第5章 嵐の訪れ――密州、徐州、湖州
［第5章その二］
熙寧9年［1076年］、蘇軾41歳。
■【05-2-001】一叢花
【解題】「春の初めに病より起きる」との添え書きがある詞。最初に前の年のうちに立春があったことを歌っていることから、この年の作であろうと推測されている。
今年春浅臘侵年。［今年の春が浅く始まったのはまだ十二月のうち］
冰雪破春妍。［でも、氷や雪に破られてしまった春の妍さ］
東風有信無人見、［それでも、春の風は人には見えなくてもまことのある信］
露微意、［かすかな意は露にも］
柳際花辺。［柳の際にも花の辺に見えます］
寒夜縱長、［なおなお長く寒い夜］
孤衾易暖、［でも、暖まりやすくなった夜具］
鐘鼓漸清円。［鐘の音は少しずつまろやかになってきています］
朝来初日半含山。［朝がきて、まだ半ばは山に含まれている太陽］
楼閣淡疏煙。［楼閣がまとう淡くまばらな靄］
遊人便作尋芳計、［人がいましも作ろうとするのは芳きところを尋ねる計画］
小桃杏、［小さな桃や杏子］
応已争先。［きっとすでに先を争っているでしょう］
衰病少情、［でも、病に疲れてさえない情］
疏慵自放、［面倒臭いとやけっぱち］
惟愛日高眠。［つまりは日の高くなるまで眠っているのを愛するのです］
【補足】［冬と春の境目、病気と健康の境目、それらの間を行き来している己のもやもやを歌っているのだろう］
■【05-2-002】刻秦篆記
【解題】先の詩にあった文勛［字は安国］［→作品番号05-1-084］は篆書をよくした。それについての小文。篆書とは漢字の書体の一つで、秦の始皇帝が天下を統一したときに、漢字もまた全土で通用するように制定した標準の書体。現在でも印鑑に使われているのを見ることがある。
【訳文】
秦の始皇帝の二十六年、秦は初めて天下を統一した。二十八年、始皇帝は東の海のほとりにまで巡行し、琅琊台に登って海から日が出るのを見た。楽しさに帰るのを忘れ、付き従う者三万人がその台の下に家を建て、秦の徳を称える頌詩を石に刻んだ。秦の二世皇帝の元年、皇帝の詔書をその傍らに刻んだ。
いま頌詩は亡び、始皇帝に従った大臣で名が知れるのはわずかで、二世皇帝の詔書だけが残っている。始皇帝の二十八年は壬午の歳、いま熙寧九年は丙辰の歳であるから、千二百九十五年の隔たりがある。
蜀の人蘇軾は密州に来て、この詔書を写した旧い紙を民間に得た。いまそれを見るに、なおも完全な姿をしているのは、存在しているべきものには磨滅する日がないということなのだろうか。
盧江の文勛がたまたま職務を帯びて密州に来た。文勛は古を好み、篆書をよくし、篆書の祖とされる秦の李斯の筆の運び方を会得している。文勛は秦の篆書を模して二世皇帝の詔書を石に刻んだので、それを私は超然台に置いた。
秦は無道で、国家の事業を成就させるために民衆の命を絶つようなことをした。しかし、その時代に文字が巧みであったのは、ほかの時代の及ぶところではなく、それは消えてなくなってよろしいものではない。後世の君子はそうしたことをこの超然台の石に見るべきであろう。
正月七日甲子に記す。
【補足】［秦の始皇帝はいわゆる「焚書坑儒」を行うなど、儒学の伝統からすると最悪の暴君であり、秦の統一の基礎を作った李斯もはなはだ評判は芳しくない。しかし、秦が立派な書体を残したことは高く評価しなければならない。そうした矛盾をこの文章は提起しているのだろう］
■【05-2-003】満江紅
【解題】文勛［字は安国］は1月13日に都へと帰り、これはそのときの送別の詞。
【訳文】
天也解、［いえ、天もわかっていて］
多情留客。［行く人を留めようとするあつい情があるのです］
春向暖、［暖かくなろうとしている春］
朝来底事、［でも、この朝はどういうこと］
尚飄軽雪。［まだ風に舞い降る雪］
君遇時来紆組綬、［時節に遇って朝廷に並ぶ貴君］
我応老去尋泉石。［老いて山や泉を尋ねる私］
恐異時杯酒忽相思、［このさき酒を飲んでふと互いに想うことがあっても］
雲山隔。［私達は雲と山に隔てられてしまっているのです］
浮世事、［浮世のことは］
倶難必。［きっとこうなるようにはなってくれません］
人縱健、［人はたとえ健康でも］
頭応白。［白くなってしまう頭］
何辞更一酔、［断らないで、もう一杯を］
此歓難覓。［これからは求められないこの歓びですもの］
不用向佳人訴離恨、［佳き人には訴えてはいけないのです、別れの恨みなどは］
涙珠先已凝双睫。［だって、二つの目に涙がついているのですから］
但莫遣、［そうなってはならないのは］
新燕卻来時、［燕は帰ってきましたけれど］
音書絶。［手紙が途絶えてしまいましたと］
【補足】［文勛に向けて詠んだ詞がもう一首残っているが訳は割愛する］
■【05-2-004】跋赤溪山主頌
【解題】赤溪山の主人が作った頌歌に書き添えた跋文。赤溪山の主人とは趙棠のことで、趙棠は諸城県知事の趙昶［→作品番号05-1-070］の父である。
【訳文】
道に達した者が、達していない者と語るのは、譬えるならば、我等が舌のない人と語って、味について説くのと似ているだろうか。
舌のない人から、「蜜とはどのようなものか」と問われたなら、我等は「蜜とは甜いものだ」ときっといいたくなるだろう。「甜いとはどういうことか」とさらに問われたなら、我等はそれを説くことができるだろうか。我等は蜜の甜さを知っているけれど、舌のない人は甜さを一生暁ることができない。
暁りようがないということでは、道に達していない者の問いに応じて、道に達した者が説くのも同様であるのだろう。東を問えば道に達した者は西を説き、あるいは空を指し、地に画き、それは道に達してない者からすると、心が疾んだ人の語りか、寝言であるかのように聞こえてしまう。それでも聴く者はわからないというのを恥じて、説くのに従って得心したようなふりをし、さらには他の人を欺いたりもする。
昔、張魯は病を治すと称して病人から五斗の米を受けた。病の治療を受けた者は「まだ治らない」とはいえなかった。もしもそのようにいったなら、もはや一生治らないとされていたからである。それで当時の人々は張魯が神であるとした。それが真であるかどうかを疑うことがそもそもできなかったのである。このような類のことはよくある。
私は赤溪山主の頌歌十一篇をその子の趙昶から得た。それを読んで、私には上に述べたどちらに相当するのかわからなかった。そこで、楽全先生［張安道］に尋ねたところ、赤溪山主は道に達した者であることに疑いはないとわかった。それでその書の末にこれを記すものである。
熙寧九年正月望日
【補足】［（1）この短文はなかなかに巧みである。神仙の道について説く書物は、我等凡人には何をいっているのかさっぱりわからない。それがでたらめであるのか本物であるのか見分けることができないようなものであるので、本当はでたらめであるのに大勢の人がうっかり騙されてしまうこともある。蘇軾は、真偽を見分けることのできる楽全先生こと張安道［→作品番号05-1-052］に尋ねて、確かであるとの保証を得たのである。現代の我々からするとその保証も疑わしいのだが。（2）張魯はいわゆる五斗米道の始祖であるとされる張道陵の孫。ただし、張道陵は架空の人物とされている。五斗米道は政治的にも非常に強い力を持った教団であったが、蘇軾はいかさまな教説を振りかざしたとして厳しく批判している［→作品番号01-1-010］］。
■【05-2-005】答李邦直
【解題】李清臣［字は邦直］の詩に答えた。李清臣は蘇軾よりも4歳年長で、科挙にもやはり4年早く合格している官界の先輩で、その逸話を作品番号05-1-004で見ている。李清臣は都から職務を帯びて密州にきて、蘇軾と若干の交流があった。この詩は李清臣が密州を去ってからのものであろう。
【訳文】
すてきな人は春風に似ていようか。
春風が吹いてきたばかりのとき、物はなかなかそれに気づかない。
旅の憂いは氷雪に似ていようか。
春風に会えばすぐに融けて流れてしまう。
遠くから春風がやってくると、町の人たちはみなうきうきし始める。
私は病をおしてその様子を見に出ると、
春風は、私が何とも衰えてしまったことに驚いた。
春風は、私が久しくもの憂くしているのを知って、
新しい詩を作って私の心を元気にしようとしてくれた。
詩は旨い酒のように全身に薫りを溢れさせ、
詩であるからいくら飲んでも酔うことはないはずなのだが、
和そうとしたところ、心も体もすでにとろんとしてしまった。
とにかく懐いを放とうと、言葉を選ばずに詩を和すと、
春風は手をたたいて笑い、あげくには顎をはずしてしまった。
春風を西の部屋に案内すると、
しばらく蛮の民が作った帳を揺らしていたけれど、
夜になると風雨が激しくなって、どこかに行ってしまった。
春風と別れてから、物はどれも春の姿を見せるようになり、
柳は日に日に暗い蔭をつくっている。
貴君が今度またきてくれるのはいつなのか。
そちらは楽しかろうが、
私はいま遊びに出歩くことができないので、
ここのへんてこ知事はどうあっても憂いをとくことができないでいる。
貴君には素敵な奥方がおられ、家門は繁栄を謳歌していると聞く。
ならば、財布をさかさまにして芸妓を揃えて演奏を習わせ、
私のこの詩を歌わせるようにしたらよろしかろう。
【補足】［（1）この詩は、春風と李清臣と李清臣の詩の三者を渾然一体として詠んでいる。残念ながら、この訳文はそれを十分に生かせていない。「西の部屋」とあるのは作品番号05-1-042で見た「西斎」のことで、李清臣をそこに案内したのだろう。（2）「素敵な奥方」とは韓琦の姪で、もしも作品番号05-1-004で見たエピソードが事実であったなら、このときすでにその妻は、夫が孫洙の娘に惚れてしまったことを知っていたことになる。（3）李清臣を見送ったときに詠んだと推測される詞もあるが、訳は割愛する］
■【05-2-006】望江南
【解題】「超然台での作」と添え書きのある詞。『望江南』は、もとを遡れば、長江より南の地への想いを歌った唐代の曲。原曲はずっと短く、これは長いバージョン。詞はほとんどの場合に題名と内容は関係しないのだが、『望江南』はその名が主題となっていることがよくある。蘇軾はこの作品で江南への想いを直接的に歌っているわけではないが、杭州の春への憧憬が底にあるとみても間違いではないだろう。
【訳文】
春未老、［いまなお盛りの春］
風細柳斜斜。［細やかな風、斜めに揺れる柳］
試上超然台上看、［ふらりと超然台に上って見る］
半壕春水一城花。［壕の半ばは春の水、町は一面の花］
煙雨暗千家。［煙る雨に千の家が暗くとざされています］
寒食後、［寒食の後］
酒醒却咨嗟。［酒が醒め、ふっと溜め息］
休対故人思故園、［思うのはやめましょう、懐かしい人、故郷の園］
且将新火試新茶。［さあさあ火をつけ、煎れるとしましょう新たな茶］
詩酒趁年華。［詩と酒でもって追い付きましょう、一年の最も華やかな時に］
【補足】［「寒食」は清明節の前に、火を使わずに冷たい食事をとる行事。「寒食」が終わって最初につける火を「新火」という。清明節は春分から15日目ですでに晩春に入るので、うっかりすると季節に置いて行かれてしまう焦燥感を最後に歌っているのだろう。なおこの年の清明節は2月29日であったという］
其の二
春已老、［すでに盛りを過ぎた春］
春服幾時成。［もうできていてよいはずの春の晴れ着］
曲水浪低蕉葉穏、［曲水の宴の流れは緩やかに、静かに浮かぶ盃］
舞雩風軟紵羅軽。［風は軟らかく、雨乞いの踊りに、軽やかに翻る衣］
酣詠楽升平。［酔って歌って泰平を楽しみましょう］
微雨過、［細やかに過ぎゆく雨］
何処不催耕。［どこでも忙しく野良仕事］
百舌無言桃李尽、［百舌は鳴き終わり、花が終わった桃と李］
柘林深処鵓鴣鳴。［柘の林の奥深くで鳴く鵓鴣］
春色属蕪菁。［春の色はいまは蕪菁のものになっています］
【補足】［曲水の宴は3月3日に行われる行事］
■【05-2-007】満江紅
【解題】密州の高密県にある流杯亭で詠んだ詞。詞の内容から推測するに、新たに作られた堤の視察に出たところ、ちょうど3月3日の節句に当たったので、川べりの亭で酒宴を催してこの詞を詠んだのだろう。
【訳文】
東武城南、［東武［高密県］の町の南］
新隄固、［新しく作られた堤は堅固で］
蓮漪初溢。［さざ波とともに初めての水が溢れています］
隠隠遍、［水はさらさらとあたりに満ち］
長林高阜、［長く続く林や高い丘には］
臥紅堆碧。［紅が臥し、碧が積まれています］
枝上残花吹尽也、［枝に残っていた花が吹き尽くされてどこかに行ってしまったのを］
与君更向江頭覓。［皆さんとともに川のほとりで探し求めるとしましょう］
問向前、［さあ尋ねます］
猶有幾多春、［春はまだどれくらいあるのですか、と］
三之一。［あとは三分の一だけ……］
官裏事、［官の仕事は］
何時畢。［いつ終わるのやら］
風雨外、［雨や風のない日は］
無多日。［多くはないのです］
相将泛曲水、［さあ、曲がりくねった水に舟を浮かべようではありませんか］
満城争出。［町からどっと出て行こうではありませんか］
君不見蘭亭修禊事、［皆さんもご存知でしょう、かの蘭亭での宴のこと］
当時座上皆豪逸。［あの場に集まったのは立派な方々ばかりでした］
到如今、［いまに至っても］
修竹満山陰、［かの山には青い竹が同じようにあるのでしょうけれど］
空陳跡。［空しく昔を語るだけなのです］
【補足】［「蘭亭の宴」とは、王羲之が書いた『蘭亭集の序』で名高い永和九年［353年］三月三日に行われた曲水の宴のこと。理想像とされたその宴にも負けない楽しさを流杯亭で我等も持とうではないかと人々に呼びかけたのである］
■【05-2-008】和文与可洋川園池三十首
【解題】親友の文同［字は与可］［→作品番号04-1-011など］はこのころは洋州知事の任にあり、遠く離れていても、『超然台の賦』に和したり、ここに見るように洋川の風光を歌った三十首の詩を唱和したりするなど親密な交流が続いていた。洋川は洋州を流れる川で、その周辺の風光を文同は三十首の詩に詠み、それに蘇軾が和したのである。この連作は、唐の時代に王維と友人の裴廸がおのおの二十首を詠み合った『網川集』をかなり意識しているようだ。『網川集』は、王維の広大な別荘である網川荘にあった20のビューポイントを詠んだもの。宋代の一知事である文同がそれに匹敵するような庭園を構えるのはむろん不可能で、平凡な田舎の風光の奥に、手の込んだ庭園の美にも劣らぬものを見出して詩にしたということなのだろう。なお、詩を和すとは、必ずしも同じ韻を用いなくてもよいので、この連作はそのようになっている。
其の一 湖橋
夕暮れ時、
橋の朱い欄干と画を施した梁に湖水が照り映える。
その上を、白い衣に黒い帽子の古めかしい姿の君が行く。
橋の下には、無数の魚やら亀やらが集まってくる。
君が杖を鳴らし、履を引きずりがちに橋を過ぎる音をちゃんと知っているのだ。
【補足】［連作のオープニングで、湖橋より洋川を巡り始めるのである］
其の二 橫湖
横湖に蓮の花が開くとき、
翠の蓋によって守られているその紅い粧いを貪り見る。
夜が迫り、霜が降るのも気付かずに……。
横湖から蓮の花が消えるとき、
天が錦の織物を巻き取ってしまったかのよう、
秋の光が注ぐ水面はまっさらな絹となる。
【補足】［（1）横湖は洋州の町の西にある細長い湖で、そこに架かる橋が第一首で見た湖橋である。（2）続く第三首は文同の書斎である書軒を詠んでいて、書物に関連する語を組み合わせた技巧的な作品で、我々にとっては面白味がないので訳は割愛する］
其の四 氷池
詩人［文同］は氷や雪も嫌わずに池を繞って見続けている。
寒さに耐える一番の工夫は詩を詠むことにあるようだ。
そういえば、王羲之は池に臨んで書の稽古に励み、
硯を繰り返し洗ったために、
池の青い水に下に黒い竜が蟠まるまでになったという。
とすると、この池には何が潜むのだろうか。
【補足】［文同のもとの詩は凍り付いた池を主題として、鳥が寒さを恐れることなく池のほとりで宿をとると詠んでいる。それに対して、寒さを嫌わないのは文同自身の方ではないかと戯れたのである］
其の五 竹塢
晩年に至って孤高を保つ人は、
歳の終わりの寒さの中で、
竹とだけ楽しみをともにする。
かつて名高い詩人がいたけれど、
その詩才は実は粗雑で笑うべきものだった。
竹の林を、十万の軍勢が剣を立てて並ぶありさまに譬えたのだから。
【補足】［詩題の「竹塢」は竹の生えた土手。原詩では文同のことを「晩節先生」と言い表している。文同は何度も触れているように、竹を友とし、ひたすら竹の画を描いた。ここで粗雑な詩人と評されたのは杜牧で、その詩に「竹林外裏兮十万丈夫、甲刃摐摐密陣而環侍」［竹林は十万の兵士が刀を立てて陣を組んでいるようだ］という句がある］
其の六 荻浦
荻は秋に耐えられず、
雨に折れ、霜に乾き、
白い花も黄色い葉も消えてしまうのを人は愁う。
月明かりのもと、小さな舟で湖辺に漕ぎ出す――
詩人はここを江南の鸚鵡洲だと見ているのである。
【補足】［鸚鵡洲は、黄鶴楼［→作品番号04-1-045］を詠んだ唐代の崔顥の詩にも、「芳草萋萋鸚鵡洲」［芳草 萋萋たり鸚鵡洲］とあるように、長江中流の有名な中州である］
其七 蓼嶼
秋になると、南の水辺で蝉が鳴き出し、
霜が落ちると、橫湖の水は沙を見通せるまでに澄んでくる。
蓼の花が雨に伏すのは、無限の思いに沈んでいるのか、
蝶が草をじっと草を抱いているのは、情がもはや耐え難くなっているからなのか。
【補足】［蓼嶼は横湖にある蓼の繁る小島である］
其の八 望雲楼
陰ったり晴れたり、朝になったり夕べになったり、
楼台はそのたびに何度も新たになる。
人は楼台に立ち、その身を虚空にあずける。
虚空に出るときは無心、
虚空から帰るときも無心。
白雲を望んで好しと思い、
白雲もまたその人を好しと思う。
【補足】［これに続く第九首は天漢台を詠み、天漢［すなわち天の川］の名から天文と関連付けて詩を構成しているが、訳は割愛する。雲から天の川、そして次の月へと進んで行く］
其の十 待月台
月は志の高い人とあらかじめ約束をしていたのだろう。
軒にかかり、低く戸にさしこみ、そしてその人の眉を照らす。
昨日は十分に満ちた姿があったので、
闇という海から氷輪が出てくるのが、
少しく遅くなった。
【補足】［実際に見てもいない洋川の風光を30首もの詩に詠むのは、さすがの蘇軾も難儀であったようで、いろいろな技を繰り出して詩を構成するのだが、我々にはピンとこないものも少なくない。二楽榭と灙泉亭を詠んだ二首は訳を割愛する］
其の十三 吏隠亭
人間の世界には憂患が縦横に満ちている。
ところが、おかしなことに晩節先生は日々呑気にしている。
昨日は、清らかな風の入りくる北の窓辺に眠り、
朝には、西の山からの爽やかな気配に包まれている。
【補足】［「吏隠」とは、本当の隠者になれないけれど、官職に就きながらも、精神の高潔さは変わらないということ。作品番号04-1-028の其の四で見た「中隠」と同じである］
其の十四 霜筠亭
ほろりと籜が解かれたばかりの篁は、
嬋娟として自分を支え切らないくらいで、
すでに冬枯れのころの姿にも見える。
秋の風に他の草木がしぼむときになって、
寒さに負けることのない竹の凛凛とした意が見えるようになるのである。
【補足】［（1）竹は冬でも青々とした姿を変わらずに保つので、困難にも負けることのない優れた君子に譬えられる。霜筠亭はそのような冬の竹の姿を愛でるところである。（2）無言亭と露香亭を詠んだ続く二首は割愛する］
其の十七 涵虚亭
水と花は美しさを競い合う。
秋の月は水をよしとし、春の風は花をよしとして、
それぞれに贔屓するところがある。
この亭は虚を涵すというからには、
亭のまわりには、実は水も花も何もない。
何もなければ贔屓するところもない。
だから、涵虚亭より見るのは――
天の全てを尽くした一切欠けるところのない万景なのである。
其の十八 谿光亭
湖の波が夕暮れとともに去り行くのは情がある。
渓流の輝きが日の出とともに軒に動き出すのはさらによい。
その光を画に描いたのはまだ見たことがないので、
君の詩をたよりに一つ写してみたいものだ。
其の十九 過渓亭
身は軽く、穏やかに歩むと、帰るのを忘れる。
四本の柱だけの過渓亭の前に丸太の細い橋がある。
橋の先の俗界には出ないと君は決めていたのに、
友と話すうちに思わずその橋を渡ってしまった。
二人で大笑いすれば、
水鳥は驚きのあまり、その緑の衣を落としてしまう。
其の二十 披錦亭
春、
披錦亭からの眺めは、
霞は紅く露は緑に、曉の風は香る。
春の日は長く、
燕はひたすら舞い、鶯はひたすら啼く。
知事殿は貧乏な老人だとは誰もいわない、
豪華な飾りの屏風や帳に囲まれて、
悠悠と笛を吹いているのだから。
【補足】［続く褉亭の詩は割愛する］
其二十二 菡萏亭
日ごとに床几を移して蓮の葉の下の風を追う。
いつまでも続く清らかな香りに思いは窮まるところがない。
どうかしてこの身を亀に変え、
蓮の葉の揺れる中で千年という歳月を過ごしたいものだ。
【補足】［（1）「菡萏」とは蓮の花のこと。（2）続く荼䕷洞の詩は割愛する］
其の二十四 篔簹谷
篔簹谷の竹は立派であるけれど、その値は蓬のように安い。
ここの筍は伐り取るのを禁じられている。
清貧を自称するここの実は大食らいの知事殿が、
いつも竹が胸中にあると言いつつも、
本当は自分だけが腹の内におさめようとしているに違いない。
【補足】［（1）篔簹谷の竹について論じた蘇軾の文を後に見ることになる［→作品番号05-5-086］。（2）続く寒蘆港の詩は割愛する］
其の二十六 野人盧
少年のころは鋤や鍬の仕事に苦労したので、
山に囲まれた故郷の暮らしを嫌ったものだ。
老いてみると、
立派な建物での暮らしなどは意味がないとわかる。
だから、時には野人の住むところに行かずにはいられないのだ。
【補足】［野人とは官職に就いていない粗野な非知識人のことであるが、蘇軾が野人というときには世俗の常識に縛られない自由人という意味合いが強いようだ］
其の二十七 此君庵
此君庵の前の抱節君［竹のこと］に向かって、
文夫子［文同］は言葉を寄せる、
「君とは到るところで親しくしたいものだ」
竹の真を画に描くことでは文夫子が第一だろうが、
私だって竹の真を文に記すことくらいはしたのである。
【補足】［（1）「此君」とは竹のこと。「此の君なくしては一日も過ごせない」と、晋の時代の王徽之がいったことを踏まえている。（2）蘇軾が書いた文とは『墨君堂記』［→作品番号03-3-016］である。竹を愛することでは文同に負けないと戯れたのである］
其の二十八 金橙径
この里の人も金橙［蜜柑の類］の味わいを知ってはいるけれど、
鱸魚がなければその価値は低いものである。
松江の春の煙る雨の中で、
小舟を浮かべて薤を焼き、
金橙とともに搗いて、
鱸魚と合わせて食べてこそ最高の味なのである。
【補足】［文同のもとの詩は、土地の人は金橙のよさを知っていないと歌っていた。蘇軾は洋川には鱸魚がいないから、金橙の味わいを十分に引き出せないでいるのだと、戯れの答えを出したのである。鱸魚は呉のあたりの名物で、非常に美味な魚とされていた［→作品番号04-3-038］。蘇軾は松江で、柑橘類を添えた鱸魚を実際に食べていたのだろう］
其の二十九 南園
南の庭に美しい桃や緑の楊を植えないということは、
知事殿はきっと桑や麦を育てるつもりなのだろう。
畦に春の雨が降るころには、
立派な絹が出来上がるのを想い見て、
壠に夏の風が吹くころには、
麦こがしを焼く香りを想い見るのである。
其の三十 北園
漢水もあれば巴山もあって、洋川にはまだまだ楽しみが余りある。
私は、ひとたび手を振って故郷への帰途につくことを想う。
君に頼むのは、
北園の草や木にこのように尋ねてほしい――
「蘇君がこのあたりの主になっても構わないかい」
【補足】［これが連作の結び。洋川での楽しみを文同から引き継ごうというのである。なお、洋州は漢水の流域にあって、洋川は漢水の支流で、地域区分としては蜀の範囲内である。だから、蘇軾は郷里と一体化して捉えているのだが、広大な中国であるから、洋州と眉州は直線距離で500kmほど離れている］
■【05-2-009】与文与可
【解題】同じころに、文同［字は与可］に送った手紙。
【訳文】
貴君からは、『鳳咮堂の詩』などの作品や数々の書をしばしば寄せてくださり感謝しております。すべて届いております。とにかく遠く離れているために不便ばかりです。先に『超然台の詩』を書いてくださるよう頼みましたが、ぜひ草書で願います。それを模写して石に刻みます。
安南や代北の地は騒然とし、愚かな私も憂いております。我等は閑処に置かれていて、それはそれで天の幸いであるとしましても、深く恥じらうものであります。このような情勢では緊急の徴発がありましょう。蜀の地ではどうなのでしょうか。
私は近ごろ、斉州への異動を希望しましたが、叶いませんでした。今年の冬には任期が満ち、弟もまた交替となりますので、ともに都に上って、蜀に帰ることを強く願い出るつもりでいます。
そちらの洋川の園池はすばらしいところで、他方こちらの密州は田舎臭いところであります。それでも随分と改修を施しました。町の西北には客人を送る亭があり、下に濰水を臨み、広々と見渡すことができます。ここも改修して、「快哉亭」と名付けました。もしも一首を寄せていただければ幸いです。……
【補足】［（1）冒頭にある『鳳咮堂の詩』については作品番号04-1-011で見ている。（2）終わりにある「快哉亭」については、文同は蘇軾の依頼に応じて詩を作っている。後に蘇軾は黄州において同じ名の「快哉亭」を作り、そちらの方が遥かに有名になった］
■【05-2-010】与程彜仲
【解題】このころに、母の親類筋に当たる程建用［字は彜仲］に宛てた手紙が残っているので、その一部を読んでおこう。科挙を受けるために上京することを程建用が報告してきたことへの返事である。
【訳文】
貴君のこのたびの挙は、きっと合格の報せを携えて西に還ることになるでしょうから、私のところにはお越しになれませんでしょう。東武［密州］での私の任期が満ちるのは来年の冬でありますから、都でお会いすることも叶わないでしょう。私の任期が終えるときには、弟もまた職務を解かれるでしょうから、郷里に戻ることを求めて、ともに西に還ろうと思います。ともに蜀で任務に就くことを得て、ついには墳墓を守って死に至るつもりです。私は心も見かけも衰老し、かつての面影はありません。昔馴染みの人々と楽しく飲むことばかりを念っています。……
【補足】［（1）程建用は翌年の春の科挙で合格し、蘇軾はそれを祝う手紙を書いている。その中に、「合格者の中に郷里の人は貴兄ただ一人であった」と記している。（2）先の文同への手紙では、任期を終えるのは今年の冬であるとしていて、この手紙では来年の冬であるとしている。通常の任期は3年なので来年の冬で正しいのだが、実際にはこの年の終わりに密州を離れている］
■【05-2-011】寄題刁景純蔵春塢
【解題】潤州の大長老である刁約［字は景純］［→作品番号04-3-006など］に送った詩。刁約の家の近くに蔵春という名の塢があり、そこにはたくさんの松があるので、蘇軾は自分の植林技術を提供しようとかつて詩に詠んでいた。
【訳文】
先生は白髪になっての後に郷里に帰り、
丘に一万本の松を植えた。
松が千尺の高さにまで成長して、
寒風に揺れ動く姿を見るのを先生は楽しみにしている。
ということは、己の年齢などというものは、
造物者が万物をこねて作り出す工程の外に抛り投げてしまったのだろう。
春は、あたかも先生がつく杖の先から生まれ出るかのようで、
柳の枝は同じ長さに垂れ下がって小暗い蔭を作り、
桜桃の花はすっかり満開となって紅い色が滴り落ちる。
いつかは徐君を誘って先生のもとを訪ねたいものだ。
【補足】［詩の終わりは、原詩では「何時却与徐元直、共訪襄陽龐徳公」［何時か却って徐元直と与に、共に襄陽の龐徳公を訪わん］である。「襄陽の龐徳公」は諸葛孔明も教えを受けたとされる有名な隠者で、蘇軾はその故事を時折詩文に引用している。徐元直も龐徳公に教わったことのある賢者。刁約を龐徳公に比べ、刁約と蘇軾の共通の友人で徐姓の誰かを徐元直に比べたのである。刁約はこのとき82歳で、再会を果たせなかったことは本章の終わりの方で見ることになる］
■【05-2-012】書文与可超然台賦後
【解題】蘇軾の書いた『超然台の記』と弟が作った『超然台の賦』［→作品番号05-1-077］は当時の文人の間で評判となり、文同［字は与可］が『超然台の賦』を作って送ってきた［先に草書でと依頼したのに応じたのであろう］ので、その後ろにこの短文を書き添えた。
【訳文】
我が友の文同は今どきの人ではなく、古の人である。その文は今どきの文ではなく、古の文である。文同の『超然台の賦』はさらりとした趣で、外界の物と関わるところがない。屈原の『遠遊』や司馬相如の『大人』の流れを汲む作品であろうか。
熙寧九年四月六日。
■【05-2-0013】書李邦直超然台賦後
【解題】同じように、李清臣［字は邦直］［→作品番号05-2-005］も『超然台の賦』を作って送ってきたので、その後ろにこの短文を書き添えた。
【訳文】
世人の楽しむところを私もまた楽しむのだが、我が弟だけは独りそれを免れているようだ。
弦を断って琴の鳴るのを聞く、あるいは酒を退けて芳しい茶を味わう。それとても、声や味からはなお離れていない。だからやはり世人の楽しむところなのである。
「超然」を得るのは古の道に達した者であっても難しいとされ、私や弟は敢えてそのことをいおうとしたのであった。李清臣君の言葉は、よく本質を掴んだものといってよいだろう。だから、石に刻んで、私はそれに倣おうと思う。
■【05-2-014】雩泉記
【解題】繰り返し雨乞いをした常山にある泉を、蘇軾は雩泉と名付け、それを石に刻み、4月18日に泉のほとりに建てた。そのことについてこの文章を記した。
【訳文】
常山は、密州の庁舎のある諸城県の南二十里にある。常山はさほど大きくもなければ高くもない。山から下に町を臨むと、町はちょうど山の真下にあって、垣根や楼観が一つ一つ数えられるほどにくっきりと見える。町から上に山を望むと、山はちょうど町の真上にあって、家で食べたり寝たりするときにも、外を出歩くときにも、この山がいつでも見えている。このようであるから、常山の神が町の人からの捧げものを得ているのはごく当然なのである。
密州は海に近くて風の吹くことが多く、水が長く川に留まらない。それでいつも旱害に苦しめられる。しかし、この山に祈るならば、山の神は応えてくれないことはない。民衆はそれで常山の神を信じて頼りにしている。山の神がいつも民衆に対して徳があることから、この山を常山というのだろう。
熙寧八年は春も夏も日照りで、私はそのつど山の神に祈った。いつも響くように応じてくれた。そこで私は常山の神の廟を新しくした。その廟門の西南十五歩のところに泉があり、湧き出る水は車輪のようにぐるぐると回る。清涼な水は滑らかで甘く、冬も夏も変わることがない。泉から溢れ出た水は山の下へと達する。
私が思うに、この山がいつも民衆に対して徳があって、雲を出して雨を降らせ、民衆に信じられているのは、この泉があることによるのだろう。そうでありながら、泉には名がなく、農民は軽んじて、草や木が生えるがままになっている。
そこで、私は石を並べて泉を囲むことにした。その深さは七尺、幅はその三分の二である。そのほとりに亭を作り、泉を「雩泉」と名付けた。
古の人は「吁嗟」といって雨を求めた。それで雨乞いの祭りを「雩」というのである。
いまの民は、求めて獲られないときに「吁嗟」といったり、痛みに呻吟して「吁嗟」といったりする。官職にある者で、そのような民衆の声をきちんと聞いて哀れみ、その求めるところに応えようとしていて、常山の雩泉のように民に信じられて頼みとされている者がどれだけいるのだろうか。私はこのことを神に愧るものである。
【補足】［この後に「吁嗟の詩」が続くが、内容はすでに記されたことと重なり、日本語に訳しにくい韻文であるので省略する］
■【05-2-015】河満子
【解題】4月23日に馮京［字は当世］が成都の知事に任命された。馮京の名は作品番号03-2-010で見ているが、蘇軾の15年先輩で、慶暦8年［104年］、28歳のときに蜀の鄂州で科挙の一次試験を首席で突破すると、翌年に都で行われた二次試験も三次試験もすべて首席で合格した。世に稀なこととして馮三元と称賛された［科挙を首席で合格した人を「状元」という］。優秀な若者が独身であると、我が婿にしようと都の人々は色めき立つのが常で、馮京を射止めたのは富弼であった。馮京は富弼という後ろ盾を得てたちまち中央政界で活躍し、副宰相にまで昇った。王安石の改革には批判的で、改革の問題点を鋭く衝く蘇軾を朝廷の重要な職に推したこともあったが成功しなかった。飢饉のために王安石が宰相を降りると、次の宰相候補として馮京の名が上がったものの、呂恵卿によって阻まれ、都に外に出た。すると、この年の3月に蜀の茂州で少数民族の反乱が起こり、馮京は郷里の危難を救えるのは自分であるとして、成都に赴くことを朝廷に願い出た。馮京はすぐに成都に行き、10月までに治安を回復させた。そのことを聞いて、蘇軾はこの詞を作った。冒頭の12文字は、蜀の山と川の名を挙げて反乱の顛末をイメージ的に歌っている。
【訳文】
見説岷峨凄愴、［見られましたのは、岷山と峨眉山の惨憺たるありさま］
旋聞江漢澄清。［しかし、すぐに聞かれましたのは、長江と漢水は清らかに澄んだとのこと］
但覚秋来帰夢好、［これでわかりました、秋に見るべきは故郷に帰る夢］
西南自有長城。［蜀には長城というべきあなたさまがおられるのですから］
東府三人最少、［都においてかつてあなたさまは三人の副宰相で最年少］
西山八国初平。［西に行かれてはさらりと八カ国を平定されたのです］
莫負花渓縦賞、［必ず存分に愛でていただきたいのは浣花渓］
何妨薬市微行。［庶民に雑じって遊んでください成都の薬市］
試問当壚人在否、［試しに聞いてみてください、いまもいるのかかの酒売り娘］
空教是処聞名。［たぶんあやふやな名を聞くだけとなるでしょうか］
唱著子淵新曲、［でもきっとあるはずです、漢の王褒のような埋もれた才人の新曲］
応須分外含情。［あなたさまがそれを唱えれば格別の情がありましょう］
【補足】［詞の後半では、成都の名所や行事を楽しんだ上で、蜀の地に埋もれている才人を見出してほしいといっている。父の蘇洵は、まさに馮京と同じように混乱を収拾しにきた張方平によって見出されたのであった［→作品番号01-2-001の年譜］］
■【05-2-016】玉盤盂、并引
【解題】蘇軾は芍薬の一つの品種に「玉盤盂」の名を与え、そのことを詩に詠んだ。序文がある。
【訳文】
引［序文］
東武［密州］の旧くからの習慣で、毎歳四月には、南禅寺と資福寺の両寺に大勢の人々が集まって芍薬の花を仏に供えている。今歳は最も盛んで、およそ七千本余りも供えられた。いずれも花びらや葉が重なり合い、繁麗豊碩であったが、その中に白い花で、覆した盂のようにちょうど円形で、その下に十枚余りの葉があり、それがやや大きくて花を承ける盤のようであるのがあった。品格が特に優れ、七千本の中で独り抜け出ていた。聞くと、「これは町の北の蘇氏の庭で得たものです。それは、五代十国時代の周朝の宰相であった蘇禹珪の別荘だったところです」という。しかし、付けられていたその名がひどく俗っぽかったので、私は「玉盤盂」と改めた。
其の一
春の終わりには様々な花が乱れ咲く。
芍薬が開くころには、それらはすっかりなくなってしまう。
二つの寺は、無数の芍薬によってみごとに飾られ、
人々はそのなかのただ一枝の花を争って見ようとしている。
旧くから伝わる画にも見ない優れたその姿に、
私は玉盤盂の佳名を与えることにした。
姑射山の仙人は雪のような白い肌だというが、
玉盤盂はまさしくその仙人のよう、
姑射山の仙人が行くところ五穀が稔るというから、
きっとこれからは毎年穀物が大いに熟すであろう。
【補足】［続く第二首は、この芍薬を蘇家の庭で得たと聞いたことから、自分とは縁が深いのだろうといったことを歌っているが、訳は割愛する］
■【05-2-017】和潞公超然台次韻
【解題】文彦博が『超然台の詩』を詠んで送ってきたので、蘇軾がそれに次韻して返した。詩の題に「潞公」とあるのは、宰相経験者の文彦博は「潞国公」に封じられていたからである。なお、蘇軾が文彦博に政治上の問題について記した手紙を作品番号05-1-066で見ている。
【訳文】
潞公は富貴を嫌っているのにもかかわらず、
常に国家のための仕事に苦しみ続けている。
潞公は実は古の仙人である赤松子と約束をしていて、
嶺にかかる白い雲を永遠に見続けることになっている。
潞公が談笑するだけで清らかな風が生じ、
天下の人々がそれに共鳴して声を合わせる。
その潞公が超然台の詩を吟じて、
雑草が生えたようになってしまっていた私の心を洗ってくださった。
私はもとはいかなる人間なのかというと、
鹿が無理に官員の装束をまとい、
身は微小であるのに、志だけは空しく大きい――
潞公との交わりは浅いにもかかわらず、しばしば深い言葉を寄せてくださる。
潞公がもしも了承してくださるのなら、
退職した暁には真っ先に潞公のもとに報告に参上したい。
ただ恐れるのは、
そのとき私には酒を買う銭が全くなくて、
潞公が財布を逆さにして振るわなければならなくなること。
【補足】［（1）文彦博はこの時代としては驚くべき長寿で、この先92歳までさらに20年間も政界で活躍する。（2）同じころに、鮮于侁や張耒が『超然台の賦』を作って寄せ、司馬光が『超然台の詩』を寄せてきた。鮮于侁は蜀の人で伯父の蘇渙に所縁のあることは作品番号04-2-002で触れたが、鮮于侁は長く地方官として主に蜀の地にあって、改革を批判する意見を朝廷に提出したり、新法の強引な施行に対して抵抗したりしていたが、このころに京東西路、つまり密州の近くに赴任し、後に蘇軾と会うようになる。張耒は後年「蘇門四学士」の一人と称されるようになるが、このころはまだ無名の若者で、蘇軾に認めてもらおうとして『超然台の賦』を送ったのだろう。司馬光は5年前に中央政界から退いて、そのまま洛陽に隠棲していた］
■【05-2-018】聞喬太傅換左蔵知欽州、以詩招飲
【解題】密州にきてからの友人に喬敍がいる［→作品番号05-1-020］。その喬敍が武官から文官に移って欽州知事を拝命したので、別れる前に飲もうとこの詩で誘った。何らかの事情で失意の内にあった喬敍に、いずれよいことがあると蘇軾は励ましていたのだが、それが的中したのである。
【訳文】
果たせるかな、今年、もとの将軍は再びに起つことになった。
かねて夢に見て詩に詠んだのは、我ながら神業であったのだ。
貴君は、戦場で倒れて屍が馬の皮に包まれるようになったところで、
ごくささいなことと見なしていた。
そして、必ず大官になる相があるといわれていた。
貴君は、あるときは、風土病の流行る土地で戦争の迫りくるなか、
羽根の扇を悠然と振って軍を指揮しようとしていた。
これから欽州に行く貴君と痛飲できる日々はあと幾日あるのか。
西の軒端にさす月の光がいよいよ冴えてきている――
さあ、その光に乗じてここにきてはくれまいか。
【補足】［同じときに喬敍に贈った詩がさらに二首あるが訳は割愛する］
■【05-2-019】寄黎眉州
【解題】蘇軾の故郷の眉州の知事を務める黎錞［字は希声］に送った詩。黎錞は父の蘇洵と交流があった人で、孔子が編んだとされる歴史書である『春秋』を深く研究して欧陽脩に認められた。当時の皇帝の英宗から蜀の地の優れた人物に誰がいるのかと尋ねられたときに、欧陽脩は、「文行は蘇洵、経術は黎錞」［文章では蘇洵、学問では黎錞］と答えたという。この詩の半ばには、王安石が『春秋』は官報の切れ端を集めたようなものでしかないと暴言［名言？］を吐いたことが詠み込まれている。なお、これより2年後に黎錞のために書いた『眉州遠景楼の記』を作品番号01-2-001で見ている。
【解題】
この密州の高いところから、故郷はどこかと望むなら、
一片の千切れ雲へと夕日が落ちていく……
あのあたりであるのだろうか。
そちらでは、春が終わってもなお瓦屋山には堆く雪があり、
雨の後に空に、峨眉山の緑があたりを掃うようにして聳え立っていることだろう。
貴君はそちらで古の経典を研究して、『春秋』を笑う者を嗤っているが、
有望の士を好んだ欧陽脩のような賢者がいま天下にいないのを私は悲しく思う。
いつか私も陶淵明のように『帰去来の辞』を詠んで帰るであろうから、
貴君とともに詩と酒をもって残る歳月を送ろうではないか。
■【05-2-020】山堂銘、并敘
【解題】この夏も日照り続きで、5月にはまた常山の神に雨を祈ったのだが、6月には一転して大雨が降った。そのことを記した文章。
【訳文】
叙
熙寧九年夏六月、大雨が降り、土地の人がきてこのように告げた。
「東武［密州］の町中の溝が壊れ、無数の岩石が流れ出ました」
そこでそれらを取り集めさせ、知事公舎の北の壁際に積んで、五つの小山を並べた。そこに松や柏や桃や李を植え、さらには北向きの部屋を新たに開いて心をそこに遊ばせ、遠くに思いを託そうと思う。
銘
誰がこの堅い石を集めたのか。
土の神が儲えたのである。
激流が発生したのは、
神が私を畏れさせようとしたからなのか。
よって庇を延ばし、
町から山を見晴らし、
高い木々を蒼蒼と繁らせて、
百年の歳月を俯仰しようではないか。
■【05-2-021】和趙郎中捕蝗見寄次韻
【解題】趙庾［字は成伯］［→作品番号05-1-074］が蝗を捕えた詩を詠んだのに次韻した。
【訳文】
麦は、穂が出てその長けは人の背ほどにもなり、
稲は、苗が伸びて牛が埋もれるほどにもなった。
このときに、天はどうしてか、蝗が発生するのを抑えてくださらなかった。
農事は一時もゆるがせにできず、
蝗は駆除せよと、法令にきちんと定めがある。
我が僕たちは手足が傷だらけになるまで、
我が馬は走りまわって疲れ切るまで、
蝗退治に努めたので、
ようやく飛翔する数は減ってきたけれど、
人も馬ももう力は完全に尽きてしまった。
かくて私はひたすら眠いだけであったのだが、
貴君からの百篇の詩を得てようやく目の覚める思いがした。
はじめは水がちょろちょろ流れるくらいの感じだったのが、
ついには大海を溢れさせるほどの勢いとなり、
貴君の詩をもっと読みたくて、
貴君のもとに人を十回走らせてもやめようとは思わない。
日頃から妄庸を軽んじている貴君であるから、
私のごとき詩は貴君にじっと見られては笑われてしまうしかない。
貴君のすぐれた詩の才能はすばらしいのに、
世間はとかく批判して詩を切り刻むことばかりする。
いま民衆は苦しみにあえいでいつ癒えるとも知れない。
官職にはそれぞれに役目があってそれを超えてよいものではない。
貴君は貴君の任務に励んで世事を口の端に載せることなく、
空に向かって「咄咄」と書くようするのがよいであろう。
【補足】［詩の終わりは晋の殷浩の故事による。殷浩は讒言によって左遷されたとき、口では何も言わずに、「咄咄怪事」［実におかしなことだ］と中空に書いて過ごした。この詩では、職務以外のことを言わない方がよいと趙庾に向かって忠告しているようだが、むしろ戒めるべきは蘇軾自身であったのかもしれない］
■【05-2-022】登常山絶頂広麗亭
【解題】常山の頂上にある広麗亭に登ってこの詩を詠んだ。気散じのために山に行ったのではなく、雨乞いの折に広麗亭まで足を伸ばしたのだろう。
【訳文】
西に穆陵関を望み、
東に瑯邪台を望み、
南に九仙山を望み、
北に空しく飛ぶ埃を望む。
我等数人の友は狂飲し、
荒々しく振る舞い、
皆とともに古の聖天子の舜を追慕して叫び声を上げ、
ついには遠く蓬莱島に帰ることを想う。
漢の時代のこと、帝に愛された超飛燕は紅の裙を翻して舞い、
帝とともに仙人となって去ろうと歌い、
その声は雲間に響き、
笛は長く悲しみの余韻を残した。
この山ができてから、
白石に蒼苔が生じ続けた。
我等のこのような楽しみはかつてここにあっただろうか、
去ろうとしてなおあたりを徘徊する。
人の生は朝の露のよう、
白髮が日夜に増えてゆくのである。
何事も棄て置いてもはや何もいうまい。
万劫の歳月とて灰を飛ばすように消え去ってしまうのである。
【補足】［冒頭に、山頂から見える名所を挙げている。それぞれ歴史的な背景があって、この詩の内容と緩く関係するのだが、煩瑣になるので説明を加えることはしない］
■【05-2-023】薄薄酒二首、并引
【解題】趙杲卿［字は明淑］［→作品番号05-1-030など］に贈った民謡調の戯れの詩。序文がある。
【訳文】
引［序］
膠西の趙杲卿先生は、家は貧しく、酒を飲むのを好む。酒は種類を選ばず何でも飲む。いつもいうには、「薄い薄い酒でも湯や茶よりはまし。醜い醜い女でも妻がいないよりはまし」。その言葉は洗練されたものではないけれど、真理に近いところがある。それで先生のこの言葉を推奨して広めようと、東国風の楽府［民謡］を作ってみた。見る人が一発笑ってくれたらと思うだけである。
其の一
薄い薄い酒も湯や茶に勝り、
粗い粗い布も衣がないのに勝り、
醜い妻も醜い妾も女性がいないのに勝る。
朝廷の高官に昇ったところで、
寒い冬の早朝に霜を踏んで皇帝のもとに伺候しなければならないのは、
何の用事もなくて、夏の日中も涼しい北向きの窓の下で昼寝をしていられるのには及ばない。
皇帝になったところで、
飾り立てた万人の列に送られて御陵に埋葬されるのは、
つぎはぎの衣を着ていても、独り呑気に朝日を背に受けて座っているのには及ばない。
生前の富貴よりも死後の文章というけれど、
百年は一瞬、万世も慌ただしく過ぎるだけ。
大賢人も大盗賊も己の本性を捻じ曲げたら同じこと。
とりあえず酔っ払って、
是非も憂楽も皆忘れてしまうのが一番なのだ。
其の二
薄い薄い酒をふんだんに飲み、
粗い粗い布を重ねて着る。
ものの良し悪しはあるにしても、
酔ったり暖かかったりするのは同じだ。
昔から、醜い妻や醜い妾は主人を長寿にするという、
主人が退隠して志を遂げようとするのを、
そうした妻妾が義として従った例は多いのだ。
宮中の土を踏むのか、隠居所の窓からの風に吹かれるのか、
いずれももとから計画できることではない。
百年の一生は長いようでいても必ず終わりがある、
富貴のうちに死んだ者とて、
貧窮のうちに生きた者に勝るわけではない。
遺骸を珠玉で包んで千年も朽ちないようにしたところで、
墓を暴く盗賊にやられてしまう。
文章こそは不朽だとかいったところで、
文字を知らぬ者を驚かせることはできない。
たちまち顔を紅くして富貴の気分にさせてくれるものがあるとしたら、
それは酒であろうけれど、
道に達する者は、酒の功などに頼ったりはしない。
世の是非や憂楽などは、
つまるところ空しいものなのである。
■【05-2-024】同年王中甫挽詞
【解題】嘉祐6年［1061年］に一緒に制科に合格した王介［字は中甫］［→作品番号02-1-003］が亡くなり、それを悼む詩を詠んだ。
【訳文】
仁宗皇帝は一代の間に、制科の合格者を自ら十五人選ばれた。
その十五人が、三千里の高さへと飛び上がる鵬鵾のような活躍をするのを、
天下の人々は眼を凝らして見つめていた。
王介君が取り組んだことは、国家の事業としてまことに用いるべき価値があった。
私ごときはぐずぐずと衰えるばかりで、言うべき価値がない。
十五人が出たり退いたり、あるいは昇りあるいは降りること幾十年を経て、
生きるのも死ぬのも一緒にと約束した仲間も、
いまでは一体何人が残っているのか。
いつしか都に行って王介君が活躍した跡を尋ねたならば、
いま都の人々が流している涙の痕がきっとそこらの草にも残っていることだろう。
【補足】［仁宗皇帝の在位期間は41年に及んだが、その間の制科の合格者はわずかに15人。蘇軾自身の注によると、この詩を詠んだ時点で存命だったのは、富弼、張方平、銭藻、蘇軾、蘇轍の5人だった。富弼は蘇軾が8歳のときに憧れた4人の1人、張方平は蘇父子にとっての恩人、銭藻については作品番号03-3-008で送別の詩を詠んでいる］
■【05-2-025】七月五日二首
【解題】副知事の趙庾［字は成伯］［→作品番号05-2-021］とともに超然台に上り、趙庾が詠んだ詩に和した。趙庾は先の詩でも見たように、蘇軾と同様に言葉が過ぎることがあったらしく、ここでは訳出しなかった別の詩でも、座中でうっかりしたことを言わないようにと蘇軾は諭している。
其の一
謗りを避けて、詩は詠まない、
病を畏れて、酒は飲まない、
このように決めて、北向きの窓の下で寂しくしていると、
この夏の長い一日を、誰も一緒に過ごしてくれる者はいない。
今年はやたらに暑く、草や木は煮て焦がしたような臭いがきつい。
私は早々と衰えてしまった人間で、
気力は糸のように細く、やっとのことで暮らしている。
秋がきてくれたら佳い心持ちになりもするだろうか。
稲にもそろそろ露が宿すであろうから、
「稲が収穫されるのを見るだけで、
新酒の汁が滴り落ちる心地がする」
と、杜甫が詠んだのに和して、
静かに詩を吟じてみるのもよかろうか。
【補足】［詩は詠まない、酒は飲まないという誓いつつも、それは守れないというのがこの詩の結論であろうか］
其の二
新たな秋をどこに求めたらよいのか。
静かな超然台の上だ。
秋が来てまだ間もないのに、
超然台の上では、
風はすでにさわやかで、月はすでに明るい。
雲の間に翠の峰が一つ聳え立ち、
林の向こうに遠い山々が浪打つように並んでいる。
新しい棗が次第に摘み取れるようになってきた一方で、
遅い瓜はまだまだ食べることができる。
落ち行く日を送りつつ秋の風が吹くと、
万物が寂しげに鳴り響く。
白髪が一度生じたなら君から離れることはない、
急いで行楽に出ることを思うべきなのである。
■【05-2-026】趙郎中見和、戯復答之
【解題】趙庾が上の詩に和したので、それにまた答えた。
【訳文】
趙君が詩を吟じるのは、水を撒くかのようで、
ひとたび手を揮うなら三百六十の文字がぱっと飛び出てくる。
私に習って詩をやめようとするのは、
絶世の美人の西施が人ごみに紛れこもうとするようなもので、
はなから無理なのだ。
趙君が酒を飲むのは、灰に水を注ぐようなもので、
いくらでも吸い込んでしまい、
一日に三百杯、一年で十万八千杯。
早いうちに趙君を止めなかったら、
東の海も呑みつくして、海底の赤い土があらわになってしまうであろう。
私は衰えて、政事に関わっての誤りが多い。
趙君がきびきびとして秋の鶚のようであるのが羨ましい。
これからは、趙君は『老子』を愛読書として毎日飲んで暮らすのでよろしかろう。
仕事の方は、私が趙君の秘書として右から左に署名の代筆をして進ぜようから。
■【05-2-027】和魯人孔周翰題詩二首、并引
【解題】八月十五日の中秋節に詠んだ詩。魯［山東半島一帯］の人である孔宗翰［字は周翰］がかつて壁に書いた詩に和したもの。序文がある。
孔子は春秋時代の魯国の人で、山東半島には孔姓の人が大勢いる。
【訳文】
引［序］
孔宗翰君がかつて仙源県の知事を務めていたときのこと、八月十五日の中秋節に仕事で東武［密州］の官舎に留まっていた。ときに陳宗古君、任建中君もその地にいた。それから十七年後の中秋節に、孔宗翰君が公務を帯びて東武を過ると、陳宗古君と任建中君はすでに亡くなっていた。時の経過に感じ、懐旧の念に駆られて詩を作り、それを壁に留めた。それからまた五年後の中秋節に、私は客人と超然台の上で飲んだのだが、孔宗翰君がこの地に赴任することを願っていると聞いた。客人のなかに孔宗翰君の詩を誦する者がいたので、それに和して二篇の詩を作り、他日の一笑に供するものである。
其の一
詩を題してからすでに五年、
壁は壊れてしまったけれども、
ゆかりの人も風物ももとのままである。
来年の中秋の月は、
孔先生がここで酒を枕に眠るのを照らすことであろう。
其の二
明るい月を迎え、
来年のことをいいつつ、
孟浩然の詩を思い起こす――
「秋の空に明るい月が懸かる、
鵲は何かに驚いて飛び立ったまま、
今宵の宿とする木をまだ見つけられずにいる」
公務に旅する身は、
宿屋から宿屋へと移動するようなもの、
我が終の枝を選び得て眠れるのはいつなのだろうか。
【補足】［序文に、孔宗翰が密州への赴任を希望していると記してあるが、実際にこの年の暮れに蘇軾の後任として密州に赴任する］
■【05-2-028】水調歌頭
【解題】「丙辰の歳の中秋に、朝まで大いに飲んで大いに酔い、これを作り、兼ねて弟を思った」と添え書きのある詞。丙辰とはこの年で、つまり上の詩と同じときの作品である。
【訳文】
明月幾時有、［明月はいつからあるのでしょうか］
把酒問青天。［酒を手に、青い天に問います］
不知天上宮闕、［私にわからないのは、天の上の宮殿では］
今夕是何年。［この夕べはいつの年であるのでしょうか］
我欲乗風帰去、［私は風に乗って天の上に帰り行こうとし］
又恐瓊楼玉宇、［でも恐れるのは、天の上の玉の宮殿は］
高処不勝寒。［高くて寒さに耐えられないのではと］
起舞弄清影、［立って月の光とともに舞うなら］
何似在人間。［ここも人間世界ではなくなるのです］
転朱閣、［月の光は朱い楼閣の上を転がり］
低綺戸、［美しい戸口から低くさしこんで］
照無眠、［眠れずにいる人を照らします］
不応有恨、［月の光に恨みがあるはずがないのに］
何事長向別時円。［どうしていつも別れているときに限って円いのでしょうか］
人有悲歓離合、［人には、悲しみと歓び、別れと合うとがあります］
月有陰晴円欠、［月には、陰りと晴れ、円いと欠けるとがあります］
此事古難全。［これらのことがぴったり一致するのは古から難しいのです］
但願人長久、［ただ願うのは、君よ長く久しくあれ］
千里共嬋娟。［千里離れていても、同じ月の光もとで］
【補足】［前半は中秋の宴に同席した同僚に示したもの、後半は弟への想いを歌ったもの。これは蘇軾の詞の中でも最も優れたものの一つとされる］
■【05-2-029】送碧香酒与趙明叔教授
【解題】趙杲卿［字は明淑］に碧香酒を贈ったのに添えた詩。これは先の『薄い薄い酒の詩』［→作品番号05-2-023］を踏まえて詠まれている。碧香酒の由来はこの詩の中にある。
【訳文】
聞くに、貴君の奥方は賢くて廉で、
素足でもって自ら安酒を買いに行かれるし、
貴君に向かって、
「決して大臣などにはなってくださるな」
と、いっておられるとか。
貴君も、陛下の御前で珍しい料理を賜ることを羨ましく思ったりなどしない。
私が感心するのは、
貴君がいよいよ風変わりであるのを少しも恥じたりしないこと、
その上、貴君が吟じるのは、
「妻は醜くてもよろしい、
他人が夫を嘲り謗るのを憎んでくれるならば」
冬の暖かい日にも、貴君の家では、
「寒い、寒い」
と、叫んでいるとか、
それは布団がないからだ。
世間の人はそういうことを聞くと失笑する。
そこで私は、布団の代わりといっては何だが、酒を贈ろうと思う。
これは先帝の婿殿の家から届けられた碧香酒というもので、
ヨーグルトのように濃厚である。
私は、ひたすら飲むことをだけを求めたかの有名な大酒呑みとは異なり、
碧香酒を独り占めする気はないので、
貴君の家を和やかにする助けとしてひと壺を贈らせていただくものである。
【補足】［（1）先帝の婿とは王詵である［→作品番号03-2-011］。王詵は都の名士で裕福であることから、蘇軾のもとにはしばしば高級な品物が贈られてきていた。（2）「かの有名は大酒呑み」とは作品番号05-1-043で見た劉伶である］
■【05-2-030】趙既見和復次韻答之
【解題】上の詩に趙杲卿が和したので、さらにそれに和して返した。
【訳文】
漢の時代の都のある小役人は、
天から自由に解き放たれた人であったのか、
日に夜に酒を飲んで歌い、
宰相の曹参と杯を交わすこともあったとか。
ところが、その曹参の子の曹操は、
凶作の年に禁酒令を出して米を節約しようとした。
趙先生はまだ禁酒国から出ていないからなのか、
酒甕の脇で眠るこけることができずに、
偉そうに詩句を吐いたりするから、
人を謗るように聞こえてしまうことがある。
趙先生は、酒がないと、何度もぼやくので、
先生のために酒を作ってあげようかと思いもするのだが、
近ごろの法はやたらとやかましいので、
その筋の者に目をつけられてしまうのを畏れなくてはならない。
俸禄の代わりに一日に一斗の酒をもらっても不服だった人がいたが、
それだけあれば昼間から飲んでも十分足りるはずではないか。
趙先生は鋭い言葉でこの衰えた老人を圧倒するのだが、
酒ばかり飲んでいては、ほかに食うものがなくなってしまうのではないかな。
【補足】［この後、趙杲卿は蝗退治のために莒県に赴き、翌月に帰ってきたところで、酒をひと壺贈って慰労し、同じ韻で詩を詠んで添えているのだが、それは割愛する］
■【05-2-031】蘇潜聖挽詞
【解題】蘇泳［字は潜聖］の死を悼む詩。蘇泳は成都の人で、官界の先輩である。
【訳文】
若いころは、百人のうちの第一の人として名誉の名を馳せ、
晩年には、官職にありながらも私情を離れて隠者のようであった。
至誠を尽くして、華美なところが一切ないのは、真の役人であったし、
文章が正しく雅なのは、我が蘇の一族の伝統に適うものであったし、
事に応じて走りまわるときも、本来の志に背くことはなかったし、
科挙に合格した子があるのだから、実は亡くなってはないのと同じである。
静かにこの十年余りの事を思いつつ、
秋の風に数行の涙を寄せるのである。
■【05-1-032】和晁同年九日見寄
【解題】杭州にいる晁端彦［字は美叔］［→作品番号05-1-051など］から9月9日の重陽の節句の詩が送られてきたので、それに和した。
【訳文】
天を貫き刺すようにして渡り鳥が飛んで行く。
仰ぎ見る私は、
老いてもはや富貴も功名も思わない。
病んだ馬には千里を走る志さえない。
いつの世も、詩を詠む人は、秋がまたやってきたのを悲しむ。
古来、九月九日はそのような日である。
私は西湖と別れてから、
その風光は誰に託したらよいのかと思っていた。
貴君を、愁いを窮めさせる境遇に置いたのは、
きっと天の意志なのだろう。
なぜなら、杭州の山水は、
貴君によって優れた詩に詠まれることを待っていたのだから。
【補足】［この詩の終わりは「困窮して後に人は詩に巧みになる」という欧陽脩の言葉［→作品番号04-3-047など］を踏まえている］
■【05-2-033】祭常山祝文
【解題】この年は雨が少なく、常山の神に雨を祈った文章が幾つも残っている。これは秋の雨乞いのもの。
【訳文】
連年の蝗の害と日照りのために、中等以上の農民でももはや蓄えがなくなってしまいました。日々に食べる分量を計ると、もはや熟すのを待っていることはできないので、その前に穀物を刈り取らずにはすまなくなっています。……秋になってから雨がなく、冷気が菽を殺そうとしていて、穈も黍も小さな器に満たすほどもなく、麦はまだ耕す前で、人々はおろおろ顔を見合わせ、ただ途方に暮れ、飢えた腸はもはや断ち切れるばかりで、これでさらに五日も雨がなければ、民は墓場に埋められてしまうでありましょう。……
【補足】［（1）表現に誇張があるとしても、事態はかなり深刻であったのだろう。（2）このころに都では蘇軾を河中府に移すとの詔が発せられている］
■【05-2-034】送喬施州
【解題】喬敍が欽州知事を拝命したことは作品番号05-2-018で見ているが、その後、赴任先が施州に変更になり、改めて送別の詩を贈った。施州は蜀の山間部にある。
【訳文】
残念なことに、喬敍君には町の近くに二頃ばかりのましな農地さえないので、
五台の車に蔵書だけを載せて各地を転々としなければならない。
施州へと江を遡って行くと、
絶壁が横たわる向こうは青い山々、
雲の間を登る道は細く、蛇が空に飛び上がるかのようだ。
施州の土地柄は、
黒暗［犀の方言］に向かって鶏が叫び、
蜂がさかんに群がって黄蓮花から蜜を集め、
南蛮の産物がもたらされるようなところ。
思うに、喬敍君はかつて宰相を務めた呉育殿の門下生であるのだから、
蜀の片隅に向かうべき人ではないのが……。
【補足】［先に指示された欽州は遥か南方の地で、施州はまだしもいくらか都に近く、蘇軾も蜀の人であるのだが、ここでは施州をことさらに辺境の地であるかのように描いているのは、喬敍には中央で働くにふさわしい技量があるといいたいからだろう］
■【05-2-035】蓋公堂記
【解題】密州の黄堂［州庁の中の最も立派な建物である正堂］の北側に、蘇軾は奥の間を作って蓋公堂と名付け、この文章を書いた。
【訳文】
私が郷里にいたときのこと。
寒気がして咳の出る者が医者に尋ねると、これは腹に悪い虫がいるせいで、治療しないと虫に殺されてしまうといわれた。それで、百金を費やして治療することにし、虫下しの薬を飲んだ。薬が腎や腸を攻め伐ること、体の皮膚を焼くかのようであって、かつうまいものを飲み食いすることが禁じられた。ひと月ほどすると、いろいろな症状が出てきて、体の内側は熱く、悪寒がし、咳がやまなかった。まことに毒虫にやられてしまったようだった。
それで、別の医者を求めたところ、その医者は熱を下げるための薬を処方した。薬を飲んだところ、朝には吐き、夜には下し、ついにはまったく食べることができなくなってしまった。
怖くなってその薬をやめ、鐘乳やら烏喙やらあれやこれや試したところ、瘭、疽、癰、疥、眩、瞀といった症状で出ないものはなかった。三度医者を替えて、ますます病気がひどくなったのである。
村の老人が病人にいった。
「これは医者が悪い。薬が間違っていたのだ。君には、そもそも疾いがあったのだろうか。人の生命というものは、気が主人公であって、食がそれを助ける。君はずっと薬ばかりを飲んで、他のものを口にしなかった。薬の臭いが体の外にまで乱れ出るありさまだ。君の体の中で、百の毒が戦い合ったために、主人公である気をすっかり疲れさせてしまったのだ。その上、助けとなるべき食べ物も隔ててしまった。それがまさしく病なのだ。君はこれからはただ静養して、医者を断り、薬をやめて、好きなものを食べればよい。気が完全になること、うまいものを食べること、これが最良の薬だ。きっと効果があるだろう」
これに従うと、ひと月で病は良くなった。
昔の国を治めることもこれと同様であった。秦の孝公から始皇帝までの時代を見ると、新たな法を作り、制度を改め、民衆を酷使して処罰することを徹底的に行った。秦が亡んで漢の世になると、宰相の蕭何や曹参は秦が民衆を虐げた禍を実際に見ていたので、戦乱の後に生き残った民に対して何かをさせようとしてもただ嫌われるばかりであるのを承知していて、何はともあれ休息を与えることにした。それによって天下は安定した。
曹参は宰相になる前に斉の地を治めていたのだが、そのときに長老や諸先生を集め、民衆を安定して住わせる方法を尋ねた。斉の地の儒者が何百人もきてそれぞれに異なることをいったので、曹参はどうしたらよいのか決められなかった。そのとき、蓋公という者がいて、黄帝や老子の教えをよく知っているということを聞き、人を使わして教えを請うた。蓋公は、「治道は清浄を貴び、民は自ずから安定する」ということをいい、それを根本命題として、そこからさまざまなことを引き出して述べた。曹参は、自分から正堂の外に出て蓋公を中に招き入れ、その言葉を政事に用いたところ、斉は大いに治まった。その後、斉を治めたのと同じようにして天下を治めたのである。天下の人々は今に至るも曹参は賢者であったと称えている。
私は密州の知事となり、蓋公がこの邦の人であると知ったので、その墳墓を探し、子孫を求めた。しかし得るところがなく、残念に思った。蓋公の言葉から、その人となりを想像し、ぜひとも蓋公のような人に会いたいと思った。
私は州庁の正堂の北側に奥の間を新たに作り、ごたごたしたものを整理し、障壁となるものを除いて、州庁の全ての門をからりと開いたところ、町の南から北まで、一本の縄を引いたように見通せるようになり、これを蓋公堂と名付けた。時々賓客や役人仲間を連れてそこらぶらぶらとし、私はそこに住まうことなく、蓋公のような人がきてくれるのを待った。
曹参は漢朝一代の名臣で、蓋公はその師であった。二人が並ぶ姿は壮観であったろう。しかし、史書には蓋公がどこで終焉を迎えたのか記されていない。古の至人で道を得た者は死ないということであったりするのだろうか。密州の東は海で、南に九仙山があり、北に牢山がある。その三方には昔から隠れた君子が多いという。そのように聞いてはいても、隠れた君子は実際には見ることができない。もしも見られたとしても招き入れることはできないであろう。
蓋公は民衆にまじってそのあたりを行き来しているのだろうか。どうかして会えたりしないだろうか。
【補足】［（1）この文章が進行中の改革を批判しているのは明らかであろう。（2）この蓋公堂の壁に、蘇軾は陸探微が描いた猊の画の模写［→作品番号04-3-087］を飾ったのである。（3）ついでながら、現代医学に疑義を唱えて、薬や手術に頼るべきではないと主張する人は、ここで蘇軾が述べているのとおおむね類似の論法を用いている。千年前のすぐれた知見であっても、それがいまのまま通用するものではないことはわざわざ付け加えるまでもないだろう］
■【05-2-036】李氏山房蔵書記
【解題】李常［字は公択］［→作品番号04-3-076］のために書いた短文。李常の蔵書九千巻余りが廬山にある白石庵の僧舎に納められていて、学問を志す人が読めるようになっていた。そのことについて記した文章である。なおこちらの廬山は、密州の廬山ではなく、本家本元の方の有名な山で、仏寺や道観が多数ある霊山である。なお、李常はこのころまでに湖州知事から斉州知事に移っていたようである。斉州には弟がいた。
【訳文】
象の牙、犀の角、珠玉といった怪しくも珍しい物は、人の耳目を悦ばせはしても、実際の用には適していない。金属や石、草や木、絹糸や麻糸、五穀等々は実際の用に適しているけれど、これらは使えば古びるし、これらは費やせば尽きてしまう。
人の耳目を悦ばせ、実際の用に適していて、これを使っても古びないし、これを費やしても尽きないし、賢い人もそうでない人もおのおのその才能に従って得るところがあり、賢い人もそうでない人もおのおのその身の程に従って仁や智について教えられることがあって、才能や身の程が違っていても求めさえすれば必ず獲られるものがあるのは、ただ書物だけであろうか。
孔子や古の聖人も、その学問は必ず書物を読むことから始めた。しかし、そのころにたくさんの書物を持っていたのは老聃［老子］だけで、晋国の韓宣子は魯国に行って初めて『易象』や『魯春秋』を見ることができた。呉国の季札は北方の国々を親善訪問して初めて『詩経』の風、雅、頌を聞くことができた。楚国で『三墳』『五典』『八索』『九丘』といった書物を読んでいたのは倚相だけだった。この時代に生まれた人で『六経』を見ることができたのはわずかしかおらず、学問をするのは実に難しいことであった。そうでありながら、その当時の人々が礼楽に習熟し、道徳を深く身に具えていたことは、後世の君子のとても及ぶところではない。
秦や漢の時代以降は、書物を作る人がますます多くなり、紙も筆記の道具もますます簡便となって、書物がますます増え、書物を持たない人はいなくなった。ところが、学問をする者がますます粗略になったのはどうしてなのだろうか。
かつて私は老成した儒学の先生方に会うことができた。先生方がいわれるには、「若い頃に『史記』や『漢書』を読みたいと思っても書物がなかった。幸いにも書物があれば、皆自分の手で書き写し、日夜、声に出してそれを読み、理解が十分ではないのをただただ恐れた」。
近年は、商人が書物をさかんに刷って、諸子百家の書物が何万という紙によって日々世に広められている。学問をする者にとって、書物はこれほどまでにたくさんあって、かつ手に入れやすくなったのである。ならば、書く文章にしても学術の水準にしても昔の人の何倍も立派になってしかるべきであるのに、いまの人たちは書物を手にしてもきちんと読まないで、根拠のないことを適当におしゃべりしているだけである。これはまたどうしてなのだろうか。
私の友人の李常君は、若い頃に廬山の五老峰の下の白石庵の僧舎で書物を読んだ。李常君がそこを去ってからも、廬山の人々はそのことを思って、その僧舎を指して「李氏山房」と呼ぶようになった。蔵書はおよそ九千巻余り。李常君はその九千巻の書物からなる学問の大河を渉ってその源を探り、そこにある華と実を採り、その深い味わいを咀嚼し、それらを自身の内に納め、文章として外に出し、また実践してみせたので、現在の世にその名が知られるようになった。そうしたことがあっても、書物はもとよりそのままであって、少しも減ったりするところがない。来る者があれば与え、無窮の求めにも無尽蔵に応え、その才能と身の程に従って得ようとするものを十分に満たしてくれる。
李常君はこのような書物を家に内にしまっておくのではなく、もといた僧舎において人々の目に供している。それは仁者の心というべきである。
私はすでに衰え、かつ病んでしまって、世に用いられるところがない。これからは暇な時間を得て、まだ読んでいない書物をことごとく見てみたいと思っている。しかも、廬山はもとより遊んでみたいと願うところであってまだ行けていないのだから、まさに廬山の五老峰に退隠して、李常君の蔵書を開いて見るべきなのである。もしかして、李常君が拾い損なったものも得て我が身を補うような結構なことがあればと思うものである。
私は記念の文を書くよう李常君に求められた。そこでこの文章を書き、この山房に来る者に次のことを知ってもらいたいと思う。昔の君子は書物を見るのが難しかったこと、そして、いまの学問をする者は書物がありながら読まずにいるのは惜しむべきであること。
【補足】［これと『塩官の大悲閣の記』［→作品番号05-1-081］を合わせて見ることで、蘇軾の学問観を窺い知ることができるであろう］
■【05-2-037】与周開祖
【解題】杭州で親しくした周邠［字は開祖］［→作品番号04-3-079］に与えた手紙。周邠はこのころは南方の温州楽清県の知事になっていたようである。
【訳文】
お手紙を重ねて頂戴し、直接お話を伺っているかのようであります。日々佳勝の御様子に遠く思いを寄せております。
私は恙なく過ごしておりますが、河中府に移るようにとの指令を頂戴し、交替の人を待って、十二月上旬にはそこに向かうつもりでいます。貴君とはますます遠くなります。かつてお供して湖山の風景を楽しみましたが、またの縁が果たしてあるものなのでしょうか。
お別れして後のあれこれはどれも言うに足りないものばかりですが、陳舜兪君が逝去されて、この世でまたお会いできないは残念でなりません。あれこれ考えてみても陳君が長寿に恵まれなかった理由はなく、涙が流れるのを止めることができません。陳君の文章を読むと、すべてが美しく善いものばかりです。一首の哀詞を作りたいと思いつつまだ暇がありません。作りましたらお送りしましょう。
貴君の筆力はますます長じるばかりで、魏の曹操は「老いてなお学ぶ者は私と袁伯業だけだ」と豪語したと伝えられていますが、年取ってなお長じてゆくのは真に得難いことです。お寄せくださった山の画の詩は、善い画を見たいと尋ねても得られなかったものです。貴君の新しい詩は清絶で、すぐにその二首に和しましたので、笑ってお受け取りください。貴君の浩然亭の詩にも続けて和すつもりです。
今日は大雪で、客人とともに玉山堂で飲みました。たまたま弟のところに行く人がいますので、これとともに手紙を書いています。手が冷えてうまく字が書けません。
どうか御自愛願います。
【補足】［（1）陳舜兪［字は令挙］は蘇軾が密州に赴任するために杭州を発ったときにしばらく同行した人で、大勢の人々ともに湖州の垂虹亭で遊んだことを作品番号04-3-077で見ている。陳舜兪はそれから2年足らずで亡くなったのだった。（2）この手紙に記してある山の画の詩に和した作品は次に見る。（3）終わりにある玉山堂とは先に見た蓋公堂のことである］
■【05-2-038】次韻周邠寄雁蕩山図二首
【解題】周邠［字は開祖］から、上の手紙にあったように山の画に添えた詩が届いたので、その詩に和した。画は温州楽清県にある雁蕩山を描いたもので、海に臨んで聳える天下の奇秀とされる。もしかしたら、画そのものも贈られたのかもしれない。二首のうち第二首だけを訳す。
【訳文】
其の二
西湖での三年間は貴君と一緒だった。
いまの私は、塵の中の馬、籠の中の鶴。
雁蕩山の画に入ると――
私は、東の海のほとり、
海のそのまた向こうから日が昇るのを見ている、
山の中にある石の橋を渡り、
そのまた向こうの長い虹を踏む――
いまは遥かに思いを寄せるだけ。
別れて以来、貴君にも白髪が増えたであろう、
ときには酒樽の前で、この病気の翁のことを話したりしているのだろうか。
残念なのは、貴君が蜀の山々を知らないこと。
いつか手を携えて、蜀の山に分け入り、
竹筒に入れた酒を飲もうではないか。
■【05-2-039】題鮮于子駿八詠後
【解題】これまで鮮于侁［字は子駿］の名は時折見てきたが［→作品番号04-2-002、05-2-017など］、その人なりをこの文章から知ることができる。これは、鮮于侁が蜀の利州にいたときに土地の名勝を詠んだ八首の詩に書き添えたもの。利州の『八詠』は当時評判となり、司馬光や范鎮、文同、蘇轍といった著名人が挙って和している。
【訳文】
私が初めて益昌の地を過ったときに、鮮于侁君は利州路［益昌を内に含む広域行政区］に赴任したばかりであった。その八年後に、私は膠西［密州］の知事となり、それから鮮于君は京東西路［密州を内に含む京東東路の隣］に移った。
朝廷が法を改めてから、法を奉じる役人は、自分自身のなかで折り合いを付けるのが非常に難しくなった。法の通りにすばやく厳格に実行すると民を傷つけ、民に厚く寛大に行うと法に反してしまう。法を重んじることと民を大切することの二者の理をともに通すのが難しくなったのである。しかも、利州は山あいの狭く痩せた土地柄で、民は貧しく役人の責務は重く、二者の理を通すには最も難しいところであった。さらに、鮮于君の家は代々南隆［閬州］にあって、利州路が管轄する範囲のあちこちに親族や友人が住み、親しい関係を配慮すれば法を害うことに、法を重視すれば恩愛を傷つけることにもなりかねないので、親しい者を大切にすることと法を正しく運用することの二者を全うするのもまた難しいことであった。このような困難の全てが鮮于君のもとに集まっていたのである。
ところが、鮮于君はその困難を九年にわたって成し遂げ、その評判は四方に鳴り響いたのだった。上には法を害わず、下には民を傷つけず、中には親しみを廃することなく、法の実施方法を役人に指導し、法に基づく仕組みを作り上げたのだった。役人も民衆も挙って鮮于君の政事を喜んだのである。
その一方で、鮮于君は庭や亭などを整備し、詩を賦し酒を飲み、まことに穏やかに時を過ごし、あたかも太古の時代の為政者のようであった。世の君子はそのようなありさまを見て鮮于君が賢者であるのを知ったのである。
鮮于君は自ら作った八詠［八首の詩］を私に寄せてきた。私はその詩を甚だ愛し、和そうとしてとても及ばないので、その末尾にこの文章を書くことにした。それを益昌の人に送り、鮮于君のことを忘れないよう石に刻んでもらいたいと思っている。
【補足】［（1）最初に鮮于侁の赴任地の利州を蘇軾が過った記してあるのは、父の喪が明けて上京した煕寧元年［1068年］の冬のことである。（2）鮮于侁が京東西路の異動したことで、この後、蘇軾と久しぶりに会うようになる。（3）ここに描かれている鮮于侁の姿はむろん美化されたものであろうけれど、いわば宋代の地方官の理想像である］
■【05-2-040】雪夜独宿柏仙庵
【解題】雪の夜に、密州の柏仙庵に泊まった詩。
【訳文】
しとしとと降り続いていた晩からの雨は、
いつしかみぞれとなった。
ゆるゆると小さな庵で眠るのはなかなかに風情がある。
ふっと夢から覚めると、窓辺に雪が打ち付けている。
雪の夜は更け行くにつれて静かになり、竹のそよぐ音だけが聞こえる。
この冬も暖かさがようやく衰えて、天候がぴしっとひきしまったようだ。
それでも、この程度の雪では、
秋からの日照りを潤すにはまだ足りなくて、
田畑を耕すのはなお先のことであろうか。
天がどのような意向であるのか読み取るのはまことに難しい。
かくして、翌朝には、春爛漫のような晴天になった。
■【05-2-041】和孔郎中荊林馬上見寄
【解題】先に見たように蘇軾は河中府知事に異動となり、後任として孔宗翰［字は周翰］が密州にくることになった。孔宗翰が道の途中で詩を詠んで送ってきたので、それに答えた。なお孔宗翰の名はすでに作品番号05-2-027で見ている。
【訳文】
密州のあたりでは、
今年の稲は眼の髙さにも成長しなかった上に、
来年のための麦の種はわずかしかない。
私は知事として、
この邦の人たちが苦労ばかりしていて、
肌には草の棘がいつも刺さっているのを恥ずかしく思う。
普段から五千巻の書物を読んだと胸を張っていながら、
その一文字も民衆の飢えを救うのに役立たせることができなかった。
民衆は肌着すらないことを怨み、
賢人の訪れを切望している。
孔子二十世の孫とは漢代の孔融,、
その堂々の気風は周囲を圧倒した。
孔子四十七世の孫とは貴君、
いまこちらにこられることになった。
貴君が密州の郊外にまだ至らぬうちから、
清らかな風がそちらより吹いてきている。
困苦するこの地の十万の民を、
貴君のような君子を煩わせて託すことになった。
この私は、滔滔と流れる大河に押されて、はたしてこれからどこに行くのだろうか。
いつか蜀への帰路をとって、
春の山に子規を聞くことがあるのだろうか。
■【05-2-042】江神子
【解題】密州を離れる前に超然台に上って詠んだ詞。
【訳文】
前瞻馬耳九仙山、［前に見るのは馬耳山と九仙山］
碧連天。［天に連なる碧］
晩雲間。［暮れゆく雲の間］
城上高台、［町の上のこの高台］
真箇是超然。［それはまさしく超然］
莫使匆匆雲雨散、［雲も雨もすぐに消えてなくなってくれるでしょう］
今夜裏、［今夜は］
月嬋娟。［さぞや美しい月］
小渓鷗鷺静聯拳。［小さな川で静かに身を丸めている鴎や鷺］
去翩翩、［去り行く一羽二羽］
点軽烟。［淡い雲の彼方に点となります］
人事凄涼、［人間界のことは寂しくて］
回首便他年。［首を巡らす間にもう前の年に］
莫忘使君歌笑処、［忘れないでください、知事が歌ったり笑ったりしたところを］
垂柳下、［柳の垂れる下］
矮槐前。［低い槐の前］
■【05-2-043】別東武流杯
【解題】12月上旬に孔宗翰が密州に到着し、代わって蘇軾は新たな任地に向かった。これは、川のほとりの流杯という場所で詠んだ別れの詩。
【訳文】
笑ってしまうのは、
官僚の住まいなんぞは宿場の旅館のようなもの。
人の世に生きるのは浮き雲に等しい。
百年の後になれば、
いかなる老人だって知りはしない、
いまこのときに知事だった者がここに立っていたことなどは。
ただあの二本の松だけは覚えていてくれるのだろうか。
■【05-2-044】留別雩泉
【解題】これは雩泉［→作品番号05-2-014］で開かれた送別の宴での詩。
【訳文】
酒を挙げて雩泉に捧げる。
王維は送別の詩に、
「旅人となって、黄金は尽きはて、
家に還って、白髪が新たになっただけ」
と、歌ったが、
雩泉に映る我が姿はまさにそれだ。
泉の水の中にある空、
それがこの私をまた照らすことがあるだろうか。
二年の間、雩泉の水を飲み、雩泉の魚や鳥と親しくした。
もう一度、雩泉の水を掬う。
その手をまわして、傾く日を遮る。
これから私は西に向かって行くのだ。
【補足】［新たな任地として命じられた河中府は遠く西方にある。唐の時代に杜牧は、長安に向かったとき、「手で西日を遮りつつ進んで行く」と詩に詠んだ。蘇軾は王維と杜牧の2人の詩を踏まえて、即興でこの詩を詠んだのである］
■【05-2-045】留別釈迦院牡丹呈趙倅
【解題】別れの詩を、釈迦院の牡丹に寄せて、副知事の趙庾［字は成伯］［→作品番号05-2-025］に贈った。密州を発ったのは12月であったから、実際に牡丹が咲いていたわけではないだろう。
【訳文】
春の風が、
この次に、小さな寺へと戻ってきたとき、
壁の間に知事殿［蘇軾のこと］の詩を見るだろう。
そして、
「知事殿はどちらに」
と、きっと尋ねるだろう。
花が説くのを聞いて、
春の風は、知事殿がもういないのを知るだろう。
毎年毎年、時の流れは窮まることがない。
花は今年も同じように咲くけれど、人はきっと老いてしまう。
かの貴君子の崔護は春の郊外に遊んで、
ある屋敷の庭に美しい女性を見た、
翌年の春にまたそこを訪ねると、
門が閉ざされ、誰もいなかった。
春の風はその崔護のように、
千里の彼方に行ってしまった知事殿の面影を慕い思うことであろう。
■【05-2-046】董儲郎中嘗知眉州、与先人遊、過安丘、訪其故居、見其子希甫、留詩屋壁
【解題】蘇軾は密州の諸城県を発つと、北に進み、百二十里先の安丘で、董儲がかつて住んでいた家を訪ねた。この詩の題は「董儲はかつて眉州の知事となり、父の蘇洵と交流があった。私は安丘を通過した際に董儲の故居を訪れ、子の董希甫と会い、壁に詩を書いた」。この詩にはたくさんの故事が詠み込まれているので、若干の説明を補って訳す。
【訳文】
白髪に至っても、皇帝に知られることがないままで、
大きな役目は与えられなかった――
董知事［董儲］の不遇は、漢代の顔駟に似ていようか。
顔駟が若かったときの皇帝は文を好み、顔駟は武を好んだだめに、用いられなかった。
顔駟が壮年になったときの皇帝は美顔を好み、顔駟の顔は醜かったので、やはり用いられなかった。
顔駟が老いてから後の皇帝は若者を好んだので、またしても用いられなかった。
しかし、顔駟はついには報いられた［董儲はそうではなかった］。
人々はいまに至っても、董知事の文章は最も優れていたと記憶している。
魏の曹操は、たまたま橋玄の墓の近くを通ったときに、
自ら祭文を作って墓に捧げ、
今後ここにきたときには必ず二羽の鶏をもって祭ると誓った。
漢の武帝は董仲舒の墓の横を通るときには必ず馬から下った。
この二つの故事には及ばないものの、
私は所縁ある人を忘れまいと、董知事の墓に詣でたのだった。
楚の宰相であった孫叔敖が亡くなると、
その子は貧窮の余り薪を背負って売って歩かなければならなかった。
晋の向秀は若い頃に都で著名人との交流があったが、
その当時の人たちは政敵によって皆都を追われてしまい、
向秀は西に旅する途中で、かつての著名人の旧宅を過り、
たまたま隣人が吹く笛の音に昔を思って泣いた。
董知事の子は、
冬のさなかに薪を背負って売って歩かなければならないような境遇は免れているとはいえ、
私は隣人が吹く笛の音に心を砕かれて耐えることができない。
君主のために命をも捧げる活躍をしたいと、貴君は思っているだろうけれど、
敢えてそのことを言うのはやめよう。
私は董知事の墓に涙を注ぎつつ、
西南の空に浮かぶ白雲を見つめるのである。
【補足】［西南の白雲とは、都の上の雲であろう。都の人たちが董儲のことを思い出して、子の董希甫に活躍の場を与えてくれまいかと願うのである］
■【05-2-047】跋董儲書
【訳文】上の詩に詠まれた董儲が遺した書に記した跋文が二つある。書いた時期は明らかではないが、二つを合体してここに訳す。
【訳文】
董儲は密州安丘の人で、詩の名手として宝元、慶暦のころに知られた。書も極めて巧みだったが、人に知られることがなかった。その書を見ると、かつて一世を風靡した李建中よりも勝れている。近年でも董儲の書に比肩するものはなかなか見ない。ところが、人々はそのようには思っていない。私は書を善くする者ではない。ところが、世の中の人は私の書を良いという。このことから、どれが良くてどれがそうではないのか、どうやら一つには決まらないと私は知ったのである。
【補足】［李建中は宋代の初めに能書家として知られたが、蘇軾があまり評価していなかったことは後に見る］