第12章 南の島の暮らし――海南島
［第12章その二］
元符元年［1098年］、蘇軾63歳。
■【12-2-001】上元夜過赴儋守召、独坐有感
【解題】この詩には蘇軾自身の注で「戊寅の歳」との添え書きがあって、元符元年の作であると知れる。1月15日の上元節の夜、息子の蘇過が儋州［昌化軍］知事の張中に呼ばれて出掛け、蘇軾は独り家に残って思うところをこの詩を詠んだ。
【訳文】
知事殿が酒を置いて招いてくださるのだから、
そなたは約束を守らなければいけない。
留守を預かるくらいのことならこの老人でも間に合う、
独りでとにかく扉を閉めていればよいのだから。
静かに、月明かりが射す窓を見ていると、
蜥蜴が盤っている。
臥して、風が幔を吹く音を聞いていると、
ぽとりと蛜蝛［虫の名］が落ちる。
燈火から垂れた蝋がたっぷり結ばれるまで、
私は夢の中にあり続ける。
篆字のようなかたちに煙を挙げる香が消えるときになって、
そなたはそろそろ帰ろうとするのだろう。
白髪頭を掻きつつこの十年の変転を思うに、
上元の夜の宮中からの帰り道、
朝衣［宮中の儀式で着る衣装］の内にはたくさんの伝柑があったのだった……。
【補足】［最後の句は、5年前の元祐八年の上元節を回顧したもの。そのとき蘇軾は皇帝主催の宴に出席し、終わりに黄柑が配られた。それを伝柑という。いただいた黄柑を家に持ち帰り、妻に渡した［→作品番号10-3-003］。蘇軾は華やかな宮中での宴を懐かしむのではなく、いまは亡き妻に黄柑を見せようとしていた帰路の気持ちを思い出しているのであろう］
■【12-2-002】次韻子由浴罷
【解題】弟が湯浴みをして詠んだ詩に次韻した。
【訳文】
髪を整え、櫛の千本の歯で浄く梳いて、風に乾かす。
息を閉ざすと、万の毛穴が外へと通じて、頭から悪いものが霧散する。
この気分は湯を浴びるよりも勝り、乾浴と名付ける。
うっとりとして言葉も失われ、
静かに黙って天地が蘇るのを見る。
たまに薪や水を用意して、腰や腹を洗おうとすることもある。
海南島には陶匠がいないので、湯浴みのための大きな器を用意できない。
というわけで、
老いた鶏が土にまみれて羽を振るい、目をつむって横になる……
疲れた馬が埃にまみれて鬣を振るい、玉の汗を飛ばす……
私はそれとほぼ同じようなことをしているのである。
汚濁と清浄は、その特性を異にしているようではあるが、
それぞれに実は快さがあるのだ。
紗を通して見るなら、竈の火も雲母のきらめき、
臥せて見るなら、竹の蓆も琉璃の輝き、
夢の中ではっきり覚めていることもあり、
慣れないものもだんだんに馴染みとなる、
つまりは感じ方一つなのだ。
枕元に『楞厳経』を置き、時に妙偈を仰ぎ読む。
我が本性が照らし出されて、
独り何物にも依存するところがなくなる。
とはいえ、まだ禅の奥義を知るには至らないから、
せいぜい占いにでも頼るのがよいのかもしれない。
とにかく、心を安んじることができるならば、
自ずと得るものがあるのだろう。
それを得ようと無理に急いではならない。
【補足】［弟への詩は時に難解で、これはかなり飛躍した「ずっぽ訳」である］
■【12-2-003】借前韻賀子由生第四孫斗老
【解題】弟の蘇轍に四人目の男の孫である斗老が生まれたので、上の詩の韻を用いて誕生を祝う詩を作った。
【訳文】
今日は、冠を弾いて新たに沐浴し、
重苦しい憂いもさっぱりと消え去った。
そこに、万里の向こうから報せが来て、
孫が生まれて三日目の湯浴みをしたと聞く。
占いに「朋来たる」は吉相とある、
君のところに四人の男子［孫］が来たのは実に結構ではないか。
手紙を開いただけで、歓びが我が顔に現れ出て、
まだ酒を飲まないうちから、腹に春が生じる。
君は無官であるからその身は軽く、
子が有るだけで万事はもう足りるであろう。
君の家では、皆が吉い夢を見てその子の誕生を待ち、
その子の優れた顔つきが凡人の目を驚かしたことだろう。
眼から電光のような光を放ち、
玉のような頭を高く持ち上げたのだ。
とにかく筋骨を強くさせるのがよい、
土を耕し水を注ぐことができるようになる。
文章が上手になる必要はない、
やたらと紙や筆を使ってしまうだけなのだから。
君はいつ故郷に帰るのかい、
僕の計画はもうとっくに決まっている、
五台の車をいっぱいにするだけの書物があるから、
君と僕の九人の孫に読ませるのだ。
書物に学ぶなら、
ひと椀の飯と水さえあれば、心の内には十分な楽しみがある。
大官の乗る車や大官がかぶる冠などに目をくれることはない。
适君［今回の孫の父］は僕に似ているとよく人がいうので、
今後の運命はそれでほぼわかるというものだ。
だから、ろくでもないことが起こってしまう前に、
二頃の農地を持つ算段をするのがよく、
八州の知事を歴任するのを望んだりするのは論外である。
【補足】［（1）最後の句には、自分は八州の知事を務めてきたと、蘇軾自身が書き添えている。（2）詩の題に「第四孫」とあり、詩中では蘇軾、蘇轍の孫は合わせて「九子」としている。どちらも男子だけの数で、女子は含まれていない］
■【12-2-004】過於海舶、得邁寄書、酒。作詩、遠和之、皆粲然可観。子由有書相慶也、因用其韻賦一篇、并寄諸子姪
【解題】この詩の題は「海を渡ってきた船によって、（長男の）蘇邁から寄せられた手紙と酒を得た。（三男の）蘇過は遠く蘇邁の詩に和した。二人の詩は粲然として観るべきところがある。また、弟から手紙がきて二人のことを褒めていた。そこで蘇邁のもとの詩の韻を用いて和し、息子や甥たちに寄せることにした」。
【訳文】
私は老いた牛、
いくら鞭で打ってももう動かない、
雨に脚を滑らせ、
泥が深くて四つの蹄は重い。
諸君らは若い牛、
走るも戻るも自由自在、
海が広かろうが、山が高かろうが、百里の道もあっという間だ。
私が願っていたのは我が門戸に立派な子らがあること、
近隣に我が友人がいなくてもちっとも構いはしない。
いつか諸君らがそろって集まったなら、
夜中まで舞い踊って酒甕を踏み割るばかりの勢い、
私は眼を洗って諸君らのその騒ぎを見るのだ、
そのときに、我が腹がやたらに大きくてただの空洞であるのを、
どうか笑わないでくれたまえ。
子を褒めるのは二人の老人［蘇軾と弟］の妙な癖ではあるが、
先祖が積んだ徳が三世にわたって及んでいるのを称えているのであって、
その徳があることから、我等の万一の生還もきっと許されるであろうし、
さらには、故郷において九十歳を越え、
皇帝から長寿のお祝いを賜ることだってあるのかもしれない。
そのときに、諸君ら六人は朝早くから飯を携えて農耕に出て行き、
その妻たちは夜遅くまで灯火のもとで糸を紡ぐのだ。
我が家の学問といえば歴史の研究であって、
詩文など作ったところでそのときにちょっとした評判を得るだけだ。
学問は世を照らすためにある、
富貴は腐った土くれのようなもの、
夢に見る価値さえもない。
■【12-2-005】和陶形影神
【解題】ある記録によると、2月23日に、陶淵明の『形影神』の詩を書いて蘇過に示し、同時にその3首に和した。陶淵明の『形影神』の詩については、蘇軾がそれに対して少しく異議を唱えた詩を作品番号09-2-070見ている。そのときはまだ陶淵明の詩に和すということを始めていなかったので、ここで改めて次韻したのである。なお、「形」とは肉体、「影」とは文字通りのシャドウでありまた生命力の象徴、「神」とは精神である。
【訳文】
形贈影［形が影に贈る］
天地は常に変わらずに運行し、
日も月も閑にしているときはない。
何事もなく運行する中にも何かがあって、
働いたり止まったり、推し進めたりしているのだろうか。
細やかに観察すると、私［形］と君［影］は、
お互いに因り合って人というものを成している。
物の変化に従ってたちまち移りゆくものであるから、
生まれて滅びるときがあって、永久に一緒にいられるわけではない。
夢をみているときには私は静かにしていて、
じっと何も思うものはないはずであるのに、
夢の中でも、悲しかったり楽しかったりして、
それによって涙があふれたりするのはどうしてなのだろうか。
私が酔って舞うと君が乱れ動くのを見る。
私と君が互いに応じ合っていることに少しも疑いはない。
つまり、酔ったときに君が乱れて語るのは、
夢の中で私がいう言葉への答えなのである。
影答形［影が形に答える］
絵描きが君［形］の容を写すとき、
君がいつも恐れるのは画師が下手であること。
私［影］は月や燈火に依って現れ出るのだが、
画も私もまことに君にそっくりではないか。
美しいのか醜いのかということはもとより君にあって、
私はどちらであれ媚びたり悦んだりすることはない。
君は火の上にのぼる煙のようなもの、
火が消えると君は火と別れなくてはならない。
私は鏡の中の像のようで、
鏡を割ったからといって私が消滅するわけではない。
私は晴れたり曇ったりすることには依存するけれど、
暑さや寒さの作用を受けることはない。
私は無心で物に因って生じるもの、
千変万化して尽きることがない。
酔うも醒めるも夢であって、
形と影に優劣などはないのである。
神釈［神が釈く］
二人［形と影］は、もともと私［神］とは関係がなく、
最初は物に因って現れ出たのであった。
二人は老いて衰えるだけでなく、
いつも前に及ばないと思うのである。
君らは堅い金石ではないので、
いつまでも長く付託し合えるものではない。
老子の言葉に従えば君らの悩みが解決するというわけでもなく、
仏陀の言葉を用いれば君らが理解できるようになるというわけでもない、
仙人の山も仏陀の国も、
恐らくはどこにもないのだろう。
陶淵明の言う通りにしようではないか、
家を酒の中に移して住むのである。
それでも酔いも醒めるし尽きるときがあって、
もろもろの運命から逃れられるものではない。
普段から子供の戯れのようなことを追いかけて、
あちこちに為したあとを遺してきた。
それで至る所で人が集まって、
それを見て、褒めたり貶したりしている。
ならば今こそ人を使って、
好悪ともにすべて焼き尽くしてしまうのがよいだろう。
そうすればもはや背に負う苦労もなくなり、
盗まれてしまうのを懼れることもない。
孔子も晩年には悟ったのだ、
「天下について思慮するまでもない」と。
【補足】［形、影、神の三者の関係は、本来は緻密に議論すべきテーマなのだろう。詩という形式を用い、そこに蘇軾の思索の特徴が加味されて、飛躍を重ねて結語に至っている］
■【12-2-006】与張逢
【解題】雷州知事の張逢［→作品番号12-1-029］に宛てた手紙。
【訳文】
弟が深い御庇護をたまわり、ひとつひとつ感謝しようとしても言葉もありません。新たな春となり、海のほとりでの嘯詠の余りをお寄せしますので、お楽しみの足しにでもしてください。島での孤独の寂しさには、春の色は到りません。。
■【12-2-007】和陶使都経銭渓
【解題】陶淵明の『乙巳の歳三月、建威参軍と為り、都に使して銭渓を経る』という詩に和した。蘇軾の詩には、「城の北の謝氏の廃園に遊んで作る」との添え書きがある。
【訳文】
高い木に蒼い藤が巻き付いて、
積み上がった雲が崩れ落ちてくるかのようである。
（かの建康の）謝家の軒端の燕ではないけれど、
昔の日々を悲しんで鳥は語り合っているのだろうか。
仰ぎ看るのは桄榔の樹、
その頂では（二千年を経た）玄い鶴が長い翼を広げて舞うのだろう。
新たな年を迎えて荔子は実を結んだけれど、
この家［廃園］の主人は黄色い土を隔てたあちらの世界に行ってしまった。
渓川の陰は私の庵を建てるのによさそうだ、
薪や水をとる労力を省けるだろう。
いくらかでも売り払うものが私にあるのなら、
五畝の土地と換えられるのだろうが……。
恐れるのは、不吉な未来を告げるという鵩鳥［ミミズクの仲間］が来て、
我が人生がまたしても滅茶苦茶になってしまうことだ。
せめて誰かここに槿を挿しこんで、
崩れかけている庭を守る垣根を作ってはくれないだろうか。
【補足】［（1）3句目の「謝家」の句は、廃園のもとの持ち主が謝氏であったことから、唐の時代に劉禹錫が建康［南京］で詠んだ有名な「旧時王謝堂前燕」［旧時の王謝堂前の燕］の句を連想したもの。かつて建康は南朝の都として、王氏、謝氏といった大貴族の大邸宅が並ぶ繁栄を見せていた。そのころに貴族の家に出入りしていた燕がいまでは普通の民家に巣を作っていると、劉禹錫は世の変転を詩に詠んだのだった。（2）「玄鶴」は二千年を経て黒くなった鶴。廃園の雰囲気からいかにもそのような鶴がいそうな気がしたのだろう］
■【12-2-008】与程全父
【解題】蘇軾が海南島いる間にしばしば手紙のやりとりをした相手の一人に程全父［字は天侔］［→作品番号11-3-049］がいた。程全父は広州の役人で、蘇軾が恵州にいた間にも何かと支援してくれていたし、海南島に着いてからもそれは変わらずに続いた。程全父に宛てた何通かの手紙からまず一通だけ読んでおこう。
【訳文】
近ごろ呉復古君から手紙を得ました。呉君はいたってお元気でありますが、陸道士［陸惟忠］は病からついに起つことがなく河源県に葬られたとのことです。前に会ったのはまことに一つの夢のようであります。私もまた病に倦んで外に出ることはなく、訪ね来る者もなく、門を閉ざしてただ壁に向かって過ごしています。
新居は昌化軍の街の南にあって、極めてじめじめしたところで、おおむね竹や木に覆われ、もやもやとした雨につつまれると、現地の人々が船や洞穴に住んでいるのと変わるところがありません。
贈ってくださったお酒はすばらしいもので、かつて恵州におりましたときに梅州の酒は最高であると思っていましたが、これはそれを遥かに超えます。牢落中に一酔の適を得ますのは、実に小さなことではないのであります。
【補足】［（1）最初に呉復古［字は子野］について触れている。海を渡って海南島に蘇軾を訪ねた呉復古［→作品番号12-1-034の其の七］は潮陽に帰り、手紙で陸惟忠が亡くなったことを報せてきた。そのことについては次の作品で見る。（2）「新居」とあるのは、春の終わりないし夏の初めに転居したことを指し、この手紙はその後に記されたものである。（3）最後は程全父が贈ってくれた酒への謝礼である］
■【12-2-009】陸道士墓誌銘
【解題】上の手紙に書かれていた陸惟忠は、蘇軾と同じく眉州眉山県の出身で、黄州にも恵州にも訪ねてきた道士である［→作品番号11-3-042など］。陸惟忠が亡くなったことを呉復古からの手紙で知った蘇軾は、すぐに陸惟忠の墓誌銘を記して呉復古に送った。時間の順序からすると、上の手紙はこの墓誌銘よりも後に書かれたものであるのだろう。
【訳文】
道士陸惟忠、字は子厚は、眉山の人である。家は代々、黄冠［道士のかぶる冠］の師であった。陸惟忠は独り潔さを求めて厳しく精進し、他の人々と離れ、遠く旅をした。
私とは黄州で初めて会った。詩を見せてくれて、内丹と外丹［自身の鍛錬で内側から命を養うのが内丹、外側から霊薬を入れて生命を養うのが外丹］の概略が論じられていた。それによって不死がきっと得られると考えていた。私は陸惟忠にこのように告げた。「あなたの神［精神］は清く、しかし骨［肉体の本質］は寒い。その清さは仙人になれるものがあろうが、その寒さは死をもたらすものであろう」
それから十五年後に、恵州に来てまた会った。そのとき陸惟忠は痩せる病のために、衣を着ていても骨格が現れ出ていた。詩はますます巧みで、内丹、外丹について詳しく論じていた。陸惟忠はこのようにいった。「私は寒さに坐して死にます。ずっと養生を続けてきましたが、不死には至りませんでした。失敗したのは、自分と外物を区分けしたために、自身の生命を害ってしまったからなのでしょう」。私はいった。「そのようであるのでしょう。あなたがもしも亡くなったなら、きっとまた道士となって、その志を究めるでありましょう」。そのとき私はたまたま黑玉のような美しい石を持っていたので、「これをあなたの墓の印とされるとよいでしょう」といって渡した。陸惟忠は笑っていった。「はなはだ幸いであります」
この後で、陸惟忠は私のもとから去って河源県［恵州に属する］の開元観に行って、県知事の馮祖仁の客人となり、私は海南島に謫された。
その歳の五月十九日、ついに病のために陸惟忠は亡くなった。五十歳であった。馮祖仁は開元観の裏に葬った。紹聖四年のことである。
銘に曰く、
嗚呼多芸此黄冠、［ああ、この多芸な道士よ］
詩棋医卜内外丹。［詩も碁も医も占いも内丹も外丹もよくした］
無求於世宜堅完、［世間に立派なものを求めることはなく］
亀饑鶴痩終難安。［亀は飢えて鶴は痩せてついに安らぎを得るのは難しかった］
哀哉六巧坐一寒、［哀しいことに、六つの芸に巧みであっても一つの寒のために］
祝子復来少宏寬、［少し病が緩むときがあっても］
毋復清詩助痟酸。［その優れた詩が病の癒えるのを助けることはなかった］
竜虎尤成無或奸、［竜［すなわち水］と虎［すなわち火］の作用はきっと成就するところがあって］
往駕赤螭驂青鸞。［仙人となって赤螭にまたがって飛び、青鸞に乗って走っているであろう］
【補足】［（1）これによると、陸惟忠は前年の5月19日に亡くなっていて、それは蘇軾が弟とともに雷州に向かっていたころであった［→作品番号12-1-008］。（2）螭は竜の一首、鸞は神秘的な鳥］
■【12-2-010】海南人不作寒食、而以上巳上冢。予携一瓢酒、尋諸生、皆出矣。独老符秀才在、因与飲、至酔。符蓋儋人之安貧守静者也
【解題】この詩の題は、「海南島の人は寒食の行事を行わない。上巳の日［三月三日］に墓参りをする。その日、私は一瓢の酒を携えて何人か尋ねたところ、皆外出していた。ただ符秀才老人だけが家にいた。それで一緒に飲んで酔うに至った。符秀才は儋人で貧に安んじて静を守る者である」。符秀才は名を林といい、「秀才」と記されているから、かつて科挙の受験に挑もうとしたことのあるような読書人なのだろう。
【訳文】
墓参りをすると、
紙銭を焼く灰が空へと飛び、
空から烏が来て供え物の肉を銜えて行く。
万里の彼方の故郷、
そこでもいまそのようにしているだろうか。
昔、李白は蒼耳［薬草の名］の茂る林を歩いていて道を失い、
隠者に出会って詩を詠んだ。
――いま、それは私である。
昔、龐徳公は諸侯の招きを受けたけれど、
ついに故郷の鹿門山に還って隠棲した、
――いま、それは符老人である。
昔、管寧は世の乱れを避けて辺境の地に逃れたが、
老いて後に帰郷することができた。
――いま、私はそのようになるであろうか。
昔、王式は都に出たためにつまらない辱めに遇い、
「もとより来ることを望まなかった」のだといって帰った。
――いま、符老人はもとより都に行くことはない。
長く覚えておくがよい、
上巳のこの日、町の南で
木棉の花が落ち、刺桐の花［紅い南方の花］が開くところで、
李白と龐徳公、あるいは管寧と王式が出会ったことを。
【補足】［これより前の、蘇轍の2月20日の60歳の誕生日に合わせて海南島の産物である沈香に賦を添えて贈っている。その賦を味読するには香木についての深い知識が必要であるので、残念ながら訳出することができない］
■【12-2-011】衆妙堂記
【解題】広州の道士の何徳順［崇道大師］［→作品番号11-1-063］の依頼に応じて『衆妙堂の記』の一文を記した。これは蘇軾の幼いころについて知る材料として作品番号01-2-002ですでに見ているが、改めてここで読んでおく。
【訳文】
眉山の道士の張易簡は「小学」で教え、いつも百人ほどの生徒がいた。私も幼い頃にその一人であった。学校は天慶観の北極院にあり、三年ほど張先生について学んだ。
私はいま海南島に流され、ある日、夢に学校に行き、昔のままの張先生とお会いした。
庭も部屋も掃き清められていて、先生は誰かが来るのを待っているかのようだった。
「老先生がじきやってこられるのだ」
張先生はそう言った。
すると、二人の者を連れて老先生が現れた。二人は『老子』の言葉を朗唱した。
「玄のまた玄、衆妙の門……」
かつて私も張先生の学校で同じように朗唱していた。
私ははたと思った――「玄」のまた奥に「玄」がある。そのまた奥の奥にものの根源、「妙」がある。その「妙」からたくさんの「妙」が出てくる。だから、「衆妙の門」という。ならば……
私は張先生に尋ねた。
「妙とはものの根源、そうならばそれは一であるのではないでしょうか。一でありながらどうして衆を容れられるのでしょうか」
張先生は笑って言った。
「一だけではつまらんだろう。つまらなくては妙ではあるまい。本当に妙なら、たくさんあったほうがよくはないかな」
張先生がそのように言うと、二人の者の一方は水を撒き、一方は草を刈り始めた。
「おのおの一つの妙を見せてくれるであろう」
張先生がそう言ったので、私は注視していると、二人の者は手をものすごい勢いで動かし、庭の内で風雨が渦巻いた。たちまち雲が散じ、霧が晴れると、見たこともない花々があたり一面に咲き乱れ、無数の鳥や虫が輝く姿を現した。
私は驚き、
「これが衆妙なのでありましょうか」
と、言った。
一人の者が言った。
「何のこれしき、あなたはまだ真の妙を見ていない。我等の技はまだまだ道半ばで、これより先は空の空へと入り行き、そこは行こうと思って行けるところではない」
もう一人の者が言った。
「あの蝉を見るがよい。蝉は木に登って鳴き続けて止むときがない。蝉は木に登ろう、そして鳴こうと思ったから、あのようになったのではない。地中の闇にいたときには、見ることもなく聞くこともなく、飢えることもなく渇くこともなく、ぴくりとも動かずにじっとしていた。あるとき忽然と地上に現れ出て、あのようになった。いかなる聖人の知恵も及ばず、いかなる名工の技も及ばない」
すでに姿を消していた老先生の後を追って二人の者は庭から出て行こうとした。
茫然としている私に向かって張先生は言った。
「まあ、心を落ち着けるがよい。老先生がまたこられたときにさらに問うてみよ」
すると二人の者が振り返って言った。
「老先生も御存知ではない。蝉に問うべきである。養生と長生が得られるであろう」
――夢はここで終わった。
広州に道士の崇道大師の何徳順がいる。道を学んで妙に至る者である。堂を作って、「衆妙」の額を掲げた。海南島に手紙が来て、そのことについて書いてほしいとの依頼があった。私は書くだけの暇がなく、ただ夢の中の話を記して、崇道大師への返事とするものである。
元符元年三月十五日、蜀人の蘇軾が書く。
■【12-2-012】祭柳仲遠文
【解題】夢に少年のころに返っていた蘇軾のもとに訃報が届いた。柳子文［字は仲遠］が亡くなったのだった。柳子文は、蘇軾の伯父の蘇渙の娘の夫である［→作品番号10-1-003など］。柳子文を祭る文章を書いてその霊に捧げた。祭文の前半を訳す。
【訳文】
嗚呼、哀しいかな、私は生まれてより多くの親しい人がいて、老いるにつれてますます皆が困難の内にあり、日々に変わり日々に遷って、いまは何人がいるのか。逝く者は風のように去り、ここに年を越えて訃報が届いたのだった。ひとたび慟哭すれば、海は荒れ、胸は砕かれ、肝は破れるばかりである。いたましいかな我が従妹よ、天はそなたに賢を与え、徳は古代の詩に称えられるのに等しく、孫を見るまでの長寿を得たけれど、夫の仲遠君はここに逝ってしまった。仲遠君が孝にして恭であるのは天がそれを成したものであって、政についても深い学術を活かして立派な建言をしたのだが、いかなる理由によるものだったのか試験には合格しなかった。……
【補足】［（1）柳子文が亡くなったのは3月20日のこと。その報せが島に届いたのはずっと後になってであろう。（2）3月22日に、蘇軾は近くにある開元寺の壁に、「目は水で濯ぐのを嫌う」という張耒の説［→作品番号10-3-009］を書いている］
■【12-2-013】和陶帰去来兮辞、并引
【解題】蘇軾は黄州に流されたときに陶淵明の『帰去来兮の辞』を改作し、東の坡で歌いつつ畑を耕していた［→作品番号06-2-051］。海南島でその辞に次韻する作品を作った。
【訳文】
引［序文］
私は昌化軍に謫居となり、陶淵明の『帰去来の辞』に和した。そのこころは、私は無何有之郷をもって家としているので、海の外であっても、そこが帰るところではないということはないのである。
帰ろうではないか。
南へ南へと遷ってきた私が、どうして帰れようか。
いま臥すのは海のほとりのがらんとした洞穴、
悲しげに響く角笛の音をしみじみと聞く。
私の足は泥にはまってますます深く、
時は電光のように速く進んで追うことはできない。
西南にある帰郷の路を懐うに、
夢ではしかとそこにあっても、目覚めるとどこにもない。
我が人生において常に変わらないものは何もない。
暑さ寒さによって衣を替えるようなものだ。
厚い毛皮を着ているときに、薄い葛の衣を求めはしない。
精緻なものを失って、粗雑なものを得ても何にもならない。
私が帰るのは、実は、はなはだ易しいのだ。
馳せるのでもなく奔しるのでもない。
瞬時に家に還っていて、
車を下って門を閉ざすのだ。
垣根は壊れたところがあるけれど、
家はなおもとのままだ。
天の美酒を酌んで、
窪んだ樽に注ぎ入れる。
月からの露を飲んで心を洗い、
朝焼けを食べて顔色を輝かせる。
客と主人が混然と一つになり、
女性たちはみなが安らかにしている。
盗みなどというものはないとわかっているから、
鍵は折って門を倒してしまおう。
大きな円い鏡を掛けて外を照らし、
その中に万象を納めて観るのだ。
壊れた井戸を修理して朝に汲めば、
夜の間に百の泉が還ってきて水が勢いよく出る。
静かなることを守って、自分の内側にあるものを働かせ、
時に雀のように躍り上がり、ときに鯨のようにわだかまる。
帰ろうではないか。
よしこの（無何有之郷での）遊びをもって老いを終えようではないか。
こここそ我が先人たちの結んだ廬であるから、
そこを棄ててどこに何を求めようというのか。
南の海も北の砂漠も等しく一つ（の無何有之郷）、
誰とでも手を携えて憂いなく行き来する。
ある変わった人が一つの言葉を告げた。
八卦とか九疇とかの占いの言葉ではない。
それは、
「飢えたら食えばよい。
渡り終えたならもう舟はいらない。
人にしても牛にしても皆死ぬのであって、
高い木と高い丘［墓地］があるだけとなる。
六根［視覚、嗅覚、聴覚、触覚、味覚、意識］の作用は何も成就させず、
一根［精神］が本来のところへと帰るのにまかせるのだ。
（無何有之郷にある）もとの家を見てそこに憩うことを求めるならば、
途中でぐずぐず休んだりしてはならない」と。
そうだ、つまるところ、
私の人生には定まった運命があり帰るに決まった時があるのだ。
初めから行くこともなく留まることもない。
私という車に乗って、私が行くところに行けばよいのだ。
荘子を師としてもよいし、（仙人の）安期生に従ってもよい。
日照りにあった稲はきっと枯れる。
わざわざ水をやるまでもなく土をかぶせるまでもない。
陶淵明の雅にして豪放なところに倣って、
すでに百篇の詩に和した。
さらに帰去来の清らかな歌に従って賦したのであるから、
私はその後身［生まれ変わり］であることには何ら疑いがない。
【補足】［安期生の名は作品番号11-1-064で見ていて、後の作品番号12-3-058でも言及する］
■【12-2-014】去歳、与子野游逍遙堂。日欲没、因並西山叩羅浮道院、至、已二鼓矣。遂宿於西堂。今歳索居儋耳、子野復来、相見、作詩贈之
【解題】長い詩の題は、「去年、呉復古［字は子野］と逍遙堂に遊び、日が沈もうとしたので、西山に沿って行き、羅浮山の道院の門を叩いた。すでに二鼓になっていた。それでその西堂に泊まった。今年は儋耳に索居となり、呉復古が来てくれてまた会ったので、詩を作って贈った」。呉復古はまことに自由人、あるいは各地を行き来することが何らかの仕事となっていたのか、再び海を渡って蘇軾を訪ねた。「去年、逍遙堂に遊んだ」とあるのは、昨年の春の恵州でのことで、そのときは陸道士［陸惟忠］がまだ健在であった［→作品番号11-3-060］。逍遙堂の名は作品番号11-3-010などで見ている。
【訳文】
去年の歓びの地を追う――
寂しいこの住まいでは、そうした夢も結ばれない。
あのときは、笑って語り合って、ふと気づくと夜中になっていた――
ここでは、風雨の夜に燈火は暗い。
とうとう、山頂で夜明けの鶏が鳴いたのだった――
鐘が凍てついた音を響かせている。
いままたどうして貴君をここに見ているのか、
ああ、私はもしかしたら生まれ変わったのであろうか。
【補足】［蘇軾は呉復古を見て、夢かはたまた来世かと思ったのである。そのように驚かせるためだけに来たかのように、呉復古はたちまち去って行った］
■【12-2-015】観棋、并引
【解題】「碁を観る」という詩。序文がある。
【訳文】
引［序文］
私はもとより碁がわからない。かつて廬山の白鶴観に独りで遊びに行ったときのこと、そこの人たちは門を閉ざして皆で昼寝をしていた。独り私は、古い松の間を流れるせせらぎの中に、碁を打つ音を聞いた。心の内に悦びが湧き、嬉しくなり、それから碁を学ぼうとの思いを抱いた。しかし、ついに理解できなかった。息子の蘇過はほぼ了解していて、儋守［昌化軍知事］の張中と日々遊んでいる。私も、傍らに一日座っていて嫌になることはない。
【補足】［（1）蘇軾が廬山に遊んだのは黄州謫居を赦された後で、山中で碁を打つ音を聞いたことは作品番号07-1-019で見ている。（2）蘇軾はここで、碁を理解できないと記しているが、息子が打つのを横から見て楽しんでいるくらいであるから、基本的なことは当然わかっていたのだろう。蘇軾が理解するというレベルは、たぶん碁の真髄にまで達するということであるのだろう］
五老峰の前、
白鶴にまたがった仙人が飛来した跡地、
高い松が庭に蔭を落とし、
清々しくも美しい日和、
私は独り歩き、
一人の士にさえ逢わない。
碁を打つのは誰なのか、
戸の外に履がふたつある。
人の声はなく、
時に石をおろす音が聞こえてくるだけ……
碁盤を挟んで向き合う、
その味わいを究めるのは誰なのか。
餌のない鍼を垂らして釣りをする、
その心は魚を獲ることにはない――
碁はそれに似ていようか。
小児の遊びは道［全てを自然に任せる］に近いとか、
碁もまた指に任せて打てばよいのか。
勝てばむろん悦びがあり、
敗れてもまた喜ぶ。
まことに優れた遊びではなかろうか、
これさえあればよろしいのであるから。
【補足】［この詩は廬山での遊びを回想し、碁の本義について詠んでいる］
■【12-2-016】与鄭靖老
【解題】鄭嘉会［字は靖老］に宛てて書いた手紙の一部。鄭嘉会は先に書物を送ろうといってきてくれた人［→作品番号12-1-037］。
【訳文】
船で人が帰りますので、このお手紙はきっと到達することでしょう。
このところの日々はまことに結構で、御心配いただくようなことはありません。私は蘇過とともに変わらずにおります。
初めは官舎に部屋を借りておりましたが、よろしくないところがあり、また官員と関わるのも望むところではないので、近頃、土地を買って部屋が五つほどの小さな家を建てることにしました。そこは、南汙池のそばで、林の下で、静かで、門を閉ざして壁に向かって休息するによいところです。しかし、いたずらに費用がかかり、ますます貧乏になってしまいました。
ここには枯寂の味わいがあり、ほとんど人間世界ではないくらいで、日々ははなはだ安らかであります。まして目の前に史書があるならば、ともに語り合うよい相手となりましょう。
私の著作はまだできあがっておりません。毎日、息子と編集に努めておりますので、近いうちにお手元にお届けできるかと思います。
海南島を訪れている王介石は君子の趣のある人です。住まいを建てるにあたって、王介石が家の使用人よりも身をもって働いてくれました。そして、何ら見返りを求めようとはしないのです。……
【補足】［（1）この手紙では、かなりぼやかして書いてあって、実際のところは「日々はまことに結構［原文は佳勝］」だったわけではない。引っ越したのは、次のような事情からだったようだ。蘇軾は、昌化軍知事の張中らの好意で官舎に住まいを得ていたのだが、そのことが中央政府に知れると、罪人をそのように優遇してはならないとの命令が下され、蘇軾は官舎を追い出されてしまった。その発端は、雷州知事の張逢［→作品番号12-2-006］が蘇轍と蘇軾に対して何かと便宜を図っているのはいかがなものであろうかと、朝廷に余計な告げ口をする者がいたことだった。張逢は厳しく調べられ、結果として職務停止の処分を受け、蘇轍は循州へ移動するよう命じられた。さらには蘇軾の周辺にも調べが及んだのだった。（2）新居を構えるに当たっては、海南島を訪れていた王介石や土地の人々の助力を得た。（3）「私の著作」とあるのは、『易経』の注釈書など幾つかの学術書の仕上げに勤しんでいたことを指す。海南島に来たことで蘇軾はこれまでになく多くの時間を著作に注ぐことができたのだった。『易経』の研究であれば現実の政治と関りがなく安全であるという意味合いもあったであろう］
■【12-2-017】和陶和劉柴桑
【解題】陶淵明の『劉柴桑に和す』という詩に和した。
【訳文】
無限の時間の中で世界は生まれ滅びることを繰り返している。
百年［人の一生］などはほんのちょっと立ち止まっている間のこと。
私は漂流すること四十年、
いまはここに住まいを定めることとなった。
しばし喜ぼう、天地の間に、
小さくとも我が廬があることを。
手始めに草木がぼうぼうに茂るのを始末し、
狐や兎の穴をすっかり平らにしてやろう。
黄色い櫞の木［橙の一種］が古い切り株から出て、
紫の茗［茶］が焼いたあとの畑から伸びてくるだろう。
私はもともと早くに衰える者であったから、
老いてさらに苦労するとは思ってもいなかった。
この邦の知事殿が工事を支援してくれて、
近所の人たちは有る物を融通してくれる。
我が竹の家は土地が低くて深いのにぴったりで、
山に向いた窓は明るくがらんとしている。
ひとたび満腹になれば一日それで足り、
枕を高くして眠れば百事を忘れてしまう。
自分で笑ってしまうのは、部屋には何もなく、
あたかも妻を亡くした司馬相如のようであることだ。
【補足】［（1）ここにはやむをえず引っ越さなければならなくなった新居のことが歌われている。（2）最後は、時折同郷の司馬相如を引き合いに出して自分のことを詠んできた蘇軾の自嘲、自嘆の句である。司馬相如は妻の尽力によって世に出ることができたので、妻がいなければ無名のまま終わらなければならなかったのだろう――すなわち、妻（も王朝雲も）喪ってしまったからには、もはや何もできない身であると自らを笑うのである］
■【12-2-018】新居
【訳文】新しい住まいに移っての詩。
【訳文】
朝の陽が北の林にさしこむと、
竹がまばらな影を散らす。
わずかな高さの垣根の内こそが、
我が無窮境であるとして我が身を寄せている。
もとの住まいは己のための一席もなく、
追放された旅人は、
さらなる追い立てに遭ったのだった。
それで、この地を得て小さな家を建てたのだが、
それは、村の路が小暗く長く続く先にある。
雨風の涼しい日がしばらく続いたので、
畦の菊が新たに芽を出してきた。
我が残りの歳月は首を振るうちに終わってしまうだろうから、
耕すべき畑までやりくりする心配はいらないであろう。
■【12-2-019】遷居之夕、聞隣舎児誦書、欣然而作
【解題】この詩の題は、「居を遷したその夕べに、隣の家の児が書物を音読するのが聞こえてきたのを欣び、この詩を作った」。
【訳文】
蛙どもの暮らしを乱してこのわびしい住まいを建てた。
わが暮らし向きは、半分は人、半分は獣といったところであるのだろう。
人の足音がするだけでも嬉しいのに、
書物を読む声が聞こえてくるではないか。
児童の声はもとより円やかで美しい。
どこの家の二人の学童なのか、
声を揃えて習うのは喜ばしく、
旅の空であるから、なおさらゆかしく聞こえる。
唐の時代に賢臣と讃えられた張九齢も姜公輔も、
それぞれ韶石や日南といった辺鄙なところに生まれた。
私が行く道には南も北もない、
ならば、いまここで生まれ出たかも知れないのだ。
海は広く、南斗の星がかかり、
天は高く、参の星が横たわろうとしている。
草の繁るなか、あたりの生垣は途切れ途切れ、
粗末な家の奥深くに燈火が見えている。
そこからの声に、
私も書物を引っ張り出して唱和しつつ、
酒を置いて独り酌む。
我が酔いを進めてくれるのは、
琴のように瑯然と響く子等の声である。
【補足】［蘇軾が海南島で詠んだ詩の中でもこれは特に美しいものであるだろう］
■【12-2-020】天慶観乳泉賦
【解題】新しい住まいは天慶観という道教の寺院の近くにあり、そこに塩辛くない水［甘い水］が出る井戸があった。そのことからこの賦を作った。この賦において、水の生成、変化について、中国古代の自然哲学に基づいて論じているところは訳者の理解を超えているので、意味不明のまま日本語に置き換えている。
【訳文】
陰陽之相化、天一為水。［陰と陽が変化して、天数の一と地数の六が合わさると水になる］
六者其壮、而一者其穉也、夫物老死於坤、而萌芽於復。［六は壮んな数、一は幼い数である。そもそも物は坤において老死し、復において萌芽する］
故水者、物之終始也。［つまり、水は物の終わりと始めなのである］
意水之在人寰也、如山川之蓄雲、草木之含滋、漠然無形而為往来之気也。［思うに、水が人のまわりにあるのは、山川の蓄えであり、草木の滋るによるもので、漠然として形がなく、気がそこに往来する］
為気者水之生、而有形者其死也。［気によって水は生じ、形あるものは死ぬ］
死者鹹而生者甘、甘者能往能來、而鹹者一出而不復返、此陰陽之理也。［死するものは鹹く、生きるものは甘く、甘いものは往くことも来ることもできるが、鹹いものはひとたび出たならばもう返ることができない。これは陰陽の理なのである］
吾何以知之、蓋嘗求之於身而得其説。［私がどうしてこのことを知ったかというと、我が身を研究してこの説を得たのである］
凡水之在人者、為汗、為涕、為洟、為血、為溲、為矢、為涎、為沫、此數者、皆水之去人而外騖、然後肇形於有物、皆鹹而不能返。［人のなかにある水は汗となり、涕となり、洟となり、血となり、溲となり、泪となり、矢となり、涎となり、沫となる。これらの定めは、どれも水が人から去って外に出るものであって、人から去って初めて形をなし、そしてどれも鹹く、そして返ることがない］
故鹹者九而甘者一。［人から出る鹹いものは九つあり、甘いのものは一つだけである］
一者何也、唯華池之真液、下湧於舌底、而上流於牙頬、甘而不壊、白而不濁、宜古之仙者以是為金丹之祖、長生不死之薬也。［その一つは何か。華池の真液［唾液のこと］で、舌の底に湧き、頤や頬の上に流れ、甘くて壊れず、澄んで濁りがなく、古の仙人はこれを金丹の祖、長生不死の薬であるとした］
今夫水之在天地之間者、下則為江湖井泉、上則為雨露霜雪、皆同一味之甘、是以変化往來、有逝而無竭。［今、水で天地の間にあるものは、下では江、湖、井、泉となり、上では雨、露、霜、雪となり、どれもひとしくその味は甘く、変化し往来し、逝きて尽きることがない］
故海洲之泉必甘、而海雲之雨不鹹者、如涇渭之不相乱、河済之不相渉也。［海の洲の泉でもきっと甘く、海の雲の雨でもきっと鹹くはないし、涇水と渭水の水は乱し合うことがなく、黄河と済河の水は干渉し合うことはないのである］
若夫四海之水、与凡出塩之泉、皆天地之死気也。［天下の水で、塩の出る泉からのものは天地の死気である］
故能殺而不能生、能槁而不能浹也。［だから、ものを殺して生かすことはできずに、槁らしてしまって潤すことができない。必ずこのようになるのである］
豈不然哉、吾謫居儋耳、卜築城南、隣於司命之宮、百井皆鹹、而醪醴湩乳、独発於宮中、給吾飲食酒茗之用、蓋沛然而無窮。［私は儋耳［昌化軍］に謫居し、町の南に居を定めたところ、隣に司命之宮があり、あたりのどの井戸も鹹くて鍾乳洞の水のようにどろっとしているのに、宮の中で湧くものは飲むにも食べるにも酒をつくるにも茶をいれるにも適していてとくとくと出て尽きることがない］
吾嘗中夜而起、挈瓶而東。［私はかつて夜中に起きて、瓶をさげて東に歩んだ］
有落月之相随、無一人而我同。［落ち行く月だけが一緒で、私とともに行く者は一人もいなかった］
汲者未動、夜気方帰。［水を汲む者はまだなく、夜の気が帰ってくるときであった］
鏘瓊佩之落谷、灩玉池之生肥。［とくとくと仙界の池の水が豊かに湧き出し］
吾三咽而遄返、惟守神之訶譏。［飲んで三度咽び、水を守る神のお叱りを受けた］
却五味以謝六塵、悟一真而失百非。［五味は退けられ、六塵は消え去り、一つの真を悟り、百の非がなくなる］
信飛仙之有薬、中無主而何依。［まことに飛仙の薬はここにあって、そこに主があるわけではない］
渺松喬之安在、猶想像於庶幾。［遥か昔の仙人はどこにいるのか、会いたいものだとただ想像をめぐらせるのである］
【補足】［（1）意味はわからないながらも、水が自然界をそして人間の体内を循環して、環境と生命の維持に重要な役割を果たしているということを、昔の中国の自然哲学に基づいて詩的に歌っているということは了解できようか。（2）終わりの部分は非常に含蓄のある文章なのだが、訳文はその十分の一も生かせていない。（3）この賦には次のような後書きが添えられている］
私は海南島でこの賦を作り、誰にも見せていなかった。すでに海を渡り、自ら二つの写しを作り、一つを秦観に、一つを劉元忠に示した。
建中靖国元年三月二十一日。
【補足】［（1）この後書きの日付が正しいのなら、これより2年後で、そのとき蘇軾は虔州にいて、次の章で見るように弟子の秦観はすでに亡くなっていた。劉元忠とあるのは、恐らく劉安世［字は器之］のことであろう］
■【12-2-021】酒子賦、并引
【解題】同じころにこの賦も作った。賦の本文は訳すのが難しいので、序文だけを読んでおこう。
【訳文】
引［序文］
南方で酒を釀すときに、まだすっかり熟さないうちに、その膏液を取る。それを酒子といい、十分の一ほどが得られる。酒が熟すと、酒子を醅の中に戻す。潮州の人の王介石と泉州の人の許珏がそれを私に飲ませてくれ、醅の漓が私をたちまち一酔に誘ってくれた。その心地よさは忘れることができないほどである。よってその賦を作った。
【補足】［潮州の人の王介石は蘇軾の新居の建築を手伝った人物［→作品番号12-2-016］で、泉州の人の許珏［字は廷恵］は、大陸から海南島に移住した人物］
■【12-2-022】宥老楮
【解題】「老いた楮を宥す」という詩。新しい住まいにもとから生えていた楮の老木を切ろうとしたものの思い直したのである。
【訳文】
我が家の垣根の東北の隅、
老いた楮が王様のように威張りくさって立っている。
樗を超えるほどに大きく、
桑よりもたくさんに葉を繁らせ、
流れる樹液は馬の乳がみなぎるかのよう、
落ちる実は楊梅が熟したかのよう。
しかしながら、
これはさしずめ役に立つような木ではなく、
この狭い庭ではこの木はとても養っていけない。
これを抜けば車いっぱいの薪が得られ、
その跡に松や菊を植えることができる。
しかしながら、
落ち着いて楮の効用をよくよく考えてみるなら、
五つや六つくらいは数え上げることができるのではなかろうか。
皮からは蔡倫が発明した紙が作れる、
実は桐君が記録した薬の目録に入っている、
この実の煮汁で練ると黄色い絹が白くなる、
この実の汁で洗うと黒い顔だって玉のように輝く、
切った幹に水を注ぐと茸が生えてきて美味である、
腐らせると光を発して蝋燭の代わりになる。
寒い冬にも青々とした葉を保つだけの堅い節義はない、
それでも、落とした葉が毒を持っているというような悪さはしない、
根の張り方はまことに粗雑である、
それでも、生命力がそうしたところに具わっている。
斧を投げ捨ててこの詩を賦す。
かくて、我がこの行為を徳として、楮から怨まれることはないはずだ。
■【12-2-023】与程全父
【解題】広州にいる程全父［字は天侔］［→作品番号12-2-008］に与えた手紙をここで何通かまとめて読んでおこう。
【訳文】
（1）お別れしてから年を超え、海の外に独り困窮し、人との関りは断絶して通問するすべがありません。船が到着して、思いがけずお手紙を頂戴し、嬉しさは言葉にできません。日々安らかにお過ごしのことを審らかにし、まことに結構に存じます。私と息子はほぼ病もなく、黎民［島の先住民］や蜑民［水上生活をする少数民族］と雑居し、暮らしの仕方がこれまでとはまるで違ってしまい、必要な物を得ようとしても手に入りません。島に着いてすぐには、官舎の中に数部屋を得ましたが、近ごろそこを追われて、土地を買って庵を結ばねばならなくなりました。わずかに夜露を免れるだけのところではありましても、そのために囊の中は空っぽになってしまいました。困難の中にあって、これくらいのことは別段とやかくいうようなことではありません。さらりと笑ってすませればよろしいのです。かねてからのお付き合いを、また夢にでもみたいものと、楽しかったことを思い出し、時に貴君の佳句を誦して、気分を晴らしています。万万自重されますように、この他にもいろいろありますが、船が帰りますので、いそぎ記しました。
【補足】［（1）冒頭の部分から、蘇軾は恵州から海南島に移る途中で、広州で程全父に会っていたと推測される。（2）この手紙は先に見た作品番号12-2-008よりも少し前に書いたものであろう］
（2）貴君の才気は秀発、必ずいまの時代に長く用いられるべきです。辺境の地にいつまでも留まっていることはなく、学識をもって治世を補い、詩を盛んにするでありましょう。私は筆も硯も焼いてしまって［要職を離れたことをいう］五年になり、ただ学問を味わうばかりであります。島には『陶淵明集』を携えてきました。陶淵明の詩は憂憤を写し、私はそこに思いを寄せるばかりです。……ここでは海の気がいつも言うに堪えないほど蒸しており、襟にわずかに涼しさを感じることがあるくらいで、一日をしのぐのが一年のように長く感じられます。送ってくださったのはすばらしいお酒で、海南島にないのは無論のこと、広州でもほとんど見ないものでありましょう。氷砂糖や麵類など、一つ一つに感銘しております。親類の情の厚い者でも、これほどまでにはしてくれません。かたじけない限りです。ここでは使えるような紙がありません。携えてきたものはもうなくなってしまいました。もし便宜がありましたら、百枚ほど寄せてくださいませんでしょうか。それ以上に有難いことはありません。
（3）便船が来まして、かたじけなくもご丁寧なお手紙を頂戴しました。さらに最近の詩一軸を賜り、もっとも珍重しております。海の外に流れ来まして、深い谷に逃れたように語る相手もなく、書籍もほとんどありません。ただ『陶淵明集』と柳宗元の詩文が数冊あるだけで、いつも近くに置いて、二友としております。いま貴君の詩の清深温麗なのをいただき、陶、柳とともに三友としております。……
（4）去る歳には僧舎でしばしばお会いしましたが、そのときはそれがどれほど楽しいことであるかを知りませんでした。いまは海の外にあって夢に見ることもかないません。手を翻すように、人は集まりそして散り散りになります。幸いなのはこの身がなお健やかであることです。お手紙をいただきまして、御身の安らかであることを喜ぶとともに、御子息に悲しいことがあったのを知りました。襁褓の内に泡のように幻となりましたことは、あまりに深く留恋すべきではないのかもしれません。私が恵州を離れた後で、長男は一人の息子を失い、しばらく悲しみに沈んでいましたが、いまは致し方なかったこととしています。ここでは食べるに肉がなく、病んで薬はなく、住むに部屋がなく、出て友がなく、冬には炭がなく、夏には冷たい泉がありません。これだけではまだまだ数え尽くせないほどにどれもこれもないのです。ただ、幸いなことが一つあるのは、瘴［マラリアなどの熱帯の病気］の害がそれほどひどくないことです。近ごろ息子とともに茅を結んで数部屋の住まいを得ました。わずかに風雨をしのげるだけのものですが、それでもかかった費用のためにもう貯えはありません。十数人の学生が手助けしてくれるのに頼り、私自身も泥水の中で仕事をしました。このようなことは恥ずかしいとは思いません。なおこの身があるのならば、造物者に任せ、運り転がるのも、流れ行くのも、留まるのも、造物者の意のままとして、不満はありません。そのことを知っていただくなら、御心配には及ばないのです。夏の暑さの折、万万御自愛されますように。
【補足】［冒頭に、かつて僧舎で程全父に会っていたとあるのは、恵州に向かうときと、海南島に移るときとに、広州を通過した折のことであるのだろう］
■【12-2-024】評韓柳詩
【解題】上の手紙で、陶淵明と柳宗元を島での「二友」としていると書いていた。これはその「二友」の詩について短評。
【訳文】
柳宗元の詩は、陶淵明の下、韋応物の上である。
韓愈の詩は豪放、新奇、先鋭であることでは柳宗元を超えるが、温雅、典麗、深遠であることでは柳宗元に及ばない。
詩において「枯淡」であると貴ぶようなものは、外は枯れていて、しかし中は膏ぎっていて、淡いようでいて実は濃く美いのである。陶淵明や柳宗元の詩がまさにそうである。もしも中まですっかり「枯淡」であったなら、何ら言うに足りないのだ。
釈迦は、「私の言葉は蜂蜜を食べるようなもの。外側も内側もすべて甜いのである」といった。人は五つの味を食べて、甘いとか苦いとかすぐに知ることができる。しかし、その外と中の味の違いを見分ける人は、百人に一人ないし二人もいないのである。
【補足】［（1）詩の味わいを食べ物の味わいに譬えて論じている。（2）蘇軾は仏陀がいったとして「吾が言は譬えれば蜂蜜を食らうようなもの。中も辺も皆甜いのである」という言葉を前にも引いている［→作品番号09-2-054］。ここの文脈によるとそれでは一歩及ばないことになる］
■【12-2-025】淵明無絃琴
【解題】陶淵明は亡くなる前に、死んだ自分自身を弔う祭文を書いている。その『自祭文』について記した短文。『自祭文』のなかで、陶淵明は自身の一生を振り返って、声を出して書物を読むことを喜びとし、それに合わせて琴を弾いたと、記している。以下の文章はその部分について触れている。
【訳文】
旧い説に、陶淵明は音楽がわからなかったので、弦のない琴を蓄え、それに心を寄せ、「琴の趣を得るのに、わざわざ弦を鳴らす必要はない」といったとされている。
これは妄説である。陶淵明は『自祭文』に「和するに七弦［琴］を以ってする」と書いているのであるから、音楽がわからなかったはずがない。
陶淵明は琴を持っていたけれど、弦が切れてしまってからはまた張り直さすことなく、ただ手で撫して心を寄せていたのだろう。こうしてその真の音を得ていたのである。
陶淵明の『自祭文』は息を引き取った後に妙語を出したものである。普通に死生の悲しみをいう者とは違っていた。現世の生に我が身を寓さねばならないのを残念に思い、死こそが真であるとした。ああ、先生は死もまた寓するだけであるとは知らなかったのだろうか。
■【12-2-026】跋子由老子解後
【解題】弟が『老子新解』という書物を著して送ってきたので、この跋文を書き添えた。
【訳文】
昨日、弟から『老子新解』が寄せられた。
これを読んで途中で置くことができず、全部を読み終わって嘆息した。
戦国時代にこの書物があったならば、きっと商鞅や韓非子は出なかっただろう。漢の初めにこの書物があったならば、孔子と老子は一つに融合されたであろう。（南北朝時代の）晋と宋の間にこの書物があったなら、仏教と老子は二つに分かれはしなかっただろう。
老年に及んで思いがけずこのすばらしい書物を読むことができた。
【補足】［この短文には宋の時代の思想の潮流の特色が端的に表れている。宋の人々は儒学、道学、仏教の本質は同じであるとして、その融合を志向した。それを背景として、後に朱子学が生まれるのである。蘇轍による『老子』の理解はそうした観点からのものであったので、古くにその書物があったなら、学問が分派することは初めからなかっただろうと蘇軾は空想したのである］
■【12-2-027】書陶淡伝
【解題】南北朝時代の晋朝の歴史を記した『晋書』［蘇軾は『晋史』と記している］から、陶淡の伝記を写し、短い感想を書き添えた。鄭嘉会［→作品番号12-2-016］から送られてきた書物の中に『晋書』が入っていたのだろうか、この時期に『晋書』に関連する文章を幾つも書いている。
【訳文】
『晋史』隠逸伝より、
陶淡、字は処静は、晋朝の太尉であった陶侃の孫である。父の陶夏は行いが悪く、家を継げなかった。陶淡は若くして父を喪い、養生の術を好み、仙道は願えば成ると考え、十五、六歳のときに道士の服に改め、穀物を絶ち、妻を娶らなかった。家には財産があり、使用人が百人以上もいたが、陶淡は家のことには構わなかった。『易経』を読むのを好み、卜筮［占い］が上手であった。長沙の臨湘山に廬を結んで住み、一頭の白い鹿を養って連れて歩いた。様子を見に行く者があると、すぐに谷川を渡って移ってしまい、近づくことができなかった。州では陶淡を秀才として挙げようとしたが、羅県の埤山の中に逃れ、どこで亡くなったのかもわからなかった。
［蘇軾の感想］
陶侃の諸子は皆が兇暴で、陶夏だけが悪かったのではない。諸孫の中に陶淡がいて、曽孫の中に陶淵明がいた。陶淵明の詩文集の中には、陶仲徳や陶敬遠のような人がいて、いずれも世から逃れて隠れ住み、立派な行いがあり、そして皆がなぜか貧乏であった。陶淡の高逸はここに記されている通りで、道を得た者のようである。陶淵明とは近親であるのに、陶淵明が一言も触れていないのはどうしてなのか、その理由がわからない。
戊寅九月七日、『晋史』を閲して、たまたまこのことを記録し、知る者を待ちたいと思う。儋州の町の南で記す。
■【12-2-028】書郭文語
【解題】これも『晋書』からの写しに感想を添えたもの。郭文という隠者と、当時の名士である温嶠との問答を抜き書きしている。
【訳文】
温嶠が郭文に尋ねた。
「人は家族、親類と一緒に親しみ合うものです。先生はそれを棄て去って何の楽しみがあるのでしょうか」
郭文はいった。
「もとより道を学び、思いがけず世の乱れに遭い、帰ろうとしても路がないだけなのです」
温嶠はまた尋ねた。
「飢えては食を思い、成長すれば家を持つことを思う、それが自然の理でありましょう。先生は独り情がないのでしょうか」
「情は生を憶うところからきます。憶わないのならもとより情もないのです」
「先生は独り山の奥に住まわれています。死ねば烏や鳶に食べられてしまいましょう。それでよいのですか」
「地中に埋められた者は螻や蟻に食べられてしまいます。何も異なるところはありませんでしょう」
「猛虎は人を害います。先生は畏れないですか」
「人に獣を害う心がなければ、獣は人を害いません」
「世の中が寧らかでなければ身も安らかではありません。先生は出て世の中を済おうとはなさらないのですか」
「それは野人の知るところではありません」
［蘇軾の感想］
私はかつて杭州の副知事であったときに、余杭の九鎮山に遊び、大滌洞天を訪ねた。そこは郭文が旧く隠れたところであった。洞穴の中に巨大な空間があり、どれほどの深さがあるのかわからなかった。かつてここで勅使が竜に雨を祈ったことがあるということであった。
戊寅九月七日、書く。
【補足】［蘇軾が杭州の副知事であったのは三十代半ばのこと、そのころの思い出を記すとともに、いまはむしろ郭文に近い立場にあることに一種の感慨を覚えてこの箇所を抜粋したのだろう］
■【12-2-029】書董京詩
【解題】これも『晋書』に記録されている隠者の董京についての記載を写して短文を添えたもの。
【訳文】
『晋史』にこのように記されている。
「董京、字は威輦は詩を作って孫子荊に答えた。そこに
『玄鳥紆幕、而不被害。鳴隼遠巣、鹹以欲死。眄彼梁魚、逡巡倒尾。沈吟不決、忽焉失水。
嗟乎、魚鳥相与、万世而不悟。以我観之、乃明其故。
焉知不有達人、深穆其度、亦将窺我、顰蹙而去』
と、あった」
［蘇軾の感想］
董京の詩の意味はこのようなことであろか。
「魚鳥［つまらない人間の譬え］も自身を観ることはできるが、万世を経たところで自身の非を悟ることはない。私が魚鳥の非を知るのは、魚鳥とは嫌うものが同じではないからだ。かの達人［道の奥義に達した人］は私とは嫌うものが同じではない。それで達人は私の為すところを観て、私が魚鳥を観るのと同じようにしているのである」
董京は道を得た人であった。哀えた世の人々はその言葉を理解できなかった。おおむねこのような意味であったのだろう。
戊寅九月八日、「隠逸伝」を読んだ。
【補足】［蘇軾の解釈があっても董京の詩はさっぱりわからない。海南島にあって、蘇軾は自分の心が人には理解されない苦しみを抱いているということをこの短文に託しているのだろうか］
■【12-2-030】和陶九日閑居、并引
【解題】陶淵明の『九日閑居』の詩に和した。「九日」とは九月九日の重陽の節句である。序文がある。
【訳文】
明日は重九である。雨が激しく降り、ごろごろ寝返りを打って眠ることができない。起きて酒を求めて、陶淵明の一篇に和した。酔いがまわってぼんやりとしてしまい、あまり佳いものではない。
かねて思っていた通りの歓びが湧いてくる。
四つの季節はどれも佳いものではあるけれど、
昔から名付けた重九の名をとくに楽しむ。
その日に、竜山では孟嘉の帽子が飛ばされたことを思い、
その日に、栗里では陶淵明が詩を詠んだことを思う。
鮮鮮として白い菊があでやかで、
溜溜と酒が発酵する声がする。
のどかな暮らしでこそ節句のよさが知れ、
残された歳月は楽しさで満たされるのだ。
高いところに登って雲の広がる海を望むと、
酔って、海中の三つの神山が傾くかのように感じられる。
孔子の弟子の子夏のように歌いつつ履を振るい落し、
縄をからだに巻いた古の隠者の栄啓期のように起って舞う。
坎軻［思い通りにならないこと］によって天の意が知られ、
淹留［長く同じところに留まること］によって人の情が見られる。
私が願うのは、米がたらふく食べられること、
とにかく秋の稔りを毎年楽しめることなのである。
【補足】［蘇軾は序文で出来が良くないと記している。確かに、海南島で初めて迎えようとしている重陽の節句を具体的に詠むのではなく、いくつかの故事を並べて詩を構成し、かなりごたごたとしている。引かれているのは、いずれも細かい礼節にとらわれずに自由な振る舞いをした人々の故事で、孟嘉［→作品番号11-3-034］は陶淵明の母方の祖父である。終わりの4句がこの詩の眼目であろう］
■【12-2-031】書鮑静伝
【解題】これも『晋書』に記録されている隠者の鮑静の事績を写して感想を記した短文。
【訳文】
鮑静、字は太玄は、東海の人であった。五歳のときに父母にいった。「私はもとは曲陽の李氏の子で、九歳で井戸に墮ちて死にました」。父母はその言葉に従ってその地を訪ねてみるとその通りであった。鮑静は儒学も道学も兼ねて学び、天文にも占いにも通じた。南海太守となって海辺を回り、大風に遇って、飢えが甚しく、白石を煮て食べた。そして鮑静は仙人の陰君に会って、道術の秘訣を受け、百余歳まで生きた。
［蘇軾の感想］
真人［仙人］の陰君とは陰長生のことであろう。私はかつて忠州の（道教寺院の）酆都観に遊んだが、そこは陰長生と王遠が昇天したところである。数千株の松や柏の老木があり、どれも幹は百囲の太さがあった。松の脂は酥乳のようで、煮たり煉ったりする手間もかけずに食べることができ、言いようもなく滑らかで甘かった。二人の真人の画が道観の中にあり、極めて古雅であった。晋の時代の建物がなお残っていた。
戊寅九月十一日夜、坐して書く。
【補足】［陰長生と王遠が昇天したとされる平都山［酆都山］の道観を訪ねたのは蘇軾が24歳のときで、そこで詠んだ詩を作品番号01-1-014で見ている］
■【12-2-032】試筆自書
【解題】このころに短い文章が集中している。実際にいつもより多く書いたのか、たまたま失われずに残ったものが多くあったのかはよくわからない。
【訳文】
私は初めて海南島に至ったときに、まわりに天と水が際限なく広がるのを見て、悲しくなって心が痛んだ。
「いつこの島から出られるのだろうか」
そのようにつぶやいて、すぐに思ったのは――
天地はそもそも積もり重なった水の中にあって、九州［全ての大陸］は広大な大瀛海の中にあり、中国は小さな少海の中にあるのだ。だから、人が生きるところで島でないところはないのだ。
盆の水を地面にひっくりかえして、水に塵が浮かび、そこに蟻がしがみつく。蟻はどうやって水を渡ったらよいのかわからなくて呆然としてしまう。水はすぐに乾き、蟻はたちまち進むことができて、仲間を見て、涙を流して、このようにいう。「ああ、もう誰とも逢えないと思っていたよ。それがたちまち四方八方に道が通じてしまうとは、思ってもいなかった」
このように思えば、笑えるではないか。
戊寅九月十二日、客人と少しばかり酒を飲んで少し酔い、筆にまかせてこの紙に書いた。
【補足】［この3日後の9月15日、「久しく弟からの手紙が来ないので、気がかりでならない。そこで『易経』でもってそのこと筮った」という文章を記している。『易経』について長年の研究成果をまとめていた蘇軾であるから、占いの実践もやろうと思えばできたのだろう。占った結果について記述している部分は訳者の理解がとても及ばないので訳出できない］
■【12-2-033】書海南風土
【解題】海南島の風土について記した短文。
【訳文】
嶺南の天の気は卑湿で、嶺南の地の気は蒸溽である。海南島はとくに甚だしい。夏から秋にかけて、物はすべて腐ってだめになってしまう。人は金石ではないのだから、このようなところに長くいられるはずがない。ところが、儋耳には老人が非常に多く、百歳余りの人も往往にして存在し、八十、九十などはざらである。
長生きをするのか若死にをするのか、あらかじめ定まっているわけではなくて、慣れてしまえばどこであっても安んじて生きられるのだろう。氷の中で生きる蚕もいれば、火の中で暮らす鼠だっている。
私も湛然として思うところがなく、以上のような考えで外物に自分を委ねてしまうなら、膠を折るような寒さであってもその厳しさが作用することがなく、金属を流すような暑さであってもその毒を働かせることがなく、百歳を楽に超えられるであろう。
かの愚かな老人は、もとより、氷の中や火の中でも蚕や鼠が平然と寒さや暑さを受け止めているだけなのを知らないので、温もりを求めてみたり、涼しさを求めてみたり、あれこれ間断なく繰り返しているので、それでは長く生きられるはずがないのである。荘子は、「天は日夜に隙なく穿ち続けている［自然の運行は休むことがない］、人はその穴を塞ごうとし続けている［自然の摂理に反するようなことを人はしている］」といっているが、まことにその通りである。
九月二十七日、秋の長雨が止むことなく続き、柱や壁を見ると白蟻が多数はい上っていて、どれも腐ってしまっている。感じ入ることがあって、手に任せて書いた。時に戊寅の歳である。
■【12-2-034】書北極霊筮
【解題】蘇軾は、上の文では海南島の風土に身を委ねると記していたが、海南島の夏を経験して、心のうちにはやはり南方の厳しい自然を懼れるものがあり、自分の置かれている境遇について憂うことも多かったのだろう。近くの天慶観で余生を占っている。そのことを記した文章。
【訳文】
東坡居士は海南島に遷ってから、憂患のやむことがなかった。
戊寅九月晦、天慶観に遊んで、北極真聖を拝み、霊簽を探って、余生の禍福吉凶を決めようとした。霊簽の辞はこうであった。
「道は信を以って合と為し、法は智を以って先と為す。二者が相い離れ不んば、寿命は已に延びるを得ん」
これを見てぞくっとして、ほぼ得心するところがあった。この書を敬い、信道と法智の二者は離れることがないとの意をもって、大切に霊簽をしまった。
……［以下、子思と孟子の言葉を引いて若干の考察をしている］……
【補足】［この短文は訳者の理解の及ぶところではなく、このような占いをしたという事実を示すために、前半だけをまことに不確かながら訳してみた］
■【12-2-035】与范元長
【解題】この年の10月に范祖禹［字は純夫］［→作品番号11-3-068など］が亡くなった。范祖禹も流謫の身であった。その後でその長男である范冲［字は元長］に宛てて何通かの手紙を書いている。そのうちの一つを読んでおこう。
【訳文】
流離に倒れ、九死の余りの身、ここに純夫先公［范祖禹］が御逝去されたときいて、深く悼み、お慰めする言葉もありません。お手紙を差し上げたいと長く思っておりましたが、その便宜がなく、また私の行動には何かと支障があり、日々に憂いと畏れが深くなっています。いまここに記したお手紙も、果たしてお手元に届きますかどうか。ごく手短に失礼します。
■【12-2-036】記藷米
【解題】占いに頼りたくなるような不安材料はこのようなところにもあった。
【訳文】
海南島では藷と米を糧とし、米はおよそ十分の六である。今年は米が不作で、民はまだ食うに困るまでにはなっていないものの、船が来るのを待って米を得るという状況である。島の人々には蓄えている米がないので、来年になったらきっと飢えるであろう。私はさすらいの身としてこの島に来ているので、最も惧れなくてはならない。今後どのようにしたらよいのか見当もつかない。そこで、書いて座右に置き、つねにこのことを図るようにしたい。
戊寅十月二十一日、書く。
■【12-2-037】処子再生
【解題】不思議な体験談を聞いたという記録。
【訳文】
戊寅十月、私は儋耳にいて、町の西の人［李氏と記す本もある］の娘が病死し、二日後に生き返ったと聞いた。私は進士の何旻と一緒にその父親に会って、死生のありさまを尋ねた。娘はこのようであったという。
――夕暮れ時に、人がきて連れて行かれるような感じがしました。役場の幕の下にまで来ると、ある人がこういいました。「これは誤って連れてきたな」。中庭に行くと、一人の役人が、「しばらくここに置いておけ」といい、別の役人が、「これは罪がないのだから、帰すべきだろう」といいました。地面の中に獄があって、地下の道から出入りするのが見えました。繋がれているのはみな島の人で、十人中六、七人がお坊さんでした。中に一人のおばさんがいて、毛が驢馬のように黄色で、械を付けられて座っていました。私はそのおばさんを知っていて、あるお坊さんの奥さんでした。その人は、「あたしは供えられたお金や物を使ってしまった罪で、もう三回も毛を替えられているのだ」といいました。また一人のお坊さんがいて、それは私の隣の村の人で、亡くなって二年になります。その家では二周年の祭祀を行い、ある人がたくさんの食べ物と数千の銭をそのお坊さんにといってお供えしましたので、お坊さんはその銭を得て、獄の役人たちに配ったのですが、食べ物を持って門から入ると、繋がれていた者たちが争ってそれを取ってしまい、お坊さんが食べられるものはほとんどなくなってしまいました。また別のお坊さんが来て、人々がみな膝をついて挨拶をしました。お坊さんは、「この娘はすぐに送り返しなさい」といいました。それで、送ってくれる者が私の手をとって壁を通り抜けて出ると、河があって、舟があり、それに乗せてくれました。その者が舟を押すと、舟が揺れ、私は驚き、そして目が覚めたのです――
父親は「そのお坊さんはいわゆる地蔵菩薩様だったのでしょうか」といった。
これを書いて、世の戒めとする。
【補足】［旧中国では、いわゆる臨死体験、一度死んで蘇ったとする再生譚が非常に数多く記録されてきた。そのほとんどがこの話と同じ構成になっている。すなわち、①誰かに役所のようなところに連れて行かれる、②現世での悪事の償いをさせられている者の苦しみを見る、③誤って連れて来られただけだったので誰かによって救われて生き返る、というパターンである。そして、興味深いことに、死後の責め苦に遭うのは圧倒的に僧侶が多いというのも、多くの話に共通している］
■【12-2-038】海漆録
【解題】蘇軾が、現代の知識からは百害しかないと断言できる仙薬作りに熱心であったのはわれわれにとっては不可解なことではあるが、現代の知識からしても有効であるといえる薬草や薬方についてもやはり研究熱心であった。海南島で、海漆、益智、蒼耳といった薬草についての知見を記していて、そのうちの一つを読んでおこう。
【訳文】
私は海南島に謫居となり、（恵州を発って）五月に藤州に至った。藤州から儋州まで、道を挟んで野の花が開き、芍薬に似て小さく、鮮やかな紅の愛らしい花で、小さな樹にむらがり咲いていた。土地の人がいうには「倒黏子の花」であると。儋州に至ると、花は実を結び、紫色で馬乳のようで大変甘い。中に小さな核があり、噛むとぎしぎしと音がして、ひどく苦い。子どもがこれを食べると、大便が通じにくくなることがある。葉は白い。土地の人は夏や秋に下痢をすると、この葉を食べればすぐに治るという。海南島には柿がなく、この皮を取って、薄くそいで杵でついて、膠を得て柿の代わりにし、柿よりまさるという。私は長らく小便が白く濁り、このごろは大いに腑滑し、どの薬でもよくならなかった。倒黏子の若い葉を取り、酒で蒸し、炙って乾かして粉にし、酢で丸くかためて、一日に百個余りを飲んだところ、どちらも平癒した。それでこれは非常に効き目のある薬であると知ったのである。よってこれを「海漆」と名付け、ここに記録して、変わったことを好む人のために供するものである。来年はこの実が熟したならば、それを取って潰して漉して、酒で煮て膏を錠剤にしようと思っている。
戊寅十一月一日、記す。
【補足】［蘇軾が植物をよく観察し、実際に我が身で薬の効果を試していることがわかる］
■【12-2-039】阮籍
【解題】この年の冬至は11月25日。その日にこの一文を記した。前半は『晋書』の阮籍伝から引用。その引用部分は阮籍の『大人先生伝』からの抜粋。阮籍はいわゆる「竹林の七賢人」の一人で、作品番号01-2-041以来、蘇軾の詩文には何度も登場している。
【訳文】
世の中のいわゆる君子は、法を徹底して修め、礼を徹底して守り、手に圭璧［祭祀のときに持つ玉］を捧げ、足は繩墨［定められたコース］を踏むかのように振る舞う。行動は目の前に見える規範となるようなものに、言辞は永遠に残る模範となるようなものにしようとする。若いときにその地域で一番と称えられ、年齢を経るにつれて隣国にもその名が聞こえるようになり、上を目指すなら三公［国家のベストスリー］の地位に就こうとし、下にあるとしても少なくとも地方長官くらいにはなろうとする。
しかし、褌の中に群がる虱どもを見るがよい。虱は褌の深い縫い目に逃れ、綿くずの中に隠れ、そこを結構な住まいだとしている。進んでも縫い目の際からは離れず、動いても褌から決して出ようとしない。それが繩墨に則った振る舞いだと思っている。もしも、燃え立つ炎が流れきて、村を焦がし都を焼き尽くしてしまおうとしても、群がる虱は褌の中から出ることができない。
君子が限られた域内にいることは、虱が褌の中にいるのと何ら変わりがないのである。
これは阮籍の胸の内にあった本当の思いであろう。阮籍はかつて人物評論をしたことがなく、世間の事柄について口にしたことがなかった。それでも礼法を重んじる人々は阮籍を仇敵のように憎み、阮籍は司馬景王だけを己を保護してくれる人として頼りにし、司馬景王が死んでしまうと誰もいなくなった。その点からすると、阮籍にしても、褌の中を動き回る虱のような者であって、虱が褌の中に隠れているのを笑えはしないのである。
このように書くのは、君子の笑いを誘うためである。
戊寅の冬至の日。
【補足】［（1）阮籍の『大人先生伝』は、三人の論者がそれぞれに自論を述べるのに対して、大人先生＝阮籍が順次論破してゆく思索の書で、ここに引用されているのは、儒学者が掲げる君子像を笑い飛ばしている部分。（2）蘇軾は、君子を笑う阮籍もまた虱と同じだと笑うのであるが、褌の中に隠れていられなかった蘇軾は罪人となって海南島に流されてしまったのであるから、その笑いはなかなかに複雑である］
■【12-2-040】書薬方贈民某君
【解題】ある薬方をついて記した短文。
【訳文】
薬方について記した『兵部手集方』は唐代に宰相を務めた李絳が編集したもので、そこにある薬方はいずれも効果がある。
骨が折れたり砕けたりし、あるいは五臟の内が損なわれて死にそうになった者に対して、生地黄を搗いて汁を取り熱い酒に和して飲ませると、骨が砕けた者も大便が下るとともに新しい骨が補われ、血液が巡らなくなった者も立ちどころに平復する。天がこの法を設けて人の命を救うようにしたのだという。地黄の滓を酒に和すのは、傷や腫れを治す。
私は儋耳にあって、殴り合って体内を損なってしまい、粥を飲み下すことも、ものをいうこともできなくなった者がいた。我が家に伝わる接骨丹を与えたところ、口がきけるようになった。さらに、南嶽活血丹を授けると、少し黑い血が下り、食べられるようになった。しかし、うめいて、身体を動かすことはできなかった。我が小さな畑に地黄がある。土地が痩せているために、根が髪の毛のように細い。それを葉と合わせて搗いて飲ませてみると、腹が通じて、血のかたりを一升余りも下し、それからは歩けるようになった。
この人は進士黎先覚の親しい者で、この薬方を書いて授け、この薬を多く植えて人の命を救わせようと思う。
戊寅十二月五日
【補足】［（1）蘇軾は恵州にいたときに地黄を栽培していた［→作品番号11-2-109］。海南島にきてからも植えていたのだろう。（2）黎先覚は作品番号12-1-036で見た黎子雲の親類であろう］
■【12-2-041】書柳子厚覚衰詩
【解題】海南島での「二友」［→作品番号12-2-024］としていた柳宗元［字は子厚］の詩を書いて、この短文を添えた。
【訳文】
戊寅十二月十四日、新しい端硯を試そうと、柳宗元の『覚衰』の一首を書いた。
【補足】［（1）端硯は端渓で産出する石で作られた硯で、現在に至るも優秀な硯として珍重されている。（2）柳宗元の『覚衰』の詩は文字通り己の衰えを感じた詩で、衰えをただ悲嘆するのではなく、野外に出て気持ちを発散させたことを歌っていて、このころの蘇軾の思いに合致するところがあったのだろう］
■【12-2-042】書柳子厚漁翁詩
【解題】やはり柳宗元の詩である『漁翁』を書いて、それに添えた短文。『漁翁』は作品番号05-1-051で見ている。
【訳文】
詩は奇れた趣を歌いあげることが第一で、人が普通に思うようなことに反するところが趣となる。この詩をじっくりと味わうと奇れた趣がある。しかし、終わりの二句は必ずしもよいとはいえないだろう。
【補足】［何をもって終わりの二句をよしとしないのかはわからない］
■【12-2-043】与侄孫元老秀才
【解題】甥の子である蘇元老［字は在廷］に宛てた手紙。このころ蘇元老は都にいて科挙を目指していたようである。
【訳文】
貴君よりしばしばお手紙をいただき、心が慰められ、感謝しております。十九郎君の墓表はもとよりこの老人が作ろうと思っているもので、辞退するようなことはありません。先に宝月大師の文を記しましたので、ましてこの墓表は義として作るべきです。ただここのところ憂いと畏れがますます深くなり、飲食だけして何も語らず、百慮の後に行動しています。このありさまをどうか想ってください。もしも死なずにいられたならきっと作れるでありましょう。近ごろは髯も鬢も雪のように白くなり、さらに痩せて、ただ飲んだり食べたりすることだけはこれまで通りです。いつお会いできるともわかりませんが、とにかく学問に務めて、門戸の栄を見せてくださるのなら、この老人は海の外で倒れても恨むところはありません。
【補足】［（1）十九郎とあるのは蘇元老の父で、蘇軾の甥の世代の誰かである。（2）「宝月大師の文」とは宝月大師の墓に刻んだ銘［→作品番号11-2-106］のこと。宝月大師も眉州の蘇一族の人で、ましてそれよりも近縁の十九郎であるからその墓表は作るべきものであるといっているのである。（3）「憂いと畏れがますます深くなり」とあるのは、官舎を追い出されてから、蘇軾は自分の言動に非常に神経を使っていたことを示すのだろう。そのためなのか、やはり気候風土が悪いせいなのか、それとも『易経』など研究に力を注いでいたからなのか、この年の蘇軾の詩文は例年に比べるとかなり少ない］
■【12-2-044】和陶西田穫早稲、并引
【解題】年末に陶淵明の5編の詩に和した。いずれに収穫や植物に関連する詩である。その第一は『庚戌の歳の九月中に、西の田に於いて早い稲を穫る』という詩に和したもの。蘇軾の作品には短い序文がある。
【訳文】
小さな圃に栽植したものが次第に成長してきた。陶淵明の詩で草木や野菜、穀物について詠んだもの五篇を選んで、それに次韻する。
【補足】［（1）海南島に来てからは自分で耕す農地がないと嘆いていたが［→作品番号12-1-020］、恐らく張中知事等の助けられてのことだろう、若干の圃を得て植物を栽培できるようになった。（2）「和陶詩」には、作られた年月が必ずしも確定していないものがある。ここでは孔凡礼『蘇軾年譜』（1998年）に従って、上に記されている「五篇」が以下に見る5篇であるとし、元符元年の年末に作られたとして訳すが、別の説もある］
髪がぼさぼさの三人の獠奴［現地雇いの使用人］、
慎ましくて礼儀正しいとは誰もいってくれない。
それでも、朝早くに掃除をすませたくらいで、
腹いっぱい食べているのでは落ち着かないと、
ここの庭や畑をよく世話して、
主人が見て楽しめるようにしたいと願っている。
昼のうちにしたことも十分ではないと感じて、
夜の気配につつまれてからそっと帰ってくる。
おかげで、韮は春を争って早くにできるであろうし、
その前に、寒さを破って青菜が成長するであろう。
人間世界に初めから正しい味わいというのはなくて、
美しいものも好いものも艱難から出てくるのだ。
農圃の楽しみを早くから知っていたならば、
それより他に何も求めたりはしなかっただろう。
残念なのは、鋤を上手に使えないので、
どうしても顔を赤らめてしまうことだ。
この心さえしっかりしているなら、
どこへ行ってもさすらいの旅人ではないのだ。
休もう、さあ、休もう、
ここで菜食するのもよいではないか。
■【12-2-045】和陶下潠田舎穫
【解題】陶淵明の『丙辰の歳の八月のなかば、下潠の田のなかの小屋で収穫した』という詩に和した。
【訳文】
堆肥を集めるは、西の垣根の下、
井戸を掘ったのは、東の垣根の隅。
はしなくも休む間もなく働かねばならなくなったので、
のんびり安らかに過ごそうなどと思うわけにはいかない。
それは天公［造物者］も喜びはしないので、
雨だろうが晴れだろうが、いずれもよい按排であるのだ。
肥えた土によって菜の黄色い芽が養われ、
茂った楮には樹雞が生え出てくる。
それらは煮て食べてしまうのはまだまだ早いかと、
一日に百回も見に回る。
海を跨って遠くから便りがあり、
玉のように涼しい音をたてる氷盤［白磁の皿］を得た。
そこに若菜のおひたしと細く切った刺身を並べると、
花が開いたかのように座敷を照らしてくれる。
蜑民［水上生活をする先住民］の親父とちょいと酔っぱらったところ、
二人ともさえない顔色でますます爺むさくなってしまった。
日に日に歯の根がぐらぐらするようになり、
どうしたって肉や御馳走には近づけない。
つまりは、菜があれば不足はないので、
そこで、息子を呼んで、鶏を小屋から出してやった。
■【12-2-046】和陶戴主簿
【解題】陶淵明の『五月旦に作る、戴主簿に和す』という詩に和した。
【訳文】
海南島には夏と冬の区別もなく、
一年がいよいよ終わると知れるものもない。
いろいろな時に葉が落ち、
たちまちあちらで繁りそしてたちまちこちらでしぼんでゆく。
天は荒々しさも包み込むというけれど、
これでは佳いものを植えても豊かになりようがない。
自然の厳しさに代わってやさしく耕すよりなく、
冬の風に強い植物を選ばせるようなことはできない。
我が手で蘭や菊を栽培して、
我が宴を清く飾って終わりとなる。
芳しい花を摘めば、眼の内が明るくなり、
それに対して酒を飲むなら、腹の内は和やかである。
草を取ってしまうと土は崩れやすいので、
深い井戸には、それを守る墻をいよいよ立派にしないとならない。
たった一畝の庭ではないかと笑わないでほしい。
蟻塚がなんと衡山や嵩山のように聳え立っているではないか。
■【12-2-047】和陶酬劉柴桑
【解題】陶淵明の『劉柴桑に酬いる』という詩に和した。
【訳文】
紅い藷と紫の藷の芽を、
産地から遠く離れたここの垣根のまわりに植える。
佳い香りを放つ蘭とともに春に育ち、
秋には、菊とともに寒くなるまで頑張らずともよいだろう。
冬の終わりには甕のような大きさになって、
畑で作ったもの以上にごろごろとたくさんできるだろう。
淇上に玉延という白い薬草があるが、
この藷にはそれに勝る効能がきっとある。
たらふく食べたら、故郷のことを忘れてしまうし、
暑熱の地で悪い病気に苦しんだ将軍のことも思わないですむのだから。
【補足】［（1）終わりの部分は藷の効能について、故事を踏まえた蘇軾特有のユーモア。要するに、腹がふくれることに関しては、いかなる薬草もかなわないということである。（2）最後の句に「馬少游」とあるのは漢代の馬援で、作品番号11-2-109の其の五でもその人の故事を引いていた］
■【12-2-048】和陶和胡西曹示顧賊曹
【解題】陶淵明の『胡西曹の詩に和して、あわせて顧賦曹に示す』という詩に和した。実は、この和陶詩は作品番号11-3-038ですでに訳していて、そこでは、陶淵明の詩が紫の葵に託して志の遂げられない嘆きを歌っているのに対して、蘇軾の詩は長春花［薔薇の一種であるらしい］を惜しみつつ王朝雲を悼み思う心を歌っているとの解釈を示した。しかし、海南島での新居の庭や畑の植物を詠んだ一連の作品群の一つであるとするなら、単純に花が散ったのを惜しんだ詩であるのかもしれないし、そこにもしかしたら王朝雲のみならず先に亡くなった人々を偲ぶ思いを託したものであるのかもしれない。
【訳文】
長春花は若い娘のように、
飄颻と軽やかな風に寄り添っている。
朝の酒に玉の顔をぽっと染めて、
おろしたての紅い衣を巻いたかのよう。
顔を垂れて香りを内におさめ、
目に思いを含ませた様子はなかなかに微妙である。
菊と比べたらその姉とすべきであって、
葵と比べてもその妹というわけではないだろう。
見かけはいかにも弱々しいだのが、
世の盛衰を実は見守っているのである。
つんとして少し怒っているようにも見えるので、
化粧をするための水を差し出すのをはばかれもする。
ところが、熱気を含んだ雨と南の荒い風が吹いて、
凋んで枯れてしまうのをとどめることはできなかった。
老人は酒を飲んで思いを解くこともできないで、
不十分ながらもこの悲しみを短いに句に託すしかない。
■【12-2-049】過子忽出新意、以山芋作玉糝羹、色香味皆奇絶。天上酥陀則不可知、人間決無此味也
【解題】この詩の題は、「息子の蘇過がふと新しい工夫を出して、山芋で玉糝羹なるものを作った。色も香りも味も絶品である。天上に酥酏とかいうものがあると聞くが、その味わいはわからない。人間世界には決してこれほどうまいものはないだろう」。
【訳文】
香りは竜涎［西方に産する香料］に似て、もっともっと白い。
味は牛乳に似て、さらにさらに清らかである。
南海の金齏膾［菜と刺身の和え物の極上品］でも、
この東坡の玉糝羹とはとても比べられないのだ。
【補足】［息子が作った山芋のどろどろのスープを、極端なまでに褒め讃えた戯れの詩］
■【12-2-050】菜羹賦、并叙
【解題】野菜スープの賦。この賦は、黄州謫居のときに作られたという説と、海南島謫居のときに作られたという説がある。後者に従って上の玉糝羹との関連でここで見ておこう。
【訳文】
叙
東坡先生は南山の下に住んでから、着る物も食べる物も、器も道具も、とりあえず家にある物で間に合わせていて、水陸の珍味を貪ることなどはできないので、蕪や大根や薺を煮て食べている。その方法は、酢や醤を使わずに、自然の味のままであるから、簡単に得られる材料があればいつでもその味を享けることができる。それでこの賦を作った。
如脱兔其何因。［逃げ走る兎のようになってしまったのは、どうしてなのか］
殷詩腸之転雷、［腹が雷のようにごろごろ鳴っている］
聊禦餓而食陳。［この飢えを防ぐには何か食べなければいけない］
無芻豢以適口、［うまい肉などはありはしないので］
荷隣蔬之見分。［近所の人から野菜のおすそ分けを受ける］
汲幽泉以操濯、［山から水を汲んできて、それを洗い］
搏露葉与瓊根。［葉から露を払って、根まで白くする］
爨鉶錡以膏油、［鍋を火にかけると］
泫融液而流津。［もうよだれがだらだら流れ出る］
適湯濛如松風、［鍋がしゅうしゅう音を立てたら］
投糝豆而諧勻。［米くずやら豆くずやらも投げ込む］
覆陶甌之穹崇、［鍋に蓋をしたなら］
罷攪触之煩勤。［かきまわす手間もいらない］
屏醯醤之厚味、［酢や醤でわざわざ味を付けるまでもなく］
卻椒桂之芳辛。［胡椒とかの辛いものも使わない］
水耗初而釜治、［水がなくなってきたら初めて鍋の世話をし］
火増壮而力均。［火の加減をちょうどよく保つ］
滃嘈雑而廉清、［くたくたによく煮えあがったなら］
信浄美而甘分。［まことにうまくまことに甘くなっている］
登盤盂而薦之、［椀についでこれを薦める］
具七筴而晨飧。［箸を具え、朝夕に食べるのである］
助生肥於玉池、［豊かな味わいが口中に広がり］
与吾鼎其齊珍。［いかなる珍味にも引けをとらない］
鄙易牙之效技、［古代の料理名人の技もなんのその］
超伊傅而策勛。［古代の王が食べた料理などかるく超えている］
沮彭尸之爽惑、［腹中の悪い虫の働きを抑え］
調竈鬼之嫌嗔。［腹中の鬼がぶつぶつ言うのを止めてしまう］
嗟丘嫂其自隘、［食べ物を廻って肉親どうしが争うこともなく］
陋楽羊而匪人。［我が子を煮てスープを作ったとかのばかばかしいこともなくなる］
先生心平而気和、［先生は心が平らかで、気は和やかで］
故雖老而体胖。［老いたといはいえ、身体はしゃきっとしている］
忘口腹之為累、［腹を満たすために煩わしいことをするような心配はなく］
似不殺而成仁。［生き物を殺すこともないから、仁を成すのである］
竊比余於誰歟、［このような私は誰に似ているのかというと］
葛天氏之遺民。［太古の素朴な民の生き残りなのである］