第3章　不本意な歳月――都、郷里、都、そして旅

［第3章その三］

煕(き)寧(ねい)3年［1070年］、蘇(そ)軾(しょく)35歳。

■【03-3-001】跋内教博士水墨天竜八部図巻

【解題】煕(き)寧(ねい)3年は急ピッチで改革が進められる年となった。蘇(そ)轍(てつ)は、都に留まって門を閉ざし世間との交流を絶っていたが、科挙の二次試験の採点委員に選ばれた。蘇軾は、当時世界最大の都市であった都の治安に関わる雑多な仕事に携わっていたが、そのころの仕事ぶりを示すエピソードは特に伝わっていない。これは呉(ご)道(どう)玄(げん)［呉(ご)道(どう)子(し)］［→作品番号02-1-018の第三首など］の画に書き添えた短文。題にある「内(ない)教(きょう)博(はく)士(し)」の意味はわからないというが、異世界の人々と竜を画いた作品であったのだろう。

【訳文】

これは呉(ご)道(どう)玄(げん)が深く愛した図巻である。だから後世の人間もこれを愛するのである。

私が呉道玄の画を喜ぶのは、鬼神、人物の顔形がいつも新意(ニューモード)を出しているからである。手足の動きが変化を窮め、曲げたり伸ばしたりの長短の勢いの妙は極めて優れている。呉道玄が深く考え、わずかな筆の先も違えずに画いたことについては、言葉でもってほぼ説明できるだろう。しかし、神妙自然［事物の背後にあるもの］を画いて人を喜ばせ驚かせることについては、言葉で説明できない。

いまこの図巻は長(ちょう)安(あん)の雷(らい)氏が所蔵していて、呉道玄の真蹟である。世の人々は呉道玄を画聖と称えているが、ここに述べたようでなかったならば、その名には耐えないのだ。呉道玄はさほどではないという人もいるが、この図巻を観れば、呉道玄が画聖の名に値するかどうか、その是非がわかるだろう。

旧くから、鬼神を画くのは犬や馬を画くよりも難しいという説がある。これは正しくない。鬼神は人が普通に見るものではないが、その歩いたり走ったりする動作は、人の理(ことわり)をもって考えるならば、欺かれることはないはずである。難易は画く者の工(こう)拙(せつ)にあって、画く対象にあるわけではない。そして、工拙の中にも格の違いがある。画は工(たくみ)であっても格が卑(ひく)ければ、駄作であるのを免れないのである。

熈(き)寧(ねい)三年正月二十二日、趙(ちょう)郡の蘇軾書く。

■【03-3-002】次韻楊褒早春

【解題】楊(よう)褒(ほう)が詠んだ早春の詩に和した。楊褒は欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)等とも詩を詠み合ったりしていた官界の先輩である。

【訳文】

街中から奥に引っ込んだ我が家にいて、

なお続く寒さを、私は悩ましげに過ごしていた。

痩せた馬にまたがり、雪の残る道に出てみたところ、

どこかからか春の楽曲を歌う女性の声が聞こえてきた。

いつの間にやら足を延ばし、貴君の家にまできた。

貴君の庭には春の訪れを知らせてくれるものがいろいろにあり、

ここで心のうさを晴らしたらどうかと、

貴君は酒を用意してくれた。

天の運行を司る神が、

おせっかいにも我々の年齢をまた増してくれたと、

恨みがましくいおうとは思わないが、

良い時節と楽しい事とが同時に二つ並ぶのは、

なかなかないと、大昔から決まっているようだ。

しがない役人暮らしの歳月をこれからも重ねるうちに、

過ごした年数の証はただ髪が白くなっただけということになって、

いつしか、訪い来る人のいない門を閉ざし、

そぼ降る雨に打たれながら、

野菜を育てて暮らすようなことになったりするのだろうか。

さしずめ今日のところは、

お上より三日の休暇を頂戴したので、

自分がいまどこにいるのかわからないくらいに、

ぐっすりと眠りたいと願うのである。

■【03-3-003】次韻柳子玉見寄

【解題】同じ頃に、柳(りゅう)瑾(きん)［字(あざな)は子(し)玉(ぎょく)］が都にきて、すぐに出て行った。これは柳瑾が寄せた詩に次韻したもの。柳瑾の息子の柳(りゅう)子(し)文(ぶん)は、蘇軾の伯父の蘇(そ)渙(かん)の娘と結婚していたので、柳瑾と蘇軾は姻戚関係にあった。柳瑾、柳子文、そしてその息子たちは、この後、蘇軾の詩文に何度も登場するようになる。

【訳文】

雷が軽やかに鳴ってぱらぱらと雨が降り、

暁に及んできれいさっぱり晴れ上がった。

春の泥は着物の裾を汚すほどではなく、

行楽によろしい時節になったのだ。

しかし、酒はあるけれど、

門から出たところで良い友がいないので、

仕方なく書物を漫然と眺めていると、

貴君の詩が届き、

「間もなく寒(かん)食(しょく)ともなれば、

　遥か遠くの故郷に思いを馳せ、

　酒を携えて帰りたいと、

　居ても立ってもいらなくなることでありましょう」

まさにその通りだ。

貴君からの迎えがあったなら、

仮病を使ってもったいぶるような野暮な真似はしないで、

何が何でも行くつもりだ。

【補足】［（1）この詩では仮病にまつわる有名な故事を用いているが、大意を理解する上では、細かく詮索するまでもないだろう。（2）柳(りゅう)瑾(きん)は王(おう)安(あん)石(せき)と同じ年に科挙に合格した間柄であったから、もしかすると新しい政治に期待するところがあって上京したのかもしれないが、どうやら不如意なことがあってごく短期間で都から立ち去った］

■【03-3-004】再上皇帝書

【解題】3月［あるいは2月］、蘇軾は、改革を思いとどまるよう、もう一度、皇帝に意見書を差し出した。前回の意見書と比べると、言葉が厳しくてほとんど皇帝を罵らんばかりの勢いで、それだけのっぴきならない事態であると蘇軾は強く受け止めていたのであろう。なお、本文中に新法の名がいくつも挙げられているが、その中身には立ち入らない。

【訳文】

熙(き)寧(ねい)四年三月、殿(でん)中(ちゅう)丞(じょう)直(ちょく)史(し)館(かん)判(はん)官(かん)誥(こう)院(いん)権(ごん)開(かい)封(ほう)府(ふ)推(すい)官(かん)の臣(わたくし)蘇軾は、謹しんで万死を冒して皇帝陛下に再拝上書いたします。

臣(わたくし)はこのように聞いています。

益(えき)は禹(う)［古代の賢臣と聖王］を戒めて、

「賢者に任せたなら、疑いの心を持ってはいけません。邪(よこしま)な者を去らせるときには、ためらってはいけません」

と、いいました。

仲(ちゅう)虺(き)は湯(とう)［古代の賢臣と聖王］の徳を讃えて、

「人を用いるときには自分自身であるかのように信頼し、過ちを改めるときには躊躇しなかった」

と、いいました。

秦(しん)の穆(ぼく)王(おう)は崤(こう)での戦いに敗れたときに、深く悔やんで、

「これは自分の罪であって、大臣の失敗ではない」

と、いい、そのことばを孔(こう)子(し)は『春(しゅん)秋(じゅう)』に記録しました。

古来、最も聡明な豪傑とされているのは漢(かん)の高(こう)祖(そ)皇帝と唐(とう)の太(たい)宗(そう)皇帝でありますが、二人とも諫めを受け入れるのは水の流れに乗るようにすばやく、過ちを改めるのを憚りはしませんでした。それによって、秦(しん)漢(かん)以来の百王の中での冠(チャンピオン)と称されているのです。

孔子はこのようにいいました。［実は『論(ろん)語(ご)』にある弟子の子(し)貢(こう)のことば］

「君子の過ちは日食、月食のようなものである。全ての人がそれを見て、食から回復すると、全ての人が安堵して見上げる」

聖賢の挙動は、以上のように明白で正直でなければならないものなのです。

聖賢が用いる人には邪(じゃ)もあれば正(せい)もあります。行う事には是(ぜ)もあれば非(ひ)もあります。是非と正邪は、必ず二つに分かれ、人は正であれば用い、邪であれば去らせればよく、事は是であれば行い、非であれば改めればよいのです。この理(ことわり)ははなはだ明らかで、飢えたら必ず食べ、渇いたら必ず飲むのと同様で、特別な理屈を設けたり、曲げて粉飾を加えたりして、天下を欺けるようなものではないのです。

『尚(しょう)書(しょ)』にこのようにあります。

「政治が道(みち)と一致しているなら、国は隆盛に向かわないことはない。政治が道から離れて乱れるなら、国は滅びずにはいられない」

陛下が去年から行われている新法は、どれも政治が道と一致するものとはいえません。条(じょう)例(れい)司(し)を立て、各地に青(せい)苗(びょう)使(し)を派遣し、助(じょ)役(えき)銭(せん)を納めさせ、均(きん)輸(ゆ)法(ほう)を行いましたとろ［改革が順次スタートしたことをいう］、全国で騷動が起こり、路傍では恨み嘆く声が聞かれるようになりました。ところが、宰相以下、誰もがその非を知っていながら、敢えて争おうとはしなかったので、臣(わたくし)は憚るところを知らぬ愚かの極みでありますところから、先にこのことについて詳しく論じて上(じょう)疏(そ)いたしました。しかし、臣(わたくし)の学術が浅く低いものでありますために、陛下の御心を動かすには至りませんでした。最近では、もとの大臣や地方の長官などが、争うようにして新法が便宜に適っていないと申すようになりました。本来は陛下と心を一つにするべき台(だい)諌(かん)［官員の不正を指摘する部署］の二三の者までも同じようにいうようになりました。こうして皆が「非」であると一致していうようになったのは、留まるべきところがないままに物議が沸騰し、事勢が切迫してきたからではないでしょうか。目の前の利を見て正しい道理を忘れ、疑うことなく利にしがみつく者でない限りは、「非」がこびりついてしまっている手足をいつまでも洗わずにいることはできないのです。呉(ご)師(し)孟(もう)は提(てい)挙(きょ)［新法を遂行する部署の長官］から辞去したいと願い、胡(こ)宗(そう)愈(ゆ)は検(けん)詳(しょう)［新法の条文を作る部署］に任命をされるのを免れようとしました。これは垢まみれになるのから逃れられなくなるのを恐れたからであります。人心が新法を畏れ憎むことはまさにここにまできてしまっているのです。

近ごろ、朝廷の内外の者が、陛下には悔悟の意(こころ)がおありになると噂し、立派な賜り物でも頂戴するかのように互いに慶賀し合い、陛下が旬日のうちにも詔を下されて、誤った施策を洗い流され、新法を実施するよう各地に派遣した使者を呼び戻し、条例司を廃止するのではないかと期待しております。ただいま側聞するところでは、新法を法規の通りに正しく行うように制限をかけようとされているだけのことであるらしく、ただそれでも何も気づかないままであるよりは遥かによいのでありましょうが、これは孟(もう)子(し)がいうところの「兄の肘をねじっている者に向かって、少し緩めなさいというようなもの［つまり本来の道徳にはやはり反している］」「隣の家の鶏を毎日盗むのはよくないといわれて、盗むのは月に一回だけにするようなもの［つまりただちに盗みをやめるべきだということ］」と同じであって、帝王が過ちを改めるのがこのようにであってよいのでありましょうか。

臣(わたくし)はまたこのように聞いています。陛下は新法はしばらくの間は三つの地域において試みるのでよいと考えておられると。臣(わたくし)は、この新法は、医者が毒のある薬を用いるのに譬えることができるのではないかと考えております。人の生死を左右する効果がどれほどであるのかまだわかっていないのに、それを人に処方してよいのでしょうか。三つの地域の民もまた陛下の子であります。毒のある薬をとりあえず試してみてよいわけではないのです。今日の政治は小さく用れば小さく敗れ、大きく用いれば大きく敗れてしまい、もしも力づくで行い続けるならば、国家は乱れ、さらには亡んでしまうかもしれないのです。これは敢えて極論を申し上げて陛下を驚かせようとしているのではありません。

古(いにしえ)から国家の存亡に関わるのは四者であるとされています。一つ目は民、二つ目は軍、三つめは官吏、四つ目は士(し)大(たい)夫(ふ)であります。この四者の一つでも本来の心を失ったならば、国家に異変が生じてしまうのです。いま陛下は一挙に四者の全ての心を失わせてしまうようなことをなさっているのです。

青(せい)苗(びょう)法(ほう)と助(じょ)役(えき)法(ほう)が行われれば農業は安らかでなくなり、均(きん)輸(ゆ)法(ほう)が行われれば商業は行き詰まり、そこから民の憂いが始まります。また、諸軍を整理して、老病の兵士は放逐し、国境警備の兵士の妻を軍の間に雑居させ、あたかも罰を与えるかのように軍への配給を減らし、罪人を遠くに流すかのように屯(とん)田(でん)兵(へい)を配置するなどの施策は、きっと軍に怨みを抱かせるようなことになるでしょう。朝廷においては、経験のある大臣や侍從と相談するのではなく、専ら新進の若者を用い、また朝廷の外においては、本来の地方官に任せずに、新たに派遣した青苗使者をもっぱら用いています。もとからある部署を閑にさせ老成(ベテラン)の者を追いやるような施策は、官吏の規律をなくしてしまうものです。陛下は軒に出られて自ら官員として用いる士を選ぼうとされていて、天下はこれを「竜(りゅう)飛(ひ)榜(ぼう)」と呼んでいます。いま科挙の進(しん)士(し)科の合格者［蘇軾も進士科の合格者］の一人が除名されて、今後は進士を重く用いることはないということを示されました。除名されたのは一人だけではあっても、これは陛下が進士を嫌って軽んじておられることを示されたもので、長く士大夫の恨みを買うことになりかねません。陛下は、進士を用いるのを次第に減らして、明(めい)経(けい)科の及第者を取ろうとなさっています［科挙制度の改革のこと］。そのことはまだ制度として定まってはいませんが、小(しょう)人(じん)たちが寄り集まって互いに自分たちの功績を誇って必ず新制度を行おうとしています。これは士大夫［官員志望の人々］を失望させるものであります。いま官員の半ばは進士であって、二十歳以上の士大夫は、古典を暗記するだけのような明経科の学習はしておりません。もしも士を取る法令が改まったならば、士大夫の多くは棄てられたとの憂いを抱くに違いありません。人の才能の長短は正確に暗記できることにあるものではありません。昔、秦(しん)は儒学の書物を持つことさえも禁じたために、人々は己の才能が埋もれてしまうことを憂いて、ついには反乱の徒に加わって、秦を亡ぼしたのでした。臣(わたくし)は、陛下がそれと同じことをなさらないよう切に願うのであります。

民が憂い、軍が怨み、官吏の規律がなくなり、士大夫が失望するならば、禍乱の源としてこれより大きなものがほかにあるでしょうか。いまはまだ表面には見えていませんが、ひとたび急変するなら、命を懸けて事を行う［つまり国家に反逆する］士大夫はきっと少なくはないのです。そのときになって、時流に便乗して用いられることを望んだ新進の者たちが、果たして陛下のために天下が崩壊をするのを留めようとして働くでありましょうか。

去年、諸軍の統廃合を始めたときに、陛下の近臣は、兵士は皆喜んでいると陛下に告げました。しかし、近頃、除隊された軍人の李(り)興(こう)が、虎(こ)翼(よく)軍(ぐん)の役人が銭を出し合って賄賂として併合を免れようとしていると告発しました。これは、必ずしも兵士が新たな方針を喜ぶものではないことを示しています。諂諛之人(おべっかつかい)はとかく陛下の意に合うようにすることだけに務め、嘘偽りも憚らずに行うことの、これはその一例であるにすぎません。民は青苗銭を借りることを楽しみ、助役銭を出すことを楽しんでいると報告する者は、どれも信じるに値しないのです。……［以下、青苗法の問題点を挙げる］……

人々は皆このよう申しております。陛下は聖(せい)明(めい)神(しん)武(ぶ)、必ずや正しい義に立ち戻って悪を修正されて、太平をもたらすこと近日のうちであると。しかし、いまの状況は過ちを粉飾し、非をそのまま貫き通そうとしているかのようで、これは臣(わたくし)が憤(ふん)懣(まん)やるかたなく嘆息しないではいられない理由であります。

昔、晋(しん)の時代に賈(か)充(じゅう)が国の政治を左右するようになると、天下の人は憂い恐れました。庾(ゆ)純(じゅん)と任(にん)�ﾄ(がい)が力を尽くして賈充を批判し、賈充が都から出て行くことになったので忠臣義士は誰もが慶賀し合い、維新の日がくるのを指折り数えて待ったのでした。しかし、馮(ふう)忱(しん)のような連中が、「賈公が遠く放たれたなら、吾等は勢いを失ってしまう」と相談し合い、謀(はかりごと)を巡らせたために、賈充はとうとう朝廷に留まったのでした。そのことから、晋朝はついに乱れてしまったのです。古から小人を去らせるのは難しいとされてきましたのは、一人が去るとその一党が崩壊してしまうので、大勢の者が一斉に図って言い募るようになるからなのです。

いま天下の賢者は、陛下が何を為されるのかを観て、進退を決めようとしています。もしももう一度失望するならば、時勢に機敏な士は次々に去ってしまうでありましょう。臣(わたくし)のように地位に安住し、禄を得るのを願って、ぐずぐず去らずにいる者ばかりではないのです。

臣(わたくし)は猖(しょう)狂(きょう)不(ふ)遜(そん)で、陛下の意を損ねることが多々あり、敢えて陛下の�ｪ恩を望むものではありません。伏して首を伸ばして、誅戮を待つ次第です。

【補足】［青(せい)苗(びょう)法(ほう)についてだけ若干の説明を加えておこう。これは、国家が農民に低利で銭を貸し付けて、収穫期に税とともに利息を付けて返済させる制度で、豪民から高金利で銭を借りた農民が返済に行き詰まって農地を手放し、豪民のもとに農地が集まって行く現状を正そうとするものである。制度としては非常に優れたものであるのだが、役人というものは民衆の幸福よりも自身の成績を優先するものであるらしく、銭を借りる必要のない者にまで無理に貸し付けて、新制度は民衆に歓迎されていると朝廷に報告する者が多数現れた。また借りるためには書類を整える必要があるのだが、そのために農民は多大の時間を空費させられたりもした。他の新法も同様に初期においてかなりの混乱をもたらしたのは事実であった［後に新制度が浸透するにつれて本来の利点が活きてくるようになる］。蘇軾の意見書はそのような状況のなかで書かれたものである］

■【03-3-005】答劉巨済書

【解題】これは劉(りゅう)��(けい)［字(あざな)は巨(きょ)済(さい)］への手紙。劉��は10年ほど後輩で、このとき故郷の簡(かん)州［成(せい)都(と)に近い町］で喪に服していて、若くして亡くなった兄の遺稿や自身の詩文を蘇軾に送ってきた。これはそれへの返事。

【訳文】

……賢兄の文格は奇拔で、貴君のいわれる通りまことに立派であります。不幸にして早世しましたが、貴君の労によって不朽の名を残すでありましょう。賢兄が書かれた文章を拝見して、思わず涙がこぼれました。貴君の新しい詩や文は何度も読み返しています。都で私が知るのはいまや司(し)馬(ば)光(こう)君と劉(りゅう)攽(はん)君くらいで、二人に貴君の詩文をお見せしようと思っています。残念なことに、私の声は貴君のことを広く知らせるには勢いが足りないのですが、貴君は人を頼りにするまでもないでありましょう。貴君の『呉(ご)秀才に与える書』で仏教を論じたのは特に優れています。

近年の士人の多くは空理空論を談じ、世間の好みを追うばかりで、何ら深みがありません。そのような者でも科挙で採用されるのは、やむをえず他に採る者がいないからでありましょうか。私は拙く何もよいところがないので、かつて試験場で課題に応じてどうにかこうにか書いたものが、不幸にして人々の間で写し回され、虚名を得てしまったのを深く恥じている次第です。近ごろの科挙に合格して名をなした者は、普段は孔(こう)子(し)や孟(もう)子(し)と同じようなことを言いながら、ひとたび官職を得ると、笑わずにいられる者はわずかしかいません。このようなことから、私はもはや文章を作ることに恥じ、ここ一二年は絶えて作っておりません。貴君はいまはおわかりにならないかもしれませんが、過当な誉れは恥じることばかりであります。

いま弟は貢(こう)院(いん)［科挙の二次試験を実施する役所］に閉じこもっていて、月が改まったならば出てくることでしょう。家(か)孟(もう)侯(こう)君は科挙の一次試験には合格しなかったのですが、太(たい)学(がく)での成績がよかったので二次試験を受けられることになりました。その兄の家(か)安(あん)国(こく)君も同様です。弟の家(か)勤(きん)国(こく)君は一次試験に合格したのでやはり二次試験を受けにきています。……

【補足】［（1）都でよく知る者は司(し)馬(ば)光(こう)と劉(りゅう)攽(はん)しかいないと書いているのは、改革に批判的な人々が続々と都から出て行ってしまったためで、例えば、大恩人の張(ちょう)方(ほう)平(へい)［→作品番号01-2-011など］は1月26日に陳(ちん)州知事に任命されて都を去っている。（2）この手紙が書かれたのは、科挙の二次試験が行われている最中であったので、手紙の後半はそれを話題にしている。弟の蘇轍は二次試験の採点委員として役所に缶詰になっていた。家(か)孟(もう)侯(こう)、家(か)安(あん)国(こく)、家(か)勤(きん)国(こく)の3人は蘇軾の同郷の人々である。蘇軾の幼馴染に家(か)定(てい)国(こく)、家安国、家勤国の三兄弟がいることは作品番号01-2-008で見ている。ある注釈書は、孟侯は家定国の字(あざな)であるとしているが、家定国は蘇軾と同時に科挙に合格していて、なおかつ家安国の兄であるので、恐らく家孟侯は三兄弟の従兄弟なのであろう。なお、劉(りゅう)��(けい)は後に科挙に合格し、官界で活躍するようになる］

■【03-3-006】与楊済甫

【解題】同じころに、故郷の楊(よう)済(せい)甫(ほ)［→作品番号01-2-044］に送った手紙。

【訳文】

近ごろ、お手紙を頂戴し、ますますお元気の御様子に感服し、合わせて皆様が御佳勝ありますことを詳(つまび)らかにいたしました。

私は相変わらずこまごまとした用事に煩わされ、弟は貢(こう)院(いん)に召され、あと半月ほどで出て来ることでしょう。都では春色がすでに盛りでありますが、私はとぼとぼと独り歩いて、楽しみをともにする者がいません。住んでいるところの前には小さな庭があり、童僕に野菜を植えさせていて、少しばかり佳(よ)い趣があります。宜(ぎ)秋(しゅう)門(もん)［都の西南の門］に添っては高い槐(えんじゅ)と古い柳があって、山居に似たところがあって、野山の気分を味わうことができます。

次第に暖かくなってまいります。千万御自重されますように。

【補足】［春の盛りになっても蘇軾は孤独で浮かぬ思いであることがここに記されている。政治情勢を反映しているのだろう］

■【03-3-007】擬進士対御試策

【解題】科挙の二次試験が終わって蘇轍が貢(こう)院(いん)から解放されると、今度は蘇軾が最終試験［殿(でん)試(し)］の監督を命じられた。最終試験は皇帝の面前で極めて厳粛に行われた。このときの試験で首席で合格したのは、葉(よう)祖(そ)洽(ごう)という人物で、祖(そ)法(ほう)［宋代の初めに定められた制度］は時代の変化に合わないところがあるので、それにいつまでも拘泥しているべきではないといった趣旨のことを答案に記していた。これはむろん、改革を急ぐ神(しん)宗(そう)皇帝や王(おう)安(あん)石(せき)の考えに添うもので、多くの及第者もやはり同じような答案であった。蘇軾は、受験生が軽薄にも時勢に迎合しているとして、葉祖洽を首席とすることに異議を唱えたが、それは通らなかった。それで、本来の試験の答案はこうあるべきだと書いてみせたのがこれで、序文に当たる部分だけを読んでおこう。

【訳文】

右の臣(しん)は宣(せん)命(めい)によって集(しゅう)英(えい)殿(でん)に召され、編(へん)排(はい)挙(きょ)人(じん)試(し)巻(かん)を務めました。竊(ひそか)に見ますに、陛下は旧制を革(あらた)められますに、士に問題を課すのに詩賦は無益であるとの声を多数聞かれて、朴直の論を為す者を民間から求めようとなさいました。陛下が広く聴かれるとのことを、朝廷の内外の者は喜びましたが、試験に関わった者は陛下の御心のもとを推し量ることができなくて、いずれもが得失だけを浅く考えて、敢えて政治の欠陥を指摘することなく、ただ時勢に阿(おもね)る者ばかりが成績の上位を占めてしまいました。陛下が深くそして切に人を求めておられますのに、下の者がこのような応じ方をしてしまったのを、臣(わたくし)は竊に深く悲しむのであります。そもそも試験で書かれた文章はいまの風俗［世間の価値観］に直結し、合格者の書いたものはいずれも天下の規範とされ、一方で落第者が書いたものはよろしくないものとして天下の戒めとなります。昔、宋(そう)朝(ちょう)の初めのころは、辞律［語彙の華麗さとリズムの良さ］を重んじて、詩賦が得意な士が技巧を駆使しました。嘉(か)祐(ゆう)年間からは、古文［欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)が提唱した内容重視の簡潔な文章］を貴いとして、策論［課題論文］が盛んに行われ、詩賦は重視されなくなりました。このことは利のあるところ［科挙の合否に直結すること］へと人々はきっと移って行くことを示しています。いま策論をもって士を取り、その上位を諂諛(おべっかつかい)の者が得たのを天下の人々が観たならば、誰が敢えてそれに倣うまいとするでしょうか。臣(わたくし)が恐れますのは、今よりこの後には、皆が率先してその流れを作って、直(ちょく)言(げん)科(か)［蘇軾が合格した制(せい)科(か)］を受ける者までもが、敢えて直言しなくなるのではないかと。こうして風俗が一変してしまったなら、もう取り返しがつきません。正しいことをいう人は消えてしまい、それに従って国は衰微してしまうでありましょう。臣(わたくし)は憤懣に耐えられず、退いて模範となるべき答案を書いてみました。臣(わたくし)の学術は浅く狭く、現在の切実な問題を尽く知っているわけではありませんので、ただ聞いていることを端的に申し上げるだけであります。陛下におかれましては、広く聞かれて、万に一つでもお考えを広めることに役立てばと思うだけです。そして、世間には、陛下の本当のお心は直言を少しも嫌うものでないことを示せればと思うのであります。そうすれば、風俗が破壊されて行くのを少しは救うこともできるでありましょう。……

【補足】［神(しん)宗(そう)皇帝はこの模範答案を受け取ると、王(おう)安(あん)石(せき)に見せて意見を求め、王安石は「蘇軾は才能あっても、その学問が正しくないために、このような不逞の論文を書くに至ってしまいました。もはや罷免すべきであります」と答えたという。神宗皇帝は蘇軾を咎めることはせず、王安石が再度罷免を求めても、それに応じることはなかった。推測するに、神宗皇帝の国政改革の意志は強く、王安石のプランが最上であると確信していたのだが、その一方で、蘇軾の意見にも見るべきところがあり、さらには蘇軾の率直な物言いを好んでいたのだろう。それで、このあとなお1年余りは蘇軾は都に留まることになる］

■【03-3-008】送銭藻出守婺州得英字

【解題】3月に、銭(せん)藻(そう)が婺(ぶ)州知事として都から出て行くのを見送った詩。送別の宴で銭藻がまず五言絶句を詠み、それに使われた20個の文字を一つずつ出席者に配り、それを韻にして各々が詩を詠んだ。蘇軾には「英」の字が割り当てられた。

【訳文】

高い志を持った人は、

都の宮殿の内で安楽に過ごすのは好まないとされ、

優れた手腕の持ち主は、

問題山積の地において仕事をするのを好むという。

貴君は地方官の辞令を得て、

朝廷で着用していた衣類を、田舎の清流で洗うことになった。

これから行かれるのは、山水がまことに佳(よ)いところ。

まだ着かないうちから、貴君の心はすでに清らかになるであろう。

赴任の途中で貴君は故郷に立ち寄り、

土地の人々は酒を携えて喜んで郊外に出て貴君を迎えるであろう。

貴君はこのたび願うところを得たわけだが、

残る者は悲しい思いに沈んでいる。

我が君は賢人を求めることに急で、

日の暮れるまでずっと邇(じ)英(えい)閣(かく)に出ておられる。

昔、燕(えん)国(こく)の昭(しょう)王(おう)は黄(おう)金(ごん)台(だい)を築いて楽(がく)毅(き)を招き、

楽毅は軍事力の増強と他国との連携を図り、

宿敵の斉(せい)国(こく)と戦った。

燕国は勝利を重ねたけれど、

最終的な勝利を得るには至らず、

昭王が死んでしまうと楽毅は亡命し、

黄金台は虚しく朽ちてしまった。

趙(ちょう)国(こく)の孝(こう)成(せい)王(おう)は宝玉をもって虞(ぐ)卿(けい)を招き、

虞卿は王のために種々の策を建てた。

その策は巧みであったけれど、

趙国の衰退は加速するばかりで、

虞卿自身も窮乏のうちに晩年を過ごさねばならなかった。

楽毅や虞卿のような者を招くのに忙しいいまの朝廷にあって、

貴君は卑下することなく、義を説き続けた。

しかし、その声は高い山に虚しくこだまするだけであった。

別れに臨んで、これ以上の言葉を尽くすのはよそう。

酒が醒めて後に、

言い過ぎたと我ながら驚かなければならなくなるだろうから。

【補足】［（1）蘇軾は「英」の字を皇城にある邇(じ)英(えい)閣(かく)の名に用いた。このところ皇帝と王(おう)安(あん)石(せき)は改革の実行部隊となる人材を朝廷に集めるのに忙しく、前の文章で見たように、科挙の最終試験でも改革の理念に共鳴する論文を書いた者を合格させている。その一方で、かねてから朝廷に仕えていた人々は続々と外に出ることを余儀なくされ、銭(せん)藻(そう)もその一人であった。この詩は、そうした現状を批判しているのだが、原詩は歴史上の故事を多数引いているお蔭で、この訳詩よりはオブラートに包まれている。（2）この詩に引かれた楽(がく)毅(き)について蘇軾が論じているのを作品番号02-1-005で見ている。そこでもここでも楽毅の評価は低い。（2）銭藻は名家の出身で、風格があり、人々から「長者」と呼ばれていた。実力主義の宋(そう)代(だい)であっても、皇族や特別の家柄はやはり重んじられた。銭藻は江戸時代でいえば外様大名の子孫に当たる。唐(とう)王朝が亡んだ後、各地に地方政権が分立する五(ご)代(だい)十(じっ)国(こく)時代となり、「十国」の一つに杭(こう)州を都とした呉(ご)越(えつ)国があった。銭藻は、呉越国の創始者の銭(せん)鏐(りゅう)の五世の孫。呉越国は銭氏のもとで比較的安定した数十年間を過ごし、経済的、文化的に豊かであった。宋による天下統一が見えてきたとき、呉越国は宋との決戦に出ることなく領地を差し出したことから、銭氏は宋の朝廷で優遇された。銭藻は皇帝のブレーン集団の1人として長らく朝廷にいたのだが、改革派と意見が合わずに都から出ることになった。詩中にある銭藻の故郷とは杭州で、蘇軾はこの後、杭州に赴任して銭氏の遺した文化遺産に親しく触れるようになる］

■【03-3-009】送安惇秀才失解西帰

【解題】蘇軾兄弟がともに関わった科挙が終わると、合格者と落第者とで画然と悲喜が分かれ、合格者は意気揚々と、落第者は意気消沈して故郷に帰って行った。これは落第した安(あん)惇(じゅん)という若者を見送った詩。

【訳文】

旧(ふる)くから伝わる書物を、

厭(いと)うことなく繰り返し繰り返し熟読し、

さらに深く思うならば、

君は自ずから全てを知るであろう。

そうなったならば、高い位に昇るのは、

もはや免れようとしてもできるものではない。

いまのこの足踏みをいつまでも続けていられはしないのだ。

かつて私は、人々との交わりを絶って家に籠り、

勉強に専念して、庭の花さえ見る暇もなかった。

その後、官位を慕って東にきて、

学問を捨て、子供の戯(ざ)れ事のような政界に飛び込み、

愚かな百の企画、誤った百の計画は、

全て成し遂げられないままに、

白髪だけが約束事のように増え続けた。

故郷の山には私が植えた松がある。

それは着実に成長し、

じきに抱えるばかりの太さにまでなるだろう。

その木のもとに帰れるのはいつだろうか。

全ては運命の定めるところなのか。

官界での私のこの十年は、

ばかばかしいどたばたでしかない。

だとすれば、君が故郷に帰るのと私は都に残るのと、

一体どちらが得るものが多く、どちらが失うものが多いのか。

君との別れに臨んで、長く嘆息するのである。

【補足】［（1）この詩の冒頭で、古典を熟読せよとのアドバイスには、先に見た模範答案の序文にあったように、今回の科挙の合否判定への不満が反映しているのだろう。（2）「故郷の山には私が植えた松がある」とは、父と妻を葬った墓地のまわりにたくさんの松を自ら植えたことをいう。（3）先の蘇(そ)不(ふ)疑(ぎ)への手紙［→作品番号03-2-001］に、甥の蘇(そ)林(りん)も受験したと記していたが、蘇林は残念ながら不合格となった］

■【03-3-010】与子明兄

【解題】従兄の蘇(そ)不(ふ)疑(ぎ)［字(あざな)は子(し)明(めい)］への手紙。弟の蘇轍が都を出たこと、蘇不疑が訴訟事に巻き込まれたこと、蘇軾はあくまでも都に留まって新法に反対し続ける覚悟であることなどが記されている。弟は、陳(ちん)州知事となった張(ちょう)方(ほう)平(へい)［→作品番号03-3-005］に、陳州の学校の教授として招聘されたのに応じて都を去った。蘇不疑がどのような事件に巻き込まれたのかはよくわからない。

【訳文】

馬(ば)逓(てい)鋪(ほ)［宋(そう)代(だい)の郵便機構］からお手紙を受け取り、兄上［蘇(そ)不(ふ)疑(ぎ)のこと］も皆様もお健やかであると知り喜んでおります。私たちもそれぞれ恙なく、陳(ちん)州に行った弟も平穏に過ごしています。

近ごろ、蜀(しょく)から報告書を携えた役人がきて、十日ほどで帰りましたが、訴訟事件について詳しく聞き、死罪を免れないような者が出るかもしれない事態であるとのことで、深く憂いております［このころ蘇不疑はある事件に巻き込まれてしまったようである］。聞くところでは、孫(そん)固(こ)殿が審理に当たるので、きっと罪を軽くされ、さほど重い罰は下されないであろうとのことです。どうか御安心ください。

蒲(ほ)宗(そう)孟(もう)君は検(けん)正(せい)になりました。これは以前の孔(こう)目(もく)房(ぼう)です。その職務をよく果たすでしょう。……［以下、共通の知人の消息が幾つか記される］……

いまでは青(せい)苗(びょう)法(ほう)に反対する者は、宰相であっても都に留まることはできなくなっています。私ももしも外に出て行かないのならば、自分の考えを曲げて世に随うようなことはできないので、粉々に砕け散るのでありましょう。外に出ることはまだ求めていませんので、しばらくは都で遊びます。……

【補足】［ここで名の挙がっている蒲(ほ)宗(そう)孟(もう)［字(あざな)は伝(でん)正(せい)］は、蘇(そ)不(ふ)疑(ぎ)の兄の蘇(そ)不(ふ)欺(ぎ)の妻の弟である。作品番号02-3-013で見た蒲(ほ)誠(せい)之(し)も同族である。このとき、蒲宗孟は学士院の一員として検(けん)正(せい)中(ちゅう)書(しょ)戸(こ)房(ぼう)兼(けん)修(しゅう)条(じょう)例(れい)に任ぜられた。「以前の孔(こう)目(もく)房(ぼう)」とあるのは、改革に伴って旧来の官僚機構が大幅に改められたからである。王(おう)安(あん)石(せき)の合理主義は官制にも及んだのである］

■【03-3-011】書緑筠亭詩

【解題】上の手紙で、宰相であっても朝廷には留まれないとあったが、王(おう)安(あん)石(せき)とともに副宰相を務めていた趙(ちょう)抃(べん)が4月に杭(こう)州知事として都を去った。趙抃は蘇(そ)洵(じゅん)が初めて官職を授けられたときに尽力してくれた人である［→作品番号02-1-001］。趙抃は初めは王安石の才能を高く評価し、朝廷に起用するよう皇帝に勧めたのだが、改革が具体化するにつれて批判する側にまわり、ついには自身が朝廷に留まれなくなってしまった。ここに訳すのは遥か25年後の文章で、趙抃が杭州に行く前に都で若干の交流があったことが記されている。

【訳文】

愛竹能延客、［竹を愛し、同好の士を客として招き入れる］

求詩剩掛墻。［客人に詩を求め、それを壁に掛ける］

風梢千纛乱、［梢を吹く風に、竹は千本の旗のように乱れる］

月影万夫長。［月の光に、竹は万人の影を伸ばす］

谷鳥驚棋響、［谷の鳥は碁を打つ音に驚き］

山蜂識酒香。［山の蜂は酒の香りを知っている］

只応陶靖節、［ここの主人は、陶(とう)淵(えん)明(めい)と同じく］

解聴北窓涼。［北の窓辺の涼しさの妙味を知っているのである］

かつて私は清(せい)献(けん)先生［趙(ちょう)抃(べん)］から緑(りょく)筠(いん)亭(てい)についての詩を詠むよう求められた。

清献先生は、

「緑筠亭は我が故郷の人、梁(りょう)処(しょ)士(し)の住いである」

と、いわれた。

それから二十五年後に梁処士の子の梁(りょう)琯(かん)に会い、緑筠亭の詩を書くよう求められた。

紹(しょう)聖(せい)二年四月十三日。

【補足】［（1）冒頭の詩は、趙(ちょう)抃(べん)の依頼で、衢(く)州にある緑(りょく)筠(いん)亭(てい)の主(あるじ)である梁(りょう)処(しょ)士(し)［処士は官職に就かない人］の人となりを想像して詠んだもの。その詩は梁処士のもとに届けられたのだろう。それから25年が経って、梁処士の子の梁(りょう)琯(かん)が、衢州から数百キロ離れた恵(けい)州まで旅をして、その地に流されていた蘇軾を訪ね、一筆揮ってもらったのである。（2）「北の窓辺の涼しさの妙味」とは、夏の北の窓の下に寝そべって涼しい風に吹かれていると太古の人になったような気がすると、陶(とう)淵(えん)明(めい)が詩に詠んだことに基づく］

■【03-3-012】送呂希道知和州

【解題】呂(りょ)希(き)道(どう)が和(わ)州の知事として赴任するのを見送った詩。呂希道は、仁(じん)宗(そう)皇帝のもとで長く宰相を務めた呂(りょ)夷(い)簡(かん)の孫。名家の出で、つまりは保守派であったから、改革政治とは相容れないところがあったのだろう。

【訳文】

去りし年には、貴君が解(かい)州の知事になるのを見送り、

今のこの年には、貴君が和(わ)州の知事になるのを見送る。

人が地方に赴任するのを繰り返し見送る間に、

私の胸や腸(はらわた)は、都の塵芥(ちりあくた)でいっぱいになってしまった。

貴君の家は三代にわたって朝廷の重臣を出し、

貴君に至っても貴さはなお続いている。

鳳(おおとり)の雛は生まれながらに鳳に、

名馬の子は生まれながらに名馬になるように、

貴君に伝わる非凡な風格を見れば、

必ず剣を帯びたまま皇帝のもとに伺候するようになると知れる。

しかしながら、

小さな町から馬に乗って都に帰ってきたばかりで、

今度は船に帆を上げて、

また小さな町へと慌ただしく出て行かなければならない。

私こそ、川や海をさすらうのが性に合っているはずであるのに、

恥を忍んで、ここらでうろうろしている。

貴君を見送り、言葉なく嘆息する。

ああ、河の水はかくも美しく、

かくも遥かにどこまでも流れて行く――

【補足】［「私こそ……」の原文は「我生本是便江海」［我(わ)が生(せい)は本(もと)より是(こ)れ江(こう)海(かい)を便(びん)とする］。蘇軾はしばしば「江(こう)海(かい)」の語を用いているが、これは文字通りの「江(かわ)や海(うみ)」の意味ではなく、狭苦しい都会に対して、自然に近い広々とした鄙びた土地を意味する］

■【03-1-013】夜宿秘閣呈王敏甫

【解題】当直として秘(ひ)閣(かく)［学士のメンバーが務める役所］で夜を過ごしたときに詠んで、王(おう)敏(びん)甫(ほ)という同僚に見せた詩。秘閣には昭(しょう)文(ぶん)館(かん)、集(しゅう)賢(けん)館(かん)、直(ちょく)史(し)館(かん)の三館があり、蘇軾は直史館の一員として首都の仕事を兼務していたので、時に直史館に泊まり込むこともあったのだろう。

【訳文】

遥か東の海に浮かぶという蓬莱山(ほうらいさん)や瀛(えい)州山(しゅうざん)、

そこにある神仙の宮殿と同じく、

ここ大(だい)宋(そう)の皇城は俗世間の塵から遠く隔たり、

皇帝がお好みになる天上界の香りが、

私の宿直する建物にも漂ってくる。

冷たい光が宮殿の瓦に注がれているありさまは、

月光のもとに鴛(おしどり)が伏すかのようであり、

淡い靄が高い楼閣になびいているありさまは、

雲の内に鳳(おおとり)がわだかまるかのようである。

夜の更け行くのをここで過ごす私は、

古今の治乱を論じる相手もなく、

ただ一人で少々の酒と向き合うだけである。

隠者の最たる者はあえて山に隠れるまでもなく市中にいるという。

ならば、ここ皇城の内にあっても、

夜空を飛ぶ鶴を見上げ、

暁に鳴く猿の声を聞く情趣を、

味わえないことはないのであろう。

【補足】［宮中を仙界に譬えるのは詩における一つ約束事のようなものである］

■【03-3-014】跋文与可墨竹

【解題】4月に、文(ぶん)同(どう)［字(あざな)は与(よ)可(か)］［→作品番号02-4-018］が上京してきた。それは政策論争に疲れた蘇軾にとって大きな救いとなった。文同とは姻戚関係があり、官員として先輩で、詩や画を得意とし、画は墨でひたすら竹ばかりを描いていた。これは文同の竹の画に添えた小文。

【訳文】

かつての文(ぶん)同(どう)は、質の良い紙を見ると、すぐに気持ちが昂ぶり、居ても立ってもいられなくなり、自分で自分を制止できないままに筆を揮い、竹を描いた。描き終えた墨の竹を人々が争うようにして持ち去っても、文同は少しも惜しみはしなかった。

その後、人々が筆と硯を用意して待ち受けるようになると、文同はもぞもぞした挙句に、ぷいと逃げ去るようになった。人が何とかして頼み込んでも、一年経っても、二年経ってもなかなか描いてもらえなかった。

ある人がその訳を尋ねると、文同はこういった。

「私は、道(みち)を学んで理解できないところがあると、思いが停留してどうすることもできなくなり、それが一気に噴出すると、墨の竹となったのでした。それは私の病(やまい)であったのでしょう。今はたぶん病が癒えたのだと思います」

しかし、私が見るところ、文同の病はまだ治っていない。身の内に納めていられないものがあれば、どうしたって発せずにいられはしないのだ。私はその発する頃合いを見計らって竹を描いてもらい、その画を我が物とした。こうして文同の病を利用するのは、実は私にも同様の病があるからなのだろう。

■【03-3-014】朱寿昌梁武懺賛偈

【解題】文(ぶん)同(どう)は都にくると、朱(しゅ)寿(じゅ)昌(しょう)という極めて珍しい奇特な人物がいることを人々に話した。朱寿昌は幼いころに母と別れ、それから40年以上経ってから、何としてでも生きている間に母と再会したいと、官職を棄てて母を探す旅に出た。文同は都に向かう途中のとある町で朱寿昌とたまたま同宿し、その身の上話を聞いたのである。朱寿昌はわずかな手がかりを頼りにこれから金(きん)州に向かうところであるといった。都の人々が朱寿昌のことを噂し合ううちに、6月になって、長(ちょう)安(あん)から朱寿昌が母親に会えたとの報せが届いた。朱寿昌がついに母を尋ね当てたことは特筆すべき事柄として、『宋(そう)史(し)』にも記録されているので、その部分をまず読んでおく。

【訳文】

『宋(そう)史(し)』列伝第二百十五

朱(しゅ)寿(じゅ)昌(しょう)、字(あざな)は康(こう)叔(しゅく)は、揚(よう)州(しゅう)天(てん)長(ちょう)の人である。父の朱(しゅ)巽(そん)の恩(おん)蔭(い)で監(かん)主(しゅ)簿(ぼ)となり、……［以下、官界における経歴が記される］……

朱寿昌の母の劉(りゅう)氏は朱巽の妾であった。朱巽が京(けい)兆(ちょう)府［長(ちょう)安(あん)］の知事であったときに、劉氏はちょうど妊娠していたのだが、（朱巽が転勤するのに際して）家を出されてしまった。朱寿昌は（母のもとで生まれ育ち）数歳のころに父の家に帰り、母と子はそれより五十年間は音信が途絶えたままとなった。（朱寿昌はこのままではもう母に会えずに終わってしまうとにわかに思い立って）四方に母を探し求め、酒や肉を口にしなくなり、母のことをいうときには必ず涙を流した。仏教の法を用い、背を灼いたり頭を焼いたり、肌を刺して血でもって仏教の経典を書いたりして、力を尽くしたのだが、母の行方は知れなかった。煕(き)寧(ねい)年間の初めに、「母に会えるまでに帰ってこない」と、家族に別れを告げ、官職［広(こう)徳(とく)軍(ぐん)の知事であった］を棄てて秦(しん)の地［長(ちょう)安(あん)の周辺］に入った。そしてついに同(どう)州において母に会ったのだった。劉氏はこのとき七十歳を過ぎていて、党(とう)氏の妻として数人の子がいた。朱寿昌は母とその子等を迎えて帰った。

京兆府の銭(せん)明(めい)逸(いつ)が母子再会のことを朝廷に報らせ、皇帝は詔をもって朱寿昌を官職に戻した。これよりその孝行の名が天下聞こえ、王(おう)安(あん)石(せき)、蘇(そ)頌(しょう)、蘇軾以下の士(し)大(たい)夫(ふ)が争って詩でそのことを讃えた。朱寿昌は母を養うために河(かわ)中(ちゅう)府に赴任することを求めた。数年で母が亡くなると、朱寿昌は喪に服して、悲しみの余り失明するばかりとなった。……

【解題】上の訳文にあるように、蘇軾も朱(しゅ)寿(じゅ)昌(しょう)を讃える詩を詠んだのだが、それはこれより1年後のことであるので後に見るとして、さらに10年後の元(げん)豊(ぽう)3年の作品の方をむしろ先に読んでおこう。これは朱寿昌が書いた『梁(りょう)武(ぶ)の懺(ざん)』に書き添えた偈(げ)［仏説を賛美する韻文］で、その序文の部分だけを訳す。『梁帝の懺』とは、南朝時代の梁(りょう)朝(ちょう)の武(ぶ)帝(てい)が、先に亡くなった妻を救うために作った懺悔文。妻は生前に犯した悪事のために死後は大蛇に生まれ変わり、その苦しみを武帝に訴えたので、妻の代わりに懺悔したもので、仏の力によって妻は大蛇の身から放たれて往生したのだった。

【訳文】

私が世間を観(み)るに、もろもろの道(みち)を得た者は、その初めに苦悩があった。苦悩が極まり、それを訴えるところがないと、人は父母を呼ぶ。父母が聞いてくれなければ、仰ぎ見て天を呼ぶ。天も救ってくれないのなら、これは運命によるもの、仏の定めだとする。仏の大悲は方便として、まずもろもろの苦しみ与えるが、そのもとには愛がある。愛を得ると喜びがあり、愛が犯されると怒りがあり、愛を失うと悲しみがあり、愛が傷つけられると懼れがある。この愛の始まりはどこから生まれるのか。つらつら観察するに、愛が尽きると苦も滅んで、安楽なところが得られるのだろうか。諸仏は愛別離苦をいう。父母との離別の苦しみは無量で、離別の中でも生きての別れが最も苦しい。

ここに大いなる長者がいて朱(しゅ)寿(じゅ)昌(しょう)という。生まれて七歳で、母は息子を置いて去ってしまった。年を重ねるにつれてますます母を懐かしく思うようになり、泣いて泣いて母を追い求めた。肌を刺して血を取って経を写し、仏を拝んで懺悔した。そうして、母と別れて四十余年にしてついに母に再会した。

朱寿昌は仏の恩に報いるために、そして衆人の苦しみを救おうと考えて、いろいろな教門を観て、自分の思いに最も近いのは、梁(りょう)の武(ぶ)帝(てい)が説いた懺悔であると知った。その文は重々しく、また奥深く、衆生の理解できないところもあるが、その語や音律は人々が歌詠して賛嘆し、福を獲ること無量である。ここに蜀(しょく)人の蘇軾はこのことを聞いて随喜し、その偈(げ)に曰く。……

【補足】［これは母の死を朱(しゅ)寿(じゅ)昌(しょう)が失明するばかりに悲しんでから数年後の作品で、朱寿昌はなおも母のことを思い続けていて、蘇軾に執筆を依頼したのである］

■【03-3-016】墨君堂記

【解題】文(ぶん)同(どう)はとにかく竹ばかりを描き、その画を納める建物を作って「墨(ぼく)君(くん)堂(どう)」と名付けた。これはその由来を書いた文章。

【訳文】

私が見るに、一般に人が人を呼ぶとき、相手が貴人であれば「公(こう)」といい、相手が賢人であれば「君(くん)」といい、それ以下であれば「爾(じ)」とか「汝(い)」とかいう。公(こう)卿(けい)の身分にある人に対して、その地位に畏れはしても、心に服さないときには、世間の人々は公的な場では「君」といいつつも、私的な場では「爾」とか「汝」とかいって軽んじるのはよくありがちのことだ。

かつて、王(おう)徽(き)之(し)［書(しょ)聖(せい)といわれた王(おう)羲(ぎ)之(し)の子］が人から空き家を借りてしばしの仮住まいをしたときに、すぐに竹を植えたので、

「どうせじきに出て行くのだから、何もわざわざ『爾(それ)』を植えるまでもなかろうに」

と、ある人がいった。

王徽之は、

「かの『君』なくして一日も過ごせるものではない」

と、答え、それ以来、天下の人々は、竹は必ず「君」の敬称で呼ぶようになった。

文同は墨で竹(ちく)君(くん)の姿を象(かたど)るのを得手としている。文同は墨で竹を描いた「墨(ぼく)君(くん)」を納めるための堂を作り、竹君の徳を頌(ほめ)たたえる文章を書いてほしいと私にいった。文同が竹君に寄せる思いはまことに厚いものがある。

文同の人となりはといえば、沈着冷静でありながら華やかさがあり、聡明冷徹でありながら真心がある。潔さを身に具え、広く物事に通じようと、朝夕に己を磨く努力を重ねている。文同と交際したいと願うのは、一人だけだということは全くないのだが、文同が厚く思いを寄せるのはただ一人、竹君だけである。

竹君は飾り気がなく、しなやかで強い。人の耳、目、鼻、口を楽しませる声や色や香りや味はない。文同が竹君を厚く思うのは、竹君が賢君であると考えるからだ。

世間というものはなかなかに厳しい。人を震え上がらせたり、冷や汗をぐっしょりかかせたりする。だからといって、霜や雪や風や雨が直接に肌に当たる厳しさほどのことはない。それでも、世間の厳しさに挫け、己の保持するところのものを見失ってへらへらしている連中は少なくない。植物を見ても、季節の移り変わりに応じて大きく変わるのが普通だ。しかし、竹君だけは四季に左右されるところがない。

竹君は賢君であると、文同でない人もいいはする。しかし、文同こそは竹君を最も深く理解し、竹君が賢君である真の理由を最もよく知っている。文同は談笑しながら筆を執り、獅子奮迅の勢いで墨を注ぎ、竹君の徳をことごとく描き切る。

文同は、竹君の幼い姿も、成長した姿も、老いた姿も描き、折り曲げられて一度は伏してもすぐさま立ち上がる勢いを描き、風雪の厳しさの中でも保っている本性を描き、切り立った崖にあっても真っ直ぐに伸びようとする志を描く。思いのままに大きく成長して高々と茂っても驕らず、思いの通りにならなくて小さく低いままでも恥じ入りはしない。群がり立っても依存し合わず、一本だけでも恐れるところはない。

文同は竹君の情(こころ)を完全に理解し、その本性をことごとく描き切る。

私はまだまだ竹君を知っているとはいえない。文同に習って、文同の墨君の弟や子や孫や友人の象(かたち)を描いてみたいと思っている。行く行くはその画を我が部屋に納めて、墨君堂の別館ということにしたいものだ。

■【03-3-017】送蔡冠卿知饒州

【解題】8月には送別の詩が続く。これは蔡(さい)冠(かん)卿(けい)を見送った詩。蔡冠卿はある刑法の解釈を巡って王(おう)安(あん)石(せき)と激しく論争し、議論では負けなかったものの政治力によって敗れ、都を出て行かざるを得なかった。

【訳文】

貴君が人と交際しているありさまを見ていると、

大きな声で笑いながら語るのでは、

貴君が一番だといってよい。

まことに大らかであり、

おやっと怪訝に思わせるようなおかしなところはない。

しかし、何か事があったときに、

迂(う)闊(かつ)な振る舞いに及んでしまうのでは、

私以上であるようだ。

前に落とし穴が見えていれば、

誰だって気を付けるし、

道に金銀宝石がばらまかれていれば、

誰だって拾おうとするだろう。

そういう場面で、世間の人はころっと変わり、

堅物(かたぶつ)だと評判だった人が、

たちまちぐんにゃりしてしまったりするものだ。

貴君ときたら、

たった一人で昔の法規を守り続けようとしたために、

船を漕いで遠くに行かねばならなくなってしまった。

まことお気の毒さまである。

天をも駈ける馬が、

そこらののろまな牛の後ろにくっついて、

ひょこひょこ歩かなければならなくなったと、

嘆いたりしなさんな。

猛火の中に投げ込まれてこそ、

宝玉はその真価を発揮するというではないか。

世間の事は一(いっ)炊(すい)の夢のようなものだ。

人生がどこまでもがたがた道ということでもないだろう。

貴君が法の基本を順守しようとしたことで、

救われた者も多くあったのだから、

貴君自身には返ってこなくても、

その徳の報いは、必ず貴君の子孫に及ぶであろう。

■【03-3-018】送劉攽倅海陵

【解題】劉(りゅう)攽(はん)［字(あざな)は貢(こう)父(ふ)］が都を去るのを見送った詩。劉攽は劉(りゅう)敞(しょう)の弟［→作品番号02-1-016］。劉攽とはこれから長く交流が続く。やはり王(おう)安(あん)石(せき)と対立して都を出て行くことになった。

【訳文】

貴君は知っているだろう、

阮(げん)籍(せき)が人の良し悪しを決して口にしなかったのを。

吾輩には舌があり、硬い歯があると、誇ってはいけない。

舌や歯は、旨い酒を飲むためだけに使うのがよい。

書物なんぞはたくさん読まないのがよい、

詩なんぞは巧みでないのがよい。

貴君がこれから行く海辺の地は何もないところだ。

毎日毎日酒に酔っていればよい。

間違っても夢に朝廷を見たりしなさんな。

私は来るべき春の味覚を貴君と楽しみたいと思っていた。

しかし、昨夜、庭の木に秋風を感じたばかりであるのに、

貴君はもう遠くに行ってしまうのだ。

貴君は行ってしまっていつ帰るのか。

貴君が植えた桃の木に花が咲くのはいつの春なのか。

すっかり白髪になってしまった貴君が、

その花を愛でることになるのだろうか。

【補足】［訳詩の2行目にある阮(げん)籍(せき)は晋(しん)の時代の「竹(ちく)林(りん)の七(しち)賢(けん)人(じん)」の1人で、その人について詠んだ詩を作品番号01-2-041で見ている］

■【03-3-019】送曾子固倅越得燕字

【解題】これは、越(えつ)州の副知事となって都を去る曾(そう)鞏(きょう)を見送った詩。送別の宴で韻字として蘇軾には「燕」の字が割り当てられた。詩の冒頭に「酔(すい)翁(おう)」とあるのは欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)の号で、曾鞏は欧陽脩の弟子だった。曾鞏と蘇軾は同じ年の科挙に合格した「同年(どうねん)」で、特殊な経緯から二次試験で曾鞏が首席に、蘇軾が第二位になった。

【訳文】

酔(すい)翁(おう)の門下生はにぎやかにどっさりいて、

いずれ劣らぬ粒ぞろいであるから、

優れ者であるとしてそこから現れ出るのは難しい。

咲き乱れる多種多様な花の中で、

貴君ばかりはひときわ高い香りを放ち、

南方から都に出てくるなり、

たちまち酔翁と並び立つまでになった。

その酔翁が今は地方の町に逼塞しているのだから、

弟子もやはりそうなるのが当然であるとして、

都を去ることになったのだろうか。

それとも、昔々漢(かん)の皇帝に数々の建言をした賈(か)誼(ぎ)と同様に、

諸大臣に煙たがられて地方に追いやられるということなのだろうか。

戦国時代の名将楽(がく)毅(き)は活躍し過ぎて亡命を余儀なくされたけれど、

晩年には故国燕(えん)との縁を回復させた。

だから、これから行く地の新鮮な魚の味にすっかり魅了されて、

もう都の生臭い肉などは食わない、などということには、

たぶんならないであろう。

とかく世間は口うるさく、

耳の中で蝉がわんわん鳴いているようなものだ。

できることなら、

都のあたりに巨大な池を造って、

大鯨のような貴君の大きな才能を、

自由自在に泳がせたいものだ。

【補足】［終わり近くにある「但苦世論隘、聒耳如蜩蝉」［但(た)だ世(よ)論(ろん)の隘(せま)いのに苦(くる)しむ、耳(みみ)に聒(やかま)しい蜩(せ)蝉(み)の如(よう)だ］を、王(おう)安(あん)石(せき)に媚びて出世を図ろうとする連中が見たなら、どう思うだろうか。蘇軾はそのような心配はせずに思う通りを詩に詠んでいる。そのために蘇軾はますます厳しい立場に追い込まれて行ったのである］

■【03-3-020】次韻王誨夜坐

【解題】同僚の王(おう)誨(かい)が夜に詠んだ詩に次韻した。

【訳文】

まことに結構なことに、

貴君はよく客を招いている。

閑職にある私などはその数に入らないと思っていた。

杖をついてしばしば訪れるのを厭わないでくれるのなら、

いずれはそちらの近くに移り住んでもよいのかもしれない。

詩では、秋が深まると葉の落ちる音に驚くと詠むことが多い。

しかし、うるさくまとわりつく蚊がいなくなるのは喜ばしいではないか。

月が明るく池に宿るのを待って、

夜遅くに水の中に天が映るのを見ようではないか。

■【03-3-021】書六一居士伝後

【解題】欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)はすでに地方に出ていたが、このころに政界から完全に引退する決意を固め、自ら「六(ろく)一(いち)居(こ)士(じ)」と号し、その意味するところを『六(ろく)一(いち)居(こ)士(じ)伝(でん)』に記した。それは9月7日のことであった。蘇軾は後に『六一居士伝』を読んで、思うところを書き添えた。最初に欧陽脩の文章を読んでおこう。

【訳文】

欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)：『六(ろく)一(いち)居(こ)士(じ)伝(でん)』

私は滁(じょ)山(ざん)に流されたときに「醉(すい)翁(おう)」と自ら号した。あれからすでに老い、すでに衰え、かつ病んだので、いよいよ潁(えい)水(すい)のほとりに引退することにし、ここにさらに「六(ろく)一(いち)居(こ)士(じ)」と号することとなった。

ある客人が問うには、

「『六一』とはどういう意味なのでしょうか」

居士が答えるには、

「吾が家には蔵書が一万巻あります。三代以来の金石(きんせき)の遺文を収録したのが一千巻あります。琴が一張あります。囲碁の盤が一局あります。そして常に置いてある酒が一壺あります。『一』とはこれらのことです」

客人がいうには、

「それでは『五一』なのではありませんでしょうか」

居士がいうには、

「吾が一人の翁がいて、この五つの『一』の間で老いております。というわけで『六一』ということになりませんかな」

客人が笑っていうには、

「先生はしばしばその号を変えておられますが、いわゆる『名から逃れようとする者』、つまり、世の評判から逃れようとする人なのでしょうか。しかし、それは、かの荘(そう)子(し)の譬え話にある『影を畏れて走った者』と同じになってしまうのではないでしょうか。影を畏れた者は、影がどこまでも付いて回ってくるのを憎み、一日中逃げ回ったあげくに、疲労困憊して死んでしまったといいます。私は、先生が疾走して、ひどく喘ぎ、死ぬほど喉を乾かして、しかし逃げ切れないでいるようにお見受けいたします」

居士がいうには、

「私は、もとより、名から逃れられないことを知っています。そして逃れるべきではないとも知っています。私が新たな号を名乗るのは、自分の楽しみをいささか志(しる)そうとするだけです」

客人がいうには、

「その楽しみとはどういうものでしょうか」

居士がいうには、

「私の楽しみは〈道(みち)〉と一つになるより勝るともいえましょうか。楽しみの意(こころ)を五つの『一』の間において得ることができたならば、泰山(たいざん)が身の前にあっても目に入ってきませんでしょうし、落雷が柱をへし折ったところで驚かないでしょう。洞(どう)庭(てい)の野で聖人を称える壮大な音楽が演奏されても、涿(たく)鹿(ろく)の原で極悪の敵を打ち破る大きな合戦が行われても、その心地よさ、その快さには及ぶものではありません。しかし、五つの『一』の間での吾が楽しみを極められないでいるのを、これまで私は常に患っていました。私にまとわりつく世事がたくさんにあったためです。その大きなものは二つです。第一が官服、官印等で、それは外側から私を疲れさせます。第二が憂患、思慮等で、内側から私を疲れさせます。私の肉体は病いではなくてもすでに悴(かじか)み、私の心は老いるよりも先に衰えてしまって、五つの『一』の間で楽しむ暇がどこにもありませんでした。それで私はこの三年の間、身を退くことを朝廷に願い出ておりました。ある日、陛下は惻(そく)然(ぜん)とこのことを哀れまれ、引退することを許してくださいましたので、この五つの『一』とともに我が身は田舎の廬(いおり)に帰れるようになり、かねてからの願いが叶うこととなったのです。これが私がいささか志(しる)そうとするところのものです」

客人はまた笑っていうには、

「先生は官服、官印等が身体にまつわるものであるのを御存知ですけれど、五つの『一』が心にまつわるものであるとは思われないのでしょうか」

居士がいうには、

「そうではありません。官服、官印等がまつわりついて私をすでに疲れさせ、たくさんの憂いを生みましたけれど、五つの『一』はすでに私を解き放ち、幸いにも患うところのものはないのです。私はどちらを選ぶべきでしょうかな」

ここにおいて客人は立ち、私の手を取って大いに笑っていうには、

「まったくもって比べるまでもありません」

そして、居士が嘆息していうには、

「そもそも士(し)大(たい)夫(ふ)たる者は、若いときには仕え、老いては休んでよく、七十歳まで待たなくてもよろしいとされています。私はもともとその考え方を慕っておりました。官職から去るべき第一の理由がここにあります。私はかつて大事な御用を勤めさせていただきましたが、称賛を縦(ほしいまま)にしようとする気はさらさらありません。官職から去るべき第二の理由がここにあります。壮年の頃からそのようにあるべきと考え、今はすでに老いかつ病んでおります。強いて身を働かせようとしても難しく、それでいながら過分の栄禄を貪るのは、まさしく本来の志に違い、自分の日頃の言辞を根底から覆すものです。官職から去るべき第三の理由がここにあります。去るべき三つの理由があるのですから、たとえ五つの『一』がなくても私は去るべきなのです。これでもう言うべきことは尽きましたでしょう」

熙(き)寧(ねい)三年九月七日、六一居士自らかく記す。

【補足】［このとき欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)は64歳だった。24歳で科挙に合格して以来、政治改革ならびに文学改革の闘士として長年闘い、引退の本当の理由はこの文章に書かれているのとは別にあるとしても、政治的なこととは別の次元の価値を自分の行動に見出そうとするのがこの『六(ろく)一(いち)居(こ)士(じ)伝(でん)』であるのだろう。それを読んだ蘇軾の感想が次の文章である。

【訳文】

私はいおう。

「六一居士は有(ゆう)道(どう)の者［道(みち)を身に具えた人］であるのでしょう」

それに対してある人はいう。

「六一居士は有道の者とはいえますまい。有道の者なら、懐(ふところ)に抱える物などなしに、安らかにしていられるのではありませんかな。六一居士は五つの物を所蔵しています。六一居士は世間の人が争ってほしがる物には見向きもしませんけれど、世間の者が棄てるような物を拾っています。そのようなことをしていて、有道の者であるといえるのでしょうか」

私はいう。

「そうではありません。五つの物を懐に抱えて後に安らかにしていられるのなら、それは物に惑わされていることになりましょう。五つの物を棄て去って後に安らかになるのも、やはり惑わされていましょう。六一居士は初めから物にまといつかれてなどいません。立派な服も、立派な車も、官位の印しも、つまりは地位にまといつかれてなどいないのです。まして、五つの物にまといつかれているのではありません。物に惑わされるのは、物を吾が物にしようとするためです。吾も物も何かしらわけがあって天地の間に形を受けたのでありましょう。吾は吾、物は物でありますから、どうして物を吾がものとすることができるのでしょうか。ある種の人は物を吾がものにしようとして、これは得れば喜び、これを失えば悲しみます。いま六一居士が自ら『六一』といわれるのは、その身と五つの物をひとしくそれぞれ一つの物であるとしているからであります。六一居士が五つの物を己のものにするとか、五つの物が六一居士を己のものにするとか、そういうことではないのです。六一居士と五つの物とは等しい関係にあって、お互いに己のものとすることはないのです。ですから、得たり失ったりということもそもそもありません。このようなことから、私は、六一居士は有道の者であるというのです。もし一と五とが向き合っているのなら、六一居士の存在は浮き上がってはっきりと見てとることができましょう。五とともに一があって六になっているのなら、いずれが五でいずれが一という区別はなく、つまり六一居士だけが浮き上がって見えることはありません。つまりは、六一居士はすっかり隠れているということになりましょう」

【補足】［この文章で、六だ五だ一だと、何か言葉の遊びでもしているように見えるが、要は欧(おう)陽(よう)脩(しゅう)の引退について、政治的発言を避けつつ賛意を示したということであるのだろう］

■【03-3-022】跋文与可草書

【解題】文(ぶん)同(どう)［字(あざな)は与(よ)可(か)］は書(しょ)も巧みで、これはその草書に記した跋文。

【訳文】

李(り)常(じょう)は草書を学んだ当初はうまく書けなくて、すぐに真書や行書がまざってしまった。劉(りゅう)攽(はん)はそれを見て、

「鸚(おう)鵡(む)のおしゃべりですな」

と、いった。

その後、少しずつうまくなり、私に、

「僕の草書はこのごろはどうだろうか」

と、尋ねたので、

「秦吉了(きゅうかんちょう)くらいにはなったかもね」

と、答えたところ、文(ぶん)同(どう)が大きな声で笑った。

この日は、文同が筆を下して風のように書き上げるのを、集まった者が争うようにして求めた。

劉攽の言葉の意味は、鸚鵡は人の言葉を話すとしても、わずか数句だけで、あとは鳥の語がまざってしまうということである。

十月一日。

【補足】［（1）李(り)常(じょう)［字(あざな)は公(こう)択(たく)］は蘇軾の親友としてこの後もしばしば登場するようになる。政争の渦中にあった蘇軾も、気の置けない仲間と束の間の楽しいひとときをこうして送ることがあったのである。劉(りゅう)攽(はん)は諧(かい)謔(ぎゃく)［ややブラックなユーモア］を得意とし、その点で蘇軾と非常によく似ていて、ともにそれが原因で敵を作ってしまうことがあった。（2）これとほぼ同じ内容の文章を、都の浄(じょう)因(いん)寺(じ)で李常が書いたものにも蘇軾は書き添えている］

■【03-3-023】与子明兄

【解題】10月28日付けの従兄の蘇(そ)不(ふ)疑(ぎ)［字(あざな)は子(し)明(めい)］への手紙。このころに書いた蘇不疑への手紙が何通も残っている。特にこの時期に頻繁に手紙を送ったのか、たまたまこのころのものが残ったのか、経緯は不明だが、蘇軾の私的な側面がそれから窺い知ることができて興味深い。

【訳文】

……五月に赤ん坊が生まれて、名は叔(しゅく)寄(き)です。元気に育っています。弟は陳(ちん)州で安らかにしていて、八月に娘が生まれ、名は宛(えん)娘(じょう)です。……

私は都に来て二年になり、事を論じるのがひどく拙いために貴権の人々を大いに損ね、近頃は御(ぎょ)史(し)［官員の不祥事を裁く部署］の弾劾を受け、各地に調査が及んでいます。いずれ根拠のないものと知れ、必ず無実となるはずです。春にはきっと郷里に帰ることを求め、それが叶いましたなら、またお目にかかるのも遠くはないでしょう。忠義は昔から貫くのが難しく、虚名を得れば禍(わざわい)を受けます。人生の得失は前々から定まったものでありますから、いくら困難があろうとも、断じて屈することはありません。……

【補足】［（1）5月に生まれた赤ん坊は次男の蘇(そ)迨(たい)［幼名は叔(しゅく)寄(き)］で、王(おう)閏(じゅん)之(し)が初めて生んだ子である。（2）弾劾を受けたとあるのは、8月5日のことで、御(ぎょ)史(し)の謝(しゃ)景(けい)温(おん)が、蘇軾は父の喪に服すために郷里に帰った船旅の途中で、法の禁じる塩の私的な取引をして利益を得ていたと告発したのである。根も葉もないこの告発に蘇軾は一切反論をしなかった。各地に取り調べの役人が派遣され、蘇軾の乗った船の船頭等が厳しく尋問された。その後、何ら証拠が挙がらず、蘇軾は無罪となったのだが、汚名を着せられたことは、少なからず蘇軾の評判を落とし、また、蘇軾の身に予期せぬ危険が迫っていることを如実に示すものであった。改革の理念と関係なく政治情勢に単に便乗して出世を遂げようとする者が大勢いて、謝景温はその典型で、改革に頑健に反対する蘇軾を罪に落とせば大きな手柄になると目論んだのである。（3）この手紙の日付より前の10月22日に范(はん)鎮(ちん)が政界から引退している。范鎮は蜀(しょく)出身の先輩で、蘇軾が合格したときの科挙の試験委員で、何かと蘇軾は世話になっていた［→作品番号01-2-014］。范鎮もまた改革をよしとせず、5月に蘇軾を要職に就けるよう推薦して却下され、その後で蘇軾が弾劾を受けたことから、これが潮時と見て身を引いたのである］

■【03-3-024】送章子平詩敘

【解題】章(しょう)衡(こう)［字(あざな)は子(し)平(へい)］が鄭(てい)州知事となって都を去ることになり、人々が集まって送別の詩を詠んだ。それを集めた詩集に、蘇軾がこの序文を書き添えた。このときの蘇軾の詩は残っていない。章衡は蘇軾と同じ年に科挙を受け、最終の三次試験で首席となった人物である。

【訳文】

『進(しん)士(し)登(とう)科(か)録(ろく)』を観(み)ると、天(てん)聖(せい)の初めから嘉(か)祐(ゆう)の終わりまで［仁(じん)宗(そう)皇帝の治世の約四十年間］に科(か)挙(きょ)に合格したのは四千五百十七人であった。その中で貴かつ賢にしてその名が世に聞かれるようになった者は、いちいち数えられないほどに大勢いる。成績上位の三人だけを取っても全部で三十九人いて、いまだに公(こう)卿(けい)［朝廷の上位者］になっていないのは五人だけである。科挙合格者の勢いはこのように盛んなのである。……仁宗皇帝が在位すること三十五年のときまでに進士は十回挙げられ、我等の章(しょう)衡(こう)君を得て、皇帝は首位とした。章衡君の文章は美しく、経術に富み、政事に敏く、内に正しい義を守り、行いは謙であるから、功名、富貴に迫られないということはないのである。首席になったからといって、誰もがこのようになれるものではない。しかし、信じられないことにここに躓(つまず)くこととなった。これは敢えて道を遠くし、熟達して後に大きく成るということなのであろうか。仁宗皇帝の明察は天が助けるところのものであったのだから、人によって事が左右されたりはしないのである。

熙(き)寧(ねい)三年冬、章衡君は右(う)司(し)諫(かん)直(ちょく)集(しゅう)賢(けん)院(いん)から鄭(てい)州知事として出て行くことになった。きっとまた章衡君が用いられることを知る士(し)大(たい)夫(ふ)は、十月丁(てい)未(み)［二十日］、観音の仏舎に集まり、詩を賦して餞別とした。私と章衡君は「同年の友」であるから、皆が序文を書くようにといい、辞退することができなかった。

【補足】［この文章は、章(しょう)衡(こう)を左遷するのは、仁(じん)宗(そう)皇帝の遺志に反すると批判しているのである］

■【03-3-025】送呂行甫司門倅河陽

【解題】司(し)門(もん)郎(ろう)中(じゅう)の呂(りょ)希(き)彦(げん)［字(あざな)は行(こう)甫(ほ)］が河(か)陽(よう)県の副知事として赴任するのを見送った詩。呂希彦は、作品番号03-3-012で見た呂(ろ)希(き)道(どう)と同じくかつての宰相の呂(ろ)夷(い)簡(かん)の孫。詳しくいえば、呂(ろ)夷(い)簡(かん)には、呂(ろ)公(こう)綽(しゃく)、呂(ろ)公(こう)弼(ひつ)、呂(りょ)公(こう)著(ちょ)といった子がいて、いずれも朝廷の高官となり、呂希道は呂公綽の子で、呂希彦は呂公弼の子である。いずれにしてもそうした名門の子弟もまた次々に都を去って行ったのである。

【訳文】

貴君と交わりを結んでからそう長くはない、

しかし、ずっと頻繁に行き来してきたかのように思える。

貴君と知り合ってまだ幾日もならずに別れの日がきて、

我が情(こころ)の内には特別なものがある。

貴君は宰相を輩出してきた家に生まれ、

崢(そう)�ｴ(こう)として高く聳え立つ節義を具えている。

天与の才はもとより超越したものがあり、

世の中での経験もまた十分にある。

譬えれば、風とともに走る駿馬……

それでもやはり身に羈(あぶみ)や手綱を纏(まと)うのは免れない。

念(おも)うに、私は山中の人……

長らく鹿とともにいたのに、

誤って外に出て、世間の網に掛かってしまい、

一挙一動が俗人を驚かせることとなった。

田に帰る計画はまだ果せていないが、

去就いずれも軽いものとすでに思っている。

河(か)陽(よう)は遠いところではない。

行き来する間にも出処の変化があるだろう。

さあ、これで別れようではないか、

酒はあっても徒(いたずら)に傾け続けるべきものではない。

【補足】［蘇軾は、自分は野生の鹿と親しくしていたと比喩的に述べている］

■【03-3-026】書呂行甫墨顛

【解題】上に見た呂(りょ)希(き)彦(げん)［字(あざな)は行(こう)甫(ほ)］は無類の墨好きであった。これは遥か後年の文章であるが、ここでついでに見ておこう。

【訳文】

呂(りょ)希(き)彦(げん)君は宰相一家の子であった。振る舞いも節義も人より優れていたのが、不幸にして短命であった。普段から墨を集めまくり、士(し)大(たい)夫(ふ)は戯れて墨(ぼく)顛(てん)［墨狂い］と呼んでいた。郭(かく)祥(しょう)正(せい)君は呂希彦君と仲がよく、呂希彦君が遺した墨を出して見せてくれたので、ここに数文字を添えておく。

■【03-3-027】書茶墨相反

【解題】呂(りょ)希(き)彦(げん)が墨(ぼく)顛(てん)であったことを示す別の短文があるので、それも見ておこう。

【訳文】

茶は白くなろうとして、黒くなるのをいつも嫌う。墨はそれと正反対である。［白と黒には、澄むと濁るの意味もあるのだろう］

墨は磨って一晩経つと色がぼんやりしてしまい、茶は碾(ひ)いて日が経つと香りがぼんやりしてしまう。この点はよく似ている。

茶は新しいものを貴び、墨は古いものを佳(よ)しとする。これはやはり正反対である。

茶は口で楽しみ、墨は目で楽しむ。

蔡(さい)襄(じょう)は老いて病んで飲食ができなくなったときに、茶を烹(に)て目で玩んだ。

呂(りょ)希(き)彦(げん)は墨を集めることだけを好み、書くことはなかった。時に少しだけ磨ってそれを啜った。

これは人を笑わせる話ではなかろうか。

【補足】［蔡(さい)襄(じょう)はひと昔前の先輩で、後に見るように、蘇軾は宋代一の名筆家であったとしている。また、茶にも造詣が深かった］

■【03-3-028】与子明兄

【解題】11月22日付けの従兄の蘇(そ)不(ふ)疑(ぎ)［字(あざな)は子(し)明(めい)］への手紙。

【訳文】

……近ごろ、蘇(そ)林(りん)君の葬儀を行いました。十日の休暇を得て、昨晩、八(はつ)角(かく)鎮(ちん)から帰ってきたところです。諸事全てを簡素にし、見送る者は十余人、八角鎮の役人も手助けしてくれました。有難いことです。蘇林の妻も彭(ほう)と寿(じゅ)の二人の息子も安らかです。柳(りゅう)君も来てくれました。……

私は宜(ぎ)秋(しゅう)門(もん)の外に住まいを移しました。あたりは閑静で、家の前はすこぶる野趣があり、小さな庭を作るのによいところです。ただ、都にはきっともう長くはいないので、そのような気持ちにはなれません。……

【補足】［（1）この年の科挙で落第した甥の蘇(そ)林(りん)［→作品番号03-2-001］は、不幸にもこの秋に亡くなり、この手紙にあるように11月に葬儀が行われた。まだ30歳で、妻と幼い二人の息子が遺された。（2）「柳(りゅう)君」とあるのは、柳(りゅう)瑾(きん)［→作品番号03-3-003］の息子の柳(りゅう)子(し)文(ぶん)のそのまた息子の柳(りゅう)閎(こう)であろうと推測されている。柳子文の妻、つまりは柳閎の母は蘇(そ)渙(かん)の娘で、蘇林は蘇渙の兄の蘇(そ)澹(たん)の孫であるから、蘇林と柳閎は同世代の親戚ということになる。柳子文や柳閎は後に何度か登場するようになる。（3）宜(ぎ)秋(しゅう)門(もん)は都の西側にある門で、もとは蘇軾の住まいは門の内側にあったのだが、新たに門外に移ったのだろう。（4）蘇林の死を巡っては、蘇(そ)不(ふ)疑(ぎ)に送った別の手紙にさらに詳しいことが記されている。蘇林は蘇軾に借銭があって、それを都にある家を売ることで弁済したい言い遺したことや、蘇軾の妻が持っていた髪飾りなどを売って蘇林の葬儀の費用に充てたことなどが、具体的な数字を挙げて書かれている。また、蘇林の住まいは都の殺(さつ)猪(ちょ)巷(こう)という場所にあって、その名は縁起がよくないので、蘇林の妻をそこに残すのはよくないと、蘇軾の妻が心配していることも書かれている。蘇軾は、蘇林の遺された家族の今後の身の振り方を、蘇不疑と協議して決めていこうとしていた。官員となった者は、一族の出世頭として何かと雑事に関わらなければならなかったのだった］

■【03-3-029】与楊済甫

【解題】故郷の楊(よう)済(せい)甫(ほ)［→作品番号03-3-006］に送った手紙。

【訳文】

お手紙をいただき、よく眠り、よく食べておられるとのことで喜んでおります。私も家の者も陳(ちん)州の弟もみな安らかでありますので、ご心配にはおよびません。

都に長らくおりますと、薪は桂(かつら)のように、米は玉(ぎょく)のように高価で、貯えはすっかり尽きてしまいました。今年の冬は雪が四五尺も積もり、家に籠って、無聊をかこっております。ただ望むのは都から出よとの辞令が出されることであります。