第8章 栄光と失意――都
［第8章その三］
元祐3年［1088年］、蘇軾53歳。
元祐4年［1089年］、蘇軾54歳。
■【08-3-001】和子由除夜元日省宿致斎三首
【解題】弟の蘇轍は除夜から元旦にかけて省中に宿直し、斎戒して朝を待ちつつ3首の詩を詠んだ。これはそれに和したもの。
【訳文】
其の一
僕らが江湖に流落したのは、天が運命に関与したからではあるまい。
兄弟でいま禁中に仕えているのはただの偶然によるものだ。
世は等しく年が新たになったけれど、
僕ら兄弟はまだ会えないでいる。
それは帰郷できない境遇に置かれているためなのだ。
【補足】［かつて流罪になったのも、いま宮中にあるのも全てが偶然であるとここではいっている。末の句は、故郷に住む田舎紳士であるならば、新年になってただちに兄弟が顔を合わせられるのにという意味］
其の二
僕は白髮にして蒼顏、歳は五十三、
こんな僕であるのに、家の者ときたら、
この春のために新調した衫を無理やり着せたのだ。
新年の朝会から帰ってくると、その両袖にはまだ天の香りが満ちていて、
頂戴してきた銀の幡が頭上から子供らに微笑みかける。
【補足】［元旦には宮中で新年の儀が行われる。蘇轍が斎戒したのは、それに臨む準備であった。儀式が終わると、朝臣は美しく飾った幡をもらって帰る］
其の三
かの年の春、
僕らは月明かりを踏んで試験場へと急ぎ向かった。
そのときの試験委員長は酔翁［欧陽脩］、
酔翁は試験期間中は鎖された扉の内に籠った。
酔翁の門下生はみな白髪の老人となり、いま幾人が残っているだろうか。
そんな僕が酔翁と同じ役目を仰せつかって若者たちの新しい詩句を審査するのだ。
【補足】［蘇軾はこの年、科挙の二次試験の試験委員長を務めることになった。かつて蘇軾が科挙に合格したときに欧陽脩が試験委員長だった。32年を経て同じ役割を担うのである］
■【08-3-002】韓康公坐上侍児求書扇
【解題】1月16日に韓絳［康公］［→作品番号08-2-058］が主催する酒宴に招かれ、その場で作った座興の詩。趙徳麟の随筆『侯鯖録』に記事があるので、それと合わせて読んでおこう。趙徳麟は蘇軾と親しくした人で、第10章で登場する。
【訳文】
趙徳麟：『侯鯖録』より
韓康公［韓絳］が引退した後のこと、上元節を見物するために潁州から上京し、一月十六日に韓康公の私邸に朝廷に並ぶ人々九人が集まった。いずれも門下生やかねてから親しい官員で、当時の徳名の高い人ばかりであった。傅堯兪、胡宗愈、銭勰、東坡、劉攽、顧臨といった人々が集まったのである。
このとき、錢勰は仕事があって遅れてしまい、韓康公は渋い顔をした。すると、東坡は、
「今日は定めし本殿で焼香を受けておられて、大勢の人々に引き留められているのでありましょう」
といったので、人々は大笑いをした。
全員が揃うと、十人余りの家妓が出て、人々の接待をした。宴酣のころに、韓康公の寵愛を新たに受けていた魯生が出て舞った。舞い終わったときに、魯生は蜂に刺されてしまい、韓康公はひどく心配した。しばらくすると、魯生は白い団扇を持って現れ、東坡に詩を求めた。
窓揺細浪魚吹日、［窓に細かい浪が揺れるのは、魚が日差しを吹いているからであろう］
手弄黄花蝶透衣。［手に黄色い花を弄ぶ間に、蝶が衣を通り抜けてしまった］
不覚南風吹酒醒、［春の風がたちまち酒を醒ましてしまったので］
空教明月照人帰。［人々が帰るのを虚しく月が明るく照らすことになった］
これは初句に妓女の姓を記し［魚と日を合わせると魯になる］、二句目に蜂のことを記したのである。
韓康公が大いに喜ぶと、東坡は、
「私がいままことに恐れておりますのは、ほかの女性方も詞をほしがるのではなかろうかと」
と、いったので、一同はまた大笑いした。
【補足】［（1）宴席を盛り上げることでは誰にも引けを取らない蘇軾の面目躍如といったところである。こんなことをしていたのでは、厳格無比の程頤とは全く合わないはずである［→作品番号08-1-052］。（2）ここに集まった人々はいずれもすでに登場していて、傅堯兪は作品番号08-2-010で、胡宗愈は作品番号08-1-011で、銭勰は作品番号08-2-036で、劉攽は作品番号08-2-028で、顧臨は作品番号08-2-025で見ている。なお、傅堯兪は作品番号08-2-010では蘇軾を攻撃する陣営にいたのだが、この宴席では蘇軾のジョークに笑っているところを見ると、度量の広い人物であったのだろう。（3）銭勰が焼香を受けているというジョークは説明がないと全くわからない。当時都に九子母神を祀った祠があり、人々の信仰を集めて焼香に訪れる人が絶えなかった。九子母神のルーツは印度にあって、日本の鬼子母神と同根で、要するに子宝を恵む神様である。九子母神の隣には美しく作られた夫の人形が置かれていて、銭勰にはちょうど9人の息子があって、かつ美男子であったことから、人々は戯れて銭勰のことを「九子母の夫」と呼んでいたのである。（4）この宴席で団扇に書いたとされる詩がもう一首あり、蘇軾が恐れていたようにさらに詩を所望されたのだろう。それは、韓絳の屋敷を讃えただけの詩なので訳は割愛する］
■【08-3-003】書試院中詩
【解題】1月17日、蘇軾は科挙の試験委員長に正式に任命され、1月21日に孫覚［→作品番号08-2-041］、孔文仲［→作品番号08-2-021］ら20人ほどの関係者ととともに科挙を統括する役所［試院］に入り、それより1カ月余りそこに籠った。一切の不正を防ぐために、外に出ることを禁じられたのである。これは試院から解放された直後に記した文章。
【訳文】
元祐三年一月二十一日、科挙の監督としての仕事が始まり、李公麟を採点委員に招いた。三月初めに採点が終わり、諸庁から関係した者などが集まった。そのうちの数人とともに李公麟のもとを訪れた。このとき李公麟は水悸の病に苦しみ、気が塞いで食欲がなかった。皆で地面に転ぶ馬の詩を詠んで李公麟の煩悶を払おうということになり、黄庭堅が最初に詩を作った。
儀鸞供帳饕虱行、［試院に閉じ込められていた間は、寝床は虱がぞろぞろで］
翰林湿薪爆竹声、［役所から支給された薪は湿ってぱちぱち撥ね］
風簾官燭涙縦横。［隙間風で蝋燭の蝋があちこちに乱れるありさまだった］
木穿石盤未渠透、［石に穴を穿つようにしても外には全く通じず］
坐窓不遨令人痩、［窓辺に座して痩せてゆくばかりで］
貧馬百噛逢一豆。［貧しい家の馬がたった一粒の豆を百回噛んでいるようなものだった］
眼明見此玉花驄、［ここに転んだ馬をまざまざと見て］
径思著鞭随詩翁、［すぐに思ったのは、詩翁［蘇軾］の乗る馬を鞭打ち］
城西野桃尋小紅。［郊外に出て桃の紅い花を尋ねるということだ］
この詩に私が次韻した。
少年鞍馬勤遠行、［若いときは馬にまたがって遠くに行き］
臥聞嚙草風雨聲、［夜には馬が草を噛む音を寝床で聞いた］
見此忽思短策橫。［転んだ馬を見て思うのは、横たえたままの鞭だ］
十年脾肉磨欲透、［十年の間に足の筋肉がすっかり衰えてしまったので］
那更陪君作詩痩、［黄庭堅の詩に和そうとさらに身を削るようなことはしたくない］
不如芋魁歸飯豆。［芋の蔓と豆の粗末な飯でもいいから食べたいものだ］
門前欲嘶御史驄、［門前で馬が嘶くのは試験期間の終了を告げにきたのだ］
詔恩三日休老翁、［老いた我が身にこれから三日の休暇が与えられるのだが］
羨君懷中雙橘紅。［黄庭堅には母上が待っておられるのを羨ましく思う］
蔡肇、晁補之、舒渙、廖正一がそれに続いた。それらの全てをここには記さない。
私は戯れにもう一つ絶句を作った。
竹頭搶地風不挙、［地に付くばかりに曲がった竹は風が吹いても頭を挙げない］
文書堆案睡自語。［採点する答案に埋もれた私も同じようにうな垂れて眠ってしまった］
看馬欲▲頓風塵、［馬を見て思うのは、とにかく風の中を走って］ ［▲は馬＋展］
亦思帰家洗袍袴。［家に帰って垢にまみれた衣服を洗うことだ］
これらの詩に対して李公麟は笑っていった。
「馬がようやく私の筆に入ってきましたぞ」
紙を取ってさっと画を描いた。その後にこれらを記す。
三月六日、眉山の蘇軾が書く。
【補足】［（1）画を得意とする李公麟ら気の置けない仲間たちとともに楽しんだひとときをこの短文に記録した。試験監督として1カ月余りも続いた拘束から解放されて、わいわい賑やかに詩を詠み合い、絵筆を振ったのだろう。詩は意味のよくわからないところがあるので、大意を示した「ずっぽ訳」である。（2）これより3日前の日付がある文章をすでに作品番号06-2-080として見ている。その日までには試院から解放されていたのだろう。なお、蘇軾が試院にいる間も、蘇軾は朝廷に置くべき人物ではないと批判する声がやまずに続いていた］
■【08-3-004】韓康公挽詞三首
【解題】3月7日、韓絳［康公］［→作品番号08-3-002］が亡くなった。77歳だった。1月16日には楽しい酒宴を開いていたのに、たちまちこの世を去ってしまったのである。蘇軾はこの挽詞を詠んだ。
【訳文】
其の一
故国は高い木々に覆われている、
だから貴いのではない。
王を助け国を興す大臣がいるときにこそ貴いのである。
私は公［韓絳］よりも後れて世を去る者、
公のような老成人［円熟した大人物］がおられる時代にどうにか間に合った。
公の徳業は文武全般に及び、
公の風流は高位高官を代表した。
公が遊びに巡ったところはいまや公を喪って空しくあるのみ、
あちこちで残された民衆が泣いている。
其の二
公は父子二代にわたって忠清の徳を顕し、
公は三代の皇帝に仕えて功績があった。
功を成した後も郷里に帰ることなく、
栄誉を極めてからも君主に尽くすことを忘れなかった。
学問は正しい伝統を厳しく守り、
武威は国境の不穏な空気を鎮めた。
古代の名臣、韓奕の後を継ぐ者として、
全ての官員が優れた仕事をするよう指導されたのだった。
【補足】［最後は韓絳と同姓の韓奕を持ち出して韓絳を讃えたのだが、韓奕がいかなる人物であったかをわざわざ調べなくてもよいだろう。なお韓絳の実像はここに詠まれているほどではなかったようだ］
其の三
公は屋敷の東に部屋を設け、
後輩たちを呼び寄せ、その人物を見定めるとともに、
笙歌をもって白髮の先輩方も迎え、
燈火のもと、老いも若きも楽しみを尽くし、
真夜中に及んで、それぞれ人を添えて帰したのだった。
――そうしたことも頭を回らせば一つの夢、
詩を賦して墨がなお湿っているのを見つつ、
独り私は涙をぬぐうのである。
【補足】［韓絳の宴席で客人たちを楽しませていた魯生［→作品番号08-3-002］のような女性は、主人がいなくなった後にどのようになったのか、それを伝えるものは一切ない。旧来の漢詩文はそうした庶民の実情を描くことが少なく、宋代に流行した詞がその一部を拾い上げ、宋代に萌芽期を迎えた白話小説が明代に至って大いに発展したことでようやく庶民の哀歓も文学として掬い取られるようになるのだった］
■【08-3-005】余与李廌方叔相知久矣、領貢挙事、而李不得第、愧甚、作詩送之
与君相従非一日、筆勢翩翩疑可識。
【解題】この詩の題は次の通り。「私は李廌［字は方叔］とは以前からの長い知り合いである。私は科挙を執り行い、李廌は合格しなかった。私は非常に愧じ、この詩をもって帰郷する李廌を見送った」。李廌は作品番号08-2-041でも見たように、蘇軾の推薦を得て世に出ることを願っていた人物である。唐の時代であれば、試験委員長が推す人物は確実に科挙に合格したのだが、科挙は宋代に入ってから極めて厳格に実施されるようになり、試験委員長であろうとも、知人を有利に扱うようなことは一切できないようになっていた。蘇軾がここで「愧じる」といっているのは、李廌が書いたはずの優秀な答案を見逃してしまった不明を恥じるという意味である。かつて蘇軾の答案を特に優れているとして梅堯臣が取り上げていなかったら、蘇軾の人生は大きく変わっていただろう。
【訳文】
李君と知り合ったのは昨日今日のことではない。
李君の文章の勢いは一目でわかるはずだった。
唐代の李程は普段から李華の文章は優れていると説き、
自信をもってこれは李華の文章であると見抜いた。
私は自信なく迷ってしまったことを慚じ、
それからは家に籠っているのだが、
李君は大いに笑って、
「行止［及第か落第か］は天の定めるところ、
あなたが責められることはありません」
と、いってくれる。
このたびの受験生は五千人、
李君には怨みはなく、私には徳がない。
羊を買い、酒を沽ってせめて李君に謝ろうと思う。
どうか春風の前で私のために十分に酔ってほしい。
家に帰ったなら、雲を凌ぐすばらしい詩を賦すがよい。
私が見るに、李君の相は痩せた隠者になるものではないのだ。
■【08-3-006】和宋肇遊西池次韻
【解題】都の西側、順天門の外に周囲九里三十歩の金明池があり、皇室の園林として美しく整備され、都の景勝地の一つとなっていた。都の西にあることから西池ともいわれ、広い水域に船を浮かべて水軍の訓練をすることもあった。宋肇［→作品番号08-2-051］が金明池で遊んだ詩を詠み、それに次韻した。
【訳文】
皇帝は慈愛と節倹のお心があって外国との戦争をなさらないが、
ここでは千艘の軍船が瀬を下る訓練を指導される。
人は艨艟［軍艦］が飛ぶように動きまわるさまに目を見張り、
仙界の巨大な亀が空に舞うのはかくあろうかと想像する。
西を見れば、我が故郷は三千里の彼方、
回顧すれば、そこを出てよりすでに二十年。
笑ってしまうのは、こうしてちまちまと官職にしがみついていること、
貴君が神仙の地の近くで日々を過ごすのには遠く及ばないのである。
【補足】［宋肇は巫山県の知事として赴任することになっていた。巫山は蘇軾の故郷である蜀にあり、昔から仙人が住むところとして知られていた。この詩の後半はそうしたことに基づいて詠まれている］
■【08-3-007】僕領貢挙未出、銭穆父雪中作詩見及、三月二十日、同游金明池、始見其詩、次韻為答
【解題】この詩の題は、「私が科挙の監督をしていて試院から出られずにいた間に銭勰［字の穆父］が雪中の詩を作った。三月二十日に一緒に金明池で遊んだところ、初めてその詩を見せてくれた。それで次韻して答えた」。銭勰は作品番号08-3-002で見た「九子母神の夫」である。
【訳文】
私がここに来るのを知って、雪は全て消え去り、
貴君が来るのを待って、花はまだ風に飄らないようにしていた。
私は同行の者を避けて一人だけで少しばかり飲んでいたところ、
馬で走り来る使いに出会い、貴君のお招きを得ることとなった。
魚竜［軍船］が千里を翔けるような絶技に見入るのは、
四朝［四人の皇帝の治世］を経た白髪交じりの老人である。
かつて遊んだことのある酒店はいまもこうしてあるけれど、
衰えた顔は遥かな時を隔ててしまったものだ。
【補足】［（1）金明池は都の一大景勝地で、試験委員長の大役から解放されて、気の置けない友人とそこに遊べば、春の風光を大いに愛でる詩が生まれてよいはずなのだが、この詩はおざなりの感がある。ここまで蘇軾が都で詠んだ詩を改めて振り返ると、都の風光を喜ぶような詩が一つもなかったことに気づくであろう。例えば、杭州に赴任したときと比べると、その差は歴然としている。蘇軾には、当時世界第一の大都会であった都開封に憧れるような気持ちがなかったことは、作品番号01-1-006で見た詩から一貫しているように思われる。（2）この詩には3月20日との日付があり、翌日の21日に孔文仲が亡くなっている。孔文仲は蘇軾とともに科挙の試験委員を務め、その任を終えたばかりだった。蘇軾は孔文仲の棺を撫して、「このような勁直の士はもういない」と嘆いたという。（3）さらに翌日の3月22日が、この年の科挙の最終試験の合格発表であった。蘇軾が関わったのは科挙の二次試験で、皇帝自身が行う最終の三次試験は3月10日に実施された。合格者は首席の李常寧ら508人であった。欧陽脩は試験委員長のときに唐宋八大家に選ばれるような門下生を3人も得たが、残念ながら蘇軾の場合には、合格者の中に後世に燦然とその名を輝かすような者はいなかった。それはやはり、欧陽脩のときは北宋がまさに最盛期に向かいつつあったのに対して、蘇軾のときは北宋がすでに右肩下がりになっていたことが大きく影響しているのだろう。北宋は、新法党と旧法党の争い、そして旧法党内の争い、さらに新法党と旧法党の争いの再燃といった具合に政争に明け暮れたために、いくら科挙で優秀な人材を集めても、その力を結集できなくて、急速に国勢を衰えさせてしまったる。なお、このときの合格者の中に、章惇［蘇軾のかつての親友］の息子の章援や、周敦頤［著名な大学者］の息子の周燾がいて、次の第9章で2人との交流を見ることになる］
■【08-3-008】与李端伯宝文
【解題】李之純［字は端伯］に宛てた手紙。李之純は官界の先輩で、このとき成都府の知事であった。
【訳文】
貴君が河朔におられたときにお手紙を差し上げて以降、紛紛とした声はやむことがなく、次のお手紙を書くことができずにいました。このところは成都を治められて暇も多いとのこと、まことにお喜び申し上げます。蜀はもとより治めやすいところで、もしも擾す者がおりましても、貴君が深く民情を御承知の上からは民は貴君の政に素直に服すはずです。想い見ますのは、貴君がそちらに赴かれてから、談笑されるうちに日々事もなく治まり、春のお出ましを楽しまれておられる御様子、それにお供する方々の末に私が加われるのを望むばかりです。弟は庁舎に籠っていていまはまだお手紙を記すことができずにいます。
【補足】［この手紙は、文章の表面的な意味をそのまま受け止めるべきではなく、成都の民衆に優しく接してくれるよう李之純に特に頼んだものであると読むべきであろう。約30年前に成都知事の王素に送った手紙［→作品番号01-2-021］を思い起こさせるものがあり、蘇軾の強い郷土愛を感じることができる。ただし、この郷土を思う気持ちが、保守派内の派閥争いの一因になっていたのは否定できない］
■【08-3-009】書艾宣画四首
【解題】蘇軾よりも少し前の時代に活躍した艾宣という画師がいた。その画を見て詠んだ詩。画によって刺激を受けた蘇軾の感性が、該博な知識と連動して生み出された作品で、我々がそれと共鳴するのはたやすいことではない。4首のうちから1首だけを訳す。
【訳文】
其の三 杏花白鷴［杏の花と白い鷴］
天の工は、誰のために花の妍さを刻むのか、
蕊を抱えて群がる蜂たちのためなのか。
人が酒を手に把って春を惜しんでもすべては夢……
この閑客［画中の白い鷴のこと］が永遠に見続けているのには及ばない。
【補足】［終わりの句は、画中の春は永遠に続くということをいっているのだろう］
■【08-3-010】次許沖元韻送成都高士敦鈐轄
【解題】4月2日、高士敦が国境地帯の治安確保の任務を帯びて成都に行くのを許将［字は沖元］が見送った詩に次韻した。高士敦は高太皇太后の従弟であることから官職を授かった人物。蘇軾は2年前の元祐元年8月、遼国皇帝の誕生日を祝賀する使者に選ばれ、高士敦が副使とされた。しかし、何らかの理由で蘇軾は辞退し、代わって林旦が正使、高士敦が副使となって遼国に派遣された。そのことがこの詩の中に詠み込まれている。宋と遼は、正月とそれぞれの皇帝の誕生日などに祝賀の使者を交換し合い［→作品番号08-1-061］、友好関係を維持する上で大切な年中行事となっていた。
【訳文】
高君［高士敦］は皇族との縁によって官職に就いた、
地位の高下などはもとより虚名、
高君は真に優れた人物である。
私はものぐさのために高君とともに遼国に行くのを辞退し、
北へと飛び行く鴻を眺めつつ、
高君が堂々の使節として遼国に迎えられるのを想見したのだった。
高君は、高い才能は勛閥とは無関係であることを証明し、
帰り来ると、あり余る力で蜀の治安を担当することとなった。
高君が成都に行くなら、
西に遠く雪に覆われた山を臨み見ても、
もはやそこに変事を知らせる烽が上がることはない。
だから、高君は日々酒樽の横で過ごしていればよいのである。
【補足】［4月4日に蘇軾が非常に感動したと伝えられる出来事があった。それはいろいろな書物に記されているが、ここでは邵博の随筆『邵氏聞見後録』［→作品番号08-1-051］の記事を見ておこう］
【訳文】
邵博：『邵氏聞見後録』
蘇軾が翰林院にいたときのこと、ある夕暮れ時、中使［皇帝の使いの宦官］が来て、お召しであるといった。すでに半分酔い心地であったが、急いで水を汲んで口を漱ぎ、少し意識をはっきりさせると、東門から入って小殿で皇帝のお出ましを待った。
御簾の内から声がし、呂公著を（宰相に加えて）司空平章軍国重事に、呂大防と范純仁を左右僕射［宰相］にするとの仰せがあった。三人が承ると、高太皇太后がいわれた。
「学士殿［蘇軾］は前年は何の官にあったのか」
蘇軾は答えた。
「臣は前年は汝州団練副使でございました」
「いまは何の官にあるのか」
「忝くも翰林学士を仰せつかっております」
「何をもってこれほど俄かに翰林学士になったのか知っておるか」
「太皇太后陛下の思し召しにございましょうか」
「私は何も関わっておりません」
「では、皇帝陛下の思し召しにございましょうか」
「陛下も何も関わっておられません」
「よもや大臣の間から臣を薦めてくださったのでありましょうか」
「大臣も何も関わっていません」
蘇軾は驚き、
「臣は無遠慮でありますけれど、自分から敢えて望むようなことはしておりません」
高太皇太后はいわれた。
「学士殿にこのことをずっとお伝えしたく思っておりました。これは先の皇帝陛下の御心によるものです。先帝はお食事の間も箸を止めて文章を御覧になり、いま読んでいたものについてそっと私に向かってお語りになることがありました。そのようなときは、必ず学士殿の作でありました。先帝はそのたびに毎回『奇才である、奇才である』とおっしゃられました。しかし、学士殿を十分にお用いなることなく亡くなられてしまったのです」
蘇軾は思わず泣き声を挙げ、何もいえなくなった。高太皇太后も皇帝も泣かれ、他の者も皆泣いた。
すでに任命が終わると、皆は茶を賜わった。
高太皇太后は蘇軾にいわれた。
「学士殿はどうかお上のために心を尽くし、先帝の御恩に報われるように」
蘇軾は座を下って拝した。
高太皇太后の御指示で、御前の金の燭台が取られ、それによって蘇軾は翰林院に送られた。
以上のことを蘇軾は王鞏に語った。
【補足】［（1）蘇軾が答えた汝州団練副使は、黄州安置から罪を赦されて完全に復権する前のかりそめの地位であった。高太皇太后の言葉は、東の坡を耕していたころからしたら、夢にも聞けるようなものではないので、蘇軾が感動したのも当然であった。都における蘇軾の栄光のシーンである。（2）このときの任命によって、宰相は文彦博、呂公著、呂大防、范純仁の4人なった。いずれも保守派である］
■【08-3-011】跋宋漢傑画
【解題】この文章は作品番号05-4-114としてすでに見ている。そのときは宋子房［字は漢傑］の伯父の宋迪［字は復古］［→作品番号05-4-113］が主役として読んでいたので、ここで宋子房を主役として読み直しておきたい。都に滞在する宋子房と会い、その画を見ての感想である。
【訳文】
私はかつて宋迪君［宋子房の伯父］と遊び、その画『瀟湘晩景』を見て三首の詩を作った。その一部に、
径遙趨後崦、［曲がりくねった道は後ろの山へと趨り］
水会赴前溪。［水は前の渓へと赴いて合流する］
と、あった。それ見て、宋迪君はいった。
「君も画を描くのだね」
その甥の宋子房もまた画を学んでいる。これから数年もすれば宋迪君に並ぶようになるだろう。
元祐三年四月五日、書く。
【補足】［かつて宋迪の画を詠んだ三首の詩から、蘇軾は二句だけをこの文章に引いている。実は、作品番号05-4-113では訳者の理解が及ばないので割愛した第三首に含まれていて、この二句だけなら意味は明快である。画に描かれた遠近感を巧みに言葉で表現したもので、それが、「君も画を描くのだね」という宋迪の言葉を引き出したということになる］
■【08-3-012】又跋漢傑画山二首
【解題】宋子房［字は漢傑］の画はどうであったのか。同じときに書いた二つの短文が残っている。なお、宋子房は、蘇軾が初めて官職に就いて赴任した鳳翔府で知事であった宋選［→作品番号02-1-018］の息子である。つまり、蘇軾の最初の上官として特に蘇軾を厚遇してくれた人の子であるから、ここの画評はやや甘いのかもしれない。
【訳文】
（1）唐代の人である王維、李思訓の流れの人々が描いた山川峰麓は、自ずから変化に富み、蕭然として出塵の姿があり、しばしばその間に雲が描かれ、空に浮くその雲は遠く霞み、一羽の鳥が夕日の向こうへと飛び行き、江天の外へとまさに消え去ろうとしている。世の人々はこれを手本とし、唐人の画の典型として窮められたのである。
近年では、ただ范寬だけがこの古法をやや残しているものの、わずかながら俗気がある。宋子房のこの山の画は、不古不今、新意を少し出していて、これをさらに極めるならば、山に色が著くかのようになるであろう。
（2）士人の画を観ると、天下の名馬を閲るかのようで、いかなるところにも到ろうとする意気が感じられる。画工が描いたものは、往往にしてやたらと鞭や毛皮や飼葉桶や秣を並べて、数尺の巻物を埋めているだけで、優れたところが一点もない。宋子房の画は真に士人の画である。
■【08-3-013】謝宋漢傑恵李承晏墨
【解題】宋子房［字は漢傑］から李承晏の墨が贈られたので、その謝礼の詩。李承晏は墨を作る名手であったのだろう。
【訳文】
年老いた松を焼き尽すと軽い花のような煤となる。
それに墨にする妙法は唐代の李超に始まった。
それを受け継いだこの墨は、
翠色のような黒、冷ややかな光沢、
それが何に似るかといったら、
寒空から降りてきた鴉の翼のような女性の髮であろうか。
■【08-3-014】与李方叔
【解題】李廌［字は方叔］［→作品番号08-3-005］に送ったメッセージ。
【訳文】
ここのところ連日、殿門に伺候し、お会いするのを果たせずにおります。お手紙をいただき、お変わりないとのこと。明日は韓康公［韓絳］の弔問に伺い、晩には家に帰ります。もし貴君の御都合がよろしければ、夜に訪問してお別れ前のお話ができるでありましょう。
【補足】［李廌は科挙に不合格になってから後も、韓絳［康公］［→作品番号08-3-004］が亡くなったころまでは都に滞在していたのだろう。多忙ななかでも、後輩を思う蘇軾の心遣いがわかる］
■【08-3-015】次韻子由五月一日同転対
【解題】蘇軾を何とかして陥れようとする者は、あれがだめならこれと、次々にほじくり出し、このころは科挙を巡って不届きなことがあったとして趙挺之らの批判にさらされていた。蘇軾は弟とともに反論を記して5月1日に朝廷に提出した。そのことを弟が詩に詠んだので次韻した。
【訳文】
漢の時代に、賈宜は意を決して思うところを記して皇帝に差し出した――
僕らもまた同じこと、堂々と正しいことを論じるだけであって、
そうするのは、農夫や樵に笑われないためである。
唐の高祖皇帝は、晋陽で隋を討つための旗揚げをした――
そのとき、高祖皇帝は「これは我らのためにだけにするのではない」といった、
天下のことを思う天子のお言葉を僕らも聞けるに違いない。
唐朝は五月一日を皇帝が文武百官と顔を合わせる日と定めた、
まさに今日は五月一日である。
僕らの半生の出処進退は常に憂患とともにあり、
郷里に帰るのが上策であることは早くからわかっていた。
それでも、「後生畏るべし」、後に続く者たちの評価を思わずにはいられない。
ああ、それにしても僕は衰えてしまった。
僕は見くびられたのか、それとも見かけ倒しだったのか。
■【08-3-016】張士遜中孔道輔
【解題】蘇頌［字は子容］から、50年ほど前の事件の裏話を聞き、それを記録した文章。馮士元という人物がからんだスキャンダルで、その告発をした孔道輔が途中で日和ったために失脚となった。政争の渦中にあった蘇軾としては、身につまされるものがあっただろう。蘇頌の名は作品番号05-3-038などで見ていて、蘇軾の先輩で、北宋第一の機械学者とされている。
【訳文】
かつて孔道輔が御史中丞であったときに、馮士元の事件を審理し、人に阿ることなく法に従って判断を下した。仁宗皇帝はそれを称え、孔道輔を高位に就けようとした。時の大臣は馮士元と利を通じ合っていて、特に宰相の程琳が最もひどかった。孔道輔がその実情を掴んだとき、張士遜は不快に感じ、孔道輔を陥れようとした。皇帝は孔道輔が作成した書類を中書省に送るよう指示した。孔道輔が中書省に行く途中で、張士遜はそれを引き止めてしばし語り、おもむろに、「貴君は間もなく大きな地位に就くでありましょう」と、いった。孔道輔が喜ぶと、張士遜は、「貴君がこのようにまでなったのは、誰のお力によるのか御存知でしょうか。程公［程琳］がいらっしゃらなければこうはならなかったでありましょう」と、いった。孔道輔はうなだれ、程琳には徳があると考え、己の行為を恥じた。日を置かずして孔道輔は皇帝の前で、力を尽くして程琳を救おうとした。皇帝はひどく立腹し、程琳を罰するとともに、孔道輔を左遷して都の外に出した。孔道輔は張士遜に陥れられたと知り、憤慨の余り病気になり、赴任する途中で死んでしまった。
元祐三年五月三日、これを蘇頌から聞いた。
■【08-3-017】録陶淵明詩
【解題】このころ欧陽脩の息子の欧陽棐［字は叔弼］も朝廷にいて、若干の交流があった。そのことが記されている短文。最初に陶淵明の詩をそのまま掲げている。
【訳文】
清晨聞叩門、［すがすがしい朝、門を叩くのが聞こえた］
倒裳往自開。［あわてて衣をさかさまにひっかけて、門を開いた］
問子為誰与、［「どなたでしたか」と尋ねると］
田父有好懐。［気のよい農家のおやじさんで］
壺漿遠見候、［壺に酒を入れて、遠くから様子を見にきてくれたのだった］
疑我与時乖。［私が時世に背を向けているのをいぶかしく思って］
襤縷茅檐下、［「茅葺屋根の下での襤縷の日々は］
未足為高棲。［高尚なお暮らしとはいえますまい］
一世皆尚同、［世間は、みんなが同じようにするのが結構であるとしておるのです］
願君汨其泥。［あなたも、世俗の泥をかぶるのがよいのではありませんかな」という］
深感父老言、［「先輩のお言葉に深く感じ入ります］
禀気寡所諧。［それでも、私のもって生まれた性質で、うまく合わせるのが不得手なのです］
紆轡誠可学、［たづなを取り直して、進路を曲げるよう努めるべきなのでしょうが］
違己詎非迷。［自身をいつわるのは、迷いというものなのではないでしょうか］
且共歓此飲、［まあ、それはそれとして、これを飲んで楽しみましょう］
吾駕不可回。［私の車は方向転換がきかないのです」］
この詩を欧陽棐君は愛し、私もまた愛するものである。
私はかつてこのようなことをいった。
「言葉が心に発して、口を衝いて出ようとする。これを吐き出すと人に逆らうことになる。これを呑み込むと己に逆らうことになる。ならばどうするのか。むしろ人に逆らうのがよい。だから、私はついにそれを吐いてしまう」
陶淵明のこの詩の意は謀らずもそれと合致する。それでこの詩を書いておく。
【補足】［（1）陶淵明のこの詩は、『飲酒』という題の連作の第九首である。ひとつ前の文章と合わせて読むと、蘇軾の覚悟が見えてくる。（2）後に蘇軾の次男の蘇迨が欧陽棐の娘と結婚するのを第10章で見るようになる］
■【08-3-018】与王慶源
【解題】郷里にいる王淮奇［字は慶源］［→作品番号06-1-084］に宛てた手紙。
【訳文】
御所望の紅の帯を一条ここにお送りします。翁［王淮奇］が私にこれをお求めになったと、そこらの連中が聞いたなら、なんやかやといい出すかもしれません。好きにさせておけということでありましょうか。私の詩を一首と、黄庭堅君と秦観君の二首も添えます。いま詩文をもって世に名のある者がそれぞれ一首ずつ賦してくれたのです。『黄素経』一巻を写し、合わせて孫子発君［字は宣徳］に託してお送りします。……
【補足】［郷里の方に行く孫子発に託して王淮奇にいろいろなものを贈ったのである。その経緯は次の詩の題に記されている］
■【08-3-019】慶源宣義王丈、以累挙得官、為洪雅主簿、雅州戸掾。遇吏民如家人、人安楽之。既謝事、居眉之青神瑞草橋、放懐自得。有書来求紅帯、既以遺之、且作詩為戯。請黄魯直学士、秦少游賢良各為賦一首、為老人光華
【解題】長い詩の題は次の通り。「王淮奇［字は慶源］は、しばしば科挙に応じた末にようやく官職を獲得し、洪雅の主簿、雅州の戸掾となった。民衆や下役人に対して家族のように接したので人々は喜んだ。すでに職を辞め、眉州青神県の瑞草橋に住み、悠々自適の暮らしを送っている。老人から手紙がきて紅の帯を求めたので、それを贈り、戯れの詩を作った。黄庭堅と秦観にも一首ずつ作ってもらい、老人に華を添えることにした」。かつて王淮奇に宛てた手紙を作品番号06-1-084などで見てきたが、それらからは王淮奇が官職に就いている様子は窺えなかったので、最近になってようやく短期間ながらも念願を果たせたのだろう。「紅の帯」の意味するところはよくわからないが、職を退いた老人が華やかに身を飾るためのもので、それを都にいる蘇軾から贈られたならこの上ない名誉であるということなのだろう。郷里の先輩を大切に思う蘇軾は紅の帯だけでなく、黄庭堅と秦観にも詩を作らせた。なお秦観は蔡州の学校の教授を務めていたので［→作品番号08-1-059］、何らかの用事があってこのころに都にきていのだろうか。
【訳文】
貴君は書生のまま、霜に遭った葉のように枯れるところであった。
かろうじて官職を得ると、
子のように民を遇し、我が家の使用人のように下役人に接したので、
人々は貴君のことをお役人様として見上げるようなことはなかった。
貴君は、「自分はたまたま字が読める農夫であるだけなのだ」といっていた。
いつまでも貧乏であったので妻は泣くし、子供は飢えて叫ぶし、
時に野人が来て馴れ馴れしく貴君の髭をひっぱったりもした。
貴君は、役人としての成績は下の下であると自ら採点して職を辞し、
芋と豆くらいならどこへ行ってもついてまわるはずだと、
郷里に帰ったのだった。
いま貴君は瑞草橋あたりの路を独り歩き、
携えるのは酒の入った壺が一つ、
慈姥巌の前で自ら渡し舟を呼び寄せ、
青衣江のほとりをぶらぶらすると、人々が争って貴君の手を取ろうとする。
春の蚕の市に行くと、数州から集まってきた人の中に、
貴君が務めた土地の者がいて貴君を取り囲むので、
市の人々は貴君を指さして一体誰なのだろうか怪しむ。
そのとき貴君は、紅い帯に白い髯が映え、老いてなお堂々の姿である。
私は西に帰って貴君の隣に住もうと思う、
垣根を隔て、貴君の歌声に合わせて手を打つのだ、
懐旧の情に空しくふけるようなことはしないつもりだ。
【補足】［（1）「野人」には、田舎者、庶民、礼儀を知らぬ者、飾らぬ真心のある人などの広い意味がある。都で高い位にあって上辺ばかりを飾る偽善者の真逆の人間である。（2）詩の中ほどにある慈姥巌と青衣江は眉州青神県の地名。蘇軾の郷里では春に賑やかに蚕の市が開かれることは作品番号02-3-002で見ている］
■【08-3-020】次前韻送程六表弟
【解題】従兄弟の程之元［字は徳孺］が楚州知事から江南西路転運判官に転任することとなり、蘇軾は先の詩［→作品番号08-1-028］に次韻して贈った。
【訳文】
貴君の家の兄弟はいずれ劣らぬ宝玉揃い、
門には赤い車輪の車が十台も並び、一万石もの貯えがある。
知事の印の竹の符を授かっただけでなく、
いずれは尚書の位の者が履く舄も頂戴することになるだろう。
先の年の災害時に、貴君は官の倉庫を開いて窮民を救い、
行く先々で武器を売って農産を増やす策を実施した。
都に帰ってくると、己の功績については口を閉ざしたまま何もいわず、
すぐにまた長江を渡って別の任地に向かうことになった。
私は残念に思う――
貴君は才能がありながら十分に用いられていない、
あたかも谷間に聳え立つ松のようだ。
私は全く違う――
役に立つところがないので、いたずらに大きくなれただけの木なのだ。
貴君は頭が白くなっても青い衫を着て百官の底あたりに置かれている、
それでもどうか腐らずにいてほしい、
旧い薪の上に新しい薪が積まれてゆく例は世間に多い。
思うに、私はかつて江南の江湖に釣り舟を浮かべ、
無数の山を我が筆の内に収める経験をした。
いまのところは、
降りかかる火の粉を扇で払わなければないほどの状況にはないけれど、
恐れなければならないのは、
俗世に染まり切って、山の方から出入りを止められてしまうこと。
貴君に頼みたいのは、
江南の老人たちにどうか謝ってほしい、
私が再び会おうといった約束を果たさずに、
空しく都で太陽を仰ぎ見ていることを。
いつか長江に浮かんで蜀へと遡るのだ、
その志はしかとここにある、
長江の水にかけて嘘はいわない。
■【08-3-021】題崔布袋真儀
【解題】20年ほど前に一度見ていた布袋和尚の像に書き添えた短文。崔白と呉元瑜は当時よく知られた画工であった。かつて見たのは改革政治が始まろうとしていたときで、それからの歳月を思わずにはいられなかっただろう。
【訳文】
熙寧年間に、画工の崔白が布袋の姿を描いたこの画を見せてくれた。その筆は清く、古風で、優れて呉元瑜を超えていると思った。
元祐三年七月一日、眉山の蘇軾が記す。
■【08-3-022】跋盧鴻学士草堂図
【解題】これも画に添えた短文。唐代の玄宗皇帝のころの盧鴻が描いた『草堂図』に添えた短文。
【訳文】
これは唐の盧杞丞相や段文昌のもとにあった画で、いまは内侍都知の劉有方君の家にある。
元祐三年七月、私は北使［遼国の使者］の接待役を都亭駅で務め、そのときに劉君が見せてくれた。それで詩を賦して書くものである。息子の迨と過も遠く見にきたので、同じく詩を賦させて書かせた。
【補足】［（1）遼国の使者は坤成節［皇帝の即位記念日］を祝うためにきたもので、都の東にある都亭駅で蘇軾はその接待に当たった。（2）蘇軾は詩を賦したとここに書いているが、その作品は残っていない］
■【08-3-023】送周正孺知東川
【解題】7月、周尹［字は正孺］［→作品番号08-2-003］が梓州［東川］の知事に任命され、その送別の詩。梓州は蜀に属する地である。
【訳文】
学問を実践する者は、
昔は一郡の知事にでもなれればもう十分な栄誉だとしたもので、
任を終えて帰郷すれば、人々から大いに敬われた。
まして、梓州は堂々の土地柄、
千人を引き連れて墓参りに行くほどたくさんの人がいる。
門から村に入るときには、
知事もきちんと車から降り、村の老人たちが迎えに出るくらいに、
礼儀を重んじるところ。
貴君の端正な姿は賢人とされた漢の何武のようで、
司馬相如を知事として迎えるのを人々が誇りとしたことなど物の数ではない。
清らかに世の中が治まっているときには、
人を養うことが大切で、
木だって育て方によってはどれもが有用なものになる。
貴君に一郡を指揮する力量があるのに比べ、
私自身を顧みると、丘に帰って耕すのがよく、
職を去って悔いないことこそが勇気ある決断なのだ。
貴君に先立って帰るべきで、
廉潔を慕って退くといえば聞こえがよいけれど、
実のところは、自分が衰えて役立たずだとわかっているのだ。
蜀の地では、知事になった人物の画を描く習慣があるから、
貴君の画の隣に並べてもらえるよう、
先に我が画を用意して待つつもりである。
【補足】［蜀に関係するとなると蘇軾も力が入るのか、この詩と同じ韻を用いてもう1首送別の詩を周尹に贈っている。煩を厭い訳は割愛する］
■【08-3-024】楽苦説
【解題】楽と苦について考察。
【訳文】
楽な事を慕い、苦しい事を畏れる。これは己の身にまだ苦や楽が至っていないときの心持ちである。すでに苦や楽が至り、身をもってその中にあるときには、慕うとか畏れるとかの心持ちなどあるはずもない。まして、苦や楽が過ぎ去った後には、慕うとか畏れるとかそのようなものはどこにもない。
声を尋ねる、影を捕らえる、風に繋ぐ、夢を追う――この四者は上に記したことと似ているけれど、声、影、風、夢はまだしも彷彿としてそこに存在している。
楽な事を慕い、苦しい事を畏れる――このことばかりを考え過ぎるのは病のもとである。そのような病をどのように治せばよいのかと思案を重ねるのなら、その先に楽な事が得られるのであろう。
いま理屈でもって諸君等に語ろうとしてもそれは難しい。
元祐三年八月五日、書く。
【補足】［理屈では語りにくいことを書いている文章であるから、訳文は原文から離れずに作りつつもはなはだ自信がない。問題はどうしてこの時期にこのようなことを書いたのかということだ。黄州に流され、いま朝廷の高官となっているのは、普通にいえば苦から楽への大転換を経て、得意の最中にあってよいはずなのだが、前の幾つかの詩でも見たように、蘇軾は次の苦がすぐそこに、もしくはすでにそこにあると感じていたのだろう］
■【08-3-025】虚飄飄
【解題】虚しく飄飄とするもの［実態なくゆらゆらするもの］を詠んだ詩。これだけを見ると、一種の物尽くしの戯れ歌、あるいは俗な教訓詩のようだが、ここの一連の詩文と合わせるといささか味わいが違ってくるであろう。
【訳文】
虚飄飄、［虚しく飄飄とするもの］
画檐蛛結網、［軒端に結ばれた蜘蛛の網］
銀漢鵲成橋。［天の川を渡るという鵲の橋］
塵漬雨桐葉、［塵を漬すようにして降る雨に落ちる桐の葉］
霜飛風柳條。［霜を飛ばす風に揺れる柳の枝］
露凝残点見紅日、［ぽつんと残った露が紅い日を見るとき］
星曳余光橫碧霄。［星がわずかな光を曳いて青空に橫たわるとき］
虚飄飄、［虚しく飄飄とするものだって］
比浮名利猶堅牢。［浮ついた名利に比べたらどれも実に堅牢なものだ］
【補足】［この詩に黃庭堅と秦観が和し、海原に浮かぶ蜃気楼とか、春の水に解ける氷の橋とか、虚しく飄飄とするものをさらに列挙している］
■【08-3-026】相国寺題名
【解題】宋の都の第一の寺として名高い相国寺を訪れた記録。
【訳文】
蘇軾、蘇轍、孫敏行、秦観とともに相国寺にきて、王詵が描いた墨竹を見た。申先生も来られた。
元祐三年八月五日、申先生は一百一歳である。
【補足】［孫敏行は官員仲間で、秦観はこのころまで都にいて蔡州に帰ったようだ。王詵［→作品番号08-2-061］は身分が高く、風雅を愛し、後で見るように画もなかなかの腕前だった。101歳という申先生は未詳］
■【08-3-027】碣石庵戯贈湛庵主
【解題】相国寺の碣石庵の湛庵主に贈った戯れの詩。湛庵主の詳しいことはわからない。
【訳文】
年の初めには保康橋の上で夜に燈篭を観て、
夏には碣石庵の巌の前で氷のような水を飲む。
山林の趣をもって町の市の雑踏を笑わないでほしい、
この老人［蘇軾］の手の内にも烏藤［杖のことで、山野を歩く意を宿している］があるのだから。
【補足】［蘇軾には都の名所を詠んだ詩がほとんどない理由をここから読み取ることができなくもない。都の上元節の夜景は無数の燈篭で飾られ、当時の世界で並ぶもののない盛観であった。相国寺境内では定期的に市が開かれて、その賑やかさもまた世界屈指のものであった。それらを楽しむよりも、蘇軾はむしろ烏藤を手に山林を歩くことの方は自身にとって価値のあることだと考えていたのである］
■【08-3-028】和王晋卿題李伯時画馬
【解題】李公麟［字は伯時］［→作品番号08-3-003］が描いた馬の画を見て王詵［字は晋卿］［→作品番号08-3-026］が詩を詠んだのでそれに次韻した。
【訳文】
飛脚のもとには良馬がある、
貴君はそんなものに目を向けない。
紙の上に収められたこの駿骨［馬のこと］、
果たしてどこから来たのだろうか。
ひとたび鞭を当てられたならば、
肉を翻して蟻塚をひらりと跳び越え、
沙漠の地を縦横に駆け抜けるであろう。
そのようなときに巡り合えない不遇を嘆くのは、
馬ばかりではない。
【補足】［同じころに李公麟の馬の画について詠んだ詩がもう一首あるが、訳は割愛する］
■【08-3-029】題晁無咎蔵画馬
【解題】晁補之［字は無咎］［→作品番号08-2-037］はいろいろな画を持っていたようで、これは馬の画に添えた短文。
【訳文】
晁補之が所蔵するこの画には、八頭の野生の馬が描かれ、山や谷の間に見え隠れしている。慘淡とした雰囲気で、柳宗元がいうところの「風鬃霧鬛、千里相角」［たてがみをなびかせて千里を競い走る］の趣がある。しかし、その筆法は不器用で、遠い韻を知る人ではあるものの巧みではない。
元祐三年、宋景年と張耒とともに観た。
【補足】［宋景年［字は遐叔］は当時朝廷にいた人で、張耒［字は文潜］［→作品番号08-2-043］は晁補之とともに「蘇門四学士」の一人である］
■【08-3-030】自跋石恪画維摩賛、魚枕冠頌
【解題】自作の賛および頌歌を書き、それにこの跋文を加えた。賛は石恪が画いた維摩像に添えたもの、頌歌は魚枕冠を称えたもので、前者は作品番号06-5-018で、後者は作品番号06-5-024見ている。
私は黄州にいたときに、この二つの作品を戯れに作り、次第に忘れてしまった。元祐三年八月二十九日、同僚と早くに出勤し、独りで玉堂に坐していて、たちまちこの二首を思い出した。それでここに記録しておく。
翰林学士、眉山の蘇軾、記す。
【補足】［職場で不意に記憶が蘇って書き残したことで、この二篇はいまに伝わったのである］
■【08-3-031】跋送石昌言引
【解題】父蘇洵の同郷の先輩に石揚休［字は昌言］がいた。石康伯［→作品番号06-1-108、08-1-009］の父である。石揚休は朝廷の高い位に昇り、皇帝の使者として遼国に派遣されたことがあり、蘇洵はそのときに送別の文章を作った。それを石揚休に渡すために筆を執って清書したのは蘇軾で、嘉祐元年［1056年］9月19日のことで、蘇軾は21歳で科挙の受験のために都に滞在中であった。それから32年を経て、蘇軾は再び自分が記した父の文章を見て、この跋文を書き添えた。跋文を読む前に、もとの蘇洵の文章を見ておこう。これは蘇洵の代表作としてよく知られている。
【訳文】
蘇洵：『石昌言使北引』
石揚休が科挙の一次試験に初めて合格したのは、私がほんの五、六歳のころで、私はまだ学問を習っていなかった。思い出せるのは、そこらの子供たちと父のもとで遊んでいたときに、石揚休が傍らから棗や栗の実を手に取って私に食べさせてくれたことだ。家が近く、また親戚でもあることから、非常に親しくしていたのである。
石揚休は一次試験に合格して以来、日に日に有名になっていった。私は次第に成長し、少しばかり書物を読むことを知るようになり、句を区切って読むことや、音律の規則に敵うように字を並べることを学んだのだが、まだ習熟する前にやめてしまった。石揚休は私が学問をやめたと聞いて、私には何もいわなかったのだが、その心の内を察するに、きっとひどく残念に思っていたのだろう。
十余年後に石揚休は第四番目の成績で科挙の最終試験に合格し、地方官として各地を巡り、郷里に帰ってくることはなかった。私は大人になり、あるとき感じることがあって、それまでの己を折って、再び学び始めた。
それから数年して都に行き、石揚休と長安で会い、長年の苦労を互いに慰め、かつての通りに楽しく語り合った。私が十数篇の文章を出して見せると、石揚休ははなはだ喜んで、「善し」といってくれた。私は晩学で師匠もなく、毎日文章をひとりで書いてきていたので、心の内では己の未熟さを恥じていた。石揚休がそのようにいってくれて非常に嬉しく思った。
さらに十余年していままた都にくると、石揚休は翰林学士ならびに中書舎人となっていて、天子の使者として万里の外に出ることとなった。強く悍しくて我が朝に屈しない姿勢を示す遼国に向かって、大きな旆を立て、数百騎を従え、車千乗を連ねて都の門を出て行くのである。その意気はまことに盛んである。
私は思うに、子供であったときに父の傍らで石揚休を見て、将来このようなことなるとは想像すらできなかった。富貴になるかならないかなどは気に掛けるまでもない。私はいまの石揚休を見て独り感じることがある――男児として生まれたからには、将軍にはならなくとも、使者となって言論をもって交渉に勝つならもういうことはないのだと。
かつて彭任は富弼に従って遼国に使者として行き、帰ってから後で私にこのようなことをいった。
「国境を出て駅亭に宿を取ると、鎧を身に付けた騎兵が数万騎ばかりも馳せて通過して行った。剣と槊がぶつかり合う音が一晩中続いた。それを聞いて従者は恐れて真っ青になった。明け方になって道に出て無数の馬の跡を見て、心臓がばくばくするのを自分ではどうすることもできなかった」
遼国が中国に対して威を輝かせて惑わすやり方は多くはこの類で、中国の人は事情がよくわからずに、ある者は恐れて震え上がり、ある者は言葉を失い、向こうの笑いものとなってしまうのである。ああ、何と考えの浅いことではないか。
漢の時代に劉敬は匈奴の冒頓のもとに使者として行ったときに、兵士も馬も隠れていて一切見ることがなかった。そのために皇帝は油断し、平城で匈奴の軍勢に囲まれてしまった。いま遼国のやり方はその逆であるから、中国に対して何かしかけてくる力など実はないとわかる。
孟子はこういった。
「大きな相手を説き伏せるときには、呑んでかかるのがよい」
まして相手は夷狄であるのだから、軽くみてかかればよいのだ。
以上のことを石揚休に贈る。
【補足】［（1）宋は文官優位で、名のある将軍がほとんど現れず、外国に対して軍事的に常に劣位に立っていた。だから、平和を維持するための外交交渉が重要であった。この文章で蘇洵は、外交交渉を有利に進めるのは戦場での将軍の活躍に勝るとも劣らない重要なことであると、石揚休に説いたのである。（2）途中に彭任が富弼に従って遼国に行ったときのエピソードが記されている。これは富弼の神道碑［→作品番号08-2-012］で見た、遼国との非常に難しい交渉のときのことである。遼国は宋の使者を驚かすために、わざと大げさなデモンストレーションをしたのである。（3）最後の孟子の言葉は、各国を遊説して苦労を重ねた孟子ならではのもので、この言葉を選んだのは、独立不羈の精神で己の道を拓いてきた蘇洵にいかにもふさわしい］
【訳文】
右は嘉祐元年九月十九日に我が父が書いた『石揚休が使者として北に行くのを送る』という一文である。この文字は私が二十一歳のときに記し、これは石揚休に贈った原本である。いまは陳師道が所蔵している。
石揚休は詩が上手で、当時そのことで名が知られ、官員としては知制誥にまでなった。
彭任はやはり蜀の人で、富弼に従って遼国に派遣され、霊河県の主簿であったときに亡くなった。石介はかつて彭任についてこのように記した。
「彭任は道をわきまえた人で、背の高さは七尺あり、その膽はその身体以上に大きい。いつも酒店に居て、仲間とともに一日中飲み続ける。聞けば、彭任が遼国に行く使者となったのは、遼国の出方が予測できなかったときのことで、彭任はくさくさとして酒をあおって店の床を拳で叩き、皮膚が裂けて血がほとばしった。かくして自ら志願したのだった。死ぬ気で遼国に向かったのである」
彭任のひととなりはおよそこのようで、人を殺めるばかりの任侠を好んだのだった。
元祐三年九月一日題す。
【補足】［（1）蘇軾は自分の筆で記した父の文章を32年後に再び見て、いろいろなことを思ったに違いない。蘇軾が筆を執ったのはまだ科挙に合格する前で、自分の将来は全く予想がつかなかった。いまや蘇軾は石揚休が使者として派遣されたときと同じく翰林学士ならびに中書舎人となっていて、まさしく遼国に行く可能性もあった［→作品番号08-3-010］。（2）この跋文では蘇軾自身の感慨を記すことはなく、彭任について記している。蘇洵の文章をだけを見ると、彭任は臆病者だったかのように思えてしまうので、そうではないことを明らかにしたかったのだろう。（3）陳師道の名は作品番号08-2-041で、石介の名は作品番号06-4-070でそれぞれ見ている］
■【08-3-032】送銭穆父出守越州絕句二首
【解題】9月7日、銭勰［字は穆父］［→作品番号08-3-007］が越州知事に任命され、都を出て行くことになった。これはその送別の詩。銭勰は、朝廷への報告に偽りがあると告発したことが問題視されて地方に出されたのだった。
【訳文】
其の一
公文書に埋もれていると百の憂いが集まってくる。
いまは酒を手にしてひとつ笑おうではないか。
都の人々は硬骨漢を失うのを残念がっているのだが、
会稽［越州］の人々は古の仙人のような人が来てくれるのを喜んでいる。
其の一
会稽といえば若耶溪の雲門寺、
唐の賀知章が亡くなって以来、
見る者もなく蓮の花は空しく開き続けてきた。
私は残念ながらなお泥の中にいなければならないが、
貴君に勧めるのは、
若耶溪に浮かべる船の棹を返して都に戻ってきたりしないように……
【補足】［賀知章は李白や杜甫の先輩で、風雅を愛する脱俗的な人物で、高い地位を棄てて会稽に隠棲した潔さは、心ある士大夫の慕うところであった］
■【08-3-033】西江月
【解題】同じ時期に同じく銭勰［字の穆父］に贈った詞。
【訳文】
莫歎平齊落落、［大業を成した人は零落の中にあっても志を失いませんでした］
且応去魯遅遅。［かの孔子にしても故郷を出て行かなければならないときがありました］
与君各記少年時、［あなたもわたしも少年の日々からのことを思うなら］
須信人生如寄。［まことに人の生は寄せるがごときものなのです］
白髪千茎相送、［送る者も送られる者も白髪が千本］
深杯百罰休辞。［よい詩ができなければ罰は酒が百杯］
拍浮何用酒為池。［酒の池に舟を浮かべて大いに酔おうといった者がいましたが］
我已為君徳酔。［すでにわたしはあなたの徳によってすっかり酔わされてしまっています］
【補足】［蘇軾の人生哲学「人の生は寄せるがごとし」がここで用いられている。それだけ銭勰と心が通じ合うと感じていたのだろう。最後の句の「君の徳の為に酔う」は単なる美辞麗句ではない］
■【08-3-034】答黄魯直
【解題】黄庭堅［字は魯直］［→作品番号08-3-003］に宛てた手紙。
【訳文】
先日、張耒君と晁補之君が来てくれました。私がしばらく病に臥せっているので、貴君も連れてきたかったといっていました。もとより私の願うところです。来てくれるよう手紙を書こうと思ったのですが、ここ両日は座っていると痛みがひどく、その毒がまだおさまらないので、ことに無聊をかこっています。そこに貴君のお手紙と詩を得て、喜びに堪えません。一両日中には痛みもおさまり、数日のうちに苦しみもなくなるでしょう。人々は病気見舞いにかこつけて訪れようとし、来るといきなり話し始めます。李常君が御史台に召されるとのこと、はなはだ喜ばしく思います。会えばいろいろなことを言い合えるでしょう。……
【補足】［（1）最初に蘇門四学士の張耒［→作品番号08-3-029］と晁補之［→作品番号08-3-003］が病気見舞いにきたことが記してある。このときの病は坐骨神経痛の類でないかと推測されている。（2）ここで李常［→作品番号08-2-028］について触れられている。黄庭堅は李常の甥に当たることから特に言及しているのだろう。その後も、李常と親しくしたような痕跡は残されていない］
■【08-3-035】書贈柳仲矩
【解題】柳仲矩に書いて贈った短文。柳仲矩は柳瑾［→作品番号08-2-008］に繋がる人物であろうと推測されている。
【訳文】
柳仲矩君が共城からきた。官米を大きく丸めて私に食べさせつつ、百泉の奇勝について語ってくれた。そして、隣に住んでみたらどうかと勧めてくれた。我が心はそれに誘われてすでに太行山の麓に飄然と行ったのであった。
元祐三年九月七日、東坡居士が書く。
【補足】［共城は黄河中流域の町で、北から太行山地が迫ってきて、百泉は名所として知られていた。蘇軾が都の政争に疲れ地方に出て行きたいとぼやいたので、この文章のようなことになったのだろう］
■【08-3-036】文驥字説
【解題】都で急死した文努光［→作品番号08-1-049］の子の文驥の名前について記した短文。驥とは駿馬の意味である。
【訳文】
馬は徳に優れているという。馬は蹄を踏んで力を尽くし、一方で轡を切って逃れようと智を尽くす。その力によって千里を走り、その智によって道に迷う。
文驥は文同の孫、文務光の子、そして蘇轍の外孫である。小名を驥孫といい、それによってその名を驥とした。馬の力の方を称えるのではなく、徳の方を称えよう。それで字を元徳という。
元祐三年、外伯翁の東坡居士が書く。
【補足】［父を早くに亡くした文驥のことを思う蘇軾の気持ちが伝わってくる］
■【08-3-037】送程七表弟知泗州
【解題】題にある「程七」は「程六」の弟。つまり、蘇軾の姉の夫であった程之才の弟の程之元［→作品番号08-3-020］のそのまた弟の程之邵［字は懿叔］である。程之邵が泗州知事として赴任することになったのでその送別の詩。
【訳文】
都にいたのでは、
大きな川も広い湖も見ることができない。
とにかく座っているだけでも顔は塵まみれになってしまう。
洛陽からくる流れの末に舟を浮かべるなら、
たちまち淮河の南の山々を見ることになる。
どの山も美しく、
ことに暁に鏡のような水面に現れ出る姿は格別である。
新任の知事殿も公文書に埋もれながらも、
山を見てふっと笑みをもらすであろう。
知事殿は天の馬のような人、
朝には北方の地にいたのに、暮れにはもう南方の地にいる。
いまは名馬を見分ける眼力の持ち主がいないので、
馬小屋で虚しく老いてしまうところであったのだが、
ささやかながらも外を駆ける機会を得たのであるから、
盗賊でも不逞の民でも徳をもって化服させるのがよいであろう。
人に知られないと嘆くことはない、
水辺に臨む泗州の古い仏像はきっと見ている。
知事殿は泗州の全てに赤ん坊に対するように愛情を注ぎ、
人の世の細々としたことは浮草のように見て、
万事は川辺の茅や菅のようにさらりと受け流す――
とかくこの人に任せておけばよいという人物なのである。
【補足】［（1）詩の始まりの部分は、蘇軾がもともと都の風光をあまり好んでいないことを反映しているのだろう。（2）詩の終わりの部分はよくわからないので、いつもの「ずっぽ訳」である。（3）蘇軾はかつて泗州を訪れていて［→作品番号07-2-003など］、その経験を踏まえてこの詩を詠んでいる］
■【08-3-038】送曹輔赴閩漕
【解題】曹輔［字は子方］が閩州［福建］に赴任するのを見送った詩。曹輔とはこのころから交流が始まった。
【訳文】
曹先生は儒者でありつつ、
弱きを助け強きを挫く好男児、
筆の勢いは波を翻すかのようだ。
これまでは、西方の馬が往来する国境近くの町にいて、
砂漠からの強風に儒冠は裂かれるばかり、
槊が横たわる間で詩を詠み、
盾の上で公文書を次々に書き上げていたのだった。
もっぱら遠く行くことを我が事とし、
いま都の紅い塵を浴びたかと思うと、
たちまち巌の潜む急流を越えて南に行くのである。
これまで炙った羊の肉を噛んでいた口で、
これからは大海原の塩を舐めるのだ。
向こうで荔枝の実をひとたび食べるなら、
もはや苜蓿を盛った皿のことなどは忘れてしまう。
私もまた江海の人［辺鄙なところに生きる者］、
都会は安心して住めるところではない。
常に恐れるのは、青雲の志は遂げられないまま、
虚しく坐して白髮ばかりが増えること。
陶淵明は『帰去来の辞』を賦して、談笑のうちに官職を棄てた。
私はいま何をする者なのか、
自ら身を索いで自ら独り苦しんでいるのである。
旅行く曹先生に問おう――
「清き淮河の秋の水の深さはいまどれほどでしょうか、
私の舟はいつ出発すべきでしょうか」
季節はもう露から霜へと移り、日々に寒くなっている……。
【補足】［「我亦江海人、市朝非所安」［我亦た江海の人、市朝は安ずる所に非ず］や「今我何為者、索身良独難」［今我は何為る者ぞ、索身良に独り難し］の句はこのころの蘇軾の真情をよく表したものと見てよいであろう」
■【08-3-039】次韻王郎子立風雨有感
【解題】蘇轍の娘の婿である王適［字は子立］の名はこれまでにもしばしば見ているが［→作品番号07-1-004など］、このころは蘇轍とともに都いたようだ。その王適が「風雨に感じる」という詩を詠んだので次韻した。
【訳文】
人の一生とされる百年も、
一度俯き一度仰向くうちに過ぎ去る。
その間に、寒さと暑さが交互に主となり、
毛皮が重苦しく感じられるようになったかと思うと、
すぐにまた団扇が邪魔くさくなる。
栄辱にしてもどちらがよいとかいちいち思う間もなく、
これを喪えばそれを獲るという具合に入れ替わるのである。
やたらと音を出そうとしなければ、琴は永久に壊れることがない。
若者はとかく己を成長させようともせずに、
自分は才能を抱いたまま空しく置かれていると呻き声を上げる。
苗を無理に伸ばそうと引っ張るようなことをするよりは、
菜が大きくなるのをゆっくり待つ方がずっと益が得られる。
ここに一人の男が世間から離れて静かに暮らしている、
門の外には訪ね来る人の跡もなく、
陶淵明のように、
衣の穴を結んでも冷たい風が入り込み、
門を塞いだ席から雪が吹き込み、
いつも飢えに迫られてしまうのを恐れている。
そんなことは笑い飛ばすがよい、
要するに造物者が君に戯れているだけなのだ。
君のためにこの詩を賦して筆を置くと、
風雨が強くなってきたような気がする。
よそう、君のためには春の上着を作るべきだ、
科挙に合格した祝いの宴に着ることができるように。
【補足】［蘇軾のこの詩から察するに、王適のもとの詩は恐らくかなり感傷的なものであったのだろう。王適は依然として科挙に合格できず、苦しい心理状態にあったようだ。後に見るように、王適はこのほぼ1年後の10月25日に35歳の若さで他界する］
■【08-3-040】書黄庭内景経尾、并叙
【解題】『黄庭内景経』という道教の経典がある。「黄庭」とは脾臓のことで、そこに宿る神の働きによって不老長生が得られるというようなことがこの経典には書いてあるらしい。蘇軾は筆を執って『黄庭内景経』を記し、葆光道師［蹇拱辰］に贈った。この詩に添えた跋文も残されているので、その内容を序文の中に適宜補って訳す。
【訳文】
叙
成都の道士の蹇拱辰［字は翊之］すなわち葆光道師が廬山に帰ることになった。私は『黄庭内景経』を書いて葆光道師に贈った。竜眠居士［李公麟］は先にその経の趣を画に描き、その後で私と葆光道師を描いた。竜民居士の筆勢は絶妙で世に稀な宝となるもので、感嘆するだけでは足るまいと、これを賛する詩を作った。
【補足】［李公麟［→作品番号08-3-028］は果たしてどのような画を描いたのだろうか］
【訳文】
太上［最も尊い］なる虚皇［虚の道を説く教祖］がこの霊妙な経典を出されると、
黄庭［脾臓］に宿る真人は嬉しさの余り舞い踊った。
髯の道人［葆光道師］と老いた儒者［蘇軾］がそこに居合わせた。
太上虚皇には髪を束ねた子供がにこやかに仕え、
十三人の神がしっかりと警護している。
太上虚皇は堂々のお姿で私に尋ねた。
「そなたは何の縁があってここにおるのか。
朝には心が空で、夕べには悟る、
そのような者でなければこの経典を伝えることはできない」
太上虚皇はお立ちになり、
私はその最後に付いて、葆光道師に従って山や谷を越えて行く。
山の隠者たちは私が帰ってきたのを笑って迎える。
人間界に残ってしまった竜眠居士は、さてどうするのだろうか。
■【08-3-041】葆光法師真賛
【解題】上の詩に見た葆光道師はどのような人物であったのか。蘇軾が、その肖像画に添えた賛があるので見ておこう。
【訳文】
嗟、この法師は四十四歳になり、雌雄の欲を知ることなく、身は都にありながら、己の利欲を営むことがない。体つきは立派ではなく、口から立派な言葉を発することもない。頭はぼさぼさで、本性は鹿のようである。向かおうとするところには、鉄でも石でも隔てることはできないし、鬼神でも押し戻すことができない。皇城の門に降り、帝のいるところ見下ろしても、誰も怪しく疑う者はいないであろう。
■【08-3-042】送蹇道士帰廬山
【解題】葆光道師［蹇拱辰］が廬山に帰るのを見送った詩。
【訳文】
物を知覚するのはたぶん息によるのだろう、
息はどのようにして出たり入ったりするのか。
心が天に遊ぶのなら、何もない部屋にいても空しいものではない、
心が天に遊ぶのでないときは、目耳鼻の六つの穴ががたがた騒ぎを起こす。
葆光道師は人から逃れて廬山に入る、
山の中には人はおらず、葆光道師が一人行き来する。
行く者は空、還る者は失，
葆光道師の身は行くも還るもないところにある。
綿綿と永遠に微風の絶えることのない山中で、
葆光道師は内丹［内なる完全性］と外丹［外からの働きによる完全性］を一瞬のうちに同時に成し遂げる。
人間世界で三千年を経たころに、
葆光道師は鶴にまたがってまた帰ってくるのだろうか。
【補足】［この訳詩は大意さえも示せていない。岩垂憲徳・釈清潭・久保天随訳解『蘇東坡詩集』（1927年）は、この詩を注して、「空を掴むが如く、雲を捕うるが如きもの、一貫せる意味は無きものの如くである」と記している。訳者がさっぱりわからないのも仕方ないとあきらめよう］
■【08-3-043】李伯時画像跋
【解題】李公麟［字は伯時］［→作品番号08-3-040］はさらさらと画を描く人であったようで、このような跋文も残されている。
【訳文】
李公麟は初めに私の肖像画を描き、そこに己自身の像を描き添え、「殿上二人」と賛を記した。黄庭堅と我が弟がその後ろに言葉を書いた。すると、李公麟は私と弟の像を描き、葆光道師を導き手とした。皆が山中の人なのである。
蘇軾が書く。
■【08-3-044】興国寺浴室院六祖画賛、并叙
【解題】中国の禅宗を発展させた達磨、慧可、僧璨、道信、弘忍、慧能の6人の僧を六祖という。その六祖を描いた画が都の興国寺にあり、蘇軾がその賛を作った。ここでは賛に添えられた序文だけを訳す。
【訳文】
叙
私は嘉祐年間に初めて科挙の進士科の試験を受けることになり、興国寺の浴室院の老僧徳香のもとに下宿した。浴室院の南に古い建物があり、東西の壁に六祖像が画かれていた。東の壁の前には木を組んで楼閣堂宇が作られ、それにさえぎられて全体を見ることができなかった。西の壁の三師は、いずれも神宇靖深［深い精神性を湛える］、中空外夷［外見は魁夷で内は空である］であって、道を知る者でなければこのように画くことはできまいと感じた。画の上に「蜀僧の令宗の筆」とあった。
私はそのとき令宗の名を知らなかった。我が家に偽蜀［五代十国時代の蜀国］の丘文播の筆になる画があり、それと似ていてほとんど区別がつかないくらいであった。それで、私は、「令宗は丘文播を師とした人だろうか」と考え、蜀の老人たちに尋ねたところ、「丘文播は漢州の人で、弟を丘文暁といい、令宗はその異父弟あるいは従弟である」とのことだった。いずれも山水、人物、竹石を画くことを得意とし、その出来栄えは黄筌と句竜爽の間にあった。丘文播の子の丘仁慶は花実や羽毛の画き方に優れ、蜀人の趙昌が師と仰いだ人である。
それから三十一年を経て、中書舍人の彭礪君が浴室院に宿泊し、私はそこで彭君に会った。寺にはもはや私を知る人は誰もいなかった。ただ寺の主である恵汶が当時は堂上の侍者としてこの寺にいたようで、いまはもう年老いているのだった。
恵汶は私を案内して令宗の画を見せてくれた。しかし、東の壁の三祖はやはり蔭になって隠されたままだった。私と彭君は顔を見合わせて嘆息し、
「ああ、これを取り去ったら、何があるだろうか」
といった。
そこで、置いてある楼閣堂宇を北側から運び出したところ、六師が互いに向かい合って話をし、笑い合い、仏法を授け合うようなありさまとなった。
都の人はこれを聞いて見に行く者が日々に増えた。恵汶は柵を作ってこれを保護するようにし、彭君はこれに賛を添えるよう私にいった。
【補足】［（1）蘇軾が科挙の受験のために上京したのは嘉祐元年［1056年］で、翌年の4月まで興国寺に滞在した。それから31年後に再び興国寺を訪れたのである。（2）壁の前に置かれていた楼閣堂宇とはどのようなものなのだろうか。（3）蜀の画の伝統について蘇軾が記した文章を作品番号06-1-107で見ていて、そこでは黄筌の名が挙げられている。（4）彭礪はかつて首席で科挙に合格した人で、王安石に用いられたものの新法を批判して左遷され、このころにまた都に戻った］
■【08-3-045】書魯直浴室題名後並魯直題
【解題】上に見た興国寺浴室院の「六祖の画」について、黄庭堅［字は魯直］が後に文章を記し、さらにそれに蘇軾が短文を加えた。少し時間の順序が入れ替わるが先に見ておこう。
【訳文】
浴室院に蜀僧の令宗が描いた達磨以来の六祖師の画があり、人物が皆絶妙である。山、川、花、木、動物、鳥、衣、器物などのもろもろの物について画師はよく知っていて、俗人が目に見えていても万物が従うところの道が何であるのかを言い得ないものを描いている。
この画を描いた壁は人々の行き来する場にありながら画は隠れ、数十年の間、人に知られていなかった。長い年月を経て、蜀人の蘇軾がこれを発見した。物は世の変遷とは関わらないようでいながら、このような興衰の定めがあるのだろう。
この寺の井戸の水は冷たくて甘い。恵汶師が碾く建溪茶は天下第二に落ちることはない。
古い友人の陳慥は林下の士で、たまたまここに簟を敷いて寓居し、蘇軾、范百禄がしばしば訪れている。それで私も興国寺の門を過るときにはここに立ち寄っている。
元祐三年、黄庭堅が題す。
これから五百年の後には、浴室院のあたりも廃墟となり、六祖の画は消え去り、蘇、范、黄、陳もことごとく鬼の名簿に入っている。それでもこの書だけが存在しているのなら、ここに来たものは私のこの心を知って、手を打って笑ってくれるだろう。
十二月十五日、蘇軾が書く。
【補足】［ここに注目すべきは陳慥［方山子］が都にきて浴室院に滞在していたことだ。蘇軾が陳慥に上京を勧めていたことを作品番号08-1-024で見ているが、陳慥が実際にいつ都にきて何をしたのかなどの詳しいことは不明である。また、作品番号06-3-020で見た「柏石の図」の詩はこのときに詠んだとする考証もある］
■【08-3-046】乞郡劄子
【解題】蘇軾を批判する声は、元祐元年12月に館職を授ける試験を担当したころに始まり、以来止むことがないままに間もなく2年になろうかという10月17日、この文章を皇帝に提出した。すでに何度か繰り返してきているのだが、地方官として外に出たいとの切実な願いを改めて強く訴えたのである。
【訳文】
元祐三年十月十七日、翰林学士朝奉郎知制誥兼侍読の蘇軾、劄子にて申し上げます。
臣は近ごろ左臂が不調で、両目がよく見えず、そのために、礼儀を失い職を疎かにしかねない恐れがあり、一つの郡を担当する任に就けていただきたく堅く乞うものであります。……［中略］……臣下としての大義を申せば、たとえ病であっても死ぬまで仕事に努め、礼儀を失って職を疎かにしているとのお咎めがあっても、それを避けずに受け止めるべきでありましょう。臣が敢えて職務に就かぬことを乞いますのは、実は理由のあることなのであります。これを申し上げるならば、枢要の方々の機嫌を損ね、軽くない罪を得てしまうでありましょう。しかし、言わずにおりますのは、父とも申すべきお上を欺くことになり、それは誅罰に値する最も大きな罪でありましょう。それでついに申し上げることといたしました。
……［中略、『易経』を引用して、己の身に不安があるときには十分に国に酬いる仕事ができないことをいう］……陛下が御即位されました始めに、臣は死の淵から救われたばかりか、半年の間の翰林学士にまで抜擢していただきました。その御命令に従い、敢えて辞するようなことなく、臣の拙なる身をもって鋭意国に報いようとしましたところ、台諫［官僚の違法行為を糾弾する部署］より仇敵であるかのように批判を受けることとなりました。臣は先の宰相の司馬光と賢愚のほどは違いますが、厚い信頼を長く頂戴しておりましたことから、司馬光が大任に就きましたときにはすぐにそのもとに馳せ参じたのでありました。これは人の情として当然のことで、どこからも異論の出るものではありません。しかしながら、司馬光が差役法について建てた政策については、いまは不適当であるとして強く争わざるをえませんでした。しかし、台諫の人々は司馬光の意見に合わせることで昇進しようとしたのでありました。そして、司馬光が亡くなると、司馬光の考えであるとして陛下の眼をごまかし、徒党を組んで異論を排除しようとし、臣の意見は不適当であると協同で攻撃したのでした。司馬光が民に対して至誠を尽くすことを求め、人に迎合することを求めることがなかったのを全く知らないのであります。陛下は虚心にして無我であられますことから、そのような徒党の上に立つ主となられるようなことはあろうはずがないのです。
……［中略、范百禄と韓維が論争を起こしたとき、呂陶が范百禄に立って韓維を批判したことをいう］……臣はもともと蜀の人で、范百禄と呂陶とは実は旧知の間柄で、そのことをもって、韓維の一党は臣のことを憎んで、「川党」［蜀党の別称］を組織する者だとして指弾しました［党派を組んで政治運動をするのは臣下としてあるまじき行為とされていた］。……［中略、かつて黄庭堅が趙挺之の施策を批判し、また蘇轍が趙挺之の妻の父の罪を明らかにしたことから、趙挺之は高官に用いられると、蘇軾を憎んで排斥することに全力を挙げたことをいい、また王覿は蘇軾の一味である胡宗愈が問題を起こしたとし、孫覺は蘇軾の親類である丁騭雲が問題を起こしたことと関係づけて蘇軾を罪に陥れようとしたことをいう］……それらに対して、陛下は不確かなことはいわないようにとのお言葉をもらされました。朝廷の内外の人々は、このことをもって陛下のお心を知ったのでありますが、臣は早くに朝廷を去らなければ必ず危いことになると考えもしたのであります。臣は陛下は天より授かった御聡明さをもって臣が無罪でありますことを御存知であると存じ上げております。しかし、台諫の気炎は朝廷を震動させ、上は執政大臣から朝廷の百官、下は都の外の各地の知事に至るまで、皆がその鋒先を恐れて、その意向に添おうとしています。臣は去らなければ勢いとしてこの身を全うできないのであります。天下はこのようなことを知っておりましても、陛下は宮中の奥深くにおられて、ここまでは知る由もないのであります。
臣が考えますに、古の三代以降で、明主と称えられて、漢の宣帝、唐の太宗を上回る人はいません。しかし、宣帝は蓋寬饒を殺し、太宗は劉洎を殺しました。どちらも讒言を信用したもので、罪がないのに死んだことは今に至っても哀れまれております。……［中略、例示した二人について詳しく述べる］……宣帝と太宗の二人が明知を備えていなかったわけではないのです。蓋寬饒と劉洎の二人が皇帝に深く理解されていなかったわけではないのです。二人は皇帝に深く理解されていることを恃みとして、讒言が積み重ねられていくのを避けなかったために、ついには身体と首とが場所を違えて天下の笑いものとなってしまったのです。いま臣が陛下に理解されておりますことは蓋寬饒や劉洎より優るといたしましても、臣を悪く言う者は当時の十倍もいるような状況になっております。陛下の明哲、寬仁が先の二人の皇帝を超えるものでありましょうとも、臣がそれを恃みとして朝廷を去らずにいましては、先の二人と同じにならずにすむことはないのでありましょう。先の二人の死を見て、天下の人々、後世の人々は二人の皇帝は讒邪を信じて忠良を害ったといい、二人の皇帝の聖徳はひどく傷付いてしまいました。先の二人の者がもしも変化の兆しをあらかじめ知って、先に去ることを求めていたならば、その身もその名も、また皇帝の名誉も保たれていたはずなのであります。臣はたとえ自分のことなどは考えなくても、臣が罪を得た後に、天下の人々、後世の人々が陛下をどのようにいうようになるかを考えないわけにはいかないのであります。
昔、先帝は臣を上殿に召され、古今の成敗についてお尋ねになり、今後は事に即して物を申し上げるようにとのお言葉を頂戴いたしました。その後、臣はしばしば事を論じ、それは採用されたわけではありませんでしたが、さらに詩文を作って、物に寓し、諷に托して、できればお上のお耳に達して、聖意を感悟申し上げることがあればと務めました。しかし、李定、舒亶、何正臣の三人は、臣がそのようなことをするのは朝廷を誹謗するものであるとして、遂に臣は罪を得てしまいました。諷諫と誹謗とは似たところがありましても、違うものであります。ところが、先ごろ、臣の書いたものにある語句をもって、趙挺之は先の皇帝を誹謗するものであるとしました。これは白を黑とし、西を東とするもので、まったく似たところさえもないのであります。臣は趙挺之が臣を害おうとするものは李定、舒亶、何正臣を上回るものであり、臣の讒言の受け方は蓋寬饒、劉洎を上回るものがあると知ったのであります。
……［以下略、蘇軾の希望を叶えてくれるよう乞い願う文章が続く］……
【補足】［（1）この文章において、司馬光の死後に始まった讒言の嵐の中にあって、それはかつて李定らが死罪を求めたときよりもひどいものになったので、もはや都を去る以外にないと蘇軾は述べている。蘇軾もある程度は警戒していたにしても、都に来てわずかの間にこのような状況に追い込まれるとは考えもしなかったであろう。（2）蘇軾に対する主な攻撃を挙げておく。①館職を授けるための試験の問題の中に先帝を誹謗する文言があったとして、朱光庭、傅堯兪、王巌叟らが攻撃した。②呂陶が蘇軾兄弟と徒党を成し、その背後には文彦博がいるとして、賈易が攻撃した。これはむしろオウンゴールとなって賈易は左遷され、程頤も皇帝の教育係の任を解かれた。③蘇軾はそもそも国家の大役を担える器ではないとして、王覿が攻撃した。④蘇軾はもっぱら軽薄な人士を己のまわりに集めているとして、趙挺之が攻撃した。⑤もともと関係のない事件に蘇軾を巻き込もうとして、王覿、孫覚が攻撃した。⑥科挙の二次試験を巡って蘇軾が不正を行おうとしたとの噂が流されるなど、種々の誹謗中傷が間断なく行われた。（3）蘇軾を批判した人々の中に孫覚の名があるのは少々意外な気がする。孫覚といえば、作品番号04-1-030でその名を見て以来、長く深い付き合いのあった人物である。かつての友情も、権力抗争の場にあっては顧みられないものとなってしまうのだろうか。あるいは、孫覚からすると、蘇軾のことを他の人よりもなまじ深く知っているために、より強く油断のならない人物であると見ていたということであるのかも知れない。蘇軾を嫌う者はなぜか徹底的に嫌うようになるようで、蘇軾にはそのように仕向けてしまう何かがあったのだろうか。（4）蘇軾が蜀党［あるいはこの文章にあるように「川党」とも呼ばれた］の領袖と目されて、激しく攻撃されるようになったのは、弟の蘇轍にもかなり大きな要因があったという説もある。蘇轍は一本気で、常に直線的な物の言い方をして、極めて剛直であったので、若いときから警戒の目で見られていた。弟の直球を嫌うか、兄の変化球を嫌うかは人それぞれであろうけれど、兄弟を憎む心は、自ずとより目立つ兄の方に集中して向けられるということだったのだろう。付け加えれば、この文章には「韓維の一党は臣のことを憎んで……」とあるが、蘇軾は先に韓維を讃えた詩を作っていて［→作品番号08-2-057］、その一方で、蘇轍は韓維を糾弾していたのだった］
■【08-3-047】書出局詩
【解題】上の文章を提出した後もまだ都での職務は続いた。これは翰林学士院の官署から出た際にふと浮かんだ詩を記した文章。
【訳文】
急景帰来早、［日の傾くことが急で、早く帰り来たところ］
濃陰晩不開。［夜になっても濃く曇ったままだった］
傾杯不能飲、［杯を傾けても飲む気になれない］
待得卯君来。［卯君［弟］が帰るのを待ってからにしよう］
今日は官署から早く出たところ、暗く曇って雪が降ってきそうだった。弟はもっと遅くなってから官署を出た。
この詩を作って、すぐに、十年前に徐州にいて、王鞏が訪ねてきたときのことを思い出した。王鞏は徐州に十日余り留まってから南京応天府に帰った。ときに弟は南京応天府にいたので、王鞏は去り際に、弟への手紙を書くよう求めた。私は酔い伏せってしまっていて書くことができなかったので、一首の絶句を与えた。
王郎西去路漫漫、［王君が西に去って行く路は長い］
野店無人霜月寒。［野の店には人もなく、寒さのうちにあるのは月だけ］
涙湿粉箋書不得。［涙が紙を濡らしてしまって書くことができない］
憑君送与卯君看。［王君に託して卯君に与えようと思う］
卯君とは弟の子供のときの名である。
弟との現在の情味は徐州にあったときよりも勝っている。それでも、一緒に自然の中に帰って、「夜雨対牀」をともにする楽しみには及ばない。
元祐三年十月二十三日。
【補足】［（1）蘇軾が徐州知事であったときに王鞏が訪ねてきたことは作品番号05-4-075で見ている。（2）誹謗の嵐が吹き荒れる都で、蘇軾が切に願ったのは弟との「夜雨対牀」であった［→作品番号07-1-075］。兄弟は都にともにいながらも、高位に就いているが故にしみじみ語り合えるような状況にはなかったのだろう］
■【08-3-048】書林次中所得李伯時帰去來、陽関二図後
【解題】李公麟［字は伯時］［→作品番号08-3-043］が描いた『帰去来』と『陽関』の二図に添えた詩。その画は官員仲間の林旦［字は次中］が所有していた。『帰去来』は何度も見ている陶淵明の『帰去来兮の辞』［→作品番号06-2-051］を、『陽関』は唐の王維が詠んだ送別の詩を画にしたものである。二首のうちの一首を訳す。
【訳文】
其の二
二つの画は描かれたばかりであるかのように、
墨の艶やかさから香りが立ち上がる。
酒の前で別れの詩を唱えるありさまを描き終わると、
たちまち『帰去来』の画を作った。
それは、悲痛な思いだけを学ぶまいとのことであろう。
■【08-3-049】臥病逾月、請郡不許、復直玉堂。十一月一日鎖院、是日苦寒、詔賜官燭法酒、書呈同院
【解題】この詩の題は、「病で臥すこと月を超え、郡の職に就くことを願ったものの許されなかった。十一月一日、また玉堂［翰林院の建物］で宿直することになった。官署の門が鎖され、この夜は寒さが厳しかった。皇帝の御指示によって宮中の蝋燭と酒を頂戴した。そのことを書いて、翌朝、同院の者に示した」。
【訳文】
細かな霰がさらさらと玉堂に降りかかる。
夜になってから文書を起草せよとのことで、
忙しく衣を付けて職務に励む。
御燭の光を分けてくださったのは星が輝くばかり、
宮中から賜わった壺はよい香りを漂わせる。
酔って書くと目がちかちかして字が大きくなり、
仕事を終えても老人は眠ることができなくて、
時の流れが遅く感じられる。
いつしか人生の終わりの日々を暖かく過ごし、
灯火を掲げ、祭りの酒はまだ半分の楽しみを残していると、
さらに歓を尽くすようなことができるのだろうか。
■【08-3-050】送周朝議守漢州
【解題】周表臣という人が漢州の知事として赴任するのを見送った詩。漢州は蜀に属する。
【訳文】
蜀の地では、茶の取り引きを巡って民衆がたびたび苦しめられてきた。
近年では李杞と李稷によって莫大な茶税を絞り取られたために、
人々はその忌まわしい名を記憶に刻み込んだ。
この状況を改めたのは、
周表臣、その甥の周尹、そして張宗諤、呉師孟、呂陶、宋大章の六君子で、
貴君の家が最も力を尽くしたのだ。
ここに貴君は事に坐して都を出て漢州に行くことになった。
貴君は老齢に及んでも、剣を見つめる気迫をもって、
歳の暮れに風雪を犯して遠く旅に出る。
郷里に帰ることを思うのも時宜に敵っていようから、
自身を顧みてよく考えるのがよいだろう。
それでも、私が聞いているのは、漢州のあたりは種々の問題があるとか、
昔、七十歳になった龔遂が地方に派遣されて著しい功績を挙げた例もある。
貴君も立派に職務を果たすなら、都に召し還そうとの詔が届き、
漢州の人々は還すまいと貴君の袖を引くであろう。
まだまだ都の高官として活躍して、
宮中の庭園の美を詩に歌うことになるであろう。
【補足】［茶が広く飲まれるようになったのは、作品番号06-4-027にあったように、唐代以降のことで、宋代に入ると茶は生活必需品となり、国はそれを国家の専売品にして多額の税収を得ようとした。国が増税を図れば民衆の負担が増え、一方で闇取り引きが盛んになって違法集団が跋扈する。蜀は茶の産地で、専売制度はしばしば紛争の種となった。この詩はそのことを踏まえて詠んでいる。李杞と李稷は新法党の人で、税収の増加に努め、民衆を苦しめた。その政策を、保守派の「六君主」が是正に努めたのであるが、そうした功績がありながら、周表臣は左遷されてしまったのである。「六君子」のうち呂陶の名は蘇軾を擁護する人々の一人として作品番号08-3-046などで見ている］
■【08-3-051】木山、并叙
【解題】この詩には短い序文がある。
【訳文】
叙
吾が父はかつて三つの峰を持つ「木山」を蓄えていた。父はそれについて文章を書き、また詩を詠んだ。すると、梅堯臣がその詩を見て詩を詠んだ。それから三十年を経て、甥の蘇千乗が五つの峰のある「木山」を得たので、ますます面白いことになった。そこで、梅堯臣の詩に次韻して、「木山」のかたわらに刻むことにした。
【補足】［（1）「木山」は山のような形をした枯れた木。この序文にある父の文章を蘇軾の詩の前に見ておこう。（2）蘇千乗は蘇軾の従兄の蘇不欺の長男で、三男の蘇千能とともにこのころに都にきていた。先に蘇不乗と次男の蘇千之は科挙に不合格となって帰郷していたので［→作品番号08-1-031］、何らかの事情でまた上京していたのだろう］
【訳文】
蘇洵：『木仮山の記』
木となって生まれても、不幸にして、ひこばえのままで終わってしまうのもあれば、人の腕くらいになったところで枯れてしまうのもある。幸いにも家の棟木になるくらいにまで成長したところで、人の手で伐られてしまうのもある。あるいは、不幸にして、風に倒され、水に流されるのもあり、そして砕けて腐ってしまうのもあれば、幸いにも砕かれ腐ることから免れても、人に拾われ、木材として使うために斧で伐られ、鋸で切られてしまうのもある。最も幸いなのは、浅瀬に流れ着いて砂の下に埋もれ、何百年か後になって、好事家に掘り出され、その形が山に似ているとかで愛玩され、斧や鋸で傷付けられずにすむものであろう。そのようなものでも、遠い辺鄙な地にあったのでは、好事家の目に触れる機会はなく、結局は薪にされてしまうであろう。最も幸いなものになりかけて、不幸なものとなってしまうのである。
我が家には三つの峰を持った木仮山がある。それを見るたびに、運命とはいかなるものであるかを私は疑わずにはいられない。この木は生まれて、ひこばえのままで終わってしまうことはなく、人の腕ほどで枯れてしまうこともなく、家の棟木になるくらいまで成長して伐られてしまうこともなく、風に倒され水に流されてからも砕かれて腐ることもなく、木材として使うために斧で伐られ鋸で切られることもなく、浅瀬に流れ着いて砂の下に埋もれ後に薪にされてしまうこともなく、こうして我が家に来たのである。こうなったのは、単なる偶然ではなく何か理由があるのではないだろうか。
私がこの木仮山を愛するのはただ形が山に似るからだけではない。運命の玄妙さに感じるところがあるからだ。そしてただ愛するだけではなく、この木を敬う気持ちもある。
三つの峰の中央は、大きく険しく、まことに重々しく、左右の峰を従えるような勢いがある。左右の二つの峰は、中央の峰に勢いでは服しているように見えても、鋭く威厳のあるありさまは、犯すべからざるものがある。二つ峰には決して中央の峰におもねる気持ちはない。そのようであるから、三つの峰からなるこの山を敬い、感じるところがあるのだ。
【補足】［三つの峰とは、容易に推測できるように、蘇洵、蘇軾、蘇轍を象徴するものである。蘇洵は人に知れないままに空しく薪として焼かれてしまうことを厭い、独学で一代の文章家になったのである］
【訳文】
木が生まれて願うのは、
有用な材として伐り出され、一万頭の牛に曳かれて運ばれて行くことではない。
天寿を全うして後に沙洲に倒れ伏すことである、
幸いにもその時がきて、
河の神が活躍する秋に巡り逢う――
神は大木を見て勇むけれど、押す流すことができない、
そのまま、木には、幾年もの風雪によって嶺の形が巧みに彫り出され、
竜や蟻の働きによって、豪快な姿が作り出される。
大胆にもそれを持ち出そうとする者がいる……
物好きの者を阻止することはできず、河の神でも咎めようがない。
かくてこの木山がある。
そうだ、我が故郷の町には、地の底に達する古い沼がある。
その傍らの竹林こそが我が隠棲の地だ。
二頃ばかりの良い田を買うのは難しくないだろうし、
榿を植えれば三年で薪が得られるようになるだろう。
そこで私はこの五つの峰と向き合うのだ。
きっと郷里の人々は私が隣に住むのを嫌わずにいてくれるだろう。
■【08-3-052】送千乗、千能両侄還郷
【解題】上の詩に見た、蘇千乗、蘇千能の2人の甥が郷里に帰るのを見送った詩。2人は都に来たものの、その目的を果たせずに帰郷しなければならなかったと推測される。
【訳文】
治生［人々を安らかに治める道］は富を求めるためにあるのではない、
読書［治生のための学問］は官職を求めるためにあるのではない。
譬えていうなら、（富も官職も得ないのは）酒を飲んでも酔わないようなもの、
陶然としてあり余る歓びがあるのならそれでよいのだ。
諸君は龐徳公［三国時代の隠者］を知っているだろう――
白髪の老人になっても泥の中で蟠っていたのは、
子孫を念う心がなかったからではない、
子孫に遺すべきは、地位でも富でもなく、
安らかさだけがあればよいと考えていたのだ。
龐徳公を召し出そうと鹿門山を訪ねて公を拝した為政者もいたが、
公は自ら耕す暮らしを続け、己の節義を全うした。
諸君等は若くして多難、衣服には常に氷雪が降りかかる。
諸君等五人兄弟は志を一つにして、あたかも一人の人間であるかのよう、
孔子も難しいとした孝養を尽くし、
貧乏のなかでも母には鶏肉を煮て与え、自分たちは苜蓿を噛んでいる。
食というものは人を累わさずにはおかないもの、
屑肉のたった一切れにも苦労をしてしまう。
かくて諸君は西から四千里の道をやって来て、
破れた着物をまとい、寒さにもへこたれるようなことは口にしない。
顔立ちは我が兄［従兄の蘇不欺］に似て、
心もまた同じように広く穏やかである。
諸君はいま私を置いて去ろうとしている……
歳の暮れに苦い思いが残る。
私は決して都の高い地位にあるべき人間ではない、
青雲の志はすでに昔のことになってしまった。
故郷に帰ったなら、松と菊を植えるがよい、
そのまわりに青い竹を廻らせるとよい、
榿は三年で大きな樹陰をつくるというから、
その下に私が帰ったときに冠を掛けられるようにしてくれたまえ。
我が町には清らかな川の流れが入り込み、
小川のせせらぎとなって我が小園も潤してくれる。
ともに粗末な家に寄り集まり、
背中に日差しを浴びつつ、
都の暮らしぶりが上辺だけのものであるのを語り合おうではないか。
【補足】［最後の句の原文は「曝背談金鑾」［背を曝して金鑾を談ぜん］。金鑾は宮中の豪奢な宮殿のことで、ここでは龐徳公が子孫に遺すべきとした「安らかさ」との対比で、外面は立派でもさして価値がないものであるとしているのだろう］
■【08-3-053】与蒲伝正
【解題】これは何年か後に蒲伝正［字は宗孟］に送った手紙。蒲伝正は蘇軾と同郷の人で、蘇千乗、蘇千能の母は蒲伝正の妹であった［→作品番号08-1-031］。蒲伝正は奢侈を好み［→作品番号07-2-008］、そのことがこの手紙に記されている。
【訳文】
甥の蘇千乗は、伯父上［蒲伝正］は家計のやりくりができなくて、書画や珍しい物を買うためなら、家の物もよく質に入れてしまうので、私から苦言を呈してくれないだろうかと、しばしば申しておりました。確かに、甥のいう通りであると、私も深く思います。退官後の計画は、今からよく考えておかなければ間に合いません。そうしておかないで、退隠の後に、粗食粗衣に甘じ、門を閉ざして客人を絶ち、貧窮に陥った親類を救わないといったようなことを、果たして平気でできるようになるのでしょうか。これらのことに備えがなくてはならないのです。よい息子がいるならそれだけで大丈夫というものではなく、家業というものを営まずにおくわけにはいかないのです。書画や珍しい物なんぞは、近頃私は土くれのようにそれを視るようになりました。たとえ私のいうことが成る程と思えなくても、亡き甥の顔を思い出して、少し意に留めていただきたいのです。
【補足】［この手紙がいつどのような経緯から書かれたのかは知られていないが、蘇千乗は志を果たせずに亡くなり、蒲伝正は相変わらず浪費家のままであったことがわかる］
■【08-3-054】題李伯時画趙景仁琴鶴図二首
【解題】趙景仁という風雅を愛する人物がいて清献先生と呼ばれていた。琴と鶴と亀を愛し、任地に赴く際には必ずこの三者を携えた。ところが元豊年間に蜀に行くに際して、鶴は空に、亀は川に放ったという。それから何年か経ち、このころは清献先生は都にいたらしく、李公麟［→作品番号08-3-048］が『清献先生と琴と鶴』の画を描いた。これはその画に蘇軾が添えた詩。2首のうち1首を訳す。
【訳文】
其の一
清献先生は一銭の貯えもない、
琴も鶴も昔から家に伝わるものだった。
最高の音楽は、弦のない琴による音のない曲だとか。
仙宮では、それに合わせて幻仙［鶴］が舞うのである。
【補足】［（1）画であるから、これこそが無音の音楽であると洒落たのだろう。（2）このころに李公麟は、蘇軾ら17人が集まって遊ぶありさまを描いた『西園雅集図』を作っている。それについて米黻［→作品番号08-2-050］が記した文章があるので、一部を読んでおこう。西園は王詵［→作品番号08-3-028］の私邸の庭。王詵は皇帝の娘婿だけに堂々とした邸宅を構えていたのである。
【訳文】
米黻：『西園雅集図の記』
李公麟はこの画では唐の小李将軍［李昭道］に倣って泉石に着色し、雲や草や木や花や竹が絶妙に描かれているありさまは人を感動させる。特に人物は秀抜で、その形をよく写し、自ずと林下の雰囲気を漂わせ、塵埃の汚れは一点もない。並みの筆では全くない。
黒い帽子を被り黄色い道服を着て筆を手にし何やら書いているのは蘇東坡先生である。……［以下、王詵が座ってそれを眺め、蔡肇が少し離れたところに立って眺め、李之儀が椅子にもたれて眺め、その後ろに王詵の家姫が控えている様子が叙述される］……。一本の松が葉を鬱蒼と繁らせ、そこに凌霄花が絡んで、紅と緑が呼び合い、その下に大きな石の机があって、古い器や琴が並べられ、そのまわりに芭蕉がある。石の上に座って、道士の帽子を被り、紫の衣をつけ、右手は石にかけ、左手は巻軸を持って書を見ているのは蘇轍である。……［以下に、黄庭堅、李公麟、晁補之、張耒、鄭嘉会、秦観、陳景元、米黻、王欽臣、円通大師、劉涇の様子が叙述される］……。人間世界の清らかな楽しみでこれ以上のものはない。ああ、名利の地にあわあわして退くことを知らない者は、この楽しみを果たして得られるのだろうか。蘇東坡以下の十六人は文章をもって議論し、博学で知識が深く、堂々の辞、立派な書、古を好んで多くを知り、雄豪さにおいて俗人を超え、卓然と高い境地にあって、名を四方に轟かすものである。後にこれを覧る者は、ただ画として見るのではなく、それぞれの人物に思いを馳せていただきたい。
【補足】［（1）ここに挙げられている17人のうち、本章でその名をまだ見ていなかったのは、鄭嘉会［字は靖老］、陳景元［字は碧虚］、王欽臣［字は仲至］、円通大師、劉涇［字は巨済］である。陳景元は道士で、劉涇は画を得意とした。（5）『西園雅集図』は蘇軾を中心とした文人の集まりを、極めて理想化して描いた画で、それを見て素直に感心してもよいのだが、蘇軾の政敵からしたら、「ケッ、いい気なものだ」と、唾でもひっかけてやりたくなったであろう。あるいは、17人の仲間に入りたくても入れてもらえない人が嫉妬して、さらには憎悪するようなことにもなったであろう］
■【08-3-055】書別子開
【補足】蘇軾と一緒に科挙に合格した同年の仲間に曽鞏がいて、すでに亡くなったことは作品番号06-4-016で見たが、28歳下の異母弟の曽肇［字は子開］がいて、官界で活躍していた。蘇軾は12月6日に曽肇のもとを訪れてこの短文を記した。
【訳文】
曽肇は、黄河の様子を検分するために、これから河北に行く。冬至の一日前に辞令を受け、冬至の後に出発する。私は冬至の賀節のお祝いをした後、別れを告げるために訪れ、数杯を重ね、頽然としてすっかり酔ってしまった。
机の上にこの佳い紙があったので、草書を作り、数枚の紙にこのように記す。
これから北に行って帰ってくるなら春になっているだろう。そのときに、酒、蟹、山菜、桃、杏を私のために用意してくれるのなら、また公と一緒に飲みたいと思う。
■【08-3-056】評詩人写物
【解題】三男の蘇過のために、詩はどのように物を写すべきかを記した。
【訳文】
詩人には写物の功がある［物ありさまを的確に写し出すことを功績とする］。
『詩経』に、
桑之未落、［桑の葉が落ちる前］
其葉沃若。［それはつやつやと若い］
と、ある。他の木のほとんどはこのようではない。
林逋の「梅花」の詩にこうある。
疏影橫斜水清浅、［まばらな影が横に斜めに映り、水の流れは浅い］
暗香浮動月黄昏。［ひっそりと香りが浮いて動く、月が出た黄昏時に］
これは、断じて桃や李の詩ではない。
皮日休の「白蓮」の詩にこうある。
無情有恨何人見、［情がないのか、恨みがあるのか、見る人は誰もいない］
月暁風清欲墮時。［ただ暁の月、清らかな風、そして花は落ちてしまう］
これは断じて紅い蓮の詩ではない。
石延年の「紅梅」の詩にこうある。
認桃無緑葉、［桃かと見れば緑の葉がなく］
辨杏有青枝。［杏かと見れば青い枝がある］
これは実に下卑た語だ。村の学校の生徒の中ぐらいの出来である。
元祐三年十二月六日、書いて過に渡す。
【補足】［『詩経』はいうまでもなく古典中の古典。林逋は宋の初めの人で、蘇軾はたびたびこの人を讃えている［→作品番号07-2-031］。皮日休は唐の終わりの人で、混乱する社会の実態を詠んだ詩もある。石延年は蘇軾の少し先輩で、ここに引かれている句はよほど気に入らなかったのだろう、作品番号06-3-009でもやはりこけにしている］
■【08-3-057】次韻王定国会飲清虚堂
【解題】王鞏［字は定国］の清虚堂で飲んで詩を読み合った。王鞏は揚州知事に任命されたものの［→作品番号08-2-056］、果たして赴任してきちんと仕事をしたのかよくわからない。この詩は揚州とはまた別の地に王鞏が行くことを歌っているようである。
【訳文】
揚州の官梅を詩に詠んだ唐の時代のかの知事と同じく、
貴君もまた梅によって詩興を発した。
貴君は誰かと地位を争うようなことは望んでいない、
つまり聖人［清酒の異称］でも賢人［濁酒の異称］でも構いはしないのだ。
かくて、貴君は淮河のほとりに新しい住まいを定めたので、
我が胸には剣南［蜀］の川へと帰心が湧き上がってくる。
この身は蚕が老いるのに似ていようか、
春の光をたっぷり受けて次の眠りに入ろうと思う。
■【08-3-058】興竜節侍宴前一日、微雪、与子由同訪王定国、小飲清虚堂。定国出数詩皆佳而、五言尤奇。子由又言昔与孫巨源同過定国、感念存没、悲歎久之。夜帰、稍醒、各賦一篇、明日朝中以示定国也
【解題】長い詩の題は次の通り。「興竜節［哲宗皇帝の誕生日、12月8日］の祝賀の宴の前の日、雪がわずかに降った。弟と王鞏［字は定国］を訪ね、清虚堂で少し飲んだ。王鞏が数篇の詩を出し、どれもよく特に五言詩が最高だった。弟がこのようにいった。『以前に孫洙［字は巨源］と一緒に王鞏を訪ね、人々の存没を語り合い、しばし悲しく嘆息した』。夜になって帰り、酒から醒めたところで弟とそれぞれ一篇の詩を賦し、明くる朝、王鞏に示した」。孫洙の名はこれまで何度か見ている［→作品番号05-3-058］。この詩は一緒に飲んで楽しかったということ以上の内容はなく、気のおけない仲間内の飲み会を美辞麗句を駆使して詩にしてみせた、いわば戯れの作であろう。よってきらびやかな漢字の並びを見ていただくことを眼目として、大意を書き添える。
【訳文】
天風淅淅飛玉沙、［風に雪がさらさらと飛ぶ］
詔恩帰沐休早衙。［ありがたくも今日は早く帰るのを許された］
遙知清虚堂裏雪、［そうだ、清虚堂の雪景色はどうだろうか］
正似詹蔔林中花。［きっとクチナシの花が咲いたような感じだろう］
出門自笑無所詣、［ふらりと門を出て笑うのは、どこに行くあてもない］
呼酒持勧惟君家。［やはり君の家で一杯やるのがよいだろう］
踏冰凌兢戦疲馬、［氷を踏んで走るのは馬には迷惑なことで］
扣門剥啄驚寒鴉。［門をどんどん叩いて烏を驚かせてしまう］
羨君五字入詩律、［うらやましいのは君の五言詩が巧みなこと］
欲与六出争天葩。［雪と美しさを競うほどだ］
頭風已倩檄手愈、［君の詩によって、脳天の病が癒え］
背癢恰得仙爪爬。［背中のかゆいところを仙女にかいてもらったかのようだ］
銀瓶瀉油浮蟻酒、［銀の瓶から極上の酒を注ぎ］
紫碗鋪粟盤竜茶。［紫の碗に極上の茶を入れる］
幅巾起作鴝鵒舞、［立って舞う者もいれば］
畳鼓誰摻漁陽撾。［鼓を撃つ者もいる］
九衢燈火雜夢寐、［夢心地で都の灯火を見ながら帰ると］
十年聚散空咨嗟。［この十年のあれこれにため息をつく］
明朝握手殿門外、［ともあれ、明日の朝は門の外でまた会って］
共看銀闕暾朝霞。［宮殿に朝の霞がただようのを一緒に見よう］
■【08-3-059】真宗信李沆
【解題】興竜節の当日に蘇頌［字は子容］［→作品番号08-3-016］と話したことを記録した短文。
【訳文】
真宗皇帝のとき、ある者が梅詢を重く用いるよう推薦すると、皇帝はいった。
「かつて李沆は梅詢は君子ではないと申していた」
そのとき李沆は亡くなって二十年余り経っていた。
そのことで、欧陽文忠公［欧陽脩］はかつて蘇頌にこのように尋ねた。
「宰相が亡くなって二十年になるというのに、皇帝がその言葉を信じ続けているというのは、そこにはどのような理由があるのだろうか」
蘇頌は、
「ただ無心であるからなのでしょう」
と、いった。
そのことを私は蘇頌から聞いて、その言葉を讃え、このようにいった。
「（仁宗皇帝のもとで宰相になった）陳執中は俗吏でしかありませんでしたが、公正であることだけをもって皇帝の信頼を得ていました。まして、李公は才識があって、しかも無心で世を済おうとしていたのですね」。
時に元祐三年の興竜節に尚書省で宴を賜わってこのように論じたのである。
その日、王鞏はその父の王素がこのようにいったと話してくれた。
「陳執中が宰相を辞めたときに、仁宗は、代わりとして誰がよいのかと尋ねられました。陳執中が呉育の名を挙げると、皇帝はすぐに呉育を召し寄せ、ちょうど乾元節［仁宗の誕生日］の宴があって、呉育もそれに加わり、たまたま酔って座ったまま眠ってしまい、はっと驚いて目覚めると、床を叩いて従者を呼んだのでした。皇帝はその様子を見て、（宰相の器ではないと判断して）呉育を御史台の任に就けたのでした」。
このようであったとすると、陳執中は俗吏ではあっても、（仁宗に信頼されていたからには）賢いところがあったのだろう。呉育が宰相になれなかったのは天命というべきであったのだ。呉育は晩年には気を病むところもあったようで、大きな役目をついに与えられなかったのは、仁宗皇帝が逸材を棄ててしまうような主だったからではないのだ。
■【08-3-060】書王定国所蔵煙江畳嶂図
【解題】王鞏［字は定国］が所蔵する『煙江畳嶂図』［江が煙り、山が重なる図］に書き添えた詩。
【訳文】
江のほとりで生じた愁いの心、
たちまち千の山のように重なり合い、
あるいは虚しく浮かぶ翠となって、
空へと積み上げられる、
それは山なのか雲なのか、
遠くから知ることができない。
煙る空が晴れ上がるなら、
山だけがもとのままに残り、
ここにくっきりと見えるのは、
蒼蒼く聳える二つの崖、
その間に暗い絶谷がある。
鳥の道だけが通じる泉があり、
水は林を巡り、石に絡み、
見え隠れしながら下って谷の口へと赴き、
奔流する大河となる。
川が平らになるところ、
山が開けて林の裾野が終わり、
小さな橋がかかり、野の店がある。
旅行く人はゆるゆると木立の向こうに去り、
漁師の舟が一艘、
江に浮かんで天の涯へと流れゆく。
知事殿［王鞏］はどこからこの画を得たのだろうか、
一つの点、一本の線に至るまで清らかに美しい。
このようなところが人間世界のどこかにあるのか、
ただちに行って二頃の田を買いたいものだ。
そう、誰もが知っているように、
武昌の樊口は幽絶のところ、
東坡先生はそこに留まること五年、
春は、風が水を揺らして長江は漠漠として天に連なり、
夏は、夕暮れ雲が雨を巻いて娟娟として山は煙り、
秋は、楓が赤く染まって鴉とともに翻って、東坡先生は水の上に宿り、
冬は、高い松から雪が落ちて、東坡先生は昼寝から目覚めるのだった。
桃源郷は実は人間世界にあって、
神仙の住むところだけにあるとは限らない。
江山は我が内なる塵土を清らかにしてくれ、
世間に戻る路があってもそれを尋ねてはならない。
この画を還そうとして私は三度嘆息する、
ああ、山中の人よ、
私に帰ってくるよう招く詩を詠んではくれまいか。
【補足】［（1）詩の中ほどで「知事殿はどこからこの画を得たのか」といっているが、この画は次の詩にある通り王詵［→作品番号08-3-054］が描いたものである。（2）詩の後半は黄州の日々を回顧し、どうして都に出てきたのか悔やんでいるかのような趣がある。（3）王詵が描いたこの『煙江畳嶂図』は現在に至るまで伝えられ、上海博物館の所蔵品となっている］
■【08-3-061】王晋卿作煙江畳嶂図、僕賦詩十四韻、晋卿和之、語特奇麗。因復次韻、不独紀其詩画之美、亦為道其出処契闊之故、而終之以不忘在莒之戒、亦朋友忠愛之義也
【解題】上に続いて同じ画についての詩。その題は、「王詵［字は晋卿］は『煙江畳嶂図』を作った。私が十四韻の詩を賦したところ、王詵はそれに和した。特に美しい詩であったので、私はここにさらに次韻する。その詩は王詵の詩画の美を紀すものではなく、王詵がその出処において長く苦労してきたことをいうものである。最後に『莒に在るの戒め』を添えるのは友人としての忠愛の心である」。この詩の終わりには、「莒に在るの戒め」を詠み込んでいるのだが、二つの故事を用いていてかなりわかりにくいので、ここでは故事について解説することなく含意だけを汲んで訳す。
【訳文】
山の中で頭を挙げ、日の注ぐ涯を見る――
長安［都］は見えず、
うすぼんやりとした雲があるだけ。
長安［都］に帰って山の上を望む――
時は移り、事は改まり、
涙をこらえきれない……
かつてここで聞かれた管弦の曲はもはやなく、
集まっていた大勢の客人は去ったまま、
豪奢な作りの馬小屋だけがそのままにある。
一日千里を走る俊足の馬は、
風雪を好み山川の険しさを軽んじ、
ここで身を縮めて贅沢な餌を食らうのはまっぴらだと、
十年の間、戦の旗の前を駆け巡り、
痩せたことでかえって堂々の骨格が現れ出たのだった。
貴君が経験した苦難はむしろ天の与えるものだった。
貴君の風流文采は磨れば磨るほど尽きることがなく、
画と詩は互いに優美を争うに至った。
山を画くのは山中の人だけとは限らず、
田を歌う人は田を知る人ばかりではない。
唐の玄宗皇帝は鄭虔の三絶［詩、書、画］を讃えたが、
貴君はすでに二絶［詩、画］を得ていて、
筆の勢いからして三百年来の三絶となるであろう。
貴君は、巌谷の厳しさをもってなよなよとしたものを、
眉峰の秀でるのをもってきらきらとしたものを克服したのである。
人間世界にあるのはただ春の一つの夢、
この身は蚕が三度眠る間に老いてしまうのだ。
山中は幽絶の場であっても永くいることはできない、
平地の家にいる仙人となるのがよいだろう。
貴君は山中の水石を長く眼に留めておくことができ、
私の好むところのものを知っているから、
この画とこの詩がここにこうしてあるのだろう。
どうかこれからも山のことを終生忘れることなく、
画を描き、詩を賦して私を楽しませてほしい。
【補足】［王詵は蘇軾に連座して遠くに流され、苦難の日々を送った。それを経験したからこそいまがあるということを、王詵の詩画を讃えつつ、また戒めとしたのである。それはまた蘇軾自身にとっても同じであった。詩の途中に「苦難はむしろ天の与えるものだった」と訳した原文は「塩車之厄寧非天」［塩車の厄 寧ぞ天にあらずや］［塩を載せた車を曳くような苦役を与えたのはきっと天の定めるところなのだ］である］
■【08-3-062】王晋卿所蔵著色山二首
【解題】王詵［字は晋卿］が所蔵する著色された山の画に添えた詩。
【訳文】
其の一
李成の画は縹緲として、
雲があるのかないのか、空に出たり消えたり、
水墨の仙といわれた。
それ以来、画は一変し、
もはや風流はそこに尽きて、
唐の昔の李思訓の著色された山の画は誰からも顧みられなくなった。
【補足】［李成は五代十国時代の終わりから宋の初めに活躍した人で、水墨画の新しい世界を拓いた］
其の二
韓愈が詩に犖確［怪石がごろごろあるありさま］と詠んだ山に似るのか、
行こうとして路がなく、導いてくれる人もいない。
留まっていた雲が離れ出して朝の光が漏れくると、
そこに見えてきたのは、
山の紅と澗の碧なのであった。
【補足】［白と黒だけの水墨画ばかりを見ていると、ときに着色されたものが新鮮に目に映るのだろう］
■【08-3-063】論周穜擅議配享自劾劄子
【解題】これは読んで少しも楽しくない公文書である。鄆州の州学校の教授を務める周穜という人物を、蘇軾は「蟣虱のような小臣」と罵倒し、断じて処罰することを朝廷に求めている。周穜がどれほど悪いことをしたのかというと、神宗皇帝の廟に王安石も一緒に祀ることを朝廷に検討するよう求めたのである。皇帝の廟に功臣を合わせて祀ることを配享といい、死後に与えられる栄誉として極めて大きなものであるとされた。神宗皇帝と王安石の関係からして配享は自然なことであるように思えるのだが、このときの政治情勢からして、蘇軾は何としてでもそれを止めなければならないと考えた。周穜を弾劾する文章は2通あり、2通目は口調が一段と厳しくなる。
【訳文】
其の一
元祐三年十二月二十一日、翰林学士朝奉郎知制誥兼侍読の蘇軾が文書にて申し上げます。
臣が先に中書舎人を拝命しました日に、かつて江寧府の右司理参軍であった周穜は鄆州の州学校の教授になりましたが、近ごろ聞きますところでは、周穜が上疏して、朝廷はもとの宰相である王安石を神宗皇帝の御廟に配享すべきであると申し上げました。謹んで漢代の法律を按じますに、皇帝の廟についてやたらに議論をする者は死刑に処すとされていて、高祖皇帝から景帝、武帝、宣帝に至ってもこの法が行われ、それによって宗廟を尊び、朝廷を重んじることが衰えたりしないよう防いだのでありました。実に深い意味のある法律であります。本朝においては祖宗以来、元勛にして天下の人々から重く仰がれ終始徳を全うした人だけが特に選ばれて、歴代皇帝とともに祀られてまいりました。それも天子が御自身で選ぶのではなく、必ず衆議に委ねられ天下の公議が納得する人物でなければなりませんでした。すでに選ばれたならば、詔に「恭しくも公論に依る」との旨が記され、宗廟にそのことを申し上げ、その後で配享が実施されたのであります。このようにして厳正に行われてきたものであるのに、朝廷から遠くにあって地位の低い小臣が私意をもって配享を議論するようなことがあってよいものでありましょうか。そのようなことをしても不問に付すならば、宗廟の威厳は損なわれ、朝廷は軽視されてしまうでありましょう。
臣が思いますに、王安石が生前に何をしたかというと、非を是とし、正を邪としたことは朝廷の中外の者が具さに知るところで、皇帝の眼からも逃れることのできないものでありました。先帝もそのことをお知りになって、王安石を閑職に置き、終にまた用いることはなかったのであります。今すでに王安石の定めた青苗法などの法律は改められ、王安石の党人であった呂恵卿、李定等の連中は地位を奪われて遠く退けられ、学校や科挙の制度も改められ、仏教や道教を排斥したことをやめ、王安石が建てた恣意的な学説を禁止しました。このような大議はすでに確定し、数年にわたって実施されています。また、先帝に配享されるのは富弼であると定められ、天下の人々はそれが至当であると受け止めております。
敢えてここに議論を引き起こそうとした周穜とは何者でありましょうか。恐らくこれは朝廷を試し、おいおい邪説を進め、陰で群小の者どもが声を合わせるようにと企む者でありましょう。これは孔子も指摘したところの「危ういことを試して当たればもっけの幸い」「間違った考えに安住して疑わない」ということそのものであります。
臣は忝くもお傍にお仕えして、このような誤ったことがあって、このような人物が学校を汚しておりますことを聞きました。もし、このことに知らん顔をして申し上げずにおきましたならば、悪だくみをする連中を好きにさせてしまって、大きな罪を臣が犯すこととなりましょう。謹んで臣の出過ぎた行為を自ら弾劾して罪を待つものであります。伏して聖慈を望み、特に赦してくださいますよう願うものであります。
【補足】［（1）蘇軾が問題にしたのは、実は王安石を配享するか否かではなく、その意見を容れた後に起こるであろう事態であった。そのことがこの文章ではあまり明確ではなかったので、次の2通目を書くことになる。当時、保守派は三派に分かれてつまらぬ争いばかりをしていた。先に追放された改革派は、その間隙を縫って再び政権に返り咲くことを狙っていた。配享はその足場を得るための第一歩であると、蘇軾は察したのである。（2）この文章で王安石は「非を是とし、邪を生とした」と全面的に批判している。先に王安石を高く評価していた［→作品番号08-1-042］のとは大きく異なっている。それぞれの文章の主旨に合わせて、ほとんど正反対の評価を王安石に対して下しているわけで、どちらが本心であるのかという検討はさほど意味がないだろう。ここではとにかく呂恵卿や李定が再び跋扈するのを阻止するために、大親分であった王安石を徹底的に悪く言っておく必要があったのだ］
其の二
元祐三年十二月二十一日、翰林学士朝奉郎知制誥兼侍読の蘇軾が文書にて申し上げます。
臣は近ごろ次のように申し上げました。学官に挙げられた周穜は王安石を先帝に配享すべきであるとの議論を勝手に起こし、朝廷を試して順次邪説を進め、陰で群小どもが声を合わせるようにしていることに対して、しかるべき部署においてこの妄挙の罪を調べ、重い処分を下し、もって世の中への警告とするよう願い出ました。しかるにいまに至るも何の御指示も下されておりません。
臣が考えますに、賞罰を明らかにし、邪正を定めることは国家の根本であります。この二つがなければ、国は乱れて亡びに向かいます。……［中略、古典を引いてここの論を補強する］……
臣が観ますところ、二聖［皇帝と高太皇太后］が位を嗣がれて以來、小人どもを追い払われました。呂恵卿、李定、蔡確、張城一、呉居厚、崔台符、楊汲、王孝先、何正臣、盧秉、蹇周輔、王子京、陸師閔、趙済、それに宦官の李憲、宋用臣などは、ある者は国境で戦を起こして次々に禍をもたらし、ある者は国家が利益を貪って収奪を厳しくしているとの民の怨みを招き、ある者は大獄を起こして善良の者を罪に陥れました。奸悪を働いた者はとても数えきれないほど大勢いたのでした。王安石は実はその首領であったのです。いまやそうした連中のうちすでに死んだ者のほかは都から遠ざけられましたが、その腹心や手助けをした者はいまも朝廷の中外にいて、かつての私恩を思ってまた用いられることを願い、そのことを計画して何やらものを言う者がたくさんいます。いずれも実情を曲げ、悪事の跡を隠し、腹黒さを一つにし、その仲間意識は堅いものがあります。しかし、お上がそのことを御存じでないのを臣は実に憂うのであります。
君子は鳳のように集めるのが難しいとされています。鳳はわずかな異変の兆しがあるだけで、すぐに飛び上がり、様子を見てから後にまた集います。まして追い払われたならもう集まることはありません。小人は蛆や蠅のように群がりやすいとされています。生臭いものがあるところに集まり、たちまちのうちに千匹、万匹になります。まして招き寄せたならいくらでも集まってくるのです。朝廷はこのところ少しずつ先の連中に対する戒めを緩め、李憲、王安礼、蔡確が朝廷に願い出たことを許しております。崔台符、王孝先等は再び用いられようとし、楊汲もまた復位しようとしています。呂恵卿はそのような情勢を見て、蘇州に住むことを願い出ています。これらの者は皆、民にとっての大賊で国を蝕む巨大な害虫です。連中の首領が復権したならば、この上ない幸いとするでありましょう。罪の小さな者たちはすぐにも用いられることとなりましょう。少しでも緩めたならば次第に大きく緩めることになるのです。呂恵卿、蔡確らが用いられるときには、青苗法、市易法などの法律も復活するでありましょう。
そこまで申しますのは、李士京という邪佞な小人が愚か者ども集め、大臣に気づかれないように連絡し合って、運河を掘り、城壁を修理することを実行しようと企んでいます。これが行われたならば、次には茶磨の法を運用しようとするでしょう。それを観ると、呂恵卿、蔡確らが用いられて青苗法、市易法が復活することだってありうると思わなければならないのであります。
唐の時代に盧杞が責められて宰相から降ろされたときに、しばしばそれを赦すことをいう者があり、徳宗皇帝は盧杞に一つの郡を与えようとしました。朝廷の人々はそれを心配し、宰相の李勉、給事中の袁高、諫官の趙需、裴佶、宇文炫、盧景亮、張薦、それに常侍中の李泌等が死を覚悟して反対しました。盧杞が郡知事になったならば、それに留まらずに、また任用されて、一つの松明が原野を焼き払うようにして、天下を禍に陥れるもととなるのを恐れたのです。いま周穜が草くずのような微小な身でこの議を建てるのは、同じように禍のもとを開くものであります。
漢の時代に淮南王が謀反を起こしたときに、ただ汲黯だけを憚り、宰相の公孫弘さえ説き伏せれば、あとは簡単にうまくゆくと考えました。いま周穜が蟣虱のような小臣の身をもって敢えて大奸をなすのは、朝廷にはしかるべき人がいないと愚弄するものであって、不幸にして淮南王のような者がいたならば、何の憚るところもないということなのであります。
臣は敢えて遠い昔のことを引きましたけれど、執政のうちに富弼や韓琦のような人がいて、台諫のなかに包拯、呂誨のような人がいて、あるいは司馬光がここにいましたならば、鼠のようなこの連中は何もできないはずでありました。王安石は仁宗皇帝、英宗皇帝の御代にいかさまなことを百も言い、妄りに己の名を高くして、高い地位を得ようとしましたが、韓琦が独りその奸を見抜き、ついに昇官させることはありませんでした。韓琦が宰相の位を去らなかったならば、王安石はその志を得ることはなかったのです。このことから人物の邪正を見抜いて、禍が現れる前に消すことが宰相の大事な仕事なのであります。
臣はここ数日、執政の議論を聞きますに、処罰を緩めようとしているとのことで、もしもそうでありますなら、小人が互いに朝廷へと引き上げ合うようになり、呂恵卿らは朝廷の判断のありようをそこから知るようになるでしょう。事は天下の行く末、国の治乱に及ぶことなのであります。
伏して望みますのは、特に御宸断を下されて、周穜の罪を厳しく議論して、軽々しく赦すことなきように。周穜はもとは州県の小吏として、その意はわずかでも昇進することにあっただけでしたが、いまたちまち狂ったように大きな議論を先頭に立って起こしましたのは、必ず陰で何かを企んでいる者がいるからなのでしょう。そうでなくて周穜が敢えて己の分際を超えて天を揺るがすようなことをするはずがないのです。もし臣の申し上げることを聞いていただけないならば、再びならず幾度も論じるものであります。
【補足】［（1）途中に列挙されている呂恵卿以下の人物は改革派の主要な顔ぶれである。この中に章惇の名がないことは注目に値するのかもしれない。章惇は他の連中とは違って、本来の改革の意義を知って国のためになる政治を行おうとしていたと蘇軾は認識していたのではないだろうか。（2）蘇軾の他にも配享に反対する者があって周穜の議は却下され、周穜は鄆州の州学校教授の任を解かれた］
■【08-3-064】夜直玉堂、携李之儀端叔詩百余首、読至夜半、書其後
【解題】翰林院の玉堂に宿直するに当たって李之儀［字は端叔］［→作品番号08-1-013］の詩百余篇を携え、読んで夜半に至り、その後にこの短文を記した。
【訳文】
玉堂は清浄な場所であるので眠るのは難しい。
かといって、王維が宿直の話し相手に孟浩然を呼んだようなことはできない。
それで貴君の好い詩を借りて永い夜を過ごすことにした。
佳い個所に逢うごとに、参禅するように深く味わう。
貴君の詩に導かれて生じた愁いは、硯に入って水を凍らせ、
貴君の詩に導かれて生じた喜びは、燈に入って輝きを増す。
貴君の家の子供たちに言葉を寄せよう、
いつか御父上の詩集を編むときにはこの句も入れてほしいものだ。
【補足】［王維が宮中に宿直した夜に孟浩然を呼んで語り合ったという話は作品番号07-1-056でも見ている］
■【08-3-065】次韻王定国得晋卿酒相留夜飲
【解題】裕福な王詵［字から晋卿］から王鞏［字は定国］が酒をもらい、それで蘇軾を招いた。王鞏が詩でもっとゆっくり飲みましょうと誘ったのに対して応じた戯れの詩である。王鞏はなぜかまだ都にいた。
【訳文】
貴君は衫から腕を丸出しにし、
この秋をも圧倒をする気分、
私が紫の裘を羽織るのは、
仙人にでもなった心持ち。
酒こそは私を有名にしてくれたもの、
病のもとになろうとも、憂いを忘れさせるのは格別。
音律の定めなく自在に作る貴君は詩の将軍、
酔いの真の境地を知っている私はその道の侯爵である。
樽を倒してこの夜をとことん飲もうではないか、
蛇のようにぐたぐたに酔いつぶれても、
まさか鈎でひっ捕らえて行く人はいないだろう。
■【08-3-066】陳隋好楽
【解題】陳朝の最後の皇帝の陳叔宝と、隋朝の煬帝が音楽を好んだことについて記した文章。大半が史書からの抜き書きで、蘇軾の感想は最後の一文だけである。陳叔宝は作品番号08-1-066でも見たように中国史上で屈指の暗愚な帝王で、煬帝はその陳を亡ぼす作戦を遂行し、隋による天下統一を果たしたものの、民衆を酷使し過ぎたために短期間で国を亡ぼした暴君として有名。
【訳文】
笛を吹き、琵琶や琴を弾き、歌い舞う技は、北斉の文襄帝［高澄］のころから特に好まれるようになり、河清年間［6世紀中ごろ］以降に最も甚だしくなった。陳の後主［陳叔宝］は胡戎の楽［西方伝来の音楽］をひたすら賞玩し、耽愛してやまなかった。……［朝廷の人々が挙って音楽に熱中し、後主自身も作曲に耽ったことが記される］……皇帝は御幸する途中の馬上でも作曲した。楽しみが行き過ぎると哀しみがくるのであって、ついには国を亡ぼしたのだった。
（隋の）煬帝は音律を理解しなかったので、あまり関心を持たなかったのが、後にたくさんの艶曲を作らせ、その詞は淫綺であった。……［煬帝が作らせた曲名を並べ、音楽に通じる者に高い位を与えたことを記す］……
（南北朝時代の）宋の武帝［劉裕］が皇位を禅譲されたときに、朝廷には音楽が備わっていなかった。殷仲文がそのことを武帝にいうと、武帝は、「毎日、暇な時間がないし、音楽はわからない」といった。殷仲文が、「繰り返し聞けばわかるようになります」というと、「わかると好むようになるものであるなら、習わないでおこう」といった。
こうした帝王の言動を観れば、興亡の理は明らかではなかろうか。
【補足】［（1）この文章をこの時期に記したのは、このころに朝廷で用いる音楽を一新する議論があったことと関係しているのだろう。范鎮［→作品番号08-1-021］がそれに関与していて、范鎮がそのことを詩に詠み、蘇軾が和した作品が残っている。訳者には理解できない内容であるので割愛する。（2）ここで興味深いのは、劉裕の評価である。家柄が何よりも重要視された唐代以前において、下級役人の息子であった劉裕が己の実力だけで皇位にまで昇り詰めたのは極めて稀有な事例であった。強引に皇位を奪い、元の皇帝を殺害したのは道義的には非難されるべきだろうが、世襲によって愚かな皇帝が続く非道徳性よりは、国や民にとって遥かによいことであったのは間違いない。武によるか文によるかの違いはあっても、己の力で世に出て天下に名を馳せるという点では、宋代の士大夫と共通するところがあり、蘇軾も蘇轍も司馬光も劉裕には強い関心を寄せていた。なお、陶淵明は劉裕と同じ時代を生き、頭角を現しつつあるころの劉裕を近くで見ていたと推測され、劉裕の生きざまには首肯できないところがあったようだ］
■【08-3-067】范景仁墓誌銘
【解題】閏12月1日に范鎮［字は景仁、蜀公］が亡くなった。上の補足でも見たように、范鎮はその直前まで国政に関わっていた。81歳であった。蘇軾は祭文を作り、翌年の8月に范鎮が郷里に葬られた折に、墓誌銘を書いた。ここでは墓誌銘の一部を読んでおこう。
【訳文】
熙寧、元豊のころに、いま天下の賢者は誰であるかと士大夫が論じると、必ず司馬公［司馬光］と范公［范鎮］の名が挙げられた。二公の道徳、風流は現代の手本として仰ぐべきであり、二公が可否を論じると天下の栄辱がそれによって定まるとされた。二公が歓びを一つにすることでは、それに及ぶ者は誰もいなかった。二公は「私と君は生まれて志を一つにし、死ねば一緒に伝えられるであろう」といっていた。天下の人で二公の優劣を比べる者はいなかった。二公は、後から死ぬ者が先の者の墓誌を作って互いに伝え合おうと約束した。それで、司馬公はあらかじめ『范鎮伝』を準備しておいた。そのなかに、「呂誨の先見も、范鎮の勇決も、いずれも私の及ぶところではなかった」と記した。
私は幸いにも二公と親しくし、その平生を詳らかに知ることができた。大きな節義に照らして二公が用捨する選択は互いに相談しなくても常に同じであった。例えば、仁宗皇帝が皇嗣を立てたときの議論でも、英宗皇帝のときに濮安懿王の呼称をどのように定めるのかという議論でも、神宗皇帝のときの新法の議論でも、二公はあたかも一人であるかのように、左右の手が先後を一つにして出るのであった。それで司馬光は常に人に、「私と范君は兄弟で、ただ姓が同じではないだけだ」といっていた。しかし鐘律［宮廷音楽］について論じたときだけは、繰り返し相手を非としたので、全て同一であったわけではなかった。君子はそれで二公は単に同調しているのではないと知ったのである。司馬公が亡くなると、私はその行状記をまとめて范公に授け、范公はそれを墓に誌し、私は墓道に表を刻んだ。いま范公の墓を作るに当たって、その子孫は皆で、司馬公はすでに没してしまったので、あなたをおいて他に墓誌を作る者がいないといい、かつ我が先君子［蘇洵］の大切な友であったことからも辞退はできなかった。
……［以下、范鎮の生涯を記す］……
■【08-3-068】祭古塚文
【解題】宜興県の陽羨［→作品番号07-2-045］にある蘇軾の土地を管理にしている者が古い墓を発見したので、そこに葬られていた人を祭る文を書いた。序文だけを訳す。
【訳文】、
閏十二月三日、私の田の管理人は住まいの東南に部屋を築こうとして、大きな塚［墓］を掘り当て、頭の部分が出てきた。私はそれをまた埋めるよう命じで、その人を祭る文を作った。……
【補足】［陽羨とは随時連絡を取り合っていたのだろう。人が長く住むと、墓だらけになってしまう。墓地として適しているのは高燥な地とされていたから、墓地を永遠に守っていたら生きている人にとって住むに適切な場所がなくなってしまう］
■【08-3-069】書正信和尚塔銘後
【解題】蘇軾の郷里にゆかりのある正信和尚の「塔銘」［墓誌銘］の後に記した短文。正信和尚についてはここに記されている。
【訳文】
大安［蜀の利州路に属する］の楊氏からは代々名僧が出ている。正信表公は三人兄弟で、兄弟の一人が仁慶で、眉州の僧正となり、もう一人が元俊で、極楽院の主となった。いまの大安の治平院である。いずれも行いが高く、そして、特に表公は超然として、晩年は静覚をもって聞こえた。三人とも我が先大父職方公［祖父の蘇序］、我が先君中大夫［父の蘇洵］と交遊があり、善い仲であった。
熙寧年間の初めに、私は（父の）喪が明けて都に向かおうとしたときに、表公はたまたま病に臥せっていたので、部屋に入って別れを告げた。一寸余りの白髪で、眼光は了然として、骨が際立って出ていて、画にある須菩提のように畏れ多い姿であった。私が立ち去るに忍び難くしていると、表公はいわれた。
「行きなさい、どこであろうとも会えるではないか」
私は、
「公は千里も遠いとはしないで一緒にきてくださるのでしょうか」
表公は笑っていった。
「正信の家では仏の言葉を申します。貴君に従って千里を行くこともできなくはありませんし、私にとっては取るに足りないことです」
表公はその後すっかり回復され、六年後に亡くなった。そのときに私は銭塘［杭州］にいて、夢に表公を見て、あたかも別れを告げにきたかのようであった。
また十五年が経ち、表公の弟子が法要を行い、偈、頌および塔記を作って私に見せてくれたので、その終わりに記す。
■【08-3-070】与弁才禅師
【解題】杭州にいる弁才大師元浄［→作品番号06-1-081、07-1-016など］に宛てた手紙。
【訳文】
（1）長らくお手紙を差し上げることもなく、恥ずかしさが深く増し、切に貴僧の御佳勝を願うばかりです。私は忝くも過分の処遇を賜りながら、国政に補うところがほとんどありません。東南の一郡を得て移ることを日夜に望んでおります。老いに臨んで御法音をお聞きできますよう、その時がきますまで、どうぞ御自愛ください。
【補足】［これは前の年に書いたものであるようだ。この望みが叶えられたかどうかは本章の終わりで見ることになる］
（2）私に少しくお願いするところがあります。……我が弟が絹一百疋を寄進して、先君霸州文安県主簿累贈中大夫［父の蘇洵］と先妣武昌郡太君程氏［母］のために、地蔵菩薩一尊と侍者二人の像を造って、都の寺で供養したいと考えております。菩薩の大きさは人と同じくらいで、用意できる費用はその絹だけであります。もし費用が十分でなければ、刻む手間を省いても構いません。どうか、匠の者を選んで造っていただけないでしょうか。完成しましたら、受け取る船を手配します。はなはだお煩わせしまことに申し訳ないことであります。
【補足】［（1）これは弟の願いを伝えたもの。父母の供養のために観音菩薩像の作成を依頼したのである。都で造らずに遠く杭州に依頼したのは、そうした技術が都よりも進んでいたからであろう。（2）もう一通手紙が残されていて、次男の蘇迨がかつて弁才大師のもとで剃髪し、竺僧という名を授けられたことで無事に成長し、承務郎の官位を受けるまでになったので、その謝礼を贈ると記している。蘇迨が剃髪したのは三歳のころで、出家する形を取ることで、子の成長を妨げるものを退けられるとされていたのである］
■【08-3-071】次韻劉貢父春日賜幡勝
【解題】この年は閏12月があり、年の内に立春になった。劉攽［字は貢父］［→作品番号08-3-002など］が宮中から立春を祝う幡の飾りを賜ったことを詠んだ詩を作り、それに次韻した。この詩は慶賀にふさわしい語句を並べ、原音で朗誦するなら、恐らく陶然とした味わいを得られるのだろうが、内容自体は乏しいので、読み下し文を添えるだけにする。
【訳文】
寬詔随春出内朝、［寬詔 春に随って内朝より出ず］
三軍喜気挾狐貂。［三軍の喜気 狐貂を挾む］
鏤銀錯落翻斜月、［鏤銀 錯落として斜月に翻り］
剪彩繽紛舞慶霄。［剪彩 繽紛として慶霄に舞う］
臘雪強飛才到地、［臘雪 強いて飛んで才かに地に到り］
暁風偸転不驚条。［暁風 偸かに転じて条を驚かさず］
脱冠径酔応帰臥、［冠を脱して径ちに酔うて応に帰臥すべし］
便腹従人笑老韶。［便腹 人の老韶を笑うに従かす］
【補足】［（1）蘇軾自身の注で、この前日に小雪が降ったとあり、それで5句目に「臘雪」［12月の雪］の語がある。また、この日に酒を賜ったともあり、それで7句目に「径ちに酔う」とある。（2）この詩に続いて、蘇軾はもう1回次韻し、さらに葉均と王欽臣がもとの詩に和したのでそれに応えてまた和し、さらにもう1回和している。いずれも同じような見た目の立派さが取り柄の詩なので、訳は割愛する。（3）ここまで何度も登場してきた劉攽は翌年3月に亡くなる。蘇軾と劉攽とはともに諧謔を得意とすることで知られ、いくつものエピソードが伝えられている。そのうちの一つ、この時期の出来事であったと推測されているものを、先にも見た朱弁の随筆『曲洧旧聞』［→作品番号08-2-012］から引用する］
【訳文】
朱弁：『曲洧旧聞』より
蘇軾は劉攽に向かってこのようなことをいった。
「かつて弟とともに制科の受験勉強をしていたときに、私たちは毎日『三白』ばかりを食べ、これをはなはだうまいと思っておりました。世間に『八珍』［八種の珍味］とかいうものがあると聞いても、そんなものなんだという気でいたのです」
劉攽が、
「三白と何ですかな」
と、尋ねると、
「一ふりの塩、一つかみの大根、一杯のご飯、これで『三白』であります」
劉攽は大いに笑った。
その後しばらくしてから劉攽は手紙で、
「皛飯を御馳走したいので拙宅にお越しいただきたい」
と、蘇軾を招いた。
蘇軾は「三白」の話をしたことをすっかり忘れていて、
「『皛飯』は何だかわからぬが、劉君はたくさんの書物を読んでいるから、きっと何か出処があるのだろう」
と人に語って、劉攽を訪ねた。
食事のときになって、食卓に並べられたのは塩と大根と飯だけだった。それを見てようやく「三白」を戯れに「皛」と書いたのだと悟り、笑って箸を取り、全部平らげた。
蘇軾は馬に乗って帰る際に、
「明日、お越しくだされよ。『毳飯』を御用意しておきましょう」
といった。
劉攽はきっと戯れであろうと思ったが、「毳飯」とは何であるのかわからなかった［毳は毛皮の意］。
劉攽が約束通りに行くと、蘇軾はべらべらと話に夢中で、食事の時刻を過ぎてしまった。劉攽は腹が減って仕方ないので、食事を求めた。
「少しお待ちください」
といって、また話を続け、一向に食事は出てこなかった。
同じことが何度も繰り返されたので、劉攽はとうとう、
「もう腹が減ってどうにもなりません」
と、悲鳴を上げた。
蘇軾がおもむろにいうには、
「塩も毛、大根も毛、飯も毛。三つ毛でありますぞ」
劉攽は腹をかかえて笑い、
「君がこの前の仇をきっととるだろうと思ってはいましたが、ここまでは考えが及びませんでした」
蘇軾はそこで食事を勧め、夕暮れまで楽しんだ。
世俗で「無」のことを「模」といい、「模」と「毛」は音が通じる。それで「無」を「毛」とし、「三無」を「毳」としたのである。さすがの劉攽もそこまでは考えが及ばなかったのだ。
■【08-3-072】次韻王晋卿恵花栽栽所寓張退傅第中
【訳文】年が改まって元祐4年［1089年］、蘇軾は54歳になった。王詵［字は晋卿］［→作品番号08-3-061］が花と詩を送ってくれたので、その詩に次韻した。この詩の題によると、花は張士遜［号は退傅］の旧居に植えられていたものであった。張士遜［→作品番号08-3-016］は宋の第二代から第四代の皇帝に仕えた重臣で、都に立派な屋敷を構えていた。この詩は禅語めいて意味がなかなか捉えがたい。訳者なりの解釈を加えることなくほぼ直訳する。
【訳文】
坐来念念失前人、［座っていると、一念ごとに前の人は失われる］
共向空中寓一塵。［前の人も我もともに空の中に向かい、一つの塵に寓する］
若問此花誰是主、［この花に対して誰が主であるのかともし問うなら］
天教閑客管青春。［天はいおうか、閑な客人に春うららを管轄させるのだと］
■【08-3-073】次韻王晋卿上元侍宴端門
【解題】上元節に皇城の端門で皇帝による宴が開かれ、王詵［字は晋卿］は皇族につながる者としてその座に加わり、そのことを詩に詠み、蘇軾が次韻した。
【訳文】
月［皇帝］が上ると、宮城の門が開かれ、
門外の露台の上を銀河［群臣］が繞る。
貴君はまさに邯鄲の枕に夢見る心地、
貴君の詩を見て、私は化してその場に居並ぶ思い、
仙界の毬のような燈篭に光が動き、
お上の歩みとともに香りが溢れ出る。
従うのは一万の名馬の列。
我が衰病の身はそのお供をするのは叶わないのである。
■【08-3-074】王鄭州挽詞
【解題】宋朝初期の勲臣の子孫で、皇族と姻戚関係のある王克臣［字は子難］が亡くなり、蘇軾はこの挽詞を作った。76歳であった。
【訳文】
羨むのは、
貴君が白髪に至って琳宮［皇城］より出て鄭州に帰り、
盛大に太鼓や角によって迎えられたこと。
大水害の後に、貴君は千里にわたって農桑を盛んにしたので、
人々はその功績を歌い合い、
貴君を慕う者が続々とその門に訪れた。
しかし、人の世の聚散はあらかじめ知ることはできず、
悲歓は一瞬のうちに変化する。
かのとき都の府庁舎で同僚であった者はいま幾人いるのだろうか、
そのころ貴君が机に向かうと、風が立つ勢いで筆を揮っていたのだった。
【補足】［（1）王克臣は最後の日々を鄭州で過ごしていたようである。（2）終わりの部分には、蘇軾自身の注で、「私が開封府にいたときに、王克臣もそこにいた」と記している。それは、王安石の改革を強く批判していたときのことである［→作品番号03-2-008］］
■【08-3-075】書王定国所蔵王晋卿画著色山二首
【解題】王鞏［字は定国］が所蔵する王詵［字は晋卿］の画に詩を添えた。それは着色した山の画であった。王鞏が持つ王詵の画を詠んだ詩は作品番号08-3-060でも見ている。
【訳文】
其の一
白髮の四老人は、
かつて商山にいた隠者なのだろうか。
貴君を煩わして紙の上から光が射して、
我が胸中の山を照らし出してくれる［それが画中の山］。
山の中には何があるのか、
老いた木、いかめしい土や岩、
天からの日光を受けて、渓谷がきらきらと輝く。
我が心から一切の物が無くなって空となり、
言葉は何ら関係するところがない。
見るがよい、
ここにある古い井戸の水には万象が往還しているのだ。
【補足】［王詵の画には4人の人物が描かれていたのだろう。この詩の始めは、それを商山に隠棲した漢代の有名に隠者に譬えたもの。この詩は全体として王詵の画と蘇軾の心象風景を重ね合わせて詠んでいる］
其の二
南方に流された貴君［王鞏］は、
嶺北に帰って初めて雪に逢うことができた。
私もまた江南において五回の春を見た。
この語を、風流を解する王詵君に寄せよう、
三人はともに山を識る人である。
【補足】［（1）岩垂憲徳・釈清潭・久保天随訳解『蘇東坡詩集』（1927年）は、この詩の解説に「余論」として「若し今日此の画にこの讃あれば、希世の国宝なるべきも、それは要するに空想である」と記している。（2）同じ頃に王鞏に贈った詩があり、少し皮肉めいたことをいっているようなのだが、はっきりとはわからないので訳は割愛する］
■【08-3-076】寄傲軒
【解題】李之儀［字は端叔］［→作品番号08-3-064］の弟子に韋許［字は深道］という人がいて、科挙を目指すことなく自由人として生きていた。その住まいである「寄傲軒」を詩に詠んだ。
【訳文】
韋先生は英妙の頃［若い盛りに］、
数多の筆を使いつぶして、千匹の兔を丸裸にしてしまった。
先生のあり余る才能からしたら、仕官の道などいうに足りないと、
試験場に足を踏み入れることをしなかった。
門に「傲」の字を掲げているのはなぜなのか、
俗人に対して傲るのではなく、我が名を傲るのである。
先生はきっと知っておられる、
高位に昇って栄誉を受けたところで、辱を償うものではないと。
人はそれぞれに自身を安んじる計がないわけではない、
しかし、「得」と「失」とは車輪が回転するようにぐるぐる入れ替わり、
「得」のときに、人は、顔に乙の字が浮かび上がった猛々しい虎のようになり、
「失」のときに、人は、手も足も首も尻尾も甲羅の内に引っ込めて怯える亀のようになる。
先生だけは、いつでも揚揚として、憂患によって汚されることはない。
住まうところなどは、我が身を寄せて、上を見て下に向くだけの広さがあれば十分だとする。
私もまたかの東の坡では、小さな住まいにいて、
無限の春の内で、我が一寸の心に万物を収めていた。
先生も私も酔えば、傍らに人などいないように哦い、
自身に向かって一樽の酒を勧める。
先生の枕の先は車馬が通る道、
月が木々の梢に傾くころ、
朝廷に臨む役人がざわざわと騒がしく先を急ぐのだが、
先生はちょうど眠りの真っただ中にある。
【補足】［（1）途中にある「東坡無辺春、方寸尽蔵蓄」［東坡 無辺の春、方寸 尽く蔵蓄す］は、かつて『赤壁の賦』［→作品番号06-3-057］で示した哲学を要約したものである。（2）旧い中国では官庁の朝は早く、官員は暗いうちに出勤した。なお、宋の都は夜通し賑わう場所もあり、また夜明け前から商売を始める者も大勢いた］
■【08-3-077】送呂昌朝知嘉州
【解題】呂昌朝が嘉州の知事として赴任するのを見送った詩。呂昌朝については元祐年間に嘉州知事となって、「清雅にして操行あり」ということだけが伝えられている。呂昌朝は蜀の人であったのか、嘉州［蜀に含まれる］に赴任することを、帰郷することとして詠んでいる。
【訳文】
貴君は、夢に三本の刀を見て大都市の知事になった昔の人を羨んだりしない。
古の文人の後を継いで、かの地の八景を詠もうとしているのだ。
貴君を勅命で嘉州に遣わすのは、
詩人に町の下にある名月湖を見おろさせるためであり、
古い仏を収める凌雲閣を臥したまま見上げさせるためである。
故郷に帰るのを思うのは、土地の名産の味にひかれてのことではなく、
蜀の人が描いた名画『竹鶴の図』の縁によって句を得るためである。
空に横たわる故郷の山は変わらぬ色を湛えているけれど、
貴君は白髪となってもなお知事として活躍すべき人なのである。
【補足】［（1）詩の後半は、このまま故郷に隠棲してしまうのではなく、呂昌朝にはまだまだ官員として働く場があるはずだといっているのである。（2）この詩は幾つもの故事を踏まえて詠んでいる。ここでは大意を汲んで訳したのだが、三点だけ説明を加えておく。「三本の刀を夢に見て」というのは、晋の時代の話で、ある人が、天井から三本の刀がぶらさがっているその下で寝ている夢を見た。すると、さらにもう一本刀が増えた。その人は縁起の悪い夢だと感じたのだが、夢判断をする人が、「三刀とは州の字に当たり、さらに一本益したのだから、夢は益州知事になるという吉兆である」と占い、実際にその通りになった。益州はやはり蜀の地で、嘉州より大都市である。「土地の名産の味」とは、やはり晋の時代の話で、都にいて秋風がふくころに故郷の旬の魚の味を思い出し、ただちに官職を棄てて帰郷した人がいた。『竹鶴の図』とあるのは、呂昌朝は画の収集家で、その中に蜀人の画いたその画があったのである］
■【08-3-078】記奪魯直墨
【解題】黄庭堅［字は魯直］［→作品番号08-3-045］との楽しいやりとりを記した短文。
【訳文】
黄庭堅君は私の書を学び、書をもっていまの時代に名を馳せるに至った。好事の者たちは上質の紙や墨を提供して争ってその書を求めている。だから、黄君がいつも携えている古ぼけた錦の囊はそれらの物でいっぱいになっている。ある日、黄君が来たので、その嚢を探ると、半分ばかりになった李承晏の墨があった。私がほしがると、黄君は甚だ惜しんで、「家で飼っている何羽もの鶏よりも、野生の鶩の方が珍重されるのですよ」と、いった。それでも私はついにそれを奪い取った。それがこの墨である。
元祐四年三月四日。
【補足】［李承晏の墨については作品番号08-3-013で見ている］
■【08-3-079】書黄魯直恵郎奇筆
【解題】これは黄庭堅［字は魯直］から筆をもらったという話。
【訳文】
私は科挙を受験したころはいつも郎奇の筆を使っていた。近ごろは郎奇の筆を見ないので、郎奇が生きているのかどうかも知らずにいた。今日、たまたま黄庭堅君のところで郎奇の筆を得た。黄君がいうには、「郎奇はここ十年ほど病気であったのですが、近ごろ平癒しました。その筆は試験の答案を書く者のためには作らず、詩を賦す人の用にのみ供しています」
【補足】［郎奇は筆職人の名で、蘇軾が受験したころすでに評判が高かったのなら、かなりの年配であろうから、自分の筆の使い道に注文を付けたくもなるのだろう。あるいは、黄庭堅が戯れていっただけなのかもしれない］
■【08-3-080】書魯直所蔵徐偃筆
【解題】これも筆にまつわる黄庭堅［字は魯直］とのやりとり。
【訳文】
黄庭堅君がよい筆を幾つも出してきて、私に試し書きをさせた。この筆の先は、塩をかけられた蚯蚓のように紙の上でぐにゃぐにゃ曲がる。黄君がいうには、「これは徐偃の筆です。筋はあっても骨がなくて、まことにその名を得たというべきでしょう」
【補足】［徐の偃王という大昔の伝説的な人物がいて、くねくねと巧みに戦争を避けたので、「筋はあっても骨がない」と評された。その故事を使って、黄庭堅が「徐偃の筆」と名付けたのだろうか］
■【08-3-081】次韻黄魯直寄題郭明父府推潁州西斎二首
【解題】郭明父という潁州で官職にある者がいた。郭明父の住まう西斎に黄庭堅［字は魯直］が詩を寄せ、蘇軾が次韻した。2首のうち1首を訳す。
【訳文】
其の一
樹の上で鳥がいつも啄啄と叩く、
客人が来たのとまぎらわしく、
返事などしないでいると、
客人は帰ってしまった。
主人は来客を嫌っているのではない、
真の友が訪れるなら、
友が乗ってきた車輪を井戸に投げて帰れないようにし、
衣を解いて自ら料理の腕をふるうのである。
詩とか酒とかいうものはとかく身を汚すもと、
文章など去ってしまうならまことの賢人となるのかも知れない。
遠からず西湖に我らの白髪が映えるであろう、
小さな舟を水中の天に浮かべるのである。
【補足】［潁州に風光明媚な西湖がある。潁州は欧陽脩が最後に住んだところで、かつて杭州に赴任する前に蘇軾は潁州を訪れ、欧陽脩とともに西湖に浮かんだことを作品番号03-4-024で見ている］
■【08-3-082】書次韻王晋送梅花一首後
【解題】王斉愈と王斉万兄弟［→作品番号06-5-031］に一篇の詩を清書して贈った。そのことを記した短文。その詩はこの後に見る。
【訳文】
私は黄州を去って丸五年になる。飲食の間にも、眠っているときにも、そのころのことを忘れずにいる。いままさに江湖の一郡に移ることを求めている。この一篇の詩を王君に兄弟に寄せる。どうか李楽道君にもお見せするように。
【補足】［李楽道の名はここにしか挙げられていないので、どのような人物であるかは不明だという］
■【08-3-083】和王晋卿送梅花次韻
【解題】王兄弟に書いて贈ったのがこの詩。王詵［字は晋卿］［→作品番号08-3-073］から梅の花とそれに添えた詩が送られてきたので、その詩に次韻したもの。
【訳文】
東坡先生がまだ都に帰ってくる前［黄州謫居のとき］、
東坡先生はみずから来禽と青李を植えた。
長江沿いのその道に帰らずにいること五年、
夢は東の風を逐って飛び、
江の水草の上にふわりと浮かぶ……
誰のために咲いたのか、
江べりには梅、山には杏の花が開いている、
東坡先生は独り微笑み、
野の小川を眺めつつゆるゆると歩く。
ここの風物を貴君［王詵］はまだ識らない、
花の浪が天に翻って雪とぶつかり合うようなありさまを……。
来年はきっと私はまた江湖にあることだろう、
そのとき貴君はなお都にいて梅の花に向かって三度嘆息するのだ。
【補足】［来年の春を都で迎えることはないと、蘇軾はもはや願望としてではなく、確信していたのだろう］
■【08-3-084】書李伯時山荘図後
【解題】ついに蘇軾を地方の知事に任命する辞令が下った。行き先は杭州、そうと聞いて蘇軾の心は躍ったに違いない。高太皇太后が蘇軾の意を汲んで定めたと推測されている。蘇軾が州知事として赴任する都市としてどこが最もよいかといえば、故郷の成都が第一に挙げられるだろう。しかし、蘇軾は蜀党の領袖であるとして政敵から嫌われている状況下で、蜀の中心都市に蘇軾を置くわけにはいかない。だとしたら、第二の選択は、江南最大の都市で、蘇軾にはすでに馴染みの杭州ということになる。このあと蘇軾を都に引き留めようとする動きもあって、実際に都を発ったのは4月終わりであった。これは李公麟［字は伯時］［→作品番号08-2-031］が描いた『山荘図』に添えた短文。李公麟は故郷の舒州にある竜眠山に籠って勉強していたことがあり、竜眠居士と号していた。『山荘図』は竜眠山の山荘を描いている。その画に添えて弟の蘇轍が20首の詩を作っている。その序文を最初に見ておこう。
【訳文】
蘇轍：『題李公麟山荘図』の叙
李公麟が『竜眠の山荘の図』を作った。建徳館から垂雲沜まで、描き著したところは十六箇所、西から東およそ数里にわたる。岩崿が隠れ見えし、そこここに泉の源があって、山を行く者の路はそこに窮まる。道を南の溪山に取ると、山と谷が清く深く向かい合い、遊ぶべきところが四箇所ある。勝金巌、宝華巌、陳彭漈、鵲源である。それらは簡単には見られないので、特に後ろに描いている。兄がすでにこの画の記を作り、私に小詩二十首を賦すよういった。王維が輞川荘について詠んだ作を継ごうとするものである。
【補足】［蘇轍のこの序文と詩は、『山荘図』について具体的に叙述している。以下に見る短文は、それとは対照的に蘇軾の芸術観を語っている］
【訳文】
ある人はこのようにいう。
「竜眠居士の『山荘図』を見て、その後で山に入るなら、その者は足にまかせて行くだけで、自ずと道がわかるようになる。あたかも、かつて夢に見たところにまたきていると感じたり、前世にもここにきたと悟ったりするのと同じようになるのだ。山中で見る泉、石、草、木は問うまでもなくその名を知っていて、山中に遭う漁師、樵、隠逸の者は名乗らずともその人を識っている。これは、竜眠居士が記憶力に非常に優れ、一切を忘れることなく画き尽くしたからであろう」
私はそれに対してこのようにいう。
「そうではない。太陽を画いているはずなのに、これは丸餅を画いたのではないかと疑ってしまうようなことがよくある。それは太陽を忘れてしまって画いたからなのだろうか。酔って何もかも忘れてしまっていても、鼻から酒を飲もうとはしない。夢の中であっても、足の指で物を掴もうとはしない。天の機と合致していることは、強いて記憶しようとしてできるようになるわけではない。竜眠居士が山にあるときには、何かしら一つのものだけに心を留めることがない。だから、その精神は万物と交流し、その智恵は百の工と通じる。それだけではない。一方に道［真理］があり、一方に芸［技能］がある。道を会得していても、芸が備わっていなければ、心の内では物の形がわかっていても、それを手で画き表すことはできない。私はかつて竜眠居士が描いた『華厳経』の図を見た。どれも自分の意でもって造っていて、しかも仏の教えと合致していた。仏が言葉でいったものを、竜眠居士が画に画いたのであって、まるで仏と竜眠居士が一人でいいかつ画いているかのようであった。まして、この画は竜眠居士自身が見たところのものを画いたのである」
■【08-3-085】蜀公不与物同尽
【解題】李廌［字は方叔］［→作品番号08-3-014］との会話を記録した短文。李廌は科挙に落第した後に帰郷したのだが、このころにまた上京したのだろうか。
【訳文】
李廌がこのようなことを話した。
「范蜀公［范鎮］が亡くなられる数日前のこと、鬚も髪もすべて真っ黒になったといいます。あたかも画に描いたかのようであったのです。公は日頃から心を虚しくして気を養っておられたので、生命が尽きるときに至っても血気が衰えることがなく、それが外に発せられてそのようになったのでしょうか。范氏には乳首が四つある人が多いといわれていて、公はもとから人と異なるところがあって、その上、あのように徳を立てられたので、その終わり方も万物が尽きるのとは異なっていたのでしょうか」
我等には知りえないことがあるのだろう。
元祐四年四月五日。
【補足】［范鎮が亡くなったのは作品番号08-3-067で見たように昨年の終わりであった。都ではすでにこのような噂話がされていたのだ］
■【08-3-086】与家退翁
【解題】同じ年の科挙に合格した同郷の家定国［字は退翁］［→作品番号08-2-016］に送った手紙。
【訳文】
人が来て、お手紙を頂戴しました。お変わりなく健やかにお過ごしのことを審らかにし、お会いしているかのように心が慰められます。私はここ連年、都の外に出ることを希望し、越州を願ったところ杭州が得られました。望外の御恩であります。衰疾の身に便であるだけでなく、拙い身を取り沙汰されることから安らかに逃れられます。ただ故郷からは日に日に離れ、墓所を掃除できるのはいつの日になるのでしょうか。惘惘とした思いになります。……四月十三日。
■【08-3-087】跋邢敦夫南征賦
【解題】邢居実［字は敦夫］という青年が二十歳になるかならないかで亡くなった。邢居実が14歳のときに蘇軾はその詩を読んで期待を寄せていたのだが、思いがけない事件で若くして命を落としたのだった。これはそのことを悼む短文。
【訳文】
邢居実は童子のころから、数多くの優れた人々との交流があった。邢居実の志は文学で賞賛を得ようとするだけのものではなかった。邢居実の姿を一日見ないと思っていたら、草木が枯れるように亡くなってしまった。黄庭堅も晁補之も皆が泣き、長く哀しみにひたった。いま邢居実の作ったこの『南征賦』を見て、少しばかり慰められる気がする。
かつて江南で李覯に会ったときに、李覯は自身の文を教えてくれた。そこにこのようにあった。
「天は私にどれほどの寿命を与えてくれたのか。それでは足りないということがあろうか。古の人の手を借りるなら、足りないことはないのだ」
私は邢居実もまたこうであったと思いたい。
元祐四年四月十六日。
【補足】［李覯は蘇軾よりも一世代ほど上の人で、科挙には合格しなかったが豊かな学識があって多いときには百人を超える弟子を指導し、招かれて太学で教えたこともあった。李覯の言葉は己の本分を学者と見てのものであるのだろう］
■【08-3-088】范文正公文集叙
【解題】蘇軾は都にいる最後の日々に范仲淹［諡は文正］の文集を編み、その序文を記した。かねてから范仲淹の子の范純仁に頼まれていたものを、杭州に向けて出発する直前に仕上げたのである。范純仁は范仲淹の次男で、作品番号08-3-010で宰相に任命されたのを見ている。作品番号08-1-005で登場した范純粋はその弟。この訳文は01-2-003にすでに掲げた。そのときは蘇軾の少年時代を知る恰好の資料として見たのだが、范仲淹が生涯の課題とした国政の大改革に着手したものの、すぐに頓挫して地方官として出ていかなければならなかった年齢［56歳］に蘇軾が近づいたときに、どのように范仲淹を見ていたのかということを知る意味で、もう一度ここで読んでおきたい。范仲淹の改革が失敗した原因は幾つがあるが、改革を実行する手段を十分に整えておかなかったことが大きく、その点で数々の新法を準備した王安石は用意周到であった。范仲淹による改革がもしも当初の目的を達成していたなら、むろん王安石による改革は行われなかった。
【訳文】
慶暦三年［1043年］のこと、私は八歳で土地の学校に入った。間もなく、ある文士が都から石介の作った『慶暦聖徳の詩』を携えてやってきた。学校の先生がそれを読んでいるのを私は横からのぞき見た。
それが現在特に優れる十一人を讃える詩であると聞いて、
「どのような方々なのでしょうか」
と、私は先生に尋ねた。
「君のような子どもにはまだわかるまい」
と、先生は言った。
「それが天の上の人であるのならわからないということもあるでしょう。でも、同じ地上の人であるのならわからないことはないはずです」
私の返答に先生は驚き、その詩を読んでくれた。そして、
「このなかでも韓琦、范仲淹、富弼、欧陽脩の四人は人傑である」
と、言った。
このときはまだきちんと理解できたわけではなかったが、四人の名ははっきりと記憶に刻まれた。
二十二歳のときに［科挙に受験するために］都に行くと、范仲淹はすでに亡くなっていて、欧陽脩が記した墓誌を読み、私は、
「その人のあることを知って十五年、しかし、ついにお顔を見ることがかなわなかったのは運命なのだろうか」
と、嘆き悲しんだ。私は科挙に合格し、初めて欧陽脩に会うことができ、その紹介で韓琦とも富弼とも会えた。三人は口を揃えて、
「残念なのは君が范仲淹に会えなかったことだ」
と、私に言った。
それから三年後に私は許州で范仲淹の次男の范純仁に会い［これは母の喪が明けて都に上る途中のこと［→作品番号01-2-040］］、また六年後に都でその弟の范純礼に会い、さらに十一年後に末の弟の范純粋と同僚になった。皆と会ってすぐに旧知の仲のようになった。
私は范兄弟から父上の遺稿を託され、文集を編集して、それに序文を添えてほしいと頼まれた。それから十三年が経っていまようやくその約束を果たせるに至った。
范仲淹の功績と徳は、その文章があって初めて世に知れるのではない。その文章は、序文があって初めて世に遺されるのではない。それでも文集を編集し序文を記すのをあえて辞退しないのは、八歳で范仲淹を敬うことを知って四十七年になり、他の三傑とは交わりを結ぶことができたのに、范仲淹一人とは知り合えなかったのを平生の恨みとし、その人の書いた文章の脇に我が名を掲げることでその人の門下生の最後の一人であるかのようになれるのならば、ついに願いを叶えたのに近かろうかと思うからだ。
古の立派な人々が天下のために貢献した事績を見ると、それを為しとげた基本的な姿勢は、国に仕えてから学んで得たものではなく、庶民のなかで暮らしていたときからすでに身に備わっていたものであった。漢の劉邦が天下を平定するのを助けた韓信は、劉邦と会った最初のときすでに遠い見通しを持っていたし、諸葛孔明も草庵に訪ねてきた蜀の劉備と初めて会ったときすぐに何をすべきかを語り、終生それを貫いた。人に尋ね、聞いたことを試してみて、成功したらよしとするようなことではなかったのである。
范仲淹は母上が亡くなって喪に服していた間に、天下のありさまを見て、いかにして民衆に泰平をもたらすかをつらつら考え、［39歳のときに］一万字に及ぶ文章を書いて時の宰相に送った。天下の人々はその文章を読んだ。後に范仲淹が国政の改革に取り組んで副宰相にまでなってしたこと、あるいは平生に為したところのものは、皆この文章に記されていた通りであった。
范仲淹の遺稿二十巻をここに編み、詩賦は二百六十八、文章は百六十五に及ぶ。これらを見れば、范仲淹が仁義礼楽忠信孝悌を思うのは、飢えて食するのを思い、渇いて飲むのを思うのと同じで、片時も忘れようとしてもできなかったことであったとわかる。その心は火のように熱く、その情は水のように潤い、天性からしてそのようであった。慰めに、あるいは戯れに、もしくは瞬時に作った詩文であっても、その天性から出たものであるから、天下の人々はその真心に打たれ、争って師として尊ぶのである。
孔子は、
「徳ある者には必ずしかるべき言葉がある」
と、言った。それはしかるべき言葉が初めにあってその人の口から出てくるのではない。徳のある人の口が発するからしかるべき言葉となるのである。
また『礼記』には、
「私は戦えば必ず勝つし、子孫が私を祭るなら福を受けるだろう」
と、ある。これは戦いの能力について言ったのではない。礼に基づき、徳をもって戦うなら、必ず勝つことを言ったのである。范仲淹は戦う人生であったが、その怒りは徳から現れたものであった。
元祐四年［1089年］四月二十一日。
【補足】［都において批判の嵐にさらされていた蘇軾は、批判を口にする人々の怒りには、范仲淹と違って、そのおおもとにおいて徳がないと感じていたのではないだろう］
■【08-3-089】題柳耆卿八声甘州
【解題】柳永［字は耆卿］の詞に添えた短い感想。柳永は北宋を代表する詞人。井戸端でその詞を歌う女性の声が聞かれない日はないといわれたほどに、その詞は大流行し、作品が広く庶民に愛されたことでは恐らく空前の出来事であった。
【訳文】
世間の人々は柳永の曲は俗であるという。そうではない。たとえば、『八声甘州』を見るなら、
対瀟瀟暮雨灑江天、［対するは、瀟瀟たる暮雨の江天に灑ぎ］
一番洗清秋。［一番 清秋を洗うに］
漸霜風淒緊、［漸く霜風 淒緊となり］
関河冷落、［関河 冷落し］
残照当楼。［残照 楼に当る］
これらの語は詩句としても、唐人の至った高みから下るものではない。
【補足】［蘇軾がこのように評価したこの詞の全体を読んでおこう］
【訳文】
柳永：『八声甘州』
対瀟瀟暮雨灑江天、［見れば、一面の暮れゆく空から瀟瀟と雨が江に降り灑ぎつつ］
一番洗清秋。［清らかな秋をすっかり洗い上げます］
漸霜風淒緊、［霜を帯びたぴりっとひきしまった風が吹き出し］
関河冷落、［あたりをもの寂しげに変えてゆくと］
残照当楼。［夕日が楼閣へと射しこんできます］
是処紅衰翠減、［ここに紅は衰え翠は失せて］
苒苒物華休。［物の華やかさは苒苒と休まります］
惟有長江水、［そして、長江の水だけが］
無語東流。［語ることなく東へと流れゆくのです］
不忍登高臨遠、［どうなのでしょう、高いところに登って遠くを臨むのは］
望故郷渺邈、［遥か遠い故郷を望み見たなら］
帰思難収。［帰ろうとする思いをもう収めることができなくなってしまうのではないでしょうか］
嘆年来蹤迹、［この何年もの間、いったい］
何事苦淹留。［何がどうしてぐずぐずしていたのでしょうか］
想佳人。［想うのは、かの佳き人］
妝楼顒望、［美しい楼閣にあって頭を挙げて］
誤幾回、［何度、誤って頭を回らせたでしょうか］
天際識帰舟。［天の際に帰り来る舟が見えたと思って］
争知我、［でも、知りはしないのです］
倚闌干処、［欄干に身を寄せて］
正恁凝愁。［いままさに私が愁いに思いを凝らしていることなどは］
【補足】［柳永は官員の息子で、科挙を目指して勉強しながらも、早くからその詞が花柳界で流行り、そのために試験で優秀な成績を挙げながらも、仁宗皇帝が、そのような「失態無徳」の人物は我が朝廷には要らないといったために不合格になってしまったという伝説がある。以来、柳永は失意の日々を送りつつ詞を作り、それでますます女性たちの心に響く詞が生まれるようになった。柳永は50歳を前にして一念発起して再度科挙に挑んでようやく合格し、晩年を地方官として過ごした。この『八声甘州』は柳永の代表作の一つとされ、制作時期は必ずしも明らかではないが、最後の地方官時代の作品と見てよいのだろう。遠く想う「佳人」は、具体的な誰かを指すのではなく、過ぎ去った人生全体であるかのようだ。だから、誰もがこの詞を読んで共感できるのだろう。蘇軾もまた、杭州に向かうに当たって、この詞に触発されて、これまでの日々をじっと想い見たと想像してもさほど見当違いではないであろう］