第9章 最高の州知事――再びの杭州
［第9章その一］
元祐4年［1089年］、蘇軾54歳。
■【09-1-001】与范夢得
【解題】4月の終わりないし5月の初めに、蘇軾は杭州に向けて都を発った。同行したのは、次男の蘇迨、三男の蘇過、妻の王閏之、王朝雲、それに秦覿、胡宗愈といった人々であった。長男の蘇邁は地方の小さな官職に就いていた。秦覿は秦観［→作品番号08-3-026］の弟で、蘇軾のもとで勉強しようと杭州にまでついて行きしばらくそこに留まる。胡宗愈［→作品番号08-3-002］は同時期に陳州知事として赴任することになったので一緒に都を出た。出発前に政界の大長老の文彦博［→作品番号08-2-066］に別れを告げに行くと、杭州では詩はあまり作らない方がよかろうと戒められたと伝えられている。それを守ったからなのか、杭州への道のりで詠まれた詩は伝わっていない。これは范祖禹［字は淳甫ないし夢得］に宛てた手紙。范祖禹は范鎮［→作品番号08-3-067］の甥で、作品番号08-2-010で見たように、保守派の分派対立のなかで中立を保っていた。
【訳文】
……都の郊外の路を遠く出て、応接に煩わされることもなく、眠ってばかりいます。……来る日も来る日も外に出ないで、ただ舟のなかで静かにしています。鳳団茶を贈ってくださり、格別のお心遣いに感謝いたします。熱さが甚だしく、これにて失礼します。
【補足】［いろいろな人から餞別をもらったのだろう、船の中でせっせと礼状を書いていたようである］
■【09-1-002】与陳伝道
【解題】都から杭州までは2カ月余りの旅。陳州で胡宗愈と別れた後に、南京応天府で大恩人の張方平［→作品番号08-2-067］に会った。そこに徐州から陳師道［蘇門六学士の1人］［→作品番号08-2-041］がやってきたので、同じ船で宿州まで一緒に行った。陳師道はなかなか官職に恵まれず、故郷の徐州で学校の教授をしていた。陳師道は兄の陳師仲［字は伝道］［→作品番号06-2-059］の詩集と手紙を携えてきたのだろう、これは陳師仲への手紙。
【訳文】
何の取り柄もないこの衰朽の身でありながら、貴君ら御兄弟が私にこうも厚くしてくださるのはどのようなことからなのでしょう。数日前に陳師道君とお別れしました。徐州からわざわざ宋州［南京応天府］にきてくださり、王子安君も一緒でした。ともに舟に乗り、宿州に至って二人は帰りました。……近頃お作りになった詩を一冊頂戴しました。練達の筆で思いは深く、古の人と並べられほどで、世俗の者が求めるのには合うものではありません。まことに結構です。銭塘［杭州］での私のかつての詩はいずれも率然の作で、筆に任せたものですから、お手を煩わして一つ一つ収録していただくのは、ただ短所をさらすだけとなりましょう。
町の人が利を逐って私の拙文を刊行するのを好むのに私は困らされていて、その版木を壊してしまいたいと思うくらいです。ですから、さらに他の人が刊行するようなことはしてもらいたくないのです。暇な折を得たなら、かつて作った詩文を全て集め、さほど悪くはないものだけを残して、一集にしたいと思っています。貴君が同意してくださるのなら、いずれできるであろうものを謹呈します。いま示してくださったものは、脱誤があるだけでなく、他の人の文も混ざっています。
【補足】［（1）ここに名の挙がっている王子安は、たぶん王適［字は子立］［→作品番号08-3-039］の一族であるのだろう。王適も徐州の人である。（2）この手紙によると、陳師仲は蘇軾が杭州で詠んだ詩を集めて刊行しようと考えていたようだ。陳師仲は作品番号06-2-059で見たように、『超然台』『黄楼』の二集を編集していたので、作品を収集する範囲をさらに拡大したようと計画したのだろう。しかし、蘇軾はそれには同意しなかった。蘇軾は勝手に刊行された粗悪な本が横行しているのに悩まされていたのである］
■【09-1-003】与滕達道
【解題】船は宿州から泗州［→作品番号07-2-001］へと進み、親友の滕元発［字は達道］［→作品番号08-1-044］に宛ててこの手紙を書いた。滕元発は依然として中央に呼ばれることなく、このころに北の重要都市である太原府の知事に任命された。
【訳文】
使いの者が還るのに託しますので、きっとこの手紙は届くでありましょう。日を数えるに、御一行はすでに太原に到着し、鎮撫のお仕事にも余裕を得て、御佳勝のことと存じます。私はこの月に都を出て、すでに泗州のあたりに到着しました。淮山が眼を照らし、ようやく呉の歌や楚の言葉も聞かれるようになってきました。これは貴君の羨むところでありましょう。……
【補足】［江南の人々の歌や方言が聞かれるようになって、蘇軾は心弾むものがあったのだろう。かつてなら詩を詠んだに違いないのだが］
■【09-1-004】四達斎銘、并引
【解題】泗州から、秦観、秦覿兄弟の郷里である高郵［→作品番号07-1-092］に着くと、そこにはかねてからの友人である趙昶［字は晦之］［→作品番号07-2-069］が知事として赴任していた。蘇軾は趙昶のために四達斎の銘を作った。銘の部分はよく理解できないままに訳してある。
【訳文】
引［序文］
高郵県知事の趙昶は東の庭に書斎を作った。四方に戸が開放されるので、四達斎の名がある。眉山の蘇軾はそこを過り、この銘を作った。
建物の中に物を納めるのは、外に対して備えようとするからである。怠慢であることも慎重であることも、いずれも盗みに対する戒めとなるであろうが、空洞の内に何もないのには及ばない。戸を全て開いて、書斎からそのまま四方に達するのは、盗人を撃って盗難をなくす最もたやすい手段である。己に追い払うべき相手がいなければ、守りとして完全である。趙君は無心のままにこの法を得て、書斎から四方に出て、民の迷うところを全て知るのである。
■【09-1-005】書米元章蔵帖
【解題】蘇軾は揚州に到着し、6月12日に米黻［→作品番号08-3-054、08-2-050］に会い、米黻が所蔵する書帖にこの文章を書き添えた。米黻は書家、画家、収集家の三冠の王者である。このとき章援［字は致平］が同行した。作品番号08-3-007で触れたように、蘇軾が委員長を務めた科挙の二次試験の合格者である。
【訳文】
現代において絶妙な筆使いといえば米黻であるけれども、米黻が所蔵している書は真偽が半々ではなかろうかと、かねてから疑っていた。
元祐四年六月十二日、私は章援と一緒に揚州で米黻を訪ねた。
章援が米黻にこのようにいった。
「私は父からこのように聞きました。かつて、あなたは御自身で戸棚の鎖を解いて、中から書を取り出すと、それを両手で掲げて、他の人には一丈余りも遠いところから見させ、近づこうとすると叱りつけたと。父はそのようなありさまを目撃したということなのですが」。
米黻は笑い、ならばと、我々には、王羲之父子、張旭、懐素といった人たちの書帖を十冊ほども見せてくれた。そして、米黻が普段人に見せるのは、衆人の目に適いそうなものだけだということがわかった。
【補足】［（1）米黻は、面と向かってあからさまに物を言う若者がむしろ気に入り、また他ならぬ蘇軾であるから、秘蔵のお宝を特別に見せたのだろう。米黻には、人から借りた書を何食わぬ顔で偽物とすり替えて返したり、船の上で貴重な品を見せられたときにいきなり胸に抱き、「これをくれなければこのまま川に飛び込む」と脅して強奪したりと、奇矯な振る舞いがあったという。それで、他人に見せるときには警戒して十分な距離を保ち、本当に大切な物は見せないようにしていたのだろう。（2）蘇軾は揚州を出て長江を渡り、20日間ほど江南の地を旅して杭州に至った。10年前に湖州に赴任したときには、作品番号05-5-038以下で見たように、数々の詩を詠んだのだが、今回は伝わる詩は一つもない。手紙や他の人の記録から、潤州、常州、蘇州、秀州をたどった形跡がわずかに知れるだけである］
■【09-1-006】杭州謝上表
【解題】7月3日、蘇軾は杭州に着任した。15年ぶりの杭州である［→作品番号04-3-076］。まずはこの表を都に送った。表は2通あり、其の一は皇帝に、其の二は高太皇太后に差し出したもので、前者を読んでおこう。
【訳文】
其の一
臣蘇軾は申し上げます。伏して制書を奉じて、臣は竜図閣学士から杭州知事となりまして、今月三日に着任し終わりました。
臣は衰えかつ病み、満ちれば溢れて災いとなるといわれる通りにもなろうかと、越州に出ることを願いましたところ、杭州を得ることとなりました。これは日ごろの望みに過ぎるものであります。臣蘇軾は誠に惶れ誠に恐れるものであります。頓首頓首。
伏して念いますに、臣は職を廃され外に出された身から、にわかに朝廷の要職に登り、命の限り働かねばなりませんのに、いまだに万分の一さえ償い終わっておりません。それでいながら、安きを思って退くのはあってしかるべきことでありましょうか。つまるところ、有用性のない木はまともな木材にはならず、病んだ馬は空しく餌を食らうだけということなのであります。よって、外に出ることを願って、残りの歳月を送ろうとしたのであります。これまで要職に就くことを望んだわけでもないのにますます高い地位に登り、閑を求めつつも激務を与えられましたのは、皇帝陛下の剛健中正にして緝熙光明であられますことに伏して遭うことを得たからでありましょうか。古の聖天子のような仁と、孔子のような智を具えられた皇帝陛下のもとで、臣は猥りに末技をもって日々講義をさせていただき、凜然たる御威光に間近に接したのであります。古の人が批判をしただけでは何も成就しないといった意味を臣は理解しておらなかったために、陛下がますます学問を深められるときにあたって、にわかに去らねばならなくなりました。こうしたことの意味するところを考えますに、臣は最も窮まったというべきでありましょう。
陛下の恩遇は、それに耐えることができないほどにますます重いものがあります。雨露のようなわずかな施し物でありましても、臣が初めから選んだものではありません。犬や馬でも主人の恩には報いると申します。臣は身を殺してでもそうせねばならないのであります。臣無任。
【補足】［作品番号08-3-086にもあったように、蘇軾は越州を希望し、結果として杭州を得たのだった。越州［紹興］は杭州の南にある古く由緒のある町ではあるが、宋の時代においては杭州に比べていささか見劣りがする。杭州は二度目の赴任になるので、それは難しかろうと越州を挙げたのだろうか。それに対して、高太皇太后が特に蘇軾の心の内を察して杭州を指定したといわれている］
■【09-1-007】謁文宣王廟祝文
【解題】新任の知事は、孔子を祀る文宣王廟で正しい政治を行うと誓うのが慣例であったようで、蘇軾もすぐに廟に詣でてこの文を捧げた。
【訳文】
軾以諸生、誤蒙選擢。［私は一介の民でありながらも、誤って官員に選ばれました］
昔自太史、通守此邦。［昔、直史館より出て、この邦の副知事となりました］
今由禁林、出使浙右。［今、翰林学士より出て、浙右［杭州］の知事となりました］
蒞事之始、祗見儒宮。［任務に就く始めに、この儒学の宮に参りました］
聖神臨之、敢忘夙学。［聖神の前にあって、かねて学んできたことは決して忘れはしません］
尚饗。［お供え申し上げます］
■【04-3-008】題王羲之敬和帖
【解題】7月25日、蘇軾は法恵院を訪れ、この短文を記した。ここは、かつて杭州を離れる直前にも訪れていたところで［→作品番号04-3-072］、そのときに会った言師がすでに亡くなっていた。
【訳文】
元祐四年七月二十五日、また法恵院に至ると、言師は亡くなってすでに七年が経っていた。弟子がまだ若いのを見て、惘然と夢を見ているかのようである。
■【09-1-009】与銭穆父
【解題】蘇軾が地方に出るに際して最初に希望した越州［紹興］には、都で親しくした銭勰［字は穆父］が知事として赴任していた［→作品番号08-3-032］。杭州と越州は近く、杭州にいる間に銭勰と頻繁に手紙の行き来があった。これは杭州に着いて最初のもの。
【訳文】
杭州までの道中で三郎君［銭勰の三男］にお会いし、すこぶるお元気でありました。瓜洲［揚州に属する］を経由してわざわざ来てくださったのですが、江べりにあっては十分に歓を尽くすことができませんでした。それでも数枚の紙に書いてほしいと求められました。
私は東にきてからは詩を作ることを絶っておりますが、貴君はきっとたくさんお作りになっていることでしょう。それらをお寄せくださらないことはないと思っています。聞くところでは、貴君は今年はとってもよい茶を造られたとか。その絶品をわずかばかりでも分けていただけないでしょうか。弟はついに北扉［翰林院］に入りました。はなはだ畏れ多く、辞退すべきものでありました。二人の息子の迨と過はここに来ていて、長男の邁はこの月のうちに交替となりますので、遠からず来ることでしょう。四郎君［銭勰の四男］も皆様も、それぞれの方にお手紙を差し上げることはしませんけれど、お元気のことと存じます。
【補足】［長男の蘇邁は酸棗県での任［→作品番号08-1-049］を終えると、続けて西安県に赴任することになったので、杭州には来なかった］
■【09-1-010】次韻秦少章和銭蒙仲
【解題】上の手紙との前後関係はわからないが、銭勰の子の銭蒙仲がこのころに越州から訪ねてきた。これは銭蒙仲と秦覿［字は少章］［→作品番号09-1-001］が詠み合った詩に蘇軾が次韻したもの。
【訳文】
ここ江南の地では、
碧の畦、黄色の隴、
稲は丘のように高く伸びあがる。
毎年の稔りは豊かであるから、
人々は和やかで情が通じやすい。
越州では、
鑑湖に舟を浮かべれば、
天の外を行くような思いがし、
地上から古来ゆかしい角の声が湧き上がる。
杭州では、
山々は昔のままに故い国を囲んでいるものの、
城は昔の主を失って空しく存在し、
西の陵を打つ潮の意はいまもって穏やかではない。
秦覿君と銭蒙仲君は二羽の白鷺のようで、
江を隔ててその純白さを照らし合っている。
【補足】［（1）これは越州と杭州、それに秦覿と銭蒙仲を讃えた詩である。これが都を出てからの最初の詩である。蘇軾の詩のファンとしては、西湖との再会を感動的に歌うような作品を期待したくなるところなので、いささか拍子抜けであろう。文彦博の戒め［→作品番号09-1-001］の効果が絶大で、ここまでは詩を作らずにいたのだが、親友の息子と愛弟子の弟が唱和した詩が目の前にあって知らん顔もできず、とうとう禁が破られたのだろう。（2）冒頭で江南は豊穣の地であると歌っている。しかし、必ずしもそうではない現実に蘇軾は着任早々に対処しなければならなかったことをすぐ後に見る。（3）鑑湖は越州にある有名な湖。（4）杭州を歌った中ほどの句の原文は「山囲故国城空在」［山は故国を囲んで城は空しく在り］で、「故国」の語は、五代十国時代に杭州に都を置いた呉越国の王族の末裔である銭蒙仲のために用いたもので、「昔の主」のいない城を「空しい」と歌っている。つまり、蘇軾は最初の希望通りに越州に、そして銭勰が杭州に赴任していればおさまりがよかったのであろう］
■【09-1-011】次韻銭越州
【解題】これは銭勰［字の穆父］の詩に次韻したもの。銭蒙仲が父の詩を携えてきたのだろう。
【訳文】
髯が自慢の都のお役人［銭勰］は、超然と群から抜きん出ていた。
南に遊びに出たのは、ほかならぬ越州の名所雲門寺を訪ねるためであった。
思えば、
謫仙［李白］は玉皇［天上の最高存在］のそばにいようと仙界に帰り、
老鶴［白居易］は知事の車に乗って飛び去った。
貴君は、簿書の間で老いるのを悲しみ、
細かい業務はそれぞれの専門職に任せておけばよいと知っている。
私の口にはどうやら棘が生えているのだろうか。
本来持っている性質はどうしようもなく、
貴君のせいで余計なひとことをまたいってしまう……。
【補足】［（1）李白も白居易も中枢の人々に嫌われて都から追放されたことがあり、銭勰になぞらえている。（2）終わりの部分の原文は「習気因君又一言」［習気 君に因ってまた一言あり］で、「習気」は天性の悪い性質。都を出てからずっと口を閉ざしていたけれど、送られてきた詩に誘われてつい余計なひとことが出てしまったというのである。作品番号09-1-009で見た手紙に応えて、銭勰が詩を送ってきたのなら、次韻しないことはありえなかったであろう。こうして、蘇軾は再び杭州で数々の詩を詠むようになるのだった］
■【09-1-012】次自書帰去来兮辞及自作後
【解題】舟で湖州に属する長興県のあたりを移動する間に記した短文。
【訳文】
しばらく小楷［細字の楷書］を書いていなかった。今日はたまたま長興の舟の中でこの紙に書いた。
元祐四年八月六日、東坡居士。
【補足】［（1）小楷で書いたのは陶淵明の作品である『帰去来兮の辞』［→作品番号06-2-051］と蘇軾自身の作品で、それが何であるかはわからない。（2）舟に乗っていたのは、たぶん知事として視察に出ていたのだろう］
■【09-1-013】去杭十五年、復遊西湖、用欧陽察判韻
【解題】この詩の題は、「杭州を去って十五年、また西湖に遊んだ。欧陽察判の韻を用いて詠む」。蘇軾が副知事の任を終えて杭州を離れたのは、煕寧4年［1071年］秋であったから、実際には18年が経っていた。欧陽察判［察判は役職名］はいかなる人か不明。
【訳文】
南屏山の興教寺の金色の鯽魚とはもとからの知り合い、
またここに来て、欄干によりかかって、食事の余りを与える。
懐かしいこの場に帰って仏説を教わると、
前世においてここで手ずから経典を写したのを思い出す。
葑が広がり、平らだった湖は久しく埋もれてしまっているようだ。
豊年の歳を経ていながらも、人の暮らしは寂しげである。
唐の高適は辺境の地で官職にあったときに、
自分は本来水辺で悠々と一生を送る者であったはずなのに、
と、しんみり歌った。
その心を哀れむのは誰なのだろうか。
【補足】［（1）冒頭にある南屏山の興教寺をかつて訪ねたことは作品番号04-2-077で見ている。南屏山は杭州の町の南側にある。町の西側に西湖があり、西湖を包むようにしてその南から西方に山地が連なる。南屏山や呉山、鳳凰山、霊隠山など数々の山の名を第4章ですでに見ている。その山地の南側に銭塘江［浙江］があって、東シナ海に流れ込んでいる。町の東側は東シナ海に接する低地である。（2）この詩の歌い出しは、金色のフナに餌をやりつつ、18年ぶりの西湖を悠然と眺めているという閑適の詩であるかのように見えるが、後半はそうではない。マコモが広がって湖面が埋もれてしまっているありさま、豊作であったはずなのに暮らしが寂しげなありさま、この2点は現在この地が直面している重大な問題を提起している。（3）高適は李白や杜甫と同じ時代の人で、若い頃は博徒と交わる任侠の世界に身を置き、50歳を過ぎてから詩を学び、辺境の地に自ら赴いて、格調高い詩を作った。（4）杭州に再びやってきた蘇軾が西湖を詠んだ最初の詩がこれであるのは、例えば作品番号04-1-001で見たような美しい叙景詩を期待する蘇軾ファンにはやや拍子抜けであろうか。しかしながら、この詩は、州知事として赴任した蘇軾の思いの向くところを端的に示しているといえるのではないだろうか］
■【09-1-014】与莫同年雨中飲湖上
【解題】蘇軾と同じ年の科挙に合格した莫君陳と、雨の中、西湖のほとりで酒を飲んで、この詩を詠んだ。莫君陳は8月14日まで両浙路の要職にあった。宋代の地方行政は路‐州‐県の三層構造になっていて、両浙路には杭州の他に、越州、蘇州、潤州、秀州など7州が属していた。杭州の町には両浙路、杭州、銭塘県の庁舎が置かれ、蘇軾はどの役場の人とも交流があった。
【訳文】
ここに到って貴君に逢うのは偶然のなせるところなのだろうか。
夢の中で貴君と向かい合っているかのようだ。
いまやお互いに白髪頭。
私はまた西湖にきて雨の中で一酔することとなった。
湖面に雨が珠のように跳ねるのを見ずにいたこと十五年である。
【補足】［終わりの句には、かつて杭州で詠んでつとに人口に膾炙した「白雨跳珠乱入船」［白雨 跳珠 乱れて船に入る］という句［→作品番号04-1-028］を踏まえたもの。莫君陳を喜ばすために自己引用をしたのである］
■【09-1-015】送子由使契丹
【解題】弟の蘇轍はなおも都で朝廷の重職にあり、8月16日に遼国［契丹］皇帝の誕生日を祝う使者に任命された。蘇軾は弟を送るこの詩を作った。
【訳文】
君と僕は、それぞれ雲の彼方、海の彼方から望み合うところに、身を寄せている。
君が遠くに行くからといって、僕はいまさら涙で巾を濡らしはしないし、
君は、駅ごとに馬を乗り継ぎ、風雪を凌いで行くことに尻込みをしない。
大切なのは遼国の連中に我等の文化がいかに優れているかを知らせることだ。
沙漠のなかで、宮中を照らす月を振り返って看ることもあるだろうし、
杭州の春を思って夢に湖や山を見ることもあるだろう。
もし向こうの皇帝に君が何者であるかと問われても、
我が朝廷で第一の人であると正直にいってはならない。
【補足】［（1）冬に向かう時期に北の国に行くので、「風雪を凌いで」と歌っている。（2）訳詩の4行目は原文よりかなり穏やかな言葉を使っている。原文は「要天驕識鳳麟」［天驕に鳳麟を識らせることを要す］で、「天驕」とは「天の下の驕った子供」、すなわち手なずけにくい異民族をいう。「鳳麟」とは、中国の文化を鳳や麒麟のような立派な動物に譬えたもの。要するに、ここにはいわゆる中華意識が露骨に現れ出ているのである。（3）詩の終わりは、蘇轍が朝廷第一の人であることが向こうの皇帝にわかってしまったなら、引き留められて帰ってこられなくなってしまうのを恐れるという意味である］
■【09-1-016】同秦仲二子雨中遊宝山
【解題】8月26日に秦覿と銭蒙仲［→作品番号09-1-010］とともに雨の中、西湖のほとりの宝山で遊んでこの詩を詠んだ。
【訳文】
朝のうちに役人は全て散り散りになり、
私も半日の閑を得たので、二人と同行する。
鵲が、煙る雨の中で低く、あるいは高く飛び、
山を廻る人が、樹林の間を出たり入ったりする。
【補足】［昔のお役人は夜明けとともに仕事を始めたので、昼になれば自由に遊ぶようなこともできたのだろう］
■【09-1-017】為法外刺配罪人待罪状
【解題】州知事は行政の長であるとともに警察・司法の長でもあった。権限が集中しているために判断を誤れば直ちに冤罪を生んでしまうので、良心的な知事はいかにして公正な裁きを下すかに心を砕き、優れた判例を集めた書物が編まれたりもした。蘇軾は杭州に赴任してまだ日の浅いころに、法に基づかない量刑を行って2人を厳しく断罪した。現代社会においてもしも類似のことをしたならば完全にアウトであるし、当時としても非常に問題のあることだった。法外の裁きをしたことを隠さずに朝廷に報告したのがこの文章である。
【訳文】
元祐四年八月某日、竜図閣学士朝奉郎知杭州の蘇軾は書状をもって申し上げます。
右の臣は杭州に入って以來、このようなことがあると聞きました。すなわち、両浙諸郡において、近年、民間の例として、絹の粗悪品を上等品と偽り、それを朝廷に納付する絹として用意し、その品質を課税係の役人が吟味しようとすると、狡猾な連中が集まって騒ぎ立てて妨害し、結局のところよい絹が納められずに終わってしまうのです。……そのために不足額が去年は九千余貫にもなったのであります。……
臣は杭州に着きますと、この弊害を改めようと、絹を受納する役人を指揮して、品質の吟味を厳しく行うこととしました。七月二十七日、百姓［民間人］二百余人が受納場所の前にきて（吟味を妨害しようと）大きな声で叫び、その勢いに役人たちはたじたじとなり、さらには役所にまで入り込んで騒がしく訴えました。臣が理をもって諭しましたところ、皆は引き下がって去って行きました。それで臣はこの者たちは自分の意思で心を合わせて集まったのではなく、きっと悪だくみをする者がいてそそのかしたのだと知ったのであります。
密かに探究させますと、仁和県の陳皓から次のような報告がありました。「顔巽の息子の顔章と顔益が納めた五匹の絹は粗悪品でしかも丈が規定よりも短いものでありましたので、これを受け取らずに返したところ、この者たちは数百人を集めて、役人の前で声高に叫び散らし、どしどしと押し寄せて威嚇して後に去りました」。
臣はただちに人を遣わして顔章、顔益の二人を捕らえ、枷を付けて拘禁しました。すると、その後は人々はよい絹を納め、騒ぎ立てる者は一人もいなくなりました。
顔章、顔益を取り調べたところ、本来二人は絹三十七匹を納めるべきところを、粗悪な品を納め、そのために本州から国に納めるべきものが不足し、そこで別途好い絹を集めなければならなくなり、顔章等はそれを一匹当たり一貫で請け負い、やはり粗悪品を官に納めておりました。……［顔章と顔章、及び父の顔巽がしたことが詳述される］……、（私の判断で）顔巽は刺青をして本州内で牢に入れ、顔章、顔益は刺青をして滁州で牢に入れることとしました。父子は奸悪であることは衆人の畏れ憎むところで、下獄の日には土地の人々は喜んだのであります。
謹んで按じますに、顔益、顔章は卑賎の身でありながら、衆人を集め、手を挙げて一呼するだけで数百人がこれに従い、多数の勢いで官吏を脅かして制し、必ず今後とも悪い絹を納めさせようとして、臣が前からの弊害を大いに改めようとするのを受け入れまいとしたのであります。情理ともに社会を蝕む大きな悪で、実に我慢ならぬ者であります。本州は法によって処罰を決めましたが、臣は独り次のように判断したのであります。
「顔章、顔益は代々の兇狡で、土地の人々を暗に支配しています。臂を振るって一声呼ぶだけで数百の者が従います。官吏を揺り動かして、官の仕事を脅かして制し、常の法に従っているとはいえ、その蠹む害は深刻なものがあります。そこですでに刺青をして牢に収監し終わりました」
そして、町や村に示して、今後はさらに絹の品質をごまかすことなく、官に納めるように知らせました。来年にはこれまでの弊害が完全に改まることを願うものであります。臣は伏してこの書状をもって朝廷の御判断を仰ぐものであります。……臣が法に基づかずに顔章、顔益の二人を罪人としましたことをもって、今後の国法を重くされますよう願います。……
【補足】［（1）土地の有力者が、地方の行政官を抱き込んだり脅したりして、違法行為ぎりぎりの振る舞いをすることはいつの時代にもあり、中央から派遣された官僚はその扱いに手を焼いた。顔父子は代々官と民間の間に入って狡猾に暴利を貪り［蘇軾の報告書にはその手口が詳しく記されているのだが、当時の制度に無知な訳者は残念ながら正確に訳出することができない］、今後も社会に大きな害を為すとして、蘇軾は法の定めるところよりも重い処罰を下した。それは本来してはならないことであって、上の訳文の終わりで、法を改めることを求めているのは、順序が逆転している。（2）朝廷は蘇軾の判決を追認したものの、党派争いにからんでこの問題はくすぶり続けることになる。蘇軾を嫌う人々は、当然ならが、この脱法行為をもって蘇軾を非難し、しばらく後になって、蘇軾の裁きは誤りだったとして顔父子は釈放される。法によって救われた顔父子は意を強くし、以前にも増して横暴に振る舞って州政府を困らせたのだった］
■【09-1-018】点絳脣
【解題】「己已重九、蘇堅に和す」との添え書きのある詞。己已はこの歳の干支、蘇堅［字は伯固］は税金に関わる役人として杭州にいた。都で親しくした蘇頌［→作品番号08-3-059］の一族の人である。佳節の宴で人々を喜ばせるための作品で内容は乏しいが、この後、蘇堅の名はしばしば見ることになるので読んでおこう。
【訳文】
我輩情鐘、［私たちに情が募ってきて］
古来誰似竜山宴。［かの有名な竜山の宴にも似てきます］
而今楚甸、［いま楚のあたりでは］
戯馬余飛観。［戯馬台の跡地に楼閣があるだけです］
顧謂佳人、［佳き人たちを見回すと］
不覚秋強半。［いつの間にやら秋も半ばです］
簫声遠、［簫の声が遠のき］
鬢雲吹乱。［風に髪が乱れます］
愁入参差雁。［愁いが飛び去る雁の群れへと入っていきます］
【補足】［前半は、昔から有名な重九の宴の故事を引いて構成していて、たぶん蘇堅のもとの詞にもそれらのことが詠まれていたのだろう。なお、戯馬台は作品番号05-3-056で見ている。後半は、秋の愁いのイメージを並べたもの］
■【09-1-019】浣渓沙
【解題】同じ9月9日の重陽の節句に、越州の銭勰［字の穆父］にこの詞を贈った。
【訳文】
珠檜糸杉冷欲霜、［珠のような檜の葉にも糸のような杉の葉にも冷たい霜がつくころ］
山城歌舞助淒涼。［山辺の町に聞こえる歌が寂しさをつのらせます］
且餐山色飲湖光。［しばらくこの山の色を食べ、この湖の光を飲むとしましょう］
共挽朱轓留半日、［ともに朱い車に乗って半日を過ごし］
強揉青蕊作重陽。［まだ蕾の菊を無理にとって重陽の遊びをするのです］
不知明日為誰黄。［明日になって黄色く咲いてももう誰もいないのです］
■【09-1-020】自跋南屏激水偈
【解題】杭州の町の南にある南屏山の浄慈寺を訪ねてこの短文を書いた。
【訳文】
水激之高、如所従来。［激しい水音の高さは昔からのこと］
屈伸相報、報尽而止。［音は屈伸し、その呼応が尽きたなら止むのだろう］
止不先平、於以観法。［仏法によれば、止んだからといって安らかになるのではない］
この偈は、熙寧年間に作って文闍梨に示したものである。それから十六年後に、再び南屏山を過り、またこれを書いて雲玩上座に示す。
元祐四年九月。
【補足】［（1）訳者は偈の意味が理解できないので、訳文は見ないで原文から正しい意味を汲んでいただきたい。（2）ここに記された二人の僧の詳しいことはわからない］
■【09-1-021】次韻答劉景文左蔵
【解題】西湖のほとりに有美堂という有名な建物があったことは作品番号04-2-002などで見ているが、そこで宴会が催されたときに、隣の部屋に劉季孫［字は景文］が詠んだ詩が掲げてあったのを見て、蘇軾はそれに次韻した。劉季孫とはこの後深く交際するようになる。
【訳文】
我はもう老いたので、
これまで詩壇において立てていた旗を倒してしまった。
それでも、貴君の佳句を借りて、この良き時に詩を発してみる気になった。
とはいえ、いまの私が知っているのは、
杯の中の物［酒］を空にすることだけで、
そのようなことは若い人々に教えてはいけないのだ。
夜の灯火は早く詩を作るようにと促し、
金色の光はもはや尽きようとしている。
まさに秋のたけなわ、
頭のかぶりものはすでに露でたっぷり湿っている。
好き語とはできものを爬くような心地よさがなければならない。
味わいのある語は形容しがたいもの、
心の内で自ずと知れるだけである。
【補足】［結局、「好語」を発し得なかった言い訳をしたというのがこの詩のオチなのだろう］
■【09-1-022】座上復借韻送岢嵐軍通判葉朝奉
【解題】有美堂に人々が集まったのは、葉朝奉［朝奉は官職の名称］という人が岢嵐軍［軍は県と同レベルの行政単位の名称］の通判［副知事］として遠く離れた北西の地に行くのを見送るためだったようだ。上の詩の韻を借りて、葉朝奉のためにこの詩を作った。
【訳文】
雲の間に、貴君を乗せた白い馬と旗印が看える。
ここ西湖で酒を酌み交わしたことを忘れないでくれたまえ。
貴君は向こうで、
酔っての夢に、ここ呉山の道を越えて行くのを見るだろう。
目が覚めると、酒樽の前にいるのは異国の婦人と少年である。
あちらで酔えるのは、
無事を知らせる夕べの烽火が上がってからのことだ。
春になって雁が帰ってくるときにも、
あちらではまだまだ雪がさかんに降っている。
軍務に就くのは楽しいのかそうでないのか、
概略でもよいから貴君の心を手紙で知らせてくれたまえ。
■【09-1-023】跋劉景文欧公帖
【解題】先の詩で見た劉季孫［字は景文］は欧陽脩の書を集めた冊子を持っていた。蘇軾はそれにこの跋文を書き添えた。
【訳文】
此の数十枚の紙は、いずれも文忠公［欧陽脩］の口をついて出てきたことばを、手の動くままに記したものであって、初めから内容を考えて作ったのではない。その文章の采、字画のありさまは、どれも自然で、他人の及ばない姿がある。まことに天下の奇れた迹である。
■【09-1-024】書文忠贈李師琴詩
【解題】これも欧陽脩に関わる短文。惟賢という僧が演奏する琴を楊傑［字は次公］とともに聴いたときのことを記した。楊傑の名はすでに作品番号07-2-060で見ていて、このときは両浙路の地方行政官として杭州にいた。仏教や道教に通じていて、この後、蘇軾とたびたび詩を詠み合うようになる。
【解題】
楊傑とともに惟賢師の琴を聴いた。惟賢師が詩を求めたところ、急なことだったので誰も応じる者がいなかった。
楊傑は、
「昔の人が詩を賦したのは、歌って学ぶためでした。何も新しいものを作らずともよいのではないでしょうか」
といって、欧陽脩が李師に贈った琴の詩を誦え、私にその詩を書いて惟賢師に贈るようにといった。
元祐四年九月二十一日。
【補足】［（1）欧陽脩が李師に贈ったという詩はいま残っていない。（2）惟賢の演奏する琴は、かつて杭州副知事であったときにも聞いていて、そのときに詩を詠んだことが作品番号06-2-031其の二に記されている］
■【09-1-025】題損之故居
【解題】熙寧6年［1073年］9月9日に孤山の恵勤を訪ねた折の詩を作品番号04-2-078として見たが、その詩は、「六月六日、病をもって家にいて、独り湖のほとりで遊び、諸寺を訪ね、晚に損之に会った。戯れに七言絶句を作って残した」という題であったともいう。この短文は、損之が昔住んでいた住まいを訪ねて書いたもの。損之の詳しいことはわからないが、西湖の畔に住む隠者で、一説には蜀の人であったという。
【訳文】
元祐四年十月七日、損之の故居に初めて来て、かつての跡を見てまわった。
陶淵明はこのようにいった。
嗟歳月之遂往、［ああ、歳月も遂に往くのである］
悼吾年之不留。［吾が年の留まらないのを悼む］
損之のような人でさえも留まらないのであるから、我らのような者はなおさらである。
蘇軾書く。
【補足】［（1）陶淵明のこの句は、『斜川に遊ぶ』と題した詩の序文にある。斜川の遊びについては作品番号06-3-018や05-5-008で見ている］
■【09-1-026】次韻銭越州見寄
【解題】越州の銭勰［字は穆父］［→作品番号09-1-019］から詩が送られてきたので、それに次韻した。
【訳文】
羊の群を射るのに巨大な弩を使う必要はない、
貴君にとっては、小さな州を治めるなど寝ながらでも十分である。
昼間も門が閉ざされているのを見て、
知事殿は病気なのかと心配するのは無用だ。
時に、堂々の賓客が車に乗って出入りしているのである。
貴君の方を臨んで頭を掻くと、秋風に無数の白髪が落ちる。
夜、眼を閉じれば、我が身の内に丹田はしかと存在している。
波瀾を静めようとするなら、すぐに退けばよいのだ。
言葉が多すぎて事に坐すのは私一人だけではない。
【補足】［（1）この詩は、蘇軾も銭勰も不本意な情況に置かれていることを歌っているのだろう。（2）後半にある「閉眼丹田夜自存」［眼を閉じれば、丹田は夜に自ずから存る］の句は興味深い。養生の秘訣として、夜中に丹田に気を送り込む呼吸法を実践していることを作品番号06-4-043ページで見ている。それをずっと続けているのだろう。正しい気に満ちた丹田が自分の内に存在しているということは、自身が正しい生き方をしていることの証になるというのだろう。（3）詩の終わりの一句、「吾儕豈独坐多言」［吾儕は豈独りのみ多言に坐すのか］は、反省なのだろうか、開き直りなのだろうか］
■【09-1-027】杭州題名
【解題】杭州に残された二つの訪問記録。
【訳文】
其の一
元祐四年十月十七日、曹晦之、晁子荘、徐得之、王元直、秦少章と一緒に来た。時に主僧は皆出ていて、庭戸は寂然とし、しばらくここで徙倚した。
東坡書く。
【補足】［同行の人々の名はいずれも字で記されている。曹晦之と晁子荘は詳しいことはわからない。徐得之は徐大正［→作品番号07-2-066など］で、かつて黄州知事の任にあった徐大受の弟。蘇軾に会うためにわざわざ杭州にきていたのだろうか。王元直は王箴で、すぐ次の項で登場する。秦少章は秦覿で、秦観の弟である。以上の4人とともに蘇軾がどの寺を訪ねたのかは不明］
其の二
私は十五年前に藜の杖を手に、芒屨を履いて、南山、北山を行き来した。その間に棲む魚や鳥とも皆知り合いになり、まして道人で知らない者はいなかった。再び来てみると、惘然として誰もが老いていて、この歳月の流れを恨めしく思うのである。
子瞻書く。
【補足】［三十代後半だった副知事時代に、蘇軾は西湖を囲む山々を縦横に、寺という寺を訪ね尽くすくらいに歩いたのだった］
■【09-1-028】書贈王元直
【解題】王箴［字は元直］に贈った三つの短文が残っている。王箴は蘇軾の妻の王閏之の弟で、王淮奇［字は慶源］［→作品番号08-3-019］の甥である。このころに郷里の眉州青神県から訪ね来て、しばらく杭州に滞在した。なお王箴に与えた手紙を作品番号06-1-109で見ている。
【訳文】
其の一
王箴、字は元直。小名は三老翁で、そのときの字は惇叔といった。
元祐四年十月十八日夜、王箴と酒を飲み、薺萊をつまんで食べ、非常にうまかった。それで蜀の巣菜をしきりに思い出し、しばし悵然とした。
【補足】［巣菜は蘇軾の好物である郷里の野菜で、特に「元修菜」と名付けたことを作品番号06-4-024で見ている］
其の二
王箴は拍板［拍子木のような打楽器］を二組贈ってくれた。私のところに音楽を専門とする侍女がいると思っていて、そのような者は初めからいないのを知らなかったのだ。そこでこれを使うとなると、昔々かの傅大士が皇帝の前でこれを叩きながら『金剛経の頌』を唱えたのに付き従うしかないだろう。
元祐四年十一月四日夜。
【補足】［（1）大きな州の知事クラスになると家に歌妓を置くような例をいくつか見てきた。この文章によるとこのとき蘇軾のところにはそのような女性はいなかったようだ。かつての杭州副知事時代には、王朝雲を身受けして家に引き取るようなこともしたのだが、黄州に流されて以降はそのような派手なことはしなくなったようだ。ただし、この数年後に、数年前には数人の妾がいたと記しているので、詳しいことはわからない。（2）傅大士は南朝の斉の時代の僧で、皇帝に『金剛経』を講義するよう求められたときに、拍板を叩きながら『金剛経』を讃える四十九の頌歌を唱え、そのまま去ってしまった。この故事は注釈家が懸命に探してようやく見つけたもので、蘇軾の博覧強記は恐ろしいものがある］
其の三
元祐四年十一月二十八日、降っていた雨がわずかに雪に変わった。私は寒疾を理由に家にいて、ごろごろしていて夜に至った。王箴と蜜酒を一杯飲むと、醺然としてたちまち酔いがまわった。自分で包丁を持って薺青を刻んで羹を作って食べると非常にうまかった。帰郷した後にもこの味を忘れないでくれたまえ。
【補足】［（1）蘇軾は新しい土地に赴任すると、秋から冬にかけて体調を崩す傾向があるようで、11月末ころからしばらく不調が続いた。（2）蜜酒は蜂蜜を水に溶かして発酵させた酒で、詳しくは作品番号06-3-044で見ている。（3）黄州に流されていた間に、蘇軾はいろいろと料理を工夫していたが、ここでも自分自身でスープを作っている。州知事でありながら質素な暮らしぶりが偲ばれる短文である］
■【09-1-029】王子立墓誌銘
【解題】蘇轍の娘の婿である王適［字は子立］が10月25日に亡くなった。昨年の秋に王適は感傷的な詩を詠んでいたのは［→作品番号08-3-039］、自身の運命について何か予感するものがあったのだろうか。これは、王適の死から3年後、故郷の墓地に埋葬された際に蘇軾が記した墓誌銘。なお、蘇轍の娘の婿としては文努光も亡くなっているので［→作品番号08-1-049］、優秀な若者であると見込んで縁組をしても現実は厳しいものがあった。
【訳文】
子立の諱は適、趙郡臨城の人である。
私が徐州知事であったとき、王適は徐州で私の学生となった。私は、王適が賢く、立派な文を書き、喜怒を表に出さず、いつも落ち着いているのを知り、「弟の蘇轍に似ている」といった。それで、蘇轍の娘を王適の妻とした。
王適とともにその弟の王遹、字は子敏も私に従って呉興［湖州］に行き、二人の学道は日に日に進み、東南の人々は二人を賞賛した。私は呉興で罪人になり、親戚や友人は皆驚いて散り散りになってしまった。ただ王適は去ることなく、私を町の外にまで見送ってくれ、「死生、禍福はいずれも天の定めるところです。公がどうこうできるものではないでしょう」といった。それから王適は町に引き返し、私の家族を南京応天府に連れて行ってくれた。
その後は、蘇轍が流されたのに従って高安［筠州］に行き、さらに績溪に移り、弟と労苦をともにした。粗末な家屋で、詩を賦し、琴を奏し、道を究め、書物を書くこと五年に及び、怨んだり怒ったりするようなことは一度もなかった。
私と弟には六人の男子がいて、皆が王適に従って遊んだ。
学問にはしかるべき学び方があり、人はそれぞれに自重し、遊惰に流れてはならないのだが、王適はまことにきちんとしていた。
元祐四年冬、王適は都から済南に行こうとし、まだ到着する前に、奉高の駅舎で亡くなった。それは十月二十五日のこと、享年は三十五であった。
曽祖父は王璘、妻は田氏、祖父は王鬷、妻は宋氏、父は王正路、妻は李氏。一人の娘がいて、生まれてまだ一年、そして生まれる前の子が一人あった。
文集十五巻があり、礼や服飾に詳しかった。蘇轍はその文章について、「朱弦疏越［質朴で余韻がある］、一唱して三嘆する」と評した。
元祐七年十一月五日、兄の王蘧、字は子開、が臨城の竜門郷両口村にある先祖の墓所の隣に葬った。
その墓誌銘に曰く、
知性以為存、［本性の在り方が大切であって］
不寿非其怨也。［寿命が短いからといって怨んだりはしない］
知義以為栄、［義を知ることを栄えとし］
不貴非其羨也。［高い地位を羨んだりはしない］
而未能忘於文、［学問を忘れることなく］
則猶有意於伝也。［世に伝わるべき意が残された］
嗚呼、百世之後、［ああ、百世の後には］
其姓名与我皆隠顕也。［その姓名も私も消えてしまっても、顕れるべきものがあるのだ］
■【09-1-030】哭王子立、次兒子迨韻三首
【解題】上の墓誌銘に記されているように、王適は蘇軾の息子たちと親しくしていた。次男の蘇迨［21歳］が王適を哭する詩を詠み、蘇軾が次韻した。
【訳文】
其の一
彭城［徐州］で初めて王適君と識り合った。
眼が白く輝き、長くきりっとしていた。
それよりも前、私が密州知事であったときには、
私は王適君とはまだ会ったことがなく、
その優れた言葉を聞くこともなかったのだが、
王適君は、
「夢で密州知事の婿になったと見た。どういうことなのだろうか」
と、友人に告げていた。
君子が見る不思議な夢は必ず後に正しい兆しであったと知れるので、
果たせるかな、王適君は弟の娘の夫となったのだった。
王適君は礼の本質を知るだけでなく、
失われた詩の伝統を補おうと志していた。
咄咄ばかりにその真髄に逼り、
世の諸生が並び行くものではなかった。
其の二
漢の時代の梁鴻には、その高節を慕って娘を娶せようとした人が大勢いた。
孟光という見目悪しき女性が、徳ある人でなければ結婚しないといっていると聞き、
梁鴻は孟光を妻に迎えた、
後に夫婦は山に入り、妻は機を織り、夫は詩を詠んで暮らした――。
王適君には梁鴻のような志があったのだが、
漢の大学者の揚雄のように、息子を得ぬ悲しみを同じくしたのだった。
天の恵みが王適君に十分に及ばなかった恨みから、
私は長く王適君のことを思い続けている。
息子たちよ、ひどい悲しみ方をしないでほしい、
老いたこの眼は泣いてもう枯れ果ててしまったのだから。
王適君の死を悼む人々は、皆豪傑揃い、
誰も弱々しい感旧の詩を詠んだりはしない。
【補足】［「豪傑揃い」の具体的な名前として、蘇軾は黄庭堅、張耒、晁補之、秦観、陳師道を挙げている］
其の三
竜が気まぐれで魚に化けてみたら、
漁師に目を射抜かれてしまった。
羊がこざかしくも虎の皮をかぶってみたら、
豹と出会ってがたがた震えてしまった。
竜も羊もたちまち死んでしまい、
満足できない一生だったと天帝に訴えた。
天帝がいうには、
「花は風に吹かれて散る、
貴人の宴席に落ちて愛でられるのもあれば、
むさい厠に落ちて糞尿にまじるのもある、
わしが散り行く先を決めるのではない、
戯れに四方八方に矢を飛ばして遊んでいるだけなのだ」
王適君との歳月を顧みるに、
秋の風に黄色い葉が巻かれている……。
【補足】［この第三首は、「英雄欺人の語、凡人の知る所でない」との評があって、全体としてわかりにくい。凡人にも及ばない訳者のよく解するものではないので、ひどい「ずっぽ訳」である］
■【09-1-031】与銭穆父
【解題】越州知事の銭勰［字は穆父］［→作品番号09-1-026］に宛てた手紙。王適の亡くなったことについて記している。
【訳文】
近ごろ家からの報せがありました。王適君がにわかに奉符で亡くなったとありました。そのためにここ数日はひどい悲しみでいっぱいです。貴君とも縁がありましたのでお知らせします。貴君は王適君のことをよく理解してくださっていましたから、さぞや寂しい思いを抱かれるでありましょう。弟の蘇轍はいま遠く遼国に使者として出ています。帰ってきてこのことを聞いたなら、どれほど痛ましく感じますことか、想像に難くありません。王適君には一人の娘がいますが、男児はありません。痛ましい限りです。
多用な中で、そちらからのお使いの者が帰るといっているので、十分に意を尽くせません。
【補足】［蘇轍が遼国［契丹］への使者に任命されたのは8月16日で［→作品番号09-1-015］、実際に出発したのは9月半ばであったようで、王適が死去した10月25日にはすでに国境近くにまで達していたであろう。王適死去の知らせがいつ蘇軾や蘇轍のもとに届き、この手紙をいつ書いたのかといった詳しいことはわからない］
■【09-1-032】軾始於文登海上、得白石数升、如芡実、可作枕。聞梅丈嗜石、故以遺其子子明学士、子明有詩、次韻
【解題】この詩の題は次の通り。「私は登州の海岸で白い石を拾った。ちょうど芡の実のようで、枕を作るのによいだろうと、数升ほど拾い集めた。梅丈が石を好むと聞き、その子の梅灝副知事に贈った。梅副知事が詩を作ったので、それに次韻した」。蘇軾が4年前の元豊8年［1085年］の終わりにごく短い期間だけ登州に赴任したことは作品番号07-2-076以下で見ている。その折に海岸で白い小石を拾って持ち帰ったのだろう。梅丈の「丈」は年長者への敬称で、梅灝［字は子明］の父の梅宣義である。梅灝は煕寧6年［1073年］に科挙に合格したとあるので、蘇軾よりは後輩にあたり、このとき杭州副知事の任にあった。
【訳文】
海の片隅にある風変わりなものを珍重するのは誰なのか。
珊瑚だって贅沢を競うために砕かれてしまったのではとんだ災難である。
私もかつて怪石を仏寺に供え、
そこらにころがるがらくたを価値あるものであるかのようにしたことがある。
親に珍しい物を差し上げることが必ずしもよいわけではなく、
親孝行で難しいのはいかなる顔でそれをするかだと、孔子がいったように、
純心であるのが何より大切なのだ。
世の人は珍しいものというと遥か南方からもたらされると思いがちだが、
この白い石は東の海辺で拾ったものだ。
学士殿はこれでもって枕を作るのがよいだろう。
昔、黄香という人は、夏の間は母の枕もとで扇ぎ続けたというけれど、
この枕があれば扇を使う労は不要となるだろう。
【補足】［（1）いろいろな故事を使った機知に富んだ作品として当時に人には面白い詩であったのかもしれないが、現代のわれわれにはわかりにくいので、その大意を汲んで訳した。2点だけ補足しておく。（2）珊瑚を砕いたとあるのは南朝時代の石崇の話。大金持ちの石崇は愚物の最高峰として蘇軾はよくその名を引いている［→作品番号07-1-067など］。石崇はもう一人の愚か者と贅を競い、相手が自慢する巨大珊瑚を目の前で叩き砕いて仰天させ、何食わぬ顔でそれよりずっと大きな珊瑚を出して、代わりにプレゼントした。（3）蘇軾が怪石を仏寺に供えたことは、作品番号06-3-040で見ている。そのときに物の価値はどこから生じるのかということを論じていて、この詩の内容と通じるところがある］
■【09-1-033】文登蓬萊閣下、石壁千丈、為海浪所戦、時有砕裂、淘灑歳久、皆圜熟可愛、土人謂此弾子渦也。取数百枚、以養石菖蒲、且作詩遺垂慈堂老人
【解題】上の詩と同じく、登州の海岸で拾った石にまつわる詩。詩の題は、「登州の蓬萊閣のもとに千丈に連なる石の壁があり、海浪の激突するところとなっている。壁はときに砕かれ、長い年月にわたってもまれ洗われて、円く愛すべき形になる。土地の人はこれを『弾子渦』と呼んでいる。取ってきたのが数百枚あり、これで石菖蒲を育てることにした。詩を作り、垂慈堂老人に贈る」。蘇軾が登州の蓬萊閣を訪れたことは作品番号07-2-083で見ている。垂慈堂老人とは、杭州にある千頃広化院の僧の了性で、医学に通じ草書を善くした。
【訳文】
蓬萊の海辺に、
玉が並び立つような峰々が、千古の昔より変わることなく連なっている。
峰の根は天を揺るがす波をも捍ぐのだが、
ときに雲骨［峰の岩］が破砕されることもある。
陽侯［波の神］によってとがった角がそぎ落とされると、
石の内に籠っていた陰火が光彩を発するようになる。
累々と重なる弾丸［石］の間にも、
珠と珠との微妙な繋がりをほのかに見てとることができる。
閻浮［宇宙］とは一つの漚でしかないのか。
真か妄か、果たしていずれがあるのか。
この石を持ち帰るなら、
私の袖の中に大海があることになろうか。
垂慈堂老人の眼は、
仰ぎ俯くあいだに天地のありようを見てとってしまう。
この石を皿の内に置くなら、
日々、山と海とに対することができるであろう。
来年には菖蒲の根が張り、
石と石とが結びついてほどくことができなくなるだろう。
そこから蟠桃［海に生じる仙果］が生じるかもしれないから、
朝夕に待ち望むがよいだろう。
【補足】［これらの作品を見ると、蘇軾はかなりの石好きであったことがわかる。蘇軾は自然界の成り立ちや物質の変化に対して理系的考察を巡らせることが時々あり、蓬萊閣の石の変遷から天地のありようについてある種の科学的インスピレーションを得たのかもしれない］
■【09-1-034】六観堂賛
【解題】上の詩で見た垂慈堂老人こと了性はかつて六観堂を作り、六観堂老人とも称した。これは六観堂に寄せた賛。全て四言の句を並べた韻文で、飛躍のある言葉で、仏教的なものの見方、「六観」について詠んでいる。意味を汲み取るのが難しく、とりあえずそれらしく訳してみた。
【訳文】
我、六観堂老人が衆生を観るに、
思っても思っても人は人、
人は昼は心を見ないし、夜はその身を見ない。
仏はそれを夢のようだという。
思慮もなく因果のことわりもない。
夢の中で覚めているようなもの、
どちらが形でどちらが神なのか。
我、六観堂老人が衆生を観るに、
いつも疑い怖れている、
泥人形はそうではなく、
こころの障りになるようなものはない。
仏はそれを幻のよう、愛や憎しみから永く離れよという。
画いた餅を見て腹を鳴らしても、
実際には何もない。
我、六観堂老人が衆生を観るに、
あれを得たりこれを失ったりと止まるところがない、
それは何によるのか。
生と死があるからだ。
仏はそれを泡のようだという。
泡はもとより何にもならない。
壊れてしまうものから何かを生み出すのは、
仏といえどもできないのだ。
我、六観堂老人が衆生を観るに、
いつだって逆立ちしている、
光を無とし、影を有としている。
仏は光は影、影は光といい、
我が仏に合掌する。
己から影を断ち切ろうとして、
日中走りまわったところでどうにもならない。
我、六観堂老人が衆生を観るに、
露と遊んでいるのと同じ、
衣を濡らし、眼を覆ったところで、
見る間に消えてしまう。
仏はそれを露のようだという。
ひとたび照らされると乾いてしまう。
覆われたものはすでに消え、
照らすものもまた空である。
我、六観堂老人が衆生を観るに、
神は自在に通じ、
世界のどこへでも行く。
仏はそれを電光のようだという。
言葉を発すれば意に得て、
仏と衆生はすっかり一つになるのだ。
垂慈堂老人はかのように六観について述べ、
一から六に至り、六は千万を生じ、
かくて無窮となって、乱れることはない。
私東坡居士には口がない、
だから此の賛は作れない。
■【09-1-035】次韻毛滂法曹感雨詩
【解題】毛滂［字は沢民］が雨に感じる詩を作り、蘇軾が次韻した。毛滂とはかつて黄州で会っていて［→作品番号06-3-077］、その後、蘇軾が都にいる間に毛滂が上京して再会し、その後、杭州で官職に就いた。毛滂は毛維瞻［字は国鎮］の子で、毛維瞻は蘇轍が筠州に流されたときにその地の知事を務め、蘇轍とさかんに詩を唱和し合った。毛維瞻は退官するに際し、息子の毛滂を黄州に遣わして蘇軾に書を求めた。そのことがこの詩の始めと中程に詠み込まれている。
【訳文】
かつて江南の佳公子［毛滂］は、
私に錦繍の織物をもたらしてくれた、
それを手にすると温かくて春のよう、
公子の訪れによって寒さのあることを忘れたのだった。
いましも貴君は雨を祷る詩を詠むのだが、
雨は時に遭えば自ずと降り、
降ればたちまちあたりは濛々と潤うのであって、
敢えて星の動きから雨の気配を求めるまでもないのだろう。
貴君は月の光に照らされ、
貴君の影が庭に落ちているであろうから、
ならば、李白に倣って、月と影と我との三友の歓びを結ぶがよいだろう。
清らかな月の光さえあれば十分であるとはいえ、
やはり一酔してこその歓びがあるので、
私はいつも酒樽が空っぽになっていはしないかと恐れている。
酒がなくても楽しめるものがあるとすれば、
美しい珠、すなわち人の心を撃つ弾丸のような詩だ。
ただ私が恐れるのは、
貴君がはるか上空の雀を撃とうと不用意に弾を発してしまうことだ。
閑暇の折に、心の奥底に種子を蒔いてじっくりと育てるのがよいだろう。
世渡りに馴れて、嘘偽りであっても、空腹を満たすためならと、
食らったりはしないように。
私はあのときは東の坡にあって、
秋の菊を採って夕餉の膳とし、
近隣の人々のお蔭でどうにか衣服を揃えていた。
それを私は永らく恥ずかしく思い、
雪堂はようやく瓦で覆われたばかりで、
竹の蓆はあっても葦の蓆はなかった。
それでも客人があるときには、なけなしの酒を飲み尽くしてしまい、
笑ってひっくり返るという次第で、
かくて五年の歳月を安らかに過ごしたのだった。
貴君は私の弟子というわけではないけれど、
我が衣鉢をほんのわずかながらも伝えようと思っている。
貴君の詩は孟郊や賈島の類ではなく、
その師の韓愈のように悠然と流れる大河の勢いがある。
古い寺で悲しく詩を吟じるなら、
それに応じて雪が漫漫と降り注ぐであろう。
こうして私と詩のやりとりをしたことを、
どうか忘れることなく、遠い将来も思い起こしてほしい。
【補足】［（1）この詩は、黄州での日々を回顧したり、若い毛滂に向かって訓戒めいたことをいってみたりと、かなりごたごたしている上に、蘇軾の次韻の詩の一つの癖として、故事のてんこ盛りになっていて、かなり理解しにくい。恐らく、この詩の背景に蘇軾と毛滂の間では了解し合える何らかの事柄があって、毛滂の心に響くところがあったのだろう。毛滂との交流はこの後も長く続く。（2）岩垂憲徳・釈清潭・久保天随訳解『蘇東坡詩集』（1927年）はこの詩に対して、「感雨の意義は消滅して余事続出、詩としての感興を求むるに苦しむ、蘇詩を択ぶもの取らざる所以である」と評している。本来は雨を主題にすべきであるのに、それからはずれたことをごちゃごちゃ詠んでいて、蘇軾の選集に入っていないのも当然だというのである。そのように酷評されると敢えて訳したくなるもので、かなり無理に文脈を整理してこの訳文を作ってみた］
■【09-1-036】送鄧宗古還郷
【解題】鄧宗古という当時評判になった孝子がいた。成都の近くの簡州の人で、父が亡くなると、墓の近くに廬を結んで朝夕に哭した。そのことが次第に人々に知られ、都にまで伝わり、政界の大長老の范鎮に招かれて上京した。ところが、折悪しく范鎮が亡くなってしまい［→作品番号08-3-067］、鄧宗古はその恩遇を得ることなく郷里に帰らなければならなくなった。蘇軾は同郷の好ならびに范鎮との縁で、遠く杭州から鄧宗古に送別の詩を送った。蜀の名高い2人の親孝行者を引いて鄧宗古を讃えている。
【訳文】
広漢［成都の一地方］に姜詩［後漢の人］がいて、
親孝行であることが村々に聞こえ、
豺や虎のような赤眉の反乱軍も、
姜詩がいる村を通るときには乱暴をしなかった。
その村にはいまも泉があるけれど、
孝心に感じて鯉が躍り出るようなことはもはやない。
南鄭［蜀の東側の地］に李郃［後漢の人］という孝子がいて、
星の運行に通じ、
都からお忍びで二人の使者がきたときに、
流れ星を指さして、あらかじめこうなることを知っていたと告げて驚かせた。
李郃はしがない門番として官に仕えることもなく、
襤褸をまといながら、立派な宝玉［名声］を得た。
蜀の地にはすぐれた士が多く、
貴君はまさに姜詩と李郃の二人の後を継ぐ者である。
凜凜たる忠文公［范鎮の諡］は世に埋もれた士を探し求め、
樵人や漁夫にも及び、
清らかな川辺で真に美味な水草［鄧宗古］を見つけた。
ところが、歳晩に至ってついにそれを食べることがなかった［范鎮の死をいう］。
はたして水草の心はいかなるものであるのだろうか。
【補足】［泉から鯉が踊り出るとは、姜詩の有名な故事である。姜詩は妻とともに病気の母に仕え、母の好物である魚を得ようと苦労していたところ、家の近くに泉が湧き出して鯉が飛び出し、それからは毎朝鯉が得られるようになった。こんな話を信じる人がいたというのはいまとなっては不思議であるが、二十四孝の一つとして、日本でもよく教訓として引かれた］
■【09-1-037】参寥上人初得智果院、会者十六人、分韻賦詩、軾得心字
【解題】参寥［道潜］の久しぶりの登場。参寥とは廬山を出て後に別れ［→作品番号07-1-028］、杭州に来て再会した。再会はもっと早くに実現していたのだろうけど、作品として残っているのはこれが最初である。参寥は10月に孤山にある智果院に入ることになり、16人の者が集まって参寥に詩を贈った。それぞれ韻を分けて詩を詠み、蘇軾には「心」の字が割り当てられ、それを「帰心」の語に用いた。
【訳文】
冬になると、
みなぎる水はもとの谷に帰り、飛ぶ雲はもとの山を思うという。
貴僧は家を忘れるべき僧であるのに、
なお帰ることを懐う心があるからなのだろうか、
孤山の山あいに三間の幽寂の場を得て、
数歩の地のうちに清深［仏教の真理］を蔵することとなった。
金を集めたような盧橘の塢、
火を散らしたような楊梅の林、
茶も筍もみな禅味があり、
松も杉もまことの法音を鳴らす。
雲のかかる崖に湧く水を参寥泉と名付けよう、
流れ下る甘い酒のような水は、
山を尋ねる人の心を洗ってくれるだろう。
貴僧とともに嶺の上へと登るなら、
老年に達しつつあることを忘れてしまう。
ひと目の内に江湖を呑み、
万象は遠い昔からこの湖の内に涵されているのだ。
願うのは、
もう一つ小さな部屋を築いてくれまいか、
そこでざんばら髪となって自在に過ごすのだ。
■【09-1-038】異鵲、并叙
【解題】異れた鵲の詩。序文がある。
【訳文】
叙
熙寧年間［神宗皇帝の治世］に、柯述［字は仲常］は漳州の副知事として飢饉を救い、民衆の信頼を得た。柯述が執務する庁舎に二羽の鵲が棲みつき、柯述が州を去るときに鵲もまた見送った。漳州の人々は鵲が異れていると感心した。そのことを詩に詠んだ。
昔、我が父は仁と孝を家においても実践した。
家には五畝の園があり、
桐の花が咲くころに幺鳳［鳥の名］が集まり、
烏と鵲が巣を作り、覗き見て手に取れるほどであった。
思い出すのは、
群がる雛を親鳥が養うありさまを、私や児童たちが観たこと。
近所の人たちは、これは珍しいと驚き、
老人たちは笑って感心しながらこういった。
「いま乳哺のときで、
鳥は、鳶や蛇を非常に恐れます。
人の手足の及ぶところでは、
鳶も蛇も害を加えることはありません。
家の主人が信頼できる人であるのなら、
鳥も近くにたくさん集まってくるのです」
このことから私は、
中孚化は鳥にも魚にも豚にも及ぶと知ったのだった。
柯述は古の循吏［誠実な役人］で、
その至誠にふわついたところは一切なく、
漳州に臨んでから、生命を全うさせた人民は、
河原の沙のように数え切れないほどであった。
柯述の仁心は人以外にも及び、
二羽の鵲がその庁舎に棲みついた。
残念なのは、鵲はものをいうことができなくて、
柯述に向かってただ楂楂と鳴くだけだった。
善も悪も類をもって応じるとの古いことわざはうそではない、
見るがよい、酷吏［悪辣な役人］には行く先々で、
ほかの雛鳥を食らう鬼車が声を合わせて鳴くのである。
【補足】［（1）蘇軾の生家の庭に鳥が集まって巣を作っていたことについて、別の文章では、蘇軾の母の心が鳥にも通じたと記していた［→作品番号01-2-017］。ここではなぜか母ではなくて父になっている。事実としては、蘇軾が幼少のころは父は放浪の旅に出ることが多く、家のことは母に任せていた。ただ、父の至誠が母を感化し、それが鳥にも及んだと解することもできなくはないのかもしれない。（2）善には善が応じ、悪には悪が応じるということで、循吏にはカササギ、酷吏にはフクロウが寄り添うといっているのだが、フクロウは最初から悪だと決めつけられている。フクロウを知恵の象徴とする文化もあるのだが。（3）どうしてこの時期に柯述を詩に詠んだのだろうか。確かなきっかけは不明だが、すぐ後で見るように、蘇軾はこのとき柯述の事績を継ぐような取り組みをしていた］
■【09-1-039】次韻詹適宣徳小飲巽亭
【解題】都の御史台で任に就いていた詹適が、何らかの理由で杭州に飛ばされたのだろう。西湖を臨む巽亭で蘇軾と酒を酌み交わして詩を詠んだので、それに次韻した。
【訳文】
貴君は、都を追われて南方に流された李白を夢に見たと詩に詠み、
私は、都を追われて帰郷した司馬相如を想う。
貴君も私も三度左遷され、
都から遠く離れたこの地で一樽をともにする。
ここでは、
川を遡る潮の音が雷のように白昼も轟き、
梅の枝に積もった雪のように黄昏どきにも花が輝く。
帰り行く貴君に降りかかる多情の雨、
それは御史台の軒からしたたり落ちたものだろうか。
【補足】［「川を遡る潮の音」とは、銭塘江の名物の海嘯［→作品番号04-1-042など］である。秋の大潮のときが最も激しく潮が遡り、この年は着任早々で海嘯をゆっくり見物する余裕はなかったようだが、翌年には見て詞を詠んでいる］
■【09-1-040】東川清糸寄魯冀州、戯贈
【解題】蘇軾が杭州副知事だったときから長い付き合いのある魯有開［字は元翰］［→作品番号08-1-038など］はこのとき冀州知事を務めていた。蘇軾は蜀の東川の特産である絹糸を贈り、この戯れの詩を添えた。
【訳文】
東川の鵝溪で産する白い絹糸は氷のように清らかである。
溪の上には千年の藤が枝を交える。
藤は谷底に芽生え、風雪に耐えて歳を経て後に、
たちまち竜のように天へと昇る。
私はただの老いぼれ役人、
骨身にしみる寒さに、
布団にもぐっても背中に棘が刺さるような痛さを覚え、
布を被ることを望むだけだ。
髯自慢の貴君ときたら、
ますます貴く、福禄は川の水のように増すばかりだ。
酔って毛皮をさかさまに著けると、
下からは粋な模様の小袖が現れ出るという伊達男ぶり。
この絹糸はやたらに織ったり切ったりせず、
そちらの佳い人の手にお任せしよう。
遥かに想像するのは、
清らかな暁に千騎を従えて貴君が出発するありさま、
老いも若きも町をからっぽにし、
積もった雪の上を静かに歩み行き、
白い髯の男やら紅い帯の女やらが柳の下に集まると、
貴君は東川の絹で作った小袖をちらりと見せるのだ。
貴君の髯は確かに老いはしたけれど、
町の人々は皆それを愛するのである。
【補足】［魯有開の髯自慢を蘇軾はしばしば詩に詠んでいる］
■【09-1-041】乞賑済浙西七州状
【解題】11月、蘇軾は州知事として朝廷に幾つかの意見書を提出した。高麗国からの使者に対して手厚くし過ぎて民衆の大きな負担になっていること［→作品番号07-2-070］、杭州周辺で飢饉が迫りつつあること、民衆を労役に駆り出す旧い法を復活させたために問題が生じていること［→作品番号08-1-020］などの諸問題を指摘している。ここでは飢饉対策を朝廷に提議した文書の一部を読んでおこう。表題にある七州とは、杭州、越州、秀州、湖州、潤州、常州、江陰軍で、蘇軾はこの広範囲な地域の行政に関わる職務に就いていた。なお、具体策の部分は、訳者が当時の社会制度について無知であるために訳すことができないので割愛する。
【訳文】
元祐四年十一月四日、両浙西路兵馬鈐轄竜図閣学士朝奉郎の蘇軾が書状をもって奏します。
浙西の七つの州と軍からの報告によると、冬から春にかけて水が多く出たために、早い時期の稲の植え付けができず、五月から六月に及んで水は退きましたが、遅い時期の田植えのときに今度は日照りの害を受け、両者の稲がともに損なわれ、高い場所の稲も低い場所の稲も傷つき、民衆が食べつなぐのが今年は甚だ困難になってきています。今年の米はいま一斗九十銭になろうとしていて、裕福でない民は冬に入ってすでに飢え始めています。両浙の水郷地帯ではもとより麦を植えることが少ないので、来年の収穫は秋を待たなければならないのですが、果たしてそのときに十分に稔るのかいまは全くわかりません。深く恐れるのは来年の春から夏のころに、飢饉と盜賊の憂いが起こることです。……［以下に、具体的な対応策を列挙する］……
かつての熙寧年間の両浙の飢饉を調べてみますと、そのとき米は一斗二百銭にもなって、非常に多くの人が死に、老人たちはそのときのことをいうといまでも涙を流します。いま米はすでに一斗が九十銭に及び、日照りの厳しさの勢いはいまだにやまないので、深く憂慮しなければなりません。伏して仁聖の哀憐を望み、早くに賑恤を行いますように。……
【補足】［熙寧年間の飢饉とは、蘇軾が杭州副知事時代に経験したことで、飢餓対策のために奔走したことを作品番号04-2-096以下で見ている。蘇軾はそのときの経験に基づき、早急の対応が必要であると判断して、朝廷に支援を求めたのである。後で見るように、朝廷もそれなりに対応してはくれたのだが、この後も天候の不順が続き、徐々に災害の傷は深くなってしまうのである］
■【09-1-042】怡然以垂雲新茶見餉、報以大竜団、仍戯作小詩
【解題】かつて杭州副知事時代に親しくした僧に宝厳院の清順［字は怡然］がいた［→作品番号04-2-044など］。清順から宝厳院の垂雲亭で栽培した新茶が贈られてきたので、宮中から賜った大竜団の茶をお返しに贈り、この戯れの詩を添えた。
【訳文】
なんとまあ、お供え物がお寺から逆にやってきた。
この珍しいものは、どこぞのお偉いさんにでもさしあげるとしよう。
これは雀の舌のような細い芽を摘みとった茶。
そのお返しにするのは、竜がわだかまるような大きな塊の茶。
貴僧の庵は冬の暁にも暖かいけれど、
都の建物では春風も冷たく吹いていた。
いささか貴僧のお教えを請いたいと思うだけで、
二種のお茶の味比べを望んでいるわけではない。
■【09-1-043】次韻王忠玉游虎丘絶句三首
【解題】王瑜［字は忠玉］から『虎丘に游ぶ』という絶句が送られてきたので、それに次韻した。王瑜は公務で蘇州に行き、町の外にある虎丘寺を訪れて詩を詠んだのである。かつて蘇軾が杭州副知事であったときに、王瑜の伯父である王誨［字は規甫］が蘇州知事で、虎丘寺において蘇軾と会う段取りになっていたのにドタキャンをするという事件があった［→作品番号04-3-035］。そのことを踏まえた第一首だけを訳す。
【訳文】
其の一
かの年に私も虎丘寺で大きな盃に酒を浮かべたことがあった。
そのときの老守［王誨］は二丘［虎丘と閭丘］の娯みを得ていた。
白髮となった私がまたきてみると懐かしい人々［王誨と閭丘］はいなくなってしまい、
ただ桂の木のむらがりと、小さな山が幽に残っているだけであった。
【補足】［閭丘は人の姓で、名は孝終である［→作品番号04-3-036］］
■【09-1-044】和銭四寄其弟龢
【解題】詩の題にある銭四は銭勰［字の穆父］［→作品番号09-1-031］のこと。銭勰が弟の銭龢に寄せた詩に和した。恐らく、このとき銭龢が杭州にきていて兄の詩を蘇軾に見せたのだろう。
【訳文】
私は（遡る潮の）波頭に月が湧くのを再び見ることになり、
貴君［銭勰］は長く留まって浙江［越州］の春を再び過ごすことになった。
ともに維摩の病を作る［仮病］のを得意としているだから、
この東西の二老人［蘇軾と銭勰］は実に笑うべきである。
【補足】［（1）維摩は釈迦の弟子で、維摩が病気になったときに文殊菩薩が見舞いに行き、深い内容の問答を交わした。その故事に基づいて、最も話をしたい友を呼び寄せるために仮病を装うことを「維摩の病を作る」とこの詩では言い表している。実際にこのころ蘇軾は体調を崩していたようだ。（2）銭勰のいる越州は蘇軾のいる杭州から見て東南にあるので、「東西の二老人」といったのである］
■【09-1-045】故周茂叔先生濂溪
【解題】現代のわれわれは朱子学の祖といえば、周敦頤［字は茂叔、号は濂渓］で、その弟子の程顥、程頤兄弟によって発展・展開し、朱熹が大成したと図式的に理解しているのだが、朱熹より100年早い蘇軾の時代にはむろんそのような認識があるはずもなく、周敦頤はさほど目立たない儒学者であった。周敦頤は蘇軾が38歳のときに亡くなっていて、直接の交流はなかった。このころに周敦頤の次男の周燾と杭州で会ったことから、周敦頤の事績を詳しく知るようになったようだ。これは、周敦頤が廬山の蓮花峰の下に結んだ廬の前の谷川［濂渓］について詠んだ詩。周燾は作品番号08-3-007で触れたように、蘇軾が委員長を務めた科挙の二次試験の合格者である。なお、周敦頤の弟子の程頤と蘇軾が鋭く対立したことは作品番号08-1-052などで見ている。
【訳文】
世俗の人は名［官職の名称］と実［官僚の実務的才能］に眩惑され、
至人［道を得た人、周敦頤もその一人］は、名も実もそもそもその有無からして疑う。
世俗の人は怒ると水中の蟹までも憎み、
至人の愛は屋上の烏にも及ぶ。
周先生のお蔭で、濂溪の水はいまや先生と同じように尊ばれている。
先生はもとより完全な徳を具えられた人で、
清廉にして早々に官職を退かれたのは、その徳のほんの一端でしかない。
わずかな禄米を擲って退隠した陶淵明や、
間違った世に生きるくらいなら餓死するのがよいと山に入った伯夷、叔斉に、
いささか似るのはたまたまのことである。
先生のことはいつしか世に知られるところとなり、
この溪を、先生が名付けたままに濂溪と皆が呼ぶようになった。
先生は我等のような俗人の仲間ではなく、
造物者をも弟子とするような人である。
先生が溪に名を付けた心は、
唐代の柳宗元が南方に流されたときに、
溪を愚溪と名付けたのと同じであったのだろう。
【補足】［（1）柳宗元は、蘇軾が黄州に流されたのと似て、時の権威者に嫌われて南方に追いやられた。そこで深い自省の日々を送って数々の作品を残し、韓愈と並ぶ唐代を代表する名文家と称されるようになった。その作品の一つに『愚渓詩の序』があり、自分の愚かさが渓にまで及んでしまうと記している。「濂」は、かすかな流れ、絶えだえな流れの意味であるから、「愚」と相通じるものがあるともいえようか。周敦頤がかすかな流れと卑下した学問の系譜は、後に朱子学の大河となった。なお、このころ蘇軾は柳宗元への関心を深めていたようで、そのことを記した文章を後に見ることになる。（2）同じころに、周燾が杭州の天竺霊山教寺に遊んで詠んだ詩に蘇軾が次韻した作品が残っているが、訳者にはその面白味が汲み取れないので訳せない］
■【09-1-046】次韻子由使契丹至涿州見寄四首
【解題】皇帝の使者として契丹［遼国］に派遣された蘇轍は［→作品番号09-1-015］、11月26日に涿州に至り、兄に詩を寄せた。涿州はすでに遼国の領域内で、遠く離れた南の杭州にいる蘇軾が弟のその詩をいつ詠んだのかわからないが［蘇轍が帰国したと推測される翌年2月以降のことであるのかも知れない］、それに次韻したこの作品は、あたかもスマホで瞬時に返したかのような内容になっている。弟のもとの詩は、涿州での所感を素直に詠んでいるのに対して、兄の詩は、次韻の詩によくある通り、韻に合わせて故事を引用していて、かなり苦しいこじつけもまざっている。4首のうち2首だけを訳す。
【訳文】
其の一
愚かな老人の僕は、
寒さを避けたいばかりにかつて契丹への派遣を辞退したのだが、
弟までも同じようにするわけにはいかなかった。
君はもうすぐ盧竜に至って古い塞を見るだろうから、
燕国の太子を弔う文章を記して易水に投げ入れるとよい。
【補足】［（1）蘇軾が遼国に派遣されるのを辞退したことは作品番号08-3-010で見ている。まさか寒さを理由に断ったわけではないだろう。蘇轍のもとの詩の第一首の冒頭に「少年病肺不禁寒、命出中朝敢避難」［少い年に肺を病んで寒さに不禁いのだが、命じられて中朝を出たからには敢えて難を避けるものではない］と、涿州の冬の厳しさを歌っている。それに対して、南の温暖な杭州にいる己をやや自嘲的に詠んだのである。なお蘇轍が少年時代に肺を病んだことについては作品番号06-1-085で触れている。（2）昔々の戦国時代に、涿州のあたりにあった燕国は西方の秦国の膨張拡大主義に苦しみに、秦国王［後の始皇帝］を暗殺すべく刺客を送り込んだ。そのとき太子は易水のほとりで悲愴な覚悟の刺客を見送った。蘇軾のこの詩は、よもや弟に遼国王の暗殺を勧めるものでないだろうけれど、穏やかならざる雰囲気がないわけではない］
其の三
君が毛皮をまとう姿はきっと美しいであろう。
遼国の出迎えの人は、
しばしば我等父子三人の文章について問うとのこと。
あちらの人は知らないのだ、
僕がもう老いて病み、全くの役立たずであることを。
僕はお上に願って鏡湖のほとりに隠棲することしか考えていないのだ。
【補足】［（1）宋と遼間には頻繁に使者が行き来し、使者が国境を越えると接待役［館伴使］が出迎えて、都にまで案内することになっていた。蘇轍を迎えた館伴使は、しきりに蘇洵、蘇軾、蘇轍の三蘇の詩文について尋ねたという。（2）鏡湖［鑑湖］が越州にある美しい湖であることは作品番号09-1-010ですでに見ている］
■【09-1-047】書煮魚羹
【解題】蘇軾が自分で魚を煮て羹を作り、仲天貺、王箴［→作品番号09-1-028］、秦覿［→作品番号09-1-016］に振る舞ったことを記した短文。仲天貺は王箴とともに郷里からきた人物。
【訳文】
私は東の坡にいたころには、自分で鍋やら匕やらを使って魚を煮て羹を作り、客人たちをもてなした。客人たちで善といわない者はいなかった。それで、口腹の欲を最もたやすく満たしやすくしてくれるのは困窮であると知った。
いま銭塘［杭州］の知事となって、水陸の食べ物がふんだんにある。今日はたまたま仲天貺、王箴、秦覿と食事をすることになり、かつての味の羹を作った。皆が、「この羹は超然として高韻があり、世俗の料理人がとても作れるようなものではありません」といった。
一年は残り少なくなり、集散は思い通りにならず、そのようななかにあって、皆で笑い合ったのである。
元祐四年十一月二十九日。
【補足】［三人が食べた羹の味はかなり微妙であったのだろう］
■【09-1-048】燈花一首贈王十六
【解題】同じころに王箴［字は元直］に贈った詩。
【訳文】
燈火の先に溜まった蠟の花が次第に大きくなった。
立って欠けた月を見に出ると、
斜めになった天の川のかたわらにある。
そうか、瑞草橋のあたりでは、
この夜に燈火の花を指さしながら、
この老東坡のことを噂し合っているであろう。
【補足】［瑞草橋は郷里の眉州青神県にある橋である［→作品番号08-3-019］］
■【09-1-049】題燕文貴山水巻
【解題】北宋の初めのころに燕文貴という画師がいた。その画に書き添えた短文。
【訳文】
私が錢塘［杭州］の副知事であったときに、師と方外の交わりを結び、この一巻を一年以上も借りた。杭州を去るに当たって、巻の終わりに題を記して返却した。それから十六年になり、師が、「貴君の字は誰かに取られてしまいました」といわれたので、またここに書くものである。
元祐四年十二月四日。
【補足】［ここに記されている「師」が誰であるかはわからない。蘇軾が杭州副知事であったときに蒲宗孟が所蔵する燕文貴の画を見て跋文を記しているが［→作品番号04-2-049］、この「師」が蒲宗孟であるとは考えられない］
■【09-1-050】跋閻右相洪崖仙図巻
【解題】唐代の著名な画師である閻立本が描いた洪崖という仙人の画に、この文章を添えた。閻立本については作品番号02-1-002などで見ている。
【訳文】
洪崖先生はどこの人であるかはわからない。姓は張、名は蘊、字は蔵真である。優れた風貌で、閑雅の趣を志し、仙書の祕典から九経、諸史に至るまで通じていないものはなかった。開元年間にすでに千歳であったというから、古からの仙人なのだろう。明皇［玄宗皇帝］はその神異を仰ぎ見て、しばしば詔をもって招いたのだが、都には赴かずに、終南山、泰山、華山、青城山、王屋山に遊んだ。先生は東大師と羅大師を連れて、いつも金丹華池［仙界の池］のことを話していた。仙薬の術を得てたやすく作るのだが、他の人はその微妙なところを究められなかった。先生は烏帽を載せ、紅蕉葛衫を着て、烏犀帯を付け、短靿靴を履いていた。五人の僕がいて、それぞれ不思議な姿で、橘、朮、粟、葛、拙と呼んでいた。雪精という白驢がいて、一日千里を進んだ。また身に随えるものとしては、白藤笠、六角扇、木如意、笻竹杖、長盈壺があり、壺はいつも満杯で、自然と流れ出るのだった。白驢に跨り、僕を連れて市中に遊び、酒酣になると大声で笑った。明皇は詔をもってその姿を描かせ、憧れをもって朝夕にそれを眺めた。
元祐四年、東坡蘇軾書く。
■【09-1-051】記蘇秀才遺歙硯
【解題】蘇軾が使っている硯と墨について記した短文。硯は蘇鈞秀才から譲り受けたもので、蘇鈞がどのような人物であるかは不詳。硯は歙州の石で作られたもので、歙州の硯が珍重されたことは作品番号07-1-036で見ている。
【訳文】
蘇鈞秀才は歙州の庶民の女を娶り、歙石の佳いものを手に入れることができた。それで譲られたのがこの硯である。絶品というわけではないが、貧乏な士大夫にとってはこれがせいぜい力の及ぶところであろう。それでも、墨をよく発して滑って潤い、これ以上に求めるべきものはない。物として抜群であるなら、それを貴べばよいので、世に出回っている他の物と精粗を比べるのは意味がない。欧陽公［欧陽脩］は、瓦の破片であっても、墨をよくを発するなら文章を書くのに十分心地よいといった。まさにその通りである。この墨の方は私のもので、高麗の煤と契丹の膠で作られたものだ。
元祐四年十二月二十四日、東坡居士書く。
■【09-1-052】贈南屏謙師、并引
【解題】南屏山の謙師に贈った詩。短い序文がある。
【訳文】
引［序文］
南屏山の謙師は茶事の妙所を得た僧で、このようにいっている。
「これを心に得て、それに手が応じる。言葉で伝え、学んで到るものではない」
十二月二十七日、私が落星寺に遊ぶと聞いて、謙師は遠くから来て茶を設けてくださった。それでこの詩を贈った。
道人［謙師］は暁に南屏山を出て、
茶三昧の手を見せてくださった。
驚くことに、
たちまち「兔の毛の斑」の茶葉が現れ出て、
甕から鵝児酒のような茶が汲まれたのだった。
天台山の「乳花の茶」は世にはもう見られないし、
盧仝が七杯飲むと両腋に翼が生えるといった茶はもうないとされていたのだが、
実はここにあったのだ。
東坡先生にはかの『茶経』の続編を作ろうとの気があるので、
きっと老いた謙師の名は不朽のものとなるであろう。
【補足】［（1）「兔毛斑」は優れた茶葉の形状の形容を表す語。「鵞児」は優れた酒の色合いの形容でそれを茶に転用した。「天台の乳花」はよくわからないが、白い泡の浮かぶ茶が天台山でたてられたことがあったのだろう。唐代の盧仝は茶の効用として、7杯飲むと翼が生えたような気分になるということを詩に詠んでいる［→作品番号04-2-078］。（2）唐代の陸羽の著作『茶経』は茶について記した偉大な古典としていまも読まれている］