第2章 最初の赴任地――鳳翔での3年間
［第2章その二］
嘉祐7年［1062年］、蘇軾27歳。
■【02-2-001】鳳翔到任謝執政啓
【解題】年が改まってすぐに、鳳翔府に着任したことを報告するこの手紙を執政［宰相］のもとに送った。このときの宰相は韓琦と曾公亮であったが、蘇軾のこの手紙は韓琦に宛てたものだったと推測されている。この手紙は一定の形式に従って書かれていて、また地方行政の問題点にも触れていて、いずれも訳者のよく理解し得ないものあるので、ここの訳文はかなりレベルの低い「ずっぽ訳」である。蘇軾が当時の地方行政の問題点を理解して、その弊害を改めたいとの意欲があったことは読み取っておきたい。
【訳文】
右の蘇軾が申し上げます。
宰相府を去りましてより、たちまち歳月が改まり、そちらからの風に恋しさを募らせております。
前月十四日にこちらに到着し、翌日には任務に就きました。私は凡才でありながら、特に選んでいただいて、小さな県の小さな役から大きな府の要職を授かり、自身を顧みて、この幸いに恥じるばかりであります。
謹んで着任して以来、日夜、誰よりも励んでおりますが、ただ願うのは過ちの少ないことであります。かねてより宰相殿には格別の御庇護を賜り、深く私のことを知ってくださっておりますので、ただ自重すべきと心得ております。
任せていただいております仕事は、府の五つの部署の文書の管理で、その中には衙司［法に関する部署］があり、それが最も重要であります。また、ここでは、木や竹を筏に組んで渭水、黄河に流す仕事や、軍の食糧を西の国境地帯に運ぶ仕事もあります。毎年のように起こる大河の氾濫を防ぎ、あるいは官吏が交易に不当な課税をするのを取り締まらなければなりません。官の政治が不公正であると、民業は春の氷のようにたちまち融け崩れてしまいます。賦税を減免する制度はありますが、民の負担の百分の一も軽減することができません。民を救う術がないのでは、座して恥じるしかできません。民の困難のために何かできるのならば、この職務にあって怨むところはないのであります。
【補足】［手紙の後半では、鳳翔府の民衆が、材木を都に送ったり、食糧を前線に送ったり、治水工事をしたりと様々な賦役を負担させられ、さらには官の不公正な行政によって苦しんでいることを指摘している。後に王安石は、民衆から労働力を徴発することを改め、税を徴収してそれで労働力を雇用するやり方に変えようとした。保守派は民衆の税の負担が重くなるとして猛反発した。ただし、実際に負担が重くなるのは富裕層で、士大夫は概ね富裕層の仲間入りを果たすことに成功していたので、その反発は必ずしも正当なものではなかった。蘇軾は保守派の一員であったが、この点に関してはやや違った立場を取るようになる。鳳翔府での実務経験などから、民衆の実態をよく見ていたからであろう］
■【02-2-002】壬寅二月、有詔令郡吏分往属県減決囚禁。自十三日受命出府、至宝雞、虢、郿、盩厔四県。既畢事、因朝謁太平宮、而宿於南溪溪堂、遂並南山而西、至楼観、大秦寺、延生観、仙遊潭。十九日乃帰。作詩五百言、以記凡所経歴者寄子由
【解題】この詩には長いタイトルが付けられている。「壬寅［嘉祐七年］二月、郡の役人を郡に属する県に派遣し、牢獄に監禁されている囚人を減刑するようにとの詔が下された。私は指令を受けて十三日に府を出て、宝雞、虢、郿、盩厔の四県を回って、任務を果たした。それより太平宮に参詣し、南渓の渓堂に宿泊し、南山に沿って西に進んで、楼観、大秦寺、延生観、仙遊潭に至り、十九日に帰った。五百言の詩を作って、見てきたおよそのことを記して、弟に寄せた」。天災等に見舞われたときに、それは皇帝の失政を天が咎めるものであると受け止めて、天の怒りをほどくために囚人を減刑するような措置が取られることが時折あった。皇帝の命令を受けて、鳳翔府に属する十県のうち四県を蘇軾が担当して回った。四県は鳳翔府の南部に位置し、蘇軾はこの機会を利用して、そのあたりの名所、旧跡を訪ねもした。その旅程を蘇軾自身が詩に詳しく付記しているので、それを先に見ておこう。
【訳文】
〇十三日、武城鎮に宿った。俗に、諸葛孔明が築いた石鼻寨だといわれているところがある。この夜、宝雞県で火事があり、三十里を隔てた武城鎮からも見えた。宝雞県には雞爪峰、竜宮寺がある。
〇十四日、宝雞県から虢県に行った。聞くところでは、太公望（が世に出る前に釣りをしていた）磻溪石が県から東南十八里にあって、両膝をついて竿を投げた痕が残っているという。
〇十五日、郿県に至った。県には董卓城があり、長安に似せて作ったので俗に小長安といわれている。この日遅くに、郿県から清秋鎮に至って宿った。道の途中で太白山の下を過った。伝え聞くところでは、太鼓を鳴らし角笛を吹いて山の下を行軍して通過すると、きっと雷雨になるという。山の上には湫があり、はなはだ霊験があるとされている。今年は干害が心配され、湫の水を取って雨乞いをすることが論じられている。
〇十六日、盩厔県に至った。山に近く、土地が肥え、気候がよくて作物が早く育つ。県には官竹園があって、十数里にわたって竹が途切れずに続いている。
〇十七日は寒食［冬至から105日目の節句］であった。盩厔県から東南に行くこと二十里余り、太平宮に詣でて二聖［宋の太祖皇帝と太宗皇帝］を描いた画を拝見した。太平宮は、太宗皇帝の時に、道士の張守真のもとに神が降って天の命令を記した符を授けたことから、ここに建てたものである。その神が翊聖将軍として封じられ、その神殿がある。この日は、監宮［太平宮の管理人］の張杲之と舟を南溪に泛べ、溪堂に留まって宿った。
〇十八日、終南山に沿って西に行き、盩厔県の知事が部下を連れて見送ってくれた。近くの官竹園には時々虎が出るという。この日、崇聖観に遊んだ。俗に楼観とも呼ばれ、尹喜の旧宅であるという［尹喜は西に旅する老子を留めて、その著作を書き残させたといわれている人物］。山のほとりには、老子が経典を授けたという台がいまもある。張杲之とともに大秦寺に至り、朝食をとって別れた。太平宮の道士の趙宗有が琴を抱いて大秦寺まで見送ってくれて、『鹿鳴』の曲を弾いてくれてから立ち去った。さらに西に延生観に至った。延生観の背後の小山には唐の玉真公主［叡宗皇帝の娘］が修道した遺跡がある。山を下って西に行くこと十数里で、南に黒水谷に入った。谷の中に潭があって、仙遊潭の名がある。潭のあたりには三つの寺があり、高い峰に寄り添い、清らかな溪に面し、翠の樹林は深く、怪石が数えられないほど多数ある。潭の水は、縄に石をつけて測ってみたが、数百尺でも底に達しなかった。石を投げ入れても、徐に落ちて行って、しばらくしてから見えなくなった。とにかく清く澄んでいるのである。中興寺に宿った。中興寺には玉女洞があって、洞中の滝の水ははなはだ甘い。翌日、泉の水を二つの瓶に酌んでから帰り、郿県に至り、さらに翌日に鳳翔府に至った。
【訳文】
皇帝陛下は、都から遠く離れた地で、水害、干害があったと聞かれ、
未決囚の釈放をお命じになった。
僕は各県にその詔を伝える役人の一人となり、
山に入って名勝を尋ねる機会も得た。
（十三日に）鳳翔府を出たばかりのときは、
何やら重い気分であったのだが、
広々とした大地を行くうちにそれは消え去った。
夕暮れ近くに小さな町［武城鎮］に着き、
高いところに登って諸葛孔明に想い馳せる。
険しい絶壁に寄り添って、
青い水が激しく流れ、遠くへと去って行く。
夜中に急を告げる声が盛んにするので、
見ると、空に横たわって火の気が浮かんでいる。
遠く遥かで、何の火であるのかはわからないが、
風が強く吹いていて、火の勢いはおさまりそうにない。
（十四日の）暁に陳倉県［すなわち宝雞県］に入ると、
昨夜の火はここで起こったもので、
唐代に建てられたという売酒楼はそのままであったけれど、
煙や煤に包まれて町中は混乱し、
役人たちが叫びまわっている。
雞爪峰にはゆかしい雰囲気の朝焼け雲がかかり、
竜宮寺の堂宇は静まり返っている。
南の山々は大散関へと連なり、
そこから吾が州［蜀のこと］へと帰って行くことができる。
もしも行こうとすれば行けないことないのであって、
自分はまだしばしの間だけここに留まっているのだ。
道を転じて西虢へと進み、
また転じて小さな河洲を渡る。
聞くところでは、太公望ゆかりの磻溪石が、
渭水のほとりにあるというので行ってみると、
蒼い崖の下がその跡だとか。
太公望には天下を釣ろうとする大きな志があったから、
釣り糸に鉤などは付いていなかったのだろう。
（十五日に）東に向かって郿塢を過る。
（後漢の終わりに軍閥の長の）董卓は長安に似せてこの城を作り、
己の身はこの城に守られて永久に安泰だと思っていたのだが、
その横暴を憎む伍孚に刺されそうになり、
ついには腹心の呂布の白刃のもとに倒れ、
郿塢には丘のように積まれた黄金だけが空しく残ったのだった。
かねてから太白山の名を聞いていたので、
隊列を止めて、しかと眺めることにした。
山の下で太鼓を叩き角笛を吹くと、
風雷が至るとされているが、果たしてそうなのだろうか。
岩の崖は見るからに険しく、
氷を刻んだかのような容貌である。
このあたりでは春に日照りがあっても、
麦が稔らない憂いはないという。
山には霊験豊かな湫があって、
それを守る竜は怠けもので居眠りばかりしているので、
湫から水を偸んで瓶に酌んでくるなら、
雨が降るのである。
（十六日）、盩厔県には優れた林泉があり、
蜀の三川と気象がよく似ている。
山が近くにあって、小麦、大麦の成長が早く、
水に臨んで竹が青く並んでいる。
（十七日に）太平宮に詣でると、
太祖皇帝、太宗皇帝が天命をお受けになったお姿が描かれ、
侍臣は武人の冠を載せ、女楽は箜篌［楽器］を抱いている。
秘殿の金の鎖を開くと、
蛇のような鬚をはやした神人が、
黒い衣を着て巨大な剣を横たえ、
髪を乱して、二つの瞳を光らせている。
思いがけず佳士［張杲之］に出合い、
美しく飾った舟に一緒に乗り、
竿を投じて緑の浮草を開き、
足を濯いで清らかな流れを乱す。
晩に南溪のほとりに宿ると、
水辺の国の秋のような静けさである。
湖を繞って木や竹が茂り、
一晩中颼颼と響いている。
（十八日は）幽邃を窮めようと暁のうちに発ち、
虎を畏れて戈でも振り回したい気分で進み、
尹喜の旧宅に至る。
昔、老子が西に行く途中で車を留め、
『道徳経』［いわゆる『老子』の経典］を書き残したところである。
道を聞くよすがはまだあるにしても、
老子が登仙［仙人になったこと］したのは遥か遠いこと、
風に乗って自然のおおもとへと帰って行き、
もはや世の変遷などはかげろうほどにも思わないのだろう。
羽客［道士の趙宗有］は私の意を知って、
山寺までの道も遠しとはしないで、
馬を繋いで琴を持ってきて『鹿鳴』の曲を弾いてくれる。
伝え聞くのは、玉真公主が住まわれたという巖の堂、
風に幃幔が巻かれる奥に西王母の画がかかり、
落日のもとで玉真公主が愁いておられた姿を想い浮かべる。
谷に入ると木々が密に繁ったさまに驚かされ、
枝を牽き、蔓を牽いて坂を登る。
峰々が槊を並べたように立ち、
翠の石を千段にも重ねた中に、
油のように静まり返った潭［仙遊潭］があり、
百丈の下に魚が遊んでいるのが見える。
かつては朝廷の使者がここにきて、
金の竜を投じて祈祷したという。
最も愛すべきは（中興寺の）泉鳴洞で、
初めてその水を嘗めて見ると、喉に雪が入るような冷たさである。
その水を汲んで瓶に満たしたのは、
けがらわしいことを聞いてしまった耳を洗おうとするものではない。
たちまち思い出したのは、
君と蝦蟇培を訪ねたときのこと、
洞窟の中は温かく、冬であっても裘を脱いだのだった。
山や川の様子はそことよく似ていて、
水や石もそこと並ぶ美しさがある。
ただし泉があっても一緒に飲む相手がいないのだ。
【補足】［（1）最後の部分には、蘇軾自身の注で、「昔、弟と蝦蟇培に遊んだ。冬の季節であったが、洞中は温かくて二月か三月のようであった」とある。そのことは作品番号01-1-033で見ている。弟への思いを記して長い詩の結びとしたのである。（2）散文調の自由訳では、最初に掲げた日誌をただなぞっただけのように見えてしまうが、原詩は含蓄のある語句を駆使して、日誌とは趣が大きく異なっている。とはいえ、散漫な印象は免れないだろう］
■【02-2-003】新葺小園二首
【解題】蘇軾は鳳翔府の官舎に住み、建物の北側にある庭を自由に使うことを許され、修治してこの詩を詠んだ。この詩からも、宋選知事が蘇軾を優遇していたことが知れるであろう。
【訳文】
其の一
北の壁にそう短い竹がさわさわと鳴る。
雑草を斬り披いたので小さな花が現れ出るようになった。
知事殿が、緑の池の水を分けることを許してくださったので、
西隣の人に、この庭の緑陰を自由に楽しんでよいと伝える。
杏の花が少女のように笑いかけてくれ、
鶯がからころと美しい音楽を奏でてくれる。
我が身は閑であるので、
誰か美酒を勧めに来てくれるとよいのだが、
とりあえずは、
花の輝きと水の輝きが照らし合うのを眺めているとしよう。
其の二
三年が経てばここから立ち去る身、
それでもここを故郷とすることだってできるであろうから、
樹を植え、池を穿って、やたらと忙しくしている。
わずかな楽しみのためにあくせく働くのもおかしなものだ。
もしまたここに来るときがあるとしても、
そのときには、髪が真っ白になっていて、
かの庾信のように、枯れてしまった柳を嘆く詩を詠んだりするであろうか。
かの山簡のように池でひたすら酔ってばかりいたお役人様かつていたことなどは、
もはや誰も覚えていないのだろう。
幸いにも、私が植えた木が切られてしまうことは心配しないでよい、
西隣の人は木々を大切しようと約束してくれているのだから。
【補足】［詩の中ほどで、南北朝時代の庾信と、その少し前の西晋の山簡の故事を踏まえて詠んでいる。庾信には枯れた楊を詠んだ『枯樹の賦』がある。山簡は「竹林の七賢人」の一人で、当時、西方の異民族の国との境に近かった襄陽の知事として赴任したときに、国家多難の時期でありながらあまりにも無力であることから、町の近くの池に行っては泥酔するということを繰り返していた。「竹林の七賢人」の心理は、阮籍［→作品番号01-2-041］もそうであるように、非常に複雑であった］
■【02-1-004】鳳翔太白山祈雨祝文
【解題】先の出張の際の日誌［→作品番号02-1-002］にあったように、この年は日照りで、いよいよ干害の恐れが出てきたので、蘇軾は宋選知事の代理として太白山に行って、雨を降らせてくれるよう神に祈った。この後しばしば見るように、雨乞いは地方官の重要な職務であった。表題にある「祝文」とは、「神に願いを告げる文」という意味である。
【訳文】
太白山の神に申し上げる。
西方の英偉の気が集まってできたのが太白山である。太白山の潤いの気が集まってできたのが湫潭だ。湫潭の一杯の水があれば天下を潤すに足る雨になるという。ならば鳳翔の地だけなら潤すのはわけないであろう。
さかのぼること去年の春より鳳翔には雨も雪もない。民衆の生命は何にかかっているのか。麦や稲だ。あと十日も雨がなければ今年は凶作となる。食べるものがなければ民衆は盗賊となるよりない。土地を治める知事だけがそのことを憂う役務を負っているのではないはずだ。神は座視していてよろしいのか。
皇帝は神に礼を尽し、民衆は神を崇めてきた。それは何のためであったのか。今日のこのようなときのためではないのか。
神もよくよく考え、皇帝の心に背かず、民衆の望みを断たぬようにすべきであろう。
【補足】［（1）太白山は、黄河流域と長江流域を分けて東西に連なる秦嶺山脈の最高峰で、海抜は3767メートルである。蘇軾はその山頂に行ったわけではなく、麓にある社で祈り、中腹にある湫潭で雨乞いのための水を汲んだ。（2）この祝文のおもしろいところは、神に平身低頭して雨を乞うというものでは全くないことだ。皇帝は天帝から天命を得て中国を統治している。その皇帝から民衆を委ねられているのが官僚としての蘇軾の立場である。一方で、太白山の神もまた天帝から天命を受けているのだが、神の称号は皇帝が封じるという形で与えられている。だから、蘇軾と太白山の神はほぼ対等の立場で、民衆に対する責任もほぼ同じようにある。それで、蘇軾は太白山の神に対して正々堂々とものを言っているのである。（3）この文章で、「気」が集まって山や池ができたといっている。「気」は中国の自然哲学上の重要な概念で、「物質＋エネルギー」と考えてほぼよいのだろう］
■【02-2-005】太白山下早行、至橫渠鎮、書崇寿院壁
【解題】太白山に行き帰りに見聞したことを幾つかの詩を詠んでいる。この詩の題は、「太白山の下を朝早くに進んで橫渠鎮に至り、崇寿院の壁にこの詩を書いた」。橫渠鎮は先の詩［→作品番号02-2-002］で2月15日に至った郿県の東五十里に、崇寿院はその南にあった。
【訳文】
馬の上は夢の続きの中、
朝日が昇ったのにも気づかなかった。
立ち並ぶ山々は、宿屋の部屋の屏風だと思っていたし、
落ち行く月は、宿屋の淡い灯火だと見ていた。
あたふたと郵吏［橫渠鎮の役人］を煩わせ、
老僧［崇寿院の僧］が安閑としているのに対して、
勤めのせわしなさを愧じらいはがらも、
ここでまた遊びたい気が強くあるので、
私がここに来たことをしかと憶えていてほしいものだ。
■【02-2-006】留題延生観後山上小堂
【解題】先の詩［→作品番号02-2-002］で2月18日に至った延生観を再び訪ね、その後ろの山の上にある小堂でこの詩を記した。小堂は玉真公主が修道した遺跡である。
【訳文】
溪山の風光のありあまる好さに、
いくら見ても心に満足することがない。
上へ上と、ぎざぎざの峰を幾つも越える。
深い谷の鳥がのぞかせる珍しい毛羽は、
上の世界に去った仙女［玉真公主］の姿を想起させる。
丹い鳳の乗った弄玉［昔の仙女の名］にも引けを取ることなく、
月の蟾に駕す嫦娥を追って彼方の世界に行ったのであろう。
（玉真公主が去った後は）谷の草や巌の花は主を失ったまま、
暮れ方に、（玉真公主を慕うようにして）蝶が簾の間から小堂へと入ってくる。
■【02-2-007】留題仙遊潭中興寺、寺東有玉女洞、洞南有馬融読書石室、過潭而南、山石益奇、潭上有橋、畏其険、不敢渡
【解題】先の詩［→作品番号02-2-002］で同じく2月18日に至った仙遊潭と中興寺を再び訪ねてこの詩を詠んだ。詩の題には、「寺の東に玉女洞があり、玉女洞の南に馬融が書物を読んだという石室がある。仙遊潭を通って南に行くと、山の岩はますます奇くなる。仙遊潭の上に橋があるが、その険しさに畏れて渡れなかった」と書き添えられている。玉女洞とは、古い時代に仙女が住んでいたとされる洞窟。馬融は後漢時代の人で、山中に隠れ住む学者に師事して学問に励み、そのときの跡が石室である。
【訳文】
静かな潭は百尺もの深さがあり、
一切の泥を交えずに澄み切っている。
山の木々が暗く覆って、
谷の鳥が啼いている。
ここはどこかと似ている……
蜀の人である私がかつて遊んだ明月峡か……
いま秦の地にいながらかの桃源郷に来ているのか……
独り攀じ登り、
馬融が書物を読んだという石室を覗き込み、
仙女に会えるかと思って、
洞窟の石の門を叩く。
山を愛する心がまままだ足りないのだろう、
我が二本の脚で吊り橋を渡れずに帰ってしまった。
【補足】［（1）名月峡は、かつて蘇軾が父と弟とともに都に向かって長江を下った旅の途中で立ち寄ったものと思われるが、第1章で見た蘇軾の詩文はそのことについて言及していない。（2）作品番号01-2-024では、馬融のことを嘲笑していた］
■【02-2-009】楼観
【解題】楼観もやはり先の詩［→作品番号02-2-002］で2月18日に訪ねていたところ。盩厔県の東三十七里にあって、周の時代に尹喜の住まいがあったとされていた。この詩には、「楼観の南に秦の始皇帝が建てた老子廟があり、晋の恵帝がそれを修復した」と、書き添えられている。
【訳文】
夕陽を受けて、
門前に古い石碑が臥せっている。
川の流れを見送るように、
この石碑は世の変転を眺めてきたのであろうか。
ここを訪ねる人は、
晋の恵帝のことを静かに悲しむ。
恵帝は古い老子廟を修復し、
秦の始皇帝に学んで不老不死を得ようとした。
丹砂［硫化水銀］が長らく穴倉にあると井戸の水が赤くなり、
白朮［薬草］を焼くと香ばしい匂いが立つ、
いずれも不老不死の秘薬とされるが、
恵帝は毒にあたって死んでしまった。
神仙の道は遠い過去のものなのだろうか。
もしかしたら、この辺りの農夫も実はかつて老子の従者の子孫だったりするのだろうか。
【補足】［秦の始皇帝をはじめとして大勢の皇帝が不老長生の薬を得ようとして、怪しげな術士が作った薬を飲んだ。薬の原料には薬草や丹砂が用いられ、丹砂は猛毒であったから、薬を飲んだ皇帝は、例外なく健康を害し、精神を乱し、若死にした。術士は皇帝の死後に必ず処刑された。にもかかわらず、同じことが何度も繰り返された。蘇軾は理系人間であったと思わせるところが多々あり、薬学、化学に強い関心を持ち、薬草を採取して薬効を調べたり、丹砂を用いて不老長生薬を作ってみようとしたりした。ただ、歴史を熟知する蘇軾は、不老長生薬を服すことには極めて慎重で、実際には飲まなかったようだ］
■【02-2-010】郿塢
【解題】先の詩［→作品番号02-2-002］で、2月15日に近くを通過した郿塢について改めてもう一度詩に詠んだ。郿塢は後漢末の梟雄、董卓が作った砦の跡である。
【訳文】
董卓は、衣の下に厚く鎧を着るように、
砦をがちがちに固め、
砦には黄金を多く貯め込み、
ここにいれば何の心配もないと考えた。
董卓に似る英雄はその後は誰も現れなかった、
何しろ、市中にさらされたその死骸は、
ぱんぱんに膨らんだ腹から脂が流れ出て、
臍に挿した芯に灯した火によって、
幾日も自分自身を照らし続けたのだから。
■【02-2-011】磻溪石
【解題】先の詩［→作品番号02-2-002］で2月14日に近くを通った磻溪石について詩を詠んだ。
【訳文】
墨子は天下を遊説してまわったので家の煙突に煤が付く間がなかった。
孔子は仕官の相手を求めて歩きまわったので席が暖まる間がなかった。
ところが、太公望は渭水のほとりで、
両足をぴったり岩につけてじっと坐っていた。
ある日、周の文王に見出されると、
武王とともに辛苦して天下を平らげたのだった。
そして、斉の国へと赴任するに際して、
旅の宿でゆっくり眠っていようとしたら、
宿の主人に詰られ、
それからは夜も休まずに急いだのだった。
【補足】［終わりの部分は、ひとたび公の仕事に就いたなら、もはやのんびり朝寝などしていてはならないということで、官職にある蘇軾自身の身の上を重ねて歌っているのだろう］
■【02-2-012】石鼻城
【解題】先の詩［→作品番号02-2-002］で2月13日に見た石鼻寨について再び詩に詠んだ。
【訳文】
いまの平和な時に、
蜀と魏が戦った往時の趣はない。
道行く旅人はかつての寨に目をくれることもなく急ぎ通り過ぎて行く。
北からの旅人はこの先で初めて険しい山道に出会うことになり、
南の蜀からの旅人はここで山々に見送られる。
私は暗いおぼろ月のもとで、
独り愁いつつ河を渡ろうとしている。
もしもここから西南［つまり故郷の蜀の方向］に行くなら、
風景がこことは一変して、
道のかたわらには青い竹が茂り、水がさらさらと流れていることだろう。
【補足】［最後の部分は、上の詩の続きで、官職にあって自由にならない我が身を歌っているとの解釈に基づいて訳してある。鳳翔府から見て蜀は南に連なる山の向こう側で、蘇軾がこれ以降に赴任するどこよりも蜀に近かった］
■【02-2-013】太白山神
【解題】以上の一連の詩は、太白山に雨を祈り、鳳翔府へと帰る途中で詠んだもので、のんびり名所を訪ねまわったわけではなかった。雨乞いの結果は果たしてどうであったのだろうか。これより数年後に書いたと推測される文章を見ておこう。
【訳文】
昔、扶風［鳳翔］で知事を補佐する職務に就いていたときに、ひどい旱魃となったので、父老［土地の経験豊富な年長者］に、鳳翔府内で雨乞いをすべきところを尋ねると、
「太白山は至って霊験があります。昔から祈って応じてくれなかったことはありませんでした。ところが、近頃、向伝師様がここの知事であったときに、太白山の神を済民侯に封じるよう朝廷に奏上しましたところ、それからは祈っても験がなくなってしまいました。どうしてなのか全くわからないのです」
と、いったので、私はそのことについて思案していたところ、たまたま『唐会要』［唐代の制度を記した書物］を看ると、次のように書いてあった。
「天宝十四年［755年］、方士［道教の術者］が朝廷に申し上げた。太白山の金星洞には宝符［天のお告げを記した符］と霊薬があるので、朝廷より使者を派遣してこれを獲て、山の神を霊応公に封じる詔を下されますように」
これで山の神が悦ばなかった理由がわかったのだった［すでに「公」として封じられていたのに、改めて格下の「侯」に封じられたのでは神としては不満だったのだ］。
すぐに私はこのことを知事に告げ、山に使者を出し、雨を祈り、
「もしも応じてくださるならば、また『公爵』に戻すよう朝廷に奏上いたします」
と、山の神に申し上げ、瓶に湫の水を汲んで町に帰ってくるようにした。すると、水が届くよりも前に、霧が風によって運ばれてきて、旗が舞い上がり、ぼんやりと何かが見えるかのようであった。
それより三日間大雨が降り続き、その年は豊作となった。
私はその経緯を記して朝廷に奏上したところ、明応公に封じるとの詔が下された。私はまた別に記念の文章を作り、神の廟を修理した。新しくなった廟で祀った日に、長さ一尺余りの白い鼠が現れ、供えた酒の上を走り、臭いを嗅いだが飲むことはなかった。父老は、
「あれは竜です」
と、いった。
嘉祐七年［1062年］のことである。
■【02-2-014】真興寺閣祷雨
【解題】上の文章では、太白山に雨乞いしてすぐに雨が降ったように書いているのだが、実際はそれほど簡単ではなかった。蘇軾が太白山の神に祈ったのは2月の末ないし3月の初めで、鳳翔府では3月7日と3月16日に降雨があったものの大地を潤すには不十分であった。そこで、再び太白山に使者を出し、湫の水を汲んで、3月19日に鳳翔府の真興寺の楼閣で宋選知事自身が雨乞いをすることになった。蘇軾はこのときには太白山には行かないで知事に付き従い、まず鳳翔府の町の外に出て、水が到着するのを出迎え、それを真興寺に持って行って神に雨を祈った。これはそのことを詠んだ詩。なお、真興寺については作品番号02-1-018の第6首で詳しく見ている。
【訳文】
知事は千人を従えて太白の神に祷る。
神は遠くから一杯の清らかな水を貸してくれた。
すると、雲が暗く空いっぱいに湧き出してきた。
雨の気配がいよいよ熟してきたのだ。
風がわずかに吹き出して袂がひんやりと感じられる。
しかし、山に添う夕陽はまだ強く輝いている。
今年の秋の稔りはどうなるであろうか。
きっと江南［長江下流の南側の一大穀倉地帯］の地よりも米がたっぷり採れるに違いない。
■【02-2-015】余自城中還道中、雲気自山中来、如群馬奔突、以手掇開篭收其中。帰家雲盈篭開而放之、作攓雲篇
【解題】知事は真興寺で雨乞いをした後に、再び町の外に出て、雨を降らせる雲が太白山からくるのを迎えた。詩の題は、「町からまた道に出ると、群馬が突進するようにして山から雲気がきた。私は篭を開き、手で雲をその中に収めた。家に帰ると、雲が篭の中に満ちていたので、それを放ち、『攓雲篇』の詩を作った」。
【訳文】
自然界の物の働きには、
必ずしかるべき時期というものがある。
星を観察してそれを見定めたので、
ここに知事殿に従うこととなった。
郊外の道で南の山から来た雲に逢い、
それは電光のようにすばやく下ってきた。
誰が指令を出したのか、
雲は次から次へと下ってくる。
竜が雲から雲へと飛び移り、
鳳が上へ下へと舞い飛ぶかのようだ。
東の郊外に散った雲は霧となり、
あるいは枯れた木に凍りついて実のようになる。
一つの雲が飛んで私に車に入り、
我が肘やら腿やらにからみつく。
それを笥の中に引き入れて据え置き、
携えて我が家に連れ帰る。
そして封を開いてそれを放つと、
伸びたり縮んだり変化する。
雲よ、君は山に帰るがよい、
むやみと官員を怕れさせないでくれたまえ。
■【02-2-016】代宋選奏乞封太白山神状
【解題】宋選知事が真興寺で雨乞いをすると、以上の詩で見たように山から雨雲がきて、それから3日間にわたって雨が降り続いた。それで、宋選は、太白山の神を、唐の時代と同じように公爵に封じるよう朝廷に奏上した。これは宋選に代わって書いた奏上の文。この雨乞いには蘇軾が深く関わったので、すでに名文家として知られるようになっていた蘇軾が宋選の依頼を受けて代筆したのだろう。
【訳文】
鳳翔府郿県の太白山を仰ぎ見ますに、大地の一方を鎮める堂々の山で、古くから書物にも記載されております。案じますに、唐朝の天宝八年に詔によって太白山の神は神応公に封じられております。宋朝に至りまして、改めて侯に封じられ、済民の号が加えられました。
去年の九月より雨が降らず、冬を過ぎて春に及びました。農民は手を拱いて、饑饉を待つばかりで、穀類は今にも絶え、盜賊がまさに興ろうとするばかりとなりました。臣は道に父老の声を得ましたところ、誰もが太白山には昔から湫の水があって、それによって祈り請うならば必ず響き応えてくださるということでありました。そこで、日を選んで斎戒し、人を派遣して湫に臨んで水を取らせ、臣と百姓［種々の階層の民衆］数千人でその水を郊外で待っておりますと、空の模様が暗く変わり、東南より隆隆獵獵として先駆けてくるようなものがあり、ついには陰の気が満ちて、雲が満ち満ちて、車の蓋のように天を覆い、雲はそのまま散ることなく四方に広がり、変化して大雨となったのでありました。雨は十分に行き渡って、陽の気が驕るのを破り、枯れていた小麦、大麦が立ち上がったのでした。鬼神の働きは目には見えにくいものではありますが、この応答ははなはだはっきりしておりました。
臣が竊に考えますに、太白山の神の功は極めて大きく、しかしその封爵はまだ十分ではなく、昔は公であったのが今は侯であるのは、神としては地位を落とされたと考えて、人にそのことを知らせるために安らかではないことをしたのでありましょうか。この山が崇高でありますことは、五嶽に十分に次ぐものでありましょう。公爵を賜りましても、その功と比べて、過ぎるものではないのであります。
朝廷のしかるべき部署において詳しくこのことの可否を審議するよう、特に陛下の御指示を賜りますよう伏して請うものであります。
【補足】［この奏上に応じて、朝廷が太白山の神を封じたのは、作品番号02-2-013で見た通りである］
■【02-2-017】次韻子由岐下詩
【解題】弟が詠んだ『岐下の詩』に次韻した作品。鳳翔府の北東に古くから名の知られる岐山があり、「岐下」とは鳳翔府のことである。弟は、兄が官舎の裏手に庭を作っていると聞いてそれについて詩に詠んで寄せたのが『岐下の詩』である。宋選知事の厚意で庭を自由に作るのを許されたことは前に見ている［→作品番号02-1-019］。弟と蘇軾の作品は、唐代に王維が自身の別荘である輞川荘において親友の裴迪と唱和した一連の詩を意識したものであることは明らかである。王維の作品は五言絶句が二十首で、蘇軾の作品はやはり五言絶句が二十一首である。ただし、王維の輞川荘は長安郊外の広大な土地を占め、蘇軾の庭は官舎の裏手のごくささやかなものである。規模に大きなギャップがありながらも基底にある心持ちは変わらないというところであろうか。序文が付いている。
【訳文】
私は岐下［鳳翔府］に来て月を超えてから、官舎の北の空き地に亭を作ることになった。亭の前［南側］に長さ三丈の横池を作り、池のほとりに低い墻を巡らせ、堂［池の南の執務室であろう］にまで繋げる。堂の北側の厦の下に窓を開き、曲がった欄干を設けて池を俯瞰できるようにする。堂を出て南にゆく廊下を作り、官舎に繋げる。廊下の両側にも小さな池を作る。三つの池はどれも汧水から水を引き、蓮を種えてその中に魚を養う。池の周りには、桃、李、杏、梨、棗、桜桃、石榴、樗、槐、松、檜、柳を三十株余り植える。また一斗の酒を牡丹と交換して、亭の北にひとむれ植える。弟がそれについて詩を寄せてくれたので、次韻して和して答える。全部で二十一首である。
北亭
誰がこの低い墻を築いて、
吾が堂を取り巻くようにしていたのか。
新しい亭を作らなかったならば、
微かな花の香りもわからないままであったのだ。
【補足】［（1）この詩には、蘇軾自身の注で、「もとの堂には北側に墻があったが、それを取り除いて亭を作った」とある。つまり、堂の北側には墻に隔てられた空き地があるだけだったのだろう。（2）この一連の詩は、庭が完成したときの姿を想像して詠んだものであるようだ］
横池
明るい月が我が池に入ってくると、
きらきらと真っ白な布になる。
この布がいつか黒く染まるのならば、
私が言葉を尽くして、
太玄［物の根源は玄く奥深いものであること］を論じるまでもなくすむであろう。
【補足】［結びは、ある故事に基づくものであるが、訳者が知ったかぶりで解説したところで、腑に落ちるものではないだろう］
短橋
誰かが竹の白い敷物を用意してくれたなら、
朱い橋の上に寝そべって、
樹の影が欄干の上を移り、
波の光が橋の板の底で搖らぐのを、
感じながらひがな一日を過ごすのだ。
軒窓
東隣には白楊がたくさんあって、
夜になって雨の音が激しくなった。
窓の下で独り眠らずにいると、
秋の虫が燈に向かって入ってきた。
曲欄
水の流れに朱い欄干が映り、
水の明るい鑑を浮き草が乱す。
橋の上にいる人はというと、
水に浮かぶものを黙って見つめている。
雙池
汧水は城郭に入ると、
亹亹と千の家を巡って行く。
雙池ではその水を見ることはない。
「十里の花」をいっぱいに漂わせているからである。
【補足】［江南の湖州には十里にわたって蓮の花が続く名所がある。それでこの末句では蓮の花を「十里花」と呼んでいる。小さな雙池に対して「十里」という表現に面白味がある。なお、蘇軾は後に湖州の蓮を実際に見ることになる］
荷花
（蓮の葉は）田田と朝の陽をかえし、
（蓮の根は）節節と春の水に伏している。
平らに鋪かれた浮き草が乱れるのは、
魚がちょこまか動いていることを報せているのである。
魚
湖［雙池］に魚を移したばかりのときは、
人が覗き込んでも畏れなかった。
釣り針の餌を識ってからは、
いくら見ようとしてもとんと姿がない。
牡丹
いつも残念に思うのは、
花の好いものが稀であること。
花数が多いのが佳いわけではあるまいに、
四十も枝がある牡丹とは。
その枝のすべたに柄杓のような大きな花がつくはずはないのに。
【補足】［蘇軾の注で、「「四十余枝の牡丹花がある」と記されている。多数の花を付ける品種が作られたこともあるのだろう］
桃花
葉が出るのを待たずに花は争うようにして開き、
密に綴って枝をなくしてしまおうとしている。
沼に傍って水鑑に移るのを覗こうとすると、
魚が驚き上がって水が橋に跳ねかかる。
李
李は、花びらの軟らかさでは梨に及ばない、
花びらの紅さでは梅に恥じねばならない。
町の西の園には千葉李があって、
淡く佇みつつ、実に纎かつ穠である。
【補足】［蘇軾の注で、「町の西に千葉李があって荼䕷［薔薇の一種］のような花が咲く」と記されている］
杏
余寒がおさまるころに杏は花を開き、
夏の始まるころに実を結ぶ。
関中［長安を中心とする盆地］には幸いにも梅がないので、
役場に和気を漂わせる役は汝が担っているのである。
梨
霜が降るころに紅く梨は熟し、
柔らかな枝は重さに耐えられなくくらいである。
梨の実の特長は冷たくすることにあるが、
夏の渇きを除くことには間に合わなくて、
冬の氷の寒さを助けてばかりいる。
棗
住む人がどれほど老いれば、
棗の樹は枝を交差するまでに大きくなるのか。
いまそなたはやっと細い軸ほどなった、
私の任期が満ちるころまでに瓜くらいの太さになるであろうか。
【補足】［蘇軾の注で、「棗の樹は至って成長するのが遅い」と記されている］
桜桃
独りで桜桃の樹のまわりを巡っているのは、
酒が醒めて喉から肺が乾いているからだ。
枝の上の露を除いてはならない、
口に向かってたっぷりしたたせるままにしたいのだから。
石榴
風流の意は尽きることがない、
他の花がすっかり終わっても、
なお石榴は残っている。
その色は裳裾を染めてくれるし、
その名は盃の楽しみを味あわせてくれる。
【補足】［蘇軾の注で、「柘榴という名の酒がある」と記されている］
樗
樗は昔から神聖な樹とされているが、
実際には樹上で蜩が鵙がひたすら鳴いているだけだ。
土地の神は樗のために移動させられてしまったのだから、
いささか供え物をしておかねばならないだろう。
【補足】［蘇軾の注で、「土地の神の廟があって、樗のために覆われてしまったので、私は廟を墻の北側に移した」と記されている］
槐
実を採ることも厭わずに、
槐を植えてからまだ間がないのに、
忽然としてすでに木陰を作るほどになった。
蝉は鳴いてもその姿は隠れて見えない。
鶴でさえも枝の奥深く立っているのである。
【補足】［蘇軾の注で、「槐の木の上に野生の鶴が三、四羽くる」と記されている］
檜
南の山から無理やり持ってこようと、
檜は渭水の早瀬も越えてきた。
根付くかどうかまだわからないのだから、
鴉も鵲も悪さはしないでくれたまえ。
松
古い松の木が生い茂って、
その実を食べるなら、
緑の毛で覆われて仙人にもなるという。
松は成長するごとに必ず節義を示すというが、
来年はとりあえず人を覆うくらいにはなってくれるだろう。
柳
今年は自分の手で柳を植えた。
柳は私に尋ねた、
「いつの年にここを去るのか」
もしまたいつかの年に来るなら、
大きくなった柳からはらはらと葉が落ちるのを見て、
私は心を傷めることであろう。
■【02-2-018】喜雨亭記
【解題】上の一連の詩にあった池のほとりの亭を、蘇軾は「喜雨亭」と名付け、そのことを記念するこの文章を記した。
【訳文】
雨を亭の名に入れるのは、雨による喜びを記念するためだ。
何かによる喜びがあったときに、そのことをもって物に名を付けるのは遠い昔から行われていることである。喜びを忘れないためだ。事例は数多く、喜びの大小はさまざまであっても、忘れないためにということは共通している。
私は鳳翔にきて年が改まってから官舎の改築を始めた。建物の北に亭を建て、亭の南に池をうがち、水を引き、木を植え、休息の場にしようとした。
春になったばかりのころに、山の北側で空より麦が降った。占いによると、麦は雨の降る形を示し、豊作になるということであった。ところが、それからひと月を越えても雨がまったくなく、民衆は憂い顏になった。三月に入ってやっと一日だけ雨があり、その九日後にもまた雨があった。これだけではとても足りないと民衆はまだまだ心配し続けた。そして三日後にとうとう大いに雨が降り、三日間続いてから止んだ。
役人は官舎の庭に集まって祝賀し合い、商人は市場に集まって歌い合い、農民は畑に集まって踊り合った。これまでの憂いは楽しさに転じ、病は癒えたのだった。そして私の亭はちょうどこのときに完成したのである。
私は亭において宴を催し、来てくれた客に向かって盃を挙げ、問いかけた。
「あれであと五日も雨がなかったらどうなったでしょうか」
「麦はまったく稔らなくなったでしょう」
「あれであと十日も雨がなかったらどうなったでしょうか」
「稲もまったく稔らなくなったでしょう」
麦も稔らず稲も稔らなければ飢饉に陥ってしまう。困窮した民衆は争いごとを頻繁に起し、盗賊の勢いがさかんになって、私たちがこの亭に集まって楽しみをなそうとしてもできることではなくなってしまう。
始めは日照りであったけれども、天はここの民を見捨てず、雨を降らせてくださり、そして我らにこの亭での楽しみ事を与えてくださった。これらはみな天からの賜わりものである。忘れてよいものではない。よって雨をもって亭に名を付けるのである。
そしてこのことを歌おうと思う。
天が珠を降らせてくれても、
凍える者はそれを身にまとえない。
天が玉を降らせてくれても、
飢える者はそれを食べられない。
雨が三日も続いてくれたのは、
誰の力のおかげだったのか。
民衆は知事が祈ってくれたおかげだというけれど、
知事は自分ではない皇帝の徳のおかげだとおっしゃる。
皇帝は自分ではない造物者のおかげだとおっしゃる。
造物者は自分ではない太空のおかげだとおっしゃる。
太空とは冥冥として名付けようもないものだ。
だが私は名を付けるという行為を亭にはしたのである。
■【02-2-019】読開元天宝遺事
【解題】春の後しばらくの間は蘇軾の詩文は途絶える。公務が忙しくなったのが主因であろうが、役所内での人間関係で少々つまずいて詩文を作る気分になりにくかったのもその一因であったかもしれないと推測される。人間関係については後で触れるとして、まず公務について記しておこう。夏に蘇軾は、南の山地から筏を流し出すのを監督する仕事に出向いた。これは民衆に過大な負担を強いるもので、蘇軾は非常に悩ましい思いに駆られたようである。秋には、長安で行われた科挙の地方試験の実行部隊の一員として招集された。問題を作ったり、採点をしたりと責任のある仕事で、なおかつ試験期間中は不正が入り込む余地のないよう、外部とは一切遮断された場所に閉じこもっていなかればならなかった。そのときに、同じ年の科挙で合格した章惇［字は子厚］と一緒になり、意気投合して、互いに親友と認め合う仲となった。仕事から解放されて、それぞれ元の任地に帰る途中で、2人はしばらく同行して短い余暇の旅を楽しみ、そのときの逸話が陳鵠の随筆『西塘集耆旧続聞』に記されている。陳鵠は南宋の人で、交友範囲がかなり広かったようで、いろいろな人から聞いたことを記録している。
【訳文】
陳鵠：『西塘集耆旧続聞』
章惇が商州推官であったときに、蘇軾は鳳翔府の幕官となり、試験委員になるために長安に派遣された。試験場から解放されたときに、二人は一緒に山の寺で飲んだ。すると、虎の声が聞こえた。二人は酒に狂っていたので、馬にまたがって虎を見に行った。数十歩まで虎に近づいたとこころで、馬は驚き、もう進もうとしなくなった。
蘇軾はいった。
「馬がこうしているのは、きっと理由があるのだ」
向きを転じて去ろうとした。
章惇は馬に鞭を当て、前に進もうとして、いった。
「私には私の道理がある」
虎に接近すると、銅の沙鑼を石の上に投げつけた。激しい音に虎は驚き、逃げ去った。
章惇は戻ってきて蘇軾にいった。
「君は私には及ばないな」
後に、章惇が奸計を巡らせた萌芽はすでにここに現れていたのだった。
【補足】［最後に「奸計」とあるのは、章惇が種々の政治的陰謀を張り巡らせたことをいっている。ただしそれは、王安石が始めた改革を巡って改革派［新法党］と保守派［旧法党］の抗争が激しく繰り返された後に、保守派側からの見方として定着した評価に基づくものである。章惇が「奸」を為す者であるかどうかは別として、章惇と蘇軾はこのときからしばらくは厚い友情を結ばれたのだが、後に改革派と保守派に分かれ、章惇は改革派の腕利きとして、蘇軾をしばしば苦しめることになる］
【解題】ここの表題に掲げたのは、『開元天宝遺事』という唐代の開元および天宝年間の出来事を記した書物を読んでの感想を詠んだ詩である。その時代は玄宗皇帝の治世の終わりで、『遺事』には、天宝14年［755年］に勃発した安禄山による大乱に関連する記事が多数収められている。安禄山の反乱は、唐の社会をすっかり変えてしまうほど大きな影響を及ぼし、唐王朝はその後も継続したものの、実質的には分裂の時代に入り、統一国家としての中国は宋朝の出現まで待たなければならなかった。
【訳文】
其の一
姚崇と宋璟［玄宗皇帝の治世の前半期を支えた名宰相］が亡くなると、
いろいろとまずいことが起こり、
人は官位を重んじるばかりで、
万人の命は軽く見られるようになった。
朔方の老将［王忠嗣のこと］は風流人で、
吐蕃の石堡城を取れという皇帝の命令には応じようとしなかった。
【補足】［古い中国語の「風流」は日本語とは全く意味が異なる。古から伝わる価値観を体現して、自在に振る舞う度量の大きいことをいう。王忠嗣は見識のある武将で、西方の吐蕃［チベット系の民族］の石堡城を攻め取るよう玄宗皇帝に命じられたときに、石堡城の守りは堅いので、たとえ奪えても失うものが多すぎると、首肯しなかった。玄宗皇帝は他の将軍に命じ、結局、王忠嗣が心配した通りになったのだった。この第一首は、玄宗皇帝の治世の後半期には、無定見の者ばかりか要職を占めるようになったことを歌っているのである］
其の二
長安の東に広運潭を穿つと、
都に入る船は百倍に増えた。
新装船が各地から続々と珍宝を運び込み、
そのめでたさを称えた『弘農得宝歌』を皇帝の前で歌ったことで、
皇弟は高い官爵を授かったのだった。
其の三
琵琶の弦が早い調子に代わり、
羯鼓の音が高くなって、
勇ましい舞いが披露される。
この『羯鼓の曲』を献じたのは皇帝の姉である秦国夫人で、
皇帝が褒美に髪飾りを与えようとすると、
「大唐天子の姉でありますのに、まさかただというわけではありませんでしょう」
と、いったので、三百万銭が下されたのだった。
【補足】［この一連の詩は、玄宗皇帝の後半期の種々の乱れを戒めとして、現代の諸問題に真剣に取り組んで行かなければならないという、蘇軾の問題意識を表現したものである］
■【02-2-020】祭伯父提刑文
【解題】8月1日に伯父の蘇渙が赴任先の利州で亡くなった。62歳であった。蘇軾のもとにその訃報が届いたのはしばらく後のことで、表題に掲げた祭文を作ったのはさらに後の翌々年であったのだが、ここで見ておくことにしよう。
【訳文】
嗚呼。我が先祖の後として、かつては、一世代上の方々が男も女も森の如く、あるいは雁が群れで飛行する如くに大勢いたのでありました。ところが、三十年の間に死生を分かち、なおも契りを結ぶのはただ我が父と伯父上だけとなり、しかも二人は千里を隔てて遠く望むだけであったのでした。
伯父上は官員として全土を東奔西走され、家を去って家を忘れてしまったかのようでありました。一族に子供が生まれそして成長しましても、伯父上とは互いに知らないままでいるという残念なことになっていました。官職を退いたならば、故郷に退いて家を築き、人々とともにあたりをぶらぶらしながら老いの日々を送ろうと決めていたのですが、嗚呼、伯父上はひとたび故郷を離れてからは、そのような志はありながらも、ついには遂げることができなかったのでした。
辛丑［嘉祐六年］の秋、私は都の西郊で伯父上を見送りました。暗い雨が蕭蕭と降り、川の水は滔滔と溢れるばかりでありました。伯父上はやつれた様子で別れを告げられ、しばしば振り返って手を振っておられました。まさかこのときの旅が幽明を隔てるものになるとは誰も知らなかったのでした。
嗚呼、伯父上は生きてついに何をなさったのでしょうか。食べる間も惜しんで辛苦して勤めに励まれ、その身を厳しく律しられて、民衆のためになることをなさって、子孫のためになることはなさいませんでした。いま亡くなられた後には、家はただからっぽの筐のようで、妻や女たちは粗末な衣服を纏い、息子や男たちは冬に薪を負って売りに歩かなければならないほどとなっています。誰が伯父の子孫のために優孟［戦国時代の役者で、詳しくは後述］となって悲しく歌うのでしょうか。私にはただこの文があるだけです。
【補足】［（1）蘇渙は官員となってからは一生のほとんどを故郷の外で過ごし、蘇軾が初めて伯父に会ったのは12歳のときであった［→作品番号01-2-001］。（2）伯父との最後の別れとなったのは、嘉祐6年［1061年］の秋で、そのとき蘇軾兄弟は制科の受験勉強に励んでいる最中であった。（2）最後の部分には、優孟の故事が引かれている。優孟は楚国の宮廷に仕える役者だった。他の者たちは、優孟を蔑んでいたが、宰相の孫叔傲だけは優孟が賢人であることを知っていて、礼儀正しく接していた。孫叔傲が死ぬと、一切の財産を遺さなかったために、息子は貧窮に迫られて薪を売って歩かなければならなかった。その惨状を聞いた優孟は、楚王の前で亡き孫叔傲の真似を演じ、楚王に孫叔傲ことを思い出させ、それによって孫叔傲の息子は官職に就くことができたのだった。宋代の士大夫には、官員としての権限を使って私腹を肥やし、一族を繫栄に導いた者も少なくなかったが、蘇渙はそのようなことはしなかったようだ］
■【02-2-021】壬寅重九、不預会、独遊普門寺僧閣、有懐子由
【解題】この詩の題は、「壬寅の重九［九月九日の節句］に、知事主催の節句の会に参加を求められなかった。独りで普門寺の僧閣に遊び、弟のことを懐った」。この題と詩の内容から、この詩は翌日になって詠んだものと思われる。九は最も大きな陽の数字［奇数］で、それが二つ重なる九月九日は非常にめでたい日とされた。重陽の節句には、菊の花を浮かべた酒を飲んで長寿を願ったり、茱萸の実のついた枝を髪に挿して魔除けにしたり、高い場所に登って遠く故郷を思ったりした。大切な節句であるので、官庁では長官が主宰する会が催されるのが通例で、鳳翔府でも行われたのだが、なぜか蘇軾はそこに呼ばれなかったので、町の東の門の外にある普門寺に独りで出掛けたのだった。
【訳文】
ここでは菊の花が開き、酒は美味である。
普門寺から南に仰ぐ山の高みは、
いかにも冷え冷えとして、
そのありさまを見るにつけ、
どうして僕は郷里に帰らずにいるのだろうかと思ってしまったのだった。
僕の心は、南に翔る雁とともに飛び去ろうとし、
山にかかる雲は、君を想う僕の涙を降らせようとした。
昨日は重陽の宴を楽しむべき日でありながら、
それとは違うところがあった。
来年のこの日に健やかでいられるとしても、
人は必ず老いてしまう。
その昔、重陽の宴に酔い、
帽子が吹き飛ばされても気がつかずにいた人がいた。
その人の振る舞いがおかしかったのではない。
それを見ていた人々の方は問題だったのだ。
陽気に笑えばよいのに、ひそひそ謗ったのだから。
【補足】［（1）後半では孟嘉の故事が引かれている。重陽の節句にまつわるこの故事を、蘇軾は繰り返し詩文に用いているので、ここできちんと見ておこう。孟嘉は陶淵明の母方の祖父で、当時の政界の実力者であった桓温に仕えていた。ある年の重陽の節句に桓温は酒宴を催し、孟嘉もその座にいて酒に酔い、風によって帽子が吹き飛ばされても全く気付かずにいた。人前で頭に何もかぶらずにいるのは非常に恥ずかしいこととされていたのだが、桓温は目配せをして、誰も孟嘉に教えさせないようした。孟嘉が厠に行くと、桓温は一人の文人に命じて孟嘉を嘲笑する文章を作らせ、座に置いた。孟嘉は戻ってきてそれを見ると、平然としてたちどころに嘲りを解く文章を書き、それが非常に巧みであったので、満座の人々が感嘆した。（2）蘇軾はこの詩で孟嘉の故事を引いて、自分は重陽の宴から外されてしまったけれども、そのような嘲りには孟嘉と同じように屈することはないと歌ったのである。蘇軾はどうして重陽の宴に呼ばれなかったのか。一つの推測として、役所内の他の官吏との関係がぎくしゃくしていたのだろうということがある。宋選知事は、蘇軾のことを優遇してくれていたが、他の人々がそれを苦々しく思っていたということは大いにあり得る。鳳翔府には蘇軾と同じ年の科挙で合格した張琥［字は邃明］が先にきていた。張琥は蘇軾が喪に服している間に先に官界に入り、官員としてのキャリアをすでに踏み出していたのに、後からきて官員としての経験が全くない蘇軾の方がより重い役を担い、しかも知事に目をかけられているのでは、あまり愉快ではなかったであろう。後に、張琥は蘇軾を目の敵にし、ついには死罪に陥れようと画策するまでに至るのだが、張琥が蘇軾を憎むようになったのは鳳翔府で始まったと推測されているのである。鳳翔府にいる間は、表面上は2人の間で諍いはなかったのだが、重陽の宴に呼ばないくらいの意地悪ならしたのかもしれない。宋選が知事である間は、まだこの程度のことですんでいたのだが、知事が交代すると、蘇軾は役所内で難しい立場となり、ついには仕事にも差し支えるようなことにもなって、蘇軾の官界人生における最初のつまずきとなるのである］
■【02-2-022】太白詞
【解題】太白山の神を明応公に封じるとの詔が下り、その廟を修理し、蘇軾は祭祀を行い、この詞と祝文を捧げた。詞には「鳳翔では、日照りの年に太白山に祈るとすぐに必ず応じてくださる。それで、神をお迎えし、お送りするまでの五章からなる一篇の詞を作る」との序文が添えられている。
【訳文】
雷闐闐、［雷がごろごろ］
山昼晦。［昼というのに山が暗くなる］
風振野、［風が野を振るわせ］
神将駕。［いましも神が出で立つところ］
載雲罕、［雲の旗を載せ］
従玉虬。［竜の子を従える］
旱既甚、［日照りがひどすぎるのだ］
蹶往救、［つんのめるようにして救いに行こうとするけれど］
道阻修兮。［とにかく道が悪くて遠い］
其二
旌旗翻、［旗が翻る］
疑有無。［見えるか見えないか］
日慘変、［天気がめまぐるしく変わり］
神在塗。［神はいま道の途中］
飛赤篆、［篆書のような赤い電光を飛ばし］
訴閶闔。［天の門で神は叫ぶ］
走陰符、［伝令を走らせ］
行羽檄、［檄を飛ばし］
万霊集兮。［万の神を集めるのだ］
其の三
風為幄、［風を幕としてめぐらし］
雲為蓋。［雲を覆いとして］
満堂爛、［堂内いっぱいに輝かして］
神既至。［神はここにやってきた］
紛酔飽、［神は供えものの酒に十分に酔い］
錫以雨。［雨を与えてくれる］
百川溢、［百の川が溢れ］
施溝渠、［溝から溝へと水が行きわたり］
歌且舞兮。［歌いかつ舞うのだ］
其の四
騎裔裔、［騎馬はぱかぱか］
車班班。［車はころころ］
鼓簫悲、［笛や太鼓は悲しげである］
神欲還。［神はお帰りになるのだ］
轟振凱、［凱歌が轟きわたり］
隠林谷。［林や谷にこだまする］
執妖厲、［悪い妖魔を捉え］
帰献馘、［帰って首切りに処すのだ］
千里肅兮。［千里の彼方まで粛然とするであろう］
其の五
神之来、［神が来るときには］
悵何晩。［何とも遅いと恨めしく思った］
山重復、［山が重なり］
路幽遠。［路は遥かに遠い］
神之去、［神が去るときには］
飄莫追。［ふわりと消えて追うことはできない］
徳未報、［その徳には報いていないと］
民之思、［民は思い続け］
永万祀兮。［永く永く祀り続けるのである］
■【02-2-023】鳳鳴駅記
【解題】鳳翔府の東の扶風県に鳳鳴駅館と呼ばれる公営の宿泊施設があった。鳳鳴駅館は宋選知事によって改修されたばかりで、そのことを記念する文章を扶風県知事の胡允文に頼まれて蘇軾は執筆した。駅館を利用できるのは官人や外国からの使節、科挙を受けるために移動する受験生などで、蘇軾は6年前に父に連れられて受験のために上京した際に、扶風県で駅館に泊まろうとしたことがあった。そのときの体験から筆を起こしている。
【訳文】
私は丙申の歳［嘉祐元年［1056年］］に科挙を受験するために扶風県を通過し、その際に、管理人に頼んで駅館に入れてもらった。しかし、とても泊まれるような状態ではなかったので、すぐに出て、民間の旅館を捜した。
それから六年、私は鳳翔府に赴任し、数日後に扶風県の駅館で客人を出迎えた。客人のいるところを見ると、必要なものが官の庁舎のように具わり、廟観のように立派に整い、何代も続く裕福な邸宅のようでもあった。四方からここにくる者は我が家に帰ったように楽しく感じ、ここから去りたくないと思うほどで、いざ出発となると、馬さえもぐずぐずと振り返って嘶くのである。
私は駅館の係員に、この変わりようについて尋ねると、
「今の州知事様が新しくされたのでございます。州知事様は辛丑の歳［嘉祐六年［1061年］］の八月に初めてここにお越しになりますと、翌月にはもう改修をお命じになり、五十五日間でこのように完成したのです。延べで三万六千人もの人間が動員され、木は根の数で、竹は竿の数で、瓦や甓や坯や釘はそれぞれ枚数で、麦は石で数えますと、合計で二十一万四千七百二十八が集められました。最初は人々は一体何が始まるのかわからなかったのです」
私はそのように聞いて成程と感心した。
その翌年、扶風県の知事の胡允文が駅館の前に石を据え、駅館の改修事業について記念の文章を刻もうとし、私に書くよう依頼してきた。私はこれは書き残す意味があると考え、次のように記すものである。
古の君子は居るべきところを選ばず、どこであっても安らかにしていられた。安らかであれば楽しく、楽しければ喜んで仕事ができ、仕える者も喜んで仕事ができた。こうして天下はよく治まったのである。
後世の君子にはいつも何かしら不満なところがあり、居るべきところにも不満を抱えている。不満があれば落ち着かないか、怠けてしまうかする。落ち着かなければ仕事は乱れるし、怠ければ仕事は進まない。乱れても進まなくても天下はまともには治まらない。こういうことが実際によくあるのだ。
いま宋知事が励み勤しんでいることは、ことごとく世の中が必要としているところのものと合致している。官の仕事で何かをしているときにも不満なところはない。宋知事は扶風の駅館を見て、誰もがそこで安らかにいられるよう細部に至るまで整えた。そのようにするのは駅館に対してだけでなく、もっと小さなことであっても宋知事は心を尽くさないということはない。
いつも肉を食べている者は野菜だけでは満足できない。いつも錦の衣を着ている者は綿の着物だけでは満足できない。いつも大きく費やすことばかりしている者は小さな費えでは満足できない。これは世の中によくある困ったことである。
「楽しげでいる君子は民の父母である」
とは昔からいわれること。楽しげでいることよりも貴いのは、居るところを選ばずに安らかであることではないだろうか。安らかであれば楽しく、楽しければ喜んで仕事ができるからだ。
駅館を改修したこと自体は実は書くに足るようなことではない。駅館を改修したことから、宋知事が居るところを選ばずに安らかであること、安らかであれば楽しく、楽しければ喜んで仕事ができるということを、自ら実践し、鳳鳴駅館にくる誰もがそのようにできるようにしたということがわかる。このことこそがまことに書く価値があるのだ。
【補足】［胡允文がこの文章を蘇軾に依頼したのは、当然、宋選知事も承知の上であったろうから、蘇軾の文才を認める宋選知事との関係は良好であったと考えられ、重陽の宴に呼ばれなかったのはやはり同輩たちのなせるわざであったのだろう］
■【02-2-024】九月二十日微雪、懐子由弟二首
【解題】九月二十日にわずかに雪が降り、弟のことを想ったという詩。旧暦の9月20日はいまの10月末くらいであろうか。鳳翔府は内陸の気候の厳しいところで冬がくるのが早かったのだろう。
【訳文】
其の一
天は鳳翔の九月に淡い雪をもたらし、
早くもものさびしい年の暮れの心持ちにさせられる。
昼間が縮み、
寒さに備えて砧を打つ音がせわしなく響くなか、
役目の薄い役人は、事もなく家の奥に引きこもっている。
君と別れてからの愁いは酒が消してくれているはずだった。
秋になってから櫛にはしきりと抜けた白髪が付く。
僕は国境の塞の外の寒さにも耐えるという貂の革の裘を買ってみた。
それをまとって、宿場ごとに用意される御用の馬を乗りついで、
西方の国に宝物を探しに行くというのは、どんなものだろうかと、
僕はいま真面目に想っているところなのだ。
【補足】［（1）「役目の薄い役人……」の原文は「冷官無事」［冷官事無し］で、本当は忙しくても、文人は詩文の中では閑人であると格好を付けることがよくあるのだが、このころの蘇軾はもしかしたら事実として本当に閑であったのかもしれない。重陽の宴に呼ばれなかったのと同様に仕事でも干されていたのかもしれない。（2）西の国に宝を捜しに行きたいと夢想するのは、不快な現実からの逃避であろう］
其の二
都へと向かう船で、君と箱いっぱいの詩を作った――。
都の外で君の馬と東西に分かれたとき、涙が胸にしたたり落ちた――。
官人に採用されてから国に報いることはまだ何もできていない。
書物や剣の前で恥じ入らねばならない。
こんなことならいっそ帰郷してしまおうかと思いもする。
しかし、同僚たちの手前を畏れないわけにはいかない。
まだ秋なのに、もう年が暮れてしまうのかと驚くばかりだ。
雪景色を寺の二階から眺めようと思っても、
一緒に登ってくれる人はいない。
兄はいまこんな体たらくだ。
君はきっと東の窓辺に机を置いて『易経』の研究に没頭し、
馬車が止まって門を叩こうが一向に応じようともしないでいることだろう。
【補足】［父の蘇洵は、古代の占いの本である『易経』の研究を長年続け、弟はそれを手伝っていた。外の物音に乱されることなく『易経』に没入しているであろう弟を羨ましく思っているのである］
■【02-2-025】与李彭年同送崔岐帰二曲、馬上口占
【解題】詩の題は、「李庠［字は彭年］とともに、崔岐が二曲に帰るのを見送り、馬上で口に唱えて作った」。李庠がどのような人であるかは次の手紙に記されているが、崔岐についてはわからない。「二曲」とは、盩厔県［→作品番号02-2-002］の別称で、崔岐の故郷がそこなのであろう。
【訳文】
霜が乾き、木の葉が落ち尽くしたころ、
秦川［鳳翔から長安の間の地］の風光は愛すべきものがある。
興の発するままに身は軽く、
鳥を追って飛び行くかのようだ。
暮れ行く山に見とれるうちに、
道の遠近を忘れてしまい、
そのまま帰り行く旅人に無理やりついてきて、
いつまでも君と別れまいとする。
この貂の裘なら雪を冒して形勝地を訪ねることだってできるし、
この優れた馬なら鷹を連れて鳥や獣を撃つことだってできるではないか。
ほら、南溪の李先生［李庠のこと］に尋ねてみたらよい、
壮士の心は流れ去る年を追いかけたりはしないのだ、と。
【補足】［（1）恐らく崔岐は心に適わないことがあって帰郷するのだろう。終わりの句は、李庠の励ましに耳を傾けなさいという意味であるのだろう。（2）貂の裘がこの詩でも詠まれている。西方に宝を捜しに行くまでもなく、鳳翔のあたりでは必要なものだったのだろう］
■【02-2-026】与監丞事
【解題】これは8年ほど後の煕寧3年［1070年］ごろに書いた手紙。李庠について触れているので、ここで読んでおきたい。宛名の監丞事とは官職名で、手紙の内容から寇準の子孫の寇某であろうと推測されている。寇準は一時代前の名宰相である［→作品番号01-1-027］。
【訳文】
……終南山のあたりにはかつてしばらく住んでいたことがあります［鳳翔府に赴任していたことをいう］。郿県や虢県や二曲の三つの地域の山川草木は、いま座っていても、はっきりと眼に浮かんできます。そのとき、李庠君は監官［太平宮の管理人］で、盛んに行き来し合って、よく知る仲でありました。しかし、この人がいまどうしているのか知る由もありません。関中［長安や鳳翔あたり］の豪俊の人としては、その後どのような人がいるのでありましょうか。私はいつも蜀に帰ることばかりを思っていますから、そのときにはきっとあのあたりを通るので、しばらくそこに留まって、昔を懐かしむ気持ちを慰めたいと思っています。
貴君は名臣の子孫であって、優れた才能がいよいよ明らかになってきたところです。このまま小さな官職で浮沈を繰り返しているままでは決してなく、きっと今を懐かしむようなことになるでありましょう。要職に就いたときになって、いま得ていられる閑適をまた求めようとしてもそれはもうできないのです。
たまたま李庠君に与えた詩を思い出しました。李庠君はそれを読んで涙を流してくれました。この人は才能がありながらも病気のために志を遂げられず、思うところが多々あったのでありましょう。……
【補足】［ここにある李庠に与えたという詩が上で訳した詩であるかどうかはわからない。この手紙や上の詩から、人を励ますときに蘇軾がどのような心遣いをしたのか、その特徴が知れてくるであろう］
■【02-2-027】病中聞子由得告不赴商州三首
【解題】この詩の題は、「病中に弟が告［朝廷からの許可］を得て、商州には赴かないことになったと聞いた」。1年前に制科に合格した後に弟は商州推官に任命されたのだが、父への孝養を理由に任に就くのを辞退していた。何らかの理由で、そのことがはっきりと決まるまでに時間がかかり、いまに至ってようやく官に就くまでに3年間の猶予が正式に与えられたのだった。そのことを聞いて蘇軾は3首の詩を詠んだ。なお、この詩と次の詩は、表題の冒頭に「病中」の二文字が置かれている。それによって冬に入って蘇軾が体調を崩したことが知れるのだが、後に何度か似たようなことが繰り返されるので、どうやら蘇軾は秋から冬への移り変わりを苦手とし、そのころに精神的ストレスがかかると体調を崩し、「病中云々」といった詩を詠むようになるようである。
其の一
僕は病のなかで、
君は商州への赴任を免除されたと聞いた。
それによって、君と僕が旅する雁のように翼を並べて飛ぶということはなくなったのだ。
君と別れてから、
官位の高さなどちっともよいものではないと知った。
君のもとに帰ることばかりを思って、
日々の時間がどうしようもなく長く感じられる。
君に暇がたくさんあるのは、
書物を著すのにまことによいだろう。
僕は官職に就いて何の功績もなく、
意味なく故郷を離れているだけだ。
世間から隠れるのに最もよい場所はどこかといったら、
いま君がいる王城の地であるのかも知れない。
大海の魚のように万人がうようよしているのだから、
一身を隠すのはわけもないのだ。
其の二
先ごろ僕は章惇君と会った。
章惇君はまさに商州で官に就いていて、
商州の人々は君の赴任を待っているといっていた。
商州というといくつか思い起こすことがある。
昔この地の帰趨を巡って王様をペテンにかけようとした策略家がいた。
君の真直ぐな言説の前では、そんな連中は赤恥をかくだけだ。
世の乱れを避けてこの地の山に篭った人がいた。
以来ここでは俗な凡才は嫌われているということだ。
この地には独特の方言があり、余所者はやっと名前が通じるくらいだという。
余計なことはいわないですむのだからまことに結構ではないか。
この地の人には昔から瘤が多くて首と顎の区別もつかないという。
上辺のよしあしにまどわされることがないのだからまことに結構だ。
君が試験で書いたことがお歴々に気に入られなかったのなら、
お上に願って辞退するのではなく、
商州にくることこそが君に最もふさわしかったのではなかろうか。
【補足】［（1）章惇が商州推官であったことは作品番号02-2-019ですでに触れた。章惇と蘇軾と蘇轍は同じ年の科挙で合格したいわゆる「同年」の間柄である。蘇軾と長安で会って意気投合した章惇は、その弟が同輩として赴任してくれたらよかったのにというようなことをいったのだろう。（2）この詩には商州に関わる故事が幾つか引かれている。「策略家」は張儀［→作品番号01-1-037］のこと。「山に籠った人」は「商山の四皓」のことで、秦の世の乱れから逃れて商山に隠れ住んだ4人の隠者である。蘇軾は何度となく詩文に引用するので、後に詳しく見ることにする。（3）この詩の結びには、蘇轍の答案が問題視されたことが触れられている］
其の三
官職を辞退した君の本意は誰も知らないだろうから、
役目が低いのを嫌ったと言い立てる連中が出てくるかもしれない。
そんなのはほっておいて、悠々と酒でも飲んでいればよい。
歳月は自然と流れ、髪や髭が自ずと白くなるだけだ。
君の答案が誰かの気にさわっただの、人々から嫌われただの、
そんなことは憂うに足りない。
『易経』を読めば大きな道理が知れるし、
しかも、家には『易経』の師匠がいるのだ［父の蘇洵のこと］。
僕は病中の夢のなかで君を求めてさまよっている、
互いに心を知るのは僕と君だけなのだから。
■【02-2-028】病中、大雪数日、未嘗起観、虢令趙薦以詩相属、戯用其韻答之
【解題】蘇軾が病気で伏せっている間に、数日間大雪が続いた。起きて雪を見に行く元気もなく過ごしていると、このときに鳳翔を訪れていた虢県知事の趙薦が雪のために足止めを食らい、たぶん気晴らしに宋選知事が雪見の宴を催したのだろう、その席上から趙薦の病気見舞いの詩が届けられた。それへの返事。蘇軾は戯れの作だとしている。
【訳文】
これで十日も伏せって、
ひたすら薬と親しくしていると、
どうにもならないほどの寒さを感じた。
つむじ風が窓を鳴らし、
寝床を囲む帳が巻き上げられた。
雪が深く積もったとも知らずにいると、
なんと雪の重みで軒板が落ちたと聞かされた。
そこに西隣から歌や音楽が流れてきた。
寒さをものともせずに、
大雪の中に立派な道を通じさせて、
人々が続々と集まったのだろうか。
からっぽになった酒の瓶が次々に横に倒され、
人々の熱気で瓦の上の雪も融けたであろうか。
私はよい酒に近づきたいと思いはしても、
雪の様子をのぞきに出る気力もない。
いつか夏の暑さのような活気を身の内に取り戻し、
我が体を働かせられたらと思う。
いまは人気のない部屋でひとり憂いに沈んでいて、
いつかこちらから宴に招くようなことをしてみたいものだと思っている。
昔むかしのこと、
友を呼びたくても毛氈さえないと嘆いた人がいた。
私のところには売って酒代にするくらいの衣類ならある。
しかし、招いても喜んでもらえるとは限らない。
つらつらそのようなことを思っていると、
寒さがまた一段と厳しくなった。
これは雪が晴れ上がったためかと身を起こすと、
半分の月が西にかかっているのが見えた。
そこに貴公からの詩が届けられた。
旅人はひとり苦吟するものと決まっている。
今夜は黙々と詩を作るのがよいのだろう。
詩人は昔から不遇であるらしく、
秀句は寒さと飢えから生まれ出る。
雪はいつか消えるだろう。
私も病を脱して、昔の詩人の後を追ってみたいものだ。
【補足】［趙薦の詩を手にして、蘇軾はにわかに活気づいたのだろう、たちまち返しの詩を作って、宴席に届けた。これがきっかけになったのかどうかはわからないが、蘇軾の病は癒え、また、役所の同輩との関係も少しずつ改善されて行ったようである］
■【02-2-029】妻王氏墓誌銘
【解題】つまずきながらも蘇軾が最初の官職を勤め上げられたのには、妻の王弗の力も大きかったようだ。蘇軾はこれまでもっぱら学問に励み、またいわゆる理系的な人間として事の本質を掴むことに優れていたのだが、人といかに付き合うかの世知については疎いところがあった。だから、簡単に人を信用し過ぎたり、思ったことをうかつにそのまま言葉に出して失敗したり要らぬ摩擦を引き起こしたりして、同輩との関係を悪くしてしまったようだ。蘇軾は徐々に振る舞い方を修正していったのだが、それは妻にアドバイスによるところが大きかったということが、ここで見る文章に記されている。昔の中国では、妻について書き記すことはあまりなく、蘇軾の場合も墓誌銘くらいしか残っていない。少し先走って墓誌銘の一部を読んでおこう。
【訳文】
……軾が官職を得たのに伴って鳳翔に来てからは、軾が外で為すことを、君［妻の王弗］は問うこともなかったのに詳らかに知っていた。
君はこういった。
「あなた様はいまお父様から遠く離れています。よくよく慎まなければなりません」
君は、我が父が私を戒めた言葉を日々に語ってくれた。
軾が客と外で話すのを、君は壁の向こうで聞いていて、客が帰ると客とのやりとりを再現してこのようにいった。
「あの人はいつもどっちつかずのことしかいいません。あなた様がどう思っているかを見て、それに合わせようとしているだけです。そのような人のいうことは聞くに値しません」
あるいは、軾と一生懸命に親しくなろうとしている人がいると、君はこういった。
「あの人とはきっと長くは続かないでしょう。すぐに意気投合するような人は、離れるのもきっと速いのです」
いつも君のいった通りになった。……
【補足】［王弗は、義父［蘇洵］の言葉を引いて蘇軾を戒めただけでなく、義母［程氏］の言葉を引いて戒めたことがあるのを作品番号01-2-018ですでに見ている］
■【02-2-030】歳晩相与饋問、為饋歳、酒食相邀、呼為別歳、至除夜、達旦不眠、為守歳。蜀之風俗如是。余官於岐下、歳暮思帰而不可得、故為此三詩寄子由
【解題】年末を迎えて蘇軾は望郷の念を募らせたのか、故郷での年越し行事を回想し、3篇の詩を作って弟に送った。年末の行事として、贈り物をし合うのを「饋歳」、酒食を用意して招き合うのを「別歳」、夜明けまで眠らずにいるのを「守歳」といい、それぞれについて1首ずつ詠んでいる。
饋歳
農家は収穫を終えると、
互いに贈り物をし合って年を越す。
これを饋歳という。
あまねく皆に喜びが行き渡らないのを恐れ、
値段の高下など気にすることなく市で贈り物を買う。
山と川とでは産物が異なり、
巨大な鯉を板に載せて贈るかと思えば、
兎を篭に入れて贈りもする。
貧富によって多い少ないがあり、
金持ちは華美を誇って、光り輝くばかりに刺繍で飾った織物を見せびらかし、
貧乏人は恥じらいながらも、
臼を曳く賃仕事で稼いでほんのちょっとしたものを用意する。
僕は役人仕事でここにきて、
官舎にくすぶったまま歳末を過ごしている。
故郷の饋歳の風習を詩に詠んでみても、
聞いてくれる人は一人もいない。
別歳
ゆかりの人が千里の旅に出ようとするとき、
ぐずぐずと別れが惜しまれる。
人は行ってもまた帰ってくる。
歳というものは行ってしまったらもう追いかけることすらできない。
「歳よ、君はいったいどこに行ってしまうのか」
「遠く天の涯だ。
大河の水が東へと流れ去り、
海に赴いて帰ることがないのと同じだ」
酒食を用意し、帰ることのない歳と別れるのを別歳という。
東隣では、酒がちょうど熟したとふるまい、
西隣では、豚がちょうど肥えたとふるまう。
一日を大いに楽しんで、
一年が終わる悲しみを慰め合う。
今年と別れるのを嘆き過ぎないようにしよう。
新たにくる歳ともいずれは別れることになるのだから。
「歳よ、行くなら振り返らなくてよいぞ。
老いと衰えを君に持って行ってもらいたいから」
守歳
まさに終わろうとしている歳とはいかなるものか。
谷底に赴く大蛇に似ていようか。
すべての鱗が谷深くに消えようとしているときに、
誰がそれを止められようか。
尾を引っ張って頑張ってみたところで、
無益と知るほかはない。
除夜に朝まで眠らずにいるのを守歳という。
子供たちも眠るまいと、
互いに見張ってやかましく夜を過ごす。
暁を告げる鶏は鳴かずにいてくれ、
時を告げる太鼓は鳴らずにいてくれと思っても、
久しく待つうちに燈火は尽き、
北斗七星は斜めに傾いてしまう。
夜が明ければ、新しい歳がこないということはない。
しかし、新しい歳がきたところで、
我が心と我が事には、恐らくはつまずきがあるだろう。
せめてこの夜の思いを尽すことに努めたい。
まだ歳の内である間なら年若いと誇れるのだから。
【補足】［「つまずきがある」と訳したあたりの原文は「心事恐蹉跎」［心事 恐くは蹉跎］で、来たる年への不安感を詠んでいる。その予感は果たして当たったのだろうか］