第2章 最初の赴任地――鳳翔での3年間
［第2章その四］
治平元年［1064年］、蘇軾29歳。
治平2年［1065年］、蘇軾30歳。
■【02-4-001】次韻子由種菜久旱不生
【解題】都のあたりでも雨が少なかったようで、弟から、家庭菜園に菜を植えても芽が出てこなくて困っているという詩が届き、それに次韻した。
【訳文】
新たな春がきたころには、
塩漬けの菜の蓄えがすっかり尽き、
甕がひっくり返しになってしまった。
それでも、そのうち階の下あたりに、
筍の芽が出てくることだろう。
麦畑のあたりを巡れば、
野の草も芽を出しているだろうから、
それらをちょいと摘んで、
どこか僧坊などを訪れて、
軽く茹でてもらって食べてもよいだろう。
食べられるものはどうせそこらにあるのだから、
菜園に雨の恵みがないと心配しなくたってよいのではないかな。
問題は天候ではなく、
世の中と自分が合わないことだというのなら、
田舎に引っ込んで田畑を耕せばよい。
それこそ食べるに困りはしないだろう。
ともあれ、新たな春の恵みを、
菜園に生来る菜の芽に見たいということなら、
また一つ年を取ったことによって、
頭に自ずと白いものが芽生えるのを見ておけば、
それでよいのではないのかい。
■【02-4-002】自清平鎮遊楼観、五郡、大秦、延生、仙遊、往返四日、得十一詩、寄舎弟子由同作
【解題】詩の題は、「清平鎮から楼観、五郡、大秦、延生、仙遊に遊んだ。往復四日で十一篇の詩を得た。同じ趣旨で詩を作るように弟に寄せる」。この詩の題にある地名の多くは作品番号02-2-002の題および解題ですでに見ている。ちょうど2年前に訪れたところをまた見てまわったのである。どのような事情であったのかわからないが、章惇［→作品番号02-2-019］が一緒であった。
【訳文】
其の一 楼観
鳥が騒ぎ、猿が呼びあうここに、
寂しくも昼も門を閉ざし、
古の人［老子のこと］の尊さは忘れられてしまっているのだろうか。
古の仙人［丁令威のこと］が化した鶴は、
子孫の様子を見にときどき俗世に来るというが、
老子の乗る車を曳いていた青い牛は、
いまは轅から解放されて自由にしているのだろう。
山が近くて冷たい風が積雪を吹き上げ、
空は凍えて夕陽が淡く小さな村の上へと落ちてゆく。
なぜか今日は大勢の人がやってきて、
階前の井戸の水を濁らせてしまっているのを、
道人［尹喜のこと］はいぶかしく思っているであろう。
【補足】［楼観は作品番号02-2-009で見たように、老子から著作を授かった尹喜の住まいがあったとされるところ］
其の二 五郡
ちょうど山の麓の林が切れるところに古い道観がある。
村人が集まってくるのは、
そこの泉の水の甘さにひかれてのことである。
谷の急流は渭水に向かって争うように北へと下り、
鳥は急峻な山に出会ってもう南へは飛んで行かない。
吾等は衣冠を正して天帝に詣でるのだが、
土地の人々は香を焚いて春の蚕の成長を祈る。
このような土地でありながら、
土着の神々は老子の教えを理解できたのだろうか、
五人兄弟は天帝が告げた符の意味を知ることができたのだろうか。
【補足】［五郡とは、五人兄弟が住んでいたところで、五人兄弟は夢に老子から国家の長久を告げられたと、唐の玄宗皇帝に申し上げた。後にそこが道観になったのである］
其の三 授経台
張旭［唐代の名書家］は剣舞を見て草書の真髄を得たという。
伯牙［古の琴の名手］は海に浮かぶ山に遊んで琴の妙技を得たという。
この台から一覧するなら、山と川はまことに小さい。
経の伝授を待たずして、心に空がすでに得られるのである。
【補足】［授経台とは、尹喜が老子から五千言を授けられたとされる場所で、蘇軾自身の注によると、南山のひとつの峰で、建物がそこに築かれていたわけでないとある］
其の四 大秦寺
平原を流れる川筋をさかのぼり、
それが幻のように消える先に、
斜めに横たわる緑の山裾がある。
行き行けば、山また山となり、
そのまた遥かな奥に、
くっきりと一つの塔がそびえている。
足に任せて尋ね入り、
塔の上に立って、風に臨む。
顧みると、海のように原や田がどこまでも広がり、
驚くことに、その全てが東に向かって傾いているのだった。
【補足】［大秦寺は景教、すなわちネストリウス派のキリスト教の寺院。大秦とは東ローマ帝国のこと。景教は唐の時代にかなり流行し、各地に多数の大秦寺が建てられた。宋のころにはすでに勢いを失い、蘇軾がここで見た盩庢県の大秦寺など残る寺院わずかとなっていた］
其五 仙遊潭
【補足】［（1）この詩には、蘇軾自身の注で次のように記されている。「仙遊潭のあたりには二つの寺がある。黒水に添って遡って東の路を行くと南寺に至る。黒水を渡って一里余り、馬で北に上がって西の路を行くと北寺に至る。東の路は険しくて馬には乗れない。西の路は仙遊潭を隔てた向こうで、潭の水は 測り知れない深さがあり、一本の木をもって橋としていて、私は敢えてそこを通らなかった。南寺には塔があり、そのよい姿を望み見たのだが、到ることはできなかった」。（2）蘇軾は章惇と1月13日に仙遊譚に遊んだことが幾つかの記録に残されている。『宋史』の「章惇伝」にも収録されているので、ここで読んでおこう］
【訳文】
『宋史』巻四百七十一「章惇伝」から
章惇は豪俊の人で、博学かつ学問に優れていた。……商州に赴任していたときに蘇軾と南山に遊び、仙遊潭に至った。潭は万仞の深さの絶壁を臨む下にあり、その上に木が渡されていた。章惇は蘇軾に手招きして、石の壁に字を書いてみようではないかといった。蘇軾は懼れて進まなかった。章惇はするすると木の上を歩み、樹にかけられた縄を引いて、衣を掲げて崖を下った。筆に墨を滴らせ、石の壁に大きく、「蘇軾と章惇がここに来た」と書いた。そして戻ってくると、何事もなかったかのように平然としていた。
蘇軾はその背を叩き、
「君はいつか人を殺すことだってできるんだろうな」
といった。
章惇が、
「ほう、どうしてだ」
と、尋ねると、
「自分の命運を制御できる者は、人を殺すことだってできるのさ」
と、蘇軾がいったので、章惇は大笑いした。
【補足】［後に政界きってのやり手として辣腕を振るうことになる章惇の将来を予言したものとして、このエピソードは語り継がれてきた］
【訳文】
翠の壁の下には路がない。
いつの年の雷がこの潭を穿ったのか。
巌の上の寺に光が揺れ、
潭の深い影の中には天がある。
昔、犀の角を燃やして深い水の底を覗き込んだ人がいたというが、
この潭の底には竜が宝玉を抱いて眠っているのだろうか。
どこの僧が、突き出た岩の上に座って禅定に入るのか。
其六 南寺
東に行くには石を攀じ登らなければならない。
西に行くには一本の木の橋を渡らなければならない。
碧の潭は降りてみよといっているかのようで、
南の白い塔はねんごろに招き寄せるかのようである。
野外ではわずかばかりのもてなしもできないので、
村で酒を買って君［章惇］の寂寥を慰めるとしようか。
しかしながら、路はもはや窮まって人手の入らぬところまできてしまい、
松や桂の木々が天を干すまでに聳えている。
【補足】［前の詩の自注にあったように、道が険しくて南寺には至ることはできなった］
其七 北寺
唐の初めからこの北寺はあったと聞く。
唐の終わりの世の乱れを経て、
寺はさびれ、当時の石碑すら残っていない。
どこも虎を恐れて早々と門を閉ざし、
近くに村はなく、米を得ることもできない。
山の泉で甕を満たすことならできても、
野の草では腹を満たすことができない。
ここはまことに美しいところだが、
長くここにいるためには、
飢えを忍ぶことを学ばなければならない。
【補足】［南寺には行けなかったので、進路を変えて北寺に来てみたら、荒れ果てていたのだった］
其八 馬融石室
【補足】［後漢の時代に馬融は南山の隠者に従って学問に励んだ。その馬融の住居跡だとされるところがあった。この詩は馬融の事績を踏まえて詠まれていて、それを理解するにはあれこれ勉強しないとならないのだが、馬融について蘇軾は作品番号01-2-024で嘲っていたので、ここで敢えて労力を注ぐ必要はないだろう。というわけで結びの二句だけを訳す］
【訳文】
吾がこの詩は決して石には刻んではならない。
猿も鶴も君がみっともないことをしたと笑うであろう。
其の十 愛玉女洞中水、既致両瓶、恐後復取而為使者見紿、因破竹為契、使寺僧蔵其一、以為往来之信、戯謂之調水符
【補足】［其の九と其の十は玉女洞で詠んだもの。玉女洞については作品番号02-2-007ですでに見ている。其の九は訳者には理解不能であるので割愛する。其の十の題は、「私は玉女洞の水を愛し、ふたつの瓶に汲み取った。後で使いの者にその瓶を取りにこさせたときに欺かれるのを恐れ、竹を割って契として、寺の僧にその片割れを預け、往き来の証拠の品とした。戯れにこれを『調水符』と呼んだ」］
【訳文】
欺謾は世の常で、
関所でも市場でも印の札やら布やらがあるのだが、
まさか南山の下で水を取って符を置くとは……。
古の人は、淄水と澠水の味を、
鶴と鳧の脚の長さにくらいに明確に見分けたというが、
私はこの符の有無を視なければ、
玉女洞の水の真偽を知ることができないので、
水を汲む人の智恵に出し抜かれてしまうのを恐れるものである。
考えてみたら、
いくら防ごうとしても無駄であって、
符などは投げ捨ててしまうのがよいのだろう。
其の十一 自仙遊回至黒水、見居民姚氏山亭、高絶可愛、復憩其上
【補足】［この詩の題は、「仙遊潭から巡って黒水に至り、この地に住む姚氏の山亭を見た。抜きん出て高いところにあるのにひかれて、またその上で休憩した」。北寺で一泊してから黒水に戻って再び山亭にきたのだろう］。
【訳文】
山の鴉は暁に谷から出て、
起きるよう旅人に報せにきてくれたのだろう。
北寺の門を出でしばしば顧みるのは、
我が故郷を去るような重い気分である。
道は険しくまた曲がりくねり、
この先どれだけ続くのだろうか。
溪のほとりに高く構えた亭があり、
帰る一行を押しとどめようとする。
この山の中の人こそ慕わしく、
俗世間を遠く離れた仙人のようである。
私はもとより独り往くことを好み、
官爵などは草履くらいにしか思っていないので、
この溪が何とも知れず私を待っていてくれるかのようである。
しかし、国恩にまだ少しもまた報いていないのであるから、
このようなことを思うのを恥じて冷や汗が流れる。
遠くからの風に臨めば、
万世も一つの道筋のうちにあるとの悲しみが湧いてくる。
何れの年にか冠や官印を捨てて、
仙薬をもって歳月の速やかさを留めたいものだ。
■【02-4-003】二月十六日、与張李二君遊南溪、酔後相与解衣濯足、因詠韓公山石之篇、慨然知其所以楽而忘其在数百年之外也。次其韻
【解題】この詩の題は、「二月十六日、張君と李君とともに南溪に遊んだ。酔って後に衣を解いて足を濯ぎ、韓愈の『山石』の詩を詠じた。たちまち韓愈が楽しみとしたところを知り、その詩が数百年の昔のものであるのを忘れ、それに次韻した」。李君は李庠［→作品番号02-2-025］、張君は張杲之［→作品番号02-2-002］であろうと推測されている。
【訳文】
終南山、太白山の山並みが横たわる。
それを見るまでもなく我が心は南へと飛んで行く。
古くゆかしい町を抜けて山麓に並行して進むと、
野の水は清く滑らかで魚は肥えている。
すぐに溪を渡って乱れた石を踏むようになり、
山の光が近くなって行く人は稀になる。
奥深さを探っていよいよ好く、
ますます突き進んでもなお意は飢えたように満たされない。
巨大な岩に滝が落ちる音が聞こえ、
百歩離れた人家の扉をぶるぶる震わすばかりである。
向き合うことができないほどに跳ぶ波、注ぐしぶき、
それは散って白い霧となってあたりに漂う。
吾等は酔って束縛されるものを棄て去り、
二人を顧みて帯を解かせる。
衣をかかげて試しに両足を水に入れると、
浪が激しく衝き上がってくる。
さあ見るがよい、
鹿は、豊かに繁る草に隠れるのであって、
黄金の飾りがついた轡に繋がれる馬を羨んだりはしない。
人が生きる上で、このような楽しみに換えられるものがあるだろうか、
天下の人よ、私とともに自然に帰るがよい。
【補足】［（1）次韻という行為はすこぶる社交的なものであって、場を同じくする人と詩を贈答し合って親交を深める手段とされていた。昔の人の詩に次韻することはほとんどなく、韓愈の詩に次韻したこの作品はその珍しい例である。蘇軾には、自分は時空を隔てた韓愈の孫弟子であるというような意識があるので、自然と次韻する気になったのだろう。（2）終わりの部分にある「君看麋鹿隠豊草」［君よ看よ 麋鹿は豊かな草に隠れる］の句は記憶に留めておきたい。鹿は、蘇軾にとって自然のなかで己の本性に従って生きるものの象徴的イメージとされ、後に自身の本性は鹿であると頻繁に歌うようになる］
■【02-4-004】渓堂留題
【解題】上の詩と同じときであるかはわからないが、南溪の避世堂で詠んだ詩。
【訳文】
木や草が覆いかぶさるくねくね道の奥、
千の峰の上に出た朝日の光が、
ここにも射し込んでくる。
湖のあたりは稲を植えて蜀に似ていようか、
高い楼閣は雲に連なって渚宮に似ていようか。
残雪がきらきらと山に輝き、
軽やかな氷が水を隠すようにしてゆらゆら流れて来る。
溪のあたりで、
鶴は人に衝き当たって飛び上がると、
そのまま南の山の幾つもの重なりを越えて行く。
【補足】［渚宮は作品番号01-2-024で訪れている］
■【02-4-005】大老寺竹間閣子
【解題】鳳翔の町の東北五里に李茂貞［→作品番号02-1-018の第七首］の建てた竹閣があり、後に大老寺となった。そこで詠んだ詩。
【訳文】
残り少なくなった花は葉の暗さに隠され、
新しい筍の香りが林から出てくる。
汧水の黄色味を帯びた流れは、
竹陰の緑に覆われて見えない。
丘を離れた鳥はここの木の高さに思わず身を傾け、
河の魚は掘り下げた池の深さにおのずと落ちてしまう。
寺の樹林を育てる仕事はまことに苦労が多いのだろう、
寺の僧は痩せてすっかり腰が曲がっておられる。
■【02-4-006】周公廟
【解題】7月の初めに、周公を祀った周公廟で詠んだ詩。この詩には、「周公廟は岐山の西北八ないし九里のところにある。廟の後ろ百歩ばかりのところ、山に依って泉が湧き、その水は非常に清冽である。これは、世が乱れると水が涸れる泉、世にいう『潤徳泉』である」との添え書きがある。周公は孔子が敬愛してやまなかった人物で、晩年に「久しく周公の夢を見ない」と、学問への情熱の衰えを嘆いた［→作品番号01-2-016］。この詩の第一句はそのことを踏まえて詠まれている。
【訳文】
私ごときが周公を夢に見るはずはないのだが、
それでも、秋の訪れとともに、
周公の故宮にこられたのを喜ぶものである。
太平の鳥である鳳は、
昔から南の山の奥にいるという。
ここの清らかな泉は、
世の中の変化に応じて流れたり涸れたりしている。
旅人は、宮殿が虚しく畑地となったのを嘆く古の歌にいまも心を傷め、
この地の人は、遠征から帰ってきた兵士を労う古の詩をいまも詠んでいる。
廟に酒を供える者はなく、
夕暮れとともに鳥は飛び去り、
無数の白楊が風にしきりに叫び声をあげている。
■【02-4-007】和子由記園中草木十一首
【解題】弟は都の家の庭を「南園」と呼んでいろいろな木や草を植え、その一つ一つを主題にした10篇の詩を作った。その全てに和した上で、もう1篇を加えて弟に返した。
其の一
光り輝く帝王の都の大路を、
目にもまぶしい人々が行き来している。
そこで君は何をしているのかと問えば、
「門を閉ざして草や木を観ているのです」
と、答える。
微々たる草や木など観て何になるのか。
「物の変化を飽きることなく観ているのです」
藤の品種の牽牛、蓼の品種の葵蓼を育て、
君はそれを言葉に変換して摘み採り、
詩巻の中に納めた。
昔、謝安は引退後に自然の内に遊ぶのを好んだけれど、
いつも妓女を引き連れ、酒を傍らに置いた。
そうしたものの力を借りなければ、
富貴を忘れ、心を慰めることができなかったのだろう。
いまの君はそのようなことはなく、
富貴などは蔓がまとわりつくくらいにしか見ていない。
自分の内側に抱いている宝に満足しているから、
あえて高潔さを示すような植物を植えることはしない。
僕は早く君のもとに帰りたいと思っている。
年末まで待てないとどうか嘆かないでほしい。
僕の方こそ早くと願っているのだから。
【補足】［「年末」といっているのは、この年の12月で鳳翔での3年間の任期が満ちるからである］
其の二
僕の官舎の庭はごく狭いものだが、
ろくに手入れをしないので、
草や木がいつの間にやら林のようになってしまう。
春の雨がひとたびあまねく降り注ぐと、
美しいのも醜いのも我がもの顔に伸び上がる。
葡萄は自立できないから棚にしがみつこうとし、
柘榴は破れた赤い布のような花を咲かせ、
葵は美しい花をつけるが髪にさすには茎が短すぎ、
蓼の赤は秋の終わりまで待たなければならない。
物はそれぞれ時節に感応して生きているのであって、
君はこのようなことから物の変化の本質を観て、
人間界の興廃も同じあると見ているのだろう。
草や木が勢いを得て盛んになるのは、
草や木の持つ能力によるのではなく、
草や木が枯れて散るのも、
やはり自分で自由にできることではないのであろう。
其の三
柏［日本のカシワではない針葉樹］を植えてその成長を待つ。
柏が大きくなったときには人はすでに老いてしまう。
だったら、竹を植えたほうがましだ。
春に植えれば秋には倒れるまでに成長する。
自然の陰陽は物を選り好みしない。
美と悪は人の意に随って造られる。
柏は苦艱に耐えて生きるというが、
それとて天の巧みを費やしているのだろう。
天はどれほどの巧みを持っているのか、
それを柏だけのために使いきることはないだろう。
藜とか藿とかの雑草を見ればわかる、
いつだって生意が充満してぐいぐい伸びているのだから。
其の四
萱草［忘れ草］の花は微小であるけれど、
自ずと他から秀でている。
無数の葉が乱れる中にあって、
一つまた一つと花が開くのである。
牽牛［藤の一種］は何かを畏れているのか、
芽ばえたときから曲がりくねっている。
昔から約束しているかのように、
他の草を尋ねまわって寄り掛かろうとする。
君の南の書斎は書物を読むのによいところ、
滴り落ちるような緑の中にある。
ただ、秋の雨を貯えすぎるので、
毎年、垣根が壊れてしまうのだ。
其の五
蘆の初めは竹に似て、蘆筍の名がある。
葉が開き出すと、それは蒲のようである。
春には節ごとに甲に抱かれ、
成長するにつれて根に鬚が生じる。
夏の緑の盛んなころに愛らしさはないが、
秋になって枯れてくるありさまはなかなか風情がある。
黄色い葉が風や雨によって倒れると、
白い花が江や湖に揺れ動く。
都にいては江や湖にはいけないで、
君は苦労して蘆を庭に移植した。
とはいえ、二羽の鴨が飛び来て、
画のような情趣溢れる図を成すわけではないだろう。
其の六
行楽を満喫しようとすると、
春が去りゆくのが惜しまれ、
秋の風が早くも吹き出すのに苦しまされる。
春との離別は惜しまれるのだが、
秋になれば瓜が熟すのを喜びもする。
秋の瓜が霜や霰の季節を感じるころには、
茎や葉はすぐに枯れてしまう。
官員となった僕はいつ帰るとも知れず、
この身は繋がれた馬と同じである。
僕は千里の彼方の君を思いつつ、
まだまだ果たすことのできない志を空しく抱き続けている。
僕のことは、まあ心配してくれなくてよい、
君の黒髪を白く変えてしまうだろうから。
其の七
僕の官舎にはひとむれの竹があり、
その根のもとは問囚庁［囚人の吟味をする役所］のあたりにある。
人が行き来する小径は、
地面が堅く、筍は出てこない。
僕は吏卒［役場の用務員］に言いつけて、
枝を挿して中庭に竹が入り込まないようにしているのだが、
遠くの石段を持ち上げてしまったり、
塀のあたりにまで茎を走らせたりしてしまう。
僕はいつも枕と簟を持ってきて、
竹の青い陰のもとで憩うことにしている。
臥したまま日が暮れても去ることなく、
窓より入る涼しい風の音を聴いているのである。
其の八
芎藭［水辺の香草の一種］は蜀の道から、
白芷［水辺の香草の一種］は長江の南から、
これらの草は漂い流れてここに到り、
なおその甘い芳しさを失わずにいる。
清らかな露にひたって、
翠の茎がいっぱいに伸びて、
まだ実が結ばないうちに摘み取って、
篭に入れて香りを愛でる。
厳しい寒さには耐えることができなくて、
秋になるとすぐに枯れてしまう。
根を切ってその実を取るときには、
僕もまた遠く来た者であるけれども、
この草にも及ばない存在であると恥じらうのである。
其の九
僕はここに来てから、
南の山に二度遊んだ。
山の中に何があるかというと、
草や木がえもいえぬ奥深さをかもしだしている。
仙人の食べ物とされる菖蒲は、
人に知られないところの、
岩が乱れころがる溝に生じている。
そこは山高く、霜や雪の厳しい場所で、
その葉を抜き取りに行くのは難しい。
根は千年を経て、蛇のように蟠っている。
いつも山の神に守られていて、
徳の薄い者は決して偸むことができない。
其の十
【補足】［この詩には、蘇軾自身の注で、「八月十一日夜、府学に泊まってこれらの詩に和した。その夜の夢に弟と南山に遊び、弟は数十篇の詩を出して見せてくれた。僕は夢の中でそれを非常に愛でたのだが、目覚めて記憶していたのは、『蟋蟀悲秋菊』［蟋蟀 秋菊に悲しむ］の一句だけだった」と、添え書きがある。その句に寄せて詠んだのがこの詩である。府学は鳳翔府が運営する学校で、蘇軾はそこで時々学生を教えていた］
【訳文】
夢から覚めると、
目にはまだ南の山の緑がありありと残っていた。
心は白雲とともに飛び去り、
山の麓のあたりを巡り歩いていたのだ。
君もまたどこかからかやってきて、
白い歯を輝かせてにっこりと笑い、
懐から新しい詩を取り出した。
その詩句は山の景観をしのぐすばらしさだった。
いま君の詩を思い出そうとして、
秋の菊を詠んだということ以外ぼんやりしてしまった。
昔、薪を採りに山に入った人が、
洞穴の中で仙人が奏でる琴の音を耳にし、
里に帰ってから、わずかに記憶に残るところを人に聞かせると、
人間界のあらゆる曲より優れていた。
君の詩もきっとそのようなものであろうから、
断片だけでもいいからどうか教えてほしい。
其の十一
秋の谷川に野菊が開いた。
菊の花の心を知るのは菊の花自身だけで、
そこには、
菊の花を見て、早くも一年が過ぎ行くと驚くような人間はいない。
かたわらに秘かに悲しむ蟋蟀がいる。
谷川のほとりで開いた菊の花は、
谷川の汀に誰にも知られずに落ちる。
菊が枯れると蟋蟀は土に帰り、
また来年に会おうと約束する。
昔むかしのある多感な人は、
秋の風に心を痛ませ、
夕べには悲しみのあまり落ちた菊の花を食べたと、
詩に詠んだけれど、
僕が思うに、
菊の花を拾い集めたところで、
朝飯前の腹の足しにもならないだろうに。
■【02-4-008】次韻和子由聞予善射
【解題】宋の西方には夏国があり、たびたび宋との間に武力衝突を起こしていた［→作品番号01-1-001］。鳳翔は夏国との国境に近く、それへの備えが必要であることを改めて実感したのだろう、蘇軾は自ら武芸の鍛錬に励んだ。そのことを弟が詠んだ詩に和したもの。
【訳文】
都のお偉いさんは、
繁華の地で羽振りよく振る舞うのに熱心で、
遠い国境で戦の太鼓が鳴ったりすることなど思ってもみない。
鄙びた武将が文学を論じるのが得意でないように、
雅な文人は弓を射るのは得意でない。
だけど僕は、
楊の細い枝先に百発百中で射当てても、
「いやいや、なんのこれしき、特段の腕前ではありません」
と笑ってみせたり、
高い城壁の上に立って隼を射落としてから、
すぐさまひらりと馬にまたがり、
敵の馬群を蹴散らしてみせたりしてやろうと、
心の内でずっと考えているのだ。
しかし、君こそは長身であるのだから、
弓を学ぶのにもっともっとうってつけで、
かの関羽だってきっと追い抜くことになるだろう。
【補足】［関羽はいうまでもなく三国時代の有名な武将。蘇軾兄弟の腕前が関羽に迫り得たとは考えにくいが、蘇軾には少年の頃は非常に敏捷であったと回想する詩があり、身体能力はそれなりに高かったものと推測される］
■【02-4-009】次韻子由論書
【解題】前の詩とは一転してこれは書が主題の詩で、弟が書について論じた詩に和した。
【訳文】
僕は書がうまいわけではない。
だけど、僕以上に書がわかっている者はいないのではないかと思ったりもする。
書が何たるかがわかっていれば、もう学ばなくてもよい。
美しい人は顔をしかめても美しい、
美しい玉は歪んでいても美しい。
書もそうで、
端正な中に崩れたところがあってもよいし、
剛健な中にあだっぽいところがあってもよい。
字の態勢は大らかであるのがよく、
筆の収まるところは細心であるべきだ。
そうはいってもその通りにできるものではないから、
字を書いても、端から捨てることになる。
ところが、僕の書がよいなどと、
手に入れようとしてくれる人がいたりするのは、
一体どういう勘違いなのだろうか。
君がくれた詩では僕の書をほめてくれているけれど、
賛辞が過ぎて、僕の実力はそれに耐えるものではない。
このごろ僕は弓を学んでいて、
やはり力不足で、弓の強さに僕の腕は耐えられずにいる。
あれこれ好むものがたくさんあっても、
何も成就しなければ意味がない。
いっそ全てを捨て去って、
怠け放題にした方がよいのかもしれない。
昔の書法では、
早馬はのろ馬に及ばないといったものだ。
今の世俗の筆は気持ちが外に出過ぎて、
多くは無理があって安らかでない。
昔の書家は遠くに去って、
僕の考えはいまの時流には合わないのだろうか。
【補足】［蘇軾は後に宋代の第一級の書家と目されるようになり、書に関するおびただしい数の詩文を作って書論を縦横に展開する。この詩はその初めとなるもの］
■【02-4-010】次韻和子由欲得驪山澄泥硯
【解題】書に一家言ある者は、硯にも墨にも紙にもそれぞれの思い入れがある。弟が、驪山の澄泥硯という硯を手に入れようとしているとの詩に詠んだので、それに次韻した。驪山は長安の東にある山で、そこの産する石で作った澄泥硯は、唐代に天下一品とされていた。
【訳文】
魏の都の鄴で焼かれた瓦は、
世を挙げてその堅さを賞賛し、
それで作った硯は百金を費やしたところで一枚だって買えない。
王先生［王頤のこと］は物好きにも、
臨潼県の繍領山［驪山の南の山］から自分で石を採ったところ、
火を経たものなのか、地脈の暖かさがなおも残っている上に、
始皇帝をこの山に葬ったときの涙がなおも籠っているという。
君はその硯について詩を寄せてくれたけれども、
いまの僕には無用である。
僕は筆硯を捨てて、戦場で功を挙げようと思っているのだから。
【補足】［（1）王頤は同じ時代の官員で、本章の終わりに登場する。（2）蘇軾兄弟は仲がよく、弟が右というと、兄は敢えて左ということが多い。ここでも兄はわざと硯など無関心であるといっているのである］
■【02-4-011】和子由木山引水二首
【解題】弟が木山［山の形に見える木］を盆中に置いて水を灌ぎ、それを詠んだ詩に和した。この木山は父の蘇洵がかつて各地を旅していたときに得たもので、蘇洵はそれについて一文を記していた。それを先に読んでおこう。
【訳文】
蘇洵：『木仮山記』
木となって生まれても、不幸にして、ひこばえのままで終わってしまうのもあれば、人の腕くらいになったところで枯れてしまうのもある。幸いにも家の棟木になるくらいにまで成長したところで、人の手で伐られてしまうのもある。あるいは、不幸にして、風に倒され、水に流されるのもあり、そして砕けて腐ってしまうのもあれば、幸いにも砕かれ腐ることから免れても、人に拾われ、木材として使うために斧で伐られ、鋸で切られてしまうのもある。最も幸いなのは、浅瀬に流れ着いて砂の下に埋もれ、何百年か後になって、好事家に掘り出され、その形が山に似ているとかで愛玩され、斧や鋸で傷付けられずにすむものであろう。そのようなものでも、遠い辺鄙な地にあったのでは、好事家の目に触れる機会はなく、結局は薪にされてしまうであろう。最も幸いなものになりかけて、不幸なものとなってしまうのである。
我が家には三つの峰を持った木仮山がある。それを見るたびに、運命とはいかなるものであるかを私は疑わずにはいられない。この木は生まれて、ひこばえのままで終わってしまうことはなく、人の腕ほどで枯れてしまうこともなく、家の棟木になるくらいまで成長して伐られてしまうこともなく、風に倒され水に流されてからも砕かれて腐ることもなく、木材として使うために斧で伐られ鋸で切られることもなく、浅瀬に流れ着いて砂の下に埋もれ後に薪にされてしまうこともなく、こうして我が家に来たのである。こうなったのは、単なる偶然ではなく何か理由があるのではないだろうか。
私がこの木仮山を愛するのはただ形が山に似るからだけではない。運命の玄妙さに感じるところがあるからだ。そしてただ愛するだけではなく、この木を敬う気持ちもある。
三つの峰の中央は、大きく険しく、まことに重々しく、左右の峰を従えるような勢いがある。左右の二つの峰は、中央の峰に勢いでは服しているように見えても、鋭く威厳のあるありさまは、犯すべからざるものがある。二つ峰には決して中央の峰におもねる気持ちはない。そのようであるから、三つの峰からなるこの山を敬い、感じるところがあるのだ。
【補足】［三つの峰とは、容易に推測できるように、蘇洵、蘇軾、蘇轍を象徴するものである。蘇洵は人に知れないままに空しく薪として焼かれてしまうことを厭い、独学で一代の文章家になったのである］
【訳文】
其の一
故郷の蜀江の波をもう長らく見ていないので、
江の上を行く槎を、君は盆中に引き寄せようとしたのか。
昔、故郷を離れるときに、懐かしい品を三頭の牛に満載して運んだ人がいたというから、
故郷の江の風光を見るためなら、せっせと水を汲むくらいは何でもないのだろう。
物好きな者のする苦労は、人から見たらお笑い草であって、
何事にも淡白であるのが、気持ちをのんびりさせてよいのだろう。
遠く僕は君を想う、
夕べの納涼に、窓からの細い月が君の心を照らしているのを。
其の二
千年の古木は、倒れ臥して、枝もなくなり、
浪にもまれ、沙に巻かれて、瓢のように漂い流れた。
何度も秋を過ごして苔が生え、
いまも潮の満ち引きに応じるようにして湿ったり乾いたりしている。
竜が吐き出したかのようにつやつやとしていて、
切断された箇所は雷に焦がされたところなのか。
大きすぎる才は用いられにくいと昔からいわれている。
木山はまさにそうであって、
山に生える苗を慕う必要はないのである。
【補足】［この第二首は父の『木仮山の記』を念頭に置いて詠んでいるのだろう］
■【02-4-012】竹𪕋
【解題】竹を食べる動物といえばパンダだが、竹𪕋という竹の根を食べる鼠がいるという。
【訳文】
土地の人が竹𪕋を持ってきてくれた。
「道の横っちょで、網などなしに
ひょいと獲ったのでございます」
腰は盆くらいの大きさがあり、
腹は酒嚢よりもぱんぱんのつるつるで、
ぶくぶくした混沌獣［空想上の獣］だってこいつの前では痩せて見えるだろう。
二本の牙は長く出てはいても、
四本の足はわずかに生えているだけ。
人を見るとびっくりしてつまずき、
まるでおむつをはずした赤ん坊のようになってしまう。
こんな取り柄のないやつだからから、
わざわざ刀を曲げて殺めるまでない。
慌てふためいて捕まってしまったものを、
食べたのではこっちの恥になるというもの。
南の山には熊がいるというから、
そいつこそ捉えて掌を舐るべきであろう。
【補足】［この詩の内容からすると、竹𪕋はモグラの仲間なのだろうか］
■【02-4-013】渼陂魚
【解題】鄠県の西五里に渼陂という周囲十四里の堤に囲まれた池があり、そこではよい魚が獲れたという。鄠県は鳳翔府から東に100kmほど離れている。そこの知事が特別な計らいで新鮮な魚を贈ってくれたので、その返礼にこの詩を詠んだのだろう。
【訳文】
霜を経た竹を細かく裂いて作った二つの籠、
その中に剣のように長い魚が入っている。
気の毒にも、紫の茎を腮に通されてしまっているが、
遠く携えられてきたのに、なおも鰭は動き、
紅い鱗はあたりを照らすばかりに輝いている。
早速それを烹て、
仕上がるのが待てずに指をつっこんで味見をする。
集まった客人の喜ぶ顔は、
籠城する兵士にようやく米がたっぷり届けられたときと変わりがない。
かつて荊州のあたりを旅したときには、
川べりの店で何度となく新鮮な黄魚を食べたものだ。
魚などはいくらでも取れるので、
一尺以下のものは惜しみなく棄てられていた。
西の地に来てからは、魚を烹るなど長らくできずにいた。
鯈魚は小さくて生臭いし、
しかも、骨だらけで痛い目に遭いもする。
だから、客人を迎える俎板には久しく載せるものが何もなかった。
遠く贈ってくださる友人に何をもって礼をいったらよいのやら、
言葉が浮かばないうちに、また贈ってくださるということになりかねない。
それもまた悪くはないのかもしれない、
魚にぴったりの塩漬けの菜は、いつでも隣の家からもらえるのだから。
■【02-4-014】凌虚台
【解題】11月のある日、陳希亮知事は凌虚台［→作品番号02-3-033］で酒宴を開き、この詩を詠んだ。あるいは、蘇軾の任期が満ちるのに合わせた送別の宴であったのかもしれない。このころには陳知事とのわだかまりは完全に解消していた。
【訳文】
陳知事は気位高く、激しやしく、
何事も真直ぐでなければ気がすまないので、
交際を求めて近づく者はまずいない。
知事も人と付き合うよりは、
この凌虚台に登り、
客人として山々を迎え入れ、
杯を挙げる方がよいと考えている。
青い山々は遠くにあっても、
知事が凌虚台からその顔をのぞかせると、
たちまちどたばたと駆けてきて、
他の誰にも見せないいい姿を惜しむことなく披露する。
今日は、ここに人々が集い、
礼儀作法などは忘れ、自由に振る舞ってよいとの、
知事の思し召しであるから、
大いに気分をよくして、高らかに歌声を上げた。
そうこうするうちに、夕日がするすると落ちて、流れる雲にさしかかり、
淡い光を緑の壁に投げかけるようになった。
今年もここに暮れようとし、
綿入れの衣にも雪が降りかかるような寒さを覚えるまでになった。
知事は、ではこれまでと、人々とともに凌虚台を下った。
私は山とともにしばし残っていると、
一人の客人が勇ましげに登ってきた。
このとき、雁の群れが台の上のはるか高くにさしかかった。
客人はきらびやかな飾りの付いた弓を手にし、
ひょうと、天空に向かって矢を放った。
矢は雁とともに遠く天上の涯に落ちて行った。
客人はからからと笑い、
青い山々はその声に驚いて凌虚台から立ち去った。
【補足】［（1）宴の後に現れて弓を引いたのは誰だったのか。想像上のシーンであったのかしれないし、陳知事の四男の陳慥であったのかもしれない。（2）陳知事は蘇軾が鳳翔府を去ったすぐ後にやはり鳳翔府から去り、その翌年の4月に亡くなっている。66歳であった。最晩年に蘇軾を鍛えたのは陳知事の立派な業績と見てもよいのかもしれない。（3）蘇軾と陳知事の間にあったとされる不思議なエピソードを弟の蘇轍が記しているのでそれを読んでおこう］
【訳文】
蘇轍：『竜川略志』
我が兄はかつて鳳翔府で官職に就いていた。開元寺には古い絵画がたくさんあった。兄は若いときから画を好み、しばしば馬に乗って開元寺に行き、一日中壁画を見て過ごした。
あるとき二人の老僧が出てきて、丁寧に挨拶し、
「私どもの小院が近くにあります。一度お越し願えませんか」
と、いった。兄は喜んで誘いを受けた。
小院に行くと僧はいった。
「愚僧どもは日頃から薬術を好んでおりまして、朱砂を淡金に変化させ、さらに純金にする一つの方法を得ました。老いて人に伝えたいと思っているのですが、伝えるべき人がいなくて困っておりました。貴公こそは伝えるべき人であると知り、一度お会いしたいと思っていたのです」
兄はいった。
「私はそのような術を好む者ではありません。術を得ましても、使うことができないでしょう」
「この方法は知っていても、実際には為すべきものではありません。貴公が使うことがないとおっしゃるのが、まさしく伝えるべき人であるのです」
このときの鳳翔府の知事は陳希亮で、かねてから黄白の術［錬金術］にひどく凝り、この僧にその方法を求めていたのだが、僧は与えずにいた。
兄はそのことを聞くと、
「陳知事殿が求めても与えず、かえって求めもしないのに私に与えようとするのはどうしてなのでしょうか」
と、尋ねた。
「愚僧どもは陳知事様を嫌っているのではありません。陳知事様はその方法を得て、為さずにいることができないのを畏れているのです。愚僧どもはかつてある人に授けたことがあるのですが、その人は用いたためにたちまち死んでしまいました。あるいは、災難に遭った者もいれば、官職を失った者もいます。それで、軽々しくは人に授けないようにしているのです」
そして、一巻の書物を出し、
「この中にいろいろな方法が書いてあります。その一つが金を作るものです。貴公は決して軽々しく作りませんように。また、軽々しく人に授けませんように。陳知事様のような人には慎んで伝えませんように」
兄はとうとう承諾して受け取った。
家に帰ってからその方法と読むと、淡金一両から一分を除き、それに丹砂一銭を加え、諸薬とともに鍋に入れて焼き、鎔けたところを取り出すと、金と砂は減ることなく、色がまだらに混在するようになり、再びこれを烹ると、色が等しくなって完成するとあった。
後にたまたま陳知事に会うと、話がその僧のことに及び、兄はにわかに、
「近ごろその方法を得ました」
と、口走ってしまった。
陳知事は驚き、
「どうして君はそれを得られたのか」
と、尋ねた。兄は老僧が軽々しく人に伝えてはならないといったことを伝えて、その方法を教えなかったのだが、陳知事が強く求めてやまかったので、仕方なくそれを与えた。
陳知事はそれを試してみると、良い驗があった。
兄は悔やんで、
「私はこの方法を惜しむものではありません。あの老僧にいわれたことに背きたくないだけなのです。どうかこの方法を使うのを慎んでください」
と、陳知事にいうと、知事はしばらく考えて、
「わかった」
と、応えた。
後に、陳知事は罪に坐して官職から去ったので、兄はこの方法を使ったためなのではないかと疑い、さらに深く悔やんだのだった。
後に、兄は黄州に流されると、陳知事の息子の陳慥がそこにいた。
兄は陳慥に尋ねた。
「御父上はかつてあの方法を使われたのでしょうか」
「吾が父は官職を失って洛陽に移り、家を買うお金がなかったので、大いにあの方法を使ってみたのでした。そのためについに病気になって死んでしまったのです」
老僧がいったことは正しかったのである。
【補足】［錬金術は、当時は知的探求心をすこぶる刺激するごく真面目な行為であった。理系人間の蘇軾は実験好きで、仙薬を作ってみたり、黄金を作ってみたりしているのを後に何度か見ることになる。陳希亮が錬金術を試して死んだというのは事実かどうかはわからないが、硫化物［丹砂］を使って化学反応を起こせば、当然のことながら有毒ガスが発生するので、それに中って死ぬのは何ら妖しい出来事ではないだろう］
■【02-4-015】和子由苦寒見寄
【解題】弟から、厳しい寒さを詠んだ詩が送られてきたので、それに和した。
【訳文】
人生というものは百年に満たない。
君と別れてからそのうちの三年を費やしてしまった。
その三年は僕等にとってどれほどのものだったのだろうか。
捨て去ったものは、もう帰ってくる道理がない。
僕がいつも恐れているのは、
別離の間にただただ髪がますます白く、顔がますます衰えてしまうことだ。
かつて僕は喜んでものを書いたのだが、
君と別れてからはろくなものが書けない。
書こうとしてものを考えると、
君との楽しさが思い出されて、
結局は憂いが湧き上がってきてしまうのだ。
たとえ天下の士人を自分のもとに従えるようになったところで、
君と歓びを一つにした方がずっとよい。
うらやましいのは、君が外には出ないで、
座り続ける敷物に虱が湧いても気付かないほどに、
書物に没頭していることだ。
男子たるもの出処進退はまことに重い。
三年の期が満ちる僕は、退かずに進むべきだと思っている。
折しも西方の国々は互いの恨みを解消して一つになろうとしている。
それは我が方に侵入してくるためではなかろうかと、
勇猛果敢な士人は恐れている。
朝廷は戦を望んでいない。
しかし、敵はいつだって天を欺いて攻め込んでくるのだ。
ここの土地の人々は、
衣服を買うよりも戦いに使える馬を買い、
身を飾るよりも刀を飾ることを好む。
いつかここの人々を率いて、
敵との駆け引きをしたいものだと僕はいま思っている。
【補足】［このような勇ましい詩は、作品番号02-4-008とともに蘇軾の詩の中では異色の存在である］
■【02-4-016】司竹監焼葦園、因召都巡検柴貽勗左蔵、以其徒会猟園下
【解題】鳳翔府の郊外にある竹林の管理者が葦原を焼くというので、このあたりを視て回っている役人の柴貽勗を招いて、その部下たちとともに葦原で猟を行い、この詩を詠んだ。冬の楽しい遊びの歌である。
【訳文】
官園の葦を刈り取った後には枯れた株が残る。
冬の盛りに火を放つと紅い煙に包まれる。
株は焼き尽くされても根が残り、
春の雨にひとたび洗われると一斉に芽が萌え出る。
狐や兔は最もずる賢くて素早いから、
ほかの獣たちをいつも出し抜いて、
葦原を我がものとして過ごしている。
ところが、毎年焼かれてしまう災難があるのは、
一向に覚らないのだろう、
この葦原に大勢集まって暮らしている。
風が巡って焔が巻いて、尾が熱くなってくると、
狐や兔はようやく穴から出ようとするのだが、
空には鷹が狙って待っている。
土地の者がいうには、
「これほど楽なことはありません。
手ぶらで暁に出て行くと、
帰りには獲物が車にてんこ盛りですからな」
近くの村にちょうどきていた将軍［柴貽勗のこと］を誘ったところ、
武器を手にした部下を従えてやってきた。
兵士たちは長らく閑にしていたので、
ちょうど訓練によいと、
凍りついていた陣太鼓を打ち鳴らした。
心は雄々しくも南の谷で虎を撃とうとするばかり、
陣の並びは縦にも横にも自在に変化する。
火の烈しさに霜はたちまち乾き、
獣たちは路なきところを飛び走り、
叫びつつ牙をむきだしにする。
人がきたら噛みついてやろうと構えているのを矢で射抜き、
犬を避けようと走り去るのを網で捕らえる。
獲物を撃ち、馬を走らせて追い、まだまだ満足しないうちに、
早くも日が落ちて行き、烏が帰れとせかすように鳴く。
旗を倒し、太鼓をおさめて、獲物を数え上げる。
雉や兔は鞍に掛け、鹿は肩に担う。
主人［蘇軾］は酒を置いて、人々を集める。
たちまち酔ってにぎやかに語り出し、
夜になってますます嘩しい。
毛をむしり、肉を焼くのが間に合わないほどで、
飲みかつ食らうありさまは太古の人々のようである。
昔、雲夢の湿地で猟にふけって国を乱した王がいて、
嘲りの詩に詠まれてしまったのだが、
その湿地だってせいぜいここの百倍の広さだろう、
閑をかこつ役人がこうして山の麓を駆け巡って、
勝手気ままをしているのと、
はたしてどちらがましなのやら。
とはいえ、農事も工事を全て終わった年の暮れであるのだから、
まことに結構な顔ぶれがここに揃ったものである。
酒酣のときに馬に上り、
別れも告げずに去ろうではないか、
冷たくびゅうびゅう吹く風に帽子を飛ばされないようにしながら。
■【02-4-017】亡伯提刑郎中挽詩二首、甲辰十二月八日鳳翔官舎書
【解題】詩の題は、「亡き伯父の挽詩二首。甲辰の歳の十二月八日、鳳翔府の官舎で書く」。伯父の蘇渙が2年前の8月に亡くなったことは作品番号02-2-019で見ている。鳳翔府を去る直前に、伯父の死を悼むこの詩と、伯父の墓に捧げる祭文を蘇軾は作った。もしかすると、郷里の方に行く人があって託したのかもしれない。
其の一
才ある賢人は世に幾人いるのだろうか、
そのような人を朝廷は軽々しく扱ってはならない。
伯父は生きておられる間に重く用いられることがなく、
いまになって人々は残念がっている。
故郷の山の松は無数に青く繁り、［伯父の墓所のありさまをいう］
史書にはあたまの人々の事績が記されている。［伯父の名がそこにないのを嘆く］
同郷の老人たちは、
伯父の名を聞くたびに涙を流してくれる。
其の二
手を振って都の東の門で別れたとき、
伯父の顏はつやつやし、髪に白いものはなかった。
そのときのありさまが夢のように思われ、
亡くなったのがいまだに信じられずにいる。
後に遺されたのは千余篇の詩と文。
新たに作られたのは天の彼方の墓。
昔むかし恩人の息子が困窮しないですむように、
皇帝の前で物まね芸を披露した人がいたが、
いまそれをするのはいったい誰なのだろうか。
【補足】［（1）終わりの部分は祭文［→作品番号02-2-019］で見たのと同じ故事を用いている。大黒柱を失った伯父の一家を援助するためなら何でもしようという意味である。（2）遥か後の元祐3年［1088年］に弟の蘇轍が伯父の墓表を書いている。兄弟にとって伯父は極めて大きな存在であったから、墓表の概略をここで見ておきたい］
【訳文】
蘇轍：『伯父墓表』
蘇氏は唐の世に初めて眉州に住み、唐の後の五代十国時代には官に仕えることはなかった。そのとき、蘇氏に限らず、眉州の士大夫は家において身を修め、郷里を治めることに関わり、出仕しようとする者はいなかった。宋の真宗皇帝のときに眉州から初めて孫堪が科挙に合格した。孫堪は世に目立った働きをする前に亡くなった。眉州の士大夫はやはりもとのままに安んじ、進取の気にはやる者はいなかった。このとき公［伯父］は独り発奮して学問に励み、科挙に合格した。公は官僚となり、法に基づいて民衆を指導し、行く先々で循良であるとの評判を得た。
公の諱は渙、字は始めは公群であったが、晩年に文父と改めた。公は少年のころから賢く、その父［蘇序］は家のことは自分で全て行い、公には学問に専念させ、司馬遷の『史記』や班固の『漢書』を筆写させた。公はまだ少年であったけれど、交際するのは年長の有徳者ばかりで、文や詩はそれらの人々と優劣がなかった。天聖元年［1023年］に科挙の一次試験を受験した。眉州の知事の蒋堂は公の文章を見て、その巧みであることに感心し、「君は眉州で第一番だ」といった。すると公は「眉州にはたくさんの年長者がおります。とくに楊異、宋輔とは学び合う仲間で、二人に先んじるのは私の願うところではありません」と答えた。蒋堂はますます公は賢い考え、「それなら君は第三番としよう。それで君の名を輝かせよう」といった。翌年、公は科挙の最終試験にも合格し、郷里の人々は皆喜び、公が帰郷したときには出迎えの者が百里にわたって並ぶほどであった。
公は鳳翔府宝鷄県の主簿となり……［中略］……
閬州の通判になったが、当時閬州では、官が必要とする物資を集めて運搬する労役を民衆に課す定めがきちんと運用されておらず、争い事が絶えなかった。公は閬州に来ると、規約をきちんと定め、争いは止んだ。公の政治は極めて寛大であり、しかし法で決めたことは必ず守らせた。そのため官吏は畏れ、民は安心できた。閬州の人の鮮于侁は若くて篤学であったので、公は厚遇し、科挙を受けられるよう支援し、それによって合格した。鮮于侁が初めて官僚になったとき、公は法を守ることを教えた。後に鮮于侁は朝廷の大官となり、名臣と讃えられるまでになった。公の父は、公がどのような政治をしているのか、眉州から閬州にまで見に行った。よくやっているのを見て喜び、数カ月間滞在して帰った。たまたま近隣の州で兵乱があり、閬州の人々は恐れ慄いた。このとき州知事が不在であったので、公が州政府を指揮して兵乱への備えをしつつ、同僚を連れて楼台に登って酒宴を開き、民衆の心を鎮めた。兵乱は内部で異変があって崩れ、州境に影響が及ぶことなく終わった。……［中略］……
祥符県の知事になると、祥符県には富貴の家が多くあったのだが、公は徭賦［民間に課せられる労役と物的負担］を公平に負担させ、争いをなくし、民衆はそのやり方をよしとして安心した。郷書手［徭賦の手配をする土地の有力者］の張宗という者は、それまではずるがしこく振る舞って利益を得ていたのだが、公を畏れ、病気になったと称してその職務から去り、代わって自分の息子に引き継がせようとした。公は、その息子は不適格であるとして、法に基づいて認めなかった。張宗はもとから権貴の人々と通じていたので、開封府［首都近辺を治める府政府］に訴え出た。開封府から祥符県に実情を視察する役人が派遣された。公はあくまでも張宗の息子を処罰したところ、次に都から宦官［宮中の仕事をする特殊な役人］が来て、皇帝の意向だとして、張宗の息子を郷書手にせよといった。公は法を根拠にそれには従えないと応えた。するとまた別の宦官が来て、「法にはずれても張宗の息子を郷書手にせよ」と迫った。公は開封府知事の李絢に向かって、「一人の民間人がこのように法を乱そうとしていて、府政府はそれでよしとするのか。あたなたは県は法を守ってはいけないといわれるのか」といった。李絢は愧じ、「明日、朝廷に参上してこの件を申し上げる」と答えた。李絢が言上すると、皇帝は「これは朕の意ではない。祥符県の知事は誰であるのか」といっわれた。李絢は公の名を告げると、皇帝は褒め称えた。そして皇帝はどうしてこのようなことになったのか調査させた。しかし、当時皇帝に最も寵愛されていた張貴妃の一族の誰かが張宗から賄賂を受けてしたことであったらしく、深くは追求することができなくて、偽の皇帝の命令を伝えた者だけが処分された。包拯［中国の大岡越前のような超有名人］が公に会って、「貴君は一県令としてよくぞこのようなことをした。朝廷の諌官［官僚の紀綱を取り締まる役目の者］も遠く及ばない」と感嘆した。公はある日のこと、ぼろぼろの衣服を身に付け、水を背負う娘を見た。娘は振り返り、「ああ、蘇士曹様ではございませんでしょうか」といった。公は不思議に思って娘に尋ねると、「わたくしは廖戸曹の娘にございます。いまは流落して人に使われる婢となっております」といって泣き崩れた。公がかつてある町で士曹の職にあったときに、戸曹の職に就いていた廖という同僚がいた。公は悲しみに沈み、娘の主人を訪ね、金を出して娘を家に引き取った。そして家の中で礼儀正しい者を選んでその娘に礼儀作法を教え、元の同僚仲間の家に嫁がせた。……［中略］……
利州路の提点刑獄に抜擢され、赴任する道すがら閬州に通りかかると、公を見ようとする民衆が続々と集まって来た。子供たちが公の周りを囲み、公が手を振って払おうとしても去ろうとしなかった。公はいった。「私がここを去ってもう二十年になる。諸君等はよもや私のことは知るまいに」。子供らは答えた。「父や祖父からあなたさまの政について伺っております。家にはあなたさまの画が飾ってあります。あなたさまがまたこられると聞いて、ぜひ見たいと思ってこのように来たのです」。公は笑い、「なんとまあ、こういうことになっているとは」。……［中略］……
公は嘉祐七年八月乙亥に、病気でもなかったのに俄かに亡くなった。役所の人々も民衆も皆声を失い、閬州では市を閉ざし、ともに市中で仏事を行って、公の恩に報いようとした。享年は六十二であった。……［中略］……
公が亡くなって二十七年が経ち、公の子の不危が公の事績の記録を従弟の轍に授け、このようにいった。「父が亡くなり、その後、二人の兄も亡くなりました。いまは私がいるだけです。きちんと記録を残しておきませんと、いつかは散逸してしまいます。それよりも大きな不孝はありません」。私轍は生まれて九年にして郷里で初めて公に会い、後に雍丘［都の近郊］で公に会った。公が話すのを聞いているし、公の遺烈を記憶してはいるけれど、公のされたことのわずかに一つか二つしか知らなかった。そこで慎んで公の事績をまとめ、墓碑に記すことにした。
私轍と兄の軾は幼いときに伯父上にお会いし［蘇序が亡くなったので帰郷したときのこと］、このように話されるのを伺った。「私は子供の頃から読書に励み、師を煩わさず自分で学んだ。少し成長すると、毎日文章を書くことを日課とし、完成するまで止めなかった。外に出歩くときには、礼法に合致するようにし、家の中にいるときにも、姿勢を崩すことはなかった。私だけがそうしていたのではなく、私の仲間は皆そうであった。そうしないと、郷里の者から、『なんだ、あれで儒学を学んでいるなどといえるのか』と後ろ指をさされた。だからこの当時は、学問はする者は多くなかったけれど、誤った行動をとる者がいるとは聞かなかった。私は都に出て官職に就いてから三十年になった。帰って来て我が郷里を見るに、琴の音が響き、詩を唱える声が聞こえ、儒者の服を着る者が他郷よりもたくさんいる。それを私は嬉しく思った。諸君等も人に遅れることなく、私が過ちが少ないのを見習うようにしてほしい」。私たちは「謹んでお教えを受けます」と頭を下げた。……［中略］……
伯父が亡くなり、後から生まれた者は老成の人の言葉を聞けなくなった。師と仰ぐべき指針がなければ俗に流れてしまう。私轍は子弟が日々に怠るようになるのを恐れ、伯父について聞いたところをこのように記し、後の戒めとする。
■【02-4-018】寄題興州晁太守新開古東池
【解題】蘇軾は鳳翔府にいる間に、文同［字は与可］と初めて知り合い、後の章で詳しく見るように終生の親友となった。その文同から、興州知事の晁仲約が古東池を新たに開いたことを聞き、池の風光を詠んだ詩を見せられたので、それにこの詩を書き添えた。
【訳文】
百畝の新しい池が、
城郭に添って斜めに広がっている。
町の人々がここで遊んでいる様子を、
旅の人は、さも自分のことのように誇らしげに語る。
「知事殿は実はかの謝霊運なのでしょうか、
興州の風光を永嘉とそっくりにしてしまったのです。
気ままに飲んで、
座中に白い帽子を置いたまま、
山の奥へと尋ね入り、
そこで桃の林に出会ったのです。
山の鳥が『帰去』『帰去』［帰りなさい］と鳴くのを聞いて、
故郷を思って居ても立っても居られなくなったということです」
【補足】［（1）謝霊運は南北朝時代の人で、故郷の永嘉の自然をこよなく愛して多数の詩を詠んだ。（2）「桃の林」は陶淵明の桃花源［ユートピア］のイメージである］
■【02-4-019】和董伝留別
【解題】蘇軾は、恐らく鳳翔府に赴任してまだ日の浅いころだったのだろう、董伝の訪問を受けた。董伝は盩厔県に住み、詩をもってその名を知られ、かつて梅堯臣とも親交があった。科挙を目指していたがまだ合格しておらず、生活は苦しかった。蘇軾が鳳翔を去るにあたって別れを告げにきたので、それに応じてこの詩を詠んで渡した。
【訳文】
たとえ身に粗末な衣服を纏ったまま生涯を送っても、
詩文を納めた腹の内はいつでも華やかである。
行く行くは落ち葉を拾い集めて豆を煮て暮らすような老学者となるのを嫌い、
科挙の合格者の中に身をまじえて春の花盛りを満喫しようと思っている。
かつて、春の野を駆け廻る馬を用意する銭が懐になく、
婿選びをする大官が目を止めてくれないかと虚ろにあたりを見回したこともあった。
我が意を得られさえすれば、きっと世間に誇れるはずだ。
朝廷に召そうと、黒々と記された詔書が必ずや届くであろう。
【補足】［いつか必ず科挙に合格するであろうと励ましたのである］
■【02-4-020】記董伝論詩
【解題】執筆の時期はわからないが、董伝について記した短文。
【訳文】
友人の董伝はよく詩を論じた。
私は、
「杜甫もときには平凡な表現を使ったものです。例えば、
『已知仙客意相親［已に知る 仙客の意の相い親しむを］、
更覚良工心独苦［更に覚える 良工の心の独り苦しむを］』
これなどはごく平凡ではありませんか」
董伝は笑って次のようにいった。
「この句は、ほとんど貴君のために発したようなものです。（何かを表現するのに）深いところにまで心を巡らせましても、それをわかってくれる人はほとんどありません。ですから、『独り苦しむ』と詠んだのです。それは画だけに限るものではないのです」
【補足】［ここに引用されている杜甫の句は、李尊師という人物が描いた松の画に添えた詩にある。仙客［つまり李尊師］が私と親しくしてくれる心が知れ、さらには良工は独り心を苦しめるものであることもわかったという意味で、そこには、独り心を苦しめるのは杜甫自身もそうであるとの思いが籠められている。このとき蘇軾はこの句は平凡すぎると思っていたのだが、董伝の考えを聞いたのが印象に残ったのだろう、ずっと後になって別の文章でこの句を引用している。董伝は独り心を苦しめるのは蘇軾も同じであろうといったのだが、本当に心を苦しめていたのは董伝の方であった。董伝がこの後どのようになったのかは次の章で見ることになる］
■【02-4-021】書所作字後
【解題】蘇軾は12月17日に鳳翔府での公務を終え、都に向かって出発した。長安で石蒼舒［字は才翁］、王頤［字は正父］といった人々に歓待され、年明けまで過ごした。石蒼舒は書の収集家、王頤は画の収集家で、石蒼舒の求めに応じてこの短文を記して渡した。王頤の名は作品番号02-4-010ですでに見ている。
【訳文】
王献之がまだ年少のときのこと、書を学んでいると、父の王羲之［中国の最も優れた書家とされ、書聖と呼ばれる人］が後ろからその筆を取り上げようとした。しかし、王献之の筆を握る力が強くて、王羲之は筆を取ることができなかった。それで、息子は成長すれば書をもって世に名を顕すと知った。
よく知られるこの逸話は、いささか違っていると私は考えている。書を知るとは、筆をしっかり持つことにあるわけではない。筆の行こうとしているところを心に聴いて、それに任せて法度を失わないのなら、書を会得したということになるだろう。王羲之が重んじたのは、筆を取ろうとしてできなかったことではなくて、子供でありながら意を用いるのが精妙であって、それが筆を持つ手に現れていたことにあったのだろう。王献之の意は筆を強く握ることにあったのではないのだ。
もしもそうでなかったならば、天下の人で大力のある者なら必ず書の名人になるはずである。
治平甲辰十二月二十七日、鳳翔府を罷めて、石蒼舒君のもとを訪れたところ、数幅の書を強く求められた。私は書に通暁する者ではなく、石蒼舒君はこのあたりでは最高の名書家である。できれば私のこの書は出して人に見せないようにしてもらいたい。人に笑われてしまうであろうから。
蘇軾書く。
■【02-4-022】跋酔道士図
【解題】王頤はひどく酔っ払った道士を描いた画を蘇軾に見せ、画に貼り足した紙に跋文を記すよう求めた。
【訳文】
私はもともと酒を喜ぶ者ではない。王頤の持つ『酔道士図』を見て、私はこの執杯持耳翁をはなはだ恐ろしく思った。
【補足】［（1）わずかこれだけの文章であるが、蘇軾と酒の関係がよくわかる。蘇軾は酒を好み、酒にまつわる詩文もたくさんあるが、実はアルコールにはさほど強くなかった。「執杯持耳翁」はたぶん蘇軾の造語で、意訳すれば「徳利奉行親爺」で、つまり、やたらに「呑め、呑め」と強いるアルハラおじさんである。（2）これから数年後に、再び長安にきた際にこの画を見ると、蘇軾の跋文の後に章惇の書き込みがあったので、蘇軾は次のように書き添えた］
熙寧元年［1068年］十二月二十九日、私は長安にきてある人を訪ねたところ、王頤がわざわざ『酔道士図』を携えてやってきて、弟や幾人かの友人の前にそれを広げて披露した。私がかつて記した一文の脇に、章惇が「大いに笑わせてもらった」と書き記したのを見て、皆が私のことを笑った。
私はこの画の酔道士ばかりでなく、世の持耳翁全てを畏れるのだが、章惇はといえば、持耳翁にいくら「呑め、呑め」といわれたところで、まだまだ呑み足りないと応じるに違いない。
酒にはたくさんの味わいがある。残念なのはそれを知る者が少ないことだ。持耳翁はただたくさん呑むのがよいと思っている。
私は山水を巡り歩くのを好む。しかし、章惇と同行したときに仙遊潭の深い崖を渡ることはしなかった。やたらにどこにでも行けばよいというものではないからだ。
私はもともと酒を多く呑むことをしない。持耳翁などと深く付き合ったりはしないのである。
［章惇と仙遊潭で遊んだことは作品番号02-4-002の第五首で見ている。人々が見守る中で跋文にこのように記してから、潭から帰ってきた章惇に向かって「人だって殺せるだろう」といったのだと語り、それが種々の書物に記録されたのだろう。とすると、その逸話は蘇軾自身が面白く脚色したものとみるべきであろう］
■【02-4-023】題魯公草書
【解題】書の収集家は石蒼舒だけでなく、長安では安師文という人物にも会って、顔真卿の草書を見せてもらい、それにこの短文を書き添えた。顔真卿は唐の時代に政治的に重大な役目を果たすとともに、書の名家でもあった。蘇軾が顔真卿の書をどのように評価していたのかということは後に詳しく見ることになる。安師文は官員としては蘇軾の先輩で、顔真卿の書を学んで、その妙所を得たと評されていた。
【訳文】
昨日、長安の安師文が所蔵する顔真卿が定襄郡王に与えた数枚の手紙を見せてもらった。この草書は顔真卿の他の書と比べても特に優れている。手にまかせてごく自然に筆を走らせ、動きといい姿といいまことにみごとである。俗に黄金よりも瓦の破片が優れることもあるというが、顔真卿でもそのようなことがあったのだろう。
【補足】［終わりの部分は少々わかりにくいが、瓦の破片とは賭け事に使うものであるらしい。一発勝負に勝てば瓦の破片が莫大な黄金に化けることもある。短時間に急いで書いた手紙の方が、心を籠めてじっくり書いたものよりも優れることがあるということを、賭け事の比喩で言い表そうとしたのだろう。顔真卿のこの手紙は、草書の傑作として、現在でも書道家の手本として珍重されている。ただし、蘇軾が見た現物は失われ、石に刻んだ拓本が伝えられている］
■【02-4-024】驪山三絶句
【解題】蘇軾は長安で新しい年を迎え、治平2年［1065年］1月の初めに長安を発ち、驪山の下を通過してこの詩を詠んだ。驪山には温泉があり、玄宗皇帝がしばしば楊貴妃を連れて遊んだことで知られている。三首のうちの第一首を訳す。
【訳文】
其の一
功が成ったならば、
その満ちた状態を保つよう努めるのが最もよい。
嘆くべきは、かつての王たちが、
太平を恃んでほしいままに振る舞ったこと。
驪山の下で民衆はどれほどの労苦を重ねたことか。
始皇帝のために阿房宮を造ったかと思えば、
玄宗皇帝のために華清宮を造らなければならなかったのだ。
【補足】［時の権力者が民衆から搾取して壮麗な建築物を作ることを蘇軾は常に批判している］
■【02-4-025】華陰寄子由
【解題】華州に立ち寄って胡允文［『鳳鳴駅記』［→作品番号02-2-023］の執筆を依頼してきた人］に会うなどした。これは華州を過ぎたあたりで弟に送った詩。
【訳文】
この三年の間、帰ることを思わない日はなかった。
夢の中で家に戻り、
しばらくしてから、現実でないと気付いたこともあった。
十二月の祭日に、酒を酌んで寒さを忘れようとしたときも、
ただ家に帰ることばかりが思われてならなかった。
一月のこの旅では、春を呼ぶ東風が吹いているはずなのに、
雪が衣にまとわりついてくる。
いま僕は、天に浮かぶ華山の三つの峰の下を通り過ぎつつある。
じきに、潼関の四つの扉が日を浴びて開かれるのを見ることになるだろう。
そうすれば、都までの一里塚を全て数え尽くすのを妨げるものはもう何もない。
だから、君はいますぐにも、家の御馳走を携えて、
僕を迎えに出るのがよいのではないのかな。
【補足】［潼関は長安のある盆地［関中］と、その東側の平野部との境目にある難所。この詩でいう「家」は故郷の眉山のではなく、都に住まう父と弟の家である。
■【02-4-026】華陰老嫗
【解題】上の詩で「天に浮かぶ華山」と歌われていたのは、古来有名な霊山である。その霊山のふもとに華陰県があり、そのあたりはいろいろ不思議なことが起こるとされていて、この短文に記されているのもその一例。この話に登場する孫抃は眉州眉山県の先輩で副宰相まで務め、この前の年の11月に69歳で没している。執筆の時期は不明だが、華陰にちなんでここで読んでおこう。
【訳文】
眉州の彭山県の宋籌は、夢の中で、もとの副宰相の孫抃とともに科挙を受ける旅に出て、華陰県に至った。大雪のなか、まだ夜が明けないうちに華山の下を通過すると、「毛女峰」と記してある堠［一里塚］があった。見ると、堠の下に一人の老婆が座っていた。髪はまさに雪のように真っ白で、しかし、寒がっている様子はなかった。このとき道にはまだ行き来する者はなく、雪の中には足跡がなく、どこからその老婆がやってきたのかわからなかった。宋籌と孫抃は数百歩ほど離れていて、宋籌が先にそこを通過し、怪しく不思議に思ったが、顧みることはなかった。孫抃は立ち止まって老婆と話をし、馬の鞍に掛けてあった数百銭をすべて与えた。孫抃は宋籌に追いつくとそのことを話し、宋籌は後悔してすぐに戻ったのだが、すでに老婆の姿はなかった。
この年、孫抃は第三位の成績で及第し、宋籌は老いて死ぬまで成すことがなかった。
このことは蜀の人々のあいだでよく知られている。
【補足】［（1）老婆は神の使いであったのだろうか。科挙は人生の一大事であったから、科挙に合格するような人には何かしら神の加護があるとされ、数多くの不思議な話が語られてきた。（2）華山の下で、蘇軾自身にも不思議なことが起こったと、李廌の随筆『師友談記』［→作品番号01-2-005］が伝えているのでここで読んでおこう］
李廌：『師友談記』
公［蘇軾］が鳳翔府の官を罷めて都に行く途中で、華山の下を通った。
すると随行の一人の兵卒が祟りに遇ったのか突然狂い出し、着ている物を自分で次々に剥ぎ取り始め、止まらなくなった。公は他の者に命じて、その兵卒を布で縛らせたのだが、その布は勝手に墜ちてしまった。
人々は口々に、
「これは崋山の神様がお怒りなのです」
と、いった。
そこで公は祠に詣でて、このようにいった。
「私はかつてここを通ったときにも祈らず、いま帰るときにも祈らずにいました。たまたま公用で急ぎつつ祠の下を通りかかっただけであって、敢えてここの祠に詣でまいとしたわけではありません。随行の一人の兵卒が狂を発したのは祟りに遇ったためなのでしょうか。土地の人々は神の怒りに触れたと申します。果たしてそうなのでしょうか。この兵卒はいわば蟻や虱のようなもの、神の威霊をわざわざ煩わすべき相手であるのでしょうか。たとえこの者に隠れた悪事があるとしても、それは果たして何なのでしょうか。怠けて神に非礼を働いたのでしょうか。祠から何か盗んだりしたのでしょうか。いずれにしても小さな罪であって、わざわざ神の威霊をもって責めるようなことなのでありましょうか。抛っておいても構わないのではないでしょうか。竊かに思いますに、山がこの地を鎮めることは重く、山に隷属するところは甚だ広く、その範囲には力がある者も富んだ者もいて、中にはお上に対して悪事を為して隠している者もいることでしょう。そのような者には神は敢えて威霊を示さずに、この一兵卒だけに怒りを加えるようなことがあってよろしいのでしょうか。私は小さな官職にある者で、一人が病むだけでも事に不自由いたします。願わくば、怒りをおさめていただけないでしょうか。私の愚直に免じて、この願いを聞いていただけませんでしょうか」
公が廟から出ると、馬の前で一陣の風が巻き、急に大風となって天地を震わせるばかりに吹き、沙や石が飛ぶほどになった。
公はいった。
「神がますます怒ろうと、私は畏れはしない」
風を冒して進み、風はますます強くなり、公を追って行こうとしても人も馬も辟易して足を進めることができなかった。
ある人は、
「お祓いをして謝るのがよろしいのではないでしょうか」
と、いうと、公はいった。
「禍福を定めるのは天である。神が怒るのなら勝手に怒らせておけばよい。私は進み続けて止まりはしない。私を止めることはできないのだ」
すると風は止み、何事もなく終わった。