第5章　嵐の訪れ――密州、徐州、湖州

［第5章その四］

熙(き)寧(ねい)10（1077）年、蘇軾42歳。

■除夜大雪留濰州元日早晴遂行中途雪復作

［解題］安(あん)丘(きゅう)からさらに北に進んだ濰(い)州で大晦日を迎え、夜のうちはかなりの雪だったが朝には晴れたので、元日も留まらずに出発した。途中でまた雪となり、この詩を詠んだ。

［訳文］

大晦日は雪によって足止めされ、

元日は晴天によって送り出される。

昨夜飲んだ酒に、春になったばかりの風が吹いてきて、

痩せ馬の上で、ゆらりゆらりとまだ夢の残りの内にある。

暁の明かりがほんのり開いてきたかと思うと、

あたりの花の上で光がくるくると巡る。

まことに結構な気分で、馬から下って野で一杯やりたくなるが、

相手をしてくれる者は誰もいない。

にわかに暗い雲が合わさり、

鳥の羽根のような雪が、空からいっぱいに乱れて降ってくる。

私は白い鳳(おおとり)になって飛んで行くかのようだ。

ここに傾いた棟が連なっているのは、

都の東の地方は三年の間旱魃が続き、

逃亡した家がたくさんあるからだろう。

農家の老人は鋤をほうり捨てて嘆き、

涙は餓えた腸(はらわた)をさらに痛ませることだろう。

春の雪はいずれ終わるとしても、

春の麦をいまから植えてまだ間に合うのだろうか。

人々は労働の苦役を怨まずにはいられない。

せめてもの手助けになればと、

農事暦を詠んだ古い童謡でも歌ってみようか。

［補足］（春にはあれをして、夏にはこれをして、といろいろ挙げて、秋には米櫃がどっさりいっぱいになると歌いあげる童謡があった。現実にそうなればとの願いを篭めて、蘇軾は歌おうというのである）

■大雪青州道上有懐東武園亭寄交代孔周翰

［解題］濰(い)州から雪のなかを北へ北へと青(ぜい)州に向かいつつ、密(みつ)州の園亭を想い出し、新しい知事となった孔(こう)宗(そう)翰(かん)（字は周(しゅう)翰(かん)）にこの詩を寄せた。

［訳文］

超(ちょう)然(ぜん)台(だい)の上に雪が降るときには――

街並みも山も川もすばらしい限り、

海の風が波を砕いて、青いガラス片を空に飛ばすのも、

その向こうに、三つの神(しん)山(ざん)の白銀の宮殿があるのも、

超然台から見えようか。

蓋(こう)公(こう)堂(どう)の前に雪が積もるときには――

�高ﾌ窓と赤い戸が雪明りに映えて、

堂の中には一人の美女が雪と妍(けん)を争い、粲(さん)然(ぜん)と笑うと、玉のような真っ白な歯が輝く。

それよりも山(さん)堂(どう)の雪はもっとすばらしい――

青い松、怪しい石に白い糸が乱れ舞い、

ここに知事殿は遊んで帰らずにいて、

真夜中になってようやく憂い顔で馬に乗る。

君は知っているだろう――

唐の時代の李(り)愬(そ)が大雪の中、

独り蔡(さい)州城に入って賊の呉(ご)元(げん)済(さい)を縛り取ったのを。

君は知っているだろう――

唐の時代の孟(もう)浩(こう)然(ねん)が大雪の中、

独り驢馬に乗って長安に向かう道で詩を吟じたのを。

いつか貴君と雪のなか、戸を閉じて美酒をともにしたいものだ――

人の毀誉褒貶をほしいままにする連中がいなくなったときに。

［補足］（蘇軾は雪の中でいろいろな空想を楽しんでいる。超然台（本章81ページ）、蓋公堂（本章124ページ）、山堂はいずれも密州にあって蘇軾が改修したり造ったりした。後半では、李愬を孔宗翰に、孟浩然を蘇軾に譬えた。孟浩然は雪の中で「落雁は沙渚に迷う」と、長安に上ったものの皇帝に用いられずに終わったことを予感するような句を詠んだ）

■至済南李公択以詩相迎次其韻二首

［解題］蘇軾は黄(こう)河(が)沿いの、この地方では第一の都会である済(せい)南(なん)（斉(せい)州）を目指した。そこに着く前に、斉州知事の李(り)常(じょう)（字は公(こう)択(たく)）から詩がもたらされた。それに返したのがこの詩。

［補足］（李常は本章127ページなどで見ているが、これより少し前に斉州知事になっていた）

［訳文］

　　其の一

よれよれの裘(コート)に痩せた馬、

古(いにしえ)の大河のほとりに立つと、

野は広く天は低く、白い米粒を撒くようにして雪が落ちてくる。

笑ってしまうが、

私のこのありさまは、雪を噛み毛の敷物を食らった蘇(そ)武(ぶ)であろうか。

これから会うのは、官位を売って酒を買ったという李(り)白(はく)であろうか。

官(かん)遊(ゆう)は到るところに身を寄せるようなもの、

農事を自分の手で行うようになるのはいつのことか。

新しい詩を作って貴君の詩に和すので、

昔からよくいわれるように、

風雨のために暁の鷄が鳴かなかったなどと言い訳をしないで、

早起きをしてこれを読んでもらいたい。

［補足］（自分を漢代の英雄である蘇武に、李常を唐の大詩人である李白の譬えたのは、もちろん戯れである。「官遊」は官僚として各地を転々と移り行くこと。「身を寄せるようなもの（身如寄）」は蘇軾がしばしば用いた表現で、何に身を寄せるのかという対象が明示されていないだけに広く深い含意がある）

　　其の二

夜に霅(とう)水(すい)のほとりで笙歌を聞いたあの楽しさは、

頭を回らせばすべては塵。

あのとき貴公は湖州知事になったばかりで、

密州知事として赴任する私を見送ってくれた。

いま貴公は斉州知事になったばかりで、

私は河中府知事として赴任するのを見送られる。

私はいつもどこかに行く途中に、貴公を主人として逢うのである。

集まったり散ったりするのは、よく考えればすべてが夢だ。

名声と我が身とどちらが大切かという問いがある。

ようやくそのどちらでもないとわかってきた。

貴公と会って話すときは、夜に蝋燭を継ぎ足す心配はない、

蝙蝠が飛ぶ夕方から鶏が鳴く暁までたちまち時間が飛んでしまうのだから。

［補足］（霅水は本章58ページにあった呉(ご)興(こう)（湖州）の名所。道の途中で李常にこの詩を返して少し進むと、甥（蘇(そ)轍(てつ)の息子）の蘇(そ)遅(ち)と蘇(そ)适(てき)が出迎えにきた。弟は前年の10月まで斉州掌書記としてこの地にいたのだが、家族を残して都に帰還していた。蘇軾は済南に着くと、李常や弟の家族とともに1カ月余りをそこで過ごした）

［補足］（弟が都に帰還したのは、王(おう)安(あん)石(せき)が再び宰相から退いて政界を引退するという大きな変化があったからだ。王安石は一度は宰相に返り咲いた（本章71ページ）のだが、神宗(しんそう)皇帝も壮年に至ってなおも全てにおいて王安石に従うことに不満を抱くようになり、一方で、王安石が最も頼りにしていた長男の王(おう)雱(ほう)が33歳の若さで死んで気力を失ってしまったことを主な要因として、王安石はまた宰相を辞め、その後朝廷に戻ることはなかった。王安石が去った後、呉(ご)充(じゅう)、王(おう)珪(けい)の2人が宰相として改革を続行していくことになったが、馮(ふう)京(けい)（本章136ページ）が成都から朝廷に呼び戻されるなどの変化も見られた。蘇轍は王安石の去った後の都に行くと、これまでの改革の問題点を指摘する文章を朝廷に提出して政策の大転換を訴えた）

■祭柳子玉文

［解題］杭(こう)州時代に深い交流があった柳(りゅう)瑾(きん)（字は子(し)玉(ぎょく)）が亡くなり、蘇軾はこの祭文を書いた。原文は1句4文字の韻文で、言外に響く余韻に深い味わいがあるのだが、ここでは普通の散文として訳す。

［訳文］

ああ、柳(りゅう)先生は南国に秀で、はなはだ敏(スマート)かつ文(ダンディ)で、発する声は幼(ソフト)であった。武器庫のように縦横の知識を蓄え、文壇において光り輝き、とりわけ詩は鳥が囀るように天賦のものであった。唐代の詩人の元(げん)稹(しん)は軽薄、白(はく)居(きょ)易(い)は通俗、孟(もう)郊(こう)は寒々しく、賈(か)島(とう)は痩せているといった欠点があったけれど、先生がひとたび詩を吟じると、他の人のあまたの作品はどれもつまらないものに見えた。古くからの友人にしても、新たに付き合う公(こう)卿(けい)大臣にしても、先生のまわりに集まったのは、地位などは青空に浮かぶ雲か何かのように視る者ばかりだった。人は、先生は志を得ないままに白髮が長く肩にまで垂れるようになったと言う。先生は世俗から高く抜きん出て、頓着のない性格であったために、人の謗りを受けやすかった。思うところがあって、世間から離れ、山の猿を友としようと決め、官服を棄てて帰郷した。山の麓の土地を耕し、夜具には綿がなく、朝飯の釜には粥がないような暮らしを楽しみ、世間の欲しがるものには一切見向きもせず、俗な臭いは一切なかった。これはいわゆる、出世して得るものと失うものを差し引きしたらどうなのか、あるいは、病むところがあってこそ天寿を全うするといったことに当てはまるのであって、不幸ということではなく、誰かに咎められるようなことでもなく、先生にかねてから具わっていた生き方だったのである。

かつて私が杭州にいたとき、先生は喜んで私を迎えて下さり、半年の間を一緒に過ごし、毎日酒を飲み交わした。朝に南(なん)屏(へい)山(ざん)に遊び、日暮れに霊(れい)鷲(しゅう)寺に泊まり、雪の窓辺で腹を減らしながら清らかな詩を詠み合ったこともあれば、沙(さ)河(が)のほとりを夜に歩き、真昼ように白い月が照らす下で、先生の古めかしい服装が土地の婦人たちを驚かせ笑わせたこともあった。人と人との会合の難しさは、刺繍の糸のようで、ひとたびほどけてしまえば元には戻り難く、あるいは水をひっくり返したならば救いようがないようなものである。先生は老齢に至って名も徳も盛んであったが、厚く付き合う人は少なく、私は先生のもとに来るのが遅かった。

先生には立派な子がいて、先生の後をより大きくしてゆくであろう。特に伸び盛りの二人の孫がいる。それは私の甥に当たる。

先生がすでに永遠のもとに帰ってしまったことを思うと涙が落ち続けて止まらない。この詩を歌って先生に一樽の酒を捧げる。

［補足］（この文章の初めの方で、唐代の4人の詩人をかなりの辛口で批評している。「元(げん)軽(けい)白(はく)俗(ぞく)、郊(こう)寒(かん)島(とう)瘦(そう)」はわずか8文字でありながら的確な評としてよく知られる。柳瑾と半年の間一緒に過ごしたといっているのは、飢饉対策のために奔走した時期のこと（第4章154ページ）。柳瑾の孫の柳(りゅう)閎(こう)と柳(りゅう)闢(へき)は、蘇軾の伯父の蘇(そ)渙(かん)の娘の子であるから、蘇軾から見ると甥に相当するということは第4章164ページで見ている）

■僕曩於長安陳漢卿家見呉道子画仏砕爛可惜其後十余年復見之於鮮于子駿家則已裝背完好子駿以見遺作詩謝之

［解題］蘇軾は斉(せい)州を発って都に向かい、途中の鄆(うん)州で鮮(せん)于(う)侁(しん)（字は子(し)駿(しゅん)）（本章84ページでその名を挙げた）と会い、呉(ご)道(どう)子(し)（あるいは呉(ご)道(どう)玄(げん)）が描いた画を贈られ、この詩を詠んだ。詩題は「私は先に長安の陳(ちん)漢(かん)卿(けい)の家で呉道子が描いた仏画を見た。しかし、惜しいことに破れてぼろぼろになっていた。それから十余年後のいま、鮮于侁の家で同じものを見せられたところ、みごとに修復されていた。鮮于君はその画を私に贈ってくれたので、詩を作ってその謝礼とする」。

［補足］（呉道子は唐代一とされる絵師。その画を蘇軾は鳳翔時代に見て詩に詠んでいる（第2章29ページ）。長安の陳漢卿の家で見たのは、鳳翔の任期を終えて都に戻る途中のことだったと推測され、「酔(すい)道(どう)士(し)図(ず)」（第2章118ページ）を見たのと同じときであったのだろう）

［訳文］

世間の貴人は、

お金がたくさあって体も閑なので、

銭勘定を度外視して書画を争って買ったりする。

梁(りょう)の時代の殷(いん)鉄(てっ)石(せき)が模倣して書いたものを、

かの王(おう)羲(ぎ)之(し)の真筆だとしてつかまされたり、

呉(ご)道(どう)子(し)の画だとして出回っているものは、

ほとんどが唐の終わりの朱(しゅ)繇(よう)が描いたものであったり、

そんなことがよくあるのだ。

仏画というものは、

香の煙に燻(くすぶ)られ、雨漏りに損なわれることも多く、

それを立派な軸で外見ばかりを立派に装って売り買いするのは、

昔、白(はく)鹿(ろく)の皮で璧(たま)を包むのが流行ったようなもので、

璧の値はたかだか千数百銭なのに、白鹿の皮の値は四十万銭、

とちらが価値があるのかわかったものでない。

呉道子の仏画の技は神から授かったもの――

呉道子は夢の中で空を飛ぶ仙人となり、

覚めてから筆を下し、

心に何かを思うこともなく、

妙所に迫る神技は線の末端にまで及んだ。

私は昔この画を長安で見て、

至宝が無残な姿となっているのに涙をこぼした。

絹の糸が切れ切れとなり、一部の断片が蝶のようにひらひらと飛び去ってしまったありさまは、

見る忍び難いものがあった。

鮮于君はこの画をよく收拾して補綴したので、

消え失せてしまったところはあっても、

描かれた精神はついに全きを得た。

ここで思い出すのは、

ある人が杜(と)甫(ほ)の詩集を得て読み進めたとことろ、

「身軽一鳥」とだけあって、句末の一文字が欠けていた。

人々と、ああでもないこうでもないと思案したのだが、

後に善い本を得たところをそれは「過」の字であって、

誰一人として当てることができた者はいなかった。

つまり、俗眼をもって画の傷んだところを補おうとしたところで、

それはできもしないのだ。

貴君に尋ねると、まことによく画の意(こころ)を把握している。

世間の貴人が画を一見して、

これはよいとか何だとかいい加減なことを言うのは全く恥ずかしい。

財産をはたいて買ったところで意味がない。

ぼろきれとして使うのにも値しないものをつかまされ、

火を付けて煙にしてしまうのがよいのだ。

［補足］（末尾は調子に乗って、ややブラックなユーモアをきかせるところが蘇軾らしい）

■満江紅

［解題］蘇軾は鄆(うん)州から黄(こう)河(が)に沿って都に向かい、一方で蘇轍は兄を迎えるために都を出て、2人は澶(せん)州と濮(ぼく)州の間で行き会った。これはそのときの詞。

［補足］（兄弟が会ったのは、潁(えい)州に隠退していた欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)のもとを一緒に訪れて以来、ほぼ6年ぶりだった。この詞の前半は、6年前に、蘇軾が潁(えい)水(すい)の流れに乗って東に進み、弟が西に帰って行った場面を回顧している（第3章120ページ）。牀(ベッド)を並べて夜の雨音を耳にしながらしみじみ語り合う「夜(や)雨(う)対(たい)牀(しょう)」こそが兄弟の最も願うものだということは第2章21ページで見ている。詞の後半は黄河のほとりでの再会を歌っている）

［訳文］

清潁東流、（東に流れる清らかな潁水）

愁目断、（愁いの目はもう届かない）

孤帆明滅。（見えたり見えなかったりする一艘の船）

宦遊処、（官員として行く先は）

青山白浪、（青い山、白い浪が）

万重千畳。（万に重なり、千に畳まれるのです）

辜負当年林下意、（背くのは、あのときに林の下での意(こころ)）

対牀夜雨聴蕭瑟。（牀(ベッド)を並べて、夜の雨音を静かに聴こうと決めたこと）

恨此生、（恨むべきはこの人生）

長向別離中、（長く別離の中にあって）

添華髪。（増えるのは白い髪ばかりなのです）

一樽酒、（ここに一樽の酒）

黄河側。（黄河のそば）

無限事、（限りないことごとを）

従頭説。（初めから話しましょう）

相看恍如昨、（逢えばぼんやりとして昨日のよう）

許多年月。（でも長い歳月）

衣上旧痕余苦涙、（衣の上には涙の旧い痕が残っていても）

眉間喜気添黄。（顔に喜びの色が添えられます）

便当君、（さあ、まさにいま君と）

池上覓残春、（池のほとりで春の終わりをさがしましょう）

花如雪。（雪のごとき花に）

■洞仙歌

［解題］蘇軾と蘇轍は都へと進み、陳(ちん)橋(きょう)駅に着いたところで、蘇軾には改めて徐(じょ)州知事に任命するとの辞令が2月12日に朝廷から下ったと聞かされた。また、同じ日に南(なん)京(けい)応(おう)天(てん)府の知事に任命された張(ちょう)方(ほう)平(へい)が、自分の幕僚として蘇轍を南京に連れて行く意志であるということも聞かされた。これはよい報せではなかった。改革の大幅な見直しを求めた蘇轍の訴えは聞かれず、兄弟は都で活躍する場を得ることができなかったのである。

兄弟が都の門に到着すると、蘇軾はそこで足止めされ、中に入ることが許されなかった。都に入れなかった理由は明らかではないが、改革派が蘇軾を恐れたのだろう。当時、都にいた陳(ちん)襄(じょう)（かつて杭州知事として蘇軾と親しくした人）らが蘇軾を朝廷で用いるよう運動したが、それは叶わなかった。行き場に困った蘇軾は、やむをえず都の郊外にあった范(はん)鎮(ちん)の東園に居候することになった（范鎮は蘇軾の大先輩で、重職を歴任した人）。

東園に滞在するうちに、春は盛りを迎え、3月2日の寒(かん)食(しょく)に、蘇軾は王(おう)詵(しん)に誘われて都の北郊外にある四(し)照(しょう)亭(てい)のあたりで遊んだ。そのときに詠んだと推定されるのがこの詞。「柳を咏(よ)む」と注記があり、柳および柳を人格化した女性を、なよなよと情緒的に詠んだ。本来の詞らしい詞であるといえるだろう。

［補足］（王詵は、先代の皇帝である英(えい)宗(そう)の娘の婿（つまり神宗(しんそう)皇帝とは義理の兄弟という間柄になる）で、豊かな暮らしをし、書や画を好む風流人であった。蘇軾が杭州に行く前に都にいた頃から親しくし、杭州や密州にいた間も、折につけ珍しいものを都から届けてくれたりしていた（本章133ページで見た酒の贈り主は王詵）。王詵は、都に入れずに困っている蘇軾に酒食を贈るなど何かと支援した）

［訳文］

江南臘尽、（十二月の終わりの江(こう)南(なん)）

早梅花開後。（早くも梅の花が開いたその後）

分付新春与垂柳。（新たな春が分け与えられるのは垂れ下がる柳）

細腰肢、（なよなよとした腰つきも）

自有入格風流。（自ずから品格のある風流なありさま）

仍更是、（それはまさしく）

骨体清英雅秀。（芯から具わる清(せい)、英(えい)、雅(が)、秀(しゅう)なのです）

永豊坊那畔、（長(ちょう)安(あん)の永(えい)豊(ほう)坊とはどこ）

尽日無人、（そこには一日中誰もいなくて）

惟見金糸弄晴画。（ただ金の糸のような柳の枝が春の光のもとで揺れています）

断腸是、（気持ちが断たれるのは）

飛絮時、（柳の絮(わた)の飛ぶとき）

緑葉成陰、（緑の葉がつくる蔭）

無個事、（何事もないままに）

一成消痩。（ただ痩せてしまうのです）

又莫是、（だってないのですもの）

東風逐君来、（東の風に乗ってあなたが来ることなどは）

便吹散眉間、（眉の間に吹きくる春風によって）

一点春皺。（また一つ春の皺が寄るのです）

［補足］（詩の前半の終わりに置かれた「清英雅秀」の4文字を簡潔に適切な日本語に置き換えるのは簡単ではないので、漢字からイメージしていただくのがよいのだろう）

■送范景仁遊洛中

［解題］都に入れない蘇軾が身を寄せた范(はん)鎮(ちん)（字は景(けい)仁(じん)）は、蘇軾より29歳年長で、蜀(しょく)の成(せい)都(と)の人。同郷のよしみもあり、政治的立場も同じであるということから、親身になってくれたのだろう。その范鎮が（たぶん私用で）洛陽(らくよう)に行くのを見送った詩。

［補足］（范鎮は仁(じん)宗(そう)、英(えい)宗(そう)の時代に朝廷の要職にあり、神(しん)宗(そう)皇帝が王(おう)安(あん)石(せき)を抜擢して改革を始めようとしたときに強く反対した。熙(き)寧(ねい)3（1070）年、王安石は自分の好みで人事を左右していることなどを批判して王安石を怒らせ、范鎮は朝廷の職を解かれた。不適切な人事として范鎮が挙げた事例には、蘇軾を要職に推薦したのに用いられなかったこと、孔(こう)文(ぶん)仲(ちゅう)を推薦して制(せい)科の試験に受けさせたのに不合格になったこと（第4章57ページ）、母の喪にあることを隠していた李(り)定(てい)を用いたこと（第3章97ページ）などがあった。范鎮が辞職すると、（当時都にいた）蘇軾は「公(こう)は退かれても名誉はますます重んじられましょう」と賀意を范鎮に贈った。すると、范鎮は「天下が害を受けて自分が名誉を受けるなど、自分の本意ではない」と応じた）

［訳文］

小(しょう)人(じん)（つまらない連中）は、事の軽重がまるでわからない。

公(こう)は、地位を軽く見て、暇な地位に退くのも少しも難しいとはしない。

公は、広々とした天下の大道を歩み、心にひっかかることは何もない。

公の言論は深く、聴く者の肝を寒くさせる。

公は若い頃からずっと時事に憂いてきたので、髪が真っ白だ。

しかし、仙薬のお蔭であったりするのだろうか、

いまも元気にこの俗世に留まっている。

公は無心であるから、どこにいても安らかで、

誰と会っても、酒を飲むのを楽しみとしている。

公は六十三歳で職を退き、

ある日思い立って万里を旅し、郷里の蜀の各地を巡った。

老いて身はいよいよ健やかで、

そこらの山を登ったくらいでは十分に満足しなかった。

公がおられるところの道は、

いずれも雲の彼方へと飛び行く鳥の道につながっている。

このたび公が西の洛陽へと行くのは、

桜桃(ゆすらうめ)が咲き、筍が熟すころだと思うからだろう。

杖と履(くつ)を携えてあちらに着いたなら、園亭の客となってここかしこを見て歩くだろう。

斑(はん)竹(ちく)寺で花を手折り、石(せき)楼(ろう)灘(たん)で水遊びをし、

かつて売られてしまう馬を憐れんだ白(はく)楽(らく)天(てん)に同情してみたり、

雷に驚いてやたらと恐れた韓(かん)愈(ゆ)を笑ってみたりするであろう。

はたまた、嵩(すう)山(ざん)に登って苔むす洞穴を見たり、

天(てん)壇(だん)山(さん)に登って松が空を覆うのを見たりもするだろう。

そして試しに劉(りゅう)先生を誘って、

かの靖(せい)長官に会ってみてはいかがでしょうか。

［補足］（例によってたくさんの故事を踏まえた詩であるが、最後の劉先生と靖長官は何のことかわからないだろうと、蘇軾自身が注を書き添えている。「劉(りゅう)幾(いく)がこのように言った。『嵩山の奥深いところで、眼光が猫のような人に会ったのだが、あれはきっと靖長官だったのだろう』」。靖長官とは、唐の終わり頃の役人で、官職を捨ててついに仙人になった人で、その姿を宋代の役人である劉幾が見たのである。それで、范鎮も今回の旅で靖長官を探してみてはどうだろうかと戯れたのだ）

■書韓幹牧馬図

［解題］先に登場した王(おう)詵(しん)が、蘇軾のもとに韓(かん)幹(かん)が描いた「牧(ぼく)馬(ば)図(ず)」を見せにきて、何か添え書きをしてほしいと言うので、この詩を作った。

［補足］（韓幹は唐代の有名な画家で、馬を描くのを得意とした。画を曹(そう)覇(は)に習い、同じ時代を生きた杜(と)甫(ほ)は、曹覇の画について幾つかの詩を詠んでいる。その中で弟子の韓幹について次のように言及している）

［訳文］

弟子の韓幹は早くから曹覇について学び、

やはり馬を描くのが得意で特別なスタイルを窮めた。

しかし、韓幹は肉を描くばかりで骨を描かないので、

駿(しゅん)馬(め)も気が抜けたようになってしまい、残念である。

［補足］（馬は、一般的に肉がひきしまって骨格が顕われ出るのがよいとされていた。肉付きよく描いた韓幹の馬を、杜甫は感心しないと言っているのである）

［補足］（蘇軾のこの詩の冒頭で「開(かい)元(げん)、天(てん)宝(ぽう)」と言っているのは、玄(げん)宗(そう)皇帝の治世下の元号で、ちょうど韓幹や杜甫が活躍していた時代である。また途中に「騅(すい)、駓(ひ)云々」とあるのは、馬の様々な性質を表す語で、意味はわからずとも、語呂よく専門用語が並べられていると見るだけで十分であろう）

［訳文］

長(ちょう)安(あん)の南の山の麓、

汧(けん)水(すい)と渭(い)水(すい)の間、

想い見みるのは開(かい)元(げん)、天(てん)宝(ぽう)のころ――

牧場は八カ所に分かれて秦(しん)川(せん)のあたりにまで迫り、

四十万匹の馬が雲のように地を覆って広がっていた。

馬の種類はと見れば、

騅(すい)、駓(ひ)、駰(いん)、駱(らく)、驪(り)、騮(りゅう)、騵(げん)、白(はく)魚(ぎょ)、赤(せき)兔(と)、騂(せい)、皇(こう)鶾(かん)、

竜の顱(あたま)に鳳(おおとり)の頸(くび)、獰(おそろし)げなのもいれば妍(あでや)かなのもいる、

奇(めずら)しい姿や逸�ｺ(すばしっこ)さで、駑頑(せいかくのわるさ)を隱しているのもいる。

馬を世話するのは碧い眼の胡児(がいこくじん)、

季節がくると、手足の動きも鮮やかに毛並みを整え、

皇帝の御前へと馬を送り出す。

迎える皇帝は礼服を召し、

池のまわりに後宮の美女三千人を並べて待つ。

美女の紅い化粧が日に映え、その光が淵を流れる下る。

そこに馬が現れ出るやいなや、

一瞬にしてあたりは寒いくらいにぴんとひきしまり、

馬が往きつ戻りつ、歩んだり跳ねたりするたびに、

早瀬に波が生じて水しぶきが飛ぶばかり。

ここにあまたの画工は筆を執って描こうとするが、

ただ顔料を合わせるだけで手が出ない。

独り、曹(そう)霸(は)将軍の弟子の韓幹だけが描いて見せたのがまさにこの画。

厩舎で育った馬は、肉が多くて尻の骨が円く、肉の中の骨を描くのは難しい。

馬に、金色の羈(おもがい)、玉の飾りの勒(くつわ)、繍羅(ししゅう)のついた鞍を付け、

さらには、鞭箠(むち)を加え烙印を刻んだりするのは、

天より与えられた馬としての完全性を傷(やぶ)るもので、

この画に描かれた自然に近い馬の姿には及ばない。

いまかの牧場のあった平原は荒れ果て、草が生い茂っている。

この画中の馬は、そこを自在に駈け廻り、

鴻(おおとり)を驚かし、兔を跳び出させ、己とどちらが速いか争いたいと、

思っていることだろう。

あるいは古代の馬術の名人が行ったように、

万里を超えて、飛んで天にまで昇りたいと考えているだろうか。

いずれにしても、首をうなだれて車を曳くようなことは断じてしないのである。

■韓幹馬十四匹

［解題］事のついでに、韓(かん)幹(かん)の馬の画に関する詩と文章を合せて見ておく。一つ目は韓幹が14頭の馬を描いた画を見て詠んだ詩。

［補足］（古来馬を詩に詠み込むのは難しいとされた。若い頃の杜(と)甫(ほ)は、己の才能を世間に認めさせて官職を獲得しようと必死だったので、他の人が尻込みするようなテーマにも果敢に挑み、馬の詩も幾つか作って具眼の士をうならせた（当時も科挙はあったが、試験の成績よりも、事前にどれだけ有力者に気に入られるかということの方が決定的に重要だった。杜甫はたくさんの詩を作って各方面の有力者に献じ、それは涙ぐましいまでの努力をしたのだが、報われなかった。杜甫の詩才は保守的な実力者には理解されなかったのである）。杜甫の一連の馬の詩を超えることは誰にもできまいと思われていたのだが、蘇軾は韓幹の馬の画に触発されて、宋代の代表選手として馬の詩に挑もうと思い立ったのだろう）

［訳文］

先頭を二匹の馬が並んで走り、八つの蹄が一つに集まる。

次に二匹の馬が頸(くび)を曲げ、騣(たてがみ)と尾が平行に並び合う。

一匹の馬が前に進もうとして、後ろ脚を挙げる。

一匹の馬がその後ろに退いて嘶く。

髯(ひげ)の長い老いた異邦人の飼育係が馬にまたがり、後ろを顧りみて何かを言う。

その者は前世には馬であったので、馬の言葉に通じているのだろう。

飼育係の後方にいる八匹の馬は水を飲んだり歩いたりしていて、

水の流れが口に入るときの音が聞こえてくる。

八匹のなかで前にいるのは林から出た鶴のように水を渉り終え、

後方にいるのはこれから水を渉ろうとして佇む鶴のようである。

最後に残った一匹こそは馬の中の竜ともいえ、

嘶かないし、動かないし、尾が風の中で搖れるだけ。

韓幹が画く馬はまさに真の馬、

私は詩を作ること画を見るようでありたいと思う。

いまの世には良馬を見出す伯(はく)楽(らく)もいなければ、

この画を描く韓幹もいない。

この詩とこの画は、果たして誰が見るべきものであるのだろうか。

■韓幹画馬賛

［解題］次は4頭の馬が描かれた画に添えた賛。前の詩とよく似た構成になっている。

［訳文］

韓(かん)幹(かん)が描いた馬は四匹。

一匹は陸にあって、首を立て、鬣(たてがみ)を奮い、何か望むところがあるようで、脚を留めて長く嘶く。一匹は水を渉ろうとしていて、尻を高くし首を下げ、渡るによいところを選びつつ、いまはまだ進みかねている。残りの二匹は水にあって、前なるものは後ろを振り返り、鼻で何やら語ろうとしている。後ろなるのものはそれに応じるでなく、水を飲もうとして留っているようだ。

厩で飼われている馬かと見れば、前にまとわりつく手綱がなく、後ろに叩かれる鞭がない。野生の馬かと見れば、目がくりっとして耳がぴんと立ち、胸に豊かに肉が付き、尾が細く、どれも良馬としての基準に当たっている。

この静かなたたずまいは、賢者揃いの貴公子たちが帯を緩め、かぶりものをとって、悠然と水に臨んでいるのにも似ていようか。

馬も貴公子も想うのは――高く飛んで遠くに遊び、鹿を友として天寿を全うしたい。

しかし、そうしようとしても、それはなかなか得られることでない。せめて、あくせくすることなく、悠々と遊んで、ゆるゆる歳月を過ごすことならできるであろうか。

■送魯元翰少卿知衛州

［解題］范(はん)鎮(ちん)の東(とう)園(えん)に滞在する蘇軾のもとには、都からの訪問客が大勢きてなかなかに賑やかだったようだ。魯(ろ)有(ゆう)開(かい)（字は元(げん)翰(がん)）が衛(えい)州知事として赴任することになり、旅立つ前に蘇軾に会いにきた。魯有開とは杭州時代に交流があった（第4章145ページ）。

［補足］（魯有開は立派な髯(ひげ)を蓄えていたので、この送別の詩では、髯(ぜん)卿(けい)（髯(ひげ)の君(きみ)）と呼んでいる。また。魯有開はかつて副宰相まで務めた魯(ろ)宗(そう)道(どう)の甥であることから、「堂堂の元老の後」と詠まれている）

［訳文］

無用な人間は居場所がなくて、范(はん)公の園庭に身を寄せている。

そうこうするうちに、桃李(ゆすらうめ)が蔭を作り、薺(なずな)も麦も伸びて、繁るまでになった。

門を閉ざしていると、春の昼は永く、黄色い蜂がにぎやかに飛ぶだけ。

誰かが酒を携えてわざわざきてくれたりしたならば、

楡(にれ)や柳が群れ立つ村にでも行ってともに酔いたいものだと思っていたところ、

この髯卿(ひげのきみ)はどういう人なのか、

これで一カ月に三度も我が門を叩きにきてくれたではないか。

私から出向いて挨拶することがないのに、

髯卿はきてくださるのでその意(こころ)はいよいよ敦(あつ)いものがある。

髯卿は堂堂の元老の甥で、仁(じん)人(じん)の言を倦むことなく説き続ける。

憶えば、杭州にあった年は、髯卿と私の情好は兄弟にひとしかった。

時には氷雪の中であっても、笑って語れば春の温もりを覚え、

時には夜に急に飲もうということになって、

酒を求めて我が家のうちを探してみたものの、箪笥の隅にも酒の肴になるようなものはなく、

かたじけなくも、髯卿が自ら煙の中で火をおこしてくださった。

杭州で別れてから今までにどれほど経ったのか、

向き合っていると、あのころのことが夢のように覚える。

このたび、髯卿は北に行くと私に告げて、

新しい詩とすばらしい酒樽を贈ってくれた。

髯卿が行かれるのは太(たい)行(こう)山(ざん)が斜めに連なるところ、

黄(こう)河(が)の湧き立つ波を越えた先にある。

それでも、髯卿は官員として不遇というわけではない。

衛(えい)州は都の西北の垣根に当たる場所だ。

民衆はいわば魚のようであって、網を見れば驚いて逃げ惑う。

水は、千丈の深さまでくっきり見えるほどに澄んでいるよりは、

一寸先も見えないほどに濁っている方がましである。

刑罰を司るのは地方官の重要は職務ではあるけれど、

思うに、民の源を養うべきである。

どういうことかというと、昔のある知事は、

民衆がきちんとした下着を身に付けられるようになる政治をしたところ、

しばらくすると、人々は善政を讃える歌を唱えるようになった。

そのような政治をしていれば、盜賊についてあれこれ言うようなことは必要がなくなるのだ。

［補足］（蘇軾は密州での経験から、困窮のあまり追い詰められて盗賊となった者を厳しく取り締まる政治よりも、民衆の生活の基盤を確保する政治をすべきだと言っているのである）

■次韻子由送蔣夔赴代州学官

［解題］同じころに、蔣(しょう)夔(き)が代(だい)州にある学校の教授として赴任することになり、弟の蘇轍が作った送別の詩に蘇軾が次韻した。蔣夔は本章85ページに登場している。

［補足］（代州は北の辺境の地で、改革に批判的な蔣夔はそのようなところにしか居場所を見出せなかったのだろうか）

［訳文］

功利を求めて先を争うのは、法を変える端緒となる。

旧来の典型を守るのは、いまや世間の落ちこぼれとなった老成した人だけだ。

人は困窮に置かれて後に立派な詩が作れるようになる――

この説は十分には信じられないが、

凝った刺繍は市場に投じる金額の多寡による――

こちらの説はかねていわれている通りだ。

代州の若者は、志は大きく不器用であると聞く。

貴公を囲んで種々の議論を戦わせ、心に適う説を求めるであろう。

貴公が向こうから帰ってきたときには、

「あちらの雁は旨かったかい」

などとつまらないことを私は問わない。

世俗を憎んだかの王(おう)符(ふ)が著した『潜(せん)夫(ふ)論(ろん)』のような著作を、

貴公がものにしてきたのを見せていただくとしよう。

［補足］（この詩の前半は改革への批判となっている。刺繍云々は、より精緻な刺繍を求めるのならそれだけたくさんのお金を投じなければならないという昔からの言い回しを踏まえて、何でも国庫の増収に結び付けようとする改革を皮肉ったのである。最後の雁云々は少々の解説が必要である。後漢の時代に皇(こう)甫(ほ)規(き)という人（蘇軾に比する）がいて、ある職務を終えて郷里に帰った。同じ時期に官職を金で買って雁(がん)門(もん)（＝代州）の知事になって勤めを終えた人物（改革の時流に乗ってにわかに職を得た者を比する）も郷里に帰ってきて、皇甫規のもとを訪れた。皇甫規は寝たまま出迎えに出なかったが、その者はずかずかと入ってきたので、「あちらの雁は旨かったかい」とだけ言った（私服を肥やす以外に何もしなかっただろうという皮肉）。一方で、王符（蔣夔に比する）がくると、皇甫規は驚いて出迎え、歓を尽くして語りあった。王符は郷里に退いて世の中の是非を論じる『潜夫論』を書いたので、蘇軾はそのような著作を書くことを蔣夔に期待すると言って励ましたのである。これだけの内容が「帰来問雁吾何敢、疾世王符解著書」という14文字に篭められているので、詩を味読する人にはそれなりの読解力を必要とした。蘇軾は複雑な故事の用い方をすることを得意とし、注釈家がいくら頭をひねっても何が言いたいのかいまだに解明できていない詩句が幾つもある）

■京師哭任遵聖

［解題］この時期に、長男の蘇(そ)邁(まい)が結婚したようだ。宋代の士(し)大(たい)夫(ふ)は有力者同士で通婚し合う例が多かったが、蘇の家では同郷同士で結婚することが多く、蘇邁の妻も眉州の石(せき)氏から迎えた。

そうした慶事があった一方で、同郷の先輩である任(にん)孜(し)（字(あざな)は遵(じゅん)聖(せい)）が亡くなったとの報せが届いた。任孜は弟の任伋(にんきゅう)とともに科挙に合格し、郷里の偉人として「大(だい)任(にん)」「小(しょう)任(にん)」と呼ばれていた（第3章25ページ）。この詩では任孜のことを「老(ろう)任(にん)」と呼んでいる。

［訳文］

私は故郷に帰らずにいること十年、

子供達は日夜に成長しているが、

自分はやたらと年齢を重ね、しかも次第に衰え凋みつつある。

よしみのあった先輩方が亡くなったと聞くと、

いつも涙を流し、声を放って泣いてしまう。

まして老(ろう)任(にん)先生である……

先生はまれに優れた人で、

我が父も年長者として敬っていた。

文章ではいささか名誉を得て、

詩はきわめて清らかで堂々としている。

官員としての能力も高く、

談笑しつつ万人の上に立った。

問題の多い土地に行くのをむしろ喜び、

土地のならず者を赤子の腕をひねるようにしてやっつけ、

髭をぴくりと動かすだけで狡猾な小役人を震え上がらせ、

悪だくみをする将軍には歯を噛み砕かんばかりの勢いで対峙した。

しかし、哀しいことに不遇の運命であったのか、

才能があるが故にいつも謗られ、

ついに低い地位のまま、

遠い山の地、あるいは荒廃した土地に行かなければならなかった。

私は官界に入って久しく楽しまず、

川や山を隔てて先生を望み見ては、

いずれ退いて先生のもとで田畑を耕し、

季節ごとに酒食をもって労(いた)わりあいたいと思っていた。

この懐いはもはや遂げることはできず、

郷里に帰っても、見られるのはうずたかく土が盛られた墓だけなのである。

泣いて都から西を見れば、

落日の内に千の峰が含まれる。

先生にはただ一人の男児があって、

先生は掌中の珠のように大切にして、

七、八歳のころからすでに牛を食らうばかりの気迫を見せていた。

いつかその人が都にやってきたなら、先生のことを語り合いたいものだ。

そのときに、

人はただ息子の優れた器量に驚くであろうが、

私だけは、それは先生譲りであると知っているのだ。

■代張方平諌用兵書

［解題］4月、蘇軾は都には入れないままに、新たな任地である徐(じょ)州に向かった。

［補足］（蘇軾はかつて神(しん)宗(そう)皇帝から「近頃の政令の可否はいかがであろうか。朕の過失であっても指摘してよろしい」との言葉を直接に得ていた（第3章68ページ）。その後も神宗皇帝は蘇軾の文章をよく読んでいたようで、王(おう)安(あん)石(せき)が都を去って求心力が低下した改革派にとって、蘇軾の存在は脅威で、何としてでも皇帝に会わせたくなかったのだろう）

蘇軾の船路に、南(なん)京(けい)応(おう)天(てん)府の知事になったばかりの張(ちょう)方(ほう)平(へい)の幕僚として招かれていた蘇轍も同行し、2人は汴(べん)河(が)を下って南京応天府に入った。3人が顔を合わせれば、話題は自然と政治上の問題に及び、西方での軍事行動（本章55ページの詩参照）を止めなければならないと3人の考えが一致し、張方平が皇帝に意見書を提出することになった。それを蘇軾が代筆したのがこの文章である。

［訳文］

臣(わたくし)は兵(へい)（軍備ならびに実戦）を好むのは色(いろ)（性的放縦）を好むのに似ると聞きます。色はいろいろな面で生命を損ない、色をやたらと好む者はきっと死に至ります。兵はいろいろな面で民を賊(そこ)ない、兵をやたらと好む者はきっと亡びに至ります。これは必然の理であります。

古(いにしえ)の聖人は皆やむをえないところから兵を用い、勝つときには完全に安らかであるような福を享(う)け、勝たないときにも意外なところから患いが生じたりするようなことはありませんでした。後世の用兵は、皆しなくてもよいのにしないではいらなくなっての行為であったために、勝ったときにも、後から異変が生じて大きな禍いとなり、勝たないときには、すぐに異変が生じて小さな禍いとなりました。聖人は勝負によって得るものを算段してそれをあてにすることはなく、兵を用いた後の禍を深く戒めました。

これはどういうことかというと、十万の軍隊を動かすと一日に千金を費やすばかりでなく、国中が大騷動となります。軍需物質を輸送するための人々が道路を行き来し、農業に携われなく者が七十万家にもなります。国庫はたちまち空になり、民衆は窮乏して飢えや寒さに迫まられ、その後には必ず盜賊が出没する憂いが生じ、死傷する者、愁い怨む者が多数になり、ついには各地で水害、旱害が頻発するまでになります。すると将軍の中に兵士を擁して跋扈しようとの心を持つ者が現れ、あるいは民衆の中には長く苦役されたのを恨んで反乱を意図する者が現れます。このような異変が百出するのは皆兵を用いることから始まるのです。

このようになったときには、最初に事を興して用兵の議論を始めた者は、最も重い天罰を受けるべきであります。多数の平民が故なくして用兵のために死に、その怨みが天下に充積しているのですから、必ずその咎を受ける者がいなければなりません。だから聖人は兵を用いることには畏れを抱き、重大なこととして、やむをえないときでなければ敢えて兵は用いなかったのです。

古より人の上に立つ君主で、好んで干戈(かんか)を動かし、敗れて亡んだ者は数え切れないほどたくさんいます。臣(わたくし)はそれらについては敢えて申し上げません。陛下のために、勝った者についてのみここで申し上げたいと思います。

秦(しん)の始(し)皇(こう)帝(てい)は六カ国を平定して天下を一つにし、さらに外に対して兵を構えました。そのために徴兵されて辺境に連れて行かれる患いを天下の人々は被りました。新たな領土を広げたことでは古代からかつてないほどでありましたが、始皇帝が死んで間もなく、天下は怨みから秦に離反し、二世皇帝は殺され、三世の王となった子(こ)嬰(えい)も擒となり、その滅亡の悲惨さはやはり古代からいまだかつてないものでありました。

漢(かん)の武(ぶ)帝(てい)は文帝(ぶんてい)、景(けい)帝(てい)の時代の有り余る豊かな富を用いて、まず匈(きょう)奴(ど)に挑みました。戦争は連年続いて終わらなくなり、ついには様々な国へと戦争が拡大していきました。毎年毎年兵士も軍需物資もたくさん徴発し、兵の向かうところではどこでも成功を収めました。武帝が最初に兵を用いたとき、天には大空いっぱいの長さのほうき星が現れ、その春に皇太子が生まれました。それから戦争が続くこと三十余年、無数の死者が生じました。さらには皇太子が反乱を起こして、都におびただしい血が流れ、死者は数万人に及び、皇太子もその子も死んでしまいました。歴史家の班(はん)固(こ)は、皇太子は用兵の時代に成長し、用兵とともに終始した生涯であったと評しました。武帝は悔んで兵を用いる欲望に自ら克ちましたが、生涯の恨みはついに取り戻すことはできなかったのです。

隋(ずい)の文帝は南朝の陳(ちん)を下し、ついで外国との戦争を始めました。皇位を嗣いだ煬(よう)帝(だい)もその用兵の心は衰えることなく、強国を亡ぼし、その威は万里を震わせました。しかし、民は怨み、賊が起り、隋は瞬く間に亡んでしまいました。

唐の太(たい)宗(そう)は「神(しん)武(ぶ)」といわるほどに無敵で、用兵を最も好み、突(とっ)厥(けつ)、高(こう)昌(しょう)、吐(と)谷(よく)渾(こん)などを破り滅ぼし、それでも満足しないで、自ら兵を率いて遼(りょう)東(とう)に遠征しました。その志は功を立てることにあって、やむをえず兵を用いたのではありませんでした。その後に則(そく)天(てん)武(ぶ)后(こう)の難が起こって唐の皇室は衰え、わずかに一本の糸でつなぐようなありさまとなってしまいました。思うに、兵を用いることの禍は物の道理として逃れられないものなのでありましょう。太宗は仁(じん)聖(せい)�ｪ(かん)厚(こう)にして、己に克ち、人を裕(ゆた)かにして、ほとんど刑罰を用いないですむような治世を実現させました。しかし、その子に皇位を伝えた途端に、子孫は塗炭の苦しみに陥ったのは、太宗のなした善の報いとしてはありえないことであって、それはやはり兵を用たことの禍によるものなのであります。

以上のように観てきますと、漢や唐が兵を用いたのは寛大な仁政の後であって、勝利もし、用兵の禍はあってもかろうじて王朝は存続しました。秦や隋が兵を用いたのは暴虐の後で、勝ってもついには王朝は滅亡してしまいました。臣(わたくし)は史書を読んでこのようなところに至ると、国家の計の過ちを傷んで、涙を流さずにはいられません。もしも、始皇帝、武帝、煬帝、太宗の四人の君主に、兵を用いる最初のときに、兵を用いることの難しさをよくよくわからせることができたならば、禍は歴史に記録されるようなところにまでは至らなかったでありましょう。四人の君主は不幸にして兵を用いれば毎回勝ってしまったために、功利に馴れて、患を慮ることがほとんどなかったのです。

だから臣(わたくし)は、勝ったときにも、後から異変があって大きな禍いとなり、勝たないときには、すぐに異変があって小さな禍いとなると、最初に申し上げたのです。このことはよくよく考えなければなりません。

昔我が朝の仁(じん)宗(そう)皇帝は天下を覆い育み、兵に心を用いることはありませんでした。将士は怠惰になって安楽を偸(ぬす)み、武器は錆びて朽ちてしまいました。西(せい)夏(か)の元(げん)昊(こう)がその隙に乗じて、密かに軍隊を動かし、西のはずれの延(えん)州、��(けい)州、源(げん)州、麟(りん)州、府(ふ)州のあたりに攻め寄せました。宋は破れること数回に及び、一万以上の兵士が失われたこともありました。しかし、天下は落ち着いたままで、一時期の戦闘が終われば事はやみ、民衆に怨みの言葉はなく、国に患(わずら)いが残ることもありませんでした。それはどうしてかというと、天下の人々は皇帝には兵を好む心がないのを知っていて、天地鬼神もやむをえず兵を用いたという実情をよく知っていたからでありました。

いま陛下には天より賜った勇智があり、富強に意を置いています。即位以来、武器を整備し軍団を編成し、隣国の動きを探っています。群臣は陛下の意向を窺い見て、多くの者が兵を用いることを言うようになりました。そのようになってからは、国政を担う宰相には深く憂い遠くを思う心がなく、軍政を担う重臣には害を慮り難局に向き合い続ける見識がなく、官僚を監督する職にある者にはよい策を献じて忠を納める議論がなく、小さなところから大きなところへと、順に禍の階段を上るようになりました。

まず薛(せつ)向(しょう)が��(おう)山(ざん)における謀(はかりごと)をなし、韓(かん)絳(こう)は深く敵地に入る計画を立て、陳(ちん)升(しょ)之(し)や呂(りょ)公(こう)弼(ひつ)等は陰でこれと力を合わせましたが、軍団は敗れて喪(うしな)われ、国の財産は消耗してしまいました。このときの敗北は、先の仁宗皇帝時代にくらべたら十分の一にも及ばないものでありましたが、天は怒り人は怨み、辺境の兵士は離反し、都は騷然となり、陛下はこのために一カ月にわたって身を慎まなければなりませんでした。どうしてそのようになったのかというと、兵を用いる端緒を陛下自らが作ったからです。それで、官僚も民衆も、敵を怨むよりも陛下の過ちを思ったのでありました。我が朝の歴代皇帝の積み重なった徳の厚さと、天が天下を保とうとする恩の深さによって、王朝そのものは揺るがずにすみましたが、兵を出しても功がないと、陛下を感悟させるように仕向けて下さったのです。

ところが、浅はかな連中は、敗れたことを恥として、努めて勝を求めて、それで陛下の心に適おうとしました。それで、王(おう)韶(しょう)は禍を熙(き)河(が)に構え、章(しょう)惇(じゅん)は��(こう)山(ざん)に隙を見せ、熊(ゆう)本(ほん)は渝(ゆ)瀘(ろ)で難儀なことをしでかしました。これらは戦果があったように見せかけ、その実はすでに降参したものを殺害したり、老人や病弱な者を捕虜にしたりしたもので、中国本国を疲弊させて空しい無用の土地を取っただけでありました。陛下には勝利の虚名を受けさせ、実際の禍をゆるがせにし、ますます功名に奮い立たせようとするようなことになりました。。さらには、沈(ちん)起(き)、劉(りゅう)彜(い)が南方の地で軍事行動を起こし、十余万人が気候の悪い土地に行かされて、死者が半分にも及び、輸送路に当たる民衆は道に倒れ、食糧や軍事物資は敵を見る前に尽き果ててしまいました。これで兵を用いる意は少しは衰えるものと思われたのですが、李(り)憲(けん)が洮(とう)州から出兵し、軍団は勝利して、いまは鋭気ますます盛んなありさまとなっています。陛下が一つの勝利を喜ぶのなら、その背後には四方の外国を軽視し、敵国を侮る意があると申せましょう。そのときには、天の意はもはや測り難く、臣(わたくし)は実に畏れるものであります。

戦争の勝った後に陛下が御覧になるのは、凱旋した将軍が勝利を報告し、陛下がお褒めのお言葉を賜り、群臣が祝いを述べるという、実に耳目に目覚ましいありさまでありましょう。しかし、遠方の民が白刃のもとに頭や腹を切られ、あるいは餓えて骨と筋だけになり、あるいは財産を失って流浪し、子供を売り、あるいは失明し腕を折り、さらには絶望のあまり自殺するようなありさまは、決して陛下は御覧になることはないのです。慈父、孝子、孤臣、寡婦が泣き叫ぶ声は、決して陛下がお聞きになることはないのです。譬えれば、牛や羊を屠殺し、魚を切り刻んで、御馳走を作るようなものです。それを食べるならはなはだ美味でありましょうが、殺される牛や羊や魚には非常な苦しみがあります。陛下が、刃の下で牛や羊が泣き叫び、魚がまな板の上でもがくのをご覧になったならば、最高の料理であっても、きっと食べるのは忍びがたくて箸を置くでありましょう。まして、人の命を奪って、耳目に目覚ましいありさまをなすというのはどうなのでしょうか。

陛下の軍団が精強で、国庫が充実して、秦、漢、隋、唐の皇帝のようであっても、勝った後には、先に申し上げた通りに、禍乱がきっとおこり、救いがたくなってしまいましょう。まして、現在の将軍や官僚は軟弱かつ凡庸で、昔の人に比べて全てにおいて及びもつきません。ここ数年来、公私ともに困窮し、長年国庫に蓄積してきたものは地を掃って余りがなく、地方の租税の蓄えも、上納されてほとんど尽きてしまい、官僚の俸給をかろうじて払い続けるだけで、国家の重要な儀式を行った際に払われるべき賞与はずっとないままとなっています。このようなことでは、よほどの知恵者であっても、今後よい方向にもって行くことはできないのであります。

しかも飢饉があり疫病もあって、各地に盜賊が蜂起しているのは、京(けい)東(とう)路(ろ)、河(か)北(ほく)路(ろ)ばかりではありません。もしもさらに軍事行動がもう一回起こりましたならば、苛酷な徴発がすぐになされ、民衆にはその困窮を告げる先がなくて、勢い大盜賊とならずには、自らの命を全うできなくなってしまいます。外国との争いが深みにはまり、内患も同時に起ったならば、秦が滅亡したときの形勢がまさにいま現出するようになりましょう。これが臣(わたくし)が夜も眠らず、食事の間も嘆息がやまずに憂い、泣くことを止めることができないまでになっている理由であります。

臣(わたくし)はこのように聞いています。大きな事業を成し遂げるには必ず天の心に順(したが)わなければならないと。天の向うところに向かって事を挙げれば必ず成功し、天の向かうところに背を向けて事を挙げれば必ず失敗します。天の心がどこに向かっているのかは、災害、祥瑞、豊作、凶作の間に現れます。近年は、日食、星変、地震、山崩れ、水害、旱害、癘(れい)疫(えき)が連年続いて終わりがなく、民衆の半分が死にさらされています。天の心の向うところはここに現れているのです。しかし、陛下は断然として顧ることなく、事を興してやめようとしません。譬えるなら、父母の前で子が過ちをしているようなもので、子が静かに反省して恭順に自分の失敗を認めて自分を責めるのなら、きっと父母は許すでありましょう。もしも子が召使たちを叱責して、ほしいままに鞭で打ち、それで父母に仕えようとしたならば、父母は決して赦してはくれないでしょう。

臣(わたくし)はこのように願います。遠く先の世の興亡の跡を見て、深く天の心の向うところの道理を察して、兵を用いる意を絶って、国境を保って隣国と仲睦まじくして、静かにして何か事を構えることなく、国家の長久の計画を固くしていただきたいのです。そして、太皇太后、皇太后のお二人に朝夕に仕え、天下の億兆の命を済(すく)っていただきたいのです。そうすれば、臣(わたくし)は溝に倒れて死んでも満足であります。

昔、前漢の高(こう)祖(そ)は群雄を破ってついに天下を一つにし、後漢の光(こう)武(ぶ)帝(てい)は百戦百勝して漢を再興しました。しかし、高祖は白(はく)登(とう)城で外敵に囲まれると和親の方針を定め、光武帝は西域諸国から漢の配下に置いてもらいたいとの申し出があるとそれを謝絶しました。この二帝は兵を用いることを知らなかったのではありません。多くの戦乱を潜り抜けて、深く遠く患いを慮ったのであります。いま陛下は深く宮中におられるままで、軽々しく討伐を議論されていす。臣(わたくし)は凡庸で臆病でありますが、ひそかにそれは過ちであると思っています。

臣下の者が主君に意見を申すときに、主君がすでに厭わしく思っているときにそれを止めるのは、力を使わなくても簡単にできます。しかし、主君が鋭意行っていこうとしているときに、それを折るのは非常に成功しにくいことです。およそ血気さかんな者は皆勝つのを好む意があります。その意気盛んなときには、そこらのつまらない人間であっても、それをやめさせることはなかなかできません。智識が特別にあって、度量が人に過ぎたる者でなければ、勇み奮い立っている最中に、自分の考えを捨てて、人の意見に従って、正しい義を聴こうとする者はありません。今陛下は武を用いる意欲が盛んで、その勢いをほかに振り向けることはできません。そのようなことを臣(わたくし)は知らないわけではありません。しかし、意見を献じてやまないのは、陛下がまことに聖�ｺ�ｪ大で、よい考えを聴いて納められるのをこれまでに見ているからであります。衆人が普通に勝ちを好む心を陛下には望まないのであります。

さらに臣(わたくし)はこのように思います。陛下が将来自ら兵を用いたことの害を御覧になったときには、必ず哀痛悔恨されて、左右の大臣が一言も言わなかったのをなぜかと追求されるでありましょう。だから敢えてここに申し上げるのです。

臣(わたくし)は老いて間もなく死ぬ身であります。地下で先帝にお会いしたときに、ここで何も申し上げておかないでいたのなら、合わせる顔がありません。そのような臣(わたくし)の思いを察してどうか哀れみください。

■宿州次韻劉��

［解題］張(ちょう)方(ほう)平(へい)はすこぶる蘇軾兄弟に厚く、蘇軾が南(なん)京(けい)応(おう)天(てん)府から徐(じょ)州に向かおうとすると、蘇轍も一緒に行くのを許してくれた。

途中の宿(しゅく)州で知事の劉(りゅう)��(けい)（字は巨(きょ)済(さい)）に会い、その詩に次韻した。この詩には「劉��の亡くなった兄の劉(りゅう)汴(べん)も文章に優れていた」と添え書きがあり、その兄の死は不本意なものであったようで、劉��は世の中に対して不満を抱いていた。

［訳文］

私はいま引退して休みたいとの思いがあって、

楽器を奏でるような気分になることももはや稀で、

春に新しい衣服を新調して気の合う仲間とそぞろ歩きを楽しめるようになるのは、

果たしていつのことだろうか。

あれこれ愁いがあるために、いわゆる「白髮三千丈」で、

用のない身であるために、皮ばかりがだぶだぶにたるんでしまっている。

若い頃から、富貴は危機を踏まねば得れらないいやなものであると知っていたが、

いまでは、文章は実につまらない小さな技であると覚っている。

昔、陸(りく)機(き)は刑に臨んで、かつて親しんだ鶴の声を想って嘆息した。

鶴はいまも大空を飛んでいようが、君の兄はもはやいない。

そのために私はこの詩を吟じつつ涙する。

［補足］（陸機の故事のココロは、死に際して、自分にとって本当に大切なことが何であるのかをやっと気付いたのでは遅いということ。劉��

は不満を軽々しく口にする傾向があったので（本章260ページ）、もう少し深く物事を考えてはどうだろうかと、この詩はかなり遠まわしに言っているのだろう）

■和孔密州五絶

［解題］4月21日、蘇軾は徐(じょ)州に到着した。徐州は京(けい)東(とう)東(とう)路に属し、彭(ほう)城(じょう)、沛(はい)、蕭(しょう)、縢(とう)、豊(ほう)の5県が属し、州の役場は彭城県にあった。

蘇軾と交替で密州知事になった孔(こう)宗(そう)翰(かん)（本章134ページなどに登場）から、密(みつ)州の庁舎の近くの景物を詠んだ5首の絶句が送られてきて、それに和した詩から、東側の欄干の傍らにある梨の花を主題とした1首を訳す。

［訳文］

梨の花は淡い白、柳は深い青、

柳の絮(わた)が飛ぶとき、町は梨の花に満たされる。

東の欄干のもとで雪のような花を開かせる二株の梨――

悲しく思うのは、

人生においてこのようにして清(せい)明(めい)節(せつ)を迎えらるのはあと何回だろうか。

■司馬君実独楽園

［解題］司(し)馬(ば)光(こう)（字は君(くん)実(じつ)）は政界を退いて洛(らく)陽(よう)にいた。庭園を整備して「独(どく)楽(らく)園(えん)」（独(ひと)りこの園に楽しむ）と名付けた。蘇軾は司馬光が書いた「独楽園の記」を読んで感動し、この詩を作って司馬光に送った。

［補足］（司馬光は蘇軾より17歳年長で、非常に学識があり、英(えい)宗(そう)皇帝からも神(しん)宗(そう)皇帝からも厚く信頼された。始め司馬光は王(おう)安(あん)石(せき)を高く評価し、国政の改革を王安石に託すことを皇帝に勧めるほどであったのだが、改革の中身が明らかになるにつれて批判的になり、後には鋭く対立するようになった。それでも神宗皇帝は司馬光にはしばしば意見を尋ねていたが、司馬光は次第に政治の実際から離れ、巨大な歴史書である『資(し)治(じ)通(つ)鑑(がん)』の編集に専念し、後に洛陽に退いた。このころ、洛陽には富(ふ)弼(ひつ)や司馬光など改革に反対の立場をとる政界の大物が集まり、先に范(はん)鎮(ちん)が洛陽に赴いたのは、そのような人々と会うのが目的であったようだ。蘇軾はかつて母の墓誌銘の執筆を司馬光に依頼するなどの交流があり（第1章70ページ）、蘇軾が違法な商行為をしたと告発されたとき（第3章97ページ）には、司馬光は皇帝の前で蘇軾を庇う弁明をした）

［訳文］

独楽園の建物の上に青い山があり、

独楽園の建物の下に流れる水がある。

独楽園はわずかに五畝(ほ)の広さ、

それでも花や竹が秀でて、自然の野の趣がある。

花の香りは、園を巡る人の杖や履(くつ)についてまわり、

竹の色は、園で憩う人の盃や斝(とっくり)の中に映る。

春の終わりは樽酒に楽しみ、長い夏は碁を打って過ごす。

洛陽には古(いにしえ)より才子が多く集まり、風俗は今も優雅である。

先生は独楽園に篭って外には出ないけれど、

洛陽の人々を挙って先生のもとへと訪れる。

先生は衆人と楽しんでいるようではあるけれど、

実は独楽園は独り楽しむところなのである。

先生は独りで何を楽しんでいるのか――

自身に備わるものが完全であるとき、

その�ｺは形として外には現れ出ない、

だから、何を貴んでいるのかを知る人は稀である。

先生はそのようして独り楽しんでいるのだか、

天下の人々は、

先生がこの世界を正しく鍛錬し直してくれることを望んでいる。

子供も先生を讃えて歌い、

使い走りの僕(しもべ)に至るまで先生を知らない者はいない。

このようであるのに、

先生は独りで一体どこに行こうとしているのか。

造物者は決してこのままにはしておかないに違いない。

私などは、いまだに世間の名声を追い掛けているのは、

天が罰として与える病のようなものなのだろう。

それでも、先生がずっとだんまりを決め込んでいるのは、

手を打って笑ってもよいのではないだろうか。

［補足］（司馬光は子どもでもその名を知っているとこの詩にあるが、蘇軾も引けを取らないくらいの有名人になっていた。ちょうどこのころに、高(こう)麗(らい)国からきた使者が杭州を通過した際に、蘇軾の詩集を探して買って帰ったとの話が記録されている）

■保母楊氏墓誌銘

［解題］蘇軾と蘇轍にはそれぞれに乳母がいて、2人とも母が蘇の家に嫁いだ際に連れてきた女性だった。以来、乳母はずっと兄弟のもとにいた。そのうちの蘇轍の乳母の楊(よう)金(きん)蝉(ぜん)が6月11日に徐州で亡くなった。それから8年後に蘇軾はこの墓誌銘を作った。

［訳文］

先夫人（兄弟の母）の使用人であった楊金蝉は眉(び)山の人である。三十歳のときに初めて蘇の家にきた。柔順で、善いことに素直に従い、弟の轍の乳母になり、熙(き)寧(ねい)十（1077）年六月巳(き)丑(ちゅう)に徐州で亡くなった。六十八歳だった。臨終に至っても乱れることはなかった。そのとき轍は南(なん)京(けい)応(おう)天(てん)府で官職に就いていたので、柩を応天府の開(かい)元(げん)寺に仮に安置した。

それから八年、軾は黄(こう)州から汝(じょ)州に異動となった際に南京応天府を通ったので、応天府の東南三百里にある広(こう)寿(じゅ)院の西に正式に葬った。元(げん)豊(ぽう)八（1085）年二月壬(じん)午(ご)であった。

銘に曰く。

百世の後、陵(おか)や谷は位置を変えることがあるだろう。しかし、蘇子の乳母のために、ここは毀(こわ)さずにおいてほしい。

■和子由与顏長道同遊百歩洪相地築亭種柳

［解題］徐(じょ)州には百(ひゃく)歩(ほ)洪(こう)という景勝地があった。徐州の州庁がある彭(ほう)城(じょう)の町から東南二里にある早瀬で、数里にわたって激流が岩に衝突する壮観を呈する。そこに弟と顔(がん)復(ふく)（字は長(ちょう)道(どう)）と遊んだ。蘇軾は百歩洪のほとりに土地を選んで亭(あずまや)を築き、柳を植えようと考えたことがこの詩の終わりに見える。

［補足］（顔復は先に見た「鳧(ふ)約(やく)先生詩集叙」（本章90ページ）にその名が記されていた）

［訳文］

朝早くに役所に座ったものの、席が暖まる前に帰り、

部屋を閉ざし、静かに一日を過ごそうとした。

臥せっていると、客人がきたのが聞こえ、

あわてて履き物をさかさまにはいて迎えに出た。

両眼は朦朧としてまだ半分眠っていた。

町の東の泗(し)水に歩いて行こうでないかと誘われ、

曲がりくねる路を進んで百歩洪に出ると、

そこは雪の白さを翻すかのようだ。

私は想像する――

駿馬に青い綱を付ける、馬は身を縮める、馬は脚を踏み出す、

波の上を飛んで、向こう岸の柳の陰の下に行くであろう。

馬はたとえ激流に落ちても、両脚を踏ん張るなら、水中より三丈の高さに飛び上がり、

鬣(たてがみ)をふるって、声も乾くばかりに長く嘶くのだ。

何かに取りつかれたような興奮、

少年のころにあったものから私は久しく遠ざかってしまった。

私は想う――

故郷の剣(けん)関(かん)を削って巡り流れる嘉(か)陵(りゅう)江の急流、

それでも、剣関には車でも通れるような広い道が通じている、

帰ろうと思えばいつだって帰ることができるのだ。

山中の昔馴染は大いに笑うだろう――

百歩洪に亭を築いて柳を植える気でいながら、

いったいいつ還るつもりなのかと。

■顏楽亭詩

［解題］顏(がん)復(ふく)は孔(こう)子(し)の弟子の顔(がん)淵(えん)の遠い子孫である。このころ、密州知事の孔(こう)宗(そう)翰(かん)が顔淵の旧居とされる場所に亭(あずまや)を建て、顏(がん)楽(らく)亭(てい)と名付けた。蘇軾はその経緯を記した序文と詩を作って孔宗翰に寄せた。

［訳文］

顏淵の住まいは、狭い路地にあったと『論(ろん)語(ご)』に記されている。その後は井戸ばかりがあって、顏氏が長くそこに住んでいたわけではない。密州知事の孔宗翰はその地を得ると、井戸を浚って修復し、そこに亭を作って、顔楽亭と名付けた。

昔、孔子は、竹の器に飯を盛り、小さな瓢で水を飲むだけの質素な暮らしをしている顏淵の賢を讃えた。しかし、韓(かん)愈(ゆ)はそのようなことは道理に明らかに通じる哲人にとっては小さなことだと言った。本当にそうなのだろうか。

私が思うに、古(いにしえ)の人が人を観るときは、必ず小さなところを観察した。大きなところは偽りがありうるからだ。

人は、千金の価値のある璧(たま)を砕いて、釜を破るような大声を発することもできなくはないし、猛々しい虎を撃ち、蜂の大群に襲われても平然としているといったこともできなくはない。竹の器に小さな瓢が哲人にとって大きなことであるのを多くの人は知らない。

そこで私は「顔楽亭の詩」を作って孔君に送り、韓愈の説を正し、もって自分自身の戒めとするものである。

天が人間を生んだとき、口と鼻を作った。

口はおいしいものを食べたがり、

鼻は香りのよいものを嗅ぎたがる。

おいしいものがあれば必ずまずいものがあり、

香りのよいものがあれば必ず臭いものがある。

そうした二項対立を離れて天（の道）に遊ぶのでなければ、

口、鼻、耳、目、心、知の六種の鑿(のみ)（で作られた穴）のせめぎ合いに陥ってしまう。

六種の鑿の執着するところに従って一歩ずつ進むうちに、

遠く帰れないところにまで至って大悪人となってしまうのだ。

顔淵が偉大なのは、

狭苦しい路地の奥で安らかに暮らしていたことにある。

古代のある勇士は武者震いしただけで虎や豹を走らせたというが、

顔淵の身の内にはその勇士以上のものがあった。

私は最高の楽しみとは何かを求め、手本となるものを探してきたのだが、

小さな瓢を手にして顔淵に従おうとして、

ふと気づくと、顔淵は我が後ろにいる――

顔淵はあくまでも路地奥につつましく留まっているのである。

■和李邦直沂山祈雨有応

［解題］徐(じょ)州周辺も雨不足に悩まされることが多かった。蘇軾が赴任した年には、春から夏にかけて雨が少なく、京(けい)東(とう)東(とう)路(ろ)の役人であった李(り)清(せい)臣(しん)（字は邦(ほう)直(ちょく)）が沂(き)山(ざん)で雨を祈った。するとそれに応じて雨が降ったので、李清臣は詩を作り、それに蘇軾が和した。李清臣は本章100ページなどにすでに登場している。

［訳文］

日照りが続くと、

高い土地の田には黄色い土(つち)埃(ぼこり)が生じ、

低い土地の田には蒼(そう)耳(じ)（荒れ地の雑草）が生じるという。

いまや蒼耳さえなく、麦はどうかと問うまでもない。

雨を司る竜は眠りこけていて、少しは恥ずかしいと思ったのか、

大麦も小麦も枯れてしまった後になって、

地を洗うような雨をようやく降らせたのだった。

雨はいったどこからきてくれるのだろうかと思っていたころは、

百(ひゃく)歩(ほ)洪(こう)の急流の音を雷かと聞き違えたりしたし、

試しに町の高台に上って見たら、

天の際に至るまで、どこもかしこも菽(まめ)も粟(あわ)も枯れ枯れで、

飢えからくる火が腸(はらわた)を焼くばかりで、ぐうぐうと牛が吼(ほえ)るよう、

秋の稔りのときまでとても待てるような気がしなかった。

半年も雨が降らなかったのは、竜がなまけていたからなのだが、

竜はといえば、

「わしではない、わしより偉い天(てん)公(こう)を怨んでくれ」

と、ぼやいた。

今朝のひと雨で罪はすっかり償えたと思ったのか、

竜も土地の神も、

「この雨はわしら功績だ」

と、言い立てている。

かく言う私も、実のところ、何の功績もなく、

天下の倉から毎日穀物を盗み食いしているのであるから、

竜と同じようなものだ。

李(り)公は、皇帝のお使いとして竜の怠慢を赦さないと言われる。

ならば、私も自分の罪をこの詩で白状しておかないとならない。

■次韻答邦直子由五首

［解題］李(り)清(せい)臣(しん)（字は邦(ほう)直(ちょく)）と弟が詠んだ詩に次韻した。5首のうち3首を訳す。其の一は李清臣に向けて、後の2首は弟に向けて詠んだもの。

［訳文］

　　其の一

夢の中でも、役所の書類は乱雑にひっくりかえったまま、

これほどまでに間抜けで怠け者であるのなら、

たぶん、呆れ返って許してもらえるのではなかろうか。

門を閉ざせば、僧舍の冷やかなのにも似て、のんびりと詩を作り、

そのうち横になって、聞こえてくるのは遠い急流の音。

つまらない懷(おも)いを忘れるには酒がよく、人と逢ってともにするのはもっとよい。

酒を呑めば眠ってしまい、

夢の中では、今度は文章が手を翻すように思うがままにできあがる。

調子に乗って、

喙(くちばし)を三尺ほども伸ばしてとんでもないことを言ってしまいたくなるのだが、

貴公がお瞋(いか)りになるのが怖くて、呑みこんでしまった。

　　其の三

尊敬すべき弟が東からきてくれたけれど、

ここは何もなくて寂寞としている。

昔馴染の人と呑んでくさくさした思いを慰めている。

町のすみは草むらに埋もれ、

そこに新たな道を開いて百(ひゃく)歩(ほ)洪(こう)に行くと、

雨で水かさが増え、もとの早瀬がなくなっている。

君の車馬の跡が消えるより先に僕の車馬は追いつこうとし、

その間を詩文の応酬が往き来するので、字を丁寧に書いているいとまがない。

この詩は君に見てもらってから書き改め、李公殿に見てもらおうと思っている。

　　其の五

わずかな俸禄のために塵まみれになる労苦があっても、

官職に留まっている方がまだましなのだろうか――

この鬱々とした思いを鎮めようと、戸を閉ざして部屋に閉じこもる。

嚢(ふくろ)の内にあっても稲の尖った穎(のぎ)が飛び出すように、

自分が目立つ存在になってしまうのを僕は恥ずかしく思う。

漢の時代の朱(しゅ)雲(うん)は、皇帝のお気に入りの人物を批判して罰せられたとき、

これで古(いにしえ)の忠臣と地下で顔を合わせることができると言った。

僕はその朱雲と地下で遊べるようなことをまだしていない。

特にすべきことがなければ気持ちよく呑むのがよいだろう。

故郷に帰りたいと思ったなら、昔の人の望郷の詩を唱えればよいだろう。

羨ましいのは、君の仕事場が僧舎のように静かであること、

毎日南の方を眺め、鴎が水浴びをしているのを見ていればよいのだから。

［補足］（この詩の末尾は、弟が務めるのは張(ちょう)方(ほう)平(へい)のもとであるから、何の問題もなく治められ、仕事もないだろうということ）

■宝絵堂記

［解題］都にいる王(おう)詵(しん)（字は晋(しん)卿(けい)）（本章154ページなど）に請われてこの文章を記した。

［訳文］

君子は、意(こころ)を物に寓(よ)せるのはよいけれども、意(こころ)を物に留(とど)めるのはよろしくない。意を物に寓せるときには、ささいな物であっても十分に楽しみとすることができるであろうし、特殊な物であっても病となるほどのことにはならないだろう。意を物に留めるときには、ささいな物であっても病となってしまうであろうし、特殊なものであっても楽しみとするには足りなくなってしまう。

老(ろう)子(し)はこう言っている。

「五つの色は人の目をくらませ、五つの音階は人の耳をこわし、五つの味は人の口を損ない、野を駆けて狩猟することは人の心を狂わせる」。

聖人はこの四つのことが起こるまでにならないように、いささか意を寓せるだけにしたのである。

劉(りゅう)備(び)は英雄であったけれども特別な髪型に結うことにこだわり、嵇(けい)康(こう)は達人であったけれども刃物を鍛錬することを好み、阮(げん)孚(ふ)は豪放であったけれども屐(くつ)に蝋を塗る趣味があった。これらは先の四つのこととはまた異なるけれど、三人は生涯これを楽しみとして厭くことがなかった。

いろいろと人が喜ぶべき物があるなかで、人を存分に悦ばせて、しかも人を惑わせてしまうようなことがない物といえば、書と画に優るものはない。それでも、意を書画に留めるあまり、執着心から離れられなくなってしまっては、ひどい禍となってしまう。鍾(しょう)繇(よう)はある人にある筆法を求めて教えてもらえず、悔しさのあまり胸を叩いて血を吐き、その人が死ぬと墓を暴いて得ようとした。孝(こう)武(ぶ)と王(おう)僧(そう)虔(けん)は書法を巡って憎み合い、桓(かん)玄(げん)は書画を惜しむ余り、走る船の上に保存し、王(おう)涯(がい)は壁の後ろの秘密の部屋に隠した。これらの児童の戯れのような振る舞いは、その身に不幸にもたらし、国家を損ないもした。これは意を留めることによる禍(わざわ)いである。

私は若いころに書と画を好み、家に所有する物は、ひたすらそれを失うことを恐れ、人の所有する物は、それを自分に与えてくれないのを残念に思った。

その後、自分で自分のことを笑ってこのように思った。

「私は富貴を軽んじて、それよりも書を重んじた。死生を軽んじて、それよりも画を重んじた。これは誤った逆さまの価値観で、人としての本心を失ったものではなかろうか」

それからは以前のように好むことはなくなり、喜びを与えてくれるようなものを見て、ときにそれを自分の手元に蓄えることがあっても、それを他の人が取って行ったところで、惜しむようなことはなくなった。それは、雲や霞が前を通り過ぎて目に感じさせ、百種の鳥が鳴いて耳に感じさせるのに譬えることができるだろう。喜んでそれに接するけれど、自分のもとから過ぎ去っても、それに執着することない。ここにおいて書と画の二物は常に私の楽しみとはなっても、私の病となることはなくなった。

王(おう)君は皇室の親戚ではあるが、その服装、礼儀、学問、詩書はいつも貧窮の士とともに競い合い、普段の暮らしからは美食を除き去り、声色を遠ざけ、もっぱら書と画に従事し、私邸の東に「宝(ほう)絵(かい)堂(どう)」を作り、所有するところの物をそこに蓄えている。そのことについて書くよう私に文章を求めた。私が恐れるのは、王君が不幸にして、私が若いときに好んだのと同じようであることだ。それで、このことを書いて王君に告げることにした。その楽しみを十分なものにして、病から遠ざかることを願うものである。

熙(き)寧(ねい)十年七月二十二日記す

■送顏復兼寄王鞏

［解題］顔(がん)復(ふく)（本章185ページに登場）が都に行くことになったので、その送別の詩を詠み、兼ねて王(おう)鞏(きょう)（字は定(てい)国(こく)）に送った。王鞏は名宰相であった王(おう)旦(たん)の孫で、かつて蘇軾が都にいたころから、蘇軾に教えを請うような形での交流が始まっていた。王鞏はこの後しばしば登場する。

［訳文］

徐州の官舎は水のように冷ややかである。

ここで私とともに遊ぶのは誰であるのか、

顏(がん)淵(えん)の遠い子孫の君である。

我は衰えかつ病み、君は困窮している。

衰窮したとはいえ、ともに正しい道理を守っている。

ところが、君はどういうわけで私を捨てて行ってしまうのか。

この暑さのなか、軽い上着をひっかけて千里の旅に出ようとしている。

君に問う。

「何か求めるものがあるのか」

君は答える。

「そうではなく、成り行きなのだ」

「都では万事日日に新たになって、

　知り合いでもとのままであるのは今幾人もいないだろう。

　君は牛(ぎゅう)行(こう)街(がい)のもとの宰相のお宅を知っているだろう。

　門を叩いて王(おう)居(こ)士(じ)（王鞏）に面会を求めるとよい。

　王居士は詩も草書も妙所に入った人である。

　王居士は別れてから紙を連ねてたびたび私に手紙を送ってきて、

　会えないのがはなはだ残念であると書いている。

　そして、重(ちょう)陽(よう)の節句にはともに菊の花を愛でようと約束もしている。

　君が都から帰るときには、王居士を呼んで一緒に連れてきてほしい。

　王居士はいまは官職に就いていないので、

　どこに行こうがとやかく言われることはないはずだ。

　太(たい)乙(いつ)老(ろう)仙(せん)殿（張方平のこと）は静かに家に篭っておられるだろうから、

　王居士がその門に至って道を問うにはいまがちょうどよいだろう。

　そこから徐州まではわずかな道のりである。

　君よ、どうか王居士のお尻を叩いて引っ張り出してほしい」

仲間がそっくり集まって一酔を得るのもの実のところ簡単ではない。

いまから羊を飼い、酒を醸(かも)して準備しておくとしよう。

［補足］（王鞏は張方平の婿である。南(なん)京(けい)応(おう)天(てん)府を経由してくれば舅に挨拶をした上で自分のところにこられると言ったのである）

［補足］（この詩は7月の終わりから8月の初めのころに詠まれたと推測されている。そのころすでに重大な事態が徐州に迫りつつあった。7月17日、徐州から北に200kmほど離れた澶(せん)州曹(そう)村(そん)埽(そう)で黄(こう)河(が)が決壊し、溢れた水が完全にコントロール不能になってしまったのだった）

■蝎虎

［解題］蝎(かつ)虎(こ)は守宮(やもり)のこと。

［訳文］

鶏は黍(きび)を啄(ついば)むように蝎(むし)を啄む。

窓の間に潜む守宮は蝎(むし)を食らうので蝎(かつ)虎(こ)と呼ぶ。

守宮は暗い中で舌を伸ばして飛ぶ虫を捕る。

虫捕りが成功する工夫は、腰と背骨の使い方にあるらしい。

ずるずるにゅるにゅる壁に張り付いて動き、

そのいやしいありさまに感心する人は誰もいない。

今年の日照りでは蜥蜴(とかげ)を呼んで雨乞いをし、

子供達が歌ったり踊ったり大変な騒ぎで、

蜥蜴に水をかけたところ、雨が降り注いだ。

蜥蜴が竜に頼んでくれて、雲や雨を呼んだというのだ。

守宮が地道に努力して蠅(はえ)を撃つありさまを見ていると、

来年がもし日照りであったならば、

守宮に雨を求めてみたいような気がする。

［補足］（この詩で何がいいたいのかよくわからないが、地味に虫を捕って人間の役に立っている守宮を頼りにしてはどうかということであろう）

■子由将赴南都与余会宿於逍遙堂作両絶句読之殆不可為懐因和其詩以自解余観子由自少曠達天資近道又得至人養生長年之訣而余亦竊聞其一二以為今者宦遊相別之日淺而異時退休相從之日長既以自解且以慰子由云

［解題］長い詩題を訳すと、「弟はいよいよ南(なん)京(けい)応(おう)天(てん)府に赴くことになり、逍(しょう)遙(よう)堂(どう)に一緒に泊まり、2首の絶句を作った。それを読んで私は思いに詰まってどうすることもできないくらいになった。その詩に和して、自分の思いを少しときほどそうとした。弟は少年のころから心が広く、物事にこだわらず、生まれながらの資質として道に近く、しかも仙人のように養生をして長生きをする秘訣を得てもいる。私はその一つでも二つでも見習いたいと思っている。官職に就いていて、弟と別れている歳月はもう長いものではなく、引退して後に一緒にいる歳月はきっと長いのだろう。そのように考えて、私の気持ちを解き、かつ弟を慰めようと思うのである」。

［訳文］

　　其の一

別れの時期が次第に近づく。

それが何時かと聞くことに僕は耐えられない。

風が寂しげに吹き、雨が寂しげに降る。

僕の魂はすっかり断ち切られてしまう。

それでも、

僕らはかの夏(か)馥(ふく)、夏(か)静(せい)の兄弟と比べたら、ずっとましだと思えば慰めになろうか。

夏馥、夏静は迫害に遇って姿形がすっかり変わり、

顔を合わせてもそれとはわからなかった。

ただ声の調子だけに昔の面影が残っていたのだった。

　　其の二

朱い火で仙薬を作る方法があるという。

この別れは、薬を練る車が一回転するようなものなのか。

仙薬によって永遠の寿命を得たらどうなるだろう――

銅で作られた像と会って、

「この五百年の間に誰もいなくなってしまいましたなあ」

と、一緒に嘆くのが関の山だ。

■陽関曲

［解題］弟との別れが迫るなか、中秋の名月を兄弟で見た。そのときの詞。

［訳文］

暮雲収尽溢清寒。（夕暮れの雲がすっかり消えると、溢れ出てくるさえざえとした光）

銀漢無声転玉盤。（天の川は声なく玉(ほし)盤(ぞら)を回転させる）

此生此夜不長好、（この生もこの夜も長く好(よ)いわけではない）

明年明月何処看。（明年の明月はどこで看るのでしょう）

［補足］（ごくあっさりとした詞である。これから18年後、蘇軾は都から遥か遠くに流された先で、中秋の月のもとで独りこの詞を吟じることになる）

■過雲竜山人張天驥

［解題］雲(うん)竜(りゅう)山(さん)に張(ちょう)天(てん)驥(き)（字は聖(せい)塗(と)）を訪ねた詩。張天驥は、この詩にあるようにもともとはよい家柄の人であったようだが、いまは山の麓で、親に孝行しつつひっそりと暮らしている。雲竜山は彭(ほう)城(じょう)の町の西2里にある山。張天驥はこの後何度か登場する。

［訳文］

野原に雨が十分に足り、風は清く絶好の日和。

病みがちの知事も喜び、轎(かご)に乗って、町の南の門からの道を進む。

荒れた農地で、蝗(いなご)が飛び、蚯蚓(みみず)が鳴いている。

村の奥に、梨や棗(なつめ)の実が下がり、そこに訪ねる人の住まいがある。

門が閉ざされ、雀が噪(さわ)ぐばかり、

秋風に落ち葉が掃除もされずに積もっている。

斜めになった日ざしのもとに一人の僮僕が臥し、

衰えた馬が秋の野原に放たれている。

垣根は倒れたまま、近くの村人のほかに訪ねてくる者はいない。

君の家は、もとは高位に就いた人を出し、

賑やかな音楽がすぐ近くから聞こえてくるようなところに住んでいた。

君は名利の世界を脱し、高い道徳で己の身を洗った。

病気を抱えながらも自分で耕し、百歳の老人に孝養を尽くしている。

豆を煮て水を捧げて父母を歓ばせることに努めつつ、

いつも詩や書物を朗読している。

昔の天(てん)隨(ずい)先生は餓えと寒さに迫られ、菊を植えて食べていたという。

昔の董(とう)先生は親孝行であったけれども、ひどい貧乏で、

鷄も犬も餌をもらえなくて、互いに労わり合っていたという。

私の人生は寄せるようなものだ。

帰る計画を失って、もはや遅いのか。

それでも故郷の山は忘れずにいてくれるのか。

ただ恐れるのは白髪の迫ってくること。

君に従って秫(もちあわ)を植えることを学び、

自家製の酒で君と慰労し合いたいものだ。

［補足］（ここでも、本章145ページで見たのとほぼ同じ言い回しの「吾生如寄耳（吾が生は寄せるがごときのみ）」という句が使われている）

■贈王仲素寺丞

［解題］王(おう)景(けい)純(じゅん)（字は仲(ちゅう)素(そ)）に贈った詩。王景純は彭(ほう)城(じょう)県の役人であったけれど、何らかの事情で故郷に帰ることになったようだ。

［補足］（途中の「仏法を妻として」の後に続く数句はかなり複雑な故事の用い方をしているので、この訳では省略した）

［訳文］

気を養うのは児(こ)を養うようなもの、

官職を棄てるのは泥を棄てるようなもの。

人は君の拙(つたな)さを笑うかもしれないけれど、

事を定めたからは、君は誰に何を言われても迷わない。

君は言う、

「帰って農地を耕します」

私は君が貧乏をするのではないと心配で、君に尋ねる。

「君は故郷に何を持って行くのかい」

君は言う。

「一尺四方の家でも己の身を覆うことができます。

　一寸四方の農地でも作物は育ちます。

　心に明るい珠(たま)があるのなら、

　よれよれの衣服だって明るく照らしてくれて、

　おんぼろの部屋にも虹がかかるのです。

　銭に仕えること兄に仕えるごとくにしなければならないことはなく、

　妻がなくても、仏法を妻として楽しむことができます」

私の人生といえば、もともとひどく田舎じみていて、

若いころは、気合で自分をぐいぐい押しまくり、

ちっぽけな一艘の舟で大河を遡り、

素手で象や犀を捕えようとするようなものだ。

ここのところはこうした自分の振る舞いを自分で可笑しく思い、

気(き)を臍の下あたりに留めておこうとするようになった。

はなはだ残念なのは、

そうした道理を知ることが遅かったために、

何かしら淒じいなかに置かれてしまっていることだ。

昔ある人は、悪い病気になってからようやく養生の道を問い、

もやは遅かったかと、枯れた梨の木の詩を詠んだ

――私はそのことを悲しく想いつつ、君の決断に敬服する。

■水調歌頭

［解題］弟は、兄と中秋の名月を見た後に徐州を離れた。この詞は弟が去ってすぐに作られたもの。次のような短文が付いている。

［訳文］

去年の中秋は、密(みつ)州で『水(すい)調(ちょう)歌(か)頭(とう)』の詞を作って弟に寄せた。今年の中秋は、弟とともに徐州で過ごし、その直後に弟は去った。弟は中秋に『水調歌頭』を作って別れの詞としたが、それは悲しみが勝ち過ぎていると感じた。そこでいまそれに和して、退くのに早過ぎることはないと自分を戒め、退いてともに楽しむことを慰めとしようではないかと弟に告げようと思う。

［補足］（1年前の密州での詞は本章123ページで見ている）

安石在東海、（謝(しゃ)安(あん)が若くして隠棲していたのは東海のほとり）

従事鬢驚秋。（国政に従事したのは髪が白くなった秋(とき)）

中年親友難別、（年を取ってからつらいのは親友との別れ）

糸竹緩離愁。（愁いを緩めてくれるのは管弦の音）

一旦功成名遂、（謝安がいったん功成り名を遂げてより）

準擬東還海道、（準備していたのは東の海の道への帰還）

扶病入西。（かえって病をおして入ったのは西の都）

雅志困軒冕、（官服の内で苦しみ続けた雅な志）

遺恨寄滄州。（遺恨を海浜に寄せたのでした）

歳雲暮、（暮れゆく歳月）

須早計、（早く立てるべき計）

要褐裘。（要るものといえば粗末な衣服）

故郷帰去千里、（故郷は去ること千里）

佳処輙遅留。（留まるべきは佳(よ)き処）

我酔歌時君和、（僕が酔って歌うとき、和せよ君）

酔倒須君扶我、（僕が酔って倒れるとき、助けよ君）

惟酒可忘憂。（憂いを忘れさせてくれるのはただ酒）

一任劉玄徳、（雄大な志を抱く劉(りゅう)備(び)に勝手してくれと任せたなら）

相対臥高楼。（僕なんぞは高楼の下の地べたに置かれてしまうでしょう）

［補足］（詞の前半は、晋の時代の謝(しゃ)安(あん)（字は安(あん)石(せき)）に焦点を当てている。謝安はいかなる重大事にも悠々と対処し、国難を幾度も救った人物で、蘇軾はこれまでにも何度か言及している（第2章70ページなど）。その謝安も、身を退くことは思いのままにならなかった。詩の最後は、三国時代の英雄の劉(りゅう)備(び)（字は玄(げん)徳(とく)）にまつわる次のような故事を引用している。許(きょ)��(し)という人物が、劉備の前で、「陳(ちん)登(とう)は世間では評判がよいらしいが、私に言わせたら、傲慢な嫌な男です」とけなした。陳登を批判して、己を高く見せようとしたのだ。「何しろ、かつて陳登に会ったときに、まともに人と話もしないで、しかも、自分だけは立派な寝台の上で眠り、私は床に寝かせたのですぞ」と息巻く許��に、劉備は「私だったらこうするだろうな。私は百尺の高楼の上に眠り、君には地べた寝てもらおう」と言った。そのころ劉備は雌伏の時期で、高い志を抱いて天下の趨勢について考えていたのに対して、許��は早くから土地を買って隠棲の地を得ることを考えていた。ということから、隠棲についていつも言っている自分などは、劉備からしたら実に語るに足りない奴だと自虐的に笑ったのである）

■答任師中家漢公

［解題］任伋(にんきゅう)（字は師(し)中(ちゅう)）と家(か)勤(くん)国(こく)（字は漢(かん)公(こう)）から送られてきた詩に答えたもの。2人とも眉(び)州の人で、任伋は、先に亡くなった「大(だい)任(にん)」（本章168ページ）の弟。家勤国は、家(か)定(てい)国(こく)、家(か)安(あん)国(こく)と3人兄弟で、少年時代にこの3人は蘇軾とともに劉(りゅう)巨(きょ)先生について学んだことのある同門の友。家定国は蘇軾と同じ年の科挙に合格したが、家勤国は合格しなかった（後に家勤国の息子の家(か)愿(げん)が国家の重職に就くようになる）。このとき任伋は瀘(ろ)州にいて、官職に就かない家勤国がしばらく身を寄せていたのだろう。

［訳文］

昔わが父がまだ出仕する前の皇(こう)祐(ゆう)年間（蘇軾の幼少の頃）、

父は門を閉ざして家に篭っていた。

父は高い道徳を保って貧賎であることなど気にかけず、

その立派な態度は郷里に照り輝いていた。

父自身がつまらない人物たちを疎んじることはなかったけれども、

つまらない人物たちは自分から父との距離を取るようになった。

父がたまに門から歩み出て行くところといえば、

町はずれの丘にある史(し)経(きょう)臣(しん)先生の家だった。

その門前に万本の竹があり、家の内にはぎっしりと書物があった。

紅(こう)消(しょう)梨(り)（実の大きな梨）が高々とそびえ、小さな池に白い蓮があった。

いつも素足で走りまわる下女が一人だけいて、

雨の中でも畑の野菜を採ってきたりしていた。

これより少し後に、

任(にん)伋(きゅう)先生が高い志を抱いたまま、官を罷めて旧居に還(かえ)ってきた。

このときに村里の子どもたちは、

任伋先生の家の門に向かって車の轍が幾重にも付くのを見て、

初めて「長者の車」（有徳者のもとに土地の名士が集まりくる）の意味を知ったのだった。

任伋先生は人がくると鶏を煮て酒を酌み交わし、

客人と相対して大いに楽しんだ。

ときに古(いにしえ)の隠者のような人がいると聞くと、任伋先生は自らそのもとに訪れ、

逆にその人がくると、任伋先生の妻がかいがいしく接待し、

どちらが主であるのかまるでわからなかった。

私はこのときまだ幼く、漢の司(し)馬(ば)相(そう)如(じょ)を慕って賦の勉強をしていた。

任伋先生が話をするのを傍らに立って聞き、

先生の精悍なありさまに私は発奮させられた。

それから歳月はどれほど経ったのか、

あのころの老人たちは逝ってしまって、もはやいない。

思えば、史経臣先生が最初に亡くなり、

その墓に植えられた桑や樗(おうち)は一抱えほどの太さにまでなった。

私は官職に就いて万里を旅する身となり、

父を喪って衣服を涙でぬらしつつ一度だけ帰郷し、

各地を漂流すること二十年に及び、

人間界の万(ばん)縁(えん)の虚しさを知った。

ただ喜ばしいのは、

任伋先生が老境に至って知事に就任し、

威信が未開の地にも及んで、中華の風俗に靡くようになったことだ。

任伋先生は任期が満ちても、特に再任が許されて俸禄も増し、

都に出て朝廷に業績報告をした姿は、まことに盛んなものがあった。

ところが、任伋先生はこれ以上の栄誉を望まず、

田園に帰る意志は少しも緩まない。

それはなぜかというと、

かつて蔡(さい)州にいたときに土地の人に慕われてよい農地を寄贈されたからで、

そこには肥えた土に水路が走る百頃(けい)の稲田があり、

安心して十年の儲えを得ることができる。

昔蔡州の地に、鹿や猪を狩って楽しんだ宰相がいたけれど、

任伋先生も十斤の重さの鷹を連れ、驢馬ほどもある猛犬を伴って、

猟にいそしむことができるであろう。

陶(とう)淵(えん)明(めい)が隠退してから、自ら鋤を手に農作業に苦労したのとは同じではない。

私は今や四十二歳、

髪が衰えて、梳(くしけず)るだけの量がない。

ここ彭(ほう)城(じょう)は歴史に名高い町であって、

人材の乏しさからたまたま私が任命されただけで、

私のこれから先はもう知れたようなもの、

遠からず、樵(きこり)や漁(すなどり)を我が仕事とするようになるであろう。

となれば、任伋先生のもとに従って、

草鞋(わらじ)を穿いて荒れ地を開墾して老いていくのがよいだろう。

任伋先生はいま蔡州から遠い瘴(しょう)江(こう)のほとりにいて、

その思うところを誰に述べたらよかろうかと困っていたところに、

幸いにも私の同門の友である家勤国君が訪れた。

家勤国君と私は、歓んで一つの乗り物に乗って語り合うほどの仲で、

氷の上に刺身を並べ、酒を酌み交わしたこともある。

近ごろ、家勤国君は酔ってふと私のことを思い出したのか、

玉を連ねたような清らかな詩を送ってきてくれた。

家勤国君は、私に思いに適うことが少ないのを知っていて、

その詩で私の気持ちをほぐしたり伸ばしたりしてくれた。

世間のことは、風の中で翻る旗のよう、

日々にあちらからこちらへとひっくり返る。

高位にあって訪問客が絶えなかった大臣も、

ひとたび地位からすべり落ちると、門の外に雀取りの網が張れるほどにひっそりとしてしまい、

皇帝の寵愛を一身に集めていた後宮の美女も、

ひとたび愛情が他に移ると、秋の扇の悲さに沈んでしまう。

昇るも落ちるも一瞬のこと、

そのたびに人は喜んだり怒ったりする。

私がこの詩を作って任伋先生と家勤国君に送るのは、

我が父以来の故郷の人々を見てきて、

「国に道が行われているときは智者として振る舞い、

　国に道が行われていないときは愚者として振る舞う」

あるいは、

「国に道が行われているときは官に仕え、

　国に道が行われていないときは退いて帰る」

という古の人々に教えを師とすることを学んだからである。

■初別子由

［解題］弟が行ってしまってからの思いを詩に詠んだ。

［訳文］

僕は若い時分に、君がどういう人物であるかを知った。

天然の資質として、君は温和で清秀である。

学問を好み、成長するとともに好学の心はますます堅くなった。

表も裏もなく、どこまでも明るく見通せる人になった。

僕にとって君がかけがえのない存在であるのは、

君が我が弟だからというだけでなく、要するに賢友であるからだ。

僕が杭(こう)州に行ってから、君を見ないことを六七年に及び、

微妙な言説を語り合う相手がいなかった。

僕は率直にものを言ってしまう性格であるから、

程(ほど)というのをわきまえないで身勝手に振る舞ってしまうことを、

僕は自分でずっと恐れていた。

君と会ってみたら、黙って秤の前にいるような気分になった。

僕の妙な意気を鎮めてくれて、よからぬことが萌すことがなくなった。

君には六人の娘がいて、

皆女性としての振る舞いを得ていて心配がないのでは、

ひとえに君の賢婦人によるものだ。

家庭内がきちんとしていれば、粗末な食事も正式の御馳走に等しいというは、

まさに君の家のことで、

君は内のことを気にしないで、外で思いのままに行動することができる。

ところが、出来の悪い官員である私は、明日の朝に炊く米もなく、

それでいながら、雷鳴のごとき鼾をかいて平気で眠っている。

秋になって東の部屋で眠って、夜に風雨の音を聴くと、

別れは長くは続かないと思えてくる。

それはどうしてかと聞かれても困る、

妙理は細かく分析することはできないのである。

この前、君は彭城の町の門から出て、一艘の舟に乗って西に行ってしまった。

君は南(なん)京(けい)応(おう)天(てん)府に帰ってから、

高殿に上って、古い建物が聳え立つのを空しい気持ちで眺めたり、

家にいて、僕とともに官職に就いたのは誤りでなかったかと、

ふとそういう考えにとりつかれて驚いたりしていることだろう。

南京はまことに繁華なところで、人事は水と火のように争い合っていよう。

僕が思うに、まずは門を閉ざして静かに座し、

身を無きもののようにして、見ざる聞かざるを決め込むのがよいだろう。

家族を養うなど小さなこと、

文章に励んでも虚名を得るだけ。

成り行きのまま白髮を靡かせるのでよろしく、

長生きの薬など用いる必要はさらさらない。

■台頭寺雨中送李邦直赴史館分韻得憶字人字兼寄孫巨源二首

［解題］李(り)清(せい)臣(しん)（字は邦(ほう)直(ちょく)）が都で職を得て徐州を去ることになった。送別の宴が雨の中、台(たい)頭(とう)寺で開かれ、出席者に韻が配られて詩を詠んだ。蘇軾には「憶」と「人」の字が当たり、2首作った。詩に孫(そん)洙(しゅ)（字は巨(きょ)源(げん)）へのメッセージも込めた。本章102ページで見たように、李清臣は孫洙の娘を妻としていて、このとき孫洙は都にいた。2首のうち1首を訳す。

［訳文］

　　其の一

葉が枯れ始めた林に、秋風がずっと強く吹き寄せ、

都に行く君を送る老いた私に、百の憂いが集まってくる。

人々が歌う送別の詩は、遥か遠くに行こうとする雲の中に入り、

詩の悲しみのために、雲は進まなくなり、天は泣く。

紅葉に黄色い菊、秋はまさに色の乱舞、

白い魚に紫の蟹、秋の美味にも君は立ち去り難い。

君に依って美しい髯の将軍（孫洙）に告げるのは、

私はもう病み衰えてしまって、逢ってもきっとわからないだろう――

■九日邀仲屯田為大水所隔以詩見寄次其韻

［解題］重陽の節句の当日になったが、その日までにはくると言っていた王(おう)鞏(きょう)（本章195ページ）はとうとう姿を見せなかった。また、呂(りょ)梁(りょう)（彭(ほう)城(じょう)の東の町）の仲(ちゅう)伯(はく)達(たつ)を重陽の宴に誘っていたのだが、大水のために行けなくなったとの断りの詩が送られてきた。それに次韻した詩。黄(こう)河(が)から溢れた水がいよいよ徐州に迫ってきたのだった。

［訳文］

重陽の節句といえば、晋(しん)の時代の賢人の孟(もう)嘉(か)の故事を思い起こす。

今年の重陽の宴に君がこれらないのではその孟嘉を欠くのに等しい。

西からきた黄河の神様は、どうもおのれの力の大きさを誇り過ぎだ。

船頭の黄色い帽子も吹き飛ばしてしまって君はこられなくなるし、

せっかくの樽酒も浪の花に浮かぶようなありさまだ。

君は鯉を使わして、大水のなかを詩を送ってきてくれたのだが、

その珠玉の文字に対して、私は瓦礫のような文字を並べて答える。

何時か君と会って、老い去ってからの秋の悲しさを語り合いたいものだ。

重陽の宴の酒に酔って詩を作ったので、

字が斜めになっているのを許してもらいたい。

［補足］（孟嘉の故事は非常に有名で、蘇軾もしばしば用いているので、ここで簡単に説明を加えておく。南朝の晋の時代に、皇位を奪うことを意図するほどの実力者であった桓(かん)温(おん)が主催した重陽の宴で、孟嘉の被りものが風に吹かれて飛んでしまった。昔の中国では頭頂を顕わにするのは非常に恥ずかしいこととされていたのだが、孟嘉は気付かずにそのまま厠に行った。桓温はある人に命じて、孟嘉をからかう文章を作らせ、席に戻ってきたところで孟嘉に見せた。孟嘉はそれに応える文章をさらりと作り、その内容が非常に立派だったので一同は感嘆した。権力者に阿ることなく、悠然と余裕のある振る舞いは、後世の手本となった。それからの連想で、船頭の被る帽子が出てくるのだが、その帽子が黄色であるのは、陰(いん)陽(よう)五(ご)行(ぎょう)説(せつ)で「水は火に勝ち、火は金に勝ち、金は木に勝ち、木は土に勝ち、土は水に勝つ」という関係があり、土の色である黄色を身にまとえば水を自在に制御できるという意味である。この詩は酔っ払って書いたことになっているが、実際はそうではなかった。わざと余裕のあるポーズをとったのだ）

■獎諭勅記

［解題］黄(こう)河(が)から溢れた水が、遠く200km先の徐州にまで到達した。上の詩を見る限りでは、9月9日の時点では、彭(ほう)城(じょう)と呂(りょ)梁(りょう)の間の行き来がまだ可能であったようなのだが、実際にはどうだったのだろうか。

このときの洪水がどのようなもので、蘇軾がどのように対処したのか、弟の蘇轍が記した二つの文章から知ることができる。一つは翌年の秋に書いた『黄(こう)楼(ろう)の賦』の序文、もう一つは25年後に書いた兄の墓誌銘。両者は重複するところもあれば補い合うところもあるので、適宜合成してここに訳す。

［訳文］

蘇轍：『亡(ぼう)兄(けい)子(し)瞻(せん)端(たん)明(めい)墓(ぼ)誌(し)銘(めい)』

熙(き)寧(ねい)十年七月十七日、黄河が曹(そう)村(そん)で決壊した。水は梁(りょう)山(ざん)泊(ぱく)（黄河の南の低湿地帯）を水浸しにし、南(なん)清(せい)河(が)に溢れ、さらに泗(し)水(すい)に溢れ、彭(ほう)城(じょう)の南を取り囲む二つの山で止められて呂(りょ)梁(りょう)と百(ひゃく)歩(ほ)の間で滞り、八月二十一日、彭城の町にまで及んだ。たまたま徐州知事として彭城にいた兄の蘇軾は、水がくる前に人々に指示し、土を運ぶための畚(かご)や鍤(スコップ)を用意し、土や石を蓄え、干し草で城壁の穴を塞ぐ備えをした。水は町のまわりを囲み始め、いまにも城壁から入り込んで町が破壊されそうになったために、富豪たちは浮足立って町から出て水を避けようとした。

兄は言った。

「もしも富む者が出てしまったなら、民心が動揺してしまう。私は誰と町を守ったらよいのか。私はここに留まる。水は決して町を壊しはしない」

使いを出して人々を説得して町に呼び戻した。

兄は兵士のいる宿舎に行き、その隊長を呼んで言った。

「水はまさに町を害なおうとしている。事は急である。諸君等は皇帝の兵士で、中央からの命令に従う者であるけれども、私に力を貸してほしい」

隊長は言った。

「知事殿が洪水から逃げずにいるのですから、我等ごとき者はその指示に従うまでです」

兄は隊長とともに、短い衣を付けた裸足の兵士たちを率い、砂袋をもって町の外に出ると、町の南東の戯(げ)馬(ば)台(だい)から始めて城壁に至るまでの長い堤を築いた。堤が完成すると、水がその下にまできたが、町に害は及ばなかった。民心はこれで静まった。

しかし、雨は日夜やまず、水は勢いを増して暴れ、九月一日、町に及んだ水は深さ二丈八尺にもなり、東門も南門も北門も塞ぎ、水は町から山までを浸した。

兄は城壁の上に小屋をつくってそこに寝泊まりし、草鞋を履いて町を駆けまわって官吏のそれぞれに受け持ちの場所を与えて守らせた。

水は千余里にわたって漲り、人家を漂わせ、墓所を破壊し、老弱な者は川に浮かんで流され、壮強な者は必死に走って水を避けたが、木や高台で孤立して食べる物がなくて餓死した。兄は水に慣れた者に命じて船を出し、食糧を配って大勢の者を救った。

朝廷は黄河を塞ぎ、ようやく水が引いたが、徐州について考慮する暇はなかった。

兄は言った。

「黄河が本当に塞がれたのなら徐州にはもう害が及ばないだろう。しかし、塞がれるか塞がれないかは天の定めにもよるだろう。徐州の人々を重ねて被災させるわけにはいかない」

城壁を補強し、水害の要となる場所を見定めて木製の堤防を作り、たとえまた水がきても町は安全であるようにしようとした。朝廷に労働力を調達することを請い、朝廷はそれを許し、事が終わると、詔(みことのり)をもって褒められた。

徐州の人々は兄とますます親しみ、町の東門の脇に高い楼閣を築き、「土が水に勝つ」との意味を示すために壁を黄色く塗ることを勧めた。完成すると黄(こう)楼(ろう)と名付けた。

この文の終わりにあるように、水害への対応が完了した後に蘇軾は皇帝から褒められ、また黄楼と名付けた楼閣を建てた。それを黄色く塗ったのは、先の詩で見たのと同じく、土は水に勝つ意味からである。黄楼の完成は洪水から1年後の秋で、そのことについて後で見ることにし、ここでは皇帝から褒められたことについて蘇軾自身が記した文章「獎(しょう)諭(ゆ)勅(ちょく)記(き)」（獎(ほ)め諭(さと)す勅(ちょく)書(しょ)についての記）を見ておこう。前半は皇帝の勅書の写しで、後半に弟の文章にはなかった幾つかの具体的な記述がある。

［訳文］

蘇軾に下された勅書に曰く。

「京(けい)東(とう)東(とう)路(ろ)安(あん)撫(ぶ)使(し)司(し)ならびに転(てん)運(うん)司(し)の奏するところを見ると，昨年、黄河の水が徐州城下に至ったとき、汝は自ら官吏を率い、兵夫を駆り、監督して、城壁を救い護(まも)った。一城の人民ならびに倉庫、廬舍にいたるまで、漂流、水没の害を免れることができ、ついに全てがもと通りのままであることを得た。黄河は中国にとって長く患いとなっており、その堤が潰えて水が東に注ぎ、溢れて徐州にまで及んだ。汝がいたことで、民は住居に留まり、城郭を増強して、安らかであることができた。朝廷への使者がしばしばこのことを告げ、朕(ちん)は甚だ喜ばしく思っている」

熙寧十（１０７７）年七月十七日，黄河は澶(せん)州曹(そう)村(そん)埽(たい)で決壊し、八月二十一日、徐州城下に水が及んだ。九月二十一日に至って、水の深さはおよそ二丈八尺九寸にまでなり、東西に広がり、北は山に触れて止まった。皆清水で濁流ではなかった。水の高さは城壁の内側の平地よりも一丈九寸ほども高くなり、外壁の東南の隅では水沈するところまであと三版(ばん)となった。

土地の古老がこのように言った。

「かつて天(てん)禧(き)年間に二つの堤を築きました。一つは、小(しょう)市(し)門外の壕(ほり)を絶って南に向かい、少し西に振って戯(げ)馬(ば)台(だい)の麓に至るものでした。もう一つは、新(しん)墻(しょう)門外の壕を絶って西に向かい、折れて城下の南(なん)京(けい)門の北に至るものでした」

急遽人夫五千人を集め、武(ぶ)衛(えい)奉(ほう)化(か)牢(ろう)城(じょう)の兵士も合わせて、昼夜兼行で堤を作った。堤が完成した翌日、水は東南の隅から溢れてきたが、堤に当たるとそこで止まった。

徐州には水門が六カ所あり、まだ水の至らないうちに、薪や芻で土嚢を作って城壁の外側から塞いだ。水が至ってから後は、城壁の内側からも塞いだのだが、どれも恃むに足りないものであった。

城中にはもともと土を掘った大きな坑(あな)が十五あり、外の水と呼応して坑の水位が変化し、水が溢れ出るものもあった。徐州は三方を水に囲まれてしまったために、亜(あ)父(ふ)の塚の東側だけから工事用の土を取ることができた。

町の附城の部分から始まる昔の長堤の址があり、それを大きくして長さ九百八十四丈、高さ一丈、そして幅を倍にした。

公私の船数百艘が風浪のために動けなくなっていたのを城下に繋ぎ、それで河の勢いをそいで水の怒りを鎮めた。

十月五日に至ってようやく水は退き、城は全きを得た。

翌年二月、朝廷より銭二千四百十万が支給され、人夫四千二十三人を集めた。また、備えの常平銭六百三十四万と米一千八百余斛(こく)を放出して、人夫三千二十人を募集し、城外の小城を改築した。木で堤防を四カ所に作った（石が調達できなかったので木を用いた）。一つは天(てん)王(のう)堂の西、一つは彭城楼の下、一つは上(じょう)洪(こう)門の西北、一つは大城の東南隅である。十五あった大きな坑は皆塞いだ。

一方ですでに澶(せん)州霊(れい)平(へい)の堤防が完成したので、黄河の水はもうこなくなった。

臣(わたくし)が思うに、黄河は常に五六十年に一度は決壊する。徐州は古(こ)汴(べん)河(が)と泗(し)水(すい)の下流にあって、上下二百余里にわたって皆山に阻まれ、水が最も深くなり、そして排水が難しいことでは、他の地域と異なっている。恐れるのは、久しい後にまた緊急事態になったときに、役人も民衆もそうしたことをきちんと知らないでいることだ。そこで、皇帝から詔書を頂戴した機会に、この大略を記して、石に刻もうと思う。そして詳細は文書にして役場に納めておく。これを『熙(き)寧(ねい)防(ぼう)河(か)録(ろく)』という。

［補足］（次の災害に備えて今回の経験を石に刻んで残しておくところまで、蘇軾の措置は実に行き届いたものだった。詩にしばしば詠んでいるように、病み衰えて酒を呑んでばかりいたわけではないのである）

■河復

［解題］以上は災害への対応が終わってから書かれた文章であったが、時間を戻して、洪水が引いた直後に詠んだ詩を見ておこう。さすがに蘇軾といえども、町が一面の水の中で孤立して対応に奔走していたときには詩を詠むような余裕はなく、黄河の流れが戻ったことを聞いて、ようやくその喜びを歌うことができた。次のような序文が付いている。

［訳文］

熙(き)寧(ねい)十年秋、黄河は澶(せん)淵(えん)で決壊し、鉅(きょ)野(や)（梁(りょう)山(ざん)泊(ぱく)あたりの旧名）に注ぎ、淮(わい)水(すい)から泗(し)河(が)（南(なん)清(せい)河(が)の旧名）に入った。澶の南、魏(ぎ)より北のあたりでは黄河の水が本来の川の流れを絶って溢れ、甚大な被害となった。彭城（徐州）の城門の下に深さ二丈八尺の水が迫り、七十余日間退かなかった。役人も民衆も懸命に水を防いだ。十月十三日、澶州で強い風が終日吹き、それが止むと、黄河の流れの一筋がもとの道へと戻った。これを聞いて私は非常に喜び、できうれば黄河が塞がれるようにと願った。そこで「河(か)復(ふく)」の詩を作った。これを人々が道々で歌うことで、民衆の願いが神に届けばと思ったのである。これはつまり土地を治める者の志(こころ)なのである。

皆は知っているだろうか、

漢の元(げん)光(こう)年間に黄河は瓠(こ)子(し)で決壊し、

それから二十年ほど後の元(げん)封(ほう)年間にまたしても瓠子で決壊した。

鉅(きょ)野(や)は東に傾いて水が溢れ、淮水、泗河は水でいっぱいになり、

南方の人々は、黄河の魚を飽きるほど食べることになった。

皇帝は予定されていた国の重要な儀式を取り止め、

越(えつ)の巫(ふ)を使わし、河の神を鎮めるために白馬を水に沈めた。

しかし、河の神は、人力を使い果たすまで努めても許そうとせず、

堤防を塞ぐために投じた薪や芻を数限りなく流し下してしまった。

我が宋朝の皇帝の徳は古の堯(ぎょう)のように盛んで、

神々もそれぞれに役目を皇帝から受けるようになったのに、

黄河の神だけがなお驕りたかぶっていた。

天帝は風の神を遣わして黄河の神に命令したので、

ようやく、夜のうちに、水は澶州橋から北に向けて流れることになった。

東の風も氷を吹いていささか助力したので、

これ以上の土木工事をしないでもよくなった。

こうして南方の人々は水が引いた後の土地で、

黄河の水がもたらした泥の上に麦を蒔き、

大木にひかかっている筏を仰ぎ見るのである。

■登望◆亭　　（◆は谷＋共という字）

［解題］高いところから洪水の痕を見て詠んだ詩。

［訳文］

黄河の水が西から漲(みなぎ)りきたときには、

大きな谷間のようなここの地勢が全く失われ、

水の光のただ中に、徐州の城だけがぽつんと存在していた。

突然退くや、水はどこかに消えてしまい。

残された千里の土地では、稲も麻もみな空しくなってしまっていた。

■有言郡東北荊山下可以溝畎積水因与呉正字王戸曹同往相視以地多乱石不果還遊聖女山山有石室如墓而無棺槨或云宋司馬桓魋墓二子有詩次其韻二首

［解題］長い詩題の前半は「ある人が徐州の東北の荊(けい)山(ざん)の下に溝があって、ここに水を流すことができるだろうというので、呉(ご)琯(わん)と王(おう)文(ぶん)誥(こう)と一緒に見に行った。しかし、石がごろごろしていて、思うところを果たせそうになかった」（以下は略す）。次の洪水に備えて、蘇軾はできる限りのことをしようとしていたのだ。2首のうち詩題の前半部分に関連する1首を訳す。

［訳文］

　　其の一

「手を立てて黄河の水を遮る」ということわざがある――

ちっぽけな素手で遮ることなどできるはずがない。

黄河の奔流は、一瞬にして千の家を巻き込んでしまった。

昔、智(ち)伯(はく)は趙(ちょう)の町を囲んで水攻めをした――

そのようなことが実際にできるものか私は疑っていた。

しかし、張(ちょう)湯(とう)は蜀(しょく)への道を整備するのに、

山をまわる坂道を繋ぎ合わせるのではなくて、

谷を穿って水路を通じさせたのだから、

やり方次第では、水を制御することも可能なのだろう。

私は世事に疎いためにこの徐州の地に出され、

苦労の日々を送らなければならなくなった。

私のごとき知事があれこれ対策を立てたところで、

ごろごろと雷様の車の引かれる音が轟いて、大雨が降ったならば、

何の役に立ちもしないと笑われてしまうだけなのだろうか。

［補足］（以上、洪水に関連するいくつかの詩文を見てきたが、この先しばらく別のテーマの詩文が並んで、また洪水に戻る）

■表忠観碑

［解題］杭(こう)州知事の趙(ちょう)抃(べん)からの依頼で、表(ひょう)忠(ちゅう)観(かん)という道教の寺院の由来を記したこの碑文を作った。

［補足］（趙抃は蘇軾より28歳年長の大先輩で、かつて副宰相も務めた官界の大物。王(おう)安(あん)石(せき)が神(しん)宗(そう)皇帝によって初めて副宰相に抜擢されたとき、趙抃は先輩副宰相として、王安石が進めようとする改革を強く批判した。しかし、王安石に国政を任せようとする皇帝の意志は固く、熙(き)寧(ねい)3（1070）年4月、副宰相を辞して杭州知事に転出した。それは蘇軾が改革を批判する意見書を皇帝に提出したすぐ後のことだった（第3章46ページ）。それから1年ほどたった熙寧4（1071）年6月に、蘇軾も都にいられなくなって杭州副知事として転出した。蘇軾が杭州に着任したのは12月で、その直前に趙抃は他州に移り、すれ違いとなった。そして、この年の5月に、趙抃は再び杭州知事になった）

［補足］（この碑文の大半は、趙抃が朝廷に提出した文章の写しで、蘇軾が作ったのは最後の銘文だけである。ここで主題となっている銭(せん)氏の呉(ご)越(えつ)国（唐と宋の間に興った地方政権の一つ）について、蘇軾が肯定的な見方をしていたことは第4章30ページなどですでに見ている。趙抃と歴史認識（ならびに政治的立場）を共有することから碑文の執筆を依頼されたのだろう。銘文は韻文としての体裁が見えやすいように訳してみた）

［訳文］

熙(き)寧(ねい)十（1077）年十月戊(ぼ)子(し)、資(し)政(せい)殿(でん)大(だい)学(がく)士(し)、右(う)諫(かん)議(ぎ)大(だい)夫(ふ)、知(ち)杭(こう)州(しゅう)軍(ぐん)州(しゅう)事(じ)の趙抃は朝廷に次のように申し上げた。

「もとの呉越国の王の銭(せん)氏の墳廟と、その父祖、妃、夫人、子孫の墳(はか)で銭(せん)塘(とう)県にあるもの二十六および臨(りん)安(あん)県にあるもの十一は、どれもが荒廃したままに放置され、土地の父老はそこを通るたびに涙を流しております。

臣(わたくし)が謹んで考えますに、呉越国の最初の王であった銭(せん)鏐(りゅう)は、民衆を兵士として集め、唐末に大乱を起こした黄(こう)巣(そう)を破って走らせ、江(こう)淮(わい)地方にその名が知られるところとなりました。次に、唐朝に背いた劉(りゅう)漢(かん)宏(こう)を八組の兵団を率いて破って越(えつ)州を平定し、それを董(とう)昌(しょう)に捧げ、自分は杭州を拠りどころとしました。ところが、董昌が越州をもって唐朝に反したために、すぐに董昌を討ち取り、越州も合わせて、浙(せつ)東(とう)、浙(せつ)西(せい)の地を平定しました。唐が亡んだ後には呉越国の王となり、その子の銭(せん)元(げん)瓘(かん)に王位を伝え、孫の銭(せん)仁(じん)佐(さ)に至って南(なん)唐(とう)国の兵を破って福(ふく)州を取りました。銭仁佐の弟の銭(せん)俶(しゅく)が王位を継ぎ、再び南唐国を攻め、周(しゅう)朝の世(せ)宗(そう)皇帝の軍団を迎え入れました。その後、ついに宋朝に仕えるようになりました。

呉越国の三世四人の王は、五代十国時代の天下が大いに乱れた時代を過ごしました。このとき各地に豪傑が蜂起し、ほんの数州ばかりの土地に拠って勝手に王を名乗る者が大勢いました。今ではそれらの一族のほとんどが滅び去り、ひいてはそれに従わせられた無(む)辜(こ)の民も子孫が残らないようなことになってしまいました。しかし、呉越国ばかりは千里四方の土地に兵士十万を擁し、山から金属を採り、海から塩を煮て取り、象牙、犀の角、真珠といった富にも恵まれ、天下第一といわれるほどに繁栄し、それでいて臣下としての節義を失うことなく、その時その時の皇帝に絶えることなく貢物を献じ、その地の民は老いて死ぬまで戦争を知らずに過ごし、四季の遊びを楽しみ、歌や鼓の声がいつも聞こえ、今に至ってもそれがそのままに続いています。呉越国の王が民に徳あることはなはだ厚いものがあったのであります。

宋朝が天命を受けて四方の乱れを順次平らげて行ったときに、蜀(しょく)国の孟(もう)氏や南唐国の李(り)氏はその堅固にして遠く離れていることをたのみとして、宋の兵団に城下にまで迫られ、ついに力に屈して勢いが窮まって後になってようやく降参しました。また漢(かん)国の劉(りゅう)氏は死を賭して宋の軍団に抵抗して百回戦い、味方の遺骸を積んで城壁とし、池ができるまでに血を流して抵抗し、ついには宋が天下の力を尽くしてようやく勝利したのでした。ただ呉越国だけは、宋朝からの命令を待つこともなく、府庫に封印をし、土地と人民の帳簿をともに宋朝に提出し、宋朝から統治するための官吏を派遣するよう請い願い、銭氏は駅舎から旅立つ旅人のように王の地位から去ったのでした。宋朝に功績があったこと、実に大きなものがあります。

昔、後漢の時代に竇(とう)融(ゆう)が河(か)西(せい)地方を漢朝に献じたとき、光(こう)武(ぶ)帝は竇融の父祖の墳墓を治めて厚く祀るよう詔を下しました。今の銭氏の功�ｺはほとんど竇融を超えるものがありますのに、百年に及ばない歳月の間に銭氏の墳廟は荒れ、道行く人は傷み嘆くありさまとなっています。これは忠臣を褒め、民心を慰めるという道理に反するものであります。

臣(わたくし)が願いますに、竜(りゅう)山(ざん)にある廃れた仏寺の妙(みょう)因(いん)院の址を道教の寺院とし、そこに銭氏の子孫で道士となっている自(じ)然(ねん)という者を居させ、銭塘県にある墳廟をこの自然に管理させるとともに、臨安県にあるものはその県の浄(じょう)土(ど)寺の僧で道(どう)微(び)という者に管理させ、一年にそれぞれその弟子から一人ずつを道士、僧侶にし、世々この仕事を掌らせて、その土地からの収入をもって建物を維持させるようにしたいと考えます。もしそれらの者がきちんと仕事をしない場合には、県の役人が監督指導し、ひどい場合には管理者を交替させるようにします。こうすれば永久にこのことが続き、朝廷が銭氏を優遇する意(こころ)を表すのに適いましょう。臣(わたくし)は死を犯して以上のことを申し上げます」

これに対して朝廷からは「よろしい」との裁可が下り、妙因院には改めて表(ひょう)忠(ちゅう)観(かん)の名が与えられた。

銘に曰く。

天目之山、苕水出焉。（苕(しょう)渓(けい)の水が流れ出る天(てん)目(もく)山(さん)）

竜飛鳳舞、萃於臨安。（そこは竜が飛び鳳凰が舞い集まるところ）

篤生異人、絶類離群。（ここに生まれ出たのは、人と大きく異なる者（すなわち銭鏐））

奮挺大呼、従者如雲。（かの者が奮起して呼べば雲のように集まり従う人々）

仰天誓江、月星晦蒙。（天を仰ぎ川に誓うとき、月も星も暗く、ただ輝くのはかの者）

強弩射潮、江海為東。（かの者が潮を射るなら、海も東に退く勢い）

殺宏誅昌、奄有呉越。（劉漢宏を殺し董昌を誅し、樹立した呉越国）

金券玉冊、虎符竜節。（その功を刻むのは金券、玉冊、虎符、竜節）

大城其居、包絡山川。（大きな町を作り、取り囲む山と川）

左江右湖、控引島巒。（町の左は大河、右は湖、遠くに控える島々）

歳時帰休、以燕父老。（時に故郷に帰って、父老を集めての酒宴）

曄如神人、玉帯球馬。（玉(ぎょく)帯(たい)を纏って馬にまたがった姿は神のよう）

四十一年、寅畏小心。（己を戒めて天に仕えて在位四十一年）

厥篚相望、大貝南金。（呉越国には次々に集まりくる宝玉を納めた箱）

五朝昏乱、罔堪托国。（ときは五つの王朝が乱れ立ち、民には生命を託す国はなく）

三王相承、以待有�ｺ。（ただ呉越国だけは民に徳があり、継承した三代の王）

既護所帰、非謀非咨。（すでに帰順すべき皇帝を得れば、謀ることなく即決）

先王之志、我維行之。（後代の王が行ったのは先王銭鏐のもとからの志）

天胙忠孝、世有爵邑。（天は銭氏の忠孝を褒め、代々保つ爵位と領地）

允文允武、子孫千億。（銭氏は文武に優れ、繁栄する子孫は千億）

帝謂守臣、治其祠墳。（ここに皇帝は大臣に命じる――銭氏の祠墳を治めよ）

毋俾樵牧、愧其後昆。（樵や牧人によって荒らされ、銭氏の子孫が恥じぬようにせよ、と）

竜山之陽、巋焉新宮。（竜(りゅう)山(ざん)の南に新たに築いた堂々の宮）

匪私於銭、唯以勧忠。（それは銭氏を特に贔屓するのではなく、忠を勧めるため）

非忠無君、非孝無親。（忠がなければ君はなく、孝がなければ親はない）

凡百有位、視此刻文。（あらゆる官吏はここに刻んだ文章を見るがよろしい）

■贈写御容妙善師

［解題］徐(じょ)州に肖像画を得意とする妙(みょう)善(ぜん)という僧がいた。その妙善が画いた仁(じん)宗(そう)皇帝の肖像を見ての詩。

［訳文］

憶い出すに、

私は昔、仁宗皇帝の御前で制科の試験を受けた。

珠の簾に翡翠のカーテンのかかる廂(ひさし)のところで、

紫の衣を着た皇帝の使いの者から詔が下され、

跪いて捧げ持つと、天からの香りがほんのりただよってきた。

仰ぎ見ると眩い光に目がくらみ、

ただ東の海から暁の色が開かれるかのようだった。

試験が終わると、

皇帝はお帰りになるべく迎(げい)陽(よう)門から歩み出られ、

皇帝に付き随う前後の飾りが廊下を明るく照らした。

私のような野人は皇帝のお顔を見知ることはできなかったが、

それでも皇帝の瞳の光ばかりは記憶に刻まれた。

私は制科に合格すると鳳(ほう)翔(しょう)で三年間の任に就き、

帰ってくると、真に一つの夢、

仁宗皇帝の御陵に凄然と風が吹いているのだった。

仁宗皇帝の天容玉色は誰にも描けるものではなく、

老先生は古寺に篭って昼も戸を閉ざし、

夢の中で神から技を授けられて心に得るものがあり、

覚めて後に、筆のあるのを忘れて手に任せて描いたのだった。

私は老先生の庵に入れていただき、

仁宗皇帝が普段のお召し物で、厳として動かずにお立ちになっているのを見て、涙が止まらなくなった。

傍らには立派な髯や眉の元老が控え、

虎のような武臣が長い剣を持って立っている。

老先生は竜や鳳のような高貴な方だけを画き、

草の間に住む猿やら鹿やらを画くことは決してないので、

都の人が老先生の鉄の門を踏み破ぶって頼みにこようが、

黄金やら白い璧(たま)を床に山と積んで頼んだところで聞くことはない。

ところが近ごろ私を画いて下さることになったのは、

私が仁宗皇帝にお仕えしたことのある白髮の老人の一人だからであろうか。

かくて老先生の画いて下さった絵を見て、

鏡を見るまでもなく了解したのは、

かように老いぼれになったのでは、

明年にも身を引いて故郷に帰るべきだということ。

■哭刁景純

［解題］杭(こう)州時代に親しくした潤(じゅん)州の刁(ちょう)約(やく)（字は景(けい)純(じゅん)）（第4章163ページなど）の訃報を聞いて詠んだ詩。刁約は蘇軾よりも42歳上の大先輩。

［訳文］

書物を読んで先人に思いを馳せると、

いつももっと早く生まれなかったのを残念に思う。

それでも、何かと道を誤りやすい若い時分に、

私はこの老先生に会うことができ。

老先生は松や柏のように霜や雪にあっても枯れることなく、

ごく小さな芽から、自分自身を養って、ひと抱えもある大木に到った人である。

宏(こう)材(ざい)（優れて汎用性のある木材）は手近な用にはなかなか役立たないので、

千年間も抛っておかれたままで、枯れて倒れてしまうようなことが多い。

魏(ぎ)の正(しょう)始(し)年間は学問が盛んで、

後に学術が衰えて再び興ってきたときに、

また「正始の音」を聞けるようになったといわれたものだが、

老先生の文章はまさにその趣があり、

白髪になるまで変わらない風節を貫いた。

普段から人のために努めるばかりで、

自分自身のためにすることはほとんどなかった。

是か非かは一つには決めがたいもので、

老先生の論じるところは反覆して看るとますます好いとわかってくる。

私は先に呉越地方を巡り、

酒を把って老先生の長寿を祝った。

朝でも夜でもかまわずに老先生の門を叩き、

かの龐(ほう)徳(とく)公(こう)のようにどちらが主人であるかわからないほどに親しく接してくださり、

老先生のもとに百度立ち寄っても、

かの漢の高祖が若いころに友人を連れて伯母のもとにたびたび立ち寄って、

疎まれてしまったようなことはなかった。

最後に別れたときに老先生はすでに八十歳、

後にまた会えることは保証し難いと思った。

昨日友人からの手紙で、

昨年は老先生の奥様が亡くなり、

今年は老先生が亡くなったと知らせてきた。

潤(じゅん)州の人々は、范(はん)橋(きょう)から下を覗いて、

冷たい水に藻が所在なく揺れ動くのを見て、

心を傷めているであろう。

飼われていた馬は、

家の内に主人がいないので、

痩せて空しく老先生を慕って嘶いているであろう。

所縁(ゆかり)の水辺にもはや老先生の姿が映らないのを想うと、

遠くここで私は慟哭するばかである。

私はそちらに行き、匏(ひさご)に水を酌んで墓に詣でたいと思うのだが、

老先生が親しく岡に植えた一万本の松が、

手入れする人もなく秋の草に埋もれてしまっているのを、

見るのは忍びない。

■答呂梁仲屯田

［解題］先に重陽の節句に大水に阻まれてくることのできなかった仲(ちゅう)伯(はく)達(たつ)（本章213ページ）から詩が届いたので、それに答えた詩。

［訳文］

彭(ほう)城(じょう)県の周りを、多数の山が折り重なるようにして囲っている。

仲君の官居は、その山の一つ、滝のかかる呂(りょ)梁(りょう)にある、

そこはもの寂しいところで、民は鹿とともに暮らしている。

小さな市場はさびれて鶏や豚さえ売られていない。

黄河の水が西からきたときに、初めはそうだとはわからなかった。

いつもは清らかな泗(し)水(すい)がなぜか濁って勢いを増したのを訝しく思ったのだった。

夜には、沙の岸辺でおうおうと鳴るのが聞こえ、

暁には、雪のような白い浪頭の上に巨大な魚が浮ぶのが見えた。

呂梁は昔からこのあたりの要(かなめ)の地とされていたのだが、

万頃(けい)もの広大な土地があっと思う間なく呑み込まれてしまった。

水はたちまち町に流れ入り、村をも巻き込んだ。

役人も民衆も走って逃げ、ただ仲君だけが留まった。

打つ手はなく、路は断たれてどこにも行けず、

仲君は壊れた家で愁いに沈む鳶のように蹲(うずくま)って詩を歌うしかなかった。

冬の寒さがきて、霜が重く降るころになって、

屋根の瓦に沙の痕を留めて、水は退いていった。

人々が町に戻ってきて顔を合わせると、

あたかも夢であったかのようで、

かろうじて魚や大亀の餌にならなかったのを喜んだのだった。

仲君は惜しまずに酒や食べ物を用意して、

人々と笑って話して歌って踊った。

念うに、いま仲君の官舎は冬の氷雪の寒さ、

私のこの詩とともに酒を送るので、少しでも温まっていただきたい。

人生とは寄せるようなものであるのだから、

いささかでも楽しむべきではなかろうか。

昔からいうように、黄昏時から蝋燭をたくさん灯して遊ぶのがよいのだ。

堤防はまだ築かれておらず、淮(わい)水(すい)、泗水には水が満ちている。

黄河の以前の道は消えてしまって、洪水の傷が残っている。

来年の労苦は、きっといまよりも甚しくなるであろう。

私も人々の先頭に立って土を運ぶつもりだ。

仲君に頼みたいのは、

万の指とともに、千の鎚(つち)を雷のように鳴らして固い岩を撃って、

山の根を切ってもらいたい。

そうすれば、町は高く鉄のような壁で守られ、水路が快く通って、

水が勢いよく流れるのを笑って眺められるようになるであろう

農民が臂を振って働いてくれれば、飢饉を脱して、

秋には野に雲がむらがるように穀物が稔るのを見るようになるだろう。

そのときには、仲君ために、脚をへなへなしてしまうような強い酒を置いて、

太鼓を叩いて囃し立てながら、金の樽を傾けようではないか。

■臨江仙

［解題］蜀(しょく)の人、王(おう)緘(かん)が徐州にきて、帰郷するのを見送った詞。王緘は先に亡くなった蘇軾の最初の妻の王(おう)弗(ふつ)の弟であるとの説があり、それに従ってここでは訳す。

［訳文］

忘却成都来十載、（故郷のこと（そこに埋葬した妻のこと）を忘却して十年）

因君未免思量。（君に因(よ)って戻ってきたのは免れることのできないこの感情）

憑将清涙灑江陽。（君に憑(よ)って、故郷の川に注いでもらいたい我が涙）

故山知好在、（故郷の山はもとより好(よ)いままにあり）

孤客自悲涼。（私は独りここで悲しみ傷むのです）

坐上別愁君未見、（送別の席上での愁い、そして君がまだ見ていないのは）

帰来欲断無腸。（君が帰った後で、跡形もなくずたずたに断ち切られた私の腸(はらわた)）

慇懃且更尽離觴。（さらに尽くそう、離れがたき別れの觴(さかずき)）

此身如伝舎、（私の身は宿場の駅舎のようなもの）

何処是吾郷。（どこでもあってもそこが故郷なのです）

［補足］（この詞の最後は、本章138ページで見た「東(とう)武(ぶ)の流(りゅう)杯(はい)に別れる」の詩にあった「官僚の住まいなんぞは宿場の旅館のようなもの」というのと発想が共通している。官舎も駅舎も次々に人が通過していく場であるのだが、（ある種の思考の飛躍をもって）官舎や駅舎とそこを通過する人とを同一視し、（さらに飛躍して）どこもが故郷であるという思いが生まれるのだろう）