第6章 赤壁の賦――黄州
［第6章その一］
元豊2年［1079年］、蘇軾44歳。
元豊3年［1080年］、蘇軾45歳。
■【06-1-001】十二月二十八日、蒙恩責授検校水部員外郎黄州団練副使、復用前韻二首
【解題】「困窮して後に人は詩に巧みになる」とは欧陽脩の言葉［→作品番号04-3-047］。梅堯臣の詩集に寄せた序文の中にあり、その直前に「蓋し愈いよ窮すれば則ち愈いよ工みなり」とある。これはむしろ、時間は前後するが、蘇軾のために記されたかのように思えもする。前の章までに見たように、蘇軾の詩はすでに巧みで、高麗国にも聞こえるほどであった。しかし、もしもこれから後に見る詩がなかったならば、蘇軾は梅堯臣や欧陽脩と肩を並べる北宋の代表的詩人の一人という評価に留まったのではなかろうか。その特徴は、難解な語句を自在に駆使し、次韻を異様に得意とし、時に人の意表を衝く警句もしくは諧謔の辞を吐くということであっただろう。蘇軾が北宋のみならず中国を代表する詩人の一人とされるのは、愈いよ窮して愈いよ工みになったからで、本章からその過程をたどることになる。
御史台の獄での苛酷な審理は4カ月間にわたった。最終的に神宗皇帝が下した処分がいかなるものであったのか、それがこの項の詩の題に記されている。「十二月二十八日、恩を蒙り、検校水部員外郎、黄州団練副使に責授され、前の韻を用いてまた二首を作った」。皇帝の御恩によって、死罪は免れて、官位を下げる処分となり、「検校水部員外郎」という名目上の官位と、「黄州の団練副使」という実質的に仕事のない職を与えられた。詩の題では省かれているが、正式の処分には、「黄州団練副使」の後ろに「本州安置不得簽書公事」の十文字がある。これは、黄州で軟禁状態に置かれ、公文書には署名できない、つまり公の仕事を禁じるという意味である。蘇軾を告発した李定、舒亶、何正臣、張璪等は何としてでも蘇軾を死罪にしようと手を尽くしたのだが、神宗皇帝が特に罪を軽くしたというのが、当時の人々の一般的な理解であった。しかし、宋代の法体系からして、蘇軾の罪状に対する罰としてはこの程度が妥当で、神宗皇帝が特別に優遇したわけではないという説もある。
この事件で処分を受けたのは蘇軾だけではなかった。王詵［→作品番号05-3-011など］は先帝の婿として特別の恩を受けていながら朝廷の機密を漏らした罪で全ての官職を停止されて均州に移動を命じられ、弟の蘇轍は自身の官位をもって兄の罪を贖いたいと申し出ていたこともあって、官位を下げられて筠州に移され、王鞏［→作品番号05-4-084など］は賓州に流された。均州は都から南東に数百キロ、筠州は南方にその二倍、賓州は南方にさらに二倍ほど離れたところである。罪が大きいとされた者ほど距離が遠くなる。それ以外にも蘇軾と交流のあった張方平と李清臣は罰として銅三十斤を科せられ、司馬光、范鎮、銭藻、陳襄、劉攽、李常、孫覚、曽鞏、黄庭堅、呉琯、周邠、顔復ら22人は罰として銅二十斤を科せられた。銅量の差は、張方平と李清臣が高い地位にあることによるのだろうか。王鞏も、蘇軾との関係はこれらの人々と同レベルで、特別に何かをしたようには見えないのだが、なぜか群を抜いて重い処分となり、蘇軾は王鞏に対してすまないことをしたと後に述懐している。劉攽はかつて言葉が過ぎるのではないかと蘇軾に忠告していた［→作品番号05-1-064］。それに素直に従っていたならこのようなことにはならなかったのかもしれないが、愈いよ窮することがなくて蘇軾の詩文が熟す機会は失われてしまったであろう。
皇帝の詔が下ったのは12月26日、蘇軾は12月28日に獄を出て、すぐに2首の詩を作った。獄中で弟に向けて詠んだ詩［→作品番号05-5-094］と同じ韻を用い、次韻の達人ぶりは健在であった。
【訳文】
其の一
獄中で百日……
娑婆に帰るのはちょうど春になろうというとき。
我が身に最も関わるのは、残された歳月の楽しみ事だ。
門を出て、まずは便旋すると、春の風が顔に吹いてくる。
人々と馬を連ねて走ると、鵲がにぎやかに祝ってくれる。
酒杯に向かう。
――すべては夢。
試しに筆を執れば、すでに神技のように詩が湧いてくる。
このたびの災いのもとは必ずしも深く追求しなくてもよいのだろう。
前々から禄を竊みとっていたのだから、それが原因でないことはないのだ。
【補足】［（1）「便旋」の解釈は一つではないが、しゃっと立小便することだとするのがいかにも蘇軾らしくて人気がある。しかし、その解釈だと、詩文のせいで死罪になりかけたのに、解放された途端にいきなり品のない詩を作り全く懲りない人間だと、人を呆れさせる度合いはよりひどくなる。（2）同じ韻を使って、獄中での重苦しい詩と、この軽やかな詩が作れてしまうというのは、自分でいう通りまさに神技なのだろう］
其の二
文字は、普段から私に災いをもたらすものであった。
これからはこれをやめ、私の評判が低くなってもよしとしよう。
どのみち「万事塞翁が馬」なのだ、今日の不幸が将来の幸福を導くと期待してみたり、
玄宗皇帝の好みに合わせて闘鶏の技を習って出世を目指した少年の真似をしてみたり、
そういったことはしない。
官職を棄てた陶淵明は、貧乏で好きな酒さえなかった、
釈迦の弟子の維摩詰は、病んで机にもたれながらも仏法を妻とした、
そういったことを我が事としたいものだ。
それにしても笑ってしまうのは、
南京応天府の老役人だ、
僕のために意気がった文章を書いて江西に流されてしまったのだから。
【補足】［（1）末句は、決死の覚悟で嘆願書［→作品番号05-5-094］を書いた弟を「笑ってしまう」と手荒く言い放ちつつ、実は深く感謝しているのである。（2）蘇軾を告発した急先鋒の一人に李定がいた。ここまで読んでこられた方は、李定に対してかなり悪い印象を抱いているであろう。公平性を期すために、李定には次のようなエピソードが伝えられていることを補足しておきたい］
【訳文】
邵博：『邵氏聞見後録』
李定は蘇軾を獄中で尋問し、その勢いは激しかった。
ある日、李定は崇政殿の門の外で同輩と語り、
「蘇軾は奇才である」
と、いった。同輩は（意外であったので）返事ができずにいると、
「二、三十年前のこと、蘇軾が詩文を作り、経典や史書から故事をいろいろに引いていた。それについて問うと蘇軾は即答し、一字の誤りもなかった。まことに天下の奇才ではないか」
と、しばらく嘆息してやまなかった。
仇敵といえども蘇軾の才を認めないわけにはいかなかったのである。
【補足】［これを記録した邵博は、司馬光とも深い交流のあった邵伯温の息子で、邵伯温は当時極めて著名だった学者の息子である。だから、この記事は信頼性が高いといえるだろう。ただし、ここで蘇軾に問うたのが李定自身であるかどうかはよくわからない。「二、三十年前」とあるから、蘇軾が制科を受けたころということになるのだが……］
■【06-1-002】文与可飛白賛
【解題】獄を出て3日後の元豊3年1月1日に、蘇軾は都を発って黄州に向かった。同行したのは長男の蘇邁だけで、あるいは馬正卿のような身の回りの世話をする者がいたのかもしれないが、その他の家族は南京応天府の蘇轍のもとに身を寄せていた。黄州は長江中流の小都市で、まずは船で陳州を目指した。かつて杭州に赴任した際にも、都から陳州に向かっていた［→作品番号03-4-015］。そのときは陳州に弟がいたのだが、今度は文務光［字は逸民］がいた。文務光は親友文同［字は与可］の子で、蘇轍の娘の婿。文同は1年前に陳州で亡くなっていて［→作品番号05-5-013］、息子は父の棺とともになおここに留まっていた。蘇軾は陳州で文同の遺品を見て、この短文を記した。逮捕直前の前年7月7日に文同の画についての文を記していたこと［→作品番号05-5-086］を思うと、出獄後の最初の文章が文同の書について記したものであるのは感慨深い。
【訳文】
嗚呼、哀しいではないか。
文同には、好むものがこうもたくさんあったとは。好むものがこうも奇しかったとは。
孔子はこういったという。
「私は世に用いられなかった。だから多芸となった」
文同もまたそうであったのだろうか。
私は始めに文同の詩と文を見た。それから、行書と草書と篆書と隸書を見て、これで全てであろうと思った。
亡くなって一年が経って、ここに飛白を見た。あまりにも美しい。まさしく万物のありようがここにことごとく尽くされている。
文同の筆の痕を自然界の事物に譬えるなら――
霏霏として軽やかな雲が月を蔽うかのよう、翻翻として長やかな風が旆を巻くかのよう、猗猗として遊糸が柳の絮にまとわりつくかのよう、褭褭として流れる水が荇帯を舞わせるかのよう。
文同の筆の勢いは――
離離として遠くどこまでも及んで断たれることなく、縮縮として近くに溢れて滞ることがない。
文同の工みがここにまで至っていたことを私は初めて知った。私が知っている文同はほんのいくばくでもなく、私の知らない文同は恐らく計りようがないのであろう。
嗚呼、哀しいではないか。
【補足】［（1）飛白とは書法の一つで、筆に墨をあまり含ませないで、白い部分を多く残してかすれたように書く。（2）霏霏、翻翻、猗猗、褭褭、離離、縮縮の6個のオノマトペで文同の書を表現している。オノマトペの意味するところは、それに続く語句に示されている通りで、無理に日本語に置き換える必要はないだろう。（3）「哀しい」とあるのは、文同の「計りようがない」ものがさらに発揮する機会が永久に失われたことをいうのだろう］
■【06-1-003】陳州与文郎逸民飲別、携手河堤上、作此詩
【解題】陳州に滞在する間に、南京応天府から蘇轍がきた。兄弟が一緒にいられたのはわずかに3日間で、1月14日、蘇軾は陳州の川のほとりで、弟と文務光［字は逸民］と別れた。これは文務光に送った詩。
【訳文】
白く濁った酒は何もいわない。
静かに瀉げば油のように滑らかである。
酔って堤の上を歩いて、我が愁いを発散させようとする。
春の風は料峭として、羊の角のように向きが定まらずにあれこれ転じる。
河の水は渺綿として、瓜の蔓のようにあてどなく流れゆく。
貴君はすでに帰ることを思い、巴峽を夢みているであろう。
私はまだ到っていないので、黄州について説くことができない。
人の世に生きる我等に、離合集散はやむことがない。
だからといって、
楚の囚人の悲しい歌を学ぼうとは思わない。
【補足】［（1）文務光も蘇軾も蜀の人で、故郷は長江を遡った巴峡の先にあり、黄州は巴峡の手前にある。文務光は父の棺を携えて近く帰郷するので、「帰ることを思い」と詠んでいるのである。（2）「楚の囚人の悲しい歌」とは次のような故事による。遠い昔のこと［紀元前582年とされる］、晋国の景公が、楚国から捕虜として連れてこられた囚人を見たところ、その中にきちんとした身なりの人物がいた。誰であるかと尋ねると、楚国で楽官であった鍾儀であった。景公が鍾儀に琴を与えると、楚国の音楽を演奏し、幾つか問うと、その答え方には仁、信、忠、敏が具わっていた。そこで、鍾儀を礼儀正しく扱って帰国させ、楚国との和議を進めた。それから900年ほど後に、晋朝［先の晋国とは全く別の王朝］は異民族の攻撃を受けて都洛陽を失い、一部の皇族、貴族は南方に逃れ、江南の見慣れない風景に涙を流した。王導は、「楚の囚人のように泣いてばかりでどうするのか」と、人々を励まし、晋朝の再興に向けて努力した。蘇軾は、これらのことを踏まえて、自分はまさに異郷の地に囚われの身となるけれど、それを悲しむような歌をうたおうとは思わないといったのである。（3）「羊の角」や「瓜の蔓」のように先は見定めることはできずとも悲嘆はしない――この決意は黄州でのこれからの日々の基調となる］
■【06-1-004】子由自南都来陳三日而別
【解題】陳州での別れに際して弟にも詩を送った。
【訳文】
夫子だって、朝廷を逐われた身であるのに、
楚の囚人であるこの僕のことを、よくまあ哀しんでくれるものだ。
たちまち三百里をあたふた馳ってきて、僕の憂いを寬めようとしてくれるとは。
君と逢うと、やはり得るところがあるとわかる――
君は道を修めた眼をしていて、清く澄み、あらぬところへ視線が流れたりすることがない。
この前別れてからまだ一年にならないけれど、
どうだい、僕の顔に浮かんでいた驕った気配は落ち尽くしたのではないかな。
だけど、僕は道を聞くことが晩くて、了見のちっぽけなことといったらかの孫休のようなものだ。
至言［最も大切なこと］をいつまでたっても自分のものとすることができないし、
放心［本来の場所から散ってしまった心］を自分で収め直すこともできないのだ。
やはり、善知識［良識のあるよい友］こそが、
妙薬を投じればただちに応じるところがあるのと同じであって、
君の言葉を、この憂い患うときに納れることで、
獄中で過ごした百日間の愁いも消し去ることができるというものだ。
僕は冥く頑なで教化し難い人間ではあるけれど、
君によって、その頑ななところが鐫られ、冥いところが発かれることが、
すでに周く全体に及ぼうとしている。
普段の心の種々の乱れも、次第に去って留まるものはなくなるであろう。
そして、無所還［還るところがあるとするのは、還るところがないとするのになお及ばない］のところで永く夫子と遊びたいと思う。
だから、今回の別れなどは言うに足りない、
長江の東と西になるだけではないか。
煩悩を毒蛇に譬え、毒蛇の這う床を畏れて禅榻から下りないのがよいというけれども、
そのまま榻の上でたっぷりと眠れたなら、それ以上に求めるものはない。
つまり、僕は黄州を禅榻だと思ってそこに安んじるつもりでいて、
必ずしも故郷に帰りたいとは想っていないのだ。
【補足】［（1）最初に弟に向かって「夫子」［先生］と呼びかけているのは、弟を敬いつつ、冗談ぽくもしているのだろう。（2）自分のことを「楚の囚人」といっているのは、前の詩の続きとしてこれが詠まれているためだ。（3）苛酷な獄中体験を経てこれからいかに生きたらよいのか、蘇軾はいろいろな思索を巡らしていたのだろう。その支えとなったのは、儒学であるよりも、荘子の哲学であり仏教であったようだ。孫休は『荘子』の説話に出てくる人物で、「善知識」「無所還」「畏蛇」などは仏教用語で、それらを用いて何をいおうとしているのか掴み取るのはなかなか容易ではない。（4）脇道に逸れるようだが、蘇軾の思索に触れるために孫休の説話を見ておこう］
【訳文】
『荘子』「達生篇」より
孫休という者がいた。扁慶子先生の門を訪ねて、孫休はこのようにいった。
「私は郷里にいて身が修まっていないといわれたことはありません。困難に臨んで勇気がないといわれたこともありません。しかし、田を耕して豊年に遇ったことがなく、君主に仕えて世の時流に遇ったことがなく、村からは排斥され、町からは追い払われ、そんなこんなで、私は何か天に対して罪があるのでしょうか、私はどうしてこのような運命であるのでしょうか」
扁慶子先生は答えた。
「君は聞いたことがないのかい、かの至人［最高の道徳を具えた人］がどのように振る舞っているのかを。至人は自分の肝胆を忘れ、自分の耳目を遺れ、塵と垢にまみれた世間の外を悠々と歩きまわり、何事もしないという業に遊んでいる。これはいわゆる『為して恃まず、長じて宰せず』［何かをしても己を誇らないし、何かを化育しても支配しない］ということなのだ。いまそなたは知識を見せびらかして愚かな者を驚かせ、身を修めて他人の汚点を明らかにしてみせ、あかあかと日月を掲げて行くように自分を目立たせようとしている。それでいながら、そなたは身体をきちんと保っていて、九つの竅を具えたまま人生の途中で聾、盲、跛、蹇になることがなく、人間の仲間の数に入っていられるのだから、それだけで幸せなのではないのかい。それでどうして天を怨んだりするのだ。さあ、もう往ってくれ」
孫休が出て行くと、扁慶子先生は部屋に戻って座り、しばらくして天を仰いで嘆息した。弟子が尋ねた。
「先生はどうして溜め息をつかれるのですか」
扁慶子先生は答えた。
「いま孫休なる者がきた。私はこの者に至人の徳を告げた。孫休が驚いてしまって、ついには惑いに至ることを私はいま恐れているのだ」
弟子はいった。
「そうはなりませんでしょう。孫休の言うところが正しくて、先生の言われることが間違っているのなら、間違いは正しいものを惑わすことができません。逆に、孫休の言うところが間違っていて、先生の言われることが正しいのなら、孫休はもともと惑っていたわけですから、先生に罪などありません」
扁慶子先生は言った。
「そうではない。昔、魯国の郊外に珍しい鳥がきて留まった。魯の君主は喜んで、鳥のために正式の御馳走を用意してもてなし、古代の名曲を演奏して楽しんでもらおうとした。鳥は憂い悲しみ、目をきょろきょろさせて、飲食することがなかった。魯の君主は自分を養うのと同じようにして鳥を養おうとしたのだが、鳥は鳥を養うようにして養わなければいけないのだ。人のいない林に棲まわせるなり、広い湖に浮かばせるなりして、泥鰌や蚯蚓を食べさせておけば安らかにしていられる。孫休は、小さな孔から覗いて、わずかなことしか聞いていない了見の狭い人間である。これに対して私は至人の徳を告げてしまった。これを譬えれば、鼠を載せるために馬の曳く車を用い、鶉を楽しませるために鐘や太鼓を叩くようなものだ。孫休は驚かずにはいないのだ」
【補足】［蘇軾は、ここにある「知識を見せびらかして……」［知を飾って愚を驚かし、身を脩めて汙を明らかにし、昭昭乎として日月を揭げるが若くにして行く］というのは、実はまさしく自分のことなのではなかろうかと、考えるようになったのだろう。蘇軾を嫌う人からしたら、これ以上にぴったりな形容はない。制科にまで合格した超エリートとしては、むしろ「昭昭乎として日月を揭げるが若くにして行く」であらねばならないという意識があったのかもしれない］
■【06-1-005】正月十八日蔡州道上遇雪、次子由韻二首
【解題】陳州から先は陸路で黄州を目指したようだ。1月18日に蔡州に至る道で春の雪に遇い、弟がかつて雪を詠んだ詩に次韻した。
【訳文】
其の一
路傍の蘭や菊に生意［生命エネルギー］がある。
微かな陽みによって、根が短いながらも張られつつあるのだろう。
蘭や菊は、
暮れ方には雪が己の身に集まってくるのを憂い、
明け方には朝日を迎えるのを喜ぶ。
憶うに、僕等の故郷の居室では、
朝の光は、南の軒端で揺れ動き、
雪の晩には、松や竹が傾いて雪を落とした。
いまごろの季節には、
まだ葵や萱は数えることはできなかったけれど、
我が家に通じる道には様々な草が茂り、
早朝に酌む井戸水は温かかった。
かつて僕等が歩きつつ詩を吟じたところには、
きっといまも僕らの履の痕が残っているだろう。
あるときから僕等は故郷を出て官に仕えたので、
蜀の地を生涯出ることがなかった古代の賢人、李仲元に対してずっと愧じなければならなくなった。
この年齢になってさらにますます羞じなければならないのは、
雪を冒してこうして南へと奔らなければならないこと。
これから行く小さな町では、
廃れた農園でも買って、
僕は自分の手で枯れた枝葉を取り除き、
昔の東陵侯に習って瓜でも植えて、
あそこの畑の瓜は旨かったなあと、
あとあとまでも町の人々に言い伝えられるようにするつもりでいるのだよ。
【補足】［（1）冒頭にある蘭も菊もたまたま目に入ったから詩に詠んだというものではないだろう。林の下にひっそりと咲いてほのかな香りを漂わせる蘭も、ほかの花々よりも遅れて最後に咲く菊も、君子のあるべき姿の象徴とされてきた植物である。（2）詩の末尾にあるのは、召平という人の故事。蘇軾はそのことを時々詩文に引いているので、ここで紹介しておく。召平は秦の始皇帝に仕えて高位に昇り、東陵侯に封じられた。しかし、秦朝の政治が乱れてゆくのを見て一般庶民に自ら身分を落とし、漢の世になると、長安の東の農園で瓜を栽培して町に出て売った。その瓜は非常に味がよかったので評判になり、召平がもとの東陵侯であったことも知れて、「東陵の瓜」と呼ばれるようになった。召平の身の処し方は一つのよい手本とされた］
其の二
鉛の膏を使って白髪を染めたところで、
白く霜や雪のついた毛の根元はすぐに露わになってしまう。
そんなことをするよりは、目を閉じて座り、
丹府の夜に自ずから朝日が射してくるのを待つのがよいだろう。
いかなる憂患の中にあっても、方寸には太古の純朴さが寓されている。
大雪で家が潰れたってかまわないさ、
僕は萱を見てめそめそするような者ではない。
普段から踵で息することを学んでいるので、
この雪の中でも、鐙に載せた両足が温かくなってくるのがわかる。
馬より下りてこの雪を詩に詠む。
見渡す限りのところに、人々が往き来した痕がある。
原野を望んで佇み、民衆のために悲歌する。
道で、弓を射る猟師に出逢う。
猟師は、遠く遥かに狐や兎が奔るのを指さす。
雪に残る足跡は尋ねることができるだろう。
でも、その棲み穴までは見つけ出さずともよいのではないだろうか。
僕はここでかの李宰相に謝らないとならない。
だって、僕は李宰相と違って、まだしも丘の園田に帰ることができるのだから。
【補足】［（1）この詩には道教の術語が織り込まれていて、十分には理解できないところもあるが、このときの複雑な思いが詠まれているようだ。（2）「踵で息する」とは、『荘子』に「真人の息は踵をもってし、衆人の息は喉をもってす」とあるのに基づく。自然と一体化した真人は気を全身に廻らせるということなのだろう。（3）「民衆のために悲歌する」［悲歌為黎元］は、厳しい境遇に置かれても、蘇軾は民衆の困苦を考えていたことを示す句として注目される。雪面に残る往来の跡を見て、それぞれに生きる苦労が宿されていると感じ取ったのだ。（4）末尾にあるのは、李斯という人の故事。李斯も先の召平と同じく秦の始皇帝に仕え、秦の天下統一に大きく貢献して宰相にまでなった。しかし、強引に富国強兵策を進めたために人々に憎まれ、始皇帝の死後、死刑となった。その最後のありさまを『史記』は次のように記している。「二世皇帝の二年七月、李斯は五つの刑［顔に入れ墨をする、鼻をそぐ、くるぶしから下を斬る、鞭で打って殺す、死骸を市場にさらす］を全て加えられ、咸陽［後の長安］の市場で胴斬りにされた。李斯が獄から出されたとき次男とともに繋がれ、李斯は息子を顧みていった。『おまえと一緒にまた黄色い犬を牽いて上蔡の東門から出て、兎を逐ってみたいものだ。だが、もうできやしないのだ』。父子ともに泣いた。そして、李斯の三族は皆殺しとなった」。上蔡は李斯の故郷で、李斯はそこでの狩猟を好んだ。上蔡は蔡州のすぐ北の町である。李斯を導き出すために、蘇軾は詩中に実際には見ていない猟師を詠んだのかも知れない。李斯に対して謝っているのは、李斯は無残な殺され方をしたけれど、蘇軾は獄を出て生きることを許されたからだ。（5）2首の詩で、対照的な召平と李斯を引いて、蘇軾は自分のこれからを考えたのである。蘇軾を始めとして改革を批判する人々は、王安石のやり方は李斯の富国強兵策と同じく非常に危ういものであると指摘していたので、ここで李斯を引いたのは少々複雑な意味合いがあるのだろう］
■【06-1-006】過新息留示郷人任師中
【解題】蔡州の町から南に百五十里で淮河に臨む新息県に到り、同郷の任伋［字は師中］のことを思い起こし、この詩を作った。任伋はその兄とともに科挙に合格した郷里の大先輩で、いわゆる「小任」と呼ばれていた人。作品番号05-3-053で任伋に送った詩を見ている。そこに「かつて蔡州にいたときに土地の人に慕われてよい農地を寄贈された」とあったように、任伋は官職を退いた後は蔡州に住むと決めていた。
【訳文】
昔、私は任先生を羨ましく思った――
新息県の淮河を臨む地に引退後の住まいを得ていると聞いたからだ。
先生は蜀の故郷を忘れてしまったのだろうかと怪しみもしたが、
ここにきてみると、
稲がよく稔り、魚がよく肥え、まことに美しいところである。
竹林によって覆われた丘があり、
そこから雁が、天を真黒にして飛び上がる。
半ば靄に隠れて紫色に見えるのは、
漢の時代の太守を祀った桐柏廟のある山だ。
聞くところでは、先生の家族はいま大変な苦しみの中にあるとか。
この清らかな流れのところに早くに帰っておかなかったことを、
先生は悔いておられるのだろうか。
私もまた塵埃の中で我が身を収めるところを失い、
あたふたと最も鄙しむべき旅をしている。
これからの私は、どこかの僧侶のもとにでも寄寓するよりなく、
この手紙を先生に送るにして、犬にでも頼まなければならない。
先生のもとに行くことなどはとてもできないけれど、
新たな歳月なら私のところにもきてくれるだろうから、
いつしかお上の御恩を頂戴して帰郷が許されたりするのかもしれない。
そのときは黄州から長江を遡らずにむしろ下り、
黄州の特産である水牛を三百頭ほども連れて、
ここ蔡州で暮らそうと思う。
【補足】［（1）詩の中ほどに、「先生の家族は苦しみの中にある」［原詩は「君坐して児女困を受く」］とあるのは、このとき任伋は瀘州の知事であったが、不法行為があったとして取り調べを受けていたからだ。その告発をしたのが程之才だった。程之才は蘇軾の母の兄の程濬の息子で、つまり蘇軾の姉の結婚相手だった。蘇軾の姉は程濬等によって虐待死させられたとして、蘇軾の父の蘇洵は不道徳極まりない程一家との絶縁を宣言し［→作品番号01-2-009］、蘇軾はそれを守り続けていた。任伋の災厄を聞いて、程之才はいったいいつまで自分たちに禍をもたらし続けるのかと、蘇軾は思ったに違いない。程一家との関係は、今後いろいろな場面で見てゆくことになる。（2）犬に手紙を届けてもらうというのは、晋の陸機の故事による。陸機は家族と遠く離れて音信も絶えてしまったときに、飼い犬の黄耳に向かって、「おまえが手紙を届けてくれたらなあ」と笑って語りかけると、犬は尾を振って応えたので、首に手紙を括り付けたところ、犬は走り出て、返事を持って帰ってきた。前に蘇軾が蝗退治で苦労していたときに、弟に向けて詠んだ詩を犬にでも届けてもらわなければならないとぼやいた［→作品番号04-3-057］のは、同じくこの故事に基づくものである。（3）水牛は黄州の特産物といわれていたようだ。］
■【06-1-007】過淮
【解題】淮河を渡ってこの詩を詠んだ。
【解題】
朝に新息県を離れ、一本の碧の水を横切る。
千山が早くも夕日に赤く染まりゆくのを見ながら、
暮れに淮河の南の村に宿る。
夜になると、傷んだ駅舎は霧雨に暗く閉ざされ、
古い戍で麏や鼯が叫ぶ。
古くは梁楚といわれたこの地で頭を回らすと、
中原［中華文明の中心地］とは、悠久の昔から遠く隔てられている。
黄州はどこにあるのか、
まず想像されるのは、詩によく詠まれる雲夢の沢。
私の生は寄せるようなもの、
もとより適くところを選んだりはしない。
魚や稲さえあるのなら、
生理［生きる理、あるいは生きる道］はすでに十分なのである。
一つ喜ばしいのは、
我が息子は小さいときから安佚のうちに育ったのに、
このたびの艱難の中に付き従ってくれたことで、
肝肺［心のありよう］が鉄石のようになってきたこと。
だから、息子が語るのは、
父親の衰疾をいたわる言葉だけではないのである。
【補足】［（1）雲夢の沢は、黄州とは長江をはさんで南にある有名な景勝地。ただし、黄州からそこそこ距離がある。これから行くところには不案内であるために、思い浮かぶのはそこくらいしかないというのである。（2）途中にある「吾生如寄耳、初不択所適」［吾が生は寄せるが如き耳、初めより適く所を択ばず］は、これまでにも類似の句を何度か見てきているが、意味が一段と深化しているように感じられる。「吾が生は寄せるが如き」は、もとは「浮世寄せるが如し」という慣用句からきていて、この世ははかないものであるから、せめて生きている間は楽しく過ごそうという感じの意味合いで用いられていた。なおこの句についての詳しい考察は、吉川幸次郎著『宋詩概説』、岩波書店（1962年）にある。（3）一人従う息子は長男の蘇邁で、このとき23歳。湖州で逮捕されてからの困難な日々を乗り越えてきたことで、目に見えて大人らしくなったのだろう。（4）都を出てからの詩には蘇軾の思索の跡が刻まれていて、一首ごとに異なる味わいがある］
■【06-1-008】書黁公詩後、并引
【解題】蘇軾はいついかなるときも蘇軾なのだろう。苛酷な獄中体験を経て、深い反省の内にあって、この先に大きな不安を抱いていても、目の前に興味を引くものがあれば、それに応じてかなり場違いな言葉さえも吐いてしまう。これは黁公という僧の詩を見て作った詩。序文がついている。
【訳文】
引［序］
加禄鎮を過ぎて南に二十五里の大許店で、祁宗祥の逆旅［旅館］で馬を休めた。見ると、壁に一幅の紙があり次のような詩が記してあった。
満院秋光濃欲滴、［寺の中は滴るばかりの秋の光でいっぱいである］
老僧倚杖青松側。［青い松のかたわらで老いた僧が杖をたよりに立っている］
只怪高声問不譍、［大きな声で尋ねても応じてくれないので、おかしいと思っていると］
瞋余踏破蒼苔色。［私が蒼い苔を踏んでいるのを怒っているのだった］
その後ろに題して、滏水の僧の宝黁とある。
主人の祁宗祥が私にいうには、
「これは光州と黄州の間を往来していた狂僧でありまして、熙寧十年［三年前］に百三十歳で亡くなりました。いまになっても、この詩を見てこの僧のことを思い出し、おかしな語り草をあれこれいう人がおります」
そこでこの詩を作り、この僧のことを識す。黁公の本名は清戒、俗には戒和尚と呼ばれていた。
まだ遷化する前の昔、
黁公は、淮河を囲む山々が曲がりくねるあたりを来往し、
その年齢は還暦を二度超え、
その気迫はいかなる尊い僧侶をも圧倒し、
濁悪の世にあることをただただ嗟き、
竜象［学徳の高い僧］の蹴蹋［教導］を受けることはなかった。
私はここに来たものの黁公に逢うことができず、
その姿を想ってむなしくあたりを歩む。
黁公は、眉間の白毫［光を放つ毛］を隠したまま亡くなり、
埋葬したとき、骨は青い玉を連ね、
後に達摩大師のように草鞋を履いて天竺に還ったのだという。
壁に清らかな詩を残し、その字は俗界から抜きん出た勢いがある。
黁公のために五字の偈を吟じよう――
一洗せよ凡眼肉［凡人の浅い思慮を洗い流せ］。
【補足】［（1）序文に引かれている黁公の詩を、蘇軾は「清らかな詩」［清詩］と形容しているが、どう見てもかなり俗っぽい。一種のジョークなのだろう。（2）「白毫」は仏の眉間に生えている白く長い毛で、世界を照らす光を放つという。黁公が白毫を隠していたというのはあまりにも過剰な賛辞である。己も黁公のような諧謔の僧として生きる可能性もあったのではなかろうかとふと思い、冗談ぽくこの詩を詠んだのであろう］
■【06-1-009】遊浄居寺、并叙
【解題】光山県にある浄居寺に立ち寄っての詩。序文が付いている。
【訳文】
叙
浄居寺は光山県の南四十里、大蘇山の南、小蘇山の北にある。寺の僧の居仁が私にいうには、
「斉の天保年間に、僧の恵思がここを過りまして、土地の老人を見てその姓を尋ねましたところ、蘇氏との答え。二つの山を大蘇山、小蘇山と呼ぶことを知って恵思は驚き、『私は師から「三蘇に遇ったならばそこに住まれ」といわれておりました』といって、そのままここに留まって庵を結びました。ところが、先の老人はどこにも姿がなく、たぶん山の神様であったのでしょうか。その後、僧の智顗がこの山で恵思に会い、仏法を得ました。これが世にいうところの思大和尚と智者大師であります。唐の神竜年間に道岸禅師が初めてこの地に寺を建て、唐末の広明年間の戦乱の際に寺は兵火で失われてしまいましたが、宋の乾興年間に再建して、お上より梵天の名を賜わりました」
十年の間、私は各地の名山に遊び、山中で着る衣を自分で作りもした。
息子たちを結婚させたなら、山に入って老いに至ろうと、そのことを願っていた。
しかし、己がいかなる俗縁によって結ばれているかを悟らなかったために、
身を失う危機に陥ってしまった。
法家の学を修めなかったことから落とし穴にはまり、
身に付けた学問を台無しにし、
ついには死生を隔て、永久に山にも行けなくなると恐れなければならなかった。
ああ、今日はいかなる日であろうか、
山に入って、我が草鞋は飛ぶように軽い。
浄居寺に至って思大和尚と智者大師に稽首して、
頭を再び挙げる我が両眼から涙が溢れ出る。
いまもなお智者大師が思大和尚に教えを受けた会合が続いていて、
その弟子たちの輝きがここに満ちているかのようだ。
願うのは、二人の師に従って、千劫にわたる非を一洗すること。
月明かりのもと、竹林の中の溪流を歩けば、ほのかな靄が山に揺れ動く。
鐘の声に送られて谷を出たけれど、心はなおも山に留まる。
首を回らして吾が家の名の付く大蘇、小蘇の山を見る。
我が晩年に至って、これから私はどこに帰ろうというのだろうか。
【補足】［（1）「法家の学」と訳したのは原詩では「刑名」。法家は戦国時代に発展した学問の系譜で、人の内側にある規範［仁］に則ることを重視する儒家に対して、法によって人を外側から規制することを重視する。作品番号06-1-005で見た李斯は法家の思想に基づく政策を実行した代表的な人物である。蘇軾を初めとする保守派の人々は、王安石が主導する改革は「法家の学」に準じるものだとして強く批判していた。（2）蘇軾はここが「三蘇」の地であると聞いて、恵思のように人生の大きな岐路に立っていると強く感じたのだろう。なお後世、「三蘇」といえば蘇洵、蘇軾、蘇轍の父子を指すことになる］
■【06-1-010】梅花二首
【解題】蘇軾は三蘇の地に心をひかれつつも前に進み、1月20日、黄州との境に達する。黄州には黄岡県、黄陂県、麻城県が属し、麻城県の春風嶺で、峠に開く梅の花を見てこの2首の詩を詠んだ。
【訳文】
其の一
春がきて、奥深い谷にも潺潺と水が音を立てている。
草や雑木に間に、的皪な梅の花が開くのは、
昨夜の東の風が凍った石をも裂いたからなのか。
ここの梅の花の半分が雪のように飛ぶのなら、
私は一緒になって山を登って行きたいと思う。
其の二
何が、私の奥深くにあるものを慰めてくれるのか。
酒ではないし、
梅の花も、
開けば落ち着かないし、散れば愁いがおこる。
それでも、
これから続く谷川の三百回の折れ曲がりを、
黄州に着くまでの間ずっと梅の花が送ってくれるのなら
私は辞退はしない。
【補足】［黄州の町［州庁は黄岡県にある］まであとわずか。言い知れぬ不安に襲われもするが、折よく咲き出した梅の花にエールを送ってもらっていると見て、敢えて力強く前進して行こうとしたのだろう］
■【06-1-011】万松亭、并叙
【解題】麻城県にある万松亭で詩を詠んだ。序文がある。
【訳文】
叙
麻城県知事であった張毅が、道を行く人の上を被うように、左右に一万本の松を植え、万松亭を建てた。それからまだ十年にもならないのに、残っている松は十分の三もしくは四しかない。後の者が張毅の意思を嗣がなかったのを残念に思い、この詩を作る。
穀物によって一年の計を立て、木によって十年の計を立てるという。
張知事の計を受け継いで、助ける人はいなかったのか。
百年の計は徳をもって立てるという。
張知事の徳を好む心が受け継がれてゆくのなら、
ここの松も茂り、知事の子孫も枝を伸ばすであろうに。
天はどうしたことか、ここの松が斧で伐られてしまうことから救ってくれなかった。
野火までも、氷雪に痛めつけられたここの松を憐れんでいる。
木を大切にせよという古い歌がある――
それを心して歌って、残った松の幾本かは大きく育ててほしい。
■【06-1-012】戯作種松
【解題】松の植樹には一家言ある蘇軾のこと［→作品番号03-3-009、05-5-007など］、万松亭の松を見て前の詩だけではすまなくてこの詩も作った。「戯れに作った」と詩題にあるよう、言葉が言葉を呼んで次々に飛躍する。詩の冒頭で、少年の日に松を植えたといっているが、実際には父や妻の墓所のまわりに植えた松のことを歌っているのだろう。
【訳文】
私は昔、少年の日に、
東の岡が松でいっぱいになるまで植えた。
最初に、
根が一寸ばかりしか伸びていない松を、
小さな稲の苗を植えるようにして移植した。
二年経っても、
黄色い茅よりも低いまま、
一つ一つは尖った麦の芒のようであった。
三年にして、
蓬の丈を超えるようになり、
山に牛や羊の群れを放ったようなありさまになった。
それから十余年の間、その松を見ていないが、
すでに竜を想わせるような姿となって、
夜の風に浪が砕けるような音を発し、
朝の露が根もとに宿って美しい珠のように輝いているであろう。
私は松の膏を煮て神薬を得たいものだと、
そのためなら百本の桑を伐ることまで考えていたのだが、
人の世の事はだいたいがうまくいかないもので、
その計画は泡と消えてしまった。
ところが、この地にきてみると、
路の両側に松があって蒼い髭のようによく繁っている。
茯苓［仙薬になるきのこ］は得られないだろうけれど、
いい具合に亀の甲羅のようなひび割れがあれば、
斧で瘡をつけて松脂を取り、
釜で煮て冷水に投じることを百回繰り返すなら、
真白な霜のような物が得られ、
それを飲むなら五穀で汚れた腸が洗われ、
人の寿命を食う鬼を槁れさせ、
骨の髄まで緑色となって、丹田から幽き光が発せられるようになるだろう。
白髮は消え、瞳が四角の仙人となり、
さらに五百年の後に、鶴に騎って故郷に還るのだ。
【補足】［（1）この詩の後半は、碩学の注釈家も「仙家の事を説くに解すべからざるものあり」と嘆き、蘇軾の妄想には誰も付いて行けないので、訳詩は凡人のごく平板な「ずっぽ訳」である。（2）丹田は臍の下あたりにあって、「気」の廻りを司る極めて重要な器官とされた］
■【06-1-013】張先生、并叙
【解題】麻城県の故県鎮で張先生と呼ばれる風変わりな人物に会ってこの詩を詠んだ。序文が付いている。
【訳文】
叙
先生はその名を知らない。黄州の故県鎮の人で、もともとの姓は盧であったが、張氏に養われた。陽に狂を装い、垢にまみれ、汚れがひどすぎて寒暑もその内側にある身を侵すことがない。昼間は市中を独りで歩きまわり、夜はどこに止まるのか人は知らない。往来の者が張先生を見ようとしても、たいていはうまくいかない。ところが、私が試しに人を使わして呼んでみたところ、先生は喜んで来てくれた。来たのはよいが、立ったまま何もいわない。私が尋ねても返事をしない。座るようにいってもきかない。駅舎の建物の中をじろじろ見て、しばらくすると行ってしまった。駅舎に普通はないようなものがあったのだろうか。一体何があったのか、先生の思うところのものを追認しようとしたけれども、まだそれはできないでいる。
何もない建物を熟視してついに何もいわなかった。
きっと私が天全［本性を完全に守っている］ではないのを先生は知ったのだろう。
人はこういう。
「よくまあ駅舎に来てくれたものです。
張先生をそのようにさせた人もまた賢人でございましょう」
張先生は、履を脱いで糞小屋の中でも眠りにつき、
氷がやたらと流れる下る川でも水浴びをする。
かつて唐の時代に、朱桃椎という名高い隠者がいて、
高士廉がその地の長官になったときに丁重に招いたところ、
朱桃椎はやってきたものの何も言わずに去ってしまった。
高士廉は朱桃椎の後ろ姿を拝し、
「あのお方は作為的なことは何もせずにここを治めよと教えてくださったのだ」
といって、法規を簡便にし、税金を安くした。
しかし、それはあくまでも高士廉の勝手な当て推量であって、
きっとそういうことではなかったのだろう。
【補足】［罪人として黄州にきた蘇軾は、張先生に認められるところとはならなかったと、この詩でいっているのだろう］
■【06-1-014】記張憨子
【解題】前の詩の張先生と同じ人物を描いたと思われる『張憨子について記す』という短文があるので、それも見ておこう。
【訳文】
黄州の故県鎮の張憨子の振る舞いは狂人のようで、これを見る人は「火付け野郎」と罵る。いささか書道を心得ていて、紙を与えると唐の鄭谷の雪の詩を書く。人に使われて力仕事をし、一日中続けることができる。時には物乞いをするが、私が銭を与えようとしても受け取らなかった。冬も夏も一枚の褐で過ごし、三十年変わらないという。しかし、近付いても垢の臭いを感じることはない。実際にこのような人物であるけれど、土地の人はなかなかの異人［人とは異なる次元に生きる人］であるようにいう。本当にそうなのかどうかはわからない。
【補足】［ここにある「異人」は、蘇軾の人生観を探る上で重要なキーワードの一つである。先に見た僧の黁公［→作品番号06-1-008］も異人であり、次にもう1人の異人を見る］
■【06-1-015】方山子伝
【解題】麻城県と黄岡県の境にある丘、そこを超えれば、あとは黄州の町へと下ってゆくことになる。麻城県側から丘への坂を登りつめると、そこに奇跡の出会いが待ち受けていた。それによって黄州での日々が大きく変わり、さらには後の蘇軾の人生をも変えることになった。夢にも会うとは思っていなかった人がそこにいたのである。その場面を1年ほど後になって蘇軾自身が記したこの文章で見ておこう。
【訳文】
方山子は光州、黄州の間で自在に生きる隠者である。
若いときは漢代の有名な朱家、郭解といった男伊達の人となりを慕い、閭里の侠徒は皆この人を宗としていた。壮年になると、己の侠気を折って書物を学び、表の世界で存分に駆けまわろうとした。しかし、ついに世とは遇わなかった。
後に光州と黄州の間の岐亭というところに逃れ、庵を結び、野菜ばかりを食べ、世間にその動静が聞こえないようになった。かつて所有していた車や馬を棄て、きちんとした衣服や冠を毀ち、山中を徒歩で往来し、人が見ても誰であると識れることはなかった。その著けている帽子が、方くて高く聳えているのを見て、「これが古の方山冠のなごりの姿なのだろうか」という人があり、それで方山子［方山冠の先生］と呼ばれるようになった。
私は黄州に謫居れ、岐亭を通りかかり、たまたまこの者に出会った。
私はいった。
「嗚呼、あなたは昔馴染の陳慥さんではありませんか。どうしてここにいるのですか」
方山子も矍然いて、私がどうしてここに至ったのかを尋ねた。私がわけをいうと、俯いてしばらく答えなかったが、上を仰いで笑い、
「どうぞ我が家にお越しください」
と、私を招いてその家に泊めてくれた。
それはごく小さくてがらんとした家で、しかし、妻子や使用人は皆それぞれに満足しているようで、私は聳然してこれはなかなかのことであると感じ入った。
さても、方山子は若いころは酒をやたらに食らって剣を好み、金を泥土のように使ったものだ。十九年前、私は岐山［鳳翔］にいたときに、方山子が馬に乗った二人の従者を連れ、二本の矢を挾んで、西山に遊ぶのを見た。鵲がその前に起つと、従者に命じて逐って射させた。矢は当たらなかった。方山子は馬を奮い立たせ、進み出ると、一発で仕留めた。そして、私と馬上で兵の用い方や古今の成功と失敗について論じ合った。方山子は己のことを一世の豪士であるといった。
あれからどれほどの日数を経たのか、方山子の眉間にはなお精悍の色が現れている。これで山の中に隠れ住むような人物であるのだろうか。
方山子は、実のところは代々官僚としての実績があり、それをもって官職を得ることもできたはずで、官の仕事に従事していたならば、いまごろはとっくに世に名が聞えるまでになっていたであろう。しかも、その家は洛陽にあって、公侯に等しい壮麗な園宅を構え、黄河の北に農地があって、一年に帛にして千匹分の収入がある。富んで楽しむのに十分であるのに、それを棄てて一切取らずに、独り山の中にきているのである。何かしら得るところがあるから、きっとそうしているのだろう。
私は聞くに光州と黄州のあたりには異人がたくさんいるという。陽は狂人のように見せかけ、垢まみれで、会おうと思ってもなかなか見ることができない。方山子はあるいはこうした人々と会っているのだろう。
【補足】［（1）方山子とは陳慥［字は季常］の仇名である。昔馴染みとあるように、陳慥の名はすでに作品番号02-3-015などで見ている。蘇軾の最初の任地である鳳翔で、いまでいえばパワハラで蘇軾を大いに悩ませた陳希亮［字は公弼］知事の息子である。陳希亮は、蘇軾が鳳翔での任務を終えた後に間もなく亡くなっている。官職には就かずにいた陳慥のその後の消息を蘇軾は何も知らずにいた。蘇軾が黄州に至る直前に最後の峠にさしかかると、青い日傘を並べて待っている人がいた。それが陳慥だったのだ。（2）陳慥との驚くべき再会を、文章としての効果を高めるためであろう、ここに示した『方山子伝』では、例によって舗席を装って必ずしも事実のままには書いていない。①陳慥は独自の情報網を駆使して蘇軾の到着の日時を測って待ち受けていたのだろうが、方山子がたまたま岐亭を通りかかって偶然出会ったように書いている。②陳慥は蘇軾が黄州に流された経緯を知っていたのだが、方山子は何も知らずにいたとして理由を尋ねている。③岐亭にある方山子の庵はごく小さい［原文は幅が一丈、高さが一丈としている］とあるが、実際は陳慥にはそれなりに財産があり、この後、黄州での蘇軾の暮らしを何かと支援している。また方山子の妻子がそれぞれに満足しているとあるが、陳慥の妻はかなり嫉妬深い人であったと、いらぬ詮索をしている考証家もいる。④方山子の家は代々官僚であったとしているが、作品番号02-3-015で見た『陳公弼伝』には、陳希亮の代で初めて官職に就いたと記してある。陳希亮の功績によって子弟は無試験で官職を得る恩恵を被り、三男まではそれによって官職に就いたが、四男の陳慥には及ばなかったと『陳公弼伝』にはある。一家が洛陽に豪邸を構え、莫大な収入があるというのも恐らくはかなりの誇張であろう。これらは方山子が謎めいた人物であると印象付けるために少々話を盛ったのである。方山子が「異人」と交流があったことは事実で、その幾人かを蘇軾に引き合わせたことで蘇軾の黄州での日々は奥行きの深いものとなった。（3）なお、作品番号02-4-014で引いた信憑性のあまり高くない記録によると、陳希亮は錬金術を会得したようであるから、それによって豪邸を得たと想像するのはなかなか愉快であろう］
■【06-1-016】陳季常所蓄朱陳村嫁娶図二首
【解題】蘇軾は岐亭にある陳慥［方山子］の家に案内され、そこで『朱陳村嫁娶図』を見てこの詩を作った。この図は、朱家と陳家が互いに嫁を娶り合って、他の家とは一切姻戚関係を結ぶことがないという村を画いたものである。
【訳文】
其の一
いったい何れの年に、顧愷之もしくは陸探微が絵筆を振ったのだろうか、
画いたのはこの『朱陳村嫁娶図』。
聞くところでは、
一つの村に朱と陳のふたつの姓しかなく、
家の地位を高めるために名のある貴族の嫁を金で買ったりはしない。
其の二
私はこの朱陳村のある徐州の元の知事。
かつて私は耕作に励むよう民を指導するために隣の杏花村にまで行った。
現在の風物はとても画くに堪えない、
県の役人が銭を徴収するために夜でも村人の門を叩きにくるのだから。
【補足】［（1）朱陳村は蘇軾が前に知事をしていた徐州管内の蕭県にあった。画に描かれた朱陳村は遥か昔の理想化された姿で、現実とはまるで違う。改革政治は税金を銭で納めることを徹底させようとした。（2）知らぬ土地の黄州に向かっていた蘇軾は、旧知の陳慥に会ったことで不安な気持ちがかなり和らいだからなのだろうか、獄から出てまだ1カ月で早くもここで政事批判をしている］
■【06-1-017】臨江仙
【解題】岐亭の近くに竜丘山がある。漢の時代の乱れに高い位を捨てて洛陽から逃れてここに隠れ住んだ竜丘先生という人がいたとの言い伝えがあった。竜丘先生と陳慥をないまぜにしたこの詞を作って陳慥に贈った。序文がある。
【訳文】
竜丘先生は、二人の侍女に兵士の服を着せて駿馬に載せ、洛陽から蜀に行こうとした。渓山の景色のよいところがあるとしばらくそこに留まり、それを見る人は「異人」であると思った。それから十年ほどして黄岡の北に家を建てて住み、静安居士と号した。
細馬遠馱双侍女、［美しい馬に乗せて遠くゆく二人の侍女］
青巾玉帯紅鞾。［青い衣、玉の飾りの帯、紅い靴］
渓山好処便為家。［渓山のよいところがあればそこが家］
誰知巴峡路、［まさか誰も思わないでしょう、蜀に至る道で］
却見洛城花。［洛陽の名花のようなこの美女を見ようとは］
面旋落英飛玉芯、［振り向くとき、落ちる花びら、飛ぶ花の芯］
人間春日初斜。［人間世界の春の日も斜めになり］
十年不見紫雲車。［十年の間、美女を乗せた車を見ることはありませんでした］
竜丘新洞府、［竜丘山は新たな仙人境］
鉛鼎養丹砂。［鉛の鼎で不老長生の薬を作るのです］
【補足】［陳慥は蘇軾と同郷、眉州青神県の出身であるから、洛陽から蜀に行こうとして途中の竜丘山に留まったという竜丘先生の伝説が生きてくる。この詞の後、陳慥は竜丘を号とするようになる］
■【06-1-018】少年時、嘗過一村院。見壁上有詩、云、夜涼疑有雨、院静似無僧。不知何人詩也。宿黄州禅智寺、寺僧皆不在、夜半雨作、偶記此詩、故作一絶
【解題】いよいよ黄州の町［黄岡県］に入る前の晩、禅智寺に泊まってこの詩を作った。長い詩の題は次の通り。「少年のころにある村の寺に立ち寄り、見ると壁に詩が記してあった。『夜は涼しく雨が有るかと疑い、院は静かで僧が無きに似たり』。誰の詩であるのかわからなかった。黄州の禅智寺に泊まったところ、寺の僧は皆不在で、夜半に雨が降り出した。たまたまこの詩を思い出し、一首の絶句を作った」。
【訳文】
仏に供えた燈火が暗くなりかけると、
飢えた鼠が出てきた。
不意に雨が降り始め、竹が鳴る。
あの旧い詩句を作ったのが何人であれ、
すでにそのときに、
いまのこの私の情を知っていたのだ。
■【06-1-019】到黄州謝表
【解題】2月1日、蘇軾は黄州に到着し、新たな職務を与えたくれたことに対する感謝状［着任報告書］を記して皇帝に差し出した。
【訳文】
臣蘇軾は申し上げます。
去年十二月二十九日、敕書によって、検校尚書水部員外郎に責授され、黄州団練副使に充てられ、本州安置となり［黄州の外に住むことを禁じる］、かつ公の事に僉書［署名］してはならないとされまして、臣は今月一日に本所に到着し終わりました。
狂愚冒犯［愚かな私が恐れながら申し上げます］、固より刑罰は常に定まっているものでありますのに、陛下の御仁聖により矜憐を頂戴し、特に軽い規定に従って、必ず死すべきところをお赦しいただき、自ら新らたになることを許可してくださいました。謹んで訓辞に服し、ただただ感動の涕が溢れるのを知るばかりです。
伏して念いますに、臣は早くに科挙に合格し、誤って忝も官員の内に加えていただきました。睿哲の興る［賢臣が並んで世が盛んになる］のに逢って、自分自身も功名を挙げたいとの意がありました。また、かつて陛下のお召しによって宮殿でそれまでに学んできたことを申し上げましたところ陛下の御評価をいただき、試しに三州の知事として実際に行うところを観ていただけることとなりました。しかし、臣は己の意を用いるところが過当で、日に日に迷いに趨り、天賦の運命は衰窮し、天は臣の魄を奪ってしまったのでしょうか、義理に叛違し、陛下の御恩に背き、茫として酔夢の中にあるように、自分でわからないままに言語を出してしまいました。陛下は至仁にしてしばしば赦してくださいましたが、衆議はそれを容赦せず、事情を糾して罪を調べるならば、固より都の門の前で斧鑕［処刑のための巨大な斧］の下に伏すべきであって、たとえ御恩によって法を曲げましても、魑魅が充満する辺境の地に流されてしかるべきでありました。ところが思いがけず、散員［窓際の閑職］を汚し、さらには善地［暮らしやすい土地］を叨ることを許してくださり、鹿や鼯のような者を野に放ち、役立たずの独活の大木のような者を生かしてくださることとなりました。
臣は愚の至りでありますが、幸いということを知らないわけではありません。皇帝陛下が徳と刑とを並び用い、善と悪を兼ねて容れ、法を行って恩を知らせようとするところに臣は遇えたのであります。これは小さく懲らしめて大きく戒めるものであります。天地は臣のような者でも大地の上に載せ天の下に置いてくれはしましても、天地の法則の外に出ることまでは許容してくれません。父母は臣のような者でも生育してくれはしても、死ぬべきところから出してくれはしません。陛下の御恩を伏して惟いますに、何をもって報いたらよろしいのでしょうか。ただまさしく一生を蔬食して過ごし、門を閉ざして愆ちを思い返し、深く積年の非を悟り、永久に百官の戒めとなるべきでありましょう。臣は聖世を貪恋するあまり、敢えて身を殺すこともできません。願うのは、これからの生涯が棄てられたもののままではないこと。もしも、刑余の身でもなお力を尽くすことを得られましたならば、必ず身を矢や刀の間に捐てるものであります。天を指して心に誓います。死ぬともそれを変えることはありません。
【補足】［極めて真摯な反省文である。皇帝に差し出す文章であるから、何はともあれ体裁を整えたというわけではない。これらの言葉に真の裏付けがあるのかどうか、これから見てゆく詩文で明らかになるであろう］
■【06-1-020】初到黄州
【解題】黄州に到着した直後の思いを記した詩。蘇軾はあくまでも蘇軾で、上の感謝状とは矛盾するような言葉をいきなり発する。
【訳文】
自分で笑ってしまうのは、
普段から口のために忙しくしてきたこと。
老いるに従って、やることなすことみんな荒唐になってしまった。
ここ黄州は、
城郭を繞るようにして長江が流れる。
――きっと魚がうまいに違いない。
美しい竹が山に連なるようにして生えている。
――きっとよい香りの筍が採れるに違いない。
だいたい朝廷から放逐された旅人は員外郎に置かれるものだし、
詩を得意とする者は水部の一員となるのだ。
ただ慚かしく思うのは、
糸の先ほども世に補うことができない身でありながら、
朝廷は酒を搾った後の袋を私のために費やしてくださることだ。
【補足】［（1）蘇軾の肩書にある「員外郎」や「水部」に関連する故事を引いて、実質的な仕事のない窓際族になった自身のことを詠んでいる。それでも、「酒を搾った後の袋」［原文は圧酒囊］が給与代わりに現物支給されると自嘲しているのである。実際にそのような嚢の支給があったのか定かではないが、蘇軾はほとんど無収入の状況に置かれたようである。（2）この詩をどう見るかで蘇軾に対する好悪は大きく分かれるであろう。罪を得て流されたのだから、当地に着いての第一声は、深く悲嘆するものであってしかるべきで、唐代の人々はほぼ例外なくそのような詩を詠んだ。ところが、蘇軾はいきなり「自ら笑う」［自笑］と歌い出す。「口のために忙しくしてきた」といえば、当然、言葉数が多すぎて失敗したことを反省しているのだろうと思うわけだが、魚や筍を食いたいと、当面の問題はそちらの「口」であるとはぐらかすようなことをいう。生真面目な人は怒ってもおかしくない。一方で、自身の境遇を客観的に軽やかに歌うところに強靭な精神を見て、この詩に魅力を感じる人もいる。宋代の人々の一系列［欧陽脩と蘇軾をその代表とする］はそのような士大夫像を追求してきたのである］
■【06-1-021】黄州春日雑書四絶
【解題】黄州に到着して間もないころに詠んだと推測される詩。
【訳文】
其の一
このあたりの春はなお冷やかで、
早咲きの梅がほころびだしたところ。
妍さを闘わせているのは柳の緑と波の光。
淮河のあたりを飛ぶ雁はみな北に向かっている、
私のところに手紙をもたらすものはいないのだろうか。
【補足】［訳詩では、あいまいに「このあたり」としたのだが、原文は「楚郷」で、蘇軾の認識としては、黄州は「楚」の範囲に入るようである］
其の二
都のあたりではまだまだ春は浅く、
可憐なのは梅の花だけ。
梅の前では牡丹などは俗物に過ぎず、
豊肌弱骨［牡丹のぼてっとした感じをいう］は妍いとはいえない。
【補足】［深読みをすれば、都の人々を牡丹に譬えて皮肉っているのかもしれない］
其の三
清らかな暁に衣をはおり藜の杖をついて歩く、
牆を隔てて見えたのは最もよく繁った枝。
老人は半日費やしても、
この梅の美しさに酬いるすべがなく［つまり、好い句が浮かばない］、
夜になって、燈火のもとで『楚辞』を読む。
【補足】［『楚辞』は古の楚国の韻文で、屈原や宋玉が代表的な作家であった］
其の四
我が腹はどうも病みやすいのか、
茶も七杯は飲みきれない。
明け方の窓辺にいたと思っていたら、
眠りから覚めるともう日が西に傾いている。
貧乏であるから、桃や李を植える隙間もないのだが、
門前には花売りを毎日見ることができる。
【補足】［（1）「七杯の茶」とあるのは、唐代の盧仝が、一杯目から七杯目まで順に茶の効用を説いたことに基づくもの［→作品番号04-2-078］。（2）黄州は田舎の町ではあるけれど、花売りが日々歩いていたのだろう］
■【06-1-022】安国寺浴
【解題】上の詩に、城郭を廻るようにして長江が流れる［長江繞郭］とあった。黄州の町は、長江をぐいと直角に折り曲げるようにして台地が張り出したところに位置し、長江は町の西北から西南、東南の三方を廻って流れ下る。それに対して、町の北側と東側は小高い岡になっている。黄州に到着した当初、蘇軾は町の南東側、清淮門の外にある定恵院という仏教寺院に寓居した。恐らく、黄州知事の陳軾［字は君式］が手配してくれたのだろう。蘇軾が罪人であるにもかかわらず、陳軾はすこぶる好意的であった。定恵院には美しい竹林があり、奥の小山に一本の海棠があった［後にそれを詠んだ詩を見る］。近くに、やはり仏教寺院の安国寺があり、蘇軾はそこで入浴し、ここまでの旅の疲れを癒した。
【訳文】
老いた身には、何もかもが懶い。
それでも、体に垢がたまればやはり沐浴したいと、それくらいのことは念う。
髪は衰えて耳に達しないくらいしかないのだが、
面倒ながらも、月に一回は刈って洗わないとならない。
ここは山がちの町であるから、薪炭がたくさんあるのだろう、
湯を沸かす煙が谷を暗くするくらいに昇っている。
我が身に付いた塵と垢はいったいどれくらいあったのか、
翛然として羈や梏がはずれたかのようだ。
衣を緩くして小さな部屋に座り、
髪をばらばらにしたままで竹を眺める。
心を困しませるものも、万の縁もなく、
身を安らかにするには小さな寝床があれば十分だ。
これは単に穢を浄めただけではなく、
栄辱とやらも洗い流したのであろう。
あまり多くを語り過ぎないようにしよう、
もう黙って帰ろう。
ここにある理は、要のところが熟すのを観る必要があるだろう。
【補足】［（1）この詩の初句は「老来百事懶」［老い来れば百事懶し］。「老」といいつつも、このとき蘇軾は数えで44歳である。すでに見てきたように、蘇軾は詩文中に「老」や「病」という語をよく用いる。真に老いたわけではなく、本当に病気ではなくても、心理的あるいは身体的もしくは状況的に不如意であることを「老」「病」で言い表すのだろう。この詩では「謫居」の身であることをあからさまにはいわずに「老来」と表現しているのである。（2）蘇軾は沐浴して何かを感じ取った。それが何であるのか。「要のところが熟す」のをこれからの黄州の日々で観てゆく］
■【06-1-023】安国寺尋春
【解題】定恵院にきてまだ日の浅いころ、早朝に目を覚まし、安国寺のあたりを歩いて詠んだ詩。
【訳文】
寝ていると百舌の声がする、
あれはきっと春の風を呼んでいるのだろう。
起きて花や柳を尋ねると、
どの村も同じく春の盛りを迎えようとしている。
町の南の古い寺［安国寺］は長い竹に囲まれ、
小さな建物の蔭やら曲がった欄干のあたりに深い紅色がひょいと覗く。
花を看ると、老いを嘆いて年少のころを憶うのが常のこと、
酒に向かうと、家を思ってかくも老翁となったのを愁うのが常のこと、
何しろ、眼は雲母がきらきら光るようなありさまだし、
髪は少なくなってまとめるのも簡単ではない。
遙かに知る、この二月、都は玉仙観やら洪福寺やらのあたり――
花が海のように開いて、我も我もとやってくるのは、
薄羅を霧のように纏って化粧したばかりの女、
風のように馬を速く走らせて腰に付けた玉を威勢よく鳴らす男。
そうした薄夫［軽薄児］を見て、唐の盧仝は、
「薄夫は銭があると楽しみに耽るが、わしは銭がないから淡泊を養っておる」
と、嘯いた。
盧仝にしたところで、薄夫と同じく酒を食らって結局は一文無しになった。
私は病んだ［謫居］身で、もとより銭はなく、
春風の吹く九十日間を空しく過ごすはめになったのだが、
今日は息子を伴ってここに花が発くのを看ることができた。
【補足】［長い獄中生活と旅を経て、ひとまず定恵院の寓居に落ち着けた安堵感を歌っているのだろう。息子は長男の蘇邁である］
■【06-1-024】黄州安国寺記
【解題】「理の要」はどのようにして熟していったのか。これより4年後の元豊七年［1084年］4月に記したこの文章から窺い知ることができるので、先に見ておきたい。
【訳文】
元豊二年十二月、私は湖州知事であったときに罪を得た。お上は誅するには忍びないと、黄州団練副使にし、過ちを思って自ら新らたになるようにという処分にしてくださった。その明くる年二月、黄州に到着し、しばらくすると、仮の住まいがほぼ定まり、衣食もやや足りるようになった。
私は、門を閉し、部屋の内を掃き浄め、世間から退いて謹慎し、ばらばらになってしまっていた我が魂魄を一つに収め、思い念って、自ら新たになるにはどうしたらよいのかと考えた。これまでの己の挙意［思いの定め方］、動作［行動の仕方］を顧みると、全てが道に中らないものであった。今回の罪を得たことだけが問題なのではないのだ。
多々あることの一つを新たにすると、そのために二つを失うことを恐れなければならない。これからそれへ、それからあれへと順に考えて答えを求めても、悔いても悔いようのないところに行ってしまうのだった。
それで深く溜め息をつき、
「道の知識は気［己を構成する物質とエネルギー］を制御するには十分なものではなく、性［天より授かった本性］は習［後天的に身に付いた習性］に勝つには十分なものではない。根本から耕し直さないで草の先を刈るようなことをしたところで、改められたと思っても必ずまた草が茂るようにして元に戻ってしまう。ここは誠の心に帰って、仏の教えに帰依し、一切を洗ってしまうべきではないのか」
と、つぶやいた。
町の南に寺を見つけ、それは安国寺という。木々が茂り、竹が長く伸び、池があり亭がある。一日ないし二日ごとにそこに行き、香を焚き黙って座り、深く自ら省察した。すると、物も我も忘れ、身も心も皆空になり、罪の垢が生じてくるところを求めてもそれはもはや得られないようになった。全ての念が清浄になり、身を染めていた汚れが自ずと落ち、表も裏も翛然として、付き纏うものは何もなくなった。
私は竊にこれを楽しんで、旦に往き暮に還ること、これで五年になる。
寺の僧を継連といい、僧の首となって七年で朝廷から衣を賜わり、また七年にして号を賜わるはずであったのだが、継連は僧の首から降りようとした。寺の僧や土地の父老が一緒になって引き留めると、継連は笑っていった。
「足ることを知っていれば辱めを受けない。止まるところを知っていれば危ういことはない」
それでついに辞めてしまった。そうした継連の振る舞いに対して私は我が身を愧じなければならない。
元豊七年、私は汝州に旅することになり、継連はいった。
「この寺にはまだ『記』というものがありません。石は用意してあります。どうか一文を書いてください」
私は辞退することができなかった。
寺は南唐国の保大二年［944年］に立てられ、始めの名は護国寺であった。嘉祐八年［1063年］にいまの名を賜わり、本堂も離れも高殿も皆が新しくされた。厳麗深穩で、人の意を悦ばせ、ここに来る者は帰るのを忘れる。
毎年正月に一万人もの男女が寺の庭に集まり、飲食して音楽を演奏し、瘟神［疫病の神］を祠る。これは長江と淮河の間で行われている旧い習俗である。
四月六日、汝州団練副使、眉山の蘇軾記す。
【補足】［蘇軾は黄州にきて、新しい自分になろうとした。これは、蘇轍が兄の罪を軽くしてほしいと皇帝に願った文章［→作品番号05-5-094］に「過ちを改めて自身を一新する」とあったのと一致する。具体的にどのようにしたのかがこの文章に記されている。蘇軾は時折軽薄ともいえるような言辞を吐くのだが、自身に向き合うときは非常に真剣で、深く思いを巡らした。しかし、「全てが道に中らず」、一つを変えてもかえって二つが駄目になってしまうという具合にたちまち行き詰まってしまった。ここで思い出すのは、かつて蘇軾は「道に達する」ということについて後輩に向かって教えを垂れていたことだ［→作品番号05-4-101］。そのときは己のそれまでに歩みにある程度の自信があったのだろう。しかし、魂魄がばらばらになるまでにその自信は打ち砕かれてしまった。蘇軾は詩文で朝政を批判したことが悪かったとはたぶん思っていなかった。改革派の一部の愚昧な連中によってあらぬ罪を着せられてしまったとも思っていなかった。我々には想像が付かないのだが、皇帝によって罪人とされたことで、人間として全否定されたように感じ、己を完全に一新しなければならないと考えたのだろう。蘇軾は、道、気、性、習といった旧来の中国哲学の諸道具を駆使して一新しようとした。しかし、根本的な解決策は見出せなかった。そこでいまだ深くは親しんでいなかった仏教に解決の糸口を求めた。そしてたどりついたのが、空であった。何かに原因を求めたり、何かを改めたりするのではなく、いったん全てを空にし、そこから新たな己になって行くのである。この文章を読んで、二つ前の詩『安国寺に浴す』に戻ると、実は同じことを詠んでいるのではないかと思えてくる。直観的に得たことを詩で表現すれば先のようになり、思索を巡らして行き着いたところを文で表現すればこのようになるのであろう］
■【06-1-025】定恵院寓居月夜偶出
【解題】上に見た『黄州安国寺記』は一旦忘れ、己を新たにすることに思い悩んでいる蘇軾に戻り、時間順に詩文を詠んでゆこう。これは定恵院に寓居して、月の夜にたまたま外を歩いたという詩。初句は「幽人無事不出門」［幽人は事も無く門より出ず］とあって、冒頭の二字を先の沐浴の詩と比べると、「老来」が「幽人」に変わっている。「罪人は門を閉ざして深く自省している」ということを「幽人」の語で言い表しているのだろう。「幽人」はかなり幅広い意味を持ち、俗世から離れて静かに隠れ住む人、あるいは、俗世から離れた心をもって静かに生きる人、あるいは、そうした人と思いが通じ合う人のことである。
【訳文】
幽人はする事がなく、門から出ることもない。
たまたまこの良き夜に、春風を追って出歩くと、
木の枝の先から、寺の建物の屋根が高くあるいは低く飛び出し、
月の光のもと、香の煙が細くたなびいてくる。
長江の上の雲は清らかであるけれど、自分の美しさを誇るように姿を変え、
竹に宿る露は声を出しはしないけれど、ぽとりぽとりと瀉ぐかのようだ。
柳の枝が糸のように柔らかく垂れるのに触れて驚かされ、
まだ花を残した梅の一枝があるのを香りによって気づかされる。
独りで詩を吟じて自分で和し、
酒はとっくにないし、誰も貸してくれない。
酒を飲むなら、老いていよいよその真の味を濃やかに知るべきで、
酔っておかしなことを言ってしまったのではないかと、醒めてから怕るようではいけない。
春が忽忽過ぎ去るのは惜しむまでもないと、訳知り顔につぶやいてみて、
春を歓ぶ意が年年凋んできたのかと残念な気になる。
たまたまここに仮の宿りを結んでいるのは、
この耳が松に風が鳴る音を愛するからだ。
門を閉ざして、客人の訪れを断り、
冠なんぞはさかさまにし、衣もそこらにうっちゃって、
家の者には何をしているのかと罵られながら、
米を炊く湯気がふわふわと甑から立ち昇り、
甘藷を搾った汁がぽたぽたと槽から垂れるのを見ている、
そういう暮らしでよいのだろう。
■【06-1-026】次韻前篇
【解題】上の詩と同じ韻を用いてもう一首作った。
【訳文】
去年の花の落ちるころ、
徐州にいて、月に向かって酔って歌い、
清らかな夜を褒め合ったのだった。
今年は花の開くのを黄州で見て、
湿った夜風が、門を閉ざした小さな部屋へと入ってくる。
花は時がくれば必ず咲く、
だが、我が万事はそのようにはならない。
残りの年月はこの酒にも似て、
もう注げるものがない。
昔を憶うと、
舟で巴峽へと泝っていたときに、
樊口［黄州の対岸］で高い桅から帆を落としたのだった。
あれから、長江は自ずから袞袞とひたすら流れ続け、
我が白髮は容赦なく紛紛として増え続けた。
古の隠者に倣おう思っても、私には五畝の田さえもなく、
空しくあるのは、古の詩人を数では凌ごうという千篇の詩。
今に至るも故郷の山に背いたままで、帰る計画はなく、
旅の宿りで独り眠る境遇から免れることができない。
若いときに苦い蓼を食うような苦労をするなら、
老いてからは蔗を舐めるような甘い安楽があるという。
いまはなぜか飢えも寒さもなく安居していて、
憂患すべきこともすでに空しくなったのだが、
ときに夢に怕ることがある。
月の光を踏みつつ花の間を通り抜け、
村の酒をちょいとひっかけて、
官長に罵られる前にそそくさと帰るのである。
【補足】［（1）蘇軾自身の注で、「去年は、徐州で花の下で月に対し、張師厚、王適兄弟と酒を飲み、蘋の字を韻として詩を作った」と書き添えている。その詩は作品番号05-5-016で見ている。（2）船で長江を遡って樊口に停泊したのは、父の棺を故郷に運んだときで、これより14年前である。樊口の地名はこれから何度も見ることになる］
■【06-1-027】卜算子
【解題】前の詩とほぼ同じ時期に、定恵院で作った月の詞。この年の秋の作であるとする説もあるが、内容的にはこのころのもののようである。
【訳文】
欠月挂疏桐。［葉がまばらな桐に落ちかかる欠けた月］
漏断人初静。［時を測る水音が絶えて静まり返る人の世］
時見幽人独往來、［ここにひっそりと往き来する孤独の人］
縹緲孤鴻影。［縹緲に孤り行く鴻の影のようです］
驚起卻回頭、［驚いて起きて回らす頭］
有恨無人省。［恨みがあっても顧みてくれる人はいません］
揀尽寒枝不肯棲、［寒々とした枝を選んで選んで、でも棲もうとはしません］
寂寞沙洲冷。［寂寞くも沙洲は冷えびえとしています］
【補足】［（1）この詞で、蘇軾は己を、棲む場所を見出せない孤独な鴻になぞらえている。（2）後世の好事家は、この詞から次のような物語を作った。牽強付会の作り話なのだが、人々が想い描く蘇軾像に合致するものなのだろう］
【訳文】
楊湜：『古今詞話』に引用されている『女紅余志』より
（これから十四年後、蘇軾は五十九歳のときに恵州に流され）、その地には温超超という十六歳でまだ嫁に行かない美しい娘がいた。超超は蘇軾がくると聞くと、
「我が婿殿だ」
と、いって非常に喜んだ。
温超超は蘇軾の仮の宿に毎夜通い、窓辺で蘇軾が吟詠するのを聞き、その詩詞を覚えるとそっと歩み去った。
蘇軾がその様子を知って窓を開けると、娘は墻を超えて逃げた。蘇軾は人づてに、
「君のためによい婿を探してあげよう」
と、娘にいったのだが、間もなく海の向こうの海南島に流されてしまい、三年後に戻ってくるとその娘はすでに死んで沙の下に埋められていた。蘇軾は『卜算子』の詞を墓に手向け、婿を選ぶ約束を果たせなかったことを、
「寒枝を揀び尽して肯えて棲まず」
の句に詠み込んだ。
【補足】［この話は、実は根も葉もないわけではないとして、次のような事実に基づくといわれもするが、これも作り話であるのだろう］
【訳文】
袁文：『甕牖間評』より
蘇軾が黄州に流されたとき、隣家にはなはだ賢い娘がいた。娘は、毎夕、窓の下に忍んで蘇軾が読書するのを聞いていた。
後に、その家の者が娘の結婚相手を選ぼうとしたときに、娘は、
「蘇軾様のように書物がよく読める人でなければだめです」
といい、とうとう誰もかなう者が見つからないままに娘は死んでしまった。
■【06-1-028】寓居定恵院之東、雑花満山、有海棠一株、土人不知貴也
【解題】これも定恵院での詩。詩の題は「寓居するところの定恵院の東の山にさまざまな花がある。なかに一株の海棠があるのだが、土地の人はその貴さを知らない」。海棠が貴いと感じるのは蘇軾が蜀の人間だからだ。海棠は蜀、とりわけ成都を象徴する花である。譬えるなら、日本人が異国の地に流されて、山で一本の桜を見出したと想像するとよいであろうか。
【訳文】
黄州は長江沿いの町、
湿気が満ちて草木の成長が盛んである。
山にあるのはどれもが世俗的な花ばかり、
そのなかで、名花がひそやかに孤独に苦しんでいる。
竹の籬の間から、嫣然と笑みをもらす花――
それは佳人を人気のない谷に置くようなもの、
造物者にどのような深い意があるのだろうか。
天より出た姿は自然界の富貴ともいうべきで、
金の盤に盛って御殿に献上するまでもなく貴い。
花びらは、朱い唇から酒が入って頬がぽっと染まったよう、
葉は、緑の袖を翻して紅をよりいっそう映えさせる。
朝には、林は深い霧に包まれて暗く、光の及ぶのが遅く、
昼には、日ざしが暖かく風が軽やかで睡りが十分に足り、
雨には、涙にぬれて悽愴く、
月には、人影がなくさらに清淑である。
ここに先生［蘇軾］はたっぷり食べて何もすることがないので、
ただ腹を撫ぜ撫ぜしながらぶらぶらと歩き、
民家だろうが僧舎だろうかおかまいなしに門を敲き、
杖に身を支えて竹を眺めるなどしていると、
たちまちこの絶艷の花によって衰朽の身を照らされ、
嘆息して言葉もなく目をぬぐって思うのは――
この辺鄙な土地に、どこからこの花を得たのか、
好事家が蜀の地から移したのか、
一寸の根の植物が千里を旅するのは容易ではない、
とすると、種子を銜えて、鴻鵠が飛来したのだろうか。
天の涯に流落して、先生と海棠にはともに念うところがある。
酒を飲んで此の曲を歌おう。
明朝、酒が醒めてまた独りで来ると、
紛紛として雪のように落ちかけて、
もはや触れるのも忍びがたい……。
【補足】［この詩で、海棠の姿に自分自身を重ねて詠んでいるのは明白であるのだが、蘇軾は「ひそやかに孤独を苦しんでいる」というわけではなかった。深い苦しみのなかにありつつも、孤独だったのではない。すでに見たように、陳慥［方山子］［→作品番号06-1-015］が待ち受けていたし、黄州周辺の多数の人々が蘇軾のまわりに集まってくるのである。それはさまざまな社会階層の多様な人々であった］
■【06-1-029】訴衷情
【解題】同じころに海棠を詠んだ詞。
【訳文】
海棠珠綴一重重、［海棠がひとつまたひとつ、珠を綴り重ねています］
清暁近簾櫳。［さわやかな明け方の窓辺近くで］
胭脂誰与勻淡、［さらりと淡い紅い化粧］
偏向臉辺濃。［ほほのあたりだけが濃いのです］
看葉嫩、［若い葉を見て］
惜花紅。［花の紅を惜しみます］
意無窮。［この思いは窮まることはないのです］
如花似葉、［花なのでしょうか、葉なのでしょうか］
歳歳年年、［毎年、毎年］
共占春風。［春の風を独占しようとするのは］
■【06-1-030】王斉万秀才寓居武昌県劉郎洑、正与伍洲相対、伍子胥奔呉所従渡江也
【解題】黄州に流されなかったならば、先に見た陳慥との再会はありえなかった。そしてもう一つのありえなかった再会が黄州には待っていた。蘇軾は24歳のときに都に向かう旅に出て、犍為という町で王斉愈［字は文甫］の書楼を訪ねた［→作品番号01-1-003］。そのとき蘇父子を迎え入れたのは弟の王斉万［字は子弁］で、王斉愈は何かしら事情があって不在であった。その後、王兄弟の家は傾き、書楼も手放して犍為を離れ、長江を下った武昌県に寄寓する身となった。武昌県は長江を挟んで黄州の向いの地。蘇軾が黄州に着いて10日余り、王斉万がひょっこり定恵院に現れて蘇軾を驚かした。この詩の題は、「王斉万は武昌県の劉郎洑に寓居し、そこは長江の中州の伍洲の対岸である。遠い昔に伍子胥が呉国に奔ろうとして長江を渡ったところだ」。伍子胥は、楚国の王位継承を巡る争いに巻き込まれて父と兄弟を殺され、一人だけ呉国に逃れた。そのとき、漁師の船に身を潜めて長江を渡った。後に伍子胥は呉国を強国に成長させ、呉国の軍勢を率いて楚国の都を占領して復讐を遂げた。
【訳文】
貴君の家の稻田は西蜀の地に冠たるものだった――
玉のような米を搗き、珠のような米を取り揚げ、その量は三万斛、
川を塞ぐようにして大量の木材を流して書樓を建て、
碧い瓦と朱い欄干が山や谷に照り映えていた。
一家をあげての楽しみに、天命などは論じるまでもないと、
蝋燭を次々に灯すようにして黄金を使い尽くした。
残ったのは、百台の車に満載した蔵書だけ、
筏に載せて長江が曲がるところまでやってきて、
江のほとりに何があるかと見ると、
伍洲から遙かに望む劉郎藪だったのだ。
明朝はちょうど寒食、
貴君がいるその劉郎藪に行こうと思う。
牛を殺して秘蔵の酒を搾って待っていてくれたまえ。
貴君と酒を飲みつつ細かに文を論じ、
ほどよく酔ったころに、江のほとりで古を訪ねようではないか。
今回は三国時代の周瑜や孫権を弔うことはしないで、
ただ伍子胥だけに酒を捧げるとしよう。
【補足】［（1）三国時代の周瑜や孫権に言及したのは、黄州に赤壁があり、そこは孫権［周瑜はその軍師］が劉備とともに曹操の大軍を破った決戦場であるといわれていたからだ。そのことはまた後の詩文で何度か見ることになる。今回は特に伍子胥だけに酒を捧げようとするのは、伍子胥が逃亡した後に父や兄の仇を討ったように、王兄弟も家の再興を果たすであろうというココロであろう。（2）このときの訪問を後に回顧する文章を作品番号06-5-015で見る。そこには、寒食の日に武昌に赴いたとは記されていない］
■【06-1-031】二月二十六日、雨中熟睡、至晩、強起出門、還作此詩、意思殊昏昏也
【解題】これまで見てきた杭州、密州、徐州、湖州での詩の大半は官僚仲間とともに詠んだ社交的な作品であった。黄州に来てからは、事に触れて自分自身のために詠んだ作品が多くなり、蘇軾らしさがよりいっそう濃く、そして深くなる。この詩の題は「二月二十六日、雨の中で熟睡した。晚に至って強いて起きて門を出てこの詩を作った。意識が妙に昏昏かった」。
【訳文】
朝酒三杯をやらかしたせいで、
昼の食事は一品だけでもうたくさん。
後から後からやってくる雨音に引き込まれ、
眠気がやってくるままに深く寝入ってしまった。
昏昏と眠って、覚めたと思ったらまた臥せ、
ごろごろ寝返りを打って、いつまでも眠りは足りない。
強いて起きて門を出てみたが、
夢はなおも続いているかのようだ。
泥の深いあたりで竹雞が何やら語っているようであり、
村の暗がりのあたりで鳩の御婦人が何やら泣いているようだ。
この詩を明日の朝になって見たなら、
寝ぼけたまま書いたのでさぞかし読みにくいであろう。
【補足】［（1）「朝酒」と訳したのは原詩では「卯酒」で、もとの意味は卯の時［午前6時ごろ］の酒であるのだが、たぶん本当に朝酒を飲んだのではなく、調子が悪くて起きられなかった理由を朝酒によるという虚構を設けて詩にしたのだろう。2月1日に黄州に着いて、このころになって疲れが出たのだろか。（2）竹雞は｢泥滑滑｣と鳴き、鳩は婦人の怒りの声のように鳴くというので、この詩の句が生まれている。後に鳥の鳴き声を主題にした詩を見る［→作品番号06-1-044］］
■【06-1-032】雨晴後、歩至四望亭下魚池上、遂自乾明寺前東岡上帰、二首
【解題】上に続いてこれも日記調の詩。詩の題は、「雨が晴れた後に歩いて四望亭の下の魚池にまで行き、乾明寺の前の東岡の上を通って帰った」。四望亭は、唐の時代にこの地の知事であった劉嗣が再建したとの記録があり、黄州の町の北東にある竜王山の高台にあって、その名の通り非常に見晴らしがよい。蘇軾が寄寓する定恵院からは、乾明寺を経由して北に行き、往復数キロほどの道のり。
【訳文】
其の一
魚池では、
雨が降った後に、浮き草が合わさって水面を被い尽くし、
蛙の声があたり一帯に満ちる。
海棠の花はもはや夢となってしまったが、
梅の実が新たに嘗められくらいにまでなっている。
歩くついでにそこらの菜を摘み取る。
鞦韆が目に留まるものの遊ぶ人はいない。
心して応対してくれるのは木芍薬［牡丹］だ、
春の終わりの殿を自ら買って出てくれている。
其の二
四望亭の高い建物は廃墟となってすでに久しく、
下に魚を育てる池がある。
あたりの山に暮色が迫ってくると、
春風にいろいろな草の香りがより一層立ち昇る。
町につながる橋に人の姿はなく、
通りかかる古い寺には竹が青々と伸びている。
夕陽の当たるところを鳴く声で満たしているのは一羽の鸛鶴、
それはいったいどこから来たのだろうか。
【補足】［（1）蘇軾が四望亭までの道を歩いたのかがこれが初めてであったかどうかはわからないが、後にこのあたりを頻繁に行き来するようになり、ここに詠まれた鞦韆にしてもすっかり馴染の存在となる。（2）黄州に来てからの作品は蘇軾ファンを何倍にも増やし、後世の文人は黄州を訪れると、蘇軾の足跡を尋ね歩くのを楽しみとした。この詩を読むと、我々も同じコースを歩いてみたくなる］
■【06-1-033】与王定国書
【解題】黄州に到着してすぐに王鞏［字は定国］［→作品番号05-5-004など］から手紙が届いた。王鞏は蘇軾に連座して遥か南方の地に流され［→作品番号06-1-001］、移動の旅の途中にあった。王鞏の量刑が理不尽なまでに重かったのは、王鞏が宰相を出した名家の出であったことから、一種の見せしめであったのだろう。蘇軾は王鞏を巻き込んでしまったことの責任を強く感じていた。蘇軾から王鞏に宛てた手紙は多数残されていて、それぞれの書かれた時期や順序は必ずしも明らかではないのだが、ここでは、黄州での日々がまた浅かったころに書かれたと思われる4通から、適宜抜粋して訳出しておこう。
【訳文】
（1）私は黄州に来てからは、長江の岸辺で船が行き来するのを眺めて過ごしていました。そこに貴君からのお手紙を頂戴し、すぐに憂いをときほどくことができました。ここにあって体も気持ちもまずまずであるのをよしとしています。いまはある僧舎に寄寓し、僧に従って菜食し、私にはそれが非常によいようです。咎を受けた身には有り余り恩であると感じ、心を鎮め、口を閉ざすようにしています。記すべきことも、近くの寺で沐浴したこと、谷川を尋ねたこと、魚釣り、薬草の採取といったことくらいで、つまりはぼちぼち楽しんでいる次第です。
（2）私の罪は大きいのに、責めは軽く、これは幸いなことでありました。しかしながら、数十人もが私との縁で罪を得てしまい、とくに貴君は私のために最も深く累が及び、辺境の地に流れ落ちることとなってしまいました。このことを思うたびに、心肺の間に火の熱さ、棘の痛さを覚えます。貴君からの手紙を見るに、棄てられたとの怨みはなく、自ら思いを遣しておられ、真にその人となりを知ることができます。この不肖の身が、後に衰顔白髪をさらして貴君の家の訪問客の末席に連なることができましたなら、それに勝る幸いはありません。
（3）揚州には侍其君がいて、気候の悪い地で十余年間官の仕事をして帰って来られたところ、顔色は良く、悪いところは一点もありませんでした。侍其君がいうには、「磨脚心法」を用いただけとのことです。貴君はすでにこの法を行っているわけですから、さらに続けて怠らないようにしてください。酒は少量にし、飲食を節制し、常に胃の状態をよく保ってください。私は張方平殿の「軟朱砂膏」を湖州で試したことがあり、はなはだ益があると知りました。貴君も服用するとよろしいでしょう。
弟とは先日、陳州で別れましたが、顔色はすこぶるよく、目が輝いていました。夜中に臍から腹のあたりを気がよく巡っているのでしょう、隆々と雷のような音を発していました。弟の振る舞いは我らがそうありたいと常に論じている通りのものです。弟のように高い志節があってこそそのように行えるのでありましょう。
粉白黛緑［女色のこと］は狐狸や妖しい獣のようなものでありますから、貴君におかれては、道眼をもってきっと見破りますように。そのほかにも大切なのは、倹約に努めることで、軽々しく銭や物を費やしませんように。遠方の地でありますから、万一欠乏したときに補うのは難しいでありましょう。それに、災難のなかで自分を抑えて節約するのは、厄を消して福を致す一端となりもしましょう。
思うところは多々あり、その一つ二つでも尽くすことはできません。
（4）貴君がいま向かっている賓州では気候の悪さにきっと迫られるでしょうから、心と体をほどほどのところに安らかに保つことが大切でしょう。貴君は流落のために悲嘆に沈み込むようなことはきっとないでしょうけれど、節制せずにいてはよろしくありません。よく自愛し、すでに行っている「道引」「服食」をさらに功を倍加するようにされるとよろしいでしょう。
【補足】［王鞏は名門の生まれで、ずっと都での贅沢な暮らしに慣れていたので、蘇軾はとりわけ王鞏の健康を気遣っている。「磨脚心法」「軟朱砂膏」「道引」「服食」がそれぞれ具体的にどのようなことをするのかはよくわからない。蘇軾は健康法に強い関心をもっていたことはこの後でもいくつかの詩文で見ようになる］
■【06-1-034】与陳季常書
【解題】陳慥［方山子、字は季常］［→作品番号06-1-015］から一つの提案があり、それに答えた手紙。
【訳文】
武昌の一策を諭し示されまして、出費が少なく生計が立つ真に上々の策です。しかし、私が考えますに、世の好事家が粉飾を加えてあれこれ言うようになるのを恐れます。黄州安置の身でありながら、別の町に住まいを移したと都に聞こえましたなら、それは小さなことではすまないでありましょう。常に黄州と武昌の間を往き来しているとしましても、あれこれ詮索する者は何を言い出すかわかりません。皇帝陛下の示された御恩にいささか反することにもなりましょう。この策を採るかどうか、なお深く考えるべきであろうと思います。
【補足】［この手紙から、陳慥が対岸の武昌によい土地を見つけたので、そこに住まうよう蘇軾に勧めたと推測される。蘇軾は黄州安置の処分を受けていて、黄州以外の地に住むことはできないので、黄州に住まいを置きつつ武昌に適宜通うという形を取ればよいのではないと陳慥は提案したのだろう。武昌には先に見たように王兄弟もいて、なかなか好条件の案なのだが、やはり黄州安置の禁を破ったと都で沙汰されるのを恐れて蘇軾は断った。陳慥がこの地で相当に顔がきき、蘇軾のために何かと手を打ってくれていたことがわかる］
■【06-1-035】雨中看牡丹三首
【解題】3月になれば牡丹の花盛り。雨の日に牡丹を見ての詩。この詩は道教の寺院である天慶観で詠まれたものであろうと推測されている。天慶観は安国寺のすぐ近くにあった。
【訳文】
其の一
霧のような雨は点にもならない。
空に映し見て、雨があるかないかを疑う。
ときに牡丹の花についた雨は、
ぼつんぽつんと明るい珠を走らせる。
紅い化粧を洗い、ほのかな香りを生じさせる。
黄昏になって雨はさらに静かに注ぎ、
牡丹の頭は扶けなければと思わせるまでに重くなる。
其の二
明日になればきっと雨は止むだろう。
朝の光が松の枝に及ぶころには、
清らかな寒さが花の中にまで入り込んで、
しっかりと自分自身を保っていられるようになるだろう。
かくて、昼には濃い艶やかさを発揮し、
我が時を得たと牡丹は一笑するであろう。
そのまま暮れ方に至り、
自分の奥深い姿を、
いずれなきものとして斂めなければならないのを悲しむのだ。
其の三
牡丹の奥深い姿は惜しんだところで甲斐がない。
後に東の風が吹き出したなら、
酒が醒めた後で何を見るのかというと、
雌蕊に残る金粉だけなのか。
千種の花も百種の草も、
華やかなものも地味なものも、どれももうなくなってしまう。
泥に汚したくないのなら、
落ちる蕊を牛酥で煎じて食べるしかないだろう。
■【06-1-036】次韻楽著作野歩
【解題】かつては役人仲間に贈った次韻の詩が、蘇軾の作品に占める割合が非常に高かったのだが、黄州にきてからは大幅に少なくなり、楽京に対してこの時期に三首の次韻を贈っているのはむしろ例外的な事例であろう。楽京は新法の問題点を指摘してしばし官職から離れ、ようやく黄州で酒税の管理をする仕事を得た人で、当局の目を恐れることもなく、罪人として流されてきた蘇軾と果敢にも詩のやりとりをしたのであろうか。
【訳文】
老いて、西も東もわからなくなり、
林がひどく紅くなったのを見て、いまは秋かと思う始末。
逆に花と見たのは、眼が暈って本当は病気のためであるし、
耳の中では、からっぽなのにいつも蟻の音がしている。
酒が醒めたら、知らないうちに春は半分が終わっていたのだった。
眠りから起きるのはいつも日中を過ぎてからで、
杖をついて野に出て、
たまたま黍を作る人に会ったり、
衣を緩めて、おつな風だと詠じてみたり、
仰ぎ看て松から粉が落ちるのを手に受けてみたり、
俯して杞の叢から新芽が出ているのを摘んでみたりしている。
この地に降るのは楚国の雨、かの雲夢の沢を昏くし、
川を遡ってくるのは遥か呉国の潮、それでも武昌宮にまでは至らない。
歴史の興廃を見てきたこの地には無数の詩があり、
窓辺より静かに見やるだけで運命について考えさせられる。
いずれ我等は官服を脱いで、
二人の老人として、風流をともする仲間となるであろうか。
【補足】［（1）前半は老い衰えたことをことさらに強調していて、無害の流人であることをアピールしているのだろうか。（2）後半はこの地の歴史や名所を詠み込んでいる。蘇軾自身の注で、「黄州の対岸は武昌県で、孫権の故宮がある」と付記されている］
■【06-1-037】次韻楽著作送酒
【解題】楽京が詩を添えて酒を贈ってくれたのでそれへの返事。酒税を管理する楽京が、どこから酒を入手したのかと妙に気をまわす必要はないだろう。
【訳文】
若いころの私は、
酒を飲むと調子が悪くなり、觴を怯れたものだ。
老いてくると、長くじっくり味わえるようになった。
故郷を離れている我が愁いのかさを計るならば、
きっと一万斛はあるだろう。
春に届いたひと壺の酒はいったいいかなる湯なのか、
愁いは雪のようにたちまち消えてしまった。
■【06-1-038】次韻楽著作天慶観醮
【解題】楽京が天慶観で醮［道教の祭祀］を行って詠んだ詩に次韻した。
【訳文】
濁世、この紛紛とした濁った世に天帝が果たして降ったりするのだろうか。
夢の中で、天帝が飛び歩む後を尋ねたのだが、
五色の深い雲に覆われてしまって何も見えない。
我等には仙界の通明殿に到る手立てはなく、
わずかに玉佩の音が聞こえてくるだけである。
【補足】［蘇軾を罪に陥れた人々なら、朝廷から遠ざけられたしまった境遇を恨んで詠んだ風諭の詩であると解釈するであろう］
■【06-1-039】杜沂游武昌、以酴醾花菩薩泉見餉二首
【解題】杜沂［字は道源］が対岸の武昌にまできて、酴醾の花と菩薩泉の水を贈ってくれた。杜沂の名は作品番号05-1-002で見ていて、父の蘇洵が親しくした杜叔元の子である。酴醾はバラ科の植物で、香りのある白い花を晩春に咲かせ、文人に珍重された。菩薩泉は武昌の西山寺にある泉。
【訳文】
其の一
酴醾は、他の花と春に争いごとを起こしたりはしない。
最も遅れてひっそりと開くのである。
青い蛇、あるいは玉の骨のような蔓を延ばし、
羽根の蓋から珠を連ねた簾ように花を垂らす。
敢えて装うことなしに艷なることは絶世であり、
風がなくても香りが自ずから遠くにまで及ぶ。
呉の孫権が建てた故宮の址には、宮女の紅の粉がたくさん埋まっていて、
微かに月の光が射す晩には、どこかからか笙簫の音が聞こえてくるという。
そこに残った妍さがこの花に入ったために、
千年の後にもなお清婉なのだろうか。
怪しむのは、杜君は呼ばれてもなかなか山から帰らずにいること。
きっとこの花に挽れているからなのだろう。
しかし、昨日の宵には悪い雷雨があったから、
花が終わってしまって、杜君も返ってしまうのだろうか。
其の二
貴君はいう、
西山［樊山］の頂には昔から白泉が流れ出ていて、
初めは千頭の牛が垂れる乳のように白く、
下流では一万石の鉛のような鈍い色になり、
水の味は恵山の泉に恥じるところはないのに、
残念なのは、陸羽のような賢人に知られなかったことだ、と。
ならば、貴君こそが文字に託して天下に伝え、
泉の名を揚げるとよいだろう。
冷たい泉は人と似ていようか、
清も濁も源に具わっている。
我らは泉の水を飲みたいと思うが、
飲まれようが飲まれまいが、泉の患うところではない。
ああ、私はそもそも何をする者であったのだろうか、
虚名を空しく纏ってきただけではないのか。
唐の時代に柳宗元は、
自らの愚をもって谷を愚渓と名付けた。
ならば、私がこの水を飲んだなら、
泉はどのような名によって汚されてしまうのだろうか。
【補足】［（1）恵山の石泉の水が陸羽によって天下第二の名水であると賞賛されことは作品番号04-2-102で見ている。（2）「嗟我本何有、虚名空自纏」［嗟我本何が有る、虚名空しく自から纏う」は当時の心情をかなり顕わに示したものであるのだろう。（3）杜沂がこのときに何か官職に就いていたのか、何らかの用事があって武昌にきたのか、それらのことは知られていない。蘇軾が他の人に宛てた手紙で、杜沂が外からの最初の来訪者であったと記しているので、杜沂は厚い友情をもって、わざわざ罪人に会おうとして訪ねてきたのだろうか。黄州知事の陳軾が温かく蘇軾を遇している様子を聞いて安心し、以下に見るように、山遊びに誘い出すようになる。そうしたことが外に知れたからかどうはわからないが、蘇軾に会いにくる者が徐々に現れるようになる］
■【06-1-040】与朱康叔書
【解題】鄂州知事の朱寿昌［字は康叔］に宛てた手紙。鄂州は長江をはさんで黄州と向かい合う州で、上の詩にあった武昌県はその中に含まれる。朱寿昌は幼いときに生みの母と別れ、後に何としてでも母に会おうと官職を棄てて探す旅に出て、感動の再会を果たした人である［→作品番号03-3-014］。都で蘇軾と若干の交流のあった朱寿昌は、情の篤い人らしく蘇軾を慰めるべく物資を援助してくれた。朱寿昌は州知事として武昌からは西に100キロほど離れた江夏にいたので、人を介してのやりとりが続いた。朱寿昌は頻繁に物を贈ったようで、蘇軾の礼状が多数残っている。これはその一つ。
【訳文】
武昌から人づてにお手紙をいただき、続いてお使いの者がきてさらにお手紙などを頂戴しました。深く感服いたしております。日々御健勝のこと、また春の季節もよろしく、江山は美しく、政事は万事整い、時に遊び歩かれているとのこと、お伴できないが残念であります。二つの酒壺はまことに珍しく、旅愁を一洗してくれて、これ以上の幸いはありません。また結構な果実を巧みに収蔵して送ってくださり、まことにすばらしく思います。拙い私はここの風土には馴染がなかったのですが、いまはすでに落ち着いています。弟はまだ来ておりません。一寸ずつ千里の道を歩んでいるところです。……
【補足】［終わりのところで弟に言及している。弟は陳州にきて兄に会い［→作品番号06-1-004］、すぐに南京応天府に戻ると、自身の家族と兄の家族を伴って朝廷から指定された筠州に向かう旅に出た。そのときに大恩人の張方平［→作品番号05-5-094］は実に悲し気に見送ったという。筠州に行くには、長江を遡って途中の九江［江州］で南に折れて内陸深くに入って行くのだが、弟は九江からさらに長江を上流に進んで黄州にまで行って兄の家族を送り届けようとしていた。蘇軾はこれから家族をどのようにして支えていったらよいのか大きな不安がありながらも、弟と家族の到着を心待ちにしていたのである］
■【06-1-041】与朱鄂州書
【解題】これも鄂州知事の朱寿昌［字は康叔］に宛てた手紙。この手紙が書かれた時期はこの春ないしは翌々年の春と推測されているが、ここでは前者の説に従って、早くに読んでおこう。
【訳文】
近ごろ、春とはいえ寒さが続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。
昨日、武昌に寄寓する王天麟さんが来られ、たまたまあることを話され、それを聞いてあまりの酸辛さに、食事も喉を通らなくなりました。貴君のような賢者であればわかってくださると思い、王さんをわずらわしてこの手紙をお送りいたします。
王さんがいうには、岳州、鄂州のあたりの農民は、およそ二男一女を養い、それを超過すると子供を殺してしまうのだと。とくに女を養うのを嫌い、そのために民間には女が少なく、妻のない男がたくさんいます。
生まれてすぐに、赤ん坊を冷たい水に浸して殺すのだとか。その父母は忍びなくて、目を閉じて顔をそむけ、しかし、手は赤ん坊を水の中に押さえつけ、泣き声がやんでしばらくすると死んでしまっています。神山郷には石揆という農民がいて、続けて二人の子を殺し、去年の夏にその妻は一度に四人の子を産みました。そのとき、母子ともに皆が死んでしまいました。これは犯した罪の応報によるものなのでしょうが、愚かな民は天の戒めを知りません。
王さんは、近所でこのようなことがあると聞くと、すぐに走って行って赤ん坊を救い、衣服や食べものを与え、たくさんの命を助けてこられました。赤ん坊を殺そうとしていた者も、生まれて数日もすると、たとえ子を持たない人がその赤ん坊をほしいといってきても、与えようとしなくなります。親子の愛は天性として具わっていて、赤ん坊を殺すのは習俗に牽かれてしまっているだけなのです。
鄂州には秦光亨という者がいて、科挙に及第して、いまでは安州で官僚となっています。秦光亨が母の胎内にあったとき、秦光亨の叔父の陳遵は、夢の中で、一人の小児が衣を曳き、何かを訴えようとしているのを見ました。二晩続けて同じ夢を見て、その様子が甚だ切迫していました。陳遵は、姉が妊娠していてまさに産むときになったけれども、これ以上子供が多くなるのを望んでいないのだと気づき、急いで様子を見に行くと、まさに赤ん坊は水を満たした盆の中に置かれようとしていました。陳遵が救い出し、秦光亨は死を免れたのです。鄂州の人はこのことをよく知っています。
法律によれば、子孫を殺した者は二年の徒刑となります。これは州知事が執行する法です。そこで貴君にお願いしたいのは、各地の役人に命じて村々の顔役を招集し、この法律のあることを告げ、良し悪しを諭し、必ずこの法を実行するようにしていただきたいのです。顔役たちには村に帰って皆に話をさせ、さらに法律の条文を書いて壁に貼って示し、また、罪を犯したことを官に通報した者には賞を与え、その賞は罪を犯した者と隣組組織から徴収したものを充てるようにします。もし小作人が罪を犯したなら罰は地主に及ぶようにします。婦人が妊娠して月日が立てば、隣人や地主は知らないはずがなく、もし産んで後に殺せば、それがわからないはずはありません。黙認して官に告げないでいれば、当然罰金を科すべきです。法律によって数名を罰するなら、この風習も改まることでしょう。
人には人情があります。きっとこの定めに楽しんで従うことでしょう。殺すことなく生まれて数日が過ぎれば、その後でたとえ殺すように勧められても、誰もそうしようとはしません。貴君によって生かされる者がどれだけたくさんになるのか、きっと数えることもできないくらいになることでしょう。
仏教は殺生を罪とし、卵を抱くものを殺すのを最も重い罪であるとしています。動物であってもそうなのですから、まして人の子を殺す罪は重いのです。俗に病気となった小児を「無辜の者」［罪なく苦しめられている者］といいます。赤ん坊を殺すのはまさに「無辜の者」を殺すのです。法律では耄碌して人を殺した者だけは死刑を免れるとしています。罪のない子を殺して赦されるはずがないのです。貴君が一万の赤ん坊を死から救い出したならば、大人を生かすよりも十倍もの徳を積むことになりましょう。
昔、晋の時代に王濬が巴郡の知事であったときに、子を産んで殺した者を厳罰に処し、生かした者には徭役を軽減したところ、数千人が救われました。その後、呉と戦争になったときに、助けられた者は皆が兵士となり、その父母が息子を戒めて「王知事がそなたを生かしてくださったのです。そなたは王知事にために命を捧げなさい」といったそうです。昔の優れた役人にはこのような例はたくさんあります。いまの世において、昔の優れた役人のよさが残っているとしたら、貴君をおいて他にあるでしょうか。
私がかつて密州に赴任したのは、飢饉の年に当たり、多くの人が子を棄てました。私は官の余剰米をもとに「勧誘米」を設け、数百石を集め、捨て子を養う者には月に六斗の米を与えるようにしました。一年後には、養った者と子は皆が互いに親子の愛を持つようになり、決して捨てられることなく、数十人が生きることができました。
これらのことは貴君なら簡単に実行できましょう。貴公とは深い契りがあると考え、敢えてお願いする次第です。この不躾な手紙を民衆のためにどうかお許しください。
【補足】［蘇軾は密州で「涙をこぼしつつ捨て子を拾う」と詩に詠んでいた［→作品番号05-1-056］。そこでは捨て子を救う措置については何も言及していなかったが、「勧誘米」の仕組みを作って数十人の子を救済していたのだった］
■【06-1-042】黄鄂之風
【解題】生まれたばかりの嬰児を殺す習俗に対して、蘇軾は鄂州知事の朱康叔に手紙を送っただけでなく、自身でもできること考え実行している。この文章はしばらく後になって書いたものであろうが、関連するのでここに訳出する。
【訳文】
近ごろ聞いたところでは、黄州のあたりの庶民で貧乏な者は、子がたくさんになると、生まれても取り挙げないで、すぐに水を満たした盆に浸して殺してしまい、とくに長江の南の鄂州では最も甚だしいとか。これを聞いて忍び難く、鄂州知事の朱康叔はたまたま知り合いであったので、手紙を書いて、賞罰をきちんと定めて、この風習を変えるように勧めた。
また、黄州には古耕道という、椎魯て大して長所はないのだが、すこぶる誠実で、善を為すことを喜ぶ者がいる。黄州の富裕な者に一年に十貫の銭を出資してもらい、もっと多く出したい者にはそうしてもらい、その銭を古耕道が管理して、米や綿や絹の類を買って、安国寺の僧の継連がその出納を帳簿に付け、村々の貧者で子を挙げ難くしている者を訪問して、物品を与えるようにした。一年の間にもしも百人の小児を活かすことができたなら、閑な身となった私にとって実に楽しいことである。私も貧乏ではあるけれど、手始めに十貫の銭を出資した。
【補足】［（1）密州では知事という立場で捨て子救済のための仕組みを作った。それと同様のものを、黄州では民間の力によって作った。（2）それを実際に運用したのは古耕道と安国寺の継連で、継連の名は先に見ていて［→作品番号06-1-024］、黄州ではよく知られた高僧であるから、継連が関わっているのならと町の富裕層の賛同が得られたのだろう。（3）「椎魯」とここでは評されている古耕道も実は一目置かれるような人物であったのだろう。古耕道について詳しいことはわからないが、科挙を目指したものの合格するには至らなかったようで、それなりの教養人であったようだ。何かのきっかけで蘇軾と親しくなり、後に蘇軾は古耕道のすぐ近くに住むようになる。古耕道が陳慥［方山子］の交遊仲間、つまり「異人」の一人であったと推測しても、たぶん間違いではないだろう。（4）さらに補足すると、この元豊三年三月にもう一人の異人として潘丙が蘇軾のもとを訪れている。潘丙は、黄州の対岸の樊口で大きな居酒屋を営む潘革の息子で、潘一家の面々はいずれも個性的で、蘇軾は深く付き合うことになる。潘一家は古耕道とも親しく、さらに薬屋を営む郭遘も加わるならば、黄州の異人は芋蔓式にいくらでも繋がるということになる。つまり、蘇軾は黄州に到着してわずか2カ月にして庶民の間にしっかりとした足場を得たのである。制科にまで合格した超エリートでありながらそのようなことができたのは蘇軾の天性によるのだろう］
■【06-1-043】与李公択書
【解題】蘇軾は、古耕道を始めとして黄州の庶民との間に新たなつながりを構築する一方で、国家の上層部にある人々との交際も続いていた。李常［字は公択］から手紙が届き、すぐに返事をしたのがこれ。蘇軾が徐州知事であったときに李常が訪ねてきて詩を詠み合うなど［→作品番号05-4-030］、二人は極めて親密で、そのために李常は連座して罰として銅二十斤を科せられていた。
【訳文】
貴君より新しい詩をいただきました。どれも、遠く別れて悲しく、惘然しているという意味のことが詠まれていて、貴君が厚く私を思ってくださっていることがよくわかります。しかしながら、私は「鉄心石腸」をもって貴君と向かい合っているつもりです。
それはつまりこういうことです。我等は老いてかつ窮しておりましても、正しい道理が心肝を貫き、骨の髓に至るまで忠義によって填められ、いざ死ぬというときであっても普段通りに談笑している――そのようであってしかるべきではないでしょうか。もしも私が困窮しているのを見て憐れと思うのであれば、それは道を学ばない者と少しも遠くないと言わざるを得ません。
貴君は道に至ること深いわけですから、詩はかのようであっても、貴君の本心はきっとそうではなくて、友を好む心の篤さからかのようになっただけであるのでしょう。とはいえ、真の朋友の本義は、もっぱら道理に則して諫めることにありましょう。ちょっと言い過ぎかも知れませんが、貴君の本来の意を敷衍して申すまでです。
私も時に悩んだり苦しんだりもしますが、事に遇って、お上を尊んで民を択すことができるのなら、我が身を忘れてそれを行い、自分自身の禍福や得失は造物者に任せるのであります。
貴君でなければこのようなことは申しません。この手紙を御覧になったならばすぐに火にかけてください。道理をわきまえない者は侮辱されたと思うかもしれませんから。
【補足】［（1）この手紙はかなり強い口調で書かれている。「鉄心石腸」［心は鉄のように強く、腸は石のように堅い］とは、蘇軾にはあまり似つかわしくないようにも見えるが、軟弱なようでいて実はそうなのだろう。作品番号06-1-019で見た真摯な反省文の裏付けとなる心構えを示したものであるのだろう。（2）「民を択すことができるのなら我が身を忘れて行う」とは、すでに嬰児救済で実行しつつある。（3）どうしてこの手紙を火にかけるようにといったのか。蘇軾に対して監視の目を光らせている連中が見下されたと感じるのではないかと、蘇軾は気にしたのだろう］
■【06-1-044】五禽言、并叙
【解題】4月、季節は春から夏へと移り、蘇軾はこの詩を定恵院で詠んだ。序文がある。
【訳文】
叙
梅堯臣はかつて『四種の禽の言』の詩を作った。私は黄州に流されて、定恵院に寓居した。僧舎をめぐって、林には丈の高い竹があり、池には蒲や葦があり、春から夏への変り目には百種もの鳥が鳴く。土地の人はその声に似せて鳥の名を付けている。そこで梅堯臣の詩をまねて『五首の禽の言』を作る。
其の一
かつて王禹偁が蘄州に放逐されたとき、
啼く鳥の声を聞くと、「蘄州鬼」といっていた。
己が蘄州で死ぬことを暗示するのかと、それを非常に嫌った。
鳥はもとより王禹偁を知らないし、
ましてその死について知るはずもない。
人というものは、死んで鬼になることは免れようがない。
鳥の声で己の老いを知るようでは遅すぎるのではなかろうか。
【補足】［（1）王禹偁については、その肖像画を見た印象を記した文章があった［→作品番号05-4-049］。そこでは王禹偁を偉大な先人として称えていたが、ここでは皮肉な言葉を吐いている。（2）蘄州は黄州の東隣りの地で、実際に王禹偁はそこで死んでいる。なお「鬼」とは日本語の鬼とは異なり、死んだ人を意味する］
其の二
昨日、南の山で雨が降り、
西の溪川は深くなって渡れない。
川辺の「布穀児」は、
「脱却破袴」［破れた袴を脱ぎなさい］と人に勧める。
ならばと袴を脱ぐと、溪の水は冷たい。
水に映して見るのは、租税を催促されて叩かれたときの瘢だ。
【補足】［「布穀児」は鳩の一種で、その鳴き声は「脱却破袴」と聞こえる。蘇軾はここでも政治に対する皮肉な言葉を吐いている］
其の三
去年は麦は十分に稔らなかった。
人は我が肉［鳥の肉］を狙って弾丸を打った。
今年は麦の出来がよくて、
ところどころに粟の採り残りもある。
豊年の兆しなどないとは昔からいうところ、
なのに、人は我が「快活」の声を聞いて豊凶を占おうとする。
【補足】［「麦飯熟即快活」と鳴く鳥がある。その鳥がさかんに鳴くと豊年になると知って喜ぶのに、凶作の年にはその鳥を獲って食べようとするのはどういうかと、これも皮肉な口調の詩］
其の四
頑張って作ろう、頑張って作ろう、
蚕紙を一百枚。
丘には麦の頭が高く伸び、
林では桑の実が落ちる。
あたしが願うのは、
蚕が孵って蛹になって、さらにその子が増えて、
一枚の蚕紙から一千両の糸が得られますように。
【補足】［四首目は「蠶糸一百箔」と鳴く鳥の詩］
其の五
「姑悪」「姑悪」と鳥が鳴く。
姑に虐待されて死んだ嫁が、鳥になって鳴いているのだとか。
しかし、鳥はいう。
「姑が悪いのではありません、妾が薄命だっただけなのです。
見てください、世には孝婦といわれる嫁がいます。
東海の孝婦は、夫が亡くなり、子もなくて、でも、家を去らずに姑を養いました。
姑は私がいるから嫁に苦労をさせていると、自分で命を絶ちました。
姑の娘は、嫁が殺したと訴え、孝婦は死罪になりました。
それから三年、その地は旱魃に見舞われました。
広漢の孝婦は姑が好む水を汲みに毎日七里の道を川まで通っていました。
ある日、嵐に遭って定刻までに帰れず、隣りの家にまでもどって来ると、
『喉が渇いた。あんな嫁はいらない。離縁だ』と、叫ぶ姑の声が聞こえました。
孝婦は隣家に留まり、それからは昼夜働いて、隣家からということで姑にいろいろな物を届けました。
姑はそのことを知って、孝婦を呼び戻しました。
ああ、妾はどちらの孝婦にも及ばなかったのです」
【補足】［（1）「姑悪」と鳴く水辺の鳥がいる。この訳詩では二人の孝婦の故事を長々と織り込んでいて、原詩はずっと簡潔である。（2）この詩を詠んだときに、蘇軾は姉の死［→作品番号01-2-008］を思わずにはいられなかったと推測してもよいだろう］
■【06-1-045】武昌西山題名
【解題】長江の対岸に渡り、先に酴醾の花と菩薩泉の水を贈ってくれた杜沂［→作品番号06-1-039］とともに、武昌県の寒溪にある西山寺に遊んだ。その記録。
【訳文】
江綖、蘇軾、杜沂、杜沂の子の伝と俣がともに游ぶ。
元豊三年四月十三日。
【補足】［（1）たったこれだけのメモのようなものでも蘇軾の名があると珍重されて後世に伝えられた。お蔭で蘇軾の確かな足跡が知れるのである。（2）江綖は武昌県知事。杜沂の子のうち杜伝［字は孟堅］については、後に蘇軾が送った手紙を見ることになる［→作品番号06-2-085］］
■【06-1-046】遊武昌寒溪西山寺
【解題】上に記録された西山寺の遊びで詠んだ詩。
【訳文】
対岸の武昌には連山が蟠り、
樊口の渡し場のあたりも緑の木々で鬱蒼としている。
私は黄州に来てすでに百日、
向こうに渡りたいと思いつつ、
鴎が長江の水を出入りするのを座って眺め、
鹿が武昌の山を駈け巡るのを夢の中で追い掛けていた。
今朝はようやく、
衰え朽ちた身を一本の葦に寄せ、
強大な浪が襲ってきても平然と話し続けつつ長江を横切った。
重なる丘も、朝飯前だと履を飛ばすようにして登る。
寒気がするばかりの絶壁に行き当たり、
その下を吼えるようにして谷川が流れる。
これまで幾人の者がここにまで来ただろうか。
おもむろに進むと、
心に得るものがあるのを欣び、
あたりにあるのはいずれも霊草や薬草。
西山寺の九曲亭に上ると、
まわりの山々はどれもほんの小さな土の丘、
長江の北を見るなら、
都からここに来た路は全て雲水の彼方。
振り返って、呉国の宮殿跡を求めればぼうぼうと藪があるだけ。
伝え聞くところの歴史を偲ぶよすがとてなく、
尋ねようとする風流人もこのさすらいの叟くらいしかいない。
よし、田を買って隠棲するのはここだと決めようではないか。
よい水はあるし、結構な酒もある。
竹林を整えて、その奥深くに井戸を置こう。
さあさあ、もっと景色のよいところがあるだろうから、
さらに三日分の食糧をつつんで行こうではないか。
【補足】［詩の前半で初めて対岸に渡ると歌っているので、王兄弟の家は予告しただけでまだ訪ねていなかったのだろう［→作品番号06-1-030］］
■【06-1-047】与陳季常書
【解題】杜沂とともに西山寺に遊んだことは、陳慥［方山子、字は季常］［→作品番号06-1-034］に宛てた手紙にも記されている。
【訳文】
鄭巡察が来られてお手紙を受け取りました。貴君が健やかであることをつまびらかにするとともに、羈孤の身として、貴君を思う気持ちがますます高まります。数日前ににわかに杜沂君とともに長江を渡り、寒溪の西山に遊んで、聞いていた奇勝のほぼすべてを過りました。狂先生［陳慥］がおられないのがまことに残念でありました。
武昌の田についての利害を詳しく論じてくださり、老成の人でなければここまで聞くことはできません。またいろいろな物を別に届けてくださり、すべてを有難く頂戴しました。『易経』の注釈書はなお半年は練り上げる必要があります。秋にお会いするときにお見せできるでしょうか。
近ごろ、李賀の二詩を得ました。ここに書き留めましたので、お納めください。目の病はきっとすぐに治るでありましょう。さわやかな木陰にいれば自然とよくなるものです。
【補足】［（1）鄭巡察は、鄭という姓の役人である。巡察は武官で警察のような役割をする。（2）陳慥が武昌の土地を買うよう提案していることについてまた言及している。（3）『易経』は蘇洵も蘇轍も深く研究してきたいわば家の学問で、公務を離れた機会に蘇軾はその集大成を志したのである。（4）李賀は唐代の人で、「鬼才」という言葉がこの人のために作られたとされるほどユニークな詩風であった］
■【06-1-048】書杜君懿蔵諸葛筆
【解題】西山寺を訪問したのと同じころに、杜沂の父の杜叔元［字は君懿］の所蔵品であった諸葛筆についてこの短文を書いた。諸葛筆とは、宣州の諸葛氏が作る筆で、非常に優れていることで昔から知られていた。
【訳文】
杜叔元は書を善くし、李建中の筆法を学んだ。
宣州の副知事であったとき、その地で筆を作る職人の諸葛氏を士人と同様に厚く遇した。それで諸葛氏は力を尽くし、杜叔元はいつも善い筆を得た。
私が科挙を受験したとき、杜叔元は二本の筆を贈ってくれた。試験の間中使い続けてもその筆は駄目になることはなかった。
それから二十五年を経て、私は黄州にきて、杜叔元は亡くなって久しく、その子の杜沂と会った。杜沂はその父が宣州にいたときに得た筆をなお蓄えていて、丈夫でいまも使うことができる。
杜叔元は特別な筆の保存方法を知っていた。百本の筆に対し、水銀の粉を一銭分用意し、全てを沸騰した湯の中に入れる。筆に薄い糊が付いたようになる。そのようにしておくと、筆も硯や墨のように永く虫に食われることがなく、軟らかくかつ潤って乾燥しない。杜叔元の方法によらなければ、これほど長くもつことはない。
【補足】［（1）先の作品番号05-1-002と合わせて読むと、杜叔元の人となりが見えてくるであろう。（2）李建中の筆法については、後に作品番号06-2-013で触れられる］
■【06-1-049】武昌銅剣歌、并叙
【解題】古い銅剣を見て詠んだ詩。序文がある。
【訳文】
叙
鄭文がかつて武昌県の役人だったときに、長江の岸が裂けて古い銅剣が出てきた。鄭文はこれを得て、私に贈ってくれた。非常に精巧な出来で、並みの鍛冶職人が造れるものではない。
雨が止んで長江の流れが静まり、
沙を巻いて風が吹き過ぎたとき、
雷様は雲を踏んで黄色い蛇を捕えた。
蛇は矢のように空中を飛んでいたのだが、
雷様は電光でその尾を焼いてしまい、
丸めてからりと投げ捨てた。
雷様は飛んで天に上り、蛇は水に入った。
その途端に、鉄を削るような音がして、
水辺の山が裂け、神物［銅剣］が出現した。
その剣を仔細に見るなら、両側に朱い花模様がある。
かの蛇の血なのだろうか。
ああ、凌雲閣にある唐王朝を樹立した功臣の像を見るよい。
高さは九尺、いずれの人物も顎にまで届く長さの宝剣を腰に掛けている。
私なんぞがこの剣を得て何をするのか。
ただ叩いておかしな詩を詠むだけだ。
【補足】［唐王朝を樹立した功臣のような活躍をする――それは8歳のときに4人のスーパースターに憧れて以来の蘇軾の願いであった。しかし、罪を得て、もはやその夢は断たれてしまった］
■【06-1-050】与王定国書
【解題】王鞏［字は定国］［→作品番号06-1-033］には引き続き頻繁に手紙を書いている。その一部を見ておこう。
【訳文】
（1）手紙を書いて、江州［九江］に人を遣わそうとしました。すると、黄州の役人の李奉職が、王君はすでに湘江に沿って南に進んでしまっているでしょうというので、またこの紙に書いて、遞［官の通信網］で出すことにしました。いろいろ聞きますと、川を上流に向かって進むにつれて、水が石に激しく当たり、その険悪なことは名付けようもないとか。……［道中の困難さを気遣い、配所に着いてから気を付けるべきことなどを記す］……
【補足】［王鞏が都を出て配所に向かうルートは、大運河を使って長江に出て、長江を遡って九江に至ったところで、支流の湘江に沿って南下するのだが、そこからが実に困難で長い道のりである］
（2）貴君にはもとより罪がないのに、私のために累が及んでしまいました。そのことをずっと想っています。きっともっと善い土地に移されるようになるでありましょう。
私ははなはだ頑健で、住むところも、食べ物もなかなか結構です。ただ、平生から生計を営むことが不得手で、たちまち貧乏になり、どこから物を得たらよいやら、きっと孔子の弟子の顔回［顔淵］や原憲［子思］のような暮らしをして、この先を過ごすことになるのでしょう。私の命分はこのようなものだと思ってしまえば、憂うことはもうありません。
かつて私は徐州にいたときに黄楼をつくりました。そしていまは黄州にいます。また密州いたときには猟をして勇ましい武官になりたいものだと歌いました。そしていまは団練副使という武官です。みな先に兆しがあって、このようになっているのです。こう書いている間にも笑ってしまいます。……
■【06-1-051】題子由蕭丞相楼詩贈王文玉
【解題】弟の蘇轍は作品番号06-1-040で触れたように、配所の筠州に向かうために、自分の家族に加えて蘇軾の家族も連れて長江を遡る旅の途上にあった。池州に至ったところで、晤州知事の滕甫［後に滕元発と改名、字は達道］の出迎えを受けた。滕甫は蘇軾より16歳年長で、朝廷の要職にあったのだが、改革を批判して都から放逐されていた。今後、蘇軾は滕元発と親しくするので、ここで関連する文章を見ておこう。なお、蘇轍が配所に向かうルートは、長江を池州からなおも遡って九江に至り、そこから支流の湘江沿いに南下するあたりまでは上に見た王鞏と共通するのだが、王鞏の移動距離は蘇轍のほぼ二倍もあって、いかに王鞏が過酷な処分を受けたのかがわかる。蘇轍は九江に着くと、自分の家族を一時的にそこに置いて、蘇軾の家族を連れて黄州に行くことになる。
【訳文】
元豊三年五月、弟の蘇轍は池州を過った。知事の縢元発が、蕭丞相楼に上って詩を作り、それを携えて黄州に行き、向こうで蘇軾のために誦じたらよいだろうと弟にいった。それで弟はこの詩を作った。
繞郭青峰睥睨屯、……
元豊七年六月、私は王琦兄弟に従ってこの楼閣に登った。そして、兄弟のために弟の詩を書いて出して見せた。
弟はいま筠州にいるが、またここを通るであろう。
汝州団練副使蘇軾書く。
【補足】［この短文は、弟が実際に池州に立ち寄ったときから4年後に書いたものである］
■【06-1-052】石芝、并引
【解題】夢を見ての詩。序文がある。
【訳文】
引［序］
元豊三年五月十一日癸酉の夜、誰の家とも知れぬところに行き、堂の西の門を開けると小さな庭があり、古い井戸があった。井戸のまわりは蒼い石で、石の上に紫の藤のようなものが蛇のように蟠り、枝や葉が赤い箭のようであった。主人が「これが石芝です」というので、私はいきなり一枝を折って食べた。人々は驚いて笑った。その味は雞蘇のようで甘かった。その明くる日にこの詩を作った。
がらんとした部屋に明るい月が清らかに射し込んできて、
独り眠っていた私は目覚める。
次第に呼吸が整ってきて、
これは夢ではないのやら、まだ覚めてはいないのやら。
人の呼ぶ声がしたので、ついて行き、
瓊の飾りの戸を開いて、朱い欄干、碧の井戸。
石の上に蛇が蟠っているのとかと驚けば、
紫の筍のような玉芝が無数に生えている。
ぽきんと折り取ったのはまるで青い珊瑚、
味は甘い蓮根に雞蘇を合わせたよう。
主人は私を見て手を打ち、満座の客人がころころと笑う――
仙人は生半可な脱俗の士を嘲笑する。
そんな我であっても、
気後れして仙薬を食べそこなった昔の人よりはましだろう。
何しろ、石髓を服せば身は鉄のごとく、寿命は天に等しくなるのに、
神山が自ら開いてそれを取れるようにしてくれるのは、
五百年にたった一度だけなのだ。
【補足】［（1）石芝とは仙薬のもととなるもの。それをいきなりぽきんと折って食べてしまうのが蘇軾らしい。（2）詩の終わりの部分は、500年に1回しか採ることのできない石髄を目の前にしながら、ためらったために仙人になりそこなった人の話に基づく］
■【06-1-053】与章子厚参政書
【解題】都から章惇［字は子厚］の手紙が届いたのでそれへの返事。章惇は鳳翔時代からの親友。湖州の飛英寺で章惇が書いた詩を見て、「蓮の花が天にまで続くこの場所へと飛んで来るがよい」とのメッセージを送ったのは、前年の夏であった［→作品番号05-5-078］。蘇軾はそのすぐ後に逮捕され、章惇は政治的立場を異にしながらも、蘇軾の刑が減じられるよう諸方面に働きかけた。章惇はこのころまでに改革派の中心人物の1人となっていて、この年の2月に副宰相になった。章惇の手紙には、これまでの姿勢を改めて我々に協力しないかと記してあった。それに応じれば蘇軾には朝廷に復帰する道が開けるであろう。
【訳文】
去年、湖州でまたお会いできればと申しましたが、思いがけず逮捕され、ついにいまに至った私が、副宰相殿からお手紙を頂戴し、不思議に思っております。私は罪を得てからは、世間の事とは関わりを持たず、親戚の者との間でさえ一文字の手紙の往来もありません。お手紙で温かいお心で近況を尋ねてくださり、友愛、親切に感動して言葉もありません。
貴君が副宰相に任命されて大政に関わるようになりましたこと、世の全ての者が喜んでおります。私が貴君と初めて長安で会って語り合いましたとき、私は「貴君は世に抜きん出た優れ者で、一代の異人になるに違いない。功名を高く上げ、将軍でも宰相でも何にでもなるだろう」と思い、そのことを口に出して言ったところ、他の者は驚くだけでありました。今や副宰相になり、朝廷が人を得たのを喜ぶだけでなく、私の言ったことがまことになったのを喜んでおります。
私は罪を得まして、その悪かったことは一つや二つではありません。平生から、貴君と我が弟だけが、口を極めて繰り返し強く私を戒めてくれましたが、私は自分の思うままに振る舞って、お言葉に従うことはありませんでした。獄に入れられるに及んで、いまさら後悔しても遅く、きっと死ぬであろうと思いました。はからずも陛下の寛大な御心によって再び人間世界に出られるようになりました。これで身を改めなければ決して人とはいえません。
貴君のお手紙には「過去の過ちを悔やんで自ら痛むのであれば、一度の失敗ですっかり捨てられてしまうことはない」とあります。これは才能があって、朝廷が惜しむような人物にいえることでありましょう。私のごとき者は、瑕を削り垢を洗い、朽ちたところを刻み鈍ったところを磨いたところで、いったい何の役に立ちましょうか。一日に百回反省し、旧悪がありながらも命を保ち、いつしか後の世において父に仕えるようになることを天地の仁愛に願うものです。
私はまだ年若いときに、皇帝陛下にやや見知っていただき、そのときからもしも道理に従って分に安んじておりましたならば、どうして今日のことがありましたでしょうか。これまでに犯したところを思い返しますに、まことに義も理もなく、頭を病んでおかしくなった者が川を踏み海を歩いて渡ろうとするのに異なるところがなかったのです。そのような病がおこりましたときには、自分ではそれと知らず、何かに迫られて使われているかのようでありました。病がおさまった後で、ただただ恥しく思うのです。私が再び過ちを犯すであろうと自ら疑うのは理由があることでありますので、貴君は前からの知り合いであることをもって私を称誉してくださるのは、けだし私を過ちに導くものなのであります。私が再び艱難に陥ってももう誰も哀れんでくれはしないでしょう。
貴君は平生から私に薬を送ってくださり、また慰めの言葉をかけてくださっています。それだけで十分に世間の他の者とは異なっています。
黄州は僻遠の地で雨が多く、いつも暗い天気です。魚、稲、薪、炭は値が安いので窮乏の者には結構な場所です。それでも、私は平生から生活設計をしたことがないのは貴君も知っているとおりです。俸禄が入るとすぐに使ってたちまちなくなってしまっていました。いま弟のもとには娘と姪が七人いて、負債を山のようにかかえています。私の家族は皆そこにいて、いつこちらに来るのかわかりません。いま私は僧舎に寄寓し、粗末な衣を着て僧侶とともに野菜ばかりを食べ、質素な暮らしをしています。これで家族が来たならどうなるかと畏れています。窮乏と栄達の道理はほぼ了解しているとはいえ、俸給が絶たれましたために、一年もしないうちに飢えと寒さの内に陥るのではないかと、思わないではいられません。俗に「洪水がくれば溝ができる」といいます。そのときになれば、きっと何か処置できるでありましょう。最初から心配して愁いに身を焦がしたところで何ともなりません。
黄州に到着してから一度だけ黄州知事にお会いしました。それ以外は門を閉ざして外に出ていません。閑居とはいえ、まだ儒学の経典は見ることなく、ただ仏典に向かって日を送っています。筆硯を近付けることもありません。貴君とお会いすることはもうあるまいと思うと、紙に向かって茫然としてしまいます。
【補足】［文章の表面的な言い回しは丁寧であっても、章惇からの誘いはきっぱりと断ったのである。李常に対して「鉄心石腸」と書いた先の手紙［→作品番号06-1-043］とはかなり調子が異なり、非常にへりくだった書き方をしている。李常への手紙には他人に見せないようにと記してあった。副宰相の章惇に手紙を送れば、それは必ず他の人も見るであろうと意識しないわけにはいかない。それでそれなりの書き方をしたのだろう］
■【06-1-054】与朱康叔書
【解題】鄂州知事の朱寿昌［字は康叔］［→作品番号06-1-041］に宛てた手紙。
【訳文】
文同君の船が間もなくこちらに到着します。そのために涙がこぼれてなりません。貴君もまた同じ思いでありましょう。弟がここに来たならば、数日間留まることになるでしょう。
……［朱寿昌がまたいろいろな物を贈ってくれた謝礼を述べる］……
お尋ねの菱、翠の二人はこれまでも何でもない女性で、ただ朝雲だけは仮に妾の位にあるとしていますが、何らお気にかけていただくまでもないことです。……
【補足】［（1）1月に陳州で会った文務光［字は逸民］［→作品番号06-1-002］は、父文同の棺を船に載せて故郷に向かって長江を遡りつつあって、間もなく黄州に到着する予定であった。そのことが冒頭に記されている。（2）弟もまた文務光の船を追うようなかたちで黄州に向かいつつあった。（3）後半には極めて私的な内容が記さている。朱寿昌は手紙で、蘇軾のもとには妻以外にも複数の女性がいて、経済的にもまた健康の面でも気がかりであるようなことを記していたのだろう。菱、翠と記されている女性は何者であるかはわからない。朝雲は杭州を離れるに際して家に引き取った女性である［→作品番号04-3-069］。当時の士大夫は通常の使用人とは異なる複数の女性を家に置くのが普通で、妾と称せられる女性の全てが必ずしも性的関係の対象となったわけではないようであるが、女色に溺れて健康を害したり、家の風紀を乱したりすることもあったので、朱寿昌は危惧するところを率直に蘇軾に伝えたのだろう。最後に省略したところでは、いわゆる房中術について言及しているのだが、訳者には全く意味が汲み取れないので割愛した］
■【06-1-055】黄州再祭文与可文
【解題】文同［字は与可］の棺を載せた船が黄州に立ち寄り、蘇軾は棺を前に文同を祭る文を読み上げた。文同の霊に捧げる祭文は前にも書いている［→作品番号05-5-013］ので、題に「再び」とある。
【訳文】
嗚呼哀しいかな。
鳳翔で官職に就いたときに、私は初めて貴君と識り合った。大きな口に秀でた眉、忠信が言葉に現れ、志気は剛く、事をよどみなく論じていた。
ひとたび別れて五年、貴君の評判は日に日に聞こえ、貴君の徳はますます高く、自ずと周囲を洗ってよい薫りで包むようになった。芸学の豊かさは秋の果実が盛んに実るかのようで、言葉は口から出るままに直すところのない立派な文章となり、他の百家の文などはつまらないものにしてしまった。私も自分の文を恥じ、筆硯を焚いてしまおうとした。
二度目は都で会い、貴君は黙って何も言わなかったが、杳として清く深く、華が落ちかかるほどに開き、あるいは黍を刈り取ってちょうど炊き上がったかのような趣があって、酒を啜って歌い合うと、純粋な喜びがあった。貴君は天から力を得て自然に振る舞って誤ることがなく、たちまち万事におさまりを付け、垢にまみれた世俗から独り抜きん出ていた。
貴君は知事として三つの州を廻りつつも、常に家郷を恋慕し、草や木にまで仁を施し、その信義は山の鹿にも及んだ。地方から都に帰っても人と群れをなすことなく、都から地方に出ても特に親しくする相手はなかった。
死と生は大きな事柄、淒愴として貴君を祭る。
貴君はもう談笑することがなく、自然界はただ虚しく運行を続けている。貴君が西に帰って葬られるときに当たって、私は長江のほとりに流された。貴君のために捧げるものは何もなく、ただ川辺の芹を摘むばかりだ。天には日と月があり、朝があれば必ず夜がある。人は茫茫とした空間の内にあって、幾たびか会い、幾たびか別れる。この觴の酒を尽くそう。安らかな土の内に帰りたまえ。
嗚呼哀しいかな。
【補足】［間もなく弟の蘇轍がここに来るはずだからと引き留めたが、文務光は先を急いで西に去った］
■【06-1-056】浄因浄照臻老真賛
【解題】文同［字は与可］の画について論じた文章を作品番号03-4-006で見ているが、そこでは敢えて末尾に置かれた次の18文字を訳さなかった。「元豊三年端陽八日、眉山蘇軾于浄因方丈書」。これによれば、元豊三年五月八日に浄因寺の方丈でその文章を書いたことになるのだが、元豊三年五月とはまさにいま見ている通り、文務光が黄州に立ち寄ったころで、都にある浄因寺で蘇軾が書ける道理がない。それで、元豊は元祐の誤りだろうとする説がある。元祐三年とはこれより8年後で、確かにそのころは蘇軾は都にいるので一応のつじつまは合う。しかし、それではいかにも遅すぎるので、普通は文同も蘇軾も都にいた時期に書かれたと考えられていて、第3章において訳したのである。ここで一つ考えられるのは、元豊三年五月に改めてその画論を清書して文務光に与えたということはあるのかもしれない。そのように解釈してもよい理由の一つとして、このときに浄因院の道臻長老の肖像画に書き添えたとされる賛が残っていることがある。道臻長老は画論を書くよう蘇軾に勧めた人である。ここからは訳者の当て推量でしかないが、文同の遺品のなかに肖像画があって、この賛を加えつつ、清書した画論を文務光に渡したのではないだろうか。なお、賛の本文は訳者には理解不能なので、原文をそのまま掲げて訳は割愛する。
【訳文】
浄故能照、為照故浄。亦如是身、孰知其正。四大是仮、此反為真。従古聖賢、所莫能分。視彼如此、凡賊皆子。喜甲怒乙、雖子猶賊。人方自我、物固相物。是故東坡、即此為実。
■【06-1-057】与李公択書
【解題】このころに、李常［字は公択］［→作品番号06-1-043］に宛てて、文務光を支援してほしいと頼む手紙を書いている。
【訳文】
文同君が亡くなり、あれだけの徳がありながら、寿命が短かったのを痛まずにはいられません。極貧のうちに亡くなり、残ったものはごくわずかしかありません。若い息子は我が弟の婿で、私とも深い縁があります。その子は幸いにも賢く、学問もよくできるので、遠い将来においては何ら憂うべきことはありませんが、目下のところは助けなければならないのであります。
■【06-1-058】今年正月十四日、与子由別於陳州、五月、子由復至斉安、以詩迎之
【補足】5月末、弟の蘇轍は黄州にあと少しのところにまで至った。この詩の題は、「今年正月十四日、弟と陳州で別れた。五月、弟は斉安［黄州］にやってきた。詩を弟に送って迎えた」。
【訳文】
僕の貂の裘は、
人を驚かせる世間の塵やら激しく降る雪やらでいっぱいになっていた――
宛丘［陳州］での君との別れに、
僕は涙を浅い春の風に灑いだ。
かの「邯鄲の枕」の夢にまた向かうのかと思ったら、
かえって雲夢沢のある南の地に僕は来てしまった。
これから君と会っても、
その後には三年間の別離を覚悟しないとならないだろうから、
必ず十日間は滞在するよう引き留めようと思っている。
いつしか僕等の白髪が故郷の山の前に映えるときがきて、
何もかもが終わったと看てとるようなことになるのだろうか。
【補足】［（1）最初に陳州での別れを歌っているが、実景というよりはイメージであろう。詩は必ずしも事実をそのままに叙述するものではない。（2）次に「邯鄲の一炊の夢」の故事を引いて、人間世界の栄枯盛衰の夢の内に再び入るのではなく、世間から切り離された流謫の身になったとして、夢の縁で「雲夢沢」［黄州の南にある名所］の地名を引き出している。（3）終わりの部分は、蘇軾による注記があって、唐の柳宗元の『劉禹錫と別れる』の詩に「皇恩によってもしも田に帰り去くのが許されたなら、黄髮［白髪］となって万事が休むのを看るであろう」の句によるとある。実は、第一句は確かに柳宗元の詩であるけれど、第二句は劉禹錫が返した詩にあって、蘇軾は誤って二つの詩を合わせて一つにしてしまったのだという］
■【06-1-059】暁至巴河口迎子由
【解題】蘇軾は弟が到着するのをじっと待っていることができなくて、朝早くに黄州を発って長江を下り、二十里先の巴河口まで迎えに出た。
【訳文】
去年、僕は御史台の獄にいた。
手を挙げても、体を動かしても、すぐに四方の壁にぶち当たった。
深い深い井戸の底にいて、
小さな小さな天を仰ぎ見ていたのだった。
垣根を隔てて歌声が聞こえてくると、
僕は生きる計を自分自身で失ってしまったのだと恨みもした。
詩を書き留めようとしたけれど、
忍び難さのあまり紙も筆も涙で濡れてしまった。
ところが、どういう幸いであったのか、
なお生きることができて、
今日のこの楽しさがある。
長江の流れは鏡のように浄らかで、
煙のような雨が軽くただよっている。
僕の乗る一艘の舟はまるで水鳥だ、
千頃の広さの水の碧を、
一つの点から左右に分けて進んで行く。
聞けば、君は磁湖にあるという。
見ようとして、隔てているのはもうわずかな距離だけだ。
朝になって風光はまことによい。
竿に付けられた旗は、風によって西北に流れている。
まさにその風に乗って君はやってきて、
川の中ほどで会う、
君の笑っている目から、清らかな光が溢れ出るのを見るのだ。
僕はこの地で老いるのだろう。
黄州には柯氏の林がある。
美しい竹があり、石のかたわらから泉が湧いている。
そこに土地を買うべきかどうか君と相談して、
ぜひそうすべきだと君がいってくれるのを待っている。
■【06-1-060】遷居臨皐亭
【解題】上の詩の終わりで、柯氏の林［定恵院の北の丘［柯山］にある］を買うつもりでいると詠んでいたが、弟が連れてきてくれた家族をどこに住まわせるかは火急の問題で、黄州知事の陳軾の助力を得て、定恵院から西に少しだけ離れた臨皐亭に移ることになった。臨皐亭は、黄州の州庁がある黄州城の南門のすぐ外側、長江を臨む高台にあった。
【訳文】
天地の間に生まれた私は、
大きな磨り臼に身を寄せる一匹の蟻のようなものか。
蟻はよたよた右に行こうとするのに、
臼は止まることなく左に回る。
私は仁や義のために走ろうとしているのだが、
餓えや寒さの苦しみが追いかけてくるのから免れることができない。
我が身の危うさをいえば、
剣の先に釜を置いて米を炊くようなもの、
針をばらまいた氈の上でくつろごうとするようなもの。
それでも天地の間には佳い山水があり、
風や雨とともに瞬時に変化するありさまが眼の内を通り過ぎる。
老いを待たずに故郷の田園に帰るのを決断できる人は多くない。
幸いにも、私は世間から棄てられた余りものとなり、
疲れ切った馬は鞍から解放された。
我が一家は長江を臨む駅舎を占拠し、
天が切り開いた絶境を自在に見ることができる。
そのことと、餓えや貧乏との得失を乗除計算するならば、
悔やみをいうべきことでも、祝いをいうべきことでもないのであろう。
かくて淡く生きて、憂いも楽しみもないとし、
苦しいとかの言葉はいささかも成さずにおこうではないか。
【補足】［黄州知事の陳軾を初めとして蘇軾を支えてくれる人は少なくはなかったが、それでも急に大所帯となったことで、蘇軾は不得手な家計問題に苦労しなければならなくなる］
■【06-1-061】書臨皐亭
【解題】臨皐亭で記した短文。この文章も含めて執筆時期は必ずしもこの年の夏ではないかもしれないが、以下に関連するものを幾つかまとめて見ておこう。これらの作品には家計問題の影が一切見えないのが面白いところである。
【訳文】
私は、飯をたらふく食べ、酒に酔って机にもたれかかる。白い雲が左側からまとわりついてきて、清らかな江が右側から巡り来る。重なり合う門の全てをからりと開け放つと、丘の林が後ろからどっと入り込んでくる。このときに、私には思いがあるようでいて、思うところはない。私もまた万物の一つとして、あるべきものが備わっているのだ。慚愧、慚愧。
【補足】［（1）臨皐亭から南を見れば、長江が右側からカーブしながら目の前を通過し、背後には黄州の町とそれを囲む丘がある。そのことが前半に記されている。（2）この文章の核心は終わりにある5文字、「受万物之備」［万物の備われるを受く］である。この意味は、①天の道［自然の基本法則］は万物に備わっている、②それは自身の内にも備わっている、③だから万物と自分は通じ合っている、④そのことを知る以上の喜びはない、ということである］
■【06-1-062】南郷子
【解題】臨皐亭で詠んだ詞。「春」の字が用いられているので、翌年の春の作であるのかもしれない。
【訳文】
晩景落瓊杯。［夕暮れの風景が落ちたのは瓊の杯の中］
照眼雲山翠作堆。［それが眼を照らし、雲のかかった山の翠が堆く積ります］
認得岷峨春雪浪、［そうだったのです、岷山、峨眉山の春の雪が浪となって］
初来。［初めてここにまで来ているのです］
万頃蒲萄漲淥醅。［眼前の長江に漲るのは葡萄から搾ったばかりの故郷の酒なのです］
春雨暗陽台。［春の雨が暗くとざす天上界の高楼］
乱灑歌楼湿粉腮。［歌宴の場に雨が乱れ注ぎ、仙女の粉腮を濡らします］
一陣東風来捲地、［一陣の東風が地を捲くようにして来て］
吹廻。［吹き廻ります］
落照江天一半開。［長江の上に、落日に照り映えた天が半ば開かれます］
【補足】［この詞はイメージが次々に飛躍して訳すのは容易でない。杯の中に風景が落ちてくるというのが第一の飛躍。目の前に流れている長江の水は、故郷の山の雪が解けていまここに到着したとするのが第二の飛躍。杯の中の酒と長江の水を同一視するのが第三の飛躍。酒は故郷の葡萄を搾ったものだとするのが第四の飛躍。そして、後半でさらに飛躍して、自身は臨皐亭にいながら、仙女の住まう「陽台」にいるかのようにイメージし、にわかに降り出した雨が、仙女に降りかかると想像して、最後に雨が上がり出した実景を描写する。以上のような幾つもの飛躍を意識して、漢字の並びを眼で追うなら、この詞をよりよく味わえるであろう。なお、他の詞も同じように、字面から喚起されるイメージを補助線として鑑賞していただきたい。詞は字句が比較的平易であるからそうすることが可能であろう］
■【06-1-063】書臨皐亭風月
【解題】臨皐亭から見る自然物について書いた短文。これが書かれたのは恐らく2年ほど後のことであろうが、臨皐亭のイメージを掴むためにここで見ておきたい。
【訳文】
臨皐亭から数十歩も行かずに長江の大河がある。川の水の半分は峨眉山の雪が解けたものだ。私が飲食に使う水も、沐浴する水も皆ここから取る。だから何も故郷に帰らなくたってよいのだ。川と山、風と月、それらにはもともと決まった主がいるわけではない。そのときに閑な者が主になるのだ。
范百嘉君が近頃、邸宅と庭園を新しくしたとか。そことここの臨皐亭とどちらが勝るかと、そこらあたりの人に尋ねたいものだ。こちらが及ばないのはたった一つだけ、土地と住人にかかるところの税金をお上に対して払っていないことだ。
【補足】［（1）長江の水の半分は峨眉山の雪解け水だというのは、前の詞と同じ発想である。（2）范百嘉［→作品番号04-1-040］は范鎮の息子。范鎮は蘇軾の大先輩で、かつて都の門の手前で足止めされたときに、しばらく范鎮の所有する東園に居候させてもらったことがあった［→作品番号05-3-013］。後で見るように、范鎮は流罪をなった蘇軾の身の上を心配し、たびたび手紙を送って、自分の近くに住まないかと誘ってもくれた。税金を納めないのが短所であるとはひねったユーモア。（3）「もともと決まった主がいるわけではない」という発想は後に大きく展開される［→作品番号06-3-057など］］
■【06-1-063】与朱康叔書
【解題】弟が黄州に滞在していた時期にもどって詩文を見てゆく。これは鄂州知事の朱寿昌［字は康叔］［→作品番号06-1-054］に宛てた手紙。
【訳文】
お使いの者が来て、お手紙を頂戴しました。情宜のますます厚いことに感服いたしております。お健やかにお過ごしのことを審らかにし安堵いたしました。弟は我が家族を連れてここに到りました。こうして平安でいられますのも、返す返すも貴君のお蔭によるものであります。二壺を賜り、弟とともに酔いを重ねております。これも貴君の徳によるものです。暑さの盛りであります、万万自重されますように。
■【06-1-065】与子由同遊寒溪西山
【解題】弟とともに武昌の西山寺［→作品番号06-1-046］に遊んだ。
【訳文】
散人［束縛されない人］である君は、
都会の道も田舎の道も自在に出入りし、
朝には湖北にいたかと思えば、夕べには淮西にいる。
筠州の酒官になりはしたものの、まだ仕事に就いていないので、
両脚を泥に突っ込むのもお構いなしと歩きまわる。
君と僕は、雲と雨のように集散定めなく、
ともにいられるこの日々を惜しんで手を取り合って行く。
長江の流れに一本の箭を放ち、水鳥の前に躍り出し、
一千回揺れての後に、向かいの樊口に至り、
一万回の上り下り、草木の重なり合う西の嶺に入る。
暗い渓に瀏瀏と鳴り響く水音、霜や雪の冷たさを思わせる。
人影のない山の古い寺に何があるかというと、
眼下に広がる万頃の青い玻璃。
僕等はいま鴻や雁のような漂泊の身、
長江の南も北も常の棲家ではない。
身なりなど気にもしないので、
武昌の町に下りるのはよしにして、
新しい道筋を踏み開こうと思う。
不意に悲しくなる――
君と別れた後で、
独りでまたこの道にくることができるだろうか、
君とたどった跡にはどのような思いが残っているのか。
僕等がこのように流落したのはきっと天の意なのだ。
自らの迂闊によるのであって人に陥れられたのではない。
君は山水に行き逢うたびに羞らい嘆息する。
ここを去ればまだ官の仕事から免れずにいるからだ。
そういえば、我等の蜀にはむかし李八百という仙人がいて、
聞くところでは、君がこれから行く筠州で仙薬を練ったとか。
あまり嘆いてばかりいると、
すっかり真白になってしまった頭で、
李八百から薬を分けてもらうことになるだろうよ［もはや手遅れだね］。
【補足】［黄州から武昌に行くには、前にも見たように、黄州の町の西側にある渡し場から船で向かいの樊口に渡る。樊口は樊水が長江に注ぐ合流点にある。樊口の背後に樊山が聳え、樊山の西に西山が並ぶ。西山の見晴らしのよい場所に九曲亭があり、山の直下に長江を臨む。西山から長江とは逆側に流れ下る寒渓のほとりに西山寺があり、そこから降りて行くと武昌の町に到る。この詩では、樊山から西山を経て西山寺を訪れたものの、この身なりで町に入るのはやめておこうと、別の道から樊口に引き返したのである。詩には樊山の一万回の上り下り［万兀］とあるが、実態としては樊山はさほど高い山ではなく、軽いハイキングコースくらいのようだ。なお樊口から樊水を遡れば容易に武昌に行ける］
■【06-1-066】記樊山
【解題】樊口や樊山について、このころに書いたと思われる文章があるので、ここで見ておこう。
【訳文】
私が住んでいる臨皐亭の下には、長江が西から乱れ流れきて、樊山に衝突している。そこに樊口がある。樊山はあるいは燔山ともいう。日照りが続く年に、この山を燔くと、竜が起って雨を降らせるので、燔山というのである。あるいは、樊氏がここに住んでいたので樊山だともいう。どちらが正しいのかわからない。
樊口の上流に盧洲がある。孫権［三国時代の英雄］が長江を渡ろうとして大風に遇い、船頭にどこに船をつけたらよいのかと聞かれ、孫権は盧洲に行こうとした。従者の谷利が船頭に刀を突き付けて脅し、樊口につけさせた。それによって、孫権は樊口から山中の路を通って武昌に帰ったのだった。山中にはいまも呉王峴と呼ばれている洞穴がある。岩は紫色で、磨けば鏡のようになる。
樊山を巡って南に行くと寒谿寺［西山寺］がある。その上に曲山があり、山頂にある即位壇や九曲亭は、どれも孫氏の遺跡である。西山寺の泉の水は白く甘く、菩薩泉の名がある。水は石から出ていて、その石は人が手を垂れるようなかたちをしている。山の下に陶母廟［陶侃の母を祀った廟］がある。陶公［陶侃］が武昌を治めていたときに、陶公は病んで船に乗り、樊口で死んだのだった。
こうした故跡を尋ねると，悽然とした思いに駆られる。
孫権は樊口で猟をして一頭の豹を得た。そこに老婆が現れて、「豹の尾をどうして掴まないのか」といい、たちまち消え去った。山中には聖母廟がある。私が十五年前にそこを過ったときには板に「得一豹」の三字がぼんやりと記されているのを見たが、いまはなくなってしまった。
【補足】［終わりに十五年前とあるのは、父の棺を船に乗せて故郷に帰ったときのこと。樊山のあたりを見て歩くようなこともしたのだが、服喪中であることから詩を詠んだりはしなかったのだろう］
■【06-1-067】次韻答子由
【解題】6月9日、弟は黄州を去って筠州に向かった。蘇軾は対岸の王兄弟［→作品番号06-1-030］の家にまで行って弟を見送った。
【訳文】
僕の翼は弱いので、
とかく吹きくる風に任せて飛ぶだけで、
それによってどこに行くにしても、
そこがすなわち帰るところなのだ。
君の詩はいわゆる珠玉のことば、
一つ一つが核心を衝いて、
僕を覆う煩悩の膜を何枚となく剥がしてくれる。
山に住む高僧は味わい深い趣をわきまえてはいても、
君のことを十分に知ることはないだろう。
そこらの小役人どもはまともなことは言わないけれど、
僕なんぞは笑うべきだとちゃんと知っている。
僧にとっても役人にとっても読書は清浄な業ではあるが、
僕のような暇人の昼寝の価値には及ぶものではない。
【補足】［弟は蘇軾の家族を連れてきた。前年の7月に湖州で別れて以来の再会を果たし、さぞ深く感じるところがあったろうと推測するのだが、そのことは全く詩詞に詠んでいない。詠んでも人に一切見せなかったのでいまに伝わらないという可能性は皆無とはいえないが非常に考えにくい。杜甫が、安禄山の反乱軍によって占領された都を脱出してようやく家族に再会したときに感動的な詩を詠んだのとは対照的である］
■【06-1-068】与朱康叔書
【解題】この年の夏はとりわけ暑く感じたようで、そのことが鄂州知事の朱寿昌［字は康叔］［→作品番号06-1-064］に宛てた手紙に記されている。
【訳文】
（1）すでに長江のほとりの臨皐亭に遷居し、はなはだ広々としてすがすがしいところです。朝の風、夕べの月に乗じてあたりをぶらぶらと歩き、江の水を酌んで飲んでおります。このようにできるのも貴君のお蔭で、貴君の風義を想いつつ水を味わい、孤りの寂しさを慰めています。また去年の六月に詩を写された一軸を寄せてくださいましたのを楽しんでおります。酷暑の折から、くれぐれもお体を大切に。
（2）やり過ごすこともできないこのひどい暑さに、何事も放り出してしまうしかありませんので、お手紙も稀になっておりますことも、たぶんあまり深く訝しくは思っておられないでありましょう。このごろはいかがされていますでしょうか。副知事殿がこちらの州に来られて、お手紙とともに新しい酒をお持ちくださいました。ここに到着したお酒はあたかも新らたに甕から出たばかりのようで、極めて珍しく優れた品であります。ありがたさに言葉もありません。二三の佳士［きちんとした人］とともに飲み、貴君の徳に感じ入っております。秋に向かう季節、ますます御健勝でありますことを祈っております。
（3）……弟はすでに筠州に向かいました。伝え聞くところでは、虚実のほどは確かではありませんが、筠州では大水が出て、町の中でも一丈余りも水が溜まったとか。
屏風の賛や硯の銘は無用の物でありますが、貴君がお好きとあれば写さないわけにはいきません。装幀をしてお送りしますので御覧ください。
小さなことをお耳に入れるのをお許しください。潘原秀才という者がいて、売卜のことで法の禁じるところを犯したとされています。私とその兄の潘丙解元とはよく知る仲で、潘丙君は文章を作りますし、行いもしっかりした人です。潘原君も自ずと佳士でありまして、家業もきちんとしていますので、どうか御庇護を望むものであります。暑い季節でありますから、早くに獄から出られたらよろしかろうと思っています。この人の父母は真面目な老人で、潘原君のためにひどく憂慮しております。貴君は仁孝をもって世に名の聞こえるお方でありますから、哀れんでくださるものと思っております。これまでの馴染みをもってお願いする次第です。……
【補足】［（1）終わりの部分で、蘇軾としては珍しく私的な願いを述べている。樊口で酒店を営む潘革とその息子の潘丙の名は作品番号06-1-041で見たが、潘丙の弟の潘原が獄に囚われてしまったので、赦されるよう働きかけてほしいと頼んだのである。この手紙では、潘原は「潘原秀才」、潘丙は「潘丙解元」と記されている。「秀才」は科挙を受けることを目指して勉強しているような人を指し、「解元」は科挙の一次試験を首席で合格したことを意味する。いずれにしても教養ある人であるということを伝えて、朱寿昌の印象をよくしようとしたのであろう。（2）ついでながら、徐州で無実の罪に落とされてしまった人について配慮してくれるよう章惇［→作品番号06-1-053］に手紙を出していることを記しておこう。その手紙には経緯が詳しく記してあって、当時の裁判事情を知るのによい史料であるのだろうが、訳者の手にかかると誤訳だらけになってしまうのを恐れて割愛する。その手紙からも、政治的立場は異にしても、章惇は信頼できる友であると蘇軾が考えていたことがよくわかる。（3）先に見た朱寿昌への手紙［→作品番号06-1-054］で言及していた女性たちがどのようになったのかいささか気になるのだが、そのような極めて私的なことについて蘇軾が書くことはほとんどない。菱や翠については何ら知れるところがなく、朝雲だけが、作品番号06-4-057以降、時折詩文に登場するようになる］
■【06-1-069】与司馬温公書
【解題】蘇軾は土地の庶民のためにひと肌脱ぐようなことをする一方で、当時の著名人との交流も保っていた。これは洛陽にいる司馬光［→作品番号05-3-018］に宛てた手紙。このころに改革政治に不満のある人々が最も嘱望する人物が司馬光であった。
【訳文】
謫居の窮僻さは井戸の底にあるかのようで、都や洛陽のことは杳として聞こえてきませんので、近頃はいかがお暮しであるのか審らかにいたしておりません。
私は我が愚暗をもって罪を獲て、咎は己から招いたものでありますから、言うに足るものは何らありません。しかしながら、いろいろな方に波及してしまいましたこと、とくに深く残念に思っております。貴君は風儀が高く、少々のことでは塵や垢によって汚されることはないとはいいましても、私は貴君のことを思うたびに背にも腹にも痛みを覚えずにはいられません。
我が住まいは長江から十歩も離れておらず、風や波や霧や雨が朝に夕に百変し、長江の南のもろもろの山がほとんど部屋の内にあるかのようで、それらを目にする幸いはこれまでになかったものです。欠乏の憂いはあるとしても、衣服や食事が粗末であるだけのことです。
いつまたお会いできるのかと思うと、書に臨んで惘然としてしまいます。季節柄、くれぐれも御自愛されますように。
■【06-1-070】菩薩蛮
【解題】七夕に黄州の朝天門に上って作ったと伝えられている詞。織女の伝説を詠んでいる。たぶん同行した町の人々へのサービスで作ったものなのだろう。二首のうちの一首を訳す。
【訳文】
其の二
風回仙馭雲開扇、［風がまわり、仙人が扇を開くようにして雲が晴れます］
更闌月堕星河転。［夜は更け、月が落ちて、天の川が移り行きます］
枕上夢魂驚、［枕の上の夢がふいに覚めると］
暁来疏雨零。［暁の雨がさっと降りかかります］
相逢雖草草、［お会いするのはわずかの間］
長共天難老。［でも、天とともにいつまでも老いないのです］
終不羨人間。［人間世界を羨みはしません］
人間日似年。［人間世界では一日に一年が過ぎてしまうのですから］
■【06-1-071】陳季常自岐亭見訪、郡中及旧州諸豪争欲邀致之、戯作陳孟公詩一首
【解題】陳慥［方山子、字は季常］［→作品番号06-1-015］が岐亭から蘇軾に会うために黄州にやって来た。町の伊達者たちが挙って出迎えたのを見て、陳慥を漢代の豪傑陳遵［字は孟公］になぞらえて戯れの詩を作った。
【訳文】
漢代の孟公は酒を好み、一斗とか二斗どころではなかった。
酔うと客を帰らせまいと、門を閉ざしてしまう。
酒があるところなら、寡婦の家でも構わず上がり込むので、
規律違反で百回も罰せられたのだが、
優れた太守であるとの名声は変わらなかった。
老いて裏町に住み、世の浮沈を淡然と眺めやり、
耐え忍ぶ苦節など阿呆らしいと笑い飛ばした。
酒の匂いがするなら忽然と路地奥にも現れ、
揚雄が作った、酒を戒める文章を読んでも、
「酒そのものは悪くない」というところだけを喜んだ。
都の金持ち連中は孟公に来てくれるよう求め、
謝礼に千金を渡そうとしても笑って唾を吐きかけた。
私の住まいはとても孟公殿を客として迎えることはできない。
何しろ孟公殿は酔うと冠やら衣やらをぽいぽい投げ捨てるとか。
我が家にはそれを避けて逃げる広さがないのだ。
【補足】［（1）ある人は、この詩をはなはだ軽薄と評している。黄州に流されて反省の日々を送る中でもこのような戯れの詩を詠んでしまうところが蘇軾らしい。（2）この詩で、蘇軾の住まいは陳慥を迎えるだけの広さがないと詠んでいるが、次の手紙にもそのことが記されている］
■【06-1-072】与陳季常書
【解題】陳慥［方山子、字は季常］の訪れを蘇軾が心待ちにしていたことは、陳慥に宛てた幾つかの手紙からわかる。陳慥の黄州訪問は7回あったとされ、以下の二通目の手紙はこの最初の訪問の折のものであるかどうかはわからないが、ここで合わせて読んでおこう。
【訳文】
（1）……夢に仙界の果実を得たという堂々の詩を拝見しました。まことに結構です。私は夢の中でこっそり霊芝を食べたのですが、貴君は国のために立派なものを鋳造されました。貴君は仙薬の力を自在に発揮して、陰功［死んでからの功徳］はきっと貴君のもとにあるでしょう。……
このごろはいかがお過ごしょうか。こちらの町に遊ぶのはいつと決められましたでしょうか。待ち望む気持ちが日に日に深まっています。臨皐亭には従者が休憩できるような部屋もあることはありますが、西日がひどく当たります。承天寺がごく近くでありますし、門前に大きな船を泊めても、いずれでもよろしいでしょう。……
【補足】［（1）蘇軾の夢の詩は先品番号06-1-052で見ていて、陳慥は別の空想を詩に詠んだのだろう。（1）臨皐亭は手狭で、大勢の人を迎えるには難があることを少し遠回しに述べている］
（2）お宅にある『易経』と『史記』に関する書物をお借りしたく思っています。貴君のこられるときに持ってきてくださるでしょうか。貴君はいまだかつて王公にも膝を屈したことがなく、私のためにわざわざ町にこられると聞いて、州中の士大夫が騒然としています。このことで不肖な私の名が重みを増しております。お越しになるのは果たしていつでしょうか。お酒はふんだんにありますので、あまり待ちぼうけを食らわせませんように。
【補足】［誇張はあるにしても、陳慥が独立不羈の人物としてこの地の人々から一目置かれていたことがわかる］
■【06-1-073】定恵院顒師為余竹下開嘯軒
【解題】7月、定恵院の院主である顒師が、竹林の傍らに「嘯軒」と称する小さな建物を蘇軾のために作ってくれたので、この詩を詠んだ。
【訳文】
鴃は天が明けるのを促そうと啼き、
喧喧と詆譙り合うかのようだ。
蛩は夜の永さに暗く泣き続け、
唧唧と己のことを弔うかのようだ。
蝉は風を飲むだけで至って潔く、
長く吟じてその調子が改まることはない。
蚓は土を食らって腸がなく、
哀しがることなどあるはずもないのに、
夕べの間ずっと叫んでいる。
鳶の貪欲な声は最も鄙しく、
鵲の喜びの声は何のためなのか。
生きるものたちの慟哭も嬉笑も同じこと、
みな何かしら平らかでないところから鳴るのだという。
かの阮籍も平らかでないところが多々ある麤率な人間でよく叫び、
その友人の孫登も道術を学びながら妙所に至らずによく叫んだ。
定恵院の道人はこの軒を開いてくださり
黙って座って自己を観照せよといわれる。
どこやらの風が海も河も震わせて吹いてきて、
全ての竅を共鳴させようとしようとも、
それはできるものではない。
世間との繋がりの切れた私は何もいわないのだ。
風がくれば竹が自から嘯くだけである。
【補足】［（1）この詩をどのように読むのか。一つの解釈として、蘇軾を罪に陥れた人々に対する批判を篭めたと見ることも可能だろうか。世俗のがやがやに耳を貸さず、世間に同調するよう促す風にも応じず、沈黙を保って竹［脱俗の象徴］の嘯きだけを耳にするのである。（2）阮籍は作品番号01-2-041で見て以来、蘇軾がしばしば言及する晋の時代の人で、乱れた世に、政治向きのことを口に出さずに身の安寧を保った。それでも時に高台に上って叫ばずにはいられなかった］
■【06-1-074】和何長官六言次韻
【解題】何長官が作った一句六言の詩に次韻した。何長官はたぶん黄岡県の知事なのだろう。第一首と第二首は何長官を称える挨拶の詩で訳は割愛する。
【訳文】
其の三
漢の時代の石渠閣はいまは見ることができない、
幸いにも私にはこの身を容れるに足る臨皐亭がある。
長江によってすっぽりと庇われているうえに、
お上からは八月の涼風をいただいている。
其の四
長江からの清らかな風がくると、
それに大地が共鳴し、
明るい月が天の姿を水に映す。
この貧乏な家で客人をどのようにもてなすのかというと、
ただ風と月があるのだ。
其の五
青い山々はまさに絶景、
それを誰とともに称えるのか。
町の公子に向かって説いても、
まさしく馬耳東風である。
【補足】［最後は、わかるのは何長官だけというココロ］
■【06-1-075】与参寥子
【解題】このころに杭州から使いの者が黄州にきたようだ。これは参寥［道潜］［→作品番号05-5-045など］に宛てた手紙。
【訳文】
去年は慌ただしく湖州を離れてしまったために、秦観君にも参寥師にもお別れを申し上げることができず残念に思っておりました。僧官に言葉を残したのですが、伝わりましたでしょうか。
黄州にきてすでに半年、友人は少なく、貴僧のことを想って心から去りません。怠け者であり、便宜もないために、お手紙を差し上げることもありませんでした。遠くより人を遣わしてお尋ねくださり、まことに丁寧なお心遣い痛み入ります。
私は罪は大きく責めは軽く、門を閉ざして咎めを念い続けています。かつて親しくしていた人々からも関りを断たれたのもかくあるべき理であります。それでも、数人の僧や道士の方々からは千里の遠くからもお尋ねがあり、情義はかねてよりも厚く、また徳の高さが知られます。やはり俗世の外にあるからなのでありましょう。
寄せてくださった数首の詩や、新たに編まれた詩集を拝見し、詳しく味わい、灑然として貴僧が穏やかに語る言葉を聞くかのように感じております。このごろは筆硯を焚き、作詩を断っておりますので、和することはいたしませんが、独りの寂しさを慰め、思いを開くことができ、これに勝る幸いはありません。貴僧の筆力はいよいよ老健にして清熟し、かつて拝見したものを超えております。道に至ることの妨げにはなりませんでしょうから、廃するには及びませんでしょう。きっと陶淵明にも及ぶようになるでしょう。
【補足】［「罪は大きく責めは軽く」［原文は罪大責軽］は、先に見た王鞏に宛てた手紙［→作品番号06-1-033］にも同じ表現があり、これからも何度か見るようになる］
■【06-1-075】与言上人
【解題】杭州の西林法恵院の法言のために雪斎の詩を作ったことは作品番号05-5-018で見たが、その法言に宛てた手紙。
【訳文】
去年、呉興［湖州］で慌ただしくお別れしたことは、いまに至りましても耿耿として忘れることはありません。私は窮まって僻地に譴責され、人々との往還は尽く絶えました。遥か遠くよりお手紙を頂戴し、拝見するに及んでことに深く感じ入りました。このごろは貴僧におかれてはいかがお過ごしでありましょうか。
お書きになったものはいよいよ精健で、詩は必ずやすばらしいものがあるでしょうに、どうして見せてはいただけないのでしょうか。雪斎は清らかな場所で、すばらしい夢想が発せられるでありましょう。ここはただ荒山と大江、青い竹と古い木があるだけで、いつも田舎の酒を飲んでおります。酔うと杖を曳いて、遠くも近くもかまうことなく、足の向くままに歩き、曠然として天真のままであることは、杭州でのかねての遊びと優劣決めがたいところがあります。いつの日にかお会いして一笑できますでしょうか。ただ万万自愛されますように。
【補足】［この手紙によると、逮捕されて湖州を去る直前に法言と会っていたようである］
■【06-1-077】与陳大夫書
【解題】黄州知事の陳軾［字は君式］に宛てた手紙。蘇軾を陰で支えていた陳軾は、仏教を奉じる実直な人物であったようだ。
【訳文】
（1）秋とはいえなお暑く、敢えて御門にお伺いいたしておりませんが、いかがお過ごしでありましょうか。丞相殿のお手紙をお借りし、また、『弥勒偈』を見せてくださり、その筆勢は勝れて強く、実に奇観であります。お手紙の方は急いで返却いたしますが、『偈』の方はきっと別に書かれたものもあることでしょうから、しばらく箱のまま留め置いて、味わいつつ唱え、それによって従来の罪垢業障を洗いたいと思っています。……
【補足】［ここに丞相殿の手紙とあるのは、陳軾はかねてから王安石と親しくしていたことから、王安石の手紙であろうと推測されている。王安石の改革政治に対しては蘇軾を初めとして大勢の人々が批判したのだが、王安石の知性が当時の士大夫の中でも群を抜いていることは誰もが認めるところで、詩文は欧陽脩や蘇軾と比肩しうる優れたものが多い。明代や清代の後世の歴史家は、改革派は北宋を滅ぼした元凶として、呂恵卿や章惇といった人々には「奸臣」のレッテルを貼って悪人と決めつけているのだが、王安石だけは別格で、唐代、宋代を通じての名文家の8人、唐宋八大家の一人として、王安石の文章は長く読書人によって学ばれた］
（2）これからお会いすることも多くはありませんでしょう。ただ貴君の御健勝を願うものであります。刺繍で作った仏像を貸してくださいましたが、精妙を極め、あたかも天の工、神技によるものであります。普通の女工が作れるようなものではありません。目礼するだけで、俗世の塵が一洗され、まことに幸いであります。謹んで速やかに返却申し上げますので、お納めください。
【補足】［最初の文章から、陳軾が黄州を去る日が近づきつつあったことがわかる］
■【06-1-078】繍仏賛
【解題】上で見た陳軾に宛てた手紙に、刺繍で作った仏像のことが記されていたが、これはその仏像に添えた賛。
【訳文】
およそ仏には、それぞれの持つところによって仕えるのであって、富む者は財をもってし、丈夫な者は力をもってし、巧みな者は技をもってし、弁の立つものは言葉をもってする。もしも持つところのものが何もないのなら、それぞれに心をもってする。見るにつけ聞くにつけ随喜し、礼拝し、讃嘆するもので、これに及ぶものがないのは、一針ごとの労によって作られた二つとないこの刺繍の仏で、これを拝むことで得度、成仏するなら、まさしくこれが導師なのである。
■【06-1-079】与章子厚書
【解題】章惇［字は子厚］に宛てた手紙。先に見た章惇への手紙［→作品番号06-1-053］は、相手が副宰相であることを強く意識したものであったが、これは旧友への私信として書かれている。
【訳文】
閑居の身で、公文書を写したものを見ることもなく、また手紙を送る便宜もありませんので、特別に簡慢であるわけではありません。長江と淮河の間のこのあたりでは、歳の稔りが豊かで、物の値は安く、どのような物も手に入れやすいのですが、貧窮に迫られ、自分の力でまかなえるものしか得ることができません。
弟が南都［南京応天府］からきてくれました。私の家族を伴って淮河から長江のあたりを巡って、百日をかけてここにきて、十日ほど皆で一緒に過ごし、それから筠州に行きました。筠州に着いて数日もしないうちに娘を一人喪いました。その心の内はどのようでありましょうか。眼に涙が溢れます。弟もまた私と同じように貧困のうちにあります。貴君のことを思ううちに、筆がここに及んでしまいました。短い手紙では十分に書き尽くすことができません。
■【06-1-080】与仏印
【解題】廬山の仏印禅師了元から手紙がきて、それに答えた。廬山は九江の南方にある霊山で、古くから信仰の地とされ、現在でも仏教、道教の多数の寺院がある。弟の蘇轍は筠州に向かう道すがら、二日間ほど廬山を見て歩いていた。仏印禅師は当時よく名の知られた僧で、このときは廬山の帰宗寺にいた。この手紙から推測するに、蘇軾は廬山にきてみないかとの誘いを受けたのだろう。この後、仏印禅師との交流は長く続くことになる。
【訳文】
廬山の帰宗寺から僧が来られてお手紙を頂戴し、御返事申し上げようとしていましたところに、廬山の栖賢寺の智遷禅師からもまたお手紙が届き、皆様方の厚いお気持ちに感慨無量であります。
ここ数日はひどい暑さのなかでありますが、山門は清々しく和やかであろうと、想いを巡らせております。……昔の人はひと通り世事を渡った後に、俗界より返るよう山霊によって促されたと聞いています。私は世俗の塵を犯すことすでに三十年になろうとしています。困窮して後に返ることを知るのであるとしても、敢えて名山［廬山］を汚すようなことは私にはできないでありましょう。しかも、山中の高人とは知り合いが誰もいません。そこにこうしてお二人の禅師から来るようにとのお許しのお言葉をいただけましたのは、どのような宿縁によるものなのでしょうか。
まだまだ暑さはこれからであります、順時御自愛くださいませ。
■【06-1-081】与参寥子
【解題】参寥［道潜］［→作品番号06-1-075］に宛てた手紙。『秦太虚題名記』というタイトルの短文として読まれることも多い。秦観［字は太虚あるいは少游］が書いた「題名」［訪問記録］に、一文を添えて参寥に送ったものである。1年前に蘇軾が湖州に赴任する旅の途中で、秦観と参寥が加わり、二人はしばらく湖州に滞在した後に杭州に向かった［→作品番号05-5-070］。「題名」にはそのときの杭州でのことが記されていた。
【訳文】
秦観：「題名」
元豊二年、中秋の一日後のこと。
私［秦観］は呉興［湖州］から杭州を通って、東に会稽に還ろうとしていた。
竜井におられる弁才大師から、お手紙で山に来るよう誘われ、杭州の城郭を出たところ、もう夕方になっていた。舟で西湖を渡って普寧の岸辺に行き、僧の参寥師に出会ったので、竜井から遣わされているはずの藍輿について尋ねた。「あなたが刻限に来られなかったので帰ってしまいました」と参寥はいった。
この夜、天宇は晴れわたり、林の中は月の光で明るく、髮の毛が一本ずつ数えられるくらいであった。そこで舟を置いて参廖師と杖をついて湖に沿って歩くことにした。雷峰に出て、南屏山を越え、恵因の澗で足を濯ぎ、霊石の高まりに入り、分かれ道を取って風篁の峠に上った。竜井の亭で憩い、岩にもたれて泉の水を酌んで飲んだ。
普寧からおよそ十五の仏寺を経たが、どれもが静かで人の声を聞かなかった。道の傍らにある民家に燈火が見え隠れすることもあった。草木が深く繁り、流れる水は一度止まって悲しく音を立て、ほとんど人間世界の内ではないようであった。
そろそろ夜も半ばになろうとするころに寿聖院に着き、潮音堂で弁才大師にお会いし、その翌日に帰った。
高郵の秦観が題す。
秦観の「題名」を見ると、どこも私が昔遊んだところです。目を閉じてそれらを想うと、全てがくっきりと浮かんできます。
私は弁才大師と別れて五年後に徐州から湖州に移りました。湖州に向かう途中、高郵で秦観君と参廖師と会い、そこから一緒に舟に乗りました。弁才大師は私が湖州に来ると聞いて、小舟でやって来ようされましたが、九十日間の結夏の行に篭るために果たせませんでした。秦観君と参廖師は「秋が終われば還ります」といってともに会稽に向かいました。私は突如として湖州を去ることになり、それっきり会えなくなってしまったのでした。
その翌年、私は黄州に流され、弁才大師と参廖師は使いの者をよこして様子を問われ、弁才大師はこの「題名」も届けてくれました。
時に中秋まであと十日足らず、秋の水が川に漲り、水面は千里にわたって広がります。月は房宿［星の名］と心宿の間にあって、露を帯びた風が天地を満たします。住まいから長江まで十歩もなく、息子の邁とともに小舟に棹さして赤壁に行くと、西に武昌の山や谷を望み、高い木々が青黒く並び、雲と波が天の際にまで連なっています。
そのことをこのように書いて参廖師に寄せます。弁才大師にもお見せして、何かのついでがあれば、写しを作って秦観君にも寄せていただきたい。
【補足】［（1）弁才大師元浄は、蘇軾が杭州にいたときに親しくした僧で、その後も交流が続いていた［→作品番号05-4-046］。この文章によると、参寥からの手紙［→作品番号06-1-075］と前後して弁才からも手紙がきて、そこに秦観の「題名」が添えられていたので、参寥のために写して送ったのである。杭州と黄州の間を手紙がしばしば行き来していたことになる。（2）杭州は、蘇軾がこれまでに赴任した土地では最も風光明媚で、その地を非常に愛していたので、「題名」を読んで強く心を動かされたのだろう。（3）後半で言及している赤壁については次の文章に詳しく記されている］
■【06-1-082】記赤壁
【解題】上に文に出ていた赤壁について記した短文。「赤壁の戦い」といえば、中国史上最も有名な合戦といっても過言ではないだろう。西暦208年、天下統一を目指す曹操の率いる大軍を、孫権と劉備の連合軍が長江の赤壁で迎え撃ち、周瑜の指揮のもと曹操軍を潰走させた。黄州に赤壁といわれる場所があり、地元ではそこが古戦場であるとされていた。それは事実ではないと蘇軾は知りつつも、黄州の赤壁が名立たる古戦場であるかのようにして数々の文学作品をそこで生み出した。この短文は赤壁についての最初の印象を綴ったもの。
【訳文】
黄州の官舎があるところから数百歩のところに赤壁がある。ある人は、周瑜が曹操の大軍を破ったのがここであるという。果たして本当かどうかはわからない。
切り立った崖が壁のように立ち、長江の水は深い碧色をしている。崖に鶻の巣が二つあり、そこに二匹の蛇を見たという人がいる。
風と浪が静かなときに、小舟に乗ってその下にまで行き、舟を下りて岸に登った。徐公洞というのがある。洞穴というほどのものではなく、山のちょっとした穴だ。『本草図経』に「この徐邈はいつの時代の人かわからない。魏の徐邈とは別人だ」とある。
岸には小さな石がたくさんあり、玉のようにきらきら光るものもあれば、淡い紅や黄色のものもあり、人の指紋のような模様のあるものもある。何度か赤壁に遊ぶうちに二百七十枚を得て、大きなものは棗や栗の実ほどあり、小さいものは蓮の実ほどだ。古い銅盆の上に盛り、水を注ぐと美しく輝く。一枚は虎か豹の頭のようで、口や鼻や眼のようなところがある。それを石の中の長としている。
■【06-1-083】乳母任氏墓誌銘
【解題】蘇軾のそばにずっといた乳母の任采蓮が8月12日に亡くなった。蘇軾の母が蘇の家に連れてきた二人の女性の一人で、もう一人の楊金蝉は3年前に徐州で亡くなっていた［→作品番号05-3-032］。蘇軾は10月に黄岡県の北に任采蓮を葬り、墓誌銘を作った。その序文を訳す。
【訳文】
趙郡の蘇軾の乳母の任氏、名は采蓮は、眉州眉山の人である。父は任遂、母は李氏である。先夫人［蘇軾の母］に仕えること三十五年、仕事を器用にこなし、勤勉で慎ましく、老いても衰えることがなかった。乳母として亡き姉と私を育て、私の子の邁、迨、過の面倒を見てくれ、思いやりがあった。私の任官に従って、杭州、密州、徐州、湖州に行き、黄州に流されたときにもついてきた。
元豊三年八月壬寅に黄州の臨皐亭で亡くなった。享年七十二であった。十月壬午に黄州の東の阜、黄岡県の北に葬った。
【補足】［任氏が育てた姉とは、嫁ぎ先で虐待されて死んだ姉であろう［→作品番号01-2-008］］
■【06-1-084】与王慶源
【解題】郷里にいる王淮奇［字は慶源］［→作品番号05-1-080］に宛てた手紙。
【訳文】
竄逐されて以來、手紙を記して御様子をお伺いしなければとずっと思っておりましたが、もとよりの怠け癖で、しかも閑すぎてすっかり駄目になり、どれもこれも手がつかないままで、ただただ恥じるばかりです。このごろはお体の御様子はいかがでしょうか。皆様方御健勝のことと思います。私の方では子供たちは安らかにしておりますが、ここにきてすぐのころに老いた乳母を喪いました。七十二歳でした。長く悼み続け、いまも気持ちが落ち着きません。寓居するところの官亭［臨皐亭］は、大江が迫るのを見下ろし、ほとんど部屋の真下にあります。江上に雲が湧いて天に接し、草鞋のような小さな舟が山のような浪の中を上下します。客人がきても、なんだかんだといって不在を決め込み、届けられる手紙類は山のようにありますが、どれにも返事をしておりません。こうしていると、まことに佳ろしく、生まれてからこれほど快適なことはありません。このことを知ってからは憂いを免れております。近頃、文務光君がそちらに向かいましたので、皆様への手紙を託しました。ただ、そちらに到着するのはかなり遅くなるでありましょう。お会いする縁はまだまだありませんが、ただ万万自愛されますように。
【補足】［（1）味わい深い手紙である。郷里の人であるので、気を許して自然体で記したのだろう。（2）文務光が父の棺を船に載せて郷里へと向かったことは作品番号06-1-055で見ている。蘇軾もやはり父の棺を携えて帰郷したことがあるので、旅の困難をよく知っているのだろう］
■【06-1-085】次韻子由病酒肺疾発
【解題】弟が酒のために肺の疾を発したことを詩に詠んだので次韻した。
【訳文】
思い出すに、
君は若かったときにも肺を病み、
座っていても、臥せっていても、疲れ切って、
一日中ぜいぜいと、
風雨の通り過ぎるような苦しい息をしていた。
陽の気が虚しく浮ついて漲り、
冷え切った気が下に落ちてしまった。
家族は心配の余り、
何も喉を通らないありさまだった。
胃が強まると膜が突っ張って肺を害い、
肺が膨らむと腹の方が圧迫されるというので、
君は夕べに食事を取ることを禁じられ、
夜中に腹をすかせて苦しんだ。
君が何を食べても、
三彭［身中の三神］が勝手に食ったり噛んだりするだけだし、
どのような手当てをしても、
二豎［二種の病のもと］はどうしても出て行かなかった。
ついに、真に効く薬を得て、
その効き目は、初めは雪の花のような小ささだったものが、
次第に大きな珠のようになって、
垣根を隔てて、君がうんうんと三度むせぶ声が聞こえると、
それからは長かった病が失せて、
君の身中で陰と陽が調和するようになった。
……
今回もまたいずれ君は回復して、
ともに遠く遊んで詩を賦そうではないか、
そのときは仙語［道教の特殊用語］は一切用いないことにしよう。
【補足】［（1）訳者が非常に頼りにしている岩垂憲徳・釈清潭・久保天随訳解『蘇東坡詩集』（1927年）には、この詩に対して、「此の篇は仙書と医書に精通する者にあらざれば、真意を解することを能わず」と記してあり、私ごときにはチンプンカンプンで、前半はひどい「ずっぽ訳」である上に、後半で一部を省略した。末句で「仙語は一切用いないようにしよう」とあるのは、それとは正反対の詩を詠んでしまっていることへの笑いであろう。（2）弟への詩は、真情を詠んだしみじみとした作品が多い一方で、この詩のように超絶的に難解な詩も少なくない。どちらにしても、弟ならわかってくれると、思う存分作ったのだろう］
■【06-1-086】鉄拄杖、并叙
【解題】鉄拄杖［鉄製の杖］について詠んだ詩。序文がある。
【訳文】
叙
柳真齢、字は安期は閩の人である。家に鉄拄杖が伝わり宝としていた。榔栗木［ヤシの類］のような形状で、突起や節があり、中は空洞で簧［笛のリードのようなもの］があって歩み行くといささか共鳴する。柳真齢がいうには、これは浙中で得たもので、伝承によると、唐の終わりに王審知が銭鏐［呉越国を興した人物］に贈ったもので、銭鏐はある僧にこれを賜った。たまたま柳家が得て私に贈ってくれた。その謝礼にこの詩を作った。
柳公［柳真齢］の手の中にあるのは、
黒く滑らかな蛇なのか、
老いて千年を経た節だらけの根なのか。
たちまちガランガランと甲を叩くような音、
まわりの者は驚いてよくよく見直し、
それは鉄であったと知るのである。
その腹中には簧が含まれているのか、
細い泉のような声がし、
石を突くと火がほとばしり、
星が裂けて飛ぶかのようだ。
公はいう、
「この物は老いて神が宿りまして、
昔、閩王が呉越王に贈ってから、
流落して幾人の手に渡ったのやら。
こうして見ますと、
物の変滅とは春の雪のようでありますな」
公は突然、
「これを貴君に贈ろう」
と、いう。
果たしてその意はどこにあるのだろうか。
私の両脚はまだ衰えるがままに甘んじようとはしていない。
ならば、この杖がかつてたどった跡を尋ねてみようではないか。
まずは崆峒山［伝説上の仙山］にでも行ってみて、
そこから洞庭湖を渡って禹穴［古の聖王の禹を葬ったところ］を探ってみようか。
さらにはこの杖で藪を開いて、芝菌を採って仙薬を得たり、
はたまたこの杖を鋭い錐として、虎を刺し、蛟も蠍を突いてしまおうか。
かくて旅より還って公に会えば、
公はいまだに白髪もなく若々しく、
「かの鉄君［鉄拄杖］は変わりませんかな」
と、私に問うであろうから、
私は鉄君を撫ぜながら我が旅を語りつつ、
まんまと公の意のままにしてやられたと悟るのである。
【補足】［柳真齢は蘇軾好みの「異人」であったのだろう。蘇軾が罪人となったことで、柳真齢のような者も容易に接近できるようになったのである］
■【06-1-087】西江月
【解題】8月15日の中秋の名月を見て弟に寄せた詞。
【訳文】
人生幾度秋涼。［人生において、秋の涼しさにあえるのは幾度あるのでしょうか］
夜来風葉已鳴廊、［夜になって廊下に鳴るのは早くも風に落ち始めた葉］
看取眉頭鬢上。［季節の衰えは眉にも鬢にも看て取ることができます］
酒賤常愁客少、［ここは酒が安いのに、いつも残念なのは客人の少ないこと］
月明多被雲妨。［月は明るいのに、しばしば雲によって妨げられてしまいます］
中秋誰与共孤光、［中秋の日に、この孤高の光を誰とともに見るのでしょうか］
把盞淒然北望。［君は盞を手に寂しく北を望み見ていることでしょう］
【補足】［弟がいる筠州は兄のいる黄州のちょうど南に位置するのでこの詞の末句がある］
■【06-1-088】書蘇李詩後
【解題】黄州知事の陳軾が黄州を去ることになり、蘇軾は漢の時代の李陵が詠んだ詩を書き、それに短文を添えて贈った。
【訳文】
これは李陵が蘇武に贈った詩である。
私は陳軾君のことはこれまで識らなかった。黄州に謫居し、昔からの友人だったかのように頻繁に行き来するようになった。
ここに陳君が黄州を去ることになった。私は長らく詩を廃していて、この離別の懐い伝えることができない。そこで、古の人が作った作品で意を尽くしているものをいろいろと観て、李陵が蘇武に贈った詩に勝るものはないと知り、これを書いて贈ることにした。春秋時代に、三百六篇の詩はみな志を表したものであるとして、孔子は『詩経』を編んだのだが、孔子自身は詩を作らなかった。
【補足】［（1）陳軾はあまり詩を作らない人だったのか、知事としての立場から控えたのか、蘇軾との間で詠み合った詩は残っていない。送別に際しても、このような文章を贈ったのだった。なお、李陵の詩は後世の偽作であるされ、蘇軾もそのように見ていたが、それはそれとして送別の場にふさわしい作品として書いたのだろう。（2）陳軾の後任は徐大受［字は君猷］で、蘇軾に対してやはりすこぶる好意的であったことを後に見る］
■【06-1-089】与宝月大師
【解題】成都にいる宝月大師［惟簡］［→作品番号03-1-009など］に送った手紙。宝月大師は同じ眉山県出身の同姓の親戚であり親友。文中にあるように翌年の一月に出したものと思われるが、話の順序としてここで見ておく。
【訳文】
近ごろ二通の手紙をお送りしましたが、届いておりますでしょうか。新たな年を迎えられて、遠く法体の康勝であらんことを想っております。お会いする縁がないのは残念でなりません。しばしば経蔵碑の文章をお求めでありますが、このごろは文章を作ることを断っており、もはやそのようなものは作ることはないと思っておりました。ところが、先に遠くより丁寧なお手紙を頂戴し、さらには悟清君が来られて日夜に督促し、そのためついにこれを作って寄せることとなりました。罪に墜ちた者であるのを嫌うのでなければ、どうぞ石に刻んでください。碑の文字は悟清君が文章を持って安州の滕元発君に頼みに行ってくれたらよかろうかと思っていますが、それがうまくできますでしょうか。……［碑の作り方についていくつかの希望を記す］……黄州には何もお届けするようなものはありませんので、建茶［有名な茶］のひとかたまりを添えることとします。……
【補足】［（1）宝月大師は、成都の勝相院に経典を納める建物を造り、それを記念する文章を蘇軾に依頼してきた。手紙だけでなく、弟子の悟清もきて頼まれたので、蘇軾も書かないわけにはいかなかった。蘇軾は9月12日にそれを書いたことが後の文章でわかるのだが、なぜかこの返書は翌年になってから出している。（2）滕元発［滕甫］の名は作品番号06-1-051で見ている。滕元発は作品番号06-1-093で見るように、朝廷の中枢部にいる人々に嫌われて都からより遠くより小さな安州へと移動し、安州が黄州の西隣であることから、揮毫を依頼するには都合がよかった］
■【06-1-090】勝相院経蔵記
【解題】上の手紙で触れていた記念の文章。独特の文体で記された技巧的な文章で、意味を掴むのが難しく、日本語に移すのはかなり困難であるので、ほんの数行だけを訳す。勝相院は成都の大聖慈寺にあって、もとは中和院といい、後に勝相院の名を賜り、仏典を納める大宝蔵を設けた。中和院の名は、唐の中和年間に当時の皇帝が黄巣の乱によって都長安を失って成都に逃れたことに由来する。
【訳文】
元豐三年、歳は庚申にあり、大比丘惟簡、号は宝月は幻の如き修行をして、三摩鉢提し、蜀の成都の大聖慈寺、もとの中和院に……［以下、一句四字の文体で、経典を納める蔵を作ったことを述べる］……
ここにもとは蜀人の居士［蘇軾のこと］がいて、この比丘とは大きな縁があり、国を去って流浪して、長江と淮河の間にあって、この比丘がこの仏事を為すことを聞き、……［以下、一句四字の文体で、この記を書くことを述べ、さらに一句四字の文体で、この蔵を賛美する］……
■【06-1-091】自跋勝相院経蔵記
【解題】上の文章に書き添えた跋文。
【訳文】
私は夜、宝月大師からこの文章を書くよう求められるのを夢に見た。目覚めるとすでに三鼓であった。紙を引っ張り出して筆に任せ、一気にこれ書き上げた。
元豊三年九月十二日四鼓に書く。
【補足】［三鼓、四鼓とあるのは夜を五等分した時刻の測り方で、真夜中に起きて二時間ほどで書き上げたことになる。まさに神技というべき速さであるが、蘇軾とっては興が乗りさえすれば何でもないことであったのだろう］
■【06-1-092】中和勝相院記
【解題】成都の勝相院について記した文章がもう一篇ある。これより13年前に父の喪に服して故郷に帰っていたときに書いたとの推測もあるが、ここで読んでおこう。
【訳文】
本来、仏の道は成り難いものである。それについて聞くと、何ともすさまじいものだと思わずにはいられない。
初めて仏の道を学んだ者［釈迦］は、深い山林に入り、荊や毒蛇を踏み、裸体に霜や雪を被り、我が肉体を裂いて焼いたり煮たりして虎や鳥や虫に食べさせもした。そのような苦しく辛いことを百千万億年も続けて後に仏の道は成ったのである。
そこまではできない者でも、家族と絶縁し、麻の布をまとい、草木の実を食べ、日中は薪や水を運んだり糞便の掃除をするなどの労働をし、夜には火を焚き、香を薫じてその師に仕えた。その身をもっぱら痛めつけ、自身の思いを口にすることは厳格に禁じられた。これはごく一部を述べだけで、詳細はとても書ききれない。生涯このようにしてようやく出家して沙門比丘の一員になれたのである。
僧は農耕をせずに食べていられるとはいうものの、その労苦と人から卑しめられることでは、農工に携わる者の遠く及ぶところではない。その利害を計るなら、庶民が喜び楽しんで為すようなものではないのだ。ところが、いまでは家を棄て、衣服を毀ち、毛髪を損なう者が多いのはどうしてなのか。仏の道が安直で簡便であるとでも思っているのだろうか。
寒さの中で耕し、暑さのもとで草刈りをし、官に徴集されて労働するのは、庶民の患い苦しむところである。私はそれを全て免れている。私は仏教を知ろうとして、師に尋ねたところ、「戒」とは、まだもののわかっていない凡人のために設けられたものであると。ならば、私は何を用いたらよいのかというと、患うところのものを削るのだと。しかし、自分にとってよいことばかりを取ろうとしてもそれはできるものではない。よい評判ばかりを求めるだけになってしまうのではなかろうか。
荒唐無稽な説を正し、堂上で自由自在に問答をする人を長老という。私はかつて長老の語ったことを研究してみたが、そのほとんどが理解できなかった。「械を設けて敵に応じる」「形を匿して敗に備える」「窘ったなら広い水に墮ちよ、捉えられないだろう」。このような類である。
私は四方を旅して、このようなおかしな説を繰り返し聞いて困り果て、それから逃れようとして袋小路に閉じ込められてしまった。長老たちは往往にして顔を真っ赤にして説き、仏の道が成ったかのように言うのだが、かえって間違っているように思えてしまう。そこで、私は笑って、「これが外道の魔人［仏道の妨げをなす者］なのか」とつぶやくである。
これほどまでに私は僧を慢侮し、信じていないのである。
ところが、いま宝月大師惟簡は、その居るところの寺院の本末について文章に記すよう私に求めてきた。全くのお門違いではないだろうか。
しかしながら、私は昔初めて成都に遊んだときに、文雅大師惟度に会った。度量が大きく、純朴で愛すべき人柄であった。唐代の終わりから五代の時代について詳しく、史書には載っていないことをいろいろと話してくれた。惟度とはそれから深く付き合うようになった。惟簡はその同門の友である。惟簡の人となりは、緻密で明敏なところは他の人の及ぶものではなく、仏に仕えることでは衆人と等しくまことに謹厳である。私は惟度、惟簡の二僧と非常に親しくしてきた。
この寺院には、唐の僖宗皇帝と、皇帝に仕えた文官、武官七十五人の像がある。僖宗皇帝が都を失って成都に逃げ、いまにも唐が亡びようとして、しかしまだ滅亡はしなかったことを想うと、深い感慨を覚えて嘆息せずにはいられない。その画はまことに精妙で、称賛に値するものであることから、特にここに記しておく。
この寺院に最初に居たのは長安の人、広寂大師希讓であった。それから伝わること六世で惟度と惟簡に至った。惟簡の姓は蘇氏、眉山の人で、私の遠い親類である。惟簡はいまの院の主であり、惟度はすでに亡くなった。
【補足】［（1）蘇軾の別の文章には、「宝月大師惟簡は、字は宗古、姓は蘇氏、眉州眉山県の人である。私にとっては同世代の遠い親族である。9歳で成都の中和院の慧悟大師に仕え、19歳で得度し、29歳で紫の袈裟を賜り、36歳で大師号を賜った」とある。（2）この文章では、蘇軾は現在の仏教者のあり方を厳しく批判している。これまで蘇軾は幾人もの僧侶と親しくしてきたし、とりわけ黄州に流されて自身を一新しようとしたときに仏教を一つの指針としたのであるから、かなり意外な感じがする。しかし、仏教そのものを批判しているのではない。仏教は個々人を救済することはできるのかも知れないが、社会を救済するものではないとするのが儒学者の伝統的な捉え方で、唐の韓愈などはその観点から仏教を全面的に否定した。蘇軾は遥かに柔軟であるが、堕落した仏教者は許すことができず、大寺院で小難しいことを言う「長老」よりも、黁公のような「異人」をよしとしたのだろう［→作品番号06-1-008］。そして、惟度や惟簡は「異人」側の僧であると蘇軾は見ていたのだろう）
【解題】滕元発［滕甫、字は達道］［→作品番号06-1-051］に送った手紙。滕元発の任地が変わったことを報せてきたことへの返事である。
【訳文】
罪によって廃された余りかすの身でありますから、門を閉ざし、誤りを省みて、人との交わりを断っております。しばらく御無沙汰いたしておりますのは、怠慢のためではありません。弟が来まして貴君の動静を詳しく知り、あたかもお目にかかったかのような気がしました。安州知事としてすでに移られたと、お手紙を得て知りました。……赴任に当たって黄州の近くを通られることを知らずにおりまして、わかったのはすでに去った後のことで、はなはだ残念に思っております。……
【補足】［安州は黄州の西隣であるので、移動の際に会えたのではないかと残念がったのだが、現在の朝廷から嫌われている二人が顔を合わせるのは穏やかではないと、滕元発は判断して、蘇軾に知らせずに通過したのではないだろうか］
■【06-1-094】商君功罪
【解題】後に見るように岐亭の役人である胡定之が蔵書家で、蘇軾に自由に書物を貸してくれた［→作品番号06-1-103］。公務から離れた蘇軾は、自分のための読書に好きなだけ時間を使うことができた。これは、戦国時代の遊説家の言説を集めた『戦国策』という史書を読んで、商鞅の功罪について論じた短文。商鞅は紀元前356年、秦の孝公のもとで、法家の思想に基づいて国政改革に取り組み、新しい法を作って猛然とそれを推進した。それによって秦の国力は一気に強まり、後に始皇帝が天下統一を果たす基盤が作られたのだが、法の過酷さと商鞅の強引なやり方を嫌う民衆や旧勢力に憎まれ、商鞅は無残に殺されてしまった。
【訳文】
商鞅の法は、民衆の本業としては農に務めさせ、公のために戦うときには勇敢に、しかし私的な争いごとにおいては臆病にさせ、食を足らせ、兵を強くし、帝業［天下統一］を成そうとするものであった。民は法によって縛られ、刑を見て徳を見ず、利を知って義を知らず、ついに秦はそれによって亡んでしまった。つまり、秦の帝業を成したのは商鞅であり、秦を滅ぼしたのも商鞅であったのだ。商鞅の生涯において、民衆の上に君臨をする福を得たのは、帝業の功に報いるものとして十分であった。そして、車裂きの禍を受けたのは、秦を滅ぼした罰の償いとしては僅かなものであった。そのようになったのは理としても歴史の勢いからしても自然なことであって、何ら怪しむに足りないのである。後の君子で、商鞅の罪があってしかし商鞅の功はなく、それでいて、商鞅の福を受けながら商鞅の禍をまだ受けていない者がいたりしないだろうか。私はそのことを懼れる。
元豐三年九月十五日、『戦国策』を読んで書く。
【補足】［（1）一読してわかるように、蘇軾は、商鞅の改革に現在の新法による改革を重ね合わせてこの感想を書いたのである。（2）作品番号06-1-009で見た李斯は、商鞅の考えを継承して始皇帝に仕えた人。国を強くした功績は大きかったが、やはり最期をよくしなかったのは同じである］
■【06-1-095】書南史盧度伝
【解題】これは『南史』という史書を読んでのメモ。『南史』は南北朝時代の南朝の宋、斉、梁、陳の4王朝の歴史をひとまとめにした書物。
【訳文】
私は若い頃から殺生を喜ばなかった。しかし、それをやめることはできなかった。近頃はようやく猪や羊を殺さないですむようになったが、根っからの蟹好き、貝好きであることから、それらの殺生はまだやめられなかった。
去年罪を得て獄に下り、始めは死を免れないと思い、それから脱することができて、一切のものをもう殺さないようにしようと考えた。蟹や貝が食事に供されると、皆を川の水に放つことにした。いまさら水に入れたところで、ほとんど活きる道理がないのはわかっているのだが、それでも万に一つでもぜひ活かしたいと願うのだ。そしてどうしても活きなかったときには、いよいよ煮て食べるのである。活かすことで何か望みを得ようというのではない。私自身が経た患難は、鶏や鴨が厨房に置かれるのに何ら異なるところがなく、それを食べて自分の腹を満たすことがどうにも忍び難いのである。生あるものにひどい恐怖や苦痛を与えたくないだけだ。それでも、私は残念ながら生き物の味を忘れることはできないので、自ずと死んだものは食べている。
『南史』の「隠逸伝」にこのようにある。
「始興の人で盧度、字は彦章は、道術を修めた。若いときは張永に従って北の魏朝との戦争に出たのだが、張永は敗れ、魏人に激しく追われ、淮河まできてそこを渡ることができなかった。盧度はそこでこのように誓った。『もしも死を免れたならば、これからは一切の殺生をしません』。するとたちまち二枚の楯が流れてきたので、それをつなぎ合わせて川を渡ることができた。後に廬陵郡の西昌県にある三顧山に隠れ住み、鳥獣とともに暮らした。夜に鹿が壁を叩くと、盧度は『壁を壊さないでくれたまえ』といい、鹿はその声に応じて去った。家の前には池があって、魚を養い、それぞれに名前を付けて呼び、餌を与えた。かねてからいつ死ぬかを知っていて、ついに寿命をもって終えた」
たまたまこの部分を読んで、自分とほぼ似ていると思い、ここに書きとめた。
【補足】［ここで思い起こすのは、蘇軾の母が庭に来る鳥を殺すことなく大切にした話である［→作品番号01-2-017］。母の影響を受け、なるべくなら殺生はしないという気持ちが育まれていったのだろうか］
■【06-1-096】与朱康叔書
【解題】鄂州知事の朱寿昌［字は康叔］［→作品番号06-1-068］に宛てた手紙。ここでは唐の李肇が編集した『国史補』を読んでの感想を記している。
【訳文】
今日はたまたま『国史補』を読み、杜羔の事を見て、貴君とすこぶる似ているのを知り、嘆息してやみません。それについて記して貴君にお寄せします。どうかほかの人には見せませように、恐らく嫌う人もいるでしょうから。……
杜羔はもとより純真な人で、その父は河北の役人としてその地で死に、母は兵乱を経て行方知らずとなってしまいました。杜羔は従兄の杜兼のもとに身を寄せ、杜兼は沢潞判官として、私邸において罪人の取り調べを行っていましたが、ある老婆が尋問を受け、杜兼が出入りするのを見て、ひそかに「あの少年は面差しが私の夫に似ているようだ」と人に語りました。それで調べてみると、杜羔の母であるとわかり、杜羔は家に迎えました。さらに杜羔は父の墓を探そうとしましたが、ゆかりのある村の老人たちはすでにいなくなっていて、墓の所在はわかりませんでした。ある仏寺に泊まり、日夜泣きながら父の墓を求めていると、たまたま煤けた柱に数行の字が隠れているのに気づき、煤を払ってよく視ると、それは亡き父の書いたもので、「我が子孫がもしも我が墓を探しにきたならば、某という家に問うがよい」とありました。杜羔がその家に行ってみると、八十余りの老人がいて、岡の上の高まりがそれであると教えてくれたのでした。それによって杜羔は改めて父を葬ることはできたのです。杜羔の官は工部尚書に至って引退しました。
このことは唐の李肇の『国史補』にあって、ちかごろたまたまこの書を見て、すこぶる貴君と似ていると感じ入り、よって書いたものである。
元豊三年九月二十五日記。
【補足】［（1）人には見せないようにと記してあった後の省略したところに、武昌県知事の江綖［→作品番号06-1-045］の名があって、事情はわからないが朱寿昌と江綖の関係には微妙なところがあったようだ。（2）また、省略したところに、章◆［字は質夫］［◆は次の下に呆という字］［→作品番号05-4-001］が間もなく武昌にくることも記されている。（3）都では9月27日に文彦博［→作品番号5-5-014］が太尉の称号を受け、蘇軾は祝賀する文章を書いて贈っている］
■【06-1-097】答畢仲挙書
【解題】畢仲挙への返書。この手紙によると、畢仲挙とはかねてからの知り合いであったようだが、どのような人物でどのような関係があったのかはわからない。手紙から推測するに、畢仲挙は地方の知事クラスの職にあって、蘇軾が黄州に流されたと聞き、仏教に帰依することで苦しみから脱却できるであろうとアドバイスしたようである。これは味わい深い手紙なのだが、残念ながら訳者の力ではその魅力の百分の一も引き出すことができない。特に末尾の20字余りはひどい誤訳なることを避けて割愛した。この訳文を見て興味を覚えた方は、原文を味読していただきたい。
お別れしてからたちまち十年余り、この愚かなぽんこつ男でありますから、もとより貴君の友人にはとてもなれませんのに、思いもよらぬことになお御記憶に留めおかれて、遠くより曲げてお手紙をくださり、はなはだ有難く思っております。まずは貴君の御佳勝を審らかにし喜んでおります。
貴君の任地である羅山は善い土地柄であることでよく知られ、風土病の恐れもなく、四季は穏やかであります。貴君は失うようなものはなく、朝廷の恩寵を蒙り、しかも得喪［世俗の利害］を忘れておられますのは、まさに天の恵みを得ているといえるでありましょう。
私は長者の教えを用いなかったために罪に触れてしまいました。禍福というものは自ら避けたり得たりできるものではなく、己の巧拙によるものでもないのでありましょう。黄州は大河に面し、山を帯び、耳目の好むところに適い、暮らしに必要なものを整えるのは難しくありません。早く寝て遅く起きて、禍福というものは果たしてどこにあるのかも知らずに過ごすことができています。
たまたま『戦国策』を読んでいましたところ、顔蠋が「晩れて食べることで肉の代わりにする」と語ったのを見て、ふっと笑ってしまいました。顔蠋は巧みに貧乏暮らしをする者であったのでしょう。菜でも雑穀でも、腹をうんとすかせてから食べるなら、その味はいわゆる「八珍」［天下の珍味］に等しいものがありましょう。すでに腹がぱんぱんに膨らんでいたなら、どのような御馳走を並べられても、早く目の前から持ち去ってほしいと思うだけです。うまいかまずいかは実は己にあって、物にあるわけではないのです。
貴君がお示しくださいました、仏書を読むことと、薬を作って人を救うことの二事は、閑居の身へのはなはだ厚い賜りものであります。私もかねてより仏書は看ておりますが、いつも暗く塞がれて妙処に通じることができずにいます。独り粗く浅くわかるところの説を仮に作って、自らそれを何度も吟味し直しています。譬えるならば、農夫が草取りをするようなもので、取っても取ってもたちまちまた生えてきてしまうので一見すると無益なようですけれども、取らないよりはよいのであります。
世間の君子で、超然と悟ったとかいう者のことは私は理解できません。かつて陳襄君とよく禅について論じたことがありました。陳襄君は自分ではすっかりわかったと考えていて、私のいうところは浅く陋いといっていました。その一方で、私は陳襄君に次のようにいったことがあります。「貴君が談じているのは、譬えれば、竜の肉を食らうことで、私が学んでいるのは豚の肉を食らうことです。竜と豚では月とすっぽんの開きがあります。しかしながら、貴君はいつも竜の肉を食らうことを説いているばかりで、私はときには実際に豚の肉をおいしく食べて満腹になっています。とすると、どちらがどちらに及ばないのでありましょうか」
貴君が仏書から得ているのは果たしてどのようなことでありましょうか。生死の境から出る、あるいは小乗、中乗、大乗の三つの差異を超える、あるいはついに仏となることなどでありましょうか。そもそも貴君はなお我らのような者とともに浮き沈みのなかにおられるのでしょうか。仏教や道教を学ぶ者は、「静」と「達」［悟り］を期す者であるのでしょう。「静」は「懶」［怠け］に似て、「達」は「放」［放縦］に似ています。学びつつあって、まだ期するところに至っていないのに、それより先にその似たところを得てしまったのでは、害なしとはいえないのではないでしょう。私は常にそのことを疑っています。それで私の思うところを書いてみました。
お手紙には、「世にあって平穏で無病であることを得て、粗衣でありながらも食が足りて、人を無実の罪に陥れたりしないのなら、それで十分であろう」と、書かれていましたが、全くもってその通りで、感嘆してやみません。……
【補足】［（1）この手紙でも『戦国策』［→作品番号06-1-094］を読んでいると記している。顔蠋については蘇軾が別に文章を書いているので、次の項目でそれを見ておこう。（2）陳襄は蘇軾が杭州にいたときに知事であった人［→作品番号04-1-052］。二人は非常に良好な関係にあったので、このような皮肉ともいえるようなことも蘇軾は面と向かっていえたのだろう。もしかすると、実話というよりはそれなりに脚色されているのかもしれない。（3）仏教や道教において瞬時に何かを悟るような話がよくあるが、それに対して蘇軾は極めて懐疑的であった。蘇軾は直観的に理解することと、膨大な知識をベースに帰納的に理解することの両者がなければならないと考えていて、むしろ後者に重きを置いたかたちでの両立を重視していたようだ］
■【06-1-098】顔蠋巧於安貧
【解題】上の手紙で言及していた顔蠋について記した短文。執筆の時期はこれより15年ほど後と推測されている。前半は『戦国策』からの引用で、後半が蘇軾の感想である。
【訳文】
顔蠋がもしも仕えてくれるのなら、食事には常に御馳走を揃え、送り迎えには車を用意し、家族には美しい衣服を与えようと、斉王は約束した。しかし、顔蠋は辞退して斉王のもとを去ろうとし、このようにいった。
「玉は山に生じます。その形を整え、磨きあげると、もとの姿は破壊されてしまいます。成形された宝玉は貴ばれないわけではありませんが、もとの大きく完全であったものはなくなってしまっています。士は野に生まれます。君主に推されて選ばれると、士は禄を得ることができます。そうなれば人から貴ばれないわけではありませんが、身体も精神ももとの完全なものではなくなってしまいます。私をどうか帰らせてください。帰ったならば、腹をすかせて晩れて食べることで肉に代え、ゆるゆると歩くことで車に代え、罪のないことをもって貴くなることに代え、清く静かに、節をもって正しく生きることを自分の楽しみといたします」
嗟乎、戦国時代において魯仲連や顔蠋ほどの賢者はいなかった。しかし、その二人にしても道［最も大切な道理］がわかっていたわけでではなかった。顔蠋が、晩れて食べることで肉に代え、歩くことで車に代えるといったのは、いまだにその心が肉や車にひかれていたからに違いない。晩れて食べることで自ずからうまくなり、ゆるゆると歩くことで自ずから快適になる。そのうまさと快適さが取れればそれで十分ではないのか。どうしてわざわざ肉に代えるだの、車に代えるだのというのだろうか。
顔蠋は貧しく暮らすことに巧みであったというべきであろう。腹がすく前に食べれば、いわゆる「八珍」でも草や木を噛むようなものだ。草や木を「八珍」にするには、晩れて食べればよいだけである。顔蠋はもとより巧みであった。私は長く貧乏を続けているわけではないので、顔蠋のように巧みにはなれない。
【補足】［（1）魯仲連は非常に優れた遊説家であったが、特定に君主に仕えることはしなかった。（2）顔蠋についての考察は、先の手紙よりも一段深まっている。顔蠋は巧みであっただけで、真に大切なところにはなお至っていないと、ここではいっている。最後の一文はよく吟味しなければいけない。これを書いたとき、蘇軾は黄州に流されたときよりもさらに重い罪で処分されて遥かに遠い地に流されていた。蘇軾は顔蠋の巧みさを真似する気はもとよりないけれど、貧乏暮らしがまだ短いから、その巧みさもまだできないと、この文章ではいっている。その裏には、さらに長く貧乏暮らしを続けるならば、顔蠋を超えて真に求めるところに達するであろうという希望ないし自負があるのだろう。流されたことを悲嘆するのではなく、さらなる飛躍がこの先にあると前向きに考えているのである。そのころの日々は第11章で見ることになる］
■【06-1-099】与章質夫
【解題】先に武昌県に間もなく来るとあった章質夫［→作品番号06-1-096］とは会うことができなかった。そのことを記した手紙。
【訳文】
武昌で再会を果たすことができず、いまに至っても残念でなりません。お手紙でわざわざお別れの言葉を伝えてくださり、感服してやみません。来年は任を終えられるとのこと、また長江を過られるときにお会いできればと思っています。鼎州の桃源県のあたりに行かれましたら、きっとさまざまな遺跡をお訪ねになることでしょう。鼎州、澧州にはもとより佳いところがたくさんあります。『新唐書』によると、劉禹錫がその地で民間から採取して作った『竹枝詞』は、その後も武陵の土地の人が歌っているとありますが、果たしていまはどうなのでしょうか。もしもそうでありましたら、蘇君や秀君によってその歌声を伝え聞かせてもらうことができないでしょうか。ああ、かつて徐州の駅舎でお二人の歌声を聞いたのは夢の中の出来事であったかのように思えます。
【補足】［最後に、蘇君と秀君とあるのは、章質夫のところにいる歌妓であるという。作品番号06-1-054でも触れたように、士大夫のもとには往々にして技芸をもって主人に仕える女性がいた。主人と特別な関係にあるのでなければ、譲渡や売買の対象となって仕える相手が変わる不安定で厳しい身の上であった］
■【06-1-100】太守徐君猷、通守孟亨之、皆不飲酒、以詩戯之
【解題】10月、新たに黄州知事となった徐大受［字は君猷］らの宴席で詠んだ詩。詩の題は「知事の徐大受も副知事の孟震［字は亨之］も皆が酒を飲まないので戯れに詩を作った」。「酒を飲まない」とあるのは、下戸で飲めないとするのが一つの解釈であるが、お上からの経費節減の号令に従って飲酒を自粛していたとする解釈もある。なお、この詩はこれより1年後の作であるとする考証もあるが、ここで読んでおこう。実は徐大受のもとには多数の女性がいたことは後に見ることになる。
【訳文】
昔むかしの孟嘉と徐邈は大酒飲みだった。
孟嘉は、当代の姦雄の嘲笑をさらりとかわし、
徐邈は、当代の姦雄を冗談で煙に巻いた。
ところが、孟嘉、徐邈の子孫というべき知事も副知事も酒の興趣を知らず、
ここでは私だけが孟嘉、徐邈の仲間である。
孟嘉の風流［ものに捉われない振る舞い］は高人［高い道義を具えた人］が識り、
徐邈の通介［斜に構えた言動］は薄っぺらな世俗に受けるものではない。
孟嘉と徐邈の霊がここにいるなら笑っていうであろう、
「我等の子孫どもは独り醒めた目で時勢を見ておるわい」
【補足】［孟副知事と徐知事の縁で同姓の孟嘉と徐邈を引いて即興の詩を作り、皆を楽しませたのだろう。孟嘉が重陽の節句で帽子を飛ばされ、当時の権力者の桓温の嘲笑をさらりとかわしたことは、これまでに何度か見ている［→作品番号05-3-061など］。徐邈は三国時代の魏の人で、当時の権力者の曹操に対して阿らずにひねった言辞を吐いた。知事と副知事は酒は飲まないけれど、脱俗、反骨の精神は受け継いでいるというのだ。なお、先に見た『赤壁の記』［→作品番号06-1-082］に「徐邈とは別人」というのがあったが、こちらが本家の徐邈である］
■【06-1-101】菩薩泉銘
【補足】李常［字は公択］［→作品番号06-1-043］が淮南西路の役人となり、職務を帯びて黄州に来た。仕事の合間に蘇軾とともに西山寺［→作品番号06-1-046］に遊んだことがこの文章から知れる。
【訳文】
晋の時代の陶侃［陶淵明の曽祖父］が広州の長官であったとき、夜になると川の上に怪しい光が現れるのを漁師が見て、陶侃に報せた。陶侃が光のもとを調べさせると金の像が見つかった。そこに刻まれた文字に、天竺の阿育王が鑄た文殊菩薩の像とあった。そこで武昌の寒溪寺に納めた。陶侃は荊州に移るに際して、その像を持って行こうとしたが、人の力では動かすことができなかった。三十頭の牛を連ねて車を曳いて船にまで運んだ。ところが船に載せると、船が覆って沈んでしまった。そこで、寒溪寺にまた戻した。
その後、恵遠法師が廬山にその像を迎えた。そのときは何のさわりもなかった。廬山において二人の僧がそれを守り続けたのだが、唐の武宗の時代に天下の仏寺を破壊するよう命令が下り、二人の僧は像を錦繍谷に隠した。仏教がまた許されるようになってからその像を探したが見つからなかった。しかし、谷の中には今でも時々光が射し、峨眉山や五台山のような姿が浮かび上がるという。
恵遠法師に関する文集に載せられている張文逸の文や山中の父老が語り伝えるところは以上の通りである。
現在では寒溪から西に数百歩ほどのところに西山寺があり、岩穴から泉が湧き出している。水は澄んでいて甘く、菩薩泉と名付けられている。人々はその由来を知らない。
建昌の李常が菩薩泉に来て、「ここは昔、文殊菩薩像が置かれていたところではないのだろうか」といい、そのことを銘に刻むよう私に勧めた。
【補足】［（1）銘の本文の訳は割愛する。（2）晋の時代の陶侃の名は作品番号06-1-066にもあった］
■【06-1-102】記公択天柱分桃
【解題】これは李常［字は公択］が黄州に来る前にあったことを語ったのを記録した文章。
【訳文】
李常君は客人たちと天柱寺に遊んで帰り、司命祠の下を過った。道の傍らに一本の桃の木があり、実がよい具合に熟していた。ちょうど道が交差するところに木はあるのに、誰にも実を採られずに残っていたので、もしかしたら真霊による瑞祥かもしれない疑った。皆で分けて食べるには数が足りないので、人々は李君が取るように勧めた。李君はそれをよしとはしないで、同行する蘇君と徐君にはそれぞれ七十余りの老母がいたので、李君はその二人に桃を分けて、帰って母に贈るようにといった。それで人々は、自分が桃を食べるよりも満ち足りた気持ちになったのだった。このことは書いておかずにはいられないことである。
【補足】［天柱寺は黄州の百数十キロ東の潜山にある。桃は長寿を象徴する果実であるので、老母に与えるのが何よりもよいのであった］
■【06-1-103】与秦太虚書
【解題】作品番号06-1-083で見たように乳母が亡くなり、臨皐亭には、妻と息子3人、長男の妻、王朝雲、馬正卿がいて、少なくともその7人［実際にはさらに数人いたようだ］を、俸禄のほぼ途絶えた蘇軾が養っていかなければならなかった。陳慥や朱康叔やいろいろな人が時折贈ってくれる物があるにしても、それだけで生活できるわけではない。蘇軾がどのように家計のやりくりをしたのか、秦観［字は太虚］［→作品番号06-1-081］に与えた手紙の中に記されている。この手紙は、本文中の記述から冬至の直前、11月上旬に書かれたと推測される。
【訳文】
五月末に弟が来て、貴君のお手紙を受け取りました。温かな労わりの言葉にお礼を申さねばと思いつつ、ぐずぐずしている間に、飛脚に託してのお手紙を重ねて頂戴し、はなはだ恐縮です。このごろは少し寒くなってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。
私の寓居はほぼどうにかなりましたが、弟は筠州に着くなり一人の娘を喪い、私は老いた乳母を喪いました。悼む心が回復しないうちに、郷里からの知らせで九月中旬に従兄が亡くなったと聞きました。異郷の地にあって、自身も病み、目に触れるものはもの悲しく、人の命のはかなさが思われてなりません。貴君も病を得てしかも軽くはなかったとのことです。また健やかになられたのを喜んでいます。我等も次第に衰え、少年のころのように元気に振る舞うことはもうできないものなのでしょう。道士や方士の言うことを速やかに用いて、厚く養生と鍛錬をすべきでしょう。私はこの地に謫居となってから特にこれといってすることがないので、その一つ二つを研究してみています。
黄州にある天慶観に部屋を借り、冬至の後に入って四十九日間篭ることにしています。追放の身にでもなっていなければこのようなことはきっとできないでしょう。貴君もいずれ仕官すれば、四十九日の閑を得ようとしてもできないでしょうから、いまこそやるべきです。普段から簡単で実践しやすいことを選んで、寝食のことの他には、それ以外のことは何もしないで日夜を過ごすことによって、期が満ちたときには、根本から立ち直っていることでしょう。その後でまた世間の事に関わっても、事がすめば心は根本のところに返えるので、再び駄目になることはもうないでありましょう。この手紙が着くのは冬至には間に合わないでしょうが、貴君が始めるのは何も冬至からでなくてもよろしいでしょう。
貴君の詩文を寄せてくださいました。どれも超然と優れていて、どんどん私の書くものに迫りくるかのようです。とはいえ、私なんぞに追い付こうと努力する必要はありません。貴君もきっと官職に就こうと、科挙に合格しようとすることでしょう。科挙は必ずしもあてにはなりません。貴君のためにひそかに考えるに、もっとたくさん書くべきでしょう。見せてくださったなかに『兵を論じる』とか『盗賊を論じる』といった数篇の文章がありますが、それらが数十篇にもなれば、どれも卓然として、実際に用いるべきものとなるでしょう。ただ、いまの政治情勢を論じることはしなくてよろしいでしょう。そうした文章を書いたからといって、科挙に応じることを止めるべきではありません。文章ができたらまた見せてください。それによって貴君のことを知る人がきっと出てくるでしょう。ここに書いた意味はおわかりくださると思います。
先頃、李常君がここに来られて数日間滞在しました。もっぱら貴君のことばかりを話していました。孫覚君からはまだ手紙がきません。きっと書くだけの余裕がないのでしょう。程師孟君からは、御子息の履中君が亡くなったことを悼む文章を書いてほしいとの依頼がありました。それはもともと私から書こうと言い出したことなので、果たさなければなりません。しかし、罪を得てからはもう文章は書かないと、自分自身を厳しく戒めています。もしも一つでもまた作ったならば、垣根が壊れて、その後は止めどなく多言となってしまうことでしょう。
私は黄州に来てから収入が途絶え、しかし一家の人数は増え、はなはだ心配が募るばかりです。とにかく懸命に節倹に勤め、日に使うのは百五十銭を超えることがないようにしています。毎月一日に四千五百銭を用意して、三十の塊りに分け、梁から吊るします。朝、二股の棒でひと塊りだけ取り、棒はのけてしまいます。その日使ってもしも余った銭があれば竹の筒の中に入れ、それは客が来たときに用いるようにします。これは実は賈収さんから教わった方法です。嚢の中にある貯えを計算すると、このやり方で一年余りはしのげそうです。使い果たしたなら、「洪水になれば自然と溝ができる」のたとえの通り、そのときはそのときでまた知恵も出てくるでありましょうから、あらかじめ考えすぎないようにしています。
このことさえどうにかなるなら、胸中に心配事は一つもないのです。
住まいの対岸は武昌で、山水の美しさは絶品で、蜀の人の王兄弟があちらの村にいます。しばしば王兄弟を訪ね、浪風が激しくなると帰れなくなります。王兄弟は鶏を殺したり、黍を炊いたりしてもてなしてくれます。数日間居続けても嫌な顔をしません。
また樊口には潘君がいて酒店を営んでいます。小舟を仕立ててその店の下に行くと、土地の酒のよい香がします。
柑橘類も椑も柿もきわめてたくさんあり、一尺以上も長い芋もあります。それらの豊富なことは蜀の地にもひけをとりません。米は水路で他所から運ばれてきて、一斗二十銭と安価です。羊の肉も北方の地と変わらずにあり、猪、牛、鹿もたくさんいて土みたいに安い値で、魚や蟹はただ同然です。
岐亭の酒税監視官の胡定之君は万巻の書物を所蔵し、その任地にも携えてきていて、喜んで人に貸しています。
黄州の役人のうち数人はしばしば御馳走に呼んでくれて、皆が喜んで集まる会を開いてくれます。
貴君はこれらのことを見て、私が何事もなく過ごしていると思うでしょうか。貴君に話したいことはたくさんあります。書けば紙がつきてしまうでしょう。ここまで読んで、髭をひねって少しでも笑ってくれたらと思うだけです。
鮮于侁君はもとより私の畏友ですが、その御子息もなかなかの人で、貴君は会ったことがあるでしょうか。
この地の黄岡県の副知事の張舜臣君とその兄の堯臣君は、貴君のことをよく知っているといっています。
息子についていつもお気遣いいただいていますが、たまたま乳母の葬儀があり、墓を作るのを任せておりますので、まだ御返事を差し上げる余裕がありません。
歳の暮れともなれば寒さが強くなります。ぜひぜひ御自愛ください。
李之儀君に手紙を届けてくださるようここに託します。
夜中に少し酒を嘗めながらこれを書きました。字が乱れています。どうぞお許しください。
【補足】［（1）この手紙には多数の人の名が挙がっている。初めのところで郷里の従兄が亡くなったとあるのは、伯父の蘇渙の息子の蘇不欺で、しばしば手紙を出している蘇不疑［→作品番号04-1-070など］の兄である。（2）李常が黄州にきたことは作品番号06-1-101で見ている。（3）孫覚が李常や秦観と親しい関係にあることは何度も見ている［→作品番号05-5-059など］。孫覚も蘇軾の事件に連座している。（3）程師孟は官界の人で、これまでに蘇軾とどのような関りがあったのかは不明。（4）中間で述べている家計の遣り繰りは興味深い。銭を1日分ずつ小分けにする方法は賈収［字は耘老］に教わったとある。賈収は湖州の隠者である［→作品番号05-5-062］。（5）手紙の後半には黄州にきてからの知り合いの名が上げられている。武昌の王兄弟は王斉愈と王斉万のこと［→作品番号06-1-030］、樊口で酒店を営む潘一家のことは作品番号06-1-042などで見ている。（5）岐亭の胡定之が蔵書家であると記されている。先に蘇軾が史書を読んでいたことを見たので、それらの書物は胡定之から借りたのであろうか。（6）黄州の数人の役人とは、先の詩で見た黄州知事の徐大受、副知事の孟震、それに黄岡県知事の何氏、同じく黄岡県の役人の段氏、それに黄州の酒税官の楽京［→作品番号06-1-036］らであるとされる。（7）最後にまた共通の知人について述べているが、鮮于侁の名はこれまでに何度も見ている［→作品番号05-4-085など］。李之儀については次に見る］
■【06-1-104】答李端叔書
【解題】上の手紙の終わりに言及されていた李之儀［字は端叔］への手紙。李之儀は秦観と同じく蘇軾の弟子筋に当たる人で、かつて揚州で一度だけ会っていたが［→作品番号04-3-090］、まだそれほど親しい関係にはなっていなかった。
【訳文】
私は貴君の名を以前から耳にし、知人のもとで時折貴君の詩文を見ておりました。数は多くはありませんでしたが、貴君の人となりをおよそ知ることができました。
ここのところお手紙も差し上げることもなく、貴君がひどい病になられたときにも一字のお見舞いも申し上げなかった怠慢の罪は、どうか寛大にお見逃しください。弟が先頃来まして、貴君のお手紙を頂戴しました。やはりものぐさのために即答しませんで、ぐずぐずと礼にもとること、実にひどいものがあります。それでも貴君は私のことを見捨てることなく、飛脚便にて再びお手紙を送ってくださいました。私に対してますますよくしてくださり、顔が赤らみ汗が流れ落ちます。
貴君は才能があり高い見識がおありですから、軽々しく人と交わりを結ぶのはよろしいことではありません。黄庭堅君や秦観君がいうのをそのまま真に受けるべきではありません。私は人に憎まれ、ただ二君だけが喜んで私のことを誉めてくれています。蓼食う虫も好き好きの例でありましょう。そのわけを明らかにするのは簡単ではありません。二君がでたらめをいっているというのではありません。二君がいうのに人が同調するのは大いによろしくないのです。
私が若いころに書物を読み文を作りましたのは、もっぱら科挙を受験するためでした。すでに科挙に合格すると、その次を貪るようにして望み、制科も受けました。制科に合格して私は何をしたのでしょう。そのときの制科の科目の名は「直言極諫」でありました。その意味するところは何かというと、古今の事例を参照して是非を議論することにあります。人というものは自分のしていることが知られずにいるのを残念に思うもので、私は制科に合格したからには、実際にそれにふさわしいことをしていると知られたいと思い、多くのことを論じて今に至りました。そのために罪を得てほとんど死ぬばかりとなったのです。これはまさに昔漢の高祖が「口先だけで官職を得た奴め」と罵った対象となった者と同じで、真に笑うべきことでありました。
とは言え、世の人が、私がことさらに異論を唱えようとしていると評するのは間違いです。利害をやたらと論じたがり、得失を先んじて言い募ろうとするのは、制科に合格した者によくある癖で、譬えていうなら、季節の虫や鳥が自ずと鳴いて自ずとやむようなものです。自身の損得を考えてのことではないのです。
世間の人々がどうやら私のことを過重に評価しているのを不思議に思っています。貴君もやはり私を称揚し過ぎです。全くもって私はそうではないのです。
罪を得てから深く閉じ篭っております。小舟に乗り、あるいは草履を履いて、山水の間を放浪し、木こりや漁師の仲間に加えてもらっています。しばしば酔っ払って、人に怒鳴られることもあり、ようやく世間に知られない身になったと喜んでいます。以前からの友人からは一字の通信もなく、手紙を送っても返事はありません。それでこそ世間から逃れられたと喜んでいます。
貴君が初めて私に手紙をくださいましたのは、私としては実は望むところではありません。木にこぶがあり、石にくもりがあり、犀に白い筋があって、人はそこに面白みを見出します。それらはどれも物としては「病」に当たります。謫居して何もする事がなく、黙って自らを省みますと、この三十年間にしてきたことは多くは「病」でありました。
貴君が見知っているのはそうしたもとの私であって、いまの私ではありません。声を聞いてその真情を考えない、花を取って実を遺さないといいますが、貴君にはどうか真情と実に思いを巡らせていただきたいのです。
こうしたことは会ってお話しするのでなければ十分には申し上げられません。罪を得てからは敢えて文章を作ることはありません。この手紙はきちんとした文章にはなっていません。筆に任せて綴るうちに、思わず紙数を重ねてしまいました。他の人にお見せすることは無用に願います。その意味をおわかりください。
一年の終わりが近づいてきています。寒さが厳しくなる折から、万万御自愛されますよう。
【補足】［（1）制科に合格した者としての振る舞いについて述べているところは、『荘子』に描かれた孫休とよく似ている［→作品番号06-1-004］。（2）十分に意味が汲み取れていないところもあるが、決して無批判に自分を追随する者にならないようにと、李之儀に注意したのであろう］
■【06-1-105】与王定国書
【解題】上の二つの手紙と同じ頃に王鞏［字は定国］［→作品番号06-1-050］に送った手紙。王鞏が流謫の地、賓州に到着したと報せてきたのに対する返事である。
【訳文】
またお手紙を頂戴し、すでに恙なくそちら［賓州］に到着されたと知りました。泰然と構えてくよくよされずにいるのがよろしいのでしょう。知事代行としての貴君の英姿はそちらで評判となりましょう。それもよいではありませんか。
私の寓居はほぼどうにかなりましたが、ただ八月に老いた乳母を喪いました。弟は筠州に着くなり娘を一人亡くしました。十二歳でした。悲しみがおさまらないうちに従兄［蘇不欺］が故郷で亡くなったと聞きました。異郷にあってこのようなことが続き、目に触れるものが皆悲しくてどうにもなりません。
近ごろ、養生についてかなり知るようになり、自ずと大切なところに迫りつつあると感じています。私に会う人は、以前とは風貌が異なるといいます。これで数年もしたなら、仙人の仲間入りをするのではないでしょうか。兼ねて、画は竹を描いてすでに神品となりつつあり、行書、草書も極めて巧みになりました。ただし、詩だけはひどく後退しています。どういうわけなのでしょう。
張方平殿からお手紙があり、恙なくお暮しとありましたが、御子息が妻を実家に帰らせたために家の中のことでお困りであるとありました。
弟は筠州でひどく忙しくしていて、この兄が安逸にしているのをひどく羨んでいます。
間もなく冬至です。すでに天慶観に部屋を借りていて、そこに篭って四十九日間を過ごすことにしています。客人も全て断り、たとえに張方平殿が来られても口をきくことはないでしょう。常に戸に背を向けて過ごすのです。きっと深い益があるでしょう。
先に貴君が寄せてくださった二冊の書物は、憂い患いについて詳しく反覆議論しています。読むだけですでに憂いが解け、また私の無知を洗い流してくれ、得るところがたくさんありました。しかし、いわゆる「知っただけは駄目で、実践しなければいけない」のです。この語は常に唱えるべきでありましょう。
杜甫はひどく困窮しても、一飲一食のたびに、国君のことを忘れませんでした。詩人としてそのようであったのは杜甫一人だけです。いま貴君の手紙を見ると、毎回皇帝の恩を思い、自分を咎める言葉を連ねています。詩人の本意をはなはだ得たものであります。私は不肖といえども、貴君のようになりたいと願います。
私は文章も詩も作っていません。近頃、乳母を亡くし、その墓誌銘だけは作りました。貴君が私の書をお望みでありますので、それを記してここに添えます。
今日は駅伝の馬の親方の李孝基が蔡襄の石刻一巻を届けてくれました。それには貴君の題字がありました。それを見て思いが湧き出し、しばらくおさまりませんでした。数日前には沈達君がここを過り、貴君をよく知っているというので、船の中で会って、夜遅くまでほとんど貴君のことばかりを話しました。
近ごろ、ある人［張師正］から大きな丹砂をいただきました。とてもすばらしい光沢があります。敢えて服用はしていませんが、その人は火で丹砂を変化させることを教えてくれましたので、その様子を観察し、いささか楽しんで日を送っています。貴君のおられる賓州は桂州からさほど遠くないので、たやすく丹砂が手に入ることでしょう。できれば数両でも送ってもらえないでしょうか。難しければ、急に必要ということではないので結構です。
そちらは僻遠の地でありますから、変わったこともあるでしょう。冷静な眼で探してみるのがよいでしょう。多くの道士は金丹を用いなければ羽化［昇天］できないといいます。丹薬の材料は多く南の涯の地にあります。昔、葛洪が呴嶁の地の県令になることを求めたのもそのためで、ついに廉州で仙人に化したといいます。貴君もこのようなことは心に留めておくとよろしいでしょう。
道士の陳璨が一カ月前に筠州で弟に会って、道術の要妙をあらかた伝えたそうです。陳璨はじきにこちらに来るそうですが、この人は道術を得ているだけでなく、情義があり、大切な旧友として忘れることのできない人です。
道術にはいろいろとあり、その要となるところを会得するのは簡単ではありません。私が観ますに、ただ静心閉目して、よくよく習熟することで、効果があると知れてくるものなのでしょう。静かな夜に、脈拍を百二、三十数え、次にまた脈拍が百二、三十を数えるまで息を止めます。これを何回も繰り返します。私の言うことを信じてくれるなら、体中に気を行き廻らせることができ、体に病を近づけさせないようにできるでしょう。
こちらでは鵞鳥や鴨を売ることの良さを知りましたが、とにかく何もない暮らしで、買うものといったら、刻んだ魚や豚や羊や雁の肉などです。先立つものが入ってこないので、ただ節倹に務め、毎日百五十銭だけに限定しています。月の初めに四千五百銭を用意し、三十のかたまりに分け、天井の梁の上に架けておき、朝早くに杈子にひっかけてひとかたまりだけ取ると、杈子はすぐに片づけてしまいます。また、大きな竹筒に別に不意の入用のときのための銭を貯えています。これだけの倹約をしていて、それでも毎日肉を食べることができているのは、この地の物価が安いからです。いま嚢の中にあるもので一年余りは支えられるでありましょう。そのときがきたらまた別の手段があるでしょうから、いまは考えないでいます。
息子はこのような状況を見て、敢えて家を出て官に仕えようとはしないので、少なからず助かっています。
筆にまかせて字が乱れました。思いつくままに順序もなく書いてしまい、思わず長くなりました。ここまで書いて時刻は二鼓となり、部屋の前の空には冬の白い月の光が満ち、あたかも私の懐いを知るかのようです。まだまだ言い尽くせません。何はともあれお体を大切にされますように。
【補足】［（1）ここまで「飛脚」と訳していた原文は「逓」で、官が営む郵便制度で、基本的に官用の通信網である。時にそれに便乗して士大夫たちが私信を送ることができたようだ。宋代の「逓」には、人が運ぶ歩逓、馬が運ぶ馬逓、最も早い急脚逓があって、急脚逓は一日四百里［二百数十キロ］行くのだが、軍用に限られていた。この手紙に記されている李孝基は、原文では馬鋪の者とあり、黄州において馬逓を司る人物であるようだ。官用の「逓」に託せなければ、特にそのために人を派遣して手紙や物を送ることもあり、それは「専使」と呼ばれる。そのほか、旅行く人に託して送ってもらうこともあり、蘇軾はさまざまな手段を用いて多数の手紙のやりとりをしていた。（3）「蔡襄の石刻」とあるのは、蔡襄が書いた字を石に刻んだものの拓本であろう。蔡襄は官界の先輩で、その名は作品番号04-3-056などですでに見ていて、蘇軾が宋代一の書家であると考えていることはこの後で詳しく見ることになる。（3）沈達は運輸に関わる役人であるが、詳しいことはわからない。（4）張師正から丹砂をもらったことについては、『張師正の蓄える所の辰砂を観る』という詩に詠まれている。ただし、意味を掴むのが極めて難しい詩で訳は割愛する。その詩の題では「辰砂」と書かれているが、辰砂、丹砂、朱砂はいずれにしても硫化水銀を含んだ鉱物で、猛毒である。化学反応を巧みに制御すると黄金のような色を放つので、仙薬の原料になると考えられていた。それを飲めば、毒にあたって、ひどいときには即死し、軽くても慢性の中毒症状によって健康を損なって必ず寿命を縮める。（5）葛洪は晋代の人で、神仙思想に傾倒し、辰砂の出る遥か南方の地へ赴任することを敢えて希望し、広州に至ったところでその地の知事に引き留められ、羅浮山に入って仙薬を作りつつ、著作を続けた。その主著である『抱朴子』は後代の神仙思想に大きな影響を及ぼし、それまでは仙薬の原料としては植物由来のものも多種あったのだが、葛洪以降はほぼ硫化水銀に限られるようになってしまった。蘇軾が後に羅浮山に行くのを第11章で見ることになる。（6）道教に基づく養生は大きく「外丹」と「内丹」に分けられ、「外丹」は仙薬によって不老長生を得ようとし、「内丹」は自身の身体を鍛錬して健全な心身を養おうとする。黄州時代に蘇軾は「外丹」と「内丹」の両者に実践を試み、この手紙にあるように丹砂を使った化学実験も行っている。唐の歴代皇帝の多くが道士たちの作る怪しげ仙薬を飲み、水銀中毒で神経系を害して若死にしたことは史実に明らかで、蘇軾は当然そのことをよく知っていたのだろう、妙な薬は実際には服用しなかったようだ。「内丹」についても、道士たちなどからいろいろ教わり、有用そうなものを選んで試みている。ここに記述されている呼吸法は後に精密化される［→作品番号06-4-043］。（7）冬至の後で天慶観に四十九日間篭ることは、秦観に宛てた手紙にも記してあったが、滕元発［→作品番号06-1-093］に宛てた手紙にもそのことを書いていて、「聊か自ら反照するのみ」と記している。同じ手紙に、弟の手紙で、「ひたすら自省して、終日、一語も一事もなければ、そのなかに言いようのない最高の楽しみがある」と教えられたと記している］
■【06-1-106】趙先生舎利記
【解題】蘇軾は趙棠という不思議な人物の舎利［骨］を持っていた。蘇軾は密州にいたときに趙棠の息子の趙昶と知り合いになり、趙棠のことを聞いて短文を書いていた［→作品番号05-2-004］。これは趙棠の舎利についての文章。
【訳文】
趙棠先生はもとは蜀の人で、孟氏の蜀国の節度使であった趙廷隠の子孫で、その後は南海の人となった。趙先生は宋朝に仕えて幕職となり、南海に職を得た。そこに潘冕という者がいて、狂を偽って不可思議な行動をし、「潘盎」と呼ばれていた。南海の方言で心を病むことを「盎」というのである。潘盎は都の僧である言法華ととｔもに偈頌しつつ道を歩くようになり、言法華は「盎は日光仏である」といっていた。趙先生は官職を棄て潘盎に従って遊行し、潘盎は、「そなたは我が道をことごとく得た」といった。潘盎は隠れ去り、どこで終わったのかわからない。趙先生は坐したまま亡くなった。その衣を焚いたところ、数升の舎利が得られた。
私は先生の子である趙昶と交流があり、その舎利四十八粒を得た。潘盎と趙先生には不思議な足跡が極めてたくさんあり、張方平先生が墓誌を作って、具にそれらのことを記録している。趙昶はいま大理寺丞として藤州知事となっている。
元豊三年十一月十五日、舎利を宝月大師［惟簡］の弟子の悟清に授けて、本院［成都の勝相院］に持ち帰らせて供養してもらうことにした。
巴郡の蘇軾記す。
【補足】［（1）ここに大恩人の張方平の名が挙がっていて、作品番号05-2-004でも、趙棠のことは張方平に尋ねたと書いてあった。（2）趙棠の舎利は成都の宝月大師のもとに預けることになった。悟清が黄州にきていたことは作品番号06-1-089などで見ている。なお、原文では悟清のことを宝月大師の「孫」と書いているが、本当の孫ではなくて弟子で、宝月大師の「孫」は十四人いると、蘇軾は別のところで記している］
■【06-1-107】書蒲永昇画後
【解題】これは蘇軾よりも年長の蒲永昇が描く山水画について記した短文。これを書き添えた画を悟清に託して宝月大師に贈った。
【訳文】
昔から水を画くときは、遠くまで平らに細かな皺を作ることが多い。善く画いたとされるものにしても、波頭の起伏をうまく作っただけのことで、手で画を撫ぜるようにしてみて、「窪みと隆まりがみごとだ」と感じさせるまでになると、「至妙」［最高の芸］であるとされる。しかし、その技芸の品格の程度をいうなら、印板水紙［型に押して波模様を浮かび上がらせた紙］とほんのわずかな巧拙の差を競うだけのものなのである。
唐の広明年間［唐の末期］になって、孫位が初めて新たな工夫をした。奔るような湍と巨大な浪が、山の岩とともに折れ曲り、物に当たって様々な形態になるのを画き、水の変化を尽くして「神逸」といわれた。その後、蜀の黄筌と孫知微がその筆法を会得した。孫知微は、成都の大慈寺の寿寧院の壁の四面に「湖」「灘」「水」「石」の四つを画こうとして、何年も思案を凝らし、いつまでも筆を下さずにいた。ある日、慌ただしく寺に入ってくると、非常にせいて筆と墨を求め、風のように袂を奮い、またたくまに完成させた。輸よく瀉ぎ、跳び、蹙まる水の勢いを作って、洶洶として建物を崩さんばかりであった。孫知微が死ぬと、その筆法は五十余年にわたって絶えた。
近ごろ、成都の人、蒲永昇は酒を嗜み、各地を放浪し、本性として画に合致している。初めて「活水」［本来の活きた性質を持った水］の画を作って、孫位と孫知微の真髄を会得した。画工として名をなした黄兄弟［黄筌の息子］や李懷袞といった人々は皆それに及ばない。高位高官の者や金持ちたちが権勢をもって頼んでも、蒲永昇は冷ややかに笑ってまるで聞かない。たまたま画く気になると、相手の貴賤を問わず、たちまち画きあげる。
かつて蒲永昇は私のために寿寧院の孫知微の壁画のうちの「水」を模写して二十四幅の掛け物を作ってくれた。夏の日にこれを広間の壁に掛けると、たちまち冷たい風が人を襲い、毛髪が逆立つばかりになる。蒲永昇はいまや老い、その画を得るのはますます難しくなった。
世間には真の価値を識る人は少ない。かつての董羽とか、最近の常州の戚文秀の画いた水でさえ、世にはそれを宝物のようにいう者がいる。董氏や戚氏の類は、「死水」［本来の性質を失った水］というべきである。蒲永昇とはとても並べて語ることはできない。
元豊三年十二月十八日夜、黄州臨皐亭の西の書斎で戯れに書いた。
【補足】［（1）文同の画について、「常理」「常形」の語を用いて論じた文を見たが［→作品番号03-4-006］、「常形」のない水を「常理」によらずに画いたのが「死水」で、「常理」によって画いたのが「活水」なのだろう。（2）唐の広明年間に孫位が初めて新たな工夫をしたとあるのは注目すべき記述で、このとき黄巣の大乱によって皇帝は都の長安から成都に避難し、孫位はそれに付き従った1人だった。その後、皇帝は都に帰還したものの唐はますます衰えてついには亡んでしまう。文化の担い手たちは比較的静穏であった成都に集まり、唐代文化の伝統は成都において生き残った。孫位、黄筌、孫知微がまさにそうした人々で、それを継ぐ者として蒲永昇や惟簡や蘇軾がいる。宋朝は天下統一の過程で武力によって蜀を征服し、成都に伝わる優れた文物を都に持ち去った。その際、宋朝の軍団は蜀の人々を極めて手荒く扱い、多数の人々が命を失い、民衆は宋朝による強圧的な支配を嫌ってしばしば大きな反乱を起こした。それを教訓として江南の平定を任された曹彬は、融和的な戦略を用いて民衆の被害を最小限に留めるよう心を砕いた。そのことを蘇軾が獄中で詩に詠んでいた［→作品番号05-5-093］のは実は深い意味があるのだ。なお、作品番号06-1-090で記した中和は広明の次の元号である。（3）孫知微が何年も画想を練った上で、短時間で仕上げたというのは、文同が「胸の内に成長した竹を得たなら、直ちにやり遂げる」と自分の画法について述べた［→作品番号05-5-086］のに通じるものがあるだろう］
■【06-1-108】石氏画苑記
【解題】これは上の文章から2日後に記された。天慶観での四十九日間のお籠りが終わった直後である。画と蜀文化の2点のつながりから石康伯［字は幼安］［→作品番号05-1-035］のことを思い起こして書いたのだろう。なお、冒頭に、石康伯は石揚休の末子とあり、蘇軾の長男の蘇邁は石揚休の孫娘と結婚した推定されているので［→作品番号05-3-009］、蘇邁からすると石康伯は義理の叔父に当たるのだろう。
【訳文】
石康伯、字は幼安は眉州眉山の人である。かつて紫微舍人であった石揚休の末子だ。科挙の二次試験を受けて不合格となり、受験資格を放棄し二度と受けなかった。父が高位にあったお蔭で官職を得ることもできたのだが、それに就くこともなかった。
石康伯は書物を読み、詩を作り、それを自分の楽しみとするだけで、人に知られることを求めない。名筆、名画、古い器物、珍しい物を好み、たまたまよい物を見ると、衣を脱ぎ、食べるのを止めてもそれを求め、家に銭があろうがなかろうが、そんなことはお構いなしだ。都にいること四十年、町の道を行くのに馬に乗ったことがない。人ごみの中にいても、耳と目は喧騒から抜きん出たところにあって、もっぱら好むところを探し求めている。
背丈は七尺、色黒で髯があり、よく画にあるところの道人や剣客のようだ。塵埃の中を歩き、何かいわくありげにしているので、知らない人は「異人」であろうかと思う。
滑稽を善くし、巧みに微妙なところを言い当て、傍らの人は腹を抱えて笑う。しかし、石康伯自身は静かにしていて顔色を変えることもない。人と交際してその危難を知ると、自分のためにする以上のことをする。都に寄寓している間に病んでしまった者がいると、舁にのせて自分の家に運び込み、自ら飲食を与え、死んでしまったりすると棺に納めるまでしてやり、いやがる様子はない。
石康伯を識る者は皆がこれくらいのことはきっと知っている。私はいささか深く知っているだけだ。
石康伯の知識と慮りははなはだ遠大であるのだが、口に出して言うことはない。今年六十二歳で、顔かたちは四十ばかりに見え、鬚は三尺もあって、白いものは一本もない。何のわけもなくこうなったのではないだろう。
ところで、亳州の官吏となって富弼とともに罪を得たのは、石康伯の息子の石夷庚である。
石康伯の家には書画の軸が数百あり、その中からごくささいな小品を集めて書画集を編んで『石氏画苑』と名付けた。石康伯は文同と交遊があり、兄弟のような仲であったことからその画をたくさん得た。また私も古木や竹を画くので、それを贈って『石氏画苑』に加えてもらった。
我が弟はかつてこのようにいった。
「画でよく貴ばれるのは、描いて似ることだ。似ているだけで貴ばれるのなら、本物はもっと貴いはずだ。私は都会や田舎を歩き回って人や物を見る。どれもが本物であるから、我が画の収集物に加えて貴ぶべきなのだろう。見ないのは鬼神だけだ。それは画によって識るしかない。しかし、人は鬼を見たところで何の役にも立たない」
この言葉には道理がある。いま石康伯が画を好むのは、要するに一つの病のようなもので、記録するに足るようなことではない。だから、石康伯の人なりの大略を記したまでである。
元豊三年十二月二十日、趙郡の蘇軾が記す。
【補足】［（1）蘇軾の文章は、ＡならばＢ、ＢならばＣ、よってＡならばＣのように一直線には進まない。途中に曲折があり、時には矛盾するようなことが放り込まれたりもする。石康伯の画のコレクション『石氏画苑』［その中には親友の文同の作品も蘇軾自身の作品も含まれる］を礼賛するのが主題であるかのように見えて、実はそうではない。弟の画論を、真理を衝いているかのように持ち上げたりもして、しかし、全体としては石康伯の「異人」ぶりが読む人の心に残るようになっている。（2）石康伯は蘇軾の故郷、眉州眉山県の出身である。罪を得てこれからいかに生きて行くかを考えるときに、頭に浮かんできたのが先の文章にあった蜀の画人や石康伯のような人々だったのだろう。（3）富弼とともに罪を得た石康伯の息子について言及しているのは、この文章の流れからすると場違いのようだが、書いておかずにはいられなかったのだろう。蘇軾が憧れた4人のスーパースターの中でこのとき唯一存命なのは富弼で、富弼が罪に落とされたのは要するに改革に反対したためであった。（4）石康伯が文同の画を多数持っていることは作品番号05-4-002に記されていた。（5）これより2年ほど後に石康伯に送ったと推測される手紙があって、『石氏画苑』を大切にするようにと特に記している］
■【06-1-109】与王元直
【解題】以下は、この年に書いたと推測されている手紙や短文。これは郷里の王箴［字は元直］に宛てた手紙。王箴は王淮奇［→作品番号06-1-084］の甥である。
【訳文】
黄州にいるのはまことに井戸の底にいるようなもので、郷里からの消息は杳として聞こえてきません。このごろはいかがお過ごしでしょうか。お母様や皆様もお変わりありませんでしょうか。
私はこの界隈のもろもろによってどうにか気持ちを放つことができています。つまり、川べりで水を弄んだり、菜を採ったりしながら、一日一日を過ごしているのです。……
なおわずかに望みをつないでいるのは、もしや御聖恩によって郷里に帰るのを許されて、一頭の馬に一人の従者を連れて、お父上［王淮奇］や楊宗文君らとともに瑞草橋のあたりを行き来し、夜に村に帰り、貴君と向かい合って農家の門に座り、瓜や炒った豆を食べたりできるようになることです。はてさて、いつのことになりますやら。
楊従君が不幸にして亡くなったとか、いまもなお悲しい思いがこみあげてきます。楊従君の家はどうなっているのでしょうか。
蜀からの人が還るところですので、数文字を記したまでです。万万保愛されますように。
【補足】［（1）王箴はこれより21年後の建中靖国元年二月二十八日に53歳で亡くなり、その後、蘇邁がその墓碑を書いた。それによると、王箴は蘇軾の二度目の妻の王閏之の弟で、蘇軾が杭州副知事に赴任したときに、はるばる郷里から訪ねてきたとある。そのころ蘇軾と交際する人は天下に名の知られている人ばかりで、王箴だけが無名であったが、蘇軾は何ら分け隔てすることなく王箴を遇したという。王箴は郷里に帰ってからは、官に仕えることなく質素に暮らし、蘇軾と会ったことを人々に自慢するようなこともなかった。後に、蘇軾の最晩年に、王箴はもう一度蘇軾に会おうとして、遠くに南方に向かう旅に出て、その途中で亡くなった。そのとき蘇軾は海南島から帰還する途中で虔州のあたりにいた。（2）王箴は眉州眉山県に住んでいたが、もともと王氏は隣の青神県の人で、ここに挙がっている瑞草橋は青神県にあった。（3）楊宗文［字は君素］も楊従［字は存道］も郷里の人で、楊宗文の名は作品番号03-1-009で見ている。楊従は詳しいことはわからないが、これより13年前に科挙に合格している］
■【06-1-110】与杜幾先
【解題】揚州の杜介［字は幾先］に対して熙熙堂について詠んだ詩を贈ったことは作品番号05-4-035で見ている。その杜介に宛てた手紙。杜介の住まいは欧陽脩が建てた平山堂の近くにあり、蘇軾は湖州で逮捕されて都に連行される途中で、そのすぐ近くを通過していた。この手紙にそのことが記されている。
【訳文】
お別れしてからもう何年になりましょうか。かつてお話したことはいまも忘れておりません。このごろはいかがお過ごしでしょうか。
思えば昨年の八月初めに私は逮捕され、（都に護送される途中に）揚州を通過しました。天長県から平山堂の下にさしかかりましたときに、墻根の向こうに貴君の家が見えました。紙の窓、竹を葺いたさまは以前通りで、貴君が道士のなりをして、薬を煮る炉と碁を打つ盤の間におられるありさまを、ありありと想い見たのでした。私は綱に繋がれ、生死のほども知れぬ身で、貴君は銀河の彼方の存在であるかのように思われ、羨慕してやみませんでした。
すでに聖恩を蒙り、罪罰を寬めて善い地［黄州］に置いてくださることになりました。門を閉ざし、外出することなく、蕭然と為すこともなく過ごしています。酒が醒めてまだ夢の中にいるような心地であります。
弟からは何度か手紙が届き、厚く労りの言葉を寄せてくれており、ありがたく思っています。私のところでは老いた乳母が亡くなり、また弟のところでは幼い娘が亡くなりました。悲しい気持ちが癒えぬうちに、従兄が亡くなったとの知らせを聞きました。哀しみや憂いはいつまで続くのでしょうか。聞けば、貴君は六月にまた職務を授かって都に向かわれたとか。いまはどちらにいらっしゃるのでしょうか。
鮮于侁君に託してこの手紙を送ってもらおうとしています。いつお会いできるかわかりませんが、時節柄万万自重されますように。
【補足】［（1）杜介は隠棲していたのだが、一時的に官職に復帰したようである。（2）鮮于侁も蘇軾の旧い友人。蘇軾が都に護送される途中で揚州を通過したときに、鮮于侁は蘇軾に会おうとして果たせなかった［→作品番号05-5-090］。鮮于侁はその後、湖州知事となっていた。鮮于侁は蘇軾に連座して罰を被ることはなかったが、湖州は揚州よりも遥かに格が下の州であるので、若干の制裁処置を受けたことになるのだろう］
■【06-1-111】跋張希甫墓誌後
【解題】蘇軾は徐州で張天驥という異人と親しくしていた［→作品番号05-4-106］。その父張希甫が亡くなり、張天驥がその墓誌銘を送ってきた。それにこの跋文を書き添えた。
【訳文】
私は徐州知事であったときに初めて張希甫父子のことを知った。
元豊元年の冬［蘇軾は徐州にいた］、李夫人［張希甫の妻］が病で亡くなり、徐州の人々は賢人であったことを言い合った。李夫人は死の間際までじたばたするようなことは一切なかった。李夫人がかつて記していた数十枚の紙を息子の張天驥が取り出してみると、仏教のことや道家の語が記されていて、その筆跡は雅健で、婦人の手のようには見えず、また書いてあることはどれも条理が整っていた。
このとき張希甫は七十歳であった。これより穀物を避け、道引［道教の呼吸法］を行い、水だけを飲んで百日余りを過ごした。非常に痩せたのだが、衰えることはなく、瞳は炯然と輝いていた。私はそれを見て、苦しんではいないと知ったものの、息子の張天驥は憂懼に耐えられない様子であった。それで私は張希甫にこのように告げた。
「人の生は寄せるようなもの。自分からこのような苦しみを得ることはないのではありませんか。できれば、時には飲酒し、米や肉を食べて、お子様方のお心を慰めてはどうでしょうか」
張希甫は私のために強いて食べるようにしてくれた。しかし、この世にあろうとする意はすでになかった。
それから二年、私は黄州に謫居し、張希甫が亡くなったことを聞いた。張天驥がその墓誌銘を寄せてくれたので、私はその夫婦が超然として世の外にあったことを知ったのである。
■【06-1-112】朱元経爐薬
【解題】蘇軾の「異人」好きはなかなかのもので、これは黄州の北隣の光州の朱元経について記した短文。
【訳文】
光州に朱元経という道人がいて、年は百歳ほど、世の多くの人は朱元経には道術があるといっている。私は黄州にきて、一度は会ってみたいと思っていたのだが、すぐには果たすことができず、黄州にきてまだそれほどにならないうちに、朱元経が亡くなったと聞いた。
たまたま旧知の曹九章が光州の知事で、棺を与えて葬った。そのときにこれといって不思議なことはなかった。後に、朱元経が作った金銀や薬が非常にたくさんあった。郡中の人々はその薬を争って買おうとした。曹知事は許さず、すべて封をして役所に納めた。私は曹知事にこのようにいった。「後に貪欲な者が盗み取ろうとするかもしれません。だったら、朝廷に知らせて、朝廷の蔵に納めてもらった方がよいのではないでしょうか」。曹知事がそのようにしたかどうかは知らない。
黄金は確かに作れるというのは虚言ではなかったのだ。ただし、金などは土くれと同じだと視る者にだけそれができるのだろう。
【補足】［（1）光州知事の曹九章［字は演甫］とは、後に親戚になる。曹九章の息子の曹煥が蘇轍の娘と結婚するからである。（2）蘇軾が黄州に来て最初の年はこのようにして終わる。自分を新たにするために、最初は安国寺にしばしば参禅し、冬至から49日間は天慶観に篭った。殺生戒を守るよう努め、読書に励み、節倹を旨とした。それによって蘇軾は新たになったのだろうか。（3）一方で、弟の蘇轍は筠州でどのように過ごしていたのか、それを知るために次の一文を読んでおこう］
【訳文】
蘇轍：『東軒記』
私は罪をもって、筠州の塩酒税を管理する役人に左遷された。
筠州に着く前に大雨があり、筠水が溢れ、南の市場を水没させ、北の堤を超えて州庁の門を破壊した。塩酒税の役場は川を見下ろす岸辺にあり、水の被害が最も甚だしかった。
筠州に着くと、役場の建物は壊れていて住めなかった。そこで郡知事に、国の出先機関の役場を借りて住むようにできないかと頼んだ。郡知事は行き場のないことを憐れんで許してくれた。
その年の十二月、ようやく役場の傾いた柱を直し、倒れた壁を補った。その上で、執務室の東に小さな建物、東軒を作り、杉二本と竹百本を植え、休息の場にしようとした。
塩酒税の仕事はもともとは三人で担当していたのだが、私が到着したときにはたまたま二人が辞めて去った後で、一人だけで仕事をこなさなければならなかった。昼間は市場に出向き、塩を売る者、酒を売る者、肉や魚を売る者たちの間を、わずかな利潤を巡って税を徴収して回る。夕方に帰ってくると、全身がくたくたで、すぐに眠くなってしまい、いつ夜になったのかも知らないうちにもう朝になってしまう。朝にはすぐにまた市場に出て仕事をするので、東軒で休むことなどできない。毎朝、毎夕、東軒の横を出入りするたびに、それを見て肩をすくめて苦笑せずにはいられない。
私は昔、少年のころに書物を読んで、孔子の弟子の顔回［顔淵］の振る舞いを不思議に思った。顔回は狭苦しい路地奥に住み、一つしかない竹の器に飯を盛り、一つしかない瓢で水を飲み、普通の人なら苦しくて耐えられない暮らしをしながらも、それを楽しいとして改めなかった。私が疑問だったのは、たとえ役人として仕えないにしても、門番とか夜回りとかの仕事をして、そこそこの暮らしができるようにしたところで学問の妨げにはならないはずで、どうしてそこまで貧乏をして自分を苦しめなければならないのかということだった。
筠州に来てからは市場で働いて一日の休みもない。このごたごたを棄て、束縛するものを断ち切って、学問の世界にこの身を解き放ちたいと思わない日はない。それでも、いつも事に迫られて現状に留まってしまっている。そうこうするうちに、顔回が貧賎に甘んじて、敢えてわずかな俸給すらも求めなかったのは、学問のためであったのだと知った。士がまだ大道［真理］を聞かないうちは、権勢とか利益とかに酔いしれ、美服や美女をよいものとし、それらを楽しみとしてしまう。正しい原理を教わって道を求めるに及んで、あだ華を落とし、確かな実を求めるようになる。そして、従容として自得し、天地の大小も、生死の変化も意に介しなくなり、ましてそれ以下のものには全く心を動かされなくなる。その楽しさからしたら、困窮などはものの数ではなく、怨みごとを言うことはない。たとえ王の位と取り替えようといわれても、承知することはない。徳を具えるに至った者でなければこうはならないので、私は何とかして我が身にまとう汚濁を洗い流して、聖賢に万分の一でも近づきたいと思うのだが、自らの欠けているのを視るに、顔回の楽しみを得たいと願っても、それは無理なのであろう。孔子は天下をあまねく巡って、高い地位では大臣になり、低い地位では倉庫の管理人になった。ただ遇うところに己を任せたのであって、それは道に達した者でなければできないことで、私のような平凡な学徒が希望してもできるものではないのだろう。
私は譴責されてここにきてから、束縛されていることの害を知りつつも、成り行きとしてここから去ることができない。もしも幸いにも遠い将来に、世間の人が私のことを憐われんで故郷に帰らせてくれたならば、先祖の壊れた家を直し、小さながらんとした部屋を住まいとしたいと思う。そこで、顔回の楽しみを追い求め、東軒のことを思い出しつつ、優遊として老いを忘れるとしようか。しかし、それとてそうなるようにと敢えて望むものではないのである。
【補足】［最初に、筠州で洪水があったことが書かれていて、それについては作品番号06-1-068にも記されていた］