第4章 大きな転機――初めての杭州
［第4章その三］
熙寧7年［1074年］、蘇軾39歳。
■【04-3-001】元日過丹陽、明日立春、寄魯元翰
【解題】常州の町の外の船中で新年を迎えた蘇軾は、元日のうちに大運河を北西に進んで丹陽に至った。翌日は立春で、そのことを主題に詩を作って魯有開［字は元翰］に寄せた。魯有開は作品番号04-2-082で見たように、杭州を発って都に向かったのだが、まだこのあたりに留まっていたのだろう。
【訳文】
この地では元旦に、
紅い糸のように細く刻んだ五種の辛い物を盆の上にうずたかく盛り、
椒花と組み合わせて新しい意匠をそれぞれに工夫する。
子供のころ、
正月になると竹馬で遊んだものだが、
そのときにいまの年齢にまでなるとは思いもしなかった。
明日の立春には、
門の外に土の牛を出して、寒さを早く送り出すようにするのだが、
春ばっかりはゆっくり留まってくれるのがよい。
杭州の西湖では水遊びをするにはまだ早すぎるだろうか……
潤州の北寺では上元の灯篭を見物するのによい時分になるだろうか……。
新年を迎えて白髪がまた増えた私がいまここにいることなどは、
誰も気にかけてくれまいと思っていたのだが、
明け方からしきりにくしゃみが出るのは、
はてさてどこの誰かさんが噂でもしているのだろうか――
それは、貴公なのかな。
【補足】［（1）ニラ、ラッキョウ、ネギ、ニンニク、カラシの5種の辛いものを盆に盛って元旦に食べるという風習が中国の一部にあり、「五辛盤」といった。日本の七草粥の起源という説もある。（2）潤州は丹陽からさらに北西に進んだところ、長江に接する町で、魯有開はすでにそこにまで達していたのかもしれない。（3）くしゃみが出るのは人が噂をしているからだとは、漢代以前からいわれていたことである。（4）蘇軾はこのころに妓女を褒め讃える『古纏頭曲』という詩を作っているが、もしかすると、宴席で魯有開を喜ばせるために作ったものであるのかもしれない。故事てんこ盛りのややこしい作品であるので、訳は割愛する］
■【04-3-002】行香子
【解題】これは詞。上の詩と同じころに、杭州の陳襄知事のことを想ってこの詞を作った。同じ「行香子」の曲で詠んだ詞を作品番号04-2-019で見ているが、同じ曲であっても内容が全く異なっているところが詞の面白さである。
【訳文】
梅雪飄裙。［裾のあたりで雪のように翻った梅の花びら］
情何限、［限りない情］
処処銷魂。［どこを見ても消え入るばかりの我が魂］
故人不見、［会うことのできない友人］
旧曲重聞。［重ねて聞くのはかつての詩］
向望湖楼、［詩に寄せて見ようとする杭州の望湖楼］
孤山寺、［孤山寺］
湧金門。［湧金門］
尋常行処、［いつも行ったあのところ］
題詩千首。［題した詩は千首］
繍羅衫、［妓女の綺羅の袖］
与払紅塵。［それが払ってくれたのは詩稿に降りかかった町の塵］
別来相憶、［別れてより思うこの気持ち］
知是何人。［それを知ってくださるのは誰］
有湖中月、［湖に映る月］
江辺柳、［水辺の柳］
隴頭雲。［岡の上の雲］
【補足】［（1）「手を携えて歩いた川辺の村」とは、作品番号04-2-007にあった杭州城外の村のことだろう。ほぼ1年前のことである。（2）詞の前半の終わりには、杭州の名所を三つ並べている。「望湖楼、孤山寺、湧金門」と、曲に合わせて歌ったときに、杭州の風光への想いが深い余韻として残るのであろう。詞ならではの表現である。無造作の三つ並べたように見えて、実はこれで音律がきちんと合っているのである。作者の腕の見せ所である。（3）昨年の数々の作品で見たように、蘇軾は西湖の春がことのほか気に入っていた。いよいよ最もよい季節を迎える西湖に我が身を置けないのを蘇軾は残念でならないと感じている。しかも、3年の任期が秋には満ちるので、春の西湖をこの先二度と見られないかもしれないのである。そのような思いを込めた作品をこの後で幾つか見ることになる］
■【04-3-003】刁同年草堂
【解題】蘇軾は潤州［鎮江］に至り、しばらく滞在する。潤州は長江南岸の町で、4年余り前に杭州に赴任する折に立ち寄っていた［→作品番号03-4-038］。今回の出張では最も杭州から北に離れたところである。潤州には、蘇軾と同じ年の科挙に合格した刁璹［字は景汜］がいて、その草堂を訪ねてこの詩を詠んだ。刁璹は潜県の知事を勤めていたが、このときは郷里に帰っていた。
【訳文】
長い竿にことさらに立派な衣類を干すようなことはしない。
高くあるいは低く望み見えるのは、
貴君の家の南の庭の木々や北の草堂の屋根である。
青い山は約束したかのように、
ちょうど門戸の正面に向き合い、
流れる水には情はないはずなのに、
自ずと池へと入ってゆく。
久しい歳月を経て、酴醿［薔薇の一種］の枝々は広く合わさろうとしていて、
柳の木は、春が来て、もう堪え切れないほどに葉が繁っている。
ここの主人は慌ただしく立ち去ることを許してくれない、
紅梅が実をつけるまでいなさいと。
■【04-3-004】刁景純賞瑞香花、憶先朝侍宴、次韻
【解題】五代十国時代に、潤州を含む長江の下流域一帯の広大な地域は南唐国の統治下にあった。その南唐国の朝廷に仕えた刁彦能という人物がいて、その子の刁衎は宋朝に仕え、刁衎の孫の刁約［字は景純］が仁宗皇帝のもとで朝廷の高位に昇った。刁約は職を辞してからは、潤州の邸宅に住み、そこを蔵春塢と号した。刁約の甥が上の詩で見た刁璹である。つまり、刁璹は前代から続く名家の子弟である。蘇軾は刁璹に導かれて刁約の邸宅を訪ね、刁約が作った「瑞香花を賞して、先朝の宴に侍したことを憶う」という題の詩に和した。瑞香花は廬山にだけ産する香りの強い花で、南唐国の王宮に移植され、それが宋の王宮にも伝えられた。刁約は、瑞香花を愛でる仁宗皇帝の宴に出席したことがあり、その思い出を詩に詠んだのである。
【解題】
かつて唐の時代に、
劉禹錫は罪を赦されて都に復帰したとき、
宮中に立ち並ぶ桃の花を見て、
「それは自分が去ってから芳しい花を幾度咲かせたのか」
と、詩に詠んだ。
刁約殿は若い人とともに新しいものを愛でるのは好まれないので、
瑞香花の香りに、宮中での日々の思い出に浸り、
あれからこの花は幾度開いたかとやはり考えるのである。
ここ潤州には、
鶴林寺の躑躅を秋に咲かせた神女がいたというので、
私のために瑞香花をいま開かせてもらいたいと思うのだが、
神女は天界に行ってしまっていつ帰るとも知れない。
【補足】［（1）劉禹錫が9年ぶりに都に復帰したときに、「玄都観裏桃千樹、尽是劉郎去後栽」［玄都観裏の桃千樹、尽く是れ劉郎の去って後に栽えられたもの］［玄都観にはたくさんの桃の木が花を咲かせているが、すべの私が都を去ってから植えられたものである］と詠んだ詩は非常に有名である。劉禹錫自身は何も変わらずに帰ってきたのだが、都では新進の連中がわがもの顔で跋扈していると皮肉っているのである。仁宗皇帝の時代を追憶する刁約の詩に和したこの作に、蘇軾はむろん改革派への批判を潜ませている。（2）鶴林寺で秋に躑躅を咲かせた仙人がいたことは作品番号04-1-071で見ているが、ここでは神女ということになっている。（3）この詩の六句目と七句目は複雑な故事の用い方をしていて訳すのが困難なので割愛した］
■【04-3-005】同柳子玉遊鶴林、招隠、酔帰、呈景純
【解題】杭州からずっと行動をともにしてきた柳瑾［字は子玉］とともに潤州にある鶴林寺と招隠寺に遊び、酔って帰ってこの詩を作って、刁約［字は景純］に見せた。
【訳文】
この花の時節、
酒で顔を赤く光らせての帰りの道、
春の風に吹かれ、涼しく感じる。
鶴林寺のまわりは白く輝く竹におおわれ、
招隠寺の下の野には桃の花の香りが満ちていた。
岩山からは、天に掛かる練り絹のような滝が下り、
泉の底からは、真珠のような水がたえず湧き上がっていた。
このようなところでこそ、
笛を携えた道人が現れて、
翠の崖をも裂くような音を聞かせてもらえたらと思ったのだった。
【補足】［終わりの部分は、刁約も一緒であったならばというココロであろう］
■【04-3-006】景純見和、復次韻贈之、二首
【解題】上の詩に刁約［字は景純］が和したので、蘇軾がまた和して返した。二首のうちに第一首を訳す。
【訳文】
其の二
人間界の燈火は、
日や月の光と少しばかりは競えるとしても、
人が季節の変化を競って、
春をそのまま留めておくことはできない。
私は多事多忙の内にあって、初めて田舎暮らしのよさを知り、
この凶年に遭遇して、野の蔬菜が甘く香しいのをしみじみ知った。
横糸を飛ばす梭のように、右に左にと慌ただしく過ごし、
渓山の好さは画に勝ると、ただ口でいうだけだ。
結局、年を経てこの身に会得したものは何もない。
それでも翁のためなら、
ここ万松岡にまさに一万本の松を植えることならできるであろう。
【補足】［（1）終わりの部分にある「翁」とは刁約のことで、このとき81歳であった。万松岡とは、刁約の家のある蔵春塢の向かいの岡で、松で覆われているので、刁約がそのように命名した。蘇軾は松を植える技術を持っていると自認しているので、ここでもそれをアピールしたのである。（2）割愛した第一首では、刁約は退隠して功名などには無関心であることを幾つかの故事を引いて歌っている］
■【04-3-007】景純復以二篇、一言其亡兄与伯父同年之契、一言今者唱酬之意、仍次其韻
【解題】刁約［字は景純］がまた同じ詩に和したので、刁約と蘇軾の唱和はさらに続いた。刁約の詩の其の一は、先に亡くなった刁約の兄が蘇軾の伯父の蘇渙と同じ年の科挙に合格した「同年」の間柄であったことを歌い、其の二は、こうして唱和し合うことの喜びについて歌っていた。蘇軾が次韻して返した二首のうち第一首だけを訳す。
【訳文】
其の一
杖に拠って立つ貴君は、
あたかも漢の三代の皇帝に仕えて霊寿木の杖を賜った孔光を見るかのよう。
時の流れに感じ、旧い世を懐い、悲しみを覚えないわけにはいかない。
我が伯父は貴君の兄上とともに科挙に合格し、
貴君のように高位に昇るべき人であった。
いずれにしても、この世に生きるのは水に浮かぶようなもの、
この世を去るのは休息をとるようなもの、
得るものもなければ失うものもなく、
憂楽とは心にとっての閑と忙のようなものなのであろう。
世間でおこる事柄は、
波浪のように変化し続けるばかりで、
岡をすっぽり覆う柏の森のようになりはしないのだ。
■【04-3-008】子玉家宴、用前韻見寄、復答之
【解題】柳瑾［字は子玉］の家は潤州の町のすぐ東にある丹徒鎮にあって、柳瑾は蘇軾と鶴林寺などを巡った後で家に帰っていた。その柳瑾の家を訪ねたところ、作品番号04-3-005と同じ韻を用いて柳瑾が詩を作ったので、それに和して答えた。
【訳文】
貴君は自ら金の樽から酌み、
かの孟光のような妻にも酒を勧める。
さらに貴君は、家に住まう演奏家を呼んで、
笛の名曲を聞かせてくれる。
子供たちが私のまわりに集まってきて、
衣を引っ張ったり、
酒に火照った顔を扇であおったりしてくれる。
詩の病は春に逢ってますますひどい症状になり、
愁いの魔は酒の力でどこかに走り去った。
酒から醒めたときの情味といったら、
つまり、日がもう西南の岡の上にあるというものだ。
【補足】［（1）この詩は柳瑾のもてなしにすっかりくつろいだ気分になったということを歌っている。（2）孟光は漢の時代の有名な賢妻。劉瑾は妻も宴席に同席させて、大いに歓待したのである。（3）この詩には、蘇軾自身の注で、「劉瑾の家には笛妓がいる」と添え書きがある。（4）この詩では、幾つもの故事を引いて劉瑾の家の人々の様子を描写しているのだが、訳詩はその大意だけを示した。（5）この詩の前にも、同じ韻で劉瑾と蘇軾は唱和していて、蘇軾の詩には「合わせて劉瑾の兄の子の劉璋道人に寄せる」との添え書きがある。その詩は、まるで禅偈のようだとの評もあって、訳者にはさっぱり意味がわからない］
■【04-3-009】柳氏二外甥求筆跡二首
【解題】このとき柳瑾の家には、孫の柳閎と柳闢がいて、蘇軾は二人から書を所望され、それに応えてこの詩を詠んで書いて与えた。この二人の父は劉子文で、その妻は蘇渙の娘であったから［→作品番号03-3-003］、二人は蘇軾から見ると「外甥」ということになるので、詩の題にそのように記されているのである。
其の一
使い古した筆を山のように積んだところで珍しくもなんともない。
幾千本もの筆をだめにし、幾万巻の書物を読んで、
初めて真髄に迫ることができる。
唐の柳公権は「元和脚」と讃えられた新しい筆法を生み出した。
君の家にはそのような柳家の立派な伝統がある。
ある人が王羲之に書を習おうとすると、
王羲之は「貴君には兄上がおれられるではないか」といった。
その兄もかねてより王羲之と並ぶ書家として知られていた。
しかし、そのある人は、
「若い者は家の鷄よりも野の鶩を愛すというではありませんか」
と、あきらめようとしなかった。
だが、私はきっぱりいう――
「家の鷄こそを第一として、さらに他人に問うのはおよしなさい」
【補足】［（1）蘇軾は、私に書を求めるよりも祖父に教わるのがよいと、この詩で柳閎と柳闢を諭したのである。（2）柳公権は同じ柳姓の有名な書家として引いたもので、実際に古い先祖というわけではない］
其の二
唐の時代のこと、
名筆家と知られた褚遂良は、
皇帝を諫める文章を記したときには、
一晩で髪が真っ白になったという。
――筆は本来そのように心を砕いて用いるべきである。
唐の時代のこと、
柳公権は皇帝から書の極意を尋ねられたときに、
「心を正しくすれば、筆は正しくなる」
と、答えた。
――これこそ急ぎ諸君等が受け継ぐべき家伝の書法である。
いつか諸君が記した諫言の書を見たいものである。
■【04-3-010】成都進士杜暹伯升、出家、名法通、往来呉中
【解題】成都出身の杜暹［字は伯升］はかつて科挙を目指して地方試験に合格したのだが、その後、出家して法名を法通といい、呉のあたりを行き来していた。柳瑾が蘇軾と法通を引き合わせたので、詩を贈った。
【訳文】
かつてのその名を知られた杜暹と知り合いになりたければ、
飄然と往き来する一人の雲水の僧を尋ねなければならない。
もしも、法通の頭を垂れさせて、
官職の鎖に繋げたとしたら、
結局のところは、
我等とどっこいどっこいであっただけだろう。
■【04-3-011】書贈法通師詩
【解題】上の詩について記した蘇軾の短文がある。
【訳文】
私はあるとき、
「法通師が試験場から抜け出さなかったならば［つまり、合格したならば］、いまごろはどうなっていたでしょうか」
と、いったところ、柳瑾はこのようにいった。
「たかだか我等くらいのところでありましょうかな」
それで戯れにこの詩を作ったのである。
熙寧七年二月。
【補足】［柳瑾は法通のことを見くびったわけではなくて、官員の不自由さを嘆いたのである］
■【04-3-012】子玉以詩見邀同刁丈遊金山
【解題】蘇軾は多忙な中でも遊ぶことを忘れない。柳瑾［字は子玉］から詩でもって金山に行くことを誘われ、刁約［字は景純］とともに登った、そのときの詩。かつて金山に登ったときの詩を作品番号03-4-038で見ている。
【訳文】
柳君の年齢はまだ還暦に及んでいないのだから、
人の前で「老翁」と呼びかけるわけにはいかない。
しかも、ここには瞳の四角い［長寿の象徴］、八十一歳の刁翁がおられて、
矍鑠として衣をかかげて山中を走っておられるのだから。
■【04-3-013】金山寺与柳子玉飲、大酔、臥宝覚禅榻、夜分方醒、書其壁
【解題】金山寺で柳瑾と大酒を飲み、蘇軾は、宝覚という僧が使っている禅榻［禅を組むための椅子］で眠ってしまい、夜中に目覚めてこの詩を壁に書いた。後に金山寺を訪れた人がその詩を見て、石に刻んだという。
【訳文】
悪い酒［強い酒］は悪い人［強い人］と同じなのか、
刀とか矢とかよりも激しく攻めまくってくる。
禅榻の上でぐったりして思うには、
「勝とうとするより、戦わないのが最善である」
孫子のこの言葉が真理であるとわかったのだ。
詩翁［柳瑾］の意気は雄大で抜きん出ており、
禅老［宝覚］の語りは清らかで柔らかい。
ところが、私は酔って全てわからなくなり、
眼がちかちかと紅くなったり緑になったりしたのを見ただけだった。
ふと醒めると――
月は川の向こうへと落ちかかって行き、
さくさくと木の葉の落ちる音とともに風の響きが変化する。
仏壇の燈火が一つの光を放っているだけで、
二人の豪傑の姿はどこにもない。
【補足】［蘇軾は酒を好むが酒に強いわけではく、すぐに酔いが回り、目の中が紅くなったり緑になったりして、眠りに落ちてしまうのだった。柳瑾と宝覚はそのような蘇軾を残してどこかに飲み直しに行ったというのがこの詩のオチである。宝覚は禅僧でありながら『水滸伝』の魯智深のように大酒食らいだったのだろうか］
■【04-3-014】送柳子玉赴霊仙
【解題】ここまで行動を共にしてきた柳瑾［字は子玉］とは金山で別れ、この詩を贈った。柳瑾は天柱山にある霊仙観の管理人として赴任することになっていた。天柱山は舒州にある。
【訳文】
世中の事は艱難ばかり、
猛々しく廻り変わり、
貴君の心は、まだ老いないうちから灰のようになってしまった。
いつしか貴君は夢で、
司命真君［道教の神］の宮殿に昇ったと見ると、
霊仙観の管理人を命じられたのだった。
私もそれを学んで、同じく神仙に呼ばれたいものである。
■【04-3-015】昭君怨
【解題】「金山で柳瑾と別れる」との副題が添え書きのある詞。
【訳文】
驚破綠窓幽夢。［窓から入り込んできて、はっと目覚めるこの夢］
新月与愁煙。［昇ったばかりの月と、愁うような夜霧］
満江天。［川の上の空を満たします］
欲去又還不去。［去ろうとして去らず］
明日落花飛絮。［明日は落花か飛ぶ柳絮］
飛絮送行舟。［柳絮が送って行く舟］
水東流。［水はひたすら東に流れます］
■【04-3-016】監洞霄宮兪康直郎中所居四詠
【解題】潤州滞在中に、かつて朝廷の一員であった兪康直の住いを訪ね、四首の詩を詠んだ。儀礼的な詩であるので四首のうち第三首だけを訳す。この詩の題に、兪康直の肩書として「監洞霄宮」と記されている。これは杭州にある洞霄宮という道観の管理人ということなのだが、実際は名目だけで、それによっていわば年金に当たるわずかな俸禄が与えられていたのである。上で見た柳瑾は「監霊仙観」を授かって、実務に就いたようである。
【訳文】
其三 遁軒
先生［兪康直］は世から遁れるこの住まいを作られたのだが、
ひっきりなしに訪問客が来て、隠れる身を起こされてばかりいる。
だから、川を望むこの村でこのまま老いることはできそうもない。
古来、真遁［真に世から遁れること］はわざわざ自分から遁れようとはしないものだ。
それで先生は、
賓客がくると垣を越えて逃げたり、門を堅く閉じて引き籠ったりした人を、笑っているのである。
■【04-3-017】遊鶴林、招隠二首
【解題】再び潤州の鶴林寺と招隠寺に遊んでの詩。
【訳文】
其の一
町の外の野原は、雨が晴れ上がったところで、
春の風光の麗しさはあり余るほどだ。
鶴林寺は青い竹の中、
そのまた奥の深い林で杜鵑が鳴いている。
一人の病んだ僧が、
西の窓辺にもたれかかって、
香の煙をじっと見つめている。
外では柳の花が墮ちて、
桜桃が目も眩むばかりに然えているのに。
其の二
歌いつつ白雲のかかる嶺へと登り、
招隠寺の竹林の中に坐して詩を詠じる。
風の軽さに花がほろりと落ち、
日が薄れて山の半分が暗くなる。
谷川では無数の草が伸び出していて、
香りを聞いたりしてもその名を知るのは難しい。
時に町の人を見かけたりするから、
隠れ住むには十分に深いとはいえないであろう。
【補足】［この詩は、比較的平易な言葉で実景を淡々と描写していて、唐の時代の韋応物や柳宗元の趣があると評されている。参考までに第二首の読み下し文を掲げておこう］
其の二
行歌白雲嶺、［行歌す 白雲の嶺］
坐詠修竹林。［坐詠す 修竹の林］
風軽花自落、［風は軽く花は自ずから落ち］
日薄山半陰。［日は薄く山は半ば陰る］
澗草誰復識、［澗の草は誰か復た識らん］
聞香杳難尋。［香りを聞くも杳として尋ね難し］
時見城市人、［時に城市の人を見る］
幽居惜未深。［幽居するには未だ深からざるを惜しむ］
■【04-3-018】書普慈長老壁
【解題】同じころに普慈寺を訪ねて、志誠長老の部屋の壁にこの詩を書いた。
【訳文】
普慈寺の後ろには千本もの竹、
かつて酔って見たときには、
碧玉の椽が並ぶのかと思った。
疲れた思いで再びここに来たので、
あれから自分は老いてしまったと思うのだが、
高僧は全くもとのままに微笑んでおられる。
しばらくぶりに禅の味わいを教えていただき、
その後の昼寝は黄公［鳥の名］の声に妨げられる。
いつしか日が暮れてしまったのだが、
寺には二株の紅百葉［花の名］があって、
人に向かって美しさを見せてくれている。
【補足】［この詩で、以前にも普慈寺にきているとあるのは、杭州に赴任する途中で立ち寄ったことをいうのだろう］
■【04-3-019】和蘇州太守王規甫侍太夫人観燈之什、余時以劉道原見訪、滞留京口、不及赴此会、二首
【解題】これは蘇州知事の王誨［字は規甫］［→作品番号04-2-101］が送ってきた詩に和したもの。王誨のもとの作品は、母とともに上元節の燈篭見物をしたことを詠んだもの。蘇軾はなお潤州［京口］に留まっていて、その会に赴くことができなかったので、詩を和して送ったのである。詩の題にはこのとき劉恕［字は道原］の訪問を受けていたことが記されている。蘇軾は都において劉恕を見送る詩を詠んでいたが［→作品番号03-4-007］、蘇軾が潤州のあたりにいると聞いて会いに来たのだろう。第二首だけを訳す。
【訳文】
其の二
赤い騎兵を先立てた漢代の高官のように、
蘇州知事殿は立派な行列を仕立てて、
火の輪が次々に転がるような燈篭の明かりの中を、
母君に従って練り歩かれた。
美酒を傾けて三夜の月を見て過ごし、
五州の春の中でただ蘇州だけが豊年を祝ったのだった。
私は帰る時期を誤ったために、
場違いの客人とならずにすんだのだが、
どうにかこうにか詩の調子だけは合わせようとしている。
人が去った後には、
耳飾りや簪が多数落ちていたのではなかろうか。
夢の世界のようなその宴を想い見るのである。
【補足】［この詩は華麗な語句を並べて、蘇州で行われた上元の宴を賛美しているようにも見えるのだが、真意はその逆のようである。蘇蘇自身の注で「時に浙西はどこも稲が稔らず燈篭を飾るのをやめた。ただ蘇州だけが盛んであった」と付記されている。つまり、詩ではあたかも蘇州は豊作であったかのように詠まれているのだが、実態としてそのようなことはないのであって、うがちすぎかもしれないが、蘇軾の本心としては苦々しいものがあったので、かえって過剰なまでに華麗な語句で詩を構成したのではないだろうか］
■【04-3-020】書焦山綸長老壁
【解題】潤州［鎮江］にはいわゆる鎮江三山があり、かつてそれらを全て訪ねていが［→作品番号03-4-038以下］、今回は金山に続いて焦山を訪問し、かつて会った老僧［→作品番号03-4-039］と再び会い、その僧の部屋の壁にこの詩を書いた。前回の詩ではその名を挙げていなかったが、ここでは綸長老と記されている。
【訳文】
綸長老はいう――
「愚僧は焦山に住み、その実、いまだかつて焦山に住んだことがない」
私はその意味を問うが、綸長老はそれっきり言葉を発しない。
綸長老に言葉がないのではない、
答えなければいけないとは思っていないのだ。
どういうことなのかというと、
人には頭と足があり、
頭には冠が載り、足には履をはいて、
それらがそのまましっくりしていればどうということもない。
長い長い髭の人は、それでとりたてて苦にする様子はない。
つまりはそういうことなのだろう。
ある人がこういうことをいっていた――
「いつもの寝場所でいつもは安らかに眠っていた。
あるとき帰ってきて、上と下を逆にしてしまい、
一晩中、おさまるところがなくて、
寝返りを打ってばかりで朝になってしまった。
もういらいらして、心を鋏でぶった切りたくなった」
これは俗っぽい話ではあるが、
深い意味があるように思って、
これを糸口に綸長老に重ねて問うと、
ただにこっと笑ったのだった。
【補足】［訳者は、この詩は果たして何をいっているのかさっぱりわからないままに訳したのだが、いったい何がいいたいのかと蘇軾に問えば、やはり笑うだけなのだろう］
■【04-3-021】留別金山宝覚、円通二長老
【解題】二カ月間余り滞在した潤州から去る前に、もう一度金山寺を訪れて、宝覚、円通の二人の長老に別れを告げた詩。宝覚の名は作品番号04-3-013で見ている。
【訳文】
沐浴をし終わり、
東の軒端で髪を乾かす。
これは、敢えて忙しくない風を装っているのだろうか。
短い眠りから醒めると、
頭巾が軽くなったように感じられ、
夕べの風がまことに快い。
茶をすすると、歯から頬に香りが行きわたる。
長江を眺めおろし、
舟を整えて北岸へと渡るのはいつなのだろうか。
民を安んじて済けるのがいまの我が道である。
医薬による治療の方法はもとより私にはないし、
顧みれば、
二人の長老のように風流の世界を往還するところへと、
私が帰る時節はなお遥かな先なのである。
■【04-3-022】減字木蘭花
【解題】「手紙を得て」という添え書きのある詞。誰からの手紙であるのか明示されていないが、詞の内容から、妻の手紙であったと推測されている。
【訳文】
暁来風細。［明け方にひそやかな風が吹いてきました］
不会鵲声来報喜。［喜びごとを報じるという鵲は鳴いてくれません］
却羨寒梅。［羨ましいのは冬の梅］
先覚春風一夜来。［夜の間に春の風がやってきたことを真っ先に知るのですから］
香牋一紙。［香りを籠めた一枚の紙］
写尽回文機上意。［回文に思いのほどを全て写したのです］
欲巻重開。［一度は巻いてまた開きます］
読偏千回与万回。［千回でも一万回でも読み返しましょう］
【補足】［後半にある「回文」の語によって、妻からの手紙がきたと推測されるのである。これは晋の時代の竇滔の妻の蘇氏の故事に基づき、竇滔が遠い砂漠地帯に流されたときに、蘇氏は回文の詩を刺繍した錦を夫のもとに送った。詩は八百四十字にわたって尽きぬ思いを繰り返し繰り返し歌うものであったという］
■【04-3-023】少年游
【解題】「潤州での作、人に代わって遠くに寄せる想いを歌った」とその添え書きがある詞。その通りであるのかもしれないが、上の詞で推測される妻からの手紙への返事であったと解釈する方が正しい可能性が高いのかもしれない。長く杭州を離れ、妻や子のもとに早く帰りたいと思うのが人情で、そのことを素直に歌ったらよいのに、蘇軾には何かしら自負するようなところがあるのか、そのようなことはまず言葉にしない。代作であると敢えて断ることで、妻のことを詞に詠めたのかもしれない。
【訳文】
余杭門外、［杭州の町の門の外］
飛雪似楊花。［あたかも柳絮のように飛んでいた雪］
今年春尽、［もう終わりそうな今年の春］
楊花似雪、［あたかも雪のように飛ぶ柳絮］
猶不見還家。［なおも私は家に還ることができないのです］
対酒捲簾邀明月、［酒に向かい、明るい月を迎え入れようと巻き上げる簾］
風露透窓紗。［しかし窓辺のカーテンを通して入ってきたのは風と夜露］
恰似姮娥憐双燕、［月の女神が愛おしむのは二羽の燕］
分明照、［はっきりと照らし出すのです］
画梁斜。［梁の上の傾いた巣を］
【補足】［（1）蘇軾が杭州を発ったのは去年の10月、そのとき雪が降っていた［→作品番号04-2-096］。この詞の前半はその情景を詠んだものと解釈できるので、杭州にいる妻を想う作品であるとするのはかなり妥当性が高い。（2）後半の第一句目は、李白が、孤独のときには月と自分と影の三者で遊ぶと詩に詠んだことに基づく。それに習おうと月の光を迎え入れたのに、風と夜露が勝手に入りこんできてさらに寂しい気持ちになったと、ここでは歌っている。月の光とカーテンの組み合わせは、杜甫が家族と離れ離れになっていたときに、カーテンを通して注がれる月の光を受ける妻の姿を遠く想って詠んだ詩を連想させるものであるので、妻を想う作品であるとするのはさらに妥当性が高くなる。蘇軾は直接的には妻を歌わずに、月の光が照らし出す燕の巣によって、夫婦の愛を象徴的に表現している］
■【04-3-024】蝶戀花
【解題】これも詞。「京口［潤州］にて郷里からの手紙を得た」との添え書きがある。
【訳文】
雨後春容清更麗。［雨の後の風景はきらめくばかりの美しさ］
祇有離人、［でも、ここに故郷から離れた人がいて］
幽恨終難洗。［ひそやかな恨み心を洗い流せずにいます］
北固山前三面水。［北固山の前は三面の水］
碧瓊梳擁青螺髺。［碧の櫛が青い髷を梳いています］
紙郷書来万里。［万里の彼方からきた郷里の手紙］
問我何年、［私に問うているのは］
真箇成帰計。［本当にいつの年に帰るのですかと］
回首送春拚一酔。［見回せば、春は去ろうとしています］
東風吹破千行涙。［酔ってこぼれる千行の涙を東の風が吹き払ってくれます］
【補足】［前半の最後の句には、長江の流れを櫛に、北固山を女性の髷にたとえたもの。北固山は鎮江三山の一つである］
■【04-3-025】酔落魄
【解題】これも詞。「京口［潤州］を離れるときの作」と添え書きがある。このころから詞がにわかに増えるのは、たまたままとまって作品が残されたのか、何か蘇軾の心境に変化があったのかはわからないが、なよなよとした心情を託すには詞の方が適していると感じて、さまざまな表現を試みていたのではないだろうか。
【訳文】
軽雲微月。［薄い雲にぼんやりとした月］
二更酒醒船初発。［船が発ったばかりで、酒は夜中に醒めてしまいます］
孤城回望蒼煙合。［振り返れば、町は暗い靄の向こう］
公子佳人、［誰やらも彼やらも］
不記帰時節。［いつ帰るのか知らないのです］
巾偏扇墜藤牀滑。［頭巾を傾け、扇を落として、牀に滑り込みます］
覚来幽夢無人説。［夢のなかでも話し相手がいません］
此生飄蕩何時歇。［ふらふらと私はいつまで旅を続けるのでしょうか］
家在西南、［家は西南の彼方にあるのに］
常作東南別。［別れはずっと東南の地です］
【補足】［もう一首、「離別」との添え書きがある詞があって、「旅のうちに清明節も過ぎてしまった」と詠んでいることから、同じころの作と推測されている。蘇軾としては平凡な出来栄えであるので、訳は割愛する］
■【04-3-026】常潤道中、有懐銭塘、寄述古五首
【解題】潤州から南へ常州へと南に向かう道で、しきりに銭塘［杭州］のことが思われ、そのことを詩に詠んで陳襄知事に送った。
【訳文】
其の一
真っ直ぐに道を歩むなら、
人から悪く見られるべき理由は全くない。
だから、貴君は、
西湖と向かい合って二度目の春を迎える幸いを得ているのだろう。
孔子が称賛したように、
春には新たに仕立てた着物を身につけて人々と水辺をそぞろ歩きするのがよろしかろう。
古代の学問所のように、
春には新たに出てきた芹を摘みにきた人々に知事が勉強する姿を見てもらうようにしたらよろしかろう。
年年歳歳、人の容貌が改まり行くことに驚く必要はない。
朝に夕に、それぞれの人にそれぞれに向き合えばよいのだ。
冬至から百六日目に、雨が上がったらならば、
飾りつけた船に乗り、太鼓を合図に西湖に漕ぎ出し、
民衆とともに歓楽を尽くせばなおのことよろしかろう。
【補足】［この第一首は、西湖の春の風光を思いつつ、知事のあるべき理想を歌っているのだろう］
其の二
江南の地に草が生い茂り、鶯が乱れ飛ぶときに、
我が心ばかりは、季節の事物と乖離してしまっている。
花は庭に咲いて、顧みられることなく落ち、
燕は家に入りくるが、そこには誰も帰ってこない。
世上の功名はいつ正しく定まるのか、
酒を酌んで飲む人のうち幾人がしかるべき者であるのか。
思えば、去年の柳絮の飛ぶ時節に、
杭州の人々は金の籠から雪の衣をまとったような鶴を放って、
知事の長寿を祝ったのだった。
【補足】［（1）この第二首は、杭州の春に帰れずにいる自身のことを歌っている。ここで1年前の春の詩［作品番号04-2-008以下］を読み返せば、そのときに蘇軾がどれほど杭州の春を楽しんでいたかがわかるであろう。この年の終わりには3年の任期が切れて杭州を去ることになるので、もしかしたらもう二度と西湖の春を見られないのかもしれないので、それだけにいまなお帰れずにいることがよりいっそう残念でならないのである。（2）結びの部分については、杭州ではそのような習慣があると蘇軾自身が注記している］
其の三
長江に浮かぶ金山からの風を日々に受けている間に、
杭州の湧金門の外ではすでにとろけるようにして春となった。
この二年の間に私は西湖の魚や鳥とすっかり知り合いになり、
三月の鶯と花をそっくり知事に差し上げたく思う。
近ごろ流行の「倒暈」の形に整えた女性の眉を見ても、
西湖と別れたままでいる私の臉の涙を消すことはできない。
「相思」［あなたを思う］の字を詩に織り込んで
北の川べりをさまよう鳥に寄せてくれる人はいないのだろうか。
【補足】［続く第四首は、「多く語を成さず」と古い評があって、意味が汲み取れないので割愛する］
其の五
常州の恵泉山の麓の土は水で潤っている。
常州の陽羨渓のほとりの米は珠よりも輝いている。
私はいま、剣を売って牛を買い、このあたりで年老いるのもよろしかろうかと考えている。
鶏を料理し、黍の飯を炊いたら、貴君は食べにきてくれるだろうか。
土地は辺鄙であるから、
世をときめく方々の訪れは決してないし、
風俗は実につつましいから、
私のような役立たずの儒学者も身を置くことができるであろう。
一生の身の振り方をどうするのかということでさえも、
迂遠な道をたどって決めかねているのだから、
江南のあたりにいつまでもぐずぐず留まっているのも、
どうか怪しく思わずにいてほしい。
【補足】［この第五首では、後々に隠棲する可能性のある場所として常州の恵泉山と陽羨溪の名を挙げているのは、たまたま通過しているところから適当な地名を選んだまでなのだろうが、実際に蘇軾の「一生の身の振り方」［原詩では「経営身計一生迂」［身計を経営すること一生迂なり］と詠まれている］と大きく関わってくるようになる。蘇軾には同じ年に科挙に合格した蒋之奇という人物がいて、科挙に合格した直後に、蒋之奇から出身地の常州宜興県の風光のよろしいことを聞かされ、ならば政界を引退した後に一緒にそこに住もうではないかと、蘇軾は軽口で応じていた。この詩を詠んだときに、そのことを思い出したかどうかはわからないが、陽羨溪は宜興県にある。そして、これより数年後に、宜興県に隠棲することを現実的に可能かどうかを検討することになる］
■【04-3-027】卜算子
【解題】「京口［潤州］から銭塘［杭州］に還る道中で陳襄知事に寄せる」との添え書きがある詞。
【訳文】
蜀客到江南、［蜀からの旅人が来たのは江南の地］
長憶呉山好。［呉山のすばらしさをずっと思い続けています］
呉蜀風流自古同、［呉も蜀も昔から同じように風流の地］
帰去応須早。［どちらにしても早く帰えるのがよいのです］
還与去年人、［去年の人とともに］
共藉西湖草。［西湖の草の上にまた座れるのでしょうか］
莫惜尊前仔細看、［酒の前で互いに子細に見合うのです］
応是容顔老。［また一年、顔はきっと老いているでしょうから］
■【04-3-028】画堂春
【解題】「弟の蘇轍に寄せる」との添え書きがある詞。
【訳文】
柳花飛所麦揺波。［柳の花が飛び行く先で麦の波が揺れています］
暁湖浄、［暁の湖は清らかで］
鑿新磨。［まるで新たに磨き上げたよう］
小舟飛棹去如梭。［小舟が飛ぶようにして去ってゆきます］
斉唱采菱歌。［菱を採る人々の歌声が一斉にあがります］
平野水雲溶漾、［広い野原の上に水を帯びた雲がただよい］
小楼風日晴和。［小さな楼閣に和やかな風が入り込みます］
済南何在暮雲多。［君のいる済南はどこなのでしょうか、夕暮れの多く重なる向こうでしょうか］
帰去奈愁何。［いつか君とともに帰れるのでしょうか］
【補足】［（1）前半は蘇轍がこれまでいた陳州の柳湖［→作品番号03-4-016］の春を、後半は新たに赴任した済南での蘇轍の様子をそれぞれ想って詠んでいる。（2）蘇軾の詩文の制作年代は、多くの人々の綿密な考証によってほぼ確定しているが、詞には不確定のものがかなりある。訳者は基本的に孔凡礼『蘇軾年譜』に依拠しつつ、詞については薛瑞生『東坡詞編年箋證』に拠るところが多い。この詞について前者はこの時期に詠んだとしていて、後者はこれより2年後としている］
■【04-3-029】常州太平寺観牡丹
【解題】4月から5月のころは常州のあたりで過ごし、常州の東門の外にある太平寺で牡丹の花を見てこの詩を詠んだ。
【訳文】
杭州武林山の千葉［牡丹の品種］は、
いましも観空閣に照り映えているであろう。
その花は、別れてから、
五月の風に幾度吹かれたのか。
笑ってしまうのは、
眼がかすむような老人でありながら、
ここ太平寺で鞓紅［牡丹の品種］に向き合っているとは。
■【04-3-030】遊太平寺浄土院観牡丹、中有淡黄一朵、特奇、為作小詩
【解題】同じく常州の太平寺で牡丹を見ての詩。淡い黄色の花が一つあって、とくに印象的であったので、この詩を詠んだ。
【訳文】
酔うと眼の中にまだらにいろいろな色が飛びかい、
あたかも天から曼陀羅花の雨が降るかのよう……
それを受けて咲いているのがここの牡丹なのだろうか。
一つの淡い黄色の花が我が眼をかすめると、
鞓紅も魏紫［どちらも牡丹の品種］ももう見る気が起こらなくなる。
【補足】［様々な牡丹の品種が競って作られていたことがわかる］
■【04-3-031】杭州牡丹開時、僕猶在常、潤、周令作詩見寄、次其韻、復次一首送赴闕
【解題】詩の題は、「杭州で牡丹の花が開くときに、私はなお潤州と常州の間にいた。周邠が詩を作って杭州から寄せてくれたので、それに次韻した。さらにもう一首次韻して周邠が都に行くのを送る詩とする」。この題によれば蘇軾に同行していた周邠［→作品番号04-2-096］は先に杭州に帰っていて、足掛け3年の喪が明けたので次の官職を得るために都に行くことになったのだろう。
【訳文】
其の一
花の時期に背いてしまったので、
いまさら帰るのは羞とすべきだろう。
もう緑陰が成って、実を結ぶときである。
事物に対して情が薄くなったのは、
どうやら老いたせいなのだろうか、
春が過ぎ去ってしまっても惜しむ心がない……
いや、ちがう、貴君の詩を見ればよいからなのだ。
朝の酒に酔う姿に譬えられたことのある牡丹は、
すでに空しく枝が残るだけ。
来年からきっと毎年見るようにしよう、
学問よりも花づくりの名人に学ぶのだ。
其の二
人が生きて、いつ困窮するのか、いつ栄達するのか、定まった時はない。
九月九日の節句に必ず咲く菊のようにはならないのだ。
昔、十年の間、思いを凝らして一篇の賦を作った人がいた。
昔、万戸の領主になるよりも、千首の詩を作ることを重んじるといった人がいた。
一度傷ついた鴻は、天がいくら静かでも翼をおさめたままでいるとか、
一度驚かされた鵲は、月がいくら明るく照っても枝で安らぐことはないとか。
君よ、見るがよい、
六月の大河に水がなければ、
万斛の荷を載せる堂々の船は、
進むのは自ずと遅いのである。
【補足】［この詩は幾つもの故事を並べて、いま都に行って官職を求めるのは、必ずしも周邠のためにならないのではないかと、暗に警告しているようである］
■【04-3-032】銭君倚哀詞
【解題】銭公輔［字は君倚］の死を哀しむ詞。常州滞在中に、銭公輔の子の銭世雄［字は済明］に依頼されて作ったものである。銭公輔は常州の人で、蘇軾より十五歳先輩で、2年前の11月に亡くなっていた。銭公輔とは生前に格別関わりはなかったようで、この哀詞は悲しみを表現する語句を巧みに並べてはあっても、特に胸に迫るようなところはないので、普通なら訳を割愛するところなのだが、息子の銭世雄とは後年深い関わりを持つようになってくるので、ここでその名を挙げておくために、始まりと終わりの部分だけを掲げておく。
【訳文】
大江之南兮、［長江の南］
震沢之北。［震沢［太湖］の北］
吾行四方而無帰兮、［吾が旅は四方に及んで帰えるときはなく］
逝将此焉止息。［果たしてどこで終わるのだろうか］
……
臨大江而長嘆兮、［長江に臨んで長く嘆息する］
吾不済其有命。［私は天命に任せるよりないのか］
■【04-3-033】無錫道中賦水車
【解題】蘇軾は常州から蘇州に向かって南下し、途中の無錫に至り、本来なら梅雨の季節であるのに、雨がずっと降らないために、水路から水を汲み上げて田に灌ぐ水車が動かずに置かれているのを、炎天下に見てこの詩を詠んだ。
【訳文】
太湖のあたりは五月だというのに、
からからに乾いて風とともに砂が飛ぶ。
亀は穴に潜って苦しげにうめき、
道辺に虚しく水車が放置されている。
それが動き出しさえすれば――
鴉が尾をくわえ、鴉が尾をくわえ、
次から次へと、翻翻聯聯と水を汲み上げる板が回る。
ざあっと水を注ぎ終わると、
骨組みだけとなった蛇がとぐろを巻いて、
次から次へと、犖犖確確と回る。
水は翠の浪となって畝ごとに分かれて広がり、
まるで雲の陣が野を走るかのよう。
その水をちくりと刺して見えてくる緑の鍼は、
すなわち稲の芽が抽んでてきたのである。
ああ、天は、大地に泣く老農夫を見ないのか。
どうかして、古の仙人の娘を呼んで、
雷神の車を出動させたいものだ。
■【04-3-034】虎丘寺
【解題】蘇州に至り、郊外の小さな山の上にある虎丘寺でこの詩を詠んだ。遠く春秋時代の呉国の王の闔閭を葬ったところといわれている。この詩は、寺の来歴や景勝を圧縮された語句で叙述していてかなり難解であるので、その大意を取ってごくおおまかに訳す。
【訳文】
門から入るともはや平らな土地はなく、
石の路が細く嶺へと通じている。
谷にはほの暗い風が生じ、
古い木々の蔭が池をおおっている。
呉越の歴史に関わったかの名剣はもはやどこにもないが、
池は剣のように冷たい光を湛え、
鉄花の名のある岩壁は、
蛙黽を怖気づかせる殺気を放っている。
かつて竺道生という僧がここで仏教を説き、
そのころは信じる人はいなかったものの、
石が聞いて頭を垂れたという。
それから百年の後には、
さまざまな人がここを訪れるようになり、
留められた数々の詩はいまも読む者の心を震わせる。
東の軒端からの景色は佳き趣があって、
雲水は千頃にわたって麗しく広がっている。
生きるものたちの和らぐ様子のなかから、
世の冷厳さを破る春ような意が湧いてくるのである。
私はここに来て、今日は何事もなく、
鵲が翻る朝から、鳶が蹲る夕暮れまで、
ことのほか長く感じられる。
新月が溪の上に光を投げかけるときに、
漁師や樵が還ってゆくのを見て、
自ずから楽しむところがあると悟る。
ああ、故郷に帰るのを願うべきであるのだろう。
■【04-3-035】劉孝叔会虎丘、時王規甫斎素祈雨、不至、二首
【解題】虎丘寺では、蘇州知事の王誨［字は規甫］［→作品番号04-2-101］が、劉述［字は孝叔］と蘇軾を引き合わせる段取りになっていたのだが、王誨は雨乞いをするために身を清めなければならなくなってこられなくなった。これはそのことを詠んだ詩。劉述は政界の先輩で、かつて朝廷の御史台にいたときに王安石を弾劾して地方に出され、その後、郷里の湖州に引退していた。なお、王誨が雨乞いしなければいけなかったことからしても、王誨が上元節に燈篭見物を華やかに行ったのはあまり褒められる行為ではなかったことがわかるのである［→作品番号04-3-019］。
【訳文】
其の一
かつて劉公［劉述］が記した弾劾状は、いまなお凜として威光を放ち、
青い山々は、そのころからずっと公に対して穠かな情を寄せている。
鶴の羽のような雲が閑に浮かび、
駱駝の背のような山が草にすっぽりと埋もれている。
跪いて教えを受けることを許してくださるのなら、
公の隣にどうか住まわせていただきたいものである。
そして、公にお尋ねするのは、
かの回先生［伝説の道士である呂洞賓のこと］とはいつお会いになったのですかと。
【補足】［続く第二首は、斎する王誨に贈ったもので、いくつかの故事を引いて再会を期待することを詠んでいるが、訳は割愛する］
■【04-3-036】蘇州閭丘、江君二家、雨中飲酒、二首
【解題】蘇州で、閭丘という人の家で江君とともに酒席に臨んでいると、そこに待望の雨が降ってきた。一同大いに喜び、蘇軾はこの詩を詠んだ。閭丘は姓で、名は孝終で、すでに政界を引退した人物のようである。江君については詳しいことはわからない。降雨を喜ぶ第一首だけを訳す。
其の一
畑の上を暗くして、
どこもかしこも降り注ぐのは塵ばかり。
四角い塘の内で何やらさやさやと波紋が生じ始めた。
歌妓が袖を翻して雨を祈って舞う。
その歌声に聞き惚れて、
雨雲よ、飛ぶ勢いを失わないでほしい。
美しい女性の前で酒を辞退しようとは思わないが、
今宵ばかりはしらふでいて、
文字をきちんと並べて皆さんにお見せしたい――
石段にぱらぱらと落ちてくる雨音を聞く心持ちはいかにと。
■【04-3-037】次韻沈長官三首
【解題】沈長官の詩に次韻した。沈長官については詳しいことはわらない。
【訳文】
其の一
故郷の山はどこにあるのか。
我らは二人ともそれを忘れてしまっているが、
会って盃を交わそうとの約束を違えることはない。
杜甫は李白に会ったときに、
どうしてそれほどまでに痩せたのかと問われて、
苦吟したせいだと答えたというが、
貴君はどうやら硬い麦の糠を食べても太る性質であるのだろう。
其の二
息子が結婚して、娘が間もなく嫁ぐのなら、
累は尽きて身は軽くなるのだから、
退隠の志に違えることはないのだろう。
山中では肉など食らわなくても、
体中に精気が溢れて自ずと肥えると聞いている。
其の三
造物者は、私が帰ることを思い続けているのを知っているのだろう。
ちゃんと老い衰えて病むようにしてくれている。
しかも、震沢［太湖］には風が来て、帆がいっぱいに膨らみ、
松江［太湖に注ぐ川］には雨が入って、水がいよいよ満ちてきているのだ。
■【04-3-038】戯書呉江三賢画像
【解題】呉江県で范蠡、張翰、陸亀蒙の三人の賢者の画像を見て、戯れに詩を書き添えた。これらの詩を読み味わうにはそれぞれの人物とその時代に背景について知っている必要があるので、煩わしさを避けて第二首だけを読んでおこう。張翰は南北朝時代の晋朝の人で、朝廷に招かれて高位に就いたが、あるとき秋風が立つのを見て、故郷の呉中の菰菜のスープと鱸魚の刺身の味を思い出し、「人の生き方として、志に適うのを貴ぶ。それができなくて、千里の彼方にまできて地位を得ようとしたところで何もならない」といって、官職を棄てて帰郷した。張翰は故郷の味のなつかしさに引かれて帰ると宣言したのだが、実は中央政界が間もなく乱れることを予感しての振る舞いであった。
其の二 張翰
浮き世において人が功を求めて力を労するのも、
つまるところは、食べることと眠ることのためである。
張翰はまことに水中の仙人というべき人であった。
機を知ること早くあるべきだなどともっともらしく説いたりしないで、
実に賢いことに、
ただ鱸魚のために帰るといったのだった。
■【04-3-039】過永楽文長老已卒
【解題】秀州の永楽に至ると、文長老［→作品番号04-2-097］がすでに亡くなったと聞き、この詩を詠んだ。
【訳文】
最初は、痩せた鶴の姿に驚かされ、
二度目は、語を発せられず、
三度目は、雲は帰り去ってもはや尋ねるところがない。
その門を三度過る間に、
老、病、死の三つを経て、
指を一回弾くような短い間に、
去、来、今の三つを通り過ぎたのだ。
文長老は、存するも亡じるも見慣れて、
何に対しても涙を流すことはなかったであろう。
私は、家郷を同じくする者として懐かしさを忘れることができず、
その姿がいまも心にあり続けている。
唐の世に、李源は洛陽の僧円沢と親しくしていた――
ある日、円沢は水辺にいる女性を指していった。
「愚僧はあの女の息子として生まれることになっている。
十二年後にまた会おう」
円沢はその日の暮れ方に亡くなり、
十二年後の中秋の日に、
李源は葛洪川の畔で、牛の角をたたいて歌う牧童に出会った。
それが円沢であった。
ああ、これより杭州に帰る私は、
どの川で牧童を捜したらよいのだろうか。
■【04-3-040】安平泉
【解題】蘇軾は杭州まであと一歩の臨平［→作品番号04-2-096］に戻り、安平泉でこの詩を詠んだ。
【訳文】
杖を手にゆるゆるとこの山を歩み、
雲を撥ねのけ、径の奥へと進むと、
ますます興がふわふわと湧いてくる。
地を鑿って泉を開いたのはいつの時代だったのか。
種を植えて菱の花が咲くようになってからの年もわからない。
この地で丹薬を煉った人は仙人になったという。
泉の水を汲んで茶を烹る僧は、
雪のような白い泡が浮かぶのを誇らしげに見せてくれる。
唐代の陸羽は茶によい水を天下からくまなく求めたのだが、
なぜか安平泉は漏らしてしまったのだ。
■【04-3-041】贈張刁二老
【解題】一連の長い出張を終えて杭州に帰る直前に、湖州の張先［→作品番号04-2-086など］と潤州の刁約［→作品番号04-3-004など］の2人の大老人にこの詩を贈った。
【訳文】
潤州、湖州の両邦の山水はいま華やいでいる、
二人の老風流人が何しろまだまだ強健であるからだ。
ともに合わせて一百七十歳！
おこおのこれまでに飲んだ酒は三万六千杯！
潤州の蔵春の塢のあたりでは、いつでも鶯が鳴いて花が咲き乱れ、
湖州の仁寿の橋のほとりでは、いつものどかに一日一日が長い。
ただ二人とも身を削るばかりに詩に熱中しているので、
家の中の女性は寂しい時を過ごしていなければならない。
■【04-3-042】去年秋、偶遊宝山上方。入一小院、闃然無人。有一僧、隠几低頭読書。与之語、漠然不甚対。問其隣之僧、曰、此雲闍黎也、不出十五年矣。今年六月、自常、潤還復至其室、則死葬数月矣。作詩題其壁。
【解題】蘇軾は5月の末ないし6月の初めに杭州に戻った。杭州では幾つかの変化が待っていた。一つは陳襄知事が他所に移ることになり、杭州を離れる日がすでに迫っていた。もう一つはこの詩の題に示されている。「去年の秋にたまたま宝山に遊ぶと、小さな僧房があり、無人のようであったが、机にもたれて一人の僧が書物を読んでいた。声を掛けると、もごもごとはっきりとした返事がなかった。隣の僧に聞くと『雲闍黎といいまして、外に出なくなってもう十五年です』とのこと。私は常州、潤州から還って六月にまたその僧房に行くと、もう雲闍黎は葬られて数カ月になるという。それでこの詩を壁に記した」。宝山については作品番号04-2-042などで見ている。
【訳文】
雲師は宝山にひとたび住んでより、十五の秋を過ごした。
いつも戸を閉ざして書物を読み、人がきても頭を挙げることがなかった。
私は去年その堂に至り、静かに傍らに坐してみたところ、
百の憂いをすっかり忘れることができた。
私はこれといって教えを請うこともなく、雲師も応じることがなかった。
今また門を叩くと、部屋はからっぽで、あるのは隙間風の音だけ。
聞けば、雲師はすでに亡くなり、ここに残る物は何もない。
薪が尽きれば火は留まらない。
しかし、私はかえって疑う――
雲師はずっとここにいたのか、それともいなかったのか……
遭遇するところのもので、夢でないものはないのではないのか……
事はただ過ぎ行くばかり、
私は何を求めるのか。
■【04-3-043】与李公沢
【解題】李常［字は公沢］に与えた手紙。李常の名は作品番号03-3-022で見ている。李常は初めは王安石とよい関係にあって朝廷の要職に就いていたが、新法を批判して地方に出され、この3月に湖州知事に任命された。この手紙を書いた時点ではまだ湖州に着任していなかった。
【訳文】
私はすでに任期が満ちたところです。蘇明君が後任として来てくれることになっていましたが、近頃聞いたところでは、蘇明君は朝廷の御史台の一員として任命されたとのことで、私がいつ交替するのかはわかりません。……［以下、湖州の人々が李常が赴任してくるのを待ち望んでいることなどを述べる］……私はまだ交替がこないので、西湖の秋をさらにもう一度過ごすことができます。それもまた好い事なのでありましょう。これほどの景色から去ってどこに行くべきでしょうか。着る衣と食べる飯があるところなら、どこであれ行ってそこに住むべきなのでしょう。ただ、弟と遠くなってしまっていることが残念であります。それでもしばしば手紙にきますので、それもまた好いことであります。
■【04-3-044】鵲橋仙
【解題】「七夕に陳舜兪［字は令挙］を送る」との添え書きがある詞。陳舜兪は湖州の人で、科挙の特別試験の制科にも合格したエリートで、改革に反対したために遠く南方に左遷され、そこから郷里に帰る途中で杭州に立ち寄ったのだろう。詞の曲名の『鵲橋仙』は、天の川に鵲が連なって橋を掛けるとの伝説からきていて、『鵲橋仙』は珍しく曲名と内容が一致して、織女と牽牛の情愛を主題に詠むのが通例であった。蘇軾はそれを少しひねって送別の詞としている。
【訳文】
緱山仙子、［緱山に帰ってきた仙人は］
高情雲渺、［情は高く雲の向こうにあって］
不学癡牛騃女。［牽牛や織女の痴情とは、関わるところがありません］
鳳簫声断月明中、［月明かりの中で簫の音が終わると］
挙手謝、［手を挙げて別れを告げ］
時人欲去。［人々のもとから去っていったのでした］
客槎曽犯、［これまで旅の槎は］
銀河波浪、［銀河の波にもまれましたし］
尚帯天風海雨。［なおも雨と風にさらされています］
相逢一酔是前縁、［あなたと逢って一酔をともにするのは何の縁によるのでしょうか］
風雨散、［雨も風も止んだときに］
飄然何処。［あなたは飄然とどこに行くのでしょう］
【補足】［（1）前半は、王子喬という仙人の伝説に基づく。王子喬は周王の太子であったが、あるとき山で道士と逢って姿を消し、三十年後に鶴に乗って緱山の頂の上に現れた。人々は地上へと招いたのだが、王子喬は手を挙げて去って行った。ここでは、遠い地から帰ってきた陳舜兪を王子喬に譬えている。（2）後半にある「銀河の波浪」はもちろん当時を政界の厳しさを歌ったものである］
■【04-3-045】虞美人
【解題】「有美堂で陳襄を送る」との添え書きがある詞。有美堂は鳳凰山の上にあった建物［→作品番号04-2-002］で、陳襄知事の送別の宴がそこで催されたのである。陳知事の送別会は7月中旬から幾度となく繰り返し開かれたようで蘇軾はそのたびに詞を作っている。
【訳文】
湖山信是東南美。［東南第一の美はまことにこの湖と山］
一望弥千里。［一望するところは千里］
使君能得幾回来。［知事がここにこられるのはあと何回か］
便使尊前醉倒、［酒樽の前で酔い尽くして］
且徘徊。［しばし歩きまわりましょう］
沙河塘裏燈初上。［繁華街にいま上ったばかりの灯］
水調誰家唱。［どの家で歌うのかこの『水調』の歌］
夜闌風静欲帰時。［更け行く夜、静かな風、いま帰ろうとするとき］
惟有一江明月、［ただあるのは、川いっばいに明るい月が］
碧琉璃。［青いガラスの光を流しているだけ］
【補足】［（1）後半にある「水調」とは、大運河を造らせた隋の煬帝が、その大運河に豪華な船を浮かべて南方に行幸したときに作らせた曲。船を漕ぐ人々の労働歌をもとに作曲された哀切窮まりない曲である。（2）陳襄が去る一方で、新しい知事として楊絵が赴任することが決まった。蘇軾は楊絵と面識があり［→作品番号04-2-092］、たぶん蘇軾の発案なのだろう、杭州の妓女たちがわざわざ蘇州まで楊絵を迎えに行った。その折に、蘇軾が託して蘇州知事の王誨［→作品番号04-3-035］に寄せた詞があるが、内輪の戯れの作であるので訳は割愛する］
■【04-3-046】聴僧昭素琴
【解題】昭素という僧の琴を聴いての詩。
【訳文】
全ての音が完全に調和する「至和」のときに、
爪を特にどうこう操作することはなく、
全ての音が完全に平らになる「至平」のときに、
指の力を特にどうこう加減することはない。
「至和」「至平」の微妙の声は一体どこから出てくるのか。
それはわからなくても、
私の安定しない気を散じてくれるし、
私の調和しない心を洗ってもくれる。
音楽とは、何かわからないものがもとにあって、
それによって心が動くことで生じるという。
琴の音とともに私が静かに吟じていることから察するに、
私にも確かに心があるのだろう。
【補足】［「心」という語が出てきているが、宋代の人々がどのように「心」を捉えていたのか、なかなか難しい問題である。「気」［物質＋エネルギー］と「心」はどのような関係にあるのか。「気」が安定していないと心は調和しない。作品番号04-3-042の詩にあった「薪が尽きれば火は留まらない」の譬えは、薪は「気」を、火は「心」を表すと理解することもできようか］
■【04-3-047】僧恵勤初罷僧職
【解題】蘇軾が出張している間に、孤山の恵勤［→作品番号04-1-001など］が僧職を罷めるという変化もあった。僧職は国から授かる職務で、それを罷めからといって仏教から離れるわけではない。
【訳文】
青い田の上を高く舞う鶴も、
実は鬱々として籠の中にいる鳥と変わらないのかも知れない。
つまるところ、物に束縛されているということでは、
私のような者と同じなのであろう。
恵勤師は僧職から去り、
万事は空であると一笑する。
新たに生まれる詩は、
洗い出したように外の垢を受けることがない。
清らかな風が恵勤師の身の内に入って、
松を鳴らす風と同じようにして言葉が出てくるのである。
髭は長く白く、骨ばかりが目立つ身体で、
何も食べずにいて午後の鐘を聴く。
「詩が人を困窮させるのではない。
困窮して後に人は詩に巧みになるのである」
恵勤師を見ればこの語はまさにその通りだとわかる。
私はこの語を欧陽公に聞き、
恵勤師が賢であることもまた欧陽公に聞いたのだった。
【補足】［（1）僧もまた僧職に束縛される身であったのだろうか。先に文長老が病気で禅院を去った［→作品番号04-2-097］のと思い合せると、最終的には何もかも捨てるのが僧の願いであったのだろう。（2）この詩の後半は、何もない窮乏状態に身を置いてこそ真に清らかな詩が詠めるということをいっている。「詩が人を困窮……」とは、欧陽脩が梅堯臣の詩集に寄せた序文の中にある有名なセリフ。梅堯臣は作品番号01-2-016などで見ているように蘇軾の大先輩にして恩人である。（3）恵勤が古くから欧陽脩と交流があったことは作品番号03-4-026で見ている］
■【04-3-048】遊霊隠高峰塔
【解題】霊隠寺の裏の山にある高峰塔で詠んだ詩。霊隠寺は作品番号04-1-006などですでに見ている。
【訳文】
私は、高峰塔に遊ぼうと、
夜明け前に寝床の中で食事をすませ、
野人のような身ごしらえをした。
火を放つばかりの雲の勢いは秋になっても衰えなかったのだが、
今朝になって初めて涼しさを覚えるようになった。
暗く霧に埋もれていた谷から、
日が出るとともに草木の香りが上ってくる。
嬉しいことに私と一緒にきてくれたのは、
長らく雲水の郷にあるのをよしとしている人々だ。
足を挙げて進むことを促し合って行くのだが、
前路は高く、しかも遠い。
竜のようにねじ曲がった古い松に取りついてよじ登ったり、
牛や羊のような不思議な形をした岩に座って休んだりする。
だんだんと鐘や磬の音が近くなり、
鳥たちは我等の下を飛ぶようになる。
山門から入ると、
有も無もなく、雲の海が茫茫と広がっている。
耳の聞こえない道人がいて、
老いに病んで時に食べるものもない様子で、
年齢を問うと、
穴の開いた筵を敷いた寝床を指すだけ。
再びここにくることはないだろうと心に知って、
帰ろうとしてさらにまたあたりを歩き見る。
「今歳は早くから霜が降るかもしれませんな」
と、別れに際に病僧に一枚の布を贈ったのだった。
【補足】［ここまでの三首は一連の作で、恵勤や昭素とともに高峰塔に登ったのだろうと推測されている］
■【04-3-049】訴衷情
【解題】「陳襄を送って楊絵を迎える」との添え書きのある詞。送別の宴を繰り返しながら陳襄がなおも杭州に留まっていたのは、新知事の楊絵が到着するのを待っていたのかもしれない。このころの地方官の交替は割とのんびりとしたところがあって、辞令が出てから実際に任地に赴くまでにかなりの日数を要しても構わなかったようだ。蘇軾が副知事として杭州に赴くときも、弟のところに長い間身を寄せていた。この詞は内容からすると、楊絵が間もなく杭州に到着するときの作品であるようだ。
【訳文】
銭塘風景古来奇。［銭塘［杭州］の風景は昔から奇れているとされてきました］
太守例能詩。［知事になるのは詩が上手に詠める人と決まっています］
先駆負駑何在、［新知事をお迎えする先駆けはどこにまで行ったのでしょうか］
心已浙江西。［杭州の人々の心は浙江［銭塘江］の西にもうあるのです］
花尽後、［花が尽きた後］
葉飛時。［葉が飛ぶとき］
雨淒淒。［雨がしとしと降っています］
若為情緒、［雨は思いをこめて］
更問新官、［新知事に挨拶をして］
向旧官啼。［旧知事に向かって泣いているのです］
■【04-3-050】仏日浄慧寺題名
【解題】陳襄知事の送別会が仏日浄慧寺で催された記録があるので見ておこう。
【訳文】
祖志入山の十三日、陳襄が南都に赴くために、孫奕、逹原、林希を連れて蘇軾がここで別れの会を行った。
煕寧七年八月十三日
【補足】［（1）冒頭にある「祖志入山の十三日」は意味不明だという。（2）南都とあるのは南京応天府のことで、首都に準じる重要な都市。陳襄はそこの府知事として赴任するのである。次に杭州知事となる楊絵はそれまで南京応天府の知事を勤めていたので、2人は全くの入れ替え人事であった。（3）孫奕の名は作品番号04-2-022で、林希の名は作品番号04-1-008で見ている。林希はこのころに杭州に赴任したようである。達原は誰かの字であろうが、不詳］
【解題】「孤山の竹閣で陳襄知事を送る」との添え書きがある詞。孤山の竹閣は作品番号04-2-060で見ている。これは知事との別れを悲しむ妓女に代わって歌うという体裁で作られているようである。
【訳文】
翠娥羞黛怯人看。［人に見られるのを怯える美しい眉、恥じらいを含んだ目］
掩霜紈。［顔を覆う白い扇］
涙偸弾。［ひそかにぬぐう涙］
且尽一尊、［飲み尽くしてくださいこのひと樽］
收涙聴陽関。［涙をおさめて聴いてくださいこの送別の曲］
漫道帝城天様遠、［行かれる先は天のように遠いところとか］
天易見、［でも天は簡単に見られるのに］
見君難。［知事様を見るのはもう難しいのです］
画堂新締近孤山。［孤山の竹閣の隣に新たに構えた画堂］
曲闌干。［曲がる欄干］
為誰安。［でも誰のためのもの］
飛絮落花、［飛ぶ柳絮に落ちる花］
春色属明年。［春の色はもはや来年のもの］
欲棹小舟尋旧事、［そのときに今日のことを尋ねようとして棹さす小舟］
無処問、［どこを問えばよいのでしょう］
水連天。［ただ水が天に連なるばかりなのです］
■【04-3-052】南郷子
【解題】8月中旬、いよいよ陳襄知事は杭州を去り、蘇軾は一緒に臨平山まで行き、そこでさらに送別の宴を開いて、「南郷子」の曲で送別の詞を詠んだ。詞中にある「亭亭」は高く真っ直ぐにのびるさまを、「熒熒」はきらきら輝くありさまを表すオノマトペ。楽曲に乗せて歌われるとき、その音が効果を発揮したのであろう。なお、陳知事を見送る詞はさらに3首残されていて、様々な曲調に合わせて離別の情を歌い上げた腕前は人々を驚嘆させたに違いないが、あまりにも煩瑣になるので訳は割愛する。
【訳文】
不見居人只見城。［住む人までは見えずに、見えるのは町］
誰似臨平山上塔、［誰が似るのでしょうか、臨平山の上の塔が］
亭亭。［亭亭と聳えて］
迎客西来送客行。［西からくる人を迎え、そして行く人を見送るのに］
帰路晩風清。［私が帰る道に清らかに吹く夕べの風］
一枕初寒夢不成。［枕辺に初めて寒さを感じて、結ばれぬ夢］
今夜残燈斜照処、［今夜、灯が消えかかって］
熒熒。［熒熒と瞬くところで］
秋雨晴時涙不晴。［秋の雨は晴れても涙は晴れないのです］
【補足】［前半は別れの場でのこと、後半は別れた後でのことを歌っている］
■【04-3-053】八月十七日、天竺山送桂花、分贈元素
【解題】詩の題は、「八月十七日に天竺山から桂花が送られてきたので、それを分けて楊絵［字は元素］に贈った」。花にこの詩を添えたのである。桂の木は月の世界にあるとされ、天竺山の桂花は八月十五日に月から落ちてきたものだといわれていた。さらに、天竺山は天竺から飛んできたという伝説もある。
【訳文】
月が欠け始め、霜が濃かに降って、
桂の花の細い蘂が乾く。
この花はもとは月の仙界にあったもの、
月の桂の木から実が落ちたのはいつ夜だったのか、
月の桂の木に枝だけが残っていて昔のことを憶えているのである。
破れた衣を身にまとう山の僧は、
谷の水に清らかな美しさを映す女性のようなこの花には無頓着なのだろう。
どうか公はこの花を衣に挟み込んで、
花の芳しさを山だけのものに終わらせないようにしていただきたい。
■【04-3-054】南郷子
【解題】楊絵［字は元素］は前知事と同様に蘇軾のよき理解者であったようで、特に楊絵自身も詞を得意としていたことから、二人は多数の詞を詠み合うようになった。これは梅を主題に詠んだ楊絵の詞に和したもの。詞は楽曲に合わせて歌うという性格上、言葉のイメージ喚起力を重視し、この作品では、梅の花とは直接いわずに、梅のイメージを呼び起こすような言葉を並べて歌い上げている。
【訳文】
寒雀満疏籬、［まばらな垣根にたくさんの冬の雀］
争抱寒柯看玉蕤。［葉のない枝で場所を争って雀が見ようとするのは垂れ下がる花の姿］
忽見客来花下坐、［たちまち現れたのは花の下に座った客人たち］
驚飛、［雀は驚いて飛んで］
踏散芳英落酒卮。［踏み散らかした花びらを杯に落とすのです］
痛飲又能詩、［とにかく飲んでは詠む詩］
座客無氈酔不知。［毛氈がないのも気にかけないほどに酔った客人］
花謝酒闌春到也、［酒闌にして春も盛りとなって落ちる花］
離離。［はらはらと］
一点微酸已著枝。［小さな酸っぱいものが一つもう枝についています］
■【04-3-055】海会寺清心堂
【解題】旱魃と蝗害はセットで起こることが多く、都の東方で猛威をふるっていた蝗［→作品番号04-2-096の補足］が杭州の西方にも飛来してきた。蘇軾は急遽被災地に向い、どうにかして蝗を退散させようと奮闘したのだが、当時の技術は蝗害にはほぼ無力であった。走り回る途中で、1年ほど前に立ち寄った海会寺［→作品番号04-2-071］の清心堂でしばしの休息をした。
【訳文】
荘子はいう――
南郭子綦はある日不意に我を喪ったと。
仏説にいう――
達磨は九年壁に面して心を求めたと。
いずれが清、いずれが濁とここで判断することはできない。
人はそれぞれ自らを観て、
浅く得るなり、深く得るなり、
そうすることしかできない。
ここ二年ほどしきりに巡視の公務に追われ、
雪や霜のように冷え冷えとした長いこの渓にまた踏み入ることになった。
ひたすら忙しくしてはきたものの、
我が人生に補う何ほどのものがあったのだろうか。
清心堂の戸を閉ざして高人が吟じる声に、
まことに恥じ入るばかりだ。
【補足】［蘇軾が最初に学んだ寺子屋は道教の寺院内にあり、8歳の頃から道教の経典に触れ、老子や荘子の思想に早くから親しみ、仏教を理解するに当たって老子や荘子を媒介項とする傾向が強くあった。この詩にはその傾向がよく現れている。蘇軾は優れた洞察力と鋭い直観力によって、儒教、道教、仏教の三教を自身の内で融合させて行ったのだった］
■【04-3-056】跋蔡君謨書海会寺記
【解題】蘇軾は海会寺で蔡襄［字は君謨］が書いた『海会寺記』を見てこの跋文を添えた。
【訳文】
蔡襄がこれを書いたのは二十八歳のときであった。その三十二年後は熙寧甲寅に当たり、蘇軾は杭州から臨安にきてこれを借りて観た。
蔡襄が亡くなってすでに六年である。『記』に記されている明師はいまは齢七十四で、耳はますます聡く、目はますます明らかで、寺はますます立派である。『記』には、竹林橋から見る夕暮れの山は感嘆するに足る景色であると書かれている。師に従って竹林橋からの暮山を見ようと思う。ここはまさに人間世界の中の絶勝の地であることを『記』から馳せ想うのである。
【補足】［いま残されている『海会寺記』には、火災に遭って灰塵に帰してしまった海会寺を、有朋という僧が奮闘して再興したと記されている。その有朋が跋文にある明師であるのだろう。「朋」と「明」とは字形がよく似ていて、どちらかが誤って筆写されたのだろう。なお、蘇軾は、蔡襄が宋代第一の書家であると高く評価していることを後に見るようになる］
■【04-3-057】捕蝗至浮雲嶺、山行疲苶、有懐子由弟二首
【解題】蘇軾は蝗の被害の出たところを駆けまわり、浮雲嶺への上りの道で疲労困憊し、弟を想ってこの詩を詠んだ。
【訳文】
其の一
西から煙の壁のようなものがきて大空を塞いでしまうと、
秋の稲田へと、雨よりも激しく蝗が降り注ぐ。
どうして蝗はこれほどまでに増えたのか。
朝廷は新しい法を定め、清く正しい政治をしているのだから、
天が咎めるようなことは決してないはずだ。
思うに、この僕が余りにもろくでもないので、
この事態を招いてしまったに相違ない。
ここでこのような困窮に僕が陥っていても、
烏に馬鹿にされるだけで、
君を想ってこの詩を書いたところで、
犬にでも届けてもらわねばならない。
もう笑うしかないさ――
僕は何をしてもこのように迂闊なのだ。
それでも、とにかく蝗は掴まえなければと思い続けている。
【補足】［（1）当時は、基本的に蝗を見つけては叩き潰す以外に対策はなく、労力の割にはあまり実効性は上がらなかった。蝗を追いかけまわして疲労困憊するのも当然であった。このときの蝗の被害がどのようなものであったのかは、次の章で蘇軾が朝廷に報告した文章で見ることになる。（2）犬が手紙を届けることにはついては、有名な伝説があった。晋の時代の陸機という人が、不穏な情勢のなかで都にいて、家との音信が長く通じないので、「おまえが手紙を届けてくれでもしたならな」と、笑いながら犬に語りかけると、黄犬という名のその犬は、竹筒に入れた手紙を首に下げて、郷里の家まで走って、さらに返事を持って帰ったのだった］
其の二
涼しい風が吹いてきてそろそろ重陽の節句になる。
渓のあたりでは野の菊が黄色の鮮やかさを増している。
岩がごろごろころがる山道を歩くのは疲れ過ぎる――
いっそもう止めてしまおうか。
そうだ、村の酒に酔い、足をもつれさせて舞ったりするのはどうだろうか。
ひとり林の下で眠ったら、よい夢が見られることだろう。
見回せば人間世界には憂患ばかりだ。
昔ある人は、公務の煩雑さに倦み、
乗る車を壊し、曳く馬を殺して、姿をくらましてしまった。
僕もそうしたい気分だ。
君がもし探しにきてくれても、
とっくに行方知れずということになっているだろう。
■【04-3-058】牛嶺高絶処、有小寺、人跡罕
【解題】蘇軾は詩の中では職務放棄を夢想したものの、蝗と闘い続け、青牛嶺を越えた。人がめったにくることのない一番高いところに小さな寺があり、息抜きにこの詩を壁に書いた。
【訳文】
昨日の夕暮れは、
川のほとりで馬を走らせていた。
十里にわたって炉辺の煙が夕餉の匂いを漂わせていた。
今朝は青牛嶺へと杖を突いて登った。
冷たい水の流れる音だけがして千山は静まり返っている。
この寺にきて、いくら呼んでも返事がない。
老僧の耳が遠いのを気の毒がるまでもないだろう。
人は生きても百年、いずれ同じような身になるのだ。
明日はまた町に戻るであろうから、
この詩は雲の湧き立つなかにあるということになる。
■【04-3-059】新城陳氏園、次晁補之韻
【解題】蘇軾は新城県に至り、陳氏の庭園を訪れた。そこへ県知事の晁端友［→作品番号04-2-017］の息子の晁補之［字は無咎］がきて詩を見せたので、それに次韻した。晁補之はこのとき17歳で、蘇軾に詩文の才能を見出されたことで名を知られるようになり、5年後に科挙に合格し、後に蘇軾の高弟として「蘇門四学士」の一人に数えられるまでになった。
【訳文】
陳氏の庭園は荒涼として荒れ果て、
秋の花が夕暮れにか細げに咲いている。
町がすでに僻遠の山中にある上に、
町からもさらに遠いここへと、
私は何のためにきたのだろう。
ぶらぶらと歩いて、
雲のかかる峰を眺めているのである。
昔、詩作に苦しんで酒樽を明けてしまった人がいたが、
ここには苦吟する人などはいないのだから、
樽に酒が満たされているのは誰のためなのだろうか。
【補足】［終わりの部分は晁補之がすらすらと詩を詠むことを褒めたものであろう］
■【04-3-060】梅聖兪詩集中有毛長官者、今於潜令国華也。聖兪没十五年、而君猶為令、捕蝗至其邑、作詩戯之
【解題】蝗を捕えつつ於潜に至り、長官の毛国華に会って話をすると、梅堯臣［字は聖兪］の詩集にある毛長官というのが毛国華その人であると知れ、戯れにこの詩を作った。梅堯臣は亡くなってすでに15年、毛国華は以前と変わらずに小さな町の地方官として勤めているのだった。この詩で「詩翁」といっているのは梅堯臣のことである。なお、蘇軾より34歳年長だった梅堯臣は、張先や刁約［→作品番号04-3-041など］とも交流があった。
【訳文】
詩翁は低い官位のままに老い、
馬に食わせる秣代程度の俸給しかもらえず、
渋い顔で妻に向かっていった。
「所詮、鯉のような出世魚と異なって、
僕などは藁で貫かれる目刺しの身なのだよ」
毛長官はいまも同じ地位のままで白髪頭となり、
退庁時の太鼓が鳴っても居眠りをしていて、
朋友がつまらぬ出世をするのを笑っているのだが、
当人はまわりから、土の牛に乗っているような鈍くさい男だといわれている。
私が思うに、毛長官は、
唐代の高適のように、
小さな町を治める長官であり続けるのがよくて、
唐代の孟浩然のように、
都に呼ばれはしても皇帝を怒らせて山に追い返されたのでは何もならない。
私は官職にありつき、このところの年回りの悪さのために、
空を暗くして飛びくる蝗に遭遇してしまった。
昔、漢の時代に卓茂が県知事であったときに、
周囲の県はどこも蝗の害に遭ったけれども、
清官の誉れ高い卓茂の県には蝗も遠慮して入らなかったという。
見れば、毛長官の治める町では稲がみごとに稔っているではないか。
されば蝗は毛長官の人柄がわかっているのだ。
ところが人間はかえってそれを知らずにいて、
毛長官を長く地方の町に埋もれさせているのである。
【補足】［蘇軾の詩文を見ると、上に媚びず、不遇の者に温かいことがよくわかる］
■【04-3-061】与毛令方尉遊西菩提寺二首
【解題】上に見た毛長官と、方君武とともに於潜の西菩提寺に遊んだ詩。方君武はこの地の役人である。
其の一
ぐずぐずと官より去らずにすでに三年、
魚も鳥も私がいつまでも頑なであるのを笑っているのだろう。
私が江北の路をとって帰って行こうとしないので、
ならばと、天は浙西の山をことごとく見させようとしたのだろう。
昔むかしの毛玠は高位にあっても粗衣粗食で清らかな節を守り、
昔むかしの方干は水石の間で風流に遊んで官に就かなかった。
現代の毛玠、方干ともいうべきお二人と逢ってこうして笑い合うのは、
なかなか得られることではない。
だから、この詩はたわごとのような出来栄えであっても、
このまま削らずにおいてほしい。
【補足】［（1）「江北の路」とは長江の北の路。都は長江の北にあり、蘇軾の故郷は長江の遥か上流にある。（2）「浙西の山」とは、浙江［銭塘江］の西の山々で、いま巡っているところなどを指すのだろう。（2）この詩では、毛国華と方君武を同姓の毛玠と方干になぞらえているのだが、記憶力抜群の蘇軾は、このような技巧を即興で披露して相手を楽しませるのを得意とした］
其の二
路は山の腰のあたりで転回するのだが、
我が足はまだまだそこに至らない。
清らかな水によって岩は削られて痩せ細り、
それだけで奇勝というべきである上に、
昼には、東山と西山の二つの山のそれぞれに白い雲が乗って、
どちらが東やら西やら迷い、
夜には、清涼池と名月池の二つの池に月影が宿されて、
どちらが上やら下やらわからないのである。
黒い黍と黄色い粱が熟し始めたいまこの時、
朱い蜜柑と緑の橘が半ば甘くなったいまこの時、
こうした楽しみは天が人の世に与えてくれたものであって、
若輩者が知ってしまうのは早過ぎるのだ。
■【04-3-062】阿弥陀仏頌
【解題】蝗に対していかに力を尽くしても効果は薄く、結局はどこかに飛び去るか、季節とともに勢いが衰えるのを待つしかなく、甚大な被害がその後に残されたのだった。蘇軾は8月末ないし9月初めに杭州に帰還し、間もなく朝廷から蘇軾を密州知事に任命するとの辞令が届いた。密州に赴くときの詩文を見る前に、杭州副知事時代の作品であることが明らかではあっても、詳しい時期が不明なものを幾つか読んでおこう。最初に見るのは、母の遺品を売って阿弥陀像を画いて寺に寄付したことを記した文章。母の程氏は阿弥陀仏を信仰していたようである。
【訳文】
銭塘の円照律師は、西方極楽世界の阿弥陀仏に帰命することを普く人々に勧めている。眉山の蘇軾は亡き母、蜀郡太君程氏が遺した簪と珥を敬って喜捨し、画工の胡錫に頼んで彩色の仏像を画いて、父母の冥福を祈るものである。謹んで再拜稽首してこの頌歌を献じる。
【補足】［（1）円照は元照と書かれることもある当時有名な高僧。（2）この短い序文の後に、阿弥陀仏の頌歌が続くが、阿弥陀信仰の知識がない訳者には手に余るので割愛する］
■【04-3-063】服生薑法
【解題】薑［生姜］の効用について記した短文。
【訳文】
杭州の副知事であったときに、浄慈寺に遊ぶと、衆人のなかに僧号を聡薬王をいう者がいて、歳は八十余り、顔色は朱い砂のようにてかてかとしていて、目が光り輝いていた。智縁［当時有名な医者の僧］のように脈をよく診る者なのだろうと思い、「どうしてそのようでおられるのですか」と尋ねた。聡薬王は、「生姜を食べて四十年になります。それで老いないのです」と、答えた。
【補足】［浄慈寺の名は作品番号04-2-055で見ている］
■【04-3-064】書夢中靴銘
【解題】これは後年記した文章であるが、杭州副知事時代に見た夢の中での出来事が記されている。
【訳文】
私が杭州の副知事であったとき、夢の中で、神宗皇帝の禁中に召された。宮女が皇帝の周りを囲んで侍り、紅の衣の一人の少女が紅い靴を捧げ持って立っていた。私はお上からその靴の銘を作るよう命じられた。
夢から覚めたとき、その一聯を記憶していた。
「寒女之糸、銖積寸累。天歩所臨、雲蒸雷起」
銘を提出すると、お上は機敏に作ったことを非常に褒めてくださって、宮女に指示して私を送り出してくれた。私の裙と帯の間をじっと見ると、六言詩が一首はさまっていた。
「百疊漪漪風皺、六珠縦縦雲軽。植立含風広殿、微聞環佩搖声」
【補足】［この文章によると、夢の中では、神宗皇帝から六言詩を与えられたということになるのだろう。銘も詩も美しい言葉を並べただけのものであるので訳すまでもないだろう］
■【04-3-065】与范夢得
【解題】杭州にあっても保守派の旧い重鎮たちとの関係が保たれていたことが、范祖禹［字は淳甫ないし夢得］［→作品番号04-1-046］に宛てた手紙から知れるので、一部を読んでおこう。
【訳文】
久しくお手紙を差し上げず、恥ずかしさに言葉もありません。近頃はいかがお過ごしでありましょうか。私はほぼ変わりないものの、親しい友とも遠く離れ、わびしい旅の思い抱いております。蜀公［范鎮］からはしばしばお手紙を頂戴しております。……［以下、文彦博、富弼、司馬光といった著名人の消息について触れる］……お会いして直接お話しすることは叶いませんが、季節がらご自愛なさいますように。
【補足】［范鎮は蜀出身の大物で、科挙の試験以来何かと世話になっていて［→作品番号01-2-014］、この後にも大きく力を貸してくれるようになる。范祖禹は范鎮の甥である］
■【04-3-066】題蔡君謨帖
【解題】蔡襄［字は君謨］［→作品番号04-3-056］の書簡に書き添えた短文。
【訳文】
明雅禅師は北方に遊ぶこと十七年で杭州に帰り、孤山の下に退いて十八年になる。かつて人々と交わした手紙などはほぼなくなってしまったが、蔡公［蔡襄］の書簡を出して見せてくれた。繰り返し見ては悲嘆しているという。老人たちは世を挙げて惜しまれつつ次第に喪われてゆくのである。明雅禅師が悲嘆するのもまことにその通りである。
■【04-3-067】書孟徳伝後
【解題】弟の蘇轍が孟徳という人物の伝記を書き、その後ろに兄がこの文章を書き添えた。執筆の時期ははっきりとは知られていないが、杭州副知事であったころであろうと推測されている。蘇軾の文を見る前に、弟が書いたものを読んでおこう。なお、蘇轍が書いた人物伝は3篇残っていて、残り2篇も後に見るであろう。
【訳文】
蘇轍：『孟徳伝』
孟徳は神勇軍団の退役兵である。若いときから山林を好んでいた。しかし、兵士になったために、本来の志とは違ってしまった。
嘉祐年間［仁宗皇帝の時代の終わりごろ］に秦州［西北の国境地帯］の守備に就いた。秦州には名山が多い。孟徳はここで妻を離縁し、子供を人に与えた上で、華山［隠者や仙人が多く住む山とされていた］の麓へと逃げた。着ていた衣を、一本の刀および十枚の餅［小麦の焼き物］と交換し、それらを携えて山に入った。
そのとき、孟徳はこのように思った。
「自分は皇帝陛下の兵士でありながら逃げてここにきてしまった。擒えられれば死が待っている。食べるものがなくなれば死が待っている。虎や狼や毒蛇に触れても死ぬ。この三つのどの死に遭っても、自分は悔やまないぞ」
ひたすら山の奥深くへと行き、食べていた餅がなくなったので、草の根や木の実を取って食べた。一日に十回も吐いたり、下痢をしたり、腹が膨れ上がったり、あらゆる病気になり、十回愈えたりするうちに、数カ月もするとどれも五穀のように安らかに食べられるようになった。こうして山に入って二年の間、飢えることはなかった。
また、猛獣にもたびたび遭ったのだが、死ぬことはなかった。
孟徳はこのようにいった。
「およそ猛獣の類は人の気配を察知します。まだ人と百歩以上の距離があるときに、猛獣は伏せて叫びます。その声は山や谷を震わせます。あっしは死んでも構わないと思っていたので、動揺したことは一度もありません。猛獣は間近に出遭うとすぐに躍り上がり、搏とうとするかのように突進してきて、十数歩のところで止まり、坐わりこみます。それから逡巡し出し、耳を垂れて行ってしまいます。このようなことを試してみると、いつも全く同じになります」
後に孟徳は商州に至ったが、そこが商州であるのを知らなかった。孟徳は巡視の者に執えられ、これで自分は死ぬと思った。
商州知事の宋孝孫は孟徳にいった。
「そなたを見るに悪人とは思えない。むしろ道を得た者のようである」
孟徳は具にこれまでのことを話した。そこで宋孝孫は、孟徳を自首した者として秦州に送監した。
そのとき秦州知事であったのは張方平であった。張方平は孟徳を病人として扱い、兵籍から除いて一般の民にした。
かくして、いまに至るも孟徳はもろもろの山の中を行き来している。ほかに特に目立った才能はない。
孟德は道を得た者というべきであろう。世間の君子といわれる人々はいずれも自負するところのものがあって、慕われたい、畏れられたいとの思いがある。慕われたい、畏れられたいとの思いが胸の中にこもごもあって、まだそれが行動には出ていなくても、顔にはその気配が現れている。人はそれを見て知ってしまう。そのために、弱い立場にある場合には侮られ、強い立場にある場合には笑われてしまう。結局、世の中で特にこれといったことのない者となってしまうのだ。
孟徳は自負するものがなく、浩然の気［存在の根源的エネルギー］が自然と体を超えて外へと発散されて行くので、自分ではそれが見えていなくても、物には見えるのである。これを推し進めて行くなら、天地に並ぶような存在にもなるのであって、猛獣など何ら言うに足りないのだ。
【補足】［後半に名の挙がっている張方平は蘇軾父子兄弟の恩人で、陳州知事であったときに蘇轍を学校の教授として招聘し、蘇軾は杭州に赴任した際に、陳州に立ち寄って張方平に会っていた［→作品番号03-4-015以下］。張方平が嘉祐年間の終わりに秦州知事であったことは別の史料からも知られているので、蘇轍は陳州にいる間に、張方平から孟徳のことを聞いてこの文章を書いたのであろう。だから、ここに描かれている孟徳の人物像は、張方平の眼を通して見たものといってよいだろう］
【訳文】
弟［蘇轍］が孟徳のことを書いて送ってきた。私は読んで、これを異と思った。
考えてみるに、虎は己を懼らないものを畏れるということは、信ずべき理なのではなかろうか。しかし、世の中に、虎を懼らないものはいないので、この理が成り立つかどうか確かめようがない。
私はかつてこのようなことを聞いた。
［蜀の］忠州、万州、雲安県には虎がたくさんいる。ある婦人が昼間、二人の小児を砂の上に置き、川で衣を洗っていた。そこに、虎が山から駆け出てきた。婦人はあわてて水に潜って虎を避けた。二人の小児は砂の上で何事もなく遊んでいた。虎はしばらくじっと見ていたのだが、首を伸ばして子供らに触れた。たぶん懼らせようとしたのだろう。子供らは知恵がないから一向に怪しまなかった。虎はついに立ち去ってしまった。
思うに、虎が人を食うときには、まず初めにその威力で圧倒するのであろう。しかし、懼らない人には、威力をもってしても施すすべがないのだろう。
あるいは、「虎は酔った人間は食べない。必ず坐って見守り、醒めるのを待つ」という者もいる。これは醒めるのを待つのではなく、懼るのを待つのではなかろうか。
ある人が夜になって外から帰ってくると、門のところに蹲っているものがいた。豚か犬であろうと思って、杖でこれを撃った。すると、すぐにそれは逃げ去った。山の下の月の明るいところに行ったのを見ると、それは虎であった。これはその人が虎に勝っていたわけではなく、その人の気が虎を呑んでしまったのであろう。
人が子供のように、あるいは酔っ払いのように懼ることがなく、またはそれと気づかないでいるときには、虎はそれを畏れるのである。これは怪しむに足りない話だ。
そこでこのことを弟の文章の後に書いて、弟の説を補強しておきたい。
【補足】［蘇轍と蘇軾は微妙に論点が異なる。いずれにしても、虎と遭遇したらどうすべきかのノウハウに興味があるのではなく、人としていかに振る舞うべきかという哲学を汲み出そうとしている］
■【04-3-068】減字木蘭花
【解題】ここまで杭州での日々を蘇軾の詩文から見てきたのだが、朱彧の随筆『萍洲可談』には、杭州の印象を蘇軾が四文字で表現したとされる言葉が記述されているので、それを見ておこう。朱彧は、蘇軾と交流があった朱服の息子で、父が蘇軾本人ないし近しい人から聞いたことを記録したのであろう。朱服はずっと後の章で登場する。
【訳文】
朱彧：『萍洲可談』
杭州は繁華の地で、多数の官員が州庁舎にいて、それぞれ公務に就いていた。副知事は二人いて、それぞれ分担して官員を監督していた。副知事は「今日も事は無し」と号しては、知事に従って庁舎の外に出て宴飲するのを常とした。東坡［蘇蘇］が杭州副知事であったとき、杯酌のあまりの多さに耐え難い思いをした。諸公は東坡の才望を慕い、朝夕に東坡を呼んで集まったので、東坡は応接に疲れ、杭州は「酒食地獄」であると号した。後に袁轂が杭州副知事になったときには、たまたま他の官員と合わなくて、各部署の者から疎まれてしまった。それで袁轂は親しい者に、「酒食地獄も、いまどきの獄は空っぽであるらしい」とぼやいたので、人々はそれを伝えて笑い合った。
【補足】［蘇軾は社交的で人を喜ばせるのは得意だったので、ひっぱりだこだったのだろう。あまり頻繁であれば煩わしいし、酒は好きでも酒量はわずかであったから、実際に「酒食地獄」と感じたのかもしれないが、人々から「杭州はどのようなところでしょうか」と尋ねられたときに、必ずウケるネタとしてこの語を用意していたものとも推測される。「地獄」といってもかなり楽しい「地獄」であったのだろう。そうした「酒食地獄」には官妓が接客に当たることが多く、蘇軾は妓女たちにサービス精神を発揮して、詩詞を作って与えている。この『減字木蘭花』もその一つである］
【訳文】
年紀都来纔十二。［年の頃はまだまだわずかに十二歳］
撥弄幺弦。［撥が当たるのは四番目の弦］
未解将心指下伝。［その指先で自分の心の内を伝えることまではまだ知らないのです］
主人嗔小。［主人の怒りに触れてしまった少女］
欲向春風先酔倒。［できれば酔い倒れてしまいたい春風の中で］
已属君家。［でもわたしはこの家の者］
且更従容等待他。［いつもいつもおとなしく従っていなければならないのです］
【補足】［この詞には「小鬟の琵琶に贈る」との添え書きがある。小鬟とは少女の髪型［お下げ髪］で、12歳の少女は一人前の妓女になるための修行を積みつつあったのだろう］
■【04-3-069】三部楽
【解題】「情景」との添え書きがある詞。そのようにわざわざ断っているのが、かえってそうではないことを暗示しているように思われる。
【訳文】
美人如月。［すてきな人は月のよう］
乍見掩暮雲、［見えたと思ったらたちまち雲に覆われて］
更增増絶。［もっとずっとすてきになるのです］
算応無恨、［月にはもともと恨まれることはないとか］
安用陰晴円欠。［晴れも曇りも円いのも欠けているのも、月のせいではありません］
嬌甚空只成愁、［美しすぎるのも愁いが生まれて］
待下牀又懶、［牀を下りて待っているのも物憂くて］
未語先咽。［何もいわないうちから泣けてしまいます］
数日不来、［何日か来ないうちに］
落尽一庭紅葉。［落ち尽くして庭は紅葉に埋まってしまうのです］
今朝置酒強起、［今朝は酒を置いて無理に起きて］
問為誰減動、［尋ねるのは、誰のために減らしてしまったのでしょうか］
一分香雪。［雪のような美しい一枚の花びらを］
何事散花却病、［天女が花を散らしたのを受けて］
維摩無疾。［維摩菩薩は病が癒えたとか］
却低眉、［花が散ってかえってうなだれて］
惨然不答。［しょんぼりとものもいいません］
唱金縷、［かの『金縷の曲』を唱えて］
一声怨切。［ひと声だけ切なさがあふれます］
堪折便折、［「折り取れるときにはすぐに折りなさい」と］
且惜取少年花発。［でも、若く開いたばかりの花を取るのは惜しまれるのです］
【補足】［（1）後半にある『金縷の曲』とは、杜牧が杜秋という15歳の少女について歌ったもので、「堪折便折」［折るに堪えるとき便ち折るべし］の四文字はそのままその曲にある。若いときはすぐに失われてしまうということをいっている。（2）蘇軾は、この作品は前半では月を詠み、後半では花を詠んだ「情景」の詞であると強弁するのだろうが、作品を読むと説得力は全くない。上で見た「小鬟の少女」を詠んだ詞と一連のものであるに違いない。蘇軾は「小鬟の少女」に特別な想いを寄せ、「堪折便折」は蘇軾の決意をその少女に伝えるものであるのだろう。（3）確かな事実として知られているのは、蘇軾は杭州を発つに先立って、12歳の少女を身請けし、妻の使用人として連れて行くことにしたことで、これらの詞との関連性は推測でしかない。少女の名を王朝雲という。蘇軾は、不慮の事故を起こした子守の娘に対して見せたように［→作品番号04-2-081］、辛い境遇に置かれた少女に強く同情する傾向があった。伯父の蘇渙は没落した士大夫の娘が人身売買の対象になってしまったのを救ったことがあって、蘇軾はそのことを聞いていた。何よりも、蘇軾が17歳のときに不幸な事件で姉を亡くしたことがあった［→作品番号01-2-008］。蘇軾は12歳の王朝雲を見て、そこに亡き姉に似た天賦の才が宿されていると感じ、そのままにしておくことができなくなったと推測しても大きな間違いではないだろう。実際に、王朝雲は後に蘇軾の導きもあって、優れた女性に成長する。蘇軾は副知事の権限を利用して王朝雲を官妓の籍から抜き、妻の王閏之の同意も得て家に引き取ったのだろう。もしも、このときの妻が、蘇軾の最初の妻の王弗であったならば、蘇軾も王朝雲も自分のコントロールのもとに置いて、いずれ年頃になったときにはしかるべき相手を見つけて王朝雲を嫁がせ、蘇軾もまたそれで満足したであろうが、王閏之は王弗より遥かに遠慮がちの性格であり、夫の思うところを察することにかけては王弗に劣らず、それをそのまま受け入れようとすることでは王弗を凌いだ。だから、王閏之は王朝雲が家にきたときから、この少女は終生夫にもとにいるのだろうと察知したのだろう。もちろんそれは憶測でしかないのだが］
■【03-3-070】与楊済甫
【解題】郷里の知人である楊済甫［→作品番号03-3-029］に宛てた手紙。
【訳文】
こちらからは長らくお手紙を差し上げず、そちらからのお手紙も少なくなり、思うところは心から去りません。近頃はどのようにされていますでしょうか。皆さま方はいずれも恙なくお過ごしでありましょうか。私は健やかでありますが、任期が満ちたところで郷里に帰ろうとも思いましたが、弟が都の東にあって、このまま長く遠く別れたままでいるのが偲び難く、私も同じ方面に行くことを願い出ていたところ、密州知事を拝命いたしました。密州は風土も事物も佳く、弟がいる斉州とも近く、もしかしたら職務上のことで会えるようなことがあるのかもしれません。私の願うところにぴったりの場所でありましょう。ただ、郷里に帰れるのは数年は遅れることになります。墓所を望み見て、また懐かしい友人を想って、ついしみじみとした気持ちになってしまいます。いまだお会いする機会がありませんが、ただただ御自愛のほどを願うものでああります。
【補足】［（1）このとき、蘇軾は郷里を離れて6年が経過していた。楊済甫との再会が果たして叶うのか、本自由訳の最後の章で明らかになる。（2）密州と斉州は同じ山東半島にあって、杭州から見れば確かに二つの州は近いけれど、実際には200kmほど離れていて、密州知事在任中には兄弟再会の機会がなかったのを次の章で見ることになる］
■【04-3-071】浣渓沙
【解題】「重陽の一日前に、杭州から密州に移る送別の宴席で、楊絵に別れを告げた」と添え書きのある詞。
【訳文】
縹渺危楼紫翠間。［山の翠の中にはるかに聳える高い楼閣］
良辰楽事古難全。［昔から両立しにくいとされている良い辰と楽しい事］
感時懐旧独凄然。［今に感じ昔を懐って独り悲しく思うのです］
璧月瓊枝空夜夜、［毎夜毎夜空しく枝にかかる月］
菊花人貌自年年。［年々咲き替わり行き来する菊と人］
不知来歳与誰看。［来年はいったい誰とともに見るのでしょう］
【補足】［これは、詞によく使われる常套句を並べただけの軽い座興といってよいような作品。翌日の重陽の日［9月9日］に同じ韻でまた詞を作っているが、それも同様であるので、訳は割愛する］
■【04-3-072】題王羲之敬和帖
【解題】王羲之が書いた『敬和帖』を見たことを記した短文。むろん真筆ではなく模写であろう。
【訳文】
楊絵［字は元素］は翰林院に還ろうとし、私は密州に赴こうとしていて、宝臣とともに西院法恵院に遊び、言師の僧舎にきてこれを見た。
煕寧七年九月十一日
【補足】［楊絵が杭州に赴任して間もなく、楊絵を朝廷の翰林院に召還する辞令が届き、楊絵もたちまち杭州を離れて行くことになった。その前に、宝臣とともに言師という僧のもとを訪ねたのだった。宝臣も言師も詳しいことはわからない］
■【04-3-073】霊鷲題名
【解題】これも楊絵とともに、霊鷲興聖寺を訪問したときの記録。
【訳文】
楊絵［字は元素］と魯有開［字は元翰］、陳舜兪［字は令挙］とともに蘇軾が遊んだ。
煕寧七年九月二十日
【補足】［（1）魯有開と陳舜兪はそれぞれ作品番号04-2-082、04-3-044などで見ている。陳舜兪はこの後しばらく蘇軾と行動をともにする。（2）蘇軾に関しては、こうした小さな記録も見逃すことなく収集されて、蘇軾が少なくとも9月20日までは杭州にいたことが知れているのである］
■【04-3-074】定風波
【解題】「楊絵を送る」との添え書きのある詞。蘇軾は密州に赴任するために見送られる立場であったのだが、楊絵も杭州を離れて行くことになったので、楊絵を見送る席上で、蘇軾がこの詞を披露したのである。
【訳文】
千古風流阮歩兵。［歴史に残る風流人といえば阮籍［実は楊絵のこと］］
平生游宦愛東平。［各地を巡って最も愛したのが東平［実は杭州のこと］］
千里遠来還不住。［千里の遠くからきたのに、とどまらずに還ってしまいます］
帰去。［帰ってしまうのです］
空留風韻照人清。［その人の清らかな印象だけを空しく残して］
紅粉尊前深懊悩、［別れの酒の前で女性たちは深く悩まし気］
休道。［もういうのはよしましょう］
如何留得許多情。［どれほど思っても留まってくださらないのですから］
記得明年花絮乱。［来年の春に花が乱れ散るときに］
須泛。［お舟を浮かべてご覧なさい］
西湖総是断腸声。［西湖は悲しみの声であふれていることでしょう］
【補足】［前半では、晋の時代の阮籍の故事を引いて、楊絵のことを歌っている。当時の皇帝は、阮籍が東平郡の土地柄を愛していると聞いて、早速派遣したところ、その地はすこぶるよく治まった。楊絵も同じようにしてせっかく杭州にきたのに、すぐに帰ってしまうのを残念がっているのである］
■【04-3-075】勧金船
【解題】楊絵と蘇軾が杭州を発つに当たって、送別の宴が幾度か催された。張先［→作品番号04-3-041など］も顔を出した中和堂での宴で、楊絵の詞に和した。
【訳文】
無情流水多情客。［流れる水には情がないのに、ここにいる人には情がありすぎます］
勧我如曽識。［私に勧めてくださるのはよく知った人］
杯行到手休辞却。［杯がまわったなら辞退してはなりません］
這公道難得。［公［楊絵］はここにおられるのが難しいお方］
曲水池上、［かの曲水の宴で］
小字更書年月。［立派な文章を書いた王羲之のようなお方］
還対茂林修竹、［林や竹に向かっていると］
似永和節。［永和の昔にいるような気になります］
繊繊素手如霜雪。［雪のように白くか細い手で］
笑把秋花插。［笑いかけながら秋の花の髪に挿します］
尊前莫怪歌声咽。［でも杯の前の歌声はつい咽んでしまいます］
又還是軽別。［これとても軽いお別れなのです］
此去翺翔、［公はここから飛び去って］
偏賞玉堂金闕。［宮殿において人々の賞賛を得ることでしょう］
欲問再来何歳、［いつまた来られるのかとお尋ねすると］
応有華髪。［髪が真っ白になったときと答えるのです］
【補足】［（1）前半は、古今第一の名筆とされる『蘭亭の序』に記されている永和九年の曲水の宴を引いて、楊絵が王羲之に匹敵するような人であると賞賛したもの。（2）後半は妓女が楊絵に呼びかける体で詠まれているのだろう］
■【04-3-076】減字木蘭花
【解題】送別の宴を繰り返した蘇軾と楊絵は、結局のところ同じ船で杭州を発ち、張先や陳舜兪ら幾人もの人がそれに同行して湖州にまで赴いた。折しも、湖州知事の李常［字は公択］［→作品番号04-3-043］のところでは子が生まれて三日目を祝う洗児宴という行事が行われるというので、蘇軾とその同行者が揃ってそこに顔を出した。蘇軾は即興でこの詞を披露し、李常を初めとして大勢の人々を楽しませた。この詞を読み味わうには二つの前提知識が必要になるので、それを先に見ておこう。最初は杜甫の詩で、これは、中途半端な世辞は下卑で、ヨイショをするなら人の度肝を抜くレベルにまで達してこそ一流の芸になるという手本である。杜甫は階層社会の枠組みがまだまだ強固だった唐代半ばに、自己の才能を発揮できる場を得ることに非常に苦労し、ヨイショ芸に磨きをかけることを強いられ、その筋の王者となった。杜甫のこの詩は徐卿という人の2人の息子を徹底的に褒めちぎっている。
【訳文】
杜甫：『徐卿二子歌』
さあさあ皆さんご覧あれ、
徐卿殿の二人のお子さまこそは生まれたときから超非凡、
何しろ、お母様が天と感応して吉い夢を続けてご覧になったのでござる。
長男さんは孔子様が、次男さんはお釈迦様がそれぞれ抱いて連れてきてくださった。
長男さんは九歳で、お顔が清く澄みきっておられますのは、
秋の水を精神とし、宝玉を骨としておられるからでござる。
次男さんは五歳で、その気迫のみなぎっているのは牛を丸ごと食わんばかりで、
部屋いっぱいの客人はとにかく片時も目を離せないのでござる。
私めは知っておりますぞ、徐卿殿にはもう心配事など一つもありはしないと。
何しろ、徐卿殿はいままで善には善を積み重ねてこられ、
きっと高い位にお昇りになるとお約束されているお子さまが生まれるに至ったのですからな。
人の親となって、二人のお子さんがこのようであるのなら、
そのお父さまが低い地位のままでいるなどということは金輪際ありっこないのでござる。
【解題】もう一つの前提知識は次の笑い話である。
【訳文】
ある皇帝に男の子が生まれ、三日目の祝いが盛大に宮中で行われた。この行事の常として、近臣に祝儀が配られたのだが、それが大層立派なものであったので、皆が恐縮していうには、
「これほどまでの賜りものを頂戴いたしまして、我等一同に何らの功績がないのを深く恥じ入るばかりにございます」
皇帝がそれに応じて、
「皇子の誕生にもしも諸君等になにがしかの功績なんぞがあったとしたら、朕の心は穏やかではないぞよ」
【訳文】
釈氏老君親抱送。［子を抱いて送ってきてくれましたのは釈迦と老子］
壮気横秋、［この秋の時季に満ち溢れるばかりの勇壮の気］
未満三朝已食牛。［まだ生まれて三日足らずでもう牛を食らい尽しましょうぞ］
犀銭玉果、［ご祝儀は犀の角のような銭と宝玉のような果物］
利市平分潤四座。［平等に全ての客に行き渡るその利市］
多謝無功、［申し訳ないことに我等には一切ない功績］
此事如何着得儂。［誕生に関わりもしない我等にどうしてこうもご褒美があるのでしょうか］
【補足】［（1）一富士二鷹三なすびではないが、熊を見るのがよい夢であるという古い伝承があった。「犀銭」というのは、銭の色が犀の角の色に似ているからだ。この詞の上段は「熊」から、下段は「犀」から始まったので、聞く人は「おやっ」と思ったことだろう。（2）蘇軾は、杜甫の詩と笑い話を換骨奪胎し、『減字木蘭花』の音律にぴったりとはめ込んで歌ってみせたので、その力技に李常も客人も驚嘆し、大いに笑ったことだろう。なお李常は、もともとは王安石と親しくし、改革の素案を練るに当たっては一緒に相談するほどの間柄だったのだが、改革案が具体化する過程で意見が合わなくなり、ついには袂を分かって都を出たという信念の人であった。つまりは堅物であるのだが、蘇軾はそういう人の前でこの詞を披露したのである］
■【04-3-077】記游垂虹亭
【解題】このときに湖州に集まった人々は、松江の流れに船を浮かべ、絶好のビューポイントに建つ垂虹亭に至り、詞を唱和し合い、沈強輔という者が胡琴を演奏したりして遊んだ。そのときのことを7年後に記したのがこの文章である。
【訳文】
私は昔、杭州から密州に移ったときに、楊絵と同じ舟に乗って杭州を発った。そして、陳舜兪と張先とともに湖州の李常を訪ねた。さらに、劉述とともに松江に至ると、夜半に月が出て、垂虹亭の上で酒を置いた。このとき張先は八十五歳で、歌詞で天下にその名が聞こえ、『定風波令』の詞を作った。その中に、
見説賢人聚呉分、［いま賢人が呉の分野に集まっているとか］
也応傍有老人星。［星々のかたわらにあるのはきっと老人星でしょうね］
坐客は非常に喜び、酔い潰れる者もいた。このときの楽しさはいまも忘れることができない。
あれからわずかに七年であるのに、張先も劉述も陳舜兪もこの世の人ではなくなってしまった。そして松江の橋のたもとにあった亭も、今年の七月九日に海からの風で水位が上がって一丈余りの水が平地上に溢れたために、跡形もなく消えてしまったという。
昔を思えばまさに一つの夢である。
元豊四年十二月十二日、黄州臨皐亭で夜に坐して書く。
【補足】［（1）名が挙がっている者のうち楊絵、陳舜兪、張先は杭州から蘇軾に同行し、李常は湖州知事で、劉述は湖州に隠棲する先輩［→作品番号04-3-035］であった。（2）張先の詞にある「呉分」とは星座のことで、実際にいま呉の地にいることの意を兼ねている。老人星は西洋でいうカノープス。（3）このときに沈強輔の胡琴を聴いて詠んだ詞、李常に酒を勧める詞、陳舜兪に和した詞などが残っているが、いずれも酒席での座興で、当事者がそのときに楽しめばよいような作品であるので、訳は割愛する］
■【04-3-078】李行中秀才酔眠亭三首
【解題】上に記されている面々とともに李行中［字は無悔］の住いである酔眠亭を訪ねてこの詩を詠んだ。李行中とは1年ほど前に周邠とともに径山を登っている［→作品番号04-2-065］。この詩は、唐代の賀知章、晋代の陶淵明、漢代の辺韶という三人の有名な風流人の振る舞いを詠んで、李行中はそれを上回るような人であると讃えたもので、第二首だけを訳す。
【訳文】
其の二
「君はもう帰りなさい、私はいまにも眠ってしまうから」
酔った陶淵明がそのようにいったのは、
ごく自然な心持ちから出たものであるとされている。
酔ったのだから、
客人の前で眠ったってよいではないか。
とすると、
陶淵明は必ずしも賢者だったわけではないのだ。
【補足】［これは李行中のことではなく、蘇軾自身のことを詠んでいるかのようである。蘇軾はアルコールにさほど強くないので、いつの間にか眠りに落ちてしまうこともあったようだ［→作品番号04-3-013］］
■【04-3-0079】与周開祖
【解題】上の解題で名を挙げた周邠［字は開祖］に、このころに手紙を書いている。先に杭州を発った周邠は［→作品番号04-3-031］、すでに都に到着していたのだろう。
【訳文】
忝くも皆様方のお蔭によって私は杭州を出発して、呉興［湖州］に至り、李常知事にお会いしました。このときに、楊絵君、張先君、劉述君、陳舜兪君も湖州にいて、燕集すること甚だ盛んでありました。それだけに周邠君がその場にいないのがひどく残念でなりませんでした。
貴君と別れてからは、山水の佳いところに到るごとに、貴君と談笑しつつ歩いたことを懐かしく想わずにいることはありませんでした。私はこれより都よりもさらに北に行き、そこの風俗は椎魯でありましょうから、詩と酒に遊ぶ貴君のような人は得られないでしょう。つまり、杭州での楽しみは、またと得られるものではなかったのだと知るのでありましょう。陳舜兪君は杭州で別れてからも特に同行して、ついに湖州にまできて、さらにしばらくそこに滞在してから去って行きました。陳舜兪君が行ってしまってからは、数日間気が塞いでいます。しかも詩人［周邠］もいないのです。貴君と数十首を唱酬し合ったことは、まことに小さなことではなかったのであります。
■【04-3-080】阮郎帰
【解題】蘇軾は蘇州に至り、州知事の王誨［字は規甫］［→作品番号04-3-019］に迎えられ、その宴席でこの詞を披露した。詞の最初に「三度」とあるのは、飢民救済のために蘇州を2度行き来していて、これが3度目だったからだ。
【訳文】
清尊長是開。［だから送別の宴の酒樽は開けたままです］
佳人相問苦相猜。［佳き女はいぶかしみつつ問うのです］
這回来不来。［「これで、また来るのかしら、もう来ないのかしら」］
情未尽、［尽きることのない情］
老先催。［それより先に催されてしまう老い］
人生真可咍咳。［笑うべきは人生というもの］
他年桃李阿誰栽、［次を期して桃の木を植えてくれたとしまても］
劉郎双鬢摧。［そのとき私の髪はどうあっても白くなってしまっていることでしょう］
【補足】［原詞の終わりに「劉郎」とあるのは、唐の劉禹錫のこと［→作品番号04-3-004］］
■【04-3-081】贈写真何充秀才
【解題】蘇州では、何充［字は浩然］という人が蘇軾の肖像画を描き、その謝礼にこの詩を贈った。
【訳文】
若き日の玄宗皇帝が狩りをする画――
左手に弓を掛け、右手に矢を横にし、
眼からは雷電のような光が放たれる。
驢馬に乗って雪の中を行く孟浩然の画――
肩を聳やかし、眉を顰めて、詩を吟じている。
玄宗皇帝は富貴の身にあり、
孟浩然は飢えと寒さの身にあった。
そのどちらもいまはただ画として残っているだけ。
私は常に自然のままに任せ、
浮き雲のように変化して、
我が跡を残すまいとしている。
そのような私をどうして描くのかと、貴君に問うと、
自分の楽しみのためだと、貴君は答える。
山家暮らしの身なりをした私を描いたのは、
私を巌の聳える山中に置こうとの心であろう。
しかし、貴君の力量からしたら、
唐の世を築いた二十四人の功臣の肖像画を描いて、
凌烟閣に並べたような仕事をすべきであろう。
■【04-3-082】酔落魄
【解題】「蘇洲の閶門で別れた」との添え書きのある詞。妓女と語り合うという体裁で作られていて、前半が蘇軾からの、後半が妓女からのことば。
【訳文】
蒼顔華髪、［衰えた顔色、白くなった髪］
故山帰計何時決。［いつまでも定まることのない故郷に帰る計画］
旧交新貴音書絶。［旧い友人からも新たに昇進した者からも絶えた音信］
惟有佳人、［ただここにいる佳き人だけが］
猶作殷勤別。［なおも別れを惜しみ続けてくれます］
離亭欲去歌声咽、［離亭から去ってしまおうとして、咽ぶような歌声］
瀟瀟細雨涼吹頬。［しとしとと冷たく頬に吹いてくる小雨］
涙珠不用羅巾浥。［羅巾でぬぐわずにおく涙の珠］
弾在羅衫、［それが散らばるままの着物］
図得見時説。［それを見て、「ああ、あの時は」と、言い合うようになるのでしょう］
■【04-3-083】与何浩然
【解題】蘇州を発ってから、肖像画を描いてくれた何充［字は浩然］に宛てて書いた手紙。
【訳文】
人が蘇州からもどってきて、お手紙を頂戴しました。日々お変わりのないとのこと嬉しく思います。描いてくださった肖像画のすばらしさに、見る者皆が、形と精神を十分に写していて、真の姿そのままだといってくれます。昔の画工がどれほど心を籠めた作品もこれに及ぶものではありません。感服の至りです。御所望の詩は、少々の暇を得ましたので、ここに書き終えました。双幅を蜀中の織り物造りに頼みましたので、お納めください。お会いすることは叶いませんが、千万御自愛ください。
【補足】［先に訳した詩は、実はこの手紙とともに贈ったのかもしれないし、何充の求めに応じて、きちんと清書し直したのかもしれない］
■【04-3-084】回先生過湖州東林沈氏、飲酔、以石榴皮書其家東老庵之壁云、西隣已富憂不足、東老雖貧楽有余。白酒釀来因好客、黄金散尽為収書。西蜀和仲、聞而次其韻三首。東老、沈氏之老自謂也、湖人因以名之。其子偕作詩、有可観者
【解題】蘇州を出て晋陵に至ると、沈偕という人が尋ねきて、蘇軾に詩を見せて、興味深い話をした。それで三首の詩を詠んだ。長い詩の題とともに訳文を示す。
【訳文】
あるとき、回先生が湖州の東林の沈氏の家に立ち寄った。回先生は酒を飲んで酔い、石榴の皮を使ってその家の東老庵の壁に詩を書いた。
西鄰已富憂不足、［西隣りでは富んでいるのに不足を憂いている］
東老雖貧楽有余。［東隣りの老人は貧乏だけれどたっぷり楽しみがある］
白酒釀来因好客、［なぜなら、うまい酒ができれば好い客人がくるし］
黄金散尽為收書。［金をそっくり使い果たして、書物を買っているからだ］
西蜀の蘇軾はその詩を聞き、次韻して三首を作った。「東老」とは、沈氏の老翁の自称である。このことから湖州の人々はこのあたりを「東老」と呼ぶようになった。その子の沈偕は詩を作り、観るべきものがある。
【補足】［別の史料には次のようにある。「湖州帰安県の東林に沈思［字は持正］という隠者がいて、自ら東老と号し、『十八仙白酒』という酒を醸していた。ある日、回道人と名乗る者がきて、東老に丁寧に挨拶して、『あなたのところで白酒が新たに熟したと聞きましたので、一酔を求めたく思い、やってまいりました。願いを聞いてくださいましょうか』といった。東老は回道人を座らせ、じっとその目を観ると、碧色に燦然と輝き、人を射るような光を放っていた。語りかけると、どのようなことにも通じていたので、俗世の人ではないと知れた。それで酒を出して飲ませると、日中から夕暮れに至って数斗を飲み、顔色は少しも変わらなかった。回道人は『これからしばらくは浙中に遊ぶことはないので、貴君のために隠徳を残し、詩を留めて贈りましょう』といって、そこらにあった石榴の皮で、庵の壁に詩を書いた」。この回道人は謎の人物で、呂洞賓ではないかという説もあった。呂洞賓は、宋代においては知らない人のいない有名な仙人である。呂洞賓は一説によると唐の貞元12年［796年］の生まれであるから、このころまでそこらをうろうろしていたとすると、そろそろ300歳ということになる］
【訳文】
其の一
世俗の人は、貧乏は病のようなものだということを知らない。
神仙は学ぶべきであっても、本来の学問の余りでしかない。
よい酒は佳い客人を留めることは知っていたけれど、
達う人に直接問うことをしないで、書物ばかりに求めていたとは……。
【補足】［（1）東老は書物を好む余り、回道人の弟子となる絶好の機会を逃してしまったと、戯れたのである。（2）第二首は、当時有名な別の仙人の事績を詠んでいて、訳すのは少々面倒なので割愛する］
其の三
あれから三年、
冷たい雨や露にさらされ、
塵や埃に埋もれて、
回先生の詩はわずか数文字をぼんやりと見るだけとなってしまった。
どうして石榴の皮を用いたのか。
そういえば、筆というものには「中書君」の別称があるけれど、
筆などは「書するに中らず」と、
回先生は思っていたのだろうか。
【補足】［（1）終わりに部分は「中書」という語を用いた言葉遊びで、回道人は世間の常識の外にあるということがいいたいのだろう。（2）これから16年後に蘇軾が沈偕と再会するのを後の章で見るであろう］
■【04-3-085】単同年求徳興兪氏聚遠楼詩三首
【解題】蘇軾が常州に至ると、同じ年の科挙で合格した単錫が尋ねきて、徳興県にある兪氏の聚遠楼についての詩を所望したので、この三首を詠んだ。徳興県の景勝の地にかつて兪氏の建てた楼閣があり、徳興県知事として赴任した単錫がそれを再建して、聚遠楼と名付けたのである。単錫は自作の詩を示してその建物の由来を語り、蘇軾は実景を見ることなくこの詩を作った。
【訳文】
其の一
雲や山、煙る水気、
近くに寄ってそれに親しむのは難しい。
野の草や花、
それぞれに春というべきときがある。
高い楼閣は、
それらを、遠くにあるものまでもすっかり聚めて、
閑な者にそっくり与えてくれるのである。
其の二
無限の広がる青い山々を一つに収め切ることはできない。
雲は走り、浪は巻き、どこへ行くかと思うと、
聚遠楼の簾から勝手に入ってくるのだ。
一万戸の民を己の領地の中におさめて誇った者もいたけれど、
我等にとっての境界線がどこにあるのかといったら、
眼力の及ぶ限りの向こうなのである。
其の三
聞くところでは、
聚遠楼には地上の仙人が住まうとか。
門の外の塵の世があるのも知らず、
その人は静かに机にもたれ、
何も語ることがない。
その心は、
鴻が雲間に消え去るところにあるのである。
■【04-3-086】采桑子
【解題】「潤州の多景楼で孫洙［字は巨源］と遇う」との添え書きのある詞。蘇軾は10月に長江に面する潤州に至り、旧友の孫洙と会った。孫洙とは都にいたときに親交があり［→作品番号03-4-037］、やはり改革に反対して地方に出され、海州知事となっていたのだが、任期が満ちていったん郷里に揚州に還ると、蘇軾が潤州にまできていると聞き、わざわざ長江を渡って会いにきたのだった。多景楼は北固山の甘露寺にあった。蘇軾が3年前に甘露寺で詠んだ詩を作品番号03-4-040で見ている。
【訳文】
多情多感仍多病、［多情、あるいは多感な人は、きっと多病なのです］
多景楼中。［多景楼にいるのはそのような人たち］
樽酒相逢。［酒樽の前で会って］
楽事回頭一笑空。［楽しかったことを回顧しながら、からからと笑い飛ばしましょう］
停杯且聴琵琶語、［盃を止めて、琵琶が語るのを聴きます］
細撚軽攏。［こまかく撚れるような、軽く攏めるようなその音色］
酔臉春融。［酔いとともに顔は春に逢ったようにとろけてゆきます］
斜照江天一抹紅。［江も天も夕日のなかで紅く染まっています］
【補足】［（1）後に蘇軾のこの詞を刻んだ石が甘露寺に建てられた。（2）このときに、琴の演奏を聴いて蘇軾は詩に詠んでいるが、訳は割愛する］
■【04-3-087】膠西蓋公堂照壁画賛并引
【解題】甘露寺には、南朝の宋の時代に陸探微が描いた猊［想像上の神獣］の画があった［→作品番号03-4-040］。蘇軾は画工にそれを模写させ、賛を書き添えた。蘇軾はその模写を携えて密州に赴任し、蓋公堂の壁に飾った。蓋公堂については次章で見ることになるが、そのことを記した文章をここで先に見ておこう。
【訳文】
陸探微が描いた獅子［猊］の画は潤州の甘露寺にある。唐の時代に李徳裕が浙西を治めたときにここに留めたのである。その筆法は非常に優れていて、近世にはないものである。私はかつて甘露寺の詩を作り、その画について、「破板陸生画、青猊戯盤跚。上有二天人、揮手如翔鸞。筆墨雖欲尽、典刑垂不刊」と、詠んだ。
熙寧九年十一月十五日、画工に命じて模写したものを膠西［密州］の蓋公堂の中に置く。その賛に云う。
高其目、仰其鼻、奮髯吐舌威見歯。［その目、その鼻、その髯、その舌、その歯］
舞其足、前其耳、左顧右盼喜見尾。［その足、その耳、上に下に右に左に動かし］
雖猛而和蓋其戯、置之高堂護燕几。［猛々しいようでいて穏やかに戯れている］
啼呼顛沛走百鬼、嗟乎妙哉古陸子。［陸探微の妙技は百鬼をも走らせてしまう］
【補足】［途中にはさまれている甘露寺の詩の訳文は先に掲げてある。賛の訳は大意を示しただけのもの］
■【04-3-088】酔落魄
【解題】杭州を一緒に発った楊絵とは潤州まで一緒にきたが、長江を渡るに際していよいよ別行動をとることになり、この別れの詞を詠んだ。
【訳文】
分携如昨。［会うも別れるも昨日のことのよう］
人生到処萍飄泊。［人はどこでも漂う浮き草として生きるのでしょう］
偶然相聚還離索。［たまたま集まって、たまたま離れてゆくのです］
多病多愁、［悲しんだり愁いたりするのも］
須信従来錯。［どれもつまらないことだと見切ればよいのでしょう］
樽前一笑休辞却。［別れの酒の前では笑いましょう］
天涯同是傷淪落。［天地の涯で同じく落ちぶれていても］
故山猶負平生約。［故郷の山には日頃の約束に背いたまま］
西望峨嵋、［西に峨眉山を望んで］
長羨帰飛鶴。［飛び行く鳥を羨むのです］
■【04-3-090】与李公択
【解題】楊絵を見送った蘇軾もまた10月のうちに潤州を発って長江を渡った。この時の旅に伴ったのは妻の王閏之、長男の邁、次男の迨、三男の過、乳母の任採蓮、従者にして友人の馬正卿、そして12歳の少女、王朝雲であった。これからしばらく蘇軾は長江よりも北の地で過ごすことになるのだが、本章の終わりに、揚州に達してから湖州知事の李常［字は公択］に宛てて送った手紙を見ておこう。
【訳文】
私はすでに揚州に到着しました。今回の旅は天の幸いに恵まれているのでしょうか、貴君とともに李之儀［字は端叔］君に会いましたし、また途中で胡宗兪［字は完夫］、王存［字は正仲］君、孫洙［字は巨源］君とも会うことができました。至るところで人々としばしば劇飲し楽しく笑い合ったのでした。人生においてこのようなことは何度あるでしょうか。後にも同じようなこと続くがどうかはわかりません。湖州では急なお別れでしたので、この町で紙に臨んでいます。
【補足】［（1）ここに名が挙がっている李之儀は、遥か後年になって非常に親密な関係を結ぶ人物。（2）胡宗兪、王存、孫洙［→作品番号04-3-086］とは潤州で会っている。胡宗兪はこのとき少し上流の真州の副知事で、王存は母の喪に服して故郷の潤州に還っていたようだ。（3）本章の最初のあたりで見たように、蘇軾は政治的に難しい立場にあって地方官としての勤めを果たせるのかどうか大きな不安を抱いて杭州に赴任したのだが、多くの人々と「楽しく笑い合う」ような関係を結び、この上なく西湖の風光を愛し、多くの詩文を残した。その結果、今後はどの地であっても地方官として十分にやっていけるとの自信を持つようになり、これからは州知事として思う存分采配を揮ってみようとの思いを抱くようになったと推測される。そして、果たして「後にも同じようなことが続く」のかどうかは、次章以降で見てゆくことになる］