第11章 南へ、さらに南へ――恵州
［第11章その三］
紹聖3年［1096年］、蘇軾61歳。
紹聖4年［1097年］、蘇軾62歳。
■【11-3-001】与程正輔
【解題】従兄の程之才［字は正輔］［→作品番号11-2-100］に宛てた手紙。1月1日の夜に恵州に属する博羅県で大火があり、町の復興について、蘇軾は程之才に助力を仰いだ。広州の颶風［→作品番号11-2-078］に続いて、蘇軾は災害にすぐに反応し、再び程之才に支援を願ったのである。
【訳文】
本州の黄燾推官は非常に清廉で気骨があり、郡中の人々は特に頼りにしています。……博羅県では正月一日の夜に失火があり、ひとつ邑がすべて焼け、公私ともにすっかり失われてしまいました。林抃県知事は喪中にあって高主簿がその代わりをしています。猛烈な颶風の被害の後で、誰もこの火事にまで力を加えることができません。千人もの民衆が河原の砂の上で野宿しています。もとより家を作ることはできるものではありませんが、茅や竹でさえもいまは高騰していて得られません。そのときに黄推官は三万本の竹を用意して救援に向かいました。極めて佳いことです。
このあたりでは火事が極めて多く、林知事にはそれに対するお考えがあり、それに委ねるのがよろしいでしょう。ただ喪に服しているために、いまは御自分で対処することができません。願うのは……［以下、程之才の助力を得て、林知事の考えを実現できるよう、具体的に提案している］……
【補足】［蘇軾はこの手紙で、恵州で推官の職にある黄燾と、博羅県の林抃知事を能力のある人物として程之才に推薦している。林抃については作品番号11-2-050でも褒めている］
■【11-3-002】与林天和
【解題】上で見た博羅県知事の林抃［字は天和］に宛てた手紙が何通か残っている。これはそのうちの一通。
【訳文】
お手紙をいただきましたが、何かと事に紛れ、すぐに御返事せず、まことに失礼いたしました。春寒の折から、いかがお過ごしでしょうか。火事の後に、民衆のために心を尽くして倦むことなく勉めてこられ、心身ともにお疲れでありましょう。お会いすることはしばし叶いませんが、万万御自愛ください。
■【11-3-003】新年五首
【解題】新たな年を再び恵州で迎えた思いを淡々と歌った詩。
【訳文】
其の一
暁の雨――
人日［一月七日］は暗く始まる。
春の愁い――
上元［一月十五日］へと続く。
水が生まれる――
菜を摘む渚に。
靄が湿る――
梅の花の落ちる村で。
小さな市から人々はみな帰り、
一艘の舟の上で鶴がぴょんと跳ぶ。
この寂寞を慰めるかのように、
点々と漁火が黄昏時に光り出す。
其の二
北の渚で鷺の群が集まっている。
この新たな年にどこに行くのだろう。
高い木々のある寺へとみなが帰るのだ。
巣のある枝へと分かれて入り込む。
そうか、生きる物にはきっとなすべきことがあって、
その時節ごとに己の身のために謀るのだ。
願うのは、猟具を禁じ、
鷺が雪の衣をまとったような雛を連れるのを看ること……。
【補足】［「生物会有役、謀身各及時」［生物 会ず役有り、身を謀るに各おの時に及ぶ］の句は、あたかも生態学の基本原理を見るかのようである］
其の三
海辺の地はとにかく暖かく、
春の山は限りなく気持ちがよい。
凍るべき溪にも熱を帯びた雨が注ぎ、
雪のような菌が町の中でも生じる。
軽やかに雷が鳴るのを待って、
筍が先を争って伸び出す。
豊湖には藤菜があって、
蓴菜の羹にも匹敵するほどに美味である。
其の四
浮き橋の向こうに小さな村があり、
石の岸辺の東に青い山が控えている。
水が出る前に麦はすっかり刈られ、
山を焼いた後に茶の芽が出てくる。
酒造の禁令がないので、
わが家でも「万戸の春」なる酒を作り、
三年目にしてこの翁の腕前が知られるようになった。
ここに茅屋を結んで、
年々の繰り返しが同じであるとわかるようになった。
其の五
荔子はいつ熟するのか。
花の先がいま盛んに開いてきている。
夏にどの果樹園の実を買うべきか、
春のうちから樹を選んで論じている。
居士は客人を引き連れて、
いつでも周さんの門を叩くことを許されている。
来年は荔子の味わいも格別であろう、
懐に抱いて孫たちに食べさせてやるのだ。
【補足】［（1）蘇軾自身の注で、「周さんの家には荔子がたくさんある」と記されている。（2）このころ長男の蘇邁は都に行って就職運動をしていて、支援者の助力を得て、韶州仁化県の知事になれる可能性が見えてきていた。仁化県は恵州の北200キロ余りの地であるから、実現すれば孫たちに逢えるかもしれないということで、結びの句が詠まれているのである］
■【11-3-004】記与舟師夜座
【解題】成都からきていた法舟［舟実］［→作品番号11-2-106］とのひとときを記した短文。
【訳文】
紹聖三年正月の初めの五日、成都の法舟と夜に部屋に座っていて、ひどく腹が減ってならなかった。家の者は鶏の腸と野菜を煮た羹を作ってくれて、非常に旨かった。それから法舟と「不二の法」について議論した。法舟はそのことを書いてほしいといった。しかし、それは書けるようなことではなく、たとえ書けなくはないとしても、書くための時間がない。
■【11-3-005】題所書宝月塔銘
【解題】法舟［舟実］が恵州に来ていたのは宝月大師の墓［塔］に刻む銘［→作品番号11-2-106］を蘇軾に書いてもらうためで、それはこのころに完成し、蘇軾は自ら筆を執って法舟に渡した。これはそれに添えた短文。
【訳文】
私は『宝月塔銘』を作り、澄心堂の紙、鼠須の筆、李庭珪の墨を使って書いた。全て一代の逸品である。法舟師は万里を遠しとせずに、恵州にきて銘を求めた。私はその意を無にはしなかった。
紹聖三年正月十二日、東坡老人書く。
【補足】［ここぞというときには紙も筆も墨も特に選んで書くことは作品番号11-1-005でも見ている］
■【11-3-006】与程正輔
【解題】従兄の程之才［字は正輔］［→作品番号11-3-001］とは頻繁に手紙が行き来していた。法舟［舟実］に関連する手紙を二通読んでおこう。
【訳文】
（1）……北に移る望みは絶えましたので、長くここで過ごす計を立てなければなりません。宝月大師の孫弟子の法舟がきて、弟の手紙および劉朝奉の手紙を受け取り、いま法舟が去るので、その返事を託しました。宝月大師は亡くなられましたが、法舟は非常に立派な人物で、しっかりとした物言いで、喜ぶべきことです。年が明けてたちまち一カ月が経とうとしています。兄上は北にお帰りになるとか。その後もお手紙を頂戴できますでしょうか。……
【補足】［劉朝奉がどのような人物であるのかはわからない］
（2）郷里の僧である法舟が発ち、お手紙はきっと到達するでしょう。……お示しくださった『詩域酔郷』の二首は格別に力がこもってますます清妙で、その後を継いで作りたいと強く思いますが、兄上の高韻を追ってよじ登るのははなはだ困難です。……いまは揚州にいたときに詠んだ二十首を写してお寄せいたします。他の人にはどうか見せたりなさいませんように。……
【補足】［（1）法舟［舟実］は蘇軾の手紙を携えて程之才に会った後に、筠州にいる蘇轍を訪ね、それから成都に帰還した。（2）程之才の『詩域酔郷』に和した詩は伝わっていない。揚州で詠んだ二十首とは、陶淵明の『飲酒二十首』に和したもの［→作品番号10-2-040］であろう。（3）程之才は2月のうちに嶺南の地を去ったようである］
■【11-3-007】和陶詠二疏
【解題】陶淵明が「二疏」を詠んだ詩に和した。「二疏」とは漢の時代の疏広とその甥の疏受。2人が高位に昇るとさっと辞めて帰郷したことは、みごとな身の引き際の手本であるとして、蘇軾も何度も賞賛していた［→作品番号05-1-003など］。
【訳文】
二疏は漢の朝廷に仕えていたときから、
身は世間の中に置きつつも、心はすでに世の外に去っていた。
許伯が（自身の弟を皇太子の補佐役に推薦したのは）全くもって話にもならず、
二疏の気高さを到底知ることなどできなかったのだ。
いくらかましだったのは宰相だった魏相で（許伯の先の推薦を疏広が退けたと聞くと）、
愚かしい申し出をした者があったことを、冠を脱いで皇帝に詫びたのだった。
あたかもそれは漢朝の中興のときで、名臣が多くいたのだが、
まことの道［正しい理］があったのは二疏だけであった。
世間の途は車がぶつかり合うように錯雑としていて、
あえて二疏のような路を行こうとする者はいない。
人の身は蛻をこの世に委ねているようなもので、
それから脱け出る前も蛻などは顧みるまでもなく、
脱け出てしまえば、この世のことも蛻も忘れてしまうのであって、
死んだ後で、誰かが褒めようが謗ろうどうでもよいのだ。
子孫に遺すべきものはといえば、
田を買うのは、決して先に選ぶようなことではない。
私はかつて東の海のほとりを旅し、
通りすがりながらも二疏とはもとからの所縁があったように感じた。
神の交わりを二疏と長く結び、
しばしば夢にまで見たけれど、いまこそわかったことがある。
陶淵明がこの詩を作った意は、
俗人の思慮の及ばない優れた考えであったのだ。
少しでも二疏に近づきたいと願う。
微かなところ見て、真に明らかなことを知るべきである。
【補足】［（1）初めの部分は、漢の時代の史実を引いてややごちゃごちゃしているけれど、要するに「二疏」の身の処し方が抜きんでてすばらしかったといっているのだ。（2）「東の海のほとりを旅し」とあるのは、作品番号05-1-003で見たように「二疏」に所縁の海州を訪ねたことをいう］
■【11-3-008】和陶詠三良
【解題】「三良」を詠んだ陶淵明の詩に和した。「三良」とは、春秋時代の秦の穆公に仕えた三兄弟で、「秦の良れもの」といわれた。穆公が死ぬと三兄弟は遺命に従って殉死し、人々はそれを悲しんで『黄鳥の賦』を作った。「三良」の殉死は果たして褒められるべき行為なのかというのが、この詩のテーマである。孔子以来、殉死は悪しき行為であるとみるのが儒学の伝統で、陶淵明も蘇軾もそのような考えに基づいて詩を詠んでいる。
【訳文】
この命は太山よりも重いものであるのに、
たちまち鳥の羽毛よりも軽いものとされてしまった。
三良は穆公のたった一言のために死んだのであって、
死ななければならなかった理由はごく小さかったのだ。
晏嬰こそは賢者であって、
私情によって主君に仕えることはしなかった。
「わたしは犬や馬ではない、
主君の車や帷の近くにいることを求めはしない、
我が身を殺すにしてももとより道に従うのであって、
大きな節義を欠かしてはならないのだ。
主君が国ために死ぬのなら、
私も一緒に死ぬであろう、
遺命を顧みて、国を治めるものと乱すものがあるのなら、
臣下としては従うこともあれば、背くことだってある」
魏顆はまことに孝であり愛のある人であった、
三良が及ぶところの者ではない。
仕官は栄とすべきものなのであろうけれど、
憂いや悲しみがまつわりついてくる。
だから陶淵明は、
黔婁のようにつんつるてんの衣を着て生きることにしたのだ。
【補足】［（1）蘇軾は一句目の「此生太山重」［此の生は太山より重い］で、いきなり殉死を否定している。（2）続いて、春秋時代の晏嬰と魏顆の故事を引いて「三良」と比べている。晏嬰の信念は詩中にそのまま引かれている。魏顆は、父が死んだ後に、当時の慣習に反してその妾を殉死させることなく他家に嫁がせた。その後、魏顆が戦場に出ると、妾の父の霊が現われて魏顆の命を救い、大きな手柄を立てることができた。（3）黔婁は陶淵明が賞賛する隠者である［→作品番号11-2-080aの其の四］］
■【11-3-009】和陶詠荊軻
【解題】荊軻について詠んだ陶淵明の詩に和した。荊軻は中国史上最も有名な刺客。春秋戦国時代の終わりに、秦国の膨張政策に苦しむ燕国は、秦国の王［後の始皇帝］の暗殺を計画し、太子丹に見込まれた荊軻が策略をもって秦国王に近づき、あと一歩まで迫ったのだが、暗殺に失敗した。その後、秦国王が天下統一を果たした後に、荊軻の親友であった高漸離は始皇帝を狙い、暗殺を試みたものの失敗した。
【解題】
東唇の元帝は帝室の司馬氏の子ではなくて父親は牛氏であったように、
秦の始皇帝も王室の嬴氏の子ではなく父親は呂氏であった。
天は秦の害毒をよりひどいものにしようとしたのか、
李斯の手を借りて秦の天下統一を成し遂げさせ、
功が成って志が満ちたときに、
積もり積んだ悪が岡のように巨大になった。
身を滅ぼすには必ずその時がある、
じっくり観るならしずしずとそこへと進んでいくことがわかる。
沙丘で始皇帝が死ぬと近臣はあわてふためき、
それは知者が冠を落として大笑いするほどのものであった。
燕の太子はそうなるまで辛抱することができなかったのである。
つまりは万人のなかで特に傑出した人物ではなかったのだ。
かつて魏桓子と韓康子が横暴を極めた趙襄子を滅ぼしたときには、
声を出さずに肘と足で合図したのだった。
どうして燕の太子は成算のある計画を立てずに、
一国の運命を荊軻のような愚か者に託してしまったのか。
荊軻は言うに足りない人物であったが、
荊軻を推薦した田光が老いぼれてしまったのはただ驚くばかりである。
燕には優れた人物が多いといわれていたが、
惜しいことに誰もが虚名にすぎなかったのだ。
始皇帝は本当の父を殺し、母を閉じ込めたのであるから、
天の朝廷おいては赦されるような者ではなかった。
楚には三戸となっても秦を滅ぼすとの意志があった、
まして燕には数十もの町があったではないか。
（荊軻を見送った）高漸離は遺志を継いで始皇帝を襲った、
傷つけるには至らなかったが、始皇帝はあわてて警護の兵を増やした。
今に至るも天下の人々は、
燕が成功すればよかったのにと残念に思っている。
私は書物を置いて大きく嘆息する、
千年来の人の情はここに見ることができるのだ。
【補足】［蘇軾は、荊軻および暗殺に関わった人々に対して非常に手厳しい。それは理知的な判断に基づくもので、荊軻の遺志を継いで始皇帝を撃とうとした高漸離が失敗したのを残念がるのは千古に変わることのない人情であるとしている］
■【11-3-010】二月八日、与黃燾、僧曇穎過逍遙堂、何道士宗一問疾
【解題】この詩の題は、「二月八日、黃燾、僧の曇穎とともに逍遙堂を過り、道士の何宗一の疾を問うた」。黃燾は恵州の役人［→作品番号11-3-001］、曇穎と何宗一の名は作品番号11-2-008で、逍遥堂は作品番号11-2-110で見ている。
【訳文】
何宗一は心を安らかにして、玄牝［鼻と口］を守り、
眼を閉じて、黄庭［霊妙な気］を求めている。
疾を問うために三人がきて、
瓶に半分の酒を愁いへと澆ぐことにした。
風に揺れる松から時に蕊が落ち、
病んだ鶴［何宗一］は翼を梳ることもできずにいる。
酒がなくなって我らが帰ろうとすると、
山の月が何宗一の醒めた顔を照らし出した。
■【11-3-011】書柳子厚南澗詩
【解題】柳宗元［字は子厚］の『南澗中に題す』［南の谷川で詠む］という詩を書いて、短文を添えた。柳宗元の詩は永州に流されていた40歳のときの作品。
【訳文】
秋気集南澗、［秋の気が南の谷川に集まっている］
独遊亭午時。［独りそこを行くこの真昼時］
廻風一蕭索、［つむじ風は何とも寂しく］
林影久参差。［林の影がいつまでも動いている］
始至若有得、［ここには初めて来たのに、何か得るものがあるような気がする］
稍深遂忘疲。［少し深く入って、疲れを忘れる］
羈禽響幽谷、［奥深い谷から一羽はぐれた鳥の声が響く］
寒藻舞淪漪。［さざ波の中で藻が冷え冷えと舞っている］
去国魂已遊、［都を去って、魂はすでに遊離してしまったのだが］
懐人涙空垂。［友人を思うと涙が勝手に垂れてくる］
孤生易為惑、［孤独で生きると感じやすくなるのだろう］
末路少所宜。［路を失ってからはよいことはほとんどない］
寂寞竟何事、［がっくりとしてもはや何をしたらよいのか］
遲回只自知。［おろおろしているこの私を知るのは私だけ］
誰歟後来者、［誰か後にここに来る人が］
当与此心期。［私のこの心と出会ってくれるであろうか］
柳宗元が南に遷されてから後の詩は、曲がりくねりつつ清らかにして勁いことは、おおむねこの詩のようである。
紹聖三年三月六日。
【補足】［政争によって都から遠く離れた南の地に流されたことでは柳宗元と蘇軾は似るが、柳宗元は独りで南の川に行くのに対して、蘇軾は様々な人と連れ立って歩むのである］
■【11-3-012】服黄連法
【解題】解毒作用があって皮膚病に効く黄連という薬草についての話。
【訳文】
丙子［紹聖三年］の寒食の日、宝積寺の長老の曇穎がこのようなことを話してくれた。
「恵州の澄海十五指揮使の姚歓は阜民監の守備に当たっていました。それは煕寧年間のことでした。そのとき恵州知事の趙煕明および巡検使の申氏と、阜民監の長官である兪懿とは仲が悪く、州の役人と阜民監の人間は争ってばかりいました。ついには、阜民監の連中が反乱を起こしたと告げる者がありましたので、知事の趙煕明は役場の門を閉ざし、巡検使の申氏は兵を率いて阜民監の連中を討伐しようとしました。姚歓は阜民監の門の前に立ちはだかり、巡検使に向かって、『阜民監の者は反乱など起こしていません。戦うのはやめてください』と、いいました。その勢いに、巡検使は兵を鎮め、攻撃するのを止めました。もしも姚歓がいなかったならば、恵州は大変なことになっていたのです。いま姚歓は八十歳を超え、南安軍での功績をもって雄略指揮使となって、広州で老いの日々を送っています。頭髪も髯もいまもって真黒です。姚歓はこのようにいっています。『六十歳で癬疥を患い、踵から頭のてっぺんまで覆われてしまいました。ある人が黄連を服用することを教えてくれまして、それですぐに治りました。それからずっと黄連を服し続けたところ、頭髪は白くならなくなりました。黄連は実を取り除いて、酒に一晩漬け、炙って粉末にし、蜜でもって桐の実くらいの大きさに丸めます。中は空洞です。午後、臥せる前に、酒とともに二十丸飲むのです』と」
【補足】［宝積寺の曇穎の名は先の「二月八日」の詩で見たばかりである］
■【11-3-013】次韻高要令劉湜峽山寺見寄
【解題】恵州から西に200キロほどの高要県の知事の劉湜が峽山寺に遊んだ詩を寄せてきたので、それに次韻した。蘇軾が先に峽山寺を訪れていたことは作品番号11-1-059で見ている。この詩はかなり難解で、いつも以上の「ずっぽ訳」である。
【訳文】
新たにすばらしいと思えることはなかなか聞けない。
旧く学んだことは束ねてしまったままになっている。
このありさまでは、できることといったら、
昔の季主のように占い師にでもなって世間から隠れることくらいで、
かの梅福のように仙人になって世の中から逃れるなどはとても無理だ。
空っぽの腸が吐き出すつまらない思いを、
蚕の糸のように静かに引き出しているだけなのだ。
丹田に気が結集し、心の内の雑草を刈り尽くせるのなら、
銅が緑青をふくような完成した状態へと向かって、老熟するようになるのだろう。
つまらない人間は、玉があればとにかく服して寿命を延ばそうとする。
道に通じた人は、金を鋳ても財を得ようなどはこれっぽっちも考えない。
いわば、天下に名高い山岳もちっぽけなものだとみなして、
我が箪笥のうちに納めておけばよいとする境地にあるのだ。
私はかつて羅浮山の頂によじ登り、朱明谷の底にも至った。
眼を旋せると、それらが何だかただの土の塊のように思えた。
それで、おんぼろの家に帰って呑気に寝転ぶことにしたのだった。
友人たちには老いてなお官に仕える者もいるが、
私は、世間とのつながりはごく薄いものとなった。
南国の女性に微笑まれてそのままここに居つき、
辺境の地を流れる川で水浴びをして過ごすのも悪くはないだろう。
そのような心持ちでいると、
思いがけず手紙が届き、新しい詩を喜んで頂戴した。
貴君は残念に思っていてくれている――
私がかつては八州の知事を歴任していながら、
いまは嶺南の旅人となっていることを、
そして、骨をとかされるほどの讒言にさらされ、
肝も破れるほどの獄吏の酷い扱いを受けたことを。
遠く山にかかる雲は招き寄せることはできないが、
江に射す月の光はどこででも掬い取ることができる。
清遠峽の寺は遥かな山の中、
驢馬の足も砕かれてしまうほどに険しく、
仰ぎ看ると、滝は我が腰へと注ぎ落ちるばかり、
俯して聴くと、石を打って激しく響く。
千の峰から水が走り出て、
雷のような激流に言葉を失い、稲光のように目にも止まらぬ速さ。
ここにひとたび入ると、人はもう帰ってくることができない。
山の僧がいつも飢えているのは、
とかく食べ物のない中で坐しているからだ。
人間世界にはつまるところ北も南もなく、
蝸が角と出したり縮めたりしているだけのこと。
仙界の仇池には九十九の泉があり、
人間界の嵩山には三十六の峰がある。
仙界も人間界も同じく一つの夢、
仙人も凡人も区別するところはないのだろう。
辺境の地であっても老いの日々を送るにはよく、
生きるに必要なものはほぼ足りている。
この地の熱気は天をも焦がす焔のようであるが、
それを海を照らす灯火に変えるよう努めたいものだ。
■【11-3-014】和陶移居二首、并引
【解題】陶淵明の『居を移す』という詩に和した。蘇軾の作には序文がある。
【訳文】
引［序文］
私は去年の三月に、川の東の嘉祐寺から合江楼に居を遷った。それから一年になり、病がちで歓びが少なく、川の東の楽しみを強く懐っていたところ、帰善県に数畝の空き地を得た。老人たちがここに昔は白鶴観があったというので、心に欣びが湧き、ここに住むことに決めた。そこで陶淵明の詩に和した。
【補足】［恵州に来てからの経緯と、新たな住まいを定めようとしている場所について記している］
其の一
かつて、私が恵州に来たばかりのときは、
川の東に静かな住まいがあった。
夜明けには烏や鵲といっしょに起き、
日暮れには牛や羊といっしょに帰った。
誰が町中に近いところ［合江楼］に移動させたのか、
日々に応接の煩わしさがあるようになった。
歌ったり呼んだりする声が路地の奥にまで行き交い。
太鼓やら角やらが枕もとで鳴ったりもする。
門を出ても尋ねるによいところがなく、
前のような楽しみはまったくなくなってしまった。
病んで痩せ衰えて独り年を越して、
薪を束ねるような仕事をいっしょにする者もいないのである。
【補足】［蘇軾のこの詩は、合江楼での日々が満足のゆくものではなかったと歌っている。最初は合江楼に移れたのを喜んでいたのだが［→作品番号11-2-036］、官舎に住むのは煩わしさもあったのだろう］
其の二
突き出している岸辺を、潭で生じた渦巻きが巡る、
そのおもしろさに私は『江郊の詩』を作った。
いま私は一つの廛を持つ民になろうとしている、
この邦にいるからこそこのようにもできるのだ。
屋根を葺いて「無邪斎」と名付けよう、
私には思うところがないといえるようになりたいと思うからだ。
古い道教の寺院はずっと前に廃墟になり、
そこにいたであろう白い鶴はいつ帰ってくるのやら。
私はかの丁令威ではないけれど、
千年の後にまたここに戻ってくるであろうか。
ここの江山からなら福地［仙境］の朝に詣でることができるであろう。
古の人［葛洪をいうのであろう］は私を欺きはしないのだ。
【補足】［蘇軾のこの詩は新しい住まいへの期待を詠んでいる。（1）『江郊の詩』は作品番号11-1-093で見ている。（2）蘇軾が自分の書斎を「思無邪斎」と名付けたことは作品番号11-1-077で見ているが、新しい住まいでも同じ名を用いることにしたのだろう。（3）丁令威は伝説の仙人。鶴にまたがって現世を去り、千年後にまた戻ってきた］
■【11-3-015】答張文潜
【解題】「蘇門四学士」の一人、張耒［字は文潜］［→作品番号11-2-057］に宛てた手紙。このころ張耒は宣州知事の任にあった。蘇軾の健康に関する部分を抜き出して訳す。
【訳文】
長らくお手紙を差し上げずにおりましたところ、お使いの人が来て、お手紙を頂戴し、伏読し、感嘆してやみません。……長く続いた痔疾はすでにすっかりよくなり、他に私を害するものはなく、真の気が日に日に骨髄に増していて、身体も精神も卓然としてまた元気になっています。……［以下、肉食を完全に断ったことや、弟や范祖禹、黄庭堅の消息などを記す］……私は官舎に寓居していて、下に二つの江を臨みます。瘴癘［マラリアなど熱帯の病］の害が少しくありますが、必ずしも悪さをするものではなく、私も息子もかつて病んだことがありません。……
【解題】川を遡って奥へ奥へと行くとそこに人知れぬ別世界がある――これは、古今東西多くの人が空想することであろう。陶淵明は、そうした空想をすこぶる普遍的な形で文学作品に昇華させてみせた。それが『桃花源の記』である。以来、誰もが陶淵明の描いたユートピア＝桃花源に憧憬を抱くようになった。陶淵明には『桃花源』の詩があるが、それは『桃花源の記』をなぞっただけの新味のない作品で、後人の偽作ではないかといわれている。蘇軾は、『桃花源の記』に準じた序文を記し、詩に和した。
【訳文】
引［序文］
世間で桃花源のこととして言い伝えているものの多くは事実を誇張しすぎている。陶淵明が記しているのは、先の世に秦の乱れを避けてここに来たというだけであって、漁師が見たのはその子孫で、秦の時代の人が死なずにいたわけではない。また、鶏を殺して食べていると記してある。桃花源の人々がもしも仙人であったなら、生き物を殺すようなことはしないはずだ。
旧い説に南陽に菊花水というところがあって、そこの水は甘くて芳しく、三十余りの家があって、その水を飲んで長生きをしていて、百二三十歳に至る者もいるとある。
蜀の青城山には老人がたくさんいる村があって、五世の孫を見る者もいるという。道が極めて険しくて遠く、そこの人々は塩も酢も知らない。溪の中には枸杞が多くあり、その根は竜のようにわだかまっている。そこの水を飲むから長生きなのである。近年はやや道が通じるようになって、次第に五味を味わうようになって、長寿であることもだんだんと衰えてきているという。
桃花源とはきっとこのようなところであるのだろう。もしも武陵の太守がそこに行くことができたなら、ずっと前に争奪の場となってしまっていただろう。
思うに、天地の間にはこのようなところがきっとたくさんあって、桃花源だけではないのである。
私は潁州にいたときに、夢でとある役場に行き、そこの人々はこの俗世と異なるところはなかったけれども、山や川は清らかで十分に楽しめるものであった。振り返って建物の上を見ると「仇池」と書いた額があった。目が覚めてから考えると、仇池というのは武都の旧くは氐族が棲んでいたところで、いまは楊難当が守備に就いているのであった。どうして私はそのようなところに行ったのだろうか。
翌日、そのことを人々に尋ねると、趙令畤君［字は徳麟］がこのようにいった。
「あなたはどうしてそのようなことを問われるのですか。仇池とは、小有洞天に付属する仙界に通じるところでありませんか。杜甫の詩にもこうあります。
万古仇池穴、［万古 仇池の穴］
潜通小有天。［潜かに通じる小有天］」
別の日に、王欽臣君［字は仲至］が私にこのようにいった。
「私はあるとき使命を受けて仇池に行ったことがあります。九十九の泉があって、一万の山がそのまわりにありました。世を避けるのに桃花源のようなところでありました。
【補足】［蘇軾が仇池を夢に見たことは作品番号10-2-018など何度が記さている。その仇池が現世に存在するところなのか、仙界に存在するところなのか、ここではどちらともはっきりさせずに書いている。桃花源もまたそのようであるのだろう］
凡人と聖人はいるところを分けているわけではない、
この世において清と濁はいっしょくたになっているのである。
心が静まっているとたまたま桃花源のようなところが見えたりし、
しかし、おかしな念が起こるとそれはすぐにどこかに消えてしまう。
真にこれ一つというところを知ろうとするには、
眼、耳、鼻、舌、身、意の六つとも廃さなければならない。
桃花源は実は遠いところにあるのではない、
杖をついてちょっと休憩するくらいで行けるのだ。
それはすなわち、自ら耕して、できばえを大地の力に任せ、
学問を断って、天の与えてくれた技芸に任せることであろう。
肘が鶏なら時がくれば鳴いてくれるし、
尻が駕籠なら費用なしで乗れる。
蓮に乗る亀は長く生きる呼吸をし、
長寿をもたらす枸杞は神の犬によって守られている。
草や木から甘く芳しいものを得て、
焼いたり煮たりしないでそのまま食べる。
劉子驥は実際に桃花源に行こうとしたけれども、遠く隔たったままだったが、
陶淵明は心のなかですでに至ったのである。
行こうとすれば、高い山だって越えられないことはないし、
浅い水なら衣をちょいと挙げればよいだけだ。
それはそうとして、仇池へと、
私が高く挙がって行ったのは何年前であったのか。
もとより生と死は一つであると知っていた。
近頃では愚かなのも賢いのも等しくなっている。
恵州の近くには、
安期生がいた菖蒲澗もあれば、葛洪がいた羅浮山もある。
夢に安期生や葛洪と遊び、
私を覆うつまらぬものをなくすなら、神の交わりができるのだ。
庭に桃の花が咲き、戸の外に水が流れる、
――ならばここがすでに桃花源であろう。
そう思うと、秦の世の乱れから逃げたという人々は、
恐れを抱いていたのであるから、仙界と真の契りを結んだのではなかったのだ。
【補足】［蘇軾はここでユートピアは穏やかな精神の中に存在すると歌っている］
■【11-3-017】食荔支二首、并引
【解題】荔支を食べて詠んだ詩。序文がある。
【訳文】
引［序文］
恵州知事の東堂には（仁宗皇帝の時代に）宰相であった陳文恵公［陳堯佐］を祀った祠があり、その堂の脇に公が手ずから植えた荔支が一株ある。土地の人はそれを「将軍樹」と称している。今年は大いに実が熟し、知事が賞味し、その余りを役人一同に配り、そして高くて採れないものは猿を放って取らせた。
【補足】［陳堯佐が一時期潮州知事であったことは作品番号10-2-023で見ていて、そのときに恵州知事も兼務していた］
其の一
宰相を祀った祠のもと、
将軍の大木の傍らで見上げると、
燃える雲、火のような実が連なり、
したたる瑞露［果汁］はまさに天漿［天上界の水］を酌むものである。
爛れるばかりの紫が垂れて先ず熟し、
高くにある紅は遠く揚って空にかかるかのようである。
この甘さは遍く下役にまで配られ、
また黑衣郎［猿の別称］にも至った。
其の二
羅浮山の下は四季すべてが春、
盧橘も楊梅も順次新たに稔る。
日々三百の荔支を食らって、
とこしえに嶺南の人となることを辞すものではない。
【補足】［この第二首はいかにも蘇軾らしい詩であるので、原詩と読み下し文を掲げておこう］
羅浮山下四時春、［羅浮山下 四時の春］
盧橘楊梅次第新。［盧橘 楊梅 次第に新たなり］
日噉荔支三百顆、［日に噉う 荔支三百顆］
不辞長作嶺南人。［辞さず 長しえに嶺南の人に作ることを］
【補足】［このころに詠んだと伝えられる『高令に寄せる』という題の詩があるが、岩垂憲徳・釈清潭・久保天随訳解『蘇東坡詩集』（1927年）に「甚だ東坡の語に似ず」という昔の人の評が引かれていて、確かにこの時期に詠んだようには思えないので、割愛する］
■【11-3-018】遷居、并引
【解題】上の詩で、「とこしえに嶺南の人になるのもよい」と歌ったのは、それを積極的に望んだわけではなく、罪を赦される可能性はほぼなくて、恵州に長く住み続けることになるとすでに覚悟を決めていたからだろう。先に陶淵明に和した詩で見たように［→作品番号11-3-014］、新しい住まいの建築にも取りかかりつつ、4月20日、住まいを再び嘉祐寺に一時的に遷し、この詩を詠んだ。序文がある。また、
【訳文】
引［序文］
私は紹聖元年十月二日に恵州に至り、合江楼に寓居した。その月の十八日に嘉祐寺に遷った。二年三月十九日にまた合江楼に遷り、三年四月二十日に再び嘉祐寺に戻った。ときに白鶴峰の上に新居を築いていて、少しくそこに落ち着くことを願うものである。
前年は水東の地［嘉祐寺］を家とした、
首を回らすと夕陽が川面に麗らかであった。
去年は水西の地［合江楼］を家とした、
春の雨が細やかに顔を潤した。
東も西も私が選んだのではなく、
縁が尽きたら移動するという次第であっただけだ。
今年はまた東に移り、
もとの館でしばし憩うこととなった。
すでに白鶴峰に住まうところを買っていて、
そこで老いて終わる計画を立てている。
新たな住まいの北の戸口の下に大きな江が流れていて、
我が家の石段に、雪のような浪しぶきがかかるようになるだろう。
墻の先に、青い山々が連なり、
こんもりと結った髪がずらりと並ぶかのようになるだろう。
『抱朴子』には下策だとしてあるので慚じねばならないのだが、
昇仙するための薬をそこで練るとしよう。
そこに住むのは、柳宗元が配所で虚しく死んで、
廟に丹い荔子を供えられるようになったのよりはまだしもまさるであろう。
吾が人生にはもとより期するものはなく、
この世を眺めて過ごせればそれでよいのだ。
ふと思う間にも何千年もの年月が過ぎ去り、
あるいは、塵の一粒一粒にも宇宙がある。
生きるものの息［生命力］などは、
つまるところ、蚊や蚋が吹くほどのたわいもないものなのだ。
【補足】［ここに歌われている哲学的省察は、「とこしえに嶺南の人になる」のは、苦悩の果ての結論であることを示すものであると考えてよいだろう］
■【11-3-019】与南華弁老
【解題】韶州の南華寺の重弁長老［→作品番号11-2-066］に宛てた手紙。新居に移る準備を進めていることが記されている。
【訳文】
浄人［寺の使用人］が来て、お手紙を頂戴しました。ここでまさに二年、寒暑を二度過ごし、ひどい病気にはほぼならずにすみました。官舎や僧舎は長く住めるところではないので、土地を得て家を築くことにし、ほぼ計画ができあがり、木を切り、瓦を焼こうとしていて、この冬のうちには完成するでありましょう。九月中には息子が家族を連れて来てくれるようになるでしょう。祖師に拝礼し、長老にお会いできましたら、幸いです。暑い折から、万万自重されますように。
【補足】［新居は冬の完成を目指していた。長男の蘇邁は9月ごろに任地に向かう予定になった［→作品番号11-3-003］］
■【11-3-020】書和王晋卿題李伯時画馬戯書李伯時画駿馬好頭赤次韻黄魯直観李伯時画馬後
【解題】恵州の暑い5月に記したごく短い三篇の文章がある。最初の文章は、かつて李公麟［字は伯時］が描いた馬の画について詠んだ三首の詩を書いて、その後ろに添えたもの。三首のうち二首は、作品番号08-3-003、08-3-028として訳したが、三首目は割愛した。
【訳文】
これらの詩は、元祐三年戊辰、私が翰林学士の任あって、科挙の仕事で試院［試験委員の詰め所］の中にいたころの作である。恵州に謫居し、事もなく、これらを書いて詩巻を作った。五月一日。
【補足】［年号は明記されていないが、この年に書いたものであろうと推測されている。蘇軾はどのような思いで、科挙の試験委員長をしていたころの詩を書いたのだろうか］
■【11-3-021】書天蓬咒
【解題】「天蓬神咒」というまじないを書いて、それに添えた短文。天蓬神は道教の神。
【訳文】
紹聖三年の端午、恵州の道士の鄒葆光がこのようにいった。
「この日この月はいずれも甲午で、午の時は庚と甲が合するときに当たります。この巡り合わせに遇うのは珍しいことです。どうか『天蓬神咒』を書いてください」
私はその意を嘉しとして、斎戒してこれを書いた。
【補足】［（1）鄒葆光がどのような人物であるのかは不明。（2）暦や時の巡りにどうような意味があるのかはわからない］
■【11-3-022】書嶺南筆
【解題】とある日の出来事。
【訳文】
紹聖三年五月二十七日、川の西側を行くと、筆を売る者がいた。形はほぼ筆に似ていたので、二十銭で二本求めた。筆先に墨をつけると、すぐに墨は散ってしまった。実に嶺南にはよい筆がない。
■【11-3-023】和子由盆中石菖蒲忽生九花
【解題】弟の詩に和した。弟の詩は、「石の鉢に菖蒲を植えたところよく茂り、八ないし九の花が開いた。ある人が、長生きをする吉祥であるといったので、息子の蘇遠が、私の誕生日に合わせて、頌歌を作ってくれた。それでこの詩を詠んだ」というもの。
【訳文】
菖蒲は春に葉を出し、秋に実を結ぶ、
どちらもほんの束の間のことである。
寿命を延ばしたりする神薬は、
果たしてこの人間世界に存在するのだろうか。
鼻がなければ、薝蔔の香りは知りようがない。
花が咲いてから、菖蒲が吉祥を示していると初めて知る。
その花だって、蝶を満足させるほどのものではない。
蝉が鳴くのは、寒さが迫り来るのに急かされてのことだ。
来年になって茎に一寸に十二の節が現れるようだったら、
それこそ長寿の薬として用いることができるのだから、
子供らに白い髯の世話を焼かせることもなくなるだろう。
【補足】［この詩の個々の句は、必ずしも意味を明確には掴めないけれど、全体として、菖蒲の花をもっぱら目出度いものとする弟の詩に対して、「ほんまかいな？」とまぜっかえしたものなのだろう］
■【11-3-024】両橋詩、并引
【解題】6月、恵州の町の東と西にかかる二つの橋がほぼ同時に完成し、蘇軾は祝賀の意を込めてこの詩を詠んだ。橋の計画は恵州知事の詹範が立てたもので、蘇軾は従兄の程之才に助力を要請していた［→作品番号11-2-094］。序文がある。
【訳文】
引［序文］
恵州の町の東で江と渓の合流するところにかつては橋があった。しばしば壊れてしまうためにとうとう廃され、小舟でもって渡していた。
羅浮山の道士である鄧守安がここに浮き橋を作った。四十艘の小舟を二艘ずつ対にし、二十対を鉄の鎖で繋ぎ、川岸に石の礎を備えて鎖をとめた。橋は水の増減に従って上下する。表札を立て、「東新橋」と称した。
恵州の西の豊湖のほとりにはかねてから長橋があって、しばしば作っては壊れるということを繰り返していた。
棲禅院の僧の希固が両岸で工事を行い、高さ九間の飛閣［アーチ橋］を、すべて石塩木を用いて作った。石塩木は鉄石のように堅い。表札を立て、「西新橋」と称した。
どちらも紹聖三年六月に工事が完了したので、この二詩を作って祝した。
【補足】［この序文で興味深いのは、橋を造るという公共事業を実際に担ったのが道士であり僧侶であることだ。かつて杭州副知事そして知事のときに行った公共事業でも、はやり仏教界の力を借りている。鄧守安は作品番号11-2-072など何度もその名を見ている。大規模工事を指揮する実務能力にも長けていたのだ］
其の一 東新橋
群れる鯨を鉄の索で貫き、
その背中に空を横たわる虹を負わせる。
鯨の頭は、雪のような波しぶきを江に上げて揺れ、
鯨の尾は、雲を崩す勢いの渓の水を叩いてはねる。
鯨の群れは自在に伸縮し、水の増減に応じて上下する。
巨大な索を轆轤で巻き上げると、
川面には青い蛟がのたうちまわる。
川を奔る舟は、鯨に触れずに間を抜け、
ばらばらになった筏も、衝突して滞留することはない。
たった一本の橋であるのだが、広く東西に伝えられ、
舟の橋を知らない人々が、喜び笑いあって競って渡る。
馬蹄の音が雷のように響き、
江に住む魚や竜は驚いて逃げてしまう。
これまで、人々は江を渡ることの難しさを長く嘆き、
公私ともに川岸で留まらなければならないことに困っていた。
悪賢い連中はこの難所を食い物にし、
舟で人を渡そうと、水鳥のように出没した。
あたかも、沈みかけた船に向かって浮き袋を売ったり、
高いところから降りられなくなった人に梯子を売ったりするようなものだった。
ここ百年で、砂や泥に落ちた者が何人いるのかわからない。
この波の上に、安らかに憩える広間ができるとは……
朝でも夜でも自由に往来でき、
酔っ払いも、手助けなしにやすやすと渡れる。
知事殿は私に酒を馳走してくれて、
「孔子は、鶏を割くのにわざわざ牛刀を用いるまでもないといわれましたが、
牛刀でも鶏刀でも上手に割ければ結構。
浮き橋でも飛閣でも、橋は非常に役立ちますな」
と、いいつつ、鄧守安と希固を褒めるより先に、
私が犀帯を寄付したことを賞賛してくれる。
私は知事殿の長寿を祝してから、
「杖にすがるこの老人の一言をお聞きください。
ものは壊れてしまう前に修繕することが大切です。
ぜひ後悔するようなことがありませんように」
と、いったのである。
【補足】［（1）蘇軾は橋の建築費として犀帯［官員の印である立派な帯］を寄付し、次の詩には、蘇轍の妻も寄付した者の一人であったことが歌われている。（2）最後の言葉に、危機管理に対処する蘇軾の姿勢がよく出ている。先に杭州知事であったときに、災害は被害が顕わになる前に対処することが肝要であると力説していたことと通じるものがある。（3）この2首は韻を揃えていて、やや無理があったのだろうか、詩の流れがなめらかでないところがあるので、訳すに当たって若干の整理をしている］
其の二 西新橋
昔の橋は、千本の木を柱とし、
虹の切れ端のようなものが湖に掛っていた。
いつしか梁は水に浮いたり、深い泥の中に陥ってしまったりし、
板は破れて、川の勢いに流されてしまったりもした。
かくして、遠い岸辺が水に沈んでしまうようになったのを笑って見ているしかなくなり、
町そのものが低くなってしまったかのように感じたのだった。
そこで、農事の閑な折に、百歩の堤を作ることになった。
暑熱の地には堅固な木がなく、
みなぎる水によって簡単に流されてしまう。
千年にわたって存在するものといえば、
羅浮山の西にある鉄柱のような石塩木だけで、
白蟻も敢えて登ろうとはしない。
銅製の駱駝のこぶ、鉄製の馬蹄のように頑丈で、
昔、仙人が石に鞭を撃って走らせて海上に石橋を掛けたように、
石塩木をもって橋を作ることになったのである。
私は長らく筆を置いて、潤筆料を稼ぐこともしていないので、
短い鞭さえも持っていないのだが、
空に梯子を掛けようとした。
昔高官だった者が囊のなかを探って寄付をし、
我が弟の妻までも黄金を出資してくれた。
百人が一本の杭にとりかかり、
百尺の深さまで泥の中に打ち込んだ。
工事が完了に至ると、
近隣の人々が雲のように集まり、
いずれも食べ物や酒を携えて持ち寄り、
三日間飲み続け、そのために西の村の鶏はことごとくしめられてしまった。
聞くところでは、
百年前には、豊湖は海に近くて犀が棲んでいたとか。
それがいまでは、
海が山に変わり、枯れた川筋に草が茂っている。
後の人々はどうか忘れないでほしい、
この橋のできる前は、
冬でも臍までつかって水を渡らなければならなかったことを。
■【11-3-025】擷菜、并引
【解題】「菜を擷む」という詩。序文がある。
【訳文】
引［序文］
私は王参軍の土地を借りて菜を植えた。畑は半畝にも及ばないものだが、一年中息子とたっぷり食べられるだけの野菜が採れる。夜に飲んで酔い、酒を醒ますのにちょうどよいものがないときに、菜を擷んで煮ると、肥えた土の味わいがあり、風味がたっぷり含まれていて、米も肉もこれに及ぶものではない。人は生きて、これ以上に何を得ようとして貪るのか。四句の詩を作った。
【補足】［王参軍［参軍は役職名］は、かつて官職に就いたことのある近所の地主であろう］
秋が来てから、東の畑にたっぷり湿り気が満ちるようになった。
蘆菔に子が生じ、芥に孫ができた。
晋の何曽は一日の食事に一万銭を費やしたとか。
私は同じくらいに食べ飽きている。
何が悲しくて、鶏や豚を食べるのか、さっぱりわからない。
■【11-3-026】食雞卵説
【解題】上の詩で菜ばかりを食べていると歌っていたが、蘇軾は痔疾もあって肉を断ち［→作品番号11-2-103］、卵も食べまいとしていた。そのことを記した短文。
【訳文】
水族は癡暗であるとして人は軽々しくそれを殺す。ある人は、水族はむざむざと殺されてしまったことを（閻魔大王に）訴えることもできないのだからそれで仕方がないのだというが、それは悪者を怖がって放置していることについて屁理屈で善人を欺くような言い分である。
李常がかつてこのようなことをいった。
「雄のいない鶏がいて、卵を生みました。鶏は卵を抱いて、殻を破って雛が出てきたのですが、数日もしないうちに死んでしまいました。これからすると、卵を食べたからといって殺したことにはならないのでありませんか」
それに対して私はいった。
「そうではありません。およそ動くものはすべて仏の子です。竹につく蝨は初めは竹の葉にまかれた粉のように見えますが、しばらくするともぞもぞ動くようになり、百匹、千匹の群れとなります。いずれも仏の子でないものはありません。かつて梁の武帝が描かせた水陸画を見ましたが、六道の外までも、淡い墨によって、人や獣や鳥や魚らしきものが空中にぼんやりと漂っているありさまが描かれていました。それらは仏の子が流浪して最も陋劣なったものです。じめっとしたところから生じる竹の蝨のようなものでさえもそこにはなくて、あるのかないのかわからないぼんやりとしたものばかりです。水族や鶏の卵であっても殺してよいものではありません。もしも私に殺そうとの一念が起こると、すでに地獄が具わっているのです。殺されたことを訴えられるか訴えられないとかは関係ないのです」
私は長らく殺すことを戒めていた。恵州に到ってからは、その戒めを破ってしばしば貝や蟹を食べてしまった。今日そのことを悔い、また前の戒めを修めようと思う。今日は家の者が鯉を一匹買った。長さが一尺余りあって、弱っているとはいえまだわずかに動くことができる。これを水瓶の中に置き、もしも死んでしまったならば食べ、生きたならば赦そうと思う。
いささかこのことを記して一笑に供する。
【補足】［（1）李常［字は公択］が蘇軾の親友であったことは作品番号06-3-048などで見ている。（2）蘇軾が李常に向かっていったことは論旨がうまく掴めないままに訳した。たぶん生命の価値は等しいということいっているのであろう］
■【11-3-027】悼朝雲詩、并引
【解題】恵州に来て最も悲しいことが起こった。7月5日、王朝雲が亡くなった。時に34歳であった。これは王朝雲の死を悼む詩。
【訳文】
引［序文］
先に紹聖元年十一月、戯れに『朝雲の詩』を作った。紹聖三年七月五日、王朝雲は病のために恵州で亡くなった。棲禅寺の松林の中の東南、大聖塔に向き合う地に葬った。私はすでに墓誌銘を作った。ここに前の詩に和して、我が悲しみをやわらげようと思う。
王朝雲は始めは字を識らなかった。晩学ながらすぐに書を学び、楷書をほぼ会得した。かつて泗水のほとりの尼僧義沖に仏教を学び、大義をほぼ理解した。死に際して、『金剛経』の四句の偈を誦して絶えた。
【補足】［先に戯れに詠んだという詩は作品番号11-1-079で見ている］
苗が成長しなかったのは、
天のなすところであったのか。
――君が生んだ子は百日に至らなかった……
幼い烏に、我が鳴き声を伝えることができなかった。
太陽が進むのを止めることはできない。
――残念なことに、君に千年の寿命を与える薬がなかった。
旅行く君に贈るのは、ただ『金剛経』の偈があるだけ。
この心の深い痛みは、
我が前世からの負い目を償うのに十分であろう。
過去、現在、未来の三生もわずかに指を弾く間のこと、
恐れるのは、君との後の縁までもこれで断たれてしまったのか。
家に帰って遠い近いもわからぬままに竹の根に伏し、
夜の燈火があがったころに、
大聖塔に遠く礼拝する。
■【11-3-028】朝雲墓誌銘
【解題】上の詩の序文にあった王朝雲の墓誌銘。
【訳文】
東坡先生の侍妾を朝雲という。字は子霞、姓は王氏、銭塘の人である。
敏くして義を好み、先生に仕えて二十三年、忠と敬そのものであった。
紹聖三年七月壬辰［五日］、恵州で死んだ。三十四歳であった。八月庚申［三日］、豊湖のほとりの棲禅山寺の東南に葬った。
子の遁を生み、一年にならずに死んだ。
常に尼僧の義沖に従って仏法を学び、その大意をほぼ識った。死に直面して、『金剛經』の四句の偈を誦して絶えた。
銘に曰く、
浮屠是瞻、伽藍是依。［仏陀を見るなら、伽藍に心を寄せよ］
如汝宿心、惟仏之帰。［そなたのかねてからの心は、ただ仏のもとに帰ることにあった］
■【11-3-029】題棲禅院
【解題】蘇軾は8月3日に王朝雲を棲禅院に葬った後、8月9日に墓参した。そのことがわかる訪問記録。
【訳文】
紹聖三年八月六日夜、風雨が強かった。朝になると、院の東南に、巨人の迹が五つついていたという。この月の九日に息子の蘇過と来てそれを見た。
【補足】［この巨人の迹は何であったのか。合理的に判断すれば、風雨によって何らかの窪みができただけのことであるのだが、人々はそれを巨人の足跡だと見なし、蘇軾は、次に見るように、仏の慈悲の表れであると考えたのだった］
■【11-3-030】恵州薦朝雲疏
【解題】これは王朝雲が仏の慈悲によって生死流転の輪廻から解脱することを願う文章。
【訳文】
……私は罪をもって炎暑の地に遷った。私には侍妾の王朝雲がいて、一生を辛苦のうちに過ごし、万里の彼方へと私に随ってきた。たまたま疫病の流行に遇い、病を得て亡くなった。死を忍んでの言葉を念い、棲禅寺の下に託すことにした。……葬って三日目、風雨の後に、幽迹が五つ、道の上にはっきりと現れた。これによって、仏の慈悲が広大であって、衆人の命が細微であるかどうかを選ばないものであるのを知ったのである。……
【補足】［（1）ここに王朝雲が疫病によって命を落したことが記されている。（2）「幽迹」は上の文章にあった巨人の跡である］
■【11-3-031】与林天和
【解題】疫病のことは、博羅県知事の林抃［字は天和］［→作品番号11-3-002］に宛てたこの手紙に記されている。
【訳文】
高君はひとたび臥すと、ついに救われませんでした。深く傷み思います。その家は保たれますでしょうか。瘴疫が横流し、病に臥す者は数えられないほどで、何ということでありましょうか。私のところでは十日余りのうちに二人の女性を喪いました。ただでさえ牢落の身でありますので、はなはだ狼狽しております。疫病について聞くのは憮然とするばかりです。
【補足】［（1）高君は誰であるか不明。（2）蘇軾は陳慥に宛てた手紙［→作品番号11-2-026］に、王朝雲と二人の老女を連れてきたと記していた。その内の二人が疫病でほぼ同時に死んだのである］
■【11-3-032】答李端叔
【解題】これはこれより5年後に李之儀［字は端叔］［→作品番号10-3-057］に宛てた手紙。王朝雲の死について触れているのでここで読んでおこう。
【訳文】
朝雲はしばらく前に恵州で亡くなりました。遅れて文字を学び、楷書が頗る上手でした。また、仏法を学び、去るに臨んで、『六如偈』を誦して絶えました。恵州の棲禅寺に葬り、僧はその上に亭を作って覆い、傍らに「六如亭」と記しました。貴君のお内儀に大変よくしていただいたので、特にこのことを詳しく記しました。……
【補足】［王朝雲が李之儀の妻と親しくしたのは、蘇軾が定州の知事となって李之儀を有能な助っ人として呼び寄せたときのことである［→作品番号10-3-057］］
■【11-3-033】丙子重九二首
【解題】丙子すなわち紹聖3年の9月9日の重九の節句に詠んだ詩。
【訳文】
其の一
瘴海［南の熱い海］のほとりにいること三年、
越嶠［南国の山］こそ真の我が家となった。
山に登って重九の祝いをするに、
蛮菊［南国の菊］は秋であっても花はまだ咲かない。
ただ茅が黄色の浪をつくって、丘も窪地もうずめている。
蜑酒［蜑民の酒］は妙なものでもたくさん入っているのか、
酸っぱくて甘くて、梨だか樝だかの味がする。
酒のさかなに何かないかと思っていたら、
隣りの爺さんが持ってきてくれたのは蛙と蛇。
無理むり酔っぱらって、
歓び謠おうとしたものの、悲しい嗟きが混ざってしまう。
今年はなんとも悪い年まわり、
疫病によって多くの人が乱れる麻のように倒れ伏した。
私は今日の節句を元気に迎えたものの、
狂風は朝焼けの雲を巻き去ってしまった［王朝雲の死をいう］。
そのために、私はいまや霜降る夜の月、
天の涯にぽつんと一つ掛かるだけとなってしまった。
西の湖［王朝雲の墓がある］に今日は行くまい、
夕暮れの木立に鴉が寒々と鳴いているだろうから。
【補足】［王朝雲が亡くなったころから、蘇軾の創作意欲がやや薄れたのか、詩文の数は少なくなっているようである］
其の二
行き詰まった途にあっては、選ぶこともないままに、
友は乱れ雲のように我が眼の前を通り過ぎてゆく。
ほかの人々のことは改めて数えることもしないが、
お二人の知事殿ばかりは特にお目にかかりたくて、
去年と同じく合江楼でまたともに飲んで、
秋の水が波紋を作るのを見下ろす。
この水にしても、この人々にしても、
沄沄と追いつ追われつ流れて行く。
老いたならば、おのおの休息すべきであるのに、
造物者はどうして長く勤めさせようとするのか。
この佳き節句であるのだから、
お二人とともに存分に楽しもうではないか。
我が客人には何をもってもてなせばよいのか――
清らかな岸辺で魚が遊んでいる、
漁師の三百本の指が、鉄のような強い網を使って、
魚の群れを掩ってしまおうとしている。
えものが多いのはむろん愉快である、
しかし、買い取って放ってやるのはもっと嬉しいことだ。
その楽しみこそ不朽であって、
明年には帰耕しようと思っている私にはよい思い出となるだろう。
【補足】［「二人の知事殿」とあるのは、恵州知事の詹範と、その後任としてやってきた方子容である］
■【11-3-034】竜山補亡、并引
【解題】重陽の節句に当たって詩文を作るときに、蘇軾は晋の時代の孟嘉の故事をしばしば引用する［→作品番号02-2-021など］。そのあらましを改めて見ておくと、当時の政界の実力者の桓温が竜山で重陽の宴を催し、その席で孟嘉は酒に酔い、風で帽子が吹き飛ばされたのも気付かないままに厠に立った。桓温は孫盛に命じて孟嘉を嘲笑する文章を作らせた。戻ってきた孟嘉はそれを見ると、たどころに嘲りを解く文章を書き、それが非常に巧みであったので、満座の人々が感嘆した。この詩は孫盛と孟嘉の文章を詩で再現しようとしたもの。
【訳文】
引［序文］
丙子［紹聖三年］九日、客人が竜山での会について話した。「風が孟嘉の帽を吹いて落とし、桓温は孫盛にこのことを嘲る文章を作らせました。孟嘉が嘲りを解く文章を作ると、その辞の趣が超逸であったので、四座の者は驚嘆しました。残念なのは、その文章がいまに伝わらずに見られないことです」。それで戯れにその文章を補ってみた。
其の一
征西将軍［桓温］は重九の佳節にあたって、
竜山に出向いて、群賢を集めて楽しい宴を催された。
帽子を軽く載せ、帯を緩め、雅びな演奏に歌って遊ぶ。
ところが、酔中において一発の笑い引き起こしたのは、
いかつい楠たちが秀でて競いあっているときに、
なよなよした柳だけがしくじってしまったようなもの。
あるいは、名馬たちが馳せまわるなかで、
のろくさい馬が真っ先につまずいたようなもの。
田舎の頭の鈍い者が酔って乱れて帽子を落して気付かずにいるありさまといったら、
囚人がちょっぴりだけ毛のある禿げ頭をさらしているようなものか。
ただ、度量豁達の賢明なる将軍様は、
下らない男が冠を落そうが服を逆さまにしようが大目に見てくださるのだが、
料理番は罰として大きな盃を用意して迫ろうとしている。
ならば、無礼をとがめる古の歌でも唱えつつ、
その盃を干してみせるしかあるまいな。
【補足】［これは孟嘉を嘲る詩。それに対して嘲りを解く肝心の第二首は、いかにも蘇軾らしい理屈っぽい詩で、訳すのはなかなか煩わしいので割愛する。要するに、人になり代わって詩を作るなど蘇軾にとっては朝飯前だということがわかればよい戯れの作品である］
■【11-3-035】野吏亭記
【解題】新たに恵州に赴任した方子容知事は、陳堯佐［→作品番号11-3-017］に所縁のある亭を修復し、そのことについて蘇軾が記した。
【訳文】
もとの宰相の陳文恵公［陳堯佐］がこの亭を建て、「野吏亭」と名付けた。それは孔子がいうところの「先進の礼学におけるは野人なり」からきているのだろう。
公は朝廷にあって、特にこの地をしきりに恋しく思ったという。しかし、亭や庭は日々に損なわれてしまい、およそ九十七年を経て、知事の方子容がまた新たに完全な姿にした。
紹聖三年十一月二十一日記す。
【補足】［孔子の言葉は『論語』にあって、「昔の先輩方が礼楽に対する態度は野人的であった」、つまり素朴で野性味があったという意味。陳堯佐は南方の地にあって、古の素朴な人のような役人でありたいと「野吏亭」と名付けたのだろう］
■【11-3-036】和陶乞食
【解題】陶淵明の『食を乞う』という詩に和した。
【訳文】
昔、荘子は貧乏で籾米を借り、
自分で舂いて脱穀しようとした。
魯公［顔真卿］もまた米を乞い］、
自ら煮炊きすることも辞さなかった。
陶淵明こそは食を乞い、
嗟来［さあさあもらいにおいで］の招きも避けなかった。
ああ天下にこの人ありとされる士でも、
死ぬか生きるかは一杯の飯によるのだ。
一斗の水にはさほどの価値はないけれど、
姜詩は母のために遠く苦労して汲みに行った。
幸いにも私には薪も米も余裕があって、
この老いた不才の身を養うことができている。
ここに至味［最高の味わい］があって、
それは永久に壊れないものであるから、
子孫に贈るべきはこれなのである。
【補足】［（1）困窮に陥って人に食を乞い求めた例として、荘子、顔真卿、陶淵明を挙げている。顔真卿について作品番号11-2-021で見ている。（2）姜詩は親孝行者でいわゆる「二十四孝」のひとり［→作品番号09-1-036］で、母の好む川の水を遠くまで汲みに行った。食を乞うたわけではないけれど、どれほど優れた人でも飲食のために苦労する例として引かれている。（3）「至味」は、飢えることを心配しないですむ穏やかな暮らしにあるのだろう］
■【11-3-037】西江月
【解題】恵州の梅の花を詠んだ詞。実は王朝雲を悼み思う詞であるという。
【訳文】
玉骨那愁瘴霧、［玉からなるそれ［梅］は熱気を帯びた霧にも愁うことはありません］
冰肌自有仙風。［氷のような肌には仙界の風情があります］
海仙時遣探芳叢、［海の彼方の仙人はときに芳しい花の中にそれを探る使者を派遣します］
倒掛緑毛麽鳳。［それとは枝にさかさまにかかる緑の毛の鳥です］
素面翻嫌粉涴、［素顔のままで、かえって白粉を施すのを嫌い］
洗妝不褪唇紅。［化粧を洗い流しても唇の紅は褪せません］
高情已逐暁雲空、［気高い情は暁の雲を追ってすでに空しくなり］
不与梨花同夢。［昔の人と同じように梨の花を夢に見ることもないのです］
【補足】［（1）前半は、南国の暑い気候においても咲く梅を詠みつつ、王朝雲のありし日の姿を追憶しているのだろう。（2）「枝にさかさまにかかる緑の毛の鳥」のことはすでに作品番号11-1-082で見ている。（3）後半は、梅がすでに散ってしまったこと、すなわち王朝雲が亡くなってしまったことを歌っているのだろう。（4）「梨の花の夢」とは、梅を惜しんでかえって夢に梨の花を見たという唐代の詩に拠る。夢にも逢うこともできないと蘇軾は嘆くのであろう］
■【11-3-038】和陶和胡西曹示顧賦曹韻
【解題】陶淵明の『胡西曹の詩に和して、あわせて顧賦曹に示す』という詩に和した。この詩は、長春花を惜しみつつ、実は王朝雲を悼み思うものであるという。
【訳文】
長春花は若い娘のように、
飄颻と軽やかな風に寄り添っている。
朝の酒に玉の顔をぽっと染めて、
おろしたての紅い衣を巻いたかのよう。
顔を垂れて香りを内におさめ、
目に思いを含ませた様子はなかなかに微妙である。
菊と比べたらその姉とすべきであって、
葵と比べてもその妹というわけではないだろう。
見かけはいかにも弱々しいだのが、
世の盛衰を実は見守っているのである。
つんとして少し怒っているようにも見えるので、
化粧をするための水を差し出すのをはばかれもする。
ところが、熱気を含んだ雨と南の荒い風が吹いて、
凋んで枯れてしまうのをとどめることはできなかった。
老人は飲んで思いを解くこともできずに、
不十分ながらもこの悲しみを短いに句に託すしかない。
■【11-3-039】蝶恋花
【解題】以下の3篇の詞は制作の時期は明らかではなく、ここに並べるのは必ずしも適切ではないだろう。王朝雲と関連させて鑑賞することも不可能ではないかもしれないと考え、上の詞と合わせて読むことにする。
【訳文】
記得画屏初会遇。［憶えています、屏風の前で初めて会ったときのことを］
好夢驚回、［でも、好い夢は覚めてしまって］
望断高唐路。［あのときへと行く路はもう断たれてしまいました］
燕子雙飛来又去、［二羽の燕が飛んできてはまた去り行きます］
紗窓幾度春光暮。［窓辺で春はこうして幾度となく暮れてしまうのです］
那日繍簾相見処。［あの日、刺繍をほどこした簾のもとで会いました］
低眼佯行、［あなたは眼を伏せ、行ってしまおうとして］
笑整香雲楼。［でも、にっと笑って髪を整えたのでした］
斂尽春山羞不語、［それがすっかり終わっても、恥ずかし気に何もいいませんでした］
人前深意難軽訴。［この深い意は軽々しくは訴えられないからと］
【補足】［少女とのはかない恋の追憶の歌である］
■【11-3-040】蝶恋花
【解題】暮春のころの若い娘の微妙な心の陰翳を歌った詞。
【訳文】
蝶懶鶯慵春過半。［蝶だって気だるいの、鶯だってそうよ。春はもうすぐ終わりなのですもの］
花落狂風、［花は落ちて、ぜんぶ風のせいなの］
小院残紅満。［お庭は紅いの、散った花びらでね］
午酔未醒紅日晩。［お昼のお酒が醒めないうちから日が沈んでゆきます］
黄昏簾幙無人巻。［黄昏になっても、カーテンをかけることもしないのよ］
雲鬢鬅鬆眉黛浅。［髪は崩れたまま、黛も中途半端のまま］
総是愁媒、［何をしても悲しくなってしまうから］
欲訴誰消遣。［誰かすっかり消しちゃってくださいな］
未信此情難繋絆。［こんな気持ちはきっとどうにもならないわよね］
楊花猶有東風管。［楊の花だって風のまにまに飛んで行くしかないのですもの］
■【11-3-041】点絳脣
【解題】追憶の詞。
【訳文】
柳含煙翠拖軽縷。［柳は緑の煙のなかで糸のように軽やかに揺れています］
水辺朱戸。［あの人の部屋は水辺にあるのです］
尽巻黄昏雨。［きっと窓は開いたまま、夕暮れの雨になっても］
燭影搖風、［蝋燭の影が風に揺れています］
一枕傷春緒。［枕につこうとしても春を傷む心がおさまりません］
帰不去。［帰りたいのに］
鳳楼何処。［あの人の家はどこなのでしょう］
芳草迷帰路。［草が茂って路に迷ってしまうのです］
■【11-3-042】陳太初尸解
【解題】蘇軾のところにまた「異人」が訪ねて来た。そのことを記したこの文章はすでに作品番号06-2-079で見ていたのだが、ここに再掲する。蘇軾と同郷の眉州眉山県出身の道士陸惟忠は、15年前に黄州に流されていた蘇軾の前にふらりと現れ、そしてまた恵州にも現れたのである。なお、この文章が書かれたのはこの翌年のことで、陸惟忠が来たと推測されるこの時期に合わせてここで読んでおこう。
【訳文】
私は八歳で小学に入り、道士の張易簡を師とした。童子およそ百人がいたが、師は私と陳太初ばかりをいつも褒めていた。陳太初は眉山の市井の子であった。
私は成長するにつれて学問がますます進み、ついには科挙にも制科にも合格した。一方で陳太初は田舎の小役人になった。
その後、私は黄州に流され、そこに眉山の道士の陸惟忠が蜀から訪ねてきた。あれこれ話すなかで、「道を得た者に陳太初がいます」というので、詳しく尋ねてみると、我が同学の陳太初その人であった。
昨年［紹聖三年［1096年］］、私は恵州でまた陸惟忠に会った。陸惟忠はこのようにいった。
「陳太初はすでに尸解しました。蜀の人の呉師道が漢州の知事であったときのことです、陳太初は初めて知事に会いにきて、しばらくそこの客人となっていました。ちょうど元日の朝に、陳太初は知事に衣食と餞別の銭を求め、別れを告げました。陳太初は受け取ったもの全てを町の貧しい人に与えると、城門の下に座り、そのまま死んでしまいました。それを聞くと、知事は役場の小使いに、亡骸を担ぎ出して野原で焼くよう命じました。小使いは亡骸のもとに行き、『このクソ道士め。なんだって元旦からこの俺さまに死人を担がせたりなんぞさせるのだ』と罵りました。すると、陳太初はにやりと笑い、『おまえを煩わせたりはせん』といって、門から金雁橋のたもとまで歩き、そこで座り、改めて死にました。小使いがそれを焼くと、もうもうと立ち昇る焔と煙の中に、くっきりと陳太初の姿が浮かびあがりました。見物に出た町中の者がそれを見たのです」
■【11-3-043】書陸道士鏡硯
【解題】陸惟忠が携えている鏡と硯について記した短文。
【訳文】
陸道士は一つの鏡と一つの硯を蓄えている。どちらも宝とすべきものである。硯は頭が円い斧形、色は青、背に文字が刻まれている。墨によく克ち、筆によく合う。恐らく唐以前のものであろう。鏡は古く、背の文字を読むことはできない。
我が家にも鏡があって、ちょうどよく似ている。その銘に、「漢に善い銅があって白陽から出る。これを取って鏡とした。清く明るい［原文は「清如明」］。左に竜、右に虎、これによって鏡を守らせる」。この銘から考えると、この鏡は漢代の物なのだろうか。私はかつてそれを蘇頌に見せたことがある。蘇頌は博学をもって世に知られた人である。蘇頌はこのようにいった。「この鏡は古いもので、これ以前のものは皆このような作りで、『禹鼎象物』の法を受け継いだものでありましょう。『白陽』という地名はいまはありません。楚に白公がいて、南陽の白水を取ってそこに町を作りました。白陽とはその白水のことでしょうか。漢の時代の人は『而』と『如』を通用させたものです」。
鏡の中心はわずかに盛り上がっていて、鏡面は小さくて四角い。学者は聚神鏡であるあるという。
丙子十二月一日、書く。
【補足】［（1）いくつか意味のわからない用語があるが、そのまま記しておく。（2）蘇軾の鏡については作品番号06-2-009ですでに見ている］
■【11-3-044】書陸道士詩
【解題】陸惟忠は詩が巧みで、諧謔の人であった。そのことを示す短文。なお、陸惟忠は筠州に蘇轍を訪ね、そこで呉復古［→作品番号11-2-020］と一緒になって恵州にやってきたようである。二人とも自由に天下を往来している。
【訳文】
長江以南の人は「盤遊飯」を作るのを好む。鮓、脯、膾、炙などいろいろなものを飯の中に埋めこんだものである。俗にいう「撅得窖子」［穴を掘れば何でも出てくる］というものである。
羅浮山の曇穎はおよそ食べられるものをごたまぜにして烹て、これを「谷董羹」［なんでもスープ］と名付けている。客人はみな「結構であります」といって褒める。
詩人の陸道士は一聯の句を出して、このようにいった。
投醪谷董羹鍋裏、［鍋に何でも投げ込んだスープがあるなら］
撅窖盤遊飯碗中。［椀をほじれば何でも出てくる飯もある］
東坡居士は大いに喜んで、江秀才にそれを記憶して皆に教えて笑いの種とするようにいった。
このとき、呉復古はこのようにいった、
「この羹は仏様にお供えいたしましょう」
翟逢享は何もいわずに、ただ唾をごくりと飲み込むだけであった。
丙子十二月八日。
【補足】［曇穎は作品番号11-3-012などで見ている。江秀才はどのような人物であるのか不明。翟逢享は、白鶴峰に作りつつあった新居の西隣の人物で、後の詩では翟秀才と記されている。2人の秀才は科挙に応じようと勉強に励んだことがあり、詩を詠むような教養を具えた人であるのだろう。蘇軾には、どの土地に行っても、いろいろな階層の人々が出入りするサロンの主人になるという特技があった］
■【11-3-045】書李承晏墨
【解題】陸惟忠は宝とすべき鏡と硯を持っていたが、呉復古は墨の逸品を携えていた。
【訳文】
近ごろの士大夫には墨を造る者が大勢いて、墨工もまたその技を尽くすのだが、張遇、李廷珪の古い墨には及ばない。潘谷と張谷がその本物かと思わせるようなものを作りはするが、その形態を竊み取っただけのものでしかない。
呉復古が出したこの墨は、孫準の遺したもので、李承晏［李廷珪の甥］の造った本物であるという。その色を考え、他の数品と比較して、真偽を定めることができるだろう。
紹聖丙子十二月二十一日書く。
【補足】［（1）五代十国時代の南唐に仕えた李廷珪の墨は極上品とされ、垂涎の的であった。その甥が造ったものならかなりの品であるのだが、蘇軾は真偽を保留している。（2）潘谷のついては作品番号07-1-067、07-1-068で触れている］
■【11-3-046】名容安亭
【解題】上と同じ日付のある短文。容安亭の名について記している。新居に容安亭を作る心積もりがあったのだろうか。
【訳文】
陶淵明はこのようにいっている。
倚南窓以寄傲、［南の窓に倚て以てわが傲を寄せる］
審容膝之易安。［膝を容れるのがやっとの之でこそ安らかでいられ易ことを審のである］
それで、小軒を作って、それに容安と名付けることを常に思っている。
【補足】［陶淵明の言葉は『帰去来兮の辞』［→作品番号06-2-051］にある］
■【11-3-047】墓頭回草録
【解題】「墓頭回」という草について記した短文。「墓頭回」とは、墓のあたりまで行って帰ってくるということ、その意味するところは本文に記されている。
【訳文】
王屋山には珍しい草がある。百毒を制し、鬼の手から命を奪い返すことができる［瀕死の人を救えるという意味］。それで山中の人々はこの草を「墓頭回」と読んでいる。蹇拱辰は、呉復古がこちらに来るのに託してこの草を寄せてくれた。武器に刃がなく、虫に毒がなかったなら、それぞれが頼みとするところのものがないといわれている。もしも阿羅漢がいわゆる「三毒」［仏教でいう貪、嗔、痴］を断ったならば、この薬を施さなければならないところはないであろう。
【補足】［（1）この文章の意味するところはよくわからない。（2）葆光道師［蹇拱辰］の名は作品番号08-3-040で見ている。葆光道師は南方に流された蘇軾の健康を気遣って「墓頭回」を贈ってくれたのである。（3）それにしても呉復古の交友範囲の広さは驚くべきものがある］
■【11-3-048】次韻子由所居六詠
【解題】陸惟忠と呉復古が携えてきたのだろう、蘇軾は弟が筠州の住まい様子を詠んだ詩を得て、それに次韻した。蘇軾の詩は白鶴峰で建築が進みつつあった新居を詠んだもの。新居はおおむねできあがっていて、残る工事は井戸を掘ることであった。
【訳文】
其の一
部屋の前に百合を植えた、
瑪瑙の盤があちこちで揺れるかのよう。
部屋の後ろに菊を植えた、
金を砕いて匙にして並べたかのよう。
草木にはきっと情があるのだろう、
季節の盛りを過ぎたころにも人を慰めようとしてくれる。
幽人［ひっそりと暮らす人＝蘇軾］は独り楽しみ、
世上の旅の難しさなどは知らずにいる。
其の二
詩を作るような者は感じやすく、
花が開くと、ふたつの京［開封と洛陽］を憶ってしまう。
石榴の花の色はまさに正しい色であるが、
玉樹という名は鶏頭にはふさわしくない。
秋は菊の花こそが粲粲として、
霜の中でも卓然と秀でている。
重九の節句には、
盆に載せられた茱萸の実ととともに、
菊は蕊までも鮮明に見えるのである。
【補足】［この詩は幾つかの花を列挙して構成したもので、さほど面白味はない］
其の三
静かな住まいに古めかしい趣がある。
井戸は西隣と分かち合っている。
夏の盛りには、
一杯飲んだくらいでは涼しくならないので、
人々がいつまでもそこでがやがや騒いでいる。
先生［蘇軾］はじっと喉の渇きを我慢して、
皆が散り散りになってからおもむろに酌みにゆく。
ゆっくり待っただけに、味わいは格別である。
【補足】［西隣の人とは先に名を見た翟逢享である］
其の四
先生は素焼きの器に飯を盛る。
人に与えられるようなものは何もない。
酔客を何でもって楽しませるのかというと、
石段の下の花を嗅がせるのである。
井戸の水は西隣と分け合い、
竹林の陰を東の家に借りる。
行脚の僧が何も携えずに、
ただ一身を天涯に寄せるのと同じである。
其の五
東の書斎に柏の木を植える。
いまは幾尺といえるほどの長さもない。
世には不届きな連中が多いので、
榛は茅によって遮り守る。
近ごろ聞いたのは、
（徐州に）南台の松は、倒れてもなお新たな枝を出したという。
我が内に抱く思いもそのようであって、
俗な者たちを驚かせてやろうとかしているのではない。
【補足】［徐州で松を植えたことは作品番号05-5-007で見ている］
其の六
新しい住まいは瓦を葺いたので、
もう風雨の憂いはなくなるだろう。
籠竹の横に榿を栽えたので、
ちっぽけな詩をそこで詠むことができるだろう。
あとは、漢の時代の貳師将軍を煩わして、
剣でもって山を刺してほとばしる水を出してもらうだけだ。
百尺の深さまで掘り下げて、
二本の綱を牛に載せて運んできて釣瓶に使おう。
【補足】［残る工事は井戸を掘ることだと、漢の時代の貳師将軍の故事を引いて詠んでいる。あるとき町を敵に囲まれ、水が得られなくなって人々が苦しんだときに、将軍が剣で山を刺すと、水がほとばしり出たのだった］
■【11-3-049】与程全父
【解題】恵州に来る途中の広州で会っていた程全父［字は天侔］［→作品番号11-1-065］に宛てた手紙。程全父は何かと支援の手を差し延べてくれて、その息子がわざわざ訪ねに来たこともあった。
【訳文】
竜眼の遅く熟した実はいよいよ結構なもので、特に分けてくださり、感謝の限りです。……白鶴峰の新居が完成しましたなら、貴君を頼りに数種類の果樹を植えたいと思っています。大きすぎるものは活かすのが難しいでしょうし、小さすぎるものは実が成るまで老人は待てないでしょうから、ちょうど中間あたりを選びたいものです。……柑、橘、柚、荔枝、楊梅、枇杷、松、柏、含笑、梔子といったものはきっとあるべきでしょう。ほしいものを手紙に記してお知らせします。十二月七日。
■【11-3-050】和陶歳暮作和張常侍、并引
【解題】陶淵明の『歳の暮れに張常侍に和す』という詩に和した。蘇軾の作には序文がある。
【訳文】
引［序文］
十二月二十五日、酒がなくなった。米を取って酒を造ろうと思ったが、米もまた尽きてしまった。
このとき、呉遠遊と陸道士が客人として私のところにいた。陶淵明の『歳暮に張常侍に和す』の詩を読み、私もまた酒のないことを嘆いたのだった。そこでその詩の韻を用いて詩を作って二人に贈った。
【補足】［2人の客人の呉遠遊は呉復古、陸道士は陸惟忠のことである］
我が人生において酒はいわゆる「天から与えられた禄」のようなもの。
たとえそれがなくても玄膺［唾液腺］からは自然と玉泉［唾液］が流れ出る。
陶淵明先生はどうしたことか、
酒が乏しいと毎度毎度言葉に出している。
仙人とか道士とかいうものは、自らを養っていて、
あれがほしいとかごちゃごちゃいったりしないはずだ。
自身の内にある荊棘のようなものを取り除いてしまえば、
よい梨棗が稔らないとか心配する必要はないのだ。
我が年齢は六十一だ、
頽景がもう西の山に迫っている。
歳の暮れになって何か得たものがあったのか。
散り散りになっていたものが還ってきたような気がする。
千丈の高い松も、
いつもは蔓がからまってくるのに苦しんでいるけれど、
歳の終わりの寒さにも己の枝を養っているなら、
きっと（蔓が枯れて）解脱のときが来るのだ。
米がなくなったのを知らずにいた、
ただ飢えた鼠どもがよそに行ってしまったのを変だとは思っていた。
貴君ら二人はまことに我が客人である、
酒で酔わなくても陶然としているのだから。
■【11-3-051】記恵州土芋
【解題】上の詩やその前の詩に第四首にあったように、蘇軾はぎりぎりの生活をし、最後の蓄えを使い尽くすようにして新居を整えたようである。これは、年末に呉復古とともに芋を炙って食べたという短文。
【訳文】
岷山［蜀中の山］のふもとでは、凶年には蹲鴟［大きな芋の類］を食糧とする。これを食べると疫病に罹ることもなく、人によいものである。
『本草』には芋、土芝について、「気を益して饑を充たす」と記してある。恵州にはそれらがたくさん産するのだが、食べても病を免れるわけではない。
呉復古はこのようにいった。
「それは芋の罪ではありません。芋は、皮を取り去り、湿った紙で包み、火であぶります。それを熱いうちに食べると、ふかふかできめこまやかで、よく気を益して饑を充たすのです。いま恵州の人々は皮と一緒に水で煮て、冷ましてから食べます。これでは少し堅くて味も薄くなります。病をおこすのも当然でしょう」
丙子の除夜の前の両日、夜に腹がひどく減ったので、呉復古が芋を二本あぶって食べさせてくれた。非常にうまかったので、そのことを書いておく。
■【11-3-052】除夕、訪子野食燒芋、戯作
【解題】同じく呉復古とともに芋を炙って食べたときに戯れに詠んだ詩。
【訳文】
ひゅうひゅうと、風が松に鳴る。
春とはいえ、うすら寒さを覚える。
ぎゅるぎゅると、
それと伴奏するように、
我が飢えた腸が夜中に至って鳴り出す。
呉君は芋を牛糞の火の中に放り込んで焼いてくれる。
さながらこれは、
かの貧乏坊主の食い残しをさらに食らうようなものではなかろうか。
【補足】［（1）終わり句の原文は「山人更吃懶残残」［山人 更に吃っす懶残の残りを］で、「山人」とは唐代の中頃に宰相となった李泌のことで、李泌は玄宗皇帝の治世の末期に政治が乱れたときに世間から離れて山に籠っていた。そのときに人の食べ残しを食らって生きる懶残という乞食坊主と往来するようになった。懶残はあるとき李泌のもとを訪れると、火の中から焼けた芋を掘り出して喰らい、「これは決して他言しませんように。そなたは十年後に宰相になるであろう」といった。蘇軾は自分を李泌に、呉復古を懶残に比べつつ、呉復古の食べ残しの芋を食うようでは、李泌のようになる見込みはないと自嘲したのであろう。（2）訳者が依拠する孔凡礼『蘇軾年譜』（1998年）は、この詩はこれより2年後に詠んだとしているが、ここに置く方が適切であると思われる。（3）この年のうちに、杭州にいる親友の参寥［道潜］［→作品番号11-2-093］は罪を着せられて遠く離れた地に流されている。蘇軾と親密であったためである］
■【11-3-053】夢斎銘
【解題】年が改まって紹聖4年［1097年］、蘇軾は恵州に来て3度目の正月を迎えた。そこに芝上人［曇秀］［→作品番号11-2-091］がふらりとまた現れた。前回芝上人が恵州にきた折に、蘇軾は上人の居室に「夢斎」という名を与えていて、上人はその後で筠州にいる蘇轍を訪ね、『夢斎の銘』を作ってもらった。その銘を携えて上人はまた戻ってきたので、蘇軾は銘に以下の序文を書き添えた。蘇軾に一筆したためもらうためなら、筠州から恵州へ約700キロの道も厭わなかったのである。
【訳文】
至人［最高の境地に達した道人］は夢を見ない――
それについてある人がこういった。
「漢の高宗も、周の武王も、孔子も皆が夢を見ましたし、仏陀も夢を見ました。夢を見ているのは覚めているのと異なるものではなく、覚めているのは夢を見ているのと異なるものではありません。夢はすなわち覚めていて、覚めているのはすなわち夢であるのです。どうして夢を見ないなどということがあるでしょうか」
晋の衛玠は少年のころに楽広に夢について尋ねた。楽広は「夢とは『想』です」と答えた。衛玠は「夢を見るのは肉体や精神が外部と接していないときです。どうしてそれが『想』であるのでしょうか」とさらに尋ねた。楽広は「それは『因』によるのです」と答えた。
ある人がその「因」の説について尋ねたので、東坡居士がこのようにいった。
「人の心は、塵［現実のうたかた］に依拠してそこにあるのであって、心だけが独立してあるのではありません。塵の生滅とともに心は変化し、ある一念がそのままずっと留まるということはありません。夢を見ているのと覚めているのとの間にも、塵と塵が入れ替わり、数々の変転の後には、そのもとのものを失ってしまいます。肉体も精神も外部と接触していなくても、ここに『因』［変転の連鎖］がないとはいえないでありましょう。たとえば、ある羊飼いが寝ているとしましょう。羊を『因』として馬を念います。馬を『因』として車を念います。車を『因』としてそれを覆う蓋を念います。ついには音楽が奏でられる中で蓋の下に身を置く王公となった夢を見ます。そもそも羊飼いと王公とは遠く隔たっています。しかし、『因』から『想』がこのようにして生じることは少しも怪しむに足りないなのです」
居士が最初に芝上人と知り合ったのは夢の中でのこと。夢に見たことを求めて現実に得て、今に至って二十四年、その間に五回会ってきた。会うごとに視て笑うのは、ここはいったいどこなのか、今日はいった何の日なのか、私は、そして上人はいったいどういう人なのか。
上人の寓居するところに居士は『夢斎』と題し、弟がその銘を作った。銘に曰く、
法身充満、処処皆一。幻身虚妄、所至非実。
我観世人、生非実中。以寤為正、以寝為夢。
忽寝所遇、執寤所遭。積執成堅、如丘山高。
若見法身、寤寝皆非。知其皆非、寤寝無為。
遨遊四方、斎則不遷。南北東西、法身本然。
【補足】［（1）夢に見たことが現実に起こったと、蘇軾は何度か記している。蘇軾は夢と現実を明確に分ける境界線はないと考えていた。（2）芝上人には24年前に夢で会ったのが最初だとあるが、それは黄州にいたときだったことになる。かつて揚州で、蘇軾は芝上人と3回会っていると歌っていて［→作品番号10-2-062］から、恵州で2回会っているので、合計5回である。（3）弟が作った銘は原文をそのまま掲げておく。やはり夢も現実も同じだという趣旨であろう。（4）1月4日に仏印禅師［了元長老］［→作品番号10-1-008］が亡くなっている］
■【11-3-054】跋山谷草書
【解題】芝上人［曇秀］に書いて与えた短文。
【訳文】
曇秀が海のほとりにまで来て東坡に会うと、黔安居士の草書一軸を出して、
「この書はいかがでしょうか」
と、尋ねた。
東坡はいった。
「張融はこのようにいっていたとか。『私が二王［王羲之父子］の書法を使いこなせないのを残念に思いはしないが、二王が我が書法を使わなかったのは残念に思う』。私もまた黔安居士に対して同じことをいいたいと思います。それを聞いたら、黔安居士は腹をよじって笑うでしょうな」
丁丑［紹聖四年］正月四日。
【補足】［（1）黔安居士とは、黔南に流された黄庭堅［→作品番号11-2-057］のこと。（2）張融は南北朝時代の書法家で、書聖といわれた王羲之よりも後の人。張融は、王羲之父子も自分の書法を用いればもっと上手く書けたのにといったのである。それを蘇軾と黄庭堅に当てはめると、黄庭堅は王羲之になるわけで、実は褒めたことになるのかもしれない］
■【11-3-055】書劉景文詩後
【解題】芝上人［曇秀］は旅の嚢一つを携えてやってきた。その嚢にはいろいろなものが入っていた。劉季孫［字は景文］の詩を取り出して見せたので、蘇軾は感動の余りこの短文を記した。劉季孫はかつて杭州で親しくした人で、任地先の隰州で亡くなり、困窮に陥った遺族のために賻贈［喪に服している家族への贈り物］を賜るよう蘇軾が朝廷に願い出たことは作品番号10-2-038で見ている。
【訳文】
劉季孫には英偉の気があり、三国時代の士、陳登のようであった。この詩を読むと、ありありとその姿が想見される。劉季孫はまだ若くして隰州で亡くなった。哀しいかな、哀しいかな。
曇秀は道を学び、人の愛憎から離脱した人である。しかし、この詩を出して見せてくれて、私とともに泣いたのであった。
丁丑［紹聖四年］正月六日。
【補足】［（1）劉季孫の詩は残念ながら伝わっていない。（2）三国時代の陳登は、蜀国を建てた劉備が他に匹敵する者がいないと絶賛した人物］
■【11-3-056】弁道歌
【解題】「道」について弁じた詩。「道」といっても、この詩はもっぱら練丹術のことを詠んでいて、「詩をもって論じることではなく、蘇軾の詩集に入れるべきでない」との評もある。もとより訳者の理解を超えた内容で、全体で42句あるなかから冒頭の10句だけを原文と「ずっぽ訳」を掲げる。いかにチンプンカンプンであるかわかるであろう。蘇軾は仏教にしろ練丹術にしろ、その世界特有の語彙を自家薬籠中のものとして自在に詩に詠んでしまう、その力技はまさしく超絶的である。ただし、この詩の最も肝要な部分は化学反応式を使って記述すれば何の苦もなく理解できるはずのものであろう。なお同じころに陳守道という道人に贈った、やはり練丹術について詠んだ詩があり、同様にきわめて難渋な作品である。
【訳文】
北方正気名祛邪、東郊西応帰中華。
離南為室坎為家、光凝白雪生黄芽。
黄河流駕紫河車、水精池産紅蓮花。
赤竜騰霄驚盤蛇、姹女含笑嬰児呀。
十二樓瞰霊泉䨟、華池玉液陰交加。
北方に正しい気があって「祛邪」と名がついている。
東と西の方角が定まると、正しい気は中華へと帰るので、
北に向かって家を建て、南に向かって部屋を作り、
正しい気をそこに導くと、
白雪の光を凝らし、黄色い芽［液］が生じる。
ここに、黄河の流れは紫河車を載せ、水精池からは紅蓮の花が生じる、
［つまり、黄色い液から激しい化学変化によって生命の本質を支えるものができてくる］
そのために、赤い竜が天に昇ってわだかまる蛇を驚かすばかりに火をおこし、
姹女［丹砂］と嬰児［鉛］を煉り合わせる。
かくて、十二楼［人の耳目］は霊なる泉が湧き上がるのを見下ろし、
華池［溶けた鉛と硫化水銀］の玉液に陰の作用が加わるのである。
■【11-3-057】呉子野絶粒不睡、過作詩戯之、芝上人、陸道士皆和、予亦次其韻
【解題】「類は友を呼ぶ」の諺の通り、蘇軾のもとには異人、奇人が集まってきていて、このときには芝上人［曇秀］、呉復古［字は子野］、陸道士［陸惟忠］、陳守道といった面々が顔を揃えていた。呉復古は穀物を絶って眠らずにいるという仙人になるための術を試みていて、それについて蘇過が戯れに詩を詠んだので、芝上人と陸道士が和し、蘇軾も次韻した。
【訳文】
呉君は不死の「五通の仙」となって、
無生の一大の縁に終わりを告げようとしている。
呉君が眠らずにいるのは、
孤独の鶴が真夜中の時を知って鳴くかのよう、
呉君が穀粒を絶っているのは、
蚕が成熟して三度目の眠りに入っているかのよう。
呉君は、芝上人が人間世界を夢に譬えて理解しようとしているのを憐れみ、
呉君は、私があいも変わらず酔っては禅の真似事をするのを大目に見ている。
江や山と会うのももとからの故のあること、
詩や酒を新年の楽しみとしても、
まあよろしいのではなかろうか。
【補足】［（1）「五通の仙」とは、仏教が「六通」［六つの超越的な力］を説くのに対して、神仙術は不死を求め、生も死もともに超越するものではないので、一つ足りないということによる。（2）「無生の一大の縁」とは生々流転の因果を指すのであろう。（3）芝上人の夢については上の『夢斎の銘』［→作品番号11-3-053］」で見ている］
■【11-3-058】書過送曇秀詩後
【解題】芝上人［曇秀］が恵州を発つことになり、蘇過が送別の詩を詠んだ。蘇軾はそれを書いて短文を添えた。
【訳文】
蘇過の詩
三年避地少経過、［私たちはもう三年の間、この遠隔地でじっとしていて］
十日論詩喜琢磨。［一つの詩を十日間も喜んでこねくりまわしている］
自欲灰心老南嶽、［もはや南方の山で心も灰にしてしまおうとしていたところ］
猶能繭足慰東坡。［芝上人は足を腫らして東坡先生を慰めにきた］
来時野寺無魚鼓、［来るとき、田舎の寺には鳴らすべき太鼓もないくらいにさびれ］
去後閑門有雀羅。［去るとき、門の前は雀を捕る網を張れるほどにひっそりしている］
従此期師真似月、［これより師はまさに月にようになって］
断雲時復掛星河。［ちぎれ雲とともに天の川にかかるであろう］
私は広陵［揚州］にいたときに曇秀を送る詩を作り、そこに、
老芝如雲月、［芝上人は雲間の月のように］
炯炯時一出。［時折、炯炯と光を現す］
と、あった。
今、曇秀はまた恵州に来て、私に会ってくれた。私は病にあって、ずっと詩を作っていない。息子の蘇過は句を捜すことくらいはどうにかできて、時に見るべきものもある。この一篇は咄咄、老人には迫りくるものがある。そこで特にこれを書いて、貴君の旅の橐を満たそうと思う。
丁丑［紹聖四年］正月二十一日。
【補足】［揚州での蘇軾の詩は作品番号10-2-062で見ている］
■【11-3-059】跋所贈曇秀書
【解題】これも芝上人［曇秀］が恵州を発つに際して記したもの。
【訳文】
曇秀は恵州に来て東坡に会った。恵州から去ろうとしたときに、東坡はこのようにいった。
「山中で貴君が帰るの見るなら、きっと土地の物を求めて贈るでありましょう。いま、貴君に何を与えたらよいでしょうか」
曇秀はいった。
「鵝城の清風、鶴嶺の名月、そして人々が見送ってくれて、このほかに何か結構なものがありましょうか」
東坡はいった。
「紙に何か文字を書くのが一番よろしいのでしょう」
そのようにいって東坡が書いたのは……
人が一枚の紙を示したなら、このように記すがよい。
法華［僧人］の書には霊福がある、と。
【補足】［「鵝城」は恵州の美称、「鶴嶺」は新居を建設中の白鶴峰である］
■【11-3-060】遠遊庵銘、并叙
【解題】呉復古［字は子野］も陸道士［陸惟忠］も順次恵州を去り、蘇軾は呉復古のためにこの銘を作った。
【訳文】
叙
呉復古、字は子野は、そもそもどのような人物であるのかを私は知らない。ただ、人間世界に出入りするのを見ているだけである。求めるものがあるかのようでいて、その求めるものは見えない。喜ばず憂いず、剛ならず柔ならず、怠惰でもなく身を修めるでもなく、とにかくどのような人物であるのかを私は知らない。
昔、司馬相如は『大人賦』を作ってこのようにいった、「仙人たちはたおやかに山中に居並び、その容貌ははなはだ痩せている」。その意は非常に卑俗である。司馬相如は屈原の『遠遊』を模倣して『大人賦』を作り、その言葉使いは巧妙であっても、伸びやかでなく、ただ言い放っただけである。
いま呉君は四方を巡って十余年になり、南海のほとりに帰老しようとしている。必ずやこれより百世の変転を眺め、万里の彼方へと行き、屈原の『遠遊』に描かれている通りになるであろう。それでその名をもって呉君の庵の名として、この銘を作る。
悲哉世俗之迫隘也、
願従子而遠遊。
子帰不来、而吾不往、使罔象乎相求。
問道於屈原、借車於相如、忽焉不自知歴九疑而過崇丘。
宛兮相逢乎南海之上、踞亀殼而食蛤蜊者必子也。
庶幾為我一笑而少留乎。
【補足】［（1）銘の本体は訳しにくいので訳文は割愛するが、呉復古が遠く遊ぶのに従えないのは残念であるというようなことが歌われている。（2）陸道士［陸惟忠］のその後については次の章で見ることになる］
■【11-3-061】縦筆
【解題】異人たちの訪問を受けて、王朝雲を喪った悲しみもいくらか和らいだのか、また、新しい恵州知事の方子容［→11-3-035］もまた蘇軾に大変よくしてくれていたので、このころ蘇軾は安定した精神状態にあったようだ。そのようなときに詠まれた詩。筆に縦て作ったという題である。
【訳文】
我が白髪頭はまことに寂しく、
霜を帯びた風が吹きすさむ秋の野原のようだ。
この病がちの身を、
ちっぽけな家の藤蔓の牀に寄せている。
そうだ、寺の坊さんに報せておくれでないか、
「先生はちょうど春の睡りのさなか、
明けの鐘は軽くついてもらえませんか」
と。
【補足】［結びの二句の原文は、「報道先生春睡美、道人軽打五更鐘」［報道せよ 先生の春睡の美なるを、道人 軽く打て 五更の鐘を］。蘇軾らしい洒脱な句である。本当か嘘かはわからないが、この詩が都に伝えられると、新法党の高官たちは、蘇軾はこんなにも呑気に暮らしでいるではないかと怒り、さらに遠方に流すことを決めたという話がある］
■【11-3-062】与林天和
【解題】博羅県知事の林抃［字は天和］［→作品番号11-3-002］に宛てた手紙。
【訳文】
……愚息たちは正月の末に贛江のあたりに到着し、閏二月の上旬にはこちらに到着するとのことです。いま作りつつある家は老人の最後に過ごすところとなりましょう。間もなくそこに入ります。……
【補足】［（1）長男の蘇邁は任地へ赴任するに際して恵州に来ることになっていて［→作品番号11-3-019］、贛江のほとりの虔州にまで来ていた。待望の新居も完成に近づき、恵州での三度目の春の日々はよい具合に進んでいた。（2）蘇軾は、蘇邁のために三男の蘇過を迎えに行かせ、また虔州知事には荷物を運搬する手助けをしてほしいと手紙を送っている］
■【11-3-063】白鶴峰新居欲成、夜過西鄰翟秀才、二首
【解題】この詩の題は、「白鶴峰で建築中の新居が完成間近となり、とある夜に、西鄰の翟秀才を訪ねた」。翟秀才は作品番号11-3-048などで見た翟逢享である。また、新居の西側には林行婆という年配の女性がいたことがこの詩からわかる。「行婆」は家にいて仏に仕える女性、つまり念仏婆さんである。
【訳文】
其の一
林行婆の家は戸を閉ざしたところ、
翟先生の家はまだ閉めずにいる。
黄昏の後にも残る細く曲がった月、
山の中腹に我が新居がぼんやり見えている。
我が煩悶は、
帯のように流れる川に繋いで流してしまおう、
我が愁いは、
剣のように鋭く尖った山でかち割ってしまおう。
北に中原を望むにしてもそこに帰る日はない――
隣家にともる明かり、
村で臼を舂く音、
その間を日々行き来するのだ。
【補足】［「中原」は洛陽を中心とした黄河中流域を指し、そこが中華文明の本来の中核地帯であると認識されていた。宋の都の開封も「中原」に含まれる］
其の二
林ばあさんがもう戸を閉めてしまったのは、
隣りにくる大酒飲みから樽の酒を守るためであろう。
翟先生の戸がまだ開いているのは、
隣りから明かりが漏れくるのを待って本を読もうとしているからだろう。
私は江と同じ深さまで百尺の井戸を掘るつもりでいる。
氷のような水を分け合って夏も涼しく一緒に過ごせるであろう。
私は、鶴に変じて都に行って矢に射られてしまった仙人であるのか、
それとも前世は修行僧であったのか、
後々の人よ、この白鶴峰の家は訪ねるまでもない、
私がいま行き来しているのは夢の中でのことであるのだから。
【補足】［この詩は、畢卓［隣家に忍び込んで酒を盗み飲みした人物、→作品番号08-1-001］、匡衡［家が貧しくて隣家から漏れくる光で勉強した人物］、徐佐卿［鶴となって皇帝の庭に遊びに行って矢で射られてしまった仙人］、房琯［己の前世は禅僧であったと知らされた人物、→作品番号10-1-003］、王粲［国が滅んで他郷に住んで望郷の詩を詠んだ人物］といった人々の故事を畳みかけるように用いていて、それはそれで蘇軾らしさが溢れているのだが、故事について詳しく吟味するのは煩わしいので、大意が通じる程度にゆるく訳した］
【11-3-064】白鶴山新居、鑿井四十尺、遇盤石、石尽、乃得泉
【解題】この詩の題は「白鶴峰の新居で井戸を鑿ち、深さ四十尺で盤る石に遇い、それをつらぬいて石が尽きたところで泉を得た」。前の詩で見たように蘇軾は新居で井戸を掘り、ついに水が出たのだった。
【訳文】
海辺の国は蒸し暑さに苦しめられる。
新しい住まいには高くて涼しいという利点がある。
登ったり降りたりする労力と引き換えに、
この乾燥したところで眠れることを得ようというのである。
ただし、気に掛けていたのは、
江への路は急峻であるから、
腰を屈めて水を汲んでこなければならないことだ。
そこで、四人の男に矻矻と働いてもらって、
磽磽と重なり合う高まりを切り下げてもらった。
十日ほどで深さ一丈に達すると、
下に青くわだかまる石があった。
一日中、火をほとばしらせて石を穿ったけれど、
いつになったら水が飛び出してくるのが見られるのやら、さっぱりわからない。
そこで、酒と食事をより豊かにして、
四人の男に椎をより強く撃ち、鑽をより鋭く穿ってもらった。
ついに山の石は尽きるときがきたが、
それでも私の思いはまだ闌に達しなかった。
今朝になって僮僕が飛んできて、
「岩の下はこねて取れる黄色い土になっています」
と、喜び勇んでいった。
もう朝のうちに、瓶に雪融けの水のようなお冷を汲み取ることができ、
夕方までには、大きな甕に凍てつく早瀬の水を溜め込むことができた。
我が生き方はいつもこのようなものだ……
どこに行っても艱難のないことはない、
その後に得られる一勺の水、
これもまた天の賜である。
肱を曲げてごろり横になり、
あり余る歓びにひたるのである。
【補足】［井戸といえば、黄州の東の坡で古井戸を発見したときの歓びを歌った詩を作品番号06-2-024の其の二で見ている］
■【11-3-065】白鶴新居上梁文
【解題】2月14日、白鶴峰の新居がいよいよ完成し、蘇軾はこの文を記して、神々に捧げた。
【訳文】
鵞城［恵州］の万戸は二つの川の間に散在し、白鶴の一つの峰が千の巌の上に独り立つ。海には浮動する山が出没し、そこから仙人が飛び騰ってこの峰との間を往き来する。古代にはここに斎宮があって福地と呼ばれていた。いつしか茂る草に覆われ、狐狸の棲みかとなった。ものには興廃があり、時に隠れもし顕れもするのである。
東坡先生は万里の南に遷り、三年の間、恵州に寓居してきた。もはや故郷に帰る歓びを得ようとの心が起こることもなく、ここを終焉の地とする計画を立て、木を切って山を越え、江を遡ってその北のここへと来た。古びた村を隣りとし、南の高まりに垣根を廻らせ、船の帆が天の涯に消えるのを見送り、沈み行く月を枕から眺めようとする。王羲之が隠棲して筆を洗ったような池を開き、葛洪が山に入って丹薬を焼いたような竈を作ろうとする。そして、その家を去って千年の後に、かの仙人の丁令威と同じように鶴にまたがって帰ってくるのだ。
我が一つの宅地を長く子孫に伝えよう。いま垣根を築き、二本の柱を立てた。道に見に来る者があり、村の人々が手伝ってくれる。老人たちに集まってもらって鷄や豚で宴会を開こう。子供等には鵞鳥でも鴨でも持ってきてもらうとしよう。みんなで楽しく笑って、限りない歓びを結ぼうではないか。
児郎偉、抛梁東。喬木參天梵釈宮。尽道先生春睡美、道人軽打五更鐘。
［ヤーレヨ、梁を東に抛るなら、高い木の向こうに天をつくようなお寺。先生は春の眠りのまっただなか、お坊さま方よ、お寺の鐘はそっとつきましょう］
児郎偉、抛梁西。嫋嫋虹橋跨碧溪。時有使君来問道、夜深鐙火乱長堤。
［ヤーレヨ、梁を西に抛るなら、緑の谷をまたがる虹の橋。知事殿がふらり道を訪ねにきましょうから、夜も堤に明かりをいっぱいともしましょう］
児郎偉、抛梁南。南江古木蔭回潭。共笑先生垂白髪、舎南親種両株柑。
［ヤーレヨ、梁を南に抛るなら、南の江には回る潭に蔭を落とす古い木。笑ってしまうのは、真っ白な髪の先生が、二株の蜜柑を家の南に植えるのですって］
児郎偉、抛梁北。北江江水揺山麓。先生親築釣魚台、終朝弄水何曽得。
［ヤーレヨ、梁を北に抛るなら、北の江では水が揺り動かす山の裾。先生は魚釣り台を築いたけれど、朝からずっと遊んでも何も得られません］
児郎偉、抛梁上。璧月珠星臨蕙帳。明年更起望仙台、縹緲空山隘雲仗。
［ヤーレヨ、梁を上に抛るなら、草のカーテンから覗く円い月と珠の星。来年は仙界を望む台も造って、はるばると杖をついて雲へと昇って行きましょう］
児郎偉、抛梁下。鑿井疏畦散隣社。千年枸杞夜長号、万丈丹梯誰羽化。
［ヤーレヨ、梁を下に抛るなら、掘った井戸から隣りの家々へとほとばしる水。千年の寿命を延ばす枸杞がぐいぐい育って、万丈の梯子を昇って仙人になるのです］
伏して願うのは、この上梁の後には、山には麦が稔り、海には嵐がなく、気は爽やかで人は安らかで、陳君には薬がたっぷりあって、米が安くて、林婆さんには酒がいくらでも作れますことを。そして、私の家に来る人々には、福と寿がますます増しますことを。
【補足】［（1）後半の民謡調の歌詞の最初は、先に見た作品番号11-3-061と同じである。（2）最後にある陳君は恵州の薬屋で、林婆さんは先に見た林行婆である。新居を建てるに当たってはこうした庶民の助けもあり、また恵州知事の方子容［→作品番号11-3-035］の助力もあった］
■【11-3-066】答毛沢民
【解題】毛滂［字は沢民］［→作品番号09-1-035］に宛てた手紙。毛滂とはかつて黄州で会ってから［→作品番号06-3-077］、断続的に交流があり、恵州には時折手紙が届き、蘇軾の返書が五通残っている。そのうちの二通を見ておこう。
【訳文】
（1）……いま長男は韶州仁化県の知事を授かり、冬のうちに家族を連れて来ることになっています。一方で、私はここで数畝の地を買いました。白鶴峰の上にあり、古の白鶴観のあったところです。すでに木を切り、瓦を作り、二十間ばかりの家として、この冬に完成します。七十歳まであとわずかとなり、それまで生きられるとして、これ以上何を望みましょうか。……
【補足】［この手紙は前年の秋の終わりごろに書かれたのだろう］
（2）新居は大きな江のほとりにあって、風や雲の様子が百変し、この老人を十分に楽しませてくれます。書斎が一つあって、「思無邪」と名付けました。閑であることはこれによって知れましょう。
【補足】［これは新居が完成したころに書かれたのだろう］
■【11-3-067】和陶時運四首、并引
【解題】陶淵明の「時運」の詩に和した。「時運」とは時の巡り、つまり四季の運行である。
【訳文】
引［序文］
丁丑［紹聖四年］二月十四日、白鶴峰の新居ができあがり、嘉祐寺から遷って入った。
陶淵明の『時運』の詩を詠みあげると、「斯晨斯夕、言息其廬」［斯の晨 斯の夕、言に息う其の廬］とあり、あたかも私のために発したかのようである。それでその詩に次韻した。
長男の邁は私と別れて三年になる。孫たちを連れて万里の彼方のここにきた。老い朽ちて憂患が多くあるけれど、欣びがないわけではない。
【補足】［（1）引用された陶淵明の句は『時運』の詩の其の四にある。（2）蘇邁は韶州仁化県の知事となり、先に虔州に到着したことを見ていて［→作品番号11-3-061］、その後、大庾嶺を越えて仁化県に至り、荷物を置いて身軽になってから、迎えに行った蘇過と循州で合流して恵州に到着したようである。蘇軾がちょうど新居に移るころに3年ぶり［→作品番号11-1-019］に蘇軾は長男一家と会ったのである］
其の一
私は我が住まいを占った。
住まいは一日だけのものではない。
亀による占いは私を欺くことはなく、
この江のあたりで暮らすことになった。
だめになった古い井戸は塞ぎ、
高い木は空を覆ったままでよい。
昔ここにいたのはどのような人であったのか、
その子孫として誰がいるのだろうか。
其の二
下に澄んだ淵があって、
飲むこともできれば濯ぐこともできる。
江や山が千里の彼方まで、
私の眺めのうちに入ってくる。
木にはもとより脛があるわけではなく、
瓦にはむろん足があるわけではない。
しかし、職人たちが自らやってきてくれて、
歌いつつ楽しむうちに我が家を作ってくれた。
其の三
私はこの邦を視るに、
洙水や沂水のあたりのようである［孔子の故郷のように純朴な風俗であるという意味］。
この邦の人が私に勧めるのは、
「老いてどこに帰ろうというのですか」［ここに永住なさい］
私は独り静かな暮らしをするようになってからも、
門のあたりに佇みつつ、時に心が奮い立つことがある。
私にだって親しい友がなかったわけではない、
雲が消えるように散ってしまってもう追いかけることはしないのだ。
【補足】［蘇軾のところに遠く来る者もいたが、蘇軾が罪に落ちてからは背を向ける者の方が多かったのだろう］
其の四
朝早くに丁丁と、
我が廬を叩くのは誰であろうか。
子や孫が遠くから来たのだ。
笑いや語りが入り混じる。
前髪を切りそろえたのやら髪を束ねたのやらが、
わいわいと酒壺をひっくりかえしてしまった。
三年もまた一つの夢、
諸君等はこうしてまた私を見たのである。
【補足】［最後は蘇邁一家が来たことを歌っている。孫たちが実際に酒壺をひっくりかえしたかどうかはわからないが、なけなしの酒をこぼされても、蘇軾はにこにこ眺めていたであろう］
■【11-3-068】録詩寄范純父
【解題】上で見た詩をそっくり写して范祖禹［字は純父］に送っている。その後ろに添えられた文章を見ておこう。范祖禹も流謫の身である［→作品番号11-2-057］。
【訳文】
都にいたときに、范君に会いますと、いつも大勢の子孫に囲まれていました。紙と筆を用意させて、それぞれに字を書かせ、書き終えると、そのたびに、范君は「訴旱乎、訴澇乎」といわれました。今は皆が万里の向こうにいて、また会いたいと思ってもそれはできるものではありません。范君の書を得たくて、この詩を数枚の紙に録してお寄せします。三月五日。
多難の内にあって私は何かと人を畏れています。この詩は慎んで人には見せませんように。
【補足】［范祖禹の言葉の意味がわからないので、原文のまま掲げておく］
■【11-3-069】与林天和
【解題】新居が完成する前後に博羅県知事の林抃［字は天和］［→作品番号11-3-062］に宛てた手紙。
【訳文】
（1）息子［蘇過］は循州に向かってすでに数日になり、我が家族は閏二月の初めにはここに到ります。新居は間もなく工事が終わります。いろいろお尋ねいただき、感じ入っております。お手紙に加えて、筍や蕨や有益なものを贈ってくださり恐縮しております。……
（2）家族たちが遠くから来たために、皆様にはさらなる費えを煩わせております。羊、麺、鱸魚などをすでに頂戴し、感激の至りであります。
【補足】［林抃からいろいろと支援を受けていたのである］
■【11-3-070】与王敏仲
【解題】このころに広州知事の王古［字は敏仲］に宛てた手紙が何通かあり、そのうちの三通を読んでおこう。王古は昨年の終わりごろに広州に赴任して来たばかりだが、かつて蘇軾は定州に赴任する際に、道の途中で遼国に向かう王古と会っていた［→作品番号10-3-039］。その縁によって広州と恵州の間で頻繁に手紙が行き来するようになった。
【訳文】
（1）……今月の十四日に新居に遷って入りました。新居からの江山の風光は、あたかも杭州や越州の景勝を見るかのようで、万里の彼方にいるような気がしないのは、ただ似ているだけではなく、真に同じものがあるからなのでしょう。長男の蘇邁がこちらに来ようとしていて、すでに虔州に到着しました。三男の蘇過を循州まで迎えに出したところで、閏二月の初めにはここに到るでしょう。老幼がまた会えるのは実に幸いなことです。蘇邁が到着しましたら、そちらに挨拶に行かせるようにします。……
【補足】［（1）冒頭で省略した部分には、王古への誉め言葉と、王古からのプレゼントへの謝礼が記されている。（2）「今月の十四日」とあるのは2月14日である。上で見た林抃への手紙に第一通より少し後にこの手紙は書かれたのだろう］
（2）……私は何事もなく過ごしており、新居に遷り住んで十日ほどになります。小さな窓、粗い垣根、すこぶる静かで深い趣があります。家族たちが間もなくここに到ります。いつお目にかかれるのかわかりませんが、万万お国のために自重されますように。
（3）羅浮山の道士である鄧守安、字は道立は、山野に暮らす朴訥な人間でありますが、広州や恵州のあたりでは、行き交う誰もが鄧道士を敬愛しています。人々を助けることを好んで勤めて行っています。
かつて鄧道士がこのようなことを私にいいました。
広州の町の人で、塩辛い水を飲んでいる者は、春夏に疫病が流行ると、多数の死者が出ます。官員や有力者は劉王山の井戸水を飲んでいるためにそのようにはなりません。貧乏な者たちはどうしたらよいのかというと、蒲澗山に水の滴る巌があって、その水は高いところにあるので、広州の町へと引いてくることができます。その距離は二十里以下です。巌の下に大きな石の槽を置き、大竹を繋いだ五つ管で水を引きます。竹の継ぎ目には麻繩でくくって漆を塗ります。管は地面の高下に従ってただちに町の中へと下り、やはり大きな石の槽でその水を受け、さらに五つの管に分けて町の中へと流し、各所に小さな石の槽を置き、そこで汲み取るようにします。必要とする大竹は一万本余り、二十里の間を草や茅の苫で覆ったとしても、費用は数百から千ほどですみましょう。さらに循州で少しばかりよい土地を用意して、毎年そこから租課を五千から七千ほど徴収するなら、毎年大きな竹を一万本ほど採って筏に組んで広州に流すことができて、管を取り換えるのに不足はありません。また、広州の町に募金箱を置いて日に二百も集まるならば、管を取り換える費用に十分あてられるでしょう。数人の専門の技術者が巡検して修葺してゆくなら、町中の者が貧富の違いなく同じように冷たい真水が飲めるようになって、その利便性はとても大きなものがあります。
広州の町ができてからずっと水の問題はありました。もしも人々がこのようにして水道を作ることができる知ったらならば、喜び願うことは間違いありません。その功徳は喜捨の心をもって寺院を建てることの比ではないでしょう。
鄧道士は至誠で人を欺くことはなく、完成するまで力の限り勤めるでありましょう。貴君が鄧道士にこのことを尋ね問うことを願って、敢えてこの策を献じるものです。手紙をもって招くなら、鄧道士が自身で詳しく述べるでありましょう。
鄧道士は仙道だけを望んでいて、世俗の貪愛は毛筋ほども持っていないことは疑いようもありません。以前からも諸公は多くのことを鄧道士と語ってきました。私は貴君には世を救うのを喜ぶ意があるのを知って、このように告げるものです。この計画の可否はさらに熟慮する必要があるでしょう。私からの提案であることは決して人には知らせませんように。
【補足】［（1）鄧守安は橋をみごとに完成させていて［→作品番号11-3-024］、蘇軾は鄧道士にはデベロッパーとしての才覚があり、かつ人柄が十分に信頼できると確信していた。（2）蘇軾は杭州で水利事業を成功させた経験があり、鄧道士のプランには十分に成算があると見たのだろう。水を引く距離は約二十里で、10キロほどであるから、一本の竹が10メートルだとすると、一つの管で1000本の竹が必要になる。竹が1万本あれば五つの管に分けて町中に水道を張り巡らせることは確かに可能なのだろう。（3）最後に、人に知らせないようにとあるのは、罪人である蘇軾の発案であると知れたならば、どこからか横槍が入って計画が阻害されるのを恐れるからである］
■【11-3-071】三馬図賛、并引
【解題】李公麟［→作品番号11-3-020］が描いた馬の画を見て賛を作った。賛の本体は訳すのが難しいので割愛し、序文だけを訳す。
【訳文】
引［序文］
元祐年間に初めに、お上は玉門関［西方の国境］を閉ざすことにし、そのために諸将を派遣した。太師の文彦博、宰相の呂大防と范純仁は、游師雄を国境地帯に行かせて武備を整えさせることを建議した。游師雄は熙州に行くと、蕃官［土着民出身の役人］の包順が己の指揮下にある熟戸［帰順した人々］を率いて辺境の患を除くことを提案したので、游師雄はそれを許した。游師雄は羌族の大首領である鬼章青宜結を捕らえて献じた。百官はそれを賀し、永裕陵［神宗皇帝の墓］に人を派遣してそのことを告げた。
時に西域から馬が貢がれた。首の高さが八尺、竜のような頭、鳳のような胸、虎のような背、豹のような毛並みを見せて、東華門より出て、天駟監［皇帝の厩舎］に入った。鬣を奮って長く鳴くと、他の馬たちは皆黙ってしまった。老人たちはそれを観て、このような馬は見たことがないといった。しかし、上つ方は特に顧慮することなく、伝説の名馬のような馬が庭にいながらも、一度も見られることがなかった。その後、馬の飼育係が時に応じた世話をしなかったために、その馬は死んでしまった。それもまた上つ方から問われることはなかった。
翌年、羌族の温溪心は良馬を得て、自ら直接進めるのではなく、国境地帯の役人の仲介を得て、太師潞公［文彦博］に献じたいと願った。それは詔をもって許可された。
その後、蒋之奇が熙州知事になると、西蕃から汗血の駿馬を貢ぐ者があった。役人はいまは貢ぎ物を受け取る時節ではないとして、その使者と馬を国境の地に留めた。蒋之奇は時節ではないものの受け入れようとしたので、朝廷の礼部において議論がなされた。そのときに私は宗廟の祭祀に関わる職にあったので、検討した結果をこのように記した。「朝廷はいま不要なものであるとして西方から馬が献じられるのを断っている。汗血といえども何ら用いるところはないのである」。それでこの件は沙汰やみとなった。ときに、天下は小康状態を得て、武備は不用とされ、人々は少しく安らぎ、馬は時節に遇わなかったのである。
私は承議郎の李公麟に個人的に頼んで、以上の三頭の駿馬の姿を、鬼章青宜結に見立てた画を作ってもらい、それを我が家で所蔵した。
紹聖四年三月十四日、私は恵州に謫居し、事も無く、旧い書画を見ていて、そのころのことを追思し、三馬の優れたさまに嘆息して、この賛を作った。
【補足】［（1）冒頭に「元祐年間の初めに……」とあるのは、神宗皇帝の死去に伴って保守政治が復活して、西方への武力行使を止めたころのことである。（2）文彦博に西方から馬が献じられたことは作品番号08-1-062で見ている。（3）蒋之奇が熙州知事になったことは作品番号10-3-004で見ている。（4）三頭の馬の画を見る蘇軾の心中は複雑なものがあったであろう。駿馬が不要とされたのは平和な時代だったからで、改革政治が復活すると、雲行きはあやしくなっていった。一方で、優れた三頭の馬がその力を何ら発揮できずに終わってしまったことは、身につまされるものがあったであろう］
■【11-3-072】次韻恵循二守相会
【解題】恵州の方子容［字は南圭］知事と循州の周彦質［字は文之］知事が蘇軾の新居を訪問して詩を詠んだので、それに次韻した。新居の建築にはこの二知事の支援があった。後の詩でわかるように、周知事はちょうど任期を終えて都に帰還しようとしていた。
【訳文】
一緒に会うときには、
ほんのわずかな時間をともに惜しむ。
杯の酒は浅くとも、
意はことに深いものがある。
しかも月の下で三人の影を合わせているのであるから、
万里の彼方の天の涯にいるなどという感慨を起こすことはない。
東の山のあたりに松や菊を愛でる小道を開いたばかり、
南の部屋が完成して斧の音は聞こえなくなったところ、
貴君らの詩は誠に幸先のよいものである。
また酒壺を携えてさらに来訪されるがよろしかろう。
■【11-3-073】又次韻二守許過新居
【解題】二人の知事が上の詩に次韻して、また訪れたいというので、それに応じた詩。
【訳文】
我が新居は、
町の北側の草深い数畝の地を開いたもの、
暁には、窓はすがすがしく明け、
夜には、部屋は奥深く静まり返る。
この地を占って建てたとはいえ、
生涯最後の真の家ではなく、
いさかか結跏趺坐して我が心を看ようとするものである。
聞くところでは、
貴君等は酒壺をさげて、わからない字を尋ねにこられるとか、
ならば、木に登って歌を唱えて迎え入れるとしようか。
ともあれ、我が家の北の扉からの眺めを楽しんでいだけよう。
真下には広々とした江……。
■【11-3-074】又次韻二守同訪新居
【解題】さらにまた上に詩に次韻した。三度目ともなると、例によって故事を駆使して作詩するほかはなくなるのだろう、煩わしいばかりであるので、ここでは大意をとってさらりと訳した。
【訳文】
私の残りの日々をこの墻の陰に託し、
あとは老いて行くばかり。
何もかもすっかり掃除し終わって、
これまでの長い歳月を忘れてしまうことにした。
薤を抜きつつ、賢知事殿の政を見ている私は、
蔬を折りつつ、訪れてくれたお二人の心を慰めようと思う。
風流を解するお二人はいつもの地の言葉を用い、
やつれてしまった私は、独りだけ楚の地の言葉を使っている。
お二人の邦がよく治まっているのは天下第一、
だから、ひとたびここを去ったならば、
栄転して、この南方の地にはもう戻ってこないに違いない。
【補足】［次韻はさらに続いて、周彦質が去ろうとするのを引き留める詩があるが、訳は割愛する］
■【11-3-075】和陶答龐参軍六首、并引
【解題】陶淵明の『龐参軍に答える』という詩に和した。
【訳文】
引［序文］［蘇軾］
循州知事の周彦質は、任地にあること二年、一日も欠かすことがないほどの手紙をくれた。知事を辞めて帰還するに際して恵州を通り、私にために半月も留まってくれた。すでに別れて、陶淵明の詩に和して追って送別の詩とした。
其の一
私は異人に会い、しかも異書を得た。
異書を手にして異人に教えを乞えば、
いつでも楽しくないことはない。
羅浮山のふもとに、
我が新居を作ったところ、
あなたは劉備ではなく（私は諸葛孔明でもないのに）、
三回も我が廬を訪ねてくれた。
【補足】［（1）異人［道士や禅僧など］と会えて異書［道教や神仙術などの書物］があればいつでも楽しいというのは、いかにも蘇軾らしい。（2）終わりはいわゆる「三顧の礼」の故事を引いて周彦質の訪問をたびたび受けたことを詠んでいる］
其の二
旨い酒と荔子と芭蕉、
絶妙にうまくて珍しいものを貴君と分け合おう。
我が晩年になって知り合ったのだが、
自然と親しくなってしばしば会うようになった。
海辺の涯の地で笑い合う、
どこでも心親しむ人がいないということはないのだ。
私は酒を買うことができないので、
隣りからもらってくることもある。
【補足】［（1）これは周彦質との出会いを詠んだもの。（2）酒をもらう隣人とは林婆さんであろう］
其の三
あなたは行こうとしてまた止まり、
顧みて急いで話をする。
心の中にある限りを、
傾けて出してしまおうとする。
きらきらとした千の言葉は、
輝いて詩として並べられる。
盃が巡り、筆を走らせる、
考えるひまもないほどにすばやい。
美しい少女がかたわらに座っている、
髪を二つに分けて左右に垂らしている。
少女は私のために寿いで歌い舞い、
永く続く歓びとしてくれた。
曲が終わると急に寂しくなって、
空に浮く雲を見上げた。
この曲とこの声、
いつまた聞くことができるだろうか。
【補足】［ここでは、蘇軾が歌舞を得意とする少女を呼んで周彦質を引き留めようとしたことを歌っている。先に2人の知事と応酬をした一連の詩を見たが、その最後の詩［訳は省いた］にそのことが詠まれていた］
其の五
太鼓がドンと撃たれると、
船が動き出して櫓の音が響く。
あなたは私を振り返り見て何かをいおうとするが、
雨のように涙がこぼれ落ちる。
かの蘇武が白髪頭になって、
都に帰還したように、あなたはいま帰ってゆく。
万里の彼方の遼東から、
管寧が帰ったように私にも帰るときがくるのだろうか。
【補足】［終わりのところでは、蘇武と管寧の故事を引いているが、要するに自分もまたいつか帰還が許されるであろうという淡い期待を歌ったもの］
其の六
あなたの至誠の心に感じて、
風に託してこの送別の辞を送る。
私の生命はひとつぶの塵、
空中にたまたま形を宿しているだけ。
願うのは謙譲をもって貫き、
君子として生涯を全うされること。
あなたに功名があるのならば、
それは我が身にあるのと同じなのである。
■【11-3-076】浣渓沙
【解題】「春の情」というタイトルの付いている詞。
【訳文】
道字嬌訛苦未成、［ふにゃふにゃと言葉ははっきりしません］
未応春閣夢多情。［まさか春の寝床でよい人に会う夢を見るには早すぎますよね］
朝来何事緑鬟傾。［でもこの朝に髪が乱れているのはどうしてなのでしょう］
彩索身軽長趁燕、［ブランコに乗って燕を追いかけているのでしょうか］
紅窓睡重不聞鶯。［窓辺での眠りはまだ深くて、鴬の声も聞こえていません］
困人天気近清明。［このものうさは清明に近い季節だからでしょうか］
【補足】［春の朝の少女の夢を詠んだこの詞はいろいろな味わい方があるだろう。蘇軾のもとにきたばかりのころの王朝雲を追想しての詞であると思っても悪くはないのかもしれない］
■【11-3-077】種茶
【解題】茶を種えるという詩。
【訳文】
松の間に旅の茶が生え、
松と同じように痩せてひょろひょろと伸びた。
茨たちはこれを仲間に入れまいと、
争うように覆いかぶさって蔭の下に隠してしまおうとした。
天公によって遺棄されたものなのか、
百歳になってもなお幼稚のままである。
最上の「紫筍」のような茶であるのだから、
大きくはならなくても、孤独の根は長い寿命を保っている。
私はこれを白鶴峰の上に移した。
それは春の雨の後の土の軟らかいときで、
十日にわたって曇り空が続いてくれたので、
晩年に至ってついに思い通りに繁茂できるようになったようだ。
長年の流転の苦を忘れて、
戢戢と鳥のくちばしのような芽を出し始めた。
臼でついて磨りつぶすほどにはならなくても、
摘んで香りを楽しむくらいのことならできるだろう。
宮中にたくさんの茶が集められて、
互いに優劣を競い合っているようであるが、
我が園から出るこのひと啜りの味と比べたら、
はてさてどうであろうか。
【補足】［移植した茶のことを詠みつつ、己自身を歌っているようである。茶の品質を競い合うことについて作品番号11-2-062で強く批判していた］
■【11-3-078】三月二十九日二首
【解題】3月29日に詠んだ詩。この年は閏二月があり、新居に移った2月14日から2カ月半ほどが経過した。
【訳文】
其の一
南の嶺を雲が通り過ぎて、翠の山裾が現れ出る。
北の江に雨が飛び散って、涼しさが送られて来る。
酒が醒めて、夢からかえると、もう春の尽きようとする日、
門を閉ざし、机によりそって、香を炊くとしよう。
其の二
門の外では橘の花がなおちらほらと見え、
垣根の先では荔子の実がすでに熟し始めている。
樹は暗く草は深く、人は静かにいるところ、
簾を巻いて、身を横たえて山を眺めるとしよう。
■【11-3-079】記授真一酒法
【解題】白鶴峰の新居に鄧守安［→作品番号11-3-070］が訪ねてきた。そのことを記した一文。
【訳文】
私が白鶴峰の新居にいると、道士の鄧守安が突然来て門を叩いた。時はすでに真夜中で家の者はことごとく寝ていた。
その後ろに背の高い人がいた。桄榔の葉を衣にし、手に酒を携え、髪を乱した姿は神々しく、かの仙人の呂洞賓を思わせるものがあった。
「真一酒を飲んだことがありましょうか」
と、その人がいった。
三人は座に就き、携えてきた酒をおのおの数杯飲み、節をとって高らかに歌い、合江楼の下に行った。風が振るって水が湧き、大きな魚があれこれ出てきた。
そしてその人は袖から一巻の書物を出して、私に授けてくれた。真一酒の造り方と、修養の九箇条が記されていた。その末尾に、
「九霞仙人李靖が書く」
と、あった。
別れた後、私は恍惚としてしまった。
【補足】［（1）これは実際にあったことを記したのではないのだろう。真一酒については、白鶴峰に移るよりかなり前にすでに蘇軾は詩文に記しているので［→作品番号11-2-058など］、いまになって仙人からその製造法を授かったというのは矛盾している。ことさらに秘方めかした遊びなのであろう。（2）呂洞賓は宋代の人々が繰り返し語り継いできた極めて有名な仙人である［→作品番号09-2-043］。（3）蘇軾は、故郷に帰る望みも、朝廷に復帰する望みもあえて抱くことなく、近くの県の知事になった長男に支えられつつ、鄧守安のような恵州の人々とともに穏やかな日々が続くことを願って白鶴峰の新居を構え、季節は春から夏へと移っていったのだった］