麟）が描かれた画によって、
竜眠山の四つの峰に鶴が舞い飛ぶありさまを見た。
これから竜眠山に行けば、
李兄弟が鯨に跨って仙界に遊ぶのが見られるようになるであろう。
貴君らが家の学問として伝えている道教を教わりたいのだが、
私が語るのを聞いておかしな書物を読んでいるといぶかしく思うであろう。
私が丹薬を作ることに成功したなら、
風に乗って竜眠山へと飛んで、貴君に雲の衣を借りるであろう。
［補足］（蘇軾は李公寅から郷里の竜眠山に来ないかと誘われた。竜眠山にある李氏の山荘は、李公麟が描いた画で蘇軾はかつて都で見ている（第8章265ページ）。魅力的な話ではあるけれども、まさか即座にイエスというわけにはいかない）
■李伯時画其弟亮工旧宅図
［解題］李公寅（字は亮工）がかつて住んでいた故郷の家を、兄の李公麟（字は伯時）が描いた画があり、蘇軾がそれを詩に詠んだ。
［訳文］
白楽天は早くに政界から引退し、
いまはどこにいるのだろうか（仙界に行ったのか）。
王維は長く閑雅の時を送り、
それは古からも例の少ないことであった。
白楽天は池のほとりの五畝の地に自分で竹を植え、
王維は自分で描いた輞川の庭の図を見つつ退隠するまでの十年を過ごした。
近頃聞いたのは陶淵明のような兄上が、
竜眠山に隠棲なさろうとしているとか、
そして、貴君は私のためにその一角を提供しようと言ってくださる。
もしも老いの最後の日々を貴君等と暮らしたなら、
我等は湖に雲のように浮かぶ水鳥と見えるであろうか。
■狄韶州煮蔓菁蘆菔羹
［解題］韶州知事の狄咸が「蔓菁蘆菔」を煮た羹を作ってくれたのでそれに次韻した。「蔓菁蘆菔」についていろいろな注釈があるが、大根とか蕪とかの類である。
［訳文］
私が昔田舎にいたとき、
寂しい厨のうちに珍しい御馳走があった。
いつも鼎の折れた脚を工夫して支えながら、
花が咲きかけた蕪を自分で煮たのだった。
その後、その味を失ってしまったが、
いま想うと、世を隔てたかのような昔である。
誰が知ろうか、南嶽の老人（狄知事のこと）が、
東坡の羹の作り方を了解していたとは。
中に大根の尻尾があるのは、
暁の露を含んだようなすがすがしさである。
この味わいを貴公子たちに語ってはならない、
生臭さものに酔わせておけばよいのだから。
■題馮通直明月湖詩後
［解題］馮祖仁（本章67ページ）の父の馮通直がかつて詠んだ「明月湖の詩」の後ろに書き添えた詩。「明月湖」はたぶん地名なのだろう。
［訳文］
馮老（馮祖仁の父）が詠んだ清らかな一篇の詩、
その墨はまだ枯れていない。
小馮（馮祖仁）が新らたに作る語、
それはまことに優れている。
いま児を呼んで硯を洗ってもらった。
君（馮老）に和して、名月湖に響く詩を歌おうではないか。
聞くところでは、
古の牂牁江はいまも形だけは月に似ているけれども、
その光は真珠となって合浦に行ってしまったとか。
私はいま合浦から還ってきたところであるから、
その真珠を名月湖の美しさに添えるのである。
さあ、蓮花の酒を用意してくれたまえ、
かの仙人の王喬のように鳧を履にして、
名月湖の上の空へと飛ぼうではないか。
■書馮祖仁父詩後
［解題］馮祖仁の父の詩の後ろにこの短文を書き添えた。蘇軾はよほど馮祖仁の人柄が気に入ったのであろう、絶賛している。
［訳文］
国家は百余年の平和が続き、嶺南からも次々に学者が出ている。しかし、韶州からは、余靖が亡くなった後は次に現れ出る者がいない。唐の時代には、韶州から張九齡に続いて姜公輔も出たのであるから、宋もその例に漏れるものではないはずである。
英州の馮氏は多くの賢人、文才ある人を輩出し、河源県知事となった馮祖仁はその父君の七篇の詩を見せてくれた。燦然として唐人の詩の風格がある。馮祖仁の賢は父君から受け継いだものであったのだ。
元符三年十二月十九日。
［補足］（余靖は蘇軾より30年余りの先輩で、朝廷にあって皇帝に対してずばずばものを言い、欧陽脩がその剛直ぶりを賞賛した。その余靖に継ぐ者が、馮祖仁の家から出るだろうというのがこの文章の含意である）
■書南華長老重弁
［解題］南華寺の重弁長老について記した文章。蘇軾は6年前に恵州に赴く途中で南華寺を訪れて重弁長老に会ったのだが、今回帰ってきたときには重弁長老は亡くなっていた。
［訳文］
契嵩禅師は常に瞋っていて、人々は契嵩禅師が笑うのを見たことがなかった。海月慧弁師は常に喜んでいて、人々は海月慧弁師が怒るのを見たことがなかった。私は杭州にいたときに、二人が趺坐したまま化した（亡くなった）のを実際に見たのだが、契嵩禅師を茶毗に付したところ、火にも崩れることがなく、薪を増して火を盛んにするのを五回繰り返しても崩れなかった。海月慧弁師は葬ったときにも、生きているかのような顔で、しかも微笑んでいた。二人がそれぞれ瞋りと喜びをもって仏事をなしていたことがこれからもわかった。
世の中の人々は、自分の身を金や玉のように大切に思って、すぐにそれを泥土にしてしまうことはできないのだが、至人はそうではない。私が思うに、一切の法は愛（執着心）によって壊れてしまい、それを捨てることによって法が常に存在するようになるのではなかろうか。
私は嶺南に遷って初めて南華寺の重弁長老と知り合い、一日中語り合って、道を得た人であると知った。私が嶺南より還ってきたときに、重弁長老はすでに亡くなっていた。南華寺を訪れて寺の人々を弔問し、その塔墓の場所を尋ねた。すると、
「我が師は昔、南華寺の東数里のところに寿塔を作られ、師は他の墓に葬られることを悦ばれませんでした。亡くなって七百余日を経てから、今の長老の明公（明老）は、衆人の止めるのも顧みることなく、我が師が別のよい墓所に葬られておりましたのを土から掘り起こして、寿塔に埋葬し直しました。棺を改め、衣を替えましたところ、お体は生きているかのようで、もとの衣もきれいなままでよい香りがしましたので、衆人は皆畏服したのでありました」
と、言った。東坡居士は、
「重弁長老は己の身を何物とも視ることなく、これを林に棄てて、烏や鳶の餌にするのもよいと考えておられていたので、そもそも寿塔もいらないものであったのだろう。明公は重弁長老をよく知る人で、葬り方はそれぞれ異なるのでよいと考えられたのだ」
と、言った。
そこで、茗果をその塔に供え、このことを書いて重弁長老の弟子で、その塔を守る可興師に渡すものである。
時に元符三年十二月十九日。
［補足］（蘇軾は以上の二つの文章を書き終えると、韶州を発って大庾嶺を目指した。馮祖仁が人を手配してその旅を支えたくれたが、山越えは容易ではなく、年の内には嶺北の地に至らなかった）