第5章 嵐の訪れ――密州、徐州、湖州
［第5章その四］
元豊元年［1078年］、蘇軾43歳。
■【05-4-001】思堂記
【解題】元号が元豊に変わり、蘇軾は徐州知事として新しい年を迎えた。大洪水の後始末と、次の水害への備えに奔走しながらも、多数の詩文を作り続ける。これは章◆［字は質夫］［◆は次の下に呆という字］に依頼されて書いたもの。章◆は塩税を管理する役人であった。
【訳文】
建安の章君が官舎の西に部屋を築き、それを「思堂」と名付けた。
章君が私にいうには、
「私は、朝夕にここにおいて、およそ自分のすること全てについて、必ず思ってから、後に行うようにしています。私のためにこのことを文章に記していただけないでしょうか」
天下のおよそ思慮のない者は、事に遭遇するとすぐに言葉や行動に出し、思う暇がない。言葉や行動に出す前に思ったところで不十分でしかなく、言葉や行動に出してから思ったのではすでに間に合わない。このようにして一生を過ごしてしまって、思うということを知らずにいる。
天下のおよそ思慮のない者は、心に言葉が浮かんですぐに口から出す。そうすると、人と衝突してしまう。口から出さずに呑み込もうとすると、自分の心に逆らってしまう。自分に逆らうよりは他人と衝突した方がましだと、結局は言葉を吐き出してしまう。
君子が善を好むのは、人が美女を好むくらいに強いものがあるといわれる。不善を嫌うのは悪臭を憎むのと同じである。だから、君子は事に臨んでから、小さな思慮を働かせて、善か不善かの判断をして、それを避けるか就くかを決めたりはしない。義に臨んで、小さな思慮の結果、利を思うなら、義を果たすことはできない。戦いに臨んで、小さな思慮の結果、生きることを思うなら、戦いで力を出すことはできない。そうであるから、失敗するも成功するも、得るも失うも、死も生も、禍も福も、結局は自分自身にそのもとがあるというのである。
私は若いころにある隠者に遭った。隠者はこういった。
「小僧、道に近づきたかったら、思慮を少なく、欲を寡なくすることだな」
「思慮と欲を同じように少なくするのでしょうか」
「思慮のほうがひどいものだ」
といって、隱者は、水をいっぱいに溜めた二つの甕が庭に置かれているのを指さし、
「こちらの甕には蟻があけた穴があって漏れている。こちらの甕からは一日に一升ずつ汲み取って棄てる。どちらの甕が先にからになると思うか」
「きっと蟻の穴のあるほうでしょう」
「小さな思慮が人を損なうこと、それはこのようなものなのだ。少しずつ、そして休みなく損なっていくのだ」
隱者のこの言葉に私は得心し、それから実践するようになった。
思慮を働かせない楽しみは名付けようのないものだ。虚にして明、一から万事に通じ、安らかで怠りなく、恐れずして静か、酒を飲まずして酔い、目を閉じずに睡る。
以上のようなことを書いて「思堂」の記念の文章とするのは変であろうか。私のいう「思慮」と、章君のいう「思」とはそれぞれに意味するところがきっとあるのだろう。天地間の万物は様々あって互いに損なうことはないし、道理はいろいろにあってそれで反目するものでもないだろう。
章君が賢人であることから、章君の「思」は私のような者が考える「思慮」とは異なって、むしろ「無思」ないし「無為」に近いのだろう。私は章君に学ばなければならない。つまり、『詩経』にいう「邪のない思い」、それを章君は実践しているのだ。
元豊元年正月二十四日記す
【補足】［この文章は「思」ということを巡ってかなりひねった議論をしている。「思」の多義性を、むしろ明確に区分けしないで曖昧なまま議論を展開することで、読む者に広く深く考えさせようとしているようだ。しかし、単純に日本語に置き換えると、何を言っているのかさっぱりわからなくなってしまうので、「小さな思慮」という語を持ち出して無理に若干の整理を試みたのだが、蘇軾の本意を損なうものであるのかも知れない］
■【05-4-002】与文与可
【解題】親友の文同［字は与可］［→作品番号05-3-023など］に宛てた手紙。正月二十八日の日付が記してある。
【訳文】
徐州の者が帰ってきて、重ねてのお手紙を頂戴しました。貴君が少々体調を崩されて、しかしすぐに平癒し、ただまだ以前のように多くは食べられずにいると知りました。また蒲宗孟君の手紙も得ていまして、貴君のお顔が削ったように精悍であると記してありました。それは道気が身中に充満しているからであって、わずかばかりの病気があってもそれ以上には進まないのでしょう。もしなかなか患いから免れないようでありましたら、医薬をよくよく選ばれるとよろしいでしょう。痛みを加えるのもよいことがあり、艾を燃やしてみるのもいかがでありましょうか。私は近ごろはいろいろな病がありますが、老いたためであって、少しも怪しむには足りません。偃竹の画を寄せてくださり、まことに古今に冠たる作品で、その後ろに黄絹を綴り合わせ、十句ばかりの賛を作ろうかと思っています。聞けば石康伯君父子は貴君の画を三十軸以上も得たとか。私にもそれと同じくらいはありましてもきっと望み過ぎではありませんでしょうに。……
【補足】［（1）文同が竹を好み、よく画に描いていたことは前に見ていて、偃竹［伏せた竹］は得意の画題であった。（2）蒲宗孟［字は伝正］の名は作品番号04-2-049で見ていて、このころは都で官職に就いていた。石康伯［字は幼安］は、蘇洵の友人であった石昌言の子で、作品番号05-3-009に記した通り、蘇軾の長男の蘇邁は石康伯の娘と結婚していた。郷里の縁でつながる人々で気心の知れた仲であるから、石康伯が三十もの画を得たのなら自分だってと蘇軾は戯れにすねてみせたのである］
■【05-4-003】与劉貢父
【解題】蘇軾が洪水対策に奔走していたことは劉攽［字は貢父］［→作品番号05-3-067］に宛てたこの手紙からも知ることができる。
【訳文】
先日はお手紙とともに王景純君の詩を頂戴しました。読んで喜びが湧き、得るところがありました。長らくお礼を申し上げることもせず、ひどく恥ずかしく思っております。……
ひとかたならない御恩によって水は退き、町は全きを得て、しばしほっと肩の荷が下りた気がしました。しかし、次の稔りが果たしてどうなるのか心配であります。曹村口で黄河を塞ぐことが議論されていますが、もう水が来ることはないと安心するわけにはまだまだいかないでしょう。
一つの計画をお上に申し上げております。石の堤防を作ることを画に描き、必要とする銭は二万九千五百余貫、人夫は一万五百余人、食糧は七千八百余碩と算出した工事計画を立て、去年の十月のうちに朝廷に使者を出しました。十二月までに認めていただければ、技術者等を集め、物資を調達し、一月の初めに着手し、四五カ月間で完了する予定でありました。費用はかなりかかりますが、これが万全の策で、百年の利があります。いますでに春になっていますが、杳として御返事がなく、日に日に期限が迫り、人や物を集めるのが困難になってきています。……
今はまた別の計画を立てています。木で堤防を作ることで、工費を半減でき、人夫は六千七百余人、食糧は四千三百余碩、銭は一万四千余貫ですみます。恒久的な安全を図るものではありませんが、ある程度の歳月は支えることができるでしょう。その間に黄河がもとの河道に戻るのを待つのです。もしもこの計画も実行できないのならば、吾が州の憂いはどれほどであるのか量ることもできません。……［以下、この計画が実現するよう、劉攽とその甥の劉奉世の助力を願うと記される］……
私は土木や水利について詳しい者ではありません。職務に迫られ、やむを得ず計画を立てたまでで、いつも自ら笑っています。もしも朝廷がもっと立派な官員を選んで、私に代わってこの州に利を興し、害を除いてくれるのなら、この州にとって幸いでありましょう。しかし、それを自ら要望しないのは、この困難から避けようとしていると思われてしまうのを嫌うからです。言うだけなら軽くできますが、信を取るのは難しいものです。この町の人々を魚の餌として棄ててしまうのが忍び難い一心であります。いまの朝廷において私が訴えられるのはただ劉攽君との友情があるだけで、きっと力を貸してくださると思っています。私の計画の可否を見ていただくために、詳しく書いたものを付します。……
【補足】［（1）冒頭に挙がっている王景純［字は仲素］の名は作品番号05-3-049で見ている。（2）土木や水利について詳しくないと記しているが、実際にはその方面のセンスが当時の官僚の中で群を抜いていたのは間違いないだろう。（3）朝廷は、結局、木造の堤防を作る案を認め、閏正月に着手して、夏までに完成している］
■【05-4-004】送李公恕赴闕
【解題】李察［字は公恕］が都に行くことになり、その送別の詩を詠んだ。李察は京東西路の役人として徐州に赴任していた。なお、細かいことではあるが、この年の初めから徐州は京東西路に属するよう変更になった。
【訳文】
貴君の才は玉をも切断する刀、
見るだけでぶるっと震えて毛がぴんと逆立つ。
貴君が願うのは、
昔の壮士のように民を苦しめる化け物を斬り殺すこと、
貴君が願わないのは、
当世の色男のようにちゃらちゃらした錦の帯をまとうこと。
貴君はその才に反して志を展ばすことができなくて、
小役人たちと一緒に事務処理に疲れるばかりだった。
忽然と貴君の眉の上に黄色い気が現れたのは、
まこと喜びのしるし、
お上はようやくこの英俊を身近に置こうとお考えになったのである。
朝廷において貴君が立って話すだけで左右の者は顔色を変え、
たった一語で、千言のつまらない無駄な言論を破ってしまうだろう。
私はこのごろはお上の命令によって東武［徐州］にいるのだが、
万事を抛り出してひたすら遊び呆けている。
塀や壁を取り払って内外の風通しをよくして、
騎曹だか馬曹だか、肩書なんぞは無頓着に呼び合っている。
貴君はそのような私を見ても問いただすことをしないで、
かえって、蟹を手に一緒に飲んでくれる。
酒酣にして足を投げ出し、
周囲を驚かすほどの大声を上げ、
俗人を嘲笑する語を交えた詩を吟じる。
世間のつまらない連中はあれこれ禁忌を設けるのだが、
貴君だけは私をそのまま容れてくれる真の賢豪である。
別れに際して私にいうには、
「君のために汶水を臨むあたりにでも田を買ってやろうか。
そこで雑草退治に励んだらよいだろう。
塵まみれの世間にいつまでもいて、
人に対してへいこら頭を下げてばかりで、
老いさらばえる気はないのだろうから」
■【05-4-005】張寺丞益斎
【解題】大恩人の張方平［→作品番号05-3-024］の息子の張恕が書斎を作って「益斎」と名付けた。それに寄せた詩。「益」は『論語』にある次のような話からとったもの。孔子のもとに、客の取次ぎをする少年がいた。ある人が孔子に、「あの少年は益する者［向上する者、進歩する者］でしょうか」と尋ねた。孔子は少年の日頃の態度を挙げて、「あれは益する者ではなく、速成しよう［すぐにも先輩と並ぼう］としている者だ」と答えた。
【訳文】
張君は書斎を作り、「益」をもってその名とした。
私は孔子の言葉を聞いている――
学問において益することを求めるのは、
学問において速成を求めることではない。
これを譬えれば、
遠く旅する者が、昼も夜も少しずつ進もうとするようなもの。
旅人はその積み重ねによって、
今年は遥か北に行き、来年は遥か南に走り、
東に大海を見極め、西に大河を渉る。
旅から帰って戸を閉ざして部屋の内に座ると、
旅した八方はすべて軒端の庭の内にあるようになる。
また譬えれば、
医を学ぶ者が、病を識るために徹底してたくさんの経験を積むようなもの。
天の六種の気が乱れると人に六種の疾が生じ、
六気の不足と充実は人の脈に表れ、
六気の静と躁は人の情に表れ、
六気の栄と枯は人の顔色に表れ、
そして寿命の長短は人の体に表れる。
そのようなことを、千人の病人を見て知るならば、
離れて見ただけでも、人の死生がわかるようになる。
学問を修めるには、日に日に益するよう努めなければならない――
このことは自分でよくよく考えて実行すべきことである。
逆に、道を修める者は、日に日に失っていくことを貴ぶ――
それは知識はすでに十分にあって、
次には根本に立ち返って行かなければならないからである。
私が願うのは、この詩を書いて、貴君の益斎に掲げてくれること。
【補足】［学問を修めるには、少しずつ向上、進歩してくことが大切であるということは、蘇軾はこれまでにもしばしば述べている。この詩でおもしろいのは、道を修める［自然界の法則ならびに人間界の道徳と自己とが一体化して、それを意識することなく振る舞えるようになる］には、むしろ一度得た知見を捨て去るようなことが必要になると言っていることだ。漸進的理解と直観的理解の両者が大切なのだろう］
■【05-4-006】春菜
【解題】春の野菜について詠んだ詩。
【訳文】
春になると、
冬に一度は枯れた蕪の根から葉が出たり、
韭の芽が蕨そっくりのかたちで土を持ち上げたりする。
薺を蒸してよく肥えた白魚に添え、
蓬を砕いて入れた小麦餅をつるんと食べると、
昨日の酒はすっかり醒め、春の眠気も飛んでしまう。
ちょいと畦のあたりを歩いてみると、
香りのよい花、茵陳、甘菊、あれやこれやがあり、
それらを細かくして堆く盤に盛り上げて春のサラダにする。
それでも、この地の寒さはまだまだ終わらず、
雪の季節に備えておいた赤い根菜は鉄甲のように硬い。
思えば、我が故郷の蜀の地に、たくさんの冬野菜があるのには到底及ばない。
蜀の地では、寒さの中でもどんどん芽を出し、
菊は秋から枯れないままほったらかしでよいし、
筍は出てくるし、江豚は旨い――
思い出すともう居ても立ってもいられない。
来年はきっともう官職を投げ捨てて帰るべきだ。
髪が抜けるのはまだしも、歯がぐらぐらになってからでは遅すぎるのだ。
■【05-4-007】祭老泉焚黄文
【解題】父の蘇洵の墓前に捧げ、そこで焚くために書いた文章。燃やすのは冥界に届けるためで、黄色い紙に書いたので、「黄文を焚く」というのである。題にある老泉は蘇洵の号。
【訳文】
熙寧七年と十年に、お上は二度にわたって南郊［都の南に出て天を祀る重要な儀式］を行われ、先に亡くなった功臣にも遍く恩沢を施された。我が先君［蘇洵］には、太常博士の称号を、重ねて都官員外郎の称号も贈ってくださった。息子の軾と轍はただちに墓前に走り、お上の御恩をお伝えすべきであるのだが、お上の御用を勤める身としては敢えて私事を申し上げることができない。そこで、謹んで人を派遣して、黄文二軸を届け、中外の親しい者を集め、日を選んで焚いて納めるものである。西を望んで涙を限りなく流す。
【補足】［熙寧十年とはこの前の年である。故郷に帰る見通しが立たないので、使いの者を送ったのである］
■【05-4-008】送鄭戸曹
【解題】彭城県の人、鄭僅［字は彦能］が職を得て北京大名府に行くことになったのを見送った詩。
【訳文】
私はかつて杭州の湖と山を遍く巡り、
知らず知らずに我が詩文は新鮮な香りを帯びるようになった。
しかし、いま私に従うのは疲れた僮僕と痩せた馬だけである。
狭い路地奥に住まう貴君以上の賢人はここにはいない。
漢の時代の鄭太は広い土地を持っていたけれど、
賢豪と交わるのを好むあまり、いつも食べる物にも事欠くありさまだった。
唐の時代の鄭虔はやはり客人を好むあまり、家には敷物さえもなかった。
貴君も鄭姓の一人として同じように振る舞うことだろう。
貴君は、これから花が咲こうという時節に西に行く。
春風がここに美しい花を開かせても、
それは誰に見てもらえばよいのだろうか。
■【05-4-009】読孟郊詩二首
【解題】唐の時代の孟郊の詩を読んでの感想。孟郊は韓愈の弟子で、先に蘇軾は、「元軽白俗郊寒島瘦」と、その詩の特徴を「寒」の一文字で表していた［→作品番号05-3-006］。
【訳文】
其の一
夜に孟郊の詩を読む。
牛の毛先のような細かな字を、
燈火の光に目をちかちかさせながら、読み進めてゆくと、
時によいところに遭う。
荒れた土地から芳しい花が抜きんでてきたかのように、
噛みしめるべき語句が我が詩心を騒がせる。
とはいえ、その詩は、
澄んだ水がごうごうと岩場を流れ下って、
その激しさは篙を受け入れようとはしないようなもの、
あるいは、骨だらけの魚か小さな蟹を煮たようなものか。
師匠の韓愈には到底及ばず、
賈島と弟子同士で競うのでちょうどよい。
人生は朝の露のようにはかなく消えてしまうもの、
あるいは、火が油を費やしつつ燃えているようなもの、
その貴重な時間に、
何も両耳でこの寒さにむせぶ虫の声をわざわざ聴くまでもないだろう。
しばし詩集を脇に置いて、
玉の色をした濁り酒を傾ける方がよほどよいのだ。
【補足】［蘇軾は孟郊の詩にあまり感心しなかったようだ。「元軽白俗郊寒島瘦」と4人をまとめて評したのだが、詩人としての著名度でいうと、元稹はBランク、白居易はAランク、孟郊と賈島はＣランクといったところであろうか］
其の二
私は孟郊の詩を嫌っていながら、
自分では孟郊とそっくりの語を放ちもする。
腸は空っぽになると自ずと鳴くものであるし、
壁の中の空洞では腹を空かせた鼠が必ず走り回ることになっている。
詩は肺腑［身と心］から出てきてしまうものであって、
詩が出ると肺腑はさらにまた愁うのだ。
黄河には己の身から膏を出して、それによって煮られる魚がいるというが、
詩を詠むというのはまさにそのようなものであろう。
「銅斗」の語から始まる孟郊の送別の詩は愛すべきで、
俗っぽいようでかえって古に近いものがある。
……［以下、孟郊の詩を踏まえた八句が続く］……
孟郊のこの曲を歌うとき、
私は長く旅にあることに感じ入るのである。
■【05-4-010】訪張山人得山中字二首
【解題】雲竜山の張天驥［字は聖塗］［→作品番号05-3-047］を訪ねた詩。「山」と「中」の字を韻に用いて作った。
其の一
大水によって貴君の家は流され、
水が引いて魚たちがいなくなるとともに、
貴君が還ってきたので、
猿や鶴が喜んだ。
貴君の旧居は岡の外にあったが、
貴君の新居は山の中腹にある。
鹿はすでに貴君の足音に馴れ、
雑多な茂みの中から桂の木が伸び出してきている。
門前の路はきれいに掃除され、
そこを辿る私もまた山を愛する人間の一人である。
其の二
万木に鎖された雲竜山は、
天が貴君に与えたようなもの。
山の前後の路に人は迷い、山の東西にだけ人家がある。
春の雪の後に薺や麦が成長し、
夕暮れの風に桜桃の花が落ちる。
町に戻ってきてみると、
はっきりとした記憶が残っていないのは、
帰路は酔っての眠りの中にあったからだろう。
■【05-4-011】送孔郎中赴陜郊
【解題】密州知事であった孔宗翰［字は周翰］［→作品番号05-3-074］が陜州知事として新たな任地に赴くことになり、旅の途中に徐州に立ち寄ったので、この送別の詩を作った。
【訳文】
杜甫は陜州に行く人を見送ったときに、
その地の風光を、強風が顔に撃ち、黄色い沙が走ると歌った。
二崤山や函谷関を越えてそちらに行くと、
むしろ世間の塵や垢から脱した気分となるであろう。
新たな知事殿が徐州のあたりから来ると聞いて、
河潼でも関右でも大評判となって、
十里ごとの駅亭では歓迎する鼓角の音が響き、
川も花も柳も面目を新たにして明るく輝いて待つであろう。
陜州に着いた貴君は、
欄干に倚って北に臨んで黄河の激流を眺め、
南に望んであの青い山は峴山かと見るであろう。
春の風に、谷は錦を織り為す光景を見せ、
緑の水に、川には葡萄の酒が波打つかのようであろう。
貴君が赴任してからは訴訟事もなくなり、
しばしば酒樽を開くしか用もなくなり、
客人が大勢押し寄せるだろうけれど、
妙なことを言わないよう、口は堅く閉ざししておくべきであろう。
■【05-4-012】虔州八境図八首並引
【解題】孔宗翰［字は周翰］はかつて虔州の知事だったことがあり、その折に虔州［南康］の8カ所の風景を描いた『南康八境図』を作った。それを蘇軾に見せて、詩を添えてほしいと頼み、それに応じて8首の詩を作った。虔州は遠く南方の地で、蘇軾はむろんまだ行ったことがなく、画から想像をふくらませて詠んだのである。遥か後になって蘇軾も実際に虔州に行くことになるので、ここでは序文だけを読んでおき、詩は第11章で見ることにしよう。
【訳文】
引［序文］
『南康八境図』は知事の孔宗翰の作である。孔宗翰は町を石で固め、その上に建つ高い建物から見えるありさまを図にした。東に七閩の地を望み、南に五嶺の山々を望む。山が高く低く連なるのが覧え、章水、貢水の奔流を下に覗く。雲煙 出没し、草木 蕃麗し、邑屋 相い望み、雞犬の声 相い聞ゆ。この図を観るなら、茫然として思い、粲然として笑い、嘅然として嘆息するのである。
ここで私はいう。
「この画は南康の『一境』ではなかろうか。何をもって『八』とするのか」
私が答える。
「観えるものが自ずと異なってくるのである。君が太陽を見る。朝には槃と観えて、昼には珠と観えて、夕べには破れた璧と観える。これをもって三つの太陽があると君はいうのかな。かの南康に『八境』があるとするのは、寒暑、朝夕、雨暘、晦冥によって異なるのをもってするのではなかろうか。あるいは、坐作、行立、哀楽、喜怒の変化によって、目に入ってくるものが吾が心に感じさせるものが変わるであろう。そうなると、それは『八』どころではなくなってとても数えきれない。『八』が『一』から出るのがわかったならば、この世界の外にあるとされる詼詭譎怪の事柄、『禹貢』に記されていること、鄒衍が語ったこと、司馬相如が賦したこと、およそ千万にもなろうというこもごものことも、もとはといえば『一』であると知れるのである」
後世の君子はこの『南康八境図』を見てきっと感じるものがあるだろう。
八章の詩を作って、図の上に題する。
■【05-4-013】禱霊慧塔文、告賜霊慧諡号塔文
【解題】徐州が水害から脱することができたのは、人々の力だけでなく皇帝の恩や神仏の助けもあったからだというのが、蘇軾も含めた当時の人々の認識であった。唐の終わりに真寂大師という僧が戦乱から逃れて徐州にきて、人々の信仰を集め乾明寺を開いた。洪水の最中に、蘇軾は人々とともに乾明寺の霊塔に詣で、水害から救い出してほしいと真寂大師に祈っていた。そのことに関連する文章を見ておこう。
【訳文】
禱霊慧塔文 其の一
武寧軍［徐州］は、黄河が決壊して水が溢れ、それが淮水、泗水に流入して、いまや町を囲んで水が浸し、月を越えても退こうとしません。一州の人々は真寂大師の化身である霊塔に誠を捧げてお祈りいたします。慈悲を垂れ、護持を賜って、陰雲を駆除し、積もった水を導き流してくださいますように。もしも十日のうちに水が引き、町が全きを得ましたならば、必ず霊異の迹を記して朝廷に具申し、諡号を加えてくださるようにお願いをいたします。かくてこの地の者は永遠に帰依いたすでありましょう。
禱霊慧塔文 其の二
……いま兵士や人夫数千人が水没から免れるための工事を進め、ようやく完了しようとしています。しかし、止まずに降り続く雨は人力ではどうすることもできません。町の中にも水がみなぎり、至る所から水が漏れて入ってきています。人々は病を患い、敢えてまたお祈りする次第にございます。……
【補足】［二度にわたる祈りを真寂大師は聞き入れてくれたのか、洪水は引いたのだが、水害の後には疫病が広がり、また冬になっても雪が降らなかったので、蘇軾はまたしても人々を救ってくださいと乾明寺で祈った。こうして民の祈りにその都度霊験を示してくれたことから、最初に蘇軾が約束した通りに、朝廷より諡号を贈るよう願い出て、翌年の春に認可された］
告賜霊慧諡号塔文
徐州に勅令が届き、本州乾明寺の真寂大師に特に霊慧大師の号を追賜し、塔の名を霊慧之塔とするようにとあります。至人は無心をもってこの地に縁を結ばれ、ここに妙法が常住し、時によって顕れたり隠れたりしてきました。それは我等凡庸の者の量り知るところではありませんが、霊慧大師の仏慈を長くここに付してくださるよう深く願うものであります。
霊慧大師はもとは淮南の地に現れ、千里を越えてこの地に来られ、唐の世に涅槃に入られ、五代にわたって号を改められ、いま詔書を奉じて諡号を一新いたします。……慧智をさらに開かれることを願って我等は倦むことなく祈りを続けます。水害、干害が萌す前に消して、もって聖明［皇帝］の意に適うようにしてくださいますように。
■【05-4-014】与梁左蔵会飲傅国博家
【解題】梁交とともに傅裼［字は子美］の家で会飲したときの詩。梁交の名は作品番号05-3-057で見ている。傅裼は徐州の副知事である。
【訳文】
梁君は自ら檄文を書いて賊を破るような文武両道の武人で、
詩を説いても、剣を説いても、天下第一である。
彭城［徐州］の老知事に学問があるとされるのはただの虚名で、
字は識るのは自分の姓名が書ければ十分だといった項籍をわずかに上回るだけだ。
副知事殿は風流な貴公子、
笙を吹くかと思えば、いつも鋒を手元で温めていて、
朝には紅い旗を押し立てて猛士とともに勇んだかと思うと、
夕暮れには翠の帷から佳人が出て歌うのを聞くのである。
私は副知事殿の座敷で酔って眠ってしまい、
呼んでも起きないでいるうちに、
鳥の鳴き声とともに花が落ちて春も終わってしまった。
私の耳元で笛を長く吹いても、その鋭い音にさえ私は起きないでいて、
かえって階段の前の石が裂けてしまった。
■【05-4-015】徐州蓮華漏銘、并叙
【解題】上の詩で傅裼のことを「貴公子」と呼んでいたのは、かつて朝廷の要職にあった燕粛の曽孫であるからだ。燕粛には発明の才があり、特に蓮華漏という名の精密な水時計を製作したことで知られ、中国の技術史において必ずその名が挙げられる人物である。蘇軾は傅裼に頼まれて蓮華漏の銘を作った。ここではその序文だけを見ておこう。
【訳文】
叙
もとの竜図閣直学礼部侍郎の燕肅公は、器物を創作する智恵で天下にその名が知られた。蓮華漏を作り、その精密さに世人は感服した。公が事に臨んだときには、必ずそれを為し遂げた。今でも各地の州郡には蓮華漏があり、巧みな者であっても、それを改良することはできない。ところが、徐州では盲人の衛樸［宋代の数学者］が作った時計を使っている。衛樸は己の意に任せて時計の設計を変え、蓮華のように並べた壺はあるのだが時を指す箭はない。衛樸は盲目であったので、天下の人々が視るということに気を使わなかったのである。その時計を守る者は、壺に水が満ちたのを見てから、水を流し落とし、改めて水を注ぐのである。その不便さを人は皆笑っている。
国子博士の傅裼君は公の外曽孫で、蓮華漏の作成法に詳しく、徐州の副知事となったので、徐州の時計を改めて作り、私にその銘を作るよう請うた。
【補足】［衛樸の時計がどのような仕組みであったのかはわからないが、ユニバーサルデザインなど思いつきもしない時代のことであるから、多くの人にとって不便なところがあるということでその価値が低く見られてしまうのはやむえないところであったのだろう。蘇軾の好んだ『荘子』には障害があるが故に真の己を全うできるという寓話が幾つもあるのだが］
■【05-4-016】寒食日答李公択三絶次韻
【解題】斉州知事であった李常［字は公択］［→作品番号05-3-003］が寿春に異動になり、南に旅する途中で徐州を訪れた。3月の寒食の節句に李常が詠んだ絶句に答えた。
【訳文】
其の一
昔から蘇と李はペアとしてよく並べられ、
李君をここにお迎えするのは嬉しい限りではあるけれど、
斉州に比べて徐州が小さく田舎臭いと笑われてしまうのを恐れる。
李君の詩は空に懸る滝のようで、私の目はただくらむばかり。
私の詩も滝の勢いがあると李君はいってくれはするが、
それは人を欺いた言葉で、
せいぜいちょろちょろ流れる程度である。
【補足】［漢の武将の蘇武と李陵、唐の文人蘇味道と李嶠など、「蘇李」と並び称さられる例は多い］
其の二
書類に埋もれ、時の太鼓に急かされ、
春が来たのも知らずにいた。
貴君に促されなかったならば、
詩句の一つを作ることもなかっただろう。
昔、龐徳公が寒食の日に墓参から帰ってくると、
親しい友が家に上がって食事を用意して待っていた。
どちらが主人でどちらが客人であったのか、
貴君と私もそれに似た仲である。
【補足】［龐徳公は、世に出る前の諸葛孔明とも交流があった有名な隠者で、これまでにも何度かその名を見ている］
其の三
私は町を巡って工事の督促に歩き回り、
塵埃が目に入りくるのに苦しめられつつ、
鞭を執って怠ける者を打たなければならない。
忙しさの余り着替えることもままならないので虱が湧いてしまう。
李君がきて久しぶりに衣を改めた。
手を携えて黄色い蓮の花を見ようと、
いま病んだ眼を見開こうとする。
■【05-4-017】約公択飲是日大風
【解題】李常［字は公択］は硬派の人物であるが、生まれて間もない子の誕生祝いの詩［→作品番号04-3-076］で見たような冗談も通じ合う気の置けない仲であった。李常は徐州にしばらく滞在し、その間にたくさんに詩を詠み合っている。これは、飲む約束をしたものの、当日になって風が強く吹いたために果たせなかったという詩。詩の冒頭に、李常が若いころに廬山の僧坊に篭って勉強したことが歌われているが、そのことは作品番号05-2-036ですでに見ている。
【訳文】
李先生は廬山で成長し、山中で書物を読むこと三十年に及んだ。
孔子の弟子の顏淵を範とし、水を飲んで学問に励んだと聞く。
李先生が、治めるのが難しい土地にばかりに行くのは、
自分から好んでしているわけではない。
盗賊どもが悪い役人と結託して、取り締まりにきた者に復讐するようなことは、
李先生は絶対に許せないので、
斉州に赴任するや、不良の役人どもを震え上がらせ、
半年間に七百人もの盗賊を捕えた。
それを見るなら、
李先生が家に九千巻もの蔵書がある文人であるとは誰も信じないだろう。
盗賊を一掃すると、春から秋は何事もなくなり、
時折は豪快かつ艶やかに歌舞の宴を催したりして過ごした。
冬に私が旅人となって行くと、
李先生は銭を惜しまずに歓待してくれた。
斉州の人々は李先生を慕い、
今回、李先生が斉州から離れたときには、
子供等が道に泣いて行く手を遮ろうとしたという。
私は、恥ずかしいことに、この山がちの土地にただいるだけで、
あまりに貧乏なので、兵士にも役人にも笑われている始末。
李先生を迎えて、何とかして酒を御馳走しよう……
こんなものしかないのかとがっかりさせまい……
官妓にきてくれるよう約束を取ったり……
それなりに着飾って歓待しようとしたり……
夜も眠らずに準備した。
詩を作って、今日の酒宴はやめにしようと断りに行かせたのは、
どうせ出費を渋ったのだろうと、笑うようなことだけは決してしないでほしい。
明け方から風が強く吹いて、土埃で空が真っ暗になってしまったからなのだ。
酒宴を中止にして、どうも気が縮まって仕方がない。
思えば、昔、天下第一といわれた牛を豪気にも賭け事の的にした人がいたというけれど、
李先生ならそういう大胆なことをして、このもやもやをすっきりさせてくれるであろう。
【補足】［その後、李常との約束を果たした宴席で詠んだ詩があるが、座興の作であるので、ここでは割愛する］
■【05-4-018】夜飲次韻畢推官
【解題】畢仲孫［字は景儒］と夜に飲み、畢仲孫の詩に次韻した。畢仲孫は徐州の役人。
【訳文】
簿書の深い叢のなかで過ごすうちに、
春の風はどこかへと過ぎ去ってしまった。
時には酒と出会うことくらいはあってもよかろうと、
燭台の紅い光が照らす庭を眺めつつ飲んでいると、
いつしか暁を催す鶏の声が高らかに響き、
それに応じて馬が勇んで嘶き始める。
老いると「金釵の興」［女性への関心］は減じるらしいが、
畢仲孫君は酔って後にもみごとな筆を揮って人を驚かせる。
酒宴というものは、
月が上らないうちに早々と散会するのがよろしいのだろう、
夜が更けると知事殿はどこかで眠りの深い谷間に落ちてしまって、
役所の従者たちが探さなければならなくなってしまうだろうから。
【補足】［畢仲孫は書が巧みであったと蘇軾自身が注記している］
■【05-4-019】与文与可
【解題】親友の文同［字は与可］［→作品番号05-4-002］に宛てた手紙。
【訳文】
……水害の後で、年を越えて労役に従事し、いままだ黄河の決壊箇所は塞がれていないと聞き、はてさて何時になったらおさまりますのやら。文彦博公の詩に和した作品を寄せてくださり、みごとな出来栄えに驚き、それに継いで作ったみたいと思いながらも、私にはほとんど無理でありましょう。お会いする縁はまだありませんが、万万自重されますように。……三月二十六日。
【補足】［文彦博の詩とは超然台を詠んだ作品のことである［→作品番号05-2-017］］
■【05-4-020】芙蓉城并叙
【解題】王迴［字は子高］は、さしずめ宋代のほら吹き男爵で、違いがあるとしたら、蘇軾を始めとしてその話を聞いた人が、かなりの程度で真実であると受け止めたことであろう。これは王迴の語った不思議な旅行を詩に詠んだもの。原詩は含蓄のある難しい語句を並べているが、ほら話だとしか思うことのできない訳者としては苦労して真面目な訳文を作る気が起こらないので、ごくいい加減なふざけた日本語に直しておく。
【訳文】
叙
世間では王迥が仙女の周瑤英とともに仙界の芙蓉城に遊んだと伝えている。元豊元年三月、私は初めて王迥に会ったので、それについて問うと、その通りだという。そこでこの詩を作った。この詩は、仙界のあることの意味を追求して、何が正しいかを明らかにしようとするものである。不思議な話でも礼法に適う助けになることもあるであろう。
芙蓉城の中は花がどっさり、
その主人は誰かと申しますと、
皆様ご存知の石先生か丁先生か。
石先生は死んだ後に友人の夢に出て、
「わしはいま芙蓉城おるのだが、遊びにこないかい」
と、いったのですが、
何とその友人は断ってしまったとか、
石先生はぷりぷり怒って帰ってしまわれたのでありました。
丁先生はある朝道を歩いておりますと、
美しい女性ばかりを乗せた馬の群れがきて、
さっと連れ去られてしまったのでありました。
町の人が、最後に行く女に尋ねますと、
「丁先生を芙蓉城の館主としてお迎えするのです」
と、答えたとか。
芙蓉城のあたりの様子を申し上げますと、
雲が巻き、霞がたなびくその中に、
珠の簾に玉の机に翡翠の屏風、
そこに千人の美しい女性たち、
とりわけ青く長い眉、きらり輝く雲か、淡くまたたく星か、
このお方こそは周瑤英さま、
三つの世を往来して、
つまらない人間の形になってしまったときに、
うっかり『黄庭経』を読んでしまったのが運のツキ、
天の門が夜に開いて周瑤英さまの霊は虚空を飛びまして、
芙蓉城へと来られたのでありました。
ところが、俗縁というものはなかなか尽きないものなのでありましょう、
仙人の翠の衣がはらりと落ちたかと思うと、
またしでも人間界に降りてきてしまったのでございます。
そのときちょうど王迥は、
何を隠そうこの我が輩でありますが、
天帝のもとにどうにかして詣でたいものだと、
緱氏山で笙を吹いていたのでございます。
そこに飄然とやってきた女性がありまして、
月の光のように窓よりすっと入ってきまして、
はて誰かと思う間もなく、また去ってしまい、
その後には、
冷えびえとした風が幌に吹き付けるだけであったのでございました。
残念、我が輩のためには仙宮の扉は開かないのかと、
がっかりして眠りにつきますと、
はてさてそれからは夢かまことか、
我が輩は鳳凰の翼に乗っておりまして、
周瑤英さまに導かれて、
雷が走るかのようにたちまち万里を超え、
玉の楼閣が空中に幾重にも浮かぶところへとやってきたのでありました。
見上げる額にはいずれも天の文字が記され、
高い楼閣をあちらからこちらへと、
飛ぶのか歩くのか、
芙蓉城を見て回りますと、
静かに鈴が鳴るかのように仙宮の風が吹いてまいりまして、
にわかに酒が醒めたかのような感じがし、
はてさて我が輩はいまどこにいるのやら、
周瑤英さまが丁寧に別れを告げまして、
瓶より覆り出た水は元に戻らないという通り、
もはやここにはいられないのだと知りまして、
羅巾は涙でぐっしょりと濡れたのでございます。
かくて芙蓉城を見てきた吾輩が思いますに、
春の風に花は開き、秋の風に葉はしぼみ、
世間の栄華も鼻をふさぐべき腐った臭いでしかなく、
人の一生は、大海の浪に漂いつつ、
たまたま出会った浮き草にしがみついているようなもの。
我が身の内をよくよく観て、
本性を害虫に食われてしまわないようにすれば、
一念のうちに三千年が過ぎるような長生も得られることでありましょう。
■【05-4-021】続麗人行并引
【解題】杜甫に『麗人行』［美しい女性の歌］という詩がある。美人を称賛したのではなく、楊貴妃の一族が栄華を極めていることを嘆いた詩である。杜甫のその作品に続こうとの意気込みで蘇軾はこの詩を作った。短い序文がある。
【訳文】
引［序文］
李仲謀の家に、唐の周昉の画があり、背中を向けて欠伸をしている宮女が極めて精緻に描かれている。それを見て戯れにこの詩を作った。
宮中の奥深くには人影がなく、春の日がゆったりと過ぎてゆく。
玄宗皇帝が建てた沈香亭の北に、百花が美しく咲いている。
美人はいま眠りから起き上がり、髪を軽く梳かして顔を洗う。
燕が舞い、鶯が啼き、美人は独り心を傷める。
画工は、窮まることのない美人の意を写し取ろうとして、
起きたばかり、春の風に背を向けているところを画いたのだろう。
もし首をこちらに向けて微笑んだならば、
町の貴公子たちは風に靡くようにこの美女に魅せられるのであろうか。
楊貴妃が玄宗皇帝の寵愛をほしいままにしていたとき、
杜甫は飢えたさすらい人で、その眼差しは冷たく鋭かった。
杜甫は、脚の萎えた驢馬に乗り、破れた帽子を頭に載せ、
楊貴妃一族の、馬には金色の鞍を載せた豪華な行列の後ろに付いて行った。
花を隔て、水をはさんで、ほんの一目だけ、美女の後ろ姿を見た。
心は酔うばかりになって、
人間の世界には、かの伝説の美女である西施のような女性が実際にいるのを知ったのだった。
茅葺の小屋に帰って、『麗人行』の詩を作った。
ああ、画の美女、杜甫の見た美女、
それぞれに正面を向いたらどうであったろうか。
思うに、二人はいくら美しくても、
漢の時代に梁鴻の妻となった孟光には到底かなうものではない。
孟光は世間で評判になるほどの不美人であったけれど、
あれこれ選り好みをして嫁に行かずにいた。
父母が訳を尋ねると、
「梁鴻のような賢人でなければ私は夫としないのです」
と、答えた。
それを伝え聞いて梁鴻は娶ったのだった。
孟光は膳を必ず眉の高さにまで持ち上げて夫に差し出し、
春の光に背を向けて心を傷ませるようなことはしなかった。
【補足】［序文にある李仲謀がどのような人であるのかわからないという］
■【05-4-022】章質夫寄恵崔徽真
【解題】上の解題で触れた杜甫の『麗人行』には、「慎莫近前丞相嗔」［慎んで前に近づく莫かれ 丞相が嗔らん］という句があって、美しい女性をもっと見たくても近づいたりしたら、丞相［楊貴妃の一族の楊国忠］の怒りを招くであろうと詠まれていた。蘇軾はそれを少し変えて、「近前試看丞相嗔」［前に近づいて試みに看たなら丞相が嗔るだろう］という句を含んだこの詩を作っている。これは、章◆［字は質夫］［◆は次の下に呆という字］［→作品番号05-4-001］が崔徽という女性の肖像画を贈ってくれたので、そのことを詠んだもの。崔徽については作品番号05-3-029で見ている。
【訳文】
玉の釵が半ば脱け、
雲のような髪が崩れて耳にまで垂れさがっている。
崔徽は秋の水に映る芙蓉の花のよう、
生きているときにはまことに辛い思いをした薄命の女性、
いまでは君子の立派な部屋にその肖像画が飾られている。
このような麗人が水辺にいないとは限らないが、
近づいて見ようとしたならば、
必ずその主人の嗔りに触れてしまうだろうから、
画中の人の方がきっとよいのだろう。
しかも、言葉を発することもない、
世間の人の言葉にはもとより真はないのだから。
崔徽の画を贈られて、
その人の絶望の深さに驚かされた私には、
崔徽のために何ができるのだろうか。
冬の寒さにも屈することなく花を咲かせる梅を讃える詩を作ればよいのか。
でも、鉄のように強い崔徽の心は、何ものにも害われることはなかったのだ。
■【05-4-023】聞李公択飲傅国博家大二首
【解題】李常［字は公択］［→作品番号05-4-017］が傅裼［字は子美］［→作品番号05-4-014］の家で飲んで大いに酔っぱらったと聞いて蘇軾はこの詩を詠んだ。
【訳文】
其の一
昔むかしの大酒の飲みの山簡は習家の園を訪ねると、
酔ってぶっ倒れたので、
子供等が手を打って笑ったという。
李君も、いくら何でもそこまではしなかっただろうね。
昔むかしの大酒の飲みの淳于髡は一斗を飲ませてもらって酔い、
主人はほかの客人を帰らせてからさらに飲ませてみたところ、
とうとう一石を飲んでしまって大いに酔ったという。
傅君は、いくら何でもそこまでのもてなしはしなかっただろうね。
【補足】［李常とはまことに気の置けない仲だったようで、第二首もまた酒に関する故事を引いたおふざけの詩で、訳は割愛する］
■【05-4-024】傅子美召公択飲、偶以病不及往、公択有詩、次韻
【解題】上と同じときの詩。李常［字は公択］が傅裼［字は子美］の家で飲んだときには、実は蘇軾も呼ばれていたのだが、たまたま病気のために行けなったのである。そのことを詠んだ詩。
【訳文】
樊素に阿蛮といえば白居易が可愛がっていた妓女、
傅君がそのような女性を出して演奏させると、
李君はたちどころに詞を作って歌ってみせる。
哀れなのはこの病人である、
我が家の西の窓の下で
一晩中、丹田のあたりを手で摩っているのである。
【補足】［丹田は下腹部にあると信じられていた謎の臓器で、気がそこに集中し、体内の循環を司っているとされていた。その部分をさするのは病気を治そうというのである］
■【05-4-025】観子美病中作、嗟嘆不足、次韻
【解題】李常［字は公択］が上の詩を見て、病を嘆くという詩を作って送ってきたので、それに次韻した。
【訳文】
李君の嘆きとは、
百尺の高い松が砕けて谷の下へと落ちるときの叫びか。
その松はといったら、
寒さのために枝がぽっきりと折れ、
根元が崩れて露出してしまい、
そこに、狂ったように風が吹きつけて、
さらにはどしゃぶりの雨……
■【05-4-026】起伏竜行并叙
【解題】詩題は「寝ている竜を起こす歌」。どうして竜を起こすのかというと、雨を降らせてもらいたいからだ。短い序文が付いている。
【訳文】
叙
徐州の町の東二十里に石潭があり、土地の父老はこのようにいっている。「潭の底は泗水に通じています。水の増減、清濁は泗水と呼応していて異なることがありません。時に潭には川の魚が出現します」。元豊元年の春は日照りが続き、ある人が言うには、「石潭に虎の頭を置くと雷雨を呼ぶことができます」と。その説に基づいてこの詩を作る。
昔むかしのこと、
白い竹で作った千鈞い弩で、
南山にいる雪のように白い虎を射殺した。
その虎の頭は鋭い牙を付けたままいまもどこかにあり、
天下の虎は、皆その虎を先祖として生じたものだという。
都の東の地方は久しい日照りのために土が赤くひび割れし、
この三カ月の間は、道行く人の口の中は土だらけになっている。
碧い石潭は町の東にあり、そこは神物が蟠るところとして崇められている。
上には岩が切り立った巌穴があり、
下には川に応じて地底の水が通じている。
ここには竜が棲んでいて、
眼光は稲光となって金蛇を走らせ、
鼻息は雲となって煙縷を降らせるという。
太古の時代には、竜は天帝の命令を伝えたというが、
それからは宝玉を抱いて惰眠をむさぼっているのか。
竜の腹にはたっぶりと雷が貯まっているはずなのに、
竜はそれを吐き出すことなく押し黙っている。
明日は、赤い竜と白を虎を闘わせようと人々は考えている。
そうなれば、黄河の水が逆巻いて、豪雨となるからだ。
しかし、私は両雄を闘わせることには気が進まない。
ちょいとだけ竜に怒ってもらって、ひと雨降らせてもらうくらいでよいのだよ。
■【05-4-027】徐州祈雨青詞
【解題】上の詩と同じときに神にこの文を捧げて雨を祈った。
【訳文】
黄河がもとの道を失い、それによる患が東方へと及び、徐州は下流に位置するために、他郡よりも最も害を受けました。農地も家も水に漂い、親子はばらばらに流され、多くの者が飢えと寒さのために溝や坑に落ちて命を失いました。盜賊が横行し、牢獄は罪人で溢れています。人は窮迫し、生きる計がなく、理は極まり、もはや言葉もありません。望むのは、五穀が稔って、死にかけている飢えた民が救われることだけであります。しかし、天は禍をもたらしたことをいまなお悔いないのでありましょうか。天候は大きく乱れ、水がまだ落ちないうちから旱魃の恐れが生じたのです。冬は雪がなく、春には雨がなく、もうもうと塵が降って、草も木も焦げたように枯れてしまいました。この春はすでに麦が稔る時期が過ぎつつあります。しかし、得られるものは植えたものを償いそうにありません。稲が生長しなければ、憂いは来年にも及んでしまいましょう。
臣どもは恭しくもしきたりに従ってもろもろの神々に祈り回っておりますが、水害や干害にはきっと定まるところがあって、鬼神が自在に制御できるものではないのでありましょうか。ここに頭を下げ、哀れを告げますのは、天に悲しみを伝えて、その命を請うためであります。あるいは政事に過ちがあって、それを咎めるために陰陽を狂わせたのでありましょうか、あるいは神に仕えることが恭しくないのを咎めるのでありましょうか。それらの罪があるとすれば、すべては臣の一身にありまして、臣は罰を受けるのを辞するものではありません。民衆は何も知りません、天の咎めは臣にとどまるべきであります。
どうか雷の神に命令を下し、山や川の神々にもそれぞれ命令を下し、朝に小さな雲を湧かせ、夕べには千里にわたる雨を降らせてくださいますよう願うものであります。歳なかばにして穀物の熟すのを見るならば、人々は小康を得ることができるでありましょう。
■【05-4-028】浣渓沙
【解題】「雨に感謝するために石潭に行く途中での作」という添え書きのある詞。石潭で祈った効果があったのか、雨が降ったので、そのお礼を告げに出かけたのである。
其の一
照日深紅暖見魚。［夕日に深く紅く暖かく照らされて潭に魚が見えています］
連溪緑暗晩蔵烏。［渓に暗く緑が連なり、夕暮れの烏が隠れています］
黄童白叟聚睢盱。［ここに黄の子供と白の老人が集まって、睢盱と目を動かしています］
麋鹿逢人雖未慣、［鹿はまだ人と出会うのに慣れていません］
猿猱聞鼓不須呼。［猿は太鼓を聞くと呼ばずともやってきます］
帰家説与采桑姑。［鹿［老人］と猿［子供］はここで見たことを家に帰って桑を摘む女たちに話すのです］
【補足】［この第1首は、石潭で蘇軾が行った儀式の様子を描写している。第2首以下は、石潭に着くまでの間に見た村々での幾つかの光景を詠んでいる。詞は、何度か記してきたように、宴席で男女の情を歌うものとして発展してきた。農村のありさまをさらりとスケッチした蘇軾のこの作品は過去に類例のない画期的なものであった］
其の二
施抹紅妝看使君。［化粧を施した村の女性たちが知事殿を見ようと］
三三五五棘籬門。［三々五々、枝で編んだ門の脇に突っ立っています］
相挨踏破蒨羅裙。［互いに身を乗り出し、赤い裙を踏み合っています］
老幼扶携収麦社、［老人と幼子が手を携えて麦の神様の社へと行き］
烏鳶翔舞賽神村。［村の上を舞い飛ぶ烏や鳶の下で神様にお供え物をします］
道逢酔叟臥黄昏。［黄昏時に道で逢うのは、酔い臥した男どもです］
其の三
麻葉層層檾葉光。［重なり茂る麻の葉、光り輝く檾の葉］
誰家煮繭一村香。［どこの家からなのかでしょうか、繭を煮る匂い村全体を覆っています］
隔籬嬌語絡糸娘。［垣根を隔てて糸を繰る娘たちがおしゃべりをしています］
垂白杖藜擡酔眼、［藜の杖を手にした白髪の人が酔ったような眼で見ています］
捋青擣麨饑腸。［その餓えた腹がほしがっているのは採れたての麦で作った麦こがしです］
問言豆葉幾時黄。［そしていうには、豆はいつごろ成熟するのかね、と］
其の四
簌簌衣布落棗花。［棗の花が簌簌と衣に落ちてきます］
村南村北響繰車。［村の南からも村の北からも、糸車の音が響いてきます］
牛衣古柳売黄瓜。［麻の衣をまとった瓜売りが柳の下で休んでいます］
酒困路長惟欲睡、［道の遠さに悪酔いしたかのようにひたすら眠くなり］
日高人渇漫思茶。［日が高く喉が渇き、ひたすらに一杯の茶だけを思います］
敲門試問野人家。［試しに農家の門を敲いてみましょう］
【補足】［これは蘇軾自身をスケッチしたものであろう］
其の五
軟草平莎過雨新。［雨が降ってすっかり新たになったような一面の柔らかな草々］
軽沙走馬路無塵。［軽やかに馬を走らせても路には塵が立ちません］
何時収拾耦耕身。［人々と一緒に耕す身にいつ私はなれるのでしょうか］
日暖桑麻光似溌、［日は暖かく、桑や麻からははじけるような光］
風来蒿艾気如薫。［風は高く、蒿艾の薫りが充満しています］
使君元是此中人。［知事殿は元来この風光の中の人なのです］
【補足】［蘇軾は、為政者側の人間として農村を見ているのではなく、もともと自分は農村の中に暮らす人間であって、いつかはそこに回帰するのだという眼差しで見ている［→作品番号04-2-017］］
■【05-4-029】聞公択過雲竜張山人、輒往従之、公択有詩、戯用其韻
【解題】李常［字は公択］が雲竜山の張山人［張天驥］［→作品番号05-4-010］を訪ねたと聞いてすぐに後を追い、李常が詠んだ詩に和した。
【訳文】
私はもともと心配事が多いたちなのだろう。
昔から、肉を食べない者は顔色が悪いというけれど、
私は肉は食べているのに、いつも顔色がさえない。
李君に会って少しでも笑い、さらに酒を楽しく飲んで力を得たいと思っていたところ、
李君が雲竜山に行き、張山人と静かに黙って酒を飲んでいると聞いた。
急遽、歌の上手な女性を連れて、町を飛び出たところ、
まだ日が傾く前に着いた。
たった一つの歓びだって力づくで得られるものではなく、
期せずしての巡り合せというものがなければならない。
春の終わりの花ににぎやかに蜂が集まり、
草むらの中で雀が乱れ騒いでいる。
張山人はこうした自然の事物の巡り合せを楽しみ、
いつもは誰もそばにいない静けさのうちに過ごしている。
李君は独り憤慨することがあり、誰もわかりあえる者がいない。
三者三様でこのような次第であるから、
ここは皆で養生を学んで、
天地の気を我が内に納めるようにするのがよいであろう。
■【05-4-030】送李公択
【解題】しばらく滞在していた李常［字は公択］が徐州を離れることになり、この送別の詩を詠んだ。
【訳文】
私には兄弟が少なく、天地間にたった一人の蘇轍がいるだけだ。
かつて友人だった者はたくさんいるけれど、
その出処進退は、私と考えを一つにするものではなく、
手で招いて呼ぼうとしても、向こうに行ってしまって留まろうとしてくれない。
わずかに残った友人はいま幾人なのか、
それぞれ天下の片隅にいる。
そうした友人は、
暁に至って多くの星が消えてゆく中で、
ただ明けの明星ばかりが明るく輝いているのに似ている。
私と李君は、気持ちが一つであるのは、まことに手と足のようだ。
去年も今年も会えて、
客と主人の立場を替えて盃を応酬することができた。
この十日間の楽しさといったら他にないものだった。
「和して流れず」とはこのことだ。
議論をかわして深夜に至ったときには、
下僕達が立眠りをして倒れてしまった。
かつて知事のもとに、このような客人がきたことがあっただろうか。
別れようとして言葉を出すことができない。
百の憂いが集まってきて痛くてならない。
思うに李君には兄上がおられる。
その名が天下に知られること三十年になるが、
李君を見てすでに兄上の人となりもわかった。
馬と牛を並べて見るまでもないのだ。
李君兄弟、そして我が兄弟、
いつしか皆が会うことがあるのならば、
時を忘れて髪が真っ白になるまで語り続けることだろう。
【補足】［ある注釈家によると、この詩で、「故人雖云多、出処不我謀」［故人は多いと云いは雖、出処は我に謀ることは不］といっているかつての友人とは、具体的には章惇［→作品番号05-1-065］、李清臣［→作品番号05-3-058］、張琥［→作品番号02-3-032］らであるという。確かに章惇は早くから改革派に加わっていたのだが、親しい友人であるとの意識は持ち続けていたし、李清臣はこのころから次第に改革の担い手の一員となっていったのだが、この時点ではまださほど距離が離れていたわけではないだろうし、張琥は本章の終わりに見る「嵐」に加担するほどに遠く離れた間柄になっていたのだが、むしろ距離が離れすぎて意識に上ることもなかっただろうから、ここで具体的な個人名を詮索するのはさほど意味があることだとは思えない］
■【05-4-031】蝶恋花
【解題】李常との別れにこの詞も贈った。
【訳文】
簌簌無風花自堕。［簌簌と風もないのに花は勝手に落ちてゆきます］
寂寞園林、［静まり返った庭の林の］
柳老桜花過。［老いた柳と、花の過ぎた桜桃］
落日有情還照坐。［情があるかのように、落ち行く日は別れの座を照らします］
山青一点横雲破。［横雲を破るようにしてたった一点だけ山の青さがのぞいています］
路尽河回人転舵。［見送る私の路はここで尽き、あなたの船は河とともに向きを変えます］
繋纜漁村、［そして、纜を繋ぐのはどこかの漁村］
月暗孤燈火。［月は暗くて、たった一つの燈火だけがあるのです］
憑仗飛魂招楚些。［私は杖に頼って、飛んで行ってしまったあなたの魂を招き寄せようとします］
我思君処君思我。［私はあなたのところを思い、あなたは私を思うのです］
【補足】［（1）前半の最後の句「山青一点横雲破」［山青の一点 横雲を破る］は、日が沈んで行くとともに、横にたなびく雲の中に隠れていた山が姿を現し、その青さが際立ってくるありさまを歌っているのだろう。（2）終わりの部分の「飛んで行った魂」は屈原の故事を用いている。屈原は讒言によって楚の都を追われたときに、南の地をさまよう自分の魂を呼び戻してはくれることはもうないのかと嘆いた［後に絶望して投身自殺した］。改革に反対して地方勤めを余儀なくされている李常を屈原になぞらえたのである。（3）最後の句「我思君処君思我」が上から読んでも下から読んでも同じ回文になっているのは蘇軾の遊び心］
■【05-4-032】送筍芍薬与公択二首
【解題】李常との別れの席で、蘇軾は筍と芍薬を出して与えた。
【訳文】
其の一
長らく山東の地にいる者は、
ここのもっさりとした料理には飽き飽きで、
とかく南方の御馳ばかりを想ってしまう。
そんな私の心を知るある友人が千里の遠くから筍を贈ってくれた。
そのつやつやとした輝きは、
錦の産着から出たばかりの玉のような赤ん坊。
調理人にはまだこの旨さがわかっていないのだろうが、
私の目にはもう明らかに見えている。
我が家の拙い厨房にあったのは、
豚肉やら蕪やら大根やらを雑多に煮たもの。
そんなものはうっちゃってしまって、
李君には、筍を焼いて、香ばしいご飯に添えて出そうではないか。
【補足】［「もっさりした料理」と訳した原文は「鹵饌」で、蘇軾自身の注で、「蜀の人々は東北の人を『鹵子』と呼ぶ」と書き添えている。蜀の人々は黄河下流域や山東半島の人々は武骨でやぼったいと見ていたのだろう。逆に、蜀の人々は軟弱で浮ついていると見られていたようである。そうした地域感情の違いが、政治的対立に発展してしまうことを後に見るようになる］
其の二
今日は何やら面白くない気分だったので、
庭中の花を折り尽くして飾ってみようとした。
いまは何の花があるのかと見ると、
わずかに芍薬の花びらが残っているだけ。
長らく日照りが続いた後で急に雨に遭い、
枝や花が泥に乱れ落ちている。
まだある芍薬は、用いるためには手折らなければならないが、
手折ってしまうと嘆きのもとになる、
だけどこのまま抛っておくこともできない、
ならば李君に贈ろうではないか。
一枝の春をさしあげるから、
おたくのお嬢様の髪にどうぞ挿してくれたまえ。
■【05-4-033】和孫莘老次韻
【解題】孫覚［字は莘老］から送られてきた詩に次韻した。孫覚とは杭州時代に交流があり、密州に赴任する途中で、母の喪に服して帰郷していた孫覚を高郵に訪ねたこともあった［→作品番号05-1-002］。孫覚は喪が明けてこのときは蘇州の知事になっていた。
【訳文】
故郷を離れると、
光陰は春の雪のようにたちまち消えてゆき、
故郷に還ると、
たどってきた跡は野に飄る雲のように空しい。
功名はきっと行楽を妨げる。
役所勤めがよいのはたった一つ、
早朝に起きるのが平気になることだとか。
もう一つあるとしたら、
友人とは離れてゆく一方となって、
役所の部下と親密になれることか。
さらにもう一つあるとしたら、
地方に出れば世間の讒謗を避けられて、
その土地の民衆の歌を知ることができることだ。
来年あたりは、貴君に倣って私もまた江南に行ってみたいものだ。
問題山積の地だろうが、片田舎だろが構いはしない。
■【05-4-034】遊張山人園
【解題】雲竜山の張山人［張天驥］をまた訪ねた。
【訳文】
壁に掛かっているのは煙蘿子を描いた一つの軸。
盆に投げ込まれているのは錦被堆の千本の枝。
私は、張先生の酒の伴になるのにすっかり慣れ、
先生は、知事さんがいつ来ても嫌わずに笑ってくれる。
いまは、麦の穂先が細くとがって黄色い花が乱れ、
それを詩に詠もうとしているうちに、さっとにわか雨がくる。
聞くに、先生の家の井戸は好い水であるとか。
帰るときに、どうか瓶にたっぷりいただきたいものだ。
【補足】［一句目の煙蘿子とは仙術を会得した昔の人の名。錦被堆とは、高さ一丈ほどで、小さな紅い花をたくさんつける木。そうしたものが部屋に飾られているということで張山人の暮らしぶりをスケッチしている］
■【05-4-035】杜介熙熙堂
【解題】杜介［字は幾先］の熙熙堂について詠んだ詩。杜介はすでに官界から退いた人で、揚州に住んでいた。熙とは喜び楽しむ意味。この時期にこの詩を詠んだ経緯はわからないが、杜介のことは後にまた見るようになる。
【訳文】
険しく困難な世間の路から貴君は先に去り、
奥深いところに美しい堂を自ら開いた。
晋の殷浩は朝廷から追放されたときに、
口を閉ざし、中空に「咄咄怪事」の四字を書き続けていたのだが、
貴君は高台から春の景色を眺めているかのようにいつも熙熙している。
朝廷の命令を記す黄紙も、官軍の前に立てる紅旗も、
貴君の心を動かすことはもはやなく、
仙人が奏でるという『碧玉の曲』を琴で弾き、
仙薬を作るために白砂と親しんでいる。
遥かに想見するのは、
客人が帰らないように門を閉ざし、
雷のように賑やかすぎる宴を催していること。
■【05-4-036】次韻答劉涇
【解題】宿州知事の劉涇［字は巨済］［→作品番号05-3-025］から送られてきた詩に次韻したもの。劉涇には心にわだかまるものがあって、それを詩文に書き表そうとしているのに対して、抑制することも必要なのではないかと蘇軾はこの詩で助言しているようだ。
【訳文】
詩を吟じても、秋の虫のように鳴いたりしないのがよいだろう。
天公［造物者］は、貴君が物から情を引っ張り出し過ぎるのを怪しんで、
貴君がまだ若いのに白髪を生じさせてしまったのではないだろうか。
霊芝と蘭草は香りよく気高い草だ、
雨に潤うと青さが増してさらに香りがよくなる。
自分自身を焼き焦がして香りを立てようとはしない。
貴君は千枚もの紙に細かく字を書き、みごとな行書もその中にある。
貴君の新しい詩は姿を百変させ、鶯のように巧みに囀っている。
しかし、言葉が過剰になると、蜂の巣をつついたような言い争いを引き出し、
ついには、舌先三寸で七十余城を落としてみせると放言するようなことになる。
万巻の書物を、胸の内にどっしりと動かないように積み上げ、
詩文の楽しみなどは病のようなものだと思うことはできないだろうか。
私には至上の味わいがある。
煮たり焼いたりする料理の味ではない。
その楽しみは名付け難い――
緑の槐が山のように繁って庭に小暗い蔭を作り、
虫が耳のあたりを巡って細やかな音を立てる、
おんぼろの筵に寝転がり、臥して音を聞き、起きて蔭を見る、
かといって立派な敷物を毛嫌いするわけではない、
出て歩くときは、
溝があろうが坑があろうが、足に任せて行き、
道で権勢家に出会っても、へいこら世辞を言ったりしない、
役人や民衆は私が老いて頭も鈍いのを哀れんで、
互いに戒めて、面倒な訴訟事で私を煩わさないようにしてくれている、
時に泗水の流れに臨めば、
微かな風も起こらず、鏡のように平らな水面にわが白髪を映し、
葉のように軽い舟を得て、
そこに臥していると、もう着きましたぞという声に起こされる、
そのときに、ふと故郷のあの味のために帰ろうかと思う――
やはり腹が減っては何もできないので、
腹の虫をなだめるためにたっぷり食べるとしよう。
【補足】［「故郷のあの味」と訳したところの原文は、有名な蒪菜の故事［→作品番号04-1-080］を用いている］
■【05-4-037】携妓楽遊張山人園
【解題】雲竜山の張山人［張天驥］のところに妓女や楽人［演奏家］を連れていったらどのような反応をするだろうかと戯れた詩。
【訳文】
「杏の実が大きく黄色に熟しましたなぁ」
「小麦の穂がたっぷりふくらんでよく稔りましたなぁ」
「巣から落ちた鵲の雛が竹をよじ登ろうとしておりますぞ」
そんなことを言い合いながら、
飾り立てた馬に乗った知事殿が、
紅く化粧した女性やら、
ことさら俗っぽい大勢の連中とともに、
ひっそりと山に住んでいる先生を驚かせてみようと、
雲竜山の谷を満たして押し寄せた。
「呑め、呑め」
と、鳴く声は提壺［鳥の名］――それは我等の心。
「帰ろう、帰ろう」
と、鳴くのは杜鵑――それは速やかに退散していただきいとの先生の心。
それで酒盛りはお開きとなって、人が帰ってしまうと、
先生はぴたりと門を閉ざす。
あたりは何もない静寂に返り、
斜めになった日が木の枝に掛かっているだけ。
■【05-4-038】種徳亭并叙
【解題】蘇軾は杭州にいたときに、町の候潮門の外に住む王復の住まいを訪ね、そこにある二本の檜を詩に詠んだことがあった［→作品番号04-1-090］。何かのきっかけがあったのだろうか、再び王復のことを詩に詠んだ。
【訳文】
叙
処士［官に仕えない知識人］の王復は代々杭州に住み、いろいろな技能を持ち、特に医術に精通している。王復が目指すのは人を活かすことで、利益を得ようなどとは思っていない。候潮門の外に住まいがあり、庭や畑を整え、亭を建て、賢人たちを招いてそこに遊ぶ。王復はもてなしが十分でないかということだけを気にかけ、人に何かを求めることは一切ない。人は王復が花を育て、実を稔らせることに努めているのは知っているけれど、本当に王復が植えて育てているのは徳だということを知らない。私は王復の亭を「種徳」と名付け、詩を作って贈ることにした。
王君の小さな庭は城郭沿いにあり、
門を閉ざしていても草の香りが溢れ出る。
王君の名は町の人々の中に埋もれて隠れているが、
その徳は庭の佳き木とともに長く伸びあがっている。
王君は、漢代の名医の華陀のように、人の本来の力をよく養い、
古の名医の倉公のようにたくさんの薬方を用い、
助けて活かした人は数知れない。
しかし、道で逢っても王君は誰であるのか忘れている。
酒を置いて賓客を招き、花の間に人が満ちるのを王君は喜ぶ。
王君の庭には蒼く聳える二本の檜がある。
私は東南に旅して、再びそれを見たいと思う。
山茶はきっと庭からはみ出るまでに花を咲かせ、
橘は墻を超えて繁っていることだろう。
木は老いて徳もまた熟す――
この言葉はきっと荒唐無形ではないはずだ。
■【05-4-039】書鮮于子駿楚詞後
【解題】鮮于侁［字は子駿］［→作品番号05-3-007］が楚詞というごく古風なスタイルの詩を作って送ってきたので、この文章を書き添えた。
【訳文】
鮮于侁君は楚詞の体裁で『九誦』という作品を作って私に見せてくれた。私はそれを読み、茫然と考え、喟然と感心して、このように思ったのだった。
「ああ、この声は長らく作られなかったものだ。作ったとしても、聴く者は誰もいなかっただろう。音楽に譬えていうならば、古の音楽は乱れに乱れて現在に至ったために、いま世俗の間で演奏されているのは、夷の楽器を用いた夷の声で、昔の（文化の先進地であった）鄭や衛の国で演奏されていたものは求めようとしても得られないし、まして本物の音はすっかり消え去ってしまったのと同じであろう。学者は古の楽器を並べて、古の音楽を演奏しようとしてみせるのだが、それは勝手に鍋やら壺やらを叩いて得意がっているようなもので、笑いをこらえて聴いていられる者はいないのである。古の音楽を好んでも学ぶ師はなく、これを知って伝えようとしても弟子になろうとする者はいない。悲しいことではないか」
いま、鮮君は独り吟じては考え、寝ても覚めても千年前の屈原や宋玉の後を追おうとしていて、その人たちと遠く隔てた友となり、衰えて亡んでしまったものを継いで、さらには極めようとしているのである。ところが、鮮君の作品を見る者はそれが貴いものであるとは知らない。鮮君はひたすら作ることに励み、その難しさを知り、そして巧みになったのである。学ばない者は何もできない。
元豊元年四月九日、趙郡の蘇軾が書く。
■【05-4-040】和鮮于子駿鄆州新堂月夜二首
【解題】鮮于侁［字は子駿］が鄆州の新堂で月夜に詠んだ詩に和した。
【訳文】
其の一
私が鄆州の新堂に遊んだのは、
去年の春風に雪が消えた後だった。
池にはたっぷり水があって、
柳は千尺の高さから枝を垂らしていた。
貴君は桃や李の花のように輝き、
蝶が誘われるようにして貴君の袖へと入ったのだった。
あのときの風光はどこにあるのかいうと、
遠く境界を分かつ向こうである。
歳月の流れを思うのは詮無いこと、
急流に放たれた船のようにたちまち遠ざかってしまう。
繁栄もまたまことに一つの夢、
盛るも朽ちるもいずれも寂しいものである。
月ばかりはそのときのままに、
同じ光で杯の酒を照らしている。
羨むべきは、大河に浮かぶ船の上で、
時が行くのも知らずに穏やかに座っている人。
其の二
明るい月の光が池に入り、
反って池のほとりの部屋を照らす。
部屋には机によりかかる人、
その心は水に映る月のように涼し気である。
風に流れていた蛍の光の跡はもはやなく、
草に宿る露が時に光を放っている。
銀河が流れるのを見ようと、
立って歩む貴君の足音が長い廊下に響く。
どこかの都会では、
賑やかに笛を吹き歌っていることだろう。
先生は病んで飲むことさえもしないので、
かたわらで童子が香を焚いている。
先生は静かに五言の詩を作り、
それは韋応物の詩のように清らかである。
詩ができあがるころには月が傾いていて、
先生と月とが互いに照らし合うように向き合っているのである。
【補足】［蘇軾にしては、二首ともあっさりとしたわかりやすい作品である。「清絶如韋郎」［韋応物のように清絶である］と評した鮮于侁の詩風に合わせたのだろう］
■【05-4-041】跋楊文公書後
【解題】宋代初めの文人である楊億の書の後に記した短文。
【訳文】
楊文公［楊億］が亡くなったのはそれほど遠い昔ではないが、その筆跡はすでに得難いものになっている。その人となりは筆跡よりもさらに貴重である。この人のような風流はまた見ることができないのだろうか。
元豊戊午四月十六日題す。
【補足】［楊億が没したのはこれより58年前である］
■【05-4-042】徐州賀河平表
【解題】4月25日、黄河の決壊箇所を塞ぐことに成功し、そのことを聞いた蘇軾が祝賀する文章を作って朝廷に提出した。
【訳文】
臣蘇軾が申し上げます。聞くところによれば黄河の決壊した口がついに塞がれましたとのこと。……［民が大災害から救われた喜びを述べる］……大河が災いをなすことは昔から続く病で、禹［伝説上の聖天子］も兗州の野で奮闘することを十三年でようやく黄河を定めることができました。漢の時代にも黄河の決壊地点を塞いで、その記念に宣房宮を立てるまでに二十年余りかかりました。今回のように黄河が狂瀾して崩れたところから溢れ、もとの河道が喪われてしまってから、神のような速さでもとにもどせたのはかつてないことで、恭しくも皇帝陛下の至仁が広く施され、限りない神智によるものであります。……［皇帝を讃え、徐州の民もそれによって救われた喜びを述べる］……
■【05-4-043】浣渓沙
【解題】「徐州の蔵春閣の園中で」との添え書きがある詞。末尾にある「錦薫籠」は花の名で、香りが高く、瑞祥を表すとして喜ばれた。
【訳文】
慚愧今年二麦豊、［今年の大麦、小麦は驚くほどに豊かに稔りそうです］
千畦細浪舞晴空。［晴れた空の下で、千の畑が舞うように細やかな波を立てています］
化工余力染夭紅。［余りある自然の力は若い紅色を染め出します］
帰去山公応倒載、［園から帰るときには、昔の山簡のように酔い潰れ］
闌街拍手笑児童。［道のあちこちで子供らが手を打って笑っています］
甚時名作錦薰籠。［こうして錦薰籠はさらにその名を高めるのです］
■【05-4-044】文与可有詩見寄云、待将一段鵝溪絹、掃取寒梢万尺長。次韻答之
【解題】親友の文同［字は与可］から詩が送られてきて、そこに「一段の鵝溪の絹を将られるを待って、寒梢の万尺の長さを掃い取らん」［高級品である鵞渓の絹の布を得たなら、一万尺の長さの竹を画いてみせよう］とあったのを見て、次韻して答えた。なお鵞渓は品質のよい繭を産することで知られる谷である。このころ文同は洋州から都に還ってきていた。
【訳文】
鵝溪の絹の輝く光沢を貴君は愛するあまり、
鷄距の筆［鶏のけづめのように堅い筆］の紫色の先端でがりがりと裂いて、
だめにしてしまおうというのかな。
だいたい世の中に千尋［すなわち万尺］の竹というのがあるのだろうか。
いやいや、それどころではない、
月が傾いて、広い庭に影がどんどん伸びたならば、
鵝溪の絹がどれほどあっても写しきれないだろう。
【補足】［文同とは仲がよいだけに、このような戯れの詩を贈ったのだ］
■【05-4-045】徐州上執政謝奨諭啓
【解題】5月4日、蘇軾は洪水対策の功績をもって皇帝からお褒めの言葉をもらった［→作品番号05-3-062］。これは宰相、副宰相に宛てた謝礼の手紙。
【訳文】
事が有れば勤めに服す、これは実に臣下としての職務であります。功績があったところで記録するまでもないことでありますのに、俄かにお褒めのお言葉を頂戴する栄誉の浴しました。そのことを聞いてただただ驚き、我が身を顧みて恥じ入っております。
黄河がもとの道を失ってより、患は東方に及び、徐州は下流にあるために他郡を超えて最も大きな害を受けました。私は人々の力を結集して町を保ち、災いを軽くしましたけれども、洪水のもとを塞いだわけではなく、低いところをやや高くして、水をどうにか下流へと流しただけでありました。それは敢えてお上のお耳にお入れするまでもないことでありますのに、忝くも玉璽の書を賜ったのでありました。
徐州において私は知事の職にあって、左右に優れた者を得て、万民を保つことができております。人々がお上よりお言葉を賜ったのを喜んでいるのを見て、我が拙い身でありながらももはや恥じらうことはせず、縁によって過分の御恩をいただいたことも敢えて辞退することではないと考え、ますますこの職に努める所存にございます。己の鈍さに自ら鞭打ち、わずかでも政を補うために片時も休むことはないのであります。
■【05-4-046】聞弁才法師復帰上天竺、以詩戯問
【解題】詩の題は、「弁才法師がまた上天竺に帰ると聞いて、詩をもって戯れに問う」。弁才法師とは杭州の上天竺霊観音寺の元浄である［→作品番号04-2-053］。弁才は上天竺寺に17年間いたのだが、文捷という僧がその地位を羨み、権力者を動かして弁才から奪い取り、弁才は下天竺寺に落とされてしまった。すると上天竺を訪れる人がぱったりといなくなり、しかも文捷の不行跡が明らかになって、弁才が復帰したのである。
【訳文】
道人［弁才］が山を出て去ってしまってからは、
山は火の消えた灰のようになってしまい、
白い雲はもはや笑わなくなり、
青い松は悲しみに沈んでしまった。
道人が帰ってくると聞こえると、
たちまち鳥がわっと声を上げ、
山はぱっと顔を輝かせた。
道人の額からは神光が出て、
法雨を降らせてこれまでの埃を洗い流した。
遠く想い見るのは、
南の山も北の山も、前の台も後ろの台も、
どこでも花が開くありさま。
私はかつて道人にお尋ねした、
「禅問答とは諧謔をなすものなのでしょうか。
昔、ある人がある僧を尋ねました、
その人は僧の脇に立ち、
僧は鍛冶の仕事をしていました。
その人は立ったまま、僧もまた仕事を続けたまま、
かくてその人が去ろうとすると、
僧は尋ねました、
『何か聞くことがあってここにきたのかな、何か見たものがあって帰るのかな』
その人は、
『聞くことを聞き、見ることを見ました』
この問答の意味はいったいどこにあるのでしょうか」
いま道人はきっとこのようにいわれるだろう。
「昔もここに住んでいなかった、だからいま再びくるということもない」
はてさて何が是なのか、何が非なのか。
まあ、大事なことが一つあるとしたら、
杭州名物の白楊梅を食らうことでありましょう。
■【05-4-047】和子由送将官梁左蔵仲通
【解題】武官の梁交［字は仲通］［→作品番号05-4-014］は南京応天府に行っていたようで、弟の蘇轍が梁交を送る詩を携えて帰ってきたので、それに次韻した。
【訳文】
このごろは雨がたっぷり降っているので、
この春の麦の成長が遅いとは誰もいわないだろう。
町の堤防は堅固にできあがったから、
この秋に高い浪が立っても恐れることはない。
事もなく、日が長いときは、居眠りするのが最もよく、
頭巾が半分ずれて、扇がぽとりと落ちる。
庭の草は気ままに伸び続け、
珍しい鳥が降りてきても見る人がいない。
はっと覚めて、
この身もこの世もなるほど夢だと思いつつ、
ぼんやりと座ったままでいて、
顔についた枕の痕はいつまでも消えない。
町の西の方から報せがきて、
親しい友がきたと告げたので、
急いであたりを掃除し、麦飯を焚き始める。
昔の伏波将軍のような梁君が現れ、
いまもなお矍鑠として武を論じる。
我が弟の詩を見れば、
昔の竹林の七賢人のように仙道を談じてさらに清遠である。
南都［南京応天府］にいる君は道を学んで、
腹が減ることなどは何とも思わず、
ただ脳が満たされるのを誇っているのである。
【補足】［この詩の終わりには、仙人になった黄初平と俗人のままだったその兄の伝説を引いて、なかなか気の利いた感じの句が置かれているのだが、もたもた説明を加えるとごくつまらない訳文にしかならないので割愛した］
■【05-4-048】次韻秦観秀才見贈、秦与孫莘老、李公択甚熟、将入京応挙
【解題】この詩の題は、「秦観から贈られた詩に次韻する。秦観は孫覚や李常とかねてからよく知る間柄で、都に上って科挙を受けようとしているところである」。秦観［字は少游］は作品番号05-1-002ですでに記したように、後に「蘇門四学士」の1人に数えられるようになるのだが、このとき30歳で、科挙を受験するために上京する前に、徐州に立ち寄って蘇軾に会ったのだった。
【訳文】
光を発する珠を暗がりでいきなり取り出したら、
人を驚かせ、警戒させてしまう。
貴君は、ちょうどよいときにちょうどよい人に向かって、
珠のような詩を見せたのだから何の心配もない。
昔のとある将軍は百回勝利しても昇進しなかった。
昔のとある将軍は一斗の酒を袖の下として贈っただけで出世した。
貴君には腕力がまるでないようだから将軍には向かないだろう。
貴君が繁華な都会に十年間足を踏み入れなかったのは結構なことだった。
この前、李常君が徐州にきたときに、
貴君の文章を見て、古の人が書いたものだと思ったと言っていた。
貴君の詩は万物の情を説きつくし、書は王羲之さながらであるので、
新しいものか古いものかの区別が難しかったのだ。
李常君が徐州を去ってしまってからは、
河畔の草がただ青々と生い茂るばかり、
人はおのおの生きるところを異にするという諺の通りだと、
嘆いていたところ、
天は私の願いを入れて、貴君をここに連れてきてくれた。
ひとたび貴君の詩を読んで貴君の心を知ると、
我が眼中には、
貴君に重なって小柄な李常君と髯の孫覚君が見えるかのようだ。
江湖に放浪する間に貴君は真を全うし、
忽然としてひと声鳴くや人を驚かせることになった。
縱も橫も自由に進んで可ならざるはなく、
新しいものを出すことを貴君は少しも恐れなくてよい。
しかし、世間には破れ箒と千金の価値の違いがわからない者もいる。
この私にしても、役人生活を続けているのがよい算段とはいえない。
山中に帰る計画さえまだ決められていない私が言うことであるから、
まあ軽く耳に入れるだけは入れておいてくれたまえ。
【補足】［秦観はこの年の秋に科挙の一次試験を都で受け、その結果は後で見ることになる］
■【05-4-049】王元之画像賛
【解題】王禹偁［字は元之］の肖像画に添えた賛。王禹偁は蘇軾より82年先輩で、科挙に合格して国家の重要な仕事を担うようになった者はいかにあるべきかを実践的に示し、宋代士大夫の手本となった人物。この画賛を書くようになった経緯は本文中に述べられている。
【訳文】
魯の文公の十二年［紀元前615年］、新興国の秦からの使者を迎えた魯の公子遂は、その使者が礼節を十分にわきまえているのを見て、
「『君子がいないと国は成り立たない』といわれますが、秦はすでに立派な国になっております」
と、秦を対等の相手として認めた。
私は『春秋左氏伝』を読んでここに至り、「君子がいないと国は成り立たない」というこの言葉を唱えて、三度繰り返すと、涙を流して大きく嘆息しないではいられなくなる。
君子とはどのような人なのか。漢代の汲黯、蕭望之、李固、呉張昭、唐代の魏徴、狄仁傑は、皆身をもってどこに義があるかを示し、仲間に引きずり込もうとする者がいても近寄らず、排撃して去らせようとする者があっても動かず、毅然とした姿で朝廷に立ち、大悪人と小悪人どもが互いに相手を潰し合うように仕向け、国家の禍が形にならないうちに消し去り、国が亡びるような危機に至る前に救った。それと似て非なるのは公孫弘、張禹、胡広といった連中で、弁を弄して皇帝に迎合するだけで、百千の議論を重ねたところで、国家の緩急に役立つことは何一つとしてなかった。
公［王禹偁］は雄渾な文章、真直ぐな言説で、当時においてただ独り抜きん出ていて、汲黯、蕭望之、李固、呉張昭、魏徴、狄仁傑の六君子の次に並ぶべき人物であった。このとき朝廷は幸いにも清明で、大奸人も大悪人もいなかった。それでも公は人々の輪に加わることなく独り立ち、いわゆる「秋霜烈日」の厳しさで、周囲と慣れ親しまなかった。三度朝廷の外に出され、そのまま死に至った。もしも公が邪佞の衆の間に置かれ、あるいは国家存亡の際に遭遇したならば、公の為すところは必ず世俗を絶して時代を驚かし、安易を好む連中の心臓を破裂させたばかりでなく、実に大きな事績を残したに違いない。
私はかつて初めて蘇州の虎丘寺に立ち寄って公の肖像画を見た。なおも烈しい遺風がそこにあるのを感じて、願わくば公の僕となって仕えたいと思った。しかし、自分はその時代は及ばなかったのである。
それから七年が経って私は徐州にきた。公の曽孫の王汾が兗州に向かう途中で立ち寄られ、公の墓碑を見せてくださり、何か文章を添えてほしいと頼まれた。そこで蘇州虎丘寺の肖像画の画賛を作ることにした。
昔から聖賢は己を知る者がいないのに苦しまねばならない。
公は太宗皇帝に出会い、その時代において認められた。
皇帝は公を用いようとしたが、公は少なからず貶められた。
三度辺地に追いやられ、ついに無念の死を遂げた。
それ以降、名臣といえば公だということになった。
一時の不遇も万世に信を残したのである。
いかなる者も公の肖像を拝すべきである。
それを見れば己を恥じて誰もが冷や汗を流すに違いない。
公は恥じることを教えてくれても、人々は公のようにはなれない。
公がすでに茫茫とした地下の人となってまた起つことのないのを悲しむ。
【補足】［（1）一読してわかるように、蘇軾は現在の政治情勢を踏まえてこの画賛を書いている。（2）蘇州の虎丘寺で肖像画を見たのは杭州に赴任する途中でのことであった。（3）これと同じころに、作品番号01-2-001で見た『眉州遠景楼の記』を眉州知事の黎錞［→作品番号05-3-009］のために書いている］
■【05-4-050】滕県公堂記
【解題】徐州に属する滕県の公堂［知事公舎］について記した文章。このときの滕県知事は范純粋で、8歳の蘇軾少年が憧れたスーパースター范仲淹の58歳のときの子で、蘇軾よりも10歳下であった。この文章で、范純粋の行為は保守本道の立場から見て正当であると論じている。
【訳文】
君子が天下に仕えるということは、その才能と引き換えに天下によって養われることを意味する。才能の大小によって、養われた方には厚い薄いがある。人に益をもたらすような君子であれば、民衆から搾り取って自らを養ったりしたのでは、心穏やかにしていることはできない。だから、君子を養うときには、（そのようなことをしないですむように））飲食は必ず豊かに与え、車服は必ず十分に与え、公舎は必ず立派なものを与えるのである。そうしたものをきっと君子に給するならば、君子は自分の家から容易に去るだろうけれど、国からはなかなか去ることはない。もしも君子を養うために与える衣食が君子が自ら得られるものよりも粗末でわずかであり、公舎が君子自身の廬よりも貧相であったならば、君子に我が家の召使にも及ばない粗雑な扱いをされていると思わせることになり、君子といえども安らかではいられなくなる。人が父母のもとから離れて、先祖を祀る墳墓を見棄ててまで遠く官の仕事に出て行くのは、安逸を嫌って労苦を求めるためであったりはしないのだ。
そもそも公舎は受け渡しされて、無窮に伝えられて行くものであって、ある人が独り自らを養うためのものではない。いま修理しないでおくと、必ず後日には倍の費えとなる。近ごろは、とかく倹約ばかりに努め、とりわけ土木工事や建築工事を最も嫌い、建物が傾いても腐っても次にくる人に押し付けて、一本の棟木さえも取り換えないでいる。それにはいったい何の意味があるのだろう。
滕は古くからの町で、宋と魯の間にあって治めにくいところとされてきた。滕県の公舎がひどくみすぼらしくて、屋根を葺くことさえしていなかったのは、敢えて何もしないのではなく、政事に忙しくて暇がなかったからである。天聖元年に、県知事の張太素が実際上初めて改築し、それから五十二年後に、范純粋君が都から出されて県知事となって、公舎をまた一新したのだった。公舎にはおよそ百十六の部屋があり、高く明るく大きく堂々として、古代の子爵や男爵の住居にも匹敵するものである。しかし、知事の私用で使う部分は元のままであるのは、范君が自分自身に奉仕するのを嫌っているというわけではなく、「吾が力をそれに使う暇がないだけだ」といっている。
昔、魏の時代に、毛孝先と崔季珪が権力を持ったときに、ことさらに清廉の士を貴んだので、人々は車服を粗末なものに変えて、よい評判を得ようと務めた。しかし、徐邈だけはそれまで通りにして改めることがなかった。それで天下が動揺することなくすんだのだった。その後、世俗が日々に奢靡に流れたとき、徐邈だけは自若として何も変わらなかったので、天下の人々は徐邈はけちであると言った。君子はただ一つを貫くだけであったのに、時勢が勝手に二つに分かれたのである。
元豊元年七月二十二日、尚書祠部員外郎直史館権知徐州軍事蘇軾が記す。
■【05-4-051】雨中過舒教授
【解題】雨の日に、徐州の学校の教授を務める舒煥［字は堯文］［→作品番号05-3-035］を訪ねた詩。舒教授はこの後しばしば登場する。
【訳文】
簾の外では、竹をつたって、疏疏として滴が流れ下り、
瀏瀏として雨が風とともに竹の間を通り過ぎる。
窓辺からこちら側には、動くものは塵一つない、
机の上の硯はひんやりとして、霧の中に置かれているかのよう。
舒教授は奥深い孤独を楽しみ、
外界に慕うものがなく、内に得るものがたくさんにある。
座るのは簡素な禅の椅子、立って耳にするのは甌に湧く湯の音。
私が来てももてなすものはなく、
淡いその接し方に、
頭のてっぺんから足の先まで涼しさを感じる。
濃い茶によって、私の心に積み上がった昏いものが洗われ、
妙なる香の薫りによって、浮かびくるつまらぬ思慮が浄められる。
家に帰ると、
微かな蛍の光が、暗がりの中を一つ二つと渡ってゆく。
人生は憂患の中にあるものなのか。
そうではあるまい、
一回の食事の中にこそ安閑のところがあるのか。
人は何かのきっかけで大切なことを知る――
ある人は、飛鳶がぽとりと落ちるのを見て、先に笑い飛ばしたことを悔い、
ある人は、犬の吠え声を聞いて、悟るのが遅すぎたと後悔した。
静かな時間の内にある真の趣は、
舒教授のような人でなければわからないのだろうか。
【補足】［飛鳶は、遠くに行って功名を求めるより故郷で穏やか人生を送りたいと言った弟を笑ったのを悔いたという故事。犬の吠え声は、処刑場に向かう途中で昔の飼い犬と似た声を耳にして、人生の過ちを悟った故事］
■【05-4-052】次韻舒教授寄李公択
【解題】舒煥教授が李常［字は公択］に寄せた詩に次韻した。李常は新しい赴任しに向かう旅にすでに出ていた［→作品番号05-4-030］。
【訳文】
李君の草書は妙絶で、私は兄として仰ぎ見ている。
楷書ならば、少しは頭を上げて、李君とも並ぶことができようか。
しかし、文を論じても詩を作っても李君には敵わない。
結局は李君が余裕で笑っている前で、降参の旗を挙げなくてはならない。
去年は、私は斉州に一カ月余り滞在し、
昼間から貴君と劇飲し、首までどっぷりと酒につかった。
今年は、貴君が来て徐州にしばらく留まってくれたけれど、
李君は寂しくも酒に病んであまり多くを飲まなかった。
李君と別れたとき、これまでの歓びが虚しく墜ちてしまうのを知って、
涙を流して李君の髭を引っ張った。
松の下を縱橫に歩いた足跡を残して、
李君の車は、門の前からはころころと走り去ってしまった。
李君の一身はすべて徳から成り立っているのだろうか。
だから李君に近付くと、肌から骨から、清らかに潤おしてくれる。
ただ細かく考えると残念なことが一つだけある――
李君は国を傾けるような美女に少々心を奪われたりする。
【補足】［最後のところは、李常と蘇軾の間だけでわかることで、蘇軾自身の注で、「李常のもとには雲英という名の婢がいて、李常はそれを外に出して自由の身にしようと考えつつ、まだできずにいる」と書き添えてある。雲英の名は、ある伝説の美女にちなむもので、それを娶った裴航は夫婦ともに仙人になった。李常に何か執心するところがあるのを蘇軾がたしなめたのだろう。一方で蘇軾のもとには、杭州を去る前に引き取った王朝雲という少女がいた［→作品番号04-3-069］。この時点で王朝雲がどのように暮らしていたのかは何もわからない］
■【05-4-053】送鄭戸曹
【解題】先に鄭僅［字は彦能］が北京大名府に行くのを見送った詩を見たが［→作品番号05-4-008］、このころに再び送別の詩を贈っている。恐らく、何らかの事情で出発が遅れていたのだろう。この詩の最初にある戯馬台はすでに見ているように、漢の高祖と天下を争った項羽が築いた高台で、そこから歴史を回顧して前年の大洪水に及び、洪水対策の終わった後に築きつつあった楼閣［黄楼］へと焦点を合わせてゆく。黄楼の詳しいことについてはこの後で見ることになる。
【訳文】
水は彭城［徐州］の楼閣をめぐり、山は戯馬台を囲む。
古来、この地には豪傑が多く、千年経っても哀しみを誘う余韻が残っている。
鼻筋の通ったいわゆる「隆準」の相をもった高祖は天上へと飛び上がり、
瞳が二重であったいわゆる「重瞳」の項羽は敗れて灰になった。
徐州の地に拠った呂布［三国時代の群雄］は、白門楼に囲まれて曹操に降り、
徐州の地を治めた李光弼［唐代の名将］は、この地に星が堕ちると間もなく死んだ。
劉裕［南北朝時代に皇位に駆け上った人］はかつて戯馬台で酒宴を開いたのだが、
それからは、劉裕が独り徘徊したところもすっかりさびれてしまい、
荒れた田に苔が生じるまでになり、
いまや、百歩洪から響く川音を聞き、九里山のあたりで山並みが折れるのを見るだけである。
かの洪水のとき、
山と水とが激しくぶつかり合って夜も雷のような音が轟きわたり、
蕩蕩として清河から水が溢れ出てきた。
水の引いた後に、私は東の門に黄楼を築くことにした。
黄楼に登れば、
秋には城の隅へと月が堕ちてゆくのを見て、
春には盃の酒を風が揺らすであろう。
貴君を黄楼の客として招けば、
貴君は珠玉のような詩を示してくれるであろう。
黄楼は完成しようとしているのに、
貴君はすでに徐州を去ってしまう。
人間界はとかくままならない。
いつの日か、
貴君が官界の旅に疲れて、白髪頭となってここに帰ってきて、
黄楼に登って詩を賦して長く吟じるときに、
果たしていまの知事はどこでどうしているだろうか。
【補足】［鄭僅の送別の詩はもう一首残っている。席上にあった果物を題にしておのおのが詩を作り、蘇軾には榧の実が割り当てられた。榧の実に関連する様々な故事を織り込んだ詩をたちまち作り上げたのはさすがの腕前であるが、詳しい注釈が添えられても訳者には理解がとれも及ばないところがあるので割愛する］
■【05-4-054】次韻答舒教授観余所蔵墨
【解題】舒煥教授の「所有する墨を見て思う」という詩に次韻した。墨に関して薀蓄を傾けた詩で、故事来歴のてんこもりであるので、適宜説明を加えたり逆に省略したりして訳す。
【訳文】
庾翼という人は、若いころは王羲之の書を笑い、
「あんなものは野生の鶩で、生臭くて刀の汚れになる」
と、いっていたのだが、
晩年には、家で飼い馴らされた鷄のような書を嫌って、
王羲之の書を見習うようになった。
王羲之と庾翼の二人は歴史に冠たる風流人であったが、
子供が好き嫌いを争うようなところもあったのだ。
唐の太宗は十八歳で天下統一の大事業に乗り出したのだが、
晩年には書をひどく好むようになった。
私はというと、読書を好んで、他のことは一切眼に掛けない。
ところが、世の中の人は誤って私が書に巧みであるかのようにいっている。
世間の人には誰にでも偏った癖があるものだ。
祖約という人はとにかく財物を好み、箱から出しては勘定するのを楽しみとし、
ある日、突然の来客に財物を箱に納めるのが間に合わなくて、
からだをしねらせて隠そうとした。
同じ時代の阮孚という人は履き物に凝って、
自分でせっせと蝋を塗って磨き立てるほどであったが、
人は生きている間にどれほどの履き物を使うというのだろうか。
ごくつまらないものから心にこだわりが生じてしまうのだ。
私にしても、墨を収集し、三十年間は十分に足りるくらいはあるので、
その前に自分が老いてしまうのを心配しなければならない。
誰かがいっていたように、
人が磨って墨が減るよりも、人の寿命が磨り減る方が速いのだ。
おおもとが尽きてしまったのでは何もならない。
ここは官服を棄てて故国に帰ることを真剣に考えなければならない。
小さな畑を自分で耕して、たまに書を作って貴君に送るのもよいだろう。
王羲之に習って「来禽青李」の四文字だけを書くから、
笑って眺めてくれたらよい。
それならいくら書いたところで墨は使い切れない。
唐の李駙馬の邸内には数々の美しい建物が並び、
大勢の美しい女性がいて、
李駙馬は女性たちの求めなら何でも応じて百金も千金も惜しむことがなく、
墨には麝香を混ぜて入れる贅沢をした。
墨に御執心というのなら、そのくらいをすべきではないだろうか。
貴君はこの詩を見てきっと大笑いをし、
冬の窓辺に置かれて硯に張った氷が、笑い声でぱりんと割れ、
春の水が生じることだろう。
■【04-1-055】答黄魯直書
【解題】これは黄庭堅［字は魯直］から 送られてきた手紙への返事。黄庭堅は、後に「蘇門四学士」の筆頭に挙げられ、詩や書において蘇軾と並ぶ北宋の大家と称せられる人。この手紙の前半部分はすでに作品番号04-1-075で見ているが、改めて全体を読んでおこう。
【訳文】
蘇軾より頓首再拝して黄庭堅教授長官殿に差し上げます。私が貴君の詩文を初めて見たのは、孫覚君のところででした。私は詩文を見て居住まいを正し、これは優れたものであると感じ入り、いまの世の人の作ったものではあるまいと思いました。
孫覚君はこのようにいいました。
「この人のことを知る者はまだ少ししかいません。貴君はぜひともこの人の名を称揚していただきたい」
私は笑っていいました。
「この人は純金か美しい玉ともいえる人で、人によって名を挙げたりするのではなく、自分自身で名を挙げるはずで、評判になるまいと逃げようとしてもそれはできないのです。どうして私などが称揚する必要があるでしょうか」
その文を観てその人となりを考えるに、身の外にあるものを軽んじて、身の内側にあるものを重んじる人であるとわかります。それは今の君子諸君にはできないことです。
その後、李常君を済南に訪ねましたときに、貴君の詩文がたくさんあるのを見て、貴君の人となりをますます詳しく知ることができました。世俗の塵から超逸し、万物の外に独り立ち、風に馭し、気にまたがって造物者と遊ぶかのようで、今の世の君子たちにとてもできることではありませんし、私のように放浪自棄で、世間と疎い者はとても友人にはなれません。ところが、いま詩を書かれた幾枚もの紙幅を忝くも頂戴し、あまつさえ甚だ恭しくされて、あたかを畏れるかのようであるのはどうしてなのでしょうか。私の方から貴君との交際を求めても、それは得られないと懼れるべきであっても、貴君がそうされることは全くありえません。貴君とこうしてお手紙を交わすことができて、胸に喜びが溢れるばかりに湧いてまいります。ここのところ夏に入りましてから家の者が病に伏せったりしているうちにたちまち今に至ってしまい、御返事が甚だ遅くなってしまいました。きっと深く訝しく思われていたことでありましょう。
『古風』の二首は物に托して類を引いて、真に古の詩人の風格があります。私はそれに類するような者ではありませんが、ともあれ次韻してみましたので、一笑に付してください。
秋なお暑いころ、いかがお過ごしでありましょうか。なおまたお会いすることはできませんが、万万自重されますように。
【補足】［黄庭堅は孫覚の婿で李常の甥である。孫覚のところで黄庭堅の詩文を見たことは作品番号04-1-075で見ていて、済南に李常を訪ねたことは作品番号05-3-003で見ている］
■【05-4-056】次韻黄魯直見贈古風二首
【解題】上の手紙にあった黄庭堅の『古風』の詩に次韻したもの。
【訳文】
其の一
佳き穀類は風雨によって倒されてしまって、
我が農園は雑草ばかりが伸び、
私の前に置かれている膳の上に、玉のように輝く米の光はない。
天の空の下は広く、
美いことと悪いこと、香りよいものと臭いものとが交互に生じる。
夏に、蚊がそこらを自由に飛び回っている間にも、
時は少しも容赦することなく、
たちまち葉は黄色くなって落ちてしまう。
貴君は西王母の桃といってよく、千年に一度の実を結ぶであろう。
この私は苦い李で、道ばたに成っていても誰も採ろうとしないので、
どうにか生きていることだけはできている。
こうしたことは言うに足りないことで、
しおしおと自分一人で傷ましく思っていればよいのだろう。
【補足】［西王母は伝説の女仙で、その桃は千年に一度だけ実を付け、不老長生の妙薬であるという。黄庭堅の詩はそれほどまでに優れていると絶賛したのだ］
其の二
人のいない奥深い山で、
仙人の先生に道を学ぶ……
町の中にいても、
笙簫の声のうちに意を妄れることができる。
千金を費やして仙薬を取り寄せる……
開いて視たらどれも豨苓［よくある下剤］であった。
市中の人の中にだって、
古の安期生のような仙人がまざっているかもしれない。
その人はいま俗世にいて、
霜に落ちた花の痕をじっと見つめ、
あるいは、遠い昔に作られた銅像を撫ぜて、
おまえとどれほどの歳月を過ごしたのかと数えている。
私はその人に尋ねよう、
閬風の仙山はどこにあるのかと。
■【05-4-057】密州宋国博以詩見紀在郡雑詠、次韻答之
【解題】孔宗翰［→作品番号05-4-012］の後で密州知事となった宋国博から密州の様々なことを詠んだ詩が送られてきたので、それに次韻して答えた。宋国博は、欧陽脩とともに名文家として名高かった宋庠と宋祁の兄弟の子世代である。
【訳文】
宋庠と宋祁の文章を観ると、
一字一字が絹を照らして輝いている。
難しい言い回し、類を見ない句法、
それらの語句にも皆考えるべき淵源がある。
後にその文章を継ぐ者はいなかったが、
ただ貴君だけがほとんどそれを嗣いでいるといってよいのだろう。
ところが流落を尚ぶというわけではなかろうに、
用捨には定められた命運があるからなのか、
これまで貴君が地位に恵まれずにいたのはどうしてなのだろうか。
李白も杜甫もやはりそうであって、
当時権勢を誇った李林甫などはてんで字を知らぬ人物で、
ひどい読み間違えをして、誰も謹んで笑いをこらえていたのだった。
国家の難に直面したときに、
手を懐に入れて素知らぬ顔をしている者もいれば、
身の危険を顧みずに飛び込む者もいる。
密州のような田舎町では、
我が後を継いでくれた貴君を辱めるようなものであるが、
有難いことに私の不行き届きをさらりと覆い隠してくれている。
かつて私は密州で詩を詠みはしたが、
どうせ聞く人もないだろうと、
瓦を黄金のように装ったまでで、
貴君の絶唱をその後に得たのでは、
あまりに不釣り合いで恐懼するばかりである。
いずれ我が家に伝えて、
長く読み継がせていきたいと思っている。
■【05-4-058】答范淳甫
【解題】范祖禹［字は淳甫ないし夢得］［→作品番号04-1-046］に答えた詩。范祖禹は、蘇軾が都に入れなかったときに滞在場所を提供してくれた范鎮［→作品番号05-3-009の甥で、『資治通鑑』の編集に携わった歴史家である。この詩は作品番号05-4-053の詩と合わせて読むと理解しやすいだろう。范祖禹のもとの詩には唐の時代に徐州には張建封や李光弼がいたことが詠み込まれていた。それを踏まえてこの詩は作られている。
【訳文】
我が徐州のはずれに、漢の高祖の生地がある。
そのことさえ挙げておけば、
唐の時代に張建封や李光弼にいたことなどは取り上げるまでもないだろう。
瞳が二重だった項羽の遺跡はすでに塵埃に埋もれ、
いまはただ黄楼が泗水を臨み見るだけである。
いまの知事は老いてかつ貧乏である。
遊侠の気はいくらかあるものの、
学問の士にありがちな腑抜けただらしなさを払拭するほどではない。
それでも、白門楼に囲まれた呂布が、とにかく命だけは長らえたいと、
敵だった曹操の馬の手綱を曳くのもよしとして仕えたのよりはましだろう。
【補足】［末尾は、出世のために改革派に靡くようなことはしないといっているのだろう］
■【05-4-059】送胡掾
【解題】徐州の獄を司る役人であった胡掾［字は公達］を見送った詩。父の胡允文がこの地で亡くなったために、柩を携えて故郷に帰るのである。胡允文と蘇軾はかつて鳳翔時代に交流があって、胡允文の依頼を受けて『鳳鳴駅の記』［→作品番号02-2-023］を書いていた。
【訳文】
空に糸を投げて散らすようにして雨は降り続き、
無数の葉が雨に和して音を立てている。
歳月はまさにこのようにして流れてゆくのか。
旅人はこの雨の中、ここを去ってどこへゆくのか。
節義は昔から人の重んじるところ、
そこから艱難が始まるのである。
後にきっと貴君は清徳を世に顕わし、
むしろ人に知られることを畏れるようになるだろう。
【補足】［（1）親が亡くなったら、官職を離れて足掛け3年の喪に服すのが子の果たすべき当然と節義であるとされていた。しかし、官僚は限られたポストを巡って争う状況にあったから、喪が明けて後に次の仕事が得られる保証はない。親を喪った悲しみに加えて将来の不安も抱きながらの帰郷であるから、投げかける言葉を選ぶのは難しい。（2）最後に「人に知られることを畏れる」とあるのは、真の君子は、自らの信念に従って節義を守り、世間の評判になることをむしろ恥じるからである］
■【05-4-060】祭胡執中郎中文
【解題】胡允文を祭る文章を息子の胡掾のために書いた。
【訳文】
胡君の霊に捧げる。
貴君は若いときに、父君に従って蜀にきた。蜀の士で賢であろうとする者はみな貴君と友人なろうとした。私は貴君の名を聞いていたのだが、そのときは会うことができなかった。後に、鳳翔で官の仕事をしたときに初めて貴君と面識を得た。ともに話して大いに喜び、百年の知己を得た思いがした。そのとき貴君の子息を見て、駿馬の子、鳳の雛であると感じた。貴君は罪なくして官職を失い、私より先に鳳翔を離れた。後に私が鳳翔での任を終えて都に向かう途中、華州の旅宿で貴君と逢った。貴君は何日も続く雨に濡れて、車が泥に埋もれるような境遇にあったので、人は貴君にために泣いたのだが、貴君は一人ゆとりがあって楽しんでいるかのようだった。その七年後、貴君は都で職務を得て、ひとたび安堵の笑いをもらすはずのところを、歓びはさほどではないようだった。後にまた七年、私が徐州に赴任すると、獄を司る役人となった子息とともに貴君がそこにいた。いよいよ鳳の雛が大空を翔け、駿馬の子が千里を行くばかりのときになって、私と貴君はすっかり老けてしまったのだった。老人には友がいないのが常であるから、私と貴君は徐州で会ってからますます親しくなった。およそ鳳翔時代に一緒だった人々で今も生きているのは幾人いるのだろうか。貴君は仁に厚い人であるから、貴君こそはたとえ病になったとしても、必ず長生きをするはずのものと思っていたのだが、どうしたことか、運命というものはわからない。
ああ、胡君の霊に告げる。
人として誰か死なない者があろうか。貴君のように賢であっても現世にいつまでも留まることはできない。貴君はあたかも百回鍛え抜いた剛刀のように、一日に千頭の牛をさばいてもたゆむことなく仕事に励んだ。宝玉のごとき貴君の才能を世間は十分に活かさずに箱の内に置いてしまった。しかし、貴君の子息はきっと世に高い名を挙げることだろう。貴君に一杯の酒を送る。永遠の世界へ帰り、この世に恨みを残すことなかれ。
■【05-4-061】次韻答王定国
【解題】都にいる王鞏［字は定国］［→作品番号05-3-039］から届いた詩に次韻して答えた。詩の後半に出てくる清虚堂は王鞏の書斎で、後に少し詳しく見ることになる。
【訳文】
貴君の詩を得るたびに、近況を綴った書簡を受け取ったような気になる。
それでも、心の内を宣べて妙所を写すには、書簡はやはり詩に及ばないだろう。
眼の前のあるとあらゆるものは、心に何かを生じさせずにはおかない。
憂いが生じても、貴君の詩を見れば必ず駆除してくれる。
貴君の詩によれば、
都は十日以上も雨が続いて、馬の脚が泥に沈み、魚が街路で泳いでいるとか。
長い雨は、よくいわれるように、来るべき人を来なくさせてしまうものだ。
貴君はゆったりと独り清虚堂で酒を酌んでいることだろう。
太守となって郡を治めるのは、昔から楽しいことであるといわれている。
徐州の山川はまことに美しいけれど、
残念ながら、我が故郷ではない。
願うのは、
重陽の節句には来てくれるという前々からの約束を廃てることなく、
衰えて心が冷え冷えとしているこの知事の前に現れて、
思い切って気合を吹き込んでくれたまえ。
【補足】［重陽の節句に会いにくるというのは、2年越しの約束である］
■【05-4-062】送将官梁左蔵赴莫州
【解題】武官の梁交［字は仲通］［→作品番号05-4-047］が今度は莫州に行くことになったので、その送別の詩を詠んだ。莫州は北の国境地帯にあって、後漢の終わりに公孫瓚が堅固な城を築いて籠ったところで、この詩にはそのことが詠まれている。
【訳文】
燕の地の南、
趙の地の北、
その間の土地は籠るによいと歌われ、
公孫瓚は石を固めて城を築き、
鉄の門をぴたりと閉ざしたのだが、
今に至るもその愚かさを人は哀れんでいる。
公孫瓚は城の中に三百万石の穀物を積み、
勇猛な士を集めて大いに気勢を上げた。
城の外で攻め太鼓が鳴り響いたときに、
公孫瓚のために戦おうとする者はおらず、
公孫瓚のまわりにいたのは顔をおおってうなだれる女性だけだった。
本当に大切なのは堅固な城などではなく、
平安の時であっても千騎を率いて風のようにやってきて、
からからと雷のように笑って語り合うことができる友がいることだ。
悠然と振る舞い、清らかに歌う貴君こそはまさにそのような人、
彭城［徐州］の老知事［蘇軾］は貴君を見送る悲しみに、
貴君の家の人たちが歌う姿を見ることもできないでいるのである。
【補足】［同じときに梁交を見送った詞もあるが、何をいっているのか訳者にはさっぱりわからないので割愛する。実は、上の詩も意味不明の個所が多くあり、訳文が一見するとなめらかそうであるのは、見かけだけのまやかしである。それでも、一番大切な詩のココロは 掴み損ねてはないはずである］
■【05-4-063】答仲屯田次韻
【解題】仲伯達［→作品番号05-3-070］の詩に次韻して答えた。
【訳文】
秋になってもまだ水辺で遊んでいないので、
千里の彼方の詩の友［仲伯達］を訪ねたいと思っている。
貴君が耳を傾けているのは、
遠くの巨木がさわさわと響かせる古の琴のような音。
清らかな風が、なおも残る暑さを巻き取り、積もる雲を掃き清めて、
天には月が白い光を流すであろう。
そのときに貴君が歌う絶唱を誰が継ぐのかといったら、
階を埋め尽くす桐の落ち葉の中で鳴く虫たちである。
■【05-4-064】次韻子由送趙㞦帰覲銭塘、遂赴永嘉
【解題】弟の蘇轍が趙㞦［字は景仁］を見送った詩に次韻した。趙㞦は先に見た趙抃［→作品番号05-3-066］の子で、永嘉に赴任するに当たって、まず父親が知事を務める杭州［銭塘］に立ち寄ることにしていた。趙㞦の故郷は杭州ではないが、父がそこにいるので、この詩はあたかも趙㞦が帰郷するかのように詠んでいる。
【訳文】
帰り行く貴君の舟は河とともに幾度か曲り、
次第次第に故郷の山々が青く見えてくる。
土地の役人が旅人を出迎えてくれると、
すでに貴君も故郷のなまりを帯びるようになる。
貴君はかの謝霊雲のような父上に会い、
かの王延寿が父のために代作したような名文を献じるであろう。
四十歳での出仕は遅いなどと世間ではいうが、
三千里の高さへと飛翔する勢いを具えた貴君であるから、
そんなことは気にするまでもない。
貴君は風流にして清絶、
永嘉に至れば、
衣を濡らして渓谷を尋ね、
草鞋をはいて薬草を採り、
折々に詠む詩はすぐに一巻の書物になり、
繭紙を広げて王羲之のような筆を揮うことだろう。
貴君を迎えて永嘉は安らかに治まり、
海は穏やかで魚や鯨が泳ぎ戯れ、
山は静かで草木が自ずとよく成長することだろう。
官職にある限り、遠近を問わずに行かねばならない。
民を治めるには、種々の困難を嘗めなければならない。
貴君はお家の伝統をよく継いで
父上のように権威を恐れず不正を糾す人になってもらいたい。
【補足】［挙げられている名はいずれも歴史上の著名人であるということだけわかっていれば、いちいち詮索しなくてもよいだろう。謝霊雲は特に永嘉に深いゆかりのある人物である］
■【05-4-065】書子由黄楼賦後
【解題】何度かその名を挙げてきた黄楼が8月12日に完成した。その日付がこの短文に記されている。
【訳文】
子城［徐州の町を囲む城壁に付属する小さな城］の東門は、ちょうど水がぶつかるところに当たっていて、そこに徐州府の倉庫がある。土地が狭いためにその部分を完全に囲って固めて甕城という形にはできないので、門を大きく改築して、磚石で護ることにした。州の庁舎には廃屋となった建物があって、俗に項籍が作ったものだといわれているのだが、それが正しくない。実のないことがみだりに伝えられているのを嫌い、それを壊し、その材料を取って東門の脇に黄楼を築いた。元豊元年八月癸丑［十日日］に楼は完成し、九月庚辰［九日］に大いに集まって落成式を行った。私は始めはそのことを記念した文章を書こうと思っていたのだが、弟が賦を作ってくれて、書くべきことはほぼそこに尽きているので、それを石に刻んでここに置くことにした。
【補足】［弟が書いた『黄楼の賦』の序文は作品番号05-3-062ですでに見ている］
■【05-4-066】中秋月寄子由三首
【解題】8月15日に中秋の月を詩に詠んで弟に寄せた。1年前の中秋の月は弟と一緒に見ていた［→作品番号05-3-051］。
【訳文】
其の一
去年、心をこめて君と見た月、
今年は、古い町の東にきらめいている。
去年、君とともにいた僕、
今年は、憔悴して病の床に臥っている。
月はあちらこちらを探し求めたのか、
しとやかに窓辺より入り込んできてくれた。
月は僕が病であることなど知るはずもないのだけれど、
楼台に月を愛でる歌声がないのを訝しく思ったのだろう。
僕は枕を撫でて三度嘆息し、杖にすがって立ち、
せっかく入ってきてくれた月の光に誘われて外に出る。
夜の露が冷たく胸に入り込み、
秋の虫のように僕はかすかに詩を吟じる。
こんな病人を哀れまなくてよいので、
天の風よ、
手荒く吹いて月の宮殿へと連れて行ってくれまいか。
僕も李白のように豪放に振る舞ってみたい。
でも、かえって孟郊のように鬱屈した言葉を発してしまう。
僕に許された歳月はあとどれくらいなのだろうか。
この佳い月ともしばしば逢えるものではあるまい。
魚もこの夜は睡らずにいるのか、
さかんに水上で口をぱくぱくとさせている。
【補足】［孟郊の詩を論じた詩をすでに見ている［→作品番号05-4-009］］
其の二
この間に中秋の月に逢ったのは六回、
そのうち五回は君と離れて月に照らされ、
去年だけは一緒で、
しかし、そのときに君は別れの曲を歌い、
満座の人々は咽び泣いた。
南京応天府は繁華で美しいところだろうけれど、
あの夜のことは忘れずにいてほしい。
今夜南京で君が見る月は、
広い湖に銀を流し込み、高い楼閣に鏡を掛けたかのよう、
夜遅くまで歌声が続き、
清らかな木のもとに人影が散り散りになって、
ようやく君は家に帰り着くのだろう。
葉の上にはすでに露が宿り、
月の光が翻されることだろう。
君は酒を呼び、
細君とともに飲み、子供たちに向かって僕のことを話したりするだろう。
しかし、君は知らないのだ、
僕が病後で酒が飲めずに梨や栗に対しているのを。
僕がいま見ているのは、
川の東の蕎麦の花が、月の光を受けて雪を敷いたかのよう。
去年の君の曲に和そうかと思っていて、
そうすると心がずたずたに断ち切られてしまうだろうかと、
僕はいま怖がっている。
其の三
去年の中秋の月を共に見たのは、
舒煥君、鄭僅君、頓起君、趙杲卿君……。
舒煥君はいま鄆州にいて、
科挙の試験監督として閉ざされた門の内で、
この清らかな月に対しているのか。
鄭僅君は北京大名府に赴任するために、
夜の間も独り舟を進めているのか。
頓起君は同じ徐州にいるけれど、
やはり科挙の試験監督として閂で閉ざされた内側にいる。
趙杲卿君からは手紙が届き、
僕が作った中秋の詞について書いてくれた。
四人は離れ離れであっても、
千里を照らす月明りのもとで心を一つにしている。
明月は人が老いることなど理解しないし、
良い夜に人々が揃うのはもとより難しい。
座を一つにする人々も、
ふと顧みる間に水に流れる浮き草のようにばらばらになってしまう。
かつて僕はこういうことを聞いた――
各地を旅する商人が集まって話をしたところ、
中秋の日ばかりは、晴れも曇りも、どこもかしこも同じ天候なのだと。
とすれば、君も四人の者も同じ月を見ているのだろう。
天はそれだけの意を使ってくれているのだから、
中秋の会はとりわけ軽んじではいけないのだ。
明年もまた各自が離れて月を望むであろうが、
一瞬ごとに変化する僕らであっても、
永遠に変わらない情を知るであろう。
【補足】［去年ともに中秋の名月を見たと名を挙げている4人のうち、呉琯と舒煥は徐州にいる人であるが、頓起は青州の学校の教授［→作品番号05-1-036］、趙杲卿は密州の学校の教授［→作品番号05-1-030など］である。
■【05-4-067】中秋見月和子由
【解題】同じ中秋の月を、弟は南京応天府で見て詩を詠んだ。それに兄が和した。
【訳文】
山の高みから明月がまだ出ないうちに、
仏陀の白毫から発するような瑞光が千丈の長さに伸びる。
一杯の酒が尽きる前に銀闕が湧き出し、
雲の乱れが波頭のように崩れ去る。
天の川の千斛の水が天の眸子を洗い去ったのか、
ぞくっとさせられるばかりの月の光に、
私の心はかえって水のように静まってゆく。
いつもなら弾丸のような光芒を放つ星も、
竜がわだかまるような星座も、
今宵は眼を凝らしても見えない。
清く澄んだ月の光に蛍の火は争いようがない。
誰が川に舟を浮かべているのか、
千の燈火が魚のように動いている。
ある舟は浪のきらめきを無心に追い、
ある舟からは歌声が高くあるいは低く聞こえてくる。
浪はいつまでも揺れ、風はいつまでも回り、
舟の青い明かりは山の前に明滅する。
明月が低く落ちてゆくと人々は散り散りになり、
私は家に帰って酒を呼び、
もう一度月を見る。
月の色はいよいよ清く好ろしく、
露に湿った草の中で秋の虫が咽び鳴く。
簾を捲いて戸を推して静まり返った家に入ると、
窓辺でぐずる孫の声だけがしている。
南京にいる君よ、
貧乏であるのを恥じることはない。
君のように、月に対して詩を詠む人はそうは多くあるまい。
明日の朝になれば、人はそれぞれに用事があって出てゆく、
美しい月の楼台での夢から覚めてぼんやりとした気分のままに。
【補足】［（1）川に見えた無数の燈火は、中秋の夜に舟に燈火を掲げる習慣があったことによる。（2）ぐずる孫は蘇軾の長男の子で、近頃誕生したばかりで、楚老と名付けたと、蘇軾自身の注記がある］
■【05-4-068】与子明兄
【解題】従兄の蘇不疑［字は子明］［→作品番号04-1-070など］に宛てた手紙。
【訳文】
長らくお手紙を差し上げずにおりましたのは、兄上もよく御存知の怠惰の本性によるもので、たぶんまだそれほど罪深くは思ってはおられないことでありましょう。……私は交替の者が来たら移ることになります。こちらは二年続きの水害と旱魃で、よい場所を得て行きたいものです。お別れしてからすでに十年、いつお会いできるのかと思うと、何ともいえない気持ちになります。……八月十八日。
建茶、兗墨を少しばかりお送りします。……中秋に詠んだ三首も添えますので、笑ってお納めください。蘇軾再拝。
【補足】［故郷にいる従兄に、近況を知らせつつ、高級品の茶と墨を贈ったのである］
■【05-4-069】永遇楽
【解題】このころに詠んだと推測される詞。徐州の燕子楼にまつわる盼盼の物語があることはすでに見ているが［→作品番号05-3-029］、蘇軾はあるとき燕子楼に泊まり、夢に盼盼を見てこの詞を作ったという。
【訳文】
名月如霜、［霜のように明るい月の光］
好風如水、［水のようにさわやかな風］
清景無限。［無限に清らかな光景］
曲港跳魚、［入り江に飛び跳ねる魚］
円荷瀉露、［露を瀉ぐ円い蓮の葉］
寂寞無人見。［寂寞として人を見ることはありません］
紞如三鼓、［紞紞と三回叩かれる太鼓］
鏗然一葉、［葉が落ちる響き］
黯黯夢雲驚断。［暗くぼんやりとした夢の雲はそこで断たれます］
夜茫茫、［夜はなお茫茫］
重尋無処、［夢を重ねて尋ねるところはなく］
覚来小園行徧。［覚めて小さな庭をくまなく歩きます］
天涯倦客、［天の涯の疲れた旅人］
山中無路、［山の中で見失った路］
望断故園心眼。［心の眼でも望み見ることのできない故郷の家］
燕子楼空、［がらんとした燕子楼］
佳人何在、［かの佳き人はどこに］
空鎖楼中燕。［楼中に虚しく閉ざされた一羽の燕］
古今如夢、［昔も今も夢］
何曾夢覚、［いつまでも覚めない夢］
但有旧歓新怨。［ただあるのはかつての歓びと今の怨み］
異時対、［次に対するのは］
黄楼夜景、［楼閣から見る夜景］
為余浩歎。［私は深く歎くのです］
■【05-4-070】答王鞏
【解題】徐州に来ると何度もいっていた王鞏［字は定国］［→作品番号05-4-061］がいよいよ都を出ることになって、詩を送ってきた。その中で、王鞏は自身のことを「悪客」と称していた。それに答えた戯れの詩。
【訳文】
汴水、泗水が彭城［徐州］を繞り、
城壁は鉄を磨いたように堅い。
李光弼［唐代の武将］がここにいたときは、
その号令が人々の肝を裂くほどに厳しく轟いた。
そうした伝統のある彭城の主人が、
「悪客」ごときを恐れるなどとは聞いたことがない。
「悪客」と称するのは誰かというと、
祥符年間に宰相となった人の孫、
その家からは豪逸の人々が輩出し、
気に入ればたった一つの盆にも千金も擲ち、
旨い酒しか飲みたくないと、
お気に入りの酒を載せた車を連ねて遠く人を訪ねたりもする。
貴君に千の瓶の酒があるならば、
私には万の株の菊があるから、
頭に挿したければ好きなだけ挿したらよいであろう、
多すぎると貴君の顔は見えなくなり、
酔って帰るときに、花の重さに体の軸が折れてしまうかもしれない。
客人に私は尋ねよう、
「何が嬉しくてくるのかい」
客人は答える、
「私は山を愛するのです」
「それこそうってつけ、
町のまわりを青い山々が巡っているから、
わざわざ山中に土地を買い求める必要はない。
それにここには黄楼があって、
下にはさらさらと流れる美しい川があって、
つまらないことを聞いてしまった耳を洗ってくれるし、
飢えも癒してくれるのだ」
彭城の遊びは楽しい上にもさらに楽しい。
貴君は「悪客」というけれど、主人の悪にはどうせ及びはしない。
【補足】［王鞏が徐州に向かう途中に馬上で詠んだ詩に次韻した作品もあるが、軽く返事をしただけの詩であるので、訳は割愛する］
■【05-4-071】与頓起、孫勉泛舟、探韻得未字
【解題】科挙の監督官として徐州にきていた頓起と孫勉とともに舟を浮かべて遊んだときの詩。蘇軾には「未」の字が韻として割り当てられた。頓起の名は作品番号05-4-066にあり、孫勉は孫覚［→作品番号5-4-033］の弟である。
【訳文】
窓の前には梧桐の葉が高く積み上がり、
牀の下ではさかんに絡緯が鳴いている。
そこに貴君等からの手紙がきたのは、
貴君等にもまた夜に嘆くことがあるからなのだろう。
朝になって、
私は一樽の酒を携えて、
貴君等と舟に乗り込んだ。
貴君等との一語一語、
それを味わいながら我が心を慰める。
すでに秋の蠅は消え去り、
冬の蟹が初めて旨くなるこのとき、
小さなことを思ってなよなよ歌うのはよそうではないか。
目をかっと見開き、髯を逆立てて、
豪壮に勇んで歌うべきである。
山がちのこの町に何があるのかといったら、
この風光は貴君等を十分に楽しませ、
旨い魚だってたくさんある、
とにかく笑って貴君等の腹のうちに納めてくれたらよい。
たとえ十日の間飲み続けたところで、
私にとってはさほどの費えにはならない。
我等はいずれにしても老い行く身、
己自身を貴く思って、
他人に取り入るために猿踊りをして笑いを取るなどしてはならぬのだ。
百篇の詩を作って、
我等の意気を千丈の高さへと吐き出そうではないか。
この年も次第に暮れ、
雪の降るときが迫ってくるであろうから、
明日は、町の南に出で遥か昔の遺跡を訪ねようではないか。
秋の風のもとで菊が湧き出るように咲き乱れているだろう。
諸君等は帰るなどといってはならない、
私が嫌うのは、
別れを軽んじることなのだ。
■【05-4-072】次韻答頓起二首
【解題】頓起の詩に次韻して答えた。この詩には蘇軾自身の注で、「頓君が科挙に及第したときに、私は殿試の編排官［成績の順位を決める役］で、頓君の答案を読むとすこぶる率直であると思った。その後、弟は合格者たちとともに西京［洛陽］に行き、嵩山の絶頂に登った。そのときに唱酬した詩十余首をかつて見たことがあり、頓君の詩もその中にあった」と書き添えている。それは、煕寧3年［1070年］のことであった［→作品番号03-3-007］。
【訳文】
其の一
袖を引かれ、腰を押されるようにして貴君が貴紳の仲間入りをすると、
貴君は我が弟等と手を携えて天への門に登った。
そのときに山の中で聞かれた声と似ていると、
私は貴君の詩を見たときに感じたのだった。
思い出を語ろうとして、
その前に、歳月の走る速さに驚かされてしまう。
あのときすでに新しい学問に皆が従うようになり、
人々は今もなおその筋の人たちを畏れている。
あのころに宮中で当直したのもいまは夢のよう、
それでも、貴君が時世を憂いて書いた論文ははっきりと記憶している。
【補足】［（1）新しい学問とは、王安石が提唱したもので、それに則って答案を書いた人物を首席で合格させたことを蘇軾は強く批判していた。（2）続く第二首は、2人にはわかる事情を踏まえているのか、訳者には理解が及ばないので割愛する］
■【05-4-073】九日黄楼作
【解題】洪水対策が一段落した後に着工した黄楼は8月12日に完成していた。しかし、8月15日の中秋には蘇軾が体調不良であったために、大勢の人を呼んでの月見の宴は催されなかったようだ。これは9月9日に重陽の宴を黄楼で行っての詩。
【訳文】
去年の重陽はいいようのないものだった――
前日の夜中に、町の南方に千の渦が湧き立ち、
城壁に向かって水が押し寄せ、雷のような音を立てた。
町中が泥だらけになり、そこに雨も降ってきた。
重陽の節句だからといって、菊の花とか酒どころではなかった。
日暮れには泥だらけになった履を洗い、
そのときに、
今年の重陽の節句を迎えられるようになるとは思いもしなかった――
さあ、花に向かって盃を挙げようではないか。
酒は薄いし、もてなしはまずしいものだが、
これだって土嚢をかついで泥の中をはいずりまわるよりはましではないか。
この黄楼はできあがったばかりでまだ壁は乾いていない。
霜が初めて降りようとするいま、今年の川は水量を減らしている。
今日は細かな雨のような霧に包まれ、南方の山並みは隠され、
黄楼の前には茫茫と海が広がっているかのようだ。
下からはぎしぎしと舟を漕ぐ音だけが聞こえてくる。
秋のうすら寒さは老人の体にはよろしくないというから、
まずは熱い酒を腸に注いで、我が内なる気を奮い立たせようではないか。
すると、いい塩梅に霧が消え始め、日が出てきて漁村が見えてきた。
遠く、水は鱗鱗と流れ、山は齾齾と聳え立つ。
ここに集まった三十余人、
詩人もいれば猛士もいれば、それこそ竜だって虎だってまざっている。
楚の舞い、呉の歌を披露して、それこそ鵞鳥や鴨の大宴会だ。
さあさあ、もう一杯、皆の衆よ、辞退するでないぞ。
ここの景色は天下第一の名勝にだって引けを取るものではない、
それはこの私が保証する。
【補足】［（1）ちょうど1年前には洪水との格闘が始まっていた。（2）最後の句は、もっと具体的に、ここは苕渓に匹敵するほどに美しいと詠んでいる。苕渓は江南の名所で［→作品番号04-1-073］、かつて蘇軾は訪れたことがあるので、いかにそこが美しいかを一座の人々にさんざん語り、しかしここも劣らないといったのだろう］
■【05-4-074】太虚以黄楼賦見寄、作詩為謝
【解題】秦観［字は太虚］［→作品番号05-4-048］が『黄楼の賦』を作って寄せてきたので、その謝礼に詩を返した。
【訳文】
私は黄楼の上で黄楼の詩を作ろうとしていた。
そこに友人から手紙からきて、中になんと『黄楼の賦』が入っていた。
黄楼は高さ十丈、その下に五丈の旗が立つ。
楚山をもって黄楼を守る城とし、
泗水をもって黄楼を巡る池とする。
私が作ろうとした詩にはこれといってよい句がない。
すべての風景がそれぞれに己を主張するので、
私の意に従って詩の中におさまってくれないのだ。
貴君は、何とも知れぬ妙技をもってして、
雹を自在に降らし、雷をやすやすと鎮めてしまう。
貴君の堂々とした詩句は古今の傑作の中に雑ぜることができる。
南山の石は磬［打楽器］を作るのによく、清く脂を流すかのようになめらかである。
朱い蝋石は印を刻むのによく、ごくわずかな線もきめ細かく作ることができる。
貴君の詩は、磬石や朱蝋の原石のように、
どれほどのすばらしさが内に具わっているのか、
いまはまだわからない。
後の人々が真価を知るであろう。
■【05-4-075】九日次韻王鞏
【解題】王鞏［字は定国］［→作品番号05-4-070］はようやく徐州に現れ、王鞏の九月九日の詩に次韻した。
【訳文】
私は酔ったのでもう眠ろうと思う。
貴君もそろそろ止めたらよいだろう。
酒がもうなくなってしまったので、
青州に従事を走らせたところだ［青州従事という名の酒があることによる洒落］
見れば、鬢の白髪は貴君の方が三千本は多いようだが、
詩の品格は私の方が一百等は劣りそうだ。
貴君は高位に昇ったなら、
楼閣の扉を開く暇ももはやなくなってしまうだろうから、
今日ばかりはこの老人と楼上にあるのをよしとしてくれている。
せっかく逢えたのだから、
帰ることなど言わないようにしてもらいたい。
それを聞いたら、黄色い花のようなあの蝶だって悲しむだろうから。
■【05-4-076】送頓起
【解題】試験監督のために徐州に来ていた頓起がいよいよ帰ることになり、この送別の詩を作った。
【訳文】
旅路にある者同士が逢うのは難しく、
いつも満足に楽しむことができない。
貴君が旅立とうとするので袖を引いて、
重陽の節句に折り残した菊を愛でようではないかと勧める。
貴君はいま何を念うのか、
送別の歌は悲しさを増す。
酒闌にしてまだまだ別れる気になれず、
もうしばらくと、蝋燭を一寸伸ばす。
留めても限りがない、
いつかは別れを促すことになるのだ。
貴君が行く先には、泰山が見えてくるだろう。
貴君は先人に習って踏み登り、
四十里にわたる山並みの向こうから湧き出る朝日を浴びるだろう。
そして、頭をめぐらせてこの徐州のあたりを望むなら、
大海に浮かぶ一粒の粟、
そこに貴君の友がいて、塵土の上をあくせく歩き回っているのだ。
貴君は黄楼の詩を残してくれた、
私はその名篇をずっと大切にするだろう。
■【05-4-077】送孫勉
【解題】同じく試験の仕事できていた孫勉の送別の詩。詩の冒頭に北海県について言及しているのは、孫勉がかつてそこにいたのだろう。途中に「髯の将軍」とあるのは立派な髯を蓄えた孫覚、つまり孫勉の兄のことである。
【訳文】
私は先に密州の職を辞めたときに北海県を通過した。
河では、雪のような白い浪が暴れ、
黄土は蒸し饅頭のようにひび割れていた。
そのあたりは桑や麻の一大産地で、
そこが豊作になると天下の桑や麻の値が下落するといわれている。
ところが、ここのところ毎年のように饑饉に見舞われ、
盜賊の難にもずっと苦しめられている。
気の毒なのは盗賊を追捕する役人で、
顔が裂けるような烈風の中でも野宿をしなければならない。
貴君は淮南出身の秀才で、
首席で科挙に合格するほどの文才の主でありながら、
筆を投じ、腰に箭を束ねて武事に奔走するようになり、
髯の将軍の薫陶もあってか、
戦を促すような豪快な詩文を作るようになった。
私は州知事として近隣の三つの州を対象に科挙の地方試験を行った。
私には、受験生の中の玉石を見分ける能力がない。
貴君には、しかるべき人物を見分ける力が具わっていることはよく知られているから、
試験に落第しても、貴君の判定ならばきっと受験生も善しとしてくれるだろう。
貴君の才能には可ならざるものはないが、
さらに百煉すればますます立派なものとなろう。
私の詩は咀嚼するに耐えるものではないけれど、
貴君との別れの酒の肴として贈ろうと思う。
■【05-4-078】李思訓画長江絶島図
【解題】唐代の李思訓が描いた画を見ての印象。李思訓は宋代の山水画の基となるような画風を拓いたといわれる人。画には、長江に浮かぶ二つの小島が描かれていた。
【訳文】
山は蒼蒼く、
江は茫茫い。
江の中央に浮かぶ大孤山と小孤山、
崖は崩れ、路は絶たれて、猿も鳥もいない、
ただあるのは天を刺すばかりの高い木々。
旅人の舟はどこから来たのか、
ふと画中より、
抑揚のある棹歌の声。
画の外の遥か遠くより、
江べりの平らな沙へと、
軟らかな風が吹き寄せる。
二つの島は姉と妹だとか――
たちまち島は女性の豊かな髷に変わり、
暁の鏡の前で化粧が終わったばかりのあでやかさ、
舟の上の旅人よ、
むやみに恋に落ちてはいけない、
妹は先年、彭郎というよい男のもとに嫁したのだから。
【補足】［山水画には、舟に乗る孤独の人物がよく描かれ、それは俗世間から超越した隠者であるとするのが普通の見方である。ところが、この詩では、他所の女性に岡惚れしてしまう俗人として詠んでいるのが蘇軾の遊び。悪ふざけがすぎると、この部分を酷評する人もいたが、杓子定規の堅いことばかりをいう者は蘇軾の友人にはなれない］
■【05-4-079】張安道見示近詩
【解題】王鞏［字は定国］が携えてきた張方平［字は安道］の新しい詩を読んでの感想。王鞏は張方平の婿である。
【訳文】
世の人物の質がひとたび衰え出すと、奥深い言葉が聞かれなくなる。
かつてそのような時代があった後に、
再び正しい言論が聞かれるようになったと讃えられた人がいた。
それとて、張公が時に感じて深い意から発する言葉にはとても及ばない。
私は少年の頃に奇特な志を抱き、古代の琴の音に和そうとした。
ところが、林は荒れて蝉が勝手にがんがん鳴き叫び、
沼は廃れて蛙が淫りがわしく鳴き叫び、
ついには両耳を覆い、ただ黙って嘆息することとなった。
ここに王君が颯爽とやってきて、
「僕は山に仙人を見ました、
月明かりのもとで嶺に笛を吹き、
その音は淮水、泗水に落ちて、
水の生き物も感動して唱和します」
ならば、さらに公に願うのは、
王者の徳を正して、古代の正しい音を後世にもつなぐようにしていただきたい。
【補足】［張方平は蘇軾にとって大恩人であることから、過剰とも思えるような賛辞を贈るのを常としている。蝉がギャンギャン、蛙がゲコゲコと戯画化されたのは改革の担い手たちで、これを読んだらさぞ不快であろう］
■【05-4-080】次韻王鞏顔復同泛舟
【解題】王鞏と顔復が舟を浮かべて詠んだ詩に次韻した。顔復［→作品番号05-3-039］もことのとき徐州にいた。
【訳文】
顔復は痩せに痩せて、
衣の重さにも耐えられないよう……
王鞏は肥えに肥えて、
帯の長さは十人分はある……
顔復の身の軽さはぴょんぴょんと山を走り、
王鞏の身の重さは舟もぐたぐたに酔ったようになる。
妓女たちは雪のように舞って金の釵を落とすかたわらで、
二人は雲が湧くように談じ合って限りがない。
思うに、銭塘［杭州］にいたときの私がまさにそのようであった。
回顧すれば、我が四十二年間はおよそろくでもないものであったのだ。
■【05-4-081】次韻張十七九日贈子由
【解題】張方平の息子の張恕［→作品番号05-4-005］が九月九日の重陽の節句に蘇轍に贈った詩に次韻した。重陽の当日に南京応天府では兵士を並べて勅使を迎える儀式が行われ、もとの詩はそのことを詠んだものであった。王鞏がその作品を携えてきて蘇軾に披露したのだろう。
【訳文】
城壁に千の戈、万の槊を城壁の下に並べる。
重陽の節句であってもそこに酒樽を持ってゆくわけにはいかない。
官の仕事は無限にあって終わる日はない。
それでも菊の花には信があって必ずこの日には咲いてくれる。
貴君が御父上のもとで悠然と暮らしているのは羨ましい限りで、
塵まみれの官員の印の纓にはまだ繋がれてしまうべきではない。
いまのこの余裕のある日々の間は痛飲すべきである、
いずれは長い剣に頤を載せて国の大事を論じるようになるだろうから。
■【05-4-082】登雲竜山題名
【解題】王鞏等と雲竜山［→作品番号05-3-047］に登った記録。
【訳文】
元豊元年九月十七日、張天驥とともに、蘇軾、顔復、王鞏が初めてこの山を登った。
■【05-4-083】登雲竜山
【解題】上の記録にある雲竜山に登ったときの詩。一句目にある黄茅岡は雲竜山の北側の斜面にある。
【訳文】
酔った勢いで黄茅岡を走って上る。
羊の群れのように、岡いっぱいに岩がごろごろしている。
岡の高みにまできて酔いがまわり、
岩を牀にしてぶっ倒れる。
仰ぎ看れば、白い雲が天に茫茫と浮かんでいる。
我等が歌う声は秋風とともに遠く谷へと落ちてゆく。
道行く人は何事かと首を挙げてこちらを見て、
「知事様はすっかりご機嫌じゃわい」
と、手を拍って大いに笑うのである。
【補足】［（1）蘇軾は庶民に酔態を笑われると詩に詠むのを好んだ。実際に、路傍の人々にもにこやかに接していたのは間違いないだろう。（2）同じときに雲竜草堂［張天驥の住いであろう］に掛けられている石磬について詠んだ詩があるが、訳は割愛する］
■【05-4-084】次韻王鞏留別
【解題】王鞏は徐州に十日間ほど滞在して都へと帰っていった。そのときに王鞏が詠んだ詩に次韻した。
【訳文】
私は都を去ってすでに八年、
いま私の知る人は誰がいるのか。
あのころ交流があった人々のなかに、
いま肩で風を切って都を歩いている者は一人としていなかった。
あのころに私をただ知っていたくらいの者ならいなくはないだろうけれど、
好い地位の餌に釣られて、
権勢の者に仕える役人として繋がれの身となり、
故郷の山々をもはや顧みることはないのだろう。
貴君だけは独り立ち、
世間とはすこぶる異なるところを馳せている。
千里の遠さも構うことなく、
今回の珍しい旅を成し遂げた。
昔、唐朝のある王子が、餅売りの妻の美貌にひかれ、
夫に厚く酬いてその女を我がものとしたのだが、
女は元の貧乏な夫を想い続けたので、
当時の人々の涙を誘ったのだった。
貴君にはその妻の心がわかるであろう。
私はいわば餅売りの夫、
牀を支える四柱の亀の飾りだけを伴として過ごしていた。
貴君はこれから帰って、誰とともに詩文を楽しみ合うのだろうか。
まずは張先生［張方平］にこの詩を見せていただきたい、
大きく笑って頤に結んだ紐が切れてしまうであろう。
【補足】［王鞏は南京応天府を経由して舅である張方平に会ってから都に帰るのである］
■【05-4-085】与鮮于子駿
【解題】鮮于侁［字は子駿］［→作品番号05-4-039］に宛てた手紙。友人の劉恕［字は道原］［→作品番号04-1-019、04-3-019］がこの9月に47歳で亡くなり、その弟の劉格［字は道純］が帰郷する途中で徐州に立ち寄った。蘇軾は、この手紙で劉格の後押しをしてくれよう鮮于侁に頼んでいる。
【訳文】
古くからの友人の劉格君は、かつての友の劉恕君の弟であります。書物を多く読み、該博な知識を蓄え、文章は粲然と輝いて観るべきものがあります。節義を立てて強く主張し、公務に厳格でありますことは、司馬光君もよく御存知でありますが、ほかの人にはあまり知られていません。貴君に特にお願いしたいのは、劉君を門下に置かれて、もしも国の仕事を任せてもよい人物であると見ていただけて、御推薦いただけましたならまことに幸いであります。劉君はいまはこちらに立ち寄って、間もなく故郷の南康軍に帰ろうとしています。貴君が劉君のことを認めてくだされば、願いは十分に叶います。このようにするのは、私的な思いからではなく、才能が埋もれてしまうのを惜しむからであります。
■【05-4-086】次韻僧潜見贈
【解題】道潜［字は参寥］から贈られた詩に次韻して返した。道潜は、杭州時代に蘇軾が何度か足を運んだ於潜の僧で、そのときには会う機会がなかったようで、道潜が何かの旅の途中で徐州に立ち寄ったのが2人の最初の出会いだったようだ。これより極めて親密な間柄になる。
【訳文】
参寥師の胸中は水の鏡のように清く、
森羅万象がそこに映っては消え、一切の形を残さない。
独り古い寺に住んで菊を植え、詩を詠む人とともにその花を食らう。
人間世界にはどうして南と北の差異があるのか、
渡り鳥はどうして遠くに飛んで行くのか。
師はかつて門を閉ざし、穴の深みに禅榻を置いて座し、
その頭の上に歳月が高く積み上がって行った。
今年になってたまたまそこから出て、
智慧の剣をもって煩悩の賊に刑を加えようと、
僧衣を新たにして仏法を求める山水の旅に出た。
路傍の子どもたちは、髭を全く翦らずにいた師の姿に驚き、
お歴々は師に逢おうとしたが、師は民衆の内に隠れて捜し出せなかった。
あたかも夢の中の出来事にようにして、
淮水のこちら側へと吹き寄せる秋風とともに、
殺風景な庁舎の庭に、たわわに実の成る橘柚の木［参寥師］が現れた。
彭城のこの老知事は誰にも顧みられることなく、
旧い友人は互いに天空の片隅に分かれ、暁に残る星を望むかのよう、
ただ棗の林や桑の野だけが迎え入れてくれる。
師は千の山の遠さも憚らず、
荒野には家がないのをも厭わず、
二本の脚は飛ぶ猿のように軽やかに旅をする。
世には虚飾の言葉がごろごろしている、
その中にいくらかなりとも詩人の情というものがあるのだろうか。
猿が鳴き鶴が叫ぶのは本来何かの意があってのことではなく、
その下を心を傷める旅人が行くなど知りもしない。
夜の雨が石段に降り注ぐのは自ずから清らかなだけで、
人の心を悲しみで満たして泣かせようとするものではない。
私はもう詩などは廃して、山に入って筐いっぱいの仙草を採ろうかとも思う。
しかし、現実には公文書が堆積し、鞭打ちの刑罰を加えなければならない。
昼間は無理でも、せいぜい夜の間ぐらいは、
茶を煮て栗を焼いて過ごし、
師とともに傾く月を見つめつつ、
師の珠玉のような智慧で、私の濁った水のような心を照らしていただきたく思う。
■【05-4-087】次韻潜師放魚
【解題】徐州の虚白斎で参寥と話をしていると、ある人が蘇軾のために魚を持ってきた。蘇軾は、この魚を水に放ってみてはと参寥に勧め、そのようにしてから参寥が詠んだ詩に、蘇軾が次韻した。
【訳文】
参寥師は、泗水のほとりに立って魚を放ち、仏法を説く。
師の払子に天から無数の花が降ってくる。
師は、浄らかな行いをして西方浄土に行く種を植えよと教える。
夢のお告げに、命の終わるときがきたと知ってからでは遅い。
悲しいかな、私は魚のように年中口をぱくぱくさせているだけ、
ろくな目に遭わず、退くべき時期もつかめずにいる。
かつて、案外知恵のないお人だと笑われた子産どころではない、
本当にぼんくらな知事で、
尾が赤く変色したくたびれた魚のような状態に民衆がなっているのに、
目が細か過ぎる網を取り除いてやることもしないで、
ただ額に油汗を流しているだけなのだ。
師はもとより衣の内に仏法という珠を有しているので、
泥の底に潜って真珠を探し求めなくてもよいのだ。
【補足】［（1）会って間もない参寥とたちまち心の波長が合ったのだろう、すぐにこのような戯れの詩を詠むようになった。魚を放したので、魚に縁のあるいろいろなことが詠み込まれている。（2）途中にある子産の故事は次のようなこと。賢人としての誉れ高い大臣の子産にある人が魚を贈った。子産はその魚を水に放てと池の管理人に命じた。管理人は魚を煮て食べて、子産には池で悠々と泳いでいると報告した。子産はそれを聞いて管理人を褒めたので、管理人は、子産は知恵者だと聞いているが、それほどではないと笑った。（3）目の細かい網とは、改革に伴って作られた数々の新法をいうのだろう］
■【05-4-088】浣渓沙
【解題】かつて蘇州で会ったことにある閭丘孝終［→作品番号04-3-036］が徐州に立ち寄ったので、この詞を作って見送った。
【訳文】
一別姑蘇已四年。［姑蘇［蘇州］でお別れしてすでに四年］
秋風南浦送帰船。［秋の風は、南の岸辺で帰りゆく船を見送ります］
画簾重見水中仙。［画のような風景のなかで、再び仙人のあなたと会ったのでした］
霜鬢不須催我老、［白髪よ、私をもう老いさせないでください］
杏花依旧駐君顔。［杏の花はあのときと同じくあなたのお顔に留まっています］
夜闌相対夢魂間。［夜が更け行き、あたかも夢の中にいるかのようです］
■【05-4-089】滕県時同年西園
【解題】徐州の管轄下の滕県［→作品番号05-4-050］には蘇軾と同時に科挙に合格した時君［名は不明］がいた。その人の庭について詠んだ詩。
【訳文】
人はみな成長の早い楡や柳を種えて、
十畝の陰がすぐにも作られるのを待つのだが、
私は自分のちょっとした信念として松や柏を種えることにしている。
村里を見ても、それぞれの家はせわしなく盛衰を繰り返し、
木を種えても徳を種えないのなら、飛び去る鳥のように雲散霧消してしまう。
時先生のことを私はいままで知らなかったのだが、
その用意するところのものは実に深く、
千金よりも義を重んじ、数人の友だけがいる。
先生の自らの手で西園を開き、千の峰から珍しい木を持ってきた。
霜にも雪にも耐える根を養い、
遥かな高みで鶯や鳳が吟じるようになるのを待っている。
池に水を引き、亀や魚が自由に浮き沈みしている。
桂の木が日夜成長し、歩む人の肩に白い花が乱れ落ちる。
繁るのは草や木だけではない、
先生の子孫もすでに林を成すまでになり、
両手に余るまでに大きくなった子がたくさんいて、
必ずや千尋の高さにまでもなるであろう。
昔、漆を種えて長い歳月の後に富豪となった者がいた。
私はこの西園の詩を作って、
近隣の人々に先生を見習うよう勧めるものである。
【補足】［徳を種えるということは先に『種徳亭の詩』で見ている［→作品番号05-4-038］］
■【05-4-090】次韻王廷老和張十七九日見寄
【解題】張恕が九月九日の重陽の節句に詠んだ詩［→作品番号05-4-081］に王伯●［字は廷老］［●は易＋攵］が和したので、蘇軾がそれに次韻した。王廷老はこのころは不本意ながら官職から離れて南京応天府にいて、蘇轍としばしば詩の応酬をしていた。
【訳文】
其の一
霜に枯れた葉が空に飛び、雀が籬に遊ぶいま、
筋力を使って楼閣を上り、
菊の花に向かって酒を手にするのは、
まだまだ老いに甘んじまいとするからで、
鬚を黒く染めて、自らを欺くくらいの気でいる。
貴君が事も無く過ごしているのは、
酒好きであるからだとわかってはいる。
多才な貴君であるから、世間は貴君を手放しはしないだろう。
いまは呑気に杯を含んでいられる口だって、
役人の冠を結ぶ紐で堅く括られてしまうであろう。
【補足】［王廷老はいずれ要職に復帰するであろうと励ました詩で、第二首も同様の趣旨であるので訳は割愛する。王廷老に贈った詩がもう一首あるが、その訳も割愛する］
■【05-4-091】鹿鳴宴
【解題】科挙の地方試験に合格した人々を集めて開く祝宴を鹿鳴宴といい、蘇軾は徐州で行われた試験に及第した人々を黄楼に集めて9月30日に盛大に祝宴を行った。これはそのときの詩。
【訳文】
騎を連ねて走り来る使者、
太鼓を叩いてそれを盛大に迎えると、
諸君等がみごとに科挙の最終試験に合格したとの報せなのである。
金の盃に菊を浮かべていまここに宴を催すのは、
春の合格を目指して都を行く諸君等を送るためである。
いつの日か諸君等が地方を巡視しにくるのを私は出迎えて、
白髪頭で再びここで詩を賦すことになるであろう。
そして、月夜に笛の音を聞きつつ、
昇平の時を楽しむのである。
【補足】［（1）このときに人々が詠んだ詩を集めた詩集に蘇軾は序文を記している。それは優美な技巧的な文章でかなり訳しにくいので割愛する。（2）なおこの詩は出来が悪くて蘇軾の作ではないと疑う説もあるようだ］
■【05-4-092】次韻参寥師寄秦太虚三絶句、時秦君挙進士不得
【解題】都で科挙の一次試験に挑んだ秦観［字は少游、太虚］［→作品番号05-4-048］は不合格となり、参寥［→作品番号05-4-086］が慰めの詩を寄せ、それに次韻した。参寥はかねてから秦観と親しくしていたようである。
【訳文】
其の一
秦君が文字を自由に使うことは世から超然と抜きん出ていて、
仙人が大空を凌ぎ上るありさまがある。
ところが、どうしたことか秋の試験に及第しなかったので、
私は座禅を組んでそのわけを諸天の菩薩に尋ねようと思う。
【補足】［（1）菩薩が出てくるのは、参寥の詩に次韻したからだ。（2）参寥と唱和した詩は、仏教に関わる概念や故事を引いて、常人の理解を超えて思考を飛躍させていりするので、訳者には甚だ解しがたいものが多い。第二首は割愛する］
其の三
得ると喪うとは毛筋の先ほどの差さえもない、
だから参寥師はそんなものには目を向けないし、
意気揚々と挙げる声を聞いてみたいとも思わない。
何はともあれ、
参寥師とともに、
唾を吐くように新しい詩を次々に作ってみたらよいだろう。
■【05-4-093】答秦太虚
【解題】科挙に落第した秦観に、蘇軾はこの手紙を書いている。
【訳文】
お別れしてから何度もお手紙をいただいていながら、怠け癖と便宜がないことから、一度もお答えしておらず、慚愧の至りであります。参寥師がこちらに来て、貴君の様子をいろいろと楽しく聞いております。しかし、科挙の一次試験の合格者の名簿に貴君の名がなかったのは、甚だ嘆かわしいことでありました。これは貴君の損益をいうよりも、その筋の方々の不幸をいうべきでありましょう。
その後の日々はいかがしょうか。参寥師は真に立派な人で、貴君が親しくされたのもなるほどと思えます。いつまた貴君とお会いできるのかと思うと、紙に臨みつつ呆然としてしまいます。万万御自愛されますように。謹んでお手紙差し上げます。
参寥師に問うと何でも知ることができます。夜になって書いているので疲れが出て何を書いているのかわからなくなってきました。貴君の試験の答案は非常によいもので、いまの君子たちに書けるようなものではありません。私は遠からず交替となり、次の任地はまだわかりません。東南の一郡に行きたいと思っていて、もしそれが叶えば、きっとお会いできましょう。
【補足】［同じころに秦観に宛てた手紙がほかにもあるので、その一部を読んでおこう］
【訳文】
昨夜はたまたま客人と数杯の酒を飲み、その後で燈火の下で李之儀君と秦観君への手紙を書きました。そのまま眠ってしまい、今日になって二通の手紙を読み返してみると、李之儀君への手紙はまだしもどうにか整っていましたが、秦観君への手紙はひどく乱れていました。まことに昨夜の酔いがひどかったのでしょう。本来なら別に書き改めるべきでしょうが、また思いますに、秦観君はこれを読んで千里の彼方にあって我が酔態を笑ってくれることでしょう。暇な折に一字でも寄せてくださるなら、はなはだ寂寥が慰められます。
【補足】［李之儀［字は端叔］の名は作品番号04-3-090で見ている］
■【05-4-094】与舒教授、張山人、参寥師同遊戯馬台、書西軒壁、兼簡顔長道二首
【解題】この詩の題は、「舒教授、張山人、参寥師とともに戯馬台に遊び、この詩を西軒の壁に書き、兼ねて顔長道に手紙で送った」。舒教授は徐州の学校の教授の舒煥［→作品番号05-4-051など］、張山人は雲竜山の張天驥［→作品番号05-4-082など］、参寥師は僧の道潜［→作品番号05-4-086］、戯馬台は徐州の町の南にある旧跡でその上に台頭寺があり［→作品番号05-3-058］、西軒はその一角にあったのだろう、顔長道は顔復［→作品番号05-4-080など］である。
【訳文】
其の一
長い回廊を歩んで、古い寺の隅々まで見てまわる。
とりわけこの西軒は旅人の情を慰めてくれものがある。
西側を断たれたような楚山は客人を迎えるありさまで立ち、
汴水は南へと流れ来て町を巡ってその姿を客人に見せている。
かつて作られた玉鉤斜の道はすでに草に埋もれ、
かつて築かれた白鶴観もすでになくて泉だけがある。
この淡い遊びの何が学校の先生［舒煥のこと］のお気に召したのかというと、
こうして坐して磬を叩く音が野原に響くのを聞けたことなのであった。
其の二
竹の杖をつく者、芒の草鞋を履く者、
順に並んで道を行き、
下に官道を臨むと、
そこにこの土地の人情を見てとることができる。
寒い季節になっても、畑には豆や粟が実り、
日の暮れに向かって、牛や羊が自ずと町へと帰ってゆく。
酒を買うのは、とにかく陶淵明先生［張山人のこと］を酔わせるため、
詩を詠んでいるのは、誰よりも清らかな言葉を発する皎然［参寥のこと］である。
さあ、路地奥に住んでいる顔回先生［顔復のこと］を尋ねて、
この詩を継ぐ微妙な言葉を聴こうではないか。
【補足】［（1）途中に挟まれている「天寒菽粟猶棲畝、日暮牛羊自入城」［天寒くして菽粟は猶お畝に棲み、日暮れて牛羊は自ずと城に入る］は、平穏な田園風景を詠んだ淡白な味わいの美しい対句である。（2）以上の二首のなかに友人四人を巧みに詠み込んでいる］
■【05-4-095】夜過舒堯文戯作
【解題】夜に舒煥［字は堯文］教授を尋ねて戯れに詠んだ詩。
【訳文】
舒先生の部屋に冴え切った月の光が差し込み、
両側の廡からは、弟子たちが本を読む声が賑やかに響いてくる。
門を押して先生の部屋に入り込むと、
書物が乱雑に置かれ、
蠟紙を貼った燈籠が雲母のように白く輝いている。
先生は骨の髄まで清らかな人であるから、
横になって眠るのはごくわずかで、
長い夜も、坐って時を告げる太鼓の音を数えている。
石の硯に氷が張りそうな寒さであっても、
銅の瓶の水を使い切って雨の滴りが残るだけとなる。
先生がそそくさと出てこられて挨拶しようとするので、
私は襟を正してより丁寧に応じる。
明日の朝は私はある友を訪ねる気でいるのだが、
その人は先生の方を重んじたと羨むことだろう。
【補足】［終わりの部分は二つの故事を用いて、何かジョークを言っているようなのだが、訳者はそのココロを読み取ることができないので、仮にこのようにしておく］
■【05-4-096】次顔長道韻送傅倅
【解題】副知事の傅裼［字は子美］［→作品番号05-4-024］が他の地に移ることになったので顔復［字は長道］が送別の詩を詠み、蘇軾が次韻した。
【訳文】
貴君とは、菊の花が開き、菊の花が落ちるのを二度見た。
貴君とは、南の山々の寺を遍く巡ってそこに名を記した。
私は公務において貴君に頼っていただけでなく、
あたかも兄弟のように親しくさせてもらった。
一年前には、雲のように押し寄せてくる汴水、泗水の波に浮かび、
貴君も私も衣服がすっかり泥だらけになってしまった。
別れの酒にとことん酔おうではないか、
いまは穏やかに流れる川の水音に耳を傾けながら。
■【05-4-097】百歩洪二首并叙
【解題】徐州の名所、百歩洪［→作品番号05-3-033］で詠んだ詩。この詩には序文が付いている。2首のうち1首を訳す。
【訳文】
叙
王鞏が彭城［徐州］の私のもとに訪ね来て、ある日のこと、王鞏は顔復とともに小さな舟に棹さし、盼、英、卿の三人の妓女を携えて泗水に遊んだ。北に聖女山に上り、南に百歩洪に下った。笛を吹き、酒を飲み、月に乗じて帰った。私は事情があって行くことができなかったが、その夜は、私は黄楼の上に立って、舟の上の人と互いに見て笑い合ったのだった。このような月の光のもとでの楽しみは李白が死んで三百余年の間、ほとんどなかったものではないかと思った。王鞏が彭城を去って一カ月を超えてから、私は参寥師とともに百歩洪に舟を放ち、先の遊びの跡を尋ねて追懐した。そして長嘆息してこの二首の詩を作り、一つを参寥に贈り、一つを王鞏に寄せ、かつ顔復と舒煥に示し、その二人を迎えて詩に和してもらおうと思う。
【補足】［王鞏と顔復が舟を浮かべて遊んだことは作品番号05-4-080で見ている］
其の一
百歩洪の長い流れに、
北斗星が天から水を注ぎ落としたように波が跳ねる。
舟は、機織りの梭を投じる速さで南に下る。
船頭が、
「鳧か雁が飛び立ちました」
と、叫ぶ間に、
無数の岩のつるつるの面が、一本の線のようになって過ぎ去る、
鷹に追われて走る兎か、千丈の堤を走り下る駿馬か、
切れた絃が飛び、矢が手を離れ、飛電が一寸の隙間をよぎり、
とにかくすばやく四方の山が目の中を転がり、
風が耳を掠め、
ついには流れの中に千の渦だけを見る。
危うい中に楽しみを得るのは一つの快感であるけれど、
黄河の神が己の大きさを誇ったのにも似て、
より広大な世界から見れば、それほどたいしたことではないのであろう。
我が生は常に変化して日夜に過ぎ逝き、
世情の紛紛とした争奪は酔った夢の中のこと、
銅の駱駝もいずれは草の下に埋もれ、
千劫の歳月とても俯仰の間に失われ、
万事はここの水がうねり流れるのを見る間のことなのであろう。
岸辺の青い岩の上には、釣棹を立てた穴が蜂の巣のように開いている。
昔から無数の釣り人がそこに座し、
いずれの人の心も定住するところを得なかったのだろうか。
造物者は速やかに時を過ぎ去るものとしているが、
しかし、私は必ずしもそれに流されるだけのものではないのだろう。
かくて、舟を回らし、馬に上っておのおの帰り去る。
これ以上がやがやと多言を用いたならば、
参寥師に叱られてしまうだろう。
【補足】［（1）前半の軽快な急流描写だけでも詩として成り立ち得るのだろうが、その後に思索を巡らさないと気がすまないのが宋代の詩、特に蘇軾の詩、の特徴であろう。（2）第二首は訳者の理解が及ばないために割愛する。また参寥と一緒に黄耳蕈を見て詠んだ詩があるが、それも同じ理由で割愛する］
■【05-4-098】送参寥師
【解題】参寥が徐州を離れて南に帰るのを見送った詩。
【訳文】
上人は「苦」「空」を学び得て、
世の人が有する百の思念などは灰のように冷え切っている、
目の前で剣を振り下げられても動じないし、
焦げた稲からは穎が出ないように雑念なども生じない――はずである。
それなのに、どういうわけで、
我等のような者と詩文の華美を争ったりするのだろう。
上人の新しい詩は玉の雪のようにきらびやかで、
語はいずれも鋭い警句ばかりである。
唐の韓愈は、ある上人の草書を評して、
万事を斥けることなく、
憂愁を抱くときにはやはり書も平静ではなく、
筆の騁すところに全てを寓せているといった。
しかしながら、
仏門の人は、己の内を視るなら、
井戸の底の水のよう、淡く静まり返って、猛々しく波立つことはないという。
よくよく考えてみると、そのどちらでもないのだろう。
真に巧みであるものは、
瞬時に生じて瞬時に消えたりするようなものではない。
だから、「空」にしてかつ「静」であっても、
絶妙な詩語が生まれ出てくるのだ。
「空」であるなら「万境」を納め、「静」であるなら「群動」を了させることができる。
俗世を閲して人間世界の中で走っていても、
仏法の高い雲の嶺の上に臥しているのと同じである。
鹹いも酸っぱいも衆人の好みの内に雑じってこそ、
詩語に永遠の「至味」が含まれる。
つまり、詩と仏法とは妨げ合うものではないのだ。
このようなことが当たっているのかどうか、
さらに教えを請うものである。
【補足】［この訳はそこそこ読めるように日本語にしてみたまでて、仏教用語を多用して展開している詩論が果たして何をいっているのか、参寥でも蘇軾でもない私にはさっぱりわからない］
■【05-4-099】与参寥
【解題】参寥が去ってから後に出した手紙。
【訳文】
お別れしてからの思いは言葉にしようとしてもできません。逍遥堂に行くたびにいつも悵然としてしまいます。……三首の詩はいずれも清妙で、読んで手から離すことができません。一篇に和して御返事といたします。御所望の真賛はまだできていません。お使いの方が長くは留まっていられないというので、今回は残念ながら間に合いませんでした。秦観君とともに温泉に遊ばれたとのこと、まことに結構であります。私は来春には江浙のあたりに赴任することを願い出ますので、そちらに行くときにはまたお手紙をお出しします。……
【補足】［（1）一篇に和したとあるのは上に詩のこと。（2）参寥が温泉に遊んだことについては次の文章に詳しく記されている］
■【05-4-100】書游湯泉詩後
【解題】秦観と孫覚と参寥の三人が恵済泉という温泉に遊んで詠んだ詩を見て、蘇軾はこの後書きを記した。
【訳文】
私が聞いている温泉は七カ所である。そのうちの第五泉は今回、三君が遊んだところである。
第一泉から第四泉は、秦観君が賦したこの詩にある匡廬、汝水、尉氏、驪山の温泉である。
第六泉と第七泉は私が鳳翔の駱谷と渝州の陳氏の山居で見たものである。
いずれの温泉も奥深い山の中にあって、山寺の僧や土地の人が浴びたり、鹿や猿が飲んだりするところで、驪山の温泉だけは交通の便がよいところにあることから、立派な堂宇が建てられ、独り名所として知られていた。ところが、唐の玄宗皇帝の政治が乱れたときに、楊国忠や李林甫、安禄山によって驪山の温泉は汚されてしまい、弁舌の士が筆を使って温泉が亡国の原因となったとして唾罵し、ひどく辱められてしまった。
第五泉が恵済泉で、三君がこれほどまでに詠嘆したところである。僻遠の地にあることによって、有力者によって辱められることなく、隠逸の高人によって見いだされ、世俗とは趣を異にする者の楽しむところとなったのであろうか。あるいは恵済泉が驪山の温泉のようになってしまうのを嫌ったのだろうか。つまりは、温泉は奥深い僻遠の地にあるのを嘆いたりはしないのである。
もとより温泉は栄辱とは無関係で、ただ人が自分の意をもって推し量るだけである。いわゆる道具は使われるところを選ばないという戒めと同じなのであろう。
元豊元年十月五日。
【補足】［（1）驪山の温泉は玄宗皇帝が楊貴妃を連れて遊んだことで知られ、そのことを詠んだ詩を作品番号02-4-024で見ている。（2）この短文はひどく理屈っぽいけれども、科挙に落第した秦観を励ます意図で書かれたものであるのだろう］
■【05-4-101】日喩
【解題】呉琯［字は彦律］に贈った文章。呉琯の名は作品番号05-3-042以下何度か見ていて、徐州で酒税に関する仕事に就いていたのだが、それは下級官吏としてであったようで、徐州での科挙の一次試験に合格して、都での二次試験を受けるために上京することになった。この文章の主題となっている「道」は中国の思想史において極めて重要かつわかりにくい概念である。「道」とは何か、『中国思想文化事典』（溝口雄三・丸山松幸・池田知久編、2001年）には、「人が通行する道というのが原義だが」「宇宙・自然・万物の普遍的規律や根源的真理として、また社会・政治・道徳の当為や規範として、高い位置づけが与えられた」と記されている。この説明からその位置づけはわかるとしても、「道」に達すること、つまり理解して実践することはできない。「道」に達するにはどうしたらよいのか、蘇軾はそれをこの文章で書いている。
【訳文】
一つの譬え話がある。
生まれながらに目の見えない人がいて、太陽がどのようなものであるのかを知らなかった。そこで、目の見える人に尋ねた。
ある人は、
「太陽の格好は銅のたらいのようだ」
と教えた。
そこで、たらいを叩いてみると音がした。後に鐘の音を聞いて、それが太陽であろうかと思った。
別のある人は、
「太陽の光は蝋燭のようだ」
と教えた。
そこで蝋燭を触ってみて、その形状を知った。後に、笛に触れて、それが太陽であろうかと思った。
太陽と鐘や笛は遠くかけ離れたものであるが、目の見えない人はその違いがわからなかった。見たことのないものを、人に尋ねて答えを求めたのでこのようなことになったのである。
「道」というものは、太陽よりもずっと見えにくい。そして、人がまだ道に達していないときは、目が見えないのと異なるものではない。達した者が、巧みな譬えを用いて善く導いたとしても、それはたらいや蝋燭よりましだということにはならない。たらいから鐘に進み、蝋燭から笛に進み、鐘やら笛やら堂々巡りをしていつまでたっても終わらない。
世間の「道」についていう者は、ある者は見えたと思ったところから「道」を説明し、ある者は見えてもいないのに適当に憶測する。
こうした過ちは、いずれも「道」についての答えを人に求めることから生じたのである。
ならば、「道」はどうあっても答えを求められないものなのだろうか。
私が考えるに、道は「到す」ことはできても、「求める」ことはできないものなのだ。
それでは「到す」とはどういうことなのか。
孫子はこのようなことをいっている。
「上手に戦う者は、人を『到し』て、人に『到され』ない」
孔子はこのようなことをいっている。
「職人は作業場にいて、自分の仕事を成し遂げる。君子は学問をして、道を『到す』」
この二つから「到す」の意味を考えると、人に「求める」のではなくて、自ずとやってくるのが「到す」ということなのである。だから、道は「到し」てこそ達するものなのである。
もう一つの譬え話がある。
南方には潜水の得意な人がたくさんいる。南方の人は毎日水辺で生活をし、七歳になると水を歩いて渡れるようになり、十歳になると泳げるようになり、十五歳になると上手に潜水ができるようになる。潜水はたやすくできることではない。きっと水の「道」を会得した者が潜れるようになるのだろう。毎日水と一緒にいるから十五歳で「道」を会得するのである。
生まれてから水に馴染みのない者は、立派な大人になっても、舟を見ただけでも怖がるという。
水に縁の薄い北方の勇者が、南方の潜れる人に潜り方のコツを求めたという話がある。北方の勇者は答えを聞いて、それを川で試してみたところ、皆が溺れてしまった。
つまり、日々に学ぶことをしないで、「道」についての答えを人に求めようとするのは、北方の人が潜水を求めるのと同じなのである。
さて、以前は科挙において詩賦を課してしかるべき士を採用していた。士は音律も含めて様々なことを学び、安易に「道」を知ろうと志すことはなかった。いまは試験で経典について問い、それによって士を採用しているので、士は「道」について規範的な答えを知ることを求め、いろいろなことを学ぶ努力をしなくなった。
渤海の呉琯君は学ぶことを志す者である。そして科挙を受験するために上京しようとしている。そこで私はこの「日の喩え」の文章を作って、呉琯君に告げるものである。
【補足】［（1）王安石が科挙と学校の大改革を志向し、その手始めとして試験で詩賦を課すことをやめようとしたときに、蘇軾が反対意見を皇帝に提出したことは作品番号03-2-006で見ている。経典の理解度を一つの尺度で正確に測ろうとしたら、その前提として、経典の正しい解釈が一つに定まっていなければならないだろう。正しい解釈が提示されれば、受験生は当然のことながらそれを丸暗記して試験に臨むようになる。実際にそのように事が進み、いわば潜り方のコツを教わっただけの人間が官僚として採用されるようになり、道に達することが疎かになってしまったと、蘇軾は憂慮していた。呉琯は蘇軾の考え方に共鳴する人物であったので、この文章を書いて送った。（2）「君子は学問をして、道を『到す』」というのは孔子の言葉でなく、弟子の子夏の言葉である。広く様々なことを地道に学び続けることで、自ずと道に達する［人として大成する］という考え方は『塩官の大悲閣の記』［→作品番号05-1-081］や『鳧繹先生の詩集の叙』［→作品番号05-1-082］とも共通する。たくさんの知識を蓄え続けるとどこかで飛躍がおこるというのは、現代のAIでも見られる現象である］
■【05-4-102】十月十五日観月黄楼、席上次韻
【解題】十月十五日に黄楼で月を観て、誰かが詠んだ詩に次韻した。
【訳文】
中秋の空は期待していた通り、
燈火をつけて座の隅を照らす必要がないほどに明るい。
山の下に絹のような白い雲が横たわり、
水の中から明るい月がふわりと浮かびあがった。
舟を三峽へと進めて故郷に帰る計画はまだ立たないけれど、
退隠して洞庭湖に舟を浮かべて見上げると、月との約束はすでにしている。
この好風景に尋ねよう、
来年はこの知事のことを思い出してくれるのだろうか。
【補足】［即興の詩で、手慣れた発想の目新しさのない作品である。対話型AIはおそらくこのような漢詩を蘇軾並みの素早さで作れるようになるのだろう］
■【05-4-103】与文与可
【解題】親友の文同［字は与可］に宛てた手紙。たまたま散逸を免れたのが多かったのか、この年に文同に与えた手紙が6通残っている。そのうちの3通を選んで訳し、これが3通目。
【訳文】
……秋の科挙の結果をみると、八郎君［文同の長男］は合格したとのことで、まことに喜びに堪えません。一方で、十一郎君［蘇轍の婿となった文努光］はたまたまうまくいかなかったようで、はなはだ残念い思います。千里の道を行くのに、一度つまずいたからといって終わるものではありません、どうか思い患いませんように。
……近ごろ、道潜という名の僧と知り合いになりました。字は参寥で、杭州の人です。わざわざ来てくれて会ったところ、詩句は清絶で、林逋［宋代初期の著名な詩人］とほぼ並びます。しかも道義に通じていて、説くのを聴いて人は粛然となります。ここに書き添えておきますので、御笑覧ください。……十月十六日
■【05-4-104】徐州上皇帝書
【解題】徐州知事になって1年半、徐州においていま何が最重要課題であるかを記して皇帝に提出した。何度か見てきたように、各地で盗賊が出没していたので、その中から強大な盗賊集団が現れ、ついには内乱状態にまで陥ってしまうようになることを蘇軾は強く危惧していた。為政者側から見れば社会秩序を乱す盗賊集団ではあっても、民衆側から見れば正義のために決起した「起義集団」ともなりうる。歴代の王朝は、おおむね盗賊集団ないし起義集団が全国的に同時に多発することで崩壊した。宋王朝の場合は、蘇軾が死んでからの後のことではあるが、内乱状態に陥りかけると同時に、外敵が攻め込んでくるという最悪の事態となって、北宋は滅んだのだった。蘇軾はこの文章で、治安維持のためにいま打つべき手を提案している。それはあくまでも徐州知事の立場から言い得る範囲のことで、国家の根本を問うものではない。州知事としてはおそらくこれでもかなり異例の提言であったのだろう。なお、訳者は当時の政治の仕組みについて疎いので、訳者の理解できる範囲での大まかな抄訳である。
【訳文】
元豊元年十月、尚書祠部員外郎直史館権知徐州軍州事蘇軾、謹んで死を覚悟して再拝して皇帝陛下に上書いたします。
臣は凡庸な人間でありながら官員の一人として二つの州の知事にしていただき、どちらもが東方の要の地であります。臣が竊かに思いますに、法令を守り、公文書を処理し、租税を期限内に納めるだけでは、任命していただいたことに万分の一も報いたことにはならないでしょう。伏して思いますに、東方における要務として陛下が承知されていてしかるべきことが一つ二つございますので、ここに記してお耳に入れたく思う次第であります。
臣は前任地の密州において、河北と中原の離合は古より常に国家の存亡と関係し、また京東は河北への物資の供給地となっていることから、唇が失われれば歯が寒いの譬えの通り、京東の民がもしも盗賊に変じたならばその患いは最も激しいことになってしまいますので、盗賊対策を立てることが肝要であると申し上げました。臣は徐州知事に移りまして、山川の形勢を見て、風俗の状況を考察し、また書物に照らし合わせて考え、しかる後に知りましたのは、徐州は南北を結ぶ要の地であって、京東の諸郡の安危が依拠するところであるということであります。その昔、項羽は関中に攻め入って秦の都であった咸陽を焼き払うと、東に帰って彭城［徐州］に都を置きました。戦略に優れた項羽が咸陽を捨てて彭城を取ったのは、彭城の堅固な地勢をよしとして、天下を統治する志を諸侯に思い知らせるのに適した場所であると判断したからです。臣がその地を観ますに、三面を山に囲まれ、西側だけが数百里にわたって平坦で、梁、宋の地に通じていますので、項羽が手勢の楚の兵士を使って敵から守り、また物資を周囲から集めるのは、あたかも高い屋根の上から水を流すかのように容易なのでありましょう。また土地は穀物を栽培するのによく、一度の豊作で数年の蓄えが得られます。徐州の城は三面を水に囲まれ、楼閣の下にある汴水、泗水は堀として守りによく、南側だけは車馬の通じるところとなっていますが、そこには戯馬台があって、高さは十仞、広さは百歩で、戦争のときにはその上に千人を集め、武器を備えておくなら、城と表裏の関係で互いに支え合うでありましょうから、城中に三年分の食糧を蓄えておくならば、十万人で攻めても取ることはできませんでしょう。さらに、徐州の民は体格がよく、胆力は絶人で、喧嘩っ早くて、少しでも意に適わないところがあれば、勇躍して跋扈する心があります。漢の高祖は沛の人であり、項羽は宿遷の人であり、劉裕は彭城の人であり、朱全忠は碭山の人であって、いずれもが徐州から数百里の間から出た人々でありました。この地の人々はそれを自慢として、凶桀の気がいまも民衆の風俗となっています。かつて魏の太武帝は三十万の大軍で彭城を攻めましたが下すことができませんでした。唐の時代に王智興は兵卒の間からのし上がっただけの凡庸な人物でしたが、徐州において勝手気ままなことをして、朝廷は討伐できませんでした。地形が優れ、人が勇悍であったからです。
徐州の東北七十里余りのところに利国監［監は県と同じレベルの地方行政の単位］があり、古くから製鉄の官署が置かれ、商人が集まり、その地の民は富んでおります。いま三十六の製鉄所があり、いずれの冶戸も巨万の富を蓄える大家で、常に盗賊に狙われています。しかしそこを守る兵士はわずかで、子供の戯れのように弱いものです。臣は夜にこのことを思うと、心中に寒さを覚えます。もしも十人余りの死をも顧みない乱暴な盗賊が白昼に町に突入したならば、護衛の兵士は町を棄てて逃げるだけでありましょう。その地はよい鉄を産し、その民は鉄を鍛える技に優れ、冶戸の財産を放出して無頼の徒を集めたなら、たちまち数千人の軍勢ができあがるでありましょう。そこから流れに乗って朝に発てば昼前には徐州に至り、そのときに、残念ながら徐州は守り切れないでしょう。賊の中に不幸にして呂布や劉備のような人より優れた技量の者がいて、徐州を得てより志を逞しくしたならば、京東の安危はもはやどうなるのかわからないでありましょう。……［利国監および徐州の治安を守るための策を述べる］……このようにすれば数年のうちには守りが堅固となり、利国監を狙おうとする賊はいなくなり、徐州は無事で、徐州が無事であれば、京東にはもはや虞れはないのであります。
また、沂州は山や谷が複雑に入り組み、捕縛を逃れた盗賊が逃げ込み、そこから出てきては徐州の境界へと入り込んできています。もしも陛下が臣の提言を採用してくださって、臣が不肖の人物ではないと見てくださいましたなら、徐州知事としての任期をさらに三年延ばして、沂州の軍事をも兼任させてくださるようお願いするものであります。必ずや成果を挙げてみせるでありましょう。
京東の盗賊の多くは軍から逃げ出した者であります。軍から逃げて盜賊になる者が多く続くために、民衆は軍を恐れるまでになっています。どうしてそのようなことになるのかというと、兵士の技が優れていて、また法規が厳重だからであります。技が優れているから戦えば敵いませんし、法規が厳重なので逃亡兵はいずれにしても死は免れないのだからと何も恐れることなく戦います。陛下が将官を置かれて、軍政を引き締めてから、兵士は精鋭になった一方で、逃亡する兵士がいなくならないのはどうしてであるのか、臣はその理由を考えました。近年は、罪人を各地の軍に兵士として配属するときに、役人を使って送り出すのではなく、禁軍［中央に属する軍隊］の兵士を使って送り出しています。禁軍の兵士は送り出すよう命令を受けてすぐに出発して、往復で十日以上はかかります。その間の旅費は銭を借りなければまかなうことができません。一般の人々は法規を畏れて貸してはくれませんし、貸したとしても返ってくるとは限らないので、つまるところ上司である将校や役人から利息を付けて借りて、帰還したときに与えられる報酬から返すことになります。上官と部下がこのような関係であると、軍政は弛緩し、博打をしたり飲酒をしたり好き放題となり、果ては銭に困って逃亡して盗賊となってしまうのです。臣は徐州にきてから、銭をやりくりして別に儲えて、兵士を送る者の遠近に応じて、三カ月を期限として、利息を取らずに貸すようにしました。将校や役人で利息を得ていた者はその方法を嫌いましたが、軍政は引き締まり、飲酒や博打を禁じ、一年にならないうちに兵士は暮らしに余裕が生じて、技芸に練熟し、諸郡のなかでも第一とされるようになったのでした。このことは、陛下の勅使が視察にきて、具体的に御覧になった通りです。臣が願いますのは、この方法が諸郡にも広められることで、軍政が修修まって逃亡する者が少なくなるなら、盗賊をなくす一端となるでありましょう。
……［漢の時代の政策を挙げて検討する］……この施策をいまに当てはめて考えますと、地方知事の権限はもとより制限されるべきものなのでありましょう。いまは、上からは監司が知事に過失がないかを見ていて、下からは役人たちが知事の長短をあげつらい、朝廷からは規定の任期が満たないうちに交替の命令が下されます。盗賊を捕らえるために人を使おうとしても、規定外の費用はわずか一銭でも出すことができません。凶悪な盗賊は情に重く法を軽んじる者たちで、知事が盗賊を配流にしたり死罪にしたりしようとしても、法は冤罪を招いた知事に対して厳しいために、盗賊が反復して上告して罪状がなかなか定まりません。そのようでありますから、役人は死力を尽くすことはなく、盗賊はいつもまで破れないのです。盗賊がはびこっている一因は、陛下のもとにある知事の権限がはなはだ軽いことにあるといえるのではないでしょうか。臣が願いますのは、陛下が少しばかり知事の権限を重くして、大綱を守ることに責任を負わせ、小さな過ちは緩くみることであります。京東の盗賊が多い青州、鄆州から徐州、沂州、斉州、曹州などには慎重に知事を選び、盗賊を捕らえるためであれば法外の処置も許すようにし、特に盗賊を捕らえるための部下を養う費用を賜り、……それらが盗賊を治めるための一つの術となりましょう。
しかし、これらは実は小さな事柄です。大きな事柄は臣ごときが申し上げるようなことではありません。しかし、黙っているのは、陛下の英聖によって特に用いられている者としてはよろしくなく、為すべきことを尽くさないのは忠臣の義にもとるものでありましょう。それ故に死を覚悟してさらに申し上げます。士を採用するときに、以前は詩賦をもって取り、いま陛下は経術もって用いています。詩賦と経術と名は同じではありませんが、しかし文詞をもって採否を判定する点は同じです。文詞によって考査して取るところの士は、呉、楚、閩、蜀の人が多数を占めています。京東、京西，河北，河東、陝西の五路の地は古から豪傑の出るところで、沈思して勇敢に事に当たるによろしい者が多くいて、一方で、声律を操り、経義を読むことでは、呉、楚、閩、蜀の士が優れています。もしも後者の点で争うなら、五路の人々はほとんど官に仕えることができません。それでその地から出た官員は常にわずかしかいないのであります。忠孝礼義の士は、たとえ出世しなくても君子たることを失いません。もし徳が足りなくて才能ばかりが余っているような人物は、出世できないときには何をするかわかったものではありません。ですから、陛下に特に願うのは、五路の士には別に官に仕える道をどうか開いていただきたいのです。……［実際にどのように採用するのかを提案する］……
昔、晋の武帝が呉を平定した後に、天下に軍役を止めるように詔を出し、州郡の武備をことごとく取り去ろうとしました。そのときに山濤だけが反対しました。皇帝は山濤に会ってその論を聞き、「天下の名言である」といったのですが、用いることはできませんでした。その後、永寧年間からは盗賊があちこちで蜂起し、どの地も備えがなかったために制圧することができなくて、山濤が論じた通りになったのでした。臣はこの平和なときにしばしば盗賊について申し上げ、憂いが過ぎて、対策もひどく過剰のようにみえることでありましょう。政策を議論する者たちに笑われてしまうでしょうが、陛下におかれてはどうか緩やかに見てくださいますように。天下が無事であるならば臣が笑われるのは少しも構いません。重大事に至ってから図ったのではすでに遅いのです。……
【補足】［（1）事前の備えが重要であると、蘇軾は一貫して主張している。（2）中ほどで戯馬台に関連して記していることについては作品番号05-4-053 でも触れていた］
■【05-4-105】答王定民
【解題】王定民［字は佐才］が手紙や詩を送ってきたので、それに答えた。王定民は蘇轍や顔復と若干の交流があった人物。
【訳文】
封を開くと奕奕として目の覚めるような貴君の草書が出てきて、
その終わりには力強い語を並べた詩があった。
貴君の書は、草書の祖とされる張旭を師として、
貴君の詩は、韋応物の五言詩にそっくりである。
貴君の書を台頭寺に留めおこう、
その評判が天子の耳にも届き、
貴君を召す隊列の行進が遠くからも聞こえるようになるであろう。
鼠鬚［上等な筆］と繭紙［上等な紙］を差し上げるので、
黄楼の詩を詠んで書いてくれたまえ。
■【05-4-106】放鶴亭記
【解題】これまでに何度も登場した張天驥［字は聖塗］［→作品番号05-4-034など］が新しい住まいに移り、その近くの高所に亭を作った。蘇軾はその亭を「放鶴亭」と名付け記念の文章を書いた。
【訳文】
熙寧十年の秋、彭城県は洪水に襲われ、雲竜山人こと張君の草堂にも水が及び、扉の半ばほどまで水につかった。水が引いた後、翌年の春、もとの住まいよりも東、東山の麓に居を移した。そこから高みに昇ると、とりわけ優れた眺望が得られたので、雲竜山人は上に亭を作った。
彭城県の四方は岡と嶺で、大きなこんもりとした環に囲まれているかのようである。ただ西のところに、十分の二ほどの欠けた箇所がある。雲竜山人の亭はちょうどその欠けたところに当たる。
亭から見ると、春と夏の境目のころは草や木が天の際にまで伸び上がり、秋と冬の月や雪のときには千里にわたって一つの色に染まり、風雨の折りには暗くなったり明るくなったり、一瞬のうちに風景が百変する。
雲竜山人は二羽の鶴を飼い、よく馴れていてよく飛ぶ。朝に西山の欠けたところに向かって放つと、鶴は行きたいところへと自由に飛び、田に立ったかと思うと雲の上へと翔け上がる。夕暮れになると東山に向かって帰ってくる。
それでこの亭を「放鶴亭」を名付けた。
知事の蘇軾は時どき賓客や同僚の役人を連れて雲竜山人に会いに来て、この放鶴亭で酒を飲んで楽しむ。
知事は雲竜山人に会釈して、このようにいう。
「先生は隠れ住むことの楽しみをよくご存じでありましょうから、いまさら言うまでもないことではあるのですが、天子となっての楽しみも、これには替えられないものであろうかと思います。『易経』に『鶴が岩蔭で鳴くと、その子も声を合わせる』とあります。また『詩経』には『鶴は奥深い自然の中で鳴き、その声は天に聞こえる』とあります。鶴が「清遠閒放」［清潔で俗を離れ、静謐で自由］で、塵埃の外に超然と脱け出ていることから、このように歌われたのでありましょう。『易経』と『詩経』は鶴を賢人、君子、隠徳の士になぞらえています。ですから、鶴と狎れ親しみ、鶴と玩ぶのは、益するところがあって、損なうところがないようであるのですが、昔、衛国の懿公は鶴をあまりにも可愛がりすぎたために、家臣に背を向けられて国を亡ぼしてしまいました。その一方で周公は『酒誥』を作って酒を慎むよう訓戒し、衛国の武公は『抑戒』を作って自ら酒を慎みました。「荒惑敗乱」［荒さみ惑い、人倫を敗り乱す］であることで酒以上にひどいものはないと考えたからでした。しかし、劉伶や阮籍は酒の内に隠れることで自身の真実を全うし、後世にまでその名が伝えられました。天子は、鶴のように「清遠閒放」のものでも自分の思うままに好むことができなくて、好み過ぎて国を亡ぼしてしまうことがあります。一方で、世を逃れて山林に住まう者は、酒のように「荒惑敗乱」のものであっても、害がなくてすむことがあります。まして、隠れ住む者が鶴を好むのです、その楽しみはいくら尽くしてもよろしいのです。このように考えますと、隠れ住むことの楽しみは天子の楽しみとはとても同日に語れるものではありません」
雲竜山人が楽しげに笑って言うには、
「そうでございましょうかな」
そこで知事は「放鶴」「招鶴」の歌を作った。
鶴飛去兮、［鶴は飛んで行くぞよ、兮］
西山之缺。［西山の欠けたところから］
高翔而下覧兮、［高く翔んで、下を覧るぞよ、兮］
択所適。［適く所を択ぶんだ］
翻然斂翼、［翼を翻し、翼を斂め］
婉将集兮、［婉しくも集まるぞよ、兮］
忽何所見、［たちまちどこかに見えなくなり］
矯然而復撃。［勢いよく翼をまた撃つぞよ］
独終日於澗谷之間兮、［一日中、谷の間にいるぞよ、兮］
啄蒼苔而履白石。［苔を啄み、白い石の上にいるんだ］
鶴帰来來兮、［鶴が帰ってきたぞよ、兮］
東山之陰。［東山の陰に］
其下有人兮、［その下に人がいるぞよ、兮］
黄冠草履、［黄色い冠、草の履き物］
葛衣而鼓琴。［葛の衣で、琴を弾くぞよ］
躬耕而食兮、［食べるものは自分で耕しているぞよ、兮］
其余以汝飽。［そして余ったもので、鶴の腹を満たすぞよ］
帰来帰来來兮、［帰ってきたぞよ、帰ってきたぞよ、兮］
西山不可以久留。［西山にずっと留まっているんだぞ］
【補足】［後に、蘇軾の弟子がこの文章について、「張天驥はふつうの村人でしかないのに、古の隠者の仲間であるかのように讃えたのは、褒めすぎなのではありませんか」と尋ねると、蘇軾は「話をちょいと盛ったまでだ」［装舗席耳］と答えたという。蘇軾の詩文は、事実をありのままに記述するよりは、言いたいことをより印象的に伝えるために、舗席を装うところがあるのは、この文章に限らずここまでに訳した諸作品からも知れるところであろう］
■【05-4-107】荘子祠堂記
【解題】蒙県知事の王兢のために書いた文章。王兢は蘇軾と同世代の官員である。短い文章ながらも、蘇軾が『荘子』をどのように読んでいたのかよくわかるだろう。なお、思想家としての荘子は「そうし」と読み、その著作物とされている『荘子』は「そうじ」と読む習慣になっている。
【訳文】
荘子は蒙の人で、蒙の漆畑の管理人であった。荘子が亡くなって千年余りになるが、蒙にはこれまで荘子を祀る人がいなかった。蒙県知事の王兢が初めて祠堂を作り、その記念の文章を記すよう私に求めてきた。
司馬遷の『史記』を見ると、
「荘子は梁国の恵王や斉国の宣王と同じ時の人で、その学問は広く、学ばないことはなく、その根本は老子の言説に基づく。その書いたものは十万言余りで、おおむね寓言である。『漁父』、『盜跖』、『胠篋』の諸篇を作り、孔子の仲間をそしり、老子の術を明らかにした」
と、ある。
これによって荘子のあらましを知ることができる。しかし、私は荘子は孔子を助ける者であると考えるので、司馬遷の見解を定説とすることはできない。
楚国の公子が粗末な衣服に身をやつし、軟禁されている町から逃げ出そうとした。門番は怪しみ、留め置こうとした。公子の従者は鞭を振り上げ、「このろくでなしめ。わずかな荷をかつぐ力もないのか」と罵り、公子を叩いた。それを見て、門番は公子は従者の奴僕であると思って、門を通した。
これは方便として逆さまのことをしたものである。従者は公子を愛していなかったので公子を叩いたのでのではない。公子への仕え方として従者が叩くのはよろしくない。
荘子の言説は実はみな孔子に賛同しつつも、表現としては逆になっているのである。表には罵りつつ、陰で助けているのだ。だから、正しいことを言っている点ではほとんど変わるところがない。孔子をひどく謗っているところで、荘子のそのような意図が見えないところはない。
荘子は天下の道術を論じて、墨翟から始まって禽滑厘、彭蒙、慎到、田駢、関尹、老聃の弟子に至るまですべてを一家として、孔子に同調しないようでいて、実は孔子を最も尊んでいる。
『史記』では荘子が書いたとしている『盜跖』と『漁父』の二篇は、真に孔子を詆るものであろうかと私は疑っている。さらに『讓王』と『説剣』に至っては内容が浅はかで道に関わるところがない。
繰り返し『荘子』を観て、その『寓言』篇の終わりにこのようにある。
「陽子居が西に秦へと旅に出て老子に会った。老子は（陽子居を叱った後で）いった。『君はもっと睢睢、盱盱するんだな。（そんなに偉そうにしていて）誰とともにいようというのかい。最も潔白な人は泥まみれのようであって、最も徳のある人は脳足りんのように見えるのだ』。陽子居はそれを聞いてにわかに様子を改めた。すると、陽子居が秦にきたときには、宿屋の人々が総出で迎え、主人が席を勧め、妻が身づくろいを手伝い、同宿の者は席を避け、火にあたる者は場所を譲った。しかし、秦から帰るときには、同宿の者はみなが陽子居とよい場所を争ったのだった」。
この『寓言』篇の後に続く、『讓王』、『説剣』、『漁父』、『盜跖』の四篇を去って、『列禦寇』篇に繋ぐとよい。そこにはこのようにある。「列禦寇は斉にゆき、途中で引き返してきて、このようにいった。『驚いたことに、私が宿で食事をとると、十軒のうちの五軒までが、他の客をさしおいて私のところに最初に持ってきた』」。
私はこの箇所を見て、悟るところはあって笑っていった。
「これはもともと一つの章だったのだ」
『荘子』のもともとの論述が終わっていないのに、ものを知らぬ連中がその途中に四編を押し込んでしまったのである。よくよく吟味してみなければならない。荘子の著作とされているものは、章を分け篇に名をつけたのは世俗の者であって、荘子自身の本意ではないのである。
元豊元年十一月十九日記。
【補足】［今では、蘇軾がここに挙げている諸篇はいずれも荘子自身の手によるものではないとするのが定説になっている］
■【05-4-108】雲竜山観焼得雲字
【解題】張天驥の隠棲する雲竜山で「焼」［火を使った祭り］を観て、何人かで詩を詠んだ。蘇軾には韻として「雲」の字が当たった。
【訳文】
火の神の丁女は実は水の神でもある。
冬、山に霜が降りて草が枯れる時季に、火を焚いて丁女を祀る。
麻を束ね、石を敲いて火を付ければ、
たちまち、国家の急を告げる烽火のように熠燿と燃え立ち、
決戦場を覆う戦雲のように氤氳と煙が横たわる。
火に追われて、蛇は木に上り、蛟は雲へと飛び出し、
煙に追われて、雁は驚いて墮ち、鹿は狂ったように走りまわり、
山の妖しいもの、木や石の化身はあわてて隠れ、
竹は破裂してぱちぱちと音を立て、桂は燃えてよい香りを翻し、
ふと悲しくなるのは、秋の蟹が赤く焼かれたかのよう、
ふと心地よくなるのは、夏の蚊が全部退治されたかのよう、
松明を付けた牛、烽火をまとった象が敵陣に駆け込むばかりの勢いで、
谷のほとり、山の陰にも火が迫り、
強い風に紅い衣を翻すようにして、渓谷の絶壁へと至る。
私はもともと山中の人で、山のことは見慣れているが、
このような火の祭りは聞いたことがない。
たまたま二三の友とともに、張隠君を訪ねてこれを見ることになった。
君の家に何があるのかというと、季節のままに移り変わるものだけ。
酒を把って燃え終わった痕を眺めやると、庭にはらはらと灰が落ちてくる。
かくて悪いものがすっかり焼き尽くされたので、
来年は農事が盛んであるのを見ることになるだろう。
冬の厳しい霜は雑草を倒し、春の細やかな雨は発芽を促すというが、
一本の炬の力で一切の悪いものを焼き尽くしてしまうとは初めて知った。
■【05-4-109】祈雪霧豬泉祝文
【解題】この年は百日余りにわたって雨がなく、蘇軾は大観山の霧豬泉で雪を祈った。霧豬泉は猪竜［豚と蛇が合体した想像上の生物］の形をしていることからその名があり、雨を降らせる霊験があるとされていた。
【訳文】
ああ、我が民は天に対して何か罪でもあるのでしょうか。水が下らないために、日照りの害が二年にもなります。天はまだ禍を与えることを悔いていないのでしょうか、百日も雨がありません。雪が降って塵を収めてくれないと麦は土に覆われません。天子は山や川に祈るよう私に命じられました。伝え聞くところではこの山には神竜の淵があるとのこと。頭を垂れて深く拝み、ぜひとも一勺の水をお願いするものであります。一尺の深さの雪がもしも得られましたなら、御馳走に酒を添えてお供えいたしましょう。
■【05-4-110】祈雪霧豬泉出城馬上作贈舒堯文
【解題】霧豬泉で雪を祈りに行った折に、馬上でこの詩を詠んで舒煥［字は堯文］［→作品番号05-4-095など］に贈った。
【訳文】
私はかつて三年の間、呉越地方を走りまわり、
遍く千重の山を踏んだ。
朝には白雲の湧くのに従って出発し、
暮れには塒に向かう鴉とともに還った。
木を得た猿のように身を翻し、誰よりも早く歩み、岩もよじ登った。
それがいまでは、
公文書に埋もれ、罪人を罰する鞭の傍らで老いる身となってしまった。
それでも今回ばかりは、
足腰が固まってしまったのをいささかほぐすことができた。
町から遠く西南に進んで行けば、
山々は半円形の玉のように環り、
山の下の農民の家には、桑、柘、榛、菅が生い茂っている。
年の暮れでも、風も日ざしも暖かく、人と牛が呑気に向かいあっている。
しかし、土を覆うまでの雪が降ってくれないので、
これでは麦の苗の成長が期待できない。
貴君よ、どうか豪快な詩句を発して、
造物者を思わず笑わせ、
雪を降らせまいとしている頑ななその心を破ってくれたまえ。
【補足】［ある人がこの詩を批判して、天に雪を祈るのであれば誠心誠意であるべきなのに、こういうときにも諧謔を交えてしまうのは蘇軾の悪い癖であると記している。そのようなところで、蘇軾を好むか嫌うかが分かれるのだろう］
■【05-4-111】次韻舒堯文祈雪霧豬泉
【解題】上の詩を舒煥に送ると、早速、詩が返ってきたので、蘇軾はそれに次韻して返した。その詩は「故事運用の力を見るのみ」という厳しい評もあるので、この訳詩では「運用の力」は全て省略し、全体の流れだけを見ておくことにする。
【訳文】
雨乞いにもいろいろあって、
笑ってしまうのは、頼みにするのが蛇の一寸の腹、
そこから雹が吐き出されるというのだが、
はてさて、いつになったら水が足りるのやら。
気の毒なのは青い鵞鳥、
雨を祈るために頸をちょんぎられてしまって、
しかも誰も憐れんでくれないのだ。
泉の底に潜む豬竜こそは、
雷を鳴らす車を引っ張っているのであって、
先にここの知事であった傅堯兪が日照りのときに祈ると、
豆を撒くような音を立ててたちまちその人に向かって雨が降ったのだった。
その知事が国に帰ってしまうと、
豬竜も泉の底に帰ってしまい、
いま私はこの日照りに悩まされ、
疲弊した民が溝に倒れ伏すばかりになった。
人々は先の知事の徳をいまも慕い、
私はその旧跡を尋ねて、
神の泉の門を叩いたのである。
先の知事に同行した人でいまもいるのは舒君だけ、
舒君の詩の力は私の及ぶところではなく、
猪竜に迫って飛び立つ気にさせて、
牛が埋もれるまでに雪が積もるであろう。
そして春になってからもまた舒君の詩によって、
十分な雨を得たいと思うので、
私と詩の応酬などして詩の力を疲れさせないでくれたまえ。
■【05-4-112】和田国博喜雪
【解題】霧豬泉で祈った甲斐があったのか雪が降ったので、副知事の田国博［字は叔通］が詩を詠み、それに和した。
【訳文】
昨夜は月が昼間のように明るかった、
今夜は雲が天を暗く閉ざし、
夜中になって玉の花のように雪が飛ぶ。
ならば、来年は麦畑に青い波が舞うであろう。
雪によって螟螣［穀類に害をなす虫］が残らず退治されて、
流民となった人々も自分の田を得られるようになるだろう。
貴君はわけあって遊興は慎まないといけないというけれど、
このようなときに楽しまなくていったいどうする気なのだろうか。
■【05-4-113】宋復古画瀟湘晩景図三首
【解題】宋迪［字は復古］が描いた『瀟湘晩景図』に添えた詩。「瀟湘八景」といえば中国の山水画のよく知られる画題で、それが日本に伝わって「近江八景」とか「金沢八景」とかの各種八景が生まれた。洞庭湖に瀟水と湘江が合流するあたりは美しい風光で昔から知られ、宋迪がこの地に赴任したときに画に描いたのが「瀟湘八景図」の始まりとされる。
其の一
宋迪君は西に旅をして南国を憶い、
部屋で瀟湘の景色を描いた。
宋迪君の眼は山を出る雲に照らされ、
野の水は空に浮かぶかのように遠くへと流れてゆく。
かつて遊んだところを心のうちに省みて、
すべてを忘れ、手にした筆に任せたのである。
たまたま衡陽からきた人がいて、
その画が瀟湘の真を写しているのを見て呆然としてしまった。
其の二
貴君の胸の内が大きく広いことは、
この画に描かれた山や川のありさまと同じである。
繰り返し深く見て心に適うものが得られたなら、
筆を揮って描くのは何の難しさもない。
川辺のあたりは人家が少なく、
水に煙る村には古い木が集まっている。
貴君がこの画に込めた思いを、
細やかに尋ね看るのである。
【補足】［第三首は訳者の理解が及ばないので割愛する］
■【05-4-114】跋宋漢傑画
【解題】上の詩に詠んだ『瀟湘晩景図』は、蘇軾が宋迪と直接会ってその画を見て詠んだことが、この短文からわかる。とすると、「瀟湘八景」が山水画の題として定着する端緒を開いたのが蘇軾だったということになるのだろうか。これは、宋子房［字は漢傑］の画に添えた跋文で、宋迪の画を見てから10年後のことである。
【訳文】
私はかつて宋迪君と遊び、その画『瀟湘晩景』を見て三首の詩を作った。
それを見て宋迪君はいった。
「君も画を描くのだね」
その甥の宋子房もまた画を学んでいる。これから数年もすれば宋迪君に並ぶようになるだろう。
元祐三年四月五日書。
【補足】［宋迪が蘇軾にいった言葉の意味するところは、宋迪は蘇軾の詩を見ただけで画を描く人かどうかがわかったということで、詩と画は芸術として一致するものがあるとの哲学を宋迪もまた共有していているのである］
■【05-4-115】贈狄崇班季子
【解題】かつて宮中に仕えていた狄という姓の人物の末の子に贈った詩。蘇軾の好みに合う人物であったのだろう。
【訳文】
狄君は臂に鷹を載せて現れ、
客人を見て会釈もしない。
床几にどっかと坐ると、
客人が使っていた箸を取り、
大きな声で仕留めた禽を一羽一羽数えあげる。
後ろが短い豹皮の裘をはおり、
そこに注がれた獲物の赤い血がまだ湿っている。
指で示して酒を求め、
たちまち鯨のようにごくごくと飲み干す。
半ば心地よくなってくると、
戦について論じて、髪が逆立つばかりになる。
「北方の猛犬どもめ、
まだ捕まえることができなくて、
狂ったように駆け回っておるではないか」
この剽悍の猛者の気概でもって、
国境で事があったときには圧倒すべきであろう。
夜に走り出て敵を追い詰め、
敵将をたちまち斬り捨てるのだ。
勝利を持ち帰って天子に献じるなら、
侯爵の位も道に拾うように容易に手にできるだろう。
そうであるのに、
狄君は猟師とともに走って、
毎日鳥や獣を泣かせているのである。
■【05-4-116】石炭
【解題】石炭を主題にした詩。短い序文が付いている。
【訳文】
引［序文］
彭城県にはもともと石炭がなかった。元豊元年十二月、徐州の西南の白土鎮の北で初めて発見された。それで鉄を鍛えて刀剣を作ってみたところ、他の石炭よりも鋭利なものが作れた。
去年の冬は雪が降り続き、
道を行く人の姿がぱったりと絶え、
町中の民は、すねの骨を裂くばかりの風に、布団にくるまり、
半束ほどの薪に火を付けようとしたけれど、湿ってしまって燃え立たず、
どこを探しても乾いた薪と取り換えることができなかった。
今年は、思いがけず、山の中に宝ものを見つけることができた。
黒い石がごろごろとして、一万の車でも運び出せないほどにある。
黒い油のような液を流し、怪しげな風を吹き出していたのに、
これまで人に知られることがなかった。
その根元が一度発見されると、際限なく存在し、
千人が見に行って、万人が歓び舞った。
石炭を泥に投げ入れると水をはじいてますます黒光りし、
石炭を燃やすと勢いよく金色の焔を立てる。
南の山で炭焼きのために木が切り出されることはもうなくなるだろうし、
北の山で鉄を鍛えるのに悪い石炭に苦労させられることももうなくなるだろう。
新たに得た石炭で、かの「百錬剛刀」のような名刀を鋳て、
巨大な鯨を叩き切って見せよう。
【補足】［去年の冬に乾いた薪がなかったのは、洪水の後だったからなのだろう］
■【05-4-117】与枢密侍郎
【解題】朝廷の要職である枢密侍郎に宛てた手紙。具体的に誰に宛てたのかについては、蘇軾との距離関係からして呂公著であったろうと推測されている。呂公著の名は作品番号02-1-009、03-3-025、04-1-025で見ていて、名門出身の政界の重鎮である。
【訳文】
御門下より去ってすでに八年となります。愚かな私でありますから、人付き合いも絶え、手紙の行き来も欠け、怠惰の罪は叱責されて当然であります。……私は数カ月ほどで任地替えとなりますが、貧乏のために都に行くことはできません。江浙の一郡を願っております。幸いにもそれを得ましたなら、お目にかかる日はいつになるのかわかりません。……
【補足】［（1）冒頭に八年とあるのは、都を出てからの歳月をいっている。（2）蘇軾が次の任地として長江の南に地を希望していたことは参寥に宛てた手紙にも記されていた［→作品番号05-4-099］。
■【05-4-118】謝張太保撰先人墓碣書
【解題】大恩人の張方平［→作品番号05-4-079］が蘇轍の依頼を受けて蘇洵の墓に掲げる文章［墓表］を書いてくれたので、それ対する礼状を蘇軾が記した。この礼状では、墓表のある部分についてもっぱら記しているので、最初にその箇所を読んでおこう。なお、蘇洵が亡くなった際に欧陽脩が墓誌銘を作り、蘇洵の生涯のあらましはそちらにすでに記されていたのだが［→作品番号03-1-006］、張方平の墓表にはより詳しい記述がある。
【訳文】
張方平：『文安先生墓表』から
……嘉祐年間の初め、王安石の評判が始めて高まり、その仲間が大きな勢いを持つようになった。王安石を大臣に任命する辞令には「人が生じてより数人しかいない逸材である」と書かれ、議論を構えることで王安石は人より優れていた。欧陽脩も王安石を高く評価し、先生［蘇洵］に王安石と交友するよう勧め、王安石もまた先生と交わることを願った。しかし、先生は、「私はその人となりを知っている。本性として人情に近くないものがあり、いずれ天下の患いとなるであろう」と、いった。王安石の母が亡くなると、士大夫は挙って弔問に行ったのだが、先生だけは行かずに、『弁姦論』一篇を作った。その文に曰く「……」。当時、それを見た者は穏当ではないとみて、「まったく度を超している」といった。先生が亡くなって三年、王安石が政治を見るようになると、そこに書いてあった通りになった。……
【補足】［上の墓表では、蘇洵の『弁姦論』の全文を引いていて、以下にそれを訳す］
【訳文】
蘇洵：『弁姦論』
物事が動けば必ず行き着くところがあり、物事の背景にはそれが始まる前から定まっている何らかの原理がある。
人々は、月に暈がかかれば風が吹き、敷石が湿り気を帯びれば雨が降るということなら知っている。しかしながら、それよりも前のごくわずかな徴候の段階において、原理と行き着くところを知るのは、天下の最も冷徹な者だけである。
人間界の物事の推移には、原理と時の勢いとが複雑に絡み合い、その関係が見えにくく、変化を予測するのが難しい。恐らく宇宙の変転を予測するよりも難しいだろう。しかも、いかに賢者であっても、好悪の情が心を乱し、利害の有無が判断を左右してしまうことがあるのだから、なおさらである。
昔、晋の時代に、山濤はまだ少年だった王衍を見てこういった。
「天下の人々を誤らせるのはきっとこの者だろう」
昔、唐の時代に、郭子儀は盧杞を初めて見てこういった。
「この者が思うように振る舞うようになったら、我が子孫は一人も生きられないだろう」
この二つの事例を挙げると、山濤と郭子儀はこれこれこのような訳でいったのであって、さすが二人は大した眼力の持ち主であったと、人々はすぐにいうだろう。実際に王衍が国を滅ぼし、盧杞が国を乱した結果を知っているからだ。
私はそうした人々とは少々別のことをいま考えている。王衍の人となりを見ると、容貌も言動ももとより、世間を欺き虚名を盗もうとするに足るところがあった。それでも、敢えて貪り、敢えて害を為そうとするような者ではなかった。世間と同調するのが単に巧みだっただけなのだ。当時の皇帝がもしも英明であったなら、王衍のような輩がたとえ百人、千人いたところで、国を滅ぼすには至らなかったはずだ。盧杞は国家を混乱させるに十分なねじくれ者ではあったけれど、学問がなくてろくに文章が書けず、容貌も弁も人を引きつけて感心させるようところはなかった。当時の皇帝があそこまで愚かでなかったならば、盧杞などを用いることにはならなかったはずだ。だから、私の考えでは、王衍や盧杞を批評したくらいでは、山濤も郭子儀も大したものだということにはならないのである。
いまもしもこのような者がいたらどうだろうか。それは、口に孔子や老子の言葉を唱え、身は古の賢人と同じ振る舞いをし、名声を好む人、志を得ない人を集め，ともに言論を構成し、自分達で評価基準を立て、古の聖人の再来だと言い募り、しかし、陰険で根性曲りであることにかけては人から抜きん出ているというような者だ。要するに、王衍と盧杞を合せて一人にしたような人物である。そのような者がいたなら、そのもたらす禍は一体どうなのだろうか。
顔に垢が付けば洗い、衣に垢が付けば濯ぐのは人として当たり前の情である。ところがそうはしないで、卑しい僕の衣を着て、犬や豚の餌のような物を食べ、髪はぼさぼさ、顔は垢にまみれ、それでいて聖人の経典を談じるのは、人として普通の情であるのだろうか。人の情からかけ離れた者で、大姦人、大悪人ではなかった者は少ない。歴史にあまたの例を見ることができる。
世間を覆うばかりの名声を得て、まだ形としては現れていない害悪が萌しているということがいまあるのではないだろうか。国をよく治めようとする君主も、優れた人を好む大臣も、皆がこの者を用いようとしているときに、私だけは、天下の患いが起こるのは必然であると思うのだ。危険性は王衍や盧杞の比ではないのだ。
孫子はこのようにいっている。
「よく兵を用いる者は特に目立った功績はないものだ」。
いま私が指摘した人が用いられなければ、私がいったことは過ちだったことになり、その人は己は不遇であると嘆くであろう。そして、禍が行き着くところに至ろうとしていたことなど誰も知らないままに終わる。もしもそのようにならなければ、天下は禍を被り、私はよく未来を知っていたと称賛されるであろう。それは悲しいことではないか。
【補足】［張方平は、『墓表』において、この『弁姦論』は王安石について記したものであって、天下の誰よりも早くに王安石が危険な人物であることを蘇洵だけが見抜いていたと書いている。しかし、まことに不可解なことに、蘇洵が『弁姦論』を書いたことはこの『墓表』が出るまでは全く知られておらず、張方平が『墓表』に『弁姦論』の全文を引用したことで、人々は初めてそれを読んだのである。また、欧陽脩が蘇洵に王安石と付き合うよう勧めたと『墓表』にあるのは、事実としてかなり疑わしいとされている。次に蘇軾の礼状の訳文を掲げる］
【訳文】
私軾、頓首再拝して感謝申し上げます。再び父の『墓表』を示してくださり、特に『弁姦論』の一篇を載せてくださり、それを見て、涙がこぼれ、言うべき言葉もありません。竊かに思いますに、父は若いときは不遇に沈み、晩年に至ってその名が聞こえるようになりました。当時の学ぶ者には父を師として尊ぶ者もいましたが、父が記した文章の全てが読まれたわけではなく、世に形として現れなかったものもありました。父の書いたものを全て知り、然るべき評価をされたのは、世の中でただ張公［張方平］がおられただけでした。それは不幸であるようでいて、「我を知る者は稀である」とは、老子が貴んだことでありました。
『弁姦論』を父が始めて作ったときに、私と弟はそれ見て、「まったく度を超しています」と諫め、他の人も同様でありました。しかし、独り張公はそれを見て、我が意に合致すると思われたのでした。張公はもとより先朝［英宗皇帝の治世］のときにこの論を評価していて、史冊に載せて、いまの世においては認められず知られなくても、後の世において失われてはならないものだとされたのでした。父のこの言説は、張公が公表して出してくださらなかったならば、人々はそれがあったとは信じないでありましょう。それが信じられるか信じられないかはさほど深い意味がありません。しかし、かの人がわずかな人数の連中を使って天下を欺いたのを、天下にそれを知る者が誰もいなかったと、後世の人が嘆くのを残念に思うのであります。
この『墓表』が作られたのを、私は涙を流し、再拝して感謝するものであります。……［故事を引いて張方平の行為を讃えて、感謝の言葉を重ねる］……
【補足】［（1）『弁姦論』は偽作であるとの疑いが強く持たれていて、その説を唱える人々の中には、張方平の『墓表』も蘇軾の「礼状」も偽作であると主張する人もいる。確かに、『弁姦論』には疑問が多々あるのだが、三者とも偽作であるとするのはさすがに極論すぎるであろう［近藤一成『宋代中国科挙社会の研究』、汲古書院（2009年）］。ここでは、三者とも偽作ではないと考えて訳文を掲げた。（2）蘇軾はこの礼状で、張方平が『墓表』に『弁姦論』を収録しなかったならば、その存在が知られないままに終わってしまっただろうと書いている。蘇洵が『弁姦論』を書いたときに、蘇軾兄弟は「まったく度を超しています」［原文は「「嘻其甚矣」］と諫めたとあるが、その言葉は『墓表』に記されているのと同一である。張方平が偽作に関わったと疑わせもするのだが、それはここでは否定し、蘇洵が書いたとしておこう。しかし、『弁姦論』を書いたときに、蘇洵が王安石について深く知っていたとは極めて考えにくく、『弁姦論』は特定の人物をターゲットにしたものではなくて、寓話的な史論であったとするのが妥当なところであるのだろう。寓話としても極端すぎるので、蘇洵は広く人々に見せることなく、他の著作とともに張方平のところにだけ残されたのだろう。王安石と政治的に対立して閑職に追いやられた張方平が、何かの折に『弁姦論』を読み直してみると、まさしく王安石について予言していたのだと強く感じ、いつしか『墓表』に書いたような経緯があったと思い込むようになったのだろう。蘇轍も蘇軾も、事実とはやや異なるとは思っても、大恩人が父を激賞してくれているのに対して敢えて物を申すのは控え、ただし『弁姦論』そのものは父の真作であることを保証しておこうと、この「礼状」において特にそれについて言及したのであろう］
■【05-4-119】祭欧陽仲純父文
【解題】この年の終わりに欧陽脩の次男である欧陽奕［字は仲純］が急死し、この祭文を蘇軾が作った。まだ33歳であった。
【訳文】
欧陽奕君の霊に捧げる。ああ哀しいかな。
文忠公［欧陽脩］の徳が盛んなことは、子孫が千億にも増え、宋代とともに無極に続くとしても人は十分ではないというだろう。欧陽奕君が賢者であって、寿命が百年に及び、一年に九回昇進しても人は当然であるとするだろう。それがどうして、最低の官位に留まり、寿命は四十に至らなかったのか。その亡骸は百に一つも報われていない。ああ哀しいかな。いうべき言葉もない。
欧陽奕君が生きていたときのその進退および得喪は人から羨ましがられるようなことがなく、亡くなってしまうと、死生および短命であったことは神を責めるべきであろう。人はただ文章の優れた家に生まれ、振る舞いはその門に称うものであったのを知るだけで、その志気が豪健で議論が剛果であって、大事に臨んだならば、大節を立てて、身を殺して仁を成す者であったのを知らない。造物者は人の死生を左右する権限を使ってどうして貴君を病にしてしまったのか。先に潁水のほとりで貴君に会い、去年には都の門の東で貴君に会った。夜に話をして、朝になっても尽きることがなかった。道の実践を謀り、世を憂い、禍を避けて身を保つように私に教えてくれたのは、まさしく文忠公に似ていた。いまもはっきりと思い出せるのに、貴君は忽然と消えてもう会えないのである。長く泣き声を上げて、繰り返し慟哭しないではいられない。道が行われるのが難しいのは、それをする人がいないからなのか。人がいないのではないだろう、利害が人を変えてしまうのだろう。欧陽奕君は世を畏れず人から慕わることなく、独り立って懼れず、そのまま死に及んだのだった。ああ哀しいかな。
【補足】［欧陽奕と潁水のほとりで会ったのは蘇軾が杭州に赴任する途中のことで、都の門の外で会ったのは、都に入るのを許されなかったときのことである］
■【05-4-120】与欧陽仲純
【解題】この1年ほどの間に欧陽奕［字は仲純］に宛てた手紙が5通残っている。上の祭文にもあったように、都の東で会ったことや、詩のやりとりがあったことや、亡くなる少し前に陳州に向かっていたことなどが記されている。ここでは、まだ本年の初めの段階で徐州の水害について触れている手紙を読んでおこう。
【訳文】
……弟は南京応天府にいて、時折手紙がきていて、恙なく過ごしております。彭城［徐州］は最も下流の地で、水の患いを受けることでは都から東北の地で第一であります。この夏から秋の備えをするための労働者を集める銭を得たいものと、しばしば願い出ていますが、まだよい応答がありません。黄河が曹村で塞がれるのはもとより大いに善いことであります。そうならないのならば、朝廷の御沙汰を待つまでもなく緊急に労働者を雇わなければなりません。費用は必ず大きくても、事に先立って十分な備えをすることが最も大切です。人は軽々しくものをいうこともありますが、私は信念を持ってこのようにいうのです。貴君は私を深く知ってくれている人でありますので、またこのことについて言及したまでです。