第5章　嵐の訪れ――密州、徐州、湖州

［第5章その五］

元(げん)豊(ぽう)2年［1079年］、蘇軾44歳。

■【05-5-001】人日猟城南、会者十人、以身軽一鳥過、槍急万人呼為韻、得鳥字

【解題】詩の題にある「人(じん)日(じつ)」とは1月7日のこと。その日に、10人が集まって町の南で猟をした。「身軽一鳥過、槍急万人呼」の句をばらばらにして1人に1字ずつ配り、それを韻として詩を作った。蘇軾には「鳥」の字が当たった。

【訳文】

町の子供等は知事殿を笑いものにしている、

いつだって、何やら憂いてさえない顔をしているからだ。

そんな知事殿の頭を白い布で包み、

金の鞍を置いた馬にまたがらせたのは誰なのか。

浅い春の風が湿った雪を吹き上げたので、

知事殿は、手が凍えてしまうと、朝の早さにおびえている。

それでも、知事殿が音高く二本の鏑(かぶら)矢(や)を放ったので、

それを合図に、人々は虫のような小さな獲物も逃すまいと追いかけまわす。

知事殿は弓を大空に向かって引き、

一羽の鴻(おおとり)が渡って行くのを目で追いつつ、

長く嘯(うそぶ)く。

知事殿はもっぱら詩を案じて、

手綱を取るのも忘れ、黙って頭を振っている。

知事殿は粗食を好み、芹や蓼を味噌で煮たものを食べる。

こんな知事殿であるから、

顔に六本の矢を受け、両眼を怒らせて立ち続けた昔の将軍には似ても似つかない。

それでも、若いときには武将になろうと考えたりしたらしい。

若いころの大きな志をいまも持ち続けて、百戦するくらいの意気込みがあると示そうと、

獲(と)った兎が焼き上がるのを待つことなく、馬上で銀の酒瓶を飲み倒してみせたりするのだが、

実際には百の憂いのまわりをよたよた巡っているのである。

考えてみれば、英雄といわれるような人でも、

むなしく老いて死んでしまった例(ためし)も少なくはない。

青春は一つの夢、

余すところの歳月は飛ぶ鳥のように過ぎ去ってしまうのだ。

■【05-5-002】将官雷勝得過字代作

【解題】上の詩と同じときに、将官の雷(らい)勝(しょう)には韻として「過」の字が当たった。雷勝は自分は武人で詩は作れないと辞退したので、蘇軾が代わりにこの詩を作った。

【訳文】

連日、烽火(のろし)が上がる。

外から騎兵が侵入してきたとの急な報せだ。

このときとばかりに、刀を振り上げて敵陣へと突っ込み、

貂(てん)の裘(コート)に返り血を浴びる。

皇帝に仕える兵士となってから、

そのように活躍する機会もなく、

ただ悶(もん)悶(もん)と伏せてばかりの日々。

今朝は知事殿が猟をするのに従い、

久しぶりに天の広さを感じる。

鉄の糸を巻いた二本の矢、

まずは手に唾を吐きつける。

雪毛の狐を射殺して、

腰にはまだ一本の矢が残っている。

■【05-5-003】猟会詩叙

【解題】このときの猟で詠まれた詩をひとまとめにし、蘇軾が序文を書き添えた。

【訳文】

雷(らい)勝(しょう)は隴(ろう)西(せい)の人である。勇敢であることをもって応募して将官となり、京(けい)東(とう)路(ろ)の第二将となった。腕の力は絶人で、騎射に長(た)けて敏妙である。徐(じょ)州に視察にきたので、徐州の人々はその腕前を見たいものだと、町の西で小さな猟を行った。このとき鄭(てい)亮(りょう)や繆(りゅう)進(しん)もいて、皆が馬に乗って従い、いずれも弓矢、刀(とう)槊(さく)の技に精通している。さらに、黄(こう)宗(そう)閔(びん)は普段の振る舞いは書生のようであるが、戎(じゅう)裝(そう)してひらりと馬にまたがると、走る速さは衆に抜きん出ている。そのようにして人々の技量に皆が驚き、大いに笑い楽しんだ。この日は小雨が降っていたが後に晴れて、土は潤い、風は穏やかで、観る者が数千人であった。

昔、曹(そう)丕(ひ)［曹(そう)操(そう)の子］がこのように書いた。「建(けん)安(あん)十年、始めて冀(き)州を平定すると、その地の者が良い弓や良い馬を献じた。時に春、木の神は穏やかな風を吹かせ、弓を操る手は柔らかく、草は茂って獣は肥え、諸君らとともに鄴(ぎょう)の西に猟をし、鹿を九頭、狐や兔を三十得た」。

馬を走らせる楽しみは、国境の地にいる武人たちの日々の楽しみである。曹操、曹丕の父子は槊(ほこ)を横たえて詩を賦し、それは喜ぶべきこととして後世に伝えられた。

いま我らは猟をし、おのおのが詩を作り、自ら書いた。その終わりにこのことを記し、もって異日の笑いの種とするものである。

■【05-5-004】三槐堂銘

【解題】都にいる王(おう)鞏(きょう)［字(あざな)は定(てい)国(こく)］［→作品番号05-4-084］の家の庭には三本の槐(えんじゅ)が高く聳え、その脇に「三(さん)槐(かい)堂(どう)」があった。王鞏に頼まれてその堂の銘を書いた。中国の古代、周(しゅう)の時代に、三本の槐(えんじゅ)の前に三(さん)公(こう)［国の最高レベルの三つの官職］の座席を設けたことから、三(さん)槐(かい)は三公の異称となった。この文章の最初で、「仁(じん)者(じゃ)には必ず立派な後継者がいる」と、それが普遍的な法則であるかのように記しているのは、我々にとっては納得しがたいのだが、蘇軾は別の文章でも同じ趣旨のことを書いていた［→作品番号05-1-079］。

【訳文】

天は必ずかくあるべきようにするものなのだろうか。実際には、賢者は必ずしも貴くはならないし、仁(じん)者(じゃ)は必ずしも長寿ではない。ならば、天は必ずしもあるべきようにはしないのだろう。しかしながら、仁者には必ず立派な後継者がいる。この二つの事実の関係はどのようになっているのだろうか。

私は申(しん)包(ほう)胥(しょ)がこのように言ったと聞いている。

「人は天の定めを破ることがあり、天は人の定めを破ることがある」

申包胥はこのように宣言して、起死回生の一発勝負にかけた。

世間の天を論じる者は、天の定めを待つことなしに、自分の望む通りのものを天に求めるために、天の為すところは茫(ぼう)茫(ぼう)としてわからないとぼやく。その論に従うならば、善い者は怠り、悪い者は肆(ほしいまま)に振る舞ってしまう。

大盗賊の盜(とう)跖(せき)は長寿を全うし、孔(こう)子(し)やその弟子の顏(がん)回(かい)は不遇であった。それは、天がいまだ定める前に起こったことなのである。松や柏(はく)が山林に生じて、その始めのころは雑草に苦しめられ、動物の害に遭いもする。しかし、その終わりに至ると、四季に栄え、千年も変わらない姿になる。それは天の定めによるのだ。善悪の報いが子孫に至って現われるのは、同じように、天の定めには久しい時間がかかるからである。

私は自分で見るところ、あるいは伝え聞くところから考えるに、以上のことはきっとその通りであるのだ。

国家がまさに興ろうとするときには、世に徳のある大臣が必ず現れ、厚く徳を施すのだが、それによってその人自身が報われるとは限らない。しかし、その子孫は後の太平の主(あるじ)とともに平和を守って、天下の福を享受する。

かつて兵(へい)部(ぶ)侍(じ)郎(ろう)晋(しん)国(こく)公(こう)の王(おう)祜(こ)は五代十国時代の漢(かん)朝、周(しゅう)朝のころから活躍し、宋(そう)の太(たい)祖(そ)皇帝、太(たい)宗(そう)皇帝に仕え、文武、忠孝に秀で、大臣となることを望まれた。しかし、公が直言の士であることが時代に遇わなかったために、ついにそれは叶わなかった。そこで、公は手づから三本の槐(えんじゅ)を庭に植え、「吾が子孫に必ず三(さん)公(こう)となる者が出るであろう」といった。実際に、その子の魏(ぎ)国(こく)文(ぶん)正(せい)公(こう)の王(おう)旦(たん)は真(しん)宗(そう)皇帝の景(けい)徳(とく)、祥(しょう)符(ふ)年間に宰相となり、朝廷は清明，天下は何事もなく安らかに治まった。王旦が多くの禄を受け名を輝かすこと十八年に及んだ。

もしも物を人に預けて、翌日にそれを返してもらったなら、新たに得るものはない。王祜が身に徳を修めたのは、天に報われるところのものを預け、数十年後に返してもらったということなのであろう。いわば債券のやりとりのようなものだともいえる。

このようなことから、私は天の果(か)が必ずあると知ったのである。

私は王旦の時代には間に合わなかったが、その子の懿(い)敏(びん)公(こう)の王(おう)素(そ)を見ることができた。王素は皇帝を諫める役目を負って仁(じん)宗(そう)皇帝に仕え、朝廷に出入りすること三十年余り、しかし、その地位はその徳に十分に見合うものではなかった。とすると、天は王氏を再び興そうとしているのではないだろうか。事実、その子孫には実に大勢の賢者がいるのである。

世には王祜を唐(とう)代(だい)の李(り)棲(せい)筠(いん)と比較する者がいる。その雄才、直気は真に互いに譲らないものがある。李棲筠の子には李(り)吉(きち)甫(ほ)が、孫には李(り)徳(とく)裕(ゆう)がいて、功名、富貴は現代の王氏にほぼ等しい。ただし、忠(ちゅう)恕(じょ)、仁(じん)厚(こう)の点では、李吉甫、李徳裕の父子は、王旦、王素の父子には及ばない。このことを見れば、王氏の福はまだ十分には稔りを得ていないのである。

王素の子の王(おう)鞏(きょう)は私と交流があり、徳を好み、立派な文章を書く。きっと家を栄えさせるであろう。それでこの文章を作ったのである。

【補足】［（1）以上が序文で、この後に韻文の銘が続く。それは王(おう)の家の徳を称揚するだけのものなので訳は省く。（2）王(おう)鞏(きょう)の父の王(おう)素(そ)と交流があったことは、早くは作品番号01-2-021で見ている。（3）この序文は一見すると、名門の息子に頼まれてヨイショをしただけに思えてしまうのだが、この文章には当時の政治状況、蘇軾の置かれた立場が反映されていると見るべきであろう。王鞏がいずれ家を栄えさせるであろうと、将来に期待を託しているのは、現在はそうなる条件が整っていないからだ。王鞏に実力がないからではない。当時の官界で出世の坂道を勢いよく駆け上っているのは、改革の時流に乗ってにわかに台頭した連中だけとなっていた。蘇軾はそうした連中を「新進」と表現している。「新進気鋭」といえばよい意味になるが、暗に「成り上がり者」という意味合いで蘇軾はこの語を使っている。先にみた王(おう)禹(う)偁(しょう)［→作品番号05-4-049］やここに見た王(おう)旦(たん)、あるいは欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)といった先人が築いてきた宋(そう)代(だい)士(し)大(たい)夫(ふ)の伝統を全く踏まえない「新進」が、王(おう)安(あん)石(せき)の去った後の朝廷の枢要を占めていることを蘇軾は憂い、いつか王鞏が家を栄えさせるような本来の姿に戻ることへの期待を篭めてこの文章を書いたのである。（4）この文章と同じ時期に、王鞏の父の王素の肖像画に添える賛を、やはり王鞏の依頼を受けて作っている。その訳文はすでに作品番号03-4-011で見ている］

■【05-5-005】和参寥見寄

【解題】徐(じょ)州を発って南に向かった参(さん)寥(りょう)［→作品番号05-4-098］が淮(わい)河(が)のあたりから寄せてきた詩に次韻した。

【訳文】

黄(こう)楼(ろう)の南、戯(ぎ)馬(ば)台(だい)の東、

雲の間にさやさやと月が現れ、

趣き深い人［参(さん)寥(りょう)］とともに筆硯を洗い、

水の流れのささやきを文字に留めようとした。

貴僧はしばし谷の奥に尋ね入るというが、

山の僧に学んで遥かな峰で老いようとはしないでくれたまえ。

私が西(せい)湖(こ)に行くのを待って、

うまい一杯の湯餅(うどん)をいっしょにすすろうではないか。

■【05-5-006】台頭寺歩月得人字

【解題】戯(ぎ)馬(ば)台(だい)にある台(だい)頭(とう)寺(じ)で、月を見つつ歩み、蘇軾には「人」の字が割り当てられて詩を詠んだ。

【訳文】

天の川にかかっていた雲がさっと吹き払われ、

中庭を歩く人の後を追って月の光が差し込んでくる。

爐から浥浥(ふわふわ)と香の煙が暗がりの中へとただよい始め、

花の影が離離(ちらほら)と春の中で揺れようとしている。

いま宮中とも、この清らかな風光を一つにしているのだろうか、

かすかに聞こえるのは、

天子の乗る車がわずかな塵を上げつつ進む車輪の軋る音か。

首(こうべ)を回(めぐ)らすと、かつて遊んだのは真に夢、

頭巾を止める簪(かんざし)を挿す髪もいまでは真っ白である。

■【05-5-007】種松得徠字

【解題】松の苗を植えて人々と詩を詠み、蘇軾には「徠(らい)」の字が当たった。この詩の前に、訳は割愛したが、台(だい)頭(とう)寺(じ)で宋(そう)希(き)元(げん)という人を見送る詩があり、そこに蘇軾自身の注で、「人々と松を植えた」と書き添えてあるので、この詩はそれと同じときのものなのだろう。とすると、前に訳した詩も同じときの一連のものなのかもしれない。また、この詩には、やはり蘇軾自身の注で、「苗の四割は懐(かい)古(こ)堂(どう)に、六割は石(せき)経(けい)院(いん)に植えた」とある。詩中にある「山の僧」は石経院の主(あるじ)なのだろう。

【訳文】

春の風が楡(にれ)の林を吹き、

楡の莢(さや)が乱れ飛んで堆(うずたか)く積もった。

そこをさっと雨が通り過ぎた後に、

戢戢(いそいそ)と千本、万本の松の苗を植える。

青い松は植えてもなかなか成長しにくい。

百株から一本でも立派な幹になれば御の字である。

一本の幹でも十分で、

千畝(ほ)の広さの槐(えんじゅ)の林よりも堂々とした存在感がある。

これらの苗はいわゆる魯(ろ)の地の「徂(そ)徠(らい)松(まつ)」で、

穀物一斗で一本の苗を買ったのだった。

魯の人たちはこの松の価値を知らないので、

惜しみなく竈(かまど)で燃やして灰にしてしまう。

松の苗がどのようにしてここに運ばれてきたのかというと、

縄で束ねてぐるぐるに縛り、車にぎゅう詰めにされたのだった。

それを見て悲しく思い、

縛りをほどき、清らかな水で埃を洗い流した。

しかし、枝は傷み葉は縮れ、生気がなかなかもどってこない。

山の僧は老いて子がなく、この稚(おさな)い松を愛(いと)おしんで赤ん坊のように大切にする。

これらの松が、竜が走るような姿となって、大きな清らかな蔭を作り、

その根が山の岩をも裂き、その太い幹が雷をも斥けるほどになるには、

どれだけ待たなければならないのだろうか。

私はこの地にいるのも残り百日の旅人、

それでいながら千年を生きようとする松を養うのである。

千年の松の根元には、不老の霊薬となる茯(ぶく)苓(りょう)が生じるというが、いまは影も形もない。

茯苓を待てない私の髪は日々に抜け落ちて行く。

古今は一(いち)俯(ふ)仰(ぎょう)の間、

この詩を作ってわが哀しみをここに託す。

【補足】［（1）地方知事の任期は3年の定めであったが、それを満たすことはほとんどなく、徐(じょ)州にいるのもあと百日ほどだろうと蘇軾は考えていた。（2）「一(いち)俯(ふ)仰(ぎょう)」とは下を向いて上を向く間のわずかな時間のことで、蘇軾は頻繁に用いている。（3）このころに杭(こう)州知事であった趙抃(ちょうべん)［→作品番号05-3-066］が政界を引退し、蘇軾はそれを慶賀する手紙を送っている］

■【05-5-008】遊桓山、会者十人、以春水満四沢、夏雲多奇峰為韻、得沢字

【解題】10人の者と桓(かん)山(ざん)に遊び、「春水満四沢、夏雲多奇峰」の句から1字ずつを分けて韻として用い、10人が詩を作った。蘇軾には「沢」の字が当たった。桓山は徐(じょ)州の町の東北二十七里にあって、下に泗(し)水(すい)を臨む山で、遠く春秋時代に桓(かん)魋(たい)を葬ったことからその名がある。桓魋は孔(こう)子(し)を嫌って殺そうとした人物。

【訳文】

東の郊外に春を尋ねようとしたものの、

まだ鶯も見ないし咲いた花もない。

春の風はいまはまだ流れる水の中にあるのだろうか。

その春の水を水鳥が拍(ぱた)拍(ぱた)と打つのに誘われて、

篙(さお)半分ほどの深さの川に舟を浮かべる。

ゆらゆらと流れに任せ、桓(かん)山(ざん)の下で纜(ともづな)を繋ぐ。

詩を長く吟じつつ軽やかに山を登り、

古い墓所と思われるところで、

泉(せん)下(か)の人を弔おうと琴を奏で、

かそけき音が磔(たく)磔(たく)と響く。

昔の人を偲ぶものは何も遺されておらず、

人間世界は真実の永遠の住まいではないと悟る。

暮れ方に百(ひゃく)歩(ほ)洪(こう)に回り、おのおの岩の上に座る。

ここに皆の顔ぶれを見て、

私はこの仲間にふさわしい人間ではないのを恥ずかしく思う。

月が現れて、

流れに臨んで簫(ふえ)を吹く二人を照らし出す。

このときの歓びこそは不朽のもの。

首(こうべ)を回(めぐ)らせば遠く歳月を隔てて「斜(しゃ)川(せん)での遊び」が想像され、

この詩を陶(とう)淵(えん)明(めい)に寄せるのである。

【補足】［（1）琴を奏でたのは戴(たい)日(にち)祥(しょう)という道士で、笛を吹いたのは王(おう)適(てき)、王(おう)遹(いつ)の兄弟であることが、次の文章などから知れる。（2）この詩の終わりにある「斜(しゃ)川(せん)での遊び」とは、陶(とう)淵(えん)明(めい)が700年ほど前に郷里の川で遊んだことをいう。陶淵明がその日の遊びを詠んだ詩は、淡々と叙述する中に深い味わいを湛え、叙景詩の新たな世界を拓いた名作とされる。蘇軾のこの詩もそれに近いものがあり、後に、陶淵明の詩境に迫る先駆けとなる作品であるといえるだろう］

■【05-5-009】游桓山記

【解題】上の詩で見た桓(かん)山(ざん)での遊びについて記した文章。

【訳文】

元(げん)豊(ぽう)二年正月己(き)亥(がい)の晦(みそか)、春の新しい服もできて、数人の仲間とともに泗(し)水(すい)のほとりに遊び、桓(かん)山(ざん)に登った。

石(せき)室(しつ)に入り、道士の戴(たい)日(にち)祥(しょう)が雷(らい)氏［唐(とう)代(だい)の有名な琴の製作者］の琴を弾いて、『履(り)霜(そう)』の古い音を聞かせてくれた。

「ああ、ここは（春秋時代の宋(そう)の国の）司(し)馬(ば)桓(かん)魋(たい)の墓ではなかろうか」

と、私が嘆じつついうと、ある人が、

「墓で琴を弾くのは、礼に合致するものなのでしょうか」

と、いった。

私はこのようにいった。

「『礼(らい)記(き)』には、季(き)武(ぶ)子(し)の葬儀のときに、（孔(こう)子(し)の弟子の）曽(そう)�ﾙ(せき)がその門に倚(よ)って悲しみの余り歌ったとある。孔子はあたかも日や月のような人であったのに、桓魋はその命を害おうとした。桓魋は己のために立派な石の棺を用意しておこうとし、三年たっても完成しなかった。つまりは、桓魋は古(いにしえ)の愚人であったのだ。我らはここにその墓を弔ったのだが、桓魋の骨も毛も爪も歯もすでに塵と化して、風に吹かれて飛び去ってしまった。石の棺もなくなり、桓魋に付き従った者も、副葬品もすべて消え去った。我らが琴を弾こうが歌おうが、桓魋が知ることなどはありえないのだから、構いはしない。もしも桓魋が知るのであれば、我らが琴を弾き歌うのを聞いて、哀楽の常ならざること、自然の変化のやむことがないのを知って、己の愚かさを少しは治すことができるのではないだろうか」

人々はふうむとうなった。

私は歌った。

「桓山之上、維石嵯峨兮。［桓山の上に大きな岩］

　司馬之悪、与石不磨兮。［桓魋の悪は岩とともに消えずにある］

　桓山之下、維水弥弥兮。［桓山の下には水が広がる］

　司馬之蔵、与水皆逝兮。［桓魋の棺は水とともに流れ去った」

歌い終わると、石室から立ち去った。

このとき一緒だった八人は、畢(ひつ)仲(ちゅう)孫(そん)、舒(じょ)煥(かん)、寇(こう)昌(しょう)朝(ちょう)、王(おう)適(てき)、王(おう)遹(いつ)、王(おう)肄(い)、軾の子の邁(まい)、煥の子の彦(げん)挙(きょ)であった。

【補足】［最後に名が挙がっている8人に、蘇軾と道士の戴(たい)日(にち)祥(しょう)を合わせて10人である。畢(ひつ)仲(ちゅう)孫(そん)［→作品番号05-4-018］と寇(こう)昌(しょう)朝(ちょう)は徐(じょ)州の役人、舒(じょ)煥(かん)は何度も見ているように徐州の学校の教授、王(おう)適(てき)、王(おう)遹(いつ)、王(おう)肄(い)は徐州の学生で、王適と王遹は兄弟であるが、王肄との関係は明らかではないようだ。王適は蘇轍の娘と結婚し、この後、何度も登場するようになる。なお、王兄弟の祖父も父も朝廷に仕える者であった］

■【05-5-010】戴道士得四字代作

【解題】これも桓(かん)山(ざん)に遊んだときの作品。同行した道士の戴(たい)日(にち)祥(しょう)には「春水満四沢、夏雲多奇峰」の句から「四」の字が当たり、蘇軾が代わりに詩を詠んだ。

【訳文】

某(それがし)は子どものころは江(こう)南(なん)のあたりにおったのだが、

世俗を脱する道士の跡を慕い、

たまたま白雲に従って郷里から流れ出て、

いまでは彭(ほう)城(じょう)［徐(じょ)州］で薬草を売っておる。

いつしか雪や霜が髪を侵すようになり、

冠や衣はいつも塵や土に汚れている。

幸いなことに、三尺の長さの桐の琴があり、

その音の中に山水の意(こころ)を篭めて過ごしておる。

夏(か)［中国］の音楽が夷(い)［外国］の音楽によって乱されてから、

七弦の琴はすっかり棄てられてしまい、

古(いにしえ)の『鹿(ろく)鳴(めい)』の曲はその名は知られてはいても、

四弦の胡(こ)琴(きん)で弾かれる曲のように好まれてはいない。

ところが、知事殿は独り古(いにしえ)を慕い、

ともに孟(もう)嘗(しょう)君(くん)の墓に詣でて涙を注ぎ、

桓(かん)魋(たい)の墓では某が弾く琴の音に耳を傾けてくれた。

庵に帰って琴を匣(はこ)に納めつつ、

知事殿が去った後には誰がまた聴いてくれるのだろうかと嘆き、

石の壁にこの詩を掲げつつ、

遥か遠く千年の後に思いを馳せるのである。

【補足】［千年後の我々は、この詩によって戴(たい)道士の姿を偲ぶことができ、史書にその名を残した桓(かん)魋(たい)よりも、戴道士の方に心を惹かれるのである］

■【05-5-011】乞医療病囚状

【解題】州知事は地方行政のトップで、裁判権も警察権も有し、蘇軾はさらに軍政も兼務していたので、かなりの広大な権限を持っていた。それだけに管轄する業務は多岐にわたり、真面目に取り組めば解決すべき課題が次々に出てくる。これは、獄中で病死する者を少なくするための対策を考えて朝廷に提出したもの。昔の牢獄の環境は極めて劣悪で、罪状が定まる前に病死する者が少なくなかった。政治が安定しているときには、為政者もそのようなところにまで目を向けて改善を試みようとするのだが、実効性はかなり限定的であったようだ。

【訳文】

元(げん)豐(ぽう)二年正月……［獄中で死ぬ者が多いことを憂慮する漢(かん)の宣(せん)帝(てい)の詔(みことのり)を最初に引用する］……囚人が拷問によって死ぬことに対しては厳重な法の定めがありますが、病死する者に対しては法の定めがなく、官吏は誰も責任を負っておりません。病死者があったことをただ報告するだけで、検視もなく、たとえ百人が病死しても官吏が処分されることはありません。飲食が与えられず、病気になっても薬がなく、かくて死に至る者は数えきれないくらいにたくさんいます。罪に応じて死ぬのであれば、深く哀れむまでもありませんが、罪は軽いのに繋がれたために死んでしまったのでは、その者を殺したことと何ら異なりません。故なく殺された痛みが積もるならば、自然の陰陽の和をも乱すことにもなるでありましょう。……［十年余り前に獄中で病死する者に対する方策が建てられたが、役人たちが不便さを訴えてすぐにうやむやになってしまったことを述べる］……臣(わたくし)が考えますに、獄囚が病死したことを獄官の罪とするのはまことに無理があります。なぜかといいますと、獄囚の生死は必ずしも人が左右できるものではないからです。必ずしも左右できるわけではないことなのに、官吏の責任としたならば、官吏は罪を恐れて、何とかして罰せられることから逃れようとするでありましょう。囚人にもしも少しでも疾病があったならば、療養所に留め置いて、治療を施さずに放置するでありましょう。親族がいない者、いても遠くにある者は、療養所で死ぬことになり、その数は獄中で死ぬ者よりも甚だ多くなるでありましょう。……［上に述べた問題を解決するために獄に医者を派遣する方策を提案する］……

【補足】［蘇軾の提案は、役人たちが結託して責任逃れをするのを防ぐことまでも考えた非常に綿密で具体的なもので、正確に上手に訳せると極めて面白いはずなのだが、残念なら訳者の力量は到底及ばないために肝心の部分を割愛せざるをえなかった］

■【05-5-012】往在東武、与人往反作粲字韻詩四首、今黄魯直亦次韻見寄、復和答之

【解題】詩の題は、「先に東(とう)武(ぶ)［密(みつ)州］にいたときに粲(さん)の字を韻として人と詩のやりとりをし、四首を作った。いま黄(こう)庭(てい)堅(けん)［字(あざな)は魯(ろ)直(ちょく)］［→作品番号05-4-056］がそれにまた次韻して寄せてきたので、和して答える」。密州での詩は作品番号05-1-023以下で見ている。

【訳文】

昔、苻(ふ)堅(けん)が荊(けい)州を破ったときに、

それで何を獲たのかと問われたときに、

立派な一人の人物と、その半分の人物、つまりは一人半だけだと答えたという。

昔、蔡(さい)邕(よう)は不遇のままに老いたのだが、

晩年に一人の知己を得たのを喜んだという。

退隠後の友となるような我が同好の士を得たいものと、

老いてからあわてて探し求めたところで、

見つかるはずがない。

いま私は、独り何の幸いがあってのことなのか、

天下の才人をここに得たのである。

文字をいたずらに玩ぶのは好みはしないのだが、

この人の詩文を読むと百の憂いも消え去ってしまう。

世間に詩文を作る人は少なくはないが、

私の眼にはどの詩も空っぽの杯のようなものばかりで、

ただこの人の詩を誦(しょう)するときには、

その音節を緩やかに味わうことができるのである。

夜(や)光(こう)の珠は一つでも価値ある宝だとされているが、

この人の詩はそれに匹敵するような文字が幾つも連ねられている。

この人は私を思って痩せるばかりだと歌っているので、

私はただちに行かなければ真に怠惰な者となってしまうのだが、

いまはわずかな禄を恋い慕って、

寒い夜に一寸の炭で暖を取るような身であるので、

我が住まいをその人の傍らに定めるのは、

はたしていつになるのだろうか。

想い見るのは、飄然と東南へ行くこと、

江水は清く、かつ暖かで、

ともに名山を訪い、

かの僧(そう)忍(にん)や僧(そう)粲(さん)のような人から奥深い言葉を聴こうではないか。

【補足】［この詩もそうであるように、黄(こう)庭(てい)堅(けん)のことになると蘇軾はいつもほぼ手放しで褒めている。それが全体の主旨であるのは明らかなのだが、次韻詩の制約から無理に作ったとしか思えないと評されるような句もあって、読み取りにくい部分があるために、この訳文はかなりおおざっぱで、しかも途中の四句を割愛している。「粲(さん)」の字の処理にも頭を悩ませたのだろう、さほど有名ではない僧の名として用いていて、苦し紛れのような気がしないでもない］

■【05-5-013】祭文与可文

【解題】蘇軾の大切な親戚であり先輩であり親友である文(ぶん)同(どう)［字(あざな)は与(よ)可(か)］［→作品番号05-4-103など］が1月20日に陳(ちん)州で亡くなった。62歳だった。文同は前年の終わりごろに都を出て新しい任地である湖(こ)州に向かう途中であった。蘇軾は2月5日にこの祭(さい)文(ぶん)を作った。

【訳文】

ここに元(げん)豊(ぽう)二年二月五日、従弟に当たる朝(ちょう)奉(ほう)郎(ろう)尚(しょう)書(しょ)祠(し)部(ぶ)員(いん)外(がい)郎(ろう)直(ちょく)史(し)館(かん)権(けん)知(ち)徐(じょ)州(しゅう)軍(ぐん)州(しゅう)事(じ)騎(き)都(と)尉(い)の蘇軾は、謹んで清らかな酒を捧げ、湖(こ)州(しゅう)文(ぶん)府(ふ)君(くん)の文(ぶん)同(どう)の霊を祭る。

その祭(さい)文(ぶん)に曰く(いわ)、

ああ、哀しいかな。文君はまた酒を飲むことができるのだろうか。文君はまた詩を賦して自ら楽しむことができるのだろうか。文君はまた琴を弾いて自らくつろぐことができるのだろうか。

ああ、哀しいかな。私はなお忍びつつこのように言って、気が塞ぎ、胸が填まって嗚(お)咽(えつ)する。涙が下って止まらず、衣が濡れる。

涙を収めて自問する。人は誰のために慟哭するのか。道(みち)が行われないとき、私は哀しまずにはいられない。ともに悲しんでくれる友がいないわけではない。しかし、激しくもなく鈍くもなく、人に招かれて靡くでもなく、人に排撃されて去(ゆ)くでもなく、親しくしようとしてもできるものでもなく、疎んじようとしてもできるものでもない、そういう人はただ文君だけであった。

ああ、哀しいかな。徳に則り義を秉(と)るに当たって、文君のように和(わ)にして正(せい)だった者が他にいただろうか。民を養い風俗を厚くするに当たって、文君のように�ｪ(かん)にして明(めい)だった者が他にいただろうか。詩を詠み賦を作るに当たって、文君のように婉(えん)にして清(せい)だった者が他にいただろうか。世に称賛されても辱められても、得ようが喪(うしな)おうが、文君のように安(あん)にして軽(けい)だった者が他にいただろうか。

ああ、哀しいかな。文君の死を聞いてから三日間、夜は眠らずにずっと座っていて、ふと夢に文君と一緒にいると見て、驚いて目覚め、夜具が涙でいっぱいになった。

念(おも)えば生ある者は必ずことごとく帰り行き、百年生きても必ず至るのである。ただ文だけが不朽で、その中で人は不死でいられるという。いくら富貴でもいくら長寿でも不朽にして不死ということはない。

しかし、私はかつて文君からこのように聞いた。「この身は浮き雲のようだ。去(ゆ)くこともなく来ることもなく、亡びることもなく存することもない」。ならば、不朽だとか不死だとかはいうに足りないことなのだ。

ああ、哀しいかな。

【補足】［文(ぶん)同(どう)の人となりをいうのに、蘇軾は、和、正、�ｪ、明、婉、清、安、軽の8文字を並べている。これらの先にどのような人物像が見えてくるだろうか］

■【05-5-014】題文潞公詩

【解題】政界の大物である文(ぶん)彦(げん)博(はく)［→作品番号05-1-066］の詩を書き、短い感想を記した。文彦博は宰相の経験者として潞(ろ)国(こく)公(こう)に封じられていた。

【訳文】

文(ぶん)潞(ろ)公(こう)の『時(じ)郎(ろう)中(ちゅう)を送る』という詩がある。

……［詩の本文は省略］……

私はかつて潞公のお言葉を聞いたことがあった。遠くまでも見通す潞公の雄才は、もとよりちっぽけな人間が窺い見て測りうるようなものではなかった。学問の豊饒さに至っては、漢(かん)代(だい)以降の典籍をほぼ遺すところなく自在に読みこなして、それぞれの專門家でも及ぶものではなく、詩についても、ごく小さな技巧までももことごとく極めつくして、やはり專門にするような者でも及ぶものではない。しかし、詩に関して潞公を称賛する者がいないのは、潞公の政治上の功績と徳の大きさに覆い隠されてしまっているからなのだろう。

上に記したのは潞公の幼いときの詩であって、これを観ると、精しく緻密に考え抜いて、一つ一つの句に典拠がある。まことに長く研鑽を積み上げてこられたことがわかる。

元(げん)豊(ぽう)二年二月二十九日に書く。

【補足】［ここに記されている文(ぶん)彦(げん)博(はく)の詩は、故事てんこ盛りの難しい詩で、まさしく「ちっぽけな人間が窺い見て測りうるようなもの」ではないので割愛した］

■【05-5-015】作書寄王晋卿、忽憶前年寒食北城之遊、走筆為此詩

【解題】都の貴公子である王(おう)詵(しん)［字(あざな)は晋(しん)卿(けい)］［→作品番号05-3-037など］に寄せた詩。寒(かん)食(しょく)の日［この年は2月30日であった］に、前年の同じときに王詵と北(ほく)城(じょう)で遊んだことを思い出して、この詩を詠んだ。「前年」とはいつなのか。1年前には王詵とは会っていないが、2年前に都の東で同じ時期に何度か会っている［→作品番号05-3-011］のでそのことかもしれないし、かつて都にいたときのことかもしれない。

【訳文】

寒(かん)食(しょく)の日、

都の北に上がる煙はわずかだけ、

落花と蝶がかたまりを作って飛んでいた。

遊びに出ると帰るのを忘れるという貴公子［王(おう)詵(しん)］の門前には、

立派な馬が繋がれていた。

貴公子は帳(カーテン)のうちにあって笙(ふえ)を吹いていて、

霏(ふわ)霏(ふわ)と煙のように音が流れ出てきて、

道を行く人も頭(こうべ)を垂れて聞き入っていた。

狂(きょう)客(きゃく)［蘇軾］が門を叩いても、

貴公子は笙に没入したまま、

傾(けい)城(せい)［王詵のもとにいる歌妓］を出して客を迎えさせた。

書生［蘇軾］の老いた眼が美しい女性を見るのは稀で、

昔の画から抜け出てきたのではなかろうかと思った。

お別れしてから、春はまた盛りになりつつある……

しかし、西の方を見ても、

貴公子の紅い日のような輝きを見ることはできない。

退隠の喜びを歌うときがいつかきたならば、

盞(さかずき)を手にして、貴公子の曲を聴きたいと思う。

■【05-5-016】月夜与客飲酒杏花下

【解題】月夜に杏(あんず)の花の下で酒を飲んだときの詩。このときの客人は王(おう)適(てき)、王(おう)遹(いつ)［→作品番号05-5-009］、張(ちょう)師(し)厚(こう)らであった。張師厚は次の詩に見えるように蜀(しょく)の人であるが、詳しいことはわからない。

【訳文】

残りの春を散らすようにして、杏(あんず)の花が簾(すだれ)へと飛んでくる。

月の明りも、風雅に遊ぶ人々を尋ねようと、簾から入ってきた。

我等は衣をたくし上げ、月の光のもとへと歩み出す。

明るい光が水草をひたすように流れる中で、花の影を踏む。

酒を置くと清らかな香りが漂い、枝を曳いて花を雪のように散らせるまでもない。

山辺の町の酒は薄くて飲むに耐えないものだが、

諸君等に敢えて勧めよう、

杯の中の月を吸うようにして飲んでみたまえ。

憂うのは、ほかでもない、

洞(ふ)簫(え)の音が終わり、

月が落ちて、

酒杯が空になってしまうこと、

そして、明日の朝にもしも強く風が吹いたなら、

緑の葉の中に見るのは、

わずかに残る紅だけとなってしまうこと……。

【補足】［洞簫(ふえ)を吹いたのは王(おう)適(てき)、王(おう)遹(いつ)の兄弟だったようだ］

■【05-5-017】送蜀人張師厚赴殿試二首

【解題】蜀(しょく)の人である張(ちょう)師(し)厚(こう)が殿(でん)試(し)［科挙の最終試験］を受けるために都に行くのを見送った詩。詩の内容から上のときと同時の作と思われる。

【訳文】

　其の一

ここには、帰るのを忘れたままで、

髪が白くまだらになってしまっているのも覚らずにいる者がいる。

故郷のどれほどの物好きなのか、

わざわざここにまで来てくれた者がいる。

そびえ立つ山も、私が西を望む眼(まなこ)を遮ることはできない、

貴君が楚(そ)王(おう)山(ざん)を過(よぎ)ってからもずっと送り続けるであろう。

【補足】［楚(そ)王(おう)山(ざん)は桓(かん)山(ざん)［→作品番号05-5-008］の別称であるようだ］

　其の二

貴君とは雲(うん)竜(りゅう)山(さん)の下で新しい春の衣に袖を通し、

放(ほう)鶴(かく)亭(てい)の前で落ちる夕日を見送った。

いまこのあたり十里は杏(あんず)の花のひと色に埋められている。

その中を貴君は馬を飛ぶように走らせて行くのだ。

【補足】［（1）この詩を見ると、蘇軾は張(ちょう)師(し)厚(こう)を連れて放(ほう)鶴(かく)亭(てい)［→作品番号05-4-106］を訪ねていたことがわかる。（2）ここで少々疑問なのは、科挙の最終試験を前にして徐(じょ)州にまで来る余裕が果たしてあったのかということ。杏(あんず)の花が咲いているので、これは2月ごろであったはずである。科挙は通例、1月に二次試験が行われ、3月初めごろに最終試験の殿(でん)試(し)が行われる。その間に1カ月余りあるから日程的には可能ではあるのだが……］

■【05-5-018】雪斎

【解題】杭(こう)州の僧の法(ほう)言(げん)が、西(せい)林(りん)法(ほう)恵(え)院(いん)に石を積み上げて「雪の山」を作り、その傍らの建物を雪(せつ)斎(さい)と名付けた。法言がそのことを詩に詠んで寄せたので、この詩を返した。

【訳文】

貴僧が造った雪の峰はかの峨(が)眉(び)山(さん)、

頂(いただき)から西側は千里の雪、

北に成(せい)都(と)［実は杭(こう)州］を見下ろすと、井戸の底にあるかのよう。

春の風が百日吹いても雪は消えない、

五月になっても旅行く人は凍てつく身を震わせる。

町の人々は名利の争奪を日々繰り広げ、

人間世界は洗い流すことのできない熱い悩みに満ちている。

貴僧はその傍らで、

西の軒端で、雪の峰と向き合っている。

私は夢に小舟に乗って呉(ご)越(えつ)に行く、

静まり返った長い廊下の先、

月の光なのか、燈火の光なのか、

門を押し開いて庭へと進むと、

雪に埋もれた山だけがある。

■【05-5-019】以双刀遺子由、子由有詩、次其韻

【解題】ふたふりの刀を弟に贈ったところ、それについて弟が詩を詠んで返してきたので、次韻して答えた。

【訳文】

刀を納める匣(はこ)はなかったけれど、

古代の｢竜(りゅう)雀(じゃく)鐶(かん)｣のような宝刀だと僕は見た。

これまでに蛟蛇(うわばみ)も堅い岩も斬ったことがないとしても、

こそ泥どもがこれを見たら、ぞっと首をすくめるに違いない。

僕の刀がどれほどのものであろうかと君に問いはしないが、

心の内に愧(は)ずべきものがある人間は肝を冷やすであろう。

そのような刀であるから、虎の皮に包んで僕は秘蔵していた。

この刀を見るとき、心は古井戸の水のようで、一切波立つことがない。

この刀が用いられずに置かれていることを、刀のために残念がることはないだろう。

用いることのできる者を選ぶのが難しいのを、僕は憂いていたのだ。

これを佩(おび)るのがしかるべき人でなければ、刀はきっと長く嘆息するだろう。

僕自身はといえば、

老いて衆人に軽んじられ、しばしば思いもよらない目に遭わされている。

昔、王(おう)祥(しょう)は、庭の蘭(らん)が香しく成長するように我が子がきっと大きな人間になると知って、

特に選んで刀を与える相手とした。

僕も同じようにして君に贈ることにしたのだ。

これでちまちま肉を切って、年に六回も七回も研ぎ直すようなことはしないでほしい。

じっと秘め置いて、いざというときに宝刀たる所以を示してくれたまえ。

この詩をもって刀の背に刻む銘とし、後に知者が見るのを待とうと思う。

■【05-5-020】次韻田国博部夫南京見寄二絶

【解題】田(でん)国(こく)博(はく)［字(あざな)は叔(しゅく)通(つう)］［→作品番号05-4-112］が南(なん)京(けい)応(おう)天(てん)府(ふ)で詠んだ詩を寄せてきたので次韻した。田国博は徐(じょ)州の副知事で、何かの用事で南京応天府に出張していたのだろう。二首のうち一首を訳す。

　其の一

歳月は翩(ころ)翩(ころ)と坂を下る輪、

貴君が帰りくるころには、杏(あんず)はすでに実を結んでいるだろう。

杏の紅い花を落してしまったのでは、

春の風だって憎たらしい。

柳の花も楡(にれ)の葉ももう春の姿ではなくなってしまった。

■【05-5-021】再次韻答田国博部夫還二首

【解題】田(でん)国(こく)博(はく)［字(あざな)は叔(しゅく)通(つう)］が徐(じょ)州に帰還したので、上の詩に再び次韻した。やはり二首のうちの一首を訳す。

　其の一

西の郊外では黄色い土が車輪を沈めるほどに積もり、

土ぼこりがまるで旅人を笑うかのように顔を覆う。

貴君は仕事を終え、

三千人の役(えき)夫(ふ)も放たれたのだから、

これからは雨がたっぷり降って、

残りの春を洗い尽くすのに任せるとしよう。

【補足】［田(でん)国(こく)博(はく)は石炭を主題に詩を詠み、蘇軾が次韻しているが、訳すにはいろいろな典拠の処理が煩わしいので割愛する］

■【05-5-022】答郡中同僚賀雨

【解題】役所の同僚と「雨を賀す」ということについて話し、蘇軾は自分の考えをこの詩で示した。

【訳文】

水害あるいは旱(かん)害(がい)が十年にもなり、

飢えと疫病が全土に遍く広がり、

困窮してますます悪い方に向かいつつあるときに、

私は、毎年毎年、よい天候を祈り続けている。

それは自分のために天の恵みを求めるものではないのだが、

何度も天に請うのは、民に責任のある者としては、古(いにしえ)から恥ずべきこととされ、

私が祈るしかできない無策であるのは鬼神もわかっているであろう。

私は老いて腰も背も病んでしまい、人に向かってろくにお辞儀もできないのだが、

さすがに天は祈る意(こころ)を無視はしないで、

乾いた空に雲が重なり合い、石段が微かな潤いを帯び、

蕭蕭(しとしと)と雨が降り、止んではまた降り、雨音は真夜中に及び、

明け方に役人が集まってきて、その履き物はと見ると泥にまみれている。

私は人々とともに高楼に上ると、

麦畑に風が緑の浪を立てるかのように見える。

人々は雨を賀すのだが、

私は、諸君等が立派な賢策を論じているのに対して恥ずかしく思う。

豊作の年には五日に一度風が吹き、十日に一度雨が降るという。

天地はもとより常に完全に整っているわけではないから、

いくら祈ったところで、実は何の足しにもならないのではないだろうか。

優れた長官が治める土地には蝗(いなご)も虎も入らないというけれど、

そもそも蝗も虎もいなければよいだけの話だ。

まして、白い鵝(が)鳥(ちょう)を殺して雨を祈るなど無意味なことで、

そうした下策は取ってはならないのである。

【補足】［これまでに何度も見てきたように、蘇軾はしばしば天や神や仏に雨を祈ってきたのだが、それ以上に、人が何らかの対策を講じことが重要だと考えていたようだ］

■【05-5-023】題逸少書

【解題】3月3日、王(おう)羲(ぎ)之(し)の書を模写して、この短文を書き添えた。

【訳文】

王(おう)羲(ぎ)之(し)の『蘭(らん)亭(てい)』、『楽(がく)毅(き)』、『東(とう)方(ほう)先(せん)生(せい)』の三帖はどれも妙絶で、模写を繰り返して伝えられたものであっても、昔の人の筆の用い方の心を知ることができる。これを『遺(い)教(きょう)経(きょう)』と比べると大きな差がある。

元(げん)豊(ぽう)二年上(じょう)巳(し)の日に写す。

【補足】［王(おう)羲(ぎ)之(し)の真筆は、唐(とう)の太(たい)宗(そう)皇帝が『蘭(らん)亭(てい)の序(じょ)』を酷愛する余り自分の墓に持って行ってしまってからはもはや地上には残っておらず、模写したものから王羲之の書法を学ぶしかなかった。蘇軾は、模写として伝わるもののうちのどれがより本物に近いのかを見分ける眼力を持ち、ここでの指摘の通り、『遺(い)教(きょう)経(きょう)』は王羲之の筆の運びを伝えるものであるかは疑わしいとされている］

■【05-5-024】淵明非達

【解題】陶(とう)淵(えん)明(めい)は音楽を深く理解する者ではなかったという説。

【訳文】

陶(とう)淵(えん)明(めい)は『無(む)弦(げん)琴(きん)』の詩を作って、このように歌った。

「但得琴中趣、［琴の趣(おもむき)を得るには］

　何労弦上声。［わざわざ弦を鳴らすまでもない］

私が思うに、陶淵明は音楽の神髄に通達した者ではなかったのだろう。音楽の基本である五音六律は音楽の神髄に通達するのを妨げるものではない。通達するなら、琴などなくてもよいし、弦のあるなしにこだわりはしないのである。

【補足】［陶(とう)淵(えん)明(めい)は究極の音楽は弦のない琴の曲であるといい、これぞ真の音楽を知る名言であるとされていた。異説を唱えたがる蘇軾はこの短文を記したのだが、20年後にこの自説を否定する］

■【05-5-025】留別叔通元弼坦夫

【解題】3月、朝廷から湖(こ)州知事に任じる辞令が下り、蘇軾は徐(じょ)州を去ることになった。田(でん)国(こく)博(はく)［字(あざな)は叔(しゅく)通(つう)］［→作品番号05-5-020］、寇(こう)昌(しょう)朝(ちょう)［字は元(げん)弼(ひつ)］［→作品番号05-5-009］、石(せき)夷(い)庚(こう)［字は坦(たん)夫(ふ)］の3人に見送られてこの詩を詠んだ。3人は徐州在任中ずっと蘇軾の仕事を支えてきた人々である。石夷庚は眉(び)州の人とあるので、石(せき)康(こう)伯(はく)［→作品番号05-1-035］と同族でないかとの推測もある。

【訳文】

田(でん)君は、昔、同僚となったことがあり、

私に向かっていつも敬意を払ってくれた。

徐(じょ)州にきてからはいろいろ間違ったことをしても、

その都度、ますますよく私のためにしてくれた。

寇(こう)君は、私と同じ蜀(しょく)の人で、

孝悌の道をもって近隣の人々を感化し、

老いに至っても学問に努めている。

石(せき)君は我が眉(び)州の後輩で、

強い風の中でも真っ直ぐに立っていようとする草に似ている。

官職に就いてからは、

釜に塵が生じ、父母に炊事をしてもらわなければならない貧窮に甘んじている。

私は窮して旧くからの交わりを絶ち、世過ぎの計が拙いので、

私のまわりに集まるのは枯れ枝のような人々ばかりである。

その中で三君は最も厚く誼(よしみ)を保ち、

互いに衣服を融通し合うような仲であることを続けてくれた。

三君は、私が徐州にきたときには、淮(わい)水(すい)の北で迎えてくれ、

三君は、私が徐州を離れるときには、睢(き)陽(よう)の道を送ってくれる。

願わくは、金(きん)石(せき)のような堅い契りを保ち、

白髪に至るまで凜凜(きっちり)と友情を貫きたいと思う。

■【05-5-026】江神子

【解題】同じく徐(じょ)州を去ったときの詞。

【訳文】

天涯流落思無窮。［天の涯(はて)に流れてきて窮まることのない思い］

既相逢。［逢ったばかりで］

却怱怱。［たちまちの別れ］

携手佳人、［妓女と手を携え］

和涙折残紅。［涙とともに折り取る名残の紅い花］

為問東風余幾許、［花のために問う、春風が吹いているのはあとどれくらい］

春縦在、［たとえ春がまだいてくれても］

与誰同。［私は誰と一緒にいればよいのでしょう］

隋堤三月水溶溶。［ゆらゆら揺れる三月の運河の水］

背帰鴻。［北に帰る雁に背を向け］

去呉中。［南の国に行く私］

回首彭城、［振り返れば彭(ほう)城(じょう)の町］

清泗与淮通。［泗(し)水(すい)と淮(わい)水(すい)が一つになってそちらへと流れて行きます］

欲寄相思千点涙、［水に思いを託して寄せる千点の涙］

流不到、［流れて彭城に行ってくれるでしょうか］

楚江東。［つれなくも川は東に行ってしまうのでしょうか］

■【05-5-027】減字木欄花

【解題】「彭(ほう)門(もん)留(りゅう)別(べつ)」との添え書きがある詞。同じく徐州を発ったときの詞である。

【訳文】

玉觴無味。［美しい觴(さかずき)も味がしません］

中有佳人千点涙。［だって中にあるのはあのお方の涙なのですから］

学道忘憂。［学問をすると憂いを忘れるとか］

一念還成不自由。［でも、別れの辛さの一念はどうにもなりません］

如今未見。［これからはもうお会いできないのでしょうか］

帰去東園花似霰。［もしもお帰りになったら、ここにはたくさんの花のつぼみ］

一語相開。［あのお方の一言でいっせいに開きます］

匹似当初本不来。［あのお方がいないときとはまるで違うのです］

■【05-5-028】罷徐州、往南京、馬上走筆寄子由五首

【解題】徐(じょ)州を発った蘇軾は、まず弟のいる南(なん)京(けい)応(おう)天(てん)府(ふ)を目指した。その馬上で作った詩。

【訳文】

　其の一

徐(じょ)州の人々よ、そんなに引っ張らないでくれたまえ。

歌も笛も、そんなに悲しい響きを立てないでくれたまえ。

僕の生(せい)は寄せるがごときもの、別れはただこれだけではない。

別離は随所にあり、愛を結ぶからこそ悲しみ悩みがあるのだ。

僕はもとより皆に恩を施したことがない。

いったい誰のために皆は泣くのか。

子供ではないのだから、

鞭や鞍が裂けるほどに引っ張るのはやめてくれたまえ。

ほら、あそこの道ばたに、二人、石に刻まれた人が並んでいる、

あの石(せき)人(じん)は知事が去るのを何度となく見てきたはずだ。

いまのこのありさまが知れたなら、

石人は手を打って大笑いし、冠を結ぶ石の紐も切れてしまうだろう。

【補足】［（1）この詩で、例の「吾生如寄耳」［吾(わ)が生(せい)は寄(よ)せるが如(ごと)きのみ］を用いている。地方官としての移動を繰り返して、「寄せる」ということにますます実感が篭るようになったのだろう。（2）徐(じょ)州の人々が蘇軾との別れを惜しんだと、ユーモラスかつやや大げさに詠んでいるのだが、弟に向かって実態とかけはなれた自慢をしたわけではないのだろう。蘇軾は洪水との闘いで顕著な功績があっただけでなく、その他にも重要な施策を朝廷に具申して実施している。分け隔てなく多くの人と交わる大らかな人柄と世に抜きん出た文才は非常に魅力的で、真実別れを悲しんだ人々が大勢いたのだろう］

　其の二

どこから土地の父老たちはやってきたのか、

たくさんの赤い花束を抱え、

僕の馬の前で盃を洗って捧げ持ち、

僕の長寿を祈りたいという。

「かの年に知事殿がおられませなんだら、

　我等はみな魚の餌になっておりました」

僕は鞭を挙げて父老に頭を下げる。

「諸君等はこの知事を困らせないでくれたまえ。

　この知事はひどく外聞の悪い困った人間で、

　行く先々で災害、凶年を招いてきたのだ。

　たとえ、水害がきたのは知事が怠けていたのが原因ではないとしても、

　水害が去ったのは明らかに知事の功績ではないのだ」

【補足】［「行く先々で災害、凶年を招いてきた」というのは、杭(こう)州時代には飢饉と蝗害、密(みつ)州時代には日照りと蝗(こう)害(がい)、盗賊の難に見舞われたことをいうのだろう］

　其の三

西から流れてくるのは古(こ)汴(べん)河(が)、

南(なん)京(けい)に向かう僕を迎えてくれる。

古汴河は東に流れて淮(わい)水(すい)、泗(し)水(すい)に入る。

僕が徐州に向かったときに、

古汴河は僕を見送ってくれた。

しばらく僕は古汴河と別れていたけれど、

またここで見ることになった。

古汴河はずっとここに余情を湛えていたかのようだ。

春の雨は古汴河をさざ波でいっぱいにし、

一夜を経て彭城へと至るであろう。

古汴河の水は僕の黄(こう)楼(ろう)の下を通過し、

あの朱い欄干と高い甍を水の光で照らすことだろう。

そして百(ひゃく)歩(ほ)洪(こう)へと至り、

かの月の夜に川音を聞いたあの人がいないのを悲しむのである。

　其の四

前年、南(なん)京(けい)を過(よぎ)ったときには、麦が稔り、桜桃(ゆすらうめ)の実が熟していた。

いまかつて遊んだところにきてみると、

桜桃の実も麦の穂もまだ黄緑色である。

三年の歳月も遠い昔のよう、

人間世界にはどれほどの変化があっただろうか。

しがない下級官吏のまま老いてしまった人もいれば、

活躍の場もなくいたずらに筋肉がふやけしまった将軍もいるだろう。

僕は羽根を翻すように三度任地替えとなり、

迎えられたり送られたり、車を転じるようなせわしなさだ。

郷里に帰ると決めるのは何時になるのか。

でも、ここに住もうと決めた場所はかの田舎にあるのだ。

　其の五

僕がどの地を卜(ぼく)して行こうとしているのかというと、

石(せき)仏(ぶつ)山(さん)の南の路、その下に川があるだろう、

そこらあたりに千畦(けい)の土地を得て、

食べるための稲と酒を醸(かも)すための稲を植えるつもりなのだ。

竜が棲んでいるといわれてきた山の泉に湧く水は、

流れ下って豊饒の土地を育み、

かつては一畝(ぽ)が一金の価値を生んだのだが、

近ごろでは破綻して逃亡した農家が多いと聞く。

僕は官服を棄て去り、剣を売って牛と農具を買い、

廃屋に丈高く草が生えてしまっているその山の地に行くのだ。

僕はそのように思っていて、ひとつ恐れているのは、

帰ろう帰ろうとずっと願っていながら、

墓所に永遠に祀られるときになってようやくそれを果たす身となることだ。

【補足】［石(せき)仏(ぶつ)山(ざん)は蘇軾の郷里の眉(び)州眉(び)山(ざん)県にある］

■【05-5-029】答呂熙道

【解題】蘇軾は南(なん)京(けい)応(おう)天(てん)府(ふ)に行き、そこで蘇(そ)轍(てつ)や張(ちょう)方(ほう)平(へい)に会い、半月ほど滞在したことがこの手紙からわかる。表題に呂(りょ)熙(き)道(どう)とあるが、これは呂(りょ)希(き)道(どう)［字(あざな)は景(けい)純(じゅん)］［→作品番号03-3-012］に宛てた手紙であろうとされている。実際に書いたのは新しい赴任先である湖(こ)州に到着した後である。

【訳文】

南(なん)都(と)［南(なん)京(けい)応(おう)天(てん)府(ふ)］に半月滞在していたのは、恍(こう)然(ぜん)と一つの夢のようです。徳義を企てようと思ってはいつも悵(ちょう)然(ぜん)としてしまいます。我が弟は朴訥で寡黙な人間でありますから、時勢を軽んじ道(みち)を重んじる長者でなければ、誰も厚く親しくはしてくれません。湖(こ)州の江山、風物は人間世界に類がないほどです。それに加えて、事が少なくて眠りが十分に足りるのなら、拙い者にとってはまことに慶賀すべきありましょう。

【補足】［南(なん)京(けい)応(おう)天(てん)府(ふ)では、黄(こう)河(が)が決壊したときに鄆(うん)州で治水に功績があった応(おう)言(げん)という僧に会っている。そのことについて記した文章を第7章で見ることになる］

■【05-5-030】与文郎

【解題】これは、親友の文(ぶん)同(どう)の子の文(ぶん)務(む)光(こう)に出した手紙。

【訳文】

非常な苦しみを受けてより、我が気力は、以前とはすっかり変わってしまいました。あれから二カ月、追慕の念は窮まることがなく、どうすることもできません。先にそちらに参った者が帰って、お手紙を頂戴し、むせび泣くことをさらに重ねております。我等が親しくするところの貴君の孝誠は深く篤(あつ)く、哀しく打ち砕かれておられることは我らの思いの及ぶところではなく、何も手につかずにおられることでありましょう。貴君のお心を何らお慰めすることもできません。何はともあれお体を大切に、よく召し上がりますように。

【補足】［この手紙は、文(ぶん)同(どう)が亡くなった悲しみについて記している［→作品番号05-5-013］。文同は陳(ちん)州で亡くなり、息子の文(ぶん)務(む)光(こう)は、父の棺を郷里に持ち帰るための準備を陳州で進めていた。実際に棺を船に載せて故郷に向かったのは翌年の春で、そのことについては第6章で見ることになる。文務光は蘇轍の娘と結婚していたので、その間を行き来する人が蘇軾宛の手紙が届けたのだろう］

■【05-5-031】霊壁張氏園亭記

【解題】蘇軾は3月末に南(なん)京(けい)応(おう)天(てん)府(ふ)を発ち、王(おう)適(てき)、王(おう)遹(いつ)の兄弟［→作品番号05-5-009］が同行した。2人は半年ほど蘇軾の近くで過ごし、結果として後に大きな役割を担う。南京からは運河を使った船旅で、三泊して霊(れい)壁(へき)鎮(ちん)に至り、そこで張(ちょう)碩(せき)に会い、この文章を書いた。張碩については本文中で触れている。

【訳文】

都から東に道をとると、水路を選べば濁流に浮かび、陸路を選べば土埃を浴びながら見渡す限りの田の中を行くことになり、どちらにしても行く者をうんざりさせる。およそ八百里で、霊(れい)壁(へき)の張(ちょう)氏の園庭が汴(べん)河(が)の北側にあるのを見えるに及んで、初めてほっとした気分になる。

外に向かってたくさんの竹がすらりと飛び出し、背の高い木々がこんもりと繁っている。中に汴河の水を引き込んだ池があり、そのまわりに山から取ってきた奇岩が険しい丘のように積まれ、水辺には蒲や葦や蓮があって江湖の景観を作り、椅(いいぎり)、桐(あおぎり)、檜(ひのき)、柏(はく)が並んで山林の気配を生み、珍しい花や美しい草は都会的な雰囲気を出し、華やかな大きな建物は呉(ご)蜀(しょく)の巧みの技を見せている。

この園庭の奥深さは身を隠すに十分で、その豊かさは身を養うのに十分である。収穫される実や野菜は近隣の人々をも満足させ、魚や筍を茹でれば四方からの賓客をもてなすことができる。

私は彭(ほう)城(じょう)［徐(じょ)州］から呉(ご)興(こう)［湖(こ)州］に移るに当たって、宋(そう)［南(なん)京(けい)応(おう)天(てん)府(ふ)］から舟に乗り、三泊してその園庭のもとに至った。輿(かご)に乗ってその門を叩き、張氏の子の碩(せき)君に会うと、碩君は私に文を求めた。

張氏は代々世に顕(あらわ)れ、碩君の伯父の殿(でん)中(ちゅう)君(くん)と碩君の父の通(つう)判(はん)府(ふ)君(くん)が初めて霊壁に住まいを構え、この園庭を作り、蘭(らん)臯(こう)亭(てい)を建てて親を養った。その後、朝廷に出て仕えて、その当時に名声をもって聞こえ、その余力をもって、日に日に園庭を豊かにして今に五十余年に及ぶ。木々はどれも十人が腕を伸ばして抱えるばかりになり、岩壁は暗く聳えるまでになった。およそ園中の百物は、人の意に適わないものは一つもなく、長くいろいろな用途に用いられてきた。

古(いにしえ)の君子は必ずしも仕えたわけではなく、必ずしも仕えなかったわけでもない。仕えるときはその身を忘れ、仕えないときはその君を忘れた。これを飲食に譬えると、たまたま餓え、たまたま飽くというだけのことである。

いまの士(ひと)で、義を踏み行い、節に赴く者は希である。郷里に安らかに処(お)る者は出るのは難しく、出て利に狃(なれ)る者は帰るのを忘れる。前者は親の期待に背き世間との交わりを絶つとの譏(そしり)を受け、後者は俸禄を慕って事なかれで過ごす弊害を生む。

張氏の父君が子孫のために計画し慮(おもんばか)ったことは遠大かつ行き届いたものだった。場所を汴河と泗(し)水(すい)の間に選び、舟も車も集まりやすく、朝廷に仕えるにしても、宴遊を楽しむにしても、他に求めることなくここで足りるのである。その子孫が門を開いて仕えるのなら、半歩で都に行け、門を閉ざして帰って隠れるのなら、山林を仰ぎ見て過ごすことができる。生を養うにしても、性を治める［心の本源を鍛える］にしても、義を行うにしても、志を求めて適(ゆ)くところ可ならざるはないのである。それ故に、その子孫で仕える者は皆官員として優れた能力があると称賛され、園庭にいる者は節を有して潔く退いたとされるのである。このようであるのはまさしく先祖の君子の余沢によるものである。

私は彭城にいること二年、その風土を楽しみ、そこを去るのは忍び難いものがあった。彭城の父老が私を厭うことがなければ、泗(し)水(すい)のほとりに田を買って、そこで余生を送りたいと思う。そうなれば、南に霊壁を望み見て、鶏や犬の声が互いに聞こえ合う距離にあり、ふらりと歩いては張氏の園庭に往き来して、季節ごとにそこの子孫と遊べるであろう。必ずその日があるに違いない。

元(げん)豊(ぽう)二年三月二十七日、記す。

【補足】［（1）弟に送った先の詩では、退隠する場所として郷里の石(せき)仏(ぶつ)山(ざん)の南の路の川辺を思い描いていた。蘇軾は張(ちょう)氏の園庭を見て、退隠のもう一つのイメージをここに思い描いた。都から遠く離れた蜀の地でなくてもよいのだ。（2）「仕えないときにはその君を忘れた」［原文は「必不仕則忘其君」［必(かなら)ず仕(つか)えざれば則(すなわ)ち其(そ)の君(きみ)を忘(わす)れる］］とは大胆な言い方ではなかろうか。蘇軾は、国家の隅々にまで皇帝の威令を浸透させることを任務とする官員である。孔(こう)子(し)の教えを学び、8歳とのきに4人のスーパースターに憧れ、科挙を受け、制(せい)科(か)にも合格して、己には国のため民のために働く使命があると固く考えてきた。しかし、その皇帝の威令の多くが蘇軾がよしとはしない新法に入れ替わり、自分の信念と職務の実態との矛盾に深く悩むようになった。詩文においてしばしば退隠を言いつつも、それはいますぐに実現してよいものではないと考えていた。杭(こう)州、密(みつ)州、徐(じょ)州で矛盾に苦しみ続けつつも、官員としての責務を果たそうと懸命に努めてきたのだが、張氏の園庭を見て、「必不仕則忘其君」の言を吐くに至ったのであろうか。（3）このころ蘇軾は自分の置かれている状況をどのように認識していたのだろうか。徐州に赴任する前に都に入れなかったことは、政治的にかなり危険な状況にあると思い知らされた出来事であった。その一方で、徐州での洪水対策では皇帝から褒められ、新たな任地である湖州は蘇軾が希望していた江(こう)南(なん)の地で、すでになじみのある美しい場所であった。まだ希望はあると思いつつ湖州に向かっていたのだろうか。実は、蘇軾の政敵たちは霊(れい)壁(へき)鎮(ちん)で書いたこの文章をすぐに手に入れ、「必不仕則忘其君」の句を見て、蘇軾が人臣としての責務を忘れて不穏当な言辞を振りまいているまぎれもない証拠をまた一つ掴んだと、大いに色めき立ったのだった］

■【05-5-032】書泗州孫景山西軒

【解題】蘇軾を乗せた船は南へと向かい、宿(しゅく)州を経て、淮(わい)河(が)に面する泗(し)州に至った。泗州は水運上の重要な場所で、蘇軾がここを通過するのは3度目であった［→作品番号03-4-032］。泗州では孫(そん)奕(えき)［字(あざな)は景(けい)山(ざん)］に会い、その西(せい)軒(けん)にこの詩を書いた。孫奕の名は作品番号05-1-008で見ている。

【訳文】

落ちゆく日の明るさの中にぽつんと塔が建っている。

我が病身を取り巻くように青い山々が連なっている。

貴君がこの西軒から西方を望む心中には、

塔の中の人に恥じるようなものは何もないのだろう。

【補足】［この詩に詠まれている塔は、僧(そう)伽(が)塔(とう)［→作品番号03-4-032］で、「塔の中の人」とは、高僧の僧伽その人である］

■【05-5-033】泗州過倉中劉景文老兄戯贈一絶

【解題】泗(し)州の倉(そう)中(ちゅう)で劉(りゅう)季(き)孫(そん)［字(あざな)は景(けい)文(ぶん)］に会って、戯れにこの詩を贈った。劉季孫はその地の名士であったようだ。

【訳文】

貴君には昔の大将軍のような遠大な策があり、

貴君には昔の大名手のような弓射の技がある。

だから、この蘇(そ)夫(ふう)子(し)［蘇軾］が、

湖(こ)州知事になれたのを大変な僥倖のように思っているのを、

笑わずにはいられないのである。

【補足】［（1）湖(こ)州の知事になったのは僥倖であると、ここの文脈ではやや自虐的に歌っているのだが、願っていた江(こう)南(なん)の、しかも極めて美しい地に行けるのは、まさしく僥倖に他ならなかったのであろう。（2）泗(し)州では、これより6年後に科挙に合格する張(ちょう)大(だい)享(きょう)［字(あざな)は嘉(か)父(ふ)］にも会っている］

■【05-5-034】過淮三首贈景山兼寄子由

【解題】淮(わい)河(が)を渡ってさらに南に行くときに、孫(そん)奕(えき)［字(あざな)は景(けい)山(ざん)］にこの詩を贈るとともに弟に寄せた。

【訳文】

　其の一

ご機嫌うるわしいかな、大河、淮(わい)河(が)よ。

ここを往来するのはこの十年に三度目。

功名を挙げる気などすでに消え、

故郷に帰る計画は遥かに遠い。

今日の風はこの旅人を憐れむのか、いつもの高い浪はない。

夕方に向かう洪(こう)沢(たく)の入り口では、

船の停泊場所を求めて捍(がん)索(さく)［船を岸に繋ぐ綱］の音が雷のように響き合っている。

【補足】［船着き場のある入り江で、よい場所を確保しようと、たくさんの船がひしめきあっていたのだろう。洪(こう)沢(たく)湖(こ)の名は作品番号03-4-035で見ている］

　其の二

淮河を過ぎると山はやや山らしくなり、

松や檜も立派な姿に繁るようになる。

藹藹(ぼんやり)とした靄の中に隠れる一つの寺、

そのあたりを訪ねると、

冷(さら)冷(さら)と小さな泉が流れ出る。

巌(いわお)に寄り添うように巡らされている小さな欄干、

そこに住まう友人はまことに吏(り)隠(いん)の人である。

振り返って臨(りん)淮(わい)の町を望むと、

東風に乗って町のさざめきが聞こえてくる。

【補足】［「吏(り)隠(いん)」とは、官職に就きながらも隠者の精神を有する人で、この詩では孫(そん)奕(えき)を指す］

　其の三

首(こうべ)を回(めぐ)らせば、君は南(なん)京(けい)の役場にいて、

高く積まれて簿書の中に埋もれている。

いつか淮河の水で、人を汚す塵を洗い流してしまうとよいだろう。

ここから僕の旅はいよいよ佳境へと入って行く。

しかし、独りであるから長く寂しい思いをしなければならない。

だから、君が百首の詩を作って、そちらの春を写して送ってくれるのを、

僕は心待ちにしているのだ。

■【05-5-035】舟中夜起

【解題】上の詩にあった洪(こう)沢(たく)に停泊した夜のことだろうか、舟の上で目覚めて詠んだ詩。

【訳文】

微かな風に、菰(まこも)や蒲(がま)が蕭(さら)蕭(さら)と音を立てている。

雨であろうかと、舟の戸を開けて看る。

湖に月の光が満ちている。

舟の上の人も水の上の鳥も同じく夢の中。

何かに驚いたのか、大きな魚が狐のように走る。

夜は深まり、人と物とはもはや関わりを持たない。

私だけが、自分の影と喜びを共有している。

渚の蚯蚓(みみず)が悲しげに鳴くのは、

ひそやかに潮が上がってきたためだろうか。

月が柳に落ちかかって、蜘蛛の糸が浮かび上がる。

生きとし生けるものは、

あわただしくも憂患の内にあるのだろうか。

この清境(よいとき)が眼を過(よぎ)るのはほんの一瞬でしかない。

鷄が鳴き、鐘が鳴り出せば、鳥たちが塒を離れて行くだろう。

そして、船頭が太鼓を撃って呼び合い、

舟はまた出て行くのである。

【補足】［（1）後半にある「此生忽忽憂患裏、清境過眼能須臾」［此(こ)の生(せい)は忽(こつ)忽(こつ)たる憂(ゆう)患(かん)の裏(うち)、清(せい)境(きょう)の眼(め)を過(よぎ)るは能(よ)く須(しゅ)臾(ゆ)］の二句は当時の蘇軾の心境をよく表すものであるのだろう。湖(こ)州に行く僥倖を得たけれど、美しい町にいられるのもわずかの間かもしれないという恐れをもしかしたら蘇軾は抱いていたのだろうか。（2）泗(し)州から揚(よう)州に至る途中で高(こう)郵(ゆう)県を過り、そこで参(さん)寥(りょう)と秦(しん)観(かん)が合流したようである。参寥は徐(じょ)州を発ってから［→作品番号05-4-098］、なおこのあたりに留まっていて、いよいよ杭(こう)州に帰る気になったのだろう。秦観［→作品番号05-4-093］は高郵県の人で、科挙に落第した鬱憤晴らしというわけでもないだろうが、この機会に杭州からその先の越(えつ)州も見てまわろうと旅に出たのだろう］

■【05-5-036】跋欧陽家書

【解題】欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)が甥に書いた手紙を筆写して、その後ろのこの短文を添えた。最初に欧陽脩の手紙の本文がある。

【訳文】

「南方が多事になって以来、日夜、君のことを案じておりました。昨日、お手紙が届き、新婦も諸孫も皆が安らかで、官の仕事も事なきを得ていると知り、遠く想う気持ちはほぼ解(ほど)けました。

このように心配するのは常のことです。我が欧(おう)陽(よう)氏は南(なん)唐(とう)国(こく)から宋(そう)朝(ちょう)に帰して何代にもなり、朝廷の官禄を蒙り、私もまた栄えて名を顕(あらわ)し、諸君等も官品に列(つら)なり、御恩に報いることを思わなければなりません。たまたまこのように多事となったときには、朝廷の指示によって心を尽くして前に向かうべきで、事を避けてはならないのです。難事に臨んで節に死ぬのは、諸君等の栄えとすべきことであって、公(おおやけ)のために心を尽くすならば、おのずから神(しん)明(めい)の祐(たす)けがあるでしょう。事を避けようなどと、慎んで思ってはならないのです。

昨日のお手紙では朱(しゅ)砂(さ)［仙薬の原料になるとされていた硫化水銀］を買って送ってくださるようなことが書いてありました。しかし、私はこの物を欠いておりません。君は官員として廉潔を守るべきで、官の立場で物を買ってはならないのです。私は官員として地方に赴任したときに、飲食に必要とする物のほかには一つの物も買ったことがありません。君もこのことを戒めとするように。……」

これは欧(おう)陽(よう)文(ぶん)忠(ちゅう)公(こう)［欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)］が甥に与えた手紙である。

元(げん)豊(ぽう)二年四月十二日、蘇軾が題す。

【補足】［これは、これより27年前に南方で反乱があったときに、甥の欧(おう)陽(よう)通(つう)理(り)に宛てた手紙であると推(すい)定(てい)されている。湖(こ)州に向かう途中で特にこれを筆写したのは、地方官としての心構えを新たにするためであったのだろう］

■【05-5-037】西江月

【解題】続けて欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)と関わりのある作品。蘇軾は長江(ちょうこう)まであとわずかの揚(よう)州に至り、平(へい)山(ざん)堂(どう)でこの詞を詠んだ。平山堂はかつてこの地の知事であった欧陽脩が建てたもので、詞の冒頭にあるように、蘇軾がここを訪れるのは3度目であった。1回目は杭(こう)州に赴任する途中で、そのときは直前に欧陽脩に会っていた。2回目は杭州から密(みつ)州に移る途中で、欧陽脩はすでに亡くなっていた。2回目のときに詠んだ詩は作品番号05-1-001で見ていて、それから長江以北の地を回ってまた同じ場所に戻ってきたのである。

【訳文】

三過平山堂下、［三度通り過ぎる平(へい)山(ざん)堂(どう)の下］

半生弾指声中。［人の半生などは指を弾く音のうち］

十年不見老仙翁、［老(ろう)仙(せん)翁(おう)［欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)］を見なくなって十年］

壁上竜蛇飛動。［しかし、翁が書いた字は壁の上で竜のように勢いよく飛んでいます］

欲弔文章太守、［文章を一生の仕事としたかの知事を弔うために］

仍歌楊柳春風。［歌うのはかの名詞『楊(よう)柳(りゅう)春(しゅん)風(ぷう)』］

休言万事転頭空、［いうのはよしましょう、万事は頭(こうべ)を回(めぐ)らせる間に空しくなるなどとは］

未転頭時皆夢。［なぜって、頭を回らすより前にみな夢となってしまうのですから］

【補足】［『楊(よう)柳(りゅう)春(しゅん)風(ぷう)』は、欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)が平(へい)山(ざん)堂(どう)で作った詞で、そのなかに「手づから種(う)える堂前の楊柳、別れ来て幾(いく)度(たび)の春(はる)風(かぜ)」の句がある。欧陽脩が植えた楊柳が蘇軾が訪問したときにも残っていたかどうかはわからない］

■【05-5-038】余去金山五年而復至、次旧詩韻、贈宝覚長老

【解題】蘇軾は長(ちょう)江(こう)を渡り、南岸の鎮(ちん)江(こう)［潤(じゅん)州］に至った。ここからは蘇軾にとっても我々にとってもすでに馴染みの土地である。この詩の題は、「金山(きんざん)を去ってから五年、ここにまた至り、かつての詩に次韻して宝(ほう)覚(がく)長(ちょう)老(ろう)に贈る」。鎮江にあるいわゆる鎮(ちん)江(こう)三(さん)山(ざん)の一つである金山は何度か訪れていて、5年前に柳(りゅう)瑾(きん)や刁(ちょう)約(やく)とともに登ったときには、酒を飲み過ぎて宝覚の禅(ぜん)榻(とう)で眠りこけてしまったという詩を詠んでいた［→作品番号04-3-013］。その宝覚がいまも金山にいたのでこの詩を贈った。

【訳文】

その昔、一斗の酒を贈ってまんまと知事の地位を射止めた者がいた。

私は、酒よりも、寺の厨房の法豉(なっとう)の香りを愛するものである。

かつてここにきたことは、真に一つの夢として過ぎ去り、

師の高譚(おくふかいはなし)によって、五年間のせわしなさが洗われる。

時折、山ひだの折れ曲がりのあたりから風が吹いてきて、

ゆっくりと、明るい月が寺の屋根に沿って動いて行く。

頭を深く下げ、師に願うのは、

この旅人を憐れんで、遥かな「帰路」を指し示されよ。

【補足】［（1）法豉(ほうし)は大豆を発酵させた、納豆と同様のもの。（2）「旧事真成一夢過、高譚為洗五年忙」［旧(きゅう)事(じ) 真(まこと)に成(な)る一(いち)夢(む)の過(す)ぎるに、高(こう)譚(たん) 為(ため)に洗(あら)う五(ご)年(ねん)の忙(いそが)しさ］の二句は、5年ぶりに江(こう)南(なん)に戻ってきた実感なのだろう。かつての日々はすでに夢のようであるが、いままたその夢の続きに繋がるのである。（3）最後の「帰路」は、金(きん)山(ざん)からの帰り道に重ねて、心の究極的な安定へと帰り行く道をいうのだろう。蘇軾は迷いのある「旅人」なのである］

■【05-5-039】大風留金山両日

【解題】宝(ほう)覚(がく)長(ちょう)老(ろう)に帰路を教わった蘇軾であったが、強い風のために金(きん)山(ざん)に足止めされてしまった。

【訳文】

塔の上方にぶらさがる鈴が、何やら独り言をいっていた。

「明日は顛(びっくり)するような風。川は渡れやしないよ」

朝になってみると、

白い浪が山の崖に打ち付け、軒や窓へと、下から雨を飛ばしている。

万斛(こく)をも載せる竜驤(おおぶね)も敢えて江(かわ)に出ようとはしない。

むしろ、木の葉のような一艘の漁船が、波にもまれるがままになっている。

よく考えてみると、赴任先の町で急ぎの用事が待っているわけではない。

竜王は誰に腹を立ててこの風を吹かせているのやら、

笑って見ていればよいのだ。

それほどのことでもないのに、金(きん)山(ざん)に留まると決め込んだので、

下僕たちは意外に感じているが、

それでもこの風であるから、私が町に戻ってこなくても、妻子は許してくれるだろう。

こうした騒ぎのなかでも、

参(さん)寥(りょう)師(し)だけは、朝の粥の時刻を報せる太鼓が鳴るまで、

一晩中眠らずにいたのはどうしてだったのだろうか。

【補足】［参(さん)寥(りょう)［道(どう)潜(せん)］は高(こう)郵(ゆう)県で合流していたのだが、現存する詩ではここで初めて同行していることが詠まれている］

■【05-5-040】祭刁景純文

【解題】5年前に一緒に金(きん)山(ざん)に登った刁(ちょう)約(やく)［字(あざな)は景(けい)純(じゅん)］も柳(りゅう)瑾(きん)もこのときにはすでに亡くなっていた。刁約が亡くなったのはこれより2年前、84歳だった［→作品番号05-3-069］。蘇軾は、鎮(ちん)江(こう)［潤(じゅん)州］にある刁約の墓に詣で、この祭文を読み上げた。なお、柳瑾を悼む祭文は作品番号05-3-006で見ている。

【訳文】

ああ、私は貴君よりも年少であること四十二歳。貴君は私を年少者として扱わずに、兄弟のように思ってくれた。いま私はすでに老い、髪が白くなってしまった。貴君は永遠のもとへと帰り、もう年を取ることがない。服喪の期間は過ぎてしまったけれど、私は悲しみのあまり泣かずにはいられない。

貴君が亡くなり、この地の風俗を私は哀しむ。長(ちょう)江(こう)を渡って東にきて、美しい風光の中に、見上げる一万本の松がある。鬱蒼と繁り、青く勢いが盛んである。なお想うのは、この松の下で、ゆったりとした衣をまとい、杖をついて、貴君が私を門に迎え入れてくれたときのこと。手を取り合って笑ったのに、まさか、たちまちにして、貴君がこうして墓の中に納まってしまうとは。山はかつてのまま、草木には再び春が巡り戻ってくる。親しくしてきた人のうち、天下にいま半分も残っているだろうか。日中は心が乱れ、夜は眠れない。私は道(みち)に通じた至(し)人(じん)ではないので、心が右往左往してやまない。

ここにあるのは一斗の酒と二羽の鷄だけ。いささか私の哀しみをここに写すものである。

【補足】［刁(ちょう)約(やく)が家の近くにたくさんの松を植えていたことは何度か見ている］

■【05-5-041】遊恵山并叙

【訳文】大運河を使って潤(じゅん)州［鎮(ちん)江(こう)］から湖(こ)州に向かうルートは、杭(こう)州の副知事だったときに幾度も通っていた。見るもの全てが懐かしく、あちこちに知り合いがいた。湖(こ)州への赴任の旅は、実際のところなかなかに楽しいものであった。無(む)錫(しゃく)県の西にある恵(けい)山(ざん)も懐かしい場所で、幾人かの知り合いがいた［→作品番号04-2-102など］。この詩には短い序文がある。

【訳文】

叙

私はかつて杭(こう)州の副知事となり、杭(こう)州から無(む)錫(しゃく)へと往来するたびに、恵(けい)山(ざん)に行かないということはなかった。それから過ぎ去ること五年、私は湖(こ)州の知事となり、高(こう)郵(ゆう)県の秦(しん)観(かん)、杭州の僧の参(さん)寥(りょう)も一緒に、また恵山に登った。ここには、唐(とう)の時代の処(しょ)士(し)［官に就かなかった読書人］の王(おう)武(ぶ)陵(りょう)、竇(とう)群(ぐん)、朱(しゅ)宿(しゅく)が賦した詩が残され、その語は清(せい)簡(かん)にして蕭(しょう)然(ぜん)として俗塵から抜け出た姿がある。それを愛し、その韻を用いて三首を賦した。

　其の一

過ぎ去った五年の夢、

覚めると、左右の鬢の毛は白い。

塵土にまみれた足で、漪(い)瀾(らん)堂(どう)へと歩む。

下に松の影が落ちるのを見て、上に鶴が飛び行くのを見る。

堂に置いた我が身に、氷の玉のような光が差し込み、

肺と肝臓の間が炯然(からり)となる。

虚(こ)明(めい)の中に「色(しき)」があり、清浄から自ずと「香(こう)」が生じる。

世俗の世界へとまた還るとしても、

この光があるなら、永く世俗を忘れることもできようか。

【補足】［「氷(ひょう)玉(ぎょく)の光」とは何なのだろうか。蘇軾独特の感性で仏教の奥深い教説を詠んでいるのだろう］

　其の二

薄い雲は山を遮るほどではなく、

まばらな雨は人を濡らすほどではない。

滑らかな松の径(みち)を蕭(しず)蕭(しず)と歩むと、新しい芒鞋(わらじ)が策(さく)策(さく)とよい音を立てる。

嬉しいことに、

同行するのは、黒く暗いところがなく、白く明るい人々ばかりである。

この勝(しょう)地(ち)は昔と異なることなく、

塵にまみれずに清らかな句がそのまま残っている。

古い歴史に泣き、讒(ざん)言(げん)を憎むその詩、

しかし、それを詠んだ人も、真の隠者の隣に棲む人にはなれなかったのだ。

　其の三

木が重なり覆うところで山の泉を汲み、

明るい窓辺で火を敲(たた)いて茶を烹(に)る。

紫の茶(ちゃ)盞(さん)を傾けると、色も味も絶妙である。

私の人生は食べることと眠ること、

ひとたび満腹になって眠りに入るなら、

一万の想念が消滅する。

笑ってしまうのは、茶を好むあまり、

何も食べずに茶葉三百片を飲み尽くした御仁がいたとか。

それよりも、山中で眠りから覚めると、花が開き、

そこに一杯の茶。

さて、誰かこの茶を共にする者がいないかと見ると、

門の外にはどこにも轍(わだち)がついていない。

■【05-5-042】贈恵山僧恵表

【解題】恵(けい)山(さん)寺(じ)の恵(え)表(ひょう)という僧に贈った詩。

【訳文】

天下を遍く巡ったところで満足するわけではなく、

心が定まるなら、どこであろうと安らかにしていられる。

この老僧はいまも山中にあって、

机の上の『楞(りょう)厳(ごん)経(きょう)』を看ることもない。

枕もとには幾片かの落花がそのままにあり、

閉ざされた門の内では新たに千本もの竹が生えてきている。

客人が来て、茶を飲み終わると、あとはもう何もない、

盧橘(びわ)も楊梅(やまもも)もその実はまだまだ酸っぱい……。

■【05-5-043】贈銭道人

【解題】恵(けい)山(さん)寺(じ)には銭(せん)道(どう)人(じん)［鉄(てつ)道(どう)人(じん)、恵(けい)山(ざん)老(ろう)］［→作品番号04-2-102など］がいた。銭道人に贈った詩。

【訳文】

世間の書生さんは、

書物を読んでも何を信じたらよいのかわからなくて、

あれこれ勝手な憶測で物事を考える。

自分の力量もわかっていないから、

「こいつはおいらが成し遂げて見せるぜ」

と軽々しく広言する。

そのときは結構な心持ちであろうけれど、

後で格好のつかないことになる。

いまやどこでも、なまくらな鉄を鋳型に流し込んで、

できそこないの書生さんばかりを作っている。

そのような時代を生きていると、

自分はいつも憂患の中にあって、

己の罪悪を助長しているだけではないかと恐れを抱く。

泥に突っ込んだ足がまだ浅ければ、たやすく退くこともできるだろう。

静観すること、いやそれ以上に、

銭(せん)先生が初めから何もしないでいるのを、喜ぶべきなのだろう。

無病なら無薬、銭道士と逢っても何も言うことはない。

【補足】［冒頭にある「書生さん」とは、改革の潮流に乗ってにわかに大手を振って歩くようになった連中をいうのだろう］

■【05-5-044】与秦太虚、参寥会於松江、而関彦長、徐安中適至、分韻得風字二首

【解題】詩題は「秦(しん)観(かん)と参(さん)寥(りょう)と松(しょう)江(こう)で落ち合い、そこに関(かん)景(けい)仁(じん)［字(あざな)は彦(げん)長(ちょう)］と徐(じょ)安(あん)中(ちゅう)がたまたま来たので、五人で韻を分け合って詩を詠んだ。私は風の字を得た」。松江は、蘇(そ)州の南で太(たい)湖(こ)に注ぐ川で呉(ご)江(こう)ともいい、風光明媚なところとして知られていた。関景仁はこのとき松(しょう)江(こう)県の知事で、徐安中はいかなる人物であるかは不明。

【訳文】

　其の一

呉(ご)越(えつ)の溪と山の興(おもしろ)さに「は窮まりがない。

わが衰病をいたわりつつ、

東西百余丈の垂(すい)虹(こう)橋(きょう)を渡ると、

天に浮かぶ心地、

ここ東南の地は古(いにしえ)からの水の郷(さと)である。

今朝の西北の風に送られ、

千里の遠さも忘れて、この絶景の地にきた。

この五人が次にまた揃ってすばらしい遊びをともにするのは難しい。

船頭は、我等がいつまでもぐずぐずしている気持ちをわかってくれない。

夕日が万頃(けい)の水を紅く染めるのを橋の上から見たいのである。

【補足】［垂(すい)虹(こう)橋(きょう)は松(しょう)江(こう)に架かる橋で、アーチ型であったのだろう］

　其の二

秦(しん)観(かん)君と参(さん)寥(りょう)師は詩の巧みさをさらに窮めようとしている、

人間世界には、長い虹のような句を吐けるところはないだろうに。

私はというと、人に笑われてばかり――

ここのところ三度続いた左遷にも慣れて、

岸辺からの風に揺れる舟の中で、

一日、雨音を聞きつつ、たっぷりと眠っている。

天はありがたいことに、ひとつの酒樽のもとに皆を集めてくれた。

さあ、銀盤(ぎんばん)［水面］に紅い魚の尾と馬の鬣(たてがみ)が翻るのを見て、

その感動を詩に詠んでくれたまえ。

【補足】［最後は、垂(すい)虹(こう)橋(きょう)から、赤く染まった波頭が複雑に動くのを見ての感動をいうのであろう］

■【05-5-045】次韻答参寥

【解題】参(さん)寥(りょう)の詩に次韻して答えた。王(おう)鞏(きょう)に答えた作として伝えられてきたが、内容的には参寥の方がふさわしいという。

【訳文】

私には世界の外に遊ぶ友がいる、

顔は瓊(たま)のように英(ひいで)ている。

十年の間、塵土の窟(あな)のなかにあっても、

一寸の心は氷雪の清らかさのままだ。

先ごろから私とともに遊ぶようになり、

飾り気がなく、真情をそのまま見てとることができる。

私はこの友に慕われるに足るものはないので、

友が慕うのはこの山水の清らかさなのだろう。

新しい詩は、あたかも弾丸のよう、

一瞬も留まることなくたちまち手から離れる。

昨日は一緒に魚を放ち、

衣にたくさんの浮き草を付けて帰り、

今日は友は小さな舟に、酒を乗せて烏(う)程(てい)から去ってゆく。

友は山に月が出るのを見つつ、

川べりで鼉(かじか)が鳴くのを聞くであろう。

そのときに友が唱えるのは何の歌だろうか。

悲哀の籠った屈(くつ)原(げん)の詩ではなく、

私のこの詩がもしかすると友の心に適うのではなかろうか、

船べりを叩いて歌う友の声を私は想うのである。

【補足】［参(さん)寥(りょう)は杭(こう)州へと帰ったのだろう］

■【05-5-046】次韻関令送魚

【解題】二つ前の詩の題にその名が記されていた関(かん)景(けい)仁(じん)［字(あざな)は彦(げん)長(ちょう)］が詩を添えて魚を贈ってくれたので、それに次韻して謝礼とした。

【訳文】

網を挙げ、

「でっかい魚がかかったぞ」

と、叫ぶ声。

聞いたとたんに、よだれがだらだらと垂れてくる。

ならば、長い鬚のはだしの老人をさらに煩わせて、

西風に蒲(がま)が揺れる川べりでもっと魚を追わせることにしよう。

■【05-5-047】次韻秦太虚見戯耳聾

【解題】秦(しん)観(かん)［字(あざな)は太(たい)虚(きょ)］が、蘇軾の耳が遠くなったことを戯れに詩に詠んだので、それに次韻した。詩の題には「耳(じ)聾(ろう)」とあるが、蘇軾はこのとき44歳で、実際に耳が聞こえないようになったわけではないだろう。

【訳文】

詩を詠むような人は、貴君もよく知っている通り、

転居するに際して車を借りたところで載せるような物は何もなく、

手元に留めているのは何の頼りにもならないわずか一銭ほどだ。

杜(と)甫(ほ)は晩年になると、そればかりではなく、

右臂は痛いし、耳は遠くなったと嘆いたのだが、

私はいまはまだ耳だけがわずかに杜甫に似ただけですんでいる。

耳がよすぎる人は、蟻が動くのも牛が闘うほどに聞こえたりするのだろけれど、

私はありがたいことに、雷だって天のあくびくらいにしか聞こえない。

耳からつまらない煩悩を刺激されることもないから、

汚らわしいことを聞いたと、清い流れで耳を洗う手間はいらない。

耳だけでなく、そもそも目とか鼻とか口とかの穴があるのが問題で、

渾(こん)沌(とん)は、人と同じようにそうした穴を穿たれたために死んでしまったのだし、

それらの穴から出入りするものによって人は争いに及んでしまったりもする。

酔えば眼がちかちかしてわけがわからなくなり、

口からは詩が飛び出てつまらないもめごとを背負い込むようになる。

つまり、人の五感というもはすべてが賊なのであって、

耳が遠くなった私は、人としての病の一つがまずは癒えたのである。

それでも、こうしたことを心の内で完全に納得していないと、

聞かないこと、あるいは見ないことが、かえって妨げにもなるだろう。

貴君は、私が耳の遠いのを偽っているだけではないかと疑い、

奇怪な詩を作って私を笑おうとしたのだろうけれど、

自分だけが心持ちよく筆を走らせているうちに、

嘘八百を並べた罪で、きっと閻魔様に叱られてしまうのではないかな。

■【05-5-048】湖州謝上表

【解題】蘇軾は4月20日に湖(こ)州に到着し、新しい任務を与えてくださったことを皇帝に感謝するこの文章を書いて提出した。

【訳文】

臣(わたくし)軾が申し上げます。

御恩を蒙って前任地より移動し、今月二十日に着到し終わりました。こちら東南の地は風俗が安らかで、何事もなく治まり、山水が美しく、もとより朝廷の優賢とされる方がこられるところでありますのに、どうしたことか臣(わたくし)のような者をここにお選びいただきました。

伏して思いますに、臣(わたくし)は本性が頑なで鄙(いなか)びて、低い身分の出で、議論するところは粗雑な大風呂敷で、学問は浅くいい加減です。凡人でも必ず一つは取り柄のあるものでありますが、臣(わたくし)には一寸たりとも長じるところがありません。かつて先帝がうっかり御恩を下しおかれたのでありましょう、三(さん)館(かん)［朝廷のアカデミー］のメンバーに加えていただき、さらに陛下の過剰なお許しによって密(みっ)州、徐(じょ)州の知事にしていただきました。我が尻を激しく叩いて、少しでも御恩に酬いなければと奮闘いたしましたが、何といっても才能が限られているために、功績のないままに終わってしまいました。国にはきちんと法令が具わり、臣(わたくし)のような者が勤めても何ら補うものはなく、この罪は大きいと臣(わたくし)はよくよく存じ上げております。それなのに、諸賢を超えてこのすばらしい場所をお選びいただきまして、さらに何をいたせばよろしいのでありましょうか。この残念なありさまを顧みますと、恩知らずと言わざるを得ません。

皇帝陛下が天下を御覧になること、天を覆い海をひたして全てのものの生(せい)を全うさせ、人を用いるに当たっては、才能の及ばない者であっても受け入れてその善いところを嘉(よ)しとされています。臣(わたくし)が愚かで時代に合わず、新進の者に付いていけないことを御存知で、私が老いて事を構えることがないのを察せられて、民衆を養うことを委ねられたのでありましょうか。

臣(わたくし)は先頃、杭(こう)州にあってその風土を楽しみ、自然界に生きる魚や鳥の本性をそこの湖や川で知ることができました。そうした臣(わたくし)の指導を、湖州の人も安心して受け入れてくれることでありましょう。臣(わたくし)は職務に努め、できうるならば訴訟事をなくして刑罰を用いないですむようにしたいと思っております。

陛下におかれましては朝廷の真心をさらに広められ、父老の望みを慰められますように。

【補足】［己を卑下してこれより勤務に励むと、皇帝に提出する文章として当たり前のことが書いてあるだけのように見えるが、後半に置かれている「難以追陪新進、察其老不生事」［新(しん)進(しん)に追(つい)陪(ばい)すること難(かた)く、老(お)いて事(こと)を生(しょう)ぜざるを察(さっ)し］の部分が、蘇軾を嫌う人々をひどく刺激したとされる。「新進」は、通常はよい意味に用いられるが、蘇軾は以前から「改革の時流に乗ってにわかにでかい面をするようになった不学不才の連中」という意味を暗に含ませて用いていた［→作品番号05-5-004］。つまり、上の12文字は、「新進は事を生じる［政治を乱す］恐れがあるけれど、蘇軾は新進に追従することがないのでそのような心配はないと、皇帝は承知している」という意味にとることができなくもない。この文章が朝廷に届くと、「新進」はすぐに動き出し、3カ月後に大きな嵐となって蘇軾に襲いかかったのだった］

■【05-5-049】跋銭君倚書遺教経

【解題】湖(こ)州は両(りょう)浙(せつ)路(ろ)に属し、湖州には烏(う)程(てい)、帰(き)安(あん)、長(ちょう)興(こう)、安(あん)吉(きつ)、徳(とく)清(せい)、武(ぶ)康(こう)の6県が属した。なお、湖州の州庁のある町は呉(ご)興(こう)と称することが多い。そこには銭(せん)世(せい)雄(ゆう)［字(あざな)は済(せい)明(みん)］［→作品番号04-3-032］が主簿として勤めていた。この文章はこれより4年ほど後に書かれたものであるが、銭世雄について触れているのでここで見ておこう。

【訳文】

人の貌(かお)には好(よ)し醜(あ)しがあるだろう。君子や小(しょう)人(じん)の態(たい)［行動として現れるもの］は貌(かお)と同じように覆い隠すことができない。言葉には弁(おしゃべり)と訥(くちべた)があるだろう。君子や小人の気(き)［本性］は言葉と同じように欺くことができない。書(しょ)には工(うまい)と拙(へた)があるだろう。君子や小人の心はそれと同じように乱すことはできない。［以上は、見かけでごまかすことはできないことをいっている］

銭(せん)公(こう)［銭(せん)公(こう)輔(ほ)］は書(しょ)を特別に学びはしなかったが、その書を観れば、挺然(ぬきんで)て忠信、礼儀を為す人であったと知ることができる。

私は湖(こ)州にあってその子の銭(せん)世(せい)雄(ゆう)と同僚となり、銭公が書いた『遺(い)教(きょう)経(きょう)』を石に刻んだものを見た。峭(きびし)く峙(そびえた)って動じない勢いがあった。孔(こう)子(し)は「仁(じん)者(しゃ)の言(げん)は�｣(じん)である」といった。銭公の書はまさしく�｣(じん)といってよいだろう。

【補足】［（1）孔(こう)子(し)の言葉は『論(ろん)語(ご)』にある。司(し)馬(ば)牛(ぎゅう)という口数の多い男が、「仁(じん)とは何か」と尋ねたときに、「仁(じん)者(じゃ)の言(げん)は�｣(じん)である」と孔子は答えた。駄洒落みたいな答えだが、同じ音の言葉は深く奥で繋がっているというのが昔の中国の考え方であった。�｣とは、もごもごと言いよどむありさまで、司馬牛は「�｣であることが仁といえるのか」と問い返した。孔子は、「言葉通りに実行するのは難しいのだから、言葉は重く、言いよどまらずにはいられないのだ」と答えた。（2）銭(せん)世(せい)雄(ゆう)は、この時点では誰も知る由もなかったが、後々に蘇軾の臨終の場に居合わせる人物である］

■【05-5-050】謁文宣王廟祝文

【解題】湖(こ)州にある孔(こう)子(し)［文(ぶん)宣(せん)王(おう)］の廟に詣でて、この文を捧げた。

【訳文】

聖人の至りである文(ぶん)宣(せん)王(おう)［孔(こう)子(し)］は、竊(ひそ)かに惟(おも)うに、仁義を根本に置いた政治を為そうとされて、民の教化を急務と考えらえた。私は湖(こ)州で事を視(み)るようになって三日、まず先聖、先師にまみえて、真っ先に学ぶべきことを問うものである。それは従来から尚(とうと)ばれているもの、敢えて旧(ふる)いことを忘れてはならないのである。

【補足】［ここでも儒者の保守本流を自認する蘇軾の姿勢は明確である］

■【05-5-051】端午遍遊諸寺得禅字

【解題】5月5日の端午の節句、呉(ご)興(こう)の町の寺を巡り歩き、蘇軾には「禅」の字が当たったので、それを韻にして詩を詠んだ。詩のなかほどにある「塔」は飛(ひ)英(えい)寺(じ)の高塔である。

【訳文】

輿(かご)にかつがれ、連れて行かれるがまま、

景色がよろしければそこにしばし留まる。

香を焚いて静かに歩み、筵を敷いて茗(めい)茶(ちゃ)を酌む。

かすかな雨が止んではまた降り、小窓からの眺めは、明るくなったり暗くなったり。

庭に築かれた小山には草木がよく茂り、本物の深(しん)山(ざん)のように日が射し込んでこない。

塔の一番上まで登り、大千世界の涯(はて)まで眼を窮めようとする。

卞(べん)山(ざん)の峰に街並みが映り、雲間に太(たい)湖(こ)が浮かぶ。

深(しん)沈(ちん)［寺の趣］をすでに喜び、曠(こう)蕩(とう)［あたりの風光］を楽しむのもよろしい。

奥行きの深さをまだ尋ね終わらないうちに、

村里からは夕餉の煙が昇り始める。

官舎に帰ってからこのように書いていると、

歴(へ)たところが耿耿(ありあり)と戻ってきて眠れなくなる。

寺の道(どう)人(じん)もまたまだ眠らずにいて、孤燈のもとで夜の禅に務めていることだろう。

【補足】［（1）卞(べん)山(ざん)は呉(ご)興(こう)の西にある姿のよい山。太(たい)湖(こ)［原文は震(しん)沢(たく)］は呉興の北に広がる大きな湖。（2）このときの遊びには秦(しん)観(かん)や、王(おう)適(てき)、王(おう)遹(いつ)の兄弟［→作品番号05-5-031］が同行していたとされている］

■【05-5-052】自記呉興詩

【解題】上の詩について記した短文。

【訳文】

私は呉(ご)興(こう)に来て、飛(ひ)英(えい)寺(じ)に遊んで詩を詠んだ。そこに、

　微雨止還作、［微(び)雨(う) 止(や)んで還(ま)た作(おこ)り］

　小窗幽更妍。［小(しょう)窗(そう) 幽(ゆう)にして更(さら)に妍(けん)］

　盆山不見日、［盆(ぼん)山(ざん) 日(ひ)を見(み)ず］

　草木自蒼然。［草(そう)木(もく) 自(おのず)から蒼(そう)然(ぜん)］」

とあった。呉越に至らなかったならば、この景を見ることはなかったのである。

【補足】［再び江(こう)南(なん)の地にきて、潤いのある風光にまた触れることができたのがよほど嬉しかったのだろう］

■【05-5-053】送劉寺丞赴余姚

【解題】劉(りゅう)�ﾋ(き)［字(あざな)は行(こう)甫(ほ)］に贈った詩。劉�ﾋは湖(こ)州の町の北西の長(ちょう)興(こう)県の人で、これから杭(こう)州のさらの東の余(よ)姚(よう)県に赴任する途中で湖州に立ち寄った。劉�ﾋの名は作品番号04-1-050で見ていて、蘇軾が杭州副知事であったときに科挙の一次試験の監督業務に一緒に携わり、7年ぶりの再会であった。詩の冒頭にある中(ちゅう)和(わ)堂(どう)は試験期間中に缶詰めになっていた場所である。

【訳文】

中(ちゅう)和(わ)堂(どう)の後ろにあった石楠(しゃくなげ)の樹、

貴君とは夜に牀(ベッド)を並べて、

そこに降り注ぐ雨の音を聴いたのだった。

人と逢えない哀怨を籠めた笙(ふえ)の声が遠くから聞こえきたが、

我等もまた香の煙が碧く横たわるのを見るだけで、

帰るすべもなく、笙に合わせて吟じつつ、

妻子の部屋で蟋蟀(こおろぎ)が空しく鳴いているのを想ったのだった。

その翌朝、ようやく我らを閉じ込めていた鎖が放たれ、

遡りくる潮を観に行ったのだった。

潮は大地を揺るがし、銀の山を動かすようにして押し寄せ、

見る人々は興奮して、潮と争うばかりに怒り立ったのだが、

貴君ばかりは、静かに香の煙が立ち上るのを見るのを愛したのだった。

貴君と別れてからの聚散は遠い昔のことのようで、

私は老いて人間世界の万事が終わったような気がしていて、

貴君は心を洗って仏の道に従うことを願っている。

手づから香を焚いて仏典を写し、

眼を浄(きよ)らかにして、女性を窺い見るようなことはしない。

これから行く余(よ)姚(よう)の古い町には何があるのかというと、

竜(りゅう)泉(せん)寺(じ)の白(はく)泉(せん)の水はまことに甘く、

顧(こ)渚(しょ)で春に摘む茶は千金の価値があるというから、

土地の人と日々にその味わいを楽しむのであろう。

■【05-5-054】南歌子

【解題】「湖(こ)州での作」という添え書きのある詞。杭(こう)州方面へ旅立つ人［例えば上の詩で見た劉(りゅう)�ﾋ(き)］を見送った詞であると解釈して訳した。

【訳文】

山雨瀟瀟過、［山からの雨が瀟(ぱら)瀟(ぱら)と通り過ぎてゆくと］

溪橋瀏瀏清。［溪にかかる橋のあたりでは瀏(さわ)瀏(さわ)と清(すず)しい風］

小園幽榭枕蘋汀。［川べりの小さな庭のかわいい榭(たかどの)］

門外月華如水、［門の外には月の光が水のようにひろがり］

彩舟��。［色あざやかな小舟が横たわっています］

苕岸霜花尽、［岸辺の苕(ちょう)花(か)はみな飛び尽くして］

江湖雪陣平。［あたりはすっぽり雪に埋もれたかのよう］

両山遙指海門青。［ふたつの山の間から遥かに海の青を目指します］

回首水雲何処、［首を回らせつつ、水と雲の間のどこであろうかと］

覓孤城。［この町を探すことでしょう］

【補足】［苕(ちょう)は葦の類で、その白い花が岸辺を埋める光景は湖(こ)州の名物であった［→作品番号04-1-073］］

■【05-5-055】与久上人

【解題】杭(こう)州の僧の可(か)久(きゅう)に宛てた手紙。可久は詩を得意とし、親しくしたことは作品番号04-2-045などで見ている。

【訳文】

お手紙を頂戴しました。法(ほう)体(たい)［可(か)久(きゅう)のこと］の安穏を承り、気持ちがはなはだ慰められました。私は北に游(あそ)ぶこと五年、塵をかぶり垢にまみれ、すっかり俗吏となり果て、林(りん)下(か)の高(こう)人(じん)はなおまだ忘れずにいてくださるのか、わからずにおりました。いまだお目にかかることはできませんが、万万自重されますように。五月二十日。

【補足】［湖(こ)州と杭(こう)州の間は数十キロ、運河で繋がっていて、かつては何度も行き来した道筋である。もしかしたら、また西(せい)湖(こ)を見て可(か)久(きゅう)との再会も叶うかもしれないときっと思っていたことだろう］

■【05-5-056】祭陳令挙文

【解題】可(か)久(きゅう)とはなお再会の可能性はあったのだが、江(こう)南(なん)から離れている間に、もはやこの世では会えなくなった人もいた。これは陳(ちん)舜(しゅん)兪(ゆ)［字(あざな)は令(れい)挙(きょ)］の死を悼む文章。陳舜兪は湖(こ)州の人で、親しくしたことは作品番号04-3-077などで見ていて、陳舜兪が亡くなったことは3年前に密(みつ)州にいたときにすでに聞いていた［→作品番号05-2-037］。

【訳文】

嗚呼(ああ)、哀しいかな。

天が陳(ちん)君を生んだのは、初めは特に学術に厚い才能を与えたかのようであったが、実際には多方面の才があって、あたかも百人の器を兼ねているかのようであった。まずは科挙においてそれを発揮し、ついで政治を補佐することで名を高め、天下の人々に重んじられ、まさに高い位を授かるであろうと思われた。陳君は天より与えられたものを日々に新たにし、身をもって天下の事に当たろうとした。それは自分で思うだけでなく、世の士(し)大(たい)夫(ふ)が挙って望むことであったのだ。しかし、陳君がひとたび奮起しても顧みられることがなく、かえって排斥され、ひとたび排斥されてからはそのままに死に至ったのだった。

嗚呼、哀しいかな。

天が付与するものは偶然であって、意味はないのだろうか。もしも意味があるのなら、人はそれを十分に使い切って、天の成そうとするものを遂げるべきであるのだろう。天がすでにその人に授けたものを人がもしも用いようとしないのなら、天はそれを奪って自ら使おうとするのだろうか。陳君の賢は何のためにあって、どうして発揮されなかったのか、わずかに発揮されただけで、どうしてすべてを遂げられなかったのか。世に現れたのはわずかで、残りの棄てられたしまったものは、きっと世を驚かす類のないものを生んだはずなのだ。

陳君と別れて二年後に陳君は亡くなり、いまは亡くなって三年、私はようやくその墓所に哭し、その子に弔問することができた。

嗚呼、哀しいかな。

■【05-5-057】祭張子野文

【解題】湖(こ)州の人で、陳(ちん)舜(しゅん)兪(ゆ)よりもさらに親しくしたのが張(ちょう)先(せん)［字は子(し)野(や)］であった［→作品番号04-1-080、04-3-077など］。張先も前の年に亡くなっていて、残念ながら再会を果たすことができなかった。89歳だった。蘇軾は張先の家を訪ね、この祭文を捧げた。

【訳文】

張(ちょう)郎(ろう)中(じゅう)［張(ちょう)先(せん)］殿の霊に捧げる。

人は官に仕えると本心が蔽(おお)われて帰るのを忘れ、たとえその志があっても果たせないままに月日が過ぎ去ってしまう。ただ張(ちょう)先生だけはなお壮健のうちに帰り、故郷で優雅に遊び、もう一つの人生を送った。人に対して開けっぴろげで、古(いにしえ)の「�ﾄ(がい)悌(てい)」［和らぎ楽しむ］という言葉がぴったりであった。大らかに老成し、敏にして多芸、詩は俗臭を絶って甚だ典雅で華麗、物の真髄を捉え、生き生きとして陰影に富み、わずかな言葉にも曲折があり、『詩(し)経(きょう)』の伝統を受け継ぐものであった。窮乏に陥って塩や米がなくなっても、嘯(しょう)歌(か)して慌てず騒がず、酒のあるところへと出かけて行った。

私は杭(こう)州に赴任して初めて張先生の客人として迎えていただき、年齢の違いを忘れ、細かいことを気にすることなく、欣(よろこ)び合った。私が北方に移ることになると、張先生は黙って指を折って数え、生きている間に会えることはないだろうと、泣きながら私の袖を曳いた。

私が先生の故園に再びやってきたのは実に五年を経てからで、病のために少し遅くなってから先生のお部屋をお訪ねすると、遺影が置かれ、先生に仕えていた女性たちはもはや残っていなかった。友を喪(うしな)った者は、琴を手に取って奏でることはないという。私は空しく鶴のように泣くばかりである。觴(さかずき)を捧げて再拝し、目に涙が溢れる。

■【05-5-058】霅上訪道人不遇

【解題】霅(とう)水(すい)のほとりである道人を訪ねたが、会えなかったという詩。霅水は美しい川として知られていた。

【訳文】

花の光、花の紅が欄干に満ちている。

岸辺は草の色、どこまでの果てしなく続いている。

青い眼の道人に逢えないまま、

白い石に波が立つありさまを長く歌い続けている。

■【05-5-059】李公択過高郵、見施大夫与孫莘老賞花詩、憶与僕去歳会於彭門折花饋筍故事、作詩二十四韻見戲、依韻奉答、亦以一戯公択云

【解題】長い題は、「李(り)常(じょう)［字(あざな)は公択(こうたく)］が高(こう)郵(ゆう)県を過り、高郵県知事の施(し)広(こう)誉(よ)と孫(そん)覚(がく)が花をめでて詠んだ詩を見て、蘇軾と昨年徐(じょ)州で花を折り筍を食べたことを思い出し、戯れに二十四韻の詩を作り、それを送ってきた。その詩に次韻して李常に送る」。李常が1年前に徐州に蘇軾を訪ねて1カ月ほど滞在し、別れに際して筍を贈ったことは作品番号05-4-032で見ている。李常が高郵県に立ち寄ったのは公務による旅で、高郵県が孫覚の郷里であることは作品番号05-1-002で見ている。この作品は二十四韻、つまり四十八句からなる長いもので、全句に故事をちりばめた過度に衒学的(ペダンチック)な作品であるので最後の四句だけを訳す。

【訳文】

この世に生きるとは、すなわち幻、

こうして戯れの言葉ばかりを並べたところで、

どうか怒らないでくれたまえ。

『漢(かん)書(じょ)』にだって亡是(いないいない)侯爵が子虚(そらごと)先生を笑ったと、

ないことないことが書いてあるのだから。

【補足】［訳者が非常に頼りにしている岩垂憲徳・釈清潭・久保天随訳解『蘇東坡詩集』（1927年）には、この詩に対して次のように評している。「王(おう)若(じゃく)虚(きょ)の説(せつ)に、次(じ)韻(いん)は作(さく)者(しゃ)の大(たい)病(びょう)なり、詩(し)道(どう)宋(そう)人(ひと)に至(いた)り、已(すで)に自(おのず)から衰(すい)弊(へい)す、才(さい)識(しき)東(とう)坡(ば)の如(ごと)きも、亦(また)波(は)蕩(とう)して之(これ)に従(したが)うを免(まぬか)れず、集(しゅう)中(ちゅう)次(じ)韻(いん)する者(もの)、幾(ほと)んど三(さん)の一(いち)、技(ぎ)巧(こう)を窮(きゅう)極(きょく)し、一(いち)時(じ)を傾(けい)動(どう)すと雖(いえど)も、而(しか)かも天(てん)を害(がい)すること全(まった)く多(おお)し、蘇(そ)公(こう)をして此(こ)れ無(な)からしめば其(そ)れ古(こ)人(じん)を去(さ)る何(なん)ぞ遠(とお)からんや。明(みん)清(しん)間(かん)の大(たい)家(か)は皆(みな)此(こ)の説(せつ)である。蘇(そ)公(こう)の為(ため)に実(じつ)に千(せん)秋(しゅう)の恨(こん)事(じ)である」。明(みん)代(だい)や清(しん)代(だい)の人は宋(そう)代(だい)の詩に対して厳しい評を加えることが多く、またこの文を記した釈清潭は蘇軾に対して厳しい評語を付記するのを好むのだが、現代の我々にとって、故事てんこ盛りの次韻詩をねじり鉢巻きで読み解くことは、とんでもなく酔狂な暇つぶしの手段としても、あまり推奨できるものではない。しかし、三分の一にも及ぶ次韻詩を省いてしまうと、蘇軾の心情の変化を十分に追うことはできなくなってしまうだろう］

■【05-5-060】王鞏清虚堂

【解題】都にいる王(おう)鞏(きょう)［字(あざな)は定(てい)国(こく)］［→作品番号05-5-004］が、自分の書斎を清(せい)虚(きょ)堂(どう)と名付けたので、それに詩を寄せた。

【訳文】

清(せい)虚(きょ)堂(どう)の中にいるのは王(おう)居(こ)士(じ)［王(おう)鞏(きょう)］、

眼を閉じ、心を観ているようすは静止した水のよう。

その水に映される万事は、つまりは空(くう)であろう。

さても、こちらの堂で机にもたれているのは誰なのか、

老いかつ病んだ呉(ご)興(こう)［湖(こ)州］の知事殿である。

山積みになった書類の前で、

眠ることだけを渇望している。

これでは自身の心を観(み)るのからはほど遠いと、

貴君に笑われてしまうだろう。

心というものには夢幻がやむことなく去来し、

謝(しゃ)安(あん)でさえも妓女に音楽を演奏させないと安らげなかったというし、

犀(さい)首(しゅ)という人は酒をひたすら飲むことで事を無きを得たというのだから、

「我は清虚の住人である」と、

すました顔をしているのはどうなのかなと、

私はいささか疑っているのだ、

何しろ王居士の本心が私と同類であることはとうに知っているのだから……。

【補足】［これは実は仏説を詠んだ偈(げ)のような詩で、上の補足で触れた釈清潭は、「公の詩として最下乗なるものである」と酷評しているのだが、訳者なりに意を汲んで楽しく訳してみた］

■【05-5-061】和孫同年卞山竜洞祷晴

【解題】先に作品番号05-5-051で見た卞(べん)山(ざん)には黄(こう)竜(りゅう)洞(どう)という水の湧くところがあった。蘇軾と同じ年に科挙に合格した孫(そん)氏［名は不詳］が黄竜洞に晴れることを祈り、その詩に和した。密(みつ)州や徐(じょ)州ではしばしば雨を祈ったのだが、湖(こ)州の5月は雨の季節で、逆に晴れを祈らなければならなかった。

【訳文】

呉(ご)興(こう)のあたりは一カ月続く雨、釜や甑(こしき)で魚が泳ぎ蛙が鳴く。

「どうして己の住処(すみか)でじっとしていないのか」

竜に問いただしてやろうと、孫(そん)君は卞(べん)山(ざん)に登る。

空に梯(はしご)を掛けなければならない険しさ、

下をみると、ぱっくりと谷が開いている。

雲に覆われたところに神々しい水が湧き、

暗い崖に苔の花が垂れ下がる。

蛇の群れのように、百の流れが谷に向かって走り、

その先はどこに落ちて行くのか、

糸車を回すような音が低く聞こえている。

孫君は洞の前にきて、石の戸を叩く。

蝙蝠が飛び出し、頭の白い烏が翼を翻す。

孫君は竜にいう。

「睡眠は、結構な味わいだと思うよ。

　雨を司る君よ、柄杓(ひしゃく)を振るのをちょいと止めたらどうなのかい。

　雷を司る君よ、太鼓を撃つのをちょいと止めたらどうなのかい。

　大地に溢れた水が谷に戻ってくれたなら、

　泥に埋もれた稲の苗が伸びてくれし、

　農夫は顔に血の気が通うようになるし、

　竜君だって、お供えものの豚肉にたんまりありつけるではないか」

この願いの通りになるなら、孫君は間もなく公務が暇になり、

夕刻前に早々と役所から引き揚げて、

ゆったりくつろいでぐっすりと眠れるようになることだろう。

■【05-5-062】乗舟過賈収水閣、収不在、見其子、三首

【解題】湖(こ)州には旧知の賈(か)収(しゅう)［字(あざな)は耘(うん)老(ろう)］［→作品番号4-1-081］がいた。舟に乗って賈収の水閣を訪ねたところ、賈収は留守で、その子の賈(か)添(てん)丁(てい)がいた。

【訳文】

　其一

酒を愛した人といえばかの陶(とう)淵(えん)明(めい)、

詩を得意とした人といえばかの張(ちょう)志(し)和(わ)、

その二人の隠者を合わせたような貴君、

貴君の水閣の欄干には青い山が挨拶にきて、

貴君のまとう漁師の蓑には白い雨が注がれる。

貴君のもとには、垢にまみれて働く息子がいて、

貧乏であっても礼儀をわきまえた妻もいる。

果たして何が楽しいのだろうか、

夕べになると、貴君はいつも一人楽しく飲むのである。

【補足】［賈(か)収(しゅう)が再婚を意図していたことは作品番号04-1-081で触れたが、ここの詠まれているのはその女性なのだろう］

　其の二

風に嫋(さや)嫋(さや)と蒲(がま)が乱れ、

水に猗(ゆら)猗(ゆら)と荇(あさざ)が長くのびる。

小さな舟を緑の水に浮かべ、

大きな柄杓で黄色い酒を注ぐ。

貴君が得意とするのは詩と酒の集まり、

この稲と魚の郷(さと)で一生を送るのである。

煩わしいことは一つもなく、

清涼でないところはどこにもない、

これほど楽しいことはないのである。

　其の三

舟を古びた柳の根元に繋ぎ、

杖を突いて青い苔のむす岸辺を歩いてきた。

龐(ほう)徳(とく)公(こう)のような隠者である貴君は墓参りに出ていたので、

子(し)路(ろ)のような親孝行者である貴君の子息に私は言を託す。

貴君の水閣は、蒲と魚の入り江を占め、

さらに、松と菊の庭を作ろうとしている。

これから足繁くこちらにこようと思うが、

貴君が留守でも、すでに親しくなった子等が迎えてくれるであろう。

【補足】［（1）龐(ほう)徳(とく)公(こう)は三国時代の諸(しょ)葛(かつ)孔(こう)明(めい)とも交流があった著名な隠者。蘇軾はしばしばその名を詩に引いている。（2）子(し)路(ろ)は孔(こう)子(し)の弟子で親孝行で知られた］

■【05-5-063】次韻孫秘丞見贈

【解題】孫(そん)という姓の秘(ひ)書(しょ)省(しょう)丞(じょう)の位にある人から贈られた詩に次韻した。

【訳文】

老いて耳は遠くなったが、

詩句に対してなら耳はますます聡くなっている。

貴君の詩を唱えると、

古(いにしえ)の詩を読むときと似た清らかな感慨が湧き上がる。

迂疏(でくのぼう)であるによって何ら成すものはないと貴君は己を笑うが、

冷めた淡い心でどうしてこの巧妙な詩が作れるのだろうか。

豹のような勢いで蚊が食らいつこうとするのも恐れずに、

貴君に随って垂(すい)虹(こう)亭(てい)に行こうと思う。

詩を吟じ合えば盛夏の暑さも忘れるというもの、

まして、湖(こ)州は雪(せつ)宮(きゅう)とも称されるところなのだから。

【補足】［（1）この詩には、蘇軾自身の注で、「湖(こ)州には蚊や蚋(ぶよ)が多く、豹(ひょう)脚(きゃく)という虫は最も毒がある」と記されている。水が豊かで美しい湖(こ)州であるが、よいことばかりではないのだ。（2）湖州の名所として垂(すい)虹(こう)亭(てい)があることは作品番号04-3-077で見ている］

■【05-5-064】与客遊道場何山、得鳥字

【解題】ある客人と何(か)山(ざん)にある正(せい)真(しん)寺(じ)に遊び、「鳥」の字を得て詩を詠んだ。何山は湖(こ)州の南にある山［→作品番号04-1-085］。

【訳文】

清らかな溪(たに)川(がわ)が尽きて山に到り、

小さな路が飛ぶあがって空を盤(めぐ)る。

木の枝先に紅(こう)亭(てい)と白(はく)塔(とう)が見え隠れする。

途中で休みたいと思うと、雲に寄り添うようにして小さな庵(いおり)がぽつんとある。

北の扉の下は太(たい)湖(こ)、天の際(きわ)まで雲と水が広がっている。

庵の僧は、俗界との縁を断って業(ごう)を浄(きよ)めつつあるが、

まだ完了していないのだろう、

十年にわたって鵲(かささぎ)や竹を画き、自分から詩に繞(まとい)つかれている。

御仏の像を置いた高堂も、禅を組む部屋もそれぞれに奥深い趣がある。

泉水はどこからくるのか、庵を通って溪へと流れ、

何(か)山(ざん)は谷と向き合って清く静かである。

高い松に蔓草がかかり、絶壁で鳥が啼いている。

杭(こう)州からきた友は、まだ十分に見ていないと嘆くのだが、

帰途につくと、風雨が起こり、

紅い夏の日差しの燎(や)けるような熱さを洗ってくれたかと思うと、

俄かに山は乱れて大騒ぎとなり、

川べりの草の上では黒い霧が渦を巻いている。

舟に乗る人々の顔はすっかり青ざめ、

鴎が平気な顔をしているのを羨ましく見ている。

私は独り酒杯を呼び、

「溺れ死ぬより酔死する方がよほどましだ」

と、例によって書生の強がりで、訳のわからないことをあれこれ並べ立てる。

これで明日になれば、

いま辿ってきた道も、美しい風光も、杳(よう)としてどこかに消えてしまうのだから、

詩を作って、この歓びを記しておこう。

遥か昔から現在までの時間だって、

この暮れ方から暁までの短さと変わりはないのだ。

■【05-5-065】僕去杭五年、呉中仍歳大飢疫、故人往往逝去、聞湖上僧舎不復往日繁麗、独浄慈本長老学者益盛、作此詩寄之

【解題】長い詩の題は「私が杭(こう)州を去ってから五年、呉(ご)のあたりでは毎年のように飢饉と疫病があり、知り合いの多くが亡くなり、西(せい)湖(こ)周辺の僧舎にもかつての賑わいはないという。ただ浄(じょう)慈(じ)寺(じ)の本(ほん)長(ちょう)老(ろう)ばかりは健在で学びに来る者がたくさんいると聞き、この詩を作って寄せる」。浄慈寺の本長老に仏教を教わったことは作品番号04-2-055で見ている。

【訳文】

杭(こう)州、湖(こ)州あたりの三(さん)呉(ご)地方を往き来する間に、

一つの夢が過ぎ去り、

知る人の半ばは高く盛られた塚の中に帰ってしまった。

ただ独り、以前のままの寺で真の仏法を伝える人がいる。

飢饉から生き残った人々と、この災害の歳月を乗り越えてきたのだ。

近ごろ、趙(ちょう)抃(べん)知事は官の印を返されたと聞くが、

本(ほん)長(ちょう)老(ろう)はかねてから俗世を離れた林泉のもとにおられる。

いつかは私も師に従って、

我が本性のままに「不(ふ)学(がく)の禅(ぜん)」のうちに逍遥したいものである。

【補足】［（1）一時期杭(こう)州知事の任にあった趙抃(ちょうべん)［→作品番号05-3-066］は半年ほど前に政界から退いていた。（2）最後にある「不学の禅」とは、そういうものがあるらしい］

■【05-5-066】送表忠観銭道士帰杭、并引

【解題】趙(ちょう)抃(べん)のために、表(ひょう)忠(ちゅう)観(かん)という道教の寺院の由来を記した碑文を作ったことは作品番号05-3-066で見たが、その道観の主(あるじ)となったのが銭(せん)道(どう)士(し)［名は自(じ)然(ねん)］である。その銭道士が湖(こ)州にきてまた杭(こう)州に帰って行くのを見送ったときの詩。短い序文がある。

【訳文】

引(いん)［序］

熙(き)寧(ねい)十年、詔(みことのり)をもって竜(りゅう)山(ざん)の廃れた仏寺を改めて表(ひょう)忠(ちゅう)観(かん)とした。元(げん)豊(ぽう)二年、通(つう)教(きょう)大(だい)師(し)［銭(せん)道(どう)士(し)］が杭(こう)州から来て、呉(ご)興(こう)［湖(こ)州］で私と会った。私が「道観の工事は終わったのでしょうか」と尋ねたところ、「まだなのです。杭(こう)州ではこのところ作物が稔らないので、私を助けてくれる人がいないのです」と、答えた。私は、「それは妙なことです。杭州の人々は施すことを重んじ、財産を軽んじると聞いています。僧侶や道士が生きられるようにするためだけではなく、不朽の善行に自身を託するためでもあるのです。今年はきっと稔るでしょうから、貴君の事業は成し遂げられるに違いありません」と、私はいった。銭道士が帰るに及んでこの詩を送った。

先(せん)王(おう)［呉(ご)越(えつ)国(こく)を建てた銭(せん)鏐(りゅう)］の徳はいまも民の心に残り、

特に勅令をもって道観に「忠」の字を与えた皇帝の意(こころ)は深いものがある。

いまはまだ破れた建物に塵が積もり、

銭氏の子孫である貴君は憔悴し、髪は雪のように真っ白である。

表(ひょう)忠(ちゅう)観(かん)が完成すれば、杭(こう)州の人々はそこに集まって涙を流すのであって、

表忠観の碑の裏に我が名が刻まれるのを争って求めるはずである。

貴君を助けるのは杭(こう)州の人々で、

他県の人より千金を施されることを求めるまでもないであろう。

【補足】［銭(せん)道(どう)士(し)は表(ひょう)忠(ちゅう)観(かん)を建てるための寄付を仰ぎに湖(こ)州にきたのだろう］

■【05-5-067】舶趠風、并引

【解題】詩題の「舶(はく)趠(たく)の風」とは何か。蘇軾の序文に記されている。

【訳文】

引(いん)［序］

呉(ご)の地では梅雨が終わると、颯(さつ)然(ぜん)と清(せい)風(ふう)が吹いてきて十日間ほど続く。これは毎年のことで、湖(こ)州の人々はこれを「舶(はく)趠(たく)の風」と呼ぶ。このころに趠(とお)く外洋を巡る船舶が回わってきて、海上からのこの風が船舶とともにくるのでこのようにいうのだ。

梅雨からすでに三十日が過ぎ、

万里の彼方から初めて舶趠の風が吹いてきた。

風はあちこちを回り巡って、山の隅々にまで入り込みながら、

一息に疾走して江(こう)東(とう)の地を満たしてしまう。

葉を驚かせて、秋にならないうちに簌簌(ばさばさ)と落としてしまい、

昏(こん)昏(こん)と眠っていた翁が飛び起きる。

この風のよさを昔の宋(そう)玉(ぎょく)に習って詩に詠もうとして、

風には雌雄の違いがあるとか、分別臭いことは言わないでおこうと思う。

【補足】［屈(くつ)原(げん)の弟子とされる宋(そう)玉(ぎょく)に『風の賦』という有名な作品があった。そこに風には雄(ゆう)風(ふう)、雌(し)風(ふう)の違いがあると詠まれている。この詩の末尾は、誰よりも分別臭いことを詩に詠み込むことを好む蘇軾がこういうことをいうとおかしいよねというオチなのかもしれない］

■【05-5-068】丁公黙送蝤蛑

【解題】丁(てい)隲(しち)［字(あざな)は公(こう)黙(もく)］が蝤(ゆう)蛑(ぼう)を送ってくれたので、その謝礼にこの詩を作った。蝤蛑とは、和名でガザミとかワタリガニとかいう浅い海にすむ蟹である。

【訳文】

溪のあたりにすむ石(いし)蟹(がに)は銭のように小さい。

大きく立派な赤(せき)玉(ぎょく)盤(ばん)のようなこの蟹を喜んで見る。

殻が黄色味を帯びているとき、

酒を加えるとまことに結構な味となり、

両方の螯(はさみ)には雪を切ったような身がたっぷり入っていて、

食欲が大いに進むのである。

南方には珍味がたくさんあると昔から聞くが、

この蟹は見るだけで、

怪しい雨が降り、腥(なまぐさ)い風が吹くかのようで、

ぞっと寒さを覚える。

笑ってしまうのは、呉(ご)興(こう)の欲張り知事さんで、

二匹の立派な蟹と、

つまらない一首の詩を交換しようというのである。

■【05-5-069】送孫著作赴考城、兼寄銭醇老、李邦直二君、於孫処有書見及

【解題】詩の題は「孫(そん)著(ちょ)作(さく)郎(ろう)［著作郎は職名］が考(こう)城(じょう)県(けん)に赴くことになり、この詩を作って、合わせて銭(せん)醇(じゅん)老(ろう)と李(り)清(せい)臣(しん)［字(あざな)は邦(ほう)直(ちょく)］に寄せる。銭君と李君からは孫君とのところに手紙がきていて、私についての言及があった」。ここに名が挙がっている3人のうち李清臣について作品番号05-2-005などで見ている。

【訳文】

知事というものはまことに閑で、

出かけようとして、誰が一緒に行ってくれるのかというと、

やはり何事もないのは風だけであるから、

ひゅうと呼んでみたら、

白(はく)蘋(ひん)洲(しゅう)から来てくれて、明(めい)月(げつ)観(かん)へと吹き送ってくれた。

その門前にいるのはこれから遠くに行く人で、

青い衫(うわぎ)に白い汗をいっぱいに流している。

「どうしてそんなに急いでいるのかね」

「お上のためですから、ゆっくりなどしていられません」

旧くからの友人である銭(せん)君と李(り)君は、

宗廟に置かれて天子のために使われる宝物のような人であり、

貴君もまた東南の珍宝で、その価値は計算することもできない。

この別れの気持ちを何によって慰めたらよいのか、

もう酒は尽き果ててしまって、テーブルの上には何もない。

「さあ、そこに腰かけて、冠を傾けて、ゆったりくつろぎたまえ。

　私に伴ってきた風が、貴君に涼しさを送るであろうから」

北の地を吹く風には何があるのか、

塵や土に灰も炭も混ざって飛ぶであろう。

二君が孫(そん)君を留めようとしたところで、

この風のもとへきっと戻ってきてしまうであろう。

■【05-5-070】泛舟城南、会者五人、分韻賦詩、得人皆苦炎字四首

【解題】湖(こ)州の町の南に舟を浮かべて遊んだ。5人で韻を分け合って詩を詠み、蘇軾には「人皆苦炎」［人(ひと)皆(みな)炎(えん)に苦(くる)しむ］の4文字が当たったので、4首作った。実際にひどく暑かったのだろう。

【訳文】

　其の一

強い日差しに、町の楼閣は魚の鱗のようにぎらぎらと輝き、

水草にさえ風が立たない。

ちょいと渓(たに)川(がわ)の一番奥まで行くなどして、

我等を不羈(やんちゃ)な人と呼ばせてみようか。

この舟の顔ぶれでは、

鶴が舞い降りてきてくれる気配はなく、

燈火に向かって勝手に馴れ馴れしく虫がくるだけだ。

町を繞る蓮の花の広さは一千頃(けい)、

六月でも蓮の葉の下だけは春である。

　其の二

この厳しい暑さはどこに行っても同じで、

じっと座って心を鎮めることを学ぼうとしても、

これではとてもできやしない。

せめて海の蟹でも味わいたいもので、

どうせなら詩を詠む人と一緒がよいだろう。

谷間で月を見るのもよいかもしれない、

霧雨でも降ってくれたらなのことよろしい。

暑い土地でこうしてふらふらしているので、

故郷からの手紙もすっかり絶えてしまい、

兄と弟は長(ちょう)江(こう)と淮(わい)河(が)を隔てて離れ離れである。

いっそ苕(ちょう)溪(けい)のほとりに家を構えることにしようか、

門前に荷(はす)の葉が翻り、階段をひたひた水が浸すような……

　其の三

紫の蟹も鱸(ろ)魚(ぎょ)も土くれのように値が賤(やす)く、

銭を渡せば数えることなく売ってくれる。

蓮の葉を丸めて盃に見立てると、酒は少し苦みを帯びる。

板前が肘を運らせると、

風が起こって、白い雪が飛ぶようにして刺身ができあがる。

酔った勢いで新しい詩を作ろうとしても、

満腹で腹鼓を打つことしかできない。

　其の四

橋の上で遊ぶ人々は、夜になっても飽きることなく、

欄干に依って蓮を吹く風の音を聞いている。

楼閣の上で遊ぶ人々は、蓮(れん)根(こん)を肴に酒を呑み、

化粧が終わったばかりの妓女が簾から月を覗き見る。

町の南で遊ぶ我等は、南朝貴族の風雅を受け継ぎ、

さらには家に帰って後に、北の窓辺で大の字になって眠るなら、

太古の朴訥な人々と等しくもなるのだ。

人間世界は熱さ寒さの窮まりがないところで、

自分で自分を笑うような疏頑(あほくさい)ことでもしなければやっていられない。

【補足】［（1）北の地を巡ってきた蘇軾には、湖(こ)州の夏はことのほか暑く感じられたのだろう。それをやり過ごすことをいろいろ考えて詩に詠んだのである。（2）このときに一緒に遊んだ5人の中に秦(しん)観(かん)がいたことは別の手紙などからわかる。秦観はこの後、参(さん)寥(りょう)を追って杭(こう)州からさらに越(えつ)州の方に行った］

■【05-5-071】与王郎夜飲井水

【解題】蘇軾に同行して湖(こ)州にまで来ていた王(おう)適(てき)［字(あざな)は子(し)立(りつ)］［→作品番号05-5-051］とともに夜に井戸の水を飲んでこの詩を詠んだ。

【訳文】

呉(ご)興(こう)［湖(こ)州］の六月、

泉の水は温かすぎるし、

広がる菰(まこも)や蒲(がま)のあたりには蚊がひどく集まっている。

この井戸は深さが一丈もあって、

その水の凛然(きりっ)としたところは、

私と君のようなだね。

■【05-5-072】次韻李公択梅花

【解題】李(り)常(じょう)［字(あざな)は公択(こうたく)］［→作品番号05-5-059］が梅の花を詠んだ詩に次韻した。李常から送られた詩を見直して、たまたま梅の詩を選んで次韻したのだろう。

【訳文】

詩人というものはもとより長く貧乏であり続ける。

昼になっても飢えのために動くことができないのが普通で、

たまたま満腹になれたりすると、

そんなつまらないことで喜んでいるとはなと、

万物から嘲弄されているような引け目を感じて苦しむのである。

詩人というものは花を尋ねてよい詩を詠むためなら命も気にしないし、

雪を愛してよい詩を詠むためには凍えることも平気で辛抱するのである。

天(てん)公(こう)［造物者］だって詩人を憐れまないものではないのだが、

満腹していると聞いたら、がやがややかましく笑ってしまうのだ。

貴君ときたら、

三つの州の知事を経て、

行く先々で賓客やら従者やらが満ち満ちていたし、

眼は常に世の中をよく見通して、

詩も酒も気ままに豪放に楽しんだのだった。

貴君がかつて湖(こ)州にいたときに、

妓女を連れて茶(ちゃ)山(ざん)の下で春に茶を作ったことは永く語り草となり、

貴君は斉(せい)州にいたときに、

檻(かん)泉(せん)亭(てい)で頭が重くなるほどに髪に花を插して遊んだことは今も慕わしく思われている。

貴君は舒(じょ)州に来て、

静かに灊(しん)山(ざん)の麓に伏し、春の鳥が囀るのを聞いて何やら愁いを覚え、

ふと早咲きの梅を目にして、独り詩を吟じたのだった。

私に寄せてくれたその詩を見ると、

一字ごとに我が頭の痛みを癒してくれる。

ああ、貴君はもとは皇帝の近くに仕える者であったが、

事によって都を遠く離れ、

その流落の思いを慰めてくれるのは、

この美しい花なのであった。

いつまでも官遊の旅の身であることに、

時に思いを巡らせるのは貴君も私も同じで、

私はというと、花に桐(どう)花(か)や幺(よう)鳳(ほう)［どちらも鳥の名］が集まる我が故郷の風光を想い、

貴君はというと、故郷の廬(ろ)山(ざん)にある蔵書を収蔵した建物を想うのであって、

いずれにしても、帰郷して植えるべきは、この梅の花なのだろう。

【補足】［（1）李(り)常(じょう)は中央から地方に出て、三つの州で知事を務めた後で、このときは舒(じょ)州に置かれた広域の行政機関に勤務していた。（2）李常が廬(ろ)山(ざん)に多数の蔵書を所有していたことは作品番号05-2-036で見ている］

■【05-5-073】送淵師帰径山

【解題】澄(じょう)慧(え)大(だい)師(し)［淵(えん)師(し)］が径(けい)山(ざん)の帰るのを送った詩。径山は杭(こう)州副知事時代に何度か登っている［→作品番号04-1-033、04-2-065など］。

【訳文】

私は昔、径(けい)山(ざん)の客となり、

山の風景は私の詩筆には手に負えないものだったと、今も思っている。

淵(えん)師(し)はその山に住むこと三十年、

山の真髄を得ているので、、師は妙語を発せられるのである。

湖(こ)州の町の六月は水に蒸され、蚊が猛然と鷹のように襲いくる。

師の方丈では、御(み)明(あ)かしが動かずに灯(とも)り続け、

氷雪に閉ざされたように冷ややかであるのを羨ましく思う。

径山の人々は私が湖州にまで来ていると知って、

私はどうしているのかと、争うようにして尋ねるだろう。

そうしたら、いってほしい、

「あの男は何をやっても一人前ではないけれど、

　ただ眼だけは利いて、いまも細かい字を書くことができる」

【補足】［この詩の終わりは、径(けい)山(ざん)に竜(りゅう)井(せい)という井戸があって、その水で洗うと眼病が治るとされていて、かつて蘇軾が径山に遊んだときの詩に、老人になっても細かい字が読めるように眼を洗っておこうと詠んでいたことにちなむ［→作品番号04-1-033］］

■【05-5-074】答周開祖

【解題】杭(こう)州にいた時期に親しくした周(しゅう)邠(ひん)［字(あざな)は開(かい)祖(そ)］［→作品番号04-3-079など］への返書。

【訳文】

長篇の詩はまことに優れています。……いまそれに一首を和しますが、よい出来ではありません。お笑いください。こちらに来て陳(ちん)舜(しゅん)兪(ゆ)君に会えないのは残念窮まりありません。その墓所で奠(まつ)るに当たって覚えず慟哭しました。祭文は石に刻みましたので、きっと御覧になられるでしょうから、ここに録してお目にかけることはしません。……

【補足】［陳(ちん)舜(しゅん)兪(ゆ)を祭った文は作品番号05-5-056で見ている］

■【05-5-075】次韻周開祖長官見寄

【解題】上の手紙にあった周(しゅう)邠(はん)［周(しゅう)長官］の詩に和した作品。

【訳文】

一度うなずく間に東西数州を旅して道に老いる――

それは旅芸人だけではない。

地方勤めの身は、

惜しまれつつ父老と別れたかと思うと、

すぐに子供等の出迎えを受けるのだ。

私の政(まつりごと)は拙く、水害だ日照りだと年々祈るだけ、

民衆は疲れ、私を嘲笑する声を避けて歩かなければならない。

河が広大な野を呑んだときは水を塞げなかったし、

盗賊が山に入り込んだときは捜し出せなかった。

お上に仕えてこんなことでは、

孔(こう)子(し)、孟(もう)子(し)の教えに恥じなければならないし、

国家の急に役立たずであった昔の人々を偉そうに責めることなどできない。

田舎に帰ることを思いつつも俸禄に魅かれ、

世間の風濤から脱けられずに州知事をしている。

憐れにも家を喪(うしな)った犬のように惘惘(おたおた)し、

人の乗っていない舟のように行き当たりばったりである。

これまで経てきたことは全て夢のようで、

今はただ楼閣に身を寄せて水を見ているだけ、

味も香りも抜けてしまった酒か、

はたまた落ちぶれた楽(がく)工(こう)が風に空(から)の瓶(かめ)をたたいているようなもの。

遠くは唐(とう)朝(ちょう)や晋(しん)朝(ちょう)の名臣を思ってみたり、

近くはかつて交流があった人々を思ってみたりする。

湖(こ)州では、風がないと豹脚(たちのわるい蚊)が窓から入り込み、

雨の後には蝸牛(かたつむり)が欄檻を這い登ってくる。

昔ともに遊んだ人の多くは苔むす土の下となり、

ただ同(どう)年(ねん)の貴君だけがいまも黒々とした頭のままだ。

貴君とは湖山の名勝を尋ね、酒杯を重ねて二人とも憂いを忘れた。

酔って雪の中で梅の花を見たこともあるし、

夏の夜に舟を浮かべてみたものの汗が流れて仕方なかったことも、

山の上で百首の詩を詠んだことも、

月と貴君と私の三人で遊んだこともあった。

貴君は本来、翼を翻して朝廷の高官として飛ぶべき人であるのに、

南の地の谷底で県令の座についている。

貴君は春風のような詩を送ってくれたけれど、

私の筆は老いてろくな返事ができない。

歳月はいよいよ速く過ぎ行き、

晩節を全うして功名を立てるということもきっとできないのだろう。

とりあえずは事無く飲むのがよいであろうか。

この地の魚は旨いからと留まるのもよいし、

この地の酒は薄いと笑いながらも留まるのでもよいだろう。

【補足】［この訳詩では「かつて交流があった人々」と、あいまいに訳したが、原詩には、「近憶張陳与老劉」［近(ちか)ごろ憶(おも)う張(ちょう)、陳(ちん)と老(ろう)劉(りゅう)を］と、具体的に名を挙げている。すなわち、張(ちょう)先(せん)、陳(ちん)舜(しゅん)兪(ゆ)、劉(りゅう)述(じゅつ)である。三人の名はかつて周(しゅう)邠(はん)に与えた手紙［→作品番号04-3-0079］で挙げていて、先に見たように張先と陳舜兪はすでに他界し、劉述［→作品番号05-1-044］もまた亡くなっていた］

■【05-5-076】林子中以詩寄文与可及余、与可既歿、追和其韻

【解題】かつて林(りん)希(き)［字(あざな)は子(し)中(ちゅう)］が蘇軾と文(ぶん)同(どう)［字は与(よ)可(か)］に寄せた詩があった。林希はかねてからの友人であり［→作品番号04-1-091など］、文同はこの年の初めに亡くなっていた［→作品番号05-5-013］。何かの折に林希の詩を思い出して、文同のことを偲んでその詩に和したのだろう。

【訳文】

この人［文(ぶん)同(どう)］が甚だしく嫌ったのは、

餌のように投げ与えられたものを受け取ること。

このようなことをするのもほんのわずかな間だからと、

人に後れまいと奪い取り、

得たもの［地位］を死んでも守ろうとする者がいる。

天賦の才には大きい小さいがあり、

斛(こく)と斗(と)のように単位が異なりもするのだから、

それぞれの分(ぶん)に安んじるのがよいのに、

外物に誘われるがままに、時節到来と見てとると、うごめき出し、

誰かれかまわず意気を合わせて、結構な場所を占拠し、

本当ならそこにふさわしい人を、鷄小屋のようなところに押し込めてしまう。

こうして文同君は五百人もいないような土地の長官になっていたのだが、

いざ亡くなると、一万もの人々が泣いた。

私は文同君の死を聞いて以来、胸の内に大きなわだかまりがある。

世俗と絶つその意(こころ)を、一度手を執り合って語りたいと思っていた。

遥かに隔たったまま、その窓辺に寄ることができなかった。

文同君は遺文を弟子に、後事を諸友に託した。

文同君には一人のよい息子と、よく釣り合った妻がいる。

世の人は目の前に見えているものを軽んじる傾向があり、

一方で、自分のものはぼろぼろの箒(ほうき)でさえ大切にする。

文同君の詩文はいずれ識者によって必ず価値あるものとされるはずだが、

ただ墨竹の画だけが愛されているのを、

私は以前からずっと残念に思っていた。

我等の昔からの知り合いは、いまや皆が厚禄を受ける身となっているが、

その中の誰が文同君のことを哀しんでいようか。

むろん、林(りん)某(なにがし)やら蘇(そ)某(なにがし)やらが饑寒に迫られて走り回っていることなど見向きもしないのだ。

【補足】［（1）この詩には「新進」を嫌う気持ちがかなり強く篭められているようだ。（2）文(ぶん)同(どう)の一人息子の文(ぶん)努(む)光(こう)については作品番号05-5-030で見ている］。

■【05-5-077】与王郎昆仲及児子邁、繞城観荷花、登峴山亭、晩入飛英寺、分韻得月明星稀四首

【解題】王(おう)適(てき)、王(おう)遹(いつ)の兄弟［→作品番号05-5-031］と、長男の蘇(そ)邁(まい)を伴って湖(こ)州の町のまわりに連なる蓮の花を見てまわり、峴(けん)山(ざん)亭(てい)に登り、晩に飛(ひ)英(えい)寺(じ)に入った。そこで、韻を分け合って詩を詠み、蘇軾には「月明星稀」の字が当たったので4首を詠んだ。

　其の一

昨夜は水路で雨音がしていた。

暁ごろに風が月を吹き現した。

蕭然(さやさや)と秋の気配を覚え、

城を環(まわ)る三十里の水は清く澄んで啜(すす)れるほど。

蓮の葉が海のように広がり、どこもがすばらしい景色。

その中に一艘の舟が見え、

青い笠を深く被るのは、真に世を避ける人であろうか。

逢って話をしようと思ううちに、飛び去る鴎とともに消えてしまった。

　其の二

この清らかな風はいったい何物なのだろうか、

愛すべきもの、そして言葉でくだくだしくいうべきものではない。

風が行くのは君子が行くのと同じ、

草や木やさわやかな声を上げて出迎える。

我等一行にはもとより何の目的もなく、

斜めに行くのも��に行くのも舟任せである。

流れの中央で風を迎え、

ともに上を向いたり下に向いたり、

広々とした空間に対して杯を挙げる。

この楽しみをともにするとき、

風はもとより人もすでに情を離れた存在となる。

帰り来るのは二つの谷の間、

雲も水も夜でありながら自ずから明るく見えている。

　其の三

ここの流れは漢(かん)水(すい)に似て、鱗(きら)鱗(きら)と鴨の頭の青色である。

ここの町は襄(じょう)陽(よう)よりも勝り、万の家の瓦が青い空に浮かぶ。

私はかつての羊(よう)祜(こ)の足元にも及ばないので、

この峴(けん)山(ざん)亭(てい)に登るのは面はゆく思われるのだが、

それでも歳月が流星のように消え去るのを悲しみ傷む意(こころ)は同じである。

私と同道する王(おう)兄弟はいままさに羽ばたこうとする鴻(おおとり)のようで、

羊祜と一緒にいただけでその名を残した鄒(すう)湛(たん)とは違い、

自分自身の徳をもってその名を歴史に刻むことだろう。

【補足】［蘇軾はかつて都に上る旅で襄(じょう)陽(よう)に立ち寄り、漢(かん)水(すい)を見て詩を詠み［→作品番号01-2-028］、峴(けん)山(ざん)に登った［→作品番号01-2-030］。峴山はかつて羊(よう)祜(こ)が山頂で悠久の時の流れを嘆じたことで知られる。そこにちなむ湖(こ)州の峴(けん)山(ざん)亭(てい)で、自分は羊祜に及ばないが、いま一緒にいる王(おう)兄弟は、峴山で羊祜と言葉を交わしただけで名を残した鄒(すう)湛(たん)とは大違いであると戯れたのだ］

　其の四

湖州の役人と民は私がものぐさなのを憐れんで、

訴訟事などは滅多に起こすまいとしてくれている。

それで何事もないので、酒を食らって夜も遊んでいられる。

さらに飛(ひ)英(えい)寺(じ)を訪ねて、月の光のもとでの楽しみを尽くそうとする。

知事殿の到来を告げる鐘が撞(つ)かれると、履(はきもの)の音がにわかに集まってくる。

中にはあわててさかさまに衣を付けた者もいる。

私が来るのは決まった時節がなく、杖の自ずと向かうところで扉を推すのだ。

どうか私のことを知事だとは見ないでほしい。

外見はそうであっても、中身は似て非なるものなのだから。

■【05-5-078】次韻章子厚飛英留題

【解題】前の詩で訪問した飛(ひ)英(えい)寺(じ)の壁に章(しょう)惇(じゅん)［字(あざな)は子(し)厚(こう)］が書いた詩があったので、それに次韻した。章惇が一時期湖(こ)州知事であったことは作品番号05-1-065で見ている。その後、都に復帰して改革派の主要メンバーとして活躍していた。

【訳文】

足の遅い馬に乗ってかつて一緒に遊んだ貴君は、

いまは仙宮のような皇城の内にいる。

宰相御(ご)用(よう)達(たし)の酒店で昔を思い出したら、

蓮の花が天にまで続くこの場所へと飛んで来るがよい。

■【05-5-079】城南県尉水亭得長字

【解題】町の南の県(けん)尉(い)水(すい)亭(てい)に遊んで、長の字を韻として詩を作った。

【訳文】

聳え立つ二つの水(すい)亭(てい)、

東と西に百歩ほど離れている。

一方に旗が立つのは、蒲(がま)と柳に囲まれた市(いち)、

一方に太鼓が鳴るのは、水と雲の挟まれた村。

一方の水亭には魚を観る欄干が廻らされ、

一方の水亭には鴨を射る部屋が設けられている。

どちらにも、美しく飾られた船が寄り添い、

見渡す限り、紅(あか)く化粧した蓮の花が乱れる。

瀲(れん)瀲(れん)として波(なみ)頭(がしら)は細(こま)やかに、

疏(そ)疏(そ)として雨(あま)脚(あし)は長い。

ここに来て静かに足を濯(すす)ぐと、

溪に水が漲(みなぎ)って床が浮かび上がるかのよう。

ここは山に囲まれた水の国、

町は水に影を落としている。

我が帰路はどこにあるのかと尋ねると、

葦の外に風に揺れる檣(ほばしら)がある。

■【05-5-080】与胡祠部游法華山

【解題】胡(こ)という人と法(ほっ)華(け)山(さん)に遊んでこの詩を詠んだ。胡氏の詳しいことはわからない。

【訳文】

湖の尽きるところは山との境、

高い峰から滝が落ちるのが見える。

知事殿は年老いてもなお子供の遊びを好み、

緑の棹と紅い船、

ゆらゆらと水の間に揺れる。

杯に水を汲んで裙にかけて、

「ほらほら、足を濯(すす)ごうではないか」

さらに、湖面に注いで、

「ほらほら、波がここから始まる」

と、笑い興じる。

山の松は、天を衝いて竜が立つかのよう、

谷の藤は、雲が崩れて逆さまに落ちてくるかのよう、

上を仰ぎ見て、うっそうと繁った中を穿ち、

広々としたところに出て、震(しん)沢(たく)［太(たい)湖(こ)］を一望する。

ああ、すばらしいではないか、

その広さは四万八千頃(けい)とか、

渺(びょう)渺(びょう)として東の日の昇るところまで続いている。

法(ほっ)華(け)山(さん)の道人が来てくれるより前に、

泉の水が先に出て迎えてくれる。

曲がりくねった道の先に、

さっぱりとした趣きの庵(いおり)がある。

帰りの十里の途は、

ことごとく風に揺れる荷(はす)、

楽工が『露(ろ)薤(かい)』の曲を静かに歌ってくれる。

私は少年のころより真の隠者になることを慕っていたのだが、

天は何の械(かせ)を課しているのか、

白髮になっても役人の青い衫(うわぎ)を身にまとっている。

たまたま佳(か)士(し)［胡(こ)氏］とともに名山にくることができたのは、

馬がかゆいところを枯れた楊(やなぎ)にこすりつけることができたようなもの。

貴君は鸞(らん)や鶴のような身でありながら、

たまたま地上に堕ちてしまっただけ、

翼を鍛えていずれまた雲の上を飛翔するであろう。

新句を求めてこの游(あそ)びをこのように歌うのは、

山中の清浄さを体感した者が果たすべき勤めであるからだ。

■【05-5-081】又次前韻贈賈耘老

【解題】上の詩に次韻して賈(か)収(しゅう)［字(あざな)は耘(うん)老(ろう)］［→作品番号05-5-062］に贈った。

【訳文】

太(たい)湖(こ)は、三つの州のちまちました境界などはすっかり呑み込み、

浩浩(ひろびろ)としたところから湯(ざあ)湯(ざあ)と流れくる千の支流を納め込んでしまう。

万斛(こく)の荷を積むようなばかばかしく大きな船などはなく、

一枚の葉のような漁(いさり)舟(ぶね)が素早く奔(はし)りまわっている。

湖の地下には仙界があるというけれど、

波が湃湃(ざぶんざぶん)と鳴るのが聞えるばかりで、そこに到ることはできない。

今朝はたまたま法(ほっ)華(け)の嶺(みね)を上り、

太(たい)湖(こ)をほしいままに観て、

人間界の隘(せま)さをまざまざと覚った。。

……［山中の景物を詠んだ四句がある］……

私は高い松の木の下を歩いて、

茯(ぶく)苓(りょう)［霊能のある茸］を掘ってみようかと思いついたのだが、

この山には奇(すぐ)れた薬がふんだんにあって、

野の草の中にしばしば霊(れい)芝(し)［霊能のある茸］が混ざっているという。

杜(と)甫(ほ)は貧窮に陥って空腹を抱えていたときに、

どうにかして黄(おう)精(せい)［霊妙な仙薬］を得ようとして、

この長い鑱(すき)に我が人生を託すと歌った。

貴君によれば、

今年は虫による食害はわずかであるというから、

大いに稔るであろうから、

杜甫のようにはならずにすむはずだ。

稲の白い花が落ちるころには、

紫の穟(すい)からよい香りが立ち、

私は臂を揮って鎌を磨くであろう。

この山のどこかで泉の水が酒に変わるところをみつけたなら、

そこで杯を洗って、貴君と遊興する約束を果たそうと思う。

■【05-5-082】趙閱道高斎

【解題】趙(ちょう)抃(べん)［字(あざな)は閱(えつ)道(どう)］は、作品番号05-5-065などで触れたように政界を引退し、その後、衢(く)州に隠棲して高(こう)斎(さい)と名付けた書斎を作った。それにちなんで詩を詠んで送った。

【訳文】

公(こう)［趙(ちょう)抃(べん)］が奔走するのを見ては公の労苦をいい、

公が隠退するのを見ては公の高潔をいう。

我等はその時その時であれこれいうけれど、

公の心は高くなったりひくくなったりすることなく、

この世は夢幻、遭(あ)うところに従って去来するだけなのである。

だから、「高(こう)斎(さい)」の意味などは公の関知することではなく、

人が勝手にその名を設けたのだ。

公は、孟(もう)子(し)が「四十歳で心動かず」といったのと同じく道(みち)を得ていたのだが、

俗縁がまだ尽きなかったために政事に関わっていなければならず、

功名も富貴もほんのそのときだけ身を置く旅館のようなものと心得、

黄金をいくら積んでも公の袖を取って引き留めることはできなかった。

超然と一大事を成し遂げ、瞬時に官職から去ったのだった。

猿が網に落ちても手に掴んだ物は決して放すまいとするのとは大違いである。

賢(けん)達(だつ)と愚(ぐ)陋(ろう)とは、九頭の牛の毛を一列に並べたくらいの差があり、

百尺の松は己の高さを気にもかけないが、蓬は羨んで同じ高さになろうとする。

私は自分の食い扶持を担いで公に道を教わりに行きたく思うが、

どうか肘だけ上げて追い払ったりするようなことだけは勘弁いただきたい。

【補足】［末の句は、このような無作法な仕草で面談を断られた昔の人がいたのである］

■【05-5-083】送兪節推

【解題】兪(ゆ)温(おん)父(ふ)を見送った詩。兪温父は湖(こ)州の人で、これからどこかの任地へと向かうのであろう。蘇軾自身の注で、「兪温父は兪(ゆ)汝(じょ)尚(しょう)、字(あざな)は退(たい)翁(おう)、の子である」と記されている。兪汝尚は上の詩に見た趙(ちょう)抃(べん)と深い親交のあった人。

【訳文】

呉(ご)興(こう)［湖(こ)州］にはかつて君子がいて、

淡白な人柄は朱(あか)い糸の琴のようで、

ひとたび奏せられると聞く人は三度嘆息し、

いまに至るもその余韻がこの地に残っている。

ああ、私とその人とは、

辰(しん)と参(さん)の星のように擦れ違ってばかりであった。

なお喜び見るのは、

息子たちが清らかにも奥深いありさまであること。

かつては立派な士であった者が、

末には初心を喪(うしな)ってしまうことが多い。

我等にはきっと天の定めた命(めい)があるのだから、

ひとたび曲がるときがあろうとも、

必ずまた真っ直ぐに伸びるのである。

【補足】［兪(ゆ)温(おん)父(ふ)の父とは擦れ違ってばかりであったということについて、蘇軾自身の注で、「兪(ゆ)汝(じょ)尚(しょう)が蜀(しょく)に赴任していたときには私は都にいて、私が帰郷したときには兪汝尚はすでに蜀からさっていた。私が湖(こ)州に赴任したときには、兪汝尚はすでに亡くなっていた」と記されている。兪汝尚が蜀に赴任したときにその上官だったのが趙(ちょう)抃(べん)で、以来、厚い信頼を得たのだった］

■【05-5-084】次韻答孫�r

【解題】孫(そん)�r(ぼう)［字(あざな)は少(しょう)述(じゅつ)］の詩に次韻して答えた。孫�rは母に仕えることを第一として官職に就かず、王(おう)安(あん)石(せき)とは深い親交があった。

【訳文】

貴君は朝廷に至ることなく十年を過ごし、

私のような者を伴って落花の詩を賦そうと思われた。

もしも貴君の前に我が頭を垂れることができるのなら、

陶(とう)淵(えん)明(めい)に会おうと酒を用意して道で待ち受けた王(おう)弘(こう)の真似をするのも辞さないであろう。

唐(とう)の時代に苕(ちょう)渓(けい)や霅(とう)水(すい)のあたりに舟を浮かべるのを終生の望みとした人がいたが、

貴君はかねてからこの地に家を構える計を立てたのだった。

千里の遠くにあっても、

一言通じれば十分に心に足りるというから、

貴君と何も会わなくてもよいであろう。

【補足】［この詩を見ると、孫(そん)�r(ぼう)とは詩のやりとりをしただけで会ってはいないようだ。孫�rに贈った詩はもう一首あるが訳は割愛する。なお、孫�rはこの翌年に66歳で没している］

■【05-5-085】次韻和劉貢父登黄楼見寄並寄子由二首

【解題】劉(りゅう)攽(はん)［字(あざな)は貢(こう)父(ほ)］［→作品番号05-1-056など］が徐(じょ)州にある黄(こう)楼(ろう)に登って詩を詠んで送ってきた。それに和して、一首を劉攽に一首を弟に寄せた。

　其の一

淮(わい)河(が)へと連なる清らかな流れ、

そこに、海辺の地で第一とされる黄(こう)楼(ろう)が建つ。

貴君［劉(りゅう)攽(はん)］が黄楼を詠んだ詩はまこどに雄大であるから、

詩を詠んだ人もさぞかし魁梧(どでかい)と人は思うのである……。

世俗は本物の宝よりも見掛け倒しの物をなぜか重んじるので、

貴君は馬に乗って各地を奔走しなければならない。

貴君との邂(かい)逅(こう)の機会を失ったままであるので、

私は誰とともに次に黄楼に登るのだろうか。

貧乏であるがために、倉に貯め込まれている米をむさぼりたくなるが、

造化が自在に万物を生み出す技に任せておくのがよいのだろう。

つまり、これからどうなるのかあらかじめ見定めることはできないのだから、

我らができるのは、退隠して休むところを探しておくくらいであろう。

私は泗(し)水(すい)のほとりに田を買おうと思い付いたものの、

結局は行き場のない鬼(き)［亡霊］になってしまうのだろう。

黄楼の下の水に舟を浮かべることができるのはいずれの年であろうか、

いまはせいぜい夢の中で、

天(てん)呉(ご)［体が虎で八つの首がある神獣］を鞭打って空を飛ん行くのを見るだけである。

【補足】［（1）この詩には蘇軾自身による注で、「劉(りゅう)攽(はん)は背が小さい」と記してある。詩の大きさと身体の大きさは別であるというジョーク。（2）泗(し)水(すい)のほとりに退隠の場を定めようと考えたことは作品番号05-5-031で見ている］

　其の二

君［弟］と一緒に故郷を去って十年、

僕も君も天の片隅にいる。

歳の巡り合わせが悪いのか、生きる算段が拙いのか、

枯れた梧(あおぎり)にしがみついている。

窮状に陥った人との交際は普通は嫌うものだが、

劉(りゅう)君のように、ちゃんとした地位にあることを誇ったりせずに、

僕等のことを好んでくださる人もいる。

劉君の清らかな句は金の糸を縒(よ)り合わせたようなもの、

吟じると、高い楼閣で白い月の光を浴びている気分になる。

このような新しい意匠の詩が生まれたのも、

君が徐(じょ)州のあの場所に楼閣を建てるとよいといってくれたからだ。

近ごろ君は、君が作った『黄(こう)楼(ろう)の賦』を六幅の図に写したところ、

一座の者は身をそばだててそれ見て、

一文字でもいいから自分のために筆を執ってほしいと頼んだと聞く。

僕から君に頼むのは、

僕のまわりの人々に怨みを抱かせないようにしてくれること。

だって君はどうせここらには来てくれないんだろうね。

■【05-5-086】文与可画篔簹谷偃竹記

【解題】蘇軾の手元に、文(ぶん)同(どう)［字(あざな)は与(よ)可(か)］が描いた篔(うん)簹(とう)谷(こく)の偃(えん)竹(ちく)［横に寝そべった竹］の画があった。篔簹谷は洋(よう)州にあり、そこの竹を主題とした詩を蘇軾はかつて詠んでいた［→作品番号05-2-008の其の二十四］。7月7日、梅雨が明けて空気が乾燥してきたのだろう、書画の虫干しをしたところ、この画が出てきたので、思うところを記したのがこの文章である。

【訳文】

竹が生まれたばかりのときはたった一寸ばかり。そこに節も葉も具わっている。筍(たけのこ)がごく小さいうちは蝉の腹に似て、少し大きくなると蛇の腹のようになり、いつしか十尋(じん)［20メートルほど］もの長い剣を抜き放ったように高く伸びあがる。しかし、竹の全ては生まれたときに具わっているのである。

いま竹を画く者は、節を一つずつ作り、葉を一枚ずつ累(かさ)ねてゆく。これでどうして竹となるのだろうか。

竹を画くときには、必ず先に、胸の内に成長した竹を得ておかなければならない。筆を執ってそれを熟視し、画こうとするものが見えてきたなら、さっと始め、見えたままに従って筆を揮って、直ちにやり遂げるのである。見えたものを追うのは、兎が跳んで鶻(はやぶさ)が急降下するような具合で、少しでもぐずつくと、見えたものは逝(い)ってしまう。

このように文(ぶん)同(どう)は私に教えてくれた。私は、自分ではそのようにはできないけれども、心にはそうであることを識(し)った。

心にそうであることを識っても、そのようにはできないのは、心の内と外とが一つになっていなくて、心と手が応じ合わないからである。それはよく学ばないことからくる過ちである。心の内に見えているものがあっても、これを習熟するまで繰り返し行っていない者は、普段は自分ではっきりわかっていると思い込んでいたところで、実際に事に臨むと、たちまち見えていたはずものを喪(うしな)ってしまうのである。

これは竹に限ることではない。

弟の蘇轍は『墨(ぼく)竹(ちく)の賦』を作って文同に贈った。そこにはこのように記してある。

「古(いにしえ)の庖(ほう)丁(てい)は牛を上手に解体する職人で、その技(わざ)を見て、人は命を養う極意を得た。古の輪(りん)扁(ぺん)は車輪を削って作る職人で、その技を見て、人は書物を読む極意を得た。先生は竹を画くことに託して、道を会得して生きるありさまを示されているのではないだろか」。

弟は絵を画いたことがない。だから、文同のしていることの意(こころ)だけを理解した。私のような者は、その意だけでなく、あわせて画く方法も得た。

文同は竹を画いて、それが価値のあるものだとは全く思っていなかった。あちこちから画いてほしいと白い絹を持って頼みにくる者が足を踏み合うようにして門に押し寄せると、文同はそれを嫌って、絹を地に投げつけ、罵っていった。

「こんなもの、わしの襪(たび)にしてやる」

士(し)大(たい)夫(ふ)［官僚仲間］はこれを言い伝え、語り草にした。

文同が洋(よう)州の知事から都に還ったとき、私は徐(じょ)州にいた。文同は私に手紙でこのように言った。

「近ごろ私は士大夫連中にいってやった。『吾が墨竹の一派が都に近い彭(ほう)城(じょう)［徐州］にいる。行って頼んだらよいだろう』。だから、そのうち、君のところには襪(たび)の材料が集まることでしょう」

手紙の終わりに詩が一首書き添えてあった。そのさわりの部分は、

　擬将一段鵝溪絹、［一段［長さ一尺］の鵝(が)溪(けい)の絹［高級な絹織物］を用いて］

　掃取寒梢万尺長。［長さ一万尺の冬の竹を画こうと思う］

私は文同にいった。

「竹の長さが一万尺なら、絹織物にしたら二百五十匹(ぴき)分の長さに相当します。これに画くとなると筆を動かすのを墨を磨るのも大変でしょうから、その絹を頂戴したいものです」

文同は答えようがなくて、こういってきた。

「私はでたらめを言ったのだ。世の中に一万尺の竹などあるはずもない」

私は自分がいったことを真実とするために、詩で答えた。

　世間亦有千尋竹、［世間にはよく千尋(じん)の竹があるとされる］

　月落庭空影許長。［月が傾いて広い庭に落ちるその影はどれほどの長さであろうか］

文同は笑っていった。

「蘇君はああいえばこういうだな。しかし、二百五十匹もの絹があったら、私は田を買ってすぐに隠居するよ」

そして篔簹谷の偃竹を画いて私に贈ってくれて、こういった。

「この竹は数尺しかない。しかし一万尺の勢いがある」

篔簹谷は洋州にある。かつて文同は私に『洋州三十詠』を作らせたことがあり、篔簹谷もその一つだった。そのときの詩は、

　漢川修竹賤如蓬、［篔簹谷の竹は立派であるけれど、その値は蓬のように安い］

　斤斧何曾赦籜竜。［ここの筍は伐り取るのを禁じられている］

　料得清貧饞太守、［清貧を自称するここの実は大食らいの知事殿が］

　渭浜千畝在胸中。［いつも竹が胸中にあるといいつつも、本当は自分だけが腹の内におさめようとしているに違いない］

私の手紙が届いた日、文同は妻と篔簹谷に遊んで、採ってきた筍を焼いて晩のおかずにしていた。手紙の入った箱を開き、この詩を見ると、笑いをこらえることができなくて、ご飯が卓上いっぱいに飛び散ってしまった。

文同は元(げん)豊(ぽう)二年正月二十日に陳(ちん)州で亡くなった。

同じ年の七月七日、私は湖(こ)州にあって書画の虫干しをしてこの竹の画を見て、巻き物を置き、声を失って泣いた。

昔、曹(そう)操(そう)［三国時代の英雄］は、『橋(きょう)玄(げん)を祭る文』を書き、そこに「車過」「腹痛」の語があった［橋玄はかつて曹操に向かって、「私が死んだ後、もしも君が私の墓の近くにまできて、車に乗ったまま知らん顔で通り過ぎようとしたら、三歩も行かないうちにきっと腹が痛くなるだろう」と冗談をいっていた］。私もまたここに文同との昔の戯れの言葉を載せるのは、文同と私が親密で隔てるものがなかったことを示すためである。

【補足】［（1）一万尺の長さの竹に関するやりとりは、作品番号05-4-044にあった。（2）この文とは関係ないが、蘇軾にまつわる一つのエピソードをここで読んでおきたい］

【訳文】

朱(しゅ)弁(べん)：『曲(きょく)洧(い)旧(きゅう)聞(ぶん)』から

東(とう)坡(ば)［蘇軾］は本性として事を耐え忍ぶことができなかった。

東坡は晁(ちょう)端(たん)彦(げん)に会うと、いつもこのようにいっていた。

「食べているものの中に蠅がいたなら、吐かずにはいられないだろう」

東坡はこのようにもいった。

「私は仁(じん)宗(そう)皇帝によって制(せい)科(か)の試験で抜擢され、そのころの第一級の方々と知己となりました。また、便(びん)殿(でん)において神(しん)宗(そう)皇帝と対面するのを許され、思うところを述べましたところ、すべてを胸に納めてくださいました。皇帝にしばしば上奏し、激しく論じることもしましたが、皇帝は一度もお怒りにはなりませんでした。もしも私の発言を止めたなら、もはや誰も物をいわなくなってしまうであろうということであったのでしょう。私が心配しているのは、朝廷が私を殺すということだけです」

晁端彦はそれを聞いて、黙って何もいわないでいると、東坡はしばし嘆息して、

「朝廷がもしも私を殺すのなら、この微々たる命など惜しむものではありません。ただし、ここに一つの気がかりがあります。私が殺されたなら、きっと君は、だからはいわんこっちゃないと鼻を高くするんだろうね」

それで二人で大笑いしたのだった。

【補足】［（1）これは、朱(しゅ)弁(べん)の随筆『曲(きょく)洧(い)旧(きゅう)聞(ぶん)』に収められている記事で、晁(ちょう)端(たん)彦(げん)［字(あざな)は美(び)叔(しゅく)］は蘇軾と同じ年の科挙で合格した人である［→作品番号05-1-051］。ここに記されている晁端彦との会話がいつなされたのかというと、確証はないが、もしかしたらこのころであったのかもしれない。なお、晁端彦の子が晁(ちょう)説(せつ)之(し)で、朱弁は晁説之の弟子である。つまり、朱弁は師匠からその父の話を聞いて記録したのであって、信憑性はそれなりに高いのであろう。（2）最初の蠅の話は、思い付いたことは言葉にして出してしまわずにはいられない蘇軾の本性をよく言い表していて、それが危険なことであるのは重々承知していながらも止められないのである。同じ趣旨のことを蘇軾自身が書いているのを作品番号05-1-076で見ている。（3）後半では、皇帝からは厚く信頼されていると、蘇軾はゆるぎない自信を持っていて、もしもこの身に危害を加える者があるとしたら、朝廷に巣食う新進の連中であると考えていたことが語られている］

■【05-5-087】書楊樸事

【解題】着任してようやく3カ月を超えたばかりの7月28日、湖(こ)州での蘇軾の日々は突然に終了した。都からきた皇(こう)甫(ほ)遵(じゅん)が州庁に現れ、たちまち蘇軾は逮捕され、知事の職を解かれ、都へと送還されたのである。それより先、御(ぎょ)史(し)台(だい)［官員の不法行為を取り締まる部署］の李(り)定(てい)、舒(じょ)亶(たん)、何(か)正(せい)臣(しん)が、蘇軾は詩文をもって皇帝を誹謗したとして告発し、皇帝は蘇軾を取り調べるよう命じた。皇帝の命令が下されたのは7月4日、蘇軾が文(ぶん)同(どう)の画の虫干をしていた7月7日より3日前であった。ここでは舒亶による告発状を見ておこう。

【訳文】

太(たい)子(し)中(ちゅう)允(いん)集(しゅう)賢(けん)殿(でん)校(こう)理(り)権(けん)監(かん)察(さつ)御(ぎょ)史(し)裏(り)行(こう)の舒(じょ)亶(たん)の札(さつ)子(し)

臣(わたくし)が伏して見ますに、湖(こ)州知事の蘇軾が近ごろ提出した『謝(しゃ)上(じょう)表(ひょう)』［→作品番号05-5-048］には、時事をひどく咎める言葉があり、それを俗人たちが挙って争うようにして言い広め、忠義の士は誰もが憤っております。

陛下がうるわしくも法制度を新たにされて以来、異論を唱える者はもとより少なくはありませんでした。その大きなものは、文章をもって事実を乱し、讒(ざん)説(せつ)を作り上げて、新法を破壊しようとするものであり、その次のものは、面従腹背して座して様子をうかがい、新法が成功しないようにするものでありました。ただそれだけであって、禍(わざわい)を起こそうとの心を内に抱き、お上を怨望し、訕(せん)讟(とく)慢(まん)罵(ば)して、人臣としての節義を一切持たないという蘇軾のような者はいなかったのであります。例えば、陛下が銭を貸し与えて貧民の生業を助けられていることについて、「贏得児童語音好、一年強半在城中」［→作品番号04-2-018］と詩に詠み、陛下が法を明らかにして官員の試験を行われていることについて、「読書万巻不読律、致君堯舜知無術」［→作品番号04-1-007］と詩に詠み、陛下が水利を興されていることについて、「東海若知明主意、応教斥鹵変桑田」［→作品番号04-2-063］と詩に詠み、陛下が塩の専売を厳格にされたことについて、「豈是聞韶解忘味、邇来三月食無塩」［→作品番号04-2-018］と詩に詠んだのであります。そのほかにも、物に触れ、事に即し、口に応じていうことは、いずれもお上を譏(き)謗(ぼう)しないものは一つもないのであります。それらは、あるいは板に刻まれ、あるいは石に刻まれて、朝廷の内外に伝え広められ、それをもって蘇軾は己の才を誇っているのであります。最も甚だしいのは、遠く過去の王朝が衰退したときの故事を用い、あるいは小説や雑多な伝承の語を使って、それをいまの大臣に引き寄せ、さらには陛下を謗ろうとしていることでありまして、大いなる不恭と言わざるを得ないのであります。

臣(わたくし)が歴史を顧みて、古来の書物に載せられているものを見ますに、世の中を憂う者は、上に徳を失った行いがあり、道(みち)に反した政治があり、逆(ぎゃく)節(せつ)不(ふ)軌(き)の大臣がいたときであっても、人心を揺るがすことがないように、必ず忠順であるよう諭してから後に批判したのでありました。恭しくも陛下は身をもって道�ｺを実践され、政治を導き、士を採用して、天下後世の幸いになるよう、堯(ぎょう)舜(しゅん)の心を用いておられます。このようなときに、蘇軾は無用の曲学をもって虚名を克ち得ようとして、官は省(しょう)郎(ろう)となり、職は文(ぶん)館(かん)に在って、知事となって大きな権限を得たのでありました。臣(わたくし)としては、蘇軾が陛下に背いて、悖(ぼつ)慢(まん)を行って、畏れず忌むことのない振る舞いをどうしてできるのか、全く理解できないのであります。人の道の立つところには必ず義があり、天地の間で逃れられない最も大切な義は君臣の間のものであります。蘇軾の行為は、それを踏み外し、君臣の義をまったく知らないかのようであります。そもそも人臣として、義の心がないのならば、利をもって行うようになり、その悪は留まるところを知らないのであります。蘇軾をこのままにしておいてよいのでありましょうか。

昔より、勝手に異説を唱える者に対しては、民衆をばらばらにし奸(かん)佞(ねい)の者と親しくして風俗を乱したことをもって責め、決して許すことはありませんでした。臣(わたくし)が按じますに、蘇軾が天を怨む心を抱き、お上を謗る語を造り、深く理(ことわり)を害っていることは明白であります。万死をもってしても、聖時を乱した罪を償うには足りません。決して許してはならないのであります。伏して望みますのは、陛下は先王の義を体し、治世の重典を用いて、蘇軾をしかるべき部署に付して、その大不恭について取り調べ、天下の人臣の戒めとしてくださいますように。忠憤に耐えず、心より願うものであります。

元(げん)豊(ぽう)二年七月二日、崇(すう)政(せい)殿(でん)に進呈し、中(ちゅう)書(しょ)省(しょう)へと送付いたします。

【補足】［（1）蘇軾が湖(こ)州に着任したときに皇帝に提出した文章［→作品番号05-5-048］が告発の第一のターゲットになっていて、その他にここでは四つの詩句が取り上げられている。獄中ではさらに多数の詩文が取り調べの対象となった。（2）この告発状の核心は、蘇軾が皇帝個人を誹謗するという、人臣としてあってはならない大不敬を働いたとするところにある。新法や王(おう)安(あん)石(せき)を批判することは許され得るとしても、矛先を皇帝に向けることは絶対に許されないのだった。蘇軾にはもちろん皇帝を批判する気はなかったのだが、告発者たちは多くの詩文をその証拠として突き付けたのである。（3）この告発状を書いた舒(じょ)亶(たん)は蘇軾よりも5歳若く、蘇軾よりも8年遅れて科挙に合格した人で、科挙の二次試験を主席で通過し、その才能が高く買われた。剛直な性格で、御(ぎょ)史(し)台(だい)の職務に忠実であったようで、蘇軾が詩文をもって朝政を誹謗したと確信をもって告発したのであろう。（4）もう一人の告発者である李(り)定(てい)は、蘇軾よりも16歳上で、王(おう)安(あん)石(せき)が改革を始めたのを好機と見て、母の喪に服すべき期間中であることを隠してよいポストを獲得した人物で、蘇軾はそのことをある詩で揶揄していた［→作品番号03-4-004］。蘇軾が批判する「新進」の典型的な人物で、蘇軾への個人的な憎しみが告発の大きな動機になったであろうことを否定するのは難しい。（5）何(か)正(せい)臣(しん)は蘇軾よりも3歳ほど若く、神童の誉れ高く、早くも8歳のときからその名を皇帝に知られ、蘇軾よりも10年遅れて科挙に合格し、その後は官員として仕事をそつなくこなしていたようで、蘇軾を告発したのは単に職務を忠実に果たしたということであったのだろう］

【補足】［蘇軾の逮捕がどのように行われたのか、孔(こう)平(へい)仲(ちゅう)の随筆『孔(こう)氏(し)談(だん)苑(えん)』に詳しく記されている。孔平仲は蘇軾と交流のあった孔(こう)文(ぶん)仲(ちゅう)［→作品番号04-1-061］の弟で、逮捕の現場に居合わせた祖(そ)無(む)頗(は)が目撃したことであるとして記録しているので、いかにも信憑性が高そうなのだが、孔平仲は「諧(かい)謔(ぎゃく)狂(きょう)放(ほう)」で、書いたものの史料的価値は怪しいとされる。つまり話を面白く盛る癖があるようなので、そのつもりで用心して読む必要があるようだ。以下に『孔氏談苑』の一節を訳すが、いわば講談の類だと思って見ていただくのがよいであろう］

【訳文】

孔(こう)平(へい)仲(ちゅう)：『孔(こう)氏(し)談(だん)苑(えん)』より

蘇軾が詩で朝政を誹謗し、お上(かみ)を侮る言動があったことをもって、朝廷は御(ぎょ)史(し)台(だい)に対して、役人を派遣して逮捕するよう命じた。このとき李(り)定(てい)は御史台の長官として人に対して荒く、蘇軾を逮捕することに熱心であった。

ここに皇(こう)甫(ほ)遵(じゅん)が派遣されることになり、皇甫遵は息子と御史台の役人二人を連れて湖(こ)州へと急行した。一方で、王(おう)詵(しん)［→作品番号05-5-015など］はこのことを知ると、蘇軾と日頃から親しくしていたので、密かに人を遣わして南(なん)京(けい)応(おう)天(てん)府(ふ)にいる蘇轍に報せた。蘇轍はすぐに兄のもとに人を走らせた。皇甫遵は通常の二倍もの速さで飛ぶようにして湖州に向かったために、追い付くのは難しかった。ところが、皇甫遵が長(ちょう)江(こう)を渡って潤(じゅん)州に至ったところで、たまたま息子が病気になり、医者を求めて半日そこに留まった。それで蘇轍の使者がわずかに先んじることができた。

皇甫遵が湖州に到着した日、蘇軾は休暇を取っていて、祖(そ)無(む)頗(は)が知事代行を務めていた。皇甫遵はただちに州の庁舎に踏み込んだ。皇甫遵は長いブーツを履き、笏(しゃく)を秉(と)って中庭に立った［朝廷の使者としての姿］。従う二人の役人は白い衣に黒い頭巾で、獰猛そうな顔であたりをねめつけた。湖州の役場の人々は何が起こったのかわからず恐れおののいた。

蘇軾も恐れ、すぐに外には出ないで、祖無頗に相談した。祖無頗はいった。「事態がこうなったからにはどうすることもできません。すぐに出て使者に会うべきです」。蘇軾はいかなる服装で出るべきかと祖無頗に相談した。罪人として使者の前に出るのなら、官員としての正式の服装はふさわしくないのではないかと思ったのである。祖無頗はいった。「まだいかなる罪であるのかわかっておりません。正しい服装でお会いするべきです」。そこで蘇軾もブーツを履き、笏を秉って中庭に下り立った。祖無頗と湖州の役人も蘇軾の後ろに並んだ。

御史台の二人の役人は朝廷からの書状を衣の内に抱え持ち、それはあたかも剣がそこに潜んでいるかのように見えた。皇甫遵はしばらく何もいわなかったので、人々はますます恐れた。ようやく蘇軾がいった。「私は朝廷の政事に激しく悩むところがあり、今日は必ず死を賜るものでありましょう。死はもとより辞すものではありません。どうか、家人と訣別するために家に一度帰らせていただきたい」。皇甫遵は初めて口を開き、「そこまでのことではない」。祖無頗が前に進んで、「何か朝廷から授けられた文章がございましょう」と、いった。皇甫遵は尋ねた。「そちは何者か」。祖無頗はいった。「知事の代行です」。皇甫遵は朝廷からの文章を祖無頗に渡した。それを開いてみると、蘇軾を都に連れて来るようにとだけあった。

皇甫遵がすぐに発つよう蘇軾を促すと、二人の役人はとうとう蘇軾を捕えた。即座に町を出て、蘇軾は舟に乗せられた。湖州の人々はそれを見送って、雨のように涙を流した。わずかの間に、州の知事を犬か鶏のように掴まえて、連れ去ってしまったのだった。

【補足】［（1）一読しておわかりの通り、読む人をハラハラドキドキさせる、うまくできた物語である。皇(こう)甫(ほ)遵(じゅん)が初めに何もいわずにいたのは、蘇軾が恐れて勝手に自殺してしまうよう暗に仕向けたというのが、書かれてはいないけれど、このいかにも講談調のこの文章のミソである。弟の使者が一瞬早くに着いたというのは出来過ぎた話で、それでも、蘇軾はなすすべもなく朝廷の使者を迎え、祖無頗に相談しなければ何もできないほどまでに動揺してしまったよう描かれている。これが事実なら、かつて母の前で自分は漢(かん)の時代の范(はん)滂(ぼう)のようになると誓った蘇軾としてははなはだ面目ないであろう［→作品番号01-2-001］。范滂は、逮捕しにきた朝廷の使者の前へ自ら進んで出て行ったのである］

【解題】この項の表題に掲げた『楊(よう)樸(ぼく)の事を書く』は、この事件からずっと後になって蘇軾自身が記したもの。

【訳文】

かつて洛(らく)陽(よう)を通過した際に、李(り)柬(かん)之(し)に会って次のような話を聞いた。

真(しん)宗(そう)皇帝が泰(たい)山(ざん)で封(ほう)禅(ぜん)の儀を行って都へと帰還する際に、皇帝は天下の隠者を探し求めた。杞(き)の人で楊(よう)樸(ぼく)という隠者がいて、巧みに詩を詠むというので、皇帝は楊樸を呼び寄せた。楊樸は詩など上手に作れないことは自分でよく知っていたけれど、皇帝のお召しに応じないわけにはいかなかった。

皇帝は楊樸にいった。

「そちが出発するに当たって、誰かそちに送別の詩を贈ってくれなかったかな」

「妻が贈ってくれた一首だけがございます」

「どういう詩だ」

楊樸が吟じた。

　更休落魄耽盃酒、［酒に耽溺して魂を落としちゃだめよ］

　且莫猖狂愛詠詩。［詩に凝り過ぎて頭をパーにしちゃだめよ］

　今日捉将官裏去、［そういってたのに、今日は引っ立てられてお上のもとに連れられ］

　這回断送老頭皮。［その老いぼれ頭の皮をぺりっとむかれちゃうのよね、かわいそうね］

皇帝は大笑いして楊樸を山に還した。

私は湖(こ)州にいたときに、詩をもって罪を問われ、獄に連れて行かれた。妻子は私を見送って門の外で大泣きをした。妻子に語る言葉もなかったのだが、つい妻を顧みて、

「何かい、君は楊樸の妻のように詩を作って僕を送ってくれないのかい」

妻は思わず笑ってしまい、私はそれを背に出て行ったのである。

【補足】［蘇軾にも話を面白く脚色する癖があるので、本人がこのように書いていてもこれがそのまま事実であったかどうかはわからない。一つの有力な解釈としては、動揺して為すすべを知らない人々を目の前にして、蘇軾は不意にジョークを思い付き、楊(よう)樸(ぼく)の話をもしかしたら即席で作って、笑わせたのではなかろうか。『孔(こう)氏(し)談(だん)苑(えん)』には、知事代行にいちいち尋ねないと何もできなかったと書かれていたが、それよりは蘇軾の実像に近いように思われる］

■【05-5-088】杭州召還乞郡状

【解題】蘇軾は逮捕され、船中に軟禁され、都へ連れて行かれた。弟の蘇轍に後を託す手紙を書き、そのときまでずっと湖(こ)州にいた王(おう)適(てき)、王(おう)遹(いつ)の兄弟が蘇軾の家族を蘇轍のいる南(なん)京(けい)応(おう)天(てん)府(ふ)にまで送り届けることになった。蘇軾の長男の蘇(そ)邁(まい)は父が護送される船の後を徒歩で追った。ここでは、蘇軾自身が12年後にこの事件をどのように回顧しているかを、時の皇帝、つまり神(しん)宗(そう)の子の哲(てつ)宗(そう)に差し出した次の文章で見ておこう。

【訳文】

元(げん)祐(ゆう)六年五月十九日，

臣(わたくし)は昔、治(じ)平(へい)年間に鳳(ほう)翔(しょう)の職から替わって朝廷に入り、初めて英(えい)宗(そう)皇帝の知遇を被(こうむ)りました。皇帝陛下は臣(わたくし)を用いようとしてくださいましたが、当時の宰相の韓(かん)�g(き)は臣(わたくし)がまだ若く資質に浅いところがあり、官の任に耐えられるか試めされてもいないことから、しばらくの間はと館(かん)職(しょく)を与えてくださいました。

臣(わたくし)は父の喪に服すために官職を去ることとなり、喪が終わって改めて朝廷に参内いたしました。そこで、神(しん)宗(そう)皇帝のお招きをいただき、面と向かって激励のお言葉を賜り、臣(わたくし)が職掌外のことについても申し上げることを許してくださいました。そのとき臣(わたくし)は、遠国からきた臣下はまだこれほどまでの優遇を受けるはずがないので、これはきっと英宗皇帝が臣(わたくし)を知っていてくださったことによるのであろうと思いました。

このとき王(おう)安(あん)石(せき)が新たに政治を司り、法度を変易しました。臣(わたくし)がもしも少しばかりでも王安石に擦り寄りましたならば、きっと昇進して用いられたでありましょう。しかし、臣(わたくし)は朝廷から遠い人間でありながら、英宗皇帝、神宗皇帝の特別な知遇を蒙り、それでいて天を欺き自分の心に背くようなことはできないと、王安石がしようとしていて施行してはならないことを具さに論じて、万に一つでの国政に補うところがあればと考えました。しかし、神宗皇帝の御心が臣(わたくし)のことをどれほど認めてくださっているのか、その浅い深いをまだ測ることができませんでした。折しも、上(じょう)元(げん)の節に四千の灯篭をお買い上げになって、しかも役目の者が理由もなく価を値切っているということでありましたので、臣(わたくし)はそのことを論じて意見書を出しましたところ、先帝［神宗皇帝］は大いに喜ばれて、即時に臣(わたくし)が申し上げた通りに施行してくださいました。臣(わたくし)はこれによって、先帝が聖明にして、言葉を尽くした意見を受け入れてくださると知り、六千余言にわたって新法のよろしくないことを詳しく論じた意見書を提出いたしました。また、科挙についても意見を申し上げ、王安石には人を見る力がなく、王安石が勧める人間は用いてはならないことを申し上げました。先帝はそれを聴いて従ってくださったわけではありませんでしたが、臣(わたくし)の愚直をよしとして、譴(けん)問(もん)されることはありませんでした。しかし、王安石は大いに怒り、その仲間は皆歯噛みをして怒り、臣(わたくし)を傾けようとしました。御(ぎょ)史(し)台(だい)の謝(しゃ)景(けい)温(おん)が首謀者となって必死にあら捜しをして、臣(わたくし)が父の喪に服して帰郷した際に、舟の中で私的に塩を販売したとの告発をしました。そして、各地に指令を下して、当時の舵取りから竿さしまでも捕えて拷問にかけて、証拠を集めようとしました。しかし、その実体はなく、罪をでっちあげることはできずに終わったのでした。

臣(わたくし)はこれによって禍(わざわい)を懼(おそ)れ、都の外に出ることを乞い、三回連続して地方官に任ぜられました。それでも、先帝は臣(わたくし)を大切に思ってくださることは衰えず、臣(わたくし)が差し出す文章が届くと、それを左右の者に示して褒めてくださいました。それで、改革派の人々は臣(わたくし)がまた朝廷で用られるのではないかと疑い、李(り)定(てい)、何(か)正(せい)臣(しん)、舒(じょ)亶(たん)の三人が、飛語を組み合わせ、いろいろな罪状を作り上げて、必ず臣(わたくし)を死罪にしようとしました。先帝は初めは許されませんでしたが、この三人が訴え続けてやまなかったために、臣(わたくし)は罪を得て獄に下ることになりました。李定らは乱暴な役人である皇(こう)甫(ほ)遵(じゅん)を派遣し、皇甫遵は吏卒を率いて湖(こ)州にきて、臣(わたくし)を盗賊のように捕えました。臣(わたくし)は妻子と訣別し、手紙を弟に留めて後の処置を託しました。自分で思うに、必ず死ぬであろうと考え、長(ちょう)江(こう)を過(よぎ)る際に、江中に身を投げようとしました。しかし、吏卒が監視していたために果せませんでした。獄に到ると、何も食べずに死のうとしました。しかし、先帝は使者を獄に遣わしてお命じになるところがあり、獄吏は敢えて非道な仕打ちを加えるようなことはなくなりました。それで、臣(わたくし)は、先帝に臣(わたくし)を殺すお気持ちはないと知ったのであります。それによって、余命を留めて今日に至ることを得ました。……［後略］……

【補足】［（1）この文章も、本人が書いているのだからこれがそのまま事実であったとは限らない。歳月を経てから書いていることと、皇帝に提出した文章であることからすると、露わな意図はなくても、筆を飾ったところが全くないとは言い切れないだろう。（2）先に見た孔(こう)平(へい)仲(ちゅう)の「講談」では湖(こ)州を離れて以降、獄中で何があったかまでを語っている。これこそはかなりの眉唾物と思うべきであろうが、同じ時代の人たちがどのようにこの事件を認識していたかがわかるだろう。ここでは護送中の様子を読んでおこう］

【訳文】

孔(こう)平(へい)仲(ちゅう)：『孔(こう)氏(し)談(だん)苑(えん)』より

蘇軾が皇(こう)甫(ほ)遵(じゅん)に逮捕され、太(たい)湖(こ)の蘆(ろ)香(こう)亭(てい)の下にまでくると、乗っていた船の舵が破損したので修理をした。その夜は、風と波があり、月が昼間のように明るかった［7月末であったはずなので明らかに事実に反する］。

蘇軾は考えた。

「慌ただしく捕まえられ、これからどうなるのか。きっと厳しい取り調べをされて、連座する者が多数になるだろう。目を閉じて水に入るなら、すぐに事は終わる」

そうしようと思って、また考えた。

「弟を困らせたくない」

つまり、自分にもしものことがあれば、弟はきっと独りでは生きられないと思ったのである。

それで、水には入らずに都に行き、御(ぎょ)史(し)台(だい)の獄に入れられたのである。

■【05-5-089】呉江岸

【解題】蘇軾は獄に送られてゆく船上で、この詩を詠んだと伝えられている。場所は、太(たい)湖(こ)の近くの川岸で、孔(こう)平(へい)仲(ちゅう)の随筆を信用すれば自殺を思いとどまったすぐ後ということになる。

【訳文】

暁の色はそのまま秋の色、

蝉の声に鳥の声がまざる。

大きな志はすっかり消え去ってしまい、

首(こうべ)を回(めぐ)らすだけで心は動揺する。

■【05-5-090】黄州上文潞公書

【解題】上で見たように、蘇軾は太(たい)湖(こ)のほとりか、長(ちょう)江(こう)を渡るときか、入水することを考えたものの、湖(こ)州に赴任した際に通った道を逆にたどるようにして揚(よう)州に至った。このときの揚州知事は、蘇軾が親しくしてきた鮮(せん)于(う)侁(しん)［→作品番号05-4-085など］で、鮮于侁は蘇軾に面会しようとした。

【訳文】

『宋(そう)史(し)』巻三百四十四「鮮(せん)于(う)侁(しん)伝(でん)」より

蘇軾が湖(こ)州から獄に赴いたときに、親族も友人も交わりを絶った。蘇軾は揚(よう)州を通過し、鮮于侁は行って会おうとした。御(ぎょ)史(し)台(だい)の役人は面会を許さなかった。

ある者が、「公(こう)［鮮于侁］は蘇軾とは長い知り合いで、往来する文書がありましょうから、それらは留めずに焼くのがよろしいでしょう。そうしなければ、罪を獲てしまうでしょう」と、いったので、鮮于侁はこのように答えた。「主君を欺くこと、友人に背くこと、いずれも私のできることではありません。忠義をもって譴責されるのなら、私の願うところです」。鮮于侁は役人の取り調べの対象となり、揚州知事を辞めることになった。

【解題】蘇軾は大運河を北上して、揚(よう)州から宿(しゅく)州に至ると、役人がきて船を囲み、文書類の捜査を受けた。そのことについて、事件から2年後に文(ぶん)彦(げん)博(はく)［→作品番号05-5-014］に宛てた手紙に記しているので、その部分を読んでおこう。

【訳文】

私が逮捕されて獄に赴いたときに、長男はすでに長じておりましたので、徒歩でついてきましたが、その他の者は湖(こ)州の官舎に残りました。いずれも婦女ないし幼稚の者でありました。

宿(しゅく)州に至りますと、私が家に所蔵する文書を取り集めるようにとの御(ぎょ)史(し)台(だい)の命令が下り、各地の役所はそれに従って役人を捜索に派遣し、私の乗る船も役人に囲まれ、文書類を持ち去っていきました。家でも捜査を受けて、老人や幼い者は死ぬばかりに怖がり、役人が去ってから、女たちは、「こんなことになったのも日ごろからものを書くことを好んでいたからで、書いていったい何を得たかといったら、私たちをひどく怖がらせただけではありませんか」と、怒り罵り、残ったものことごとく焼いてしまいました。事が定まって後に調べてみますと、書いたもののうち十に七ないし八は失われてしまっていました。

【補足】［ここでも蘇軾一流の誇張はあるのだろうが、蘇軾の書いた物は没収されて、取り調べの対象となったことは間違いない］

■【05-5-091】御史台楡、槐、竹、柏四首

【解題】蘇軾が都に着いて御(ぎょ)史(し)台(だい)の獄に入れられたのは8月28日、取り調べを担当したのは、李(り)定(てい)と張(ちょう)璪(そう)であった。張璪は、かつて蘇軾から、収穫を早く得ようと焦るのはよろしくないという助言を受けた張(ちょう)琥(こ)と同じ人物である［→作品番号02-3-032］。李定も張璪も、個人的に蘇軾を憎んでいたようで、取り調べは苛烈で、蘇軾は最初は自分にかけられた嫌疑を全面的に否定していたのだが、後に、詩文に朝政を誹謗する意図があったと認めるに至った。獄中の様子をまずは例の孔(こう)平(へい)仲(ちゅう)の「講談」で見ておこう。

【訳文】

孔(こう)平(へい)仲(ちゅう)：『孔(こう)氏(し)談(だん)苑(えん)』より

李(り)定(てい)、舒(じょ)亶(たん)、何(か)正(せい)臣(しん)は、蘇軾を罪に陥れようとして、はなはだ厳しく取り調べた。蘇軾はきっと死罪になると思い、死を言い渡されたなら飲んで自殺しようと、毒薬を獄の土の中に埋めて備えた。

一人の獄卒が思いやりがあり、蘇軾を礼儀正しく扱った。夕方になると、毎日蘇軾の足を湯で洗った。

蘇軾はその獄卒に誠(まこと)をもって向き合い、

「私はきっと死ぬことになる。私には弟がいる。弟との別れに、そなたに詩を託したい」

獄卒はいった。

「きっとそのようなことまでにはなりませんでしょう」

「万一死を免れるのなら、恨むところは何もない。しかし、もしも免れず、詩が弟に渡らなかったなら、私は目をつぶることができない」

獄卒はその詩を受けとった。……［中略、その詩は05-5-094で見ることになる］……

皇(こう)甫(ほ)遵(じゅん)が蘇軾を逮捕しに行ったとき、夜は厳しく監禁して連れてこようとしたが、皇帝はそのようなことは許さず、詩についての告発が事実がどうかを調べるためにだけ、知事の職を解いて蘇軾を都に呼んだのだった。御史台において始めは蘇軾を弾劾することが厳しく、扱いも乱暴であったので、人々は蘇軾のことを心配した。しかし、皇帝の真意が知れると、人々は蘇軾は死罪にはならないだろうと思い、果たしてそうであった。天子は聡明にして寛(かん)厚(こう)で、臣下に対して礼儀正しかった。しかし、小(しょう)人(じん)どもは天子の意向を勝手に伺い見て、酷いことをしてしまうのだった。皇甫遵のような人間はたくさんいるのだ。

【解題】この項の表題に掲げたのは、蘇軾が秋の終わりのころに詠んだ詩。御(ぎょ)史(し)台(だい)の庭に植えられている楡(にれ)、槐(えんじゅ)、竹、柏(はく)の4種の植物それぞれに託して、獄中にいる自分の思いを歌っている。

【訳文】

　其の一　楡(にれ)

私は、汴(べん)河(が)の堤の上を行くときに、

楡の緑の蔭を見るのは好きではなかった。

楡は千株あってもその蔭は一畝(ぽ)にも満たない広さで、

斬伐(き)ったところで一束の材にしかならない。

私は、幽囚の中に置かれるに及んで、

またこの木を見ることになった。

虫に食われた皮に秋の雨がしたたり、

病んだ葉が落ちて牆(かき)の曲がったあたりを埋めている。

霜や雪の厳しさはよくいわれるが、

生意が足りないのはそれだけによるのではない。

春風がくるまで待つことができるのなら、

その楡からも花が飛んで、

からっぽになったこの部屋のあたりを覆うようになるのだろうか。

　其の二　槐(えんじゅ)

思えば、私が初めてこの獄に来たのは、

草木が衰えに向かう時季であった。

槐の高い枝には、秋であるというのに、

季節に後れた蝉が葉を抱いていた。

私も蝉もここに居続けるのはもういくばくもないだろうと、思った。

いま、槐にはまばらに莢(さや)が残っているだけ。

寒くなってきてもまだ棲みついている鴉(からす)がいる。

雪を啄(ついば)んで餓えに哀しく叫ぶようになるのだろうか。

槐に壊れた巣の枝が空しくかかっている。

そこに沈み行く月が影を宿す。

烏には両の翼がないわけではない。

この我が愁(しゅう)絶(ぜつ)に寄り添うためにここにいてくれているのか。

　其の三　竹

今日は南の風が来て、庭先の竹を吹き乱した。

刃(やいば)［竹のこと］と刃がさかんに触れ合って、低く高く音階に適った音を立てた。

雪をもたらす蕭然(さびし)げな風に、

たとえ竹を折るような意(こころ)があっても、

竹が辱められることはない。

風が止めば竹はもとに返り、

猗猗(うるわし)くも緑の光の玉をあたりに散らすのである。

故郷にはいま何があるのだろう。

荒れた籬(まがき)の菊に秋の雨が注いでいるのだろうか。

竹は健やかでいてくれているのだろうか。

帰って南の軒端でその緑の葉に触れてみたい……。

　其の四　柏(はく)

ここの庭には珍しい木が多くあり、

緑の柏がまるで葦原のように林立している。

幽囚の身には楽しみがなく、

百日の間この柏を見続けている。

時に幹に流れる樹液に触れ、

落ちた実を踏むのは忍びない。

誰がこの木を植えたのか。

私と同じくらいの年齢なのではあるまいか。

蒼(たか)蒼(だか)と幹を見上げる。

柏はたくさんの囚人を見てきたのだろう。

思えば、

唐(とう)の世に武勇で名を馳せた李(り)祐(ゆう)将軍も、

御史台の温(おん)造(ぞう)の厳しい調べに胆を落としたのだった。

【補足】［（1）この一連の詩から、蘇軾は獄中において死を覚悟していたことがわかる。（2）御(ぎょ)史(し)台(だい)における蘇軾の取り調べでは、67の詩文が証拠として挙げられ、逐一誹謗の有無を問われた。告発者が蘇軾の詩文をどのように解釈し、蘇軾がそれに対してどのように応じたのか、詳しい記録が残っている。告発者の言い分にはひどいこじつけが多く、蘇軾としては、政治の過ちをきちんと指摘しただけで、それは士(し)大(たい)夫(ふ)の正しい伝統に則るものだとむしろ胸を張りたいところであったのだろうが、朝政を批判する意図があったことは否定しようがないので、尋問を長引かせて多くの人を巻き添えにするのを回避するために、蘇軾は己の罪であると全て認めたのだった］

■【05-5-092】己未十月十五日、獄中恭聞太皇太后不予、有赦、作詩

【解題】御(ぎょ)史(し)台(だい)での厳しい取り調べが続いていたころの10月15日、太(たい)皇(こう)太(たい)后(ごう)が重い病に陥り、その平癒を願って大赦が行われると、獄中の蘇軾の耳にも聞こえてきた。太皇太后は仁(じん)宗(そう)皇帝の皇后であった曹(そう)氏［建国の功臣曹(そう)彬(ひん)の孫］で、神(しん)宗(そう)皇帝にとっては祖母に当たる。ただし、仁宗皇帝には男子がなく、仁宗皇帝の弟の子［英(えい)宗(そう)］が皇太子となって皇位を継ぎ、神宗はその子であるから、太皇太后と神宗とは血縁関係はない。蘇軾は自分も大赦の対象になるのではないかと期待してこの詩を詠んだ。

【訳文】

御(ぎょ)史(し)台(だい)の庭の柏(はく)は陰陰(くら)く昼も門を掩っている。

烏は大赦があると知っているのか、黄昏(たそがれ)の空に騒いでいる。

漢(かん)の宮殿では罪を赦して三世にわたる恩を施したことがあり、

楚(そ)の王宮では遠く流して九回死ぬべきであった魂を呼び戻したことがあった。

もしも、私も赦されて、鋤をもって田を耕す身になれたとしても、

故郷の人々には面目なくて顔を合わせることはできないだろう。

堯(ぎょう)や舜(しゅん)のような聖主が治めておられるこの世界であるから、

私を赦してなおも官員の一人に加えてくださったりするだろうか。

【補足】［このころに、太(たい)皇(こう)太(たい)后(ごう)と神(しん)宗(そう)皇帝の間に、次のようなやりとりがあったと、方(ほう)勺(しゃく)の随筆『泊(はく)宅(たく)編(へん)』は伝えている。方勺は北(ほく)宋(そう)の終わりのころの人物で、その随筆は当時の噂話を記録したものであるようで、信憑性は先の『孔(こう)氏(し)談(だん)苑(えん)』よりさらに低いであろう］

【訳文】

方(ほう)勺(しゃく)：『泊(はく)宅(たく)編(へん)』より

蘇軾が御(ぎょ)史(し)台(だい)に置かれていたある日、太(たい)皇(こう)太(たい)后(ごう)が皇帝にいった。

「官(かん)家(け)［皇帝］はここ数日、気分がすぐれない様子ですが、何かあったのでしょうか」

「幾つか決着しない問題があり、その中に蘇軾という者が、朕を誹謗して、そのことがはっきりと文字に出ているというのです」

「それは、蘇軾、蘇轍兄弟のことでしょうか」

「二人を御存知なのですか」

「私ははっきりと覚えています。仁(じん)宗(そう)皇帝が制(せい)科(か)の試験をなさったときに、嬉しそうにこのようにおっしゃいました。『朕は今日、二人の文士を得た。蘇軾と蘇轍という者だ。しかし、朕は老いたので、たぶんこの二人を用いることはできないだろう。しかし、将来のためにこの二人を遺すのだ。よいとは思わぬか』」

太皇太后は泣いて、いまその二人がどうしているかを皇帝に尋ねると、皇帝は、

「まさにその蘇軾が獄中にいるのです」

太皇太后が再び泣いたので、皇帝は心を動かし、蘇軾を赦す気になった。

【補足】［陳(ちん)鵠(こく)の随筆『西(せい)塘(とう)集(しゅう)耆(き)旧(きゅう)続(ぞく)聞(ぶん)』には、皇帝と皇后の間で次のようなやりとりがあったとされる。陳鵠がどのような人物であったのか記録が一切なく、記事の信憑性は保証されていない］

【訳文】

陳(ちん)鵠(こく)：『西(せい)塘(とう)集(しゅう)耆(き)旧(きゅう)続(ぞく)聞(ぶん)』より

太(たい)皇(こう)太(たい)后(ごう)の病が悪化し、いよいよ危うくなったときに、神(しん)宗(そう)皇帝は純孝の心から大赦令を出そうとした。皇后がいった。

「天下の凶悪な人間たちを赦す必要はありませんでしょう。ただ、蘇軾一人を放免すれば十分なのではないでしょうか」

【補足】［真偽のほどはわからないが、太(たい)皇(こう)太(たい)后(ごう)や皇后に蘇軾を救う気持ちがあったのだが、李(り)定(てい)等が強く抵抗したために、蘇軾は大赦の対象にはならなかった］

■【05-5-093】十月二十日、恭聞太皇太后升遐、以軾罪人不許成服、欲哭則不敢、欲泣則不可、故作挽詞二章

【解題】詩題は、「十月二十日、恭(うやうや)しくも太(たい)皇(こう)太(たい)后(ごう)が亡くなられたと聞き、私は罪人の身であることから喪に服すことを許されなかった。哭(こく)声(せい)を挙げることは敢えてしないとしても、普通に泣こうとしても、それも許されなかった。そこで挽詞を二つ作った」。

　其の一

宋(そう)朝(ちょう)が初めて開かれたとき、高く聳える勲(いさお)があった曹(そう)彬(ひん)。

まことに優れた人は得難く、

そのときの宋朝にも賢臣は十人ほどしかいなかった。

曹彬は太(たい)祖(そ)の廟の脇に祭られ、

江(こう)南(なん)を平定した際に数多の命を救っただけではないその功績は、

百世にわたって語り継がれるべきものである。

その曹彬の孫の太(たい)皇(こう)太(たい)后(ごう)は、

漢(かん)代(だい)の優れた皇后を遥かにしのぐお方であった。

�ｹ(とう)皇后は幼帝を輔(たす)けてよく朝政をみたものの、位を貪る心があり、

馬(ば)皇后は皇帝をよく支えたものの、その恩徳は民にまでは及ばなかった。

月が落ちたのを風も悲しみ、天は雨を降らせて泣く。

誰か、大きな筆で太皇太后の光溢れるお姿を写してはくれないだろうか。

　其の二

私は制(せい)科(か)の試験で仁(じん)宗(そう)皇帝の御恩を受けていながら、

まだ何も報いないうちに、

御陵を廻る松や柏(はく)が高く聳えるまでになってしまった。

ひと声慟哭することも、ここはそれができる場所ではなく、

万死をもって御恩に酬いるのに、私にその時間があるのだろうか。

夢に天の道を歩もうとしても、

狭くて私は通ることができないので、

人間世界に留まって、

白い帷(とばり)が赤く変色するまで涙を流し続けるのだろうか。

平生より私は、

太皇太后が仁宗皇帝を追慕するお心に感嘆していたのだが、

三代にわたってお仕えてしてきたこの老臣は、

詩のために罪に落ちてしまった。

■【05-5-094】予以事繋御史台獄、獄吏稍見侵、自度不能堪、死獄中、不得一別子由、故作二詩授獄卒梁成、以遺子由、二首

【解題】長男の蘇(そ)邁(まい)は湖(こ)州から連行された蘇軾の舟の後に付いて都にきて、獄中の蘇軾に食べ物を送るなどして、蘇軾の獄中生活を支えていた。それについては葉(よう)夢(ぼう)得(とく)の随筆『避(ひ)暑(しょ)録(ろく)話(わ)』に記事がある。葉夢得は蘇軾よりも少し後の文人で、改革派につながる人物である。蘇軾の逮捕は当時の人々にとって一大事件であったので、真偽不明ながら様々なエピソードが伝えられたのである

【訳文】

葉(よう)夢(ぼう)得(とく)：『避(ひ)暑(しょ)録(ろく)話(わ)』

蘇(そ)邁(まい)は食糧を送るのに、野菜と肉だけを添え、もしも不測の事態になった場合には、野菜と肉を止めて魚を添えることで、外の様子を伝えると決めていた。蘇邁は一カ月以上にわたって決めた通りにしていたのだが、食糧の蓄えが尽きたので、補充しに出かけることになり、ある親戚に代わりを頼み、その決まり事を伝えるのを失念した。親戚はたまたま魚が手に入ったので、それを獄中に送った。蘇軾はそれを見てひどく驚き、皇帝の慈悲にすがってもそれは皇帝に耳に達することがなく、死は免れないのだと思い、弟に向けて二つの詩を作り、獄吏に渡した。きっと獄吏はそれを隠すことができなくて、皇帝の耳に達するであろうと思ったのだ。

【補足】［蘇軾が獄中から弟に詩を寄せたことは、先に見た『孔(こう)氏(し)談(だん)苑(えん)』にも記されていたが、その経緯はかなり異なっている。話がより劇的である『避(ひ)暑(しょ)録(ろく)話(わ)』の方が怪しいのだろう］

【解題】この項の表題に掲げたのは、獄中から弟に送った詩。その題は、「私は事をもって御(ぎょ)史(し)台(だい)の獄に繋がれ、獄吏によっていささか酷い扱いを受けた。自分で推量するに、これに堪えることができなくて、獄中に死んで、弟に会って別れを告げることはできないだろうと思った。そこで二つの詩を作って、獄卒の梁(りょう)成(せい)に授けて、弟に遺(おく)った」。

【訳文】

　其の一

聖主は天のよう、万物はそのもとで常に春。

小臣だけが愚暗にして自ら身を亡ぼしてしまった。

人としての百年の寿命を満たす前に、

前世の罪業を死をもって償わなくてはならない。

僕の十人の家族は帰る場所がなく、

さらに君を累わすことになってしまう。

いたるところの青山、そのどこでも僕の骨を埋めてくれたまえ。

いつか夜の雨に、君は独りで心を傷めるのか。

君とは世世、兄弟でいようではないか。

この現世では尽くせなかった縁を、

きっとまた次の世で結ぶのだ。

　其の二

御(ぎょ)史(し)台(だい)の夜は淒淒(ぞっと)するばかりの霜の気に満ち、

風が罪人の瑯璫(くさり)に冷たく吹き寄せる間に月が低くなる。

夢は故郷の山を繞って、心はあたかも鹿のようになるが、

熱湯や火に責められて魂は飛び、命はあたかも料理前に鷄のようだ。

眼に浮かぶ額の形が賢者の相を示しているのは、

まさに我が子のことであろう。

僕が死んだ後で、牛にかける襤褸の麻布を衣として着なければならなくなるのは、

恥ずかしいことにそれが僕の妻なのだ。

死んで僕の魂はどこを彷徨(さまよ)うのか。

杭(こう)州、湖(こ)州の人々が、きっとその地に葬ってくれることだろう。

【補足】［この詩の末尾について、蘇軾自身の注記がある。「獄中で聞くに、杭(こう)州や湖(こ)州の人々は、寺社において私のために厄を解くことを何カ月にもわたって祈っていると」。蘇軾も杭州、湖州の風光を愛し、民衆も蘇軾を慕っているのであれば、その地に葬られたいと思ったのだ］

【補足】［蘇軾の厳しい尋問と審理は4カ月にわたって続いた。罪を問われたのは蘇軾だけではなく、蘇軾と詩文のやりとりをした39人も取り調べの対象になった。それらの人の多くが、自分が罰せられることは恐れないけれども、蘇軾が死罪になることだけは赦してほしいと朝廷に願った。李(り)定(てい)と張(ちょう)璪(そう)は何としてでも蘇軾を死罪にしようと頑張ったのだが、改革政治の重要な担い手として活躍していた章(しょう)惇(じゅん)は、蘇軾のかつての親友として、弁護を買って出ている。また、蘇軾父子の大恩人である張(ちょう)方(ほう)平(へい)は、蘇軾を救おうと皇帝に直訴する文書を記した。それについては馬(ば)永(えい)卿(けい)の随筆『元(げん)城(じょう)語(ご)録(ろく)』［→作品番号01-2-007］が伝えてくれている］

【訳文】

馬(ば)永(えい)卿(けい)：『元(げん)城(じょう)語(ご)録(ろく)』

劉(りゅう)安(あん)世(せい)先生はこのように話された――

……元(げん)豊(ぽう)二年の秋と冬のころ、東(とう)坡(ば)［蘇軾］が御(ぎょ)史(し)台(だい)の獄に下された。天下の士は痛み、しかし、見守るばかりで敢えて救おうする者はいなかった。時に張(ちょう)方(ほう)平(へい)は引退して南(なん)京(けい)応(おう)天(てん)府(ふ)にいたのだが、憤然と上書して蘇軾を救おうとした。張方平は書いたものを南京の役所の飛脚に託そうとしたのだが、南京府の役人は受け取ろうとはしなかった。そこで、張方平はその子の張(ちょう)恕(じょ)に持って行かせ、登(とう)聞(ぶん)鼓(こ)院(いん)に投げ込ませようとした。張恕はもとから愚かな臆病者であったので、登聞鼓院の前でぐずぐずして、父の上書を提出することができなかった。しばらくするうちに、東坡は出獄した。

その後、東坡は張方平の上書の写し見ると、舌を吐いて、顔色を変え、じっと動かなかった。人がそのわけを尋ねても東坡は荅えなかった。

その後、弟の蘇轍もそれを見て、「兄上が舌を吐いて驚いたのも無理はない。張恕のお蔭で助かったようなものだ」と、いった。ある人がそのわけを尋ねると、「……兄上に何の罪があるのかといったら、名をもって朝廷と争っただけです。いま張先生の上書を見ると、『まことに天下の奇材である』と、兄のことを書いています。これでは、お上のお怒りを余計に激しくさせてしまいましょう。一時の危急の際に、とにかく救おうとしてこの語が出たのでしょうけれど」。

――私［馬(ば)永(えい)卿(けい)］は劉(りゅう)安(あん)世(せい)先生に尋ねた。「では、このときに東坡が救われたのはどのようなわけであったのでしょうか」。』。先生はいわれた。「本朝ではそれまで士(し)大(たい)夫(ふ)を殺すことはなかった。いま士大夫を殺したなら、神(しん)宗(そう)皇帝がそれを始めたことになる。後世の皇帝の子孫は、優れた士大夫を殺すたびに、神宗皇帝の例を引くことになるだろう。神宗皇帝は名を好み、義を畏れる人であったから、後の事を考えて殺すのをやめたのだ」。

【補足】［（1）張(ちょう)方(ほう)平(へい)は引退したとあるのは、この年の7月に政界を退いて、そのまま南京応天府で悠々自適の身となっていた。（2）登(とう)聞(ぶん)鼓(こ)院(いん)は、蘇軾もその一員だったことがあるが、皇帝への直訴を受け付ける役所である［→作品番号03-1-001］。（3）張(ちょう)方(ほう)平(へい)の息子の張(ちょう)恕(じょ)について作品番号05-4-081などで見ているが、さえない人物であったかどうかはわからない。劉(りゅう)安(あん)世(せい)の個人的な見解である。（4）終わりに記されている神(しん)宗(そう)皇帝の心中は劉安世による憶測でしかない］

【補足】［蘇轍は張(ちょう)方(ほう)平(へい)の書いた文章を見て、かえってこれでは兄の命を縮めてしまっただろうと冷や汗を流したのだが、では皇帝にはどのように願い出たらよいのか、そのあるべき文章を蘇轍は自ら書いて皇帝に提出していた。それをこの章の終わりで見ておこう。これが、弟に遺した2首の詩を読んで後に書かれたものなら、一段と感動的であるのかも知れないが、実際は蘇軾が獄に下ってすぐに書かれたものであろうと推測されている。沈着冷静な蘇轍にしては、文章に乱れや重複があって、相当に慌ただしく書かれたもののようであるからだ］

【訳文】

蘇(そ)轍(てつ)：『為兄軾下獄上書』［兄(あに)の軾(しょく)が獄(ごく)に下(くだ)った為(ため)に上(じょう)書(しょ)する］

臣(わたくし)はこのように聞いています。

困難、危急のときに天を呼び、疾病、痛苦のときに父母を呼ぶのは人の至(し)情(じょう)［純粋な心］からくるものであると。

臣(わたくし)は草(そう)芥(もう)の微(び)［身分卑しいごくつまらない者］でありますが、危うくも差し迫った願いがあります。ただ天地、父母だけが哀しんで憐れんでくれるのでしょうか。

臣(わたくし)は早くに父母を失い、だた兄の軾一人だけを命の頼みとしてきました。いまひそかに聞きますところでは、兄は罪を得て逮捕され、獄にあるとか。一家中が驚き叫び、いかなることになろうかと憂いています。

臣(わたくし)がひそかに考えますに、兄は家にいても官職にあっても、大きな過失、大きな罪悪はありませんでした。ただ、生来愚直であり、古今の政事の得失を議論するのが好きで、しばしば意見書を朝廷に提出し、いろいろな事を論じてきました。その言論は一定しておりませんでしたが、陛下の御聖�ｺは広大で兄に譴責を加えることはありませんでした。兄は狂(きょう)狷(けん)［思い込みが強くそのままに行動してしまう］で、思慮が足りず、天地をも包み込む陛下の恩を恃みとして、自分を抑制して畏れることをしませんでした。

兄は先頃は杭(こう)州の副知事であり、密(みつ)州の知事でありましたが、何か物に触れて興を発するたびに、それを託するに詩歌を作り、ときに軽はずみな語を出すこともありました。先に臣下の者がそれらを集めて陛下の御覧に供しましたが、陛下はそのまま置いて問われることをなさいませんでした。兄は御恩を頂戴したことに感じ入り、深く後悔し、それからは決して再び行うようなことはありませんでした。しかし、以前に作った詩は自ずと広まってしまいました。

臣(わたくし)は兄のことをまことに哀れに思います。兄は自分を信じてしまうほどに愚かで、軽々しく言葉を出し、それが不遜の域に達してしまったことに気付かなかったのです。過ちを改めて自身を一新しようとしたときには、すでに刑罰に陥るまでになり、救いようがなくなっていました。

兄は逮捕されましたときに、使いをよこして臣(わたくし)にこのように言いました。

「私はすでに衰え、病いがちである。きっと牢獄で死ぬだろう。もとより死は定めとしてあるものだ。しかし、残念に思うことがある。若くして抱いた志があった。世に稀な優れた天子様に巡り合えて、いまは失敗ばかりしてはいても、死ぬまでの間にほんのわずかでも節義を尽くしたかった。いまこの禍に遭い、過ちを改めて自分自身を一新して、心を洗って明主にお仕えしたいと思っても、もはやその道がなくなってしまった。まして、朝廷において私は最も孤立し、皇帝の左右の親近に、自分のために弁護してくれる者はいない。ただ、兄弟の親しみのある者だけが、陛下に哀れを求めようとしてくれるのだろうか」

臣(わたくし)は兄の心を哀れみ、手足ともいうべき兄弟の情を抑えることができないままに、死を冒してこのように一言申し上げる次第です。

昔、漢(かん)の時代に、淳(じゅん)于(う)意(い)が罪を得たときに、その末娘の緹(てい)縈(えい)は、自分の身を官の奴隷に落として、父の罪を贖(あがな)いたいと願い出ました。漢の文(ぶん)帝(てい)はこのことから身体を害う肉刑を用いることを止めました。

臣(わたくし)の誠などは虫けらのもの、緹縈には遥かに遥かに及びません。しかし、陛下の聡明、仁聖は漢の文帝を遠く超えるものであります。臣(わたくし)はいま頂戴している官職をお返しして、兄の罪を贖うことをお願いいたしたく思います。兄の罪を軽くしていただくまでを願うものではありません。ただ、獄で死ぬことさえ免れられるのならば幸いといたします。

兄の犯したことが文字にはっきりと明らかであるのなら、罰を受けることを拒み続けて、さらに罪を重ねるようなことはありませんでしょう。

もしも陛下の哀憐を蒙り、その万死が赦されて、牢獄から出ることができましたならば、それは死んでまた生き返ったようなもの、いかにして御恩に報いたらよろしいでしょうか。臣(わたくし)が願いますのは、兄とともに心を洗い、過ちを改め、骨を粉にして御恩をお返しし、ただ陛下のお使いになるままに行動して、死んで後に終えるものであります。

臣(わたくし)は孤り危難の迫切したことに堪えられず、苦しさを訴えるところもなく、誠の心を陛下に捧げるものであります。この狂わしい振る舞いを見逃され、この乞い願うところをとくにお許し下さい。

臣(わたくし)は天に祈り、命に代えて請い、激(げき)切(せつ)隕(いん)越(えつ)［激しく死ぬばかりの思い］の至りに堪えることができません。