第11章 南へ、さらに南へ――恵州
［第11章その三］
紹聖3（1069）年、蘇軾61歳。
■新年五首
［解題］新たな年を恵州で迎えるのもこれで2度目。その思いを淡々と歌っている。
［訳文］
其の一
暁の雨――
人日（一月七日）は暗く始まる。
春の愁い――
上元（一月十五日）へと続く。
水が生まれる――
菜を摘む渚に。
靄が湿る――
梅の花の落ちる村で。
小さな市から人々はみな帰り、
一艘の舟の上で鶴がぴょんと跳ぶ。
この寂寞を慰めるかのように、
点々と漁火が黄昏時に光り出す。
其の二
北の渚で鷺の群が集まっている。
この新たな年にどこに行くのだろう。
高い木々のある寺へとみなが帰るのだ。
巣のある枝へと分かれて入り込む。
そうか、生きる物にはきっとなすべきことがあって、
その時節ごとに己の身のために謀るのだ。
願うのは、猟具を禁じ、
鷺が雪の衣をまとったような雛を連れるのを看ること……。
［補足］（「生物会有役、謀身各及時」（生物 会ず役有り、身を謀るに各おの時に及ぶ）の句は、あたかも生態学の基本原理を見るかのようである）
其の三
海辺の地はとにかく暖かく、
春の山は限りなく気持ちがよい。
凍るべき溪にも熱を帯びた雨が注ぎ、
雪のような菌が町の中でも生じる。
軽やかに雷が鳴るのを待って、
筍が先を争って伸び出す。
豊湖には藤菜があって、
蓴菜の羹にも匹敵するほどに美味である。
其の四
浮き橋の向こうに小さな村があり、
石の岸辺の東に青い山が控えている。
水が出る前に麦はすっかり刈られ、
山を焼いた後に茶の芽が出てくる。
酒造の禁令がないので、
わが家でも「万戸の春」なる酒を作り、
三年目にしてこの翁の腕前が知られるようになった。
ここに茅屋を結んで、
年々の繰り返しが同じであるとわかるようになった。
其の五
荔子はいつ熟するのか。
花の先がいま盛んに開いてきている。
夏にどの果樹園の実を買うべきか、
春のうちから樹を選んで論じている。
居士は客人を引き連れて、
いつでも周さんの門を叩くことを許されている。
来年は荔子の味わいも格別であろう、
懐に抱いて孫たちに食べさせてやるのだ。
［補足］（（1）蘇軾自身の注で、「周さんの家には荔子がたくさんある」と記されている。（2）このころ長男の蘇邁は都に行って就職運動をしていて、支援者の助力を得て、韶州仁化県の知事になれる可能性が見えてきていた。仁化県は恵州の北200キロ余りの地であるから、実現すれば孫たちに逢えるかもしれないということで、結びの句が詠まれているのである）
■記与舟師夜座
［解題］成都からきていた法舟（舟実）（本章250ページ）とのひとときを記した短文。
［訳文］
紹聖三年正月の初めの五日、成都の法舟と夜に部屋に座っていて、ひどく腹が減ってならなかった。家の者は鶏の腸と野菜を煮た羹を作ってくれて、非常に旨かった。それから法舟と「不二の法」について議論した。法舟はそのことを書いてほしいと言った。しかし、それは書けるようなことではなく、たとえ書けなくはないとしても、書くための時間がない。
■題所書宝月塔銘
［解題］法舟（舟実）が恵州に来ていたのは宝月大師の塔銘を蘇軾に書いてもらうためで、それはこのころに完成し、蘇軾は自ら筆を執って法舟に渡した。
［訳文］
私は『宝月塔銘』を作り、澄心堂の紙、鼠須の筆、李庭珪の墨を使って書いた。全て一代の逸品である。法舟師は万里を遠しとせずに、恵州にきて銘を求めた。私はその意を無にはしなかった。
紹聖三年正月十二日、東坡老人書く。
［補足］（ここぞというときには紙も筆も墨も特に選んで書くことは本章7ページでも見ている）
■和陶詠二疏
［解題］陶淵明が「二疏」を詠んだ詩に和した。「二疏」とは漢の時代の疏広とその甥の疏受。2人が高位に昇るとさっと辞めて帰郷したことは、みごとな身の引き際の手本であるとして、蘇軾も何度も賞賛していた（第5章2ページなど）。蘇軾がそもそも「二疏」を慕うようになったのは、陶淵明のこの詩を読んだのがその最初であったのではなかろうか。
［訳文］
（陶淵明）
大象転四時、（大いなる象（自然）は四つの時（四季）にしたがって転じ）
功成者自去。（功を成した者は自ずから去るのである）
借問衰周来、（借と問うのだが、周が衰えて来ののち）
幾人得其趣。（幾人が其の趣を得っていたのだろうか）
遊目漢廷中、（目を漢の廷の中に遊ばせると）
二疏復此挙。（二疏復が此のことを挙たのだった）
高嘯返旧居、（（二疏は）高らかに嘯きつつ旧の居に返ることにし）
長揖儲君傅。（儲君の傅であることに長の揖たのである）
餞送傾皇朝、（餞送は皇朝を傾げておこなわれ）
華軒盈道路。（華やかな軒が道路に盈れた）
離別情所悲、（離別は（二疏にとっても）情に悲しむ所のものであったが）
余栄何足顧。（余なる栄などは何ら顧みるに足りないのだった）
事勝感行人、（この事の勝れていることには行きがかりの人までも感じいり）
賢哉豈常誉。（「賢いこと哉」といったのは常の誉では豈してなかったのだ）
厭厭閭里歓、（厭厭と閭里でのくらしを歓しみ）
所営非近務。（営む所のものは近に務とは非っていた）
促席延故老、（席を促けて故老を延き）
揮觴道平素。（觴を揮って平素を道りあった）
問金終寄心、（（故老たちが）金について問うたのは終っと（二疏に）心を寄せるからなのだが）
清言暁未悟。（（二疏は）清しい言で（故老たちが）未だ悟っていないのを暁したのだった）
放意楽余年、（つまり、意を放にさせて余りの年を楽しむのであって）
遑恤身後慮。（身後の慮まで恤いたりする遑はないのだ、と）
誰云其人亡、（誰は云うであろう、其の人はもう亡い、と。しかし、）
久而道弥著。（久くたつに而て、道（正しい理）は弥いよ著かになっているのだ）
（蘇軾）
二疏事漢時、（二疏は漢の朝廷に仕えていたときから）
跡寓心已去。（身は世間の中に置きつつも、心はすでに世の外に去っていた）
許侯何足道、（許伯が（自身の弟を皇太子の補佐役に推薦したのは）全くもって話にもならず）
寧識此高趣。（二疏の気高さを到底知ることなどできなかったのだ）
可憐魏丞相、（いくらかましだったのは宰相だった魏相で（許伯の先の推薦を疏広が退けたと聞くと））
免冠謝陋挙。（愚かしい申し出をした者があったことを、冠を脱いで皇帝に詫びたのだった）
中興多名臣、（あたかもそれは漢朝の中興のときで、名臣が多くいたのだが）
有道獨両傳。（まことの道（正しい理）があったのは二疏だけであった）
世途方轂撃、（世間の途は車がぶつかり合うように錯雑としていて）
誰肯行此路。（あえて二疏のような路を行こうとする者はいない）
是身如委蛻、（人の身は蛻をこの世に委ねているようなもので）
未蛻何所顧。（それから脱け出る前も蛻などは顧みるまでもなく）
已蛻則両忘、（脱け出てしまえば、この世のことも蛻も忘れてしまうのであって）
身後誰毀誉。（死んだ後で、誰かが褒めようが謗ろうどうでもよいのだ）
所以遺子孫、（子孫に遺すべきものはといえば）
買田豈先務。（田を買うのは、決して先に選ぶようなことではない）
我嘗遊東海、（私はかつて東の海のほとりを旅し）
所歴若有素。（通りすがりながらも二疏とはもとからの所縁があったように感じた）
神交久従君、（神の交わりを二疏と長く結び）
屡夢今乃悟。（しばしば夢にまで見たけれど、いまこそわかったことがある）
淵明作詩意、（陶淵明がこの詩を作った意は）
妙想非俗慮。（俗人の思慮の及ばない優れた考えであったのだ）
庶幾二大夫、（少しでも二疏に近づきたいと願う）
見微而知著。（微かなところ見て、真に明らかなことを知るべきである）
［補足］（「東の海のほとりを旅し」とあるのは、第5章2ページ以下で見ている）
■和陶詠三良
［解題］「三良」を詠んだ陶淵明の詩に和した。「三良」とは、春秋時代の秦の穆公に仕えた三兄弟で、「秦の良れたもの」といわれた。穆公が死ぬと三兄弟は遺命に従って殉死し、人々はそれを悲しんで『黄鳥の賦』を作った。
［補足］（孔子以来、殉死は悪しき行為であるとみるのが儒学の伝統であり、陶淵明も蘇軾もそのような考えで詩を詠んでいて、蘇軾は陶淵明よりもさらに強く殉死を否定している）
［訳文］
（陶淵明）
弾冠乗通津、（（三良が）冠を弾いて（出仕したことをいう）、通津に乗くと）
但懼時我遺。（但ただ懼れたのは時のながれに我が遺されないかということであった）
服勤尽歳月、（勤めに服して歳月を尽し）
常恐功愈微。（常に恐れたは功が愈も微でしかないことだった）
忠情謬獲露、（忠の情によって謬も露られることを獲て）
遂為君所私。（遂に君によって私にたいせつにされる所と為ったのだった）
出則陪文輿、（そとに出るときには則も（穆公の乗る）文れた輿に陪い）
入必侍丹帷。（なかに入るときには必ず（穆公のいる）丹い帷のもとに侍った）
箴規嚮已従、（箴規は嚮ように已に従われ）
計議初無欠。（計議は初めから欠けたところが無かった）
一朝長逝後、（一朝、（穆公が）長に逝ってしまった後で）
願言同此帰。（（三良は）願って言に同じく此帰とした）
厚恩固難忘、（（穆公の）厚い恩は固より忘れ難く）
君命安可違。（（殉死せよとの）君命には安っして違くことは可ないのだった）
臨穴罔惟疑、（（三人の墓となる）穴に臨んで惟に疑うことは罔かったし）
投義志攸希。（義にわがみを投じるのは志に希う攸であった）
荊棘籠高墳、（荊棘が（三良の）高い墳を籠い）
黄鳥声正悲。（（三良の死を悼む）黄鳥の声は正に悲しい）
良人不可贖、（良い人のいのちは贖ことは可き不いのだ）
泫然沾我衣。（泫然となみだがおちて我の衣を沾らすのである）
（蘇軾）
此生太山重、（この命は太山よりも重いものであるのに）
忽作鴻毛遺。（たちまち鳥の羽毛よりも軽いものとされてしまった）
三子死一言、（三良は穆公のたった一言のために死んだのであって）
所死良已微。（死ななければならなかった理由はごく小さかったのだ）
賢哉晏平仲、（晏嬰こそは賢者であって）
事君不以私。（私情によって主君に仕えることはしなかった）
我豈犬馬哉、（「わたしは犬や馬ではない）
従君求蓋帷。（主君の車や帷の近くにいることを求めはしない）
殺身固有道、（我が身を殺すにしてももとより道に従うのであって）
大節要不欠。（大きな節義を欠かしてはならないのだ）
君為社稷死、（主君が国ために死ぬのなら）
我則同其帰。（私も一緒に死ぬであろう）
顧命有治乱、（遺命を顧みて、国を治めるものと乱すものがあるのなら）
臣子得従違。（臣下としては従うこともあれば、背くことだってある」）
魏顆真孝愛、（魏顆はまことに孝である愛のある人であった）
三良安足希。（三良が及ぶところの者ではない）
仕宦豈不栄、（仕官は栄とすべきものなのであろうけれど）
有時纏憂悲。（憂いや悲しみがまつわりついてくる）
所以靖節翁、（だから陶淵明は）
服此黔婁衣。（黔婁のようにつんつるてんの衣を着て生きることにしたのだ）
［補足］（（1）蘇軾は、春秋時代の晏嬰と魏顆の故事を引いて「三良」と比べている。晏嬰の信念は詩中にそのまま引かれている。魏顆は、父が死んだ後に、当時の慣習に反してその妾を殉死させることなく他家に嫁がせた。その後、魏顆が戦場に出ると、妾の父の霊が現われて魏顆の命を救い、大きな手柄を立てることができた。（2）黔婁は陶淵明が賞賛する隠者である（本章201ページ））
■和陶詠荊軻
［解題］荊軻について詠んだ陶淵明の詩に和した。荊軻は中国史上最も有名な刺客。詳しい事績は陶淵明の詩に詠まれている。
［訳文］
（陶淵明）
燕丹善養士、（燕の（国の太子である）丹は善く士を養っていた）
志在報強嬴。（その志は強い（秦の国の）嬴（王＝後の始皇帝）に報いることに在った）
招集百夫良、（百夫の良を招き集め）
歳暮得荊卿。（歳の暮に荊卿（荊軻）を得た）
君子死知己、（君子は己を知るもののために死ぬのだと）
提劍出燕京。（（荊軻は）劍を提て燕の京を出ることになった）
素驥鳴広陌、（素い驥が広い陌で鳴き）
慷慨送我行。（慷慨って我の行を送った）
雄髪指危冠、（（荊軻の）雄った髪は危い冠を指しつらぬき）
猛気衝長纓。（猛しい気によって（冠を結ぶ）長い纓は衝かれたのだった）
飲餞易水上、（易水の上で餞（の酒）を飲み）
四座列群英。（四座には群英が列んだ）
漸離撃悲筑、（（荊軻の親友の）漸離が悲しげに筑（楽器）を撃ち）
宋意唱高声。（（勇士である）宋意が高らかな声で唱った）
蕭蕭哀風逝、（蕭蕭と哀しい風が逝き）
淡淡寒波生。（淡淡と寒い波が生じた）
商音更流涕、（商（音階の一つ）の音に（客人は）更に涕を流し）
羽奏壮士驚。（羽（音階の一つ）の奏に壮士（＝荊軻）は驚せた）
心知去不帰、（（荊軻は）心には去けば帰ることが不いと知っていて）
且有後世名。（且でも後の世に名を有すとおもっていた）
登車何時顧、（車に登った（荊軻は）何時も顧みることなく）
飛蓋入秦庭。（蓋を飛ばすようにして秦の庭に入った）
凌厲越万里、（凌厲で万里を越え）
逶迤過千城。（逶迤と千の城を過ぎた）
図窮事自至、（（荊軻が差し出した）図が窮ったところで（暗殺の）事が自に至となり）
豪主正怔営。（豪しい（秦の）主も正く怔れて営たのだった）
惜哉剣術疏、（惜しい哉 （荊軻の）剣術が疏だったために）
奇功遂不成。（奇しい功も遂に成しとげられ不かったのだった）
其人雖已没、（其の人は已う没んでしまった雖ども）
千載有余情。（千載たっても有り余る情がつたわっているのである）
［補足］（陶淵明は穏やかな暮らしを得ようと退隠したのだが、その一方で、荊軻のように「猛志」（本章241ページ）を抱く人物を慕う激しいところもあった）
（蘇軾）
秦如馬後牛、（東唇の元帝は帝室の司馬氏の子ではなくて父親は牛氏であったように）
呂氏非復嬴。（秦の始皇帝も王室の嬴氏の子ではなく父親は呂氏であった）
天欲厚其毒、（天は秦の害毒をよりひどいものにしようとしたのか）
仮手李客卿。（李斯の手を借りて秦の天下統一を成し遂げさせ）
功成志自満、（功が成って志が満ちたときに）
積悪如陵京。（積もり積んだ悪が岡のように巨大になった）
滅身会有時、（身を滅ぼすには必ずその時がある）
徐観可安行。（じっくり観るならしずしずとそこへと進んでいくことがわかる）
沙丘一狼狽、（沙丘で始皇帝が死ぬと近臣はあわてふためき）
笑落冠与纓。（それは知者が冠を落として大笑いするほどのものであった）
太子不少忍、（燕の太子はそうなるまで辛抱することができなかったのである）
顧非万人英。（つまりは万人のなかで特に傑出した人物ではなかったのだ）
魏韓裂智伯、（かつて魏桓子と韓康子が横暴を極めた趙襄子を滅ぼしたときには）
肘足本無声。（声を出さずに肘と足で合図したのだった）
胡為棄成謀、（どうして燕の太子は成算のある計画を立てずに）
托国此狂生。（一国の運命を荊軻のような愚か者に託してしまったのか）
荊軻不足説、（荊軻は言うに足りない人物であったが）
田子老可驚。（荊軻を推薦した田光が老いぼれてしまったのはただ驚くばかりである）
燕趙多奇士、（燕には優れた人物が多いといわれていたが）
惜哉亦虚名。（惜しいことに誰もが虚名にすぎなかったのだ）
殺父囚其母、（始皇帝は本当の父を殺し、母を閉じ込めたのであるから）
此豈容天庭。（天の朝廷おいては赦されるような者ではなかった）
亡秦只三戸、（楚には三戸となっても秦を滅ぼすとの意志があった）
況我数十城。（まして燕には数十もの町があったではないか）
漸離雖不傷、（（荊軻を見送った）高漸離は遺志を継いで始皇帝を襲った）
陛戟加周営。（傷つけるには至らなかったが、始皇帝はあわてて警護の兵を増やした）
至今天下人、（今に至るも天下の人々は）
愍燕欲其成。（燕が成功すればよかったのにと残念に思っている）
廃書一太息、（私は書物を置いて大きく嘆息する）
可見千古情。（千年来の人の情はここに見ることができるのだ）
［補足］（蘇軾は、燕の太子には時代の流れを見る洞察力がなく、刺客を派遣したのは短慮であって、しかも荊軻は大した人物ではなかったと、陶淵明とはかなり異なる見方をしている。ただし、荊軻の遺志を継いで始皇帝を撃とうとした高漸離のことは高く評価し、始皇帝の暗殺に失敗したのを残念がるのは千古に変わることのない人情であるとしている）
■二月八日与黃燾僧曇穎過逍遙堂何道士宗一問疾
［解題］黃燾は恵州の役人、曇穎と何宗一の名はすでに本章110ページで、逍遥堂は本章215、258ページで見ている。
［訳文］
何宗一は心を安らかにして、玄牝（鼻と口）を守り、
眼を閉じて、黄庭（霊妙な気）を求めている。
疾を問うために三人がきて、
瓶に半分の酒を愁いへと澆ぐことにした。
風に揺れる松から時に蕊が落ち、
病んだ鶴（何宗一）は翼を梳ることもできずにいる。
酒がなくなって我らが帰ろうとすると、
山の月が何宗一の醒めた顔を照らし出した。
［補足］（このころに従兄の程之才は嶺南の地を去ったようである）
■書柳子厚南澗詩
［解題］柳宗元（字は子厚）の「南澗中に題す」（南の谷川で詠む）という詩を書いて、短文を添えた。柳宗元の詩は永州に流されていた40歳のときの作品。
［訳文］
秋気集南澗、（秋の気が南の谷川に集まっている）
独遊亭午時。（独りそこを行くこの真昼時）
廻風一蕭索、（つむじ風は何とも寂しく）
林影久参差。（林の影がいつまでも動いている）
始至若有得、（ここには初めて来たのに、何か得るものがあるような気がする）
稍深遂忘疲。（少し深く入って、疲れを忘れる）
羈禽響幽谷、（奥深い谷から一羽はぐれた鳥の声が響く）
寒藻舞淪漪。（さざ波の中で藻が冷え冷えと舞っている）
去国魂已遊、（都を去って、魂はすでに遊離してしまったのだが）
懐人涙空垂。（友人を思うと涙が勝手に垂れてくる）
孤生易為惑、（孤独で生きると感じやすくなるのだろう）
末路少所宜。（路を失ってからはよいことはほとんどない）
寂寞竟何事、（がっくりとしてもはや何をしたらよいのか）
遲回只自知。（おろおろしているこの私を知るのは私だけ）
誰歟後来者、（誰か後にここに来る人が）
当与此心期。（私のこの心と出会ってくれるであろうか）
柳宗元が南に遷されてから後の詩は、曲がりくねりつつ清らかにして勁いことは、おおむねこの詩のようである。
紹聖三年三月六日。
［補足］（政争によって都から遠く離れた南の地に流されたことでは柳宗元と蘇軾は似るが、柳宗元は独りで南に川に行くのに対して、蘇軾は様々な人と連れ立って歩むのである）
■服黄連法
［解題］解毒作用があって皮膚病に効く黄連という薬草についての話。
［訳文］
丙子（紹聖三年）の寒食の日、宝積寺の長老の曇穎がこのようなことを話してくれた。
「恵州の澄海十五指揮使の姚歓は阜民監の守備に当たっていました。それは煕寧年間のことでした。そのとき恵州知事の趙煕明および巡検使の申氏と、阜民監の長官である兪懿とは仲が悪く、州の役人と阜民監の人間は争ってばかりいました。ついには、阜民監の連中が反乱を起こしたと告げる者がありましたので、知事の趙煕明は役場の門を閉ざし、巡検使の申氏は兵を率いて阜民監の連中を討伐しようとしました。姚歓は阜民監の門の前に立ちはだかり、巡検使に向かって、『阜民監の者は反乱を起こしていません。戦うのはやめてください』と、言いました。その勢いに、巡検使は兵を鎮め、攻撃するのを止めました。もしも姚歓がいなかったならば、恵州は大変なことになっていたのです。いま姚歓は八十歳を超え、南安軍での功績をもって雄略指揮使となって、広州で老いの日々を送っています。頭髪も髯もいまもって真黒です。姚歓はこのように言っています。『六十歳で癬疥を患い、踵から頭のてっぺんまで覆われてしまいましたが、ある人が黄連を服用することを教えてくれまして、それですぐに治りました。それからずっと黄連を服し続けたところ、頭髪は白くならなくなりました。黄連は実を取り除いて、酒に一晩漬け、炙って粉末にし、蜜でもって桐の実くらいの大きさに丸めます。中は空洞です。午後、臥せる前に、酒とともに二十丸飲むのです』と」
［補足］（宝積寺の曇穎の名は先の「二月八日」の詩で見たばかりである）
■次韻高要令劉湜峽山寺見寄
［解題］恵州から西に200キロほどの高要県の知事の劉湜が峽山寺に遊んだ詩を寄せてきたので、それに次韻した。蘇軾が先に峽山寺を訪れていたことは本章66ページで見ている。
［補足］（この詩はかなり難解で、いつも以上の「ずっぽ訳」である）
［訳文］
新たにすばらしいと思えることはなかなか聞けない。
旧く学んだことは束ねてしまったままになっている。
このありさまでは、できることといったら、
昔の季主のように占い師にでもなって世間から隠れることくらいで、
かの梅福のように仙人になって世の中から逃れるなどはとても無理だ。
空っぽの腸が吐き出すつまらない思いを、
蚕の糸のように静かに引き出しているだけなのだ。
丹田に気が結集し、心の内の雑草を刈り尽くせるのなら、
銅が緑青をふくような完成した状態へと向かって、老熟するようになるのだろう。
つまらない人間は、玉があればとにかく服して寿命を延ばそうとする。
道に通じた人は、金を鋳ても財を得ようなどはこれっぽっちも考えない。
いわば、天下に名高い山岳もちっぽけなものだとみなして、
我が箪笥のうちに納めておけばよいとする境地にあるのだ。
私はかつて羅浮山の頂によじ登り、朱明谷の底にも至った。
眼を旋せると、それらが何だかただの土の塊のように思えた。
それで、おんぼろの家に帰って呑気に寝転ぶことにしたのだった。
友人たちには老いてなお官に仕える者もいるが、
私は、世間とのつながりはごく薄いものとなった。
南国の女性に微笑まれてそのままここに居つき、
辺境の地を流れる川で水浴びをして過ごすのも悪くはないだろう。
そのような心持ちでいると、
思いがけず手紙が届き、新しい詩を喜んで頂戴した。
貴君は残念に思っていてくれている――
私がかつては八州の知事を歴任していながら、
いまは嶺南の旅人となっていることを、
そして、骨をとかされるほどの讒言にさらされ、
肝も破れるほどの獄吏の酷い扱いを受けたことを。
遠く山にかかる雲は招き寄せることはできないが、
江に射す月の光はどこででも掬い取ることができる。
清遠峽の寺は遥かな山の中、
驢馬の足も砕かれてしまうほどに険しく、
仰ぎ看ると、滝は我が腰へと注ぎ落ちるばかり、
俯して聴くと、石を打って激しく響く。
千の峰から水が走り出て、
雷のような激流に言葉を失い、稲光のように目にも止まらぬ速さ。
ここにひとたび入ると、人はもう帰ってくることができない。
山の僧がいつも飢えているのは、
とかく食べ物のない中で坐しているからだ。
人間世界にはつまるところ北も南もなく、
蝸が角と出したり縮めたりしているだけのこと。
仙界の仇池には九十九の泉があり、
人間界の嵩山には三十六の峰がある。
仙界も人間界も同じく一つの夢、
仙人も凡人も区別するところはないのだろう。
辺境の地であっても老いの日々を送るにはよく、
生きるに必要なものはほぼ足りている。
この地の熱気は天をも焦がす焔のようであるが、
それを海を照らす灯火に変えるよう努めたいものだ。
■和陶移居二首
［解題］陶淵明の「居を移す」という詩に和した。蘇軾の作には序文がある。陶淵明の詩は44歳のときに火事にあって南の村に引っ越したときのことを3年ほど経ってから詠んだものだという。
［訳文］
序（蘇軾）
私は去年の三月に、川の東の嘉祐寺から合江楼に居を遷した。それから一年になり、病がちで歓びが少なく、川の東の楽しみを強く懐っていたところ、帰善県に数畝の空き地を得た。老人たちがここに昔は白鶴観があったというので、心に欣びが湧き、ここに住むことに決めた。そこで陶淵明の詩に和した。
其一（陶淵明）
昔欲居南村、（昔、南の村に居もうと欲たのは）
非為卜其宅。（其に宅をつくるのがよいとの卜をした為では非った）
聞多素心人、（素とした心の人が多いと聞いて）
楽与数晨夕。（数しば晨も夕も与にいようと楽ったからであった）
懐此頗有年、（此のように懐ううちに頗る年が有ち）
今日従茲役。（今日になって茲の役（引っ越し）に従うことになった）
敞廬何必広、（敞廬というものは何も必ずしも広くなくてよいのであって）
取足蔽床席。（床と席を蔽うに足であればよいと取るものだ）
隣曲時時来、（隣曲のひとが時時来てくれて）
抗言談在昔。（抗く言るのは在昔の談だ）
奇文共欣賞、（奇れた文を共に欣んで賞わい）
疑義相与析。（義に疑いがあるときには相与に析べるのである）
其一（蘇軾）
昔我初来時、（昔、私が恵州に来たばかりのときは）
水東有幽宅。（川の東に静かな住まいがあった）
晨与烏鵲朝、（夜明けには烏や鵲といっしょに起き）
暮与牛羊夕。（日暮れには牛や羊といっしょに帰った）
誰令遷近市、（誰が町中に近いところに移動させたのか）
日有造請役。（日々に応接の煩わしさがあるようになった）
歌呼雑閭巷、（歌ったり呼んだりする声が路地の奥にまで行き交い）
鼓角鳴枕席。（太鼓やら角やらが枕もとで鳴ったりもする）
出門無所詣、（門を出ても尋ねるによいところがなく）
楽事非宿昔。（前のような楽しみはまったくなくなってしまった）
病痩独弥年、（病んで痩せ衰えて独り年を越して）
束薪与誰析。（薪を束ねるような仕事をいっしょにする者もいないのである）
［補足］（蘇軾のこの詩は、合江楼での日々が満足のゆくものではなかったと歌っている）
其二（陶淵明）
春秋多佳日、（春と秋には佳い日が多いから）
登高賦新詩。（高くに登って新しい詩を賦したりする）
過門更相呼、（門を過ぎるときには更いに呼び相って）
有酒斟酌之。（酒が有れば之を斟酌する）
農務各自帰、（農務のときは各おの自のところに帰っているのだが）
閑暇輒相思。（閑暇ができると輒に相を思い）
相思則披衣、（相を思うと則く衣を披けてでかけ）
言笑無厭時。（言ったり笑ったり、厭きる時が無い）
此理将不勝、（此にある理は将と勝れて不ということはないだろう）
無為忽去茲。（忽しく茲から去るようなことを為てはなら無いのだ）
衣食当須紀、（衣食は当に須と紀ものであって）
力耕不吾欺。（力耕ことは吾を欺きは不のである）
［補足］（引っ越した後の充実した日々を陶淵明は歌っている。その根底には、自身の働き（力耕）によって衣食を得ることがあると、最後の句で言っている）
其二（蘇軾）
洄潭転碕岸、（突き出している岸辺を、潭で生じた渦巻きが巡る）
我作江郊詩。（そのおもしろさに私は「江郊の詩」を作った）
今為一廛氓、（いま私は一つの廛を持つ民になろうとしている）
此邦乃得之。（この邦にいるからこそこのようにもできるのだ）
葺為無邪斎、（屋根を葺いて「無邪斎」と名付けよう）
思我無所思。（私には思うところがないといえるようになりたいと思うからだ）
古観廃已久、（古い道教の寺院はずっと前に廃墟になり）
白鶴鶴何時。（そこにいたであろう白い鶴はいつ帰ってくるのやら）
我豈丁令威、（私はかの丁令威ではないけれど）
千歳復還茲。（千年の後にまたここに戻ってくるであろうか）
江山朝福地、（ここの江山からなら福地（仙境）の朝に詣でることができるであろう）
古人不吾欺。（古の人（葛洪をいうのであろう）は私を欺きはしないのだ）
［補足］（蘇軾のこの詩は新しい住まいへの期待を詠んでいる。（1）「江郊の詩」は本章101ページで見ている。（2）蘇軾が自分の書斎を「思無邪斎」と名付けたことは87ページで見ているが、新しい住まいでも同じ名を用いることにしたのだろう。（3）丁令威は伝説の仙人。鶴にまたがって現世を去り、千年後にまた戻ってきた。（4）陶淵明の詩は、新しい住まいでの近隣の人々との交流を詠んですこぶる現実的かつ庶民的であるが、蘇軾は孤り仙界へと飛翔しようとしている）
■和陶桃花源
［解題］川を遡って奥へ奥へと行くとそこに人知れぬ別世界がある――これは、古今東西誰しもが空想することであろう。陶淵明は、そうした空想をすこぶる普遍的な形で文学作品に昇華させてみせた。それ以来、誰もが陶淵明の描いたユートピア＝桃花源に憧憬を抱くようになった。蘇軾は桃花源を詠んだ陶淵明の詩に和すとともに、陶淵明の記した『桃花源の記』に準じた序文を添えた。
［訳文］
桃花源記（陶淵明）
晋太元中、武陵人捕魚為業。縁溪行、忘路之遠近。忽逢桃花林、夾岸数百歩、中無雑樹、芳華鮮美、落英繽紛。漁人甚異之。復前行、欲窮其林。
林尽水源、便得一山、有小口、髣髴若有光。便捨船、従口入。初極狹、纔通人。復行数十歩、豁然開朗。土地平曠、屋舎儼然。有良田美池桑竹之属。阡陌交通、鷄犬相聞。其中往来種作、男女衣著、悉如外人。黄髮垂髫、並怡然自楽。
見漁人、乃大驚、問所従来。具答之。便要還家、為設酒殺鷄作食。村中聞有此人、咸来問訊。自云先世避秦時乱、率妻子邑人来此絶境、不復出焉、遂与外人間隔。問今是何世、乃不知有漢、無論魏晋。此人一一為具言所聞、皆歎惋。余人各復延至其家、皆出酒食。停数日、辞去。此中人語云、「不足為外人道也。」
既出、得其船、便扶向路、処処誌之。及郡下、詣太守、説如此。太守即遣人随其往、尋向所誌、遂迷、不復得路。
南陽劉子驥、高尚士也。聞之、欣然規往。未果、尋病終。後遂無問津者。
（晋の太元中（陶淵明より数十年前）のこと、武陵の人で魚を捕えることを業と為るものがいて、溪に縁って行くうちに、路之遠い近いも忘れてしまった。忽ち桃の花の林に逢った。岸を夾んで数百歩にわたって、その中に（桃ではない）樹が雑じることは無かった。芳しい華が鮮やかに美しく、英が繽紛と落ちるのであった。漁の人は甚はだ之を異におもい、復た前に行んで、其の林を窮めようと欲た。
林は水の源で尽き、便に一つの山が得り、小さな口が有って、髣髴に光が有るかの若であった。便で船を捨て、口従り入った。初めは極めて狹く、纔に人を通すだけであった。復た行くこと数十歩で、豁然りと開けて朗るくなった。土地は平らで曠く、屋舎は儼然であった。良い田や美しい池や、桑や竹之属も有って、阡と陌とが交わり通じ、鷄や犬のこえが相ごも聞こえた。其の中を（人が）往来し、（作物を）種えて作り、男女の著ている衣は、悉く外の人の如であった。黄髮も垂髫も並んで怡然で自ら楽しんでいるのだった。
（そこの人々は）漁の人を見て、乃に大いに驚き、従って来た所を問ねたので、具しく之に答えた。便て、要えて（そこの人々の）家に還り、このひとの為に酒を設け鷄を殺して食を作った。村の中の（人々は）此の人が有ると聞いて、咸が来て問い訊ねた。（人々が）自ら云うには、「先の世に秦の時の乱れを避け、妻子や邑の人を率いて此の（世間との関りの）絶えた境に来て、復た出ることは不なったの焉た。遂には外の人与は間が隔いたのです」と。また。「今は何の世で是りますか」と問い、乃りは漢の有ることを知ら不いし、無論のこと魏や晋はしらないのだった。此の人は一つ一つその為に具く聞かれた所を言って、皆が歎惋いたのだった。余の人も各ぞれに復た延いて其の家に至き、皆が酒や食を出した。停まること数日で、辞れて去った。此の中の人が語げて云うには、「外の人の為に道う足のことでは不い也よ」と
既に出て、其の船を得て、便に向の路に扶ってゆき、処処に之だと誌をつけた。郡の下に及くと、太守のところに詣でて、此の如に説したのだった。太守は即に人を遣って其の（漁師が）往くのに随わせ、向に誌をつけた所を尋ねさせた。しかし、遂に迷って、復た路を得ることはでき不かった。
（かの有名な隠者である）南陽の劉子驥は高く尚れた士で也が、之を聞いて、欣然で往こうと規みた。しかし、未とう果せないままに、尋いで病んで終わってしまった。後には遂いに津を問う者もい無くなったのである。
序（蘇軾）
世伝桃源事多過其実、考淵明所記止言先世避秦乱来此、則漁人所見似是其子孫、非秦人不死者也。
又云殺雞作食、豈有仙而殺者乎。
旧説南陽有菊花水、水甘而芳、民居三十余家、飲其水皆寿、或至百二三十歳。
蜀青城山老人村、有見五世孫者。道極険遠、生不識塩醯、而溪中多枸杞、根如竜蛇、飲其水故寿。近歳道稍通、漸能致五味、而寿亦益衰。
桃源蓋此比也歟。使武陵太守得而至焉、則已化為争奪之場久矣。
嘗思天壤之間若此者甚衆、不独桃源。
余在潁州、夢至一官府，人物与俗間無異、而山川清遠、有足楽者、顧視堂上、榜曰仇池。覚而念之、仇池武都氐故地、楊難当所保、余何為居之。
明日以問客、客有趙令畤徳麟者曰、公何為問此、此乃福地小有洞天之附庸也。杜子美蓋云、万古仇池穴、潜潛通小有天。
他日工部侍郎王欽臣仲至謂余曰、吾嘗奉使過仇池、有九十九泉、万山環之、可以避世如桃源也。
（世間で桃花源のこととして言い伝えているものの多くは事実を誇張しすぎている。陶淵明が記しているのは、先の世に秦の乱れを避けてここに来たというだけであって、漁師が見たのはその子孫で、秦の時代の人が死なずにいたわけではない。また、鶏を殺して食べていると記してある。桃花源の人々がもしも仙人であったなら、生き物を殺すようなことはしないはずだ。
旧い説に南陽に菊花水というところがあって、そこの水は甘くて芳しく、三十余りの家があって、その水を飲んで長生きをしていて、百二三十歳に至る者もいるとある。
蜀の青城山には老人がたくさんいる村があって、五世の孫を見る者もいるという。道が極めて険しくて遠く、そこの人々は塩も酢も知らない。溪の中には枸杞が多くあり、その根は竜のようにわだかまっている。そこの水を飲むから長生きなのである。近年はやや道が通じるようになって、次第に五味を味わうようになって、長寿であることもだんだんと衰えてきているという。
桃花源とはきっとこのようなところであるのだろう。もしも武陵の太守がそこに行くことができたなら、ずっと前に争奪の場となってしまっていただろう。
思うに、天地の間にはこのようなところがきっとたくさんあって、桃花源だけではないのである。
私は潁州にいたときに、夢でとある役場に行き、そこの人々はこの俗世と異なるところはなかったけれども、山や川は清らかで十分に楽しめるものであった。振り返って建物の上を見ると「仇池」と書いた額があった。目が覚めてから考えると、仇池というのは武都の旧くは氐族が棲んでいたところで、いまは楊難当が守備に就いているのであった。どうして私はそのようなところに行ったのだろうか。
翌日、そのことを人々に尋ねると、趙令畤（字は徳麟）がこのように言った。
「あなたはどうしてそのようなことを問われるのですか。仇池とは、小有洞天に付属する仙界に通じるところでありませんか。杜甫の詩にもこうあります。
万古仇池穴、（万古 仇池の穴）
潜通小有天。（潜かに通じる小有天）」
別の日に、王欽臣（字は仲至）が私にこのように言った。
「私はあるとき使命を受けて仇池に行ったことがあります。九十九の泉があって、一万の山がそのまわりにありました。世を避けるのに桃花源のようなところでありました」
（蘇軾が仇池を夢に見たことは第10章177ページや212ページなど何度が記さている。その仇池が現世に存在するところなのか、仙界に存在するところなのか、ここではどちらともはっきりさせずに書いている。桃花源もまたそのようであるのだろう）
（陶淵明）
嬴氏乱天紀、（嬴氏（秦の王室）が天の紀を乱したときに）
賢者避其世。（賢者は其の世を避けた）
黄綺之商山、（（たとえば）黄（公）や綺（里季）は商山に之ってかくれたのだが）
伊人亦云逝。（伊の人たちも亦た云に逝ったのだった）
往迹浸復湮、（往った迹は浸と復た湮れて）
来逕遂蕪廃。（来た逕は遂には蕪れて廃れてしまった）
相命肆農耕、（（ここにきた人々は）相ぞれに命じあって農耕に肆め）
日入従所憩。（日が入むと憩うような所を従った）
桑竹垂余蔭、（桑や竹が余るほどの蔭を垂らすようになり）
菽稷随時藝。（菽や稷を時に随って藝えた）
春蠶收長糸、（春の蠶から長い糸が收れ）
秋熟靡王税。（秋に熟れたものは王の税としてとられることは靡いのだ）
荒路曖交通、（荒えた路が曖に交わり通じ）
鷄犬互鳴吠。（鷄や犬が互いに鳴いたり吠えたりしている）
俎豆猶古法、（俎豆は猶も古の法のままであるし）
衣裳無新製。（衣裳も新しい製などは無い）
童孺縦行歌、（童孺は縦に行ながら歌い）
斑白歓遊詣。（斑白は歓げに遊び詣っている）
草栄識節和、（草が栄ってくると節が和やかになったと識り）
木衰知風厲。（木が衰えてくると風が厲しくなったと知る）
雖無紀歴誌、（紀暦を誌したものなどは無く雖も）
四時自成歳。（四つの時が自ずから歳を成るのである）
怡然有余楽、（怡然といったら余るほどの楽しさが有るのだから）
于何労智慧。（何に于いて智慧を労すことがあろうか）
奇蹤隠五百、（奇な蹤が隠れてから五百）
一朝敞神界。（一朝のこと神界が（われらのまえに）敞かれたのだった）
淳薄既異源、（（しかし）淳な（桃花源）と薄な（現世）とは既に源からして異なるので）
旋復還幽蔽。（旋ち復た（桃花源は）幽く蔽されたところへと還ってしまったのだった）
借問游方士、（借とお問ねしますが、方で游する士がたよ）
焉測塵囂外。（焉って塵て囂とした（現世の）外のことなど測ことはできませんでしょうな）
願言躡軽風、（（わたしが）願うのは、言だ、軽やかな風を躡んで）
高挙尋吾契。（高く挙って吾が契のところ（桃花源）を尋ねることなのだ）
［補足］（この詩は、先の「桃花源の記」をなぞっただけで、後人の偽作ではないかといわれている。確かにこれといって新味のない蛇足であるようだ）
（蘇軾）
凡聖無異居、（凡人と聖人はいるところを分けているわけではない）
清濁共此世。（この世において清と濁はいっしょくたになっているのである）
心閑偶自見、（心が静まっているとたまたま桃花源のようなところが見えたりし）
念起忽已逝。（しかし、おかしな念が起こるとそれはすぐにどこかに消えてしまう）
欲知真一処、（真にこれ一つというところを知ろうとするには）
要使六用廃。（眼、耳、鼻、舌、身、意の六つとも廃さなければならない）
桃源信不遠、（桃花源は実は遠いところにあるのではない）
藜杖可小憩。（杖をついてちょっと休憩するくらいで行けるのだ）
躬耕任地力、（それはすなわち、自ら耕して、できばえを大地の力に任せ）
絶学抱天藝。（学問を断って、天の与えてくれた技芸に任せることであろう）
臂雞有時鳴、（肘が鶏なら時がくれば鳴いてくれるし）
尻駕無可税。（尻が駕籠なら費用なしで乗れる）
苓亀亦晨吸、（蓮に乗る亀は長く生きる呼吸をし）
杞狗或夜吠。（長寿をもたらす枸杞は神の犬によって守られている）
耘樵得甘芳、（草や木から甘く芳しいものを得て）
齕噛謝炮制。（焼いたり煮たりしないでそのまま食べる）
子驥雖形隔、（劉子驥は実際に桃花源に行こうとしたけれども、遠く隔たったままだったが）
淵明已心詣。（陶淵明は心のなかですでに至ったのである）
高山不難越、（行こうとすれば、高い山だって越えられないことはないし）
浅水何足厲。（浅い水なら衣をちょいと挙げればよいだけだ）
不如我仇池、（それはそうと、私は仇池へと）
高挙復幾歳。（高く挙がって行ったのは何年前であったのか）
従来一生死、（もとより生と死は一つであると知っていた）
近又等癡慧。（近頃では愚かなのも賢いのも等しくなっている）
蒲澗安期境、（恵州の近くには安期生がいた菖蒲澗もあれば）
羅浮稚川界。（葛洪がいた羅浮山もある）
夢往従之遊、（夢に安期生や葛洪と遊び）
神交廃吾蔽。（私を覆うつまらぬものをなくすなら、神の交わりができるのだ）
桃花満庭下、（庭に桃の花が咲き）
流水在戸外。（戸の外に水が流れる――ならばここがすでに桃花源であろう）
卻笑逃秦人、（そう思うと、秦の世の乱れから逃げたという人々は）
有畏非真契。（恐れを抱いていたのであるから、仙界と真の契りを結んだのではなかったのだ）
［補足］（蘇軾はここでユートピアは穏やかな精神の中に存在すると歌っている）
■食荔支二首
［解題］荔支を食べて詠んだ詩。序文がある。
［訳文］
恵州知事の東堂には（仁宗皇帝の時代に）宰相であった陳文恵公（陳堯佐）を祀った祠があり、その堂の脇に公が手づから植えた荔支が一株ある。土地の人はそれを「将軍枝」と称している。今年は大いに実が熟し、知事が賞味し、その余りを役人一同に配り、そして高くて採れないものは猿を放って取らせた。
［補足］（陳堯佐は潮州知事であったときに恵州知事も兼務していたという）
其の一
宰相を祀った祠のもと、
将軍の大木の傍らで見上げると、
燃える雲、火のような実が連なり、
したたる瑞露（果汁）はまさに天漿（天上界の水）を酌むものである。
爛れるばかりの紫が垂れて先ず熟し、
高くにある紅は遠く揚って空にかかるかのようである。
この甘さは遍く下役にまで配られ、
また黑衣郎（猿の別称）にも至った。
其の二
羅浮山の下は四季すべてが春、
盧橘も楊梅も順次新たに稔る。
日々三百の荔支を食らって、
とこしえに嶺南の人となることを辞すものではない。
［補足］（この第二首はいかにも蘇軾らしい詩であるので、原詩と読み下し文を掲げておこう）
羅浮山下四時春、（羅浮山下 四時の春）
盧橘楊梅次第新。（盧橘 楊梅 次第に新たなり）
日噉荔支三百顆、（日に噉う 荔支三百顆）
不辞長作嶺南人。（辞さず 長しえに嶺南の人に作ることを）
■遷居
［解題］上の詩で、「とこしえに嶺南の人になるのもよい」と歌ったのは、それを積極的に望んだわけではなく、罪を赦される可能性はほぼなくて、恵州に長く住み続けることになるとすでに覚悟を決めていたからだろう。4月20日、住まいを嘉祐寺に遷し、この詩を詠んだ。序文がある。また、先に陶淵明に和した詩でも見たように（本章279ページ）、新しい住まいの建築にも取りかかっていた。
［訳文］
私は紹聖元年十月二日に恵州に至り、合江楼に寓居した。その月の十八日に嘉祐寺に遷った。二年三月十九日にまた合江楼に遷り、三年四月二十日に再び嘉祐寺に戻った。ときに白鶴峰の上に新居を築いていて、少しくそこに落ち着くことを願うものである。
前年は水東の地（嘉祐寺）を家とした、
首を回らすと夕陽が川面に麗らかであった。
去年は水西の地（合江楼）を家とした、
春の雨が細やかに顔を潤した。
東も西も私が選んだのではなく、
縁が尽きたら移動するという次第であっただけだ。
今年はまた東に移り、
もとの館でしばし憩うこととなった。
すでに白鶴峰に住まうところを買っていて、
そこで老いて終わる計画を立てている。
新たな住まいの北の戸口の下に大きな江が流れていて、
我が家の石段に、雪のような浪しぶきがかかるようになるだろう。
墻の先に、青い山々が連なり、
こんもりと結った髪がずらりと並ぶかのようになるだろう。
『抱朴子』には下策だとしてあるので慚じねばならないのだが、
昇仙するための薬をそこで練るとしよう。
そこに住むのは、柳宗元が配所で虚しく死んで、
廟に丹い荔子を供えられるようになったのよりはまだしもまさるであろう。
吾が人生にはもとより期するものはなく、
この世を眺めて過ごせればそれでよいのだ。
ふと思う間にも何千年もの年月が過ぎ去り、
あるいは、塵の一粒一粒にも宇宙がある。
生きるものの息（生命力）などは、
つまるところ、蚊や蚋が吹くほどのたわいもないものなのだ。
［補足］（ここに歌われている哲学的省察は、「とこしえに嶺南の人になる」のは、苦悩の果ての結論であることを示すものであると考えてよいだろう）
■書嶺南筆
［解題］夏のある日の出来事。
［訳文］
紹聖三年五月二十七日、川の西側を行くと、筆を売る者がいた。形はほぼ筆に似ていたので、二十銭で二本求めた。筆先に墨をつけると、すぐに墨は散ってしまった。実に嶺南にはよい筆がない。
■和子由盆中石菖蒲忽生九花
［解題］弟の詩に和した。弟の詩は、「石の鉢に菖蒲を植えたところよく茂り、八ないし九の花が開いた。ある人が、長生きをする吉祥であると言ったので、息子の蘇遠が、私の誕生日に合わせて、頌歌を作ってくれた。それでこの詩を詠んだ」というもの。
［訳文］
菖蒲は春に葉を出し、秋に実を結ぶ、
どちらもほんの束の間のことである。
寿命を延ばしたりする神薬は、
果たしてこの人間世界に存在するのだろうか。
鼻がなければ、薝蔔の香りは知りようがない。
花が咲いてから、菖蒲が吉祥を示していると初めて知る。
その花だって、蝶を満足させるほどのものではない。
蝉が鳴くのは、寒さが迫り来るのに急かされてのことだ。
来年になって茎に一寸に十二の節が現れるようだったら、
それこそ長寿の薬として用いることができるのだから、
子供らに白い髯の世話を焼かせることもなくなるだろう。
［補足］（この詩の個々の句は、必ずしも意味を明確には掴めないけれど、全体として、菖蒲の花をもっぱら目出度いものとする弟の詩に対して、「ほんまかいな？」とまぜっかえしたものなのだろう）
■両橋詩
［解題］6月、恵州の町の東と西にかかる二つの橋がほぼ同時に完成し、蘇軾は祝賀の意を込めてこの詩を詠んだ。橋の計画は恵州知事の詹範が立てたもので、蘇軾は従兄の程之才に助力を要請していた。序文がある。
［訳文］
恵州の町の東で江と渓の合流するところにかつては橋があった。しばしば壊れてしまうためにとうとう廃され、小舟でもって渡していた。
羅浮山の道士鄧守安がここに浮き橋を作った。四十艘の小舟を二艘ずつ対にし、二十対を鉄の鎖で繋ぎ、川岸に石の礎を備えて鎖をとめた。橋は水の増減に従って上下する。表札を立て、「東新橋」と称した。
恵州の西の豊湖のほとりにはかねてから長橋があって、しばしば作っては壊れるということを繰り返していた。
棲禅院の僧の希固が両岸で工事を行い、高さ九間の飛閣（アーチ橋）を、すべて石塩木を用いて作った。石塩木は鉄石のように堅い。表札を立て、「西新橋」と称した。
どちらも紹聖三年六月に工事が完了したので、この二詩を作って祝した。
［補足］（この序文で興味深いのは、橋を造るという公共事業を実際に担ったのが道士であり僧侶であることだ。かつて杭州副知事そして知事のときに行った公共事業でも、はやり仏教界の力を借りている。鄧守安は本章77ページ以来何度かその名を見ているが、大規模工事を指揮する実務能力にも長けていたのだ）
東新橋
群れる鯨を鉄の索で貫き、
その背中に空を横たわる虹を負わせる。
鯨の頭は、雪のような波しぶきを江に上げて揺れ、
鯨の尾は、雲を崩す勢いの渓の水を叩いてはねる。
鯨の群れは自在に伸縮し、水の増減に応じて上下する。
巨大な索を轆轤で巻き上げると、
川面には青い蛟がのたうちまわる。
川を奔る舟は、鯨に触れずに間を抜け、
ばらばらになった筏も、衝突して滞留することはない。
たった一本の橋であるのだが、広く東西に伝えられ、
舟の橋を知らない人々が、喜び笑いあって競って渡る。
馬蹄の音が雷のように響き、
江に住む魚や竜は驚いて逃げてしまう。
これまで、人々は江を渡ることの難しさを長く嘆き、
公私ともに川岸で留まらなければならないことに困っていた。
悪賢い連中はこの難所を食い物にし、
舟で人を渡そうと、水鳥のように出没した。
あたかも、沈みかけた船に向かって浮き袋を売ったり、
高いところから降りられなくなった人に梯子を売ったりするようなものだった。
ここ百年で、砂や泥に落ちた者が何人いるのかわからない。
この波の上に、安らかに憩える広間ができるとは……
朝でも夜でも自由に往来でき、
酔っ払いも、手助けなしにやすやすと渡れる。
知事殿は私に酒を馳走してくれて、
「孔子は、鶏を割くのにわざわざ牛刀を用いるまでもないと言われましたが、
牛刀でも鶏刀でも上手に割ければ結構。
浮き橋でも飛閣でも、橋は非常に役立ちますな」
と、言いつつ、鄧守安と希固を褒めるより先に、
私が犀帯を寄付したことを賞賛してくれる。
私は知事殿の長寿を祝してから、
「杖にすがるこの老人の一言をお聞きください。
ものは壊れてしまう前に修繕することが大切です。
ぜひ後悔するようなことがありませんように」
と、言ったのである。
［補足］（（1）蘇軾は橋の建築費として犀帯（官員の印である立派な帯）を寄付し、次の詩には、蘇轍の妻も寄付した者の一人であったことが歌われている。（2）最後の言葉に、危機管理に対処する蘇軾の姿勢がよく出ている。先に杭州知事であったときに、災害は被害が顕わになる前に対処することが肝要であると力説していたことと通じるものがある。（3）この2首は韻を揃えていて、やや無理があったのだろうか、詩の流れがなめらかでないところがあるので、訳すに当たって若干の整理をしている）
西新橋
昔の橋は、千本の木を柱とし、
虹の切れ端のようなものが湖に掛っていた。
いつしか梁は水に浮いたり、深い泥の中に陥ってしまったりし、
板は破れて、川の勢いに流されてしまったりもした。
かくして、遠い岸辺が水に沈んでしまうようになったのを笑って見ているしかなくなり、
町そのものが低くなってしまったかのように感じたのだった。
そこで、農事の閑な折に、百歩の堤を作ることになった。
暑熱の地には堅固な木がなく、
みなぎる水によって簡単に流されてしまう。
千年にわたって存在するものといえば、
羅浮山の西にある鉄柱のような石塩木だけで、
白蟻も敢えて登ろうとはしない。
銅製の駱駝のこぶ、鉄製の馬蹄のように頑丈で、
昔、仙人が石に鞭を撃って走らせて海上に石橋を掛けたように、
石塩木をもって橋を作ることになったのである。
私は長らく筆を置いて、潤筆料を稼ぐこともしていないので、
短い鞭さえも持っていないのだが、
空に梯子を掛けようとした。
昔高官だった者が囊のなかを探って寄付をし、
我が弟の妻までも黄金を出資してくれた。
百人が一本の杭にとりかかり、
百尺の深さまで泥の中に打ち込んだ。
工事が完了に至ると、
近隣の人々が雲のように集まり、
いずれも食べ物や酒を携えて持ち寄り、
三日間飲み続け、そのために西の村の鶏はことごとくしめられてしまった。
聞くところでは、
百年前には、豊湖は海に近くて犀が棲んでいたとか。
それがいまでは、
海が山に変わり、枯れた川筋に草が茂っている。
後の人々はどうか忘れないでほしい、
この橋のできる前は、
冬でも臍までつかって水を渡らなければならなかったことを。
■擷菜
［解題］「菜を擷む」という詩。序文がある。
［訳文］
私は王参軍の土地を借りて菜を植えた。畑は半畝にも及ばないものだが、一年中息子とたっぷり食べられるだけの野菜が採れる。夜に飲んで酔い、酒を醒ますのにちょうどよいものがないときに、菜を擷んで煮ると、肥えた土の味わいがあり、風味がたっぷり含まれていて、米も肉もこれに及ぶものではない。人は生きて、これ以上に何を得ようとして貪るのか。四句の詩を作った。
［補足］（王参軍（参軍は役職名）は、かつて官職に就いたことのある近所の地主であろう）
秋が来てから、東の畑にたっぷり湿り気が満ちるようになった。
蘆菔に子が生じ、芥に孫ができた。
晋の何曾は一日の食事に一万銭を費やしたとか。
私は同じくらいに食べ飽きている。
何が悲しくて、鶏や豚を食べるのか、さっぱりわからない。
■食雞卵説
［解題］上の詩にあるように、蘇軾は（完璧ではないにしても）菜食主義者で、卵も食べまいとしていた。そのことを記した短文。
［訳文］
水族は癡暗であるとして人は軽々しくそれを殺す。ある人は、水族はむざむざと殺されてしまったことを（閻魔大王に）訴えることもできないのだからそれで仕方がないのだと言うが、それは悪者を怖がって放置していることについて屁理屈で善人を欺くような言い分である。
李常がかつてこのようなことを言った。
「雄のいない鶏がいて、卵を生みました。鶏は卵を抱いて、殻を破って雛が出てきたのですが、数日もしないうちに死んでしまいました。これからすると、卵を食べたからといって殺したことにはならないのでありませんか」
それに対して私は言った。
「そうではありません。およそ動くものはすべて仏の子です。竹につく蝨は初めは竹の葉にまかれた粉のように見えますが、しばらくするともぞもぞ動くようになり、百匹、千匹の群れとなります。いずれも仏の子でないものはありません。かつて梁の武帝が描かせた水陸画を見ましたが、六道の外までも、淡い墨によって、人や獣や鳥や魚らしきものが空中にぼんやりと漂っているありさまが描かれていました。それらは仏の子が流浪して最も陋劣なったものです。じめっとしたところから生じる竹の蝨のようなものでさえもそこにはなくて、あるのかないのかわからないぼんやりとしたものばかりです。水族や鶏の卵であっても殺してよいものではありません。もしも私に殺そうとの一念が起こると、すでに地獄が具わっているのです。殺されたことを訴えられるか訴えられないとかは関係ないのです」
私は長らく殺すことを戒めていた。恵州に到ってからは、その戒めを破ってしばしば貝や蟹を食べてしまった。今日そのことを悔い、また前の戒めを修めようと思う。今日は家の者が鯉を一匹買った。長さが一尺余りあって、弱っているとはいえまだわずかに動くことができる。これを水瓶の中に置き、もしも死んでしまったならば食べ、生きたならば赦そうと思う。
いささかこのことを記して一笑に供する。
［補足］（（1）李常（字は公択）が蘇軾の親友であったことは第６章72ページなどで見ている。（2）蘇軾が李常に向かって言ったことは論旨がうまく掴めないままに訳した。生命の価値は等しいということであろうか）
■悼朝雲詩
［解題］恵州に来て最も悲しいことが起こった。7月5日、王朝雲が亡くなった。時に34歳であった。これは王朝雲の死を悼む詩。
［訳文］
先に紹聖元年十一月、戯れに『朝雲の詩』を作った。紹聖三年七月五日、王朝雲は病のために恵州で亡くなった。棲禅寺の松林の中の東南、大聖塔に向き合う地に葬った。私はすでに墓誌銘を作った。ここに前の詩に和して、我が悲しみをやわらげようと思う。
王朝雲は始めは字を識らなかった。晩学ながらすぐに書を学び、楷書をほぼ会得した。かつて泗水のほとりの尼僧義沖に仏教を学び、大義をほぼ理解した。死に際して、『金剛経』の四句の偈を誦して絶えた。
（先に戯れに詠んだという詩は本章89ページで見ている）
苗が成長しなかったのは、
天のなすところであったのか。
――君が生んだ子は百日に至らなかった……
幼い烏に、我が鳴き声を伝えることができなかった。
太陽が進むのを止めることはできない。
――残念なことに、君に千年の寿命を与える薬がなかった。
旅行く君に贈るのは、ただ『金剛経』の偈があるだけ。
この心の深い痛みは、
我が前世からの負い目を償うのに十分であろう。
過去、現在、未来の三生もわずかに指を弾く間のこと、
恐れるのは、君との後の縁までもこれで断たれてしまったのか。
家に帰って遠い近いもわからぬままに竹の根に伏し、
夜の燈火があがったころに、
大聖塔に遠く礼拝する。
■朝雲墓誌銘
［解題］上の詩の序文にあった王朝雲の墓誌銘。
［訳文］
東坡先生の侍妾を朝雲という。字は子霞、姓は王氏、銭塘の人である。
敏くして義を好み、先生に仕えて二十三年、忠と敬そのものであった。
紹聖三年七月壬辰（五日）、恵州で死んだ。三十四歳であった。八月庚申（三日）、豊湖のほとりの棲禅山寺の東南に葬った。
子の遁を生み、一年にならずに死んだ。
常に尼僧の義沖に従って仏法を学び、その大意をほぼ識った。死に直面して、『金剛經』の四句の偈を誦して絶えた。
銘に曰く、
浮屠是瞻、伽藍是依。（仏陀を見るなら、伽藍に心を寄せよ）
如汝宿心、惟仏之帰。（そなたのかねてからの心は、ただ仏のもとに帰ることにあった）
■題棲禅院
［解題］蘇軾は8月3日に王朝雲を棲禅院に葬った後、8月9日に墓参した。そのことがわかる訪問記録。
［訳文］
紹聖三年八月六日夜、風雨が強かった。朝になると、院の東南に、巨人の迹が五つついていたという。この月の九日に息子の蘇過と来てそれを見た。
［補足］（別の文章でも、六日の夜に不可思議な現象が起こったことを記述していて、それは釈迦の慈悲が広大であることを示すものであるとし、それに託して王朝雲の冥福を祈っている）。
■丙子重九二首
［解題］丙子すなわち紹聖3年の9月9日の重九の節句に詠んだ詩。
［訳文］
其の一
瘴海（南の熱い海）のほとりにいること三年、
越嶠（南国の山）こそ真の我が家となった。
山に登って重九の祝いをするに、
蛮菊（南国の菊）は秋であっても花はまだ咲かない。
ただ茅が黄色の浪をつくって、丘も窪地もうずめている。
蜑酒（蜑民の酒）は妙なものでもたくさん入っているのか、
酸っぱくて甘くて、梨だか樝だかの味がする。
酒のさかなに何かないかと思っていたら、
隣りの爺さんが持ってきてくれたのは蛙と蛇。
無理むり酔っぱらって、
歓び謠おうとしたものの、悲しい嗟きが混ざってしまう。
今年はなんとも悪い年まわり、
疫病によって多くの人が乱れる麻のように倒れ伏した。
私は今日の節句を元気に迎えたものの、
狂風は朝焼けの雲を巻き去ってしまった（王朝雲の死をいう）。
そのために、私はいまや霜降る夜の月、
天の涯にぽつんと一つ掛かるだけとなってしまった。
西の湖（王朝雲の墓がある）に今日は行くまい、
夕暮れの木立に鴉が寒々と鳴いているだろうから。
［補足］（王朝雲が亡くなったころから、蘇軾の詩文の数は少なくなっているようである）
其の二
行き詰まった途にあっては、選ぶこともないままに、
友は乱れ雲のように我が眼の前を通り過ぎてゆく。
ほかの人々のことは改めて数えることもしないが、
お二人の知事殿ばかりは特にお目にかかりたくて、
去年と同じく合江楼でまたともに飲んで、
秋の水が波紋を作るのを見下ろす。
この水にしても、この人々にしても、
沄沄と追いつ追われつ流れて行く。
老いたならば、おのおの休息すべきであるのに、
造物者はどうして長く勤めさせようとするのか。
この佳き節句であるのだから、
お二人とともに存分に楽しもうではないか。
我が客人には何をもってもてなせばよいのか――
清らかな岸辺で魚が遊んでいる、
漁師の三百本の指が、鉄のような強い網を使って、
魚の群れを掩ってしまおうとしている。
えものが多いのはむろん愉快である、
しかし、買い取って放ってやるのはもっと嬉しいことだ。
その楽しみこそ不朽であって、
明年には帰耕しようと思っている私にはよい思い出となるだろう。
［補足］（「二人の知事殿」とあるのは、恵州知事の詹範と、その後任としてやってきた方子容である）
■野吏亭記
［解題］新たに恵州に赴任した方子容知事は、陳堯佐（本章291ページ）に所縁のある亭を修復し、そのことについて蘇軾が記した。
［訳文］
もとの宰相の陳文恵公（陳堯佐）がこの亭を建て、「野吏亭」と名付けた。それは孔子が言うところの「先進の礼学におけるは野人なり」からきているのだろう。
公は朝廷にあって、特にこの地をしきりに恋しく思ったという。しかし、亭や庭は日々に損なわれてしまい、およそ九十七年を経て、知事の方子容がまた新たに完全な姿にした。
紹聖三年十一月二十一日記す。
［補足］（孔子の言葉は『論語』にあって、「昔の先輩方が礼楽に対する態度は野人的であった」、つまり素朴で野性味があったという意味。陳堯佐は南方の地にあって、古の素朴な人のような役人でありたいと「野吏亭」と名付けたのだろう）
■和陶乞食
［解題］陶淵明の「食を乞う」という詩に和した。
［訳文］
（陶淵明）
饑来駆我去、（饑えが来て、我を駆りたてて去かせる）
不知竟何之。（竟い何に之ったらよいのか知ら不い）
行行至斯里、（行きまた行き、斯の里に至り）
叩門拙言辞。（門を叩いて拙に言辞をならべる）
主人解余意、（主人は余の意を解ってくれて）
遺贈豈虚来。（その遺贈は豈て来たことを虚しくはしなかった）
談諧終日夕、（談がぴったり諧って、日の夕れがたも終わって）
觴至輒傾杯。（觴が至れば輒に杯を傾けるのであった）
情欣新知歓、（情のうちで新しく知りあった歓びを欣しくおもい）
言詠遂賦詩。（言を詠んで遂いには詩を賦した）
感子漂母恵、（子の「漂母の恵み」に感じ）
愧我非韓才。（我には韓の才が非いことを愧じるばかりだ）
銜戢知何謝、（こころに銜み、くちに戢めて何に謝したらよいのか知らない）
冥報以相貽。（せめて冥からの報いで以って相に貽ることにしよう）
［補足］（（1）終わりの方にある「漂母の恵み」とは韓信の故事（第10章172ページなど）である。韓信は若いころは貧乏で、漂母（洗濯婆さん）から施し物をもらってどうにか暮らしていた。後に漢の高祖を助けて天下統一の事業を成し遂げ、漂母に十分な恩返しをした。（2）陶淵明は韓信のようにはできないので、「あの世から恩返しをします」と言った。この「冥報」について蘇軾はかつて短文を記していた（第6章261ページ））
（蘇軾）
荘周昔貸粟、（昔、荘子は貧乏で籾米を借り）
猶欲舂脱之。（自分で舂いて脱穀しようとした）
魯公亦乞米、（魯公（顔真卿）もまた米を乞い）
炊煮尚不辞。（自ら煮炊きすることも辞さなかった）
淵明端乞食、（陶淵明こそは食を乞い）
亦不避嗟来。（嗟来（さあさあもらいにおいで）の招きも避けなかった
嗚呼天下士、（ああ天下にこの人ありとされる士でも）
死生寄一杯。（死ぬか生きるかは一杯の飯によるのだ）
斗水何所直、（一斗の水にはさほどの価値はないけれど）
遠汲苦姜詩。（姜詩は母のために遠く苦労して汲みに行った）
幸有余薪米、（幸いにも私には薪も米も余裕があって）
養此老不才。（この老いた不才の身を養うことができている）
至味久不壊、（ここに至味（最高の味わい）があって、それは永久に壊れないものであるから）
可為子孫貽。（子孫に贈るべきはこれなのである）
［補足］（（1）困窮に陥って人に食を乞い求めた例として、陶淵明の他に荘子と顔真卿を挙げている。顔真卿について本章126ページで見ている。（2）姜詩は親孝行者でいわゆる「二十四孝」のひとり（第9章39ページ）で、母の好む川の水を遠くまで汲みに行った。食を乞うたわけではないけれど、どれほど優れた人でも飲食のために苦労する例として引かれている。（3）「至味」は、飢えることを心配しないですむ穏やかな暮らしにあるのだろう）
■西江月
［解題］恵州の梅の花を詠んだ詞。実は王朝雲を悼み思う詞であるという。
［訳文］
玉骨那愁瘴霧、（玉からなるそれ（梅）は熱気を帯びた霧にも愁うことはありません）
冰肌自有仙風。（氷のような肌には仙界の風情があります）
海仙時遣探芳叢、（海の彼方の仙人はときに芳しい花の中にそれを探る使者を派遣します）
倒掛緑毛麽鳳。（それとは枝にさかさまにかかる緑の毛の鳥です）
素面翻嫌粉涴、（素顔のままで、かえって白粉を施すのを嫌い）
洗妝不褪唇紅。（化粧を洗い流しても唇の紅は褪せません）
高情已逐暁雲空、（気高い情は暁の雲を追ってすでに空しくなり）
不与梨花同夢。（昔の人と同じように梨の花を夢に見ることもないのです）
［補足］（（1）前半は、南国の暑い気候においても咲く梅を詠みつつ、王朝雲のありし日の姿を追憶しているのだろう。（2）「枝にさかさまにかかる緑の毛の鳥」のことはすでに本章95ページで見ている。（3）後半は、梅がすでに散ってしまったこと、すなわち王朝雲が亡くなってしまったことを歌っているのだろう。（4）「梨の花の夢」とは、梅を惜しんでかえって夢に梨の花を見たという唐代の詩に拠る。夢にも逢うこともできないと蘇軾は嘆くのであろう）
■和陶和胡西曹示顧賦曹韻
［解題］陶淵明の「胡西曹の詩に和して、あわせて顧賦曹に示す」という詩に和した。西曹も賦曹も役職の名称で、胡と顧がどのような人であったのかは知られていない。陶淵明の原作は、紫の葵に託して志の遂げられない嘆きを歌っているのに対して、蘇軾の詩は、長春花を惜しみつつ、実は王朝雲を悼み思うものであるという。
［訳文］
（陶淵明）
蕤賓五月中、（蕤賓（は音階の五番目）、すなわち五月の中の）
清朝起南䴙。（清らかな朝に、南から䴙が起つ）
不駛亦不遅、（駛くも不く、亦た遅くも不く）
飄飄吹我衣。（飄飄と我の衣を吹く）
重雲蔽白日、（重なる雲が白日を蔽って）
閑雨紛微微。（閑かに雨が紛れて微微とふる）
流目視西園、（目を流して西の園を視ると）
曄曄栄紫葵。（曄曄と紫の葵が栄えている）
於今甚可愛、（今に於ては甚だ愛でる可きものであるのだが）
奈何当復衰。（当と復た衰えてしまうのを奈何もできない）
感物願及時、（物に感じて、（そのもっともよい）時を及えたいと願うが）
毎恨靡所揮。（毎も恨ことに揮っても（飲むべき）所の（酒が）靡いのだ）
悠悠待秋稼、（悠悠と秋の稼を待っていたところ）
寥落将賒遅。（寥く落てしまって、将ら賒ものを遅ってしまったのだった）
逸想不可淹、（逸る想いは淹め可が不く）
猖狂独長悲。（猖狂おしく独り長く悲しむのである）
（蘇軾）
長春如稚女、（長春花は若い娘のように）
飄颻倚軽颸。（飄颻と軽やかな風に寄り添っている）
卯酒暈玉頬、（朝の酒に玉の顔をぽっと染めて）
紅綃巻生衣。（おろしたての紅い衣を巻いたかのよう）
低顔香自斂、（顔を垂れて香りを内におさめ）
含睇意頗微。（目に思いを含ませた様子はなかなかに微妙である）
寧当娣黄菊、（菊と比べたらその姉とすべきであって）
未肯姒戎葵。（葵と比べてもその妹というわけではないだろう）
誰言此弱質、（見かけはいかにも弱々しいだのが）
閲世観盛衰。（世の盛衰を実は見守っているのである）
頩然疑薄怒、（つんとして少し怒っているようにも見えるので）
沃盥未可揮。（化粧をするための水を差し出すのをはばかれもする）
瘴雨吹蛮風、（ところが、熱気を含んだ雨と南の荒い風が吹いて）
凋零豈容遅。（凋んで枯れてしまうのをとどめることはできなかった）
老人不解飲、（老人は飲んで思いを解くこともできずに）
短句余清悲。（不十分ながらもこの悲しみを短いに句に託すしかない）
■蝶恋花
［解題］以下の3篇の詞は制作の時期は明らかではなく、ここに並べるのは必ずしも適切ではないだろう。王朝雲と関連させて鑑賞することも不可能ではないかもしれないと考え、上の詞と合わせて読むことにする。
［訳文］
記得画屏初会遇。（憶えています、屏風の前で初めて会ったときのことを）
好夢驚回、（でも、好い夢は覚めてしまって）
望断高唐路。（あのときへと行く路はもう断たれてしまいました）
燕子雙飛来又去、（二羽の燕が飛んできてはまた去り行きます）
紗窓幾度春光暮。（窓辺で春はこうして幾度となく暮れてしまうのです）
那日繍簾相見処。（あの日、刺繡をほどこした簾のもとで会いました）
低眼佯行、（あなたは眼を伏せ、行ってしまおうとして）
笑整香雲楼。（でも、にっと笑って髪を整えたのでした）
斂尽春山羞不語、（それがすっかり終わっても、恥ずかし気に何も言いませんでした）
人前深意難軽訴。（この深い意は軽々しくは訴えられないからと）
［補足］（少女とのはかない恋の追憶の歌である）
■蝶恋花
［解題］暮春のころの若い娘の微妙な心の陰翳を歌った詞。
［訳文］
蝶懶鶯慵春過半。（蝶だって気だるいの、鴬だってそうよ。春はもうすぐ終わりなのですもの）
花落狂風、（花は落ちて、ぜんぶ風のせいなの）
小院残紅満。（お庭は紅いの、散った花びらでね）
午酔未醒紅日晩。（お昼のお酒が醒めないうちから日が沈んでゆきます）
黄昏簾幙無人巻。（黄昏になっても、カーテンをかけることもしないのよ）
雲鬢鬅鬆眉黛浅。（髪は崩れたまま、黛も中途半端のまま）
総是愁媒、（何をしても悲しくなってしまうから）
欲訴誰消遣。（誰かすっかり消しちゃってくださいな）
未信此情難繋絆。（こんな気持ちはきっとどうにもならないわよね）
楊花猶有東風管。（楊の花だって風のまにまに飛んで行くしかないのですもの）
■点絳脣
［解題］追憶の詞。
［訳文］
紅杏飄香、（杏の紅い花から香りがただよい）
柳含煙翠拖軽縷。（柳は緑の煙のなかで糸のように軽やかに揺れています）
水辺朱戸。（あの人の部屋は水辺にあるのです）
尽巻黄昏雨。（きっと窓は開いたまま、夕暮れの雨になっても）
燭影搖風、（蝋燭の影が風に揺れています）
一枕傷春緒。（枕につこうとしても春を傷む心がおさまりません）
帰不去。（帰りたいのに）
鳳楼何処。（あの人の家はどこなのでしょう）
芳草迷帰路。（草が茂って路に迷ってしまうのです）
■陳太初尸解
［解題］蘇軾のところにまた「異人」が訪ねて来た。そのことを記した文章は実はすでに第6章213ページで見ていたのだが、ここに再掲する。蘇軾と同郷の眉州眉山県出身の道士陸惟忠は、15年前にも黄州に流されていた蘇軾の前にふらりと現れ、そしてまた恵州にも現れたのである。
［補足］（この文章が書かれたのは翌年であるが、陸惟忠が来たと推測されるこの時期に読んでおこう）
［訳文］
私は八歳で小学に入り、道士の張易簡を師とした。童子およそ百人がいたが、師は私と陳太初ばかりをいつも褒めていた。陳太初は眉山の市井の子であった。
私は成長するにつれて学問がますます進み、ついには科挙にも制科にも合格した。一方で陳太初は田舎の小役人になった。
その後、私は黄州に流され、そこに眉山の道士の陸惟忠が蜀から訪ねてきた。あれこれ話すなかで、「道を得た者に陳太初がいます」というので、詳しく尋ねてみると、我が同学の陳太初その人であった。
昨年（紹聖3（1096）年）、私は恵州でまた陸惟忠に会った。陸惟忠はこのように言った。
「陳太初はすでに尸解しました。蜀の人の呉師道が漢州の知事であったときのことです、陳太初は初めて知事に会いにきて、しばらくそこの客人となっていました。ちょうど元日の朝に、陳太初は知事に衣食と餞別の銭を求め、別れを告げました。陳太初は受け取ったもの全てを町の貧しい人に与え、城門の下に座り、そのまま死んでしまいました。それを聞くと、知事は役場の小使いに、亡骸を担ぎ出して野原で焼くよう命じました。小使いは亡骸のもとに行き、『このクソ道士め。なんだって元旦からこの俺さまに死人を担がせたりなんぞさせるのだ』と罵りました。すると、陳太初はにやりと笑い、『おまえを煩わせたりはせん』と言って、門から金雁橋のたもとまで歩き、そこで座り、改めて死にました。小使いがそれを焼くと、もうもうと立ち昇る焔と煙の中に、くっきりと陳太初の姿が浮かびあがりました。見物に出た町中の者がそれを見たのです」
■書陸道士鏡硯
［解題］陸惟忠が携えている鏡と硯について記した短文。
［訳文］
陸道士は一つの鏡と一つの硯を蓄えている。どちらも宝とすべきものである。硯は頭が円い斧形、色は青、背に文字が刻まれている。墨によく克ち、筆によく合う。恐らく唐以前のものであろう。鏡は古く、背の文字を読むことはできない。
我が家にも鏡があって、ちょうどよく似ている。その銘に、「漢に善い銅があって白陽から出る。これを取って鏡とした。清く明るい（原文は「清如明」）。左に竜、右に虎、これによって鏡を守らせる」。この銘から考えると、この鏡は漢代の物なのだろうか。私はかつてそれを蘇頌に見せたことがある。蘇頌は博学をもって世に知られた人である。蘇頌はこのように言った。「この鏡は古いもので、これ以前のものは皆このような作りで、『禹鼎象物』の法を受け継いだものでありましょう。『白陽』という地名はいまはありません。楚に白公がいて、南陽の白水を取ってそこに町を作りました。白陽とはその白水のことでしょうか。漢の時代の人は『而』と『如』を通用させたものです」。
鏡の中心はわずかに盛り上がっていて、鏡面は小さくて四角い。学者は聚神鏡であるあるという。
丙子十二月一日、書く。
［補足］（いくつか意味のわからない用語があるが、そのまま記しておく）
■書陸道士詩
［解題］陸惟忠は詩が巧みで、諧謔の人であった。そのことを示す短文。なお、陸惟忠は筠州に蘇轍を訪ね、そこで呉復古（本章119ページなど）と一緒になって恵州にやってきたようである。陸惟忠も呉復古も自由に天下を往来している。
［訳文］
長江以南の人は「盤遊飯」を作るのを好む。鮓、脯、膾、炙などいろいろなものを飯の中に埋めこんだものである。俗にいう「撅得窖子」（穴を掘れば何でも出てくる）というものである。
羅浮山の曇穎はおよそ食べられるものをごたまぜにして烹て、これを「谷董羹」（なんでもスープ）と名付けている。客人はみな「結構であります」といって褒める。
詩人の陸道士は一聯の句を出して、このように言った。
投醪谷董羹鍋裏、（鍋に何でも投げ込んだスープがあるなら）
撅窖盤遊飯碗中。（椀をほじれば何でも出てくる飯もある）
東坡居士は大いに喜んで、江秀才にそれを記憶して皆に教えて笑いの種とするように言った。
このとき、呉復古はこのように言った、
「この羹は仏様にお供えいたしましょう」
翟逢享は何も言わずに、ただ唾をごくりと飲み込むだけであった。
丙子十二月八日。
［補足］（曇穎は本章112ページ以来何度か見ている。江秀才はどのような人物であるのか不明。翟逢享は、白鶴峰に作りつつあった新居の西隣の人物で、後の詩では翟秀才と記されている。2人の秀才は科挙に応じようと勉強に励み、詩を詠むような教養を具えた人であるのだろう。蘇軾には、どの土地に行っても、いろいろな階層の人々が出入りするサロンの主人になるという特技があった）
■書李承晏墨
［解題］陸惟忠は宝とすべき鏡と硯を持っていたが、呉復古は墨の逸品を携えていた。
［訳文］
近ごろの士大夫には墨を造る者が大勢いて、墨工もまたその技を尽くすのだが、張遇、李廷珪の古い墨には及ばない。潘谷と張谷がその本物かと思わせるようなものを作りはするが、その形態を竊み取っただけのものでしかない。
呉復古が出したこの墨は、孫準の遺したもので、李承晏（李廷珪の甥）の造った本物であるという。その色を考え、他の数品と比較して、真偽を定めることができるだろう。
紹聖丙子十二月二十一日書く。
［補足］（五代十国時代の南唐に仕えた李廷珪の墨は極上品とされ、垂涎の的であった。その甥が造ったものならかなりの品であるのだが、蘇軾は真偽を保留している）
■次韻子由所居六詠
［解題］陸惟忠と呉復古が携えてきたのだろう、蘇軾は弟が筠州の住まい様子を詠んだ詩を得て、それに次韻した。6首のうちの4首を訳す。
［補足］（蘇軾の詩は白鶴峰で建築が進みつつあった新居を詠んだもの。新居はおおむねできあがっていて、残る工事は井戸を掘ることであった）
［訳文］
其の一
部屋の前に百合を植えた、
瑪瑙の盤があちこちで揺れるかのよう。
部屋の後ろに菊を植えた、
金を砕いて匙にして並べたかのよう。
草木にはきっと情があるのだろう、
季節の盛りを過ぎたころにも人を慰めようとしてくれる。
幽人（ひっそりと暮らす人＝蘇軾）は独り楽しみ、
世上の旅の難しさなどは知らずにいる。
其の三
静かな住まいに古めかしい趣がある。
井戸は西隣と分かち合っている。
夏の盛りには、
一杯飲んだくらいでは涼しくならないので、
人々がいつまでもそこでがやがや騒いでいる。
先生（蘇軾）はじっと喉の渇きを我慢して、
皆が散り散りになってからおもむろに酌みにゆく。
ゆっくり待っただけに、味わいは格別である。
［補足］（西隣の人とは先に名を見た翟逢享である）
其の四
先生は素焼きの器に飯を盛る。
人に与えられるようなものは何もない。
酔客を何でもって楽しませるのかというと、
石段の下の花を嗅がせるのである。
井戸の水は西隣と分け合い、
竹林の陰を東の家に借りる。
行脚の僧が何も携えずに、
ただ一身を天涯に寄せるのと同じである。
其の六
新しい住まいは瓦を葺いたので、
もう風雨の憂いはなくなるだろう。
籠竹の横に榿を栽えたので、
ちっぽけな詩をそこで詠むことができるだろう。
あとは、漢の時代の貳師将軍を煩わして、
剣でもって山を刺してほとばしる水を出してもらうだけだ。
百尺の深さまで掘り下げて、
二本の綱を牛に載せて運んできて釣瓶に使おう。
［補足］（残る工事は井戸を掘ることだと、漢の貳師将軍の故事を引いて詠んでいる。あるとき町を敵に囲まれ、水が得られなくなって人々が苦しんだときに、将軍が剣で山を刺すと、水がほとばしり出たのだった）
■和陶歳暮作和張常侍
［解題］陶淵明の「歳の暮れに張常侍に和す」という詩に和した。張常侍（常侍は官職名）は陶淵明の親類であるという。蘇軾の作には序文がある。
［訳文］
序（蘇軾）
十二月二十五日酒盡、取米欲釀、米亦竭。
時呉遠遊、陸道士客於余、因読淵明歳暮和張常侍詩、亦以無酒為嘆、乃用其韻贈二子。
（十二月二十五日、酒がなくなった。米を取って酒を造ろうと思ったが、米もまた尽きてしまった。
このとき、呉遠遊と陸道士が客人として私のところにいた。陶淵明の「歳暮に張常侍に和す」の詩を読み、私もまた酒のないことを嘆いたのだった。そこでその詩の韻を用いて詩を作って二人に贈った）
［補足］（2人の客人の呉遠遊は呉復古、陸道士は陸惟忠のことである）
（陶淵明）
市朝悽旧人、（市や朝の（このごろの）できごとは旧い人のこころを悽ませる）
驟驥感悲泉。（（歳月は）驟驥のように（走りゆき）、悲泉（日の落ちるところ）があるのをいたみ感じる）
明旦非今日、（明の旦はもう今日では非いのだ）
歳暮余何言。（歳の暮れに余は何も言えない）
素顔斂光潤、（素の顔からは光も潤いも斂ってしまい）
白髮一已繁。（白髮だけが一に已に繁あるのだ）
闊哉秦穆談、（闊ことであった哉、秦の穆（公）が談ったのは）
旅力豈未愆。（（自分に限っては）旅の力は豈て愆われはし未いと（ありえないことを）いったのだ）
向夕長風起、（夕べに向って長からの風が起り）
寒雲没西山。（寒ざむとした雲が西の山に没れる）
厲厲気遂厳、（厲厲と気が遂に厳しくなり）
紛紛飛鳥還。（紛紛と飛ぶ鳥は還ってゆく）
民生鮮常在、（民の生が常のように在ることは鮮くて）
矧伊愁苦纏。（矧伊や愁いと苦しみに纏つかれているのである）
屡闕清酤至、（屡しば清酤が至ることが闕けてしまい）
無以楽当年。（それで以で当の年を楽しむことができ無いでいる）
窮通靡攸慮、（窮ったり通ったりするのは慮む攸のものでは靡いのであって）
憔悴由化遷。（憔れ悴えるのは化遷に由ておけばよい）
撫己有深懐、（己を撫って深い懐いが有る）
履運増慨然。（わが運りあわせの履に慨然が増すのである）
［補足］（この詩は陶淵明が54歳のとき、晋朝の安帝が劉裕によって殺された年の作であると推測されている。劉裕はその翌年、晋朝から皇位を奪って自身が皇帝になる。陶淵明は引退して10年余り経っていたが、世の変転に無関心だったわけではなく、不正義のはびこる世の中に対して自身が無力であることを、ときにはこうして深く嘆いていたのだった）
（蘇軾）
我生有天禄、（我が人生において酒はいわゆる「天から与えられた禄」のようなもの）
玄膺流玉泉。（たとえそれがなくても玄膺（唾液腺）からは自然と玉泉（唾液）が流れ出る）
何事陶彭沢、（陶淵明先生はどうしたことか）
乏酒毎形言。（酒が乏しいと毎度毎度言葉に出している）
仙人与道士、（仙人とか道士とかいうものは）
自養豈在繁。（自ら養って、あれがほしいとかごちゃごちゃいったりしないはずだ）
但使荊棘除、（自身の内にある荊棘のようなものを取り除いてしまえば）
不憂梨棗愆。（よい梨棗が稔らないとか心配する必要はないのだ）
我年六十一、（我が年齢は六十一だ）
頽景薄西山。（頽景がもう西の山に迫っている）
歳暮似有得、（歳の暮れになって何か得たものがあったのか）
稍覚散亡還。（散り散りになっていたものが還ってきたような気がする）
有如千丈松、（千丈の高い松も）
常苦弱蔓纏。（いつもは蔓がからまってくるのに苦しんでいるけれど）
養我歳寒枝、（歳の終わりの寒さにも己の枝を養っているなら）
会有解脱年。（きっと（蔓が枯れて）解脱のときが来るのだ）
米尽初不知、（米がなくなったのを知らずにいた）
但怪饑鼠遷。（ただ飢えた鼠どもがよそに行ってしまったのを変だとは思っていた）
二子真我客、（貴君ら二人はまことに我が客人である）
不酔亦陶然。（酒で酔わなくても陶然としているのだから）
■記恵州土芋
［解題］上の詩やその前の詩に第四首にあったように、蘇軾はぎりぎりの生活をし、最後の蓄えを使い尽くすようにして新居を整えたようである。これは、年末に呉復古とともに芋を炙って食べたという短文。
［訳文］
岷山（蜀中の山）のふもとでは、凶年には蹲鴟（大きな芋の類）を食糧とする。これを食べると疫病に罹ることもなく、人によいものである。
『本草』には芋、土芝について、「気を益して饑を充たす」と記してある。恵州にはそれらがたくさん産するのだが、食べても病を免れるわけではない。
呉復古はこのように言った。
「それは芋の罪ではありません。芋は、皮を取り去り、湿った紙で包み、火であぶります。それを熱いうちに食べると、ふかふかできめこまやかで、よく気を益して饑を充たすのです。いま恵州の人々は皮と一緒に水で煮て、冷ましてから食べます。これでは少し堅くて味も薄くなります。病をおこすのも当然でしょう」
丙子の除夜の前の両日、夜に腹がひどく減ったので、呉復古が芋を二本あぶって食べさせてくれた。非常にうまかったので、そのことを書いておく。
■除夕訪子野食燒芋戯作
［解題］同じく呉復古とともに芋を炙って食べたときに戯れに詠んだ詩。
［訳文］
ひゅうひゅうと、風が松に鳴る。
春とはいえ、うすら寒さを覚える。
ぎゅるぎゅると、
それと伴奏するように、
我が飢えた腸が夜中に至って鳴り出す。
呉君は芋を牛糞の火の中に放り込んで焼いてくれる。
さながらこれは、
かの貧乏坊主の食い残しをさらに食らうようなものではなかろうか。
［補足］（（1）終わり句の原文は「山人更吃懶残残」（山人 更に吃っす懶残の残りを）で、「山人」とは唐代の中頃に宰相となった李泌のことで、李泌は玄宗皇帝の治世の末期に政治が乱れたときに世間から離れて山に籠っていた。そのときに人の食べ残しを食らって生きる懶残という乞食坊主と往来するようになった。懶残はあるとき李泌のもとを訪れると、火の中から焼けた芋を掘り出して喰らい、「これは決して他言しませんように。そなたは十年後に宰相になるであろう」と言った。蘇軾は自分を李泌に、呉復古を懶残に比べつつ、呉復古の食べ残しの芋を食うようでは、李泌のようになる見込みはないと自嘲したのであろう。（2）訳者が依拠する孔凡礼『蘇軾年譜』（1998年）は、この詩はこれより2年後に詠んだとしているが、ここに置く方が適切であると思われる）