第10章　暴風雨の前の変転――都、潁州、揚州、定州

［第10章その三］

元(げん)祐(ゆう)6（1091）年、蘇(そ)軾(しょく)58歳。

■次韻秦少遊王仲至元日立春三首

［解題］この年は元日が立春に当たり、秦(しん)観(かん)（字(あざな)は少(しょう)遊(ゆう)）と王(おう)欽(きん)臣(しん)（字は仲(ちゅう)至(し)）が詩を詠んだのでそれに次韻した。3首のうち2首を訳す。

［訳文］

　　其の一

天(てん)公(こう)（造物者）は二度の面倒を省きたかったのか、

新年と立春を同時に催した。

ただいささか真心を示して、

梅の花の伴(つれ)にと、山かげに雪を降らせてくれた。

　　其の二

元日は己(き)卯(う)、

弟にとって日の廻りがよく、何ともめでたい。

願うのは、弟に過失もなく、また功績もないことを。

来年の春には私は江(こう)湖(こ)のほとりにいて、

夢に皇城を見て、こちらに首(こうべ)を回らせることであろう。

■次韻王晋卿奉詔押高麗宴射

［解題］正月の宮中での行事を詠んだ詩。高(こう)麗(らい)国(こく)からの使者は吉例として、正月三日に皇帝の前で矢を射るパフォーマンスをし、皇帝主催の宴会が催された。王(おう)詵(しん)（字(あざな)は晋(しん)卿(けい)）は先々代の皇帝の娘婿という高貴の身分であることから、その行事に参加し、皇帝に命じられてその場で詩を詠んだ。蘇軾（宴には参加していない）は後でその詩に次韻した。

［訳文］

皇居の北苑に、役目の者の呼び声が響くと、

高(こう)麗(らい)国(こく)の使者が現れ出る。

使者はすぐに高雅な香りがする（王(おう)詵(しん)の存在）のに気づく。

高麗国の使者とともに射る我が方の武臣は、

三本の矢で一国を降伏させるほどの腕前であるから、

使者は敢えて射るべきかをためらう。

陛下のお言葉によって、貴君は金の盃を賜り、

酔って帰れば、颯爽としたその姿を人々は争って見ようとする。

貴君の錦の嚢(ふくろ)にはたくさんの名句がおさまっているのだが、

そこらの人々にまでやたらと与えない方がよいだろう。

（この詩は、華麗な語句をちりばめていかにも目出度く歌い、王(おう)詵(しん)を讃えたもの。およその意味を取って訳した）

■上元侍飲楼上三首呈同列

［解題］これも宮中での行事を詠んだ詩。1月15日の上(じょう)元(げん)節(せつ)の前後は、都は無数の燈篭によって照らされる。1月14日夜、皇帝は宣(せん)徳(とく)楼(ろう)に登って燈篭を見物し、近臣に酒を賜った。これには蘇軾も参加して詩を詠み、同輩に示した。

［訳文］

　　其の一

淡い月とまばらな星が宮殿を繞(めぐ)り、

厳かな風が高貴な香りを伝える。

臣下の者が通(つう)明(めい)殿(でん)の前に一列に並ぶと、

紅い雲に包まれて陛下がお出ましになる。

　　其の二

淡い雪は消えたばかり、野はまだ耕される前、

農民は薪を売って酒を買い、

この太平の賑わいを見物にくる。

陛下は勤倹にして思慮深くあられるので、

自然と豊年となって、人々の笑い声に満ちるのである。

　　其の三

この老病を身で、

皇城から退く万馬の群れを縫って進んで行くと、

都の街路から人々が散って、

月明かりだけが残っている。

家に帰りつくと、

消えかけた燈篭が一つだけあって、

妻にいただきものの黄(こう)柑(かん)を渡す。

［補足］（最後は、蘇軾自身の注記で、「楼上で侍(じ)飲(いん)すると、高貴な方々が近臣に黄(こう)柑(かん)を配ってくれる。これを伝(でん)柑(かん)といい、携えて帰ってよいことになっている」と記している。蘇軾は他ならぬ王(おう)詵(しん)からこの伝柑を受け取り、謝礼の詩を作っている。王詵は蘇軾の友人ではあっても、公的な場においてはやはり皇族側の高貴な人々の一員なのである）

■送蒋穎叔帥熙河

［解題］宋(そう)の大きな弱点は軍事面で、隣国の遼(りょう)国(こく)、夏(か)国(こく)との関係は基本的に受け身の姿勢に終始し、常に緊張を強いられた。遼国とはかつて富(ふ)弼(ひつ)がかろうじて武力衝突を回避して以来（第8章109ページ）、多額の歳(さい)幣(へい)と引き換えにほぼ安定した状態を保持してきたが、西の夏国とはたびたび戦火を交えた。その最前線である熙(き)州に蒋(しょう)之(し)奇(き)（字(あざな)は穎(えい)叔(しゅく)）が知事として赴任することになり、この送別の詩を作った。短い序文がある。

［訳文］

蒋(しょう)之(し)奇(き)が臨(りん)洮(とう)（熙(き)州）に赴任することになり、私と銭(せん)勰(きょう)、王(おう)欽(きん)臣(しん)が餞(はなむけ)にそれぞれ詩を賦した。「今我来思」の四文字を韻とし、速やかに帰るとの意味をそこに籠めた。私は「我」の字を得た。

我が軍団は西方に出たまま留まっている。

軍事の論議に私の出番はない。

深く敵地に入る計画がまるでないのなら、

兜の緒は緩めておいてもよく、

私でも間に合うのだろうけれど……。

承(しょう)明(めい)殿(でん)において貴君は用いられ、

勅旨の文字は五色の火よりも輝いた。

これまで貴君は何度も自薦してきていたのだが、

都に留められて希望を果せずにいた。

貴君はいつも兵を論じることを喜び、

ついに老いに臨んで辺境の関の鍵を預けられたのだ。

貴君は談笑する間に新しい詩を作り、

僚友はその気炎に降参してしまう。

いずれ私は将軍（蒋(しょう)之(し)奇(き)）の帰還を喜ぶ古(いにしえ)の詩を歌うであろうが、

いまは送別に欠かせない柳の枝に目をやらなければならない。

戦地では敵の首を挙げるのをよしとするものだが、

それで得られるものは実はごくわずかなのだ。

昔、魯(ろ)仲(ちゅう)連(れん)はたった一通の手紙で城を下したという。

人を殺さなければ、

そのことが大きな功徳となって、きっと貴君の身に返ってくるはずだ。

［補足］（（1）蘇軾は勇ましいことを歌わずに、「陰功在不殺」（陰(いん)功(こう)は不(ふ)殺(さつ)に在(あ)る）と言って、戦闘を避けて平和裏に物事を解決することを推奨している（2）魯(ろ)仲(ちゅう)連(れん)の名は本章82ページで見ている）

■次韻穎叔観燈

［解題］蒋(しょう)之(し)奇(き)（字(あざな)は穎(えい)叔(しゅく)）が上(じょう)元(げん)の燈篭を見て詠んだ詩に次韻した。内容的には上と同じく送別の詩である。

［訳文］

西域の知事となった貴君は禅僧のような人、

仏の教えを無限に広げる「無(む)尽(じん)燈(ひ)」を到るところで灯してゆくのだ。

貴君が一万騎を従えて行進すると、

異国の人々は挙ってその勇ましさを見ようとするだろう。

貴君は遊びに出るだけで降伏を促す。

かくてもはや防御する必要もなくなって、

異国の連中は入貢するようになるだろう。

凱旋して皇帝より宴を賜り、

有難さに耐えられないほどのお褒めの言葉に預かるであろう。

［補足］（燈篭見物から連想して、あたかも行楽に出るかのように蒋(しょう)之(し)奇(き)を見送った。さらに2首の送別の詩があるが、特に面白みがないので訳は省略する）

■送襄陽従事李友諒帰銭塘

［解題］襄(じょう)陽(よう)で官職に就いていた李(り)友(ゆう)諒(りょう)が故郷の銭(せん)塘(とう)（杭(こう)州）に帰るのを見送った詩。

［訳文］

私は杭(こう)州にあること積算して五年、

もともと杭州の人であったと思うほどになった。

故郷に帰ったところでもはやそこに家はなく、

西(せい)湖(こ)において、貴君の隣りに住みたいものである。

良い田を買うのも難しくはないだろうし、

誰と親しくたらよいかと迷うほどによい人々がたくさんいる。

髯の張(ちょう)君は世俗から超然と抜きんでた人であるし、

老いた潜(せん)君もまた世に類(たぐい)希(ま)れな好人物である。

そこに、氷のように清(せい)冽(れつ)で、詩文も振る舞いも清淳な貴君が加わるのである。

その三人のいるところに私も帰って遊ぶなら、

そこでこの身を終えてこそ満足できるだろう。

私が作った西湖の堤はそのままにあり、

姥(ぼ)嶺(れい)を超える道が新たに開かれようとしている。

そうした杭州を見ようと、

私は夢で貴君の後を追って行くのだ、

我が衣へと花びらの落ちくる道をたどって……。

［補足］（「髯の張(ちょう)君」は張(ちょう)弼(ひつ)（字(あざな)は秉(へい)道(どう)）（第9章176ページ）、「老いた潜(せん)君」は参(さん)寥(りょう)（道(どう)潜(せん)）（第9章208ページなど）のことである。この詩の蘇軾の願いが叶って、三度目の杭州の日々を過ごせることを、訳者も千年を隔てて切望するのだが……）

■次韻呉伝正枯木歌

［解題］呉(ご)安(あん)詩(し)（字(あざな)は伝(でん)正(せい)）の「枯れた木の歌」に次韻した。呉安詩のもとの詩は、李(り)公(こう)麟(りん)（号は竜(りゅう)眠(みん)居(こ)士(じ)）（第8章103ページなど）が描いた画に添えたものである。

［訳文］

天(てん)公(こう)（造物者）こそは非常に優れた水墨画を描く――

痩せた竹、枯れた松、そこに傾き行く月がかかる、

かくて夢から覚めた人は、

窓にまばらな影が毎夜映るのを見て驚くのである。

何かが生成され、変化し、壊れるのも、

天公が一度指を弾く間のこと。

もとより天公は特定の物にかかずらうことはない。

画師は昔から俗士ではなく、

絶妙な画想は詩とともに出てくるといわれている。

確かに竜(りゅう)眠(みん)居(こ)士(じ)（李(り)公(こう)麟(りん)）はもとは詩人で、

竜に雷を鳴らさせるほどの勢いのある詩を作る。

貴君は絵筆を持つ人ではないけれど、

自然の美を見抜く詩眼を具えている。

竜眠居士の胸の中には千頭の馬があり、

その肉だけなく、骨も描く腕前であるから、

それに見合うには杜(と)甫(ほ)のような立派な詩を詠まなければならない。

貴君に倣って私もちびた筆をひねくりまわそうと思うのだが、

いま東南（越(えつ)州や杭(こう)州）の山水がさかんに私を呼んでいて、

心の内の珠(たま)にはかの地の万象がしきりに映り出される。

いま手元にある詩画などは全て友人に与えてしまって、

何も持たずに、天公の描くかの地の画を見に行こうと思う。

［補足］（呉(ご)安(あん)詩(し)のもとの詩は伝わらないが、枯れた木を歌いつつ馬にも語が及んでいたのだろう。それで蘇軾は杜(と)甫(ほ)を持ち出したのである。杜甫が韓(かん)幹(かん)の描く馬の画を詩に詠んだことは第8章137ページで見ていて、そこで蘇軾は韓幹と李(り)公(こう)麟(りん)を比較している）

■送黄師是赴両浙憲

［解題］黄(こう)寔(しょく)（字(あざな)は師(し)是(し)）が両(りょう)浙(せつ)道(どう)の刑獄を司る官職に就くのを見送った詩。黄寔の名は第7章179ページで見ているが、蘇轍と親しくし、姻戚関係を結んだという。

［訳文］

世にこのような士(ひと)は久しくいなかった、

私は晩年に至ってこの人を得た。

かの黄(こう)憲(けん)の子孫でなければ、黄(こう)覇(は)の門下生であろう。

ところが、白髪頭になるまで下級役人のまま、

緑(りょく)衣(い)（小間使い）さえもこれはおかしなことだという。

哀しいことに、

呉(ご)越(えつ)の人々は、ここのところ、

洪水によって江や湖に呑み込まれてしまう目に遭っていて、

お上が倉と財布をすっかりはたいても、

民衆の腹を満たすには至っていない。

近頃聞いたところでは、

支流においては、水底にあった村がようやく現れ出てきているという。

望むのは、

豆の葉しか食べられずに餓死してしまった人々の魂を、

貴君が慈愛をもって慰めてくれることだ。

民に恵みをもたらす政治を見たならば、

誰よりも獄吏を畏れていた人々も、

その考えを改めるであろう。

我が願いの通りに、会(かい)稽(けい)（越(えつ)州）に行くときまでには、

鏡(きょう)湖(こ)も水が引いて盆のように小さくなっているだろう。

そして、貴君のお蔭で民衆の瘡痍(きず)はすっかり癒えているのだ。

［補足］（（1）黄(こう)憲(けん)は後(ご)漢(かん)の、黄(こう)覇(は)は前(ぜん)漢(かん)の賢人で、同姓の2人引いて黄(こう)寔(しょく)を賞賛したのである。（2）「緑(りょく)衣(い)さえもおかしなことだという」（原文は「緑衣有公言」（緑(りょく)衣(い) 公(こう)言(げん)有(あ)り（緑衣が正しいことを言う））の句には次のような伝承がある。人々はこの句の意味がわからなかったので、蘇軾に尋ねたところ、「うちの王(おう)朝(ちょう)雲(うん)は黄寔君を見るたびに、その官位が上がらないのを不思議がっています」と答えたという。王朝雲（第7章55ページ）が蘇軾の愛する女性で、聡明であることは当時の人々によく知られていた。（3）先に鏡(きょう)湖(こ)を周囲八百里に広げるといい（本章289ページ）、ここでは盆の大きさに縮めるといっていて、なかなかに楽しい）

■文与可画賛

［解題］かつての親友文(ぶん)同(どう)（字(あざな)は与(よ)可(か)）（第8章76ページなど）の画に書き添えた賛。

［訳文］

友人の文(ぶん)同(どう)が没してすでに十四年。その遺墨を呂(りょ)陶(とう)の家で見た。嗟(さ)嘆(たん)の余り、すぐにこの賛を記した。

竹寒而秀、（竹は寒く、高く秀で）

木痩而寿、（木は痩せて、長く生き）

石醜而文、（石は醜く、美しい）

是為三益之友。（竹、木、石は有益な三人の友である）

粲乎其可接、（その輝きは接(つ)ぐべきであって）

邀乎其不可囿。（庭に迎え入れるものではない）

我懐斯人、（私はこの人（文(ぶん)同(どう)）を思う）

嗚呼。（ああ）

其可復観也。（もう観ることができないのだ）

元(げん)祐(ゆう)七年二月四日、東(とう)坡(ば)居(こ)士(じ)書く。

［補足］（呂(りょ)陶(とう)は成(せい)都(と)の出身で、いわゆる「蜀(しょく)党(とう)」の一員と見られていた人物である（第8章222ページ））

■送范中済経略侍郎分韻賦詩以元戎十乗以先啓行為韻軾得先字且贈以魚枕杯四馬箠一

［解題］詩題は、「范(はん)子(し)奇(き)（字(あざな)は中(ちゅう)済(さい)）の送別の詩。『元戎十乗以先啓行』の八字を分けて韻とし、私には『先』の字が当たった。魚(ぎょ)枕(ちん)（貝の一種）の杯四つ、馬(ば)箠(すい)一本を贈った」。范子奇は、国境地帯で民事・軍事に臨機応変に対処する経(けい)略(りゃく)侍(じ)郎(ろう)の任をもって慶(けい)州に赴任した。慶州は夏(か)国(こく)と対峙する戦略上重要な拠点である。

［訳文］

夏(か)国(こく)の梁(りょう)氏と李(り)氏が、長く禍(わざわい)を楽しむかのように、

自ら身を焚(た)くようなことをしているのは、

天の定めなのだろうか。

穴の中で二匹の鼠が闘ったところで、

勝ちも負けも偶然の結果でしかない。

謀(はかりごと)は最初が肝心で、百慮を必要とし、

最後の始末を善くすれば万全である。

朝廷は代々将軍を生み出してきた家から人を選んだ、

范(はん)氏はまことに多くの賢人を輩出してきたのだ。

貴君はかの地に仁の風を吹かせ、

見渡す限り麦の穂が揺れる緑の浪を起こすであろう。

その一方で、号令を響かせれば鳥も驚き、

弓の弦を鳴らすだけで、空から落ちてくることだろう。

私はいま日の光が遮られて当たらないのに苦しみ、

剣を売って農地に帰ろうと思っている。

私の家は天の片隅にあり、

去り行く路は都の西端から始まる。

貴君に贈るのは荊(けい)州産の魚(ぎょ)枕(ちん)の杯、

それに蜀(しょく)州産の馬(ば)鞭(べん)を添えよう。

ここで一酔したならば起(た)って行くがよい、

誰かに功名を先取りされてしまわないように。

［補足］（（1）最初の部分は、夏(か)国(こく)の内部で、王族の李(り)氏と外戚の梁(りょう)氏との内輪揉めが絶えないことを言っている。（2）范(はん)子(し)奇(き)の家は5代にわたって功績があったという）

■書晁説之考牧図後

［解題］晁(ちょう)説(えつ)之(し)（字(あざな)は以(い)道(どう)）が描いた「考(こう)牧(ぼく)図(ず)」の後ろに書き添えた詩。晁說之は、蘇(そ)門(もん)四(し)学(がく)士(し)の晁(ちょう)補(ほ)之(し)の弟。「考牧図」は古代の名君とされる周(しゅう)の宣(せん)王(おう)が牧場を復活させた故事を描いた画。

［訳文］

私は田舎に育ち、

ただ羊と牛だけを知っていた。

川べりの平らな道で、

のんびり牛の背に乗っていると、

まるで百斛(こく)の大舟の上にいるような気分であった。

その舟は船頭がいなくても進み、

勝手に岸辺が後ろに移って行くのだった。

私は伏せて書物を読み、

牛はそんなことにはお構いなしだ。

牛の前には百匹の羊がいて、

私が鞭を打つ音を、

一軍を指揮する陣太鼓のように聴いていた。

鞭はやたらと打つのではなく、

後れるものがいるのを見つけたときに使う。

沢辺の草は短いものだけを食べさせ、

成長した草は牛や羊にはよろしくない。

山の中に入ってあちこち谷を越え、

上り下りによって筋骨を強くする。

広い林の下を、

蓑を煙らせ、笠を雨に濡らして進んで行ったのだが、

それも今は昔、

老いては画の中にだけ見る光景である。

世間のことは馬耳東風と聞き流していながらも、

残念に思うのは、

たくさんの牛を飼う翁にならなかったことだ。

■呂与叔学士挽詞

［解題］呂(りょ)大(だい)臨(りん)（字(あざな)は与(よ)叔(しゅく)）の死を悼んだ挽詞。呂大臨は、宰相を務めた呂(りょ)大(だい)防(ぼう)（第8章194ページ）の弟。

［訳文］

議論は国の大計に中(あた)り、

行為は人の基本に中り、

関(かん)西(せい)（長(ちょう)安(あん)周辺）出身の人物のなかでもとくに清(せい)英(えい)と目されていた。

漢(かん)の黄(こう)憲(けん)のような学識豊かな人と終日語り合いたい、

唐(とう)の元(げん)徳(とく)秀(しゅう)のような行いの正しい人と過ごしたいと、

私は思っていたのが、それも空しいことになってしまった。

貴君には三人の立派な友人がいた、

いまや誰もいなくなって、活発な議論はどこからも聞かれない。

功名はただ貴君の二人の兄のもとに残ることとなった。

私は老いて、時を憂いて嘆くことが多い、

いまのこの涙はどこから溢れ出るのか、

それはいうまでもない。

［補足］（保守派の党派争いが紛糾するのを解ける人物がいるとしたら呂(りょ)大(だい)臨(りん)であると、蘇軾は期待を寄せていたという）

■乞校正陸贄奏議上進札子

［解題］唐(とう)の中頃に、皇帝に向かって様々な意見を具申した陸(りく)贄(し)という人物がいた（本章27ページにもその名があった）。これは、陸贄の意見書（奏議）を集めた書物に校訂を加えて皇帝に差し出すことを記した文章。

［補足］（文章の冒頭に、都での蘇軾の肩書が記されている。「侍(じ)読(どく)」とは皇帝の教育係、「礼(れい)部(ぶ)尚(しょう)書(しょ)」は礼部の長官で、宰相、副宰相に継ぐ大臣クラスのポストである）

［訳文］

元(げん)祐(ゆう)八年五月七日、端(たん)明(めい)殿(でん)学(がく)士(し)兼(けん)翰(かん)林(りん)侍(じ)読(どく)学(がく)士(し)左(さ)朝(ちょう)奉(ほう)郎(ろう)守(しゅ)礼(れい)部(ぶ)尚(しょう)書(しょ)蘇軾と、呂(りょ)希(き)哲(てつ)、呉(ご)安(あん)詩(し)、豐(ほう)稷(しょく)、趙(ちょう)彦(げん)若(じゃく)、范(はん)祖(そ)禹(う)、顧(こ)臨(りん)が書面をもって申し上げます。

臣等は能力がないながらも陛下に書物を御進講する役目についておるのでありますが、陛下は聖(せい)明(めい)天(てん)縱(しょう)であられ、学問は日々に進歩しておられます。臣等の才能には限りがあり、しかし学問の道は窮まるところがありません。心の内に申し上げたいことがありましても、言葉として言い表すことができず、恥ずかしさのあまりどうしたらよいのかわからずにおります。

竊(ひそ)かに謂(おも)いますに、臣下の者が忠言をいたすのは、譬えてみれば医者が薬を用いるのに似ておりましょう。薬は医者の手から進めるものではありますが、その処方の多くは古(いにしえ)の人々から伝えられてきたものです。もしも世間に効力のある処方箋があるのなら、必ずしも医者の手からでなくてもよいのです。

伏して思いますに、唐(とう)代(だい)の宰相の陸(りく)贄(し)は、才能はもとより国王を佐(たす)けるのに足り、学問は皇帝の師匠になるに足る人物で、議論は深く、分析は鋭く、言葉は道徳から離れることがありませんでした。智は漢の名臣張(ちょう)良(りょう)のようで、文章はそれを超え、弁は漢の名賢賈(か)誼(ぎ)のようで、施策はより綿密でありました。上に対しては君主の心の誤りを正し、下に対しては天下の人々の思うところに通じていました。古の三代の時代からこの人しかいないといわれるような人物であったのです。

ただ不幸にして、国家に奉仕するに時代の巡り合わせが遇わなくて、時の徳(とく)宗(そう)皇帝は苛刻な政治を行える者こそが能力が高いとしていました。そのかたわらで陸贄は厚い忠心をもって皇帝を諫めたのでした。徳宗は疑いをもって臣下を操ろうとする人で、一方で陸贄は真心をもって当たることを勧めたのでした。徳宗は兵を用いることを好み、陸贄は戦争をしないことを先としました。徳宗は財を上に聚(あつ)めることを好み、陸贄は財を民に配ることを急務としました。さらに陸贄は、人を用いてその意見を聴く方法、辺境の地を治めて将軍を制御する方法、己を戒めて人心を収める方法、己の過ちを改めて天の道に応じる方法、小(しょう)人(じん)を去って民の患いを除く方法、賞をむやみに与えるのではなくて功績が上がるのを待つ方法に至るまでを進言し、このようなことは数えきれないほどでありました。まさに、口に苦い薬を進め、身体の急所に鍼(はり)を打つようなことをしたのでした。もし徳宗がその言の全てを用いたなら、貞(じょう)観(がん)の治（唐の最もよく治まった時代）を再現することもできたでありましょう。

臣等は西(せい)閣(かく)（皇帝に進講する場所）から退くごとに、このように語り合うのであります。「陛下の御聖明をもってすれば、必すや陸贄の議論をお喜びになりましょう。聖人と賢臣がともに契り合うようなことが、まさに時を同じくする君主と臣下の間で実現することでしょう」。

昔、漢(かん)の時代に馮(ふう)唐(とう)が、廉(れん)頗(ぱ)や李(り)牧(ぼく)について述べると、文(ぶん)帝(てい)はその二人がいまいればと太息して政(まつりごと)に励み、やはり漢の時代に魏(ぎ)相(しょう)が、晁(ちょう)錯(さく)、董(とう)仲(ちゅう)舒(じょ)について述べると、孝(こう)宣(せん)帝(てい)はそれを踏まえて国勢を立て直しました。もし陛下が御自身で師とすべき人物を得ようとなさるなら、近世では陸贄に優る者はいないのであります。

六(りく)経(けい)、三史、諸子百家の種々の古典はいずれも観るべきところがないわけではなく、治世の参考にするに十分なところがあります。ただし、聖人の言葉は深遠で理解するのが容易でないところがあり、一方で後世の末学は枝葉に分かれすぎてしまっています。譬えていえば、聖人の言葉は山のように高く、海のように深く、一度や二度ではその意味を推して了解するのが難しいのです。

陸贄の議論は巻を開けば一目了然です。古今の精英が聚(あつ)められていて、実に治乱の要諦を見せる鏡であります。臣等はその奏議を集め、きちんと校正を加えて、御覧に入れようと考えております。望むのは、陛下がこれを座右に置かれて、陸贄を目の前に見るようにして、反覆熟読されることであります。陸贄と語り合うようにされたならば、必ず聖性の高明が御身の内より発せられて、歳月を待たずして治世の功績が上がることでありましょう。

臣等は取るに足らぬ小さなことを申し上げましたが、どうかお取り上げくださいますように。

［補足］（（1）初めに蘇軾とともに皇帝の教育に関わる人々の名が列挙され、その全員の希望でもって陸(りく)贄(し)の意見書を皇帝に読んでもらおうとしたのはどうしてなのか。このとき哲(てつ)宗(そう)皇帝は18歳、いまでいえば高校生の最終学年である。思えば、哲宗が10歳のときに教育係となったのは厳格で狭量な程(てい)頤(い)であった（第8章77ページ）。その後、蘇軾や蘇轍も含む錚々たる人々の講義を聞かされてきた。本当に素直な優等生であるならば、教師連中が期待する通りの立派な帝王になろうと日々に精進したであろうが、いくらかでも自立心のある青年ならば、むしろ反発しない方がどうかしている。しかも、皇帝の位にありながら、実権は全て祖母である高(こう)太(たい)皇(こう)太(たい)后(ごう)に握られていて、何一つ自由にならないのだ。さらに、その祖母と周りを囲む人々は父である神(しん)宗(そう)皇帝が自ら指揮をして鋭意進めてきていた改革政治を全てひっくり返してしまったのだ。ふつふつと反抗心が湧き上がり、成長とともに爆発寸前になっていて当然である。蘇軾等は、陸(りく)贄(し)の意見を聞かずに暗愚な皇帝に成り下がったとレッテルと貼られた唐(とう)の徳(とく)宗(そう)のようにはならないようにとくぎを刺したわけであるが、果たして哲宗はこの文章を読んだのだろうか。蘇軾はこのときに限らず、第8章165ページでも見たように、耳に痛い意見も聞くようにと、一貫して皇帝に希望し続けている。（2）明(みん)末(まつ)清(しん)初(しょ)の大学者である王(おう)夫(ふう)之(し)は、緻密で公正な議論で君主を説得して政治を正そうとした人物として三(さん)代(だい)（太古の理想化された時代）以降第一の人であると、陸贄のことを極めて高く評価している（『読(どく)通(つ)鑑(がん)論(ろん)』）。王夫之は、同じように皇帝にしばしば優れた意見を具申した人物として漢(かん)から南(なん)宋(そう)に至る間の5人の人物を挙げて比較して、いずれも陸贄には及ばないとしている。そこに蘇軾の名もあり、「蘇軾は弁(べん)にして詭(き)」と記している。平たくいうと、文章が巧みで説得力があるけれど、何となくごまかされているようなところがあるということであろう。実際、蘇軾の詩文をこれまでいろいろ見てきて、多くの人がそれに近い印象を持っているのではないだろうか。どこか腑に落ちないところがありながらも、心地よく酔わされてしまう、それが実のところ蘇軾の魅力なのであろう）

■記張元方論麦虫

［解題］米(べい)黻(ふつ)（字(あざな)は元(げん)章(しょう)）に関連するちょっとしたエピソード。米黻が雍(よう)丘(きゅう)県知事であることは本章298ページで見ている。

［訳文］

元(げん)祐(ゆう)八年五月十日、雍(よう)丘(きゅう)知事の米(べい)黻(ふつ)から手紙がきて、雍丘県で麦の葉を食べる虫が見つかり、ただし実は食べないという。

たまたま張(ちょう)元(げん)方(ほう)に会ったところ、このように言った。

「麦と豆には虫はつきません。もし虫がいるのならこれは異常なことです。葉を食べるというのですから、麦が病んで害にならずにすむということはないでしょう」

張元方はこのようにも言った。

「虫が害をなすときには、きっと小さな甲(こう)虫(ちゅう)がいます。それを見たなら、すぐに腰から断って除かなくてはなりません。俗にこれを『見逃してはならん』といっています」

このようなことはこれまでに聞いたことがなかったので記録しておく。

［補足］（（1）虫の害にはたびたび苦しめられてきたので、このようなちょっとした知見でも書き残しておこうと思ったのだろう。（2）この後、8月までの間に、蘇軾は米(べい)黻(ふつ)に会いに雍(よう)丘(きゅう)に行き、馬(ば)正(せい)卿(けい)とも語り合ったようだ）

■与潘彦明

［解題］この頃に書いたと推測される潘(はん)丙(へい)（字(あざな)は彦(げん)明(めい)）宛ての手紙を見ておこう。潘丙は黄(こう)州で親しくした人である（第6章141ページなど）。

［訳文］

お手紙を頂戴し、たいへんに心が慰められました。このごろはどのように過ごされておられましょうか。

お別れしてから、いつの間にやら九年、付け加わるものといえば衰えと病、いつになったら引退できますやら。いろいろなことが次々にふりかかってきて、とにかく恥じかつ嘆くばかりです。

東の坡(おか)をすっかり修繕なさったとのこと。懐かしい人々と行き来できるようになるのはいつになりましょうか。果たしてそのような日がくるのかと思うと、紙に向かって胸が熱くなります。

［補足］（「東の坡(おか)の修繕」とあるのは、蘇軾の建てた雪(せつ)堂(どう)のことであろう。黄(こう)州を去るに当たって、雪堂は潘(はん)丙(へい)の兄の子の潘(はん)大(だい)臨(りん)に託したのだった（第6章487ページ））

■行香子

［解題］心の内を詠んだ2首の詞。定かではないが、このころの作であろうと推測されている。

［訳文］

　　寓意

三入承明、（宮中に入ること三回）

四至九卿。（高位に昇ること四回）

問書生、（若い人に問いかけます）

何辱何栄。（何を辱(はずかし)めとし、何を栄えとするのですか）

金張七葉、（漢(かん)の時代に金(きん)氏、張(ちょう)氏は七世にわたって）

紉綺貂桜。（高い身分を示す衣服を纏い続けました）

無汗馬事、（でも、軍務に汗をかくこともなければ）

不献賦、（賦を献じることもなく）

不明経。（学問にも明るくなかったのです）

成都卜肆、（そのころに、占いを生業としていた厳(げん)君(くん)平(ぺい)は）

寂莫君平。（成(せい)都(と)でひそやかに暮らしていましたし）

鄭子真、（鄭(てい)子(し)真(しん)は）

巖谷躬耕。（深い谷間で畑を耕していました）

寒灰炙手、（冷えた灰も手を炙る火を再びおこすことがあります）

人重人軽。（人は重んじられることもあれば、軽んじられることもあります）

除竺乾学、（仏教を学ぶまでもなく）

得無念、（思念のないこと）

得無名。（名を顕さないことが得られるのでしょうか）

　　述懐

清夜無塵、（塵一つない清らかな夜）

月色如銀。（月は銀のような色です）

酒斟時、（酒を酌むと）

須満十分。（十分に心は満ちてきます）

浮名浮利、（名利などは浮ついたもの）

虚苦労神。（虚しく精神を苦しめ疲れさせるだけです）

嘆隙中駒、（人が嘆くのも、馬がわずかな隙間を駆け抜ける間のこと）

石中火、（石が火を放つほんの一瞬に）

夢中身。（夢の中にある身なのです）

雖抱文章、（心に文章を抱いていたところで）

開口誰親。（口を開いたら、皆がそっぽを向くだけ）

且陶陶、（しばし陶陶(ゆるゆる)と）

楽尽天真。（天より与えられた真(まこと)を尽くして楽しもうではありませんか）

幾時帰去、（いつか帰って）

作個閑人。（閑な一人の人間になるのです）

対一張琴、（向かうのには、一(ひと)張(はり)の琴）

一壺酒、（一(ひと)壺(つぼ)の酒）

一溪雲。（そして渓に浮かぶ一つの雲）

■丹元子示詩飄飄然有謫仙風気呉伝正継作復次其韻

［解題］詩題は、「道士の姚(よう)丹(たん)元(げん)先生（本章296ページ）の詩は飄(ひょう)飄(ひょう)然(ぜん)として謫(たく)仙(せん)（李(り)白(はく)）の風気がある。呉(ご)安(あん)詩(し)（字(あざな)は伝(でん)正(せい)）（本章306ページ）がそれに続く詩を作ったので次韻した」。

［訳文］

空を飛行する仙人になるのは偶然のこと、

人としての運命から、一瞬のうちに抜け出してしまうのである。

せめて詩だけでも姚(よう)丹(たん)元(げん)先生に続きたいと思っても、

天に輝く日を写すような句は真似できるものではない。

先生は夢の中で、

丹薬が懐(ふところ)に入ったと覚えて詩句を吐いたところ、

天帝の叱責を受けて、

天から蓬(ほう)莱(らい)島(とう)へと墮(お)とされてしまった。

蓬莱島は何もないところで、

我が才を養うに足りないと思ったのだが、

かといって天上界もなかなかに厳格なところであるから、

しばしこの地上にいるしかあるまいと、

先生はここで流謫の日々を送っているのである。

ここに憐れなのは、呉(ご)安(あん)詩(し)と蘇(そ)軾(しょく)で、

不遇のまま頭が真っ白になってしまった。

とうとう先生と一緒になって、

笑って東の海を指さして、

他に行き場もないからと、

桴(いかだ)に乗って蓬莱島へと漕ぎ出すのである。

［補足］（姚(よう)丹(たん)元(げん)を蘇軾に紹介した王(おう)鞏(きょう)が、姚丹元の書斎を詠んだ詩があり、それに蘇軾が次韻しているが、この詩のような面白味に欠けるので省略する）

■呉子野将出家贈以扇山枕屏

［解題］呉(ご)復(ふく)古(こ)（字(あざな)は子(し)野(や)）が出家することになり、山を描いた扇を張り付けた枕(まくら)屏(びょう)風(ぶ)を贈り、この詩を添えた。呉復古は潮(ちょう)陽(よう)（現在の広(こう)州(しゅう)市の近く、かつて韓(かん)愈(ゆ)が流された潮(ちょう)州のとなり）の人で、参(さん)寥(りょう)師の知人。出家するために必要な度(ど)牒(ちょう)を得るために、蘇軾を頼って上京したようだ。

［補足］（呉(ご)復(ふく)古(こ)は、蘇軾が30歳の頃に朝廷のいた官僚の子で、科挙に2回落第してからは道(どう)人(じん)として各地を巡りつつ多くの士(し)大(たい)夫(ふ)と交わりをもった。蘇軾は密(みつ)州知事の任を終えて都に向かう途中で会っていて、黄(こう)州流謫の時期にはしばしば手紙の往来があった）

［訳文］

扇の中の山は峨(が)峨(が)として聳え立ち、

絶壁はまことに天が剖(さ)いたものだ。

心とは世界を映し出す大きな円い鏡、

ならば、衡(こう)山(ざん)、霍(かく)山(ざん)の大きな山だって戸口から入ってくるのだ。

この屏風は老(ろう)月(げつ)師(し)が得たもので、

画いたのは酔っ払い爺さんだという。

その人は、きっと胸のうちに雲(うん)夢(ぽう)の沢(たく)をおさめ、

手のうちに千の峰をおさめ、

指を弾く間に描き終えたのだろう。

山の低(てい)昂(こう)するありさまは知り尽くせないほどで、

そこらの子供たちの弄びものにしておくのはもったいない画である。

屏風は折れば小さく畳めるものであっても、

枕元に立てれば世俗の奔走から遮断される。

貴君の出家の願いは昨日今日のことではなく、

仏法の水によってもはや垢は洗い終わっている。

峰を離れる浮き雲の境地で、

肘に腫物ができようが泰然と座っておられる。

屏風の山の中腹に懐(おもい)を忘れる貴君と、

いつかこの白髪頭を並べたいと思う。

［補足］（「老(ろう)月(げつ)師(し)」とは誰なのか、定かではない。呉(ご)復(ふく)古(こ)が出家したことを詠んだ詩がもう1首伝わっていて、あるいはそれは蘇軾の長男の蘇(そ)過(か)の作品ではないかという説もある。蘇過はあいかわらず地方の小官として各地を転々としていた）

■表弟程徳孺生日

［解題］6月、程(てい)之(し)元(げん)（字(あざな)は徳(とく)孺(じゅ)）（本章294ページ）の誕生日にこの詩を贈った。

［訳文］

陛下が退席されて、儀仗の隊列も出て行くと、

千官は皆、皇居の広場から散り散りになる。

ふとわずかに聞こえてくるのは、

我等、蘇(そ)と程(てい)のことをたまたま語り合っている言葉。

叔父と甥は長身であるところまでも似ると昔からいうが、

我等の寿(じゅ)骨(こつ)（耳の後ろの骨）が突き出ているのを見れば、

遠くからでも従兄弟(いとこ)同士であることがすぐにわかる。

貴君も私もかつて万人を活かしたけれど、

その報いを望むものではなく、

ただ五畝(ほ)の田を得て帰耕することを希望している。

四代（仁(じん)宗(そう)、英(えい)宗(そう)、神(しん)宗(そう)、哲(てつ)宗(そう)）にわたって仕えてきた老人はほとんどいなくなり、

鶴(かく)髪(はつ)（白髪頭）で何人がこの先の年を迎えられるのだろうか。

［補足］（（1）寿(じゅ)骨(こつ)について蘇軾自身の注で、「私と程(てい)之(し)元(げん)はともに寿骨が耳を貫いているので、一列に並んだ中から、二人を指さして従兄弟(いとこ)の間柄にあるとすぐに人に知れるのである」と記している。蘇軾の母は程家から嫁ぎ、程之元は蘇軾の母の兄の子である。（2）やはり蘇軾自身の注で、「私は杭(こう)州において、程之元は楚(そ)州において飢饉の歳に遇い、数万人を活かした」と記している。（3）詩の終わりに「鶴髪他年幾個迎」（鶴(かく)髪(はつ) 他(た)年(ねん) 幾(いく)個(こ)か迎(むか)える）と詠んだのは自身の年齢的なことを言っていたのだが、間もなく蘇軾の身に大きな不幸がふりかかり、政治的局面にも重大な転換が訪れる。蘇軾は都に来て以来、越(えつ)州に出ることをしばしば朝廷に願い出ていた。その意に反して、6月26日、遠く北の定(てい)州知事に任ずるとの辞令が下された。その後も越州への変更を求め、それを応援する人もいたのだが、9月26日に至ってついに定州に向かって都を去ることになる）

■祭迨婦欧陽氏文

［解題］都にいる間に二男の蘇(そ)迨(たい)の妻の欧(おう)陽(よう)氏が亡くなり、蘇軾はこの祭文をその霊に供えた。

［補足］（蘇(そ)迨(たい)（22歳）が欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)の息子の欧(おう)陽(よう)棐(ひ)の娘と結婚したことは本章28ページで見ている。それからまだわずかな歳月しか経っていない）

［訳文］

昔、我が父は太(たい)師(し)文(ぶん)忠(ちゅう)公(こう)（欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)）より重い恩義を受け、婚姻の宜(ぎ)を結んで、好(よしみ)を永世のものにしたいと思った。よって、我が次男の蘇(そ)迨(たい)の妻としてそなたを求めたのだった。穎(えい)州より我が家に来て、夫婦は賓客同士のようであり、親類の女性一同は皆がそなたと仲睦まじかった。そなたは上の者によく仕え、下の者をよくいたわり、振る舞いは欧陽家の家法によるものだった。まさに百年の寿命を得て、我が後のことを託そうとしていたのだが、何としたことか、俄かにこのようなことになり、我が白髪頭をもって、かえってそなたのために哭すこととなってしまった。これが定めであったのか。嗚(あ)呼(あ)、哀しいかな。

吉月良日をもってそなたを都の西にある恵(え)済(さい)の僧舎において仮の棺に納める。そなたの魂が識(し)るのなら、我が家に帰ってくるように。朝夕に食事を供えるから、それを受け取って、仏僧への施し物とするがよい。

［補足］（ここには「吉月良日」とあるだけで、実際の日付はわかっていない）

■七年九月自広陵召還復館於浴室東堂八年六月乞会稽将去汶公乞詩乃復用前韻三首

［解題］詩題は「元(げん)祐(ゆう)七年九月、広(こう)陵(りょう)（揚(よう)州）から召し還され、また浴(よく)室(しつ)院(いん)の東堂に寄寓した。八年六月、会(かい)稽(けい)（越(えつ)州）を乞うてまさに行こうとし、汶(ぶん)公(こう)が詩を求めたので、前の詩の韻を用いて三首作った」。「汶公」は僧の恵(え)汶(ぶん)で、「前の詩」は本章21ページで見ている。このときは越州に行く気でいたのである。

［訳文］

　　其の一

私は地方に出ることを願い出る文書を三度記した、

どれも字が曲がってしまっていたから、

朝廷の人々は私の眼には花が散って昏(くら)くなったと笑ったことだろう。

「どうしてまだぐずぐずしているのかい」

上(しょう)人(にん)様が問われたので、

「頭(とう)綱(こう)八(はち)餅(へい)茶(ちゃ)を頂戴するのを待っているのです」

と、私は答えた。

［補足］（最後の句について、蘇軾自身の注で、「尚(しょ)書(しょ)学(がく)士(し)は頭(とう)綱(こう)竜(りゅう)茶(ちゃ)一斤を頂けることになっているのだが、今年はそれが都に着くのが遅れている」と記している。茶をもらえるまで待っているとは、もちろん戯れの言である）

　　其の二

夢は呉(ご)山(ざん)の月(げつ)廊(ろう)を巡り、

覚めてからも白梅や盧(ろ)橘(きつ)がなお香っている。

会(かい)稽(けい)にいるのはほんのわずかのことであろう、

そこから故郷に帰るのが最良の策なのだ。

［補足］（最初の句について、やはり蘇軾自身の注で、「杭(こう)州の梵(ぼん)天(てん)寺(じ)には数百間の月(げつ)廊(ろう)があり、寺には白楊梅、盧(ろ)橘(きつ)がたくさんある」と記している）

　　其の三

これより東南に去って、いつ帰るのか。

ただ一羽、旅に倦んだ鳥には、いつと定めることはできない。

この一生の区切りを付けるのに何があるのかというと、

三年の光景を詠んだ六篇の詩だ。

［補足］（「六篇の詩」とはここに見た3首と、「前の詩」の3首である）

［補足］（この浴(よく)室(しつ)院(いん)に寄寓していた間のことと推測されるエピソードがあるので見ておきたい。南(なん)宋(そう)の費(へい)袞(こん)が著した『梁(りょう)渓(けい)漫(まん)志(し)』という随筆に記録されている。『梁渓漫志』自体は史料的価値が高いとされているが、このエピソードは伝聞に基づくものであろうから、そのまま事実であったと信じるにはためらいがある）

［訳文］

費(へい)袞(こん)：『梁(りょう)渓(けい)漫(まん)志(し)』から

ある日のこと、東(とう)坡(ば)は朝廷から帰宅して食事を終えると、腹をさすりながらゆっくり歩きつつ、侍(じ)児(じ)（身の回りの世話をする少女たち）に向かって、「この中に何があるのか、おまえたちに当てられるかな」と言った。ある者がすぐに、「お腹の中はすべて文章でございましょう」と言った。「そうではない」。別の一人が、「すべて識見でございましょう」と言うと、やはり、「そうではない」といった。すると、王(おう)朝(ちょう)雲(うん)が、「学士様のお腹の中は、時季外れの売れない在庫品でいっぱいなのでございましょう」と言ったので、東坡は腹をよじって大いに笑った。

［補足］（「在庫品」はかなりの意訳ではあるけれど、言いたくても言えないことが蘇軾の腹の内には貯まっていたのである。兼好法師のいう「物いわぬは腹ふくるるのわざ」である。このとき王(おう)朝(ちょう)雲(うん)は31歳で、ほぼ20年間、蘇軾の姿を間近に見て、すっかりその心の内を理解していたのだろう。それにしても、蘇軾のまわりにはいつもユーモアが溢れていたようである）

■祭亡妻同郡君文

［解題］8月1日、蘇軾の妻、王(おう)閏(じゅん)之(し)が亡くなった。46歳であった。翌日、蘇軾はこの祭文を作った。

［訳文］

元(げん)祐(ゆう)八年八月二日、蘇軾は謹んで亡妻同(どう)安(あん)郡(ぐん)君(くん)王(おう)氏(し)二(に)十(じゅう)七(しち)娘(じょう)の霊に家(か)饌(せん)酒(しゅ)果(か)を供える。

嗚(あ)呼(あ)。昔、先の妻、王(おう)弗(ふつ)が亡くなってまだ歳月を経ないうちに、従姉(いとこ)の後を継いで君は我が妻となった。君よりも賢なる者はなく、婦人としての職務をすべて修め、母としての振る舞いは完璧であった。三人の息子を分け隔てなく見て、その愛は天から出るものであった。私が謫居するのに従って、貧しい暮らしも欣(きん)然(ぜん)と過ごし、豊かな町に行くことになっても顔に喜びを見せることはなかった。

私は君に、「帰ろう、故郷に帰ろう」と言っていた。しかし、君はその時が来るのを待ってはくれなかった。私を置いて先に行ってしまったのだ。故郷において、私が畑に行くのを誰が見送ってくれるのか、誰が門で出迎えてくれるのか。

どうすることもできない。涙が尽き果ててもはや目が乾いてしまう。旅先であるから仮に都の門の外に埋葬しよう。まことに君には何もできない。ただ同じ穴の内に入るのを待っていてほしい。願うのはここに言う通りになること。

嗚呼、哀しいかな。

［補足］（蘇軾に限らず宋(そう)代(だい)の士(し)大(たい)夫(ふ)が妻について書き記すことはそう多くあることではなく、王(おう)閏(じゅん)之(し)がどのような女性であったのかは、少ない手がかりから推測するしかない。そこから浮かび上がってくるのは、賢明にして慎ましやかで忍耐強い人であったということで、それはまず間違いがないだろう。先妻の王(おう)弗(ふつ)より9歳下の従妹(いとこ)で、嫁いだときに蘇軾は33歳で、特別試験の制科に非常に優秀な成績で合格し、詩文にも優れた若き天才として天下にその名がすでに鳴り響いていた。王弗がまだ無名時代のうちに蘇軾の妻となって、夫に向かってその行動を抑えるような助言もできたのとはかなり違っていた。王弗自身が自分の後には王閏之がよいと指名したと推量できるようなところもあり、奔放な蘇軾の妻として務まるのはこの娘であると知っていたのだろう。祭文に「三人の息子を分け隔てなく見た」（原文は「三子は一の如く」）とあるのは、王弗が生んだ長男と自分が生んだ二男、三男に等しく愛情を注いだということで、これはまさに王弗の期待に応えるものであったろう。結婚してから6年後に杭(こう)州で、当時12歳であった王(おう)朝(ちょう)雲(うん)を家に入れたときに、王閏之は快く迎えたようだ（第4章199ページ）。当時の士大夫は複数の妾を持つことが多く、蘇軾も一時期家に数人の女性がいたらしいが、王朝雲に注ぐ愛情は格別で、中年以降は他の妾はそれぞれに行き先を定めて出て行かせ、蘇軾のもとには王朝雲だけが残った。蘇軾は、妻の嫉妬に悩まされたことはないと人に自慢したことがあるほどで（第6章324ページ）、王閏之と王朝雲の仲は良好であったようで、それはやはり王閏之が賢明にして慎ましやかで忍耐強かったのと、王朝雲もまた自分を拾ってくれた蘇軾と王閏之の恩に報いようと慎ましやかに振る舞ったからなのだろう。王閏之にも無理に己を抑えたところがなかったとはいえないだろうけれど、概ね極めて抑圧的であった当時の士大夫のもとに嫁いだほとんどの女性よりもより多く自己を犠牲にしたということは決してないだろう。林雪云氏は「蘇軾の妻妾に対する観念」（大阪府立大学人文学論集、2013年）の中で、上の祭文にある「三子は一の如く、愛は天より出ず」をもじって、「三妻は一の如く、愛は天より出ず」と、蘇軾は王弗、王閏之、王朝雲の三者に等しく愛を注いだと讃えている。訳者はそれにはもろ手を挙げて賛成するにはなおためらいがあるものの、ここまで蘇軾の詩文を訳してきて、強く反駁しなければならない材料は何一つ見出すことはできない）

［補足］（上の祭文にある通り、王閏之は都の近くに仮に埋葬され、そのときに蘇轍が祭文を記した。一句四字の形式で綴られ、当然故人に対して悪いことは書かないので、必ずしも内容に信頼が置けるものではないのだが、王閏之に関する貴重な資料であるので、ここで見ておきたい。なおこれは逐語訳ではなく、大意を酌んだ「ずっぽ訳」である）

［訳文］

蘇轍：『祭亡嫂王氏文』

元(げん)祐(ゆう)八年九月十八日、蘇轍とその妻の史(し)氏は謹んで家饌と酒果を供え、なき姉上の霊を祭るものである。私は幼いときから兄について学び、兄は師であり友であった。兄とは志気が同じでないのだが、それでも兄に及ばないのを私は恥じた。兄は剛直で固く、他人と相容れないところがあった。すでに世に名の知られるところとなり、しかし世と合わないところがあった。私は兄のそばにいていつも心配でならなかった。姉上は女性として兄に優しく接した。兄はふとした言葉をもって獄に入れられ、遠くの町に追われてしまい、食べる物にも困った。ようやく帰還できてまだ幾年にもならないのに、姉上は亡くなってしまった。貧にして喜びがあり、富んでも嘆くところがなかったのには、姉上を見る誰もが驚いたのだった。姉上は変転の間にも、一切動揺することなく、兄の行くままに付き従った。姉上がこのように振る舞えたのは本性からのことで、学んでできるようなことではない。親族は皆が嘆き、知る者は姉上が報われることが少ないのを残念に思っている。必ず福が多く長生きでなければならないはずなのに、まだその半ばで亡くなってしまったのは、どのような道理によるのだろうか。三人の息子がいずれも立派であるのがせめてもの慰めである。兄は定(てい)州の知事として赴任するので、ここに仮に埋葬することになった。兄より祭文を求められ、息子たちとともに祭るものである。嗚(あ)呼(あ)、哀しいかな。

［補足］（ここに「定(てい)州知事として赴任する」とあるように、越(えつ)州への変更は叶えられずに、定州に行くことがもはや確定していたのだった）

■夢南軒

［解題］8月11日、蘇軾は夢に故郷の生家に帰った。

［訳文］

元(げん)祐(ゆう)八年八月十一日、夜が明けようとして、まだ早かったので、うとうとしていると、夢の中で眉(び)山(ざん)県の穀(こく)行(こう)の家に帰った。庭のあちこちを見て歩き、南(なん)軒(けん)に座った。見ると農民数人がきて、土を運んで小さな池を埋め始めた。土の中に二本の大根があった。客人が喜んでこれを食べた。私は筆を取って一篇の文を作った。

その数句に、

「南軒に座ると、向かいに立派な竹が数百本、野の鳥が数千羽」

目覚めて、惘(もう)然(ぜん)とこれを思った。

南軒とは父が「来(らい)風(ふう)」と名付けた建物である。

［補足］（妻を喪った悲しみが、蘇軾を故郷へと導いたのだろうか。かつて先妻の王(おう)弗(ふつ)を夢に見て詞に詠んだこともあった（第5章35ページ））

■北海十二石記

［解題］蘇軾は義理堅く、石好きで、文章を書くのは苦にならない。だから、妻が亡くなり、間もなく都を発たなければならない多事多用なこの時期にも、頼まれればこのような文章を書いてしまう。先に見た呉(ご)復(ふく)古(こ)（本章323ページ）のためにこれを記した。

［訳文］

登(とう)州は下に大海を臨む。目の力の及ぶところに、沙(さ)門(もん)、鼉(だ)磯(いく)、車(しゃ)牛(ぎゅう)、大(だい)竹(ちく)、小(しょう)竹(ちく)のおよそ五つの島がある。沙門が最も近く、兀(こつ)然(ぜん)と焦(こ)げ枯れた姿を見せている。その他の島は、斜面が険しく波の中に見え隠れし、まことに神仙が住むにふさわしいところである。上に石(せき)芝(し)が生じ、草木は皆奇異で、多くはその名が識(し)れない。また、美しい石のあることで知られ、五色の模様があったり、古代文字のような窪みがあったりする。

熙(き)寧(ねい)五年に李(り)師(し)中(ちゅう)が登州知事となり、呉(ご)復(ふく)古(こ)が訪ねてともに遊んだ。ちょうど解(かい)賓(ひん)王(おう)が政界を退いて登州に退居し、人を使わして島々から石を取り、色が粲然と秀でるもの十二株を得た。

たまたま登州に停泊している船で、海を巡って潮(ちょう)陽(よう)に行くものがあった。呉復古は解賓王に頼んで石を分けてもらい、十二個を得て帰った。それを住まいの歳(さい)寒(かん)堂(どう)の下に置いた。近世の好事家で石好きな者は多いが、北の海の石を南の海に置く者はいない。

元(げん)祐(ゆう)八年八月十五日、東(とう)坡(ば)居(こ)士(じ)蘇軾記す。

［補足］（（1）登(とう)州は現在の山(さん)東(とう)省、潮(ちょう)陽(よう)は広(かん)東(とん)省にあって、両者間の移動には中国大陸の東の縁を七割近くもぐるりとまわることになる。士(し)大(たい)夫(ふ)の視点は常に陸にあって、潮陽は南方の僻地という捉え方になってしまうのだが、海からは別の風景が見えていたのだろう。（2）ここに、島に石(せき)芝(し)が生えるとの記述があることについては、後の353ページで詳しく見ることになる）

■大行太皇太后挽詞二首

［解題］妻が亡くなってまだ1カ月、蘇軾の運命を大きく変えるもう一つの死があった。9月3日、高(こう)太(たい)皇(こう)太(たい)后(ごう)が亡くなったのである。62歳だった。これはその死を悼む挽詞。題にある「大(たい)行(こう)」とは亡くなって葬儀が終わるまでの呼び方。

［訳文］

　　其の一

まことに至高の方々であった、

仁(じん)宗(そう)、英(えい)宗(そう)、哲(てつ)宗(そう)をお助けしたそれぞれの皇太后は……

その功績の高さは、漢(かん)代(だい)以降に類がない。

とりわけ大(たい)行(こう)太(たい)皇(こう)太(たい)后(ごう)は元(げん)祐(ゆう)年間の天下の冠(かんむり)ともいうべきお方で、

仁宗皇帝の完全な徳を受け継がれていた。

作為があるのは聖人の行いではないという、

大行太皇太后には私(わたくし)がなく、まさしく天のようなお方であった。

侍(じ)臣(しん)は経(けい)筵(えん)（御進講の場）で道(みち)の要諦を議論し合って御講義申し上げたのだが、

皇室の家法は大行太皇太后を通してきちんと伝えられたのだった。

［補足］（（1）「仁(じん)宗(そう)皇帝の完全な徳」について、蘇軾自身の注で、「臣はかつて宮中において仁宗皇帝の謚(おくりな)である『明(めい)孝(こう)』について論じたことがあった。すなわち、『明（明察）であっても仁でなければ、民は畏れるだけで敬愛することがない。仁であっても明でなければ、民は敬愛しても畏れることがない』。大行太皇太后もまたこの二つ徳を兼ねておられる。それで天下の人々が思慕すること仁宗に近かったのである」と記している。なお「孝」の文字は歴代の皇帝の謚に用いられている。（2）「侍臣が道の要諦を議論した」ことについては、やはり蘇軾自身の注で、「宰相以下かつて経筵で祖宗以来の家法十余事を論じ合い、記録を残した」と記している。この詩では、そうするまでもなく家法は大行太皇太后によって伝えられていたというのである）

　　其の二

大行太皇太后の祖先（高(こう)瓊(けい)）は夷(い)狄(てき)を退けて中国を安らかにし、

まことに国の支えとなった重鎮であった。

漢(かん)代(だい)には、先祖が治水によって年に千人を救ったことから、

皇后の地位に昇ったとされた人がいたが、

お父上の功績はもっともっと大きく、

百世にわたって祀られてしかるべきお方なのだ。

大行太皇太后がいまの陛下をお立てになったのは、

天がそうすることを知ってのことであったし、

大行太皇太后が家のこと忘れて天下のために尽くされたことを、

陛下は常に念い続けているのである。

この御恩に天下の人々はどのようにして報いたらよいのだろうか、

まして疾(やまい)は民のために勤められたことによると聞くのだから。

■朝辞赴定州論事状

［解題］9月27日、蘇軾は定(てい)州知事の任に就くために都を発った。出発に当たって哲(てつ)宗(そう)皇帝に会って直接別れの辞を述べることを望んだのだが、それは許されず、この文章を記して提出した。

［訳文］

元(げん)祐(ゆう)八年九月二十六日、端(たん)明(めい)殿(でん)学(がく)士(し)兼(けん)翰(かん)林(りん)侍(じ)読(どく)学(がく)士(し)左(さ)朝(ちょう)奉(ほう)郎(ろう)新(しん)知(ち)定(てい)州(しゅう)蘇軾は書状をもって申し上げます。

右の臣が聞きますに、天下の治乱は、下情（民に関する情報）が通じているか塞(ふさ)がっているかに起因するとのことであります。最もよく治まっているときには、身分の低い者であっても、下情を上に通じさせることができます。最も乱れているときには、近臣であっても上に通じさせることができません。……（『易(えき)経(きょう)』を引いてこの説を補強する）……

臣(わたくし)は敢えて衰世の暗愚な君主を例に引くのではなく、唐(とう)の中興の名君といわれた玄(げん)宗(そう)皇帝について申し上げます。天(てん)宝(ぽう)年間の末に、小(しょう)人(じん)（君子の反対で、無見識で私欲を優先する者）が大臣の位にあって、下情が通じなくなり、鮮(せん)于(う)仲(ちゅう)通(つう)の率いる二十万の軍勢が瀘(ろ)南(なん)において全滅したことさえも玄宗皇帝は知らずにいました。そうしたことに馴れてしまったために、安(あん)祿(ろく)山(ざん)が反乱を起こし、その軍勢がすでに黄(こう)河(が)を渡ったときに至っても、玄宗皇帝は安祿山は忠臣であると思い込んだままであったのです。これはまさに下情が通じなくて、耳目が塞がれていたためであって、ついにここにまで至ってしまったのです。

臣(わたくし)は朝廷にありましたときに、しばしばこのようなことを論じてまいりました。陛下は即位されて九年となり、執政、台諫のほかには群臣と接しられることなく過ごしてこられました。天下の人々はそれを訝しく思いつつも、太皇太后様が政(まつりごと)を見ておられる間のやむをえない措置であると理解しておりました。いまは（十二日間の）喪が明けましたので、陛下が政を御覧になる最初の急務としましては、壅(よう)蔽(へい)（情報を遮断するもの）を取り除いて下情を通じさせることにあろうかと存じます。臣(わたくし)は不肖ではありますが、陛下によって河(か)北(ほく)西(せい)路(ろ)安(あん)撫(ぶ)使(し)（定州知事との兼任）に抜擢していただきましたので、まずは臣(わたくし)が下情を申し上げる第一番となって、ここに心を尽くして申し上げるべきであると考えるのであります。陛下におかれましてはどうかお耳を向けてくださいますお願いいたします。

祖(そ)宗(そう)の法（初代皇帝以来の決まり事）として、国境地帯へと出る指揮官は、殿上において皇帝の面前で辞去することとなっております。しかし、陛下はどうしたことか臣(わたくし)がそのようにするのを拒絶されました。それはいかなる道理によるものなのでしょうか。臣(わたくし)がお目通りいただくことによって任地に赴くのにいささか遅れが出るようなことがあるとしましても、それはよもや十日を過ぎるものではありません。その間は、転(てん)運(うん)使(し)が代わりとなるので職務に欠けることはありませんので、臣(わたくし)の移動に関わる役人の手当てがせいぜい十日分増えるだけのものでありましょう。陛下が政を御覧になる最初のときに、遠く国境地帯に行く者が天顔を拝することなく都を去るのをみて、心ある人々は、陛下は人の申すことを聞くのを嫌われ、また御心の内で辺事（外国との関係）を軽んじておられるのではないか疑うでありましょう。その兆はすでにここに現れているのです。

臣(わたくし)は陛下の御講読をお助けする役として、陛下のすぐお近くにお仕えすること前後五年になります。いわゆる親近の者といってよいでありましょう。それが国境地帯へと出て行くのにお目にかかることができないのです。それでは日頃疎遠のより低い地位の者は陛下に何も申し上げることができないということになりましょう。……（ここでまた『易(えき)経(きょう)』を引く）……臣(わたくし)が上殿を許されないのは私個人にとってはとりたてて利害のないことでありますが、陛下が政を始められたばかりで、天下の人々がまさに注目しているそのときに、祖宗の故事を廃するようなことをなさるのは、聖徳を損なうこと小さくはないものがあるのではないでしょうか。

臣(わたくし)は今月二十七日に都の門を出ます。どうあってもお目にかかることを求めるものではありません。ただ臣(わたくし)が上殿を許されるのを待っておりましたのは、少しく愚忠をもって申し上げたいと思うことがあるからでありました。お目にかかれないままではそれを捨てなければなりません。どうか陛下におかれましては臣(わたくし)の誠心を察せされて、ここに記しますことを少しく御加納くださいますように。

古(いにしえ)の聖人は何かを為そうとするときには、必ず先ず暗いところにいて明らかなるものを観て、また、静かなところにいて動くものを観て、万物が何によって成り立っているかを全て目の前に並べて観たのでした。このようにするなら、数年も経たないうちに、自然と利害の真実、邪正の真実が知れるようになり、そうなってから物に応じて事を為すならば、成功しないということはないのであります。

小さなことをもってこのことを譬えましょう。舟を操る者は、水の流れが曲折するのが見えないことにいつも苦労します。しかし、水際に立つ者にはそれはいつでも見えています。それはどうしてかというと、舟を操る者は動(どう)に身を寄せていて、水際に立つ者は静(せい)に身を寄せているからです。あるいは、碁の勝負は国一番の名人であっても尽くすことのできないほどの変化があります。しかし、袖に手を入れて旁で眺めている者にはこの一手というのが見えるのです。それはどうしてかというと、碁を打っている者の意(こころ)は争いの中にあって、旁らで眺めている者は無心だからです。

もし人主が常に静(せい)にいてかつ無心であるならば、天下の誰が欺けましょうか。……（ここで漢(かん)代の事例を引いて静にして無心であった皇帝が立派な政治をしたことを述べる）……今陛下の聖智は人を遥かに超え、年齢はまさに盛りを迎えておられます。臣(わたくし)が願うのは、虚心にして理(ことわり)に循(したが)うことであります。いまはまだ一切何もすることなく、黙って庶事の利害と群臣の邪正を観るのです。三年を期限としてそれまでは待たれることです。利害の真実、邪正の真実が会得できましたならば、物に応じて行動なさるのです。そうすれば、天下に恨みの生じることはなく、陛下もまた悔いが生じることもなく、上下ともに太平の利を受けるでありましょう。そうなれば山の竹を切り尽くしてもその功績を書き記すのに不足し、古の長寿の帝王の三人分もの長生きをされても陛下の御聖徳に報いるに足りないということになりましょう。このように考えますと、まずは陛下が早く行動し過ぎてしまうことを憂い、遅速を患(わずら)わないことが大切であることは明らかなのであります。

臣(わたくし)はまた政は薬の処方のようなものであると聞いています。いま天下は大いに治まっているとまではいえなくても、大病のない状態でありましょう。古の人はこのように言っています。「病があっても治さずにいるのは、中庸を得た医者である」。これの意味することは、小さな病気までもことごとく治してしまおうとしないのは、悪い薬を誤って与えてしまうよりはずっと賢いということなのであります。万に一つの成功を当て込んで失敗してしまう禍よりもはるかによいということであります。臣(わたくし)が恐れますのは、急に事を進めて利を好む臣下が、陛下に軽々しく改変するのを勧めることです。このような説によって進もうとされましたときには、陛下におかれましてはどうか古の言葉を深くお考えになられますように。中庸を得た医者の安穏で万全の策を守って、悪い薬によって誤るようなことがありませんように。実に国家の利、天下の幸いはここにあるのです。

臣(わたくし)は憂国の心より我が身を忘れて死を冒して申し上げるものであります。

［補足］（（1）一読して蘇軾がかなり強い調子で皇帝にものを言っていることが知れるであろう。それだけ蘇軾には強い危機感があったのだ。すなわち、高(こう)太(たい)皇(こう)太(たい)后(ごう)亡き後の国政の急激な変化を恐れていたのである。（2）蘇軾の主張は常に一貫している。陸(りく)贄(し)の意見書を皇帝に差し出しとき（本章315ページ）にも、下の者の意見を聞くことが大切であると述べていたし、24年前に王(おう)安(あん)石(せき)の改革に反対する意見書を皇帝に提出したとき（第3章46ページ）にも、同様のことを述べていた。また、急激な変化を危ぶむ姿勢も一貫している。王安石の改革を批判したときにも、司(し)馬(ば)光(こう)が改革政治を全てひっくり返そうとしたのに反対したときにも、そうであった。（3）蘇軾は保守派内の抗争の結果として不本意ながら国境地帯の定(てい)州に行かねばならなくなったのだが、高太皇太后の死によって、そうした抗争は全く意味のないものになりつつあった。哲(てつ)宗(そう)皇帝の心は、自分が自由に政治を動かせるようになったら父の神(しん)宗(そう)皇帝の改革政治を復活させようと、ずっと前から決まっていたようである。蘇軾にはそれがわかっていたから、定州に行く前にどうしても哲宗皇帝に会って直接言っておきたかったのだ。哲宗皇帝はそれを拒絶し、恐らく蘇軾のこの文章も一文字も読もうとはしなかったであろう。保守派の内輪揉めで蘇軾が都を去ったのは哲宗皇帝にとってはもっけの幸いで、次の段階として、蘇軾を追い出した連中も含めて保守派をいかにして都から一掃したらよいのか、哲宗皇帝はすでに思いを巡らせていたであろう。翌年の夏にかつて副宰相を務めた章(しょう)惇(じゅん)（第8章1ページ）が朝廷に返り咲き、再びの改革政治が本格的に始動することになる。章惇はかつての蘇軾の親友であるが、失脚させられていた7年の間に、復讐の鬼と化して帰ってくるのである）

■東府雨中別子由

［解題］上の文章との前後関係は明らかではないが、いよいよ都を発つ直前に、蘇轍の勤める東(とう)府(ふ)において、雨の中、別れの詩を詠んだ。

［訳文］

東(とう)府(ふ)の庭のこの梧桐(あおぎり)の樹よ、

汝に会うのは、三年の間にこれで三度。

先の年は汝(じょ)陰(いん)（穎(えい)州）に行くとき、

汝は秋の雨に葉を鳴らしていた。

去年のまた秋の雨のときに、

私は広(こう)陵(りょう)（揚(よう)州）から帰ってきたのだった。

今年は中(ちゅう)山(ざん)（定(てい)州）に去(ゆ)く、

白髪だらけの頭であるから、

次はもうないであろう。

この客人が去っても汝は嘆息するには及ばない、

いまは主人である汝もまたこの世界の客人なのだ。

君（蘇轍）との対(たい)牀(しょう)はきっと悠悠(はるか)な先となるのだろう、

夜の雨はそれまで蕭瑟(しとしと)とむなしく響くだけだ。

起って梧桐の枝を折り、

君に贈って、僕は千里の旅に出る。

生きて帰り来るのか、

それはわからない。

いまのこの気持ちを忘れないでくれたまえ。

［補足］（「夜(や)雨(う)対(たい)牀(しょう)」を兄弟の理想の時間とするのは蘇軾の一貫した思いであった（第2章21ページ）。「三妻は一の如く」（本章332ページ）以上に、弟への「愛は天より出ず」と思わない者はいないであろう）

■謝仲適坐上送王敏仲北使

［解題］都を発った蘇軾は真っすぐ北に定(てい)州へと向かい、ほぼ1カ月後の10月23日に到着した。

これは移動の途中の相(そう)州での作。王(おう)古(こ)（字(あざな)は敏(びん)仲(ちゅう)）が朝廷の使者として遼(りょう)国（契(きっ)丹(たん)）に赴くのを、相州知事である謝(しゃ)卿(けい)材(ざい)（字は仲(ちゅう)適(てき)）が見送る宴席で、たまたま居合わせた蘇軾がこの詩を詠んだ。王古はかつて名宰相としてその名の高かった王(おう)旦(たん)の曽孫で、ここで出会ったことが一つの縁として後に大きく作用することになる。

［訳文］

衝(つ)くような風が黄(こう)河(が)の北の地を震わせ、

霧が飛んで、太(たい)行(こう)山(さん)の姿は見えない。

そのような中で出会ったのでは、誰が誰だがわからない。

馬から降りると、砂塵によって髯も眉も黄色になっている。

眼を洗って、やっと驚き、笑い合う。

ここに見るのは、

玉(ぎょく)節(せつ)（朝廷の使者の印）を手に北に赴く人（王(おう)古(こ)）ではないか。

喜ばしいことに、

ここに賢主人（謝(しゃ)卿(けい)材(ざい)）がいて、

灯火の光が消えるのを惜しむまで送別の宴が設けられた。

出会いと別れは一つの夢の中のこと、

人は北へ行き、雁は南へ翔(と)び行く。

吾が生は寄せるが如きのみ、

老年を天の片隅で送ることになった。

幸いにも、貴君は明主に遇って、

朝廷において近くにお仕えするお方である。

役目を果たすに猶予はならない、

早くに帰還しなければならないのだから。

［補足］（蘇轍も遼(りょう)国に派遣されたことがあった（第9章8ページ）。やはり冬で、新年の祝賀の使者として行くのである。ここに「猶予はならない」とあるように、王(おう)古(こ)は恐らく蘇軾を追い抜いて先に進んで行ったのだろう）

■和銭穆父送別並求頓遞酒

［解題］都で親しくした銭(せん)勰(きょう)（字(あざな)は穆(ぼく)父(ふ)）の送別の詩に、旅の途中で和して送り、合わせて頓(とん)遞(てい)酒(しゅ)を所望した。頓遞酒とは宮中で醸造される酒の名であるという。

［補足］（蘇軾が都を離れるに際して、多くの人が送別の宴に参加したり、詩や手紙を渡したりした。旅の途中でせっせと手紙を書いたり、詩に和したりしたようだ）

［訳文］

貴君と私が並んで歩けば、二人の長身がことさらに目立った。

朝臣の列にあって、いつも親しく談笑していた。

羨ましいのは、

貴君には九人の男児がいて、

門戸がますます壮(さかん)なことだ。

残念なのは、

私はあちこち地方を点々としてきたのだが、

数えるといまだ八州で、数字が一つ及ばない。

ほのかに聞くのは、

朝廷は天下の賢才を招く心づもりであるらしく、

ならば私は西(せい)湖(こ)を乞い願って、

北の地で浴びる塵を洗いたいものだ。

それより青(せい)州を求めるのもよいのかもしれない、

「青(せい)州(しゅう)従(じゅう)事(じ)」（有名な酒の銘柄）とはどういう人物なのか知ってみたいのだ。

［補足］（気安い間柄の友人に送った戯れの詩である。銭(せん)勰(きょう)とは数々の詩を唱和し、「元(げん)祐(ゆう)の四友」（本章285ページ）と呼ばれもしたのだが、これがいまに伝わる2人の間の最後の作品で、銭勰はこの4年後に64歳で亡くなる）

■書丹元子所示李太白真

［解題］李(り)白(はく)を描いた画を、姚(よう)丹(たん)元(げん)先生（本章296ページ）が示したので、それにこの詩を書き添えた。定(てい)州に出発する直前に姚丹元が画を携えて訪ねてきたと見るのが普通だろうが、すでに旅に出た蘇軾のもとに、思いがけず姚丹元が（杭(こう)州を発った蘇軾の船を仲(ちゅう)殊(しゅ)がふらりと訪ねたように（本章4ページ））現れたと想像するのも愉快であろう。

［訳文］

人の世は一粒の泡、

天(てん)人(にん)もしばしそこに宿ったりするのだろうか。

李(り)白(はく)は天から流謫の身としてこの世に降ろされたという、

本当はただ遊びにきただけだったのではなかろうか。

九州（中国）などは狭いとして、

この世界の八方の隅を自在に行き来し、

ある友人とともに巨大な鳥となって鳴きかわし、

ひとたび鳴いてはひとたび止んで、

たちまち三千年の年月が過ぎ去って、

唐(とう)の開(かい)元(げん)年間にはどうやら道(みち)が行われている（正しく治まっている）ようだと、

少しの間だけそこに留まることになったのだった。

繋ぎ止めておくのはもとより不可能で、

まして、李白自身が国に用いられようと求めるはずもなかった。

ここに李白のために詩を作ろう。

聞いて、笑ってくれるであろうか。

　西望太白��峨岷、（西方、太(たい)白(はく)山(ざん)を望めば、峨(が)眉(び)山(さん)、岷(びん)山(ざん)が横たわる）

　眼高四海空無人。（李白の視点は高く、天下にひとかどの人物などはいないと見た）

　大児汾陽中令君、（大きな子供としては宰相になった汾(ふん)陽(よう)の人（郭(かく)子(し)儀(ぎ)）が）

　小児天台坐忘真。（小さな子供としては悟りを開いた天(てん)台(だい)の人（司(し)馬(ば)子(し)微(び)）がいたくらい）

　生年不知高将軍、（それまで高(こう)将軍（高(こう)力(りき)士(し)）などは知らなかったために）

　手汚吾足乃敢瞋。（吾が足でその手を汚して怒らせてしまったのだった）

［補足］（終わりの詩には、李(り)白(はく)と関わりがあった人物が挙げられている。最後の高(こう)力(りき)士(し)は玄(げん)宗(そう)皇帝に仕える宦官で、李白が酔って意図せずして侮辱してしまったことから、高力士の讒言によって李白は南方に流されたといわれている）

■次韻曽仲錫承議食蜜清生荔支

［解題］蘇軾は、定(てい)州に到着すると早速、同僚から詩の唱和を求められた。副知事の曽(そう)孝(こう)広(こう)（字(あざな)は仲(ちゅう)錫(せき)）に、「蜜に漬けた荔(れい)支(し)（ライチ―）を食べた」という詩を示され、それに次韻した。

［訳文］

代(だい)北(ほく)（定(てい)州）は寒いところであるから、

韭(にら)と萍(うきくさ)を搗(つ)き合わせた和え物くらいしかないと思っていたら、

ここに、なんとはるばる荔(れい)支(し)がやってきていて、

暁の星のように輝いているではないか。

荔支は塩に漬けるとからからにしぼんでしまい、

蜜に漬けるためには皮剥ぎの刑に遇わなければならないとか。

これを食べると、

たちまち仙人にでもなかったかのような心地、

李(り)白(はく)の大法螺ではないが、

大海原で鯨と格闘してみたくなる。

枝をひねって取った実に、

近ごろ「十(じゅう)八(はち)娘(じょう)荔(れい)支(し)」という新しい名を付けたと聞くが、

女性をもって呼び名とするのはいささか品がないだろう。

［補足］（（1）テーマが珍奇で、しかも次韻という制約があって、さすがの蘇軾も苦労したようで、牽強付会の作という評もある。それを読みやすくしただけの低レベルの「ずっぽ訳」である。（2）蘇軾もこの詩には満足でなかったようで、もう一度次韻している。しかし、それもまた無理があるのかよく意味が通じない）

■次韻滕大夫三首

［解題］同じく副知事の滕(とう)希(き)靖(せい)（字(あざな)は興(こう)公(こう)）が示した3首の詩に次韻した。こちらは雪(せつ)浪(ろう)石(せき)、沈(ちん)香(こう)石(せき)という2種の石を詠んだもの。石好きの蘇軾にとってはよほど和しやすかったと思われる。

［訳文］

　　雪(せつ)浪(ろう)石(せき)

ここ定(てい)州には、

西から一万頭の馬が馳せくるかのように太(たい)行(こう)の山脈が迫り、

その勢いは天下の名峰泰(たい)山(ざん)と、大きさも尊さも争うほどである。

飛(ひ)狐(こ)、上(じょう)党(とう)の山々が天下の脊梁をなして、落ちゆく日を掩(おお)ってしまうために、

このあたりではすぐに黄昏(たそがれ)が訪れる。

東には、山が削られた先に二百もの郡があり、

北には、山の気に圧倒されてわずかな村が散在する。

定州の町の前で、千の峰が右巻きに並んで直立し、

崩れた崖に穴が削られ、土の門が開いている。

そこから城下へと石が飛び落ちてくるので、

かつてここを占拠していた異国の兵団は、

その音に「すわ敵襲だ」と肝を冷やしたこともあった。

いまや百年もの平和が続き、烽火(のろし)があがることはなく、

山から崩れ落ちた石も、何事もなく枯れた楡(にれ)の根元にころがっている。

黒い石に白い脈が入っているのを見て、

画師はそこに雪が浪うつ勢いを感じ取って競って描いた。

そこに天の工(たくみ)が斧を揮(ふる)ったような痕はない。

四面を川の水で囲まれたように見える離(り)堆(たい)という石に似ているのだが、

その産地である蜀(しょく)の士(ひと)は私のほかにいないので、

誰にも同意を求めることができない。

老翁（蘇軾）は子供ように、雨だと言って水をこの石に注いで遊び、

水滴が鉢に跳びはねるありさまを、酒を手にゆったりと眺めている。

そのようにしていると、

この身が自ずと幻のように思えてきて、

何もかもが夢となって、

ただ故郷の山水が心に内に存在するのである。

　　雪浪石　其の二

私は先ごろ三度にわたって越(えつ)州に行くことを願ったのは、

一万の谷を訪ね、水が交わり流れるありさまを見たかったからだ。

山の骨を切り開くのは造物者にしかできないことで、

我等にもできるのは、

八(はち)首(しゅ)八(はち)手(しゅ)八(はち)尾(び)の海の怪獣「天(てん)呉(ご)」が浪から現れ出る姿を、

この石に見てとることである。

さらには、水を引いて池を穿つくらいのこともできるのだが、

地の皮を巻いてこのような石を作ることはやはりできない。

石と言えば、

かの洛(らく)陽(よう)の奇石はいまは誰が持っているのだろうか。

唐(とう)の時代に李(り)徳(とく)裕(ゆう)と牛(ぎゅう)僧(そう)孺(じゅ)は何かと争い、

奇怪な石を集めることまでも競ったのだが、

はてさて、実に愚かなことをしたものだ。

［補足］（唐(とう)の中頃に李(り)徳(とく)裕(ゆう)と牛(ぎゅう)僧(そう)孺(じゅ)が激しい権力争いをしたことは「牛(ぎゅう)李(り)の党争」と呼ばれ、党派争いが国政を乱す典型的な事例とされた。そのことをここに持ち出したのは、現実の政治への危機感からであろう）

　　沈(ちん)香(こう)石(せき)

山がぽつんと壁のようにそそり立つ――

硯に寄り添って、沈香石が悠遠な姿を見せている。

香(こう)木(ぼく)の沈(ちん)水(すい)香(こう)が石に化したのだとか、

どのようにしてこのように固く蒼(あお)くなったのだろうか。

かつて山中で、松が石に化したものを見た、

辟(へき)邪(じゃ)香(こう)という香りを発する玉(ぎょく)があるとも聞いている。

沈香石が本当に香るのなら腰に帯びてもよいのだが、

石はやはり石であるようだ。

百(ひゃく)和(わ)香(こう)とはまことに貴重なもの、

それでも、焚けばいつかは灰燼になって尽きてしまう。

「柔は剛に勝る」とは老(ろう)子(し)の名言、

されど、沈香石を見ると、そうとばかりもいえないようだ。

■石芝詩

［解題］石(せき)芝(し)とは、きのこのような形状をした石で、仙薬の原料になると考えられていた。蘇軾は以前に、石芝を食べた夢を見て詩に詠んでいたが（第6章81ページ）、この詩の序文に「肉(にく)芝(し)」なるものを食べたという驚くべきことが記されている。

［訳文］

私は昔、夢の中で石(せき)芝(し)を食べ、詩を作ってそのことを記録した。今まことの石芝を海のほとりで得たところ、弟が前の詩に和した。

私は先ごろ都にいたときに、井戸を掘っていて小児の手のようなものを得たと言って持ってきた者がいた。臂や指が具わっていて、膚の理(きめ)が生きているかのようであった。ある隠者に尋ねると、「これは肉(にく)芝(し)である」と言ったので、弟と烹(に)て食べてみた。

このことを追記して、また以前の詩に次韻する。

［補足］（弟が和したとある詩には、より詳しい経緯がわかる序文が添えてあるので、それを見ておこう）

兄は昔黄(こう)州にいたときのこと、夢の中で、人家の井戸のあたりを歩き、石の上に紫の藤が生え、赤い箭(や)のような枝や葉が出ているのを見た。そこの主人は「これは石(せき)芝(し)です」と言った。折って食べると、雞(し)蘇(そ)のような味がして甘かった。八韻の詩を賦してこのことを記録した。

元(げん)祐(ゆう)八年、私は兄とともに都にいた。登(とう)州から客人が来て、「海上の諸島には日に向かって生える石がたくさんあります。海の人々はこれを石芝と呼んでいます。これを食べると、茶のような味がして、しばらくすると甘みが増します。海辺の風流人にはこれを取って服する者がいて、人に益があると言っています」と言った。客人は一(ひと)籃(かご)の石芝を兄に贈った。

私が前の詩に次韻した。

［補足］（これで見ると、登(とう)州の石芝は堅い海草の類のようである）

土の中から嬰児の掌(てのひら)のようなものが出てきた、

爪や指もあって肌(き)骨(こつ)がはっきりしていた。

これを見て人々は怖がって走り、

食べようとする者などいなかった。

これは僕と君が天から賜ったもので、

頼まれたって人に与えるべきものではない。

昔の有名な仙人といえば、

許(きょ)遜(そん)、許(きょ)邁(まい)、許(きょ)穆(ぼく)、許(きょ)翽(かい)……、

なんと、皆が同一の門戸である。

僕等の家は庶民であること三百年、

ただし、陰徳が数知れずあった。

祭祀の際には跪いて数々の供え物をしてきた。

しかし、仙人から見たら、

どれも枯れ枝、土くれみたいなものであったのかもしれない。

肉(にく)芝(し)はよく烹(に)あがり、石(せき)芝(し)はなかなかに大きい、

この二つの前では、熊の掌のような珍味も笑って唾を吐きかけるべきだ。

成長した蠶(かいこ)は繭を作り、いつ抜け出せるかとうずうずしている、

僕は夢に仙人になったことを想って、激しく心がたかぶる。

古来、仙薬は求めても得られないという、

仙界との真の契りは、

磁石と鉄のようにもとより定まっているものなのだ。

［補足］（我々には理解できないことだが、蘇軾は仙人になる薬が存在するのを信じていたようだ）

■書石芝詩後

［解題］上に見た石(せき)芝(し)の詩に添えた短文。

［訳文］

中(ちゅう)山(ざん)（定(てい)州）教授の馬(ば)君は文(ぶん)登(と)の人である。きっと石(せき)芝(し)を得て食べたことがあるだろうと、この詩を作った。馬君も一篇の詩を賦した。

目が昏(くら)み、多く書くことができない。題字とこの短文だけを記し、あとは子どもに筆を執らせた。

［補足］（先に見た蘇轍の序文に、石(せき)芝(し)は登(とう)州県の産物とあったから、同地（文(ぶん)登(と)県は登州管内にある）の出身である馬(ば)教授（名は不詳）に詩を詠んで与えたのだった。このようにして、詩の贈答を通じて蘇軾は新しい任地でよい人間関係を築いていったのだろう）

■鶴嘆

［解題］「鶴の嘆き」という詩。

［訳文］

園中に鶴がいる。

人に馴れて、呼べば来そうなので、私の座っている脇へと招き寄せようとした。

鶴は不承知な様子、

横目で私を睨んでいる。

「昔、賈(か)誼(ぎ)という人は、鳥の心を詩に詠んだという。

　もしかしたら、君もそうしてほしいと思っているのかい」

と、私は言った。

　鶴は、

「我が生(せい)は寄せるようなもの、

　本当に孤独です。

　三尺の長い脛(すね)の上に痩せた体を置いています。

　俯して啄(ついば)んでも、少しばかりで、食べ残してしまいます。

　こんな身ですから、あなたに楽しんでいただけるようなことはできないのです」

そこで、ちょっと追って、堂（部屋）の上にあがらせてみた。

餌を投げても知らん顔をしている。

戛然(キーン)と長く鳴き、堂から下って趨(はし)って行ってしまった。

鶴は、進むのは難しく、退くのはやさしいと心得ている、

私の及ぶところではない。

［補足］（実際にこのようなことがあったわけではないだろう。蘇軾自身のあるべき姿を鶴に投影したのであろう）

■劉醜廝詩

［解題］12歳の少年である劉(りゅう)醜(し)廝(し)のことを詠んだ詩。詩の中で柳(りゅう)宗(そう)元(げん)の書いた「童(どう)区(おう)寄(き)伝(でん)」（子供の使役人である童(どう)（ここでの実態は奴隷）の区(おう)寄(き)の小伝）について触れていて、関連するところが大きく、また、先に見てきたように、蘇軾は年を追って柳宗元に傾倒しつつあったので、まず「童区寄伝」を見ておきたい。

［訳文］

柳宗元：『童区寄伝』

柳(りゅう)先生はこのように言う。（柳(りゅう)宗(そう)元(げん)はこのとき罪を得て南方の柳(りゅう)州に流されていた）

越(えつ)人(じん)（南方の少数民族）は恩愛の情が薄く、男でも女でも、生まれたときから売り物とみなされる。歯が脱け代る年齢以上になると、父兄はこれを売って、利益を得ようとする。子が足りないときには、ほかの家から盗み取り、縛りつけて首(くび)枷(かせ)、手(て)枷(かせ)をつける。髯が生えるほどの年齢の者であっても、力で負かされてしまって童(どう)（少年奴隷）にされてしまうことがある。それで、道で出会うと、傷つけ合い、殺し合うことが普通に行われている。幸いにも大きく成長できた者は、弱い者を縛って奪うようになる。漢(かん)人(じん)の役人はこのようなことを己の利益とし、童(どう)が得られるのなら、何をしていようがそれを問わない。こうして越人の人口はますます減り、この状況から自力で脱出できる者はわずかしかいない。

ここに区(おう)寄(き)は十一歳でこのような境遇に打ち勝ったのであるから、実に珍しいことである。桂(けい)部(ぶ)（柳州に属する）の従事である杜(と)周(しゅう)士(し)がそのことを私に話してくれた。

区寄は郴(ちん)州の蕘(じょう)牧(ぼく)（薪の採取と牧畜を生業とする）の家の子で、家畜を連れて移動しつつ薪を採っていた。区寄は二人の賊に劫(かす)め取られ、後ろ手に縛られ、布の囊(ふくろ)で口を塞がれ、連れ去られた。二人は四十里先の村に行って売ろうとした。区寄は偽って幼い子どものように恐れ慄いて泣いた。普通の幼い子そのままであったから、賊はこれをあなどり、二人で酒を飲み、酔っ払った。一人が売る算段のために出かけて行き、一人は刃(やいば)を道の上に突き立てたまま臥して眠ってしまった。少年はそっとその眠りを伺い、背中の縛られているところを刃に押し付け、力を籠めて上下に動かし、絶ち切った。そして刃を取って賊を殺した。逃れてまだ遠くにいく前に、商売に行った者が帰ってきて、少年を見て大いに驚き、殺してしまおうとした。

少年はにわかに言った。

「二人の男で僕を分け合うのと、一人で僕を使うのとどちらがよいのでしょうか。あの男は僕にやさしくしてくれませんでした。でも、あなたさまが僕を生かしてくれて、恵みを与えてくださるのなら、何でもいたしましょう」

男はしばらく考えてこのように言った。

「おまえを殺すよりは売ったほうがよいだろう。二人で売って分け合うよりは、独り占めしたほうがよい。あいつがうまいこと殺されたのは、実はよいことだったのだ」

すぐに死骸を隠し、少年を、売る相手のところに連れていった。少年はより厳重に束縛されて閉じ込められた。

夜中に、少年はころころ転がって縛られたところを爐の火に当て、焼いてそれを絶った。手は火傷したけれどためらうことなく刃を取って、先の賊をまた殺した。そして大きな声で叫んで、村中の人を起こした。

少年は言った。

「僕は区(おう)の家の子です。奴隷なんかにはなりません。賊の二人が僕を捕らえたけれど、僕は幸いにも二人とも殺しました。どうかお役人にこのことを知らせてください」

村の役人は州の役所に告げ、州の役所は大(だい)府(ふ)に告げた。大府は少年を呼び、少年を視ると、まだ小さな善良な子であった。知事の顔(がん)證(しょう)はこれを珍しいことだと感じ、手元に留めて小吏(こづかい)にしようとした。少年は同意しなかったので、衣服を与え、役人に守らせて郷里に返した。

郷里のかどわかしをする連中は、目をそらして、その家の門の前を敢えて通ろうとはしなかった。皆がこのように言った。

「この子は、かの秦(しん)武(ぶ)陽(よう)（十三歳で人を殺して誰もが恐れた昔の勇士）よりも二歳も若くて、二人の乱暴者を殺したのだ。近づくことなどできない」

［補足］（これは少年の勇敢さを讃えるとともに、少数民族が奴隷狩りの対象となって衰亡し、役人がその悪弊から利益を吸い上げていることを告発したものである）

劉(りゅう)翁(じい)さんは望(ぼう)都(と)県の民である。

病気で痩せ衰え、瓦を焼く窯の中で暮らしていた。

子がいて、醜(しゅう)廝(し)という名で、十二歳である。

醜廝は瓢(ひさご)を持って物乞いに歩き、

墓地で供え物の残りを得たり、

雪の中で落ちている薪を拾ったりしていた。

水に漂い火に焼かれる災難も、飢えて死ぬことも、親子でともにしようとしていた。

病んだ老人には一枚だけの薄い衣があり、

それで雪の降る夜もしのいでいた。

二人の乱暴者がやってきて、その衣を奪い取った。

哀しいことに、老人は飢えた鳥のように泣き、

そのまま凍え死んでしまった。

乱暴者は少年をあなどり、

好き放題をして立ち去ったのだが、

少年は遥かな雪道にもめげずに亭(てい)長(ちょう)のもとに走り、

我が仇は祝(しゅく)と苑(えん)という男だと告げ、

道を遮って捕らえてほしいと訴えた。

人々はこの話を聞いて涙を流し、

二人はついに縛り首となった。

少年は我が役所にきて詳しく訴え、

その心意気は我が同僚を驚かせた。

私はこのように言った。

「かの郴(ちん)州の蕘(じょう)牧(ぼく)の子にならって、

　そなたを寄(き)と名付けたい。

　残念なことに、柳(りゅう)宗(そう)元(げん)のような立派な文章は私には書けないので、

　そなたのため、拍子木を打って歌おうと思う。

　さあ、聞いてくれたまえ」

――役所からの褒美は二万銭、

　　　でも、家もなければ、まだ妻もない。

　　　いつかは妻を迎えるとして、

　　　まずはきちんと髪を束ねるがよい。

　　　体もきれいに洗って、

　　　腰帯を締め、頭巾も載せたなら、

　　　小さな役人になるがよいだろう。

　　　読み書きを覚えて学問の道に進むもよし、

　　　弓矢を習って外敵と戦うのもよい、

　　　大きくなったらそなたの好むままに選べばよい。

　　　忠孝を尽くすなら必ず福がくる。

　　　昔、肋骨を折る災難に遭いながらも宰相になった者がいた。

　　　昔、葬列について笛を吹く仕事をしていながらも大臣になった者がいた。

　　　人の世のことはあらかじめわかりはしない。

　　　小さな子だからといって軽んじてはならない。

■釈迦文仏頌

［解題］11月11日、亡くなった妻王(おう)閏(じゅん)之(し)のために、釈迦の画を掲げて供養を行った。その画は友人の李(り)公(こう)麟(りん)（本章306ページ）が描いたものだった。

［訳文］

端(たん)明(めい)殿(でん)学(がく)士(し)兼(けん)翰(かん)林(りん)侍(じ)読(どく)学(がく)士(し)蘇軾は、亡妻同(どう)安(あん)郡(ぐん)君(くん)王(おう)閏(じゅん)之(し)のために、奉(ほう)議(ぎ)郎(ろう)李(り)公(こう)麟(りん)に頼んで釈迦とその十大弟子の画を描いてもらった。

元(げん)祐(ゆう)八年十一月十一日、水(すい)陸(りく)道(どう)場(じょう)（供養のための仏事）を設けてその画を供養し、手(しゅ)拝(はい)稽(けい)首(しゅ)して頌(しょう)歌(か)を捧げる。

我願世尊、（お釈迦様に願います）

足指按地。（どうか大地に手と足を触れられて）

三千大千、（この全世界を）

浄琉璃色。（瑠(る)璃(り)色にお浄(きよ)めください）

其中衆生、（その中にいる衆生を）

靡不解脱。（すべてお救いください）

如日出時、（日が出るとともに）

眠者皆作。（皆が目覚めるように）

如雷震時、（あるいは、雷が鳴って）

蟄者皆動。（全ての虫が動き出すように）

同證無上、（お釈迦様の御(み)証(しるし)は）

永不退転。（永遠に変わることがありません）

［補足］（同じころに、韓(かん)�g(き)の祭文を記して、韓�gの霊に捧げている。韓�gは蘇軾が8歳のときにあこがれた4人のスーパースターの1人で、一時期定(てい)州において遼(りょう)国への備えを指揮したことがあった。蘇軾は軍務も兼任し、韓�gを見習って、軍備の現状を点検して改善に努めた。防衛上の様々な仕組みが形骸化していて、設備が老朽化し、士気が弛緩していた。蘇軾は制度の改革を朝廷に提案し、設備を改修する費用を捻出するために度(ど)牒(ちょう)の発行を朝廷に求め、また、自ら軍事訓練を行うなどの対策をとった）

■題毛女真

［解題］毛(もう)女(じょ)という仙女の肖像画に添えた詩。

［訳文］

鬢(びん)から霧が湧き、

鬟(まげ)から風が吹き出し、

木の葉を綴った衣をまとう。

千年ぶりに帰ってきた毛(もう)女(じょ)は、

「山や川はもとのままですけれど、

　昔の人は誰もいません」

と、つぶやき、

商(しょう)山(ざん)に住む四人の仙人を訪ねるしかあるまいと、

一人静かに、月の光のもとを、

笛を吹きつつ去って行くのである。

［補足］（（1）商(しょう)山(ざん)の隠者は本章223ページで見ている。漢(かん)代(だい)から千年を経てもなお山にいる4人だけが毛(もう)女(じょ)の知り合いだというのである。（2）このころに弟の作った2首の詩に次韻している。どちらも、清(せい)汶(ぶん)老(ろう)という道士から、仙薬および仙女の画を弟がもらったという詩である。この詩に似て摩訶不思議なことを詠んでいて、訳者にはとんと理解でないので省略する。）

■紫団参寄王定国

［解題］題にある「紫(し)団(だん)参(じん)」とは紫(し)団(だん)山(さん)に産する人参。この詩を添えて紫団参を王(おう)鞏(きょう)（字(あざな)は定(てい)国(こく)）に贈った。紫団山の名は、唐(とう)の時代に玄(げん)宗(そう)皇帝が太(たい)行(こう)山脈のあたりに紫の雲が団(むらが)っている（これは瑞祥である）のを見たという伝説に由来する。

［補足］（これもまた不可思議なことを詠んでいて、よく理解できないままの「ずっぽ訳」である）

［訳文］

深く刻まれた谷から、

太(たい)行(こう)山脈は突(とつ)兀(こつ)としてそそり立ち、

紫の雲が団(むらが)るばかりか、

日の光を下に見おろす高さがある。

昔から知られているように、

この山からは、剛(つよ)い風が草木に向かって吹き降ろし、

真の気(き)が茎へと入り込むことで、

羊(よう)腸(ちょう)の嶺(みね)に人(じん)銜(かん)芝(し)（人参の別名）が生じる。

人参の根の鬚(ひげ)は虎の鬣(たてがみ)のようであり、

根の縮こまったところは竜の癭(こぶ)のようである。

蠶(かいこ)のような形をしたものが最もよく、

試しに少し齧ってみるだけで、

亀のような呼吸法を自由に行えるようになる。

私は古(いにしえ)の明(めい)真(しん)先生のような者で、

仙界に至ったような境地に達しているので、

清らかな夜に、月の光が戸から差し込む頃に、

珠(たま)を井戸に落とすようにしてこの人参を服すと、

心の火は消えて灰となり、

汗をかくことも喘(あえ)ぐこともなく、

すっかり静まるのである。

私はまだ人参を見分ける目は肥えていないけれど、

北の地に産するこの薬を君に贈ろうと思う。

三(みつ)椏(また)に分かれた人参を、

仙薬を練る九(きゅう)転(てん)の鼎(かなえ)で煎じるとよいであろう。

ともあれ私の言うことを聞いて口に含んでみるがよい、

酒や茶よりはよいはずであるのだから。

■寄餾合刷瓶与子由

［解題］定(てい)州の産物をプレゼントする詩が続く。これは、餾(りゅう)合(ごう)（蒸し器であるらしい）と刷(さつ)瓶(へい)（平らな鍋のようなものらしい）を弟に贈った詩。定州は磁器の産地で、弟には実用性の高いものを選んだようだ。

［訳文］

老人は心も行いも日に日に摧(ぐだ)頹(ぐだ)になり、

昨夜からの赤い残り火で手を焙(あぶ)ることしかしていない。

小さな甑(こしき)（餾(りゅう)合(ごう)）、低い瓶(かめ)（刷(さつ)瓶(へい)）があれば事が足りて、

子供らと一緒にあらゆる煮炊きができる。

これを君に贈るから、

部屋で静かに栗でも蒸しながら、

僕が人のいない部屋で灰に字を書いているのを、想ってくれたらよい。

君の家の僮(ボーイ)たちには、これを大切にするよう言ってくれ。

故郷の山の実は僕等が帰ってくるのを待っているはずで、

そのときにきっと役立つのだから。

■次韻劉�Z撫勾蜜漬荔支

［解題］同輩の劉(りゅう)�Z(とう)が蜜漬けの荔(れい)支(し)を詠んだ詩に次韻した。遠い南の夏の産物である荔支は、北の寒地ではことのほか珍しく感じられたのだろう、定(てい)州に来てから荔支の詩を何度も作っている。それはあたかも後の運命を暗示するかのようでもある。

［訳文］

季節の新たなものを食べると、

満座の人々は必ずその名を尋ねる。

それと別れて久しくなると、

多くの人はその色や香りを忘れてしまう。

ここに蜜漬けの荔(れい)支(し)を得て思い出すのは、

葉は楊(よう)梅(ばい)に似て霧や雨に煙る雰囲気があり、

花は盧(ろ)橘(きつ)に似て風や霜をしのぐ気配があること。

蒓(じゅん)菜(さい)に塩味噌を付けたのよりも旨いといつも納得し、

葡萄のような芳醇さは、わざわざ酒にするまでもない。

いま外では雪が舞い飛んでいる。

湧き上がる詩情とともにこの荔支を嘗めようではないか。

■送曾仲錫通判如京師

［解題］蘇軾が定(てい)州に着任してすぐに蜜漬けの荔(れい)支(し)を詠んだ詩に唱和することを求めた副知事の曽(そう)孝(こう)広(こう)（字(あざな)は仲(ちゅう)錫(せき)）（本章348ページ）が都に行くことになり、この詩を贈った。

［訳文］

国境の町の年の暮れはいつも吹雪、

貴君との別れに、無理にも春の酒を出してきた。

ここでの日々は――

将軍の陣営で夜に兵を談じ、いつしか月がいよいよ冴えわたった……

鉄の鎧をまとって馬にまたがって暁に出て、凍りついた河を踏み裂いて走った……

根から断ち切られた蓬や落ち葉が、黄色い沙とともに巻き上げられて、

林に咲くのは氷の花……。

いまからは――

貴君は、皇族の方々のために都へ行き、威儀堂々の行列の一員となる……

残された私には、

右にも左にも漢(かん)の時代の名臣のような方々がいてくれるのだから、

その間で詩を嘯き、諾(よろしい)とだけ言っていればよいのだ……

そんな私であるから、

ここにいるよりは故郷に帰った方がよいというのは、

使用人たちでもわかる道理である。

北の地に春の水が流れ出るよりも先にそうしたいと思っている。