第4章　大きな転機――初めての杭州

［第4章その二］

熙(き)寧(ねい)6年［1073年］、蘇(そ)軾(しょく)38歳。

■【04-2-001】元日次韻張先子野見和七夕寄莘老之作

【解題】蘇軾は杭(こう)州で2度目の正月を迎えた。これは、張(ちょう)先(せん)［字(あざな)は子(し)野(や)］に贈った戯れの詩。詩の題によると、初めに七夕のときに孫(そん)覚(がく)［字は莘(しん)老(ろう)］が詩を作り、それに張先が和し、それにまた蘇軾が和した。昨年の終わりに湖(こ)州で張先や孫覚と交歓したことは作品番号04-1-080などで見ている。後半の途中に挟まれている八句は訳者にはさっぱり意味が掴めないので割愛する。

【訳文】

眠りの中に新たな春が入ってきて目覚めると、

南の空に星がまだまたたいていたので、

貴君の七夕の句を思い出した。

酒仲間として私は貴君に全く敵わなかったし、

詩壇における貴君の功績は大きなものがある。

……

何はともあれ、囁(しょう)嚅(じゅ)翁(おう)殿にお尋ねするのは、

小(しょう)蛮(ばん)さんはどうなさっていますかな。

【補足】［終わりの部分は、唐(とう)代(だい)の著名人である白(はく)居(きょ)易(い)［字(あざな)は楽(らく)天(てん)］の故事を引いた楽屋落ちである。「囁(しょう)嚅(じゅ)」とはべちゃべちゃよくしゃべることで、ある友人が白居易を「囁(しょう)嚅(じゅ)翁(おう)」と呼んだことがある。張先もきっと同様であったのだろう。白居易は晩年は洛(らく)陽(よう)で悠々自適の日々を送り、身近に若い妓女を置き、その一人に「小(しょう)蛮(ばん)」がいた。張先もまた名立たる風流人で家には幾人かの妓女がいた。この詩では、蘇軾が張先に戯れて白居易になぞらえたのだが、後年、蘇軾自身が何かと白居易と比較されるようになる］

■【04-2-002】正月九日、有美堂飲、酔帰径睡、五鼓方醒、不復能眠、起閲文書、得鮮于子駿所寄雑興、作古意一首答之

【解題】長い題をそのまま訳すと「正月九日、有(ゆう)美(び)堂(どう)で飲み、酔って帰ってすぐに眠った。明け方前に目が覚め、再び眠ることができなくなり、起きて文書を見ていると、鮮(せん)于(う)侁(しん)［字(あざな)は子(し)駿(しゅん)］から『雑(ざっ)興(きょう)』と題した詩が寄せられていたのがあった。やや古めかしい内容の詩を作ってそれへの返事とした」。有美堂は、杭(こう)州の町の南にある鳳(ほう)凰(おう)山(ざん)の上にあった有名な建物。南に銭(せん)塘(とう)江(こう)を、北に西湖(せいこ)を見下ろす絶好のビューポイントに建っていた。鮮(せん)于(う)侁(しん)は伯父の蘇(そ)渙(かん)に所縁の人で［→作品番号02-4-017］、范(はん)鎮(ちん)［→作品番号03-3-023］とも縁故があり、蘇軾は5年前に郷里から上京した際に成(せい)都(と)で会っていた。鮮于侁はそのときからそのままずっと蜀(しょく)で地方官を務めていたようだ。

【訳文】

世間の人が事を起こして何かと騒がしくしている中で、

志のある人が独り憂いに沈んでいる。

琵琶の弦が古くゆかしい音を奏でようとすると、

なぜか大勢の踊り手の腰の太鼓が派手に鳴らされてしまう。

酒を三杯飲むと一万の憂いを忘れることができるという。

酒が醒めると憂いはまたありありと戻ってきてしまう。

轆轤(ろくろ)をぶん回す索(ひも)が一度離れはしても、

すぐにまたぐるぐるとまとわりつくようなものだ。

私はこういうことを読んだ――

漢(かん)の時代に原渉(げんしょう)という人がいて、

若い頃は品行方正で非の打ちどころがないとの評判であったが、

叔父の仇を討ってからはもっぱら任侠の徒と交わり、

姦(かん)人(じん)の雄(ゆう)といわれるまでになった。

それで人々が原渉を批判すると、こう答えた。

「君も知っているだろう、かの有名な未亡人の話を。

　その未亡人は初めのうちは己をしっかりと戒め、

　独り身を守り通すために焼死したり自殺したりした昔の人のように、

　自分もならなければいけないと考えていた。

　ところが、盗賊によって身を汚されてしまうと、

　もはや貞節な女には戻れないと、

　不道徳な行為を率先して行うようになった。

　それと同じで、

　一度道をはずしたならもはや元には戻れないのだ」

私はこういうことも読んだ――

普段は羊の肉を炙ったものを嗜み、

その美味をじっくりと味わって、

敢えて満腹するまでは食べないように戒めていた人がいた。

ところが、蛇を煮たり蛙を焼いたりしたものを、恐る恐る口にしてみて、

初めはなかなか喉を通らなかったけれども、

次第に慣れて、

もはや食べずにはいられないまでになってしまった。

いま私はこうしたことの境目にいるのではなかろうか。

憂いに襲われてもう眠ることができない。

起きて天の川の茫漠とした明かりを見ていると、

それに流されるようにして、

一つの星が欄干へと落ちた。

そこに、薄明の中、

明けの明星が明るい光を伴って昇ってきたのだった。

【補足】［（1）幾つかの故事を引いて、鮮(せん)于(う)侁(しん)とそれに自分自身をも鼓舞しようとしている。地方官僚として世間の流れに乗ってしまうのか、己に場所に踏み止まるかの瀬戸際に立っていると、このとき蘇軾は危機感を抱いていたのだろう。（2）後半で引かれている「有名な未亡人」は「陳(ちん)孝(こう)婦(ふ)」と呼ばれた人。その話は、2018年のノーベル平和賞を受賞したナディア・ムラド氏のことを思うと、およそ別の解釈が可能になるだろう。900年前の蘇軾の倫理観は当然ながら現代とは大きく異なっている。（3）詩の終わりは、金星の輝きに希望を見るとともに、金星は月に次いで明るい星であるので、皇帝を補佐する清廉な大臣を象徴するものなのだろう］

■【04-2-003】次韻答章伝道見贈

【解題】章(しょう)伝(でん)［字(あざな)は伝道(でんどう)］が送ってきた詩に和して返した。章伝について詳しいことはわからないが、幾つかの史料から、上の詩で見た鮮(せん)于(う)侁(しん)と同じく蜀(しょく)の閬(ろう)州の人で、蘇軾より10歳ほど年長であったらしいことが知られている。内容的に上の詩と共通するところが多い。

【訳文】

人々は皆、天地の広がる「宇(う)」［空間］に生まれ、

人々は皆、古今に流れる「宙(ちゅう)」［時間］を目にする。

下を見ることで、上に高みがあると知れ、

前に起こったことがあるから、後に為すことがわかる。

上には、道理に通じた達人がいて、

譬えるなら、

達人は強い弓をやすやすと引き、

ひとたび緩めたなら、他の人はもはや引くことができない。

下には道理に暗い下士(かし)がいて、

譬えるなら、

下士は王冠を頭に載せた猿で、

縄で繋がれているくせに、誇らしげに踊りまくる。

時の流れは、

速いと見れば、細い隙間を馬が駆け抜けるほどの間、

遅いと見れば、雨だれが石を穿って突き抜けるほどの間。

誰もが目にするように、漢(かん)や唐(とう)の皇帝が住んだ宮殿も廃墟となり、

まして、衆人の栄華なんぞは、ほんの一杯の酒に酔うようなもの。

「宇」と「宙」の間にあるものは、

一つの尺度で安易に測ることはできない。

昔、ある王様は、珍しい海(うみ)鳥(どり)の訪れを喜び、

賓客を迎えるように、音楽を演奏して最高の御馳走を並べたのだけれど、

海鳥は音楽に眩暈(めまい)を起こし、何も食べられずに死んでしまった。

昔、ある哲人は、野辺に伏した髑髏(どくろ)を枕にして眠り、

夢にその髑髏の主と語り合い、

「死ねば、社会の縛りからも、自然の変転からも解放され、

　この楽しみは何物にも替えられない」

と、聞いた。

ああ、昔、私が年少だった頃には、

道義を守る事だけを思い、

貧乏であっても疚(やま)しさはなかった。

役人として出仕しようとしてからは、

事物に使役され、ついにはその囚われの身となってしまうのを恐れるようになった。

漢(かん)の時代の著名な儒学者は権勢ある大臣に媚び、

漢の時代の著名な歴史家は権勢ある大臣に媚びた。

その先例に習うなど、

頑固で意地っ張りの私は断じて望むところでなく、

煌(きら)びやかな文字で飾った文章でお偉いさん方を喜ばせることはできない。

ほのかに長者の助言を耳にするに、

「剛直であるのは、長い寿命を養うのにはよろしくありませんぞ。

　顔に唾を吐きかけられても、少しも拭ったりせず、

　股をくぐれといわれたなら、すんなりはいつくばり、

　相手を仰ぎ見るのがよろしいでしょうな。

　とにかく、豪強の者に対抗しようなどとはしないで、

　その前で身が朽ちるまでじっとしているくらいがよろしいのですぞ」

さてさて、貴君は、

海中で光を放つ珠のような智慧の持ち主であるのに、

どうしたことか、

このような助言は智慧の網目からうっかり漏れてしまったのだろうか。

世間の人はこのようなこともいう――

大きな器量の持ち主は目先のちまちました仕事には役に立たない、

絶世の美人も真の出会いがないままに老いてしまうこともある、と。

私はここのところ衰えることが久しく、

十年来の知己からさえも手紙がこなくなり、門には客人の訪れもない。

そこに貴君が詩を寄せてくださったことに感じ入り、

このような返事をして、またの返答を待つものである。

【補足】［蘇軾が杭(こう)州時代に、この詩に詠まれているような危機意識と向かい合ったことから、本章のタイトルを「大きな転機」としたのである］

■【04-2-004】法恵寺横翠閣

【解題】上に見た二篇の詩は、蘇軾の作品群の中でもほとんど注目されることはなく、杭(こう)州での3年間の代表作としてよく紹介されるのは例えばこの詩である。この日の朝、蘇軾は舟を西(せい)湖(こ)に浮かべ、湖の南に連なる山並みの一角に呉(ご)山(ざん)を見た。午後に、杭州市内にある法(ほう)恵(え)寺(じ)に行き、そこの横(おう)翠(すい)閣(かく)から角度を変えて呉山を見た。

【訳文】

朝方には呉(ご)山(ざん)が横に並ぶのを見て、

夕方には呉山が縦に並ぶのを見る。

呉山はまことにたくさんの姿を持ち、

あちらを向き、あるいは、こちらを向き、

見る人によって様々なポーズを取る。

ここに朱塗りの楼閣を建てたのは、

物の奥深さを知る人であろう。

中はがらんとして何もなく、

ただあるものといえば、

窓辺にかかる簾(すだれ)のように、

うねうねと連なる丘の遠景である。

こうして春が巡りきても、

私には故郷に帰るあてがない。

人は秋が哀しいというが、

春はさらに悲しい。

西(せい)湖(こ)に浮かんだとき、

故郷の眉(び)山(ざん)を流れる岷(びん)江(こう)を思い出し、

さらに横(おう)翠(すい)閣(かく)に登って、

蜀(しょく)の霊峰、峨(が)眉(び)山(さん)を思い出した。

ここの欄干にもたれているこの私はもとより老いやすく、

欄干に施された彫刻とて、いつまでもその美を保ってはいられない。

幾百年にわたる興廃は悲しむべきなのか。

遥かに想像するに、

この寺もいつしか草むらの中に消えてしまうのだろう。

その時になって、もしも旅人が、

かつて私が遊んだところを訪ねようするのなら、

呉山が横に並ぶところから始めるのがよいであろう。

【補足】［冒頭の「朝見呉山横、暮見呉山縦」［朝(あさ)に呉(ご)山(ざん)を横(よこ)に見(み)て、暮(くれ)に呉(ご)山(ざん)を縦(たて)に見(み)る］は、蘇軾がものごとには常に多様な面があると強く意識していたことを示す句として、特に有名である］

■【04-2-005】祥符寺九曲観燈

【解題】祥(しょう)符(ふ)寺(じ)の九(きゅう)曲(きょく)法(ほう)済(せい)院(いん)で燈篭を見て詠んだ詩。1月15日は上(じょう)元(げん)節(せつ)で、上元節の前後の日々は色とりどりの灯篭を飾り付け、夜にそれを見て歩くことが盛んに行われた［→作品番号03-2-008］。

【訳文】

紗(うすぎぬ)を張った燈篭に迎えられて門から入ると、

銀の葉から昇る香(こう)の煙が待ち受けている。

燈篭の輝きは、

仙薬を焼く金の鼎(かなえ)からの光のように夜を照らし、

客人の流れは、

宝の珠を穿つ蟻の列のように朝まで絶えることがない。

西(せい)湖(こ)の波は燈篭の光のなかで翻り、

西湖の魚は燈篭の焔に焦がされるのを畏れたりはしない。

明日になって酒が醒めたらな、

この光景も空しく想像するだけで、

消えゆく夢を追いながら詩を詠むことになるのだろう。

■【04-2-006】上元過祥符僧可久房、蕭然無燈火

【解題】上の詩の続きで、祥(しょう)符(ふ)寺(じ)の中でも、可(か)久(きゅう)の僧房ばかりは燈篭がなく静まり返っていた。可及は先に出てきた清(せい)順(じゅん)［→作品番号04-1-063］と並んで詩をよくする僧として知られていた。恐らく蘇軾は燈篭見物が目的で祥符寺に来たのではなく、可及に会うためだったのだろう。

【訳文】

祥(しょう)符(ふ)寺(じ)の門前で、二手に分かれて人々が歌ったり踊ったりしている。

ここの一室だけは、清らかな冷たい風が吹いて、氷のように静まり返っている。

仏説で「無(む)尽(じん)の燈(とう)火(か)」という――

心に一つの火を灯せば、百にも千にも無限にもなる――

ここでは灯篭によって御仏を照らそうとしていない、

それを見たことで、

無尽の燈火とは元来は無の燈火であると知った。

【補足】［この詩の末句は、「始知無尽本無燈」［始(はじ)めて知(し)る 無(む)尽(じん)は本(も)と無(む)燈(とう)であると］である。わずか7文字に対して訳詩では5行を費やしている。「無尽の燈火」とは、仏の教えが、一から百、千、万……無限に広まって行くことの譬えである。蘇軾は、有限の数から無限が生じるのではなく、無がすなわち無限であるといっているのである。そのような理屈を詩に篭めるのが、蘇軾を代表選手とする宋(そう)代(だい)の詩の特色となっている。詩とは、言語では表しきれない感情の高まりを、言語によって表現しようとするものであるとするのなら、李(り)白(はく)や杜(と)甫(ほ)を代表選手とする唐(とう)代(だい)の詩によってそのようなことはほぼ窮められてしまい、宋代の人々は新たな可能性を切り拓くべく、静かな思索を詩に詠み込むようになった。後の時代には、こうなるともはや詩ではないとの批判も少なからず生じた］

■【04-2-007】正月二十一日病後、述古邀往城外尋春

【解題】蘇軾の詩の題にはよく「病(やまい)」という字が出てくる。体調を崩すことがしばしばあったのだろうか。この詩の題は、「正月二十一日、病の後に、知事の陳(ちん)襄(じょう)［字(あざな)は述(じゅつ)古(こ)］から春を尋ねに郊外に行こうとの誘いがあった」。

【訳文】

欄干の前の凍っていた沼では、さざ波が立つようになり、

屋根の上では、鳥がねんごろに人を呼んでいる。

病(やまい)を経て白髪が増えたと驚き、

こうも年を取ってしまうと、

妓女を伴っての酒には魅力を感じない。

なおも伏せたままでいると、

鼓(つづみ)と角(つの)笛(ぶえ)が鳴らされるのが聞こえ、

長官様のお出ましではなかろうかと、

念のために息子を呼んで衣や冠を整えさる。

すると、街中の建物はどれほど立派でもやはりせせこましいから、

広々とした野に出て、思う存分春を眺めようではないかとのお誘いであった。

【補足】［ちなみにこのとき蘇軾には3人の息子がいた。長男の邁(まい)は15歳、次男の迨(たい)は4歳、三男の過(か)は2歳であった。長男は前妻の子、次男、三男は後妻の子である。原詩では「穉(ち)子(し)」に衣を整えさせたとあるが、穉(おさな)い子といっても、さすがに4歳の次男では役に立たないであろう］

■【04-2-008】有以官法酒見餉者、因用前韻、求述古為移廚飲湖上

【解題】前の詩と同じ韻を踏んだ詩。詩の題は、「官製の酒を贈ってくれた者があった。それで前の詩の韻を用いて詩を作り、知事の陳(ちん)襄(じょう)を誘って西(せい)湖(こ)の上で料理しつつ飲むことにした」。

【訳文】

門の外に出たときに、

使いの者とぱったり出会って、私は喜んだ。

官製の美酒を届けにきてくれたのだ。

ならば、料理人を引き連れて西(せい)湖(こ)に繰り出そうと思い立った。

赤い鱗の魚を船上で刺身にさばいてもらおう……。

湖を埋める遊覧の船には、

緩やかに漕ぐのによい棹が具えられ、

遊興の人々は春の新たな装いを身にまとっていることだろう……。

我等も厳めしい官人やら武人やらの格好などは無用として、

魚釣りに身をやつした仙人のようであるのがよろしかろうか。

水辺の春への先導役を私が務めようとするのは、

世の中の結構な興趣のほぼ全てが湖上にあるからだ。

■【04-2-009】飲湖上初晴後雨二首

【解題】「西(せい)湖(こ)で飲んだが、初めは晴れていて、後に雨になった」という詩。上の詩の続きであろう。

　其の一

朝の光は、

客人を迎えるのが役目、

重なり合う丘をつややかにする。

夕べの雨は、

客人を引き留めるのが役目、

ほろ酔いの郷(さと)へと導き入れる。

これほど結構なことはないのに、

それもわからないのなら、

酒呑みの風上には置けないので、

その者の一杯は水の神様に捧げるべきであろう。

【補足】［この詩には、蘇軾自身の注で、湖のほとりには水の仙人の王様の廟があると記されている］

　其の二

きらきらと広がるさざ波の光――

西(せい)湖(こ)は晴れてこそよろしかろう。

もわもわと雨に覆われる山々の色――

西湖は降るのもまたよろしかろう。

西湖をかの美女の西(せい)施(し)と比べるのなら、

淡い化粧も濃い化粧も、

全てまことに結構なのである。

【補足】［西(せい)施(し)はこの地方の歴史に深く関わる美女。「淡い化粧も濃い化粧も結構」淡(たん)粧(しょう)濃(のう)抹(まつ)総(すべ)て相(あい)宜(よ)し］という句はすこぶる人口に膾炙し、現在でも高校の漢文の教科書に載っていたりするので、この詩の伝統的な読み下し文も添えておこう。この詩だけを見ると、蘇軾の快楽主義的な一面が強く印象付けられるであろう］

水光瀲灩晴方好、［水(すい)光(こう) 瀲(れん)灩(えん)として晴(は)れ方(まさ)に好(よ)く］

山色空濛雨亦奇。［山(さん)色(しょく) 空(くう)濛(もう)として雨(あめ)も亦(ま)た奇(き)なり］

欲把西湖比西子、［西(せい)湖(こ)を把(と)って西(せい)子(し)に比(ひ)さんと欲(す)るなら］

淡粧濃抹総相宜。［淡(たん)粧(しょう) 濃(のう)抹(まつ) 総(す)べて相(あ)い宜(よ)し］

■【04-2-010】往富陽新城、李節推先行三日、留風水洞見待

【解題】1月の末に杭(こう)州の西南の富(ふ)陽(よう)県や新(しん)城(じょう)県のあたりを巡る出張に出た。この詩の題は、「富陽、新城に往くに、節(せつ)度(ど)推(すい)官(かん)の職務にある李(り)泌(ひつ)が三日早く出発して、風(ふう)水(すい)洞(どう)に留まって待っているという」。風水洞は有名な洞窟である。

【訳文】

山は春――

タクタクと春の鳥が鳴く。

その声を聞いて、私は詩を吟じないではいられなくなった。

道は長い――

うねうねと川に寄り添う。

そこを歩きつつ、貴君と語らずにはいられなくなった。

路辺の人に問うと、

「馬に乗ったさっそうとした好男子のあのお方でございましたら、

　さだめしまだ遠くには行っておられませんでしょう」

皆がそのように答えてくれるのだが、

金(きん)鯽(せき)の池のあたりにも貴君の姿はなく、

貴君を追いつつ定山(ていざん)の村も過ぎてしまった。

風(ふう)水(すい)洞(どう)は昔から有名なところ、

山や谷川を隔てた先にあるから、

夜分に及ぶようになるともう行くことができない。

それで、まだ暁の間に、渓を渡る橋にまできてみたところ、

滴り落ちる水の上に梅の花びらが浮かんでいた。

ならば、いましがたこの梅の木に貴君が馬を繋いだのだと知れた。

杭(こう)州の町を出てこれで三日、

まだこのあたりでぐずぐずしていると知れたなら、

妻や子は、いつ帰ってくるのやらと、ぼやくであろう。

世間の若者はとかく速く行くのを誇りたがるものであるから、

貴君に私を待つ気があるとしても、

はてさてそれはどこであるのやら。

■【04-2-011】風水洞二首和李節推

【解題】風(ふう)水(すい)洞(どう)で李(り)泌(ひつ)と落ち合い、李泌が詠んだ詩に和した。

　其の一

風が吹き込むと、がらんとした洞窟が鳴る。

心を虚しくして、大地の奏でる音楽を聴く。

細い流れが石の門から流れ出てくる。

この洞窟の奥に桃花源(ユートピア)があるのではないかと空想する。

この奇観を前にしては、旅人が好い詩を詠むのは難しい。

ここにある寺の僧は無口であるので、

教えを受ける代わりに、氷雪のような水を瓶(かめ)に酌んで帰ろう、

これさえあればいかなる渇きも慰められるであろうから。

【補足】［続く其の二は、ここが仙境に近いと詠んでいるのだが、上にある「好い詩を詠むのは難しい」の証左であるかのように、苦労して訳してもあまり面白くないので割愛する。ただ、「世事漸艱吾欲去」［世(せ)事(じ) 漸(ようや)く艱(かん)なり 吾(われ)は去(さ)ろうと欲(ほっ)す］の句が、改革政治のもとで官職に就いているのに嫌気がさしたことを詠んでいるとして注目されもしたが、美しい風光のもとでそのような言葉を発するのは特段珍しくはないだろう］

■【04-2-012】風水洞聞二禽

【解題】風(ふう)水(すい)洞(どう)で二種の鳥の声を聞いて詠んだ詩。「青(せい)竹(ちく)筍(じゅん)」と「白(はく)頭(とう)翁(おう)」がその鳥の名である。

【訳文】

青(せい)竹(ちく)筍(じゅん)が竹の林の外でひと声啼くと、

白(はく)頭(とう)翁(おう)が半ば酔った白髪頭の翁に呼びかける。

春の山はこれほどまでに好いのに、

故郷に帰らずにいてよいのか、と、

鳥たちは私に勧めている……。

■【04-2-013】臨江仙

【解題】風(ふう)水(すい)洞(どう)で作った詞。一連の詩と同時の作ではないのかもしれないが、ここで訳しておく。

【訳文】

四大従来都遍満、［四(し)大(だい)［万物生成の四つの源］はもとよりあたりに満ち満ちていますから］

此間風水何疑。［ここにすてきな風水があるのもあたりまえなのでしょう］

故応為我発新詩。［それに応じて新しい詩が生まれます］

幽花香澗谷、［深い谷に花がゆかしく香り］

寒藻舞淪漪。［さざ波に浮草が舞っています］

借与玉川生両腋、［七杯の茶で両腋に翼が生じる気分になるといった人がいましたけど］

天仙未必相思。［仙界に飛んでいかなくてもここに来ればよいのです］

還恁流水送人帰。［流れる水が帰る人を送ってくれます］

層巔余落日、［重なる峰の向こうに日が落ちて行き］

草露已沾衣。［衣はすでに露に湿っています］

■【04-2-014】独遊富陽普照寺

【解題】風(ふう)水(すい)洞(どう)で遊んだ後に李(り)泌(ひつ)と別れたのだろう、富(ふ)陽(よう)県の普(ふ)照(しょう)寺(じ)に独りで行き、この詩を詠んだ。

【訳文】

富(ふ)春(しゅん)［富(ふ)陽(よう)］は漢(かん)の時代から知られる古い村、

この寺は唐(とう)の時代からのもの。

高い木に依るのは老いた鶴か、

朝廷から賜った文書を護るのは天上から帰った竜であろうか。

筒を連ねて春の水が遠くここに引かれ、

夕暮れの鐘の音は谷を出て遠くへと響いて行く。

昔、ある人が寺に泊まって夜の月を見つつ詩を詠み、

途中から次の句が浮かばなくなって苦しんでいると、

座禅を組む老僧がすらすらと句を吟じて聞かせたという。

私のためにそのようにしてくれる人はここにいるのだろうか。

【補足】［昔のある人とは唐(とう)代(だい)の宋(そう)之(し)問(もん)である。宋之問は則(そく)天(てん)武(ぶ)后(こう)に仕えた人で、詩の形式美を整えるのに大きな功績があった。余談であるが、眉(び)州(しゅう)の蘇(そ)氏の祖とされる蘇(そ)味(み)道(どう)と同じ時代の人である。残念なことに、宋之問も蘇味道も道義的に問題のあるの振る舞いが多く、一方は皇帝から死を賜り、一方は流罪となって移動中に死んでいる］

■【04-2-015】自普照游二庵

【解題】上の詩の続き。普(ふ)照(しょう)寺(じ)の裏手にある西の庵と東の庵の二つの庵を訪ねた。

【訳文】

山に入ってからの半日、

人に出会うことがなく、

袂にふんわりと入ってきて迎えてくれたのは野の梅の香り。

高い松の木の上で風の音がするかと思ったら、

夕暮れ時の細かな雨が落ちてきた。

たどりついた西の庵は完全に閉ざされていたけれど、

東の庵は半分だけが閉ざされている。

そこの僧は笑っていう、

「ここの景色がお気に召しましたかな。

　愚僧なんぞはもう厭き厭きでございます。

　何しろこの山奥深くから出る算段がありませんのでな」

私は笑っていう。

「困ったことに山が好きなのです。

　しかし、独りだけで山を歩くと、

　心を痛め過ぎてしまって、

　後で修復しにくくなるのを恐れます。

　一番の治し方は、

　我が髪のあたりに色とりどりの杏や桃の香りを漂わせつつ、

　西(せい)湖(こ)で美酒を飲むことでありましょうか」

私は一篇の詩を認(したた)めて、

世俗と絶縁した山の僧に渡して別れを告げる。

私はもとより人を避けようとはしない、

だから世を避けるものでもないのだ。

【補足】［蘇軾は独り山に籠る隠者に憧れはしても、この詩で自認している通り、人との交際を好み、世間から隔絶して生きる者ではなかった］

■【04-2-016】富陽妙庭観董双成故宅、発地得丹鼎、覆以銅盤、承以琉璃盆、盆既破砕、丹亦為人争奪持去、今独盤鼎在耳、二首

長い題は、「富(ふ)陽(よう)県にある道教の寺院、妙(みょう)庭(てい)観(かん)には、太古の女(にょ)仙(せん)の董(とう)双(そう)成(せい)が住んでいたという場所がある。かつてここを発掘したところ、董双成が仙人になるための薬、丹(たん)薬(やく)を作った鼎(かなえ)が発見された。鼎は銅盤で覆われ、下に琉(る)璃(り)盆(ぼん)があった。その後、琉璃盆は砕かれ、丹薬は持ち去られ、いまでは銅盤と鼎だけが残っている」。

　其の一

鶴に化した董(とう)双(そう)成(せい)は去ったまま帰らず、

山は空しくあり続けている。

丹(たん)薬(やく)は亡んで鼎(かなえ)だけが残り、

世の人はいたずらに悲しみ続けている。

笑ってしまうのは、

唐(とう)の時代に、九(きゅう)転(てん)九(きゅう)変(へん)［複雑玄妙な化学変化］の末に丹薬を作り上げて、

さっさと世から去ればよいのに、

朝廷からの称号を得ることに御執心の者がいたことだ。

　其の二

瑠(る)璃(り)盆(ぼん)は打ち砕かれ、丹薬は失われた。

仙薬を作ったという壇(だん)からは、もはや神々しい光が発せられることはない。

昔むかしある仙人が仙薬を嘗めて昇天したときに、

庭に残された器にこびりついていた薬の滓(かす)をたまたま嘗めた鶏や犬も、

仙人を追って天に昇ったという。

だから、董双成のこの鼎を発見した人も、

さだめし鶏やら犬やらのさらなるお供として天上界に行ったことだろう。

【補足】［理系的素質のあった蘇軾は化学実験を好み、仙薬製造に強い関心を持っていた［→作品番号02-4-014］。しかし、仙人が昇天するとか不老不死になるといったことについてはどちらかというと冷淡で、ここの二首でも仙薬に惑う人々を茶化している］

■【04-2-017】新城道中二首

【解題】出張の最終目的地である新(しん)城(じょう)県に向かう道での詩。

　其の一

東の風は、

私が山の道を行こうとしているのを知っていて、

ずっと屋根で続いていた雨の音をすっかり吹き払ってくれた。

空は晴れ上がり、峠の上に重い綿帽子のような雲だけが残り、

ふらふらと現れ出てきた朝日は、梢の先に重くぶらさがった赤い銅鑼(どら)のようだ。

野の桃が笑いながら、

垣根のような低い竹むらから顔を出し、

柳が一人遊びをしているかのように、

砂も水も清らかな渓流の上で揺れている。

西の山辺の村の人々は今こそが最も楽しいのだろう、

芹を煮て筍を焼いて、

春の農作業の昼餉としているのだから。

【補足】［この詩は訳者にとっては特別な存在である。40年以上も前のこと、蘇軾の詩集を、難解な語句の連打に辟易しながらも何とか辛抱して読み進めて、この詩に至って初めて蘇軾の詩に親近感を抱いたのだった。それがきっかけとなって蘇軾の詩集を何冊か続けて読んだのは、長い時間を隔ててこの自由訳に取り組むようになる伏線であったのだろうか。この詩のどこに引かれたのかというと、いまとなっては当時の気持ちも定かに思い出すことはできないが、終わりの二句が印象的であったのだろう。「西崦人家応最楽、煮芹燒筍餉春耕」［西(せい)崦(えん)の人(じん)家(か) 応(まさ)に最(もっと)も楽(たの)しむべし、芹(せり)を煮(に)て筍(たけのこ)を焼(や)いて春(しゅん)耕(こう)に餉(しょう)す］。ここで蘇軾は、芹を煮て筍を焼いて食べる農民を為政者の眼で見ているのでもなく、風俗画を鑑賞するように眺めているのでもなく、本来はその農民こそが自分自身であると、もしかしたら涎を垂らしつつ目を細めているのである。すでに作品番号04-1-060で見ているように、蘇軾は故郷における農民の暮らし方に強い誇りを持ち、農民の日々の日常に宿る喜びこそ真に高い価値のあるものだと考えていた。蘇軾は超エリートであり、この後、朝廷の高官にもなるのだが、常に一介の農夫と至近距離の内に身を置いたのだった］

　其の二

この道を行く間に、

我が身は世間から遠く離れ、

馬の歩みに任せて谷川の音を聞く。

思えば、自分はそこにある取り柄のない木であろうか――

木こりの揮う斧を見るのを恐れるような気持ちがある。

思えば、自分はそこにいる疲れた馬であろうか――

隊長が旗を巻き、銅鑼(どら)を叩いて退却を命じるのを待つような気持ちがある。

山には幾つもの分かれ道があり、

あちらはたっぷりと雨の降るところ、

そこには喜びに満ちた茶農家が住んでいようか。

あちらは山また山の奥深いところ、

そこでは清らかさに満ちた長官が治めていようか。

人の世界にはたくさんの分かれ道がある。

試しにかしこの人に聞いてみよう、

私はあなたと並んで耕す人になれようかと。

【補足】［「清らかさに満ちた長官」と訳したあたりの原文は「乱山深処長官清」［乱(らん)山(ざん)深(ふか)き処(ところ) 長(ちょう)官(かん)清(きよ)し］である。これは都から小さな村に追われた官員の一つの理想像である。蘇軾の大先輩である寇(こう)準(じゅん)［→作品番号01-1-027］も、大恩人である欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)［→作品番号01-1-039］も、中央では志を得なくとも、左遷された先で民衆と深く親しみ民衆のために努めた。蘇軾も杭(こう)州にあって地方官としていま何をすべきかを改めて思案し直していたのだろう。次の詩からそうした思案の一端を知ることができるだろう。なお、このときの新(しん)城(じょう)県の知事は晁(ちょう)端(たん)友(ゆう)であった］

■【04-2-018】山村五絶

【解題】新(しん)城(じょう)県付近の山間に散在する村を巡って5首の七言絶句を詠んだ。

　其の一

竹の垣根、茅葺の家は、

谷に向かって斜めに傾いている。

山中のこの村にも春はきていて、

ところどころに花を咲かせている。

太平には目に見える形はないという。

私はここにはっきりとそれを見る気がする――

一本の煙が立つところに、また一つの人家がある。

　其の二

そぼ降る雨に閉ざされた彼方から、

鶏や犬の声が聞こえてくる。

生(せい)あるものには、

その生を安んじられるところがきっとある。

あの鳥は「田に出て耕せ」と人を促す布穀(カッコウ)であろうか。

牛を売り刀を買って戦場に出よと強いることさえなければ、

布穀などは鳴かなくても、

人は自ずと田園において安らかに生きられるのだ。

【補足】［布穀(カッコウ)は農耕を促す鳥とされた。「牛を売り刀を買う」とは、古い故事をわざと逆に言ったもの。刀を売って牛を買わせて人々を安定した暮らしに導いた地方官が漢(かん)の時代にいた。進行中の改革で生産性の向上を目指すお上からの細かい指令は「布穀(カッコウ)」に譬えることができるのだろう。また、改革では、民衆に軍事訓練を施して、治安維持を地域住民に担わせようともしたので、「牛を売り刀を買う」に譬えることができるだろう］

　其の三

七十を超えた老人が、

鎌を腰にして春の山に入り、

筍やら蕨やらを採ってきた。

「こいつはうまいものです」

というその老人に、

私は恥じ入らなければならない。

昔、孔(こう)子(し)は聖天子の御代の楽曲を聞いて、

そのすばらしさに三カ月間も食べ物の味を忘れたという。

今この山中においては、

塩の味を三カ月間も忘れているのだ。

【補足】［孔(こう)子(し)は古代の聖天子の堯(ぎょう)や舜(しゅん)の時代を理想とし、その頃に作曲されたという曲を聞いて、食べ物の味も忘れるほどに感動した。山の老人が塩の味を忘れたというのは、それとは全く違って、塩が手に入らなくなったからだ。改革は、専売品の国家統制を強化し、闇の塩を一掃しようとしたために、庶民に大打撃を与えた］

　其の四

お上からの貸付金を手にすると、

あたふた巡り歩いて方々の支払いをすませる。

全ての金が手のひらを返すように空しく消え去ってしまう。

貸付金を得る手続きは煩雑で、

山間の村から何度も何度も町に出なければならなかった。

そのお蔭で、

若い者はすっかり垢抜けした町の言葉を話せるようになった。

【補足】［改革の最大の目玉は「青(せい)苗(びょう)銭(せん)」だった。国は税を金納に統一したために、自営農家は現金の遣り繰りに苦労し、悪い金貸しの餌食となることが多くあった。国は自営農家を守るために、民間よりも低利で融資する仕組みを作った。それが「青苗銭」である。制度の理念はよかったが、手続きが煩雑で、しかも最初は役人が不慣れであったために、貸付金を得るまでに民衆はかなりの労力を要した］

　其の五

「豊作の後の年であるのに、その憂い顔はどうしてなのかな」

問われた私は、

「ただ俸禄を盗み取って、帰るのを忘れているからです」

と、顔をあからめる。

「いつもそんなことばかりをいっているではないか」

「昔、ある人が、故郷を発ったとにき、弟は、

　『僕は衣食が足りてさえいれば十分です』

　と、いって故郷に留まりました。

　そのある人は、遥か南方で戦って勝利しましたが、

　高くに上がった飛鳶(たこ)がいきなりすとん落ちたのを見て、

　郷里に残った弟が正しかったと悟ったのでした。

　飛鳶は落ちなくても、不意にそれと知れるときがあるのでしょう」

■【04-2-019】行香子

【解題】「七(しち)里(り)灘(たん)を通過したときの作」との添え書きがある詞。七里灘は新(しん)城(じょう)県より南に数十キロ離れた山間にあるので、この時期に足を延ばして立ち寄ったものとしてここで見ておく。風景から音楽が脳裏に浮かび、鼻歌に載せて言葉を並べたのだろうか。

【訳文】

一葉舟軽、［ひとひらの軽やかな舟］

双槳鴻驚。［その速さはまるでさっと飛び立つ鴻(おおとり)］

水天清、［清らかな水と天］

影湛波平。［すべてを映してどこまでも広がる波］

魚翻藻鑑、［翻って藻に潜り込む魚］

鷺点煙汀。［煙る汀にぽつねんと立つ鷺］

過沙溪急、［沙のほとりを過ぎれば急な渓］

霜溪冷、［七(しち)里(り)瀬(たん)は、朝は冷たい霜に］

月溪明。［夜は明るい月の光に満たされるのです］

重重似画、［山はあたかも重ねて重ねられた画］

曲曲如屏。［山はあたかも曲げて曲げられた屏風］

算当年、［思えばかの漢(かん)の時代］

空老厳陵。［ここに一人老いたのは厳(げん)光(こう)］

君臣一夢、［光(こう)武(ぶ)帝(てい)と君臣の契りを結んで天下統一に奔走したのも一場の夢］

今古虚名。［古今に残る名も今では虚しいもの］

但遠山長、［ただ変わらないのは遠く遠くの］

雲山乱、［昼には雲が湧き立ち］

暁山青。［暁には青く沈む山なのです］

■【04-2-020】癸丑春分後雪

【解題】出張から杭(こう)州に戻って後の詩。「癸(き)丑(ちゅう)つまり熙(き)寧(ねい)六年の春分の後に降った雪」という題。この年の春分は2月20日であった。

【訳文】

春分になってからの雪はまず見ないので、

半ば開いた桃や李は縮み上がってしまった。

そのていたらくは、

梅には恥ずかしくて見せられたものではない、

梅はもっともっと寒いときに咲いていたのだから。

雪は、逆にむしろ季節を先取りした気でいて、

空いっぱいにあたかも柳(りゅう)絮(じょ)を飛ばしている。

造物者はいったい何を考えているのやら、

春の神に季節のものをほしいままにさせたくなくて、

ことさらに陰(いん)の気を発して雪を降らせる新機軸を編み出したのか。

何はともあれ、冬着をしまえる暖かさがほしいのだが……。

■【04-2-021】湖上夜帰

【解題】西(せい)湖(こ)に遊び、帰りが夜になったという詩。

【訳文】

私は飲んでも器を空(から)にすることはない、

半ば酔ったくらいの味わいが最もよい。

竹の輿(かご)に乗って湖のほとりを帰り行くと、

春の風が火照った頬を吹いてくれて涼しい。

孤(こ)山(ざん)の西側へとまわり込むと、

すでに夜の色が青黒くなっている。

気分よろしく口に詩を吟じるが、

夢から出たり入ったりで、

良句を得ても、浮かんだ先から忘れてしまう。

そうだ、あれは梨の花の咲く村だった……

闇にも花の香りに包まれていた……

あの時に、集まった人々で誰と誰とが今も元気でいるだろうか……

いったい私はいつ都会に出て行くと決めたのか……。

眠っていた眼がたちまちはっきりして、

たくさんの燈火が並ぶ賑やかな水辺にいる。

都会の人々はさぞかし手を打って笑うだろう――

林を失った鹿のようなありさまではないかと。

私は野山にいるべき者、

強いて異なる趣(おもむき)に合せるのは難しい。

人生は己の性分のままに安らぐのを楽しみとするものだ。

私のここまでの策は特によろしくなかったのだ。

【補足】［（1）何度か見てきているように、蘇軾は酒は好きでも、酒量はかなり少ない方であった。この詩でも冒頭で「我飲不尽器、半酣味尤長」［我(われ)は飲(の)んで器(うつわ)を尽(つく)さず、半(はん)酣(かん) 味(あじ)わい尤(もっと)も長(ちょう)ず］と詠んでいる。（2）己の本性は鹿、本来は田舎に住む農民であると考える蘇軾は、役人として町で暮らすことに常に違和感があった］

■【04-2-022】石屋洞題名

【解題】これは、ある書物に「臨(りん)安(あん)の石(せき)屋(おく)洞(どう)の崖の岩に書かれた二十五字」として引用されている題(だい)名(めい)［訪問記録］。石屋洞は杭(こう)州の町の南の山中にある洞窟。

【訳文】

陳(ちん)襄(じょう)、蘇(そ)頌(しょう)、孫(そん)奕(えき)、黄(こう)灝(けい)、曽(そう)孝(こう)章(しょう)、蘇軾が一緒に遊んだ。

熙(き)寧(ねい)六年二月二十一日。

【補足】［6月21日に、陳(ちん)襄(じょう)、蘇(そ)頌(しょう)、孫(そん)奕(えき)、黃(こう)灝(けい)、曽(そう)孝(こう)章(しょう)とともに石(せき)屋(おく)洞(どう)を訪ねたことがわかるだけの文であるが、当時の蘇軾の交遊関係を知ることができる。陳襄は杭(こう)州知事。蘇頌［字(あざな)は子(し)容(よう)］は婺(ぶ)州知事で、旧くからの友人。母の喪が明けて蘇軾が上京したころに会ったのが最初であったようだ。婺州は杭(こう)州から南西に百数十キロ離れた町で、何らかの用事で蘇頌は杭州に来ていたのだろう。孫奕［字は景(けい)山(ざん)］は改革を批判して地方に出されていたのを陳襄が杭州に呼び寄せ、蘇軾の同僚となっていた。黃灝については不詳。曽孝章［字は元(げん)恕(じょ)］は杭州の官員の一人で、次の詩にも登場する］

■【04-2-023】同曽元恕遊竜山、呂穆仲不至

【解題】上の短文に記されていた曽(そう)孝(こう)章(しょう)［字(あざな)は元(げん)恕(じょ)］と竜(りゅう)山(ざん)に遊び、呂(りょ)仲(ちゅう)甫(ほ)［字は穆(ぼく)仲(ちゅう)］がまだ来ないのを待っている間に詠んだ詩。竜山は杭州の南にある山々の一つ。呂仲甫の名は作品番号04-1-034などですでに見ている。

【訳文】

春の盛りには、己が老いてゆくような気がしないものだが、

人生の大半は、書類の間に埋もれているうちに過ぎ去ってしまうのだ。

花は酒に似る――

愁いに沈む者は、そのような句は吟じない方がよい。

日が山に含まれる――

美しいお姉さん方よ、そのような詞は歌わないでくれ。

明日にはもう寒(かん)食(しょく)を過ぎてしまうのだから、

僧院の窓辺でこの半日をゆるゆると過ごそうではないか。

呂(りょ)君は、迎えを遣わしたのにまだ来ない、

曽(そう)君は、もう暮れてしまうから還えるといっている……。

■【04-2-024】書游霊化洞

【解題】呂(りょ)仲(ちゅう)甫(ほ)を呼んでも来ないというシーンは作品番号04-1-035で一度見ていたが、このときには現れたということがこの短文からわかる。

【訳文】

私は初めに曽(そう)孝(こう)章(しょう)君と霊(れい)化(か)洞(どう)に入って行こうとした。日暮れが迫ってきていたし、曽君は道が険しいのに恐れをなし、途中で帰ってしまった。しばらくして呂(りょ)仲(ちゅう)甫(ほ)君が来たので、また一緒に霊化洞に行ってみると、呂君は私よりも勇敢で、昔の人も至らなかったようなところにも進んで行った。そこは、世間を驚かすほどに奇異な景観で、とうてい語れるようなものではなかった。私はそのごく一部でも霊化洞に来ようとする者に伝えたいとは思うのだが、自然の秘密を明かしてしまうのを造物者が怒るのではないかと恐れてしまう。我等二人のように勇気のある者が行けば、自ずと知ることができるであろう。

【補足】［霊(れい)化(か)洞(どう)は山の上にある奥行き百歩余りの洞窟であるという］

■【04-2-025】寒食未明至湖上、太守未来、両県令先在

【解題】この年の寒(かん)食(しょく)は3月1日で、蘇軾はすっかり遊びモードになっていたのだろう、前の日は霊(れい)化(か)洞(どう)を訪ね、そのままどこかに泊まりでもしたのか、翌日のまだ明けやらぬうちに西(せい)湖(こ)のほとりに行き、知事の陳(ちん)襄(じょう)が来るのを待ちつつ、この詩を詠んだ。詩の題に「両県令は先にきていた」とあるのは、銭(せん)塘(とう)県知事の周(しゅう)邠(ひん)と、仁(じん)和(わ)県知事の徐(じょ)疇(ちゅう)である。周邠は作品番号04-1-054で見ているように母の喪中であったから、知事としての職務に就いてはいなかったろうが、以下の詩でも周邠には知事の肩書が付されている。

【訳文】

町の上の空が明け始め、

目覚めた烏がまだ互いに啼きかわしているときに、

黒い榜(たてふだ)を挙げ、数々の紅い船が早くも西(せい)湖(こ)に満ちてくる。

音楽を奏して州知事殿の馬をまだ迎えに行く前に、

水辺の雲のなかから二羽の鳧(けり)のように、

さっと二人の県知事殿が現れる。

山を背に映えるのは、竜の頭をもたげた船先の黄色、

道を挟んで立ち昇るのは、鵲(かささぎ)の尾の形の爐からの香(こう)の煙の青色。

老いたこの身は春に逢うと、

ただ眠ることだけを思って、

少しの間でもよいから僧(そう)榻(とう)［僧が座禅を組む台］を借りたいものである。

【補足】［知事たちへの挨拶の詩で、特に深い内容はない。州知事はまだこないが二人の県知事がすでにきていると歌ったところが、原詩では、「五(ご)馬(ば)」と「双(そう)鳧(ふ)」の対句となっていて、そこが一つの眼目になっている。昔、地方の大官である太(たい)守(しゅ)は五頭立ての馬車に乗ったので「五馬」は州知事を指し、漢(かん)の時代に県知事であった王(おう)喬(きょう)が鳬(けり)となって宮殿に飛び来たという伝説［→作品番号01-2-037］があるので、「双鳧」は二人の県知事を指すのである。この対句を見て、三知事がにやりとしてくれれば蘇軾は満足なのだが、この訳詩ではその面白味を伝えられていない］

■【04-2-026】次韻孫莘老見贈、時莘老移廬州、因以別之

【解題】湖(こ)州知事の孫(そん)覚(がく)［字(あざな)は莘(しん)老(ろう)］［→作品番号04-1-044など］は、3月に廬(ろ)州に異動となり、そのことを詩を添えた手紙で知らせてきた。それへの返事。

【訳文】

造物者はたった一つの道具で形の異なる万物を作るとか。

造物者に作為などはないのだから、

造物者に向かってあれこれ望んだりはしない。

かくして私は粗雑で頑迷に作られたのであるから、

今の境遇も当然である。

貴君はまるでそうではないのに、

日陰に追いやられているのはどういう訳なのだろうか。

世の中には見識の高い方々、手腕の優れた方々が居並んでいる。

私なんぞが痴(し)れ言(ごと)をほざいても失笑を買うだけであるし、

貴君はなかなかの悪筆であるから見る人が眩暈(めまい)を起こすだけである。

というわけで、貴君に新たに歌を贈ることはしないで、

決まり切った古い別れの歌を唱えて、

一杯の酒を差し上げることにする。

【補足】［（1）「造物者の道具」と訳したのは原詩では「鑪(ろ)錘(すい)」［鍛冶屋の道具］。「造物者」と訳したのは「造(ぞう)化(か)」。どちらも『荘(そう)子(じ)』に見える道家の用語。人格を持った万物の作り主は、道家の思想には存在しない。この世界は何らかの意図をもって作られたわけではなく、人々の運命は何らかの意味があって定められているわけでもない。全知全能の神を教義の根本に据える一神教とは考え方が大きく異なるのである。（2）孫(そん)覚(がく)は書(しょ)の収集家ではあったが、おもしろいことに当人は自他ともに認める悪筆であった］

■【04-2-027】贈別

【解題】ここから見る3首はいかなる経緯で詠まれたのか不明。読んで自由に想像すればよいのだろう。誰かとの別れに贈った詩。

【訳文】

青い鳥は手紙を口に挟んで遠く飛ぶとか、

黄色い鶯(うぐいす)は別れた人のために悲しく泣き続けるとか。

貴君と最後に手を携えて歩いた場所をきっと忘れないでほしい、

西(せい)湖(こ)の東、鳳(ほう)凰(おう)山(ざん)の西である。

■【04-2-028】次韻代留別

【解題】別れて去って行く人に代わって詠んだ詩に次韻した。

【訳文】

蝋燭の赤い炎が尽きるまで杯を交わし合い、

別れの歌を繰り返し一万回も唱える。

あのとき去ったのが誰だったのかと思い返したなら、

私はもとはあの西(せい)施(し)と同じところに住んでいたと覚えていてほしい。

【補足】［結びにこの地に所縁のある絶世の美女である西(せい)施(し)を引いていることから、去って行くのは女性であったのだろう。とすると、前の詩とともに妓女のために作った詩であるのかもしれない。もう1首、女性の衣の模様を歌ったらしい詩もあるが、訳者には意味を汲み取ることができないので割愛する］

■【04-2-029】薄命佳人

【解題】ある美少女を詠んだ詩。

【訳文】

頬はヨーグルトのように白く、

髪は漆を塗ったように黒く、

目から放たれる輝きは、的に向かってころころと玉粒を投げ付けるかのよう。

仙人の衣のような純白の絹をまとう天然の資質を、

紅で汚すのは不要だ。

軟らかく愛嬌のあるこの地の音の響きで言葉を発し、

まだまだ子供っぽいところがある。

この世界には果てしない愁いのあることなど、

まだまだ知らないのだろう。

昔から佳(よ)い人は薄命であることが多いという――

門を閉ざしていても、

春はどこかへ行き、楊(やなぎ)の花は散ってしまう――

【補足】［（1）ヨーグルトの譬えは原詩では「凝(ぎょう)酥(そ)」。酥は牛や羊の乳から作った固形物で、つまりはヨーグルトのようなもの。（2）これも妓女のために詠んだものなのだろうが、その女性が誰であるかは明らかではない。もしかしたら、後に見る作品番号04-3-068の12歳の少女であるのかもしれない］

■【04-2-030】書周韶

【解題】周(しゅう)韶(しょう)という妓女について記した短文。

【訳文】

杭(こう)州の官(かん)妓(ぎ)の周(しゅう)韶(しょう)は珍しい茶を多数蓄えていて、かつて蔡(さい)襄(じょう)と茶の飲み分けをして勝ちもした。

周韶は詩にも通じている。蘇(そ)頌(しょう)君が杭州に来たときに、陳(ちん)襄(じょう)知事が周韶を呼んで一緒に飲んだ。すると、周韶は泣きながら落(らく)籍(せき)［官妓からの解放］を求めた。蘇頌君は、「ならば、一首の絶句を作ってみるがよい」といった。

周韶は筆を取ると、たちどころに詩を書いた。

（それは雪のような衣をまとって自由に飛翔する夢を詠んだもので）このとき周韶はちょうど白い衣を着ていたので、一座の者は多いに感嘆し、ついに落籍の許可が出たのだった。

同輩の妓女たちは周韶を見送り、皆が詩を詠んだなかでも胡(こ)楚(そ)と竜(りゅう)靚(せい)の二人の詩が最も優れていた。杭州には才人がたくさんいるのである。

【補足】［（1）蘇軾が州知事の代行をしていたときに、周囲が惜しんだために妓女の周(しゅう)生(せい)を解放しなかったというエピソードを見ているが［→作品番号04-1-052］、それはここにある周(しゅう)韶(しょう)とたぶん同一人物なのだろう。陳襄知事の温情でついに自由に身となったのである。（2）蔡(さい)襄(じょう)は先輩官人で、名筆家であり茶の大変な愛好家であった。蔡襄と交流があったわけだから、周韶はすでに若くはなかったのだろう。（3）蘇(そ)頌(しょう)は作品番号04-2-022で見ているようにこのとき婺(ぶ)州知事で、この後すぐに婺州に帰ったようだ。（4）周韶と2人の妓女の詩は伝わっているが、訳文は煩を避けて割愛する。もしかすると、上に見た作品番号04-2-027とその次の詩は周韶と関係するのかもしれない］

■【04-2-031】銭塘六井記

【解題】蘇軾にしても陳(ちん)襄(じょう)知事にしても官人仲間や妓女と遊んで日々を送っていたわけではなく、地方官としての職務ももちろんきちんと果たしていた。なかでも特記すべきは、杭(こう)州の町［銭(せん)塘(とう)］の上水システムの改修を行ったことで、その工事が完了したことを記念する文章をこの春に蘇軾は記している。これは蘇軾の工学的センスを示すものとして興味深いのだが、上水システムの詳細を記述している箇所には多数の地名が引かれていて訳者には十分に理解できないので概略を汲んで訳す。

【訳文】

海からの潮は、銭(せん)塘(とう)江(こう)の流れを押しのけて遡り、東側から西の丘陵へと激突している。現在そのようになっていることの由来は遠く昔に遡る。

すなわち、かつては海水をかぶって低湿であった土地に次第に草木が生え、耕作ができるようにもなり、そして久しい後に人が住むところとなり、村ができて町ができるようになったである。今の杭(こう)州の町が載る平らな陸地は、もとはいえば全て河口の下であったのだ。

そのようなことから、杭州の水はどこも塩が混じって質が悪く、ただ山の近くに掘った井戸だけから淡水を得ることができる。しかし、その水は狭い範囲にしか及ばない。

唐(とう)の世に宰相となった李(り)泌(ひつ)が杭州知事であったときに「六(りく)井(せい)」が作られた。西(せい)湖(こ)の淡水を引いて六つの貯水池を作り、民の便宜を図ったのである。その後、杭州の知事となった白(はく)居(きょ)易(い)が西湖の治水工事を行い、六井に水を供給する水路を改修した。その事績は湖畔の石碑に刻まれている。現在に至るまで杭州の民はそれを頼りとしてきた。

李泌の最初の六井のうち最大のものは町の南にある相(そう)国(こく)井(せい)で、その西に西(せい)井(せい)があり、そのまた西北に金(きん)牛(ぎゅう)池(ち)があり、その北西に方(ほう)井(せい)があり、また白(はく)亀(き)池(ち)があり、さらに北東に小(しょう)方(ほう)井(せい)がある。その中で金牛池は早くに廃れてしまった。

宋(そう)の嘉(か)祐(ゆう)年間に杭州知事の沈(ちん)遘(こう)は六井の南に南(なん)井(せい)を作った。

町の西南にある湧(ゆう)金(きん)門(もん)から北には、湖に向かって三つの水門が開かれ、そこから東に石の樋(とい)で町の中へと水を流し、南井、相国井、方井はその水を取っている。相国井から分かれた水が西井にくる。白亀池と小方井は西湖の湖底に樋を埋めて水を取っていて、水門はない。

以上が六井の大略である。

熙(き)寧(ねい)五年［1072年］秋、陳(ちん)襄(じょう)知事は赴任するとすぐに、民衆が困っていることは何かと尋ねた。皆が答えたのは、

「六井を直さないと民に水を供給できなくなります。特に、南井に通じる樋は低いところを通り、しかし貯水池は高い位置にありますので、水は地中深くに潜ってしまって、汲み上げることが困難になっています」

陳知事はいった。

「それはいかん。私がここにきたからには、民が水を求めて得られないようなことにさせはしないぞ」

陳知事はただちに仲(ちゅう)文(ぶん)と子(し)圭(けい)の二人の僧にこの問題に取り組むよう命じた。二人は二十余人の仲間を集め、解決策を検討し、自ら力を出して官の仕事を助けることにした。最初に、古くなった樋を瓦作りのしっかりとした物に取り換えて水が漏れることがないようにした。すると相国井に向かって勢いよく水が流れ、瞬く間に水が貯まった。

また方井は水が汚染されてほとんど使えないくらいになっていたので、西に少し移動させることにした。すると、かつて築かれた基礎が出てきた。土地の古い人が驚いていうことには「これは昔の方井です。李(り)甲(こう)という者が今の位置に移して六十年になります」

湧金門の近くに上、中、下三つの湧金池を造り、衣類を洗ったり馬に浴びせたりした汚れた水が他の池に及ばないようにした。その門の外に二つの水門を設け、一つは池に流し、もう一つは石の檻(はこ)と竹の管を使って東に流し、三つの橋を超えて南井に注ぎ入れることにした。水は高いところから低いところに流れるものであるので、南井の水位を高く保つような工夫をしたのである。

西湖に開いた四つの水門を全て垣で守り、草や土で埋まらないようにした。

以上のようにして、明くる年の春までに六井の改修が全て終わると、たまたま日照りが続いて江(こう)南(なん)一帯ではどこも水不足となり、民は甕(かめ)に貯めた水をまるで酒を神に捧げるかのようにわずかずつ節約して使うほどになった。ところが杭州の民だけは水が十分に足り、変わらずに牛馬に飲ませ、沐浴にも使ったのである。

この時になって、水を汲む者はこの仕事をしてくれた僧に感謝し、陳知事の成功を祝った。

私が思うに、水は人が絶対に必要とするものである。日照りとなって貯水池が枯渇するようなことはいつでもあるわけではない。しかし、いつもあるわけではないことが起こると、甚だしい緊急事態になってしまう。天下は常にこうした困難を患いとする。それは水だけには限らない。

だから、後の時代の人のためにも以上のようなことを私は詳しく記したのである。長年積もり積もって困難になった問題であってもよくよく考えればやれることがあるのだ。

【補足】［（1）この文章を読むと、蘇軾が杭(こう)州の地勢や上水システムの問題点を正確に把握していたことがわかる。その後の実績からしても蘇軾には優れた土木工学的センスがあったのは確かなので、このときの上水システムの改良事業に蘇軾がかなり尽力したと推測される。（2）また、興味深いのはこの事業を仏教界の力を借りて実施していることである。後にも見るように、様々な土木事業に僧侶や道士が活躍して、設計、施工、資金集めなどを行い、デベロッパーやゼネコンのような役割を果たしている］

■【04-2-032】乞子珪師号状

【解題】上の文章中に名が挙げられていた僧の子(し)珪(けい)には後日談がある。六(ろく)井(せい)の改修工事から18年後の元(げん)祐(ゆう)五年、子珪の功績を讃えて師号を与えるよう蘇軾は朝廷に要望している。その書面を見ておこう。そのとき蘇軾は知事として再び杭(こう)州に赴任していた。

【訳文】

元(げん)祐(ゆう)五年十二月、竜(りゅう)図(と)閣(かく)学(がく)士(し)左(さ)朝(ちょう)奉(ほう)郎(ろう)知(ち)杭(こう)州(しゅう)の蘇軾は文書をもって朝廷に奏上いたします。

臣(わたくし)が考察しますに、杭州の現在の平坦な陸地は、もとは河口ないし海でありましたので、淡水が湧く泉は山に近いところにしかなく、あとはいずれも塩辛い井戸となっております。唐(とう)の時代に杭州の知事となった李(り)泌(ひつ)が初めて西(せい)湖(こ)の水を引いて町に六つの井戸を作りました。その後、白(はく)居(きょ)易(い)は西湖を治め、井戸を浚って、民の必要とするものを満たしました。宋(そう)代(だい)に至って、嘉(か)祐(ゆう)年間に杭州知事の沈(ちん)遘(こう)が大きな井戸を一つ増やしました。それは美(び)俗(ぞく)坊(ぼう)にあって、いまは沈(ちん)公(こう)井(せい)と呼ばれています。最も要(かなめ)の地を得たものでありましたので、四方の遠くからもそこに水を汲みにくるようになりました。しかし、完成してから次第に壊れて水が減り、いつも水が出るとは限らなくなってしまいました。熙(き)寧(ねい)年間に至って、六井も沈公井もどれもが壊れてしまったのでした。

そのようなときに杭州知事となった陳(ちん)襄(じょう)は僧の仲(ちゅう)文(ぶん)、子(し)珪(けい)、如(じょ)正(せい)、思(し)坦(たん)の四人を選び、井戸を改修させたところ、工事が完成した年はひどい日照りになったものの、杭州の民衆に限っては水に足りて、その利は非常に広く及んだのでした。臣(わたくし)は副知事としてそのことを親しく見たのでありました。

それから十八年を経たいま、沈公井はまた壊れ、一年中水が出なくなってしまいました。ほかの井戸からも水を得るのが難しい民は、七八銭で一斛(こく)の水を買うようになり、また軍の営舎においてもはなはだ水に困っていたのでした。臣(わたくし)はかつて熙寧年間に井戸を改修した四人の僧を探したところ、三人がすでに亡くなっていて、子珪だけが健在でありました。すでに七十歳になっていましたが、精力は衰えず、沈公井が壊れてしまった理由を尋ねたところ、

「熙寧年間の工事も簡単ではなく、竹の管を使わなければならなかったために、どうしても壊れやすかったのです」

と、いって、瓦の筒を作り、底を堅く厚くした石(せき)槽(そう)の中を通して、筒同士を緊密に繋ぐならば、水は十分に足りてしかも長く壊れることがないと、画をもって示しました。また、六井の水の余りを仁(じん)和(わ)門(もん)の外にも引いて、威(い)果(か)と雄(ゆう)節(せつ)の二カ所の軍営の間に二つの井戸を作るならば、これまで井戸から遠くて水を得難かった場所にも及ぶようになることも示したのでした。

こうして、その通りに工事を実施したところ、西湖の淡水が町全体に行き渡るようになって、軍も民も喜びあったのでした。これはまさしく子珪の心(しん)力(りょく)才(さい)幹(かん)がなければ決して成就することのなかったものなのであります。

子珪は先にすでに紫衣を賜る御恩を蒙っておりますが、さらに師(し)号(ごう)を与えて長く顕彰することを臣(わたくし)は求めるものであります。

右に申し上げました霊(れい)石(せき)多(た)福(ふく)院(いん)の僧の子珪は戒律に身を委ね、熙寧年間より今に及ぶまで二度にわたって井戸の改修に携わって、風雨も避けることなく労苦を重ねて著しい成功を遂げたのでありました。もしも聖恩を蒙って一師号を賜りますならば、恵(けい)遷(せん)をもって号といたしたく考えております。これは『易(えき)経(きょう)』の「井(い)の其(そ)の所(ところ)に居(あ)る而(なら)ば遷(うつ)る」の義から取ったものであります。慎んで奏聞いたし、伏して敕旨が下されるのをお待ちいたします。

■【04-2-033】吉祥寺花将落而述古不至

【解題】六(ろく)井(せい)の改修も、蘇軾と陳(ちん)襄(じょう)［字(あざな)は述(じゅつ)古(こ)］知事との関係がすこぶるよかったから成功したのだろう。蘇軾は牡丹の名所の吉(きっ)祥(しょう)寺(じ)で知事への戯れの詩を作っている。

【訳文】

今年の春風は裁縫がことに巧みである。

情を含んだ花のありさまは、

知事の訪れをまだかまだか待っているかのようだ。

花に対して信(まこと)を示さなければ、

花はきっと恨みを抱くであろう。

恐れるのは、

来年はすねてもう開かなくなってしまうこと。

■【04-2-034】述古聞之、明日即至、坐上復用前韻同賦

【解題】早く来ないと牡丹が散ってしまうという上の詩を、陳(ちん)襄(じょう)［字(あざな)は述(じゅつ)古(こ)］知事は見ると、早速その翌日に吉(きっ)祥(しょう)寺(じ)を訪れた。蘇軾も同行して、上と同じ韻で詩を作った。

【訳文】

牡丹は仙人の衣――

布を裁つことのない無(む)縫(ほう)の衣。

牡丹は天下の美女――

朝の酒にほんのり酔ったかのよう。

知事殿が花に問うと、

花は花の言葉で答える。

「知事殿が来られないとしょんぼりし、

　知事殿が来られると存分に開くのです」

■【04-2-035】東陽水楽亭

【解題】東(とう)陽(よう)県知事の王(おう)槩(がい)［字(あざな)は公(こう)操(そう)］のためにこの詩を作った。東陽県は杭(こう)州の100キロ余り南にあり、県の西南八里の峴(けん)山(ざん)に水(すい)楽(がく)亭(てい)があった。蘇軾は現地に赴いて詠んだのではない。

【訳文】

よく知られているように、

漢(かん)の時代に、白(はく)公(こう)が��(けい)水(すい)から水を引いて東の渭(い)水(すい)に流し込んだところ、

大地は大いに潤い、豊かな泥が積み上がった。

よく知られているように、

漢の時代に、哥(か)舒(じょ)翰(かん)は西域を征伐してまわり、

帰りくると羯(かっ)鼓(こ)［西方由来の打楽器］を打ち鳴らす音楽が盛んに奏せられた。

王(おう)槩(がい)君は人のいない山中で崖の岩に向かって、

無用の清流の無声の音楽を聞くのを愛している。

流れる水に弦はなく、石に竅(あな)はなく、

強いて水(すい)楽(がく)［水による音楽］と名付けても、

人々に笑われるだけではなかろうか。

山の僧はもう見慣れてもいるし聞き飽きてもいるが、

月は心を寄せて光をここに留めてくれる。

谷の間に響く音は、宮(きゅう)や徴(ちょう)の音階を含むにしても、

音楽としては実は成り立っていないのを、

王槩君だけは喜んでいるのである。

これを写して弦で真似したところで、

似た音になったとしても、

王槩君のほかにはそれを聞く耳はないのだ。

【補足】［原詩ではいろいろな故事を用いて、無用かつ無声の自然の水の音楽についてあれこれ歌っているのだが、宋(そう)代(だい)の士(し)大(たい)夫(ふ)の万分の一の知識もない訳者には何が面白いのかよくわからないので、大意を取って訳した。煩を嫌って、「白(はく)公(こう)」などについての説明は省き、非常に訳しずらい途中の4句を割愛している］

■【04-2-036】与康操都管

【解題】上の詩を作った経過は王(おう)槩(がい)［字(あざな)は康(こう)操(そう)］へのこの手紙からわかる。

【訳文】

お手紙を頂戴し、御返事をいたさねばと思いながらも、あれやこれやと思いがけないことが重なって、これまでぐずぐずしてしまいました。すでに春の穏やかな陽気となりましたが、お変わりなくお過ごしでありましょうか。

先に図と文章と詩を寄せてくださり、深く心が慰められ、また慕わしく思われもします。これはまことに賢者の楽しみを得たものでありますので、いかに拙くても務めて詩を作って、高(こう)人(じん)［王(おう)槩(がい)］の絶境にお寄せしたいと思っております。それによって長く伝えられることにもなりましょうか。何かと暇のない日々ではありますが、十日ほどのうちにはお送りすることができるでしょう。

【補足】［王(おう)槩(がい)から、水(すい)楽(がく)亭(てい)に関する絵と文章が送られてきて、詩を詠むよう求められたのである］

■【04-2-037】於潜令刁同年野翁亭

【解題】3月に公務で杭(こう)州の西に出向き、於(よ)潜(せん)という町で、そこの知事の刁(ちょう)璹(じゅ)［字(あざな)は景(けい)��(し)］が建てた野(や)翁(おう)亭(てい)で詩を詠んだ。刁璹は蘇軾と同じ年に科挙に合格したいわゆる「同年(どうねん)」の間柄である。

【訳文】

野(や)翁(おう)亭(てい)の主人がいうには、

「山翁(さんおう)は山から出ません、

　渓翁(けいおう)はずっと渓(たに)にいます。

　野翁は山と渓を行き来し、

　山に上れば鹿を友とし、

　渓に下れば鴨を友とします。

　つまり、山翁、渓翁は野翁には及ばないのです」

野翁亭の主人に尋ねる、

「人に引っ張り出されそうになったり、

　人に背中を押されたりしながらも、

　三年の間ずっとここにいて、

　いったい何を楽しみとしているのですか」

野翁亭の主人はいう、

「ここにある楽しみは、

　琴による楽しみでも、笛による楽しみでも、

　まして美しく引かれた眉による楽しみでもありません。

　山の男は、冠が落ちるのもまるで気にせず酔っ払い、

　渓の女は、櫛が落ちるのもまるで気にせずに笑い転げます。

　そういうことこそが楽しいのです」

私は政治の実態を調べにここにきた。

人々に問うと皆がいうには、

「昔から、よく治まった村では、

　犬も盗賊を追いかけて走ることがありませんので、

　足の毛が擦り切れずに長く伸びるといわれています。

　ここの村の犬がまさにそうなのであります。

　ただ一つの心配は、

　野翁亭の旦那様がここを見捨てて行ってしまわれること。

　そうなったら、

　山の男はただただ寂しがり、

　渓の女はずっと泣くことでありましょう」

【補足】［この詩は、刁(ちょう)璹(じゅ)がこうありたいと思うところを詠んだのだろう。於(よ)潜(せん)の人々が、この詩に詠まれているようなことを実際にいったわけではないだろう］

■【04-2-038】於潜僧緑筠軒

【解題】同じ於(よ)潜(せん)で、恵(え)覚(がく)という僧の緑(りょく)筠(いん)軒(けん)を訪ねて詠んだ詩。緑筠とは緑の竹のことで、竹は清らかな精神の象徴である。

【訳文】

「肉は食らわなくてもすむ。

　しかし、竹がないところには住めない。

　肉がないと人は痩せてしまい、

　竹がないと人は俗っぽくなる。

　一度痩せた人でも太らせることはできる。

　しかし、俗に染まった人間は医者も治せない」

これは恵(え)覚(がく)の説である。

傍らの人は、お高く止まり過ぎてばかばかしいと笑う。

世間には「揚(よう)州の鶴」という笑い話がある。

揚州に三人の者がいて、どんな願いも叶うのなら――

一人目は、大金持ちになりたいといい、

二人目は、鶴にまたがって天に昇りたいといった。

そこで三人目は、胴巻きに十万貫を入れ、鶴に乗って天に昇るんだといった。

肉をむしゃむしゃ食らいながら、竹を眺めて清浄の心を養いたいと、

私がいったらどんなものだろうか。

■【04-2-039】於潛女

【解題】同じ於(よ)潜(せん)で活動的な若い女性を見ての詩。

【訳文】

於(よ)潜(せん)の女性は、

両足に履(くつ)をはかず、真っ白な素足のままだ。

左右に大きく張り出した髪の前面に、

一尺もある長い銀の櫛を横に挿し、

青いスカートに白い上着の袂を翻しながら、

風雨の中も平気で走り回る。

この地の女性の風俗には、

銭(せん)氏の呉(ご)越(えつ)国(こく)の宮廷のよそおいが伝わっているのだろうか。

人々はいまも銭氏の時代を慕っている。

楊(よう)柳(りゅう)が白い花を飛ばし始めたなかを、

渓谷を照らすようにして美しい娘が渡って行く。

薪を採ってきた青年と出会い、

二人は目と目を見合わせる。

佳(よ)い妻は古い名族から娶(めと)るべきだなどという決まりは、

金輪際ありはしないのだ。

【補足】［（1）「両足如霜不穿履」［両(りょう)足(あし) 霜(しも)の如(ごと)く 履(くつ)を穿(は)かず］は風俗史上極めて重要な句とされている。旧い中国では女性の足を無理やり小さくする纏(てん)足(そく)が広く行われた。纏足が社会に流行し始めたのは北(ほく)宋(そう)のころからだといわれる。蘇軾が見た於潜の女性はそれとは全く無縁で、裸足で走り回っていた。この句から、蘇軾の時代には纏足はまだ社会のごく一部で行われていただけであろうと推測されている。（2）銭(せん)氏の呉(ご)越(えつ)国(こく)は、前述の通り、宋による天下統一が成される前の五(ご)代(だい)十(じっ)国(こく)時代に杭(こう)州を中心として繁栄した地方政権で、蘇軾は杭州にきて以来、呉越国の文化を重んじる姿勢を示している。それには蘇軾が蜀(しょく)の出身であることが関係しているのだろう。五代十国時代に、蜀には成(せい)都(と)を中心とする地方政権があり、唐の文化を最も良く受け継ぐ国として栄えていた。蜀は呉越国と違って宋に抵抗したために、武力によって滅ぼされ、蜀の文物は宋の都に持ち去られ、蜀の人々はしばらく宋の圧政に苦しまなければならなかった。（3）この詩の後半は、美しい風景のもとで土地の若い男女が擦れ違い、そこから恋愛が始まることを歌っている。終わりの句は、男子の夢は朝廷の高位高官に連なり、名門貴族の娘を娶ることだという、唐(とう)代(だい)まで続いた強固な価値観を明確に否定するものである。北宋のころは、社会の様々な面で女性が活動し、それを支える制度もそれなりにあった。宋代は旧中国の歴史の分岐点で、西欧に先んじて自由闊達な社会を生み出し得る気運が芽生えていたのだが、残念ながら徐々にそれは凋んでしまった。王(おう)安(あん)石(せき)が国家の大改革を立案して実行できたのも宋代ならではのことで、それに強固に反対した蘇軾は、実は中国の歴史を逆行させた反動集団の一員だったとして糾弾されても仕方がないかもしれない。つまり、蘇軾は於(よ)潜(せん)の女の溌剌とした姿をここで賛美しつつも、それを消し去ってしまう方に加担してしまったのかもしれないのだ］

■【04-2-040】自昌化双溪館下步尋渓源、至治平寺、二首

【解題】於(よ)潜(せん)からさらに西に進んで昌(しょう)化(か)県に至り、双(そう)渓(けい)という谷の奥にある治(ち)平(へい)寺(じ)を訪ねた。

【訳文】

　其の一

春の山に入ると、

滴り落ちてくる緑のせいで、

衣が重みを増すかのようだ。

虚空に二つの谷川が響き合い、

寺の窓が揺れ動く。

谷間の筍は痩せているけれど、飽きずにたらふく食べられ、

林に入れば、香りの良い草がすぐに見つかる。

こうした楽しみを県令が知ってしまったので、

ちょくちょく遊びにくるのではないかと、

寺の僧は恐れを抱いている。

しかし、寺の前の橋を渡って、

土地の漁師が出入りするのはいつでも歓迎なのである。

私はふと思う――

これは故郷眉(び)山(ざん)の醴(れい)泉(せん)山(ざん)の下の路にそっくりではないか、

桑の枝が目を刺しそうなくらいに伸び、

麦の穂が腰近くまで高くなっているのは。

　其の二

田園を見るたびに、

手招きされているような気になる。

しかし、昔からこういう――

鳥は飛び疲れても、強い風には乗って行こうとしない、と。

いま私は何に身を寄せるのがよいのか。

昔のむかしの高官で、

官職を投げ出して、田園生活のよさを嘯(うそぶ)いた人がいた。

しかし、その人が自分自身で豆畑を耕したり、

稲の苗を植えたりしたとは信じられない。

私は元来自ら耕作をする者であった。

それが今では、

お上から支給される米を食べ、

夢で時たま故郷の川辺の橋を訪れるだけなのだ。

ああ、官界に遊び呆けて、

帰る家のない人間になってはいけない。

終(しま)いには一族がずっと痩せ細ることになってしまうだろうから……。

【補足】［この詩の終わりにある「宦遊莫作無家客」［宦(かん)遊(ゆう) 作(な)る莫(な)かれ 無(む)家(か)の客(きゃく)に］の部分は、官員になることが最大の出世の道で、そのために多く人が懸命に科挙を目指したことと矛盾するかのようだが、実は表と裏の関係にある。下級・中級官僚は国から支給される俸禄だけではせいぜい官員らしい体面を保って暮らすので精一杯で、もし免官になったり病気や事故で死んだりしたならば、一家はたちまち窮乏に陥って、家のない旅人と化してしまうのであった。例えば、蘇軾の伯父の蘇(そ)渙(かん)は、かつての同僚の娘が売られて人の家で婢となっていたのを救っていた［→作品番号02-4-017］。また、蘇軾が8歳のときにその名を知って以来尊敬し続けていた范(はん)仲(ちゅう)淹(えん)は2歳のときに父を喪い、母は夫の親族に冷たくされて、朱(しゅ)という人の後妻になることでかろうじて生き延びることができた。范仲淹は朱の家の子として成長し、范の姓をどうにかして取り戻したいと、文字通りの苦学の末に科挙に合格して官員となった。蘇軾は長い目で見れば、官員となるよりも土地に根差した農民の方が一族の暮らしを長く維持できると、この詩で歌っているが、范仲淹は自身の苦労を子孫には味あわせまいと、誰もが「無(む)家(か)の客(きゃく)」にならないよう一族が助け合う仕組みを作って、子や孫に運営させた。驚くことに、その范氏の共同体は清(しん)朝(ちょう)の時代まで続いたのだった］

■【04-2-041】与臨安令宗人同年劇飲

【解題】蘇軾は昌(しょう)化(か)県から引き返し、臨(りん)安(あん)県で知事の蘇(そ)舜(しゅん)挙(きょ)［字(あざな)は世(せい)美(び)］と劇飲してこの詩を詠んだ。詩の題に「宗(そう)人(じん)同(どう)年(ねん)」とあるのは、同じ蘇姓で同じ年に科挙に合格した人物ということで、それが蘇舜挙なのである。劇飲とはいっても、蘇軾の酒量は実際には多くないことが、この詩の中で歌われている。

【訳文】

私は飲酒をあまりよくしないけれど、

盞(さかずき)を手にするのは嬉しくてならない。

白髪に秋を感じるような年になった我等も、

鶏が暁を呼ぶ歌を唱えるまで飲み続けようではないか。

貴君と科挙を受けたのは昨日のことのよう。

しかし、いま頬が紅いのは若いからではなく、

枯れる前の霜(そう)葉(よう)と同じであるのだろう。

いや、若くないだの老いただのというのはよそう、

筍が出てくるように子供等が育ってきているではないか。

もう朝になってしまうと残念がることはない。

これで世間全体が一日分老いるだけなのだから。

■【04-2-042】宝山昼睡

【解題】杭(こう)州に戻ってから、呉(ご)山(さん)の中の宝(ほう)山(ざん)にあるとある僧舎で昼寝をし、この詩を壁に書いた。

【訳文】

この七尺の体は愚かしくも頑健で、

お蔭で世間の塵の中を走り回っていられる。

この大きな腹の中に貯えているのは、

天が授けてくれた真実の我が本性だけ。

それ以外には何もない空洞である。

だから、そのあたりの諸君等なら数百人くらいは何でもなく入れられるのだ。

■【04-2-043】記宝山題詩

【解題】上の詩について記した蘇軾の短文がある。

【訳文】

わたしはかつて杭(こう)州にいたときに、ある日、宝(ほう)山(ざん)の僧舍で昼寝をし、起きて、その壁に詩を書いた。

　七尺頑躯走世塵、［七(しち)尺(しゃく)の頑(がん)躯(く) 世(せ)塵(じん)に走(はし)り］

　十囲便腹貯天真。［十(じゅう)囲(い)の便(べん)腹(ぷく) 天(てん)真(しん)を貯(たくわ)う］

　此中空洞全無物、［此(こ)の中(なか)の空(くう)洞(どう) 全(すべ)て物(もの)は無(な)し］

　何止容君数百人。［何(なん)ぞ君(きみ)ら数(すう)百(ひゃく)人(にん)を容(い)れるに止(とど)まらんや］

その後、幾人かの小(しょう)人(じん)が、その壁に詩を書いた。それ見た者は、私がまさにそうした連中を叱りつけているのだと考えた。

晋(しん)の時代に周(しゅう)��(ぎ)は、王(おう)導(どう)［どちらも国家の重職に就いた人物］に向かって「君はまだ若い」といってたしなめたのだが、私がこの詩でいうところの「君」も王導の類で、つまらないことを言い立てる連中などではないのである。

世の君子が諱(い)むのは、多くは僭(おご)る者たちである。

私はかつて李(り)白(はく)の肖像画に添える詩を作った。その中に、

　平生不知高将軍、［李白はそれまで高(こう)将(しょう)軍(ぐん)などは知らなかったために］

　手汚吾足乃敢瞋。［吾が足でその手を汚して怒らせてしまったのだった］

と、記した。僭る者とは高将軍のような連中である。

以上のようなことを書くのは、後の小人たちに自分のことを省みてもらいたいと思うからだ。

【補足】［（1）僧舎の壁に書いた詩は、蘇軾の大きな心構えを詠んだもので、それをまぜっかえすような詩を書き添える者が大勢いたのだろう。（2）李(り)白(はく)の肖像画に添えた詩を作ったのは22年後で、この短文はそれより後に記されたことになる。当時、蘇軾は遠く南方に流されていて、もとの詩を詠んだときとはかなり異なる心境でこの短文を書いたのである。（3）終わりの詩にある高(こう)将軍とは、玄(げん)宗(そう)皇帝に仕えた高(こう)力(りき)士(し)という宦官。李白が酔って意図せずして侮辱してしまったことから、高力士の讒言によって李白は南方に流されたといわれている。蘇軾は自身の運命を李白になぞらえていて、高力士のようなつまらない連中はもとより己の腹におさめる価値もないといっているのである］

■【04-2-044】僧清順新作垂雲亭

【解題】宝(ほう)厳(ごん)院(いん)の清順(せいじゅん)［→作品番号04-1-063］が新たに建てた垂(すい)雲(うん)亭(てい)を訪ねてこの詩を詠んだ。

【訳文】

このあたりの自然の風光は好(よ)すぎるほどであるのに、

これまで宝(ほう)厳(ごん)院(いん)の建物はどれも要領を得なくて、

登ったところで景色の要素がばらばらに見えるだけで、

かえって落ち着かない気分になった。

どうしてもっと早くに、

この場所を定めて垂(すい)雲(うん)亭(てい)を作らなかったのかと、

いまさらながら惜しまれる。

坂を上って道が窮まった先に、

岩壁がせめぎ合うようにして山を破り抜けた上に、

朱色の欄干が巡っている。

天は、ここで造化の妙を尽くしたのだから、

人は、眼力を尽くしてそれを見て、詩を詠み競うべきだといいたいのだろう。

それで、詠じると――

湖水は地の軸をすっぽり浸してしまうほどにどこまでも広がり、

湖の尾先は雲の峰へと巻き付く。

街は彫りが深くて麗しく、

村は淡く遠い靄の中にある。

一羽二羽と鳥が飛び去って行くと、

一人二人と漁師が帰ってくる。

ここに新たに雄大な景観を得たのも、

以前は知られなかった小さな見どころを得たのも、

実に愉快ではないか――

ここの僧は真に古(いにしえ)の人というべきで、

がらんとした部屋で草の敷物に臥し起きし、

遠く昔の人を慕ってひたすら詩を唱詠し、

草鞋も自分で編んで暮らしている。

天は詩人が困窮すると憐れんで、

乞われるままに詩の才能を与えるのだろうか。

私は詩をしばらく作らずにいたので、

荒れた畑を鋤き起こすところから始めないとならない。

貴僧に従っていささか佳句を求め、

食事も取らずに句を咀嚼しようと思う。

【補足】［「詩をしばらく作らずにいた」といっているが、実際にはこのころ蘇軾はなかなかに多作である］

■【04-2-045】五月十日、与呂仲甫、周邠、僧恵勤、恵思、清順、可久、惟肅、義詮同泛湖遊北山

【解題】5月10日の楽しい遊びを詠んだ。この詩の題に、蘇軾の気の置けない友人の名が列挙されている。呂(りょ)仲(ちゅう)甫(ほ)［→作品番号04-1-034］と周(しゅう)邠(ひん)［→作品番号04-2-025］は官員仲間、恵(え)勤(ごん)、恵(え)思(し)［→作品番号04-1-001］、清(せい)順(じゅん)［→上の作品］、可(か)久(きゅう)［→作品番号04-2-006］、惟(い)肅(しょう)、義(ぎ)詮(せん)は僧である。以上の8人とともに船で西(せい)湖(こ)を渡って北岸の山に遊んだ。

【訳文】

いわゆる三(さん)呉(ご)地方のここは雨ばかり、

湖の水は日夜に増え続ける。

恵(え)勤(ごん)、恵(え)思(し)を訪ねようとしても、

軒に達するまでに水が溢れて寺への道がない。

そこで、湖の北側の山で皆と落ち合うことにした。

すると、あたりを暗く閉ざしていた雨を、

清らかな風が吹き払ってくれて、

木々が密集したところと低く草の生えたところとが、

くっきりと二つに分かれ、

夕方のすばらしい景色が現れ出た。

遥かに上って赤い楼閣の上の人になると、

落ち行く日が簾の上半分を照らす。

風に臨んで遠くを見渡し、

ひとたび手を揮うのと同時に、

いろいろな思いが湧き上がってくる。

世間の人々はいまごろは仕事に駆けずり回っているのに、

我等だけは山水に向かって安閑としている。

こうした楽しみをせよと、

天がこの段取りを整えてくれたのか――

薄っぺらな暮らしばかりをしていると、

精神を消耗してしまうぞ、と。

■【04-2-046】会客有美堂、周邠長官与数僧同泛湖往北山、湖中聞堂上歌笑声、以詩見寄、因和二首、時周有服

【解題】同じ5月に、少し場面を異にした遊びの詩。蘇軾が有(ゆう)美(び)堂(どう)［→作品番号04-2-002］で客人と会を催していると、周(しゅう)邠(ひん)と数人の僧が乗った船がその前を通って、北の方へと渡っていた。そのときに周邠は有美堂からの賑やかな歌や笑い声を聞いて詩を詠み、それを蘇軾に寄せた。蘇軾はその詩に和して2首を作った。周邠はこのとき作品番号04-1-053で見たように喪に服していたので、そのことが詩中に触れられている。

【訳文】

　其の一

貴君の詩は山にたなびく雲のような趣(おもむき)。

貴君は紅い裙の女性の脇で酔うことを許されない身であるが、

山の翠(みどり)の中を歩く楽しみを知らずに、

ひたすら浪を切って舟を軽やかに走らせている。

晋(しん)の時代に、

友人の桓(かん)温(おん)が、博打で大損してしまったので助けてくれと泣きついてきたときに、

袁(えん)耽(たん)は、喪に服していることを隠して賭博場に行き、損を取り戻してやった。

そういう例もあるのだから、

貴君も服喪中だからといって必ずしも堅苦しくしなくてもよいのではないだろうか。

夕方の風も、落ち行く日も、誰か持ち主がいるわけではない、

この涼しさを君と分かち合いたいから、どうかここにきてくれまいか。

【補足】［原詩では、袁(えん)耽(たん)の他にもう一つの故事を引いているが、わかりやすい訳文を作れないので割愛した。この後に続くもう一首も同様に友人への戯れの詩であるので割愛する］

■【04-2-047】唐道人言、天目山上俯視雷雨、毎大雷電、但聞雲中如嬰児声、殊不聞雷

【解題】唐(とう)道(どう)人(じん)という道士が「雷雨のときに、天(てん)目(もく)山(ざん)の上から見下ろしていると、大きな電光が走っても雷鳴は聞こえず、雲の中からいつも赤ん坊の声のようなものがする」と蘇軾に話した。そのことを詩に詠んだ。

【訳文】

世間の浮名をすでに棄て、

この身も棄てた道士からすると、

雷電などは、神というに値しないつまらないもの、

ぎゃあぎゃあ泣く赤ん坊に見えるのであろう。

世の中はいろいろで、

本心を見透かされて、思わず箸を落としてしまったときに、

雷鳴に驚いたためだとごまかした人もいた。

【補足】［ここに引かれているのは、三国時代の劉(りゅう)備(び)の故事である。曹(そう)操(そう)から何気なく、「いまの天下に英雄といえるのは私と君だけだな」と語りかけられて、劉備はぎくりとしたのだった］

■【04-2-048】追和子由去歳試挙人洛下所寄詩九首

【解題】弟の蘇(そ)轍(てつ)から前の年に送られてきていた詩に和して9首の詩を作って送った。もとの詩はいずれも蘇轍が洛陽(らくよう)で行われた科挙の地方試験の監督の仕事に招集された際に詠んだもので、楼上から夕景を見て詠んだ5首、広(こう)愛(あい)寺(じ)で詠んだ3首、韓(かん)絳(こう)の屋敷を訪れて詠んだ1首から構成されていた。

【訳文】

　暴雨初晴楼上晩景　其の一

［にわか雨が通り過ぎて晴れ上がった後で、楼閣の上から夕暮れの景色を眺めて蘇轍が詠んだ詩に和した］

結構なのは秋の風光、

雨上がりの山があればなおのこと。

青い水が町いっぱいにさらさらと流れるのなら、

なおなお結構。

水気に煙る好風景は洛(らく)陽(よう)こそが天下第一。

山に帰る烏が点々と飛び去って行く。

【補足】［洛(らく)陽(よう)の夕方の景色を、弟の詩から想像を膨らませて詠んでいる。蘇軾は上京する折や逆に西に下る折に洛陽に何度か立ち寄る機会があったと推定されるのが、なぜか洛陽で詠んだとはっきりしている詩はない。洛陽は古い歴史のある古都であるので、蘇軾の詩心を刺激しないはずはないのだが……］

　暴雨初晴楼上晩景　其の二

洛陽は古くから天地の中央に位置するとされる。

夕方になると、

南に嵩(すう)高(こう)山(ざん)が青黒くわだかまり、

北に北(ほく)邙(ぼう)山(ざん)が赤く染まる。

この風流の地にあっても、

古老、長老は皆去ってしまって、

今はたった一人の病んだ翁を、

山々が見守っているのである。

【補足】［「病んだ翁」とは富(ふ)弼(ひつ)のこと。富弼は改革に反対し、病気療養を理由に政界から完全に退いて洛(らく)陽(よう)に住んでいた。蘇軾が8歳の頃に強く憧れた范仲淹(はんちゅうえん)、欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)、韓(かん)�g(き)、富弼の4人のうち先の2人はすでに亡くなり、後の2人は政界を退いていた。大きく時代は変わったのである。実際には、富弼はこのとき病んでいたわけではなく、11年後に80歳で亡くなるまで、洛陽に形成された改革に批判的な独自の言論空間の中心的人物であり続けた］

　暴雨初晴楼上晩景　其の三

昼過ぎの暑い陽射しのもとでは、

水を撒(ま)くかように汗が飛び散る。

雨が通り過ぎて、

あたりがすべてさっぱりとした心持ちになったので、

まだ熟しきらない黄色い酒を傾けつつ、

晴れ上がったばかりの水色の天を見上げる。

　暴雨初晴楼上晩景　其の四

雷を走らせ、家を破り、黄(こう)河(が)をひっくりかえしたかのように雨を降らせた。

風がおさまってもまだその余韻から覚めないなかで思うに、

画師の呉(ご)道(どう)子(し)は、まさにこのような勢いで、

高堂の巨壁に降(ごう)魔(ま)のさまを写したのであろう。

【補足】［唐(とう)代(だい)の画師の呉(ご)道(どう)子(し)［呉(ご)道(どう)玄(げん)］が力強いタッチの画を描いたことについては作品番号02-1-018の其の三などで見ている］

　暴雨初晴楼上晩景　其の五

杭(こう)州から洛陽までの道のりは三千里、

そこにある山々は私には見えない。

だから、私の魂は夢に洛陽の楼閣に登って君に会おうとする。

しかし、朝がくれば、

私の魂は俗界の塵を踏んで帰らなくてはならない。

そのときに、僕のやつれた顔を君に見られてしまうのが恥ずかしい。

【補足】［弟に向けては弱音を吐くのがいつもの蘇軾である。このころ心身のバランスを崩しかけていたのは以下の詩から推測できる。蘇軾はなかなかに繊細なのである］

　過広愛寺、見三学演師、観楊惠之塑宝山、朱瑤画文殊普賢　其の一

［蘇轍が広(こう)愛(あい)寺(じ)を訪れて、仏教の三(さん)学(がく)を修めた演(えん)師(し)に会い、楊(よう)惠(え)之(し)が作った宝(ほう)山(ざん)の塑像と、朱(しゅ)瑤(よう)が描いた文(もん)殊(じゅ)菩(ぼ)薩(さつ)と普(ふ)賢(げん)菩(ぼ)薩(さつ)の画を見て詠んだ詩に和した］

この世に身を寓するのはまことに夢、

安閑として過ごせば一日のうちに一年が過ぎ、

破れた布団をひっくり返して眠り、破れた衣を羽織るうちに一生は終わってしまう。

風に鳴る竹の下で休むよう師に勧められ、

心を清らかにして泉の水を飲む。

頭を回らせて顧みると、

万事が誤りだったと知れて、

師の賢なることに、我が身を笑うのである。

【補足】［この其の一は演(えん)師(し)の教えを受けたことを詠み、其の二は塑像について、其の三は画について詠んでいる。いずれも弟の詩に応じて想像を働かせ、該博な知識を活用して詩に仕立てたもので、さほど興味を引く作品ではないので続く二首は割愛する］

　韓子華石淙荘

［蘇轍が洛(らく)陽(よう)にある韓(かん)絳(こう)［字(あざな)は子(し)華(か)］の屋敷、石(せき)淙(ぞう)荘(しょう)を訪ねて詠んだ詩に和した］

漢(かん)の時代に、かつて百万の兵を指揮した周(しゅう)勃(ぼつ)も、

晩年は獄に下されて、

びくびくと獄吏の顔色を伺わねばならなかった。

功名を建てる気持ちがいつまでもあると、

危うい目に何度も遭うようにもなる。

韓(かん)公(こう)は高い見識を抱いて国家を治め、

古(いにしえ)の名臣にも恥じないお方であるが、

もとより太古の隠者とも思いを同じくするところがあって、

まだ朝廷からのお許しは出ないものの、

退隠の誓いを心の内にずっと持ち続けている。

この身は造物者が定めるがまま、

大波の上で舞う一枚の葉と同じあると知っておられる。

退隠の場はまだ定めてはいないので、

終に行く田園がどこであるのかはわからないが、

石(せき)淙(そう)荘(そう)に到るなら、

世のもろもろの全てを忘れ去ることができる。

水は韓公の心を知っているのだろう、

折れ曲がって激しく流れ、

竹は清らかな音を響かせ、

冷たい光が胸の内を洗い流してくれる。

門前に訪ね来る客人が旧知の人であるときは、

韓公は心の中にある言葉をそのままに放つ。

園中には数限りなく木々が繁茂しているのだが、

試みに見回すならば、

冬になっても青いままであるのはあの檜(ひのき)だけである。

【補足】［韓(かん)絳(こう)は、蘇軾が受けた科挙の二次試験で試験官を務めた一人で［→作品番号01-2-014］、官界の大先輩である。このころは西方での軍事に失策があって洛(らく)陽(よう)に退いていたようだ。この詩は様々な故事を用いて韓絳の境遇に思いを寄せたもので、その大意をとってかなり簡略化して訳した］

■【04-2-049】跋蒲伝正燕公山水

【解題】蒲(ほ)宗(そう)孟(もう)［字(あざな)は伝(でん)正(ただし)］が所蔵する燕(えん)文(ぶん)貴(き)［宋(そう)初(しょ)の画師］の山水画に記した跋文。蒲宗孟は従兄の蘇(そ)不(ふ)欺(ぎ)の妻の弟である［→作品番号03-3-010］。蒲宗孟はかつて都で蘇軾と同じく学士院の一員であったが、素行がよろしくないと弾劾されて地方に出されていた。蒲宗孟は何らかの用事で杭州に来たのだろうか。

【訳文】

人物を画いて優れていると「神(しん)」といい、花や竹や鳥を画いて優れているとは「妙(みょう)」といい、建物や器具を画いて優れていると「巧(こう)」といい、山水を画いて優れていると「勝(しょう)」という。しかし山水の清(せい)雄(ゆう)奇(き)富(ふ)は変化に富み、それを窮め尽くすのは至難である。燕(えん)文(ぶん)貴(き)の筆の跡はあたかも天が成すかのようで、粲(さん)然(ぜん)として日々に新たになり、画工の及ぶところを離れて詩人の清麗を得たものといえるだろう。

煕(き)寧(ねい)六年六月六日。

■【04-2-050】和柳子玉喜雪次韻仍呈述古

【解題】柳(りゅう)瑾(きん)［字(あざな)は子(し)玉(ぎょく)］［→作品番号04-1-003］がこのころに杭(こう)州に来たようである。柳瑾は寿(じゅ)春(しゅん)で官職に就いていたのだが、何かしら不本意なところがあったのだろう、職を辞して蘇軾のもとに半年ほど身を寄せることになった。これは、柳瑾の「雪を喜ぶ」という詩に蘇軾が次韻して陳(ちん)襄(じょう)知事に見せたもの。雪は豊作の徴(しるし)とされ、官職にある者は「雪を喜ぶ」との題で詩をしばしば作った。柳瑾のもとの詩は、杭州に来てからの作品ではないのだろう。以下の訳詩から知れるように、蘇軾はこの詩をもって柳瑾を陳襄知事と引き合わせたようだ。

【訳文】

詩(し)翁(おう)［劉(りゅう)瑾(きん)］は酒を愛し、いつも喉を渇かしている。

昔、酒が大好物の賀(が)知(ち)章(しょう)は、

「酒がなくなったって心配することはない、

　財布というものにはきっと銭が入っているのだから」

と、呑気に詩に詠んだのだが、

詩翁の酒(さか)瓶(がめ)が尽きると、当然、財布も空っぽになってしまう。

酒がないから、燈火の冷たい光のもとで眠ることもできず、

髯をひねりながら、雪を喜ぶ詩を作りつつ吟じた。

詩ができたので、歓びをともにしようと私のもとに持ってきたのだが、

私とて窮することでは詩翁と似たりよったりであるから、

かの陳(ちん)孟(もう)公(こう)のような知事殿のところに行くよう勧めた。

知事殿は詩翁を十分に酒に酔わせてくれるだけの�ｺを供えている。

玉のような雪は降りやもうとしているが、

天に惜しむ心はなく、

続けて月の清らかな光で地上を満たしてくれる。

さあ、美しい人に盃を持って来させて、

この好(よ)き風光と、この優れた詩に捧げ、

この詩を歌ってたちまち春をここに呼んで、

この高堂を暖かくしようではないか。

【補足】［陳(ちん)孟(もう)公(こう)とは漢(かん)代(だい)の陳(ちん)遵(じゅん)で、酒が大好きで、いつも大勢の客人を集めて酒を飲み、時には客人の車を井戸に投げ込んで帰れないようにして徹底的に飲ませたりした。同じ姓の陳(ちん)襄(じょう)知事も、いやというほど柳(りゅう)瑾(きん)に酒を振る舞ってくれるだろうと戯れたのである］

■【04-2-051】観子玉郎中草聖

【解題】柳(りゅう)瑾(きん)［字(あざな)は子(し)玉(ぎょく)］の草書を観て詠んだ詩。気心が知れた仲であるからこその戯れの作である。

【訳文】

柳(りゅう)先生の筆の運びは、

雷の閃光のようにすばやい。

唐(とう)の太(たい)宗(そう)皇帝は蕭(しょう)子(し)雲(うん)の書(しょ)を「寒(かん)悴(すい)」と評し、

梁(りょう)の武(ぶ)帝(てい)は羊(よう)欣(きん)の書を「倹(けん)」と評した。

皇帝ならぬ私は柳先生の書をどう評したらよいのやら。

柳先生の筆は、

百斛(こく)の真珠を持ち上げるほどの力があるとでもいおうか。

何はともあれ、柳先生の書と並べられるのは、

他ならぬ私だけであるのは間違いない。

■【04-2-052】与大覚禅師�l公

【解題】都の浄(じょう)因(いん)寺(じ)の大(だい)覚(かく)禅(ぜん)師(じ)［懐(かい)�l(れん)］に宛てた手紙。大覚禅師は父の蘇(そ)洵(じゅん)が親しくしていた禅僧である［→作品番号02-1-002］。

【訳文】

人が来てお手紙を頂戴しました。……

先に喜捨すると申し上げました禅(ぜん)月(げつ)大(だい)師(し)［唐(とう)末(まつ)から五(ご)代(だい)にかけての著名な僧］が画いた羅(ら)漢(かん)像(ぞう)は他でもなく、先(せん)君(くん)［蘇(そ)洵(じゅん)］が愛したその画です。喜捨するには最も愛する物であるのが最もよいと聞きます。先君が最も愛したのがこの画であり、先君が最も厚く善く親しくさせていただのは貴僧であります。またこの画にはすこぶる霊異があって、しばしば夢に羅漢が現れて、語り尽くせぬ思いがして目が覚めます。怪異にわたることでありますので、この画は俗家に置くべきではないのでありましょう。

私の思いは以上の通りでありますが、お手紙では私の申し出を疑われて、別の画と換えたらどうなのかとありましたので、思わず笑ってしまいました。近世の人々の気風は軽薄に流れ、ややもすれが疑わなければならないときもありましょうが、俗世の外にある者もそうであるとは思いもよらないことでありました。とはいえ、このことはもう論じないでおきましょう。……

杭(こう)州の景物の楽しさは帰るのを忘れるほどです。弟は陳(ちん)州から移動することになり、都から東南の地で官職を授かることを願っています。まだ全くはっきりしませんが、冬の初めにはこちらにくることになるのかもしれません。……

【補足】［（1）蘇(そ)洵(じゅん)が大切にしていた画を浄(じょう)因(いん)寺(じ)に喜捨したいと大(だい)覚(かく)禅(ぜん)師(じ)に申し出たところ、そのような貴重な物を本当によいのかと疑うような手紙がきたので、その返事がこれである。最も愛しているものを喜捨するのがよいという考えは作品番号03-1-009で見ている。（2）禅(ぜん)月(げつ)大(だい)師(し)は、詩や画にも優れた高僧で、特に独特の画風で描いた羅(ら)漢(かん)図(ず)は有名で、その一つとされる画が現在東京の国立博物館に所蔵されている。禅月大師は唐(とう)が滅びゆくころに杭(こう)州から成(せい)都(と)へと居を移し、何らかの経緯でその画が蘇洵のもとに伝わったのだろう。（3）蘇轍は陳(ちん)州の学校の教授からいずれかの州へ移ることになり、当人はこの手紙にあるように兄のいる杭州に近い東南の地を要望した。しかし、実際に授かったのは逆に東北の方に離れた斉(せい)州で、総務部長的な職務であった。それがこの年の6月であるので、この手紙はそのことが定まる直前に出されたものであろう］

■【04-2-053】贈上天竺弁才師

【解題】蘇軾はここまで見てきたように杭(こう)州で仏教界の人々と親しくしたが、特に著名な僧として、弁(べん)才(さい)がいた。弁才の俗姓は徐(じょ)氏、名は元(げん)浄(じょう)、字(あざな)は無(む)象(しょう)、於(よ)潜(せん)の人で、10歳で出家し、天(てん)台(だい)宗(しゅう)を学んで杭州の上(じょう)天(てん)竺(じく)霊(れい)観(かん)音(のん)寺(じ)に住まいし、上(じょう)天(てん)竺(じく)弁(べん)才(さい)大(だい)師(し)の号を贈られた。西(せい)湖(こ)の西側の霊(れい)隠(いん)寺(じ)［→作品番号04-1-006］に隣接して、上(じょう)天(てん)竺(じく)、中(ちゅう)天(てん)竺(じく)、下(げ)天(てん)竺(じく)の三つの天竺寺があった。これは弁才に贈った詩。

【訳文】

山門からは南も北も全てが一望のもと、

上下にそれぞれ天(てん)竺(じく)寺(じ)がある。

中に一人の老法師がいて、

鶴のように痩せて背が高い。

何の行(ぎょう)を修められたのかは知らないが、

碧(あお)い眼が山や谷を照らしている。

その姿を見ると、自ずと清涼な心地になり、

煩悩の毒が洗い尽くされる。

したがって、一都会の男女が皆礼拝するのである。

私にはひょろ長い息子がいて、

頬が角ばって頭がとがっている。

四歳になってもまだ歩けなくて、

抱いたり背負ったり、いつも親の背や腹にへばりついている。

老法師がやって来られ、その頭を撫ぜたところ、

なんと立ち上がって鹿のように走り出した。

とすれば、戒律の中にも妙用があって、

束縛をふりほどいてくれるものがあるのだ。

だったら、『法(ほ)華(け)経(きょう)』を唱えることに縛られずに、

魚肉を啖(く)らったってよいのかも知れない。

【補足】［（1）4歳の息子とあるのは次男の蘇(そ)迨(たい)で、歩けなかったのが急に走れるようになったとここに詠まれているのはにわかには信じがたいが、何かしら歩行に障害があったのだろう。（2）詩の終わり部分は理解できなかったので、ひどい「ずっぽ訳」で、たぶんこの訳文ほど乱暴な物言いではないはずだ］

■【04-2-054】立秋日祷雨、宿霊隠寺、同周、徐二令

【解題】この年は雨が少なく［→作品番号04-2-031］、立秋の日に、周(しゅう)邠(ひん)［このときもまだ喪中であった］と、仁(じん)和(わ)県知事の徐(じょ)疇(ちゅう)［→作品番号04-2-025］とともに上(じょう)天(てん)竺(じく)霊(れい)観(かん)音(のん)寺(じ)で雨を祈り、霊(れい)隠(いん)寺(じ)に泊まった。そのときの詩。雨乞いは地方官の大切な職務であった。上に見た詩は、これと同じときの作であるのだろう。

【訳文】

身を制することができるならば、

うず高く積まれた書類の間にあっても、

心を閑(かん)にしていられるはずだ。

まして、ひとひらの葉が落ちて秋を報せる声も聞こえる静けさのなかで、

禅(ぜん)榻(とう)に対しているのだから、

安らかに眠れるはずであるのだが、

牀(ベッド)の下に早くも霜が降りてきたかと疑って立てば、

窓から差し込む月の光であり、

枕の中で琴が鳴ると思って起き上がれば、

泉の水が流れ落ちる音であるのだった。

俗世の苦い味わいを嘗め尽くした後には、

寂寞とした山に棲むのが身に適う老人になれるのだろうか。

いまは農民を憫(あわ)れむ心がなおもあって、

起きて遥か遠い銀河を見上げて、

雨を祈ることが報われるのをひたすら願うのである。

【補足】［残念ながら雨は期待するようには降らなかった。蘇軾は先に観音を揶揄する詩を詠んでいたから［→作品番号04-1-024］、観音様は気分を害して、雨を降らせてやる気にならなかったのだろう。日照りの影響がどのようになるのかをこの後で見るようになる］

■【04-2-055】病中独遊浄慈、謁本長老、周長官以詩見寄、仍邀遊霊隠、因次韻答之

【解題】蘇軾は何らかの要因で不調に陥り、静養のために独りで浄(じょう)慈(じ)寺(じ)に行き、本(ほん)長(ちょう)老(ろう)から仏教について教わった。そこに周(しゅう)邠(ひん)から詩が送られてきたので、ならば一緒に霊(れい)隠(いん)寺(じ)に遊ぼうではないかと誘いの詩を、周邠の詩に次韻して作った。本長老とは円(えん)照(しょう)禅(ぜん)師(じ)宗(そう)本(ほん)のことで、当時、大(だい)通(つう)禅(ぜん)師(じ)善(ぜん)本(ほん)というもう一人の本長老もいて、前者が大(だい)本(ほん)、後者が小(しょう)本(ほん)と呼ばれていた。

【訳文】

病んでここに伏せつつ浄(じょう)慈(じ)寺(じ)の由来を聞いたところ、

本(ほん)長(ちょう)老(ろう)が蘇(そ)州よりここに移られて、

五(ご)百(ひゃく)羅(ら)漢(かん)堂(どう)に清らかな風が吹き込んだという。

私は、世間とは隔たりがあり、独りだけでここにきた。

貴君［周(しゅう)邠(ひん)］の詩は、抜きん出てすばらしく、誰も追随できない。

私も貴君も、楽しいと思うことが年々減ってきていると感じている。

高い徳を具えた本長老のように、

いつも心を長閑(のどか)にしていることが到底できない。

三界(さんがい)にはただ心だけがあり、それを「心(しん)地(ち)」という。

その意味を本長老に尋ねたくても、

その前に「心には還るところがない」ということを理解しないといけないのだ。

【補足】［蘇軾は仏教の専門用語を詩にしばしば取り込み、そのような詩は訳者はほとんど解することができない。この詩の後半はレベルの低い「ずっぽ訳」である。蘇軾自身の注で「『楞(りょう)厳(ごん)経(きょう)』に『我(われ)は今(いま)汝(なんじ)に示(しめ)す、還(か)える所(ところ)の地(ち)が無(な)い』とある」との注が付けられていて、本(ほん)長(ちょう)老(ろう)から仏教の「唯(ゆい)心(しん)」について教わり、早速そのことを詩に取り入れたものであるようだ］

■【04-2-056】病中遊祖塔院

【解題】前の詩の続きで、病気療養中に祖(そ)塔(とう)院(いん)に遊んでの詩。祖塔院は杭(こう)州の町の南の山々のなかの大(だい)慈(じ)山(ざん)にあった。

【解題】

紫色の李(すもも)の実、黄色い瓜の実、

黒い帽子を載せ、葛(くず)の道(どう)衣(い)を涼しげにまとって、

香(かぐわ)しい村の道を行く。

祖(そ)塔(とう)院(いん)に着いて門を閉じ、

松の木陰の風の入る軒端の下で枕につくと、

いつまでもいつまでも眠っていられる。

病によってこのような閑な時を得るのも悪くはない。

心を安らかにすること、

それ以上の薬方はない。

寺の道人(どうじん)は柄杓を貸してくれて、

「あの清水を好きなだけお飲みなさい」

と、いってくれる。

■【04-2-057】虎跑泉

【解題】前の詩で好きなだけ飲むようにいわれたのは、虎(こ)跑(ほう)泉(せん)という有名な泉の水であった。唐(とう)の時代に性(せい)空(くう)大(だい)師(し)という僧が大(だい)慈(じ)山(ざん)にきて住んだところ、山に水がなくて困っていると、二匹の虎が夜に跑(パオ)して［前脚で土をかいて］穴を掘り、そこから水が湧き出したという。

【訳文】

東の峰の上に石の塔が立つ。

その場所に昔、性(せい)空(くう)大(だい)師(し)がやってきたときに、

土地の神々が揃って大師を仰ぎ見たという。

この地にはかつて水がなかったのだが、

性空大師の歩んだ後を追って、

虎が水脈を移動させ、

性空大師が差し出した手に、

竜がやってきてその掌から浪の花をほとばしらせた。

そのときに生じた泉から、

今に至るも人々は水を得ていて、

地に伏して聞けば、

滾々(こんこん)と水の湧き出る音がするのである。

人間の世界とは来ては去るものであるのだが、

性空大師はこの泉のように、

今もなおここにおられると思ってよいのだろう。

■【04-2-058】仏日山栄長老方丈五絶

【解題】上の病中の詩の続きかどうかはわからないが、仏(ふつ)日(にち)山(ざん)にある仏(ふつ)日(にち)院(いん)の栄(えい)長(ちょう)老(ろう)の方丈で5首の七言絶句を詠んだ。

【訳文】

　其の一

私は山に帰ることを思いつつ、まだ果たせていない。

栄(えい)長(ちょう)老(ろう)は山から出ないので、これまではその名を聞くだけであった。

山中には誰がいるのかというと、

蒼(あお)い髯(ひげ)を垂らした叟(おきな)、つまり松がいるだけで、

数里にわたって訪れる人を送り迎えしてくれる。

【補足】［（1）原詩には陶(とう)淵(えん)明(めい)などいくつかの故事が引かれているのだが、ここではその含意だけを取ってさらりと訳した。（2）其の二と其の三は山中の風光を難しい言葉を用いて詠んでいるだけであるので割愛する］

　其の四

食事を終えて、軽くお茶をいただく。

昼寝の床にそよそよと吹きくる風は千金の値打ちがある。

腹を揺らしての大いびきに庭の花も落ちてしまう。

普段の足りない思いがやっと晴れた気がする。

　其の五

日が回廊の奥へと射し込んできて、

昼寝の枕もとが明るくなる。

水(すい)沈(ちん)香(こう)は燃え尽きてしまって、

碧い煙の名残が��たわっている。

山中の人が眠りから覚めても、

あたりには人影がなく、

鬢のあたりを巡って飛ぶ蚊の音がするだけである。

■【04-2-059】江城子

【解題】これは詞。曲名は「江(こう)城(じょう)子(し)」とも「江(こう)神(しん)子(し)」ともいう。「西(せい)湖(こ)で箏(こと)を弾じるのを聞きながら張(ちょう)先(せん)と賦した」と添え書きがある。張先［→作品番号04-2-001］が湖(こ)州から杭(こう)州に来ていたのだろう。

【訳文】

鳳凰山下雨初晴。［雨が上がったばかりの鳳(ほう)凰(おう)山(ざん)の下］

水風清。［清らかな水と風］

晩霞明。［明るく変わる夕焼け］

一朶芙蓉、［一つの蓮の花が］

開過尚盈盈。［開き切ってもなお盛んな美しさ］

何処飛來双白鷺、［どこから飛んできたのか二羽の白鷺］

如有意、［きっとその心は］

慕娉婷。［二人の姐(ねえ)さん方を慕っているのでしょう］

忽聞江上弄哀箏。［たちまち水の上に聞こえる哀しい箏(こと)の音］

苦含情。［たっぷりと含まれた情］

遣誰聴。［聴かせるのは誰に］

煙斂雲收、［消える靄、収まる雲］

依約是湘霊。［音の主はあるいは湖の女神］

欲待曲終尋問取、［曲が終わって尋ねようとしても］

人不見、［人は見えなくて］

数峰青。［あるのは湖を囲む峰だけなのです］

【補足】［この詞が作られた経緯を張(ちょう)邦(ほう)基(き)の随筆『墨(ぼく)荘(そう)漫(まん)録(ろく)』は次のように伝えている。張邦基は詳しいことはわからないが、蘇軾の少し後の時代の人で、伝聞に基づいて記録したのであって、事実であるかどうかは保証の限りでない］

【訳文】

張(ちょう)邦(ほう)基(き)：『墨(ぼく)荘(そう)漫(まん)録(ろく)』

東(とう)坡(ば)［蘇軾］が杭(こう)州にいたときのこと、ある日、西(せい)湖(こ)に遊び、孤(こ)山(ざん)の竹(ちく)閣(かく)で休んだ。前に湖を望む亭(あずまや)である。そのとき東坡は二人の友人を連れていて、いずれも服喪中であった。しばらくすると、湖の中に飾り立てた一艘の舟が現れ、次第に近づいてきた。亭の前で泊まり、船中には綺麗に化粧した数人の女性がいた。その中でも最も美しい女性が箏(こと)を奏で始めた。年のころは三十余りで、まことにゆったりとして実に優雅な雰囲気を漂わせていた。二人の友人はすっかり見とれてしまった。曲がまだ終わらないうちに、ふっと舟は行ってしまった。東坡は戯れに詞を作った。……［以下、上の詞を記す］……

【補足】［（1）孤(こ)山(ざん)の竹(ちく)閣(かく)は次の詩に歌われている。（2）別の人の随筆には、ここに記されている二人の友人の名を挙げ、さらに箏を弾いた女性は、演奏する前に、蘇軾に向かって、「私は幼いころから先生の御高名に憧れておりましたが、女の身ではお会いすることもできずにおりました。いまはすでに人の妻となり、今日は先生が湖で遊んでおられると聞いて、罪を承知でやってきました。一曲献じますので、もしも詞を付けてくださいましたなら、一生の誉れに存じます。いかがでありましょうか」と所望したので、蘇軾は断り切れずに詞を作ったとしていて、話はより小説的になっている。実際のところは、張(ちょう)先(せん)が連れてきた妓女が「江(こう)城(じょう)子(し)」の曲を弾いて、張先が「これに詞を付けようではないか」と誘ったので、蘇軾は妓女を喜ばせるようなことを織り込んで、この詞を作ってみせた、というのが真相であろう。蘇軾にまつわるエピソードは、次第に面白く脚色されて行く傾向が特に強いようだ］

■【04-2-060】孤山二詠

【解題】西(せい)湖(こ)に浮かぶ島である孤(こ)山(ざん)にある柏(はく)堂(どう)と竹(ちく)閣(かく)について詠んだ二つの詩。蘇軾が初めて孤山を訪れたときの詩［→作品番号04-1-001］を見ると、よほど奥の深い山であるかのように思ってしまうのだが、実際には島の面積は300ヘクタール、高さは38メートルしかない。この詩には短い引(いん)［序文］が付けられている。

引(いん)

孤(こ)山(ざん)には陳(ちん)朝(ちょう)の時代に植えられた二本の柏(はく)の木があった。一本は、人々が薪にしてしまい、もう一本は、山の下の老人が子供にときにすでに枯れているのを見たという。それでも、幹が金石のように堅いことでは、まだ枯れていない木にも勝るほどである。志(し)詮(せん)という僧がそのかたわらに堂を作り、柏(はく)堂(どう)と名付けた。それは唐(とう)の時代に白(はく)居(きょ)易(い)が作った竹(ちく)閣(かく)と隣り合うもので、私はこの二つの詩を作って、このことについて記すものである。

　柏(はく)堂(どう)

この柏の木は志詮が前世の前世のそのまた前世のころに植えたものだ。

枯れたとはいえ、いまもさながら鶴の骨、竜の筋の趣がある。

二本あった木のもう一本は、先に神(しん)物(ぶつ)と化したが、

この木は九つの王朝の興亡と三度の太平を見たのである。

さらに、いまここに世間を驚かせることになったのは、

巌の中からすばらしい建物が出現して、

柏の佳(よ)き名を四方に広く知らしめたのだ。

とすれば、この柏はまだ枯れ果てたのではないと我等は記憶に刻むべきではなかろうか。

柏の心は灰のように静まり返って、仏の教えを体現しているのである。

【補足】［古い注に「三度の太平とは隋(ずい)、唐(とう)、宋(そう)であろうか」と記されている。隋の時代は太平には入れ難いので、断定はするのは控えたのだろう。ここまで蘇軾が杭(こう)州で詠んだ詩を見てきた範囲でいえば、唐と宋とその間の呉(ご)越(えつ)国(こく)も太平であったという認識だったのではないだろうか］

　竹(ちく)閣(かく)

白(はく)居(きょ)易(い)は、

海の彼方の蓬(ほう)莱(らい)山(さん)ではなく、天の彼方の兜(と)率(そつ)天(てん)に帰るといった。

白い鶴となって飛び去った仙人はその後のことは語ってくれない。

竹閣に人影はなく、軒に竹が満ちている。

これらの竹は、ここに最初に植えられた竹の子孫である。

竹は唐(とう)の名工の蕭(しょう)悦(えつ)の筆になる画のようであり、

この場には白居易が退隠した村を想わせるものがある。

この詩をもって白居易の像に、何処に帰ったのかと問いたいのだが、

釈(しゃ)迦(か)の弟子の維(ゆい)摩(ま)詰(きつ)のように無言の答えがあるだけだ。

【補足】［こちらはもっぱら白(はく)居(きょ)易(い)［白(はく)楽(らく)天(てん)］にちなんだ詩である。蕭(しょう)悦(えつ)は唐(とう)の時代の画工で、その竹の画について白居易が詠んだ詩がある。維(ゆい)摩(ま)詰(きつ)の無言の答えについては、作品番号02-1-018の其の四を参照］

■【04-2-061】与述古自有美堂乗月夜帰

【解題】月夜に西(せい)湖(こ)畔の有(ゆう)美(び)堂(どう)から陳(ちん)襄(じょう)知事とともに帰った際の詩。有美堂は作品番号04-2-002などで見ている。

【訳文】

雲間の月が、娟(さや)娟(さや)と光のつぶやきをこぼしつつ軒端にかかると、

天の川は、瀲(さら)瀲(さら)と波音を立てつつ半ばを山の蔭に隠す。

この清らかな永い夜に、

湖中では漁師がいまも仕事を続け、

山麓の有(ゆう)美(び)堂(どう)からはなおも笛の音が漏れ聞こえる。

松明(たいまつ)をつらねて帰り行くと、

冷ややかな風が、琴の弦から発したかのような静かな音を立て、

淡い夜霧が、髪のあたりにまとわりつくようにしてささやきかける。

杭(こう)州の人々は、我が町の長官殿が、

地上の鼓(こ)楽(がく)も天上界の音楽も愛するのを喜び、

夜中でも見物に出てくる。

■【04-2-062】有美堂暴雨

【解題】杭(こう)州の役人は何かというと有(ゆう)美(び)堂(どう)で一席設けたようで、これも有美堂での詩。

【訳文】

人々が遊ぶ足の下で、

一発の雷が鳴り響く。

あたりを包んだ雲はぴくりとも動かないのに、

遠い空の彼方から黒い風が吹いてきて湖に波が立ち、

川の向こうから雨が飛ぶようにしてやってくる。

雨とひとつに連なって湖は見る見る盛り上がり、

千の撥(ばち)で太鼓を叩くような騒ぎになる。

この壮観をいかに叙述したらよいのか。

酔い潰れた李(り)白(はく)の顔に水を注いで、

鮫(さめ)人(びと)が玉(ぎょく)を吐き出すように名句を出させたいものだ。

【補足】［自然の壮観に、自分はうまく表現できないので、李(り)白(はく)を呼び出して、人魚が大切する宝玉のような秀句を吐き出してもらおうではないかという趣向。あるいは、酒に弱い蘇軾が雷の中でもすっかり眠りこけていたので、詩を詠めと皆で叩き起こしのだろうか］

■【04-2-063】八月十五日看潮五絶

【解題】この年も銭塘(せんとう)江(こう)の海(かい)嘯(しょう)［→作品番号04-1-049］を見物し、5首の絶句を詠んだ。

　其の一

月が十分に円くなるとまさにそのとき、

海からの潮が押し寄せてきたのか、

冷たい九月の霜のような風が吹いてくる。

鍵をかけて海の門を厳重に閉ざしてくれないだろうか、

夜も潮を留めておいて、中天の月のもとでゆったりと見ていたいから。

　其の二

遡りくる潮の音は、

昔むかし、越(えつ)の国の軍団が攻め込んで呉(ご)の国の人々を恐れさせた、

そのときの一万の軍勢が叩いた攻め太鼓の響きか。

遡りくる潮の先頭の波には、

昔むかし、大河を攻め下った水軍を指揮したかの将軍が乗っているのか。

潮の高さはどれほどかと尋ね見ると、

越の山々はすべて浪の花の中にあるのだった。

　其の三

遠く銭(せん)塘(とう)江(こう)のほとりにまできて以来、

海から遡る波の頭と同じく我が頭も白くなってしまった。

人とはかくも老いやすいものであるのか。

しかし、造物者もなかなか洒落がお好きで、

たまには時間を逆転させてみせようかと、

川の水を逆に西に向かって流すのである。

【補足】［中国大陸の人々にとって川は西から東に流れるというのが常識であった］

　其の四

この地の人々は水に慣れて成長し、

利益のためなら自分の命も軽んじ、

遡りくる潮に身を投じてみせる。

潮を弄ぶことを禁じる命令が新たに出されたと聞くが、

東海の神よ、民を憐れむお上の意を察して、

塩漬けの地をどうかして豊かな田畑に変えてはくれないだろうか。

【補足】［（1）激しく遡る潮の中に飛び込んでみせる伊達男がいまもいるし、昔もいたのだろう。（2）最後の第五首は、幾つかの故事を組み合わせた詩で、意味が通じるように訳そうとするとごちゃごちゃして面白くも何ともないので割愛する］

■【04-2-064】瑞鷓鴣

【解題】「潮を観る」との添え書きがあって、上と同じときに詠んだと推測される詞。潮の流れに身を投じるパフォーマンスをする「踏(とう)浪(ろう)児(じ)」になり代わって詠んだ民謡調の戯れの詞であろう。

【訳文】

碧山影裏小紅旗。［碧(あお)い山の前の小さな紅い旗］

儂是江南踏浪児。［それを振るおいらは江(こう)南(なん)の踏(とう)浪(ろう)児(じ)］

拍手欲嘲山簡酔、［知事殿が酔っぱらっているのを、手を打って囃し立て］

斉声争唱浪婆詞。［皆で一斉に浪(ろう)婆(ばあ)詞(し)［浪を母に見立てた詞］を歌ってみせようぜ］

西興渡口帆初落、［西(せい)興(こう)の渡し場で帆が降ろされると］

漁浦山頭日未欹。［漁(りょう)浦(ほ)の山のあたりに日が沈むんだ］

儂欲送潮歌底曲、［おいらが潮を送る曲を歌うと］

尊前還唱使君詩。［酒樽の前では知事殿の詩を唱えるのさ］

■【04-2-065】与周長官、李秀才遊径山、二君先以詩見寄、次其韻二首

【解題】8月下旬にまた杭(こう)州から西に出て各地を回った。その折に周(しゅう)邠(ひん)と李(り)行(こう)中(ちゅう)とともに径(けい)山(ざん)に行った。周邠は作品番号04-2-054など何度もその名を見ている。李行中は官職には就いていない土地の名士である。径山はこの年の初めに一度訪れている［→作品番号04-1-033］。周邠と李行中が先に詩を詠み、蘇軾がそれに和したのがこの作品。其の一が周邠の詩に、其の二が李行中の詩に和したもの。

【訳文】

　其の一

若い連中は妓女と飲むのを好み、

酒がなくなって、「もうおよしなさいましな」といわれても帰ろうとしない。

そういう輩(やから)をこの径(けい)山(ざん)に連れてきて、

心を覆っている塵まみれの霧を払ってやりたく思うのだが、

愚かな馬ほど、

身に纏う装具が泥に汚れるのを惜しんで川を渡ろうとしないといわれるように、

山のとば口できっと尻込みしてしまうであろう。

ただ周(しゅう)君は朝夕私と行動をともにし、

世俗の塵にまみれてしまった脚に、

しばし白い雲の履(くつ)をはくようにしてくれている。

とはいうものの、私とて決断力のなさでは世間の若輩者と五十歩百歩である。

功名を立てる者は、

大切にしている物が壊れようが顧みずに突き進むものだし、

職を捨て去る者は、

行くべき道を悠久の旅人に決然と尋ねるのである。

　其の二

天を自由に飛翔する竜でさえももとの住いを恋い慕い、

夜に、雹を走らせ、暗い霧を巻いて、

百年の後には帰ってくるという。

私は故国を棄てて、

長(ちょう)江(こう)を北に渡ることを忘れ、

この山の前に家を築いて、

老後の日々を送るのもよかろうかと思っている。

ただ恐れるのは、独りぼっちになってしまって、

歳の暮れに霜を踏む侘しさをしみじみ味合わなければならないこと。

幸いにも、ここに李(り)君とともに遊ぶことを得て、

よたよたひょろひょろと貴君について歩いて行くことができる。

諸(しょ)葛(かつ)孔(こう)明(めい)は自分自身を大切にするよりも、

劉(りゅう)備(び)の「三(さん)顧(こ)の礼(れい)」に応えて郷里を去ったのだった。

私は逆に帰ることを思っている。

私が掃き清める門前の道を踏んで訪ね来るのは、

果たして誰なのだろうか。

■【04-2-066】臨安三絶

【解題】径(けい)山(ざん)に登った後に臨安(りんあん)県に行き、三首の絶句を詠んだ。いずれも呉(ご)越(えつ)国(こく)を建てた銭(せん)鏐(りゅう)にちなんだ詩で、其の一は、銭鏐が幼児のころにその下で遊んでいたことから「将(しょう)軍(ぐん)樹(じゅ)」と名付けられた木を、其の二は、銭鏐が呉越国の王となって帰郷したときに、将軍樹の周りの山林を錦で飾ったことから「錦(きん)渓(けい)」と呼ばれるようになった谷を、其の三は、銭鏐が若いときに己を姿を映して見たといわれる表面がつるつるの岩、すなわち「石(せき)鏡(きょう)」をそれぞれ詠んでいる。ここでは其の一だけを訳す。

　其の一　将(しょう)軍(ぐん)樹(じゅ)

沼に五つの節のある蒲が生じたことが、

後に苻(ふ)堅(けん)という英雄が出る前触れであったとか。

劉(りゅう)備(び)は少年時代に桑の木の下で遊びつつ、

「ぼくはこの木くらい大きな車に乗る大官になるんだ」

と、いったとか。

この将軍樹は、

呉(ご)越(えつ)国(こう)を建てた銭(せん)鏐(りゅう)が子供のときにその下で遊んだ木である。

はてさて、そこらの草や木が、

国家の興亡と関わるようなことが果たしてあるのだろうか。

■【04-2-067】登玲瓏山

【解題】臨安(りんあん)県の西四十二里にある玲(れい)瓏(ろう)山(ざん)に登ってこの詩を詠んだ。「玲(リン)瓏(ロン)」は、玉(ぎょく)などの美しいありさま、あるいは美しく鳴るさまを表すオノマトペ［擬態語・擬音語］である。

【訳文】

いずれの年から、

玲(れい)瓏(ろう)山(ざん)のこの蒼い二本の松は、

竜のように伏せたり立ったりしているのか。

曲がりくねった痩せた背が中空に寄りかかっている。

碧い玲瓏山からは、

白い雲が出たり潜ったりし、

山下に広がる紅い稲田では、

風の浪が舞ったり翻ったり。

三度休んでようやくたどり着いた三(さん)休(きゅう)亭(てい)は、

上に月を仰ぎ見ることができるように人の手で巧みに作られている。

九回折られて畳まれたような九(きゅう)折(せつ)巌(がん)は、

内に風を貯えることができるよう自然によって巧みに作られている。

我が脚力がもはや尽き果てようというところで、

山はますます好(よ)くなってきた。

どうやら、限りある人間の能力をもって、

無窮の自然の美を趁(お)ってはいけないようだ。

■【04-2-068】宿九仙山

【解題】玲(れい)瓏(ろう)山(ざん)に続いてその隣にある九(きゅう)仙(せん)山(ざん)に登った。山頂には晋(しん)の時代に建てられたという無(む)量(りょう)院(いん)があり、蘇軾はそこに泊まってこの詩を詠んだ。

【訳文】

晋(しん)の王(おう)導(どう)、謝(しゃ)安(あん)は国家の重鎮でありながら、

真(まこと)の仙人といってよいほどの風流人であった。

その人たちが去ってより、

この山は虚しく五百の春を過ごした。

無(む)量(りょう)院(いん)の堂内には、

さらに昔の漢(かん)の時代の道(どう)士(し)の画が掲げられている。

ここは桃(とう)花(か)源(げん)のように、時代の変遷の外にあって、

いつ秦(しん)の世が終わったかもわからずにいるのだろうか。

ここへの山道で疲れ果てた私は、

香(こう)の焚き篭められた帳(とばり)の内の寝(ね)台(だい)に飛び込んで眠りについた。

夢の中で、我が身はなおも巌(いわお)の道を巡っていて、

ぞっと冷たさが身に迫り、夜半に目覚めた。

ちょうど老僧の声がして、

「お起きなさいませ。

　雲の峰の欠けた所より、

　月が出て参りましたぞ」

【補足】［『桃(とう)花(か)源(げん)の記(き)』を書いた陶(とう)淵(えん)明(めい)は、王(おう)導(どう)や謝(しゃ)安(あん)が活躍した晋(しん)の時代の終わりに生まれ、晋が亡びるのを目の当たりにした。桃花源（ユートピア）の人々は、秦の世の乱れに山奥に逃れ、以来世間から隔絶し、秦の世が終わり、さらに漢(かん)の世も終わったことも知らずにいた。蘇軾のこの詩は、不変の月を眺めようとするところで結びとしている］

■【04-2-069】陌上花三首

【解題】蘇軾は九(きゅう)仙(せん)山(ざん)に遊んだ折に、土地の人々が歌う『陌(はく)上(じょう)花(か)』をいう歌を聞き、それに刺激されて、この詩を作った。短い序文がある。

【訳文】

引(いん)

九(きゅう)仙(せん)山(ざん)に遊んで、村の若者たちが『陌(はく)上(じょう)花(か)』を歌っているのを聞いた。年配の人々に尋ねると、このようにいった。

呉(ご)越(えつ)国(こく)の王妃は、毎年春になると、（杭(こう)州の王宮から）臨(りん)安(あん)の実家に帰っていた。王は手紙を妃に送り、

「陌上［道のあたり］に花が開きましたよ。緩(ゆる)緩(ゆる)とお帰りになったらどうでしょうか」

と、告げた。

呉の人々がその言葉を使って作ったのが『陌上花』である。なよなよとした思いが籠っていて、聴く者は愛おしさを覚える。しかし、その詞はひなびているので、私はそれを作り直してみた。

　其の一

陌(みち)の上(あたり)では花が開き蝴(ちょう)蝶(ちょう)が飛んでいます。

川や山はもとのままでも、昔の人はもはやいません。

遺(のこ)された民は幾度となく老いることをくりかえし、

遊び女(め)たちはとこしえに歌い続けるのです、

「緩(ゆる)緩(ゆる)とお帰りなさい」と。

【補足】［この詩には、失われた呉(ご)越(えつ)国(こく)の文化への哀惜の念も込められているのだろう］

　其の二

陌(みち)の上(あたり)では花が無数に開いています。

沿道の人々は王妃の乗る車を見つめています。

そそくさと帰ってしまうのをどうかして引き留めたいと思いながらも、

緩(ゆる)緩(ゆる)と帰り行くのに任せるのです。

　其の三

生きている間の富貴などは草の葉の上の露のようなもの、

死んで後にも残るのは風雅の名、

それが陌(みち)の上(あたり)の花となって開いているのです。

花はもう散ってしまうでしょうに、

私は緩(ゆる)緩(ゆる)と王宮へと帰って行くのです。

■【04-2-070】遊東西巌

【解題】臨(りん)安(あん)県には東(とう)永(えい)安(あん)巌(がん)と西(せい)永(えい)安(あん)巌(がん)があり、晋(しん)の時代に謝(しゃ)安(あん)が住んだ東(とう)山(ざん)がここであるとの伝承があった。蘇軾はそれに従ってこの詩を作っている。謝安の名は先の作品番号04-2-068にもあったが、すでに作品番号02-3-014で見たように蘇軾の憧れの人物の一人であった。

【訳文】

謝(しゃ)公(こう)［謝(しゃ)安(あん)］は温雅で度量の広い人であった。

時は艱難の続く時代、

まして謝公には人々の期待が集まったので、

盛りの年には様々な思いに襲われたのだった。

謝公はここに来て、

琴や笛の音楽に頼って楽しみを得て憂いを払おうとした。

謝公がそのようにしていることを若造どもが知ると、

気高い興趣を妨げられてしまうのを恐れ、

美しい妓女を一人だけ連れて、東西の山を登った。

思いをこの世界の外に放ち、

雲の中、滝の奥を歩き回った。

ひとたび功業を成し遂げると、

いかなる人物もあらぬ流言に悩まされる。

謝公は妓女の奏でる音楽に、

時に激昂して詩を吟じ、

時に哀しく静かに歌いもした。

思いは尽きることがなく、

歳月はたちまち過ぎ行き、

謝公は隠棲を遂げることなく、

病の身でありながら、

国家の困難のためにまた都へと向かい、

西(せい)州(しゅう)門(もん)から入るときに、

もうここを出て郷里に帰ることはないだろうと涙を流した。

以来、謝公の行楽したところは空しく残され、

古い木々が蒼(あお)く暗く空を覆っているのである。

【補足】［謝(しゃ)安(あん)の時代に、晋(しん)朝(ちょう)は中国の北半分を異民族国家に奪われ、内部では激しい門閥抗争が繰り返されていた。謝安は名門貴族の一人として、皇室を守り、また北からの侵攻を撥ねつけるのに大きな貢献をした。いつしか隠棲して晩年を静かに過ごしたいとの思いを遂げられないままに謝安は都で死んだ。謝安に可愛がられていた甥の羊(よう)曇(どん)は、謝安が最後に通って都に入った西(せい)州(しゅう)門(もん)の路は決して通るまいと心に決めた。しかし、ある日、酔っていつの間にか西州門にきて倒れ伏し、醒めてそこが西州門であると知って、激しく号泣した。蘇軾はこのエピソードを好み、後に詩に詠んでいる］

■【04-2-071】宿海会寺

【解題】臨(りん)安(あん)県の海(かい)会(え)寺(じ)で一泊し、この詩を詠んだ。

【訳文】

山の中で竹の輿(かご)に揺られること三日、

まことに美しくはあるけれど、

平らな場所はほとんどない。

下に向かえば谷川に落ちそうで、

上に向かえば青空に吸い込まれそうだ。

細い道では毎度猿と前後を争わなくてはならない。

海(かい)会(え)寺(じ)は渓谷に臨んで崖にしがみついているかのようで、

そこへと歩む間に両足は疲れ切り、

ぐうぐう腹が鳴り出す。

カラカラと音を立てて高い橋を渡ると、

長い垣根が寺を巡るありさまが見え、

まるで古い城のようだ。

大きな鐘が撞かれ、僧が一斉に出迎えてくれる。

高堂に案内され、夜になっても扉は開け放たれたままだ。

浴室の杉の槽(おけ)から川のように溢れ出る湯で身体を洗うと、

本来無垢の身に戻って軽やかになる。

そのまま寝床に倒れると、

ガアガアと我が鼾で周りを驚かせ、

タンタンと鼓を五つ叩く音で目覚める。

まだ夜は明けていない。

木魚を叩く音が聞こえると、粥の時刻で、

明るく清らかな朝となる。

人の声は全くなく、

粥を運びくる履き物の響きだけがする。

■【04-2-072】径山道中次韻答周長官兼贈蘇寺丞

【解題】蘇軾は海(かい)会(え)寺(じ)からまた径(けい)山(ざん)に入った。そこに周(しゅう)邠(ひん)から詩が送られてきたので次韻してそれに答え、合わせて蘇(そ)舜(しゅん)挙(きょ)に贈った。蘇舜挙は作品番号04-2-041で見たように臨(りん)安(あん)県の知事である。詩中にあるいくつかの地名の多くはこれまでの詩ですでに見ている

【訳文】

ここ数年来、せわしない世情のあれこれと戦い、

ようやく先人の言う通り、

富貴よりも義が人を肥えさせるということがわかってきた。

それで、掃除の行き届いたちっぽけな家で、

清浄な暮らしを楽しみたいと思うようになった。

道(みち)を学ぶことのまだまだ日が浅いのを残念がり、

禅を問うてみて、これまでいかに聴き惑っていたかを知って恥じもする。

今はせめて山水を行き巡って、

我が鹿の本性をいささか遂げさせたいと思っている。

独りで遊ぶのはあまり得手ではなく、

かといって一緒に行く者を求めてもなかなか応じてくれない。

蘇(そ)舜(しゅん)挙(きょ)君に――

我が蘇の一族は昔から愚直であるらしく、

世俗的な窮(きゅう)達(たつ)などは、どうせ前から定まっているものだと気にも留めない。

酒の糟を食らったって、どうにか酔っ払うことはできるのであって、

顔に水をかけられたくらいでは目を覚まさない。

蘇君がいうには、

「燕(つばめ)は一日の始まりは朝方にあると主張し、

　蝙蝠(こうもり)は一日の始まりは夕方にあると主張し、

　言い争って終わることがない。

　それに似たことばかりしていたって意味がない」

ならば私と一緒に山中に遊んで、

もっともっとましなことを語り合おうではないか。

私は、渓の南から横(おう)木(ぼく)を渡って山寺へと至る小径に入り、

そこから山の奥深くを尋ねることを始めた。

功(こう)臣(しん)山(ざん)を南に望むところから、

雲の彼方にわだかまる石の坂道をたどり、

またもとに帰ってきたのは、月がほんのり明るくなってきたころだった。

さらに夜明け前に起きて錦(きん)水(すい)を渡り、

もう一泊して石(せき)鏡(きょう)にも行った。

周(しゅう)邠(ひん)君に――

周君が李(り)行(こう)中(ちゅう)君とすばらしい詩を詠み合っていたのを私は思い出した。

ここに周君、李君、そして蘇君の三人がきてくれたら、

韻律がぴったり合ったすばらしい詩が生まれることだろう。

籃(たけ)輿(かご)に紙と筆を置いて、

大国を我が領地とするよりも、好句を得ることを重んじようではないか。

玲(れい)瓏(ろう)山(ざん)は、その名にぴったりのはなはだすばらしい山で、

九(きゅう)仙(せん)山(ざん)では、仙人の笑い声が千の山にこだまし、

空(くう)巌(げん)の洞窟では、水のしたたりが楽器を鳴らすように響く。

そのようなところで周君はどのような詩を吟じるだろうか。

私はいま山中にいて、虎の足跡を目にしている。

同行の役人は、銅鑼(どら)や太鼓を鳴らして虎を追い払おうとする。

我が人生はもとより難所ばかりだ。

釜に米がなく、あるのは塵ばかりということだってある。

山の鳥や野の獣は、私が久しく疲れているのを知っている。

それで笑って同行の役人にいう、

「虎に遭うのだって我が運命のままでよいのではなかろうか」

径(けい)山(ざん)への道は遠い。

それでも旅する者はだんだんに辿って行けばよいのだ。

昔ある人は、月の夜にふと友の誘いを想い出し、

山の奥へと入って行ったという。

諸氏もそのようにしてここにきてくれるだろうか。

とはいえ、下界では菊の花がもう咲いていると報せてくれるのなら、

私はすぐさま下山の道を辿るであろう。

【補足】［（1）蘇軾は「聊為山水行、遂此麋鹿性」［聊(いささ)か山(さん)水(すい)の行(こう)を為(な)し、此(こ)の麋(び)鹿(ろく)の性(せい)を遂(と)げん］と歌っていて、もはや当たり前のように自分の本性は鹿であるとしている。（2）「燕と蝙蝠(こうもり)の論争」とは、改革派と非改革派の対立のことなのだろう。宋(そう)の政治を担った人々は難しい試験を勝ち抜いた秀才揃いであったから、ひとたび論争になると、知恵の限りを尽くして決して引き下がらなかったので、いつ終息するとも知れない泥仕合となった。議会における多数決で政策論争に決着をつけるという仕組みは、中国においては発明されなかった。（3）詩中に詠まれている李(り)行(こう)中(ちゅう)の名は作品番号04-2-065で見ていて、先には李行中も周(しゅう)邠(ひん)も一緒に径(けい)山(ざん)に入ったのだが、今回は蘇軾一人であった。（4）「虎」は蘇軾を巡る政治状況を暗示してもいるのだろう］

■【04-2-073】汪覃秀才久留山中、以詩見寄、次其韻

【解題】蘇軾が臨(りん)安(あん)県に来たのを好機として、汪(おう)覃(たん)［字(あざな)は天(てん)才(さい)］という人物が詩を寄せて来たので、それに次韻して返した。汪覃は科挙を受験したが合格を果たせず、山に籠っていた。

【訳文】

昔、蘇(そ)秦(しん)［戦国時代の遊説家］は諸国を巡り歩き、

まだ成果を挙げられずに家に帰ったときに、

妻は機織りの手を休めることなく無言のままであったので、

怒ってまた出て行ってしまった［蘇秦は後に大成功する］。

汪(おう)覃(たん)君は俗世の名声に捉われることなく、

昔の碧(へき)雲(うん)師(し)のような高僧に就いた。

中秋の名月は静かに坐して見るだけで、

酒に酔うようなことはなく、

半月にわたるような長い精進潔斎も、

師に従って行っている。

筆を持てば、諸家の書に素直に倣い、

詩を詠めば、俗世にこだわりがないので、新味がある。

いずれ飛躍して朝廷に昇るようなことがあるとしても、

山中で薬草を採って過ごしていた日々を忘れはしないのである。

【補足】［この詩の終わりの部分からすると、汪(おう)覃(たん)はまだ科挙をあきらめてはいなかったようだが、結局、官に仕えることなく、後に水(すい)月(げつ)居(こ)士(じ)と号した］

■【04-2-074】再遊径山

【解題】径(けい)山(ざん)を再訪した際にこの詩を詠んだ。

【訳文】

老人が山に登ると、

洗い流されたかのように汗をかく。

疲れ切って牀(ベッド)に倒れ伏して、

もはや呼んでも目を覚ますことなく、

朝もどんどん過ぎて、日はすでに半空に上ってしまい、

山の頂上は天と一握りしか離れていないという昔の人の譬えを、

初めて実感するのだった。

普段から険しい道も何とも思わず、

両足は岩がころがるところにも馴れているので、

また山に入って、

含(がん)暉(き)亭(てい)から東に遠く海を望み、

凌(りょう)霄(しょう)峰(ほう)の頂から南(なん)岳(がく)へと手を伸ばす。

杉が翠の糸を乱すように枝を垂らし、

紅い宝玉から彫り出したような茸もある。

白(はく)雲(うん)峰(ほう)では、いつでも白い雲が行き来しているのか、

明(めい)月(げつ)庵(あん)では、とこしえに月は欠けることなく明るいのか、

……［「以上、皆山中の故事」と注記する八句がこの後に続くが煩雑なので割愛する］……

私は頭の固い愚か者で、

学問はあれこれかじるだけ、

本当の道(みち)を聞くことが遅く、

世の中とはとかく食い違うばかりである。

竜(りゅう)井(せい)の霊水は眼に効くというけれど、

真理を見る妨げとなる眼中の障(さわ)りを除くべきである。

径(けい)山(ざん)の風光を詠んだ清らかな詩は、

我が心の源にある濁りを澄ませてくれる。

詩を詠む人は、

どれほど難しい韻字であっても句を作ってみせようとか考えてしまうのだが、

禅の老僧は、

門を叩いて訪れ来る者があるのを喜ぶだけで、

己を誇ろうとするところなどはない。

生きている間にさらに何度ここに来られるのだろうか。

閑がある限りは、いくら繰り返してもよいのである。

【補足】［（1）径(けい)山(ざん)の竜(りゅう)井(せい)の水が眼病に効くことは当時よく知られ、蘇軾は別の詩でもそのことに触れている。（2）この後で杭(こう)州への帰路に洞(どう)霄(しょう)宮(きゅう)に立ち寄って詩を詠んでいるが、興味を引くような内容ではないので割愛する。その中に「作者七人相対閑」［作(さく)者(しゃ)七(しち)人(にん) 相(あ)い対(たい)して閑(かん)なり］とあって、一行七人で訪れたことが知れ、その七人とは蔡(さい)準(じゅん)、呉(ご)天(てん)常(じょう)、楽(がく)富(ふ)国(こく)、聞(ぶん)人(じん)安(あん)道(どう)、兪(ゆ)康(こう)直(ちょく)、張(ちょう)日(にち)華(か)と蘇軾であったとされる。蔡準の名は作品番号04-1-027で見ているが、他の五人は蘇軾の作品の中ではここでしかその名を見ないという。当然ながら、蘇軾の交遊範囲は、後世の考証家が調べ尽くせないほどに広かったのである］

■【04-2-075】初自径山帰、述古召飲介亭、以病先起

【解題】径(けい)山(ざん)から杭(こう)州に帰って間もなく、陳(ちん)襄(じょう)［字(あざな)は述(じゅつ)古(こ)］から介(かい)亭(てい)での酒宴に招かれて顔を出したものの、体調不良を理由に先に帰り、この詩を作った。介亭は西(せい)湖(こ)の南の鳳(ほう)凰(おう)山(ざん)の中腹にあった。

【訳文】

秋風が立ち始めたばかりのいまも、

介(かい)亭(てい)のあたりは十分に涼しく,

新たに実った橙は、

皮を通して香りが感じられるほどによく色づいている。

季節を愛(め)でる心はあっても、

移り変わりの速さには驚かされ、

高くから臨み見て、

秋の光のきらめきに怯えるばかりである。

雲の上の庵に隠れて眠るのに慣れたと歌った人もいたし、

美しい人が奏でる音楽の傍らで酔いに倦むと歌った人もいた。

私はというと、そうした気の利いたこともいえずに、

宴席より先に立ち去って眠りにつくことにしたのだが、

夢はなお宴席の楽しさの中にあって、

寝床で、知事殿が帰って行くのを送る楽曲の響きを聞くのである。

■【04-2-076】明日重九、亦以病不赴述古会、再用前韻

【解題】上の詩の翌日は9月9日、つまり重(ちょう)九(きゅう)［重(ちょう)陽(よう)］の節句で、陳(ちん)襄(じょう)知事が主催する宴席が開かれることになっていた。しかし、蘇軾は病のために出席できない旨を、上の詩と同じ韻で作った詩に託して知事にもとに届けた。

【訳文】

月の光が秋の帷(カーテン)を通して、

枕もとへとそっと入り込んできて、

霜が飛ぶような夜の冷ややかさのなかで、

ただ布団の香りと親しんでいる。

重(ちょう)陽(よう)の宴といえば、

桓(かん)温(おん)の前で帽子を吹き飛ばされてしまった孟(もう)嘉(か)の故事を思い起こすが、

私はその真似さえもできずに、臼をつく老妻のもとで臥せっている。

集まる人々は古今の成敗を論じ合い、

あるいは、茱(しゅ)萸(ゆ)の実を見つめて思いに耽ったりしていることであろう。

【補足】［（1）孟(もう)嘉(か)の故事について作品番号02-2-021で見ている。そのときは、知事が主催する重(ちょう)陽(よう)の宴になぜか蘇軾は呼ばれず、その不満を籠めてその故事を引いたのだが、ここでは不穏当な意味合いはないと思われる。原詩では続いてさらに二つの故事を引いているのだが、何が言いたいのか理解できないので割愛する。（2）連続する以上の二首を見ると、径(けい)山(ざん)から帰って疲れが出て体調を崩したのだろうかと推測されもするのだが、次の詩を見ると実は大したことなかったようである］

■【04-2-077】九日、尋臻闍黎、遂泛小舟至勤師院、二首

【解題】9月9日、病で伏せているはずの蘇軾は、臻(しん)阿(あ)闍(じゃ)黎(り)を尋ねて茶を飲み、それから、小舟を西(せい)湖(こ)に浮かべて孤(こ)山(ざん)の恵(え)勤(ごん)の僧院を訪問した。その折にこの二首の詩を詠んだ。臻阿闍黎は実(じっ)相(そう)法(ほう)師(し)梵(ぼん)臻(しん)のことで、天(てん)台(だい)教(きょう)の僧で、このころは南(なん)屏(びょう)興(こう)教(きょう)寺(じ)にいた。恵勤の名は何度も見ている。

　其の一

白髮は、これ以上歳月に侵されるのを嫌い、

病んだ眼は、杯に深く注がれた酒を怕(おそ)れる。

昔、重(ちょう)陽(よう)の日に人を訪ね、留守だったために、

屏風に一篇の詩を書き置いて去った人がいたが、

南(なん)屏(びょう)山(ざん)に老僧の宿を過ると、

幸いにも、再び尋ねる面倒なこともなく、

露(ろ)芽(が)［茶の名］を碾(ひ)いて、白雪のような茶を烹(に)てくれる。

さらに霜(そう)蕊(しん)［茶の名］までも取り出して、

黄金のような芽を砕くことはしないでよろしい。

これより小さな舟を浮かべ、

湖水を切り分けて、

孤(こ)山(ざん)にかの僧を訪ねようと思う。

【補足】［この詩を見ると、蘇軾の病は、単に前日の宴で酒にやられただけであったと思われる。家で休んでいるうちに回復し、臻(しん)阿(あ)闍(じゃ)黎(り)を尋ねて茶を馳走してもらうと、もはや気分爽快となって、孤(こ)山(ざん)に向かったのだろう］

　其の二

湖の上の青い山は、翠(みどり)をうず高く積み上げ、

葱葱(こんもり)鬱鬱(もっこり)、佳(よ)き気(き)が集まっているのである。

笙(ふえ)の音や歌声が響く中から我が身を抽(ひ)き出して、

雲と水の光の中で、我が眼を洗い流す。

足が白く髭の赤い僧が笑って私を出迎えてくれるが、

拒(きょ)霜(そう)［芙(ふ)蓉(よう)］と黄(こう)菊(ぎく)は誰のために開いているのか。

茶を深く知るここの僧［恵(え)勤(ごん)のこと］は、

来年の今日は、

この衰(すい)翁(おう)［蘇軾のこと］がどうして来ないかと、

何度も振り返り見るであろう。

【補足】［この詩の結びには、蘇軾自身の注で、「来年の九月九日よりも前に私は杭(こう)州を去っているだろう」と書き添えている。3年の任期が満ちるのである］

■【04-2-078】遊諸仏舎、一日飲釅茶七盞、戯書勤師壁

【解題】同じ9月9日の詩。孤(こ)山(ざん)でも茶を馳走になった蘇軾は、結局朝から7杯も飲んだことになり、戯れにこの詩を詠んで恵(え)勤(ごん)の僧舎の壁に書いた。

【訳文】

釈(しゃ)迦(か)の弟子の維(ゆい)摩(ま)詰(きつ)が病んだとき、

「一(いっ)切(さい)衆(しゅ)生(じょう)が病むので我も病み、

　一切衆生の病が消えるとき我が病も消える」

と、いったとか――

晋(しん)の世の謝(しゃ)霊(れい)運(うん)は菩(ぼ)薩(さつ)の教えを聞き、

いま自分がどこにいるのかを完全に忘れたとか――

仏の道に入れば、

身を束縛するもの全てが消え去ってしまうのだろうか。

ならば、魏(ぎ)の皇帝は五色に輝く仙薬を手に入れたという話があるのだが、

そのようなものはなくてもよろしいのだ。

茶について、唐(とう)の盧(ろ)仝(どう)は一椀目から順にその効能を説いて、

六椀目にして仙(せん)霊(れい)に通じるといった。

私はうっかり七椀目も飲んでしまったので、

結局、仏の道に入ることも仙人の境地に通じることもできなかったのだ。

■【04-2-079】九日、舟中望見有美堂上魯少卿飲、以詩戲之、二首

【解題】同じ9月9日の詩。孤(こ)山(ざん)に行く途中か、帰りか、舟の中から湖畔にある有(ゆう)美(び)堂(どう)を見上げると、同僚の魯(ろ)有(ゆう)開(かい)［字(あざな)は元(げん)翰(かん)］が宴に興じているのが見えたので、この戯れの詩を送った。

【訳文】

　其の一

雲の間に咲く数点の紅の花［宴席の妓女をいう］、

花は紫の髯の翁［魯(ろ)有(ゆう)開(かい)］を囲んで笙(ふえ)を吹き、歌をうたっている。

酒を愛する竜(りゅう)山(ざん)の客［孟(もう)嘉(か)のこと］がどこにいるのかというと、

なんと一艘の釣り舟のなかなのである。

【補足】［（1）重陽といえば孟(もう)嘉(か)の故事を引くのが蘇軾の常で、この詩では自分を孟嘉になぞらえている。（2）魯(ろ)有(ゆう)開(かい)はここで初めて登場する人物で、この詩に続く第二首では、魯有開は杭(こう)州での任期が満ちて本来なら都にある家に帰るべきときであるのに、ここで美女に囲まれてまだ遊んでいるので、家では帰り遅いと女性たちが怨んでいるだろうと、故事を引いてからかっている。機知に富んだその諧謔をうまく日本語に写すことができないので割愛する。（3）魯有開は比較的裕福な人であったのだろう、蘇軾は魯有開から谷(こく)簾(れん)水(すい)という名水と竜(りゅう)団(だん)茶(ちゃ)という銘茶を贈られたことがあり、謝礼の詩を詠んでいる。それはすこぶる儀礼的な詩であるので、それも割愛する］

■【04-2-080】九日湖上尋周、李二君、不見、君亦見尋於湖上、以詩見寄、明日乃次其韻

【解題】重(ちょう)陽(よう)の節句は官民挙げて野外での遊びに興じ、とりわけこの年は好天で、西(せい)湖(こ)のあたりは大賑わいであったのだろう。周(しゅう)邠(ひん)と李(り)行(こう)中(ちゅう)［→作品番号04-2-065］も西湖に舟を浮かべて遊んでいると聞いて、蘇軾は孤(こ)山(ざん)からの帰路、探してみたが、見つけることができなかった。翌日、周邠から、残念ながら会えなかったという詩が送られてきたので、それへの返事。

【訳文】

湖のほとりで芙(ふ)蓉(よう)の花が揺れる、

何やら思いに沈むその様子。

古(いにしえ)のかの淑女と同じく、

町を行く軽薄な連中なんぞにその美しい姿を見せはしない。

淑女の心を知る人はいつまでも現れず、

霜の季節が迫りくるので、もはや待つこともできない。

葦の間に棹の音が聞こえたかと思ったのに、

くるはずのその人は空飛ぶ鳥を追って、

雲の彼方へと駆けて行ってしまったのだろうか。

私は私で貴君を一日中捜して、この芙蓉の花に出会い、

その哀れな風情に摘み取ることができなかった。

人生は、朝露が日に当たって消えてしまうようなものだという。

長くても百年、

無限の時間の流れに一瞬の旅人として船を浮かべるだけだ。

毎日毎日労苦に明け暮れ、

せいぜい一日の閑が得られれば幸運である。

とかく思いとは隔たってしまうのが人の世の常、

貴君と会おうと願ったことも遂げられなかった。

このことから、私は天の定めがあるのを知り、

深く憂いて、我が魂を痛めるのである。

【補足】［（1）友人と会えなかっただけのことをとんでもなく大袈裟に表現した戯れの詩。（2）この日はそもそも陳(ちん)襄(じょう)知事には病気のために宴席は欠席すると知らせていたのであって［→作品番号04-2-076］、それなのにこれだけ動き回って何人もの人に詩を贈ったのでは、知事の耳にも入って、「あいつは何をしているのだ」と不審がられないはずがない。だから、三つ後の詩で見るように、知事からお咎めを食らうことになった］

■【04-2-081】送杭州杜、戚、陳三掾罷官帰郷

【解題】ここまでの一連の重(ちょう)陽(よう)の節句の詩を読むと、宋(そう)代(だい)の官僚はいかにも呑気なものと思えてしまうのだが、実際には役人暮らしはなかなかどうして厳しいものがあった。この詩はそれを端的に示すもので、杭(こう)州の役所に勤めていた杜(と)子(し)方(ほう)、陳(ちん)珪(けい)、戚(せき)秉(へい)道(どう)の3人が理不尽な経緯で罷免となり、それぞれ故郷に帰らねばならなくなり、蘇軾は重い気持ちでこの送別の詩を作った。3人が罷免になったのは概ね次のような事情からであった。杭州の裴(はい)という者の家で、幼い娘が井戸に落ちて死んだ。家の主人は、娘の子守をしていた夏(か)沈(ちん)香(こう)という女が井戸に落として殺害したと役所に訴えた。夏沈香は目を離した隙に落ちたと証言した。取り調べに当たった上記の3人は過失による事故として処理し、背中を20回叩く刑罰を与えて夏沈香を釈放した。主人はそれを不服とし、より上級の役所に訴えて調べ直しを求めた。2度目の裁きで夏沈香は殺人罪で死刑となり、判断を誤った杭州の担当者3人は罷免となったのだった。真相は明らかでないにしても、弱い立場にある子守の娘の証言などは、家の主人によって無残に踏みにじられてしまうだろうということは容易に推測できる。

【訳文】

船が侘しい村里にさしかかり、

静かに夜が更けて行くときに、

秋風が枯れた蓼(たで)の茎をからからと鳴らす。

官を追われた旅人の腸(はらわた)は、

憂愁のあまり断ち切れんばかりで、

酔いに任せて詩を吟じつつ暁に至る。

そのような旅にいまから発つ貴君等は、

携える食糧さえ十分になく、憔悴し切っている。

役人の俸給はわずかではあっても、

それでも食いつなぐことだけはできた。

私は日頃から失敗と成功が半々ずつで、

しがない地位にしがみついて、

身を軽くして飛び去ることができずにいる。

貴君等は失意の内にいまはあるけれど、

それはきっといつまでも続くものではない。

月の光は闇の世界の蝦蟇(がま)に食われても、

その明かりは必ず再び戻ってくる。

証拠が十分でないのに人を死刑にしたならば、

心の内はきっとよろしいものではなく、

その悔恨は恐らくは生涯消え去りはしないだろう。

時流に乗って何かをしても、

得るところのものはわずかしかなく、

憂患のぐるぐるまわりの中へと落ちてしまうのだ。

貴君等にいおう――

今は来年植えるための麦を残しておく時なのである。

しばし飢えを忍ばなければならないけれど、

きっとおいしい麦こがしが食べられるようになるのだ。

【補足】［当時の行政官は裁判権も持っていて、民衆に対して強い権限を有していた。良心的な行政官は、冤罪を生むことがないよう慎重に裁こうとし、そのための判例集が編集されもした。その一方で、面倒な捜査を下級の吏人に任せ、自身の思い込みで、ときには賄賂に動かされて、理不尽な裁きを平然と行う者も少なくなかった。蘇軾がここで詩に詠んだのは、現地での正しい裁きが、何らかの力によって一段上のところでひっくり返されてしまった事例であるのだろう。それにもしも不服ならば、最終的には朝廷に訴え出ることも可能なのだが、子守の娘にはそれをする人脈も資力もなく、哀れにも処刑されてしまったのだろう。このような場合に、民衆が最終的に期待を寄せたのは、死後の世界で白黒はっきりさせることだった。つまり、いわゆる閻魔大王によって、冤罪を生んだ官員は厳しく裁かれて、永遠の罰を与えられるのである。宋代の人々の間で語り継がれた奇談のなかに、死後の世界を見てきた話が多数あり、地獄の責め苦に遭っているのはほとんどが役人と僧侶で、民衆がいかにその二者に虐げられていたかがよくわかる。そのような不思議な話が蘇軾の先祖にもあったのをずっと後の章で見ることになる］

■【04-2-082】次韻周長官寿星院同餞魯少卿

【解題】西(せい)湖(こ)の南の山中にある寿(じゅ)星(せい)院(いん)で、周(しゅう)邠(ひん)が魯(ろ)有(ゆう)開(かい)を見送った詩に次韻した。二人の名はすでに見ていて、作品番号04-2-079に付記したことを踏まえると、魯有開はいよいよ都に帰って行ったのであろう。

【訳文】

風はなく静かな湖、

百頃(けい)の大きさの琉(る)璃(り)玉(だま)か、あるいは水の仙人の家か。

まばらな松が、夕日の中に斜めに立ち、

寒さに震える蝶が、秋の花の中に抱かれている。

寿(じゅ)星(せい)院(いん)で仏の教えを聞いて、

月の照る道を踏みつつ帰る。

もしも二人が綸(りん)巾(きん)に鶴(かく)氅(しょう)という昔の貴人の姿であったならば、

後々までも誇れる図柄となったであろう。

【補足】［（1）寿(じゅ)星(せい)院(いん)のまわりの風光とそこにいる二人の姿を想像して詠んだ詩である。これを読んで二人がにやりとすればよいだけの作品で、千年も後の者がどうにかこうにか訳文をひねり出そうと頭を悩ませているのを蘇軾が見たなら、腹をよじって笑うであろう］

■【04-2-083】述古以詩見責屡不赴会復次前韻

【解題】知事の陳(ちん)襄(じょう)［字(あざな)は述(じゅつ)古(こ)］から、「何度も宴席に呼んだのに来ないではないか」と咎める詩がきて、それへの返事の詩。詩の題に「前の韻に次(じ)す」とあるのは、ここでは訳さないが、この詩の前に一つ詩があって、それを踏まえているからだ。つまり、陳襄が周(しゅう)邠(ひん)のもとを夜に訪れて飲んで詩を作り、蘇軾がそれに次韻していた。この詩はそれと同じ韻を用いているのである。たぶん陳襄は周邠のところで一緒に飲もうと蘇軾を誘っていたのだが、蘇軾が行かなかったのだろう。先の重(ちょう)陽(よう)の宴にも蘇軾は欠席していたから、いつも断ってばかりでどういうつもりなのだと、陳襄は咎めたのである。陳襄はむろん本気で怒ったのではなく、あくまでも戯れである。

【訳文】

私は偏った性格のひねくれ者で、

もとより親しもうとしてくれる人はいない。

年々それはひどくなり、

ますます俺は俺だというようになってしまった。

派手な着物の女の人が勧めてくれる美酒を強く断りはしないけれど、

元気な若者の前に出て行って、もののわからぬ親爺だと笑われるのはかなり残念に思う。

私は昔の隠者のように、北の山で鶴を友としたり、

南の畑で荷車を引いたりしていたいと思うのである。

このよく治まった時代に、

しばしばお呼びくださることに感謝はするものの、

四角い車輪がまわらないように、

のこのこ人の中へと出て行くのはまこと難しい……。

■【04-2-084】賀陳述古弟章生子

【解題】上の詩で見たようなおとがめを受けて、陳(ちん)襄(じょう)［字(あざな)は述(じゅつ)古(こ)］に対して少々引け目を感じたからなのかどうか、陳知事の弟の陳(ちん)章(しょう)に子供が生まれたのを祝うこの詩を作って贈った。

【訳文】

夜の間に、町のあたりは佳(か)気(き)によって郁葱(ふんわり)と充たされ、

唐(とう)の時代に杜(と)甫(ほ)が詩で褒め讃えたような子が生まれ出た。

誕生の三日目の湯(とう)餅(へい)の宴の客になりたくは思うものの、

唐の時代に李(り)林(りん)甫(ほ)が字を間違えて笑われたような失態を私もしてしまうのを恐れる。

昔、君の弟に娘を嫁がせていたなら宰相に昇るような子を産んだであろうと言った者がいたが、

まさにそのような弟の兄である陳(ちん)君は余りある喜びのうちにあることだろう。

私もそれなりに見る目を具えておるので、

試しに赤ちゃんを泣かせてみていただきたい、

その様子から、将来、世に抜きん出た俊英になるかどうかを判定してさしあげましょうぞ。

【補足】［（1）この詩は、あれこれ故事を引いて知性溢れる作品であるかのように装ってはいるが、要するに、歯の浮くようなヨイショを並べているだけで、「どうしてこの種の詩が蘇軾の詩集に納められたのか」と酷評されるようなしろものである。（2）故事を詳しく吟味するのは、ごちゃごちゃ面倒なので、赤ん坊の泣き声を聞くという部分にだけ説明を加えておく。のは、晋(しん)の時代の温嶠(おんきょう)は、ある有力者のところに子が生まれたので祝いに行き、「この子がどの程度の人物になるのか見てしんぜましょう。ちょいと泣き声を聞かせてもらいたい」といった。赤ん坊が一声泣くと、温嶠は「これは真の英物であります」と褒めちぎり、父親は喜んで、温嶠にちなんでその子を温(おん)と名付けた。この赤ん坊は後に一国の運命を左右する大物となった恒温(かんおん)であった］

■【04-2-085】贈治易僧智周

【解題】『易(えき)経(きょう)』を研究している智(ち)周(しゅう)という僧に贈った詩。父の蘇(そ)洵(じゅん)に始まって蘇軾、蘇轍の兄弟も『易経』を深く読んでいたので、智周とはかなり専門的な話をしたのだろう。

【訳文】

瓶(かめ)の水が凍るほどの寒さでも、

窓辺に一人座って、昔の人が遺した書物を螢の光にかざして読み続け、

かつて夢で道士に教わった人のように、

貴僧は神(しん)霊(れい)に通じているのだろう、

王宮に招かれた九人の学者も及ばなかった新たな知見を得ている。

師と仰いだ契(けい)嵩(すう)が亡くなってからは、

もはやわかってくれる者はいないと、

誰もいない山の中で貴僧が『易(えき)経(きょう)』を説いていると、

無数の岩がうなずきながら聴き入るのである。

潔斎するのに水を用いる必要はない、

胸中は経典によって自ずから洗われているからである。

■【04-2-086】張子野年八十五、尚聞買妾、述古令作詩

【解題】湖(こ)州で会ったり西(せい)湖(こ)で詞を詠んだりした張(ちょう)先(せん)［字(あざな)は子(し)野(や)］［→作品番号04-2-059など］が、85歳でありながら新たに妾を買った。蘇軾は陳(ちん)襄(じょう)知事から、「たいがいにしたらどうかとたしなめてやってくれないか」といわれて、この詩を作った。「いい年をして恥を知りなさい」などと無粋な説教は蘇軾のするところではなく、故事来歴てんこ盛りの戯れの詩である。引かれた故事の当該人物がすべて張先と同じく張(ちょう)姓で、その工夫になるほどと張先が膝を叩き、少しでも反省してくれたしめたものというわけであろう。いろいろな張さんのどのような行為がこの詩に用いられているのかいちいち解説すると膨大な字数を要するので、大まかな流れがわかる程度に訳す。訳文中の「若き詩人」とか「若き貴公子」とかはすべて張姓の人物である。

【訳文】

先生［張(ちょう)先(せん)］は自ら狂(クレイジー)であると笑っている。

眉も髭も真っ白であるのはどうしたって隠せるものではないのに、

老詩人［張先］のもとにはいつだって、

唐(とう)の御代に若き詩人と恋をした鶯鶯(おうおう)のような美女がいるし、

老貴公子［張先］がお帰りになると、

漢(かん)の御代に若き貴公子に愛された燕燕(えんえん)のような美女が出迎える。

漢の御代に老齢をもって隠退した大官は歯がもうなかったので、

乳母を雇って乳を吸って百余歳まで生きたというけれど、

先生には立派に歯がなおおありなさる。

唐の御代に心ならずも異動させられた老いた地方官僚は、

妓女が歌う送別の詩に腸が断たれる思いをしたというけれど、

先生にはそういう悲しみは一切ない。

漢の御代の老いた大学者には戴崇(たいすう)と彭宣(ほうせん)の二人の弟子がいて、

お気に入りの戴崇がくると喜んで酒を用意して、

奥座敷に招き入れて妻妾も交えて夜遅くまで楽しんだのに、

堅物の彭宣がくると厳めしい顔で古典を論じ、

粗末な食事を出すだけで奥座敷に入れることはなかった。

私は先生にお近づきを得たところ、

私が彭宣のような堅物であることを御存知いただけず、

奥座敷に入れていただくようなことになったのはどういう間違いからなのでしょうか。

■【04-2-087】書双竹湛師房二首

【解題】杭(こう)州の広(こう)厳(げん)寺(じ)の竹はみな二本が対になって生える双(そう)竹(ちく)で、双(そう)竹(ちく)寺(じ)とも呼ばれた。そこの湛(たん)師(し)の部屋の壁に書いた詩。

　其の一

私は本来、西(せい)湖(こ)に一艘の舟を浮かべる釣り人であったのだろう。

屋内で風が渦巻くほどに高くて立派な建物を心に嫌い、

湛(たん)師(し)のこの部屋がわずかに一丈四方であるのを羨ましく思う。

ここでは、終日、香(こう)の煙が一本立ち昇っているだけである。

【補足】［この詩の第一句「我本西湖一釣舟」［我(われ)は本(もと) 西(せい)湖(こ)の一(いち)釣(ちょう)舟(しゅう)］は非常に印象的である。蘇軾は先に、故郷に西湖の美はないと歌っていた［→作品番号04-1-028の其の五］。ここではさらに一歩進んで、自分は元来西湖の釣り人であったとまで歌っている。西湖の風光がよほど気に入ったのだ］

　其の二

朝の鐘も暮れの太鼓も湛師が自ら撃ち、

門を閉して、孤り燈火と向かい合う。

白い灰が落ちて、最後の紅(くれない)の火が放たれると、

臥して窓を打つ雨の音を聴くのである。

■【04-2-088】宝山新開径

【解題】宝(ほう)山(ざん)に新らたに径(みち)が開かれたことを詩に詠んだ。宝山の名は作品番号04-2-042などで見ている。

【訳文】

藤の蔓やら橘の刺やらで塞がれていのが、

竹の杖とか椶(しゅろ)の鞋(わらじ)の扶(たす)けがなくても歩ける径(みち)になった。

遠くの笑い声が風に乗って聞こえてくるし、

山から水が分かれて西(せい)湖(こ)へと流れ込む様子がくっきりと見える。

振り返ると、仏(ぶっ)国(こく)土(ど)の菩(ぼ)薩(さつ)の青い髻(もとどり)のような山々、

仙(せん)界(かい)の碧(へき)玉(ぎょく)の壺(つぼ)のような宝(ほう)山(ざん)を遍く踏み歩こうではないか。

野の客が帰ると山に月が上り始め、

棠(とう)梨(り)の葉を揺らして鳥が鳴きかわすのである。

■【04-2-089】和述古冬日牡丹四首

【解題】冬のとある日にとある寺で牡丹が咲き、陳(ちん)襄(じょう)［字(あざな)は述(じゅつ)古(こ)］知事がそれを詩に詠み、蘇軾が和した。

　其の一

ひとつの枝から妖(あや)しい紅(くれない)が翠(あざやか)に流れるかのよう。

春の照(ひかり)がここに早くも回ってきたとあっては、

雪や霜はもはや顔色ないと羞(は)じ入るしかないであろう。

造(ぞう)化(か)の技(わざ)は新たな巧みを為して、

静かに眠っているべき花を少しも休ませまいとしているのか。

【補足】［（1）この詩から、冬の間に牡丹を咲かせようと、いろいろな工夫が為されていたことがわかる。（2）原詩には「翠欲流」［翠(すい) 流(なが)れんと欲(ほっ)す］の3字があり、南(なん)宋(そう)の陸(りく)游(ゆう)は、それについて随筆『老(ろう)学(がく)庵(あん)筆(ひっ)記(き)』で次のように記している。「初め私は『翠欲流』の意味を解することができなかった。後に成(せい)都(と)に遊び、広い市場の中に『鮮翠紅紙舗』と書いてある店があった。人に尋ね、『鮮(せん)翠(すい)』とは『鮮明』」の意味であると知った。東坡はきっとこの蜀(しょく)の方言を用いたのだろう］。このことから「翠欲流」とは「流れるばかりの翠(あざやか)さ」という意味のようである］

　其の二

春は、しばしば雨とともに風が吹くので、

霜の降りるときにこそ、濃い紅で花を染めみようと、

春の光を特にこの牡丹だけに漏らしたのだろうか。

天の工(たくみ)がそのようなことをした――

その説を、私は信じることができない。

　其三

昔、鶴(かく)林(りん)寺(じ)である仙人が、

秋に杜鵑花(つつじ)を咲かせてみせたという。

詩にそのような力があるとは誰も信じないだろうけれど、

霜に覆われた茎から春の妍(あで)やかな花を咲かせたのは、

実は陳(ちん)襄(じょう)知事の詩なのである。

【補足】［（1）鶴(かく)林(りん)寺(じ)の仙人の話は作品番号04-1-071で見ている。（2）第四首では、詩の力が自然を変化させるという発想をさらに発展させているのだが、訳すには故事の処理がかなり面倒となるので割愛する］

■【04-2-090】弔天竺海月弁師三首

【解題】天(てん)竺(じく)霊(れい)山(ざん)寺(じ)の弁(べん)才(さい)、すなわち海(かい)月(げつ)禅(ぜん)師(し)慧(え)弁(べん)が10月に亡くなったので、この詩を詠んだ。少し前に、弁才に贈った詩を見ている［→作品番号04-2-053］。

　其の一

もとより「生(せい)」というものはないのだから、「亡(ぼう)」もありえない。

だから、師の遺跡を尋ね、強いて衣を涙で沾(ぬら)すのである。

今夜も師の講堂には月が照り、

庭には霜のように冷たい光が、

変わることなく満ちている。

　其の二

生と死は、臂を伸ばしたり曲げたりするようなもの、

それでも、我等は情(じょう)のために苦しまなければならない。

白(はく)居(きょ)易(い)は「蓬(ほう)莱(らい)島(とう)へと旅するのではない」と詩に詠んだ。

やはり西(せい)方(ほう)浄(じょう)土(ど)へと帰ったのである。

【補足】［白(はく)居(きょ)易(い)［白(はく)楽(らく)天(てん)］は、晩年は仏教に傾倒し、仙(せん)界(かい)［蓬(ほう)莱(らい)島(とう)］に帰るのではなく、西(せい)方(ほう)浄(じょう)土(ど)に帰るのを願うといった［→作品番号04-2-060］。杭(こう)州と縁の深い白居易の故事を引いて、仏教に帰依する気持ちを歌ったのである］

　其の三

「因(いん)」があり、「縁(えん)」があって、物事が起こるという。

浮き雲に尋ねて「因」を滅するなら、

「縁」もなくなって、夢の中の身となる。

昔、先に死んだ方があちらのことを告げに来ようと友と約束した者がいた。

理(ことわり)がわかっているのなら、そのようなことをする必要はないのに。

【補足】［これから22年後に、蘇軾は海(かい)月(げつ)禅(ぜん)師(し)慧(え)弁(べん)の肖像画に添える短文を記すのだが、その訳は第11章で見ることになる］

■【04-2-091】李頎秀才善画山、以両軸見寄、仍有詩、次韻答之

【解題】この詩の題は、「李(り)頎(き)秀(しゅう)才(さい)は善(よ)く山を画く。二つの画軸を寄せてくださり、詩が添えてあった。それに次韻して答える」。詳しい経緯が何(か)薳(えん)の随筆『春(しゅん)渚(しょ)紀(き)聞(ぶん)』に記されているので、まずはそれを見ておこう。

【訳文】

何(か)薳(えん)：『春(しゅん)渚(しょ)紀(き)聞(ぶん)』

李(り)頎(き)、字(あざな)は粋(すい)老(ろう)は、どこの出身であるかはわからない。若いときに科挙に合格し、官職を授けられるときになって、それを棄てて道(どう)士(し)になった。各地の山河を旅し、晩年は呉(ご)の山水の景勝を好み、ついに臨(りん)安(あん)県の大(だい)滌(じょう)洞(どう)天(てん)に隠れ、苕(ちょう)溪(けい)のあたりへも往き来し、優れた人がいると、必ず知り合いになった。画を善(よ)くし、ときに詩を作った。

東(とう)坡(ば)［蘇軾］が杭(こう)州の副知事になったときに、李頎は絹地に春の山を描いた��軸を作り、それに詩を一首書き添えた。東坡とはつてがなかったので、樵(きこり)にそれを託し、東坡が門から出てくるのを待って渡してもらった。東坡が軸を開いて詩と画を見ると、みごとな出来栄えであったので、樵に、「誰がそなたを遣わしたのか」と尋ねた。樵は、「薪を背負って町に売りにきまして、初めてあなたさまの門のあたりにきますと、一人の道(どう)人(じん)がいて、百銭をくださって、これをあなたさまにさしあげるよういわれたのです。どなたであるのかは知りません」。東坡はますます驚いて珍しいことだと思った。折々に西(せい)湖(こ)の名僧たちに尋ねると、李頎であることが知れた。

それからしばらくして、たまたまある僧の住いで李頎に出会い、東坡は非常に喜んで、李頎の詩に和した。

……［以下に、蘇軾の詩と、李頎の画について幾つかの記事が続く］……

【補足】［訳を省略した後半部分に、何(か)薳(えん)の家にはかつて李(り)頎(き)の画が何枚かあったのだが、兵火のためにいまでは「雪(せつ)山(ざん)」、「春(しゅん)晴(せい)」の二軸しか残っていないと記してある。そのようなことからも、上の記述はかなり信憑性が高いようである］

【訳文】

貴君はこの画の中の人、

釣り船に向かって真実を画こうとしているその人である。

貴君の詩句に和そうとしても手が出ない。

画中の雲や泉は早く俗世から身を抽(ぬ)けと勧める。

私は我が白髮に時の過ぎ行くのがあまりにも速いと驚かされ、

山々ばかりが年々新たになって行くことに恐れを抱いている。

これより北に帰るとして、

南を望んで悵(いた)むようなことはしないですむだろう。

わが囊(のう)中(ちゅう)には、貴君が描いてくれた桃源郷(ユートピア)のようなここの景色があるのだから。

■【04-2-092】定風波

【解題】楊(よう)絵(かい)［字(あざな)は元(げん)素(そ)］を見送ったときに詠んだ詞。官員仲間の楊絵が秋のころに杭(こう)州にきて、すぐに立ち去った。楊絵は翌年の秋にまた杭州にきて、親しく詩詞を詠み合うようになる。

【訳文】

千古風流阮歩兵、［古今に名高い風流人といえば阮(げん)籍(せき)でしょう］

平生遊宦愛東平。［官員として各地を巡るなかでも愛したのが東(とう)平(へい)でした］

千里遠来還不住。［阮籍は千里の遠くから来て、還ってしまいました］

帰去。［帰ってしまったのです］

空留風韻照人清。［阮籍の清らかさを照らした風(ふう)韻(いん)だけが空しく残ったのです］

紅粉尊前深懊悩、［妓女が歌い酒が並ぶ前で悩まし気にしています］

休道。［もうやめましょう］

如何留得許多情。［どれほど引き留めたいと思ってもどうにもならないのです］

記得明年花絮乱。［来年の柳(りゅう)絮(じょ)が飛びに乱れるときのことがもうわかります］

看泛。［舟を浮かべて聞いてみなさい］

西湖総是断腸声。［西(せい)湖(こ)がすべて貴君のいない悲しみの声を挙げているのですよ］

【補足】［（1）この詞の前半では、楊(よう)絵(かい)を阮(げん)籍(せき)に譬えて、せっかく杭(こう)州にきたのにすぐに去ってしまうのが残念でならないと歌っている。阮籍について作品番号01-2-041などを参照。阮籍が東(とう)平(へい)の地を愛しているのを知った皇帝が、阮籍をその地の長官にすると、たちまちみごとに治めたという話がある。（2）後半では、楊絵の姓の楊(よう)からの連想で、楊(やなぎ)の花(か)絮(じょ)が飛び散る来年の春に、楊絵が去ってしまったことが改めて強く惜しまれるだろうと歌っている。（3）送別の宴で、即興でこの詞を披露して妓女が歌ったなら、拍手喝采大いに受けたであろう］

■【04-2-093】思聡名説

【解題】ある少年に思(し)聡(そう)の法(ほう)名(みょう)を与えたことを記した短文。

【訳文】

法(ほう)恵(え)円(えん)師(し)の小童の彭(ほう)九(きゅう)は年が十一で、琴が上手で、応対が大人のように明瞭である。彭九が自分からまだ法(ほう)名(みょう)がないということを言い出したので、法恵円師の弟子にはみな「思」の字が用いられていることから、「思(し)聡(そう)」の名を与えることにした。願うのは、いずれその名の通りに、仏法を聡(さと)く得ることである。このことを付してその名を与える。

【補足】［法(ほう)恵(え)円(えん)師(し)とあるのは当時有名な円(えん)照(しょう)大(だい)師(し)のことで、その弟子の少年が詩を作ると聞いた蘇軾は、参(さん)寥(りょう)という僧が作った詩を示して、これに和してみなさいといったところ、少年がたちまち詩を作ったので、蘇軾は大変感心して、法(ほう)名(みょう)を付けることになったという。参寥は後に蘇軾の親友となるのだが、このときまでに面識がすでにあったかどうかは定かではない］

■【04-2-094】答舒堯文

【解題】この年の終わりごろに書いたと推測される手紙を二通見ておこう。これは舒(じょ)煥(かん)［字(あざな)は堯(ぎょう)文(ぶん)］への返書。舒煥はこの年に科挙に合格したばかりの若者である。

【訳文】

……［しばしば来書がありながら返事が遅れたことを詫びる］……賈(か)収(しゅう)君と飲んだときに、貴君の送別の一絶句を出して見せてくれまして、その語を見て、たちまち酔中に問答をかわしているような気分になりました。酔いから醒めると、それがどのような語であったのか思い出すことができませんでした。貴君からお手紙をいただいて、「公(こう)沙(さ)」であったことを知りました。ぼんやりと夢のなかの出来事のようで、恥ずかしさに顔を赧(あか)くしてしまいました。……［舒(じょ)煥(かん)の文章を褒める］……欧(おう)陽(よう)公(こう)［欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)］はまさしく天(てん)人(にん)であります。私などとはむろん比べるまでもなく、たぶん誰も公を超えることはできませんでしょう。天が公を生んだ意味ははなはだ難しく、千年の後までもきっとこのような人は生まれてこないでしょう。世間には自ら欧陽公に似ているだの、あるいは超えるだのという者もいますが、狂(きょう)であり愚(ぐ)であるだけです。貴君とはいつしか会って笑って楽しむ縁もありましょうか。……

【補足】［（1）賈(か)收(しゅう)とは1年ほど前に湖(こ)州で会っていて［→作品番号04-1-081］、そのときに舒(じょ)煥(かん)の詩を見たのだろう。蘇軾が注目した「公(こう)沙(さ)」の語は、「杵(きょ)臼(きゅう)の交(まじ)わり」の故事で知られる公(こう)沙(さ)穆(ぼく)を指すのであろうという。公沙穆は漢(かん)の時代の人で、貧乏な家に生まれ、都にきて学費を稼ぐために呉(ご)祐(ゆう)の家で米を搗(つ)くアルバイトをしていた。あるとき呉祐は公沙穆と話してみて、優れた人物だと知って大いに驚き、杵と臼の前で友としての契りを結んだ。舒煥と賈收の間にも同じような友情があったのだろう。（2）舒煥からの手紙には、蘇軾と欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)を比較するようなことが書いてあったのだろう。欧陽脩は別格の「天(てん)人(にん)」であるとして、そのようなことをしてはならないと強くたしなめている。（3）終わりに、いつか縁があればと書いているが、この4年後に蘇軾が徐(じょ)州知事になったとき2人は会うようになる］

■【04-2-095】与晁美叔

【解題】晁(ちょう)端(たん)彦(げん)［字(あざな)は美(び)叔(しゅく)］に与えた手紙。晁端彦は蘇軾と同じ年の科挙に合格したいわゆる「同(どう)年(ねん)」の仲間。欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)の弟子で、科挙の最終結果が発表された直後に、師に勧められて蘇軾を訪問している。蘇軾は合格後すぐに母の訃報を得て慌ただしく帰郷したので、「同年」の人々と親交を深める余裕がなかったために、晁端彦の来訪は特に印象に残り、遥か後にそのことを詩に詠んでいる。この手紙によれば、たぶん杭(こう)州に赴任する途中で2人は会っていたのだろう。

【訳文】

お別れしてから、二度もお手紙を頂戴し、交情の厚さをことのほか強く感じ、いつもお礼を申さねばと思いつつ、ものぐさで筆下手であることから、ぐずぐずと今になってしまいました。……私は恙なく過ごし、新しい政事に従事しておりますが、なかなか法の通りにはなりません。いかにすべきかを尋ねて、御沙汰があるのを待つ日々であります。もしも帰ることが許されましたなら、淮(わい)河(が)を過(よぎ)る折にでもきっとまたお会いできましょう。……

■【04-2-096】雪後至臨平、与柳子玉同至僧舎、見陳尉列

【解題】10月、蘇軾は公務を帯びて、雪の舞う日に杭(こう)州を発ち、それからは各地を巡って半年余りを外で過ごすことになる。先に見た日照り［→作品番号04-2-031など］のために江(こう)南(なん)一帯は食糧不足に陥り、杭州よりも広い範囲を治める転(てん)運(うん)司(し)の指令で飢餓対策のために奔走することになったのである。そのときに周(しゅう)邠(ひん)と柳(りゅう)瑾(きん)が同行した。周(しゅう)邠(ひん)は喪中で公務より離れていて、柳(りゅう)瑾(きん)は職を辞して蘇軾のもとに身を寄せていた。自由に動けて信頼のできる2人がいれば、大いに心強いと考えたのだろう。この詩は杭州を発って間もなく、船で大運河を北東に進んで、臨(りん)平(ぺい)でいささか名の知れた隠者である陳(ちん)烈(れつ)に会ったことを詠んだもの。

【訳文】

臨(りん)平(ぺい)の町はずれに帆を降ろすと、

雪が丘を成すばかりに高く積もっている。

無理に老詩人［柳(りゅう)謹(きん)］を連れ出してここにまできて、

まばらなその髯に風が吹き付けてしゅうしゅうと音が聞こえるほどだ。

僧房に入れてもらうと、

火が熾(おこ)っていて、手足が少しずつ軟らかくなる。

隠者はもとより寡黙であるが、

向き合っていると自ずと憂いが忘れられる。

僧房の内にあるものといえば、

銅の炉に烟の穂が立ち、

石の鼎(かなえ)に白い泡が浮かんでいる。

旅行く人たちはこの先の行程を思うのだろう、

太鼓を鳴らして船の出発を促している。

私にもやはり日程がある。

しかし、いましばらくは穏やかに座って留まっていよう。

天地の間は広大である。

だから、我がこの生(せい)も浮遊していられるのである。

【補足】［この詩には、蘇軾がいかなる危機意識をもって杭州を発ったのか全く写されていないが、この年の気象災害は相当に深刻で、長(ちょう)江(こう)から南の地域ばかりでなく、都周辺にまで飢餓が拡大してゆき、翌年の春になると、都から東の地域で蝗(いなご)が大発生して甚大な被害をもたらすようにもなった。飢えた民衆は食べ物を求めて都に向かって殺到し、国政を大きく揺るがす事態へと発展した。天災は政(まつりごと)の過ちを天が咎めるものだという古くからの考え方があり、改革政治がこの災厄を招いたのだと批判する声がにわかに高まった。皇帝自身に天の咎めを受けさせるわけにはいかないので、王(おう)安(あん)石(せき)が責任をとり、4月に宰相から退いて郷里に帰った。皇帝はこのことから一時期心が揺らいだものの、国にとって改革は必要であるとの考えを守り、王安石の腹心だった呂(りょ)恵(けい)卿(けい)を中心に改革を継続することを決断した。改革は当初は少なからぬ混乱をもたらしはしたものの、事実として期待していた効果を発揮し始めていたので、天災とは分けて考えるべきだというのが皇帝の判断であった］

■【04-2-097】夜至永楽文長老院、文時臥病退院

【解題】臨(りん)平(ぺい)から秀(しゅう)州に至ると、1年前に会った文(ぶん)長(ちょう)老(ろう)［→作品番号04-1-089］のことを思い出し、報本(ほうほん)禅院(ぜんいん)を訪ねた。文長老は病のために院を退いたと聞いて、すでに夜になっていたのだが、文長老が身を寄せる民家を訪れた。詩中に「巴(は)の叟(おきな)」とあるのが文長老のこと。巴は蜀(しょく)の一地方を指す古い地名。

【訳文】

巴(は)の叟(おきな)が病んで村に臥せっていると聞き、

夜更けに、月明かりのもと、門を叩いた。

「この前、お会いしてより一年、

　昨日のことのように思われます。

　私は命を保つことができましたので、

　再びお話しできます」

郷里を想うから巴の叟を懐かしく感じるのではない。

文(ぶん)長(ちょう)老(ろう)と情(こころ)が通じるのである。

病んで禅院を出て民家に臥せっているのは、

仏の道に深く通じてますます尊く思われる。

私の問いかけに、

頭を少しだけ挙げてこちらに目を向ける――

かつての邂逅を記憶する鶴が長く鳴く姿のように。

■【04-2-098】和銭安道寄恵建茶

【解題】秀(しゅう)州にはやはり1年前に会っていた銭(せん)��(ぎ)［字(あざな)は安(あん)道(どう)］がいた［→作品番号04-1-088］。銭��が建(けん)茶(ちゃ)［建(けん)渓(けい)を産地とする茶の名品］に詩を添えて贈ってくれたので、それに和して返礼とした。

【訳文】

私は南方に赴任してより少々の歳月を過ごし、

建(けん)渓(けい)の茶もそこそこ嗜み、

その味わいを言葉では説明できなくても、

昔馴染の顔を胸の内に思い浮かべられるように、

心の内にはこうであるとわかるものがある。

貴君より建(けん)茶(ちゃ)を頂戴したので、

試みにその概略を批評してみたい。

建渓の茶といっても産地は一つではない。

それでもどの茶にも君子の本性が天から与えられている。

茶葉は森を見るかのようで、

その内側は清く、表面はふっくらとなめらかで、

「和(わ)」と「正(せい)」という語がぴったりあてはまる。

雪花(せっか)とか雨(う)脚(きゃく)とかの茶も有名ではあるが、

啜(すす)ってみると、建茶こそは真実の味わいが永く続く。

苦く硬い感じがあり、それこそがよいのだ。

譬えていえば、

漢(かん)代(だい)の皇帝が、頑固で猛獣のようだと辟易した名臣のようなものだ。

一時期評判の高かった草(そう)茶(ちゃ)なるものがあるが、

味わいのよいところがあるとはいえ、

頼みがいのない虚しい名を挙げただけだ。

譬えていえば、

漢代の皇帝から賢いと褒められたものの、

諌めることを一切しなかったごますり大臣のようなものだ。

建茶は雲を抱く嶺の向こうに産し、

険しい道を運びくるのは容易ではない。

思いがけないことに、

西から貴君の使者がきて、包みを開いたら、

なんと建茶の塊りが百も入っていた。

香りを嗅いで、茶の味わいを想うのはいつもの通りであるが、

貴君の詩を記した紙を透して、

貴君の心ばえから発した光を浴びるような気がした。

いただいた茶は大切にしまって、

愛惜してやまない佳(よ)い客の訪れを待ちたいと思う。

麗々しく包んでお偉いさん方への付け届けに使うようなことは断じてしない。

この詩にもしも味わいがあると思われても、

人には伝えないでほしい。

私が結構なものをもらったと人々は羨むだろうし、

私が世間のことを悪くいったと人々は怒るであろうから。

■【04-2-099】銭道席上令歌者道服

【解題】銭(せん)��(ぎ)［字(あざな)は安(あん)道(どう)］に招かれた酒席で、歌う者［妓女であろうか］に道(どう)士(し)の服を着せて、この詩を歌わせた。

【訳文】

烏(う)府(ふ)先生［銭(せん)��(ぎ)のこと］の肝は鉄で作られている。

冷たい風が地を巻いて激しく吹いても、

烏府先生は寒さを覚えることがない。

雪の中で、紅い燈をともして我が白髮を見るのは、

去年より少なくなっているのを嫌うからである。

かくて老齢に至って貴君が退隠するのを待って、

私はその隣に住むといまから約束しておこう。

とりあえずは、道(どう)服(ふく)を着て、

仙薬の歌を酔って唱えるのである。

【補足】［最初に「烏(う)府(ふ)先生」とあるが、烏府とは御(ぎょ)史(し)台(だい)［官員の不正を裁く部署］の異名で、銭(せん)��(ぎ)はかつてその一員で、王(おう)安(あん)石(せき)を批判して左遷の憂き目に遭ったのだった。銭��は、王安石におもねる同僚を罵倒して去ったので、その肝は鉄でできていると称えられた］

■【04-2-100】蘇州請通長老疏

【解題】蘇軾は秀(しゅう)州から北へ進んで蘇(そ)州に入った。これは、蘇州にある報(ほう)恩(おん)寺(じ)の水(すい)陸(りく)禅(ぜん)院(いん)の長老として成(せい)都(と)の通(つう)法(ほう)師(し)を招こうとする手紙。

【訳文】

官員が身に付ける衣冠を目の前に指し示して（それを与えるからと誘って）、儒者に命じるのは、儒学の衰えたことの現れである。禅や律に通じていることをもって仏弟子であるとするのは、仏教が粗雑になったことの現れである。人の本来は清浄であるのだから、律を教えるまでもないし、一切の衆生が解(げ)脱(だつ)し得るのであるから、禅に励むまでもない。世間の惑う者は禅と律は大きく異なるものだとし、儒学と仏教は互いに相手を笑っている。これは正しい覚りではないのであって、誰かが衆人の迷いを開かなければいけない。

成(せい)都(と)の通(つう)法(ほう)師(し)は、その一族は士(し)大(たい)夫(ふ)で、西の地の衆望を集めていた。『詩(し)経(きょう)』や『礼(らい)記(き)』に通じて、国の中でも光り輝く少年であった。一方で、幼いころから遠く思いを巡らせるところがあり、青年に至って君親関係を辞し、大官に昇って功名を立てることを棄てたのだった。儒より仏に入って儒でもあり、律より禅に入って常に律を持している。

蘇(そ)州の報(ほう)恩(おん)寺(じ)の水(すい)陸(りく)禅(ぜん)院(いん)は、江(こう)南(なん)の要所にあって仏教徒が大いに集まるところである。通法師にここに来てもらえるのなら、衆人の教化を大いに助けてくれるだろう。為すであろうことは大きいので、通法師にはぜひ厭わないでほしい。

【補足】［この手紙からも、蘇軾は、儒学も仏教も深いところで通じていて、まして律宗と禅宗に差異はないと考えていたことがよくわかる］

■【04-2-101】仁宗皇帝御飛白記

【解題】このときの蘇(そ)州知事は、かつて都で同僚であった王(おう)誨(かい)［→作品番号03-3-020］であった。王誨は、父の王(おう)挙(きょ)正(せい)が仁(じん)宗(そう)皇帝から賜った直筆の書を蘇軾に見せ、一文を所望した。王挙正は仁宗皇帝のもとで副宰相にまでなり、安(あん)簡(かん)の諡(おくりな)を与えられた。題にある「飛(ひ)白(はく)」は余白を大きく取った草書のことである。

【訳文】

世の治と乱を問うときには、必ずその時代の人を観る。人の賢と不肖を問うときには、必ずその人が生きた時代の世についても考える。『孟(もう)子(し)』は、「その人の詩を誦し、その人の文章を読んで、なおその人がわからないということはあるだろう。その人が生きた時代についても論じなければならないのである」といった。腕を広げても抱えきれないような大木はごく狭い土地には生えないし、莫大な財産を築くような人はたった三軒しかないような村からは出ない。

臣(わたくし)はかつて仁(じん)宗(そう)皇帝の事績について考えことがあるのだが、愚かな臣(わたくし)にはその聖徳の至りを測り知るに足る智恵がなく、四十余年の間に仁宗皇帝の左右前後にいた人について竊(ひそか)に検討したのだった。そのなかでも偉大な人は、もとより光(こう)明(みょう)儁(しゅん)偉(い)、深(しん)厚(こう)雄(ゆう)傑(けつ)であって他の人とは比べようもなく、そのなかでは目立たぬ者であっても、敦(とん)樸(ぼく)�ﾄ(がい)悌(てい)、靖(せい)恭(きょう)持(じ)重(ちょう)で、長者として十分に称えるべき人物であると知れたのだった。ことのときにおいてまさに天と人が和同し、上と下とが心を合わせて喜び合い、才智を用いるまでもなく徳があり余るまでに溢れ、功業をもって一人だけが名を挙げるのは難しく、福禄は無窮であった。

仁宗皇帝が亡くなってから十二年、臣(わたくし)のような者も、深山、窮谷に住む老婦、稚子も、また遠く外国の酋長も、当時の人々の遺したものを見たり、当時のことを聞いたりして、いまも涙を流して頭を垂れない者はいない。それには皇帝の恩沢ばかりでなく、朝廷にいた人々の力も大いに預かっているのである。

太(たい)子(し)少(しょう)傅(ふ)の安(あん)簡(かん)公(こう)の王(おう)挙(きょ)正(せい)は、臣(わたくし)はその人を見ることはできなかったのだが、その人となりを識(し)ることはできる。その流(りゅう)風(ふう)遺(い)俗(ぞく)が称えるべきであることは、その時代から考えればわかるからである。熙(き)寧(ねい)六年冬、私は公務で蘇(そ)州に行くと、その子の王(おう)誨(かい)は、慶(けい)暦(れき)年間に王挙正が仁宗皇帝から賜った「端(たん)敏(びん)」の二字の飛(ひ)白(はく)の一筆を臣(わたくし)に見せてくれて、これについての文章を記してくれたなら、石に刻んで後の世にまで伝えようといった。……［以下に、幾つかの故事を引きながら、仁宗皇帝の草書や王挙正の名が世間から知られずに埋もれてしまわないように文章を書くということを述べる］……およそこれを見る者は、聳(しゅう)然(ぜん)と身が引き締まって、皇帝がお出ましになるときの旄(はた)が遠くに見えて、御車の音が響いてくるかのような気がして、忠厚に勉めて、浮薄を恥じるようになるであろう。

【補足】［（1）この文章で、仁(じん)宗(そう)皇帝とその当時の人々を異様なほどに称えているのは、依頼主の王(おう)誨(かい)を喜ばせるためだけでなく、蘇軾が本気で仁宗皇帝の治世は理想の時代であったと捉えていたからで、それは当時の特に保守派の人々の共通の認識でもあった。現在の改革の強引な進め方に批判的であればあるだけ、仁宗皇帝の時代がより輝いて見えるようになるのだろう。（2）省略した部分は、文章家としては工夫を凝らして大向こうをうならせるまさに見せ場であるのだろうが、我々にとってはごちゃごちゃ故事を詮索しなければ意味を掴むことができないので、かえった煩わしいだけであろう。このように書いたなら、蘇軾に叱られてしまうのは必定であるけれど、無学者の偽らざるところである］

■【04-2-102】恵山謁鉄道人、烹小竜団、登絶頂、望太湖

【解題】蘇(そ)州から北に常(じょう)州に行き、恵(けい)山(さん)寺(じ)の鉄(てつ)道(どう)人(じん)を訪ねた。小(しょう)竜(りゅう)団(だん)という茶を烹(に)て一緒に飲み、恵(けい)山(さん)の絶頂に登って太(たい)湖(こ)を望み見た。そのときの詩。鉄道人は銭(せん)��(ぎ)の弟の銭(せん)道(どう)人(じん)［恵(けい)山(ざん)老(ろう)］［→作品番号04-1-088］である。

【訳文】

長(ちょう)江(こう)の南の山々を遍く踏みまわったとしても、

この恵(けい)山(ざん)に出会ったなら、やはり留まらずにはいられない。

天上の月のような小(しょう)竜(りゅう)団(だん)の茶を携えて、

人間世界で第二と称えられた恵(けい)山(ざん)の水を試してみる。

岩の路をぐるぐる巡って九(きゅう)竜(りゅう)脊(せき)をたどり、

水が動き、光が翻る五(ご)湖(こ)の天を見下ろす。

昔、阮(げん)籍(せき)は山で孫(そん)登(とう)［当時名高い道人］に会って道教の奥義について尋ねたが、

孫登は何も答えなかったので、

阮籍は空しく嘯(うそぶ)きつつ下山したという。

鉄(てつ)道(どう)人(じん)もまた何も語ってくれないので、

嶺の松が私に代わって万(ばん)壑(がく)を震わすかのように嘯く声を挙げてくれる。

【補足】［唐(とう)の時代の陸(りく)羽(う)は茶の大家で、恵(けい)山(ざん)の石(せき)泉(せん)の水は茶に適した天下第二の名水であると賞賛した。詩中に九(きゅう)竜(りゅう)脊(せき)の名があるが、これは恵山に登った陸羽が付けたものである］

■【04-2-103】銭道人有詩云、直須認取主人翁、作両絶戯之

【解題】銭(せん)道(どう)人(じん)［鉄(てつ)道(どう)人(じん)］が「直須認取主人翁」［直(ただ)ちに須(すべか)らく主(しゅ)人(じん)翁(おう)を認(にん)取(しゅ)すべし］という句を含む詩を詠んだので、それに応じて、戯れに二首の絶句を作った。銭道人の句は、「わしのことを何と見る」と問いかけたもので、いわゆる禅問答のようなやりとりで、訳者には理解不能であるので、第一首だけ仮の訳文を作ってみた。

【訳文】

　其の一

貴僧は問う。

「わしは何者であると認識するか」

私はこのように考える――

首を断つ。

断った瞬間に首はすでにない。

だから、首はもう首を認識することはできない。

氷が解けて消える。

消えた瞬間に氷はすでにない。

だから、氷はもう氷を認識することはできない。

貴僧は、私に貴僧が何者であるか認識せよと求める。

私は、貴僧が何者であるかと見定める。

その瞬間に、その何者かは貴僧と断たれ、貴僧は解けて消える。

「わしは何者であると認識するか」と問うのは、

そもそも一体誰なのだろうか。

■【04-2-104】除夜野宿常州城外二首

【解題】蘇軾は常(じょう)州滞在中に年末を迎え、町の外に停泊する船の中で除夜を迎えた。そのときの詩。

　其の一

眠らずにいるのは、

起きたままで新年を迎えるためではない。

餓えて流民となった者が道で己の苦しみを歌っている――

餓死した者に向かって野辺で哭(こく)する声がする――

二つながら悲しみに耐えがたく、

我が目は病んだように閉ざすことができない。

遠くの火も、低い星も、次第に薄れてかすかになって行く。

故郷で年越しをしたあのころの人々のあの訛りがふと想われ、

妙に帰りたくてならなくなる。

布団を重ねても脚が冷たく、霜が重く降りてきたと知れる。

有り難いのはこの燈火(ともしび)である。

こればかりは私を嫌うことなく、

この船で一晩中付き合ってくれているのだから。

【補足】［この詩の冒頭で初めて実は厳しい状況の中にいることが歌われている。「行歌野哭両堪悲」［行(こう)歌(か) 野(や)哭(こく) 両(ふたつ)ながら悲(かな)しむに堪(た)えたり］は、飢餓に苦しむ民衆の声を、むろん蘇軾はきちんと受け止めていたことを示すものである。ここまでの一連を詩だけを見ると、現実から遊離していい気なものだと呆れてしまうのだが、友人と詩の贈答を楽しむことと公務とは別のことであるとしていたのだろう。官員としては人並み以上に良心的に励んでいたことは間違いない］

　其の二

南にきてから年の徂(ゆ)くのを三度見た。

恐れるのは、このまま終身道に走り続けるのではないかということ。

新しい年の暦を見るのが怖いような気がする。

この地では、門に貼っていた桃(とう)符(ふ)を除夜に剥がし、

元旦に新しい桃符を貼る。

旧い桃符には邪気を祓(はら)う効力がもうないからだ。

私は旧い桃符に習って、退く時を得たいと思う。

大気の気配や植物には陽春の心が動き出しているけれど、

私の髭のあたりには、

まだまだ霜や雪ばかりがやってきてさらに白くさせようとしている。

もしもいまの窮愁を老健と取り換えるようなことができるのなら、

最年長者として屠蘇を最後に飲むような年齢にまでなってみたいものだ。

【補足】［屠蘇を年少者から順に飲むという習慣は昔の中国から伝わったようだ］