第10章 暴風雨の前の変転――都、潁州、揚州、定州
［第10章その一］
元祐6年［1091年］、蘇軾56歳。
■【10-1-001】半月泉
【解題】蘇軾は3月上旬に杭州を発ち、都に向かって船で大運河を北上した。40キロほど進んだ徳清県で半月泉に立ち寄りこの詩を詠んだ。詩には、「蘇軾、曹輔、劉季孫、鮑朝懋、鄭嘉会、蘇堅がともに遊んだ、元祐六年三月十一日」という訪問記録が併記されている。曹輔は作品番号09-3-031などで、劉季孫は作品番号09-3-032などで、蘇堅は作品番号09-2-064などで見ていて、蘇軾との別れを惜しんで杭州から同行してきていた。、鄭嘉会は不詳、鮑朝懋は徳清県知事である。
【訳文】
一日の閑をひねり出し、
半月泉に来て遊ぶ。
この泉に腕をぐいと突き入れて、
水中にある天を撃ち破るのは、
諸君らの誰であろうかな。
【補足】［詩の腕前を競おうと煽ったのである］
■【10-1-002】定風波
【解題】呉興［湖州］に至り、この詞を詠んだ。序文がある。
【訳文】
序
私は、昔、張先、劉述、李常、陳舜兪、楊絵と、呉興で一堂に会した。時に張先は『六客の詞』を作り、その終わりの章に、
尽道賢人聚呉分。［賢人が呉の分野に集まっていると誰もがいいます］
試問、［ちょっと尋ねてみましょう］
也応傍有老人星。［星々のかたわらにあるのはきっと老人星でしょうね］
と、あった。
それからおよそ十五年、再び呉興を通過し、五人はすでに亡くなってしまった。時に、曹輔、劉季孫、蘇堅、張弼が私に同行し、張詢が『後の六客の詞』を作るよう求めた。
【補足】［張先ら6人が集まったのは蘇軾が杭州副知事の任を終えて密州に向かう途中でのことで、それについて記した文章を作品番号04-3-077および06-2-054で見ていて、一部字句が異なるが張先の詞もそこに引用されている。そして再び呉興おいて、顔ぶれの異なる6人が一堂に会したのである。上の詩で見た3人のほかに、張弼は作品番号09-3-007で見ていて、張詢は湖州知事である］
月満苕渓照夜堂、［月の光が苕渓の流れを満たし、夜の堂を照らしています］
五星一老闘光芒。［ここに五つの星と一つの老人星が光を闘わせます］
十五年間真夢裏。［十五年などはまことに夢のなか］
何事。［何があったでしょう］
長庚対月独凄凉。［金星がぽつんと月に向き合います］
緑鬢蒼顔同一酔。［黒髪と老いた顔が一緒に酔います］
還是。［またここで］
六人吟嘯水雲郷。［六人が水雲の郷で吟唱します］
賓主談鋒誰得似。［主と客が鋒を交えるように語り合います］
看取。［見るとそれは］
曹劉今対両蘇張。［曹、劉と、二人ずつの蘇、張です］
【補足】［初めにある「苕溪」は近くにある有名な川。「五星一老」とあるのは、かつての「老」は張先で、今の「老」は蘇軾である。この時代に56歳ともなれば立派な長老格なのであろう］
■【10-1-003】破琴詩、并叙
【解題】この詩が詠まれたのは、これより3カ月ほど後のこの年の6月であるが、その序文には上と同じ時期にあった出来事が記されている。
【訳文】
叙
旧い言い伝えにこのようにいう。
唐の時代のこと、房琯［玄宗皇帝の次の皇帝のもとで宰相にまで昇った人］が開元年間に盧氏県の知事であったとき、道士の邢和璞と一緒に遊びに出て、夏口村に来て、荒れ果てた仏寺に入り、古い松の下に腰をおろした。邢和璞が従者に命じて地面を掘らせると、甕が出てきて、中に婁師德が永禅師に与えた手紙があった。邢和璞は笑って房琯にいった。「このことを憶えていましょうか」。房琯は悵然として己の前生は永禅師であったのを悟った。
私の旧い友人の柳瑾はこの出来事を描いた画を宝としていた。柳瑾によると、もとは唐代に描かれた画を、宋迪が模写したものである。
元祐六年三月十九日、私は杭州から都に還る途中で呉淞江に船を泊めた。夢に、仲殊長老が琴を携えて訪ねてきた。仲殊が琴を弾くと、すばらしい音色であった。よく見ると、琴は破損がひどく、十三弦［秦の時代の琴］であった。私が嘆息してやまずにいると、仲殊はいった。「損なわれてはいても、なお修理はできましょう」。「十三弦をどのようにするのですか」と尋ねると、仲殊は答えずに詩を誦した。
度数形名本偶然、［度数 形名 本 偶然］
破琴今有十三弦。［破琴 今有り十三弦］
此生若遇邢和璞、［此の生 若し邢和璞に遇うなら］
方信秦箏是響泉。［方に信ず 秦の箏は是れ泉を響かすと］
私は夢の中ではあったけれど、その意味するところがはっきりとわかった［詩は、琴は古代の音を今に伝えるということを歌っているのだろう］。そして目覚めると、そのことを忘れてしまった。
明くる日、昼寝をしていてまた夢を見て、仲殊が来て、前の通りにいい、またその詩を誦した。そしてちょうど覚めたところに、仲殊がたまたまやってきたので、夢と見たのは実は夢ではなかったのかと思った。仲殊に問うと、何も知らずにいた。
この年の六月、柳瑾の子の柳子文に都で会った。邢和璞の画を求めて譲ってもらい、詩を作り、ならびに夢に見たことを画の上に書いた。
柳瑾は字を子玉といい、よく詩を作り行草を上手に書いた。宋迪は字を復古といい、山水草木を描いて当時絶妙とされた。仲殊はもと書生で、家を棄てて仏教を学び、俗を脱して執着するところがない。みな奇士である。
【補足】［ここに挙げられている幾人かの人物について説明を加える。（1）房琯は、安禄山の反乱軍によって占拠された長安を奪還すべく大軍の指揮を任された人物。教養があり過ぎたのだろう、不可解なことに古代の戦法を用いて大敗した。蘇軾がここに記した伝説によると、房琯は前世では脱俗の道士で、そのことを邢和璞が思い出させてくれたのだった。しかし、次に見る詩では、せっかく前世が知れたのにかかわらず、すっかり堕落してしまっていたということが歌われている。（2）仲殊は蜂蜜好きの僧で［→作品番号09-3-018］、蘇軾に先立って杭州を出て、このあたりを巡り歩きつつ待ち受けていたのだろうか。（3）柳瑾は蘇軾の旧い知人［→作品番号04-2-050など］で、その子の柳子文［字は仲遠］は作品番号08-2-008に登場している。（4）宋迪は山水画の名手で、蘇軾にその画を詠んだ詩がある［→作品番号08-3-011］。（5）この序文や『参寥泉の銘』［→作品番号09-3-038］を見ると、蘇軾には予知能力があるかのようだ］
破れた琴は修繕されないままでも、
その中に琴の意があるのならそれで十分である。
これがかの昔の十三弦であると誰がいうのか、
佩玉が触れ合うような妙音を発する。
新しい琴は、ことさらに立派に張られてはいても、
弦の声は琴の台木と調和していない。
美しい七弦の琴は、
ややもすれば世俗の好みを逐うだけのものである。
思えば、房琯は心根の低い者で、
世俗のなじむところに墮してしまった。
房琯が好んだ琴造りの職人の董庭蘭などは、
無弦の曲［最上の音楽］などわからずにいたのだった。
【補足】［（1）蘇軾のこの詩は、都に行っても房琯のようにはなるまいとの思いを籠めたものであろうか。（2）序文とほぼ同じ内容の短文が別にあり、夢で仲殊が詩を誦じてから後が少し異なるので、そこだけを訳しておこう］
【訳文】
……夢の中ではっきりとその詩の意味を知った。覚めてからそれを書き記した。今晩は蘇州に至り、ひょっとして仲殊が来るかもしれない、来たら渡そうと思って、その詩を書いたのである。写し終わってここにまできて、筆をまだ手にしているときに、仲殊が舷を叩いて現れた。驚き嘆息して、これを仲殊に贈る。時に蘇州まで五里のところであった。
【補足】［一段と劇的になっているので、蘇軾本人か後人が話を盛ったのであろう］
■【10-1-004】再乞発運司応副浙西米状
【解題】前年の7月、蘇軾は自然災害の発生を危惧し、朝廷に先手先手での対応を要望していた［→作品番号09-2-057］。朝廷の動きは鈍く、災害が現実のものとなり、蘇軾は船旅の間に惨状を目の当たりにした。すぐにこの書状を書き、対策を急ぐよう朝廷に強く求めた。
【訳文】
元祐六年三月二十三日、竜図閣学士左朝奉郎前知杭州の蘇軾は書状をもって奏上いたします。
右の臣は近ごろ恩詔を受け取り、都に赴くよう召されました。
浙西の地はこの二年間は水害に遭い、蘇州、湖州の被害が甚大でありますことを詳しく聞いておりました。百聞は一見に如かずと申します通り、杭州から湖州を経て蘇州に入ります間に実地に見ましたところ、溢れた水はまだ退かず、下位の田は深い水の中に没したままで、今年の稔りは恐らく絶望的でありましょう。中位、上位の田も水が広がったままで、婦女や老弱の者までも昼も夜も水車を踏んで水を吐き出そうとしています。しかし、雨は止むことがなく、水位が一寸下がったかと思うと、一尺上がるというありさまで、いまは春の終わりに至っていながら、どこも種を蒔くことができていません。村々には食べる物のない者が大勢いて、糟や糠や水草を食べてしのいでいます。しかも水をかぶったために薪も藁も得ることが難しく、冷たいまま食べるしかなく、腹を壊して死ぬ者が大勢います。これらのことは私自身が見たもので、決して伝聞によるものではありません。
春から夏にかけて流民が出て、疫病も必ず起るでありましょう。各州は去年のうちに備蓄米をほぼ用意していて、いま州県はそれを売り出していますので、米価はまだそれほどは上がっていません。しかし、遠くの村の飢えた民衆は町に行って米を買うことができませんし、役人は船に米を載せて村々に配ろうとしてはいても、あまりに広範囲に及ぶために、恐らくは十分に満たすことができないでしょう。夏から秋にかけてきっと食糧が絶えてしまいます。もしも今すぐにも雨が止み、農民がいつもより十倍の努力で農事と排水に励みましたなら、米の収穫は間に合うこともあるのかもしれません。しかし、今すでに食糧不足は始まっているのを見るなら、耕作の功を期待するのは難しく、たとえ天候がよくなっても望むようにはならずに、公私ともに狼狽するでありましょうことは理の必然であります。……［以下、対策について具体的に述べる］……
■【10-1-005】次韻答黄安中兼簡林子中
【解題】蘇軾は蘇州に至り、蘇州知事の黄履［字は安中］の詩に次韻し、それをこれから行く潤州にいる林希［字は子中］［→作品番号09-2-053］に寄せた。黄履は章惇等改革派の人々と親しく、このころは地方官として各地を転々としていた。
【訳文】
私は老いて、もはや燃え上がることのない灰となり、
手を振って江海に去ろうとする意は堅く揺るがない。
朝廷に召されてもその任に堪えるものではなく、
蘇州、杭州あたりでその本性を養う人々を虚しく羨むのである。
この病んだ肺では春の酒を傾けるのも難しく、
別れの哀しみに傷む腸に琴の音が辛く染み入る。
もろもろの仙人たちよ、
私はこれより江南の地を去るけれど、
いつの日にか退隠するときには、
我が身に清らかな風を吹き寄せてほしい。
【補足】［（1）不本意ながら地方官に留まっている黄履に対してたぶん遠慮があったのだろう、もっぱら退隠することが自分の願いであると歌っている。また、三句目と四句目に二人の姓の黄と蘇を織り込んでみせたりして、相手を喜ばせることにも努めている。つまりは完全な社交詩である。（2）「蘇州、杭州あたりでその本性を養う人々」とは、黄履と林希のことで、林希は蘇軾の後任の杭州知事として赴任することになっていた］
■【10-1-006】和林子中待制
【解題】蘇軾は常州を経由して長江に臨む潤州に至った。常州では太平寺［→作品番号07-2-040］に立ち寄るなどしたようである。潤州で林希［字は子中］に会うと、上で見た詩に林希が次韻した作品を示したので、それにまた和して返した。
【訳文】
二人の老人はぐずぐずしているうちに頭は真っ白、
ずぼらで頑固者だと、人に笑われている。
とにもかくにも酒を手にして、この美しい風光のもとで会ったのだ。
貴君は、孔子が古の人の生き残りと讃えた人のようであり、
かつ、私に先んじてすばらしい詩を詠み上げる。
私は近々陶淵明の『帰去来の辞』を賦して去り、
斜川で自由に歌って老いるつもりだ。
【補足】［（1）この詩は、要するに杭州のことは林希に託すということがいいたいのだろう。（2）陶淵明が斜川に遊び、味わい深い叙景詩を詠んだことは作品番号06-3-018で見ていて、同じような境地に至りたいとの願望をこの詩の終わりで歌っている。これについて、岩垂憲徳・釈清潭・久保天随訳解『蘇東坡詩集』（1927年）は「帰ると言い、帰ると言う、公の常套語、応酬の作、心にも無きことを饒舌して一篇の詩と為す」と、手厳しい評を加えている。確かに、蘇軾は口を開くたびに「帰る」とぼやくといってよいくらいであるのだが、このときは心ならずも都に召され、地方官として留まることを希求していたので、「心にも無きこと」と断言するのはさすがに酷であろう］
■【10-1-007】西江月
【解題】同じときに林希［字は子中］に贈った詞。上の詩より平易で蘇軾の真情を汲み取りやすい。
【訳文】
昨夜扁舟京口、［昨夜、ちっぽけな舟で京口［潤州］に着いたばかり］
今朝馬首長安。［今朝はもう長安［都］に馬の首を向けるのです］
旧官何物与新官、［旧く官にあった者［蘇軾］は新しく官に就く人［林希］に何を与えるのでしょう］
只有湖山公案。［杭州の湖や山を詩に詠むという課題です］
此景百年幾変、［杭州の風景は百年でどれほど変わったのでしょうか］
個中下語千難。［言葉にするには千の難しさがあります］
使君才気巻波瀾、［新知事殿の才気は波を巻き起こすばかり］
与把新詩判断。［その新しい詩は人をうならせることでしょう］
【補足】［（1）公人としての蘇軾が林希に託した課題は災害対策であった。この後で林希は杭州において努力したものの、蘇軾のように高太皇太后のバックアップが期待できず苦労しなければならなかった。（2）潤州では、ここまで同行してきた張弼［→作品番号10-1-002］と別れ、送別の詞を贈っている。『荘子』にある寓話を引くなどしていて、簡潔な日本語に訳すのが難しい作品であるので割愛するが、その中に「願聞呉越報豊登」［願うのは呉越の豊かな登が報じられるのを聞くこと］の句があって、やはり自然災害の行く末を案じている］
■【10-1-008】書浮玉買田
【解題】潤州にいる間に金山寺を訪ね、仏印禅師［了元長老］［→作品番号07-2-055など］に会い、禅師のために画を壁に描いた。この短文はたぶん潤州を離れるときに書いたものであろう。
【訳文】
浮玉老師元公［仏印禅師のこと］はかつて私のために京口［潤州］に田を買ってくださろうとした。そうすれば浮玉老師の近くに私がいられるからである。そのお心は忘れることができない。私はかつてこのように詩に詠んだことがある。
江山如此不帰山、［江や山は此の如であるのに山に帰らずにいるので］
江神見怪驚我頑。［江の神は怪しさを見わして我の頑なさを驚かしたのか］
我謝江神豈得已、［我は江の神に謝ろう、豈に已むを得ないのです］
有田不帰如江水。［田が有るのに帰らないのなら、江の水の如になってしまうでしょう］
いま田が（常州に）あるのに帰らずにいる。これでは神に誓ったことを破ってしまったのではなかろうか。
【補足】［（1）金山寺に属する蒜山の松林の中にある土地を手に入れられないだろうかと仏印禅師に願ったことは作品番号07-1-070で見ている。実現するには至らなかったが、仏印禅師は手を尽くしてくれたのだろう。（2）ここに引かれている詩は作品番号03-4-038で見ている。そのときは杭州副知事として赴任する途中で、長江に不思議な現象が生じたのを金山から見て、故郷に帰ろうとしない頑なな自分を驚かそうとして川の神がこの異変を起こしたのだろうかと詩の終わりに詠んだのだった。末の句は、作品番号03-4-038の訳文では、「もしも帰らないでいるとしたら、誓って、長江の水を全部飲み干してみせましょう」とかなりの意訳をした。「如江水」［江の水の如し］は川の神に誓うときの慣用句のようである］
■【10-1-009】留別蹇道士拱辰
【解題】蘇軾は潤州で蹇拱辰という道士に会い、この詩を贈った。
【訳文】
黒い月に濁った水――
明るく澄むことがあるだろうか。
荊棘に満ちた田畑――
梨や棗が生えることがあるだろうか。
いつか吾が真に返ることができるのか。
歳月ばかりが山のように高く聳えてゆく。
方外の士［世俗を超越した道士］としばしば接し、
俗縁の軽さは早くから知っていたつもりだった。
『荘子』に記される庚桑先生は、
「まだ教えを受け入れる状態になっていない」として、
弟子の南栄を敢えて導こうとしなかった。
私もまたそのようであったのだろう。
老年に至ってようやくこの道師［蹇道士］と識ることができて、
宿世の念願が果たせたるかのようである。
師は笑って北の山の雲を指さし、
早く帰耕しないのをお叱りになる。
師は漢の時代の有名な仙人のように、
普通の人と変わらぬ姿のままで仙境を歩いて行かれる。
仙境はすぐ近くにあるのに、私には見えない。
師を煩わしてせめて我が名をそちらへ伝えていただきたい。
願うのは、
両の手だけをひっさげて、大海に横たわる鯨を取り押さえることだ。
■【10-1-010】書与欧陽親母
【解題】このころ次男の蘇迨は失意の中にありながらも、潁州の欧陽棐［字は叔弼］［→作品番号08-3-017］のもとへと向かいつつあったようだ。欧陽棐は欧陽脩の息子である。そのように推測する根拠がこの手紙で、宛先の「欧陽親母」とは欧陽棐の妻。
【訳文】
息子の迨は忝くも省試［都での科挙の二次試験］に赴くことが決まり、婚約もまた遂げられましょう。御主人［欧陽棐］はなおさしさわりがあるように聞いております。婚儀にはほかのお方を立てて行われることもあろうかと、息子にはよく申しております。あれこれその時に応じて御処置くださいますように。老妻からは別にお手紙を差し上げることはいたしませんが、なにとぞよろしくお願いします。
【補足】［この手紙は前の年の秋から冬の間に書かれたもので、蘇迨は科挙の二次試験を都で受けることになり、試験が終わったなら、潁州に欧陽棐を訪ね、その娘と結婚するという段取りが定められていた。蘇迨としてはもちろん科挙に合格して胸を張って婚儀に臨みたかったであろうが、残念ながらこの春の試験で不合格となった。欧陽棐のさしさわりとは、その母、つまり欧陽脩の妻が亡くなって喪中にあることをいうのだろう］
■【10-1-011】与林子中
【解題】蘇軾は潤州から長江を渡り、揚州に向かった。その途中で、林希［字は子中］［→作品番号10-1-007］に宛てた手紙。
【訳文】
お別れしてから雨が降り続き、通過するところはどこもひどい災害のありさまを呈しつつあります。京口［潤州］では米一斗が百二十文でしたが、人心はすでに恐れおののいていました。四月に入っても天気は正月のころのようです。今年は流民が出たり、疫病が起こったり、必ずそれに対する処置が必要になるでしょう。淮南の蚕も麦もすでに望みがなくなっていて、このあたりでは米価がきっと高騰するでしょう。これから広陵［揚州］に行きますので、王存君とこの件について議論します。……［以下、幾つかの具体策を記す］……
【補足】［蘇軾は移動中も民情を観察し、災害対策について思案していたのである。王存［字は正仲］はこのときの揚州知事である］
■【10-1-012】臨江仙
【解題】これは、「夜、揚州に到り、席上で作る」との添え書きがある詞。蘇軾は一生の間に10回ほど揚州を通過していて、この詞がいつの作であるのか、実はいろいろな考証がある。薛瑞生箋注『東坡詞編年箋注』（1998年）は杭州に副知事として赴任する途中の作としているが、ここでは、孔凡礼撰『蘇軾年譜』（1998年）に従って元祐6年の作としておく。
【訳文】
尊酒何人懐李白、［盃の酒を前にすれば誰もが李白のことを懐います］
草堂遙指江東。［杜甫は成都の草堂で遥かに揚州のあたりにいる李白を詩に詠みました］
珠簾十里巻香風。［ここは杜牧が「十里の春風に珠の簾が巻き上げられる」と歌ったところ］
花開花又謝、［花は開き、花は落ち］
離恨幾千重。［悲しみは千枚にも重なって降り積もります］
軽舸度江連夜到、［軽やかな船で長江を渡って夜にここに至りました］
一時驚笑衰容。［笑い、そして同時に衰えた顔に驚きます］
語音猶自帯呉儂。［私の言葉はまだ呉のなまりを帯びています］
夜闌相対処、［夜のふけゆくままに向かい合っていると］
依旧夢魂中。［またまた夢の中にいるかのようです］
【補足】［（1）詞の前半では、唐代の著名な詩人である李白、杜甫、杜牧を引いて、揚州が歴史に彩られた都市であることを歌っている。（2）後半は、杭州から戻ったばかりで、まだ向こうのなまりが抜けないまま懐かしい人々と再会していると歌っている］
■【10-1-013】杭州召還乞郡状
【解題】蘇軾は杭州にいる間に、都に召されるのを辞退して地方官として留まること願い出ていて［→作品番号09-3-024］、それへの返事を待ちつつ北上していた。蘇軾の願いは認められなかったので、揚州滞在中にもう一度同じ趣旨の文書を提出した。その上で、なお北上を続け、南京応天府に行って大恩人の張方平に会った。張方平からは先に亡くなった滕元発［字は達道］の墓誌銘の代筆を頼まれて引き受けている［→作品番号09-2-071］。この項の表題に掲げたのは、地方に留まることを願う三度目の文章。南京応天府においてこれを書き、5月19日に朝廷に差し出した。蘇軾は何としてでも都に帰還するのを避けたかったのである。この書状は、これまでの官界人生について蘇軾自身が総括したものとして読むことができることから、その前半部分の訳をすでに作品番号05-5-088として見ている。ここで改めて全文を読んでおこう。
【訳文】
元祐六年五月十九日、
竜図閣学士左朝奉郎前知杭州の蘇軾、書状をもって奏上いたします。
右の臣は近ごろ詔書および聖旨劄子を頂戴しましたが、臣はそれにふさわしくないと、翰林学士承旨の恩命を辞退し、地方知事の任を授かりますようお願い申し上げました。臣はここにそのことを記した三通目の書状を出し、揚州、越州、陳州、蔡州のいずれかを希望いたします。竊かに思いますに、臣のわずかな誠は天のような御恩に報いることがないままに、さらに本心をことごとく露わにして重ねて聖聴を犯しますことは、恐れ多くも死罪にも当たるものであります。惶恐死罪。
臣は昔、治平年間に鳳翔の職から替わって朝廷に入り、初めて英宗皇帝の知遇を被りました。皇帝陛下は臣を用いようとしてくださいましたが、当時の宰相の韓琦は臣がまだ若く資質に浅いところがあり、官の任に耐えられるか試されてもいないことから、しばらくの間はと館職を与えてくださいました。
臣は父の喪に服すために官職を去ることとなり、喪が終わって改めて朝廷に参内いたしました。そこで、神宗皇帝のお招きをいただき、面と向かって激励のお言葉を賜り、臣が職掌外のことについても申し上げることを許してくださいました。そのとき臣は、遠国からきた臣下はまだこれほどまでの優遇を受けるはずがないので、これはきっと英宗皇帝が臣を知っていてくださったことによるのであろうと思いました。
このとき王安石が新たに政治を司り、法度を変易しました。臣がもしも少しばかりでも王安石に擦り寄りましたならば、きっと昇進して用いられたでありましょう。しかし、臣は朝廷から遠い人間でありながら、英宗皇帝、神宗皇帝の特別な知遇を蒙り、それでいて天を欺き自分の心に背くようなことはできないと、王安石がしようとしていて施行してはならないことを具さに論じて、万に一つでの国政に補うところがあればと考えました。しかし、神宗皇帝の御心が臣のことをどれほど認めてくださっているのか、その浅い深いをまだ測ることができませんでした。折しも、上元の節に四千の灯篭をお買い上げになって、しかも役目の者が理由もなく価を値切っているということでありましたので、臣はそのことを論じて意見書を出しましたところ、先帝［神宗皇帝］は大いに喜ばれて、即時に臣が申し上げた通りに施行してくださいました。臣はこれによって、先帝が聖明にして、言葉を尽くした意見を受け入れてくださると知り、六千余言にわたって新法のよろしくないことを詳しく論じた意見書を提出いたしました。また、科挙についても意見を申し上げ、王安石には人を見る力がなく、王安石が勧める人間は用いてはならないことを申し上げました。先帝はそれを聴いて従ってくださったわけではありませんでしたが、臣の愚直をよしとして、譴問されることはありませんでした。しかし、王安石は大いに怒り、その仲間は皆歯噛みをして怒り、臣を傾けようとしました。御史台の謝景温が首謀者となって必死にあら捜しをして、臣が父の喪に服して帰郷した際に、舟の中で私的に塩を販売したとの告発をしました。そして、各地に指令を下して、当時の舵取りから竿さしまでも捕えて拷問にかけて、証拠を集めようとしました。しかし、その実体はなく、罪をでっちあげることはできずに終わったのでした。
臣はこれによって禍を懼れ、都の外に出ることを乞い、三回連続して地方官に任ぜられました。それでも、先帝は臣を大切に思ってくださることは衰えず、臣が差し出す文章が届くと、それを左右の者に示して褒めてくださいました。それで、改革派の人々は臣がまた朝廷で用られるのではないかと疑い、李定、何正臣、舒亶の三人が、飛語を組み合わせ、いろいろな罪状を作り上げて、必ず臣を死罪にしようとしました。先帝は初めは許しませんでしたが、この三人が訴え続けてやまなかったために、臣は罪を得て獄に下ることになりました。李定らは乱暴な役人である皇甫遵を派遣し、皇甫遵は吏卒を率いて湖州にきて、臣を盗賊のように捕えました。臣は妻子と訣別し、手紙を弟に留めて、後の処置を託しました。自分で思うに、必ず死ぬであろうと考え、長江を過る際に、江中に身を投げようとしました。しかし、吏卒が監視していたために果せませんでした。獄に到ると、何も食べずに死のうとしました。しかし、先帝は使者を獄に遣わしてお命じになるところがあり、獄吏は敢えて非道な仕打ちを加えるようなことはなくなりました。それで、臣は、先帝に臣を殺すお気持ちはないと知ったのであります。それによって、余命を留めて今日に至ることを得ました。
黄州に流されるに及んでからも、臣より朝廷に文書を提出するたびに、先帝は左右の者に向かってその文章を褒めてくださり、臣を哀れみ、大いに奨めて再び用いようとなされました。しかし、左右の者が固く争ったためにそれはできませんでした。臣は遠くにおりましたが、そのようなことが具に聞こえてまいりました。古の人はこのようにいっています。「蚊も集まれば雷のような音になり、羽も積めば舟を沈めることさえできる」。これは、寡は衆には勝てないという意味です。先帝が臣のことを特別に考えてくださっていながらも、臣がついに艱難を免れなかったのは、左右の者に臣を憎む者が大勢いたためであったのです。
陛下が御即位されますと、臣は貶所より起つことができ、一年もしないうちに朝廷に並ぶ地位に昇りました。遭遇するところの変わり方の激しさは古今に比べられるもののないほどでありました。臣はいつも自ら思いますに、昆虫草木のような微小な身でありながら、天地を生成するような陛下の徳に遭うことができましたからには、独り立って誰かに倚ることもなく［徒党を組むことなく］、知っていながら申し上げずにいることもなく、御恩の万分の一にでも報いなければならないのだと。
それで衙前差顧［人民に労役を課すこと］に関連する利害について，孫永、傅堯兪、韓維と議論を争い、また司馬光とも論を異にしました。司馬光はこのような臣を初めから怒ることもなかったのですが、御史台の人々は司馬光の意の内を探って、ついに臣を敵とみなしたのでありました。臣はまた程頤がよからぬ者であると知って、言葉においても顔色においても容赦することなく応対しましたところ、程頤の党人は皆が臣に白い目を向けたのでありました。朝廷は大奸［改革派の中心人物］のうち数人を排除いたしましたが、その余党がなお陛下のお近くにいて、密かに挽回の機をはかりつつ、まだ実行に移すのを控えている状況でありました。地位の低い周穜なる者が、王安石を配享するよう要請し、それによって朝廷の意向を探ろうとしました。臣は竊かに、周穜が雑草のような微小の身をもってこの議を建てたのは、必ず陰に首謀者がいるはずだと考えまして、上書してその悪だくみの鋒先を折り、周穜を遠くに追い払って、小人どもの謀を破るよう朝廷に願いました。これによって、党人たちは臣のことをますます怒り憎むようになったのであります。その後、陛下に御進講する役目にあずかり、黄河の流路を変えるのは不可能であることを論じて、そのことを上疏して争いました。それによって執政から心よく思われないようになったのでありました。このような幾つかの事が重なって、禍が再び起こるであろうことを恐れ、また臂が痛み目が昏くなったこともあって、都の外に出してくださるよう何度も強くお願いしたのでありました。
竊かに伏して思念しますに、朝廷に用いられてから三年の間に、御史台が臣を批判することは数回に及びましたし、批判の文書を作るに当たっては言葉を作り上げて臣を謗ろうといたしました。もとより似たことさえもないのに罪を作りあげようとして、まことに曖昧なことでありながら臣を貶めようとしたのでありました。陛下は無実であると察せられて、幾度となくそのような書状を却下されました。もしも二聖［皇帝と太皇太后］の仁明によって臣の胸中を洞照されるのでなかったならば、臣は党人たちによって傾けられるがままとなって、この首を保っていることはできなかったのであります。臣はまた先帝が赦してくださったようなことをまた敢えて望みはしませんで、ただ地方に出してくださることを望んだのでありました。
臣は杭州知事として出てから二年の間は、人から何か言われるのをほぼ免れることができました。その間に、法の適応外の措置として、顔章、顔益の二人に入れ墨をして流罪に処しましたが、これは長年積もってきた弊害を改めるためにやむを得ないと考えたからでした。陛下も臣を赦してくださいましたが、赦すべきでないという者がいて、そのことを論じていまも奏上し続けています。よもや顔章等のためにと考えてそのようなことをしているのではないのでありましょうが、党人たちは一日も欠かさずに臣を傾けようと考えていることはこれによっても知れるのであります。垢を洗い落して傷を探し出すようなことをして、ようやくこのひとつの事を得たというわけなのであります。
臣は今たちまち聖恩を蒙り召還、抜擢されることとなりました。その一方で、臣の弟の蘇轍は執政に任命されました。この二つのことはいずれも大臣の本意ではないのでありましょう。竊かに考えますに、党人たちは必ずひどく臣を嫌って武器を磨いて待っておるでありましょう。勢いとして必ずそうなのであります。臣は新たに任命されると聞きまして、福をもって災いとなるものであると恐れ慄き、即日文書を提出して、召還を辞して郡職を乞いました。都に向かう途中で、果たして弟の轍は御史台の批判を受け、官舎を出て罪を待っていると聞きました。そして、陛下が細部にわたって事情を御覧になって、弟は身を保つことができたのであります。
臣が偏った強情者であることは誰もが知っております。党人たちは弟よりも激しく臣を嫌忌しております。衰病のなれの果ての身でその鋒先の前にどうして立てましょうか。罪があるとされるようなことはないと臣自身がいくら知っておりましても、いま罪をいう者にとっては事実であるとか正しいとかはどうでもよいのです。
竊かに思いますに、主君が臣下を用いるのは、公の道を論じるのを聞いて判断してのことであります。また、党人たちが嫌悪する者に報いるときには、必ず巧みに仕掛けて陰に法の罠にひっかけるのであります。臣は、二聖が公の道をもって臣を知ってくださっていることをだけを頼りとして、党人たちが禍に陥れようと陰に企んでいることに無頓着でいてよいものなのでありましょうか。
煩わしさをもって陛下を汚し申し上げるようなことまでして、臣がお仕えして以来の進退の一部始終を自ら申し上げましたのは、臣が危言危行にして、独り立って周囲を顧みないことが衆人の怒りを買ってきたことは、遠い昔からのことであったのを陛下に知っていただきたいからであります。また、臣が平生からこのように患難、危険を冒して歩みきて、今や余命がいくばくもなく、禍を遠く避けて身を全うしたく思う心が生じるのを免れずに、再三にわたって辞退申し上げたのは嘘や飾りの言葉ではないことを陛下に知っていただきたいからであります。
『論語』に柳下恵がこのようにいったと記されています。「道を真っすぐに歩んで人に仕えるなら、必ず三回は免職になるのだ」。臣がもしも得ることを貪り、失うこと患う者で、世間にうまく追随して、己のやり方を改めるような者であるのならば、陛下はきっと臣をお用いにはならないでありましょう。一方で、臣がその初心を守ってついに変わらないのなら、群小の者どもが横目で睨んで、臣が安らかにしていられる理はないのであります。二聖に深く知っていただいてはいても、衆人の口には勝てないのを恐れるのであります。でありますから、繰り返し熟慮した結果として、都を去るべきだと考えたのであります。二聖の天地、父母のような御恩を懐恋しないものではありませんが、衰老の余りの身で、群小の者たちと短長、曲直を比べ合って、世間の高人、長者に笑われてしまうのを恥じるのであります。
伏して聖慈を望みますに、臣の至誠を察せられ、特に執政に御指示をくだされて、これまでにたびたび奏上しましたものを検討して、朝廷の高位に親族が並び立つのを回避することを理由にして、臣を一郡の長に命じられますように。そして、臣が奏上しましたこれまでの書状は外にはお出しにならずに、臣の命を保っていただけますように。臣の大きな願いとしてこれ以上のものはありません。もし朝廷が臣の不才をもってしてもなお駆使すべきであるとするのでありましたなら、最も困難な国境の郡でありましても臣は辞退するものではありません。国に報いようとの心は死んで後に已むのであります。おそばにあって党人たちの猜疑を受けて陰に陥れられるのを願わないだけなのであります。
……［以下、畏れ多いということを、数十字にわたって書き連ねて結ぶ］……
【補足】［この文章が果たして皇帝の心に響いたかどうか、本章の終わりに見ることになる］
■【10-1-014】与范夢得
【解題】林希への手紙［→作品番号10-1-011］を読めば、蘇軾が民衆が置かれている状況について常に心を配っていることが明らかで、なおかつ弟を始めとして中央政府と強いつながりを持っている蘇軾のような人が地方知事としていてくれるのは、民衆にとってどれほど心強いことかと思わずにはいられない。しかし、朝廷は蘇軾の願いを聞いてはくれず、蘇軾は南京応天府から都に向かった。これは、都に入る直前に范祖禹［字は純夫ないし夢得］に宛てた手紙。范祖禹には、杭州知事として赴任する際に、都を出てすぐに手紙を出していた［→作品番号09-1-001］。
【訳文】
遠く離れてもう二年になり、御苦労の御様子を仰ぎ見ておりました。忝くもお手紙を頂戴し、御佳勝のこと承り、喜びに堪えません。間もなく御門に伺うことになります。
■【10-1-015】元祐六年六月、自杭州召還、汶公館我於東堂、閲旧詩巻、次諸公韻三首
【解題】蘇軾は2年ぶりに都に戻り、5月26日、朝廷に帰還を報告し、6月1日、学士院に召された。これはそのころに詠んだ詩。詩の題は次の通り。「元祐六年六月、杭州より召されて汶公の館に還った。私は東堂で旧い詩巻を見て、諸公の韻に和して三首の詩を作った」。「汶公」とは僧の恵汶で、「汶公の館」とは興国寺の浴室院で、「東堂」はその中にある建物。興国寺は、蘇軾が21歳のときに科挙を受験するために初めて上京したときに宿舎にして以来馴染みの場所であった［→作品番号08-3-044］。そこに若き蘇軾が記した詩巻が残っていて、いろいろな人がそれに詩を書き加えていた。それらに次韻したのが以下の3首である。
【訳文】
其の一
黄粱がまだ蒸し終わらず、
日がまだ斜めにならないくらいの時間しか経っていないのに、
玉堂に栽えた花の木は大きな陰を作るまでになった。
三十年前の味わいを尋ねようとすると、
思い出されるのは、
かの王播のようにいつも腹をすかせていたことだ。
【補足】［（1）これは黄庭堅［→作品番号08-3-081など］の詩に次韻したもの。（2）二つの故事が使われている。一つは有名な「邯鄲一炊の夢」。黄粱が蒸し終わるまでの短い時間に、これからの人生の全てを夢に見てしまったという話。もう一つは、唐の王播の苦労話。王播は若い頃は貧乏で、寺に寄宿して勉強していたのだが、寺の僧は王播があまりにも頻繁に食事をねだりにくるのを嫌って、食事の時刻を告げる鐘が鳴る前に食べてしまった。原詩の最後はそのことを「未飯鐘時已飯茶」［未だ飯鐘の時ならざるに已に茶を飯す］と詠んでいる。そのような嫌がらせにも耐えて勉強したのである。ここではよい話として引かれているが、後で王播を批判する詩を見ることになる［→作品番号10-2-058］。（3）玉堂は学士院にある建物で第8章で何度も見ている。そこに植えた木が、都を離れていた間に大きく成長していたのである］
其の二
夢から覚めると、
廊下に高く屧の音が響く。
我がゆかりの人の像［恵汶の師の肖像画］の前で香を焚くために僧がきたのだ。
私の髪はすっかり白くなったが、
何か成し遂げたものがあったのだろうか。
ここには褚遂良の書帖が残されているではないか。
【補足】［（1）これは秦観［→作品番号08-3-026］の詩に次韻したもの。（2）恵汶の師とは、蘇軾が若いときに世話になった僧である。（3）最後の句には蘇軾自身の注で、「法貼の中に褚遂良の書があって、『即日、遂良の鬚髮は尽く白し』とあった」と記している。褚遂良は唐の名臣である。褚遂良と比べて同じなのは、髪が白くなっただけだと蘇軾は嘆いたのである］
其の三
天子の詔書が東に来て、私は呼び返された。
年々衰えて、もう故郷に帰るべき時が迫っているのに……。
曹植のように文章が波瀾に富んでいると評されたこともあったけれど、
いまや笑ってしまうのは、
その波瀾なるものだって、このちっぽけな詩の中にちんまり納まってしまうのである。
【補足】［（1）これは誰の詩に次韻したのかわかっていない。（2）曹植は三国時代の英雄の曹操の五男で、詩文に優れ、杜甫は「文章は曹植、波瀾 闊し」と詩に詠んでいる。曹植はその優れた才能のために兄に嫌われ、側近を次々に殺されるなど不遇のうちに41歳で死んだ。蘇軾は自分の置かれた状況を曹植になぞらえたのである］
■【10-1-016】与銭穆父
【解題】瀛州に赴任した銭勰［字は穆父］［→作品番号09-3-020］に送った手紙。
【訳文】
杭州にいたときは、苦労は少なくはありませんでしたが、自分の考えで事を行うことができました。都に来てからは極めて安逸に過ごしておりますが、憂いと恥が多いばかりです。この心を御想像ください。ただいま興国寺の浴室院に独りでおります。大暑のなかでもことに涼しいです。……息子をお招きいただき感激して言葉もありません。本当によろしいのでしょうか。浙西の水害はとくに甚だしく、すでに岑君、楊君の二人が現地に派遣されました。朝廷の議論は民衆救済に傾きつつあります。そちらでは秋の稔りはきっと豊かでありましょう。
【補足】［（1）「息子」とあるのは長男の蘇邁で、銭勰の推薦で県知事に昇任することになったようである。（2）岑と楊は災害の状況を実地に調べるために朝廷から派遣された役人で、詳しいことはわからない。（3）蘇軾はしばらく興国寺の浴室院に寄寓していたが、その後、弟の蘇轍の家に移った。都に長くいる気持ちはなかったので、仮の住まいのまま過ごそうとした］
■【10-1-017】六一居士集叙
【解題】蘇軾は、欧陽棐［→作品番号10-1-010］からその父欧陽脩の遺稿を託され、欧陽脩の詩文集『六一居士集』の編集を進めていた。都に着いてすぐにこの序文を記した。詩文集の題は欧陽脩が晩年六一居士と号したことによる。「六一」の意味を欧陽脩自身が記した文章を作品番号03-3-021で見ている。
【訳文】
そもそも言には、いかにも大きすぎるようでいて誇誕［見掛け倒し］ではないものがある。衆人は疑わしく感じるが、道理に達する者はその言を信だとする。
そのような言として、孔子が（窮地に陥ったときに）いったこの言がある。
「天が斯の文［周の文王以来の文化の伝統］をいま（私とともに）喪ぼそうとしているのなら、（周の文王よりも）後から死ぬ者［孔子］はそもそも斯の文を得られなかったはずである」［孔子は「斯の文」を継承し得たのであるから、天がこの窮地から自分を救わずにいるはずがないと、いったのである］
また孟子のこの言がある。
「禹［古代の聖天子］は洪水を抑え、孔子は『春秋』［儒家が非常に重要視した歴史書］を作り、そして私は楊子と墨子の学問がはびこるのを防いだ」
孟子は自分自身が禹と同列であるかのようにいったのである。
文章［学問］が栄えたり喪んだりすることに果たして天が関与するのだろうか。禹の功績は天地と肩を並べるほどに大きなものである。孔子と孟子は空言をもって己を天や禹と並べ、それこそ全くの誇誕なのではなかろうか。
『春秋』が作られてから、世を乱す臣下や賊になる子は懼れを抱くようになり、孟子が学問を説くようになってから、楊子、墨子の説は廃れた。天下は、それがもとより当たり前のことだとして、二人の功績であるのを知らなかった。孟子が没すると、申不害、商鞅、韓非子といった人々の学説が行われ、道に違いて利に趨り、民を害って主君に厚くするようになった。その説ははなはだひどいものであるのだが、士［統治に関係する知識人］はそれによって上に立つものを欺き、上に立つ者は出たとこ勝負のかりそめの功績を得ようと、一斉にその説に靡いたのだった。そして世の中に孔子や孟子のような度量の大きな先生がいなかったために、物事の本質と末梢を区分けし禍と福の軽重を量って人々を惑いから救うことがなされないままに、いかさまなその学説が広く行われてしまったのだった。秦はこの学説によって（天下を統一したものの、やはりこの学説によって）天下を失ったのであって、瞬く間に衰えた末に、陳勝、呉広、劉邦、項羽らの起こした反乱の禍に至り、民の十人のうち八、九人が死ぬようなことになって、天下はすっかりさびれてしまった。洪水の患いといえどもここにまで至ることはない。
秦がまだ天下を統一する前に、もしももう一人の孟子がいたならば、申不害や韓非子がいうことは空言となって、その学説が人の心の内に勃興してその為すことを害ったり、その学説に基づいて為すことが政治を害ったりするようなことは、きっとここまで烈しくはならなかったのである。
もし楊子や墨子が思うがままに天下に学説を広めていたなら、その禍は申不害や韓非子に劣るものではなかったであろう。このことからしてみれば、孟子を禹に並べてもよいのである。
司馬遷は『史記』にこう記した。
「蓋公［漢の始めの学者、詳しくは作品番号05-2-035で見ている］は黄帝と老子の学問についていい、賈誼と晁錯［二人とも漢代の人］は申不害や韓非子の学問を明らかにした」
晁錯は取り上げる価値のない人物であるにしても、賈誼［若くして様々な進言を皇帝にした人物で、蘇軾もたびたび取り上げている］までもこのようであったのだ。邪説が人をあらぬところに移動させてしまうことからは、豪傑の士［特に優れた士］といえどもなかなか免れ難いものだということがわかる。まして普通の人はなおさらである。
漢より後の時代は、道術［学問の実践］は孔子から出発するのではなくなり、天下はしばしば乱れた。晋朝は老荘の学で滅び、梁朝は仏教で滅んだ。このような事態を正す者がいないままに五百年が経過してから、天下はようやく韓愈を得たのだった。いま学問を修める者が韓愈を孟子に並べているのは、きっと正しいのであろう。
韓愈から二百年余り後に欧陽先生が現れた。欧陽先生の学問は韓愈と孟子から推し進めて孔子に到達するものである。礼、楽、仁、義の本質を明らかにし、それは大いなる道に合致するものである。その言は簡潔にして明瞭で、信を表して広く通じ、事例を引いて類するものを並べ、それらを分析して真理に至って、人の心を納得させるものである。それによって天下は挙って欧陽先生を師として尊敬するようになった。欧陽先生が出てから、世の中の喜ばない人々は騒がしく批判するようになった。欧陽先生の身を苦しめはしたが、その言を折って屈服させることはできなかった。士は賢人もそうでない人も一致して同じように、「欧陽先生はいまの韓愈である」といったのである。
宋が興ってから七十年余り、民は戦争を知らずに過ごし、民を富まして教化することは（仁宗皇帝の）天聖、景祐のころに極まった。しかし、「斯の文」［先に孔子がいった周の文王以来の伝統］は古に対して愧じなければならない状況にあった。士は無定見に旧習を守るだけで、議論は低劣で気迫に乏しかった。欧陽先生が出てからは、天下は争って己を鍛えて磨くようになり、第一に、経典に通じて古を学ぶことを価値が高いとし、第二に、時代の課題を解決して道を実践することを賢いとし、第三に、天子の顔色を犯してでも諫めを納れさせるようにするのを忠であるとした。士を育成することが長い間にわたって成就し、嘉祐の末に至って、士が多く並ぶようになったと称せられたのには、欧陽先生の功績が大きかったのである。ああ、これは人の力だけによるものなのだろうか。天がこのようにしたのではないだろうか。
欧陽先生が亡くなって十数年後に、士は新学なるものを始めた［王安石らが学問の潮流を改めたことをいう］。新学は仏教や老子の学に似たものをもって、周の文王、孔子以来の真の学問を乱したので、識者はそれを憂いた。幸いにも（代替わりした）天子の明聖によって、士を採用する方法を改め、学問を学ぶ人を励まして、専ら孔子を学んで異端の学を退けるよう詔が出されたので、風俗は一変したのだった。
かくて、いま師とする者、あるいは友とする者が何を源として学んでいるのかということを考察してみるなら、欧陽先生の書物を唱えて習ってきたと知れるのである。
私は欧陽先生の詩文七百六十六篇をその子の欧陽棐から得て、それを並べ、論じてこのようにいう。
「欧陽先生が大道を論じるのは韓愈に似ている。政事を論じるのは陸贄［唐代の名臣］に似ている。事実を記録するのは司馬遷に似ている。詩賦は李白に似ている。これは、実は私の言ではなく、天下の言なのである」
欧陽先生の諱は修、字は永叔。老年に至って自ら六一居士と号した。
【補足】［（1）最初に、誇誕ではない言があるとしたのには、最後に置かれている蘇軾の評言も含まれているのだろう。欧陽脩は学術のあらゆる分野において超一流で、蘇軾といえども史学においてまで立派な業績を残すというわけにはいかなかった。（2）中ほどに、「信を表して広く通じ、事例を引いて類するものを並べ、それらを分析して真理に至った」［原文は「信而通、引物連類、折之於至理」［信に而て通じ、物を引いて類を連ね、之を至理に於いて折める］とあるのは、演繹と帰納によって真理に至るということをいうのであろう］
■【10-1-018】書柳文瓶賦後
【解題】柳宗元の『瓶賦』という作品の後に記した短文。ここではもとの作品の内容には踏み込まずに、蘇軾の感想だけを見ておきたい。
【訳文】
……［『漢書』の陳遵の伝記から、揚雄が作った『酒箴』に関連する部分を引用する］……
ある人は、柳宗元の『瓶賦』は『酒箴』から言葉を拾っただけのものだという。それは間違っている。
揚雄は諷諫のために『酒箴』を作り、問いを立てて、酒飲みたち［実際には陳遵のように皇帝から重用されながらまともな仕事をしていない者たち］の意を見ようとしたのである。酒飲みたちはそれに答えなければならなかったのだが、陳遵は『酒箴』をきちんと受け止めようとしなかった。それで柳宗元が補ったのである。陳遵は、屈原や伍子胥や晁錯を論じて誰も智慧が足りなかったと譏った。
柳宗元は『瓶賦』で瓶は智者であると書いた。道を信じ命を知ることでは、揚雄は柳宗元に及ばなかった。揚雄は憂患の中にあって取り乱して為すべきことを知らなかった。しかし、柳宗元にもまた観るに足りないところがあった。二人とも斯文［儒学の本流］においては恥じなければならない者だったのである。
元祐六年六月二十七日。
【補足】［（1）揚雄の『酒箴』は飲酒を戒める有名な文章で、蘇軾も何度か詩文に引いている。（2）陳遵は大酒飲みで、客人たちがくると、その車の部品を井戸に投げ込んで帰れないようにし、夜を徹して酒宴を続けたことで知られ、そのエピソードはやはり蘇軾も何度か詩の中で引いている。陳遵はなかなかの豪傑で、時の皇帝から重用されていたのだが、国にとって肝要なことは何もしなかった。そうした連中を批判したのが、揚雄であった。（3）柳宗元は若いときに国政の刷新に強い意欲を抱き、志を同じくする人々と行動をともにしたのだが、そのリーダー格が実は見掛け倒しの人物であったために政争に敗れ、柳宗元たちは遠方に流されてしまった。柳宗元は流謫の地で深く苦い思索の日々を送り、数々の名文を残した。（4）都に帰ってきた蘇軾は、恐れていた通りに批判の嵐に襲われ、非難する側からは蘇軾は陳遵のようなろくでもない人間に見えたのだろう。蘇軾は自分の拠り所とすべきものが何であるかを考えて、『六一居士集叙』でも強調していた「斯文」、つまり儒学の基本以外にないと改めて確認したのだろう。官員としての職務にあるときは、蘇軾は徹頭徹尾孔子あるいは孟子の弟子なのである］
■【10-1-019】書破琴詩後、并叙
【解題】作品番号10-1-003で見た『破琴詩』はこのころに詠んだもので、さらにこの詩を作った。短い序文がある。
【訳文】
叙
私は『破琴の詩』を作り、宋復古が描いた邢和璞の画を柳子文に求めて手に入れた。柳子文はその画を王詵に託して模写してもらい、短軸にして『邢房悟前生図』［邢和璞によって房琯が前生を悟った図］と名付けた。詩を作ってその上に題した。
この身は何にでもなる。
どこに宿をとるのか、浮雲はどこへ流れるのか、
自分で知ることではない。
（房琯は）たまたま一枚の古い紙を見たので、
この身はもとは永禅師であったかと疑ったのだった。
【補足】［王詵［字は晋卿］［→作品番号08-3-083］は皇帝の親族で、画や詩を得意とする風流人である。とくにその画を蘇軾は気に入り、都に戻ってきた蘇軾にとって大きな慰めとなったようで、以下に王詵の画について詠んだ詩を見ておく］
■【10-1-020】次韻子由書王晋卿画山水一首、而晋卿和二首
【解題】王詵［字は晋卿］が描いた山水画に書き添えた弟の詩に王詵が和し、さらにそれに蘇軾が次韻した。
【訳文】
其の一
王詵君が画を描く腕前は、
誤って墨を落としても、ごく自然に描いたようにしてしまう。
王詵君が詩を詠む心は、
まことに昔の隠者と同じである。
王詵君は自らこの画中におさまっていて、
雲の湧く山から私に手紙を寄せる。
雪を照らす月光のもと、谷に浮かべる貴君の舟を追いたくなる。
この画をいくら厳重に篋に納めておいても、
貴君は仙人となって飛び去ってしまうであろう。
画中の貴君はまことに古の隠者、
風にあおられて斜めに雨が降り注いでも濡れることはない。
【補足】［この詩は故事のてんこ盛りで、例によって大意とおぼしきものを取っての「ずっぽ訳」である］
其の二
眼にありありと見えても、
画中の情景は妄想でしかない。
実際に自然の内で真に休息できる者は幾人いるのだろうか。
それでもこの画の前にいるとき、
私の心は池に映る月のようである。
貴君は巨大な船のように私を安らかに乗せてくれる。
貴君の画に詩を題する者［蘇軾と蘇轍］は二人とも白髪の身で、
ひとひらの裘をまとって故郷で老いを送るべきなのである。
来年こそは遠く去って行き、
無限の波の広がりの中へと二羽の鴎は消えるのである。
■【10-1-021】次韻子由書王晋卿画山水二首
【解題】これも王詵［字は晋卿］が描いた山水画に弟が詩を書き添え、それに次韻したもの。
【訳文】
其の一
老いた君［弟のこと］は、もはや山水を画中に見るだけ。
僕は、かつて夢の中でここに遊んだようだ。
桃の花が散ってもそれを見る者は誰もいない。
水は流れ出て人間界に至ると、地の下に伏してしまう。
其の二
昔、山の人［蘇軾］は雲とともに出てしまった。
それからは俗界にいて、水の流れを遡って帰ることができずにいる。
せめて胸の内にある佳き処を頼りに、
画に対して盃を持とうと思う。
【補足】［画中に遊ぶことで心の安らぎを得ようとしたのだろう］
■【10-1-022】又書王晋卿画四首
【解題】これも王詵［字は晋卿］の画に書き添えた詩。
【訳文】
其の一 山陰陳跡
かの年の王羲之の蘭亭がいかに清真であったのか。
それを知らぬ者は、無理やり石崇の金谷園に比べたりした。
どちらも人間世界の営みの跡ではあるけれど、
金谷園に集まったのは群がり飛ぶ蚊のような連中だったのだ。
【補足】［（1）これは、書聖といわれる王羲之の別邸である蘭亭を描いた画に添えた詩。蘭亭は山陰［越州］にあった。（2）石崇は王羲之より少し前の時代の大金持ちの貴族で、蘇軾は愚物の大横綱としてしばしばその名を挙げている［→作品番号07-1-079］。あろうことか、贅を凝らした石崇の金谷園での馬鹿騒ぎと、王羲之の蘭亭での清真な遊びを比べた者がいた。それがいかに無意味な比較であるのか、この画を見れば一目瞭然であるというのがこの詩の意味］
其の二 雪溪乗興
溪山の雪と月は両方ともにまことに結構。
主人［王徽之］の弁舌は鋭く、
真夜中に雷が鳴り響くかのよう。
誰かが、
「そういえば、戴逵君がきていませんが」
と、問うと、主人は、
「どうせどこをほっつき歩いているのだろうさ」
と、いう。
【補足】［これは王羲之の息子の王徽之の故事を描いた画に添えた詩。王徽之はある夜、雪景色のおもしろさに引かれて、友人の戴逵を訪ねようと思い立ち、その家にまで行ったのだが、「もう十分に興を尽くした」といって、友人には会わずに帰ってしまった。この詩は、その故事を少しひねって脚色したようである］
其の三 四明狂客
たまたま地上の塵をかき集めてこの端くれの身体とした。
ならば、どこの溪山であろうともこの身でないものはないのだ。
かくて狂客［賀知章］は帰郷することを思った。
帰りたいなら帰るのでよい、
その天真を天子の勅旨でこれ以上曲げることはないのだ。
【補足】［（1）題にある「四明の狂客」とは唐代の賀知章のこと。賀知章は何度も見てきたように、身の引き際がみごとだった脱俗の士。（2）韓愈は、地上の塵を集めてこの身が成り立っていると、「一塵 毫端に集まる」と詩に詠んだ。天地と我が身が一体であることを、いわば分子論的に喝破したのである］
其の四 西塞風雨
斜めに風が吹き、細かい雨がやってきた。
我にはもともと家はない。
どこに帰るということもない。
雲に覆われた天を仰ぎ見ると、それはまことに箬笠ではないか、
ならば我が蓑の衣を翻してその中に江も海も入れてしまおうではないか。
【補足】［（1）西の涯の地で風雨にさらされる隠遁者を描いた画に添えた詩。その隠遁者の衣の内に大地が包み込まれると見たのである。（2）蘇軾の詩集には、この後に『題王晋卿画後』という詩が収録されているが、、岩垂憲徳・釈清潭・久保天随訳解『蘇東坡詩集』（1927年）は「邨学究の詩、決して公の真作ではない」と断言しているので割愛する］
■【10-1-023】送銭塘僧思聡帰孤山叙
【解題】銭塘［杭州］からきていた思聡という僧が孤山に帰るのを見送り、この文章を記した。蘇軾が杭州副知事であったときに、当時11歳の少年に思聡の法名を与えたことは作品番号04-2-093で見ていて、その少年の成長ぶりがここに記されている。
【訳文】
天は一をもって水を生み、地は六をもって成り、一と六が合して水が見られるようになる。……
銭塘の僧の思聡は七歳で善く琴を弾き、十二歳で琴を捨てて書を学び、書が巧みになると、十五歳で書を捨てて詩を学んだ。その詩には優れた言葉があり、雲や靄が朦朧とし、珠がきらきらと輝くかのようで、識者は画師の詩であると評した。思聡はそれで止まることなく、『華厳』のもろもろの経典を読み、「法界海慧」［海のように深い仏教の智恵］に入った。今年二十九歳で、老師も儒者も誰もが敬愛している。秦観は『楞厳経』から文殊の語をとって、思聡の字を聞復とした。。思聡が日に日に進んで止まることなく、自ら思いを修め、道を極めて、すなわち『華厳』にある「法界海慧」に入るようにとの思いを、その字を託したのである。そのようになれば、書や詩や琴などは物の数にも入らないのである。しかしながら、……思聡が道を得るにおいては、琴も書もきっと力になるだろうし、詩は最も力となるであろう。思聡は水鏡のように一をもって万を含む者であって、書も詩もますます優れたものとなるであろう。私は思聡が道を得ることの浅深のありさまをこれより観てゆくのである。
【補足】［最初の方で省略した部分では、水と慧について論じていて、思聡のことを記す後半と内容的に緩くつながるようなのだが、訳者には意味するところが理解できないので割愛した。後半で一部省略したところでは、詩や書や琴が仏教を深く窮めるのに必ずしも妨げにはならないということをいおうとしているようなのだが、訳者にはやはり意味するところが理解できないので割愛した］
■【10-1-024】聴武道士弾賀若
【解題】武道士が弾く琴の『賀若』の曲を聴いて詠んだ詩。
【訳文】
日中は、涼しい風がきて簾を開き、
夜になると、涼しげな月が軒端に掛る。
『賀若』の曲を弾く琴の音を聞くと、
自ずとそのような心持ちになり、
陶淵明が弦のない琴を讃えた詩の意味合いも、
なるほど愛すべきとわかってくるのである。
■【10-1-025】乞擢用程遵彦状
【解題】蘇軾は時に驚くほど義理堅く面倒見のよいところを見せる。都で厳しい状況に置かれていながらも、杭州で親しくした程之邵［字は遵彦］［→作品番号09-2-075］を朝廷に推薦している。
【訳文】
元祐六年七月某日、翰林学士承旨左朝奉郎知制誥兼侍読の蘇軾は書状をもって奏上いたします。
右の臣は竊かに思いますに、朝廷が人を用いる際には、まず実績があるかどうかで判断し、急に必要なときには才能の有無で判断します。実績と才能を兼ね備えるのはたやすくなく、そのために偏った採用もありがちとなってしまいます。慎み深い士は、人よりも優れた行いがあり事に応じる才能がありましても、それを顕わにすることなく時節が訪れるのを待つものでありまして、自ら進んで用いられようとはしないために、朝廷はなかなかその人を知ることがありません。ですから、臣のような者が、耳にするところの者を挙げて、朝廷が有用の士を育てられるよう手伝わななければいけないのであります。
伏して見ますに、左朝散郎前僉書杭州節度判官庁公事の程之邵は、公務全般をよく知り、学問を広く修め、文詞は雅麗で、この三点ともに優れたものがあります。しかも母に仕えて孝謹であることは他に比べられる者がおりません。母は非常に厳格な人で、母が程之邵の妻を悦ばなかったために、程之邵は妻とは仲がよかったにもかかわらず、母のために妻を離縁しました。妻は家を出されても、姑への孝行を変わらずに果たし、嫁であるときと同じように節目ごとに仕えるべきことをしました。それでも母はついに悦ばず、程之邵は再び娶ることなく十五年になります。自身で僕妾の仕事をして母に仕え、歴史に伝わる孝行の者であってもそれを超えはしないほどであります。
臣と同僚になること二年、実際に程之邵のことを見ておりました。いま程之邵は先の任務を終えて都に来ておりますが、いまだに次のお指図がなく、衆人の中で無為に過ごしております。それでも人に支援を求めようとしておりません。臣は竊かにこのことを残念に思っております。
伏して聖慈をもって特に察せられますことを望むものであります。人の才能を量って用いますことは、賢者を探し出す路を開くだけでなく、孝悌を世に推奨し、良俗を励ますことともなります。もし後に推薦するに及ばない者であったとなりましたなら、臣は甘んじて処罰を受けるものであります。
慎んで奏聞申し上げ、伏して敕旨をお待ちいたします。
【補足】［（1）最初に都における蘇軾の肩書が記してある。「侍読」とあるのは、皇帝のために書物を読む役目、つまり教育係を授かっているという意味。はなはだ名誉な肩書である。（2）このとき程之邵は、作品番号09-2-075で見たように杭州を発って都に来ていたのだが、次の職務を与えられずに待機していたのだろう。（3）程之邵は、母が嫌ったので妻を離縁し、その妻は離縁後も同じように姑に仕えたとあるのは、現代の我々には到底受け入れらない理不尽なことであるが、当時としては賞賛に値することであった。ただし、宋代の女性は意外と権利を認められていた面もあり、程之邵のようにするのは希であったから特にここに記したということもあるのだろう］
■【10-1-026】書諸公送周梓州詩後
【解題】周尹［字は正孺］が梓州知事として赴任するときに送別の詩を詠んだことは作品番号08-3-023で見た。そのときに人々が詠んだ作品を集めた詩集の後ろにこの文章を記した。
【訳文】
私は元祐年間の初めに朝廷に並ぶ者となり、日々に周尹君と交流があった。元祐三年、私には江海［地方］に出たいとの思いがあり、周尹君には思うところがあって帰郷したいとの嘆きがあり、ついには梓州への赴任を願って、それを得たのだった。私は送別の詩を詠み、そこに「掃棠陰」［棠陰を掃う］、「踵画像」［画像を踵ぐ］の語があった。一方で私はすぐに杭州に出て、それから二年で都に還ったのだが、老病が日に日に加わり、地方に出ることをお上に願い出た。ある人が、「周尹君が任期を終えるので、それと交代で梓州に行かれて、ついには眉州に帰老するのを遂げられてはどうでしょうか」といい、またある人は、「それはよくないでしょう。梓州の人は周尹君にすっかりなじんでいて、周尹君が去れば父母が去ったように感じます。人々は貴君が周尹君を梓州から奪ったように思うでしょうから、貴君はそれに耐えられますか」といった。それで、私は敢えて梓州は望まないことにした。梓州の人は周尹君がもう数年留まることを願い、朝廷はそれを許した。
かつて丞相の呂公著が編集した『実録』［皇帝の言動を記録したもの］を見たところ、熙寧年間に周尹君が御史であったときの議論を聞いて、皇帝は、「この人は君子である」と感心したと書いてあった。それによって周尹君は直秘閣に任命されたのだった。士大夫がその才能をもってよいことを論議しても、それはそのときだけに留まるものであるのだが、周尹君の場合には、十年以上も経ってからおもむろにその人が為したことを観ても、人は異議なく心服するのである。周尹君に恥じないようにするのは難しい。
周尹君からの手紙で、諸公の送別の詩を石に刻みたいので、私に跋文を求めてきた。それで聞くこところをこのように記して遺すものである。私の詩はその場で思ったことを詠んだまでであるけれど、周尹君を追って梓州に行きたいとの思いは、それからも忘れることはなかった。そのことを梓州の人々にはぜひ知ってもらいたい。
【補足】［先の送別の詩から引用している6文字は、作品番号08-3-023で見た詩の末尾にあって、訳文はかなりの意訳をした。要するに周尹と並ぶような人間になりたいという願いを詠んだものであった］
■【10-1-027】黠鼠賦
【解題】先に王詵との友情を示す一文として執筆の時期よりも早くに見た『挑耳図』の跋文には、元祐6年8月2日の日付があった［→作品番号08-2-061］。それと同じ日に、賈易なる者が、新たに幾つかの論拠を持ち出して蘇軾を声高に弾劾した。これより6年前の元豊8年5月1日に蘇軾が揚州で詠んだ詩は先の皇帝を誹謗するものであったとし、さらには蘇轍や秦観をも巻き込んで様々なことを並べて立てたのである。問題とされた詩は、神宗皇帝が亡くなって間もないときの作で、その訳文は作品番号07-2-037で見ているが、再びここに掲げておこう。
【訳文】
『帰宜興、留題竹西寺三首』其三
この身は、きっと、全て何事もないなかにあるのだろう。
しかも、今年は大豊作の年に当たりそうだ。
この寺に来てからは好い言葉ばかりを聞く。
野の花も啼く鳥も喜んでいるではないか。
【補足】［この詩の後半部分、原詩では「山寺帰来聞好語、野花啼鳥亦欣然」［山寺に帰来して好語を聞き、野花 啼鳥 亦た欣然たり］で、これは神宗皇帝が亡くなったのは自分にとって嬉しいことだと、蘇軾はいっているのだと、賈易は批判したのである。どう見ても無茶な言いがかりでしかないのだが、ぎゃあぎゃあ騒がれるのは煩わしく、蘇軾は初めから地方に出たがっていたことであるし、周囲も些末な誹謗論議に辟易し、執行部は喧嘩両成敗というかたちにして、8月5日、蘇軾は潁州知事として、賈易は盧州知事として両人ともに都を出るよう命じられた。その直後に作ったのが、悪賢い鼠を詠んだ『黠鼠の賦』である］
【訳文】
ある夜、蘇先生が座っていると、鼠が齧る音がした。床を叩くとそれは止み、止んだかと思うとまた音がした。
童子を呼び、蝋燭で照らすと、からっぽの橐があって、中で嘐嘐聱聱と声がした。
蘇先生はいった。
「ああ、これは鼠が閉じ込められてしまって逃げられないのだな」
橐を開いて中を視ると、しーんとして何もない。蝋燭を挙げて探すと、中に死んだ鼠がいた。
童子が驚いていった。
「こいつが齧っていたのでしょうか。今しがた死んだのでしょうか。それとも、さっきの声は鼠の鬼のものだったのでしょうか」
橐をひっくり返してこれを出すと、地面に墮ちた。墮ちるとすぐに走り出し、いかなる敏捷の者も捕まえることができなかった。
蘇先生は感心していった。
「すごいものだ。鼠がこうも悪賢いとは。橐の中に閉じ込められてしまい、橐が堅くて穴をあけられなかったのだろう。それで、齧ってみたり止めてみたりして、その音で人を呼んだのだ。死んでいないのに死んだふりをして、うまいことやって脱出した。生きているもののなかで、人よりも智恵のあるものはないと聞いている。人は竜さえも手懐け、蛟も退治し、霊力のある亀を占いに使い、麒麟も捕まえ、万物を使役してその上に君臨している。ところが、私ときたら、一匹の鼠にしてやられてしまった。こいつのはかりごとに墮ちてしまったのだ。はじめは少女のようにおとなしくしていて、脱兎のように走り逃げるのに驚かされた。こんなことでいったい私に智恵があるといえるのだろうか」
そのわけを考えながら眠りにつくと、ある者がこのように告げたかのようだった。
「そなたはたくさん学んでたくさんのことを識っているようだが、道［究極の真理］を望みつつも、まだ見ていないのだ。己のこともわかっていないし、外界のこともわかっていない。だから一匹の鼠が齧るのにすっかりやられてしまったのだ。千金の価値がある璧を砕くような勇気のある者でも、釜がいきなり割れたら声を出さずにはいられない。猛々しい虎を撃ち殺せるような勇敢な者でも、蜂や蠆にいきなり襲われたら顔色を変えてしまう。これは己のことがわかってないことからくる患なのだ。そなたのためにこのことをいいにきた。忘れてはならないぞ」
私は俯いて笑い、仰ぎ見て目が覚めた。
童子に筆を持たせてこのことを記した。
【補足】［蘇軾がこのころに置かれていた状況とこの寓話はどのように関係するのか。賈易等が悪賢い鼠ということなのだろう。自身のことがわかっていないから、鼠のようなものにも翻弄されてしまうのだ］
■【10-1-028】漱茶説
【解題】蘇軾がいろいろな健康法を実践していることはこれまでに見ているが、これは茶で口を漱ぐことの効用を記した短文。どうしてこの時期に記したのかはわからないが、それこそ「煩膩」［厭な感じ］を何とかしたかったのだろうか。
【訳文】
茶は、煩膩を取り除くのに欠かすことができないものとなっている。しかし、茶がいつの間にやら人を害ってしまうことも少なくはない。
昔の人はこのようにいっている。
「茶を飲むことが盛んになってから、人は多く気を患う［陰陽の気のバランスを崩す］ようになった。黄疸を病むことがなくなった点では、損益は半々であろうか。しかし、陽の気を消して陰の気を助けることでは、益するものは損なうものを償ってはくれないのだ」
私に一つの方法があり、これでいつも重宝している。食事の後すぐに濃い茶で口を漱ぐのである。煩膩は取り除かれ、胃腸に影響が及ばない。歯の間にある肉は茶に浸して漱がれることでひきしまり、歯が抜けなくなり、痛みに煩わされることもない。歯も漱がれることによって緊密になって虫歯にならない。しかも、中等から下等の茶を用いるので十分で、上等の茶を具えなくてよいのだ。そして、数日に一度だけ飲むのなら害になることはない。これは大いに理のあることでありながら、ほとんどの人が知らないので、ここにことさらに書いてみた。
『大唐新語』［唐代の逸事を集めた書物］にこのようにある。「右補欠の毋煚は博学で著述の才があった。茶は全く飲まなかった。『茶序』を記し、『滞りを釈いて壅ぎを消すことでは、一日の利としてしばし佳いものがある。気を瘠させ精を侵かすことでは、終身の累いとして実に大きなものがある。益を獲たときはその功を茶の力に帰し、患ったときには茶の災いにはしないというのは、諺にいう「福は近くにあって知りやすく、禍は遠くにあって見難い」というものではなかろうか』」
元祐六年八月十三日。
【補足】［茶を常飲することが長い目で見ると健康を損なうと、蘇軾も考えていたようだ。それで、ふだんは茶は飲まずに口を漱ぐだけにすれば、口腔衛生に資するし、爽快な気分も得られるという方法を実践し、人にも勧めているのである］
■【10-1-029】書韓李詩
【解題】甥の柳閎［字は展如］を相手に、李白、韓愈の詩を論じ、この短文を記した。柳閎は、劉瑾の子の柳子文［→作品番号10-1-003、10-1-019］の子である。柳子文の妻は、蘇軾の伯父の蘇渙の娘である。従って、柳閎は蘇軾の従姉妹の子で、甥の世代ということになる。
【訳文】
元祐六年八月十五日。
柳閎君と酒を飲み、一杯飲んですぐに酔い、数枚の紙に字を書き、李白（が泰山に遊んだ折）の詩を記した。
遺我鳥跡書、［私に与えてくれた書は、鳥が飛んだ跡］
飄然落巌間。［ひらひらと岩の間に落ちてきた］
其字乃上古、［それは上古の文字］
読之了不閑。［読んでもとんとわからない］
戯れに柳君にこのようにいった。
「李白は気迫を見せようとする人で、それがかえってここでは己が字を識らないことを明らかにしてしまった。大いに笑うべきだ。それでも、韓愈が意地っ張りなのには及ばない」
それがこの（『夢を記す』という題の）詩である。
我寧屈曲自世間、［私は世間で縮こまってなどいない］
安能随汝巣神仙。［そなたに従って神仙の地に住むのだ］
■【10-1-030】与王定国
【解題】このころに王鞏［字は定国］［→作品番号09-3-012］に宛てた手紙を二通見ておこう。
【訳文】
（1）お別れしてから紛紛としてお手紙も差し上げずにおりましたところ、二度にわたってお便りをくださり、まことに恐縮しています。……貴君が州知事の地位を失って当地から去ることについては、友人たちが皆嘆いています。これはいわば少しく安らうときであって、とやかくいうようなことではないのでしょう。私はすでに潁州に赴任することになり、もとより望むところではありましたが、張公［張方平］のお心に副うことはできませんでした。……
【補足】［（1）王鞏はなかなか安心できない人で、宿州知事として赴任したものの［→作品番号09-3-012］、何らかの事情で罷免されてしまった。（2）ここに潁州に赴任することが記されている。張方平からは、都での活躍を期待するようなことをいわれていたのだろうか］
（2）私は、かねてから書物を書き著して、来世に行ってからも少しは名を表わしたいものだと思っていました。しかし、何かと成就しないままになっています。二人の息子［次男と三男］はどうやら文章の才能はありそうですが、教え導くだけの暇がありません。長生きをする養生の妙理をかなり知ってはいてもまだ実践ができていません。これらの三者はいずれも大事なことです。いま汝陰［潁州］に赴任することを得て、そこで事もなく過ごすことができるのなら、もしかしてそれらを成し遂げられるかもしれません。貴君はきっと祝ってくれましょう。このようなことを申しますのも、王君にはしっかりと仕事に励んでもらいたいからです。書いてここに及んで、心にいろいろな思いが湧いてきます。……
【補足】［（1）潁州に行ったら三つのことをしたいと記している。潁州は欧陽脩が退隠後に住んだところで、欧陽脩の家族がいまもいて、赴任する町としては極めて好ましいところであったので、このような想像も湧くのだろう。（2）この手紙で王鞏に対してあからさまな訓戒を垂れてはいないものの、そのようなニュアンスがあるので、訳文は少し顕わにそれを示した。（3）同じ頃に王鞏に送った別の手紙に、「これからは刳心鉗口します」［心をえぐり出して口を塞ぐ］と書いてみたり、「かの二人の者はついには舒亶や李定と同類として後に伝えられるようになるでしょう」と書いたりもしている。「かの二人の者」とは、作品番号10-1-027で名を挙げた賈易、および趙君錫であろうとされている。舒亶や李定はかつて蘇軾を死罪に陥れようとした急先鋒である［→作品番号06-1-001など］］
■【10-1-031】感旧詩、并叙
【解題】潁州知事として都を発つに当たってこの詩を弟に残した。序文がある。
【訳文】
叙
嘉祐年間に私は弟とともに制科の試験を受けることになり、（都の近くにある）懐遠駅に寓居した。ときに二十六歳、弟はまだ二十三歳だった。
ある日、秋風が立って雨になった。夜中に翛然に、弟と離合することの感慨が心の内に湧き上がった。
それからは官員として四方に出て、弟の顔を見ないときが七割から八割となった。夏と秋の境のころに、風雨が起こり、落葉が進んで草が枯れると、いつも淒然として同じ感慨が生じるのだった。それがおよそ三十年になる。
元豊年間に私は黄州に謫居となり、弟は筠州に流された。そのときに詩を作ってこうしたことについて記した。
元祐六年、私は杭州から召還され、弟が住む東府に寓居した。数カ月でまた私は汝陰［潁州］に出ることになった。時に私は五十六歳である。
この詩を作って弟に残し、都を去る。
【補足】［（1）制科の受験勉強中に、弟とはいずれ別れることになるであろうと思ってにわかに悲しく感じたということを、蘇軾はしばしば記している［→作品番号02-1-013など］。（2）秋になると同じ感慨が生じると書いているが、秋から冬にかけて体調を崩すことが多いのはそれと関係するのかもしれない。（3）黄州で詠んだという詩は作品番号06-4-037で見ている］
かのとき、
枕のすぐに先には都の大通りがあり、
皇城はまだ夜半にはなっていないだろうと思っているうちに、
車が行き交う響きが、あたかも枕の中で鳴り出し、
故郷を遠く離れた者の夢は、長くは続かなかった。
梧の葉に新らたな秋が入り込み、
雨まじりの風のような音が奥の部屋にも届いてきて、
僕はふと起き上がり、
明けの空に残る月のもとを独り歩き、
秋の始まりの涼しさにもの悲しさを感じたのだった。
そのときに懐遠駅で僕ら先の官途を占って、
よもや黄州に謫居するとは念いもしなかった。
ひとたび進みきてすでに三十年、
かのときの懐いは忘れたことがない。
扉を叩いて君を呼んでみるけれど、
君は安らか眠り続けている。
そうだ、
僕の白髪を青い山々に映しつつ故郷に帰るには、
三カ月分の食べ物があれば十分なのだ。
そうであるならば、汝陰［潁州］に行ったら、
そこからただちに、潼、江、章［蜀への道筋］へと行こうではないか。
想い見るのは氷の盤の上に載せた石蜜と柿霜［蜀の食べ物］だ。
気の毒なことに、君は明主に見込まれて、
これからも憂患を重ねて行かなければならない。
報国はいつまでも終わらないものであるのだが、
僕の心はもう降りてしまっているのだよ。
【補足】［最後の句の原文は「我心久已降」で、ほぼ直訳である］
■【10-1-032】題張乖崖書後
【解題】蘇軾は8月の終わりないし閏8月の初めに都を発って潁州に向かった。都にいたのはおよそ3カ月間であった。途中、陳州に立ち寄って、この短文を残した。なお船で都から潁州に行くには途中で陳州を通ることを作品番号03-4-015でも見ている。
【訳文】
寬い政治によって民の愛を得ることができるだろう。しかし、そのような愛はその時だけのものである。厳しい政治によって民の畏れを得ることができるだろう。しかし、そのような畏れは力の及ぶ範囲にとどまるものである。であるから、寬い政治によって民から畏れられ、厳しい政治によって民から愛されるのは、聖賢にしても難しいことであって、その畏れと愛は遥か遠くにまで及ぶのである。
張忠定公［張詠］が蜀を治めたとき、諸葛亮のように法を厳しく用いた。諸葛亮と公の遺愛はともに今に至るも蜀の地にあって、人々は位牌を立てて祀り、社を建てて供え物をしている。
元祐六年閏八月十三日、陳州を過って公の曽孫の張祖に会ったところ、蜀人の蘇軾は公の徳の深さ思う者であるによって、張祖君は公の遺墨を出してきて、その後ろに文章を書くよう求めた。
【補足】［これは張詠［字は復之、号は乖崖、謚は忠定］の書の後ろに書き添えたもの。張詠は蘇軾の90年先輩。宋の初めのころ、蜀の地は非常に治め難い土地柄とされていた。それは、蜀が武力によって宋朝に制圧され、その後の統治方法が強権的ではなはだ拙劣であったことに起因する。張詠は厳しくとも愛のある政治によって蜀の地を治め、以後、蜀は穏やかに宋朝の統治を受け入れるようになった］
■【10-1-033】医者以意用薬
【解題】船は潁州へと入って行き、蘇軾はこの短文を記した。
【訳文】
欧陽文忠公［欧陽脩］はかつてこのようなことを私にいった。
「ある病を患った者がいた。病を患ったときの様子を医者に尋ねられ、『船に乗っていて風に遇い、恐ろしいと思ってからこのようになりました』と答えた。医者は、長年使いこまれた柂牙から船頭の汗がたっぷり染み込んだ部分を削り取った粉に、丹砂［霊妙な働きがあるとされた硫化水銀］と茯神［特別な薬効があるとされた茸］の一種を混ぜて飲ませた。すると病はたちまち治った。『本草』［博物学］の注釈書である『別薬性論』を見ると、『汗を止めるには、麻黄の根と、古びた竹の扇を削った粉を混ぜて飲ませる』とある。このように医は意をもって薬を用いることが多いのだ。初めは子供の戯れのように思えても、しかし実際に効果があるのなら、とがめるべきではない」
私はこのように文忠公にいった。
「ならば、筆や墨を焼いて灰にしたものを学生に飲ませれば怠け癖が治りましょうか。さらにこの方法を推し進めていくなら、伯夷［古の賢者］が顔を洗った後の盥の水を飲ませれば貪欲が治り、比干［古の暴君を諫めて殺された人］の食べ残しを食べるならへつらいが治り、樊噲［漢の時代の勇者］の盾を舐めたなら臆病が治り、西施［古の美女］の耳飾りを嗅いだなら不細工な顔が治るでありましょう」
公はついに大笑いをした。
元祐六年閏八月十七日、船は潁州の境に入り、二十年前に文忠公にここで会ったことを思い、笑い合って話した記憶がふとよみがえった。いささかそのことを記したまでである。
【補足】［（1）欧陽脩とのこの楽しい会話は、作品番号09-2-073で見た司馬光とのやりとりと似ている。どちらもやや奇矯な説を開陳した大家に対して絶妙なまぜっかえしをしたもので、欧陽脩や司馬光のような度量の大きな人であるから笑い話になったのだが、狭量な人であるなら怒り心頭に発したであろう。実際、程頤は終生消えることのない恨みを抱いたのだった［→作品番号08-1-051］。（2）かつて蘇軾が杭州副知事として赴任したときに、陳州を経由して弟とともに潁州に隠棲する欧陽脩を訪ねたことは作品番号03-4-024で見ていて、まさしく20年前だった］
■【10-1-034】祭欧陽文忠公夫人
【解題】蘇軾は閏8月22日に潁州に着任し、州知事を拝命できた感謝状を朝廷に提出したり、孔子を祀った文宣王廟に詣でて新任知事としての決意を述べたり、ひととおりの決まり事をいつものようにこなした。潁州は欧陽脩の最後の隠棲地で、亡くなった後も欧陽家の人々がそのまま住み続けていた。蘇軾は2年前に杭州知事として赴任する際に、潁州に立ち寄って欧陽脩の妻の薛夫人に逢おうとしたが、病に臥せっているとのことで果たせなかった。そして夫人の訃報を杭州で聞き、祭文を作って潁州に送った。蘇軾は潁州に来ると改めて夫人を祭る文を作ってその霊前に供えた。
【訳文】
元祐六年九月一日、蘇軾は謹んで清酌と肴果をお供えして、故太師兗国文忠公［欧陽脩］の安康郡夫人［薛夫人］の霊に申し上げます。
嗚呼、私軾は童年のころより勉学を喜び、童子としてよくはわからぬままに文忠公は我が師であると思い、昼はその文を誦し、夜は師を夢に見ておりました。十五年が経ってついに公にお会いできると、公は私の手をとって笑い、「君は我が仲間である。他の者と同じではない。私は老いて休もうとしている。斯の文［学問の伝統］は君に託そうと思う」といわれた。私は再拝稽首し、公の言葉は過分であると思った。そうであるとわかっていても、励まずにはいられなかった。
私は様々な艱難を経て汝陰［潁州］で公にお目にかかった。朝廷に多士が賑やかに並ぶ中から、私だけが南に去って行ったのだが、公は「君が来てくれたのは、実に我が心を得た思いがする。我が思うところの文［学問］は必ず道とともにあるべきであって、利を見てそちらに移るような者は我が仲間ではない」といわれた。私は、また再拝稽首し、死んでもそのお言葉に違えることはないと答えた。
公は亡くなってしまわれたが、そのお言葉は白日のようにいまもある。
元祐の初めに私が黄州から都に遷ると、欧陽棐と欧陽弁が朝廷におられ、あたかも公のお顏を見るかのようであった。夫人に拝謁すると、大勢の孫が並んでおられた。私が敢えて我が次男と欧陽棐の娘との婚姻を願うと、夫人は承諾してくださった。
師友として公とお会いしてからおよそ二十年、再び公の堂に上り、位牌の前に礼服の身を置くと、涕が垂れて声も出ない。
白髪のやつれた顔で潁州の人々にまた会うと、人々はいまも公のことを思っていて、私を公の門下生であるといってくれる。公の恩に報いることはできないが、せめてその門を辱めることはしない。
清らかな潁水は洋洋として東の淮河に注ぐ。公からの学問の流れも大河となって悠々と流れ行く。私は涯しなく先生を懐い続けるのだ。
【補足】［（1）この祭文は薛夫人の霊に捧げるものでありながら、もっぱら欧陽脩について記している。薛夫人については、朝廷の高官であった薛奎の娘だということ以外に伝えられていることはあまりない。（2）ここに名が挙がっている欧陽棐［字は叔弼］と欧陽弁［字は季黙］は欧陽脩の三男と四男で、長男と次男は早くに世を去っていた。2人はこのとき母の喪に服して潁州にいて、この後しばらく詩の贈答など交流が続く。欧陽棐の娘と蘇軾の次男の蘇迨の結婚についてはすでに作品番号10-1-010で見ている。欧陽弁とは都で若干の交流があった［→作品番号08-2-053］（3）前任の潁州知事は蘇軾より6歳下の陸佃で、どちらかというと改革派の人で、時折言及してきた陸游［南宋時代の詩の大家］の祖父である。陸の家には蘇軾が陸佃に送った手紙が保管されていたのだがいまは残っていない。このころ、潁州では八状溝という新運河を開削するかどうかが議論になっていて、陸佃はその事業に懐疑的で、蘇軾もそれを引き継いで、新運河は開くべきではないという意見を朝廷に具申するようになる。杭州では積極的に土木工事を推進したのだが、工学的に理屈に合わないものは無理であるとの至極当然の判断を下したのである］
■【10-1-035】西湖秋涸、東池魚窘甚、因会客、呼網師遷之西池、為一笑之楽。夜帰、被酒不能寝、戯作放魚一首
【解題】潁州には西湖という湖があり、かつて欧陽脩と船を浮かべたことがあった［→作品番号03-4-024］。周囲二里ばかり［1キロ強］というから、名は同じでも杭州の西湖に比べるとかなり小さい。この詩の題は、「西湖は秋になると水位が下がり、東側［東池］の魚はひどく苦しめられる。そこで、客人を集め、漁師を呼び、網で東の魚を掬って西側［西池］に移し、皆で笑い合って楽しんだ。夜に帰り、酒を飲んで眠れなくなり、戯れに魚を放つ詩一首を作った」。
【訳文】
東の池では、
浮草がべったりと塊になり、
碧かった水面を草の青がすっかり塞いでしまい、
魚の背が現れ出てしまった。
西の池では、
まだ秋の水に空が映っていて、
荇帯が、広いところでは水面に舞い、
深いところでは水中で揺れている。
老いた知事殿は、
いかにも食い意地は張っているのだが、
さすがに膾にして食べてしまうのは気の毒であると、
東の池の魚の引っ越しを思い付いた。
網で掬われた魚どもは、
驚いて口から玉か花のような泡を、音を立てて吐き出し、
縦に橫に銀の刀［魚体］を振り回して争い合う。
魚どもは、鱗が網によって損なわれてしまうのを愁うだけで、
堤の向こうに波立つ水面があるなどということはまだ信じていない。
濊濊発発するのはほんのしばらくのこと、
圉圉洋洋と、とてつもなく広いところに出るのである。
これらの魚どもの中に、竜に成長するやつがいないとも限らない、
いつしか風を呼び雲を起こして天に昇るのを、心配しなければならなくなるのだ。
来年になって春の水が西湖にみなぎるときには、
ここから去って、広大な海を泳ぐ楽しみのうちに、
いまの大変さの全てを忘れたらよいだろう。
■【10-1-036】復次放魚前韻答趙承議、陳教授
【解題】上の詩の題に「客人を集め」とあったなかに、この詩の題にある趙承議と陳教授がいた。趙承議＝趙令畤［字は景貺］は潁州の役人、陳教授＝陳師道［字は履常］は州学校の教授である。この2人が上の詩に次韻したので、蘇軾がさらに次韻して答えた。趙令畤は皇室の流れを汲む者で、後に詳しく見ることになる。陳師道はいわゆる蘇門六学士の1人で、蘇軾が杭州知事として赴任する旅に一時期同行したことを作品番号09-1-002で見ている。陳師道はもとは曽鞏［蘇軾と同年の人］［→作品番号06-4-016、01-2-012］の門人であったので、蘇軾は陳師道を友人として遇していた。このときに陳師道が次韻した詩は残っていて、科挙に合格できないままに教授の職にある境遇を詩中に詠んでいる。陳師道は蘇軾などの推薦で徐州の州学校の教授になり、その後潁州に移ったところで、たまたま蘇軾が赴任してきたのだった。
【訳文】
この世には擾擾とたくさんの生き物がいる。
いってみればすべては同じ一つの大きな塊のようなもの。
やっと楡の木に飛び移れるだけの虫けらが、
背に風を受けて九万里の高さを飛ぶ鵬を羨んでも仕方がない。
仙界から見たら、
洞庭湖だってひと呑みにしてしまう芥のようなもの、
黄河だってくるっと帯に巻くには足りないようなものでしかない。
韓愈は頑固で了見が狭いとずっと謗られてきたのだが、
鯨を膾にして腹いっぱい食べたいと、
そんなちまちましたことを得意がって詩に詠んだ。
東坡先生は憐れむべき繊細な人で、
泥の中から細かい砂粒のような魚までも集めた。
望むのは、かの白居易のように八節灘に隠棲するか、
かの駱賓王［唐の詩人］が釣りをした七里瀬に糸を垂れるか、
せいぜいそれくらいのことで、
いってみれば、これらの魚どもが網から逃れたのとそっくりで、
造物者の手の外に出て遊ぶことなどさらさらできないのである。
かくて、秋のさなかに湖の上で風月を楽しむ会を二君とともし、
新しい句をひねり出して貴君らに戯れているのである。
さあ、諸君等のためにこの朴念仁が、
船べりを足で叩きながら、
忠烈の士を悼んだ昔の歌をうたってみせようか。
【補足】［蘇軾は、東の池から西に池にかろうじて移された小魚に自分をなぞらえている。最後の結びは知的技巧を弄して故事を難しく使っているので、いつもの「ずっぽ訳」である］
■【10-1-037】九月十五日、観月聴琴西湖一首示坐客
【解題】九月十五日、西湖で月を観て琴を聴き、一座の人々にこの詩を示した。
【訳文】
白い露がもろもろの草に下り、
碧い空に薄い雲が巻いている。
月の光は誰のために来るのか。
私や諸君のためであるのだろうか。
我等が浮かぶのは、水のような天、天のような水。
我が盃へと、天の川が流れ落ちてくる――
我が腸を雪や氷のような清らかさのままにして、
酒による酔いを受けさせないためであるのだろう。
それでも残念に思うのは、
琴には弦があり、湖からは魚が出て波紋を乱すこと。
旧くより聞きなれた曲を哀しげに弾き出し、
耳に入る妙音は昔聞いたのと同じではない。
良き時は一瞬にして失われ、
湖は朝に夕に見られるようでいて、実はそうではない。
さてどうなのだろ、
真理を得た眼は一生もう渾りはしないのだろうか。
【補足】［（1）なかほどで、琴に弦があるのを残念に思うのは、無弦の琴こそが最上の音楽を奏でるからである。また、魚によって湖面の完全性が乱されるのである。（2）最後に「真理を得た眼」と訳した原文は「道眼」］
■【10-1-038】復次前韻謝趙景貺、陳履常見和、兼簡欧陽叔弼兄弟
【解題】上の詩に趙令畤［字は景貺］と陳師道［字は履常］が和したので、それに次韻して答えた。一連の詩を合わせて手紙に記して欧陽棐［字は叔弼］、欧陽弁［字は季黙］の兄弟に送った。
【訳文】
七歳で詩をよく詠んだ李賀、
奇妙な字まで識っていて揚雄、
潁州の役場には、
この二人のような両君［趙令畤と陳師道］がいて、
そぞろに嘯いている。
私は遠くの江湖に去って、
我が大きすぎる瓠を浮かべようとしていたのだが、
未練がましくここに少し留まって、
なお世俗の中で酔い続けようとしている。
ある人は詩を作らないようにと私に勧めてくれる、
児輩は織紋をでっちあげるのが得意であるからだ。
それでも、本当の音楽がわかるのは世の中に三人しかいないというから、
俗な耳に何を聞かせても害はないのかもしれない。
さあ、これより欧陽兄弟をともに尋ねようではないか。
薪を伐って黄昏を照らして語り合おう。
かの家には甘い井戸がある、
いくら汲んでもついに渾ることがないのだ。
【補足】［（1）最初の部分は、唐代の李賀と漢代の揚雄になぞらえて趙令畤と陳師道を讃えたもの。それぞれに何かしら類似点があるのだろう。（2）「本当の音楽……」の部分の原文は「朱弦三嘆」で、琴の名器で奏でる妙音を聞き分けられるのは三人しかないという意味。その三人に趙令畤と陳師道、そして欧陽兄弟も入っているのである。（3）「汲んでもついに渾らない」のは欧陽脩に始まった学問の流れである。（4）これ以降、「四君子」として趙令畤、陳師道、欧陽棐、欧陽弁との交流が続く。この四君子を得たことだけを見ても都を出て潁州に赴任できたのは蘇軾にとって幸運であった］
■【10-1-039】与銭穆父
【解題】銭勰［字は穆父］［→作品番号10-1-016］に送った手紙。
【訳文】
息子の邁は拙く朴訥であります。貴君の門下の一人となり、日に左右に置いていただいて、子や甥のように御指導くださるのを想い見ています。……
【補足】［このころ、長男の蘇邁は都を経由して河間県知事として任地に向いつつあった。銭勰は瀛州知事で、河間県は瀛州に属するので、息子を銭勰に託したのである］
■【10-1-040】書弁才次韻参寥詩
【解題】杭州には竜井に隠棲する弁才大師元浄がいた［→作品番号09-3-036など］。参寥［→作品番号09-3-039］と秦観［→作品番号08-3-019］が唱和した詩に弁才が次韻し、蘇軾がそのことについてこの短文を記した。
【訳文】
巌棲木食已皤然、［巌に棲み、木を食らううちに白髪になってしまった］
交旧何人慰眼前。［旧いなじみの人の何人が眼の前で慰めてくれるのだろうか］
素与昼公心印合、［もともと昼公［参寥］とは心が合致し］
毎思秦子意珠円。［秦観の意は珠のように円いといつも思っている］
当年歩月来幽谷、［かのときに谷の奥深くまで歩いてきてくださり］
柱杖穿雲冒夕煙。［杖をついて、夕暮れ時に、雲を穿って上ったのだった］
台閣山林本無異、［朝廷にいようが山林にいようが元来異なることはない］
故応文字未離禅。［詩句は禅の心から離れないのだ］
この詩を弁才が作った。ときに八十一歳である。普段から作詩を学んだことはないのに、風が水を吹いてさざ波を立てるように、自ずから姿もよく内容も広がりがある。これに比べたら、参寥や私の詩などは、職人が織った見栄えがよいだけの刺繍のようなものだ。
■【10-1-041】与弁才禅師
【解題】このころになぜか弁才大師元浄のことがしきりに思われたのだろうか。上の短文を記しだけでなく、弁才に手紙を書いて送っている。2通残っているうちの1通を訳す。
【訳文】
お別れしてより仰ぎ思う気持ちが日に日に深まります。このごろはお道体の御様子はいかがでしょうか。某は幸いにも鬧の中から頭だけでも抜け出して、この閑な郡にくることができました。超然と遠く俗世から離れられたわけではありませんが、老いて退くことに近づきつつあります。呉越［杭州近傍］の諸分野の友人や江山の景勝地を訪ねたいとの思いが湧いて、心から去りません。もしかすると、老いを一時的ながらも会稽［越州］で送ることができるかもしれませんので、老師様におかれましては必ずこの一郡の人々のためにまだ少しく山中に留まられて、安らかなところへとお帰りにならぬようにしていただけますなら、不肖もさらに少しく清らかな遊びに接しうることもあろうかと思います。それ以上の幸せはありません。惟ただ千万保愛されますように。
【補足】［この手紙がこの年の9月30日に記されたものであることは、次の短文からわかる］
■【10-1-042】跋旧与弁才書
【解題】これはちょうどこれより1年後に記した短文。表題は「弁才に与えた旧い手紙の跋文」で、「旧い手紙」とは上に見たものである。
【訳文】
私はかねて弁才道眼と相い照らし合ったばかりでなく、不思議な多くの縁で結ばれていた。
弁才師のおられる山［竜井］に初めて入ったのは元祐五年九月三十日で、一日中向かい合って話し、老師のもとに数枚の紙を留めた。
翌年の同じ日に私は潁州にあって手紙を書いた。そこに「老師様におかれましては必ずこの一郡の人々のためにまだ少しく山中に留まられて、安らかなところへとお帰りにならぬように」と記したところが、実はその日に老師は亡くなられたのだった。
さらに翌年、その弟子の懐楚がその手紙を軸にしたものを持ってこられた。ために私は大いに嘆息したのだった。
五月十一日書く。
【補足】［（1）元祐5年に竜井に弁才大師元浄を訪ねたことは作品番号09-2-014で見ていて、そこには2月晦日の日付が記してあった。不思議な暗合があったのなら9月なのだろう。（2）蘇軾が潁州で手紙を書いたまさにその日に弁才大師は亡くなっていたのだった］
■【10-1-043】与参寥子
【解題】上に記されていたように、弁才大師元浄はこの年の9月30日に亡くなり、そのことを聞いた蘇軾は祭文を作り、それを親友の参寥のもとに送った。これはそのときの手紙。
【訳文】
再びお手紙を頂戴しました。御法体が佳勝でありますことつまびらかにいたしました。
弁才師が亡くなられました。去来も元来無でありますとはいえ、私のような者は情を撞かれて凄愴となることを免れられません。
ここに奠文［祭文］一首があります。銀二両を添えますので、茶菓とともにお供えくださいますようお託しいたします。……
■【10-1-044】祭竜井弁才文
【解題】上に記されている弁才大師元浄の祭文。
【訳文】
嗚呼、孔子と老子は門を異にし、儒学と仏教もまた教えを分けている。仏教の中でも禅宗と律宗は批判し合っている。私は大海を見るに、そこには東西南北がある。様々な河川があるけれども、それが至るのは同じ一つの海である。
大法師［弁才］は自ずから戒律を守り、もはや戒めを持つことも破ることもなく、垢も浄も皆が空となり、全ての学問を内に入れて、事理は皆融け合っていたのだった。大法師は不動の山のようであり、常に鳴る鐘のようであり、月と水のようであり、ありとあらゆるものを共鳴させる風のようであった。
八十一年にして生にはついに終わりがあったが、物に遇えば必ず応じ、施すものは無窮であった。
私は初めて呉に行ったときに五公とお目にかかることができた。講師としては弁才師と慧弁師と梵臻師がおられ、禅師としては懐璉師と契嵩師がおられた。それから二十年が経つとただ大法師だけがおられた。いままた大法師が往かれ、その後に生きる者は誰を師と仰げばよいのだろうか。僧侶も俗人も悲しみ、山や谷まで顔を暗くしている。
誰か一杯の酒を持って竜井で弔ってくれないだろうか。私が杭州を去ったときに、老人も若者も来て、山中に住むようにと私にいってくれた。しかし、山にこの大法師がおられないなら、行って誰に従えばよいのか。
ああ参寥師よ、この祭文をどうか自身で行って捧げてほしい。他の人では私の胸の内を伝えることはできないのだから。
【補足】［蘇軾が副知事として杭州に赴任したときに会ったという五公のうち、慧弁は弁才の兄弟弟子で、天竺寺の慈雲霊応尊者に学び、後に海月法師の号を贈られた。蘇軾が杭州に来て間もないころに亡くなり、蘇軾は慧弁を弔う詩を詠んだ［→作品番号04-2-090］。梵臻は銭塘の人で、上天竺寺、金山寺で学び、西湖の南屏山興教寺の住持となった。懐璉師は父の蘇洵とも交流のあった大覚禅師で、都を出てしばらく各地を巡る間に杭州に滞在したこともあるということを蘇軾は記しているので［→作品番号09-3-002］、ちょうどそのときに会っていたのかもしれない。契嵩師は蘇軾が副知事として杭州にいる間に霊隠寺で亡くなった円通禅師である］
■【10-1-045】送欧陽主簿赴官韋城四首
【解題】欧陽脩の孫の欧陽憲が滑州韋城県の役人として赴任することになったので、この送別の詩を詠んだ。欧陽脩の夫人の喪に服してその一族が潁州に集まっていたのが、これより順次去って行く。欧陽憲は欧陽脩の長男の欧陽発［すでに没している］の子である。
【訳文】
其の一
貴君は鳳の雛にして名馬の子、日に日に高くに伸びあがり、
白髮にしてやつれ顔の私なんぞはただ笑われてしまうだけ。
貴君はすでに三万巻の書物を学び終えているのに、
牛刀をもって鶏を割くような場違いな小さな町に行かされてしまうとは。
其の二
残念なのは、
貴君の出処進退が、ずっと貴君には釣り合わないこと。
川に臨んで一杯の酒を酌み交わすこの別れを記憶に留めよう。
私はもう間もなく江湖に引っ込んで老いるだけの身。
汝水、潁水は東に流れ、貴君は西に行くのだ。
其の三
貴君が着く頃には、
滑州の白馬の津には春の水が流れ来て、
この地と同じ白魚が貴君を喜ばせてくれるだろう。
知事殿は欧陽公が考案された氷堂酒を復活させたというから、
貴君には画舫斎を新たに造られることを期待したい。
【補足】［欧陽脩はかつて滑州の知事となり、新しい酒を造ったり、書斎を建てたりしたという］
其の四
貴君がかの地に行くなら、
道の傍に立つ老人は、
欧陽公が黒々とした髪になったと、
涙で巾を濡らすであろう。
ゆかりの地には高い木がそのまま聳えるの譬えの通り、
貴君はそっくりの老成した立派な姿をかの地の人に見せるのである。
■【10-1-046】美哉一首送韋城主簿欧陽君
【解題】同じく欧陽憲を送る詩。蘇軾にしては珍しく平易な詩で、内容は上の詩をそのままなぞっているので、読み下し文だけを示す。
【訳文】
美哉水、［美しい哉 水］
洋洋乎。［洋洋乎たり］
我懐先生、［我 先生［欧陽脩］を懐い］
送之子於城隅。［之の子［欧陽憲］を城の隅で送る］
洋洋乎、［洋洋乎たり］
美哉水。［美しい哉 水］
我送之子、［我 之の子を送って］
至於新渡。［新渡に至る］
念彼嵩洛、［彼の嵩洛［嵩山と洛陽］を念うて］
眷焉西顧、［眷焉として西を顧る］
之子於邁、［之の子 于き邁きて］
至於白馬。［白馬に至る］
白馬旧邦、［白馬は旧邦］
其構維新、［其の構えは維に新らたなり］
邦人流涕、［邦の人は流涕する］
画舫之孫。［画舫之孫に］
相其口髯、［其の口髯を相るに］
尚克似之。［尚お克く之に似たり］
先生遺民、［先生の遺民を］
之子往字。［之の子 往いて字え］
■【10-1-047】泛潁
【解題】潁水に船を泛べて詠んだ詩。潁水はここから東南に流れて淮河に合流する。かつて兄弟揃って潁州に欧陽脩を訪ね、その後で兄は杭州に向かい弟は陳州に帰って行った別れの場がこの潁水であった［→作品番号03-4-027］。
【訳文】
私の本性として水に臨むのを喜び、
潁水を得たのを意にはなはだ奇である思っている。
着任してからというもの、
十日に九日は川のほとりにいる。
役人も民衆もみなが笑いながら、
今度の知事殿は癡なのかもと語り合っている。
知事殿は実は癡ではないのだよ、
流れる水がすばらしい姿をしすぎているだけなのだ。
潁水は郡を巡ること十余里、
速くもなく遅くもなく、
上流は真っすぐで清く澄み、
下流は曲がって波立っている。
船に乗って明るい鏡［水面］を下に見て、
笑って、
「汝は誰なのか」
と、問うと、
たちまち魚の鱗のような波が立ち、
私の髯やら眉やらが乱れて散り散りになり、
なんと百人もの東坡先生になってしまう。
そしてすぐにまた、一人の東坡先生がそこにいるのだ。
これは水が軽薄にも私と遊び戯れているのではない。
耳に聞こえるもの、眼に見えるもの、鼻に香るもの、
それらは心を逆立ちさせてしまうような子供だましである。
同じような児戯に見えても、
水の戯れは人の本性を失わせるようなことはしない。
趙君、陳君、二人の欧陽君は、
同じく天人を師とする仲間であるから、
妙所を見てそれぞれ得るところがあるだろうから、
ともに潁水に泛ぶ詩を賦すがよい。
【補足】［終わりの原詩は、「趙陳両欧陽、同参天人師」［趙、陳、両欧陽、同じく参す天人の師に］である。趙令畤、陳師道、欧陽棐、欧陽弁の4人とは心が通じ合い、それによって潁州に来てからの詩は精彩に富み、数も多くなる。ここで「天人」は仏陀を指すといわれているが、仏教に限定することなく、道教でも儒学でも広範な知をもって道の奥［真理］に通じることを希求する仲間同士であるという意識なのではなかろうか］
■【10-1-048】六観堂老人草書
【解題】詩の題にある「六観堂老人」とは、杭州にいる垂慈堂老人こと了性である［→作品番号09-1-034］。潁州に来てから何かの折に了性の草書を見たのだろう、その感想を詠んだのがこの詩。蘇軾自身の注で、「六観堂の六観とは、『金剛経』にある夢、幻、泡、影、露、電の六物から取ったものである。六観堂老人は僧の了性で、医学に詳しく、また草書を善くする。筆を下すと遠い韻がある。しかし、人はそれが貴ぶべきものであるのを知らないので、この詩を作った」とある。詩には夢、幻、泡、影、露、電の六物が詠み込まれている。なかなかに理解の難しい詩で、いつもの「ずっぽ訳」である。
【訳文】
物が生じ、形象が現れる、
形象は万物にわたってたくさんにある、
しかし、それは夢か幻――
もとより根がなく瞬時に成るだけで、
夢の中では無ではないと見ていても、
泡と消え影がひとたび失われるなら、
一瞬にして形象は異なり、
露は乾いてなくなり、電光はさらに早くに徂く。
全ては滅し、滅し尽くしてそこになおあるのは真なる吾か。
このようにいう六観堂老人は、
吾が心は火の消えた冷たい灰のようだとするが、
実は枯れておらず、
いかなる場にも逢えば戯れをなして三昧境に至るのであって、
その身を医者にするときは、己を忘れて人を救い、
草書をなすときは、学ばずしていささか自分の楽しみにするだけであっても、
筆を下すと、かの名手の周越も助手として呼びつけるばかりの勢いで、
鼠の髯の筆に真っ黒な墨をたっぷり含ませて、
雪のように白い特上の紙の上に、天を飛ぶ竜を遊ばせるのだ。
かつて南朝の皇帝はある人の書を評して、
「ある高貴な家に仕える腰元がいきなり奥方の地位に昇ったようなもの、
そのココロは、
奥方の挙止はどうにもぎこちない」
と、いったのだが、
六観堂老人はそのようにはならないで、いまのまま万人を感嘆させてほしい。
■【10-1-049】次韻劉景文見寄
【解題】杭州で親しくした劉季孫［字は景文］［→作品番号09-3-032など］から詩が届き、それに次韻した。
【訳文】
淮河を通って東から鯉がやって来て、
この江湖へと巧みに手紙を届けてくれた。
細やかに見れば、
墨の痕は松のように痩せていて、
一羽の鶴である貴君が、
髯をひねって笑う姿がありありと浮かんでくる。
烈士を輩出してきた家柄からすれば、
詩なんぞは用いるに足りないものであるのだが、
学生のような突っ張った気分が抜けずにあるのも面白いものだ。
名馬は老いても千里を走りたいと想い続けるという、
それができない哀しさの余り、
酔っては痰壺を叩いて歌っている。
歌って叩いて、壺を割らないようにしてくれたまえ。
【補足】［（1）冒頭の部分は、手紙を魚の形に畳んだ昔の習慣に由来して手紙を鯉に譬える常套手段に基づく。（2）松も鶴も劉季孫への賛辞である］
■【10-1-050】贈朱遜之、并引
【解題】このころに、潁州を含む地域を管轄する京西路の役人である朱勃［字は遜之］が来て、八丈溝という新運河を開削すべきかどうか蘇軾と議論し、土木工学的に無理があるとの結論に達したので、蘇軾は八丈溝の開削を不可とする意見書を朝廷に提出した［→作品番号10-1-034］。これはそれとは別の議論をして朱勃に贈った詩。短い序文がある。
【訳文】
引［序文］
元祐六年九月、朱勃と潁州で会って議論した。ある人が、「洛陽の人は花を接ぐのが上手で、年々新しい種類を出し、とりわけ菊は品種が最も多い」と、いった。すると、朱勃は、「菊というものは黄色であるのが正しいのであって、その他のものは鄙しむべきである」と、いった。昔むかし叔向は鬷蔑が口にしたたった一言を聞いただけでその人物を見抜いたというけれど、私もまた朱勃のことをこの一言で知ったのである。
【補足】［（1）洛陽は園芸の盛んな土地柄で、牡丹や菊の新種がそこで生み出されていた。（2）叔向は春秋時代の人で、鬷蔑は見かけがさえない男であった。叔向は、鬷蔑が使用人に対して何気なく発した言葉［内容は不明］を耳にして、優れた人物であると知った］
菊が黄色くなる季節を秋とするのは、
遠い昔の暦に記されている通りだ。
『易経』には裳の正しい色は黄色とされ、
周代には王后の衣は黄色とされた。
人の偽が勝るようになってから、
ついには天の力と争うまでになり、
もとの姓を変更して別の族に無理に入れさせたり、
人の望む通りに本来の顔を変えさせたりするようになった。
新奇なものは広まりやすく、
雑駁なものは往々にして純粋なものを傾けてしまう。
貴君が偽物を嫌うのは、
かの伯牙が琴の真の音を知っていたのと同じで、
貴君が菊の真のありようを知っているのは、
かの陶淵明に似ている。
貴君の言葉は私の心に印され、
世間のいうことなどもはや論評する必要もない。
願うのは、
貴君が厳しい冬に風となって、
紫の菊やら赬い菊やらを一掃してしまうことだ。
【補足】［蘇軾はしばしば己を野生の鹿になぞらえ、鹿の本性のままに生きるのを理想とする。そうした心性からすると、本来黄色である菊を人工的に紫や赤にするのはとんでもなくおかしなことなのである］
■【10-1-051】書汴河斗門
【解題】八丈溝を巡る議論は興味深いものの、内容を理解するには近傍の地理に関する知識を必要とする。ここでは水利に関連する別の記事を読んでおきたい。必ずしもこの時期に書かれたものではないが、蘇軾が常に治水に関心を抱いていたことがわかるであろう。
【訳文】
数年前、朝廷は汴河に斗門［灌漑用の水門］を作って農地に水を入れようとした［煕寧二年［1069年］に最初に提案された］。識者は不可としたのだが、ついには実行され、しかし結局は成果がなかった。水量が盛んなときに斗門を開けると、農地ばかりか墓地や住居にも河水が及んで被害が生じ、秋の水量の少ないときに斗門を開けると、水は浅くて、これを「蒸餅淤」［お好み焼きのように薄い泥水］と呼んだ。朝廷はこうしたことを嫌ってこの事業を取りやめた。
たまたま白居易の議論文を読むと、「転運使［運輸関係のリーダー］は汴河の水深が浅くて舟運に不便なので、両岸の斗門を塞ぐことを求めた。節度使［軍事関係のリーダー］は、汴河に沿って官営の農地があり、斗門を塞いでしまったなら、軍に供給する食糧がなくなるといった」とあった。これによると唐代には汴河の両岸に官営田と斗門があって、水量が十分であるなら、舟運にもよく、農地に水を灌ぐのにもよかったということになる。
昔はできたことがいまできないのはどういうことであろうか。知識のある者に問いたいものだ。
【補足】［白居易の時代から200年ほどを経る間に、河川に土砂が堆積して、水位の調節が昔通りにはできなくなったのであろうか］
■【10-1-052】次韻趙景貺督両欧陽詩、破陳酒戒
【解題】趙令畤、陳師道、欧陽棐、欧陽弁と蘇軾は気の置けない仲となり、楽しく詩を贈答し合った。母の喪に服する欧陽棐、欧陽弁の兄弟は詩を作らず、また陳師道は酒を飲まない戒を守っていた。その3人に対して、趙令畤はそろそろそうした縛りをほどいたらどうだろうかと詩で促し、蘇軾がそれに次韻したのがこの詩。
【訳文】
古の卜商は母を喪った哀しみをいつまでも忘れることがなく、
歳月はたちまち過ぎ去ってしまった。
ある人が卜商に琴を渡して、
喪の期間はすでに終わり、悲しみをいつまでも留めるべきではないと示した。
詩は音楽ほどに華やかなものではない。
王羲之には五人の息子がいて、
いずれも少年のころから字が巧みであったし、
我が蘇家にも、唐の時代に蘇瓌と蘇頲の父子がいて、
二人とも筆を持つと休むことなく文章を書き続けた。
欧陽兄弟のお二人はそもそも詩は詠めないのだというけれど、
欧陽公［欧陽脩］の子にしてそのようなことがあろうとは、
誰も信じはしないのである。
古の聖人賢者も酒を飲んだのであって、
百杯飲むと孔子になり、千杯飲むと堯になるといわれてもいた。
陶淵明の曽祖父の陶侃は若いときに酒で失敗し、
父と酒量の制限を約束してそれを守った。
しかし、酒の中に失敗させるものがあるわけではない、
その証拠に、酔っているときには鴎も恐れることなく近寄ってくるのである。
陳君に告げよう、
明日は、欧陽兄弟がどうしても詩を作らないのなら、
その罰に酒を飲ませるための杯を洗って用意しておくので、
貴君も来るがよい。
■【10-1-053】叔弼云、履常不飲、故不作詩、勧履常飲
【解題】上の詩を3人に送ったところ、欧陽棐、欧陽弁の兄弟が蘇軾のもとに来て、「陳師道は酒を飲まないといっているから、自分たちも詩を作らないと」告げたので、蘇軾はさらに酒を勧めるこの詩を作って陳師道に送った。
【訳文】
私は元来、酒を畏れる人である。
それでも、觴に臨んでその畏れを訴えることはない。
詩のためには、これまでに罪を得て困窮させられた。
それでも、句を得るとそれを吐かずに我慢していることができない。
酒は退け、うまい詩は出さずに呑み込んでしまうようなことをしたなら、
胃も肝臓も悪いものだらけとなってしまうだろう。
ここに得失を比べるなら、
天の思し召しに従うしかないのである。
つまり、私なんぞは酒と詩の二物がなかったなら、
歳月を何とともに過ごしてよいのかわからないのである。
悄焉として長々と愁いているのは、計として大いに誤っている。
欧陽兄弟に詩がないわけではない、
残念なことに、陳君が飲まずにいるのを言い訳にしているのだ。
無理にも一杯だけは飲んでくれないだろうか。
飲むの飲まないので、酒を愁いを生む道具にはしないでくれないだろうか
言葉を出すのは太陽が光を発するのと同じ、
言葉に出して約束したことは必ず守るのであるから、
陳君が酒を飲めば欧陽兄弟はきっと筆を執って詩を賦すのである。
こうして五人で詩を詠み合ったならば、
後の世に五君子の詩として語り継がれるであろう。
【補足】［これらの詩は、蘇軾は相手が嫌うのを無理強いするアルハラ、パワハラを揮っているわけでなく、酒を飲まず、詩を作らないこの状況を知的遊戯の恰好の題材として楽しんでいるのだろう］
■【10-1-054】景貺、履常屡有詩、督叔弼、季黙唱和、已許諾矣、復以此句挑之
【解題】戯れはまだ続く。この詩の題は、「趙令畤と陳師道はしばしば詩を詠み、欧陽棐、欧陽弁にも詩を詠むよう促したところ、ようやく許諾したので、さらにこの詩でもって督促をする」。
【訳文】
貴君等の家の詩文は堂々として都に冠たるものがある。
ここに詩をもって陣地を築き、
酒を武器として戦を始めたならば、
貴君等は大将軍［欧陽脩］の真の子孫であるからして、
手を袖に入れたまま眺めているわけにはいかなくなるし、
私もその門下生であるからして、
老いたとはいえ一軍を率いて参戦しないわけにはいかない。
昨夜は、すでに城壁を攻撃されて動揺したらしいが、
［欧陽兄弟がいよいよ詩を詠むのを許諾したことをいう］
明日は、まさか戦わずして城を明け渡すつもりではないだろう。
これからは酔翁［欧陽脩］がいわれた「天下の楽しみ」を我等も楽しみ、
一挙に百の杯を傾けつつ、詩を唱和し合おうではないか。
【補足】［無論戯れであるにしても、蘇軾にこうまでいわれては、欧陽兄弟もさぞや困ったであろう。相手が天下の大才の蘇軾で、父の名を辱めないような詩を詠まねばならないとなったら、誰だって躊躇すする。欧陽兄弟が果たして沈黙を守り続けたのかどうか、この後で明らかになる］
■【10-1-055】臂痛謁告、作三絶句示四君子
【解題】この詩の題は、「臂が痛んで謁告［欠勤を申し出る］し、三首の絶句を作って四君子［趙令畤、陳師道、欧陽棐、欧陽弁］に示した」。蘇軾は黄州にいたときに臂が腫れて龐安時の治療を受けているし［→作品番号06-3-033］、重職を避けて地方に出ることを皇帝に願い出るときにはいつも臂の痛みをその理由として挙げてもいるので、慢性的な不良として常にそれを抱えていたのだろう。リューマチだったのではないかとの推測もある。
【訳文】
其の一
公務より退き、
静かに閑かにしていると、まるでもう退職したかのようだ。
少し酒でもやってみると、
この歓ばしさは全くもって故郷に帰ったかのようだ。
心を不安にさせるほどではない病があるのも悪くはないようだと、
簾にまとわりついて上る一縷の香の煙を、
寝そべったまま眺めている。
其の二
心が求めるのは何であるかというと、
病が消えて安らかとなり、
小さな波さえ立たない古い井戸のようになることだ。
仏陀の部屋をある子供の弟子が覗いたら、
清らかな水がいっぱいに湛えられているのが見えたので、
驚いて瓦礫を投げ込んだ。
大きな音がして、
後に仏陀の胸の痛みになったという。
とすると、どこぞのいたずら小僧が、
我が古井戸に石ころでも投げ入れたのだろうか。
其の三
小さな部屋の低い窓、
日が当たる温もりのもと、
はっきりとわかるものがある。
それを黙っているのでもなく、言葉にしていうのでもない。
かの維摩居士は仮病を使って友を呼び寄せたのだが、
私はこの通り真の病である。
これこそが東坡が道に至る唯一不二の門である。
【補足】［仏陀の弟子の維摩居士が仮病を使ったという話を、蘇軾は好んで用いている［→作品番号09-1-044など］。維摩居士のもとに文殊菩薩が見舞いに行って仏教の真理について議論したのだが、蘇軾は文殊の代わりに四君子を誘ったのだ］
■【10-1-056】到潁未幾、公帑已竭、斎廚索然、戯作
【解題】この詩の題は、「潁州に到着してまだそれほど経っていないのに公帑［公の貯え］がほとんどなくなりかけ、厨房もさびしくなってしまった。戯れに数句の詩を作った」。州知事は駅館を設けて通過する士人の便宜を図るのだが［→作品番号02-2-023］、その費用をまかなう公帑が尽きようとしていたのである。
【訳文】
私がかつて密州にいたときのこと、
その地の役人は新法を謹んで守り、
節減に努めたために公庫は空っぽで、
春の賑わいもなかったし、
客人が来たとなると、
どうやって接待したよいのかと真っ先に私が困ってしまうのだった。
枸杞を摘んで飯の代わりであると自分をごまかし、
菊も食べて少しも余すことがなかった。
あれから歳月はどれほど過ぎ去ったのか。
幸いにもこの一郡で老を送ってはいるものの、
歯も髮も日に日にまばらになってゆくばかりで、
困るところは十年前と少しも変わらない。
夢の中で酒を飲むのはもとより空しいが、
本当に満腹するなどはついに虚しい望みである。
それでも赤裸足で働いてくれる妻がいて、
くたびれて尾が赤くなってしまったような魚でも上手に煮てくれる。
心に全ては夢であることを知っているので、
我が身をここに慎んで、帰ろうとはしないのである。
【補足】［蘇軾が密州知事であったときには、厳しく節減が命じられたために、枸杞や菊を摘んで食べるようなこともし、そのことを賦に詠んでいた［→作品番号05-1-062］］
■【10-1-057】贈月長老
【解題】「異人」好みの蘇軾らしい作品。潁州のどこぞの寺に住まう月長老に贈った詩。
【訳文】
「天とは、一つの笠をかぶせたようなものですな。
地とは、水に浮かんで車輪のようにぐるぐる回るものですな。
天下を定めたと威張り腐った五霸［軍事力を誇った五人の王］にしたって、
何を成し遂げたのかといいますと、
毛の先に一粒の塵をくっつけたくらいのことでありますな。
天下を取って何をするのかといったら、
半紙に詔を書くことくらいでありましょう。
手習いの苦労だったら、
そこらの子供だってしておりますのにな」
そう語る貴僧が持っているのは、
足の折れた鐺が一つ。
中に五合の古米を入れて炊くことができる。
十年こうしてこのあたりで過ごしているのだから、
これこそが英偉にして奇特な大人物である。
地面を切った囲炉裏へと私を招き入れて、
ごく軟らかな言葉で語る。
その意味するところははなはだ真を突いている。
「かように白い灰が雪のように積もっております。
この中には、ほら、真っ赤になった麒麟がおりましてな。
この赤い麒麟には触れてはなりませんぞ。
麒麟が崩れて灰となりましたなら、
大和尚が怒りますでな」
これは何の話であろうかと、
手を組んで考えつつ黙って坐っていると、
なんと壁までが諄諄言い始めた。
今宵は残念なことに同行の者が多くいて、
貴僧の白頭巾も俗塵で汚れてしまうほどであるから、
後日の夜には独りで来て、
主と客の区別なく語り合おうではないか。
紙の帳の中、蒲の敷物に座って、
とくと我が身を観たいものである。
■【10-1-058】次韻答銭穆父、穆父以僕得汝陰、用杭越唱酬韻作詩見寄
【解題】これは銭勰［字は穆父］［→作品番号10-1-039］から送られてきた詩に次韻して返した作品。蘇軾が杭州知事であったときに銭勰は近くの越州の知事であったことから、何度か詩を応酬し合った。そのなかから作品番号09-1-011で見た詩の韻を使って銭勰は詩を作って送ってきたのだった。
【訳文】
私は敗軍の将のように、
疲労困憊して人々の群から離れてしまった。
それでも、貴君は慈愛に満ちた兄弟のように、
私のもとに詩を届けてくれる。
鬢が真っ白な年齢ともなれば、
立派な旗を立てて車を走らせる高官になっているべきであるのに、
犁を手にするのが似つかわしい私は、
翰林院の玉堂などはお呼びでなかったのだ。
潁州に来てみると、
豪傑と謳われたかの王兄弟を継ぐ者はいないけれども、
欧陽兄弟がなお風流のありようをしっかりと見せてくれている。
貴君の立派な詩を、舞いつつ歌い広めるなら、
この邦の人々も雅な言葉はかくべきあるものだと識るようになるだろう。
【補足】［途中にある王兄弟とは、王向と王回であると、蘇軾自身の注がある。王兄弟は父を潁州に葬って以降そこに住むようになり、後に2人揃って科挙に合格した。当時非常に名高い兄弟で、王安石とも親交があった］
■【10-1-059】与王定国
【解題】王鞏［字は定国］［→作品番号10-1-030］に宛てた手紙。王鞏は宿州知事を免職になった後、舅の張方平のいる南京応天府にいて、病に伏した張方平の様子を見守っていた。
【訳文】
（1）張公［張方平］の戒めは吾が病に深く当たっていて、私がいかに頑迷であっても、聴かないでいるようなことは決してありません。どうかこの意を張公にお伝えください。
張公からは先に『滕達道埋銘』を作るようにいわれ、すでに承諾し、滕家からは行状記がこちらに送られてきました。また、『孫公神道碑》』も作ろうとしており、どちらもきっと仕上げます。ただこれは密かに告げるもので、潤筆料をもって私に書かせようとする者があるといけないので、決して他の人には知らせませんように。……
明日にでも人を派遣して、淮南転運司に宜興の土地について申し述べるつもりでいます。このような非難を甘受するものではありません。しかし、この土地のもとの持ち主は頼りになりません。……土地は町から去ること七十里の深い山の中にあります。蒋公裕君に管理を任せていますが、役人が調べたときに蒋君がいたのかどうかわかりません。さらに検討しなければなりません。
【補足】［（1）滕元発［字は達道］の墓誌銘について記している［→作品番号09-2-071］。もとになる資料が家族から送られてきたのである。（2）『孫公神道碑』は恐らく孫覚［→作品番号09-2-022］について書くつもりでいただろうが、蘇軾の文集には該当するものはない。（2）後半では常州宜興県の陽羨の農地［→作品番号07-2-041］でトラブルが生じたことを記している。詳細はよくわからないが、蘇軾を嫌う人々が土地の売買に不正があったといちゃもんをつけたのだろう。元の持ち主にしても、管理人の蒋公裕［→作品番号07-1-075］にしても、土地の役人から厳しくいわれたりしたら従うしかなかったであろう］
（2）使いの者がきてお手紙と三篇の詩をいただきました。感謝するとともに、伏読して、貴君の起居佳勝なることを審らかにし安堵いたしました。
張公［張方平］の御病気のお報せに憂慮してやみません。急ぎ文集をお求めとのこと、直ちにお届けいたします。杭州にいた二年、そして都にいた数カ月は全く暇がありませんでした。張公は私に文集を託され、削除や増訂をするようにとのことで、不肖の私にはできるようなことではないのですが、張公が私のことを深く御存知であることは世に類がないほどでありますから、託されたお気持ちに疑義を挟むものではありません。張公のお意に万分の一で副えるようにしたいと、敢えて草々に編録に取り組むようなことはしておりませんでした。潁州にきてからは少し暇もでき、ちょうど仕上げようとしていたときに、にわかにお求めとのことで、直ちに必ずお届けいたします。貴君からどうかただ一言このように申し上げていただければ幸いです。点検校閲はすでに終わり、間もなくお送りいたします、と。どうぞよろしくお願いいたします。
【補足】［蘇軾は張方平の文集の編集を頼まれていた［→作品番号08-2-067］。張方平はこのとき85歳、病状が悪化する中で、生きている間に出来上がった文集を目にしたいと強く希望し、王鞏は急ぎ使者を走らせて蘇軾に督促状を送ったのだろう。それを受け取った蘇軾は、冷や汗をかきながらこの手紙を慌てて書いたのではなかろうか。この後で見るように、張方平は2カ月余り後に亡くなっていて、たぶん文集はかろうじて間に合ったのだろう］
■【10-1-060】韓退之孟郊墓銘云、以昌其詩。挙此問王定国、当昌其身耶、抑昌其詩也。来詩下語未契、作此答之
【解題】上の手紙で見たように、王鞏［字は定国］からの督促状には三篇の詩が添えてあった。そのうちに一篇がこの詩の題で触れている詩なのだろう。詩の題は次の通り。「韓愈が作った孟郊の墓誌銘に『孟郊は詩を昌んした』とある。そこを取り上げて、王鞏に『身を昌んにすべきか、それとも詩を昌んにすべきか』と尋ねたところ、それに対する答えとして詩が返ってきた。しかし、その語はしっくりとはこなかったので、この詩を作って返事をした」。「昌んにする」とは、何かに励んで、その何かを高め、また己も高めるという意味であろう。王鞏は名家出身で気位が高かったからなのか、蘇軾の不羈不屈の面ばかりを見習おうとして、官員として地道に励むのが不得手だったようで、蘇軾はたびたび訓戒を垂れている。張方平からの督促にはあたふたしても、王鞏に向かっては厳しくするというのがこの詩であろう。
【訳文】
身を昌んにするのは、腹を満足させるのと似ている。
満腹にしたところで、いずれまた飢えがやってくる。
詩を昌んにするのは、顔に化粧を施すのと似ている。
要するに、人のために見栄えをよくするのである。
とすると、いずれにしても気［生命エネルギー］を昌んにするには及ばない。
気を昌んにすれば、老いても生き生きとして衰えることがない。
しかしながら、老いて衰えないといったところで、
この世界が終わるときが来たなら、やはり行き場がない。
とすると、志を昌んにするには及ばない。
志がしっかりと一つであるのなら、気も自ずとそれに従い、
志を養うなら、天地いっぱいに満ちるまでになる。
孟子がかつて同じことをいっていて、
その実例として、魏勃と魯仲連がいるのだろう。
昔、漢の時代に魏勃は勇猛であるとの評判であったが、
小児のようだと日頃馬鹿にしていた灌嬰の前にいざ出ると、
震えて何もいえなくなり、ただの愚か者であったと笑われてしまった。
昔、戦国時代に魯仲連は秦の大軍に囲まれた邯鄲を救うために、
秦の将軍と語り合うだけで退却させたのだが、
何の謝礼も受け取らずに立ち去ったのだった。
志を昌んにするなら、謗讒を怨むこともない。
道を得るための一番の基本がここにあって、
汚い泥の中から純白の蓮の花が生じ、
ごみ屑から霊妙な菌芝が生え出るのだ。
こうした善知識があるのなら、
枯れ枝からだってきっと芽が出るようになる。
とはいえ、このように多くをいう必要はなかった……
暑いか寒いかということは、貴君が自ずと知るのであるから。
【補足】［（1）最後の句は、どうしてわかってもらえないのかという蘇軾のぼやきであるのだろう。（2）ちょうどこのすぐ後で、弟の蘇轍は、王鞏のために罪を被りそうになった。王鞏は蘇轍の推薦によって宿州知事になって［→作品番号09-3-012］、しかしすぐに罷免されてしまったので、人物として不適任であるにもかかわらず個人的に親しい者を推薦したとして蘇轍は非難されたのだった。勘ぐれば、蘇軾兄弟を陥れるために、王鞏をつまずかせたのかもしれない］
■【10-1-061】送欧陽推官赴華州監酒
【解題】欧陽脩の孫の欧陽恕が華州に赴任することになり、この送別の詩を作った。欧陽恕が授かったのは酒税を管理する仕事であった。欧陽恕は欧陽脩の次男の欧陽奕の子で、この詩は主に欧陽奕について詠んでいる。欧陽奕が33歳で亡くなったことは作品番号05-4-119で見ている。
【訳文】
私が文忠公［欧陽脩］を観るに、
四人の息子はいずれも世間から超越しておられる。
なかでも次男［欧陽奕］は一寸もの径がある珠のようで、
夜を照らす月のような光を発していた。
詩を好み、まことに脱兎のような勢いで詠み上げ、
筆を下すと、鶻が急降下するよりも早くに文章ができあがった。
かの三国時代の英雄の周瑜と同じく、
音律をよく知り、議論もまた堂々としていた。
文章などはあくまでも余技で、
道を学んで奥深く探究したのだった。
痛ましいことに、
清らかな潁水の下流において、
白い鴎とともに姿を消してしまった。
亡くなってからは、
長白山の主となって、その名を仙宮に掲げられた。
いま喜び見るのは、三人の少年［欧陽奕には三人の息子がいた］が、
いずれも千里を走る名馬の骨相を具えていることだ。
三人にとって千里に到るのは難しいことではない、
ただ土の塊に蹶かないようにしなければならない。
別れに臨んで苦い語を出したのだけれど、
これを書いて、いつでも見るようにしてもらいたい。
【補足】［（1）この詩の半ばに、欧陽奕は死んで長白山の主になったとある。長白山とは北朝鮮の名山、白頭山である。蘇軾自身による次のような注が記されている。「熙寧の末に、私は欧陽奕と都の東で会った。欧陽奕はいった。『私は夢の中で、一人の道士から辞令を授かりました。そこには、上帝の命令として長白山の主にすると書いてありました。これはどういう祥なのでしょうか』。その翌年に欧陽奕は亡くなった」。熙寧の末に都の東で会ったというのは、14年前、蘇軾が都の門の外に留められて中に入れなかったときのことである。蘇軾はこれまでにも見てきたように、未来に起こることを夢に見るとかなり強く信じていたようだ。（2）詩の終わりに「苦い語」とあるのは、父の欧陽奕を持ち出してかなりのプレッシャーをかけたことをいうのだろう］
■【10-1-062】十月十四日以病在告独酌
【解題】10月14日に病気で休みを取り、独りで酒を飲みつつこの詩を詠んだ。病気は先に見た臂の痛みなのか、秋から冬によくあるいつもの不調なのかはわからないが、いずれにしても病気を理由に公務を休んでいながら家で一杯やって、それを詩に詠むというのは、現代であればかなりの顰蹙ものだろう。当時としては、飲酒は病を癒す行為として普通に認められていたのだろう。もとより蘇軾は大酒飲みではないから、実際に薬効を得る程度であったのだろう。
【訳文】
翠の柏は秋を知らない、
がらんとした庭に落ち葉はない。
このひま人は嘉い木蔭を選び、
地面に座って独り酒を酌む。
月が澄んでゆるやかな顔を見せ、
ささやかな霧の気配が清々しい。
小児等は何もわからずに、
あの爺さんは楽しげにしていると語り合う。
爐で柏の実を燃やし、石の鍋で山芋を煮て、
それを肴に一杯やって、
月と露を賞味すると、
万象があれやこれやと応じてくれる。
この人生はここで幸いを得たのか、
風にさまよう船が初めて纜を繋がれたかのようだ。
自分に誓うのは、
孔子に褒められながらも若死にした顔回のようでもなく、
大盗賊でありがらも長生きをした盗跖のようでもなく、
赤松子や王喬と仙界で遊ぶ約束を果たすことだ。
いつか気ままに大空で戯れたいと、
風がくるのをひたすら待つのを、
どうか嫌わないでほしい。
心の内が空になったなら、
鶴に乗った仙客が笙を吹きつつ迎えにきてくれるのだ。
【補足】［（1）途中にある「此生独何幸、風纜欣初泊」［此の生 独り何の幸いか、風纜 初めて泊するを欣ぶ］の句は、潁州に来てからの蘇軾の思いを率直に表現したものだろう。都でつまらない攻撃にさらされ疲弊した心も、欧陽脩ゆかりの地に来て四君子と親しくすることでいささか安らぎを得られるようになったのだろう。（2）終わりにある鶴に乗った仙人のイメージは、『後の赤壁の賦』［→作品番号06-3-065］でも見ている］
■【10-1-063】独酌試薬玉酒盞、有懐諸君子。明日望夜、月庭佳景不可失、作詩招之
【解題】上の詩と同じ日の作品。詩の題は、「薬を飲むときに用いる盃［玉滑盞］で薬［酒？］を独りで飲んでいて、諸君子のことを懐い、明日は満月であるから、月の光の下の庭の佳景を失ってしまってはならない、という内容の詩を作って招いた」。
【訳文】
鉛を鎔かし白い石と煮て、
あたかも玉であるとして人を欺き、
削って磨いて酒杯を作り、
定州産の陶器に見せかける。
盃の中心は浅くて狭いけれど、
酒を満たすと鏡の面が広々とみなぎる。
この玉滑盞で佳き客人の長寿を祝いたいと思う。
手に取って辞退するなど許さないつもりだ。
かくありたいと思うのは漢代の于定国――
ひとたび飲むと数石を尽くしたけれど、
穏やかに落ち着いたままで、
公務もまことに公正にこなしたという。
玉滑盞の酒を無駄にしない客人は誰と誰であろうか。
趙令畤君は皇族の子孫にして、風流をわきまえ、
詩酒においてしばしばすぐれたことをする。
趙令畤君よ、陳師道君、欧陽棐君、欧陽弁君を詰問してほしい、
私の病気見舞いにくるのが遅すぎるではないかと。
子供らに命じて、月の下にある亭を掃除させ、
病から脱して良き時を迎えようと思う。
■【10-1-064】欧陽季黙以油煙墨二丸見餉、各長寸許、戯作小詩
【解題】この詩の題は、「欧陽弁［字は季黙］から油煙墨［松の油煙の煤で作った墨］が二つ贈られてきた。それぞれ一寸ばかりである。戯れに小さな詩を作った」。上に見た詩で蘇軾に招かれた人々が10月の満月の夜に集まることは何らかの事情で実現しなかったようだ［月光のもとで応酬し合った詩が残っていない］。この詩にある油煙墨と次の詩にある魚は、蘇軾の誘いに応じられなかった詫びとして欧陽弁が贈ったのかもしれない。
【訳文】
書斎の窓についた灯火の煤を拾い集め、
仏堂の帳についた香の煙の塵を掃き集める。
そうした労苦を千日も重ねて、この一寸の墨は造られたであろう。
私のような愚か者が畏れるのは、
何事もしないままに老死し、草や木のように朽ち果てること。
実際にしていることはというと、
東の山の松をすっかり伐り取ってそれを墨に換え、
南の山の竹をすっかり伐り取ってそれに字で書き、
それでも足りないくらいだ。
墨は堅く、人ははなはだ脆い、
だから一寸ばかりの小ささであっても嘆くには及ばない。
書物に注解を書き込むにはこれで十分で、
漢代の東方朔の真似をして、
三千枚もの公文書をお上に提出しようなどと考えなければよいのだ。
■【10-1-065】明日復以大魚為饋、重二十斤、且求詩、故復戯之
【解題】この詩の題は、「翌日、欧陽弁から今度は大きな魚が贈られ、重さが二十斤もあった。詩を求められたので、また戯れに作った」。上の詩の続篇である。
【訳文】
漢の朝廷で九尺の人といえば東方朔、
老いた私は少しも似ない。
東方朔は十二歳の冬にひたすら勉学に励んだのを自慢していた、
あの一寸ばかりの墨では、ひと冬の勉強にも足りないだろう。
欧陽君もやはり墨が小さかったのを気にしていたのか、
恥を雪ごうと、この魚を贈ってくれた。
尾まで鱗がきらきらと輝いている。
しかしながら、
私は鯨にまたがって大海を自在に行こうとする男である、
このくらいではほんの小魚というよりほかはない。
■【10-1-066】和趙景貺栽檜
【解題】趙令畤［字は景貺］が檜を植えて詩に詠んだので、それに和した。
【訳文】
汝陰［潁州］には老いた檜がたくさんあって、
蒼い雲が群がるようなありさまをあちこちに見る。
隣り町の丹砂井には、枯れても蘇った檜があったといい、
近くの山では、一万年を経た大樹が青い牛に変じたという。
潁州の霊壇観にもやはり再生の檜があり、
左巻きにねじれた魁偉な姿をしている。
皇室の子孫の趙君には古を尊ぶ心があり、
書室に清らかな香りを導き入れようと、
四本の檜の若木を植えた。
檜こそは凡庸な木々の群れに墮ちることがなく、
堂々の松柏［針葉樹］の姿を具え、
なおかつ霊妙な薬草の薰を含んでいる。
初めて植えられたときには鶴のように細く立っているだけであるが、
地下では竜のような根が張り廻らされてゆく。
しかし、根にうじゃうじゃと白蟻が巣くうこともあり、
葉にごちゃごちゃと秋の虫がたかって網目のようにしてしまうこともある。
だから、植えた当初は細かく面倒を見てやらないといけない。
かくて皮が三寸の厚さにもなれば、
狐や鼠に害されることもないのである。
【補足】［このころに、官界の先輩である葉康直の求めに応じて、その父が作った永慕亭についての詩を作っている。ひたすら葉康直の父の徳を讃える詩であるので訳は割愛する］
■【10-1-067】祈雨迎張竜公祝文
【解題】蘇軾は四君子［趙令畤、陳師道、欧陽棐、欧陽弁］とのんきに遊んでばかりいたわけではない。この年、潁州では日照りが続いていた。作品番号10-1-004で見たように、天候不順が続くと前の年に江南で発生した災害が拡大化する恐れがあると蘇軾は考えていた。それは現実のものとなり、潁州もまた憂慮しなければならない状況になりつつあった。天候に関しては神に祈るしかなく、潁州には張竜公という竜神を祀った祠があって霊験があるとされていたので、蘇軾は雨を祈る文章を書いて、陳師道と息子の蘇迨を自分の代理としてその祠に遣わし、雨を降らせてくれるよう願った。その文章の一部を読んでおこう。
【訳文】
元祐六年、十月一日から二十五日の間、竜図閣学士左朝奉郎知潁州軍州事の蘇軾は、謹んで州学教授の陳師道に請い、ならびに息子の蘇迨を遣わして、酒などのお供え物をもって、敢えて昭霊侯の張竜公の神にお願いいたします。
稽首して張竜公に申し上げます。民は張竜公の威を敬い、張竜公は自在に潜りかつ自在に飛び、その徳は広く民を感化し、潁州の人々の食も淮河や潁水の水も張竜公に依拠しております。張竜公は天子の命に服してその威をさらに輝かし、国のために民を庇護し、民が願うときには違えることはありませんでした。
今年は夏から秋にかけて日照りが続き、秋の収穫はすでにわずかしかなく、冬もまた雨が降らなければ、麦は病んで枯れてしまいます。哀れな農夫は豊年を望みつつも、飢餓を畏れています。私は人々とともに望みかつ悲しまずにはいられません。……［以下、雨を祈る言葉が続く］……
【補足】［陳師道と蘇迨はこの後で見る詩によると、祠には10日間通ったようである。そして、10月26日に、張竜公の祠に祭られている「竜の骨」とされているものを西湖のほとりに持ってきて、仮の祠［行祠］において蘇軾は人々とともに雨を祈った。すると、さすがに州知事自身の祈りであるだけに、神も心を動かしたのだろう、たちまち空模様に変化が現れたのだった］
■【10-1-068】与趙、陳同過欧陽叔弼新治小斎、戲作
【解題】雨を祈った10月26日の夜に、蘇軾は雪の積もる夢を見た。その翌日、趙令畤、陳師道とともに欧陽棐が新たに作ったこぢんまりとした書斎を訪ね、戯れにこの詩を詠んだ。
【訳文】
江湖［都を離れた田舎］にあって、故郷は遥かに遠い。
かの地のわが家は風雨によって傾いてしまっているであろう。
東に出てからすでに三十年、
恥ずかしいことに、
一束の書物にも安住の場を与えてやることができない。
常に旅人として仮の宿りを渡り歩き、
ちっぽけな住まいすら持ったことがない。
だから、貴君がこの部屋を作ったのを羨まずにはいられない。
余裕をもって膝くらいなら容れられるし、
床を叩くと琴ががたがた揺れるし、
筆を動かすと窓に隙間ができて明るくなる。
昨日の夜の夢で、
竜神が雲を作ってくれて、夜明けに渠を埋めるほどに雪が積もると見た。
夢から目覚めたところで、
ことことと叩く音がし、誰が呼んでいるのだろうかと思ったら、
貴君が趙君、陳君と私を招くというのであった。
かくてここに来てみたのだが、
添丁［息子］は酒を買いに走り、
通徳［女中］は野菜を摘みに畑に出ていて、
主孟［奥方］は我等に食べさせようと立派な魚を料理していて、
皆が何やらあたふたしている。
ともあれ、酔えば、もはや我が家がどうとかこうとかなどは忘れ去り、
此の身には竹の蓆さえあれば十分と思えるのである。
【補足】［（1）この詩の終わりのあたりで、「添丁」「通徳」「主孟」とあるのは、それぞれに故事を踏まえて、息子、女中、奥方と直接的に言わずに風雅の趣を出したもの。いちいち説明を加えるのは、読む方も面倒であるだろう。（2）この日、蘇軾が帰途に就いた夜のうちは星がきらきらと輝いていたが、枕についてそれほど経たないうちに雨が軒を鳴らす音がした。それはわずかな降雨ではあったが、竜神が祈りに応えてくれたものと蘇軾は受け止めた。11月1日に再び行祠で竜神に祈ると、今度は小雪が舞った］
■【10-1-069】聚星堂雪、并引
【解題】これは小雪が舞った11月1日の作品。潁州は欧陽脩の最後の隠棲地であるとともに、欧陽脩は三十代の終わりに知事として一度来てもいた。そのときに、綺羅星の如き賢人が集うという意味の聚星堂を造り、友人としばしばそこで酒宴を催した。その聚星堂において蘇軾はこの詩を詠んだ。序文がある。
【訳文】
引［序文］
元祐六年十一月一日、雨を竜神に禱ったところ、小雪が降ったので、客人と聚星堂に集まって酒宴を開いた。たちまち欧陽文忠公［欧陽脩］がここの知事であったときに雪の中で作った詩を思い出した。文忠公は体物の語［特定のものを形容する常套句］を用いることを禁じて、難しい制約のもとで特にすぐれた意匠を出して詩を賦すということを客人と取り決めた。それから四十余年、それと同じことをする者はいない。私は文忠公の老いた門下生であり、文忠公の後を継いでここに来たのであるから、先生とはとても肩を並べられるような者ではないのだけれど、賓客のすばらしさはかつてとほとんど負けることはないし、文忠公の二子もまたたまたまこの地におられることであるから、かの前例に倣っておのおの一篇の詩を賦すこととした。
【補足】［（1）欧陽脩が禁じた「体物の語」とは具体的には、玉、月、梨、梅、練、絮、白、舞、鵝、鶴、銀といった雪を詩に詠むときによく使われる語である。（2）ついでながら、欧陽脩と聚星堂に集まった客人のなかには、劉攽［→作品番号08-3-071ページ］や焦千之［→作品番号09-2-009］など蘇軾とも交流のあった者がいた。（3）蘇軾のこの詩は、昔はよく知られた作品であったという。詩を詠む人は必ず参考にすべき価値があるとされたのだろう。しかし、我々にとっては興趣を誘うような内容は特になく、昔の人でも、奇妙なことしてみせただけだと低く評価する向きもあった。ここでは「体物の語」を使っていないことが明らかとなるよう原詩を掲げ、小川環樹注『蘇軾下』（1962年）にある読み下し文をそのまま写しておく］
【訳文】
窓前暗響鳴枯葉、［窓前 暗に響いて 枯葉を鳴らす］
竜公試手行初雪。［竜公 手を試みて 初雪を行る］
映空先集疑有無、［空に映じて 先ず集れるは 有無を疑い］
作態斜飛正愁絶。［態を作して 斜めに飛べば 正に愁絶す］
衆賓起舞風竹乱、［衆賓 起って舞えば 風竹は乱れ］
老守先酔霜松折。［老守 先ず酔うて 霜松の折るるがごとし］
恨無翠袖点橫斜、［恨むらくは 翠袖の橫斜に点ずる無きことを］
只有微燈照明滅。［只だ 微燈の照して明滅する有るのみ］
帰来尚喜更鼓永、［帰来 尚お喜ぶ 更鼓の永きを］
晨起不待鈴索掣。［晨起して
鈴索の掣くを待た不］
未嫌長夜作衣稜、［未だ嫌わず 長夜の衣稜を作せることを］
却怕初陽生眼纈。［却って怕す 初陽の眼纈を生ずることを］
欲浮大白追余賞、［大白を浮べて 余賞を追わんと欲すれば］
幸有回飆驚落屑。［幸いに 回飆の落屑を驚かす有り］
模糊檜頂独多時、［檜頂に模糊たるは
独り多時なり］
歴乱瓦溝裁一瞥。［瓦溝に歴乱たるは 裁かに一瞥のみ］
汝南先賢有故事、［汝南の先賢 故事有り］
酔翁詩話誰続説。［酔翁の詩話 誰か続説せん］
当時号令君聴取、［当時の号令を 君 聴取せよ］
白戦不許持寸鉄。［「白戦するに寸鉄を持するを許さ不」と］
【補足】［この読み下し文から詩の意が理解できるような人は、現代においては極めてわずかであろう。訳者はむろんさっぱりわからない。要するに、蘇軾の超絶的な語彙力をもって、雪を直接的に形容する語を一切使わずに雪の種々相を詠んでみせたもので、同レベルの知識の持ち合わせがないと手も足も出ないのだ。確かに自ら詩を作る人にとって参考にすべき価値があるのだろう。そうしたことを除くと、我々が何らかのメッセージを読みとれるのは最後の4句だけで、その部分の現代語訳を付記しておく］
潁州にかつて賢人が集まったのは、
いまや立派な先例として顧みられているのだが、
酔翁［欧陽脩］の詩論を継ぐ者はない。
人々よ、聴くがよい、
かのときの酔翁の号令を。
「どんな小さな武器さえも持たずに、
素手で戦うのだぞ」
■【10-1-070】書潁州祷雨詩
【解題】竜神に雨を祈った経過がこの短文にまとめられている。
【訳文】
元祐六年十月、潁州は長らく日照りが続いていた。潁水のほとりに張竜公神の祠があって、極めて霊異があると聞いたので、斎戒して、息子の蘇迨と州学教授の陳師道に禱りに行かせた。蘇迨は頗る道教を信じていて、沐浴斎居してから出かけた。
その翌日、竜骨が潁州に至るに及んで、天の色が少し変わった。
二十六日、趙令畤、陳師道、欧陽棐、欧陽弁に会って私は詩を作った。その詩に、
後夜竜作雨、［その後の夜に竜は雨を作ってくれて］
天明雪填渠。［天明には雪が渠を填めた］
夢回聞剥啄、［夢から回ると剥啄というのを聞き］
誰呼趙陳予。［誰を呼ぶのかいうと、趙と陳と予である］
とあったのを見て、趙令畤は手を打って、
「これは非常に新しい句法で、かつてこの法はなかったでしょうな」
と、いった。
すると、欧陽弁は、
「いやありますよ。
『長官請客吏請客、［長官は客を請び、吏も客を請ぶ］
目曰主簿少府我。［目で曰うには、主簿と少府と我である］』
というのがそれです」
それで皆が笑った。
三更に至って帰り、そのときには星が燦然と輝いていた。枕に就いて間もなく、雨の音が檐で鳴り出した。
一日の朝に及んで、同じ五人の者が州庁に会って、張竜公の威德の感嘆し、詩に詠んだことに誤りがないのを喜び合った。欧陽弁はこれについて書いて、後々の笑いの種にしようとした。
この日、趙令畤は蘇迨の詩を出して見せてくれた。
吾儕帰臥髀骨裂、［吾儕が帰って臥すと髀の骨は裂けていて］
会友携壺労行役。［会たま友が壺を携えて行役を労ってくれる］
私は、
「これぞ男児であるな。私よりも勇ましい」
と、いった。
【補足】［（1）新しい句法というのは、詩の作者が呼び出される形で句をまとめていることなのだろう。趙令畤が例示した詩が誰の作なのかは知れていないようだ。主簿も少府も役職の名称で、蘇軾の詩と同じく、三人を呼び出す句になっている。（2）息子の蘇迨の句は、雨乞いに行ったことを詠んだもので、ひどく大げさな表現をしている。それで蘇軾も笑いつつ大げさに褒めたのだろうか］
■【10-1-071】昭霊侯廟碑
【解題】竜神が雨を降らせてくれたので、蘇軾は少し後に竜神を讃える碑を建て、この文章を刻んだ。
【訳文】
昭霊侯南陽張公の諱は路斯である。
張公は隋朝の初めに潁州の潁上県仁社村に生まれ、十六歳で科挙の明経科に合格し、唐朝の景竜年間に宣城県の知事となって、優れた能力があると賞賛された。妻は石氏で、九人の息子がいた。
張公は宣城県知事を罷めて帰郷すると、いつも焦氏台の北で釣りをしていた。ある日、ふと顧みると、釣りをしているいつものところに立派な宮殿楼閣が建っていた。張公は中に入ってみて、しばしそこに留まった。それからというものは、張公は夜になると家を出て朝に帰ってくるようになり、帰ってくるときには体が冷たく濡れているのだった。妻が驚いて尋ねると、張公はいった。
「わしは竜である。蓼の人の鄭祥遠もまた竜である。やつとわしはいまこの地を争っていて、明日、戦うことになっている。九人の息子の力を借りたいと思う。赤い絹をまとっているのがわしで、青い絹をまとっているのが鄭だ」
翌日、九人の息子は弓矢で青い方を射ち、命中した。鄭は怒って去り、張公はそれを逐った。竜が通り過ぎたところが溪谷となり、淮河にまで達した。青い竜は合淝の西山に入って死んだ。山には竜の開けた穴が生じていた。
九子の息子も皆が竜になり、妻の石氏は関洲に葬られた。
張公の兄は馬歩使者になり、子孫は潁水の各所に住み、それぞれの墓が皆存在している。
以上のことは唐代の庶民である趙耕が文章に記し、淮河と潁水の間の父老が語り継ぎ、欧陽文忠公［欧陽脩］の『集古録』にも記述がある。
唐の景竜年間より潁州の人々は焦氏台に祠を作って張公を祀ってきた。唐の乾寧年間に、知事の王敬堯が始めてその廟を大きくした。宋の乾德年間に蔡州がひどい日照りになったときに、知事の司超が張公の霊威を聞き、その祠を蔡州に築いたところ雨が降った。翰林学士承旨の陶穀がそのことを記録した。これより淮河の南の蔡州、許州、陳州、汝州の人々は皆が張公の祠に祈るようになった。
景德年間に諫議大夫張秉は詔を奉じて潁水のほとりに新たに祠を建てた。さらに、熙寧年間に司封郎中の張徽が爵号を与えるよう朝廷に請い、張公は昭霊侯に、石氏は柔応夫人に封じられた。
廟には五つの穴があり、しばしば変異を見せ、雲を出して雨を降らせる。ある人が器を穴に投げ入れたところ、池が存在していた。そして近年その池から竜の骨を得た者があった。金の音がして玉のような質感で、普通の重さではない。いま骨は廟の中に所蔵されている。
元祐六年の秋は日照りがひどく、州知事である竜図閣学士左朝奉郎の蘇軾はその骨を西湖のほとりの仮の祠に迎え、人々とともに雨を禱った。それに応じること音が響くかのようであったので、ますますその廟を盛んにし、碑を建てて銘文を刻むことにした。
【補足】［（1）この後に韻文の銘が続くが、上に記されていること以上の内容はないので省略する。（2）これで見ると、蘇軾は神の霊威を間違いなく信じていたのだろう］
■【10-1-072】次韻陳履常張公竜潭
【解題】陳師道［字は履常］［→作品番号10-1-067］が詠んだ『張公竜潭』の詩に次韻した。上の文章に記されていた張竜公の事績を踏まえて作られている。
【訳文】
張公は明経科に合格して宣城の知事になり、
百尺の波を家とする竜に化した。
鄭公は己の力を量ることなく、
敢えて悪だくみをして張公を侵そうとした。
両者は二度にわたって戦い、
それぞれ絳と青を目印とした。
張公の烈気は強敵を斃しただけでなく、
張公の仁心は民の饑寒を痛ましく思いもした。
張公に誠を尽くして禱るなら、
必ず雨を降らせるために赴いてくれる。
おざなりに求めたのでは聴いてくれない。
ここに、大麦も小麦も蕭条として枯れかけ、
日月だけがゆるゆると過ぎ去って行くときに、
貴君［陳師道］は役人としての仕事に縛られていないので、
十日の間、張公の祠に詣でることを勤めてくれた。
それによって春の野菜は雨や雪を得て、
我等の皿も少しばかり助かるようになった。
竜が雨を降らせるために行き来してくれているのに、
私だけが独り呑気にているわけにはいかない。
戸を閉ざして部屋に籠って自らの非力を責めつつ、
深夜に至るまで張公との神交を思い続けるのである。
■【10-1-073】木蘭花令
【解題】欧陽脩が40年余り前に潁州知事であったときに西湖で詠んだ詞に次韻した。欧陽脩のもとの詞は、真夏に催された送別の宴で舞う女性を讃えつつ、別れの情を詠んだもの。蘇軾のこの詞は、秋の終わりにしみじみと欧陽脩を追慕するものである。
【訳文】
霜余已失長淮闊。［霜の季節を経て［冬の渇水期］、長い淮河は広さを失っています］
空聴潺潺清潁咽。［清らかな潁水がさらさらと流れる音もあまり聞こえてきません］
佳人猶唱酔翁詞、［女性たちはいまもなお酔翁［欧陽脩］の詞を歌っています］
四十三年入電抹。［四十三年は一瞬の稲光のようなもの］
草頭秋露流珠滑。［草の上の露が珠となって流れます］
三五盈盈還二八。［まるまるとした十五日の月、そして今日は十六日］
与余同是識翁人、［私と同じように酔翁を知っているのは誰なのでしょうか］
惟有西湖波底月。［ただ西湖の波の底に見える月だけなのです］
■【10-1-074】徐問真従欧陽公游
【解題】これもまた欧陽脩を慕いつつ、「異人」を好む蘇軾らしさの出た文章。これは作品番号06-5-022としてすでに見ているが、もう一度ここで読んでおこう。
【訳文】
道人の徐問真は自ら濰州の人であるといっていた。酒を嗜んでほしいままに狂い、葱や鮮魚を生のまま啖らう。指をもって鍼とし、土をもって薬とし、病を治して神のような験がある。
欧陽文忠公［欧陽脩］が青州知事であったとき、徐問真は公に従って遊び、しばらく過ごした後に辞去した。
公が引退したと聞いて徐問真は潁州に来た。公は徐問真を屋敷に住まわせ、息子二人に世話をさせた。公は以前から足を病んでいて、病状が少し悪くなったのを、やわらげることができずにいた。徐問真は、気血を踵から頭の頂に汲引するよう教えた。公がその言を用いると、病はすぐに治った。
ある日、徐問真は突然出て行くことを強く求めた。公は引き留めたが、徐問真は、
「私には罪があります。私はこれより公卿と遊ぶのです。もはや留まることはありません」
といって聞かなかった。
公は人を付けて徐問真を送らせたところ、身の丈八尺ばかり、鉄の冠を頭に載せた人が道に待っていた。徐問真は町を出ると、村の子供を雇って薬筒を持たせた。数里ほど行くと、子供はもう帰りたいといった。徐問真は髪の中から棗くらいの大きさの瓢を取り出し、掌の中で何度もひっくり返してから、子供の手の内に酒を注いだ。手にいっぱいになること二度、子供にそれを飲ませた。よい酒であった。これより徐問真がどこに行ったのかはわからない。その子供は後に頭がおかしくなり、その後どうなったのかやはりわからない。
私はかつて潁州で公に会い、以上のことを具に聞いた。その後、私は黄州に流されたときに、黄岡県知事の周孝孫が俄かにふくらはぎを重く患った。私が徐問真の方法を授けると、七日で癒えた。
元祐六年十一月二日、私は欧陽棐、欧陽弁と夜にこのことを語り合った。はなはだ怪異なことであるので、あまり書くに気にはなれなかったのだが、徐問真はまことに異人なのであろう。
■【10-1-075】欧陽叔弼見訪、誦陶淵明事、歎其絶識、既去、感慨不已、而賦此詩
【解題】この詩の題は、「欧陽棐［字は叔弼］が来て陶淵明のことを語った。その卓絶した見識に私はしきりに感嘆した。欧陽棐が去ってからも感慨がおさまらず、この詩を賦した」。
【訳文】
陶淵明が県令の職を求めたのは、
もともと食べるに困っていたからだ。
郡から役人が視察に来るので正装して出迎えるようにと、
陶淵明はいわれると、
少しばかり腰を屈めたところで別段恥辱でも何でもないのに、
身を翻して『帰去来の辞』を賦して帰郷してしまった。
そのときに独り困窮するであろうことを念わなかったわけではないだろう。
五斗の米が大切であるからと、
口と腹を養うために腰を折るのをよしとはしなかったのだった。
唐代の元載は宰相となって莫大な禄をもらいながら、
それだけでは欲心を満たすことができなかった。
胡椒などというものはいくら多くても一銖か一両もあれば十分であるのに、
元載はなんと八百斛も蓄えていた、
いったい何に使うつもりだったのか。
そればかりか、宝玉を使って鳥を撃つようなばかばかしい行為をしたために、
結局その身を殺すこととなった［元載は自尽を命じられた］。
過去の事例を悔やんでも仕方がない。
いままさに自分の姿を照らして見つめなければならないのだ。
【補足】［陶淵明について語り合えば、黄州の東の坡で『帰去来の辞』を改作した詩詞を歌いつつ畑を耕していたころ［→作品番号06-2-051、06-3-042］から遠く離れたところに来てしまったと、蘇軾は苦い思いを抱かずにはいられなかったであろう］
■【10-1-076】西湖戯作
【解題】潁州の西湖に船を浮かべて戯れに詠んだ詩。
【訳文】
昔からいうではないか、
佳き一人の士人は千金をもってしても得がたいものだと。
私には、なんと陳君、趙君、さらには二人の欧陽君がいる。
かの山簡は鞭を挙げて、
「私にはただ一人、この将軍がいる」
と、いったのだが、
その言や、大いに笑うべしである。
【補足】［いつもの四君子を讃えたというだけの詩。山簡は晋の時代の、蘇軾も尊敬する人物で、葛強という将軍に絶大な信頼を置いていた。その故事をわざとまぜっかえしたのである］
■【10-1-077】喜劉景文至
【解題】杭州で親しくした人物に劉季孫［字は景文］［→作品番号10-1-049、09-3-032など］がいた。蘇軾は劉季孫を朝廷に推薦し、その結果、劉季孫は隰州知事に任命された。劉季孫が隰州に赴任する途中で潁州に立ち寄ったので、蘇軾は喜び、この詩を詠んだ。
【訳文】
明け方に、子供らがかわるがわる、私を呼んだ。
髯の劉君がもう町の南の隅にまで来ているというではないか。
短い手紙を見るなら、まことに髯の君の手だ。
身を起こし、手紙に眼を押し付け、本当かどうかを確かめる。
今の人は古の人のような事はしなくなったのだが、
今の世にも古の男のような人物がいる。
私はその男が来ると聞いてもう舞い踊るばかり、
体の不調もなんのその、飛び起きたのである。
長江から淮河のあたりは長らくの日照りで、
ひどい土埃が立っていた。
今朝は静かに雨が降り、
髪や髯を洗ってくれるような心地よさである。
貴君と会って手を握りあえば、もうそれだけで十分だ。
とはいえ、遥か千里の道を来たというのに、
一度笑い合うだけというのも間が抜けているだろう。
私がかねてから楽しむ場所といえば呉会の地［蘇州から越州のあたり］、
老いて死ぬのも、葬られるところも杭州か蘇州でありたいと思っている。
ところが、長江を渡って私が北に来てもう二百日になり、
あちらの土地の娘さんたちは、私がここで冷落しているので、
寂しい思いをしていることだろう。
（杭州の）西湖に新たに作った堤も、銭塘の古い井戸も、
それぞれ恙なくしているであろうか。
参寥泉も六一泉もきっと私のことを念っているだろう。
別れてから貴君が新たに作った詩は、
巧みにあちらの風光を写しているであろうから、
つまりは、貴君は袖の中に西湖を持ってきてくれているのだ。
【補足】［（1）蘇軾はよほど劉季孫が気に入っていたのだろう、心の弾みが伝わってくる軽妙な詩である。（2）そしてよほど杭州のあたりが気に入っていたのだろう、そちらで死んで葬られたいとまでいっている。（3）末の句の「袖中有銭塘湖」［袖中に銭塘湖有り］はすこぶる洒脱である］
■【10-1-078】禱雨張竜公、既応、劉景文有詩、次韻
【解題】蘇軾が竜神に祈ったところ雨が降ったということを劉季孫［字は景文］に話すと、劉季孫が詩に詠んだのでそれに次韻した。詩中に詠まれている事柄は作品番号10-1-071に記されている。
【訳文】
張公はその晩年になって竜になったのか、
それとも、もとから竜だったのが人間世界に来たのか。
昔むかし、風と雲が会った瞬間に池の底に穴が開き、
張公は消え去ってしまった。
何事も誠実に努めれば実を結ぶであろうと、
張公の祠の前に一同の者が並び、
笛を吹いて舞を献上し、酒樽を並べて供えた。
そのとき張公は夫人の関洲妃のもとにいたのだが、
遠く焦氏台にまで出向いてくれて、
瓶を傾けて雨を降らせ、麦に積もった埃を洗い流してくれた。
張公は旱魃を鎮めた功績を自慢することもなく、
雲に乗ってたちまち消え去った。
ああ、私と竜神とは心の用い方は同じなのではなかろうか。
劉知事［劉季孫］は胆烈をもって歴史に名高い太史慈のように、
その英気は東の地に冠たるものがあるから、
竜があたかも自身の友人であるかのように詩に歌った。
あちらの世界に帰った竜神も、
劉知事ならばと、笑って許してくれていることだろう。
■【10-1-079】劉景文家蔵楽天身心問答三首、戯書一絶其後
【解題】この詩の題は、「劉季孫［字は景文］は、白居易［白楽天］の『身心問答三首』の詩稿を所蔵している。戯れにその後ろに一絶句を記す」。陶淵明に、形、影、神の三者が問答をするという詩のがあることは作品番号09-2-070で見ているが、それに触発されて白居易は心と身が問答し合う詩を作ったのである。
【訳文】
陶淵明は形も神もつまりは我［主観的な存在］であるといい、
白居易は身も心もつまりは物［客観的な存在］であるといったのであろう。
月の光を受けるなら、身と心と影の三人がそこにあり、
はたまたいつかは幾千、幾万の仏になることやら。
【補足】［ベースにあるのが難解な哲学問答であるので、これはかなりの「ずっぽ訳」である。それでも、蘇軾の思考法を読み取ることはできるであろう。蘇軾は、二項対立的な議論には限界があると考えていて、この詩でも三から無限への飛躍を志向している］
■【10-1-080】送欧陽季黙赴闕
【解題】四君子［趙令畤、陳師道、欧陽棐、欧陽弁］との楽しい日々も永続するものではなく、欧陽弁［字は季黙］が都に行くことになり、この送別の詩を作った。
【訳文】
晋の時代に王述は息子の王坦之を愛して、
いつまでも膝の上に乗せて可愛がったのだが、
欧陽先生の父としての愛はそれ以上であった。
王坦之は江東にただこの人ありと讃えられるまでになり、
貴君［欧陽棐］はきっとそれに勝るのである。
父上の膝の上におられた貴君もいまや髯が白くなり、
貴君の姿に、私の眼はかの父上を見る。
潁州で貴君と遊ぶことわずかに三カ月、
私が来るのが遅すぎて、しかも貴君が去るのが早すぎるのだ。
霜を帯びた冬の風の激しさに、
木はすっかり葉を失い、
潁水の流れは澄んで浅くなり、
鷺は飛び立って行く。
酒を泉のように注ぐのを辞退しないでほしい、
もうすでに貴君の舟が新渡寺から離れてしまうような心持ちになっているのだ。
見れば、兄上は別れを惜しんで手を執り、
劉季孫君はいましもすばらしい詩を歌い出そうとしている。
貴君に酒蔵を管理するような仕事を与えるのは、
足弱の駄馬の後ろに天下の名馬を従わせるようなものであるのだが、
それは言うに足りないことだ。
さあ、行くがよい。
人の賢愚は遇不遇とは関係なのだ。
【補足】［新渡寺は潁州の町の外にあって、よく送別の場になったところであるらしい］
■【10-1-081】用前韻作雪詩留景文
【解題】別れが続く。上の詩に詠み込まれていた劉季孫［字は景文］も潁州を去ることになり、先の『聚星堂の雪』の詩［→作品番号10-1-069］の韻を用いて、劉季孫に留まるよう勧める詩を作った。
【訳文】
雪といえば……
杭州の万松嶺で、千の蝋梅の花が黄色になると、
貴君は毎年、雪を踏みつつ、酒を載せて見に行っていた。
貴君が去ってから後は来る人もなくなり、
花の心は断ち切られてしまっていることだろう。
雪といえば……
私は夜の書斎に座って雪の句を捜していた。
両手は亀の甲羅のようにひび割れ、
髯は凍って折れそうであった。
雪は無情の存在、
だから雪には私を嘲弄する気はないのだろうが、
簾を通って部屋に入り込んで燈を消してしまった。
雪はあれに似ているとかこれに似ているとか、
子供ように大騒ぎをして句をひねり出したところで、
大海原で鯨をびっくりさせるような詩ができるわけがない。
明け方になって、大空に天の川が流れるのを見たら、
私のちっぽけな詩などは実につまらない染め物のようであった。
朝になると、二人の欧陽君、趙君、陳君がもう外に来ていたので、
急いで中庭の雪の上に木屑を鋪たのだった。
雪といえば……
人との交わりは、雪に耐える柏ように堅固でありたいもの。
それでも聚散離合は、風に吹かれる花を見るようなもの。
晴れた光に当たれば雪は融け、
あたりは一尺の泥となり、
雪はどこへと帰って行くのか。
貴君は馬に鉄の蹄を付けて泥を踏んで行くようなことをしないで、
泥がすっかり乾いて道がよくなってから、
ゆるゆると出て行けばよいのではないのかい。
■【10-1-082】和劉景文見贈
【解題】蘇軾が引き留めるのに応じて劉季孫［字は景文］が出発を遅らせたのかどうかわからないが、2人の応酬の詩はまだ続く。
【訳文】
三国時代の陳登は曹操も孫権も愚か者だと見下し、
天に聳え立つばかりの豪気は老いても衰えなかった。
貴君も陳登に負けるものではないが、
漢の時代の韓信が、
「わしも樊噲ごときと同列になってしまった」
と、苦笑したように、
しかるべき路を得ずにいる。
それでも、詩を作るなら、
かの黄金時代の建安の初めのころの詩の趣がある。
雪が廬を白く埋めるなかで、私が独り臥せっていたところ、
貴君が風塵に顔を黒くして来てくれた。
貴君をさらに留めようとするのは、
十日の間酒を飲み続けようというのではない、
世に失われた書物の話を聞かせてもらいたいのだ。
【補足】［人名が幾つか挙げられているが、説明がなくても全体の大意は十分に掴めるであろう］
■【10-1-083】和劉景文雪
【解題】劉季孫［字は景文］が雪を詠んだ詩に和した。旱魃を恐れる潁州にとって雪はありがたい恵みである。
【訳文】
亀を使った占いでは雨と出たのに雪が降った。
亀が我らを欺いたのではない、
雨だろうが雪だろうが、
我等が喜ぶことに変わりはなく、
喜ばしさをさらに増してやろうと、
ことさらに酔中に雪がもたらされたのだ。
子どもらは硯の水が凍るのを嫌い、
女たちは盃の酒が凍りつくのを心配する。
これしきりのことで嘆いていたのでは、
かつて李愬が雪の降る夜中に敵の真っただ中に入り込んだ功業に続くことはできない。
■【10-1-084】次前韻送劉景文
【解題】いよいよ別れの時がきて、先に見た劉季孫［字は景文］の訪問を喜ぶ詩［→作品番号10-1-077］に次韻して送別の詩を作った。次韻の名手である蘇軾の面目躍如で、再会の喜びと別れの悲しさを同じ韻字を用いて流麗に歌い上げた。
【訳文】
白い雲は天にあるもの――
呼べば来てくれるというものではない。
明るい月の光もまた同じ――
庭の片隅にいつまでも留まってくれるというものではない。
だから、不思議に思う――
貴君が西に向かって八百里の旅の途中でありながら、
何事もないかのように、ここで十日もの間、静かに座っていてくれたことを。
路傍で出会う人々は、
貴君が誰であるかを知らないままに、
千人の中にあっても凜凜として抜きん出る佇まいから察して、
もっぱら「尚書様」と呼ぶという。
貴君が本当は骨の髄まで詩と酒を愛し、
酔い潰れて美女に介抱されたいと思っているなどとは知らないのだ。
一篇の詩を賦すなら、
人に向かって己の内をそのまま写し出すために、
貴君の髯も髪も真っ白になったことは、
四海の内に自ずと知れわたっている。
私のところには、二人の欧陽君もいれば、趙君も陳君もいて、
まさか貴君までもがわざわざ立ち寄ってくれるとは思ってもいなかった。
しかも、三回も左遷の憂き目にあった柳君までもが加わって、
何ももてなすもののない私と、
ただ心を熱くして語り合ってきたのである。
酒は薄いし肴はうまくないし、化粧映えのする美女もいないけれど、
潁水の清く美しい流れだけはある。
ひとたび風雨が寂しく吹き過ぎた後では、
月明かりのもとで吾が影とだけ向き合う私のことを、
果たして誰が思ってくれるのだろうか。
いつしか私は帰郷する船に乗って長江を遡り、
甘棠湖の水を汲んで春の酒に変え、
貴君と飲みかわしたいと思っている。
【補足】［（1）蘇軾自身の注で、「一頭の馬と、二人の従者を連れるだけの劉季孫を旅館の人々は『尚書様』と呼んだ」とある。とりあえず「社長さん」と呼んでおけば客を喜ばすことができるのと同じようなことであろうが、劉季孫は実際に威風堂々としていたのだろう。（2）蘇軾自身の注で、「潁州には欧陽棐、欧陽弁、趙令畤、陳師道がいて、さらに劉季孫も来た。そして数日もしないうちに柳戒之も立ち寄ってくれた。賓客の盛んなこと近頃にないものであった。しかし、すぐに欧陽棐も劉季孫も柳戒之も去ってしまった」とある［先に送別の詩を見た欧陽弁は柳戒之が来る前に発ったのだろうか］。原詩では、柳戒之のことを「三黜の柳」［三回左遷された柳君］と表現しているのは、三度黜けられた柳下恵［陶淵明も敬慕した古代に賢人］の故事になぞらえたもの。柳戒之のことは詳しくはわからないが、不遇であったのだろう。（3）最後の部分は、劉季孫は作品番号09-3-008で見たように引退後の住まいを九江に用意していたので、蘇軾も引退する際には、九江に程近い甘棠湖にともに船を浮かべようというのである］
■【10-1-085】以屏山贈欧陽叔弼
【解題】欧陽弁［字は季黙］に続いて欧陽棐［字は叔弼］も都に行くことになり、蘇軾はこの詩を添えて屏山を贈った。屏山とは山の形をした石で、硯屏として用いる。硯屏は硯の脇に置いて、墨に埃が入るのを防ぐとともに、見て楽しむものである。
【訳文】
貴君は天より清らかな骨［本性］を与えられ、
生まれながらに世俗と異なっている。
道を学んで新たに得るところがありながらも、
貧のためにいささかまた出仕することとなった。
世間の紅い塵の中に身を置きながらも、
いつも青い霞のもとに立つ志［脱俗の心］を保っている。
この屏山を貴君に贈るので、
官位の飾り物などは近づけないようにしてくれたまえ。
ふと目をやるなら、
千山が紫翠の間にあるありさまが見え、
本当に睡るのではなくて、安らかな眠りの内へと入って行けて、
夢に鶴と化し、松の高く聳える寺へと飛んで行くであろう。
【補足】［蘇軾は杭州を去るに当たって石を贈られている［→作品番号09-3-037］。その石をここで贈ったというわけではないだろうけれど、蘇軾はしばしば石を贈答し合っている。また、かつて欧陽脩が所蔵する石屏を詩に詠んでいた［→作品番号03-4-025］。その石屏も用途としては同じであったのだろう］
■【10-1-086】新渡寺席上、次趙景貺、陳履常韻、送欧陽叔弼。比来諸君唱和、叔弼但袖手傍睨而已、臨別、忽出一篇、頗有淵明風致、坐皆驚歎
【解題】この詩の題は、「潁州の新渡寺で、趙令畤、陳師道が欧陽棐［字は叔弼］を送る詩を詠んだ。欧陽棐はこれまで他の人々が詩を唱和していてもいつも手を袖に入れて傍観しているだけであったが、別れに臨んで忽然と一篇の詩を出した。それは陶淵明の趣があるもので、一座の者が驚嘆した」。蘇軾がいくら勧めても欧陽兄弟が詩を詠まなかったことは前に見ている。
【訳文】
牛を捌く名人はもはや牛全体を見ることがなく、
真に美しい女性は顔半分を化粧するだけでもよい。
やたらに包丁を取り換えるのは腕の鈍い料理人、
むやみと人に笑みを売るのは悍しく醜い女である。
ふだんは矢を数えることしかやらせてもらえなかった魏舒は、
実は鼻の先に付いたごみを射落とす腕前の持ち主であった。
詩文に何の用があるかというと、
道を究める途中にある宿のようなものだ。
多くをいいすぎるとしばしば窮地に陥り、
微かな言葉が的中して困難を排することもある。
貴君の詩はまさに、明け方に翏翏と吹き出す清々しい風。
どうしてこれまで長く隠していたのか。
ただ綺やかであるだけの語を嫌ったからなのだろう。
だとすれば、
かの賭博の大先生が「一発当てれば百万銭だ」と絶叫したのと同じように、
私が大風呂敷の詩をがなりたてるのを、
貴君は隣りの家にいて聞いて、
さぞやこれまでの長い間、
癡かさを笑いつつため息をついていのであろう。
いま太平の御代の朝廷は多士済々で、
ひとかどの人物は皆、立派な冠をかぶっている。
貴君もこれからは、遥か遠く隔たった天の川で遊ぶ人となり、
私はなおここ潁水で独り釣りをするだけの日々を送るのだ。
たとえ魚を得ても食べる気にはもうならないだろう。
昔話ではないけれど、
魚の腹中から手紙を得て初めて愁いをとくことができるであろう。
そこには清く円やかな句があって、
銅丸を弓で飛ばすように、我が心の急所を撃ち抜くのだ。
たとえ愁いが凍り付いてしまっていても、
たちまち笑いとともに春がきてそれは融けるであろう。
もし百篇の詩を私に寄せてくれるなら、
日々に吟唱すること三年にして真の儒者になれるであろう。
■【10-1-087】酔翁亭記書後跋
【解題】欧陽脩は潁州知事になる前、39歳ときに滁州に流され、『酔翁亭の記』を書き［→作品番号06-3-073］、石に刻んだ。それから50年近くが経って、石を刻み直したいとの地元の要望を受けて蘇軾が筆を執って『酔翁亭の記』を書いた。その跋文。
【訳文】
欧陽脩先生は慶暦八年三月己未に『酔翁亭の記』を亭のほとりの石に刻んだ。しかし、字画がはなはだ浅くて、遠く後の世に伝わらないことを恐れ、滁州の人々は大きな字で刻み直したいと長らく思っていた。
元祐六年、私が潁州に来たときのこと、劉季孫が高郵から滁州に立ち寄った。滁州知事の王詔は、滁州の人々の思いをもって私に書いてもらえるよう取り計らってくれないだろうかと劉季孫に頼んだ。私は欧陽先生の門下生として辞退するわけにはいかず、これを記した。
十一月乙巳
【補足】［（1）劉季孫が滁州と潁州を繋ぐ伝令役となったのである。（2）この文章を書く2日前の11月19日の明け方に蘇軾は夢で数人の者が『春秋左氏伝』について論じているのを聞いたと、短文に記している。また、同じころに、『春秋左氏伝』や『易経』、『書経』を引いて陰陽や男女について論じた短文を記している。訳者にはその内容が理解できないので訳は割愛する］
■【10-1-088】小飲西湖、懐欧陽叔弼兄弟、贈趙景貺、陳履常
【解題】この詩の題は、「西湖で少しばかり飲み、欧陽棐、欧陽弁の兄弟を懐い、趙令畤［字は景貺］と陳師道［字は履常］に贈った」。欧陽兄弟が去ってから蘇軾は寂しい思いをしていたのだろう。
【訳文】
歳の暮れともなると、
眼に触れるものは自ずとせわしなくなる。
私一人だけが閑にしていて、
ゆるゆると觴を傾け、
酔って日暮れの西湖を歩く。
北側の岸辺はどこまでも長く、
若い者やら老いた者やらがそこらに座っている。
私は意に任せて川も岡も越えて行く。
しばらく前からすでに薺や麦が青くなっていて、
近頃では嬉しいことに楡や柳の芽が黄ばんできている。
あたり一面で春の気が盎盎として動き出そうとしているのだ。
瀲瀲として立つさざ波とともに夜が訪れると、
水と天が一つになった中に鴎や鷺がじっと静まり、
月の光が露とともに下って松や檜がほのかな香りを立てる。
こうした景色を眺めるうちに夜は深まり、
人を懐う寂しさがじんわり募ってくる。
私とて相手をしてくれる者が一人もいないわけではないけれど、
しきりと欧陽兄弟のことが念われてならない。
私の意はまさしく山の鹿、
欧陽兄弟の才はまさしく美しい宝玉である。
出会いは再びあるとは限らない、
その歓びは忘れてはならないものであるのだ。
【補足】［（1）久しぶりに自分のことを鹿であると歌っている。（2）終わりの句は「此会不可再、此歓不可忘」［此の会 再びはす可からず、此の歓 忘る可からず］とある。「此の会」「此の歓」とは、いま西湖でのことを歌っているかのようであるが、実は「四君子」が揃っていたときのことを指しているのだろう］
■【10-1-089】蝋梅一首贈趙景貺
【解題】蝋梅の詩を詠んで趙令畤［字は景貺］に贈った。「陳師道に贈る」と記す本もある。なお蝋梅の名称は、蘇軾や黄庭堅が詩に詠んで定まったという。
【訳文】
天の工は酥を点々と散らして梅の花を作った。
蝋梅なるものは、老いた禅僧の家に生じたのが初めである。
蜜蜂は、花から採取して黄色い蝋［蜂蜜］を作る、
その黄色い蝋を取って花にしたのがこれである。
天の工の縦横の変化は誰も知り尽くすことができない。
私ができるのは、せいぜい子供の遊びのようなちっぽけな詩を作ること。
見るがよい、
（杭州の）西湖の万松嶺の上に千の黄色が重なるありさまを。
蕊も芯もまことに奇絶である。
私は酔いのなかで、
いつの間にやら千の山を超え、
闇に蝋梅の香りを聞き、
そこではっと酔いから醒めた。
夢から帰り、再び夢に花を尋ねなおすと、
花の仙から良い句を求められた。
このような風流は本物の詩人に属することであるから、
あとは貴君に任せたいと思う。
貴君が呉に行き、私が越に行くようになったら、
笑って西湖を指さして、そっくりそれを貴君に引き継がせるであろう。
【補足】［（1）杭州の万松嶺に蝋梅が咲くことは作品番号10-1-080で見ている。（2）杭州の風光を愛でることを趙令畤に引き継がせようというのだから、よほど気に入っていたのだろう］
■【10-1-090】送王竦朝散赴闕
【解題】王竦［詩の題にある「朝散」は名目上の官職の名］が上京するのを見送った詩。蘇軾自身の注によると、かつて伯父の蘇渙が衡州知事であったときに王竦のために送別の詩を詠んだことがあるという。
【訳文】
我が家の衡山公［蘇渙］は清廉の士で、
人に知られるのを畏れた。
良いとか悪いとか口から出すことがなく、
黙ったまま、何事も先を見通していた。
両手に余る人々のなかから特に貴君を抜擢して、
名馬の姿を具えていると詩に詠んだ。
ところがどうしたことか、
それから三十年が経って、
なおも貴君は窮苦の詞を作っている。
立派な人は妄りに語を吐かないという。
私はいまだにできていないけれど、
これは疑いようのないことである。
ここ清らかな潁水のほとりで、
我が伯父のかつての詩を読むと、
涙がこぼれてならない。
貴君は私より一年上なだけであるのに、
十年も衰えたかのようではないか。
同じ時代を生き抜いて来た人はいま何人残っているのか。
髯が白くなったくらいのことは怨むべきではないだろう。
さあ、雪や霜のような純白の節義を永く保とうと、
松を指さして、誓おうではないか。
■【10-1-091】次韻致政張朝奉仍招晩飲
【解題】張という退職した人を家に招いて夜に飲み、張の詩に次韻した。酔っぱらいのたわごとのような詩なので、テキトーに訳しておく。
【訳文】
白髪を一掃して黒髪にするとかいって、
黄精［仙薬のもと］を入れた飯なんぞ食ったりするが、
ちっとも効かないし、
体の重みをなくすとかいって、
胡麻を入れた飯なんぞを食ったりするが、
やはりちっとも効かない。
貴君を見ると、仁者であり長寿であって、
人の生涯に限りがあるとは思えなくなる。
どうやら、丹砂［仙薬のもと］を米にし、
瓜のような大きな棗［やはり仙薬］をふだんから食べているのだろう。
口から霧を吹いて雲を湧かしたり、唾を吐いて大雨を降らせたりもできるし、
鉛の鼎で仙薬をどっさり作って、仙人たちの仲間に入るつもりでいるのだろう。
私はというと、三世にわたってろくでもない人間で、
最初はたぶん草書の名人だったのだろう、
それで、いまでも驚いて逃げる蛇のような字を書くのである。
その次は儒者だったのだろうけど、辛抱ができなかったし、
その次は仏僧だったのだろうけど、真面目に修行しなかった。
いまできることといったら詩を作るくらいで、
とにかくすばやく作って人を驚かせるのだが、
それとてよさそうな言葉を並べて、大風呂敷を広げて歌うだけである。
役所に出入りしてはいるものの、
貧乏暮らしで、貴君を食事に招いたところで、
水草のおひたしと豆の粥くらいしか用意できない。
まあ、咄嗟のこととして勘弁してくれたまえ。
■【10-1-092】閻立本職貢図
【解題】唐代の画の名手、閻立本［→作品番号02-1-002、09-2-065など］が描いた『職貢図』［諸国から唐の太宗のもとに貢納に来た人々を描いた図］を模写したものを見て、この詩を詠んだ。なお閻立本の作とされる『職貢図』が、現在台湾の故宮博物館にある。蘇軾が見たのはそれを模写したものであったのだろうか。
【訳文】
貞観の頃の皇帝の徳は、
大海があらゆる河川を呑み込むかのように、
万邦から人々を来朝させた。
海も山も横切り、波も滝も超えて来た人々は、
その話すありさまを聞けば卑しく乱暴であり、
その服飾を見れば奇妙に多種多様であった。
珍奇な鳥獣やら怪異な物産やらを争って牽いてきて、
王と称する人でもざんばら髪で、幌もない車に乗っていた。
閻立本の遺墨の粉本［模写］を明るい窓辺で開き、
私はうなり声を上げ、立ったまま心の落ち着きを失ってしまった。
太宗に向かって、
天下を取るよりもが治める方が難しいと、魏徴がいったとき、
それは青臭い書生の議論であると、封徳彝は言い放った。
まことに残念なのは、
封徳彝はいつでもいるが、魏徴はそうではないことだ。
【補足】［（1）唐の太宗の頃の隆盛を、蘇軾は必ずしも礼賛するものではなかったようだ。諸外国に対して軍事的に優位に立つには、それ相応の代償を払わなければならないというのを現実の政治において見ているからであろう。（2）魏徴は皇帝を強く諫めるのを、封徳彝は皇帝の意を迎えるのを常とした。両者がいるから太宗治政下の隆盛があったので、蘇軾が「心の落ち着きを失った」理由は明らかであろう］
■【10-1-093】次韻王滁州見寄
【解題】滁州知事の王詔から詩が送られてきたのでそれに次韻した。王詔に依頼されて欧陽脩の『酔翁亭の記』」を書いたことは作品番号10-1-087で見ている。
【訳文】
この人［王詔］は何に似るのか。
春の雨だろうか。
農夫は春の雨の恵みに歌って舞い、
旅行く人は春の雨によって道がぬかるむのを怨む。
見るがよい、王禹偁と欧陽脩を。
ともに思うように進むことのできない一生で、
がやがやと口うるさい批判に遭い続けた。
二人が滁州に流されたときはまだ白髪もなく、
朝廷にいたときには飛ぶような速さで筆を執っていたのだった。
二人は滁州の人々に詩を吟詠することを教え、
今に至っても、肥えた馬に乗って遊ぶだけの者を嘲ける気風が伝わっている。
貴君は代々高位高官を輩出する家に生まれたのだが、
貴君だけは溪山に来て坐して嘯いている。
浮ついた利などは、笑って、鶏の一本の小骨のように見なし、
清らかな名声こそが、熊の掌のような極上の御馳走と見ているのである。
立派な人物は自重し、やたらに己が売れたりしないのを貴ぶ。
まさにそのようであった王禹偁と欧陽脩は、
いまや山のように永遠の存在となっているではないか。
その後に滁州知事となった人［王詔］もさらなる風流人物で、
先人に倣って詩のために痩せようとしている。
私は宮廷にいることに倦み、出ることをねんごろに求め、
六一居士［欧陽脩］の遺蹤を到るところで尋ねている。
貴君を憑りに瑯邪山［酔翁亭のある山］を訪ねたいと思う、
貴君であるなら、私の来遊に難色を示したりしないだろう。
【補足】［（1）王禹偁については作品番号05-4-049、06-1-044などで見ている。（2）王詔はこの文章にあるように名家の出身で、科挙によらずに官職に就き、何か批判を受けて滁州に左遷されたようだ。滁州はなぜか左遷の地とされていた。後に、蘇軾とのこのときの交流が問題視されて、王詔は朝廷を追われる］
■【10-1-094】趙景貺以詩求東斎榜銘、昨日聞都下寄酒来、戯和其韻、求分一壺作潤筆也
【解題】この詩の題は、「趙令畤［字は景貺］が、家の東側にある書斎の銘を書いてほしいと、詩で依頼してきた。昨日、都から趙令畤のもとに酒が贈られてきたと聞いたので、潤筆料として酒一壺を分けてくれるのならと、戯れにもとの詩に和した」。
【訳文】
皇族の子孫の貴君は天から下った麒麟であろうか。
眸子は、奥深くに清らかな光を湛え、
財布はからっぽで、学殖はますます豊か、
家はおんぼろで、人としてはますます傑出する。
私は老いて書く字は奔放さを増し、
筆を降ろそうとすると、座中の人があわてて止める。
貴君が東の書斎の銘を書いてほしいのなら、
西湖の雪に向き合って一杯飲ましてもらってからだ。
そちらにはたくさんの酒があると聞いているのに、
少しもこちらによこさないものだから、
用意していた硯の水がからからに乾いて、
石がもう裂けてしまいそうだ。
いっておくが、
かの淳于髡は十斗を飲んでようやく満足したというけれど、
私はそこまでの大酒飲みではない。
【補足】［（1）趙令畤は余程心を許せる相手であったのだろう、楽しい詩である。（2）詩の最初にある麒麟は我々が動物園で見るキリンではなく、想像上の神聖な動物である。ここで趙令畤を麒麟に譬えていることが伏線となって、次に見る文章が書かれることになる］
■【10-1-095】趙徳麟字説
【解題】趙令畤はこのころに字を景貺から徳麟に改めた。新しい字について蘇軾がこの文章を記した。
【訳文】
宋が天下を治めて百余年、天子が天の工を分け与えて民衆を治める仕事には、天子とは疏遠で身分の低い者を用い、皇帝の親族を優遇することはなかった。そのために皇室の者は、たとえ賢人であっても、高い地位に就いて名が知られるようになることはなかった。
神宗皇帝はこのことを初めて残念に思い、皇室の英才とともに天下を治めたいと考え、官吏登用の方法を拡大した。そのことによって、育成され切磋琢磨する者が皇室においても多くなるのを期待したのだった。しかし、これを行うこと二十年、文武の器量のある者はまだわずかしか現れていない。
元祐六年、私が朝廷を出て汝南［潁州］知事になると、越王［趙従誨］の孫、華原公［趙世開］の子の簽書趙令畤君と交遊することとなった。その人となりは博学にして文章に秀で、真面目であって芯が強く、信念をもって道を行い、機敏に政をこなすことを知っている。趙令畤君こそは真の良材であり、貴さを具えた器であって、必ずその名が天下に鳴り響くであろうと考えた。皇室の出であるというだけの人物ではないのである。
昔、漢の武帝が雍祠五畤にお出ましになったときに、白麟が帝に献じられ、『白麟の歌』が作られた。司馬遷、班固の史書には「一角獣を獲た」とあり、「蓋し麟だという」とある。「蓋し」の言は疑わしいということであろう。獣にして一角であるとはもとより麟である。なのに二人は何を疑ったのか。武帝の時代に、瑞祥であるところの麟が出現するようなことがあるのかと疑ったのである。漢の時代にはかの汲黯がいたのだが、武帝は汲黯を用いることができなかった。それなのに白麟や赤雁の吉祥が武帝の世に現れたりするものなのか。二人は一角獣が麟かどうかを疑ったのではなく、そもそもおかしなことだと疑ったのである。
先帝［神宗皇帝］が皇室の賢者を用いる法を立て、いま主上が己を虚しくして天下から人を求めて漏らすまいとし、しかも瑞祥があっても敢えて喧伝しようとしないのなら、まことに麟を獲るべき状況となったということであろう。麟はもとより捕獲されることを望まない。不幸にして徳が形に出てしまうのが、麟の病で、それがために捕えられてしまうのだ。
いま趙令畤君の学問は妙所に至り、己に淡白であってその徳を守り、福貴などは浮き雲のように見ている。しかし、その文章、議論は趙令畤君の名を載せて天下に馳せ伝わろうとしている。これは麟の病である。逃れようとしても逃れられないのである。
敬って趙令畤君の字を徳麟とし、それについての説をここに述べた。
【補足】［これを見ると、蘇軾が改名を勧めたのだろう］
■【10-1-096】洞庭春色、并引
【解題】「洞庭春色」という名の酒を詠んだ詩。短い序文がある。
【訳文】
引［序文］
（皇族の）安定郡王［趙世準］が黄柑で酒を釀し、「洞庭春色」と名付けた。色、香り、味の三つとも絶妙である。安定郡王はそれを甥の趙令畤に贈った。趙令畤がそれを私に飲ませてくれたので、この詩を作った。酔って筆に任せたもので、なかなかに沓拖とした風気があろうか。
【補足】［趙令畤から書斎の銘を書いてほしいと依頼されたときに、都から贈られてきた酒を分けてくれるならと応じていた［→作品番号10-1-094］。その酒がこの「洞庭春色」だったのだろう］
この前の年に、太湖で「洞庭の秋」という黄柑を食べた。
香る霧が手にさっと降りかかった。
今年はこの「洞庭の春」である。
玉のような色は酒とは思えない。
賢王［安定郡王］は飲みながら「洞庭春色」の文字をしたため、
酔うほどに筆は蛟蛇の走る勢いを増したのだった。
すでに酔って貴君［趙令畤］を思って醒め、
遠くその酒を送ってこられ、
ひいては私のもとにもやってきた。
瓶を開けば香りが座上に浮び、
盞から盛り上がって、光が窓を照らす。
これほどの香りであるから、
かの仙人の羅公遠に嗅がせないように注意しないと、
台無しにされてしまうかもしれない。
「洞庭春色」の名前の通りであることを味わうべきで、
一升、一斗とたくさんほしがってよいようなものではない。
「釣詩鉤」［詩を釣りあげる鉤］とか「掃愁帚」［愁いを掃きはらう帚］とか、
世に名高い酒の名に匹敵するのだ。
貴君も知っているように、
葡萄酒というものはどうにもいただけない、
黄帝［伝説の帝王］の妃の嫫姆のように真っ黒である。
貴君の「灩海の杯」［海のように巨大な杯］で、
我が大言を吐く口に「洞庭春色」を注ぎ込んでくれたまえ。
【補足】［詩の途中にある仙人の羅公遠については、蘇軾自身の注で、「唐の玄宗皇帝が蜜柑を食べようとすると、千個余りあるもののどれもが一房欠けていた。蜜柑を運んだ使者に問うと、途中である道士が蜜柑の臭いを嗅いだといった。きっと羅公遠が悪戯をしたのだ」とある］
■【10-1-097】洞庭春色賦、并引
【解題】「洞庭春色」の酒が余程うまかったのだろう、趙令畤のためにこの『洞庭春色賦』も作っている。まさに「洞庭春色」の酒を飲み、酔いに誘われて様々な想念が湧いてくるのをそのままに詠んだような作品で、残念ながら訳者には蘇軾の酔境に遊ぶ資格がないようで、どう転んでも訳すことができない。普通なら割愛するしかないのだが、後に記すように、蘇軾はこの賦をひどく気に入っていて、何度も書いて人に与え、その真筆がいまも残り、書の世界でははなはだ珍重されているので、知らん顔をするわけにもいかない。それで、ここでは原文をそのまま掲げ、後日、訳者の力量が目覚ましくアップしたときに訳文を補うようにしたい。
【訳文】
引［序文］
安定郡王は黄柑で酒を釀し、それを「洞庭春色」と名付けた。その猶子［甥］の趙令畤がそれを得て、私にも分けてくれた。戯れに賦を作った。
吾聞橘中之楽、不減商山。
豈霜余之不食、而四老人者游戯於其間。
悟此世之泡幻、蔵千里於一斑。
挙棗葉之有余、納芥子其何艱。
宜賢王之達観、寄逸想于人寰。
裊裊兮春風、泛天宇兮清閑。
吹洞庭之白浪、漲北渚之蒼湾。
携佳人而往游、勒霧鬢与風鬟。
命黄頭之千奴、巻震沢而与倶還。
糅以二米之禾、藉以三脊之菅。
忽雲蒸而氷解、旋珠零而涕潸。
翠勺銀罌、紫絡青綸。
随属車之鴟夷、款木門之銅鐶。
分帝觴之余瀝、幸公子之破慳。
我洗盞而起嘗、散腰足之痹頑。
尽三江于一吸、呑魚竜之神奸。
酔夢紛紜、始如髦蛮。
鼓巴山之桂楫、扣林屋之瓊関。
臥松風之瑟縮、揭春溜之淙潺。
追范蠡於渺茫、弔夫差之惸鰥。
属此觴於西子、洗亡国之愁顔。
驚羅襪之塵飛、失舞袖之弓彎。
覚而賦之、以授公子曰、鳴呼噫嘻、吾言夸矣、公子其為我刪之。
■【10-1-098】送路都曹、并引
【解題】路糺という官員を見送った詩。題にある「都曹」は地方官の職名。序文がある。
【訳文】
引［序文］
乖崖公［張詠］が蜀にいたときに、録曹参軍の任にある者が老病によって事をし損なった。公はこの者を叱り、「いつまで引退せずにいるのか」と責めた。その翌日、録曹参軍は辞去することを求め、留別の詩を残した。その中にこの句があった。
秋光都似宦情薄、［秋の光――それは官職に繋ぎ止める情と同じく薄く］
山色不如帰意濃。［山の色――それは帰ろうとする意の濃さに及ばない］
乖崖公は驚き、録曹参軍に謝った。
「私の過ちである。同僚に詩を詠む者がいるのを知らずにいた」
よって、この者を留め、さらによい地位に就けるよう推薦した。
私は幼いとき、このことを父老が語るのを聞いた。残念なことにその姓名を問わなかった。
いま路都曹はちょっとした失敗を理由に致仕することを求めてきた。私はこの詩を誦して引き留めようとした。しかし、聞かなかった。
私は昔の人の意を採って詩を作って見送った。合わせて、趙令畤と陳師道も一篇ずつ賦した。
【補足】［（1）張詠は宋の初期に蜀を統治する上で大きな功績があった人物［→作品番号作品番号10-1-032］。その逸事が、蘇軾の祖父の世代の人々の間の語り草になっていたのであろう。（2）この序文から、蘇軾が州のトップとして、自分を支えてくれる人々に細やかな心配りをしていたことが偲ばれるであろう］
積雪がまだ桃や李を苦しめているときに、
春の心はどこから形をつくっていこうとするのだろうか。
淮河の光が山の色をいよいよ春に変えようとしているときに、
なぜか真っ先に帰郷の意を強くさせてしまう人がここにいる。
私もまた官遊に倦む者、
君恩によってこの愚か者は繋ぎ留められている。
私は老いて退いた後の備えに、
節操の堅い人士［路糺］を留め置こうと思うのだが、
役人はわずかの税の支払いを求めて、
鉛の臼で挽くような酷い目に遭わせようとしている。
貴君の心は――
露のようにはかないいまの身の上をもって、
いつかは大禄を得られることもあろうかと待つのは難しい。
成人してから百回も戦に出て、
郷里の人々は、きっと封賞が与えられると期待した。
いまに至っても、
白髪頭をかきつつ、夕べの烽が上がるのを見守る門番の身でいるとは、
誰も思いもしなかった。
貴君の意志はもう決まっていて、
私がいくら引き留めても聞いてくれるものではなく、
残念ながら、
かの乖崖公が胸の滞りを一洗して、二人の気持ちが通じ合ったのとは、
同じようにはならない。
私の田は荊溪のほとり［常州の宜興県］にあり、
祭りの供え物にも事欠くようなところであるが、
いま懐うのは、
そこへと通じる江南の路を貴君がたどって、
林の下でまた会うことである。
【補足】［詩の中で、路糺について、①税金の酷い取り立てを受けている、②若いときに戦場で活躍した、③現在しがない門番をしている、と詠んでいるが、それがそのまま事実であるとは限らないだろう。①何かの失敗について厳しく追及されていて、②若いときから苦労を続けてたきのだが、③いまもって低い地位にある、ということを詩として若干潤色して表現したのであろう］
■【10-1-099】秋陽賦
【解題】これは趙令畤のために作った賦。初めに置かれている、「不土之里、無言之詩」は、実は趙令畤の名の「畤」の文字を隠したものだという。つまり、「里」の字から「土」を取り除き、「詩」の字から「言」を取り除いて、二つを合成する「畤」になるのだ。このような遊びを隠していることからして趙令畤に戯れた作品なのだろう。そのつもりで、訳文もごく軽く作ってみた。真面目に蘇軾の詩文を研究している人からは阿呆なことをするなと叱られるに違いないが、そもそも無学無才の訳者が蘇軾の作品を訳そうとすること自体が大阿呆である。
【訳文】
越王之孫、有賢公子、［越王の孫に賢い公子がいまして］
宅於不土之里、而詠無言之詩。［土に触れることもないお屋敷で、なんと無言の詩を詠んでおりましたとさ］
以告東坡居士曰、［その公子が東坡居士にこんなことをいいました］
吾心皎然、如秋陽之明。［「私の心は、秋の陽のように明るく白く］
吾気肅然、如秋陽之清。［私の本性は、秋の陽のように清くすっきりしています］
吾好善而欲成之、如秋陽之堅百穀。［私は善を好み、秋の陽が穀物を稔らせるように善い事を成し遂げたいと思い］
吾悪悪而欲刑之、如秋陽之隕群木。［私は悪を憎み、秋の陽が葉を落とすように悪い者を罰したいと思っています］
夫是以楽而賦之。［そのような楽しみを歌いたいのです］
子以為何如。［そのことをあなたはどう思われますか」］
居士笑曰、［東坡居士は笑っていいました］
公子何自知秋陽哉。［「あなたは秋の陽のことをどうやって知ったのですか］
生於華屋之下、而長遊於朝廷之上、［立派な御殿で育ち、長らく朝廷において遊び］
出擁大蓋、入侍幃幄、［外に出るときは大きな蓋の下にいて、家にあるときはカーテンの中にいて］
暑至於温、寒至於涼而已矣。［暑いときでもせいぜい温かいくらいですみ、寒いときでも涼しいだけのこと］
何自知秋陽哉。［それでどうして秋の陽のことを知ることができたのでしょうか］
若予者、乃真知之。［私のような者こそ、秋の陽を知っているといえるでしょう］
方夏潦之淫也、雲蒸雨泄、［夏のひどい大雨のときに、湧き立つ雲から雨が溢れ出して］
雷電発越、江湖為一、［雷が鳴り、稲妻が走り、川も湖も一つになってしまいます］
后土冒没、舟行城郭、魚竜入室。［土は水に沈み、舟が町の中を行き、魚が部屋に入り込み］
菌衣生於用器、蛙蚓行於几席。［家具に茸が生え、椅子で蛙蚓が這います］
夜違湿而五遷、昼燎衣而三易。［夜は濡れるのを避けて五回移り、昼は濡れた衣を三度換えます］
是猶未足病也。［これくらいならまだましです］
耕於三呉、有田一廛。［私は三呉の地を耕して、田があり家があります］
禾已実而生耳、稲方秀而泥蟠。［やっと稲が稔ると思ったらカビが生え、稲の穂が出と思ったら泥に倒れてしまい］
溝塍交通、墻壁頽穿。［溝や畔が滅茶滅茶になり、壁や塀が崩れ去ってしまうのです］
面垢落塈之塗、目泣湿薪之烟。［顔は落ちてきた泥に汚れ、目は湿った薪の煙に泣きます］
釜甑其空、四隣悄然。［釜も甑も空っぽで、近隣はひっそりしてしまいます］
鸛鶴鳴於戸庭、婦宵興而永歎。［鳥も庭で悲鳴を上げ、妻は夜に起きて嘆きます］
計有食其幾何、矧無衣於窮年。［食べ物はあとどれだけ、冬に向かって衣はあるのやら］
忽釜星之雑出、又燈花之双懸。［このときに、釜の下の火や灯火にふっと吉兆が現れると］
清風西来、鼓鐘其鏜。［西から爽やかな音とともに涼しい風がくるのです］
奴婢喜而告余、此雨止之祥也。［使用人たちが、これは雨が止む祥だといいます］
蚤作而占之、則長庚澹澹其不芒矣。［早朝に占うと、金星が穏やかに光っていて］
浴於暘谷、升於扶桑。［湯あみしていた太陽がついに大地に昇ってくるのです］
曽未転盼、而倒景飛於屋梁矣。［この祥はきっと誤ることなく、天地の間が太陽の光ですっかり改まります］
方是時也、如酔而醒、如瘖而嗚。［まさにそのときに、酔いからすっきりと醒め、出なかった声が発せられるようになります］
如痿而起行、如還故郷初見父兄。［あるいは、寝たきりの人が立って歩き、遠くから故郷に帰って父母に会ったかのようになるのです］
公子亦有此楽乎。［これが秋の陽です、公子にはこのような楽しみがあったのでしょうか」］
公子曰、［公子はいいました］
善哉。吾雖不身履、而可以意知也。［「なるほど、私はそのようなことは経験していませんが、その意味は知ることができます」］
居士曰、［居士はいいます］
日行於天、南北異宜。［「日は天を行き、南と北では気候が異なります］
赫然而炎非其虐、穆然而温非其慈。［日が炎えるときも人を虐げるためではなく、日が温いときも人を慈しむためではありません］
且今之温者、昔之炎者也。［今の温りは昔の炎なのです］
云何以夏為盾而以冬為衰乎。［どうして夏を盛りといい、冬を衰えというのでしょうか］
吾儕小人、軽慍易喜。［ただ我ら小人が怒りやすく喜びやすいからです］
彼冬夏之畏愛、乃群狙之三四。［冬や夏を畏れたり愛したりするのは、かの猿が三を嫌い四を好むのと同じです］
自今知之、可以無惑。［このようなことを知るなら、惑いはなくなりましょう］
居不墐戸、出不仰笠、暑不言病、以無忘秋陽之徳。［住まいに壁がなく、出るに笠がなく、それでも暑さを厭わず、そしてやはり秋の陽の徳は忘れないのです」］
公子拊掌、一笑而作。［公子は手を打ち、居士は一笑のうちにこの賦を作りましたとさ］
■【10-1-100】与王定国
【解題】王鞏［字は定国］［→作品番号10-1-059］に宛てた手紙。
【訳文】
楽全先生［張方平］が薨去されたことを聞き、驚き、悲慟してやみません。元老の方々が次第に喪われていくのは世を挙げて痛むところであり、門下生である者が義として痛むだけではありません。楽全先生は長寿に恵まれたとはいえ、我らが師範とする方にもうお会いできない哀しさはどうすることもできません。私は南京応天府への移動を願い出て、またお会いしたいと思っていましたが、それももはや及びません。王鞏君がそちらにいたことで、楽全先生の臨終に及んでのお心が慰められたのはよいことでありました。後のことを人々に言い残された際に、私と弟にもお言葉が及んだと聞き、心痛むばかりに感じ入っております。……
【補足】［（1）ここに記されているように、大恩人の張方平［字は安道］が南京応天府で亡くなったのだった。それは12月2日のこと、85歳であった。蘇軾に編集を任せていた張方平の文集はその前に完成していたのだろう。（2）この手紙の終わりに記されていることは次の短文にも書かれている］
【解題】蘇軾は張方平の訃報を聞くと、その死を悲しみ、張方平が11年前に詠んだ詩を記して、この短文を書いた。
【訳文】
因嗟萍梗才名客、［ああ、浮草のような、この才能ある人よ］
自嘆匏瓜老病身。［役立たずの、この老病の身を嘆くばかりだ］
一榻従茲還倚壁、［壁によりそって椅子に座ったまま］
不知重掃待何人。［いったい誰と話をしたらよいのか］
元豊三年、弟の蘇轍は筠州に流された。張方平先生は蘇轍との別れに臨んで、この詩を口に唱えつつ涙を流した。先生はそれまで人の前で涙を流したことはなかった。
元祐六年十二月、先生は南京応天府で亡くなった。まさに亡くなろうとするときに、後の事を問うと、ただ息を吐きながら我が兄弟のことをいわれた。
この月の十一日、哀しみを薦福禅院に挙げ、この詩を書いて院中に留めた。
【補足】［（1）張方平の詩は、蘇軾が黄州に、蘇轍が筠州に流された時期のもの。それより前に蘇軾が湖州で逮捕されてからは、蘇軾の家族は張方平のもとに預けられた。蘇軾の処分が決まると、蘇軾は長男とともに黄州に向かい、蘇轍は陳州に行って兄に会い［→作品番号06-1-004］、その後すぐに張方平のもとに戻って蘇軾の家族を連れて筠州に向かった。兄弟にとって最大の危難のときであった。（2）この短文と同じ時期に、蘇軾は祭文を書いて張方平の霊に捧げている。張方平の祭文は後に二度記している。なお、張方平が蘇軾にとっていかに重要な人物であったのかということは、作品番号01-2-001に掲げた年譜や、作品番号01-2-011に引いた逸話などから見直すと、改めて知ることができるであろう］
■【10-1-102】張文定公墓誌銘
【解題】この翌年元祐7年8月9日、張方平は宋城県永安郷仁孝里に埋葬され、その子の張恕の依頼に応じて蘇軾は墓誌銘を記した。蘇軾は当代随一の名文家であったが、依頼を受けて執筆した墓誌銘はそれほど多くない。いまに伝わる墓誌銘は13編で、大半が個人的な関係で書いたもので、政界で活躍した人物としては、張方平、范鎮［→作品番号08-3-067］、滕甫［→作品番号09-2-071］の3篇があるだけで、それぞれ元祐7年、元祐4年、元祐7年の作で、同じころに集中している。墓誌銘に準ずるものとして神道碑があり、司馬光［→作品番号08-1-051］、趙抃［→作品番号］、富弼［→作品番号08-2-012］、趙概の4篇がある。なお、滕甫の墓誌銘と趙概の神道碑は張方平の依頼で代筆したものである。
【訳文】
仁宗皇帝は在位期間の四十二年間、天下の豪傑を捜し集め、その数は多数にのぼった。それらの人々を仁宗皇帝は股肱心膂に扱い、敬ってその言説を用い、太平の世を築いた。その上、重責を長く任せられる者は三世の子孫、百年の用に役立たせるために留め置き、朝廷はいまに至るもそうした人々を頼りとしている。孔子は「天下は大きく、ただ堯［古代の聖天子］だけが治めることができた」といったが、仁宗皇帝はまさに堯のような人であった。天下には必ず立派な士がいるのであって、仁宗皇帝の世に特別に多かったのは、仁宗皇帝の偉大さの表れである。
漢の時代に賈誼は、険悪な人が多く徳が衰えたことを嘆き、吉祥を知らせる鳳鳥が天から下ってくることがなく、泥の世に大きな船が浮かべられないことを知って、己が世に受け入れられない時代に生きていることを傷んだ。このことについて私はかつて、天下は大きな器であって、万人の力を合わせ持つような人でなければ、その器を支え挙げることはできないと論じた。仁宗皇帝の偉大さをもってしなければ、万人の豪傑を我がもとに容れることはできず、天下を治めることもできなかったのである。
仁宗皇帝は即位からわずか八年で、制科［科挙以外の特別試験］で士を採用することを始め、一回目に富弼を得て、二回目に公［張方平］を得たのだった。
公の姓は張氏、諱は方平、字は安道である。先祖は宋州の人で、後に揚州に移った。高祖は張克、唐朝の末に亳州知事となった。曽祖父は張文熙、亳州軍事推官になり、蘇氏を娶った。祖父は張嶠、科挙に及第し、太宗皇帝の前に召されたことがあり、鄆州知事となり、劉氏を娶った。父は張堯卿、生まれてから寡黙で、俗世を離れたいとの思いがあったが、父の命によって勉めて娶った。父が亡くなると、一室の内に居て、家人の顔を見ないこと十七年に及んだ。嵇氏を娶った。
公は十三歳で応天府の学校に入り、群を抜いて潁悟であった。家が貧しかったために書物がなく、人から借りて『史記』『漢書』『後漢書』を読み、十日ほどで返し、「私はこれらを詳にしました」といった。公は、書物というものは、一度見たならば再び読むことはなかった。また、文章を書くときに草稿を作ることがなかった。宋綬、蔡斉はこれを見て、「天下の奇材である」といった。范諷等が特別な才能の持ち主であるとして特に朝廷に推薦した。
景祐元年に校書郎を授けられ、昆山県の知事となった。このときに蘇州知事であった蒋堂が公の著した『芻蕘論』五十篇を朝廷に差し出して、賢良方正能直言極諫に公を推薦し、（制科の試験を受けて）優等となり、著作佐郎に遷って、睦州の副知事となった。
……［以下、政界における事績が詳細に記される］……
公は、自身が老いてお上に報いることができないことを知って、政事についてますます切に論じた。特に兵事や裁判について反復して深く論じた。公は「老臣はまもなく死にます。地下において先帝にまみえたときに、御報告できるようにしなければならないのです」といい、陛下は感動された。
公は老をもって退くことを再三願い、……元祐六年十二月二日に薨じた。享年八十五であった。……公は晩年は楽全居士と号し、『楽全集』四十巻、『玉堂集』二十巻、『註仁宗楽書』一巻がある。神宗皇帝はかつて親しく「卿の文章は典雅にして、煥然として三代の風がある。これを規範として加えるべきものはなく、漢代の名文家も及ぶものではない」と記した。
交わるところの者に范仲淹、呉育、宋祁の三人がいて、皆が公を敬い、「動かざることを山の如しとは張方平である」といった。
私軾の父と交遊があって、古今の治乱をおよび歴史上の人物について論じ合い、はからずして意見が一致した。軾と弟の轍はその門下から出たのである。
私軾はかつて公の文を次のように論じた。
三国時代の孔融は志が大きく議論は高遠であった。当時の世において著しい功績が現れることはなかったのだが、それでも英偉豪傑の気は一時代の手本となり、孔融が盛憲や郗慮の人物を論じた文章は激しく高ぶる大丈夫の風儀があった。
同じ時代の諸葛亮は文章をもって名を顕したのではなかったが、万物の理に通じて事を成就させるありさまと、理論と実際を深く知り抜いた洞察力は自ずから言葉となって現れ出た。諸葛亮が書いた『出師の表』は簡明でありながら意を尽くし、率直であっても放縦にはならず、実に偉大な言論文で、太古の『伊訓』、『説命』に並ぶ名文で、秦や漢以降の君主の歓心を得ようとして仕えた者が全く及ぶところのものではなかった。
私が常々残念でならないとしているのは、孔融と諸葛亮の文章を完全な形で読めないことだ。
現代の楽全先生はほとんどこの二人に近いのではないだろうか。
嗚呼、士として天下の重みを自らのこととして任ずる者がいなくなってすでに久しい。議論が不得手なのではない。政事や文学について機敏に応じないわけでも、該博な知識を持っていないわけでもない。大きな事に臨んだときにも、根本を忘れず、己の日ごろの言説を失ってしまうことのない者が少ないのだ。つまりいまの士は器量が小さいのである。
楽全先生はまだ普通の庶民であったときから、我が身を成長させて国家の仕事を補おうとの望みがあった。若くして出仕し、老いて帰隠するに至るまで、言葉を使って時の流れに乗じたり、人に媚びたりすることは決してなく、君主に対するときにも、よく考えて後に発言した。評判は常に一定で、利害に左右されることがなく、まことに孔子がいうところの「道をもって君に仕える大臣」である。孔子から時代が遠く離れ、道が曖昧となり、志のある士、あるいは仁を具えた人であっても、少しでも低い地位に置かれると、高く用いられることばかりを望んでしまうのだが、楽全先生だけは一人邁進する気概に溢れ、公明正大な言論を行ってきた。これもまたまことに孔子のいうところの「用いられるのなら道を行い、用いられないのなら世間から隠れて道を楽しむ」というものである。上に対しては、君主と合致することを求めはしなかったので、貴ばれつつも用いられず、用いられても十分に力を発揮できなかった。下に対しても、士大夫と合致することを求めなかったので、楽全先生のことを悦ぶ人は少なく、悦ばない人が多かった。しかし、究極的に天下の偉大な人を挙げるとなると、必ず楽全先生が第一であるとされているのだ。
世は軾の言はよく公を知るものであるとした。
公が諫官であったときに、劉夔、王質を自分の後任として推薦すると、二人はその日のうちに抜擢された。貝州で兵士が反乱を起したときに、皇帝は公を出陣させようとしたが、公は自分の代わりに明鎬を推薦し、明鎬は即座に将軍となり、貝州は平定された。
熙寧年間に軾は陳州で公に会った。その前に、宰相の曽公亮は軾に「私は張公の知遇を受け、私がいまこの地位にあるのは張公の恩によるものです」といっていた。そのことについて軾が公に問うと、公はしばし悵然としていった。「私は密かに曽公亮を推薦したのです。それは誰も知らないはずです。まさか仁宗皇帝がお話されたのであろうか」。
軾はこれらのことから、公は世間からは必ずしも理解されないことがあったけれども、皇帝はこれほどまでに信頼していたのだと知ったのである。
公は本性として道と合し、仏教と老子の妙所を得ていた。亡くなられた日も普段通りに凜然と過ごされ、北窓に星が隕ち、薨じられた。赤い気が寝台から昇り、家の人々は驚いて見上げた。
元祐七年八月九日、宋城県永安郷仁孝里に葬られた。その子の張恕が王鞏の手紙を通じて私に墓誌銘を求めた。
……［以下、銘文が続く］……
【補足】［（1）幾人もの人名が挙げられているのは、いずれも当時の著名人である。（2）蘇軾が張方平の文章について論じたものは、全文を作品番号08-2-067で見ている。蘇軾は常に張方平を激賞している。しかし、世間の評判は必ずしもそれほど高いものではなく、後世の評価も、張方平を敬ったとここに記されている范仲淹、呉育、宋祁の3人と比べてより高いとされることは残念ながらない］
■【10-1-103】次韻趙景貺春思、且懐呉越山水
【解題】趙令畤［字は景貺］［→作品番号10-1-099］が『春の思い』と題する詩を作ったので、それに次韻し、呉越の山水への懐いも含めてこの詩を作った。
【訳文】
歳月の来ることは窮まりがない、
老いた我が眼は何を見ても静かなまま……
老いた我が身は繋がれた馬のよう……
ところが、春の風が吹くと、
意はまだ動いていないのに、
もう走り出そうとしてしまう。
春の風によって（杭州の）西湖はたちまち氷が砕け、
鳥が舞い降り、魚が鏡の面を動かす。
我等は、町中の埋もれた水路を浚い、水門を開き、
泥にこびりついていた舟を起す。
官の仕事はいつ終わることもないのだが、
諸君等よ、できれば楽しんでやってもらいたい。
私がこのように呉越を思うようになったのは偶然のこと、
しかしてそれは遠い昔から定まっていたのではなかろうか。
飄然と繋がれない舟となって、
この尽きることのない興に乗じて行こうではないか。
ここ［潁州］は酔翁［欧陽脩］がかつて遊び楽しんだところ、
酔翁の愛でた草木全てに敬意を示すべきである。
明日の朝には、径に散り敷く黄葉を掃除して、
潁水の北の渚で遊ぼうではないか。
たとえ臍から溢れ出るまでに酒を飲んだとしても、
猥らに歌って騒がず、静かに遺徳を偲ぶとしよう。
【補足】［（1）蘇軾自身の注で、「酒は香泉［酒の名であろう］が一壺あるが、楽全先生［張方平］の喪に服し、音楽を楽しむことはしない」とある。（2）終わりの部分は意味を成さないという評語もあり、いつもの「ずっぽ訳」である］
■【10-1-104】二鮮于君以詩文見寄、作詩為謝
【解題】「二人の鮮于君が詩文を寄せたので、その謝礼に作った」という詩。「二人の鮮于君」とは鮮于侁［字は子駿］の子で、鮮于侁には4人の息子がいてそのうちどの2人であるかはわからないという。鮮于侁は蘇軾と深い縁があった人物で［→作品番号06-1-110、05-5-090など］、4年前に亡くなっている［→作品番号08-2-029］。
【訳文】
懐うに元祐の初めには、
宝玉のような方々が朝廷に大勢おられた。
このとき、南隆の老師［鮮于侁］は使いを奉じたままでまだ還っていなかった。
迂叟［司馬光］が私に向かっていわれた。
「青州、斉州では困難な凶作の年が続いています。
この人は天界の星でいえば德星に当たる人、
この方角に派遣するのにぴったりの人物です」
かくて（鮮于侁は地方に置かれたまま）朝廷に召されるのが遅れたのだった。
天命というものはまことに底意地が悪い、
ある朝、老いたる名馬は倒れ、
皇帝の厩は寂しくもからっぽになってしまった。
今に至るも清い夜の夢に見て、
名残の涙に枕が濡れるのである。
ここに喜び聞くのは、
御子息が成人になられてからは、
孔子の高弟の閔損、顔回を師として、
天の川のような遥かに高い議論をし、
玉の環のような清らかな音の詩を詠むということ。
その詩から遙かに知ったのは、
三日間の雪によって、
そちらの崧山［鮮于侁の故郷の山］が美しく埋もれたこと。
誰もが思うのは、
この優れた桂の木々［鮮于侁の息子たち］が、
このまま雑草に覆われてしまうことはないようにと。
旧くゆかりのある者［蘇軾］はいま潁水の下流にあって、
そちらへ届けと、詩を流れに投じるものである。
【補足】［（1）蘇軾自身の注で、司馬光が特に鮮于侁を青州、斉州に派遣したことを記している。（2）鮮于侁は亡くなった後、故郷の潁昌府に葬られ、息子たちはその地に留まっていたようだ。潁州から見て潁昌府は上流にあるので、流れに任せたのでは詩を投じても届かないのだが、水によって繋がっているといいたかったのだろう。（3）蘇軾はこのころに択勝亭を作り、その銘を書いている。日本語に訳しにくく、また内容的にさほど興味を引くものではないので、割愛する］
■【10-1-105】題欧陽公送張著作詩後
【解題】欧陽脩が張著作との送別の際に詠んだ詩を蘇軾が書き、その後ろにこの短文を添えた。欧陽脩の詩の全体は伝わらず、張著作［著作は官名］の名はわかっていない。
【訳文】
詩の中に歳月は記されていないが、「厭京已弄春」［都ではすでに春を弄んでいるのを厭う］という語があるので、これはきっと、（欧陽脩が三十歳のときに）洛陽から都に還ってまだ久しくないころ、夷陵県に行く前のことである。
元祐六年、東坡居士は汝南［潁州］の東閣でこの詩を観た。
【補足】［（1）蘇軾はすでに欧陽脩の詩文集を編み［→作品番号10-1-017］、潁州にきてからもその遺稿を詳しく読んでいたのだろう。（2）蘇軾は24歳のときに、夷陵で欧陽脩にゆかりの建物を訪ねたことを作品番号01-1-039で見ている］
■【10-1-106】生日、蒙劉景文以古画松鶴為寿、且貺佳篇、次韻為謝
【解題】蘇軾の誕生日は12月19日。その日に合わせて劉季孫［字は景文］［→作品番号10-1-084］から松と鶴を描いた古い画が贈られてきた。詩が添えてあったので、それに次韻して謝礼とした。潁州を発った劉季孫はすでに任地に着いていたのだろう。
【訳文】
一室に籠っていたのでは、
千里の広さに遊ぶ趣はないであろうから、
松によって、心に積もった塵を洗い、
鶴からは、遠くゆく意を起こすのがよかろう――
それで、貴君は松と鶴の画を贈ってくれたのか。
この世に生まれて長く生きていると、
死者の名簿から自分の名が除外されているのではないかと思いかねない。
書物に記された神仙の言葉を、
私は妙薬として大切にしている。
貴君のすばらしい心配りによって、
奥深い谷へと逸れる想いが誘われる。
松は、暑さ寒さに左右されることがなく、
鶴は、前に行くも後ろに行くも自由である。
松は、立派な建物を構えたいとか、
鶴は、宮殿に巣を掛けたいとか、
そのようなことは望まない。
貴君との別れの言葉を思い起こしては、
数日間寂しく過ごすということを繰り返している。
貴君の詩は味わい豊かな御馳走であり、
貴君の字は痩せて人を愕かせるものがある。
高く飄々とした姿が眼の前にちらついて、
あれは昨日の夢であったかと思われる。
貴君はいま腰を屈めて人に合わせなければならない立場にある。
しかし、志は凡庸な役人連中と同じではない。
こうしたことは会って語るまでもない。
我等は同じく、不朽のものに身を託そうとしている。
漢の時代の揚雄にしても汲黯にしても不遇の時期が長かった。
私はもはや王喬や赤松子のような仙人の後を追うことしか考えないのだが、
貴君は、漢代の大将軍の衛青や霍去病などさほどでもないとする人物である。
【補足】［終わりのところでは、漢の時代の人々の名を挙げて劉季孫のことを励ましている。劉季孫の父は軍事において大きな功績のあった人なので、やはり軍職で大きな働きをすることを期待しているのである］
■【10-1-107】乞賜度牒糴斛斗準備賑済淮浙流民状
【解題】蘇軾が杭州知事として最後まで深く憂慮していたのは、気象災害が食糧難を引き起こし、多数の流民が発生することであった［→作品番号09-2-057］。残念ながら、災害は現実のものとなり［→作品番号10-1-004］、さらには長江と淮河にはさまれた地域でも災厄が生じたことがここに記されている。
【訳文】
元祐六年十二月二十五日、竜図閣学士左朝奉郎知潁州の蘇軾が書状をもって申し上げます。
臣が近頃、潁州の城市［町］から出ましたところ、赤ん坊を抱えた流民らしき者に出会いました。問うと皆が「寿州［潁州より南の淮河に臨む地］から来ました」といいます。それで、城門を守る者に尋ねると、このような者を時折見ると申します。淮西提刑司が食糧を与えてはならないとの高札を立てたために、淮河を越えて北に来たとのことでありました。そこで南方から来た役人に問うと、今年の秋は廬州、濠州、寿州はどこも飢饉に陥り、いまや農民は楡の皮を煮たり、糠麩［米や小麦の糠］に馬歯莧を混ぜて煮たりしたものを食べているとのことであります。さらに寿州では盜賊が次第に勢いを増し、安豊県木場鎮では役人の家を打ち壊したり、霍丘県善郷鎮では科挙の地方試験に合格した者の家を打ち壊したり、六安県故鎮でも打ちこわしをしたりしております。賊徒は十余人から二三十人ともいい、騎馬が巧みな者もいて、武器を具えております。どこも被害は数千貫にもなり、全ての損害が役所に届けられるわけではなくて、まだ報告されていないものもありましょう。
一方で、潁州の境界あたりでも、尹遇、陳興、鄭饒、李松等数人の悪い賊がいて、いずれも手慣れの悪者で、各所をさまよいつつ、勝手な名号を立て、互いに呼応して結集して役人と争っておりました。近頃、破って捕縛いたしましたが、深く恐れますのは淮南の群盜がおさまらずに潁州へと流入し、それだけならたとえ大きな害にはならなくとも、飢えた民衆がそれになびくことで、徒党を組む者が増え、かつての王沖、管三のようなことになったらば、もはや捕獲するのが難しくなってしまいましょう。
臣は、淮河の南では秋から今に至るまで、雨や雪が不足し、麦が熟すか熟さないか予断を許さない状況となっているということも聞いています。もし麦が熟さなかったときには、必ず大飢饉となりましょう。（長江の南の）浙西、江東はすでに不作の地が多く、勢い流民が必ず北へとやってまいりましょう。潁州はその対処に苦しまねばなりません。流民が潁州にきて、もしもそれを救うことができなければ、道に屍が横たわり、盜賊が各所に起るのは必然の勢いであります。
よって、事に先んじて対応を乞うものであります。もしも何事もなくすむならば、臣は過大なことを申し上げた罪を避けるものではありません。隠して何も申し上げず、何の準備もないままに想定外のことに至る方が罪が大きいのであります。臣は日夜に対応を考え、少しもゆるがせにはいたしません。謹んで以下の数条を申し上げます。……［以下、具体策を述べる］……
臣が杭州にありました日に、自身で州県の役人を監督しましたが、皆が災害についていうのを憚っておりました。今年の蘇州、湖州の水害のごときは極めてひどい状況に至りましたが、朝廷の一員である賈易等はそれでもなお本当かどうかを調べる必要があるとして人を派遣しました。また、蘇州を襲った水がまだ城門から引かないうちに、知事の黄履はすでに秋蒔きの麦の収穫が期待できるような報告を中央にしました。実態を覆い隠すようなことが習慣として行われているのであります。
伏して聖慈によって臣の言を試しに採用されますことを望むものであります。
【補足】［（1）これで見ても明らかなように、被害の拡大を防ぐために迅速な救済策が必要であるとする蘇軾の姿勢は一貫している。（2）終わりに名が挙げられた賈易は蘇軾の政敵であり［→作品番号10-1-027］、黄履とは杭州から都に移動する際に若干の交流があった［→作品番号10-1-005］］
■【10-1-108】次韻陳履常雪中
【解題】上に見た文書を朝廷に差し出したのは12月25日。その後、潁州は連日の大雪となり、蘇軾は流民をいかにして救うかに心を砕いた。四君子の一人、趙令畤に『侯鯖録』という随筆があって、蘇軾に関する記事が多数収められていて、この年も終わろうとするある日のことが次のように記録されている。
【訳文】
趙令畤：『侯鯖録』より
元祐六年、汝陰［潁州］ではしばらく雪が続いた。ある日、夜が明ける前のこと、東坡より手紙がきて、話し合いたいことがあるからと呼ばれた。行くと東坡はこのようにいった。
「私はこの夜、眠れずに、潁州の飢えている人々についてずっと考えていました。官の蔵から百余石を放出し、餅［小麦を固めて焼いたもの］を作って救済しようかと思っています。妻がいうには、『あなたさまは過日陳州を通ったときに傅欽之様に会われましたが、傅欽之様は陳州の民を救済するのに趙令畤様の功績が大きかったとおっしゃっていたではありませんか。趙令畤様をお呼びになって民を賑わす方法をお尋ねなさればよいのではありませんでしょうか』と。それで貴君に来てもらったのです」
私は笑ってうなずき、
「私にはすでに考えていることがあります。いま民衆が困っているのは、食と火の二つです。義倉［非常食の備蓄庫］には数千石の穀物が積んであり、すぐに配って民衆を救うことができます。また、作院［官庁の備品庫］には数万束の炭が、酒務［官営の酒造所］には数十万束の薪があり、これを原価のままで売れば民衆を救うことができます」
東坡はいった。
「私の思うことはこれでできる」
そして穀物と燃料を放出することを朝廷に奏上し、上台寺で配った。
陳師道教授はこれを聞いて詩を詠んだ。
掠地衝風敵万人、［地をかすめて幾万もの人に風が吹きつけ］
蔽天密雪幾微塵。［天をおおって雪が降りしきる］
漫山塞壑疑無地、［山も谷も埋めて］
投隙穿帷巧致身。［隙間を通り抜けて人も埋めてしまう］
映積読書今已老、［雪の光に書物を読んだ人もいまは老い］
閉門髙臥不縁貧。［貧乏も気にせず門を閉ざして悠然としている］
遙知更上湖辺寺、［遠く湖のあたりの寺では］
一笑潜回万宝春。［もう春が帰ってきているようだ］
東坡がこれに次韻した。
可憐擾擾雪中人、［気の毒なのは、擾擾と雪の中で騒がしくする人たち］
饑飽終同寓一塵。［飢える身も、満腹する身も、一つの塵に寄せるようなもの］
老檜作花真強項、［老いた檜が雪を花のように付けているのはまことに強くて頼もしく］
凍鳶儲肉巧謀身。［凍える鳶が肉を蓄えているのはその身のための巧みな謀である］
忍寒吟詠君堪笑、［笑ってしまうのは、寒さを忍びつつ貴君がわざわざ詩を詠んだこと］
得暖歓呼我未貧。［暖をとって歓んでいられるのだから、私はまだ貧乏ではない］
坐聴屐声知有路、［下駄の音が聞こえてきたのは、雪の中にも路があるのだろう］
擁裘来看玉梅春。［貴君が厚着をして梅の春を見に来たのだ］
私もまた次韻した。
坎𡒄中年坐愛人、［民衆を愛する人は］
老来貂鼎視埃塵。［老いて竈に塵が積もっている］
鉄霜帯面惟憂国、［顔を凍らせても国を憂い］
機穽当前不為身。［自身のために計ることはない］
発廪已康諸県命、［倉を開いて多数の命をつなぎ］
蠲逋一洗幾年貧。［民衆の貧苦を洗い流す］
帰来又掃寛民奏、［さらに民のためになることを奏上し］
不愧毫端爾許春。［春の訪れにも恥じることのないようにする］
【補足】［最後の趙令畤の詩には切迫した事態に対処しようとする緊張感があるが、陳師道と蘇軾の詩はやや現実にそぐわない感じがするのは、流民の救済を終えてゆったりと春を迎えたということを歌っているのだろうか］