第4章　大きな転機――初めての杭州

［第4章その一］

熙(き)寧(ねい)4年［1071年］、蘇(そ)軾(しょく)36歳。

熙寧5年［1072年］、蘇軾37歳。

■【04-1-001】臘日遊孤山訪恵勤恵思二僧

【解題】熙(き)寧(ねい)4年11月28日、蘇軾は杭(こう)州に到着した。その3日後の12月1日［臘(ろう)日(じつ)］に西(せい)湖(こ)に遊び、湖中に浮かぶ孤(こ)山(ざん)にある寺で恵(え)勤(ごん)、恵(え)思(し)の2人の僧に会った。西湖は杭州の町の西側に広がる湖で、現在も風光明媚な観光地として知られ、蘇軾も杭州にきたからには何はさておいても西湖に遊びたかったのだろう。恵勤は作品番号03-4-026で見たように、欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)の古くからの友人である。

【訳文】

天は雪を降らせようとしているのか、

雲が湖に満ちてきて、

楼台は現れたり消えたり、

山はあったりなかったり――。

水は浅く澄み、岩が飛び出し、魚を数えられるほど。

林は深く暗く、人はどこにもおらず、鳥の呼び合う声だけがする。

十二月一日の今日、

家に帰って妻や子の顔を見ようともせずに、

道(みち)を窮めた高僧に尋ねることを名目として、

自分の楽しみを得ようとしているのである。

高僧の住まいはどこかと問えば、

宝(ほう)雲(うん)寺(じ)への道は、うねうねと山の中へと入って行く。

この山の名は孤(こ)山(ざん)――

湖の中に孤絶して立つ。

誰が敢えてこのようなところに庵(いおり)を結ぶのか。

高僧が住まえば、

人は仏の道を問いにきて、道が自ずと通じ、

孤山は「孤」ではなくなる。

高僧の住まいは、

竹の庵に、窓は紙を貼っただけではあるけれど、

高僧の近くに身を置くと、

それだけで暖かく感じられ、

葛(くず)の衣を着て、蒲団の上に座ったまま、眠りに落ちてしまう。

しかしながら、

この寒い天気に町から遠いところにまできて、

私に随う者たちは嬉しそうにはしていないので、

まだ日が暮れないうちにと、

帰りの支度をさせる。

山を下って顧みると、

雲と木が一つに合わさって、

寺の上に隼(はやぶさ)が巡り飛んでいるのが見えるだけ。

今回の遊びはあっさりしたものであったけれど、

歓びは十二分にある。

家に帰り着いて、ぼんやりしていると、

ふつふつと夢が湧き上ってくるかのようで、

逃げ行く者を追いかけるようにして、

この詩を作り始めた。

美しい景色も、ひとたび心の内より失われてしまったならば、

後からはなぞり直すこともできなくなってしまうだろうから――

【補足】［（1）蘇軾がその生涯において、故郷以外で最も愛着を覚えたのは杭(こう)州の西(せい)湖(こ)であったといって間違いないだろう。これは初めて西湖に遊んだ記念すべき作品。（2）杭州は五(ご)代(だい)十(じっ)国(こく)時代に銭(せん)氏の建てた呉(ご)越(えつ)国(こく)の都として発展し、豊かで美しい町であった。行政単位としての杭州は、銭(せん)塘(とう)、仁(じん)和(わ)、余(よ)杭(こう)、臨(りん)安(あん)、富(ふ)陽(よう)、於(よ)潜(せん)、新(しん)城(じょう)、塩(えん)官(かん)、昌(しょう)化(か)の九つの県を管轄し、杭州の中心部分は銭塘県に属し、州庁などの役場は銭塘県内にあった。そのために、蘇軾は詩文の中で、杭州の中心都市を呼ぶときに、杭州といってみたり銭塘といってみたりしている。蘇軾が赴任したときの杭州の州知事は沈(ちん)立(りゅう)、銭塘県の県知事は周(しゅう)邠(ひん)であった］

■【04-1-002】初到杭州寄子由二絶

【解題】杭(こう)州に到着した直後の思いを詩に詠んで弟に送った。

【訳文】

　其の一

眼に看(み)る時事に、僕の力はもはや耐えられそうにない。

それでも、皇帝の恩を恋い貪って退かずにいる。

どんくさい僕は、いずれは辞表を投じて去らねばならないだろう。

そうしなければ、知事殿が早晩僕を窓際族に追いやるであろうから。

【補足】［（1）「皇帝の恩」とは、かつて皇帝自身から「どのような意見でも遠慮なく言上せよ」と直接いわれたことを指し［→作品番号03-2-008］、いつかは朝廷に復帰できると、蘇軾は心に期待するものがあったのだろう。（2）最後の句は苦し紛れの訳である。原文は「使君何日換聾丞」［使(し)君(くん) 何(いずれ)れの日(ひ)か聾(ろう)丞(じょう)を換(か)えん］で、「使君」とは知事のこと、「聾丞」とは漢(かん)の時代の許(きょ)丞(じょう)老(ろう)を指す。許丞老は老いて耳が聞こえなくなり、仕事にさしさわるとして、その上官は許丞老を辞めさせようとした。しかし、温情家の黄(こう)覇(は)は、まだ重々しくお辞儀をするくらいのことならできるのだからといって役場に残した。この句はその故事を踏まえて、自分は許丞老のように留めてはもらえないだろうと嘆いてみせたのである］

　其の二

陛下は聖明にして寛大で、この身を全うすることを許してくださった。

しかし、僕は病み衰え、ぐだぐだに崩れて人を畏れるばかりである。

君は心配の余り、岡に登って懸命にこちらを見ようとするだろうか。

それには及ばない――竈(かまど)の神を祭って君の隣に住むことを祈っているのだから。

【補足】［この二首は、赴任早々に西(せい)湖(こ)に遊んだ詩とはかなり趣を異にする。厳しい政治情勢のもとで地方官として赴任した蘇軾には大きな不安があって、弟にはそれを率直に吐露しているのである。任期が満ちるまでここで勤め切れるかどうかわからないというのが蘇軾の本心であったのではないだろうか］

■【04-1-003】次韻柳子玉二首

【解題】劉(りゅう)瑾(きん)［字(あざな)は子(し)玉(ぎょく)］から二篇の詩が送られてきたので、それに次韻して返した。劉瑾は、食糧が尽きて困窮した状態で陳(ちん)州で蘇軾に会っていたが［→作品番号03-4-021］、その後、寿(じゅ)春(しゅん)に着任していた。劉瑾の詩は、第一首は地(ち)爐(ろ)［牀(ベッド)の下に設ける火］を、第二首は紙(し)帳(ちょう)［反故(ほご)を貼り合わせた夜具］を主題にして、困窮に苦しむ日々を詠んでいたのだろう。蘇軾は劉瑾のわびしい暮らしに思いを寄せてこの詩を返した。

【訳文】

　其の一　地(ち)爐(ろ)

地爐のあたりから漏れてくる細い声は蚯蚓(みみず)であろうか、

貴君はそれを聞きつつ、

夜具を抱えたまま夜明けまで眠れずにいる。

雪山のように真っ白な頭から、

衰えた髪がはらりと落ちる。

若いころには意気盛んであった心も、

いまはだらりと垂れた旗のようになってしまっている。

地爐の火が仙薬を錬(や)く火であればまだしものこと、

鐘の音とともに時が過ぎ行くのをただ虚しく過ごしている。

牀(ベッド)の脇にある竹の机は、

俗に竹(ちく)夫(ふ)人(じん)といわれはしても、

かの王(おう)安(あん)豊(ぽう)の妻のように、

我が心に適う返事をしてくれるわけではなく、

ただ蚯蚓だけが鳴き続けているのである。

　其の二　紙(し)帳(ちょう)

亀の甲羅の皺のような乱れた字で、

ぐちゃぐちゃの文章が記された紙。

それを切って繋いだ紙の夜具なんぞは、

青く綾(あや)が施された高級品に慣れたお歴々には、

とてもではないが使用に耐える代(しろ)物(もの)ではない。

貴君が笑っていうには、

「ありがたい高僧の衣よりも清らかで、

　草原の民の毛布よりも暖かです。

　たとえ錦の布団をくれたとしてもすぐに返してしまいます。

　屋根の破れから空が見えても少しも愁いておりません」

それでも私が心配するのは、

可愛い子供らの寝相が良すぎて、

夜中に足で踏みやぶって、

結局は皆が眠れなくなってしまうことだ。

【補足】［（1）「子供ら」とあるが、劉(りゅう)瑾(きん)は蘇軾よりも一世代上なので、紙(し)帳(ちょう)を踏み破るとしたら孫であろう。（2）劉瑾はこの後、不本意な官職にあって不自由な暮らしを余儀なくされているよりはと、何らかの時点で退官したようで、蘇軾は杭(こう)州副知事時代に劉瑾との交流を深めるようになる。（3）劉瑾の息子の妻は、前述の通り、蘇軾の伯父の蘇(そ)渙(かん)の娘、つまり蘇軾のいとこである。そのいとこに対して、蘇軾はかつて恋愛感情を抱いていたのではないかというかなり大胆な推測がある［林語堂『蘇東坡』］。だからこそ、劉瑾一家に対して、特に厚い心配りをしたというのである。ただ、その説をその後支持する人はほとんどいないようだ。劉瑾は詩才豊かで人柄も魅力的であったから、蘇軾が敬愛の念を抱き、その一家と親密にしたということで十分であろう］

■【04-1-004】李杞寺丞見和前篇復用元韻答之

【解題】蘇軾が杭(こう)州にきてすぐに西(せい)湖(こ)を詠んだ詩［→作品番号04-1-001］はたちまち人々に知れるところとなったようだ。朝廷から杭州に出向していた李(り)杞(き)が同じ韻を使って和したので、蘇軾はやはり同じ韻でその返事をした。蘇軾の最初の詩の冒頭は「天欲雪、雲満湖、楼台明滅山有無」で、この詩の冒頭は「獣在藪、魚在湖、一入池檻帰期無」となっている。同じ形でありながら内容を巧みに大きく変化させている。

【解題】

獣は藪の中にあるべきもの、

魚は湖の中にあるべきもの、

ひとたび檻に入り、池に入ったならば、もう帰ることはできない。

我等も、弓や旗に誘われて塵(じん)土(ど)［官界］に入ってしまったために、

「鞭で打て」と命令を下して、

痛みに叫ぶ声を聞き続けなければならない。

近ごろでは、塩の私的取引を厳しく禁じ、

役人は日々に罪人を捕らえ、

しかも拘束はその妻や子にまで及ぶので、

役人暮らしの百日の間はとかく愁いばかりがあって、

楽しみを得られるのは一日あるかないか。

彼方の白い雲は、

ついにはそのもとで老いるべきとの旧(ふる)い約束があるかのように浮かんでいるが、

この朱(あか)い綬(かざり)［官員のしるし］などは、

山にあるべき人に似合うものではない。

人の生(せい)とは草ぶきの小屋に一宿するようなもの、

故郷の山では、

鶴や猿がしょんぼりと待っているだろうか。

いつの日にか、

鹿に車を曳かせて俗世を去り、

菖蒲(しょうぶ)の根から仙薬を得て、

白髮をすっかり取り除くことができるのだろうか。

そのときは、麻底の鞋を履いて狩人に従って、

狐や兔を朝夕の食事に供(きょう)するのだ。

陶(とう)淵(えん)明(めい)は隠者としての姿を、自ら『五(ご)柳(りゅう)先(せん)生(せい)伝(でん)』として文に描き、

潘(はん)閬(ろう)は驢馬に乗って山に入って行く姿を、人によって画に描かれた。

私がぴんぴんしていられるのはあと何年であろうか、

五十歳で四十九年の非をようやく覚った衛(えい)蘧(きょ)にも恥じねばならなくなるのだろうか。

今年は不作であったから、

逃げ去る民が多く出るのかもしれない。

いまのお歴々は何をしているのか。

へぼが白鳥を描いても鵞鳥くらいにはなるけれど、

虎は達人でなければ犬になってしまうという、

つまりは、そういうことなのだろう。

【補足】［この詩には、ややわかりにくいが、改革政治のもとで地方官として務めなければならない葛藤が詠み込まれている］

■【04-1-005】再和

【解題】李(り)杞(き)が上の詩にまた和したので、さらに和して返した。

【訳文】

東は海を望み、西は湖を望む。

水は遠くにまであり、

山は遥かなところへと平らになり、

細く細く無に返って行くのだろう。

私の如き野(や)人(じん)はここぞとばかりに釣り糸を垂れ、

知事殿は寛大にも飲んで歌うもよろしかろうと大目に見てくださる。

しかも、皇帝の恩は我が妻子にも及んで、

十分に食べて、暖かく眠れるので、

才能のある方々が忙しくしておられる傍らで、

拙い私は楽しく過ごしていられる。

出掛けるときに連れはなく、私の籃輿(たけかご)が一つだけで、

もともと脚の力はあるから、

岩を踏み峠を越え、山水を巡り巡り、

三百六十の寺を回り回って、倦むことがない。

詩についていえば、

ほんのとば口のところをうろうろしているだけであるのだけれど、

博打(ばくち)で憂さ晴らしをするよりは賢いように思う。

貴君の詩才ときたら優れ者が百人も集まったようなもの、

朝から始めて日がまだ高いうちに千篇も作ってしまい、

西(せい)湖(こ)のあたりを行き来して貴君が得た佳句を唱えるならば、

西湖を描いたどれほどの名画だって見る必要がない。

貴君の詩稿を納めた函(はこ)にはそうした宝物がどっさりあるだろうから、

私と唱和したところで、錦繍と雑草とではどうせ釣り合わないからと、

物惜しみをしないで出していただきたい。

貴君と競っても勝ち目がないからと、

さっさと逃げることはしないし、

負けても、いつまでもしつこく悔しがったりすることもないから……

■【04-1-006】遊霊隠寺、得来詩、復用前韻

【解題】霊(れい)隠(いん)寺(じ)を訪れると、李(り)杞(き)からまた和した詩がきたので、さらにまたまた和して返した。上の詩で、朝から作り始めて日暮れにならないうちに千篇も詠むとあったたけれど、二人ともまさに早業であった。霊隠寺は、西(せい)湖(こ)の南東の霊(れい)隠(いん)山(ざん)にある有名な寺である。

【訳文】

さあ、銭(せん)塘(とう)湖(こ)［西(せい)湖(こ)］をよく見るがよい、

ここにはもはや銭(せん)王(おう)［呉(ご)越(えつ)国(こく)の王であった銭(せん)氏］の勇壮な姿はない。

数々の建物を、金や珠を秤で量って飾りつけた栄華も、

運が尽きてしまっては、

降伏を促す短い手紙を送りつけるまでもなく、

銭王は宋(そう)の皇帝にもとに馳せ参じなければならなかったのだ。

銭王に仕えていた官員は家族を連れて散り散りになってここを去り、

当時の宮殿はいまは私のような閑人が楽しむところとなっている。

盛(せい)と衰(すい)、哀(あい)と楽(らく)、これらは一瞬にして入れ替わるものであるから、

憂いばかりが多いと心を鬱屈させるまでもないだろう。

山はどこでも廬(いおり)を建てて隠れるのによく、

とりわけ霊(れい)隠(いん)山(ざん)は、天(てん)竺(じく)より仙(せん)霊(れい)が飛び来ったところであるのだから、

どこよりも愛すべきである。

聳え立つ松は百丈の蒼い髯を垂らし、

ざわざわ揺れてばかりいる柳や蒲を下に見て笑っている。

寺の高い堂で食事をするのは千人の僧、

朝に夕に鐘を撞き太鼓を撃ってまことににぎやかである。

香(こう)の籠った方丈で眠るなら、

粗末な敷物も豪奢な絨毯に勝る心地がする。

清らかな風によってはっと目覚めると、

羲(ぎ)皇(こう)［伝説の太古の王］の時代にいたような気分が残る。

寺から帰るときには、

鴉(からす)はことごとくに山へと飛び去ろうとしていて、

沈む夕日が、ぽつんと浮かぶ雲に向かって光を投げかけている。

この光景はもはや言葉で言い表すことはできない。

■【04-1-007】戯子由

【解題】弟に送った詩。題に「戯れ」とあるのは、むしろ本心を率直に明かしたと見てよいのだろう。詩の冒頭に「宛(えん)丘(きゅう)先生」とあるのは、陳(ちん)州にある小高い丘の名に掛けて、背の高い弟に付けたあだ名である。

【訳文】

宛(えん)丘(きゅう)先生の背の丈は丘のように高いのに、

宛丘先生の学び舎(や)は小舟のようにちっぽけである。

立って書物を音読するときには頭を低く垂れねばならず、

ふいに欠伸(あくび)でもしようものならごちんと天井に頭を打ち付けてしまう。

風が吹くと、カーテンがまくれ上がって顔に雨が降り注ぐありさまで、

傍らの人は気の毒がってくれるのだが、

宛丘先生には意に介するところがない。

大飯食らいの独活(うど)の大木と笑われようとも、

雨に立ちん坊の案山子(かかし)と嘲(わら)われようとも、

宛丘先生は気にもとめない

眼の前でごちゃごちゃいさかいが起こっても、

目、耳、鼻、口、心、知の六つの穴のコントロールが自然にできているから、

宛丘先生は天に遊ぶ心地でいる。

宛丘先生は一万冊の本を読んでいても、その中に実務書はないので、

皇帝陛下が古代聖天子の堯(ぎょう)や舜(しゅん)の政治をなさるお手伝いをする技術は持っていない。

世間には勤労を促す指令が飛び交っているのに、

宛丘先生は塩をふった韮(にら)さえあれば十分だと、

のんびり老年を迎えようとしている。

門の外で何があろうと目をくれず、

頭を垂れて書物を読むだけで、

気持ちは少しも屈しないのである。

ところが、杭(こう)州の副知事様ときたら、

何の功績もないくせに、

長さ五丈の大きな旗を振り回せるくらいの大広間で大(おお)胡坐(あぐら)をかき、

屋根は遥か上にあるから、雨音なんぞは聞こえないし、

部屋数がやたらとあるので、屋内で風が渦を巻くほどだ。

これまでは顔を赤らめてできなかったようなことも恥じることなく行い、

疲れ切った民衆に平然と鞭打ちの刑を食らわせている。

道で威張りん坊の政治屋に出会えば、

へいこら挨拶し、

心の中ではよろしくないと思っても、いそいそ言い付けに従ってしまう。

暮らしは高く、その代わり志は低く、

それで何がよいのかというと、

意気を縮小させて、残らず消し去ってしまおうというわけだ。

文章を書くなどはごくごくつまらない技で、

世の模範となるようなことはないと見切ってしまった。

宛丘先生と副知事様はもとは並び称されていたのだけれど、

二人はそれぞれにこんなみっともないありさまになって、

はてさて、どちらがましなのか、

もののわかる人に判断してもらいたいものである。

【補足】［（1）「実務書はない」と訳したあたりの原文は「読書万巻不読律」［読(どく)書(しょ) 万(ばん)巻(かん) 律(りつ)を読(よ)まず］で、「律」とは法律関係の書物である。このとき進行中の改革においては、法や制度に精通して実務能力に長けた人間を重用していた。（2）「威張り坊の政治屋」と訳したのは、原文では「陽(よう)虎(こ)」で、孔(こう)子(し)と同じ時代に専横な振る舞いが多かった実力者の陽(よう)貨(か)のことである。この詩で「陽虎」は具体的に誰を指すのかと詮索する必要はないだろう。このときの直接の上司は杭(こう)州知事の沈(ちん)立(りゅう)で、必ずしも良好な関係にあったわけではないようだ。知事の立場からしたら、蘇軾は都から追い出された要注意人物でありながら、類い稀な才能の持ち主で早くも杭州の人々の耳目を集め始めていたのだから、これからどうなることかと冷や冷やものであっただろう］

■【04-1-008】与林子中

【解題】林(りん)希(き)［字(あざな)は子(し)中(ちゅう)］に宛てた手紙。林希と蘇軾は同じ年の科挙で合格した「同(どう)年(ねん)」の間柄で、このときは父の喪に服して故郷の福(ふく)州に帰っていた。福州は杭州よりもさらに南で、南東方向に遠く台湾を望む海辺の町である。林希の名はこの後ときどき見るようになる。

【訳文】

別のお手紙によって、大きな事［父の葬儀］を終えられたと知りました。一族の皆様がお集まりになって、費用は少なくはなかったことでしょう。貴君はふだんは衣食がわずかに足りれば十分というお暮らしでありましたが、このたびの変化を経て、さぞ窮迫されているであろうと、そのありさまを想い描き、空しく憂うばかりであります。しかし、御兄弟［弟の林(りん)旦(たん)も官員になっていた］でいつまでも困窮しているようなことは決してありませんでしょう。天下には飢えと寒さに耐え偲ばなければならなかった人々は大勢いましても、必ず心がほどける変化があるものです。世俗の人は苦労は悲しむものとしていますが、苦労は買ってでもせよともいいますから、苦労の味わいを知るのはきっと早い方がよいのでしょう。

……［以下、林(りん)希(き)からの手紙で問い合わせてきた薬方について、楊(よう)檜(かい)、単(たん)驤(じょう)、文(ぶん)同(どう)の名を挙げてコメントしている［楊檜は官員仲間、単驤は当時有名な医者、文同は蘇軾の親友］］……

私は都にいたときに詩を作るのを断ちましたが、近ごろはまた行うようになりました。これよりほかに懐(おも)いを遣(や)るものがないからで、きちんと書き留めたりはしておりません。詩を御覧になりたいとのお求めではありますけれども、少々の御猶予をいただきたく思います。

■【04-1-009】浪淘沙

熙(き)寧(ねい)5［1072年］、蘇軾37歳。

これは詩ではなく詞、「浪(ろう)淘(とう)沙(さ)」は楽曲の題名。「城(じょう)外(がい)探(たん)春(しゅん)」というサブタイトルが付けられている。春らしく和やかな雰囲気に満ちた作品で、それが詞という形式にぴったり合っているのだろう。

【訳文】

昨日出東城。［昨日出てみましたのは町の東］）

試探春情。［試しに探ってみましたのは春の情(こころ)］

牆頭紅杏暗如傾。［塀の上にしだれかかると想見されたのは紅(あか)い杏(あんず)］

檻内群芳芽未吐、［花々の芽はまだ内に秘められて出てきてはいませんでしたけれど］

早已回春。［早くもここに春は回り返ってきているのです］

綺陌斂香塵。［今日は鎮まりましたよ、香るような春の塵も］

雪霽前村、［雪の後で晴れ上がった前の村］

東君用意不辞辛。［辛いことも用意しているのが春の神様］

料想春光先到処、［春の光が最初にやってくるところ］

吹綻梅英。［そこにほころびるのはきっと梅の花なのです］

■【04-1-010】越州張中舎寿楽堂

【解題】杭(こう)州の南には古くから栄えた越(えつ)州があり、そこの知事の張(ちょう)次(じ)山(ざん)の求めに応じてこの詩を作った。蘇軾は越州に実際に行ったわけではなく、張次山が官舎の西南に建てた寿(じゅ)楽(らく)堂(どう)のありさまを想像して詩を詠んでいる。張次山も新法に反対して地方に出ていた。

【訳文】

青い山のきりっとした姿は、

高潔な人、「高人(こうじん)」に似ている。

高人は普通はのこのこ役所なんぞに顔を出したりはしない。

高人はもとから山と縁が深い。

だから高人の庭には招かなくても山が揃ってやってくる。

越(えつ)州の東側には、竜が伏せるようにして山がわだかまっている。

竜の股のあたりに、越州の町の家屋が甍を並べる。

山に背を向けているなら、山がないのと同じで、

美しい毛皮を裏返しに着るようなものだ。

張(ちょう)知事の眼は自然の奥の奥を見抜き、

ここの荒れ地を巧みに拓いて建築物に変え、

その中で顎を撫ぜつつくつろいでいるだけで、

越州の秀抜な十の風景の内の五つをここに集めてしまっている。

張知事は才能が豊かであるのにすべきことが少ないので、

暇であるのを嫌いつつ、

山の上で靄や霧が風や雨に変化するありさまを伏して眺めるのである。

かたわらで筍(たけのこ)が玉(ぎょく)の箸(はし)のように地面から突き出し、

桑の実が簪(かんざし)のように連なって稔る。

張知事は無理にも酒を飲み、

山々をここに招き入れて、主人として振る舞おうとする。

このような楽しみを、

年少の者が早くから知ってしまうのも悪くはなかろうと思っている。

ただ、恐れているのは、

自然の楽しみを多く取り過ぎているではないかと、

造物者に訝しく見られてしまうことだ。

春はこまやかにして、

午後の明るい窓辺で眠りが十分に足りると、

ちょうどよい具合に入った茶があればと張知事は思うのである。

■【04-1-011】与文与可

【解題】張(ちょう)次(じ)山(ざん)の寿(じゅ)楽(らく)堂(どう)に刺激されたわけではないだろうけれど、蘇軾はこのころに庁舎の近くに鳳(ほう)咮(しゅ)堂(どう)を建てるのを思い立ったようである。そして親友の文(ぶん)同(どう)［字(あざな)は与(よ)可(か)］［→作品番号03-3-014など］に鳳咮堂について詩を詠むよう求めた。これはその手紙。

【訳文】

官舎は鳳(ほう)凰(おう)山(ざん)の下にあります。この山はまことに鳳凰のようで、両方の翼があって、翼の上にはそれぞれ塔が建っています。鳳凰の嘴(くちばし)がちょうど落ちるところに池があり、かつてそこに山から落ちるようにして一つの堂がありました。近ごろ、それを葺き直して、鳳(ほう)咮(しゅ)堂(どう)と名付けました［咮はくちばしの意味］。よって詩を求める次第です。

山の上には多数の怪石があり、百個余りを採取しましたので、鳳咮堂の東の書斎のあたりに重ねて山を作り、そこに水を引き、濺(せん)玉(ぎょく)斎(さい)と名付けます。鳳咮堂の後ろに真四角の庵を建て、方(ほう)庵(あん)と名付けます。石を重ねた山には一つの峰を作り、月形の穴を開け、月(げつ)岩(がん)斎(さい)と名付けます。

【補足】［（1）文(ぶん)同(どう)には、鳳(ほう)咮(しゅ)堂(どう)、濺(せん)玉(ぎょく)斎(さい)、方(ほう)庵(あん)、月(げつ)岩(がん)斎(さい)を詠んだ詩が残っている。文同は遠く離れた蜀(しょく)の地で、やはり想像で詩を詠んだのである。士(し)大(たい)夫(ふ)仲間はこうした詩を贈り合って楽しんでいたのである。（2）杭(こう)州の町の西側には西(せい)湖(こ)があり、町の南側から、西湖の南、そして西方には山地が連なり、呉(ご)山(さん)、鳳(ほう)凰(おう)山(ざん)、霊(れい)隠(いん)山(ざん)、南(なん)屏(びょう)山(ざん)など数々の山がある。蘇軾は詩文において、個々の山の名を区別して用いていることもあれば、山地全体を一つの名で代表させているようなこともあり、それを区別するのは容易ではないので、我々としては町と湖を山々が取り囲んでいるというぼんやりとした認識で十分であろう］

■【04-1-012】姚屯田挽詩

【解題】姚(とう)闢(へき)という官界の先輩が亡くなったので、その挽歌を詠んだ。姚闢について詳しいことはわからない。

【訳文】

京(けい)口(こう)の耆(き)旧(きゅう)［年配の先人］は年々衰えゆき、

高(こう)人(じん)［高い倫理性を保った人］が喪われるたびに路行く人も悲しむのだった。

漢(かん)の時代に、韋(い)賢(けん)は先帝の師だったことで宰相に任じられた、

そのように先賢を大切にすることはとんと聞かれなくなった。

貧(ひん)の病にあっては、善をなす楽しみだけを知り、

ぶらぶら歩きをしつつ、官を棄てるのがむしろ遅かったと恨むのである。

お別れしてからの七年はまさに夢のよう、

痩せた鶴のような蕭(しょう)然(ぜん)としたお姿をありありと思い出すことができる。

【補足】［（1）姚(よう)闢(へき)は京(けい)口(こう)［潤(じゅん)州、鎮(ちん)江(こう)］の人。別れて7年とあるのは、蘇軾が父の喪に服すために故郷に帰った船旅の途中で潤州に立ち寄って会っていたのだろう。（2）「痩せた鶴」は、孤高の老人の形容として頻繁に用いられる］

■【04-1-013】送岑著作

【解題】蜀(しょく)に帰る岑(しん)象(しょう)求(きゅう)を見送った詩。岑象求は旅の途中で杭(こう)州に立ち寄って蘇軾に会ったのであろう。

【訳文】

懶(ものう)くしている人は、静かであるのに似ている。

しかし、静かである者が懶いわけではない。

拙(つたな)い人は、真っ直ぐであるのに似ている。

しかし、真っ直ぐである者が拙いわけではない。

岑(しん)先生は静かでありかつ真っ直ぐであって、

時の流れに応じて柔らかく伸びたり縮んだりしている。

私は全くもって岑先生のようにはなれないけれど、

気持ちが通じ合って余りある歓びがある。

私は元来は世間に背を向ける人間ではないのに、

どうも世間とずれてしまう。

林の奥に迷い込んでしまった鳩よりも拙く、

氷の底に閉じ込められてしまった魚よりも懶くしている。

それで、人は私の脳味噌が腐っていると笑う。

先生だけは、私の愚かさを憐れんでくださる。

真っ直ぐな者も、時に適えば信(まこと)を尽くそうとし、

静かな者も、終わりまで同じ場所でじっとしているわけではない。

私が懶く拙いのは薬も効かない病のようなものだ。

先生が出発するに臨んで妙に酒が薄いのは、

別れの涙が混ざるからなのだろう。

これからもう二度と会えないわけではないにしても、

先生も私も、今後のことは皆目見当もつかない。

確かなのは、

故郷を想う私の夢は、

先生の後に従って蜀(しょく)の我が家へと行き着くということ。

■【04-1-014】雨中明慶賞牡丹

【解題】杭(こう)州での初めての春はいよいよ深まり、蘇軾は雨の日に、杭州の町の北側にある明(めい)慶(けい)寺(じ)を訪れて牡丹を見た。

【訳文】

静かに降り注ぐ雨、

しっとりと濡れて、

牡丹は清らかにも美しく、

御(み)仏(ほとけ)に捧げる燈火(ともしび)のように燃えている。

明日は恐らくは花曇り――

花はなお見ごろを保つだろうから、

興(こう)平(へい)酥(そ)はまだまだおあずけのままだろう。

【補足】［最後の句は説明がないとわからない。「興(こう)平(へい)酥(そ)」は菓子の名。昔、ある風流人は、牡丹が咲くと花を切り、それに金(きん)鳳(ほう)箋(せん)という上質の紙に歌を記したものと興平酥を添えて親類や友人に配った。受け取った人は花が散るまでは花を眺めて楽しみ、散った後で興平酥を炙り花を偲びつつ食べた。つまり、明日はまだ花が散らないだろうから、「花より団子」の「団子」がなかなか食べられないというジョークである］

■【04-1-015】吉祥寺賞牡丹

【解題】杭(こう)州の吉(きち)祥(しょう)寺(じ)でやはり牡丹を見た詩。このときは州知事の沈(ちん)立(りゅう)と一緒だった。

【訳文】

人は老いると羞(はじ)らいを忘れ、

花を簪(かんざし)の替わりに差して若ぶろうとする。

花の方では、老人の頭に載せられるのを、

きっと羞らっているに違いない。

その上、べろべろに酔って、

人に助けられてやっとのことで帰ってきた。

そういえば、道沿い十里の間、

どの家も簾(すだれ)が半ば上がっていたのは、

さだめしそんな姿を覗き見て笑っていたのだろう。

【補足】［（1）州知事と副知事が牡丹見物の帰りに酔態をさらして街中の見世物になったとユーモラスに詠んでいる。このとき蘇軾は37歳で、「老人」というにはさすがに無理があるのだが、詩の世界では、実際以上に自分を老いた者として表現することが少なくない。（2）この詩のユーモアを沈(ちん)立(りゅう)知事が喜んだかどうかはわからない。謹厳実直な人ならむっとしたであろう］

■【04-1-016】吉祥寺僧求閣名

【解題】同じときに、吉(きち)祥(しょう)寺(じ)の僧に閣の名を求められてこの詩を詠んだ。

【訳文】

人の世の栄枯盛衰が眼を過(よぎ)るのは、

あたかも電光が風とともに来ては去るかのようで、

花が紅を保つよりもさらに短い。

上(しょう)人(にん)は閣に坐して、

色(しき)［物質的存在］を観て空(くう)を観て、「色(しき)即(そく)空(くう)」を観るのであるから、

「観(かん)空(くう)閣(かく)」と名付けるのがよいであろう。

■【04-1-017】牡丹記叙

【解題】蘇軾が沈(ちん)立(りゅう)知事とともに吉(きち)祥(しょう)寺(じ)を訪れて牡丹を見たのは3月23日であったとこの文章から知ることができる。

【訳文】

熙(き)寧(ねい)五年三月二十三日、私は知事の沈(ちん)公(こう)［沈(ちん)立(りゅう)］に随って吉(きち)祥(しょう)寺(じ)の僧の守(しゅ)璘(りん)の圃(にわ)で牡丹の花を観た。圃(ほ)中(ちゅう)には千本の花があり、その品種は数十余りもある。酒酣(たけなわ)で音楽を催すと、町の人々が大勢集まってきた。金(きん)の槃(たらい)、彩(あや)なす籃(かご)で座中の者に酒食や花を振る舞ったところ、その相手は五十三人に及んだ。酒を飲んでの楽しみはいよいよ甚しく、もともと酒を飲まない者までも酔った。

かくて駕籠を担ぐ者も食事の給仕をする者も皆が花を頭に挿して知事に従って歩いたので、それを観る者が数万人にふくれあがった。

翌日、沈公は『牡(ぼ)丹(たん)記(き)』十巻を出して客人に見せた。牡丹に関する言い伝えや、栽培の仕方や、古今の詩歌や、怪奇小説に至るまですべてがそこに集められていた。

私は花が最も盛んなありさまを観て、州の人々が遊び楽しむさまを観て、そしてこの書物が極めて広く深く徹底しているのを観た。この三者はいずれも記録に残すに値することであって、沈公は『牡丹記』の冒頭に文を記すよう私に求めたのだった。

そもそも牡丹の花が重んじられるようになって三百年余りになり、妖(よう)を窮め麗(れい)を極め、天下の観るべき美を独占するほどになった。近年は特に姿かたちを変えたものが百出するようになり、新奇なものを追う人の好みに合うよう努めて作られたものはいちいち数え挙げられないほどにある。それらは草木の中でも智(ち)巧(こう)便(べん)佞(ねい)［猿智恵のごますり］の者というべきであろう。

いま沈公は老成されて徳を重んじられ、その一方で私は愚かな迂闊者で、世の中にこれほどまでに違う二人はいないのであるが、この書物にはどのような人にでも当てはまるよう花のことが記述されている。唐(とう)末(まつ)の皮(ひ)日(じつ)休(きゅう)は、宋(そう)�m(けい)［唐代半ばの名宰相］の人となりは心が鉄のようで腸(はらわた)が石のようでありながら、宋�mの作った『梅(ばい)花(か)賦(ふ)』が艶やかで南朝の軟弱な文体であるのを訝しく思っていた。私はそれを観て、世間の目を晦まして書いたまでであって、宋�mの信(まこと)を記したものでは決してないのだろう考えている。私は世間の目を晦まして沈公に代わって文章を書けるような者ではないのだが、沈公のために強いてこの文章を書いたのである。

沈公の家には三万巻の蔵書があって、博覽強記、事に遇えば書物を編み、ただ『牡丹記』だけがあるのではない。

■【04-1-018】戯贈

【解題】この詩はいつどのような状況で詠まれたのかはっきりとはわからない。詩の題に「戯れに贈る」とあるのは、宴席の座興として妓女に贈ったものだからなのかもしれない。沙(さ)河(が)は杭(こう)州の町の東の外側を流れる川で、両岸には家が密集していた。

【訳文】

人を思い悩ませるもの、

それは沙(さ)河(が)の十里の春、

ひとつの花が開き終われば、

また一つの花が咲き始める。

小さな二階屋は昔のままに夕日の中にあるが、

そこで舞っていたかの人を見ることはできない。

■【04-1-019】和劉道原見寄

【解題】故郷の廬(ろ)山(ざん)に帰っていた劉(りゅう)恕(じょ)［字(あざな)は道(どう)原(げん)］［→作品番号03-4-007］から詩が送られてきたので、それに和して返した。

【訳文】

佳(よ)き時代へと向かいつつあるのに、

貴君が世に容(い)れられないのを怨みはしないが、

残念でならないのは、

我が道が貴君とは別れて東に向かってしまったこと。

貴君のもらす一言は、

権威者を懼れさせるのに十分であったのに、

貴君が帰ってしまったために、

北の野［朝廷のこと］にはしかるべき馬がいなくなってしまった。

孤独の鶴は、

鶏の群れのように一斉に夜明けに鳴いたりはしない。

いま群がっている烏どもは、

黒いばかりでまだ雌雄を見分けることはできない。

廬(ろ)山(ざん)は昔から行くのが難しいとされているところ、

いつか貴君とくまなく道を窮めたいものだ。

【補足】［鶴や鶏や烏は当時の官界の人々の隠喩であるのだろう］

■【04-1-020】和劉道原寄張師民

【解題】劉(りゅう)恕(じょ)［字(あざな)は道(どう)原(げん)］が張(ちょう)師(し)民(みん)に寄せた詩に和した。張師民は官員の子で、劉恕や蘇軾とどのような交遊関係があったのかはよくわかっていない。

【訳文】

仁義とは、行くべきところへの一番の近道、

詩はその道しるべ、書物は宿屋となるべきもの。

世には高官のしるしとなる飾りをやたらと誇りながらも、

口では『詩経(しきょう)』の句をさも有難げに唱える輩がいる。

梟(ふくろう)は腐った鼠を奪われまいと威嚇するが、

白鳥は高く大空の彼方を目指して飛ぶだけである。

頭のおかしな連中は呼び醒まそうとしても無駄、

酒が尽きればだんだんとしらふにもどるであろう。

【補足】［（1）これも当時の官界のありさまを批判する寓意があるのだろう。（2）劉(りゅう)恕(じょ)から送られてきた詩は3首あって、以上の他に歴史を題材に詠んだものもあり、蘇軾はそれにも和している。劉恕も蘇軾も歴史に精通していたので、詩は種々の故事を踏まえた判じ物のようで、訳すのはかなり難儀で割愛する］

■【04-1-021】送張職方吉甫赴閩漕六和寺中作

【解題】張(ちょう)吉(きち)甫(ほ)という人物が南方の閩(びん)［福(ふっ)建(けん)］に赴任するに際して杭(こう)州に立ち寄ったので、六(ろく)和(わ)寺(じ)で見送ったときの詩。

【訳文】

羨むのは、

貴君が超然とした鸞(らん)［鳳(ほう)凰(おう)］や鶴のようであること。

江(こう)湖(こ)へと下ろうとして［杭(こう)州に立ち寄ったことをいう］、

また飛び去ってゆく。

ここに留まってくれないのを、

この地の人々は空しく怨むのである。

七(しち)閩(びん)の路は青い山のそのまた向こう。

六(ろく)和(わ)寺(じ)の門前の水はここを去って、

あるいは天に翔(か)け上がりもするのか。

貴君はこれより大河の流れのように日に千里を行く。

六和寺の後ろの池は碧(みどり)の玉の環のよう。

私はその水のように千山の底に留まっているのである。

■【04-1-022】和子由柳湖久涸、忽有水、開元寺山茶旧無花、今歳盛開

【解題】陳(ちん)州にいる弟から近況を記した詩が送られてきたのでそれに和した。弟の詩には、柳(りゅう)湖(こ)［→作品番号03-4-016］の水がしばらく涸れていたのが急に増水したり、開(かい)元(げん)寺(じ)の山茶(つばき)はいままでは花がなかったのが今年はにわかに満開になったりとか、幾つかの異変が記されていた。

【訳文】

　其の一

陳(ちん)州の名所、太昊(たいこう)祠(し)の東、鉄(てつ)墓(ぼ)の西に、柳(りゅう)湖(こ)がある。

かつて一(いつ)樽(そん)を携えて君とそこに遊んだ。

振り返れば、南に、官舎の欄干が連なり、

前を見れば、北に、船の帆柱が突き出ていた。

その時、僕と君とは、

豆を啄(ついば)み、草の実を食べる二羽の水鳥のようであった。

柳湖が涸れてしまったので、

昔からの言い伝えに従って、

君は川の水を口に含んで吐き出してみたのだろう、

たちまち雨が降って、

大空には虹がかかったのだった。

柳湖に水が戻っても、

僕がいないのでは喜びをともにする者もなく、

君を堤へと誘い出すのは、

花の下でころころと鳴く鳥だけなのだろう。

【補足】［鉄(てつ)墓(ぼ)については作品番号03-4-023で見ている］

　其の二

開(かい)元(げん)寺(じ)の長(ちょう)明(めい)燈(とう)の下の石の欄干も、杉や松も、

寒い冬にも姿を変えずに、長い歳月を経てきた。

山茶(つばき)もまた、葉は厚く、枝は堅固のままに保ってきたのだが、

にわかに鶴の頭のような丹(あか)い花を無数に咲かせたのだった。

寺に注ぐ雨を久しく受けてきた山茶は、

先生［蘇轍のこと］が盤に載るのは苜蓿(うまごやし)だけのような質素な暮らしをしているのを見て、

我が花でもって慰めようとしたのだろう。

雪のうちから盛んに開いたのは、

来年になってからでは見てくれる人がいないと恐れたのだろう。

【補足】［最後の句は、そろそろ蘇轍は陳(ちん)州を去るであろうという意味なのだろう］

■【04-1-023】与堂兄

【解題】従兄の蘇(そ)不(ふ)疑(ぎ)［字(あざな)は子(し)明(めい)］［→作品番号03-4-009など］への手紙。

【訳文】

……弟からは常に手紙がきていて、非常に安らかに過ごしております。私のもとでは、四月四日に男の子を授かりました。元気に育っていて、似(じ)叔(しゅく)と名付けました。

蘇(そ)林(りん)の妻と子の彭(ほう)と寿(じゅ)も元気にしております。兄上［蘇(そ)不(ふ)疑(ぎ)］と楊(よう)宗(そう)文(ぶん)君［郷里の人］のお考えをしばしば語って聞かせており、近頃ようやくそれに従おうとする気になってくれています。まことに穏便に事が進みそうです。……

ここのところ、公私ともに暇がありません。ここでは都と同じくらいに物価が高く、与えてくれる農地はわずかしかなく、公庫は逼迫しつつあって、配られるものは雀の涙です。好い味わいがあるのは西(せい)湖(こ)だけです。役(えき)法(ほう)も塩(えん)法(ほう)も皆新しくなり、盗賊が縦横に起こり、上下ともに困り果てて、役人も民衆も休息する間がありません。……

【補足】［（1）この手紙では大勢の親族について触れているが、あまりに煩瑣になるので多くを割愛した。（2）4月4日に生まれたのは三男の蘇(そ)過(か)［幼名が似(じ)叔(しゅく)］である（3）不幸にして若くして亡くなった蘇(そ)林(りん)［→作品番号03-3-028］の妻については、どうやら郷里の楊(よう)宗(そう)文(ぶん)［字(あざな)は君(くん)素(そ)］の親族との再婚話がまとまりつつあったようだ。（4）新法が引き起こした混乱についても触れている］

■【04-1-024】雨中遊天竺霊感観音院

【解題】4月の雨の日に天(てん)竺(じく)山(さん)の霊感(れいかん)観(かん)音(おん)院(いん)を訪ねてこの詩を詠んだ。作品番号04-1-005で「三百六十の寺」と詠まれていたように杭(こう)州には多数の仏寺があり、蘇軾はあちこち訪ね歩いていた。

【訳文】

蚕が成虫になり、

麦の穂が半ば黄色になろうというときに、

前方の山にも、後方の山にも、

後から後から浪のように雨が降り注ぐ。

農夫は鋤をかついで麦畑に出られず、

女は籠をかついで桑畑に出られない。

観音様は好(い)い気なもので、

このようなときにも立派なお堂でくつろいでおられる。

【補足】［人々の願いに応じて叶えてくれるので霊(れい)感(かん)観(かん)音(おん)といわれていながら、長雨に苦しむ農民をよそに立派なお堂にのうのうとおさまっているだけだと皮肉るのは、改革を進める執行部を謗るものだと、後にこの詩は批判を浴びる］

■【04-1-025】和欧陽少師会老堂次韻

【解題】この年の4月に、潁(えい)州に隠棲する欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)［→作品番号03-4-024］のもとを、趙(ちょう)概(がい)という80歳になる老友が訪れた。このときの潁州知事はかつて朝廷の重鎮であった呂(りょ)公(こう)著(ちょ)［→作品番号03-3-025］で、呂公著は2人を宴席に招き、3人が集まった建物を特に「会(かい)老堂(ろうどう)」と呼んだ。欧陽脩は会老堂で詩を詠み、後になって蘇軾がそれに和したのがこの詩である。

【訳文】

少年のときから天下に名を馳せた方々が、

徳を積み年を経た後に、またともに逢うのは容易ではない。

聞くところでは、

趙(ちょう)公(こう)が上座に招かれ、

呂(りょ)公(こう)が床にあって拝礼されたとか。

聞くところでは、

欧(おう)陽(よう)公(こう)は自ら箱を開いて古書を日にさらされ、

古(いにしえ)の鼎(てい)鐘(しょう)に刻まれた文字を収集されているとか。

私は官職を棄てて三公のもとに走り、

重ねて道(みち)をお尋ねしたいと思うのだが、

非力すぎて、筵(むしろ)でもって鐘を撞(つ)くようなとんちんかんなことしかできなのだ。

【補足】［結びの部分は、訳者にはここでの故事の用い方が理解できていないので、ひどいこじつけの訳である］

■【04-1-026】和欧陽少師寄趙少師次韻

【解題】これは上の詩の続きで、欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)が趙(ちょう)概(がい)に寄せた詩に和したもの、

【訳文】

欧(おう)陽(よう)公(こう)の朱塗りの門には、

訪れる人もいないので、

啄木鳥(きつつき)の突いた穴が開いている。

そこへ千里の彼方から飛びくる燕のように、

趙(ちょう)公(こう)がやってこられた。

趙公が百回呼んでも、

欧陽公の家は氷のように静まり返って、

返事がなかった。

欧陽公は昨日会ったのと変わらずに趙公を迎えたが、

親しかった友の半ばは世を隔ててしまっているので、

二人が向き合うのを見て、

傍らの人々は驚かずにはいられなかった。

近頃では、世間の人は、濃い酒のようにべたべたした付き合いをしている。

真の友情は春の雲のように淡いものだ。

二人の声は凛凛(りんりん)として和し、

しかしながら、それは互いに相手に合わせようとしているのではない。

心は長く親しんでいても、上辺を揃えようとはしない。

二人の白い髪と白い髭が向き合うのは、

松の間に二羽の鶴が佇むかのようだ。

二人がやりとりする清らかな句は、

雪の中で鴻(おおとり)が鳴く声のようだ。

いつしか私もお二人のような自由の境地に至りたいものだ。

【補足】［この詩の結びの訳も上の詩と同様である］

■【04-1-027】和蔡準郎中見邀遊西湖三首

【解題】蔡(さい)準(じゅん)がある人に呼ばれて西(せい)湖(こ)で遊んで詩を詠み、それに蘇軾が和した。蔡準がどのような人かというと、宋(そう)代(だい)の歴史をいくらかでも知る人には、蔡(さい)京(けい)の父だというのがわかりやすいだろう。蔡京は徽(き)宗(そう)皇帝とともに政治を弛緩させ、北宋を滅亡へと向かわせたとしてすこぶる評判の悪い人物。ただし、全くの無定見ではなかったとして敢えて再評価しようとする歴史家もいる。蘇軾のこの詩は、3首とも、幽、秋、洲、浮、留、休という韻字を共通して用いている。そのことが日本語でもわかるようにやや無理をして訳してみた。

【訳文】

　其の一

夏のいま、湖に漲(みなぎ)り溢れる水、

その豊かな幽(おくふか)さ。

西からの風が木の葉を落とすのは、

芙蓉(ふよう)の花の秋。

冬には、雪雲が暗く空を塞ぎ、

春には、水から蒲(がま)の新芽が突き出るのは、柳の若葉の洲。

湖上の四季は見て飽きることがなく、

人の一生もまたこのように何かに浮かぶ。

顔をほころばして笑う機会はそうあるのではなく、

酒があると招いてくれるのならそこに留まろうか。

あなたは見るがよい、

この地にさまよいきた一人の役人が、

朝に囚人を獄に入れ、夕方には罪を決定しなければならず、

誰かが呼んでくれるのでなければ、

休んではいられないのを。

　其の二

町中の人は実は知らない、

この西(せい)湖(こ)の幽(おくふか)さ。

つまりは、夏の蝉には語ってもわかってもらえない

蝉が見ることのない春と秋。

だからといって、町中に西湖を置いたのでは、

あたかも山の鹿を無理に遊ばせる水辺の洲。

しかし、道を窮めた高人(こうじん)は無心であるのだから、

所を得ればしばらく止まり、流れを得ればしばらく浮かぶ。

古い友人や高い位の人も高(こう)人(じん)を引き留めることはできず、

ただ心に適うのならいつまででも留まろうか。

あなたは見るがよい、

官を擲(なげう)った陶淵明(とうえんめい)がいうには、

「琴に弦がなくても楽しめるし、酒は頭巾に受けたってよいけれど、

　客人には引き取ってもらわないと、

　酔っても休んではいられない」と。

　其の三

田圃の間を流れる引き水、

その音の幽(おくふか)さ。

まだ稲の苗を植え終わらないうちに、

麦はすでに秋。

手を携えあって竹の寺に遊んで筍を焼き、

下って船を浮かべるのは蓮の花の洲。

舳先では獲れたての魚を細かく刻み、

船尾では玉のような米を炊く香りが浮かぶ。

風に吹かれてたっぷり食べてゆったり眠れば、

あえて細かなことなど胸の内に留まろうか。

あなたは見るがよい、

憔悴の時にある壮士が、

餓えては食べることを謀り、渇いては飲むことを謀り、

功名は時に巡り合わねばならないので、

休んではいられないのを。

【補足】［中ほどにある「船頭斫鮮細縷縷、船尾炊玉香浮浮」［船(せん)頭(とう) 鮮(せん)を斫(き)り細(こまか)くして縷(る)縷(る)、船(せん)尾(び) 玉(ぎょく)を炊(かし)ぎて香(かお)りは浮(ふ)浮(ふ)］は、西(せい)湖(こ)での舟遊びの楽しさを生き生きと描写した句としてよく知られている。あたかも現代の屋形船での遊びに通じるものがある］

■【04-1-028】六月二十七日望湖楼酔書五絶

【解題】蘇軾は杭(こう)州にきてまだ半年余りであるのに、西(せい)湖(こ)を詠んだ詩として歴史に残る名品をいくつも作ってゆく。これは西湖の畔(ほとり)の望(ぼう)湖(こ)楼(ろう)で詠んだ5首の七言絶句。望湖楼はその名の通り、湖を望みみる好処に建てられた楼閣。

　其の一

墨をひっくり返したような黒い雲が、

山を遮って隠してしまうよりも前に、

白い珠(たま)がはじけ跳んで、

船の中へと雨粒が入ってくる。

大地を巻き上げて風が押し寄せ、

たちまちどこかへと通り過ぎる。

そして、望(ぼう)湖(こ)楼(ろう)の下に、

あたかも青空が広がるのだった。

　其の二

西湖は放生(ほうじょう)の池、

魚も亀も人を恐れずに近寄ってくる。

至るところで誰のものでもない蓮の花が開く。

水を枕にすれば、

山が上を向いたり下を向いたり――

風に船を任せれば、

月とともに徘徊する。

　其の三

銭に糸目を付けずに、

黒い菱(ひし)やら白い蓮(はす)やらを買い求め、

緑の苽(まこも)を編んだ盤(さら)に積み上げる。

思い出したのは、

都のかの有名店で、新奇な料理を前にしたときのこと。

こちらにやってきて、

初めておいしいものをたんと食べられるようになった。

【補足】［菱(ひし)や蓮(はす)の実を人々は好んで買い求めたのだろう。都の高価な料理よりもそれをよしとする蘇軾は、やはり都をあまり好ましく思っていなかったのだろう］

　其の四

粋なこしらえの橈(かい)、

花を挿したような妓女の髪飾り、

やわな風に乗って細かな雨が降りかかる。

見渡す限りの岸辺に咲く杜若(かきつばた)。

古(いにしえ)の歌を引いて、

あのあたりに船を寄せようと謎をかけるけれど、

今どきの女性には通じない。

　其の五

田舎に隠れるのを小隠(しょういん)といい、

市井に隠れるのを大隠(だいいん)という――

まだどちらもできないので、

官職にありつつ気持ちだけ隠れるのが中隠(ちゅういん)だと、

いささかお茶を濁している。

長い暇はしばしの暇に勝るに違いなくとも、

それは得られるものではない。

私には元来定住の家はなく、どこへでも行く。

だからこうして出会えたのだ――

我が故郷にはないこのすばらしい湖と山に。

【補足】［最後の2句「我本無家更安往、故郷無此好湖山」［我(われ)に本(もと)より家(いえ)は無(な)く更(さら)に安(いずく)にか往(ゆ)かん、故(こ)郷(きょう)に此(こ)の好(よ)き湖(こ)山(ざん)は無(な)し］は蘇軾の新しい人生観を詠んだものとして深く味わいたい。官職に就くために都に上った旅の途中の荊(けい)州では、蜀(しょく)の人間であることを強く意識した詩を詠んでいた［→作品番号01-2-023］。この詩では、故郷にないすばらしい湖と山がここにあると詠んでいる。「飛(ひ)蓬(ほう)」［→作品番号03-4-027］を肯定的に捉える哲学がこうして強められて行くのである）］

■【04-1-029】七月一日出城舟中苦熱

【解題】上の詩で「中(ちゅう)隠(いん)」をしていると詠んでいたけれども、取り組むべき公務はもちろん多々あり、7月1日から郊外の諸県を巡って歩く出張の旅に出た。7月1日は昔の暦では秋の最初の日。しかし、杭(こう)州はまだまだ暑さの盛りで、北方の気候に馴れていた蘇軾の身体にはかなりこたえたようである。

【訳文】

涼しい風よ、きておくれと、

呼んでもちっとも吹いてくれない。

全身が流れる汗で覆われる。

蓮の間を過ぎるときも、

香りは入ってきてくれても、

暑さは変わらない。

眠りたくても眠れないので、

いらついて枕を動かすと、

鯉や鮒を驚かせてしまう。

やたらと欠伸(あくび)が出るのは昨日の酒が残っているせいなのか。

仕方なく、座り直して川の水で顔を拭おうとする。

空に明滅する星の数は次第に稀になりつつあり、

なお暗い水の上に微かな光が流れる。

火のような夏の暑さは今も勢いが盛んで、

月のしずくの涼しさに洗われるようにはならない。

このちっぽけな身はどこに行こうとしているのか。

東方が明るくなるのを待つだけである。

■【04-1-030】宿余杭法喜寺、寺後緑野堂、望呉興諸山、懐孫莘老学士

【解題】蘇軾は杭(こう)州の町を出て西に進み、余(よ)杭(こう)県の法(ほう)喜(き)寺(じ)に宿泊した。寺の後ろに緑(りょく)野(や)堂(どう)があり、北に呉(ご)興(こう)［湖(こ)州周辺］の山々を見晴らすことができた。この詩は、湖州知事の孫(そん)覚(がく)［字(あざな)は莘(しん)老(ろう)］のことを思って詠んだもの。孫覚は官界の先輩で、かつて蘇軾とともに朝廷にいて若干の親交があった。

【訳文】

ぶらぶらと秋の野原を行くと、

晩照の中に涼しさが感じられる。

水は流れ続け、天は尽きるところがない。

遠く人を思う心もまたどこまでも窮まるところがない。

ここは、秦(しん)の始(し)皇(こう)帝(てい)が波に阻まれて、

船を杭に繋いで降りたところだとか。

始皇帝は自ら統一した中国を見てまわる旅の途中であったが、

始皇が犯した過ちは、書物を見れば明らかである。

ここの西北にある舟(しゅう)杭(こう)山(ざん)は、

大洪水のときに舟を山上に繋いだところだとか。

その大洪水を鎮めた禹(う)［古代の聖君主］の功績は、

いまのこの豊かな風光を見ても明らかである。

稔りを迎えた稲に風が吹き寄せ、

そこに蛙が鳴き出し、

豊かに垂れ下がった柳の葉は、

ところどころ虫に食われた書物のようになっている。

蓮の葉が翻って白い裏側を見せ、

蓮の花は雨に当たって紅い色が褪せつつある。

このようにして懸命に句を求めているのは、

詩を習い始めたばかりの子供ようであり、

かつて楽しかった遊びを思い出しているのは、

寂寞を慰める老人のようである。

北を望めば、

苕(ちょう)溪(けい)の流れは向きを変えつつ、

遥かに震(しん)沢(たく)［太(たい)湖(こ)］へと通じているのだろう。

昔、魚を烹(に)ようとして腹中から手紙を得たという話があるが、

この詩は魚に託した手紙なのです――

「紫(し)髯(ぜん)翁(おう)殿はお元気でありましょうか」

【補足】［（1）苕(ちょう)溪(けい)、太(たい)湖(こ)は湖(こ)州の近くの地名。（2）最後にある「紫(むし)髯(ぜん)翁(おう)」は、長い髯が自慢の孫(そん)覚(がく)のこと。孫覚とはこの年の末に会うことになる］

■【04-1-031】宿臨安浄土寺

【解題】余(よ)杭(こう)県から臨安(りんあん)県に至り、町の南にある浄(じょう)土(ど)寺(じ)で休息した。

【訳文】

鶏の鳴き声とともに余(よ)杭(こう)を発ち、

浄(じょう)土(ど)寺(じ)に着いたのはすでに正午。

参禅するほどの熱意はなくとも、

何はともあれ、

腹を満たすお勤めだけは果たさなければならない。

腹がくちくなると、

ここのところ眠りが足らないので、

風の入ってきそうな庵(いおり)を急いで片付けさせ、

ぴたりと門を閉ざす。

何もかもが静まり返って、

時を測る香(こう)の煙だけが真っ直ぐに上る。

目が覚めると、

岩の清水を汲んで紫(し)筍(じゅん)という名のまろやかな茶を湧かす。

涼しくなった夕方時分に沐浴し、

髪を梳かすと、毛は衰えて、残りの本数を数えられるほどだ。

詩を吟じつつ門を出る。

村は夕暮れの色に染まっている。

細い月が山へと傾き、

蓮の葉が揺れて互いに露を注ぎ合う。

石橋の上に佇み、

古い友人と夜長を語り合う。

翌朝は、足を伸ばして山(さん)房(ぼう)院(いん)に入る。

輝く石の鏡が参道に置かれている。

昔この寺を建てた呉(ご)越(えつ)王(おう)の雄姿がそこに映されたのだろうか。

今では山の猿や鳥が己の姿をそこに見るだけだ。

世の興廃は嘆き悲しむには当たるまい――

万世といえども、頭を挙げ下げする間に過ぎ去るものなのだから。

【補足】［山(さん)房(ぼう)院(いん)への参道には表面がつるつるの黒い岩が置かれて「石(せき)鏡(きょう)」と呼ばれていた。この寺を建てたのは、五(ご)代(だい)十(じっ)国(こく)時代に呉(ご)越(えつ)国(こく)を興した銭(せん)鏐(りゅう)である。各地に地方政権が乱立したなかで、銭鏐は屈指の名君であった。呉越国は安定した政治のもとで飛躍的な発展を遂げ、その豊かさは宋(そう)の時代にそのまま引き継がれ、ひいては南宋の都が杭(こう)州に置かれたのだった］

■【04-1-032】自浄土寺歩功臣寺

【解題】同じ日に浄(じょう)土(ど)寺(じ)から歩いて功(こう)臣(しん)寺(じ)に至った。功臣寺は呉(ご)越(えつ)国(こく)のために尽くした功臣の菩提寺である。

【訳文】

葛(くず)の頭巾に夕日を受け、

羽根の団扇で夕風を入れつつ、

ゆるゆると松の間を歩み行く。

竹林を抜け、ゆらゆら揺れる橋を渡る。

横に連なる峰々は、神が鑿(のみ)でうがったかのように、

巨大な岩石がここかしこに露わになっている。

呉(ご)越(えつ)王(おう)が千人の匠(たくみ)を使って一晩で掘らせたという千人溝(せんにんこう)――

その深い崖の遥か下を細い水が流れ下る。

小高い山が寄り集まる奥の方に、

金(こん)碧(ぺき)の甍が輝き見えるのが功(こう)臣(しん)寺(じ)だ。

呉越国を興した銭(せん)鏐(りゅう)は、

もとはこのあたりの村で荷担ぎをして暮らしていた。

ほんのわずかな食を得るために、

人の股下をくぐるような恥も忍んだという。

山の岩は心なき存在ではない――

この世に稀なる男児の英気漲るありさまに、

屹立(きつりつ)して身を震わせたという。

王となった銭鏐は、万騎を率いてこの村に帰り、

古老を招いて酒宴を催した。

かつて担いでいた荷袋の代わりに錦の袋を用意し、

金の珠(たま)を入れて貧しい人々に配った。

呉越国はすでに消え去り、

銭鏐の姿はもはや想像するだけ。

いかなる栄華も薄れて消滅し、

世の変転は急使の馬が走り行くよりも速い。

御仏の燈火だけが長く消えることなく、

本堂の内を照らし続けている。

【補足】［作品番号03-3-008で、呉(ご)越(えつ)国(こく)の王の末裔の銭(せん)藻(そう)を見送った詩を見た。そのとき蘇軾は呉越国の都であった杭(こう)州に行くことになるとは思ってもいなかったのだが、杭州にきてすぐにその風光と文化的な豊かさに魅了され、銭鏐の功業を高く評価するようになったようだ］

■【04-1-033】遊径山

【解題】蘇軾は臨(りん)安(あん)県にまで至ってひとまず公務を終えたのだろう、そこから足を延ばして径(けい)山(ざん)に遊び、この詩を詠んだ。臨安県の北西に天(てん)目(もく)山(ざん)の峰々が連なり、その山中に至る途中に径(けい)山(ざん)禅(ぜん)寺(じ)があった。

【訳文】

天(てん)目(もく)山(ざん)から多数の峰々が下り来る。

その勢いは、

駿馬が平地に向かって駆け降り、

千里をも踏破する脚を中途で緩め、

金の鞭、玉(ぎょく)の鐙(あぶみ)がぐるぐると旋回するかのようである。

人はいう、山のあるところには水もまたあると、

この山にもまた太古から竜の潜む淵がある。

かつて法(ほう)欣(きん)大(だい)師(し)は天に通じる眼をもってここに王気があると知り、

荒れた山の頂に庵を結んで静かに座り続けた。

その精誠は山をも貫き石をも裂くばかりで、

天女が下って惑わそうとしても、

顔は蓮の花のように白く無垢のままであった。

大師が窓辺で足を暖めていると兎が来て、

大師が夜に水を鉢に注いでいると竜が来て、

朝早くには眉が真っ白な老人が門を叩いて、

いずれも大師の弟子になることを願った。

それから興廃を経ること三百年、

呉(ご)と会(かい)稽(けい)の地を回って金銭が集められ、

山の谷から楼閣が飛び上がり出て、

高殿が湧き上がるようにして、

ここに伽藍が立ち並び、

朝の鐘、暮の太鼓が山に轟き響くようになった。

晴れた空のもと、海に浮かぶ蜃(しん)気(き)楼(ろう)も見え、

落ちる日を受けて、林に帰る鳶を下に数えることができる。

生(せい)あるものは天と地の間にともいて、

蝋と火のようにじりじり焼き焼かれる関係にあるのだろうか。

ここのところ、世間の路の狭さをいよいよ知るようになり、

�ｪ(ゆる)やかなところにきてわずかに安らぎを得ることができた。

ああ、私はもう老いてしまったのか、

すべての事を廃してしまうのがよいのか。

旧い学問を尋ねると、かえって心が茫然としてしまう。

この山中には眼病を治す竜(りゅう)井(せい)の水があるというから、

それで眼を洗って、

書物の細かな字を見つつ、残る歳月を銷(け)すのがよいのであろう。

【補足】［この詩の大半は径(けい)山(ざん)寺(じ)の由来を踏まえて詠まれていて、最後の部分に至って自身の心情を述べている。「旧い学問を尋ねると茫然としてしまう」とあるのは、王(おう)安(あん)石(せき)の主導のもと、学問も実用性を重んじる方向で変わりつつあるなかで、官員としての己をどのように位置付けたらよいのかわからないということを表現しているのだろう。この後、新しい学問観に基づくテキストが作られ、科挙の受験生はもっぱらそれを学ぶようになる］

■【04-1-034】自径山回、得呂察推詩、用其韻招之、宿湖上

【解題】径(けい)山(ざん)から臨(りん)安(あん)県の町中に帰ると呂(りょ)仲(ちゅう)甫(ほ)［字(あざな)は穆(ぼく)仲(ちゅう)］からの詩が宿に届いていた。呂仲甫はこのとき府よりも広域の行政区である路(ろ)の役人として杭(こう)州に赴任していた。一連の出張旅行、特に径山に登ったことが一つの転機となって、蘇軾の心情にある変化が生じたようだ。杭州に戻ると、すぐには役所に顔を出さずに西(せい)湖(こ)畔(はん)に留まり、呂仲甫からもらっていた詩に次韻してこの詩を作り、呂仲甫を西湖畔に誘い出そうとした。呂仲甫は太(たい)宗(そう)皇帝と真(しん)宗(そう)皇帝のもとで宰相を務めた呂(りょ)蒙(もう)正(せい)の孫であることから、呂仲甫のことを詩中で「貴君子」と呼んでいる。

【訳文】

貴君は貴君子であって、

素敵なことに、

女性を愛する以上に山を愛している。

貴君の心はいつでも一葉の舟に乗って旅に発とうとし、

夢はいつでも千の青い山々を巡っている。

貴君の新しい詩を道の途中で得て、

嬉しさの余り下駄の歯が折れたのにも気付かずにいた。

お上に仕える者は、

地位を得れば失うのを恐れ、

地位を得られなければ悲しむのを常とし、

数代にわたって官職から離れなければ、

裸足(はだし)で自在に山を歩けるようにはならないものと、

昔から相場が決まっている。

私は仕事を終えて帰ってきたものの、

役所に戻る気がしなくて、湖の畔でうろうろしている。

役人としての地位の上昇下降など気にもしない。

長官に叱られることも恐れない。

思うところへ飄然と行こうとするだけだ。

そうした気持ちを共有してくれる友がいてくれるのを切に願う。

貴君にもしも湖上で一緒に遊んでくれる気があるのなら、

今すぐに町を出れば暗くなる前にここにこられるであろう。

【補足】［出張から帰ってきて、職場には気の進まない仕事と気の合わない上司が待っているとしたら、そこには戻りたくないと、誰もが思うであろう。径(けい)山(ざん)寺(じ)でしばし己と向き合う時間をもった蘇軾は、種々の矛盾を抱えたまま役所に戻る気にはなれず、理解してくれそうな相手だと思って呂(りょ)仲(ちゅう)甫(ほ)にこの詩を送ったのだろう］

■【04-1-035】宿望湖楼再和

【解題】上の詩にあった「寧畏官長詰」［寧(なん)ぞ畏(おそ)れん官(かん)長(ちょう)の詰(な)じるを］の句は穏やかではない。それを受け取った呂(りょ)仲(ちゅう)甫(ほ)はかなりとまどったであろう。うっかり誘いに応じたら杭(こう)州知事の沈(ちん)立(りゅう)との関係がまずくなってしまうかもしれない。呂仲甫は湖畔に現れず、蘇軾は一人で望(ぼう)湖(こ)楼(ろう)に行き、同じ韻を用いてもう1首詩を詠んだ。

【訳文】

月は天性の美人に似て、

東の海から出てすぐにすでに艶(つや)やかである。

湖の上へとやってきて、さやさやと光を注ぎ、

空にも水にもさざ波が広がる。

夜の涼しさにまだ眠らぬ人がいて、

静かな山辺に下駄の音がこだまする。

詩を詠む人はもとより感じやすく、

秋を悲しみ、さらに恐れ慄く。

貴君はどうしてきてくれないのか。

貴君を待つうちに、

我が詩稿は墨やら朱やらでぐちゃぐちゃになってしまった。

今回の旅では想うところがあって、

十日の間、杭(こう)州のことを忘れていた。

ただ残念なのは思いを共にする友人がいないことだ。

詩が不出来であってもそれを指摘してもらえない。

貴君がきてくれて試しに詩稿を吟詠してくれるなら、

頭を垂れて感じ入るような詩に仕上がることだろう。

そんなわけで、この詩は書いては消し、消しては書いた結果、

紙いっぱいに、蚯蚓(みみず)やら蛇やらがのたくっただけのものとなってしまった。

■【04-1-036】夜泛西湖五絶

【解題】その夜はさらに西(せい)湖(こ)に舟を浮かべ、5首の七言絶句を詠んだ。

【訳文】

　其の一

新月には魄(はく)があり、その姿は不安を感じさせる。

五、六日ほどすると、ようやく光が満ちてくる。

今夜は艶やかに半分の璧(たま)のようになり、

湖に遊ぶ人は夜中に至るまで月を見ていることができる。

　其の二

夜中に向かって月は次第に垂れ、

落ちようとして落ちないときの光景がことに好(よ)い。

人間界において明日に何が起こるかなど誰も知りはしない。

蒼竜星(そうりゅうせい)が西に沈むのを見つめるだけである。

【補足】［この詩にある蒼(そう)竜(りゅう)星(せい)や、次の詩にある牛(ぎゅう)宿(しゅく)、斗(と)宿(しゅく)はいずれも星の名］

　其の三

蒼竜星(そうりゅうせい)が沈むと牛宿(ぎゅうしゅく)、斗(と)宿(しゅく)が横たわり、

北極星が天球を回して、東に金星を昇らせる。

漁師は暁になる前に釣り道具を収め、

その船が行ってしまうと、菰(まこも)や蒲(がま)に寄せる波音だけがする。

【補足】［漁師が朝になる前に漁を終えるのは、西(せい)湖(こ)は放生の池で殺生を禁じているからである［→作品番号04-1-028の其の二］。密漁なので人目を忍ぶのである］

　其の四

菰(まこも)や蒲(がま)が無限に続き、水が茫々(ぼうぼう)と広がる。

夜のうちに蓮の花が開いたのか、風も露も香りを含む。

遠い寺に燈明が掲げられたのが見える。

月がすっかり消えるのを待って、「湖(こ)光(こう)」を見ようと思う。

【補足】［西(せい)湖(こ)には淡い光が湖水の上に広がる「湖(こ)光(こう)」という現象があった。発光プランクトンによるものであろうか］

　其の五

「湖(こ)光(こう)」は鬼(き)［亡霊］が成すのでも仙人が成すのでもない。

風が安らぎ波が静かになると、川に光が満ちる。

それが二つの流れになって湖の中へと入ってくる。

そして孤(こ)山(ざん)へと向かうのを目で追うが、たちまち消えてただ茫然とする。

【補足】［こうして、夜を西(せい)湖(こ)畔(はん)で過ごした蘇軾が翌日には杭(こう)州の役場にちゃんと顔を出したのかどうかはわからない］

■【04-1-037】求焦千之恵山泉詩

【解題】焦(しょう)千(せん)之(し)［字(あざな)は伯(はく)強(きょう)］に恵(けい)山(ざん)泉(せん)の水を求めた詩。恵山泉は常(じょう)州無(む)錫(しゃく)県にあって、唐(とう)代(だい)の陸(りく)羽(う)が茶に用いるのに天下第二の水であると評したことから名水として知られるようになった。焦千之は欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)の門弟の一人で、このころに無錫県の知事として赴任したばかりであった。この詩によると、焦千之から茶葉が贈られてきたので、合わせてよい水もほしいと所望したのである。

【訳文】

この山はきっと中が空洞で、

その腹の内は清らかな水で満たされているのだろう。

隙間に遇うと水はあちこちから現れ出るのであって、

それらの味や香りはみな同じ仲間である。

流れの深い浅いは出るところにより、

水は貯えるものに従って円くなったり四角くなったりする。

あるときは雲のように湧き出て、

あとときは切れたりつながったりする。

洞穴の中で楽器のような音を立てるかと思うと、

蒼い岩の割れ目に沿って竜のようにうねうねと巡る姿を見せもする。

瓶(かめ)に入れられてあちこちに運ばれもするのだが、

瓶の中身は本物もあればけしからんまがい物もある。

高貴な人々の酒宴が終わって、

酔った眼に紅やら緑やらがちかちかしているときに、

赤い封印を開いて、紫色の新茶を截(き)り、

甌(ほとぎ)を傾けて茶を嘆賞し合うのだが、

召使たちは、

「あきれた物好きだ、

　泉のほとりに住む僧が、

　手ですくって飲む水のうまさにかなうわけないだろうに」

と、ささやき笑っているのである。

我が友は私が茶好きであるのを憐れんで、

籠に入れた新茶を贈ってくれた。

窓辺での昼寝からあくびとともに覚めたときに、

これを喫するとよいというわけであろうが、

よい茶はぼんくらの水を嫌うというから、

ついでながら、恵(けい)山(ざん)泉(せん)の水も一斛(こく)ばかり所望いたしたい。

【補足】［蘇軾は茶を好んだけれども、詩の中に召使たちの笑いを入れ込んだように、極端なまでの茶道楽に対しては冷めた視線を向けていた］

■【04-1-038】答任師中次韻

【解題】郷里の先輩である任(にん)伋(きゅう)［字(あざな)は師(し)中(ちゅう)］［→作品番号03-2-002］から送られてきた詩に答えたもの。任伋の詩は、詩と酒をもって自ら楽しむことを勧める内容であったと、蘇軾自身が注を付している。

【訳文】

閑(ひま)であるときにこそ深い趣がある――

そのことを若い連中が早くから知ってしまうのを、

私は常々心配している。

昔の隠者が、山に入る前にあらかじめ借金をして土地を買っていたとは、

聞いたことがない。

故郷の蜀(しょく)に帰る気になったら、行けばよいだけのことだ。

私はすでに世間とは疎くなっているのだが、

貴君はなお私のことを想って、

酒と詩をもって自ら楽しむようにと忠告してくださる。

せっかくながら、私は平生から酒は飲まないし、

貴君の前では恐れ多くて詩を論じることもできない。

【補足】［最後の部分は、故郷の大先輩に甘えて、ちょっとすねてみせたのだろう］

■【04-1-039】沈諫議召游湖、不赴、明日得双蓮於北山下、作一絶持献沈、既見和、又別作一首、因用其韻

【解題】出張から帰ってすぐには役所に顔を出さなかったことを先に見たが、杭(こう)州知事の沈(ちん)立(りゅう)との関係が良かったのか悪かったのか、はっきりしたことはわからない。この詩の題は、「沈立知事に西(せい)湖(こ)での遊びに誘われたが、私は行かなかった。翌日、湖の北の山で二輪咲きの蓮を得たので、絶句一首を添えて知事に差し上げた。知事がその詩に和したので、また別に一首を作ってさらに和した」。知事と副知事はさほど親密ではなくとも、表面的に取り繕うことくらいはしていたのだろう。

【訳文】

　其の一

湖のほとりの棠(やまなし)の木は知事殿が手づから栽(う)えたもの、

その木は、知事殿に、あと何回来てくれるのかと問いかけている。

水(すい)仙(せん)王(おう)廟(びょう)の神もまた知事殿が帰ってしまうのを恐れて、

一晩のうちに二輪咲きの蓮の花を咲かせたのだろう。

【補足】［沈(ちん)立(りゅう)知事が転任することが間近に迫っていたので、水の神が知事を引き留めるために珍しい花を咲かせたのだと、蘇軾は世辞をいってみたのだ］

　其の二

知事殿は金で飾られた詔(みことのり)を近く受け取られ、

知事殿のために宮中で音楽が演奏されることになるであろう。

そのような栄誉を受けられても、

今年この花が咲いたところを忘れないでいてほしい、

西(せい)湖(こ)の西の畔、北の山の前でである。

■【04-1-040】与范子豊

【解題】范(はん)百(ひゃく)嘉(か)［字(あざな)は子(し)豊(ほう)］に宛てた手紙。范百嘉は范(はん)鎮(ちん)の三男である。范鎮は蜀(しょく)出身の大先輩である［→作品番号03-3-023の補足など］

【訳文】

南方の夏は熱く、都のあたりの夏とはまるで違います。秋に入ってやや涼しさが得られるようになりました。しかし、夏の田は日照りのために七、八割方損なわれてしまっています。塩(えん)法(ほう)が変更されたこともあって、税収が不足したならば、閑な部署であっても累(るい)が及ぶことは免れられないでしょう。その他のことはいつも通りです。范(はん)百(ひゃく)揆(き)君や范(はん)百(ひゃく)歳(さい)君はこのごろはどうされていますか。もう官職に就かれたのでしょうか。いつまたお目にかかれますやら、北の方を望んで、情(こころ)が馳せ行くのを抑えることができかねます。

【補足】［（1）名が挙がっている范(はん)百(ひゃく)揆(き)［字(あざな)は子(し)中(ちゅう)］、范(はん)百(ひゃく)歳(さい)［字は子(し)老(ろう)］は范(はん)百(ひゃく)嘉(か)の兄と弟である。（2）「秋に入って」と書いてあるので、手紙は7月に書かれたのだろう。この年は閏(うるう)7月があり、その23日に欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)が亡くなった。66歳だった。兄弟揃って欧陽脩に会ったのはちょうど1年前であった。蘇軾が訃報に接したのはしばらく後のことである］

■【04-1-041】監試呈諸試官

【解題】8月に科挙の一次試験が実施され、蘇軾は杭(こう)州で行われた地方試験の試験監督［試(し)官(かん)］の一員として役所［試(し)院(いん)］にしばらく缶詰めになった。これは試院にいたときに同輩に向けて詠んだ詩。王(おう)安(あん)石(せき)が大規模な改革が進めるなかで、科挙も変わりつつあった。蘇軾は都にいたときに科挙制度の変革に強く反対していたが［→作品番号03-2-006、03-3-007］、信念を曲げることなく、この詩でも科挙に対する自身の考えを率直に、そして欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)への深い敬愛の念を篭め、かつユーモラスに詠んでいる。このときはまだ欧陽脩が亡くなったことを知らずにいた。

【訳文】

私は山のなかで育った人間であったから、

受験のための勉強には苦労した。

練習を重ね重ねて、ようやく少しばかりの文章が作れるようになっても、

右から左にすぐに抜けてしまうのだった。

その上、ここ十年はもうすっかり勉強を怠けていたから、

もしもいまさら受験生の仲間入りでもしようものなら、

大昔に落第者にはそんな罰があったように、

きっと墨汁を飲まなければならないだろう。

こんな私に試験監督の仕事がまわってきたらどうしたらよかろうかと、

ずっとひやひやしていた。

ここは我が田舎とは打って代わって繁華な都会で、

才能のある人であふれかえっている。

なにしろ、そこらに生えている雑草でさえよい香りがし、

貧しいといわれる家でも真珠くらいはざらにあるといった、

まばゆいばかりの土地柄だ。

まばゆいといえば、文章もかつては目もくらむばかりであった。

黄金を細かく砕いて散りばめてみたり、

鮮やかな錦をやたらとくっつけてみたり、

見た目の奇抜さを求めて調和なんぞはどこへやら、

気取り過ぎてまともに歩けないようなありさまだった。

わいわいキャーキャー群がる雑魚どもが、

本物の竜が現れ出て初めてびっくりするように、

このときまで格好だけを気にしていたシティーボーイどもは、

欧(おう)陽(よう)公(こう)［欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)］の出現にびっくり仰天した。

正しい音を耳にしなければ調子っぱずれのまま歌い、

正しい味を口にしなければゲテモノでも食べていられるように、

欧陽公がいなかったならば、

いまも平気で装飾過多の意味不明の文章を書いていたことだろう。

欧陽公のお蔭で正しい文章が千年にわたって伝えられると思ったのも束の間、

誰かさんが変革とやらを言い出して、

人を評価する秤に目盛りはいらない、

本当の味を知るのに肉は煮なくてよい、

ちまちましたルールで文字を並べる詩など作らなくてよいと、

高邁すぎる御説を開陳し、

孔(こう)子(し)先生が講義をする教室でも、

昼寝をしていたって構わないというようなことになった。

そうした新潮流のもとでの試験である。

私のような鈍い愚か者は、

新しい芸当はいまさらとても身に付けることができない。

皆さまは才能ある傑人であるから、

不細工である私がこのようにぼやくのをどうかお許しいただきたい。

時に秋の心地よい午後であるから、

私も昼寝をするとしよう。

■【04-1-042】望海楼晩景五絶

【解題】これも試験期間中の詩。杭(こう)州の州庁は西(せい)湖(こ)の南側に連なる山々の東斜面にあって、それらの建物はもともとは呉(ご)越(えつ)国(こく)の王宮群であった。蘇軾はその一角にある中(ちゅう)和(わ)堂(どう)で缶詰になっていたようで、中和堂の北隣には高さ十八丈の望(ぼう)海(かい)楼(ろう)があって、そこからはその名の通り海を望むことができた。山の南側には銭(せん)塘(とう)江(こう)が流れ、その河口付近は潮位の差が極めて大きく、大潮のときには潮が激しく川を遡る「海(かい)嘯(しょう)」が見られた。その大潮まで10日のときに、監督官が連れ立って望海楼に登り、蘇軾は五首の絶句を詠んだ。

【訳文】

　其の一

海の上に波頭(なみがしら)が一本の直線となって現われ出ると、

すぐに望(ぼう)海(かい)楼(ろう)の下へと、

雪を堆(うずたか)く積んだような潮が迫ってくる。

潮が上りくる時には必ずこの楼に登るようにしたいものだ。

銀色の山のような潮を、二十回を数えるまで見てやるのだ。

【補足】［大潮の当日ほどではなくても潮の遡るありさまが望(ぼう)海(かい)楼(ろう)から見られたのだろう。終わりの句は、潮の満ち引きは1日2回あるから、いまから大潮の日まで通い続ければ10日間で20回になるという計算である］

　其の二

横風に吹かれて雨が楼の中へと斜めに入ってくる――

雨と潮が織りなすこの壮観を好い句に詠んで誇るべきであろう。

雨が通り過ぎ、潮が平らになって、川と海が青さを取り戻したとき、

電光が走って、紫(し)金(きん)の蛇が天空に貼り付けとなった。

　其の三

青い山々が連なる縁(へり)に、望(ぼう)海(かい)楼(ろう)とともに幾つもの塔が建ち、

岸を隔てた向かいの人家は呼べば応えてくれそうである。

川の上の秋風は夕方に向かって強くなり、

山の寺の鐘の音を遠く南の町へと伝えて行くであろう。

　其の四

楼へと香りが昇りくるのは、

どこかの家で夜の香(こう)を焚いているのだろうか。

わずかな涼しさのなかで、

笙(ふえ)の音が哀しくもまた怨むかのように響いてくる。

見捨てられた秋の扇の悲しみを、

風に臨んで歌っているのだろうか、

月を見上げつつ虚しく夜の化粧をする女性の心を。

　其の五

向こうの沙(さ)河(が)の塘(つつみ)の燈火が山を紅く照らし出す。

歌や鼓の音が賑やかに起こり、

笑い声がその中にまじる。

遊興に身を委ねる若者に尋ねよう、

いずれ自分も老いて髪が白くなることを知っているのかと。

【補足】［沙(さ)河(が)の名は作品番号04-1-018で見ている。望(ぼう)海(かい)楼(ろう)から沙河は北の方向にある］

■【04-1-043】試院煎茶

【解題】試(し)院(いん)に仕方なく拘束されている間は、そこそこ時間の余裕があったようで、茶に詳しい同輩から細かく教わったりしたようである。この詩には茶に関する特殊な用語が幾つも用いられていて、注釈家泣かせの語彙もあるほどなので、訳者としてはいい加減な「ずっぽ訳」でお茶を濁すしかない。

【訳文】

湯の表面に立つ泡の状態が「蟹(かに)眼(め)」を過ぎて「魚(うお)眼(め)」になると、

しゅうしゅうと「松風(まつかぜ)」の音となる。

すり鉢の中で、細かい珠(たま)を連ねた「蒙(もう)茸(じ)」の様(さま)になった茶葉を取り出し、

軽やかに雪が飛ぶように甌(かめ)のまわりを巡らせる。

銀の瓶(へい)に湯を注ぐのは天下第二の法とされるやり方。

茶を煎れるのではなく水を煎れるのだと古(いにしえ)の人がいったことの意味は、

私にはまだわかっていない。

皆は知っているだろうか、

昔の李(り)先生は自分で客人に煎れるのを好み、

炭火を「活火(かっか)」に、湯を「新泉(しんせん)」の状態にするのを貴んだのを。

皆は知っているだろうか、

近時の茶の名手の潞(ろ)公は、煎茶は「西蜀(せいしょく)の法」を学び、

定(てい)州で造られた花の模様の瓷(かめ)を用い、

それに紅(こう)玉(ぎょく)を散りばめたのを。

私はいま貧(ひん)病(びょう)で長く餓えに苦しむ身であるから、

美女が捧げ持ってくれるような玉(ぎょく)碗(わん)などは無論ない。

さしずめごく一般的なやり方を学んで、

「茗飲(めいいん)」とやらを為そうと思うくらいで、

瓦や石でこしらえた粗末な道具で，

しばらくは満足しようというのである。

ある人が御大層にも、

三椀の茶を飲めば、それが腸に入った先に五千巻の書物があると、

いったらしいけれど、

私の腹には何もないので、

一杯の茶によって睡眠が十分に足りて、

昼まで寝ていられるのを願うだけだ。

■【04-1-044】孫莘老求墨妙亭詩

【解題】湖(こ)州知事の孫(そん)覚(がく)［字(あざな)は莘(しん)老(ろう)］［→作品番号04-1-030］に求められていた詩を試(し)院(いん)にいる間に作った。孫覚は書(しょ)の愛好家で、昔の人々の名筆を刻んだ石が湖州周辺に散在するのを集め、「墨(ぼく)妙(みょう)亭(てい)」と名付けた建物に収蔵する事業を進めていた。孫覚は蘇軾に、墨妙亭についての詩を詠んで、自ら筆を執って書いてくれたならば、それも墨妙亭に納めたいといってきていたのである。この詩では、蘇軾は墨妙亭に収蔵される作品に触れつつ書の歴史についての見解を披歴している。名が挙がっている王(おう)羲(ぎ)之(し)、顔(がん)真(しん)卿(けい)、徐(じょ)嶠(きょう)之(し)、李(り)斯(し)、李(り)陽(よう)冰(ひょう)はいずれも歴史に名高い名筆家である。上の詩に続いてオタク的な詩で、これまた「ずっぽ訳」である。

【訳文】

王(おう)羲(ぎ)之(し)が繭(けん)紙(し)に記した『蘭亭(らんてい)の序』の真筆は、

唐(とう)の太宗(たいそう)皇帝の墓に納められてしまったのだけれど、

世間に遺されたその模写を見るだけでも、

竜が躍り虎が伏すと評された筆の勢いを窺い知ることができる。

唐の顔(がん)真(しん)卿(けい)は王羲之の書法を変えて新意を出し、

細かい筋肉がしっかりと骨に附いた秋の鷹の趣がある。

唐の徐(じょ)嶠(きょう)之(し)とその子もまた秀絶で、

字の中に稜(かど)が内包され、外側に向かって力が溢れ出ている。

嶧山(えきざん)の碑に刻まれた唐の李斯(りし)の書は一つの典型を成したもので、

その後に千年にも残るような筆法を得たのは、

唐の李(り)陽(よう)冰(ひょう)ただ一人しかいない。

杜(と)甫(ほ)は痩せて硬いのを貴ぶと詩に詠んだけれど、

この論は公平とはいえず、私は賛同しない。

書においては、短いのも長いのも、

肥えているのも痩せているのもそれぞれによいのではないか。

これを女性に譬えれば、

グラマーな楊(よう)貴(き)妃(ひ)もスリムな趙(ちょう)飛(ひ)燕(えん)もそれぞれに美しいのである。

湖(こ)州の知事殿は真に古(いにしえ)を好み、

財産をはたいて石の断片まで買い求め、

それらを墨(ぼく)妙(みょう)亭(てい)に納めようと、

建設中の建物からは一日中コツコツと作業をする音が響いている。

このすばらしい事業によって、

呉(ご)越(えつ)の地方に伝わる諸家の書が一覧できるようになると、

友から友へと伝えられて大いに評判になっている。

知事殿自身から私のもとに手紙がきて、

このことを詩に詠み、自ら筆を執ってそれを書いてほしいとの依頼があったので、

こうして剡(えん)藤紙(とうし)を用いて記した。

百世という時代の変遷も、

眼の前を通り過ぎる早さからいったら、

風が燈火をひと揺れさせるのと変わりはしない。

ほんの一瞬でもすでに過ぎ去ってしまった後では、

古の人々と我々は一緒にはいられない。

その恨みは、墨妙亭に納められた書を見て慰めるしかない。

この詩も我々の交情を語るものとして後に伝わり、

我々が古を望み見るのと同じように、

後々の世の人が今を見るようであってほしいと切に願う。

【補足】［（1）「グラマーな楊(よう)貴(き)妃(ひ)」「スリムな趙(ちょう)飛(ひ)燕(えん)」は訳者の悪乗りであるが、二人は歴史に名高い美女で、体格は対照的であったとされる。書(しょ)と女性を対比させるのは、当時の人々にはたぶんこの訳文くらいの粗雑な印象を与えたのではないだろうか。（2）剡(えん)藤(とう)紙(し)は、剡渓(えんけい)という谷に自生する藤の繊維に楮(こうぞ)の繊維を漉き合わせて作った白くて丈夫な上質の紙。孫(そん)覚(がく)からは墨(ぼく)妙(みょう)亭(てい)で保管して長く後の人に見てもらえるようにしたいので剡藤紙を使用してほしいとの依頼だったのであろう］

■【04-1-045】李公択求黄鶴楼詩、因記旧所聞於馮当世者

【解題】これもかねてから友人に求められていた詩を缶詰中に詠んだもの。朝廷にいる間に親交のあった李(り)常(じょう)［字(あざな)は公(こう)択(たく)］［→作品番号03-3-022］から黄(こう)鶴(かく)楼(ろう)について詩に詠んでほしいと依頼されていた。黄鶴楼は長(ちょう)江(こう)中流の武(ぶ)昌(しょう)にある有名な高楼で、費(ひ)褘(い)という仙人が黄色い鶴にまたがってこの地から飛び去ったという伝説がある。李常もやはり改革に反対して都を離れ、黄鶴楼に近い鄂(がく)州知事となっていた。蘇軾は、黄鶴楼の下にある仙(せん)人(にん)洞(どう)にまつわる伝説を馮(ふう)京(けい)［字(あざな)は当(とう)世(せい)］から聞いていたので、それに基づいてこの詩を詠んだ。馮京の名は作品番号03-2-010で見ている。

【訳文】

夜の黄(こう)鶴(かく)楼(ろう)、

その前の川に月の光が満ちてきたとき、

関を守る老卒は腹が減って眠れずにいた。

三人の笑い声が聞こえ、

下駄の音が人気のない山に響きわたった。

鬼(き)［亡霊］でもなければ人でもない、

きっと仙人であろうかと、

老卒はその後ろについて行った。

三人は石の扉を叩き、

澄んだ音がやむと、

がらがらと洞穴の門が開いた。

三人はふわふわと煙のように入って行こうとした。

すでに月は落ちかかり、鶏が鳴き始めていた。

老卒は三人を拝み見て、

「お供させてください」

と、願った。

「おまえの骨は生臭い。

　一緒に連れて行ける者ではない。

　そこの石を持って去るがよい」

と、三人はいった。

石は肩に担ぐこともできないほどに重かった。

どうにかこうにか持ち帰り、

破れた筵に包んで部屋の片隅に置いた。

夜になると、

その小屋から天を射るばかりの光が漏れ出た。

何であろうかと村人たちが見に来た。

石はすでに変化しつつあって、

石に似て石ではなく、

鉛に似て鉛ではなく、

ついには黄金になったのだ。

人々は騒ぎ立て、

羨んだ者がお上に訴え出た。

何の功もなくにわかに黄金を得て喜んだのもつかの間、

老卒の運命はたちまち暗転してしまったのだ。

仙人たちの戯れとしてはひどすぎるのではなかろうか。

それから今に至るまでに何年になるのか。

これは信じるべきこととして馮(ふう)公(こう)から聞いたのだが、

確かなことなのか、そうではないのか、

貴君によくよく吟味していただきたい。

■【04-1-046】与范夢得

【解題】試験中は拘束の身ではあっても閑な時間が多くあったことはこの手紙からも知ることができる。これは范(はん)祖(そ)禹(う)［字(あざな)は淳(じゅん)甫(ほ)ないし夢(む)得(とく)］に宛てた手紙。范祖禹は范(はん)鎮(ちん)［→作品番号04-1-040］の甥で、『資(し)治(じ)通(つ)鑑(がん)』の編集に携わった歴史家である。

【訳文】

久しく事に牽かれてお手紙を差し上げる暇もなく、深く恥じ入るばかりです。これまでの間に頂戴したお手紙は無事届き、起居の佳勝を詳らかにいたしております。

私は地方に出まして、春から夏は特に事も少なかったのですが、ここのところ煩わしさを覚えますのは、盗賊が多く、訴訟沙汰が常に溢れるようなってきていることです。これはきっと新法が行われているからなのでしょうか。……私はここ十日余り杭(こう)州の試験監督の任にありまして、二十日余りの閑を得ました。中(ちゅう)和(わ)堂(どう)に滞在し、望(ぼう)海(かい)楼(ろう)に坐し、時に快さを覚えております。詩を数首寄せてくださいましたのは、楽しく拝見しております。

■【04-1-047】八月十日夜看月有懐子由並崔度賢良

【解題】8月10日はなお試(し)院(いん)に閉じ込められたままで、ちょうど1年前の同じ日に陳(ちん)州で弟とその同僚の崔(さい)度(ど)と月光のもとで語り明かしたのを思い出してこの詩を詠んだ。陳州にある丘の名にちなんでここでも弟のことを宛(えん)丘(きゅう)先生と呼んでいる［→作品番号04-1-007］。

【訳文】

笑ってしまうのは、

宛(えん)丘(きゅう)先生は凝り性で、いくら深く学んでも決して満足しないこと。

さらに笑ってしまうのは、

崔(さい)先生が貪欲過ぎて、百の学問の全てを究めようとしていること。

去年の今日は、

夕方にふらりと立ち寄ってから、

柏(はく)の木の彼方に冬の星座が昇りくるまで、

三人で過ごしたのだった。

宛丘先生は山盛りにした豌豆(えんどう)をぽりぽり食べ続け、

崔先生は恐ろしく赤い色の酒をぐびぐび傾け続けた。

今年もまた去年と同じ月を見て、

二人の先生は露の冷ややかさに感じ入っていようかと、

遥かに思いを寄せる。

笑ってしまうのは、

この春、崔先生は着物を質に入れて、

豆を植えてみたものの、

長雨のためにごっそり蛙が出てきただけだったということ。

さらに笑ってしまうのは、

宛丘先生の家は壁があるだけの虫けら小屋同然のものなので、

とうとう身体を悪くしてしまい、

王江(おうこう)先生とかいう道(どう)人(じん)に呼吸法を教わって治したということ。

王江先生といえば陳(ちん)州で知らぬ者のない大酒飲みであるのだから、

どうせなら終日酔っ払っている法を深く学んだ方がよいだろうに。

【補足】［弟はこのころ胸を患い、道(どう)士(し)の王(おう)江(こう)から呼吸法を学んで、症状を大きく改善することができた。後に、蘇軾はそれを弟に教わり、独自の工夫を加えて自身の健康法の一つとするようになる］

■【04-1-048】和沈立之留別二首

【解題】蘇軾が試(し)院(いん)にいる間に知事の沈(ちん)立(りゅう)は杭(こう)州を発って新たな任地へと向かった。これは送別の宴で知事が詠んだ留別の詩に後から和したもの。

　其の一

いま杭(こう)州の民衆が千粒の涙をこぼす光景は、

公(こう)が杭州に来られたときに、

公の前任地で見られた光景の再現に他ならない。

とはいえ、公がここに遺した愛の形を、

碑文に刻むようなことまではしないのがよいだろう。

古(いにしえ)の真に徳のある人は、

自分の行為が世間に知られるのを畏れたのだから。

　其の二

役所に居続けの私は、

遠くで鳴り響く銅鑼や太鼓の音を、

公の船が発つのを見送っているのではなかろうかと、

寝床の内で聞き、

夢の中で公と別れの觴を交わした。

別れの愁いがどれほどのものであったかと尋ねられたら、

川の水を何万杯汲んだところで私の涙には足らないと答えたい。

■【04-1-049】催試官考戯作

【解題】銭塘(せんとう)江(こう)を激しく遡る潮、すなわち海(かい)嘯(しょう)がピークとなるのは8月18日であるとされていた。その日までに試院から必ず解放されるよう仕事を早く終えようではないかと、同輩に向かって戯れの詩を詠んだ。

【訳文】

八月の十五夜は、

どこでも月の色のよさは変わらない。

田舎の茅の軒端であろうとも、

都会の楼閣であろうとも、

蓬(ほう)莱(らい)島(とう)の仙宮にも譬えられる立派なここの官舎であろうとも。

構内の鳳咮堂(ほうしゅどう)の前では橘の実が香り、

剣潭(けんたん)橋(きょう)のほとりでは蓮の花が枯れかかり、

ことに味わい深く月を見ることができるであろう。

八月十八日は大潮、

海(かい)嘯(しょう)の壮観は天下無比で、

かの大魚が鵬(おおとり)に化し、翼を撃って飛び上がるときの三千里の水しぶきか、

はたまた、かの楚(そ)の大王が呉(ご)に攻め込んだときの十万の軍勢が長く連ねた白い布か。

見物客が、赤い旗やら青い蓋(かさ)やらをぎっしり並べて待ち構えるところに、

それらを呑み込んでしまおうと、

白い浪が黒い砂を巻き上げて押し寄せるのだ。

人生においては一つのチャンスをものにするのも難しい。

十五夜と海嘯の二つとも心ゆくまで見たいものだ。

さあさあ、諸君らは蝋燭(ろうそく)を二重にも三重にも接(つ)いで、

せっせと採点の仕事に励んでくれたまえ。

門の外には合格発表を待ちわびる受験生が、

鶴のように首を長く伸ばして待っていることでもあるし。

【補足】［鳳(ほう)咮(しゅ)堂(どう)の名は作品番号04-1-011で見ている］

■【04-1-050】八月十七日、復登望海楼、自和前篇、是日榜出、余与試官両人復留五首

【解題】8月17日に試験の合格発表が終わり、仕事は一段落したのだが、蘇軾は2人の同僚とともに役所に留まって望(ぼう)海(かい)楼(ろう)にまた登ってこの詩を詠んだ。これは先の五絶句に和したものである。この一連の詩は何かしら寓意を籠めて、科挙の現状を批判するものであるらしいのだが、訳者には何のことかわからないので、其の一と其の二は意味不明のままに日本語に置き換え、寓意とは関係しないと思える其の三を訳し、其の四と其の五は割愛する。

【訳文】

　其の一

おかしなことに、

楼閣の上に雲が上がってこない。

楼閣の前に堆く積まれた紙が邪魔しているからなのか。

昔、唐(とう)の皇帝が群臣に詩を作らせたときに、

たちまち風が起こって、

凡作は吹き飛ばされてしまった。

文字を無理に繋ぎ止めておくことはできないので、

自然から見放されないことが大切なのだろう。

　其の二

燈火が暗くなり、眼が疲れ切っても、

細かい文字を見続けて、

精緻に答案を検討したと誇ったところで、

明日の杯は得られはしないのだ。

結局は、蛇に足を描き加えるような仕事であったのだから。

　其の三

千層に重なる山々が暁の訪れを遮るかのように並ぶ。

秋の涼しさに睡(ねむ)りはうまく、揺すっても貴君は起きない。

昨夜の酒が巡る旅では、貴君は嘆いていたけれど、

いまはきっと夢で呉(ご)興(こう)に帰っているのだろう。

【補足】［同僚の中に呉(ご)興(こう)［湖(こ)州］からきた劉(りゅう)�ﾋ(き)がいた。その人に贈った戯れの詩なのだろう］

■【04-1-051】与郭功父

【解題】郭(かく)祥(しょう)正(せい)［字(あざな)は功(こう)父(ふ)］に与えた短い手紙。郭祥正は何らかの公(おおやけ)の用事で旅する間に杭(こう)州に立ち寄ったようである。ここまでの一連の詩で、試験中は意外と閑であったようだが、それでも缶詰生活はかなりのストレスだったのだろう、その後体調を崩してしまったことがこの手紙から知ることができる。

【訳文】

昨日はお訪ねくださり、ことのほか心が慰められました。今日の御気分はいかがでしょうか。

私は試(し)院(いん)を出たならお目にかかりに伺おうと思っていたのですが、腹を下して力が乏しくて果たすことができません。それもさほど御心配には及びません。

短い書面でまことに失礼いたします。

■【04-1-052】和陳述古拒霜花

【解題】秋の終わりに新しい杭(こう)州知事として陳(ちん)襄(じょう)［字(あざな)は述(じゅつ)古(こ)］が着任した。かつて宰相を務めた陳(ちん)堯(ぎょう)佐(さ)の長男で、蘇軾よりも15年早くに科挙に及第し、中央で活躍していたが、改革を巡って王(おう)安(あん)石(せき)と鋭く対立したために地方に出された。なおかつ蜀(しょく)の人であったから、蘇軾と新知事とはすこぶる良好な関係を築くことができた。陳襄が中(ちゅう)和(わ)堂(どう)の芙(ふ)蓉(よう)が盛んに花を咲かせるのを見て詩を詠んで蘇軾に示したので、それに和した。詩の題にある「拒(きょ)霜(そう)花(か)」は芙蓉の別称である。

【訳文】

千の林が秋の風に掃われて、

どこも一つの黄色になったときに、

芙(ふ)蓉(よう)だけが独り芳しい花を開く。

「拒(きょ)霜(そう)」［霜を拒む］と呼ばれてはいるのはどうもぴったりしない、

子細に考えてみると、

「宜(ぎ)霜(そう)」［霜に宜(よろ)しい］とするのが最もふさわしいのではなかろうか。

【補足】［先の知事の沈(ちん)立(りゅう)が去って陳(ちん)襄(じょう)が着任するまでの間、副知事の蘇軾が知事の業務を代行していたのだが、そのときにあったとされる一つのエピソードを王(おう)霹(へき)之(し)の随筆『澠(めん)水(すい)燕(えん)談(だん)録(ろく)』などが伝えている。王霹之は蘇軾よりも10年ほど遅れて科挙に合格した人で、蘇軾と直接的な交流はなかったようだ。訳者の力不足で訳せないところがあり、一部を原文のまま掲げる］

【訳文】

王(おう)霹(へき)之(し)：『澠(めん)水(すい)燕(えん)談(だん)録(ろく)』

蘇(そ)公(こう)［蘇軾］が杭(こう)州副知事であったときに、州知事の仕事を代行した時期があり、新知事が到着する前に、ある営(えい)妓(ぎ)が、年を取ったので妓女の籍から抜け出て良(りょう)民(みん)になりたいと申し出た。

公は次のような判決文を下した。

「五日京兆、判状不難、九尾野狐、従良任便」［妓女の願いを許すとの意味］

周(しゅう)生(せい)という営妓がいて、美しさも芸も杭州で最も優れていた。周生は蘇公が一人の営妓を解放したと聞いて、良民のもとに嫁したいと願い出た。

人々は周生が去るのを惜しんだので、公は次のような判決文を下した。

「慕周南之化、此意雖可嘉、空冀北之群、所請宜不允」［妓女の願いは却下するとの意味］

公がすばやく諧(かい)謔(ぎゃく)をなすのはいつもこのようであった。

【補足】［（1）「営(えい)妓(ぎ)」とは、官が管理する妓女で、「官(かん)妓(ぎ)」ともいい、官員の宴席などに呼ばれて接客をする女性で、民間の「私(し)妓(ぎ)」と比べると、芸も優れ、教養もあった。「営妓」も「私妓」も完全に拘束された身で、「営妓」は知事の許可を得て籍からその名を抜かれると、自由な「良(りょう)民(みん)」になれた。（2）原文のまま掲げた最初の判決文は、「九(きゅう)尾(び)野(や)狐(こ)」と呼ばれていた妓女を望み通り解放したものである。何か掛け詞のようになっているのだろうが、訳者にはわからない。他の文献によると、九尾野狐は性格がよく、魅力的で、人から好かれる女性だったという。（3）周(しゅう)生(せい)に対する判決文は、籍から名を抜くことを許さないという、女性からすると非情なものであった。こちらも何らかの掛け詞になっているのだろう。この場合は男性官員の要望をいれて周生を泣かせてしまったのだが、蘇軾が営妓を解放したエピソードは他に幾つも伝わるので、基本的には女性に対して優しい知事であったといってよいようである。ただ、女性の運命を決める重大な判決が諧(かい)謔(ぎゃく)の文であったというのは、この随筆の著者のように感心できるものではない］

■【04-1-053】次韻答開祖

【解題】銭(せん)塘(とう)県知事の周(しゅう)邠(ひん)［字(あざな)は開(かい)祖(そ)］は母が亡くなり、しばらく喪に服すことになった。そのことを周邠が詩で報せてきたので、それに次韻して答えた。

【訳文】

秋の風に涙を滴(したた)らせるのは、

孔(こう)子(し)のように世の衰亡を嘆くからではない。

俗世においていくら名を挙げたところで、

本当に実(じつ)のあることではない。

昔、阮(げん)籍(せき)は母を葬る前に、

蒸した豚を食らい、二斗の酒を飲んだのだが、

母を悼む心は誰も及ぶ者はなく、

その純孝はいまも讃えられている。

ならば、貴君の家の近くを通った折には、

西(せい)湖(こ)に誘い出して遊んだってよいのであろうが、

貴君はあまりにすばやく詩を作るので、

仲間に呼び入れるのをいささか躊躇もする。

ともあれ、貴君は自然をすこぶる好むのであるから、

岩の前に坐して春の巡りくるのを一人見て楽しむこともできるであろう。

■【04-1-054】周夫人挽詩

【解題】周(しゅう)邠(ひん)のために母の挽歌を作った。

【訳文】

子に教えて経典を理解させるのは、

古(いにしえ)から賢母の為すことであるとされている。

貧乏であっても心を安らかに保って道義を守り続けられるのは、

最も節操の堅い人の為せることであるとされている。

貴君の母はそればかりではなく、

熊が檻から飛び出て皇帝を襲いそうになったときに、

その前に立ちはだかった女官のような勇気を持ち合わせ、

燭を掲げて、弟たちが勉強に励むありさまを見るのを、

何よりも楽しみとした姉のような愛情の深さも持ち合わせていた。

その優れた行いがお上から顕彰されるのを待たずに、

新たな墓を土で覆うことになってしまった。

そよ風さえも心を刺す棘のように感じるという古(いにしえ)い歌を唱えないでくれたまえ、

私もまた母を喪った身、

涙を流さずにはいられなくなってしまうのだから。

■【04-1-055】梵天寺見僧守詮小詩清婉可愛、次韻

【解題】詩の題は、「梵(ぼん)天(てん)寺(じ)で、僧の守(しゅ)詮(せん)の小さな詩を見たところ、清(せい)婉(えん)で愛すべきものであったので、それに次韻した」。守詮は垢まみれの僧衣をまとった僧で、詩を得意とした。鳳(ほう)凰(おう)山(ざん)にある梵天寺の壁に記されていたその人の詩が蘇軾の目にとまったのである。

【訳文】

霧の外には鐘の音だけが聞こえ、

霧の中の寺を見ることはできない。

まだ歩いてわずかばかりのうちに、

草履は草の露でぐっしょりと湿ってしまう。

山から昇った月だけが、

夜ごとにあたりを照らすのである。

【補足】［三句目にある「歩く」の主体が原詩では「幽(ゆう)人(じん)」となっているが、訳詩では敢えて主語を省いた。「幽人」の語を訳すのは容易ではない。「隠れ人」、ないしは「隠れ人でありたいと思っている人」、ないしは「奥深い何かを理解する人」、ないしは「幽玄に遊ぶ人」、ないしは「幽玄に遊ぶ人を理解する人」といったところであろうか。ここでは、「幽人」は守(しゅ)詮(せん)その人を指すと見てもよいのかもしれない］

■【04-1-056】聴賢師琴

【解題】定(じょう)慧(え)院(いん)の僧の惟(い)賢(けん)が演奏する琴を聴いてこの詩を詠んだ。

【訳文】

長い弦の音は、春の温もりのように和(やわ)らかくして平らかである。

短い弦の音は、高く折れるかのようで亮(あきら)かにして清らかである。

私はもとより音階がよくわからないので、

宮(きゅう)の音は、牛が穴ぐらで鳴く声かと思ってみたり、

角(かく)の音は、雉が木の上で鳴く声かと思ったりする。

惟(い)賢(けん)師(し)が琴を弾いていると、

門をほとほとと叩く者がいた。

師は山にあっても閑がないようで、

琴はそのまま中断されてしまった。

それを残念に思う前に、

私はまずは家に帰って千斛(こく)の水を求め、

箏(そう)や笛の音に慣れてしまった耳を洗って出直さないとならないだろう。

【補足】［宮(きゅう)や角(かく)はドレミのような音階である］

■【04-1-057】雑書琴事十首

【解題】9年後の元(げん)豊(ぽう)4年に上の詩について記した短文があるので、ここで読んでおこう。

【訳文】

『雑(ざっ)書(しょ)琴(きん)事(じ)』　其の二「欧(おう)陽(よう)公(こう)論(ろん)琴(きん)詩(し)」

唐(とう)の韓(かん)愈(ゆ)の詩に『穎(えい)師(し)の琴を聴く』があり、

　昵昵児女語、［ぺちゃぺちゃとお嬢さん方がしゃべるかのようでもあり］

　恩怨相爾汝。［愛と怨みがこもごもであるかのようでもある］

　画然変軒昂、［にわかに高くなったり、勢いづいたり］

　勇士赴敵場。［勇士が戦いの場に赴くかのようでもある］

と、ある。

かつて私は欧(おう)陽(よう)公(こう)［欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)］から、

「琴を詠んだ詩で最も佳(よ)いのはどれだろうか」

と尋ねられ、この韓愈の詩を挙げた。

欧陽公はこのようにいわれた。

「この詩は確かに巧みである。しかし、これは琵琶を聴いての詩であって琴の詩ではない」

後に私は『杭(こう)州の僧の惟(い)賢(けん)の琴を聴く』という詩を作った。

　大弦春温和且平、

　小弦廉折亮以清。

　平生未識宮与角、

　但聞牛鳴盎中雉登木。

　門前剥啄誰扣門、

　山僧未閑君勿嗔。

　帰家且覓千斛水、

　浄洗從前箏笛耳。

詩ができて欧陽公に寄せようと思ったのだが、公はすでに亡くなっていた。いまに至っても残念でならない。

【補足】［この短文によると、惟(い)賢(けん)の琴を聴いたのは、欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)の訃報が届く前だったようである。だとすると、蘇軾は試(し)院(いん)から解放されてしばらく経った頃に欧陽脩の死を知ったことになる］

■【04-1-058】祭欧陽文忠公文

【解題】蘇軾は欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)の訃報を聞くと、欧陽脩を祭る文を書き、恵(え)勤(ごん)、恵(え)思(し)のいる孤(こ)山(ざん)の寺［→作品番号04-1-001］に納めた。

【訳文】

嗚呼(ああ)、哀しいかな。

公(こう)がこの世に生きておられた六十六年の間、民にはいうなれば父母があり、国には命運の傾き度合いを測定する天秤があり、道義には正しい指針があり、学ぶ者には師匠があった。君子には拠り所があって恐れを抱くことなく行動でき、小(しょう)人(じん)には畏れる所があって何かをしでかすことができなかった。一つの譬えをいうと、大河や高峰は何かの動きをしているようには見えなくても、その影響は万物に及び、それがもたらしている効能の全てはとても数え尽くすことができないのである。

今や公が亡くなられてしまい、天下の赤(せき)子(し)にはいうなれば仰ぎ見て庇ってくれるものがなく、朝廷には迷いから抜け出る羅針盤がなく、道義は数々の異端だらけとなり、学ぶ者は異界に師を求め、君子は善を為そうと努めなくてもよかろうと思うようになり、小人はついに我等の時がきたと勇み立つようになったのである。一つの譬えをいうと、深い淵や広い原から竜が消え虎が去ってしまうと、様々な変(へん)化(げ)や妖怪どもが雑然と出てきて、泥鰌やら海蛇やらが歓び舞い、狐やら狸やらが歓び叫ぶのである。

昔、公がまだ朝廷に用いられずにいた頃は天下は病み、公が用いられるとそれが遅すぎたのを残念がり、公が朝廷から去ると再び用いられるのを願わない者はなく、公が老齢をもって隠退すると人々は望みを失ってがっかりしたのだった。それでも万に一つ、また用いられることがあるのではないかとの望みを繋いだのは、幸いにも公がまだまだ衰えずにいたからである。誰もが、公がもはやこの世に思いを致すことがなく、たちまち去ってしまって、その後を誰も追ってこさせないようにするとは、思いもしなかったのである。あるいは、世の混濁を嫌って、身を潔くして行ってしまったのだろうか。はたまた、もはや民には福がなく、民には何も遺さなくてもよいと天が定めたのだろうか。

昔、我が父が大切な物を内に秘めたままこの世を去ってしまってからは、公がいなければ私をよく教え導いてくださる人はいなかった。この不肖者、このふつつか者は、縁があって公とお近づきになれ、その門下生として教えを受け、ここに十六年となる。公の亡くなったことを聞いて、道義としては這ってでも葬儀に参上しなければならないのに、俸給が大切と行かずにいる。何よりも道義を重んじた古(いにしえ)の人に恥ずかしく、忸怩たるものがある。

私にできるのは、この祭文に我が思いを封じ込めて千里の彼方に送ることだけである。その思いのつまるところは、大きくいえば天下のために慟哭し、小さくいえば私一人のために泣くのである。

嗚呼、哀しいかな。

■【04-1-059】哭欧陽公、孤山僧恵思示小詩、次韻

【解題】孤(こ)山(ざん)の恵(え)勤(ごん)が欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)と旧くからの知己であったことは作品番号03-4-026で見ているが、恵(え)思(し)もまた欧陽脩とかつて交流があった。そのことを恵思が詩に詠んだので、それに和したのがこの詩。

【訳文】

親しくさせていただいたかの人は土となり、

我が髪は秋に驚いてさらに衰えようとしている。

それでも孤(こ)山(ざん)のもとで、

かつての交流を語り合えるのは嬉しいことだ。

■【04-1-060】秋懐

【解題】秋の懐(おも)いを詠んだ詩。蘇軾は精神的に調子を落としていたようである。

　其の一

ひどい暑さの頃は、

秋の風が立ってくれるのを念じつつ、

ひょっとしたらもう吹かないのではないかと恐れさえした。

今ここに凛(りん)とした清涼な風が吹いてくると、

また一年が過ぎ行くのかとの悲しみが湧き上がる。

夜になり、寝床で蟋蟀(こおろぎ)が鳴き出したので、

起き上がって窓辺に寄ると、

黄色く染まった葉が飛んでくる。

それは梧(あおぎり)の葉で、

冷たい露が降り下るときには、もはや枝には残っていられない。

夜空に不気味な声を立てるのは、

軒端近くに棲みついた梟(ふくろう)だ。

梧の木を好んで住まいにするという鳳凰(ほうおう)は、

梟のために安らかな眠りにつくことができないで、

独りどこかの空を飛んでいるのだろうか。

屋根のあたりを舞う蛍にも友がいて、

互いに追いつ追われつしている。

寒い霜の時期が迫ってきているから、

それができるのももういくばくもないだろう。

物の変化は留まることがない。

我が目はいよいよ冴えてきて、嘆息をする。

だからこそ昔の人は、

夜も燈火(ともしび)を掲げて、

とにかく楽しいことを急いでしなければならないと戒めたのである。

【補足】［梧(あおぎり)、梟(ふくろう)、鳳(ほう)凰(おう)、蛍(ほたる)などは、蘇軾を取り巻く状況を暗示すものであるようだ。蘇軾は季節的に秋から冬のころがあまり得意ではないようで、欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)が亡くなったことや、政治情勢が厳しいことなども影響して、このようなやや悲観的な詩を詠んだのだろうか］

　其の二

海からの風がきて、

三日続いた雨をすっかり吹き払ってくれた。

外に出る階段に滴(しずく)が少し残り、

それがそっと話しかけてきた。

「あの頃、君はあの部屋で、

　静かに過ごすのを、何よりの歓びとしていたよね」

「ああ、そうか、君は、

　故郷の僕の部屋の前の階段にあったあの滴なのだね」

「あの頃、君は、田畑で働いた後には、

　壺に入れた酒を持ち寄って、

　村人と一緒に互いの疲れを癒し合ったり、

　寒さと飢えの折には、

　葉に包んだわずかな飯を持ち寄って、

　村人と一緒に慰め合ったりしていたよね」

「今年は、すでに秋の稔りの時を迎えて、

　故郷では、食べ飽きるほどの御馳走を並べていたりしているのだろうか。

　ああ、僕は一体何を求めて、

　万里の川を流れ下って、

　この海辺にまできてしまったのだろうか。

　故郷にいれば貧しくても食うには困らないのに、

　なぜか田園に暮らすのでは満足できないと思ってしまったのだ」

露と語り始めたのは雨上がりの午後、

夜の窓辺に梟の声を聞きつつ、

語り続けて朝に及ぼうとしている。

蝋燭(ろうそく)は暗く消えかけて、

今また不意に明るい光を発しようとしている。

【補足】［（1）原詩の第四句で、滴りの音を「幽(ゆう)人(じん)と語るに似たり」と詠んでいることから、この詩の後半は、滴りと会話したものとして訳してみた。ここでの「幽人」は、世の真実をよく知り、蘇軾のことを深く理解してくれる人なのであろう。（2）この詩では、故郷の農村生活をやや理想化して詠んでいるが、より詳しい叙述を作品番号01-2-001で見ている］

■【04-1-061】次韻孔文仲推官見贈

【解題】孔(こう)文(ぶん)仲(ちゅう)［字(あざな)は経(けい)父(ふ)］の詩に和した詩。孔文仲は熙(き)寧(ねい)3年［1070年］に范(はん)鎮(ちん)の推薦を得て特別試験の制(せい)科(か)を受けるために上京した。ところが、試験の答案として提出した論文の中で王(おう)安(あん)石(せき)の改革を強く批判したために孔文仲は不合格となり、元の任地に帰された。そうしたことを踏まえてこの詩は詠まれている。

【解題】

私はもとより鹿の本性を有する者であるから、

国家という車の轅(ながえ)を曳く堂々とした馬の姿には合致すべくもない。

貴君はペルシャの駿馬の「汗(かん)血(けつ)馬(ば)」のようで、

そのたたずまいからして世に類(たぐい)がない。

私は天子から賜った鈴を身に付けて、

貴君と一緒に大道を走ってみた。

驚いたことに、

疾走しつつ己の発するこの声を聞いた。

「もう繋がれるのは御免だ！」

貴君は朝に北の草原を出発して、

まだ日が傾かないうちに、

もう長江(ちょうこう)の水を飲んでいて、

こういうのだ、

「中途で止まってなどいられない！」

世の駄馬、驢馬どもは貴君には付いて行けない。

金と錦と玉(ぎょく)を纏った貴君の姿は、

傍(はた)目(め)には実に美しいけれど、

貴君自身はこれらの飾りを嫌っている。

塩を運ぶ苦役の方が卑しいとする理由はなく、

どちらも人に使役されているのだ。

見るがよい、

天子を護衛する馬どもを。

自由に嘶くことも、あたりを見回すことも許されず、

鞭で叩かれて徹底的に仕込まれ、

己のものといったら骨と皮があるだけではないか。

人生にはそれぞれに志があるはずだ。

このようなことを私はいつも考えているのだけれど、

他人が聞いたら笑うだけなのだろう。

貴君だけは理解してくれるところがある……。

ここのところの秋の長雨のせいで私は病み、

我が身を支えるのも厭わしく、

がらんとした部屋で伏せていた。

その間に、蔓草が垣根の上に這いのぼり、

落ち葉が階段でからからと鳴った。

門前には訪れようとする客人はなく、

だからといって、誰かを呼ぼうとするでもなく過ごしていた。

貴君がやってこられたとの報せに起き上がると、

貴君は結局のところ田舎の職務に留まるという。

高潔な貴君と向き合って語ったことで、

俗吏の卑しい身にあることをしばし忘れることができた。

今朝はまた詩を寄せてくださったので、

鳳(おおとり)がきらきらと翼を輝かせて挨拶にきてくれたような気がした。

私は哀れにも、

山に登ってみたら梯子がなく、

海に落ちて深淵に迷い、

枯れた枝のような心地でいる。

貴君の言葉に潤いを得て、

心の内に華が開くような思いがしている。

世俗の人々は、

掻き毟(むし)る心地よさを得るために、

むしろ腫れ物が出来るのを求めるという。

賢明なお歴々は日に日に登用されて、

美しい御殿で世を賛美する曲を歌っている。

ならばいっそのこと、

天下の最盛期を祝う一大式典のための頌(しょう)歌(か)を、

あらかじめ作っておくことをお勧めしたいものだ。

【補足】［（1）自分の本性は鹿であると、蘇軾はしばしば詩に歌うが、この詩の第一句、「我本麋鹿性」［我(われ)は本(もと)もと麋(び)鹿(ろく)の性(せい)］はその最初のものといってよいのかもしれない。「麋(び)」とは大鹿で、「麋(び)鹿(ろく)」で鹿全般を指す。蘇軾は元来山にいるべき鹿でありながら、孔(こう)子(し)の教えに従って天下をよくしようと官の仕事に就いたために、様々な矛盾に苦しまなければならないのである。（2）詩の最後にある「天下の最盛期を祝う一大式典」とは「封(ほう)禅(ぜん)の儀式」のことであろう。それは王朝の極盛期に皇帝が泰(たい)山(ざん)に登って天の神と地の神を祭る儀式で、宋(そう)の時代には三代皇帝［真(しん)宗(そう)］のもとで大々的に行われていた。そのときは王(おう)欽(きん)若(じゃく)という稀代の「才人」が皇帝の心を忖度して、天からの手紙［天(てん)書(しょ)］があちこちに降るという摩訶不思議な演出をして、国の総力を挙げてその儀式を行った。王欽若はもののみごとに封禅大フィーバーを現出させたのだが、熱から冷めてみるとあまりにも馬鹿馬鹿しいものであったために、封禅の儀の価値は大暴落し、その後の王朝はほとんど行わなくなった。真宗時代の異常な熱狂ぶりになぞらえて、現在進行中の改革を皮肉ったのだろう］

■【04-1-062】湯村開運塩河雨中督役

【解題】改革の一環として、国の生産力を高めるために全国各地で様々なインフラ整備が計画され実施されていた。成果を急ぐあまり、どれだけ意味があるのかわからないような事業が無理やり実施されるということもあったようだ。11月、蘇軾は、杭(こう)州の町の北の仁(じん)和(わ)県の湯村(とうそん)で進行中であった運河の掘削工事の督促に赴いた。運河は塩の生産地である塩(えん)官(かん)県一帯と杭州を繋ごうとするものであった。

【訳文】

昔ある人は、

官職に就いてはいても仕事がちっとも与えらないので、

気持ちが晴れ晴れとして実に結構と、

反語的につぶやいたのだけれど、

私はそれを羨まずにはいられない。

昔ある人は、

職を辞して、いまこそ故郷に帰るべきだと決然と歌ったのだけれど、

私はその人に対して恥じずにはいられない。

運河の工事の期限は厳守、

督促は急で、

農耕の妨げになると憐れむ者はいない。

暁にドンドンと太鼓が鳴り響くと、

民衆の一万の指が溝の上に並ぶ。

天には、お上の仕事を手助けするつもりがあるのやら、

雨がざあざあと民衆の笠や衣に降り注ぐ。

民衆は鴨やら猪(ぶた)のようになって、

泥の中でもがき合う。

私は堤の上で馬から下りる。

四方を見れば、

どこも湖のように、水の下に沈んでいる。

我が足を細い溝に入れる。

牛や羊が争うように泥と格闘する。

故郷の田園に帰るのは、

身分を落とすことになるけれど、

泥の中で労働することに変わりはない。

それでも、自分で耕して得た物を皆で食べることができる。

だから、故郷の友よ、

私が間もなく行くのを待っていてほしい。

【補足】［（1）蘇軾は自ら率先して泥に身を投じた。副知事という高い地位にある者がそのようなことをするのだろうか、文学的修辞に過ぎないと疑う向きもなくはないが、同様の行動はその後も取っているし、これまで見てきたように蘇軾は運動能力に優れ活動的であった。（2）蘇軾は秋になってから何かと不調であったが、現場に出てからはにわかに快活になる。これもまたよくあるパターンである］

■【04-1-063】是日宿水陸寺、寄北山清順僧二首

【解題】泥と格闘したその日に水(すい)陸(りく)寺(じ)に泊まり、杭(こう)州の西(せい)湖(こ)畔にある宝(ほう)厳(ごん)院(いん)の清順(せいじゅん)に宛ててこの詩を詠んだ。清順は優れた詩を詠む僧で、蘇軾はあるとき宝厳院に遊んで壁に記された清順の詩を見て感嘆し、それより2人の交流が始まった。なお作品番号04-1-055では梵(ぼん)天(てん)寺(じ)で守(しゅ)詮(せん)が書いた詩を見てそれに和していたように、寺の壁などに詩を書くことは有効なコミュニケーション手段の一つであった。

【訳文】

　其の一

小川の堤は草に埋もれ、

雨のために村は暗い。

寺は奥まった竹林の中に潜み、

どこに門があるのやら。

寺の僧は気の毒にも病床にあって、

薪を拾って薬を煮ている。

それでも、地を掃い、香を焚いて、

我が旅の魂を浄めてくれる。

村人の野良仕事は小雪を冒してなおも続いていて、

御仏に捧げる燈火は黄昏時のいま初めて灯される。

ここのところ奥深く暮らすことの味わいがようやくわかってきたので、

高人(こうじん)と寝床を並べて語り合ってみたいものだ。

【補足】［「高(こう)人(じん)」とは徳の高い人、ここでは清(せい)順(じゅん)のことをいう］

　其の二

西(せい)湖(こ)のあたりでは、いつも鐘や太鼓が賑やかであるのを嫌っていた。

このあたりは静か過ぎるくらいだが、

それでこそ自然なのだろう。

寺の僧は村を巡って食を乞い、

真に満腹することを知っている。

客人に対して口を開かずにいるけれど、

それは禅の無言の業にあるのではない。

私は水の路を通すために、

草を払って泥に入ってきた。

いまは足を洗って門を閉ざし、

雨を聞きつつ眠ろうとしている。

遥かに想うのは、

夜の寒さの中で詩を練り上げている貴僧の姿だ。

■【04-1-064】塩官部役戯呈同事兼寄述古

【解題】蘇軾は塩(えん)官(かん)県に赴き、杭(こう)州の同僚や知事の陳(ちん)襄(じょう)［字(あざな)は述(じゅつ)古(こ)］にこの詩を送った。詩の題に「戯れに」とあるのは、終わりの部分でやや不謹慎なことを述べているからである。

【訳文】

新月に照らされた水は、

冷え冷えと光っていまにも凍り付きそうだ。

屋根を通り抜けて夜の霜が寝床にも降ってくるのか、

衣が冷たくこわばる。

労役に駆り出されているこの土地の人々は、

一様に頬が赤く眉が丸い。

田の中の小屋で、牛や羊と寝床を分け合い、

昼間の労働で、履き物が破れ、衣に穴が開いてしまっても、

それを繕う間もなく、眠りに落ちてしまう。

そして、暁には、

烏や鵲とともに起きて、

千人の人々が野に並ぶ。

その千の口にはきっと言いたいことがあるのだろう――

早く家に帰りたいと思わないはずがない。

しかし、他人に嘲笑されるのを恐れて何もいわずにいる。

私は人々に向かってこういってやりたい――

「我が州の立派な方々は、

　民衆を使うことについてよくよくわかっておられるので、

　新しい酒とたっぷりの豚肉をきっと買って用意してくれる。

　だから、寒さに耐えて頑張ってほしい。

　努力すればそれだけ帰る日が近くなる。

　足がもしも寒さに凍り付いてしまったなら、

　知事殿が御自身で揉んで軟らかくしてくださるだろう」

【補足】［州の副知事は、民衆から見れば非常に高い地位の官員であるのだが、王朝の官僚機構の中にあっては、自由裁量の度合いは極めて限定的であったようだ。だから、蘇軾は命じられた通りに工事を督促する以外に手はなく、民衆に向かっていえることといったら、この詩にあるような非現実的な慰めしかなかったのだろう。せめて自ら泥に中に飛び込むことで、己の誠意を民衆に示そうとしたのだろう。弟が後に書いた兄の墓誌では、杭(こう)州副知事時代の事績について、「このとき、全土において［改革派の新法である］青(せい)苗(びょう)法(ほう)、免(めん)役(ほう)法(えき)、市(し)易(えき)法(ほう)が実施され、［杭州を含む］浙(せつ)西(せい)では水(すい)利(り)塩(えん)法(ほう)も合わせて実施されていた。公［蘇軾］はその中で、法に拠りながらも常に民衆にとって便宜となるようはからったので、民衆はそれを�ｮって少しばかり安らぐことができた」とあって、具体的に何をしたかの記述はなくて、民衆に寄り添おうとしたことだけが記されている。工事の督促に赴いたのは、ここにある「水利塩法」に基づく施策による］

■【04-1-065】塩官絶句四首

【解題】塩(えん)官(かん)県に滞在する間の仏寺を訪ねて四首の絶句を詠んだ。

【訳文】

　其の一　南(なん)寺(じ)千(せん)仏(ぶつ)閣(かく)

古くは、ここの村の半ばは海の波の中にあって、

この寺を開いた師が来て高く築き上げたのだった。

師は千金を使い尽くし、身には何もなく、

白(びゃく)毫(ごう)を巡る香の煙を眺めて過ごしたのである。

【補足】［（1）塩(えん)官(かん)県の西南にある慶(けい)善(ぜん)寺(じ)［南(なん)寺(じ)］にある千(せん)仏(ぶつ)閣(かく)での詩。海辺に近く、最初に建てられたときには観(かん)海(かい)寺(じ)と呼ばれた。（2）「白(びゃく)毫(ごう)」とは、仏(ぶっ)陀(だ)の眉間にある白い毛で、三千世界を照らす光を放つという］

　其の二　北(ほく)寺(じ)悟(ご)空(くう)禅(ぜん)師(じ)塔(とう)

世界は微塵に等しいとすでに知り、

人の身とは、

空(くう)の中に浮く花、

あるいは夢の中のものだと観(み)ていながら、

それが後に皇帝になる人の顔であるなどと、

わざわざ見分けたりするものだろうか。

悟(ご)空(くう)禅(ぜん)師(じ)の天眼は天(てん)人(にん)［仏(ぶっ)陀(だ)］を識(し)るだけであったはずだ。

【補足】［塩(えん)官(かん)県の西北にある安(あん)国(こく)寺(じ)［北(ほく)寺(じ)］にある悟(ご)空(くう)禅(ぜん)師(じ)塔(とう)での詩。悟空禅師とは、僧の斉(せい)安(あん)の号で、俗姓は李(り)で、もとは唐(とう)の皇室の出であった。憲(けん)宗(そう)皇帝の子が故あって密かに民間に落とされていたときに、悟空禅師はひと目で貴人であることを見抜き、大切に保護したところ、後に宣(せん)宗(そう)皇帝となったという伝説がある。蘇軾のこの詩は、そのような話を笑って斥けている］

　其の三　塔(とう)前(ぜん)古(こ)檜(かい)

この二本の檜(ひのき)はもとは二人の童(わらべ)であったのだろう。

童は向かい合ったままずっと無言を通し、

老いてさらに恭しくなった。

童は悟(ご)空(くう)禅(ぜん)師(じ)の教えを聴こうと、

庭に立ち、腰まで雪に埋もれてもそのまま動かずにいて、

とうとう化して、いまや蒼(あお)い竜のような大木になったのである。

【補足】［（1）悟(ご)空(くう)禅(ぜん)師(じ)塔(とう)の前に立つ古い檜(ひのき)を詠んだ詩。（2）寺の僧が飼う白い鶏を詠んだ第四首は訳者には解し難いので割愛する］

■【04-1-066】六和寺沖師閘山溪為水軒

【解題】塩(えん)官(かん)県での仕事を終えて帰って後に、六(ろく)和(わ)寺(じ)でこの詩を詠んだ。寺の僧の沖(ちゅう)師(し)は谷川に水門を作って堰き止め、その水辺に庵を建てていた。六和寺の名は作品番号04-1-021ですでに見ている。

【訳文】

清らかな水は渓から放たれて自在に流れようとする。

師は、氷(ひょう)雪(せつ)のような美しい水が、

山を出て沙洲に落ちたならば、

きっと潮や泥に汚されてしまうのを残念がっている。

水よ、山の僧のために、少しばかりここに留まってくれたまえ。

■【04-1-067】送杭州進士詩叙

【解題】出張から帰って間もなく、10月10日に知事の陳(ちん)襄(じょう)は、科挙の地方試験に合格してこれから二次試験、三次試験に挑むために上京する者たちを中(ちゅう)和(わ)堂(どう)に集め、激励の詩を贈った。蘇軾はその詩にこの序文を添えた。

【訳文】

右の「登彼公堂」以下の四章は知事陳(ちん)公(こう)［陳(ちん)襄(じょう)］の詞である。

蘇(そ)子(し)［蘇軾］はこのようにいおう。

士(し)が仕えるのを求めるからには、（地位や名声を）得ようと志すものだ。仕えても得ることは志さないとするのは偽りである。もしも得ることを志しても、道(みち)［正しい道義］によらずに、時勢の上下するのを視て、その学問を変えて、「私が得るためにはやむをえないのだ」と言い出しならば、得るためには何でもしてしまうことになるだろう。それでよいのだろうか。

昔、斉(せい)国(こく)の景(けい)公(こう)が狩りをしたときに、旗によって虞(ぐ)人(じん)［山野の管理人］を呼んだところ、虞人は景公のもとには行かなかった。孔(こう)子(し)はその虞人の行いを善(よ)しとして、「虞人を呼ぶには皮の冠をもってするのが決まりであるからだ」といった。旗を使おうが皮の冠を使おうが、呼び寄せることの意味においては格別変わりがないのだろうが、やはり制度として混同するのはよろしくないのである。まして、学んだものを棄てるのでは、道を学んだところで意味はないのである。

熙(き)寧(ねい)五年、銭(せん)塘(とう)県の士で礼(れい)部(ぶ)での試験［科挙の二次試験］を受ける者九人が、十月乙(おつ)酉(ゆう)、中(ちゅう)和(わ)堂(どう)に集まり、陳(ちん)公(こう)はこの詩を作って励ました。流れて返らないものは水である。季節によって遷(うつ)らないものは松や柏(はく)である。陳公の詩は、まず水を歌い、松と柏に及んだ。これは動くものを詠み、進むことの難しさをいわれたのである。万世に移らないものは山である。飛んでときに止まるのは鴻(おおとり)や雁である。陳公の詩はまず山を歌い、鴻と雁に及んだ。これは静かなものを詠み、時代の変化に対応することの難しさをいわれたのである。陳公が士に対する配慮は用意周到というべきである。

『詩(し)経(きょう)』に、「何も言わなければ用いられない、徳がなければ報われない」とある。

諸君は陳公に対して何をもって応えるのか。

眉(び)山(ざん)の蘇軾が序文を記した。

【補足】［改革の進行に伴って学問のありようが変わりつつあることに、蘇軾はここでも抵抗しようとしているのである］

■【04-1-068】和人求筆跡

【解題】蘇軾はしばしば揮毫を求められた。これは、詩をもって依頼してきたのに応え、その詩に和したもの。初句にある「剡(えん)藤(とう)紙(し)」は、作品番号04-1-044で見たように、当時の高級な紙。依頼人は詩に剡藤紙も添えてきたのだろう。

【訳文】

剡(えん)藤(とう)紙(し)こそは気の毒である。

机の上に広げたときには、

麦の粉のように真っ白に輝いて一点の瑕(きず)もない。

夜になり、青い灯が私の眼をちらちら照らし出すと、

ここに剡藤紙のお弔いが始まる。

私が筆を執ったがために、

春の蚯蚓(みみず)がそこらをのたくりまわり、

秋の蛇がはいずりまわるありさまとなってしまうのだった。

■【04-1-069】冬至日独遊吉祥寺

【解題】11月10日の冬至、春に牡丹を見た吉(きち)祥(しょう)寺(じ)に独り遊びに行ってこの詩を詠んだ。

【訳文】

井戸の底に映る太陽をのぞき見ようとする――

冬至のこの日に、

わずかでも光の強さを取り戻していようかと。

しかし、枯れた草の根に、冷たい雨が静かに注がれている。

誰か少しでも似る者がいるだろうか、

牡丹の時期でもないのに独りここにやってきた蘇(そ)先生に……。

【補足】［「蘇先生」の原文は「蘇(そ)夫(ふう)子(し)」で、これはむろん蘇軾自身のことである。詩の題に「独り」とわざわざ記しているのは何かしら意味があると見るべきなのだろうか。とはいっても、副知事であるから、供をする者はそれなりにいたはずである］

■【04-1-070】与子明兄

【解題】11月15日付けの従兄の蘇(そ)不(ふ)疑(ぎ)［字(あざな)は子(し)明(めい)］［→作品番号03-4-009など］への手紙。一部を省略しつつ訳す。

【訳文】

九月にお手紙を差し上げました。届いておりますでしょうか。目にはいつも兄上の万福を想い見ております。甥も姪も、その子たちも安らかにお過ごしでありましょうか。私も元気にしておりますが、お別れしてから歳月はたちまち過ぎ去り、今年もわずかとなってしまいました。西の方を見て、いつまたお会いできるのだろうかとぼんやりと思うばかりです。何かと事が多く、至るところばたばたとしています。

銭(せん)塘(とう)はもとは楽(がく)都(と)と呼ばれもしたところですが、このごろは尽く削減と倹約がいわれ、一方で家の者の数が増え、物価はすべて高く、日々かつかつで暮らしています。……

ちょっとした公用で間もなく湖(こ)州に行きます。出発前のあわただしい中で書きましたので、手紙は首尾をなしていません。……

■【04-1-071】後十余日復至

【解題】冬至の日に訪れた吉(きち)祥(しょう)寺(じ)を、十日余り経ってまた訪れた。

【訳文】

春の神様はちょっとばかり薄情で、

まずは梅の花だけを咲かせようとする。

千本もあろうかという牡丹の木には、

まだ紅色の気配さえもない。

昔むかしの仙人の殷(いん)七七(しちしち)を呼んできて、

そこにもここにも花を開かせてもらいたいものだ。

【補足】［殷(いん)七(しち)七(しち)は伝説上の仙人。昔ある人が9月に杜鵑花(つつじ)で有名な鶴(かく)林(りん)寺(じ)を訪れ、天下第一とされる花が見られないのを残念がると、そこに居合わせた殷七七が数日後に菊の花とともに杜鵑花も満開にしてみせた。まだまだ牡丹の時期ではないのに、2度も吉(きち)祥(しょう)寺(じ)を訪れたのはどうしてなのだろうか］

■【04-1-072】送張軒民寺丞赴省試

【解題】張(ちょう)軒(けん)民(みん)が科挙の二次試験［省(しょう)試(し)］を受けるために上京するのを見送った詩。蘇軾自身の注で、張軒民の父の張(ちょう)瓌(かい)は、伯父の蘇(そ)渙(かん)と同じ年の科挙で合格した間柄であったと付記されている。

【訳文】

竜(りゅう)飛(ひ)の甲(かっ)子(し)の年に科挙を受けようと都に集まったのは、

ことごとく英豪の人々であった。

私は喜ばしいことに、

そのころに老成の士(し)をまだ見ることができた。

人は、春の花が競い咲くときには、

秋の菊はとうに枯れ果てたと笑うのだが、

天は、明るい月ばかりでなく、

空に長(ちょう)庚(こう)［金星］も伴わせるのである。

かのときの英豪から家ごとに学問が伝えられ、

貴君と会えば兄弟のような心持ちがする。

都で躍り上がる馬を見るなら、

それに乗るのはまさしく貴君、

祝賀の詩が貴君のお父上のもとにたちまち届くであろう。

【補足】［（1）最初にある「竜(りゅう)飛(ひ)の甲(かっ)子(し)の年」とは仁(じん)宗(そう)皇帝が即位した天(てん)聖(せい)元年［1023年］を指し、その年に張(ちょう)軒(けん)民(みん)の父も蘇(そ)渙(かん)も科挙の地方試験に合格して都に向かった。新皇帝を大空に向かって飛ぶ竜に譬えたのである。（2）終わりの部分は、張軒民がきっと科挙に合格するであろうと歌っている。ある考証によると張軒民の父はこのころ70歳ほどですでに退官して宣(せん)州にいたという］

■【04-1-073】将之湖州戯贈莘老

【解題】先の蘇(そ)不(ふ)疑(ぎ)への手紙にあったように、11月の終わりに、蘇軾は公務を帯びて湖(こ)州に出向いた。湖州で計画されている水利工事の実態を調査しに行ったのである。湖州には孫(そん)覚(がく)［字(あざな)は莘(しん)老(ろう)］［→作品番号04-1-030］がいて、杭(こう)州を発つにあたってこの詩を送った。

【訳文】

秋に赴いた杭(こう)州近くの余(よ)杭(こう)は、

山水の粋(すい)が集まる窟(いわや)のようなところであった。

ほのかに聞くに、

湖(こ)州近くの呉(ご)興(こう)はさらに清絶であるとか。

太(たい)湖(こ)のまわりの橘の林は霜のような白い花をつけ、

苕(ちょう)渓(けい)の苕(あし)の花は雪のように飛んで水面に浮び、

顧(こ)渚(しょ)の茶畑に伸びる芽は歯よりも白く、

梅(ばい)渓(けい)の木瓜(ぼけ)の花は真っ赤な頬よりも赤いという。

土地の人がさばく刺身は薄く飛ぶばかりであると聞けば、

行く前からもう涎が流れ出る。

昔の名宰相がこの地に赴任することを長く求め、

昔の名詩人がここの春を尋ねるのが遅すぎたと嘆いたのも、

なるほどとうなずくことができよう。

これほどの地であるから、

貴君と私は会っても、

ただ座禅を組む腰掛けを並べて向き合うだけで十分であろう。

私を歓待しようとするあまり、

湖で華やかなボートレースを催してくれることまではしなくて結構である。

【補足】［（1）先に余(よ)杭(こう)を訪れたことは作品番号04-1-030などで見ている。（2）湖(こ)州は太(たい)湖(こ)という大きな湖の南に位置し、呉(ご)興(こう)、苕(ちょう)渓(けい)、顧(こ)渚(しょ)、梅(ばい)渓(けい)はその周辺の地名である。この詩はこれから行く湖州周辺の名所を挙げて、旅に出る期待を楽しく詠んでいるのである。（3）太湖では春の清(せい)明(めい)節(せつ)に派手に飾った船による競争が行われていた。詩の題にある通り、末句は孫(そん)知事への戯れの言葉である］

■【04-1-074】再用前韻寄莘老

【解題】上の詩と同じ韻を用いて再び孫(そん)覚(がく)［字(あざな)は莘(しん)老(ろう)］に送った詩。この詩は故事を用いて、このころの心情をかなり間接的に歌ったもので、その真意を汲み取るのはかなり難しい。従って以下に示すのはかなり荒っぽい「ずっぽ訳」である。

【訳文】

晋(しん)の時代の王(おう)衍(えん)は、大切なのは我が身だと、

兄弟三人で領地をがちがちに固め、

「三(さん)窟(くつ)」に籠ってしまえば万全と思っていた。

同じ時代の顧(こ)�ﾄ(がい)之(し)が、阿呆者と自称して、

みごとに生き抜いたのには到底及ばなかった。

つまるところ、阿呆者は己の境遇に満足して、

天から与えられた寿命を終えるのだが、

知恵者は己の知恵のために死んでしまって、

その罪を晴らすことができないのである。

いま困窮の身にある者［恐らく蘇軾を指す］は、

貴君のよき按配を必要としているのだが、

貴君は頬杖をついて山を眺めているだけである。

野の鳧(けり)［恐らく蘇軾を指す］は翅(はね)が重くて自分では飛べずにいる。

黄色い鶴［恐らく孫(そん)覚(がく)を指す］はなぜか両翼を垂れたまま飛ぼうとはしない。

鳧と鶴は泥の中に長くいることはできないだろう。

いま私はまだ進んでいない。

もはや遅くなってしまっているのだろう。

江(こう)南(なん)に無双といわれる人はまだ去らずにいるだろうか。

私はいま、文章をともに喜び合う仲間がいないのを残念に思っている。

【補足】［この詩の終わりの部分で「江(こう)南(なん)に無双といわれる人」とあるのは黄(こう)庭(てい)堅(けん)［字(あざな)は魯(ろ)直(ちょく)］だという。黄庭堅は蘇軾よりも9歳若く、6年前の科挙に合格していた。後に蘇軾の弟子ないし友人となり、詩と書において蘇軾と並ぶ北(ほく)宋(そう)の大家と称せられる。黄庭堅は17歳のときに孫(そん)覚(がく)と出会い、科挙に合格した翌年に孫覚の娘と結婚したが、その妻はその2年後に亡くなっている。黄庭堅は官職には恵まれず、蘇軾が湖(こ)州に向かおうとしていたときには孫覚のもとに身を寄せていたので、この詩の終わりに黄庭堅と会えることを期待していると詠んだのである］

■【04-1-075】答黄魯直書

【解題】これはこれより6年後に黄(こう)庭(てい)堅(けん)［字(あざな)は魯(ろ)直(ちょく)］に宛てた手紙。この手紙によると、蘇軾は孫(そん)覚(がく)のところで黄庭堅の詩文を見たけれども、本人には直接会ってはいないようである。黄庭堅は北(ほく)京(けい)大(だい)名(めい)府(ふ)の学校の教授として招聘され、すでにそちらに赴任した後だったのだろう。

【訳文】

……私が貴君の詩文を初めて見たのは、孫(そん)覚(がく)君のところででした。私は詩文を見て居住まいを正し、これは優れたものであると感じ入り、いまの世の人の作ったものではあるまいと思いました。

孫覚君はこのようにいいました。

「この人のことを知る者はまだ少ししかいません。貴君はぜひともこの人の名を称揚していただきたい」

私は笑っていいました。

「この人は純金か美しい玉ともいえる人で、人によって名を挙げたりするのではなく、自分自身で名を挙げるはずで、評判になるまいと逃げようとしてもそれはできないのです。どうして私などが称揚する必要があるでしょうか」

その文を観てその人となりを考えるに、身の外にあるものを軽んじて、身の内側にあるものを重んじる人あるとわかります。それは今の君子諸君にはできないことです。……

【補足】［この手紙の後半は後に改めで読むであろう］

■【04-1-076】画魚歌

【解題】この詩と次の詩は湖(こ)州への道の途中で詠んだもの。湖州は杭(こう)州のほぼ真北、直線距離で70kmほどである。詩の題の「画魚(かくぎょ)」とは、鈎(かぎ)でひっかけて魚を獲る漁法で、湖州周辺の水郷地帯で冬場に行われていた。

【訳文】

季節が寒くなると、

沼地の水位が下がって、魚は泥の中に潜り込む。

村人は鈎(かぎ)を付けた短い棒を手にし、

犂(すき)で田を耕すように泥水を滅多やたらと打ちまくる。

渚の蒲(がま)を手当たり次第にへし折り、

水草をやたらとえぐり取り、

魚の子一匹逃すまいとする。

私も試しにやってみたが、

手にまかせて打ったのは全てはずれだった。

もともとが労を厭わず、万に一つの当たりを得ようとする漁法なのだ。

鈎の刃先に一匹の魚が命中すると、

百匹の魚が驚き、蝦やら蟹やらがあわてて走り、飛び上がるものさえもいる。

聞くところでは、

漁師というものは本来は雛を養うように魚を養うとか。

魚を食ってしまう水鳥を、竿を振って追いやることもする。

鈎を付けた棒を雨霰と叩きまわるこのような漁法があるのを、

私は知らずにいた。

水を無暗と乱して魚を求めるのは、

いささか粗雑すぎるのではなかろうか。

■【04-1-077】鴉種麦行

【解題】詩の題は「鴉(からす)が麦(むぎ)を種(う)える行(うた)」。

【訳文】

老獪な鴉(からす)様は、

霜が降るこの季節、

林を棲家にしていて暇があるらしく、

畑の東側で麦を拾っては、

畑の西側に蒔いておられる。

畑の西側では、植えられた麦がずんずん伸びて青々とし、

畑の東側では、毛の抜けた牛の尻尾のようにまばらなありさまとなる。

来年になって麦が熟す頃には、

麦の芒(のぎ)が槊(ほこ)を集めたように突き立つであろう。

そのとき、農夫がまだ食べないうちに真っ先に啄むのが鴉様だ。

鴉様は悠然と歩き、誇らしげに顔を上げたり下げたりし、

翼を振って跳びまわり、牛の角に上りさえもする。

思うに、古(いにしえ)の聖天子の舜(しゅん)が農地を耕したときには、

鳥が草を抜いてその手伝いをしたというけれど、

いまの鴉様はもっともっと働きもので麦を植えているのである。

農夫は一列に並び、

鴉様に、どうぞ休んでいてくだされと拝むのだけれど、

鴉様は知らん顔で飛んで行ってしまう。

ちょうどそこに私はお役人様として乗り込んできて、

もっと働けと農夫に命じるのである。

【補足】［前の詩もこの詩も、民情を歌いつつ、現在の政治状況を批判しているのだろう］

■【04-1-078】墨妙亭記

【解題】蘇軾は湖(こ)州に到着すると、孫(そん)覚(がく)が建てた墨(ぼく)妙(みょう)亭(てい)［→作品番号04-1-044］を実際に見てこの文章を書いた。

【訳文】

熙(き)寧(ねい)四年十一月、孫(そん)覚(がく)知事は広(こう)徳(とく)から湖(こ)州に移り、翌年の二月、庁舎の北、逍(しょう)遙(よう)堂(どう)の東に墨(ぼく)妙(みょう)亭(てい)を建て、湖州域内にある漢(かん)以降の古い書(しょ)を刻んだ石を集めて墨妙亭を満たすことにした。

湖州は、東(とう)晋(しん)の時代から、善(よ)い土地柄、とりわけ山水が清遠であることで知られた。魚や稲や蒲や蓮等の産物に十分に恵まれ、民は求めるところが少ないので、争うことがない。そして、この地に用事がなければ訪れる者はいない。だから、ここに知事として赴任する者は、もっぱら風流を重んじ、酒宴を開いて詩を詠じたり、壺に矢を投げ入れる遊びに興じたりしていればよいのである。

孫知事がここに来ると、その年は大水が出て、田圃は稔りがなく、飢饉となって、流亡する者が大勢出た。孫知事は非常時のための蓄えを大いに放出し、民衆を救おうとする至誠の心をもって率先して行動した。それに応えて富裕の者は皆争って穀物を提供して官の救済措置を支えた。それによって生きることのできた者は数知れなかった。

この時、朝廷は国政の改革を進め、新しい法を続々と作り、それを知らせる使者が相次いで湖州にやって来た。だから、孫知事は公文書を処理する仕事に追われてしまって、これまでのように悠々と酒宴に姿を見せることはあるまいと人々は思った。ところが、孫知事はますます客人と席を同じくするのを喜び、詩を賦し酒を飲むのを楽しんだ。その上余暇を得て、古(いにしえ)の人々の詩文を収集することに努め、賦詠数百篇を集めて、『呉(ご)興(こう)新(しん)集(しゅう)』と名付けた書物を編集した。その傍らで、書を刻んだ石が荒野の草の中に埋もれているのを破片に至るまで捜し出して、この墨妙亭に集めたのである。

この年の十二月、私は湖州に来て墨妙亭の内を見て回り、感嘆の余り、孫知事のためにこの文章を記すことになった。

ある人は私にこういった。

「すべての物体は必ず尽きてなくなるものだ。しっかりとした固い形体を恃みとしても、長久を期すことはできない。堅固な金属や石でもいずれは変化して壊れてしまう。だから、功名や文章のような形のないものこそを後の世にまで伝えて、より久しきを保とうとするのである。だとすれば、詩文を石に刻むのは、久しく存在するものを、逆に速やかに壊れてしまうものの助けを得て長く保とうとすることになるのではないだろうか。昔の人がこのような惑いによって刻んだ石を、孫知事は立派な建物を作って保管しようとしているのだが、その意図するところを察するに、物の道理、万物の法則を知らないと言わざるを得ないのではなかろうか」

それに対して私はこのように考える。

「人間としてできる限りのことを尽くした上で、道理としてついにはこのようになったということであるのならば、後悔するところがない。そうしてこそ物の道理、万物の法則を知る者だといえるだろう。物が形を成せば、必ずそれは壊れる。譬えていえば、人が生まれて必ず死に、国家が興って必ず亡ぶのと同じである。それは必然であるとわかっていても、君子が身を保養して死の訪れを遠ざけ、少しでも長く生きようとするのは無用なことだとはいわないだろう。国を治めるのも同様で、国の安泰を保とうとし、あるいは亡びるのを救おうとして、あらゆる手立てを尽くし、どうすることもできなくなって初めて事を終えるのである。こうしてこそ物の道理、万物の法則を知る者といえるだろう。だから、この墨妙亭を作るのは意味がないとする議論は成り立たないのだ。このことを私はきちんと弁じておかずにはいられない」

それでこの説を記して、墨妙亭に並ぶ品々の横に置くのである。

■【04-1-079】題羊欣帖

【解題】蘇軾は、南朝時代の書家の羊(よう)欣(きん)の書の模写を孫(そん)覚(がく)にプレゼントして、墨(ぼく)妙(みょう)亭(てい)のコレクションを増やすことに貢献した。

【訳文】

この羊(よう)欣(きん)帖(ちょう)はもとは王(おう)随(ずい)公(こう)の家にあったもので、私はそれを公の子の王(おう)鍇(かい)から得た。それを呉(ご)興(こう)［湖(こ)州］知事に孫(そん)覚(がく)に与え、石に刻んで墨(ぼく)妙(みょう)亭(てい)に置いてもらうことにした。

【補足】［王(おう)随(ずい)は仁(じん)宗(そう)皇帝のもとで宰相にまで昇ったのだが、何ら功績なく1年で辞めた、と史書には厳しく書かれている］

■【04-1-080】和致仕張郎中春昼

【解題】この詩の題にある「致(ち)仕(し)張(ちょう)郎(ろう)中(じゅう)」とは、かつて「郎中」であっていまは官職から退いている張(ちょう)先(せん)［字(あざな)は子(し)野(や)］である。張先は、北(ほく)宋(そう)の最盛期であったと回顧されることの多い仁(じん)宗(そう)皇帝治下の古き良き時代を象徴するような風流人である。詞を得意とし、それもまた古き良き優美な歌風であった。湖(こ)州の人で、杭(こう)州の西(せい)湖(こ)畔にも別邸を構え、両所を自在に行き来していた。80歳を超えてなお粋な遊びを好み、かなりの有名人であった。蘇軾は杭州に赴任してすぐのころに、湖畔で偶然張先と出会っていた。張先は湖州で蘇軾が来るのを待ち受け、孫(そん)覚(がく)も一緒になって3人で遊び、張先が「春の昼」と題する詩を詠んだので、それに蘇軾が和した。

【訳文】

張(ちょう)さんは、大官の印(しるし)を投げ捨てて帰ってきてからは、

万事軽やかに過ごし、

いまも豊かな風情を保っておられる。

この地の人の伝統として、

名物の蒪(じゅん)菜(さい)を食べることを理由に職を退き、

新たな歌謡を作って過ごしておられる。

特に神仏に祈っているわけでもないのに、

安らかに健康であるのは、

骨にもとより長い寿命が宿っているからであろう。

杯に浅く酒をついで飲めば、

頬に紅が生じる。

才能は内に秘めておこうとしているのに、

その名を隠すことができないのは、

もとより詩が上手すぎるからである。

口に細やかに句を唱えれば、

穏やかに声の調子が整う。

蝸牛(かたつむり)の殻のような家さえあれば心を自由にできるから、

世の栄辱とは無関係に平穏である。

蠅の頭のような字も明瞭に読めるから、

世の盛衰を閲して微笑を浮かべている。

かつて大軍師になった人が膝を屈して老人に兵法を習い、

かつて大学者になった人が失われた書物を老人に尋ねたように、

張さんに教わろうとする者はたくさんいる。

春風が吹くまでもう指折り数えるばかりであるので、

恐れるのは、

張さんの詩に促されて杜鵑(ほととぎす)が早くも鳴いてしまうことだ。

■【04-1-081】和邵同年戯贈賈収秀才三首

【解題】蘇軾は湖(こ)州で邵(しょう)迎(げい)［字(あざな)は茂(も)誠(せい)］と賈(か)収(しゅう)［字は耘(うん)老(ろう)］に会い、邵迎が戯れに賈収に贈った詩に和した。邵迎は蘇軾と同じ年の科挙で合格した「同(どう)年(ねん)」の間柄で、一方で賈収は湖州の人で、このとき初めて会ったのが縁となって、その後長い付き合いとなる。なお、詩の題に「賈(か)秀(しゅう)才(さい)」とあるのは、日本語でいうところの「秀才」ではなく、科挙の受験を目指して勉強した経験があることを示し、それ相応の教養を具えている人物だという意味である。

【訳文】

　其の一

これまでは馬と牛のように互いに省みることもなかったのが、

こうしてすれ違って、たちまち笑って語り合う仲となった。

昔ある人は郷里に帰ると、

心を許せる者だけが通れる三本の道を開いたという。

昔ある人は山に桂が叢生する詩を詠んで、

友人にともに退隠することを誘った。

我等［蘇軾と邵(しょう)迎(げい)］もまた、

貴君［賈(か)収(しゅう)］の隣に住むことを許されて、

ともに老いてゆけるであろうか。

この身がいかになるのか、

天に問うのは止めるとしよう。

いずれにしても、

髪が白くなることだって誰もが同じというわけではないのだから。

【補足】［（1）賈(か)収(しゅう)はすでに仕官しないと決めていたのだろう。（2）続く第二首は、当時、賈収は再婚することを意図していたようで、結婚に関連する故事を多数並べて詩を構成している。第三首もまた故事のてんこ盛りで、どちらも結局何が言いたいのか訳者には理解不能なので割愛する］

■【04-1-082】邵茂誠詩集敘

【解題】これはほぼ2年後の煕(き)寧(ねい)7年［1047年］に書いた文章。このときに会った邵(しょう)迎(げい)［字(あざな)は茂(も)誠(せい)］について記しているので、ここで読んでおこう。

【訳文】

貴(たか)いか賎(ひく)いか、長生きか若死にか、それは天によって定められたものである。賢者が必ず貴くなり、仁者が必ず長生きをする、それは人が望むところである。人の望みと天の定めは一致し難いものだ。

昔、匠(たくみ)の梓(し)慶(けい)は山に入り、天と一つに合することで驚くべき名器を作り上げたという。これはなかなか普通にあることではない。たまたまうまくいっただけのときに、それが常にあることだと思ってしまうと、多くの人は天を怨むようになる。それは何もわかっていない者の考えである。人が詩文において窮迫するのは仕方のないことだ。心を尽くし、精神を消耗させて、己の気(き)［エネルギー］を盛んにして外界に抗して、詩文を作るのであるから、いまだ老いる前に衰病し、悪いことはしていないのに罪を得たかのように身を疲れさせてしまって、しかもわずかな詩文しか作れないままに終わってしまうのである。

天と人が一致するのが難しく、人が自らを害ってしまうのがこのようであるのなら、困窮するまいとしてもできないのである。

茂(も)誠(せい)君の諱(いみな)は迎(げい)、姓は邵(しょう)氏、私と同じ年の科挙で合格した。その十五年後に、私は呉(ご)興(こう)の孫(そん)覚(がく)君の座上で邵君に会った。邵君は数百篇の詩を出して見せてくれたので、私はそれを読んで一カ月余り飽きることがなかった。その文は清和にして妙麗で、南朝の晋(しん)や宋(そう)のころの人のもののようであった。詩はまことに愛すべきで、咀嚼すると味があり、南朝や唐(とう)朝の人の風があった。その人となりは篤学、強記、恭倹、孝友で、しかも法律に通じ、吏事をすばやくこなした。しかし、その姿を見ると、衣の重さにも耐えられないほどで、語気はわずかに聞こえるだけであった。私は邵君には為すべきことが多くあって、それで身を疲れさせてしまっているのを心配して、病気ではないかと疑った。すると翌年になって邵君は亡くなったのだった。

そのまた翌年に私は高(こう)郵(ゆう)を過(よぎ)り、服喪中の邵君の家に立ち寄り、中に入って邵君の死を哭した。幃(カーテン)は破れ、ごく粗末な燈(ともしび)があるだけで、部屋はがらんとしていた。そのためにまた涙が出て、大きく嘆息したのだった。孔(こう)子(し)の弟子の原(げん)憲(けん)は貧乏で、同じく孔子の弟子の顏(がん)回(かい)は短命で、漢(かん)の時代の揚(よう)雄(ゆう)は子がなく、漢の時代の馮(ふう)衍(えん)は不遇で、晋(しん)の時代の皇(こう)甫(ほ)謐(ひつ)は病で、それぞれに困苦した人として知られ、いまに至るも人はそれを哀れむのだが、それぞれ苦しむところは一つであったのに対して、邵君はそれらの全てを兼ねていた。果たしてそれは運命によるものだったのだろうか。

私は邵君の詩集をここに編み、邵君のことを哀れに思いはしても、天を怨むことはしない。それが詩文に心血を注いだ邵君の意(こころ)であると思うからだ。

■【04-1-083】呉中田婦歎

【解題】「呉(ご)の農婦の歎き」という詩。呉とは蘇(そ)州や湖(こ)州のあたりのこと。この詩には蘇軾自身の注で、賈(か)収(しゅう)の韻に和したと記してある。

【訳文】

田圃で出会った農婦がいうには――

「今年は、稲の稔るのがひどく遅れてしまいましたので、

　〈霜の風〉がくるまでにまだまだ時間があってほしいと願っておりました。

　ところが〈霜の風〉はすぐにきてしまいまして、

　雨がざあざあ降り続き、

　農具には苔やら茸(きのこ)やらが生えてしまいました。

　やるせなさに涙が枯れてしまいましても、

　雨は尽きませんでした。

　黄色い稲の穂が泥に倒れてしまいましたのは、

　見るに忍びないありさまでありました。

　それでもどうにかして稲を守ろうと、

　田圃に作った掘っ立て小屋で一カ月過ごしまして、

　ようやく晴れた日に稲を刈って車に積んで帰りました。

　それを肩が赤く腫れ上がるまで目いっぱい担いで、

　汗を流しつつ市(いち)に売りに行きました。

　値段を安く叩かれたことといったら、

　糠(ぬか)を売ったくらいにしかなりませんでした。

　お米を売るのは、お上は銭がお要りようだとかで、

　お米のままでは税を納めることができないからです。

　それで牛を売るしかなくなりまして、

　ついには、家を壊して煮炊きをしなければならなくなりました。

　わたしは愚かで思慮がありませんので、

　来年の飢えにまで気が回りません。

　米の値が下落しての民の苦しみといったら、

　国境の向こうから敵兵が攻め込んできたのと変わりがないのではありませんでしょうか。

　朝廷には民にために立派な政治をなさる方々が溢れていると聞きます。

　そういう方々がどんどん増えているのに、

　民衆はますます苦しむというのでは、

　あたしなんぞは、

　川に飛び込んで河童のもとに嫁ぐしかないのでしょう」

【補足】［（1）農婦が実際にこのように語ったわけではないだろうが、湖(こ)州周辺の実情を見て詩に詠んだのである。「来年の飢え」がどうなったのか、本章の後半で見ることになる。（2）この詩にある通り、お上は租税を物ではなく銭で納めることを求めた。作物を換金する際に商人に安く叩かれ、そのために没落する自作農が絶えなかった。改革はそのような農民を救済することを一つの目的としていたが、その効果はすぐには挙がらなかった］

■【04-1-084】双荷葉

【解題】この詞はいつ詠んだのか不明だが、賈(か)収(しゅう)［字(あざな)は耘(うん)老(ろう)］のもとにいた「双(そう)荷(か)葉(よう)」という名の若い妓女のために作ったものと推測されている。「双荷葉」の名は、左右に分けて束ねた髪の様子から付けたものであるようだ。賈収は仕官していなかったが、そこそこに裕福であったのだろう。

【訳文】

双溪月。［二つの谷川に映る月］

清光偏照双荷葉。［清らかな光が二枚の荷(はす)の葉をくっきりと照らし出します］

双荷葉。［二枚の荷の葉よ］

紅心未偶、［紅い花のつぼみはまだなくて］

緑衣偸結。［緑の衣をひそやかにまとっているのです］

背風迎雨流珠滑。［風を受けて雨を迎えると珠(たま)となって流れます］

軽舟短棹先秋折。［舟をすばやく進めると秋よりも先に折ってしまいます］

先秋折。［秋よりも先に折ってしまいます］

煙鬟未上、［煙る山の上にのぼる前に］

玉杯微缺。［月はちょっと欠けてしまっています］

【補足】［宴席での御祝儀のような詞であるから、心地よく聞ければそれで十分なのだろう。前半は妓女のまだ幼さを残す様子を歌い、後半はそれが失われてゆくのを惜しむ思いを歌っているのだろう］

■【04-1-085】遊道場山何山

【解題】湖(こ)州の南に連なる道(どう)場(じょう)山(ざん)と何(か)山(ざん)に遊んでこの詩を詠んだ。

【訳文】

道(どう)場(じょう)山(ざん)の頂(いただき)は雲の峰を凌ぎ、

何(か)山(ざん)の麓には深い谷が刻まれている。

山の水が流れる穴ぐらのようなところから出ると、

この山のすばらしさと向き合うことになり、

いくら見ても飽きない。

眼の下には、白く輝く湖が細くどこまでも続き、

眼の前には、青い山が竜のようにわだかまっている。

山が高いために、松は風がなくても音を響かせ、

岩が白いために、急流が下るのかと誤認してしまう。

道場山にある万(まん)寿(じゅ)禅(ぜん)寺(じ)の僧は、

滝の水を放たずに留め、

その池からの反射が庵の中を照らしている。

階段の前に、雲に入るほどの桂の大木があり、

月からきた仙人が植えたものだという。

道場山から出て見返ると、

翠(みどり)の山の中に碧(あお)い瓦と朱(あか)い欄干がぼんやりと見えている。

小川の脇の田圃で路を問うと、

何山はあの溪の奥深くにあるという。

そこは晋(しん)の時代に何(か)楷(かい)が籠って夜も読書をしていたところ、

いまも夜半には時を報せる鶴が鳴くという。

私はいま学問を辞めて山に帰らずにいる。

山を見て、酒に対して、何度も嘆息するのである。

■【04-1-086】莘老葺天慶観小園、有亭北向、道士山宗説乞名与詩

【解題】湖(こ)州の庁舎の北側に天(てん)慶(けい)観(かん)という道教の寺院があり、その小さな庭に孫(そん)覚(がく)知事が作った小さな亭(あずまや)があった。天慶観の道士の山(さん)宗(そう)説(せつ)は蘇軾にその亭の名と詩を所望した。蘇軾は帰(き)雁(がん)亭(てい)と名付け、この詩を作った。

【訳文】

春の風が動こうするとき、

北からの風は微かになり、

帰(き)雁(がん)亭(てい)のあたりでは北に帰る雁を見送る。

しかし、蜀(しょく)からの客［蘇軾］は、

南に遊んで家から最も遠くにきてしまったままだ。

呉(ご)の山々は寒さが尽きて雪がさっと消え去る。

立ち去る舟を見送るようにして花(か)絮(じょ)［楊の花］が乱れ飛ぶ。

この次に知事がまたここに来るときには、

従う客人はかつての人とは異なっている。

道人だけはかつての人を忘れずにいて、

琴を抱いて夕日の中で黙って佇むのである。

【補足】［帰る雁、故郷から遠く離れた蘇軾、そして湖(こ)州から間もなく去る蘇軾、そうした移り変わりをここにいて見続ける道士の心を歌っているのである。できれば、自分が道士のようにここに留まっていたいという思いがあるのだろう］

■【04-1-087】贈莘老七絶

【解題】12月の終わりに蘇軾は湖(こ)州を離れ、その際に孫(そん)覚(がく)［字(あざな)は莘(しん)老(ろう)］に7首の七言絶句を贈った。これを見れば、湖州滞在中に人々と遊んで詩を詠んでばかりいたわけではないことがわかるだろう。

【訳文】

　其の一

ああ、貴君も私も、

世間に群れる人々から長らく離れている。

耳は何も聞かないから、すっかり冷え切り、

心は何も煽(あお)られないから、火の消えた灰となっている。

貴君と私とこうして山に向かっているときに、

もしも世間の事なんぞを口にしたならば、

大きな酒盃を飲み干す罰を与えよう。

【補足】［世間の事を聞かないし口にしないのは、孫(そん)覚(がく)も蘇軾も改革に反対して都を出ているからだ］

　其の二

天(てん)目(もく)山(ざん)の前の水は、我が裾を浸すばかりに豊かであり、

碧(へき)瀾(らん)堂(どう)の下の水には、船と船とが銜(くわ)え合うばかりにぎっしり並んでいる。

ここらに堤防を作って水を防ぐということであるが、

「そんなの関係ない！」

と、私はいってしまいたい。

さあさあ、我等は暇をかこって、

苕溪(ちょうけい)の流れとともに太(たい)湖(こ)に入って行こうではないか。

【補足】［（1）天(てん)目(もく)山(ざん)は春に出張したときに南側から仰ぎ見ていた［→作品番号04-1-033］。（2）碧(へき)瀾(らん)堂(どう)は湖(こ)州にあった当時有名な建物。（2）「そんなの関係ない」と訳した原文は「非吾事」［吾が事に非(あら)ず］。藤(ふじ)原(わら)定(てい)家(か)が日記に書いた「紅(こう)旗(き)征(せい)戎(じゅう)吾(わ)が事(こと)に非(あら)ず」と同じセリフである。蘇軾は湖州での水利事業について視察に来て、事業が無意味であると見たのである。本心としては、改革そのものを「吾が事に非ず」といいたいのだろう］

　其の三

夜になって雨が降ったために、

碧(みどり)の山がより険しくそそり立つ。

そこに雲が浪のように湧き立ち、

町へと流れてくると寒さが増す。

空の極めて澄んだときにしか見られないという弁(べん)山(ざん)は果たしてどこなのか。

四方をそこらじゅう見回して探し出したいものだ。

　其の四

夜、橋の上の燈火が川の水を照らし出すようになると、

もうじっとしていられない。

小舟を放ち、歌いながら行こうではないか。

官(かん)妓(ぎ)を借り出して舟に乗せ、笛を吹いてもらい、

明日の明け方に細い月が上ってくるまで、遊び続けようではないか。

【補足】［官が管理する妓女は「官(かん)妓(ぎ)」とも「営(えい)妓(ぎ)」とも「官(かん)奴(ど)」ともいった。この原詩では「官奴」と表記している。当時の妓女は身の自由を奪われて男性官員に隷従する者であったのだ］

　其の五

三年の間、私は都にいて、まずい飯にもう飽き飽きし、

淮魚(わいぎょ)を楚(そ)粕(はく)に漬けたのを食べたくて仕方なかった。

今日は駱(らく)駝(だ)橋(きょう)の下で船を泊めて見ていたら、

上げた網から銀の刀のような淮魚が、

次から次へと出てくるではないか。

【補足】［淮(わい)魚(ぎょ)の粕(かす)漬(づ)けは湖(こ)州の名物であった。都での飯はまずかったと回顧していることからも、蘇軾が都をあまりよく思っていなかったことがここでもわかる］

　其の六

烏(う)程(てい)の稲は、霜の季節を経て熟しただけに、

香り強く人を襲う。

霅(とう)水(すい)の流れは、

まるで春風を溶かし込んだかのように光り輝いている。

この米とこの水から醸した酒を、

多く酌(く)むのはやめるがよい、

私は醒めるときなく狂ってしまうだろうから。

【補足】［（1）「烏(う)程(てい)」は湖(こ)州近くの地名で、湖州というよりは何かゆかしい感じがあるのだろう、実はこれまでにも原文では湖州ことを「烏程」と表記していた箇所が幾つもあった。（2）霅(とう)水(すい)は湖州の町中を流れる川。（3）終わりの部分は故事を用いて婉曲に述べているところを露わに訳した。（4）其の四以下がことさらに享楽的な感じで詠まれているのは、与えられた任務を忠実に果たすことが良心に反するので、あえて斜に構えているのだろう］

　其の七

去年の十二月には西(せい)湖(こ)の孤(こ)山を訪ね、

僧坊の窓辺を借りて、半日ゆっくり昼寝をして過ごし、

家に帰って妻や子の顔を見ようとは思わなかった。

間もなく私は杭(こう)州に帰るのだけれど、

やはり妻や子の顔を見ようという気はさらさらない。

だから、貴君がまた次の約束をしてくださるのなら、

すぐにここに戻ってくるだろう。

【補足】［これはちょうど1年前に恵(え)勤(ごん)、恵(え)思(し)の2人の僧に贈った詩［→作品番号04-1-001］を踏まえたもの。その詩が評判となって湖(こ)州の孫(そん)覚(がく)にも知られていたのだろう］

■【04-1-088】至秀州、贈銭端公安道、並寄其弟恵山老

【解題】湖(こ)州での仕事を終えると、帰路は東に出て秀(しゅう)州を経由して杭(こう)州に戻った。秀州で、銭(せん)��(ぎ)［字(あざな)は安(あん)道(どう)］に会ってこの詩を贈り、合わせてその弟に寄せた。銭��は官界の先輩で、王(おう)安(あん)石(せき)の改革を厳しく批判した硬骨漢で、このときは左遷されて、秀州で酒税を監督する業務に携わっていた。その弟は常(じょう)州［秀州の北］の恵(けい)山(ざん)に住む道士で、この詩の題では恵(けい)山(ざん)老(ろう)と呼ばれているが、後に銭(せん)道(どう)人(じん)の名で登場する。

【訳文】

鴛(えん)鴦(おう)湖(こ)のあたりは月の光に照らされ、

どこまでも水が広がっているかのよう。

夜に一艘の小舟を放つと、

眠っていた鴛鴦(おしどり)たちを起してしまう。

暁まで遊び、石(せき)橋(きょう)亭(てい)に舟を繋ぐ。

髯(ぜん)御(ぎょ)史(し)殿［先年まで朝廷の御(ぎょ)史(し)台(だい)にいて髯(ひげ)が自慢の銭(せん)��(ぎ)のこと］は、

忝くもこの寒さのなかを付き合ってくれた。

貴君と交わりを結ぶようになったのは最近のことであっても、

情愛はことのほか厚く、

深く心を論じ合える数少ない相手なのだ。

不遇であったことで知られる漢(かん)の時代の蕭(しょう)望(ぼう)之(し)や揚(よう)雄(ゆう)にも似た境遇に、

貴君が置かれていることには、

寂寞として悲しみに耐えられなくなるのだが、

貴君の表情を見ると、

むしろ溌剌としていて、

遷(せん)謫(たく)されるのはかえってよいことなのかと思えてしまう。

天(てん)公(こう)［天を擬人化したもの］が人を苦しめるのなら我等はどうすることもできないが、

世間が抑圧しようとしたところで貴君には意味がない。

毘(び)陵(りょう)［常(じょう)州］の高(こう)山(ざん)［恵(けい)山(ざん)のこと］には、錫(しゃく)で突いたところから泉が溢れ、

陸(りく)羽(う)［唐(とう)代の著名な茶人］はその水に他の味は全て忘れてしまったといった。

弟君はまことに賢く、

若くして衣を払ってこの山に入り、

泉で耳を洗って世俗のことは聞かなくなかった。

山の上に立って湖を望むならば、眼に光が揺れ、

山に下に立って足を濯ぐならば、指に波が生じる。

【補足】［（1）冒頭の鴛(えん)鴦(おう)湖(こ)は秀(しゅう)州の町の南にある湖で、南(なん)湖(こ)とも呼ばれ、鴛鴦(おしどり)がたくさんいることで知られていた。（2）恵(けい)山(ざん)に陸(りく)羽(う)が褒めた水があることは作品番号04-1-037ですでに見ている。（3）詩の終わりにある湖は太(たい)湖(こ)のことであろう。湖のありさまを叙述した後に、原詩にはさらに結びの二句があるのだが、晋(しん)代(だい)の故事を用いていて意味がさっぱりわからなかったので訳せなかった。それでこの訳文は尻切れトンボになっている］

■【04-1-089】秀州報本禅院郷僧文長老方丈

【解題】秀(しゅう)州にある報本(ほうほん)禅院(ぜんいん)を訪れると、蜀(しょく)地方の訛りで話す文(ぶん)長(ちょう)老(ろう)に会ったので、この詩を贈った。

【訳文】

郷里は万里の彼方、

今はただ夢の中だけにある。

子供時代に親しんだ蜀(しょく)音(おん)は、

いまではすっかり呉(ご)音(おん)に変わってしまった。

蜀(しょく)僧(そう)に出会って半日話すうちに、

私はたちまち呉音を忘れてすっかり蜀音に戻り、

峨(が)眉(び)山(さん)の青い山並みがすぐそこの空に聳えているかのような気分にもなった。

文(ぶん)長(ちょう)老(ろう)は蜀音ばかりか実は言葉も忘れて、

仏道の真に奥深いところにおられる。

私は詩を詠もうとして言葉を捜すのだが、

百の句を並べたところでもとより何ら意味がないに違いない。

来年は天(てん)台(だい)山(さん)に登って妙薬を掘り当て、

その霊力でありとあらゆる題材で詩を詠み尽くしたいものである。

【補足】［峨(が)眉(び)山(さん)は蜀(しょく)の名山。天(てん)台(だい)山(さん)は中国の三大霊山の一つで、仏教の聖地。杭(こう)州から遠くないので、杭州任期中に登っておきたいと思っていたのだろう］

■【04-1-090】王復秀才所居双檜

【解題】杭(こう)州に帰った蘇軾は、ある日、町の候(こう)潮(ちょう)門(もん)の外に住む王(おう)復(ふく)の住まいを訪ね、そこにある二本の檜(ひのき)を詩に詠んだ。

　其の一

かつて呉(ご)越(えつ)国(こく)の王が築いた遍(へん)重(ちょう)城(じょう)［杭(こう)州の町をいう］、

そのかたわらにあった池に臨む館、

その跡地にある王(おう)君の庭、

そこには珍しい草、奥ゆかしい花がある。

呉越国は遠い昔に去ってもはや見ることはできない。

ただその名残として、

太平を願って植えられた二本の檜(ひのき)がここに聳え立っている。

　其の二

二本の檜は向かい合って凛(り)々(り)しく立ち、

決して欺き合ったりはしないし、

幹はただ真っすぐに空を凌ぎ、

奇をてらうようなことは決してしない。

根は折れ曲がることなく九(きゅう)泉(せん)［地下の別世界］に達していて、

世間に隠れた竜が潜むのを、

この檜だけが知っているのである。

【補足】［（1）王(おう)復(ふく)の住まいは種(しゅ)徳(とく)亭(てい)と呼ばれ、それについて詠んだ詩を次の章で見ることになる。そこに王復の人となりが記されている。（2）後に蘇軾を嫌う人々は、この第二首は、蘇軾が世間から埋もれた境遇に置かれているのを恨んで皇帝を謗った詩であるとして、蘇軾を告発する一つの材料として挙げた。しかし、この詩はどのように読んでも王復が埋もれていることを惜しんでいるのであって、告発者のような珍解釈をすれば漢文のテストで赤点を取るしかないだろう。皇帝もまた「檜(ひのき)を詠んだ詩がどうして朕と関係しようか」と、告発を却下したという］

■【04-1-091】与林子中

【解題】林(りん)希(き)［字(あざな)は子(し)中(ちゅう)］［→作品番号04-1-008］に宛てた手紙。

【訳文】

貴君は喪に服して、楽しみとすることもなくお過ごしでありましょう。しかも貧乏をされて、何事も困難ばかりといったところでありましょうか。近ごろ、王(おう)存(そん)君からの手紙を得ましたが、貴君と同じようにされています。吾らがこのようでありますのは、つまり逃れようのないものだからなのでしょう。

杭(こう)州にきてからは、俸給でほぼ足りるようになりましたので、甥を一人呼ぼうかと思っています。多忙も少しは緩むでしょうか。これはことさらに言うに足りないことでありますが、つまりは飢えや寒さにはとりあえず窮せずにいられるということです。

これもまた些細な事ですが、近頃何人かの僧を放逐して、改めて別の僧に長老として来てもらおうとしています。いま朝廷に人を派遣して、瑞(ずい)光(こう)本(ほん)師(し)にお願いしようとしています。……

【補足】［（1）王(おう)存(そん)［字(あざな)は正(せい)仲(ちゅう)］は官員仲間で、このときやはり喪に服していた。（2）「甥を一人呼ぼう」としているのは、劉(りゅう)瑾(きん)［→作品番04-1-003］の孫のことであろうと推測されている。（3）瑞(ずい)光(こう)本(ほん)師(し)は宗(そう)本(ほん)禅(ぜん)師(じ)あるいは円(えん)照(しょう)禅(ぜん)師(じ)とも呼ばれ、陳(ちん)襄(じょう)知事は杭(こう)州の浄(じょう)慈(じ)寺(じ)の住持として招こうとしていた。仏教界の主要な人事は国家の管理下にあった］

■【04-1-092】除夜、直都庁、囚繋皆満、暮莫不得返舎、因題一詩于壁

【解題】大晦日の夜、蘇軾は役場に残って仕事をしていた。牢獄には、明日は元日だというのに、裁きが決まっていない罪人が大勢いた。当時は行政官が裁判官も兼ねていたので、蘇軾は未決囚の多さに責任を感じ、思うところを詩に詠んで壁に書いた。

【訳文】

大晦日には早くに家に帰りたいものだ。

しかし、公務があって役所に留まらなければならない。

筆を持ち、書類に向かって不意に涙がこぼれる。

哀れではなかろうか、ここに繋がれている囚人たちは。

法の網に落ちるのを恥とも思わず、

ただただ食うためにしてしまったのだ。

私だって食うために、わずかな給与が恋しくて、

ぐずぐずと故郷に帰れずにいるのだ。

どちらが賢くてどちらが愚かということはない、

同じく食うためにしているだけなのだ。

せめて正月の間だけでも、

囚人たちを家に帰してやりたい……。

昔のそのようなことを実行した立派な人々に恥じ入るばかりだ。

【補足】［未決囚のなかには塩の専売に違反した者もいたのではないだろうか。改革政治は税収を増やすために、塩の専売を強化し、杭(こう)州を含む江(こう)南(なん)は強化のモデル地区とされ、非常に厳重な取り締まりが行われた。それによって犯罪者が大量に生じ、蘇軾はそれらの人々の判決文を書くたびに涙を流したと、別のところで書いている。先祖が絹商人であったと推測される蘇軾には、民間による自由な交易に任せた方がより効率的で全体の利になるという思いがあった］