第10章　付録『和陶詩』

■【10-2-040a】和飲酒二十首

【解題】陶(とう)淵(えん)明(めい)の『飲(いん)酒(しゅ)二十首』とそれに和した蘇軾の二十首を作品順に交互に掲げて訳す。陶淵明の詩については、おもに松枝茂夫・和田武司訳注『陶淵明全集』上下、岩波文庫（1990年）に依拠して訳文を作成した。

【訳文】

序［陶(とう)淵(えん)明(めい)］

余�闍初ﾇ歓、兼比夜已長、偶有名酒、無夕不飲、顧影独尽、忽焉復酔。既酔之後、輒題数句自娯、紙墨遂多、辞無詮次、聊命故人書之、以為歓笑爾。

［私は閑居の身で、しかもこのごろは夜を長く感じるようになった。たまたまよい酒があるのなら、飲まずにいる夜はない。我が影を顧みながら飲み尽くすと、たちまち酔い心地になる。酔っての後には、いつも数句を記して自分の楽しみとしている。紙や墨をたくさん使うけれど、できた詩句に順序立ったものはない。ともあれ、よく知る人に書いてもらったので、笑いの種にでもしていただきたい］

叙［蘇軾］

吾飲酒至少、常以把盞為楽、往往頽然坐睡、人見其酔、而吾中了然、蓋莫能名其為酔為醒也。在揚州時、飲酒過午、輒罷。客去、解衣盤礡、終日歓不足而適有余。因和淵明飲酒二十首、庶以彷彿其不可名者、示舎弟子由、晁無咎学士。

［私が酒を飲む量は至って少ない。それでも、いつも杯を手にするのを楽しみとし、しばしば頽然(ぐったり)と居眠りをしてしまう。人はそれを見て酔いつぶれたと思うのだが、私の心の中は了然(はっきり)している。だから、この状態は、酔っているとも、醒めているとも、どちらとも言い切れないのである］

私は揚(よう)州にいて酒を飲むときには、正午になるとやめにして、客人には帰ってもらい、衣服をゆるめ、足を投げ出し、その後の一日を過ごす。酔っての歓びというのは十分ではないのだろうが、あり余る心地よさがある。

ここに私は陶淵明の『飲酒二十首』に和してみた。酔っているとも醒めているとも言い切れない境地をぼんやりとでもよいから詠んでみたいと思ったのだ。

これを弟と晁(ちょう)補(ほ)之(し)に示す。

　其の一［陶淵明］

衰栄無定在、［衰えと栄えは、それぞれが定まったところにあるのではない］

彼此更共之。［彼(それ)と此(これ)とが交互にしかもともに存在しているのである］

邵生瓜田中、［漢(かん)代(だい)の邵(しょう)平(へい)が瓜畑にいたときと］

寧似東陵時。［かつて秦(しん)代(だい)に東(とう)陵(りょう)侯(こう)として高い地位にあったときとは似ても似つかなかった］

寒暑有代謝、［寒さと暑さは交替するものである］

人道毎如茲。［人の道(みち)もいつもそれと同じである］

達人解其会、［達人はそこに道理があるのを理解しているので］

逝将不復疑。［疑うようなことはしなくなる］

忽与一樽酒、［たまたまひと樽の酒があるときには］

日夕歓相持。［夕方になると歓んで酒とともにいる］

【補足】［（1）高い地位を棄てて瓜を作る農民になった邵(しょう)平(へい)［あるいは召(しょう)平(へい)］の故事は、作品番号06-1-005以来何度か見ている。（2）第一首は「飲酒」という題の連作の序曲のような趣があり、蘇軾が和した次の作品も同様である］

　其の一［蘇軾］

我不如陶生、［私は陶(とう)淵(えん)明(めい)先生に及ばない］

世事纏綿之。［世の中のあれやこれやにまとわりつかれている］

云何得一適、［己に適したことが一つでも得られたならば］

亦有如生時。［生まれたときのようになるであろうか］

寸田無荊棘、［我が一寸の田［心を指す］に雑草がないのなら］

佳処正在茲。［佳(よ)きところとは、まさにそこに存在するのである］

縱心与事往、［心を自由にさせて成り行きのままに往(ゆ)くなら］

所遇無復疑。［何に遇おうともそれを疑うことはない］

偶得酒中趣、［たまたま酒の中で興趣が得られるかもしれないので］

空杯亦常持。［いつでも空(から)の杯を持っているのがよい］

　其の二［陶淵明］

積善云有報、［善を積むとその報いがある、という］

夷叔在西山。［しかし、古(いにしえ)の伯(はく)夷(い)と叔(しゅく)斉(せい)は義を守って西(せい)山(ざん)に隠れ、餓死してしまった］

善悪苟不応、［善にも悪にもそれぞれ相応の報いがもしもないのなら］

何事空立言。［どうして空しい言葉を作ったのだろうか］

九十行帯索、［古(いにしえ)の啓(けい)栄(えい)期(き)は縄を帯の代わりにする貧乏で、九十歳を過ぎからも］

飢寒況当年。［飢えも寒さも平気であったのだから、若ければなおさらであった］

不頼固窮節、［つまり、大事なのは貧窮にあっても節義を守る「固(こ)窮(きゅう)の節(せつ)」であって］

百世当誰伝。［それによらなければ百世の後にも名が伝わったりはしないのだ］

【補足】［「貧(ひん)は士(し)の常(つね)なり」といって九十過ぎまで何の憂いもなく生きたという啓(けい)栄(えい)期(き)は陶(とう)淵(えん)明(めい)が好む人物であり、「固(こ)窮(きゅう)の節(せつ)」は『論(ろん)語(ご)』にある「君子は固(もと)より窮(きゅう)す」に基づき、陶淵明がよく使うキーワードである］

　其の二［蘇軾］

二豪詆酔客、［昔、酒自慢の風流人を叱りにきた二人の豪傑がいた］

気湧胸中山。［その気概は胸の内に山が湧くかのようであった］

漼然忽氷釈、［それとて、氷がぽたぽた解けてしまうように言い負かすには］

亦復在一言。［次の一言がありさえすればよいのだ］

嗇気実其腹、［心を虚しくするなら腹は満ちて］

云当享長年。［長生きができるのだ］

少飲得径酔、［少し飲むだけでたちまち酔う］

此秘君勿伝。［これこそが心を虚しくする秘訣で、人には教えたくないものだ］

【補足】［陶(とう)淵(えん)明(めい)の『飲酒二十首』は必ずしも酒がテーマではなく、第二首には酒が出てこなかった。蘇軾は酒の主題を発展させている］

　其の三［陶淵明］

道喪向千載、［道(みち)［正しい道理の実践］が喪(うしな)われて千年になり］

人人惜其情。［人々は真実の情(こころ)を出さないようになった］

有酒不肯飲、［酒があっても敢えて飲まなかったりするのは］

但顧世間名。［ただ世間で己の名がどのように取り沙汰されるかを気にしているからなのだ］

所以貴我身、［我が名を貴ぶ理由も］

豈不在一生。［せいぜい己の一生の間のものでしかない］

一生復能幾、［一生とはどれほどなのか］

倏如流電驚。［稲妻があっと驚かすくらいの長さしかない］

鼎鼎百年内、［百年とて鼎鼎(じわじわ)と止まらずに過ぎて行く］

持此欲何成。［情(こころ)を出さずにいたままで何ができるというのか］

　其の三［蘇軾］

道喪士失己、［道(みち)が喪(うしな)われて士(ひと)は己を失った］

出語輒不情。［語(ことば)を出してもそれは真の情(こころ)ではない］

江左風流人、［風流を自認した南朝の人々は］

酔中亦求名。［酔っているときにもよい名の立つのを求めていた］

淵明独清真、［陶淵明だけは独り清らかな真(まこと)を貫き］

談笑得此生。［酔って談笑する間に己の生(せい)を確かに得たのだった］

身如受風竹、［その身は風を受ける竹のようであって］

掩冉衆葉驚。［たくさんの葉がざわざわと驚きつつも、竹はしなやかに風を受け流す］

俯仰各有態、［俯(ふ)仰(ぎょう)する一瞬の間に万物はおのおのの姿を見せる］

得酒詩自成。［酒を得れば、そこに自ずと詩ができあがるのである］

【補足】［（1）第三首は二人とも歌い出しは道(みち)で、真実の心と言葉がテーマになっている。（2）6句目にある「得此生」［此(こ)の生(せい)を得(え)た］は、後に見る陶(とう)淵(えん)明(めい)の第七首に出てくる］

　其の四［陶淵明］

栖栖失群鳥、［群れから離れてしまった鳥は栖(おた)栖(おた)として］

日暮猶獨飛。［日が暮れてからもなお独り飛んでいる］

徘徊無定止、［止まるのはここだと定めるところがないままに、あちこちをさまよい］

夜夜声転悲。［夜な夜な、その声は悲しさをましてゆく］

�視ｿ思清遠、［激しいその響きは、清らかな遠いところを思っていて］

去来何依依。［行き来するありさまは何とも依(うじ)依(うじ)としている］

因値孤生松、［鳥は一本の松と出会って］

斂翮遙来帰。［遥かなここに翼をおさめて帰り来ることができた］

勁風無栄木、［強い風に、葉の繁る木はもはやほかになく］

此蔭独不衰。［ただ松の蔭だけが衰えずにある］

托身已得所、［身を託すところをすでに得たからには］

千載不相違。［千年経っても離れることはないのだ］

　其の四［蘇軾］

蠢蠕食葉虫、［もぞもぞとうごめいて葉を食らう虫は］

仰空慕高飛。［空を仰ぎ見て、高く飛びたいと焦がれている］

一朝伝両翅、［ある朝、二枚の翅(はね)がはえて飛び立つ］

乃得粘網悲。［すぐに、蜘蛛の巣に粘り付いてしまうのを悲しまなければならなくなる］

啁啾厭巣雀、［同じ巣で啁(チュウ)啁(チュウ)と鳴いていた雀のうちで］

沮沢疑可依。［身を委ねるには水辺がよいかと思ったものがいた］

赴水生両殼、［水に赴くと二つの貝殻が生じた［雀が蛤になるという伝説］］

遭閉何時帰。［こうなってしまうと、閉じ込められたところからはたしていつ出られるのか］

二虫竟誰是、［虫と雀と、どちらがよいともいえないだろう］

一笑百念衰。［ひとたび笑ったなら、百の願いごともしぼんでしまうだろう］

幸此未化間、［幸いにも、我等はほかのものには化(か)してはいないのだから］

有酒君莫違。［酒があるなら、君も飲んだらよいだろう］

【補足】［第四首においては、帰隠を果たした陶(とう)淵(えん)明(めい)とまだできずにいる蘇軾の違いがはっきり出ているといえるだろう］

　其の五［陶淵明］

結廬在人境、［私が構える庵(いおり)は人が集まるところにある］

而無車馬喧。［それでも、訪問客の車や馬に騒がしくされることはない］

問君何能爾、［君は問うだろうな、どうしてそのようなことになるのか、と］

心遠地自偏。［心が遠くにあるのなら、ここがそのまま僻遠の地になるのである］

採菊東籬下、［東の垣根のもとで菊を採っていて］

悠然見南山。［ふいに南の山［廬(ろ)山(ざん)］が目に入ってくる］

山気日夕佳、［山の気(き)は一日の夕べのころがもっとも佳(よ)い］

飛鳥相与還。［飛ぶ鳥はその山へと一緒に帰ってゆく］

此中有真意、［このなかに真(まこと)の意(こころ)があるのだ］

欲弁已忘言。［それを弁じようとしたけれど、言(ことば)を忘れてしまった］

【補足】［（1）この詩についての蘇軾の優れた鑑賞を作品番号10-2-042で見た。（2）ついでながら、7句目にある「山(さん)気(き)」は、「山のたたずまい」とか「山の気配」とか訳すのが普通のようだが、訳者は何となく違和感を覚える。そのように訳すと、山と陶淵明が離れ離れの存在となってしまうのではなかろうか。珍解釈として、ここの「気(き)」は中国哲学の重要な概念である「気(き)」［物質の本源］を指すと考えてみたい。山の「気(き)」は夕方に充実した状態となり、鳥は自ずとそこへと帰って行き、陶淵明も自ずとそこに目を向けて言葉にできない何かを得たということなのではないだろうか。南(なん)山(ざん)はほかならぬ廬(ろ)山(ざん)であって、廬山は「気(き)」に満ち満ちた霊山である。陶淵明は鳥と違って体ごと山に引かれて行きはしないけれど、心は山の「気(き)」の中に包接されているのである］

　其の五［蘇軾］

小舟真一葉、［小さな舟は、まことに一枚の葉である］

下有暗浪喧。［下で見えない波が騒いでいる］

夜棹酔中発、［夜、酔って棹を移して出発した］

不知枕幾偏。［枕が偏っていたのにも気付かないでいたのだ［夢であることを暗示］］

天明問前路、［明け方に、この先の路(みち)を問うと］

已度千重山。［すでに千も山を通り過ぎていた］

嗟我亦何為、［ああ、私は何をしているのか］

此道常往還。［この道は常に行き来しているところではないのか］

未来寧早計、［まだ来ないことを考えるのに早すぎるということもないだろう］

既往復何言。［すでに過ぎ去ったことは何かをいっても仕方がない］

【補足】［陶(とう)淵(えん)明(めい)が「真(まこと)の意(こころ)」を得たのに対して、蘇軾は迷いのうちにあったということであろう。陶淵明は帰るべき廬(ろ)山(ざん)を目の前に見ていて［あるいはすでにその内側にあって］、蘇軾はこの先の路をなお問わねばならないのだ］

　其の六［陶淵明］

行止千万端、［行くところ、止まるところ、人の行為は千にも万にも分かれる］

誰知非与是。［どれが正しく、どれが正しくないのか、誰にわかるというのか］

是非苟相形、［正しいとか、正しくないとか、比べて決めつけてしまって］

雷同共誉毀。［皆が雷同して、褒めたり、けなしたりしている］

三季多此事、［（古代の理想の時代とされる）三代が終わってから後は、このようなことばかりだ］

達士似不爾。［ただ達(たつ)士(し)［道(みち)に通じた人］だけがそうではないようだ］

咄咄俗中愚、［俗世間の愚か者どもは、咄咄(けったくそわるい)ので］

且当従黄綺。［とにもかくにも夏(か)黄(こう)公(こう)と綺(き)里(り)季(き)［商(しょう)山(ざん)に隠棲した人］を見習うのがよいようだ］

【補足】［漢(かん)代(だい)の商(しょう)山(ざん)に4人の非常に有名な隠者がいた。ここでそのうちの2人の名を挙げているのは、たまたま隠者の代表者として出したまでのこと］

　其の六［蘇軾］

百年六十化、［百年といわれる人生を、六十［蘇軾の年齢］であの世に行くとして］

念念竟非是。［念(おも)い念(おも)えば、結局は是(よかった)とはいえない］

是身如虚空、［この身は虚空のようなもの］

誰受誉与毀。［誉められもしなければ、けなされもしないはずなのだ］

得酒未挙杯、［酒を得て、まだ杯を挙げないうちから］

喪我固忘爾。［我を喪(うしな)ってしまうなら、もとよりなんじ［酒］のことも忘れてしまう］

倒牀自甘寝、［牀(ベッド)に倒れ込んで、そのまま寝てしまえばよい］

不択菅与綺。［夜具はむしろでも毛織物でも、どうだってよいのだ］

　其の七［陶淵明］

秋菊有佳色、［秋の菊が佳(よ)い顔をしている］

裛露掇其英。［露にぬれたその花びらをつもう］

泛此忘憂物、［憂いを忘れるというこの物［酒］に浮かべ］

遠我遺世情。［世間などはうっちゃってしまおうとの気持ちをますますふかめよう］

一觴雖独進、［一つの杯で、独りでやるのだが］

杯尽壺自傾。［杯を飲みほし、いつしか壺を傾けても出なくなる］

日入群動息、［日が沈みゆくと、もろもろの動きが止み］

帰鳥趨林鳴。［鳥はねぐらの林に帰って鳴いている］

嘯傲東軒下、［私は東の軒下で嘯(ひゅう)とも傲(わあ)とも声を出す］

聊復得此生。［そのとき、自分はここに生きているとの実感をどうにか得るのである］

【補足】［（1）最後に置かれた「得此生」［此(こ)の生(せい)を得(え)た］の意味するところは、広くかつ深いのだろう。（2）蘇軾はこの詩に添えた感想を作品番号10-2-043で見ている］

　其の七［蘇軾］

頃者大雪年、［このごろは大雪の年に当たったのか］

海波翻玉英。［海の波のように玉英(ゆき)が翻る］

有士常痛飲、［ここに一人の士がいて、いつも痛飲している］

饑寒見真情。［飢えと寒さに迫られたときにこそ、真の情(こころ)が現れる］

牀頭有敗榼、［枕元に壊れた酒樽がある］

孤坐時一傾。［独りで座って時にちょいと傾ける］

未能平体粟、［（寒さによる）体の粟立ちをすっかりなおせるものではないけれど］

且復澆腸鳴。［腸(はらわた)へと注ぎ込めば、何やら鳴る］

脱衣裹凍酒、［衣をとって凍った酒を包んで温めつつ］

毎酔念此生。［酔い心地になるたびに、この生(せい)について念(おも)うのである］

　其の八［陶淵明］

青鬆在東園、［東の庭に青い松がある］

衆草没其姿。［草が茂っているときは、その姿が見えない］

凝霜殄異類、［霜が凍り付いてほかの草がすっかりしおれてしまうと］

卓然見高枝。［卓然(すっくり)と、高い枝まで松は現れ出る］

連林人不覚、［松が林に連なっているときには、人は何とも思わない］

独樹衆乃奇。［独立した樹であると、人は初めて奇(すごい)と感じる］

提壺撫寒柯、［酒壺を手にさげて、そのひんやりした枝にひっかけてみたり］

遠望時復為。［遠く離れて、眺め直したりする］

吾生夢幻間、［吾が人生は夢か幻のようなもの］

何事紲塵羈。［どうして、塵にまみれて、羈(たづな)につながれようとしたのだろうか］

　其の八［蘇軾］

我坐華堂上、［私は立派な建物の中に座っていても］

不改麋鹿姿。［本来の鹿の姿を改めることができない］

時來蜀岡頭、［時々、蜀(しょく)岡(こう)のあたりにきては］

喜見霜松枝。［霜を帯びた松の枝を見上げるのを喜びとしている］

心知百尺底、［地下百尺の松の根には］

已結千歳奇。［千年を経て生じるすぐれたきのこがすでに付いているのだろう］

煌煌凌霄花、［しかし、煌煌(あかあか)と凌霄花(のうぜんかずら)が］

纏繞復何為。［松にからみついて何事かをしようとしている］

挙觴酹其根、［觴(さかずき)を挙げて松の根にそそぐ］

無事莫相羈。［よからぬことなく、自由であれ］

【補足】［ここでも羈(たづな)から解放された陶(とう)淵(えん)明(めい)と、凌霄花(のうぜんかずら)になおからみつかれている蘇軾の対比は明らかである］

　其の九［陶淵明］

清晨聞叩門、［すがすがしい朝、門を叩くのが聞こえた］

倒裳往自開。［あわてて衣をさかさまにひっかけて、門を開いた］

問子為誰与、［「どなたでしたか」と尋ねると］

田父有好懐。［気のよい農家のおじさんで］

壺漿遠見候、［壺に酒を入れて、遠くから様子を見にきてくれたのだ］

疑我与時乖。［私が時世に背を向けているのをいぶかしく思って］

襤縷茅檐下、［「茅葺屋根の下での襤縷(おんぼろ)の日々は］

未足為高棲。［高尚なお暮らしとはいえますまい］

一世皆尚同、［世間は、みんなが同じようにするのが結構であるとしておるのです］

願君汨其泥。［あなたも、世俗の泥をかぶるのがよいのではありませんかな」］

深感父老言、［「先輩のお言葉に深く感じ入ります］

禀気寡所諧。［それでも、私のもって生まれた性質で、うまく合わせるのが不得手なのです］

紆轡誠可学、［たづなを取り直して、進路を曲げるよう努めるべきなのでしょうが］

違己詎非迷。［自身をいつわるのは、迷いというものなのではないでしょうか］

且共歓此飲、［まあ、それはそれとして、これを飲んで楽しみましょう］

吾駕不可回。［私の車は方向転換がきかないのです」］

【補足】［この詩に添えた蘇軾の感想を作品番号10-2-044で見ている］

　其の九［蘇軾］

芙蓉在秋水、［蓮は秋の水の内にその身を置いて］

時節自闔開。［時節がくれば自ずと花を開く］

清風亦何意、［すがすがしい風は、何を思ったのか］

入我芝蘭懐。［芝(し)蘭(らん)［香り草］を内に抱く我が懐(ふところ)へと入ってきた］

一随采折去、［花［蓮と芝蘭］はひとたび折り取られてしまったならば］

永与江湖乖。［永久に江(こう)湖(こ)［自然］とは縁が切れてしまう］

断糸不復続、［断った茎をつなげることはできないし］

斗水何足棲。［わずか一斗の瓶の水では生きることもできない］

不如玉井蓮、［仙界の蓮が］

結根天池泥。［天上の池の泥に根を結んでいるのにはとても及ばないのである］

感此毎自慰、［このことに感じて、自分で納得するのは］

吾事幸不諧。［世間とうまく合わせられないのは、実は悪いことではなかったのだ］

酔中有帰路、［酔えば、そこには（江湖への）帰り路がある

了了初不迷。［了(あり)了(あり)として初めから迷うことはないのだ］

乗流且復逝、［流れに乗って進んで、さらにまた進めばよい］

抵曲吾当回。［もしも曲がりに当たったなら、私は回るのである］

【補足】［ここでも陶(とう)淵(えん)明(めい)と蘇軾の違いを見てとることができる。陶淵明は我が道を定めたならば真っすぐに進み、蘇軾は柔軟に回りながら進むのを我が道であるとしている］

　其の十［陶淵明］

在昔曽遠遊、［もう昔のことだ］

直至東海隅。［遠く旅して、東(とう)海(かい)の地のすみにまで行った］

道路迥且長、［道のりは遥かに長く］

風波阻中塗。［途中で、風と波とによって阻まれもした］

此行誰使然、［このときの行動は、誰かに指示されたというよりは］

似為飢所駆。［飢えに駆り立てられたようなものであった］

傾身営一飽、［しかし、全力を挙げて、とにかく食う分を稼ぐのだったら］

少許便有余。［わずかなものなのだから、むしろ余るくらいだろう］

恐此非名計、［旅するのはよい算段ではなかったと気づき］

息駕帰間居。［ここの閑居に帰ったのだった］

【補足】［これは陶(とう)淵(えん)明(めい)が35歳のときに、ある軍事行動に参加したことを回顧したものであるという］

　其の十［蘇軾］

籃輿兀酔守、［籃輿(かご)のうえの知事殿は兀(へべれけ)に酔っておられる］

路転古城隅。［古い町の隅まできて路は曲がる］

酒力如過雨、［酒の力は通り雨のようなもの］

清風消半途。［すずしい風が吹いてくると、まだ途中なのにさめてしまう］

前山正可数、［前には山々――くっきりと見えている］

後騎且勿駆。［後ろには警護の者――急いでこなくてよいぞ］

我縁在東南、［知事殿との深い縁(えにし)は東南にある］

往寄白髮余。［白髪の残りの人生を寄せるのはそこなのだ］

遙知万松嶺、［遥かに想うのは、万(ばん)松(しょう)嶺(れい)の下］

下有三畝居。［三畝(ぽ)の我が住まいがそこにある］

　其の十一［陶淵明］

顔生称為仁、［（孔(こう)子(し)の弟子の）顔(がん)回(かい)は仁を実践していると称えられ］

栄公言有道。［栄(えい)啓(けい)期(き)は道を会得したといわれた］

屡空不獲年、［顔回は獲るものがないままに若くして死んだ］

長飢至於老。［栄啓期はいつも飢えていて、そのまま老人になった］

雖留身後名、［二人は亡くなった後に、その名を残したけれども］

一生亦枯槁。［その一生は枯れてしなびたものであった］

死去何所知、［死んでからのことは知りようがない］

称心固為好。［生きている間に、心にかなう生き方をするのがもとよりよいのだ］

客養千金躯、［千金の価値があるという身体に、我等は客人として宿り］

臨化消其宝。［死人に化すときに、その宝を消し去る］

裸葬何必悪、［ならば、裸で葬られたところで、悪くはないのだ］

人当解意表。［表面的な意味しかないと、人はわかるべきだ］

【補足】［（1）陶(とう)淵(えん)明(めい)は時に唯物論的なものの見方を提示する。この詩では、死んでから名を残しても意味がない、屍などは裸のまま葬っても構わないと、中国の伝統的な価値観をひっくり返すようなことを歌っている。（2）栄(えい)啓(けい)期(き)はすでにこの連作の第二首で見ている。（3）この詩に添えた蘇軾の感想を作品番号10-2-045、10-2-046で見ている］

　其の十一［蘇軾］

民労吏無�ｺ、［民衆が疲労しているのは、吏(やくにん)に徳がないとき］

歳美天有道。［歳(としのみのり)が美(ゆたか)なのは、天に道(みち)がある［自然の運行が正しく行われている］とき］

暑雨避麦秋、［天に道があるなら――夏の雨は、麦は稔るのを避けて降り］

温風送蠶老。［暖かい風は、蚕の成長を促すようにして吹く］

三咽初有聞、［吏(やくにん)に徳がないなら――民が三回咽び泣いて初めてお上に聞こえ］

一漑未濡槁。［水を注ごうとしても、乾いた土を潤すことができない］

詔書�ｪ積欠、［積(せき)欠(けん)を寛(ゆる)くせよとの証書が降され］

父老顔色好。［人々の顔色がにわかによくなり］

再拝賀吾君、［再拝して、吾等の知事殿に賀意を表す］

獲此不貪宝。［これぞ貪らずして得た我が宝である］

頽然笑阮籍、［世間を白眼視してばかりいた阮(げん)籍(せき)を笑いながら］

酔幾書謝表。［喜びに酔いつつ、皇帝への謝礼の文書を記すのである］

【補足】［政治の世界において何らかの足跡を残したかどうか、それは陶(とう)淵(えん)明(めい)と蘇軾で大きな相違がある］

　其の十二［陶淵明］

長公曽一仕、［前(ぜん)漢(かん)の張(ちょう)摯(し)はかつて一度は官職に就いた］

壮節忽失時。［これからというときに時流に合わなくて失脚した］

杜門不復出、［もはや門を閉ざして出ることはなく］

終身与世辞。［終生、世間とは決別したのだった］

仲理帰大沢、［後(ご)漢(かん)の楊(やう)倫(りん)は仕えたものの、沼沢地に引っ込んで弟子を指導し］

高風始在茲。［それで初めて気高い学風が確かなものとなったのだった］

一往便当已、［ひとたび進んだとしても、きっぱりと止めるのがよく］

何為復狐疑。［ぐずぐずしてはならないのだ］

去去当奚道、［さっと去ってからはいずれの道をとるのか］

世俗久相欺。［世俗には欺かれると決まっているのだが］

擺落悠悠談、［遠く惑わせるような議論を払い落して］

請従余所之。［自分が行こうとするところへと行けばよいのだ］

【補足】［陶(とう)淵(えん)明(めい)はここでも信念の堅さを歌っている。陶淵明も若いころは偉大な曽祖父の陶(とう)侃(かん)［→作品番号06-1-101］のようになりたいと思っていたようだが、政治の世界とは決別したのだった］

　其の十二［蘇軾］

我夢入小学、［私は夢で、寺子屋へと入って行った］

自謂総角時。［自分は総角(しょうねん)だと思い込んで］

不謂有白髮、［白髪の老人であるのをすっかり忘れ］

猶誦論語辞。［論(ろん)語(ご)の辞(ことば)をこどもたちと声高く読み上げた］

人間本児戯、［人間界のことは、所詮このような子供の戯れなのだ］

顛倒略似茲。［だいたいが夢に似て、顛倒(あべこべ)のことばかりだ］

惟有酔時真、［ただ酔っているときにだけが真(まこと)であって］

空洞了無疑。［空洞の精神こそが疑いようのないものなのだ］

墜車終無傷、［酔っ払いは車から落ちても決して傷つかないと］

荘叟不吾欺。［荘(そう)子(し)がいったのは、まさにその通りなのである］

呼児具紙筆、［そこで、息子を呼んで紙と筆を具えさせ］

酔語輒録之。［酔ってしゃべったことをそのまま書かせておくことにした］

【補足】［この寺小屋で蘇軾は4人のスーパースターの名を聞き、政治の世界で飛翔することを目指すようになったのだった］

　其の十三［陶淵明］

有客常同止、［ここに一士と一夫、いつも同じところにいる］

取捨邈異境。［取るものと捨てるものの境目は、二人でひどく異なっている］

一士常独酔、［一士はいつも独りで酔っている］

一夫終年醒。［一夫はいつも醒めている］

醒酔還相笑、［醒めた者と酔った者は、相手をあざ笑っている］

発言各不領。［言葉を発しても、それぞれ理解しない］

規規一何愚、［醒めて規(がち)規(がち)の方はなんとも愚かであり］

兀傲差若穎。［酔って兀傲(ぱっぱらぱあ)の方はいささかましであるようだ］

寄言酣中客、［すっかりできあがってしまった人にいいたいことがある］

日没燭当秉。［日が暮れたら、明かりをつけて、まだこれからさ］

【補足】［「一士」と「一夫」はともに陶(とう)淵(えん)明(めい)自身のことであろうか］

　其の十三［蘇軾］

酔中雖可楽、［酔いの中では楽しむべきであるけれど］

猶是生滅境。［それとて、生成消滅の境界から逃れられるわけではない］

云何得此身、［どのようにしたら、この身を、酔ってもいなければ］

不酔亦不醒。［醒めてもいないというところに置けるのだろうか］

癡如景升牛、［私の愚かさは、食らうのは千頭分、働きは一頭分以下というたわけ牛に同じ］

莫保尻与領。［やはり、尻と頭はばらばらにされてしまうのだ］

點如東郭▲、［あの連中のずる賢さは、悪さを尽くした例の兎のようであるが］

束縛作毛穎。［やはり、捕まって毛をむりしり取られて筆にされてしまのがオチなのだ］

乃知嵇叔夜、［知恵のある人はさすがに違っていて］

非坐虎文炳。［いかなる動物にも似るまいと、虎柄の敷物に座るのも避けたのだった］

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　［▲は�氈{兔という字］

　其の十四［陶淵明］

故人賞我趣、［ふるくからの知り合いが私の趣(ありよう)がよいとして］

挈壺相与至。［酒壺をひっさげてそろってやってきた］

班荊坐松下、［松の下に草を敷いて座り］

数斟已復酔。［酒をちょいと酌み出すと、もう酔ってしまう］

父老雜雜言、［老人連中のおしゃべりはとりとめもなく］

觴酌失行次。［飲む作法やら順番やらもでたらめだ］

不覚知有我、［もはやわからない――自分がここにあることさえも］

安知物為貴。［ましてわかりようがない――世間が何を貴いとしているかなどは］

悠悠迷所留、［悠悠(ちょこまか)やっている者は、どこで留まったらよいのか迷っているだけのこと］

酒中有深味。［深い味わいはほかならぬ酒の中にあるのだ］

【補足】［先の第十三首と合わせて、言葉ないし論理を使ったコミュニケーションの限界と、それを超え得る何かについて考察しているようだ］

　其の十四［蘇軾］

我家小馮君、［我が弟ながら、漢(かん)代(だい)のさる賢人になぞらえてもよいであろう］

天性頗純至。［天与の性質はすこぶる純粋である］

清坐不飲酒、［静かに座って、酒を飲まない］

而能容我酔。［兄が酔うのにははなはだ寛容である］

帰休要相依、［故郷に帰って休むのは兄弟一緒であるのがよいにしても］

謝病当以次。［病を理由に退くのは、やはり順序として兄が先であるべきだろう］

豈知山林士、［山林に隠れるような士(ひと)は］

骯髒乃爾貴。［そもそも骯髒(ごっつい)のが貴ばれるというのは、弟もよく知っているはずだ］

乞身當念早、［身の自由を乞うのは早い方がよいと心得るべきで］

過是恐少味。［しかるべき時を過ぎてしまうと、味わいが少なくなってしまうのである］

　其の十五［陶淵明］

貧居乏人工、［貧しい住まいには人の工(たくみ)がほとんど加えられていない］

灌木荒余宅。［それで木々によっておおわれてしまっている］

班班有翔鳥、［飛ぶ鳥の姿は班(あり)班(あり)と見え］

寂寂無行跡。［人の足跡は寂寂(ひっそり)として何もない］

宇宙一何悠、［宇宙は何とも遥かな存在であるのに］

人生少至百。［人生はわずかに百年、それさえもまれである］

歳月相催逼、［歳月にいつも急き立てられ］

鬢邊早已白。［髪の毛は早々と白くなる］

若不委窮達、［窮(きゅう)か達(たつ)か、なるがままでよいとしないのなら］

素抱深可惜。［もとから抱いている志を、深く残念がらなければならなくなるだろう］

【補足】［陶(とう)淵(えん)明(めい)の「素(そ)抱(ほう)」とは何であったのだろうか］

　其の十五［蘇軾］

去郷三十年、［郷里を去って三十年］

風雨荒旧宅。［旧い家は風雨によって荒れてしまっただろう］

惟存一束書、［ただ一束の書物だけを持って］

寄食無定跡。［あちこちで食い扶持を得てきた］

毎用愧淵明、［いつもいつも陶(とう)淵(えん)明(めい)に対して恥じてきたのは］

尚取禾三百。［身の程知らずにも俸給を得ていることだ］

頎然六男子、［我等兄弟二人には、背の高い六人の息子がいて］

粗可伝清白。［清く正しくあるべきとすることだけは、ほぼ伝えられている］

於吾豈不多、［私にはそれで十分であって］

何事復嘆息。［嘆息するようなことは何もないのである］

　其の十六［陶淵明］

少年罕人事、［若いころは人と関わることがまれで］

遊好在六経。［六(りく)経(けい)［儒学の古典］を読むのを楽しみとしていた］

行行向不惑、［いつしか四十歳となるところにまできたというのに］

淹留遂無成。［ぐずぐずと留まって、何も成就したものはない］

竟抱固窮節、［ついには「固(こ)窮(きゅう)の節(せつ)」を抱いて］

飢寒飽所更。［飢えや寒さをたっぷり経験するありさまとなった］

敝廬交悲風、［あばら家に悲しい風が吹き過ぎて行き］

荒草没前庭。［前の庭は繁る草に埋もれてしまっている］

披褐守長夜、［粗末な衣類を着て長い夜をじっと過ごしていると］

晨鶏不肯鳴。［夜明けを告げる鶏はなかなか鳴いてくれない］

孟公不在茲、［かの孟(もう)公(こう)［後(ご)漢(かん)の劉(りゅう)龔(きょう)］は貧乏な人の本当の才能を理解していた］

終以翳吾情。［そのような具眼の士がここにいないということが、私の心をずっと曇らせている］

【補足】［（1）この詩で、陶(とう)淵(えん)明(めい)は四十［不(ふ)惑(わく)］になろうとしていると詠んでいる。それはまだ最終的に退隠する前で、そのころは陶淵明は深い悩みの内にあったのだ。『飲酒』の連作はいろいろな時期に詠んだ詩を再構成したものであるとされている。（2）「固(こ)窮(きゅう)の節(せつ)」はすでに第二首で見ている］

　其の十六［蘇軾］

嘵嘵六男子、［六人の男の子が嘵嘵(がやがや)と］

絃誦各一経。［それぞれに経典を音読している］

復生五丈夫、［この六人が五人ずつ男子を生んだなら］

戢戢丁欲成。［戢戢(あとからあとから) 成人になってゆくことだろう］

帰田了門戸、［我等が帰郷しても、我が門戸はかくも盛んであるのだから］

与国充踐更。［国のために兵役に就く者を出してゆけるであろう］

普児初学語、［普(ふ)児(じ)［蘇(そ)邁(まい)の子の幼名］は言葉を学び始めたばかり］

玉骨開天庭。［額の広いところはなかなかよい顔つきである］

淮老如鶴雛、［淮(わい)老(ろう)［同じく蘇邁の子］は鶴の雛のように］

破殼已長鳴。［殻を破って力強く鳴いたところである］

挙酒属千里、［酒を取って、千里の彼方の者［弟と蘇邁］に向かって挙げるとしよう］

一歓愧凡情。［この歓びがいささか平凡すぎるのを恥じらいつつも］

　其の十七［陶淵明］

幽蘭生前庭、［前の庭に幽(ひそやか)な蘭が生まれた］

含�梠ﾒ清風。［内に薫りを含んで、すがすがしい風が吹くのを待っている］

清風脱然至、［すがすがしい風が脱然(さっ)と吹いてくると］

見別蕭艾中。［蕭艾(ざっそう)の中から、花を開いてその姿を見せる］

行行失故路、［進み行くうちにもとの路を失うことがあっても］

任道或能通。［道(みち)［自然の成り行き］に任せるなら、あるいは通じるであろう］

覚悟当念遷、［覚(さ)め悟って遷(かえ)ることを念(おも)うべきである］

鳥尽廃良弓。［良い弓も鳥を獲り尽くしたなら廃(す)てられてしまうのだ］

【補足】［前半の蘭の譬えと後半とのつながりがしっくりこない。蘭が風を受けて薫りを発するように、時がきたならば帰るのがよいということなのだろうか。それとも、たとえひとたび花開いても、必要がなくなった弓のように捨てられてしまうということなのだろうか］

　其の十七［蘇軾］

淮海雖故楚、［淮(わい)海(かい)［揚(よう)州］は古(いにしえ)の楚(そ)の土地である］

無復軽揚風。［軽薄といわれた風俗はいまやなく］

齋廚聖賢雜、［官舎の厨房には聖人［実は清酒のこと］も賢人［実は濁り酒］もごまんといる］

無事時一中。［何事もないときは、知事殿はたっぷりそのお相手をする］

誰言大道遠、［大(だい)道(どう)［正しい政道］は遠くにあると誰がいうのか］

正頼三杯通。［たった三杯でそこに通じるではないか］

使君不夕坐、［知事殿は夕方にはもう役所に座っていないから］

衙門散刀弓。［警護の者も刀や弓を放り投げてしまう］

【補足】［蘇軾は時折この種の単純な悪ふざけをするのだが、陶(とう)淵(えん)明(めい)の作品にはほとんど見られない］

　其の十八［陶淵明］

子雲性嗜酒、［漢(かん)代(だい)の揚(よう)雄(ゆう)は生まれながらの酒好き］

家貧無由得。［家が貧しく、酒を得ることができなかった］

時頼好事人、［時にうまい具合に、もの好きな人が］

載醪祛所惑。［疑問を解決するために、濁り酒を車に載せてやってくることがあった］

觴来為之尽、［揚雄は、觴(さかずき)をさされれば飲みほし］

是諮無不塞。［来た人は、問えばすっかり答えてもらえる］

有時不肯言、［しかし、決してものをいわないときもあったという］

豈不在伐国。［それはきっと、よその国を攻めることであったのだろう］

仁者用其心、［仁を規範とする人は、慎重に心を用いるので］

何嘗失顕黙。［沈黙すべきところを間違えるようなことはない］

　其の十八［蘇軾］

何人築東台、［（揚(よう)州に）東(とう)台(だい)を築いたのは誰だったのか］

一郡坐可得。［座ったまま一郡全体を見渡すことができる］

亭亭古浮図、［亭(たか)亭(だか)と古い仏塔が］

独立表衆惑。［独り抜きん出て立っているのは、衆人の惑いを象徴するものである］

蕪城閲興廃、［蕪(ぶ)城(じょう)［揚州］はこれまで世の興廃を見てきた］

雷塘幾開塞。［雷(らい)塘(とう)の堤は幾度も開かれたり塞がれたりしてきた］

明年起華堂、［来年あたりは立派な建物を作って］

置酒弔亡国。［そこに酒を置いて、これまでに亡んだ国を弔おうではないか］

無令竹西路、［かの竹(ちく)西(せい)の路(みち)がいまのように］

歌吹久寂黙。［かつての賑やかさを失ったままではないようにしたいものだ］

　其の十九［陶淵明］

疇昔苦長飢、［先ごろは長く飢えに苦しみ］

投耒去学仕。［鋤(すき)を投げ捨てて村を出て、お上に仕えたのだった］

将養不得節、［生活のためではあっても、我が気性には合わないことであった］

凍餒固纏己。［凍えたり飢えたりすることは、どうせもとより己にまとわりついているのだ］

是時向立年、［このときは三十歳になろうとしていて］

志意多所恥。［志し意(おも)うことと異なって、恥じるところが多かった］

遂尽介然分、［とうとう突っ張った己の本分のままにしようと］

払衣帰田里。［衣を払って郷里の田園に帰ったのだった］

冉冉星気流、［冉冉(さらさら)と星の気が流れ］

亭亭復一紀。［亭亭(ゆるゆる)と十二年が過ぎ去った］

世路廓悠悠、［世間の路は遥かに広がっている］

楊朱所以止。［古(いにしえ)の楊(よう)朱(しゅ)は、だから立ち止まって泣いたのだった］

雖無揮金事、［漢(かん)代(だい)の疏(そ)広(こう)と疏(そ)受(じゅ)のように郷里の人々にふるまう金はない］

濁酒聊可恃。［せめてこの濁り酒があることを頼みとするのである］

【補足】［（1）ここで陶(とう)淵(えん)明(めい)は29歳のときの最初の仕官について歌っている。その後、35歳のとき［第十首にそのことが歌われている］と、そして41歳のときに仕官し、最終的に42歳で帰郷した。（2）漢(かん)代(だい)の疏(そ)広(こう)と疏(そ)受(じゅ)が早々と退隠して大いに散財したことは、蘇軾も好んで引く故事である［→作品番号05-1-003など］］。

　其十九［蘇軾］

晁子天麒麟、［晁(ちょう)補(ほ)之(し)君は天から下った麒(き)麟(りん)であって］

結交及未仕。［私と交わりを結んだのはまだ仕官する前であった］

高才固難及、［高い才能はもとより私の及ぶところではない］

雅志或類己。［風雅の志はあるいは私と似ているのかもしれない］

各懐伯業能、［我等は魏(ぎ)の曹(そう)操(そう)が讃えた袁(えん)伯(はく)業(ぎょう)の才能を懐(おも)い］

共有丘明恥。［孔(こう)子(し)の恥じることを自分も恥じたいといった左(さ)丘(きゅう)明(めい)と思いを同じくしようとしている］

歌呼時就君、［時に歌って貴君を呼んで］

指我酔郷里。［我が酔郷の里へ行こうと指さす］

呉公門下客、［漢(かん)代(だい)の呉(ご)公(こう)の門下に集まった客人の中から］

賈誼独見紀。［賈(か)誼(ぎ)だけが特に推薦された［晁補之を推挙したいとの意味］］

請作鵩鳥賦、［貴君も、賈誼の『鵩鳥(みみずく)の賦』のように己の思いを述べるがよいだろう］

我亦得坎止。［私もまたそれによって止まるところを知ることができるだろう］

行楽当及時、［ともあれ、行楽の時期は逃してはならないのだ］

�埼尓s可恃。［黒髪も当てにならないのだから］

　其の二十［陶淵明］

羲農去我久、［我等は、太古の伏(ふく)羲(ぎ)、神(しん)農(のう)の時代から遥かに離れてしまい］

挙世少復真。［世の中において、真(まこと)の姿に戻ろうとすることはほとんどなくなった］

汲汲魯中叟、［魯(ろ)の国のご老人［孔(こう)子(し)のこと］だけが汲汲(せっせ)と］

弥縫使其淳。［つくろって淳朴な世に返そうとした］

鳳鳥雖不至、［太平の世に出現するという鳳(おおとり)は飛んでこなかったものの］

礼楽暫得新。［礼(れい)楽(がく)はしばし新しくなったのだった］

洙泗輟微響、［しかし、そのささやかな響きさえも聞こえなくなり］

漂流逮狂秦。［時代は漂流して、狂暴な秦(しん)の世に至った］

詩書復何罪、［詩書には何の罪もないのに］

一朝成灰塵。［たちまち燃やされて灰塵になってしまった］

区区諸老翁、［区区(こせこせ)した漢(かん)代(だい)の老先生たちは］

為事誠殷勤。［学問をまことに御丁寧に行ったのだったが］

如何絶世下、［それとて、こうした末世においてはどうにもならず］

六籍無一親。［六(りく)経(けい)に親しむ人はまるでいなくなってしまったのだった］

終日馳車走、［年がら年中、車を走らせて世に出る糸口を得ようとする者ばかりがいて］

不見所問津。［真(まこと)に立ち返るための津(わたしば)の場所を問う者は絶えて見ないのである］

若復不快飲、［となると、さっさっと飲むしかなくて］

空負頭上巾。［濁り酒を漉すためにかぶっている頭巾を使わない手はないのだ］

但恨多謬誤、［残念ながら、ここまで並べてきたのは多くは誤りであろう］

君当恕酔人。［酔っ払いの世(よ)迷(まよ)い言(ごと)として、どうかお許しあれ］

【補足】［（1）前半には、理想の時代は太古にあって、孔(こう)子(し)がそこに戻そうと学問を復興させたものの秦(しん)の乱れに至り、漢(かん)代(だい)に儒学を顧みる動きはあったが大きな力にはならなかったという歴史認識が歌われている。蘇軾もその認識を共有して、（陶(とう)淵(えん)明(めい)よりずっと後に）韓(かん)愈(ゆ)が現れてようやく正しい道に立ち返る気運が生まれたと、繰り返し述べている。（2）最後の2句はこの連作全体の結びという位置づけであろう。（3）この詩に添えた蘇軾の感想を作品番号10-2-047、10-2-048で見ている］

　其の二十［蘇軾］

蓋公偶談道、［蓋(こう)公(こう)が老(ろう)荘(そう)の道(みち)を論じたとき］

斉相独適真。［斉(せい)の大臣であった曹(そう)参(さん)だけがその真の意味を理解した］

頽然不事事、［曹参は頽然(ぐんにゃり)として仕事はせずに］

客至先飲醇。［客人がくるととにかく酒を飲んだのだった］

当時劉項罷、［このときは劉(りゅう)邦(ほう)と項(こう)羽(う)の争いが終わったばかりで］

四海創痍新。［天下の傷跡がまだ生々しかった］

三杯洗戦国、［曹参は、いわば三杯で戦国の乱れを洗い流し］

一斗銷強秦。［一斗で強敵の秦(しん)を消し去ったのである］

寂寥千載後、［それから千年の間は寂しいことに人がなく］

陽公嗣前塵。［唐(とう)の時代に陽(よう)城(じょう)がいて曹参を受け継いだのだった］

酔臥客懐中、［酔って客人の懐(ふところ)の中で眠り］

言笑徒多勤。［話したり笑ったりするのは面倒だと、酔いつぶれるのをよしとした］

我時閲旧史、［私は昔の歴史書を見て］

独与三人親。［この三人を特別に親しく感じていた］

未暇餐脱粟、［だから私はこれまで、粗食に甘んじて］

苦心学平津。［津(わたしば)の場所を問う学問に苦心する、ということをしてこなかった］

草書亦何用、［草書というものも、さて何の用いるところがあるのか］

酔墨淋衣巾。［酔いに任せて書いて、衣を汚すだけではないか］

一揮三十幅、［一気に三十枚だろうが書き上げて］

持去聴坐人。［そこに座っている人に勝手に持ち去らせよう］

【補足】［（1）陶(とう)淵(えん)明(めい)が真面目に儒学の伝統について歌っているので、蘇軾は敢えて飲酒礼賛の戯れの作を最後に置いたのだろう。（2）全体として、陶淵明の詩には独特の凄みのようなものがあるのに対して、蘇軾の詩は次韻の制約にまだひきずられて生硬がところがあり、どことなく物足りなさがある。陶淵明の詩に和すことを重ねてゆくにつれ、蘇軾固有の深みを増してゆくのを、次章以降に見るであろう］