第10章 暴風雨の前の変転――都、潁州、揚州、定州
［第10章その二］
元祐7年［1092年］、蘇軾57歳。
■【10-2-001】次韻趙徳麟雪中惜梅且餉柑酒三首
【解題】趙令畤［字は徳麟］［→作品番号10-1-108］から、「雪の中の梅を惜しむ」という詩と、柑酒［先に見た「洞庭春色」であろう］［→作品番号10-1-096］が贈られてきたので、次韻した。3首のうち2首を訳す。
【訳文】
其の一
千の花々は、梅の脇役として出てくるのをよしとしなかったので、
荒っぽいことに、
雪でもって梅の花を摧き尽くしてしまおうとした。
寝床で、秋の嵐のような雨だれの音を聞いたのは、
散った花びらを、春の風が掃除しようとしていたのだった。
其の二
梅の花が咲くと、
仙界の宮殿の扉に千の花が映えるありさまを思い起こさせる。
人間世界に、まずこの花だけが咲いたときに、
霙は桃や李の方を先に立たせたいと思ってしまった。
それで、梅を散らして、
千の林に花を咲かせるよう荒っぽく迫ったのだった。
■【10-2-002】和陳伝道雪中観燈
【解題】陳師道［→作品番号10-1-108］の兄の陳師仲［字は伝道］［→作品番号09-1-002］が潁州に来て、1月15日の上元の節に雪の中で燈篭見物をして詩を詠み、蘇軾がそれに和した。
【訳文】
自分には新年の楽しみも特にないと、門を閉じ、
香を焚いて、一人の病んだ僧のように籠っていた。
貴君との別れの酒を傾けるのはまだまだ早すぎる。
しばしここで、愁いを晴らしてくれる燈篭をともに見ようではないか。
新亭の近くでは潁水の魚がよく釣れるし、
西湖の雪が消えるころには、華やかに飾った船が昇ってくる。
楽しい日々がこれからというときに、
酒を酌み交わす相手がいないのでは困るのだ。
ふだんは、貴君の弟もまずまずの詩を詠むので、
それでよしとしてはいるのだが。
■【10-2-003】跋勾信道郎中集朝賢書夾頌金剛経
【解題】かつて勾信道という人が、当時の朝廷の人々が書いた『夾頌金剛経』を集めた書巻を作り、蘇軾はそれに跋文を記した。
【訳文】
乙巳の歳から今に至るまで二十八年、この経を書いたのは三十二人、そのほぼ三分の二はすでに亡くなっている。夢幻の喩えは虚言ではない。ただ仏の教えに向かって帰ろうとする一念の善は永い年月を経ても壊れることはなく、どこでもいつでもそれを善き友とするのである。
元祐七年正月二十二日。
【補足】［乙巳の歳とは治平2年［1065年］で、そのとき蘇軾は30歳で、その年の2月に鳳翔から都に帰還した。付け加えると、趙令畤が生まれたのはその前の年であった］
■【10-2-004】乞将合転一官与李直方酬獎状
【解題】作品番号10-1-107に、「尹遇、陳興、鄭饒、李松等数人の悪い賊がいて、……破って捕縛いたしました」との記述があった。そのなかで最も悪辣なのが尹遇で、それを捕らえたのは李直方という汝陰県の役人だった。蘇軾は、盗賊を捕らえた褒賞として李直方に官位を与えるよう朝廷に願った。
【訳文】
元祐七年正月某日、竜図閣学士左朝奉郎知潁州の蘇軾は書状をもって奏上いたします。
臣が着任すると、本州ではかねてより悪い賊が出て、元祐二三年のころに、管三等が衆を集めて寇をしたと聞きました。それ以来、陳欽、鄒立、尹栄、尹遇等が群れをなして、人々を脅かして殺すなどし、盗賊を捕らえようとする官吏の敵となって戦ってきました。このときに、朝廷はこれら数人を捕らえるよう命じ、順次捕獲して処刑したのですが、ただ尹遇一人を漏らしてしまいました。尹遇は前非を改めず、陳欽の弟の陳興や鄭饒、李松等数人を集め、人々を脅かし続けました。尹遇は大大王を自称し、陳興は二大王、鄭饒は僥三、李松は管四と称し、村々は畏れるあまり黙っているしかなく、たとえ脅かされ殺されても、官に申し出ず、殺されてしまった者の父母や妻子は声を潜め、泣き悲しむことさえできないありさまでした。蔡貴、莫諲、董安の三人がたまたま尹遇等について話をしただけで、二人は即座に殺され、董安は尖刀で脚の筋を切断されてしまったのでした。そのほかにも数多くの者が頭髮をはぎ取られたり傷つけられたりしました。賊は襲撃のたびに鉄を貼った紙の甲を用い、武器を十分に具え、盗賊を捕らえる役人たちと戦って、弓手［捕り手］も一発で射殺してしまうのでした。
さらに、近頃では寿州のあたりでも手強い賊が非常に増え、魏氏、謝解元、施助教等の家を襲撃し、いずれも十人から二十人で、白昼でも町中を平然と馬で乗りまわして人々を脅かしました。尹遇等はそれを聞くと、その連中と呼応することを相談しようとし、人々は憂い懼れました。臣は事態が切迫していると判断し、盗賊を捕らえる役人を監督する者を派遣して、期限を切って捕らえるよう命じました。
ここに汝陰県の役人である李直方は、もとより才幹があり、自ら家財を出して人を募って情報を集め、ついに賊の隠れ場所を突き止めたのでした。陳興、鄭饒、李松等は寿州霍丘県開順場に、尹遇一人は陳興等と離れること二百里余りの寿州霍丘県成家歩にいました。李直方は賊の中でも尹遇が最も悪賢くて捕らえるのが難しいと考え、その隠れ場所が州域から最も遠いこともあって、自ら弓手を率いて賊を捕らえに行くことにしました。李直方が指揮する弓手は五人で、ただちに成家歩に向かい、ついに尹遇を捕らえて殺したのでした。
李直方には九十六歳の母がいて、息子が一人だけいます。李直方が発つに当たって、母と子は泣いて別れました。往復は五百里余り、乗っていた一頭の馬が死んだだめに李直方は百里余りを歩き、牛を売る商人に扮してその地に入ったのでした。皆は畏れて前進しなかったのですが、弓手の節級と程玉の二人が槍を手に大声で叫びつつ、李直方とともに戸を押し破って入りました。尹遇は驚いて起ち、弓を取って矢を放とうとしましたが、李直方が進んで自ら刺して倒しました。そこにほかの弓手も続いて突入したのでした。
李直方はもともと弓手を手分けして衆賊を捕らえようとし、陳興、鄭饒、李松の三人は近いところにいたので先に捕らえ、尹遇一名だけが遠くにいて捕らえるのが難しいために李直方が自ら行き、九日遅れて獲たのでした。賊が捕らえられたことで遠近の人々は喜んだのでした。
……［以下、李直方の功績を称え、法の定めるところを勘案して、特に官位を与えることを朝廷に願い出る］……
臣が憂慮しますのは、今後妄りに報奨を願い出るような事例が続出するのを恐れて、朝廷がここで新たな恩例を作るのを惜しむことであります。臣は法に基づくところを検討して、朝散郎の官位［正七品］を与えるのが適切であると考え、そのようになることを願うものであります。この恩例を李直方に与えるならば、今後の酬獎のあるべき方向を指し示すものとなるでありましょう。李直方には九十歳余りの母がいて、子が一人いるだけで、臣に迫られて母子は泣いて別れて家を出たのでした。もしも万一李直方が賊に害され、老母が身の拠り所を失っていたならば、臣としてはもはや他の役人たちに合わせる顔がないところでした。ここに李直方に一官が与えられるならば、その労に対して少ないながらも酬いとなりますし、臣が人を使うときに実のない空言をいったとされずにすむようになって、それは臣において莫大な幸いでありますとともに、後の人にとってもよい例となりましょう。どうぞ、朝廷のためにも施行してくださるよう願うものであります。……
【補足】［蘇軾は李直方の勇敢な行動が報われるよう朝廷に働きかけ、一度ですんなり認められないのは覚悟の上で、それを再三繰り返した。しかし、後に見るように、結局のところ却下されてしまった。旧い中国の官僚制度は、現場で働く中級、下級の役人に対してはかなり冷淡で、抜きん出た功績を挙げても報われることは少なかった。蘇軾は李直方だけを特別扱いしたかったのではく、命を賭して盗賊を捕らえても特段の報酬もないのならば盗賊の跋扈を防げなくなることを恐れて、よき前例を作りたかったのである。もしも朝廷とそれを支える高級官僚が己の利を謀ることだけに熱心で、民衆の疲弊に対しても、下級役人の労苦に対しても無関心であったならば、正義はむしろ反乱を起こす盗賊の方にあると見なさざるを得なくなるだろう。北宋の末期には民衆反乱が数限りなく生じ、人々の直接の憎しみは知事クラスの地方官僚に向けられ、真っ先に血祭りにあげられた。一歩間違えれば、このときに捕らえられた尹遇が英雄となって、蘇軾が惨殺されたかもしれないのである］
■【10-2-005】減字木蘭花
【解題】この詞は、趙令畤の随筆『侯鯖録』［→作品番号10-1-108］に以下のような文章とともに記されている。
【訳文】
趙令畤：『侯鯖録』より
元祐七年正月、東坡先生は汝陰［潁州］にいた。庁舎の前に梅の花が大きく開き、晴れ上がって月の光が鮮やかであった。
先生の王夫人がいった。
「春の月の色は秋の月の色よりも勝りましょうか。秋の月は人を寂しくさせますが、春の月は人を和やかに悦ばせます。趙徳麟様や皆さまを呼んで、花の下でお飲みになってはいかがでしょうか」
先生は大いに喜んでいった。
「君が詩を詠むとは知らなかった。いまの『春月色勝如秋月色、秋月令人慘悽、春月令人和悦』［春の月の色は秋の月の色に勝り、秋の月は人を惨悽たらしめ、春の月は人を和悦させる］などは、まことに詩家の語ではないか」
それで私たちが呼ばれて飲むことになった。
先生は『減字木蘭花』の音律を用いて、王夫人の語をもとに詞を詠んだ。
搖蕩香醪光欲舞。［ゆらゆらと酒のように香り、光は舞い出すかのよう］
歩転回廊。［回廊を歩み行くと］
半落梅花婉娩香。［梅の花が落ちかかって婉娩に香ります］
軽雲薄霧。［軽やかな雲、薄い霧］
総是少年行楽処。［すべてが若い人の遊びによろしいのです］
不似秋光。［秋の光とは違います］
只与離人照断腸。［それでも、故郷を離れて悲しみに沈む者も照らしてくれるのです］
【補足】［先の年末の記事とともに、蘇軾の妻の王閏之の肉声を伝える貴重な記録である］
■【10-2-006】祭仏陀波利祝文
【解題】潁州の汝陰県には西方からきた仏陀波利という僧を葬った寺があった。蘇軾は仏陀波利に雨を願うこの文を書き、趙令畤が代理でその寺に行って祈った。依然として旱魃の恐れは消えていなかった。
【訳文】
せっかく積もっていた雪が消え、天候はまた具合が悪くなり、憐れな庶民は饑寒に倒れつつあり、草木や昆虫に至るまで全てが虐げられています。人々は雨を望んであちらこちらで祈っていますが、いまだに報われておりません。雨が降るか晴れるかは定めがあって、神仏といえども自由にできるものではないのでしょうが、我等の大士［仏陀波利］は仏法を修め、つまらないものたちの数には入らないのでありますから、大士の大解脱力をもって衆生のためにからりとした明るさを開く不可思議の事をなされるであろうと思っております。二月の晦に至るまで雨雪がなければ、衆人は飢えに倒れてしまいます。心の底より願って、この大布施を行います。大士よ、我らの願いをどうかどうか念ってくださいますように。
■【06-1-007】与王元直
【解題】郷里の王箴［字は元直］に宛てた手紙。王箴がかつて蘇軾に会うために杭州にきたことは作品番号09-1-028以下で見ている。
【訳文】
お別れしてからすでに永く、春が深いこのごろ、いかがお過ごしでありましょうか。皆様御康勝のことと存じます。私も二十七娘［妻の王閏之］もはなはだ安らかにしています。……私は権限を弄ぶ者たちに長く恨まれております。しかしながら、その者たちはお上をいたずらに騒がせ、何も得ることなく天下の笑いを取っただけとなりました。遠くから御心配いただくには及びません。……
【補足】［（1）蘇軾の妻の王閏之は王箴と同族であるので、この手紙では「二十七娘」と一族の中での呼称で記している。（2）後半では、蘇軾が都で誹謗中傷の嵐にさらされていたことについて触れている］
■【10-2-008】与林子中
【解題】潁州で落ち着きを得ていた蘇軾であるが、1月28日、揚州知事に任命するとの辞令が下された。潁州に来てまだ半年にならないのに早くも異動となったのは、蘇軾を快く思わない人々の力が働いためであろうか。最初に、より遠い鄆州が任地として指定され、その後に揚州に変更になったという経緯があり、朝廷内で駆け引きがあったようである。鄆州は梁山泊に近い治めにくい小さな州で、揚州は風光明媚な大きな州で、蘇軾を支持する側が盛り返したのだろう。これは揚州への移動を命じる辞令が届いてから杭州知事の林希［字は子中］［→作品番号10-1-011］に宛てた手紙。
【訳文】
……私は維揚［揚州］に移ることを命じられました。貴君とは近くなりますので、すこぶる喜んでおります。貴君が都に召されることになって揚州を通過するときには、きっと十日はお留めするつもりでいます。……
【補足】［揚州への移動は蘇軾にとって悪いものではなく、この手紙では、林希がいる杭州と近くなることを喜んでいる］
■【10-2-009】与范純夫
【解題】これは都にいる范祖禹［字は純夫あるは淳甫ないし夢得］［→作品番号10-1-014］に宛てた手紙。
【解題】
潁州に来て半年、初めてお手紙を差し上げます。怠慢の罪、身の置き場もありません。……私は広陵［揚州］に移ることになりました。はなはだ幸いであります。弟は、私が都に行って一度会えるようになることを希望しています。しかし、それでは行路がやや遠くなります。老病の身であり、仕事に務めなければなりませんので、潁水からただちに淮河に入って揚州に向かいます。……
【補足】［弟の蘇轍は、兄が移動に際して都に一度立ち寄ることを希望したのだが、それは金沢から名古屋に転勤になるに際して東京を経由するようなもので、ありえなくはないコースではあってもかなりの遠回りになる］
■【10-2-010】閲世堂詩贈任仲微
【解題】潁州にいた間に作られた幾つかの作品を以下に見てゆく。これは閱世堂を詩に詠み、任大防［字は仲微］に贈った作品。閱世堂は蔡州新息県にある建物で、かつて蔡州知事であった任伋［字は師中］が建てたもの。任伋は「小任」と呼ばれた郷里の先輩で、蘇軾はたびたびその事績を詩に詠んでいて、任伋は引退後の住まいを新息県に定めていた［→作品番号06-1-006、06-2-036など］。任大防は任伋の息子である。作品番号06-2-082で、任伋の四男が新息県にきていたことを見ていて、その四男が任大防なのだろうか。任大防は汚名を着せられた父の名誉を回復させようと努めていて、新息県から潁州は比較的近いことから、蘇軾に助力を願いに訪ねてきたのだろう。
【訳文】
任公［任伋］が西南の地［遂州］に出たとき、
任公の考えがたまたま用いられなかっただけだと慰めた者がいた。
もし任公の謀が全て採用されていたならば、
戦で功績を挙げるような者などが出ることもなかったのだ［無事平穏に治まったという意味］。
亡くなられてから十年が経ち、
正邪はとっくに明白になっているのに、
かえって不届き者がいまものさばっているのは、
天の意とは実に測り難いものがある。
貴君は父君の賢をそのまま継がれ、
百回罰を受けようとも父君の無実を晴らそうと訴え続けている。
私的な仇を報いようというのではなく、
禍は必ず福に転じるものと信じているのである。
貴君はいまは父君の旧徳によって食べ繋いでいるものの、
高い才能があるのだから、
いずれ門の狭さに困るほどに家が栄えるに違いない。
父君の罪が晴れた暁には、
父君の恩顧を受けた千人もの人々が訪れて、
黄泉の世界の父君に報告することになるだろう。
貴君の家の庭には檜があり、
世の変転を閲して［閲世堂の由来がここに詠み込まれている］、
父君のころから変わらずに聳え立っている。
千年の後にも井戸とともに残り続け、
ここがかの任公の住まいであったことを示し続けるであろう。
【補足】［任伋が遂州で不幸な亡くなり方をしたことは作品番号06-2-036で見ている。「不届き者」とは、詩中で名指しはしていないが、程之才、つまり蘇軾の姉の夫である。任伋は程之才の告発であらぬ罪をかぶせられ、無実を明らかにできないままに亡くなったのである。蘇軾は程之才の弟の程之元等とはすでに和解しているが［→作品番号08-1-028］、程之才は蘇軾にとって二重三重に許しがたい人物なのである。訳詩では「不届き者」としたが、原詩では「封徳彜」という歴史上の人名で代用している。封徳彜は隋朝でも唐朝でも高い地位にあった人物で、蘇軾は佞人の代表者として捉えているようだ［→作品番号10-1-092］。なお、ここでは任大防や蘇軾の側から見て、程之才の告発は不当なものであったとする認識に従っているが、実際にはどうであったのかはわからない］
■【10-2-011】新渡寺送任仲微
【解題】上の詩に見た任大防［字は仲微］が帰るのを、潁州の新渡寺［→作品番号10-1-086］で見送ったときの詩。
【訳文】
春の日差しは雪を落とし、
野から昇る春の気配は、雲となって空へと立ち昇る。
私は清らかな潁水の下流にいて、
まさにこの地で指揮を執った古代の英雄を今に見ている気がしている。
ここは昔から、集まっては別れる場所、
貴君ともやはり別れをいわなければならない。
私は官遊に倦みながらも留まるところがなく、
痩せた農地を耕すことができずにいる。
貴君はこれより独り旅して、
古ぼけた寺の、鶏が騒がしく鳴く中に宿を取るのだろう。
貴君のために私は暁に角笛を吹こうと思う。
目覚めのときに、遥かなところから聞こえてくるであろう。
【補足】［終わりの部分は、助力を約束するという意味であるのだろう］
■【10-2-012】送運判朱朝奉入蜀
【解題】朱京［字は世昌］という官員が蜀に赴くのを見送る詩。朱京の詳しいことはわからないようだ。詩の題に「七首」と記したものもあり、確かに韻を6回換えているので、7首に分かれていると見ることもできる。最初の3首は、朱京になりかわって蜀に到着した後のことを想像して歌い［実は自身の蜀への憧憬を歌っている］、4首目は蘇軾の日頃の思いを、5首目以下は朱京との楽しいおしゃべりを詠んでいる。
【訳文】
一
青城山［蜀にある山］にふんわりかかるあの雲は、
私にくっついて西北へと飛びきたものだ。
峨眉山の上にきらきらと輝くあの月は、
私を照らして光が消えることがない。
二
私が塵の舞う世間にいたときに、
白い雲は私に帰ってくるよう呼んでくれていた。
私が江や湖をさまよっていたときに、
明るい月は私の衣を潤してくれたのだ。
三
蜀の山は天の一方を支え、
月はいま私のかたわらにある。
私は山の中にいるべき者、
だから、山とも月とも隔たるところがない。
四
私は夢の中でいつも蜀への路を尋ね、
黙って駅亭を幾つ過ぎたかを数えている。
嘉陵江［蜀の川］の川音を耳に聞き、
枕に波しぶきがかかるのを感じるのだ。
五
貴君を見送るのに、私には何もない。
蜀の川の清らかな水――
それを貴君の馬に存分に飲ませよう。
竹の林の中の路――
そこで我が故郷の老人たちが貴君を出迎えるだろう。
六
私は蜀の人々にこのようにいっておこう――
朝廷からの新しい使者が来たからといって、
驚いて逃げたりする必要はもとよりない、
何しろ私の友人なのだから。
訴え事があれば、家の者に接するように聴いてくれて、
どうしたらよいのか細やかに教えてくれるであろう、と。
七
もしも山の中で私の友人に逢って、
私がいつ帰るのかと問われたなら、
このようにいってほしい――
我が足腰はいまも軽やかで、
川の石を踏んでぴょんぴょん歩ける、と。
■【10-2-013】病中夜読朱博士詩
【解題】病の中で朱勃［字は遜之］［→作品番号10-1-050］の詩を読んでの感想を詩にした。
【訳文】
眼を病んで――
燈火の光は乱れ、
細かな文字は塵や沙を数えるかのよう、
空中にちらほら花が咲く。
貴君の詩は秋の露のようで、
眼の病に咲く花を浄く流してくれる。
古くゆかしい言葉には、絶妙に託されたものが多くあり、
それは心に識れるのであって、これ見よがしに同調すべきではない。
巧みな笑いは頬を緩ませ、
哀しい音は心を摻撾で叩かれるかのよう。
貴君の詩は曽坑［茶の名産地］のひと掬いの春だろうか、
千の家の人々を満足させることができるのだ。
しかしながら、どこやらの貴公子どもには、酔っぱらった眼しかないので、
真の茶の価値などわかりはしない。
これこそは、高く聳えた岩山の上から、
わずか一寸ばかりを摘んできた茶の芽だ。
やたらに封を切って出してはならない。
嘉さがわからぬ者はただの出がらしにしてしまうだけなのだ。
【補足】［詩とは何か、蘇軾の見方がさらりと示されている。途中にある「古くゆかしい……」の原文は「古語多妙寄、可識不可誇」［古語 妙寄 多く、識る可くして 誇る可からず］で、「古くゆかしい言葉の用い方は、言外に託すのが絶妙なところがたくさんにあり、それは独りで心に了解するものであって、わかったからといって、声高に朗誦して人に誇るべきではないのだ」ということをいっている。この訳詩などは、それにはまるっきり当てはまらない］
■【10-2-014】趙徳麟餞飲湖上舟中対月
【解題】潁州を発つ日が迫り、趙令畤［字は徳麟］［→作品番号10-2-001］ともこれが別れであると西湖に船を浮かべ、この詩を詠んだ。
【訳文】
老いた知事殿［蘇軾］は春を惜しむ意が深く、
この地の主人［趙令畤］は客人を引き留めようとする情が強い。
公務の間のこの閑かな日月に、
湖の上でこの好き清明節を迎えた。
新火をもってわかした茶はまろやかで、
温かな風に杏の粥の香りが立ち上がる。
酒闌のとき、
杏の紅い色は暗がりへと潜み、
日が落ちて堤の縁が平らに浮かび上がる。
清らかな夜に燈はつけないまま、
岸辺を切り開くばかりの勢いで舟を進める。
それでも主人の被り物が落ちないのは、
酔いが足らないからなのか。
細い月がまだ西空に横たわっている。
【補足】［（1）火を使った食事を取らない寒食の行事が終わって最初につける火を新火というのは何度が見ている。「杏の粥」と訳した原文は「粥餳」で、新火で大麦の粥をたき、杏の仁の粉を溶いた飴をかけて食べる習慣があった。杏の仁は薬効があるが苦みがあるために甘くして食べるよう工夫され、現在では杏仁豆腐として広く親しまれている。「杏の紅い色」は、「杏の粥」の色というよりは、折しも杏の花が咲いていたのだろう。寒食が終わると春真っ盛りの清明節である。思えば、ちょうど1年前の寒食に蘇軾は杭州を発ったのだった。（2）最後の句に月が横たわると詠んでいるので、それが実景であるのなら、2月の初旬にこの詩を詠んだことになる］
■【10-2-015】和趙徳麟送陳伝道
【解題】陳師道の兄の陳師仲［字は伝道］［→作品番号10-2-002］も同じころに潁州を去ることになり、趙令畤［字は徳麟］が送別の詩を詠み、蘇軾がそれに次韻した。
【訳文】
二人の陳君［陳師仲と陳師道］は妙士、
二人の欧陽君［欧陽棐と欧陽弁］は徳人、
皇族の子孫［趙令畤］は竜の子、
いずれも雲の上を走る名馬と世に讃えられる人々である。
この五君は私とともに遊び、
胸の内にあるものを傾けて、怪珍を写し出してきた。
俗物どもは人の意を損なうことをするのだが、
五君との遊びは実に清醇であった。
しかし、聚散はどうしてもあり、
佳い夢の後には、むなしい欠伸が待っているのだ。
私の舟は淮河を下って行き、
玉のような沙を川波が洗うであろう。
貴君は暁の月を踏んで行き、
銀のような光がまばらな木々から注ぐであろう。
別れて後にも詩を寄せるから、
淮南［揚州］の春を貴君の脳裏に刻み込むがよい。
■【10-2-016】潮州韓文公廟碑
【解題】蘇軾が潁州を発つ前のこと、潮州知事の王滌から、韓文公廟に立てる碑に刻む文章の執筆を依頼する使者が来た。韓文公廟とは唐代の韓愈を祭った廟で、韓愈が都から遠く離れた潮州に左遷されたときに、その地に大きな足跡を残したことを記念したものである。韓愈は何度か記してきたように、衰退期にあった儒学を再興した偉大な先人として欧陽脩が大々的に顕彰した人物である。大師匠のそのまた大師匠の韓愈について書くのだから、蘇軾は必然的に持てるエネルギーを全て注ぎ込むことになり、「壮大美とは、かかる詩のために用意されたことばであろうか」［山本和義『蘇軾』（1973年）］と評されるような作品として結実したのであるが、そうであれば、これまた必然的にこのへっぽこ訳者の手には負えない作品ということになり、夢でおならを踏んづけたようなことを歌った「空疎美」という言葉をかかる訳詩のために作らねばならないと思わせるような「ずっぽ訳」となってしまう以外にないのである。あまりにもひどい訳文だと感じられたならば、どうか権威ある注釈書に当たってきちんと読んでいただきたい。
【訳文】
一介の庶民でありながらも百世の師となる――
ただのひと言が天下の規範になる――
天地の生成変化に参加し、天下の盛衰の運行に関わるときに、このようなことがおこる。
そのようなことをする人が生まれ出るには何らかの理由があり、そのような人は逝ってからでも何かしら為し続けるものがある。
だから周代の賢臣である呂侯や申侯は五嶽より降り、亡くなって星につらなったと伝えられるのである。昔から伝わることはいかに不可思議であっても否定すべきではない。
孟子はこのようにいった。
「私は吾が浩然の気をよく養う」
浩然の気は、ちっぽけな体の中に宿るものでありながらも、天地の間に満ちてゆくようになる。いきなりこの浩然の気に出会うと、王の位も侯爵の位もその貴さを失い、晋や楚のような大国もその富の価値を失い、漢の張良や陳平の智も意味を失い、古代の孟賁や夏育の勇も気勢を失い、戦国時代の張儀や蘇秦の弁舌も力を失ってしまう。
これは何によってそうなるのか。浩然の気は、形あるものに寄り添って存立するものではなく、力を頼りにして進行するものではなく、生まれるのを待って存在するようになるものではなく、死に随って亡ぶものでもない。だから、天にあるなら星となり、地にあるなら河や山になり、暗いところにあるなら鬼神となり、明るいところにあるなら人となるのである。これは不変の理であって、怪しむところは一切ない。
後漢の時代以降は、道［真理に基づく政治］は喪び、文［正しい学問］は弊れ、異端がこもごも起こった。唐の貞観、開元の盛時を経て、房玄霊、杜如晦、姚崇、宋璟といった名臣が出ても道と文を救うことはできなかった。
ここに独り韓文公［韓愈］が下々から身を起し、談笑しながら指揮をとると、天下はたちまち靡いて公に従い、正しいところに再び帰ったのだった。それから今に至ること三百年である。
韓文公は、八つの王朝の時代の衰微から文の興隆を起こし、天下の惑溺から道を救い出し、人主の怒りを犯しても忠を貫き、三軍を指揮する将軍よりも勇敢であった。韓文公こそはまさしく、天地の生成変化に参加し、天下の盛衰の運行に関わり、浩然の気とともに独り永遠に存在する人なのである。
かつて私は天と人の相違を論じたことがある。人はやろうとすれば何もできないことはないのだが、天は決して偽を受け容れない。智によって王や身分の高い者を欺くことはできても、魚を欺くことはできない。力で天下を得ることはできても、庶民の心を得ることはできない。
ところが、韓文公の精誠［真実の真心］は衡山を隠していた雲を開くことができたけれども、憲宗皇帝の惑いを覚ますことはできなかった。鰐魚の乱暴を馴らすことはできたけれども、皇甫鎛や李逢吉の謗りを打ち消すことはできなかった。南の涯の地の民に信じられて百世にわたって廟に供物を受けているのだけれども、その身を一日も朝廷において安らかに保つことはできなかった。韓文公ができたのは、天に受け容れられることであって、（偽に満ちた）人に受け容れられることではなかったのである。
最初、潮州の人々は学問について知らずにいた。韓文公は科挙の受験資格がある趙徳に命じて人々を指導させた。それからは潮州の士は学問と行為において篤く努めるようになり、庶民もまたそれを見習うようになった。それが現在まで続いていて、潮州は治めやすい土地柄であるといわれている。まことに孔子がいう「君子が道を学ぶなら人民を愛するようになり、庶民が道を学ぶなら統治しやすくなる」との言葉の通りである。
潮州の人々が韓文公に仕えるありさまは、飲食をするごとに必ず公に供え物をし、水害や旱害、疫病などの災害があって願うところがあるときには必ず廟に祈るのである。
韓文公の廟はかつては知事の庁舎の後ろにあって、民衆は簡単には出入りできなかった。前の知事は朝廷に願って新しい廟を作ろうとしたものの、実現できないままであった。元祐五年［1090年］、朝散郎の王滌君が州知事になると、士を養い民を治める姿勢はもっぱら韓文公を師と仰いだ。民は喜んでその徳に服すようになったので、王滌君は次のように布告した。「韓文公の廟を新しくしたいと願う者がいるなら許可を与える」。すると民は喜んで賛同し、町の南方七里の地に場所を選び、一年で新たな廟が完成した。
ある人がこのようなことをいった。
「韓文公は都を去ること一万里の彼方の潮州に流され、一年もしないで都に帰還した。亡くなってからも世にあることを公が認知できるのなら、潮州を特別に恋しく思うようなことはきっとないはずだ」
私はそれに対してこう答える。
「そうではない。韓文公の精神が天下にあるのは、水が地中にあるのと同じで、どこであろうとも遍く存在しているのだ。潮州の人々は特にこのことを深く信じ、この上なく公のことを思っているのである。人々は韓文公の精神が焄蒿悽愴として立ち昇るのをまざまざと見ているように感じているのである。井戸を掘って水を得たときに、『水はここだけにあるのだ』というのは、全く理屈に合わない。それと同じで、韓文公の精神は潮州だけにあるのではないのだ」
元豊元年［1084年］、（神宗皇帝は）詔をもって公を昌黎伯に封じた。それによって廟の額に「昌黎伯韓文公之廟」と記された。潮州の人々はこうした由来を石に刻む文章を私に依頼してきた。よって、詩を作ってこれを送り、それでもって公を祀るものである。
その詩にいう。
公昔騎竜白雲郷。［公は昔は竜に乗って天界で遊び］
手抉雲漢分天章。［銀河を手に取って文章の真髄とした］
天孫為織雲錦裳。［天帝の孫の織り姫が雲の衣を織り］
飄然乗風来帝旁。［それを着て公は天帝のもとを訪れた］
下与濁世掃秕糠。［公は地に下って濁った世を掃おうと］
西遊咸池略扶桑。［西の涯から東の涯にまで至り］
草木衣被昭回光。［草も木もその光を受けたのだった］
追逐李杜參翱翔。［公は李白と杜甫を追って自由に飛翔し］
汗流籍湜走且僵。［弟子の張籍や皇甫湜は汗を流して師を追ったが倒れてしまい］
滅没倒影不能望。［公は消え去り、倒れた者は望み見ることができなかった］
作書詆仏譏君王。［公は文書を作って仏教を謗り、皇帝を諫めた］
要観南海窺衡湘。［公は（流されて）南方に衡山、湘江を見に行き］
歴舜九嶷弔英皇。［（古代の聖天子の）舜とその妃を弔うこととなった］
祝融先駆海若蔵。［そのとき海の神の祝融が先導し、海若が波を静めた］
約束鮫鰐如駆羊。［（南に至った公は）鮫鰐を縛って羊のように駆った］
鈞天無人帝悲傷。［天帝は天下の中央に人がいなくなったのを悲しみ］
謳吟下招遣巫陽。［高らかに歌い、巫女を遣わして公を招き寄せた］
犦牲鶏卜羞我觴。［（天界に帰った公のために）牛や鶏を供え、觴と］
於餐荔丹与蕉黄。［赤い荔枝と黄色い蕉を捧げた］
公不少留我涕滂。［地上に少しも留まらなかった公のために私は涙を流す］
翩然被髮下大荒。［どうか公よ、翩然と髪を振り乱して大地に下りたまえ］
【補足】［以上の文章と詩が踏まえている故事来歴の説明は、数が多すぎるし、難しくて訳者の力に余るので、一点を除いて加えることはしない。「浩然の気」についてだけ記す。「浩然の気」とは何か、我々にとっていくらかわかりやすく解釈すると、「宇宙の根源的法則から発出される善のエネルギー」ということができるのかもしれない。上の文章には、「浩然の気」が韓愈という人物を通して唐の時代に大きな作用を及ぼし、儒学を中心とする文化のルネッサンスが興り、蘇軾の時代もその影響下にあるという蘇軾の歴史認識が記されている。そのような偉大な韓愈でありながらも左遷の憂き目に遭わなければならなったことと、蘇軾自身がいま困難な状況に置かれていることを重ね合わせて考えるところから、蘇軾の創作意欲に火が付き、異様なまでの力を籠めて、潁州から揚州に向かう船の中でこの作品を作り上げたのである］
■【10-2-017】上巳日、与二子迨、過遊塗山、荊山、記所見
【解題】潁州を発った蘇軾の船は、潁水を下って淮河に入り、そのまま流れに乗って寿州を経て濠州に入った。この詩の題は、「上巳の日［三月三日］、息子の蘇迨、蘇過とともに塗山、荊山に遊び、見たところのものを記す」。塗山と荊山はともに濠州にあり、両者は三里ほど離れているという。この詩には蘇軾自身の注が数多く付記されている。最初の注に、「昔杭州に赴く途中でここを通過し、それから二十二年になる」とある。それは杭州副知事として赴任する際のことで、濠州で詠んだ詩を作品番号03-4-031で見ている。その他の注は、さながら名所案内記のようで、詩はそれらを豊富な語彙力を駆使して巧みに詠み込んだものである。その巧みさを味わうには多大の労力を必要とするので、ここではごく上っ面をなぞるだけにしておきたい。
【訳文】
この人生は最後にはいったいどこに帰るのか。
私は車をめぐらせて、天下の半ばをすでに行き来したようだ。
古の聖人の禹は、洪水を治めるためにまさに天下を巡った。
もしも禹がいなかったらば、人々の暮らしはそもそもなかったのである。
塗山には禹を祀った廟がある。
ここで娶ったという妻の像が廟に置かれ、
呱呱と鳴き声を上げたその子の啓も祀られ、
禹の父である鯀や、禹とともに治水に奔走した柏翳の廟もある。
この地の人々は殊勝なことに、
禹の誕生日とされる六月六日に、数万人が集まっていまも祭礼を行っている。
塗山と照らし合うようにして荊山がならび、
下を流れる川は乱しようもなく清らかである。
荊山にはかの卞和が玉の原石を掘りあてた坑がいまもある。
卞和は哀れにも横暴な王によって足切りの刑に処せられたのだが、
原石はついには磨かれて美しさを発したのだった。
荊山の下の木の梢のあたりに唐の時代に湧き出した泉があり、
いまも亀の形をした石から茶に絶好の水が得られる。
こうした古いことを、
我が息子どもが根掘り葉掘り尋ねるので、
同行する土地の秘書官殿は苦笑いしつつ汗を拭き拭き答えてくれる。
帰るときには、もう蝙蝠が飛びかい、
遠くの炬の火が、あそこに岸辺があるとわからせてくれているのだった。
■【10-2-018】次韻和晁無咎学士相迎
【解題】蘇門四学士の一人、晁補之［字は無咎］［→作品番号08-3-029］はこのとき揚州副知事で、蘇軾が赴任してくるのを首を長くして待っていた。これは晁補之から蘇軾を迎える詩が送られてきたので、旅の途中で次韻したもの。この詩には、晁補之とはその父の代からの付き合いであることが詠み込まれている［→作品番号04-3-059］。
【訳文】
私は若かった日々に、
新城県の晁端友知事と知り合った――
知事は門を閉ざし、
自ら掃き清めて外に出ることがなかった。
胸の内に、天が語るかのような言葉を宿し、
大軍を退け、城をも破る勢いがあった。
知事は、己の子［晁補之］のためには錐の先ほどの土地も残さなかった。
子は虹を吐き出すばかりの勢いで、
寒さも飢えも全く苦にするところがない。
いまは遠回りをしていて大いに用いられるには至っていないけれども、
節操を曲げるのは家訓として戒められているので、
衆人を避けて、いつしか大いに飛躍するのを待っている。
揚州においてたまたま私とともに歳月を過ごすことになった。
私はといえば、
先ごろ千仞の巌の上にあるという仙界の泉、仇池を夢に見たので、
青い霞の帳を開いてそこに行こうと思っている。
そうでなくても私は西南［蜀の方角］に帰路を定めているのだから、
私に付き合ってよいものかどうか、
すぐに家に帰って細君と相談されるのがよいだろう。
老いた私には酒を飲む相手をしてくれる者はなく、
独り芍薬に向かって白墮［名酒］を傾けるしかない。
揚州といえば、平山堂にくるたびに私は酔翁［欧陽脩］を憶うのだが、
ずっと後になって、貴君は揚州にくるたびに私のことを思うようになったりするだろうか。
路傍の子供らが、私を見ると何だかにやにやして、
「あれもこれも、でんぐり返って、みんなおしまい」
と、一斉に歌う。
こんな知事であっても、
賢く風流心のある貴君がいてくれるのなら、
杜牧が「十里の春風に珠の簾が巻き上げられる」と歌った、
かの揚州の風光を満喫できるであろう。
【補足】［（1）後半にある平山堂は欧陽脩が建てたもので作品番号05-1-001などで、最後にある杜牧の句は作品番号10-1-012などで、それぞれ見ている。（2）「でんぐり返って」の原文は「万事転頭空」［万事 頭を転じて空し］で、ほぼ直訳である］
■【10-2-019】祈雨僧伽塔祝文
【解題】船は濠州を出て、淮河の流れに乗って泗州に至った。泗州には僧伽塔［普照王塔］があり［→作品番号07-1-100、05-5-032］、3月12日、蘇軾はここで雨を祈った。
【訳文】
……淮河の東西は不作の歳が続き、農民は皆が病み、公私ともに蓄えが尽きてしまいました。さらに浙右［長江の南側］の大飢饉が重なり、食物を得るところがありません。いまは夏の農地に稔りがあることに望みをつなぎ、大麦はすでに穂が出て、小麦はすでに結実しようとしています。しかし、時期に応じた雨がないために、このままでは焦げて枯れてしまいます。凶作になるか豊作になるかを決めるのはここ十日の間にあるのです。私は広陵［揚州］の知事として移り、これより十郡を治めます。民衆は窮すると盗賊となり、それは知事として憂うべき事態となります。私には才能がなく徳が薄く、この危機を救う力がありません。大聖普照王［僧伽］の解脱力をもって、等しく民への慈悲を垂れたもうこと伏して願うものであります。王の噫欠を風雷とし、咳唾を雨の恵みとして、炎天に苦しみ、飢餓に溺れる者たちをお救いくださいますように。……
【補足】［蘇軾は移動中にも知事としての責務を忘れることなく、ここで見たように雨を祈り、またあるときは船を離れて民情を実地に調べたりした。その成果は作品番号10-2-035に記される］
■【10-2-020】淮上早発
【解題】船は泗州から楚州へと進み、その途中で早朝に出発した折に詠んだ詩。
【訳文】
淡い月が傾きつつ雲にかかる、
暁を告げる角笛が悲しげに鳴る。
わずかな風が吹き始め、
水に碧い鱗模様が現れ出る。
我が人生はこのように定まっているのか――
江湖において老いてゆくのだと……。
黙って数えると、
淮河を行き来することをこれで十回目である。
【補足】［（1）詳しい考証によると、蘇軾が淮河を通過するのは正確には11回目であるという。（2）蘇軾にしては珍しく平易な七言絶句であるので、原文と読み下し文も掲げておこう］
澹月傾雲暁角哀、［澹い月は雲に傾き、暁の角は哀しい］
小風吹水碧鱗開。［小な風は水を吹き、碧の鱗が開かれる］
此生定向江湖老、［此の生は定めて向かう、江湖に老いると］
黙数淮中十往来。［黙って数えれば、淮中を十たび往来する］
■【10-2-021】淮陰侯廟碑
【解題】楚州［淮陰］は悲劇の英雄、韓信の故郷である。韓信は漢の高祖［劉邦］を助けて天下統一の事業を進める上で大きな働きをしたのにもかかわらず、事業の完成が近づくと、その卓越した能力が警戒され、殺されてしまった。楚州には韓信を祀る廟があり、蘇軾は土地の人に頼まれてこの碑文を記した。
【訳文】
竜に神通力が具わっているとされるのは、よく変化しよく屈伸するからである。夏には天を飛んでその霊妙な姿を現し、冬には泥の中に蟠って害するものを避ける。
秦の始皇帝が人民を厳しく網で囲い、残虐な刑罰を用いて害毒を全土に流したときに、民間にあった武器は狩り集められ、豪俊の者は殺された。将軍［韓信］は汚辱の内に身を置き、世を避け、その姿を隠した。しかし、志は鵲が飛び立ち、豹が変貌して、故国を再興するところにあったので、洗濯婆さんが恵んでくれた食べ物を甘んじて受け取ったのだった。将軍は胸に王霸の計略を抱き、英雄の壮図を蓄え、志は天地四方を合わせるところにあって、気概は万人を蓋うものがあったので、恥を忍んで小役人の股の下をくぐったのだった。
ここに山の神は秦が亡びる前兆を示し、将軍はたまたま英主［劉邦］と知己となり、世にない奇策を述べた。蜀漢の地に決起し、たちまち関輔を席巻し、戦えば必ず勝ち、攻めれば必ず克ち、強敵の楚を防ぎ、暴虐な秦を滅ぼし、斉の七十城を平定し、趙の二十万の軍勢を破った。大丈夫の功名をこのように立てる前には、食を乞い恥辱を受けるなど、言うに足りないことだったのである。
ところが、まだ秦が完全には亡びておらず、漢がまだ完全には天下を統一する前に、将軍は草木とともに朽ち、鹿とともに死んでしまった。竜となって雲に飛び、一兵卒から立って侯王になったのに、どうしてその地位を保てなかったのか。
ああ、古の英偉の士で機会に遇わなかったために、名が埋もれ、心に適うところなく終わった者は数えきれないのだ。
……［以下、銘文が続く］……
【補足】［先に見た韓愈の碑［→作品番号10-2-016］ほどの力みは感じられないにしても、ここに託した蘇軾の思いは十分に伝わってくるであろう］
■【10-2-022】次韻徐仲車
【解題】旅の途中で徐積［字は仲車］から贈られた詩に次韻した。蘇軾自身の注によると、徐積は耳が聞こえなかったという。「古の独行の人」と評され、母を養いつつ苦学し、結婚することもなく40歳に至り、村人達の助力を得て上京し、治平4年［1067年］に科挙に合格した［このことから蘇軾より10歳ほど上だと推測される］。官職に就く前に母が亡くなり、その後は仕えることがなかった。いかにも蘇軾好みの「異人」である。
【訳文】
ろくな衣服もないし、ろくな食べ物もない。
詩はますます好い。
あたかも凍てついた松に、
春の鳥が囀るかのようだ。
蒼い蠅が群がるのは遠くの鶏の声に似るとか、
人はそれに惑わされもする。
公［徐積］は世上の誰よりもずっと早くから目覚めている。
この八年の間に、私は密州、杭州、揚州を行き来し、
そのたびに公に会ってきた。
公の眼に映るのは、
月はいつでも白く空にあり、
水はいつでも自ずと流れていて、
人間どもが螻やら蟻やらのように擾擾やっていても、
公の耳には届かない。
人が叫び声を挙げて牛を闘わせる大騒ぎをしているのを、
ただ笑って眺めているのである。
■【10-2-023】答呉子野
【解題】蘇軾は3月26日に揚州に着任した。新たな知事職を授けてくれた謝礼の文章を朝廷にすぐに提出したのはいつも通りのことで、これはそのころに、神出鬼没の不思議な人物、呉復古［字は子野］［→作品番号06-2-043、05-3-005］に送った手紙。呉復古は潮州の人で、潮州といえば、潮州知事の王滌からの依頼で、蘇軾は韓文公廟に立てる碑に刻む文章［→作品番号10-2-016］を揚州に至る船旅の中で仕上げていた。この手紙から推測するに、王滌は蘇軾に執筆を依頼する当たって、かねてから蘇軾と交流がある呉復古の助力を仰ぎ、呉復古は参考資料として潮州の風俗について記した手紙を蘇軾に送っていたのだった。
【訳文】
『文公廟碑』をすでに潮州に寄せたところです。潮州は文公［韓愈］が来られる以前から、趙徳のような文行の士［学問を修めそれによって行動する人］がいて、その地の風俗の美しさは久しいものでありました。我が伯父［蘇渙］と陳文恵公［陳堯佐］は知り合いで、陳文恵公は朝廷にあったときにも潮州のことを忘れずにいて、「潮州の人は庶民に至るまで礼儀を知っている」といっていました。まことに貴君がお手紙に記している通りで、碑文の中でそのことについて具に論じました。ただ、瓦屋根が文公に始まるということについては、恐らくはそうではないでしょう。陳文恵公が伯父に与えた手紙を見たことがあり、そこに、「嶺外の瓦屋根は宋璟［唐代の韓愈よりも前の人］に始まったもので、これより周辺の地域に広まり、潮州が最も盛んとなりました。それは張説が『魚鱗鳥翼』と表現した通りであります」とありました。この陳文恵公の手紙から考えると、文公が潮州に来る前から瓦屋根があったことになります。それが事実であろうとして、碑文の中に瓦屋根については記しませんでした。どうぞお察しください。
【補足】［（1）陳堯佐は仁宗皇帝のもとで宰相になった人で、それより前に一時期、潮州に左遷されたことがあった。（2）宋璟は広州に赴任したときに、広州の家屋が竹や茅で屋根を葺いてあるために火事に弱く大火が起こりやすいのを見て、瓦屋根を広めた。その影響を受けて潮州でも瓦を葺いた大きな建物が造られるようになり、張説［玄宗皇帝のもとで宰相となった人］はその瓦屋根の壮麗さを「魚の鱗が光り、鳥の翼を広げているようだ」と表現したのである。（3）蘇軾は呉復古のアドバイスを一部は活かしながらも、自身の広範な知識に照らし合わせて、より正確であることを求めて執筆したのだった］
■【10-2-024】以楽害民
【解題】揚州は、隋の煬帝が大運河を完成させて以降、長江以南の地の産物を北中国に送る中継基地として栄え、とりわけ煬帝自身が揚州の風光を愛してそこに富を結集させたことから、大都市として発展する基盤が造られた。煬帝は揚州の魅力に惑溺し、国家の乱れに目を背けて揚州での逸楽に耽ったために、反逆者によって揚州において殺され、隋朝は滅んだ。また、唐代の著名な詩人である杜牧が若いときに揚州において放蕩三昧をして浮き名を流し、「春風十里揚州路」と詠んだことからも［→作品番号10-2-018］、揚州はとかく妖しく人を誘う蠱惑の都市とのイメージがあった。知事となった蘇軾が早速何をしたのかということが、趙邦基の随筆『墨荘漫録』に記されているのでそれをまず見ておこう。趙邦基は蘇軾より数十年後れて生まれ、官界において活躍した記録はないが、士大夫の一員として当時の名のある人々と交流し、その見聞を『墨荘漫録』に書き残した。趙邦基は話を盛る人ではなく、史料的価値は高いとされている。
【訳文】
趙邦基：『墨荘漫録』より
洛陽の牡丹は天下にその名が聞こえている。花の盛りのときに、知事は万花会を開き、花で屏風や帳を飾って宴会をするところを囲み、竹筒に水を貯えて花を挿してそれを梁や棟や柱の全てに掛けて飾りつける。目に見るところのものは全て花なのである。
揚州は芍薬の産地で、その特に美しいものは姚黄や魏紫［牡丹の品種であろう］に引けをとらない。蔡京が揚州知事になると、洛陽をまねて万花会を開いた。その後、それが毎年の習慣となって、町の人々の負担となっていた。
元祐七年、東坡が揚州知事として赴任すると、ちょうど芍薬の花の時期で、役人が旧例通りに万花会の開催を提議した。しかし、公は取りやめさせた。人々は歌い舞うほどにそれを喜んだ。
公は王鞏に手紙を書き、「花会について過去の記録を調べると、千本万本の花を用いていた。それを集めるに当たって役人やその縁者が悪さをして、揚州の民にとって大きな害をなしていた。これを止めたので、殺風景になったとはいえ、無駄な事業をなくすことができたのである」と記した。
公が政事を為すときには、いつもこのようにして民に恵みを施したのだった。揚州の民はいまもこのことを讃えている。
【補足】［ここに名を挙げられている蔡京は改革派の一員として活躍し、首都開封府の知事にまでなったのだが、神宗皇帝が亡くなって司馬光が旧法をいきなり復活させると、その無茶な施策を蔡京は真っ先に実行してみせ、改革派から保守派への転身を図った。しかし、さすがにその節度のない振る舞いは顰蹙を買って都の外に出され、その後、揚州知事となって、ここにある花会を挙行したのである。なお、蘇軾は杭州知事時代に蔡京の父と交流があったことを作品番号04-1-027で見ている］
【解題】この項の表題に掲げたのは揚州の万花会について蘇軾自身が記した短い文章。
【訳文】
揚州の芍薬は天下第一である。蔡延慶が揚州知事であったときに、初めて万花会を行い、十万余りの枝を用いた。もろもろの庭園を害しただけでなく、吏人［下級役人］がこれにかこつけて悪さをし、民衆はひどく困らされた。
私は揚州に至ると、民衆に苦しんでいるところを問い、真っ先に万花会を止めた。
万花会のもとは洛陽で古くから行われているもので、それに倣ったのである。しかし、ちょっとした楽しみのために民衆を苦しめ害っているのである。思うに、洛陽の万花会もきっと民衆を害っているであろうから、止めるべきである。
銭惟演が洛陽の知事であったときに、初めて馬を走らせて花を皇帝に献上することを行った。識者はそれは宮妾が主君の愛を得ようと媚びる類の行為であるとして卑しんだ。
また、蔡襄は初めて小団茶を皇帝に献上して送り届ける仕組みを作った。富弼は「蔡襄にしてこのようなことをするのか」と嘆いた。
【解題】［（1）詳しい考証によって、蔡延慶が蘇軾より前に揚州知事になったことはなく、先に見た『墨荘漫録』に記されているのが正しくて、揚州の万花会を始めたのは蔡京であるとされる。（2）銭惟演は五代十国時代の呉越国の最後の王の息子で、洛陽知事であったときに、梅堯臣、欧陽脩、富弼といった次代の担い手のパトロンとなった。過去に宋と敵対した国の王の子孫という難しい立場から、皇帝の歓心を買うことに腐心しなければならないという事情があったのだろう。（3）蔡襄は、近世の書家として第一であると蘇軾がしている人物である［→作品番号07-2-050、06-2-013］。しかし、珍しい茶を皇帝に献上したことについては別の個所でも批判している。（4）付け加えると、揚州の万花会を始めた蔡京は後に徽宗皇帝のもとで長く宰相の地位に就き、そのもとで、皇帝の庭園を造るために珍しい花木や石を献上させる一大システム「花石綱」が蔡京のもとで作られ、役人と悪徳商人が悪さの限りを尽くした。民衆は非常に苦しみ、強い恨みを抱いて反乱を起こし、先に記したように、官僚を目の敵にして惨殺したのだった。蘇軾がここで記したのは、実は小さなことではなかったのである。さらに加えると、蔡京は蔡襄の同族で、やはり書道の達人で、蘇軾、黄庭堅、米黻と合わせて宋代の四絶とされた］
■【10-2-025】次韻林子中春日新堤書事見寄
【解題】揚州の芍薬の花会を廃止したことで民衆は喜んだが、いささか殺風景になったと、蘇軾はこの詩に詠んでいる。これは杭州知事の林希［字は子中］［→作品番号10-2-008］から送られてきた詩に次韻したもの。林希の詩には蘇軾が築いた西湖の新堤の春景色が詠まれていた。
【訳文】
私は浮き雲、
都にほんのちょっと立ち寄っただけ、
立派げな朝廷の衣服を着たのはたったの一晩。
翰林院の玉堂で筆を揮った手で、
月のもと、淮河に舟を漕いだ。
羨むのは、
湖のほとりの貴君の書斎の窓に、
碧く波の光が揺れること。
笑ってしまうのは、
ちょうど花の時期であるのに、
貴君の甑は出番がなくて塵が積もっていること［一緒に花の宴を開く友＝蘇軾がいない］。
貴君に報せるのは、
ここ何年もなかった揚州の殺風景、
川に雨が夢のように降り注ぐ時期でありながら、
春を知らずにいるのである。
【補足】［（1）この詩の終わりには、蘇軾自身の注が付されている。「林希からの詩に芍藥の春を歌う句があった。揚州では近年はおおむね芍薬の花会を挙行し、十万本ばかりの花を使用していた。小役人やその縁者が悪さをして民衆が非常に苦しんでいた。それでこの会を止めた」。官の仕事にかこつけて、役人と土地の有力者が結託して不当な利益を挙げることを蘇軾は非常に嫌ったのである。（2）趙令畤の随筆『侯鯖録』［→作品番号10-2-005］に、このころにあったとする楽しいエピソードが記録されているのでここで見ておこう。
【訳文】
趙令畤：『侯鯖録』より
東坡が維陽［揚州］にいたときに、酒宴を設けた。集まった客人十余人はいずれも当時の名士であった。そこに米黻もいた。
酒半ばにして、米黻はいきなり立ち上がり、
「私にはいささか先生に申し上げたいことがあります。世間の人は皆、この黻は顛だといっております。このことについて、先生にはっきりと問い質したく思います」
と、いった。
東坡は、
「ふーむ、私も皆に賛成するよ」
と、いったので、一同が笑った。
【補足】［米黻にしばしば奇矯な振る舞いがあることは作品番号09-3-020などでも見ている。このとき米黻は首都の管轄内である雍丘県の知事であったから、わざわざ訪ねてきたのだろうか］
■【10-2-026】書酔翁操後
【解題】沈遵という琴の名手が、欧陽脩［酔翁］がかつて遊んだ滁州の瑯邪を訪ね、その風光を琴の音に写して『酔翁操』という曲を作り、後に欧陽脩がそれに合わせて詞を書いたという顛末については作品番号06-3-073で見ている。蘇軾は、欧陽脩のその詞を書いて沈遵の子の沈済に贈り、この短文を添えた。沈済は仏門に入り、法真禅師として秀州にある本覚寺にいた。
【訳文】
二種の水を同じ器に入れると、うまく合わないことがある。二人が琴を一緒に演奏すると、うまく呼応しないことがある。沈遵は手にまかせて琴を弾き、泉の音とぴたりと合わさった。そして、欧陽脩は筆にまかせて詞を作り、琴とぴたりと合わさった。これはきっと真を同じくするからである。
本覚寺の法真禅師は沈遵の子である。それで欧陽脩の詞を書いて贈る。静かに部屋に坐して、御自分で琴を弾いていただきたい。仏教に通じる師は、琴に工であって、詩も得手であるから、謀らずしてその三者の境界がないところに至るであろう。師よ、そのようになることを願っている。
元祐七年四月二十四日。
■【10-2-027】記子由言修身
【解題】弟が語った不思議な話を記録した文章。
【訳文】
弟がかつてこのような話をした。
ある人が死に、そして生き返った。その人はあちらの世界で役人に尋ねた。
「どのように身を修めたなら、罪を免れることができるのでしょうか」
冥官はこのようにいった。
「君は一冊の暦を手元に置き、夜になったら、昼間にしたことを必ずこれに記すのだ。そして、そこに書かなかったことはいってはならないし、してもいないことを作って書いてもいけない。何もなければ静かに座っているのだ。このようにすれば一日があたかも二日のようになる。この方法で今日を過ごし、ずっと同じようにするなら、七十年生きたときには百四十歳になったことになる。人間世界において寿命を延ばす薬としてこれより優れたものはない。悪いことは何もないし、薬代は全くかからない。この方法は人々の修得できるはずのものであるのだが、湯を使ってうまく飲み下すことができないのである」
元祐七年四月二十五日。
【補足】［（1）この一文は、何をいっているのかはっきりとは掴めなかったので、とりあえず日本語に置き換えただけである。きちんと日記を書けば、一日を二度たどることができて、身の振る舞いを顧みることもできるということなのだろうか。（2）この一文と同じ日付で、若逵という僧が書いた経文に跋文を記している。そこには懐楚がそれを蘇軾に見せたと書かれている。懐楚は弁才大師の弟子で、弁才の死後、懐楚が蘇軾を訪ねたことは作品番号10-1-042で見ていて、そこには5月11日に日付がある。なお、その跋文は訳者にはさっぱり理解できなったので割愛する］
■【10-2-028】送陳伯修察院赴闕
【解題】陳師錫［字は伯修］が都に赴くのを見送った詩。官界における後輩である陳師錫の学識と人柄を蘇軾が高く評価して特に朝廷に推薦したことから、察院［監察御史］の一員として採用されたのだった。
【訳文】
神宗皇帝はまことに天より下られた英主で、
筆を手にされれば天の川が流れるばかりのありさま、
古の学問を重んじられ、
漢の武帝が作った『秋風の辞』などはものの数にも入らなかった。
竜が飛び虎が走る勢いの前にあっては、
貍が豹に化けてみせたところでどうすることもできない。
私が窮したのは何かの定めによるものであって、
私が書いたものを皇帝はきちんと評価してくださっていた。
貴君が試験を受けたときには、
お誉めの言葉を発せられ、
そのことはその日のうちに万人の口に伝えられ、
貴君と同宿していた人々は驚き倒れたのだった。
まさかそれから二十年もの間、
貴君が遅々として道を進まずにいるとは、
誰も思うはずのないことであった。
貴君が時世に対して呈する苦言は、
強い薬と同じく、目がまわるような作用があるために、
後になってようやく効力があると知れるのである。
世間における屈伸は手を裏返すようにすぐに入れ替わるもの、
ところが、貴君だけはどういうわけか屈し続けた。
いまや皇居の四方の門がからりと開かれた、
さあ、このときにこそ急ぎ行くがよい。
■【10-2-029】送張嘉父長官
【解題】上の詩とともに、蘇軾がいかに後輩思いであったかが知れる作品。張大享［字は嘉父］がどこかの知事として赴任するのを見送った詩。7年前に、科挙に合格したばかりの張大享に蘇軾は会って詩を与えていた［→作品番号07-2-068］。
【訳文】
昔、都で貴君と知りあったのは、
駿馬が初めて車に繋がれたときであった［科挙に合格したことをいう］。
再び会ったのは江湖［田舎］においてで、
鷹匠の腕から飛び立った鷹さながらの勢いがあった。
いまは三度目、
貴君は常に前進して少しも留まることがない。
大木となるしるしはすでに明らかで、
立派な器は棚に置かれたままではいることはないのだ。
貴君は小さな官職に就いていた、
民衆は神に仕えるように貴君に従い、
よい包丁は、鶏だろうが牛だろうがみごとに捌いた。
そこより帰り来た貴君を私はますます敬い、
汎用性のある器はさらに広く用いられるようになるのである。
人生百年の旅を始めたばかりの貴君に対し、
私にはもう終わりの時期が迫っている。
それでも苦い言葉を貴君に寄せることだけはしておきたい、
「白髪頭になっても高い節義を貫くのだ」
■【10-2-030】軾在潁州、与趙徳麟同治西湖、未成、改揚州。三月十六日、湖成、徳麟有詩見懷、次其韻
【解題】この詩の題は、「私は潁州において趙令畤［字は徳麟］［→作品番号10-2-015］とともに西湖の改修工事に着手し、完成しないうちに揚州に異動となった。工事は三月十六日に完了し、趙令畤が詩を送ってきた。思うところを次韻の詩に記す」。
【訳文】
大きな山よりも大きなものはいくらでもある、
毛筋の先よりも小さなものはいくらでもある。
大きいとか小さいとか、所詮は比較の問題で、
大宇宙だって一粒の塵の中に納まってしまうのだ。
杭州の西湖と潁州の西湖をちまちま競わせたところで意味はない。
私は、杭州で湖の水域を広げ、長い堤［いわゆる蘇堤］を造った。
士女はその上で風景と美を争うようになり、
天の川［蘇堤］に架けられた六つの橋によって、北山と南屏山は初めてつながった。
二十五万丈の生い茂った水草を刈り取ったことで、
湖を覆っていた雲はすっかり取り払われた。
その後で私は潁州の西湖に来て、秋の風光に遊んだ。
竜神を祀った宮が水に面していても、
杭州の西湖には到底及ばぬほどに埋もれていた。
貴君に月の世界の斧を貸し、改修を任せた。
欧陽脩は、かつて揚州から潁州に移ったときに、
「揚州の二十四橋の月を、潁州の十頃の西湖と取り換えた」
と、詩に歌った。
逆に潁州から揚州に来た私は、
早く再び西湖の風に吹かれたいものだと思っている。
こちら揚州では雷塘も水が乾いてしまって農地となり、
かつて舟遊びに興じた風流人の釵が土から出てくるありさまだ。
貴君は、来年は揚州の古跡を訪ねたいと考えているようなので、
そのときには、冬の夜に悲しく鳴く虫となっている私を連れ出してほしい。
【補足】［蘇軾自身の注で、趙令畤のもとの詩には、杭州の西湖と潁州の西湖が雌雄を競うようなことと、来年には揚州に任地換えになるのを希望していることが詠まれているとあり、この詩はそれらを踏まえている］
■【10-2-031】次韻趙徳麟西湖新成見懐絶句
【解題】上の詩と同じく、潁州の西湖の改修を終えた趙令畤［字は徳麟］が詠んだ絶句に次韻した。
【訳文】
貴君から頂戴した「洞庭春色」の酒を飲み、
酔い心地のまま仙人に化し、
鶴にまたがって揚州に来てしまってから、
いまさらながら独り茫然としている。
そちらにはなお貴君と陳師道君がいるのだから、
同じ舟に私が乗るのを、
誰も邪魔立てできないはずであるのだが……
■【10-2-032】再次韻趙徳麟新開西湖
【解題】潁州の西湖の改修工事を終えた趙令畤［字は徳麟］の詩［→作品番号10-2-030］にもう一度次韻した。
【訳文】
知事殿［蘇軾］は山のために困らされることはなかったけれど、
水との相性はよろしくないのか、
泥水のなかを飢えた民が逃れてきたのを見て、
この凶年から治水によって民衆を救い出し、
「甕がからっぽだ」と嘆くのを免れさせようとしたのだった。
潁州の西湖は小さいとはいえ、
元来、ここの水は清らかで美しく変化するのであるから、
杭州の西湖と同じく西施［古の美女］にたとえてもよいはずである。
黄河の工事に行くことになっていた万人を、
朝廷に願って州内に留めて飢民救済事業を行い、
その余力をもって西湖を浚い、
三つの水門を作って焦陂から淮河までの水の流れをよくした。
十年の間、塵にまみれて憔悴していた西施も、
きれいな水によって、涙の痕がすっかり洗われた。
王孫［皇族の子孫である趙令畤を指す］にはもとより仙人の素質が具わり、
本来は明光宮［仙界と通じる宮殿］に宿衛すべき人であるのだが、
ひとたび地方に去って役人となってからは、
雲に覆われた朦朧の月のように、
世間からはそれと知られぬ身となっている。
氷雪に耐えるその顔を西湖の水に映し、
いたずらに白髪を増やしてばかりいるのではなく、
必ずや大きな事業を為して民を富まし、
さらには天帝のために竜の棲む池を開くであろう。
とにもかくにも西湖の改修が完了したいま、
貴君は皇帝のもとへと帰って行くに違いない。
その兆しは我が灯火にすでに現れているのである。
【補足】［最後の句は、灯火にたまった蝋の形から吉凶を知るという、非常にポピュラーであった占いの方法を引いている］
■【10-2-033】到官病倦、未嘗会客、毛正仲恵茶、乃以端午小集石塔、戯作一詩為謝
【解題】この詩の題は、「揚州に着任してから病気がちで、客人と会うことがなかった。毛漸［字は正仲］が茶を贈ってくれたので、端午の節句に石塔寺で小さな集まりをもった。戯れに一首の詩を作って毛漸への謝礼とした」。このとき毛漸は揚州にいたわけではなく、別の地から茶を贈ったようだ。石塔寺は揚州の有名な寺［→作品番号07-2-058］。
【訳文】
私の生きざまは取るに足りない。
腹を満たしてやりさえすれば、
あれやこれやの思いは消えてしまうのだ。
何のことはない、
一丈四方のちっぽけな住まいを設けて、
一寸の厚さもない舌をどうにかして養おうと、
あたふたしているだけである。
ここのところは病み衰えて、
昼を過ぎて物を食べるとたちまち噎せてしまう。
そんな私がどういう誤りによるものなのか、
揚州知事になったのだが、
恥ずかしいことに、厨房にはいつも物が不足し、
米を炊くにも薪がろくにない。
だから、お上から大事なお仕事を授かって、
あれこれ気苦労するだけの元気さえもないのである。
そこに貴君は、
赤く封印をした紫玉玦［茶の名］をわざわざ贈ってくださった。
貴君のことを思い、
端午の節句に際して、御馳走や歌舞に代わる楽しみを持つことにした。
いま、寺の窓には午後の日が麗らかに当たり、
蜀井［石塔寺にある井戸］から氷雪のような水が汲み出されてきたところだ。
集まった客人は皆がひとかどの人物で、みごとな手さばきで茶器を扱い、
金の釵の女性が湯の番をしてくれて、秘訣通りの加減をちゃんと心得ている。
かくてこの一日を、色、香、味の三絶が揃った茶を飲んで過ごすのである。
貴君にお報せしたいのは、
軽々しく雑に飲んで、
せっかくの授かり物を虚しくするようなことはなかったということだ。
【補足】［このときの茶会には副知事の晁補之［→作品番号10-2-018］も参加して、蘇軾のこの詩に次韻している］
■【10-2-034】賀立皇后表
【解題】哲宗皇帝は17歳になり、皇后となる女性が定められ、5月16日、立后の式典が行われた。蘇軾はそのことを祝う文章を記して朝廷に提出した。皇后になったのは、代々宋朝に仕えてきた名家の孟在の娘で、16歳で宮中に入り、高太皇太后によって特に選び出された。孟氏はこのとき20歳であった。哲宗皇帝は9歳で即位してから、政治の実権は太皇太后のもとにあり、皇后選びも太皇太后の意思によって決められ、皇帝は完全に太皇太后のコントロールのもとに置かれていた。青年を上から強く押さえ付けると、その反発が大きくなるであろうことは容易に想像できる。
【訳文】
臣軾は申し上げます。伏して制書を見ますに、今月十六日、皇后をお立てになる礼がありましたとのこと。……臣が聞きますに、三代［古代の理想の時代］の興隆も皆内助があってことであります。……民の恃むところのものはただ邦が永く栄えることであります。恭しく思いますに、皇帝陛下は自ずから誠にして明であり、……すでに大慶を受け、ますます仁の至りを広められ、天下の隅々までも、夫婦にして愁嘆しなければならない者はいないのであります。上は天の造化と一致し、日月と等しい光明を放っておられます。無窮の恵みを受けて、民と楽しみを同じくするでありましょう。
【補足】［立后を祝う蘇軾のこの文章は、類型に従って厳かな言葉を並べたもので、内容的に特に興味を引くところはない。それでも蘇軾ならではのところがあるとの評がある。残念ながら訳者にはこの種の文章を読解する力がなく、おぼろげにわかるようなところを繋いで日本語にしただけで、訳文の名に値しない。それでもここで取り上げたのは、皇后となった孟氏が後に数奇の運命をたどり、数百年後のジャンヌ・ダルクにも匹敵する活躍をして、あたかも「無窮の恵み」をもたらしたことについて、蘇軾とは直接関わりのないことではあるけれども、ここに略述しておきたいと思ったからである。高太皇太后はことのほか孟氏が気に入ったようで、皇帝に向かっては、「賢い内助［妻］を得ることは、非常に大事なことなのです」といい、また孟氏を見て、「この子はまことに賢淑であるけれど、惜しいことに福が薄いようだ。しかし、国家にもしものことがあったときには、必ずこの子がどうにかしてくれるだろう」といって嘆息したという。孟氏が皇后になって1年余りで太皇太后は亡くなり、上からの重しがなくなった哲宗皇帝はあからさまに別の女性を寵愛するようになり、孟氏はあらぬ罪をかぶせられて皇后の位を廃され、道士にさせられた。哲宗が長生きをしたなら、孟氏はそのまま宮中の道観で人知れず一生を終えたのだろうが、哲宗はわずか24歳で亡くなり、孟氏はその後名誉を回復し、皇后となったときの元号である元祐にちなんで元祐皇后と呼ばれるようになった。しかし、徽宗皇帝によって再び廃され、またしても道士にさせられた。このような変転は新法党と旧法党の政権争いと連動していて、旧法党の政権下で皇后に定められた孟氏は新法党政権下では迫害されたのだった。孟氏が皇城内の道教の寺院にひっそりと暮らしていたときに火事が起こり、孟氏は歩いて［つまり自力で］実家に避難し、そのままそこに留まった。1126年、孟氏が55歳のとき、宋の都は、北から攻め込んできた金軍の猛攻を受けて陥落し、都にいた皇族は全て北に連れ去られてしまった。孟氏だけは難を逃れ、金軍が去った後に皇后として復位し、都にいる唯一の皇族として宋朝の継続性を保持するシンボルとされ、都の外にいてやはり難を逃れた皇弟の趙構に自ら詔書を記して送り、皇帝として定めた。かくして、宋朝はかろうじて皇位の継承を行うことができた。当時、民衆の反乱が相次ぎ、速やかな皇位継承がなければ国は求心力を完全に失ってしまうところであった。新皇帝［高宗］のもと、宋朝は金軍と戦ったのだが、圧倒的な軍事力の前に国土の大半を失いかけ、孟氏は宋朝の精神的支柱として各地を転々としつつ人心を鼓舞し続けた。こうして宋朝はかろうじて南中国を確保することに成功した。しかし、宋朝の権力基盤は不安定で、自軍のクーデターによって高宗が無理やり退位させられる事件が起こった。そのとき、孟氏の指揮によってクーデターを短期間で鎮圧することに成功した。まさに高太皇太后の言葉通りに国家の危難を救い、宋代の皇后の中で最も大きな活躍したのであるが、元来は慎ましやかな性格で、権力を弄ぶようなことは一切なく、「民と楽しみをともにする」ことを喜んだのだった］
■【10-2-035】論積欠六事並乞検会応詔四事一処行下状
【解題】揚州に赴任してすぐに万花会を中止したのは実際に民衆のためになることであった。それは知事の一声で容易に実行できたのだが、蘇軾は杭州知事として都の外に出て以来、国家にとっても民衆にとっても遥かに大きな事象について、災害対策の他にも幾つかの問題を朝廷に指摘してきていた。これは揚州に来て1カ月余りのときに朝廷に提出した意見書。残念ながら、訳者は当時の社会制度に疎く、蘇軾が提起する政治課題を十分に理解するだけの力がない。ここで取り上げる文章は『唐宋八大家文集』に収録されていて日本語の注釈書もあり、なおかつ非常に重要な問題であることから、まことにおぼつかない訳文でありながらもここに掲げることにする。ここで蘇軾が提示しているのは「積欠」の問題である。「積欠」とは、国に支払うべき税などの滞納分が積み重なったもので、それがとりわけこの時点で問題視されたのには次のような事情がある。王安石が始めた改革において、自営農や中小の商人を守るために、国が低い金利で資金を貸し付けて、税とともに利息分も含めて回収する制度が作られた。それは、高利の民間資金を借りて破綻してしまう自営農や中小の商人が相次いだことを受けて、大地主や大商人を抑制して大多数の民衆を救済し、なおかつ国の財政収入を増加させるという一石二鳥を狙った、非常に優れた仕組みであった。王安石が発案したときに、保守派［多くは大地主や大商人の利益代表者］はこれに強く反対したのだが、新制度が運用されると、改革派の目論見通りに国の財政状況は一気に改善された。ただし、国が貸し付けた資金や利息の返済が滞った場合にどのようにして回収するのかということについて十分な配慮がなされていなかった。返済は税の徴収時に上乗せすれば国としては簡便であるのだが、一旦滞ったりすると、そこに旧中国の官僚制度にもとから具わっていた欠陥がからんで、民衆をひどく苦しめてしまうことになった。旧中国の官僚は大きく官人［科挙の合格者を中心とする高級官僚］と吏人［主に地域ごとに採用された下級官僚］に分けられ、官人には国から俸禄が支給されたが、吏人には定まった給与がなく、各種手数料を収入源としていた。国家による貸し付けや税の徴収はなかなかに煩瑣な仕事であるから、吏人にとっておいしい稼ぎの場となった。例えば、必要としていない者にも無理やり貸し付け、それによって吏人は手数料を得て、国は利息分の収入が増えるという、「一石二鳥」の妙手がしばしば採られた。こうしたことが様々にあって、「責欠」の重荷を背負わされた人が大量に発生してしまったのである。保守派が政権を握ると全ての新法が廃止され、国が資金を貸し付けるということはなくなったのだが、「責欠」はそのまま残った。この問題を解決する抜本的方策としては、負債の支払いを猶予するか免除するしかないのは明らかで、朝廷はそうした指令をしばしば発した。しかし、それは実効性を伴わず、多くの人々は「責欠」に苦しまされ続けた。蘇軾は杭州知事になるとすぐに「責欠」について具体的に六つの問題点を朝廷に指摘し、早く対策を取るよう提議した。しかし、朝廷は民衆の苦しみを他所に、何も対応しなかった。蘇軾は新たに四つの問題点を具体的に詳細に指摘して、先の六つの問題点とともに早急に対応するよう朝廷に迫った。それがこの文章である。表題に「六事」と「四事」とあるのがそのことである。ここで訳したのは、「六事」と「四事」の具体的記述の前に置かれた総論部分である。
【訳文】
元祐七年五月十六日、竜図閣学士左朝奉郎知揚州の蘇軾、書状をもって奏上いたします。
臣が聞きますに、孔子はこのようにいっています。
「善き人が民を七年間教えるなら、民を兵役につかせることもできる」
民がすでに富み、そして教え導くなら、その後には兵役につかせてよい［十分な教化が及んだなら、民衆は戦場に行くような苦役にも甘んじて耐えるようになるという意味］といっているのですが、古の「善き人」とは、聖人に及ばないこと非常に遠い人々のことであります。
いま二聖［皇帝と太皇太后］が臨御され、ここに八年となり、仁孝慈倹は至れり尽くせりといってよいものがあります。しかしながら、官の財貨、米穀の蓄えは日に日に苦しくなり、農民は日に日に貧しくなり、商売はさびれ、水害と干害が相次いでいます。上に聖人の資質がありながら、「善き人」ができるとされた効果が出ていないのです。臣は竊かにこれを痛むものであります。
臣は行く先々で土地の老人や知識のある士人を訪問し、こうしたことになっている理由を探ってまいりました。人々は皆このように申しております。
「今では民は寬やかな政のおかげをこうむり、他に疾苦するものはないのですが、ただ積欠によって圧迫されております。それは千鈞の重みを背負って歩むようなもので、倒れてしまわなければ幸いでありまして、ひとまず腹を満たすことのほかには、顔を上げ腕をふるって何かをするということができずにおります」
土地の豪族として富んでいた家で、昔は肩を並べる者がないと評判であった家でさえも、（新法の一つである）市易法ために破綻して、十に一つか二しか残っていないありさまとなっています。その他の庶民にはおおむね積欠があります。
監督官庁は地方の知事を督促し、知事は吏卒［下級役人］を督促し、かくて民衆の家には負債の督促状が毎日のように届き、その身には毎日のように鞭が加えられ、たとえ古来有名な富豪であってもたちまち襤褸家住まいに陥ってしまうのであります。
宋朝が始まってから、負債免除の赦令が出されるときには、必ず次のように布告されてきました。
「官に納めるべきものに不足があっても、官を欺いたり盗みを働いたりしたことがない者、また、以上のことがあっても、本人並びに連帯する関係者に家業のない者は免除する」
宋朝の始まりから官物に損失が生じ、悪事を為した民が免除されることの弊害を知らなかったわけではありません。ただ、民がすでに欠乏して、生きるすべもないのに、いくら鞭で打ったところで何も得るものがなく、中途半端に緩めるなら吏卒が間で悪さをし、逆に、取り立てをひたすら厳しくするなら民は盜賊に流れ込んでしまうので、それで一律に免除したのであります。天下はその方策に喜んで服し、水害や旱魃があっても民は反乱の勃発を心配することがなくすんだのであります。これは名目上の正しさを捨てて実利を取ったというべきものでありました。
二聖が臨御されてから、過去の負債を免除することを常に先務としてまいりました。陛下が即位されたときの赦令や、天を祀る儀式の際に毎回出された赦令があり、さらに事に従って政を寬く厚くすることを指揮されてきました。いま督促をしないでよいとされているのは全体の六割から七割にも及び、それは聖恩によって民に与えられたものなのであります。しかし、官吏は刻薄にも、聖意とは異なって、法文を都合よく運用し、巧みに偽りを為して、免除する対象には当たらないとしてしまっています。監督官庁は督促することが業務であると心得、知事は監督官庁から迫られるままに動き、民衆は吏卒の為すがままとなっております。監督官庁が県ごとに千の家を督促するなら、県の吏卒はその業務によって日銭が稼げると喜びます。もし免除するとなると、吏卒は得るものがなくてがっくりしてしまいます。財産のある家で、吏卒に賄賂を渡して法の運用を曲げてもらうようにしてもらわない限りは、誰も免除の恩を受けることができないのです。積欠のある人々は皆が寒さや飢えに迫られ、賄賂など渡すことができません。かくて貧困が極まってもはや何も取り立てられなくなると、県の吏卒は積欠のない者を新たな標的にして、あるときは私的に他人のものを抵当にとっているとか、不当な売買を行っているとか、何かしら事を作り上げて取り立てを行うのです。こうしたことが蔓延して甲から乙に、乙から丙に及んで、極まるところなく広がって行くのであります。かくて人々は督促の期限ごとに空の身で役所に出向くことになり、数回の期限を経てもせいぜい百銭とか二百銭を納めるのが関の山で、これを「破限」といっています。官の得られるものはごくわずかしかなく、しかし、吏卒は日に日に銭を得ているのです。こうして苦しんでいる民のことを俗に「県胥の食邑戸」［県の下級官吏の領地の民］と呼んでいます。
ああ、聖人が上にありながら、民は陛下の赤子となることができずに、皆悪い吏人の「食邑戸」となってしまうのです。ここにはいったいどのような道理があるのでしょうか。
商人の販売は通例として現金では清算されていません。現金であるなら利息がありません。今年は去年売った物の分を清算し、来年は今年売った分を清算します。かくて利息の計算が行われて、商人は利を得るのです。いま富んだ家が最初に破産し、中程度の民に積欠があるなら、誰が商品を買ったりするでしょうか。商売は自然に行われなくなってしまいます。これが国の酒税が日に日に減り、町に商店がなくなってしまう理由なのです。
各地で毎年のように水害や干害があることは上下ともに知るところであります。しかし、転運司［運輸財政担当の部署］は運用する資金の不足を心配し、敢えて税収のあるものを手放そうとはしません。たとえ免除をするとの文言があっても、その実態は違っています。あからさまに取り立てるよう文書で指示することはなくても、転運司が怒りの顔を見せるなら、官吏はその意味するところを悟って、上の者の意に反するようなことはしません。県はとにもかくにも税金の取り立てに走ることになり、しかし、結局のところ、徴収できるのはわずかしかなく、それは初めから免除したのと比べて何ら変わるところがないのです。官においては益するところがなく、民においては急き立てられ、鞭打たれる苦しみがあるのです。
近頃の詔旨で、積欠は十回に分割して通計五年で納めるようにとの御指示が出されました。聖恩の隆厚はこれ以上のものはありません。しかし、担当部署は、特に指定した者は十回に分割するが、その他の者はいままで通り一回で取り立てるとしています。たとえ全てを十回に分割するように定めたとしても、吏卒は必ず利を求めて一括して取ろうとします。民衆が全てを完納し終わらない限りは、いつまでも騒ぎが続くのであって、たとえ百回に分割したところで、一回で取るのと変わるところがないのです。
臣は近頃、杭州知事となり、また潁州知事となって、今は揚州知事であります。自身で両浙、京西、淮南の三路の民を見てまいりましたが、皆が積欠によって圧迫され、日ごとに窮迫し、半分以上が死ぬばかりの状況にあります。それでも税の未納者の名簿に載せられたままで、税収は欠乏して官は大赤字に陥り、農業も商業もいずれも病み、公私ともに苦しんでおります。このことから推量するに、天下はどこも同じようになっているのでありましょう。
臣は潁州から揚州に移る際に、濠州、寿州、楚州、泗州などを通りましたところ、どこも麦や麻が成長して雲のように土地を覆っていました。臣はいつも吏卒を退け、親しく村落へと入り、父老を訪ねて問うたのでありますが、皆が憂い顔でこのように申しておりました。
「豊年は凶年に及びません。天災に襲われても、我等は食べる物には不足しますが、衣食を我慢するなら、なお生きて行くことができます。豊年には、積欠の取り立てが厳しく、役人が家に押しかけてきて、棒で打たれたり首かせをつけられたりします。我らは死んでしまいたいくらいになりますが、それもできません」
言い終わるととともに涙を流し、臣もまた不覚にも泣いてしまいました。
また行く先々の町にはたくさんの流民がいました。官吏は皆こういっていました。
「夏の麦が成熟すると、積欠の督促があります。それで流民は郷里に帰ろうとしないのです」
臣はこれを聞いて孔子の言葉を思い出しました。
「苛政は虎よりも猛なり」［酷い政治は虎よりも獰猛である］
かつて私はその言葉をまことであるとは思っていませんでした。いまの状況を見ますに、ほとんどそうであるといってよいでしょう。水害、干害は虎よりも百倍も多く人を殺します。しかし、人はいま水害、干害よりも積欠の催促を畏れているのです。
臣が竊かに推測しますに、州ごとに積欠の催促をする吏卒は五百人はいるでありましょう。天下全体には、つまりいつでも二十万頭以上の虎が民衆の間にいるということになるのです。これで民はどうして安らかに暮らせるのでしょうか。朝廷の仁政がこれでどうして実現できるのでしょうか。
臣は揚州に着任してから、本州の積欠を専ら調査してまいりました。免除せよとの通達がすでに朝廷から出ていながら、本州において官吏がそれを行っていない事例がありましたので、臣はすぐに免除を徹底するよう指示しました。そして、実際には免除すべき状況にあって、まだそれが明文化されていない事例については、本州において仮に免除するように指令を出して、督促を止めて、朝廷の指示を仰ぐのを待つようにしました。実情において免除すべきであっても、法令に照らして差しさわりがある事例については、臣はまだ督促を止めておりません。それぞれの実態に応じて朝廷の御指示を仰ぐものであります。
……［以下、具体的に「六事」「四事」を記述する］……
【補足】［蘇軾はさらに1カ月後に朝廷の早急の決断を促す文書を提出し、ようやく蘇軾が具体的に問題を提起した両浙路、京西路、淮南路を対象に積欠の免除を指示する旨の詔が発せられた］
■【10-2-036】与趙徳麟
【解題】このころに趙令畤［字は徳麟］［→作品番号10-2-032］に宛てた手紙。
【訳文】
（1）淮南の夏は頗る暑く、しかも積欠が害をなして、その病を治すすべがほとんどありません。浙西は甚だ疲弊し、今年の稔がどうなるのかまだわかりません。これらについてはどうにも書き尽くすことができません。……
（2）……李直方君のことはどうなるでしょうか。尹遇を捕らえた案件はすでに朝廷で論じられているでありましょう。……獄官というものは、すでに出された判断を庇い、さらには議論が広がらないようにします。判断が一度出ると、後は右へ習えとなるのです。こうして上下で欺き合うのですから、憤らずにはいられません。……潁水の下流域では夏の収穫が半分になっていて、秋は果たして望みがあるのでしょうか。淮南の東西は、夏と秋に収穫がたっぷりあるのなら一大楽土であるのですが。……
【補足】［蘇軾の強い関心事である、積欠、夏秋の収穫、李直方［→作品番号10-2-004］のことが記されている。蘇軾は、盗賊を捕縛することに大きな功績があった李直方の昇進を朝廷に求めたのだが、ここに記されているように前例に拘泥する官僚によって却下され、その後、揚州知事在任中に再度朝廷に求めた。しかし、それも却下されてしまった。蘇軾が粘り強く朝廷の働きかけたのは、単に自身のメンツのためではなく、現場を重視しない官僚制度を少しでも改めたいと考えていたからであろう］
■【10-2-037】減字木蘭花
【解題】旧暦の五月は夏の盛り、そのときこの詞を詠んだ。短い序文がある。
【訳文】
五月二十四日、晁補之の随斎に集まった。主人は、泉の水を汲んで大きな鉢に入れ、そこに白い芙蓉の花を浮かべた。座中がひんやりとし、暑さを厭う気持ちがすっかり消え去った。
【補足】［ここで芙蓉とあるのは蓮の花のことだという。揚州副知事の晁補之［→作品番号10-2-018］が、なかなか粋な趣向で蘇軾を書斎に迎えたのである］
散乱東牆疏竹影。［東の垣根でまばらな竹の影が乱れます］
満座清微。［たちまち一座がすがすがしく変わります］
入袖寒泉不湿衣。［冷たい水が袖から入ってきて、でも衣は湿りはしないのです］
夢回酒醒。［夢がめぐって酒から醒めます］
百尺飛瀾鳴碧井。［碧い井戸が鳴り、水が百尺の高さへと飛び上がります］
雪灑氷麾。［雪がそそぎ、氷が降ります］
散落佳人白玉肌。［それは佳き人の玉のような白い肌［蓮の花］に散り落ちるのです］
【補足】［最後は詞らしく、ちょっと色っぽく詠んでみせた。晁補之のもてなしに対する小粋な謝礼というわけである］
■【10-2-038】乞賻贈劉季孫状
【解題】かつて杭州で親しくし、隰州知事となって赴任する途中で潁州に立ち寄って旧交を温め合った劉季孫［字は景文］［→作品番号10-1-106など］が、この頃に任地先で亡くなった。それから5カ月ほど後に、蘇軾は、遺族へ賻贈［喪に服している家族への贈り物］を賜るよう朝廷に願い出た。順序が前後するがその文書を見ておこう。
【訳文】
元祐七年十月某日、竜図閣学士左朝奉郎守兵部尚書の蘇軾は書面をもって申し上げます。
臣は竊かに聞きますに、仁宗皇帝の御代に（西夏国の）趙元昊が寇をなし、延州が危急に陥りましたときに、環慶将官の劉平だけが一軍を率いて救援に向かいました。しかし、衆寡敵せず、しかも悪い大臣どもが救済策をとらなかったために、劉平はついに敵に捕らわれ、賊を罵りつつ、何も食べずに死んだのでした。
劉平は死後、詔をもって侍中の官位と屋敷を賜り、その子慶孫、貽孫、宜孫、昌孫、孝孫、保孫、季孫の七人が官職を授かりました。劉平の子はいずれも優れた才能がありながら、顕著な働きをする前に短命をもって終わり、賜った屋敷は主を変えてしまい、家族は狼狽いたしました。ただ劉季孫だけは文思副使［武官の名称］にまでなり、六十歳に至りました。志篤く学問を好み、広く歴史に通じ、詩が巧みで立派な文章を書き、利を軽んじて義を重んじ、軍政に練達して忠義勇烈の至りでありますことから、識者は劉平とそっくりであると申しておりました。本性として珍しい書物、古い文章、石に刻んだ文字を好み、仕官してから四十余年、賜るところの禄を尽く蔵書に費やしてきました。
近頃、劉季孫は朝廷によって隰州知事に抜擢されましたが、今年五月、官所において死去しました。家にはわずかな米の貯えもなく、妻子は寒餓に苦しみ、故郷への旅の困難を嘆いております。今は晋州に身を寄せていて、劉季孫の棺は行き場を失っております。
臣は劉季孫とはかねてからの知り合いでありますが、これだけの才気を具えた者が、死んで半年も経たないうちにかくも妻子が流落してしまっていることを哀しむものであります。また、その父劉平が忠義をもって死んだことが語り継がれていながら、その四十年の後に子孫が落ちぶれて官職に就く者もいない状況になってしまったことを哀しむものでもあります。これは朝廷の意であるのでしょうか。
今の執政や高官には劉季孫のことを知っている者が大勢います。もしお尋ねいただけますなら必ずその実情がおわかりになりましょう。臣が望みますのは、朝延が特別の詔をもって賻贈を与え、妻子を朝夕の饑寒の憂いから救い出してくださることであります。また、忠義をもって死んだ者の子孫に歳月を経ても朝廷より恩愛を賜りますことは、忠義を勧める道となりましょう。劉季孫の子の劉璨は三班借職［武官の最低の位］にあって現在都におります。早くに御指示を賜りますようお願いいたします。謹んで申し上げ、敕旨をお待ちするものであります。
■【10-2-039】双石、并引
【解題】蘇軾はかなりの石好きで、揚州において二つの石を得て、この詩を詠んだ。序文がある。
【訳文】
引［序文］
揚州に至って二つの石を獲た。一つは緑色で、岡や山が巡るような形状で、穴があって背に達している。もう一つは真っ白で、鏡にしてもよいくらいだ。
これらを鉢の水に漬して机の脇に置くと、いつも思い出すのは、潁州にいたときに見た夢――ある人が、とある官舎に住むよう私にいった。そこに掲げてある額に「仇池」と記してあった。覚めてから杜甫の詩を口ずさんだ。「万古 仇池の穴、潜かに通じる小有天」。
このことを戯れに詩に詠み、同僚の笑いに供しようと思う。
【補足】［仇池を夢に見たことは作品番号10-2-018でも触れている。仇池には仙界［小有天］に通じる穴があるという］
夢においては、それが確かなことであるとして見ている、
夢から覚めると、それは何もない。
水を汲んで鉢に注いで石を漬す、
自分でも笑ってしまうくらいにかいがいしく世話をする。
白い石に見るのは、
太白山の峰が玉のように輝きつつ横たわる姿、
緑の石に見るのは、
峨眉山の手前で鳥の通う道も絶えてしまうありさま。
秋の風は霧を生み、雲を湧き立たせ、
暁の日は草や木を包み込む。
一点の穴から、からりと広がる空間、
それはどこなのか。
老人［蘇軾］は夢ではなくまことに仇池に住もうと思っている。
【補足】［この緑の石、つまり仇池の石はこの後、何度か登場する］
■【10-2-040】和飲酒二十首
【解題】「詩に和す」とは、唐の中頃までは、同じ主題で詩を詠むことを意味し、必ずしも韻を揃えるものではなかった。次第により難易度を高めて技量を競い合うのを楽しみとするようになったのだろう、和すとは次韻とほぼ同じ意味になった。次韻は知的遊戯性の高い行為で、恐らくは古今第一の次韻の達人といってよい蘇軾の実例を数多く見てきてわかるように、仲間同士でその巧みさに感心し合うのは楽しいにしても、作品としてはまとまりに欠けたあまり面白味のないものになってしまいがちである。次韻詩というジャンルには特段の文学的可能性はないと見るべきであろうが、さすがに達人は違い、ここにおいて空前絶後の豊穣な作品群を生み出したのだった。これがその最初の作品である。陶淵明に『飲酒二十首』という連作があり、蘇軾はその全てに和した、すなわち次韻した。これまでにも、蘇軾が陶淵明の作品に触発されて詠んだ詩や詞を見ているが、陶淵明への傾倒が昂じてついに次韻するに至ったのである。蘇軾は、自ら白居易と似ているとしばしばいい、杜甫や韓愈の詩にも深い思いを寄せてはいても、陶淵明は別格であった。この『飲酒二十首』を手始めに陶淵明の作品の数々に和して行くことになる。陶淵明の詩は平易な言葉で静かに深い内容を歌い上げるのが特色で、蘇軾はそれをそっくりそのまま生かして次韻し、数百年といった時空を超えた達人同士の魂の共鳴ともいえるような唯一無二の奇跡の作品群「和陶詩」が生まれるのだった。この「自由訳」の旧バージョンでは2人の共鳴がよくわかるように、2人の詩を交互に掲げて訳した。しかし、それだと蘇軾の思索の流れをすばやくたやすく知るというこの「自由訳」の本来の趣旨をいささか損なうことになるので、ここではいままで通り蘇軾の作品だけを並べ、2人の作品を対比的に並べたものは章末に掲げることにした。以下、「和陶詩」はすべてそのように扱うことにする。
【訳文】
叙
私が酒を飲む量は至って少ない。それでも、いつも杯を手にするのを楽しみとし、しばしば頹然と居眠りをしてしまう。人はそれを見て酔いつぶれたと思うのだが、私の心の中は了然している。だから、この状態は、酔っているとも、醒めているとも、どちらとも言い切れないのである。
私は揚州にいて酒を飲むときには、正午になるとやめにして、客人には帰ってもらい、衣服をゆるめ、足を投げ出し、その後の一日を過ごす。酔っての歓びというのは十分ではないのだろうが、あり余る心地よさがある。
ここに私は陶淵明の『飲酒二十首』に和してみた。酔っているとも醒めているとも言い切れない境地をぼんやりとでもよいから詠んでみたいと思ったのだ。
これを弟と晁補之に示す。
【補足】［このとき晁補之は揚州副知事として蘇軾のすぐ近くにいて、弟は都で副宰相の任にあった］
其の一
世の中のあれやこれやにまとわりつかれている。
本当の心地よさとは、
生まれたときのようなものなのだろうか。
我が心に雑草が生じていないのなら、
佳いといえるものは、まさにそこに存在する。
心を自由にして、成り行きのままに任せるのなら、
何に遇おうとも、心に疑うものない。
ときに酒の中でこれぞという興趣が得られるかもしれないから、
いつでも空の杯を持っているとしよう。
其の二
昔、二人の豪傑が、
胸の内から山が湧き出るような気概で、
酒自慢の風流人を叱りつけた、
それとて、たったの一言で、
氷をとろかすようにして言い負かしてしまうのには及ばない。
「心を虚しくするなら、
腹は満ちるし、長生きもできるし、
少し飲むだけでたちまち酔う」
この秘訣は人には教えたくないものだ。
其の三
道を喪うと、
士は己を失い、
語を出しても、それは真の情ではない。
風流を自認した南朝の人々は、
酔っているときにも、己のよい名が立つのを求めていた。
陶淵明だけは独り清らかな真を貫き、
酔って談笑する間に己の生を確かに得たのだった。
その身は風を受ける竹のよう、
たくさんの葉がざわざわと騒ぎながらも、
しなやかに風を受け流す。
万物は、俯仰する一瞬の間におのおのの姿を見せる、
酒を得れば、
その一瞬から詩ができあがる。
其の四
もぞもぞとうごめきつつ葉を食らう虫は、
空を仰ぎ見て、
高く飛びたいと焦がれている。
ある朝、二枚の翅がはえて飛び立つ。
悲しいことに、
たちまち、蜘蛛の巣に粘り付いてしまう。
同じ巣で啁啁と鳴いていた雀たちのうちで、
水辺に身を委ねるのがよいと思ったものがいた。
水に赴いてみたら、
なんと二つの貝殻が生じた。
こうなってみると、
はて、閉じ込められたところからはたしていつ出られるのやら。
虫と雀と、どちらがよいのか、
百の願いごとだって、一発の笑いでしぼんでしまう。
幸いにも、我等はほかのものに化したりはしないのだから、
結論としては、
酒があるなら飲むのがよいのだ。
【補足】［雀が蛤に化すという伝説があった］
其の五
小さな舟は、まことに一枚の葉、
見えない波が下で騒いでいる。
夜に、酔って、棹を移して出発した。
ごろっと横になり、
枕が何度転がり出たのか、
それも気付かないで夜明けとなり、
この先の路を問うと、
もう千もの山を通り過ぎていた。
ああ、私は何をしているのか、
道の行き来は常にこのようなもの。
この先を考えるのに早すぎるということはないけれど、
過ぎ去ったことをとやかくいっても仕方がない。
其の六
百年といわれる人生、
いま六十で終わるとしたら、
よくよく考えて、よかったとはいえないだろう。
この身は虚空のようなもの、
ならば、誉められもしなければ、けなされもしない。
酒を得て、
いまはまだ杯を挙げない。
酒を飲んで我を喪ってしまうなら、
もとから酒のことも忘れてしまおうか。
とにかく牀に倒れ込んで、そのまま寝てしまえばよい。
夜具はむしろでも毛織物でも、どうだってよい。
其の七
このごろは大雪の年に当たったのか、
海の波のように玉英が翻る。
ここに一人の士がいる。
飢えと寒さに迫られたときにこそ、
人の真の情が現れる。
枕元に壊れた酒樽、
いつも痛飲している。
時に独り座って傾けるのである。
酒は寒さをすっかり防げるものではないけれど、
腸へと注ぎ込めば、何やら鳴り出すものがある。
衣をとって凍った酒を包んで温め、
酔い心地になるたびに、
この生について念うのである。
其の八
私は立派な建物の中にいても、
本来の鹿の姿を改めることができない。
時に蜀岡のあたりにきては、
霜を帯びた松の枝を見上げるのを喜びとする。
松の根は地下百尺にあって、
千年を経て生じるというきのこがすでに付いているのだろうか。
ところが、煌煌とした凌霄花が松にからみつき、
何事かをしようとしている。
觴を挙げて松の根にそそぐ、
よからぬことのないよう、自由であれと。
【補足】［（1）これまでに時折見てきたように、自らを鹿に譬えている。（2）蜀岡は揚州郊外の丘である。（3）凌霄花はここでは松を締め付けてしまう悪役として詠まれている］
其の九
蓮は秋の水の内にその身を置き、
時節がくれば自ずと花を開く。
すがすがしい風は、何を思ったのか、
芝蘭［香り草］を内に抱く我が懐へと入ってきた。
花［蓮と芝蘭］はひとたび折り取られてしまったならば、
永久に自然との縁が切れてしまう。
断った茎をつなげることはできないし、
一斗の瓶の水を与えても生きかえらない。
仙界の蓮が、
天上の池の泥に根を結んでいるのにはとても及ばないのである。
このことに感じて、自分で納得するのは、
世間とうまく合わせられないのは、
実は悪いことではなかったのだ。
酔えば、そこには「帰り路」がある、
それはありありと見えていて、
初めから迷うことではなかったのだ。
流れに乗って進んで、さらにまた進めばよい。
もしも曲がるところに当たったなら、
回ればよいだけだ。
其の十
籃輿の上の知事殿は兀に酔っておられる、
古い町の隅にまできて路は曲がる。
酒の力は通り雨のようなもの、
すずしい風が吹いてくると、
まだ途中なのにさめてしまう。
前には山々――くっきりと見えている、
後ろには警護の者――急いでこなくてよいぞ。
知事殿との深い縁は東南にある、
白髪の残りの人生を寄せるのはそこなのだ。
遥かに想うのは、万松嶺の下、
ちっぽけな我が住まいがそこにある。
【補足】［これは揚州郊外に出て、遠く東南に思いを寄せるという詩。万松嶺は杭州にある］
其の十一
民衆が疲弊しているのは、役人に徳がないとき。
年の稔りが美なのは、天に道があるとき。
天に道があるなら――
夏の雨は、麦が稔るのを避けて降り、
暖かい風は、蚕の成長を促すようにして吹く。
役人に徳がないなら――
民が三回咽び泣いて初めてお上に聞こえ、
水を注ごうとしても、乾いた土を潤すことができない。
ここに、積欠を寛くせよとの証書が降され、
人々の顔色がにわかによくなり、
再拝して、吾等の知事殿に賀意を表す。
これぞ貪らずして得た我が宝。
世間を白眼視してばかりいた阮籍を笑いながら、
喜びに酔いつつ、皇帝へ謝礼の文書を記すのである。
【補足】［（1）この詩は知事としての責務を果たし得たことを歌っている。蘇軾が問題を指摘した積欠［→作品番号10-2-035］について、皇帝は当該地域での取り立てを猶予するとの詔を出した。「貪らずして得た宝」とは、役人が往々にして民衆から搾取して財産を築いたことへの皮肉である。（2）阮籍は、蘇軾が尊敬する人物ではあるが［→作品番号01-2-041など］、ここでは、民衆のためには何もしなかったのを笑うのである］
其の十二
私は夢で、寺子屋へと入って行った。
自分は少年だと思い込んで、
白髪の老人であるのをすっかり忘れ、
論語の辞をこどもたちと声高く読み上げた。
人間界のことは、所詮このような子供の戯れなのだ。
だいたいが夢に似て、顛倒のことばかり。
酔っているときにだけが真であって、
空洞の精神こそが疑いようのないものなのだ。
酔っ払いは車から落ちても決して傷つかないと、
荘子がいったのは、まさにその通りである。
そこで、息子を呼んで紙と筆を具えさせ、
酔ってしゃべったことをそのまま書かせておくことにした。
【補足】［蘇軾が郷里の寺子屋［小学］に入ったのは8歳のときであった］
其の十三
酔いの中では楽しむべきであるけれど、
それとて、生成消滅の境界から逃れられるわけではない。
どのようにしたら、この身を、
酔ってもいなければ、醒めてもいないところに置けるのだろうか。
私の愚かさは、
食らうのは千頭分、働きは一頭分以下というたわけ牛に同じ、
やはり、尻と頭はばらばらにされてしまうのだ。
あの連中のずる賢さは、悪さを尽くしたあの兎のようであるが、
やはり、捕まって毛をむりしり取られて筆にされてしまのがオチなのだ。
知恵のある人はさすがに違っていて、
いかなる動物にも似るまいと、虎柄の敷物に座るのも避けたのだった。
【補足】［この詩は、蘇軾のいつもの次韻の詩の癖で故事を縦横に駆使して、凡人にはさっぱりわからないという作品。牛、兎、虎という動物づくしとなっているのがミソのようだ。理解不能なので、雑な「ずっぽ訳」でお茶を濁すしかない］
其の十四
我が弟ながら、漢代のさる賢人になぞらえてもよいであろう。
天与の性質はすこぶる純粋である。
静かに座って、酒を飲まない、
兄が酔うのにははなはだ寛容である。
故郷に帰って休むのは兄弟一緒であるのがよいにしても、
病を理由に退くのは、やはり順序として兄が先であるべきだろう。
山林に隠れるような士は、
そもそも骯髒のが貴ばれるというのは、弟もよく知っているはずだ。
身の自由を乞うのは早い方がよいと心得るべきで、
しかるべき時を過ぎてしまうと、味わいが少なくなってしまうのである。
其の十五
郷里を去って三十年、
旧い家は風雨によって荒れてしまっただろう。
ただ一束の書物だけを携えて、
あちこちで食い扶持を得てきた。
いつもいつも陶淵明に対して恥じているのは、
身の程知らずにも俸給を得ていることだ。
我等兄弟二人には、背の高い六人の息子がいて、
清く正しくあるべきとすることだけは、ほぼ伝えられている。
私にはそれで十分であって、
嘆息するようなことは何もないのだ。
其の十六
六人の男の子が嘵嘵と、
それぞれに経典を音読している。
この六人が五人ずつ男子を生んだなら、
戢戢 成人になってゆくことだろう。
我等が帰郷しても、我が門戸はかくも盛んであるのだから、
国のために兵役に就く者を出してゆけるであろう。
普児［長男の蘇邁の子の幼名］は言葉を学び始めたばかり、
額の広いところはなかなかよい顔つきである。
淮老［同じく蘇邁の子］は鶴の雛のように、
殻を破って力強く鳴いたところである。
酒を取って、千里の彼方の者［弟と蘇邁］に向かって挙げるとしよう、
この歓びがいささか平凡すぎるのを恥じらいつつも。
【補足】［其の十四から十六は家族をテーマにした連作である。陶淵明の詩に次韻しつつも、自身の連作としてある程度のストーリ性を持たせようと工夫しているのである］
其の十七
淮海［揚州］は古の楚の土地である。
軽薄といわれた風俗はいまやなく、
官舎の厨房には聖人［実は清酒のこと］も賢人［実は濁り酒］もごまんといる。
何事もないときは、知事殿はたっぷりそのお相手をする。
大道［正しい政道］は遠くにあると誰がいうのか、
たった三杯でそこに通じるではないか。
知事殿は夕方にはもう役所に座っていないから、
警護の者も刀や弓を放り投げてしまう。
【補足】［蘇軾のこの詩は軽い戯れである。実際にこのような勤務態度であったわけではない］
其の十八
ここに東の台を築いたのは誰だったのか、
座ったまま一郡全体を見渡すことができる。
古い仏塔が亭亭と独り抜きん出て立っているのは、
衆人の惑いを象徴するものである。
蕪城［揚州］はこれまで世の興廃を見てきた、
雷塘の堤は幾度も開かれたり塞がれたりしてきた。
来年あたりは立派な建物を作って、
そこに酒を置いて、これまでに亡んだ国を弔おうではいか。
かの竹西の路がかつての賑やかさを失ったままではないようにしたいものだ。
【補足】［民が賑わうようにとの希望を込めた詩なのだろう］
其の十九
晁補之君は天から下った麒麟であって、
私と交わりを結んだのはまだ仕官する前であった。
高い才能はもとより私の及ぶところではない、
風雅の志はあるいは私と似ているのかもしれない。
我等は魏の曹操が讃えた袁伯業の才能を懐い、
孔子の恥じることを自分も恥じたいといった左丘明と思いを同じくしようとしている。
時に歌って貴君を呼んで、
我が酔郷の里へ行こうと指さす。
漢代の呉公の門下に集まった客人の中から、
賈誼だけが特に推薦されたのだから、
貴君も、賈誼の『鵩鳥の賦』のように己の思いを述べるがよいだろう、
私もまたそれによって止まるところを知ることができるだろう。
ともあれ、行楽の時期は逃してはならないのだ、
黒髪も当てにならないのだから。
【補足】［序文で晁補之に寄せると記してあった］
其の二十
蓋公が老荘の道を論じたとき、
斉の大臣であった曹参だけがその真の意味を理解した。
それで曹参は仕事をしないでぐうたら過ごし、
客人がくるととにかく酒を飲んだのだった。
このときは劉邦と項羽の争いが終わったばかりで、
天下の傷跡がまだ生々しかった。
曹参は、いわば三杯で戦国の乱れを洗い流し、
一斗で強敵の秦を消し去ったのである。
それから千年の間は寂しいことにそのような人はいないままで、
唐の時代になって陽城が曹参を受け継いだのだった。
酔って客人の懐の中で眠り、
話したり笑ったりするのは面倒だと、
酔いつぶれるのをよしとした。
私は昔の歴史書を見て、
この三人を特別に親しく感じていた。
だから私はこれまで、粗食に甘んじて、
全うな学問に苦心する、ということをしてこなかった。
さて、酔って何をしようか、
草書というものは、何の用いるところがあるかというと、
酔いに任せて書くと、衣を汚すだけであるのだが、
一気に三十枚だろうが書き上げてみると、
そこらに座っている人たちが、
勝手に持ち去ってくれるのである。
【補足】［締めくくりはやはり酒が主題である。蓋公と曹参の話は作品番号05-2-035で見ている。唐代の陽城はいつも酔っ払っていて、それを諫めようとする者がいると、酔いつぶして何もいえなくした。歴史書を読んで、この3人だけを慕わしく思ったというのはもちろん戯れの言である］
■【10-2-041】書淵明詩二首其一
【解題】蘇軾は陶淵明の『飲酒』の詩を愛し、折々にその詩を写しては短い感想を添えている。それらをここでまとめて見ておこう。これは序文について記したもの。なお、陶淵明のもとの詩は章末の『和陶詩』を参照していただきたい。
【訳文】
（後漢の終わりのこと、孔融は一度免官になり、一年余り後に官職に復帰すると、大勢の客人の訪問を受けるようになり）孔融はこのようにいった。
「部屋に常に大勢の客人がいて、樽の中にちゃんと酒がある。そうであるのならば（不如意の）事は何もないのだ」
この語は酒中の趣をみごとに言い表している。
しかし、陶淵明が、
「たまたまよい酒があるのなら、飲まずにいる夜はない。我が影を顧みながら飲み尽くすと、たちまち酔い心地になる」
と、書いているのを見ると、孔融には実は「事が多かった」とわかるのだ。
【補足】［これはこれより2年後の紹聖元年に記されたもの。孔融は直言を重んじ、時の権力者である曹操にも遠慮会釈なく物をいったために56歳で刑死した。陶淵明を選ぶか孔融を選ぶか、蘇軾は常に厳しく考えていなければならなかった］
■【10-2-042】題淵明飲酒詩
【解題】これは『飲酒』の詩の其の五に書き添えたもの。最初に陶淵明の二句を書いて、それについて優れた鑑賞を記している。黄州謫居のころに書かれたと推測されている。
【訳文】
悠然見南山。［悠然と南山を見る］
菊を採っていて山を見る、ここに境［状況］と意が一致する。それがこの句の妙所である。
最近の俗な本はどれも「望南山」［南山を望む］となっている。これではこの一篇の神気［インスピレーション］はすべて消え去ってしまう。古の人は深く微かなところにまで意を用いたのであって、俗な連中が短絡的に自分の気分で妄りに改めてしまうのは、最も笑うべきことである。
【補足】［「望む」では意識して山を眺めたことになる。それでは、不意に山が目に入ってきて、その瞬間に、言葉では言い表せない何かを得たという、この詩の最も要となる部分が台無しになってしまうというのである］
■【10-2-043】題淵明詩二首其二
【解題】これは『飲酒』の詩の其の七に書き添えたもの。やはり黄州謫居のころに書かれたと推測されている。陶淵明の詩を一首まるごと写し、ごく短い感想を添えている。
【訳文】
秋菊有佳色、［秋の菊が佳い顔をしている］
裛露掇其英。［露にぬれたその花びらをつもう］
泛此忘憂物、［憂いを忘れるというこの物［酒］に浮かべ］
遠我遺世情。［世間などはうっちゃってしまおうとの気持ちをますますふかめよう］
一觴雖独進、［一つの杯で、独りでやるのだが］
杯尽壺自傾。［杯を飲みほし、いつしか壺を傾けても出なくなる］
日入群動息、［日が沈みゆくと、もろもろの動きが止み］
帰鳥趨林鳴。［鳥はねぐらの林に帰って鳴いている］
嘯傲東軒下、［私は東の軒下で嘯とも傲とも声を出す］
聊復得此生。［そのとき、自分はここに生きているとの実感をどうにか得るのである］
陶淵明は事が無く、自適することをもって生きている実感を得るといっている。
およそ物［名利］によって使役されている者は、自分の生を失っているのではなかろうか。
■【10-2-044】録陶淵明詩
【解題】これはすでに作品番号08-3-017として見ている。『飲酒』の詩の其の九について書いている。
【訳文】
清晨聞叩門、［すがすがしい朝、門を叩くのが聞こえた］
倒裳往自開。［あわてて衣をさかさまにひっかけて、門を開いた］
問子為誰与、［「どなたでしたか」と尋ねると］
田父有好懐。［気のよい農家のおやじさんで］
壺漿遠見候、［壺に酒を入れて、遠くから様子を見にきてくれたのだった］
疑我与時乖。［私が時世に背を向けているのをいぶかしく思って］
襤縷茅檐下、［「茅葺屋根の下での襤縷の日々は］
未足為高棲。［高尚なお暮らしとはいえますまい］
一世皆尚同、［世間は、みんなが同じようにするのが結構であるとしておるのです］
願君汨其泥。［あなたも、世俗の泥をかぶるのがよいのではありませんかな」という］
深感父老言、［「先輩のお言葉に深く感じ入ります］
禀気寡所諧。［それでも、私のもって生まれた性質で、うまく合わせるのが不得手なのです］
紆轡誠可学、［たづなを取り直して、進路を曲げるよう努めるべきなのでしょうが］
違己詎非迷。［自身をいつわるのは、迷いというものなのではないでしょうか］
且共歓此飲、［まあ、それはそれとして、これを飲んで楽しみましょう］
吾駕不可回。［私の車は方向転換がきかないのです」］
この詩を欧陽棐君は愛し、私もまた愛するものである。
私はかつてこのようなことをいった。
「言葉が心に発して、口を衝いて出ようとする。これを吐き出すと人に逆らうことになる。これを呑み込むと己に逆らうことになる。ならばどうするのか。むしろ人に逆らうのがよい。だから、私はついにそれを吐いてしまう」
陶淵明のこの詩の意は謀らずもそれと合致する。それでこの詩を書いておく。
■【10-2-045】書淵明飲酒詩後
【解題】これは『飲酒』の詩の其の十一について書いたもの。陶淵明の詩から二句を引いて短い感想を添えている。執筆の時期は不明。
【訳文】
客養千金躯、［千金の価値があるという身体に、我等は客人として宿り］
臨化消其宝。［死人に化すときに、その宝を消し去る］
いかなる宝も身体には及ばない。身体がなくなるのならばいくら宝があってもどうしようもない。
陶淵明はそんな単純な理屈もわかっていなかったという人がいる。私はそうは思わない。
【補足】［蘇軾の感想はよくわからないが、陶淵明の詩の理解が不十分な人の見解を否定したのだろう］
■【10-2-046】書淵明飲酒詩後
【解題】これも同じく『飲酒』の詩の其の十一について書いたもの。ここでは詩の全体を記してから感想を記している。日付が明記されているように黄州謫居のころの作で、すでに作品番号06-3-025として見ている。
【訳文】
顔生称為仁、［孔子の弟子の顏回［顔淵］は仁者と称えられ］
栄公言有道。［その昔の隠者の栄啓期は道を得た人といわれた］
屡空不獲年、［顏回はしばしば食べ物が得られなくて若死にし］
長饑至於老。［栄啓期はずっと餓えたまま老いた］
雖留身後名、［死後、その名を残したものの］
一生亦枯槁。［二人の一生は枯れ果てたものであった］
死去何所知、［死んでしまえば、名が残ったところで知ることではない］
称心固為好。［もとより生きていて心にかなうのがよいのだ］
客養千金躯、［千金の価値があるとしてその身体を養っても］
臨化消其宝。［死に臨んでは、その宝を消さなければならない］
裸葬何必悪、［裸で葬られるのも必ずしも悪くはない］
人当解意表。［人は生死の本当の意義を理解しなければならない］
これは陶淵明の『飲酒』の詩である。飲酒の最中に、どうしてこれだけたくさんの事柄を記すことができたのか、私にはわからない。
元豊五年三月三日、私は客人と酒を飲み、客人がこの詩を書くようにいった。それでその後ろにこのように記す。
■【10-2-047】書淵明詩二首其二
【解題】これは『飲酒』の詩の其の二十について書いたもの。蘇軾の恩人、先輩の飲みっぷりについてさらりと書いている。
【訳文】
陶淵明の詩に、
但恨多謬誤、［但だ恨むのは（これらの詩には）謬誤が多いことだ］
君当恕酔人。［君よ、当か酔った人を恕してくれたまえ］
とある。
これは実はまだ酔っていないときの言説である。もしもすでに酔っていたなら、誤りであることを憂う暇などないはずだ。
世間の人は、
「酔ったときにこそ、醒めているときの語を出すのだ」
というが、これは名言である。
張方平は酒を飲むときに重ねた盞の数をいったことがなかった。若いときに劉潜や石延年［どちらも名高い酒豪］と飲んで、ただ飲んだ日数だけをいった。
欧陽脩は盛年のときに盞で百杯は飲んだ。それでも張方平の飲み方には苦しめられた。
梅堯臣も百杯以上を飲み、酔ってからも、手を高い位置で交差させて［礼儀正しい姿勢］、ますます慎み深く穏やかに語った。
このようなことからすると、己の足らないところを知ってよく勉める者でなければ、善く飲む者とはいえないのだろう。善く飲む者とは、淡然として普段と少しも異なるところがないのである。
私はというと本当に飲めない。わずかに一杯で酔ってしまって、しかし、酔中の味わいが先の数君とは異ならないであるのなら、実は羨まれるものであるのだろう。
【補足】［石延年［字は曼卿］が酒豪であったことは作品番号06-4-078で見ている］
■【10-2-048】書淵明羲農去我久詩
【解題】題名にある「羲農去我久詩」とは『飲酒』の詩の其の二十のこと。ただし、その詩については何も書いていない。すでに作品番号06-5-009として見ている。
【訳文】
私は江州の東林寺に陶淵明の詩集があると聞き、人を遣わしてこれを求めようとした。すると、江州の李知事がすぐに一部を送ってくれた。字が大きく、紙が厚く、非常に喜ぶべきものである。
体調が佳くないときに、いつもこれを手に取って読む。ただし、一篇だけにしておく。読み尽くしてしまったなら、その後では自分の思いを慰めるものがなくなってしまうのを恐れるからである。
■【10-2-049】次韻范純父送秦少章
【解題】蘇門四学士の一人である秦観の弟の秦覿［字は少章］は、杭州で蘇軾のもとでしばらく勉学に励み［→作品番号09-1-001］、その甲斐があったのか、科挙に合格し、地方官として仁和県に赴任することになった。その途中で揚州に立ち寄り、都を出たときに范祖禹［字は純父あるいは淳甫ないし夢得］［→作品番号10-2-009］が詠んだ送別の詩を蘇軾に示した。これはそれに次韻したもの。
【訳文】
私には江海との深い縁がある、
世間の網もそれをどうこうできるものではない。
風に乗って降りかかってくる俗な塵は、
すでに淮河の波で洗い終わった。
十年の間、このあたりの地にいて、
初めて今年は麦が豊かに実るのを見た。
揚州では訴訟事が少ないのを喜び、
船や車が数多く行き交うのはさほど気にならない。
秦覿君が立ち寄ってくれて、賦した詩を見ると、
古の趣があって、賢人として推挙したいとの思いが起こる。
句法は黄庭堅君に習い、
秦観君や張耒君とともに磨き合ってきたのだ。
私はこれからは長く人々から離れ、
退居して講学に努める老いの日々を送ろうと思っている。
後進に名士が数多くいるのを朝廷に薦めたく思うのだが、
私はもはやその任にないのを悲しく歌うのである。
范祖禹殿こそはまことに立派な人で、
独り後進を集めることに勤めておられ、
痩せた馬のなかから名馬を見出し、
枯れた桐のなかから琴になる良材を取り出している。
近ごろ聞いたのは、
范祖禹殿は李君［李廌］を家に泊まらせているとのこと、
それは病んだ鶴に一本の枝を貸すような行為である。
秦覿君に与えた送別の詩では、懇ろに私のことまでも説かれ、
そのすばらしいお言葉によって、行き悩む私は慰められる。
西の夏国の軍勢はすでに退却し、
平穏を知らせる烽火が都にまで連なっている。
政は公等にお任せしておけば安心であるから、
私はもはや潜沱［成都を流れる川］に身を寄せるつもりだ。
【補足】［（1）自身の近況を歌ったり、秦覿を褒めたり、范祖禹に挨拶したりと、内容が多岐にわたってまとまりが悪い。それでも、このころの蘇軾の心情は伝わってくるであろう。（2）後半、病んだ鶴に喩えられている李廌［字は方叔］［→作品番号08-3-014］は蘇軾と縁が深い苦学中の若者である］
■【10-2-050】聞林夫当徒霊隠寺寓居、戯作霊隠前一首
【解題】この詩の題は、「唐垌［字は林夫］が霊隠寺に寓居しようとしていると聞き、戯れに『霊隠の前』と題する一首を作った」。唐垌は古くからの友人［→作品番号09-3-016など］。霊隠寺は杭州の西湖の西にあって、唐代からしばしば詩に詠まれる有名な寺で、隣が天竺寺である［→作品番号04-1-006、04-2-053など］。
【訳文】
霊隠寺の前、天竺寺の後ろを、
二つの春の川が流れ、その先に霊鷲寺がある。
その水がどこから来るのかは知らないが、
波を跳らせ、奔る雷のようにして谷へと赴く。
川は、無情のものなのか、有意のものなのか、それはわからない。
しかしながら、ぐるぐる巡って必ず冷泉亭の下へと向かって行く。
私が銭塘［杭州］にいたのは六百日、
山に行くのは間遠で、そこに席を温めることはなかった。
いま貴君は霊隠寺に居を定め、
葛の衣、草の履、僧の食事、
全てを寺の定めに従おうとしている。
もしも一百日の間、冷泉亭の主になれるのなら、
たとえ二十年の間宰相として法令に署名できるとしても、
そんなのは物の数ではない。
【補足】［唐垌は冷泉亭に身を寄せようとしていたのだろう］
■【10-2-051】次韻蘇伯固遊蜀岡、送李孝博奉使嶺表
【解題】杭州でともに仕事をした一人、蘇堅［字は伯固］は蘇軾が杭州を去るに当たって別れを惜しんでしばらく同行したことを作品番号10-1-001で見ている。蘇堅は何か所要のついででもあったのか、揚州に来てしばし旧交を温めた。この詩の題は、「蘇堅が蜀岡［揚州にある］に遊んで、李孝博が嶺表に赴任するのを見送る詩を詠んだので、それに次韻する」。李孝博［字は叔升］は各地の地方官を歴任してきた人で、今回は嶺表［いまの広東省のあたり］に行くことになった。李孝博と蘇軾はこれまで交流は特になかったようだ。
【訳文】
いまの季節――
稲がまさに伸びつつあるとき、まだ鶴を隠すほどではない、
木の葉は十分に成長し、その翳で蝉が鳴くようになった、
青い水が麻を浸しつつ渠を流れ、
松を焼く煙が白い扉の前に立ち上る、
紅い頬の娘さんが外を見ながら笑いさざめき、
白髪頭の老人が酔っぱらってそこらで寝ている、
どの家からも機を織る杼の音が鳴り、
どの樹にも梨や棗といった実がつくようになった、
村には、牛を売って刀を買うような者は一人もいない［皆が実直に農事に勤めている］。
役所を見ると、
鶴に跨って飛ぶ仙人を気取る知事殿［蘇軾］がいる。
ここに、李孝博君は遥かな嶺の南の民情を見る使いとして行こうとしている。
もとは宰相を輩出した山東の一族より出た賢人である。
長江を渡ってからは、かの孫権［三国時代の英雄］にゆかりの石を見るだろうし、
嶺を登ってからは、いくら飲んでも満足しないという貪泉の水を酌むであろう。
いま蘇堅君とともに歩みつつ南を望むと、
遠く山のみどりが連なっている。
そうだ、梅の花が落ちるころになったら、
北に帰る雁とともにすぐにもどってくるがよい、
そうすればちょうど春の酒が熟しているし、
山桜が赤く然えるように咲くのを一緒に眺められるであろう。
【補足】［蘇軾は蜀岡には同行していないようだが、詩はあたかもそこにいるかのように詠んでいる。前半では揚州近郊の田園風景を美化して描写している］
■【10-2-052】朱暉非張林均輸説
【解題】蘇軾は『後漢書』を読んで、この一文を記した。大半は『後漢書』からの抜粋で、最後に蘇軾の感想が添えてある。この時期に特にこのように記した意味は自ずと明らかであろう。
【訳文】
後漢の肅宗皇帝のとき、穀物の値が貴く、国家の経費が不足した。尚書省の張林が、（銭の流通を止め）絹の布で租税を徴取し、官で塩を煮て専売とし、しばらく均輸の策［前漢の武帝のときの経済政策］を行うよう提案した。ただ朱暉［字は文季］だけが反対し、張林の提案は取り下げとなった。
しかし、後にまた同じ提案がなされ、皇帝がそれをよしとしたので、実施された。朱暉だけがまた以下のように申し上げた。
「王者の制度として、天子は物資のあるなしをいわず、諸侯は物資の多寡をいわず、お上から禄を得ている家は百姓［一般人民］とは利を争わないとされています。今の均輸の法は国が行う商売にほかなりません。塩の利益が官に帰すなら、下の者は苦しみ怨みます。絹の布で租税を徴取するなら、間で吏人が悪賢く盗みを働きます。みな賢明な天子の為すべきことではないのです」
皇帝は張林がいうことの方がもっともであると考えていたので、これを見て怒りを発し、激しく尚書省の面々を責めた。朱暉等は皆自分で己を獄に繋いだ。三日して、皇帝は詔書をもって獄より出した。その詔に、
「国家は反対意見を聞くのを楽しむ。老人［朱暉］に罪はない。先の詔書に過ちがあっただけのことだ。それなのに、何故に自ら獄に繋いだのだ」
朱暉だけは病が重いと称した［皇帝に詫びることをしなかった］ので、尚書省の長官以下は恐れおののき朱暉にこのようにいった。
「いま譴責を受けているのだ。それなのに病を称していたのでは、受ける禍は小さくはないのだぞ」
朱暉はいった。
「私は八十歳、恩を蒙って国家の機密に携わることを得て、死をもってそれに報いようとしているだけです。もし心に不可であると知っていながら、陛下の御意向に雷同するのは、臣下の義に背きます。いまはもう耳も聞こえず目も見えなくなっています。伏して死の御命令を待つだけです」
それからは口を閉ざしてついに何もいわなかった。尚書省としてはどうしてよいかわからず、朱暉を弾劾することにした。皇帝の心はやや解けてそのことは沙汰やみとなった。
それから数日して、皇帝は役人を派遣して朱暉の様子を尋ね、御典医が病気を見舞い、太官が食物を賜わった。朱暉は起き上がって礼を述べた。
元祐七年七月二十一日、私はたまたま『後漢書』の「朱文季伝」を読み、感嘆してやむことがなかった。肅宗は「長者」であったと称えられる皇帝で、詔書にはすでに罪を免除して朱暉を赦すとしてあったのに、尚書省の面々はどうしてそれほどまでに恐れたのだろうか。朱暉はこのとき強く立って、高い地位など物の数ではないとしていた。尚書省の面々はまさに笑うべきである。「禍は小さくはない」とは何を心配したのか。皇帝に悦ばれなくて、そのために後にまた進用されなくなることを莫大な禍であるとしたのだろうか。悲しいではないか。
■【10-2-053】与趙徳麟
【解題】趙令畤［字は徳麟］［→作品番号10-2-036］に与えた手紙。揚州副知事の晁補之［→作品番号10-2-037］は揚州を去る日が近づきつつあったようで、そのことが記されている。
【訳文】
人がきてお手紙を頂戴しました。この暑さを畏れながらも、貴君の佳勝を審らかにし、心が慰められます。……私は、晁補之君にすっかり頼り切っていて、晁君がここを去ってしまうことを憂いていました。もしも貴君が代わりにきてくれるのなら、まさしく天からこの老人への贈り物であります。……
【補足】［（1）趙令畤が揚州への任地替えを希望していることは作品番号10-2-030で見ている。（2）このころに従兄弟の程之元［字は徳孺］［→作品番号09-2-047］が南方での任務を終えて都に帰る途中で揚州に立ち寄っている。そのときのことは後に見ることになる］
■【10-2-054】送晁美叔発運右司年兄赴闕
【解題】蘇軾と同じ年の科挙で合格した友、いわゆる「同年」、に晁端彦［字は美叔］がいた［→作品番号05-1-051、04-2-095］。これは、晁端彦が都に行く途中で揚州に立ち寄った折の送別の詩。詩題に「年兄」とあるのは、「同年」の間柄の年長の者。この詩は科挙に合格したときのことを回顧して詠んでいる。なお、晁端彦は、揚州副知事の晁補之の父の晁端友［→作品番号10-2-018］の兄である。
【訳文】
かのとき二十歳の私は一人の友人もなく、
天下にはただ弟がいるだけだった。
そこに貴君が来られて門を叩き、
何か求めるところがあるかのようだった。
貴君は鶴のように背が高く、
鶴のように清らかで整った姿をしていた。
「欧陽脩先生がお尋ねするようおっしゃったのです。
先生は現代の韓愈のようなお方、
孔子、孟子の教えを継いでおられます。
貴君は必ず世に名を顕す人であるから、
私も貴君に従って他から抜きん出るようにしたらよろしかろうと、
先生がおっしゃったのです」
酒は醒め、夢は断たれて、四十年、
鶴は、病むこともなく、骨格がますますしっかりとしているのだが、
私は、この羞ずべき老いた顔になってしまった。
酔翁［欧陽脩］の門弟は天下にばらばらになり、
その幾人がまだ白髮頭を載せているのだろうか。
かの王羲之は若いときに、
同じく評判の高かった王述を軽んじて、
「あの者は朝廷の高官になるだけのこと、
私は会稽に隠棲するであろう」
と、いった。
私はまことに生きるのに拙く、
過分の優遇に遭ってまさに王述のように高位に昇ってしまった。
貴君が会稽［越州］を求めているのはまことによい考えである。
無数の谷から川が流れ出る風光を見ることになるだろう。
【補足】［越州は風雅を解する人には憧れの地の一つだったようで、蘇軾も赴任を希望したことがあった［→作品番号08-3-086］］
■【10-2-055】重請戒長老住石塔疏
【解題】揚州には石塔寺があり［→作品番号07-2-058］、そこにいた戒長老が杭州に帰ることを願い出たので、この文章を作った。
【訳文】
大士［戒長老］が法を説かなかったならば、獅子が吠えるようなその声［仏教の神髄］は誰も聞くことができなかった。衆生にはそれぞれに住まうところがあり、石塔寺とはもとより関りはない。長老は何かのしるしを得て去るのではないし、留まるのはただ縁に随うだけである。長老の戒公はここに仏門を開き、無尽蔵の施しをされたのだが、西湖と長らく別れていたことを思ったのもまた偶然によるのであって、東坡が少しく留めようとしてもそれはかなわないだろう。礼をなしてそのお声をまた聴こうとするのだが、渡し場で船は回り、もとの雲山の色のもとへと行こうとする。秋がきて雨が通り過ぎ、鐘鼓の音が新たになる。
■【10-2-056】石塔戒衣銘
【解題】戒長老が去るにあたって、その衣の銘を作って贈った。上の文章もそうであったが、仏教に関連するこれらの文章の意味はよくわからないので、とりあえず日本語にしてみただけである。
【訳文】
石塔長老［戒長老］は三昧の境地を得るために初めは戒定から入り、それより仏法を護り、登壇して戒衣［法衣］を受けた。道を得た人は己のもとに何一つ物を留めないと聞いているが、この法衣は補修を重ねてつぎが百カ所もある。仏の教えは一念ごとに逝き、この衣は昔の衣ではない。仏法に生滅はなく、衣は壊れることはない。振るえば無塵の衣、洗えば無垢の人である。衣が壊れれば長老より去ることになる、だから終に壊れることがないのだ。
■【10-2-057】太夫人以無咎生日置酒留余、夜帰、書小詩賀上
【解題】揚州副知事の晁補之［字は無咎］［→作品番号10-2-037］の誕生日に、その母［太夫人］が蘇軾に酒をふるまってくれたので、帰りがけにこの詩を書いた。
【訳文】
誕生祝いの樽の酒の滴りが、
友人［蘇軾］の頭の簪にまでも及び、
夜遅くまで語り合うようにと、
太夫人［晁補之の母］は奥の部屋を開けてくださった。
この上は、
客人が帰らないようにと車輪を井戸に沈めてしまった昔の人と同じように、
太夫人が振舞われるのに任せるほかはないだろう。
■【10-2-058】石塔寺、并引
【解題】揚州の石塔寺［→作品番号10-2-055］で詠んだ詩。短い序文がある。
【訳文】
引［序文］
世には王播の『飯後の鐘』という詩が伝えられている。それは揚州の石塔寺で詠まれたという。世間は王播に同情して『飯後の鐘』を伝承してきた。戯れにこの詩を作る。
【補足】［唐の時代の王播の若い頃の苦労話は作品番号10-1-015でも見ている。この詩の前半はそれに基づいて詠まれている］
苦学する王播は、
飢えて目がくらんで、東も西もわからなくなるほどだった。
腹の虫が、詩でも吟じるかのように、朝も夜も鳴り続けた。
灯火を見てそこに寺があると知って、粥を恵んでもらった。
それから王播は、食事を告げる鐘が鳴ると、寺を訪れるようになった。
寺の僧はそれを嫌い、ある日、食事が終わってから鐘を鳴らした。
寺の僧は、かの韓信を救った洗濯婆さんほどには情け深くなかったので、
王播は冷たく追い返されてしまった。
このくらいのことは、笑ってすませればよいだけであるのに、
王播は、二十年後に朝廷の高官として揚州に来ると、
昔のことを思い出して石塔寺をそしる詩を作った。
寺ではいろいろな若い者を養っていて、
つまらない者を寺に入れてしまうと、
益がないばかりか、憂いを残すことになる。
つまるところ、飯後の鐘を鳴らしたのは、
王播の人間性を見抜いた具眼の士であったのだ。
【補足】［王播は苦学の末にめでたく科挙に合格して官員になった。始めのうちは真面目に職務に勤めたのだが、一度左遷を味わうとたちまち変身し、徹底して上に諂い、人民から絞り取る、上からみて「使いやすい有能な官僚」となり、ついには宰相の地位にまで昇った。そのような人物であったから、飯を与えずに追い出した僧を、蘇軾は褒めたのである。なお、韓信を救った洗濯婆さんのことは作品番号10-2-021で見ている］
■【10-2-059】王文玉挽詞
【解題】王琦［字は文玉］［→作品番号07-1-040］の死を悼んだ詩。
【訳文】
貴君は、唐代の鄭虔のように何ら虚飾がないとの評判、
誰一人として貴君に及ぶ者はいなかった。
月を刻む斧、雲を刻む斤でもって、己の精神を彫琢し続けていた。
貴君は、晋代の皇甫謐と同じく病に伏すことが多く、
漢代の揚雄と同じく三朝に仕えながら昇進することがなかった。
蘭は奥ゆかしい香りを漂わせるはずのものであるのに、
長く草のままでいたのだった。
葉は涙に濡れて乾くときがない。
ただ喜ばしいのは、
ご子息のうちに魏代の曹植のような人がいて、
その文章が波瀾に富んでいることである。
【補足】［昔の著名人を並べて、不遇に終わった王琦を慰めているのだが、故事の列挙はさほど心に響かないのではないだろうか］
■【10-2-060】山光寺送客回次芝上人韻
【解題】揚州の町から北十五里にある山光寺で、ある人が帰るのを見送り、芝上人［曇秀］が詩を作ったので、蘇軾が次韻した。そのとき副知事の晁補之も同行していた。
【訳文】
忙しいなかでもわずかな暇を得て清らかな遊びをする。
酔っているときこそが天の真理によるまことの境地である。
夢からかえって、私のもとに吹き寄せられた句を拾う……
十里の南風、草木はかんばしい。
【補足】［「十里の風」は揚州の代名詞である［→作品番号10-2-018］］
■【10-2-061】和芝上竹軒
【解題】芝上人［曇秀］が竹軒で詠んだ詩に和した。
【訳文】
洞外も空中も［つまり宇宙全体が］、
千千万万すべて同じ竹である。
師［芝上人］に竹の頌歌を唱えさせたのは、
果たして誰が吹いた風なのだろうか。
■【10-2-062】送芝上人遊廬山
【解題】芝上人［曇秀］は間もなく廬山に行くことになり、この送別の詩を作った。
【訳文】
この二年の間に三つの州［杭州、潁州、揚州］を経めぐった。
老いるのを惜しむわけでないのだが、
団団と碾き臼をまわす牛のように、
一歩また一歩と同じ足跡を踏んでばかりいる。
だから、世間の外に出ている人が、
魚や鳥と同じように遊んでいる心持ちはわからない。
芝上人は雲間の月のように、時折、炯炯と光を現し、
ここのところ三度会っていて、
心にいつも適うところがあるようだ。
芝上人はいままさに廬山に向かうところ、
広範な見通しのもと、いよいよ密に道へと近づいて行くのである。
私の人生は寄せるだけのもの、
出処進退をあらかじめ知ることはできない。
江南には千の峰、万の峰がある、
この後、そのどこに上人の居所を訪ねたらよいのだろうか。
【補足】［芝上人とは三度会っていると詠んでいるが、これ以前の二回がいつどこなのかは不明であるという］
■【10-2-063】書曇秀竜尾硯
【解題】芝上人［曇秀］との縁はこれで切れたわけではなく、これより後に、再会、再々会している。少し先走って、3年後の紹聖二年［1095年］に芝上人が遥かな旅路をものともせずに蘇軾のものを訪れたときの短文を見ておこう。
【訳文】
芝上人は竜尾石の硯を蓄えている。私がよくいっている「渋であるけれど筆を留めない、滑であるけれど墨を拒まない」、まさにその通りのものである。両手に乗るくらいの大きさで、月形に池［墨が貯まるところ］が作られている。かつて蒋堂が所有していたものだという。私は広陵［揚州］にいたときにこの硯を曇秀に見せてもらい、いままた嶺海の間［恵州］で見て、あたかも旧友のように思える。
【補足】［歙州産の竜尾石で作られた硯は天下の名品とされる［→作品番号07-1-036］。蒋堂は蘇軾より50年余り昔の人］
■【10-2-064】送程徳林赴真州
【解題】蘇軾と「同年」の仲間に程筠［字は徳林］がいて、かつて黄州から都に向かう道の途中で会っていたことを作品番号07-1-025で見ている。その程筠が真州に赴任する途中で揚州に立ち寄ったので、この送別の詩を詠んだ。揚州は交通の要衝であるだけに、頻繁にいろいろな人の訪問がある。
【訳文】
貴君は元豊年間に県知事になったとき、
役人が（新法による）実績の向上を貪って農民を苦しめているのを見て、
その実態を朝廷に申し上げようとした。
しかし、その手蔓がなかったので、
当時の諫臣に手紙を出し、どうにかして正しい情報を通じさせようとした。
元豊の天子［神宗皇帝］は貴君の報告を知って表情を改めた。
私はそのとき馬にまたがって長江の東西を行き来し［黄州流謫のころ］、
旅宿で聞くたびに、貴君が指摘した通りのことがあった。
老いた人は、貴君が誠実な官員であることを愛し、
若い人は、貴君が思いやりのあることを敬っていた。
その後、天子［哲宗］の御聡明な目は四方に達し、
あらゆる名馬［優秀な人材］は朝廷に集められたのだった。
貴君は都の近くの県知事を勤めて古の人のようであると讃えられ、
その政の評判は直ちに宮中に伝えられたのである。
天子の厩は海のように広くて無数の竜馬を養えるので、
貴君の御子息がその一員に選ばれたところで依怙贔屓されたことにはならない。
それにしても、真州知事の職は貴君を煩わせるまでもないと思うのだが……。
【補足】［（1）新法の実施状況に問題があるとの程筠の意見書を取り上げたのは蹇受之であると蘇軾自身の注記がある。テキストによっては「蹇授之」としているものもあり、それが正しければ、蹇序辰［字は授之］［→作品番号06-3-075］であろう。皇帝自らが推進する改革にすこぶる実効性があると、地方官が偽って報告することが横行していたなかで、程筠の報告は神宗皇帝を驚かせたのだった。（2）程筠の子が制科の試験を受けてよい成績であったとやはり蘇軾自身の注記がある。（3）最後は程筠のような人物がいつまでも地方の知事あるのはもったいないという意味］
■【10-2-065】書六合麻紙
【解題】揚州の近郊で作っている紙について記した短文。各地で特産物を生み出そうする動きが盛んであったと窺い知ることができるであろう。
【訳文】
成都の浣花溪の水は普通の水よりも清く滑らかである。麻や楮をその水に浸して箋紙を作ると、真っ白ですばらしい仕上がりになる。数十里の範囲の外側は製造に適さない。まことに水の力によるのだ。
揚州に蜀岡があり、岡の上に大明寺の井戸がある。水の味を知る者は、蜀の水と似ているという。
蜀岡の西に六合県がある。あちこちから水が湧き出し、合わせて大きな溪川になる。溪川の左右で人々は紙を造っている。その紙は蜀産のものと比べてそれほど劣るものではない。ここ十年で生産量がますます増え、ますます精巧になっている。さらに数十年もしたら蜀産の紙と区別がつかなくなるであろう。
【補足】［（1）成都の浣花溪は杜甫が一時期住んでいた場所として有名である。（2）蜀岡の名は作品番号10-2-051で見ている］
■【10-2-066】谷林堂詩
【解題】上に記されているように蜀岡のかたわらに大明寺があり、その寺の中に谷林堂があった。そこで詠んだ詩。
【訳文】
深い谷を下って行くと、
奥ゆかしい気配がし、高く枝ぶりのよい林がある。
ここに美しい堂ができあがったばかり、
秋風が吹き始めたいま初めてそこを訪れる。
待っていたかのように雨が通り過ぎるのは、
私を楽しませようとしているのだろうか。
竹はいなせな若者――
苦難に負けない気概を見せて、すでに節が太くなっている。
槐は老いた無頼漢――
花を風に吹かせて、渠を填めてしまおうとしている。
山の鴉は争うように叫び合い、
溪の蝉はそれぞれ静かに鳴いている。
生きる労苦の外へと懐を寄せ、
ほのかな夢の後のような心持ちで、
この句を得た。
昔も今もつまるところは同じである。
だから、これがいつの詩であるのか、
歳月を記す必要はない。
【補足】［この詩は、新しい堂が完成した記念にと所望されて詠んだのかもしれない。冒頭に、谷と林を詠んでいることから、「谷林堂」と命名されたという説もある］
■【10-2-067】跋李氏述先記
【解題】蘇軾はこのころに朝廷に向かって幾つかの政策提言をしている。当時の政治制度に疎い訳者の手に負えるものではないので残念ながら割愛するしかないのだが、社会の問題点を直視して解決していこうとする姿勢は明らかで、蘇軾のような人が地域の責任者としていてくれるのは民衆にとって心強いものがあったであろう。しかし、8月22日、都では蘇軾を召還することが決定された。揚州にいたのはわずか4カ月間であった。朝廷からの報せが届くまでに何日かかったかはわからないが、蘇軾は決定の6日後に、李氏の先祖の働きを記録した文章を読んで、この跋文を記している。
【訳文】
東坡居士が記す。
百倍の人数の賊が我等に向かってきて、我等には防具も武器も城壁もないとしたら、互いに助け合う父と子であっても、守り通すことはできないだろう。
李君は、鋤や鍬や棒切れしかないのに、人々を率いて賊を拒んだ。人々が頼れるだけの才略を持ち、人々が違背しないだけの徳を具えているのでなければ、このようなことはできるはずもない。
私は、李君の普段の振る舞いがどうであったのかを知ることができないのを残念に思う。非常に立派な人でなければこのようなことはあり得ない。
平和な世において、巡り合わせの幸いによって功名を成す士はたくさんいるだろう。しかし、危乱の世においては、豪傑の士であっても埋もれてしまって後世に伝えられないことは非常に多い。悲しいではないか。
元祐七年八月二十六日、書く。
【補足】［（1）ここに記されている李氏がどのような人物であったのかわかっていない。（2）蘇軾自身は戦場に立ったことがなく、蘇軾の肖像画は畑を耕す姿が最も似つかわしいとして描かれることが多い。戦いの場で奮闘したにもかかわらず、そのことが十分に報いられていない者に対して深く心を寄せる姿勢は、退役軍人の郭綸を詠んだ詩［→作品番号01-1-001］以来一貫している］
■【10-2-068】生査子
【解題】揚州にきていた蘇堅［字は伯固］［→作品番号10-2-051］が去ることになったので、この詞を贈った。
【訳文】
三度別君来、［あなたと別れるのはこれで三度目］
此別真遲暮。［いまのこの別れは本当に老年に及んでからのもの］
白尽老髭鬚、［あなたは髭鬚を真っ白にして］
明日淮南去。［明日は淮南へと去って行くのです］
酒罷月随人、［酒が終わると、人は月とともに行ってしまい］
涙湿花如霧。［涙が露のように花を湿らせます］
後夜逐君還、［またの夜にはあなたを追って］
夢繞湖辺路。［夢は湖辺の道を巡ることでしょう］
■【10-2-069】書贈張臨渓
【解題】蘇軾は8月の末ないし9月の初めに揚州を発った。都への旅の途中で出会った張堂のためにこの短文を記した。
【訳文】
吾が友の張希元とは科挙に合格した頃に知り合い、優れた才能があって、功名をもって世にその名を顕すべき人物であった。しかし、不幸にして早くに亡くなってしまった。それは運命というものなのだろうか。
元祐七年九月二日、渓に臨む道を行くと、その子の張堂に会った。この地を治める官員となっていて、民事について問うと、張堂には家風が凜然として伝わっていて、張希元はいまも亡くなっていないかのようである。
勉めよ、勉めよ。枳棘の間にいつまでもいるものではきっとないであろう。
東坡居士が書く。
■【10-2-070】予少年頗知種松、手植数萬株、皆中梁柱矣。都梁山中見杜輿秀才、求学其法、戯贈二首
【解題】これも旅の途中での詩。題は「私は少年のころに、松を種えることをかなり深く知った。種えた松は数万株で、どれも梁や柱に使えるまでに育った。都梁山で杜輿秀才に会ったところ、その方法を学びたいといったので、戯れに二首を贈った」。
【訳文】
其の一
泥のなかを歩み、露に宿って、
草や棘の間から苗を育てる。
十年の間、春の雨に養われ、ようやく竜の髯ほどになる。
いま都のすぐ近くに住む都会人の貴君から、
この東坡居士が松を種える方法を問われるとは……
其の二
貴君は雪を掃って松ぼっくりを拾うがよい。
私が荒れ地を開いて育てた松の根元には、
すでに茯苓が生えるまでになっている。
貴君がもしも楊の挿し木を問うたならば、
来年にはもう花を咲かせるまでになるであろう、
しかし、楊は絮は飛ばし、それが水に落ちるだけのことなのだ。
【補足】［科挙を目指している杜輿がどうして松の植え方を尋ねたのか。蘇軾の心をとらえようとするいささか小賢しい計略であるのかも知れないと、少しばかり疑ったのだろうか、じっくり勉学に励んで、茯苓［霊妙な薬効のある茸］を生やすまでに己を成長させよと、戒めの言葉を贈っている］
■【10-2-071】行宿、泗間、見徐州張天驥、次旧韻
【解題】船が宿州から泗州へと進む途中で、蘇軾は思いもよらぬ人物の訪問を受けた。詩題にある「徐州の張天驥」とは、すなわち放鶴亭主人の張山人である［→作品番号05-4-106など］。張天驥は自由人で蘇軾の前にふっと現れ出る。この詩は、杭州に蘇軾を訪ねた張天驥が徐州に帰るのを見送ったときの詩［→作品番号09-2-019］に次韻したもの。
【訳文】
私は、二年の間に三度、船で淮河を通過した。
ここにまた、馬を駆って天下を自在に行くような貴君と会った。
何事もないのなら、ゆっくり酒を飲むのもよいだろう。
詩文を著わすのは、己の愁いの窮まりなさを見つめるためである。
孤独の松が早くから偃せるのは、
もともと病があるからではない。
飛ぶのに倦んだ鳥が還るのは、
ただ休みたいからではない。
私はきっとこれからもこの川を幾度となく往来し、
貴君ともまた会うだろうと思うのだが、
頭はすでにかくも真っ白になってしまっている。
【補足】［この詩のそれぞれの句が、蘇軾もしくは張天驥にとってどのような意味合いを持つものであるのか、訳者には十分な推測ができないままに訳したのだが、これまでに張天驥に詠み与えた幾つかの詩とは違って、暗く沈んだ印象がある］
■【10-2-072】与何正通
【解題】旅の途中で何去非［字は正通］に送った手紙。何去非は3年前に蘇軾の推薦で徐州の学校の教授になった人物で、作品番号09-2-068で引用した何薳の随筆『春渚紀聞』の記事で、「我が父」として登場していた。恐らく張天驥が何去非のメッセージを携えてきてそれへの返事であるのだろう。
お手紙を頂戴し、起居の佳勝でありますことを承知しました。町の学校に久しく留まっておられますが、徐州の青年諸氏に文章の瑰瑋の気とはいかなるものであるかを知らせておられるのは小さなことではありません。私はまた上京しつつあります。ただあたふたするだけで朝政に補うところは何もなく、はたはだ友人たちに恥じるばかりです。たちまち涼しくなってきました。時節柄万万自重されますように。
■【10-2-073】祭張文定公
【解題】蘇軾は南京応天府に到着し、すぐに亡き張方平の家を訪ね、位牌にこの祭文を供え、遺族に墓誌銘［→作品番号10-1-102］の草稿を見せた。祭文は一句四文字、三句一組の形式で作られ、その美しさがわかるよう原文を示し、内容としては格別新味はないので、大意だけを後ろに掲げる。
【訳文】
我游門下、三十八年、如俯仰中。
十五年間、六過南都、而五見公。
升堂入室、問道学礼、靡求不供。
有契于心、如水傾海、如橐鼓風。
風水之合、豈特無異、将初無同。
孰云此来、慟哭不聞、高堂莫空。
斂不拊棺、葬不執紼、我愧於胸。
公知我深、我豈不知、公之所従。
生不求人、没不求天、自与天通。
天不吾欺、寿考之余、報施亦豊。
一子四孫、鸞鵠在庭、以華其終。
自我先子、逮今三世、為好無窮。
以我此心、与此一觴、達於幽宮。
尚饗。
［大意：私は張方平先生の門下生として三十八年を過ごし、それはほんの一瞬であった。南京応天府を六回訪れ、先生と五回会った。学問について尋ねれば必ず答えがあり、水が海へと流れるように私は先生に傾倒し、師弟が合致することは初めから変わることがなかった。ここに来て私が慟哭しても先生の声は聞こえず、部屋は空である。先生は私を深く知ってくださっていたのであるから、私が先生のことを知らないでいてよいはずがない。先生は生きていて人に求めるものはなく、亡くなって天に求めるものはなく、自ずから天に通じるお方である。いま御子息が一人、男の孫が四人いて、いずれも賢人である。我が父より今に至るまで三代にわたって先生の家とはよしみを結び、それは永遠に続いてゆくであろう］
■【10-2-074】在彭城日、与定国為九日黄楼之会。今復以是日、相遇於宋。凡十五年、憂楽出処、有不可勝言者。而定国学道有得、百念灰冷、而顔益壮、顧予衰病、心形倶悴、感之作詩
【解題】南京応天府には張方平の娘婿である王鞏［字は定国］がいた。長い詩の題は次の通り。「私は彭城［徐州］にいたときに王鞏とともに黄楼において重陽の会をもった。いままた九月九日に宋［南京応天府］で王鞏に会った。およそ十五年の間の憂楽や出処は言葉にしがたいものがある。王鞏は道を学んで得るところがあり、雑念がすっかり静まって、顔はますます若々しい。私は衰え病み、心も体もぼろぼろである。感じたことを詩に詠む」。徐州の黄楼で重陽の節句に詠んだ詩は作品番号05-4-073で見ている。
【訳文】
九月九日といえば――
昔から伝わるのは菊の盞に朱萸の囊、
そもそもの始まりは費長房の教えに由来するのだが、
我等としては、
漢の武帝がこの日に汾水に船を浮かべて遊楽したのに倣おうと、
十五年前に黄楼で宴を張ったのだった。
徐州には、やはりこの日に劉裕が感慨にふけった戯馬台があった。
いずれにしても歳月は流れ去り、
いま宝玉のような貴君に会って、
いよいよ自分が老いたことを感じずにはいられない。
貴君は永遠不変の大河のように、千首もの詩を賦しているので、
黄楼の第二篇もたちまち賦し出すであろう。
【補足】［この詩は重陽の節句に関連する故事をやたらと並べ、長い詩の題に相応するだけの内容がない。蘇軾もそれを感じたのだろう、同じ日に次の詩も詠んでいる］
■【10-2-075】九日次定国韻
【解題】九月九日に王鞏の詩に次韻したとあるが、王鞏の詩が、上の蘇軾の誘いに応じて詠んだ「第二篇」であったのか、別の詩であったのはわからない。
【訳文】
朝に生えて夜には消える菌には晦も朔ない、
夏の蝉は春や秋のあることを信じない、
南柯国で波瀾の一生を過ごしたと見たのも、
寝返りをするまでの我が夢のこと、
仙人から吾等を見れば、
蜂や蟻がうじゃうじゃ何事かをしているのと異なるところがない、
蝸牛の角の上で争った蛮氏と触氏にだって、
それぞれ国家の憂いがなかったわけではない――
かくて私は、去、来、今［過去、現在、未来］を大観して、
そのいずれかに我が一念を留めるものではないのだが、
走りまわってついに何も得るところがなく、
ただ限りない羞を引き起こしてきただけだった。
王君は誤って俗世間を渉らねばならなくなり、
しばしば献策をしながらついに酬われないまま、
やむをえず黄金を行楽に費やし、
愁いの窮まるところを清らかな詩に出している。
かくて四十年を一瞬のうちに過ごして、
人生とは寄る辺なく浮かぶものだと知ったのである。
礼服を着て立派な車に乗って道を行く高官も、
かつてはそこらで遊ぶ子供であったし、
大邸宅を建てた大臣も、
ひょっとしたら貴君の家の馬飼いであったのだ。
町の行商人のなかにも、
第一級の人がいるだろうし、
ぼろぼろの着物のなかに、
輝く一寸の珠［高潔な心］を保っている人もいる。
私は、旅を志したことはないのに、
たちまち天下をほぼ巡ることとなって、
たまたま貴君と出会ったのは、
人が謀ったのではなく天が与えてくれたものである。
笑うべきは、
私は酔った夢のうちにあって、
衣冠を身に着けて猿踊りをしているだけなのである。
名馬も病めば力が尽きてしまうし、
名優も技が行き詰まれば老いさらばえるだけ。
山には、白雲の湧く石があり、
田には、耕すべき土がある。
きっとどこにでも無何郷があり、
貴君とともに逍遙する遊びができるであろう。
そうした遊びから帰ってきてみると、
ここに都があったのは確かであっても、
ただ累累と墓があるだけとなっているのだろう。
【補足】［大都市が栄華を極めれば、その近くに墓がたくさん作られ、都市が衰亡した後に、虚しく墓ばかりが残るという光景は、長い中国の歴史において数限りなく繰り返されてきた。この詩の終わりはいずれ宋の都もそのようになると歌っている。この詩も含めて、揚州を発ってからの幾つかの詩は重苦しい雰囲気を漂わせている。それは、都に行きたくない蘇軾の気持ちの表れであるのだろう。都に行けば「限りない羞を引き起こす」［原詩は「無窮の羞を起こす」］とわかっていて、それでも官に仕える身としては朝廷の指令に従わないわけにはいかない。「無何郷での逍遙」は夢想でしかないのだ］
■【10-2-076】召還至都門先寄子由
【解題】都の門に至り、蘇軾はこの詩を弟に寄せた。
【訳文】
老いたこの身は疲れ倦んだ馬、
川の堤はどこまでもどこまでも長く、
黄なる楡、緑なる槐の影を踏み続ける。
野の鶏が月に叫んだのはまだ夜中のうち、
ほんの束の間の旅の夢に、
僕は家に還っていた……
帰ってからの田舎暮らしは、
もはや歳月の流れを感じない。
夢から覚めるなら、
田舎暮らしは無限の歳月の彼方……
溝に填れて野垂れ死にをするまでの間は、
なお朝廷の要請に従って行かねばならない。
君が朝廷において重要案件について奏し終わった後で、
皇帝は詔をもって僕の出迎えに出ることを許してくださったという。
君は一目散に車を飛ばし、
もう橋のあたりに着いていることだろう。
きっと皇帝からの賜りものである酒や茶を携えているだろうけれど、
遠くから来た僕には君に贈るものはない。
ただ、今年は揚州、潁州のあたりは豊作であったと、話したいと思っている。
【補足】［（1）都の門から町中へと入って行きつつ、迎えに出てきた弟にいよいよ会うという思いを歌った詩。（2）杭州を出てから1年半の間に、都、潁州、揚州、そしてまた都と、落ち着く間もなく転々としてきた。今度も都に長くいることあるまいと思ったのであろう、馴染み興国寺の浴室院の東堂［→作品番号10-1-015］にしばしの身を寄せた］
■【10-2-077】与趙徳麟
【解題】都に着いて間もないころに趙令畤［字は徳麟］［→作品番号10-2-053］から手紙がきて、それに対する返事。
【訳文】
お使いの人がきてお手紙をいただきました。その者がいうには、西洛［洛陽］まで往復するとのことでしたから、すぐには御返事をしませんでした。お手紙から貴君の起居の佳勝を審らかにし、いろいろと思うところがあります。貴君がいまも潁州での任を解かれずに、長くそこに留まっていなければならないのは、易からぬことでありましょう。忍耐がいるでしょうけれど、辛抱強く待たれるのを願うものです。私はここにきて半月になり、楽しむべきことは何もありません。大礼が過ぎたなら、重ねて会稽［越州］への赴任を乞うことだけを考えています。……
【補足】［（1）趙令畤は潁州での任務が長く、本人も蘇軾も揚州に移ることを希望していたが［→作品番号10-2-053］、実現しなかった。この後、蘇軾は趙令畤を朝廷で用いるように推薦している。（2）蘇軾は都にきて重職に就いたのだが、すぐにも地方に転出することを願い出ようと考えていたのである］
■【10-2-078】次韻定国見寄
【解題】同じころに、南京応天府にいる王鞏［字は定国］［→作品番号10-2-074］から詩が届いたので、次韻して返した。やはり越州への赴任を願い出ると歌っている。地方に出るのなら越州というのが蘇軾のかねてからの希望であった。
【訳文】
朝廷に還れば夢の中にいるかのよう。
二つの城門は眩ゆい金碧。
鴛鷺の列［朝廷に向かう官僚の行列を表す常套の美辞］にまた身を入れ，
山の鹿である我が足跡を強いてそこに寄せる。
こうした無理やりの暮らしであるから、
冬の日は短いはずなのに、
もやもやもたもたとしてなかなか夕方にならない。
黙って坐り、時を告げる太鼓が幾つ打ったかをただ数えているのである。
黄河は夜になると逆流して、昼間に東流した分を取り戻すという話があるが、
私も自ずとそのような次第である。
貴君は私のためにいろいろ考えていてくれていて、
その志にはいつか報いたいとものだと思う。
人は病むと、我知らず最も懐かしく思う土地の歌を吟じるという。
ならば、私は何を吟じるのか。
それはきっと越の歌なのだ。
■【10-2-079】次韻蒋穎叔、銭穆父従駕景霊宮二首
【解題】この年は11月13日の冬至の日に南郊という国家としての大事な祭事が行われることになっていた。作品番号10-2-077に記されていた大礼である。それに先立つ儀式を皇帝は景霊宮で行い、蘇軾はそれに従った。同行した蒋之奇［字は穎叔］、銭勰［字の穆父］が詩に詠んだので、蘇軾が次韻した。蒋之奇は作品番号08-1-023などで、銭勰は作品番号10-1-058などで見ていて、二人とも蘇軾に先立って都に召されていた。
【訳文】
其の一
都に帰り来たのは病んだ鶴のようなこの身、
景霊宮の門より入ると、
松の枝よりしたたり落ちる露［皇帝の恩の象徴］をかつても踏んだことを思い出す。
半分白くなった髪が襟まで垂れるのをいまさら恥じらいはしない。
貴君等が戯れにいうには、
西湖の風月も都の繁華なることには及ぶまいと。
なるほど、お上のお車から立ち昇る紅い塵には心惹かれる香りがある。
雨が晴れ上がり、
都の九百の道には豊年の気配が満ち、
日が麗らかに照り注ぎ、
いまこの宮に天地の神々が集まっている。
お上が民のために尽くされている御心はこれにて知れるのだが、
私はまことに不才、この祭事に何らのお手伝いもできていない。
【補足】［（1）朝廷の行事を重々しく詩に詠むことは、朝廷に並ぶことを許された官人にとって腕の見せ所であるのだろうが、我々にとっては大して面白味のない詩であるので第二首は割愛する。（2）この後、南郊が恙なく行われると、蘇軾は詩を詠み、それは唐人が皇帝の指示で詠んだ詩に匹敵する堂々の出来栄えであると称えられた。蘇軾の工夫の作ではあっても、やはり我々にとっては興味を引く内容ではないので訳は割愛する］
■【10-2-080】憶江南寄純如五首
【解題】江南の風光を思って純如に寄せた詩。純如は僧であるのだろうが、詳しいことはわからないという。この作品は一句が六言の古い形式で作られている。
【訳文】
其の一
楚水［黄州から金陵のあたりの長江を指すのだろう］と別れて十年、
その先の蜀の山々の千の重なりは、望んでも見えない。
私はついには傖父になるつもりでいる――
貴君から、そのように呉［土地を得た常州あたりを指すのだろう］の人々にいってほしい。
其の二
江南の蓮の実は目にも嬉しい、
江南の蜜柑はそれによって暮らしが立てられる。
三呉の地［広く杭州周辺］のよさを挙げるとしたら、
千里の道をいそいそと帰らせる魚の旨さだけではないのだ。
其の三
江南の人々はあたかも画の中に住み、
江南に旅する人々はあたかも月の中で遊ぶ。
まだそこに住むべき家を建ててはいないけれど、
かならず一艘の舟に乗って行くであろう。
其の四
生計の算段は、干上がった池で互いに泡をかけあう魚ほどもなく、
ただ一人悠然と清らかな風に吹かれたと思っている。
かの范蠡は政界を退いた後で実業家として大成功した、
かの梁鴻は放浪の旅に出るときに妻子も引き連れた、
どちらにしても笑ってしまう。
其の五
弱累［息子のこと］は俗世間に置く始末をつけ、
いま我が身を僧侶の住まい［浴室院］に置いている。
とはいえ、秋風に吹かれながらも、
さっさと都を去る決断ができずにいるのだ。
■【10-2-081】軾近以月石硯屏献子功中書公、復以涵星硯献純父侍講、子功有詩、純父未也。復以月石風林屏贈之、謹和子功詩、並求純父数句
【解題】石好きの蘇軾ならではの詩。詩の題は次の通り。「私は近ごろ、范百禄［字は子功］に『月石』の硯屏を差し上げ、また范祖禹［字は純父］に『涵星』の硯を差し上げた。それに応じて范百禄は詩を詠んでくれたが、范祖禹からはまだ応答がない。そこで、さらに『月石風林』の硯屏を贈って、范百禄の詩に和した詩を添え、范祖禹に数句を求めた」。硯屏は硯の傍らに置く飾りの石。「月石」「涵星」「月石風林」と名付けた硯屏や硯を、朝廷の高官である范祖禹と范百禄に贈ったのである。范祖禹はすでに作品番号10-2-049などで見ている。范百禄は范祖禹より10歳ほど上の同族で、その名は作品番号08-3-046に挙げられていた。
【訳文】
紫の潭［「涵星」の硯］から玄い雲［墨］が湧いて、
この潭の中の星［硯の模様］を翳す。
すると潭の上に月が現れ出るのは、
紫翠の硯屏［「月石」の硯屏］が逆さまに映っているのである。
我は老いてもう書物を見るのをやめ、
黙って坐って、昏く花の散る睛［病んだ眼］をいたわり、
時々ふっと眼を開いて、この雲と月を見る、
すると、自ずと瞳が明らかになるのを覚えるのである。
この世界はひとつぶの泡の影のようなもの、
どちらが大きいか小さいか、真か偽を論評するまでもないことは、
前々から知っている。
だから、笑ってしまうのは、
かの欧陽脩、蘇舜欽、梅堯臣が「月石」をそれぞれ詩に詠んで、
雪と羽のどちらが真に白いのかとの争いをおこしたことだ。
そこで、お二人の范殿が何をいわれるだろうかと、
ことさらに珠玉のようなこの硯屏と硯を分けて、
それぞれにお贈りして窓辺に置いていただくことにした。
大范殿［范百禄］はたちまち長い詩を作られ、
その語は月から飛び出してきたかのように、人を驚かせるものである。
小范殿［范祖禹］もそれを継いで、
星を消し去る鶏のいななきのような声をぜひ挙げていただきたい。
私の手元には、
もう一つ、月の下に風林の横たわる石［「月石風林」の硯屏］があるので、
急いで小范殿のもとに送って、「涵星」の泓を護らせようと思う。
杜甫の詩ではないけれど、
山の木をことごとく傾かせるような勢いのある一句を、
どうか願いた。
■【10-2-082】次韻范純父涵星硯月石風林屏詩
【解題】上の詩で見たように、「涵星」の硯に加えて「月石風林」の硯屏までも贈られた范祖禹［字は純父］は、さすがにいつまでも沈黙しているわけにはいかなくなり、ついに詩を詠んだ。すると、間髪を入れずに蘇軾がそれに次韻して返した。次韻の名手と付き合うのはなかなかに難儀である。
【訳文】
日が揺れ動きつつ西の窓を傾き下り、
月が霊妙な星々の間に宿ったときに、
その影が蘇子［蘇軾］の硯と硯屏へと落ちてきたのが、
「涵星」と「月石風林」である。
天の工もこの私もことさらに事を行うのを嫌うのに、
そのどちらかがうっかりとこの形を作ってしまったのだろうか。
私はこのほど家財をかついで都に出て来て、
貴君とともに朝廷に並んで、
太平の奇瑞を観るに至った。
ところが、私はせいぜいのところ大臣の馬の轡を取るような者であって、
人々を楽しませる道化役でしかないので、
衣冠を宮殿の門に掛け、水に舟を浮かべて、
南の涯に帰ろうと思っている。
この二つのものを先生にお贈りするのは、
硯は沐浴するに足るだけの深さがなく、
硯屏は酔いを醒ますために座るだけの大きさがないけれど、
この優れたものを朝廷に留めたいと思うからだ。
たとえ硯の水を涸らせることがあっても、
硯屏の光は曇らせないようにしていただきたい。
皇帝に差し出す文書は、私が連署するのを待つことなく、
貴君独りで雷のようなお怒りにも触れる覚悟で書かれるであろう。
私が風に鳴る林の下で酔って眠っているときに、
貴君は漁火ならぬ硯屏の青い光を受けて、
せっせと文章を記すのである。
この詩を貴君に寄せて、私は独り嘆息する。
このようなことを聴いてくれる者は他には誰もいないのだ。
【補足】［（1）この詩は、古くはなかなかに高く評価されていた作品である。蘇軾の次韻詩の特徴として、いつものように故事を多用して曲折に富んだ深い含蓄のある作となっている。しかし、その意味するところを十分に汲み取るのにはかなりの労力を必要とするので、大意がわかる程度にごく軽く訳した。（2）「南の涯」［原文は「南溟」］に帰るとは、越州に出るのを希望していることを指す］
■【10-2-083】次韻銭穆父会飲
【解題】蘇軾と飲んだことを詠んだ銭勰［字の穆父］［→作品番号10-2-079］の詩に次韻した。同じく次韻の詩でも、上の詩と違ってこちらは平明である。越州に出る希望を詠んでいるところは同じである。
【訳文】
世の常として、
官員としての印である冠を、初めて塵を払ってかぶるときには、
早くにこうならなかったのを恨み、
冠を掛けて官職から退くときには、
はなはだ遅くなってしまったことに苦しむ。
私は、朝廷に出るときには、早くに起きて衣服を整え、
仮寝をしつつ時が来るのを待ち、
家を出てからは、都の街角ごとに、伏して今日に為すべきことを考える。
我が送別の宴は、まだ都の門の外で開かれないので、
頤を支えて遠くの山を虚しく眺めつつ、
江海に逝き去って、この鹿の本性を安んじたいと想い見ている。
つまるところ、退隠するところが得られさえすればよいのであって、
どこであるかを選ぶ暇はない。
貴君とは幾度も会い、幾度も別れてきた。
酒を得て、それが濃いとか薄いとかは問題でない。
貴君の議論は木を削るような手練の早技、
私の飲み方はへぼ碁のようにぐずぐずしている。
ろくな仕事ができていない私が官職にあるのは、
造物者のおかしな依怙贔屓というものであろう。
貴君は賢才をもって、
民の間に銭や穀物が流れ馳せるようにと働いてきたので、
人々は貴君が再び赴任してくるのを待っている。
高官たちは安逸に過ごしているのに、
民の苦しみは常に続いている。
私は新たな任地としてもし会稽［越州］を得られたなら、
少しも躊躇しない。
【補足】［（1）「へぼ碁」と訳したところには、蘇軾自身の次のような注記がある。「世間にこのようにいわれている。『詩を詠むのは碁を打つよりましだ。碁を打つのは酒を飲むよりましだ』。これは飲酒を大いに戒める言葉である。私は碁も酒もともに得意ではない」。（2）銭勰が南郊の大礼について詠んだ詩にも次韻しているが、我々の興味を引くものではないので割愛する］
■【10-2-084】次韻王仲至喜雪御筵
【解題】雪は豊年の兆しで、12月の初めごろに雪が降り、それを皇帝が朝廷の高官を引き連れて見に出たのを王欽臣［字は仲至］が詩を詠み、蘇軾が次韻した。王欽臣は、李公麟の『西園雅集図』［→作品番号08-3-054］の中に、蘇軾ら17人の一人として描かれていた。
【訳文】
眠りから醒めて、砂の上に月の光が注ぐようなありさまを見た、
人々が喜び合う熱気によって、空に飛ぶ花は融けてしまい、
一日に一万八千里を走る馬を集めて陛下がお出ましになる前に、
宝玉が残るのは御門の上ばかりとなった。
私は皇城に帰ってきたものの、たまたま身を寄せているだけ、
金を借りてでも酒を買って江南の風光を愛でたいと、
そのようなことばかりを憶っている。
お上より仕事を仰せつかることは多くはないのだが、
それでも緊張のあまりあたかも酔ったような気分になってしまう。
この白髪頭の老人の身を無理やり起こして、
君恩を拝してお祝いを申し上げるのである。
【補足】［この詩では、欧陽脩を禁じた「体物の語」［→作品番号10-1-069］である飛花、月光、玉といった雪を表現する常套語を使っている。］
■【10-2-085】次韻奉和銭穆父、蒋潁叔、王仲至詩四首
【解題】ここまでに名が挙げられた銭勰［字の穆父］、蒋之奇［字は穎叔］、王欽臣［字は仲至］と蘇軾ははしばしば詩を詠み合い、当時「元祐の四友」と称せられたという。しかしながら、かつて潁州で「四賢人」を相手に詠んだ詩に比べると、かなり興趣に欠けるといわざるをえないだろう。ここの表題は、「銭勰、蒋之奇、王欽臣が唱和した四首に次韻した」とあり、四つのテーマで詩が詠まれている。いずれも我々の興味を引くようなものではないので、仇池［→作品番号10-2-039］について詠んだ詩だけを一部を省略して訳す。
【訳文】
其の二 仇池の詩に和す
一説によると、
上には、存在を超越した「非想非非想」のところがあり、
下には、深さ何十憶里とも知れない「風輪」なるところがある、とか。
いずれも愚かな智からそのようなことをいうのであろうか。
……
私は、朝廷に還ってしばし朝臣の列に加わることになったのだが、
病を理由に、本来の鹿の姿に戻ろうと思っている。
ここに詩を和した三人の益友のことは忘れないだろうけれど、
いずれ居場所を定めるのは仇池のあたりであろう。
【補足】［（1）途中で意味がさっぱりわからない二句を省略した。（2）本来は鹿である蘇軾は、自分の居場所は都ではないと歌っているのであろう］
■【10-2-086】頃年楊康功使高麗、還、奏乞立海神廟於板橋。僕嫌其地湫隘、移書使遷之文登、因古廟而新之、楊竟不従。不知定国何従見此書、作詩称道不已。僕不復記其云何也、次韻答之
【解題】長い詩の題はおよそ次の通り。「元豊六年［1083年］、楊景略［字は康功］が高麗国に使者として行き、帰って来ると、朝廷に願って、（航海を無事に終えられた謝礼に）海神の廟を密州の板橋鎮に建てた。私はその地が狭いのを嫌って、登州の文登県に移すよう楊景略に手紙で提案した。しかし、楊景略はそれには従わなかった。私は手紙に何を書いたのか忘れてしまったのだが、王鞏［字は定国］がどこからかその手紙を見つけてきて、詩を作って大いに称えたので、それに次韻して答えた」。蘇軾は元豊8年に短い期間だけ登州知事として赴任しているので［→作品番号07-2-076］、楊景略への手紙はそのころに書いたものであるのだろう。
【訳文】
韓愈は仙人のような人で、
遊び戲むれるようにして詩文を作り、
談笑する間に偉奇語を出し、
南海の神を踊らせるほどであった。
先の高麗国への使者殿は、
ほとんど海の怪物に呑まれそうになりながらも帰国でき、
海の神を祀る祠を板橋鎮に築いて、
商人が集まって参詣できるようにした。
私はそれを、蜃気楼を下に臨む登州の場所に遷したらよかろうと考え、
手紙を書いて送ったのだが、従ってくれなかった。
使者殿は肝っ玉の太い人ではなかったのだからそれも仕方ないのだが、
王鞏君はどうしたことか、
空の雲となって消えてしまったこの提案をまた繋ぎ止めようと、
詩を作って褒めたたえてくれた。
舟から剣を川に落としてしまって、
あわててふなべりに傷を刻んで、その下を捜そうとするようなものだ。
私はもう嚢の口をしばってしまったのだよ。
【補足】［清代の文人、紀昀はこの詩に対して、「これは何ら国家の大事に関係する問題ではない。それなのに、争うために争い、褒めるために褒めている。宋代の人々は概ねこのようなことしていて、これで党派争いが起こらないはずがない」と論評しているという。蘇軾は王鞏をたしなめて、「嚢の口をしばった」［原文は「括嚢」］といっているのだが、その一方で楊景略を「肝っ玉が太くない」［原文は「磊落の人にあらず」］とけなしている。蘇軾自身が巻き込まれた旧法党と新法党の争いは、結局のところ北宋を滅ぼしてしまう大きな要因となったので、後代の人々は党派争いに明け暮れた宋代の士大夫に対してかなり批判的であった。党派争い自体は、蘇軾も厳に慎まなければならないと再三主張しているので、旧中国においては、結局のところ、自由で闊達な議論が発展するのは極めて困難であったのだ］
■【10-2-087】沐浴啓聖僧舎、与趙徳麟邂逅
【解題】潁州で親しくした趙令畤［字は徳麟］［→作品番号10-2-077］は蘇軾の推薦によって都に呼ばれた。二人は啓聖院の僧舎で会い、ともに沐浴してこの詩を詠んだ。
【訳文】
皇帝に奏上するのも、故郷に帰るのも、
真にあることではないのだろう。
潁州の西湖で貴君としたこともすでに過去。
古の賢人の季子のような貴君が都に帰ってきたのは実に喜ばしい。
沐浴したばかりの老子は人であるようには見えなかったというが、
この私はいま貴君の眼にはどのように映っているのだろうか。
酒は酔うほどには飲まず、体は休休と暖かい。
睡りは禅に入るかのようで、息息と呼吸は穏やかである。
笑ってしまうのは、
塵まみれの労苦の中にあってもたった一つだけの念いがある――
来年の春はきっと越州の谷川に舟を浮かべるのだ、
貴君も一緒に……
【補足】［（1）この詩の初句と第二句は原文では「南山北闕両非真、東潁西湖跡已陳」と、「東西南北」を巧みに織り込んだ対句になっている。（2）蘇軾は越州に移ることを強く望み、次の詩でも同じように詠んでいる］
■【10-2-088】余旧在錢塘、同蘇伯固開西湖、今方請越、戯謂伯固、可復來開鏡湖。伯固有詩、因次韻
【解題】杭州で一緒に仕事をし、揚州で再会した蘇堅［字は伯固］［→作品番号10-2-068］もまた蘇軾の推薦によって都に来ていた。この詩の題は、「私はかつて銭塘［杭州］にいたときに蘇堅とともに西湖を浚渫した。いま越州に移ることを願っていて、一緒に向こうで鏡湖を広げようと戯れに蘇堅にいったところ、詩を作ってきたので次韻した」。鏡湖は越州の名所である。
【訳文】
私の本分は江湖においてこの生を送ることにあると、
もとより定まっていた。
会稽［越州］に行くからにはまた貴君がいなくてはならない。
鏡湖を周囲八百里に広げて、
しかも貴君が詩を詠むなら、
鏡湖の名はますます天下に高まることだろう。
【補足】［鏡湖は周囲三百十里とされているので、それを八百里に広げようというのであるから、まさに嘘八百である］
■【10-2-089】僕所蔵仇池石、希代之宝也、王晋卿以小詩借観、意在於奪、僕不敢不借、然以此詩先之
【解題】石好きは蘇軾一人ではなかった。この詩の題は、「私が所蔵する仇池の石は希代の宝である。王詵［字は晋卿］が詩でもってこれを観たいといってきた。その意は私からこの石を奪おうというものである。それでも貸さないわけにはいかないので、先にこの詩を送った」。蘇軾が詩に詠んだことで、仇池の石［作品番号10-2-039］はにわかに価値を得て、物好きにも王詵［→作品番号10-1-022など］が見たがったのである。奪おうとしていると記しているのは、むろん戯れである。
【訳文】
この海の石［仇池の石］は珠宮［嶺南の地］から来たものだ。
その秀れた色はかの蛾緑［値千金といわれた貝の色］のようだ。
一尺一寸の間にも、高くなり低くなり、岡や山が延々と続き、
崋山［天下の名峰］の二つの絶頂が向き合い、
三茅山［天下の奇勝］の空洞が開いている。
始めはかの仇池が化したものかと疑い、
次には瀛洲［海中の仙山］が蹙まったものかと思った。
有難くも嶺南に使者として行った人［程之元］が、
揚州知事［蘇軾］に土産として贈ってくれたものである。
これを得てからは喜んで寝られないほどであるのだが、
貴君［王詵］との交際を踏みにじるわけにはいかないので、
高麗の盆に文登の玉石を敷いた上に載せてお届けしよう。
夜明けに先んじてかすかな光を放ち、
夏を圧倒する冷気を発するであろう。
この老人の生は寄せるようなもの、
ただ茅舎［引退後の住まい］をまだ得ていないので、
幸いにも一人の力でも運べるようなこの石だけは、
千里の道もいつも一緒にいるのである。
風流の貴公子［王詵］は、
かつて武当谷に流されていた［蘇軾に連座して罪を得たことをいう］のだから、
山は見飽きるほど見てきたはずであるのに、
どうしてこの石を奪おうと思われたのか。
貴君も知っての通り、
（昔、小国の趙が大国の秦から、十五の町との交換で宝玉を求められたときに）
趙の藺相如は、宝玉を渡さなければかえってこちらの弱みを見せることになるから、
むしろ交換を承諾して秦の不誠実なところを天下に明らかにした方がよいといった。
私も同じ考えであるので、
貴君にこれをお渡しするのである。
ただ決して他に人には見せないようにしていただきたい。
もしもそうしたならば、石はきっとすばやく抜け道を通って帰ってくるであろう。
【補足】［（1）蘇軾自身の注で、「私が揚州にいたときに、程之元［字は徳孺］が嶺南での役目を終えて帰ってきたときに、この石を贈ってくれた」と記している。程之元は姉の夫の弟である［→作品番号09-2-047など］。（2）やはり蘇軾自身の注で、王詵に石を貸すときに、「高麗国からもたらされた大きな銅盆に石を載せ、下に登州文登県で得た玉のように砕かれた海の石を敷いた」と記している。登州で得た石については作品番号09-1-032で見ている。（3）最後は有名な藺相如の故事を用いて、小国が非道な大国に正義をもって立ち向かう覚悟で石を貸すのだと、わざと大げさに述べたのである。藺相如は宝玉を携えて秦国に乗り込み、秦王の前で一芝居を打つと、抜け道を使って宝玉はさっさと本国に戻したのだった］
■【10-2-090】王晋卿示詩、欲奪海石、銭穆父、王仲至、蒋穎叔皆次韻。穆、至二公以為不可許、独穎叔不然。今日穎叔見訪、親睹此石之妙、遂悔前語。僕以謂晋卿豈可終閉不予者、若能以韓幹二散馬易之者、蓋可許也。復次前韻
【解題】上の詩の続き。「王詵は仇池の石を奪おうとの意志を詩で示した。私の詩に銭勰、王欽臣、蒋之奇が次韻し、銭勰と王欽臣は王詵に与えることを不可としたが、蒋之奇だけは違った。今日、蒋之奇が来てその石のすばらしさを直接見て、前言を悔いた。しかし、王詵はあきらめてくれるような人ではないので、韓幹が描いた二頭の馬の画と交換してくれるのならよしとしようと思いつき、そのことを前の詩に次韻して詠んだ」。上の詩を王詵に送ってからも、蘇軾はしばらく石を手元に留め、友人を引き込んで騒動をわざと大きくして楽しんだのだった。韓幹は唐代の著名な画工で、その馬の画を王詵が所蔵していることは作品番号05-3-015で見ている。いわば国宝級の名画との交換なら石を与えようと、蘇軾はこの詩で提案したのである。
【訳文】
かの司馬相如は故郷の山を想わぬものではなかったが、
千里の遠い道を帰るまでもなく、
絶世の美女といわれた細君の眉［眉の曲線美は山に譬えられる］を見るなら、
もう心に十分な満足を得たのであった。
李白は華麗な詩句を吐くので腹に錦繍を蓄えているといわれたが、
私ときたら腹の中にあるのは藜や莧くらいのもので、
部屋は空っぽで、ただ仇池の石だけがあるのだ。
私は病み衰えて、とにかく山に帰りたいとの一心で、
この仇池の石を見つつ岷山［蜀の山］へと川を遡る思いを味わっているのだ。
貴君が貪らないことを宝として守ってくれるのなら、
私はこの瑕なき玉のような宝を全うすることができる。
友人の二人は詩をもって貴君を戒めてくれて、
その妙語は実に感心するものがある。
一人だけは異論を唱えているが、
三人の占うところとしては、多数である二人に従うべきであろう。
貴君の家には無数の画があって、
天馬が追いかけ合うものもあった。
風にたてがみをなびかせて原野を走るかと見えて、
たちまち尾が渓谷を揺り動かしているというありさま。
もしもその画と換えるのを許してくれるのなら、
まさに私の望むところである。
今朝、蒋君がやってきて、
石のために送別の詩を高らかに吟じてくれたのだが、
なぜか気が変わって、
この石は留めておくがよいと私に勧めてくれた、
「ひとたび別れたならば、帰ってくることがあっても、
ずっとずっと先になるだろうから」と。
【補足】［この「仇池の石」の騒動がどうなったかというと、蘇軾は同じ韻でもう1首詠んでいる。その題は、「私は石と画を交換したいと思ったが、王詵は承知しなかった。銭勰は王詵が二つとも取ってしまえばよいといい、蒋之奇は画は焚き石は砕いてしまえといった。私は前の韻を用いて、二人の言い分をなだめる詩を詠んだ」。外野はわざと無茶なことをいって、面白く盛り上げようとしたのだろう。それに対する蘇軾の詩は、故事のてんこ盛りで訳すのが面倒極まりないもので、要するに、一切なかったことにしようと提言するものであった。つまりは、存分に楽しんだからこれで終了と宣言したのである］
■【10-2-091】次天字韻答岑巌起
【解題】天の字を韻とした岑象求［字は巌起］の詩に次韻した。
【訳文】
警蹕の声が響き、
霧が開かれて天が現れ出るとき［皇帝のお出ましをいう］、
百官の心は厳かに、容貌はうやうやしく改まる。
振り返り見ると、珠玉のような貴君がいるのに驚かされ、
もみ殻や糠のような私が先に階を昇るのが恥ずかしく思われる。
このときに月の光がなお壇上に注がれていて、
外の松明の香りが、中の蝋燭の煙の中に合わさる。
早くも白髮がまじるようになったのを嘆くことはない、
聖朝において求められるのは旧くより努めてきた人であるのだから。
【補足】［岑象求は蜀の梓州の人で、蘇軾の推薦によって朝廷で高い地位に昇った。政敵からしたら、この詩は仲間内で褒め合っているつまらない作品だといういうことになるだろうし、我々にとってもおもしろいものではない］
■【10-2-092】次韻蒋穎叔二首
【解題】蒋之奇［字は穎叔］［→作品番号10-2-090］が詠んだ二首の詩に次韻した。
【訳文】
其の一 皇帝に随って景霊宮に行く
景霊宮の道人たちは暁に覚めたばかり、
月から笙蕭の音が下りきたかと思うと、
風の神が先駆けとなって夜の霧を晴らし、
火の神が馬に乗って寒い朝を暖め、
玉のような英姿を連ねて多くの人々が従う。
このとき、貴君の詩は、金を叩くような響きをもって、
陛下の馬の鈴の音に和すのである。
陛下は詞臣のなかから、
漢代の名将に比すべき人として貴君を抜擢したのであるから、
路傍の人よ、
もはや、この人を老儒者として見てはならないのである。
【補足】［（1）蘇軾自身の注で、「蒋之奇は新たに熙州知事に任命された」とあり、終わりの部分はそれに基づいて歌われている。熙州は西方の国境地帯にあり、西夏国とのトラブルが絶えない地であるので、将軍としての資質が求められるのである。（2）第二首は宮中にある凝祥池についての詩であるが訳は割愛する］
■【10-2-093】和叔盎画馬次韻
【解題】趙叔盎［字は伯充］が描いた馬の画を詠んだ詩に次韻したもの。趙叔盎は皇族の子孫で、馬を描くのを得意とした。
【訳文】
天を駆ける馬は徳と力を兼ね備え、
尋常の馬の埒の外にあって、
竜や麒麟の中に置くべきである。
そのような名馬であっても、
天がことさらに顕彰することはないので、
この画を描いたのであろう。
ろくでもない馬が、官の厩舎で飽きるほど餌を与えられていて、
名馬が現れたところで、それらが一洗されてしまうことはない。
平凡な馬も十回走れば、
名馬が一度に行く先に至ることができる。
何も風に乗じるのを望まずともよいのではないか。
【補足】［この画には何らかの不満が託されていると見えたのだろう。それが「ろくでもない馬が……」ということなのだが、詩の後半では「平凡な馬も……」と、不満を鎮めるようなことをいっている］
■【10-2-094】程徳孺恵海中柏石、兼辱佳篇、輒復和謝
【解題】繰り返し詩の詠まれた「仇池の石」は、蘇軾が揚州にいたときに、嶺南から帰ってきた程之元［字は徳孺］がもたらしたものだった［→作品番号10-2-089］。このころ程之元も都にいて、詩を添えてまた別の石、「柏石」を贈ってくれたので、謝礼にそれに和して返した。「柏石」も南の海で得たもので、その名から察するに樹木のような形状をしているのだろう。
【訳文】
嶺南の嵐にもまれ、熱風の毒気にさらされながらも、
貴君はまことに血色よく帰ってこられた。
あちらで貪泉の水をごくごく飲んで、
あたかも昔の仙人の後を継ごうとしたのであろう。
車を連ねて霊薬を宮中に献上するようなことも、
網を沈めてごっそり珊瑚を取るようなことも、
もちろんするような人ではなく、
庾嶺を超えて南にいた三年の間に、
曹溪宗［禅の一派］の教えの一滴を汲み取ったという。
それで、貴君は私を迎えると、
庭に置いた二つの柏石を指さすだけなのだ。
老いに臨んだ私に、
方壺［海中の仙山］を知れと、いいたいのであろう。
【補足】［（1）南の地に貪泉があることは作品番号10-2-051で見ている。（2）曹溪宗に言及したのは、程之元は嶺南にいる間に禅僧と親しくしていたからである［→作品番号09-2-047］。「柏石」を指さしたとあるのは、ある禅僧が無言で庭の柏の樹を指さすだけであったという故事を用いたものである］
■【10-2-095】次丹元姚先生韻
【解題】姚丹元の詩に次韻した。姚丹元は道士で、本名は王繹、都の財産家の子で、放浪癖があって家を出て道士となった。2首のうち1首を訳す。
【訳文】
其の一
人が浮生にあるのはどれほどの間なのか、
せいぜいところ、釡で羮が沸きあがるまでのこと。
わずかに上を向いて下を向く間であるのに、
どうしてあれやこれやと情を難しく使わないといけないのか。
自ら愛おしく思うのは、
自分にはこれより他に腸がなく、たまたまここに生きていられることだ。
人はみな去るべき旅人である。
その中にも亡びることのない何かが存在しているのだろう。
ただ残念なことに、
宿縁の重さ、あるいは世俗の習気［煩悩からくる習性］に昏まされてしまっている。
ほのかに聞いたのは、
古の仙人の梅子真のような人が城門の近くに住んでいるとのこと。
肩を叩いて親しげに語り合うようなことはできないとしても、
ただ一目見るだけでよいと思ったのだが、
訪ねて行けば、きっと垣根を越えて走って逃げてしまうであろうから、
先に誰かの紹介を得られないものかと、うまい方便を案じていたのだった。
【補足】［（1）詩の終わりに、姚丹元に会う「うまい方便を案じていた」とあるが、仲立ちをしたのは王鞏であった。事実としては、蘇軾が姚丹元に会いたがっていたわけではなくて、王鞏の紹介があったので会ってみたということであろう。（2）これに続く第二首では、様々な故事を引いて、道術は、人を惑わすような表面的なところではなく、奥深いところを学ぶべきだという趣旨のことを歌っているらしいとおぼろげながらに知れるだけで、訳者には歯が立たないので省略する。（3）同じころに、「秦観の詩に次韻して姚安世に贈る」という題の詩があり、姚安世とは姚丹元のことであろうとされている。その詩の訳は省略するが、海のように広い都で姚安世を尋ねるのは難しく、もしも会えたなら丹薬を作りたいと歌っている。（4）これより20年ほど後のこと、徽宗皇帝は道士の林霊素に心酔し、数々のおかしなことが起こった。姚丹元は口を極めて林霊素を批判したために嫌われ、密かに毒を盛られて殺されてしまった。つまり、姚丹元はまともな道士であったが、林霊素はとんだいかさま野郎だったのだ。中国の皇帝はしばしばインチキ道士にだまされ、ときに猛毒の水銀化合物を不老不死の薬だとして飲んでかえって若死にをした。その結果、インチキ道士は処刑されてしまうのだが、なぜか皇帝もインチキ道士も前例を学ぶことなく、同じことが何度も繰り返された。徽宗皇帝と林霊素はそれよりはわずかばかりましであった］
■【10-2-096】与米元章
【解題】これは、画の名手にして奇行の多い米黻［字は元章］に宛てた手紙。このころ雍丘県知事であった米黻が揚州に蘇軾を訪ねたことは作品番号10-2-025で見ているが、この手紙には興味深いことが書かれている。
【訳文】
先に揚州におりましたときにお手紙を頂戴しましたが、何かと時間がなく、すぐに御返事しないままでありましたところ、人が来て、またお手紙を頂戴することとなりました。お気にかけてくださることの厚さに感じ、かつ御健勝でありますことを審らかにし、我が心が慰められ、感謝に堪えません。
夢得君が来られて、貴君の新たな政事は文句のつけようがないと申しております。はなはだ結構であります。
万万自重されますように。
【補足】［ここにある夢得君とは誰なのか。やはり米黻に宛てた別の手紙に「馬髯」［髯の馬君］、そして「馬夢得」の記述があることから、かの馬正卿［字は夢得］であることがわかる。かつて黄州において農地を獲得にするのに奔走した馬正卿［→作品番号06-2-024］は、その後は蘇軾に詩文に登場することがなかった。いつの頃なのか不明であるが、馬正卿は郷里の雍丘県に帰っていたのだった。作品番号06-2-025に蘇軾自身が、馬正卿は杞［＝雍丘］の人であると記していた。上の手紙によると、馬正卿は米黻の代理人として都にきて、蘇軾との再会を果たしたのである。我々としては、長年蘇軾に仕えていた馬正卿がどうして郷里に帰ったのか、そのときになにがしかの餞別を受け取ったのか、そして郷里でどのように生計を立てていたのか、いろいろと気になることがあるのだが、一切何もわからない］