第9章　最高の州知事――再びの杭州

［第9章その三］

元(げん)祐(ゆう)6年［1091年］、蘇(そ)軾(しょく)56歳。

■【09-3-001】与水陸通長老

【解題】蘇(そ)州にある報(ほう)恩(おん)寺(じ)の水(すい)陸(りく)禅(ぜん)院(いん)には蘇軾が成(せい)都(と)から招いた通(つう)長(ちょう)老(ろう)がいた［→作品番号04-2-100、05-1-017］。杭(こう)州から通長老に送った手紙が数通残っている。その一部を読んでおこう。

【訳文】

（1）お贈りくださった茶は極めて上質の品で、はなはだ感激しております。近ごろ五(ご)台(だい)山(さん)で長(ちょう)松(しょう)［薬草］が得られ、中風に非常に效(き)くといいます。俗に文(もん)殊(じゅ)菩(ぼ)薩(さつ)がある僧に示されて初めて識(し)られるようになったとか。それを少しばかり、並びに人参四両をお納めいたします。この二品をほんの少しだけ甘(かん)草(ぞう)と合わせて豆腐に載せて食べると佳(よ)いものです。

【補足】［この手紙は前年に送ったものであると推測される。あんかけ豆腐のような薬膳のレシピが記されている］

（2）お示しくださった石(せき)刻(こく)の件、浙(せつ)中(ちゅう)の好事家たちはよくそのようなことをします。御老人［通(つう)長(ちょう)老(ろう)］もまたそうでありましたか。……［茶を贈ってくれた謝礼を述べる］……大(だい)覚(かく)禅(ぜん)師(じ)が正月一日に遷(せん)化(げ)されました。きっとお聞き及びでありましょう。悵(ちょう)悼(とう)の意が増すのを共にしたいと思います。大覚禅師のために先に『宸(じん)奎(けい)閣(かく)記(き)』を作りました。多忙の中にあってここに録することはしませんが、きっとどこからか伝えられてお目に触れることもあるでしょう。

【補足】［この手紙はこの年の初めのうちに送ったもの。最初の部分は、蘇軾の詩文を石に刻んで水(すい)陸(りく)禅(ぜん)院(いん)に置きたいと通(つう)長(ちょう)老(ろう)が提案したことへの答えであるようで、蘇軾は乗り気ではない。後半には、大(だい)覚(かく)禅(ぜん)師(じ)が亡くなったことが書かれていて、次の項で詳しく見る］

■【09-3-002】宸奎閣碑

【解題】1月1日に亡くなったと上に手紙に記してあった大(だい)覚(かく)禅(ぜん)師(じ)懐(かい)�l(れん)は、蘇軾の父の蘇(そ)洵(じゅん)に国宝級の画をプレゼントした人である［→作品番号02-1-002、04-2-052］。そのとき懐�lは都の浄(じょう)因(いん)禅(ぜん)院(いん)にいたが、その後、四(し)明(めい)［現在の寧(ねい)波(は)市に含まれる］にある広(こう)利(り)寺(じ)に移った。蘇軾は杭(こう)州知事として赴任すると、懐�lのために広利寺にある宸(しん)奎(けい)閣(かく)の銘を作った。これは懐�lがまだ存命中の作品である。

【訳文】

廬(ろ)山(ざん)の僧懐(かい)�l(れん)は皇(こう)祐(ゆう)年間に仁(じん)宗(そう)皇帝の詔(みことのり)によって都の十(じっ)方(ぽう)浄(じょう)因(いん)禅(ぜん)院(いん)に住まうこととなった。皇帝は懐�lを宮中に召して仏法の大意を尋ねた。懐�lの応答は皇帝の心に適い、「大(だい)覚(かく)禅(ぜん)師(じ)」の号が与えられた。このとき北中国の仏教者は名(めい)や相(そう)の議論、あるいは因果を説くばかりで、優れた知性を持った人々はそれを詰まらないものだと軽んじ、仏教は外国の愚かしい教えだと非難していた。懐�lだけはその妙所から孔(こう)子(し)や老(ろう)子(し)の思想と合致するところを取り出し、その言文は真理を表していて、その振る舞いは峻厳かつ自在であったので、士(し)大(たい)夫(ふ)は喜んで懐�lのもとに訪れるようになった。官の仕事が休みの日には、懐�lが起きてまだ顔を洗わないうちに、扉の外に訪れた士大夫の脱いだ履物がずらりと並ぶほどであった。仁宗皇帝は師弟の関係をとらずに自ずと懐�lから道(みち)を得た。仁宗皇帝は懐�lを頌(ほ)める詩十七篇を作って贈った。

至(し)和(わ)年間に懐�lは山に帰ることを願い出た。皇帝は「山は即ち如(にょ)如(にょ)体(たい)である。いったいどこに帰るのか」［法の前では山にいても都にいても同じであるといった意味か］といって許さなかった。治(じ)平(へい)年間に懐�lは再び強く乞い、英(えい)宗(そう)皇帝は都に留めておくことはできないとみて、好きなところに行ってよいとの詔を下した。懐�lは長(ちょう)江(こう)を渡り、しばらく金(きん)山(ざん)に留まり、西(せい)湖(こ)に遊び、ついに四(し)明(めい)にある阿(あ)育(いく)王(おう)山(ざん)広(こう)利(り)寺(じ)に入った。四明の人々は力を出し合って大閣を建て、仁宗皇帝が賜った頌(しょう)詩(し)をそこに納め、「宸(しん)奎(けい)」の文字をその上に掲げた。ときに都では宝(ほう)文(ぶん)閣(かく)を建てたばかりで、仁宗皇帝の頌詩の副本を広(こう)利(り)寺(じ)に求めてそちらにも納めた。そして広利寺においては一年に一人の僧を得度するよう命じた。

懐�lが山に帰って［広利寺に入って］二十三年、八十三歳のときに臣(わたくし)が杭(こう)州知事になると、懐�lの弟子がきてこのように告げた。「宸(しん)奎(けい)閣(かく)にはいまだに銘がありません。あなたは仁宗皇帝にお仕えし、吾が師とも旧くからの交流があります。きっと辞退なさいませんでしょう」

臣(わたくし)が謹んで考えるに、昔から君主で仏教を知る者といえば必ず漢(かん)の明(めい)帝(てい)、梁(りょう)の武(ぶ)帝(てい)が挙げられ、二人は常に口に仏典を唱え、仏陀の像を壁に掲げていた。しかし、漢の明帝は「明」というよりは疑い深く、梁の武帝は「武」というよりは軟弱であった。名ばかりで実を失い、また仏の教えからもはなはだ遠いものがあった。恭しくも仁宗皇帝は在位四十二年の間、僧尼をやたらと増やすこともなく、むやみと寺廟を立派にすることもなく、亡くなられたときには天下の人々はその仁を深く思ったのであった。まことに仏教の心法を得た古今一人の皇帝であった。

懐�lは世の外に出た僧であり、非常に厳しく規律を守ってこられた。皇帝がかつて竜(りゅう)脳(のう)鉢(はち)盂(う)［貴重な香木で作った鉢］を賜ると、懐�lは持ってきた使者に対して、これを焚くよう指示し、「吾が法として、襤褸の衣を着、瓦や鉄の器で食べる。この鉢は法に非(あら)ざるものである」といった。使者は帰ってそのように申し上げると、皇帝はそれを褒めしばし嘆息した。

銘に曰く、

巍巍仁皇、体合自然。神耀得道、非有師伝。維道人�l、逍遙自在。禅律並行、不相留礙。於穆頌詩、我既其文。惟仏与仏、乃識其真。咨爾東南、山君海王。時節来朝、以謹其蔵。

【補足】［（1）銘は訳し難いので原文をそのまま掲げる。いつか意味を理解できるようになったら訳文を補いたい。（2）蘇軾は大(だい)覚(かく)禅(ぜん)師(じ)の訃報を聞くと、その死を悼む祭文を作った。これも訳者の理解が及ばないので割愛する］

■【09-3-003】竜井題名

【解題】弁(べん)才(さい)大(だい)師(し)元(げん)浄(じょう)のいる竜(りゅう)井(せい)を訪れた記録［→作品番号09-2-014、09-2-081］。

【訳文】

蘇軾、銭(せん)勰(きょう)、江(こう)公(こう)著(ちょ)、柳(りゅう)雍(よう)がともに竜(りゅう)井(せい)で弁(べん)才(さい)大(だい)師(し)にお目にかかった。

元(げん)祐(ゆう)六年正月七日

【補足】［同行した人々のうち、銭(せん)勰(きょう)［字(あざな)の穆(ぼく)父(ふ)］は越(えつ)州を離れて新たな任地の瀛(えい)州へと向かう途中［→作品番号09-2-075］で、江(こう)公(こう)著(ちょ)［字は晦(かい)叔(しゅく)］は吉(きち)州知事として赴任する前に、それぞれ杭(こう)州にきていた。柳(りゅう)雍(よう)がどのような人物あるのかわからない］

■【09-3-004】臨江仙

【解題】銭(せん)勰(きょう)［字(あざな)の穆(ぼく)父(ふ)］は杭(こう)州を発つ前にしばし人々との交流を楽しんだようで、表(ひょう)忠(ちゅう)観(かん)の院主である銭(せん)道(どう)士(し)［名は自(じ)然(ねん)］［→作品番号05-3-066］と会い、そこに蘇軾は一篇の詩を添えて酒の差し入れをした。その詩はなかなか面倒な故事の引き方をしていて訳者の手に負えないので割愛し、銭勰を見送ったこの詞を読んでおこう。

【訳文】

一別都門三改火、［都の門で別れてから、寒(かん)食(しょく)の新(しん)火(か)も三回目となります］

天涯蹋尽紅塵。［天の涯で、浮世の塵を踏み尽くしたのです］

依然一笑作春温。［変わらずに笑い合えば春の温もりが生じます］

無波真古井、［古い井戸には波が立たたず］

有節是秋筠、［秋の竹にはしっかりとした節があるといいます］

惆悵孤帆連夜発、［悲しいことに、今度の夜にぽつんと帆が出て行きます］

送行淡月微雲。［見送るのは淡い月とほのかな雲］

尊前不用翠眉顰。［酒の前で眉を顰めるのはよしましょう］

人生如逆旅、［人生は旅の宿のようなもの］

我亦是行人。［私もまた旅人なのです］

【補足】［蘇軾と銭(せん)勰(きょう)は同じころに都を出て足掛け3年になる。それで、寒(かん)食(しょく)を終えて最初につける火、新(しん)火(か)を見るのも3回になると歌っている。ただし、正確には蘇軾が杭(こう)州にきてから新火を見たのはまだ1回だけで、間もなく2回目を見るはずであった］

■【09-3-005】送江公著知吉州

【解題】やはり竜(りゅう)井(せい)に同行した江(こう)公(こう)著(ちょ)［字(あざな)は晦(かい)叔(しゅく)］のために詠んだ送別の詩。江公著は吉(きち)州知事に任命される前は、一時的に官職を離れて郷里の桐(とう)廬(ろ)県［杭(こう)州に属している］に帰郷していたのだろう。

【訳文】

貴君は三(さん)呉(ご)の千の山水を行き尽くしたけれど、

なお故郷の桐(とう)廬(ろ)こそが清く美しいという。

桐廬は、濁った世には狂(きょう)奴(ど)と称された高士［後(ご)漢(かん)の厳(げん)光(こう)］が隠れただけでなく、

平穏な時代には佳(よ)き公子［江(こう)公(こう)著(ちょ)］を生んだのだ。

貴君は初めに刑獄の役人となり、

後に都に召され、さらに重職を担うかというときに、

郷里の川で汚れた耳を洗うこととなった。

しかし、大工の名人は良木を決して棄てることはなく、

名馬は千里を走れるか試されずにいることはない。

官舎に親を迎え入れるには、行き先としてよい場所を選ぶべきであるが、

長(ちょう)江(こう)の南の地を得たのだから喜ばしいではないか。

吉(きち)州は繁華の地、

白い米を満載した船が一万の帆柱を連ね、

紅く化粧した女性が三千の指で音楽を演奏する。

そうなると、公文書に埋もれる貴君も、

閑を得たときには、「人生は行楽あるのみ」ということもきっと思うであろう。

■【09-3-006】漁家傲

【解題】江(こう)公(こう)著(ちょ)［字(あざな)は晦(かい)叔(しゅく)］に贈った送別の詞。

【訳文】

送客帰来燈火尽。［あなたを見送って帰ると、灯火はすでに尽きています］

西楼淡月涼生暈。［西の楼閣から見えるのは暈(かさ)をかぶった淡い月］

明日潮来無定準。［明日になって潮がきたならあなたはどこへ行ってしまうのでしょう］

潮来穏。［潮が穏やかにきてくれたなら］

舟��渡口重城近。［舟は町の近くの渡し場で横たわったままでいて……］

江水似知孤客恨、［一人旅ゆくあなたの心を知るのは江(かわ)の水だけ］

南風為解佳人慍。［わたしのわだかまりを解いてくれるのは南の風だけ］

莫学時流軽久困。［時流に乗っておかしなことになったりしませんように］

頻寄問。［きっとお手紙を寄せてください］

銭塘江上須忠信。［銭(せん)塘(とう)の江(かわ)のほとりにあるのはきっと忠信(まごころ)なのですから］

■【09-3-007】与葉淳老、侯敦夫張秉道同相視新河、秉道有詩、次韻二首

【解題】蘇軾はなかなかの土木好きで、次の事業計画を練り始めていた。銭(せん)塘(とう)江(こう)の出口にはたえず形を変える砂州［浮(ふ)山(ざん)］があり、河口付近を南北に横切ろうとする船が座礁する事故が頻繁に起きていた［→作品番号09-2-020］。葉(よう)温(おん)叟(そう)［字(あざな)は淳(じゅん)老(ろう)］、侯(こう)臨(りん)［字は敦(とん)夫(ふ)］、張(ちょう)弼(ひつ)［字は秉(へい)道(どう)］の3人が、新しい運河を掘削して船を上流に迂回させることを提案し、蘇軾はその3人とともに現地を視察した。張弼が詩を作ったのでそれに次韻した。2首のうち1首を訳す。

【訳文】

　其の一

誰もが知るように、

かつて呉(ご)越(えつ)王(おう)が元帥府の前に兵士を並べ、

暴れる浪頭に向かって千の矢を射てより、

今に至るまで銭(せん)塘(とう)江(こう)は静まり、

鳳(ほう)凰(おう)山(ざん)から一箭を放ったような大道の左右へと杭(こう)州の街が広がった。

私は西(せい)湖(こ)を浚渫して元の姿に戻し、

街から西南に見渡す限りの碧(あお)い水が広がるようになった。

いままさに、浮(ふ)山(ざん)の危険を克服し、

千の船が、夜でも南に北に自在に行き来できるようにしようとしている。

上中下の三策が提案されて議論し、

ここに決断するなら、あとは私が計画をまとめるだけである。

ところが、この私は老病の身、

帰郷しようと思いつつここに寄せているだけなのだ。

功名はもとより幻のようなもの、私が得られるものではない。

笑ってしまうのは、私はいつも蛇足を描いてばかりいて、

鶏の骨を食らうような無駄なことを思ってしまう。

困ったことに、どうやら諸君等の嗜好にも迂闊なところがあり、

私の詩をやたらと喜んだりしてくれる。

世間における私の仕事はほぼ終わって帰るばかり、

あとのことは若い人たちにどうにかしてもらわなければならない。

私はというと洞(どう)霄(しょう)宮(きゅう)［杭州にある道観］に隠れて、

仙薬の調合でもしていようかと思っている。

【補足】［（1）この詩を見ると、新たな土木事業に対して蘇軾はそれほど積極的ではないようにも見えるのだが、それはあくまでも詩の趣向としてそのように歌ったまでで、新運河建設の計画提案書をきちんと取りまとめて3月初めに朝廷に提出する。（2）続く第二首では、さまざまな故事を引用して大土木工事に挑む心構えと、提案者3人への期待を歌っている。故事をきちんと踏まえた訳文を作るのはかなり煩瑣な作業になるので割愛する］

■【09-3-008】次韻劉景文路分上元

【解題】1月15日の上(じょう)元(げん)節(せつ)に、袁(えん)轂(こく)［字(あざな)は公(こう)済(さい)］［→作品番号09-2-085］、劉(りゅう)季(き)孫(そん)［字(あざな)は景(けい)文(ぶん)］［→作品番号09-2-080］、法(ほう)恵(え)長(ちょう)老(ろう)らが集まり、蘇軾は人々を楽しませるために二首の詞を披露した。それは座を盛り上げるために口当たりのよい語句を並べただけのものなので訳は割愛し、劉季孫が詠んだ詩に和したこの作品を読んでおこう。上元節の夜に華やかに灯篭を飾ることはすでに見ていて、杭(こう)州でも華やかな年中行事となっていた［→作品番号04-2-005］。

【訳文】

輝く燈篭は困難であった歳を終わらせ、

澄んだ満月が天空に掛かっている。

三(さん)呉(ご)の地は季節の行事を重んじ、

至るところの街筋で歌いかつ舞っている。

冬至から幾日になるのかというと、

もう一百五に至ろうとしていて、

指を折って数える日ごとに、楽しいことが続く。

今宵は雲が掃われ、

目の極まるところ、天はどこまでも浄(きよ)らかである。

喜び遊んで誰もが帰るのを忘れ、

近頃見ないくらいに人が充満している。

竹竿の先に丸い燈篭を付けて振り回せば、

光が水を掛けあうかのように四方に飛び散る。

我等も、老いて子供に返る譬えの通り、

家に帰ってからも銅鑼や太鼓を叩いてはしゃぐのである。

年の暮れから糸を添えるようにして日が少しずつ長くなり、

新たな年のいまは雪も消えて春となった。

いつか貴君とは九(きゅう)江(こう)城(じょう)で、

二人の漁父となって一緒に釣りをしようではないか。

【補足】［（1）冒頭に「困難な歳を終わらせ」とあるのは、気象災害が食糧危機に発展しつつあるなかでの願望である。（2）「竹竿の先に丸い燈篭」と訳した部分の原文は「飛毬互明滅、激水相呑吐」［飛(ひ)毬(きゅう)互(たが)いに明(めい)滅(めつ)し、激(げき)水(すい)相(あ)い呑(どん)吐(と)す］で、毬(まり)のような燈篭を、投げるか竿の先に付けるかして、水を潜らせる光景を歌っているという解釈も可能であろう。（3）最後の「九(きゅう)江(こう)城(じょう)云々」は唐突な終わり方で、何のことかさっぱりわからないだろうと、蘇軾自身が注を付記している。それには「私は廬(ろ)山(ざん)に住まいを得たいと思ったことがあり、劉(りゅう)季(き)孫(そん)は近頃江(こう)州に住まいを買った」とある。蘇軾は、詩の終わりに置くべき「父」という韻を使うのに「漁父」とすればよいと思い付き、両地点からほど近い九(きゅう)江(こう)城(じょう)［潯(じん)陽(よう)］で落ち合って釣りでもしようという句をひねり出したのだ］

■【09-3-009】法穎

【解題】この年の上(じょう)元(げん)節(せつ)にあったことを数年後に記した文章。

【訳文】

法(ほう)穎(えい)沙(さ)弥(み)は参(さん)寥(りょう)の弟子である。七、八歳のときから師に仕え、すでに成人のようであった。

上(じょう)元(げん)の夜に、私が寺で燈篭を見て楽しんでいると、法穎が一人の男の肩に乗って見物していた。私が、

「出家児(おぼうちゃま)もまた燈篭を見たいですかね」

というと、法穎はさっと顔色を変え、身を容れるところがないようなありさまになり、経文を唱えつつ去って行った。

これより法穎は遊びに出ることがなくなった。

あれからもう六、七年となり、後には参寥を嗣(つ)ぐ僧になるであろう。

【補足】［このとき法(ほう)穎(えい)はまだ少年で、体が小さかったのだろう。蘇軾はからかい気味に「出家児(チューチアール)」と呼びかけた［大人の僧なら「出家人(チューチアーレン)」である］。蘇軾の一言が法穎にとって熱いお灸となったのだった］

■【09-3-010】浣渓沙

【解題】梅(ばい)庭(てい)老(ろう)が潞(ろ)州の学官として赴任するのを見送った詞。梅庭老の詳しいことはわからない。

【訳文】

門外東風雪灑裾、［いま、門の外は春の風なのに、裾には雪がそそがれます］

山頭回首望三呉。［あちらでは、山の上に登り、三(さん)呉(ご)の地へと首を向けることでしょう］

不応弾鋏為無魚。［魚さえも食えないと、不遇を嘆くようなことはしないでください］

上党従来天下脊、［上(じょう)党(とう)［潞(ろ)州のあたり］は昔から天下の背骨といわれています］

先生元是古之儒。［先生は古(いにしえ)の儒者のようなお方］

時平不用魯連書。［高い節義の持ち主は平和なときには用いられがたいのです］

【補足】［学官は低い地位で、梅(ばい)庭(てい)老(ろう)としては不満だったのだろう。蘇軾はいくつかの故事を引いて、慰めかつ励ましている］

■【09-3-011】浣渓沙

【解題】これも送別も詞。新運河建設を提案していた葉(よう)温(おん)叟(そう)［字(あざな)は淳(じゅん)老(ろう)］［→作品番号09-3-007］は、都に召されて2月に杭(こう)州を去った。蘇軾と葉温叟は同じ年の科挙に合格したいわゆる「同(どう)年(ねん)」であった。

【訳文】

陽羨姑蘇已買田、［私は陽(よう)羨(せん)に、貴君は姑(こ)蘇(そ)［蘇(そ)州］にすでに田を買っています］

相逢誰信是前縁。［こうして逢ったのも前世からの縁によるものなのでしょう］

莫教便唱水如天。［月の光は変わらないのに、かの人はいないと嘆くのはよしましょう］

我作洞霄君作守、［私が道(どう)士(し)の住まいを作ったなら、貴君はそこの主(あるじ)です］

白頭相対故依然。［白髪頭にはなっても昔のまま向き合おうではありませんか］

西湖知有幾同年。［西(せい)湖(こ)もさすがにここまで仲の良い同(どう)年(ねん)は知らないでしょう］

【補足】［蘇軾が陽(よう)羨(せん)に土地を得たことは作品番号07-2-041などで見ている］

■【09-3-012】与王定国

【解題】王(おう)鞏(きょう)［字(あざな)は定(てい)国(こく)］［→作品番号09-2-042］への手紙。王鞏は蘇轍の推薦を得て、1月18日に、宿(しゅく)州知事に任命された。そのことを知って蘇軾はこの手紙を送った。

【訳文】

邸(てい)報(ほう)［官報］を見ると貴君が符(ふ)離(り)［宿(しゅく)州］の知事に任命されたとあり、さらに告(こく)詞(し)［辞令］を見て、喜びに堪えません。これくらいのことは貴君にとっては慶賀するに足るものありません。それでも、善士が少々の汚点や挫折があったところで、いつまでも埋もれているものではないことを喜ぶのです。こうして才能ある者が用いられるのは国家にとっての喜びでもあります。

■【09-3-013】次韻楊公済奉議梅花十首

【解題】新たに杭(こう)州副知事となった楊(よう)蟠(はん)［字(あざな)は公(こう)済(さい)］が梅の花に寄せる十首の詩を詠んだのでそれに次韻した。梅を主題に一時期に多数の詩を作ると、さすがの蘇軾といえども味わいの薄い作品が混じってしまうので、十首のうちから四首だけを訳す。

【訳文】

　其の一

梅の梢で春の色がわずかに動き始めた。

造化の作意は南側の枝により多く注がれるのだろうか。

月明かりのない夜に不意に出逢ったのは、

もしかして梅の花の神女だったのだろうか。

　其の三

黒髪豊かな少年が春を尋ねてから湖畔に返り、

万(ばん)松(しょう)嶺(れい)のあたりでひと枝開きました、という。

木には老いても霜に耐える根があるので、

再びかの人［蘇軾］が来るのを見ることができたのである。

　其の六

貴君は知っていよう、早く散るのは、先に開いた花であると。

だから、新しい詩を次々に作って花をせかしたりしないでくれたまえ。

嶺の北の枝は最も思いやりがあるのだろう、

寒さをこらえて花を散らさずに知事殿［蘇軾］が来るのを待っていてくれるだから。

　其の八

冬の雀は声ばかり騒がしくて、凍りついたかのように高くは飛べない。

林を低くめぐってまだ花のない枝をついばんでいる。

雀こそ実は風流の心が深いのである。

燕はいくら情愛深いといっても、得手の季節には梅の花はもうないのだから。

■【09-3-014】再和楊公済梅花十絶

【解題】楊(よう)蟠(はん)［字(あざな)は公(こう)済(さい)］の梅の花に寄せる十首の詩にもう一度次韻した。上と同じ並びの4首を訳す。

【訳文】

　其の一

一つの枝に花が開くと風物はもう和やかになる。

千の林を見尽くしてもまだ多すぎるということはない。

この執着心が消えるのなら、花びらが衣に落ちてこようが気にならなくなり、

梅の花の神女も私に対して知らん顔をするだろうに。

　其の三

髪が白くなり故郷の家を想いつつも、千里離れたところをめぐっている。

小さな家が水面に臨んでいるのは花のためであろう。

きっと千首の詩を作るべきなのだ。

何しろ思いが次々に湧いてきているのだから。

　其の六

霜降る朝に、まだ開かないと恨んではならない。

時が進めば頭の白さも増えて行くのだから。

ようやく咲いた一つの花が風に揺れているのは、

あたかも美しい人が西の軒端で月を待っているかのようだ。

　其の八

湖面を見ていて、花が片片と飛ぶのに驚かされる。

酒の前にいて、最も花がたくさんついた枝が吹き折られてしまう。

この春の風は本当は何を思っているのだろうか。

細やかに降る雨の中で梅の実が黄色く熟して行くころが、じつは苦手なのだ。

■【09-3-015】謝関景仁送紅梅栽二首

【解題】官員仲間の関(かん)景(けい)仁(じん)が紅梅を植えてくれたのでその謝礼の詩。

【訳文】

　其の一

紅梅のよい香りとは、毎年のように巡り合わせが悪い。

川べりでは、枝を垂れてもう咲き出そうとしているとか。

ありがたいことに、貴君は思いやりがあるお人、

根もやさしく掘り出して春をここに届けてくださった。

　其の二

貴君はいわれる、

「あなたのために、南(なん)堂(どう)と向かい合わせに植えました、

　きっとそのうち実をつけるようになりましょう、

　梅酒の酸っぱさは多くの人の口には合わないでしょうけれど、

　知事殿は風味のわかるお方、眉を顰めてお飲みあれ」

■【09-3-016】遊宝雲寺、得唐彦猷為杭州日送客舟中手書一絶句、雲山雨霏微不満空、画船来往疾軽鴻。誰知独臥朱簾裏、一榻無塵四面風。明日、送彦猷之子坰赴鄂州、舟中遇微雨、感歎前事、因和其韻、作両首送之、且帰其書唐氏

【解題】長い詩の題は次の通り。「宝(ほう)雲(うん)寺(じ)に遊んだところ、唐(とう)詢(じゅん)が杭(こう)州知事であったときに、客人を送って舟の中で手ずから書いた一首の絶句を得た。その詩は『山雨霏微不満空、画船来往疾軽鴻。誰知独臥朱簾裏、一榻無塵四面風』［山(さん)雨(う) 霏(ひ)微(び) 空(そら)に満(み)たず、画(が)船(せん) 来(らい)往(おう) 軽(けい)鴻(こう)より疾(はや)し。誰(だれ)か知(し)らん 独(どく)臥(が)す 朱(しゅ)簾(れん)の裏(うち)、一(いっ)榻(とう) 塵(ちり)無(な)く 四(し)面(めん)の風(かぜ)］。翌日、唐詢の子の唐(とう)坰(けい)が鄂(がく)州に赴くのを見送ったところ、舟で小雨に遇い、先の詩の心がわかった。それでその韻に和して二首を作って送別の詩とし、合わせて唐詢の書(しょ)を唐の家に帰した」。唐詢［字(あざな)は彦(げん)猷(ゆう)］は仁(じん)宗(そう)皇帝時代の官僚で、その子の唐垌［字は林(りん)夫(ふ)］とは蘇軾はかねてから交流があった［→作品番号07-1-104など］。

【訳文】

　其の一

二人の妙手［唐(とう)詢(じゅん)とその弟］を失ってから、天下の筆法は空しくすたれてしまった。

しかし、雲海に鴻(おおとり)が群れて戯れるような貴君［唐(とう)垌(けい)］の書(しょ)に、すぐに驚かされたのだった。

御父上のすばらしい詩を我が家の嚢(ふくろ)の中に納めておくようなことはしない。

これを見れば、貴君の筆法は御父上を受け継ぐものなのだと人はいうだろう。

　其の二

出処、栄枯、そんなものは一笑すれば空(くう)となる。

十年などは、春の燕と秋の鴻(おおとり)が入れ替わる間のこと。

まさか白髪頭となった私が、杭(こう)州の運河で、

かのときに人を見送ったのと同じ風に吹かれるとは。

■【09-3-017】次韻曹子方運判雪中同遊西湖

【解題】曹(そう)輔(ほ)［字(あざな)は子(し)方(ほう)］と雪の降る西(せい)湖(こ)に遊び、曹輔が詩を詠んだので、それに次韻した。曹輔は官員仲間で、地方官の任を終えて杭(こう)州に帰ってきたところだった。

【訳文】

詞の源水が灩灩(ゆらゆら)と波の上に広がる。

清らかに唱える声が山並みに満ちてゆく。

雪がいくら積もっても、貴君の句の高みにまでは及ばないし、

湖がいくら広くても、貴君の句に誘われた心はそれよりも遠くと及んでゆく。

雲をまとう山は、淡く化粧をした美人の眉のよう、

山から流れる水は、碧く澄んだ美人の眼のようだ。

酒樽の前にある肴は新しい詩だけ、

とすると、我等は書物の間にいて紙を食らう書魚(しみ)と同じなのだ。

■【09-3-018】次韻仲殊雪中遊西湖二首

【解題】蜂蜜好きの僧である仲(ちゅう)殊(しゅ)［→作品番号09-2-054］と雪の降る西(せい)湖(こ)に遊び、仲殊が詩を詠んだので、それに次韻した。

【訳文】

　其の一

夜半に夢から覚めると、

竹や葦の音が騒がしい。

続いて、絃が凍てついて折れるような音、

夜更けを報せる太鼓とともに、

繰り返し激しさが増す

一曲［風雪の音］が終わったのは夜の明け方、

楼閣が雪に覆われて玉(ぎょく)のように輝き聳えている。

二三の友人を思い起こし、

筆を降ろして、霙(みぞれ)［手紙］を飛ばすことにする。

竹(ちく)林(りん)の会［風雅の集まり］をしようと、

鳥のように身を軽くして行こうというのである。

秀句が出るのは寒さと飢えのうちにあるとき、

困窮してこそ詩は絶妙の境地に達するという。

ならば、禅老［仲(ちゅう)殊(しゅ)］は何をしているのかと問えば、

笑って一筋の煙が昇るのを指すだけだろう。

私は物をいわずして互いに微笑み合える相手を求める、

その眼差しに応じてくれるのは誰なのだろうか。

【補足】［前夜の雪から始まって、仲(ちゅう)殊(しゅ)と西(せい)湖(こ)に遊んだ経緯を詠んでいる］

　其の二

宝(ほう)雲(うん)寺(じ)には楼閣が並んで千もの門がある。

林は静かで騒ぐ一羽の鳥もいない。

門戸を閉ざし、風が地上の雪を掃わないようにする。

簾を巻くと、軒に月が射すかと疑われる。

西(せい)湖(こ)を見渡せば、

水(すい)光(こう)瀲(れん)灩(えん)として猶(な)お碧(あお)を浮べ、［水辺はまだ明るく青いが］

山(さん)色(しょく)空(くう)濛(もう)として已(すで)に昏(こん)を斂(おさ)める。［山はすでに暗いたそがれの色である］

晋(しん)の恵(え)休(きゅう)のような仲(ちゅう)殊(しゅ)の句を得て、

晋(しん)の謝(しゃ)安(あん)の子が雪を塩や柳(りゅう)絮(じょ)に譬えたのは実に陳腐であると知れた。

【補足】［途中、読み下し文を掲げたところは、蘇軾が副知事時代に詠んで最も人口に膾炙した次の絶句［→作品番号04-2-009］からサビの部分をそのまま引用している。懐かしの名曲を当の歌手が歌えば誰もが喜ぶように、蘇軾自身が名詩を引けば拍手喝采となる。蘇軾の旺盛なサービス精神のなせるわざである］

水光瀲灩晴方好、［水(すい)光(こう)瀲(れん)灩(えん)として晴(はれ)は方(まさ)に好(よ)く］

山色空濛雨亦奇。［山(さん)色(しょく)空(くう)濛(もう)として雨(あめ)も亦(ま)た奇(き)なり］

欲把西湖比西子、［西(せい)湖(こ)と把(と)って西(せい)子(し)に比(ひ)せんと欲(ほっ)するなら］

淡妝濃抹総相宜。［淡(たん)妝(しょう)濃(のう)抹(まつ)総(す)べて相(あ)い宜(よ)し］

【補足】［（1）詩の終わりの部分は晋(しん)の時代の故事を引いて仲(ちゅう)殊(しゅ)を褒めたもの。謝(しゃ)安(あん)は、息子が降る雪を塩に、その妹が柳絮に譬えたのを見て、妹の方を褒めた。仲殊の詩の前ではどちらも陳腐であるといったのである。（2）仲殊はこの後、間もなく蘇(そ)州に行ったようだ］

■【09-3-019】次韻参寥詠雪

【解題】参(さん)寥(りょう)［→作品番号09-2-013］が雪を詠んだ詩に次韻した。

【訳文】

朝になると、そこらじゅうに白い毛(もう)氈(せん)が鋪(し)きつめられていて、

楼閣も山も川もことごとくが一つになっている。

全てが輝く銀と白い玉(ぎょく)、

この優れものはいったい誰が置いたのだろうか。

【補足】［この訳文がごく詰らないのは、岩垂憲徳・釈清潭・久保天随訳解『蘇東坡詩集』（1927年）に、「公(こう)の集(しゅう)中(ちゅう)に在(あ)って最(さい)下(か)位(い)に在(あ)るもの」と評される作品であるためで、訳者のせいばかりではない］

■【09-3-020】与銭穆父

【解題】先に杭(こう)州を発って旅の途中にある銭(せん)勰(きょう)［字(あざな)の穆(ぼく)父(ふ)］［→作品番号09-3-004］に送った手紙。

【訳文】

先の日に、米(べい)黻(ふつ)君のために『石(せき)鐘(しょう)山(ざん)の硯(すずり)の銘(めい)』を作りました。その硯は非常に珍しいもので、湖(こ)口(こう)の石鐘山の近くで得られたものです。

その銘は、

有盜不禦、探奇発瑰。［盗人がきて、まんまと珍しい物を掘り出した］

攘於彭蠡、斫鐘取追。［彭(ほう)蠡(れい)湖(こ)で盗んだので、鐘を叩いて追いかけられた］

有米楚狂、即盜之隠。［米(べい)君はもとから頭がおかしな盗人の隠者である］

因山作硯、其詞如隕。［山から出てきたのはこの硯、くだらないのはこの言葉］

揚(よう)州を過る際には米黻君に会って、この硯を見たいと求めたらよろしいでしょう。

【補足】［（1）蘇軾は杭(こう)州に赴任する途中で米(べい)黻(ふつ)に会っていて［→作品番号09-1-005］、そのときにこの銘を作ったのだろう。この銘は、米黻が書画の類に眼がなく、欲しいと思ったら時には強奪するのも厭わないくらいであるのを笑いの種とした諧謔の作である。（2）なお蘇軾は7年前に石(せき)鐘(しょう)山(ざん)に行っているので［→作品番号07-1-029］、硯を蘇軾自身が盗んできたのなら、この銘のおもしろさはさらに増すのだが、そういうことではないのだろう］

■【09-3-021】題所書東海若後

【解題】柳(りゅう)宗(そう)元(げん)の作品『東(とう)海(かい)若(じゃく)』を筆を執って書き、この短文を添えた。『東海若』は東の海の神様が荘(そう)子(じ)の哲学や仏教について語る寓話。

【訳文】

柳(りゅう)宗(そう)元(げん)が作った『東(とう)海(かい)若(じゃく)』の一篇を書いて石に刻み、浄(じょう)住(じゅう)院(いん)の無(む)量(りょう)寿(じゅ)仏(ぶつ)堂(どう)に置きたいものだと長らく思っていた。

元(げん)祐(ゆう)六年二月九日、海(かい)陵(りょう)の曹(そう)輔(ほ)、開(かい)封(ほう)の劉(りゅう)季(き)孫(そん)、永(えい)嘉(か)の侯(こう)臨(りん)ととともにその堂に集まり、ついに『東海若』を書いて僧に遺し、これによって石に刻むよういった。

【補足】［ここに名を挙げてある曹(そう)輔(ほ)は作品番号09-3-017で、劉(りゅう)季(き)孫(そん)は作品番号09-3-008などで、侯(こう)臨(りん)は作品番号09-2-073で見ている。］

■【09-3-022】二魚説

【解題】蘇軾はこのころ柳(りゅう)宗(そう)元(げん)への関心を強めていたようで、柳宗元の作品に触発されて、河豚(ふぐ)と烏賊(いか)の寓話を作っている。

【訳文】

序

私は柳(りゅう)宗(そう)元(げん)の『三(さん)戒(かい)』を読み、これを愛した。そのかたわら、世間のありさまを嘆いてやたらに怒った人が後に悔いを招いたり、過ちを覆い隠そうとしてかえって失敗したりするのを見てきた。

杭(こう)州に来て水辺の人から二つの話を聞いた。それは以上のことと通じるものがあった。そこで『二(に)魚(ぎょ)の説(せつ)』を作った。これは柳宗元を継ごうとするものではなく、自分への戒めとするのである。

【補足】［唐(とう)の柳(りゅう)宗(そう)元(げん)の『三(さん)戒(かい)』は鹿と驢馬と鼠を主人公にしたイソップ物語のような寓話である］

河豚(ふぐ)の説

河の魚でその名を豚(とん)というものがいた。橋の間を泳いでいて、柱にぶつかった。それより遠くに行けないので、ぶつかった柱に腹を立てた。頬を膨らませ、怒りで腹をいっぱいにした。そのために腹がぱんぱんになって、河豚は浮かび上がり、そのまま動けなくなってしまった。鳶が飛んできてそれを攫(さら)い、その腹を裂いて食べた。

この話からわかるのは：河豚は泳ぐのを好み、止まることを知らなかった。そして、泳いでいて柱にぶつかったのが自分の失敗であるとは思わずに、やたらに怒った。結果として腹を裂かれて死んでしまった。なんと悲しいことではないか。

烏賊(いか)の説

海の魚でその名を烏(う)賊(ぞく)というものがいた。烏賊はよく泡を吹く。岸辺で海(うみ)烏(がらす)が遊んでいた。烏賊は自分が見つけられてしまうのを恐れ、泡を吹いて体を覆った。海烏はそれを見て、そこに烏賊がいると察し、それを攫(さら)った。

この話からわかるのは：烏賊は自分を覆って命を全うさせることだけを知っていて、覆えばかえって疑われることになるのを知らなかった。ああ、悲しいではないか。

【補足】［序文で、「自分への戒めとする」と書いた意味は明らかであろう］

■【09-3-023】椶筍、并叙

【解題】椶櫚(しゅろ)［棕櫚］は初夏の頃に、葉の間から穂状に垂れる花の房を出して、小さな多数の黄色い花を咲かせる。その蕾は食用になるということがこの詩の序文に記されている。

【訳文】

叙

椶(そう)筍(じゅん)［シュロの花の房］の形は魚のようである。これを剖(さ)くとなかに魚の子［卵］のようなものがあって、味は筍(たけのこ)のようで、苦いけれど甘い芳(かお)りもある。蜀(しょく)人(じん)はこれを仏に供え、僧ははなはだ珍重する。しかし、南方の人はそのようなことを知らない。椶筍は膚(ひ)毳(もう)［シュロの葉］の中に生じるが、花が膨らむ前の一月から二月の間に剥ぎ取らなければならない。それを過ぎると苦みと渋みとで食べられない。これを取っても木には害にならず、食べるのにはよろしい。食べるためにはよく煮る必要があり、それも筍とほぼ同じで、蜂蜜で煮たり酢に浸したりすると千里の外に飛んで行ってしまうくらいのうまさである。今これを殊(しゅ)長(ちょう)老(ろう)に贈る。

【補足】［殊(しゅ)長(ちょう)老(ろう)とは蜂蜜好きの仲(ちゅう)殊(しゅ)のことであろう。以下の詩は、魚の卵のようだという一粒一粒を木(もく)魚(ぎょ)に譬えて詠んでいる］

貴僧に贈るこれは三百の木(もく)魚(ぎょ)、

中にあるのは、鵞鳥の雛のように黄色で、魚の卵のように旨いもの。

椶櫚(しゅろ)の葉は夜(や)叉(しゃ)の髪だとか……

その夜叉が己の癭(こぶ)を割いて甘みを分けてくれたのだ。

筍(たけのこ)は竜の孫を包み込んだものだとか……

その竜がまだ頭を出さずに旨さを与えてくれるのだ。

よろしければ野菜と一緒に食べられよ、

山林で無駄に散らせるのはもったいない。

どうして木魚なんぞを食べているのかと聞かれたなら、

「烹(に)ても鳴かないものでありますから」と答えるとよい。

【補足】［これは戯れの詩で、最後の部分はかなりひねったオチになっているようで、よくはわからないが、次のようないくつかの事柄を踏まえているのだろう。�@僧であるから魚は食べてはいけない。�A木(もく)魚(ぎょ)に譬えた棕(しゅ)櫚(ろ)の蕾なら食べても構わない。�B木魚は叩けば鳴るが、煮たのでは鳴らない。�C『荘(そう)子(じ)』に、二羽の雁のうち鳴かない方が煮て食べられてしまったという寓話がある［普通は、下手に才覚を示すとひどい目に遭うということを戒めるのだが、この寓話は才能がなくてもやはりひどい目に遭うという皮肉をいっている］。まさにそれと同じで、鳴らない木魚である棕櫚の蕾は食べられてしまう。�D以上のようなことを合わせ見るとなんとなくおかしいということなのだろう］

■【09-3-024】辞免翰林学士承旨

【解題】1月28日、蘇軾を元通り翰(かん)林(りん)学(がく)士(し)知(ち)制(せい)誥(こう)［→作品番号08-1-053］として都に召還するとの詔書が到着した。再び皇帝の近くに仕えることになるので、本来は光栄なことであるのだが、蘇軾はすぐにこの文書を朝廷に提出して辞退を申し出た。

【訳文】

右の臣は今月二十八日に敕書を頂戴しました。臣(わたくし)を翰(かん)林(りん)学(がく)士(し)承(しょう)旨(し)左(さ)朝(ちょう)奉(ほう)郎(ろう)知(ち)制(せい)誥(こう)にするとのこと、詔書が到着した日に公務の引き継ぎを行い、駅馬を使って速やかに都に向かえとありましたので、臣(わたくし)はその日のうちに公務の引き継ぎを行いました。

伏して念いますに、臣(わたくし)は近頃、両眼ともによく見えなくなり、左の臂が不調でありますので、朝廷に入りますのを堅く辞退し、どこかの郡において任に就くのを願うものであります。できれば静かに退いて衰えた身を少しく養いたく思っております。杭(こう)州に参りまして二年になりますが、一事も成し遂げたものはなく、我が才能は限りがあってこれ以上にはなりません。一方で病は減るどころか増えるばかりです。ただ東南の地は連年の災害を被っておりますので、敢えて退職を乞うのではなくて別の郡を求めるものであります。仁聖のなお恩憐を賜ることがあって、もと通りの地方官にしていただけるなら、新らたな寵愛を加えてくださることとなりましょう。朝廷の公議に課題があろうことは存じておりますが、衰病のために前に進むことができません。その上、朝廷からの報せを拝見しますに、臣(わたくし)の弟の蘇轍が尚(しょう)書(しょ)右(う)丞(じょう)［副宰相］になるとのことでありますから、兄弟が揃って朝廷に並ぶようなことは避けるべきでありまして、私の家が繁栄し過ぎるのを実に懼れなければなりません。これでは御恩によって身を誤り、必ず安らかなところにはおられなくなるでありましょう。

伏して聖慈を望み、臣(わたくし)を一郡の知事に任命してくださいますように。多くは申しません。臣(わたくし)はこれより杭州を発ちます。宿(しゅく)州、泗(し)州の間で新たな御指示を頂戴したく思います。謹しんで敕旨への御返事を申し上げます。

【補足】［蘇軾は派閥抗争に巻き込まれてしまうのがわかっているので、都には行きたくなかったのである。それでも皇帝の命令を受けながら杭(こう)州にこのまま留まっていることはできないので、旅立ちに向けて動き出した］

■【09-3-025】送小本禅師赴法雲

【解題】同じ頃に都に召された僧がいた。これは、都の法(ほう)雲(うん)寺(じ)に赴く小(しょう)本(ほん)禅(ぜん)師(じ)を見送った詩。小本禅師とは杭(こう)州の浄(じょう)慈(じ)寺(じ)の善(ぜん)本(ほん)であるという。善本はもとは儒学を学んで都で科挙の試験を受けたのだが、華(け)厳(ごん)経(きょう)を読んで思うところがあって仏門に入り、浄慈寺の円(えん)照(しょう)禅(ぜん)師(じ)宗(そう)本(ほん)の弟子となった。それで宗本を大本、善本を小本というようになった。都の法雲寺の法(ほう)秀(しゅう)禅(ぜん)師(じ)が亡くなり、その後継者として善本が呼ばれて、大(だい)通(つう)禅(ぜん)師(じ)の号を皇帝から与えられた。

【訳文】

形を天地の間に寄せているからには、

出るも処(お)るも必ず役目というものがあるのだろう。

安らかに過ごして何もすることがないのなら、

百年の一生は何によって全うさせられるのか。

山林に隠棲しても憂患はあるだろうし、

朝廷で政治を見るのも戯れの劇を演じるのと同じだろう。

私はまだ帰休できずにいるのだから、

師もまた安逸に過ごすわけにはいかないのではなかろうか。

王城には豪傑が満ち溢れ、

黒だ白だの議論が尽きることがない。

仏法の第一義が何かと皇帝に問われて、

達磨(だるま)大(だい)師(し)と同じように「識(し)らない」と師も答えるのだろうか。

師が都に来ることを何にたとえたらよいのか、

青い大空に掛かる一つの月か。

人の身は浮かぶ雲のようなもの、

南か北に行くだけとは限らない。

山を出たらもとより無心、

雨を降らせたなら帰るのである。

西(せい)湖(こ)との旧くからの約束があるのだから、

いつかの年にきっとまた錫杖をここの林に掛けることになるだろう。

■【09-3-026】南歌子

【解題】上の詩で見た小(しょう)本(ほん)禅(ぜん)師(じ)［大(だい)通(つう)禅(ぜん)師(じ)］との間にあったとされる楽しいエピソード。真偽のほどは、作り話であると100パーセント言い切るのにはわずかにためらいがあるというレベルであるようだ。宋(そう)代(だい)の恵(え)洪(こう)の随筆『冷(れい)斎(さい)夜(や)話(わ)』に「東(とう)坡(ば)が杭(こう)州知事であったとき、西(せい)湖(こ)にいない日はなかった。あるとき妓女を連れて大通禅師に会いに行った。大通禅師の顔に怒りの色が浮かんだのを見て、東坡は詞を作って妓女に歌わせた」としてこの詞が記されている。

【訳文】

師唱誰家曲、［師は誰の家の曲を唱えておられるのでしょうか］

宗風嗣阿誰。［そちらの教えは誰から継がれたのでしょうか］

借君拍板与門槌、［拍子を取る板と槌をお貸しくださいませ］

我也逢場作戲、［私も戯れの説法くらいならしてさしあげます］

莫相疑。［ちゃんといたしますとも］

溪女方偸眼、［谷川で女が見初めたからといって］

山僧莫貶眉。［山のお坊さま、眉をひそめませんように］

卻愁弥勒下生遅、［百千万億劫(ごう)の後に世界は空(くう)になると、弥(み)勒(ろく)菩(ぼ)薩(さつ)はおっしゃいましたっけ］

不見老婆三五、［そのときになってこの老婆にも若く美しいときがあったと］

少年時。［嘆いても遅いのですよ］

【補足】［（1）終わりの3行は意味が掴めないので、思い付きの「ずっぽ訳」である。（2）この詞は蘇軾が作ったとみなしても絶対的に誤りとはいえないのかもしれないが、ついでに蘇軾が作ったとみなす勇気を持ち合わせている人は恐らく誰もいないという詞を見ておこう。そんなものでも蘇軾の真作であると一部で信じられていたのは、世人が抱く蘇軾のイメージにぴったりだからなのだろう。明(みん)代(だい)には蘇軾やその妹［実在しない］が活躍する小説が作られ、庶民はむしろそちらの方から蘇軾を知ったのだった。ここに訳すのはやはり明代の余(よ)永(えい)麟(りん)の随筆『北(ほく)窓(そう)瑣(さ)語(ご)』に記されているもの］

【訳文】

余(よ)永(えい)麟(りん)：『北(ほく)窓(そう)瑣(さ)語(ご)』

杭(こう)州の霊(れい)隠(いん)寺(じ)の僧の了(りょう)然(ぜん)は妓女の李(り)秀(しゅう)奴(ど)に恋をし、通い続けて衣鉢をすっかりはたいてしまった。李秀奴は関係を絶ったが、了然の恋の迷いはやまなかった。ある夜、了然は酔いに乗じて李秀奴のところに行った。李秀奴が中に入れようとしなかったので、了然は怒って李秀奴を殴った。李秀奴は撃たれて死んでしまった。事件は役所に知らされ、時の知事は蘇軾であった。了然は獄に送られ、取り調べを受けた。了然の体には刺青があり、「但願生同極楽国、免教今世苦相思」［ただ願うのは一緒に極楽に生まれ、この世での恋の苦しみから免れること］とあった。蘇軾は判決を詞で言い渡した。

這個禿奴、［この禿(はげ)め］

修行忒煞、［でたらめな修行をしおって］

霊山頂上空持戒。［霊(れい)山(ざん)の頂上で戒律をだめにしてしまった］

一従迷恋玉楼人、［色里の女にひとたび血迷ってからは］

鶉衣百結渾無奈。［衣はぼろぼろのすってんてん］

毒手傷人、［その毒の手で人を傷つけ］

花容粉砕、［花をこなごなにしてしまった］

空空色色今何在。［空(くう)即(そく)是(ぜ)色(しき)云々と唱えたのは何だったのだ］

臂間刺道苦相思、［恋の苦しみなんぞと刺青をしおったからには］

這回還了相思債。［ここはもはや恋の償いをしてもらうしかない］

了然は直ちに斬られた。

■【09-3-027】朱照僧

【解題】こちらは上の破戒坊主と違い、いたって真面目な小坊主について記した短文。

【訳文】

朱(しゅ)氏の子の名を照(しょう)僧(そう)という。幼くして父を喪い、その母の尹(いん)氏は息子を出家させることを願い、守(しゅ)素(そ)を師とした。守素は参(さん)寥(りょう)の弟子である。照僧は九歳、振る舞いは大人のようで、『赤(せき)壁(へき)の賦(ふ)』を誦して、鶴のようにからりとした声を響かせる。十年も経たないうちにその名が四方に聞こえるようになるだろう。照僧は参寥の法(ほう)孫(そん)であり、東(とう)坡(ば)門下の僧でもある。

【補足】［蘇軾の『赤(せき)壁(へき)の賦(ふ)』［→作品番号06-3-057］を諳んじて唱えることができるので、我が門下生だといっているのだ］

■【09-3-028】鐘守素

【解題】上の文でその名を記された守(しゅ)素(そ)についての短文。

【訳文】

参(さん)寥(りょう)のもとにいる行者の鍾(しょう)守(しゅ)素(そ)は参寥に仕えて幾年にもなるが、いまだに過失があるのを見ない。私はそっとその行動を見守って察するに、高(こう)遠(えん)の者を慕う意(こころ)があるようである。参寥がいうには、「秦(しん)観(かん)様は、交友関係のある三十人に十貫ずつ出してもらって度(ど)牒(ちょう)を買い、人を出家させようと考えておられます」と。私は人の善行を喜び、参寥は人に対して不善をしない。それでこれを書いて守素に与えるものである。

【補足】［これはつまり、秦(しん)観(かん)が集める資金によって守(しゅ)素(そ)を出家得度させる仲立ちを買って出たということであるのだろう。正式の僧尼になるには朝廷が出す認可状である度(ど)牒(ちょう)がなければならない。朝廷は一枚の紙を出すだけで大金に化けるわけで、蘇軾はその仕組みを使って様々な公共事業を展開する資金を得たのだった］

■【09-3-029】阿弥陀仏頌

【解題】蘇軾は阿(あ)弥(み)陀(だ)仏(ぶつ)を賛美する歌を作った。序文だけを訳す。

【訳文】

杭(こう)州の僧の円(えん)照(しょう)律(りつ)師(し)は西方極楽世界の阿(あ)弥(み)陀(だ)仏(ぶつ)に帰依するよう遍く人々に勧めている。眉(び)山(ざん)の蘇軾の亡き母の程(てい)氏の遺品に珥(たま)の付いた簪(かんざし)があり、職人に命じてそれに仏画を描き、もって父母の冥福を祈ることにした。慎んで再拝稽首してこの頌歌を献じるものである。

【補足】［円(えん)照(しょう)律(りつ)師(し)に母の遺品を寄進して両親の冥福を祈ったのである。宋(そう)という時代は、思想的には何でもオーケーで、仏教も禅だろうが阿(あ)弥(み)陀(だ)信仰だろうがその境目は特にないし、阿弥陀仏に冥福を祈るのは、先祖が冥界で安楽に過ごせるように子孫が捧げものをするという中国の伝統的な死生観と合致してもいる］

■【09-3-030】与某宣徳書

【解題】宣(せん)徳(とく)郎(ろう)という官階にある某氏［姓名は不明］に与えた手紙。蘇軾が疫病対策として病院［病(びょう)坊(ぼう)］を作ったことは作品番号09-2-020で見たが、某氏が贈ってくれたお金を病院の運営費に充てようというのがこの手紙の内容。某氏はなかなかに裕福な人であったのだろう。

【訳文】

お使いの方から金五両、銀一百五十両を受け取りました。

私が黄(こう)州から汝(じょ)州へと移ったときにも贐(はなむけ)として厚く御支援くださいましたが、その当時は飢えと寒さと隣り合わせでありましたので、辞退はいたしませんでした。いまは忝くも陛下にお仕えする身で、暮らし向きもかつかつというわけではありませんので、果たしてこのたびの御厚意はお受けしてもよろしいものやら、どうなのでありましょうか。しかしながら、せっかくのお気持ちを無にするのは恐らく朋友の義に背くことになりましょう。私はちょうど杭(こう)州から移るところでありますので、あなたさまのお心は病(びょう)坊(ぼう)に寄付させていただきたいと思います。病坊は私が杭州在任中に設置したもので、いま軌道に乗りつつあります。一年間の収入は米千斛(こく)でありまして、それほど多くの人を救えるものではありません。あなたさまの御援助で田を買い、困窮する民衆を養いたいと思います。このことは国家の施策を推して行うものであるとともに、あなたさまの福寿を増し、引いては私の栄(さかえ)ともなりましょう。きっと御同意くださることと思い、感謝の念に堪えません。どうかこのことをお胸の内にお納めくださいますようお願いいたします。

■【09-3-031】次韻曹子方竜山真覚院瑞香花

【解題】曹(そう)輔(ほ)［字(あざな)は子(し)方(ほう)］［→作品番号09-3-017］が竜(りゅう)山(ざん)真(しん)覚(がく)院(いん)に咲く瑞(ずい)香(こう)花(か)を見て詠んだ詩に次韻した。瑞香花とはジンチョウゲであるという。

【訳文】

浅い紫に幽(ひそ)やかな香りが結ばれているこの花、

ぽつんと雲が浮かぶ高い峰からきたという。

木を見ただけでは奥底に香りがあることわからない、

花の色もまことに淡い、

その意(こころ)はことに深いものがある。

峰から寺の庭に移し植えられ、

いつしか寺の林で第一とされる存在になった。

この香気は名臣の腰に帯びられるのにふさわしく、

花びらは天女の襟に散り落ちるのにふさわしい。

貴君は風霜に堪える節義を具え、

その耳は歌笑の音には冷淡であるが、

ひとたび蘭(らん)や��(けい)の本性とも一致するこの花に出逢うと、

鉄石の心もさすがに揺り動かされてしまい、

暖かい日には花のもとに酒を置いて愛で、

花を養うための日陰を作ろうと心を配り、

曇り空になっただけで、雨が花を傷付けるのではとすぐに恐れるのである。

色鮮やかな雲は散り散りになりやすいとか、

鳥が鳴くのは花が散りゆくのを憂うからだとか、

そのようなことを聞くだけで、

貴君はもう明日の朝には花の散った跡だけとなるのを心配する。

だったら、画に描いて残そうと試してみてはどうであろうか。

■【09-3-032】次韻劉景文西湖席上

【解題】西(せい)湖(こ)のほとりに人々が集まり、劉(りゅう)季(き)孫(そん)［字(あざな)は景(けい)文(ぶん)］［→作品番号09-3-008］が詩を詠み、蘇軾が次韻した。蘇軾が杭州を発つ日が迫りつつあった。

【訳文】

二人の長身の老人［劉(りゅう)季(き)孫(そん)と蘇軾］が立つのは、

西(せい)湖(こ)を囲む二つの峰のよう。

二人の詩が響き合うのは、

古代の楽器の大(たい)呂(りょ)と黄(こう)鐘(しょう)のよう。

貴君は、常に都を守った魏(ぎ)の劉(りゅう)��(てい)のようにこの杭州の地に残る。

私は、晋(しん)の陸(りく)雲(うん)のような貴君の文才を、遠くから想い見るようになる。

我が白髪は、貴君もまた似たようなものであるのを憐れみ、

かの山は、私がまたここでともに遊ぶのを許してくれるであろうか。

我が官は昔でいえばすでに六百石を越えているので、

自分はもとより六百石以上を求めはしないのだと、

政治の乱れを見て郷里に帰った漢の邴(へい)曼(まん)容(よう)に恥じねばならない。

■【09-3-033】次前韻答馬忠玉

【解題】上の劉(りゅう)季(き)孫(そん)の詩に、やはり官員仲間である馬(ば)▲(かん)［字(あざな)は忠(ちゅう)玉(ぎょく)、▲は王＋咸］が次韻して、蘇軾がさらに次韻した。

【訳文】

浪打つ巨(おお)きな山麓から峰の連なりが立ち上がる、

かねてからの善の積み重ねによって自ずと幸いが集まってきているのだ。

よって貴君の子等はかの謝(しゃ)霊(れい)運(うん)と同じくいずれも鳳(おおとり)で、

貴君の兄弟はかの荀(じゅん)爽(そう)と同じくいずれも竜である。

我等はこうして会い、雲が飛ぶようにそれぞれに別れる。

詩の仲間であるから。しばし酒を携えてともに行こうではないか。

西(せい)湖(こ)はまさに西(せい)子(し)に似ている――

ここを去る貴君のために悲しげな顔を容(かたち)づくっているではないか。

【補足】［（1）前半は馬(ば)忠(ちゅう)玉(ぎょく)を褒めちぎっている。どうやら馬忠玉も杭(こう)州を去るようである。（2）この詩でも、蘇軾自身の有名な句「欲把西湖比西子」［西(せい)湖(こ)と把(と)って西(せい)子(し)に比(ひ)せんと欲(ほっ)するなら］［→作品番号09-3-018］を引用している］

■【09-3-034】木蘭花令

【解題】上と同じく馬(ば)▲(かん)［字(あざな)は忠(ちゅう)玉(ぎょく)、▲は王＋咸］に贈った詞。やはり馬忠玉が先に詠んでそれに和したもの。

【訳文】

知君仙骨無寒暑、［あなたは暑さも寒さも知らない仙人のような人］

千載相逢猶旦暮。［千年の歳月も、朝から夕刻までのようなもの］

故将別語悩佳人、［別れの言葉で佳(よ)き人を悲しませるまでもなく］

欲看梨花枝上雨。［梨の花に注ぐ雨を見ようではありませんか］

落花已逐回風去、［落ちた花はもう風に吹かれて行ってしまいました］

花本無心鶯自訴。［花はもとより無心、鴬が代わりに鳴いています］

明朝帰路下塘西、［明日の朝は私は杭(こう)州の西の道を帰って行きます］

不見鶯啼花落処。［花が落ち鴬が鳴くここを見ることはもうないのです］

■【09-3-035】答水陸通長老

【解題】蘇(そ)州の水(すい)陸(りく)禅(ぜん)院(いん)にいる通(つう)長(ちょう)老(ろう)［→作品番号09-3-001］に宛てた手紙。いよいよ都に向かって発つ直前に記したのだろう。

【訳文】

……先日、にわかに禁(きん)林(りん)［朝廷］に召還されることになり、格別に思うところがあり、免じて地方知事にしてくださるようすでに願っていますが、ともあれ辞令に従ってただちに都へと発たねばなりません。人生は紛(ふん)紛(ぷん)と苦労が多いもので、帰る宿がどこにあるのかいまだに知れません。手紙を前に嘆いてばかりいます。いつお会いできますやら、人々のために重々御自愛されますように。出発が迫り紛然としておりますので、文の乱れをどうぞお許しください。

■【09-3-036】与弁才禅師

【解題】弁(べん)才(さい)大(だい)師(し)元(げん)浄(じょう)［→作品番号09-3-003］に宛てた手紙。

【訳文】

……衰病の身で、功名を挙げようという気持ちはもはやなく、ここを去ってしばしの歳月を勉め、もし退居する便宜を得られたならば、すぐに常(じょう)州の住いに帰ります。諸僧、諸聖に祈って早くに帰ることができれば幸いです。これは切なる思いですが、他の人にはお知らせしませんように、虚偽となってはいけませんので。出発が迫り、慌ただしい中、これにて失礼いたします。

【補足】［省略した手紙の前半部分には、石に刻む文字のことなど弁(べん)才(さい)大(だい)師(し)との間で進められていた幾つかのことについて記している。全ての始末をつけるだけの時間はなかったのだろう］

■【09-3-037】予去杭十六年而復来、留二年而去。平生自覚出処老少、麤似楽天、雖才名相遠、而安分寡求、亦庶幾焉。三月六日、来別南北山諸道人、而下天竺恵浄師以醜石贈行、作三絶句

【解題】長い詩の題は次の通り。「私は杭(こう)州を去って十六年、再び来て留まること二年、そして去ることになった。平生から年齢を重ねての履歴はほぼ白(はく)居(きょ)易(い)［白(はく)楽(らく)天(てん)］に似ると自分でも思う。才名は遠く及ばないにしても、分(ぶん)に安んじて求めるものが少ないのはかなり近いであろう。三月六日、杭州の南北の山の諸僧と別れ、下(げ)天(てん)竺(じく)の恵(え)浄(じょう)師(し)が醜怪な石を贈ってくれた。三首の絶句を作る」。蘇軾は元(げん)祐(ゆう)4年7月3日に杭州に着任し、去ったのは元祐6年3月15日ごろであったから、2年には満たない。ここでもまた白居易との類似を意識している。

【訳文】

　其の一

かの年には衫(うわぎ)も鬢(びん)も青青としていた私に、

きっとまた来られましょうと、無理にもいって、

別れの情(こころ)を慰めてくれたのだった。

いま髮は衰えてこれ以上には白くならない、

だから、次に向かい合って語るのは、

来世でなのだろう。

【補足】［杭(こう)州に二度目の任を得られたのは望外の幸いで、さすがに三度目はありえないと覚悟して来世でと詠んだのだろう］

　其の二

出処(いきざま)はそっくり白(はく)居(きょ)易(い)に似ているようだ。

衰えて朽ちたこの身を昔の賢人に比べるわけではないけれど、

白居易と同じく官を辞めて洛(らく)陽(よう)に行くのなら、

閑居することなお二十年の歳月があることになろうか。

【補足】［白(はく)居(きょ)易(い)が洛(らく)陽(よう)に隠居して7年の間に洛陽の春を遍く見たと歌ったことは作品番号09-2-028で、また蘇軾が白居易を見習って官職を退いて12年間くらいの閑な時間を持ちたいものだと希望したことは作品番号09-2-046でそれぞれ見ている］

　其の三

白居易は、

「杭州にあること六百日、山に入ること十二回」と歌った。

私も前例に倣って杭州にあるのはほぼ六百日、

しかし、山に入ったのは数限りがない。

白居易は二つの石を持って行き、

私は天(てん)竺(じく)山(さん)の一つの峰［恵(え)浄(じょう)が贈ってくれた石］を持って行こうとしている。

行く先々でそれを植えて、杭州の雲を湧かせようと思う。

【補足】［石のことを雲(うん)根(こん)という。だからそれを植えて杭州と同じ風光を育てようというのである］

■【09-3-038】参寥泉銘、并叙

【解題】蘇軾は杭(こう)州を去る前の3月6日に参(さん)寥(りょう)に会いに行き、新たに湧き出した泉を参(さん)寥(りょう)泉(せん)と名付けて銘を作った。その序文はすでに作品番号06-4-014で見ているが、ここにもう一度掲げておこう。

【訳文】

叙

私は黄(こう)州(しゅう)謫(たく)居(きょ)となったとき、参(さん)寥(りょう)は（杭(こう)州から）数千里の道も遠いとせずに黄(こう)州にまで来てくれた。年を越えて滞在し、ともに武(ぶ)昌(しょう)の西(せい)山(ざん)に遊んだ。私は夢の中で参寥とともに詩を賦し、そのなかに「寒(かん)食(しょく)清(せい)明(めい)」、「石(せき)泉(せん)槐(かい)火(か)」の句があった。語としてははなはだ美しいけれども、その意味するところはわからなかった。

それから七年後に、私は知事として杭(こう)州に赴任すると、そこに参寥がいた。翌年、参寥は智(ち)果(か)寺(じ)の精舎に入り、さらにあくる年に新たな居所を作った。ちょうど私は寒食の日に杭州を去ることになったので、そのことを告げに参寥のもとを訪ねた。

精舎の下には石の間から湧き出る古い泉があった。この月、石を鑿(うが)ったところ、泉がまた湧き、水がよりいっそう澄んでいた。参寥は新茶を摘み、泉の水を沸かしてそれに注いだ。私は笑っていった。

「これは九年前に見た夢そのままだ」

一同はみなひどく驚いた。

運命を知らせる何かがあっても、その意味はなかなかわからないものだ。

この泉を参(さん)寥(りょう)泉(せん)と名付け、銘を作った。

在天雨露、在地江湖。皆我四大、滋相所濡。

偉哉参寥、弾指八極。退守斯泉、一謙四益。

余晩聞道、夢幻是身。真即是夢、夢即是真。

石泉槐火、九年而信。夫求何神、実弊汝神。

【補足】［（1）銘の部分は訳すのが難しいの原文をそのまま掲げておく。参(さん)寥(りょう)の徳を讃え、仏教の教理と夢の不思議とを緩やかに結び付けたものである。（2）これとほとんど同じ文章を作品番号09-2-013で見ている。杭(こう)州を去る前に参寥に会いに行き、折しもまた寒(かん)食(しょく)が巡り来る時期であったので、再び同じパフォーマンスをしてみせたのだろうか。智(ち)果(か)院(いん)の泉を参(さん)寥(りょう)泉(せん)と名付けたのはもっと前のことなのに、ここでは新たに石の間から泉が湧き出したように書いている。不審な点はあるものの、これ以後、参寥泉は杭州を訪れる文人墨客が必ず足を運ぶ名所となった。なおこの年の清明節は3月14日であった］

■【09-3-039】八声甘州

【解題】蘇軾は参(さん)寥(りょう)との別れに際してこの詞を遺した。

【訳文】

有情風、［情(こころ)のある風が］

万里巻潮来、［万里の向こうから潮を巻きつつやって来ます］

無情送潮帰。［情(こころ)のない風が潮を送りつつ帰ってしまいます］

問銭塘江上、［問いかけましょうか、銭(せん)塘(とう)江(こう)の川べりで］

西興浦口、［西(せい)興(こう)の船着き場で］

幾度斜暉。［日は幾度斜めになったのかと］

不用思量今古、［考えるのはやめましょう、今だ昔だとか］

俯仰昔人非。［うなずく間にも人は過去のものになってしまうとか］

誰似東坡老、［なんと東(とう)坡(ば)老人は］

白首忘機。［白髪に至って機(き)心(しん)［計算高い心］を忘れてしまったのです］

記取西湖西畔、［覚えておいてください、西湖の西のあたり］

正春山好処、［まさに春の山の好(よ)いところを］

空翠煙霏。［翠(みどり)の山裾にかすみがただよいます］

算詩人相得、［仲のよい詩人を挙げてみても］

如我与君稀。［私とあなたのようなのは希でありましょう］

約他年東還海道、［いつか東の海辺に帰ってくると約束します］

願謝公、［心からの願いで］

雅志莫相違。［この雅(みやび)な志を違えることはないのです］

西州路、［杭州から外に通じる路で］

不応回首、［首を回らせつつ］

為我沾衣。［私が戻ってこないと泣かせるようなことはしませんから］

【補足】［（1）最後の部分は晋(しん)の時代の謝(しゃ)安(あん)と羊(よう)曇(どん)の故事を踏まえている。謝安は国家の重鎮として都を離れられなかったが、いつか故郷の会(かい)稽(けい)［越(えつ)州］に帰りたいと思っていた。会稽は杭(こう)州に近く、同じく海に近いので、再び杭州に戻りたいとの蘇軾の思いを謝安の願いに重ねたのである。謝安にかわいがられていた羊曇は、謝安が亡くなってその葬列が歩んで行った都の西(せい)州(しゅう)路(ろ)に来ると、いつも謝安のことを思って泣いた［→作品番号06-4-012］。参寥を羊曇にたぐえて、しかし自分は必ず杭州に帰ってくるから、参寥を泣かせるようなことはしないといったのである。果たして蘇軾は杭州にまた来ることができたのか、それはこれから見ることになる。（2）蘇軾は都に呼び戻され、わずか2年足らずで杭州を去った。短い在任期間であったけれども、いまなお残る土木事業を成し遂げ、災害の対応に奔走した。宋代の官僚機構においては、知事が土地に深く根を下ろすことがないよう、4年以内に移動させられてしまうのだが、蘇軾自身も土地の人々ももっと長く杭州にいてほしかったと思ったであろう］