第12章 南の島の暮らし――海南島
［第12章その一］
紹聖4（1097）年、蘇軾62歳。
■付邁
［解題］これは長男の蘇邁に与えた短文。蘇邁が仁化県の知事となって、赴任するに際して足を少しばかり延ばして蘇軾のもとを訪れたのは2月中旬だった（第11章336ページ）。この文章の日付は4月15日で、この年には閏2月があったので、蘇邁はほぼ3カ月間恵州に留まっていたことになる。それだけ長期にわたったのには次のような事情があった。蘇邁が恵州に到着して間もない2月28日に、弟の蘇轍に対して「責授化州別駕雷州安置」の処分が下された。「責授」とは「罪を責めて授ける」という意味で、「化州別駕」という名目だけの官職に地位を下げたうえで、雷州に「安置」するというのである。「安置」とはこれまで何度か見てきたように、その地から離れることの許されない監視下に置くということである。雷州は恵州よりも南西の地で、中国大陸のほとんど南端に近い。この朝廷の決定がいつ恵州に聞こえてきたのかはわからないが、弟に重い処分が新たに加えられたからには、蘇軾にも何からの沙汰が及ぶに違いないと、蘇邁は仁化県への赴任を見合わせていたのだった。そして、閏2月19日、蘇軾に対して「責授瓊州別駕昌化軍安置」の処分が下された。弟と同内容で、安置される場所の昌化軍は、雷州とは海を隔てた海南島にあって、そこの儋耳という小さな町に行かなければならなくなったのである。都から見たら、恵州はすでに遠く隔絶した南の涯で、海南島はいわゆる「海外」の地である。蘇軾を嫌う人たちからしたら、南の涯に追いやったにもかかわらず、いろいろな人がひっきりなしに訪れ、支援者が周囲に大勢いるのでは面白くない、誰も行けないようなところに置いてもっと懲らしめてやろうということになったのであろう。その上、処分を受けた者の親族は、安置される場所の近くで官職に就くことを禁止するという決まりも定めた。蘇軾への皇帝からの命令書を恵州知事の方子容が手渡したのは4月17日で、それより前にすでに蘇軾の耳には処分の内容が達していて、海南島に渡るための準備を慌ただしく始めるなかで書いたのがこの短文である。
［訳文］
其の一
古の人は「有は無のごとく、実は虚のごとし」と言った。そなたは無にして虚であろうか。人からは、そなたはでくの坊で、できることが何もないと言われるのでよいのだ。そのように聞くことが私の望みだ。
言葉を慎め、飲食を控えよ、遅く寝て早く起きよ、身体を安らかに善くすることに努めよ。
書に臨んでそなたに告げる。
蘇邁に付す。四月十五日。
其の二
この硯はきめ細やかで墨が散らない。この紙は滑らかで字が乾きやすい。いずれも優れたものだ。私は普段から特に好むものはないが、ただ佳い筆墨だけは好む。罪を得て海南島に謫されることになった。養生の道具は十のうち八ないし九はなくなり、佳い紙も佳い墨もゆくゆくは尽きてしまうだろう。そのようになったならば、何をもって我が娯みとしたらよいのか。そのために慨然となる。
書いて蘇邁に付す。
［補足］（白鶴峰に新居を構えた蘇軾であったが、そこでの生活はわずか3カ月間で終わることになった。朝廷の処分をどのような思いで受け止めたのか、この二つの短文からいろいろに推測できるであろう）
［補足］（南宋の費袞の随筆『梁渓漫志』に、蘇軾の恵州での日々を総括したような文章があるのでここで見ておこう）
［訳文］
費袞：『梁渓漫志』
（唐の中頃に）陸贄は忠州に流されると、門を閉ざして来客を断り、ただ薬に関する書物だけを集めた。出て人と交わると、その際の行動や言葉が謗りを招くもとになると考え、陸贄は慎んだのである。後に罪を得て遷される者は多くそのやり方に従った。
蘇東坡はそうではなかった。蘇東坡が恵州にいたときに、程之才が広中提刑になり、蘇東坡は家の中でも外でも程之才と会い、恵州の官の仕事に関わることをことごとく程之才に告げた。恵州では諸役人の仕事場が市中に散在していて、緊急のときに過ちを冒しやすかった。蘇東坡は三百の部屋がある建物を造ったらよいと考え、王約をその総監督として程之才に薦めた。恵州では秋に納める分の税は米六万三千石余りで、そのうちの五万以上を銭で納めるように求めていたが、蘇東坡は嶺南には銭が少ないことをもって、銭でも米でも都合のよい方で納めればよいようにするよう提言した。博羅県で大火があったときには、蘇東坡は県知事の林抃には罪がなく、仕事を任せられる能力があるから、庁舎や倉庫の修復に当たらせるように薦めた。恵州で橋を造ったときには、役人が必ず費用の半分くらいをごまかしてしまうと考え、しっかりとした者を選んでこの事業を成し遂げるように勧めた。さらに、広州知事の王古に手紙を書いて道士の鄧守安を推薦して、蒲澗水から（竹の筒で）水を町に引いて、町の人が塩辛い水を飲まなくてすむように、そして春夏の疫病の患いを免れるようにしたらよいと記した。
およそこれらのことは、官の政に関わることで、恩も怨みも生じやすことであるのだが、蘇東坡は敢然と行って、我が身に誹りがふりかかるかもしれないという心配はしなかったのである。
蘇東坡が義において勇であることはこのようであった。謫居中であってもこうであったのだから、朝廷にあっては、死生禍福によって動かされるようなことは全くなかったのである。
［補足］（この一文は事実をほぼ正確に伝えているようだ。（1）唐代の陸贄は、蘇軾がその文章を学ぶべきだと皇帝に力を込めて推奨していた賢人である（第10章314ページ）。陸贄は皇帝に対して数々の有益な意見を具申したにもかかわらず讒言によって忠州に流されると、そこでの10年間はひたすら薬の研究をした。（2）秋に納める税に関する部分は、原文の意味がよく読み取れなかったので、大まかな訳である。林語堂『蘇軾』（1988年）によると、穀物の価格が下落したにもかかわらず、役人はもとの高い価格に合わせて銭納せよと命じていたので、蘇軾は価格の実情に合わせて課税するよう制度を変更すべく関係方面に働きかけたということであるようだ。（3）広州の給水施設の設置は、杭州での治水の経験を活かしたものだった。これによって町の人々には大きな利便性がもたらされたのだが、後に王古は行う必要のない余計な事をしたとして、蘇軾と同じ時期に左遷されてしまった。災害は未然に防ぐのが最もよいというのは蘇軾の一貫した考えであったのだが、それはしなくてもすんでしまう余分な仕事を増やしてしまうことになるので、硬直した官僚制度のもとでは「義において勇」でなければできないことなのである。（4）道士の鄧守安はかなり興味深い人物で、橋の建設にも携わっていて（第11章289ページ）、土木事業を遂行する能力があった。役人に任せるとその費用の大半がどこかに消えてしまうから民間人に任せた方がよいとあるのは、これもまた旧中国の官僚制度の欠陥をよく示している。（5）この随筆の結びの、蘇軾が朝廷にあるならばという思いは、蘇軾自身が一番強く持っていたのかもしれない）
■自評文
［解題］いつ書いたのか確かなことは明らかではないが、恵州で記したのではないかと推測されている。自身の文章についての評である。
［訳文］
私の文は一万斛の水を湧かせる泉の源のようなもの、しかもどこの地がよいとか選ぶことなくどこででも湧き出る。平らな土地ならば、滔々と湧き出て広く広く水にひたして、一日に千里の距離に及ぶのも難しくはない。山に衝き当たれば、その物に従って姿を変化させ、その千変万化のありさまは誰にも予想がつかない。わかっているのは二つのこと。進むときには進めるだけ行き、止まるところにはきっと止まるのである。かくして文は終わりに至るのである。その他のことは私にも全くわからない。
■僧伽同行
［解題］朝廷が蘇軾に下した辞令を恵州知事の方子容が自ら携えて蘇軾のもとに持ってきたことがこの短文に記されている。
［訳文］
『泗州大聖僧伽伝』にこのようにある。
「僧伽和尚は何国の人である」
このようにも書かれている。
「世間の人は僧がどこから来たのかを知らない。何国の人であるかどうかわからないという」
近ごろ『隋史』の「西域伝」を読むと、何国があった。
私は恵州にあって、罪によって儋耳に行くことを命じられ、恵州知事の方子容が自身で告身（辞令）携えてやって来た。そして、私を慰めるためにこのように言った。
「これはきっと前から定まっていたことなのです、どうか恨んだりなさいませんように。私の妻の沈氏は僧伽和尚に甚だ謹んで仕えておりますが、ある夜、夢に和尚が別れを告げに来られました。妻が、『どこかに行かれるのでしょうか』とお尋ねすると、和尚が答えられたのは、『蘇軾と一緒に行くことになった。これから七十二日後に、まさにそうなるであろう』と。今日はたまたまそれから七十二日であります。前からの定めに違いないのです」
私は、もとよりこれは前からの定めによるものだと、こうした夢があろうがなかろうが、わかっている。それにしても、和尚がかたじけなくも同行してくださるとは、私はいった何者なのだろうか。先の世に少なからぬ縁があったのだろうか。
［補足］（（1）文章の冒頭にある「泗州大聖僧伽」は蘇軾もかねて詩文などに記していた唐代の有名な僧である（第3章129ページなど）。僧伽和尚は特に旅の安全を守ってくれる霊力があるとして広く信仰されていたようだ。（2）方子容の妻が本当にこのような夢を見たのかどうかはわからないにしても、海を渡って流謫地に行かねばならない蘇軾にとっては、心強く感じるものがあったであろう）
■吾謫海南子由雷州被命即行了不相知至梧乃聞其尚在藤也旦夕當追及作此詩示之
［解題］蘇軾は、長男の蘇邁ら家族を恵州知事の方子容に託し、三男の蘇過だけを伴って海南島に向かった。詩題は「私は海南島に謫され、弟は雷州に謫された。命令をいただいてすぐに出発し、弟がどうしているのか知らずにいた。梧州に至ったところで、弟はなお藤州にいると聞いた。ならば一両日中に追いつくであろうと、この詩を作って弟に送った」。これは5月10日のころのことで、盛夏のなかを20日余り旅して疲労も蓄積してきていたであろうが、弟と間もなく会えるとわかってにわかに活力を取り戻してこの詩を詠んだのであろう。
［訳文］
我が旅の来し方行く末は――
衡山から湘水のあたりに連綿と九疑山が聳え、
その先の天の彼方に蒼梧の原がある、
そこは（聖天子の）舜が葬られたところ……。
いま、煙る林の向こうにぽつんと町があり、
角笛が遠く聞こえてくる……。
まだ落ち尽くしていない月があり、
ぼんやりと江の流れを照らしている……。
夜は孤独のなかで、枕辺に座って嘆息する。
私はこうして旅を続け、
いつしか地の果ての蒼梧の原にまで来てしまったのか。
川辺で会った老人がこんなことを言った。
「あなたさまのようにお背が高く、
鬚が白くて、頬が紅いお方でございましたなあ」
そうだ、それは君なのだ。
瓊州と雷州は遠く雲海を隔てていると、嫌がることはない。
聖恩によって、互いに遙かに望みみることのできるところに住むのを許されたのだ。
普段から道を学んできたのは真に実ものを知るためで、
それは僕等が困窮するか栄達するかによってどうこうなるものではない。
天は僕を古の箕子にするつもりであるらしい、
だから、僕は箕子と同じく、
文明から遠く離れた地に身を置いて、そこの人々を教え導く、
そのために行くのだ。
後々に地理書を作る者がいたならば、
万里の彼方の海南島こそは真に我が郷であると記すことになるだろう。
［補足］（（1）詩の冒頭は実際の地理を反映したものではない。古い伝説を持ち出して、遥か南の地の旅のイメージを歌っているのである。（2）海の向こうに行くことに不安な気持ちがなかったはずはない。しかし、そこに自分の使命を（かなりのこじつけではあるが）見出して、「海南万里真吾郷」（海南 万里 真に吾が郷）と力強く歌いおさめている。（3）この後、蘇軾は藤州で弟に追いつき、汝州で別れてから（第11章13ページ）3年ぶりで会うことができた。2人がどのようなことを語り合ったのか、残念ながら記録はほとんど残っていないのだが、南宋の陸游の随筆『老学庵筆記』はいかにも蘇軾らしいエピソードを伝えている）
［訳文］
陸游：『老学庵筆記』
呂商隠（字は周輔、陸游と同じ時代の成都の人）はこのようなことを言った。
東坡先生と黄門公（蘇轍）が南に遷ったとき、梧州と藤州の間でたまたま二人は出会った。道のかたわらに湯餅（うどんのようなもの）を売る者がいたので、一緒に買ってそれを食べた。ひどくまずく、とても食べられるようなものではなかった。黄門公は箸を置き、ため息をついた。東坡先生はすでにとっくに食べ尽くしていた。そして、ゆったりと黄門公に、
「きみはそいつをまだまだもぐもぐやっていたいのかい」
と、言い、大いに笑って立ち上がった。
（蘇軾の弟子の）秦観はこの話を聞くとこのように言った。
「これは先生の酒の飲み方、飲湿の法である」
［補足］(「飲湿の法」とは、蘇軾がかつて詠んだ詩に、「黄州の町に三年いて、酒を飲んでも（ろくなのがないので）喉をちょいと湿らせるだけだ」（第6章502ページ）というのがあるのを指す。まずい酒は味わうことなく喉を湿らすだけでとにかくぐびぐび飲み込んで、手っ取り早く酔っぱらってしまうのがよいという意味合いである。湯餅があまりにもまずかったので、蘇軾は丸呑みしたのに対して、弟は呑み込むこともできずにぐずぐず噛んでいたのである。もとは朝廷の大官であった2人が、田舎の屋台でこうしたやりとりをし、それが嘉話として文人たちの間に伝えられていったのは、なかなかに愉快なことである）
■和陶止酒
［解題］蘇軾は5月11日に藤州で弟と合流し、そこからは進むペースを落とし（弟と過ごす時間を少しでも長くしかったのだろう）、1カ月近くかけて6月5日に雷州に至った。弟には妻と息子の蘇遠が同行していた。そして、6月11日に弟と別れて海を渡った。そのときに、陶淵明の「酒を止める」の詩に和して弟に贈った。そうした経緯を記した序文がある。
［補足］（陶淵明のもとの詩は、すべての句に「止」という文字が入っているが、蘇軾はそこまでは踏襲していない）。
［訳文］
序（蘇軾）
丁丑歳、余謫海南、子由亦貶雷州。五月十一日相遇於藤、同行至雷。六月十一日相別、渡海。余時病痔呻吟、子由亦終夕不寐。因誦淵明詩、勧余止酒。乃和原韻、因以贈別、庶幾真止矣。
（丁丑の歳（紹聖四年）、私は海南島に謫され、弟もまた雷州に貶られた。五月十一日に藤州で遇い、ともに雷州に至った。六月十一日に別れて、私は海を渡った。私はこのときに痔を病んで呻吟し、弟は一晩中私の横で眠らずにいた。そして、陶淵明の詩を誦って、私に酒を止めるよう勧めた。それで、もとの韻に和して、送別の詩として贈った。できれば本当に止めたいものである）
［補足］（蘇軾が痔疾に苦しんでいたことは第11章185ページでも見ている。そこでは治ったように書いてあったが、また悪くなったのだろう）
（陶淵明）
居止次城邑、（居は城邑に次るのを止めたので）
逍遙自間止。（逍遙して自ら間止である）
坐止高蔭下、（坐るのは止だ高い蔭の下だけで）
歩止蓽門裡。（歩むのは止だ蓽門の裡だけである）
好味止園葵、（好ましい味は止だ園の葵だけで）
大歓止稚子。（大きな歓びは止だ稚い子だけである）
平生不止酒、（平生から酒を止めたことなどは不く）
止酒情無喜。（酒を止めたりしたら情に喜びが無いのだ）
暮止不安寝、（暮に止めたら、安らかには寝られ不いし）
晨止不能起。（晨に止めたなら、能く起きられ不い）
日日欲止之、（日日は之を止めようと欲うことはあるのだが）
営衛止不理。（営衛が止まって理が不になってしまう）
徒知止不楽、（徒く知っているのは、止めたら楽しく不いのであって）
未知止利己。（未だ知っていないのは、止めたら己にどんな利があるのかということだ）
始覚止為善、（始めてここに止めることが善に為ると覚ったので）
今朝真止矣。（今朝は真に止めることにしたの矣）
従此一止去、（此れ従は一たび止め去ってしまったならば）
将止扶桑涘。（将ら扶桑（仙界の島）の涘りにでも止まるとしようではないか）
清顔止宿容、（清しい（新しい）顔は宿の容は止めてしまって）
奚止千万祀。（奚したって千万祀どころでは止まらない（とんでもなく長生きをしてしまうのだ））
（蘇軾）
時来与物逝、（時が来れば、ものの変化とともに逝くのであって）
路窮非我止。（路が窮まったからといって、僕は止まるわけではない）
与子各意行、（君とそれぞれに行くことを思っていのだが）
同落百蛮裏。（同じく南の涯の地に落ちてしまった）
蕭然両別駕、（二人とも名ばかりの官職に寂しく落とされ）
各携一稚子。（それぞれ一番下の息子を連れている）
子室有孟光、（君の部屋には昔の孟光のような立派な妻がいる）
我室惟法喜。（僕の部屋には仏法を信じる喜びがあるだけだ）
相逢山谷間、（僕と君は山と谷との間で逢い）
一月同臥起。（一カ月の間、一緒に寝起きした）
茫茫海南北、（これからは広々とした海の南と北に分かれる）
粗亦足生理。（生きてゆくことはほぼどうにかなるであろう）
勧我師淵明、（君は僕に陶淵明を師匠にせよと勧めてくれる）
力薄且為已。（僕は力が弱いのでしばらくはできてもだめになってしまうだろう）
微屙坐杯酌、（痔というつまらない病は杯を酌む罰として起こるのであって）
止酒則瘳矣。（酒を止めればきっと癒えるはずだ）
望道雖未済、（道を望み見て、まだ渡ってはいないけれど（病気の治療と旅を兼ねて歌っている））
隱約見津涘。（渡し場はそれとわかるように見えている）
従今東坡室、（とすれば、これからは東坡の部屋では）
不立杜康祀。（杜康（酒造りの名人）を祀ることはしないのだ（酒は止める））
［補足］（陶淵明も蘇軾も、酒を止めると宣言しつつ、結局は酒との縁は切れなかったようである）
■与楊済甫
［解題］雷州に滞在していた間は、雷州知事の張逢が蘇轍のためには官舎を用意したり何かと世話をしてくれ、蘇軾のためには人を手配して海南島に渡る船の出る遞角場にまで送ってくれもした。渡し場に到着したのは6月10日で、そこでは土地の馮大鈞という者が乗船までの手助けをしてくれた。渡し場に1日滞在する間に、眉州からの兵（伝令）が追いかけて来て、蘇軾は楊済甫からの手紙を受け取った。楊済甫は蘇軾の故郷の旧い友人で、その息子の楊子明とは恵州に到る旅の初めのころに会っていた（第11章11ページ）。楊済甫は蘇軾が海南島に移されると聞いてすぐに何らかの手蔓を使って手紙を送ったのだろう。蘇軾は急ぎ返信を記し、眉州に帰る兵に託した。
［訳文］
眉州の兵が来て、お手紙を頂戴しました。御健勝であることを具に審らかにいたしました。お互いに安らかであるのが何よりであります。
私は末の息子の過と南に来て、ほかの者は恵州に留めました。あれこれあたふたとし、何かと労苦ばかりがあります。それでも、胸の中は自ずと翛然としております。
今日は海岸に至り、地名を遞角場といいます。明日は順風で即座に島に着くでありましょう。
郷国を回り望むと、真に天の末にあります。この手紙を留めてお別れとします。自重されますことを遠くより願っております。
私ども兄弟は世渡りがよろしくなく、そろって遠く流されてしまいました。先祖伝来の墳墓は遥か彼方で、それを思うと涕がこぼれます。貴君とは前々からの長い契がありますので、どうかお心に留めてください。死んでなおその厚い徳を忘れるものではありません。
■与史氏太君嫂
［解題］眉州に帰る兵には従兄の蘇不危の妻の史氏への手紙も託した。
［訳文］
私は海南島に謫され、あたふたと広州を過るなかで、甥（史氏の子の蘇時）が科挙に及第としたと聞きました。流落の中にあって慶賀すべき報せであります。三兄（蘇不危）が普段から孝義廉静で自身の信念を守り、嫂が賢明で正しく教え導いた結果であります。そうしたことに天が報いないことはないと知れました。
明日はまさに大海を渡ります。急ぎこの手紙をしたためて、嫂に私の意を知っていただきたく思うだけです。
［補足］（蘇不危は伯父の蘇渙の子で、すでに亡くなっている）
■与張逢
［解題］海南島へは瓊州海峡を渡る約50キロの船路。それは蘇軾にとって初めての本格的な航海で、大きな不安を抱き、渡し場の近くにある伏波将軍廟に安全を祈りに行き、そのかいあって順風を得て無事に瓊州に到着した。これは航海を終えた後に、雷州知事の張逢に宛てた手紙。
［訳文］
兄弟ともに流落し、貴君の治める雷州に二人で至りましたときに、ひとかたならぬ御助力を賜り、その御髙義に感服し、いまも感謝の念に堪えません。お別れしてからいくばくも経ちませんが、貴君を思うこと、日に日に深まるばかりです。その後はいかがお過ごしでありましょうか。
私はすでに瓊州に至りました。海は何の虞もなく渡ることができました。それも貴君の庇護の余りによるものでしょう。すぐに西に向かいます。顧みるにますます貴君とは遠くなり、再会はいつとも知れません。万々自重されますように。旅の途中に慌ただしく記しました。
［補足］（張逢はこの後も雷州での蘇轍の暮らしを支え、蘇軾に対しても海南島へいろいろな物品を送るなどした。兄弟に寄せたそのような厚意が、新法党の政権下では許されるものではなかったことは後に見るであろう）
■行瓊儋間肩輿坐睡夢中得句云千山動鱗甲万谷酣笙鐘覚而遇清風急雨戯作此数句
［解題］蘇軾は海南島に上陸すると、すぐに瓊州から西へ100キロ余り先の儋州（昌化軍）へと陸路を進み、その途中でこの詩を詠んだ。詩題は、「瓊州から儋州の間を行き、肩輿に坐わって睡った。夢の中で『千山動鱗甲、万谷酣笙鐘』（千山 鱗甲を動かし、万谷 笙鐘は酣なり）という句を得た。覚めると涼しい風が吹き、急な雨に降られた。戯れにこの数句を作った」。
［訳文］
四つの州がこの一つの島を環り、
百の洞がその中のあちこちに蟠る。
私は島の西北の隅を行く。
あたかも弓なり月の上半分を渡るのである。
高いところに登り、「中原」（大陸）を望み見る。
あるのはただ水の積み重なりだけ。
この我が生命はこの先どこに帰って行くのか。
四方を顧みて、
まさに我が途は窮まってしまったのか。
――我こそは談天翁（宇宙について説いた昔の賢者）、
天について好き放題に談じようではないか。
観るがよい、
この大海とてごくごく微小なもの、
広い広い大きな倉の中の一粒の米だ。
どれが大きいのか、どれが小さいのか……。
塞がっていた懐がたちまち破裂する、
永く永く嘯くと、
天から風が吹き寄せ、
千の山が鱗を動かすように踊り出し、
万の谷から笛を吹き鐘をつくような音が湧き立つ、
そうだ、山や谷はいずれもが仙人たちなのだ、
仙界の宴はいま真っ盛り、
仙人たちは私がいよいよ帰ってくると喜んでくれているのだ、
私は酒を挙げ、
青童君（仙人の一人）に挨拶をする――
急な雨がくる、
これにはきっと意があるに違いない。
夢がたちまち現実となり、
竜が群がり走って、私に詩を詠むよう促し、
雷が笑い声を立て、風景が一変する。
さあ、驚くがよい、
この東坡老、
老いて顔はすっかり衰えてしまったけれど、
言葉だけはとにかく工なのだ。
どうだ、この我が妙なる声は、
長らく蓬萊宮（仙界の宮殿）に聞こえていなかったものであろうぞ。
［補足］（南の涯のさらに涯と認識されていた島に来て、暗く鬱屈していた気持ちを一気に爆発させて、蘇軾は空想の世界に遊んだのである）
■次前韻寄子由
［解題］上の詩に和して弟に寄せた。
［訳文］
僕は若いころからすでに多難、
一生は堂々巡りの中だ。
百年の寿命を満たすのはたやすくなく、
いつでも強い弓を、一寸また一寸と引いていなければならない。
老いてもはや何も言うことはない、
栄えも辱めもどちらもすべてが空しい。
君は仏の教えを聞いているから、
涅槃に至るのはたった一本の路だけで、
他に向かえばすべてが窮まってしまうというのだろう。
私はかつて、
崆峒山の西にある仇池から迎えが来ると、
聞いたような気がした。
しかし、どうしたことか南の海に来てしまった。
こうなったら、天に翼を垂れる鵬に乗るとしよう――
下を視るなら、
浩浩と風を積み上げること九万里、
君のいる雷州に向けて、琉璃の杯を挙げるとしよう。
離別などはことさらに言うほどのことではない、
我が一生はまだまだ終わらない、
海を渡って十年後に帰ったなら、
僕の二つの瞳は鏡のように輝いていることだろう（仙人になっている）。
故郷に還るのは何の造作もない、
壺から竜を取り出して、
ひらりとまたがればよいのだ。
峨眉山は僕に向かって笑い、
錦水の流れは君のために化粧して出迎えるだろう。
天の巧みと人の巧みと、どちらかが勝るわけではない、
僕等の故郷は、
大勢の人々と自然によって造られてきたのだ。
あそこは君と僕とで遊んだところ……
ああ、懐かしい僕等の家は草に覆われている……
■到昌化軍謝表
［解題］儋州（昌化軍）に到着すると、すぐにこの謝表を書いて朝廷に提出した。
［訳文］
今年四月十七日、告命（辞令）を頂戴しました。臣に瓊州別駕を責授し、昌化軍に安置するとのこと。臣はすぐにその月の十九日に出発して恵州を離れ、七月二日に至って昌化軍に到着いたしました。
鬼門関に沿って東に騖せてから、熱帯の海に浮かんで南へと遷りきて、生きて還る期はもはやなく、死んでもなお責められて余りあるのであります。
臣は伏して念いますに、際会に縁って、たまたま寵栄を竊み（朝廷の高官にあったことをいう）、かつて毛筋ほどの能もないままに、丘や山のような罪を犯してしまいました。三度黜られてもまだ終わるものではなく、万里を跨って独りここに来たのも当然なのであります。
皇帝陛下の恩は重く、臣の命は軽く、臣の咎は深く、責めはまだまだ浅いのであります。こうしていられますのは伏して思いますに、皇帝陛下が堯文炳煥、湯徳寬仁（公正で寛大であることをいう）であられ、日月が照臨するように赫らかで、天地が覆育するような廓やかさであられますことに遇えたからであります。譬えるならば蠕動のような臣にも、矜憐を少しく賜われて、窮途に就かせることで、余命を安んじてやろうということであるのでありましょう。
臣は孤り老いて託するところがなく、暑さと病に交ごも攻められ、子孫は江辺で慟哭して、すでに死別を為しているのであります。海のほとりでは魑魅に迎えられ、生還を許されることはありません。皇帝陛下の徳に報いるときがいつかあるのかと、長く長く残念に思い続けるのであります。俯伏流涕してもはや申し上げる言葉もありません。
■和陶還旧居
［解題］儋州（昌化軍）に到着して、蘇軾は桄榔（くろつぐ）の林にある仮の住まい（桄榔庵）に身を寄せた。そのときに陶淵明の「旧居に還る」という詩に和した。陶淵明のもとの詩は、50歳ごろの作。陶淵明は41歳で最後の職を辞めて故郷に帰り、上京というところに住まいを構えたのだが、44歳のころに火事に遭って南に引っ越した（そのときのことを詠んだ「居を移す」という詩を第11章274ページで見ている）。そこからまたもとの場所に戻ったときにこの「旧居に還る」を詠んだのである。蘇軾の詩には「夢に恵州の白鶴山の居に帰った」との添え書きがある。「白鶴山の居」（第11章336ページ）には新築後わずか3カ月間しか住めなかった。
［訳文］
（陶淵明）
疇昔家上京、（疇昔は家は上京にあった）
六載去還帰。（六載が去って還たここに帰ってきた）
今日始復来、（今日は復た来た始りでありながら）
惻愴多所悲。（惻愴と悲しむ所が多にある）
阡陌不移旧、（阡陌は旧から移って不いけれど）
邑屋或時非。（邑の屋の或るものは時とともに非ってしまった）
履歴周故居、（履て歴と故の居のあたりを周ると）
隣老罕復遺。（隣の老も復た遺っているのは罕である）
歩歩尋往跡、（歩いて歩いてかつて往った跡を尋ねると）
有処特依依。（処によって特に依依するものが有る）
流幻百年中、（百年の中も流れる幻のようなもの）
寒暑日相推。（寒い暑いが日にひに相ぞれに推ってゆくのである）
常恐大化尽、（常も恐れているのは、わが大化が尽きてしまって）
気力不及衰。（気力が衰まで及た不いことだ）
撥置且莫念、（そんなことは撥って置いて且は念わ莫いようにして）
一觴聊可揮。（一觴を聊りと揮むのが可のだろう）
（蘇軾）
痿人常念起、（腰の立たなくなった人は、いつも起つことを念じているという）
夫我豈忘帰。（故郷を離れた私は、帰ることを忘れはしない）
不敢夢故山、（なのに、故郷を夢に見ないのはなぜなのか）
恐興墳墓悲。（先祖の墓の前で悲しみが興るのを恐れるからなのだろう）
生世本暫寓、（この世に生きるのはしばし寄寓するだけのもの）
此身念念非。（この身は一念ごとにもう異なっている）
鵝城亦何有、（鵞城（恵州）に何があるのかといったら）
偶拾鶴毳遣。（たまたま鶴の毛を拾っただけのところだ）
窮魚守故沼，（夢に行くと、困窮した魚がもとの沼にいて）
聚沫猶相依。（互いにあぶくをかけて寄り添い合っていた）
大児当門戸、（長男が門のところに立って）
時節供丁推。（季節の仕事を丁推たちに指示していた）
夢与隣翁言、（隣の爺さんと話をしたら）
憫然憐我衰。（私が衰えたのを気の毒がってくれた）
往来付造物、（どこかへと往ったり来たりするのは造物者に任せればよいので）
未用相招麾。（人が招いたり呼んだりするまでもない）
［補足］（これから見てゆくように、海南島での詩では和陶詩がかなりの割合を占めている。それは、島に来てからは、以前にも増して陶淵明の詩に支えられることが多くなったことを示しているのだろう）
■夜夢
［解題］これも夢の詩。短い序文がある。
［訳文］
七月十三日、儋州に至って十日余りが経った。澹然としてこれといったことは何もない。道を学んでいまだにそこに至らない。静けさが極まると愁いが生じる。夜にこのような夢を見た。仕方なく、そのことを書いて自分を喜ばせるのである。
夜の夢――
童子になって遊びまわっていると、
私が書いたものを父と師匠が検べにきた。
二人はひどい走り書きに驚き、
「とっくに『春秋』を終えていると思ったら、
まだ最初の桓荘を書いただけではないか」
と、叱られた。
怛然悸いて目覚め、
それから心は穏やかではなく、
坐っていても、釣り針にかかった魚のような心持ちである。
我が生き様は紛紛として百の縁にからめとられ、
気が固着して悪い癖がたくさんにあって、
独り偏ったこの身をさらしているのである。
学問を棄てて君主に仕えること四十年、
書物は顧みることなく積もり積もったままである。
自分を視て、孔子より賢いということはありえない、
孔子は『易経』を繰り返し読んで書物を綴じる革紐が三度切れたという、
私などは犀の革の頑丈な紐が万回切れるまで読んでも及びはしないのだ。
［補足］（（1）上の和陶詩では夢で恵州に帰り、ここでは故郷に帰った。（2）後半に置かれた「我生紛紛嬰百縁、気固多習独此偏」（我が生は紛紛として百縁に嬰り、気は固して多習にして独り此に偏る）は蘇軾の自省の弁である。（3）孔子のころの書物は竹に書いて革紐で綴じたものだった。犀の革は最も硬いとされていた）
■和陶連雨独飲二首
［解題］陶淵明の「連雨に独り飲む」という詩に和した。蘇軾の詩には序文がある。
［訳文］
序（蘇軾）
吾謫海南、尽売酒器以供衣食、独有一荷葉杯工制美妙、留以自娯。乃和淵明連雨独飲。
（私は海南島に謫され、酒の器を全て売って衣食に換えている。ただ「荷葉杯」の一つだけは手元にとどめている。巧みな作りで非常に美しいので、自分の娯として残しているのである。それで陶淵明の「連雨独飲」の詩に和した）
［補足］（衣食のために手持ちの道具を売っているとあるのは、実際にそうであったのだろう。恵州で住まいを構えるために蓄えをほぼ使い果たしたと前に書いていたし、海南島への旅の費用は知人に種々援助を請うてどうにか工面したことが手紙類からわかっているし、島に来てからは近くに有力な支援者がいるわけでもないので、生活が厳しかったことは容易に想像ができる）
（陶淵明）
運生会帰尽、（生を運らせるものは会ず尽きるところへと帰く）
終古謂之然。（終古も之が然であると謂う）
世間有松喬、（世間にもしも松さんや喬さん（といった昔の仙人）が有たとしても）
於今定何間。（今に於いて定して何の間にいるというのか）
故老贈余酒、（故老が余に酒を贈ってくれて）
乃言飲得仙。（乃で言うには「飲めば仙に得ますよ」と）
試酌百情遠、（試しに酌んでみたら、百の情が遠くにいってしまって）
重觴忽忘天。（觴を重ねると、忽ち天も忘れてしまった）
天豈去此哉、（（こうなると）天は豈っして此から去くない哉）
任真無所先。（わが真に任せればよいだけで、（何か）先んじて（導く）所のものなどは無い）
雲鶴有奇翼、（それは雲ゆく鶴に奇な翼が有るようなかんじで）
八表須臾還。（八表までも須臾で還るのである）
自我抱茲独、（我が茲の独を抱くようになって自）
僶俛四十年。（僶俛こと四十年）
形骸久已化、（形骸は久く已に化になってしまったけれど）
心在復何言。（心というものが在るのだから復に何か言うことなどはないのだ）
［補足］（（1）3句目にある「松喬」は、赤松子と王子喬という有名な仙人を指す。本当にそのような仙人がいたのなら、いまもどこかにいるはずだと、陶淵明は仙人が実在することを疑っている。酒に酔った心持ちこそ仙人になったも同然とこの詩では歌っている。（2）終わりから4句目の「自我抱茲独」（我れ茲の独を抱いて自）は、己の個性故に苦しみがあるといっていて、1600年前の人の言葉とは思えない。陶淵明は当時の虚無的な時代背景もあって、唯物論的で、蘇軾よりもむしろ現代に近いと感じられるところもある）
其の一（蘇軾）
平生我与爾、（これまでずっと私と君（荷葉杯）は）
挙意輒自然。（心に思うことがあると、すぐに互いにうなずきあってきた）
豈止磁石針、（磁石と針はぴったり合うというけれど）
雖合猶有間。（それでもときには距離ができる）
此外一子由、（君のほかにも僕には一人の弟がいる）
出処同偏遷。（出るのも退くのも、とにかく移り変わりを一緒にしてきた）
晩景最可惜、（人生の暮れ方には、ほんのひとときであっても惜しまれるのに）
分飛海南天。（弟と分かれて南の空のもとの海辺に来てしまった）
糾纏不吾欺、（「糾える縄のごとし」とは私にぴったりで）
寧此憂患先。（憂患ばかりがいつも先に立つわけではない）
顧引一杯酒、（顧みて、一杯の酒を手にして）
誰謂無往還。（やりとりをする相手が誰もいないわけではない）
寄語海北人、（海の北の人（弟）に言葉を寄せる）
今日為何年。（「今日は何の年でありますかな」と）
酔裏有独覚、（酔うなかで独り覚めることがある）
夢中無雑言。（夢の中だって無駄なことは言わないのだ）
［補足］（（1）終わりから3句目の「今日為何年」（今日は何の年と為す）の句は、遠く離れた海南島では、いまが何の年かもわからないというココロであろう。あるいは、陶淵明の詩に重ねて、「荷葉杯」で飲むと仙人になった心持ちでいまが何の年であるかもわからなくなるというココロであるのかもしれない。（2）最後の2句は、酔っているとき、または夢の中でこそ本当のことがわかるということであろう。（3）陶淵明のもとの詩は1首だけだが、蘇軾は2首和している）
其の二（蘇軾）
阿堵不解酔、（阿堵は酔うということがわかっていない）
誰歟此頽然。（誰なのだ、ここで頽然になっているのは）
誤入無功郷、（誤って、かの王積が村長をしている酔っ払いの里に入ってしまって）
掉臂嵇阮間。（大手を揮って嵇康や阮籍のなかまになろうとしてみたりする）
飲中八仙人、（かの酔っ払いの八仙人にまざって）
与我俱得仙。（われもいっしょに仙人になったとほざいてみたりもしている）
淵明豈知道、（陶淵明は道がわかっていたわけではあるまいに）
酔語忽談天。（酔うとたちまち天について語った）
偶見此物真、（つまり酔ったときには真が見えるのであって）
遂超天地先。（天地の先にまでも超えてゆくのである）
酔醒可還酒、（酔いが醒めたら、また酒に還ったらよいので）
此覚無所還。（覚ったことは還るところなくずっとここにある）
清風洗徂暑、（すがすがし風が吹いてきてひどい暑さを洗ってくれる）
連雨催豊年。（この連日の雨が豊年をもたらしてくれるだろう）
床頭伯雅君、（枕元にある伯雅君（荷葉杯）よ）
此子可与言。（君を相手にとにかく語ろうではないか）
［補足］（この詩の前半は蘇軾自身の酔態を歌っている。3句目に「無功郷」（無功の郷）とあるが、「無功」とは大酒飲みの王績（第11章107ページ）の字で、酔人どもの故郷ということであろう。4句目の「嵇阮」は、「竹林の八賢人」の嵇康と阮籍のことで、2人とも大酒飲みである。5句目の「飲中八仙」は、杜甫が同じ時代の8人の大酒飲みについて詠んだ「飲中八仙歌」という詩があって、李白ら8人の大酒飲みのことである。つまり、本来蘇軾は大して飲めないくせに、歴史に名高い大酒飲みの仲間であるかのように振る舞っていると、自ら笑っているのである）
■和陶示周続之祖企謝景夷三郎游城東学舎作
［解題］陶淵明の「周続之、祖企、謝景夷の三郎に示す」という詩に和して、城の東の学舎に遊んだときに作った詩。周続之は「潯陽三隠」（陶淵明と同時期の隠者）の一人。祖企と謝景夷がどのような人であるかはわかっていない。
［訳文］
（陶淵明）
負痾頽檐下、（わたしは頽れた檐の下で痾を負って）
終日無一欣。（終日 一つの欣びさえも無い）
薬石有時閑、（薬や石（鍼）によって時に閑で有るときには）
念我意中人。（我の意の中にある（本当に心を許せられるような）人を念うのである）
相去不尋常、（（詩題にある三人と）相ぞれ去れること尋常も不のだか）
道路邈何因。（道路が邈かであるのは何に因るのだろうか）
周生述孔業、（周生が孔の業を述えるというので）
祖謝響然臻。（祖と謝はそれに響きあう然にしてそこに臻ったという）
道喪向千載、（道が喪ろんでから千載にも向としていて）
今朝復斯聞。（今朝は復た斯で聞けるというわけだ）
馬隊非講肆、（でもそこは馬の隊のいるところで、ほんとうは講をする肆では非のだ）
校書亦已勤。（書の校に亦た已に勤めているとか）
老夫有所愛、（この老いた夫（陶淵明）も（学問や校合）は愛する所で有るから）
思与爾為隣。（爾らと与に隣りに為りたいとは思うさ）
願言謝諸子、（でも願うのは、言で諸子に謝ること）
従我穎水浜。（我は穎水の浜で従るだけなのだ）
［補足］（訳文ではうまく表せていないが、これは実は3人に対する痛烈な皮肉を述べている詩なのである。3人はある有力者のもとに参じて、学問の講義と書物の校合を行うことになり、陶淵明も一緒にやらないかと誘ってきた。それに対して、許由がけがらわしいことを聞いたと穎水の水で耳を洗った故事（第11章217ページ）を引いて、強く拒絶したのである）
（蘇軾）
聞有古学舎、（古い学舎があると聞いて）
竊懐淵明欣。（学問好きの陶淵明が抱いたような悦びが湧いた）
攝衣造両塾、（衣をたくし上げて、二つの教室があるそこに行き）
窺戸無一人。（戸からのぞくと中には一人もいない）
邦風方杞夷、（この国の風俗は杞夷のようであるけれど）
廟貌猶殷因。（孔子の廟はそれでも殷因つくられている）
先生饌已缺、（学舎の先生は食べるものにも事欠くようで）
弟子散莫臻。（弟子は減っていまでは来る者もいない）
忍饑坐談道、（飢えを忍んで道を考究していかなければならないのだ）
嗟我亦晩聞。（ああ、私もまた道を聞くことが遅い一人であった）
永言百世祀、（孔子の廟は百世にわたって永く祀られてきたというが）
未補平生勤。（いまでは普段の勤めさえ不足がちだ）
今此復何国、（ここはどのような国であるのか）
豈与陳蔡隣。（まさか孔子が災厄にあった陳国と蔡国の隣りに当たるのか）
永愧虞仲翔、（私はかの虞仲翔に対して恥じなければならない）
弦歌滄海浜。（大海の浜辺に放逐されても、古い音楽を演奏してゆくべきなのだ）
［補足］（（1）蘇軾が期待を抱いて見に行った学校はすっかりさびれていた。海南島の実態が徐々に蘇軾の目に明らかになってきたことを示す詩である。（2）終わりのところは虞翻（字は仲翔）の故事を引いている。三国時代の虞翻は交州（ベトナム北部）に放逐されても、熱心に講義を続け、門弟が数百人もいたという。蘇軾は、文明の中心から遠く離れた海南島にきたからには島人を教化するのが一つの使命であると考えていて、次の次の詩には特にそのような意識が強く出ている）
■糴米
［解題］「米を糴う」という詩。穀物を買い入れることを糴という。
［訳文］
米を糴い、束ねた薪も買う。
百の物を市で買い整えなければならない。
耕したり木を切ったりすることなく得たものは、
たっぷり食べたところで味わいがまったく足りない。
ほんのわずかな土地でよいからと、
知事殿に何度も何度も頼んで、
やっと与えてもらった、
――ああ、それは昨日の夢、
笑ってすませられるものではない。
自分の力で食を得るなら、心の内に愧じることがないのだ。
春に苗を植えて――いつ花が咲くだろうか、
夏の稗が出てきて――たちまち穂を垂れる、
そのようなことを思って、悵焉と鋤を撫ぜる。
私のこの心を誰がわかってくれるのか。
［補足］（黄州でも恵州でも蘇軾は自ら耕すことに喜びを見出していた。儋州ではまだそれができなくて、持っているものを売って食いつなぐ暮らしが続いていた）
■和陶勧農
［解題］陶淵明の「農を勧める」という詩に和した。蘇軾の詩には短い序文がある。
［補足］（「勧農」（農を勧める）とは、土地に定住して農耕作に励むよう民衆を指導することで、それは、為政者の大切な任務であるとされていた。古い中国においては農は国家の基本であって、農耕に黙々と従事し、為政者の号令に粛々と従う民衆がいなければ国家は成り立たない。己に耕す土地があって、そこからの収穫物で暮らしが成り立つのなら、為政者にとやかくいわれなくても民衆は己のために農に励むであろう。為政者がわざわざ民衆に「農を勧める」のは、民衆は必ず国家の底辺に置かれていて、つまりは搾取の対象であって、ややもするとそれを嫌って土地を棄てて逃げてしまうことがあるからだ。為政者と民衆の間にあって、あくまでも為政者側に立つ士大夫は、人民の暮らしを豊かにすることにつながると信じることで、「農を勧める」という行為がはらむうさん臭さないしは矛盾に背を向けることができた。なかには後漢時代の徐稺のように、学識を売って民衆を搾取する側へと上昇しようとする非道徳性に甘んじることを潔しとはしないで、仕官の誘いをすべて断って、自分で耕して得たものしか食べなかった者もいた。蘇軾の上の詩で、「自分の力で食を得ると、心の内に愧じることがない」と歌っていたのは徐稺の故事を意識したものである。陶淵明の「農を勧める」の詩は、最終的に退隠する前の39歳ごろの作とされ、徐稺とはまだ距離があった）
［訳文］
序（蘇軾）
海南多荒田、俗以留香為業。所産粳稌不足於食、乃以薯芋雑米作粥糜以取飽。余既哀之，乃和淵明勸農詩、以告其有知者。
（海南島には荒れた農地がたくさんある。島の民衆は香木を島の外に売ることに従事している。島で生産される粳稌は人々が食べるには足りないので、米に薯芋をまぜて粥糜を作って腹を満たしている。私はこのありさまを悲しみ、陶淵明の「農を勧める」詩に和して、知り合いの者に告げた）
［補足］（海南島にきた蘇軾は、島の先住民（黎人）の厳しい暮らしぶりを目の当たりにした。海南島は蜜香、沈香、鶏骨香、黄熟香、桟香、青桂香、馬蹄香、鶏舌香などの香木類を産し、それを大陸に送ることで、大陸の産物を得ていた。支配・被支配の関係から、黎人は自ずと漢人から搾取され、その生活水準ははなはだ低かった。蘇軾は、黎人がわずかな米に芋を混ぜた粥を啜っているのを見て、香木の輸出に依存する経済から、農業を基本とする経済に改善すべきだと考えた。しかし、先住民の元来の暮らしは、芋を中心とすると農作と、漁労や狩猟によって成り立っていたであろうから、蘇軾が勧める大陸風の農業は必ずしも島民の望むものではなかったのかもしれない）
其の一（陶淵明）
悠悠上古、（悠かな悠かな上古）
厥初生民、（厥の初めに生きる民は）
傲然自足、（傲然で自ら足りて）
抱朴含真。（朴さを抱き、うちに真を含んでいた）
智巧既萌、（そこに智と巧みが既でに萌すと）
資待靡因。（（原始的な採集経済が破綻して）資も待も因るところが靡くなってしまった）
誰其贍之、（誰が其のときに之を贍にしたのかというと）
実頼哲人。（実に哲人に頼ったのであった）
［補足］（（1）陶淵明のこの一連の詩は一句四言の古風な形式で作られている。（2）第一首は文明の始まりについて歌っている。大昔には、素朴な自給自足の暮らしが成り立っていたのだが、こざかしい知恵が生まれると、世は争乱状態に陥り、安定した生活が破壊されてしまった。そこに哲人＝聖人が現れ、民衆を指導して秩序を取り戻し、世の中を救った。これは中国の伝統的な価値観に基づくストーリーであって、人が集まると必ず欲望をむき出しにした争奪戦となってしまうから、哲人＝聖人が上から統治しなければ安定した社会が築けないとするものである。このことに疑いの余地がないのなら、国家の頂点に皇帝（天からの負託によって哲人＝聖人に擬せられる存在となる）がいて、そのもとで士大夫が働いて（皇帝が哲人＝聖人であるように補佐し、同時に民衆が進んで支配を受けるように教導する）、民衆を搾取するという構図は完全に正当化されるのである。以下、陶淵明はこうした為政者側の論理に依拠して詩を詠んでゆく）
其の一（蘇軾）
咨爾漢黎、（ああ、諸君ら、漢人と黎人は）
均是一民。（等しく同じ民である）
鄙夷不訓、（漢人は夷（黎人）を卑しんで教えようとしない）
夫豈其真。（それは人としての真にそむくのではないのか）
怨憤劫質、（黎人はときに怨み憤って漢人を刧かして人質にし）
尋戈相因。（あるいは戈を持って集まって騒いだりする）
欺謾莫訴、（そうでもしなければ、漢人の欺瞞を訴えることができないからで）
曲自我人。（落ち度は我ら漢人にあるのだ）
［補足］（（1）蘇軾の第一首は、漢人と黎人が搾取し搾取される関係にあることを歌っている。為政者が民衆を搾取する構造のさらにその下に黎人が置かれているのである。蘇軾は海南島にきてすぐにその事実に気づき、それを詩に詠んだのは、社会の抱える問題を明らかにして社会に報せるという士大夫の重要な責務の一つを果たすものであった。（2）漢人と黎人は等しいのであるから、漢人には黎人を教える責務があるという蘇軾の主張は、われわれの目からすると大きな矛盾をはらんでいると見えるのだが、当時においては極めて先進的な考えであったのだろう。（3）黎人には漢人の非を合法的に訴える手段がないので、時に暴動を起こす。この状況を救う鍵は、陶淵明の第一首にあった「哲人」の出現と同じく、教えることにあると、蘇軾はいうのである。穏健な士大夫らしい提言で、蘇軾の温かい心を十分に感じることもできるのだが、黎人を悲惨な現実から実際に救い出すには無力であったようだ。抜本的な解決法は漢人による支配を覆すこと以外にはないのだろうが、蘇軾はそこまで過激にはなれない）
其の二（陶淵明）
哲人伊何、（哲人とは伊も何なのか）
時惟后稷。（時は惟く后稷そのひとである）
贍之伊何、（（后稷が）之を贍かにしたのは伊も何であったのか）
実曰播植。（実に曰こそは播いて植えること（農業）であった）
舜既躬耕、（舜は既より躬ら耕し）
禹亦稼穡。（禹も亦た稼たり穡たりした）
遠若周典、（遠く周典に若うなら）
八政始食。（八政の始まりは食にあるのだ）
［補足］（ここでは、農の起源が歌われている。伝説の聖君主である堯と舜のもとで農官であった后稷が農の始祖であったとされる。農はその始まりからして上から民衆に授けられたものだったのである。そして、后稷が開いた周王朝の歴史について記した『周典』には、政治の八つの基本（八政）の筆頭に「食」が置かれている。こうして、上からの視点で国家の基本を説く装置が多々用意されているのである）
其の二（蘇軾）
天禍爾土、（天は諸君（黎人）の土地に禍をなしたのか）
不麦不稷。（麦も稷も稔らない）
民無用物、（そのかわりに、民にとっては無用のもの）
怪珍是殖。（怪しく珍しいものがたくさんにある）
播厥熏木、（薫る木ばかりをとかくはびこらせ）
腐餘是穡。（それらが枯れ果てた跡地で耕作をしている）
貪夫汙吏、（（漢人の）貪欲な男や不正を働く官吏が）
鷹鷙狼食。（鷹のように狙い狼のように食らおうとしているのである）
［補足］（蘇軾は時代の制約を受けながらも、文明の先進国が先住民を搾取する基本構造を見逃すことはなかった。帝国主義の時代にヨーロッパ列強が行ったこともこれと変わりがないだろう）
其の三（陶淵明）
熙熙令徳、（熙く熙く（哲人）の令しい徳がゆきわたって）
猗猗原陸。（猗く猗く原も陸もかわった）
卉木繁栄、（卉や木が繁り栄え）
和風清穆。（和やかな風が清らかに穆やかにふいたのだった）
紛紛士女、（紛紛の士や女が）
趨時競逐。（時ごとに趨るようにして競って逐んだ）
桑婦宵興、（桑をつむ婦は宵にも興き）
農夫野宿。（農夫は野に宿ったのである）
［補足］（ここでは、哲人の教化を受けた民衆が、農作業に勤しんで平和に暮らすようすが歌われている）
其の三（蘇軾）
豈無良田、（良い農地がないわけではない）
膴膴平陸。（肥沃な平らな土地もある）
獣蹤交締。（しかし、獣の足跡が入り乱れ）
鳥喙諧穆。（鳥が楽しげに啄ばんでいる）
驚麏朝射、（（黎人はそこで）朝には鹿を射て）
猛豨夜逐。（夜には猛々しい猪を追いかける）
芋羹薯糜、（里芋の羹と長芋の糜で）
以飽耆宿。（老人たちの腹をどうにか満たしているのである）
［補足］（民衆の暮らしの基本は農にあるという先入観に蘇軾は捉われている。狩猟採集を生業の大きな柱としていた本来の黎人の暮らし方を否定的に見ている）
其の四（陶淵明）
気節易過、（気節（季節）は過ぎてゆき易く）
和沢難久。（和やかな沢みが久しくあるのは難しい）
冀缺携儷、（冀の缺は儷と携えてはげみ）
沮溺結耦。（（長）沮と（桀）溺は結で耦した）
相彼賢達、（彼な賢（人）や達（士）を相ても）
猶勤壟畝。（猶り壟畝で勤めたのである）
矧伊衆庶、（矧て伊れらの衆の庶（民）は）
曳裾拱手。（裾を曳きずって手を拱ねいて（だらけていてはならないのだ））
［補足］（（1）ここで陶淵明は、昔の幾人かの賢人を挙げて、そうした人々も農業に励んだのであるから、一般の民衆はもっともっと励まなければならないと歌っている。陶淵明は為政者側の一員として民衆を叱咤しているのであって、これは退隠後の陶淵明の振る舞いとはいささか異なるものがあるだろう。（2）長沮と桀溺は『論語』に出てくる隠者で、孔子はその2人とは価値観を全く異にすると断言した。つまり2人は社会的秩序の外にある人間であるとして見放したのである。しかし、この詩では、長沮と桀溺も上から哲人によって授けられた農にせっせと携わる人であるとして歌われていて、かなり違和感がある）
其の四（蘇軾）
聴我苦言、（私の苦言を聴くがよい）
其福永久。（永く久しい福をもたらすであろう）
利爾耝耜、（諸君の鋤や鍬を研き）
好爾隣偶。（隣近所と仲良くして）
斬艾蓬藋、（雑草を切り払って）
南東其畝。（南東に向けて畝をつくるのだ）
父兄搢梃、（父兄は梃を脇にはさんで）
以抶游手。（遊びまわっている連中を叩くがよい）
［補足］（蘇軾は「農を勧める」士大夫の役割に忠実である）
其の五（陶淵明）
民生在勤、（民の生は勤めることに在って）
勤則不匱。（勤めれば則と匱くはなら不い）
宴安自逸、（宴安と自逸でいると）
歳暮奚冀。（歳の暮れになって奚も冀ようにならなくなるのだ）
擔石不儲、（擔石でも儲が不いと）
飢寒交至。（飢えや寒さが交ごも至くる）
顧余儔列、（余らのそのような儔列を顧て）
能不懐愧。（愧を懐わ不には能ないだろう）
其の五（蘇軾）
天不仮易、（天は安直なことはゆるさないかわりに）
亦不汝匱。（諸君を乏しくさせることはしない）
春無遺勤、（春に怠ることがなければ）
秋有厚冀。（秋には大きな期待が生まれる）
雲挙雨決、（雲が湧き立てば雨が大いに降って）
婦姑畢至。（女たちがみな農地に集まる）
我良孝愛、（我等はまことに孝愛の民）
袒跣何愧。（裸足で肌脱ぎになって喜んで働くのだ）
其の六（陶淵明）
孔耽道徳、（孔（子）は道徳を（講究することに）耽り）
樊須是鄙。（（農を学びたいといった）樊須は是も鄙いものだとした）
董楽琴書、（董（仲舒）は琴や書を楽しんで）
田園弗履。（田園には履みいら弗った）
若能超然、（若も超然として）
投迹高軌。（（孔子や董仲舒のような）高い軌の迹を投ることが能るのならば）
敢不斂衽、（敢不のこと衽を斂して）
敬賛徳美。（敬んで徳の美を賛えるのだけれど）
［補足］（（1）この結びの詩を詠んだ陶淵明のココロはいささか読み取りにくい。孔子や董仲舒（漢代の大学者）が学問を重んじて農を軽んじたことを引いて、世俗から超然としていられるのならば、そうした振る舞いを讃えることもできようかと、ちょっぴり皮肉を交えて歌っている。つまりは、人間生活の基本はやはり農にあるのではないかと言っているようである。上から教え導くという姿勢で「農を勧める」ことを歌っていながら、ここで孔子や董仲舒に対して斜に構えた態度をとるのはどういうことなのだろうか。（2）もしも、民衆が自らの手で農を始めたとするのなら、長沮や桀溺は為政者の存在を無視して民衆の代表者として堂々と己の畑を耕していればよく、孔子を笑い飛ばし、さらには搾取構造を破壊する方向に進むのがよいと気づくであろう。陶淵明は退隠後もそこまでの主張はしなかったけれど、この詩では己の足場をどこに置くのか定まっていなかったようである）
其の六（蘇軾）
逸諺戯侮、（遊んで無駄ごとを言うのは笑って侮るべきこと）
博弈頑鄙。（博打は徹底して卑しむべきことだ）
投之生黎、（そうしてことを黎人のなかに持ち込んではならない）
俾勿冠履。（漢人の官吏の真似をさせてはならないのだ）
霜降稲実、（霜が降るころには稲が稔り）
千箱一軌。（一台の車ごとに千箱の米を載せて運べるようになる）
大作爾社、（諸君らの村は大いににぎわって）
一酔醇美。（うまい酒に酔うことができるようになるのだ）
［補足］（（1）博打がろくでもないものだというのは千年前からわかりきった真理であった。そして、搾取する者たちがそれを少数民族の社会に持ち込むのは、どの時代にも必ず行われてきたことであった。（2）蘇軾はこのとき罪人ではあっても、宋王朝の官員であって、穏やかに物事がおさまることを想像して詩の締めくくりとした）
■聞子由瘦
［解題］弟が痩せたと聞いて詠んだ詩。戯れの作である。蘇軾自身の注で、「儋耳（昌化軍）は肉食を得るのが至って難しい」と付記されている。
［補足］（（1）蘇軾は、卵も食べまいとする菜食主義者（第11章297ページ）ではあるけれども、それを厳格に守ろうとするものではなかったようだ。（2）先住民の黎人は、上の詩にもあったように魚や獣をとって食べているので、広い意味での「肉食」ができにくかったわけではないだろうが、蘇軾が認識する「肉食」とは、食べ慣れた牛や羊や豚や鶏の肉を食べることであるのだろう）
［訳文］
儋耳に来てからは、
豚の肉を見るのは、せいぜい五日に一度ほど、
鶏の肉の入った粥をすするのは、よくて十日に一度くらい。
土地の者は頓頓と署芋を食べ、
ときに鼠の燻製やら燒き蝙蝠やらをつまむ。
かつて蜜唧（鼠の蜜漬け）なるものを聞いたときには吐き気を催したけれど、
近ごろでは蝦蟆もたしなめるくらいに土地の習俗に慣れた。
都にいた十年の間は、
まるまると肥えた子羊の肉を、花びらのように紅く蒸しあげて、
毎日のように、飽き飽きするまで食べたものだ。
もとより僕の腹は、
役立たずのかの「大将軍の腹」と同じで、
玄米でも食べさせておけば十分なはずだ。
天下には「至味」というものはないといわれている、
麋鹿より蝍蛆が勝る……とは決まっていないのだ。
海康（雷州）の別駕殿は何がどうしたのか、
帽子が緩くなったり、帯が落ちたりで、童僕（少年の召使）どもを驚かせたとか。
とすると、僕と君が会ったなら、
きっと痩せこけた二人の仙人のようであるだろう。
ならば、黄鵠にまたがって故郷に帰ればよいではないか。
［補足］（「大将軍の腹」に関して、蘇軾は、民間に伝わる話として次のような注を書き添えている。「ある大将軍がたらふく食べて、己の腹を撫ぜながら、『おまえのためにわしはもっと頑張らなければならないな』と、ため息まじりに言った。すると、部下たちがいうには、『将軍様はそのお腹のために頑張っておられます。なのに、お腹の方は将軍様のために少しも頑張っていません。そのお腹が将軍様のためにいささかでも知恵を出したことがありましたでしょうか』」。これは、部下は将軍の腹よりもずっと将軍のために頑張っているのに、どうしてなのか、腹いっぱい食べさせてくれないという皮肉であるのだろう）
■客俎経旬無肉又子由勧不読書蕭然清坐乃無一事
［解題］詩題は、「寓居するところにある俎板にはここ十日ほど肉が載らない。一方で、弟には書物を読まないことを勧められた。それで、蕭然と静かに坐って何もする事なく過ごしている」。これもまた戯れの詩である。
［補足］（士大夫が書物を読むのは、暇つぶしや楽しみのためではなく、道義を学んで、社会を改良してゆく仕事に我が身を立ち向かわせるためである。蘇軾や蘇轍が書物を読めば、現在の政治情勢に対する怒りが生まれ、居ても立ってもいられなくなる。それで、弟は兄に書物を読むなと勧めたのであろう）
［訳文］
病気のために、生臭ものや塩辛いものを恐れ、
魚は買わなくなった。
それからは、心も腹もいつも空っぽである。
漢の時代のこと――
厳格な黄覇のもとにいたある役人は、
民に負担をかけまいと出張中にも野宿をし、
食べようとした肉を烏に攫われてしまったとか。
蘇武は敵に降伏せず、砂漠の地に独り置かれ、
野鼠を掘り出して命を繋ごうとした。
僕はといえば――
烏に取られる肉はないし、鼠を捕って食べる気もない。
老いて、人が棄てたものを独り拾い集めるような身となって、
はるか太古のものの初めに至ったかのようである。
三国時代のこと――
孫策は、当時有名な道人を捕らえ、
世に何ら有益な者ではないとして斬って捨てた。
僕はといえば――
孫策はおろか誰からも顧みられることのない身であるから、
絳い鉢巻を頭にしめて、道術の書物を読んでいてもよさそうであるのだが。
［補足］（最後は、弟に向かって、道術の書物くらいなら読むのを見逃してほしいと、言っているのである）
■和陶赴仮江陵夜行
［解題］陶淵明の「辛丑の歳の七月、赴仮て江陵に還ろうとして、夜に塗口を行く」という詩に和した。辛丑は隆安五（401）年、陶淵明は37歳。このとき江陵（江州）知事の桓玄（当時の実力者）に仕えていて、休暇を得て郷里に帰り、そしてまた江陵に戻る途中でこの詩を詠んだのだった。蘇軾の詩には「郊外を行き、月に歩んで作る」との添え書きがある。
［訳文］
（陶淵明）
閑居三十載、（閑居すること三十載）
遂与塵事冥。（遂と塵の事に与ては冥かった）
詩書敦宿好、（詩と書には宿も好んで敦くしたしみ）
林園無世情。（林や園には世の情は無かった）
如何捨此去、（如何か此を捨て去って）
遙遙至西荊。（遥かに遥かに西の荊（州）（江陵）に至ることになった）
叩枻新秋月、（枻を叩いて（舟を出して）、新な秋の月のもとで）
臨流別友生。（流れに臨んで友生と別れた）
涼風起将夕、（涼しい風が将ど夕になるころに起こり）
夜景湛虚明。（夜の景は虚の明るさに湛されている）
昭昭天宇闊、（昭く昭く天の宇は闊く）
皛皛川上平。（皛く皛く川の上は平らである）
懐役不遑寐、（役を懐うと寐る遑は不く）
中宵尚孤征。（中宵にも尚お孤り征むのである）
商歌非吾事、（商歌のは吾のする事では非く）
依依在耦耕。（依依のは耦で耕やすことに在る）
投冠旋旧墟、（（いつか）冠を投げすてて旧の墟に旋ろうではないか）
不為好爵縈。（好な爵の為に縈たりはし不いのだ）
養真衡茅下、（真を衡茅の下で養って）
庶以善自名。（庶うのは善を以って自らの名とすることだ）
［補足］（（1）第一句に、三十年とあるのは概数で、桓玄のもとに出仕したのは35歳のときであった。（2）「商歌」とあるのは、昔、商の歌（悲しい調べの歌）を王様の前でうたって自分の才能を示して用いられた者がいたことから、自身を売り込むことをいう。（3）「耦耕」は本章40ページなどで見ている長沮と桀溺が二人で並んで耕作した故事で、心を同じくする友と世俗から隔絶して農耕生活を送ることへの憧れをここに籠めている。（4）陶淵明は江陵に帰還する途中、月の光のもとで、いつか必ず退隠しようとの決意をこの歌に示したのである。願うのは、善をもって生きたといわれるような人物になることだった）
（蘇軾）
缺月不早出、（欠けた月は早くには出ない）
長林踏青冥。（林の青黒い影をずっと踏んできた）
犬吠主人怒、（犬が私に向かって吠えたので、そこの主人が叱った）
愧此閭裏情。（この村里の心遣いをありがたく思う）
怪我夜不帰、（夜になっても私が帰らないのを怪しく思って）
茜袂窺柴荊。（茜い袂の女中が門のあたりをじっと見守っている）
雲間与地上、（雲間にも地上にも）
待我両友生。（私を待ってくれる友がいるというわけだ）
驚鵲再三起、（鵲が驚いたように再三飛び立つうちに）
樹端已微明。（樹の端がわずかに明るくなってきた）
白露浄原野、（白い露が一面に降りて野原を浄らかにしたので）
始覚丘陵平。（丘陵が平らになってしまったかのように感じられる）
暗蛩方夜績、（どこかで、夜なべ仕事に糸を紡いでいるように蛩が鳴き）
孤蛍亦宵征。（蛍がひとつぽつんと暗がりを飛んで行く）
帰来閉戸坐、（帰り来て戸を閉じて座り）
寸田且黙耕。（一寸の丹田をしばらく黙々と耕す）
莫赴花月期、（もはや花の季節に赴くのはよそう）
免為詩酒縈。（詩や酒にまといつかれるのから免れるであろう）
詩人如布穀、（詩人とは布穀のようなものだ）
聒聒常自名。（聒聒と常に自分の名を言っているのだ）
［補足］（（1）ある夜の自分の姿をさらりとスケッチした詩である。（2）前半で、近所に住む男や、蘇軾の帰りを待つ女中を、地上の友と呼んでいる。都から遠く流されてきた有名人が夜にうろうろしていれば、あやしんで見るのが普通であろう。（3）「寸田且黙耕」（寸田 且し黙耕す）の句は、蘇軾が長年続けている独自の呼吸法を詠んだものである。「一寸の田」すなわち丹田に「気」を送り込んで、生命力を高めるのである。（4）蘇軾は少年のころに、堯や舜のような聖天子の時代の理想の政治を現在において再現する仕事をしたいと志し、制科の試験にも合格して、エリート中のエリートとして、志を果たせるような状況に我が身を置いた。しかし、現実には権力闘争に明け暮れ、いまや官界における仕事を全否定された罪人となり、残るのは詩人としての名だけである。結びは、そうしたことを自嘲気味に詠んでいる。後世において、蘇軾は詩や書のファンを多数獲得したけれど、政治的には党派争いに明け暮れて何ら成果を生まなかったと厳しく論評する人もいる）
■和陶擬古九首
［解題］陶淵明が古い時代の詩に似せて詠んだ「擬古」という詩に和した。陶淵明の詩は50代半ば頃の作だという。蘇軾の詩は、海南島に来てからの種々の思いを詠んだもの。2人の作とも、象徴的で、その多くが含意を読み取りにくい。訳は一つの解釈例を示すだけのものである。
蘇軾がこれらの詩を詠んだと推測される9月ないし10月ごろに、新しい昌化軍の知事として張中が赴任してきた。張中はかねてからの蘇軾の信奉者で、蘇軾のために何かと手を差し伸べ、桄榔の林にあった仮住まい（本章22ページ）から官舎の一画へと移ることができた。
［訳文］
其一（陶淵明）
栄栄窓下蘭、（栄栄と窓の下の蘭）
密密堂前柳。（密密と堂の前の柳）
初与君別時、（初めにもどると、（そのような季節に）君与別れた時には）
不謂行当久。（（君の）行が当も久くなるとは謂いもし不かった）
出門万里客、（門を出て（君は）万里をゆく客となり）
中道逢嘉友。（道の中ほどで嘉い友に逢った）
未言心先酔、（未だなにも言わないうちに（君の）心は先ず（その友に）酔ってしまい）
不在接杯酒。（杯の酒を接う在だけでは不いあいだがらとなったのだった）
蘭枯柳亦衰、（蘭は枯れ柳も亦た衰えて）
遂令此言負。（遂に（私との）此の言に負くことに令ってしまった）
多謝諸少年、（多謝よう、諸ら少年たちに）
相知不忠厚。（相に知ることは忠の厚いものでは不ったのだと）
意気傾人命、（意気（がぴったりあうなら）人は命だって傾けるだろうし）
離隔復何有。（離れ隔ったところで復っと何もさしさわりは有ろうはずがないのだ）
［補足］（この詩はいろいろな解釈がありうるだろう。ここでは、陶淵明のもとを去った若い友人に苦言を呈したとする解釈に基づいて訳した。友人はほかの人に心酔し、陶淵明とは異なる価値観を持つようになってしまったのだ）
其一（蘇軾）
有客叩我門、（客人が来て我が門を叩いた）
繋馬門前柳。（客人は馬を門の前の柳に繋いだ）
庭空鳥雀散、（我が庭は雀さえいないくらいにがらんとしていて）
門閉客立久。（門が閉ざされたままで、客人は長らく立っていた）
主人枕書臥、（私は書物を枕にして横になっていて）
夢我平生友。（夢に昔の友を見ていた）
忽聞剝啄声、（すると、とんとん叩く音が聞こえてきて）
驚散一杯酒。（一杯の酒による酔い心地もふきとんで目を覚ました）
倒裳起謝客、（あわてて着物を逆さまにひっかけて客人に挨拶をした）
夢覚両愧負。（夢のなかでも目覚めても、どうにも恥ずかしいことばかりだ）
坐談雑今古、（客人ととりとめなく古今のことを語り）
不答顔愈厚。（わからないことがあると、面の皮を厚くして答えなかった）
問我何処来、（どこから来たのかと、私は問われて）
我来無何有。（無何有からだと言っておいた）
［補足］（これはある訪問客との恐らくは架空の問答。陶淵明の上の詩も架空の相手を想定したものであると、蘇軾は解釈したのだろう）
其二（陶淵明）
辞家夙厳駕、（（君は）家と辞れて夙に駕を厳え）
当往至無終。（当と往こう、無終というところに至ろうとしたのだった）
問君今何行。（君に（私は）問うた、「今何してそこに行くのですか」と）
非商復非戎。（（君は答えた）「商のためでも非く、復た戎のためでも非いのです）
聞有田子泰、（聞くところでは、かつて田子泰というひとがそこに有て）
節義為士雄。（その節義は士のなかでも雄であると為れていました）
斯人久已死、（斯の人は死んで已に久しいのですが）
郷里習其風。（（その人の）郷里（である無終）は其の風にいまも習っているのです）
生有高世名、（（田子泰は）生きていたときに高く世に名が有って）
既没伝無窮。（既に没でしまってからでも無窮に（その名が）伝えられているのです」と）
不学狂馳子、（学ば不いのだな、狂ったように馳しりまわる子は）
直在百年中。（（何をしたところで）直いのところ百年（人の一生）の中だけのことで在るのを）
［補足］（この詩もわかりにくい。どこか遠くに「青い鳥」がいると探しに行くのは無意味だと言っているのだろう）
其二（蘇軾）
酒尽君可起、（酒がなくなったから、あなたは起って行くがよろしかろう）
我歌已三終。（私はもう三回も歌い終わってしまった）
由来竹林人、（昔から竹林の七賢人といわれてはいるものの）
不数濤与戎。（こむずかしい二人をその仲間に入れないこともある――あなたもそうだ）
有酒従孟公、（酒を一緒に飲むのなら気の合う相手がよい）
慎勿従揚雄。（厳格な人とは謹んで遠慮申し上げる）
崎嶇頌沙麓、（立派げなことをいう人に限ってとんだおべっかつかいだったりするもので）
塵埃汙西風。（そんな人の風下に立つことはお断りしたい）
昔我未嘗達、（私は昔から栄達とは無縁で）
今者亦安窮。（いまは貧窮のうちに安らぎをえている）
窮達不到処、（栄達も貧窮も到ろうとして到るところではない）
我在阿堵中。（私は阿堵中にいるだけなのである）
［補足］（架空の問答の続き。幾つもの故事を引いているが、その内容には踏み込まずに訳した（原詩にある「濤」「戎」「孟公」「揚雄」は人名で、「沙麓」「塵埃」にはそれぞれ由来がある）。要するに、俗世間のちまちました価値観に染まった人との交際はお断りするとの宣言である）
其三（陶淵明）
仲春遘時雨、（仲の春（二月）、時の雨に遘って）
始雷発東隅。（始めての雷が東の隅で発った）
衆蟄各潜駭、（衆の蟄が各ぞれ潜で駭きめざめ）
草木縱橫舒。（草や木が縱橫に舒びだした）
翩翩新来燕、（翩翩と来た新の燕が）
双双入我廬。（双また双と我の廬へと入ってくる）
先巣故尚在、（先の巣が故に尚も在って）
相将還旧居。（相に将になって旧の居に還ってきたのだ）
自従分別来、（きみたちと分れ別れて自従 来）
門庭日荒蕪。（門も庭も日ひに荒れて蕪れてしまったが）
我心固匪石、（我の心は固よりころげる石では匪い）
君情定何如。（君の情は定も何如なのであろうか）
［補足］（この詩も次の蘇軾も詩も抽象的であるが、きっと深い内容があるのだろう）
其三（蘇軾）
客去室幽幽、（客人が去って幽幽い部屋）
鵩鳥来座隅。（鵩鳥が私の座る横へと来た）
引吭伸両翅、（喉を引き、二つの翼を伸ばし）
太息意不舒。（大きく息をして、意は舒やかでないようだ）
吾生如寄耳、（私は言う。「吾が生は寄せるが如きのみ）
何者為我廬。（どこかを我が廬とするわけではない）
去此復何之、（ここを去ってまたどこに行こうとも）
少安与汝居。（少しの安らぎを得て、また君といようではないか」）
夜中聞長嘯、（夜中に、どこかで鵩鳥が鳴くのが聞こえた）
月露荒榛蕪。（月のもと、荒れた草むらに露が降り落ちる）
無問亦無答、（私は鵩鳥に問いもしないし、答えもしない）
吉凶両何如。（吉か凶か、さてどちらなのか）
［補足］（（1）「鵩鳥」は何の象徴なのだろうか。（2）「吾生如寄耳」（吾が生は寄せる如き耳）は、これまで何度も見ているように、蘇軾の人生哲学を凝縮した5文字である。海南島に来て孤独のなかで思索を深めていったのだ）
其四（陶淵明）
迢迢百尺楼、（迢い迢い百尺の楼がある）
分明望四荒。（分明と四の荒までを望む）
暮作帰雲宅、（ここは暮には帰る雲の宅と作り）
朝為飛鳥堂。（朝には飛びたつ鳥の堂と為る）
山河満目中、（山や河が目の中に満ち）
平原独茫茫。（平らな原が独く茫茫としている）
古時功名士、（古の時に功名をきそう士が）
慷慨争此場。（慷慨て此の場で争ったのだ）
一旦百歳後、（一旦百歳（人の一生）をへて後には）
相与還北邙。（相に与に北邙に還ってゆくのだ）
松柏為人伐、（（墓のまわりに植えられた）松や柏もいずれは人によって伐られるところと為り）
高墳互低昂。（高かった墳も互ぞれ低い昂だけになる）
頽基無遺主、（頽れた基は遺主も無くなり）
遊魂在何方。（遊う魂は何方に在るのやら）
栄華誠足貴、（栄華は誠に貴ぶに足るようなものではあっても）
亦復可憐傷。（亦たそれ復も憐れみ傷む可きものなのだ）
［補足］（これは高所から人間世界を俯瞰するような詩なのだろう）
其四（蘇軾）
少年好遠遊、（若いころは遠く遊ぶのを好み）
蕩志隘八荒。（揺り動く志は四方八方どこも狭いと感じていた）
九夷為藩籬、（世界中の民も我が囲いのうちにあって）
四海環我堂。（四方の海も我が部屋のまわりを巡っていて）
盧生与若士、（盧生とか若士とかの仙人だって）
何足期渺茫。（遠く彼方で会う約束をするまでもないと思っていた）
稍喜海南州、（海南の州に来て少し喜んでいるのは）
自古無戦場。（昔からここが戦の場ではなかったことだ）
奇峰望黎母、（黎母山の奇峰を望むと）
何異嵩与邙。（洛陽から見る嵩山や北邙山と異なるところがない）
飛泉瀉万仞、（滝が飛ぶように万仞の谷へとそそぎ）
舞鶴雙低昂。（二羽の鶴が低く高く舞うように飛んでいる）
分流未入海、（海に入る前に流れは分かれて）
膏沢彌此方。（このあたりの土地を広く豊かにしている）
芋魁倘可飽、（飽きるほどに芋が食べられるのであるから）
無肉亦奚傷。（肉がなくても残念に思うことはないのだ）
［補足］（前半では、何でもできるくらいに思っていた若いときの気分を回想し、後半では、海南島での暮らしを詩的に描写している）
其五（陶淵明）
東方有一士、（東に一の士が有る）
被服常不完。（被服は常も完では不い）
三旬九遇食、（三旬のあいだに九だけ食に遇い）
十年著一冠。（十年で著けたのは一つの冠だけ）
辛苦無此比、（此れに比べられる辛苦は無いのに）
常有好容顏。（常に好い容な顔で有る）
我欲観其人、（我は其の人を観たいと欲い）
晨去越河関。（晨に去て河や関を越えた）
青松夾路生、（青い松が路を夾んで生え）
白雲宿檐端。（白い雲が檐の端に宿っていた）
知我故来意、（我が故わざ来た意を知って）
取琴為我弾。（琴を取って我の為に弾いてくれた）
上弦驚別鶴、（上弦の『別れの鶴』でまず驚かされ）
下弦操孤鸞。（下弦には『孤な鸞』を操いてくれた）
願留就君住、（願うのはここに留まって君に就いて住み）
従今至歳寒。（今従ら歳の寒いときにまで至りたいものだ）
［補足］（（1）この詩は、其の一と異なって、陶淵明が心惹かれる人を訪ねて行ったという、たぶん空想の詩。（2）蘇軾が見た陶淵明の詩集では、詩の配列の順序が異なっていたのか、この詩に和した詩は、蘇軾の作品の第九番目に置かれているので、後に見ることにする。（3）この詩についての考察を蘇軾が記した短文を第11章120ページで見ている）
其六（陶淵明）
蒼蒼谷中樹、（蒼蒼とした谷の中の樹）
冬夏常如茲。（冬も夏も常も茲の如である）
年年見霜雪、（年年 霜や雪を見るのであって）
誰謂不知時。（（そうでありながら）誰が（谷の樹は）時を知ら不いと謂うのか）
厭聞世上語、（（谷の樹は世間知らずだとする）世上の語を聞くのを厭って）
結友到臨淄。（友と結ろうと臨淄に到ろうとした）
稷下多談士、（稷下（＝臨淄）には談する士が多いて）
指彼決吾疑。（彼を指せば吾の疑いが決するとおもったのだ）
装束既有日、（それで装束をととのえ、既にゆく日も有て）
已与家人辞。（已に家の人たち与も辞れたのだった）
行行停出門、（行き行んで門を出て停まり）
還坐更自思。（還って坐って更に自ら思えた）
不怨道裏長、（道裏の長さが怨だったのでは不くて）
但畏人我欺。（但だ人が我を欺くのを畏れたのだ）
万一不合意、（万に一つでも意に合わ不いなら）
永為世笑嗤。（永く世から笑嗤われて為うのだ）
伊懐難具道、（伊の懐は具くは道い難いものがある）
為君作此詩。（それで君の為に此の詩を作ったのだ）
［補足］（（1）これも空想の詩であろう。一度は遠くに行こうとして思い直したことを歌っている。其の一や其の二では、遠くに行こうとした友に疑問を投げつけていたが、ここでは自身のこととしている。（2）「臨淄」とあるのは戦国時代に学問の中心地と目された町で、世の俊才が集まるところの象徴としてその名が用いられている。陶淵明は中央で俊才の一員になるよりも、田舎で孤高を守ることを選んだのである）
其五（蘇軾）
馮冼古烈婦、（馮知事の妻になった冼氏は古の烈婦である）
翁媼国於茲。（冼氏の先祖は長く嶺南の地に国をつくっていた）
策勛梁武後、（梁王朝の武帝の後に冼氏の功勲が讃えられ）
開府隋文時。（隋朝の文帝のときに冼氏は幕府を開いた）
三世更険易、（梁、陳、隋と王朝は入れ替わったが）
一心無磷緇。（冼氏が民を安んじようとする一心は少しも汚れることがなかった）
錦繖平積乱、（錦の傘のもとに座ってたびたびの争乱を鎮め）
犀渠破余疑。（犀の革の鎧を身につけてなお従わぬ者を破った）
廟貌空復存、（冼氏を祀った廟はいまも残っているが）
碑板漫無辞。（碑は摩滅して文字は消えてしまった）
我欲作銘志、（私は冼氏の銘を作って）
慰此父老思。（この地の老人たちの思いを慰めようと思う）
遺民不可問、（冼氏の子孫がいまどこにいるかはもはやわからないけれど）
僂句莫余欺。（裸体で私を驚かすような島民もいない）
犦牲菌雞卜、（牛を犠牲にしたり鳥の骨で占ったする習俗はなおあるので）
我当一訪之。（一度それにしたがって冼氏の子孫を訪ねてみてもよいだろう）
銅鼓壺盧笙、（そのときは、銅の鼓や壺盧の笙を演奏して）
歌此迎送詩。（冼氏を迎えるこの詩を歌うのだ）
［補足］（（1）嶺南には女傑を生む文化的背景があったのか、漢の時代には先住民を指揮して反乱を起こした2人の女性がいたし（第13章2ページで触れる）、南北朝時代の終わりにはこの詩に歌われている冼氏がいた。冼氏は武に優れた女性で、先住民の心を掌握していた。その評判を聞いた馮宝知事が妻に迎え、先住民と漢人との融和を図った。それによって嶺南はよく治まり、海南島も進んで冼氏の統治を受けた。（2）牛を犠牲にする習俗については、本章327ページで詳しく記される）
其七（陶淵明）
日暮天無雲、（日が暮れて天には雲が無く）
春風扇微和。（春の風が微に和やかに扇てくる）
佳人美清夜、（佳な人はこの清らかな夜を美しいとおもって）
達曙酣且歌。（曙に達るまで酣み且て歌う）
歌竟長嘆息、（歌い竟って長く嘆息し）
持此感人多。（此に持って人は多のことを感じる）
皎皎雲間月、（皎皎とひかる雲の間の月）
灼灼葉中華。（灼灼とさく葉の中の華）
豈無一時好、（これらに豈っして一時の好さが無いわけではない）
不久当如何。（久くつづか不いのは当しく如何することもできないのだ）
［補足］（これもまた抽象的な詩で、いろいろな解釈が可能だろう）
其六（蘇軾）
沈香作庭燎、（隋の煬帝は、沈香（高価な香木）をかがり火のかわりに焚き）
甲煎紛相和。（甲煎（高価な化粧品）の粉をくべて、その火の勢いを増したという）
豈若炷微火、（わずかな火をともして）
縈煙裊清歌。（その煙のもとで清らかに歌う方がどれほど優れていることか）
貪人無饑飽、（貪欲な人は満足することがなく）
胡椒亦求多。（胡椒を倉いっぱいに貯め込んでいて者もいた）
朱劉両狂子、（朱初平と劉諠の二人の大馬鹿者は）
隕隊如風花。（風に飛ばされた花のようにもはや落ちぶれてしまった）
本欲竭沢漁、（二人は沼を涸らして魚を獲りつくすようなことをしたので）
奈此明年何。（翌年にはもうどうすることもできなかったのだ）
［補足］（蘇軾はここで同じ時代の2人の役人を名指しで批判している。詩の前半で、無意味な贅沢にふけった歴史上の有名な愚か者の故事を引いてから、後半で宋の時代の2人の役人を登場させる。蘇軾自身の注によると、朱初平と劉誼は海南島に赴任すると黎人を教化したけれど、それは香木の水沈を取る目的のためであったという。つまり、先に「勧農」の詩（本章34ページ）で見た搾取の構図を批判しているのである。一方で、史書には、朱初平と劉誼は漢人が不当な利益を上げているのを島民のために是正しようとしたと記されている。蘇軾の詩の注釈家はその矛盾を不思議がっているが、島民の間では朱初平と劉誼の悪行が語り告がれ、一方で、朱初平と劉誼は自分がよいことをしたように朝廷に報告し、それに基づいて史書が編集されたのだろう（旧中国の史書の記載は、為政者側、勝者側、漢人側に必ず有利になるように記されているということを意識して読まないと、現代の中国の公的な歴史見解に無条件に従うのに近い誤りを犯してしまうことになりかねない））
其八（陶淵明）
少時壮且厲、（少い時は壮で且も厲しかった）
撫剣独行遊。（剣を撫ぜつつ独りで遊に行たのだ）
誰言行遊近、（近くの遊に行っただけだろうなどとは誰にも言わせない）
張掖至幽州。（（西は）張掖から（北は）幽州にも至ったのだ）
饑食首陽薇、（饑えては首陽（山）の薇を食い）
渇飲易水流。（渇いては易水の流れを飲んだ）
不見相知人、（（しかし）相に（心の奥までも）知るような人には見わ不くて）
惟見古時丘。（惟だ見たのは古の時の丘であった）
路辺両高墳、（路辺に両つの高い墳があって）
伯牙与荘周。（それは伯牙 与 荘周のものであった）
此士難再得、（此の士たちも（知己とする相手は）再びは得るのが難しかった）
吾行欲何求。（吾の行は何を求め欲としたのだろうか）
［補足］（（1）これも想像上の詩。陶淵明が実際に若いときにこのような旅をしたわけではない。陶淵明に時代に、漢人王朝は大陸の南半分しか統治できていなかったので、第4句にある張掖も幽州も行けるはずもない異国の地であった。全体として、陶淵明がこれまでの半生のうちに真の友を得られなかったことを歌っているのであろう（2）第5句の首陽山も第6句の易水もやはり異国の地で、首陽山は殷が滅ぼされて周の世になったときに、武力によって建てられた国の穀物は食べないと、伯夷と叔斉が隠れ、ついには餓死したところ。易水については第11章265ページで見ている。（3）第10句にある伯牙と荘周（荘子）はともに己を最もよく知る親友を失っている。この2人の墓も実際に陶淵明が見たわけではない）
其七（蘇軾）
雞窠養鶴髮、（鳥の巣の中にいた小児のような白髪の人は）
及与唐人遊。（遠く晋代に生まれて、唐朝の人と会うに至った）
来孫亦垂白、（その子孫も白髪になったころに）
頗識李崖州。（都から流されてきた李徳裕とすこぶる面識を得た）
再逢盧与丁、（さらには宋朝の盧多遜とも丁謂とも逢ったというから）
閲世真東流。（歴史の流れをずっと見てきたわけである）
斯人今在亡、（いまその人たちはいなくて）
未遽掩一丘。（死んで後の評価はまだ定まっていない）
我師呉季子、（私が師と仰ぎたいのは呉の季札で）
守節到晩周。（周代の末期にも節義を守り続け）
一見春秋末、（春秋時代の終わりにもひとたび現れたという）
渺焉不可求。（いまやその跡は遥かに彼方で捜し求めることもできない）
［補足］（（1）ここでは海南島に関わるいくつかの伝説を詠んでいる。（2）唐の時代に李守忠が海南島に来ると、八十を超えた老人に会い、さらにその父、そのまた父に逢えただけでなく、鳥の巣に住む遥か昔の先祖にも逢ったという。（3）その後、やはり唐代に李徳裕が大陸の縁にある崖州に流されたときにその子孫に逢い、さらには宋代に入ってからも、やはり崖州に流された盧多遜や丁謂とも逢ったという。（3）蘇軾が師と仰ぎたいという季札は、孔子も讃えた賢人で、90歳のころに不意にまた現れて、陳国の危急を救ったという。つまり、単に長生きをすることが大事なのではなくて、何をするかが重要なのだということを蘇軾はいいたいのだろう）
其九（陶淵明）
種桑長江辺、（桑を種えたのは長江の辺であった）
三年望当采。（三年もしたら当っと采るだろうと望んでいた）
枝条始欲茂、（枝条が始めて茂ろうと欲ときに）
忽値山河改。（忽ち山や河が改ってしまうことに値った）
柯葉自摧折、（柯も葉も自ら摧け折れて）
根株浮滄海。（根も株も滄い海に浮んでしまった）
春蠶既無食、（春の蠶には既や食べるものが無く）
寒衣欲誰待。（寒の衣は誰に待ら欲とするのか）
本不植高原、（本もと高い原に植え不かったからなので）
今日復何悔。（今日になって復して悔いて何になるのか）
［補足］（川のほとりに畑を作ったけれど、洪水ですっかり駄目になってしまったという詩。異民族に追われて北から逃れて長江のほとりに都を置いた晋王朝が、陶淵明が56歳のときに劉裕によって亡ぼされてしまったことを詠んでいるという説がある。だとすると、終わりの部分は晋王朝にもとから欠陥があったと指摘していることになる）
其八（蘇軾）
城南有荒池、（町の南に荒れた池がある）
瑣細誰復采。（そこに生えた些細なものは誰も採ろうとしない）
幽姿小芙蕖、（奥ゆかしい姿をしているのは小さな蓮で）
香色独未改。（香りも色もこの花ばかりは変わらない）
欲為中州信、（都に便りを寄せようと思うけれども）
浩蕩絶雲海。（ぼんやりと雲の海に遮られている）
遙知玉井蓮、（遥かに思うのは崋山の玉井の蓮で）
落蕊不相待。（花は待つことなくやはり落ちてしまう）
攀躋及少壮、（そこへとよじ登るのは若いときでなければならず）
已失那容悔。（その機会を失っていまさら悔いても遅いのだ）
［補足］（陶淵明の其の九と共通して、何らかの寓意を籠めた詩であろう。誰も顧みることのない池の蓮とは蘇軾自身のことであろうか。先にしておくべきだったことをいまさら悔いても仕方がないというのは、陶淵明の詩と同様の結びである）
其九（蘇軾）
黎山有幽子、（黎母山に一人の隠者がいる）
形槁神独完。（形は枯れてしまっているが、精神は完全である）
負薪入城市、（薪を背負って町に入ってきて）
笑我儒衣冠。（私が儒者のなりをしているのを笑う）
生不聞詩書、（その人は、生まれてから詩書があることを聞かないし）
豈知有孔顔。（孔子やその弟子の顔回なんぞ知るはずもない）
翛然独往来、（超然として山と町を行き来し）
栄辱未易関。（世間の栄辱と関わることはない）
日暮鳥獣散、（日暮れには鳥や獣とともにどこかにいなくなり）
家在孤雲端。（住まいはぽつんと浮かぶ雲の端にあるという）
問答了不通、（問答をしようにも言葉が通じないので）
嘆息指屡弾。（いつも指で追いやられて嘆息するしかない）
似言君貴人、（たぶんあなたこそ貴い人であって）
草莽棲竜鸞。（竜や鸞（伝説の霊鳥）が草むらの中に棲んでいるようなものなのだろう）
遺我吉貝布、（あなたがなぜか吉貝布という島の布を贈ってくれたのは）
海風今歳寒。（歳の暮れともなれば海の風がさすがに寒くなるからであろう）
［補足］（（1）これは陶淵明の其の五に和したもので、内容的に重なるところがいくらかある。（2）海南島の山に実際にこのような隠者がいたかどうかはわからない。島民の誰かに、冬に備えての布を贈ってもらったということはあったのだろう）
■和陶東方有一士
［解題］上に見た陶淵明の詩の其の五に和した詩がもう一首ある。「この詩にある『東方の一士』とは、まさしく陶淵明のことである。ならば、それに従って遊ぶのは誰なのか。もしもこの妙味がわかるなら、私がすなわち陶淵明で、陶淵明がすなわち私なのだ」という添え書きがある。
［訳文］
瓶居本近危、（瓶は据えてあっても、いつでも危うさがすぐ近くにある）
甑墜知不完。（甑は墜ちたなら、もとのままではいられない）
夢求亡楚弓、（夢の中で、私はどこかに置いてきてしまった弓を探し求めていた）
笑解適越冠。（すると、太古のままの国にきて、ここでは冠などは無用だと知って、笑って脱いだ）
忽然反自照、（たちまち夢から返り、我が身を省みると）
識我本来顔。（私の本来の顔は、こんなものであったかのかと知れた）
帰路在脚底、（帰るべき路も、私の脚の下にあるはずだ）
殽潼失重関。（それなのに、通らなければならない二つの関がどこにあるのかわからない）
屡従淵明遊、（これまで私はしばしば陶淵明と遊び）
雲山出毫端。（筆の先から、雲の彼方の山が出てくるのを見た）
借君無弦物、（陶淵明から弦のない琴を借りて）
寓我非指弾。（指を使わずに演奏しようと思う）
豈惟舞独鶴、（それに合わせて、孤独な鶴が舞うであろうし）
便可躡飛鸞。（きっと飛ぶ鸞を呼び止めることができるであろう）
還将嶺茅瘴、（そして、この南の国の暑熱でもって）
一洗月闕寒。（月の宮殿の寒さを洗い去ってしまおう）
［補足］（この詩は論理を追って理解することができない。空想が次々に飛躍してゆくのを楽しめばよいのだろう）
■次韻子由三首
［解題］雷州にいる弟が身の回りのことを詠んだ詩を送ってきたのでそれに和した。
［補足］（蘇轍は雷州に来た最初は、知事の張逢の好意で官舎を仮住まいとすることができたのだが、宰相の章惇は蘇轍を憎み、官舎に住むことを禁じた。それで、土地の人が蘇轍のために住まいを用意した。弟の詩はその新たな住まいについて詠んだもの）
［訳文］
東亭
仙人の山も仏の国も、帰るところは同じなのだろう。
とはいえ、仏寺や道観は、世間の路と背を向き合わせている。
仙人でも僧侶でもない我等は、どこに住まいを置こうと、妨げになるものはないはずだ。
流れ流れて行くうちに、一生などは終わってしまう。
君の東亭のちっぽけな欄干からは、市場が見えるのかい。
新たに松を植えたというけれど、
きっと棘茨の中から伸び出してくることだろう。
僕のおんぼろ小屋は、やっと膝を入れられるだけだと、
君は言うわけだが、
雨が風に乗って、海と天の間を飛び行くさまが看られるのだよ。
東楼
盆に君の白髮蒼顔を映してみるとよい、
前世はかの董仲舒（漢代の大学者）であったと知れるであろう。
何しろ、東の二階家に独り棲むのは学者と決まっていて、
実際、君はそこで新しい書物をせっせと著しているのだから。
そこには、やわらかな風が通るので、酔っても醒めやすく、
夢も見ないで安らかに眠っていると、屋根を打つ雨音が近くに聞こえるのだ。
君が歌うのは、自分の気持ちをごまかすため、
だったら、笑ってしまう……
人間世界のどこにだって欣びがあるではないか。
椰子冠
天は、毎日君に酒を飲ませようとしている、
なぜなら、君が酒を飲まなければ、
きっと真面目腐ったことを言って命を縮めてしまうからだ。
椰子の実の中には、美酒にも優る水がある。
君はそれを自分で漉し、酔客を招いて飲ませている。
空いた殻を冠職人に渡し、なかなか古風な形に仕上げた。
それを、皆が争って見にくる。
簪は軽く挿すだけでよく、髪はその重さを知らないほどだ。
僕はというと、縁が短く背の高いへんてこな帽子をかぶっている。
東坡先生は何事も時流とは合わないと決まっているのだよ。
［補足］（椰子冠は椰子の実で作った冠で、弟は自作したものを兄に送ったのだろう）
■和陶停雲四首
［解題］陶淵明の「停雲」という詩に和した。それぞれに序文がある。
［訳文］
序（陶淵明）
停雲、思親友也。罇湛新醪、園列初栄、願言不従、歎息弥襟。
（この『停雲』は親しい友を思うもの也。罇には新しい醪が湛えられ、園には栄いた初りのはなが列んでいる。願言うことはあるのだが、そのとおりには従ら不いので、歎息して襟が弥になる）
序（蘇軾）
自立冬以来、風雨無虚日、海道断絶、不得子由書。乃和淵明停雲詩以寄。
（立冬から、雨風のない日はなく、海路は断たれ、弟からの手紙はこない。それで陶淵明の『停雲』の詩に和して弟に寄せる）
［補足］（上の詩で見た椰子冠が届いて以来、しばらく次の手紙がこなかったのだろう）
其の一（陶淵明）
靄靄停雲、（靄靄と停まっている雲）
濛濛時雨。（濛濛とふる時の雨）
八表同昏、（八表は同も昏く）
平路伊阻。（平らな路も伊に阻まれている）
静寄東軒、（静かに東の軒に寄りそい）
春醪独撫。（春の醪を独り撫している）
良朋悠邈、（良き朋は悠かに邈く）
掻首延佇。（首を掻きつつ延と佇むのである）
［補足］（陶淵明のこの詩は、恐らくは想像上の友を想っての作品であろう）
其の一（蘇軾）
停雲在空、（雲が留まって空にあり続けている）
黯其将雨。（暗く今にも雨が降りそうだ）
嗟我懐人、（ああ、僕は君を懐う）
道修且阻。（道は長く、しかも阻まれている）
眷此区区、（いじましいかなこの小さな心よ）
俯仰再撫。（見上げたりうつむいたり、そして胸を抑える）
良辰過鳥、（良い辰は鳥にように過ぎて行く）
逝不我佇。（逝くばかりで、私のために待ってはくれないのだ）
［補足］（蘇軾は弟を想う気持ちを歌っている）
其の二（陶淵明）
停雲靄靄、（停まっている雲は靄靄として）
時雨濛濛。（時の雨が濛濛とふる）
八表同昏、（八表は同も昏く）
平陸成江。（平らな陸も江に成る）
有酒有酒、（酒が有る、酒は有る）
閑飲東窓。（閑に東の窓で飲む）
願言懐人、（願も言に人を懐うのだが）
舟車靡従。（舟も車も従せ靡い）
其の二（蘇軾）
颶作海渾、（颶がおこって海が渾り）
天水溟濛。（天と水とは溟濛くさかいがない）
雲屯九河、（雲が川という川の上にたむろし）
雪立三江。（どの川も雪を飛ばすように波立っている）
我不出門、（私は門を出ることもなく）
寤寐北窓。（北の窓辺で寝たり起きたりしている）
念彼海康、（君のいる海康（雷州）を念うと）
神馳往従。（神が馳せてそのまま行ってしまいそうだ）
其の三（陶淵明）
東園之樹、（東の園之樹では）
枝条再栄。（枝条が再び栄えている）
競用新好、（新たな好さを用って競い）
以招余情。（以で余の情を招く）
人亦有言、（人にも亦た言が有って）
日月于征。（日月が于に征ってしまうという）
安得促席、（安して席を促めあうことを得て）
説彼平生。（彼の平生を説したいものだ）
其の三（蘇軾）
凜然清癯、（君は凛々しく清らかに痩せ）
落其驕栄。（驕りや栄えは落ちてしまった）
饋奠化之、（食べることは食べていても）
廓兮忘情。（がらんとして情を忘れている）
万里遅子、（万里の彼方の君を思って）
晨興宵征。（朝に起きて、夜には行こうとおもう）
遠虎在側、（でも、君のかたわらには遠虎がいて）
以寧先生。（先生の心を安らかにしているのだ）
［補足］（七句目の「遠虎」とは蘇轍の息子の蘇遠のこと。蘇遠の幼名は「虎」である（第11章9ページ））
其の四（陶淵明）
翩翩飛鳥、（翩翩と飛ぶ鳥が）
息我庭柯。（我の庭の柯に息う）
斂翮閑止、（翮を斂めて閑止にしていて）
好声相和。（好い声で相に和す）
豈無他人、（豈て他にも人がい無いわけではないけれど）
念子実多。（子を念うことが実に多いのだ）
願言不獲、（願も言して獲にはなら不いので）
抱恨如何。（恨みを抱いてしまうのは如何もない）
其の四（蘇軾）
対弈未終、（仙人の碁の対局がまだ終わらないうちに）
摧然斧柯。（見物していた樵の斧の柄は朽ち果ててしまった）
再遊蘭亭、（蘭亭に再び遊んで）
黙数永和。（この前ここにきた永和年間がいつだったかを数える）
夢幻去来、（人の世の行き来は夢幻のよう）
誰少誰多。（年月の多い少ないは言ったところでも仕方がない）
弾指太息、（指をはじいて深く嘆息する）
浮雲幾何。（浮き雲はどれだけそこにあるのか）
［補足］（（1）この第四首は、歳月の速さを歌っている。（2）第一句と第二句は、山の中で仙人が打つ碁をちょっと見ている間に長い年月が経ってしまったという伝説に基づく。（3）第三句と第四句は、王羲之らが蘭亭に集まった有名な遊宴に基づく。それがあったのはつい昨日のような心持ちで蘭亭を再訪したら、かつて催された永和9（393）年から、たちまち700年が経ってしまっていたのだ。（3）結びは「雲」に戻るが、冒頭の去りやらぬ嵐の雲とは違って、はかなく消えてしまう雲である）
■和陶怨詩楚調示龐主簿鄧治中
［解題］陶淵明の「怨詩楚調にて龐主簿と鄧治中に示す」という詩に和した。「怨詩楚調」とは楚の時代の古い調べによって歌われた漢代の怨詩（心の暗がりを歌った詩）で、それに倣った詩を作って、龐主簿と鄧治中（主簿も治中も官名）に贈った。54歳の作品だという。
［訳文］
（陶淵明）
天道幽且遠、（天の道は幽かで且も遠い）
鬼神茫昧然。（鬼神も茫と昧い然である）
結髪念善事、（（成人して）髪を結ったころから善い事をしようと念い）
黽勉六九年。（黽み勉めてきた六九（＝五十四）年であった）
弱冠逢世阻、（弱冠から世の阻しさに逢い）
始室喪其偏。（始室で其の偏を喪った）
炎火屡焚如、（炎える火（のような日照り）は屡しば（農地を）焚く如で）
螟蜮恣中田。（螟蜮が田の中を恣にした）
風雨縦橫至、（風と雨が縦橫に至て）
收斂不盈廛。（收め斂めたものは廛にも盈た不かった）
夏日長抱饑、（夏の日には長も饑を抱き）
寒夜無被眠。（寒い夜には被も無いままに眠った）
造夕思雞鳴、（夕に造ると雞が鳴く（朝にはやくなればと）思い）
及晨願烏遷。（晨に及ると烏が（はやく）遷るのを願った）
在己何怨天、（（すべては）己に在るのであって何して天を怨もうか）
離憂悽目前。（（しかし）憂いに離うのは目前においては（やはり）悽しい）
吁嗟身後名、（吁嗟、身後の名などは）
於我若浮煙。（我に於いては浮く煙の若ものだ）
慷慨独悲歌、（慷慨って独りで悲しく歌う）
鐘期信為賢。（鐘期とは信に賢いひとで為ったのだ）
［補足］（（1）これは陶淵明が己の半生を振り返った重苦しい雰囲気の詩である。（2）最初の2句は、天の道も鬼神も信じることができないと歌っていて、それは当時の多くの人に共通する思潮であった。（3）6句目に30歳で妻を喪ったと歌っているが、陶淵明の最初の妻についてはこれ以外に知れるところはないという。（4）最後の句にある「鐘期」は「鐘子期」という人物で、伯牙という琴の名手の友であった。鐘子期が先に死ぬと、伯牙は琴を弾いてもわかってくれる者がいないと嘆いた。陶淵明は鐘子期のような友の存在を望み、龐主簿と鄧治中がそうであってほしいとの思いをここに籠めたのである）
（蘇軾）
当歓有余楽、（歓びにあっては楽しさにひたるのがよい）
在戚亦頽然。（悲しみあってはくずれてしまうのがよい）
淵明得此理、（陶淵明はこの理を得てからは）
安処故有年。（安らかな年月を過ごせた）
嗟我与先生、（ああ、私と陶淵明先生は）
所賦良竒偏。（詩に賦すところはまことに妙に偏っている）
人間少宜適、（人間世界においては私の心に適うものは少なく）
惟有帰耘田。（ただ帰って農地を耕すことだけがある）
我昔墮軒冕、（しかしながら、私は昔、官服を着る身に堕ちてしまってからは）
毫釐真市㕓。（間断なく都会において暮らしたのだった）
困来臥重裀、（困り果てて布団にもぐりこんでも）
憂愧自不眠。（憂いやら恥やらで眠ることができなかった）
如今破茅屋、（いまは破れたぼろ家にいて）
一夕或三遷。（雨漏りを避けて一晩に三度も寝床を遷さなければならない）
風雨睡不知、（それでも、風も雨も知らずによく眠ることができて）
黄葉満枕前。（目覚めたときには、枕の前に黄色い葉がいっぱいに積もっている）
寧当出怨句、（だから、怨みの句は出そうとはしないけれど）
慘慘如孤烟。（我が家から上がるのは寂しくもただ一本の煙である）
但恨不早悟、（残念なのは、こうしたことを早くに悟らなかったことだ）
猶推淵明賢。（やはり陶淵明の賢さを見上げるのである）
［補足］（蘇軾もまた半生を振り返って、陶淵明の「怨詩」の奥にある深い洞察から読み取ったことをこの詩に託したのだろう）
［補足］（ここまで見てきたように、海南島に来てから、蘇軾は陶淵明の詩に次々に和し、これからもそれは続く。もしも海南島に流されていなければ、「和陶詩」という独自の作品群はこれほど豊かなものにはならなかったであろう。つまり、「詩人の不幸は詩の幸い」ということができるのかもしれない。蘇軾より56年後れて生まれた元好問は、宋から大陸の北半分を奪った金国の誠実な官僚として中央政府の高官にまでなったのだが、金国は当時破竹の勢いであったモンゴルに攻め込まれ、その都は元好問の目の前で陥落し、皇族は北に地に連れ去られた。元好問はその一連の事件を詩に詠み、中国の長い詩の伝統のなかでも、最も悲痛を極めた作品群となった。清代の学者の趙翼は元好問の文学の特質について詩に詠み、「国家不幸詩家幸」（国家の不幸は詩家の幸い）と歌った。元好問がもしも国家の滅亡に際会しなかったならば、恐らく詩家としての名はさほど高いものとはならなかったのだろう。蘇軾の大恩人である欧陽脩は「困窮して後に人は詩に巧みになる」（第6章1ページ）と言っていた。陶淵明にしても、平穏な時代に巡り合わせて官僚としてそこそこ出世していたなら、われわれが知る詩は一つも生まれなかったであろうから、和陶詩は詩家の二重の不幸によって生まれ得たということができるのだろう）
■黎檬子
［解題］南国の産物、レモンについて記した短文。
［訳文］
私の旧い友人に黎錞、字は希声がいる。『春秋』（史書の古典）を治して家の学問としていた。欧陽文忠公（欧陽脩）はそのことを喜んでいた。
その人となりは遅緩で、劉攽は戯れて「黎檬子」（ぼんやり黎先生、あるいは、奥行きの知れない黎先生といった意味）と呼んで、その性格を指し示す号としていた。果木の中に本当に「黎檬子」なるものがあるのは知らなかったのである。
ある日、黎錞と劉攽は馬を並べて出歩いていて、市の人が「黎檬子！ 黎檬子だよ！」と唱えてその果実を売っている者がいた。二人はそれを聞いて大笑いし、ほとんど馬から落ちそうになった。
いま私は海南島に謫されて、住まいのまわりに黎檬子があり、霜の季節にも実が累累と成っている。
旧い友の風味をしみじみと思うのだが、いま二人とも亡くなってしまい、もう会えることはない。劉攽はもちろん滅びることのないものを世に遺し、黎錞もまた道を守ったことで追随できる者は少なかった。
［補足］（（1）黎錞が蘇軾の父の蘇洵と交流があったことは第1章36ページに記されていて、劉攽の名は第3章80ページから何度も見ていて、ジョークを好んだことは第8章254ページにも記されている。（2）レモンを商う者がいたのはきっと都の市であろう。このエピソードは、恐らく欧陽脩が都にいた遠い昔、黎錞も劉攽も若かったころのことなのだろう。こうしたことをさりげなく記した蘇軾の文章はことに味わい深いものがある）
■記海南菊
［解題］重陽の節句には盃に菊の花を浮かべて長寿を願って飲むのだが、海南島では9月9日にはまだ菊の花は開いていなかった。それで、実際に節句の祝い事をしたのは11月中旬であった。そのことを記した短文。
［訳文］
菊の色はまさしく黄。香りは和らかくて程好い。花、葉、根、実、そのいずれもが長生きの薬になる。
北の地では、秋の始まりから終わりに従って次第に黄色い花を開く。嶺南ではそうではなく、冬至になって初めて盛んに花を発する。嶺南は土地が暖かく、百の草が季節によらずに成長する。それでも菊はやはり最後に開く。その理由を考えると、菊の性質は介く烈く、盛衰を百の草とともにすることなく、霜の降るのを待って開くものであって、嶺南では常に冬至になってようやくわずかに霜が降るからである。天から与えられたその姿は高潔で、仙霊に通じるところがある。
私は海南島にきて、菊を九列植え、十一月の満月の日に、客とともに菊の花を盃に浮かべて重九の祝いをした。
このことをここに記しておく。
■和陶雑詩十一首
［解題］陶淵明の「雑詩十一首」に和した。「雑詩」とは折々の様々な感慨を詠んだもの。陶淵明の作品は「十二首」として伝わるが、第十二首は陶淵明に作ではないと疑われていて、蘇軾はそれには和していない。
［訳文］
其の一（陶淵明）
人生無根蒂、（人が生きるのに、根とか蒂とかは無いので）
飄如陌上塵。（飄ること、陌の上の塵の如である）
分散逐風転、（分れて散って風を逐って転がりゆくので）
此已非常身。（此は已より常の身では非くなってしまうのである）
落地為兄弟、（（たまたま）地に落ちて（うまれて）兄弟に為った（としても））
何必骨肉親。（何も必ずしも骨肉のあいだだけが親しいのではない）
得歓当作楽、（歓びを得たなら当っと楽しみを作すべきで）
斗酒聚比隣。（斗の酒で比隣を聚めるがよい）
盛年不重来、（盛んな年は重ねては来不いのだし）
一日難再晨。（一日は再び晨にはなり難いのだ）
及時当勉励、（（楽しめる）時が及たなら当っと勉め励むべきである）
歳月不待人。（歳月は人を待ってはくれ不いのだから）
［補足］（先の「怨詩」（本章78ページ）の冒頭の2句とこの詩を合わせ見ると、陶淵明は虚無的というか唯物論的もしくはエピクロス的であるように思われる。蘇軾は、自分と陶淵明は「所賦良奇偏」（賦す所は良に奇偏）と詠んでいたが（本章80ページ）、陶淵明は旧中国においては確かになかなかに異端だったのである）
其の一（蘇軾）
斜日照孤隙、（斜めになった日ざしが小さな隙間からさしこむと）
始知空有塵。（空しいところにも塵があると初めて知れる）
微風動衆竅、（わずかな風にも、あれこれの穴が呼応して動く）
誰信我忘身。（このようなときに我が身のあることを忘れるといっても誰も信じてはくれないだろう）
一笑問児子、（私は笑って息子に尋ねる）
与汝定何親。（「おまえとは、はてさて、何をもって親しいというのだろうか）
従我來海南、（わたしにくっついて海南島に来たわけだが）
幽絶無四隣。（ここは寂しく隔絶して隣人もいない）
耿耿如欠月、（きらきらと光る欠けた月のように）
独与長庚晨。（朝を迎える相手は金星がいるだけだ）
此道固応爾、（この道はもとよりきっとこうなるものであっただけで）
不当怨尤人。（決して怨んだり尤めたりすべきではないのだ」）
［補足］（上の陶淵明の其の一に呼応して、蘇軾のこの詩も哲学的である。冒頭の4句は、大自然の玄妙な摂理がごく微小なところにも宿すことを感知しての思いであろう。それ以降は、そうした摂理のままにいまの自分の境遇があると、息子に語りかけているのである）
其の二（陶淵明）
白日淪西阿、（白い日は西の阿へと淪み）
素月出東嶺。（素い月が東の嶺から出る）
遙遙万里輝、（遙かな遙かな万里の輝き）
蕩蕩空中景。（蕩く蕩い空中の景）
風来入房戸、（風が来て房の戸へと入り）
夜中枕席冷。（夜の中に枕と席が冷えてゆく）
気変悟時易、（（自然の）気が変わって時が易ったと悟り）
不眠知夕永。（眠られ不にいて夕が永いのを知る）
欲言無予和、（（何かしら）言欲うとしても予に和するひとはい無い）
揮杯勧孤影。（杯を揮って孤わが影に勧める）
日月擲人去、（日月は人を擲って去ってゆき）
有志不獲騁。（志は有っても（思いのままに）騁することを獲られはし不い）
念此懐悲淒、（此のことを念って悲淒を懐き）
終暁不能静。（暁を終えるまで静めることが能不いのだった）
［補足］（陶淵明が其の一で楽しめと歌ったのは、ここに詠まれているような焦燥感が常にあったからなのだろう）
其の二（蘇軾）
故山不可到、（故郷の山へは到ることができない）
飛夢隔五嶺。（夢に飛んでも、いくつもの嶺に隔てられている）
真游有黄庭、（本当に遊ぶべきところは我が身の内である）
閉目寓両景。（目を閉じるなら、内と外をつなぐ光が見えるであろう）
室空無可照、（部屋がからっぽなら照らす必要もない――余計な思念がないなら惑いもない）
火滅膏自冷。（火が消えれば油は自然と冷える――余計な思念が鎮まれば我が本心も定まる）
披衣起視夜、（衣をとって起きて夜を視ると）
海闊河漢永。（海は広く天の川は長々と流れている）
西窓半明月、（西の窓に半ば明るい月があって）
散乱梧楸影。（木々の影が乱れ動いている）
良辰不可繋、（この良い夜を繋ぎ止めておくことはできない）
逝水無留騁。（逝く水は走るのを留めはしないのだ）
我苗期後枯、（私の苗は季節に後れて枯れるのだろう――我が歳月はなお残されている）
持此一念静。（この一念を持つなら、心は静まるのである）
［補足］（蘇軾は其の一からさらに思索を深め、この其の二はなかなかに難解である。3～6句、そして結びの訳はひとつの浅い解釈を示したまでである）
其の三（陶淵明）
栄華難久居、（華は栄えても久くそこに居るのは難しく）
盛衰不可量。（盛んなときも、衰えるときも、それをいつだと量れは不可い）
昔為三春蕖、（昔は三の春をすごす蕖で為ったものが）
今作秋蓮房。（今では秋の蓮の房と作っている）
厳霜結野草、（厳しい霜が野の草に結び）
枯悴未遽央。（枯れ悴えて未だ遽だ央きずにある）
日月環復周、（日や月は環り復た周るのだが）
我去不再陽。（我は去ってしまえば再びは陽られ不い）
眷眷往昔時、（眷眷のは往ってしまった昔の時）
憶此断人腸。（此のことを憶うと人の腸は断たれるのである）
其の三（蘇軾）
真人有妙観、（道を得た真人には妙観（奥深い宇宙観）があるが）
俗子多妄量。（俗な人間には妄量（あやふやな当て推量）ばかりがたくさんある）
区区勧粒食、（漢の世のこと、皇后がせっせと張良に御馳走を勧めたのは）
此豈知子房。（仙人になろうとしていた張良のことをまるでわかっていなかったからだ）
我非徒跣相、（蕭何は罪を赦されると裸足になって感謝し）
終老懐未央。（ついには皇帝のために立派な宮殿を作った）
兔死縛淮陰、（兎を狩り終わったなら犬は烹られるのたとえの通り、韓信は捕縛されてしまい）
狗功指平陽。（あるいは犬のように駈けずりまわった功績の第一は曹参だとされた）
哀哉亦可羞、（漢の世を開いた人々を思うと哀しくもあり、また我が身を恥ずかしくも思う）
世路皆羊腸。（世間に生きるとは羊の腸のように変転やまないものなのである）
［補足］（この詩は、漢の高祖に仕えた人々が様々な運命をたどったことを列挙して、政治の世界にいるかぎりは、結局のところ、真人の妙観などは持てずに妄量のうちに生きるしかないということを歌っているのだろう。この其の三以降は、蘇軾は数々の故事を駆使して詩を構成してゆき、陶淵明とは大いに異なる詩風を展開してゆく。蘇軾は知識がありすぎくらいにあるので、陶淵明の踏んだ韻をどのように活用したらよかろうかと考えると、瞬時に数々の故事が浮かんできてしまうのだろう。それぞれの故事について詳しく知ればより面白味が増すであろうけれど、それによって増した分は、故事を詮索する労苦の大きさにはたぶん見合わないので、立ち入った注釈は加えない）
其の四（陶淵明）
丈夫志四海、（丈夫というものは四海にでることを志すというが）
我願不知老。（我が願うのは、老を知ら不いということ）
親戚共一処、（そして、親戚が共に一つの処にいて）
子孫還相保。（子孫も還た相に保すことである）
觴弦肆朝日、（觴と弦を朝日に肆べ）
樽中酒不燥。（樽の中には酒が燥か不にある）
緩帯尽歓娯、（帯を緩めて歓びと娯みを尽し）
起晩眠常早。（晩くに起きて常も早くに眠る）
孰若当世士、（孰が若なのか、世に当い士たちが）
冰炭満懐抱。（冰と炭（のような矛盾した欲望）を懐に満いに抱いているのと）
百年帰丘壟、（百年もしたらどうせ丘壟に帰ってゆとくいうのに）
用此空名道。（ずっと此の空しい名の用に道かれてゆくとはな）
［補足］（陶淵明の詩は、自身の思索を淡々と述べていてわかりやすい。このような作品は、長らく詩の範疇には入らないと思われていて、陶淵明は異端中の異端だったのである）
其の四（蘇軾）
相如偶一官、（司馬相如がうまく官職にありついたとき）
嗤鄙蜀父老。（故郷の蜀の老人たちを見下してあざ笑った）
不記犢鼻時、（かつては（妻の営む酒店で）褌いっちょうで）
滌器混傭保。（使用人とともに食器を洗っていたことなど忘れてしまったかのようだった）
著書曾幾許、（ところが、書物をわずかに著しただけで）
渇肺灰土燥。（病気となって、酒店の竈の灰も乾ききってしまった）
琴台有遺魄、（成都の琴台には司馬相如の魂が残っていて）
笑我帰不早。（私がちっとも帰ってこないのを笑っていることだろうi）
作書遺故人、（私は昔なじみの人たちに向かって）
皎皎我懷抱。（皎く皎らかな私の思いを書いておこう）
余生幸無愧、（残された日々に恥じることがないのなら）
可与君平道。（私はかの厳君平と並ぶものといってもよいのだろう）
［補足］（ここでは、漢代の司馬相如と厳君平の故事を用いている。どちらも蘇軾と同郷の人で、すでに詩に何度か引かれている。司馬相如は出世はしたけれど俗物であるとして蘇軾の評価は低く、一方で、成都で庶民相手に占いで暮らしを立てていた厳君平はまことの道を知っていたとして評価がすこぶる高い）
其の五（陶淵明）
憶我少壮時、（憶うに、我が少く壮な時には）
無楽自欣豫。（とくに楽しむことが無くても、自ら欣び豫むことができた）
猛志逸四海、（猛い志が四海に逸れだし）
騫翮思遠翥。（翮を騫げて遠くへ翥ぶことを思ったのだった）
荏苒歳月頽、（あれから荏苒と歳月は頽れ）
此心稍已去。（此のような心は稍に已でに去ってしまった）
値歓無復娯、（歓びごとに値っても復や娯しめ無いし）
毎毎多憂慮。（毎も毎も憂いの慮いばかりが多い）
気力漸衰損、（気力は漸と衰え損なわれ）
転覚日不如。（転く覚えるのは、日ごとに如ば不くなっていくことだ）
壑舟無須臾、（（時の流れは）壑をゆく舟のように須臾も無しに）
引我不得住。（我を引いて、住ることが得き不い）
前途当幾許、（これから前の途は当い幾許あるのか）
未知止泊処。（どこかに止まり泊る処があるのか、未だに知らないでいる）
古人惜寸陰、（古の人は寸の陰も惜んだという）
念此使人懼。（此のことを念うと、人は懼れ使れてしまうのだ）
［補足］（終わりから2句目は陶淵明の曾祖父の陶侃の言葉を踏まえている。陶侃は当時の実力者で、国家のために多大な貢献があった。若いころの陶淵明は、曾祖父のように天下の趨勢を左右するような大活躍をしたいとの志があった。陶侃はすこぶる勤勉で、「聖人でも寸陰を惜しんだのだから、凡人はなおさらもっと短い時間も惜しまなければならない」と言っていた。曾祖父に近づくことができないままに50歳に至った陶淵明は、身をよじるような焦燥感に時に襲われたのだろう）
其の五（蘇軾）
孟徳黠老狐、（漢の終わりに、曹操は老いた狐よりもずる賢く）
奸言嗾鴻豫。（いかさまな言葉で郗慮をそそのかして邪魔者の孔融を罪に落とそうとした）
哀哉喪乱世、（悲しいにことに、乱世においては）
梟鸞各騰翥。（君子と小人が飛びかかり合ったのだった）
逝者知幾人、（そのために大勢の人がこの世を去り）
文挙独不去。（孔融だけが漢朝のために尽くす人として残っていた）
天方斫漢室、（しかし、天はまさに漢朝を滅ぼそうとしていたのであって）
豈計一郗慮。（郗慮ひとりがいてもいなくてもかわるものではなかった）
昆虫正相噛、（昆虫が噛み合うように争うなかで）
乃比藺相如。（曹操はあやしく孔融をおだてて実は貶めたのだった）
我知公所坐、（私が思うに、孔融が罪に落とされたのは）
大名難久住。（正しいことを長く言い続けるのは非常に難しいからである）
細徳方険微、（ましてちまちました屁理屈が横行する時代に）
豈有容公処。（孔融がいられる場所はなかった）
既往不可悔、（過去のことはいまさら悔やんでも仕方ないので）
庶為来者懼。（これからの人々は何を懼れるべきかよくよく考えていただきたい）
［補足］（これは、天下の簒奪を狙う曹操に対して何ら憚るところなく物を言って最後は殺されてしまった孔融の故事を引いて、蘇軾自身のことを詠んだものであろう。曹操のために孔融の罪状を数え上げた文章を書いた郗慮は、さしずめ章惇やそのまわりの人々ということになるだろう）
其の六（陶淵明）
昔聞長者言、（昔は長た者が言うのを聞くと）
掩耳毎不喜。（耳を掩って毎も喜く不くおもっていた）
奈何五十年、（奈何か五十年がたつと）
忽已親此事。（忽已に（当時の老人と同じ）此のとおりの事を親いるのである）
求我盛年歓、（我の盛りだった年の歓びを求めようと）
一毫無復意。（復たおもう意は一毫も無い）
去去転欲遠、（（若いころは）去って去って転どん遠く欲ゆくばかりで）
此生豈再値。（此の生は豈っして再びは値えないものである）
傾家持作楽、（家を傾て持で楽みを作そうではないか）
竟此歳月駛。（そのようにして此の歳月が駛ていってしまうのを竟えるとしよう）
有子不留金、（子が有っても金は留めておか不い）
何用身後置。（何して身だ後の置まで用くものか）
其の六（蘇軾）
博大古真人、（博く大きな古の真人とは）
老聃関尹喜。（老子と尹喜である）
独立万物表、（この二人だけは万物の外に立って）
長生乃余事。（長生の術などはほんの余技でしかなかった）
稚川差可近、（葛洪はこの二人にやや近かったが）
倘有接物意。（それでも物にとらわれる心があったようだ）
我頃登羅浮、（私は先ごろ羅浮山に登り）
物色恐相値。（あるいは葛洪に逢えることもあろうかと探してみた）
徘徊朱明洞、（山中の朱明洞のあたりを歩きまわると）
沙水自清駛。（沙の上を馳せ下る清らかな水だけがあった）
満把菖蒲根、（仙薬になるという菖蒲の根を手にいっぱい取ったものの）
嘆息復棄置。（嘆息して棄て去ってしまった）
［補足］（葛洪も羅浮山も恵州での詩文でたびたび見ている（第11章77ページなど）。陶淵明は一貫して現実主義者であるが、蘇軾は前の孔融を詠んだ詩から一転して神仙世界へと思考を飛躍させている。仙人になった葛洪と羅浮山で逢えると本気で思っていたのか、あくでも文学的虚飾として歌っているのか、そのあたりの境界がどのあたりにあるのかは判然としない）
其の七（陶淵明）
日月不肯遅、（日も月も肯えて遅しようとはしてくれ不い）
四時相催迫。（四つの時が相いに催てあって迫ってくる）
寒風払枯条、（寒い風が枯れた条を払い）
落葉掩長陌。（落ちた葉が長い陌を掩う）
弱質与運頽、（弱い質のわたしは運と与もに頽れてゆき）
玄鬢早已白。（玄い鬢は早くも已に白くなってしまった）
素標插人頭、（素い標が人の頭に插るということは）
前途漸就窄。（これから前の途が漸そろ窄りに就るということだ）
家為逆旅舎、（家とは逆旅の舎で為るのだから）
我如当去客。（我は当っと去ってゆく客の如であるのだろう）
去去欲何之、（去って去って何に之こうと欲いるのか）
南山有旧宅。（南の山に旧い宅（墓地）が有るではないか）
［補足］（不老長生のような神仙術に期待しないのなら、歳月が間断なく流れ去って行くのがなおさら厳しく感じられるのだろう）
其の七（蘇軾）
藍喬近得道、（近頃道を得た藍喬は）
常苦世褊迫。（常々こせこせとした世間に迫られていたので）
西遊王屋山、（西方はるかの王屋山（伝説の仙山）に遊びに行き）
不踐長安陌。（もはや都の道を踏むことはなかった）
爾來寧復見、（それからは会った者は誰もおらず）
鳥道度太白。（藍喬は鳥の道を渡って金星に飛んで行ったのだった）
昔与呉遠遊、（昔、藍喬は呉復古と遊んで）
同蔵一瓢窄。（二人で小さな瓢箪の中に隠れたという）
潮陽隔雲海、（呉復古の住む潮陽（潮州）は雲海を隔てた彼方）
晩歳儻見客。（我が最後の日々にもしもそこを訪れることはできたなら）
伐薪供養火、（薪を伐って供養の火をたき）
看作棲鳳宅。（そこを鳳（仙人）の棲む家であると見るであろう）
［補足］（（1）この詩は、藍喬という仙人について詠んでいる。ある記録によると、藍喬の母は羅浮山に祈って子供を得て、藍喬を生んだ。藍喬は12歳ですでに詩文をよく作り、道教の書物を読み、神仙の道に通じた。藍喬は都で呉復古（字は子野）（第11章327ページなど）と知り合い、一時期ともに廬を結んだ。ある日、藍喬は「自分は羅浮山の仙人である。これから天に昇る」と言って、雲を踏んで昇って行った。（2）海の向こうに流せば蘇軾のもとにはもはや誰も訪れる者はいないだろうと朝廷の高官たちは考えたのだろうが、実はこのころに呉復古は海南島を訪れていた。南方には海こそが自由な往来の場であるとする人々が多くいて、呉復古もその一人で、この後何度も島を訪問するようになる。この「雑詩」に和したこの一連の作品が神仙について詠むことが多いのは、呉復古に見せるためであったのかもしれない）
其の八（陶淵明）
代耕本非望、（耕す代わりに（俸禄をもらうのは）本より望むところでは非かった）
所業在田桑。（業とする所は田と桑に在るとおもっていた）
躬親未曾替、（わが躬をかえりみて親としては未で曾て替ることはなかったのに）
寒餒常糟糠。（寒さや餒えのなかで常も糟や糠しかなかった）
豈期過満腹、（豈っして腹を満す過を期んでいるのではなくて）
但願飽粳糧。（但だ願うのは粳糧が飽えて）
禦冬足大布、（冬を禦ぐための大い布が足りて）
粗絺以応陽。（陽に応じる以の粗い絺があればよいのだ）
正爾不能得、（正しく爾も得ることが能き不かったのだから）
哀哉亦可傷。（哀しいでは哉、亦り傷ましくおもわ可ればならない）
人皆尽獲宜、（ほかの人は皆が尽く宜しいところを獲ているのに）
拙生失其方。（拙いわたしの生は其の方を失ってしまったのだ）
理也可奈何、（ものの理という也は奈何ことも可ない）
且為陶一觴。（且し一の觴を陶もうと為よう）
其の八（蘇軾）
南栄晩聞道、（南栄は道を聞くことが遅かったので）
未肯化庚桑。（庚桑を十分に教え導くことができなくて）
陶頑鑄強獷、（頑なで荒っぽいところを直すのに）
枉費塵与糠。（ひどく苦労したと、荘子は書いている）
越子古成之、（宋の初めに、南国の古成之は）
韓生教休糧。（韓泳に繰り返し導かれて）
参同得霊鑰、（仙界への鍵を得て）
九鎖啓伯陽。（不老長生の道を開いたという）
鵝城見諸孫、（恵州でその子孫を見たことがあるが）
貧苦我為傷。（痛ましいことに貧苦に苦しんでいた）
空余焦先室、（かつての住まいだけを残して）
不伝元化方。（霊薬を煉る方法は伝えなかったのだ）
遺像似李白、（古成之の画像は李白に似ていて）
一奠臨江觴。（私は江に臨んで一杯の酒を手向けたのだった）
［補足］（これは恵州に伝わる古成之の事績を詠んだもの。古成之は宋の初めの人で、羅浮山に籠って勉強し、科挙に合格して、官界に入った。その間に、韓泳という異人が古成之に仙術を伝えようとしたが、古成之は親がいるので官職に就くと言って断った。官員になってからも韓泳は誘ったのだが、古成之は断り続けた。そして、親が死ぬと、もはや仕えている必要がないといって、羅浮山を思う詩を賦してまもなく死に、人々は古成之は昇仙したと考えた。その子孫の古革に、蘇軾は恵州で会っていた）
其の九（陶淵明）
遙遙従羈役、（遙かに遥かに役の羈に従って）
一心処両端。（一つだけの心が両の端にわかれて処る）
掩涙泛東逝、（涙を掩しつつ泛んで東へと逝き）
順流追時遷。（流れに順って時の遷るのを追っている）
日没星与昴、（日が没んで（空に見えるのは）星と与に昴（の星座））
勢翳西山巔。（その勢によって西の山の巔の翳にかくれる）
蕭条隔天涯、（蕭条も（家族とは）天の涯を隔てているかのよう）
惆悵念常餐。（惆悵と（家族とともにしていた）常の餐を念うのである）
慷慨思南帰、（慷慨て南に帰ろうと思うのだが）
路遐無由縁。（路は遐かで由縁が無い）
関梁難虧替、（関も梁も虧替のは難しいから）
絶音寄斯篇。（これまで絶えていた音を斯の篇に寄せるのである）
［補足］（この詩は、ここまでの8篇とは異なって、まだ30代後半のころに役人暮らしをしていて東に旅したときに詠まれた作品であるとされている）
其の九（蘇軾）
余齢難把玩、（余すところの齢はもてあそべるほどの長さはないので）
妙解寄筆端。（よい解釈が得られたなら筆で書き留めておかなければならない）
常恐抱永嘆、（常に恐れて、いつも嘆かずにはいられないのは）
不及丘明遷。（昔の左邱明や司馬遷のような立派な著作を遺せないことだ）
親友復勧我、（親しい友が私に勧めるのは）
放心餞華顛。（白髪頭から心を自由に解き放つのがよかろうと）
虚名非我有、（虚名を得たところで仕方ないし）
至味知誰餐。（本当の味わいは誰か他の人がわかってくれるわけではない）
思我無所思、（私が思うのは、思うところがないということ）
安能観諸縁。（そうすればもろもろの機縁が観えてくるのではないだろうか）
已矣復何嘆、（そうだ、もう嘆くのはようそう）
旧説易両篇。（かつて『易経』について説いた二つの書物があるのだから）
［補足］（（1）この詩は、晩年に至って自分が何を為し得たのかと顧みたときに、不朽の史書を遺した左邱明や司馬遷と比べたのではとても及ばないけれども、ひとつ自負し得るのは『易経』の註解を著したことである、と歌っている。ここで左邱明と司馬遷の名を挙げたのは、蘇軾は歴史に詳しいと自認もし他者からも認められていた（かつて王安石から三国時代の史書を編むように勧められたこともあった）し、欧陽脩や司馬光といった先輩が立派な史書を遺していたからでもある。『易経』は父の蘇洵も弟の蘇轍も熱心に研究してきていたので、いわば家の学問で、その集大成として、蘇軾は『易伝』という研究書を書き、たぶんこの詩を詠んだ後からなのだろう、さらに推敲を重ね、海南島において完成させている。また『論語』と『書経』の注釈書も島で完成させているのだが、蘇軾が力を尽くした割にはそれらの学術書が顧みられることはあまりないようである（蘇軾の『易伝』については塘耕次氏の著作（『蘇東坡の易＜東坡易伝＞』明徳出版社（2010年）、『蘇東坡と『易』注』汲古書院（2013年））があるが、訳者はまだそれに学んでいない）。（2）余談ではあるが、司馬光が編集した巨大な歴史書『資治通鑑』が、このころに危うく破棄されそうになったということを付記しておこう。章惇ら新法党の中心人物は、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」で、司馬光ら故人の名誉をも剥奪して罪人としての烙印を押しまくり、さらにはそうした動きに便乗して手柄を挙げようとしたのだろう、『資治通鑑』の破棄を提案する者までも現れた。幸いにも『資治通鑑』には他ならぬ神宗皇帝が記した序文が付されていたことが、この偉大な史書を守る護符となって、後世に伝えられた。いつの時代でも自分の出世のために文化遺産にも手を付けようとする愚か者が出てくるのである）
其の十（陶淵明）
閑居執蕩志、（閑と居ていたときには蕩ような志を執っていた）
時駛不可稽。（時は駛せ、稽まらせることが可き不い）
駆役無停息、（（気持ちのあせりから）役に駆られて停り息うことが無くなって）
軒裳逝東崖。（軒裳で東の崖に逝くことになった）
沈陰擬薰麝、（沈み陰るなかで、麝の薰で擬すようなことをしてみても）
寒気激我懐。（寒気が我の懐を激しくさせてしまう）
歳月有常御、（歳月には常の御が有って）
我来淹已弥。（我が（東に）来てから淹ち已に（歳月が）弥てしまった）
慷慨憶綢繆、（慷慨て綢繆を憶うも）
此情久已離。（此の情は久く已と離れたままなのだ）
荏苒経十載、（荏苒と十載を経て）
暫為人所羈。（暫く人の為に羈がれる所となっている）
庭宇翳余木、（庭や宇には余りある木が翳をつくっているであろう）
倏忽日月虧。（倏忽 日月は虧ゆくのだ）
［補足］（これは其の八に続いて役人暮らしをしていたころの詩であろう）
其の十（蘇軾）
申韓本自聖、（申不害と韓非は自分たちが聖である（真理を得ている）として）
陋古不復稽。（古などは劣っていると、もはや学びなおそうとしなかった）
巨君縦独欲、（王莽は自分の欲をひたすら大きくして）
借経作巌崖。（それを守るための崖を、経典を使って作った）
遂令青衿子、（そのような連中は、学問をする人々に）
珠璧人人懐。（それぞれが勝手な理屈を抱くようにさせた）
鑿歯井蛙耳、（鑿歯とかいう怪物は井の中の蛙で）
信謂天可弥。（天をも渡ることができると自分では思い込んでいた）
大道久分裂、（大いなる道は長く分裂し）
破砕日愈離。（破壊されて日に日にますます真から離れてしまった）
我如終不言、（私がついに言わずにいたならば）
誰悟角与羈。（誰も音階の区別さえできなくなってしまうだろう）
吾琴豈得已、（私はそれでやむをえず琴を弾くのだ）
昭氏有成虧。（琴には本来の音が具わっているだから）
［補足］（これは王安石に始まる新法党の人々が学問を破壊してしまったことを歌っている。申不害と韓非は法による統治を説き、それに基づく富国強兵策によって秦の始皇帝は天下を統一した。しかし、法で人民を縛る過酷な厳罰主義は短期間で国を滅ぼした。王莽は漢朝から皇位を簒奪した人物で、矢継ぎ早に新法を打ち出して、結局は国を大混乱に陥れて滅亡した。そうした人々に王安石を譬える詩文を蘇軾はかつて作っていたが、ここでまた黙っていられなくなったのだろう）
其の十一（陶淵明）
我行未云遠、（我の行は未だ云であって遠くにはきていない）
回顧慘風涼。（回を顧れば慘も風は涼しい）
春燕応節起、（春の燕は節に応じて起ち）
高飛払塵梁。（高く飛んで梁の塵を払う）
辺雁悲無所、（辺む雁はここがいるべき所では無いのを悲しみ）
代謝帰北郷。（（燕と）代謝って北の郷へと帰ってゆく）
離鵾鳴清池、（（群れから）離れた鵾（ニワトリの一種）は清らかな池に鳴いて）
渉暑経秋霜。（暑さを渉て秋の霜も経てゆく）
愁人難為辞、（愁いにしずむ人は辞に為るのが難しい）
遙遙春夜長。（遙遙と春の夜は長い）
［補足］（これは、役人暮らしにあって、いたずらに時間が過ぎ去ってしまうことを象徴的に歌ったものであろう）
其の十一（蘇軾）
我昔登朐山、（私は昔、朐山に登ったとき）
出日観滄涼。（日が青く清々しく出るのを見た）
欲済東海県、（東にあるという仙界の地に渡りたく思ったが）
恨無石橋梁。（残念なことにそこに至る橋がなかった）
今茲黎母国、（いまここ黎人の国にいて）
何異于公郷。（仙界の地にいるのと何ら異なるところがない）
蠔浦既黏山、（牡蠣を食べて山のように殻を積み上げ）
暑退亦飛霜。（暑さが退けば霜が飛ぶようにもなるだろう）
所欣非自誷、（このように欣んでいるのは自分をごまかしているのではない）
不怨道里長。（長い道のりを経てきたことは少しも恨んでいないのだ）
［補足］（最後に、海南島にあって恨むことは何もないと言っている。しかし、わざわざ「非自誷」（自ら誷るに非ず）と断っているのは、やはり思うところがないとはいえないのだろう）
■次韻子由月季花再生
［解題］弟が、月季花（薔薇の一種）が再生したという詩を送ってきたので、それに次韻した。
［訳文］
奥深く芳しい月季花はもともと四季咲きである。
しばし瘁れたとしても、月が蝕にあうのと同じようなもので、
造物者にそのまま任せておけばよいのであって、
株が枯れてしまったと決めつけてはいけない。
いずれ、根がまだ深く張っていることが知れて、
紫の芽が出てくる。
時がくれば婉娩な花を咲かせ、
厳しい寒気をも暖めてくれる。
先生（弟のこと）は若いときから貴ばれ重んじられ、
朝廷での議論は特に優れているとされていた。
いまでは漢の時代の城の東の瓜売り爺さんと同じく、
かつての功績を覚えている者はあたりにはいない。
時に遠くから、先生の鄙びた住まいにも便りが届くけれど、
その庭は、いつもちんまりと、大股では歩けないほどの狭さだ。
長くそこに住むことを計画して、年が巡るのをゆるゆると待っている。
梅の枝には十二月なのに実が付いて、
もはや春の心地がして、
杯に竹の葉の色の酒を注ぐ。
先生は、月季花が芽生えただけで、
万木が活きいきしてきたとまで言うけれど、
新たに咲いた花を、
先を折り畳んだ頭巾に挿すくらいで十分ではないのかな。
［補足］（「年が巡るのを待っている」との句には、蘇軾自身の注で、弟は来年は六十歳である、と記している）
■和陶癸卯歳始春懐古田舎
［解題］陶淵明の「癸卯の歳、春の始めに田舎で古を懐う」という詩に和した。陶淵明の詩は、母の孟氏が亡くなって喪に服していた39歳のときの作。蘇軾の詩には序文がある。
［訳文］
序（蘇軾）
儋人黎子雲兄弟、居城東南、躬農圃之労。偶与軍使張中同訪之、居臨大池、水木幽茂、坐客欲為醵銭作屋、余亦欣然許之。名其屋曰載酒堂、用淵明始春懐古田舍韻、作二首。
（儋耳（昌化軍）の人である黎子雲兄弟は城の東南に住んでいて、農圃での労働は自分達自身で行っている。たまたま昌化軍知事の張中とそこを訪れると、住まいは大きな池に臨み、木が茂って、水に奥ゆかしさがあり、客人たちは銭を集めてここに建物を作ったらどうだろうかと考えた。私も喜んで賛成し、それを載酒堂と名付け、陶淵明の「始春に田舎に懐古する」の韻を用いて、二首を作った）
［補足］（（1）黎子雲の名はこの後しばしば見ることになる。「進士黎子雲」と書かれることも多く、科挙の地方試験に合格したことがあるのだろう。「黎」を姓としていることから、島の先住民（黎人）の中でも名家であるのかもしれない。家には柳宗元の文集があって、蘇軾はそれを借りて読んだりしている。（2）昌化軍知事の張中はこの年の秋に赴任してきた人（本章52ページ）で、次第に親交を深めていった）
其の一（陶淵明）
在昔聞南畝、（在昔のこと、南にある畝について聞いた）
当年竟未踐。（当年は竟に未だ（その地を）踐むことはなかった）
屡空既有人、（「屡しば空し」（と評された顔回のように貧苦に甘んじた）人は既から有たのだから）
春興豈自免。（春の興のようなことを豈して自が免れたりしようか（苦労するのが当たり前なのだ））
夙晨装吾駕、（夙い晨に吾の駕に（農具などを）装んで）
啓塗情已緬。（塗を啓くと情は已に緬へとゆく）
鳥哢歓新節、（鳥の哢は新たな節を歓び）
泠風送余善。（泠やかな風は余りある善さを送ってくる）
寒竹被荒蹊、（寒とした竹は荒れた蹊を被い）
地為罕人遠。（この地は人が罕である為に遠くかんじられる）
是以植杖翁、（「杖を植く翁」（として『論語』に見える隠者）も是のようなことを以って）
悠然不復返。（悠然として復う（俗世）には返ら不かったのだ）
即理愧通識、（理に即いては識に通じているひとには愧じるものがあるけれど）
所保詎乃浅。（保つ所の（思いは）詎っと乃は浅くはないのである）
［補足］（陶淵明には、家から南に少し離れたところに昔から伝わる土地があって、長らく放置していたのだが、必要に迫られてそこを耕しに行ってこの詩を詠んだ。詩の題にある「古を懐う」とは、孔子やその弟子の顔回、あるいは『論語』に見える隠者に思いを馳せるということで、古を懐いつつ自ら耕して生きる覚悟を固めつつあることを歌っている。陶淵明は母の喪が明けると一度は官職に戻るが、その後41歳で最終的に引退する）
其の一（蘇軾）
退居有成言、（郷里に退くのをよしとする格言は多々あるのに）
垂老竟未踐。（私は老境に至ってもまだ実践できていない）
何曾淵明帰、（陶淵明のように帰ることができないばかりか）
屡作敬通免。（漢代の馮衍のようにしばしば罪によって職を免じられてきた）
休閑等一味、（退隠も謫居も休閑であることについては同じ味わいであろうか）
妄想生愧靦。（さすがにそれは妄想であって、靦さに愧かしくなる）
聊将自知明、（自身のことを知る洞察力を少しは働かせて）
稍積在家善。（家においていくらか善を積もうとしている）
城東両黎子、（町の東に二人の黎くんがいて）
室邇人自遠。（その住まいは近いけれど、その人となりは俗から遠く離れている）
呼我釣其池、（私を呼んでくれて、そこの池で釣りをした）
人魚両忘返。（人も魚もそこから帰ることを忘れてしまった）
使君亦命駕、（知事どのも駕籠を命じてここに来て）
恨子林塘浅。（土手の林が浅いのが残念だと言った）
［補足］（（1）6句目の韻として、陶淵明は「緬」の字を使っているが、蘇軾は同音の「靦」の字に換えたと断り書きを添えている。次韻の名手も、時には難儀することもあったのだろう。（2）蘇軾は序文に記した事柄をそのまま詩に詠んでいる）
其の二（陶淵明）
先師有遺訓、（先師（孔子）の遺訓が有る）
憂道不憂貧。（「道（が行われていないこと）を憂いて、（我が身の）貧を憂うことはし不い」）
瞻望邈難逮、（（その言葉は）瞻ぎ望むこと邈かで逮ぶのは難しいだけに）
転欲志長勤。（転ます長く勤めることを志そうと欲るのである）
秉耒歓時務、（耒を秉って時の務めを歓び）
解顔勧農人。（顔を解ばせて農を人に勧める）
平疇交遠風、（平らな疇で遠くからの風が交い）
良苗亦懐新。（良い苗が亦た新しい（芽を）懐いている）
雖未量歳功、（未だ歳の功を量れるわけではない雖ど）
即事多所欣。（事に即して欣ぶ所が多ある）
耕種有時息、（耕したり種えたりして時に息うことも有るのだが）
行者無問津。（行く者で津を問うものはい無い）
日入相与帰、（日が入ると相に与に帰り）
壺漿労近隣。（壺漿で近隣のひとびとを労う）
長吟掩柴門、（長く吟じて柴の門を掩い）
聊為隴畝民。（聊まず隴畝の民と為ったようである）
［補足］（12句目にある「津を問う」とは、『論語』にある故事を用いている。孔子は旅の途中で、畑を耕す隠者（長沮と桀溺）（本章40ページなど）に渡し場のあるところを尋ねた。隠者は、渡し場の位置もわからないのに、天下の行く末を議論するのかと、孔子のことを嘲って教えなかった。一方、孔子は、あのような隠者とは志すところが全く違うと、隠者を厳しく批判した。この詩で、陶淵明は、あたかも長沮や桀溺のように畑を耕しているけれども、もしも孔子が来て渡し場を尋ねてくれたなら、その後に従って付いて行きたいとの気持ちを歌っているかのようである。この詩の時点では、陶淵明と蘇軾は近い距離にいたといえるのではなかろうか）
其の二（蘇軾）
茅茨破不補、（茅葺の家が壊れても補わない）
嗟子乃爾貧。（黎くんがそれほど貧乏であるのを残念に思う）
菜肥人愈痩、（畑で菜は肥えつつあるが、人はますます痩せている）
竈閑井常勤。（竈はひっそりとし、井戸では頻繁に汲まれている（水で飢えをしのいでいるということ））
我欲致薄少、（私はわずかばかりの贈り物をしようと）
解衣勸坐人。（衣を脱いで家に坐す人に勧めた）
臨池作虚堂、（池に臨んでちょっとした部屋を作ろうではないか）
雨急瓦声新。（雨が強く降ったときには瓦に真新しい音が響くであろう）
客來有美載、（客人はうまいものを持って来るだろう）
果熟多幽欣。（果実が熟すときには奥深い欣びがたくさんにあるだろう）
丹荔破玉膚、（紅い荔枝が玉の膚を破り）
黄柑溢芳津。（黄色い蜜柑から芳しい汁が溢れでる）
借我三畝地、（私に三畝の土地を貸してくれるなら）
結茅為子隣。（君の隣に廬を結びたいものだ）
鴃舌儻可学、（鴃舌をもし学ぶことができるのなら）
化為黎母民。（私は身を変化させて黎母山の民になりたいものだ）
［補足］（終わりから2句目にある「鴃舌」とは、鴃のさえずりのようにわけのわからないことばのこと。島の人が現地の言葉で話しているのを聞いても、モズのさえずりと同じく全く意味がとれないと、差別的に表現したものであるが、蘇軾には儋人を見下す意識は特にはなく、その言語を学んで先住民に仲間になりたいと言っている。つまりは、島での生活にもだいぶ馴染んできたとの実感を得てきていたのだろう）
■和陶贈羊長史
［解題］陶淵明の「羊長史に贈る」という詩に和した。どちらにも序文がある。
［訳文］
序（陶淵明）
左軍羊長史、銜使秦川、作此与之。
（左軍の羊長史（名は松齢）は、使を銜びて秦川にゆくことになった。此を作って之に与える）
［補足］（陶淵明が53歳のときの作。当時、中国は南北に分かれ、南は漢人王朝の晋国で、北は異民族の建てた秦国であった。晋国は奪われた北半分を取り戻すことを国の悲願としていたが、軍事的に劣勢で、現有する領土を守るのがせいいっぱいであった。前年のこと、南朝には珍しい軍事的天才であった劉裕が北伐軍を指揮し、秦国の都長安を急襲して占領することに成功した。陶淵明の友人である羊松齢は左将軍の命令を受けて、戦勝祝いの使者として劉裕のもとに行くことになり、陶淵明がこの詩を贈った）
序（蘇軾）
得鄭嘉会靖老書、欲於海舶載書千余卷見借。因読淵明｢贈羊長史｣詩云、愚生三季後、慨然念黄虞。得知千載事、上頼古人書。次其韻以謝鄭君。
（鄭嘉会、字は靖老の手紙を受け取ったところ、海を渡る船に千余巻の書物を載せて貸してくださるとのことである。陶淵明の「羊長史に贈る」詩にこのようにある。「愚生三季後、慨然念黄虞。得知千載上、正頼古人書」（愚は三季の後に生れ、慨然として黄虞を念う。千載の上を知るを得るは、正に古人の書に頼るのみ）。それに次韻して鄭君への謝礼とする）
［補足］（鄭嘉会は蘇軾の門人の1人で、このころは広州にいて、蘇軾のために書物を送ろうと申し出て来た。蘇軾は、陶淵明の詩から、古い書物によって昔のことを知ることができるという部分を序文に引き、以下の詩で、鄭嘉会からの書物が届くことへの期待を歌っている）
（陶淵明）
愚生三季後、（愚が生れたのは（太古の理想とされた）三の季のそのまた後であるので）
慨然念黄虞。（慨然つつ黄（帝）や虞（舜）のような（古代の聖天子）を念うのである）
得知千載上、（千載よりも上のことを知る得には）
正頼古人書。（正しく古の人の書に頼るしかない）
賢聖留余跡、（賢（人）や聖（人）の余りの跡が留まっているところといえば）
事事在中都。（事事に中都（長安や洛陽のあたり）に在る）
豈忘遊心目、（そこに心や目を遊ばせることを豈して忘れるものではないけれど）
関河不可踰。（そこにいたる関や河は踰えることが可き不い）
九域甫已一、（（北伐の成功で中国の）九つの域が甫めて已に一つになろうとしているから）
逝将理舟輿。（逝ゆくは将っと舟や輿を理えて（出かける）としよう）
聞君当先邁、（すると、君が当ど先ず邁こうとしていると聞いたのだ）
負痾不獲倶。（しかし、痾を負ってしまって倶にゆくことは獲き不い）
路若経商山、（（君のゆく）路が若も商山を経るのならば）
為我少躊躇。（我の為に少く躊躇って）
多謝綺与甪、（綺（里季）と与に甪（里）にも多謝してもらいたい）
精爽今何如。（「精爽で、今は何如でありましょうか」と）
紫芝誰復采、（（商山の霊妙な茸である）紫芝を采るものは復う誰もいなくて）
深谷久応蕪。（深い谷は久っと応っと蕪れてしまっているのだろう）
駟馬無貰患、（駟馬（に乗るような地位の高い人）は患を貰れることは無く）
貧賤有交娯。（貧賤にこそ娯が交じることが有る）
清謠結心曲、（（商山の隠者の）清らかな謠はわたしの心の曲と結ばれているが）
人乖運見疏。（その人たちとは乖れ、運には疏んじ見れている）
擁懐累代下、（（商山の隠者を慕う）懐は累もの代の下でも擁かれてきた）
言尽意不舒。（わたしの言はここに尽き、意は舒やかになら不い）
［補足］（（1）この詩の前半は、中国の北半分を異民族に支配されていて、南に住む人々は、中華文明の発祥の地とされる長安や洛陽のあたりに行くことはできないという事情を踏まえて歌われている。劉裕が長安に至ったのは、もしかしたら中国の再統一が果たせるのかもしれないという意味では、ひとまずは朗報であった。しかし、劉裕の真の目的はそこにはなく、軍事的成功をバックに晋朝から皇位を簒奪することにあって、長安を長く占領する気は劉裕にはなかった。陶淵明はそうしたことも見通していたようである。（2）詩の中ほどからは、秦の世の乱れを避けて商山に入った4人の隠者（綺里季、甪里、東園公、夏黄公）、すなわち「商山四皓」（第11章194ページなど）の故事を引いて、現在の政治情勢に対する陶淵明の思いを歌っている。すなわち、いまは「商山四皓」のように山に隠れるべきであるとの時代認識を陶淵明は持っていたのである。だから、友人の羊松齢には商山に入ることを実は勧めているのである）
（蘇軾）
我非皇甫謐、（私は皇帝から書物を借り受けた晋の皇甫謐に比べられるような者ではないが）
門人如摯虞。（貴君は皇甫謐の門人の摯虞のような名臣になる人物である）
不持両鴟酒、（一巻の書物を借りる謝礼は一杯の酒とされていて、二杯の酒さえ持たない私に）
肯借一車書。（貴君は一台の車に満載した書物を貸してくださるという）
欲令海外士、（海の彼方に住む者（蘇軾のこと）に対しても、後漢の時代に、経典を碑に刻んで）
観経似鴻都。（都の門の外に建てて衆人に学ばせたようなことを、貴君はするものである）
結髮事文史、（私は髪を結った少年のころから文学、歴史を学び）
俯仰六十踰。（たちまち六十歳を超えてしまった）
老馬不耐放、（老いた馬も、放置されているのはつらく）
長鳴思服輿。（やはり車を曳きたいと長く嘶くという）
故知根塵在、（私もやはり、根に書物好きという癖がどうしてもあって）
未免病薬倶。（それは病ともなれば薬ともなるのである）
念君千里足、（思うに、貴君は千里をたちまち駆け抜ける足がありながら）
歴塊猶踟躕。（いまは土塊を踏んでぐずぐずしている）
好学真伯業、（貴君は、学問を好むことでは天下に二人しかいないと評された袁伯業と）
比肩可相如。（肩を並べて全く引けを取るものではない）
此書久已熟、（貴君はすでにずっと前に熟読し終えたものであるからと）
救我今荒蕪。（いま書物のない荒れ地にいる私を救うためにそれを貸してくれるという）
顧慚桑楡迫、（我が身を顧みると、もはや日没が迫っていて）
久厭詩書娯。（詩書の楽しみさえ厭わしく思えていた）
奏賦病未能、（貴君への謝礼に詩を賦そうとしても、病んでなかなかできず）
草玄老更疏。（道教の経典を写そうとしても老いのためにままならない）
猶当距楊墨、（それでも、貴君の書物によって、楊朱や墨子のような異端の学を防いで）
稍欲懲荊舒。（海南島の民を正しい教えへと導きたいと思っている）
■入寺
［解題］「寺に入る」という詩。寺で一日を過ごすうちに、自身の心がよみがえってきたと詠んでいる。
［訳文］
杖をついて寺の門より入り、
杖を両手にはさんで世尊に礼拝する。
私はもとは玉堂（翰林院）の仙（高官）、
謫されて海南島の村に来ている。
多難な半生によって宿業も尽きたのか、
真夜中には一つの気だけが存在するのを覚える。
朝には、烏に随って起き、
空腹には、朝日のしずくを食らう。
心の内の珠は円かな光を放ち、
玻璃の盆（我が身）を照り輝かす。
ここに来たのは仏の教えに従うため、
覚醒を妨げる魔も走り去ってゆくであろう。
午後の日ざしとともに木の影が転じてゆくのを見るうちに、
夕暮れの鐘の音が届くようになる。
四散していた心をここに集め直すことができて、
我が身が耿耿と温もりを帯びてきている。
■独覚
［解題］昼寝から覚めての思いを詠んだ詩。
［訳文］
毒を帯びた南方の熱い空気にさらされること三年、
もはや何とも思わず穏やかでいられる。
北からの涼しい北風が吹くと、
かえって皮膚に疥癬でも生じやしないかと畏れるほどだ。
今朝は、冬の烏のように身を縮め、
薪に焔が生じるのを心地よく感じた。
そこから紅の波が部屋いっぱいに翻って春の風となり、
その風の中で先生は黙って座っていた。
すると、眼のかすみが空に浮かんで日に染まる雲となって、
心の中に桃李の花が無数に開いたのだった。
たちまち、午後の窓の明かりに独り目覚め、
なおも酔って我が鼾の声を聞いているかのような気がした。
首を巡らせば、あたりはいつもの静かなところ、
いまは風もなく、雨でもなく、また晴れでもないのだった。
■十二月十七日夜坐達暁寄子由
［解題］「十二月十七日、夜に坐して暁に達し、弟に寄せる」という詩。
［訳文］
燈の燃えかすは挑きあげぬまま、
蝋が長く垂れさがっている。
灰ばかりとなった爐から、
なお名残の薰りがただよってくる。
烏が樹に翻ったのは、涼しい風が吹き出したからなのか。
犬が雲に吠えたのは、欠けた月が昇ってきたからなのか。
眼を閉じて心にあるのは、
この暮らし向きを新たにどうしてゆくべきかということ。
我が身に随うのは、
昔から馴染みのこの一つの影である。
雷州にいる君もまたきっとちんまりと座っているであろう――
海をまたがる清らかな月の光を、
君と分け合おうと思う。
■謫居三適三首·
［解題］謫居のうちにも心に適う三つのことがあるという詩。
［訳文］
旦に起きて髮を理める
安らかに眠りにある間も、
海（体内の丹田を指す）は自ずと運り動いていて、
朝には浩浩と黄宮（脳天）へとみなぎりくるものがある。
日が出て露がまだかわかないときに、
鬱鬱とした松の木々がぼんやりと見えている。
そこからの清々しい風が、
この櫛の歯の間に含まれる。
櫛は私に付き従うことすでに久しく、
もはや歯がまばらになっている。
ひとまず耳と目を洗って明らかにしてから、
習習と櫛を通すと、
一万もの毛穴が全て通じるようになる。
若いころははなはだ睡眠を好み、
朝の謁見に出るときはとにかく慌ただしくて、
櫛を通す間さえもなく、
爪でわずかに髪を掻いただけで、
すぐにもう冠を頭に重ねなければならないのが苦痛だった。
馬車に括りつけられた馬の鬣が、
砂埃でいっぱいのままなのと異なることがなく、
美しい鞍に玉の飾りを華やかに響かせたところで、
馬としては手枷、足枷にはめられているのと同じで、
いつ痒さから解き放たれるとも知れず、
枯れた柳にでも逢って掻きたくてたまらなかったのだ。
いまのこの楽しみを、
誰かうまく書いてくれて、
腰に金印を下げている大官の方々に献上してほしいものだ。
午の窓べに坐わっての睡り
蒲の葉の敷物の上に両方の膝を曲げ置き、
竹の机の上に両方の肘を載せ置く。
そこからの道はよくよく慣れたもので、
すぐに無何有へと至るのである。
身も心も、ふたつながらもはや見えなくなって、
息は安らかでかつ長い。
眠りのうちには煩悩の毒蛇が潜むとかいうけれど、
そのようなものはここにはいないので、
蛇を捕らえる鉤を用いる必要はない。
精神がひとつにまとまって、
夜に禅を組むのと同じ境地、
身体の心地よさは、
朝の酒よりもずっと効き目がある。
我が一生にはもとより定まったところがあって、
もはや何かすべきことは尽き果てて、
むなしく寿命だけが残っているのだ。
枯れた楊はもう花を飛ばすことがないとか、
それでも、衰え朽ちた身にも、
午睡によってなお潤い豊かなものが戻ってくる。
目覚めると、外物がまた私に働きかけようとするのだけれど、
私がそれを受け入れるのでなければ、
目覚めているのではないのかもしれない。
とすると、私は今も夢を見ているのだろうか、
ならば、この心には初めから俗世の垢が付いていないのである。
夢でもなく、覚めているのでもない――
果たしてこれは何なのか、
かの仙人の陳摶先生に問うしかないのだろう。
［補足］（陳摶は五代十国時代から宋の初め頃の有名な仙人）
夜に臥せて足を濯う
杜甫が長安にいたときには、
大雪の年にひと束の薪しかなく、
夜具を抱いて寒さに耐えたのだった。
杜甫が雲安にいたときには、
町に井戸がなく、
一斗の水を得ると、百の憂いが和らいだように感じたのだった。
私はいまがらんとした谷に逃れ、
小さな町のどこかで鵂鶹が嘯いているのを聞くばかり。
米を得るのは珠を得るほどに難しく、
野菜を食べ残すようなこともしない。
釜に湯が沸いて颼颼と鳴るのは、
松を吹く風のように心地よく聞こえ、
盎に深く膝までつけられるようにと、
水を入れたり湯を入れたりよい按排にする。
明るい燈のもとで爪を剪ると、
快さは大空に放たれた鷹のようである。
ここは、熱気と毒気を帯びた雲が空から低く垂れて、
海の気が浮かぶ地の果て、
我が足の腫れを治す薬はなく、
ただ薪で沸かした湯で癒すしかない。
足を布で包んでくれ人は誰もいないので、
自分でやってみると、
猿が冠を付けて着飾ろうとするのと変わりがない。