第8章 栄光と失意――都
［第8章その一］
元豊8年［1085年］、蘇軾50歳。
元祐元年［1086年］、蘇軾51歳。
■【08-1-001】次韻趙令鑠
【解題】12月上旬、蘇軾は都に到着した。都での日々は3年間余り、その多くの時間を政争に費やすことになる。朝廷内の抗争について詳しく見るのは労力の浪費であろうと訳者は考えるので、ごくあらましだけを最初に記し、あとはその都度必要最小限の顧慮を払うだけとする。蘇軾が帰還したときの朝廷には、王安石と神宗皇帝が始めた改革政治を堅持しようとする改革派［後世の用語で新法党という］として蔡確［宰相］、章惇［副宰相］らがいて、高太皇太后によって召された保守派［旧法党］として司馬光［副宰相］、呂公著［副宰相］らがいて、両者の主導権争いが激化しつつあった。その間に韓縝［宰相］がいて、無難に振る舞おうとしていた。章惇は改革派の一番の切れ者で、保守派の重鎮である司馬光をマークして激しく攻撃した。そのころの様子を『宋史』の「蘇軾伝」は以下のように記している。
【訳文】
蘇軾はもともと司馬光とも章惇とも親しくしていた。このとき司馬光は門下侍郎［副宰相に相当］で章惇は知枢密院［副宰相に相当］で、二人は相容れない関係にあり、章惇はいつも司馬光を侮ったり皮肉な言葉を投げかけたりしていた。司馬光はそれに苦しめられ、蘇軾に助けを求めた。
蘇軾は章惇に会うとこのようにいった。
「司馬光殿はいま世の中の人々からはなはだ重く見られています。昔、許靖に対して、蜀の劉備は『実態のない虚名でしかない』と、見下した態度をとりました。そのときに、法正は劉備にいいました。『許靖は浮ついた誉れではあっても、そのことが世間に広く知られています。もし許靖を礼遇しなければ、天下の人々はあなたさまは賢者をないがしろにしていると見て、よくないことになりましょう』。劉備はその忠告を入れ、許靖を高い地位に就けました。許靖であっても侮蔑してはいけなかったのです、まして司馬光殿はどうなのでしょうか」。
章惇はその通りだと受け止め、司馬光はそれからは少し安心できるようになった。
【補足】［（1）蘇軾が章惇にアドバイスしたときに引いたのは、三国時代の劉備が蜀の地を手に入れた直後の出来事。許靖は蜀の前の主人に仕えて、賢者として評判が高かった。しかし、前の主人を見限って劉備のもとに投降しようとしたことから、劉備は不誠実であるとして許靖を用いようとしなかった。劉備の参謀を務める法正は、蜀の統治を始めるに当たって賢者を重んじる姿勢を示すべきだと劉備に助言したのである。（2）『宋史』に引かれているこのエピソードは蘇軾の姿勢を象徴的に示すものと見てもよいであろう。改革派と保守派の権力抗争は高太皇太后の強力な後押しを受けた保守派が勝利をおさめ、翌年になると改革派の主力メンバーは1人残らず都から追放され、司馬光が宰相になり、王安石が考案した新法は次々に廃止されるようになる。蘇軾は司馬光とは少しばかり考え方が異なり、実効性がすでに証明されている新法は廃止する必要性はないし、急な制度変更は社会に混乱をもたらすとして、実情に応じて柔軟に政策を選択するよう主張した。しかし、流れは白か黒かをはっきりさせる方向で加速し、保守派の一員でありながら蘇軾の立場は次第に難しくなって行くのだった］
【解題】この項の表題に掲げたのは、趙令鑠［字は伯堅］の詩に次韻した詩。趙令鑠は保守派の官人である。遡れば、都において改革を正面切って批判するほとんど最後の1人となった蘇軾が杭州副知事として出て行ったのが14年前。その後、密州知事の任を終えてから都に入ろうとしたものの、門の外で止められたのが8年前。そして、6年前の秋から冬にかけて、都にいたことはいたのだが、そのときは獄中に置かれた。かくて、長年の苦難を乗り越えて都に戻った蘇軾は、都に着くやいなや、その帰還を待っていた大勢の人々と矢継ぎ早に詩の贈答を繰り返すことになるのは自然の流れで、ここから見るのは次韻詩の大行進である。
【訳文】
六年のあいだ、私は東の坡で豊作の報せを聞いていた。
いま恥じらうのは、白髪頭になって都の紅塵の中にのこのこ出てきたこと。
いまも、枕につくときに田舎の谷や山を夢に見る、
しかし、我が門前には、早くも公務の使いが続々と訪れる。
かねてからの年少の友［趙令鑠］は、まことに瓊のように美しい樹といってよく、
筆を執ると、文字から風が生じて垣根がそよぐほどである。
礼部郎となった私の仕事ぶりを貴君が見ようと思ったならば、
甕の間を探してみるのがよいのかも知れない。
晋の時代に吏部郎となった畢卓が、
酒の匂いにつられて隣家に忍び込み、甕の脇で酔いつぶれてしまったように、
私は老いてもっぱら酔いの境地こそが郷里だと思っているのだから。
【補足】［（1）趙令鑠は神宗皇帝と同年、同月、同日、同時の生まれであったとする言い伝えがあり、だとすると38歳で、確かに「年少の友」である。（2）都には、蘇軾が黄州でどのような日々を送ったのか知りたいと思う人がたくさんいたであろう。詩を作れば、それを読むのは例えば趙令鑠一人に留まるわけではない。多くの人の目に触れるようになることを意識してこの詩を作ったのだろう。黄州で辛い思いをしたなどとはいわず、また朝廷に戻ってきての抱負を述べるようなこともしない。斜に構えたポーズと見せて、実は用心深くこの詩を作ったのだろう。（3）蘇軾はこの詩にあるように礼部郎中［官位を表す称号］として都に召され、たちまち昇進する］
■【08-1-002】次韻趙令鑠恵酒
【解題】上の詩に見た趙令鑠が酒を贈ってくれ、それに詩が添えてあったので、次韻して返した。
【訳文】
神山は、五百年に一度だけ大地を開いて石髓を現わし、
それを食らうと寿命が天と同じになるという。
石髓がない限りは、我らは悲しいことに、
生まれてしばし世に寓するだけの身である。
あるいは、玉醴泉の水が流れてくるのを座って待って汲むと、
千年もわずか一日のような長寿が得られるという。
そのようなものよりも、「青州従事」［極上の酒の代表］があればよい、
ただし、普段から町で買い求めているのは安酒ばかりで、
さすがに「平原督郵」［下劣な酒の代表］ばかりは御免蒙りたいと、
とかく面白くない思いでいると、
貴君はそれを知ったのか、
有難いことに「従事」の顔を拝ませてくださった。
自分で盞を洗い自分で瓶を開いて、
できれば、肴があって、誰か相手をしてくれる者がいないものかと思っていたら、
貴君はまたしてもそれを知ったのか、
門を剝啄と叩く音がして、
なんと、煮た魚が届き、その腹の中に手紙があった。
【補足】［最後は、鯉を煮たところ、腹の中から手紙が出てきたという伝説に基づいて、趙令鑠の詩をその手紙になぞらえたのである］
■【08-1-003】次韻王定国得潁倅
【解題】蘇軾が朝廷に帰還したのと同じころに、王鞏［字は定国］［→作品番号07-2-024など］は潁州の副知事に任命された。蘇軾に連座して遠く流された王鞏も、政権交代に伴い官員としてのエリートコースを歩み始めることになった。潁州は、欧陽脩が隠棲の場として選んだところで、かつて蘇軾は杭州副知事として赴任する前に弟とともに訪ねていた［→作品番号03-4-024］。
【訳文】
其の一
仙界の風が貴君の骨にまで入り込んだのだろう、
すでに雲を凌ぐばかりの気概が具わっている。
貴君の文章は秋の水のように清らかで、
塵一つ受けることがない。
貴君が一声発すると、
大地が呼応して、その余波が天の神の帯をも震わせる。
鼠を射るのに大弓を引くまでもないとの喩えの通りに、
あちらに赴任したなら実直に仕事に励むのがよろしかろう。
それと、百花潭には行かないほうがよいであろう。
酔翁［欧陽脩］はもはやおられないのだから、
貴君が親しめる相手はそこにはいないのだ。
【補足】［前半で王鞏をやたらと褒め、後半でさらりと訓戒を垂れている。「実直に仕事に励め」と訳した原文は「買牛但自捐三尺」［牛を買うに但だ自ら三尺［の剣］を捐てよ］で、平和な時代には無用になった武器を売って牛を買い耕作に励むという故事を詠んだもの。ともすると放縦に流れることがある王鞏を戒めたのであろう。そして、末の句は、隠棲後の欧陽脩を表面的に真似するようなことがないようにと注意したのだろう］
其の二
この広い四海［世界］にある渡し場を、
もう知り尽くしたように思ったものの、
杖を立てて無言で歩む先生［張方平］の前に身を置くと、
いつも己を恥じなければならない。
私は若いころからやたらに言葉が多く、
道についてきちんと聞くのが遅かった。
いまからは口を閉じ、とやかく書かないようにしよう。
宮中より下される銘酒には艶やかな波が立つ、
それでも、私は蜀の地に帰って芹を煮て食べたいと思う。
老僧たちが説く仏教の神髄を聴きたいのに、
牀で聞こえるのは耳鳴りのざわざわした音だけである。
【補足】［この第二首は何がいいたいのかさっぱりわからない。この訳文は訳者による捏造作品である。ただし、中間にある「自少多言晩聞道、従今閉口不論文」［若いころからやたらに言葉が多く……］の二句は、己自身を戒めるものとして興味深い。都にきてどのように振る舞うべきか、まだ手探り状態だったのだろう］
■【08-1-004】次韻王定国謝韓子華過飲
【解題】この詩の題は、「王鞏［字は定国］が韓絳［字は子華］のところで飲み過ぎ、そこのことを謝った詩に次韻した」。韓絳は、王安石が宰相を一度辞めた後で宰相になった人。しかし、韓絳はそのときに副宰相だった呂恵卿らと対立して何も決められず、呂恵卿を抑えつける奥の手として王安石を呼び戻すよう画策した。かくて王安石が宰相に復帰すると、韓絳の思惑は完全にはずれてますます居場所がなくなり、地方官として転出した。このころにはすでに都に戻り、宰相の韓縝の兄であることもあって官界の長老格として遇されていた。韓絳の父は王鞏の祖父の娘の婿で、そうした姻戚関係があることから、韓絳が王鞏を家に招いて副知事に任命をされたことを祝ったところ、王鞏が飲み過ぎたために、詩で反省文を作って提出したのである。蘇軾は上の詩で王鞏をやんわりと戒めたのだが、その程度ではどうやら糠に釘であったようだ。
【訳文】
昔、楚国の大臣に孫叔傲がいて、
国を守る千里の長城のようだと賞賛されていた。
その息子は絹の衣に包まれて育ちながら、
哀しいことに、父が死ぬと、（父は何も財産を残さなかったために）
破れた履をはいて薪を背負って売らなければならない境遇に陥ってしまった。
孫叔敖と親しくした友人がいなかったわけではないのに、
水をひっくり返したように皆が態度を一変させた。
ただ役者の優孟だけが違って、
王の前で、笑い話の中に、孫叔敖の子が困窮状態にあることを伝えた。
代々続く名家とて恃みとなるわけではなく、
足の折れた机に寄り掛かるようなものなのだ。
真宗皇帝の世に賢相［王旦、すなわち王鞏の祖父］がいて、
天下の柱をしっかりと支えていた。
その子の懿敏公［王素、すなわち王鞏の父］も名立たる大臣で、
孟子がいう三つの貴いもの、すなわち徳、爵［地位］、歯［年齢］を備えていた。
これらの方々が亡くなって幾日になるのか、
いま誰がその子を教え導いているのか、
その子を教え導ける者は誰なのか。
私はその子に説こうとしたけれど、
止めることにしよう、
止めることにした。
親戚の宰相［韓絳］は民衆のために起つこと久しく、
老いに臨んでの別れであるからと、
貴君のために御馳走を並べたのは何のためだったのか。
親類縁者を引っ張り上げたりするのはよいことではない、
ただ清々しく顔を向き合わせればよいのだ。
新しい詩は弾丸のようなもの、
手を離れたならば、知らぬところまで勝手に飛んで行ってしまう。
私もまた詩を作る者であるからして、
苦い言葉を絹の上に書きつける。
私の言葉に耳を塞がないでほしい。
孔子もいわれたではないか、
「天下に道あるときは、貧賤を恥ず」［公の仕事に就くべきだとの意味］と。
【補足】［（1）この詩で蘇軾は王鞏に向かってかなり厳しいことをいっている。韓絳への苦言も兼ねているようだ。（2）王鞏が名家の生まれであることは『三槐堂の銘』［→作品番号05-5-004］で見ている。祖父の王旦は名宰相として歴史に名高く、その娘婿となった韓億は副宰相にまで昇った。韓億の子が韓絳である。つまり、王鞏も韓絳もはなはだ血筋がよい。蘇軾はこの詩の冒頭で、血筋など何の頼りにもならないと喝破している。（3）ここに引いた孫叔傲の故事を、蘇軾は時折引いている［→作品番号02-2-020など］。（4）この詩を詠んで、たぶん王鞏は冷や汗を流し、韓絳は気分をいささか損ねたであろう］
■【08-1-005】送范純粋守慶州
【解題】12月18日、蘇軾を起居舎人［皇帝の近くにあって文章を起草するなどの仕事を務める職］に起用するとの辞令が出された。都に戻ったばかりでそのような大役を受けるわけにはいかないと固辞したが許されなかった。これは、そのころに范純粋が慶州知事となって赴任するのを見送った詩。范純粋は、作品番号05-4-050で見たように、蘇軾が8歳で憧れた4人のスーパースターの1人范仲淹の子。慶州は西の夏国との国境に近く、かつて范仲淹もその地の知事となっている。そのときに夏国との間に緊張が高まり、武力衝突にまで発展し、范仲淹はその後始末に奮闘した。范純粋は范仲淹が58歳のときに生まれた子で、父が慶州知事であったのはそれより数年前だった。
【訳文】
昔から、大きな才能は用いられ難いとされ、
高所に立った議論はいつも迂遠なもののように見られる。
孔子が次のようにいったのを、貴君も知っておられよう、
「趙魏老は大国の大臣になるべきであるのに、
滕のような小国の役人では力を発揮できない」
浮き雲には根がなく、水たまりはわずかな時間しか保たれない、
幾つもの変転を経て後に、真の賢愚が現れる。
手に持った鉾の飾りが辺境の地の町々を照らし出し、
談笑のうちにそこに安寧をもたらしたのは、
かの年のかの知事［范仲淹のことをいう］で、
素手で猛虎を降参させたのだった。
その息子たちは、幼いころから厳しく育てられたのだから、
貴君は漢代の鄧平叔［やはり名臣の子］のように、
闘うまでもなく西方諸国を帰服させるであろうと、
私は確信している。
【補足】［（1）『論語』にある趙魏老の故事をここに引いたのは、范純粋がかつて実際に滕県で官職に就いていたからで［→作品番号05-4-050］、今回、慶州知事になったことで大きく飛躍すると期待したのである。（2）范仲淹は慶州知事となって西方に行くと、先住民である羌族のもとに単身乗り込んで信頼関係を築き、夏国の動きを牽制した。息子の范純粋にも、直接的に武力を行使することなく、夏国に対する優位を築くことを期待したのである。その背景には、神宗皇帝のもとで夏国との戦争を起こして大敗した対外政策の過ちをいかにして正すかが保守派の課題となっていたことがある］
■【08-1-006】次韻王震
【解題】王震［字は子発］の詩に次韻した。王震は王鞏と同族で、王鞏の一世代下に当たり、このとき朝廷の高官であった。作品番号06-5-014で見たように、蘇軾を黄州から汝州に量移するとの皇帝の命令書は王震［あるいは王震の父という説もある］が起草したものだったという。そのことがこの詩に詠み込まれている。
【訳文】
治平年間［先々代の皇帝である英宗の年号］に、貴君は文を携えて私を訪れた。
豹は食を断って七日間雨に当たると体に斑模様が生じるというけれど、
そのときの貴君はようやく一つの斑を得たばかりであった。
聞くところでは、貴君等が推薦の言葉を発してくださったお蔭で、
私は流落の身から生きて還えることができたのだった。
清らかな一篇の文章［量移の命令書］が月の光を帯びて霜の夜に届くと、
そこに記された妙語［量移の命令］は、病んだ顔を春に先んじて明るくしてくれた。
私はすでに暮年に至り、それでも詩と酒はなお用いることができている。
貴君等と「竹林の七賢人」のような交わりを結ぶことも、
時には許していただけようか。
■【08-1-007】次韻馬元賓
【解題】馬元賓の詩に次韻した。馬元賓がどのような人であるのか未詳。詩の内容からして、馬元賓はどこか遠くへと赴任するのであろう。
【訳文】
私は長らく江湖に流落して万里の彼方から帰ったばかり、
逢ってすぐにまた遠く離れなければならない。
初めて貴君から人を驚かせる好句を聞き、
これまでにお近づきになれなかったのが残念でならない。
唐の時代に、賀知章は李白と初めて会うと、
「君は謫仙人である」
と、いきなりその非凡な才能を認めた。
人を知り、深く絆を結ぶのは、
瞬時になされることであるのだろう。
いま鴻［馬元賓］は天空高く飛び去ろうとしている、
老い身の私はそれを追うことができない。
■【08-1-008】次韻周邠
【解題】周邠［字は開祖］の詩に次韻した。周邠は同じ年の科挙に合格した「同年」の間柄で、杭州副知事時代にさかんに交流があった［→作品番号04-3-079など］。周邠は長く都にいて久しぶりに再会した。
【訳文】
私は南［常州］に遷って、
農地において力を尽くそうとしていた。
隠棲の地に親しい友だけが来る道を開き、
楽しいことがたくさんあるはずだった。
まさかこの老年に至って、都の地を踏むとは思いもしなかった。
疲れ切った馬が丘の前で畏れるのと似た思いがある。
羨むのは、同年の貴君が、心まさに壮んであること。
貴君は笑うだろう、
憂いのために私の鬢の毛がすでに真っ白になっているのを。
いつの日にか、かつてともに遊んだ西湖を尋ねようではないか。
漁師の蓑をまとい、そぼ降る雨に暗く包み込まれるのである。
【補足】［周邠とともに西湖を再訪する願いは叶わず、2人の間の詩の贈答はこれが最後であったという］。
■【08-1-009】祭石幼安文
【解題】この年、石康伯［字は幼安］［→作品番号06-1-108］が亡くなり、この祭文を作った。
【訳文】
嗟、私は蜀を去って十八年。夢に故郷に還り、親しい人々が目の前に居並び、はっと目覚めると、誰もない……、涙が滝のようにほとばしる。罪を得て江湖［黄州］に流され、自分の影を自ら憐れみ、たまに人が蜀音［蜀の地の方言］を話すのを聞くと、首を回らせ、ふっと微笑むのだった。
先生［石康伯］は親戚であり、さらに賢人であって、憂楽を同じくする間柄で、義として私を捐て先に逝くような人ではなかった。私がかつて宿州を過ったとき、先生はすでに病にまとわりつかれていた。それでも、私を顧みて笑い、「これで少し癒えてきているのだ」といわれた。私は先生が仁人であり、寿骨［耳の後ろの頭骨］を見れば長生きすることを示しているので、「いつか必ず手を携えて郷里に帰り、白髪頭になった皆と会おうではありませんか」といったのだった。それがついにこのようになるとは。胸を叩き、天に向かって泣き叫ばずにはいられない。
時は俯仰する間に遷りゆき、誰もが人生を馳せ進み、行き先は後も先もなく結局は一つである。人というものは哀しく、ただ徳ある行いだけは世々に伝えられ、大勢の優れた子孫が残ってゆく。そのことでは天は我等を欺かない。無憾のところへと永久に帰られた先生をここにお祀りする。嗚呼、哀しかな。
【補足】［宿州で石康伯に会ったと記しているのは、これより5年前に蘇軾が湖州に赴く途中でのことなのだろう［→作品番号05-3-025］。その翌年に書いた文章［→作品番号06-1-108］にはその記述はなく、石康伯は都にいて62歳であると記していた］
■【08-1-010】恵崇春江暁景二首
【解題】蘇軾の詩の一般的な選集では、次韻詩の大行進は敬遠され、この時期の都での詩は多くても数首が収録される程度で、そのほとんどが画に関連するもので、特に有名なのがこの詩である。恵崇が描いた『春の江の暁の景』の画に寄せた作品。恵崇は北宋の初めの頃の僧で、詩や画に巧みであった。都にきてこの画を見る機会を得たのだろう。
【訳文】
其の一
竹の外へと、桃の花の枝が二、三飛び出す。
春の江の水のぬくもりを最初に知るのは鴨。
蔞蒿が渚を満たし、蘆の芽が短く伸び始める。
これはまさしく河豚が上ってこようというとき。
【補足】［画には、川と鴨、蔞蒿と蘆、竹と桃が描かれていたのだろう。そこから蘇軾は想像をふくらませ、描かれてはいない河豚を詠んで、春の季節感を強めた。河豚はこの時期に肥えて美味であるという。俳句のように取り合わせの妙が詩を味わい深くしている］
其の二
帰り行く鴻の一群、
その群れを破るかに見える二羽、そして二羽。
それは北に帰ろうとしてなおためらう人に似ていようか。
遙かに知るのは、
北方の砂漠にはなお風雪が多いこと。
もう半月ばかり、江南の春の内に過ごすのがよいであろうに。
【補足】［画の上空には、北に帰る鴻の群れも描かれていたのだろう。群れから離れる鳥に、蘇軾は自身の思いを託した。蘇軾は、先の詩で見たように、丘を前にした疲れた馬の畏れを抱き、なお江南［常州］に留まっているべきではなかったろうかと思うのである］
■【08-1-011】次韻胡完夫
【解題】ここからは年が改まって元祐元年の作品。年が明けてすぐに改元された。新元号の元祐は、3代前の仁宗皇帝の治世下の最後の元号である嘉祐のころを一つの理想の時代として捉え、そこへ回帰することを宣言したものである。つまり、神宗皇帝のもとで行われた改革政治を全否定したのだ。蘇軾が科挙に合格したのは嘉祐2年［1057年］であったように、政権の中核を担う世代の人々にとっては、若かりし良き日々へのノスタルジーも伴う改元であったのだろう。この年、蘇軾は閏2月に中書舎人に、9月に翰林学士になり、それに伴って、階位［九品から一品まであり、最上位の一品は皇族だけに贈られる］は都に来た当初の七品から四品にまで急上昇する。
この項に掲げたのは、胡宗愈［字は完夫］の詩に次韻したもの。胡宗愈はかつて王安石が李定［蘇軾を目の敵にして罪に陥れた張本人の1人］を御史［官僚の不正を取り締まる役］に抜擢しようとしたことに反対して左遷され、皇帝の代替わりに伴って都に戻った。胡宗愈が蘇軾の朝廷復帰を記念する詩を贈ったので、それへの返しでこの詩を作った。
【訳文】
かつて知事として着ていた衫には、
（都の人々との）別れの涙の跡がいまもまだらに残っている。
それから十年の間、
私は江湖にあって名ばかりの小吏の身として苦しんできた。
老いて、我が意がお上に通じたものか、都に還ることができ、
毎朝、笏を捧げて宮殿に臨むこととなった。
貴君とは、形骸の外に出て杯をかわし合い、
酔った夢の間に、笑いながらこれまでのよもやまを語り合う。
昔から、「胡先生に問えば万事うまくゆく」といわれているのだから、
白髪頭になった私なんぞは、
その横で閑をつぶしていればよいのである。
【補足】［終わりのところに「胡先生」と訳したのは、後漢の時代の胡広のこと。「おさまらないことがあったら胡広に問え。そうすれば、天下は中庸を得る」といわれた。同じ胡姓である胡宗愈をなぞらえたのである］
■【08-1-012】次韻銭穆父
【補足】上の詩のもとになった胡宗愈の詩に銭勰［字の穆父］が和し、その詩に蘇軾がさらに次韻した。銭勰は五代十国時代に杭州に都を置いた呉越国の王族の末裔で、長く朝廷にあった。この後、銭勰とは親密な関係になる。
【訳文】
私は老いてまた都に入り、かつてのように朝廷に並ぶ身となった。
それでも、髭を黒く染めて、若者ぶって歌を唱えるようなことはしない。
知人たちは金鑾殿［皇城の宮殿］の上を舞い飛び、
いずれも飯顆山［神聖な山］から来たような方々ばかりである。
貴君の堂々の筆は漢の世の力があり、
私がまるで当時の劉向、劉歆父子の間に立つかのようにいってくれる。
そうまでしてくれたのでは、
同僚を呼び集めて貴君のために酒宴を開かねばと思っていると、
貴君がお上より賜った竜のような馬に跨って出で立つのが見えた。
【補足】［（1）これは、華やかな文字で社交辞令を飾っただけの内容の乏しい詩。訳はそれなりに意味が通るようにしただけのもの。（2）題に「次韻」「和」「用韻」といった文字のある詩、つまり他人の詩に唱和した作品を続けて読むと、さすがに辟易するというのが正直な感想であろう。訳者が最も頼りにしている岩垂憲徳・釈清潭・久保天随訳解『蘇東坡詩集』（1927年）には「応酬の作、如何に苦辛経営するも、言うべき事に局限がある。公の如き大才と雖も、手の下しよう無く、従って其の詩平々凡々、瓦礫の如きものと為る」との評があり、さしずめこの詩あたりが「瓦礫の如き」作品であろう。それでも、「平々凡々」の内にも蘇軾の本心を垣間見ることもできなくはない。応酬の詩は公開された書簡のようなものだと思って読むなら、少しは興味を繋ぐことができるのかもしれない（3）胡宗愈の最初の詩を起点として、蘇軾を中心に次韻リレーが展開され、銭勰に加えて李之儀［字は端叔］、満中行［字は思復］も参加し、蘇軾は少なとも6首の次韻詩を作っている。あまりにも煩わしいので、李之儀の詩に次韻したものを次に読んで、その他は割愛する］
■【08-1-013】次韻答李端叔
【解題】時折接点のあった李之儀［字は端叔］［→作品番号06-1-104］は都で官職に就いていて、蘇軾とごく近くで話ができるようになった。そのことがここに読み込まれている。
【訳文】
人がもしも後漢の名将、馬援や班超のようであったなら、
笑って壺頭の難所を超え、玉門の関からも出て、
西羌［西方の異民族］の地に入って、沙漠を自由に渡り歩き、
たちまち東の海に移って、山のような濤を見るであろう。
貴君こそは、千人のなかにあってたった一人の、
そのように異なる人物であると、私は知っている。
私は貴君の詩文に慰められること十年、
ついに西省［宮城の西側の役所］で貴君と隣り合わせになり、
閑を偸んで会うという、最も味わいあることができるようになったのだ。
■【08-1-014】正月八日招王子高飲
【解題】1月8日に王迥［字は子高］を招いて杯を交わした詩。王迥は俗世間の外に出て遊ぶ人で、蘇軾が徐州知事であった元豊元年に一度会っていて、王迥のために詩を詠んでいる［→作品番号05-4-020］。蘇軾は多忙な中にあっても王迥のような「異人」と会っていたのである。なお、この詩は翌年に詠まれたとの考証もある。
【訳文】
風が叫び、雪が屋根を覆って、
苦しくも貧乏と戦っていたとき、
紙の窓に日が射してきてようやく春になったと知った。
いまは梔子の花の香る中にいるような気分、
まして芙蓉城［仙界］の人とこうして向かい合っている。
昨日は玉堂［宮中の執務室］で空しく静かに過ごし、
銀の盃に美酒を盛って贈ってくれる人でもいまいかと想った。
海山［海の彼方の仙界］は東南の方向にあって、
そこへと帰る鴻［王迥を指す］がわずかににっと笑った。
■【08-1-015】送戴蒙赴成都玉局観、将老焉
【解題】この詩の題は、「戴蒙が成都にある玉局観の管理人として晩年を過ごすことになったのを見送る」。戴蒙は呉興の人で、慶暦6年［1046年］に科挙に合格したとあるから、蘇軾より10年ほど先輩である。キャリアを積んだ官僚は、道観［道教の寺院］の名目上の管理人となってわずかばかりの俸禄を得て隠退することがあった。成都は蘇軾の故郷である蜀の中心都市であり、かつて杜甫が浪々の身を寄せていたところでもあるので、そのことがこの詩に詠み込まれている。
【訳文】
杜甫が酒をきこしめして歌いつつ歩いたのは、
野の梅が開き、官道の柳が揺れる成都西郊外の道であった。
聞くところでは、成都の華陽県の域内に、
いまも杜姓の人が集まり住むところがあるとか。
私もいつか成都に帰って万里橋を尋ねたく思う、
それも、水辺に花が咲き、風に蕭蕭と葉が下る秋のころに。
蜀の魁きい芋は径が一尺もあって食べ尽くせる人は誰もいない、
蜀の榿木は三年も経てば十分すぎるほどの薪を供給できるようになる。
人生百年を風狂に生きて何があるのか、
貴君がこうしてついに峨眉山の翁となるのを羨ましく思う。
貴君の後には、たとえ戟を執って立つ将軍が生まれなくとも、
車輪が土に埋もれるまで勉学に励んで立派な君子になる者がきっと出るだろう。
私は老いて病みながら、まだ帰ることのできない身、
それでもいつかは貴君のように道観の主となれるのだろうか、
そのようになったら、昔の王徽之のように、
雪降る夜に興趣が湧くに任せて貴君のところをきっと尋ねるだろう。
【補足】［（1）万里橋は、三国時代の諸葛孔明に由来する橋で、いまも成都観光の名所になっている。（2）詩の終わりは、王羲之の子の王徽之の故事に基づく。王子猷は雪の夜にふと思い立って友人の戴安道を訪ね、しかし、門にまでくると興が尽きたとしてそのまま帰った。戴蒙と戴安道が同じ姓であることからこの故事を引いたもの。（3）ある考証によると、弟の蘇轍が戴蒙を見送るのに合わせて、蘇軾がこの詩を作ったという。そうしたことなどから、蘇轍は1月中頃に都に帰還したと推測されている。ならば、弟との再会を喜ぶ詩があってしかるべきであるように思うのだが、そのようなものは残っていない。また、流謫の日々にさんざん苦労をかけた家族をねぎらうような詩文も残っていない］
■【08-1-016】与楊元素
【解題】楊絵［字は元素］［→作品番号06-4-047、06-5-032など］に宛てた手紙。
【訳文】
（1）お別れしてからたちまち二年になろうとしていて、いまもって住居が定まらずにいます。都にきてからは、何かと袞袞して、お手紙を差し上げることもなく深く恥じ入っております。ここのところお変わりありませんでしょうか。聞くところでは、つまらない連中が貴君についてとやかくいっているとか、いったどのような者が敢えてそのようなことをするのでしょうか。根も葉もないことで、道眼をもってこれを観るならば、ただ蚊がぶんぶんしているだけと、笑うべきなのでありましょう。旧知の人々は挙って朝廷に還りきており、貴君だけがなお江湖にありますのを慨嘆するばかりであります。……
【補足】［ここに記されているように、楊絵を弾劾する動きがあったようだ。そのためなのか、楊絵が中央に帰還するのは翌年のことである］
（2）忝くも過分な使命を授かりましたのも、皆様の御推奨によるもので、何らそれに応えることもできず、日々憂いと愧しさの中にあります。弟はたまたま赤目を患い、まだお手紙を差し上げることができずにおります。また、郷里からの手紙を見ると、従兄が亡くなったとあり、悲痛の思いでおります。そのようなことから筆を十分に尽くすことができません。どうぞお許しください。
【補足】［ここに従兄が亡くなったとあるのは、蘇不疑［字は子明］［→作品番号06-3-079］のことである］
■【08-1-017】定風波
【解題】王鞏［字は定国］は蘇軾からお小言を食らわねばならないような人物だったようで［→作品番号08-1-004］、多くの女性を抱える奢侈な生活を改めていなかった。侍女の中に歌を得意とする柔奴という少女がいて、これはその柔奴に与えた詞。序文がある。
【訳文】
王鞏の歌児を柔奴という。姓は宇文である。眉目娟麗で、受け答えが上手で、代々都に住んでいたという。王鞏とともに南方に行って帰ってきた。
私は柔奴に、
「あちらの風土はどうであったかな。よろしくなかったであろう」
と、尋ねたところ、
「この心を安んじられるところ、それが吾が故郷にございます」
と、答えた。それでこの詞を作った。
常羨人間琢玉郎、［常に羨むのは人間世界の琢玉郎［玉のような好男子＝王鞏］］
天応分付点酥娘。［天はしかも点酥娘［ヨーグルトのような少女＝柔奴］を分け与えました］
自作清歌伝皓歯、［（柔奴が）自ら清らかな歌を作って白い歯からそれを発すると］
風起、［風が起こり］
雪飛炎海変清涼。［雪が飛び、炎が立つような海が一変して清涼になったのでした］
万里帰来顔愈少、［万里の彼方から帰って来ると、（柔奴は）ますます若くなっていて］
微笑、［その微笑みときたら］
笑時猶帯嶺梅香。［笑うときには、嶺の梅の香りをいまも帯びているのです］
試問嶺南応不好、［試しに嶺より南は大変だったでしょうねと問うと］
却道、［かえっていうのです］
此心安処是吾郷。［この心を安んじられるところが吾が故郷なのです、と］
【補足】［（1）王鞏が流されたのは「嶺南」の地。「嶺」とは大庾嶺で、そこを超えると燃えるような熱帯というイメージであった。蘇軾に連座した人々の中で王鞏が最も重い処罰を受け、一見すると理不尽なようであるが、名家の生まれであったことに加えて、日頃の素行があまり芳しくなかったことが量刑の判断に影響したのかもしれない。（2）柔奴の言葉は、黄州で熟成された蘇軾の人生観にぴったり合うものだった。それを若い歌妓から聞かされたことに深く感動したのだろう］
■【08-1-018】東林第一代広恵禅師真賛
【解題】このころに廬山の東林寺の長老の常総［→作品番号07-1-022］に送った手紙が残っていて、都は他所よりもごたごたが十倍も多く、廬山でのような落ち着いた会話ができないことを嘆いたり、東林寺の碑に刻む文章を書くよう依頼を受けたけれども、公私ともに忙し過ぎて少しの猶予をほしいと詫びたりしている。蘇軾が常総のことを都の人々に伝えたことで、にわかにその評判が高まり、皇帝の詔をもって常総を都に呼び寄せようとした。常総は固く辞退したのでそれは許され、広慧禅師の号が贈られた。この項の表題に掲げたのは、広恵禅師の肖像画に添えた賛。蘇軾が都にいた間に作られたものである。
【訳文】
忠臣は死を畏れない。だから、天下の大事を為すのである。勇士は生を顧みない。だから、天下に立派な名を立てるのである。これらの人は、道に関していうならまだしもであろう。これらの人は、義の大切さに比べて我が身を軽いとするのだが、それでも為そうとすること、立てようとするところのものはある。
三界［衆生が輪廻する全世界］より出て、万法を了解して、不生不老、不病不死の境地に至って、外界に応じて無情である者と比べたらどうであろうか。
堂堂の常総公は僧中の竜である。呼吸は雲になり、噫欠は風になり、それはほんの戯れでしかない。坐より起たずして手を打って談笑する間に仏法を説くのである。常総公は廬山の下にあって、梵釈竜天之宮［仏法の守護神］となるべきお方である。
■【08-1-019】次韻王覿正言喜雪
【解題】王覿［字は明叟］が「雪を喜ぶ」詩を作り、それに次韻した。王覿は前年12月に右正言［皇帝を諫める職］になった。雪は豊作を呼ぶ吉祥とされ、王覿は新皇帝［哲宗］のもと新たな年に幸あるべしと言祝いだのである。
【訳文】
聖人［哲宗］は天と通じておられ、
獄中にある者の罪を減じるようにとの詔を出された。
それを受けて、喜びの声が夜の街にさかんに聞かれ、
朝には湿り気を帯びた雲が宮中の階段を覆った。
朝儀を終えて退くころに、雪が盛んに降り出し、
槐の並木に微笑みかけるようにして、雪は美しく映えた。
雪は己が美麗であるのを誇るのか、
ことさらに大官の朱や藍の袂へと上ろうとした。
私は筆を執って皇帝にお仕えする職にあるけれど、
瑞祥を記して申し上げることをいまだしていない。
貴君は陛下の膝元に伏して議論を争う職にあり、
その高邁な論は私の心を少なからず慰めてくれる。
さかんに降る雪は一度やんでまたおこり、
風と寒気は激しいものとなった。
神竜が久しく潜伏して後にひとたび怒るときには、
その勢いは何倍にもなるという。
ゆくゆくは「三白」［三回の雪は豊作の吉祥という］を見て、
朝臣は拝舞して万歳を歓呼することになるであろう。
私は退朝後は貴君の家に行って、
古代の『既酔』［太平の歌］を追想しつつ、
酒を飲み、貴君の詩を詠みたいと思う。
【補足】［この詩は、雪を吉祥として手放しで礼賛しているのではなく、何らかの寓意が篭められているとする注釈もあるが、その寓意なるものを訳者は読み取ることができない］
■【08-1-020】元祐元年二月八日、朝退、独在起居院読漢書儒林伝、感申公故事、作小詩一絶
【解題】この詩の題は、「元祐元年二月八日、朝廷から退いて独り起居院［中書舎人になった蘇軾の執務室のあったところ］において『漢書』の「儒林伝」を読んだ。申公の故事に感じ、一篇の絶句を作った」。この詩の訳文を読んでも、申公の事績を単に略述しただけのもので、何ら面白味がないと感じるだろう。やや長くなるけれども、以下の説明文を読んでから味わっていただきたい。『漢書』は漢代の歴史を記した書物。「儒林伝」は儒者の伝記を集めた巻。申公は申培のことで、漢代の最初のころの学者、とくに『詩経』の研究で知られた。申公は若い頃に劉交［高祖皇帝の末弟］や穆生と一緒に学び、穆生とともに劉交の学友として遇され、劉交の息子を指導した。ところが、劉交の孫の代になると扱いがやや粗略となり、穆生は「いまが去る機だ」といって、病気を理由に立ち去った。劉交の孫は年々振る舞いが粗暴になり、それを諫める申公を嫌って囚人と同様に扱ったので、申公もようやく郷里に帰り、それからは弟子の育成に努めた。武帝の時代になって儒学が盛んになり、武帝は申公の弟子の趙綰や王臧を呼んで明堂［王族の学問所］を建て、さらには、すでに80歳を超えていた申公を都に招いた。ところが、皇帝の祖母は儒学を嫌い、趙綰と王臧に少々の落ち度があったのを咎め、2人は役人の取り調べを受けた。それを恥じた2人は自殺し、明堂は廃止され、申公は失意の内に郷里に帰った。
【訳文】
申公が最初に郷里に帰って、
門を閉ざして客人とも逢わなくなったときに、
申公は、
「穆生は早くから機がわかっていたのだ」
と、己に向かっていった。
（しかし、それに懲りることなく、都にまたのこのこ出て行き）
弟子の趙綰と王臧が獄吏のもとに下され、明堂は廃止となって、
老いさらばえて免職となって郷里に帰ったのだった。
【補足】［題に「二月八日」と明記してあることから、この詩に込められた蘇軾の真意を読み取ることができる。この前々日に朝廷は差役法を復活させることを決定した。差役法は民衆を肉体労働に駆り立てる旧い法律で、時代に合わず、民衆の大きな負担になっていた。王安石と神宗皇帝は労役の代わりに銭を納める募役法を作り、改革の大きな目玉として施行した。募役法は大いに効果があがり、国家にとっても民衆にとっても非常によい制度であることが実証されていた。ところが、高太皇太后と司馬光は、改革政治を一切の痕跡を残さぬまでに消し去ってしまおうとし、募役法を廃止して差役法をそっくりそのまま復活させようとした。改革派の生き残りの章惇は無論強く反対し、蘇軾も反対したのだが、強引に押し切られてしまった［後に金陵でこのことを聞いた王安石は、この法ばかりは残しておいてほしかったと非常に落胆した］。蘇軾は朝廷に復帰してまだ2カ月ほどであったにもかかわらず、このまま都にいていいのかどうか非常に悩ましく感じ、その思いをこの詩に託したのである。一度で懲りずに、皇帝に招かれて都に出たために、より大きな辱めを受けなければならなかった申公の立場にいまの自身が重なると蘇軾は思えたのだ。なお、司馬光が保守派の指導者として活躍すべきだと蘇軾が考えていたことは作品番号05-3-031にもあった通りで、司馬光への尊敬の念はいまも変わらなかった。しかしながら、司馬光はこのとき68歳で、改革政治をストップさせた後の政治のビジョンを描く構想力に欠け、単なる反動政治家となってしまったのだった］
■【08-1-021】与范蜀公
【補足】范鎮［蜀公］［→作品番号06-4-048］に宛てた手紙。范鎮は政界の大物で、許州に退いていて、蘇軾が黄州にいたときには、我が屋敷の隣に住んではどうかと誘ってくれたこともあった。その范鎮を都に招く動きがあり、皇帝からの招聘状を蘇軾が起草した。それが2月10日のことで、この手紙はそれより数カ月後のもの。范鎮は都に行くことを辞退し、完全に政界から身を引いたのだった。
【訳文】
日々蜀公がお出ましになるのを望み見ておりましたが、敢えてまたお上の前に出られないとのこと、超然と高く懐われ、世事をつまらないものと見て、退隠の意志を堅持されたとはいえ、多くの人々が残念がっております。……
■【08-1-022】送陳睦知潭州
【解題】陳睦が潭州知事として赴任するのを見送った詩。詩は昔日の交遊の回想から始まる。
【訳文】
華清宮の高い棟が縹緲として浮び、
山の上の林のそのまた奥に石甕寺があった。
そこで貴君と初めて知り合って一杯酌み交わし、
夜には馬を飛ばして一千の巌を昇った。
そのとき、貴君は若く、顔は玉のように輝いていた。
ひとたび飲んだからには、百の觚を開けないと気がすまなかった。
白鹿泉の上の山に出た月からの冷たい光に、
川は水銀が流れるかのように見えた。
酒が醒めたのは華清宮の朝元閣の上で、
鳳の形をした鉄の鈴が風に鳴るのを、
寝転がったまま聞いたのだった。
かつて遊んだところはそのままであろうとも、
そのときの人々はいまどこにいるのだろうか。
あれからの二十三年、
それは真に一つの夢だ。
私は生きて都に還ることができたけれど、
髯は雪が満ちたように真っ白で、
貴君もまた老いて、
高官が身に付ける金の帯の重みを嫌うようになった。
春に飛び来る燕と秋に飛び去る鴻のように、
私と貴君は逢ってゆっくり話もできないうちに送別の時がきてしまった。
貴君がこれから通ることになる洞庭湖も青草湖も際限なく広がり、
天柱峰も紫蓋峰もいまにも動き出しそうに聳え立っているであろう。
湖南の地は古より長く嘆息させる絶景の地、
詩人が弄んで笑って言葉を発するためのところだ。
【補足】［（1）冒頭にある華清宮は長安の東にある温泉地で、唐の玄宗皇帝が楊貴妃と遊んだところとして知られる。そこで陳睦と初めて知り合ったのである。詩の途中に「二十三年」とあり、これより23年前には蘇軾は鳳翔府にいた。鳳翔での任期中に公務で長安周辺を巡ったこともあるので、その折に陳睦に会ったのだろう。（2）春の燕と秋の鴻のように別れるとあるのは、政変によって入れ替わりとなったことを示していて、陳睦は不本意ながら遠く洞庭湖の南の潭州に赴任して行くのである。（3）この詩に同輩が和したので、蘇軾がまた次韻している。ぐちゃぐちゃと故事を用いただけの作であるので、訳は割愛する］
■【08-1-023】和蒋発運
【解題】真州にいる蒋之奇［字は穎叔］［→作品番号07-1-059］から詩が贈られてきたので、それに和して返した。
【訳文】
かつて夜に語り合ったとき、
貴君は千の偈［仏教の真髄を要約した韻文］を瞬く間につくった。
手紙が来ると、またしても一つの偈があった――
此の身は、真に仏陀にして達磨、
いずれのところも、羲皇の世にして軒轅の世である。
遥かに知るのは、長江に臨む貴君の姿――
前方に船が穏やかに停泊し、
誰もいない楼閣におもむろに風が吹き込み、
月の光だけが盃に差し込む、
そして私を思って墨を書き散らし、
そのまま酔い崩れるのである。
■【08-1-024】与陳季常
【解題】黄州にいる陳慥［字は季常、方山子］［→作品番号07-2-029］に宛てた手紙。本文から推測するに、陳慥からの手紙への返信であり、司馬光が左僕射［宰相］になった閏2月2日の直後に書かれたものである。
【訳文】
私の執務室は清潔で簡素でありますが、都には閑な人は一人もいないので、とにかくばたばたしているうちに日が過ぎ去ってしまいます。苦労ばかりが多く、それを補ってくれるものがないので、顔は青く、髪は白くなるばかりで、それを御覧になったらきっとお笑いになるでしょう。ただ、弟も同じ役所に勤めていて、毎日会えるのは幸いであります。
貴君は少しく病んで平癒されたとのことですが、ゆるがせにしてはなりません。「善い言葉は口から離さない。善い薬は手から離さない」。これは昔からいわれている大事な諺です。ぜひともこれを書いて座右に置いてください。薬でそちらでは手に入れにくいものがありましたら、遠慮なさいませんように。
もし貴君に上京のお気持ちがありましたら、いつでもお越しください。お会いできたらこれほどうれしいことはありません。
柳二君［柳真齢］はすでに都に来ています。一度訪ねてみましたが、外出していて会えませんでした。蒲池寺に滞在していて、ここからは少し遠いところです。
ここ数日で新しいことがありました。宰相であった蔡確が陳州に出され、司馬光が代わって宰相になりました。蹇周輔は和州に出され、その息子も降格となりました。黄履も越州に出されました。全てはとても書き尽くすことはできませんが、劉摯は職務としてこうした人事を日々行っています。
貴君が雑事に関係しないのは、まことに結構であります。最妙、最妙。
【補足】［（1）陳慥には上京の意思があったらしい。陳慥は後で見るように実際に上京するが、詳しい事情はわからない。（2）柳真齢は蘇軾が黄州にいたときに鉄拄杖を贈ってくれた人［→作品番号06-1-086］。（3）この手紙には幾人かの官員の出入りが記されていて、それには弟の蘇轍が関係している。蘇轍は2月に右諫官になり、侍御史の劉摯とともに、官員として不適切な行為のあった者を次々に弾劾し、その結果、蔡確、蹇周輔、黄履といった改革派の人々が次々に都を去った。真直ぐな気性の蘇轍にぴったりの職務であったのだが、後に改革派が政権に返り咲くと、激しい報復を受けることになる。なお、劉摯［字は莘老］とはかねてから交流があった［→作品番号03-4-037］。劉摯はこのころに科挙において以前通りに詩賦を課すことを提議している。保守派はあらゆることを元に戻そうとしたのである］
■【08-1-025】書子由夢
【解題】弟の蘇轍［字は子由］がかつて夢の中で詩を作った。兄にそれを話し、兄がその詩を書いて蘇轍の長男の蘇遅に渡した。それだけのことを記した短文。蘇遅はこのとき27歳だった。
【訳文】
元豊八年正月旦日、蘇轍は、夢で李士寧に逢った。
急いで酒食を用意し、絶句一首を贈った。
先生恵然肯見客、［先生はにこにこと私に会ってくださったので］
旋買雞豚旋烹炙。［急いで鶏や豚を買って煮たり焼いたりした］
間飲酒未須嫌、［人間世界で酒を飲むことを嫌わないでいただきたい］
帰去蓬萊卻無喫。［蓬莱境に帰ったならこういうものを口にすることはないだろうから］
明くる年の閏二月六日、蘇轍がこのことを私に話したので、書いて蘇遅に渡した。
【補足】［蘇轍が夢で会った李士寧はなかなかの有名人で、司馬光の随筆『涑水記聞』に以下のように記されている。司馬光は『資治通鑑』という巨大な歴史書を編集した経験から、後世の歴史家のために自身の生きた時代の証言を集めて記録した。それが『涑水記聞』で、その記事は信頼性が高いとして後世の史家に活用された。
【訳文】
司馬光：『涑水記聞』より
李士寧は蜀の蓬州の人で、自分では道を学んだといい、運勢について怪しげなことを告げ、巧みに的中させた。しかし、書物の知識はなかった。上手に詩を唱え、すこぶる知恵があるように見え、その言葉の意味は奇妙に大きすぎて、お御籤の言葉のようで、妖しく妄りに人を惑わせるものであった。全国各地や都を巡り歩き、大勢の公卿、貴人に重んじられた。誰も李士寧がどうやって稼いでいるのか見たことがなく、李士寧は荷物を持っていなかった。ところが、いつでも資金が潤沢にあり、十数人の客を集めて珍しい食べ物を前に並べてもてなし、銭を支払った。李士寧を最も重んじたのは王安石で、熙寧年間に宰相になると、李士寧のために東府［都の東側］に住まいを用意した。半年の間、李士寧は王安石やその子弟と交流があった。王安石が都を出て金陵に行くと、李士寧は蓬州に帰った。
【補足】［司馬光は、王安石に対して皮肉を込めた書き方をしている。王安石は周囲の猛反対を押し切って改革を断行しただけに、精神的に異様なまでの緊張にさらされ、李士寧のような人物との付き合いに救いを求めたのかも知れない。最も頼りにしていた長男に先立たれ、金陵に隠棲してからは、王安石の知性は甚だ鈍り、独りごとをつぶやきつつ出歩く姿が見られたとの証言が残っている］
■【08-1-026】書章詧詩
【解題】上の短文に記されていた李士寧は、蘇軾の別の文章にも登場する。これは同じ年か翌年に記されたと推測されている。これは作品番号01-2-010として先にすでに読んでいるが、もう一度ここで引いておこう。
【訳文】
章詧、字は隠之は、もとは閩州の人で、数代前に成都に遷った。文章が得意であったが、官には仕えなかった。晩年に成都知事の王素の推薦で、沖退処士の号を賜った。
ある日、夢に人が来て、手紙を示し、章詧を招いた。それは東嶽道士からの手紙だった。
その明くる日、章詧は李士寧と青城山に遊んだ。水辺で足を洗いつつ、章詧はにやにやしながら李士寧にいった。
「さて、西の溪の流れを踏んで、水とともに行くことにしますかな」
李士寧はそれに応じていった。
「東嶽道士からもらった手紙を持ってでしょうかな」
章詧はひどく驚き、李士寧がどうして夢のことを知ったのかわからなかった。
それから間もなく、章詧は果たして亡くなった［昇仙した］。
章詧の子の章禩もまた隠遁者であったが、小さな官の仕事に就いて死んだ。
李士寧は蓬州の人で、普通ではないことをいい、道を得た人だという者もいた。百歳で死んだ。
私はかつて成都で李士寧と会ったことがあり、
「君にははなはだ貴い相がある。きっと科挙で首席になる」
といった。果たしてそのようになったのだった。
【補足】［成都知事の王素とあるのは王鞏の父である［→作品番号08-1-004］］
■【08-1-027】題別子由詩後
【解題】2年前に蘇軾は筠州に弟を訪ね、10日間ほど滞在し、別れた後に弟に詩を送っていた［→作品番号07-1-010］。その詩を書いて短い文章を書き添えた。
【訳文】
先君昔愛洛城居、［先君［父］は昔、洛陽に住みたいと考えたことがあった］
我今亦過嵩山麓。［僕はいま嵩山の麓に行こうとしている］
水南卜築吾豈敢、［周公が洛陽の地を卜って都を築いたような大げさなことは考えていないけれど］
試向伊川買修竹。［ためしに伊川のほとりに姿のよい竹林でも買ってみようかと思っている］
又聞緱山好泉眼、［また、緱山には泉眼というよい泉があって、氷の玉のような清らかな水が］
傍市穿林瀉水玉。［町に沿い、林を穿って流れていると聞いている］
想見茅檐照水開、［遥かに想像するのは、その水に照らされる茅葺の庵があり］
両翁相対清如鵠。［二人の翁がそこで向き合っているありさま、その姿はあたかも白い鵠のようである］
元豊七年、私は黄州から汝州に遷ることになり、筠州に往って弟と別れた。数篇の詩を作って弟のもとに残した。これはそのうちの一篇である。その後、洛陽には行かなかったけれど、この思いはいまも忘れていない。康師孟君が洛陽に帰るというので、これを書いて贈ることにした。
元祐元年三月十六日、軾書く。
【補足】［康師孟は当時名医として知られ、康師孟が調合した「四神丹」は万病に効く薬として、洛陽の人々に非常に珍重された。蘇軾は遥か後になって「四神丹」についての短い文章を書いている］
■【08-1-028】送表弟程六知楚州
【解題】この詩の題にある「表弟の程六」とは誰なのか。「表弟」とは姓の異なる従兄弟、「程六」とは程の家の同世代で上から6番目の者。ここにある程の家とはすなわち蘇軾の母の実家である。蘇軾の姉は、母の兄の子の程之才のもとに嫁ぎ、虐待されて死んだ［→作品番号01-2-008］。そのころ蘇軾の父の蘇洵は、官人を輩出する土地の名家の程氏に対して全く頭が上がらず、娘の非業の死も黙って耐え忍ぶしかなかった。後に、息子2人が科挙に合格し、自身も都の人々に認められると、蘇洵は程の家に対して絶縁を宣告した。「程六」は、姉の夫であった程之才［程二］の弟の程之元［字は徳孺］である。その程之元が楚州知事となって赴任するのを見送ったのがこの詩。
【訳文】
炯炯と明るく輝いてあたりを照らす二つの璧、
それは程家の兄弟［程之元とその弟の程之邵］。
かつて我らが故郷には三人の老人がいた。
それは蘇氏［蘇軾の祖父］、程氏［程之元の祖父］、石氏で、
三老人が杖をついて歩くのを見かけると、村人は道から下りて挨拶し、
三老人が訪ねてくると、県知事も慌てて履を逆さまにはいて門に出て迎えた。
そのころ私も貴君も皆がこどもで、
やたらに走り回って、三老人に梨や栗をせがむばかりであった。
牛のように頑健な体とていつまでも恃むことはできず、
馬がわずかの隙間を過るようにして歳月は惜しむ間もなく流れ去る。
醴泉寺もいまや古びて、橘や柚の木が大きく枝を垂れているだろうし、
石仏山は変わらずに高く、松や櫟に暗く覆われているだろう。
郷里から万里の彼方で三老人の孫が逢い、
ひとたび笑い合って、
積み上がった千の憂いをもう解こうではないか。
貴君は古の山陽郡を治める人となり、
練達の筆から風が立つ勢いに乗って、小官の境遇から脱してゆくのだ。
私は皇城の紫微閣で筆を舐める身で、
病んだ眼にはちらちら花が飛んで書類を見るのは楽ではない。
我が残りの歳月を印綬［官員のしるし］に繋いでおこうとは思わない、
都を去って先祖の墓を掃除する日がきっとくるはずだ。
貴君も功績を挙げて、頭が白くなったならば、
早々に帰り来るがよい。
一緒に梨の花を活けて、寒食の日々を過ごそうではないか。
【補足】［（1）これは程家との27年ぶりの和解の詩なのだろう。姉の夫であった程之才やその父は許せなくても、弟たちにまで怨恨を及ぼし続けることはないとしたのである。（2）程之才の父を暗に排除する意味で合い、それより一世代上の「三老人」の時代に遡ってかつての友愛をここでは歌っているようだ。「三老人」の1人として挙げられた石氏は誰なのか。先にその死を悼んだ石康伯［→作品番号06-1-009］の父の石揚休のそのまた父である。蘇軾の父の蘇洵には、石揚休が朝廷の使者として遼国［契丹］に行くのを見送ったときの有名な文章があり［→作品番号08-3-031］、そこに「自分がこどもで父のそばで遊んでいたときに、石揚休もきて一緒に棗や栗を食べた」といった句がある。（3）醴泉寺も石仏山も故郷の眉州にある。（4）この詩の終わりの部分から、寒食節の頃にこの詩が詠まれたことが知れる］
■【08-1-029】送王伯敭守虢
【解題】王廷老［字は伯敭］が虢州知事として赴任するのを見送った詩。蘇軾には、徐州知事であったときに王廷老に送った詩があり［→作品番号05-4-090］、それによると事情があってしばし官職から離れていたようである。そしていま新たに知事職を得たのである。
【訳文】
かつて華山の東の麓には、
秦の暴政を避けて山に逃げ込んだ人々の子孫が住みつき、
今に至るも、その土地の風俗には古い時代のものが伝えられている。
柔らかな桑、緑の水は、旅ゆく人を招き寄せようとするのだが、
人は首を回らすこともなく、腕を振って通り過ぎ、
囊の口のような函谷関へと急ぎ通り過ぎてしまう。
ただ一人知事殿だけは、千里の彼方からこの地に来て、
執務室で、「無事の酒」［何事もなくよく治まっている地で飲む酒］を飲み、
日がな一日、起きては眠るなかにあって、人々が遊ぶ声を聞くのである。
枕元には、雲から出た月のように輝く硯を置き、
ときに谷底の松の根元で、雪腴［霊妙な菌類］を切り取る。
山賊どもは知事殿を畏れて消え去り、
人々は安心して眠りにつき、
知事殿は、牛を買って農耕に励むよう民を導き、
官の倉を開いて貧者に食べ物を配る。
虢州での任を終えて帰ってきたならば、
これからは微官に甘んじて暮らそうとする貴君のもとに酒樽を携えて訪れ、
「無事の酒」を一緒に飲みたいものだ。
【補足】［（1）詩の前半は虢州の歴史と地理を踏まえて詠んでいる。都から西に官道を行くと、虢州は昔の函谷関の手前にあり、多くの人は長安、鳳翔方面へと急ぎ通過してしまう。（2）中頃の句は、虢州は「月石硯」という硯の産地であることをいい、「雪腴」は松の根に生える菌類の茯苓の中でもとくに霊妙な薬効があるものだという］
■【08-1-030】道者院池上作
【解題】都の鄭州門から五里のところに道者院という有名な寺院があった。そこを訪ねての詩。鄭州門といえば、鳳翔府に赴任する際に、この門を出て弟に別れの詩を詠んだことが思い起こされる［→作品番号02-1-013］。それは25年前であった。この詩はそのこととは全く関係のない、穏やかな小品である。
【訳文】
馬を下ると、
佳い客人に出逢ったので、
酒を携えて小さな池のほとりで飲む。
清々しい風が荷の葉を乱し、
細やかな雨に魚が顔を出す。
井戸の水は好く、氷のように歯に当たる。
茶は甘く、眉を緩ませてくれる。
帰りの道でさらに静かな風に吹かれ、
詩を作るよう、真個に促されたのだと知った。
【補足】［「真個」とは口語で、現代中国語の辞典を見ると、方言として「確かに」という意味があると記されている］
■【08-1-031】次韻子由送千之侄
【解題】甥の蘇千之が郷里に帰ることになり、蘇轍が送別の詩を作り、蘇軾がそれに和した。蘇千之は従兄の蘇不欺の子で、作品番号07-1-113で見たように、2年前に都で科挙の地方試験を受けて落第していた。何らかの事情で、ついに帰郷することになったのだろう。蘇千之の母の蒲氏は、先に見た蒲伝正［→作品番号07-2-008］の妹で、その縁で蘇千之は兄の蘇千乗とともに都に滞在していたのかもしれない。この詩の前半では、蒲と蘇の家を松と楠に喩え、ともに末永く栄えてゆくようにとの願いを詠んでいる。
【訳文】
江のほとりの松と楠は、深く繁った上に、さらにまた深まる。
年を経た幹に菌が生え、
下から孫の枝が出て、林のより高くへと飛び出す勢いで伸びる。
山全体に吹きわたる風は、竜が歌うかのような音を響かせる。
白髮になった私はまだ帰郷する算段が立たないのだが、
青い衫［無官の象徴］の君は天下を済おうとの心をなお持っている。
門を閉ざして三千の文章を書くがよい。
才能ある人を求めて、席を蹴ってでも探しにゆく人がいまの世にもきっといるのだから。
■【08-1-032】題文与可墨竹、并叙
【解題】親友の亡き文同［字は与可］が墨で描いた竹の画にこの詩を添えた。文同の墨竹の画については作品番号07-2-093でも見ている。文同は気が向くともっぱら竹を描いたので、多数の墨竹の画があった。
【訳文】
叙
亡きの友の文同は道師の王執中のために墨竹を描いた。そして、王執中に、「この画に添える字を他の者に書かせてはならない。蘇軾君がくるのを待って、この傍らに詩を書いてもらうように」と、いった。文同は亡くなって八年、蘇軾は始めて朝廷に還ってきた。これを見て一首の詩を賦す。
【補足】［（1）文同は元豊2年の初めに亡くなり［→作品番号05-5-013］、その直前までは都にいた。一方、蘇軾はそのころは地方知事であった。（2）王執中については不詳］
【訳文】
この人［文同］はいったいどのような人であったのか。
道の深いところで自在に游び戯れた人であった。
詩名は高く鳴り、草書は書聖といわれた人に迫り、
竹を描いて三昧の境地に至った。
竹は、木や石の間より出て、
世の条理を超えた荒怪なさまを見せ、
世を挙げて人々はそれを珍品であるとしている。
それでも、最もよく知る者は私をおいていないであろう。
古より知己となる者とは会い難く、
会えたとしても、時は待たずにたちまち過ぎ去ってしまう。
しかし、貴君と私とは死生を隔てたとはいえないのだ、
貴君の言葉通りに、ここにきて詩を書き添えているのだから。
【補足】［最後の句は、晋の時代に、隗という人が死に際して、5年後に自分に借りのある龔がやってくると言い残し、確かに5年後に龔がきて、龔には借金はなかったが、占いによって金を見出し、困窮していた隗の妻を助けたという故事を用いている。このことを知っていると、原文の「相見如龔隗」［相い見て龔と隗の如し］の句は面白く読めるのだろうが、我々には難度の高いパズルである］
■【08-1-033】次韻銭舎人病起
【解題】銭勰［字の穆父］［→作品番号08-1-012］が病気から回復して詩を詠んだので、それに次韻した。これは故事てんこ盛りの詩で、何が面白いのかさっぱりわからない。このような詩を贈り合うのは時間のひどい浪費ではなかろうかと思うのだが、朝廷に居並ぶ者はこのようなことができるだけの教養と余裕がなければならないということであったのだろう。そのことに敬意を払いたいところだが、訳者の能力を超えた作であるので、岩垂憲徳・釈清潭・久保天随訳解『蘇東坡詩集』（1927年）から読み下し文をそのままここに写してお茶を濁すことくらいしかできない。
【訳文】
牀下に亀寒且支ふるに耐へたり、
杯中蛇去る未だ応に衰ふべからず、
殿門明日王傅に逢ひ、
櫑具先を争ひ不疑を看る、
坐ら覚ゆ香煙を袖に携ふるの少なるを、
独愁ふ花影の廊に上る遅きを、
何ぞ妨げん一笑千疴散じ、
絶だ勝る倉公が上池に飲むに。
【補足】［これを一読して意味のわかる人はいないであろう。この詩を受け取った銭勰にしても、あれこれ頭をひねって、そうかと膝を叩きつつ、時間をかけて味わったのだろう］
■【08-1-034】次韻和王鞏
【解題】王鞏［字は定国］［→作品番号08-1-017］の詩に次韻した。王鞏は潁州副知事に任命されたはずなのだが［→作品番号08-1-003］、なぜかまだ都にいた。
【訳文】
李白が讒言によって南方の僻地に流されたとき、
杜甫は町から東に離れた小さな村で自ら耕していた。
造物者は、李白と杜甫の才能を惜しまなかったのではなく、
苦労させることでその言葉をより工にしようとしたのだ。
王君は年少のときから、
瓶から水をぶちまける勢いで文を作っていた。
王君と鋒先を争って脅かそうとした者もいたのだが、
太鼓を鳴らして踏み出すような王君の勢いに驚いて走って逃げ去った。
そのような王君の才能を成就させようと、
天はいわゆる羝羊が藩に突き当たる困苦を与えたのである。
（王君が南方に流されていたときには、）
王君の孤独の光がかの地の片隅を照らし、
盆中に映る月のように輝き続けた。
都に帰り来ると、
瓶どころか五石を容れる樽を傾けて注ぐほどの勢いで千首の詩を詠み、
あたかも陶淵明がいまも生きているかのようで、
陶淵明を学んだ唐代の韋応物をも超えるものがある。
昔のある人は、琴を奏でて、音に春の温もりを感じさせたというが、
それとて必ずしも人の理解を得られたわけではなく、
壊れた壁にしばし琴を立てかけておかなければならないこともあったのだ。
【補足】［（1）詩の冒頭では、王鞏を李白に、蘇軾を杜甫に喩え、欧陽脩がいうところの「愈いよ窮すれば則ち愈いよ工みなり」を課すために、造物者が試練を与えたといっている。（2）結びの部分は、たぶん王鞏が世間から十分に認められていないのを不満とするようなことを口にしたのでたしなめたのだろう。蘇軾と王鞏の関係はなかなかにおもしろい］
■【08-1-035】用王鞏韻、送其侄震知蔡州
【解題】王鞏の甥の王震［字は子発］［→作品番号08-1-006］に贈った詩。上の詩と同じ韻を用いて、蔡州の知事として赴任するのを見送った詩である。
【訳文】
九門山［皇城］は天へと聳え立ち、
一万の馬が朝一番に集まり来る。
紅い塵の中で私は鞭を挙げて先を急ぎ、
顔を見ても互いに声を掛け合うことはない。
夜になってから、王鞏君の清虚堂へと急ぎ、
門を叩けば鵲が驚いて翻り飛ぶ。
貴君等の住まいは旧家の大邸宅、
その前で来客の車がひっきりなしに雷のような音をたてている。
貴君等に会うのは、月世界の楼閣のようなところ、
檐に金の飾りが垂れる部屋で、燈火の前で酒樽を開いて語り合うと、
あたかも夢の中にいるかのようだ。
貴君等の家の人は玉牒［家の歴史を記したもの］を編集していて、
王鞏君も貴君も昔の名臣を継ぐような人であるから、
次々に新たな事績を加え続けなければならない。
私は二君とは交際させていただいているけれど、
さらに他の方々を尋ね歩く気はさらさらない。
【補足】［（1）贈答用の詩であるから、ことさらに誇張しているのだろうけれど、王鞏たちの家は確かに立派だったのだろう。（2）最後の部分は、蘇軾は家柄のよい人を好んで付き合っているのではなく、王鞏と王震は特別なのだといっているようだ。（3）同じ韻を用いて王震に贈った詩がもう一首あるが、訳は割愛する］
■【08-1-036】跋欧陽寄王太尉素詩後
【解題】かつて欧陽脩が王素［王鞏の父］に寄せた詩の後に記した短文。欧陽脩の七言律詩を最初に掲げた後に、蘇軾の文章が続く。
【訳文】
豊楽坡前一酔翁、［豊楽の坡の前にいたかの酔翁［欧陽脩自身を指す］も
余齢有幾百憂攻。［余齢あとわずかとなって百の憂いに攻められている］
平生自恃心無愧、［日頃から心に恥じることがないのを自負してきたのだが］
直道誠知世不容。［自分はなかなか世間には容れられないのをつくづく知った］
換骨莫求丹九転、［丹薬によって骨を仙人のものに入れ替える気などはないし］
栄名何待禄千鐘。［栄えある名も莫大な俸禄も求めたりしない］
明年今日如尋我、［来年の今日、もしも私を訪ねようと思ったなら］
潁水東西問老農。［潁水のあたりで、老いた農夫の居所を問うがよい］
これは欧陽脩が王素に寄せた詩である。
私は王素の子の王鞏、王鞏の甥の王震、それに張彦若とともに宝梵に遊んだ。王鞏がこの詩を誦し、載仲達に贈った。載仲達はかつて欧陽脩に従っていた者である。
元祐元年四月、欧陽脩の門下生の蘇軾書く。
【補足】［（1）ここにある欧陽脩の詩は治平4年［1067年］に都で作ったもの。そのとき欧陽脩は種々の批判を受け、かねて用意していた潁州の住まいに隠棲することを心にほぼ決めていて、そのことが詩に詠み込まれている。（2）詩の冒頭にある「豊楽坡」は滁州にあり、欧陽脩は一時期、滁州に左遷され、豊楽坡に豊楽亭を建てた。そのころに「酔翁」と号したことは作品番号06-3-073などで見ている。（3）「換骨」は骨を仙人ものに入れ替えて不老長生の身になること。「丹九転」は丹薬を九回煉って霊薬を作ること。「禄千鐘」は莫大な俸禄。「潁水」は潁州の近くを流れる川。（4）欧陽脩はこの詩を詠んだ後、短期間だけ地方官を勤めたのを最後に、煕寧4年［1071年］に政界を引退して潁州に隠退した。蘇軾が杭州副知事として赴任する前に、弟とともに潁州に欧陽脩を尋ねたことは作品番号03-4-024以下で詳しく見ている。（5）王鞏は作品番号08-1-003で見たように潁州で職に就くことになったのだが、何らかの理由で赴任しなかったようだ。王鞏が欧陽脩の詩を唱えたのは、そのことと関係があるのだろうか。（6）蘇軾と同行した者として名が挙げられている張彦若は王彦若の誤記ではないかともいう。王彦若は眼科医で［→作品番号07-2-018］、張方平の門下生であることから、王鞏の親族なのではないかとの説もある］
■【08-1-037】法雲寺鐘銘、并叙
【解題】上の詩で「宝梵に遊んだ」とあるのは、都の法雲寺のことであろうか。蘇軾は法雲寺に新しい鐘が完成したのを記念してその銘を作った。序文だけを訳し、銘の本文は省略する。
【訳文】
元豊七年十月、詔をもって大長老圜通禅師法秀が法雲寺に住まわれることになった。圜通禅師は新たな堂を開き、まだ鐘がなかった。駙馬都尉武勝軍節度観察留後の張敦礼と、冀国大長公主が大檀越となって鐘を寄進しようと唱え、それに従い和す者が何人もいた。元祐元年四月、鐘が完成し、重さが万斤あった。東坡居士蘇軾がそのために銘を作る。
【補足】［冀国大長公は先々代の英宗皇帝の娘で、張敦礼はその夫である。皇族の肝いりで圜通禅師法秀は法雲寺におさまったのだろう。そうした人々に蘇軾は銘の作成を依頼されたのである］
■【08-1-038】用旧韻送魯元翰知洺州
【解題】洺州知事として赴任することになった魯有開［字は元翰］に贈った送別の詩。題に「旧韻を用い」とあるのは、かつて魯有開が衛州知事として赴任するときに作った送別の詩［→作品番号05-3-019］の韻をそのまま用いたからである。魯有開とは杭州副知事時代からの長い交流がある［→作品番号04-2-079など］。
【訳文】
私は東の坡のもとで、
わずか三畝の畑を自ら耕していた。
貴君は尚書郎の高官として、
百人の役人に対して頻繁に指示を出していた。
そのころは、蛙のような俗物どもが、太鼓を叩いたり笛を吹いたり騒ぎまくっていた。
私は永いよしみのある人々とも交わりを断ち、
三軒しかない村で老いて死ぬばかりであった。
訪れる者もなく閑散としている我が門へと、
貴君だけが友情厚く手紙を届けてくださった。
遥かに友人の意を思って、
落ちぶれた私には熱く感じられるものがあった。
年改まって私は皇城に来て、
白髪ながらもお上に代わって文章を作成するようになった。
かつての先輩について尋ねると、
逢うのは多くが後輩たちである。
貴君はしばし道観の管理を務めていた［窓際族になった］けれど、
知事として遠く旅立つ車に乗ることになった。
貴君も老いたとはいえ、自慢の髭がまだちゃんとある。
位を嗣がれたお上はまことに生れながらに聡明で、
民を救おうとのお気持ちは、火から人を救うばかりに強いものがあり、
囚われて遠くに追いやられていた魂［蘇軾ら流罪となった者をいう］もいまやことごとく返ってきた。
貴君はかつて東郡の知事であったときに、
あらかじめ洪水を恐れて備えを為したので、
大河が北流して桑畑を沈め、濁流が塵埃を翻して旧い河道に入り込んでも、
町は守られたのだった。
貴君の一寸の心は千歩の堤防に匹敵することを民衆は知り、
老人も幼い子も逃げ走ることなくすんだ。
洺州に行かれて、ときに閑を得たなら、扉を閉ざして座り、
道眼を濁らさないよう努めるのがよいであろう。
応捨筏［己を捨てて他者を助ける筏］に乗って、
無生源［仏教の真理の湧き出る源］へと遡るのだ。
貴君が帰ってきたなら、
夜に榻を並べて二人で仏の教えを論じ合おうではないか。
■【08-1-039】次韻朱光庭初夏
【解題】蘇軾と同じ年に科挙に合格した朱光庭［字は公掞］が初夏の詩を詠み、それに次韻した。このとき朱光庭は皇帝を諫める職務にあったので、もっぱらそのことが詩中に詠まれている。
【訳文】
朝廷から貴君がさがるとき、
その足音だけで人々は貴君であると知る。
なぜなら、そこに皇帝へ直言する声が籠っているからである。
私は、梧桐がさわさわと雨のような音を立てているのを臥して聞いていると、
貴君から、宮中に吹く涼やかな風を詠んだ詩が届いた。
皇帝を諫める職務に就く貴君は、
世に名高い隋朝の楽運の道を受け継ぎ、
私はいつも酔郷にあって、
世に名高い唐朝の王績の隠遁の地を訪おうと思っている。
私が酔後の陶然とした思いのうちにあると、
貴君の詩によってはっきりと呼び覚まされ、
あたかも耳鳴りがぴたりと止んで、聴覚が鋭くなったかのような気がした。
【補足】［同じころに朱光庭が雨を喜ぶ詩を詠み、蘇軾が次韻している。訳は省くが、二人の関係が良好であったことを示すものである。ところが、これから半年後に朱光庭は蘇軾を攻撃する急先鋒に変じる。誰とどのように付き合うのか、権力抗争の渦巻く都ではすこぶる微妙な問題であった］
■【08-1-040】奉敕祭西太一和韓川韻四首
【解題】これは皇室の公式行事を詠んだ詩。我々にとっては特に面白味のない作品であるが、都で高い地位にあればこそこのような詩も詠むという一例として訳出する。都の西郊外にある西太一宮で、皇帝の勅令によって祭事が行われ、蘇軾も参加した。その祭事を韓川という人が詠んだ詩に次韻した。4首のうち1首だけを訳す。
【訳文】
其の一
聖主［皇帝］は新たに秘祝［祭官］を任命され、
臣下の代表者が豊年を神に乞い願う。
聖主の祈りに応えようと、
神君が寿宮にお出ましになるのだろう、
夜中に肅然と霊風が吹いてくる。
【解題】［もとの詩を詠んだ韓川も、後に朱光庭とともに、蘇軾を激しく批判する1人となる］
■【08-1-041】西太一見王荊公旧詩、偶次其韻
【解題】西太一宮には王安石が作った詩が残されていて、蘇軾はそれにも次韻した。王安石はこれより少し前の4月6日に他界しており、そのことを詠み込んだ第2首を訳す。
【訳文】
其の二
樽の中にいくら名酒があっても、
墓に注がれたのでは虚しい。
聞くところでは、
金陵の烏衣巷のあたりも、
いまは草深く埋もれているとか。
【補足】［金陵の烏衣巷はかつて南北朝時代には天下第一の繁華街であった。それがさびれてしまっていると詠むことで王安石の死を暗示している。蘇軾が金陵に隠棲する王安石を訪ねたのはこれより2年前のことであった［→作品番号07-1-046］］
■【08-1-042】王安石贈太傅
【解題】これは蘇軾が草稿を書いて哲宗が下した勅書。勅書の内容は、亡くなった王安石に皇帝より太傅の官［皇帝の補佐役］を追贈するというもの。
【訳文】
朕は、古の初めから観てきて、そこに灼かに天意があるのを見て取った。
非常の大事がまさにあろうとするとき、天は必ず世に希な異人を生み出す。その名はその時代において高く、その学問は千年にわたる価値を貫く。その智は道の真髄を究めるのに十分で、その弁舌はその言うところを実行させるのに十分であり、その瑰瑋た文章は万物を藻飾るのに十分であり、その卓絶した行為は四方を風動すのに十分である。そして、その能力が用いられるや、天下の風俗は一年の間に風に靡くように変わってしまうのである。
王安石は年少のころに孔子や孟子を学び、老いてからは釈迦や老子を師とした。六芸［儒家の古典］の遺された文章を全て網羅し、己の意で解釈を下し、諸子百家の陳べた跡などは糠粃だとして、民衆のあり方を一新した。
熙寧のときに為すこと［政治の改革］があるのに遇うと、群賢の冠として首めに用いられ、信任の篤いことは古今に比べられるものがなかった。いまにも功業が成就しようとするときに、遽に山林に住もうとの興が起こり、富貴などは浮かぶ雲のようなものだとして、履物を脱ぎ捨てるようにして大臣の職を捨て去った。漁師や樵とも分け隔てなく交わり、山野を歩いて鹿も群れを乱さなかった。進退の美しさ、雍容さは皆が見習うべきものがあった。
朕は政に臨み天下を御める初めにあたって、（先帝を喪った）哀しみは極まりないものがあった。三朝に仕えた老臣［王安石］を眷みようとしたのだが、邈か大江の南に行ってしまっていた。（王安石が作った）規模を究め観て、その人の風采を想見したのであるが、まさかその終わりを告げる知らせが、朕が喪に服している間に届こうとは思ってもいなかった。どうして百年の寿命を満たさなかったのか、涙を流さずにはいられない。
於戲、死生、あるいは用いられるか捨てられるかの際においては、誰も天に逆らうことはできない。贈賻をし、哀みつつ栄誉を与えるための文章を朕は作らずにはいられない。
特に寵することをもって師臣の位［太傅］を贈り、蔚しくも儒者の光となるように。庶幾のは、このことを知ってくれて、我が休しい命令に服してくれることだ。
【補足】［（1）これは蘇軾が内発的に記したものではないものの、いくら皇帝の命令であっても、心に思ってもいないことを蘇軾は書いたりしないので、ここに示されている王安石の評価は、蘇軾自身の考えをかなりの程度反映しているといってよいだろう。（2）途中に「己の意で解釈を下し」［原文は「断以己意」［断じるに己の意をもってす］］とあるのは、王安石が経典に独自の解釈を下し、それに基づいて科挙の解答を書くよう求めたことをいっていて、蘇軾は王安石の独断的なやり方を強く批判していた。ここは読みようによってはかなりの皮肉であると見て取ることもできる。（3）蘇軾の文集には、このような詔勅の草稿が多数収録されている。実際に詔勅を書かなければならなくなった者にとっては手本となり、またどこかしらに蘇軾の個性を見出すことができもして、後世に伝えるべき文化遺産として大切に扱われてきたのだろう。我々にとってはあまり興味をひくものではないので、訳出することはほとんどしない］
■【08-1-043】答張文潜県丞書
【解題】3月に、咸平県の役人であった張耒［字は文潜］が都の太学の教官になるために上京してきた。このとき33歳で、20歳のときに科挙に合格し、23歳のときに『超然台の賦』に和して蘇軾に送っていた［→作品番号05-2-017］。張耒は上京する前に自作の詩文を蘇軾に送って教えを請い、それに応じて蘇軾はこの手紙を書いた。なお、手紙は独特の文体で書かれていて、訳者にはそれを十分に味読するだけの力がなく、これまで訳してきた手紙の多くはいつも「ずっぽ訳」であった。張耒に与えたこの手紙は非常に有名で、清水茂『唐宋八家文』朝日文庫（1979年）に詳しい解説があり、これに限ってはかなり正確な訳文となっている。手紙文の雰囲気をほんの少しでも見ていただけるように、冒頭の部分だけ妙な読み下し調で訳してある。
【訳文】
文潜県丞の張君足下に頓首。
久別して思に仰てはいるのですが、京に到てからは公私ともに紛然して、書を奉る暇がありませんでした。忽と辱くも手教をいただきまして、且ず起居の佳勝を審り、至に慰であります、至に慰であります。
文編を恵示り、三復感嘆しております。甚するのは、君がわが子由に似ていることです。
弟の文章は実は私より優れているのですが、世間の人はわかっておりません。弟は私には及ばないと思っているのです。弟の性格として、他人に深く知られることを願っておらず、弟の文章もまた同じです。とらえどころなく広く、あっさりとしていて、一度読んで三度繰り返すと成る程と思えてきて、秀でた傑作であることがようやく隠れたままではなくなります。弟が『黄楼の賦』を作りましたときは、自分でも張り切ってぼんくらどもを驚かせてやろうとしたようでした。ところがそれは私が代作したのだという者がいたのには、笑ってしまいました。これはきっと私の文章の最もよいところだけを見てのことなのでしょう。
今日ほど文学の衰えたことはありません。その原因がどこにあるかというと、実に王氏［王安石］なのです。王氏の文章は善くないものではありません。問題は、人にも自分と同じにさせるのを好んだことにあります。孔子であっても、人を自分と同じにしようとはしませんでした。弟子の顔淵は仁に優れ、子路は勇に優れ、それを入れ替えるようなことはしませんでした。ところが、王氏は自身の学問をもって天下の学問を一つにしようとしました。地味の肥えたところはどこも同じように作物が成長しますが、できるものはどこも同じというわけではありません。荒れて痩せた土地、塩分の多い土地は、見渡す限りただ黄色い茅と白い葦があるだけです。王安石が同じにしようとしたのはまさにこの「黄茅白葦」なのです。
近ごろ章惇君に会いましたところ、このようにいっていました。
「先帝は、晩年のころに、文学がさえなくなったのを非常に残念がられ、士を採用する方法を少し変化させようと考えておられました。しかし、その時間がありませんでした」
いま意見を申し述べる者は、科挙で詩賦を課すことを復活させようとか、太学で『春秋』を講義するようにしようとかいっております。非常に結構なことです。
私は老いました。後世の人々も、古の人の完璧な文章と同じようなものを読めるようにできるとしたら、黄庭堅君、秦観君、晁補之君、陳師道君と貴君等数人に頼るしかありません。聞くところでは貴君は太学の教授になるとのこと。ますます努力を重ねていただきたく思います。
『詩経』にこのようにあります。
徳輶如毛、［徳は毛のように軽くて誰もができるはずのもの］
民鮮克挙之。［しかし徳を実践する者は実に少ない］
我儀図之、［私は友人とそれを行おうとするのだが］
愛莫助之。［残念なことに手伝ってくれる者がいない］
このほかにもいろいろありますが、まずはよくよく御自愛ください。たまたま朝酒を飲んで酔っておりましたところ、お手紙を持って来た人に返事を求められ、詳しく書くことができませんでした。
【補足】［（1）蘇軾が徐州知事であったときに、大洪水の惨禍の後で黄楼を築いたことは作品番号05-4-065などで見ている。その黄楼に寄せたのが弟の『黄楼の賦』で、傑作とされている。（2）王安石が科挙を改革しようとしたときに、蘇軾が反対したことは作品番号03-2-006以下で詳しく見ている。かつて欧陽脩が科挙を改革したことで蘇軾の名が天下に知られたように、科挙と文学の潮流は強く連動していた。王安石は科挙の採点に主観が入らないように、詩賦を課すことをやめ、また古典の解釈を一つに統一しようとした。それで、受験生は王安石が編集した参考書さえ学べばよいという傾向が生まれ、文章も画一化された。そのことは先に見た勅書にも記されていた。（3）孔子が編集したといわれる『春秋』は最も重要な歴史書として重んじられてきた。しかし、記述が簡潔すぎて、本文を読んだだけでは何を意味するのかほとんど理解できない。王安石はそれを「官報の切れ端のようなものだ」として、学ぶに値しないと言い切った。王安石の考えは極めて合理的なものであったが、文化全般を肥沃にするものではなかった。（4）章惇と会って話をしたとあるのが興味深い。章惇は改革派の中核的存在となっていたが、もともと蘇軾と章惇は親友で、蘇軾が獄に入れられたときには罪が赦されるよう諸方面に働きかけ、蘇軾が黄州に流されてからも手紙のやりとりがあった。蘇軾が都に帰還してからも、作品番号08-1-001で見たように司馬光との間を取り持つような助言をしたり、ここにあるように文学観を共有する会話を交わしたりしていたのだった。なお章惇は新法が次々に廃止されることに強く抵抗して朝廷での地位を失い、この手紙より少し後の閏2月下旬に汝州知事として都を去っている。そのとき蘇轍は職務として章惇を厳しく弾劾し、それが起因となったのか、章惇は次第に蘇軾兄弟に対して憎しみを抱くようになる。（5）蘇軾の門下生で特に優秀であったとされるのが、いわゆる「蘇門四学士」で、黄庭堅、張耒、晁補之、秦観の4人である。これに陳師道と李廌［→作品番号07-2-020］を加わえて「蘇門六学士」といわれることもある。蘇軾のこの手紙には「六学士」のうちの5人が挙げられている。蘇軾は、黄州の東の坡で自ら耕す罪人から、一国の文化をリードする立場に大きく変わったのである］
■【08-1-044】与滕達道
【解題】親友の滕元発［字は達道］［→作品番号07-2-051］に送った手紙。滕元発はこのとき湖州知事から鄆州知事に移っていた。
【訳文】
孟震君は黄州で親しくしていた人で、ともに歓びを極めた間柄でした。いまは引退し、貴君の治下の人です。どうか探してみてください。孟震君は真の君子です。
【補足】［（1）孟震について詳しく記した文章を作品番号06-4-070で見ていて、そこに孟震は鄆州の人とあった。かつて同じく滕元発に賈収と会うよう勧めていたことと合わせると［→作品番号07-1-054］、蘇軾が「君子」との交遊関係を大切に思っていたことがわかるであろう。なお、孟震とは常州で再会したことを作品番号07-2-039で見ている］
■【08-1-045】次韻子由送陳侗知陜州
【解題】6月10日、陳侗［字は成伯］が陜州知事に任命されて都を出て行くことになり、蘇轍が送別の詩を作り、蘇軾が次韻した。
【訳文】
昔、四頭の鉄製の牛を黄河に沈め、その上に橋を渡したという。
その牛のように、
天に漲るばかりの流れの中でもしっかと踏ん張り、鞭で打たれてもぴくりとも動かない、
それは誰なのか。
昔、徐邈は常に同じ生き方を貫いていただけだったのに、
世俗がいつも変化し続けために、
徐邈の評判は上がったり下がったりした。
貴君とかつて別れてからのことはいまさらいうまい。
世間の事は空に浮く雲のようで、
数限りない人が、即墨阿の毀誉褒貶の内に置かれ、
かつての良い評判は実のない虚声ばかり、
促織のように音を立てるだけで実際に機を織りはしなかった。
貴君と会って笑い合うのは、
どうしようもなく白髮だらけになったこと。
いまや天を駆ける勢いの馬はみな大空の雲を踏み、
飽きるほどのまぐさを得て長く嘶いている。
皇城の庭には天下の宝、種々の武具がみな集まっている。
貴君だけが手を振って都を去る……
粗末な衣服でやってくる貴君を、
歓迎する民衆の歌をかの地で聞くことになるだろう。
陜州は古の楽国で、金の盃に酒を注ぐような奢侈の地とされているが、
貴君が赴任したなら、
統治の仕方はすぐに全く新たなものとなるだろう。
それによって怒る者もあれば、喜ぶ者もあれば、長く怨む者もあるだろう。
これ以上のことは申すまい、
評価は後の人に委ねればよいのだ。
【補足】［（1）この詩は、蘇軾の次韻の詩によくあるように、韻に合わせて数々の故事を力ずくで並べている。そのため、散漫かつ難解な作品となっている。全体としては、政治の大きな変動の中にあっても己を貫く生き方を賛美し、陳侗を励ましたもので、そのことが伝わる程度に大まかな訳し方をした。（2）詩の中ほどにある「即墨阿」［「いつわり」とルビを振った］について説明を加えておく。昔、斉の威王が即墨の知事を都に呼び、「君が即墨に赴任して以来、わしは君のことを悪くいう報告ばかりを聞いた。そこでわしは人を派遣して即墨の実態を調査させたところ、よく治まって民が豊かに暮らしていることがわかった。君の評判が悪かったのは、君がわしの側近に付け届けをしなかったからだ」といって、大いに褒めた。威王は阿の知事を都に呼び、「君が阿に赴任して以来、わしは君のことを良くいう報告ばかりを聞いた。そこでわしは人を派遣して阿の実態を調査させたところ、全く治まっておらず、民衆が苦しんでいることがわかった。君の評判が良かったのは、君がわしの側近に付け届けをしたからだ」といって、即座に死罪を言い渡した。地方官の業績が正しく君主に報告されないことをこの詩では「即墨阿」の3文字に篭めたのである。つまり改革政治の弊害としてそのようなことがあったといっているのである。（2）このころに蘇軾の長男の蘇邁は徳興県の役人を辞めて［→作品番号07-1-029］、別の任務に就いたようだ］
■【08-1-046】呂恵卿責授建寧軍節度副使本州安置不得簽書公事
【解題】呂恵卿の名をこれまでにも何度か見てきた。改革の実行部隊の指揮官として王安石が抜擢した人物で、呂恵卿の辣腕がなければ改革の実行はもっとのろのろしたものになっていたであろう。呂恵卿は己の力を過信して次第に増長し、王安石が上にいるのがうっとうしくなり、策略によって王安石を失脚させた。呂恵卿にとっての改革は、自身が権力を握るチャンスを与えてくれるものであって、理念などは二の次だった。皇帝が代替わりして保守派が朝廷に復帰すると、呂恵卿は厳しく断罪され、誅殺を求める声も大きかったが、6月23日に都からの追放が言い渡された。これはそのときに呂恵卿に示された勅書で、蘇軾が起草した。題名にある「本州安置不得簽書公事」と全く同じ字面を蘇軾が黄州に流されたときにも見ている［→作品番号06-1-001］。指定された場所で軟禁状態に置かれ、公務に関わること禁じるものである。この勅書には、呂恵卿のさまざまな罪状が故事を踏まえた字句の中に篭められている。ここでは大意が通じるよう、上辺をざっと撫ぜるだけの訳文とした。ここで注目すべきは、呂恵卿を用いたのがそもそもの誤りだった［≒そもそも改革を推進したことが誤りだった］とするのは神宗［つまりこの勅書を言い渡す哲宗の父］を貶めることになるので、そのようには決して言わないよう格別の配慮をしていることだ。
【訳文】
敕書にいう。
大悪人が高位にあると、民衆は安らかに暮らせない。法の番人がでたらめな刑の裁量をすると、人々は異論を唱え出す。天に漲るそのような罪を正すことができるのなら、永く後世の模範となるであろう。
汝［呂恵卿］はちっぽけな升のような才能と、細かいところをひっかくだけの知恵でもって、宰相［王安石］に諂い仕えて朝廷の高官に昇った。禍を楽しみ功を貪り兵を好み殺を喜び、民衆から収奪することをもって仁義と置き換え、法律をもって儒学の経典と置き換えた。初めに青苗法を建て、次に助役法を行い、さらには均輸法で国が商人と利益を争うような政策を実施し、民衆は飼っている鶏や豚に至るまで目こぼしなく取り立てられるようになった。国を蝕み民を害するような連中が我先にと腕まくりしてそこに加わった。
先帝［神宗］は賢者を用いるのが十分ではないことを恐れ、円が転がるように人々が善に向かってゆくことを望まれた。古の堯が罪人も試しに用いたように、先帝は汝を採用したのだが、孔子が弟子の宰予を「おまえは終生がらくたでしかない」と叱りつけように、汝が生来の奸を露わにしたときには都から厳しく追放した。それでもう過ちを改めたであろうと（先帝は）考えられて、また少し重い職務に戻された。ところが、皇帝をたぶらかすようなことを陳上したために再び地位を落された。先帝は反覆して教戒されたのだが、汝の悪心は改悛することがなかった。先帝が、汝が軽々しく事実を捻じ曲げることを戒めたお言葉はいまもありありと残っている。
汝は仲間に引き入れた者とともに君主を欺いた。汝は仲間とした者とは初めは足を摩ってやるほどまで親しくしながら、ひとたび反目して怒ると、噛みついて次々に大獄を起こし、私的な手紙まで暴いて罪に陥れ、一党を率いて攻撃し、天下の半分までを罪人にし、汝に賄賂を贈るものが全国に及んだ。しかも、再び用いられた年には西辺で紛争があり、汝は妄りに新たな戦略を立て、旧来の枠組みを変えようとした。とち狂った謀を無理やりひねり出し、結局を大敗北を喫してしまった。大きな口を叩いたことがここに及んで、いまさら涙を流しても、もう遅いのだった。
朕が皇位を継いだ最初に、辺地を安んじる詔を出した。朕の号令は汝の謀が偽りであったことを明らかにし、賊人を戒めるためのものであった。汝が国を迷わし、不道を行ったことは古から稀にしか聞かないものだ。それでも誅殺することを赦し、遠く流すだけとする。国は常に法があり、朕が敢えて私の処罰をするのではない。
■【08-1-047】答湖守呂景純
【解題】湖州知事の呂希道［字は景純］への手紙。かつて呂希道には送別の詩を贈っていた［→作品番号03-3-012］。
【訳文】
……呉興［湖州］は晋の時代から、風流を具えた賢人の太守［知事］が続きました。ところが、私だけが不肖な太守で、罪をもって去ることになり、湖州の溪山を垢で汚してしまったのでした。貴君は深く湖州と私を思って、その垢を洗い落してくれましたので、その意は忘れることはありません。私は湖州には長くはいなかったのですが、数十首の詩を作りました。それらはずっとすっかり忘れていて、ただ四首だけを憶えておりましたので、それを録して謹呈いたします。どうぞ笑ってください。賈収君は老いて病み、しかも貧乏です。お心配りをいただければ、甚だ幸いです。
【補足】［（1）呂希道は、蘇軾が湖州知事であったときに詠んだ詩や書画を集めて、版に刻んで広めようとしていた。（2）終わりで賈収［→作品番号07-2-045］について記している。友人を大切にする蘇軾の気持ちが伝わってくる］
■【08-1-048】与楊元素
【解題】楊絵［字は元素］［→作品番号08-1-016］に宛てた手紙。楊絵は徐州知事となったので、かねてそこにいたことがある蘇軾が町のまわりの名所を記して知らせた。
【訳文】
城南に范増の塚があるとされていますが、それは誤りで、本当の塚は居巣県にあります。城北には劉向の墓があり、私はそこに祠堂を建てようと考えましたが、洪水のために果せませんでした。貴君にもしも余力があって、それを作られたなら、まことに結構なことです。城西には楚元王の墓があり、かつて私は猟に出て、そのあたりに行きました。石仏山もまた眺めのよいところです。
【補足】［（1）ここに名を挙げられている3人は漢の始まりのころに人物である。（2）蘇軾が徐州で猟をしたことは作品番号05-5-001で見ている。（3）石仏山は、雲竜山［→作品番号05-3-047］の別名であるという。とすると、作品番号05-5-028に詠まれていた石仏山は、蘇軾の故郷の山として解したのだが、徐州の石仏山も兼ねていたのかもしれない］
■【08-1-049】与親家母
【解題】これは亡き親友の文同の妻に宛てた手紙。表題に「親戚の家の母」とあるのは、文同の息子の文努光と蘇轍の娘が夫婦となっていたからである。文努光は父の棺を携えて蜀の郷里に帰り［→作品番号06-1-055］、足掛け3年の喪が終わった後に上京し、都に帰ってきた蘇軾や蘇轍と久しぶりに会った。ところが、その直後に急死しまったのだった。故郷にいる文努光の母に、今後のことについて蘇軾が報せたのがこの手紙である。
【訳文】
……弟の娘［文努光の妻］は文君が亡くなってからは、ひどい悲しみのなかにあって、病に陥ってしまうのではないかと心配しているところです。……息子の蘇邁を帰郷させて、十一郎君を都に迎えようかと考えています。弟の娘はいまは帰郷できる状況にはないので、しばし落ち着くのを待ちたいと思います。いずれおそばに参ってお仕えできるでありましょう。……
【補足】［この手紙から推測するに、若くして亡くなってしまった文努光を惜しむとともに、その葬儀をどのように行うべきかを思案していたのだろう。長男の蘇邁は徳興県での任務を終えたので、一度帰郷させて、文努光の弟と推測される十一郎を都に連れてきて、葬儀を行わせようと考えたであろう。実際には蘇邁は、酸棗県での職務を授かって赴任するので、故郷には帰らなかったようである］
■【08-1-050】和王晋卿、并引
【解題】蘇軾と連座して罰せられた者の中に王詵［字は晋卿］がいた。王詵は皇帝の婿として特別に恩遇されていながら不埒な行いがあったとして他の人よりも重い処分を受けた。かつて蘇軾は黄州にいたときに、王詵が赦されたとの誤った情報に接し、そのことを手紙に記していた［→作品番号06-2-027］。実際に都に帰還したのはこのころのことであった。これは王詵の詩に和したもの。
【訳文】
引［序］
駙馬都尉の王詵は、宋初の功臣王全彬の子孫である。
元豊二年、私は罪を得て黄州に貶められた。王詵にも累が及んで、遠く流され、互いに音信がないこと七年に及んだ。私はすでに召されて朝廷に用いられ、王詵もまた朝廷に帰還し、宮殿の門の外で出会った。感嘆の余り、王詵は詩を作り、私に渡した。その詩は、悲しい感慨を物に託し、窮阨に陥ったことを怨まず、泰然として、驕るところがない。貴公子の志がこのようであるのを憐れみ、その韻に和す。
【補足】［冒頭に「駙馬都尉」とあるのは、昔、皇帝の娘を娶った者に駙馬の職を与えたことから、「駙馬」は皇帝の婿の別称となった。その別の例を作品番号08-1-037で見ていた。王全彬は宋の天下統一に顕著な功績のあった人。そうしたことから王詵を貴公子と呼んでいる］
東坡先生は、かのとき東の坡で、独りで飲み、独りで舞い、
何にも身が属するところがなかった。
明るい月に対して酒を酌み、
月と影と先生と三者で楽しみは十分に足りた。
酔ったまま草むらの間で眠り、
毒虫に噛まれることもなかった。
醒めて、帰り行く雁を見送り、
千里の彼方へと目を寄せ、
そのとき、悵焉として公子［王詵］のことを懷った――
旅の間の食事に、玉のように輝くおいしいものなどはないだろう、
加餐［食事に気を付けて養生せよ］の字を書いて、飛ぶ鳥に托して遠く送ろうとした。
しかし、
干からびた魚が泡ぶくをかけあうようなことをしたところで、
牛ほどもある己の大きな罪［王詵を巻き込んだこと］を救うことはできないと知った。
吾が生は寄せるがごときのみ、
何者かが禍福を我が身に与えるのではない。
禍も福も忘れるのがよい、
昨日の夢を追うようなことをしても何もならない。
その後、私はお上に願い出て、自ら農耕することを許され、
湖と山の間で老いの日々を送ることとなった。
二頃の田を開き、十年後に実が成る木を植えようとした。
まさか、この老いた眼で、宮殿の金の燈火を見ようとは思いもしなかった。
公子もまた生きて還り、知事の職を授かることとなった。
人の賢と愚にはもとより定まったものがあり、
職務にもまた各々守るべきものがあるのだろう。
文章を作るのは特別なことではなく、
医術や卜術と同じように一つの技であるのだ。
朝廷はいま西方に注意を払わなければならない、
羌虜［外敵］は驕りたかぶっていまだに宋に伏さずにいる。
遥かに知るのは、あちらでは、重陽の節句の酒も、
白い羽の矢で菊の花を杯に落して飲んでいるとか。
羨むのは、貴君がまことに将軍の家の生まれであること、
顔には武人としての意気が浮かんでいるではないか。
朝廷から長い纓を与えてもらって、
一戦して、敵将を捕らえ、失った地を回復してほしい。
【補足】［（1）この詩には、しばらく見ていなかった蘇軾の得意のセリフ「吾生如寄耳」［吾が生は寄せるが如き耳］が詠み込まれている。王詵に自身の人生哲学を伝えようとしたのだろう。（2）詩の終わりの部分は、将軍の子孫として西方の前線で手柄を挙げよと、叱咤激励している。蘇軾は西方で再び戦火を交えることを望んでいるのではない。王詵が罰を受けたにもかかわらず、貴公子としての豪奢な暮らしぶりを必ずしも改めようとしていないので、詩文にうつつを抜かしたりしてはいかんぞと突き放したのだろう。先に王鞏に苦言を呈したのと同様である］
■【08-1-051】司馬温公神道碑
【解題】9月1日、司馬光が亡くなった。高太皇太后によって朝廷に呼び戻され、国政を指揮することわずかに1年であった。皇帝は司馬光を温国公に追封し、その勅書を蘇軾が起草した。北宋の二大巨頭というべき王安石と司馬光に皇帝がそれぞれ追贈、追封した勅書を続けて蘇軾が起草したのは偶然とはいえ巡り合わせのようなものを感じないわけにはいかない。蘇軾は司馬光の伝記の基礎資料となる『司馬温公行状』も執筆し、さらに元祐3年［1088年］1月に司馬光が埋葬されたときに、墓所に通じる道に建てられた碑に刻む文章『司馬温公神道碑』も書いた。ここでは、蘇軾の個人的な見解が比較的強く出ている『神道碑』を見ておこう。これは『唐宋八家文読本』にも採られ広く読まれてきたものである。
【訳文】
皇帝陛下［哲宗］が即位されて三年、朝廷は清明で、百般の政務は時に合致し、民衆は安心して暮らせるようになり、風俗は一変した。［司馬光が亡くなった後にもその徳が及んでいることを以下に述べる］かつては軽薄であった人々も皆が心を洗って身のあり方を改め、務めて忠に厚い人となり、それぞれ己の行動を自重し、人の過ちを言い募るのを恥じるようになった。中国は太平無事で、四方の諸民族は頭を下げて中国に指示を仰ぐようになった。ただ、西羌と夏国だけは叛したり服したり一定することなく、毒心を懐いて中国のことを悪く疑い、入寇を繰り返した。皇帝陛下は諸将に武器を備えたまま戦うことなく、中国の姿勢を示すよう命じられた。数カ月足らずで、西蕃の大首領の鬼章青宜結が都にやってきた［宋朝の号令に服した］。夏国は十数万で涇原に寇をなし、鎮戎の城下にまで至った。五日経っても得るところがなく、遁れ去った。西羌の酋長の兀征声延は族人一万人とともに中国に降った。また、黄河はかつて曹村で決壊し、霊平に堤防を築いたのだが、今度は小呉で決壊して五年の間はあたりに溢れたままとなり、朔方は騷然となった。しかし、今年［元祐二年］の秋は長雨が一カ月にわたったものの、黄河はあまり溢れることなく、冬に及んで水が地に入ることますます深く、北に流れて、大昔に禹が通した旧河道に戻るばかりの勢いとなった。
こうして皇帝陛下が望むところのものは、求めずして獲られ、逆に憎むところのものは、掃うまでもなく去っていったのである。それで天下の人々は皇帝陛下の意が天の意と一致していると知ったのである。いまや最高の統治が実現し、家に不足がなく、人が十分にいて、刑罰を用いる必要がなく、咸平、景德年間［先帝の治世］のようになるのを期待するまでになった。
ある人が私に尋ねた。
「皇帝陛下と高太皇太后陛下がどのようなことをなさってこのようになったのでしょうか」
私はこう答えた。
「『易経』の「大有の章」にこうあります。「上九。天よりこれを祐く。吉にして利にあらざるなし」。孔子はこの文章についてこういっています。「天の助けるところのものは順なり。人の助けるところのものは信なり。信を履み順に思い、また賢を尚ぶ。ここをもって天よりこれを祐け、吉にして利にあらざるなしと」。二聖［皇帝と高太皇太后］は身をもって信と順を天下に先んじて実践され、司馬公を用いて天下の士を招き寄せられました。信と順と賢の三徳をまさに具えられているのです。まして私が観るに司馬公は仁人でありますから、天はこれを助けたのであります」
「どのようなことからそうだと知ったのでしょうか」
「司馬公は文章をもって世に名を知られ、忠義をもって君主と結ばれたお方です。朝廷の人々がそのことを知っているのはよいとしても、四方の人々は何によってそのことを知ったのでしょうか。士大夫がそのことを知っているのはよいとしても、農民も商人も兵士も何によってそのことを知ったのでしょうか。中国の人が知っているのはよいとしても、九夷八蛮［外国］の人々は何によってそのことを知ったのでしょうか［そこには天の不思議な働きがあることを暗示している］。司馬公が退いて洛陽に住んでいたときには、孔子の弟子の顔回が路地裏にいたのと同じように小さく暮らし、屈原が沼地に追放されたときと同じように疲労したありさまで、長らく人々から忘れられていました。しかし、その名が再び天下に聞こえると、雷が鳴るかのように、あるいは銀河が流れるかのように、どの家にもそのことが響きわたり、日差しがそそぐように人々の目に見えたのでした。司馬公の名を聞いた者は、いかに愚かで無知な婦人や子供であっても、あるいは獰猛で御し難い兵士や夷狄の者でも、さらには奸邪の小人、己を害する仇敵を激しく憎むような者であっても、衽を収めて顔色を変えて、深く嘆息し、そして涙を流さない者はいなかったです。
私は元豊の末に登州から入朝し、八州を通過して都に至りました。民衆は私が司馬公と親しいのを知ると、行く先々で数千の人が集まってきて、馬の首の前で叫んでこのようにいいました。「司馬宰相にお伝えください。謹んで朝廷から去らないでください、厚く自愛されて百姓［全人民］を活かしてください」。このような者が千余里の間、絶えることがありませんでした。都に至って士大夫のいうことを聞くと、司馬公が（先帝の国葬に参加するために）初めて入朝したときに、民衆がその馬にすがって、前に進むことができなくなりました。都を守る兵士たちが司馬公が来るのを見て、お辞儀をしたり跪いたりして涙を流す者がたくさんいました。司馬公は驚き、（国葬がすむとすぐに）洛陽に帰ってしまいました。また、遼国や夏国が入朝する使者を派遣するときや、我が朝の使者が向こうに行くときには、向こうの人は必ず司馬公の様子を尋ねたものですが、司馬公が朝廷に招かれたと聞くと、遼国では敕令で国境を守る役人に、「中国では司馬公が宰相になる。慎んで国境での紛争を起こさないように」と命じました。
その後、司馬公が亡くなると、都の民は市を止めて、弔意を表しに行き、衣服を売って香典を用意し、哭しながら車で行く者が千ないし万で数えるほどでした。皇帝陛下は趙瞻と馮宗道に命じて棺を護って洛陽に帰って葬儀を行わせました。趙瞻らが還ると、皆がいうには、「民は司馬公のために哭し、甚だしく哀しみ、哭すのは肉親を喪ったかのようであった。四方から葬儀に集まった者は、数万人に及んだ。また嶺南の封州の父老が司馬公の御霊を祭り、仏事を行って司馬公に哀悼の言葉を捧げたのが最も哀しいものだった。手に香を焚いて捧げて司馬公が葬られるのを見送った者はおよそ百余人で、天下の人々は皆が司馬公の像を画いて祀った」と。
このようなことは人の力によってできるものなのでしょうか。天が相けたのです。一人の人間が天を動かすには必ず道に拠らなければなりません。「至誠一徳」［最上の誠と純粋な徳］でなければ誰もそのようなことはできません。
『礼記』にはこのようにあります。「ただ天下の至誠だけが人に本来具わっているものを全て発揮し尽くすことができる。人に本来具わっているものを全て発揮し尽くすことができるのなら、物に本来具わっているものを全て発揮し尽くすことができる。物に本来具わっているものを全て発揮し尽くすことができるのなら、天地の化育を賛けることができる」
『尚書』にはこのようにあります。「君臣の皆に一徳があるのならば、天心を享けるであろう」。またこのようにあります。「徳が一［全てにして純粋］ならば、動いて吉でないことはない。徳が二三［不純で乱れている］ならば、動いて凶でないことはない」。
ある人が千金を与えても受け取った者は喜ばず、逆に、ある人が一言いっただけでそれに従って死をも厭わずに行動します。その違いは、誠があるかないかによります。天まで満たすように降る雨も速やかに乾いてしまいますが、一筋の糸のような雨だれは石を穿って穴を開けます。その違いは一であるか一でないかによります。誠にして一であるならば、古の聖人といえどもそれよりわずかでも優れているということにはなりません。まして司馬公はどうであったのでしょうか。
こうして司馬公の徳を論じてきた結論として、人心を感じさせ、天地を動かしたことがこれほどまでに大きかったのは、二つの語でいうことができるのです。つまり、誠と一です」。［以上が、天が宋朝の統治を助けることになった理由として、蘇軾が考えついたこと］
司馬公の諱は光、字は君実、その先祖は河内の人で、晋の安平献王の司馬孚の後裔で、その子孫の征東大将軍の司馬陽が今の陜州夏県涑水郷に葬られ、その子孫がそこに住むようになった。曽祖父の司馬政は五代十国時代の乱れに遇って官に仕えず、祖父の司馬炫は宋朝の進士に及第し、秘書省校書郎となり耀州富平県の知事で終わった。父の司馬池は宝元、慶暦の年間の名臣で、兵部郎中天章閣待制にまでなった。曽祖母は薛氏、祖母は皇甫氏、母は聶氏である。
司馬公は初め進士を甲科の成績で合格して仁宗皇帝に仕え、天章閣待制知諫院にまでなった。そのときに大議を提出して、皇族の子を皇太子に立てて，宗廟を安んじられるように申し上げた［仁宗には男児がなく、その後継者を誰にするのか、仁宗はなぜか決めるのをずっと拒んでいた］。宰相の韓琦等はその提言によってついに大計を定めた。（それによって皇位に就いた）英宗皇帝に仕えて諫議大夫竜図閣直学士となり、陜西で募った義勇兵に入れ墨をするのは人道に悖ることを論じ、また内侍の任守忠が皇室を乱したことを明らかにし、それを斬って天下に謝るべきだと主張し、任守忠にはついに死を賜った。また、（英宗皇帝の実の父の）安懿王を（皇帝がいかなる礼法で祀るべきかで大論争となったときに）先朝の故事に準ずべきことを論じて、天下の人々はそれが正論であるとした。神宗皇帝に仕えて翰林学士御史中丞となり、夏国の武将である嵬名山と橫山の衆が宋朝に降ろうとしてきたときに、後に必ず紛争を引き起こすもととなるので納れてはならないと強く論じ、果たしてその通りになった。神宗皇帝に勧めて生前に尊号を受けるのを止めることにし、それが万世に伝わるべき法となった。王安石が宰相となって、青苗、助役の制度を定め、農地や水利の開発を行うために新法を定めようとしたときに、司馬公は真っ先にその害をいい、身をもって争った。当時の士大夫で、王安石に付かずに新法に利便がないとする者は、みな司馬公に依拠して自分の議論を重くした。神宗皇帝は司馬公を枢密副使に任命しようとしたが、司馬公は自身の主張が行われないのを見てその命令を受けなかった。端明殿学士となって都を出て永興軍の知事となり、留司御史台および提挙崇福宮の肩書をもって洛陽に退き、十五年を過ごした。今上陛下が即位されるに及んで、太皇太后が攝政となり、司馬公を呼んで門下侍郎とし、正議大夫に遷し、左僕射［宰相］とした。司馬公は最初に皇帝の詔をもって言路を開き、邪正を分別し、甚しく邪なる者十余人を入れ替えさせた。保甲法、保馬法、市易法、塩鉄茶法を廃止し，最後に助役法、青苗法も廃止した。また士を採用する方法を議論し、守令監司を選んで民を養い、民を富ませる方策を建てた。こうして最良の治世へと素早く向かって行ったのだった。
しかし、司馬公は病に臥し、元祐元年九月一日に宰相の位にあるまま亡くなった。享年は六十八であった。太皇太后はその知らせを聞いて慟哭され、皇帝陛下も涕を流されて止まらなかった。時に明堂を祀る儀礼が宮中で行われることになっていたのだが、式は行ったものの賀することはなかった。二聖は葬儀に臨まれて哭して哀しまれること甚しく、朝儀をしばし止めることとなった。太師温国公を贈り、一品官の礼服で亡骸を包み、謚を文正とした。その親属十人を官員に取り立てた。司馬公は張氏を娶り、礼部尚書張存の娘で、司馬公より先に亡くなった。男子は三人で、司馬童と司馬唐は若年で亡くなり、司馬康は現在秘書省校書郎である。孫は二人で司馬植、司馬桓は承奉郎となっている。
元祐三年正月辛酉、陜州の夏県の涑水南原の晁村に葬った。皇帝陛下はその墓道に碑を建てて、「忠清粋徳之碑」と名付け、そこに刻む文を私に書くよう命じられた。私はすでに司馬公の行状記を作り、また端明殿学士の范鎮がそれを要約して墓誌を作った。そのために詳細をまた書くようなことはしないで、概略をここに論じることとした。
人々は皇帝陛下と太皇太后が司馬公を速やかに昇進させて十二分に活躍するようになさったことは見たけれども、神宗皇帝が司馬公を深く知っておられたことはわかっていない。士庶人から卿大夫に至るまで、師として敬い友と交わるときには、力としては互いに依存し合うには足りなくても、道義として信じ合うことができて、己と同じであるのなら親しみ合い、異なるならば疎んじるものである。師や友の過ちを聞いて喜ぶ者はいないし、侮られて怒らない者はいない。まして君臣の間であるのならなおさらである。熙寧年間に朝廷の政事は司馬公のいうところと一つも相違するところはなく、数十回も書を提出し、十分に議論し尽くして憚るところがなく、政敵はそれに堪えられなかったのだが、先帝は安んじてそれを受け入れ、怒らなかっただけでなく、左右の輔弼の臣として用いようとした。さらに、その著わすところの書物［『資治通鑑』］に序文を与え、邇英閣において自らそれを読まれた。司馬公を深く知らずして、そのようなことになるものだろうか。二聖が司馬公を知ることは、自身と同じ考えであるところからくるのであって、先帝が司馬公を知るのは、自身と異なる考えでありながらだった。だから私は先帝は最も難しいことをされたというのである。
昔、斉朝の神武皇帝は病気になったときに、その子の世宗にこういった。「侯景が河南を自分勝手に統治すること十四年、もろもろの将軍でそれに敵う者はいない。ただ慕容紹宗だけがそれを制することができる。わしが慕容紹宗を重く用いなかったのは、そなたのために遺しおいたからなのだ」。また、唐朝の太宗皇帝はその子の高宗にこういった。「そなたは李勣には何らの恩を与えていない。いまわしは李勣を遠ざけて朝廷から出すから、そなたは李勣を大臣にして用いるがよい」。そして李勣を出して畳州都督とした。斉の神武、唐の太宗はその隆盛をもたらした点において先帝に比べて足りないものがあったけれど、昔の君主も子孫のために遠く慮った点では皆類似している。つまり、自分自身はむしろその人のことを知らずにいたといわれようとも、その子が賢者を得る利を享受できるようにしたのである。先帝が司馬公を知るのも同じで、十分にそれを用いることがなかったのは、このような理由からだったのである。
私は以上のように司馬公の事を書き、拝手稽首して詩を作るものである。
於皇上帝、［於皇なる上帝］
子恵我民。［我が民を子として恵む］
孰堪顧天、［孰れか天を顧みるに堪えん］
惟聖与仁。［惟だ聖と仁と］
聖子受命、［聖子 命を受ける］
如堯之初。［堯の初めの如し］
神母詔之、［神母 之に詔す］
匪亟匪徐。［亟なるに匪ず 徐なるに匪ず］
聖神無心、［聖神 心無し］
孰左右之。［孰れか之を左右する］
民自択相、［民自ら相を択び］
我興授之。［我 興りて之に授く］
其相惟何、［其の相は惟れ何ぞ］
太師温公。［太師温公］
公来自西、［公 西自り来たる］
一馬二童。［一馬二童］
万人環之、［万人 之を環る］
如渇赴泉。［渇の泉に赴くが如し］
孰不見公、［孰か公を見ざらん］
莫如我先。［我が先に如くは莫し］
二聖忘己、［二聖 己を忘れ］
惟公是式。［惟れ公に是れ式とる］
公亦無我、［公も亦我無く］
惟民是度。［惟れ民を是れ度る］
民曰楽哉、［民曰く「楽しいかな］
既相司馬。［既に司馬を相とす］
爾賈於途、［爾は途に賈せよ］
我耕於野。［我は野に耕さん」］
士曰時哉、［士曰く「時なるかな］
既用君実。［既に君実を用う］
我後子先、［我は後れん子は先んぜよ］
時不可失。［時 失う可からず」］
公如麟凰、［公は麟凰の如く］
不鷙不搏。［鷙せず搏せず］
羽毛畢朝、［羽毛 畢く朝し］
雄狡率服。［雄狡 率い服す］
為政一年、［政を為す一年］
疾病半之。［疾病之に半ばす］
功則多矣、［功は則ち多く］
百年之思。［百年の思いあり］
知公於異、［公を異に知り］
識公於微。［公を微に識る］
匪公之思、［公を之れ思うに匪ず］
神考是懐。［神考を是れ懐う］
天子万年、［天子 万年］
四夷来同。［四夷来たり同ず］
薦於清廟、［清廟に薦む］
神考之功。［神考の功］
【補足】［（1）終わりの詩の読み下しは笹川種郎訳註『国訳唐宋八家文』（1920年）に依拠した。古めかしい四言詩で『神道碑』に重々しさを加えたもので、意味は気にせずに眺めていただきたい。（2）司馬光は王安石が立案した新法を全て廃止する方針を執り、それに対して蘇軾はしばしば異なる意見を述べ、司馬光が不快感を露わにしたこともあり、蘇軾は地方官として外に出ることを願い出たりもした。しかし、この『神道碑』では司馬光に最大級の賛辞を贈っている。（3）余論ながら、「四方の諸民族は頭を下げて中国に指示を仰ぐようになった」とあるのは、いわゆる中華意識が露骨に出た過大な自国礼賛の虚言である。この文章の性格として、司馬光および宋朝を賞揚することが求められているので、このようにならざるを得ない面もあるのだが、蘇軾にしても時代の偏見から免れることができかったのは事実である。当時の宋国を巡る国際情勢を先入観なしに眺めるなら、どこかの国において「中国に指示を仰ぐ」といったことはなかった。遼、西夏、羌といった国々との多国間関係のバランスの中で、むしろ宋にとっては不利な条約を結ぶことによって、唐代よりもかなり縮小した領土を保っていられたのだった。ただし文化的には宋は圧倒的な先進国で、日本も含めて宋から懸命に学ぼうと努めていたので、その点では「四方の諸民族は頭を下げて」という言い方をしてもおかしくはないのだろう。（4）司馬光という求心力を働かせることのできる人がいればこそ、蘇軾のように異論を唱える者も内に含めて保守派はまとまりを保っていられた。しかし、司馬光が亡くなった途端、保守派内に亀裂が生じた。その一因となったとされる一つのエピソードが伝えられている。いろいろな書物にいろいろに書かれているが、ここでは、これまでにも何度か見てきた邵博の随筆『邵氏聞見後録』［→作品番号07-1-083など］の記事を引用しておこう］
【訳文】
邵博：『邵氏聞見後録』
司馬光が宰相の位に就いたまま亡くなったときに、程頤が葬儀を取り仕切り、もっぱら古の礼法に基づいて行おうとした。折しも宮中の明堂で式典があったので官僚はそれに参加し、蘇軾はその後で司馬光の家に弔問に出かけた。
すると、程頤が引き留めて、
「あなたはお目出度い式典に参加されました。孔子は『哭すればすなわち歌わず』［悲しみと喜びは両立しない］とおっしゃったではありませんか。ここから中に入ってはなりません」
と、いった。
蘇軾は顧みることなく入り、程頤にこういった。
「『論語』に『哭すればすなわち歌わず』とあるのは聞いています。しかし、『歌えばすなわち哭さずとは聞いておりません」
程頤は反論できなかった。
【補足】［程頤は兄の程顥とともに、宋代の儒学研究の礎を築いた大学者。それを基盤として、後に朱熹がいわゆる朱子学を樹立する。程頤は長らく官職には就かずに学問に専念していたのだが、司馬光の推薦で哲宗皇帝の家庭教師となった。程頤は極度に厳格かつ非妥協的な性格で、融通無碍なところのある蘇軾とはもともとそりが合わなかった。程頤は、黄州に流されている蘇軾の羽目をはずした振る舞いを耳にしてはなはだ憤慨していたように［→作品番号06-5-035］、とにかく蘇軾のすることが全て気に食わなかったようだ。上に引用した記事によると、程頤が司馬光の葬儀を遠い昔の礼法通りに厳粛に行おうとしていたところへ、蘇軾が大勢の人々を引き連れて、たぶんがやがやと弔問に訪れたので、むっとなって、『論語』の言葉を引いて、「音楽が演奏されるような晴れやかな儀式に参加した後で弔問にくるのはけしからん」と難癖を付けた。それに対して、「『論語』にあるのは、（人情の自然な流れとして）悲しみのあまり泣いた後で歌って楽しむことはできないといっているのであって、その逆ではない」と蘇軾が即座に応じたので、程頤は次の言葉に詰まり、悔しい思いをした。さらに、ある書物によれは、蘇軾は「田舎教師がごちゃごちゃうるさいことをいう」というような意味の下品なことをつぶやき、それを耳にした程頤は非常な恨みを抱いたという。このあたりのエピソードの真偽のほどは必ずしも明らかではないが、蘇軾が当意即妙の皮肉交じりの言辞を吐いてしまうことはよくあり、それが後々までも尾を引くこともあった。原因はそれだけではなかっただろうが、司馬光の死後、保守派は程頤等の保守反動派と、蘇軾等の革新的保守派と、そのどちらにも属さない一派の三つに分裂してしまうのだった］
■【08-1-052】題王晋卿詩後
【解題】王詵［字は晋卿］［→作品番号08-1-050］の詩の後ろに記した短文。
【訳文】
王詵に私の罪の累が及び、私が黄州に謫居となったとき、王詵は武当郡に流された。飢寒に迫られて困窮するのは、もとより書生［士大夫］には常にあることで、私自身はそれをよしとしてくよくよすることはなかった。しかし、王詵が貴公子でありながらこの憂患に患わされたことを非常に心配した。王詵は正しさを失うことなく、詩詞はますます工みになり、超然として世の外にあって楽しむようになった。
孔子はいった。
「不仁の者は久しく約［窮乏］するところにいることはできないし、久しく楽しむところにいることもできない」
この言葉は王詵とは真逆のことをいったのであろう。
元祐元年九月八日。
【補足】［この短文では『論語』の一節を引いて王詵を褒めている。実はかくありたいものだとの激励の文なのだろう］
■【08-1-053】与仏印
【解題】9月12日、蘇軾は翰林学士知制誥に任命された。翰林学士というのは皇帝のブレーン集団の中でも特に将来を嘱望される優秀な人が任用されるポストで、多くの者がここを経て大臣、宰相へと昇るようになる。これは栄えある新しい職務に就いたことを金山寺の仏印大師了元［→作品番号07-1-061］に報告した手紙。
【解題】
塵の世の労苦が後から後から続く中、お手紙を頂戴し、拝見しましたところ、金山寺への奥ゆかしい道を歩みつつ、禅師殿のお声を聞くような気がし、言葉にならないほどの慰めと悦びが湧き上がってまいりました。このところ安らかにお過ごしであることも知られ、まことに結構に存じます。私は御恩を蒙り、翰林学士に抜擢されて、陛下のお近くでお仕えすることとなりました。これは儒者として栄誉の極みであります。これも禅師殿のお導きによるものでありましょう。暑さが残るなか、千万自重されますように。
【補足】［蘇軾が就いた翰林学士知制誥の職は、皇帝に代わって各種の詔勅の原稿を書くことを求められる。中国の官僚政治は徹底した文書主義であったから、皇帝は常に大量の文書を発しなければならず、従って知制誥はなかなかに多忙である。蘇軾がそれをどのように務めたのか、興味深いエピソードが伝えられている。ただし、それを記録して後世に伝えたのは周密の随筆『斉東野語』で、その書名は「片田舎のよた噺」という意味の成句で、しかも周密は蘇軾より200年後れて生まれた人であるから、真実であるとの保証はない。ただし、周密は宋末期の代表的な知識人であるから、少なくとも当時は事実であるとして語り継がれていたことを記録したのだろう］
【訳文】
周密：『斉東野語』より
洪邁が翰林学士であったときのこと。ある日、詔勅の執筆に当たって、朝早くから夕方までにおよそ二十余篇を書いた。仕事が終わり、庭に出て歩くと、老人が花のもとで日向ぼっこをしていた。
誰かと問うと、老人は、
「開封の者で、代々翰林院の小間使いをし、いま八十歳を超えました。幼いころに、元祐年間のもろもろの学士様のお姿を拝見しました。いまは孫がここで御用を勤め、こうして老いの日々を過ごしております」
と、いい、そして、
「聞くところでは、近頃は書類がはなはだ多くなりまして、学士様もさぞ御苦労をなさっておられましょう」
と、いったので、洪邁は喜んで、
「そうなのだよ。今日は二十篇以上も書かなければならなかった。しかし、もうすでに全部終わったのだ」
老人は感心していった。
「学士様は目から鼻に抜けるお方、二十篇ありましても、学士様にとってはそれほど多くではないのでございましょう」
洪邁は誇らしげに、
「蘇学士［蘇軾］だって、たぶんこれほど速くはなかったと想うぞ」
老人はうなずき、
「さようでございますなあ。蘇学士様もお速くはありましたけれど、そこまでではございませんでした。ただし、決して書物を調べたりはなさいませんでした」
洪邁は顔を赤らめ、自分の失言を恥じた。
その後、客人に向かってこの話をし、
「人間は自慢してはならない。このときは本当に穴があったら入りたかった」
と、いった。
【補足】［（1）洪邁は蘇軾よりも100年ほど後の人で、非常に博識で、『容斎随筆』や『夷堅志』といった巨大な著作物を遺した。南宋の朝廷に仕え、そのときの都は臨安［杭州］にあった。それで老人は開封の人間だといって、北宋の時代から朝廷に仕えていたことを明かしたのである。老人が80歳をかなり超えていれば、年代的にぎりぎり嘘ではない範囲におさまる。（2）詔勅は、その内容に合致した古典を縦横に引用し、含蓄ある堂々の文章に仕立てる必要があり、洪邁といえどもあれこれ書物をひっくり返して調べなければ書くことができなかった。蘇軾は、詔勅であれ詩であれ、古典からぴったりの故事を引いてくるのはお手のもので、書物を参照することなく正確に引用するのはまさに神業であったのだろう］
■【08-1-054】自題臨文与可画竹、臨篔簹図並題
【解題】親友の亡き文同［字は与可］［→作品番号08-1-032］の竹の画を見てこの詩を詠んだ。蘇軾自身による跋文も残っているので、それも合わせて訳す。
【訳文】
石室先生［文同］の内面で清らかな興趣が湧き出すと、
筆が縦横に動き、
あたかも鳳が舞い飛ぶかのようになる。
先生はいう、
「君［蘇軾］の風雅な心を借りて篔簹谷の竹を写してみたのだよ」
その画がここに留まって、
詩人［蘇軾］に吟諷を発せしめるのである。
跋
蘇軾は、石室先生のこの墨の戯れに臨み、この日、李廷珪の墨を試してみた。元祐元年十月二十三日。
【補足】［（1）石室先生は文同の号である。（2）文同は篔簹谷の竹を好み、画に描いたことは作品番号05-5-086などで見ている。画師は亡くなっても画はそのままにある。そこに微妙な違和感があって、この詩が生まれたという解釈で訳してみた。（3）李庭珪の墨は当時最高級品とされていた［→作品番号07-1-067］］
■【08-1-055】送賈訥倅眉二首
【解題】蘇軾の故郷は蜀の眉州である。賈訥という人が眉州の副知事として赴任することになり、この送別の詩を贈った。
【訳文】
其の一
かの年に私は蜀の地に空しく入ることを嘆いた。
あれから峨眉山を見ることはなく、
再び帰るのはいつであろうか。
遥か遠くにいても知るのは、
質素な衣服で赴任してくる貴君を歓迎する歌を童子たちが歌い、
李知事が先祖を敬ってよくその地を治めているということ。
貴君は道すがら鹿頭関に昇って、都の方へと飛ぶ雁に逢うであろうか。
人日の節［一月七日］に、眉州の人々は町の東に出て蟆頤山に遊ぶ、
きっとそこには私が見た梅がまだあるだろう。
その昔、王褒は詩を歌って才能のある人を募ったというけれど、
私は老いてもうそのようなこともできないので、
王褒の子の王淵に比すべき貴君のような人を求めるのである。
【補足】［（1）「かの年に蜀に帰った」とあるのは、父の喪に服して帰郷したことをいう。喪が明けて上京してからすでに18年、蘇軾は一度も帰っていない。（2）李知事とあるのは、李琪という人物であろうとされる。（3）終わりの部分の王褒云々は、昔の著名人を引いて賈訥のような優秀な後輩に期待したいとの思いを述べたもので、王褒についての解説は特にいらないだろう］
其の二
我が父の墓所は蟆頤山の東二十余里の老翁泉。
王淵のような貴君がそこに行ってくれたなら、
私が植えた三万本の松が青々と繁っているのを見るであろう。
眉州の父老はこの詩を見て私がまだ生きていることを知り、
貴君のために水に臨む部屋を開いて招き入れてくれることだろう。
そこから見てほしいのは、
松の一本一本がまるで竜のように活き活きとしているありさま。
そして聴いてほしいのは、
蕭蕭と降る雨の哀しげな音。
昔、召公を慕った民は、かつて召公が雨宿りした甘棠の木を切らなかったという。
それと同じく、眉州の人々は我が父の墓所の松を切らずに、
いつか我が父が蒼髯白髪の姿で帰ってくるのを待っているのである。
【補足】［（1）蘇軾が父母の墓所に松を植えたことは作品番号03-1-007や作品番号05-1-029などで見ている。（2）召公は周の時代の伝説的な賢者。立派な君主を後々まで慕うことを意味する「甘棠之愛」という成句がある］
■【08-1-056】送程建用
【解題】これも故郷眉州に関わる詩。眉州の人の程建用は、かつて蘇軾の父と交流があり、科挙に合格して長らく官職にあった。このたび職を退いて帰郷することになり、その送別の詩。程建用は蘇軾の母方の程氏と同族なのだろうが、詳しいことはわからない。
【訳文】
先生［程建用］は元来舌耕の士［言論に生きる士］、
文章を作るなら、千頃の湖のようにその言説は広がってゆく。
ところが、先生の倉の方はいまも空っぽ、
苕穎の花が自ずと開く［子孫の繁栄］のを待っている。
この十年、世の中は新説［王安石が経典の解釈を自説で統一したこと］に苦しみ、
児女は影のような拠り所のないものを捕えようとしてきた。
垣根を崩してわざわざ雑草だらけにし、
穀物のよい苗を誰も顧みなくなってしまった。
父に孝行を尽くす心は虚しく放り出され、
母を大切にする人は冷え冷えとした部屋で嘆息するばかりとなった。
昔は、履を織り、薪を采って、子を導いた母がいて、
辛勤して一つの道を守り、いかなる御馳走よりも真心から捧げる水がまさるとした子がいた。
今年聞くことになったのは、
過ちを廃し、正しきを起こすということ、
『春秋』もまたかつての光を取り戻すことになった。
ここに先生は官職を改め、馬を飾って帰路に就く。
帰郷して晴れ晴れと笑うなら、
さっと襟のあたりを爽やかな風が撫ぜるであろう。
必ず都から金の花をあしらった詔書が届き、
名誉官職が授けられるであろう。
天は我らを欺くことはなく、
先生の寿命は亀や鶴のように永く続くのだ。
【補足】［王安石が独自の解釈で経典の読み方を統一しようとしたことは08-1-042で、王安石が「官報の切れ端のようなものだ」と断じた『春秋』を再び太学で講義するようになったことは作品番号08-1-043で見ている］
■【08-1-057】次韻李修孺留別二首
【解題】やはり蜀の人である李修孺が帰ることになり、その送別の詩。李修孺がどのような人であるのかわかっていない。
【訳文】
其の一
私は十年流落の歳月を過ごし、
帰郷するとは、敢えて口から出していわないようにしていた。
ただ、江湖の魚や鳥が私の心を知っているのだった。
思いがけず、雲や霧が掃われて晴天が現れ、
人々は白髪の老人たちを呼び集めてこの先の安危を託すこととなった。
貴君の風流はまことに我らの先導として仰ぐべきで、
時代を済う人物としてかねてから人々の記憶に刻まれていた。
私は何としてでも貴君を都に留めたく思う。
孔子が賢者を希求する詩を歌ったように、
誰かこの人を讃える詩を作ってくれないだろうか。
其の二
この人生において、何度別れの袖を振ればよいのか。
私は夢の中で、いまも黄州にあるかと疑うことがある、
この老いを託す山はどこにもなく、
一緒にいてくれるのは明るい月だけ……
窮迫のときも栄達のときも、家を思う意は同じ、
衰病のなかで人を見送るのは堪え難く悲しい。
さあ行くがよい、
剣南［成都］への帰路には、
孝婦がいたことで知られる姜師鎮がある、
その孝婦が母に差し上げた魚を、
故郷の水で煮て食べるのがよろしかろう。
【補足】［最後の部分は、子や孫に囲まれて平穏な余生を過ごすことをいうのだろう］
■【08-1-058】次韻黃魯直赤目
【解題】蘇軾は時に黄州での日々を懐かしみ、我々もその時期の作品群をよかったと思うのだが、都には都ならではのよさもあった。その一つは、蘇軾のまわりに気を許せる人々が大勢集まってきたことである。これまでに何度かその名を見た黄庭堅［字は魯直］［→作品番号06-4-015など］はこの年の始めに都に来ていた。黄庭堅が蘇軾の門下生を自任する一方で、蘇軾は黄庭堅を友人として遇し、たびたび詩を贈答し合ってきた。意外なことに、実際に会うのはこの年になってからだったようだ。さらに意外なことに、都において黄庭堅と詩を和したとして残っているのは、この年も終わろうとするころのこの詩が最初であった。赤目を患ったことを詠んだ黄庭堅の詩に蘇軾が次韻した。
【訳文】
詩を誦ずる者は、誰もが孔子の弟子の子夏を見習わずにはいられない、
子夏が『詩経』の序文を書いたからだ。
子夏は子を喪った悲しみのあまり失明したというけれど、
貴君は目を患うことまでも子夏に学ぼうとしたのか。
歴史を記述する者は、誰もが孔子が讃えた左丘明を見習うべきである、
左丘明が立派な歴史書を作ったからだ。
左丘明は失明してもなお史書を書き継いだというのだから、
いま史官の任にある貴君はまさしく左丘明を学ぶのがよいだろう。
天公［天の擬人化］は悪ふざけを好んで人に辛い運命を授けるのか、
優れた人々の明るい珠［眼］に幻の醫を生じさせたりもする。
頼りとなるのは、
このところずっと貴君が魚や肉を斥けて食べずにいること、
それに、わずか一つの燈火も、百の燈光、千の燈光に等しいという仏教の真理を貴君が得ていることだ。
蠅の頭のような小さな文字がまだまだ書けるのなら、
郷里に帰ることを願い出る表を書いて差し出すのも悪くはないだろう。
【補足】［（1）黄庭堅とは親しい間柄であることから、失明という最悪の事態をも想定して、孔子に関連した故事を引いて励ましの言葉を与えたのだろう。（2）蘇軾自身も赤目を患ったことは作品番号06-4-004で見ている。その経験を踏まえて、魚や肉を食べることが目によくないというアドバイスをしている］
■【08-1-059】書黄泥坂詞後
【解題】黄州の臨皐亭から東の坡に行く途中に黄泥坂という坂があり、その坂を詠んだ『黄泥坂の詞』があった［→作品番号06-3-081］。これはその詩の顛末を記した短文。
【訳文】
私は黄州にいたとき、大いに酔って『黄泥坂の詞』を作った。子供らがそれを草稿の束の中に納め、酔いから醒めた後でまた見ることはなかった。
昨夜、黄庭堅、張耒、晁補之が我が家に集まった。三客は机案をひっくり返したり、篋笥をひっかきまわしたりしたあげく、たまたまその草稿を得た。字の半分は読むことができなかったが、意味から推測して、その全貌をまた得た。
張耒は非常に喜び、自分で写したものを一つ作って私に遺し、元本を持ち去った。
その明くる日、王詵からの手紙を得たところ、
「私は毎日毎日飽くことなく先生の書を買い集めています。近ごろ三匹の絹で先生の二枚の書と交換しました。最近先生がお書きになったものがありましたら、少々恵んでいただけませんでしょうか。そうすることで、私の手元にある絹がどんどんなくなってしまうのを止めてほしいのです」
とあったので、澄心堂紙を用い、李承晏の墨でこの詞を書いて王詵に遺るものである。
元祐元年十一月二十一日。
【補足】［（1）この短文は、王詵［→作品番号08-1-052］のために『黄泥坂の詞』を書き、その後書きとして添えたものである。（2）蘇軾を師と仰ぐ門下生はたくさんいたが、その中で最も優秀であったとされるいわゆる「蘇門四学士」のうちの黄庭堅、張耒、晁補之の3人が集まり、蘇軾が書き散らかしたものをあちこち漁ったとあるのは、厳格な師弟関係とは無縁の、気の置けない友人のような仲であったのだろう。「学士」とあるのは、この4人がいずれも皇帝のブレーンである館職［学士院のメンバー］を授けられたからで、特にこの年は、次の詩で見るように蘇軾が学士の選考に関わり、張耒と晁補之が館職を授かっている。なお、「四学士」の残りのもう一人、秦観［→作品番号07-2-026など］は、このころは蔡州の学校の教授を務めていた。（3）王詵は貴公子で、蘇軾の書を買い集めるだけの財力があった。ここに絹三匹で蘇軾の書二枚を得たとあるが、それはどれくらいの価格だったのだろうか。程民生『宋代物価研究』、人民出版社（2008年）によると、宋朝は絹一匹＝銅銭一貫［1000文］を基準として物価を安定させようとしていたが、次第に物価が上昇して、哲宗皇帝の頃は絹一匹が銅銭1貫300文程度であったという。一方で、同じころに一人の人間が最低の生活を維持するには1日に20文を必要としたという試算がある。とすると、20文が5000円に相当すると考えても極端な誤りにはならないであろう。ならば、絹一匹は約32万5000円となり、蘇軾の書は1枚約50万円ということになる。王詵にとっては買える価格帯であっても、数多く集めるのは厳しいということなのだろう。ついでながら、蘇軾の詩に、ある人が高級な硯を40貫で買ったという記述があり、ここでの計算に基づくと、それは200日分の最低の生活費、約100万円ということになる。（4）最後にある「澄心堂紙」は南唐時代から作られるようになった上質の紙。李承晏は宋代前期の著名な墨工である。このころ蘇軾は都の高官であったから、このような高級品も使えたのだろう］
■【08-1-060】武昌西山、并叙
【解題】11月、蘇軾は学士院［皇帝所属のブレーン集団］に新たに加えるメンバーを選抜する試験の委員となり、同じ役に就いた鄧潤甫［字は聖求］とこの詩を詠み合った。序文がある。
【訳文】
叙
翰林学士承旨の鄧潤甫は、嘉祐年間［二十数年前］に武昌県知事となり、いつも寒溪、西山に遊んでいた。山中には今でもこのことを言い伝える者がいる。私は黄州に謫居となり、武昌をいつも向こうに望み、しばしば寒溪、西山の間を往来した。
元祐元年十一月二十九日、私は学士院の試験官となり、鄧潤甫とともに玉堂に宿直し、たまたま昔話をした。鄧潤甫はかつて『元次山の窪樽の銘』を作り、西山の岩にそれを刻んだといった。そこでこの詩を作り、鄧潤甫に和するよう求めた。武昌に我等の二詩を送って、先の銘の脇に刻ませようと思う。
【補足】［（1）黄州の対岸に武昌があり、蘇軾がその西山にしばしば遊んだことは、作品番号06-1-045などで見ている。（2）唐の時代の元結［字は次山］は西山に遊び、窪んだ石を杯として酒を飲んだ。鄧潤甫の『元次山の窪樽の銘』はそのことを記したものである］
憶い出す――
春の長江に漲るのは漉した葡萄の酒、
誰が栽えたのか武昌の官道の柳、
私は、樊口から春の酒を携え、歩いて西山の野の梅を尋ねた、
西山を上り始めて十五里、
両腋の風に乗って険しい頂へと飛んだ、
共に遊ぶ者は疲れ果てて九曲嶺で倒れ伏したが、
私は独り衣を褰げて呉王台に至った、
北を望み、中原［中国の中心地］はどこかと見た、
あるのは、夕陽が落ち行くなかの黄色い埃だけだった、
解剣亭の前の路へと帰り来ると、
蒼い崖は、雲の波のうずくまるなかに半ば埋もれていた、
かつて唐の浪翁［元結の号］が、石を杯として酔ったという場所はなおあっても、
その古い意を嗣ぐ者はもはや誰もいないだろうと思っていると、
山の隈に公［鄧潤甫］の妙語が留められていた。
好事の者は、その碑が覆われてしまわないよう草や棘を除き、
ゆかりの蒼い苔が野火に焼かれてしまわないかといつも恐れていた、
そのとき、公に会ってみたいと思っても見ることはできなかった――
まさか、金鑾殿［仙宮＝皇居］に向かうここ玉堂で、
白髪頭を並べて夜直をし、
蝋燭が短くなってゆくのを臥してともに眺めようとは。
暁の夢に、長江のほとりにいると見て、
春の雷のように鳴る銅環、玉鎖の音［宮中の建物を開く音］に驚かされる。
山中にあるべき我等は帳の内で空しく目覚め、
山の猿や鶴は我等がいないのを怨んでいるだろう。
江や湖は水が増えて鴻や雁が渡り来る季節、
せめて公よ、詩を作って武昌の父老に寄せようではないか。
その詩は万壑の松風の哀しい響きと和すであろう。
【補足】［（1）冒頭で長江の水を葡萄酒に見立てているが、同じことを黄州で作った詞でも詠んでいた［作品番号06-1-062］。（2）樊口は武昌側にある長江の渡し場で、潘一家の営む酒店があった。そこで酒を誂えて西山に登ったのだろう。（3）この詩には鄧潤甫だけでなく30人余りが和し、それらに応じて蘇軾もまた和した。その詩は「波瀾壮闊の至り」であるとの古い評がある。しかし、難しい語句を並べてひどく理屈っぽく、蘇軾の才力にぐうの音も出ないという感じにさせられるだけのものであるのでここでは割愛する。ともあれ、こうした詩のやりとりによって武昌の西山は一躍有名になった。（4）学士院の新メンバーを選抜する試験の結果は12月7日に発表され、「蘇門六学士」の張耒と晁補之を含む13人が選ばれた。これは蘇軾が当時の知識人の頂点に立つことを示すような出来事であった。なお13人の中に劉安世［字は器之］がいた。劉安世については作品番号01-2-007ですでに触れたように、蘇軾の晩年に親しい関係になり、様々なエピソードを後世に伝えてくれた。（5）目立った活躍をすれば嫉妬や憎しみを呼ぶもので、学士院の選抜試験の問題には神宗皇帝や仁宗皇帝を誹謗する意図が隠されていたとして、蘇軾を非難する声が俄かに沸き起こった。その先鋒となったのが先に名を挙げた朱光庭であった［→作品番号08-1-039］。朱光庭は程頤［→作品番号08-1-052］の弟子で、師匠が恥をかかされた仇をとろうとしたのか、激しく蘇軾を攻撃した。すぐに蘇軾は弁明し、高太皇太后はそれに理があるとして不問に付すとしたのだが、その後もしばらく尾を引くのだった］
■【08-1-061】記虜使誦詩
【解題】12月8日の興竜節、すなわち哲宗皇帝の誕生日を祝う遼国［契丹］の使者がきて、蘇軾はその接待役として食事をともにした。これはそのときのことを後になって書いた短文。
【訳文】
昔、私は北使［遼国の使者］の劉霄と会食をした。
劉霄は、詩を誦した。
痛飲従今有幾日、［貴君と痛飲できる日々はあと幾日あるのか］
西軒月色夜来新。［西の軒端にさす月の光がいよいよ冴えてきている］
それは私がかつて作った詩であった。そして、
「貴公がお飲みにならないはずはありませんでしょうに」
と、いった。
虜［異民族］もまた私の詩を喜ぶのであろうか。怪しむべきことである。
【補足】［（1）推測をするに、元来酒が強くない蘇軾は、大事な役目の最中に酔ってはなるまいと酒量を控えたのだろう。相手は、蘇軾自身の詩を唱えて、もっと盃を重ねましょうと勧めたのである。友好の使者であるから、歓を尽くすのが役目で、そのために遼国の使者は周到な準備をしてきたのだろう。ここで使者が誦した詩は、作品番号05-2-018で見ていて、酒を飲もうと蘇軾が友人を招いた詩であるから、まさにその場にぴったりであった。（2）末の句の「虜も亦た吾が詩を喜ぶ、怪しむ可き也」は、異民族を見下した書き方であるが、あけすけな自慢にならないようこのような表現にしたのかもしれない］
■【08-1-062】徳威堂銘、并叙
【解題】これは6年後に書かれた文章であるが、遼国の使者を迎えたときのことが書かれているので、ここで読んでおこう。
【訳文】
叙
元祐年間の初めに、詔をもって太師潞公［文彦博］を洛陽から呼んで、国の重大な任務に就くよう命じた。公は仁宗、英宗、神宗の三代の皇帝のもとで重職を努め、老いをもってすでに退居していた。しかし、詔を受けると、辞退することなく杖をついて朝廷に赴いた。それから一年を経て去ることを求めた。……［皇帝によって引き留められたことを記す］……公はその詔を読んで聳然として、もはや去るとはいわなくなった。さらに四年の間都に留まり、天下は無事に治まり、朝廷は安らかであり、それでまた強く帰ることを願い出たのだった。
公が朝廷にあるときに、契丹の使者として耶律永昌と劉霄が来た。私は詔を奉じて接待役となり、使者を宮中へと案内した。門の外に公が立っているのを使者は望み見て、立ち止まって身なりを改め、
「あれは潞公様でありましょうか。徳をもって人を服させるお方であると伺っております」
といい、公の年齢を尋ね、
「何ともお元気でありますな」
と、感心した。それで私はこのようにいった。
「貴君はお姿を御覧になっただけで、まだそのお語を聞いておられません。公が全ての条理に通じて、あらゆることに即座に応答することでは、学問に鍛錬した若い者でも及ぶものではありません。さらに、古今を貫く博覧強記で、それぞれの専門の学者でも敵わないのです」
「まことに天下の異人でありますな」
と、使者はいって、公に丁寧に会釈をした。
公がついに洛陽に帰った後に、西羌［西方の異民族］の首領の温溪心という者が、国境の役人に、公に良馬を献じたいと願い出た。役人がそれを朝廷に伝えると、詔をもってそれを許可した。公は天下の人々を心服させ、それが四方の夷［外国］にも及んだのである。……［古典を引用して、文彦博が「徳の威」を具えていることを述べる］……公の子の文及甫が河陽の知事になると、公はその地を見に行くことになり、人々は甚だ歓び、洛陽から河陽まで歓呼の声に溢れた。文及甫は堂を作って公の到着を待ち、堂の銘を作るよう私に頼んできた。そこで「徳威」の名を付けることにした。……［銘の本文は省略］……
【補足】［文彦博は政界の大長老で、蘇軾とも縁が深かった［→作品番号06-2-017］。司馬光の政界復帰に伴って、朝廷に呼び戻された。この時代の人としては驚くべき長寿で、遼国の使者を迎えたときは81歳、この銘が書かれたときには87歳で、なお息子の勤務地を視察しに行くほどに元気であった］
■【08-1-063】書狄武襄事
【解題】宋朝は文官を武官の上に置いて文民統制を徹底したために、歴代の王朝の中でも軍事的に特に弱体で、名のある武将はほとんど出なかった。例外は狄青で、一介の兵士から目覚ましい軍功によって枢密使［国防大臣］にまで昇り、死後は武襄公の諡を皇帝から賜った。これは狄青の若い日のできごとを記録した短文。
【訳文】
武襄公［狄青］はもとは農家の子であった。十六歳のときに、兄の狄素が、姓名はわからないが同じ村の鉄羅漢と号する者と水辺で喧嘩をし、兄はその男を溺死させた。村の自警団が狄素を捕縛しようとしたときに、武襄公はたまたま畑に食事を届けようとしていてその様子を見た。
武襄公はいった、
「鉄羅漢を殺したのは僕です」
人々は狄素を釈放して武襄公を縛った。
武襄公はいった、
「僕は死から逃れようとは思いません。ただ、僕は鉄羅漢を救うことができます。生き返らせたいのです。もし僕をどうしても死罪にするのなら、その後で縛っても遅くはないでしょう」
人々はそれに従った。
武襄公は黙って神に誓った。
「もしも僕が貴人になるのなら、鉄羅漢を蘇らせてください」
そして、屍を挙げ、数斗の水を吐き出させると、鉄羅漢は生き返った。
その後、このことを知る者はいなかった。武襄公が亡くなり、その子の狄諮と狄詠が棺を護って故郷の西河に帰って葬ったときに、土地の父老がこのことを話した。
元祐元年十二月五日、私は狄詠と同じ官舎に勤め、夜に話をしてこのことを聞いた。
眉山の蘇軾が記す。
■【08-1-064】狄詠石屏
【解題】上の文にあった狄青の三男の狄詠［字は子雅］が所蔵する石屏を詠んだ詩。石屏は屏風のような形状の石で、硯の脇などに置いて、風除けにしたり、見て楽しんだりする。この詩は、石の表面の模様から画を想像して詠んだものであるのだろう。
【訳文】
霏霏として軽やかな素［雪］が点々と散りかかり、
重なる陰さの中に、渺渺とした光景が開ける。
風に舞う花［雪］は紫翠へと乱れかかり、雪の外に煙る林がある。
近くの雪は勢いが盛んで、遠くの林は意が殊に深い。
たまたま無事の人［俗世に煩わされない人］が顎を支えてこの石に見入るなら、
私の心を識ってくれるであろう。
■【08-1-065】雪林硯屏率魯直同賦
【解題】上の詩によるのか、狄詠の石屏は「雪林硯屏」の名を持ち、それを黄庭堅［字は魯直］［→作品番号08-1-058］とともに見てこの詩を賦した。
【訳文】
西山［石屏の中の山］には春という時がない。
切り立った巌は頑なな陰に鎖されている。
くっきりと天に倚り立つ壁には、林のかけらもない。
物はもとより人のために生じたとされる。
しかし、ここから誰がいったい深い興を発するのか。
奇があまりに窮まると、心を蠹んでしまう。
だから、心を娯ませる詩句があるのだろう。
■【08-1-066】虢国夫人夜游図
【解題】『虢国夫人游春図』という画が、現在、中国の遼寧省博物館にある。虢国夫人は楊貴妃の3人の姉の1人で、同じ時代の画家の張萱が、馬上に乗る男装の麗人としてその姿を描き、その画が北宋の皇室に伝えられ、北宋の最後の皇帝である徽宗が模写したのが現存するその画であるという。一方、蘇軾は宋朝の高官である劉有方が所蔵する『虢国夫人夜游図』を見て、劉有方の求めに応じてこの詩を詠んでいる。『夜游図』も『游春図』と同じく張萱が描いたものとされ、五代十国時代の南唐の皇室に伝えられ、後に宋朝の宰相を務めた妟殊の手に渡り、劉有方を経て徽宗の元に帰したという。この詩の冒頭に「佳人自鞚玉花驄」［佳人自ら玉花驄［馬の名］の鞚をとる］と、虢国夫人が馬の轡を手にしているありさまを詠んでいるのは、現存する『游春図』の図柄［麗人たちが馬に跨って画面左から右へと歩み行く］と一致するので、『游春図』の原画が『夜游図』であったのかも知れない。
【訳文】
玄宗皇帝の愛馬、玉花驄、
佳人［虢国夫人］は自らその手綱を取る。
走るありさまは、
燕が竜にまたがって翻り飛ぶかのようである。
金の鞭を挙げ、
誰が最初に明光宮［玄宗皇帝の宮殿］に入るかと道を争い、
宝玉の付いた釵が落ちても気が付かない。
宮中では、玉奴［楊貴妃の小名という］が琴を奏し、
花奴［女官の名］が羯鼓［西方伝来の鼓］を叩くと、
花が開き、柳の若葉が萌え出てくる。
座中に待ち受ける秦国夫人［楊貴妃の姉］こそはまことに貴い人、
そこに、馬を走らせて虢国夫人が現れ、
塵一つ動かすことなく到着する。
このときに居並んだ明眸皓歯［美女の喩え］の誰をまた見ることができるのか、
ただ丹青［画］の中に涙の痕を残すだけである。
人間世界の出来事は、俯き仰ぎ見る間に、今がすでに昔となる。
かつて、陳［南朝最後の王朝］の最後の皇帝に張麗華［宮女の名］が微笑みかけたときには、
すでに隋の猛将、韓擒虎が門外に迫っていた。
かくて天下統一を成し遂げた隋の煬帝も、
揚州で遊宴に耽る間に臣下に殺害され、
呉公台の下、雷塘の路に葬られたのだった。
【補足】［この詩の後半に詠まれている陳朝の最後の皇帝の陳叔宝は一国の君主としては最低、最悪の人物であった。それだけに皇帝という存在がいかに愚劣であるかということを徹頭徹尾具現化した点である種の壮快感を漂わせている。すなわち、皇位にあったときは、国政を愚昧な大臣に任せ、自身は張麗華を始めとする美女たちとの遊びにうつつを抜かし、隋に攻め込まれて張麗華は殺され国は滅ぼされたけれども、己は生き延び、その後は、隋の皇帝の幇間となって15年余りのアル中生活を送った。蘇軾は陳叔宝や煬帝や玄宗皇帝のようになってはならない戒めとしてこの詩を作ったのだが、『游春図』を模写した徽宗皇帝が数十年後に陳叔宝とよく似た運命をたどることになるとは、むろん知る由もなかった］
■【08-1-067】如夢令二首
【解題】黄州知事の楊寀［字は君素］［→作品番号06-4-083］に送った詞。
【訳文】
其の一
為向東坡伝語、［東の坡へ言伝してください］
人在画堂深処。［かの人は皇城の奥深いところにいるのです］
別後有誰来、［坡と別れてからそこに誰が来たのでしょうか］
雪圧小橋無路。［小さな橋は雪に埋もれてしまっていませんか］
帰去、［帰り去こう］
帰去、［帰り去こう］
江上一犁春雨。［江のほとりへ、春雨のもと、一本の犁へ］
【補足】［都にあってあらぬ非難にさらされ、黄州の東の坡を耕す日々に戻りたいと、切に懐うこともあったのだろう。いまは冬、すぐに帰れば春の耕作に間に合うであろう］
其の二
手種堂前桃李、［私が植えた雪堂の前の桃と李］
無限緑陰青子。［緑の蔭は無限に広がり、青い実がついたりしているでしょうか］
簾外百舌児、［簾の外の百舌鳥たちが］
驚起五更春睡。［春の午後の眠りを驚かすのです］
居士、［居士よ］
居士。［居士よ］
莫忘小橋流水。［忘れてはなりません、小さな橋の流れる水を］
【補足】［蘇軾は東の坡の雪堂の春を思い起こしている。その雪堂を蘇軾が去って86年後に訪れた陸游の紀行文［→作品番号06-5-026］に、「堂の真南に橋がかかっていて、札に「小橋」と書いてある。「小橋 流水を忘るる莫かれ」の句から名付けられたものである」とあったのは、この詞のことである。詞の終わりは、黄州の百舌鳥が「居士よ、居士よ、忘れるなかれ」と鳴いている声を、都にあって聞いているのである。それがすなわち、第一首で東の坡へ送った伝言に対する返事である］
■【08-1-068】跋鄧慎思石刻
【解題】鄧忠臣［字は慎思］［→作品番号06-4-058］が石に刻んだ文章の写しを見てこの跋文を記した。それは亡き母を悼む文章であった。
【訳文】
私は黄州にいたときに、先太夫人［母］の棺を守って長沙に帰る鄧忠臣学士に会った。飲食、起居、そして哀慕を表す礼節はどれも古からの礼法の通りで、先人が行うのがよいとしてきたものはすべて全力で求め、服喪の期限が満ちてよくやく止めたのであった。嗚呼、まことの孝というべきである。今この石に刻んだ文章を見ると、かつて感心したのは全く不十分だったのだ。
元祐元年十二月、眉山の蘇軾書く。
【補足】［鄧忠臣が母の棺を携えた郷里に帰る途中で黄州に立ち寄ったことは作品番号06-4-058で見ている］
■【08-1-069】上呂相公
【解題】呂公著［→作品番号07-2-033］への手紙。このとき呂公著は宰相となっていた。
【訳文】
昨日、御前において議論した邢夔の一件でありますが、その後で私は次のように考えました。
刑鼻は善良な庶民で、邢夔は刑鼻が盗みをしたと妄りに思い込んでこれを殺してしまったものでありました。もしも犯行時に正常な判断ができない状態にあって、何をしているのかわからぬままに為してしまった場合には、その者に対しては普通の法の裁きを用いないとなっているわけですが、それに従って邢夔を赦してしまいますと、今後、人を殺そうと考える者は、皆がその真似をして死罪を免れようと、「盗人だと思ったのです」と証言するようになってしまうのを、私は深く恐れたのでした。公［呂公著］は、だからといって、今後は人を殺した場合に、どのような事情からそれを行ったのかを勘案しないとなったならば、そもそも取り調べる必要さえなくなってしまうだろうといわれました。
私は帰ってから公のお言葉をよくよく考えてすっかり納得しました。近ごろ西京からの報告によりますと、秦課児がひどく酔って前後不覚となった中で南貴を打ち殺し、逮捕された後で酔いから醒め、人々の証言によってそのときの状況が認定され、憐憫を加えるべきとの奏上があって、すでに命は赦すとの判断が下されたのですが、門下省は断じて死罪にすべきであると主張しました。その議論を聞きますと、今回の件で命を赦すのは奸計を開くもととなり、人を殺しても酔いをもって免れようとする者が続出して大いに害をなすということであります。私も最初はそのように思い、すでにその旨で書類が整えられました。しかし、公の昨日のお言葉を再び考えますと、酔って醒めていないときに殺人を犯しても、その事情を酌んで死罪を赦すとなった場合に、酔いに託して殺したことにしようと自ら謀って殺すこともありえるでしょうけれど、それは取り調べによって知れるはずです。邢夔は犯行時には盗人であると思い込み、秦課児は酔って意識がなく、それぞれに酌むべき事情があります。結果として、邢夔は杖打ちの刑ですみ、秦課児は死罪となるのは、刑罰の軽重の判断が相遠して、心に納得できないものが残ります。人命は至って重いものです。公ももしもそのように思われるならば、秦課児に関する書類はなお尚書省にありますから、追って改めるべきではないでしょうか。
【補足】［極刑を課す場合には、最終的に宰相がその罪状認定に関わることもあった。事情を勘案して刑を軽くする方向性で判断を下すべきだとする考え方は、蘇軾の名を一躍天下に知らせることになった科挙での論文、『刑賞は忠厚の至り』を想起させるものがある。蘇軾は議論した翌日に、一人の命を救うために急いでこの文章を記して宰相のもとに提出したのである］
■【08-1-070】与王慶源
【解題】郷里にいる王淮奇［字は慶源］［→作品番号07-2-089］に宛てた手紙。
【訳文】
……私が北扉［翰林学士］の職に進みましたのは皆様の御推薦と御加護によるものです。江湖に流落したころには、郷里に帰って貴君の後ろに従い、川べりの草の上に座って遊ぶことを思い、夢の中でそのようにしているのを見たのでした。今は深く重い国恩を受けて、責任の重さを憂うことが特に大きく、恩に報いることがいよいよ難しく、郷里に退居できるのはいつの日になることやら、西を望んで惋悵として、その懐にほとんど耐えることができません。……
■【08-1-071】与李方叔
【解題】李廌［字は方叔］［→作品番号07-2-020］への手紙。
【訳文】
重ねてのお手紙、感謝の念に堪えません。雪の降る寒さのなか、いかがお過ごしでしょうか。お手紙から孝心のまことに深く切なることを知りました。しかし、私はかねてから銘や志の類ばかりでなく、子や孫が先祖のことを追慕して記す文章の類にも手を染めたことがありません。近ごろ温公［司馬光］のために行状記や墓誌を書きましたのは、かつて温公には亡き母の墓誌銘を作ったいただいたことがあって、その恩に報いないわけにはいかなかったからです。その他の人の依頼には決して応じないようにしています。私に希望する者が多くいるなかで、貴君のお望みにだけ応えるわけにはいかないのです。……
【補足】［李廌が父の葬礼を行うために苦労していたことはこれまでに見た通りで、厚く葬るために墓誌の執筆を蘇軾に依頼してきたのを、この手紙にあるように断ったのである。蘇軾にはひっきりなしに執筆の依頼があったようで、全てに応じるわけにはいかないので、断りの手紙も多数残っている。特に墓誌の類は固く断り、事実残された作品を見ると、司馬光のような特別な人か、個人的に深いつながりのある人に限られている。李廌は再三懇願したようで、断りの手紙が複数残っている］
■【08-1-072】与章子厚
【解題】章惇［字は子厚］に宛てた手紙。
【訳文】
先に少しくお尋ねしましたところ、重ねての御返事を煩わせ、御健勝でありますことを審らかにし、安堵いたしました。故郷の園に帰ることは、私もともに若いころから願っていましたので、貴君が独り先にそれを得ましたのは、羨まないわけにはまいりません。しかし、世の縁は深いものがありますから、果たしてそれから脱せられるのかいまはまだ知れません。お会いするのは叶いませんので、まだまだ書きたりないのですが、使いの者がすぐにも帰ると申しておりますので、これにて失礼いたします。……十二月二十七日。
【補足】［章惇はこの年の初めまでは、改革派の主要メンバーとして副宰相の地位にあったが、政争に敗れ、閏二月に汝州知事として都の外に出され、さらに11月にはそれも免職となった。蘇軾は新法の一部を残そうとしたことでは章惇と共闘もしたので、このときもまだ友人であるとの意識を持ち続けていた］