第10章　暴風雨の前の変転――都、潁州、揚州、定州

［第10章その一］

元(げん)祐(ゆう)6（1091）年、蘇(そ)軾(しょく)56歳。

■定風波

［解題］蘇軾は、3月上旬、寒(かん)食(しょく)のころに杭(こう)州を発ち、船で都を目指して大運河を北上した。3月18日、呉(ご)興(こう)（湖(こ)州）に至り、この詞を詠んだ。序文がある。湖州はかつて知事を務め、そこで逮捕された地である（第5章384ページ）。

［訳文］

私は、昔、張(ちょう)先(せん)、劉(りゅう)述(じゅつ)、李(り)常(じょう)、陳(ちん)舜(しゅん)兪(ゆ)、楊(よう)絵(かい)と、呉(ご)興(こう)で一堂に会した。時に張先は「六客の詞」を作り、その終わりの章に、

　尽道賢人聚呉分。（賢人が呉(ご)の分野に集まっていると誰もが言います）

　試問、（ちょっと尋ねてみましょう）

　也応傍有老人星。（星々のかたわらにあるのはきっと老人星でしょうね）

と、あった。

それからおよそ十五年、再び呉興を通過し、五人はすでに亡くなってしまった。時に、曹(そう)輔(ほ)、劉(りゅう)季(き)孫(そん)、蘇(そ)堅(けん)、張(ちょう)弼(ひつ)が私に同行し、張(ちょう)詢(じゅん)が「後の六客の詞」を作るよう求めた。

［補足］（張(ちょう)先(せん)ら6人が集まったのは蘇軾が杭(こう)州副知事の任を終えて密(みつ)州に向かう途中でのことで、そのことを記した文章を第6章204ページで見ていて、一部字句が異なるが張先の詞もそこに引用されている。そして再び呉(ご)興(こう)に、顔ぶれは異なるが6人が一堂に会したのである。張(ちょう)詢(じゅん)は湖(こ)州知事で、その他の4人は杭州からここまで蘇軾を送ってきたのだ）

月満苕渓照夜堂、（月の光が苕(ちょう)渓(けい)の流れを満たし、夜の堂を照らしています）

五星一老闘光芒。（ここに五つの星と一つの老人星が光を闘わせています）

十五年間真夢裏。（十五年などはまことに夢のなか）

何事。（何があったのでしょう）

長庚対月独凄凉。（金星がぽつんと月に向き合っています）

緑鬢蒼顔同一酔。（黒髪と老いた顔が一緒に酔います）

還是。（またここで）

六人吟嘯水雲郷。（六人が水(すい)雲(うん)の郷(さと)で吟唱します）

賓主談鋒誰得似。（主(あるじ)と客が鋒を交えるように語り合っています）

看取。（見るとそれは）

曹劉今対両蘇張。（曹(そう)、劉(りゅう)と、二人ずつの蘇(そ)、張(ちょう)です）

［補足］（初めにある「苕(ちょう)溪(けい)」は近くにある有名な川。「五(ご)星(せい)一(いち)老(ろう)」とあるのは、かつての「老」は張(ちょう)先(せん)で、今の「老」は蘇軾である。この時代に56歳ともなれば立派な長老格なのであろう）

■破琴詩

［解題］この詩が詠まれたのはこの年の6月であるが、序文には上と同じ時期にあった出来事が記されている。

［訳文］

旧(ふる)い言い伝えにこのようにいう。

唐(とう)の時代のこと、房(ぼう)琯(かん)（玄(げん)宗(そう)皇帝の次の皇帝のもとで宰相にまで昇った人）が開(かい)元(げん)年間に盧(ろ)氏(し)県の知事であったとき、道士の邢(けい)和(わ)璞(はく)と一緒に遊びに出て、夏(か)口(こう)村(そん)に来て、荒れ果てた仏寺に入り、古い松の下に腰をおろした。邢和璞が従者に命じて地面を掘らせると、甕(かめ)が出てきて、中に婁(る)師(し)�ｺ(とく)が永(えい)禅(ぜん)師(し)に与えた手紙があった。邢和璞は笑って房琯に言った。「このことを憶(おぼ)えていましょうか」。房琯は悵(ちょう)然(ぜん)として己の前生は永禅師であったのを悟った。

私の旧い友人の柳(りゅう)瑾(きん)はこの出来事を描いた画を宝としていた。柳瑾によると、もとは唐代に描かれた画を、宋(そう)迪(てき)が模写したものである。

元(げん)祐(ゆう)六年三月十九日、私は杭(こう)州から都に還る途中で呉(ご)淞(しょう)江(こう)に船を泊めた。夢に、仲(ちゅう)殊(しゅ)長老が琴を携えて訪ねてきた。仲殊が琴を弾くと、すばらしい音色であった。よく見ると、琴は破損がひどく、十三弦（秦(しん)の時代の琴）であった。私が嘆息してやまずにいると、仲殊は言った。「損なわれてはいても、なお修理はできましょう」。「十三弦をどのようにするのですか」と尋ねると、仲殊は答えずに詩を誦した。

　度数形名本偶然、（度(ど)数(すう) 形(けい)名(めい) 本(もと) 偶(ぐう)然(ぜん)）

　破琴今有十三弦。（破(は)琴(ぎん) 今(いま)有(あ)り十(じゅう)三(さん)弦(げん)）

　此生若遇邢和璞、（此(こ)の生(せい) 若(も)し邢(けい)和(わ)璞(はく)に遇(あ)うなら）

　方信秦箏是響泉。（方(まさ)に信(しん)ず 秦(しん)の箏(こと)は是(こ)れ泉(いずみ)を響(ひび)かすと）

私は夢の中ではあったけれど、その意味するところがはっきりとわかった（詩は、琴は古代の音を今に伝えるということを歌っているのだろう）。そして目覚めると、そのことを忘れてしまった。

明くる日、昼寝をしていてまた夢を見て、仲殊が来て、前の通りに言い、またその詩を誦した。そしてちょうど覚めたところに、仲殊がたまたまやってきたので、夢と見たのは実は夢ではなかったのかと思った。仲殊に問うと、何も知らずにいた。

この年の六月、柳瑾の子の柳(りゅう)子(し)文(ぶん)に都で会った。邢和璞の画を求めて譲ってもらい、詩を作り、ならびに夢に見たことを画の上に書いた。

柳瑾は字(あざな)を子(し)玉(ぎょく)といい、よく詩を作り行草を上手に書いた。宋迪は字を復(ふく)古(こ)といい、山水草木を描いて当時絶妙とされた。仲殊はもと書生で、家を棄てて仏教を学び、俗を脱して執着するところがない。みな奇士である。

［補足］（ここに挙げられている幾人かの人物について説明を加える。（1）房(ぼう)琯(かん)は、安(あん)禄(ろく)山(ざん)の反乱軍によって占拠された長(ちょう)安(あん)を奪還すべく大軍の指揮を任された人物。教養があり過ぎたのだろう、不可解なことに古代の戦術を用いて大敗した。蘇軾がここに記した伝説によると、房琯は前世では脱俗の道士で、そのことを邢(けい)和(わ)璞(はく)が思い出させてくれたのだった。しかし、次の詩では、せっかく前世が知れたのにかかわらず、すっかり堕落してしまっていたということが歌われている。（2）仲(ちゅう)殊(しゅ)は第9章123ページで見た蜂蜜好きの僧である。仲殊は、蘇軾に先立って杭(こう)州を出て、このあたりを巡り歩きつつ待ち受けていたのだろうか。（3）劉(りゅう)瑾(きん)は蘇軾の旧い知人（第4章6ページなど）で、その子の柳(りゅう)子(し)文(ぶん)（字(あざな)は仲(ちゅう)遠(えん)）は第8章102ページに登場している。（4）宋(そう)迪(てき)は山水画の名手で、蘇軾にはその画を詠んだ詩がある（訳出しなかった）。（5）この序文や参(さん)寥(りょう)泉(せん)の銘（第9章208ページ）を見ると、蘇軾には予知能力があるかのようだ）

破れた琴は修繕されないままでも、

その中に琴の意(こころ)があるのならそれで十分である。

これがかの昔の十三弦であると誰が言うのか、

佩(はい)玉(ぎょく)が触れ合うような妙音を発する。

新しい琴は、ことさらに立派に張られてはいても、

弦の声は琴の台木と調和していない。

美しい七弦の琴は、

ややもすれば世俗の好みを逐(お)うだけのものである。

思えば、房(ぼう)琯(かん)は心根の低い者で、

世俗のなじむところに墮(だ)してしまった。

房琯が好んだ琴造りの職人の董(らん)庭(てい)蘭(らん)などは、

無弦の曲（最上の音楽）などわからずにいたのだった。

［補足］（（1）蘇軾のこの詩は、都に行っても房(ぼう)琯(かん)のようにはなるまいとの思いを籠めたものであろうか。（2）上の序文とほぼ同じ内容の短文が別にあり、夢で仲(ちゅう)殊(しゅ)が詩を誦してから後が少し異なるので、そこだけを訳しておこう）

［訳文］

……夢の中ではっきりとその詩の意味を知った。覚めてからそれを書き記した。今晩は蘇(そ)州に至り、ひょっとして仲(ちゅう)殊(しゅ)が来るかもしれない、来たら渡そうと思って、その詩を書いたのである。写し終わってここにまできて、筆をまだ手にしているときに、仲殊が舷(ふなばた)を叩いて現れた。驚き嘆息して、これを仲殊に贈る。時に蘇州まで五里のところであった。

［補足］（一段と劇的になっているので、蘇軾本人か後人が話を盛ったのであろう）

■再乞発運司応副浙西米状

［解題］前年の7月、蘇軾は自然災害の発生を危惧し、朝廷に先手先手での対応を要望していた（第9章128ページ）。朝廷の動きは鈍く、災害が現実のものとなり、蘇軾は船旅の間に惨状を目の当たりにした。すぐにこの書状を書き、対策を急ぐよう朝廷に強く求めた。

［訳文］

元(げん)祐(ゆう)六年三月二十三日、竜(りゅう)図(と)閣(かく)学(がく)士(し)左(さ)朝(ちょう)奉(ほう)郎(ろう)前(ぜん)知(ち)杭(こう)州蘇軾は書状をもって奏上いたします。

右の臣は近ごろ恩(おん)詔(しょう)を受け取り、都に赴くよう召されました。

浙(せつ)西(せい)の地はこの二年間は水害に遭い、蘇(そ)州、湖(こ)州の被害が甚大でありますことを詳しく聞いておりました。百聞は一見に如かずと申します通り、杭州から湖州を経て蘇州に入ります間に実地に見ましたところ、溢れた水はまだ退かず、下位の田は深い水の中に没したままで、今年の稔りは恐らく絶望的でありましょう。中位、上位の田も水が広がったままで、婦女や老弱の者までも昼も夜も水車を踏んで水を吐き出そうとしていますが、雨は止むことがなく、水位が一寸下がったかと思うと、一尺上がるというありさまで、いまは春の終わりに至っていながら、どこも種を蒔くことができていません。村々には食べる物のない者が大勢いて、糟や糠や水草を食べてしのいでいます。しかも水をかぶったために薪も藁も得ることが難しく、冷たいまま食べるしかなく、腹を壊して死ぬ者が大勢います。これらのことは私自身が見たもので、決して伝聞によるものではありません。

春から夏にかけて流民が出て、疾疫も必ず起るでありましょう。各州は去年のうちに備蓄米をほぼ用意していて、いま州県はそれを売り出していますので、米価はまだそれほどは上がっていません。しかし、遠くの村の飢えた民衆は町に行って米を買うことができませんし、役人は船に米を載せて村々に配ろうとしてはいても、あまりに広範囲に及ぶために、恐らくは十分に満たすことができないでしょう。夏から秋にかけてきっと食糧が絶えてしまいます。もしも今すぐにも雨が止み、農民がいつもより十倍の努力で農事と排水に励みましたなら、米の収穫は間に合うこともあるのかもしれません。しかし、今すでに食糧不足は始まっているのを見るなら、耕作の功を期待するのは難しく、たとえ天候がよくなっても望むようにはならずに、公私ともに狼狽するでありましょうことは理の必然であります。……（以下、対策について具体的に述べる）……

■和林子中待制

［解題］蘇軾は長(ちょう)江(こう)に臨む潤(じゅん)州に至り、知事の林(りん)希(き)（字(あざな)は子(し)中(ちゅう)）に会ってその詩に和した。林希とはかねてから詩の贈答があり（第9章79ページなど）、なおかつ林希は蘇軾の後任として杭(こう)州知事として赴任することになっていた。

［訳文］

二人の老人はぐずぐずしているうちに頭は真っ白、

ずぼらで頑固者だと、人に笑われている。

とにもかくにも酒を手にして、この美しい風光のもとで会ったのだ。

貴君は、孔(こう)子(し)が古(いにしえ)の人の生き残りと讃えた人のようであり、

かつ、私に先んじてすばらしい詩を詠み上げる。

私は近々陶(とう)淵(えん)明(めい)の「帰(き)去(きょ)来(らい)の辞(じ)」を賦して去り、

斜(しゃ)川(せん)で自由に歌って老いるつもりでいる。

［補足］（（1）この詩は、要するに杭(こう)州のことは林(りん)希(き)に託すということが言いたいのだろう。（2）陶(とう)淵(えん)明(めい)が斜(しゃ)川(せん)に遊び、味わい深い叙景詩を詠んだことは第5章331ページで見ている。同じような境地に至りたいとの願望を最後に歌っているのだが、岩垂憲徳・釈清潭・久保天随訳解『蘇東坡詩集』（1927年）は「帰ると言い、帰ると言う、公の常套語、応酬の作、心にも無きことを饒舌して一篇の詩と為す」と、実に手厳しい評を加えている。実際、蘇軾は口を開くたびに「帰る」とぼやくといってよいくらいに、頻繁に詩に詠んでいる。この詩は、もともとは蘇(そ)州を通過したときに知事の黄(こう)履(り)が詠んだ詩に蘇軾が次韻したものを手紙に添えて林希に送り、蘇軾が潤(じゅん)州に到着すると林希がそれに和した詩を示したので、さらに次韻したものである。次韻を重ねれば、故事をあれこれこじつけ、「心にも無きこと」も並べるようにもなるのであろう。ただし、蘇軾はこのときは心ならずも都に召され、帰隠したいとの思いは本当に強くあったのだろう。それでも、国と民のために働くのが己に課せられた義務であると、より強く思っていたのだ）

■西江月

［解題］同じときに林(りん)希(き)（字(あざな)は子(し)中(ちゅう)）に贈った詞。上の詩より平易で蘇軾の真情を汲み取りやすい。

［訳文］

昨夜扁舟京口、（昨夜、ちっぽけな舟で京(けい)口(こう)（潤(じゅん)州）に着いたばかり）

今朝馬首長安。（今朝はもう長(ちょう)安(あん)（都）に馬の首を向けるのです）

旧官何物与新官、（旧(ふる)く官にあった者（蘇軾）は新しく官に就く人（林(りん)希(き)）に何を与えるのでしょう）

只有湖山公案。（杭(こう)州の湖や山を詩に詠むという課題です）

此景百年幾変、（杭州の風景は百年でどれほど変わったのでしょうか）

個中下語千難。（言葉にするには千の難しさがあります）

使君才気巻波瀾、（新知事殿の才気は波を巻き起こすばかり）

与把新詩判断。（その新しい詩は人をうならせることでしょう）

［補足］（公人としての蘇軾が林(りん)希(き)に託した課題は災害対策であった。林希は努力したものの、蘇軾のように高(こう)太(たい)皇(こう)太(たい)后(ごう)のバックアップが期待できず苦労しなければならなかった）

■留別蹇道士拱辰

［解題］蘇軾は潤(じゅん)州で蹇(けん)拱(きょう)辰(しん)という道士に会い、この詩を贈った。

［訳文］

黒い月に濁った水――

明るく澄むことがあるだろうか。

荊棘(いばら)に満ちた田畑――

梨や棗(なつめ)が生えることがあるだろうか。

いつか吾が真(まこと)に返ることができるのか。

歳月ばかりが山のように高く聳えてゆく。

方(ほう)外(がい)の士（世俗を超越した道士）としばしば接し、

俗縁の軽さは早くから知っていたつもりだった。

『荘(そう)子(じ)』に記される庚(こう)桑(そう)先生は、

「まだ教えを受け入れる状態になっていない」として、

弟子の南(なん)栄(えい)を敢えて導こうとしなかった。

私もまたそのようであったのだろう。

老年に至ってようやくこの道師（蹇(けん)道士）と識(し)ることができて、

宿世の念願が果たせたるかのようである。

師は笑って北の山の雲を指さし、

早く帰耕しないのをお叱りになる。

師は漢(かん)の時代の有名な仙人のように、

普通の人と変わらぬ姿のままで仙境を歩いて行かれる。

仙境はすぐ近くにあるのに、私には見えない。

師を煩わしてせめて我が名をそちらへ伝えていただきたい。

願うのは、

両の手だけをひっさげて、大海に横たわる鯨を取り押さえることだ。

■臨江仙

［解題］潤(じゅん)州にいる間に金(きん)山(ざん)寺(じ)を訪ね、了(りょう)元(げん)長老（仏(ぶつ)印(いん)禅師）（第7章76ページなど）のために壁に画を描き、また、杭(こう)州を出たときから同行して最後まで残っていた張(ちょう)弼(ひつ)ともついに別れた。

長(ちょう)江(こう)を渡ったのは4月の初め、すぐに揚(よう)州に至った。この詞には「夜、揚州に到り、席上で作る」との副題がある。

［補足］（蘇軾は一生の間に10回ほど揚(よう)州を通過していて、この詞がいつの作であるのか、実はいろいろな考証がある。薛瑞生箋注『東坡詞編年箋注』（1998年）は杭(こう)州に副知事として赴任する途中の作としているが、ここでは、孔凡礼撰『蘇軾年譜』（1998年）に従って元(げん)祐(ゆう)6年の作としておく）

［訳文］

尊酒何人懐李白、（盃の酒を前にすれば誰もが李(り)白(はく)のことを懐(おも)います）

草堂遙指江東。（杜(と)甫(ほ)は成(せい)都(と)の草堂で遥かに揚(よう)州のあたりにいる李白を詩に詠みました）

珠簾十里巻香風。（ここは杜(と)牧(ぼく)が「十里の春風に珠(たま)の簾(すだれ)が巻き上げられる」と歌ったところ）

花開花又謝、（花は開き、花は落ち）

離恨幾千重。（悲しみは千枚にも重なって降り積もります）

軽舸度江連夜到、（軽やかな船で長(ちょう)江(こう)を渡って夜にここに至りました）

一時驚笑衰容。（笑い、そして同時に衰えた顔に驚きます）

語音猶自帯呉儂。（私の言葉はまだ呉(ご)のなまりを帯びています）

夜闌相対処、（夜のふけゆくままに向かい合っていると）

依旧夢魂中。（またまた夢の中にいるかのようです）

［補足］（（1）詞の前半では、唐代の著名な詩人である李(り)白(はく)、杜(と)甫(ほ)、杜(と)牧(ぼく)を引いて、揚(よう)州が歴史に彩られた都市であることを歌っている。（2）後半は、杭(こう)州から戻ったばかりで、まだ向こうのなまりが抜けないまま懐かしい人々と再会していると歌っている。蘇軾は気分としては江(こう)南(なん)を故郷とする人間なのである））

■杭州召還乞郡状

［解題］蘇軾は、都に召されて翰(かん)林(りん)学(がく)士(し)という大変名誉な称号を頂戴することになっていた。しかし、杭(こう)州にいる間にそれを辞退することを申し出ていて（第9章195ページ）、揚(よう)州にいる間にも、その後で南(なん)京(けい)応(おう)天(てん)府(ふ)に着いてからも同じ趣旨の書状を朝廷に提出し、さらに5月19日にもこの書状を作って朝廷に差し出している。蘇軾は何としてでも都に帰還するのを避けたかったのである。

［補足］（この書状は、これまでの官界人生について蘇軾自身が総括したものとして読むことができる。すでに前半部分の訳を第5章389ページで見ているが、ここで改めて全文を読んでおこう）

［訳文］

元(げん)祐(ゆう)六年五月十九日、竜(りゅう)図(と)閣(かく)学(がく)士(し)左(さ)朝(ちょう)奉(ほう)郎(ろう)前(ぜん)知(ち)杭(こう)州蘇軾、書状をもって奏上いたします。

右の臣は近ごろ詔書および聖(せい)旨(し)劄(さつ)子(し)を頂戴しましたが、臣(わたくし)はそれにふさわしくないと、翰(かん)林(りん)学(がく)士(し)承(しょう)旨(し)の恩命を辞退し、地方知事の任を授かりますようお願い申し上げました。臣(わたくし)はそのことを記した三通目の書状をすでに出し、揚(よう)州、越(えつ)州、陳(ちん)州、蔡(さい)州のいずれかを希望いたしております。竊(ひそ)かに思いますに、臣(わたくし)のわずかな誠は天のような御恩に報いることがないままに、さらに本心をことごとく露わにして重ねて聖聴を犯しますことは、恐れ多くも死罪にも当たるものであります。惶(こう)恐(きょう)死(し)罪(ざい)。

臣(わたくし)は昔、治(じ)平(へい)年間に鳳(ほう)翔(しょう)の職から替わって朝廷に入り、初めて英(えい)宗(そう)皇帝の知遇を被(こうむ)りました。皇帝陛下は臣(わたくし)を用いようとしてくださいましたが、当時の宰相の韓(かん)�g(き)は臣(わたくし)がまだ若く資質に浅いところがあり、官の任に耐えられるか試めされてもいないことから、しばらくの間はと館(かん)職(しょく)を与えてくださいました。

臣(わたくし)は父の喪に服すために官職を去ることとなり、喪が終わって改めて朝廷に参内いたしました。そこで、神(しん)宗(そう)皇帝のお招きをいただき、面と向かって激励のお言葉を賜り、臣(わたくし)が職掌外のことについても申し上げることを許してくださいました。そのとき臣(わたくし)は、遠国からきた臣下はまだこれほどまでの優遇を受けるはずがないので、これはきっと英宗皇帝が臣(わたくし)を知っていてくださったことによるのであろうと思いました。

このとき王(おう)安(あん)石(せき)が新たに政治を司り、法度を変易しました。臣(わたくし)がもしも少しばかりでも王安石に擦り寄りましたならば、きっと昇進して用いられたでありましょう。しかし、臣(わたくし)は朝廷から遠い人間でありながら、英宗皇帝、神宗皇帝の特別な知遇を蒙り、それでいて天を欺き自分の心に背くようなことはできないと、王安石がしようとしていて施行してはならないことを具さに論じて、万に一つでの国政に補うところがあればと考えました。しかし、神宗皇帝の御心が臣(わたくし)のことをどれほど認めてくださっているのか、その浅い深いをまだ測ることができませんでした。折しも、上(じょう)元(げん)の節に四千の灯篭をお買い上げになって、しかも役目の者が理由もなく価を値切っているということでありましたので、臣(わたくし)はそのことを論じて意見書を出しましたところ、先帝（神宗皇帝）は大いに喜ばれて、即時に臣(わたくし)が申し上げ通りに施行してくださいました。臣(わたくし)はこれによって、先帝が聖明にして、言葉を尽くした意見を受け入れてくださると知り、六千余言にわたって新法のよろしくないことを詳しく論じた意見書を提出いたしました。また、科挙についても意見を申し上げ、王安石には人を見る力がなく、王安石が勧める人間は用いてはならないことを申し上げました。先帝はそれを聴いて従ってくださったわけではありませんでしたが、臣(わたくし)の愚直をよしとして、譴(けん)問(もん)されることはありませんでした。しかし、王安石は大いに怒り、その仲間は皆歯噛みをして怒り、臣(わたくし)を傾けようとしました。御史台の謝(しゃ)景(けい)温(おん)が首謀者となって必死にあら捜しをして、臣(わたくし)が父の喪に服して帰郷した際に、舟の中で私的に塩を販売したとの告発をしました。そして、各地に指令を下して、当時の舵取りから竿さしまでも捕えて拷問にかけて、証拠を集めようとしました。しかし、その実体はなく、罪をでっちあげることはできずに終わったのでした。

臣(わたくし)はこれによって禍を懼れ、都の外に出ることを乞い、三回連続して地方官に任ぜられました。それでも、先帝は臣(わたくし)を大切に思ってくださることは衰えず、臣(わたくし)が差し出す文章が届くと、それを左右の者に示して褒めてくださいました。それで、改革派の人々は臣(わたくし)がまた朝廷で用られるのではないかと疑い、李(り)定(てい)、何(か)正(せい)臣(しん)、舒(じょ)亶(せん)の三人が、飛語を組み合わせ、いろいろな罪状を作り上げて、必ず臣(わたくし)を死罪にしようとしました。先帝は初めは許しませんでしたが、この三人が訴え続けてやまなかったために、臣(わたくし)は罪を得て獄に下ることになりました。李定らは乱暴な役人である皇(こう)甫(ほ)遵(じゅん)を派遣し、皇甫遵は吏卒を率いて湖(こ)州にきて、臣(わたくし)を盗賊のように捕えました。臣(わたくし)は妻子と訣別し、手紙を弟に留めて、後の処置を託しました。自分で思うに、必ず死ぬであろうと考え、長(ちょう)江(こう)を過(よぎ)る際に、江中に身を投げようとしました。しかし、吏卒が監視していたために果せませんでした。獄に到ると、何も食べずに死のうとしました。しかし、先帝は使者を獄に遣わしてお命じになるところがあり、獄吏は敢えて非道な仕打ちを加えるようなことはなくなりました。それで、臣(わたくし)は、先帝に臣(わたくし)を殺すお気持ちはないと知ったのであります。それによって、余命を留めて今日に至ることを得ました。

黄(こう)州に流されるに及んでからも、臣(わたくし)より朝廷に文書を提出するたびに、先帝は左右の者に向かってその文章を褒めてくださり、臣(わたくし)を哀れみ、大いに奨(すす)めて再び用いようとなされました。しかし、左右の者が固く争ったためにそれはできませんでした。臣(わたくし)は遠くにおりましたが、そのようなことが具(つぶさ)に聞こえてまいりました。古(いにしえ)の人はこのように言っています。「蚊も集まれば雷のような音になり、羽も積めば舟を沈めることさえできる」。これは、寡は衆には勝てないという意味です。先帝が臣(わたくし)のことを特別に考えてくださっていながらも、臣(わたくし)がついに艱難を免れなかったのは、左右の者に臣(わたくし)を憎む者が大勢いたためであったのです。

陛下が御即位されますと、臣(わたくし)は貶所より起つことができ、一年もしないうちに朝廷に並ぶ地位に昇りました。遭遇するところの変わり方の激しさは古今に比べられるもののないほどでありました。臣(わたくし)はいつも自ら思いますに、昆虫草木のような微小な身でありながら、天地を生成するような陛下の徳に遭うことができましたからには、独り立って誰かに倚(よ)ることもなく（徒党を組むことなく）、知っていながら申し上げずにいることもなく、御恩の万分の一にでも報いなければならないのだと。

それで衙(ご)前(ぜん)差(さ)顧(こ)（人民に労役を課すこと）に関連する利害について，孫(そん)永(えい)、傅(ふ)堯(ぎょう)兪(ゆ)、韓(かん)維(い)と議論を争い、また司(し)馬(ば)光(こう)とも論を異にしました。司馬光はこのような臣(わたくし)を初めから怒ることもなかったのですが、御(ぎょ)史(し)台(だい)の人々は司馬光の意(こころ)の内を探って、ついに臣(わたくし)を敵とみなしたのでありました。臣(わたくし)はまた程(てい)頤(い)がよからぬ者であると知って、言葉においても顔色においても容赦することなく応対しましたところ、程頤の党人は皆が臣(わたくし)に白い目を向けたのでありました。朝廷は大(だい)奸(かん)（改革派の中心人物）のうち数人を排除いたしましたが、その余党がなお陛下のお近くにいて、密かに挽回の機をはかりつつ、まだ実行に移すのを控えている状況でありました。地位の低い周(しゅう)穜(とう)なる者が、王(おう)安(あん)石(せき)を配(はい)享(きょう)するよう要請し、それによって朝廷の意向を探ろうとしました。臣(わたくし)は竊かに、周穜が雑草のような微小の身をもってこの議を建てたのは、必ず陰に首謀者がいるはずだと考えまして、上書してその悪だくみの鋒先を折り、周穜を遠くに追い払って、小人どもの謀(はかりごと)を破るよう朝廷に願いました。これによって、党人たちは臣(わたくし)のことをますます怒り憎むようになったのであります。その後、陛下に御進講する役目にあずかり、黄(こう)河(が)の流路を変えるのは不可能であることを論じて、そのことを上疏して争いました。それによって執政から心よく思われないようになったのでありました。このような幾つかの事が重なって、禍(わざわい)が再び起こるであろうことを恐れ、また臂(ひじ)が痛み目が昏(くら)くなったこともあって、都の外に出してくださるよう何度も強くお願いしたのでありました。

竊(ひそ)かに伏して思念しますに、朝廷に用いられてから三年の間に、御史台が臣(わたくし)を批判することは数回に及びましたし、批判の文書を作るに当たっては言葉を作り上げて臣(わたくし)を謗(そし)ろうといたしました。もとより似たことさえもないのに罪を作りあげようとして、まことに曖昧なことでありながら臣(わたくし)を貶めようとしたのでありました。陛下は無実であると察せられて、幾度となくそのような書状を却下されました。もしも二聖（皇帝と太(たい)皇(こう)太(たい)后(ごう)）の仁明によって臣(わたくし)の胸中を洞(どう)照(しょう)されるのでなかったならば、臣(わたくし)は党人たちによって傾けられるがままとなって、この首を保っていることはできなかったのであります。臣(わたくし)はまた先帝が赦してくださったようなことをまた敢えて望みはしませんで、ただ地方に出してくださることを望んだのでありました。

臣(わたくし)は杭(こう)州知事として出てから二年の間は、人から何か言われるのをほぼ免れることができました。その間に、法の適応外の措置として、顔(がん)章(しょう)、顔(がん)益(えき)の二人を入れ墨して流罪に処しましたが、これは長年積もってきた弊害を改めるためにやむを得ないと考えたからでした。陛下も臣(わたくし)を赦してくださいましたが、赦すべきでないと言う者がいて、そのことを論じていまも奏上し続けています。よもや顔章等のためにと考えてそのようなことをしているのでないのであります。党人たちは一日も欠かさずに臣(わたくし)を傾けようと考えていることはこれによっても知れるのであります。垢を洗い落して傷を探し出すようなことをして、ようやくこのひとつの事を得たというわけなのであります。

臣(わたくし)は今たちまち聖恩を蒙(こうむ)り召還、抜擢されることとなりました。その一方で、臣(わたくし)の弟の蘇轍は執政に任命されました。この二つのことはいずれも大臣の本意ではないのでありましょう。竊かに考えますに、党人たちは必ずひどく臣(わたくし)を嫌って武器を磨いて待っておるでありましょう。勢いとして必ずそうなのであります。臣(わたくし)は新たに任命されると聞きまして、福をもって災いとなるものであると恐れ慄き、即日文章を提出して、召還を辞して郡職を乞いました。都に向かう途中で、果たして弟の轍は御史台の批判を受け、官舎を出て罪を待っていると聞きました。そして、陛下が細部にわたって事情を御覧になって、弟は身を保つことができたのであります。

臣(わたくし)が偏った強情者であることは誰もが知っております。党人たちは弟よりも激しく臣(わたくし)を嫌忌しております。衰病のなれの果ての身でその鋒先の前にどうして立てましょうか。罪があるとされるようなことはないと臣(わたくし)自身がいくら知っておりましても、いま罪を言う者にとっては事実であるとか正しいとかはどうでもよいのです。

竊かに思いますに、主君が臣下を用いるのは、公の道を論じるのを聞いて判断してのことであります。また、党人たちが嫌悪する者に報いるときには、必ず巧みに仕掛けて陰に法の罠にひっかけるのであります。臣(わたくし)は、二聖が公の道をもって臣(わたくし)を知ってくださっていることをだけを頼りとして、党人たちが禍に陥れようと陰に企んでいることに無頓着でいてよいものなのでありましょうか。

煩わしさをもって陛下を汚し申し上げるようなことまでして、臣(わたくし)がお仕えして以来の進退の一部始終を自ら申し上げましたのは、臣(わたくし)が危(き)言(げん)危(き)行(こう)にして、独り立って周囲を顧みないことが衆人の怒りを買ってきたことは、遠い昔からのことであったのを陛下に知っていただきたいからであります。また、臣(わたくし)が平生からこのように患難、危険を冒して歩みきて、今や余命がいくばくもなく、禍を遠く避けて身を全うしたく思う心が生じるのを免れずに、再三にわたって辞退申し上げたのは嘘や飾りの言葉ではないことを陛下に知っていただきたいからであります。

『論(ろん)語(ご)』に柳(りゅう)下(か)恵(けい)がこのように言ったと記されています。「道を真っすぐに歩んで人に仕えるなら、必ず三回は免職になるのだ」。臣(わたくし)がもしも得ることを貪り、失うこと患う者で、世間にうまく追随して、己のやり方を改めるような者であるのならば、陛下はきっと臣(わたくし)をお用いにはならないでありましょう。一方で、臣(わたくし)がその初心を守ってついに変わらないのなら、群小の者どもが横目で睨んで、臣(わたくし)が安らかにしていられる理(ことわり)はないのであります。二聖に深く知っていただいてはいても、衆人の口には勝てないのを恐れるのであります。でありますから、繰り返し熟慮した結果として、都を去るべきだと考えたのであります。二聖の天地、父母のような御恩を懐恋しないものではありませんが、衰老の余りの身で、群小の者たちと短長、曲直を比べ合って、世間の高人、長者に笑われてしまうのを恥じるのであります。

伏して聖慈を望みますに、臣(わたくし)の至誠を察せられ、特に執政に御指示をくだされて、これまでにたびたび奏上しましたものを検討して、朝廷の高位に親族が並び立つのを回避することを理由にして、臣(わたくし)を一郡の長に命じられますように。そして、臣(わたくし)が奏上しましたこれまでの書状は外にはお出しにならずに、臣(わたくし)の命を保っていただけますように。臣(わたくし)の大きな願いとしてこれ以上のものはありません。もし朝廷が臣(わたくし)の不才をもってしてもなお駆使すべきであるとするのでありましたなら、最も困難な国境の郡でありましても臣(わたくし)は辞退するものではありません。国に報いようとの心は死んで後に已むのであります。おそばにあって党人たちの猜疑を受けて陰に陥れられるのを願わないだけなのであります。

……（以下、畏れ多いということを、数十字にわたって書き連ねて結ぶ）

［補足］（（1）この文章が果たして皇帝の心に響いたかどうか、本章の終わりに見ることになる。（2）この文章を提出する前に通過した南(なん)京(けい)応(おう)天(てん)府(ふ)では恩人の張(ちょう)方(ほう)平(へい)に会い、前年に亡くなった滕(とう)甫(ほ)の墓誌銘の代筆を頼まれている（第9章152ページ））

■元祐六年六月自杭州召還汶公館我於東堂閱旧詩巻次諸公韻三首

［解題］蘇軾は上に記した通り、何度も辞退したものの、その希望はいれられないままに2年ぶりに都に戻り、5月26日、朝廷に帰還を報告し、6月1日、学士院に召された。

これはそのころに詠んだ詩。詩題は次の通り。「元(げん)祐(ゆう)六年六月、杭(こう)州より召されて汶(ぶん)公(こう)の館に還った。私は東(とう)堂(どう)で旧い詩巻を見て、諸公の韻に和して三首の詩を作った」。「汶公」とは僧の恵(え)汶(ぶん)で、「汶公の館」とは興(こう)国(こく)寺(じ)の浴(よく)室(しつ)院(いん)で、「東堂」はその中にある建物。興国寺は、蘇軾が21歳のときに科挙を受験するために初めて上京したときに宿舎にして以来馴染みの場所で（第8章218ページ）、そこには若き蘇軾が記した詩巻が残っていて、いろいろな人がそれに詩を書き加えていた。それらに次韻したのが以下の3首である。

［訳文］

　　其の一

黄(こう)粱(りょう)がまだ蒸し終わらず、

日がまだ斜めにならないくらいの時間しか経っていないのに、

玉(ぎょく)堂(どう)に栽えた花の木は大きな陰を作るまでになった。

三十年前の味わいを尋ねようとすると、

思い出されるのは、

かの王(おう)播(はん)のようにいつも腹をすかせていたことだ。

［補足］（（1）これは黄(こう)庭(てい)堅(けん)の詩に次韻したもの。（2）二つの故事が使われている。一つは有名な「邯(かん)鄲(たん)一(いっ)炊(すい)の夢」。黄(こう)粱(りょう)が蒸し終わるまでの短い時間に、これから人生の全てを夢に見てしまったという話。もう一つは、唐(とう)の王(おう)播(はん)の苦労話。王播は若い頃は貧乏で、寺に寄宿して勉強していたのだが、寺の僧は王播があまりにも頻繁に食事をねだりにくるのを嫌って、食事の時刻を告げる鐘が鳴る前に食べてしまった。原詩の最後はそのことを「未飯鐘時已飯茶」（未(いま)だ飯(はん)鐘(しょう)の時(とき)ならざるに已(すで)に茶(ちゃ)を飯(はん)す）と詠んでいる。そのような嫌がらせにも耐えて勉強したのである。ここではよい話として引かれているが、後で王播を批判する詩を見ることになる（本章254ページ）。（3）玉(ぎょく)堂(どう)は学士院にある建物で第8章で何度も見ている。そこに植えた木がいない間に大きく成長したのだ）

　　其の二

夢から覚めると、

廊下に高く屧(あしだ)の音が響く。

我がゆかりの人の像（恵(え)汶(ぶん)の師の肖像画）の前で香を焚くために僧がきたのだ。

私の髪はすっかり白くなったが、

何か成し遂げたものがあったのだろうか。

ここには褚(ちょ)遂(すい)良(りょう)の書帖が残されているではないか。

［補足］（（1）これは秦(しん)観(かん)の詩に次韻したもの。（2）恵(え)汶(ぶん)の師とは、蘇軾がかつて世話になった僧である。（3）最後の句には蘇軾自身の注で、「法貼の中に褚(ちょ)遂(すい)良(りょう)の書があって、『即日、遂良の鬚(しゅ)髮(はつ)は尽く白し』とあった」と記している。褚遂良は唐(とう)の名臣である。褚遂良と比べて同じなのは、髪が白くなっただけだと蘇軾は嘆いたのである）

　其の三

天子の詔書が東に来て、私は呼び返された。

年々衰えて、もう故郷に帰るべき時が迫っているのに……。

曹(そう)植(ち)のように文章が波瀾に富んでいると評されたこともあったけれど、

いまや笑ってしまうのは、

その波瀾なるものだって、このちっぽけな詩の中にちんまり納まってしまうのである。

［補足］（（1）これは誰の詩に次韻したのかわかっていない。（2）曹(そう)植(ち)は三国時代の英雄の曹(そう)操(そう)の五男で、詩文に優れ、杜(と)甫(ほ)は「文章は曹植、波(は)瀾(らん) 闊(ひろ)し」と詩に詠んでいる。曹植はその優れた才能のために兄に嫌われ、側近を次々に殺されるなど不遇のうちに41歳で死んだ。蘇軾は自分の置かれた状況を曹植になぞらえたのである）

■六一居士集敘

［解題］蘇軾は、欧(おう)陽(よう)棐(ひ)からその父欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)の遺稿を託され、欧陽脩の詩文集『六(ろく)一(いち)居(こ)士(じ)集(しゅう)』の編集を進めていた。都に着いてすぐにこの序文を記した。

［補足］（詩文集の題は欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)が晩年六(ろく)一(いち)居(こ)士(じ)と号したことによる。「六一」の意味を欧陽脩自身が記した文章を第3章84ページで見ている）

［訳文］

そもそも言(ことば)には、いかにも大きすぎるようでいて誇(こ)誕(たん)（見掛け倒し）ではないものがある。衆人は疑わしく感じるが、道理に達する者はその言(ことば)を信(まこと)とする。

そのような言(ことば)として、孔(こう)子(し)が（窮地に陥ったときに）言ったこの言(ことば)がある。

「天が斯(こ)の文(ぶん)（周(しゅう)の文(ぶん)王(おう)以来の文化の伝統）をいま（私とともに）喪(ほろ)ぼそうとしているのなら、（周の文王よりも）後から死ぬ者（孔子）はそもそも斯(こ)の文を得られなかったはずである」（孔子は「斯の文」を継承し得たのであるから、天がこの窮地から自分を救わずにいるはずがないと、言ったのである）

また孟(もう)子(し)のこの言(ことば)がある。

「禹(う)（古代の聖天子）は洪水を抑え、孔子は『春(しゅん)秋(じゅう)』（儒家が非常に重要視した歴史書）を作り、そして私は楊(よう)子(し)と墨(ぼく)子(し)の学問がはびこるのを防いだ」。

孟子は自分自身が禹と同列であるかのように言ったのである。

文章（学問）が栄えたり喪(ほろ)んだりすることに果たして天が関与するのだろうか。禹の功績は天地と肩を並べるほどに大きいなものである。孔子と孟子は空言(そらごと)をもって己を天や禹と並べ、それこそ全くの誇誕なのではなかろうか。

『春秋』が作られてから、世を乱す臣下や賊になる子は懼れを抱くようになり、孟子が学問を説くようになってから、楊子、墨子の説は廃れた。天下は、それがもとより当たり前のことだとして、二人の功績であるのを知らなかった。孟子が没すると、申(しん)不(ふ)害(がい)、商(しょう)鞅(おう)、韓(かん)非(ぴ)子(し)といった人々の学説が行われ、道(みち)に違(たが)いて利に趨(はし)り、民を害(そこな)って主君に厚くするようになった。その説ははなはだひどいものあるのだが、士(し)（統治に関係する知識人）はそれによって上に立つものを欺き、上に立つ者は出たとこ勝負のかりそめの功績を得ようと、一斉にその説に靡いたのだった。そして世の中に孔子や孟子のような度量の大きな先生がいなかったために、物事の本質と末梢を区分けし禍と福の軽重を量って人々を惑いから救うことがなされないままに、いかさまなその学説が広く行われてしまったのだった。秦(しん)はこの学説によって（天下を統一したものの、やはりこの学説によって）天下を失ったのであって、瞬く間に衰えた末に、陳(ちん)勝(しょう)、呉(ご)広(こう)、劉(りゅう)邦(ほう)、項(こう)羽(う)らの起こした反乱の禍に至り、民の十人のうち八、九人が死ぬようなことになり、天下はすっかりさびれてしまった。洪水の患いといえどもここにまで至ることはない。

秦がまだ天下を統一する前に、もしももう一人の孟子がいたならば、申不害や韓非子がいうことは空(そら)言(ごと)となって、その学説が人の心に起こってその為すことを害ったり、その学説によって為すことが政治を害ったりするようなことは、きっとここまで烈しくはならなかったのである。

もし楊子や墨子が思うがままに天下に学説を広めていたなら、その禍は申不害や韓非子に劣るものではなかったであろう。このことからしてみれば、孟子を禹に並べてもよいのである。

司(し)馬(ば)遷(せん)は『史(し)記(き)』にこう記した。

「蓋(がい)公(こう)（漢(かん)の始めの学者、詳しくは第5章124ページで見ている）は黄(こう)帝(てい)と老(ろう)子(し)の学問について言い、賈(か)誼(ぎ)と晁(ちょう)錯(さく)（二人とも漢代の人）は申不害や韓非子の学問を明らかにした」

晁錯は取り上げる価値のない人物であるにしても、賈誼（若くして様々な進言を皇帝にした人物で、蘇軾もたびたび取り上げている）までもこのようであったのだ。邪説が人をあらぬところに移動させてしまうことからは、豪傑の士（特に優れた士）といえどもなかなか免れ難いものだということがわかる。まして普通の人はなおさらである。

漢より後の時代は、道術（学問の実践）は孔子から出発するのではなくなり、天下はしばしば乱れた。晋(しん)朝(ちょう)は老(ろう)荘(そう)の学で滅び、梁(りょう)朝(ちょう)は仏教で滅んだ。このような事態を正す者がいないままに五百年が経過してから、天下はようやく韓(かん)愈(ゆ)を得たのだった。いま学問を修める者が韓愈を孟子に並べているのは、きっと正しいのであろう。

韓愈から二百年余り後に欧(おう)陽(よう)先生が現れた。欧陽先生の学問は韓愈と孟子から推し進めて孔子に到達するものである。礼、楽、仁、義の本質を明らかにし、それは大いなる道に合致するものである。その言(ことば)は簡潔にして明瞭で、信(まこと)を表して広く通じ、事例を引いて類するものを並べ、それらを分析して真理に至って、人の心を納得させるものである。それによって天下は挙って欧陽先生を師として尊敬するようになった。欧陽先生が出てから、世の中の喜ばない人々は騒がしく批判するようになった。欧陽先生の身を苦しめはしたが、その言(ことば)を折って屈服させることはできなかった。士は賢人もそうでない人も一致して同じように、「欧陽先生はいまの韓愈である」と言ったのである。

宋(そう)が興ってから七十年余り、民は戦争を知らずに過ごし、民を富まして教化することは（仁(じん)宗(そう)皇帝の）天(てん)聖(せい)、景(けい)祐(ゆう)のころに極まった。しかし、「斯(こ)の文(ぶん)」（先に孔子が言った周の文王以来の伝統）は古(いにしえ)に対して愧(は)じなければならない状況にあった。士は無定見に旧習を守るだけで、議論は低劣で気迫に乏しかった。欧陽先生が出てからは、天下は争って己を鍛えて磨くようになり、第一に、経典に通じて古を学ぶことを価値が高いとし、第二に、時代の課題を解決して道を実践することを賢いとし、第三に、天子の顔色を犯してでも諫めを納(い)れさせるようにするのを忠であるとした。士を育成することが長い間にわたって成就し、嘉(か)祐(ゆう)の末に至って、士が多く並ぶようになったと称せられたのには、欧陽先生の功績が大きかったのである。ああ、これは人の力だけによるものなのだろうか。天がこのようにしたのではないだろうか。

欧陽先生が亡くなって十数年後に、士は新学なるものを始めた（王(おう)安(あん)石(せき)らが学問の潮流を改めたことをいう）。新学は仏教や老子の学に似たものをもって、周の文王、孔子以来の真の学問を乱したので、識者はそれを憂いた。幸いにも（代替わりした）天子の明聖によって、士を採用する方法を改め、学問を学ぶ人を励まして、専ら孔子を学んで異端の学を退けるよう詔が出されたので、風俗は一変したのだった。

かくて、いま師とする者、あるいは友とする者が何を源として学んでいるのかということを考察してみるなら、欧陽先生の書物を唱えて習ってきたと知れるのである。

私は欧陽先生の詩文七百六十六篇をその子の欧(おう)陽(よう)棐(ひ)から得て、それを並べ、論じてこのように言う。

「欧陽先生が大(だい)道(どう)を論じるのは韓愈に似ている。政事を論じるのは陸(りく)贄(し)（唐代の名臣）に似ている。事実を記録するのは司(し)馬(ば)遷(せん)に似ている。詩賦は李(り)白(はく)に似ている。これは、実は私の言(ことば)ではなく、天下の言(ことば)なのである」

欧陽先生の諱(いみな)は修(しゅう)、字(あざな)は永(えい)叔(しゅく)。老年に至って自ら六(ろく)一(いち)居(こ)士(じ)と号した。

［補足］（（1）最初に、誇誕ではない言(ことば)があるとしたのには、最後に置かれている蘇軾の評言も含まれているのだろう。欧陽脩は学術のあらゆる分野において超一流で、蘇軾といえども史学においてまで立派な業績を残すというわけにはいかなかった。（2）中ほどに、「信(まこと)を表して広く通じ、事例を引いて類するものを並べ、それらを分析して真理に至った」（原文は「信而通、引物連類、折之於至理」（信(しん)に而(し)て通(つう)じ、物(もの)を引(ひ)いて類(るい)を連(つら)ね、之(これ)を至(し)理(り)に於(お)いて折(さだ)める）とあるのは、演繹と帰納によって真理に至るということを言うのであろう。（3）なお、蘇軾の次男の蘇(そ)迨(たい)（22歳）はこの春に行われた科挙の二次試験に落第し、その後、欧(おう)陽(よう)棐(ひ)の娘と結婚した。蘇軾の息子は3人いて誰も科挙には合格しなかったようだ）

■次韻子由書王晋卿画山水一首而晋卿二首

［解題］都に戻ってきた蘇軾にとって大きな慰めとなったのが王(おう)詵(しん)（字(あざな)は晋(しん)卿(けい)）の画（第8章243ページなど）であったようで、この時期に王詵の画に寄せた詩を幾つも詠んでいる。これは、王詵の画に弟が書き添えた詩に王詵が和して2首の詩を作り、それにまた蘇軾が次韻したもの。

［訳文］

　　其の一

王(おう)詵(しん)君が画を描く腕前は、

誤って墨を落としても、ごく自然に描いたようにしてしまう。

王詵君が詩を詠む心は、

まことに昔の隠者と同じである。

王詵君は自らこの画中におさまっていて、

雲の湧く山から私に手紙を寄せる。

雪を照らす月光のもと、谷に浮かべる貴君の舟を追いたくなる。

この画をいくら厳重に篋(はこ)に納めておいても、

貴君は仙人となって飛び去ってしまうであろう。

画中の貴君はまことに古の隠者、

風にあおられて斜めに雨が降り注いでも濡れることはない。

（この詩は故事のてんこ盛りで、例によって大意とおぼしきものを取っての「ずっぽ訳」である）

　　其の二

眼にありありと見えても、

画中の情景は妄想でしかない。

実際に自然の内で真に休息できる者は幾人いるのだろうか。

それでもこの画の前にいるとき、

私の心は池に映る月のようである。

貴君は巨大な船のように私を安らかに乗せてくれる。

貴君の画に詩を題する者（蘇軾と蘇轍）は二人とも白髪の身で、

ひとひらの裘(コート)をまとって故郷で老いを送るべきなのである。

来年こそは遠く去って行き、

無限の波の広がりの中へと二羽の鴎は消えるのである。

■次韻子由書王晋卿画山水二首

［解題］これも王(おう)詵(しん)（字(あざな)は晋(しん)卿(けい)）の描いた山水画に弟が詩を書き添え、それに次韻したもの。

［訳文］

　　其の一

老いた君（弟のこと）は、もはや山水を画中に見るだけ。

僕は、かつて夢の中でここに遊んだようだ。

桃の花が散ってもそれを見る者は誰もいない。

水は流れ出て人間界に至ると、地の下に伏してしまう。

　　其の二

昔、山の人（蘇軾）は雲とともに出てしまった。

それからは俗界にいて、水の流れを遡って帰ることができずにいる。

せめて胸の内にある佳(よ)き処を頼りに、

画に対して盃を持とうと思う。

［補足］（画中に遊ぶことで心の安らぎを得ようとしたのだろう）

■又書王晋卿画四首

［解題］これも王(おう)詵(しん)（字(あざな)は晋(しん)卿(けい)）の画に書き添えた詩。4首のうち3首を訳す。

［訳文］

　　山(さん)陰(いん)陳(ちん)跡(せき)

かの年の王(おう)羲(ぎ)之(し)の蘭(らん)亭(てい)がいかに清(せい)真(しん)であったのか。

それを知らぬ者は、無理やり石(せき)崇(すう)の金(きん)谷(こく)園(えん)に比べたりした。

どちらも人間世界の営みの跡ではあるけれど、

金谷園に集まったのは群がり飛ぶ蚊のような連中だったのだ。

（（1）書聖といわれる王(おう)羲(ぎ)之(し)の蘭(らん)亭(てい)（山(さん)陰(いん)（紹(しょう)興(こう)）にあった）を描いた画に添えた詩である。（2）石(せき)崇(すう)は王羲之より少し前の時代の大金持ちの貴族で、蘇軾は愚物の大横綱としてしばしばその名を挙げている（第7章76ページなど）。あろうことか、贅を凝らした石崇の金(きん)谷(こく)園(えん)での馬鹿騒ぎと、王羲之の蘭亭での清真な遊びを比べた者がいた。それがいかに無意味な比較であるのか、この画を見れば一目瞭然であるというのがこの詩の意味）

　　四(し)明(めい)狂(きょう)客(きゃく)

たまたま地上の塵をかき集めてこの端くれの身体とした。

ならば、どこの溪山であろうともこの身でないものはないのだ。

かくて狂(きょう)客(きゃく)（賀(が)知(ち)章(しょう)）は帰郷することを思った。

帰りたいなら帰るのでよい、

その天真を天子の勅旨でこれ以上曲げることはないのだ。

［補足］（（1）題にある「四(し)明(めい)の狂(きょう)客(きゃく)」とは唐(とう)代の賀(が)知(ち)章(しょう)のこと。賀知章は何度も見てきたように、身の引き際がみごとだった脱俗の士。（2）韓(かん)愈(ゆ)は、地上の塵を集めてこの身が成り立っていると、「一(いち)塵(じん) 毫(もう)端(たん)に集まる」と詩に詠んだ。天地と我が身が一体であることを、いわば分子論的に喝破したのである）

　　西(せい)塞(さく)風(ふう)雨(う)

斜めに風が吹き、細かい雨がやってきた。

我にはもともと家はない。

どこに帰るということもない。

雲に覆われた天を仰ぎ見ると、それはまことに箬笠(竹のかさ)ではないか、

ならば我が蓑の衣を翻してその中に江(かわ)も海も入れてしまおうではないか。

［補足］（（1）西の涯の地で風雨にさらされる隠遁者を描いた画に添えた詩。その隠遁者の衣の内に大地が包み込まれると見たのである。（2）なお、第8章172ページで見た『挑(ちょう)耳(じ)図(ず)』の跋文を記したのはこのころのことである）

■書破琴詩後

［解題］本章2ページで見た「破(は)琴(きん)詩(し)」はこのころに詠んだもので、さらにこの詩を作った。短い序文がある。

［訳文］

私は「破(は)琴(きん)の詩」を作り、宋(そう)復(ふく)古(こ)が描いた邢(けい)和(わ)璞(はく)の画を柳(りゅう)子(し)文(ぶん)に求めて手に入れた。柳子文はその画を王(おう)詵(しん)に託して模写してもらい、短軸にして「邢(けい)房(ぼう)悟(ご)前(ぜん)生(せい)図(ず)」（邢和璞によって房(ぼう)琯(かん)が前生を悟った図）と名付けた。詩を作ってその上に題した。

この身は何にでもなる。

どこに宿をとるのか、浮雲はどこへ流れるのか、

自分で知ることではない。

（房(ぼう)琯(かん)は）たまたま一枚の古い紙を見たので、

この身はもとは永(えい)禅(ぜん)師(し)であったかと疑ったのだった。

■乞擢用程遵彦状

［解題］蘇軾は時に驚くほど義理堅く面倒見のよいところを見せる。都で厳しい状況に置かれていながらも、杭(こう)州で親しくした程(てい)之(し)邵(しょう)（字(あざな)は遵(じゅん)彦(げん)）（第9章78ページ、159ページ）を朝廷に推薦している。

［訳文］

元(げん)祐(ゆう)六年七月某日、翰(かん)林(りん)学(がく)士(し)承(しょう)旨(し)左(さ)朝(ちょう)奉(ほう)郎(ろう)知(ち)制(せい)誥(こう)兼(けん)侍(じ)読(どく)蘇軾は書状をもって奏上いたします。

右の臣は竊(ひそ)かに思いますに、朝廷が人を用いる際には、まず実績があるかどうかで判断し、急に必要なときには才能の有無で判断します。実績と才能を兼ね備えるのはたやすくなく、そのために偏った採用もありがちとなってしまいます。慎み深い士(し)は、人よりも優れた行いがあり事に応じる才能がありましても、それを顕(あら)わにすることなく時節が訪れるのを待つものでありまして、自ら進んで用いられようとはしないために、朝廷はなかなかその人を知ることがありません。ですから、臣(わたくし)のような者が、耳にするところの者を挙げて、朝廷が有用の士を育てられるよう手伝わななければいけないのであります。

伏して見ますに、左(さ)朝(ちょう)散(さん)郎(ろう)前(ぜん)僉(せん)書(しょ)杭(こう)州(しゅう)節(せつ)度(ど)判(はん)官(がん)庁(ちょう)公(こう)事(じ)の程(てい)之(し)邵(しょう)は、公務全般をよく知り、学問を広く修め、文詞は雅麗で、この三点ともに優れたものがあります。しかも母に仕えて孝謹であることは他に比べられる者がおりません。母は非常に厳格な人で、母が程之邵の妻を悦ばなかったために、程之邵は妻とは仲がよかったにもかかわらず、母のために妻を離縁しました。妻は家を出されても、姑への孝行を変わらずに果たし、嫁であるときと同じように節目ごとに仕えるべきことをしました。それでも母はついに悦ばず、程之邵は再び娶ることなく十五年になります。自身で僕妾(めしつかい)の仕事をして母に仕え、歴史に伝わる孝行の者であってもそれを超えはしないほどであります。

臣(わたくし)と同僚になること二年、実際に程之邵のことを見ておりました。いま程之邵は先の任務を終えて都に来ておりますが、いまだに次のお指図がなく、衆人の中で無為に過ごしております。それでも人に支援を求めようとしておりません。臣(わたくし)は竊かにこのことを残念に思っております。

伏して聖慈をもって特に察せられますことを望むものであります。人の才能を量って用いますことは、賢者を探し出す路を開くだけでなく、孝悌を世に推奨し、良俗を励ますことともなります。もし後に推薦するに及ばない者であったとなりましたなら、臣(わたくし)は甘んじて処罰を受けるものであります。

慎んで奏聞申し上げ、伏して敕旨をお待ちいたします。

［補足］（（1）最初に都における蘇軾の肩書が記してある。「侍(じ)読(どく)」とあるのは、皇帝のために書物を読む役目、つまり教育係を授かっているという意味。はなはだ名誉な肩書である。（2）このとき程(てい)之(し)邵(しょう)は、第9章159ページで見たように杭(こう)州を発って都に来ていたのだが、次の職務を与えられずに待機していたのだろう。（3）程之邵は、母が嫌ったので妻を離縁し、その妻は離縁後も同じように姑に仕えたとあるのは、現代の我々には到底受け入れらない理不尽なことであるが、当時としては賞賛に値することであった。ただし、宋代の女性は意外と権利を認められていた面もあり、程之邵のようにするのは希であったから特にここに記したということもあるのだろう）

■黠鼠賦

［解題］蘇軾は恐れていた通り、都に帰還して以来、何かと批判の声にさらされ、賈(か)易(えき)なる者が、8月2日、新たな論拠を持ち出して蘇軾を声高に弾劾した。6年前の元(げん)豊(ぽう)8年5月1日に蘇軾が揚(よう)州で詠んだ詩は先の皇帝を誹謗するものであったとし、さらには蘇轍や秦(しん)観(かん)をも巻き込んで様々なことを並べて立てたのである。問題とされた詩は、神(しん)宗(そう)皇帝が亡くなって間もないときの作で、その訳文は第7章179ページで見ているが、再びここに掲げておこう。

［訳文］

この身は、きっと、全て何事もないなかにあるのだろう。

しかも、今年は大豊作の年に当たりそうだ。

この寺に来てからは好い言葉ばかりを聞く。

野の花も啼く鳥も喜んでいるではないか。

［補足］この詩の後半部分（原詩は「山寺帰来聞好語、野花啼鳥亦欣然」（山(さん)寺(じ)に帰(き)来(らい)して好(こう)語(ご)を聞(き)き、野(や)花(か) 啼(てい)鳥(ちょう) 亦(ま)た欣(きん)然(ぜん)たり）は、神宗皇帝が亡くなったのは自分にとって嬉しいことだと、蘇軾は言っているのだと、賈易は批判したのである。どう見ても無茶な言いがかりでしかないのだが、ぎゃあぎゃあ騒がれるのは煩わしく、周囲も辟易し、執行部は喧嘩両成敗ということにして、8月5日、蘇軾は穎(えい)州知事として、賈易は盧(ろ)州知事として両人ともに都を出るよう命じられた。その直後に作ったのが、悪賢い鼠を詠んだ「黠(かつ)鼠(そ)の賦(ふ)」である。

［訳文］

ある夜、蘇(そ)先生が座っていると、鼠(ねずみ)が齧(かじ)る音がした。床を叩くとそれは止み、止んだかと思うとまた音がした。

童子(ボーイ)を呼び、蝋燭(ろうそく)で照らすと、からっぽの橐(ふくろ)があって、中で嘐嘐聱聱(ちゅうちゅう)と声がした。

蘇先生は言った。

「ああ、これは鼠が閉じ込められてしまって逃げられないのだな」

橐を開いて中を視ると、しーんとして何もない。蝋燭を挙げて探すと、中に死んだ鼠がいた。

童子が驚いて言った。

「こいつが齧っていたのでしょうか。今しがた死んだのでしょうか。それとも、さっきの声は鼠の鬼(ゾンビ)のものだったのでしょうか」

橐をひっくり返してこれを出すと、地面に墮(お)ちた。墮ちるとすぐに走り出し、いかなる敏捷の者も捕まえることができなかった。

蘇先生は感心して言った。

「すごいものだ。鼠がこうも悪賢いとは。橐の中に閉じ込められてしまい、橐が堅くて穴をあけられなかったのだろう。それで、齧ってみたり止めてみたりして、その音で人を呼んだのだ。死んでいないのに死んだふりをして、うまいことやって脱出した。生きているもののなかで、人よりも智恵のあるものはないと聞いている。人は竜さえも手懐け、蛟(みずち)も退治し、霊力のある亀を占いに使い、麒麟も捕まえ、万物を使役してその上に君臨している。ところが、私ときたら、一匹の鼠にしてやられてしまった。こいつのはかりごとに墮(お)ちてしまったのだ。はじめは少女のようにおとなしくしていて、脱(だっ)兎(と)のように走り逃げるのに驚かされた。こんなことでいったい私に智恵があるといえるのだろうか」

そのわけを考えながら眠りにつくと、ある者がこのように告げたかのようだった。

「そなたはたくさん学んでたくさんのことを識(し)っているようだが、道(みち)（究極の真理）を望みつつも、まだ見ていないのだ。己のこともわかっていないし、外界のこともわかっていない。だから一匹の鼠が齧るのにすっかりやられてしまったのだ。千金の価値がある璧(たま)を砕くような勇気のある者でも、釜がいきなり割れたら声を出さずにはいられない。猛々しい虎を撃ち殺せるような勇敢な者でも、蜂や蠆(さそり)にいきなり襲われたら顔色を変えてしまう。これは己のことがわかってないことからくる患(わずらい)なのだ。そなたのためにこのことを言いにきた。忘れてはならないぞ」

私は俯いて笑い、仰ぎ見て目が覚めた。

童子に筆を持たせてこのことを記した。

［補足］（蘇軾がこのころに置かれていた状況とこの寓話はどのように関係するのか。賈(か)易(えき)等が悪賢い鼠ということなのだろう。自身のことがわかっていないから、鼠のようなものにも翻弄されてしまうのだ）

■漱茶説

［解題］蘇軾がいろいろな健康法を実践していることはこれまでに見ているが、これは茶で口を漱(すす)ぐことの効用を記した短文。どうしてこの時期に記したのかはわからないが、それこそ「煩(はん)膩(じ)」（厭な感じ）を何とかしたかったのだろうか。

［訳文］

茶は、煩膩(いやなかんじ)を取り除くのに欠かすことができないものとなっている。しかし、茶がいつの間にやら人を害(そこな)ってしまうことも少なくはない。

昔の人はこのように言っている。

「茶を飲むことが盛んになってから、人は多く気(き)を患う（陰陽の気のバランスを崩す）ようになった。黄(おう)疸(だん)を病むことがなくなった点では、損益は半々であろうか。しかし、陽の気を消して陰の気を助けることでは、益するものは損なうものを償ってはくれないのだ」

私に一つの方法があり、これでいつも重宝している。食事の後すぐに濃い茶で口を漱(すす)ぐのである。煩膩(いやなかんじ)は取り除かれ、胃腸に影響が及ばない。歯の間にある肉は茶に浸して漱がれることでひきしまり、歯が抜けなくなり、痛みに煩わされることもない。歯も漱がれることによって緊密になって虫歯にならない。しかも、中等から下等の茶を用いるので十分で、上等の茶を具えなくてよいのだ。そして、数日に一度だけ飲むのなら害になることはない。これは大いに理のあることでありながら、ほとんどの人が知らないので、ここにことさらに書いてみた。

『大(だい)唐(とう)新(しん)語(ご)』（唐(とう)代(だい)の逸事を集めた書物）にこのようにある。「右(う)補(ほ)欠(けつ)の毋(む)煚(けい)は博学で著述の才があった。茶は全く飲まなかった。『茶(ちゃ)序(じょ)』を記し、『滞りを釈(と)いて壅(ふさ)ぎを消すことでは、一日の利としてしばし佳(よ)いものがある。気を瘠(やせ)させ精(せい)を侵かすことでは、終身の累いとして実に大きなものがある。益を獲たときはその功を茶の力に帰し、患ったときには茶の災いにはしないというのは、諺にいう「福は近くにあって知りやすく、禍は遠くにあって見難い」というものではなかろうか』」

元(げん)祐(ゆう)六年八月十三日。

［補足］（茶を常飲することが長い目で見ると健康を損なうと、蘇軾も考えていたようだ。それで、ふだんは茶は飲まずに口を漱ぐだけにすれば、口腔衛生に資するし、爽快な気分も得られるという方法を実践し、人にも勧めているのである）

■書韓李詩

［解題］甥の柳(りゅう)閎(こう)（字(あざな)は展(てん)如(じょ)）を相手に、李(り)白(はく)、韓(かん)愈(ゆ)の詩について論じてこの短文を記した。

［補足］（柳(りゅう)閎(こう)は、劉(りゅう)瑾(きん)の子の柳(りゅう)子(し)文(ぶん)（本章5ページ）の子である。柳子文の妻は、蘇軾の伯父の蘇(そ)渙(かん)の娘である（第4章164ページ）。従って、柳閎は蘇軾の従姉妹(いとこ)の子で、甥の世代ということになる）

［訳文］

元(げん)祐(ゆう)六年八月十五日。

柳(りゅう)閎(こう)君と酒を飲み、一杯飲んですぐに酔い、数枚の紙に字を書き、李(り)白(はく)の詩を記した。

　遺我鳥跡書、（私に与えてくれた書は、鳥が飛んだ跡）

　飄然落巌間。（ひらひらと岩の間に落ちてきた）

　其字乃上古、（それは上古の文字）

　読之了不閑。（読んでもとんとわからない）　（泰(たい)山(ざん)に遊んだ折の詩）

戯れに柳君にこのように言った。

「李白は気迫を見せようとする人で、それがかえってここでは己が字を識らないことを明らかにしてしまった。大いに笑うべきだ。それでも、韓(かん)愈(ゆ)が意地っ張りなのには及ばない」

それがこの詩である。

　我寧屈曲自世間、（私は世間で縮こまってなどいない）

　安能随汝巣神仙。（そなたに従って神仙の地に住むのだ）　（「夢を記す」という詩）

■感旧詩

［解題］穎(えい)州知事として都を発つに当たってこの詩を弟に残した。序文がある。

［訳文］

嘉(か)祐(ゆう)年間に私は弟とともに制(せい)科(か)の試験を受けることになり、（都の近くにある）懐(かい)遠(えん)駅に寓居した。ときに二十六歳、弟はまだ二十三歳だった。

ある日、秋風が立って雨になった。夜中に翛然(にわか)に、弟と離合することの感慨が心の内に湧き上がった。

それからは官員として四方に出て、弟の顔を見ないときが七割から八割となった。夏と秋の境のころに、風雨が起こり、落葉が進んで草が枯れると、いつも淒(せい)然(ぜん)として同じ感慨が生じるのだった。それがおよそ三十年になる。

元(げん)豊(ぽう)年間に私は黄(こう)州に謫居となり、弟は筠(いん)州に流された。そのときに詩を作ってこうしたことについて記した。

元(げん)祐(ゆう)六年、私は杭(こう)州から召還され、弟が住む東(とう)府(ふ)に寓居した。数カ月でまた私は汝(じょ)陰(いん)（穎(えい)州）に出ることになった。時に私は五十六歳である。

この詩を作って弟に残し、都を去る。

［補足］（（1）制(せい)科(か)の受験勉強中に、弟とはいずれ別れることになるであろうと思ってにわかに悲しく感じたということを、蘇軾はしばしば記している（第2章12ページなど）。（2）秋になると同じ感慨が生じると書いているが、秋から冬にかけて体調を崩すことが多いのはそれと関係するのかもしれない。（3）黄(こう)州で詠んだという詩は第6章413ページで見ている。（4）都に戻った当初は興(こう)国(こく)寺(じ)に仮住まいをした（本章21ページ）のだが、その後、弟のところに移ったのだった）

かのとき、

枕のすぐに先には都の大通りがあり、

皇城はまだ夜半にはなっていないだろうと思っているうちに、

車が行き交う響きが、あたかも枕の中で鳴り出し、

故郷を遠く離れた者の夢は、長くは続かなかった。

梧(あおぎり)の葉に新らたな秋が入り込み、

雨まじりの風のような音が奥の部屋にも届いてきて、

僕はふと起き上がり、

明けの空に残る月のもとを独り歩き、

秋の始まりの涼しさにもの悲しさを感じたのだった。

そのときに懐(かい)遠(えん)駅(えき)で僕ら先の官途を占って、

よもや黄(こう)州に謫居するとは念(おも)いもしなかった。

ひとたび進みきてすでに三十年、

かのときの懐いは忘れたことがない。

扉を叩いて君を呼んでみるけれど、

君は安らか眠り続けている。

そうだ、

僕の白髪を青い山々に映しつつ故郷に帰るには、

三カ月分の食べ物があれば十分なのだ。

そうであるならば、汝(じょ)陰(いん)（穎(えい)州）に行ったら、

そこからただちに、潼(とう)、江(こう)、章(しょう)（蜀(しょく)への道筋）へと行こうではないか。

想い見るのは氷の盤の上に載せた石(せき)蜜(みつ)と柿(し)霜(そう)（蜀の食べ物）だ。

気の毒なことに、君は明(めい)主(しゅ)に見込まれて、

これからも憂患を重ねて行かなければならない。

報(ほう)国(こく)はいつまでも終わらないものであるのだが、

僕の心はもう降りてしまっているのだよ。

［補足］（最後の句の原文は「我心久已降」で、ほぼ直訳である）

■題張乖崖書後

［解題］蘇軾は8月の終わりないし閏8月の初めに都を発って穎(えい)州に向かった。都にいたのはおよそ3カ月間であった。途中、陳(ちん)州に立ち寄って、この短文を残した。

［補足］（船で都から穎(えい)州に行くには、途中で陳(ちん)州を通ることを第6章6ページでも見ている）

［訳文］

�ｪ(ゆる)い政治によって民の愛を得ることができるだろう。しかし、そのような愛はその時だけのものである。厳しい政治によって民の畏れを得ることができるだろう。しかし、そのような畏れは力の及ぶ範囲にとどまるものである。であるから、�ｪい政治によって民から畏れられ、厳しい政治によって民から愛されるのは、聖賢にしても難しいことであって、その畏れと愛は遥か遠くにまで及ぶのである。

張(ちょう)忠(ちゅう)定(てい)公(こう)（張(ちょう)詠(えい)）が蜀(しょく)を治めたとき、諸(しょ)葛(かつ)孔(こう)明(めい)のように法を厳しく用いた。諸葛孔明と公の遺愛はともに今に至るも蜀の地にあって、人々は位牌を立てて祀り、社を建てて供え物をしている。

元祐六年閏八月十三日、陳(ちん)州を過って公の曾孫の張(ちょう)祖(そ)に会ったところ、蜀人の蘇軾は公の徳の深さ思う者であるによって、張祖は公の遺墨を出してきて、その後ろに文章を書くよう求めた。

［補足］（これは張(ちょう)詠(えい)（字(あざな)は復(ふく)之(し)、号は乖(かい)崖(がい)、謚(おくりな)は忠(ちゅう)定(てい)）の書の後ろに書き添えたもの。張詠は蘇軾の90年先輩。宋(そう)の初めのころ、蜀(しょく)の地は非常に治め難い土地柄とされていた。それは、蜀が武力によって宋朝に制圧され、その後の統治方法が強権的ではなはだ拙劣であったことに起因する。張詠は厳しくとも愛のある政治によって蜀の地を治め、以後、蜀は穏やかに宋朝の統治を受け入れるようになった）

■医者以意用薬

［解題］船は穎(えい)州へと入って行き、蘇軾はこの短文を記した。

［訳文］

欧(おう)陽(よう)文(ぶん)忠(ちゅう)公(こう)（欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)）はかつてこのようなことを私に言った。

「ある病(やまい)を患った者がいた。病を患ったときの様子を医者に尋ねられ、『船に乗っていて風に遇い、恐ろしいと思ってからこのようになりました』と答えた。医者は、長年使いこまれた柂牙(かじ)から船頭の汗がたっぷり染み込んだ部分を削り取った粉に、丹(たん)砂(さ)（霊妙な働きがあるとされた硫化水銀）と茯(ぶく)神(しん)（特別な薬効があるとされた茸(きのこ)）の一種を混ぜて飲ませた。すると病はたちまち治った。『本(ほん)草(ぞう)』（博物学）の注釈書である『別(べつ)薬(やく)性(せい)論(ろん)』を見ると、『汗を止めるには、麻(ま)黄(おう)の根と、古びた竹の扇を削った粉を混ぜて飲ませる』とある。このように医(い)は意(い)をもって薬を用いることが多いのだ。初めは子供の戯れのように思えても、しかし実際に効果があるのなら、とがめるべきではない」

私はこのように文忠公に言った。

「ならば、筆や墨を焼いて灰にしたものを学生に飲ませれば怠け癖が治りましょうか。さらにこの方法を推し進めていくなら、伯(はく)夷(い)（古(いにしえ)の賢者）が顔を洗った後の盥(たらい)の水を飲ませれば貪欲が治り、比(ひ)干(かん)（古の暴君を諫めて殺された人）の食べ残しを食べるならへつらいが治り、樊(はん)噲(かい)（漢(かん)の時代の勇者）の盾を舐めたなら臆病が治り、西(せい)施(し)（古の美女）の耳飾りを嗅いだなら不細工な顔が治るでありましょう」

公はついに大笑いをした。

元(げん)祐(ゆう)六年閏八月十七日、船は穎(えい)州の境に入り、二十年前に文忠公にここで会ったことを思い、笑い合って話した記憶がふとよみがえった。いささかそのことを記したまでである。

［補足］（（1）欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)とのこの楽しい会話は、第9章157ページで見た司(し)馬(ば)光(こう)とのやりとりと似ている。どちらもやや奇矯な説を開陳した大家に対して絶妙なまぜっかえしをしたもので、欧陽脩や司馬光のような度量の大きな人であるから笑い話になったのだが、狭量な人であるなら怒り心頭に発したであろう。実際、程(てい)頤(い)は終生消えることのない恨みを抱いたのだった（第8章76ページ）。（2）かつて蘇軾が杭(こう)州副知事として赴任したときに、陳(ちん)州を経由して弟とともに穎(えい)州に隠棲する欧陽脩を訪ねたことは第3章116ページで見ているが、まさしく20年前のことである）

■祭欧陽文忠公夫人

［解題］蘇軾は閏8月22日に穎(えい)州に到着した。

［補足］（前任者は蘇軾より6歳下の陸(りく)佃(でん)で、どちらかというと改革派の人で、時折言及してきた陸(りく)游(ゆう)（南(なん)宋(そう)時代の詩の大家）の祖父である。このころ、穎(えい)州では八(はち)状(じょう)溝(こう)という新運河を開削するかどうかが議論になっていた。陸佃はその事業に懐疑的で、蘇軾もそれを引き継いで、新運河は開くべきではないという意見を朝廷に具申するようになる。杭州では積極的に土木工事を推進したのだが、工学的に理屈に合わないものは無理であるとの至極当然の判断を下したのである）

穎州は欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)の最後の隠棲地で、亡くなった後も家はそのままあって、薛(せつ)夫人が住んでいた。蘇軾は2年前に杭(こう)州知事として赴任する際に、穎州に立ち寄って薛夫人に逢おうとしたのだが、病に臥せっているとのことで果たせなかった。そして夫人の訃報を杭州で聞き、祭文を作って穎州に送った。蘇軾は穎州に来ると改めて夫人を祭る文を作ってその霊前に供えた。折しも、母の喪に服すために欧(おう)陽(よう)棐(ひ)（字(あざな)は叔(しゅく)弼(ひつ)）（本章23ページ）、欧(おう)陽(よう)弁(べん)（字は季(き)黙(もく)）が帰郷していた。2人は欧陽脩の三男と四男で、長男と次男は早くに世を去っていた。

［訳文］

元(げん)祐(ゆう)六年九月一日、蘇軾は謹んで清(せい)酌(しゃく)と肴(こう)果(か)をお供えして、故(こ)太(たい)師(し)兗(えん)国(こく)文(ぶん)忠(ちゅう)公(こう)（欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)）の安(あん)康(こう)郡(ぐん)夫人（薛(せつ)夫人）の霊に申し上げます。

嗚呼(ああ)、私軾は童年のころより勉学を喜び、童子としてよくはわからぬままに文忠公は我が師であると思い、昼はその文を誦し、夜は師を夢に見ておりました。十五年が経ってついに公にお会いできると、公は私の手をとって笑い、「君は我が仲間である。他の者と同じではない。私は老いて休もうとしている。斯(こ)の文(ぶん)（学問の伝統）は君に託そうと思う」と言われた。私は再(さい)拝(はい)稽(けい)首(しゅ)し、公の言葉は過分であると思った。そうであるとわかっていても、励まずにはいられなかった。

私は様々な艱難を経て汝(じょ)陰(いん)（穎(えい)州）で公にお目にかかった。朝廷に多士が賑やかに並ぶ中から、私だけが南に去って行ったのだが、公は「君が来てくれたのは、実に我が心を得た思いがする。我が思うところの文（学問）は必ず道とともにあるべきであって、利を見てそちらに移るような者は我が仲間ではない」と言われた。私は、また再拝稽首し、死んでもそのお言葉に違(たが)えることはないと答えた。

公は亡くなってしまわれたが、そのお言葉は白日のようにいまもある。

元(げん)祐(ゆう)の初めに私が黄(こう)州から都に遷ると、欧(おう)陽(よう)棐(ひ)と欧(おう)陽(よう)弁(べん)が朝廷におられ、あたかも公のお顏を見るかのようであった。夫人に拝謁すると、大勢の孫が並んでおられた。私が敢えて我が次男と欧陽棐の娘との婚姻を願うと、夫人は承諾してくださった。

師友として公とお会いしてからおよそ二十年、再び公の堂に上り、位牌の前に礼服の身を置くと、涕が垂れて声も出ない。

白髪のやつれた顔で潁州の人々にまた会うと、人々はいまも公のことを思っていて、私を公の門下生であると言ってくれる。公の恩に報いることはできないが、せめてその門を辱めることはしない。

清らかな潁(えい)水(すい)は洋(よう)洋(よう)として東の淮(わい)河(が)に注ぐ。公からの学問の流れも大河となって悠々と流れ行く。私は涯(はて)しなく先生を懐(おも)い続けるのだ。

［補足］（この祭文は薛(せつ)夫人の霊に捧げるものでありながら、もっぱら欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)について記している。薛夫人については、朝廷の高官であった薛(せつ)奎(けい)の娘だということ以外に伝えられていることはあまりない）

■西湖秋涸東池魚窘甚因會客呼網師遷之西池為一笑之楽夜帰被酒不能寝作放魚一首

［解題］潁(えい)州には西(せい)湖(こ)という湖があり、かつて欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)と船を浮かべたことがあった（第3章116ページ）。周囲二里ばかり（1キロ強）というから、名は同じでも杭(こう)州の西湖に比べるとかなり小さい。この詩の題は「西湖は秋になると水位が下がり、東側（東(とう)池(ち)）の魚はひどく苦しめられる。そこで、客人(ボランティア)を集め、漁師を呼び、網で東の魚を掬って西側（西(せい)池(ち)）に移し、皆で笑い合って楽しんだ。夜に帰り、酒を飲んで眠れなくなり、戯れに魚を放つ詩一首を作った」。

［訳文］

東の池では、

浮草がべったりと塊(かたまり)になり、

碧(あお)かった水面を草の青(みどり)がすっかり塞いでしまい、

魚の背が現れ出てしまった。

西の池では、

まだ秋の水に空が映っていて、

荇帯(じゅんさい)が、広いところでは水面に舞い、

深いところでは水中で揺れている。

老いた知事殿は、

いかにも食い意地は張っているのだが、

さすがに膾(なます)にして食べてしまうのは気の毒であると、

東の池の魚の引っ越しを思い付いた。

網で掬われた魚どもは、

驚いて口から玉か花のような泡を、音を立てて吐き出し、

縦に��に銀の刀（魚体）を振り回して争い合う。

魚どもは、鱗が網によって損なわれてしまうのを愁うだけで、

堤の向こうに波立つ水面があるなどということはまだ信じていない。

濊(ぎゃあ)濊(ぎゃあ)発(じた)発(ばた)するのはほんのしばらくのこと、

圉(ゆう)圉(ゆう)洋(ひろ)洋(びろ)と、とてつもなく広いところに出るのである。

これらの魚どもの中に、竜に成長するやつがいないとも限らない、

いつしか風を呼び雲を起こして天に昇るのを、心配しなければならなくなるのだ。

来年になって春の水が西湖にみなぎるときには、

ここから去って、広大な海を泳ぐ楽しみのうちに、

いまの大変さの全てを忘れたらよいだろう。

■復次放魚前韻答趙承議陳教授

［解題］上の詩の題に「客人を集め」とあったなかに、この詩の題にある趙(ちょう)承(しょう)議(ぎ)と陳(ちん)教(きょう)授(じゅ)がいた。趙承議＝趙(ちょう)令(れい)畤(じ)（字(あざな)は景(けい)貺(きょう)）は穎(えい)州の役人、陳教授＝陳(ちん)師(し)道(どう)（字は履(り)常(じょう)）は州学校の教授である。この2人が上の詩に次韻したので、蘇軾がさらに次韻して答えた。

［補足］（（1）陳(ちん)師(し)道(どう)はいわゆる蘇(そ)門(もん)六(ろく)学(がく)士(し)の1人で、蘇軾が杭(こう)州知事として赴任する旅に一時期同行したことを第9章1ページで見ている。陳師道はもとは曾(そう)鞏(きょう)（蘇軾と同年の人、第1章64ページ）の門人であったので、蘇軾は陳師道を友人として遇していた。（2）このときに陳師道が次韻した詩は残っていて、科挙に合格できないままに教授の職にある境遇を詩中に詠んでいる。陳師道は蘇軾の推薦で徐(じょ)州の州学校の教授になり、その後穎(えい)州に移ったところで、たまたま蘇軾が赴任してきたのだった。（3）趙(ちょう)令(れい)畤(じ)は皇室の流れを汲む者で、後に詳しく見ることになる）

［訳文］

この世には擾擾(うじゃうじゃ)とたくさんの生き物がいる。

いってみればすべては同じ一つの大きな塊のようなもの。

やっと楡(にれ)の木に飛び移れるだけの虫けらが、

背に風を受けて九万里の高さを飛ぶ鵬(おおとり)を羨んでも仕方がない。

仙界から見たら、

洞(どう)庭(てい)湖(こ)だってひと呑みにしてしまう芥(あくた)のようなもの、

黄(こう)河(が)だってくるっと帯に巻くには足りないようなものでしかない。

韓(かん)愈(ゆ)は頑固で了見が狭いとずっと謗(そし)られてきたのだが、

鯨を膾(なます)にして腹いっぱい食べたいと、

そんなちまちましたことを得意がって詩に詠んだ。

東(とう)坡(ば)先生は憐れむべき繊細な人で、

泥の中から細かい砂粒のような魚までも集めた。

望むのは、かの白(はく)楽(らく)天(てん)のように八(はち)節(せつ)灘(だん)に隠棲するか、

かの駱(らく)賓(ひん)王(おう)（唐(とう)の詩人）が釣りをした七(しち)里(り)瀬(せ)に糸を垂れるか、

せいぜいそれくらいのことで、

いってみれば、これらの魚どもが網から逃れたのとそっくりで、

造物者の手の外に出て遊ぶことなどさらさらできないのである。

かくて、秋のさなかに湖の上で風月を楽しむ会を二君とともし、

新しい句をひねり出して貴君らに戯れているのである。

さあ、諸君等のためにこの朴念仁が、

船べりを足で叩きながら、

忠烈の士を悼(いた)んだ昔の歌をうたってみせようか。

［補足］（蘇軾は、東の池から西に池にかろうじて移された小魚に自分をなぞらえている。最後の結びは知的技巧を弄して故事を難しく使っているので、いつもの「ずっぽ訳」である）

■九月十五日観月聴琴西湖一首示坐客

［解題］九月十五日、西(せい)湖(こ)で月を観て琴を聴き、一座の人々にこの詩を示した。

［訳文］

白い露がもろもろの草に下り、

碧(くろ)い空に薄い雲が巻いている。

月の光は誰のために来るのか。

私や諸君のためであるのだろうか。

我等が浮かぶのは、水のような天、天のような水。

我が盃へと、天の川が流れ落ちてくる――

我が腸(はらわた)を雪や氷のような清らかさのままにして、

酒による酔いを受けさせないためであるのだろう。

それでも残念に思うのは、

琴には弦があり、湖からは魚が出て波紋を乱すこと。

旧くより聞きなれた曲を哀しげに弾き出し、

耳に入る妙音は昔聞いたのと同じではない。

良き時は一瞬にして失われ、

湖は朝に夕に見られるようでいて、実はそうではない。

さてどうなのだろ、

真理を得た眼は一生もう渾(にご)りはしないのだろうか。

［補足］（（1）なかほどで、琴に弦があるのを残念に思うのは、無弦の琴こそが最上の音楽を奏でるからである。また、魚によって湖面の完全性が乱されるのである。（2）最後に「真理を得た眼」と訳した原文は「道(どう)眼(がん)」）

■復次前韻謝趙景貺陳履常見和兼簡欧陽叔弼兄弟

［解題］上の詩に趙(ちょう)令(れい)畤(じ)（字(あざな)は景(けい)貺(きょう)）と陳(ちん)師(し)道(どう)（字は履(り)常(じょう)）が和したので、それに次韻して答えた。一連の詩を合わせて手紙に記して欧(おう)陽(よう)棐(ひ)（字は叔(しゅく)弼(ひつ)）、欧(おう)陽(よう)弁(べん)（字は季(き)黙(もく)）の兄弟に送った。以降、「四(し)君(くん)子(し)」として趙令畤、陳師道、欧陽棐、欧陽弁との交流が続く。

［訳文］

七歳で詩をよく詠んだ李(り)賀(が)、

奇妙な字まで識っていて揚(よう)雄(ゆう)、

穎(えい)州の役場には、

この二人のような両君がいて、

そぞろに嘯(うそぶ)いている。

私は遠くの江(こう)湖(こ)に去って、

我が大きすぎる瓠(ひょうたん)を浮かべようとしていたのだが、

未練がましくここに少し留まって、

なお世俗の中で酔い続けようとしている。

ある人は詩を作らないようにと私に勧めてくれる、

児輩(ガキども)は織紋(あらぬこと)をでっちあげるのが得意であるからだ。

それでも、本当の音楽がわかるのは世の中に三人しかいないというから、

俗な耳に何を聞かせても害はないのかもしれない。

さあ、これより欧(おう)陽(よう)兄弟をともに尋ねようではないか。

薪を伐って黄昏を照らして語り合おう。

かの家には甘い井戸がある、

いくら汲んでもついに渾(にご)ることがないのだ。

［補足］（（1）最初の部分は、唐(とう)代の李(り)賀(が)と漢(かん)代の揚(よう)雄(ゆう)になぞらえて趙(ちょう)令(れい)畤(じ)と陳(ちん)師(し)道(どう)を讃えたもの。それぞれに何かしら類似点があるのだろう。（2）「本当の音楽……」の部分の原文は「朱(しゅ)弦(げん)三(さん)嘆(たん)」で、琴の名器で奏でる妙音を聞き分けられるのは三人しかないという意味。その三人に趙令畤と陳師道、そして欧(おう)陽(よう)兄弟も入っているのである。（3）「汲んでもついに渾(にご)らない」のは欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)に始まった学問の流れである）

■弁才次韻参寥詩

［解題］杭(こう)州には竜(りゅう)井(せい)に隠棲する弁(べん)才(さい)大師がいた（第9章165ページなど）。参(さん)寥(りょう)と秦(しん)観(かん)が唱和した詩に弁才が次韻し、蘇軾がそのことについてこの短文を記した。

［補足］（参(さん)寥(りょう)は蘇軾の親友、秦(しん)観(かん)は蘇(そ)門(もん)四(し)学(がく)士(し)の1人、秦観と弁(べん)才(さい)大師が親しくしていることは第6章106ページなどで見ている）

［訳文］

　巌棲木食已皤然、（巌(いわお)に棲み、木を食らううちに白髪になってしまった）

　交旧何人慰眼前。（旧いなじみの人の何人が眼の前で慰めてくれるのだろうか）

　素与昼公心印合、（もともと昼(ちゅう)公(こう)（参(さん)寥(りょう)）とは心が合致し）

　毎思秦子意珠円。（秦(しん)観(かん)の意(こころ)は珠のように円いといつも思っている）

　当年歩月来幽谷、（かのときに谷の奥深くまで歩いてきてくださり）

　柱杖穿雲冒夕煙。（杖をついて、夕暮れ時に、雲を穿って上ったのだった）

　台閣山林本無異、（朝廷にいようが山林にいようが元来異なることはない）

　故応文字未離禅。（詩句は禅の心から離れないのだ）

この詩を弁(べん)才(さい)が作った。ときに八十一歳である。普段から作詩を学んだことはないのだが、風が水を吹いてさざ波を立てるように、自ずから姿もよく内容も広がりがある。これに比べたら、参寥や私の詩などは、職人が織った見栄えがよいだけの刺繍のようなものだ。

■与弁才禅

［解題］このころになぜか弁(べん)才(さい)大師のことがしきりに思われたのだろうか。上の短文を記し、弁才に手紙を書いて送っている。2通残っているうちの1通を訳す。

［訳文］

お別れしてより仰ぎ思う気持ちが日に日に深まります。このごろはお道体(からだ)の御様子はいかがでしょうか。某(わたくし)は幸いにも鬧(さわがしさ)の中から頭だけでも抜け出して、この閑な郡にくることができました。超然と遠く俗世から離れられたわけではありませんが、老いて退くことに近づきつつあります。呉(ご)越(えつ)（杭(こう)州近傍）の諸分野の友人や江山の景勝地を訪ねたいとの思いが湧いて、心から去りません。もしかすると、老いを一時的ながらも会(かい)稽(けい)（越州）で送ることができるかもしれませんので、老師様におかれましては必ずこの一郡の人々のためにまだ少しく山中に留まられて、安らかなところへとお帰りにならぬようにしていただけますなら、不肖(わたくし)もさらに少しく清らかな遊びに接しうることもあろうかと思います。それ以上の幸せはありません。惟(ただ)ただ千(せん)万(ばん)保(ほ)愛(あい)されますように。

［補足］（この手紙がこの年の9月30日に記されたものであることは、次の短文からわかる）

■跋旧与弁才書

［解題］これはちょうどこれより1年後に記した短文。表題は「弁(べん)才(さい)に与えた旧い手紙の跋文」で、「旧い手紙」とは上に見たものである。

［訳文］

私はかねて弁(べん)才(さい)道(どう)眼(がん)と相(あ)い照らし合ったばかりでなく、不思議な多くの縁で結ばれていた。

初めて弁才師のおられる山に入ったのは元(げん)祐(ゆう)五年九月三十日で、一日中向き合って話し、老師のもとに数枚の紙を留めた。

翌年の同じ日に私は潁(えい)州にあって手紙を書いた。そこに「老師様におかれましては必ずこの一郡の人々のためにまだ少しく山中に留まられて、安らかなところへとお帰りにならぬように」と記したところが、実はその日に老師は亡くなられたのだった。

さらに翌年、その弟子の懐(かい)楚(そ)がその手紙を軸にしたものを持ってこられた。ために私は大いに嘆息したのだった。

五月十一日書く。

［補足］（元(げん)祐(ゆう)5年に弁才に会ったことは第9章165ページで見ている。そのときが初対面だったわけではないことはそこに記してある）

■与参寥子

［解題］やはり1年後の文章である。関連するものをさらに二つ見ておこう。弁(べん)才(さい)大師が亡くなったことを聞いた蘇軾は祭文を作り、それを親友の参(さん)寥(りょう)のもとに送った。そのときの手紙。

［訳文］

再びお手紙を頂戴しました。御法体が佳勝でありますことつまびらかにいたしました。

弁(べん)才(さい)師が亡くなられました。去来も元来無(む)でありますとはいえ、私のような者は情を撞(つ)かれて凄(せい)愴(そう)となることを免れません。

ここに奠(てん)文(ぶん)（祭文）一首があります。銀二両を添えますので、茶菓とともにお供えくださいますようお託しいたします。……

■祭竜井弁才文

［解題］上に記されている弁(べん)才(さい)大師の祭文。

［訳文］

嗚(ああ)呼、孔(こう)子(し)と老(ろう)子(し)は門を異にし、儒学と仏教もまた教えを分けている。仏教の中でも禅宗と律宗は批判し合っている。私は大海を見るに、そこには東西南北がある。様々な河川があるけれども、それが至るのは同じ一つの海である。

大(だい)法(ほう)師(し)（弁(べん)才(さい)）は自ずから戒律を守り、もはや戒めを持つことも破ることもなく、垢(く)も浄(じょう)も皆が空(くう)となり、全ての学問を内に入れて、事理は皆融け合ったのだった。大法師は不動の山のようであり、常に鳴る鐘のようであり、月と水のようであり、ありとあらゆるものを共鳴させる風のようであった。

八十一年にして生(せい)にはついに終わりがあったが、物に遇えば必ず応じ、施すものは無窮であった。

私は初めて呉(ご)に行ったときに五(ご)公(こう)とお目にかかることができた。講師としては弁才師と慧(え)弁(べん)師と梵(ぼん)臻(しん)師がおられ、禅師としては懐(かい)�l(れん)師と契(けい)嵩(すう)師がおられた。それから二十年が経つとただ大法師だけがおられた。いままた大法師が往(ゆ)かれ、その後に生きる者は誰を師と仰げばよいのだろうか。僧侶も俗人も悲しみ、山や谷まで顔を暗くしている。

誰か一杯の酒を持って竜(りゅう)井(せい)で弔ってくれないだろうか。私が杭(こう)州を去ったときに、老人も若者も来て、山中に住むようにと私に言ってくれた。しかし、山にこの大法師がおられないなら、行って誰に従えばよいのか。

ああ参(さん)寥(りょう)師よ、この祭文をどうか自身で行って捧げてほしい。他の人では私の胸の内を伝えることはできないのだから。

［補足］（蘇軾が副知事として杭(こう)州に赴任したときに会ったという五(ご)公(こう)のうち、慧(え)弁(べん)は弁(べん)才(さい)の兄弟弟子で、天(てん)竺(じく)寺の慈(じ)雲(うん)霊(れい)応(おう)尊(そん)者(じゃ)に学び、後に海(かい)月(げつ)法(ほう)師(し)の号を贈られた。蘇軾が杭州に来て間もないころに亡くなり、蘇軾は慧弁を弔う詩を詠んだ（訳出しなかった）。梵(ぼん)臻(しん)は銭(せん)塘(とう)の人で、上(じょう)天(てん)竺(じく)寺(じ)、金(きん)山(ざん)寺(じ)で学び、西(せい)湖(こ)の南(なん)屏(びょう)山(ざん)興(こう)教(きょう)寺(じ)の住持となった。懐(かい)�l(れん)師(し)は父の蘇(そ)洵(じゅん)とも交流のあった大(だい)覚(かく)禅(ぜん)師(じ)で、都を出てしばらく各地を巡る間に杭州に滞在したこともあるということを蘇軾は記しているので（第9章173ページ）、ちょうどそのときに会っているのかもしれない。契(けい)嵩(すう)師(し)は蘇軾が副知事として杭州にいる間に霊(れい)隠(いん)寺(じ)で亡くなった円(えん)通(つう)禅(ぜん)師(し)である）

■送欧陽主簿赴官韋城四首

［解題］欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)の孫の欧(おう)陽(よう)憲(けん)が滑(かつ)州韋(い)城(じょう)県の役人として赴任することになったので、この送別の詩を詠んだ。

［補足］（欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)の夫人の喪に服してその一族が穎(えい)州に集まっていたのだが、これより順次去って行く。欧(おう)陽(よう)憲(けん)は欧陽脩の長男の欧(おう)陽(よう)発(はつ)（すでに没している）の子である）

［訳文］

　　其の一

貴君は鳳(おおとり)の雛にして名馬の子、日に日に高くに伸びあがり、

白髮にしてやつれ顔の私なんぞはただ笑われてしまうだけだ。

貴君はすでに三万巻の書物を学び終えているのに、

牛刀をもって鶏を割くような場違いな小さな町に行かされてしまうとは。

　　其の二

残念なのは、

貴君の出処進退が、ずっと貴君には釣り合わないこと。

川に臨んで一杯の酒を酌み交わすこの別れを記憶に留めよう。

私はもう間もなく江湖(いなか)に引っ込んで老いるだけの身。

汝(じょ)水(すい)、潁(えい)水(すい)は東に流れ、貴君は西に行くのだ。

　　其の三

貴君が着く頃には、

滑(かつ)州の白(はく)馬(ば)の津(わたしば)には春の水が流れ来て、

この地と同じ白魚が貴君を喜ばせてくれるだろう。

知事殿は欧(おう)陽(よう)公が考案された冰(ひょう)堂(どう)酒(しゅ)を復活させたというから、

貴君には画(が)舫(ぼう)斎(さい)を新たに造られることを期待したい。

［補足］（欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)はかつて滑(かつ)州の知事となり、新しい酒を造ったり、書斎を建てたりしたという）

　　其の四

貴君がかの地に行くなら、

道の傍に立つ老人は、

欧(おう)陽(よう)公が黒々とした髪になったと、

涙で巾(ハンケチ)を濡らすであろう。

ゆかりの地には高い木がそのまま聳えるの譬えの通り、

貴君はそっくりの老成した立派な姿をかの地の人に見せるのである。

■美哉一首送韋城主簿欧陽君

［解題］同じく欧(おう)陽(よう)憲(けん)を送る詩。蘇軾にしては珍しく平易な詩で、内容は上の詩をそのままなぞっているので、読み下し文だけを示す。

［訳文］

美哉水、（美(うつく)しい哉(かな) 水(みず)）

洋洋乎。（洋(よう)洋(よう)乎(こ)たり）

我懐先生、（我(われ) 先(せん)生(せい)（欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)）を懐(おも)い）

送之子於城隅。（之(こ)の子(し)（欧(おう)陽(よう)憲(けん)）を城(まち)の隅(すみ)で送(おく)る）

洋洋乎、（洋(よう)洋(よう)乎(こ)たり）

美哉水。（美(うつく)しい哉(かな) 水(みず)）

我送之子、（我(われ) 之(こ)の子(し)を送(おく)って）

至於新渡。（新(しん)渡(と)に至(いた)る）

念彼嵩洛、（彼(か)の嵩(すう)洛(らく)（嵩(すう)山(ざん)と洛(らく)陽(よう)）を念(おも)うて）

眷焉西顧、（眷(けん)焉(えん)として西(にし)を顧(かえりみ)る）

之子於邁、（之(こ)の子(し) 于(ゆ)き邁(ゆ)きて）

至於白馬。（白(はく)馬(ば)に至(いた)る）

白馬旧邦、（白(はく)馬(ば)は旧(きゅう)邦(ほう)）

其構維新、（其(そ)の構(かま)えは維(ここ)に新(あ)らたなり）

邦人流涕、（邦(くに)の人(ひと)は流(りゅう)涕(てい)する）

画舫之孫。（画(が)舫(ぼう)之(の)孫(まご)に）

相其口髯、（其(そ)の口(くち)髯(ひげ)を相(み)るに）

尚克似之。（尚(な)お克(よ)く之(これ)に似(に)たり）

先生遺民、（先(せん)生(せい)の遺(い)民(みん)を）

之子往字。（之(こ)の子(し) 往(ゆ)いて字(やしな)え）

■泛潁

［解題］潁(えい)水(すい)に船を泛(うか)べて詠んだ詩。

［訳文］

私の本性として水に臨むのを喜び、

潁(えい)水(すい)を得たのを意(こころ)にはなはだ奇(すてき)である思っている。

着任してからというもの、

十日に九日は川のほとりにいる。

役人も民衆もみなが笑いながら、

今度の知事殿は癡(おろか)なのかもと語り合っている。

知事殿は実は癡(おろか)ではないのだよ、

流れる水がすばらしい姿をしすぎているのだ。

穎水は郡を巡ること十余里、

速くもなく遅くもなく、

上流は真っすぐで清く澄み、

下流は曲がって波立っている。

船に乗って明るい鏡（水面）を下に見て、

笑って、

「汝は誰なのか」

と問と、

たちまち魚の鱗のような波が立って、

私の髯やら眉やらが乱れて散り散りになり、

なんと百人もの東(とう)坡(ば)先生になってしまう。

そしてすぐにまた、一人の東坡先生がそこにいるのだ。

これは水が軽薄にも私と遊び戯れているのではない。

耳に聞こえるもの、眼に見えるもの、鼻に香るもの、

それらは心を逆立ちさせてしまうような子供だましである。

同じような児(じ)戯(ぎ)に見えても、

水の戯れは人の本性を失わせるようなことはしない。

趙(ちょう)君、陳(ちん)君、二人の欧(おう)陽(よう)君は、

同じく天(てん)人(にん)を師とする仲間であるから、

妙所を見てそれぞれ得るところがあるだろうから、

ともに潁水に泛(うか)ぶ詩を賦(ふ)すがよい。

［補足］（終わりの原詩は、「趙陳両欧陽、同参天人師」（趙(ちょう)・陳(ちん)・両(りょう)欧(おう)陽(よう)、同(おな)じく参(さん)す天(てん)人(にん)の師(し)に）である。趙(ちょう)令(れい)畤(じ)、陳(ちん)師(し)道(どう)、欧(おう)陽(よう)棐(ひ)、欧(おう)陽(よう)弁(べん)の4人とは心が通じ合い、それによって穎(えい)州に来てからの詩は精彩に富み、数も多くなる）

■六観堂老人草書

［解題］杭(こう)州に垂(すい)慈(じ)堂(どう)老人こと了(りょう)性(せい)がいることは第9章32ページですでに見ているが、潁(えい)州に来てから何かの折に了性の草書を見たのだろう。その感想を詩に詠んだ。詩題にある「六(ろく)観(かん)堂(どう)老人」とは了性のことである。この詩に添えられた蘇軾の自注に、「六観堂の六観とは、『金(こん)剛(ごう)経(きょう)』にある夢、幻、泡、影、露、電の六物から取ったものである。六観堂老人は僧の了性で、医学に詳しく、また草書を善くする。筆を下すと遠い韻(ひびき)がある。しかし、人はその貴ぶべきことを知らないので、この詩を作った」とある。詩には夢、幻、泡、影、露、電の六物が詠み込まれている。なかなかに理解の難しい詩で、いつもの「ずっぽ訳」である。

［訳文］

物が生じ、形象が現れる、

形象は万物にわたってたくさんにある、

しかし、それは夢か幻――

もとより根がなく瞬時に成るだけで、

夢の中では無ではないと見ていても、

泡と消え影がひとたび失われるなら、

一瞬にして形象は異なり、

露は乾いてなくなり、電光はさらに早くに徂(ゆ)き、

全ては滅し、滅し尽くして、そこになおあるのは真なる吾か。

このようにいう六(ろく)観(かん)堂(どう)老人は、

吾が心は火の消えた冷たい灰のようだとするが、

実は枯れておらず、

いかなる場にも逢えば戯れをなして三昧境に至るのであって、

その身を医者にするときは、己を忘れて人を救い、

草書をなすときは、学ばずしていささか自分の楽しみにするだけなのだが、

筆を下すと、かの名手の周(しゅう)越(えつ)も助手として呼びつけるばかりの勢いで、

鼠の髯の筆に真っ黒な墨をたっぷり含ませて、

雪のように白い特上の紙の上に、天と飛ぶ竜を遊ばせるのである。

かつて南朝の皇帝はある人の書を評して、

「ある高貴な家に仕える腰元がいきなり奥方の地位に昇ったようなもの、

　そのココロは、

　その挙止はどうにもぎこちない」

といったのだが、

六観堂老人はそうはならずに、いまのまま万人を感嘆させてほしい。

■次韻劉景文見寄

［解題］杭(こう)州で親しくした劉(りゅう)季(き)孫(そん)（字(あざな)は景(けい)文(ぶん)）（第9章14ページ以下）から詩が届き、それに次韻した。

［訳文］

淮(わい)河(が)を通って東から鯉がやって来て、

この江湖(いなか)へと巧みに手紙を届けてくれた。

細やかに見れば、

墨の痕は松のように痩せていて、

一羽の鶴である貴君が、

髯をひねって笑う姿がありありと浮かんでくる。

烈士を輩出してきた家柄からすれば、

詩なんぞは用いるに足りないものであるのだが、

学生のような突っ張った気分が、抜けずにあるのも面白いものだ。

名馬は老いても千里を走りたいと想い続けるという、

それができない哀しさの余り、

酔っては痰壺を叩いて歌っている。

歌って叩いて、壺を割らないようにしてくれたまえ。

［補足］（（1）冒頭の部分は、手紙を鯉に譬える（手紙を魚の形に畳んだことに由来するらしい）ことに基づく。（2）松も鶴も劉(りゅう)季(き)孫(そん)への賛辞である）

■贈朱遜之

［解題］穎(えい)州を含む地域を管轄する京(けい)西(せい)路(ろ)の役人である朱(しゅ)勃(ぼつ)（字(あざな)は遜(そん)之(し)）が来て、八(はち)丈(じょう)溝(こう)という新運河を開削すべきかどうかを議論し、土木工学的に無理があるとの結論に達し、蘇軾は、八丈溝の開削を不可とする意見書を朝廷に提出した。これはその議論とはまた別のことで朱勃に贈った詩。短い序文がある。

［訳文］

元(げん)祐(ゆう)六年九月、朱(しゅ)勃(ぼつ)と潁(えい)州で会って議論した。ある人が「洛(らく)陽(よう)の人は花を接(つ)ぐのが上手で、年々新しい種類を出し、とりわけ菊は品種が最も多い」と言った。すると、朱勃は「菊というものは黄色であるのが正しいのであって、その他のものは鄙(いや)しむべきである」と言った。昔むかし叔(しゅく)向(きょう)は鬷(そう)蔑(べつ)が口にしたたった一言を聞いただけでその人物を見抜いたというけれど、私もまた朱勃のことをこの一言で知ったのである。

［補足］（（1）洛(らく)陽(よう)は園芸の盛んな土地柄で、牡丹や菊の新種がそこで生み出されていた。（2）叔(しゅく)向(きょう)は春秋時代の人で、鬷(そう)蔑(べつ)は見かけがさえない男であった。叔向は、鬷蔑が使用人に対して何気なく発した言葉（内容は不明）を耳にして、優れた人物であることを知った）

菊が黄色くなる季節を秋とするのは、

遠い昔の暦に記されている通りだ。

『易(えき)経(きょう)』には裳の正しい色は黄色とされ、

周(しゅう)代(だい)には王后の衣は黄色とされた。

人の偽(いつわりごと)が勝るようになってから、

ついには天の力と争うまでになり、

もとの姓を変更して別の族に無理に入れさせたり、

人の命じるがままに本来の顔を変えさせたりするようになった。

新奇なものは広まりやすく、

雑駁なものは往々にして純粋なものを傾けてしまう。

貴君が偽物を嫌うのは、

かの伯(はく)牙(が)が琴の真の音を知っていたのと同じで、

貴君が菊の真のありようを知っているのは、

かの陶(とう)淵(えん)明(めい)に似ている。

貴君の言葉は私の心に印され、

世間の言うことなどもはや論評する必要もない。

願うのは、

貴君が厳しい冬に風となって、

紫の菊やら赬(あか)い菊やらを一掃してしまうことだ。

［補足］（蘇軾はしばしば自分を野生の鹿になぞらえ、鹿の本性のままに生きることを理想としている。そうした心性からすると、本来黄色である菊を紫や赤にするのは、とんでもなくおかしなことなのである）

■書汴河斗門

［解題］八(はち)丈(じょう)溝(こう)を巡る議論は興味深いものの、内容を理解するには近傍の地理に関する知識を必要とする。ここでは水利に関連する別の記事を読んでおきたい。必ずしもこの時期に書かれたものではないが、蘇軾が常に治水に関心を抱いていたことがわかるであろう。

［訳文］

数年前、朝廷は汴(べん)河(が)に斗(と)門(もん)（灌漑用の水門）を作って農地に水を入れようとした（煕(き)寧(ねい)2(1069)年に最初に提案された）。識者は不可としたのだが、ついに実行され、しかし結局は成果がなかった。水量が盛んなときに斗門を開けると、農地ばかりか墓地や住居にも河水が及んで被害が生じ、秋の水量の少ないときに斗門を開けると、水は浅くて、これを「蒸(じょう)餅(へい)淤(お)」（お好み焼きのように薄い泥水）と呼んだ。朝廷はこうしたことを嫌ってこの事業を取りやめた。

たまたま白(はく)居(きょ)易(い)の議論文を読むと、「転(てん)運(うん)使(し)（運輸関係のリーダー）は汴河の水深が浅くて舟運に不便なので、両岸の斗門を塞ぐことを求めた。節(せつ)度(ど)使(し)（軍事関係のリーダー）は、汴河に沿って官営の農地があり、斗門を塞いでしまったなら、軍に供給する食糧がなくなると言った」とあった。これによると唐(とう)代(だい)には汴河の両岸に官営田と斗門があって、水量が十分であるなら、舟運にもよく、農地に水を灌(そそ)ぐのにもよかったということになる。

昔はできたことがいまできないのはどういうことであろうか。知識のある者に問いたいものだ。

［補足］（白(はく)居(きょ)易(い)の時代から200年ほどを経る間に、河川に土砂が堆積して、水位の調節が昔通りにはできなくなったのであろうか）

■次韻趙景貺督両欧陽詩破陳酒戒

［解題］趙(ちょう)令(れい)畤(じ)、陳(ちん)師(し)道(どう)、欧(おう)陽(よう)棐(ひ)、欧(おう)陽(よう)弁(べん)と蘇軾は気の置けない仲となり、戯れの詩を贈答し合った。母の喪に服する欧陽棐、欧陽弁の兄弟は詩を作らず、また陳師道は酒を飲まない戒(いましめ)を守っていた。その3人に対して、趙令畤はそろそろそうした縛りをほどいたらどうだろうかと詩で促し、蘇軾がそれに次韻したのがこの詩。

［訳文］

古(いにしえ)の卜(ぼく)商(しょう)は母を喪った哀しみをいつまでも忘れることがなく、

歳月はたちまち過ぎ去ってしまった。

ある人が卜商に琴を渡して、

喪の期間はすでに終わり、悲しみをいつまでも留めるべきではないと示した。

詩は音楽ほどに華やかなものではない。

王(おう)羲(ぎ)之(し)には五人の息子がいて、

いずれも少年のころから字が巧みであったし、

我が蘇(そ)家にも、唐(とう)の時代に蘇(そ)瓌(かい)と蘇(そ)頲(てい)の父子がいて、

二人とも筆を持つと休むことなく文章を書き続けた。

欧(おう)陽(よう)兄弟のお二人は詩を詠むことができないと言うけれど、

欧陽公の子にしてそのようなことがあろうとは、

誰も信じはしないのである。

古の聖人賢者も酒を飲んだのであって、

百杯飲むと孔(こう)子(し)になり、千杯飲むと堯(ぎょう)になると言われてもいた。

陶(とう)淵(えん)明(めい)の曾祖父の陶(とう)侃(かん)は若いときに酒で失敗し、

父と酒量の制限を約束してそれを守った。

しかし、酒の中に失敗させるものがあるわけではない、

その証拠に、酔っているときには鴎も恐れることなく近寄ってくるのである。

陳(ちん)君に告げよう、

明日は、欧陽兄弟がどうしても詩を作らないのなら、

その罰に酒を飲ませるための杯を洗って用意しておくので、

貴君も来るがよい。

■叔弼云履常不飲故不作詩勧履常飲

［解題］上の詩を3人に送ったところ、欧(おう)陽(よう)棐(ひ)、欧(おう)陽(よう)弁(べん)の兄弟が蘇軾のもとに来て、「陳(ちん)師(し)道(どう)は酒を飲まないと言っているから、自分たちも詩を作らないと」告げたので、蘇軾はさらに酒を勧めるこの詩を作って陳師道に送った。

［訳文］

私は元来、酒を畏れる人である。

それでも、觴(さかずき)に臨んでその畏れを訴えることはない。

詩のためには、これまでに罪を得て困窮させられた。

それでも、句を得るとそれを吐かずに我慢することができない。

酒は退け、うまい詩は出さずに呑み込んでしまうようなことをしたなら、

胃も肝臓も悪いものだらけとなってしまうだろう。

ここに得失を比べるなら、

天の思し召しに従うしかないのである。

つまり、私なんぞは酒と詩の二物がなかったなら、

歳月を何とともに過ごしてよいのかわからないのである。

悄焉(しょんぼり)として長々と愁いているのは、計(はかりごと)として大いに誤っている。

欧(おう)陽(よう)兄弟に詩がないわけではない、

残念なことに、陳(ちん)君が飲まずにいるのを言い訳にしているのだ。

無理にも一杯だけは飲んでくれないだろうか。

飲むの飲まないので、酒を愁いを生む道具にはしないでくれないだろうか

言葉を出すのは太陽が光を発するのと同じ、

言葉に出して約束したことは必ず守るのであるから、

陳君が酒を飲めば欧陽兄弟はきっと筆を執って詩を賦すのである。

こうして五人で詩を詠み合ったならば、

後の世に五君子の詩として語り継がれることであろう。

（これらの詩は、蘇軾は相手が嫌うのを無理強いするアルハラ、パワハラを揮っているわけでなく、酒を飲まず、詩を作らないこの状況を知的遊戯の恰好の題材として楽しんでいるのだろう）

■景貺履常屢有詩督叔弼季默唱和已許諾矣復以此句挑之

［解題］戯れはまだ続く。詩題は、「趙(ちょう)令(れい)畤(じ)と陳(ちん)師(し)道(どう)はしばしば詩を詠み、欧(おう)陽(よう)棐(ひ)、欧(おう)陽(よう)弁(べん)にも詩を詠むよう促したところ、ようやく許諾したので、さらにこの詩でもって督促をする」。

［訳文］

貴君等の家の詩文は堂々として都に冠たるものがある。

ここに詩をもって陣地を築き、

酒を武器として戦を始めたならば、

貴君等は大将軍（欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)）の真の子孫であるからして、

手を袖に入れたまま眺めているわけにはいかなくなるし、

私もその門下生であるからして、

老いたとはいえ一軍を率いて参戦しないわけにはいかない。

昨夜は、すでに城壁を攻撃されて動揺したらしいが、

（欧陽兄弟がいよいよ詩を詠むのを許諾したことをいう）

明日は、まさか戦わずして城を明け渡すつもりではないだろう。

これからは酔(すい)翁(おう)（欧陽脩）が言われた「天下の楽しみ」を我等も楽しみ、

一挙に百の杯を傾けつつ、詩を唱和し合おうではないか。

［補足］（無論戯れであるにしても、蘇軾にこうまで言われては、欧(おう)陽(よう)兄弟もさぞや困ったであろう。相手が天下の大才の蘇軾で、父の名を辱めないような詩を詠まねばならないとなったら、誰だって躊躇すする。欧陽兄弟が果たして沈黙を守り続けたのかどうか、この後で明らかになる）

■臂痛謁告作三絶句示四君子

［解題］詩題は「臂(ひじ)が痛んで謁(えつ)告(こく)（欠勤を申し出る）し、三首の絶句を作って四君子（趙(ちょう)令(れい)畤(じ)、陳(ちん)師(し)道(どう)、欧(おう)陽(よう)棐(ひ)、欧(おう)陽(よう)弁(べん)）に示した」。蘇軾が重職を避けて地方に出ることを皇帝に願い出るときにはいつも臂の痛みをその理由として挙げていた。それは慢性的な不良であって、リューマチだったのではないかとの推測もある。

［訳文］

　　其の一

公務より退き、

静かに閑(のど)かにしていると、まるでもう退職したかのようだ。

少し酒でもやってみると、

この歓(よろこ)ばしさは全くもって故郷に帰ったかのようだ。

心を不安にさせるほどではない病があるのも悪くはないようだと、

簾(すだれ)にまとわりついて上る一縷の香の煙を、

寝そべったまま眺めているのである。

　　其の二

心が求めるのは何であるかというと、

病が消えて安らかとなり、

小さな波さえ立たない古い井戸のようになることだ。

仏陀の部屋をある子供の弟子が覗いたら、

清らかな水がいっぱいに湛えられているのが見えたので、

驚いて瓦礫を投げ込んだ。

大きな音がして、

後に仏陀の胸の痛みになったという。

とすると、どこぞのいたずら小僧が、

我が古井戸に石ころでも投げ入れたのだろうか。

　　其の三

小さな部屋の低い窓、

日が当たる温もりのもと、

はっきりとわかるものがある。

それを黙っているのでもなく、言葉にして言うのでもない。

かの維(ゆい)摩(ま)居(こ)士(じ)は仮病を使って友を呼び寄せたのだが、

私はこの通り真の病である。

これこそが東(とう)坡(ば)が道(みち)に至る唯一不二の門である。

［補足］（仏(ぶっ)陀(だ)の弟子の維(ゆい)摩(ま)居(こ)士(じ)が仮病を使ったという話を、蘇軾は好んで用いている（第9章47ページなど）。維摩居士のもとには文(もん)殊(じゅ)菩(ぼ)薩(さつ)が見舞いに行って、仏教の真理について議論したのだが、蘇軾は文殊の代わりに四君子を誘ったのだ）

■到潁未幾公帑已竭斎廚索然戯作数句

［解題］詩題は、「穎(えい)州に到着してまだそれほど経っていないのに公(こう)帑(ど)（公の貯え）がほとんどなくなりかけ、厨房もさびしくなってしまった。戯れに数句の詩を作った」。州知事は駅館を設けて通過する士人の便宜を図るのだが（第2章51ページ）、その費用をまかなう公帑が尽きようとしていたのである。

［訳文］

私がかつて密(みつ)州にいたときのこと、

その地の役人は新法を謹んで守り、

節減に努めたために公庫は空っぽで、

春の賑わいもなかったし、

客人が来たとなると、

どうやって接待したよいのかと真っ先に私が困ってしまうのだった。

枸(く)杞(こ)を摘んで飯の代わりであると自分をごまかし、

菊も食べて少しも余すことがなかった。

あれから歳月はどれほど過ぎ去ったのか。

幸いにもこの一郡で老を送ってはいるものの、

歯も髮も日に日にまばらになってゆくばかりで、

困るところは十年前と少しも変わらない。

夢の中で酒を飲むのはもとより空しいが、

本当に満腹するなどはついに虚しい望みである。

それでも赤裸足(はだし)で働いてくれる妻がいて、

くたびれて尾が赤くなってしまったような魚でも上手に煮てくれる。

心に全ては夢であることを知っているので、

我が身をここに慎んで、帰ろうとはしないのである。

［補足］（蘇軾が密(みつ)州知事であったときには、厳しく節減が命じられたために、枸(く)杞(こ)や菊を摘んで食べるようなこともし、そのことを賦に詠んでいた（訳出しなかった））

■贈月長老

［解題］「異(い)人(じん)」好みの蘇軾らしい作品。穎(えい)州のどこぞの寺に住まう月(げつ)長(ちょう)老(ろう)に贈った詩。

［訳文］

「天とは、一つの笠をかぶせたようなものですな。

　地とは、水に浮かんで車輪のようにぐるぐる回るものですな。

　天下を定めたと威張り腐った五(ご)霸(は)（軍事力を誇った五人の王）にしたって、

　何を成し遂げたのかといいますと、

　毛の先に一粒の塵をくっつけたくらいのことでありますな。

　天下を取って何をするのかといったら、

　半紙に詔(みことのり)を書くことくらいでありましょう。

　手習いの苦労だったら、

　そこらの子供だってしておりますのにな」

そう語る貴僧が持っているのは、

足の折れた鐺(なべ)が一つ。

中に五合の古米を入れて炊くことができる。

十年こうしてこのあたりで過ごしているのだから、

これこそが英偉にして奇特な大人物である。

地面を切った囲炉裏へと私を招き入れて、

ごく軟らかな言葉で語るのだか、

その意味するところははなはだ真を突いている。

「かように白い灰が雪のように積もっております。

　この中には、ほら、真っ赤になった麒(き)麟(りん)がおりましてな。

　この赤い麒麟には触れてはなりませんぞ。

　麒麟が崩れて灰となりましたなら、

　大和尚が怒りますでな」

これは何の話であろうかと、

手を組んで考えつつ黙って坐っていると、

なんと壁までが諄諄(ぶつぶつ)言い始めた。

今宵は残念なことに同行の者が多くいて、

貴僧の白頭巾も俗塵で汚れてしまうほどであるから、

後日の夜には独りで来て、

主と客の区別なく語り合おうではないか。

紙の帳(とばり)の中、蒲(がま)の敷物に座って、

とくと我が身を観たいものである。

■次韻答銭穆父以軾得汝陰用杭越唱酬韻作詩見寄

［解題］蘇軾の親しい友人である銭(せん)勰(きょう)（字(あざな)の穆(ぼく)父(ふ)）は、蘇軾が杭(こう)州知事であったときに近くの越(えつ)州の知事であったことから、何度か詩を応酬し合った。このとき銭勰は瀛(えい)州にいて、かつて詠んだ詩に次韻して送ってきた。蘇軾はそれに次韻して返した。もとになった応酬の作は第9章6ページで見ている。

［訳文］

私は敗軍の将のように、

疲労困憊して人々の群から離れてしまった。

それでも、貴君は慈愛に満ちた兄弟のように、

私のもとに詩を届けてくれた。

鬢(びん)が真っ白な年齢ともなれば、

立派な旗を立てて車を走らせる高官になっているべきであるのに、

犁を手にするのが似つかわしい私は、

翰(かん)林(りん)院(いん)の玉(ぎょく)堂(どう)などはお呼びでなかったのだ。

穎(えい)州に来てみると、

豪傑と謳(うた)われたかの王(おう)兄弟を継ぐ者はいないけれども、

欧(おう)陽(よう)兄弟がなお風流のありようをしっかりと見せてくれている。

貴君の立派な詩を、舞いつつ歌い広めるなら、

この邦(くに)の人々も雅(みやび)な言葉はかくべきあるものだと識(し)るようになるだろう。

［補足］（途中にある王(おう)兄弟とは、王(おう)向(きょう)と王(おう)回(かい)であると、蘇軾自身の注がある。王兄弟は父を穎(えい)州に葬って以降そこに住むようになり、後に2人揃って科挙に合格した。当時非常に名高い兄弟で、王(おう)安(あん)石(せき)とも親交があった）

■韓退之孟郊墓銘云以昌其詩挙此問王定国当昌其身耶抑昌其詩也来詩下語未契作此答之

［解題］詩題は次の通り。「韓(かん)愈(ゆ)が作った孟(もう)郊(こう)の墓誌銘に『孟郊は詩を昌(さか)んした』とある。そこを取り上げて、王(おう)鞏(きょう)に『身を昌(さか)んにすべきか、それとも詩を昌(さか)んにすべきか』と尋ねたところ、それに対する答えとして詩が返ってきた。しかし、その語(ことば)はしっくりとはこなかったので、この詩を作って返事をした」。「昌(さか)んにする」とは、何かに励んで、その何かを高め、また己も高めるという意味であろう。王鞏（字(あざな)は定(てい)国(こく)）は名家出身の友人で、気位が高かったからなのか、蘇軾の不羈不屈の面ばかりを見習おうとして、官員として地道に励むのが不得手だったようで、蘇軾はたびたび訓戒を垂れている（第8章5ページなど）。

［訳文］

身を昌(さか)んにするのは、腹を満足させるのと似ている。

満腹にしたところで、いずれまた飢えがやってくる。

詩を昌(さか)んにするのは、顔に化粧を施すのと似ている。

要するに、人のために見栄えをよくするのである。

とすると、いずれにしても気(き)を昌(さか)んにするには及ばない。

気を昌(さか)んにすれば、老いても生き生きとして衰えることがない。

しかしながら、老いて衰えないといったところで、

この世界が終わるときが来たなら、やはり行き場がない。

とすると、志を昌(さか)んにするには及ばない。

志がしっかりと一つであるのなら、気も自ずとそれに従い、

志を養うなら、天地いっぱいに満ちるまでになる。

孟(もう)子(し)がかつて同じことを言っているけれど、

その実例として、魏(ぎ)勃(ぼつ)と魯(ろ)仲(ちゅう)連(れん)がいるのだろう。

昔、漢(かん)の時代に魏勃は勇猛であるとの評判であったが、

小児のようだと日頃馬鹿にしていた灌(かん)嬰(えい)の前にいざ出ると、

震えて何も言えなくなり、ただの愚か者であったと笑われてしまった。

昔、戦国時代に魯仲連は秦(しん)の大軍に囲まれた邯(かん)鄲(たん)を救うために、

秦の将軍と語り合うだけで退却させたのだが、

何の謝礼も受け取らずに立ち去ったのだった。

志を昌(さか)んにするなら、謗(ぼう)讒(ざん)を怨むこともない。

道を得るための一番の基本がここにあって、

汚い泥の中から純白の連花が生じ、

ごみ屑から霊妙な菌(きん)芝(し)が生え出るのだ。

こうした善知識があるのなら、

枯れ枝からだってきっと芽が出るようになる。

とはいえ、このように多くを言う必要はなかった……

暑いか寒いかということは、貴君が自ずと知るのであるから。

［補足］（（1）最後の句は、どうしてわかってもらえないのかという蘇軾のぼやきであるのだろう。（2）ちょうどこのすぐ後で、弟の蘇轍は、王(おう)鞏(きょう)のために罪を被りそうになった。蘇轍は、王鞏を重く用いるよう朝廷に推薦していたのだが、人物として不適任であるにもかかわらず個人的に親しい者を推薦したとして非難されたのである。徒党を組むことは絶対悪とされ、王鞏には日頃の振る舞いにいささか問題があり、無茶な難癖ではあっても、ふりかかる火の粉を払うには細心の注意を必要とした）

■送欧陽推官赴華州監酒

［解題］欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)の孫の欧(おう)陽(よう)恕(じょ)が華(か)州に赴任することになり、この送別の詩を作った。欧陽恕が授かったのは酒税を管理する仕事であった。欧陽恕は欧陽脩の次男の欧(おう)陽(よう)奕(えき)（早くに亡くなった）の子で、この詩は主に欧陽奕について詠んでいる。

［訳文］

私が文(ぶん)忠(ちゅう)公(こう)（欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)）を観(み)るに、

四人の息子はいずれも世間から超越しておられる。

なかでも次男（欧(おう)陽(よう)奕(えき)）は一寸もの径がある珠(たま)のようで、

夜を照らす月のような光を発していた。

詩を好み、まことに脱兎のような勢いで詠み上げ、

筆を下すと、鶻(はやぶさ)が急降下するよりも早くに文章ができあがった。

かの三国時代の英雄の周(しゅう)瑜(ゆ)と同じく、

音律をよく知り、議論もまた堂々としていた。

文章などはあくまでも余技で、

道を学んで奥深く探究したのだった。

痛ましいことに、

清らかな潁(えい)水(すい)の下流において、

白い鴎とともに姿を消してしまったのだが、

亡くなってからは、

長(ちょう)白(はく)山(さん)の主(あるじ)となって、その名を仙宮に掲げられた。

いま喜び見るのは、三人の少年（欧陽奕には三人の息子がいた）が、

いずれも千里を走る名馬の骨相を具えていることだ。

三人にとって千里に到るのは難しいことではない、

ただ土の塊に蹶(つまず)かないようにしなければならない。

別れに臨んで苦い語(ことば)を出したのだけれど、

これを書いて、いつでも見るようにしてもらいたい。

［補足］（（1）この詩の半ばに、欧(おう)陽(よう)奕(えき)は死んで長(ちょう)白(はく)山(さん)の主(あるじ)になったとある。長白山とは北朝鮮の名山、白(はく)頭(とう)山(ざん)である。蘇軾自身による次のような注が記されている。「熙(き)寧(ねい)の末に、私は欧陽奕と都の東で会った。欧陽奕は言った。『私は夢の中で、一人の道士から辞令を授かりました。そこには、上帝の命令として長白山の主にすると書いてありました。これはどういう祥(きざし)なのでしょうか』。その翌年に欧陽奕は亡くなった」。熙寧の末に都の東で会ったというのは、14年前、蘇軾が都の門の外に留められて中に入れなかったときのことである。蘇軾はこれまでにも見てきたように、未来に起こることを夢に見るとかなり強く信じていたようだ。（2）詩の終わりに「苦い語(ことば)」とあるものの、欧陽恕に向かって具体的には何も言っていない。それでも、欧陽恕にしてみたら、父の欧陽奕、まして祖父の欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)を持ち出されるだけで、十分過ぎるプレッシャーになるということなのだろう）

■十月十四日以病在告独酌

［解題］10月14日に病気で休みを取り、独りで酒を飲みつつこの詩を詠んだ。病気は先に見た臂(ひじ)の痛みなのか、秋から冬によくあるいつもの不調なのかはわからないが、いずれにしても病気を理由に公務を休んでいながら家で一杯やって、それを詩に詠むというのは、現代であればかなりの顰蹙ものだろう。当時としては、飲酒は病を癒す行為として普通に認められていたのだろう。もとより蘇軾は大酒飲みではないから、実際に薬効を得る程度であったのだろう。

［訳文］

翠(みどり)の柏(はく)は秋を知らない、

がらんとした庭に落ち葉はない。

このひま人は嘉(よ)い木蔭を選び、

地面に座って独り酒を酌む。

月が澄んでゆるやかな顔を見せ、

ささやかな霧の気配が清々しい。

小児等は何もわからずに、

あの爺さんは楽しげにしていると語り合う。

爐(ろ)で柏(はく)の実を燃やし、石の鍋で山芋を煮て、

それを肴に一杯やって、

月と露を賞味すると、

万象があれやこれやと応じてくれる。

この人生はここで幸いを得たのか、

風にさまよう船が初めて纜(ともづな)を繋がれたかのようだ。

自分に誓うのは、

孔(こう)子(し)に褒められながらも若死にした顔(がん)回(かい)のようでもなく、

大盗賊でありがらも長生きをした盗(とう)跖(せき)のようでもなく、

赤(せき)松(しょう)子(し)や王(おう)喬(きょう)と仙界で遊ぶ約束を果たすことだ。

いつか気ままに大空で戯れたいと、

風がくるのをひたすら待つのを、

どうか嫌わないでほしい。

心の内が空(くう)になったなら、

鶴に乗った仙客が笙(ふえ)を吹きつつ迎えにきてくれるのだ。

［補足］（（1）柏(はく)はヒノキのような常緑樹を指し、日本語の柏(かしわ)とは異なる。（2）途中にある「此生独何幸、風纜欣初泊」（此(こ)の生(せい) 独(ひと)り何(なん)の幸(さいわ)いか、風(ふう)纜(らん) 初(はじ)め(め)て泊(はく)するを欣(よろこ)ぶ）の句は、穎(えい)州に来てからの蘇軾の思いを率直に表現したものだろう。都でつまらない攻撃にさらされ疲弊した心も、欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)ゆかりの地に来て四君子と親しくすることでいささか安らぎを得られるようになったのだろう。（3）終わりのある鶴に乗った仙人のイメージは、『後の赤壁の賦』（第6章327ページ）でも見ている）。

■独酌試薬玉滑盞有懐諸君子明日望夜月庭佳景不可失作詩招之

［解題］上の詩と同じ日の作品。詩題は「薬を飲むときに用いる盃（玉(ぎょく)滑(かつ)盞(さん)）で薬（酒？）を独りで飲んでいて、諸君子のことを懐(おも)い、明日は満月であるから月光のもとの庭の佳景を失ってしまってはならない、という内容の詩を作って招いた」。

［訳文］

鉛を鎔(と)かし白い石と煮て、

あたかも玉(ぎょく)であるとして人を欺き、

削って磨いて酒杯を作り、

定(てい)州産の陶器に見せかける。

盃の中心は浅くて狭いけれど、

酒を満たすと鏡の面が広々とみなぎる。

この玉(ぎょく)滑(かつ)盞(さん)で佳(よ)き客人の長寿を祝いたいと思う。

手に取って辞退するなど許さないつもりだ。

かくありたいと思うのは漢(かん)代(だい)の于(う)定(てい)国(こく)――

ひとたび飲むと数石を尽くしたけれど、

穏やかに落ち着いたままで、

公務もまことに公正にこなしたという。

玉滑盞の酒を無駄にしない客人は誰と誰であろうか。

趙(ちょう)令(れい)畤(じ)君は皇族の子孫にして、風流をわきまえ、

詩酒においてしばしばすぐれたことをする。

趙令畤君よ、陳(ちん)師(し)道(どう)君、欧(おう)陽(よう)棐(ひ)君、欧(おう)陽(よう)弁(べん)君を詰問してほしい、

私の病気見舞いにくるのが遅すぎるではないかと。

子供らに命じて月のもとの亭(あずまや)を掃除させ、

病から脱して良き時を迎えようと思う。

■欧陽季黙以油煙墨二丸見餉各長寸許戯作小詩

［解題］詩題は「欧(おう)陽(よう)弁(べん)（字(あざな)は季(き)黙(もく)）から油(ゆ)煙(えん)墨(ぼく)（松の油煙の煤で作った墨）が二つ贈られてきた。それぞれ一寸ばかりである。戯れに小さな詩を作った」。上に見た詩で蘇軾に招かれた人々が10月の満月の夜に集まることは何らかの事情で実現しなかったようだ（月光のもとで応酬し合った詩が残っていない）。この詩にある油煙墨と次の詩にある魚は、蘇軾の誘いに応じられなかった詫びとして欧陽弁が贈ったのかもしれない。

［訳文］

書斎の窓についた灯火の煤を拾い集め、

仏堂の帳(とばり)についた香の煙の塵を掃き集める。

そうした労苦を千日も重ねて、この一寸の墨は造られたであろう。

私のような愚か者が畏れるのは、

何事もしないままに老死し、草や木のように朽ち果てること。

実際にしていることはというと、

東の山の松をすっかり伐り取ってそれを墨に換え、

南の山の竹をすっかり伐り取ってそれに字で書き、

それでも足りないくらいだ。

墨は堅く、人ははなはだ脆い、

だから一寸ばかりの小ささであっても嘆くには及ばない。

書物に注解を書き込むにはこれで十分で、

漢(かん)代(だい)の東(とう)方(ほう)朔(さく)の真似をして、

三千枚もの公文書をお上に提出しようなどと考えなければよいのだ。

■明日復以大魚為饋重二十斤且求詩故復戯之

［解題］「上の詩の翌日、欧(おう)陽(よう)弁(べん)から今度は大きな魚が贈られ、重さが二十斤もあった。詩を求められたので、また戯れに作った」という題。

［訳文］

漢(かん)の朝廷で九尺の人といえば東(とう)方(ほう)朔(さく)、

老いた私は少しも似ない。

東方朔は十二歳の冬にひたすら勉学に励んだのを自慢していた、

あの一寸ばかりの墨では、ひと冬の勉強にも足りないだろう。

欧(おう)陽(よう)君もやはり墨が小さかったのを気にしていたのか、

恥を雪ごうと、この魚を贈ってくれた。

尾まで鱗がきらきらと輝いている。

しかしながら、

私は鯨にまたがって大海を自在に行こうとする男である、

このくらいではほんの小魚というほかはない。

■和趙景貺栽檜

［解題］趙(ちょう)令(れい)畤(じ)（字(あざな)は景(けい)貺(きょう)）が檜(ひのき)を植えて詩に詠んだので、それに和した。

［訳文］

汝(じょ)陰(いん)（穎(えい)州）には老いた檜(ひのき)がたくさんあって、

蒼い雲が群がるようなありさまをあちこちに見る。

隣り町の丹(たん)砂(さ)井(せい)には、枯れても蘇った檜があったといい、

近くの山では、一万年を経た大樹が青い牛に変じたという。

潁州の霊(れい)壇(だん)観(かん)にもやはり再生の檜があり、

左巻きにねじれた魁偉な姿をしている。

皇室の子孫の趙(ちょう)君は古(いにしえ)を尊ぶ心があり、

書室に清らかな香りを導き入れようと、

四本の檜の若木を植えた。

檜こそは凡庸な木々の群れに墮(お)ちることがなく、

堂々の松(しょう)柏(はく)（針葉樹）の姿を具え、

なおかつ霊妙な薬草の��(かおり)を含んでいる。

初めて植えられたときには鶴のように細く立っているだけであるが、

地下では竜のような根が張り廻らされてゆくのである。

しかし、根にうじゃうじゃと白蟻が巣くうこともあり、

葉にごちゃごちゃと秋の虫がたかって網目のようにしてしまうこともある。

だから、植えた当初は細かく面倒を見てやらないといけない。

かくて皮が三寸の厚さにもなれば、

狐や鼠に害されることもないのである。

■与趙陳同過欧陽叔弼新治小斎戯作

［解題］四(し)君(くん)子(し)（趙(ちょう)令(れい)畤(じ)、陳(ちん)師(し)道(どう)、欧(おう)陽(よう)棐(ひ)、欧(おう)陽(よう)弁(べん)）とのなごやかな交流が続く。欧陽棐が新たにこぢんまりとした書斎を作り、蘇軾は趙令畤、陳師道とともに訪ね、この戯れの詩を詠んだ。

［訳文］

江(こう)湖(こ)（都を離れた田舎）にあって、故郷は遥かに遠い。

わが家は風雨によって傾いてしまっているであろう。

東に出てからすでに三十年、

恥ずかしいことに、

一束の書物にも安住の場を与えてやることができない。

常に旅人として仮の宿りを渡り歩き、

ちっぽけな住まいすら持ったことがない。

だから、貴君がこの部屋を作ったのを羨まずにはいられない。

余裕をもって膝くらいなら容れられるし、

床を叩くと琴ががたがた揺れるし、

筆を動かすと窓に隙間ができて明るくなる。

昨日の夜の夢で、

竜神が雲を作ってくれて、夜明けに渠(みぞ)を埋めるほどに雪が積もると見た。

夢から目覚めたところで、

ことことと叩く音がし、誰が呼んでいるのだろうかと思ったら、

貴君が趙(ちょう)君、陳(ちん)君と私を招くというのであった。

かくてここに来てみたのだが、

添(てん)丁(てい)（息子）は酒を買いに走り、

通(つう)�ｺ(とく)（女中）は野菜を摘みに畑に出ていて、

主(しゅ)孟(もう)（奥方）は我等に食べさせようと立派な魚を料理していて、

皆が何やらあたふたしている。

ともあれ、酔えば、もはや我が家がどうとかこうとかなどは忘れ去り、

此の身には竹の蓆(むしろ)さえあれば十分と思えるのである。

［補足］（（1）中ほどに、雪の積もる夢を見たとあるのは、例によってまた不思議な夢のエピソードで、以下の幾つかの作品が関連するので、簡単に経緯をまとめておく。このところ穎(えい)州では長らく日照りが続いていた。雨乞いは州知事の大切な仕事で、穎州に張(ちょう)竜(りゅう)公(こう)という竜神を祀った祠があって霊験があるというので、蘇軾は雨を祈る文章を書いて、陳(ちん)師(し)道(どう)と息子の蘇(そ)迨(たい)と自分の代理としてその祠に遣わし、雨を降らせてくれるよう願った。それが10月26日である。その翌日、祠に祭られている「竜の骨」とされているものを西(せい)湖(こ)のほとりに持ってきて、仮の祠（行(ぎょう)祠(し)）で蘇軾は人々とともに雨を祈った。すると少しばかり空模様が変わった。蘇軾が雪の積もる夢を見たのは、その日の夜のことであった。翌日、趙(ちょう)令(れい)畤(じ)、陳(ちん)師(し)道(どう)とともに欧(おう)陽(よう)棐(ひ)の書斎を訪ね、上の詩を詠んだ。そして、夜に帰ってくるときには星がきらきらと輝いていたのだが、まだ枕についてそれほど経たないうちに雨が軒を鳴らす音がした。さらに、11月1日に竜神の行祠でまた祈ると、小雪が舞った。その後でいつもの5人が次に見る聚(しゅう)星(せい)堂(どう)に集まって、竜神の威徳に皆で感嘆し合った。（2）上の詩の終わりのあたりで、「添(てん)丁(てい)」「通(つう)�ｺ(とく)」「主(しゅ)孟(もう)」とあるのは、それぞれに故事を踏まえて、息子、女中、奥方と直接的に言わずに風雅の趣を出したもの。いちいち説明を加えるのは、読む方も面倒であるだろう）

■聚星堂雪

［解題］穎(えい)州は欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)の最後の隠棲地であるとともに、欧陽脩は三十代の終わりに知事としても一度来ていた。そのときに、綺(き)羅(ら)星(ぼし)の如き賢人が集うという意味の聚(しゅう)星(せい)堂(どう)を造り、友人としばしばそこで酒宴を催した。その聚星堂において蘇軾はこの詩を詠んだ。序文がある。

［訳文］

元(げん)祐(ゆう)六年十一月一日、雨を竜神に禱(いの)ったところ、小雪が降ったので、客人と聚(しゅう)星(せい)堂(どう)に集まって酒宴を開いた。たちまち欧(おう)陽(よう)文(ぶん)忠(ちゅう)公(こう)（欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)）がここの知事であったときに雪の中で作った詩を思い出した。文忠公は体(たい)物(ぶつ)の語（特定のものを形容する常套句）を用いることを禁じて、難しい制約のもとで特にすぐれた意匠を出して詩を賦すということを客人と取り決めた。それから四十余年、それと同じことをする者はいない。私は文忠公の老いた門下生であり、文忠公の後を継いでここに来たのであるから、先生とはとても肩を並べられるような者ではないのだけれど、賓客のすばらしさはかつてとほとんど負けることはないし、文忠公の二子もまたたまたまこの地におられることであるから、かの前例に倣っておのおの一篇の詩を賦すこととした。

（（1）欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)が禁じた「体(たい)物(ぶつ)の語」とは具体的には、玉、月、梨、梅、練、絮、白、舞、鵝、鶴、銀といった雪を詩に詠むときによく使われる語である。（2）ついでながら、欧陽脩と聚(しゅう)星(せい)堂(どう)に集まった客人のなかには、劉(りゅう)攽(はん)（第3章80ページなど）や焦(しょう)千(せん)之(し)（第9章60ページ）など蘇軾とも交流のあった者がいた）

この詩は、昔はよく知られた作品であったという。詩を詠む人は必ず参考にすべき価値があるとされたのだろう。しかし、我々にとっては興趣を誘うような内容は特になく、昔の人でも、奇妙なことしてみせただけだと低く評価する向きもある。ここでは「体(たい)物(ぶつ)の語」を使っていないことが明らかとなるよう原詩を掲げ、小川環樹注『蘇軾下』（1962年）にある読み下し文をそのまま写しておく。

窓前暗響鳴枯葉、（窓(そう)前(ぜん) 暗(あん)に響(ひび)いて 枯(こ)葉(よう)を鳴(な)らす）

竜公試手行初雪。（竜(りゅう)公(こう) 手(て)を試(こころ)みて 初(しょ)雪(せつ)を行(や)る）

映空先集疑有無、（空(そら)に映(えい)じて 先(ま)ず集(あつま)れるは 有(う)無(む)を疑(うたが)い）

作態斜飛正愁絶。（態(たい)を作(な)して 斜(なな)めに飛(と)べば 正(まさ)に愁(しゅう)絶(ぜつ)す）

衆賓起舞風竹乱、（衆(しゅう)賓(ひん) 起(た)って舞(ま)えば 風(ふう)竹(ちく)は乱(みだ)れ）

老守先酔霜松折。（老(ろう)守(しゅ) 先(ま)ず酔(よ)うて 霜(そう)松(しょう)の折(お)るるがごとし）

恨無翠袖点��斜、（恨(うら)むらくは 翠(すい)袖(しゅう)の��(おう)斜(しゃ)に点(てん)ずる無(な)きことを）

只有微燈照明滅。（只(た)だ 微(び)燈(とう)の照(てら)して明(めい)滅(めつ)する有(あ)るのみ）

帰来尚喜更鼓永、（帰(き)来(らい) 尚(な)お喜(よろこ)ぶ 更(こう)鼓(こ)の永(なが)きを）

晨起不待鈴索掣。（晨(しん)起(き)して 鈴(れい)索(さく)の掣(ひ)くを待(ま)た不(ず)）

未嫌長夜作衣稜、（未(いま)だ嫌(いと)わず 長(ちょう)夜(や)の衣(い)稜(りょう)を作(な)せることを）

卻怕初陽生眼纈。（卻(かえ)って怕(おそ)す 初(しょ)陽(よう)の眼(がん)纈(けつ)を生(しょう)ずることを）

欲浮大白追余賞、（大(たい)白(はく)を浮(うか)べて 余(よ)賞(しょう)を追(お)わんと欲(ほつ)すれば）

幸有回飆驚落屑。（幸(さいわ)いに 回(かい)飆(ひょう)の落(らく)屑(せつ)を驚(おどろ)かす有(あ)り）

模糊檜頂独多時、（檜(かい)頂(ちょう)に模(も)糊(こ)たるは 独(ひと)り多(た)時(じ)なり）

歴乱瓦溝裁一瞥。（瓦(が)溝(こう)に歴(れき)乱(らん)たるは 裁(わず)かに一(いち)瞥(べつ)のみ）

汝南先賢有故事、（汝(じょ)南(なん)の先(せん)賢(けん) 故(こ)事(じ)有(あ)り）

酔翁詩話誰続説。（酔(すい)翁(おう)の詩(し)話(わ) 誰(だれ)か続(ぞく)説(せつ)せん）

当時号令君聴取、（当(とう)時(じ)の号(ごう)令(れい)を 君(きみ) 聴(ちょう)取(しゅ)せよ）

白戦不許持寸鉄。（「白(はく)戦(せん)するに寸(すん)鉄(てつ)を持(じ)するを許(ゆる)さ不(ず)」と）

［補足］（要するに、蘇軾の超絶的な語彙力をもって、雪を直接的に形容する語を一切使わずに雪の種々相を詠んでみせたものである。確かに自ら詩を作る人にとって参考にすべき価値があるのだろう。そうしたことを除くと、我々が何らかのメッセージを読みとれるのは最後の4句だけで、その部分の現代語訳を付記しておく）

穎(えい)州にかつて賢人が集まったのは、

いまや立派な先例として顧みられているのだが、

酔(すい)翁(おう)（欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)）の詩論を継ぐ者はない。

人々よ、聴くがよい、

かのときの酔翁の号令を。

「どんな小さな武器さえも持たずに、

　素手で戦うのだぞ」

（この号令は、正岡子規が月並み俳句を否定したのと同じココロであろうか）

■昭霊侯廟碑

［解題］竜神が雨を降らせてくれたので、蘇軾は竜神を讃える碑を建て、この文章を刻んだ。

［訳文］

昭(しょう)霊(れい)侯(こう)南(なん)陽(よう)張(ちょう)公(こう)の諱(いみな)は路(ろ)斯(し)である。

張公は隋(ずい)朝の初めに穎(えい)州の潁(えい)上(じょう)県仁(じん)社(しゃ)村(そん)に生まれ、十六歳で科挙の明経科に合格し、唐(とう)朝の景(けい)竜(りゅう)年間に宣(せん)城(じょう)県の知事となって、優れた能力があると賞賛された。妻は石(せき)氏で、九人の息子がいた。

張公は宣城県知事を罷めて帰郷すると、いつも焦(しょう)氏(し)台(だい)の北で釣りをしていた。ある日、ふと顧みると、釣りをしているところに立派な宮殿楼閣が建っていた。張公は中に入ってみて、しばしそこに留まった。それからというものは、張公は夜になると家を出て朝に帰ってくるようになり、帰ってくるときには体が冷たく濡れているのだった。妻が驚いて尋ねると、張公は言った。

「わしは竜である。蓼(りょう)の人の鄭(てい)祥(しょう)遠(えん)もまた竜である。やつとわしはいまこの地を争っていて、明日、戦うことになっている。九人の息子の力を借りたいと思っている。赤い絹をまとっているのがわしで、青い絹をまとっているのが鄭だ」

翌日、九人の息子は弓矢で青い方を射(う)ち、命中した。鄭は怒って去り、張公はそれを逐(お)った。竜が通り過ぎたところが溪谷となり、淮(わい)河(が)にまで達した。青い竜は合(ごう)淝(ひ)の西(せい)山(ざん)に入って死んだ。山には竜の開けた穴が生じていた。

九子の息子も皆が竜になり、妻の石氏は関(かん)洲(しゅう)に葬られた。

張公の兄は馬(ほ)歩(ぶ)使(し)者(しゃ)になり、子孫は潁(えい)水(すい)の各所に住み、それぞれの墓が皆存在している。

以上のことは唐代の庶民である趙(ちょう)耕(こう)が文章に記し、淮河と潁水の間の父老が語り継ぎ、欧(おう)陽(よう)文(ぶん)忠(ちゅう)公(こう)（欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)）の『集(しゅう)古(こ)録(ろく)』にも記述がある。

唐の景(けい)竜(りゅう)年間より潁州の人々は焦氏台に祠を作って張公を祀ってきた。唐の乾(けん)寧(ねい)年間に、知事の王(おう)敬(けい)堯(ぎょう)が始めてその廟を大きくした。宋の乾(けん)�ｺ(とく)年間に蔡(さい)州がひどい日照りになったときに、知事の司(し)超(ちょう)が張公の霊威を聞き、その祠を蔡州に築いたところ雨が降った。翰(かん)林(りん)学(がく)士(し)承(しょう)旨(し)の陶(とう)穀(こく)がそのことを記録した。これより淮河の南の蔡州、許(きょ)州、陳(ちん)州、汝(じょ)州の人々は皆が張公の祠に祈るようになった。

景(けい)�ｺ(とく)年間に諫(かん)議(ぎ)大(たい)夫(ふ)張(ちょう)秉(へい)は詔を奉じて潁水のほとりに新たに祠を建てた。さらに、熙(き)寧(ねい)年間に司(し)封(ほう)郎(ろう)中(じゅう)の張(ちょう)徽(き)が爵号を与えるよう朝廷に請い、張公は昭霊侯に、石氏は柔(じゅう)応(おう)夫(ふ)人(じん)に封(ほう)じられた。

廟には五つの穴があり、しばしば変異を見せ、雲を出して雨を降らせる。ある人が器を穴に投げ入れたところ、池が存在していた。そして近年その池から竜の骨を得た者があった。金(かね)の音がして玉(ぎょく)のような質感で、普通の重さではない。いま骨は廟の中に所蔵されている。

元(げん)祐(ゆう)六年の秋は日照りがひどく、州知事である竜(りゅう)図(と)閣(かく)学(がく)士(し)左(さ)朝(ちょう)奉(ほう)郎(ろう)の蘇軾はその骨を西(せい)湖(こ)のほとりの仮の祠に迎え、人々とともに雨を禱(いの)った。それに応じること音が響くかのようであったので、ますますその廟を盛んにし、碑を建てて銘文を刻むことにした。

［補足］（（1）この後に韻文の銘が続くが、上に記されていること以上の内容はないので省略する。（2）これで見ると、蘇軾は神の霊威を間違いなく信じていたのだろう。一方で、ほぼ同じ時期に、八丈溝の開削はすべきではないという文章を書いて朝廷に提出していて、そちらではすこぶる合理的な判断を下している。民衆のために誠実に神に祈るのなら神がそれに応じてくれるというのは、水が高いところから低いところに流れるのと同程度に理に適ったことであると、蘇軾は考えていたのだろう）

■木蘭花令

［解題］欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)が40年余り前に穎(えい)州知事であったときに西(せい)湖(こ)で詠んだ詞に次韻した。欧陽脩のもとの詞は、真夏に催された送別の宴で舞う女性を讃えつつ、別れの情を詠んだもの。蘇軾のこの詞は、秋の終わりにしみじみと欧陽脩を追慕するものである。

［訳文］

霜余已失長淮闊。（霜の季節を経て（冬の渇水期）、長い淮(わい)河(が)は広さを失っています）

空聴潺潺清穎咽。（清らかな穎(えい)水がさらさらと流れる音もあまり聞こえてきません）

佳人猶唱酔翁詞、（女性たちはいまもなお酔(すい)翁(おう)（欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)）の詞を歌っています）

四十三年入電抹。（四十三年は一瞬の稲光のようなもの）

草頭秋露流珠滑。（草の上の露が珠(たま)となって流れます）

三五盈盈還二八。（まるまるとした十五日の月、そして今日は十六日）

与余同是識翁人、（私と同じように酔翁を知っているのは誰なのでしょうか）

惟有西湖波底月。（ただ西(せい)湖(こ)の波の底に見える月だけなのです）

■徐問真従欧陽公游

［解題］これまた欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)を慕いつつ、「異(い)人(じん)」を好む蘇軾らしさの出た文章。

［訳文］

道(どう)人(じん)の徐(じょ)問(もん)真(しん)は自ら濰(い)州の人であると言う。酒を嗜んでほしいままに狂い、葱(ねぎ)や鮮魚を生のまま啖(く)らう。指をもって針とし、土をもって薬とし、病を治して神のような験(しるし)がある。

欧(おう)陽(よう)文(ぶん)忠(ちゅう)公(こう)（欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)）が青(せい)州知事であったとき、徐問真は公に従って遊び、しばらく過ごした後に辞去した。

公が引退したと聞いて徐問真は穎(えい)州に来た。公は徐問真を屋敷に住まわせ、息子二人に世話をさせた。公は以前から足を病んでいて、病状が少し悪くなったのを、やわらげることができずにいた。徐問真は、気血を踵(かかと)から頭の頂に汲引するよう教えた。公がその言を用いると、病はすぐに治った。

ある日、徐問真は突然出て行くことを強く求めた。公は引き留めたが、徐問真は「私には罪があります。私はこれより公(こう)卿(けい)と遊ぶのです。もはや留まることはありません」と言って聞かなかった。公は人を付けて徐問真を送らせたところ、身の丈八尺ばかり、鉄の冠を頭に載せた人が道に待っていた。徐問真は町を出ると、村の子供を雇って薬筒を持たせた。数里ほど行くと、子供はもう帰りたいと言った。徐問真は髪の中から棗(なつめ)くらいの大きさの瓢(ひさご)を取り出し、掌の中で何度もひっくり返してから、子供の手の内に酒を注いだ。手にいっぱいになること二度、子供にそれを飲ませた。よい酒であった。これより徐問真がどこに行ったのかはわからない。その子供は後に頭がおかしくなり、その後どうなったのかやはりわからない。

私蘇軾はかつて穎州で公に会い、以上のことを具(つぶさ)に聞いた。その後、私は黄(こう)州に流されたときに、黄(こう)岡(こう)県知事の周(しゅう)孝(こう)孫(そん)が俄かにふくらはぎを重く患った。私が徐問真の方法を授けると、七日で癒えた。

元(げん)祐(ゆう)六年十一月二日、私は欧(おう)陽(よう)棐(ひ)、欧(おう)陽(よう)弁(べん)と夜にこのことを語り合った。はなはだ怪異なことであるので、あまり書くに気にはなれなかったのだが、徐問真はまことに異人なのであろう。

［補足］（気血を汲引するとは、実際にどのようなことをするのだろうか）

■欧陽叔弼見訪誦陶淵明事嘆其絶識叔弼既去感慨不已而賦此詩

［解題］詩題は「欧(おう)陽(よう)棐(ひ)（字(あざな)は叔(しゅく)弼(ひつ)）が来て陶(とう)淵(えん)明(めい)のことを語った。その卓絶した見識に私はしきりに感嘆した。欧陽棐が去ってからも感慨がおさまらず、この詩を賦した」。

［訳文］

陶(とう)淵(えん)明(めい)が県令の職を求めたのは、

もともと食べるに困っていたからだ。

郡から役人が視察に来るから正装して出迎えるようにと、

陶淵明は言われると、

少しばかり腰を屈めたところで別段恥辱でも何でもないのに、

身を翻して『帰(き)去(きょ)来(らい)の辞』を賦して帰郷してしまった。

そのときに独り困窮するであろうことを念(おも)わなかったわけではないだろう。

五斗の米が大切であるからと、

口と腹を養うために腰を折るのをよしとはしなかったのだった。

唐(とう)代(だい)の元(げん)載(さい)は宰相となって莫大な禄をもらいながら、

それだけでは欲心を満たすことができなかった。

胡(こ)椒(しょう)などというものはいくら多くても一銖(しゅ)か一両もあれば十分であるのに、

元載はなんと八百斛(こく)も蓄えていた、

いったい何に使うつもりだったのか。

そればかりか、宝玉を使って鳥を撃つようなばかばかしい行為をしたために、

結局その身を殺すこととなった（元載は自尽を命じられた）。

過去の事例を悔やんでも仕方がない。

いままさに自分の姿を照らして見つめなければならないのだ。

［補足］（陶(とう)淵(えん)明(めい)について語り合えば、黄(こう)州の東の坡(おか)で『帰(き)去(きょ)来(らい)の辞』を改作した詞を歌いつつ畑を耕していたころ（第6章264ページ）から遠く離れたところに来てしまったと、蘇軾は苦い思いを抱かずにはいられなかったであろう）

■喜劉景文至

［解題］杭(こう)州で親しくした人物に劉(りゅう)季(き)孫(そん)（字(あざな)は景(けい)文(ぶん)）（第9章14ページ以下）がいた。蘇軾は劉季孫を朝廷に推薦し、その結果、劉季孫は隰(しつ)州知事に任命された。劉季孫が隰州に赴任する途中で穎州に立ち寄ったので、蘇軾は喜び、この詩を詠んだ。

［訳文］

明け方に、子供らがかわるがわる、私を呼んだ。

髯の劉(りゅう)君がもう町の南の隅にまで来ているというではないか。

短い手紙を見るなら、まことに髯の君の手だ。

身を起こし、手紙に眼を押し付け、本当かどうかを確かめる。

今の人は古(いにしえ)の人のような事はしなくなったのだが、

今の世にも古の男のような人物がいる。

私はその男が来ると聞いてもう舞い踊るばかり、

体の不調もなんのその、飛び起きたのである。

長(ちょう)江(こう)から淮(わい)河(が)のあたりは長らくの日照りで、

ひどい土埃が立っていた。

今朝は静かに雨が降り、

髪や髯を洗ってくれるような心地よさである。

貴君と会って手を握りあえば、もうそれだけで十分だ。

とはいえ、遥か千里の道を来たというのに、

一度笑い合うだけというのも間が抜けているだろう。

私がかねてから楽しむ場所といえば呉(ご)会(かい)の地（蘇(そ)州から越(えつ)州のあたり）、

老いて死ぬのも、葬られるところも杭(こう)州か蘇州でありたいと思っている。

ところが、長江を渡って私が北に来てもう二百日になり、

あちらの土地の娘さんたちは、私がここで冷落しているので、

寂しい思いをしていることだろう。

（杭州の）西(せい)湖(こ)に新たに作った堤も、銭(せん)塘(とう)の古い井戸も、

それぞれ恙(つつが)なくしているであろうか。

参(さん)寥(りょう)泉(せん)も六(ろく)一(いち)泉(せん)もきっと私のことを念(おも)っているだろう。

別れてから貴君が新たに作った詩は、

巧みにあちらの風光を写しているであろうから、

つまりは、貴君は袖の中に西湖を持ってきてくれているのだ。

［補足］（（1）蘇軾はよほど劉(りゅう)季(き)孫(そん)が気に入っていたのだろう、心の弾みが伝わってくる軽妙な詩である。（2）そしてよほど杭(こう)州のあたりが気に入っていたのだろう、そちらで死んで葬られたいとまで言っている。（3）末の句の「袖中有銭塘湖」（袖(しゅう)中(ちゅう)に銭(せん)塘(とう)湖(こ)有(あ)り）はすこぶる洒脱である）

■禱雨竜公既応劉景文有詩次韻

［解題］蘇軾が竜神に祈ったところ雨が降ったということを劉(りゅう)季(き)孫(そん)（字(あざな)は景(けい)文(ぶん)）に話すと、劉季孫が詩に詠んだのでそれに次韻した。

［補足］（詩中に詠まれている事柄は、先に見た「昭(しょう)霊(れい)侯(こう)廟(びょう)の碑」（本章96ページ）を参照）

［訳文］

張(ちょう)公(こう)はその晩年になって竜になったのか、

それとも、もとから竜だったのが人間世界に来たのか。

昔むかし、風と雲が会った瞬間に池の底に穴が開き、

張公は消え去ってしまった。

何事も誠実に努めれば実を結ぶであろうと、

張公の祠の前に一同の者が並び、

笛を吹いて舞を献上し、酒樽を並べて供えた。

張公は夫人の関(かん)洲(しゅう)妃(ひ)のもとにいたのだが、

遠く焦(しょう)氏(し)台(だい)にまで出向いてくれて、

瓶(かめ)を傾けて雨を降らせ、麦に積もった埃を洗い流してくれた。

張公は旱魃を鎮めた功績を自慢することもなく、

雲に乗ってたちまち消え去った。

ああ、私と竜神とは心の用い方は同じなのではなかろうか。

劉(りゅう)知事は胆烈をもって歴史に名高い太(たい)史(し)慈(じ)のように、

その英気は東の地に冠たるものがあるから、

竜があたかも自身の友人であるかのように詩に歌った。

あちらの世界に帰った竜神も、

劉知事ならばと、笑って許してくれていることだろう。

■劉景文家蔵楽天身心問答三首戯書一絶其後

［解題］詩題は「劉(りゅう)季(き)孫(そん)（字(あざな)は景(けい)文(ぶん)）は、白(はく)楽(らく)天(てん)の『身(しん)心(しん)問(もん)答(どう)三首』の詩稿を所蔵している。戯れにその後ろに一絶句を記す」。陶(とう)淵(えん)明(めい)に、形(けい)、影(えい)、神(しん)の三者が問答をするという詩があることは第9章146ページで見ているが、それに触発されて白(はく)居(きょ)易(い)（白楽天）は心と身が問答し合う詩を作ったのである。

［訳文］

陶(とう)淵(えん)明(めい)は形(けい)も神(しん)もつまりは我（主観的な存在）であると言い、

白(はく)楽(らく)天(てん)は身も心もつまりは物（客観的な存在）であると言ったのであろう。

月の光を受けるなら、身と心と影の三人がそこにあり、

はたまたいつかは幾千、幾万の仏になることやら。

［補足］（ベースにあるのが難解な哲学問答であるので、これはかなりの「ずっぽ訳」である。それでも、蘇軾の思考法を読み取ることはできるであろう。蘇軾は、二項対立的な議論には限界があると考えていて、この詩でも三から無限への飛躍を志向している）

■西湖戯作

［解題］穎(えい)州の西(せい)湖(こ)に船を浮かべて戯れに詠んだ詩。

［訳文］

昔からいうではないか、

佳(よ)き一人の士(し)人(じん)は千金をもってしても得がたいものだと。

私には、なんと陳(ちん)君、趙(ちょう)君、さらには二人の欧(おう)陽(よう)君がいる。

かの山(さん)簡(かん)は鞭を挙げて、

「私にはただ一人、この将軍がいる」

と、言ったのだが、

その言や、大いに笑うべしである。

［補足］（いつもの四君子人を讃えたというだけの詩。山(さん)簡(かん)は晋(しん)の時代の、蘇軾も尊敬する人物で、葛(かつ)強(きょう)という将軍に絶大な信頼を置いていた。その故事をわざとまぜっかえしたのである）

■送欧陽季黙赴闕

［解題］四君子（趙(ちょう)令(れい)畤(じ)、陳(ちん)師(し)道(どう)、欧(おう)陽(よう)棐(ひ)、欧(おう)陽(よう)弁(べん)）との楽しい日々も永続するものではなく、欧(おう)陽(よう)弁(べん)（字(あざな)は季(き)黙(もく)）が都に行くことになり、この送別の詩を作った。

［訳文］

晋(しん)の時代に王(おう)述(じゅつ)は息子の王(おう)坦(たん)之(し)を愛して、

いつまでも膝の上に乗せて可愛がったのだが、

欧(おう)陽(よう)先生の父としての愛はそれ以上であった。

王坦之は江(こう)東(とう)にただこの人ありと讃えられるまでになり、

貴君（欧(おう)陽(よう)棐(ひ)）はきっとそれに勝るのである。

父上の膝の上におられた貴君もいまや髯が白くなり、

貴君の姿に、私の眼はかの父上を見る。

穎(えい)州で貴君と遊ぶことわずかに三カ月、

私が来るのが遅すぎて、しかも貴君が去るのが早すぎるのだ。

霜を帯びた冬の風の激しさに、

木はすっかり葉を失い、

潁(えい)水(すい)の流れは澄んで浅くなり、

鷺は飛び立って行く。

酒を泉のように注ぐのを辞退しないでほしい、

もうすでに貴君の舟が新(しん)渡(と)寺(じ)から離れてしまうような心持ちになっているのだ。

見れば、兄上は別れを惜しんで手を執り、

劉(りゅう)季(き)孫(そん)君はいましもすばらしい詩を歌い出そうとしている。

貴君に酒蔵を管理するような仕事を与えるのは、

足弱の駄馬の後ろに天下の名馬を従わせるようなものであるのだが、

それは言うに足りないことだ。

さあ、行くがよい。

人の賢愚は遇不遇とは関係なのだ。

［補足］（新(しん)渡(と)寺(じ)は穎(えい)州の町の外にあって、よく送別の場になったところであるらしい）

■用前韻作雪詩留景文

［解題］別れが続く。上の詩に詠み込まれていた劉(りゅう)季(き)孫(そん)（字(あざな)は景(けい)文(ぶん)）も穎(えい)州を去ることになり、先の「聚(しゅう)星(せい)堂(どう)の雪」の詩（本章93ページ）の韻を用いて、劉季孫に留まるよう勧める詩を作った。

［訳文］

雪といえば……

杭(こう)州の万(ばん)松(しょう)嶺(れい)で、千の蝋(ろう)梅(ばい)の花が黄色になると、

貴君は毎年、雪を踏みつつ、酒を載せて見に行っていた。

貴君が去ってから後は来る人もなくなり、

花の心は断ち切られてしまっていることだろう。

雪といえば……

私は夜の書斎に座って雪の句を捜していた。

両手は亀の甲羅のようにひび割れ、

髯は凍って折れそうであった。

雪は無情の存在、

だから私を嘲弄する気はないだろうが、

簾を通って部屋に入り込んで燈を消してしまった。

雪はあれに似ているとかこれに似ているとか、

子供ように大騒ぎをして句をひねり出したところで、

大海原で鯨をびっくりさせるような詩ができるわけがない。

明け方になって、大空に天の川が流れるのを見たら、

私のちっぽけな詩などは実につまらない染物のようであった。

朝になると、二人の欧(おう)陽(よう)君、趙(ちょう)君、陳(ちん)君がもう外に来ていたので、

急いで中庭の雪の上に木屑を鋪(しい)たのだった。

雪といえば……

人との交わりは、雪に耐える柏(はく)ように堅固でありたいもの。

それでも聚散離合は、風に吹かれる花を見るようなもの。

晴れた光に当たれば雪は融け、

あたりは一尺の泥となり、

雪はどこへと帰って行くのか。

貴君は馬に鉄の蹄を付けて泥を踏んで行くようなことをしないで、

泥がすっかり乾いて道がよくなってから、

ゆるゆると出て行けばよいのではないのかい。

■和劉景文見贈

［解題］劉(りゅう)季(き)孫(そん)（字(あざな)は景(けい)文(ぶん)）は蘇軾が引き留めるのに応じて出発を遅らせたのかどうかわからないが、2人の応酬の詩はなお2首が伝わっていて、そのうち1首を訳す。

［訳文］

三国時代の陳(ちん)登(とう)は曹(そう)操(そう)も孫(そん)権(けん)も愚か者だと見下し、

天に聳え立つばかりの豪気は老いても衰えなかった。

貴君も陳登に負けるものではないが、

漢(かん)の時代の韓(かん)信(しん)が、

「わしも樊(はん)噲(かい)ごときと同列になってしまった」

と、苦笑したように、

しかるべき路を得ずにいる。

それでも、詩を作るなら、

かの黄金時代の建(けん)安(あん)の初めのころの詩の趣がある。

雪が廬を白く埋めるなかで、私が独り臥せっていたところ、

貴君が風塵に顔を黒くして来てくれた。

貴君をさらに留めようとするのは、

十日の間酒を飲み続けようというのではない、

世に失われた書物の話を聞かせてもらいたいのだ。

［補足］（人名が幾つか挙げられているが、説明がなくても全体の大意は十分に掴めるであろう）

■次前韻送劉景文

［解題］いよいよ別れの時がきて、先に見た劉(りゅう)季(き)孫(そん)（字(あざな)は景(けい)文(ぶん)）の訪問を喜ぶ詩（本章102ページ）に次韻して送別の詩を作った。次韻の名手である蘇軾の面目躍如で、再会の喜びと別れの悲しさを同じ韻字を用いて流麗に歌い上げた。

［訳文］

白い雲は天にあるもの――

呼べば来てくれるというものではない。

明るい月の光もまた同じ――

庭の片隅にいつまでも留まってくれるというものではない。

だから、不思議に思う――

貴君が西に向かって八百里の旅の途中でありながら、

何事もないかのように、ここで十日もの間、静かに座っていてくれたことを。

路傍で出会う人々は、

貴君が誰であるかを知らないままに、

千人の中にあっても凜(りん)凜(りん)として抜きん出る佇まいから察して、

もっぱら「尚(しょう)書(しょ)様」と呼ぶという。

貴君が本当は骨の髄まで詩と酒を愛し、

酔い潰れて美女に介抱されたいと思っているなどとは知らないのだ。

一篇の詩を賦すなら、

人に向かって己の内をそのまま写し出すので、

貴君の髯も髪も真っ白になったことは、

四海の内に自ずと知れわたっている。

私のところには、いま二人の欧(おう)陽(よう)君もいれば、趙(ちょう)君も陳(ちん)君もいて、

まさか貴君までもがわざわざ立ち寄ってくれるとは思ってもいなかった。

しかも、三回も左遷の憂き目にあった柳(りゅう)君までもが加わって、

何ももてなすもののない私と、

ただ心を熱くして語り合ってきたのである。

酒は薄いし肴はうまくないし、化粧映えのする美女もいないけれど、

潁(えい)水(すい)の清く美しい流れだけはある。

ひとたび風雨が寂しく吹き過ぎた後では、

月明かりのもとで吾が影とだけ向き合う私のことを、

果たして誰が思ってくれるのだろうか。

いつしか私は帰郷する船に乗って長(ちょう)江(こう)を遡り、

甘(かん)棠(とう)湖(こ)の水を汲んで春の酒に変え、

貴君と飲みかわしたいと思っている。

［補足］（（1）蘇軾自身の注で、「一頭の馬と、二人の従者を連れるだけの劉(りゅう)季(き)孫(そん)を旅館の人々は『尚(しょう)書(しょ)様』と呼んだ」とある。とりあえず「社長さん」と呼んでおけば客を喜ばすことができるのと同じようなことであろうが、劉季孫は実際に威風堂々としていたのだろう。（2）蘇軾自身の注で、「穎(えい)州には欧(おう)陽(よう)棐(ひ)、欧(おう)陽(よう)弁(べん)、趙(ちょう)令(れい)畤(じ)、陳(ちん)師(し)道(どう)がいて、さらに劉季孫も来た。そして数日もしないうちに柳(りゅう)戒(かい)之(し)も立ち寄ってくれた。賓客の盛んなこと近頃にないものであった。しかし、すぐに欧陽棐も劉季孫も柳戒之も去ってしまった」とある（先に送別の詩を見た欧陽弁は柳戒之が来る前に発ったのだろうか）。原詩では、柳戒之のことを「三(さん)黜(ちゅつ)の柳(りゅう)」（三回左遷された柳君）と表現しているのは、三度黜(しろぞ)けられた柳(りゅう)下(か)恵(けい)（陶(とう)淵(えん)明(めい)も敬慕した古代に賢人）の故事になぞらえたもの。柳戒之のことは詳しくはわからないが、不遇であったのだろう。（3）最後の部分は、劉季孫は第9章181ページで見たように引退後の住まいを九(きゅう)江(こう)に用意していたので、蘇軾も引退する際には、九江に程近い甘(かん)棠(とう)湖(こ)にともに船を浮かべようというのである）

■以屏山贈欧陽叔弼

［解題］欧(おう)陽(よう)弁(べん)（字(あざな)は季(き)黙(もく)）に続いて欧(おう)陽(よう)棐(ひ)（字(あざな)は叔(しゅく)弼(ひつ)）も都に行くことになり、蘇軾はこの詩を添えて屏(びょう)山(ざん)を贈った。屏山とは山の形をした石で、硯(けん)屏(びょう)として用いる。硯屏は硯の脇に置いて、墨に埃が入るのを防ぐとともに、見て楽しむものである。

［訳文］

貴君は天より清らかな骨を与えられ、

生まれながらに世俗と異なっている。

道(みち)を学んで新たに得るところがありながらも、

貧のためにいささかまた出仕することとなった。

世間の紅い塵の中に身を置きながらも、

いつも青い霞のもとに立つ志（脱俗の心）を保っている。

この屏(びょう)山(ざん)を貴君に贈るので、

官位の飾り物などは近づけないようにしてくれたまえ。

ふと目をやるなら、

千山が紫(し)翠(すい)の間にあるありさまが見え、

本当に睡(ねむ)るのではなくて、安らかな眠りの内へと入って行けて、

夢に鶴と化し、松の高く聳える寺へと飛んで行くことであろう。

［補足］（蘇軾は杭(こう)州を去るに当たって石を贈られている（第9章206ページ）。その石をここで贈ったというわけではないだろうけれど、蘇軾はしばしば石を贈答し合っている。また、第3章118ページで、欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)が所蔵する石(せき)屏(びょう)を詩に詠んでいた。その石屏も用途としては同じであったのだろうか）

■新渡寺席上次趙景貺陳履常韻送欧陽叔弼比来諸君唱和叔弼但袖手傍睨而已臨別忽出一篇頗有淵明風致坐皆驚嘆

［解題］詩題は「穎(えい)州の新(しん)渡(と)寺(じ)で、趙(ちょう)令(れい)畤(じ)、陳(ちん)師(し)道(どう)が欧(おう)陽(よう)棐(ひ)（字(あざな)は叔(しゅく)弼(ひつ)）を送る詩を詠んだ。欧陽棐はこれまで他の人々が詩を唱和してもいつも手を袖に入れて傍観しているだけであったが、別れに臨んで忽然と一篇の詩を出した。それは陶(とう)淵(えん)明(めい)の趣(おもむき)があるもので、一座の者が驚嘆した」。蘇軾がいくら勧めても欧陽兄弟が詩を詠まなかったことは前に見ている。

［訳文］

牛を捌(さば)く名人はもはや牛全体を見ることがなく、

真に美しい女性は顔半分を化粧するだけでもよい。

やたらに包丁を取り換えるのは腕の鈍い料理人、

むやみと人に笑みを売るのは悍(たけだけ)しく醜い女である。

ふだんは矢を数えることしかやらせてもらえなかった魏(ぎ)舒(じょ)は、

実は鼻の先に付いたごみを射落とす腕前の持ち主であった。

詩文に何の用があるかというと、

道を究める途中にある宿のようなものだ。

多くを言いすぎるとしばしば窮地に陥り、

微かな言葉が的中して困難を排することもある。

貴君の詩はまさに、明け方に翏(さや)翏(さや)と吹き出す清々しい風。

どうしてこれまで長く隠していたのか。

ただ綺(きらび)やかであるだけの語(ことば)を嫌ったからなのだろう。

だとすれば、

かの賭博の大先生が「一発当てれば百万銭だ」と絶叫したのと同じように、

私が大風呂敷の詩をがなりたてるのを、

貴君は隣りの家にいて聞いて、

さぞやこれまでの長い間、

癡(おろ)かさを笑いつつため息をついていのであろう。

いま太平の御代の朝廷は多士済々で、

ひとかどの人物は皆、立派な冠をかぶっている。

貴君もこれからは、遥か遠く隔たった天の川で遊ぶ人となり、

私はなおここ潁(えい)水(すい)で独り釣りをするだけの日々を送るのだ。

たとえ魚を得ても食べる気にはもうならないだろう。

昔話ではないけれど、

魚の腹中から手紙を得て初めて愁いをとくことができるであろう。

そこには清く円やかな句があって、

銅丸を弓で飛ばすように、我が心の急所を撃ち抜くのだ。

たとえ愁いが凍り付いてしまっていても、

たちまち笑いとともに春がきてそれは融けるであろう。

もし百篇の詩を私に寄せてくれるなら、

日々に吟唱すること三年にして真の儒者になれるであろう。

■酔翁亭記書後跋

［解題］欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)は穎(えい)州知事になる前、39歳ときに滁(じょ)州に流され、「酔(すい)翁(おう)亭(てい)の記」を書き（第6章343ページ）、石に刻んだ。それから50年近くが経って、石を刻み直したいとの地元の要望を受けて蘇軾が筆を執り、「酔翁亭の記」を書いた。その跋文。

［訳文］

欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)先生は慶(けい)暦(れき)八年三月己(み)未(み)に「酔(すい)翁(おう)亭(てい)の記」を亭(あずまや)のほとりの石に刻んだ。しかし、字画がはなはだ浅くて、遠く後の世に伝わらないことを恐れ、滁(じょ)州の人々は大きな字で刻み直したいと長らく思っていた。

元(げん)祐(ゆう)六年、私が穎(えい)州に来たときのこと、劉(りゅう)季(き)孫(そん)が高(こう)郵(ゆう)から滁州に立ち寄った。滁州知事の王(おう)詔(しょう)は、滁州の人々の思いをもって私に書いてもらえないだろうかと劉季孫に頼んだ。私は欧陽先生の門下生として辞退するわけにはいかず、これを記した。

十一月乙(おつ)未(み)

［補足］（劉(りゅう)季(き)孫(そん)が滁(じょ)州と穎(えい)州を繋ぐ伝令役となったのである）

■小飲西湖懐欧陽叔弼兄弟贈趙景貺陳履常

［解題］詩題は「西(せい)湖(こ)で少しばかり飲み、欧(おう)陽(よう)棐(ひ)、欧(おう)陽(よう)弁(べん)の兄弟を懐(おも)い、趙(ちょう)令(れい)畤(じ)（字(あざな)は景(けい)貺(きょう)）と陳(ちん)師(し)道(どう)（字は履(り)常(じょう)）に贈った」。欧陽兄弟が去ってから蘇軾は寂しい思いをしていたのだろう。

［訳文］

歳の暮れともなると、

眼に触れるものは自ずとせわしなくなる。

私一人だけが閑(ひま)にしていて、

ゆるゆると觴(さかずき)を傾け、

酔って日暮れの西(せい)湖(こ)を歩く。

北側の岸辺はどこまでも長く、

若い者やら老いた者やらがそこらに座っている。

私は意(こころ)に任せて川も岡も越えて行く。

しばらく前からすでに薺(なずな)や麦が青くなっていて、

近頃では嬉しいことに楡や柳の芽が黄ばんできている。

あたり一面で春の気が盎(おう)盎(おう)として動き出そうとしているのだ。

瀲(れん)瀲(れん)として立つさざ波とともに夜が訪れると、

水と天が一つになった中に鴎や鷺がじっと静まり、

月の光が露とともに下って松や檜がほのかな香りを立てる。

こうした景色を眺めるうちに夜は深まり、

人を懐(おも)う寂しさがじんわり募ってくる。

私とて相手をしてくれる者が一人もいないわけではないけれど、

しきりと欧(おう)陽(よう)兄弟のことが念(おも)われてならない。

私の意(こころ)はまさしく山の鹿、

欧陽兄弟の才はまさしく美しい宝玉である。

出会いは再びあるとは限らない、

その歓びは忘れてはならないものであるのだ。

［補足］（（1）久しぶりに自分のことを鹿であると歌っている。（2）終わりの句は「此会不可再、此歓不可忘」（此(こ)の会(かい) 再(ふたた)びはす可(べ)からず、此(こ)の歓(かん) 忘(わす)る可(べ)からず）とある。「此の会」「此の歓」とは、いま西湖でのことを歌っているかのようであるが、実は「四君子」が揃っていたときのことを指しているのだろう）

■蝋梅一首贈趙景貺

［解題］蝋(ろう)梅(ばい)の詩を詠んで趙(ちょう)令(れい)畤(じ)（字(あざな)は景(けい)貺(きょう)）に贈った。「陳(ちん)師(し)道(どう)に贈る」と記す本もある。なお蝋梅の名称は、蘇軾や黄(こう)庭(てい)堅(けん)が詩に詠んで定まったという。

［訳文］

天の工(たくみ)は酥(ヨーグルト)を点々と散らして梅の花を作った。

蝋(ろう)梅(ばい)なるものは、老いた禅僧の家に生じたのが初めである。

蜜蜂は、花から採取して黄色い蝋（蜂蜜）を作る、

その黄色い蝋を取って花にしたのがこれである。

天の工の縦横の変化は誰も知り尽くすことができない。

私ができるのは、せいぜい子供の遊びのようなちっぽけな詩を作ること。

見るがよい、

西(せい)湖(こ)の万(ばん)松(しょう)嶺(れい)の上に千の黄色が重なるありさまを。

蕊(しべ)も芯(しん)もまことに奇絶である。

私は酔いのなかで、

いつの間にやら千の山を超え、

闇に蝋梅の香りを聞き、

そこではっと酔いから醒めた。

夢から帰り、再び夢に花を尋ねなおすと、

花の仙から良い句を求められた。

このような風流は本物の詩人に属することであるから、

あとは貴君に任せたいと思う。

貴君が呉(ご)に行き、私が越(えつ)に行くようになったら、

笑って西湖を指さして、そっくりそれを貴君に引き継がせるであろう。

［補足］（（1）杭(こう)州の万(ばん)松(しょう)嶺(れい)に蝋(ろう)梅(ばい)が咲くことは本章108ページで見ている。（2）杭(こう)州の風光を愛でることを趙(ちょう)令(れい)畤(じ)に引き継がせようというのだから、よほど気に入っていたのだろう）

■送王竦朝散赴闕

［解題］王(おう)竦(しょう)（詩題にある「朝(ちょう)散(さん)」は名目上の官職の名）が上京するのを見送った詩。蘇軾自身の注によると、かつて伯父の蘇(そ)渙(かん)が衡(こう)州知事であったときに王竦のために送別の詩を詠んだことがあるという。

［訳文］

我が家の衡(こう)山(ざん)公(こう)（蘇(そ)渙(かん)）は清廉の士で、

人に知られるのを畏れた。

良いとか悪いとか口から出すことがなく、

黙ったまま、何事も先を見通していた。

両手に余る人々のなかから特に貴君を抜擢して、

名馬の姿を具えていると詩に詠んだ。

ところがどうしたことか、

それから三十年が経って、

なおも貴君は窮苦の詞を作っている。

立派な人は妄(みだ)りに語(ことば)を吐かないという。

私はいまだにできていないけれど、

これは疑いようのないことである。

ここ清らかな潁(えい)水(すい)のほとりで、

我が伯父のかつての詩を読むと、

涙がこぼれてならない。

貴君は私より一年上なだけであるのに、

十年も衰えたかのようではないか。

同じ時代を生き抜いて来た人はいま何人残っているのか。

髯が白くなったくらいのことは怨むべきではないだろう。

さあ、雪や霜のような純白の節義を永く保とうと、

松を指さして、誓おうではないか。

■閻立本職貢図

［解題］唐(とう)代(だい)の画の名手、閻立本(えんりつほん)（第2章2ページなど）が描いた「職(しょく)貢(こう)図(ず)」（唐の太(たい)宗(そう)のもとに諸国から貢納に来た人々を描いた図）を模写したものを見て、この詩を詠んだ。

［補足］（閻(えん)立(りつ)本(ほん)の作とされる「職(しょく)貢(こう)図(ず)」が、現在、台湾の故宮博物館にある。蘇軾が見たのはそれを模写したものであったのだろうか）

貞(じょう)観(がん)の頃の皇帝の徳は、

［訳文］

大海があらゆる河川を呑み込むかのように、

万邦から人々を来朝させた。

海も山も横切り、波も滝も超えて来た人々は、

その話すありさまを聞けば卑しく乱暴であり、

その服飾を見れば奇妙に多種多様であった。

珍奇な鳥獣やら怪異な物産やらを争って牽いてきて、

王と称する人でもざんばら髪で、幌もない車に乗っていた。

閻(えん)立(りつ)本(ほん)の遺墨の粉本（模写）を明るい窓辺で開き、

私はうなり声を上げ、立ったまま心の落ち着きを失ってしまった。

太宗に向かって、

天下を取るよりもが治める方が難しいと、魏(ぎ)徴(ちょう)が言ったとき、

それは青臭い書生の議論であると、封(ほう)徳(とく)彝(い)は言い放った。

まことに残念なのは、

封徳彝はいつでもいるが、魏徴はそうではないことだ。

［補足］（（1）唐(とう)の太(たい)宗(そう)の頃の隆盛を、蘇軾は必ずしも礼賛するものではなかったようだ。諸外国に対して軍事的に優位に立つには、それ相応の代償を払わなければならないというのを現実の政治において見ているからであろう。（2）魏(ぎ)徴(ちょう)は皇帝を強く諫めるのを、封(ほう)徳(とく)彝(い)は皇帝の意を迎えるのを常とした。両者がいるから太宗治政下の隆盛があったので、蘇軾が「心の落ち着きを失った」理由は明らかであろう）

■次韻王滁州見寄

［解題］滁(じょ)州知事の王(おう)詔(しょう)から詩が送られてきたのでそれに次韻した。王(おう)詔(しょう)に依頼されて欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)の「酔(すい)翁(おう)亭(てい)の記」を書いたことは本章117ページで見ている。

［訳文］

この人（王(おう)詔(しょう)）は何に似るのか。

春の雨だろうか。

農夫は春の雨の恵みに歌って舞い、

旅行く人は春の雨によって道がぬかるむのを怨む。

見るがよい、王(おう)禹(う)偁(しょう)と欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)を。

ともに思うように進むことのできない一生で、

がやがやと口うるさい批判に遭い続けた。

二人が滁(じょ)州に流されたときはまだ白髪もなく、

朝廷では飛ぶような速さで筆を執っていたのだった。

二人は滁州の人々に詩を吟詠することを教え、

今に至っても、肥えた馬に乗って遊ぶだけの者を嘲ける気風が伝わっている。

貴君は代々高位高官を輩出する家に生まれたのだが、

貴君だけは溪山に来て坐して嘯(うそぶ)いている。

浮ついた利などは、笑って、鶏の一本の小骨のように見なし、

清らかな名声こそが、熊の掌(てのひら)のような極上の御馳走と見ているのである。

立派な人物は自重し、やたらに己が売れたりしないのを貴ぶ。

まさにそのようであった王禹偁と欧陽脩は、

いまや山のように永遠の存在となっているではないか。

その後に滁州知事となった人（王詔）もさらなる風流人物で、

先人に倣って詩のために痩せようとしている。

私は宮廷にいることに倦(う)み、出ることをねんごろに求め、

六(ろく)一(いち)居(こ)士(じ)（欧陽脩）の遺(い)蹤(しょう)を到るところで尋ねている。

貴君を憑(たよ)りに瑯(ろう)邪(や)山(さん)（酔(すい)翁(おう)亭(てい)のある山）を訪ねたいと思う、

貴君であるなら、私の来遊に難色を示したりしないだろう。

［補足］（（1）王(おう)禹(う)偁(しょう)については5章268ページ、第6章75ページなどで見ている。（2）王(おう)詔(しょう)はこの文章にあるように名家の出身で、科挙によらずに官職に就き、批判を受けて滁(じょ)州に左遷されたようだ。滁州はなぜか左遷の地とされていた。後に、蘇軾とのこのとき交流が問題視されて、王詔は朝廷を追われる）

■趙景貺以詩求東斎榜銘昨日聞都下寄酒来戯和其韻求分一壺作潤筆也

［解題］詩題は、「趙(ちょう)令(れい)畤(じ)（字(あざな)は景(けい)貺(きょう)）が、家の東側にある書斎の銘を書いてほしいと、詩で依頼してきた。昨日、都から趙令畤のもとに酒が贈られてきたと聞いたので、潤筆料として酒一壺を分けてくれるのならと、戯れにもとの詩に和した」。

［訳文］

皇族の子孫の貴君は天から下った麒(き)麟(りん)であろうか。

眸子(ひとみ)は、奥深くに清らかな光を湛え、

財布はからっぽで、学殖はますます豊か、

家はおんぼろで、人としてはますます傑出する。

私は老いて書く字は奔放さを増し、

筆を降ろそうとすると、座中の人があわてて止める。

東の書斎の銘を書いてほしいのなら、

西(せい)湖(こ)の雪に向き合って一杯飲ましてもらってからだ。

そちらにはたくさんの酒があると聞いているのに、

少しもこちらによこさないものだから、

用意していた硯の水がからからに乾いて、

石がもう裂けてしまいそうだ。

言っておくが、

かの淳(じゅん)于(う)髡(こん)は十斗を飲んでようやく満足したというけれど、

私はそこまでの大酒飲みではない。

［補足］（（1）趙(ちょう)令(れい)畤(じ)は余程心を許せる相手であったのだろう、楽しい詩である。（2）詩の最初にある麒(き)麟(りん)は我々が動物園で見るキリンではなく、想像上の神聖な動物である。ここで趙令畤を麒麟に譬えていることが伏線となって、後に見る文章が書かれることになる）

■題張安道詩後

［解題］蘇軾のもとに訃報が届いた。12月2日、大恩人の張(ちょう)方(ほう)平(へい)（字(あざな)は安(あん)道(どう)）が南(なん)京(けい)応(おう)天(てん)府(ふ)で亡くなったのだった。それを悲しみ、張方平が11年前に詠んだ詩を記して、この短文を書いた。

［訳文］

　因嗟萍梗才名客、（ああ、浮草のような、この才能ある人よ）

　自嘆匏瓜老病身。（役立たずの、この老病の身を嘆くばかりだ）

　一榻従茲還倚壁、（壁によりそって椅子に座ったまま）

　不知重掃待何人。（いったい誰と話をしたらよいのか）

元(げん)豊(ぽう)三年、弟の蘇轍は筠(いん)州に流された。張(ちょう)方(ほう)平(へい)は蘇轍との別れに臨んで、この詩を口に唱えつつ涙を流した。張方平はかつて人の前で涙を流すことはなかった。

元(げん)祐(ゆう)六年十二月、張方平は南(なん)京(けい)応(おう)天(てん)府(ふ)で亡くなった。まさに亡くなろうとするときに、後の事を問うと、ただ息を吐きながら我が兄弟のことを言われた。

この月の十一日、哀しみを薦(せん)福(ふく)禅(ぜん)院(いん)に挙げ、この詩を書いて院中に留めた。

［補足］（（1）張(ちょう)方(ほう)平(へい)の詩は、蘇軾が黄(こう)州に、蘇轍が筠(いん)州に流された時期のもの。それより前に蘇軾が湖(こ)州で逮捕されてからは、蘇軾の家族は張方平のもとに預けられた。蘇軾の処分が決まると、蘇軾は息子とともに黄州に向かい、蘇轍は陳(ちん)州に行って兄に会い（第6章7ページ）、その後すぐに張方平のもとに戻って蘇軾の家族を連れて筠州に向かった。兄弟にとって最大の危難のときであった。（2）この短文と同じ時期に、蘇軾は祭文を書いて張方平の霊に捧げている。張方平の祭文は後に二度記している）

■張文定公墓誌銘

［解題］この翌年元(げん)祐(ゆう)7年8月9日、張(ちょう)方(ほう)平(へい)は宋(そう)城(じょう)県(けん)永(えい)安(あん)郷(きょう)仁(じん)孝(こう)里(り)に埋葬され、その子の張(ちょう)恕(じょ)の依頼に応じて蘇軾は墓誌銘を記した。

［補足］（蘇軾は当代随一の名文家であったが、依頼を受けて執筆した墓誌銘はそれほど多くない。いまに伝わる墓誌銘は13編で、大半が個人的な関係で書いたもので、政界で活躍した人物としては、張(ちょう)方(ほう)平(へい)、范(はん)鎮(ちん)（第9章38ページ）、滕(とう)甫(ほ)（第9章152ページ）の3篇があるだけで、それぞれ元(げん)祐(ゆう)7年、元祐4年、元祐7年の作で、同じころに集中している。墓誌銘に準ずるものとして神道碑があり、司(し)馬(ば)光(こう)（第8章64ページ）、趙(ちょう)抃(べん)（第7章80ページ）、富(ふ)弼(ひつ)（第8章109ページ）、趙(ちょう)概(がい)の4篇がある。なお、滕甫の墓誌銘と趙概の神道碑は張方平の依頼で代筆したものである）

［訳文］

仁(じん)宗(そう)皇帝は在位期間の四十二年間に、天下の豪傑を捜し集め、その数は多数にのぼった。それらの人々を股肱心膂(自分の身体のよう)に扱い、敬ってその言説を用い、太平の世を築いた。その上、重責を長く任せられる者は三世の子孫、百年の用に役立たせるために留め置き、朝廷はいまに至るもそうした人々を頼りとしている。孔(こう)子(し)は「天下は大きく、ただ堯(ぎょう)（古代の聖天子）だけが治めることができた」と言ったが、仁宗皇帝はまさに堯のような人であった。天下には必ず立派な士(し)がいるのであって、仁宗の世に特別に多かったのは、仁宗の偉大さの表れである。

漢(かん)の時代に賈(か)誼(ぎ)は、険悪な人が多く徳が衰えたことを嘆き、吉祥を知らせる鳳鳥が天から下ってくることがなく、泥の世に大きな船が浮かべられないことを知って、己が世に受け入れられない時代に生きていることを傷んだ。このことについて私はかつて、天下は大きな器であって、万人の力を合わせ持つような人でなければ、その器を支え挙げることはできないと論じた。仁宗皇帝の偉大さをもってしなければ、万人の豪傑を我がもとに容れることはできず、天下を治めることもできなかったのである。

仁宗皇帝は即位からわずか八年で、制(せい)科(か)（科挙以外の特別試験）で士を採用することを始め、一回目に富(ふ)弼(ひつ)を得て、二回目に公（張(ちょう)方(ほう)平(へい)）を得たのだった。

公の姓は張(ちょう)氏、諱(いみな)は方(ほう)平(へい)、字(あざな)は安(あん)道(どう)である。先祖は宋(そう)州の人で、後に揚(よう)州に移った。高祖は張(ちょう)克(かつ)、唐(とう)朝の末に亳(はく)州知事となった。曾祖父は張(ちょう)文(ぶん)熙(き)、亳州軍事推官になり、蘇(そ)氏を娶った。祖父は張(ちょう)嶠(きょう)、科挙に及第し、太(たい)宗(そう)皇帝の前に召されたことがあり、鄆(うん)州知事となり、劉(りゅう)氏を娶った。父は張(ちょう)堯(ぎょう)卿(けい)、生まれてから寡黙で、俗世を離れたいとの思いがあったが、父の命によって勉めて娶った。父が亡くなると、一室の内に居て、家人の顔を見ないこと十七年に及んだ。嵇(けい)氏を娶った。

公は十三歳で応(おう)天(てん)府(ふ)の学校に入り、群を抜いて穎(えい)悟(ご)であった。家が貧しかったために書物がなく、人から借りて『史(し)記(き)』『漢(かん)書(じょ)』『後(ご)漢(かん)書(じょ)』を読み、十日ほどで返し、「私はこれらを詳(つまびらか)にしました」と言った。公は、書物というものは、一度見たならば再び読むことはなかった。また、文章を書くときに草稿を作ることがなかった。宋(そう)綬(じゅ)、蔡(さい)斉(せい)はこれを見て、「天下の奇材である」と言った。范(ぼん)諷(ふう)等が特別な才能の持ち主であるとして特に朝廷に推薦した。

景(けい)祐(ゆう)元年に校書郎を授けられ、昆(こん)山(ざん)県の知事となった。このときに蘇(そ)州知事であった蔣(しょう)堂(どう)が公の著した『芻(すう)蕘(じょう)論』五十篇を朝廷に差し出して、「賢(けん)良(りょう)方(ほう)正(せい)能(のう)直(ちょく)言(げん)極(きょく)諫(かん)」に公を推薦し、（制科の試験を受けて）優等となり、著作佐郎に遷って、睦(ぼく)州の副知事となった。

……（以下、政界における事績が詳細に記される）……

公は、自身が老いてお上に報いることができないことを知って、政事についてますます切に論じた。特に兵事や裁判について反復して深く論じた。公は「老臣はまもなく死にます。地下において先帝にまみえたときに、御報告できるようにしなければならないのです」と言い、陛下は感動された。

公は老をもって退くことを再三願い、……元(げん)祐(ゆう)六年十二月二日に薨じた。享年八十五であった。……公は晩年は楽(らく)全(ぜん)居(こ)士(じ)と号し、『楽(らく)全(ぜん)集(しゅう)』四十巻、『玉(ぎょく)堂(どう)集(しゅう)』二十巻、『註(ちゅう)仁(じん)宗(そう)楽(がく)書(しょ)』一巻がある。神(しん)宗(そう)皇帝はかつて親しく「卿の文章は典雅にして、煥(かん)然(ぜん)として三代の風がある。これを規範として加えるべきものはなく、漢代の名文家も及ぶものではない」と記した。

交わるところの者に范(はん)仲(ちゅう)淹(えん)、呉(ご)育(いく)、宋(そう)祁(き)の三人がいて、皆が公を敬い、「動かざることを山の如しとは張方平である」と言った。

私軾の父と交遊があって、古今の治乱をおよび歴史上の人物について論じ合い、はからずして意見が一致した。軾と弟の轍はその門下から出たのである。

私軾はかつて公の文を次のように論じた。

三(さん)国(ごく)時代の孔(こう)融(ゆう)は志が大きく議論は高遠であった。当時の世において著しい功績が現れることはなかったのだが、それでも英偉豪傑の気は一時代の手本となり、孔融が盛(せい)憲(けん)や郗(ち)慮(りょ)の人物を論じた文章は激しく高ぶる大丈夫の風儀があった。

同じ時代の諸(しょ)葛(かつ)亮(りょう)は文章をもって名を顕(あらわ)したのではなかったが、万物の理に通じて事を成就させるありさまと、理論と実際を深く知り抜いた洞察力は自ずから言葉となって現れ出た。諸葛亮が書いた『出(すい)師(し)の表』は簡明でありながら意を尽くし、率直であっても放縦にはならず、実に偉大な言論文で、太古の『伊(い)訓(くん)』、『説(せつ)命(みょう)』に並ぶ名文で、秦(しん)や漢(かん)以降の君主の歓心を得ようとして仕えた者が全く及ぶところのものではなかった。

私が常々残念でならないとしているのは、孔融と諸葛亮の文章を完全な形で読めないことだ。

現代の楽(らく)全(ぜん)先生はほとんどこの二人に近いのではないだろうか。

嗚呼(ああ)、士(し)として天下の重みを自らのこととして任ずる者がいなくなってすでに久しい。議論が不得手なのではない。政事や文学について機敏に応じないわけでも、該博な知識を持っていないわけでもない。大きな事に臨んだときにも、根本を忘れず、己の日ごろの言説を失ってしまうことのない者が少ないのだ。つまりいまの士は器量が小さいのである。

楽全先生はまだ普通の庶民であったときから、我が身を成長させて国家の仕事を補おうとの望みがあった。若くして出仕し、老いて帰隠するに至るまで、言葉を使って時の流れに乗じたり、人に媚びたりすることは決してなく、君主に対するときにも、よく考えて後に発言した。評判は常に一定で、利害に左右されることがなく、まことに孔(こう)子(し)がいうところの「道(みち)をもって君に仕える大臣」である。孔子から時代が遠く離れ、道が曖昧となり、志のある士、あるいは仁を具えた人であっても、少しでも低い地位に置かれると、高く用いられることばかりを望んでしまうのだが、楽全先生だけは一人邁進する気概に溢れ、公明正大な言論を行ってきた。これもまたまことに孔子のいうところの「用いられるのなら道を行い、用いられないのなら世間から隠れて道を楽しむ」というものである。上に対しては、君主と合致することを求めはしなかったので、貴ばれつつも用いられず、用いられても十分に力を発揮できなかった。下に対しても、士(し)大(たい)夫(ふ)と合致することを求めなかったので、楽全先生のことを悦ぶ人は少なく、悦ばない人が多かった。しかし、究極的に天下の偉大な人を挙げるとなると、必ず楽全先生が第一であるとされているのだ。

世は軾の言はよく公を知るものであるとした。

公が諫官であったときに、劉(りゅう)夔(き)、王(おう)質(しつ)を自分の後任として推薦すると、二人はその日のうちに抜擢された。貝(ばい)州で兵士が反乱を起したときに、皇帝は公を出陣させようとしたが、公は自分の代わりに明(めい)鎬(こう)を推薦し、明鎬は即座に将軍となり、貝州は平定された。

熙(き)寧(ねい)年間に軾は陳(ちん)州で公に会った。その前に、宰相の曾(そう)公(こう)亮(りょう)は軾に「私は張公の知遇を受け、私がいまこの地位にあるのは張公の恩によるものです」と言っていた。そのことについて軾が公に問うと、公はしばし悵(ちょう)然(ぜん)として言った。「私は密かに曾公亮を推薦したのです。それは誰も知らないはずです。まさか仁宗皇帝がお話されたのであろうか」。

軾はこれらのことから、公は世間からは必ずしも理解されないことがあったけれども、皇帝はこれほどまでに信頼していたのだと知ったのである。

公は本性として道(みち)と合し、仏教と老子の妙所を得ていた。亡くなられた日も普段通りに凜(りん)然(ぜん)と過ごされ、北窓に星が隕(お)ち、薨じられた。赤い気が寝台から昇り、家の人々は驚いて見上げた。

元祐七年八月九日、宋(そう)城(じょう)県(けん)永(えい)安(あん)郷(きょう)仁(じん)孝(こう)里(り)に葬られた。その子の張(ちょう)恕(じょ)が王(おう)鞏(きょう)の手紙を通じて私に墓誌銘を求めた。

……（以下、銘文が続く）

［補足］（（1）幾人もの人名が挙げられているのは、いずれも当時の著名人である。（2）蘇軾の父の蘇(そ)洵(じゅん)は、都から遠く離れた眉(び)州に住む無名人であったが、それまでに書き溜めていたものを、成(せい)都(と)に来た張(ちょう)方(ほう)平(へい)に見せたことがきっかけで、都にもその名が知られるようになった（第1章61ページ）。張方平は蘇軾父子にとって大恩人なのである。（3）蘇軾が張方平の文章について論じたものは、全文を第8章180ページで見ている。蘇軾は常に張方平を激賞している。しかし、世間の評判は必ずしもそれほど高いものではなく、後世の評価も、張方平を敬ったとここに記されている范(はん)仲(ちゅう)淹(えん)、呉(ご)育(いく)、宋(そう)祁(き)の3人と比べてより高いとされることは残念ながらない）

■書孟徳伝後

［解題］弟の蘇轍が孟(もう)徳(とく)という人物の伝記を書き、その後ろに兄がこの文章を書き添えた。執筆の時期ははっきりとは知られていない。最も遅くてこの年、早ければ十数年前ではなかろうかと推測されている。わずかではあるが張(ちょう)方(ほう)平(へい)と関わるところがあるので、ここで読んでおきたい。

［補足］（蘇軾の文を見る前に、弟が書いた孟(もう)徳(とく)の伝記を読んでおこう。蘇轍が書いた人物伝は3篇あり、そのうち『丐(かい)者(しゃ)趙(ちょう)生(せい)伝(でん)』は第6章424ページで見ていて、さらにもう1篇を次の章で見ることになる）

［訳文］

蘇轍：『孟(もう)徳(とく)伝(でん)』

孟(もう)徳(とく)は神勇軍団の退役兵である。若いときから山林を好んでいた。しかし、兵士になったために、本来の志とは違ってしまった。

嘉(か)祐(ゆう)年間（仁(じん)宗(そう)皇帝の時代の終わりごろ）に秦(しん)州（西北の国境地帯）の守備に就いた。秦州には名山が多い。孟徳はここで妻を離縁し、子供を人に与えた上で、華(か)山(ざん)の麓へと逃げた。着ていた衣を、一本の刀および十枚の餅(へい)と交換し、それらを携えて山に入った。

そのとき、孟徳はこのように思った。

「自分は皇帝陛下の兵士でありながら逃げてここに来てしまった。擒(とら)えられれば死が待っている。食べるものがなくなれば死が待っている。虎や狼や毒蛇に触れても死ぬ。この三つのどの死に遭っても、自分は悔やまないぞ」

ひたすら山の奥深くへと行き、食べていた餅がなくなったので、草の根や木の実を取って食べた。一日に十回も吐いたり、下痢をしたり、腹が膨れ上がったり、あらゆる病気になり、十回愈(い)えたりするうちに、数カ月もするとどれも五穀のように安らかに食べられるようになった。こうして山に入って二年の間、飢えることはなかった。

また、猛獣にもたびたび遭ったのだが、死ぬことはなかった。

孟徳はこのように言った。

「およそ猛獣の類(たぐい)は人の気配を察知します。まだ百歩以上の距離があるときに、伏せて叫びます。その声は山や谷を震わせます。あっしは死んでも構わないと思っていたので、動揺したことは一度もありません。猛獣は遭うとすぐに躍り上がり、搏(う)とうとするかのように突進してきて、十数歩のところで止まり、坐わりこみます。それから逡巡し出し、耳を垂れて行ってしまいます。このようなことを試してみると、いつも全く同じになります」

後に孟徳は商(しょう)州に至ったが、そこが商州であることを知らなかった。孟徳は巡視の者に執(とら)えられ、これで自分は死ぬと思った。

商州知事の宋(そう)孝(こう)孫(そん)は孟徳に言った。

「そなたを見るに悪人とは思えない。むしろ道(みち)を得た者のようである」

孟徳は具(つぶさ)にこれまでのことを話した。そこで宋孝孫は、孟徳を自首した者として秦州に送監した。

そのとき秦州知事であったのは張(ちょう)方(ほう)平(へい)であった。張方平は孟徳を病人として扱い、兵籍から除いて一般の民にした。

かくして、いまに至るも孟徳はもろもろの山の中を行き来している。ほかに特に目立った才能はない。

孟�ｺは道を得た者というべきであろう。世間の君子といわれる人々はいずれも自負するところのものがあって、慕われたい、畏れられたいとの思いがある。慕われたい、畏れられたいとの思いが胸の中にこもごもあって、まだそれが行動には出ていなくても、顔にはその気配が現れている。人はそれを見て知ってしまう。そのために、弱い立場にある場合には侮られ、強い立場にある場合には笑われてしまう。結局、世の中で特にこれといったことのない者となってしまうのだ。

孟徳は自負するものがなく、浩(こう)然(ぜん)の気（存在の根源的エネルギー）が自然と体を超えて外へと発散されて行くので、自分ではそれが見えていなくても、物には見えるのである。これを推し進めて行くなら、天地に並ぶような存在にもなるのであって、猛獣など何ら言うに足りないのだ。

［補足］（実際に張(ちょう)方(ほう)平(へい)は嘉(か)祐(ゆう)年間の終わりに秦(しん)州知事であったことがある。孟(もう)徳(とく)は脱走兵であるから本来は重罪人として処罰しなければならないところを、特に寛大に扱ったのだろう。蘇轍は孟徳のことを張方平から聞いてこの文章を書いたのであろうから、孟徳の人物像は、張方平の眼を通して見たものといってもよいだろう。張方平は上の墓誌銘にあったように仏教や道教に造詣が深く、従って孟徳のような「異(い)人(じん)」が気に入ったのだろう）

［訳文］

弟（蘇轍）が孟(もう)徳(とく)のことを書いて送ってきた。私は読んで、これを異(めずらしい)と思った。

考えてみるに、虎は己を懼(こわが)らないものを畏(おそ)れるということは、信ずべき理(ことわり)なのではなかろうか。しかし、世の中に、虎を懼(こわが)らないものはいないので、この理(ことわり)が成り立つかどうか確かめようがない。

私はかつてこのようなことを聞いた。

（蜀(しょく)の）忠(ちゅう)州、万(まん)州、雲(うん)安(あん)県には虎がたくさんいる。ある婦人が昼間、二人の小児を砂の上に置き、川で衣を洗っていた。そこに、虎が山から駆け出て来た。婦人はあわてて水に潜って虎を避けた。二人の小児は砂の上で何事もなく遊んでいた。虎はしばらくじっと見ていたのだが、首を伸ばして子供らに触れた。たぶん懼(こわが)らせようとしたのだろう。子供らは知恵がないから一向に怪しまなかった。虎はついに立ち去ってしまった。

思うに、虎が人を食うときには、まず初めにその威力で圧倒するのであろう。しかし、懼(こわが)らない人には、威力をもってしても施すすべがないだろう。

あるいは、「虎は酔った人間は食べない。必ず坐って見守り、醒めるのを待つ」という者もいる。これは醒めるのを待つのではなく、懼(こわが)るのを待つのではなかろうか。

ある人が夜になって外から帰ってくると、門のところに蹲(うずくま)っているものがいた。豚か犬であろうと思って、杖でこれを撃った。すると、すぐにそれは逃げ去った。山の下の月の明るいところに行ったのを見ると、それは虎であった。これはその人が虎に勝っていたわけではなく、その人の気が虎を呑んでしまったのであろう。

人が子供のように、あるいは酔っ払いのように懼(こわが)ることがなく、またはそれと気づかないでいるときには、虎はそれを畏れるのである。これは怪しむに足りない話だ。

そこでこのことを弟の文章の後に書いて、弟の説を補強しておきたい。

［補足］（蘇轍と蘇軾は微妙に論点が異なる。いずれにしても、虎と遭遇したらどうすべきかのノウハウに興味があるのではなく、人としていかに振る舞うべきかという哲学を汲み出そうとしている）

■次韻趙景貺春思且懐呉越山水

［解題］趙(ちょう)令(れい)畤(じ)（字(あざな)は景(けい)貺(きょう)）が「春の思い」と題する詩を作ったので、それに次韻し、呉(ご)越(えつ)の山水への懐(おも)いも含めてこの詩を作った。

［訳文］

歳月の来ることは窮まりがない、

老いた我が眼は何を見ても静かなまま……

老いた我が身は繋がれた馬のよう……

ところが、春の風が吹くと、

意(こころ)はまだ動いていないのに、

もう走り出そうとしてしまう。

春の風によって（杭(こう)州の）西(せい)湖(こ)はたちまち氷が砕け、

鳥が舞い降り、魚が鏡の面を動かす。

我等は、町中の埋もれた水路を浚い、水門を開き、

泥にこびりついていた舟を起す。

官の仕事はいつ終わることもないのだが、

諸君等よ、できれば楽しんでやってもらいたい。

私がこのように呉(ご)越(えつ)を思うようになったのは偶然のこと、

しかしてそれは遠い昔から定まっていたのではなかろうか。

飄(ひょう)然(ぜん)と繋がれない舟となって、

この尽きることのない興に乗じて行こうではないか。

ここ（穎(えい)州）は酔(すい)翁(おう)（欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)）がかつて遊び楽しんだところ、

酔翁の愛でた草木全てに敬意を示すべきである。

明日の朝には、径(みち)に散り敷く黄葉を掃除して、

穎(えい)水(すい)の北の渚で遊ぼうではないか。

たとえ臍から溢れ出るまでに酒を飲んだとしても、

猥らに歌って騒がず、静かに遺徳を偲ぶとしよう。

［補足］（（1）蘇軾自身の注で、「酒は香(こう)泉(せん)（酒の名であろう）が一壺あるが、楽(らく)全(ぜん)先生（張(ちょう)方(ほう)平(へい)）の喪に服し、音楽を楽しむことはしない」とある。（2）終わりの部分は意味を成さないという評語もあり、いつもの「ずっぽ訳」である）

■趙徳麟字説

［解題］趙(ちょう)令(れい)畤(じ)はこのころに字(あざな)を景(けい)貺(きょう)から徳(とく)麟(りん)に改めた。それについて蘇軾がこの文章を記した。

［訳文］

宋(そう)が天下を治めて百余年、天子が天の工(たくみ)を分け与えて民衆を治める仕事には、天子とは疏遠で身分の低い者を用い、皇帝の親族を優遇することはなかった。そのために皇室の者は、たとえ賢人であっても、高い地位に就いて名が知られるようになることはなかった。

神(しん)宗(そう)皇帝はこのことを初めて残念に思い、皇室の英才とともに天下を治めたいと考え、官吏登用の方法を拡大した。そのことによって、育成され切磋琢磨する者が皇室においても多くなるのを期待したのだった。しかし、これを行うこと二十年、文武の器量のある者はまだわずかしか現れていない。

元(げん)祐(ゆう)六年、私が朝廷を出て汝(じょ)南(なん)（穎(えい)州）知事になると、越(えつ)王(おう)（趙(ちょう)従(じゅう)誨(かい)）の孫、華(か)原(げん)公(こう)（趙(ちょう)世(せい)開(かい)）の子の簽(せん)書(しょ)趙(ちょう)令(れい)畤(じ)君と交遊することとなった。その人となりは博学にして文章に秀で、真面目であって芯が強く、信念をもって道を行い、機敏に政(まつりごと)をこなすことを知っている。趙令畤君こそは真の良材であり、貴さを具えた器であって、必ずその名が天下に鳴り響くであろうと考えた。皇室の出であるというだけの人物ではないのである。

昔、漢(かん)の武(ぶ)帝(てい)が雍(よう)祠(し)五(ご)畤(じ)にお出ましになったときに、白(はく)麟(りん)が帝に献じられ、『白麟の歌』が作られた。司(し)馬(ば)遷(せん)、班(はん)固(こ)の史書には「一角獣を獲た」とあり、「蓋(けだ)し麟だと言う」とある。「蓋し」の言は疑わしいということであろう。獣にして一角であるとはもとより麟である。なのに二人は何を疑ったのか。武帝の時代に、瑞祥であるところの麟が出現するようなことがあるのかと疑ったのである。漢の時代にはかの汲(きゅう)黯(あん)がいたのだが、武帝は汲黯を用いることができなかった。それなのに白麟や赤(せき)雁(がん)の吉祥が武帝の世に現れたりするものなのか。二人は一角獣が麟かどうかを疑ったのではなく、そもそもおかしなことだと疑ったのである。

先帝（神宗皇帝）が皇室の賢者を用いる法を立て、いま主上が己を虚しくして天下から人を求めて漏らすまいとし、しかも瑞祥があっても敢えて喧伝しようとしないのなら、まことに麟を獲るべき状況となったということであろう。麟はもとより捕獲されることを望まない。不幸にして徳が形に出てしまうのが、麟の病で、それがために捕えられてしまうのだ。

いま趙令畤君の学問は妙所に至り、己に淡白であってその徳を守り、福貴などは浮き雲のように見ている。しかし、その文章、議論は趙令畤君の名を載せて天下に馳せ伝わろうとしている。これは麟の病である。逃れようとしても逃れられないのである。

敬って趙令畤君の字(あざな)を徳(とく)麟(りん)とし、それについての説をここに述べた。

［補足］（これを見ると、蘇軾が改名を勧めたのだろう）

■洞庭春色

［解題］「洞(どう)庭(てい)春(しゅん)色(しょく)」という名の酒を詠んだ詩。短い序文がある。

［訳文］

（皇族の）安(あん)定(てい)郡(ぐん)王(おう)（趙(ちょう)世(せい)準(じゅん)）が黄(こう)柑(かん)で酒を釀(かも)し、「洞(どう)庭(てい)春(しゅん)色(しょく)」と名付けた。色、香り、味の三つとも絶妙である。安定郡王はそれを甥の趙(ちょう)令(れい)畤(じ)に贈った。趙令畤がそれを私に飲ませてくれたので、この詩を作った。酔って筆に任せたもので、なかなかに沓拖(ふらふらずるずる)とした風気があろうか。

［補足］（趙(ちょう)令(れい)畤(じ)から書斎の銘を書いてほしいと依頼されたときに、都から贈られてきた酒を分けてくれるならと応じたのだが（本章125ページ）、その酒がこの「洞(どう)庭(てい)春(しゅん)色(しょく)」だったのだろう）

この前の年に、太(たい)湖(こ)で「洞(どう)庭(てい)の秋」という黄(こう)柑(かん)を食べた。

香る霧が手にさっと降りかかった。

今年はこの「洞(どう)庭(てい)の春」である。

玉(ぎょく)のような色は酒とは思えない。

賢王（安(あん)定(てい)郡(ぐん)王(おう)）は飲みながら「洞(どう)庭(てい)春(しゅん)色(しょく)」の文字をしたため、

酔うほどに筆は蛟(こう)蛇(だ)の走る勢いを増したのだった。

すでに酔って貴君（趙(ちょう)令(れい)畤(じ)）を思って醒め、

遠くその酒を送ってこられ、

ひいては私のもとにもやってきた。

瓶(かめ)を開けば香りが座上に浮び、

盞(さかずき)から盛り上がって、光が窓を照らす。

これほどの香りであるから、

かの仙人の羅(ら)公(こう)遠(えん)に嗅がせないように注意しないと、

台無しにされてしまうかもしれない。

「洞庭春色」の名前の通りであることを味わうべきで、

一升、一斗とたくさんほしがってよいようなものではない。

「釣(ちょう)詩(し)鉤(こう)」（詩を釣りあげる鉤）とか「掃(そう)愁(しゅう)帚(そう)」（愁いを掃きはらう帚(ぼうき)）とか、

世に名高い酒の名に匹敵するのだ。

貴君も知っているように、

葡萄酒というものはどうにもいただけない、

黄(こう)帝(てい)（伝説の帝王）の妃の嫫(ぼ)姆(ぼ)のように真っ黒である。

貴君の「灩(えん)海(かい)の杯」（海のように巨大な杯）で、

我が大言を吐く口に「洞庭春色」を注ぎ込んでくれたまえ。

［補足］（（1）詩の途中にある仙人の羅(ら)公(こう)遠(えん)については、蘇軾自身の注で、「唐(とう)の玄(げん)宗(そう)皇帝が蜜柑を食べようとすると、千個余りあるもののどれもが一房欠けていた。蜜柑を運んだ使者に問うと、途中である道士が蜜柑の臭いを嗅いだと言った。きっと羅公遠が悪戯をしたのだ」。（2）蘇軾は同じ時期に「洞(どう)庭(てい)春(しゅん)色(しょく)賦(ふ)」という作品も作っている）

■送路都曹

［解題］路(ろ)糺(きゅう)という官員を見送った詩。題にある「都(と)曹(そう)」は地方官の職名。序文がある。

［訳文］

乖(かい)崖(がい)公(こう)（張(ちょう)詠(えい)）が蜀(しょく)にいたときに、ある録(ろく)曹(そう)参(さん)軍(ぐん)の任にある者が老病によって事をし損なった。公はこの者を叱り、「いつまで引退せずにいるのか」と責めた。その翌日、録曹参軍は辞去することを求め、留別の詩を残した。その中にこの句があった。

　秋光都似宦情薄、（秋の光――それは官職に繋ぎ止める情(こころ)と同じく薄く）

　山色不如帰意濃。（山の色――それは帰ろうとする意(こころ)の濃さに及ばない）

乖崖公は驚き、録曹参軍に謝った。

「私の過ちである。同僚に詩を詠む者がいるのを知らずにいた」

よって、この者を留め、さらによい地位に就けるよう推薦した。

私は幼いとき、このことを父老が語るのを聞いた。残念なことにその姓名を問わなかった。

いま路(ろ)都(と)曹(そう)はちょっとした失敗を理由に致仕することを求めてきた。私はこの詩を誦して引き留めようとした。しかし、聞かなかった。

私は昔の人の意(こころ)を採って詩を作って見送った。合わせて、趙(ちょう)令(れい)畤(じ)と陳(ちん)師(し)道(どう)も一篇ずつ賦した。

［補足］（（1）本章43ページですでに見たように、張(ちょう)詠(えい)は宋の初期に蜀を統治する上で大きな功績があった人物。その逸事が、蘇軾の祖父の世代の人々の間の語り草になっていたのであろう。（2）この序文から、蘇軾が州のトップとして、自分を支えてくれる人々に細やかな心配りをしていたことが偲ばれるであろう）

積雪がまだ桃や李(すもも)を苦しめているときに、

春の心はどこから形をつくっていこうとするのだろうか。

淮(わい)河(が)の光が山の色をいよいよ春に変えようとしているときに、

なぜか真っ先に帰郷の意(こころ)を強くさせてしまう人がここにいる。

私もまた官遊に倦(う)む者、

君恩によってこの愚か者は繋ぎ留められている。

私は老いて退いた後の備えに、

節操の堅い人士（路(ろ)糺(きゅう)）を留め置こうと思うのだが、

役人はわずかの税の支払いを求めて、

鉛の臼で挽くような酷い目に遭わせようとしている。

貴君の心は――

露のようにはかないいまの身の上をもって、

いつかは大禄を得られることもあろうかと待つのは難しい、

成人してから百回も戦に出て、

郷里の人々は、きっと封賞が与えられると期待した。

いまに至っても、

白髪頭をかきつつ、夕べの烽が上がるのを見守る門番の身でいるとは、

誰も思いもしなかった。

貴君の意志はもう決まっていて、

私がいくら引き留めても聞いてくれるものではなく、

残念ながら、

かの乖(かい)崖(がけ)公(こう)が胸の滞りを一洗して、二人の気持ちが通じ合ったのとは、

同じようにはならない。

私の田は荊(けい)溪(けい)のほとり（常(じょう)州の宜(ぎ)興(こう)県）にあり、

祭りの供え物にも事欠くようなところであるが、

いま懐(おも)うのは、

そこへと通じる江(こう)南(なん)の路を貴君がたどって、

林の下でまた会うことである。

［補足］（詩の中で、路(ろ)糺(きゅう)について、�@税金の酷い取り立てを受けている、�A若いときに戦場で活躍した、�B現在しがない門番をしている、と詠んでいるが、それがそのまま事実であるとは限らないだろう。�@何かの失敗について厳しく追及されていて、�A若いときから苦労を続けてたきのだが、�Bいまもって低い地位にある、ということを詩として若干潤色して表現したのであろう）

■二鮮于君以詩文見寄作詩為謝

［解題］「二人の鮮(せん)于(う)君が詩文を寄せたので、その謝礼に作った」という詩。「二人の鮮于君」とは鮮(せん)于(う)侁(しん)（字(あざな)は子(し)駿(しゅん)）の子で、鮮于侁には4人の息子がいてそのうちどの2人であるかはわからないという。鮮于侁は朝廷の要職を務め、4年前に亡くなっている。鮮于侁の名は第6章120ページで見ていて、蘇軾はかつて手紙に「鮮于侁君はもとより私の畏友ですが、その御子息もなかなかの人」と記していた。

［訳文］

懐(おも)うに元(げん)祐(ゆう)の初めには、

宝玉のような方々が朝廷に大勢おられた。

このとき、南(なん)隆(りゅう)の老師（鮮(せん)于(う)侁(しん)）は使いを奉じたままでまた還っていなかった。

迂(う)叟(そう)（司(し)馬(ば)光(こう)）が私に向かって言われた。

「青(せい)州、斉(せい)州では困難な凶作の年が続いています。

　この人は天界の星でいえば�ｺ星に当たる人、

　この方角に派遣するのにぴったりの人物です」

かくて（鮮于侁は地方に置かれたまま）朝廷に召されるのが遅れたのだった。

天命というものはまことに底意地が悪い、

ある朝、老いたる名馬は倒れ、

皇帝の厩は寂しくもからっぽになってしまった。

今に至るも清い夜の夢に見て、

名残の涙に枕が濡れるのである。

ここに喜び聞くのは、

御子息が成人になれてからは、

孔(こう)子(し)の高弟の閔(びん)損(そん)、顔(がん)回(かい)を師として、

天の川のような遥かに高い議論をし、

玉(ぎょく)の環のような清らかな音の詩を詠むということ。

その詩から遙かに知ったのは、

三日間の雪によって、

そちらの�ｯ(すう)山(ざん)（鮮于侁の故郷の山）が美しく埋もれたこと。

誰もが思うのは、

この優れた桂の木々（鮮于侁の息子たち）が、

このまま雑草に覆われてしまうことはないようにと。

旧くゆかりのある者（蘇軾）はいま穎(えい)水(すい)の下流にあって、

そちらへ届けと、詩を流れに投じるものである。

［補足］（（1）蘇軾自身の注で、司(し)馬(ば)光(こう)が特に鮮(せん)于(う)侁(しん)を青(せい)州、斉(せい)州に派遣したことを記している。（2）鮮于侁は亡くなった後、故郷の穎(えい)昌(しょう)府に葬られ、息子たちはその地に留まっていたようだ。穎州から見て穎昌府は上流にあるので、流れに任せたのでは詩を投じても届かないのだが、水によって繋がっていると言いたかったのだろう）

■題欧陽公送張著作詩後

［解題］欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)が張(ちょう)著作との送別の際に詠んだ詩を蘇軾が書き、その後ろにこの短文を添えた。欧陽脩の詩の全体は伝わらず、張著作（著作は官名）の名はわかっていない。

［訳文］

詩の中に歳月は記されていないが、「厭京已弄春」（都ではすでに春を弄(もてあそ)んでいるのを厭(いと)う）という語があるので、これはきっと、（欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)が三十歳のとき）洛(らく)陽(よう)から都に還ってまだ久しくないころ、夷(い)陵(りょう)県に行く前のことである。

元(げん)祐(ゆう)六年、東(とう)坡(ば)居(こ)士(じ)は汝(じょ)南(なん)（穎(えい)州）の東閣でこの詩を観た。

［補足］（（1）蘇軾はすでに欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)の詩文集を編み（本章23ページ）、穎(えい)州にきてからもその遺稿を詳しく読んでいたのだろう。（2）蘇軾は24歳のときに、夷(い)陵(りょう)で欧陽脩にゆかりの建物を訪ねたことを第1章29ページで見ている）

■生日蒙劉景文以古画松鶴為寿且貺嘉篇次韻為謝

［解題］蘇軾の誕生日は12月19日。その日に合わせて劉(りゅう)季(き)孫(そん)（字(あざな)は景(けい)文(ぶん)）から松と鶴を描いた古い画が贈られてきた。詩が添えてあったので、それに次韻して謝礼とした。穎(えい)州を発った劉季孫（本章111ページ）はすでに任地に着いていたのだろう。

［訳文］

一室に籠っていたのでは、

千里の広さに遊ぶ趣はないであろうから、

松によって、心に積もった塵を洗い、

鶴からは、遠くゆく意(こころ)を起こすのがよかろう――

それで、貴君は松と鶴の画を贈ってくれたのか。

この世に生まれて長く生きていると、

死者の名簿から自分の名が除外されているのではないかと思いかねない。

書物に記された神仙の言葉を、

私は妙薬として大切にしている。

貴君のすばらしい心配りによって、

奥深い谷へと逸(のが)れる想いが誘われる。

松は、暑さ寒さに左右されることがなく、

鶴は、前に行くも後ろに行くも自由である。

松は、立派な建物を構えたいとか、

鶴は、宮殿に巣を掛けたいとか、

そのようなことは望まない。

貴君との別れの言葉を思い起こしては、

数日間寂しく過ごすということを繰り返している。

貴君の詩は味わい豊かな御馳走であり、

貴君の字は痩せて人を愕(おどろ)かせるものがある。

高く飄々とした姿が眼の前にちらついて、

あれは昨日の夢であったかと思われる。

貴君はいま腰を屈めて人に合わせなければならない立場にある。

しかし、志は凡庸な役人連中と同じではない。

こうしたことは会って語るまでもない。

我等は同じく、不朽のものに身を託そうとしているのである。

漢の時代の揚(よう)雄(ゆう)にしても汲(きゅう)黯(あん)にしても不遇の時期が長かった。

私はもはや王(おう)喬(きょう)や赤(せき)松(しょう)子(し)のような仙人の後を追うことしか考えないのだが、

貴君は、漢代の大将軍の衛(えい)青(せい)や霍(かく)去(きょ)病(へい)などさほどでもないとする人物である。

［補足］（終わりのところでは、漢の時代の人々の名を挙げて劉(りゅう)季(き)孫(そん)のことを励ましている。劉季孫の祖父は軍事において大きな功績のあった人なので、やはり軍職で大きな働きをすることを期待しているのである）

■乞賜度牒糴斛斗準備賑済淮浙流民状

［解題］蘇軾が杭(こう)州知事として最後まで深く憂慮していたのは、気象災害が食糧難を引き起こし、多数の流民が発生することであった（第9章128ページ）。残念ながら、災害は現実のものとなり（本章6ページ）、さらには長(ちょう)江(こう)と淮(わい)河(が)にはさまれた地域でも災厄が生じたことがここに記されている。

［訳文］

元(げん)祐(ゆう)六年十二月二十五日、竜(りゅう)図(と)閣(かく)学(がく)士(し)左(さ)朝(ちょう)奉(ほう)郎(ろう)知(ち)潁(えい)州蘇軾が書状をもって申し上げます。

臣(わたくし)が近頃、穎(えい)州の城市（町）から出ましたところ、赤ん坊を抱えた流民らしき者に出会いました。問うと皆が「寿(じゅ)州（穎州より南の淮(わい)河に臨む地）から来ました」と言います。それで、城門を守る者に尋ねると、このような者を時折見ると申します。淮(わい)西(せい)提(てい)刑(けい)司(し)が食糧を与えてはならないとの高札を立てたために、淮河を越えて北に来たとのことでありました。そこで南方から来た役人に問うと、今年の秋は廬(ろ)州、濠(ごう)州、寿州はどこも飢饉に陥り、いまや農民は楡の皮を煮たり、糠(こう)麩(ふ)（米や小麦の糠）に馬歯莧(すべりひゆ)を混ぜて煮たりしたものを食べているとのことであります。さらに寿州では盜賊が次第に勢いを増し、安(あん)豊(ほう)県木(もく)場(じょう)鎮では役人の家を打ち壊したり、霍(かく)丘(きゅう)県善(ぜん)郷(きょう)鎮では科挙の地方試験に合格した者の家を打ち壊したり、六(ろく)安(あん)県故(こ)鎮でも打ちこわしをしたりしております。賊徒は十余人から二三十人ともいい、騎馬が巧みな者もいて、武器を具えております。どこも被害は数千貫にもなり、全ての損害が役所に届けられるわけではなくて、まだ報告されていないものもありましょう。

一方で、潁州の境界あたりでも、尹(いん)遇(ぐう)、陳(ちん)興(きょう)子(し)、鄭(てい)饒(にょう)、李(り)松(しょう)等数人の悪い賊がいて、いずれも手慣れの悪者で、各所をさまよいつつ、勝手な名号を立て、互いに呼応して結集して役人と争っておりました。近頃、破って捕縛いたしましたが、深く恐れますのは淮(わい)南(なん)の群盜がおさまらずに潁州へと流入し、それだけならたとえ大きな害にはならなくとも、飢えた民衆がそれになびくことで、徒党を組む者が増え、かつての王(おう)沖(ちゅう)、管(かん)三(さん)のようなことになったらば、もはや捕獲するのが難しくなってしまいましょう。

臣(わたくし)は、淮河の南では秋から今に至るまで、雨雪が不足し、麦が熟すか熟さないか予断を許さない状況となっているということも聞いています。もし麦が熟さなかったときには、必ず大飢饉となりましょう。（長(ちょう)江(こう)の南の）浙(せつ)西(せい)、江(こう)東(とう)はすでに不作の地が多く、勢い流民が必ず北へとやってまいりましょう。潁州はその対処に苦しまねばなりません。流民が潁州にきて、もしもそれを救うことができなければ、道に屍が横たわり、盜賊が各所に起るのは必然の勢いであります。

よって、事に先んじて対応を乞うものであります。もしも何事もなくすむならば、臣(わたくし)は過大なことを申し上げた罪を避けるものではありません。隠して何も申し上げず、何の準備もないままに想定外のことに至る方が罪が大きいのであります。臣(わたくし)は日夜に対応を考え、少しもゆるがせにはいたしません。謹んで以下の数条を申し上げます。……（以下、具体策を述べる）……

臣(わたくし)が杭(こう)州にありました日に、自身で州県の役人を監督しましたが、皆が災害について言うのを憚っておりました。今年の蘇(そ)州、湖(こ)州の水害のごときは極めてひどい状況に至りましたが、朝廷の一員である賈(か)易(えき)等はそれでもなお本当かどうかを調べる必要があるとして人を派遣しました。また、蘇州を襲った水がまだ城門から引かないうちに、知事の黄(こう)履(り)はすでに秋蒔きの麦の収穫が期待できるような報告を中央にしました。実態を覆い隠すようなことが習慣として行われているのであります。

伏して聖慈によって臣(わたくし)の言を試しに採用されますことを望むものであります。

［補足］（（1）これで見ても明らかなように、被害の拡大を防ぐために迅速な救済策が必要であるとする蘇軾の姿勢は一貫している。（2）終わりに名が挙げられた賈(か)易(えき)は蘇軾の政敵であり（本章35ページ）、黄(こう)履(り)とは杭(こう)州から都に移動する際に若干の交流があったようだ（本章9ページ））

■次韻陳履常雪中

［解題］上に見た文書を朝廷に差し出したのは12月25日。その後、穎(えい)州は連日の大雪となり、蘇軾は流民をいかにして救うかに心を砕いた。四君子の一人、趙(ちょう)令(れい)畤(じ)に『侯(こう)鯖(せい)録(ろく)』という随筆があって、蘇軾に関する記事が多数収められていて、この年も終わろうとするある日のことが次のように記録されている。

［訳文］

趙(ちょう)令(れい)畤(じ)：『侯(こう)鯖(せい)録(ろく)』から

元(げん)祐(ゆう)六年、汝(じょ)陰(いん)（穎(えい)州）ではしばらく雪が続いた。ある日、夜が明ける前のこと、東(と)坡(うば)より手紙がきて、話し合いたいことがあるからと呼ばれた。行くと東坡はこのように言った。

「私はこの夜、眠れずに、潁州の飢えている人々についてずっと考えていました。官の蔵から百余石を放出し、餅(へい)（小麦を固めて焼いたもの）を作って救済しようかと思っています。妻が言うには『あなたさまが過日陳(ちん)州を通ったときに傅(ふ)欽(きん)之(し)様に会われましたが、傅欽之様は陳州の民を救済するのに趙(ちょう)令(れい)畤(じ)様の功績が大きかったとおっしゃっていたではありませんか。趙令畤様をお呼びになって民を賑わす方法をお尋ねなさればよいのではありませんでしょうか』と。それで貴君に来てもらったのです」

私は笑ってうなずき、

「私にはすでに考えていることがあります。いま民衆が困っているのは、食と火の二つです。義(ぎ)倉(そう)（非常食の備蓄庫）には数千石の穀物が積んであり、すぐに配って民衆を救うことができます。また、作(さく)院(いん)（官庁の備品庫）には数万束の炭が、酒(しゅ)務(む)（官営の酒造所）には数十万束の薪があり、これを原価のままで売れば民衆を救うことができます」

東坡は言った。

「私の思うことはこれでできる」

そして穀物と燃料を放出することを朝廷に奏上し、上(じょう)台(だい)寺(じ)で配った。

陳(ちん)履(り)常(じょう)教授はこれを聞いて詩を詠んだ。

　掠地衝風敵万人、（地をかすめて幾万もの人に風が吹きつけ）

　蔽天密雪幾微塵。（天をおおって雪が降りしきる）

　漫山塞壑疑無地、（山も谷も埋めて）

　投隙穿帷巧致身。（隙間を通り抜けて人も埋めてしまう）

　映積読書今已老、（雪の光に書物を読んだ人もいまは老い）

　閉門��臥不縁貧。（貧乏も気にせず門を閉ざして悠然としている）

　遙知更上湖辺寺、（遠く湖のあたりの寺では）

　一笑潜回万宝春。（もう春が帰ってきているようだ）

東坡がこれに次韻した。

可憐擾擾雪中人、（気の毒なのは、擾(がや)擾(がや)と雪の中で騒がしくする人たち）

饑飽終同寓一塵。（飢える身も、満腹する身も、一つの塵に寄せるようなもの）

老檜作花真強項、（老いた檜が雪を花のように付けているのはまことに強くて頼もしく）

凍鳶儲肉巧謀身。（凍える鳶が肉を蓄えているのはその身のための巧みな謀(はかりごと)である）

忍寒吟詠君堪笑、（笑ってしまうのは、寒さを忍びつつ貴君がわざわざ詩を詠んだこと）

得暖歓呼我未貧。（暖をとって歓んでいられるのだから、私はまだ貧乏ではない）

坐聴屐声知有路、（下駄の音が聞こえてきたのは、雪の中にも路があるのだろう）

擁裘来看玉梅春。（貴君が厚着をして梅の春を見に来たのだ）

私もまた次韻した。

　坎𡒄中年坐愛人、（民衆を愛する人は）

　老来貂鼎視埃塵。（老いて竈(かまど)に塵が積もっている）

　鉄霜帯面惟憂国、（顔を凍らせても国を憂い）

　機穽当前不為身。（自身のために計ることはない）

　発廪已康諸県命、（倉を開いて多数の命をつなぎ）

　蠲逋一洗幾年貧。（民衆の貧苦を洗い流す）

　帰来又掃寛民奏、（さらに民のためになることを奏上し）

　不愧毫端爾許春。（春の訪れにも恥じることのないようにする）

［補足］（最後の趙(ちょう)令(れい)畤(じ)の詩には切迫した事態に対処しようとする緊張感があるが、陳(ちん)履(り)常(じょう)と蘇軾の詩は、流民の救済を終えてゆったりと春を迎えたということを悠長に歌っているかのようで、やや首をかしげてしまう）